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2009年     6月号
Essay……
BOX版(ネットストーレッジ)……









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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   29日号
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page028.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●介護が終わって、腹黒い人間になってしまった姉(ヤフー知恵袋より)

++++++++++++++++++++++++

ヤフー「知恵袋」にこんな話が載っていた。
一部を抜粋して、紹介させてもらう。
その女性の母親は、1年ほど、義父の介護をした。
で、事件が起きて、義父は、センターへ。
その女性の母親は、介護からは解放されたのだが……。

++++++++++++++++++++++++

『……ある日、お爺ちゃんが兵隊だと言って、暴力をフルおうとしたのがきっかけで、
おじいちゃんは入院することになり、母も介護からやっと解放されました。


本当に母の方がストレスで壊れてしまうところだったので、
こうなって良かったと思いました。

(中略)

しかし、解放されてはや一年。。。
母の性格が、口うるさいおばちゃんというか、
自分の親とは思いたくないぐらいの、腹黒い母になってしまいました。

昔の母は、凄く優しく、悪口を嫌い、正義感あふれる、
お茶目で、かわいい、私の大好きな母でした。


弟夫婦にどなるし、うるさいやんちゃさんがいたら、注意しに行くし、、、
弟夫婦や義父の悪口をその名前が出るたびに、同じ昔の話を何回も愚痴り、
介護をもうこの先しなくてもいいのに、
そして、介護や認知症についてが新聞のテレビ欄にあるたびにそのテレビを見て、
テレビで介護する人たちに共感して、毎回、愚痴愚痴言います……』と。

参考:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324226598

●抑圧からシャドウへ

こうした心理的変化は、心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明される。
義父を介護しながら、その女性(=嫁)は、日頃の不平、不満を、心の中に別室を
作り、そこへ抑圧してしまった。

義父への憎しみ、怒り、不快感など。
が、その一方で、そうした感情を表に出すことを許されなかった。
表面的には、よい嫁を演じ、かいがいしく義父を介護してみせた。
いわば仮面をかぶったことになるが、その仮面を脱ぐことも許されなかった。

本来なら、そうした仮面はどこかで脱ぐべきだった。
思う存分、言いたいことを言い、したいことをすべきだった。
その母親のばあいは、娘(=この原稿の投稿者)に対してグチをこぼすという
方法で、自分の心を調整しようとした。
が、それだけでは足りなかった。

●腹黒い母

心の別室といっても、それにはキャパシティ(容量)というものがある。
それが広い人もいれば、狭い人もいる。
多くは、その人のもつ文化性で、決まる。
文化性の高い人は、そのキャパシティが大きい。
そうでなければ、そうでない。

そのためにも私たちは、日ごろから高い文化に触れ、キャパシティを大きくして
おかねばならない。
音楽、絵画、芸術を楽しむなど。
映画鑑賞もよいだろう。
いろいろな本を読んで、見分を広くしておくこともよい。
もちろん道徳の完成度も、関係してくる。
より公正性があるか、より普遍性があるか(コールバーグ)。
つねに自分を磨いておく。

その容量を超えたとき、今度はその別室に閉じ込められた邪悪な自分が、本来の
自分を侵襲し始める。
人間性をゆがめる。
さらにはシャドウとなって、その人を裏から操るようになる。
その女性は、こう書いている。

「母の性格が口うるさいおばちゃんというか、
自分の親とは思いたくないぐらいの腹黒い母になってしまいました」と。

よくあるケースである。

●子どもの世界でも

こうした現象は、子どもの世界でも、よく観察される。
たびたび取りあげてきたので、ここでは簡単に触れる。

よく「おとなしい子どもほど、心をゆがめやすい」という。
親は、「忍耐力のある、がまん強い子」と喜んでいるが、これはとんでもない誤解。
このタイプの子どもほど、何を考えているか、外からつかみにくい。
先生が何かを指示しても、だまって、それに従ったりする。

このタイプの子どもは、心の中に別室をつくり、そこへ邪悪なものを閉じ込めることに
よって、表面的には、いい子ぶる。
そしてそれがたとえば思春期前夜ごろから、爆発する。
「こんなオレにしたのは、テメエだろオ!」と、母親に向って殴りかかったりする。

●ではどうするか。

だれにでも、心の別室はある。
私にもあるし、あなたにもある。
ない人は、ない。

いやなことがあると、それをその心の別室の中に抑圧する。
こうして私たちは、自分の心を守る。

で、そこで大切なことは、(1)まずその心の別室を認めること。
そして(2)その別室には、自分の中でも、邪悪なものが住んでいることを認めること。
仮面をかぶることが多いようであれば、その仮面を、どこかで脱ぐことも忘れては
いけない。

とくに日頃から善人ぶっている人ほど、要注意。

こわいのは、心の別室に邪悪な部分をすべて抑圧し、表の自分だけを見せて、
それが「私のすべて」と錯覚すること。
あるいは仮面を脱ぎ忘れてしまうこと。
ほうっておけば、確実に、あなたの心はむしばまれる。
ばあいによっては、それがシャドウ(ユング)となって、つぎの世代へと
伝播していく。

で、その女性の母親のばあい、それが期待できるかどうかという問題がある。
年齢は書いてないのでわからないが、おそらく65歳前後ではないか。

が、この年齢になると、自分を静かに見つめるということ自体、できなくなる。
グチがグチをよぶグチ地獄の中に陥ってしまうことが、多い。
というのも、グチそのものが、(こだわり)の一種とみる。
ささいなことにこだわり、それをグチ化する。
そのため、グチがいつまでもつづく。
言いかえると、母親自身が、何らかの心の病をわずらっている可能性がある。

●介護問題の陰で……

介護問題の陰には、こうした問題もある。
「介護」というと、介護だけを考える人は多い。
しかしそれ以上に深刻な問題は、介護疲れもさることながら、それが与える、
精神的、心理的負担。
それが周囲の人たちの心をゆがめる。
ばあいによっては、家族関係を破壊する。

その一例として、ヤフー知恵袋に載っていた相談を、ここで考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
林浩司 介護 介護疲れ 介護問題 抑圧 心の別室 シャドウ論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●【結果主義】(希望と落胆)

++++++++++++++++++++++

『我らが目的は成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』(スティーブンソン)。

++++++++++++++++++++++

●A氏のケース

A氏は、競馬でその日、もっていたお金のほとんどを
すってしまった。

残ったのは、1000円。
食事は、コンビニのパンですまし、おつりで、宝くじを買った。

が、この宝くじがあたった。
X賞で、賞金200万円!

A氏はそのお金で、念願だった、新車を購入した。
が、買ってまもなくのこと、追突事故を起こしてしまった。
幸い、双方ともに軽い損傷程度ですんだ。

が、それが縁で、つまり追突した車を運転していた女性と知りあい、
そのままその女性と結婚してしまった。
電撃結婚だった。

その女性は財産家の1人娘だった。
甘いハネムーンから覚めてみると、その女性は、まったく家事が
できないことがわかった。
食事は、ほとんど外食、あるいは弁当。
洗濯の仕方も知らなかった。

A氏の給料だけでは、生活できなくなってしまった。
その女性は、実家からA氏の給料以上の支援を受けるようになった。
が、そのためA氏と女性の間では、夫婦喧嘩が絶えなかった。

女性が妊娠したところで、女性は「生活ができない」と言って、
実家に帰ってしまった。
そのまま離婚。
A氏は、女性の実家から、かなりの額の慰謝料を受け取った。
女性の実家の両親は、もともと、2人の結婚には、反対していた。

A氏はその慰謝料を元手に、町の中に人材派遣業を開いた。
最初はそれまでの仕事の関係で、けっこう収入があったが、やがてすぐ左前。
半年くらいで、事務所を閉じてしまった。

●大切なのは「今」

A氏の話は、私の作り話である。
(運)と(不運)を交互にまぜてみた。
つまりそのつど(結果)があり、その(結果)が、つぎの(結果)の
始まりであることを、この話を通して理解してもらえれば、うれしい。

このことは、子どもの受験勉強についても言える。

中学受験で合格する。
その喜びも、数か月も過ぎると、消える。
今度は高校受験が始まる。
で、何とか、目的の高校に合格できた。
同じように、その喜びも、数か月も過ぎると、消える。
今度は大学受験が始まる。

このばあいも、(結果)はつぎの、過程への一里塚でしかないことがわかる。
もっと言えば、(結果)は常に、(次の始まり)でしかない。
さらに言えば、(結果)と(始まり)を分けるほうが、おかしい。
またA氏のケースを読んでもわかるように、(もちろん作り話だが)、
結果がよくても、また悪くても、そこで流れが止まるということでもない。

では、どう考えたらよいのか。

結果というのは、「今」のあとに必ず、やってくる。
「結果」という言葉にこだわる必要はない。
「今」のあとには、必ず、「次の今」がやってくる。
私たちがなすべきことがあるとすれば、それは「今」を懸命に生きること。
そのあとのことは、そのあとのこと。
そのときは、また、そのとき懸命に生きればよい。

子どもの受験勉強にしても、そうだ。
子どもがそのとき、生き生きと楽しそうに生活していれば、それでよい。
もちろん懸命に勉強していれば、さらによい。
入学試験という関門はそのつどやってくるが、それはあくまでも関門。
結果がよくても悪くても、一喜一憂しない。
またその価値もない。

この世界でもっとも愚劣な生き方といえば、取り越し苦労に、ヌカ喜び。
結果主義の生き方をしている人は、えてして、そのときどきの結果に、
振り回されてしまう。

……日本の仏教は、結果を重んじ、ともすれば結果主義に走るきらいがある。
『終わりよければ、すべてよし』と。
『死んだ人は、みな仏』というのも、同じように考えてよい。
「死に際の様子を見れば、その人の人生のすべてがわかる」と教える仏教教団も
ある。

こうした仏教的なものの見方は、私たち日本人の骨のズイにまでしみこんでいる。
だからそれを自分の体から抜き出すのは、容易なことではない。
ないが、その努力だけは怠ってはいけない。
怠ったとたん、再び、その流れの中に、体ごと飲みこまれてしまう。

あなたが今、どういう状態であれ、あなたはあなた。
私は私。
そして今は今。
大切なことは、今というこのときを、懸命に生きること。
過去を悔やんでも始まらない。
未来を嘆いても始まらない。
とにかく今を、懸命に生きること。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 結果
主義)

●希望と落胆

++++++++++++++++

希望と落胆は、ある一定の周期をおいて、
交互にやってくる。

希望をもてば、そのあとには、必ず
落胆がやってくる。しかしそこで終わる
わけではない。

朝のこない夜はないように、落胆の
あとには、これまた必ず希望がやってくる。

++++++++++++++++

 最近、何かと落ちこむことが多くなった。失敗(?)も重なった。調子も悪い。何をし
ても、空回りばかりしている。

 で、そういうときというのは、おかしなもので、自分の書いた原稿に慰められる。つま
り自分で書いた原稿を読みながら、自分を慰める。今朝もそうだ。ふと自分に、『私たちの
目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである』と言い聞かせたとき、それ
について書いた原稿を読みたくなった。

検索してみたら、3年前に書いた原稿が見つかった。

++++++++++++++++++

【私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである】

 ロバート・L・スティーブンソン(Robert Louise Stevenson、1850−1894)と
いうイギリスの作家がいた。『ジキル博士とハイド氏』(1886)や、『宝島』(1883)
を書いた作家である。もともと体の弱い人だったらしい。44歳のとき、南太平洋のサモ
ア島でなくなっている。

そのスティーブンソンが、こんなことを書いている。『私たちの目的は、成功ではない。失
敗にめげず、前に進むことである』(語録)と。

 何の気なしに目についた一文だが、やがてドキッとするほど、私に大きな衝撃を与えた。
「そうだ!」と。

 なぜ私たちが、日々の生活の中であくせくするかと言えば、「成功」を追い求めるからで
はないのか。しかし目的は、成功ではない。スティーブンソンは、「失敗にめげず、前に進
むことである」と。そういう視点に立ってものごとを考えれば、ひょっとしたら、あらゆ
る問題が解決する? 落胆したり、絶望したりすることもない? それはそれとして、こ
の言葉は、子育ての場でも、すぐ応用できる。

 『子育ての目的は、子どもをよい子にすることではない。日々に失敗しながら、それで
もめげず、前向きに、子どもを育てていくことである』と。

 受験勉強で苦しんでいる子どもには、こう言ってあげることもできる。

 『勉強の目的は、いい大学に入ることではない。日々に失敗しながらも、それにめげず、
前に進むことだ』と。

 この考え方は、まさに、「今を生きる」考え方に共通する。「今を懸命に生きよう。結果
はあとからついてくる」と。それがわかったとき、また一つ、私の心の穴が、ふさがれた
ような気がした。

 ところで余談だが、このスティーブンソンは、生涯において、実に自由奔放な生き方を
したのがわかる。17歳のときエディンバラ工科大学に入学するが、「合わない」という理
由で、法科に転じ、25歳のときに弁護士の資格を取得している。そのあと放浪の旅に出
て、カルフォニアで知りあった、11歳年上の女性(人妻)と、結婚する。スティーブン
ソンが、30歳のときである。小説『宝島』は、その女性がつれてきた子ども、ロイドの
ために書いた小説である。そしてそのあと、ハワイへ行き、晩年は、南太平洋のサモア島
ですごす。

 こうした生き方を、100年以上も前の人がしたところが、すばらしい。スティーブン
ソンがすばらしいというより、そういうことができた、イギリスという環境がすばらしい。
ここにあげたスティーブンソンの名言は、こうした背景があったからこそ、生まれたのだ
ろう。並みの環境では、生まれない。

 ほかに、スティーブンソンの語録を、いくつかあげてみる。

●結婚をしりごみする男は、戦場から逃亡する兵士と同じ。(「若い人たちのために」)
●最上の男は独身者の中にいるが、最上の女は、既婚者の中にいる。(同)
●船人は帰ってきた。海から帰ってきた。そして狩人は帰ってきた。山から帰ってきた。(辞
世の言葉)
(03―1―1)

++++++++++++++++++

 希望を高くもてばもつほど、必ずそのあとに、落胆がやってくる。希望通りにものごと
が進む例など、100に1つもない。1000に1つもない。

 しかし希望のない人生は、そのものが闇。だからつぶされても、つぶされても、人は何
かの希望をもとうとする。そして再び、前に進もうとする。朝のこない夜はないように、
落胆のあとには、これまた必ず希望がやってくる。

 こうして人は、希望と落胆を、周期的に繰りかえす。そして歯をくいしばりながら、前
に進む。

 子育ても、また同じ。

 そこで大切なことは、仮に子育てをしていて、落胆したり、ときには絶望感を覚えたと
しても、決して、それがドン底であるとか、終わりであると思ってはいけないということ。

 私たちにとって大切なことは、『私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進
むことである』。

 今朝は、この言葉に、私は慰められた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
結果主義 林浩司 スティーブンソン はやし浩司 我らが目的 希望論 落胆 希望と
落胆)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●何かの脳の病気?

+++++++++++++++++++

私の年代になると、まず気になるのが、
脳みその状態。
友人と会っても、まず最初に、「お前はだいじょうぶか?」
「あいつはだいじょうぶか?」「ぼくもあぶない……」
というような会話から始まる。

が、この方法は万能ではない。
私自身の脳みそもおかしいばあい、
相手のことを正しく判断することができない。
「お前はだいじょうぶだよ」と言っても、また言われても、
安心はできない。

こうして私たちは、どんどんと、ボケていく。
不可逆的にボケていく。
肉体と同じように、知力、気力ともに衰えていく。

で、こんな話を聞いた。
そのまま紹介するわけにはいかないので、
少し私のほうでアレンジする。

+++++++++++++++++++

●ボイスレコーダー

その知人(男性、50歳)には、10歳ほど年上の姉がいる。
今年、満60歳になるという。
その姉の会話が、このところ、どうもおかしい、と。

その知人によれば、こうらしい。

ある特定のことについては、ことこまかに覚えている。
まるでビデオカメラか何かで撮影でもしたかのように覚えている。
そしてそれについて話し出すと、口が止まらなくなる。
その間、相手の話を聞かない、つまり一方的にしゃべるだけで、会話にならない。

が、何を話したいか、それもつかめない。
話の内容が、とりとめもなくつづき、どんどんと変わっていく。
「だからどうしたらいいの?」という部分がない。
ときにそれがグチになることもある。
ネチネチといつまでもつづく。

が、その一方で、数日前に話したことを、ポンと忘れてしまうことがあるという。
そこでその知人は、自分の姉と話すときは、必ずメモ用紙か、
ボイスレコーダーを用意するという。
そしてその姉がおかしなことを言ったりしたら、すかさず、メモを見せ、
「おまえは、昨日、こう言ったぞ」と言うことにしている、と。

が、この方法も、最近では通用しなくなってきたという。
メモそのものを疑うようになった。
メモを見せたとたん、「そういうウソをつくな!」と、逆に怒鳴られたこともあるという。
で、ボイスレコーダーということになった。

が、これにも猛反発。
声を聞かせようとすると、「あんたは、そんな卑怯なことをするのかア!」と。
で、ボイスレコーダーのほうは、あくまでも内々の記録用にとどめている、とか。

「父親の介護問題、近所のつきあい、実家の税務問題など、このところ金銭問題
がからむ問題が多くなってきたので、そういうやり方でもしないと、話にならない
のです」
「何しろ、つい数日前に約束した話でも、ポンと忘れてしまうのですから」と。

その知人は、私に「何の病気かね?」と聞いた。
私は「わからないです」と答え、「一度、病院で診てもらったほうがいいよ」と
アドバイスした。

●原因

うつ病によるものなのか、それとも認知症によるものなのか?
ある特定のことだけ、ことこまかに覚えているというのは、どういう病気による
ものなのか?

私たちでも何かのことに強いこだわりを覚えると、それについて、こまかいことを
覚えているということは、よくある。
が、それにも程度というものがある。
うつ病患者の主症状のひとつが、「異常なこだわり」となっている。
こまかいことに固執し、いつまでも悶々とそれについて悩む。

一方、「ポンと何かのことを忘れてしまう」(知人の言葉)というのは、アルツハイマー
病などの主症状のひとつにもなっている。
「エピソード記憶の喪失」というのが、それである。
で、その知人の姉のばあい、その2つの病気が、同時進行の形で、起きていることも
考えられなくはない。
私たちの年代になると、ボケがうつ病を併発しているのか、うつ病がボケを併発
しているのか、専門のドクターでもその判断がむずかしいという。

で、その知人には、もうひとつ、心配ごとがある。
その知人の父親も、頭がおかしくなってしまい、今は施設に入っているという。
で、姉もおかしいとなると、「今度は自分」ということになってしまう。

脳の病気には、遺伝性はあるのか。
それとも、ないのか。
だから別れ際、私にこう言った。

「ぼくは、あなた(=私)からみて、おかしくありませんか?」
「おかしいと思ったら、教えてくださいよ」と。
で、私はこう答えた。
「ぼく(=私)もおかしくなったら、どうします」と。

本当にさみしい年代になった。
こんな会話で話が始まり、こんな会話で話が終わる。
そんなことが多くなった。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●2つの記事

+++++++++++++++++

今日(09−05−26)、韓国がPSIに
正式に参加すると表明した。

K国はかねてより、「韓国のPSI参加は、
宣戦布告である」と表明している。
それはそれとして、中国国内での報道と、
韓国国内での報道が、評価のしかたにおいて、
180度違うというのは、たいへん興味深い。

+++++++++++++++++

●まず北京発(NIKKEI NEWS)

北京発のニュースでは、『北東アジアの平和と安定に資する行為を多くなすべきだ」と、
防衛強化の動きに懸念をにじませた』と、「懸念」という表現を用いている。

一方韓国の中央N報は、『K国の攻撃に対抗した防御だ、と評価した』(同日)と報道
している。

「懸念」と「評価」、どちらが正しいのか?
その両者を読み比べてみてほしい。

 【北京=SK】

『……韓国政府が米国が主導する大量破壊兵器の拡散防止構想(PSI)に全面参加する
と発表したことを巡っては「北東アジアの平和と安定に資する行為を多くなすべきだ」と、
防衛強化の動きに懸念をにじませた』(NIKKEI NEWS)と。

【韓国の中央N報】

『中国国際問題研究所の沈世順主任が、韓国政府の大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)
全面参加宣言はK国の攻撃に対抗した防御だ、と評価した。 

  沈主任は26日、聯合ニュースとのインタビューで、「北朝鮮の核戦力の強化は攻撃的な
ものであり、韓国が核拡散防止のためにPSIに参加するというのは国民の安全を保護す
るためのものだ」と述べた。 

  沈主任は「K国は以前から韓国のPSI参加に反対してきたが、最近のK国の行動を
見れば、韓国がPSIに参加する口実を提供したとしか考えられない」とし、K国の核
実験に強い不満を表示した』(中央N報)と。

++++++++++++++++++

2つの記事を読み比べたら、だれしも、「どちらが正しい?」と思うにちがいない。
ほかの部分も、かなりちがう。
K国の核実験についても、NIKKEIのほうは、「制裁については、中国側は慎重態度」
と報道しているのに対して、中央N報のほうは、「強い不満を示した」とある。

しかしどちらがどうであるにせよ、こうして世界中の記事を、同時に読み比べることが
できるというのは、すばらしいことではないか。
これもインターネットのおかげということになる。

では、日本での報道は、どうか?
まだ読んでないが、たぶん、今夜の夕刊に、それについての記事があるはず。
あとでそれを読んでみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●Bツアー

++++++++++++++++++++++

地元に、E鉄道株式会社という運送会社がある。
そのE鉄道が、一方で、Bツアーという、観光バス会社を
運営している。
値段も安く、良心的。
何よりもうれしいのは、目的地まで、そのまま私たちを
運んでくれること。
バスの中では、好き勝手なことができる。
もちろん居眠りもできる。
昨年は、そのBツアーを、月に2、3度、利用させてもらった。
今年に入ってからも、やはり月に2、3度、利用させてもらった。

++++++++++++++++++++++

が、この2か月ほど、Bツアーに参加していない。
「もうコリゴリ」「うんざり」というのが、その理由。
このあたりの言葉では、「往生こいた」という。
Bツアーに問題があるのではない。
(半分は、あるが……。)
うるさいの、なんのといって、オバチャンたちのおしゃべりほど、
うるさいものはない。
そのつど閉口している。

最後に東京の近くにあるI島へ行ってきたが、1組や2組なら
まだ何とかがまんできる。
しかしそんなかしましいオバチャンたちが、何組も乗り合わせたら……!
もう「旅」どころではなくなってしまう。
「我、負けず」とみなが、しゃべり始める。
競いあって、しゃべり始める。

ガチャガチャ、ギャーギャー、ゲラゲラ、ワハハハ……と。
まるで中学校か高校の同窓会のよう。

さらに運の悪いことに、そのときは、これまたレベルの低いバスガイド(失礼!)。
話す内容といえば、テレビのバラエティ番組のことばかり。

「あの店、ほら、あの店……。この前テレビを見ていたら、タレントの
あの○○さんが、行った店ですよ。○○さんは、おいしかったって、
言ってましたよ」とか何とか。
(○○なんて、タレント、知るか!)

で、うしろの席に座ったオバチャンたちは、往復、計4〜5時間、
しゃべりっぱなし。
2度目に注意したら、逆に言い返されてしまった。

「私ら、おしゃべりが楽しみで、旅行に来ているもんねエ〜」と。

ガイドもガイドだ。
一方で、「携帯電話はオフに……」と言っておきながら、自分はマイクを
使って、前列の人たちと個人的な話をする。
しかもマイクのボリュームは最大!

その旅行を最後に、ワイフとこう誓った。
「もう、こんな旅行はやめよう」と。
……ということで、それ以後は、Bツアーを利用するのはやめた。
もっぱら車や電車を利用している。

●昔はカラオケとタバコの煙

息子たちが子どものころも、ときどきBツアーを利用させてもらった。
そのころは、カラオケが定番。
喫煙は自由。
さらに当時は、バスに乗ると、自己紹介を強いられた。
「私は○○町から参加させてもらいました、▲▲です。
今日は、家族5人で参加させてもらいました」などなど。

私はカラオケもいやだったし、タバコの煙もいやだった。
自己紹介については、それほど抵抗はなかったが、今から振り返ると、バカげたことを
させられたものだと思う。

で、最近は、ガイドのバカ話とビデオ。
それにオバチャンたちのおしゃべり。
そのビデオだが、客の中には、自分でビデオをもってくる人もいる。
ガイドはそういう客を見ると、ホイホイと喜ぶようだが、ちょっと待て!
そのときも、YM興業(お笑いタレント養成学校)制作のビデオだった。
ああいうのを見て笑って喜ぶ人というのは、そのレベルのオバチャンだけ。
「何もこんなところまで持ってきて見ることはないだろ!」と思ったが、
多数決の結果、見るハメに……。

私は耳にイヤホンを詰めなおして、音楽を聴いていたが、あのときも最悪だった。
旅行というよりは、修行のようなもの。
世俗に慣れる修行のようなもの。
そう思って、体を固めて、じっと我慢した。
つまりこういうことが重なって、もうコリゴリ、となった。

……と悪口(=愚痴)を書いてもしかたない。
実のところ、何度か、E鉄道会社には、メールを出した。
「滋賀県を通り過ぎるたびに、養老の滝の話。
今年だけで、もう10回以上、聞きました」と。

そのつどていねいな返事はもらっているが、改善された様子はなし。
だからもう出さない。
返事もいらない。

が、これはE鉄道会社だけの問題ではない。
私たち日本人がもつ文化性の問題である。
その文化性が高くならないかぎり、こうした問題は解決しない。
が、それには、10年単位の年月が必要である。

カラオケがなくなるのに、10年。
禁煙になるのに、10年。
みながやがて静かな旅行ができるようになるのに、さらに10年。
(あるいは20年、かかるかも?)

日本のレベルがどの程度かを知りたかったら、観光バスに乗ってみるとよい。
きっとよい修行になると思う。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司


●5月28日(木曜日)(May 28th)

++++++++++++++++++

昨日、「BW公開教室」へのアクセス数が、
460件近くもあった。
その前日の、2倍以上のアクセス数である。
(1人で何度アクセスを繰り返しても、
1回とカウントされるので、実際には、
その数倍のアクセス数ということになる。)

昨日、アクセスしてくれたみなさん、
ありがとう!
がぜん、やる気が出てきた!

理由のひとつに、地元の中日ショッパー紙が、
無料で広告を出してくれたことがある。
誠司(孫)の顔を大きく載せてもらった。
ハガキの約2倍サイズで、かなりのインパクトが
あったらしい。
何人かの知人から、メールをもらった。
「かわいいお孫さんですね」と。
お世辞とわかっていても、うれしかった。

中日ショッパーのTさん、いつもありがとう
ございます!!

++++++++++++++++++

●5月も、もうすぐ終わり

あわただしく過ぎた5月。
その5月も、あと数日で終わり。
同時に、この原稿が、電子マガジンの6月29日号用。
いつもこうして私の頭の中では、2か月が同時に過ぎていく。

しかし楽しい。
いっぱしの編集長になったような気分。
好き勝手なことを書ける。
好き勝手に編集できる。
しかもこのところ、BLOGやHPへのアクセス数を含めると、1日、1万件を
超えることが、たびたびある。
(1日、1万件だぞ!)
雑誌の発行部数としても、悪くない。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●友の夢(I had a dream of my friend.)

古い友に、K君というのがいた。
若いころは、毎日のように会って遊んでいた。
しかし、ある日突然、姿を消した。
仙台のほうへ行ったという話は聞いた。
そのあとまもなく、音信が途絶えた。

それからもう30年以上になる。
正確には34年か?

そのK君が、今朝、夢に出てきた。
K君の夢を見ることですら、何十年ぶりではないか。
ぼくとK君は、電車の最前列に座っていた。
どこかをいっしょに旅行をしていた。
なつかしかった。
楽しかった。
こんな会話をした。

私「お前がくれた、サイフな、あの中に商品券が入っていたぞ」
K「お前へのプレゼントだ」
私「いいのか、もらって?」
K「いいんだよ、使ってくれよ」と。

私はそのサイフを自分のバッグの中に入れた。
電車は古い、木のようなレールの上を、かなりの速度で走っていた。

で、車内アナウンスが流れた。
どこかの駅の名前を言った。
空港へ行くには、その駅で降りなければならない。
別れを告げようとK君のほうを見ると、K君はソファに座っていた。
笑っていたが、どこかさみしそうだった。

「お前、死んだのか?」と私が声をかけると、再び、口元に笑みを浮かべた。
とたん、意識がぼやけた。
そのまま私は目を覚ました。

いつもの夢である。

●死

本当にK君が死んだのか、どうかは、私にはわからない。
ただの夢である。
しかしK君がすでに死んでいると聞いても、私は、驚かない。
12、3年ほど前のことだが、一度、本気でK君の消息をさぐったことがある。
実家のあるN町まで、足を運んだことがある。

しかしもうそこには、K君の実家はなかった。
腹違いの妹がいたということだが、その名前を知っている人もいなかった。
N町といっても、それほど大きな町ではない。
電話帳に載っている、同姓の人に、片っぱしから電話をかけてみた。
が、みな、縁のない人たちばかりだった。

人の死というのは、そういうものか。
仮に10年前に死んだとしても、また10年後に死んだとしても、
そこに大きなちがいはない。
昨日死んだから、大騒ぎするとか、明日死ぬことがわかっているから大騒ぎする
とか、そういうことでもない。
K君が仮に今、生きていたとしても、あるいは私の方が先に死んだとしても、
(時間)には、それほどの意味はない。

で、あえて今朝の夢に意味をもたせるとすると、K君は死んだし、そのことを告げる
ために、私にあいさつに来た。
仮にどこかで生きているとしても、二度と会うことはないだろう。
10年前も、昨日も同じ。
10年後も、明日も同じ。

今は今だが、過ぎ去ってみれば、10年など、まさに光陰。
この先10年にしても、まさに光陰。
こうして1人、また1人と、友は去っていく。
そして順番がきたとき、今度は私が去っていく。

いや、順番など、ない。
そのときが来れば、みな、同時。
同時に去っていく。

朝起きて、ワイフに、「あいつも死んだみたい」と、K君の話をすると、ワイフは、
「あら、そう?」と。
ヌカにクギのような返事をした。

……つぎの何十年ぶりかにK君の夢を見るということは、もうないだろう。
そのころには、私のほうも、確実に死んでいる。
さようなら、K君!
たがいに冥福を祈ろう!


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●おバカ、C・ヒル国務次官補(A Brain-less Diplomat, C.Hill, or Kim Jong-Hill)

++++++++++++++++++++++

1人のハネ上がり国務次官補のおかげで、この
極東アジア情勢は、めちゃめちゃになってしまった。

まず、昨年(08年)の12月に私が書いたBLOGを
読んでみてほしい。

『●Can we trust C. Hill in the 6-nation conference about North Korean nuclear 
weapons development?  The answer should be "No"!

Let's start talking about C. Hill from the basical point of view. Only what he has done in 
the past is that he has just given North Korea, money, oil, music, food and time, while 
he has betrayed Japan each time and at last he rather threatened Japan, saying that 
Japan should join the partnership, or he dissolve the name of North Korea from the list 
of terrorists'nations. And he has done nothing for us. As long as C. Hill who is with 
optimistic lies, hostile to Japan, is a member of the conference, the relation between 
Japan and USA is getting worse and wrose. Therefore we don't hesitate to call him, 
"Kim Jong-Hill".

●私たちは、C・ヒルを信頼できるか? 答は、No」!

C・ヒルは、K国に、マネーと原油と音楽と食糧、それに(時間)を与えただけ。
日本をそのつど裏切りながら、あげくの果てには、日本がK国援助に加わらなければ、K
国をテロリスト支援国家のリストからはずすと、日本を脅した。
彼が日本のためになしたことは、何もない。
希望的憶測だけでものを言い、日本に対する敵対意識をもつC・ヒルが、6か国協議のメ
ンバーである限り、日米関係は、ますます悪化していく。
それ故に私たちは、C・ヒルを、「金・ジョン・ヒル」と呼ぶ』と。

+++++++++++++++++++++++

このころ、(今もそうだが)、「アメリカ軍」が、さかんに私のBLOGを訪れていた。
そのつど、足跡が残るようになっているので、それがわかる。
日本語で、「アメリカ軍」とあるから、在日アメリカ軍か?

で、こうした記事は、そのつど英語で書くようにしている。
直に、(アメリカ軍)を通して、(アメリカ政府)に、私の意見を伝えることができる。

●核実験が、その結果

C・ヒルのおバカ外交を並べたら、キリがない。
先に書いた「マネーと原油と音楽と食糧、それに(時間)を与えた」だけではない。

(1)6か国協議を形骸化してしまった。
(2)拉致問題について、正式に協議した形跡なし。
(3)「K国を援助しろ。さもなくば、テロ支援国家指定から解除する」と日本を脅した。
(4)その結果、K国を、テロ支援国家指定から、電撃的に解除してしまった。
(「電撃的に」というのは、日本の反対を予想して、たった1日で、という意味。)
(1)いつの間にか、C・ヒル自身が、K国の代弁者になってしまった。
(2)すでにジャンク(ガラクタ)と化した、Yの核関連開発施設の一部を爆破して見せ、
自分の成果として、世界中を欺いた。
(3)本人は、スター気取りで、K国の代表と毎晩、北京の街で飲み歩いていた。

K国には最初から、核兵器開発を断念する意思などなかった。
ないばかりか、この5年間、ずっと秘密裏にそれを推し進めてきた。
その結果が、今回の2回目の核実験である。

個人的に日本が嫌いなのはわかる。
が、だからといって、同盟国である日本を裏切ってまで、K国の肩をもつことはない。
現在の今、日米関係は、最悪の状態になっている。
その責任を、いったい、だれが、どう取るのか。

さらに悪夢はつづく。
今度K国特命大使になった、ボズワースにしても、そうだ。
すでに水面下で、K国との直接交渉を画策している。
ミサイルの発射実験があってから後、すでに7、8回、K国と接触したという情報もある。
拉致被害者の方たちへの、冷たい言葉も忘れてはいけない。
C・ライス→C・ヒルへとつづいたアメリカ国務省の流れは、そのまま
ボズワースに引き継がれている。

が、ここにきて、核実験!

いちばん驚いているのが、ボズワース自身ではないのか。
あわよくば自分も名士にと考えているのかもしれない。
退任後、どこかの国の大使になれれば、万々歳!
しかし出鼻をくじかれた(?)。

しかし日本にはこういう諺がある。
『柳の木の下に、二匹のドジョウはいない』。
わかるかな?

(付記)
韓国のネチズンたちは、日本の報道機関が、「盧(の)氏、自殺」と書いていること
について、猛反発している。
「前大統領なのだから、ちゃんと『盧前大統領、ご逝去』と敬え!」と。

しかしこれには一言、私も書きたい。
あれほどまでに反日にこりかたまった大統領を敬えと言われても、それはできない。
日本人の私たちには、できない。
それに、「盧(の)氏、自殺」と書いたところで、けっしてノ前大統領を、粗末に
扱っているわけではない。
事実を、そのまま書いているだけである。

その思考回路は、「将軍様、将軍様」とあの金xxを称えている、K国の国民と同じ。
どこがどうちがうというのか?


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●静岡県県知事選

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I現知事の辞職にともなって、静岡県で
県知事選が始まった。

静岡県元副知事である、SK氏と、元民主党参議院
議員のUN氏の、事実上の一騎打ち。

++++++++++++++++++

●官僚主義

知事選もさることながら、興味深いのは、元副知事である、SK氏の略歴。
C新聞にはこうある。

「……東大法学部から労働省(現厚生労働省)に入省。
1996年7月に県副知事を務め、厚労省職業能力開発局長などを歴任して、
2004年7月の参院選で初当選した」と。

SK氏は、つまり(労働省)と(議員)と(副知事)の間を、行ったり来たり
しているのが、これでわかる。
ご存知の方も多いと思うが、天下りでやってきた官僚知事、副知事、大都市の
市長たちは、任期が切れたり、再選挙で落選したりすると、そのまままた、元の
ポストに戻ることができる。

少し前まで浜松市長をしていたX氏にしても、そうだ。
再選選挙で敗れたあと、現在は、外務省に復帰している。

しかし、だ、こんなバカげた制度がどこにある!
たとえばあなた自身のこととして考えてみればよい。
私のことでもよい。

仮に私が選挙に出たら、その日から仕事はストップ。
会社員であれば、ポストを失う。
で、しばらく副知事なら副知事を務めたとしよう。
その間に、元の職場の人脈は途絶える。

で、そのあと再選選挙で敗れたら、どうなるか?
たいていの議員は、そのまま野に放り出される。
が、官僚たちだけは、別。
別格扱い。
どこまでも手厚く、身分が保障されている。
選挙に敗れても、職(=収入)を失うことはない。
元の役所に戻ればよい。
むしろ以前にもまして、箔がつく。
ほとんどのばあい、そのまま昇格。

こんなところにも、日本の官僚制度がはびこっている!
官僚たちだけは、「はい、行ってきます!」というような気分で、(多分?)、
地方へ天下りすることができる。
選挙といっても、背水の陣で臨む必要はまったく、ない。
その分だけ、官僚に有利!

たまたま昨日、J党とM党の党首討論会がもたれた。
その討論会でも、日本の官僚主義が問題になった。
そう、日本が民主主義国家と思っているのは、日本人だけ。
世界中の、だれも、そんなふうには思っていない。

日本は、世界に名だたる官僚主義国家。
奈良時代の昔から官僚主義国家。
見方によっては、あのK国とどこもちがわない。
制度的には、まったく同じ。

いいのか、日本!
このままで!


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「出世」?

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昨夜遅く、ワイフと、中国のドキュメンタリー番組を見た。
貧しい少女(18歳)についての番組だった。

その少女は、ホテルでメイドの見習いとして働いていた。
給料は600元。
1元が約14円(09年05月)だから、8400円ということになる。

その少女には、結婚を考えているボーイフレンドがいた。
が、「身分も低く、給料も安い」(少女の姉の言葉)、
だから「(車のセールスでは)、出世もできない」(同)。
で、姉は、「(私たちは貧乏のつらさをよく知っているから)、あなたの結婚には
反対!」と。

姉は、番組の流れからして、けっして妹のためを思って反対しているのではない。
中で、姉は、こんなことも言った。

「あなたが出世して、家族の生活を楽にしてほしい」と。

親が言うならまだしも、私はそれを聞いて、「ずいぶんと身勝手な姉さんだな」と
思った。
もしそうなら、姉であるその女性自身が、出世とやらをしてみせればよい。
家族の生活を楽にしてみせればよい。

が、姉は、一貫して、妹の結婚には反対。
「あんな男のどこがいい?」
「あんな男と結婚しては、だめ」
「貧乏になるだけ」と。
それに答えて、妹は、ただ涙をポロポロと流すだけ……。

そしてテレビのレポータに向って、姉は、こう言う。
「学校もやめてしまった。今では、私の言うことさえ、聞かない」と。

+++++++++++++++++++++

私はその番組を見ながら、私の知人のことを思い出していた。
その知人には、1人の娘と2人の息子がいた。

その娘が結婚相手に選んだのが、自動車の修理工。
中学を出たあと、職業訓練校を経て、現在の職についた。
が、両親が猛反対。
「中卒では、出世は望めない」と。

で、2人はかけおち。
隣町で、自動車屋を開いた。
が、折からの高度成長の波にのり、またその地域でのS社の独占的特約店と
なったこともあり、10年を待たずして、従業員を6〜7人雇うまでの会社に成長した。

一方、2人の息子たちは、どうか?

人づてに聞いたところによると、2人とも高校時代に警察に逮捕されるような事件を
起こしてしまい、強制退学。
身分は、先の両親が言った「中卒扱い」になってしまった。
皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。

(だからといって、私はここで学歴を問題にしているのではない。
中卒だろうが、大卒だろうが、人間の価値には、上下はない。
「中卒」を理由に、娘の結婚に反対した両親の、その古い考え方を問題にしている。
誤解のないように!)

私が言いたいのは、「人の身分を笑ったものは、今度は自分の身分を笑われる」と
いうこと。
また「身分などというものは、そのときどきの(流れ)の中で、いくらでも変化する」
ということ。

(私だって、ある女性と恋愛したとき、相手の母親から、直接、私の母のところに
電話がかかってきたことがある。
「うちの娘は、お宅のような息子とつきあうような娘ではありません。娘の将来に
傷がつきますから、交際をやめさせてください」と。
相手の女性の父親は、従業員が30人前後の製紙工場を経営していた。)

中国のその番組を見ながら、私は、40年前、あるいは50年前の日本を見せつけられて
いるように感じた。
見習いの給料が、1万円前後と言えば、私がちょうど高校生くらいの日本と
いうことになる。
(当時、大卒の初任給が2万円と聞いて、そのころ、驚いたことがある。)

「それにしても、ひどい姉だなあ」と思った。
自分勝手で、わがまま。
ものの価値観が、完全にズレている。
狭い井戸の中からしか、世界を見ていない。
そんな姉が、妹を説教する。
しかも発想そのものが、貧弱。
文化性そのものが感じられない。

最後に番組の中で、荒涼たる黄土地帯が紹介された。
見方によっては、牧歌的なぬくもりのあるすばらしい環境である。
そんな中国の、そんな地方にまで、金(=マネー)に毒された人たちがふえている。
かつての日本のように……。

そうそう先の私のガールフレンドの父親の会社だが、その後、10数年を経て倒産。
ガールフレンドは、どこかの会社の社員と結婚したというが、現在、行方不明。
同窓会名簿では、そうなっている。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●ノ前大統領の自殺

++++++++++++++++++++

昨日、韓国の前大統領であるノ氏が自殺した。
6億円近いワイロの捜査過程で起きた自殺、
ということになる。

そのノ大統領の言動は、あまりにも見苦しかった。
潔白を主張しながら、その一方で、小細工の
連続。
(高額な腕時計を田んぼに捨てたなどという発言、など。)

小悪を自ら暴露して、大悪を隠すというような
行動までして見せた。
(まだ捜査がそこまで及んでいないのに、
妻の罪を暴露して、自分は知らなかったと
主張した、など。)

で、自殺。

痛ましい事件であることにはちがいない。
が、ここにきて理解できないのが、韓国の政情。
追悼集会がそのまま、反政府運動になりそうな
雰囲気になってきた。
「ノ前大統領を追い詰めたのは、現政権」
「現政権に責任がある」と。

++++++++++++++++++++

●だれが悪い

ときどき子どもたちにこんな問題を出す。
何かの心理テストの本に出ていた話を、私が子ども用に書き改めたものである。

【テスト】

うさぎのA子さんの両親は、今夜も、どこかへ遊びに行ってしまった。
家にいてさみしかったうさぎのA子さんは、橋を渡って、川向こうにある、
リスのB君の家に遊びに行った。
うさぎのA子さんは、しばらくリスのB君の家で遊んだあと、
橋を渡って家に帰ろうとした。
が、そこには、恐ろしいオオカミが待っていた。
うさぎのA子さんは、驚いて、リスのB君の家に逃げた。
リスのB君に、「家まで送ってほしい」と頼んだ。
が、リスのB君は、「ぼくもこわいから、いやだ」と言って、それを断った。
しかたないので、うさぎのA子さんは、走って橋を渡ることにした。
が、途中でオオカミに捕らえられてしまい、うさぎのA子さんは、オオカミに
食べられてしまった。

【テスト法】

子どもにゆっくりとこの話を2度、読んで聞かせる。
聞かせたあと、「この話の中で、一番悪い人は誰ですか」と聞く。

【判定法】

子ども(人)が、だれに焦点をあてるかで、判断の内容が異なってくる。

(4)うさぎのA子さんを、ほったらかしにしておいた両親が悪い。
(5)ひとりで夜、遊びに出た、うさぎのA子さんが悪い。
(6)うさぎのA子さんを助けなかった、リスのB君が悪い。
(7)オオカミが悪い。

さて、あなたなら、だれが悪いと答えるだろうか。

年齢が高くなればなるほど、子どもたちは複雑な考え方をする。
しかし年中児〜年長児あたりだと、すなおに、「オオカミが悪い」と答える。

++++++++++++++++++++

●さて本題

韓国では、野党を中心に、政府への抗議行動を、反政府運動に切り替えようとしていると
いう(某ニュースサイト)。
独特の思考回路をもつ人たちだから、私たち日本人のもつ思考回路では理解できないとき
がある。

たとえば最近でも、Sという自動車製造会社が倒産した。
倒産して、形がなくなってしまった。
にもかかわらず、「再建するのは、政府の義務」と、労働組合が、ストライキを続行して
いる。
あの国を日本から見ていると、ときどき理解できなくなるときがある。
今回も、そうだ。

6億円という巨額のワイロが流れたにもかかわらず、その中心的立場にいたであろう
ノ前大統領が自殺してしまった。
これで「捜査は中止」(韓国検察)。
が、ここから先が問題。
いろいろな意見に分かれる。

(1)捜査をつづけて、ノ前大統領を追い詰めた検察が悪い。
(2)ワイロを渡した実業家が悪い。
(3)ワイロを受け取っていたというノ前大統領の妻子が悪い。
(4)疑惑を招いたノ前大統領が悪い。
(5)小細工を重ねた、ノ前大統領が悪い。
(6)疑惑を晴らさないで自殺してしまった、ノ前大統領が悪い、など。

(まだ、ノ前大統領が、有罪と確定したわけではないので、あいまいな
表現しかできないが……。)

野党側は、(1)を中心に据え、現政権の攻撃に出始めている。
しかし少し冷静になれば、悪いのは、ノ前大統領ということになる。
前大統領ともあろう重要な人物が、とくに(6)の疑惑を晴らさないまま、
その責任から逃れてしまった。
無責任というか、あきれるというか。
飛行機事故が起きたとき、機長がまっさきに逃げたようなもの。
そこが悪い。
常識で考えれば、そうなる。

が、「現政権が悪い」?
私には、どうしてそれが「反政府運動」なるものにつながっていくのか、
理解できない。

ともあれ、K国にせよ、韓国にせよ、あの国の人たちの思考回路は、私たち
日本人のそれとは、ややちがうらしい。
そういう点で、現在の韓国情勢は、たいへん興味深い。

なお、現在のイ大統領政権になったからといって、反日意識が消えたわけではない。
昔も今も、韓国は、日本にとって最悪の反日国家である。
その体質はほとんど、変わっていない。
韓国をながめるときは、それだけは忘れてはいけない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心の原点(心のメカニズム)】

++++++++++++++++

脳の活動は、「ニューロン」と呼ばれる
神経細胞が司っている。
それは常識だが、しかしでは、その
神経細胞が、「心」を司っているかというと、
そうではない。

最近では、心の原点は、脳内の化学物質、
つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。
私たちの心は、常に、この脳内ホルモンに
よって、影響を受け、コントロールされて
いる。

その例としてわかりやすいのが、
フェニルエチルアミンというホルモン
ということになる。
そのフェニルエチルアミンについて書いた
原稿がつぎのものである。

+++++++++++++++++

●恋愛の寿命

+++++++++++++++++

心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。恋をすると、人は、そうなる。

 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。

その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。

 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)

 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。

 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4〜5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。

 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじ
めての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の
恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しか
も、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回
を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。

が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルア
ミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。

 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ〜ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?

(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司 
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 恋のホルモン)

+++++++++++++++++++++

話を戻す。
ここで「フィードバック」について、もう一度、説明してみたい。

脳というのは、それ自体がいつもカラの状態を保とうとする。
たとえば驚いたようなとき、脳は直接、副腎に作用して、アドレナリンを分泌させる。
ドキドキしたり、ハラハラしたりするのは、そのためである。
発汗を促すこともある。

が、同時に脳の中では別の反応が起こる。
視床下部にある脳下垂体が、それを感知して、副腎に対して、副腎皮質刺激ホルモン
を分泌するようにと、言うなれば、指令ホルモンを分泌する。
このホルモンによって、副腎が刺激を受け、副腎は、副腎皮質ホルモンを分泌する。
わかりやすく言えば、脳内に分泌されたアドレナリンを、副腎皮質ホルモンが
今度は中和しようとする。

こうして脳内はいつもカラの状態、つまり平常な状態を保とうとする。
それをフィードバック(作用)という。

●生殖

(私が男性ということもあって)、私は、男性のことはよく知っている。
女性も、それほどちがわないと思うが、男女の行為の前と後とでは、異性の肉体の見方が、
まったくちがう。

男性のばあいは、180度、変化することも珍しくない。
あれほど狂おしく求めた相手でも、行為が終わったとたん、スーッと興味が
しぼんでいく。
消えていく。
それは満腹感ともちがう。
心そのものが、変化してしまう。
男性のばあい、それがおもしろいほど急激な変化となって現れる。

こうした現象をどう考えたらよいのか。

先に副腎の話を書いたが、脳からの指令を受けてホルモンを分泌する器官は、
ほかにもたとえば、甲状腺や生殖腺などがある。
さらにごく最近の研究によれば、胃や、大腿筋でも、ある種のホルモンが
分泌されることもわかってきた。
肉体、すべてがホルモンの分泌器官と考えてよい。

では、生殖腺でも、副腎と同じような化学変化が起きているとみてよいのか。
というのも、男女の(心)を説くとき、(行為の変化)ほど、顕著に現れる変化は、
ほかにそうはない。

(行為……最近、BLOGでは、使用禁止用語を設定しているところが多いので、
こういう言葉を使う。つまりSxxのことをいう。)

さらに言えば、「私は私」と思っているしている思いや行動といったものも、
実は、脳内ホルモンによってコントロールされているということになる。

その証拠に、先ほども書いたように、(男性のばあい)、行為の前と後とでは、
心の状態が、180度変わってしまう。

●知性と心

たとえばここに難解な数学の問題があるとする。
「1から5ずつふえていく数列がある。この数列の数を、5番目から、20番目まで
を合計すると、いくつになるか」と。

高校で習う公式を使えば、簡単に解ける。
公式を知らない人でも、電卓を片手に、足し算を繰り返せば解ける。
こうした作業を受け持つのは、大脳連合野の中でも、比較的外側にある、皮質部という
ことになる。

一方、(心)というのは、そういう知的な活動とは、異質のものである。
どこかモヤモヤとしていて、つかみどころがない。
ときに理性のコントロールからはずれるときがある。
つまりそれが脳内ホルモンの作用によるものということになる。

たとえば何かよいことをしたとする。
人助けでもよい。
そういうときそういう情報は、辺縁系の中にある扁桃核(扁桃体)に信号として
送られる。
それに応じて、扁桃核は、モルヒネに似たホルモンである、エンケファリン系、
エンドロフィン系のホルモンを分泌する。
それが脳内を甘い陶酔感で満たす。
それが(人助けをした)→(気持ちよい)という感覚へとつながっていく。

こうして考えていくと、(あくまでも私という素人の考えだが)、知的活動は、
ニューロンと呼ばれる神経細胞が司るとしても、心のほとんどは、脳内ホルモンの
作用によるものと考えてよいのではということになる。
またそういうふうに分けることによって、心のメカにズムが理解できる。
しかしこの考え方は、両刃の剣。

●「私は私」

心のメカニズムはそれで説明できる。
それはそれでよい。
が、心が脳内ホルモンによるもの、あるいは脳内ホルモンに大きく影響を受けるものと
すると、(1)「心なんて、ずいぶんといいかげなんなもの」と思う人が出てくる
かもしれない。
さらに(2)「では、私とは何か、それがわからなくなってしまう」と考える人も
出てくるかもしれない。

心をときめかすあの恋にしても、フェニルエチルアミン効果によるものということに
なれば、それにまつわる求愛、デートなどの行動のすべてが、結局は脳内ホルモンに
よって操られているということになってしまう。
(実際に、そうなのだが……。)

となると、つまり(心)を自分から取り除いてしまうと、では、いったい、私は何か
ということになってしまう。
さらにつきつめていくと、私という私がなくなってしまう。
その一例として、先に、男女の行為のあとの、あの変化をあげた。
そこに妻の(あるいは夫の)肉体を見ながら、「行為の前の私は何だったのか?」と。

が、男女の行為だけに終わらない。
実は人間が織りなす行為のほとんどが、またそのほとんどの部分において、こうした
脳内ホルモンの作用に影響を受けているということになる。
どの人も、「私は私」と思って、それぞれの行動をしている。
が、その「私」など、どこにもないということになる。
「私たちの心は、脳内ホルモンに操られているだけ」と。
しかもいいように操られているだけ、と。

……と書くのは、危険かもしれないが、反対に、「どこからどこまでが私で、どこから
先が私でないか」と考えてみると、それがわかる。

「私は私」と思っている部分など、きわめて少ないのがわかる。
さらに言いかえると、人間もそこらに遊ぶ動物と、どこもちがわないということ。
あるいは、そこらの動物と同じということ。
ちがわないというより、ちがいを見つけることのほうが、むずかしい。

●「私」論

たいへん悲観的というか、絶望的なことを書いてしまったが、自分を知るためには、
脳内ホルモンの問題は、避けては通れない。
たとえば今、私は空腹感を覚えている。
この4〜5日、ダイエットをつづけている。
胃袋が小さくなったような感じがする。
それでも空腹感を覚える。
ワイフがまな板をたたく音を聞いただけで、ググーッと、食欲がわいてくる。
条件反射反応が起きている。

恐らく脳内の視床下部にあるセンサーが、血糖値を感知し、ドーパミンンを
放出しているのだろう。
それが線条体にある受容体を刺激し始めている(?)。

その私は、「私は私」と思いながら、これからさまざまな行動を起こすはず。
庭へ出て、畑から、サラダ菜を採ってくる。
それにドレッシングをかける。
食卓に並べる……。

こうした一連の行為にしても、ドーパミンという脳間伝達物質に操られているだけ
ということになる。
もしそこに「私」がいるとするなら、空腹感を抑えながら、サラダ菜だけで、今朝の
食事をすますこと。
体重が適正体重に減るまで、それをつづけること。
つまり「私」というのは、ここでの結論を言えば、脳内ホルモンと闘うところに、ある。
けっして、脳内ホルモンに操られるまま、操られてはいけない。
その意思が、「私」ということになる。

(新しい思想、ゲット!)

……かなり乱暴な結論だが、今の私は、そう考える。

今朝(09年5月24日)も、こうして始まった。
今日はこのことをテーマに、自分の行動を静かに観察してみたい。
つづきは、また今夜!

みなさん、おはようございます!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●豊橋(愛知県、Toyohashi Aichi-pref.)

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今日は散歩のついでに、豊橋まで行ってきた。
ついでというのは、散歩の途中で、私が「豊橋まで
行ってみようか?」と声をかけると、ワイフが、
「うん」と言ったから。
それで、豊橋まで、となった。

自宅から、JR高塚駅(浜松駅のひとつ西隣の駅)
まで歩く。
小雨が降っていたので、傘をさして、歩く。
その駅までが、約20分。
そこから電車に乗って、豊橋まで。
高塚駅から、JRのローカル線で、ちょうど35分。
豊橋というのは、愛知県の東端にある都市である。
私が住む浜松市からみると、西隣の都市ということになる。

++++++++++++++++++++

●豊橋名物

豊橋にもいくつかの名物がある。
ちくわ、ういろう、きしめん、ざるそば、など。
私はその中でも、ざるそばが好き。
豊橋では、ざるそばのツユの中に、ウズラの卵を入れる。
それがおいしい。

で、午後3時ごろ、ひとつのレストランに入った。
私はもちろん、ざるそば。
ワイフは、「天きし」。
天ぷらを盛ったきしめんのことを、豊橋では、「天きし」という。
(浜松には、「天きし」という名前は、ないぞ!)
その2つを分けあって食べた。
おいしかった。

帰りに近くのデパートに寄り、買い物。
北海道製のパン、それに九州のいわし明太、など。
いわしの切り身の中に、明太が詰めてあった。
おいしそうだった。

「ああ、これでぼくのダイエットも、今日まで」と言うと、
ワイフが笑った。
しかし私はがんばる。
がんばるぞ。
今度こそ、目標の63キロ!
63キロの数字を見るまでは、がんばる。
いつも今ぐらいの体重のところで、くじけてしまう。
そしてリバウンド。
毎度、その繰り返し。


●運動

豊橋へ行った目的は、もちろん運動。
体を鍛えるため。
「今日、がんばれば、明日、仕事ができる」が、このところ2人の合言葉。
運動をしなくなったら、その日から健康は下り坂。
体力はどんどんと衰退する。
若いときはそれがわからなかったが、60歳にもなると、それが実感として
わかるようになる。
数日もだらけた生活をしていると、体が動かなくなる。
ほんとうに動かなくなる。

そうそう今夜は、今度の講演会の練習をしなければならない。
県の教育委員会の総会である。
今までの講演会の中でも、もっとも権威ある講演会ということになる。

が、主催者の方から、原稿の大幅な書き直しを申し入れられてしまった。
おもしろい話というよりは、アカデミックな話を求められているようだ。
一度ビデオカメラを相手に、しゃべってみる。
それを見て、どこをどう直したらよいかを反省する。

そのほかにも6月は、いくつかの講演会をひかえている。
しかしそろそろ、講演会は、今度の講演会を最後に、ひとつのピリオドを打ちたい。
代わりに何かをしたいというわけではないが、少し疲れを感ずるようになった。
講演に使う分のエネルギーを今度は何か、ほかのことに使ってみたい。

ともかくも、その日に向けて、体調を整える。
運動量をふやす。
頭の調子を取り戻す。
失敗は許されない。


●帰りの電車の中で

ふと見ると、ワイフはすでに居眠り状態。
私はワイフの横顔を見ながら、こうしてパソコンを開いて、文章を書いている。
今日のお供(とも)は、HP社の2133。

初期のミニノートで、しばらく使っていなかった。
ちなみに現在、私は3台のミニノートを、もっている。
それぞれを、そのときどきに応じて、使い分けている。
昨日までは、MSI社のミニノート。
そのときの気分で、どれにするかを決めている。

この2133の特徴は、キーボードがスベスベしていること。
それにOSは、ビスタ。
ビスタもよしあしで、電源を入れてから、画面が開くまでに時間がかかる。
近くWINDOW7が発売になるとか。
それを見定めてから、つぎのパソコンを買うつもり。
ねらっているのは、64ビットマシン。
メモリーは、16GB。
想像するだけで、ワウワクする。

……こんなときワイフは何を考えているのだろう。
先ほどまで、「今日、食べたきしめんは、おいしかった」
「豊橋は物価が安いわね」
「服なんかも、浜松の半額よ」などと、勝手にしゃべっていた。

窓の外からは、一転、白い光が注ぎ込み始めた。
画面をみつめる顔に、その光が当たる。
まぶしい。
ブラインドを下までおろす。
心地よい疲れが、眠気を誘う。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●5月26日(感覚記憶)

++++++++++++

今日は月曜日。
今週も、始まった。
さわやかな冷気。
乾いた風。
頭はどこか重い。
それをのぞけば、快調。

書斎に入る。
パソコンに電源を入れる。
メールに目を通す。
「公開教室」の
カウント数を見る。
最近は、これが何よりも
楽しみ。

毎日のアクセス数に合わせて、
過去数週分の、平均値が
示される。
それが毎週、どんどんと
ふえている。

その数字を見ていると、
やる気が出てくる。

さあ、今日もがんばるぞ!

+++++++++++++

●記憶

ぼんやりとパソコンの画面をながめる。
ニュースのタイトルが、ズラリと並んでいる。

「?」と思ったり、「!」と思ったり。
タイトルを、そのつどクリックする。
ニュースの内容が表示される。
目を通す……。

バッキンガム宮殿……UAEで新型インフル……厚生省……温室ガス効果……。
未明に火事……日中韓のレベル……シャトル帰還……国民葬……(5・26)。

が、このあとおもしろい現象が起きる。

読んでいるときは、それほど関心を引かなかった記事が、そのあとぐんぐんと脳みその
中でふくらんでくることがある。
そこでもう一度その記事を読みなおしてみたいと思うのだが、それがどこのどの記事
だったかが、思いだせない。
で、またあちこちを開きなおしてみる。
が、見つからない……。
「?」「?」「?」。

つまり私はニュースサイトの記事に目を通したが、記憶として脳に格納するという
操作をしなかった。
心理学的に言えば、「感覚記憶」だけですませてしまった。

●感覚記憶

ふつう感覚記憶というのは、1秒前後で消失すると言われている。
たとえばパソコンの画面を見る。
右横の方には、ガジェットと呼ばれるコーナーがある。
時刻やカレンダー、株価や為替などがそこに表示されている。
が、そのとき特段の注意を払わなければ、そこに表示されている数字は、そのまま
忘れてしまう。
言うなれば、ただの模様。

これが感覚記憶である。

が、もしこの感覚記憶がなかったら……。
「1秒前後で消失する」とはいうものの、その1秒も残らなかったとしたら……。
私はつぎの記憶操作に移れなくなってしまう。
感覚記憶があるから、たとえその1秒でも、その1秒のうちに、それが重要な情報
であるかを判断することができる。
そして「重要」と判断したときには、脳は、つぎの記憶操作に移動する。
「短期記憶」という記憶操作である。

私はパッパッとガジェットを見ながら、その瞬間、(それこそ1秒以内に)、
重要な数字とそうでない数字を、頭の中でより分ける。
カレンダーを見ながら、ふと円ドルの為替相場を思い出す。
「先週は、1ドル、94・787円で終わったのか……」と。

●短期記憶

こうして感覚記憶を、つぎの短期記憶につなげていく。
「円高になっている……」と。
しかし世界的なドル安の可能性もあるとも考えられる。
あるいは世界的な円高かもしれない……。

そこで各国の通貨を、円やドルと比較してみる。
オーストラリア・ドル、ニュージーランド・ドル、韓国ウォン……。
その結果として、円もドルも下落傾向にあり、相対的にドルのほうが、円よりも
下落率が高いことを知る。

こうして1ドル=94円という数字が、記憶の中に残る。
が、この数字とて、明日になれば忘れる。
(今日の午後かもしれない……。)
忘れるというより、新しい数字がその数字の上に、上書きされる。

では、その数字を、さらに長い間記憶させるためには、どうしたらよいのか。
それが長期記憶ということになる。

●長期記憶

長期記憶は、(記銘)→(保持)→(想起)という3つの段階を経て、脳みその中に
刻みこまれる。
長期記憶として残る。
わかりやすく言えば、(1)まず記憶として、頭の中に叩き込む。
つぎに(2)記憶として、保持する。
あるいは保持するための操作を繰り返す。
そして(3)それをじょうずに、思いだす。

記銘力が弱くなれば、記憶は記憶として残らないことになる。
よく老人になると、物忘れがひどくなると言われるが、私はそうではないと考える。
老人になると、記銘力そのものが弱くなる。
「記憶してやろう」という意欲そのものが、減退する。
だから記憶として残らない。
その結果として、物忘れがひどくなる、と。
これは私の体験からの意見である。

つぎに保持だが、それについては、そのつど反復して思い出すことによって、
より確かなものにすることができる。
英語の単語の暗記を例にあげるまでもない。
が、それだけでは足りない。
何かのことと関連づける必要がある。
最近も、私は、こんな経験をした。

コールバーグという学者がいる。
道徳の完成度を、(1)より公平である、(2)より普遍的であるという2点にしぼって、
まとめあげた学者である。
すばらしい意見である。
が、その名前を忘れてしまった。
何かの場でその名前を思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。

ところが、である。
ある映画を見ていて、だれかかがハンバーグを食べているシーンを見たとき、思いだした。
「コールバーグだ!」と。

私は、そこで「コールバーグ」と「ハンバーグ」を結びつけて、記憶の中に格納した。
で、今では、すぐにその名前を思い出すことができる。……できるようになった。
つまり、「保持」のためには、「反復」「関連づけ」という操作をしなければならない。

●限界はない

では、その長期記憶には、限界があるのか?
私の経験では、加齢とともに、脳みその底に穴があいたような状態になる。
感覚記憶、短期記憶は、どんどんと、下へこぼれ落ちていく。

では、長期記憶はどうか。
一般論としては、長期記憶は一度、記憶されると、ほぼ永遠、つまり死ぬまで
残るとされる。
(ただし想起力が低下すれば、思いだすことができなくなるが……。
また何かの脳の病気になれば、「死ぬまで……」というわけにはいかなくなる。)

また長期記憶には、際限はないとされる。
脳のもつキャパシティには、相当なものがあるらしい。
実感として、100の英語の単語を記憶すれば、一方で100の英語の単語を
忘れてしまうのではないかと思う。
しかし実際には、そういうことはない。
「限界はない」というのが、定説になっている。

新しい長期記憶ができたからといって、別の長期記憶が消えていくなどということは、
ないということ。
だからどんどんと記憶していく。
遠慮なく、記憶していく。

●思考

こうして今、一通り、ニュースサイトを読み終えた。
が、ここからが、私の出番(?)。

ニュースにしても、ただ読んだだけでは、記憶として残るだけ。
もしその段階で終わってしまったら、それこそ、ワイフとの茶飲み話で終わってしまう。
そこで大切なことは、それを思考につなげていくという操作。
それをしないと、私はただの情報人間になってしまう。
またそうすることによって、長期記憶を、より確かなものにすることができる。

たとえば……。
どこかを旅しても、車窓から外をながめていただけでは、長期記憶としては
記憶に残らない。
何かのエピソードと結びつけば、その段階で、短期記憶として残る。
が、さらにしっかりとした長期記憶として残したいと思うなら、
(これはあくまでも私の意見だが)、絵に描いてみるとよい。
あるいはその瞬間に、旅行記を書いてみるとよい。
簡単なメモでもよい。
そうすれば、脳の中に、記憶として、しっかりと(記銘)することができる。

そういう視点で、今日も、いくつかのニュースに興味をもった。
それについては、このあと書いてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi Hama 感覚記憶 短期記憶 長期記憶 記銘 保持 想起 記憶の
メカニズム 林浩司)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●金相場

金(ゴールド)の現物売買をしている人が
ふえているという。

そこで今朝の相場(田中貴金属)のHPで
調べてみると、1グラムあたり、3088円(買い)
ということがわかった。
このところ、円高に振れているにもかかわらず、
少しずつ価格が上昇している。

こういうときは、ニューヨーク金の相場が
参考になる。
昨年末(08)には、1000〜1039ドル
(1オンス)だったが、今は6月先物相場で、
960ドル前後。
……よくわからない。
そこでもうひとつの手がかり。
他の金属相場を調べてみる。

ニッケル、アルミとも、この3か月では、現在、最高値
を記録している。
銅だけは、4月の相場より、やや値がさがっている。
が、全体に、やや下降気味。
そこで、もうひとつ。
原油価格も参考になる。

最後は、円ドルの為替相場。
円高になれば、当然、金価格も連動してさがる。

で、「買うか、売るか?」と。
……ウム〜〜?

こういうふうに迷ったときは、動かない方がよい。
(これはあくまでも私の考え方。)
買うべきときには、「買いたい」という意思が大きくなる。
売るべきときには、「売りたい」という意思が大きくなる。

つまりこうしてあちこちの数字をながめていると、
そうした意思が、あたかも本脳のように、自然とわいてくる。
あとは自然体。
自然にわいてくる意思に従えばよい。

「買いたい」と思えば、さっさと買えばよい。
「売りたい」と思えば、さっさと売ればよい。
短期的に、「損をしたな」と思っても、やがて自分の
思い通りに、相場は動いていく。

なお、今ではこうした情報が居ながらにして、しかも
リアルタイムで入手できる。
インターネットのおかげだが、考えてみれば、これは、
ものすごいことではないか。

10〜20年前には、いちいち電話をかけたり、店頭まで
出向いていかなければならなかった。
こうした情報を手に入れることができなかった。
それが今は、瞬時、瞬時!

それにしても、すごい!


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●大国の謙虚さ

+++++++++++++++++++++++

大国と呼ばれる国が、自らの謙虚さを忘れたら、
それこそ世界は闇。

たった40年前のことだが、日本はまだ貧しかった。
その貧しさを知っているからこそ、私はそう思う。

+++++++++++++++++++++++

●大国

今でこそ、この日本は経済大国になった。
金持ちになった。
経済大国として、世界の上に、君臨している。
(すでに中国に追い抜かれたという説もあるが、今のところまだ、
かろうじてだが、その地位を保っている。)
しかし、だ。
たった40年前はそうではなかった。
私がオーストラリアへ渡った1970年ごろの日本は、まだ貧しかった。

当時、オーストラリアドルにしても、1ドルが400円。
アメリカドルにしても、1ドルが360円。
具体的には、当時、羽田(日本)⇔シドニー(オーストラリア)間の往復の航空運賃が、
日本円で42万円(日本航空)。
(シドニーからメルボルン間は、往復で、約3〜4万円だったと記憶しているが、
確かではない。)
大卒の初任給が、やっと5万円を超えるか超えないかという時代に、である。

こういう事実を、今の若い人たちは知らない。
今も昔も、日本は豊かな国だったと思い込んでいる。
まるで当たり前のことのように考えている。
修学旅行で外国へ行くということが、どういうことなのか、それすら理解できないでいる。

が、本当のことを言えば、日本が貧しかったのではない。
日本の円の力が、それだけ弱かった。
画家にたとえるなら、日本人の画家は、無名。
いくら描いても、だれも絵を買ってくれない。
どれだけていねいに描いても、だれも買ってくれない。
一方、オーストラリア人の画家は、有名。
簡単な絵を描いただけで、みながほしがる。
描けば描くほど、その一方で、飛ぶように絵が売れていく。
それが(力の差)、ということになる。
こんなことがあった。

一度だが、私は日本の1万円札を、銀行でオーストラリアドルに交換しようと
したことがある。
しかし当時、すんなりとは交換できなかった。
何度も何度もチェックされ、長い時間待たされたあと、やっと交換してもらった。

そんなとき、向こうの農家の人たちの平均年収が、日本円で、1200万円程度
ということを知って、私は驚いた。
日本の大卒の年収(5万x12=60万円)の、約20倍である。
が、農家の人たちがそれだけの高収入を得ていたということではない。
物価も、日本の10倍以上はあったから、農家の人たちにしても、そこそこの
生活しかしていなかった。

つまり、日本の(円)の力が、それだけ弱かったということ。
円という、マネーの力が弱かった。
で、私はそれを知って、強い不公平感を覚えた。

資本主義体制の中では、より力のある通貨をもつ国が、実力以上の
よい生活をする一方、より力のない通貨をもつ国が、実力以下の生活しか
できない。
それを資本主義による「搾取(さくしゅ)」というのなら、搾取でも構わない。
強い国が、弱い国を搾取しながら、よい生活をする……。
そこで私がだれかにそのことを訴えると、その人はこう言った。
「それが戦勝国と敗戦国のちがいだよ」と。

●不公平感

こう書くからといって、何もあのK国の肩をもつわけではない。
あの国は何からなにまで、おかしい。
しかも自国の経済運営の失敗まで、外国の責任にしている。
が、それはそれとして、彼らのおもしろくない気持ちも、これまた私には
理解できる。

現在、K国の開城工業団地における労働者の平均賃金は、月額にして、
8000円〜9000円程度という。
かなりの部分が、K国政府によってピンはねされているから、実際には、
もっと少ない。
が、それでもK国の国内では、破格の高給という。

そこであなた自身を、その団地の労働者の身分に置いてみる。
あなたを開城工業団地の労働者という立場に置いて、考えてみる。
そのあなたは、毎日8〜10時間働いて、給料は、たったの8000円!
月給が、だ。
そのお金を日本へもってきたとしても、1〜2日分の生活しかできない。
日本では、満足に電車にすら乗れないだろう。
が、それはそのまま私がオーストラリアへ渡ったころの、日本とオーストラリア
の関係に似ている。

私は、向こうの人たちが、あのオレンジを、袋単位で買っているのを見て、
驚いたことがある。
当時の日本人の私には、想像もできない買い方だった。
私たちは、店で、一個単位でオレンジを買っていた。

だからあなたは、こう叫ぶ。
「不公平だ」
「働いている時間は同じなのに、日本人は、40万円も稼いでいる」
「おかしい!」と。

が、だれかがあなたにこう言う。
「しかたないではないか。
君たちのウォンなど、紙くず同然。
為替レートなど、あってないようなもの。
そんなウォンを一人前に扱えっていっても、無理」と。

考えようによっては、現在のK国は、そのどん底であえいでいるのかもしれない。
仕事もない。
お金もない。
だから食べ物すら満足に買うこともできない。

で、ここからが、たいへんきわどい話になる。
繰り返すが、だからといって、K国の肩をもつわけではない。
K国がミサイルの発射実験をしてもよいとか、核兵器開発をしてもよいとか、
そんなことを書いているのではない。
もちろん、そんなことを許してはいけない。

が、私がここで言いたいことは、彼らの行動についての責任の一部は、
この私たち日本人にもあるということ。
強い円をよいことに、日本は、世界中から、富を買いあさっている。
国中にモノがあふれ、食糧もあふれている。
その国の通貨が強いということが、どういうことかは、先に私が書いたとおり。
オーストラリアの話を思い出してみればわかるはず。

当時私は一応、全額給費生ということで、小づかいも支給された。
が、たいしたものは買えなかった。
帰国するときみやげを買ったが、買ったものと言えば、小さなコアラの
人形と、ブーメランだけだった。

もう、わかってもらえたと思う。
私たち日本人は、ほとんどそれを自覚していないかもしれないが、実際には、
貧しい国々を犠牲にして、その上で、豊かな生活を楽しんでいる。
実力以上の生活を楽しんでいる。

……が、こう書くと、こう反論する人もいるかもしれない。
「日本は、がんばった。
だから今のような繁栄を築くことができた。
日本のようになりたかったら、君たちもがんばればいいではないか」と。

しかし本当にそうだろうか?
本当にそう言い切ってよいだろうか?
しかし私は、それこそ大国の(おごり)ではないかと思う。
あのころの不公平感を、私はよく知っているからなおさら、そういう意見には、
どうしても素直に従うことができない。

それに……もし大国が、経済大国でも軍事大国でもよいが、そうした大国が
謙虚さを忘れたら、それこそ世界は闇。
闇に向って、つき進んでしまう。
私はそれを心配する。

K国の核兵器問題、ミサイル問題を考えるときは、
心のどこかで、そうした謙虚さを忘れてはいけないと、私は思う。


Hiroshi Hayashi++++++++May 09++++++++++はやし浩司

●脳梗塞

今日、通りを歩いているときのこと。
散歩していて、こんなことに気がついた。
1人、脳梗塞か何かで、半身が不随の人を見かけた。
男性だった。
年齢は私と同じくらい。
杖を片手に、黙りこくったまま歩いていた。

で、ふとそのとき、こう思った。
そういえば、そういうふうにして歩いている人は、
男性ばかりで、女性はいないなあ、と。
記憶の中をさぐってみたが、女性がそういうふうにして
歩いているのを、私は見かけたことがない。
その話をしながら、ワイフに、「お前は見たことがあるか?」と聞くと、
ワイフも、「そう言えば、ないわねエ〜」と。

こうした病気は、男性特有のものなのだろうか。
それとも女性というのは、そういう病気になっても、通りには出てこないもの
なのだろうか。
よくわからないが、男性だけが脳梗塞か何かになるということは、ありえない。
もしそうなら、つまり男性だけの特有な病気とするなら、
とっくの昔に、話題となって、私の耳にも入っているはず。

しばらく歩いていると、ワイフがこう言った。
「そう言えば、1人、見かけたことがあるわ」
「……でも、通りを歩いている人は、見たことはないわね」と。

半身不随といっても、重い症状の人から、軽い症状の人もいる。
脳が受けたダメージの程度によって、ちがう。
が、もし女性に少ないというのなら、その理由を調べてみたい。


●K国の核実験

昼ごろ、あのK国が核実験をしたかもしれないというニュースが
飛び込んできた(5月25日)。
「実験するかもしれない」というニュースはたびたび伝えられていたので、
私はそれほど、驚かなかった。
それに今回は、2度目。

ネットニュースによれば、マグニチュード4・4の威力だったとか。
具体的にどの程度の規模だったのかは、追々、報道されるだろう。
成功だったのか?
失敗だったのか?
あるいは失敗して、暴発したのかもしれない。
その可能性もないわけではない。

しかしあの国は、いったいどこまでツッパルつもりなのだろう。
クリントン国務長官は、「予測不能」と評したが、メチャメチャなことばかり
するという点で、一貫性がある。
つまり予測は可能。
これから先も、メチャメチャなことばかりするだろう。

で、日本としては、ああいう国を、まともに相手にしてはいけない。
まともに相手にしたとたん、相手のワナにはまってしまう。
アメリカと歩調を合わせて、ここは無視するのが、いちばん。
国連という場にもちこんで、集団で、K国を締めあげる。
自己崩壊にもっていく。

で、ここは中国とロシアに責任を取ってもらおうではないか。
それと韓国の金大中と彼を支える、野党のみなさんにも、責任を取ってもらおう
ではないか。。
本当は、ノ前大統領にいちばん責任を取ってもらいたいが、昨日、自殺して
しまった。
(注:私は韓国の前大統領を、ずっと、「ノ大統領」と表記してきた。
強圧的な反日姿勢に抗議の念をこめて、そうしてきた。
その気持ちは、自殺した今も変わっていない。)


●散歩

ところで今日の散歩コースは、一度バスに乗り、(西郵便局)で下車。
そこから(根上がり松)方面に大きく遠回りして、市内まで。
途中で、100円ショップと、郵便局に立ち寄った。

細い路地を歩いてみた。
どこもほぼ10年ぶりという路地だった。
様子はすっかり変わっていた。
豪華な家がふえていたのには、驚いた。
そのうちの一軒は、まるでおとぎの国からでも飛び出したような家だった。
「どんな人が住んでいるのだろう?」と思いながら、その前を通り過ぎた。

この先、日本でも貧富の差が、ますます進むという。
ジニ指数という言葉もあるが、そんな指数など見なくても、こうした路地を
歩いてみると、わかる。
現在の今も、この不況下。
保有している土地を投げ売りしている人は多い。
一方、政府は、ジャブジャブどころか、ゴーゴーとお金を市中にばらまいている。
そのお金が、行く人のところへは行く。
そういう人たちが、そういう土地を買いあさり始めている。

某経済誌によれば、AS内閣は、土地のミニバブルを画策しているとか。
真偽のほどはわからないが、数字だけを見ていると、私にもそんな感じがする。
どん底の不動産業を救済するには、それしか方法がない。
つまりその結果として、貧富の差は広がる。

が、それではすむと考えてはいけない。
その先で待っているのは、猛烈なハイパーインフレ。
それもそのはず。
土地というのは、短期で売買すると、約40%の取得税が課せられる。
つまり1000万円で買った土地なら、最低でも約1666万円で売らないと、
元は回収できない。
(実際には、そんな単純ではないが……。)
土地を買いつづけている人(業者)は、すでにその金額を織り込みながら、
買っているという。

こんなことをしていて、日本の経済が無事ですむはずがない。
人間のもつ欲望のものすごさというか、貪欲さに、改めて驚く。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●65・4キロ

++++++++++++++++++++

今朝、体重を量ったら、65・4キロ!
約3キロの減量、成功!
目標まで、あと2キロ。
今日も、がんばるぞ!

で、たった3キロと思う人も多いかもしれない。
2リットル入りのペットボトル1・5本分。
しかし体の軽さを、実感することができる。
体の各部が、スタスタと動く。
その軽快感が、たまらない。
うれしい。

今日も、歩く。
サイクリングをする。
あとは食事療法。

++++++++++++++++++++

●真の勇者(韓国を尊敬する)
(I respect South Koreans. They know what the Freedom of Speech is.) 

数日前、韓国の前大統領であるノ氏が自殺した。
それについて、その少し前に、ノ氏を批判して、「自殺するか、監獄に行け」※と
書いた、大学の教授がいた。
少し言い過ぎとは、私も思うが、清潔さを売り物にしてきた前大統領の汚職という
ことで、怒りも収まらなかったのだろう。
が、ノ氏が本当に自殺してしまったから、さあ、たいへん。
大騒ぎになってしまった。
ノ氏を支持してきた人たちから、今、猛烈な抗議の嵐が殺到しているという。

それに対して、当の大学教授は、こう述べている。
「この国には、感情と同情しかないのか」と。
つまり「法はないのか」と。
さらに「何十万という抗議のメールが届いても、私は読まない」
「公的な警護を要請しない」とも。

ことの経緯(いきさつ)はともかくも、また抗議を繰り返す支持者たちの気持ちも
理解できないわけではない。
が、そういう教授を、真の勇者という。
またそういう教授が、最前線で、言論の自由を守る。
またそういう教授を生んだ韓国を、少なからずうらやましく思う。
韓国を尊敬する。

一方、今、この日本には、そういう勇者は、いない。
みな、政府に迎合し、さもなくば、マスコミに迎合し、世間の顔色をうかがいながら、
モノを書いている。
金儲けのために、モノを書いている。
週刊誌などにモノを書いている識者(?)と呼ばれている人たちは、
おおかたその種の人たちと考えてよい。
つい先日も、拉致被害者のMさんいついて、「すでに死亡している」と、とんでもない
意見を述べた評論家がいた。
世間の批判にさらされたとたん、自説をひっこめ、あっさりと謝罪。

ア〜ア!

どうかその教授には、がんばってほしい。
その結果として、その教授は、モノを書く勇気を身につけるはず。
抗議などというものは、テレビゲームのポイントのようなもの。
信念がその裏づけにあるなら、何も恐れる必要はない。
「おかしいものは、おかしい」と声をあげることこそ、大切。
それが韓国のみならず、人類の行く手を明るく照らす。

私自身も、2〜3年にわたって、ある宗教団体の攻撃にさらされた経験をもっている。
毎週、毎週、20〜30人のグループに、自宅にまで押しかけられた。
実際のところ、最初のころは恐ろしかった。
身の危険も感じた。
が、それも一巡すると、抗議にやってくる人に向って、笑顔で応対することが
できるようになった。
とたん、相手のほうが、退散していくようになった。

その結果が、今。
私は今、堂々と実名を公表してモノを書いている。……書けるようになった。
そのつど、批判されたり、中傷されたりすることはある。
しかし私は私。
そんなものをいちいち恐れていたら、モノなど書けない。
つまり、その教授とは比較にはならないかもしれないが、その結果として、モノを
書く勇気を身につけた。

だからあえて繰り返す。
私はその教授を尊敬する。
内容はさておき、その信念を支持する。
教授の名前は、金東吉(キム・ドンギル)延世(ヨンセ)大名誉教授。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
金東吉 金東吉延世大学名誉教授)

(注※)【韓国・中央N報の記事より、転載】

『金東吉(キム・ドンギル)延世(ヨンセ)大名誉教授にネットユーザーの非難が殺到し
た。 

  金東吉教授が先月15日、自分のホームページに盧武鉉前大統領に向かって「自殺する
か監獄に行け」という内容の文を書いたからだ。 

  金教授は「もらったらもらったと言わなければ」という文で「盧武鉉さんが他人の金を
一銭ももらっていないと最後まで言い張るのは難しくなるだろう」とし「一国の大統領を
務めた者が、そのように卑怯にふるまってどうなるか」と言った。続いて「はじめから検
察官に、はい、もらうにはもらいましたがそんなにはもらいませんでした」と謙遜して言
ってもこ憎たらしいのに、そんなことはないときっぱりしらを切るからもっと憎く感じる」
と言った。 

  それとともに「人間においていちばん大事なのは真実なのに、真実がなければ言いわけ
できないものと決まっている」とし「そんな者が公職の高い地位に座れば、多くの民が苦
労をするほかない」と付け加えた。金教授は最後に「彼が5年間やらかしたことは次の政
権がどうにか正すことができると言っても、道徳的な過ちは直すあてがないから国民に謝
る意味で自殺をするとか、それとも裁判を受けて監獄へ行って服役するほかないだろう」
と主張した。こうした事実が伝わり、ネチズンたちは激しく責めはじめた。あるネチズン
は「発言が現実になった。自分で自分の墓でも探しておけ」と興奮を隠せなかった。 

  しかしまた別のネチズンは「一国の前職大統領の逝去は哀悼しなければならないことだ。
しかし一国を統治した国家に影響力ある人物が自殺を選択したということは同情するに値
することではない。理性を取り戻して誰のせいにもせず、冥福を祈らなければならない」
と書いた。 

  現在、金教授のホームページはアクセスできない状態だ』(以上、09年5月26日)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●退職後の「?」(When we retire the jobs)


+++++++++++++++++


今朝、古いラジオを戸棚から、取りだした。
久しぶりにラジオを聴いた。
俳句についての講座の番組だった。
その中の特選作……。


ひとつは、「給料運搬人……」なんとかというもの。
もうひとつは、「光陰矢の如し……」なんとかというもの。
ほかにもいろいろあった。


共通していたのは、どれも長い間のサラリーマン勤めを終えた
男たちや、それを迎える妻たちの、どこか悲哀感の漂う
俳句だったということ。


ぼんやりと聴きながら、「そういうものかなあ?」
「そういうものでもないような気がする」と、
頭の中で、いろいろな思いが交錯するのを感じた。


+++++++++++++++++


私は俳句については、まったくの素人。
自分で作ったことは、あまりない。
が、どれもすばらしい俳句だった。
それはよくわかった。


で、私が気になったのは、俳句のほうではない。
その批評のほう。
何と呼んだらよいのか。
「俳句の先生」、それとも「指導者」?
「コメンテイター」?
要するに、視聴者からの俳句を選定し、批評を
加える人(女性)。
その人(女性)が、そのつど、こう言っていた。


「これからは、ゆっくりとお休みください」
「長い間、お勤め、ごくろうさまでした」
「退職後は、思う存分、お遊びください」などなど。


その人(女性)は、「私もこの年齢になり、(退職する人たちの気持ちが)、
理解できるようになりました」というようなことも
言っていた(以上、記憶によるものなので、内容は、不正確)。


しかし退職者というと、若い人たちは、どうしてそんなふうに、
とらえるのか。
「退職者は、こう思っているはず」という『ハズ論』だけが
先行している?
私はそう感じた。


とくに気になったのは、「退職後は、思う存分、お遊びください」という言葉。
私はその言葉を聞いたとき、若い人たちが、私たちの
世代を、そのように見ているのかと、がっかりした。


言うまでもなく、私もその世代の人間の1人。
しかし「遊びたい」という気持ちなど、みじんもない。
「遊べ」と言われても、遊ぶ気持ちにはなれない。
……だからといって、その人(女性)を責めているのではない。
それが世間一般の常識的な意見ということは、私にもわかっている。
それに若いときには、私もそう考えていた。
「退職したら、あとは悠々自適の隠居生活」と。


が、今はちがう。
「遊ぶ」ということに、強いむなしさを覚える。
またそんなことで、残り少ない自分の人生を、無駄にしたくない。


もちろん人、それぞれ。
退職の仕方も、人、それぞれ。
退職後の考え方も、人、それぞれ。
もちろん過ごし方も、人、それぞれ。
100人いれば、100通りの考え方がある。
退職の仕方がある。
私の考え方が正しいというわけではない。
中には、「遊びたい」と考えている人がいるかもしれない。
いても、おかしくない。


それはわかる。
しかし……。
私たちが求めるのは、そしてほしいのは、(怠惰な時間)ではない。
遊ぶための時間ではない。
(退職後の生きがい)、それがほしい。
(仕事)でもよい。
が、遊ぶための時間ではない。
だいたい遊ぶといっても、お金がかかる。
それに(遊ぶ)ということには、答がない。
「だからどうなの?」という疑問に対する、答がない。


繰り返す。
「遊んだからといって、それがどうなの?」と。
遊べば遊ぶほど、空しさがつのるだけ。
休むといっても、病院のベッドの上で休むのは、ごめん。
さらに言えば、休んだあと、どうすればよいのか。


退職者の最大の問題。
それは何度も書いてきたように、「自我の統合性」。
その統合性を、いかに確立するか、だ。


(自分がすべきこと)を発見し、そのすべきことに、
(現実の自分)を一致させていく。
(自分がすべきこと)を、「自己概念」という。
(現実の自分)を、「現実自己」という。
この両者を一致させることを、「自我の統合性」、
もしくは「自己の統合性」という。


自我の統合性の確立した老人は、すばらしい。
晩年を生き生きと、前向きに過ごすことができる。
そうでなければ、そうでない。
仏壇の仏具を磨いたり、墓参りだけをして、日々を過ごすようになる。
私の知人の中には、満55歳で役所を定年退職したあと、
ほぼ30年近く、庭いじりだけをして過ごしている人がいる。
年金は、月額にして、27〜8万円もあるという。
しかしそんな老後が、はたして理想的な老後と言えるのだろうか。


その知人は、1年を1日にして、生きているだけ(失礼!)。
10年を、1年にして、生きているだけ(失礼!)。


だから私はその人(女性)にこう反論したい。


「これからは、ゆっくりとお休みください」だと!
バカも休み休み、言え、バカヤロー!、と。
私たちの年齢をバカにするな!
(少し過激かな?)


そのあと、ワイフとこんな会話をした。


私「給料運搬人というのも、かわいそうだね。自分の仕事をそんなふうに
考えていたのだろうか」
ワ「そうよね。さみしいわね。仕事を通して生きがいというのは、なかったの
かしら」
私「ぼくも仕事をしてきたけど、自分が給料運搬人などというふうには、
考えたことはないよ」
ワ「そうねエ……」と。


給料運搬人とその人が、そう感ずるならなおさら、退職後は、そうでない仕事を
したらよい。
生きがいを求めたらよい。
「世のため、人のため」とまではいかないにしても、何かできるはず。
もしここで、その人(女性)が言うように、ゆっくりと休んでしまったら、それこそ
自分の人生は何だったのかということになってしまう。


残り少ない人生であるならなおさら、最後のところで、自分を燃焼させる。
できれば思い残すことがないよう、完全燃焼させる。
それが今まで、無事生きてきた私たちの務めではないのか。
若い人たちに、自分たちがしてきた経験や知恵を伝えていく。
若い人たちが、よりよい人生を歩むことができるよう、その手助けをしてやる。


まだ人生は終わったわけではない。
平均寿命を逆算しても、まだ25年もある。
「遊べ」だの、「休め」と言われても、私は断る。
私には、できない。



Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●自我の統合性と世代性(我々は、どう生きるべきか?)
(Do we have what we should do? If you have something that you should do, your life 
after you retire from your job, would be fruitful. If not, you will despair in a miserable
 age.)

+++++++++++++++++

乳児期の信頼関係の構築を、人生の
入り口とするなら、老年期の自我の
統合性は、その出口ということになる。

人は、この入り口から、人生に入り、
そしてやがて、人生の出口にたどりつく。

出口イコール、「死」ではない。
出口から出て、今度は、自分の(命)を、
つぎの世代に還元しようとする。

こうした一連の心理作用を、エリクソンは、
「世代性」と呼んだ。

+++++++++++++++++

我々は何をなすべきか。
「何をしたいか」ではない。
「何をなすべきか」。

その(なすべきこと)の先に見えてくるのが、エリクソンが説いた、「世代性」である。
我々は、誕生と同時に、「生」を受ける。
が、その「生」には、限界がある。
その限界状況の中で、自分の晩年はどうあるべきかを考える。

その(どうあるべきか)という部分で、我々は、自分たちのもっている経験、知識、哲学、
倫理、道徳を、つぎの世代に伝えようとする。
つぎの世代が、よりよい人生を享受できるように努める。

それが世代性ということになる。

その条件として、私は、つぎの5つを考える。

(1)普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)
(2)没利己性(=利己主義であってはいけない。)
(3)無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)
(4)高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)
(5)還元性(=教育を通して、後世に伝える。)

この世代性の構築に失敗すると、その人の晩年は、あわれでみじめなものになる。エリク
ソンは、「絶望」という言葉すら使っている(エリクソン「心理社会的発達理論」)。

何がこわいかといって、老年期の絶望ほど、こわいものはない。
言葉はきついが、それこそまさに、「地獄」。「無間地獄」。

つまり自我の統合性に失敗すれば、その先で待っているものは、地獄ということになる。
来る日も、来る日も、ただ死を待つだけの人生ということになる。
健康であるとか、ないとかいうことは、問題ではない。

大切なことは、(やるべきこと)と、(現実にしていること)を一致させること。

が、その統合性は、何度も書くが、一朝一夕に確立できるものではない。
それこそ10年単位の熟成期間、あるいは準備期間が必要である。

「定年で退職しました。明日から、ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわ
けにはいかない。
またそうした行動には、意味はない。

さらに言えば、功利、打算が入ったとたん、ここでいう統合性は、そのまま霧散する。
私は、条件のひとつとして、「無私、無欲性」をあげたが、無私、無欲をクリアしないかぎ
り、統合性の確立は不可能と言ってよい。

我々は、何のために生きているのか。
どう生きるべきなのか。
その結論を出すのが、成人後期から晩年期ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人生の統合性 世代性 統
合性の確立)

(追記)

(やるべきこと)の基礎をつくる時期は、「人生の正午」(エリクソン)と言われる40歳
前後である。もちろんこの年齢にこだわる必要はない。早ければ早いほど、よい。

その時期から、先にあげた5つの条件を常に念頭に置きながら、行動を開始する。

この問題だけは、そのときになって、あわてて始めても、意味はない。
たとえばボランティア活動があるが、そういう活動をしたこともない人が、いきなりボラ
ンティア活動をしたところで、意味はない。身につかない。

……ではどうするか?、ということになるが、しかしこれは「ではどうするか?」という
問題ではない。
もしそれがわからなければ、あなたの周囲にいる老人たちを静かに観察してみればよい。

孫の世話に庭いじりをしている老人は、まだよいほうかもしれない。
中には、小銭にこだわり、守銭奴になっている人もいる。
来世に望みを託したり、宗教に走る老人もいる。
利己主義で自分勝手な老人となると、それこそゴマンといる。

しかしそういう方法では、この絶望感から逃れることはできない。
忘れることはできるかもしれないが、それで絶望感が消えるわけではない。

もしゆいいつ、この絶望感から逃れる方法があるとするなら、人間であることをやめるこ
とがある。
認知症か何かになって、何も考えない人間になること。
もし、それでもよいというのなら、それでもかまわない。
しかし、だれがそんな人間を、あるべき私たちの老人像と考えるだろうか。

(付記)

統合性を確立するためのひとつの方法として、常に、自分に、「だからどうなの?」と自問
してみるという方法がある。

「おいしいものを食べた」……だから、それがどうしたの?、と。
「高級外車を買った」……だから、それがどうしたの?、と。

ところがときどき、「だからどうなの?」と自問してみたとき、ぐぐっと、跳ね返ってくる
ものを感ずるときがある。
真・善・美のどれかに接したときほど、そうかもしれない。

それがあなたが探し求めている、「使命」ということになる。

なおこの使命というのは、みな、ちがう。
人それぞれ。
その人が置かれた境遇、境涯によって、みな、ちがう。

大切なことは、自分なりの使命を見出し、それに向かって進むということ。
50歳を過ぎると、その熱意は急速に冷えてくる。
持病も出てくるし、頭の活動も鈍くなる。

60歳をすぎれば、さらにそうである。

我々に残された時間は、あまりにも少ない。
私の実感としては、40歳から始めても、遅すぎるのではないかと思う。
早ければ早いほど、よい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●5月22日 (May 22nd)

+++++++++++++++++

先ほど、電子マガジンの6月22日号の
配信予約を入れた。
ほっと一息ついた。
やっと追いついた。
一時は、10日以上も配信予約が遅れた。
電子マガジンは、いつも1か月先のを
配信予約することにしている。

で、この原稿は、6月24日号用ということになる。
だれのためでもない。
私のため。
私の脳みそのため。

しかし本当のところ、今は、「BW公開教室」
のほうがおもしろい。
楽しい。
毎日、アクセス数がどんどんとふえている。
3月に開設したときには、毎日3〜4件足らずだった。
が、今は、1日、120〜130件!
同じ人だったら、何回見ても、1件とカウントされるから、
実際には、その数倍以上のアクセスがあるとみてよい。
うれしい!
プラス、感謝!
(電子マガジンのほうは、この数か月、
ほとんどふえていない。
やる気が、どんどんと減退している。)

やはり生きがいというのは、みなに支えられて
作られるもの(?)。
その(支え)がなかったら、生きがいそのものが、
しぼんでしまう。
だから今は、「BW公開教室」。

大手の幼児教室がつくるビデオのようなスマートさは
ないが、おもしろさという点では、自信がある。
そこらの、(失礼!)、幼児を教えたこともないような
若い女性が講師をするような幼児教室とは、中身がちがう。

どうか、あなたの子どもといっしょに見てほしい。
「BW公開教室」のよさが、理解してもらえるはず。

+++++++++++++++++++

●映画『フロストxニクソン』(Frost x Nixon)

夕食を食べたあと、市内の劇場で、深夜映画を見てきた。
『フロストxニクソン』。
それなりにおもしろかった。
が、星は2つの、★★。
緊張感が売り物の映画のはずだったが、その緊張感が
伝わってこなかった。
(フロスト役の俳優が、少し物足りない。)

で、今夜はプレミア席で観た。
大きなリクライニング・シートが売り物の席である。
(ただし60歳以上は、料金は同じ。)
が、席についたとたん、異様な悪臭!
ななめ左前に座った男からのものと、すぐわかった。
不潔臭と体臭、それに腐敗臭。
10日以上、(あるいはそれ以上)、風呂に入っていない。
私はそう判断した。

映画が始まると同時に、席を移動。
前の方が空いていたので、そこへ座った。
そのため、迫力満点。
見終わったあと、ひどい疲れを覚えた。

映画館では、ときどき、こういうことがある。


●エピソード記憶

映画『フロストxニクソン』の中に、こんなシーンがあった。
第4回目の対談を前にした、その前夜のこと。
ニクソンが、ホテルにいるフロストに電話を入れる。
あれこれしゃべる。
が、その翌日、つまり第4回目の対談の日、ニクソンは、それを忘れてしまっていた。
フロストに電話のことを言われ、ニクソンは、少なからず、うろたえる。
結果的にそれが引き金となって、4回目の対談は、フロストのペースで進むことになる。

この(電話をしたことを忘れる)というのが、(エピソード記憶の喪失)ということになる。
電話の内容を忘れるとか、話に出てきた人の名前を忘れるというのなら、よくあること。
だれにもでもある。
しかし(電話をしたことそのものを忘れる)というのは、アルツハイマー病の
重大な症状のひとつにもなっている。
映画を観終わったあと、ワイフと私はこんな会話をした。
「ニクソンは、アルツハイマー病になっていたのかね?」
「そうかもしれないわ」と。

もちろんだからといって、ニクソンがアルツハイマー病だったというのではない。
映画の中でも、それを匂わせてはいるが、それ以上の説明はない。
また、ほかの脳の病気でも、同じような症状を示すことはある。
しかし附合性はある。
第4回目の対談のとき、ニクソンはそれまでとは違って、感情的になり、自分の罪を
認めるような発言までしてしまう。
日本流に表現すれば、「泣きごと」を口にする。
(あの、ニクソンが!)
私の知っている女性(68歳)も、同じような症状をときどき示す。
その女性は、最近、アルツハイマー病と診断されている。

言うことに節度がない。
ズケズケと言ったかと思うと、とつぜん、しおらしくなったりする。

そんなわけで、ここでは「?」としておく。
この映画のもととなった本を書いた人も、「?」と感じたのではないか。
しかし同時に、私は、こうも考えた。

もしアルツハイマー病だったら、何しろベトナム戦争を指揮した大統領だけに、
ことは重大である。
ウォーターゲート事件より、考えようによっては、さらに深刻な問題である。
そんな大統領の判断に従って、戦争をしたら、それこそ、たいへんなことになる。
(実際、たいへんなことになってしまったが……。)

だから私はかねてより、こう主張している。
この日本でも、首相以下、大臣レベルの閣僚たちはみな、就任する前、脳検査を
受けるべきではないか、と。
運転免許証の更新にすら、いろいろな検査が求めらる。
いわんや、首相職をや!
脳みそのおかしな人物に、国政を任せたら、それこそ、たいへんなことになる。
そういう法律を、今すぐ制定してほしい。
就任時に、健康診断書くらいは、国民に見せてほしい。

AS首相、あなたはだいじょうぶか?


●ダイエット、4日目

先日、油断していたら、体重が68キロ台にまでふえていた。
道理で体が重く感ずるはず。
そこでいつものダイエット。
ダイエット、開始!

小食にして、運動量をふやす。
栄養バランス食に切り替える、など。

で、今朝は、それが65・6キロまでに減っていた。
よかった!

私のばあい、67、8キロを超えると、とたんに体を重く感ずる。
足の裏が痛くなる。

今度も、何とか、64キロ台まで減らしたい。
あと数日、食事を、がまんする。
がんばる。

あ〜あ、それにしてもこの空腹感、なんとかならないものか。
少し甘い飴をなめて、視床下部のセンサーをごまかしてみる。
そこでは血糖値を監視している。
そのセンサーをごまかせば、空腹感は消えるはず。

では、みなさん、おやすみなさい。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●北朝鮮のみなさんへ(To: North Korean People)
??? ????

日本やアメリカのことは気にしないでください。
???? ??? 
???? ????.

あなたがたは、あなたがただけのことを考えてください。
???, ??? ??? 
??? ??????.

日本はあなたの国を侵略しません。
??? ??? ??? 
???? ????.

興味もありません。
???????.

どうか、一人芝居は、やめてください。
??, ?? ??? 
?????.

どうか、心安らかにしてください。
??, ?? ???????.

++++++++++++++++++

(付記)

ありもしない外国の脅威を理由に、またまたK国は、ミサイル実験を
しようとしている。
そんなヒマとお金があったら、国民の食糧のことを心配したらよい。
そういう思いを込めて、この文を、朝鮮語を使って書いてみた。

ついでに、
「子育ての最前線」は、

英語では、Forefront of raising children
朝鮮語では、??? ???
中国語では、前列??子女
フランス語では、Avant-garde de l'?ducation des enfants
ドイツ語では、Vorderster Front, die Kinder erziehen,

次回、HPを更新するときは、これらの文字を並べてみよう。
(たった今、試してみたが、英語とドイツ語以外は、私のHPソフトは、
認識しなかった。
こうしてワードで文を書く範囲では、何も問題ないようだが……。)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●趣味(My Hobby)(5月23日)

+++++++++++++++++++++

「パソコンが趣味です」などと言うと、人は、
(たぶん?)、「そのひとつだけ?」と思うかも
しれない。
しかし「パソコン」といっても、ひとつではない。

たとえば私のばあいは、こうだ。

パソコンを使ってものを書く……執筆が趣味
電子マガジンを発行する……編集が趣味
そのための写真を撮る……写真撮影が趣味
写真を加工する……写真加工が趣味
ビデオを撮る……ビデオ撮影、編集が趣味
HPを編集する……デザインが趣味、と。

ときどき頭がからっぽになるときがある。
書きたいテーマが、見つからないときがある。
そういうときは、マイクに向かって、勝手に
しゃべる。
それを編集して、YOU TUBEに
アップロードする。
そういうときは、放送が趣味、となる。

もちろんパソコン自体にも興味がある。
パーツを取り換えて、パソコンを強化する。
最近、メインのパソコンのハードディスクを、
750GBのものに取り換えた。
もろもろの周辺機器を、最新のものにする。
そのときは、パソコンの改造が趣味、となる。

つまり「パソコン」といっても、パソコン
だけではない。

座右には、
デジタルカメラが、3台、
ビデオカメラが、1台、
ボイスレコーダーが、1台、
ソニーのウォークマンが、1台、
イーモバイルの携帯端末が、1台、
もちろん、パソコンが3台に、モニターが2台、
電子辞書が、1台、
プリンターが、2台などなど。

こういうものを駆使して、はじめて「パソコンが
趣味です」と言うことができる。
で、今は、FLASHと、外国語翻訳に興味がある。
たまたま今日は土曜日だから、少しそれに再挑戦
してみたい。

この広がりというか、奥の深さが、パソコンの
魅力でもある。

そうそう昨日、私のHPやBLOGへのアクセス数が、
驚異的な数字を、(大げさかな?)、記録した。
大ざっぱな計算だが、1日で、計1万件を突破した。
考えてみれば、これは、ものすごいこと。

今から6、7年前、HPを開設したときには、
1日、約20〜30件程度のアクセスしかなかった。
(そのうち約半数が、私や家族がしたもの。
あるいは、知人に頼んで、アクセスしてもらった
こともある。ハハハ。)
それが今では、1万件以上!
しかも世界中から、である!

……といっても、悲しいかなその実感が、ほとんどない。
言うなればテレビゲームのようなもの。
「5000ポイント、ゲット!」と喜んでいる子どもと
同じ。

だから「パソコン」に、もうひとつ、趣味を加えたい。
パソコンゲームという趣味である。

さて、今日も始まった。
パソコンゲームが始まった。
5月22日、土曜日。
外は曇天。
秋の終わりのような、空気の冷たさを感じる。

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●中年期の女性観(異性観抜き)

男性は、(女性もそうだと思うが)、中年期(満40歳)を過ぎたら、
異性を異性と思ってはいけない。
(努力して、そう思わないようにする。)
なかなかむずかしいことだが、相手を異性としてではなく、1人の独立した
人間として見る。

R・C・ベックという学者は、こう言っている。
「(中年期にさしかかったら)、異性を性的対象ではなく、個々の人格、
仲間として認識する」(ナツメ社、「発達心理学」)と。

というのも、私を基準にしてものを書くのは危険なことかもしれないが、
若いころ、私にとって女性というのは、宇宙人ほど、異質な存在だった。
高校生のとき、図書館で女体解剖図を見ただけで、歩けなくなってしまった
ことがある。

こうした異性観は、一度できると、そう簡単には、変えられない。
ばあいによっては、50歳になっても、60歳になってもつづく。
(女性のばあいは、よくわからないが……。)
今でも、ふと油断すると、相手を1人の人間としてというよりは、「女」として
見てしまうことがある。
もっとも、それがあるから、人生も楽しいということになる。
それすらもなくなってしまったら、それこそ人生は、花の咲かない砂漠のように
なってしまう(?)。
ただ、こういうことは言える。

これは私のワイフについてだが、大半の時間は、私のワイフは、私のよき友である。
またそういう目で、ワイフを見ている。
しかしときに、ワイフが、「女」に見えることがある。
胸や体にさわってみたくなるときがある。
そういうふうでも、よいのではないか……ということ。
つまり、異性を1人の人間として見ることも大切だが、同時に、異性と意識することも
大切、と。
それが人生に、イロを添える。
実は、私はこのことを、私が55歳くらいのときに、発見した。

私の職場には、いつも若い母親たちがいる。
そういうこともあったのかもしれない。
あるいは男性にも更年期のようなものがあるという。
そのときがそうだったのかもしれない。
そのころ、私は、女性に対して、興味を失ってしまった。
女性が女性と、見えなくなってしまった。
ある日、相撲を見ながら、「関取の胸の方が、若い女性の胸より、ずっと美しい」
と思ったことさえある。

悪いことばかりではない。
そのとき私は、思春期以来はじめて、性欲からの解放を味わった。
同時に私は、それまでの私が、いかに性欲の奴隷であったかを知った。
で、そのときは意識しなかったが、そのころ、私は、男性、女性を問わず、
1人の人間として見るようになった。
R・C・ベックという学者が説いた、「異性を性的対象ではなく、個々の人格、
仲間として認識する」というのは、そういうことではなかったか。
今にして思うと、それがわかる。

しかし、だ。
その時期も、それほど長くはつづかなかった。
記憶は確かではないが、1、2年くらいではなかったか?
それ以後、また少しずつだが、異性観が戻ってきた。
で、今は、以前ほどではないかもしれないが、異性は異性、つまり女性を
「女」として見ることができるようになった。
若い女性の胸や足を見たりすると、再び、ドキッとするようになった。
が、変化も見られる。

そのときどきにおいて、自分の心を、すっきりと整理することができるようになった。
異性を、異性とみるとき。
異性を、1人の人間としてみるとき。
そういうふうに、自分を整理することができるようになった。

たとえば30〜40代のころは、相手が若くて美しい女性だったりすると、
何かにつけて甘くなったりした。
証券会社の女子店員に手を握られただけで、証券を買い増ししたりするなど。
(実際、デレ〜〜として、買ってしまったことがあるぞ。)
しかし、今は、それがない。
そういうふうに、自分の心を整理することができるようになった。

で、冒頭の話に戻る。

男性もある年齢を過ぎたら、努力して、自分から、(異性観抜き)をしなければ
ならないということ。
(異性観抜き)というのは、異性観からの脱却をいう。
が、これは努力の問題である。
それを怠っていると、いつまでも欲望の虜(とりこ)になって、自分を見失って
しまう。
これはあなた自身にとって、たいへん不幸なことと言ってもよい。

中には、70歳を過ぎても、自分の妻を、ただの女か、召使のようにしか考えて
いない男性もいる。
「男は、家の柱であればよい」などと、時代錯誤的なことを口にして、威張っている。
本人はそれで得意になっているが、まわりの人たちはだれも相手にしていない。
孤独でありながら、孤独が何であるかさえ、わかっていない。
そうなる。

こと子どもについて言うなら、子どもに男も女もない。
区別してはいけない。
とくに50歳を過ぎてからの私は、そういう目で、子どもを指導している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
異性観 異性とは 異性観抜き)


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   22日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ショッパーの広告

昨日、中日ショッパーのT氏からメールが入っていた。
「5月2x日号に、あきができましたから、無料で掲載してあげますよ」と。

中日ショッパーというのは、中日新聞社が母体の広告紙である。
このあたりでは、月に8回前後、発行されている。
地域の広告媒体としては、絶対的な影響力をもっている。
さっそくお願いする。
同時に、次回からモデルとして使っている孫の誠司の写真の変更をお願いする。

キャッチは、「BW幼児教室、ネットで無料体験」とした。
この数か月、もっとも力を入れているのが、「無料体験教室」。
毎日教室でビデオを撮影し、そのままYOUTUBEにアップロードしている。

家にいながら、BW教室の雰囲気をそのまま楽しめる(多分)。
子どもも、学習できる(多分)。

ぜひ、この機会に、体験教室に目を通してほしい。
「BW体験教室」へは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より。
ほかの幼児教材にはない、生(なま)のおもしろさがある(多分)。
ビデオを見ながら、あなたの子どもと笑ってもらえれば、うれしい。

(付記)
まだ正確にカウントしたわけではないが、BLOGやHPなどへの
アクセス数が、月間ですでに30万件を超えているのではないか。
おおざっぱな計算だが、そういう数字が出てきた。
昨年の2月に10万件を超えたばかりだから、これはものすごいことだと思う。

読者のみなさん、ありがとう!
私はみなさんに情報を提供する。
みなさんは、私に生きがいをくれる。
だから、ありがとう!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心の部屋論】(道徳完成論)

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人間の心には、いくつかの部屋がある。
言うなれば、どこかの大学のようなもの。
事務室もあれば、講義室もある。
講義室にしても、大講堂もあれば、研究室もある。
研究室といっても、ひとつではない。
哲学を研究する研究室もあれば、化学を研究する
化学室もある。
もちろん教会もあれば、博物館もある。
サッカー場もあれば、パチンコ店もある。
それぞれが有機的につながりながら、独自の
活動をしている。

たとえば今、私は、私の心の中の心理学の
研究室にいる。
「脳みそ」を大学に例えるなら、その総合的な
機能を研究するのが、心理学の研究室である。
この研究室からは、大学全体を見渡せる。
近くには政治学部があり、その向こうには
美術学部がある。

こうした大学は、人によって大きさも、構成の
しかたも、みなちがう。
中には、コンピュータ研究室が特異に大きな
大学に住んでいる人もいるだろう。
あるいは音楽学部が特異に大きな大学に住んでいる
人もいるだろう。

私はそれぞれの学部や研究室で、ときに教授に
なりながら、またときに、学生になりながら、
そのときどきを過ごす。

が、こわいのは、つまり私たちがもっとも警戒
しなければならないのは、心の闇の部分に相当
する、地下室である。
外からは見えないが、そこには、ありとあらゆる
ゴミがたまっている。
ゴミといっても、邪悪なゴミだ。
ウソ、インチキ、ごまかし、嫉妬、怒り、不満、
ウラミ、などなど。

私たちは日常的にゴミを出しながら、それを
捨てた段階で、そのゴミのことを忘れる。
(……意図的に忘れる。)
しかしゴミは確実にたまり、やがて大学の運営
そのものに、影響を与えるようになる。

あのユングという学者は、それを「シャドウ」と
いう言葉を使って説明した。
大切なことは、ゴミを作るとしても、最小限に!
できればゴミを出さない。
日々に、明るく、朗らかに、かつさわやかに……、
ということになる。

さあ、今日も一日、始まった。
今朝はたっぷり熟睡して、今は、午前7時35分。
今の私は大学の学長だ。
まずいくつかの学部を訪れてみる。
とりあえずすぐ隣の心理学部では、「心の広さ」に
ついて研究しているようだ。
そこをのぞいてみる。

みなさん、おはようございます!
5月21日、木曜日!

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●心の広さ

「心の広さ」を知るときは、反対に心の狭い人をみればよい。
俗にいう、「心に余裕のない人」である。
私はこのことを、母の介護をしているときに、知った。

同じ親の介護をしながら、明るく、ほがらかに、かつさわやかに
介護している人もいれば、反対に、暗く、つらそうに、かつ
グチばかり並べてしている人もいる。

「老人臭がする」
「町内会に出られなくなった」
「内職の仕事ができなくなった」
「コンロの火がつけっぱなしだった」
「廊下で、母が便をした」などなど。

このタイプの人のグチには、「では、どうればいいのか?」という部分がない。
ないまま、いつまでも同じグチを繰り返す。
ネチネチとグチを繰り返す。

私なら、……実際、そうしてきたが、老人臭が気になれば、換気扇をつければよい。
町内会など、出なければならないものではない。
みな、事情を話せば、わかってくれる。
内職の仕事にしても(やりくり)の問題。
老人が家にいるからといって、できなくなるということはない。
コンロの火が心配なら、自動消火装置つきのコンロにすればよい。
廊下で便など、子どもの便と思えばよい。
私の息子たちはみな、こたつの中で便をしていたぞ!

要は、心の広さの問題ということになる。

●道徳の完成度

心の広さを、お金(マネー)にたとえるのも、少し気が引ける。
しかし似ている。

たとえばふところに、10万円もあれば、どこのレストランへ行っても、安心して
料理を楽しむことができる。
が、それが1000円とか2000円だったりすると、とたんに不安になる。
では、心の広さのばあいは、どうか。
どうすれば、心の余裕を作ることができるか。
心を広くすることができるか。

ひとつのヒントとして、コールバーグが説いた「道徳の完成度」というのがある。
つまり、道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたもの
であるか、その2点で判断される、と。

(1)いかに公正であるか……相手が知人であるとか友人であるとか、あるいは自分が
その立場にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、公正に判断して行動
できるかどうかで、その人の道徳的完成度は決まる。

(2)いかに自分を超えたものであるか……乳幼児が見せる原始的な自己中心性を原点と
するなら、いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的であるかによって、
その人の道徳的完成度は決まる。

心が広い人イコール、道徳の完成度の高い人ということにはならない。
しかし道徳の完成度の高い人イコール、心の広い人と考えてよいのでは?
異論、反論もあろうかと思うが、その分だけ、そのときどきの(縁)に翻弄(ほんろう)
されるというこが少なくなる。
心理学的には、自己管理能力の高い人ということになる。
大脳生理学的には、前頭連合野の活動が、すぐれている人ということになる。
そういうものが総合されて、その人の心の広さを決定する。
が、何よりも大切なことは、運命を受け入れて生きるということ。

●運命論

どんな人にも、まただれにも、無数の糸がからんでいる。
生い立ちの糸、家族の糸、社会の糸、能力の糸、人間関係の糸、健康の糸、
性質の糸、、性格の糸、環境の糸などなど……。
そういった糸が無数にからんできて、ときとして私やあなたは、自分の意図する
のとは別の方向に、足を踏み入れてしまうことがある。

いや、そのときはそれに気がつかない。
あとで振り返り、そのうしろの足跡を見て、それに気づく。
運命というのがあるとすれば、運命というのは、そういうもの。

その運命を心のどこかで感じ、そしてそれが抵抗しても意味のないものと
知ったら、運命は受け入れる。
すなおに受け入れる。
そのわかりやすさが、私やあなたの心を広くする。

私も母の介護をするようになって、はじめてその運命のもつ力というか、
ものすごさを知った。
ふつうの母と子の関係なら、それほど苦しまなかったかもしれない。
しかし私のばあい、そうではなかった。
だからこそ、苦しんだ。

が、母が、私の家にやってきたとき、それは一変した。
下痢で汚れた母の尻を拭いてやっているとき、それまでのわだかまりや、こだわりが、
ウソのように消えた。
そこに立っているのは、どこまでもか弱い、そしてどこまでもあわれな、1人の
老婆にすぎなかった。
体の大きさも、小学生ほどになっていた。
それを知った、その瞬間、私は運命を受け入れた。

そう、運命というのは、そういうもの。
それに逆らえば、運命は、キバをむいて、私やあなたに襲いかかってくる。
しかし一度それを受け入れてしまえば、運命は、シッポを巻いて、向こうから逃げていく。

●生きる醍醐味

「生きる醍醐味は何か?」と問われれば、この心の部屋論にたどりつく。
大豪邸に住み、ぜいたくな生活をするのが、醍醐味ということではない。
(もちろんそういう人の心は、狭いということではない。誤解のないように!)

しかしいくらボロ家に住んで、つつましやかな生活をしていても、
心の部屋まで狭くしてしまってはいけない。
こんな例が参考になるかどうかは、わからないが、最近も、こんなことがあった。

私たち夫婦は、今年、H社のハイブリッド・カーを購入するつもりでいた。
何度もショールームに足を運んだ。
T社のハイブリッド・カーも魅力的だった。
何でも燃費が、リッターあたり、38キロ!
驚異的な数字である。
迷ったが、地元の会社であるT車のハイブリッド・カーに決めた。……決めていた。

で、その時期をねらっていたら、三男が結婚して、車がほしいと言い出した。
給料はかなり安いらしい。
しかも電車を乗り継いで通勤できるようなところではないらしい。
そこで私たちは、ギブアップ。
そのお金を三男に回した。
今しばらく、T社のビッツに乗りつづけることにした。
T社の車の中では、最安値の車である。

が、ビッツに乗っていても、卑下感は、まったくない。
大型高級車を見たりすると、ホ〜〜ッとため息をつくことはあるが、そこまで。
けっして負け惜しみではない。

私たち夫婦は、いつもこう言っている。
「車はビッツでも、肉体はベンツ」と。
そういうこともあって、このところ毎日、2人で、10キロは歩くようにしている。
プラス、ワイフは、週2回のテニスクラブ。
私は週4〜5単位のサイクリング。
(1単位=40分の運動量をいう。)

つまりこれが心の余裕ということになる。
さて、ここで究極の選択。

「肉体はビッツで車はベンツ、あるいは肉体はベンツで車はビッツ。
あなたはどちらを選ぶか?」

あるいは、
「豪華な生活をしながら心は4畳半、あるいは4畳半に住みながら、心は
大豪邸。あなたはどちらを選ぶか?」でもよい。

もっとも私のばあい、本音を言えば、大豪邸に住んで、心も大豪邸。
できれば超大型のベンツにも乗りたい。
そういう人も、知人の中には、いないわけではない。

まっ、がんばろう。
ここはがんばるしかない。

隣の心理学部を出て……。
その横には銭湯がある。
これから朝風呂を浴びてくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
コールバーグ 道徳の完成度 道徳完成度 はやし浩司 道徳の完成度 完成論 
はやし浩司 心の部屋論 運命論 無数の糸)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

【子どもの道徳・道徳の完成度】

●地球温暖化

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子どもたちほど、地球温暖化の
問題を真剣に考えているという
のは、興味深い。

他方、おとなほど、この問題に
関して言えば、無責任(?)。

「何とかなるさ」という言い方をする
おとな。「だれかが何とかしてくれ
る」とか、「私ひとりが、がんばって
も、どうしようもない」とか。

そんなふうに考えているおとなは、
多い。

+++++++++++++

 道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたものであるか、
その2点で判断される(コールバーク)。

 いかに公正であるか……相手が知人であるとか友人であるとか、あるいは自分がその立
場にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、公正に判断して行動できるかどうか
で、その人の道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児が見せる原始的な自己中心性を原点とする
なら、いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的であるかによって、その人の道徳的
完成度は決まる。

 たとえばひとつの例で考えてみよう。

 あなたはショッピングセンターで働いている。そのとき1人の男性が、万引きをしたと
する。男性は品物をカートではなく、自分のポケットに入れた。あなたはそれを目撃した。

 そこであなたはその男性がレジを通さないで外へ出たのを見計らって、その男性に声を
かけた。が、あなたは驚いた。他人だと思っていたが、その男性は、あなたの叔父だった。

 こういうケースのばあい、あなたなら、どう判断し、どう行動するだろうか。「叔父だか
ら、そのまま見過ごす」という意見もあるだろう。反対に、「いくら叔父でも、不正は不正
と判断して、事務所までいっしょに来てもらう」という意見もあるだろう。

 つまりここであなたの公正さが、試される。「叔父だから、見過ごす」という人は、それ
だけ道徳の完成度が低い人ということになる。

 またこんな例で考えてみよう。

 今、地球温暖化が問題になっている。その地球温暖化の問題について、いろいろな考え
方がある。コールバークが考えた、「道徳的発達段階」を参考に、考え方をまとめてみた。

(第1段階)……自分だけが助かればばいいとか、自分に被害が及ばなければ、それでい
いと考える。被害が及んだときには、自分は、まっさきに逃げる。

(第2段階)……仕事とか、何か報酬を得られるときだけ、この問題を考える。またその
ときだけ、それらしい意見を発表したりする。

(第3段階)……他人の目を意識し、そういう問題にかかわっていることで、自分の立場
をつくったりする。自分に尊敬の念を集めようとする。

(第4段階)……みなでこの問題を考えることが重要と考え、この問題について、みなで
考えたり、行動しようとしたりする。

(第5段階)……みなの安全と幸福を最優先に考え、そのために犠牲的になって活動する
ことを、いとわない。日夜、そのための活動を繰りかえす。

(第6段階)……地球的規模、宇宙的規模で、この問題を考える。さらに、人類のみなら
ず生物全体のことを念頭において、この問題を考え、その考えに沿って、行動する。

 この段階論は、子どもたちの意見を聞いていると、よくわかる。「ぼくには関係ない」と
逃げてしまう子どももいれば、とたん、深刻な顔つきになる子どももいる。さらに興味深
いことは、幼少の子どもほど、真剣にこの問題を考えるということ。

 子どもも中学生や高校生になると、「何とかなる」「だれかが何とかしてくれる」という
意見が目立つようになる。つまり道徳の完成度というのは、年齢とかならずしも比例しな
いということ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の道徳 道徳の完成度 道徳 完成度 はやし浩司 道徳の完成度 コールバーク 
道徳完成度 完成度段階説)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●道徳の完成度(2)

+++++++++++++++++++

道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、
(2)いかに自分を超えたものであるか、
その2点で判断される(コールバーク)という。

 いかに公正であるか……相手が知人である
とか友人であるとか、あるいは自分がその立場
にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、
公正に判断して行動できるかどうかで、その人の
道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児
が見せる原始的な自己中心性を原点とするなら、
いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的
であるかによって、その人の道徳的完成度は決
まる。

+++++++++++++++++++

 この2日間、「道徳の完成度」について、考えてきた。「言うは易(やす)し」とは、よ
く言う。しかし実際に、どうすれば自己の道徳を完成させるかということになると、これ
はまったく別の問題と考えてよい。

 たとえば公正性についても、そのつど心の中で揺れ動く。情に動かされる。相手によっ
て、白を黒と言ってみせたり、黒を白と言ってみせたりする。しかしそれでは、とても公
正性のある人間とは言えない。

 またその視野の広さについても、ふと油断すると、身近なささいな問題で、思い悩んだ
り、自分を取り乱したりする。天下国家を論じながら、他方で、近隣の人たちとのトラブ
ルで、醜態をさらけだしたりする。

 コールバークの道徳論を、もう一度、おさらいしてみよう。

(1)「時、場所、そして人のいかんにかかわらず、公正に適応されるという原則」
(2)「個人的な欲求や好みを超えて、個人の行為を支配する能力」(引用文献:「発達心理
学」ナツメ社)。

 そこで重要なことは、日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要、ということになる。常
に公正さを保ち、常に視野を広くもつということ。が、それがむずかしい。ときとして問
題は、向こうから飛びこんでくる。こんな話を聞いた。

 よくある嫁―姑(しゅうとめ)戦争だが、嫁の武器は、子ども。「孫がかわいい」「孫に
会いたい」という姑の心を逆手にとって、その嫁は、姑を自分のよいように操っていた。
具体的には、姑のもつ財産をねらっていた。

 いつしか姑が、息子夫婦の生活費を援助するようになっていた。嫁の夫(=姑の息子)
の給料だけでは、生活が苦しかった。質素に生活すれば、できなくはなかったが、嫁には、
それができなかった。嫁は、派手好きだった。

 そのうち、姑は、孫(=嫁の息子、娘)の学費、教育費まで負担するようになった。し
かし土地などの財産はともかくも、現金となると、いつまでもつづくわけではない。そこ
で姑が、支出を断り始めた。「お金がつづかない」とこぼした。とたん、嫁は、姑と息子と
娘(=姑の孫)が会うのを禁止した。

息子(小4)と娘(小1)は、「おばあちゃんに会いたい」と言った。
嫁は、「会ってはだめ」「電話をしてもだめ」と、自分の子どもにきつく言った。
姑は「孫たちに会いたいから、連れてきてほしい」と、嫁に懇願した。
嫁は間接的ながら、「お金がなかったら、土地を売ってお金をつくってほしい」と迫った。

 ……という話を書くのが、ここでの目的ではない。こういう話は、あまりにも低レベル
というか、あさましい。できるなら、こういう話は聞きたくない。話題にしたくもない。
が、現実の世界では、こうした問題が、つぎからつぎへと起きてくる。いくら道徳的に高
邁(こうまい)でいようとしても、ふと気がつくと、こうした問題のウズの中に巻き込ま
れてしまう。

 言いかえると、道徳の問題は、頭の中だけで論じても、意味はないということ。この私
だって、偉そうなことなら、いくらでも言える。それらしい顔をして、それらしい言葉を
口にしていれば、それでよい。それなりの道徳家に見える。

 しかし実際には、中身はガタガタ。私はその嫁とはちがうと思いたいが、それほどちが
わない。そこで繰りかえすが、「日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要」ということにな
る。

 私たちは常に試される。この瞬間においても、またつぎの瞬間においても、だ。何か大
きな問題が起きれば、なおさら。そういうときこそ、日々の鍛錬が、試される。つまりそ
の人の道徳性は、そういう形で、昇華していくしかない。

(道徳性について、付記)

 高邁な道徳性をもったからといって、どうなのか……という問題が残る。たとえばこん
な例で考えてみよう。最近、実際、あった事例である。

 あなたは所轄官庁の担当部長である。今度、遠縁にあたる親類の1人が、介護施設を開
設した。あなたは自分の地位を利用して、その親類に、多額の補助金を交付した。その額、
数億円以上。

 そのあなたが、ある日、その親類から、高級車の提供をもちかけられた。別荘の提供も
もちかけられた。飲食して帰ろうとすると、みやげを渡された。みやげの中には、現金数
百万円が入っていた。
(お気づきの人もいるかと思うが、これは実際にあった事件である。)

 こういうケースのばあい、あなたならどう判断し、どう行動するだろうか?

 「私はそういう不正なことは、しません」と、それを断るだろうか。その勇気はあるだ
ろうか。また断ったところで、何か得るものは、あるだろうか。

 私はそういう場に立たされたことがないので、ここでは何とも言えない。しかし私なら、
かなり迷うと思う。今の私なら、なおさらそうだ。いまだに道路にサイフが落ちているの
を見かけただけで、迷う。

不運にも(?)、この事件は発覚し、マスコミなどによって報道されるところとなった。
しかしこうした事例は、小さなものまで含めると、その世界では、日常茶飯事。それこ
そ、どこでも起きている。

 つまり道徳性の高さで得られるものは、何かということ。それがこの世界では、たいへ
んわかりにくくなっている。へたをすれば、「正直者がバカをみる」ということにもなりか
ねない。

 ところで、少し前、中央教育審議会は、道徳の教科化を見送ることにしたという。当然
である。
 道徳などというものは、(上)から教えて、教えられるものではない。だいたい道徳を教
える、長の長ですら、あの程度の人物。公平性、ゼロ、普遍性、ゼロ。どうしてそんな人
物が、道徳を口にすることができるのか。

 「学習指導要領の見直しを進めている中央教育審議会は、18日、道徳の授業を教科と
しない方針を固めた。政府の教育再生会議は、規範意識の向上を目的に、第二次報告で道
徳を『徳育』としたうえで、教科化するよう求めていた。もともと中教審の内部では、教
科化に慎重な意見も強かったが、安倍首相の辞任後、『教育再生』路線との距離の置き方も、
明確になった格好だ」(中日新聞)とある。

 わかりやすく言えば、安倍総理大臣が辞任したこともあり、安倍総理大臣が看板にして
いた徳育教育(?)が、腰砕けしたということ。

 閣僚による数々の不祥事。加えて、安倍総理自身も、3億円の脱税問題がもちあがって
きている。「何が、道徳か!」、ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
道徳 道徳教育 徳育 徳育教育 教育再生会議 中央教育審議会)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●美人論

++++++++++++++++++

食事をしながら、ワイフとこんな会話をした。
ワイフが突然、「クレオパトラも、楊貴妃も、
それほど美人じゃあ、なかったってエ」と。

ついでに「小野小町も、紫式部も……」と。

現代人の美的感覚によれば、そうかも
しれない。
たとえばあのオカメさんが、いる。
「オカメ、ヒョットコ」のオカメさんである。
あのオカメさんは、昔は美人の代名詞だった。
今風に言いかえると、「美女と野獣」という
関係になる。

私「昔はね、しもぶくれの顔が美人顔だった。
巻物などに描かれている女性たちも、
みなそうなっている。
オカメさんもそうだ。
しかし今は、あごが細く、とがっている女性ほど
美人ということになっている」
ワ「フ〜〜ン」
私「昔は昔で、そういう女性を、男たちは
追い求めたんだろうね」
ワ「……?」と。

あと1000年もすると、あごがさらに細くなり、
額が大きく、頭のふくらんだ女性が美人顔と
いうことになるかもしれない。
目の大きさも、今よりも、数倍は大きくなる。
それをワイフに話すと、「気味が悪いワ。
それって、宇宙人顔じゃ、ない?」と。

そう宇宙人顔。
やがて人類は、そういう顔になる。
またそういう顔を基準にして、女は男を見、男は女を見る。
そうなれば、今、私たちがもっている美人像という
のは、どこかへ吹き飛んでしまう。
そして同じように、こう言う。

「吉永小百合も、小雪も、それほど美人じゃなかった
てエ」と。
そしてあとは、今と同じ会話を繰り返す。

+++++++++++++++++++++

●あのK国が……

あのK国が言うにこと欠いて、今度はこんなことを言い出した。

「(開城工業団地の)道路を傷つけたら、罰金1万ドル」と。

まあ、よくもこういうアホなことを、つぎからつぎへと言うものだ。
道路どころか、建物、インフラ(電気、ガス、下水道)すべてを韓国に作らせて
おきながら、それを傷つけたら、「罰金、1万ドル」とは!

(1万ドルという罰金も、法外! 日本円に価値換算すると、1億円!)

中央N報によれば、「賃上げなどに応じない企業をねらいうちにするための措置」とか。
記事の一部を紹介する。

『……中央日N報が入手した計44条項にのぼる細則の草案は、「民族経済、道路運輸に向
けたもの」としている。しかし「道路の建設・管理・利用における制度・秩序を厳しく決
める」と明記し、目的が統制・制裁にあることを暗示している。また、大半の条項が、韓
国側が守るべき義務とそれを違反した場合に科する罰金に関する内容だ。 

  したがってK国が各種の規制で韓国側に圧力を加えると同時に同団地への統制権を強化
し、韓国側がこれを拒んだ場合、団地の存廃に触れる狙いだと懸念する声があがっている。
細則の草案は「乱れている車、環境を汚染する車、道路に損傷を与えうる車」の運行を禁
止し、「車両の運行に支障をもたらす行動」を禁止するとした。 

  K国にとって都合のいい解釈が可能な部分だ。最高1万ドル(約96万円)にのぼる罰金
条項も新設した。入居企業にも、道路建設への投資を拡大し、管理委員会に道路使用料を
納めるよう求め、企業の負担が増えるものとみられる。自転車道と芝・街路樹などを備え
た「最上級」の道路の建設も求めた……』
『…… ある入居企業の関係者は「草案通りならK国側が突然一斉取締りを行い、統制に乗
り出すことができるということだが、賃上げなどを受け入れない企業をターゲットにした
取締りで圧力を加えることができる」と懸念した』
(09年5月21日)と。

つぎからつぎへと、無理難題をふっかけてくるK国。
でたらめばかり言ってくるK国。
韓国側が見るに見かねて、助けているのにもかかわらず、この調子。
『……自転車道と芝・街路樹などを備えた「最上級」の道路の建設も求めた』という
部分も、笑えてくる。
そんなに「最上級の道路」とやらがほしければ、自分たちで建設したらよい。

が、これは何も韓国とK国の間の問題ではない。
やがて日本も、巨額の戦後補償費をK国に支払わねばならないときがやってくる。
そのとき同じような問題が、起きてくる。

約束など、あってないようなもの。
条約や取り決めですら、平気で反故(ほご)にする。
そしてやさしくしてやると、どこまでもつけあがる。
それがK国の本質と考えてよい。

まあ、いろいろ言いたいことはあるが、ここまで。
何からなにまで、あの国は、常識をはずれている。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●雑感

●消えた手続き記憶

FLASHというのが、ある。
HPなどの上で、勝手に画像をパッパッと切り替え、まるでビデオの
ように見える、あれである。
私のHPの最上段でもそれを利用している。

で、そのFLASH使うようになって、もう3年近くになる。
買った当時、あれこれと悪戦苦闘したものの、なんとか、使いこなせるまでになった。
いろいろなFLASHを、自分で制作した。
HPのFLASHも、自分で制作した。
(「制作した」と言えるような大げさなものではないが……。)

で、昨日の夜、再度挑戦してみた。
3年ぶりである。
ところが、である。
「こんなのはビデオの編集と同じ」と思って始めてみたが、それが???の連続。
どうもうまくいかない。
「どうしてだろ?」と思いつつ、30分ほどが過ぎたところで、ギブアップ。

ちょうど床に就く時刻だったので、ガイドブックを片手に、ふとんの中へ。
それを読みながら、軽い敗北感のようなものを味わった。
「記憶というのは、そういうものか?」と。

幸いなことにガイドブックをながめていたら、おぼろげながら使い方を思い出した。
もともと不親切なガイドブックである。
できの悪いガイドブックである。
そのことも思い出した。

「今度の日曜日に、再挑戦してみよう」ということで、そのまま眠った。
これから先、こういうことが多くなる……?
新しいことを覚えても、一方で、どんどんと忘れていく。
そんなわけで、脳みそというのは、常に鍛える。
それを怠ったとたん、あとは後退の一途。
私の年齢では、とくにそうである。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●さわやかな風

+++++++++++++++++++++++

5月のさわやかな雨上がりの朝、ガーデン・パークに
来てみた。
(ガーデン・パーク……浜名湖の北にある、無料公園。)
ライトブルーの空を背景に、若葉の輝く景色が美しい。
それをぼんやりと眺めていると、やさしい風が
汗ばんだ頬や顔を、静かに冷やしてくれる。

もし「天国」と呼ばれる世界があるなら、きっと、
こんな世界をいうにちがいない。
「極楽」でもよい。

そう、ここはまさに天国だ。

++++++++++++++++++++++++

●休息

デジタルカメラで、花の写真を撮る。
そういうときの私は、無我夢中。
「きれい!」と思ったつぎの瞬間には、シャッターを切る。
パシャ、パシャ、パシャ……と。

こう書くと、花を楽しむ時間がないのではと心配する人もいるかもしれない。
が、心配ご無用!

たった今も軽い食事を終えて、屋根のある小さなベンチに座って、この
文章を書いている。
木々の小枝が、音もなく、たがいにせわしく、こすりあっている。
遠くで子どもの声もする。
鳥のさえずり。
もう30分以上も、こんなことをしている。
言い忘れたが、たった今、お茶を飲んだところ。

●雑念

こういうときというのは、無数の雑念が、つぎからつぎへとわいては消える。
思いつくまま、書き留めてみる。

……たった今、目の前を通り過ぎた、4人組の女性たち。
いつものように、ペチャペチャと、おしゃべり。
女性がグループをつくると、どうしてこうまでおしゃべりになるのだろう。

……チチ、ピピピッと小鳥の声。
コジュウカラか、コガラか?

……大手を振って歩く男。
太りすぎもよくないが、足が、鳥のガラのようでも困る。
先ほど通り過ぎた男の足は、鳥のガラみたいだった。
今、通り過ぎた男は、太りすぎ。
ダイナミックな歩き方からみると、体力にはかなり自信があるらしい。
年齢は、40歳くらいか。

……ワイフが鏡をのぞいて、なにやら気にしている。
あの年齢になっても、女な女かな?

……我が家の庭も、庭園風にしようか。
それとも一面、すべて畑にしようか。
頭の中で、設計図をいろいろと考える。

そんなことを考えていたら、背中の力が抜け始めた。
脳みそは、うたた寝モード。
目を開いているだけでも、つらい。

それに気づいたのか、今、ワイフがこう言った。
「そこで横になったら?」と。

(このあとワイフのひざ枕で、30分ほど、昼寝。)


Hiroshi Hayashi++++++++May・09++++++++++はやし浩司

「生きること」を考える

●観念論vs実存論

おおざっぱに言えば、世の中には、2つの大きな考え方がある。
ひとつは、(1)「私は親に産んでもらった」「先祖があるから、私がいる」
という考え方。
もうひとつは、(2)「私が生まれたら、親がいた」「生まれてみたら先祖がいた」と
いう考え方。
前者は、観念論ということになるし、後者は、実存論ということになる。

おもしろいことに、私の母は、根っからの観念論者だったが、父は、どちらかというと、
実存論者だった。
母は熱心な信者だったが、私は父が仏壇に手を合わせたり、墓参りをしたのを
見たことがない。
天皇を、「天皇」と呼び捨てにしただけで、殴られたことはあるが、それ以外に
信仰らしい信仰はしていなかった。……ようだ。

で、この両者のばあい、とくに大きくちがってくるのが、神や仏の捕らえ方。
神や仏に対する考え方で、2つのうちどちらをとるかで、生き様は決定的に分かれる。
前者は、「神によって、私たちは作られた」と考える。
後者は、「人間が神を作った」と考える。
(実際には、仏教でいう仏というのは、心の中に存在する善なる概念をいう。
キリスト教でいう神のような存在を、仏教では認めない。)

こうしたちがいは、「死」についての考え方に、大きな影響を与える。

前者は、「死んでも魂(霊)は残り、現世と何らかの関係を保つ」と考える。
後者は、「死んだら、自分の肉体、精神とともに、この宇宙すべてが消えてなくなる」と
考える。
「この宇宙すべてが消えてなくなる」というのは、それを認識する「私」という母体が
消滅するのだから、少なくとも私は認識でない。
たとえて言うなら、熟睡しているときの自分を思い出せばよい。
熟睡しているときに、宇宙を認識することなど、できるだろうか。
夢で宇宙らしいものを見ることはあるが、死ねば、その夢も見ない。
だから「消えてなくなる」ということになる。
では、どちらが正しいのか。

●生まれる前

そのヒントとなるのが、生まれる前。
「私」が生まれる前は、どうであったかということ。
死んだあとは、生まれる前と同じ状態と考えるのは、それほどまちがっていない。
もし死んだあと、あの世に行って、この世のことがわかるとするなら、
生まれる前にだって、この世のことがわかるはず。

たとえば私は戦後の生まれだから、あの戦争を知らない。
母の話によれば、岐阜市が大空襲にあったとき、空は真っ赤に燃えあがり、みな
家財道具を乳母車に積み、あちこちを逃げ回ったという。
母は、そのとき死を覚悟したという。
しかしもちろん、私にはその記憶はない。
どこかにその記憶あれば、私は生まれる前から、どこかに存在したということになる。
何しろ、強烈な印象である。
私が生まれる前から、私は存在していたとするなら、そうした記憶の片鱗くらい、
記憶の中に残っていても、おかしくない。

が、何も残っていないということは、やはり生前の私は、この世界に存在しなかった
ことになるのでは……?

さらに言えば、地球の歴史は60億年ともいうが、その60億年の記憶すらない。
その実感となると、これまた、まったく、ない。

私が生まれる前には、この宇宙は存在したのか?

が、もちろんこの宇宙は存在した。
ビッグバンの時代から、この宇宙は存在した。
となると、「私」という個体は死んでも、この宇宙は存在することになる。
「私」は消えても、この宇宙は存在することになる。
そのことは、周囲で死んでいく人たちをみればわかる。
その人は死んで、跡形もなく消えるが、この宇宙はそのまま。
現に今、そのまま残っている。
ということは、「私が死んだら、私もろとも、この宇宙は消えてなくなる」という
考え方は、合理性を失う。
しかし、だ。
が、ここで、また新しい考え方が登場した。

●大宇宙は、無数にある

S・ホーキング博士という、天才的頭脳をもった科学者が現れた。
その科学者が、こんなことを言った。

実は、私が今住んでいるような宇宙というのは、これまた無数にあって、しかも
ここにも、そこにも、あそこにもあるという。
ぎっしりと、この宇宙の中に詰まっているという。
この世に宇宙は、けっしてひとつではないという。

今、私たちがこの宇宙に住んでいるのは、偶然にそのまま偶然にすぎない。
生まれてみたら、たまたまこの宇宙に生まれていた。
「たまたま」だ。
簡単に言えば、そういうことになる。

そこであたりを見回してみる。
ホーキング博士は、私たちが住んでいるような宇宙は、無数にあるという。
が、ホーキング博士が説くような宇宙を、私は見ることができない。
ここにも、そこにも、あそこにも、広大な宇宙があるというが、それを見ること
ができない。
感ずることさえできない。
たまたま今、夜空を見あげれば、そこにあるのは、この大宇宙。
私たちが今、住んでいる、この大宇宙。
大宇宙だけ。
そこに無数の星が見えるのは、たまたま私が、この大宇宙に生まれたからにほかならない。
たしかにその大宇宙だけは、見ることができる。

しかしその「私」が、もし、どこか別の大宇宙に生まれていたとしたら、どうなのか?

私は今、ここに住んでいる大宇宙を、見ることはできるのか。
こちらから向こうの大宇宙は見ることができない。
だから向こうの大宇宙に生物がいたとしても、こちらを見ることはできない。
そちらの大宇宙に生まれていたら、今のこの大宇宙を、存在しないものとして考えるに
ちがいない。

話が混乱してきたが、私たちが今、「ここに存在する」と断言してはばからない、この
大宇宙にしても、存在していないということになってしまう。
存在しているか、存在していないかということになれば、そういうことになる。

たまたまこの宇宙の中で、生を受けた。
だからたまたまこの宇宙を、認識できる。
仮に、100歩譲って、死んだあとあの世で生まれ変わるとしても、その「あの世」
という宇宙は、「この世」という宇宙とは、似ても似つかない世界と考えるのが
正しい。
しかもどの宇宙で生まれ変わるか、それすらもわからない。

何しろ、そうした宇宙が、ここにも、そこにも、あそこにも、無数にある。
数をあげろと言われたら、「無限大」ということになる。
生まれ変わって、再びこの世にやってくる確率となると、かぎりなくゼロに近い。
1等1億円の宝くじを、数億回つづけて当てる確率より、さらに低い(?)。
しかしこれも(生まれ変わり)があるとするならの話。
もしそれすらもないとしたら、……?

●生まれていない孫から見ると……

反対に、こんなふうに考えてみたら、どうだろうか。
最近、私の三男が結婚した。
まだ新婚ホヤホヤというのに、もう子どもができるのを楽しみにしている。
私にとっては、孫ということになる。

もちろん孫は、まだ存在していない。
三男の嫁の胎内にも、存在していない。
その孫は、今、どこにいるのか。
やがて生まれてくるであろう、その孫は、どこにいるのか。

もし死後の世界があるとするなら、当然、生まれる前の世界もあるはず。
どこかに孫がいて、この世に生まれるのを、その世界で待っていることになる。
この大宇宙の中で、か?
それとも別の大宇宙の中で、か?

で、その孫にしてみれば、こちらから見えないのと同じように、向こうからも、
こちらの世界が見えないはず。
今、この世界に存在していないとするなら、孫から見れば、この世界は存在して
いないことになる。

仮に生まれ変わりがあるとしても、死んだら、この世は存在しなくなる。
ちょうど孫から見たら、今のこの宇宙が存在しないように、この世は存在しなくなる。
まだ生まれていない孫と同じ状態になるとしたら、そういうことになる。

(自分でも何を書いているか、よくわからない……ゴメン!
要するに、今、私たちが、「ある」と主張する、この宇宙にしても、ホーキング博士
が説く宇宙のひとつにすぎない。
つまりほかの無数の宇宙と同じように、この宇宙も、たいへん不可思議な世界だという
こと。
私たちは、光と分子の織りなす世界で、「これが宇宙」と思い込まされているだけ。

さらにたとえて言うなら、パソコンのゲームの世界に入り込んでいるだけ。
そんなふうにも考えられる。)

●孤独の始まり

やはり死んだら、「私」はこの宇宙もろとも、この消滅する。
わかりやすく言えば、母親の胎内に宿ったときを原点とするなら、
その原点よりも、前の世界と同じ世界に戻る。
暗闇すら認識できない、(無)の世界に戻る。
もちろんそこには(時間)もない。
ちょうど私やあなたが、数10億年という気が遠くなるような地球の時間を、
今の今、まったく感じないように、死んだあとは、やはり仮に数10億年たった
としても、それを一瞬にすら感じないだろう。

しかしそう考えることは、同時にこの世との絶縁を意味する。
そこにいるあなたの家族や肉親との、永遠以上の永遠の別れを意味する。
あなたはすべてのものを失う。
財産も地位も名誉も、そして光も音も思い出も……。
それは想像を絶するほど過酷な世界である。
「孤独」という言葉では、ひょっと言い表せないほど、孤独な世界である。

この孤独とどう闘うか。
結局は、実存主義を唱える人たちの問題は、ここに集約される。

そう、私のように、神や仏の存在を信じられない人間は、自由と引き換えに、
孤独の世界に叩き落とされる。

●孤独論

逃げるか、闘うか?
あるいは深く考えないで、適当につきあうか?
孤独というのは、つきつめれば、そういう問題である。

「逃げる」ためのもっとも有効な方法は、「あの世」を信ずること。
思い込みでも何でもよい。
それで気が楽なるなら、それでよい。
どうせ死んだら、(だまされた)ということすら、わからない。

(もし「死んでもあの世など、なかった。オレはだまされた」と言って怒ってくる
人(=幽霊)がいたとしたら、それこそパラドックス。
幽霊になれたということは、あの世があるという証拠。
あの世がなかったら、「だまされた」ということすら、わからない。)

だったら、どうするか?

私のばあい、「あの世はない」という前提で生きている。
「死んだら、私もろとも、この大宇宙もろとも消えてなくなる」という前提で
生きている。
何度も書くが、それは宝くじのようなもの。
あるかないか、わからない世界をあてにして、この世の生活をだらしないもの
にはしたくない。
当たるか当たらないかわからないような宝くじをアテにして、車を買ったり、
旅行をしたりする人はいない。
車を買ったり、旅行をするのは、宝くじが当たってからでよい。

同じように、死んでみて、あの世があれば、もうけもの。
そのときは、そのとき。
あの世はあの世で、楽しく生きればよい。

●祖父の話

私の祖父には、無二の親友がいた。
祖父はいつもそう言っていた。
その親友と祖父は、生前、固い約束をかわした。
どちらか一方が先に死んだら、あの世があるかどうか、それを相手に知らせるという
約束だった。

で、親友のほうが、先に死んだ。
が、親友は、祖父のもとには、現れなかった。
そのことを説明しながら、祖父は、あるとき私にこう教えてくれた。

「浩司、あの世なんて、ないよ。
もしあれば、あいつが真っ先に教えてくれたはず。
あいつは、オレを裏切るはずがないから」と。

その話を聞いて、私は子どもながら、「そういうものだろうな」と思った。

●現実主義

こう書くからといって誤解しないでほしいのは、だからといって、この世に
生きるのはつまらないとか、無意味とか言っているのではない。

私が書きたいのは、むしろ、その逆。
この宇宙が奇跡であるとするなら、その宇宙で生きている私たちは、さらに奇跡。
生きていること自体が、奇跡。
だったら、その軌跡を大切にしたらよい。
もっとわかりやすく言えば、「たった一度しかない人生なら、思う存分、生きてみよう」
と。

私が言う「現実主義」は、ここから生まれる。
そしてその現実主義は何のためにあるかといえば、名誉や地位のためではない。
もちろんお金のためでもない。

真理探究のためにある。

人間の能力では、(私の能力と言い換えてもよいが)、この先、1万年生きても、
(真理)のふもとにもたどりつけないかもしれない。
しかしそれでもその山に向って歩きつづける。
それが真理探究ということになる。

●完全燃焼

ということで、「生きていること自体が奇跡」(アインシュタイン)というなら、
思う存分、その(生きていること)を、満喫しようではないか。
一瞬だって、一秒だって、無駄にできる時間はない。
燃やして、燃やして、燃やし尽くす。
一縷(いちる)の悔いさえも残さないように、燃やし尽くす。

もし正しい生き方があるとするなら、そういう生き方をいう。
その結果として、その私やあなたがどうなるか、またどういう結末を
迎えることになるか、それはわからない。
しかしそのときは、そのとき。
そのときがくれば、わかる。

今は今として、できることを精一杯する。
やるべきことを、精一杯する。
「たとえ明日、世界が終焉を迎えることになっても」(ゲオルギウ)だ。
それが「生きる」ことの意味だと、私は考える。


Hiroshi Hayashi++++++++May・09++++++++++はやし浩司

●K国情勢

+++++++++++++++++++++

38度線のすぐ北側に、韓国側が出資して作られた
工業団地がある。
その規模、数千億円とも言われている。
開城(ケソン)工業団地である。
その工業団地に、約4万人弱(09年5月)の
K国の労働者たちが働いている。
この工業団地を通して、かなりの現金が、
K国側に渡っている。
その額、毎年、30〜40億円。
経済規模の小さいK国にとっては、かなり
まとまった現金ということになる。
K国国内では、ゆいいつの工業団地と
言ってもよい。
その工業団地の存続が、危ぶまれている。

++++++++++++++++++++

●「出て行ってもいい」

要するにK国側の言い分は、「給料をあげろ」ということ。
これに対して韓国側は、「現在の給料で、精一杯。
給料をあげたら、開城に工場をもつ意味がない」と反論。
そこでK国側は、「(文句があるなら)、出て行ってもいい」と。

私はこの「(文句があるなら)、出て行っていい」という言葉を聞いたとき、即座に
ある知人のことを思い出した。
同じセリフを、その知人が口にしたからである。

その知人が、ある宗教団体に入信したときのこと。
知人の妻は、すぐにはそれに応じなかった。
そのときその知人は、妻にこう言ったという。
「入信するか、しないか。入信しなければ、この家を出て行ってもいい」と。

しかしこれほど乱暴な言葉はない。
妻には職がなく、収入もなかった。
そういう妻に向かって、「出て行ってもいい」は、ない。
で、その妻は、その後しばらくして、同じ宗教に入信した。
知人は、その話を半ば自慢げに話していた。
「オレは、妻よりも、この信心を選んだ」と。

●契約を破棄

開城工業団地は、冒頭に書いたように、韓国側が、そのほとんどを出資して作られた。
インフラ、つまり道路に始まって、電気、ガス、水道、すべて、韓国側が負担した。
K国側にあって、北側の労働者が働いているかもしれないが、韓国の工場団地と考えて
よい。
その工業団地について、K国側は、契約の破棄を一方的に通告してきた。
「賃金をあげろ」「無料で貸していた土地は、有料にする」と。

韓国側は、いつもの瀬戸際戦術とらえている。
イチかパチか、ダメでダメもと、と。
しかしそれに対して、韓国国内で、撤退論がもちあがってきた。
「開城工業団地からの撤退も、やむなし」と。

もし撤退ということになれば、韓国側は、投資分など、丸々損をすることになる。
4万人弱と言われているK国の労働者たちも、職を失うことになる。
「暴動が起きる可能性もある」(某・韓国紙)という。
では、どうなるか?

●日本の本音

アメリカや日本は、現在、K国に経済制裁を加えている。
しかし中国、それに韓国は、それを骨抜きにしている。
とくに中国。
アメリカや日本が手を引いた以上の分の、貿易量をふやしている。
で、韓国だが、脅されても、脅されても、K国の言いなり。
今回も抑留された韓国側社員について、手も足も出せない。

そういう状況のとき、「出て行ってもいい」と。

アメリカにしても、日本にしても、本音を言えば、開城工業団地については、
不快に思ってきた。
K国はそこで得た現金収入をもとに、ミサイルや核兵器の開発をつづけてきた。
しかしK国に遠慮して、(あるいはときの韓国の大統領に遠慮して)、
それを言えなかった。
が、K国側から「出て行ってもいい」というのなら、出て行けばよい。
今すぐ、出て行けばよい。

●K国は困らない

……こう書くと、K国側も困るのだから、最終的には、K国側が折れて出てくるはず
という意見もあるかもしれない。
しかしK国側は、困らない。

理由の第一。
K国側のねらいは、開城工業団地の(乗っ取り)にある。
韓国側の指導者たちが出て行けば、あとは自分たちで好き勝手なことができる。
原材料は、中国から調達すればよい。
完成品は中国へ輸出すればよい。
あるいはそういう話しあいが、すでに中国側とすんでいるのかもしれない。
ともに小ズルさにかけては、世界では1、2を争う国である。

●韓国の弱み

韓国側にも、強く出られない弱みがある。
もともと開城工業団地は、K国を援助するためというよりは、そこをショールームに
して、K国を解放させようという目的で開かれた。
進んだ韓国の工業技術を見せつければ、K国もそれに驚き、門戸を開くだろう、と。
門戸を開かないまでも、人心を動揺させることはできる。
うまくいけば、なし崩し的にK国を、韓国に吸収合併できる。

その隠された意図を見抜かれた今、韓国としても、開城工業団地を存続させる意味がない。
開城工業団地は、韓国側の撤退で、閉鎖される可能性が大きくなってきた。
開城工業団地を取り仕切っている(現代社)の大株主ですら、閉鎖やむなしを公言
するようになった(5月19日)。

●末期

それにしても、K国の言い分は、何かにつけて、常識をはずれている。
韓国側の意図はともかくも、自ら、ひがみ、いじけ、墓穴を掘っていく。
世界中が見るに見かねて、助けの手をのばしているのに、自らそれを拒絶していく。

理由は、明白。
自分たちの悪政を、世界に知られないため。
自分たちの悪政を、自分たちの国民に悟られないため。
だから世界に向かっては、K国内部を隠し、国内に向かっては、世界を隠す。
もちろん独裁制維持のため。

しかしこんな矛盾が、いつまでもつづくはずがない。
人間というのは、緊張感に対して、それほどタフにはできていない。
崩壊するときは、一気に崩壊する。

……ということで、K国はまさに末期的症状。
崩壊寸前の状態で、瀬戸際戦術を繰り返している。
もう、どうしようもない。

開城閉鎖がそのきっかけとなる可能性は、じゅうぶんある。


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   19日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老人心理】

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キューブラー・ロスの『死の受容段階論』は、よく知られている。
死を宣告されたとき、人は、(否認期)→(怒り期)→(取り引き期)
→(抑うつ期)→(受容期)を経て、やがて死を迎え入れるように
なるという。

このロスの『死の受容段階論』については、すでにたびたび書いてきた。
(たった今、ヤフーの検索エンジンを使って、「はやし浩司 死の受容段階」
を検索してみたら、113件もヒットした。)

で、またまた『死の受容段階論』(死の受容段階説、死の受容過程説、
死の受容段階理論などともいう)。

その段階論について、簡単におさらいをしておきたい。

●キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)

(第1期)否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病
気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。

(第2期)怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健
康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。

(第3期)取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引
きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。

(第4期)抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。

(第5期)受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の

(第6期)終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)

●老人心理

老人心理を一言で表現すれば、要するに、キューブラー・ロスの『死の受容段階論」に、
(第0期)を加えるということになる。

(第0期)、つまり、不安期、ということになる。

「まだ死を宣告されたわけではない」、しかし「いつも死はそこにあって、私たちを
見つめている」と。
不治の病などの宣告を、短期的な死の宣告とするなら、老後は、ダラダラとつづく、
長期的な死の宣告と考えてよい。
「短期」か「長期」かのちがいはあるが、置かれた状況に、それほど大きなちがいは
ない、。

ロスの説く、(第1期)から(第5期)まぜが混然一体となって、漠然とした不安感
を生みだす。
それがここでいう0期ということになる。
そしてそれが老人心理の基盤を作る。

●死の受容

死の宣告をされたわけではなくても、しかし死の受容は、老人共通の最大のテーマ
と考えてよい。
常に私たちは「死」をそこに感じ、「死」の恐怖から逃れることはできない。
加齢とともに、その傾向は、ますます強くなる。
で、時に死を否認し、時に死に怒りを覚え、時に死と取り引きをしようとし、時に、
抑うつ的になり、そして時に死を受容したりする。

もちろん死を忘れようと試みることもある。
しかし全体としてみると、自分の心が定まりなく、ユラユラと動いているのがわかる。

●「死の確認期」

この「0期の不安期」をさらに詳しく分析してみると、そこにもまた、いくつかの
段階があるのがわかる。

(1)老齢の否認期
(2)老齢の確認期
(3)老齢の受容期

(1)の老齢の否認期というのは、「私はまだ若い」とがんばる時期をいう。
若いとき以上に趣味や体力作りに力を入れたり、さかんに旅行を繰り返したりする時期
をいう。
若い人たちに対して、無茶な競争を挑んだりすることもある。

(2)の老齢の確認期というのは、まわりの人たちの「死」に触れるにつけ、自分自身
もその死に近づきつつあることを確認する時期をいう。
(老齢)イコール(死)は、避けられないものであることを知る。

(3)の受容期というのは、自らを老人と認め、死と共存する時期をいう。
この段階になると、時間や財産(人的財産や金銭的財産)に、意味を感じなくなり、
死に対して、心の準備を始めるようになる。
(反対に、モノや財産、お金に異常なまでの執着心を見せる人もいるが……。)

もっともこれについては、「老人は何歳になったら、自分を老人と認めるか」という問題も
含まれる。

国連の世界保健機構の定義によれば、65歳以上を高齢者という。
そのうち、65〜74歳を、前期高齢者といい、75歳以上を、後期高齢者という。
が、実際には、国民の意識調査によると、「自分を老人」と認める年齢は、70〜74歳が
一番多いそうだ。半数以上の52・8%という数字が出ている。(内閣府の調査では
70歳以上が57%。)

つまり日本人は70〜74歳くらいにかけて、「私は老人」と認めるようになるという。
そのころから0期がはじまる。

●「0期不安記」

この0期の特徴は、ロスの説く、『死の受容段階論』のうち、早期のうちは、(第1期)
〜(第3期)が相対的に強く、後期になると、(第3期)〜(第5期)が強くなる。

つまり加齢とともに、人は死に対して、心の準備をより強く意識するようになる。
友や近親者の死を前にすると、「つぎは私の番だ」と思ったりするのも、それ。
言いかえると、若い人ほど、ロスの説く(否認期)(怒り期)(取り引き期)の期間が
長く、葛藤もはげしいということ。

しかし老人のばあいは、死の宣告を受けても、(否認期)(怒り期)(取り引き期)の
期間も短く、葛藤も弱いということになる。
そしてつぎの(抑うつ期)(受容期)へと進む。

が、ここで誤解してはいけないことは、だからといって、死に対しての恐怖感が
消えるのではないということ。
強弱の度合をいっても意味はない。
若い人でも、また老人でも、死への恐怖感に、強弱はない。
(死の受容)イコール、(生の放棄)ではない。
老人にも、(否認期)はあり、(怒り期)も(取り引き期)もある。
それゆえに、老人にもまた、若い人たちと同じように、死の恐怖はある。
繰り返すが、それには、強弱の度合は、ない。

●死の否認期

第0期の中で、とくに重要なのは、「死の否認期」ということになる。
「死の否認」は、0期全般にわたってつづく。
が、その内容は、けっして一様ではない。

来世思想に希望をつなぎ、死の恐怖をやわらげようとする人もいる。
反対に、友人や近親者が死んだあと、その霊を認めることによって、孤独をやわらげ
ようとする人もいる。
懸命に体力作りをしたり、脳の健康をもくろんだりする人もいる。
趣味や道楽に、生きがいを見出す人もいる。

が、そこは両側を暗い壁でおおわれた細い路地のようなもの。
路地は先へ行けば行くほど、狭くなり、暗くなる。
そしてさらにその先は、体も通らなくなるほどの細い道。
そこが死の世界……。

老人が頭の中で描く(将来像)というのは、おおむね、そんなものと考えてよい。
そしてそこから生まれる恐怖感や孤独感は、個人のもつ力で、処理できるような
ものではない。
つまりそれを救済するために、宗教があり、信仰があるということになる。
宗教や信仰に、救いの道を見出そうという傾向は、加齢とともにますます大きくなる。

●老後の生きざま

死は恐怖そのものだが、おおまかに分ければ、その捕らえ方には2つある。
死を限界状況ととらえ、その中で、自分を完全燃焼させようとする捕らえ方。
これを「現世限界型」とする。
もうひとつは来世に希望をつなぎつつ、享楽的に生きようとする捕らえ方。
これを「来世希望型」とする。

これらは両極端な捕らえ方だし、その折衷的な生き方も当然、ある。
程度のちがいもある。
あるいはその2つの捕らえ方に、そのつど翻弄されながら生きる人もいる。
どうであるにせよ、老人心理は死と切り離しては考えられない。

●限界状況

現世限界型の人たちは、「死」を「消滅」ととらえる。
それを認識する肉体そのものが消滅するわけだから、当然のことながら、(個体の
死)イコール、(全宇宙の消滅)ということになる。
わかりやすく言えば、私たちは死ねば、この宇宙もろとも、消滅する。
あとかたもなく、消えてなくなる。

これに対して来世希望型の人たちは、死んでも魂(スピリッツ)は残り、それが
別の世界、あるいは同じこの世で、生まれ変わると考える。
輪廻思想もそのひとつ。
ほとんどの宗教は、来世に希望をつながせることで、魂の救済を図る。

というのも、どちらの型であるにせよ、死は恐怖以外の何ものでもない。
死の恐怖と闘うといっても、個人の力には、限界がある。
とくに現世限界型の人は、それを選択したときから、限りない無間の孤独地獄に
苛(さいな)まされることになる。

●折衷型

私は基本的には、折衷型をとる。
一応、あの世は存在しないという現世限界型を選択しつつ、死んだあと、あの世が
あれば、もうけものという生き方をいう。
あるかないか、はっきりしないものに希望を託して、今、こうして生きている時間を、
粗末にしたくはない。

それはちょうど宝くじのようなもの。
当たるか当たらないか、はっきりしないものをアテにして、それでローンを組んで
家を建てる人はいない。
当たればもうけもの。
そのときはその当選したお金で、家を建てればよい。

つまり死ぬまで、ともかくも、あの世はないという前提で、懸命に生きる。
生きて生きて、生き抜く。
この世に悔いを残さないよう、自分を完全燃焼させる。
その結果として、つまり死んだとき、あの世があればもうけもの。
そこに神や仏がいるなら、それから神や仏の存在を信じても遅くはない。

●あの世論

あの世があるのか、ないのか、私にもわからない。
あることを証明した人はいない。
(「ある」と断言する人は、どこかの頭のおかしい人と考えてよい。)
ないことを証明した人もいない。
常識で考えれば、人間だけにあの世があるはずがない。
虫や魚には、どうしてないのか。
さらに恐竜や、1億年後にこの地球を支配するであろう知的生物には、
どうしてないのか。
人間だけが、(生き物)と考えるのは、どう考えても、おかしい。

で、仮に100歩譲って、「ある」とするなら、私は今、私たちが住んでいる
この世こそが、(あの世のあの世)ではないかと思っている。
あの世のほうが永遠というのなら、私たちが住んでいるこの世のほうが、
サブ、つまり(従)で、あの世のほうが、メイン(主)ということに
なる。

どうであるにせよ、論理的に考えれば考えるほど、あの世があるという
話には矛盾が生じてくる。

●完全燃焼

話がそれたが、老後は、完全燃焼をめざす。
私の考え方が正しいというわけではない。
自信もない。
仮に自信があったとしても、いつまでつづくか、わからない。
しかし、今は今。
その今の私は、そう思う。
そう願う。

したいことをし、言いたいことを言い、書きたいことを書く。
いつか頭の中がからっぽになるまで、それをする。
その結果、私がどうなるか、それもわからない。
具体的には、今できることは、先に延ばさない。
今日できることは、明日に延ばさない。
先手、先手で、ものごとを処理していく。

今の私には隠居など、考えられない。
隠居したところで、何もやることができない。
また今の私が仕事をやめたら、どうなる?
恐らくそのままボケてしまうだろう。
育児論など、書けなくなってしまうだろう。
そうなったら、私は、おしまい!

だから自分を燃焼させる。
燃焼させるしかない。

●最後に……

多くの人は、(私もその1人かもしれないが)、認知症か何かになって、頭の機能が
鈍くなった老人を見ながら、老人心理を推察するかもしれない。
「老人というのは、感覚も感情も、またそれに対する反応も鈍くなって、その結果
として死に対して鈍感になる」と。

が、これは誤解である。
先にも書いたように、死への恐怖感、そしてそれから生まれる孤独感には、強弱はない。
どんな人も、どんな年齢の人も、みな、共通にもっている。
生きている人は、みな、(生きたい)と思っている。
これには老若男女のちがいは、ない。
で、その反対側にあるのが、死への恐怖感であり、それから生まれる孤独感という
ことになる。

私の知人も、昨年、80数歳でこの世を去った。
最後は、家族の顔すら認識できなくなっていたが、それでも毎日、毎晩、死の恐怖に
おののいていた。
ときどき施設内の柵や塀を乗り越えて、外へ出ようとしたこともある。
それだって、死の恐怖から逃れようとしてそうしたとも解釈できる。

80歳になったから、死んでもよいと考えるようになるのではない。
90歳になったから、死の恐怖がなくなるというのでもない。
生きている以上、人は、老若男女に関係なく、みな、平等に死の恐怖を感ずる。
それから生まれる孤独を感ずる。

老人を見るとき、どうかそれだけは、誤解しないでほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
死の受容段階論、死の受容段階説、死の受容過程説、死の受容段階理論 はやし浩司
老人心理 死への不安 死の受容)

+++++++++++++++++

5年前に書いた、こんな原稿が
見つかりました。

+++++++++++++++++

【老後は、どうあるべきか】

+++++++++++++++++

年をとればとるほど、戦わねば
ならないもの。

それが「回顧性」。

人間も、過去ばかりみて生きるように
なったら、おしまい。

半分、棺おけに足をつっこんだような
もの。

この4年間、私は、この問題を、ずっと
考えてきた。

最初は、(老後の準備)を考えた。
しかしやがて、そういう考え方、つまり、
老後を意識した考え方は、まちがって
いることに、気がついた。

++++++++++++++++++

●分岐点は、満55歳前後

 年齢とともに、人は未来をみることよりも、過去をみるようになる。過去をなつかし
んで、その過去に浸(ひた)るようになる。

 心理学などの本によると、その分岐点は、満55歳前後だという。つまりこの年齢を
境にして、人は、未来をみることよりも、過去をみるようになる。同窓会や同郷会、さら
には「法事」に名を借りた親族会も、この年齢を境に、急に多くなる。

 要するに、満55歳を境に、人は、自らジジ臭くなり、ババ臭くなるということ。が、
それだけでは終わらない。

 回顧性が強くなればなるほど、思考力そのものが退化する。そのためその人は、融通
性を失い、がんこになる。過去を必要以上に美化し、心のよりどころを、そこに求めるよ
うになる。

 つまり回顧性などといったものは、それが肥大化すればするほど、魂の死につながる
と考えてよい。過去を懐かしんでばかりいる人は、いくら肉体は健康でも、魂は、すでに
半分、棺おけに足をつっこんだようなもの。

 そこで重要なことは、自分の中に、回顧性の芽を感じたら、それとは徹底的に戦う。
戦いながら、いつも目を未来に向ける。あの釈迦自身も、『死ぬまで精進せよ』(法句教)
というようなことを言っている。

 わかりやすく言えば、死ぬまで、前向きに生きろということ。

 2年半前に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●回顧性と展望性

 過去をかえりみることを、「回顧」という。未来を広く予見渡すことを、「展望」とい
う。

 概して言えば、若い人は、回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い。老人ほど、回
顧性のハバが広く、展望性のハバが、狭い。

 幼児期から少年、少女期にかけて、展望性のハバは広くなる。数日単位でしか未来を
見ることができなかった子どもでも、成長とともに、数か月後、数年後の自分を見渡すこ
とができるようになる。つまりそのハバを広げていく。

 言いかえると、展望性と回顧性のバランスを見ることによって、その人の精神年齢を
知ることができる。つまり未来に夢や希望を託す度合が、過去をなつかしむ度合より大き
ければ、その人の精神年齢は、若いということになる。そうでなければ、そうでない。

 ある女性(80歳くらい)は、会うと、すぐ、過去の話をし始める。なくなった夫や、
その祖父母の話など。こうした行為は、まさに回顧性の表れということになる。が、こ
うした回顧性は、老人の世界では、珍しくない。ごくふつうのこととして、広く見られる。


 一方、若い人は、未来しかみない。時間は無限にあり、その未来に向かうエネルギー
も、永遠のものだと思う。それは同時に、若さの特権でもあるが、問題は、そのハバであ
る。

 自分の未来を、どの範囲まで、見ているか? 1年後はともかくも、20年後、30
年後は、見ているか?

 いくら展望性があるといっても、それが数か月どまりでは、どうにもならない。「明日
も何とかなる」では、どうにもならない。

 そこで、このことをもう少しわかりやすくまとめてみると、こうなる。

(1) 回顧性と展望性のハバが広い人……賢人
(2) 回顧性のハバが広く、展望性のハバが狭い人……老人一般
(3) 回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い人……若い人一般
(4) 回顧性と展望性のハバが狭い人……愚人(失礼!)

 (1)〜(3)は、比較的、わかりやすい。問題は(4)の愚人である。

 過去を蹴(け)散らし、その場だけの享楽に身を燃やす人は、ここでいう愚人という
ことになる。

 このタイプ人は、過去に対して、一片の畏敬(いけい)の念すらない。同時に、明日
のこともわからない。気にしない。その日、その日を、「今日さえよければ」と生きる。健
康も、またしかり。

 暴飲暴食を繰りかえし、今だけよければ、それでよいというような考え方をする。も
ちろん運動など、しない。まさにしたい放題。

 で、問題は、どうすれば、そういう子どもにしないですむかということ。一歩話を進
めると、どうすれば、子どもがもつ展望性のハバを、広くすることができるかということ。

 ためしに、あなたの子どもと、こんな会話をしてみてほしい。

親「あなたは、おとなになったら、どんなことをしないか?」
親「そのために、今、どんなことをしたらいいのか?」
親「で、今、どんなことをしているか?」と。

 以前、こんな女の子がいた。小学3年生の女の子だった。たまたまバス停で会ったの
で、近くの自動販売機で、何かを買ってあげようかと提案したら、その女の子は、こう言
った。

 「私、これから家に帰って夕食を食べます。今、ジュースを飲んだら、夕食が食べら
れなくなるから、いいです」と。

 その女の子は、自分の未来を、しっかりと展望していた。で、その女の子で、もう一
つ、印象に残っていることで、こんなことがあった。

 正月のお年玉として、かなりのお金を手にしたらしい。その女の子は、それらのお金
をすべて貯金すると言う。

 そこで私が、その理由を聞くと、「お金を貯金して、フルートを買う。そのフルートで、
音楽を練習して、私はおとなになったら、音楽家になる」と。

 一方、そうでない子は、そうでない。お金を手にしても、すぐ使ってしまう。浪費し
てしまう。飲み食いのために、使ってしまう。

 少し前だが、タバコを吸っている女子高校生とこんな会話をしたことがある。

私「タバコって、体に悪いよ」
女「知ってるヨ〜」
私「ガンになるよ」
女「みんな、なるわけじゃ、ないでしょう……?」

私「奇形出産のほとんどは、タバコが原因でそうなるっていう話は、どう?」
女「でも、そんな出産したという話は、聞かないヨ〜」
私「みんな、流産という形で、処置してしまうから……」
女「結婚したら、やめるヨ〜」

私「で、タバコって、おいしいの?」
女「別においしくないけどサ〜。吸ってないと、何となく、さみしいっていうわけ」
私「だったら、やめればいいじゃん」
女「また、病気にでもなったら、そのときはそのとき。そのとき、考えるわ」と。

 先の「フルートを買う」と答えた子どもは、ハバの広い展望性をもっていることにな
る。しかしタバコを吸っていた子どもは、ほどんど、その展望性のハバがないことになる。

 こうしたちがいが、なぜ起きるかと言えば、結局は、私の説く「自由論」に行き着く。
「自らに由(よ)る」という意味での、自由論である。

 それについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。しかし結局は、
子どもは、(自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとれる子ども)にする。展望性のハ

の広い子どもになるかどうかは、あくまでもその結果の一つでしかない。
(040125)(はやし浩司 回顧 展望 老後論 自由論)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 ちょうど57歳のとき、私も、中年期クライシスなるものを経験した。今から思うと、
あのときが、回顧性と展望性が、自分の中で交差するときではなかったと思う。その前後、
私の考え方が、急速にうしろ向きになっていったのを覚えている。

 そのとき書いた原稿が、つぎのものである。かなり暗い内容だが、少しがまんして読
んでほしい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●中年期クライシス(危機)

 若い人たちを見ていると、「いいなあ」と思うことがある。「苦労がなくて」と。しか
し同時に、「いいのかなあ?」と思うときもある。目の前に、中年の危機がすぐそこまでき
ているのに、それに気づいていない?

 危機。「クライシス」という。そして中高年の男女が感ずる危機を、総称して、「中年
期クライシス」という。

 健康面(心臓疾患、高血圧症、糖尿病などの、生活習慣病)、精神面(抑うつ感、うつ
病)のクライシス。仕事面、交遊面のクライシスなど。もちろん夫婦関係、親子関係のク
ライシスもある。

 こうしたクライシスが、それこそ怒涛(どとう)のように押し寄せてくる。若い人は、
遠い未来の話と思うかもしれないが、そのときになってみると、あっという間に、そうな
る。それがまた、中年期クライシスのこわいところでもある。

●中年期クライシス、私のばあい

 私は、もうそろそろ中年期を過ぎて、初老期にさしかかっている。もうすぐ満57歳
になる。

 まず健康面だが、このところ、ずっと、どうも心が晴れない。軽いうつ状態がつづい
ている。それに仮性うつ病というか、頭が重い。ときどき偏頭痛の前ぶれのような症状が
起きる。

 仕事は楽で、ほどほどに順調だが、何かと悩みごとはつきない。ときどき「私は、も
う用なしなのか」と思うことがある。息子たちも、ほぼ、みな、巣立った。ワイフも、あ
まり私の存在をアテにしていないようだ。「あんたが死んだら、私、息子といっしょに住む
わ」などと、平気で言う。

 私を心配させないためにそう言うのだろう。が、どこかさみしい。

 性欲は、まだふつうだと思うが、しかしここ数年、女性が、急速に遠ざかっていくの
が、自分でもわかる。若い母親たちのばあい、(当然だが……)、もう私を「男」と見てい
ない。それが自分でも、よくわかる。

 だから私も、気をつかうことが、ぐんと少なくなった。「どうせ私を男とみてくれない
なら、お前たちを、女とみてやるかア!」と。

 しかしこの世の中、「女」あっての、「男」。女性たちに「男」にみてもらえないのは、
さみしい。

 そう、中年期クライシスの特徴は、この(さみしさ)かもしれない。

 たとえばモノを買うときも、「あと○○年、もてばいい」というような考え方をする。何
かにつけて、未来的な限界を感ずる。

 あるいは今は、ワイフも私も、かろうじて健康だが、ときどき、「いつまで、もつだろ
うか?」と考える。「そのときがきても、覚悟ができているだろうか?」と。そういう私の
中年期クライシスをまとめると、こうなる。

(1) 健康面の不安……体力、気力の衰え。自信喪失。回復力の遅れなど。
(2) 精神面の不安……落ちこむことが多くなった。うつ状態になりやすい。
(3) 家族の不安……子どもたちがみな、健康で幸福になれるだろうかという心配。
(4) 老後の不安……収入面、仕事面での不安。何か事故でもあれば、万事休す。
(5) 責任感の増大……「私は倒れるわけにはいかない」という重圧感。

 こうしたもろもろのストレスが、心を日常的に、おしつぶす。そしてそれが、食欲不
振、頭重感、抑うつ感、不安神経症へとつながる。「心が晴れない」というのは、そういう
状態を、総合していう。

●何とかごまかして、前向きに生きる

 自分の心を冷静に、かつ客観的にみることは大切なことだが、ときとして、自分の心

をだますことも必要なのかもしれない。
 楽しくもないのに、わざと楽しいフリをしてみせて、まわりを茶化す。おもしろくも
ないのに、わざとおもしろいと騒いでみせて、まわりをごまかす。

 しかしそれも、疲れる。あまりひどくなると、感情が鈍麻することもあるそうだ。よ
く言われる、「微笑みうつ病」というのも、それ。心はうつ状態なのに、表情だけはにこや
か。いつも満足そうに、笑っている。

 そう言えば、Mさんの奥さん(60歳くらい)も、そうかもしれない。通りであって
も、いつも、ニコニコと笑っている。が、実際、話してみると、どこか上(うわ)の空。
会話が、まったくといってよいほど、かみあわない。

 ただ生きていくことが、どうしてこんなにも、つらいのか……と思うことさえ、ある。
ある先輩は、ずいぶんと昔だが、つまりちょうど今の私と同年齢のときに、こう言った。

 「林君、中年をすぎたら、生活はコンパクトにしたほうがいいよ。それに人間関係は、
簡素化する」と。

 生活をコンパクト化するということは、出費を少なくするということ。60歳を過ぎ
たら、広い土地に大きな家はいらない。小さな家で、じゅうぶん。

 人間関係を簡素化するということは、交際範囲を狭くし、交際する人を選ぶというこ
と。ムダに、広く浅く交際しても、意味はない。

 が、なかなか、その切り替えができない。「家を小さくする」といっても、実際には、
難題である。心のどこかには、「がんばれるだけ、がんばってみよう」という思いも残って
いる。

 交際範囲については、最近、こう思うようになった。

 親戚や知人の中には、私のことを誤解して、あれこれ悪く言っている人もいる。若い
ころの私だったら、そういう誤解を解くために、何かと努力もしただろうが、今は、もう
しない。「どうでも勝手に思え」という、どこか投げやり的な、居なおりが、強くなった。

 どうせ、みんな、私も含めて、あと20年も生きられない。そういう思いもある。

 が、考えたところで、どうにかなる問題ではない。だから結論はいつも、同じ。

 そのときまで、前向きに生きていこう、と。生きている以上、ここで死ぬわけにはい
かない。責任を放棄するわけにもいかない。だから生きていくしかない。自分をごまかし
ても、偽っても、生きていくしかない。

 そしてそれが中年期クライシスにある私たちの、共通の思いではないだろうか、……
と、今、勝手にそう思っている。
(040619)
(はやし浩司 中年期クライシス 中年クライシス 中年期の危機)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 しかし私は、まちがっていた。やがてそれに気がついた。人は年をとっても、コンパ
クトに生きる必要はない。またコンパクトな生き方をしてはいけない。

 何も、自ら好き好んで、死ぬための準備など、する必要はない。最後の最後まで、自
分をまっとうさせる。

 そうした変化を自分の中で感じたのが、つぎの原稿を書いたときである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●小さく生きる人、大きく生きる人

+++++++++++++++

老人になると、小さくなっていく
人と、大きくなっていく人がいま
すね。

+++++++++++++++

 人は、人、ぞれぞれ。生き方も、人、それぞれ。最近、老人観察をつづけている。こ
のところ、老人の生き様が、気になって、しかたない。それについては、少し前にも、書
いた。

 で、大別して、老人になればなるほど、より小さく生きる人と、より大きく生きる人
がいることがわかる。その間にあって、(その日、その日を、ただ生きている人)もいるが、
そういう老人は、ここでは考えない。

【より小さく生きる人】

 より小さく生きる人は、生活そのものを、コンパクトにしようとする。しかしそれは
それで賢明なことかもしれない。欧米人でも、高齢化すればするほど、そういう生き方を
するのが、ふつうのようである。

 たとえば、住環境を縮小したり、人間関係を整理したりするなど。収入も減り、健康
にも自信がなくなれば、それは当然のことかもしれない。

 しかしそれにあわせて、自分という人間そのものまで、小さくしてしまう人がいる。
わかりやすく言えば、より自己中心的になる。

 より利他的な生き方をする人を、人格のより完成した人とみるなら、より自己中心的
になるということは、それだけ、人格が後退したとみる。より自己中心的になれば、やが
て、自分のことだけしかしなくなる。自分さえよければというような、考え方をするよう
になる。

 たとえば世間的な活動には、まったく参加せず、個人的な趣味だけしかしないという
老人は、少なくない。で、このタイプの老人にかぎって、少しでも、自分の生活圏が侵さ
れたりすると、猛烈に反発したりする。

【より大きく生きる人】

 これに対して、自分の生活を、より大きくしようとする人がいる。「大きい」といって
も、住環境を拡大したり、新しい人間関係を求めるというのではない。ある男性は、いつ
も口ぐせのように、こう言っている。

 「私は今まで、こうして無事に生きてくることができた。それを最後には、社会に還
元するのが、私の最後の務めである」と。すばらしい生き方である。

 つまりこのタイプの人は、より、利他的になることによって、人格の完成度を高めよ
うとする。ある女性は、80歳をすぎてからも、乳幼児の医療費、完全無料化のための運
動をつづけていた。「どこからそういうエネルギーがわいてくるのですか?」と私が聞くと、
その女性は笑いながら、こう言った。「私は、ずっと保育士をしてきましたから」と。

 その人の人生は、その人のもの。だから他人がとやかく言ってはいけない。最近の私
は、「とやかく思ってもいけない」と、考え始めている。仮にあなたの隣人が、優雅な年金
生活をしていたとしても、それはその人の人生。批判したり、批評したりすることも、い
けない。

 反対の立場で言うなら、他人にどう思われようが、気にすることはない。

 大切なことは、私は私で、納得のできる老後の道をさがすこと。あくまでも、私は、
私。が、これだけは、言える。

 愚かな人からは、賢明な人がわからない。しかし賢明な人からは、愚かな人がよくわ
かる。同じように、人格の完成度の低い人からは、完成度の高い人はわからない。しかし
完成度の高い人からは、、完成度の低い人がよくわかる。

 それはちょうど、山登りに似ている。低いところにいる人は、高いところから見る景
色がどんなものか、わからない。しかし高いところにいる人は、低いところにいる人が見
ることができない景色を見ることができる。

 そしてより広い景色を見た人は、きっと、こう思うだろう。「今まで、こんな景色を知
らなかった私は、愚かだった。損をした」と。

 ……といっても、それはあくまでも、相対的なもの。こんなことがあった。

 私が、地域の公的団体の主催する講演会で、講師をしたときのこと。少し自慢げに、
恩師のT先生にそのことを話したら、T先生から、すかさず、一枚の写真が送られてきた。
その写真というのは、T先生が、「中国化学会創立50周年記念」で、記念講演をしている
ときの写真だった。しかも添え書きには、「中国語でしました」とあった。

 T先生は、いつも私が見たこともない世界で、仕事をしている。だから私ができるこ
とといえば、先生の言葉の断片から、その見たこともない世界を想像するだけでしかない。
そのT先生から見れば、私の住んでいる世界などというものは、まるでおもちゃの世界の
ようなものかもしれない。

 そうそう、もう一人、別の恩師は、こうメールを書いてきた。その恩師も、世界を舞
台に、あちこちで、講演活動をしている。いわく、「林君、田舎のおばちゃんたちなんか、
相手にしていてはだめだ」と。

 ずいぶんときつい言葉である。そのときは、「そんなことを女性たちが聞いたら、怒る
だろうな」と思った。しかし同時に、「そういうものかなあ?」と思った。その恩師にして
も、私の世界をはるかに超えた世界で、仕事をしている。

 まあ、このところ、私の限界も、はっきりしてきた。「私の人生は、こんなもの」と、
心のどこかで、ふんぎりをつけるようになった。だから後悔はしないが、しかしこれで私
の人生が終わったわけではない。

 できれば、これから先、ここに書いた、(より大きく生きる老人)になりたいと願って
いる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

ちょうど上の原稿を書いたころ、こんな原稿も書いた。

内容が少しダブるかもしれないが、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●過去と未来

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわると
いう。ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。しかし
これには、当然、個人差がある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。反
対に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。もちろんど
ちらがよいとか、悪いとかいうのではない。ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、
過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大き
くなるということらしい。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。それはほとんど
毎日、幼児や小学生と接しているためではないか。そういう子どもたちには、未来はあっ
ても、過去は、ない。

が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。
今度は、私の生きザマが、それにかかわってくる。私にとって大切なのは、「今」。10年
後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」
という程度のことでしかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。しかし釈迦の経典※を
いくら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、
天国の話はしているが、ここでいう前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。日本に入ってきた仏
教典のほとんどは、釈迦滅後4、500年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミ
ックスされてできた。とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したの
が、ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。あるいは「あ
ればもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。本当のところはよくわか
らないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私
のようなものを、神や仏が、相手にするわけがない。少なくとも、私が神や仏なら、はや
し浩司など、相手にしない。どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。
大きな正義を貫く勇気も、度胸もない。小市民的で、スケールも貧弱。仮に天国があると
しても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。与えられた「今」を、徹底的に生きる。そ
れしかない。それに老後は、そこまできている。いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。そしてその分、自分の醜いボロが、表に出てくる
のがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをな
つかしむようになったら、おしまいということ。あるいはもっと現実的には、過去の栄華
や肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまいということ。そういう老人は、い
くらでもいる。が、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進」という言葉を使って、「日々に前進す
ることこそ、大切だ」と教えている。しかも「死ぬまで」と。

わかりやすく言えば、仏の境地など、ないということになる。そういう釈迦の教えにコ
メントをはさむのは許されないことだが、私もそう思う。人間が生きる意味は、日々を、
懸命に、しかも前向きに生きるところにある。過去ではない。未来でもない。「今」を、だ。

 一年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++

●前向きの人生、うしろ向きの人生

●うしろ向きに生きる女性

 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしま
い。偉そうなことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわか
らない。しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自
信はないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(7
0歳)がいた。その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産
を築いた人だった。くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時
は従業員を五人ほど雇うほどまでになった。

が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸
前にまで追い込まれた。(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなってか
ら2年後に他界している。)
 
 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方
をしていた。が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、
私と同年代の娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。

「母は、異常なまでにケチになりました」と。たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買
ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出したという。「それも、私がどこに
あるか忘れてしまったようなものです。値段も、2000円とか3000円とかいうよう
な、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

 人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎ
へと、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。
波がなければないで、退屈してしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわ
いのは、方向がわからなくなること。同じところをぐるぐる回ること。もし人生がその繰
り返しだったら、生きている意味はない。死んだほうがましとまでは言わないが、死んだ
も同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチ
ンコ。読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという
人がいる。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りが
うまくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗
記しても、それがどうだというのか。そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はあ
る会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、80歳を過ぎた女性だっ
た。乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生
きした顔色を見て驚いた。

「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言っ
た。「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そう
いうすばらしい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。し
かしそういう航海からは、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマ
があるからだ。そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の
大波小波は、できれば少ないほうがよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそ
れ以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝か
せる。

●神の矛盾

 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがう
しろ向きになる。そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あ
くまでも信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、
人がいなければ、神など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのよ
うな矛盾をどうやって説明するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でも
ある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっ
としたら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。そ
のあと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化
して、昆虫人間になるということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、
その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅
をもたらしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜
には神はいなかったのかということになる。

数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数10万年など、マバタ
キのようなものだ。お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。しか
し数10万円では、パソコン1台しか買えない。数億年と数10万年の違いは大きい。モ
ーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか5000年〜6000
年ほど前のこと。たったの6000年である。それ以前の数10万年の間、私たちがいう
神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定して
いるのではない。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることよ
り、はるかに多い。だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているの
かもしれない。そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味も
ふくめて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だから
といって、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に百歩譲って、神や仏に、奇
跡を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待
してするものではない。ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(ス
ッタニパーダ「ダンマパダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。
キリスト教のことはよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えて
いるのでは……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きる
かどうかを決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばるか
らこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。

 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎
日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その1人と言ってもよい。
同じようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。

たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもが
いる。そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。いわんや、「林先生、林先生」
と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが……)、さらに困る。も
しそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら
不合格で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
 
●私の意見への反論

 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人が
いる。「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。
そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。が、何
も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその
女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性
の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。

この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。
言ってはならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、
ハシゴをはずすようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあ
げねばならない。何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人と
して、してはいけないことと言ってもよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことであ
る。どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、
うしろ向きに生きなくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?

 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようにな
ったら、人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか
私はそういう人生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもな
い。保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れ
るようになるかもしれない。私とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にた
とえて言うなら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんば
っている。歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、お
しまい。あっという間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。

しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。生きる価値もそこから生まれる。
もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。
……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のこと
が、よく気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあ
れこれ観察する。先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どん
な生きがいや、生きる目的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているの
だろう」「今、どんなことを考えているのだろう」と。そのためか、このところは、見た瞬
間、その人の中身というか、深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実
の問題から逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせれば
それでよいと考えている人も多い。中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もい
る。クシャクシャになったボートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もい
る。

人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。
愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽を
つんでしまうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、い
つの間か自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは
実に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということ
になる。何も考えなければ、それだけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん

 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じ
で、日々に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダ
は、それを「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心
と精神はブヨブヨに太り始める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。
つまりいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。

 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念
場だ」と。
(030613)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

そして昨年(05年)の1月に、つぎのような原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心に残る人たち

 個性的な生き方をした人というのは、それなりに強く印象に残る。そしてそれを思い
出す私たちに、何か、生きるためのヒントのようなものを与えてくれる。

 たとえば定年で退職をしたあと、山の中に山小屋を建てて、そこに移り住んだ人がい
た。姉が中学校のときに世話になった、Nという名前の学校の先生である。その人が、こ
とさら印象に強く残っているのは、郷里へ帰るたびに、姉が、N先生の話をしたからでは
ないか。

 「N先生が、畑を作って、自給自足の生活をしている」
 「半地下の貯蔵庫を作って、そこできのこの栽培をしている」
 「教え子たちを集めて、パーティを開いた」など。

 ここまで書いたところで、つぎつぎと、いろいろな人が頭の中に浮かんでは消えた。

 G社という出版社で編集長をしていた、S氏という名前の人は、がんの手術を受けた
あと、一度、元気になった。その元気になったとき、60歳になる少し前だったが、自動
車の運転免許証を手に入れた。車を買った。そしてこれは、あとから奥さんから聞いた話
だが、毎週、ドライブを繰りかえし、なくなるまでの数年間、1年で、10万キロ近く、
日本中を走りまわったという。

 またS社という、女性雑誌社に勤めていた、I氏という名前の人は、妻を病気でなく
したあと、丸1年、南太平洋の小さな島に移り住み、そこで暮らしたという。一時は、行
方不明になってしまったということで、周囲の人たちはかなり心配した。が、1年後に、
ひょっこりと、その島から戻ってきた。そしてそのあとは、何ごともなかったかのような
顔をして、10年近くも、S社の子会社で、また、健康雑誌の編集長として活躍した。

 で、それからもう20年近くも過ぎた。山の中に山小屋を建てて住んだNという先生
は、とっくの昔に、なくなった。G社の編集長をしていたS氏も、なくなった。女性雑誌
社に勤めていたI氏は、私が知りあったとき、すでに50歳を過ぎていた。私が、25歳
のときのことだった。だから今、生きているとしても、80歳以上になっていると思う。

 I氏からは、あるときまでは、毎年、年賀状が届いた。が、それ以後、音信が途絶え
た。住所も変わった。

 そうそうG社という出版社に、Tさんという女性がいた。たいへん世話になった人で
ある。そのTさんは、G社を定年で退職したあとまもなく、大腸がんで、なくなってしま
った。

 その葬式に出たときのこと。こんな話を聞いた。

 そのとき、私は、そのTさんにある仕事を頼んでいた。その仕事について、ある日の
昼すぎに、電話がかかってきた。Tさんが病気だということは知っていた。が、意外と、
明るい声だった。Tさんは、いつものていねいな言い方で、私の頼んだ仕事ができなくな
ったということをわびた。そして何度も何度も、「すみません」と言った。

 そのことを葬儀の席で、Tさんをよく知る人に話すと、その人は、こう言った。「そん
なはずはない。Tさんが、あなたに電話をしたというときには、Tさんは、すでに昏睡状
態だった。電話など、できるような状態ではなかった」と。

 おかしな話だなと、そのときは、そう思った。あるいはそういう状態のときでも、ふ
と、意識が戻ることもあるそうだ。Tさんは、そういうとき、私に電話をかけてくれたの
かもしれない。

 親類の人たちや、友人は別として、その生きザマが、印象に残る人もいれば、そうで
ない人もいる。言うなれば、平凡は美徳だが、平凡な生活をした人は、あとに、何も残さ
ない。だからといって、平凡な生活をすることが悪いというのではない。「私らしい生きザ
マ」とは言うが、しかしそれができる人は、幸せな人だ。

 たいていの人は、世間や家族、さらには親類などのしがらみに、がんじがらめになっ
て、身動きがとれないでいる。いまだに「家」を引きずっている人も、少なくない。そう
いう状況の中で、その日、その日を、懸命に生きている。

 それにこうした個性的な生きザマを残した人にしても、私たちに何かを(残す)ため
に、そうしたわけではない。私たちに何かを教えるために、そうしたわけでもない。結果
として、私たちが、勝手にそう思うだけである。

 ただ、こういうことは言える。

 それぞれの人は、それぞれの人生を懸命に生きているということ。悲しみや苦しみと
戦いながら、懸命に生きているということ。その懸命に生きているという事実が、無数の
ドラマを生み、そのドラマが、そのあとにつづく私たちに、ときに、大きな感動を残して
くれるということ。

 で、かく言う私はどうなのかという問題が残る。

 ここ数か月以上、私は、「老人観察」なるものをしてきた。その結論というか、中間報
告として、ここで言えることは、私は、最後の最後まで、年齢など忘れて、がんばって生
きてみようということ。

 ときに、「生活をコンパクトにしよう」とか、「老後や、死後に備えよう」などと考え
たこともあるが、それはまちがっていた。エッセーの中で、そう書いたこともある。まだ、
その迷いから完全に抜けきったわけではないが、私は、そういう考え方を捨てた。……捨
てようとしている。

 つまりそういう生きザマを、こうした人たちが、私に教えてくれているように思う。
私たちはその気にさえなれば、最後の最後まで、何かができる。それを教えてくれている
ように思う。

 N先生……私自身は一面識もないが、心の中では、いつも尊敬していた。
 S氏……そのS氏が、私にエッセーの書き方を教えてくれた。
 I氏……いっしょに健康雑誌を書いた。……I氏の実名を出してもよいだろう。I氏は、
主婦と生活社の編集長をしていた、井上清氏をいう。健康雑誌の名前は、『健康家族』とい
う雑誌だった。その名前を覚えている人も、中にはいると思う。

 そしてTさん。電話では、自分の病状のことは、何も言わなかった。それが今になっ
て、私の胸を熱くする。私は、そのTさんの葬儀には、最後の最後まで、つきあった。藤
沢市の会館で葬儀をし、そのあと、どこかの火葬場で、火葬にふされた。アメリカ軍の基
地の近くで、ひっきりなしに、飛行機の爆音が聞こえていた。私は、Tさんが火葬されて
いる間、何度も何度も、その飛行機を見送った。

 遠い昔のことのようでもあるし、つい先日のことのようにも思う。みなさん、私に生
きる力を与えてくれてありがとう。私も、あとにつづきます!

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●終わりに……

 老後の敵、それはここに書いた「回顧性」ということになる。その回顧性を感じたら、
すでにあなたも、老人の仲間入りをしたということになる。

 もし、それがいやなら、つまりジジ臭くなったり、ババ臭くなるのがいやだったら、
回顧性とは、戦うしかない。

 私は死ぬまで、現役。あなたも、死ぬまで、現役。いつまでも、若々しく、前向きに
生きていく。

 繰りかえすが、毎日、過去をなつかしみながら、仏壇の金具を磨きながら日を過ごす
ようになったら、その人も、おしまい。そういうこと。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
回顧性と展望性 展望性と回顧性)

++++++++++++++++++++++++

【補足】輪廻思想について

●輪廻(りんね)

++++++++++++++

生まれ変わることができるというのは、
たしかに希望である。

生まれ変われないにしても、30歳とか、
40歳、突然、若くなれるとしたら……。

が、ここで私は、ふと、思いとどまる。

生まれ変わるとしても、条件がある。
今の生活環境以上に、よい生活環境
に生まれ変わるとしたら、それはそれで
よい。

しかしそうでなければ、どうするか?
たとえば現在のK国のような国で
生まれ変わるとしたら、私はごめん。

戦前の日本のような国も、いや。

さらに、だれかが、こう言ったとしたら、
私は、たぶん、それを断るだろう。

「林、もう一度、20歳に戻してやる。
同じ人生を歩んでみろ」と。

人生は一度でたくさん。私はそこまで
は思わないが、中には、こりごり
という人だっているかもしれない。

そんなふうに考えていくと、こうした生まれ
変わり、つまり輪廻(りんね)思想の生まれた
インドでは、輪廻そのものを、大衆は
支持していなかったのではないか?、という
疑問がわいてくる。

カースト制度というきびしい身分制度。その
身分制度の中で、奴隷(シュードラ)は
生まれながらにして奴隷であり、一生、
死ぬまで、奴隷であった。

そんな奴隷の1人に、輪廻思想を説いても、
はたしてその奴隷は、その思想を受け入れる
だろうか。たぶんその奴隷は、こう言うだろう。

「人生なんて、一度で、こりごり」と。

そこでウパニシャッド哲学(インド哲学)では、
輪廻転生から離脱し、宇宙(神)と一体化する
ことを、「解脱(げだつ)」と呼んだ。

(ちゃんと逃げ道が用意してあるところが、
すごい!)

私たちの魂は、生きたり死んだりを繰り返す。
その魂を、瞑想、つまりヨーガによって、宇宙の
神と一体化させる。

そうすればだれでも、解脱の境地に達する
ことができる。つまり、輪廻転生の輪から、
自分を解放させることができる。

+++++++++++++++

 インド哲学を理解するときは、一度、私たちを文明の世界から切り離さなければなら
ない。私たちが現在もっている常識で、インド哲学を理解しようとしても、理解できない。
そういう部分は、多い。

 これはあくまでも私の推察だが、当時のインドでは、時間についての観念そのものが
今とはちがっていたのではないか。たとえば30年、一昔というが、当時のインドでは、
100年単位、200年単位で、時代が動いていた。

 あるときあなたはひとつの村を訪ねる。そこで何人かの村人に会う。が、それから3
0年後。再び、あなたはその村を訪ねる。あなたはそこにいる人たちを見て、驚く。生活
もしきたりも、30年前とまったく同じ。

 生活やしきたりばかりではない。そこに住んでいる人たちも、30年前とまったく同
じ。30年前に会った人たちが、そっくりそのまま新しい人たちと置き換わっている。

 私は輪廻思想が生まれた背景には、そういった時代的背景があったと思う。つまりあ
なたから見れば、時間の流れというのが、くるくると回っているかのように見える。その
くるくると回っているという部分から、「輪廻」という言葉が生まれた。

 それについて以前、書いた原稿が、つぎのものである。一部、重複するが許してほし
い。

+++++++++++++++++

【過去、現在、未来】

●輪廻(りんね)思想

+++++++++++++++++++++

過去、現在、未来を、どうとらえるか?

あるいは、あなたは、過去、現在、未来を、
どのように考えているか?

どのようなつながりがあると、考えているか?

その考え方によって、人生に対する
ものの見方、そのものが変わってくる。

+++++++++++++++++++++

 時の流れを、連続した一枚の蒔絵(まきえ)のように考えている人は、多い。学校の
社会科の勉強で使ったような歴史年表のようなものでもよい。過去から、現在、そして未
来へと、ちょうど、蒔絵のように、それがつながっている。それが一般的な考え方である。

 あるいは、紙芝居のように、無数の紙が、そのつど積み重なっていく様(さま)を想
像する人もいるかもしれない。過去の上に、つぎつぎと現在という紙が、積み重なってい
く。あるいは上書きされていく。

 しかし本来、(現在)というのは、ないと考えるのが正しい。瞬間の、そのまた瞬間に、
未来はそのまま過去となっていく。そこでその瞬間を、さらに瞬間に分割する。この作業
を、何千回も繰りかえす。が、それでも、未来は、瞬時、瞬時に、そのまま過去となって
いく。

 そこで私は、この見えているもの、聞こえているもの、すべてが、(虚構)と考えてい
る。

 見えているものにしても、脳の中にある(視覚野)という画面(=モニター)に映し
出された映像にすぎない。音にしても、そうだ。

 さらに(時の流れ)となると、それが「ある」と思うのは、観念の世界で、「ある」と
思うだけの話。本当は、どこにもない。つまり私にとって、時の流れというのは、どこま
でいっても、研(と)ぎすまされた、(現実)でしかない。

 その(時の流れ)について、ほかにもいろいろな考え方があるだろうが、古代、イン
ドでは、それがクルクルと回転していくというように考えていたようだ。つまり未来は、
やがて過去とつながり、その過去は、また未来へとつながっていく、と。ちょうど、車輪
の輪のように、である。

 そのことを理解するためには、自分自身を、古代インドに置いてみなければならない。
現代に視点をおくと、理解できない。たとえば古代インドでは、現代社会のように、(変化)
というものが、ほとんどなかった。「10年一律のごとし」という言葉があるが、そこでは、
100年一律のごとく、時が過ぎていた。

 人は生まれ、そして死ぬ。死んだあと、その人によく似た子孫がまた生まれ、死んだ
人と同じような生活を始める。同じ場所で、同じ家で、そして同じ仕事をする。人の動き
もない。話す言葉も、習慣も、同じ。

 そうした流れというか変化を、一歩退いたところで見ていると、時の流れが、あたか
もグルグルと回転しているかのように見えるはず。死んだ人がいたとしても、しばらくし
てその家に行ってみると、死んだ人が、そのまま若返ったような状態で、つまりその子孫
たちが、以前と同じような生活をしている。

 死んでその人はいないはずなのに、その家では、以前と同じように、何も変わらず、
みなが、生活している。それはちょうど、庭にはう、アリのようなもの。いつ見てもアリ
はいる。しかしそのアリたちも、実は、その内部では、数か月単位で、生死を繰りかえし
ている。

 こうして、多分、これはあくまでも私の憶測によるものだが、「輪廻(りんね)」とい
う概念が生まれた。輪廻というのは、ズバリ、くるくると回るという意味である。それが
輪廻思想へと、発展した。

 もちろん、その輪廻思想を、現代社会に当てはめて考えることはできない。現代社会
では、古代のインドとは比較にならないほど、変化のスピードが速い。10年一律どころ
か、数年単位で、すべてが変わっていく。数か月単位で、すべてが変わっていく。

 住んでいる人も、同じではない。している仕事もちがう。こうした社会では、時の流
れが、グルグルと回っていると感ずることはない。ものごとは、すべて、そのつど変化し
ていく。流れていく。

 つまり時の流れが、ちょうど蒔絵のように流れていく。もっとわかりやすく言えば、
冒頭に書いたように、社会科で使う、年表のように、流れていく。長い帯のようになった
年表である。しかしここで重要なことは、こうした年表のような感じで、過去を考え、現
在をとらえ、そして未来を考えていくというのは、ひょっとしたら、それは正しくないと
いうこと。

 つまりそういう(常識?)に毒されるあまり、私たちは、過去、現在、未来のとらえ
かたを、見誤ってしまう危険性すら、ある。

 よい例が、前世、来世という考え方である。それが発展して、前世思想、来世思想と
なった。

 前世思想や、来世思想というのは、仏教の常識と考えている人は多い。しかし釈迦自
身は、一言も、そんなことは言っていない。ウソだと思うなら、自分で、『ダンマパダ(法
句)』(釈迦生誕地の残る原始仏教典)を読んでみることだ。

 ついでに言っておくと、輪廻思想というのは、もともとはヒンズー教の教えで、釈迦
自身は、それについても一言も、口にしていない。

 言うまでもなく、現在、日本にある仏教経典のほとんどは、釈迦滅後、4〜500年
を経てから、「我こそ、悟りを開いた仏」であるという、自称「仏」(仏の生まれ変わりた
ち)によって、書かれた経典である。その中に、ヒンズー教の思想が、混入した。
 
 過去、現在、未来……。何気なく使っている言葉だが、この3つの言葉の中には、底
知れぬ謎が隠されている。

 この3つを攻めていくと、ひょっとしたら、そこに生きることにまつわる真理を、発
見することができるかもしれない。

 そこでその第一歩。あなたは、その3つが、どのような関連性をもっていると考えて
いるか。

 一度、頭の中の常識をどこかへやって、自分の頭で、それを考えてみてほしい。

+++++++++++++++++

●再び輪廻について。

 たとえば輪廻というほどではないにしても、毎日が毎日の繰り返し……という人生に、
どれほどの意味があるというのか。そのことは、老人介護センターにいる老人たちを見れ
ばわかる。(だからといって、そこに住む老人たちの人生に意味はないと言っているのでは
ない。誤解のないように!)

 毎日、毎日、同じことを繰り返しているだけ。同じ時刻に起きて、同じ時刻に食事を
して、あとは一日中、テレビの前に座っているだけ。

 これは老人介護センターの中の老人たちの話だが、私たちの生活にしても、似たよう
なもの。今日は、昨日と同じ。今年は、去年と同じ、と。

 これもひとつの輪廻とすると、私たちがつぎに考えなければならないことは、どうす
れば、この輪廻を断ち切ることができるかということ。

 まさか瞑想(ヨーガ)をすればよいと説く人はいないと思う。(ヨーガというと、あの
O真理教を連想し、どうもイメージがよくない。)しかしだれも、このままでよいとは思っ
ていない。

 そこでひとつのヒントとして、サルトルは、こう説いた。「自由なる意思で、自由を求
め、思考し、自ら意思を決定していくことこそ重要」と。つまりこの輪廻を断ち切るため
には、「私は私」と、その「輪」の中から飛び出すことではないか。

……と書いたところで、「ウ〜ン」とうなって、筆が止まってしまった。そのことをワイ
フに話すと、ワイフも、そう言った。

私「思いきって、オーストラリアへ移住しようか?」
ワ「移住でなくても、2〜3年なら、いいわ」
私「このままだと、ぼくたちの人生も、このまま終わってしまう」
ワ「そうね。自分たちがどうあるべきか、まず、それを考えなくては……」と。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   17日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●識字能力

++++++++++++++++++

少し前、識字能力について書いた。

識字能力……読み書きできる人のことを、識字者という。
それができない人を、非識字者という。

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関=UNESCO)では、識字について、
「日常生活における短い簡単な文章の読み書きができる人を識字者、
できない人を非識字者」と定義している。

日本では、昔、文字を読めない人を、「文盲」と呼んだ。
しかしその後の教育の整備が進んで、今では、文盲の人はいないということになっている。
そこで近年では、(1)文字は読めても、(2)それを理解できない人を、非識字者と
位置づける学者も多い。

ポイントは、一応の読み書きはできる。
しかし読んでも、それを理解することができない、というところにある。

++++++++++++++++++

●言葉と文字

言葉の発達が、人類を飛躍的に進化させた。
しかしその人類をさらに文明人へと進化させたのは、文字の発達ということになる。
人類は文字を使うことで、過去を未来へ伝えることができるようになった。
遠く離れた人に、そのときの感情を伝えることができるようになった。
言いかえると、(言葉)と(文字)、この2つが、人類と動物の分かれ目ということになる。

●文字を読まない人

その文字について、会話程度の簡単な文章を読むことはできても、やや難解な
文章になると、それを読んで理解できない人は多い。
程度の差もある。
だから、どの程度理解できれば問題なく、どの程度理解できなければ
問題と、一概に言うことはできない。
しかし現実には、文字という文字を、ほとんど読まない人は多い。
その人の周辺をさぐってみれば、それがわかる。

文字を読まない人の周辺には、当然のことながら、本という本が、ほとんどない。
雑誌もない。
50代、60代の人に多いが、30代、40代の人にも、ときどき見られる。
日常的に文字をよく読んでいる人には、信じがたいことかもしれないが、
現実にはいる。

●非識字者

映画俳優のトム・クルーズが、そのタイプのLD児であったことは、よく
知られている。
本人自身がそれを告白している。
だからトム・クルーズのばあいは、台本は、だれかに読んでもらい、それを耳で
聞いて覚えるのだそうだ。

で、そんな話をしていたら、A氏(60歳、長い間の仕事仲間)が、こう言った。
「実は私の姉がそうです」と。
「簡単な手紙の読み書きはできますが、少し難解な文章になると、読んで理解しよう
ともしません」と。

具体的には、書類を目の前に置いただけで、「私にはそんなもの、読んでもわからない!」
と言って、手で払いのけてしまうという。

私「文字は書けるのですか?」
A「簡単な手紙なんかは、ときどき書いてきます」
私「難解な文章といっても、どの程度の文章ですか?」
A「役所から来るような公文書などは、だめですね」
私「家庭医学書なんかは、どうですか?」
A「ぜったいに、だめですね」と。

●LD児

子どもの世界にも、文字を読めない子どもというのは、いる。
最近では、LD児(Learning Disability=学習障害児)と位置づけられている。
LD児といっても、症状はさまざまで、集中力が極端に低下している子どもから、
計算なら計算というように、ある特殊な分野のみ苦手という子どももいる。
もちろん文章を読み切れない子どもも、多い。
具体的には、算数の文章問題が理解できないというような症状となって表れる。

こうした子どものばあい、指導といっても、脳の機能に関する問題であるだけに、
それがむずかしい。
一般的には、(学校教育の現場では)、「苦手分野には目をつぶり、得意分野を伸ばす」
(某小学校校長談)という方法で対処する。
苦手分野だけを集中的に指導していると、子どもが神経質になってしまう。
「だれにでも、得意、不得意がある」というおおらかさが、このタイプの子どもを
伸ばす。

●大切なのは訓練(?)

問題は、実は、私たち。
加齢とともに、どうしても集中力が鈍くなる。
その分だけ、読解力が弱くなる。
識字能力が弱くなる。
新聞程度は読むことはできても、小説となると、とたんに弱くなる。
しかしこれも肉体の健康論と、似ている。

歩くことはできても、しばらく乗っていないと、自転車に乗れなくなる、など。
わかりやすく言えば、識字能力も、訓練によって維持できるのでは?
訓練しなければ、そのまま衰退する。
しかも加齢とともに、衰退するスピードが、加速度的に速くなる。
小説にしても、しばらく読んでいないと、最初のとっかかりのところで、苦労する。
(というのも、小説というのは、作者の癖によって、書き方がみなちがうから。)
その作者の文体になれるのに、しばらく時間がかかる。

私「ところであなたの姉さんは、おいくつですか?」
A「今年、70歳になります」
私「それじゃあ、まあ、歳相応ってことじゃ、ないですか?」
A「それがですね、このとことますますひどくなってきたようです」
私「ひどいって?」
A「新聞にも目を通さなくなってきました」と。

●模擬体験

では、非識字者というのは、どういう人をいうのか。
たまたま今、私の目の前には、新聞の切り抜きがある。
何枚か無造作に置いてあるが、その一枚が、さかさまになっている。
私はそれをぼんやりと眺めている。
が、眺めているだけで、内容が伝わってこない。
並んでいる文字全体が、何かの模様のようですらある。

もちろんこのとき、目を凝らして、逆に読めば意味はわかる。
しかしぼんやりと眺めていると、意味がわからない。
非識字者の目に映る文字というのは、たぶん、そういうものではないか。
頭の中で、文字の意味が論理的につながっていかない……(?)。

●やはり訓練

言葉と文字が、人間と動物の分かれ目ということなら、識字能力を失うということは、
人間が人間でなくなってしまうことを意味する。
(それほど大げさな問題ではないかもしれないが、深刻な問題であることは事実。)
そこで大切なのが、訓練ということになる。
肉体の訓練をするためにジョギングに出かけるように、あえて書店へでかけ、本を
買う。
買って読む。
こうした努力が、識字能力を高める。
で、もしその能力が低下してきたら、どうなるか?
それについては、A氏がこう話してくれた。
それを箇条書きにまとめてみる。

(1)電話で話していても、要点がよくわからない。(何を言いたいか、よくわからない。)
(2)言葉の使い方が、不適切で、文章になっていない。(感情的な言い方が多い。)
(3)思慮深さが衰えてきた。(こちらの言うことを、深く理解できない。)
(4)繊細な会話ができない。(言葉をぶつけるように話す、など。)
(5)グチが多くなり、そのグチを自分でコントロールできない。
(6)思考の一貫性がなくなってきた。(会うたびに、話しの内容が変化する。)

この中でとくに重要なのが、(3)の思慮深さ。
人間は文字を読み書きすることによって、思慮深さを養う。
それをやめたとたん、その時点から、思慮深さは衰退する。
識字能力には、そういう問題も含まれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
識字能力 非識字者 文章を理解できない はやし浩司 識字能力 思慮深さ)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●強化の原理



 (ほめられる)→(ここちよい)→(やる気が出てくる)という、一連の心の動きを、「強
化の原
理」(「強化原理」と呼んでいる人もいる)という。



 最近の研究で、こうした(ここちよい感覚)は、脳の中でも、辺縁系と呼ばれる組織の
中で、モ
ルヒネ様の物質(エンドロフィン系、エンケファリン系の物質)が放出されるためという
ことが、
わかってきた。



 昔は、この辺縁系という組織は、原始脳で、働きはないと考えられていた。「太古の昔に
は働
きはあったが、その働は、もうなくなってしまった」と。少なくとも私は、学生時代、そ
う習った。



 しかしこれはとんでもない誤解だった。



 知的な活動は、脳の中でも、大脳連合野全体でなされるが、基本的な感情は、どうやら
辺縁
系がつかさどっているというのだ。



 このことは、二つのことを意味する。



 一つは、イヌや、ネコにも、感情はあるということ。たとえばイヌでも、ネコでも、何かをしたと
き、ほめてやると、やはりモルヒネ様の物質が放出され、ここちよい感覚を生み出すとい
うこ
と。つまり彼らだって、気持ちよいのだ。



 もう一つは、知的活動だけでは、感情は生まれないということ。たとえて言うなら、知
的活動
は、コンピュータの働きに似ている。いくら恐ろしい文章を、ワープロに打ちこんでも、
コンピュ
ータ自身は、少しもこわがらない。それと同じように、数学の問題を解くとか、作文を書
くとかい
うのは、知的な活動だが、それ自体は、感情を生み出さない。



 むずかしい数学の問題を解いたとき、「ああ、おもしろかった」と思うのは、脳の辺縁系
の中
で、モルヒネ様の物質が放出されるためである。



 (ただし、反対に、叱られたとき、不愉快になるのは、どういう働きによるものかは、
私にはわ
からない。あちこちの本を読んでみたが、それについて書いたのは、なかった。これは私
の不
勉強によるものか。そのうち、一度、調べてみて、わかりしだい、皆さんに報告する。)



 そこでこの辺縁系が機能を失うと、感情そのものがなくなることも、考えられる。ある
いはやる
気をなくしたり、感情をコントロールできなくなったりする。



 しかし反対に、こうしたメカニズムをうまく利用すると、子どもを、前向きに伸ばすこ
とができ
る。それを心理学の世界では、「強化の原理」という。



 これは多分に、コンピュータの影響かもしれない。私は、二七歳くらいのとき、コモド
ール社の
PET2000という、コンピュータを買った。それ以来、もう三〇年近く、コンピュー
タとつきあって
いる。



 そのためものの考え方が、どこかコンピュータ的になってきた。考え方がコンピュータ
的にな
ったというよりは、人間の脳の働きも、そのコンピュータによく似ていると思うようにな
ってきた。
(あるいは、同じなのかもしれない。)



 とくに子どもたちを観察していると、そう思う。が、それはそれとして、もしコンピュ
ータに感情
をもたせたかったら、もう一つ、コンピュータ内部に、感情をつかさどる部分を、新設す
ればよ
い。人間の脳にたとえていうなら、辺縁系に似た部分である。



 処理をスムーズにできたら、コンピュータ内部で、コンピュータ自身が、ここちよく感
ずる物質
を放出する、とか。そうすればコンピュータがそれを感知して、「ああ、楽しかった」と思
うように
なるかもしれない。



 ずいぶんと回り道をしたが、要するに、子どもを伸ばそうと考えたら、子どもの脳の中
で、こ
のモルヒネ様の物質が放出するように、しむければよい。



 方法は簡単。



子どもは、ほめれば、よい。すべては、そこから始まり、そこで終わる。つまり、じょう
ずにほめ
ること。これが子どもを伸ばす、秘訣の一つということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
強化の原理 子どものやる気 子供のやる気)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【私の母】(追加)

+++++++++++++++++++++

前回書いた、「私の母」の追加原稿です。
本文全体は、HPのほうに、近く掲載します。
時間的推移(前後関係)は、バラバラになっています。

+++++++++++++++++++++

●祖父の財産

母について、理解できない点もいくつかある。
たとえば私が毎月仕送りをつづけていたことについても、母は、それをだれにも
話していなかった。
私の姉にすら、話していなかった。
だからあるとき、そのことを姉に話すと、姉はたいへん驚いた様子をしてみせた。
「そんな話は聞いていなかった!」と。
(あるいはそう言って、とぼけただけだったかもしれない。)

それとて私が40歳を過ぎてからのことだった。
私は当然、姉だけは、私がしていることを知っていると思っていた。
姉だけには、母は、私がしていることを話していると思っていた。
が、姉ですら、知らなかった。

で、母は、ことあるごとに、また周囲の人たちには、こう言っていた。
「おじいちゃん(=私の祖父)の残してくれた財産で、生活している」と。
つまり祖父の残した遺産がたくさんあったから、生活には困らない、と。
他人にはともかくも、身内の姉や私にそんなウソを言っても意味はない。
が、それでも私は、姉だけには話していると思っていた。……思い込んでいた。

実際には、祖父の残した財産は、いくつかの不動産をのぞいて、まったくなかった。
私が中学生のときには、我が家はまさに火の車。
自転車操業。
それに祖父はすでにそのとき、隠居の身分だった。
バイクをいじるのが趣味で、それをいじって遊んでいた。
収入はなかった。
小銭をもっていたとすれば、むしろ祖母のほうだった。
祖母は株の売買をしていた。
が、それとて、「端株(はかぶ)」といって、証券会社からのおこぼれ株だった。
10株とか、20株単位の株を売買していた。

今にして思えば、母には親としてのプライドがあったのだろう。
「息子から奪ったお金で、生活をしている」とは、とても言えなかった。

●私が悪者

遠くに住んでいることをよいことに、母は、私を悪者に仕立てた。
何かにつけ、自分にとって都合の悪いことは、すべて私のせいにした。
父が他界し、私の家でも遺産相続問題が起きたときも、そうだ。

そのときのこと。
祖父の残した土地が、3筆あった。
その相続についても、母は、叔父、叔母のところを回りながら、こう言った。
「浩司がうるさいから、(相続放棄の)書類に判を押してほしい」と。
母は、私に追いつめられたから、いやいやながらも、判を集めているのだと言った。

が、実際には、これもちがった。
私は一言も、相続について口をはさんだことはない。
母から手続きの相談を受けたことはあるが、それ以上の記憶はない。
むしろ事実は逆で、祖父の財産は、叔父、叔母で分けるのが筋道と考えていた。
祖父は生前、いつも口癖のようにこう言っていた。
「Y町のあの土地は、S(=叔母)のものだ」と。
で、これについてはこんなエピソードがある。

母の話を真に受けた叔父が、ある日、突然、私の家にやってきた。
「貴様!」と怒鳴ったあと、私を殴り飛ばした。
パシッ、パシッと、叔父の拳が顔面ではじけるのを私は感じた。
そのとき私はたまたま実家に帰省していた。
叔父はそれを聞きつけて、私の家にやってきた。
私は殴られるまま、反論することもできなかった。
なぜ私が叔父に殴られるか……。
私も、そして母も、その理由がわかっていた。
しかし母は、別の部屋で静かにその様子を見ていた。
息をひそめて、静かにそれを見ていた。

●母の見栄

晩年になればなるほど、母の見栄は、はげしくなった。
ますます世間体を気にするようになった。
これは姉から聞いた話だが、買い物に行くときも、千円札を、何十枚か重ね、両端を
1万円札ではさんでサイフに入れ、もち歩いていたという。
そしてレジでお金を出すとき、わざとサイフを開いて、その札たばを店員に
見せつけていたという。
またこんなこともあったという。

姉の家で何かの祝いごとがあった。
姉は母を家へ連れていくことにした。
そのときも、母は、美容院で髪を染め、パーマをかけていたという。
姉の家の近所の人たちに、それなりのかっこうづけをするためだったという。
その日の生活に困っているはずの母が、姉の家に行くのに、1万円前後もかけて、
髪をセットする……。

当時、母はすでに80歳を過ぎていた。
そうした母の行為は、私の常識とは、かけ離れたものだった。

●迷信

こうした母の一連の行為は、一言で説明すれば、「哲学の欠落」ということになる。
権威主義のかたまりのような人だったが、それを支える哲学がなかった。
それがもっともよく現れていたのが、迷信だった。

「夕方に履物を買ってはだめ」
「玄関で脱いだ靴は、裏で履いてはだめ」などなど。
あらゆる行動を、その日の運勢にしたがって決めていた。
「今日は、日が悪いから、靴を買ってはだめ」
「明日は、日がよいから、服を買ってもよい」などなど。

食べ物についても、そうだった。
「梅干と、うな丼と、いっしょに食べてはだめ」
「風邪をひいたときは、豆を食べてはだめ」などなど。

子どものころは私もそれに従っていたが、中学生になるころには、それに耐えられ
なくなった。
あまりにも息苦しかった。

こうした迷信は、一度気にすると、それがずっと気になる。
それを続けていると、やがてそのワナにはまって、そこから抜け出せなくなる。
だから「ナッシング・オア・オール(ゼロかすべてか)」となる。
私は「ゼロ」のほうを選んだ。
今の今でも、迷信なるものは、いっさい、信じていない。
その種の話には、はげしい拒絶反応が起きる。

が、私の知っている人にこんな人がいた。

新車を購入したのだが、その車を納入させるとき、日時はもちろん、納入のための
道順まで、ディーラーに指示したという。
「一度、北に出て、それから西まわりで、車を届けてほしい」と。
迷信を気にするひとは、そこまで気にする。

母も、似たようなことを、よく口にした。

●母の信仰

そういうこともあって、母の信仰の仕方も、これまた一風、変わっていた。
「家にいるときより、寺にいるときのほうが長い」と、みなが、そう言っていた。
こまかい作法にこだわった。
ローソクの立て方、線香の燃やし方、仏具の飾り方などなど。
また親類、縁者たちの命日供養については、毎月、それをしていた。
毎年、年1回ではなく、毎月だぞ!

ここで注意しなければならないことは、宗教心と信仰心はちがうということ。
宗教は、「教え」に従ってするもの。
現実のこの世界で、よりよく生きるために、宗教はある。
一方、信仰心にはそれがない。
そこはまさに、「イワシの頭」。
対象は、キツネでもタヌキでも、何でもよい。
そこに(思い込み)を凝縮させる。

それをなじると母はいつも決まってこう言った。
「人がいいということをして、悪いことにはならない」と。
つまりどんな信仰でも、信仰して悪いということはない、と。

●姉との確執

そんな母が姉の家に2年間いた。
そのあと、私の家に来た。
来たというよりは、私が母を抱きかかえ、車に、無理やり乗せて連れてきた。

それまでの姉との経緯(いきさつ)については、ここには書けない。
いろいろ書きたいことはあるが、やはりここには書けない。
ただ言えることは、事実として、私と姉はその前後に、断絶状態になっていたこと。
姉はそのつど私をはげしくののしった。
そういうことが重なり、私は母を引き取ることにした。

その前日は、M町の旅館で一泊。
朝早く起きて、姉の家に向かった。
重い雲が山々の尾根を覆い隠し、かすかに見える山も、白いモヤにかすんでいた。
M町から姉の家まで、車で、20分足らず。
私は姉とは会話らしい会話もせず、そのまま母を車に乗せ、浜松に向かった。

最初母は、少なからずそれに抵抗したが、私が強く抱きかかえると、力を抜いた。
軽かった。
母は、信じられないほど、軽かった。
私は用意してきた毛布を、幾重にも積みあげ、その上に母を置いた。
そしてその上に、分厚いふとんをかけた。
そしてそのままあいさつもそこそこに、姉と別れ、浜松へと向かった。
まだ正月気分の残る、1月4日のことだった。

●家庭の内情

それぞれの家庭には、それぞれの言うに言われない事情というものがある。
私の家にもあるし、あなたの家にもある。
そういった事情も知らないで、他人が自分の推察だけでものを言うのは、たいへん危険。
ばあいによっては、その相手を深く、傷つける。
最近も、ある人から、こんな話を聞いた。

A氏(80歳)には、3人の息子がいる。
が、外に出た二男や三男が、A氏が住む実家に寄りつかないという。
二男や三男は、実家の近くに来ることはよくあるのだそうだが、そのまま実家には
寄らず、帰ってしまうという。

それを知った叔母(父親の妹)が、二男や三男に向かって、こう言って叱ったという。
「いくら父親が嫌いだからといって、あいさつもしないで帰るのはおかしい。
実家に寄って、あいさつをするのは当然。
実家にはまだ母親もいるのだから……」と。

しかし事情はちがう。
二男や三男が実家に立ち寄らないのは、長男との確執があったからだ。
そのつど長男は、介護費用の分担を迫った。
が、二男と三男にはその経済的余裕がなかった。
だから二男と三男は、父親との確執をそれとなく臭わせることによって、自分たちの
責任を回避していた。
「介護費用を分担したくないから、実家には寄らない」と人に思わせるよりは、
「父親に会いたくないから、実家には寄らない」と他人に思わせたほうが、
自分たちの立場を守ることができる。

事情というのは、そういうもの。
そういった事情が複雑にからんで、その家庭の事情を作る。
他人が自分の頭で、理解できるようなことではない。

だから……よほどのことがないかぎり、他人の家の問題には、口を出さないこと。
相手のほうから相談でもあれば、話は別だが、それがないなら、そっとしておいてやる
ことこそ、懸命。

●決別

イギリスの格言にも、『2人の人には、よい顔はできない』というのがある。
日本にも、『八方美人』という言葉がある。
軽蔑すべき人という意味で、『八方美人』という。

私もあるときから、自分の身辺を整理し始めた。
いろいろ誤解はあるにせよ、そういった誤解を解くのも疲れる。
離れて住んでいればなおさらである。
中には、こちらの事情も知らず、「浩司は親を捨てた」「親不孝者」と言っている
人もいた。
最初は、私なりに誤解を解こうとしたこともある。
しかしここにも書いたように、それにも疲れた。
だからあるときから、居直って生きるようにした。
「思いたければ、どうとでも思え」と。

しかしそれは同時に、そういう人たちとの決別を意味する。
そういう人たちとだけではない。
その周囲の人たちとの決別も意味する。
さらに言えば、故郷そのものとの決別を意味する。
会う回数が、数年に一度とか二度とかになれば、互いの関係そのものが、疎遠になる。
誤解がそのまま定着する。

こうなると残された選択肢は、ただ一つ。
決別ということになる。
またそこまで割り切らないと、幻惑という呪縛感から、自分を解放させることはできない。

親を捨てたわけではないが、そこまで割り切らないと、心の重圧感を晴らすことは
できない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『天使と悪魔』

++++++++++++++++++

おとといの夜、映画『天使と悪魔』を見てきた。
星は、★★★の3つ。
おもしろかったが、少し技巧的すぎる?

原作は、ダン・ブラウン著『天国と地獄』。
実は映画に先立って、先週、その単行本を買ってきた。
(上)(中)(下)の3巻に分かれていた(角川文庫)。
しかし私が買ったのは、(上)だけ。
そのときすでに映画を見ようと心に決めていたので、
結末まで知ってしまったのでは、おもしろくない。
それで(上)だけ。

が、本の内容と映画の内容が、あまりにもちがって
いたのには驚いた。
本のほうは、どこかSF的。
つまりSFと、オカルトと、推理。
この3つを兼ね備えた内容。
その分だけ、映画への期待は大きかった。
が、映画のほうは、ただの推理+アクション映画。
そんなわけで、かなりガッカリ!
せめてX−33という、UFOのような飛行機くらいは
登場させてほしかった。
で、星は3つ。

(先に本を読んでいなければ、星は4つだったかもしれない。)

で、バチカン内部で殺人事件?
カトリック教徒の人には、不愉快な映画にちがいない。
が、そこは映画。
理性のある人は、一線を引くことができる。
が、これがもし、イスラム教のメッカが舞台だったら、
どうか?
メッカ内部で殺人事件?
もしそんな映画だったら、イスラム教徒による暴動が起きるかもしれない。
映画館を襲撃して、爆破するとか……?

つまり同じ宗教を信じていても、その一線が引けるかどうかで、
その宗教の理性度を知ることができる(?)。
だからといってイスラム教の理性度が低いということではない。
しかしこの日本にも、ほんの少し批判されただけで、
つぎつぎと相手を裁判所へ訴えている宗教団体がある。
窮屈といえば、窮屈。
宗教には、ある種の(窮屈さ)がつきものだが、
その窮屈さが、かえって一般の人を遠ざけてしまう。

で、映画を見終わったあと、「カトリック教って、結構わかりやすいな」と
感じた。
言いかえると、「結構心が広いな」と。

「バチカン内部」といっても、もちろん、すべてセット。
あるいはCG合成(?)。
が、それでもバチカン内部の様子がわかって、おもしろかった。
私の知らない世界だけに、おもしろかった。

つぎはいよいよ『スタートレック』!
待ってましたア!


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●2つの事件(Two News)

+++++++++++++++++++++

最近、我が家に2つの事件が起きた。

(1)私の家にも、「振り込め詐欺(オレオレ詐欺)」の電話がかかってきた。
(2)Blogger Blogが、何者かによって、荒らされた。

+++++++++++++++++++++

●振り込め詐欺(オレオレ詐欺)

ワイフが受話器を取ると、相手の男はこう言った。
「お母さん、S……」と。

しかしワイフには、それが即座に、S(=長男)からの電話ではないとわかった。
声がちがった。
それに息子たちは、みな、「ママ」とは言うが、「お母さん」とは言わない。

ワイフがあきれた声で、「ハア〜〜〜?」と言っていると、相手は
感づいたのか、そのまま電話を切ってしまった。

で、こうした振り込め詐欺をしかけてくる連中は、まず、息子たちの情報を
手に入れようとする。
私の家のばあいも、ちょうどその1月前、おかしな電話がかかってきた。
若い女の声で、「Sさん、いますウ?」と。

で、こうした電話のばあい、こちらが相手の名前を聞いても、たいてい、
「スズキです」などとしか言わない。
「折り返し電話しますから、電話番号を教えてください」と言うと、そのまま電話を
切ってしまう。

そういう電話が、数か月に1度くらいはかかってくる。
で、そのうちまじめに応対するのがめんどうになった。
いつも適当な返事をしてすますようにした。
そのときも、私はこう言った。

「今、うちにいません。東京か、どこかに行っています」と。

それでその電話がかかってきた(多分?)。
もっとも、それが振り込め詐欺の電話だったとは、確定できない。
それに「そうでないかな?」と思い始めたのは、ワイフが受話器を置いて、しばらくして
からのこと。
ワイフはこう言った。

「うまく引っかかったフリをして、警察に電話してやればよかったわ」と。

……しかし、そんなふうにして人をだまして、どうするのだろう?
いくらかのお金は手に入るかもしれないが、もっと大切なものを失う。
「人生」という「時」を失う。
そのほうが、よほど損だと私は思うのだが……。


(2)Blogger Blogが荒らされる

外国向けに、英語で発行していたBLOGが、突然、閉鎖された。
いろいろ問い合わせてみると、「Spam Blogになったから」という。
どこかでだれかが私のパスワードを手に入れ、BLOGの中に、Spamを
仕込んだためらしい。(確信はもてないが……。)

Spamが仕込んであると、だれかが私のBLOGを見たとき、それを見た人のパソコンに
最悪のばあい、ウィルスが侵入することになる。
それで閉鎖となった。

さっそくパスワードを変更して、新規にBlogger Blogを開設した。
が、今まで書いた原稿は、アクセス不能になってしまった。
2年以上つづけてきたBLOGだけに、残念!

そういうこともあるから、

(1)BLOGのパスワードはこまめに変更した方がよい。
(2)BLOGはひとつではなく、複数本発行したほうがよい。
(3)原稿はつねに、どこかにまとめてSAVEしておいたほうがよい。
(4)英語版のBLOGのほうが、悪意をもった連中にねらわれやすい。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●投資

++++++++++++++++++

5月のはじめから、ひどいスランプ状態になってしまった。
パソコンに向かっても、いつもなら浮かんでくるはずの
文章が浮かんでこない。
書きたいという意欲そのものが、消えうせた。

そんなとき近くのパソコンショップへ行くと、T社製だが、
宝石のように美しいパソコンが並んでいた。
値段は、9万7000円。
安い!
「ほしい」と思ったが、同時に「買ってもしかたない」という
思いが、胸をふさいだ。

で、今、再び、少しずつだが、調子が戻りつつある。
今朝も、2時間近く、パソコンのキーボードを叩いた。
調子は悪くない。
そんな今、あのパソコンが、思いだされる。
そしてこう思う。
「パソコンというのは、ほしいと思ったときが、花」と。

少しわかりにくい話になるかもしれないが、こういうこと。

「書きたい」という思いがあるから、パソコンがほしくなる。
反対に新しいパソコンを買えば、「書きたい」という意欲がわいてくる。
もし今の私から、(ものを書く)という趣味(仕事でも、道楽でもよいが……)を
取り除いたら、私はただの抜け殻(ぬけがら)。
抜け殻になるくらいなら、パソコンは買ったほうがよい。
9万7000円など、それを思えば安いもの。
だから「ほしいと思ったときが、花」と。

それを私は「投資」と呼んでいる。
言うなれば、脳みその健康のための投資。
ずいぶんと勝手な解釈だが、そんなにまちがってはいないと思う。

が、ここはがまん。
ぐっとがまん。
夏から秋にかけて、いよいよ64ビットマシンが、登場してくる。
WINDOW7も発売になる。
それを待とう!


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●新たな挑戦

++++++++++++++++++++++

「lingoes」というサービスがある。
ある雑誌に紹介されていた。
いわゆる翻訳サービスである。
無料。
これを使えば、いろいろな言語から、
いろいろな言語へと、自由に翻訳できる。

すごい!

……ということで、この1時間、それで
遊んだ。

++++++++++++++++++++++

I am Hiroshi Hayashi.(英語)
Estou Hiroshi Hayashi.(ポルトガル語)
Je suis Hiroshi Hayashi.(フランス語)
Ich bin Hiroshi Hayashi.(ドイツ語)
?? ??? ???.(韓国語)
我林浩司。(中国語)
xxxxxxxxxx
(上はアラビア語)
Aku Hiroshi Hayashi.(インドネシア語)
??? Hiroshi Hayashi ???.(ヒンディー語)
Estoy Hiroshi Hayashi.(スペイン語)ほか。

つぎにHPを更新するときは、HPに、世界の言語をまぶしてみよう。
私のHPがますます国際的になる。
おもしろそう!
+楽しみ!

……インターネットの世界に、改めて驚く。
このlingoesには、翻訳サービスだけではなく、辞書サービスも付録でついている。
その国の言語を、家庭に居ながらにして学ぶことができる。
興味のある人は、「lingoes」を検索し、ソフトをダウンロードしてみるとよい。

大手の雑誌に紹介されていたので、問題はないと思うが、ただし自己責任で!


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   15日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前回からのつづきです】

8:アドミニストレイションについて
○インタビュアー:先生、東京大学の方に戻られてからは、結構、学内のいろいろなアド
ミニストレーション的なお仕事も大分していらっしゃるのではないですか。

○田丸先生:それは、ちょっと話があるのですけれども、プリンストンに小平邦彦先生と
いうフィールド賞をもらわれた有名な数学の先生がいらして。

○インタビュアー:小平先生、数学者。

○田丸先生:あの方がプリンストンに一番最初からいらして、日本人の仲間の村長さんみ
たいだったんですけれども、その100メートルぐらいのところに私たちは住んでいて、し
ょっちゅうお邪魔に上がり、先生も僕たちとはとてもよく話してくださって、小平式の考
え方がとても勉強になりました。
 小平先生が帰国されて程なく、紛争の直後だったわけですよ。それで、事もあろうに、
理学部の教授会が小平先生を理学部長に選んだんですよね。それで、小平先生はもう絶対
に嫌だ、そんなために日本に帰ってきたのではないから絶対に嫌だと言われて。だけれど
も、教授会で一旦選ばれて断れるという前例をつくられると、あの時代に、なる人がいな
くなりますでしょう。だから、みんなで助けるから是非断らないでくれと言って。そうし
たら、化学では田丸さんを知っていると言うんですね。それで僕が学部長補佐の中に入れ
られて、学生とごたごたさせられて。あのころ、いろいろ大変だったでしょう。

○インタビュアー:そうですね。

○田丸先生:もうそれこそ学生が、先生たちは「専門ばか」だと言って。小平先生が、「先
生は「専門ばか」と言われるけど、学生はただの「ばか」だね」と(笑)。小平語録という、
そういう面白い話がたくさんあるんです。そんな形で、そういうアドミニストレーション
に引っ張り込まれたわけです。それまではもう研究しかやっていなかったんですけれども。

○インタビュアー:それから後、もちろん研究者としては、我々は日本化学会ですから、
化学会賞も先生に取っていただいていますし、化学会の会長にもなってご尽力していただ
きましたね。いろいろあるんですが、先生は、東京大学をご退官になってから、たしか、
今、山口東京理科大という、最初からそうだったんでしたか。

9:東京理科大時代と新しい大学作り

○田丸先生:東大を辞めて、東京理科大にまず行ったわけですね。理科大で呼んでくださ
って、そこに11年いました。神楽坂のあそこへ。でも、その終わりのころは、山口に短大
があったんですね。それを4年制にするから大学づくりを手伝ってくれと。僕は、まずよ
い大学を作るのには人集めが大切だからといって。でも、田舎の小さい大学なのに、随分
いい人が来てくれました。僕が言うと変ですけれども、田丸先生だからあれだけ集まった
んですねと言われ、例えば、木下実さんという学士院賞を後でもらった人も来てくれたし、
東大からは化学会で賞をもらった戸嶋直樹さんとか、清水忠二先生とか、東工大から山本
経二さんとか、いろいろないい人が随分来てくれて。ただ、残念ながら、今はもうほとん
ど定年になって辞めていきますけれども。だから今、大分苦しい立場らしいですけれども。
 そのころは、新しい大学とはどういうものであるべきかというので、初め東京理科大の
中で、橘高先生という偉い理事長さんが、「理科大の教育を高度化する委員会」をつくって、
その委員長をさせられたんです。それで私は、まず、アメリカ式に、教育を充実させよう、
先生の講義に学生が意見を出すべきだと、いろいろなそういう話をしたら、皆さん、その
ときはもう、「とんでもない、学生の分際で先生の講義を……」と、そういう雰囲気だった
んです。それで、その新しい考え方を山口で実施したわけです。ですから、そのころの一
部の人は知っていますけれども、要するに、理科大はこうあるべきだというモデルをそこ
につくって、例えば人事をするときは、自分たちだけではなくて、その分野の専門家も学
外から入れて決めるべきだとか、カリキュラム自体も、例えば数学の先生が書いてくるも
のをそのまま受け取るのではなくて、やはり全体的に客観的な意見を学外からも求めて、
全体的にきちんとしたカリキュラムをするべきだとか、今まで習慣的にやってきた大学の
あり方を大きく変えて、山口で始めました。今どうなっているか知りませんけれども。

10:大学入試について
○インタビュアー:少し戻りますが、先生は、山口東京理科大で、モデルケースをつくろ
うというか、一つの実験をしようという感じだったと思うんですが、入学試験の制度を変
えたらどうかということを、私、何か先生のお話を聴いたことがあるんですが、それはど
んなものだったんでしょうか。

○田丸先生:さっき言ったように、これからあるべき大学の姿をつくりたいといって、入
学試験を面接に加えて教科書持参で筆記試験をやったんです。高校以下の教育を改善する
には大学の入試を改善することが大事なんですね。福井謙一先生も何時も言っておられま
した、「今の大学の入試はどうでもいいこまかいことまで覚えさせられて、あれは若い人の
芽を摘んでいるんですよ」と。

○インタビュアー:教科書持参ですか。なるほど。

○田丸先生:文部省検定の教科書を持ってきていいよ。すると、教科書を持っているから、
「これ覚えているか?」式の暗記問題はできないんですよね。教科書を本当に理解してい
るか、こういう場合はどうすればいいのか、という考える問題にしたのです。福井先生が
それを聞かれて大変に褒めていただきました。その大学の開学式にご挨拶してくださり、
その冒頭に入試についてお褒めの言葉を頂きました。
 ですから、例えば、塩と砂糖と白い砂がまざっているものがある。それがどのくらいの
割合であるかどうやって調べればいいか、そうやって教科書には全然出ていない考え方を
聞くわけですね。そうすると、実によくわかりますね、この子は考えることができる子か、
たとえ結論が間違っていても、ちゃんと食いついてくる子かどうかというのが、非常によ
くわかります。
 だから、ああいうのは、入学試験で、例えば大学院の試験でもそうかもしれないんです
けれども、普通の講義の試験になっていると、要するに入学試験の準備で、日本は高等学
校の理科を見ても、「わかったか、覚えておけ」、そういう一方的な教え込む授業ばかりで
すよね。またそれが入試対策にはいい教え方なんです。それで、大学へ来ても、そういう
延長ですから、生徒から先生に質問がろくにないわけです。アメリカだと、極端な場合は、
講義の後、先生の部屋の前に並んで待っていますよ、ディスカッションするために。日本
じゃ、ただ受け取るだけの話で、それで大学院へ来るわけですね。それでクリエイティブ
なことをしろと言ったって自立していないからできない。ついイージーな教育になってし
まうので、ほんとうの「研究」から大きく外れて一生損をします。 
 本当に、さっきの私が経験したような辛い思いを大学院に入って数カ月、「おまえ考えろ」
だけでもいいです。何をすればいいかね。そうやって、やはり研究というのは考えるもの
だと。それが知的体力を鍛えるのです。そうして人生全体に、independent thinkerとして、
やはり考える自立した人間をつくらなければいけないんだということで、入試を変えない
といけないですね。

○インタビュアー:それは、先生がそう言われても、例えば入学試験の問題をつくるのは、
今までいた教官なわけですね。そうするとなかなか。

○田丸先生:それが見えてくる。非常にはっきり分かれるんです。「先生、問題をつくれま
せん」と。確かに容易ではないんですけれどもね。だけども、本当に考えられる人は研究
も立派に出来ます。或いは研究の優れた人は自分で独自に考えることができますし問題も
作れます。きちんと考えますから。だから、僕は、大学院の試験でも同じように、講義の
試験をするようなことではなくて、例えば、高等学校のときに習って覚えている話があり
ますけれども、例えばアボガドロの法則といったようなものを、気体の体積、圧力が同じ
で同じ数の分子があるとか、そういうものを習いますよね。それから、食塩はイオン結晶
だよとか、水素と塩素の反応は連鎖反応だとか教わりますよね。だから、そういう三つの
ことをみんなよく知っているんだけれども、では、それぞれを実験的に証明する仕方を述
べなさいと出題するわけです。そうすると、よくわかるんですよね。よく知っていること
を、どうしてそうなのか実験的に証明しろと言われると、本当にその人の考える力がわか
るんですね。
 そういう意味で、教育自体が、入学試験を含めて自分で考えてやるものだという。ただ、
先生がこう言ったから、はいわかりましたと覚えて、物知りになって出てくる、そうやっ
て育ってくる人間ではなくて、「先生そう言うけど、これはなぜ?」とか、さっきの小学校
2年の孫が聞いたのと同じことなんです。そうやって、それぞれの事柄が、バックがきち
んとあるのを、みんなただ教科書を覚えさせられてもだめなんですよね。

○インタビュアー:先生、試験のそういう試みをされたときは、全学の受験生に対してそ
れをされたわけですか、それともある学科だけ。

○田丸先生:いや、全部。全部といっても、学部は1つしかなかった小さい大学ですから。

○インタビュアー:その結果は、先生、どんな感じ、何年間ぐらい続くことが可能でござ
いましたか。

○田丸先生:だから、時々そうやって選んだ生徒はどうなっていますかと言われるんです。
あとよくわからないんですけれども、一つは、初めから受験生の質の問題もありますから
わかりませんが、日本全体の入学試験自体が問題で。アメリカ辺りでも、有名大学によっ
てはクリエイティビティーとリーダーシップを見て選ぶとか言いますね。そうやって人の
上にたつ人を資料や面接を通してきちんと見るんですね。ケンブリッジでもそうです。教
科書を丸暗記しているような子は採らない。やはり自分で考えられる将来のリーダーを選
ぶんですね。
 本当は東大でも、そういう意味で、将来のリーダーを選ぶクリエイテイブな入学試験を、
面接などに時間がかかるかもしれないけれども、2倍ぐらいに絞ってからでもいいですが、
そういう自分で考えられる人間を選び育てるんだという姿勢で、それこそ京大でも、東大
でもみんなそういうことにいたしますと、高等学校以下でもそれに備えてそういう準備教
育をいたしますから、だんだん自分で考える人間が育ってくるわけですね。そういうのが
私の意見です。

○インタビュアー:山口理科大で先生がそういう試みをされたときは、そのころは文部省
でしょうか、それは別に、「どうぞやってください」という、それに対して何らか規制とい
うか抵抗は別になかったわけですね。

○田丸先生:私立ですし、理事長さんが僕の意見を入れてくださったからよかったんです。
でも、教科書持参の試験を一部でいいですからやるのもアイデアだと思うんです。

○インタビュアー:そうですね。

○田丸先生:例えばサッカーの選手だって、練習で余りこまかい受験準備はできなかった
けれども、そういう考え方には自信があるよというのは、そっちの方へ行って受けるとか
ね。しかし本当に問題づくりが難しいんですよ。だから、要するに先生のクリエイティビ
ティーの問題なんですよね。

○インタビュアー:そんな感じはしますね。

○田丸先生:ですから、逆に言うと、先生を選ぶ人事のときも、そういうことができる人
間を大学として大事にする、またそういう人は研究面でも必ず優れています。そういうこ
とをしないと、ただ知識を教えるだけなら、教科書に書いてあるのを説明するだけで、「わ
かったか、おい」とかというだけの話ですから自分で考えるようには育たないですね。

11:父親、田丸節郎について

○インタビュアー:先生、ちょっと話が変わりますが、一番最初のころに出ました先生の
お父様、何といってもハーバーとの関係で、我々、表面だけなんですが非常によく存じ上
げているのですが、そのあたりのことをちょっとお伺いしておければありがたいと思うん
ですが、お父様は、やはり東京大学をご卒業されてから向こうに行かれたわけですか。

○田丸先生:そうです。(亡父の兄は田丸卓郎で、東大の物理の教授で寺田寅彦の先生とし
て、またローマ字論者として知られている)

○インタビュアー:第一次世界大戦の前。

○田丸先生:文部省の留学生としてハーバーのところに行ったんですね。それで、カール
スルーエでアンモニア合成をやって、40人もいたそうですけれども、ハーバーがベルリン
の新しい研究所(現 Fritz-Haber-Institut der Max-Planck-Gesellshaft,Berlin)の所
長に選ばれたときに、その中から父を選んで連れていって研究職員にしたんですね。その
研究所が世界一の研究所で、アインシュタイン(Albert Einstein)などもいたし、日本人も
随分そこに留学に行っています。

○インタビュアー:何年間ぐらいドイツというか、いらっしゃったんですか。

○田丸先生:合計8年ぐらいだったと思います。だから、ベルリンにいた日本の大使が父
に、「日本からどんないい職が来ても、私が断ってあげますよ」と言ったそうだけれども、
それだけ日本人として大変に珍しく重要な地位だったらしいのですが、世界大戦が始まる
と、ドイツは日本の敵ですからおれなくなって。
   
○インタビュアー:第一次世界大戦ですね。

○田丸先生:それでニューヨークに行って、高峰さんなんかと一緒にいて、日本に理研を
つくろうじゃないかと話し合ったりして。ハーバードにもいましたけれども。

○インタビュアー:それで高峰譲吉先生とか

○田丸先生:はい。理研も最初、化学の研究室は父が責任を持ってつくって、日本に初め
て本式の化学の実験室というのをつくりたいというので、相当無理したらしいです。その
頃日本にはなかった本当の化学の研究室のモデルをつくりたいと。それで多分、費用もか
かって大分言われたらしいのですが、大震災で他の建物は大分つぶれてしまったのにその
建物はガラス1枚割れなかったというので大変に評価されたらしいんです。

○インタビュアー:震災というと、それは関東大震災ですか。

○田丸先生:そうです。

○インタビュアー:ああ、そうなんですか。

○田丸先生:大正12年のね。僕が生まれる前です。

 父が一番最後に努力したのは、学術振興会をつくることでした。昭和一桁の時は、ご存
じのように、日本の経済は非常に悪かったので、せっかく理研なんかをつくっても、研究
費が削られることはあっても、来にくかったんですね。大学でもほとんど研究費が乏しく
て、これではとてもいけないからというので、桜井錠二先生を担いで、父も必死になって
学術振興会をつくる運動をしました。身体が悪かったんですけれども無理をしながら。結
局、一番最後は、手回ししたんでしょうが、昭和天皇が、私の身の回りのことは幾ら節約
してもいいから、学術振興のためにお金を出してくれとおっしゃってくださったんですね。
それで、昭和7年かにできて、それで、それから急に論文の数が日本で倍くらいに増えて、
論文だけじゃなくて、それで人材が育ったんですね。その人材が次の代を育てて日本が発
展していった、それが父の一番の苦労でした。

○インタビュアー:櫻井錠二先生。お名前は。

○田丸先生:先生の残された遺言書に書いてありますけれども、学術振興会なんかでも、
本当に田丸のおかげでできたと。

○インタビュアー:そうですか、立派なことをなさったんですね。

○田丸先生:それが、日本を欧米並みにしようという努力ですね。理研を作り、理研の実
験室をつくること自体も、そういう意味で大分努力したのではないかと思います。
 ハーバーがベルリンに連れていってくれたときも、よく、「田丸は死ぬほど働くから」と
言ったそうなんですけれども、何か死ぬほど働いたらしいんですね。アンモニアの合成な
んかにできるかどうかというのが。それで、死ぬほど働いてどうにかなった。だから、テ
イラー先生も、田丸の息子だからというので、何かにも書いてありましたが、「父親の素質
を受け継いでよくやってくれた」と。

○インタビュアー:先生もお父さんと同じように、死ぬほどテイラー先生のところで働か
れたんですね。

○田丸先生:いいえ、僕はそれほど勤勉ではありません、死ぬほどなどしなかったです。

○インタビュアー:いやいや、周りのアメリカ人とかイギリス人は結構、lazy で、だから
先生を見たらもう脅威だったのではないですか。

○田丸先生:そうですね。そういえば、一緒にいたイギリス人が「ケンジは一日16 時間実
験する」と言ったことはあります。家との通勤が片道車でほんの5分くらいでしたし、実験
の合間に食事に帰って、新しい方法で、新しいexciting な興味あるデータがどんどん出て
きて研究がとても面白かったですから。

○インタビュアー:ブラックボックスを先生がちょっと開けて見られたわけで、そういう
感じですね。

○田丸先生:そうですね。でも、その結果というか、それからの50年間が、そういう意味
で触媒の分野が本当に進歩したんですね。反応最中の表面を調べ始めましたから。それで、
いろいろな機器もどんどん進歩しましたから。それで、結論的に、一昨年ノーベル賞をも
らっています。そういう基本的な分野が今、日本で案外なほど少ないんですよ。大学院生
をこれできちんと育てないとという心配もありますね。

○インタビュアー:先生のおっしゃることはよくわかります。私は一応これでも京都で福
井謙一先生の門下生の端くれなんですけれども、福井先生も先生と同じようなことをいつ
も考えておられて、「サイエンスそのものを考えるのが大切だ。その根本を考えろ」といつ
も言われていましたね。それはなかなかわからなかったんですけれども、先生のおっしゃ
るのと、やはりそうなんですね。

12::Catalysis Letters に載った写真について
 
○田丸先生:先生に一つ見ていただきたいのは、これは、2000年に出たCatalysis Letters
でそんなに昔の話ではないんですけれども、触媒の歴史をまとめて、例えばベルツェリウ
ス(Jons Jacob Berzelius)が「触媒」という言葉を初めて言い出して、ファラデー(Michael 
Faraday)が出てきて、そしてハーバーが出ているんですけれども、その中にこういう、こ
の写真を勝手に使ったんですよ。僕の許しを得ないで出していて。

○インタビュアー:どこからこういうのが手に入っていったんですか。先生がどこかに出
されたんですか。    
   
○田丸先生:ここの家の前で撮った写真ですよ。

○インタビュアー:それを誰かから手に入れているわけですか。

○田丸先生:もう一枚、現在の私のと。あなたの写真を2枚入れたよと言ってくれたんで
すが、他人の写真を、これは1984年にベルリンで大きな触媒の学会(第8回ICC)があった
ときに、ハーバーの展示コーナーをつくったんです、ハーバーが初めてアンモニア合成し
たときの装置なんかを出して見せて。それで、僕のところに、何かハーバーに関連したも
のを送ってくれないかというので、それまでほとんど出さなかったんですけれども、その
写真を送ったんですよ。そうしたら、ケンブリッジの教授のジョン・トーマスさんが、僕
に是非このコピーをくれと言って、それで上げたのをオフィスに飾って、日本人が来ると、
この赤ん坊が謙二なんだよと言って。

○インタビュアー:そうですよ、先生、これとこれなんですね。

○田丸先生:この赤ん坊なんですよ。ハーバーに会っている証拠の写真です。

○インタビュアー:だから二つ載っていると、そういう意味ですね。現在のとで二枚。

○田丸先生:そうなんです。そういう、大げさに言えば、化学者になるように運命づけら
れていたということかもしれないんですけれども。

○インタビュアー:すばらしいな。

13:アインシュタインからの手紙について

○田丸先生:それから、私の家宝の一つなんですけれども、これは、この人の手紙ですよ

○インタビュアー:アインシュタインですね。

○田丸先生:田丸あてですよ。

○インタビュアー:1949年、すごいですね。

○田丸先生:アインシュタインが、そのころは世界が、第二次大戦が終わって、もう日本
もめちゃくちゃになっちゃったし、ヨーロッパも戦争でめちゃくちゃになって。でも原爆
ができて、だから、トルーマンがスターリンに、もう一回、今米ソでやれば必ず勝つとい
うわけですね。

○インタビュアー:アメリカがソ連にですね。

○田丸先生:いわゆる緊張した時代だったんです。私の父はアインシュタインと同じ研究
所で知っていましたから、その息子なんだけれども、世界がこんなんでいいんだろうかと
いう、若気の過ちで手紙を出したら、きちんと返事が来ましてね。
 しかも、面白いのは、世界が平和になるのは、アンダーラインをして、1つの方法しか
ないというんです。それはもう世界連邦しかないと。それから今まで60年ですか、随分た
っていますけれども、今ヨーロッパに行くと、もう本当にそういう感じがしますものね。
各国が同じお金を使うし、パリみたいに、昔は英語なんか全然しゃべらなかった所が、英
語もどうにか通じるようになるし、いわゆる連邦という感じがしますでしょう。
 それで、僕は、これから50年のうちには東洋もそうなると思うんですけどね。コンピュ
ーターの時代になって、国や宗教、人種の違いを超えてお互いのcommunicationも加速度
的に自由になって増えてきますし、だんだん世界中そういう連邦になるのではないかと思
って。その方向に。要するにワンウェイしかないと。アインシュタインが自分でサインし
て田丸あてにくれたというのが。

○インタビュアー:湯川秀樹先生も書いているんですね。オール……(以下、アインシュ
タインからの手紙を読む)……すごいな。

○田丸先生:アインシュタインの言葉が、今の現実を見るとき、あのときにはもう全然考
えられない時代でした。フランスとドイツだってお互いに殺し合いをしていた直後でしょ
う。だけれども、それからもう50年、60年たつと、そういう方向にどんどんなっていって
いるというので……。

○インタビュアー:これは先生、是非この冊子に載せさせてくださいね、この言葉はね。

○田丸先生:はい。

○インタビュアー:これはすごいですね。

○田丸先生:僕は、そういう意味で、このアインシュタインの言葉と今の現実とを対比す
ると、本当にそうだなという感じがいたしますね。

○インタビュアー:湯川先生も一生懸命、世界連邦をつくるということを言っておられま
したけれどもね。

○田丸先生:そうですね。

○インタビュアー:早くからそういうふうにね。

○田丸先生:実際に、田丸謙二あてに書いてくれたというのが、僕としてはありがたい言
葉で。それで、僕はある高等学校で化学の話をさせられて、普通の話をして、そのときに
アインシュタインのこの話を一寸出したんです。そうしたら、何かすごくみんなショッキ
ングで、それで、質問が幾つか来て、「どうしたらああいう手紙をもらえるんでしょうか」
と。(笑)

○インタビュアー:なるほど、そうですか。やはり純粋な心を持つということでしょうか。

○田丸先生:つまらない話ばかりして申し訳ないんですけど。

○インタビュアー:いやいや貴重な話ですよ。いろいろお話いただいてお疲れでしょうが、
いろいろ先生からお話を伺って、今、先生はもう満85歳におなりですし、大体、若者に対
しての言葉というものもいただいて、「考えろ」というふうなことなんですが、あとほんの
少し、何か先生、もうちょっとこれだけ言っておきたいということがございましたら、少
しだけでも何かありましたら。

14:日米の教育の差について

○田丸先生:繰り返しになりますが、やはり教育界全体が問題で、例えば20年近い前か
な、アメリカでは、アカデミーを中心にして、これからの子供の教育は、コンピューター
の時代になるし、大幅に変えなければいけないというので、それまでは理科でも、クジラ
の種類を覚えさせたり、そういう理科の授業だった。それではいけないというので、そん
なのは全部やめて、science inquiry という、科学の考え方ですね。さっきのように、「な
ぜこうなのか?」という理科に変えるんだといって猛烈な努力をしたんです。もう全国で
150 回ぐらい講習会を開いて、それから、教育関係学会とも協力し、最後は4万冊刷って
みんなに配って意見を求めて広め、理科を基本的に変えるという時代でした。
 ちょうどそのころですよ、日本の化学教育の関係者が集まって、文部省の教科書検定に、
高等学校から「平衡」という言葉を消したんですよ。「平衡」なんていうのは、ものを考え
る一番基本ですよ。例えば蒸気圧一つにしても、平衡で蒸気圧降下はなぜ起こるかとか、
それから、沸点上昇でも、凝固点降下でも、浸透圧でもみんな平衡をもとにして考え方が
出てくるわけですね。それで日本は、むしろ考えない方向にした時代です。今は直りまし
たからいいのですけれど。日米の教育関係者の知的レベルの差はこれほど大きいのです。
 大事なことは、そういう日本の教育関係者たちが、本当のことを全くわかっていないと
いうことですね。それで、文部省も有名人を集めて平衡をなくしたわけです。そのくらい
の知的レベルなんですね。それで、アメリカの方ではそういう画期的な努力をして、新し
いものをつくって、それがヨーロッパに広まって、かえってそれが日本に入ってきて、「ゆ
とり教育」を始めようと言い出すわけです。
ゆとり教育というのは、覚えることを少なくさせるための教育ではなくて、考える教
育を育てるというのが基本なんですけれども、日本にそういう基盤がないんですよね。
ろくな準備もしてないで入れるものですから、ますます駄目なのです。本当は知識は
基本的なものに限り、互いに debate し合いながら、それを基に各人が十二分に自立
して「考える教育」に切り替える訓練をして、新しい時代に向けての「考える教育」を
するために非常な努力をしなければいけなかったのです。「化学と教育」誌57巻3号
(2009年)に日本化学会会長の中西宏幸さんがお書きになっています。「イノベーショ
ンを推進するためにはこれを担う人材の育成が急務であるが、残念ながら、わが国の
人材育成は多くの問題を抱え危機的な状況にあると言わざるをえない。コミュニケー
ション能力の不足、専門以外の基礎学力の不足、自分で考える力あるいは意欲の低下
といった問題が感じられるのは私だけではないと思う。」要するに「ゆとり教育」が「教
える知識の減少」のみが実際に実施され、最も肝心な「考える教育」の育成は文科省
も教師も全く受け入れる基盤のない結果として、単に「学力の低下」になってしまっ
た。一番の被害者は生徒たちで、一番大事な考える重要性も、考え方も教わらず、肝
心なその訓練もなく、単に教わる項目が減ったと言うことで、「実力が下がった」と言
われる結果となってしまった。時代の大きな新しい流れに乗って世界的に教育改革を
する折角のいい機会だったのに自国の「考えない入試本位の教育の基本的欠点を改め
ようともせずに、国を損なった文科省を初めとする教育関係者の罪は大変に重いとい
わざるを得ないのではないでしょうか。
考える範囲を限るという考え方は、学術の健全な姿ではないんです。「ゆとり教育」の
初期の議論で再三問われたのは「最低限教える必要のある項目を精査する」ことだった
はずがどこかで「必要十分条件」とすりかえられてしまったことが不幸の始まりだっ
たと思います。自分で考えようとする姿勢を持っている子供たちには、その知的好奇
心に答えるための教育であるべきです。先程の私の孫の例でもよい参考になりますが。
子供の数が激減している現状では、少人数学級や副主任などの制度が整備されれば、
各人の個性に応じた個別教育に近い対応も可能なのではないかと、思いますが。

○インタビュアー:「ゆとり教育」も何か妙になってしまったんですね、あれも。

○田丸先生:そうなんですね。やはり学力が低下したとかなんか言うんだけれども、本当
の話は、考える教育が世界中に広まってきて、日本だけがそうやって手遅れになってしま
うということです。
 それが、大事なことは、文部科学省をはじめとして教育関係者がわかっていないという
ことですね。それで、小学生にindependent thinkerに教育をするんだと思っている先生
なんて、日本にどれだけいるでしょうか!小学生は何も知らないで入ってくるから教える
んだという、教え込むことだけでやっていますね。最近少しずつ変わってきているようで
すが。教え込む方が楽ですし、入学試験もそれでいくし。だから、何かそういう、さっき
のケンブリッジでもそうですけれども、将来のリーダーを育てるという教育が、日本には、
差別というのはいかんという形ですが、差別という意味ではなくて、各人の異なった資質
を区別しながら才能を伸ばす教育、各人が自分の個性を育てるように自分で考える、要す
るに個性を育てる教育に切り替えないと。これは先生からそうだと思う。やはり生徒は先
生の背を見て育ちますから、先生がそうやって自分で考える教育をすると、生徒も考えな
ければいけないんだなということがわかってくると思うんです。

○インタビュアー:先生まで変えていかなければいかんので、これからも時間がかかりま
すね。

○田丸先生:それがいい方向に向かっていればまだいいんだけれども、どうも時代はどん
どん加速度的に変化していきますよね。日本では、それについていけるかどうか。

○インタビュアー:いえいえそんなことは。そうならないようにね。

○田丸先生:政治家でも何でもそうですけれども、立花隆が『天皇と東大』という本を書
きましたが、あれにも書いてあるんですけれども、東大生は習ったことをそのまま理解し
てはき出す、そういう能力は非常に高い者が多いけれども、要するに自分で考えるクリエ
イティブな人は必ずしも多くない。クリエイティビティーで試験をしていませんから。そ
れで、それが大学を出て、公務員試験などを経て、必ずしもクリエイテイブでないリーダ
ーになるわけですね。それが日本の国策を決めていくわけです。ですから、やはり基本は
考えることが大事だ、と。それで、そういう人材のつくり方をきちんとしていかないとい
けないのではないかと思うんですけどね。国の将来は教育が決めるんです。

○インタビュアー:それについて、京都でも考えるんですけれど、私を見てもわかります
ように、大したものがなかなか出ていないというのもあるんですね。

○田丸先生:本当は先生がきちんとすべきなんですよね。先生の再教育のための講習会を
開いても、来る先生はまあいいんだけれども、むしろ来ない先生の方が問題でね。やはり
先生の再教育ということは、本当に大事なことだと思いますね。

○インタビュアー:先生ありがとうございます。

15::テニスと天皇・皇后両陛下について

 最後に、全然関係ないですが、先生はお忘れでしょうが、私は昔、先生とテニスをさせ
ていただいたこと、覚えているんですけれども、先生はそのとき、鎌倉のこのあたりのロ
ーンテニスクラブか何かの会長か何かをしているとおっしゃっていた。もうこのごろは、
テニスなんかは全然していらっしゃらない。

○田丸先生:もう今はひざが痛くてできないんですけれどね。会長も、それこそ早稲田の
テニス部の元キャプテンだったなんていううまい人がたくさんいるクラブで、当時六百人
以上のクラブなんです。ただ、そのテニスコートをつくった隣に頼朝がつくったというお
寺があって、それを鎌倉市はもとのお寺に復興させようと。そうすると、そのテニスコー
トがそのお寺の庭になってつぶれる恐れがあるんですよね。鎌倉市は世界史跡都市とかに
なりたいというので一生懸命で、そうしたいと言っていて、2年のうちにそういうふうに
するという時代があったんです。
 ちょうど景気の悪くなるちょっと前でしたか。それで、その費用の8割を出す文化庁に
一寸でも顔のきく人がいないか、と。僕は全然だめよと繰り返し言ったんだけれども、会
長にさせられちゃって。そうしたら、ちょうど私が東大の総長特別補佐(副学長)をやら
せてもらったときに、文部省から東大の法学部を出た女の人が学務課長に来ていたんです。
それが文化庁へ戻って、文化庁でその問題を取り扱う隣の課長になっていた。それでもう
その人を頼みにするしかないというので行ったら、とてもよくしてくれて、その係の人た
ちを集めて僕の説明を聞いてくれたり、それで予算のときでも考慮に入れてくれ、それで
一番の危ないときを乗り越えまして、とてもありがたかったんです。
 天皇陛下が葉山にいらっしゃるときに、御用邸がありますでしょう、天皇。皇后両陛下
がテニスをしに時々いらっしゃるんですよ。それでそのときに僕は、侍従なんかに言った
ら絶対にだめなんですけれども、天皇陛下に、「ここのクラブの特別名誉会員になっていた
だけますか」と直接お願いしたんです。そうしたら、まんざらでもないお言葉があったん
ですよ。それで、「天皇陛下がいいっておっしゃったよ」とみんなに言いふらして。そうし
たら、本当にそういう手続を一応して、そうなったんです。
 天皇。皇后両陛下とも素晴らしいお二人です。形式抜きにおもてなしして、気楽にお話
し下さるようにするんですけれど、本当に素晴らしいご夫婦ですね。ご結婚50周年で新聞
にも出ていましたが、テニスコートにいらっしゃると、テニスだけでなく、お気楽にお話
になる雰囲気がお好きなんですよね。特別名誉会員になっていただいた次のときにいらし
たときに、お帰りになるときに、「おたくのクラブの特別名誉会員にしていただいてありが
とうございました」とお礼をおっしゃるじゃないですか。普通、お礼を言われると、「どう
いたしまして」と言うんですけれど、こういうとき何て言っていいかわからないで、もう
まごまごしてしまったんですけれども。

○インタビュアー:先ほど、先生の写真がね、天皇・皇后両陛下とご一緒に写った写真を
拝見しましたから、ふと、ああ、そうだ、先生テニスをされていたなと思い出したので。

○田丸先生:でも、気楽にお話をすると、とても素晴らしい方々ですよ。皇后陛下もお利
口さんだし、お心遣いもなさり、本当によくできた素晴らしいお二人です。

○インタビュアー:私は、化学会としては6年前に125周年のときに陛下に来ていただい
て。

○田丸先生:そうなんですよね。その前に前立腺の手術をなさったでしょう。そのときに
僕はお見舞い状を出そうやと言ってお見舞い状を出したんです。またお元気になられてテ
ニスをしにいらっしゃいということで。そうしたら翌日、侍従から直接電話が来てね、陛
下がとてもお喜びになりました、と。その時は本当にごらんになったのかなと半信半疑に
思って。だって、沢山の人が祈念しに行ったときでしょう。そうしたら、その後退院され
て初めての公務として化学会にいらしたでしょう。

○インタビュアー:そうです。来ていただいたんですよ。

○田丸先生:それで、立派なお言葉を賜り、その後でレセプションがあったときに、陛下
が僕の顔を見て、いらして、「その節はお見舞いありがとうございました」ってお礼を言わ
れたんですよ。天皇陛下がそこまで細かいことにまで気を遣われるとは夢にも思わなかっ
たんですけれども、僕の顔を見て、お礼をおっしゃいました。

○インタビュアー:先生、本当にいいお話を聞かせていただきました。

○田丸先生:いやいやとんでもないです。つまらない話ばかりで。

16:「サロン・ド・田丸」について

○インタビュアー:今日は、先生のお弟子さんの先生方が沢山お宅に来ていらして。

○田丸先生:そうですね。昨年11月に田丸研究室の出身者の集まりを東京でしたんですけ
れど、皆が来ますと限られた時間内ではお互いにゆっくりと話し合えなかったんですね。
そうしたら、もっと先生と親しくしゃべりたいというので、有志が「サロン・ド・タマル」
というのをつくって、早速12月にやろうというので、もう勝手に企画して、鎌倉駅に早め
に集まって食べるもの飲むものなど全部買い集めて、しかも集まる人数はなるべく10人以
下にしたいというのですが、実際にやって、見ると数名の幹事役を除いても優にその二倍
にもなったりして、私の家で僕を囲んでしゃべるというんです。僕は、その会の幹事役に
任せてあるんですけれど、僕の会費分は僕に払わせてもらって、ただ皆さんが楽しくしゃ
べっているのを聴いて楽しむだけが主な役なんですけれど、今日は午後その日に当たって
いるのです。場合によってはわざわざ大阪からその為に来る人もいます。
 研究室として、以前はしょっちゅうここの庭でバーベキューなど集まりをしまして、み
んな仲がいいものだから、一緒に来た外邦人なんかも驚くんですね。アメリカなんかでは
考えられない、と。だから、いつまでも家族的に皆さん仲よくやってくれるという、それ
は、とても素晴らしいことですね。日本的なところでもありますけれども。

○インタビュアー:それは、日本的であると同時に、やはり先生のご人徳であり、一つの
教育を、その場でやはり教育になっているんでしょうね。

○田丸先生:そうですね。出世した弟子たちに今更わたくしからの教育でもないのですが、
意見があれば伝えますが、逆に現役の連中から近頃の様子を教えてもらったり、(折に触れ
て彼らの研究室のゼミに出させてもらっていますが)前回は化学会学会賞が今度3月末か
な、川合真紀さんがもらいますから、それをこのサロンで皆でお祝いし、それから、今日
の午後には、触媒学会賞を今度もらう内藤周弌君夫妻が来ます。お祝いも忙しいですが、
皆さん、弟子の方々がだんだん偉くなって、紫綬褒章も、今までもらった人は研究室出身
者の中から4人ですけれども、将来多分もっと増えるのではないでしょうか。

○インタビュアー:先生、それをいつまでも見届けるように頑張ってください。是非長生
きしていただいて。

○田丸先生:それが私の毎日の楽しみの一つなんです。卒業生の皆さんがメールや電話で
よくお見舞いなどしてくれ有難いことです。一人住まいで不便の面もありますけれど、け
れど毎日がお蔭様で、ありがたく、楽しく、感謝しています。

○インタビュアー:それは、これから元気でいらっしゃる大きなドライビングフォースで
すね。 今日は先生、本当にありがとうございました。


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(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
田丸謙二 田丸先生 Kenzi Tamaru Kenji Tamaru)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今回から2回に分けて、田丸先生についての原稿を送ります】

**************************


●田丸謙二先生

++++++++++++++++++++++++

今度、恩師の田丸謙二先生が、化学会の化学遺産委員会の
ほうで、インタビューを受けました。
田丸謙二先生の生涯の履歴書のようなものです。
先生から原稿を送ってもらいましたので、そのまま紹介
させてもらいます。

+++++++++++++++++++++++

林様:

  例の「名士インタビュー」の最終原稿です。 どうせ文
部科学省の連中は読んでくれないと思いますので、「要約」をつけま
した。 私は大変に大事な教育改革だと思いますが、最近の様子を
知らせてください。 日本人は自分の意見を自立して考えて外国人
と討論でき、debate ができるようになれるにはどうしたらいいので
しょうか。特に外務省の役人の人たちなど、矢張り小学校の頃から
訓練しないといけないのではないでしょうか。
  率直なご意見お待ちしています。
                                               
  田丸謙二

  この原稿に写真がつきます。どんなのがつくか分かりませんが。
(2009年5月16日)

*****************************

【田丸謙二先生へ】

おはようございます!
ひざの関節のぐあいは、いかがですか?
たった今、送っていただいた原稿を、再度、読ませていただきました。
(先日、プロトタイプの原稿を送っていただきましたので、今回が、2回目という
ことになります。)

Independent Thinkerについてですが、まず第一に、日本の社会のしくみそのものが、
独立してdebateできるようなしくみになっていないということです。
「もの言わぬ従順な民づくり」が、今でも、教育の基本です。
それではいけないと考えている教師も多いようですが、結局は押さえこまれてしまって
います。
あるいは限られたワクの中に、安住してしまっている(?)。
ワーワーと自己主張するような子どもは、集団教育の場では、やりにくいというわけ
です。

これについては、江戸時代の寺子屋教育、さらには明治に入ってからの国策教育が
原点になっていますから、改めるのは容易なことではないでしょうね。
「もの言わぬ従順な民」に教育させられながら、またそういう教育を繰り返しながら、
当の本人たちが、それに気づいていないのですから。

第二に、私自身が、そういう世界に生きてみて実感しているのですが、この日本では、
(力のある子ども)(力のある人)を、どんどんと登用していくというシステム、
そのものが、できていません。
先生がいつもおっしゃっているように、トコロテンのように(流れ)に乗った人は、
それなりのコースを歩くことができますが、そうでない人は、そうでない。

たとえば私の息子たちですが、二男は、現在、インディアナ大学(IU)で、スーパー
コンピュータの技師として働いています。
キャンパスを車で行くだけで、2時間もかかるという広大な大学です。
(多分、先生もご存知かと思いますが……。)

二男はそれを操って、世界中のスパコンをリンクさせるというような仕事をしています。
で、今は、EUが開発した量子加速器(映画『天国と地獄』にも一部、出てきましたが)、
そこから衛星を使って送られてくるデータの分析をしているそうです。

浜松のランクの低い高校を出て、アメリカへ渡り、ワチェタ大学→ヘンダーソン州立大学、
コンピュータ・ソフトウェア会社を経て、IUに移りました。
私はこういうことが自由にできるアメリカのものすごさに、驚いています。

一方、二男の嫁は、ヘンダーソン大学のアメリカ文学部を、主席で卒業したこともあり、
2年前、日本でいう司法試験に合格。
全額奨学金を得て、同じIUに通っています。
2児の母親が受験勉強をして、です。
これもまた日本では考えられないしくみです。

で、三男はどうかというと、横浜国大をセンター試験2位の成績で入学しながら、中退。
オーストラリアのフリンダース大学の語学校を卒業、(つまり卒業ということは、大学の
専門学部への入学資格を取得したという意味です。たいはんの留学生は、入学資格を
取得できないまま、帰国しています。)
そのあと航空大学に入学、現在は、J社で、B-777の最終操縦訓練を受けています。

で、この三男でおもしろいのは、学生時代に、世界的規模のアマチュアビデオコンテスト
(英語名:Fish-eye)で、グランプリ(第一位)を獲得したという点です。
表彰式はロシアのモスクワでありました。

しかし、です。
ここからが日本です。
三男は自分で制作したビデオ類を、昨年、すべてYOUTUBEから取り下げて
しまいました。
詳しくは書けませんが、そういった圧力を、どこかで感じたのでしょう。
つまりこの日本では、(力のある人)が伸びることもできず、「型」にはめられ、
押し殺されてしまうのです。
で、今は、ビデオ制作から、完全に遠ざかってしまっています。

こうした(しくみ)は、私も自分の人生を通して、いやというほど、思い知らされて
います。
なんせ、そこらの出版社の編集部員ですら、そういう(しくみ)に迎合しているのです
からおかしいですね。
(東京の出版社からときどき、客がきますが、みな、手ぶら。
駅からの送り迎えにあわせて、食事の接待などを、平気で私たちにさせたりします。
「ああ、この男は、私をそういうふうに見ているのだな」ということが、それでよく
わかります。)

こういった(しくみ)を変えていくのは、たいへんなことです。
それこそ教育のしくみ、そのものを、根底から変えていかねばなりません。
端的に言えば、現在のように、学校しか道がなく、学校を離れて道がないという(しくみ)
を変えていかねばなりません。

ご存知のように、大学では、EUのように単位の共通化をするという方法もありますが、
たとえば小中学校レベルでは、ドイツやフランス、イタリアのように、「クラブ制」を
もっと導入していきます。
日本でも、あちこちで始まりつつありますが、官製クラブでは、意味がありません。
学校教育そのものが、現在、教育機関として満足に機能できない状態にあります。
教師たちが忙しすぎるというのも、深刻な問題です。
どうしてその上、「クラブ」?、ということになります。
民間に委譲できる部分は、思いきって移譲すればよいのです。

そのEUでは、クラブ制を活用し、その費用は国が負担しています。
(額は、国によってちがいますが、同じくクラブの費用も国によってちがいます。)
もっとも現在のままクラブ制を日本で導入したら、進学に有利なクラブのみが繁盛する
という結果になってしまうと思いますが……。

つまりこの日本では、debateできる国民は求められていないということです。
自分の意見を、自分の名前で発表していく……。
何でもないことのようですが、それができません。
この私についても、「あの林は、共産党員だ」と書いているBLOGもあります。
政治を批判したら、共産党員というわけです。
(最近では、「北朝鮮のミサイル迎撃反対」という意見を書いたら、即刻、「売国奴
BLOG」なるもののリストに、私の名前が載ってしまいました。)

まるで日本全体が、歌舞伎か相撲、茶道、華道、さらには、能の世界みたいです。
が、もちろんこれではdebateなど、求むべくもありません。
Debateしたくても、相手が逃げてしまいます。
毛嫌いされてしまいます。

……とまあ、愚痴ぽくなってしまいました。
で、自分の人生を振り返ってみて、こうも思います。
「私はたしかに自由を求めて生きてきたが、本当にこれでよかったのか?」とです。
あのままどこかの大学に入り、研究者としての道を歩んだほうがよかったかもしれない、
とです。
ワイフもときどき、そう言います。
そのほうがこの日本では、生きやすかったのかもしれません。

しかし悪いことばかりではありません。
この40年間だけをみても、日本は大きく変わりました。
今の今も、変わりつつあります。
不十分かもしれませんが、やっと日本も、民主主義に向けて産声をあげつつあるという
ところではないでしょうか。
(その一方で、復古主義的な動きもありますが……。)

その私も満61歳。
先生が東京理大へ移られた年齢です。
で、もう遠慮はしない。
言いたいことを言い、書きたいことを書く。
そういう姿勢に変わってきました。
「自由」を満喫できるのは、これからだと思っています。

最後になりますが、先生にはいつも、本当に励まされます。
私の知人の中には、(そのほとんどがそうですが……)、定年退職と同時に、
ジジ臭くなってしまい、隠居だの、旅行だの、畑作だの、そんなことばかりして
いる人がいます。
そういう人たちを見るにつけ、「どうしてこの人たちは、もっと天下国家を論じ
ないのだろう」と不思議でなりません。
残り少ない人生を、若い人たちに還元していく。
それこそが私たちの世代の者の使命だと私は思うのですが……。

言いかえると、長い人生の中で、日本という組織の中で、そのように(飼い殺されて
しまった)ということにもなりますね。
「牙を抜かれてしまった」と言い換えてもよいかもしれません。
そしてなお悪いことに、今度はそういう人たちが、保守主義、あるいは保身主義に
陥ってしまっている!
過去を踏襲しながら、踏襲しているという意識そのものがない。

もっともそれをしないと、自己否定の世界に陥ってしまいますから……。
だから私のような人間は、嫌われるのです。
私のような人間に、成功(?)してもらっては、困るのです。
そういう一般のサラリーマンたちがもっている潜在的な意識は、あちこちで、
よく感じます。

またまた愚痴ぽくなってきました。
実のところ、この2週間ほど、スランプ状態で、脳みそが思考停止状態にありました。
思考停止というより、「もうどうでもよくなってしまった」という感じでした。
「どうしてこの私が、日本や、人間や、地球の心配をしなければならないのだ」と、です。
「どうせ私は、だれにも相手にされていないではないか」と、です。

しかしまたまた先生からのメールをもらって、元気100倍!
一気に、ここまで(計6ページ)も書いてしまいました。
今朝は指の動きも軽快です。
久しぶりです。
ありがとうございました。

なおいただいたインタビュー記事ですが、先生のおもしろさが、まったくなく、
私はつまらないと思います。
先生がいつか話してくださった、紅衛兵時代の中国や、東大紛争時代の理学部の話
のほうが、ずっとおもしろいです。
プリンストン大学のアインシュタイン博士の話でもよいです。
先生の父親が、理学研究所でシャワールームを作った話でもおもしろいです。
あるいは東京理大の入試問題の話とか、不合格になった学生の親から抗議を受けた
話とか……など。

私が先生なら、そういう話をまとめて自伝にします。
あらいざらい、この際、世界を蹴とばすようなつもりで書きます。
(私も、現在、そういう心境になりつつあります。)
つまりこの記事は、たしかに「遺産」ですが、(まだ生きている人に向って、
「遺産編集」というのも失敬な話だと思いますが……)、先生はまだ遺産ではない。
「現役」です。
その現役であることに感動しています。

実のところ、先生が数年前、アメリカの化学の教科書を翻訳出版したと聞いたとき、
あるいは50歳を超えて、中国語を勉強し始め、中国科学院で中国語で講演をした
と聞いたとき、そのつど、私は心底、励まされました。
「人間は、やる気になれば、できるのだ」と、です。

先生と私とでは、月とスッポンですが、いつも月をながめてがんばっています。
(実のところ、今のこの日本で認められるということは、あきらめています。
だいたい、この日本を相手にしていないのですから……。)

どうかお体を大切に!
関節の具合はいかがですか?
血栓も無事防げたということは、メールを読んでわかりました。
よかったですね。

では……。

先生からいただいたインタビュー記事は、そのままBLOGなどに収録しますが、
よろしいですか。
不都合な点があれば、知らせてください。

なおたびたびですみませんが、先生から預かっている原稿が、山のようになっています。
こうした原稿も、随時、私のHPやBLOGなどで掲載してもよろしいでしょうか。
(現在、掲載しているのは、許可をいただいた分のみです。)

また気分のよいとき、返事をください。
待っています。

林 浩司


***********以下、田丸謙二先生より***************


1:はじめに
○インタビュアー:田丸先生、今日は土曜日で、先生おくつろぎのところ、わざわざ私ど
も化学遺産委員会のためにお時間を割いていただきまして誠にありがとうございます。
 私ども化学遺産委員会、日本化学会、もちろん先生は会長を以前にしていただいており
ましてよくご存じのところでございますが、化学遺産委員会というものを昨年3月に立ち
上げまして、その以前には化学アーカイブズという形で3年ぐらい事業を続けたんですが、
化学遺産委員会というわかりやすい名前に変えまして、そこでいろいろな事業を行ってい
るわけですが、その中の一つに、化学における立派なご業績を残された先生方、あるいは
企業で立派な仕事をなさった方々、そういった方々の人となりを声と映像で残そうという
事業を一つ行っております。

○田丸先生:先生は最初からご関係なんですか。

○インタビュアー:はい、一応やらされて。私、一応、今、化学遺産委員会委員長を引き
受けております植村でございます。
 それで、今日は、先生がご幼少のころからずっと今まで、どういうふうにして化学の道
に入ってこられて、どのような人生を歩んでこられたのか、それを先生にご自由にお話し
していただけたらと思っております。

2:生まれ育ちについて
 まず、どういうところからでも結構なんですが、一応、先生の簡単な生い立ちというも
の、先生は、まさにここ鎌倉でお生まれになったんですか。

○田丸先生:この家で生まれました。

○インタビュアー:そうでございますか。それでずっとここで育たれて、大学は東京大学。
そのときは先生、まだ東京帝国大学ですね。

○田丸先生:はい。

○インタビュアー:帝国大学の理学部化学科に行かれたとお聴きしておりますが、そのあ
たりまでのところで、何か先生、ちょっとお話していただけますとありがたいんですが。

○田丸先生:その辺りのことは私のホームページ(http://www6.ocn.ne.jp/~kenzitmr)に
も書いてあるんですけれども。小学校のときは、ここの鎌倉師範の附属に行っていて、そ
こを出て神奈川県立湘南中学校という、今の湘南高校ですけれども、旧制の中学に入って、
それで、そこでは化学が一番嫌いだったんですよ。成績も他の科目に比べて悪かったんで
す。
 私の成績のことをふだん言う人ではなかった父だったんですけれども、父が、やっぱり
自分が化学をやっていたせいか、「化学の何がわかんないの?」と聞かれて、返事に困った
ことがあるんです。要するに分からないというよりも、全くの暗記物だったんです、その
ころですね。だから毎週、もう「これ暗記したか」、「これ暗記したか」とばかり教えられ
て、要するにつまらなかったわけですね。ただ、父が言った一言を覚えているのは、「大学
に行くと、化学は今のと随分違うんだよ」というのは、ちょっと頭の隅に残ってはあった
んですね。
 とにかく大嫌いな化学だったのが、旧制高校に入りまして化学を学ぶと、もう全然違う
んですね。それこそ、なるほど、なるほどという話になって、今までのただ暗記すればい
い化学とは全然違って、「これはなかなか面白いな」と考えが変わったのです。
 ちょうど大学の入学試験に、僕の年まで分析実験の試験があったんです。未知試料をも
らって、これは何かという答えを2時間で分析して、そのレポートを書く。その練習まで
特別にさせてもらって、それで、なかなか面白いなと思って。今まで嫌いだったのが、そ
の時点で切り替わりました。やはり、なるほどというか、化学って考えてやるもんだなと
いう因子がそこで入ってきたわけです。
 そのころは、戦争中でしたから、勤労動員に行ったりしてなかなか勉強しにくかったん
ですけれども、私が大学を卒業したのが昭和21年で、終戦の翌年ですね。その頃は東京の
相当部分が焼け野原でしたし、財閥は賠償に取られるんだとかいろいろの噂があり、もう
いい就職口なんか全然なかったんです。ただ、戦争中に特別研究生と言って、助手並みの
給料をもらいながら研究をする、そういう理系の学生を育てるというシステムが終戦後も
残っていたんですね。

○インタビュアー:聞いたことがございますね。大学院入学から学位をもらうまで

○田丸先生:それで、そのいわゆる特研生にしていただけたものですから大学に残れて、
おかげさまで人生がそこである程度決まったわけです。

○インタビュアー:今、先生が言われましたが、お父様が化学をやっておられて、高名な、
後でまたお話ししていただくと思うんですが、非常に高名な、私が聴いたところによると、
日本化学会の会長先生がこの家から2人出ているというような、お父さんと息子さんでと
いう、そういうことをちょっと耳に挟んだことがありますけれども。

○田丸先生:そうですね。偉はそうえらそうなことを言うのではなくて、医者の子どもが
医者になりたがるのと似たような、余り深い哲学もなくて継いだという面もなくはないと
思うんです。

○インタビュアー:物すごくいい親孝行を先生はされたんですね。

3:大学院時代と就職
○田丸先生:いやいや。
 それで、私が後で考えて、一番大事だったと思うのは、大学院に行きまして、鮫島実三
郎先生のところに研究テーマをもらいに行ったわけです。何をしたらいいでしょうかと。
そうしたら鮫島先生が一言、「触媒をおやりになったらどうですか」と言われたんです。そ
のころ、もっとずうずうしければ、触媒をどういうふうにすればいいんですかと質問して
もよかったかもしれないんですけれども、そのころは、先生は偉い人で、そういう一言を
いただいて、「はい」と言って引き下がってきたんです。
 ところが、鮫島研究室の中には、例えば助教授の赤松秀雄先生は炭素の電気伝導度、あ
れは後で学士院賞になった有機半導体の研究、それから後にお茶大に移られた立花太郎先
生が煙霧質といって煙のことをやっていらしたし、それから、中川鶴太郎さんという後に
北大に行かれた人は液体の粘弾性というのをやっていたり、みんな違うことを勝手にやっ
ているんですよね。だから、誰に聴こうが、教わる先輩が全然いないんです。「触媒をおや
りになったら」と言われてもね。今、何が面白いんでしょうとか、普通は同じ研究室にみ
んな先輩がいて相談に乗ってくれるんですけれども研究室の中には誰もいない。しかも、
化学教室自体が、水島三一郎先生みたいに分子構造論とか、島村修先生の有機化学なんか
があるんですが、触媒をやっている人なんか一人もいないんです。
 しかも、もっと悪いのは、終戦直後ですから外国の文献が全然入ってこなかった。そう
すると、戦前の随分古い文献までしか文献がないんですね。それで、触媒をおやりになっ
たらと言われても、それからの4〜5カ月というのは、もう本当に苦しかったんです。何
をしていいのか自分で決めなければいけないわけですね。それで、古い本を見ていても、
分かったことは書いてあるんですけれど、研究というのはどういうものかというのは、大
学院の入りたてですから全然そういう下地がなくて、苦しい4〜5カ月に一生懸命考えて、
何をしたらいいだろうと迷いに迷って。1人で考えるものですから全然自信がないんです。
 でも、その迷いが後々まで、自分のやっていることが何か間違っていないだろうか、あ
るいはもっと発展するいい考えがないだろうか。それで、どういうふうに考えたらいいん
だろうかと、いつも研究しながら、自分で自分に問いかけながら研究をするという、そう
いう研究の基本を問わず語りに教わったわけですね。僕は、非常にいい経験だったなと後
になって思います。
 それで、さんざん迷った挙句実際に決めたのは、パラジウムを触媒とするアセチレンの
水素添加反応で、アセチレンからエチレンになって、更にエタンへ行きますよね。そのと
きに、あのころはもう研究費もないものですから、ただの真空ポンプで、反応容器を真空
にしてアセチレンと2倍の水素を入れてやったんですけれども。そうすると、全圧を計っ
ていると、だんだん時間と共に圧力が減るわけですね、水素化されますから。そうすると、
あるところで、何もしないのに急に反応が早く進むんですよ。「これは何だろう?」とよく
調べてみたら、アセチレンのある間はエチレンからエタンに行く反応が起こらないんです。
アセチレンが全部エチレンになったら、今度はエチレンの水素添加が早く進み始まるんで
すね。そういう二つの反応が一つの実験の中に別々にぽんと入っているんですね。
 これは、後で分かったのは、そのころ世界でも誰も知らなかったことだったんです。た
またまそういうものにぶつかったものでした。そうしたら、パラジウム触媒の分散度を変
えたら二つの水素化反応が如何に変わるか、触媒の担体を変えたらどうなるだろうか、そ
れから、触媒を部分的に被毒をさせたらどちらがどうなるだろうかと、いろんな実験がど
んどん後に続くわけですね。
 それで、その結果が数年後にアメリカで「Catalysis」というEmmett(BET吸着式の提唱
者の一人)がつくった本があって、その中に3ページほど引用されていて、結構新しい面白
いことだったわけで、それは全く運がよかったわけですよね。

○インタビュアー:先生、そのお仕事は、やはり邦文の論文として。

○田丸先生:欧文誌に出しました。

○インタビュアー:日本化学会の欧文誌に。

○田丸先生:そうです。

○インタビュアー:それは、きちんとエメットなんかが見て、それを。

○田丸先生:そうですね。多分Chemical Abstractsあたりを通したんではないでしょうか。
それでその結果学位をもらえたんです。幾つも印刷発表をしたものですから。そのころは
まだ、本当の大学院が発足していませんでしたけれども、いわゆる論文ドクターで、普通、
論文ドクターは、大学を出て7〜8年してもらうものだったんですね。

○インタビュアー:そうですね、普通は時間がかかりますね。

○田丸先生:「鮫島先生が卒業年度を間違えたんじゃないの?」と言われたくらい、4年で
もらえたんですよ。それで、ひき続き就職の話になるんですけれど、一年先輩の学年の人
や兵役解除された人達が一杯いてトテモ空いた地位がない。そのころはGHQがみんなコ
ントロールしていましたから、アメリカと同じに、日本では各県に1つずつ大学をつくる
んだよということになったのです。それまで、大学というのは数少なかったわけですね。
いわゆる旧制大学だけでしたから。それからアメリカ式の教育システムになるという話に
なっていました。丁度その頃横浜国立大学から人を求めてきたからどうですかと言われた
んです。しかしそのころは横浜国大と言っても、いわゆる横浜高等工業ですよね。研究な
んか、全然そんな雰囲気のところではなかったわけです。日本のいわゆる新制大学が全部
がそうでしたけれども。その上、横浜には夜学もあって、何か雑用ばかりさせられて、こ
んなことしてたんじゃとてもいけないなという感じで、それで、アメリカのPrinceton大
学に Sir Hugh Taylorという触媒では世界のリーダー的大物で、その弟子たちが各国にい
る、触媒の分野では本当の泰斗というか、開拓者の一人がおられて。

4:アメリカ留学時代
○インタビュアー:Sir Taylor。

○田丸先生:はい、Sir Hugh Taylor。それで、その方に学位論文と自分のことを書いて、
留学できませんかと手紙を直接出したんですね。そうしたら、たまたまテイラー先生がお
若いときにハーバー(Fritz Haber)の研究室を見に行ったら、私の父とお会いになったのを
覚えていらしたんです。それで、ハーバーがアンモニア合成に成功したのは、その下にLe 
Rossignolとか、田丸とか、すぐれた人がいたからだよとおっしゃるんです。
つまり、あのころ人類は、人口は増えるけれども、窒素肥料はチリ硝石に主に頼ってい
たんですが、もうそのチリ硝石も枯渇するのが目に見えている、人類の将来は飢餓が訪
れるともっぱら前世紀の初めには言われていて、Ramsay(Sir William Ramsay)とか、
Ostwald(
Wilhelm Ostwald) とか、Nernst(Walther Nernst)とか、後でノーベル賞をもらった連中
がみんな、一生懸命窒素固定のことをやっていたんですね。中には、空気中で放電して
NOxを作ることをやろうとしていたのもいましたけれども、窒素と水素からアンモニ
アをつくるというのが、本当にどれだけ行く反応なのか、窒素は不活性な気体ですから,
平衡定数がよくわからないで、みんな暗中模索でやっていたんですね。
 それで、Nernstという人が、高圧がいいに違いないというんで、高圧にして、平衡定数
を計ろうとしたんですけれども、データが不正確で、ブンゼン学会で1907年に有名な討論
があって、ネルンストは、結論として窒素と水素からアンモニアをつくるなんていうのは
工業的にも到底できない反応であると言いきったんですね。ハーバーは、実験が正確では
ないんだというので有名な討論があったのです。ハーバーはアンモニアの合成と分解の両
方から速度を求めただけでなく、窒素と水素の混合気体を触媒を通す循環系を使って循環
させ、それの途中でアンモニアを集める工夫をしてやる。そうするとだんだんアンモニア
がたまってくる。そういうアイデアでやったら、これで行くよという形になって、それで
初めて、1909年に、オスミウムを触媒にして、180 気圧、820 K でうまくやってみせたん
ですね。
 それで、BASFがそれに乗り出して、Bosch (Carl Bosch)が大変な苦労をして高温、
高圧の条件でスケイルアップし、Mittasch(Alvin Mittasch) がいい触媒を見つけるのに成
功したわけです。ハーバーは1918年にそれでノーベル賞をもらったんですけれども、ボッ
シュは高温、高圧の化学工業を初めて成功させたというので、1931年ですか、ノーベル賞
を貰っていますね。

○インタビュアー:いわゆる我々がハーバー・ボッシュ法と大学で習うあれでございます
ね。

○田丸先生:そうなんですね。

○インタビュアー:そのときの技術というのは、今の化学工業の一番の礎だ、基礎だとい
うところで、いまだに、それがあったからということを聞きますけれども、そうなんです
か。

○田丸先生:そうなんですね。Mittasch が、その反応に使ういい触媒がないかといって非
常にたくさんのものを探したんですね。その研究が、触媒の本性というか、それを随分明
らかにしたんですね。例えば、その際たまたまスウェーデンから出てきた鉄鉱石がいい触
媒だとわかって、それじゃといって、純粋の鉄を使うとだめなんですね。それで、なぜそ
うなんだろうというので、純粋の鉄に微量なものを加えると活性がぐんと上がる。いろん
なそういういわゆる助触媒作用というものとか、もちろん触媒作用の温度の影響や被毒現
象なんか、そういう触媒の性質を非常に明らかにした。ミッターシュ自身もノーベル賞を
もらってもいいくらい、本当に触媒の本性を初めて明らかにしたわけですね。
 テイラー先生はそういうのを見ていらっしゃったから、その田丸の息子なら雇ってもい
いと思われたらしくて、comfortable に生活できるからプリンストンへいらっしゃいと言
われて。

○インタビュアー:それは先生、昭和何年ごろですか。

○田丸先生:1953年です。昭和28年ですね。

○インタビュアー:講和条約ができた直後ですか。

○田丸先生:まだ珍しいころです。

○インタビュアー:そうですね。

○田丸先生:ちょうどフルブライトがあったものですから、それで家内と行かせてもらっ
て。日本じゃ、あのころ、生活費の中で食費が占める割合であるエンゲル係数というのは
大体60%、まだ食べるのがやっとの時代でした。そのころアメリカに行って、日本にまだ
なかったスーパーマーケットで、食べたいものをみんな、アイスクリームでも何でもかご
に入れられて、それが一番の感激でした。一桁以上違う生活レベルでしたから。
 それで、実験施設もいいし、テイラー先生がとってもよくしてくださったんです。そこ
で、いろいろの話から問わず語りに、研究というのは頭でするものだよというのを非常に
深く教えていただきました。実際にテイラー先生の弟子たちが、世界中、方々にいたんで
す。ですから、後で方々に行くと、おまえ、「プリンストンの田丸だね」と言って、とても
よくしていただいて。
 例えば、ソ連なんかではボレスコフ(G,K,Boreskov)という大物がいたんです。ノボシビ
ルスクの触媒研究所の所長で、アカデミシャンで、ソ連の中で触媒関係についていろいろ
決めていた。それが、「テイラーがあなたのことをベストなスチューデントだと言ってたよ」
といって、私がいろいろな国際会議の議長や国際触媒学会(第9回ICC) (International 
Congress on Catalysis)(1956年以来4年毎に開かれている大きな国際触媒学会で、昨年
韓国のソウルで第14回が開催された。第1回からこれまで14回全部のICCに参加したの
が世界で私一人だけになってしまって特別に挨拶させられた)の会長をやっていたときに
も、例えば台湾を1国として数えるかどうかとかいろいろな問題があったんですけれども、
米ソの軋轢の中でボレスコフさんはとても協力的にやってくれました。そういう意味では、
テイラー先生のおかげで、随分助かったんです。

5:In-situ dynamic characterizationの始まり
 テイラー先生のところでやった実験というのは、ゲルマニウムの水素化物のゲルマニウ
ムの上での分解反応なんですけれども、それをやっているときに思いついたのは、触媒反
応の反応中の触媒の表面の反応現場、それがどうなっているかを直接調べたいというアイ
デアを生んだんです。それまでは、触媒というのは微量で反応速度を促進するものという
ことで、いつもブラックボックスの中に入っていて、ブラックボックスの入り口と出口の
情報を基にして、例えば反応速度式の情報から、反応はこういうふうに行くのではないか
という推論だけやっていたんですね。
 ところが、僕はやっぱり、本当に大事なのは反応をしている最中に触媒表面の現場を見
ることである。何がどんな形でくっついているのか、それがどういうダイナミックな挙動
をするか、どんな反応経路を経て反応が行っているのか、そういうものを、後でisotope jump 
method と称したんですが、定常的に反応が進んでいる最中に、ある反応物を同位元素で印
を持ったものにぽっと置き換えるんですね。その同位元素が吸着種の中に現れてきて、そ
れからこっちへ行って最後に反応生成物に行くという、その反応経路もわかるようになる
わけです、 
 それで、兎に角触媒反応が進んでいる状態で触媒表面を直接調べようということをテイ
ラー先生に申し上げたんです。まず触媒を普段よりうんと多くして、閉じた循環系で
反応速度を測りながらやりますと吸着種とその量が分かるのです。そうしたら、先生はそ
のときに、直ぐにその意味を分かってくださり、「You are very ambitious」更にもう一度
「You are very ambitious!」とため息混じりに二度繰り返されました。でも、まだ世界中
でそれまで誰もしたことがないのに、そんなこと果たして本当にできるのかと先ず仰いま
した。じゃ、その計画を持っていらっしゃいというので、翌日、触媒をこれだけ入れて、
こうやって、こうすると、このくらいできますよといって、「じゃ、やってごらん」という
ので、そこで触媒反応中の触媒表面の直接の観察が初めて始まったんです。

○インタビュアー:You are very ambitiousと言われたわけですね。

○田丸先生:はい。それで、パリで1960年に大きな触媒の国際会議(第2回ICC)があっ
て、そこでテイラー先生が、僕のアイデアを引用して招待講演をなさったんですけれども、
触媒作用はこれまで反応機構が暗中模索だったけれど、これからは田丸のアイデイアで、
新しい頁が開けるよ。こうやって反応の起こっている現場を調べていくと本当の触媒作用
の機構がわかるんだよと。これから新しい触媒の研究面が生まれて、それを基にして、あ
とは反応中間体の調べ方を開拓していけば、ちょうどそのころ、吸着種を調べる赤外分光
も出てきたし、それから電子分光も直ぐに出てきて、そういう新しいアプローチも出てき
たころだったからよかったんですけれども、いわゆるワーキングステイトの触媒の表面が
どうなって、どういう反応経路を経て反応が行くかというのを調べ始めて、程なく何百と
いう研究報告がその新しい線に沿って出てきて、いわゆる触媒作用の分野が本当のサイエ
ンスになったんですね。それまでだとただ外側から推論だけだったのが。

○インタビュアー:今のことは、インサイトーの、インシチユーの、それの中で吸着がど
のようになっているかというようなことを見るというアイデアだったわけですね。

○田丸先生:そうなんですね。触媒のin-situ dynamic characterizationの始まり、つま
り、触媒の表面を反応中に直接調べるという。それで、そういう線に沿ってその後にEXAFS
とかいろんな新しい手法で調べるダイナミックなキャラクタリゼーションを色々の人が始
めて、それがだんだん積み重なって、一昨年、ベルリンのフリッツ・ハーバー研究所のデ
ィレクターだったErtl(Gerhard Ertl)がノーベル化学賞をもらいましたけれども。

○インタビュアー:ドイツの人。

○田丸先生:はい。触媒の基礎としてPhotoemission electron microscope という面白い
手法で、反応中の触媒表面を反応中に調べたんですね。そういうこともあってノーベル賞
をもらいましたけれども、私が言い出してからの50年間というのが、そういう触媒のサイ
エンスが飛躍的に進歩発展していった時代で。

○インタビュアー:要するに、先生が、そのノーベル賞につながった一番最初のところの
提案者というか、そういう感じでございますね。

○田丸先生:そうですね。ちょっと言い過ぎかもしれないですが。
 
6:Princetonからの帰国
それで、1956年にプリンストンから日本へ帰ってきて、触媒討論会で初めてそれの反応
例を、タングステンによるアンモニアの分解の結果を発表したんですね。そうしたら、
堀内寿郎先生という当時北大の触媒研究所の所長さんで、後で総長になられましたけれ
ども、その先生はいつもスピーカーのすぐ前に座っていらっしゃるんですよ。それで、
僕の話が終わったら、すっくと立ち上がって、本当に言葉を尽くして褒めてくださいま
した。これはすばらしい研究だと。触媒の研究が、これでこれからは本当のサイエンス
になるんだと。
 それで、私についていらっしゃいと仰るんです。どこへ行くのかなと思ってついて行っ
たら、文部省に行かれて、文部省の研究助成課の課長、中西さんとそのころ言った、その
人に会って、堀内先生だからそういうところへ行って、会えたんですね。田丸は今将来学
士院賞をもらうほどの素晴らしい新しい研究をやっているから、是非幾らかでも補助して
あげられないかと個人的に交渉なさって、当時、特別に15万円もらって。15万円って少額
ですけれども、そのころ私は横浜の助教授の、まだ30歳ちょっと超えたころで、もう本当
に真空ポンプ一つ買うにも苦労していたものですからとっても助かりましたし、そのよう
に励ましていただいたということですね。堀内先生とは師弟関係があったわけじゃなかっ
たんですけれども、そうやって特別に褒めていただいたのは、とてもありがたかったなと
思うんですね。

○インタビュアー:見抜かれる方もそうですが、見抜く方もすごいもんですね、やはり。
立派なものですね。

○田丸先生:それで、これは学士院賞に値すると褒めてくださったんですが、本当にもら
ったのは何十年か後でしたけれども。

○インタビュアー:先生は学士院賞もいただきましたですね。

○田丸先生:だから、触媒が新しいサイエンスとなった、新しいページを開いた時代でし
たから、やること、なすことみんなexcitingで、面白いんですね。基本的な触媒反応につ
いて、この反応の中間体は、今まで教科書なんかに書いてあることと全然違うことも出て
くるんですね。学生たちも非常によく働いてくれたものですから、新しいことが沢山出て
と来てとても面白かった時代です。

○インタビュアー:先生はプリンストンには2年ぐらいいらっしゃったわけですか。

○田丸先生:3年近くいました。あちらで双生児が生まれましてね、おしめのことなどあ
り,まだその頃は長旅はすぐ帰れませんからというので、双生児を理由にして1年延ばし
てもらって。双生児のおかげでよかったんですけれども。 (その双生児が生まれた病院で
一ヶ月後にアインシュタインが亡くなりました)

○インタビュアー:それは、横浜国大に籍を置いたままやらせていただく。

○田丸先生:そうです。それで、横浜の方では、(当然のことながら)人手が足りなくて困
って大分冷たいことを言われましたけれども、双生児で今本当に困っているんだから、長
旅はちょっと待ってよということで。だから、帰国までにいい実験結果もまとまりました
し、帰国後も学生に本当に新しい局面の実験をさせることができたんですけれども。
 私がいつも口癖のように言っていたのは、「せっかくいい頭をお持ちなんだから、よく考
えなさい」と。よく偉い先生が、アイデアがたくさんあって、おまえはこれやりなさい、
おまえはこれやりなさいと先生からテーマをもらって、院生は人手として実験して、確か
にいい仕事ができるんですけれども、研究テーマをもらってやっただけでは、その後、独
立すると育たないんですね。それじゃいけないからと思って、テイラー先生のやり方もそ
うだったんですが、とにかく研究は頭でするものだというフィロゾフィーですね。
 「せっかくいい頭をお持ちなんだからよく考えなさい」と、ここにいる人たちも言われ
たと思うんです。ただ、初め、みんな皮肉を言われたと思うんですね。ところが、僕にし
てみれば、頭は使えば使うほどいい頭になるんですよね。そういう基本があったものです
から、みんなやはり研究は何か新しいことを、先生からもらったテーマだけじゃなくて、
それをいかに発展させるかというのを考えてくれたというのがあります。そうやって考え
に考えて自分で新しいアイデイアを考え付く体験はその人の一生の宝になるものです。

○インタビュアー:それは、先生も、鮫島先生からそういうご指導を受け、またテイラー
先生から受けられたという、それがきちんと身になって。

7:Independent thinker について
○田丸先生:それが基本になっているのではないかと思いますね。ですから、口の悪いの
が冗談半分に、私がいつもそう言っているのは、「あれは先生にアイデアがないからだよ」
と言った人もいるんですけど、必ずしもそうではなくて、学生によると、僕が例の通りそ
う言うと、これは自分で考えに考えてこう考えるのです、と言うから、それじゃやっぱり
足りないよ。こういうこともあるだろう、ああいうアプローチもあるだろうと、やはりそ
のくらい言える準備はしていないといけないんですけれども。

○インタビュアー:学生が、本当は先生もわかってるんだなと思うわけですね。

○田丸先生:それで皆さん、自分でよく考えていただいて。だから、例えばここにいる人
たちは、みんな東大の名誉教授と東大教授ですけれども、その前は、田中虔一君は北大か
ら東大に呼ばれたし、川合真紀さんは理研から、それから堂免一成君は東工大からとか、
初めいろいろなところへ就職させても、その先々で自分で考えていい仕事をしてくれたも
のですから、その結果として東大に招かれて。だから、僕は別に東大で政治的にどうした
ということは全然なくて、そういう仕事を通して研究室の卒業生の中から東大に8人も集
まったということだと思うんです。その他、京大、阪大、東工大などなどにもいますし、
私の研究室を出て大学教授になった連中はざっと数えても40人近くおりますし、国立の
研究所や企業でも活躍している人達も少なくありません。そういうお弟子さんのおかげで、
それこそ弟子でもってるねというのがそれなんですけれども。

○インタビュアー:今日はちょうどそのお三人の先生方もいてくださっているので、先生
は心強く話していただけると。

○田丸先生:お蔭様で、しかし間違ったことを言ったら言ってください。

○インタビュアー:いやいや、それは本当です。

○田丸先生:考えるに、大学院の時代でも、よく考えろ、考えろと言われると、考えるよ
うになるもんだなという感じがしますね。
 本当は、日本の教育が、自分で自立して考える教育というのが大変に乏しい。先生も生
徒も、自分の考えが足りないことは自分では気がつかないものなんです。外国ではもう幼
稚園、小学校からやるんですよね。「お前はどう考えるか」、と。そうしてお互いに議論し
合うことを通して自分の考え方を作り上げるのです。
私の孫で大山令生(レオ)というのは、アメリカで小学校2年までやって日本に帰っ
てきたんですね。それで、何をするかいうと、コップに水を入れて、自分の腕時計を
水の中に入れているんですよ。「おまえ、何してんのよ!」と言ったら、「これ、防水
って書いてある」と。実験しているんですね。
 それから、「救急車がこっちへ来るときは高い音で、向こうへ行くとき低い音になるのは
なぜ?」とか、「台風のメってどんなものなの?」とか、小学校2年生のくせに自分で考え
てどんどん質問するんですよね。それで、彼の小学校の先生が、私は長い間先生をしてい
たけれど、こんな利口な子、見たことないと言いました。それが、どうでしょう、日本に
いるともう見る見るうちに質問しなくなりましたね。普通の子になってしまいました。

○インタビュアー:日本に帰ってこられてからですか。

○田丸先生:そうです。日本の教育は教科書を覚えさせられて、入学試験の準備をさせら
れて、ということで、自分で考える教育が殆どない。もう本当に見る見るうちに普通の子
になりました。日本の教育は生まれつき才能を持っている子供たちでもその才能を引き出
して(educeして)育てることなしにみな普通の子にしてしまうんですよね。個性を育てる
本当のeducation が存在していないのです。
そういう個性を伸ばす教育は、小学校時代からちゃんとしないといけないんだなという、
そうするのが本当の教育だなという感じがいたしますね。

○インタビュアー:先生、教育については、日本化学会の雑誌の『化学と工業』とか『化
学と教育』とかにもしばしばエデュースということについて書いていただいていますね。

○田丸先生:アメリカで母親として子供を育てた娘も一緒に書いてくれましたが、小学校
の校長先生にどんな子供を育てるのかと尋ねると、アメリカではindependent thinkerと
言って、自分で考えさせるという基本を小学校時代から心がけるのです。お前はどう考え
るか、の繰り返しで、debateしながら、各人がそれぞれ生来持っている異なった個性を伸
ばしながら、みんなで協力して民主主義が育つんだという哲学ですね。日本の小学校の先
生でindependent thinker を育てようとしている先生が何人いるでしょうか。日本だと、
何かみんなと違う考えだと村八分になったりして、みんなと協力するという、「和をもって
貴しとなす」という、いい面もあるんですけれども、逆に言うと、個が育つ環境がないわ
けですね。
 本当に日本はこれから、殊にコンピューターの時代に、時代の変化が加速度的にどんど
ん速くなっていきますね。そういうときに、「教え込み教育」を通して単なる物知りなどを
つくっている教育ではだめなんで、やはり自分で考えられる、そういう変化の激しい時代
をリードできる人間というのは、やっぱりそういうindependent thinkerとして、自分で
考えるクリエイテイブな教育を受けさせることが必要で、これから日本は教育を基本的に
変えていかなければいけないのではないかなという感じがします。私の院生の連中は電子
供与体と電子受容体とを組み合わせて所謂「EDA錯体の触媒作用」もやっていたのもいまし
たが、両者の組み合わせでそれぞれと全く異なった触媒作用が現れるのです。鉄フタロシ
アニンとカリウムの錯体など、アンモニア合成を室温で進ませるものもでてきたりして、
沢山のデータを集めて「EDA錯体の触媒作用」として一冊の本に纏めてあります。
 私の経験からも、特に大学院に入って最初の1−2年に知的体力を蓄えることが非常に大
事なんですね、研究とは如何なることをするものかという正しい概念を身につけることで
すが、なかなか難しいことですけれど。現在の一つの現実的な問題は近視眼的な成果を求
める傾向もあって、日本学生支援機構(旧育英会)からの奨学金返済のシステムの変更があ
りますが、学問する上で学生にとっては大変に重要な問題になっているようです。
一方研究費については昔に比べると場所によっては近頃研究費は随分増えましたね。堂
免君のところなんて30人近くも抱えている。よくやっているとは思いますが。研究費で
は、僕なんていつも研究費が足りないので苦しみ、苦しみしてやってきたものですけれ
ども。ただ、そういう十分になってきた研究費が、さっきのように、本当に研究という
のは、自分でいつも考えに考えてやるものだという、それで練習問題的なことでなく、
新しいことをやらなければいけないという基本的な厳しい考え方が薄れて、イージーに
なってくる恐れを感じるのですが。研究費の出し方も同様ですが。
 勝手な考え方ですけれども、やはり、殊に大学院に進んで最初の数カ月、テーマをいた
だいてからの苦しみというか、厳しさというか、本当に研究って何をするんだろう?何を
やっても、もっといい考えがないかとしょっちゅう自分で悩みながら研究をするものだと
いうことを実際に教えていただくという、それは、研究者として基本的な大事なことだと
思います。

○インタビュアー:それが先生の仕事の本当の原点になっているんですね。

○田丸先生:大学院生なんかは、人手として使って、仕事をさせて、ペーパーは出るかも
しれないけれども、本当に研究の基本というものを、大学院生になって初めて研究に携わ
るときに、研究とは何をするのか、independent thinkerとして、自分で考えに考えて自立
した研究者になってくれればいいんですけれどもね。それが「知的体力」作りなんですね。
それをしないと、大学以下の受け取るだけの教育の延長では駄目なので、殊に新しく大学
院に入ってきた連中の研究者としての才能を育てていない感じがします。
○インタビュアー:そういう指導者であるべきだということですね。だから、先生のお弟
子さんは、そういう姿を見ておられるので、そういう感じの指導者になっていっておられ
るんだと私は思いますね。

○田丸先生:私のところから出て独立すると、みんなそれぞれ独立して立派な仕事をして
くれていますから、そこが少し違うのではないかという気がいたします。

○インタビュアー:確かに、最近ですと、大学院もきちんと充実してきて、例えば学部制
で入ってきても、テーマも上の先輩がやっているものの、まずは手助けぐらいから入った
りして、余り考えなくてもごく自然にやる。上の人がある程度仕事をやっていると、論文
として名前が出たりとか、「研究ってこんなものかな」と思いがちなところがございますよ
ね。

○田丸先生:そうなんです。新しく「研究」と言うものを学ぶときに、いい加減なことを
研究だと思い込ませるとその人の研究者としての才能を一生つぶすことになるわけです。

○インタビュアー:それは、一つは有能な方々が集まってきていたということはあったで
しょうね。ほとんど小中高校ぐらいの本当のトップだけが集まっていっているようなとこ
ろですから、先生もそういう指導がいいと思われたのかもしれないですね。

○田丸先生:でも、いわゆる秀才と、それからそういう新しいことを考えれる独創性とは、
やはり根本的に違うんですね。教えられたことを全て答えられる、そういう秀才だからい
い研究者というわけではないんですね。その辺の、習ったことを理解して覚えるだけでは
なくて、independent thinkerとして、自分で新しいことをcreativeに考える努力をする
という、人によって才能も違いますけれども、皆さん、そういう意味で努力してくれた結
果だと思うんです。出藍の誉れというのはみんな。

卒業生の活躍
○インタビュアー:先生もそうでしたし、先生のお弟子さん方も皆、やはり能力ある上に、
よく考えるということをされた方々が、その結果として、先生がおっしゃったように、40
人近い弟子たちが大学教授となり、中には東京大学だけでも8人も教授がいらっしゃる、
あるいは京大や阪大、東工大、北大にもいらっしゃると言うことですが、そういう人たち
が、また次の世代を先生の思想をもとに教えていっているというのは、非常にありがたい
ことですね。うれしいことですね。

○田丸先生:そうですね、今、弟子の弟子、つまり孫弟子を育てていますからね。少なく
とも、孫の育て方を厳しくきちんと考えてやりなさいという考え方を伝えてほしいなと思
うのです。さっき言ったように、時代の変化がますます激しくなってくる、そういう変化
の激しい時代をリードできるには、やはり自分で考えないといけないんですね。コンピュ
ーターができる物知りだけでは、これからはますますいけなくなるのではないかと。僕も、
先が短いですけれども、とにかくそういう、みんなが、もう少し日本人の教育全体的に、
independent thinkerとして、そういう個性を育てる教育がこれからますます必要になるの
ではないかと。

○インタビュアー:ちょっともとへ戻りますが、横浜国大で何年間かいらっしゃった後、
古巣へ戻るというか、先生はまた東京大学へ移られたわけでございますね。それで、そこ
でまた20年ぐらいいらっしゃったのでしょうか。

○田丸先生:そうです。東大の教授になったのが40ちょっと前ですから教授として20年
いました。その前に横浜に教授として4年半いたんです。そのときは僕も一生懸命実験を
したし、それなりに新しいやり方をやってもらったり、したりして、4年半教えた研究室
に毎年4人くらい来ましたか、その中から3人東大教授が出ましたし、大学教授になった
連中も幾人もいます。学生の質もよかったんですけれども、そのころから人が育ち始めて。
夜学なんかは随分つらかったけれども、学生がよくできて、そういう意味では、本当に私
は幸せだったと思います。

【次回へつづく】


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●神になったテレビタレントたち

+++++++++++++++++++++++

どこへ行っても、取り巻きのファンたちが歓声をあげる。
特別扱いを受ける。
もちろんお金にも困らない。
ワン・ステージ、100万円〜200万円。
あるいはそれ以上。
1、2度、コマーシャルに出るだけで、ふつうの人の年俸ほどの
収入を稼ぐ。

そんな生活をつづけていると、自分が神様か何かに選ばれた人間と
思うようになるらしい。
さらに自分が神様か何かと錯覚する人も出てくる。
自己中心性が肥大化すると、自分の姿が見えなくなる。
自分が人間であることを忘れてしまう。
その結果として、自分を神様と思うようになる。

++++++++++++++++++++++++

で、先ごろ、若い人たちの間で絶大な人気を誇る、Kなぎ(34)が、
どこかの公園で素っ裸になり、公然わいせつ罪で逮捕された。
それについて、同じくSMAP仲間の、NMというタレントが
こう述べている。

『これは僕たち、Kなぎ本人が、越えることのできる、越えなければならない、越えるべ
きであろう試練を、神様が与えてくれたんだな、と前向きにとらえています』(サンケイス
ポーツ・5月14日)と。

こういうところで、「神様」という言葉が出てきたのには、驚いた。
こういう言葉は、自分自身がその神様か、あるいは仲間が神様か何かと思って
いなければ出てこない言葉である。
「素っ裸になって逮捕されたことを、神様が与えてくれた試練」とは?

だからといって、Kなぎというタレントがどうのこうのと言っているのではない。
一般論として、人は、自分が有名になればなるほど、また権力者になればなるほど、
自分を「神様」と錯覚するようになる。
隣のK国の独裁者を例にあげるまでもない。
どこかの宗教団体の長は、自分のことを「釈迦の生まれ変わり」と説いている。
それもそのひとつ。

こうした感覚は、私たち庶民のそれから、かなりかけ離れているため、私たちには
理解できない。
が、無罪とは言えない。
中にはファンとして取り巻いている若い人たち自身が、「神様」と認めてしまう人も
いる。
ごくふつうの、力もなく、お金もなく、名もない若い人たちが、である。

が、人間に神様も、仏様もない。
仮にいるとしても、まったくそれらしくない人の姿をしているはず。
私やあなたのそばにいて、目立たす、ひっそりと暮らしている。

人間をはるかに超越した神様や仏様が、人間社会に君臨して、「私は神様だ」とか、
「私は釈迦の生まれ変わりだ」とかなど、言うだろうか。
言っても意味はない。
それがわからなければ、一度、どこかのモンキーセンターで、サルたちと一緒に
暮してみることだ。
あなたはそういった世界では、神様以上の神様になる。
が、あんな世界で、サルたちを相手に、「私は神様だ」と言ったところで、意味はない。
意味はないことは、あなたにだってわかるはず。

それにしても、「神様」とは?
そこらのテレビタレントですらも、「神様」という言葉を使うようになった?
それはともかくとして、こういうことは言える。
「神の与える試練」というのは、その先で、「愛」や「慈悲」とつながるもの。
試練を乗り越えて、人は、深い愛や慈悲にたどりつく。
「金儲け」や「名声」につながるとしたら、それは試練でも何でもない。
ただの(お騒がせ)。

なお、今回の事件で、Kなぎというタレントは家宅捜査まで受けている。
これについては国会でも問題となった。
しかしあえて捜査令状を請求した警察側を弁護するなら、こういうことは言える。
つまり家宅捜査をしたということは、その背景に、何かあったとみるべき。
裁判所だって、むやみやたらに、令状など発行しない。

なぜ家宅捜査したか……ということについては、それをするだけの何らかの理由が
あったとみるべきではないのか。
それが何であったかは、私には知る由もない。
わからない。
また警察側もそれを開示することはないだろう。
その義務もない。
また開示すれば、かえってやっかいなことになる。

つまり、「有名なタレントだから、家宅捜査した」と考えるのは、思いすごしと考えてよい。
ファンの人たちには神様のような人間かもしれないが、私たちのように一歩退いた
世界にいる者にとっては、ただのタレント(失礼!)。
有名なタレントだからという理由だけで、特別扱いすることは、私たちの常識から考えて、
ありえない。

それにしても「神様が与えた」?
神様もそんなヒマではないと、私は思う。


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HAPPY  BIRTHDAY, AKIKO!!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前回からのつづきです】

【私の母】(後編)

●逆の立場

それ以後も、母は、容赦なく、私からお金を奪っていった。
「奪う」という表現に、いささかの誇張もない。
あれこれ理由をつけて、奪っていた。
その行為には、情け容赦がなかった。

「近所の○○さんが、亡くなった。(だから香典を送ってくれ)」
「今度、M(=姉)の娘が結婚することになった。(だから祝儀を送ってくれ)」と。
多いときは、それが月に数度になった。

半端な額ではない。
叔父の葬儀には、50万円。
叔母の葬儀には、15万円。
伯父の葬儀には、30万円、と。

冠婚葬祭だけは派手にやる土地柄である。
私はそう思って仕送りをつづけたが、これにはウラがあった。
実際には、その大部分を母が自分のものにし、相手にはその何分の1も渡していなかった。
やがて私は、そうした母のやり方を知るところとなった。

●「悔しい」

問題は、なぜ、母は、私にそこまでしたかということ。
できたかということ。
それについては、名古屋市に住む従姉(いとこ)が、ずっとあとになって教えてくれた。

その従姉はこう話してくれた。
私が今のワイフと結婚届けを出した夜のこと。
母は親戚という親戚すべてに電話をかけ、「(息子を)取られた」「悔しい」と、
泣きつづけたという。
従姉もその電話を受け取っていた。

母は、私の前ではそういった様子を、おくびにも出さなかった。
私たちの結婚を祝福してくれたように、私は理解していた。
が、そうではなかった。
母は、私という息子を、ワイフに「取られた」と感じたらしい。
つまりそれが母の心の底にあって、その(恨み)が、私からお金を奪うという
行為につながっていった。
「大学まで出してやったのに、恩知らず」と。

今にして思うと、そう解釈できる。

●ダカラ論

『ダカラ論』ほど、身勝手な論理もない。
「親だから……」「子だから……」「男だから……」「女だから……」と。
ダカラ論を振りかざす人たちは、過去の伝統や風習、習慣を背負っているから強い。
問答無用式に、こちらをたたみかけてくる。

一方、それを受け取る側はどうかというと、反論するばあいも、その何十倍も、
理論武装しなければならない。
過去の伝統や風習、習慣と闘うというのは、それ自体、たいへんなことである。
それに相手は多勢。
こちらは無勢。
そういう相手が、どっと私に迫ってくる。
で、結局、『長いものには巻かれろ』式に、妥協するしかない。
「どんな親でも、親は親だからな」と言われ、「そうですね」と言って、そのまま
引きさがる。
いらぬ波風を立てるくらいなら、穏やかにすませたい。
いつしか私と母の関係は、そういう関係になっていった。

●バネ

しかし実際には、これがたいへんだった。
金銭的な負担感というよりは、社会的な負担感。
それがギシギシと、私の心を蝕(むしば)み始めた。
私が仕送りを止めたら、母と兄は、それこそ路頭に迷うことになる。
重圧感を覚えながらも、仕送りを止めるわけにはいかなかった。

が、幸いなことに、私の仕事は順調だった。
家族、みな、健康だった。
それに私は、戦後生まれの団塊の世代として、たくましかった。
あのドサクサの時代の中で、そう育てられた。
だから私は、母にお金を取られるたびに、それ以上のお金を稼いだ。
「畜生!」「畜生!」と、歯をくいしばって、そうした。
だからワイフは、ときどきこう言う。

「かえってそれがバネになったのよ」と。

●家族自我群

人間にも、鳥類に似た、「刷り込み」があるのが、最近の研究でわかってきた。
生後まもなくから、7か月前後までと言われている。
この時期を、「敏感期」と呼んでいる。
この敏感期に、親子の関係は、本能に近い部分にまで、徹底的に刷り込みがなされる。

もっとも親子関係が良好な間は、こうした刷り込みも、それなりに有用である。
親子の絆も、それでしっかりとしたものになる。
しかしその関係が一度崩壊すると、今度はそれが家族自我群となって、その人を苦しめる。

ふつうの苦しみではない。
何しろ本能に近い部分にまで、刷り込まれる。
だから心理学の世界でも、そうした苦しみを、「幻惑」と呼んでいる。
特別なものと考える。
私は、その幻惑に苦しんだ。

記憶にあるのは、40代のはじめのころのこと。
私はいつも電車を乗り継いで郷里へ帰ったが、実家が近づくたびに、電車の中で、
法華経の経文を唱えた。
またそうでもしないと、自分の心を落ち着かせることができなかった。

●兄のこと

兄についても書いておかねばならない。
兄は昭和13年生まれ。
私より9歳、年上だった。

ずっとあとになって、……というより亡くなる数年前に、専門医に自閉症と診断
されている。
そう、自閉症だった。
が、軽重を言えば、軽いものだった。
少なくとも中学校を卒業するまでは、そうだった。
アルバムの中の兄を見ても、ごくふつうの中学生だった。
その兄が大きく変化したのは、兄が中学を卒業し、稼業の自転車屋を継ぐようになって
からである。

父は兄を毎日のように、叱り、罵倒した。
本来なら母が間に入って、その関係を調整しなければならなかったが、母までが、
兄を毛嫌いし、兄を突き放した。
兄の精神状態がおかしくなり始めたのは、そのころのことだった。

自分の部屋に閉じこもり、レコードを聴いて過ごすことが多くなった。
あるいはニタニタと意味のわからない笑みを浮かべ、独り言を口にしたりした。

●干渉

田舎という地方性があったのかもしれない。
あるいは私の実家だけが、とくに同族意識が強かったのかもしれない。
実家が、「林家」という本家だったこともあり、叔父叔母、伯父伯母は言うに及ばず、
従兄たちまでもが、そのつど、私や私の家族に干渉してきた。

うるさいほどだった。

私の事情も知ることなく、また経緯(いきさつ)を知ることもなく、安易に、ダカラ論
をぶつけてきた。
干渉するほうは、親切心(?)から、そうしてくるのかもしれない。
あるいは好奇心からか?
事実、叔父、叔母も含めて、もちろん従兄弟たちも含めて、私は生涯にわたって、
1円たりとも金銭的援助を受けたことはない。

しかし干渉されるほうは、たまったものではない。
そのつど私は真綿で首を絞められるような苦しみを味わった。

が、いちいち説明することもできない。
私と母の関係を説明することもできない。
何しろ、親絶対教の信者たちばかりである。
そういう世界で、親の悪口を言えば、逆にこちらのほうが寄ってたかって、
袋叩きにされてしまう。

面従腹背というのは、まさにそれをいう。
私は心の奥では運命をのろい、外では、できのよい息子を演じた。
しかしこうした仮面をかぶるのも、疲れる。
一度だけだが、節介焼きの従兄と、喧嘩したこともある。

●従兄

その従兄は、ネチネチとした言い方で、いつも私を揶揄(やゆ)した。
用もないのに、「ゆうべ、浩司クンの夢を見たから……」と。

「Jちゃん(=私の兄名)が、入院したぞ」
「Jちゃんが、ものすごいスピードで、自単車で走っていたぞ」
「親は、どんな親でも、親だかなあ、ハハハ」と。

だから最後の電話で、こう叫んだ。

「偉そうなことを言うな。お前が、ぼくと同じように、20代のときから実家に
仕送りでもしていたというのなら、お前の話を聞いてやる。しかしそういうことも
ロクにせず、偉そうなことを言うな!」と。

それでその従兄とは、縁を切った。
「たがいに死ぬまで、連絡を取らない」と心に決めた。
昔の話ではない。
今から10年ほど前のことである。

●母の悪口

親絶対教の信者でなくても、親の悪口を書くのは気が引ける。
どこかに「書くべきでない」という不文律さえある。
しかし親といえども、1人の人間。
いつか息子や娘に、1人の人間として、評価を受けるときがやってくる。
大切なのはそのとき、その評価に耐えうる親になっているかどうかということ。
「親である」という立場に甘えてはいけない。
「親だから」という理由だけで、子どもの上に君臨してはいけない。

世の中には、親をだます子どもはいくらでもいる。
しかし同時に、子をだます親だっている。
悲しいことに、私の母が、そうだった。

私をだましてお金を奪うなどということは、朝飯前だった。
が、問題は、なぜ、そうだったかということ。
なぜ、母は、そうなったかということ。

●母の奴隷

稼業は自転車屋だったが、生涯において、母は、一度もドライバーを握ったことがない。
手を油で汚したことはない。
店先に立って、客の応対をしたことはよくあるが、それでも手を汚したことはない。

父や兄は仕事が終わると、一度、道路に出て、外付けの水道で手を洗った。
そして裏口から家に入ると、そこでもう一度、手を洗った。
ふつう自転車屋というと、どこも、裏の裏の、トイレのノブまで油で黒くなっている。
が、私の家ではちがった。
母がそれを許さなかった。

そんなこともあって、家の中の掃除は母がしたが、土間の掃除は、兄がした。
窓拭きも、道路掃除も、兄がした。
母はしなかった。
姉もしなかった。
すべて兄がした。
兄は、死ぬまで、ずっと母の奴隷のような存在だった。

●仮面

私の母をさして、「いい人だった」と言う人は、多い。
「あなたのお母さんは、やさしく、親切な人だった」と言う人も、多い。
事実、母は、実にこまめな人だった。
人が来るとお茶を出し、始終、やさしい言葉をかけた。
食事も出し、めんどうもみた。
そしてことあるごとに、相手や相手の家族を気遣った。

「○○さんは、お元気ですかね」と。
穏やかな慈愛に満ちた言い方が、母の特徴だった。
しかし本心で気遣ったわけではない。
母はそういう言い方をしながら、相手の家の内情をさぐった。
だからその人が帰ると、いつもこう言って笑った。

「あの家の嫁さんは、鬼や。株で損して、家計は火の車や」と。

いつしか母は、仮面をかぶったまま、その仮面をはずせなくなってしまった。
恐らく母も、どれが本当の自分の顔かわからなくなってしまっていたのではないか。
自分では、「私は苦労した」「よくできた人間」と、言っていた。
本気でそう思い込んでいた。
で、その一方で、心に別室を作り、邪悪な自分をどんどんとそこへ押し込んでいった。

●仮面

兄もそうだったが、母は、相手の視線を感じたとたん、態度を変えた。
それは天才的ともいえるほどの技術だった。
こんなことがあった。

10年ほど前のこと。
兄、姉、それに私たち夫婦で、いっしょに食事に行ったことがある。
私は久しぶりに母に会った。
が、驚いたことに母は、ほとんど歩けなかった。
で、食事がすんで駐車場に向かうとき、そこまでは10メートル前後だったと思うが、
私とワイフが両側からから、母を支えた。
母は、ほんの数10センチほどずつ、ヨボヨボと歩いた。

で、そのあと、母がいないとき、それについて姉にたずねると、姉は、何かしら
意味のわからない笑みを浮かべた。
私には、その意味がわかった。
事実、その数日後、母は、クラブの仲間と、実家から2キロ戦後もある小間物屋まで
歩いて行っている。

●同情と依存

老人がまわりの人たちの同情を買うため、わざと弱々しい老人を演じてみせることは
よくある。
中にはわざとヨロけてみせたり、ものを食べられないフリをしてみせたりする。
兄にしても、よく道路でころんでみせたりした。
しかしそれとて、まわりの人たちの同情を買うため。
その証拠に、兄にしても、自分の身に危険が及ぶようなところでは、けっして
ころばなかった。

母もそうで、自分のプライドが傷つくようなところでは、けっして弱みをみせなかった。
たとえば病院の待合室など。
それまではヨボヨボしていても、廊下の向こうから知人が歩いてきたりすると、とたん、
背筋をピンと伸ばしたりした。
話し方までも変えた。

●ものすごい人

それでも私の母を評して、「すばらしい女性」と言う人は多かった。
私も、あえて、それには反論しなかった。
だれしも、表の顔もあれば、裏の顔もある。
私にだって、ある。
が、母のばあい、息子の私ですら、裏の顔を見抜くのに、30数年もかかった。
「どうもおかしい?」と思い始めたのが、そのときだった。
いわんや、他人をや。
「私にだって見抜けなかった。どうしてあなたに……!」と、そのつど思った。

そういう意味では、私の母は、ものすごい女性だった。
尋常の神経の持ち主ではない。
また常識で理解できるような女性でもない。
ワイフもそのつど、こう言った。
「あなたのお母さんは、ものすごい人ね」と。
けっして尊敬していたから、そういったのではない。
「あきれてものも言えない」という意味で、そう言った。

●遊離

心の状態、これを情意という。
その情意と、外に現れた表情が、まったくズレていた。
心理学的には、そういう状態を、「遊離」と呼ぶ。
母を一言で評すると、そういうことになる。

息子の私ですら、母がそのとき何を考えているか、さっぱり理解できないことが多かった。
ウソと虚飾のかたまり。
それが母のすべてだった。

母がまだ私に気を許しているとき、よく叔父や叔母の悪口を言った。
口が枯れるまで、叔父や叔母を、口汚くののしった。
が、そこに叔父や叔母がいると、態度が一変した。
そういう姿を、私はよく見ていた。
だから何度も私は、こう言った。
「そんなにイヤな奴なら、つきあうな」と。
が、母には、それができなかった。
つぎに会うと、再び、何ごともなかったかのように、親しげに話し込んだりしていた。
私が子どものころには、そういう母を、尊敬したこともある。
「商売というのは、そういうもの」と、母を通して、感心したこともある。

どんなに虫の居所が悪くても、瞬時に笑顔に変えて、客と接する、と。
しかしそれも度を越すと、「遊離」となる。
へたをすれば、心がバラバラになってしまう。
そういう意味では、母は、不幸な女性だった。
どこにも自分がなかった。

●信じられるのは、お金だけ(?)

ある日、母から電話がかかってきた。
「(実家の伯父の)、Sを助けてやってほしい」という電話だった。
「今度、(Sの)二男が結婚することになった。ついては、金を貸してやってほしい」と。
私が30歳になったころのことだった。

私は金の貸し借りは、しないと心に決めていた。
で、断った。
が、1週間もしないうちにまた電話があり、「では、山を買ってやってほしい」と。
私は即座に値段を交渉し、その数日後には、x00万円をもって、伯父の家に向かった。

母が先にそこに来ていた。
……ということで、当時ですら、相場の10倍以上の値段で、その山を買わされるハメに
なった。
これはあとで聞いたことだが、伯父にしても、その直前、120万円で購入した山だった。
そればかりか、伯父はその後、10年近く、管理費と称して、私に現金を請求してきた。

以後、伯父からはいっさいの連絡はなし。
「山を買い戻してほしい」と何度も手紙を書いたが、それにも返事もなかった。

母はその伯父とは、一卵性双生児と言われるほど、仲がよかった。
一時は伯父を詐欺罪で告発する準備もしたが、母が間に入っているため、それも
できなかった。

●世間体

母の人生観の基本にあったのが、「世間体」だった。
それが人生観といえるほどの「観」といえるかどうかは、疑問だが、母はあらゆる場面で、
世間体を気にした。

「世間が笑う」
「世間が許さない」
「世間体が悪い」など。
そのつど「世間」という言葉をよく使った。

こうした生き様は、江戸時代の、あの封建主義時代の亡霊そのものと断言してよい。
「みなと同じことをしていれば安心」、しかし「それからはずれると、容赦なく叩かれる」。
没個性の反対側にある生き方、それが母の生き方だった。
だから私も、子どものころから、いつもみなと同じように生きることを強いられた。
服装にしても、そうだった。
髪型にしても、そうだった。
……といっても、当時は、それほどバリエーションがあったわけではない。
が、それでも私が、ふつうの子どもとちがったかっこうをするのを、許さなかった。

母自身にしても、そうだ。
自転車屋の女主人でありながら、生涯にわたって、ただの一度も、自転車にまたがった
ことがない。
「女は自転車に乗ってはいけない」という、いつかどこかで学んだ教え(?)を、
かたくなに守った。
1年のほとんどを、和服で過ごしていたこともある。

●母の苦労

母は、ことあるごとに、「私は苦労した」と言った。
祖父母の介護で、苦労した。
夫の世話で苦労した。
兄で苦労した。
私のことで苦労した、と。
だから近所でも、また親戚中でも、母は、苦労人で通っていた。
だからみなは、こう言う。
「あなたのお母さんは、苦労をなさったからねえ」と。

もし母に苦労があったとするなら、それは運命との戦いだった。
母は、つねに運命と戦った。
不本意な結婚。
病弱な父と兄。
気の強い姑。
その介護。

しかし運命というのは、受け入れてしまえば、何ともない。
運命のほうからシッポを巻いて逃げていく。

その第一。
母は、自転車屋の父と結婚したが、商人の女将にもなりきれなかった。
かといって、金持ちの奥様にもなれなかった。
だからたいへんおかしなことに、最後の最後まで、自分は自転車屋の女将とは、
思っていなかった。
それを認めていなかった。
だからたとえば、近所の人たちの職業を、よくけなした。
「あそこは、どうの」「ここは、どうの」と。
「ロクでもない仕事」という言葉もよく使った。
で、ある日、私はこう言ったことがある。
「うちだって自転車屋だろ。そう、いばれるような職業ではないだろ」と。
それを言ったとき、母は、「うちは、ちがう!」と、血相を変えて怒った。

母にしてみれば、死ぬまで、母はN家という名家の出だった。
またその世界から一歩も、外に出ることがなかった。

また他人は、母のことを苦労人と思っていたが、そう思わせたのは、実は母自身だった。
母は、そういう点でも、口のうまい女性だった。

●一事が万事

そんなわけで、母との思い出は、ほとんどない。
浜松に移り住んでからも、お金を奪いに来たことはあるが、たとえば私の息子たちの
ために何かをしてくれたことは一度もない。
で、三男が小学6年生になったときのこと。
私は「一度でいいから、参観日に来てやってほしい」と懇願したことがある。
「これが最後になるから……」と。

その電話を受けて、母は、オイオイと電話口の向こうで泣いた。
「浩ちゃん、ごめんな……。母ちゃんは行ってやりたいけど、足が痛いのや……」と。

私はそれを聞いてあきらめたが、この話は、ウソだった。
その日母は、クラブの仲間たちと、一泊旅行に出かけていた。
あとで私がそれを知り、母を責めると、母は悪びれた様子もなく、ケラケラと笑いながら、
こう言った。
「ハハハ、バレたかなも」と。

そんなこともあって、私は母から受け取ったものは、何もない。
私が結婚したとき、親戚の中には、私に祝いを届けてくれた人もいたらしいが、
そういったお金は、すべて、1円残らず、すべて母が自分のふところに入れてしまった。

で、それについても、ずっとあとになってから、私が母に、「お前からもらったものは
何もないなア……」とこぼすと、母は、こう言った。
「そんなこと、あらへん。(二男が生まれたとき)、(二男に)ふとんを送った」と。

私はそれを忘れていた。
で、その話をすると、ワイフはそう言えば……と、そのふとんのことを思い出してくれた。
が、そのふとんというのは、私が幼児のころ使っていたふとんである。
ふとんの絵柄に思い出が残っていた。

まさに一事が万事、万事が一事だった。

●決裂

私が母と決裂したのには、いくつかの理由がある。
理由というより、段階がある。
そのつど、私は母にだまされ、そのつど、それを乗り越えた。
が、最後に決裂したのは、こんな事件があったから。

そのとき私は、母に土地の権利書を渡した。
実家を改築するときに、担保として、私が譲り受けたものである。
実家の改築に1800万円程度の費用がかかった。
大半をローンでまかなった。
そのとき、母名義の土地を、私が譲り受けた。
坪数は30坪前後。
当時の価格からしても、500万円にもならなかった。
銀行に相談しても、「その土地では、金を貸さない」と言われた。

で、そのままその権利書は、私が預かった。
しかたないので、私は私の自宅の土地を担保にして、お金を借りた。

が、その土地を、私が知らないときに、言葉巧みに権利書を自分のものにすると、
それをそのまま他人に転売してしまった。
泣いて私がそれに抗議すると、母は、平然とこう言ってのけた。

「親が先祖を守るために、子の金を使って、何が悪い!」と。
罵声以上の怒鳴り声だった。

●煩悶

それから10か月。
私はワイフの介抱なくして眠られなかった。
夜、床に就くたびに、体中がほてり、脈がはげしくなった。
ワイフはそのつど、氷で頭を冷やしてくれた。

あるいは夜中に、うなされることもつづいた。
突然、飛び起きて、ウォーと声を張り上げることもあった。
しかし夢となると、もっと多かった。
朝起きると、ワイフは、よくこう言った。

「あなた、昨夜も、うなされていたわ。お母さんと喧嘩していたわ」と。

●干渉

が、数か月もすると、伯父から電話がかかってきたりした。
説教がましい電話だった。
裏で、母がどのように伯父に泣きついていたかは、容易に察しがついた。
叔父は、そのつど、こう言った。

「姉を大切にしろよ。親は親だからな」「親の恩を忘れるな」と。

そのうち従兄たちからも電話がかかってくるようになった。
「おばちゃんが、ころんだぞ」
「おばちゃんが、入院したぞ」と。

従兄たちも、母に、よいように操られていた。

私には知ったことではなかった。
実際には、そのつど姉の方から電話を受けて、それを知っていた。
しかし新類は、それを許してくれなかった。
私はそのつど、身をひきちぎる思いで、それに妥協した。

●人間不信

母がああいう母であったことについては、それが運命であるなら、しかたない。
母は母で、あの時代の申し子。
母のような人は、あの時代には、珍しくなかった。
「江戸時代」というと、遠い昔のことのように思う人もいるかもしれない。
しかし母の時代にしてみれば、江戸時代といっても、ほんの一世代前のことだった。
「家」意識にしても、逆に、1世代や2世代くらいで、消えるような意識ではない。
母は、それを引きずっていた。

母だけではない。
どこにでもいるとまでは言わない。
が、似たような人は、いくらでもいた。
今でもいる。

が、私にとって何よりもつらかったのは、そうした母をもったことによって、
人を信じられなくなってしまったこと。
「女はみな、そういうもの」という意識は、「ワイフも似たようなもの」という
意識に、そのつど、変化した。
しかし私がそういう意識をもつことで、いちばん苦しんだのは、結局は、私の
ワイフということになる。

●母の孤独

一方、母の孤独については、とくに晩年、それが痛いほど、よくわかった。
母はちぎり絵に没頭したが、楽しかったから、没頭したわけではない。
何かに取りつかれたかのように没頭した。
楽しんでいるというよりは、何かから逃れるために、そうした。
私にはそれがよくわかったが、しかしどうすることもできなかった。

何度か、まわりの人たちに、「一度でいいから、私に謝罪してほしい」と伝えた
ことがある。
しかしどの人もこう言った。
「親が、子に謝るなどいうことは、あってはならない」
「親は親だから、どんな親でも、親は子に謝る必要はない」と。

親絶対教というのは、そういうのをいう。
しかし私は一度でも母が、「私が悪かった」と言ってくれれば、それで許すつもりでいた。
この小さな地球上の、そのまた小さな国で、近親者が憎しみあって、どうする?
この世に生を受けたこと自体が奇跡。
この地球上に何十億人という人たちがいるが、生涯にわたって交際する人となると、
ほんの数えるほどしかいない。

ウソではない。
私は、一度でも母が、「私が悪かった」と要ってくれれば、それを許すつもりでいた。
が、母は、そういう人ではなかった。
それができる人でもなかった。
もしそれをすれば、母は、それまでの自分に生き様を否定することになる。
母としてそれができなかった。
それも、私にはよくわかっていた。

●10年のブランク

私は母との関係を切った。
それが10年近く、つづいた。
その間、冠婚葬祭、親族会などをのぞいて、私は郷里へは戻らなかった。
お金の仕送りも止めた。

が、その間に、母はいろいろな病気を繰り返した。
骨折して入院もした。
またそれがはじまりで、そのあとは、歩くのもままならなくなった。
介護が必要となった。

母は姉の家に2年いたあと、今度は、私が引き取ることになった。
そして同じく私の家に2年いたあと、他界した。

●最後の会話

2008年、11月11日、夜、11時を少し回ったときのこと。
ふと見ると、母の右目の付け根に、丸い涙がたまっていた。
宝石のように、丸く輝いていた。
私は「?」と思った。
が、そのとき、母の向こう側に回ったワイフが、こう言った。
「あら、お母さん、起きているわ」と。

母は、顔を窓側に向けてベッドに横になっていた。
私も窓側のほうに行ってみると、母は、左目を薄く、開けていた。

「母ちゃんか、起きているのか!」と。
母は、何も答えなかった。
数度、「ぼくや、浩司や、見えるか」と、大きな声で叫んでみた。
母の左目がやや大きく開いた。

私は壁のライトをつけると、それで私の顔を照らし、母の視線の
中に私の顔を置いた。
「母ちゃん、浩司や! 見えるか、浩司やぞ!」
「おい、浩司や、ここにいるぞ、見えるか!」と。

それに合わせて、そのとき、母が、突然、酸素マスクの向こうで、
オー、オー、オーと、4、5回、大きなうめき声をあげた。
と、同時に、細い涙が、数滴、左目から頬を伝って、落ちた。

ワイフが、そばにあったティシュ・ペーパーで、母の頬を拭いた。
私は母の頭を、ゆっくりと撫でた。
しばらくすると母は、再び、ゆっくりと、静かに、眠りの世界に落ちていった。

それが私と母の最後の会話だった。

●あごで呼吸

朝早くから、その日は、ワイフが母のそばに付き添ってくれた。
私は、いくつかの仕事をこなした。
「安定しているわ」「一度帰ります」という電話をもらったのが、昼ごろ。

私が庭で、焚き火をしていると、ワイフが帰ってきた。
が、勝手口へ足を一歩踏み入れたところで、センターから電話。
「呼吸が変わりましたから、すぐ来てください」と。

私と母は、センターへそのまま向かった。
車の中で焚き火の火が、気になったが、それはすぐ忘れた。

センターへ行くと、母は、酸素マスクの中で、数度あえいだあと、そのまま
無呼吸という状態を繰りかえしていた。
「どう、呼吸が変わりましたか?」と聞くと、看護婦さんが、「ほら、
あごで呼吸をなさっているでしょ」と。

私「あごで……?」
看「あごで呼吸をなさるようになると、残念ですが、先は長くないです」と。

私には、静かな呼吸に見えた。

私はワイフに手配して、その日の仕事は、すべてキャンセルにした。
時計を見ると、午後1時だった。

●血圧

血圧は、午前中には、80〜40前後はあったという。
それが午後には、60から55へとさがっていった。
「60台になると、あぶない」という話は聞いていたが、今までにも、
そういうことはたびたびあった。
この2月に、救急車で病院へ運ばれたときも、そうだった。

看護婦さんが、30分ごとに血圧を測ってくれた。
午後3時を過ぎるころには、48にまでさがっていた。
私は言われるまま、母の手を握った。
「冷たいでしょ?」と看護婦さんは言ったが、私には、暖かく感じられた。

午後5時ごろまでは、血圧は46〜50前後だった。
が、午後5時ごろから、再び血圧があがりはじめた。

そのころ、義兄夫婦が見舞いに来てくれた。
私たちは、いろいろな話をした。

50、52、54……。

「よかった」と私は思った。
しかし「今夜が山」と、私は思った。
それを察して、看護士の人たち数人が、母のベッドの横に、私たち用の
ベッドを並べてくれた。
「今夜は、ここで寝てください」と。

見ると、ワイフがそこに立っていた。
この3日間、ワイフは、ほとんど眠っていなかった。
やつれた顔から生気が消えていた。

「一度、家に帰って、1時間ほど、仮眠してきます」と私は、看護婦さんに告げた。
「今のうちに、そうしてください」と看護婦さん。

私は母の耳元で、「母ちゃん、ごめんな、1時間ほど、家に行ってくる。またすぐ
来るから、待っていてよ」と。

私はワイフの手を引くようにして、外に出た。
家までは、車で、5分前後である。

●急変

家に着き、勝手口のドアを開けたところで、電話が鳴っているのを知った。
急いでかけつけると、電話の向こうで、看護婦さんがこう言って叫んだ。
「血圧が計れません。すぐ来てください。ごめんなさい。もう間に合わないかも
しれません」と。

私はそのまままたセンターへ戻った。
母の部屋にかけつけた。

見ると、先ほどまでの顔色とは変わって、血の気が消え失せていた。
薄い黄色を帯びた、白い顔に変わっていた。

私はベッドの手すりに両手をかけて、母の顔を見た。
とたん、大粒の涙が、止めどもなく、あふれ出た。

●下痢

母が私の家にやってきたのは、その前の年(07年)の1月4日。
姉の家から体を引き抜くようにして、抱いて車に乗せた。
母は、「行きたくない」と、それをこばんだ。

私は母を幾重にもふとんで包むと、そのまま浜松に向かった。
朝の早い時刻だった。

途中、1度、母のおむつを替えたが、そのとき、すでに母は、下痢をしていた。
私は、便の始末は、ワイフにはさせないと心に決めていた。
が、この状態は、家に着いてからも同じだった。

母は、数時間ごとに、下痢を繰り返した。
私はそのたびに、一度母を立たせたあと、おむつを取り替えた。

母は、こう言った。
「なあ、浩司、オメーニ(お前に)、こんなこと、してもらうようになるとは、
思ってもみなかった」と。
私も、こう言った。
「なあ、母ちゃん、ぼくも、お前に、こんなことをするようになるとは、
思ってもみなかった」と。

その瞬間、それまでのわだかまりが、うそのように、消えた。
その瞬間、そこに立っているのは、私が子どものころに見た、あの母だった。
やさしい、慈愛にあふれた、あの母だった。

●こだわり

人は、夢と希望を前にぶらさげて生きるもの。
人は、わだかまりとこだわりを、うしろにぶらさげながら、生きるもの。
夢と希望、わだかまりとこだわり、この4つが無数にからみあいながら、
絹のように美しい衣をつくりあげる。

無数のドラマも、そこから生まれる。
私と母の間には、そのわだかまりとこだわりがあった。
大きなわだかまりだった。
大きなこだわりだった。

が、それがどうであれ、現実には、その母が、そこにいる。
よぼよぼした足で立って、私に、尻を拭いてもらっている。

●優等生

1週間を過ぎると、母は、今度は、便秘症になった。
5、6日に1度くらいの割合になった。
精神も落ち着いてきたらしく、まるで優等生のように、私の言うことを聞いてくれた。

ディサービスにも、またショートステイにも、一度とて、それに抵抗することなく、
行ってくれた。
ただ、やる気は、失っていた。

あれほどまでに熱心に信仰したにもかかわらず、仏壇に向かって手を合わせることも
なかった。
ちぎり絵も用意してみたが、見向きもしなかった。
春先になって、植木鉢を、20個ほど並べてみたが、水をやる程度で、
それ以上のことはしなかった。
一方で、母はやがて我が家に溶け込み、私たち家族の一員となった。

●事故

それまでに大きな事故が、3度、重なった。
どれも発見が早かったからよかったようなもの。
もしそれぞれのばあい、発見が、あと1〜2時間、遅れていたら、母は死んでいた
かもしれない。

一度は、ベッドと簡易ベッドの間のパイプに首をはさんでしまっていた。
一度は、服箱の中に、さかさまに体をつっこんでしまっていた。
もう一度は、寒い夜だったが、床の上にへたりと座り込んでしまっていた。

部屋中にパイプをはわせたのが、かえってよくなかった。
母は、それにつたって、歩くことはできたが、一度、床にへたりと座ってしまうと、
自分の手の力だけでは、身を立てることはできなかった。

私とワイフは、ケアマネ(ケア・マネージャー)に相談した。
結論は、「添い寝をするしかありませんね」だった。
しかしそれは不可能だった。

●センターへの申し込み

このあたりでも、センターへの入居は、1年待ちとか、1年半待ちとか言われている。
入居を申し込んだからといって、すぐ入居できるわけではない。
重度の人や、家庭に深い事情のある人が優先される。
だから「申し込みだけは早めにしておこう」ということで、近くのMセンターに
足を運んだ。
が、相談するやいなや、「ちょうど、明日から1人あきますから、入りますか?」と。

これには驚いた。
私たちにも、まだ、心の準備ができていなかった。
で、一度家に帰り、義姉に相談すると、「入れなさい!」と。

義姉は、介護の会の指導員をしていた。
「今、断ると、1年先になるのよ」と。
これはあとでわかったことだったが、そのとき相談にのってくれたセンターの
女性は、そのセンターの園長だった。

●入居

母が入居したとたん、私の家は、ウソのように静かになった。
……といっても、そのころのことは、よく覚えていない。
私とワイフは、こう誓いあった。

「できるだけ、毎日、見舞いに行ってやろう」
「休みには、どこかへ連れていってやろう」と。

しかし仕事をもっているものには、これはままならない。
面会時間と仕事の時間が重なってしまう。
それに近くの公園へ連れていっても、また私の山荘へ連れていっても、
母は、ひたすら眠っているだけ。
「楽しむ」という心さえ、失ってしまったかのように見えた。

●優等生

もちろん母が入居したからといって、肩の荷がおりたわけではない。
一泊の旅行は、三男の大学の卒業式のとき、一度しただけ。
どこへ行くにも、一度、センターへ電話を入れ、母の様子を聞いてからに
しなければならなかった。

それに電話がかかってくるたびに、そのつど、ツンとした緊張感が走った。
母は、何度か、体調を崩し、救急車で病院へ運ばれた。
センターには、医療施設はなかった。

ただうれしかったのは、母は、生徒にたとえるなら、センターでは
ほとんど世話のかからない優等生であったこと。
冗談好きで、みなに好かれていたこと。
私が一度、「友だちはできたか?」と聞いたときのこと。
母は、こう言った。
「みんな、役立たずばっかや(ばかりや)」と。
それを聞いて、私は大声で笑った。
横にいたワイフも、大声で笑った。
「お前だって、役だ立たずやろが」と。

加えて、母には、持病がなかった。
毎日服用しなければならないような薬もなかった。

●問題

親の介護で、パニックになる人もいる。
まったく平静な人もいる。
そのちがいは、結局は(愛情)の問題ということになる。
もっと言えば、「運命は受け入れる」。

運命というのは、それを拒否すると、牙をむいて、その人に襲いかかってくる。
しかしそれを受け入れてしまえば、向こうから、尻尾を巻いて逃げていく。
運命は、気が小さく、おくびょう者。

私たちに気苦労がなかったと言えば、うそになる。
できれば介護など、したくない。
しかしそれも工夫しだいでどうにでもなる。

加齢臭については、換気扇をつける。
事故については、無線のベルをもたせる。
便の始末については、私のばあいは、部屋の横の庭に、50センチほどの
深さの穴を掘り、そこへそのまま捨てていた。
水道管も、そこまではわせた。

ただ困ったことがひとつ、ある。
我が家にはイヌがいる。
「ハナ」という名前の猟犬である。
母と、そしてその少し前まで私の家にいた兄とも、相性が合わなかった。
ハナは、母を見るたびに、けたたましくほえた。
真夜中であろうが、早朝であろうが、おかまいなしに、ほえた。

これについても、いろいろ工夫した。
たとえば母の部屋は、一日中、電気をつけっぱなしにした。
暖房もつけっぱなしにした。
そうすることによって、母が深夜や早朝に、カーテンをあけるのをやめさせた。
ハナは、そのとき、母と顔を合わせて、ほえた。
いろいろあったが、私とワイフは、そういう工夫をむしろ楽しんだ。

●あんたら、鬼や

それから約1年半。
母の92歳の誕生日を終えた。
といっても、そのとき母は、ゼリー状のものしか、食べることができなくなっていた。
嚥下障害が起きていた。
それが起きるたびに、吸引器具でそれを吸い出した。
母は、それをたいへんいやがった。
ときに看護士さんたちに向かって、「あんたら、鬼や」と叫んでいたという。

郷里の言葉である。

私はその言葉を聞いて笑った。
私も子どものころ、母によくそう言われた。
母は何か気に入らないことがあると、きまって、その言葉を使った。
「お前ら、鬼や」と。

●他界

こうして母は、他界した。
そのときはじめて、兄が死んだ話もした。
「Jちゃん(=兄)も、そこにいるやろ。待っていてくれたやろ」と。
兄は、2か月前の8月2日に、他界していた。

母の死は、安らかな死だった。
どこまでも、どこまでも、安らかな死だった。
静かだった。
母は、最期の最期まで、苦しむこともなく、見取ってくれた看護婦さんの
話では、無呼吸が長いかなと感じていたら、そのまま死んでしまったという。

穏やかな顔だった。
やさしい顔だった。
顔色も、美しかった。

母ちゃん、ありがとう。
私はベッドから手を放すとき、そうつぶやいた。

2008年10月13日、午後5時55分、母、安らかに息を引き取る。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【今回と次回に分け、私の母について書きます】

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【前編】

【私の母】(My Mother)

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私の母は、ああいう女性だったが、今さら母の批判などしても意味はない。
したくも、ない。
母は、私の母だったが、それをのぞけば、どこから見ても、ふつうの女性だった。
特別な女性ではなかった。
よい意味においても、また悪い意味においても、どこにでもいるような女性だった。
そういう母のことを、あれこれ書いても、意味はない。

ただ、どうして私の母は、ああいう女性になったかという点については、興味がある。
ずっと、それを考えてきた。
今も、考えている。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●最後の会話

2008年、11月11日、夜、11時を少し回ったときのこと。
ふと見ると、母の右目の付け根に、丸い涙がたまっていた。
宝石のように、丸く輝いていた。
私は「?」と思った。
が、そのとき、母の向こう側に回ったワイフが、こう言った。
「あら、お母さん、起きているわ」と。

母は、顔を窓側に向けてベッドに横になっていた。
私も窓側のほうに行ってみると、母は、左目を薄く、開けていた。

「母ちゃんか、起きているのか!」と。
母は、何も答えなかった。
数度、「ぼくや、浩司や、見えるか」と、大きな声で叫んでみた。
母の左目がやや大きく開いた。

私は壁のライトをつけると、それで私の顔を照らし、母の視線の
中に私の顔を置いた。
「母ちゃん、浩司や! 見えるか、浩司やぞ!」
「おい、浩司や、ここにいるぞ、見えるか!」と。

それに合わせて、そのとき、母が、突然、酸素マスクの向こうで、
オー、オー、オーと、4、5回、大きなうめき声をあげた。
と、同時に、細い涙が、数滴、左目から頬を伝って、落ちた。

ワイフが、そばにあったティシュ・ペーパーで、母の頬を拭いた。
私は母の頭を、ゆっくりと撫でた。
しばらくすると母は、再び、ゆっくりと、静かに、眠りの世界に落ちていった。

それが私と母の最後の会話だった。

●男尊女卑思想

男尊女卑思想というと、男性だけがもっている女性蔑視思想と考えられがちである。
しかし女性自身が、男尊女卑思想をもっているケースも多い。
「女は家庭を守るべき」とか、「夫を助けるのが妻の仕事」と。
「男は仕事、女は家庭」とか、「子育ては女の仕事」というのでもよい。
それをそのまま受け入れてしまっている。
私の母もそうだった。

印象に残っているのは、私が高校生のときのこと。
私が何かの料理がしたくて、台所に並んだときのこと。
母は、こう言った。
「男が、こんなところに来るもんじゃ、ない!」と。
ものすごい剣幕だった。
だから私は大学を卒業するまで、料理という料理を経験したことは、ほとんどなかった。

●実家意識

今から思うと母にとっての「家」は、母が嫁いできた「林家」ではなく、実家の「N家」
だった。
「林家」にいながら、いつも心、この家にあらずといった雰囲気だった。

母は、農地解放で農地の大半を没収されるまでは、その村では、1、2を争う地主だった
という。
しかしそれも終戦までの話。
母の実家は、「畑農家」と呼ばれていた。
農家にも2種類あって、「山農家」と「畑農家」。
それだけに農地解放で失った財産も、大きかった。

そのあと、戦後の「N家」は、没落の一途をたどった。
が、気位だけは、そのままだった。
母は子どものころ、その村では、「お姫様」と呼ばれていた。
13人兄弟の中の長女。
10番目に生まれた女児ということで、それこそ蝶よ花よと、親にでき愛されて育った。
言い忘れたが、母は大正5年生まれ。

●不運な結婚

2度目の顔合わせで、母は、私の父と結婚した。
父の父、つまり私の祖父と母の父との間の話し合いで、結婚が決まってしまったという。
母は、父に見初められたというよりは、私の祖父に見初められた。
今にして思うと、そのとおりだったと思う。
母と私の祖父は、まるで恋人どうしのように仲がよかった。
その一方で、父とは仲が悪かった。
「悪い」というより、たがいの会話もなく、関係は冷え切っていた。
私の記憶のどこをどうさがしても、母と父が何か、しんみりと話しあっている姿など、
どこにない。
いっしょに歩いている姿さえない。
そんなわけでいつ離婚してもおかしくない関係だった。
が、父と母の間をつないでいたのは、祖父だった。

●貧乏

私が中学生になるころには、稼業の自転車屋は斜陽の一途。
遅くとも私が高校生のときには、いつ廃業してもおかしくない状態だった。
そんなあるとき、私は1か月に、自転車屋が何台売れたか計算したことがある。
そのときの記憶によれば、中古自転車が数台のほか、新車も数台だけだった。
その数台でも、よく売れたほうだった。
あとはパンク修理だけ。
それで、何とか生活を維持していた。
貧乏といえば貧乏だった。

しかし母は、けっしてそういう様子を外の世界では見せなかった。
『武士は食わねど……』というが、母のそれはまさにそれだった。
家計などあって、ないようなもの。
しかしそれでも母は、姉を日本舞踊に通わせたりしていた。
琴も習わせていた。
当時、日本舞踊や琴を習っている娘というのは、酒屋か医者の娘と、相場は決まっていた。

●自己中心性

私はM町という、田舎の町だが、昔からの町で生まれ育った。
岐阜県に当初、3つの高等学校(=旧制中学校)ができたが、そのひとつが、
私の町にできた。
明治時代の昔には、それなりの町だったということになる。
で、母は、そういう意識を強くもっていた。
「M町こそ、世界の中心」と。
その意識がこっけいなほど、強かった。

だから何かの事情で、M町から岐阜などの都会へ引っ越していく人がいるたびに、
「あの人は出て行った」と言った。
母が「出て行った」というときは、そこには「敗北者」というニュアンスが
こめられていた。
さらに言えば、「軽蔑の念」がこめられていた。
だからあるとき、私にこう反論したことがある。
「M町からG市へ引っ越したということは、成功組ではないか!」と。

●恩着せと脅し

母の子育ての基本は、恩着せと脅しだった。
「産んでやった」「育ててやった」が、恩着せ。
同時にことあるごとに、「お前を捨てる」とか、「家を継げ」とか言った。
それが「脅し」。
当時の私には、稼業の自転車屋を継げという言葉は、「死ね」と言われるのと同じくらい、
恐ろしいことだった、

私はこれらの言葉を、それこそ耳にタコができるほど聞かされて育った。
だからあるとき私は、反発した。
高校1年生か2年生のときのことだったと思う。
「だれが、いつ、お前に産んでくれと頼んだア!」と。

しかしそれは同時に、私と母の間に、決定的なキレツを入れた。
いや、そのときはわからなかったが、ずっとあとになって、それがわかった。
私にとっては、母は母だったが、母にすれば、私は他人になった。

●帰宅拒否児

私は今で言う、帰宅拒否児だったと思う。
もちろんそのとき、それを意識したわけではない。
今にして振り返ってみると、それがよくわかる。
私は毎日、ほとんど例外なく、学校からまっすぐ家に帰ったことはない。
「寄り道」という言葉があるが、寄り道するのが当たり前。
寄り道しないで家に帰るということそのものが、考えられなかった。

寺の境内で遊んでいるときも、そうだった。
毎日、真っ暗になるまで、そこで遊んでいた。
そういう自分を振り返ってみると、「私は帰宅拒否児だった」とわかる。

原因は、これも今にしてわかることだが、私の家には、私の居場所すらなかった。
町中の小さな自転車屋で、「家庭」という雰囲気は、どこにもなかった。
居間の横が、トイレにつながる土間。
学校から帰ってきても、体を休める場所すらなかった。
加えて父の酒乱。
父は数日置きに酒を飲み、家の中で暴れた。
そのつど私は、近くに住む伯父の家に逃げた。

●親絶対教

私の生まれ育った地方には、「M教」という、親絶対教の本部がある。
私の父がまずその教団に入信。
それがそのまま、私の家の宗教になってしまった。

もっともM教というのは、仏教とかキリスト教とかいうような宗教とは一線を画して
いた。
冠婚葬祭には、ノータッチ。
そのため「道徳科学研究会」というような名前がついていた。
そのM教では、つねに「親」「先祖」、そして「天皇」を、絶対的な権威者として教える。
親や先祖、天皇に反抗するなどということは、もってのほか。
天皇を神格化すると同時に、先祖を神格化し、ついで親を神格化した。
子どもながらに私は、「ずいぶんと親にとっては、つごうのよい宗教だなあ」と思った。
で、ある夜、こんなことがあった。

M教では、毎月(毎週だったかもしれない?)、それぞれの家庭で、持ちまわり式に会合
を開いていた。
その夜も、そうだった。
私の家で、それがあった。

講師の男性が、声、高々に、こう言った。
「親の因果、子にたたり」と。
で、そうした話をしたあと、末席に座っていた私に向かって、その男性がこう言った。

「そこに座っているボーヤ(坊ちゃん)、君は、どう思うかね」と。

私はその夜のことをはっきりと覚えている。
私が小学3年生だったとことも、よく覚えている。
私はこう言った。
「たたりなんて、ない!」と。

そのあとのことはよく覚えていないが、私はその場から追い出された。
母がその場を懸命にとりつくろっていた。
そうした姿だけは、おぼろげながら記憶に残っている。

●母の葛藤

私は母にとっては、自慢の息子だった。
私は勉強もよくでき、学校でも目立った。
そのこともあって、母は、私をでき愛した。
小学3、4年生ごろまで、毎晩、私を抱いて寝た。
私がそれを求めたというよりは、習慣になっていた。
そういう姿を覚えている人は、ずっとあとになってから、私によくこう言った。
「お前は、母親にかわいがってもらったではないか。そういう恩を忘れたのか」と。

忘れたわけではない。
しかし母が本当に私を愛していたかというと、それは疑わしい。
母は、私が母から離れていくのを、何よりも許さなかった。
口答えしただけで、そのつど、ヒステリックな声を張り上げて、こう言った。
「親に向かって、何てことを言う!」「親に逆らうような子どもは、地獄へ落ちる」と。

そして私は中学2、3年になるころ、母は、大きなジレンマに陥った。
「進学校は地元の高校にしろ」「家のあとを継げ」「大学は国立大学以外はだめ」と。
一方で「勉強しろ」と言いながら、「家から出るな」と。

国立大学といっても、当時は一期校と二期校という名前で分類され、倍率はどこも10倍
前後はあった。
私が受験した金沢大学の法文学部法科にしても、倍率は、8・9倍だった。
「国立大学しかだめ」というのは、事実上、「大学へは行くな」という意味だった。

●演技性人格障害者

母は今にして思えば、演技性人格障害者ではなかったか。
極端にやさしく、善人の仮面をかぶった母。
しかしそれは表の顔。
が、その実、その裏に、猛烈にはげしい、別の顔を隠し持っていた。
今でも、母の評価について、「仏様のように、穏やかでやさしい人でした」と言う人は多い。
たしかにそういう面もあった。
私は否定しない。
そういうことを言う人に対しては、「そうです」と言って、それで終わる。
あえて私のほうから、「そうではなかったです」と言う必要はない。
言ったところで、理解してもらえなかっただろう。

しかし私たち子どもに対しては、ちがった。
母は自分に対する批判を、許さなかった。
他人でも母を批判する人を許さなかった。
ジクジクと、いつまでもその人をうらんだりした。

●仕送り

今のワイフと結婚する前から、私は収入の約半分を母に送っていた。
結婚するときも、それを条件に、結婚した。
だからワイフは何も迷わず、毎月、母への仕送りをつづけてくれた。
額にすれば、3万円とか4万円だった。
当時の大卒の初任給が、5〜6万円前後の時代だったから、それなりの額だった。
母はそのつど、「かわりに貯金しておいてやる」「あとで返す」とか言った。
が、それはそのまま、やがて実家の生活費に組み込まれていった。

母は、たくみに私を操った。
私が電話で、「生活できるのか?」と聞くと、いつも涙声で、こう言った。

「母ちゃんは、ダイコンを食っているから、心配せんでいい。
近所の人が、野菜を届けてくれるし……」と。

だからといって、私がとくべつに親孝行の息子だったとは思っていない。
当時はまだ「集団就職」という言葉が残っていた。
都会へ出た子どもが、実家にいる親に金銭を仕送りするというようなことは、ごく
ふつうのこととして、みながしていた。
が、こんなこともあった。

●長男の誕生

長男が生まれたときのこと。
そのとき私たちは、6畳と4畳だけのアパートに住んでいた。
母は一週間、ワイフの世話をしてくれるということでやってきた。
しかしその翌日、母は私にこう言った。
「貯金は、いくらあるか?」と。
私は正直に、「24万円、ある」と答えた。
が、それを知ると母は、私にこう言った。
「その金を、私によこしんさい(=よこせ)。私が預かってやる」と。

ワイフは少なからず抵抗したが、私はその貯金をおろして、母に渡した。
が、それを受け取ると、母は、その翌日の朝早く、実家へ帰ってしまった。

以後、こういうことがしばしばあった。
が、母がお金を返してくれたことは、一度もない。
最後の最後まで、一度もない。

●金づる

話が入れ替わるが、今でもなぜ母が、私から貯金を持ち去ったかについて理由がよく
わからない。
実家は貧乏だったが、長男が生まれた当時はまだ父も生きていた。
祖父も生きていた。
兄も、それなりに稼業の自転車屋を手伝っていた。
お金には困っていなかったはず。

一方、そういうことをされながらも、私は母の行為を批判したりはしなかった。
「かわりに貯金しておいてやるで」という言葉を、まだ私は信じていた。
が、今になってみると、つまりこうして母のあのときの行為を書いてみると、
言いようのない怒りが胸に充満してくる。
「私はただの、金づるだったのか」と。

●逆の立場に立たされてみて

私の二男に子どもができた。
私にとっては、はじめての孫だった。
そのときのこと。
私は二男にお祝いのお金を渡すことは考えた。
しかしその二男からお金を取ることは考えなかった。
いわんや貯金を吐き出させて、自分のものにするなどという考えは、みじんも
考えなかった。
そのことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「あなたのお母さんは、特別よ」と。
その言葉を聞いたとき、ムラムラと怒りが私の心の中に充満するのを感じた。
が、私の母は、私に対して、それをした。
してはいけないことを、した。
ふつうの親なら、できないことをした。
それが逆の立場になってみたとき、私にわかった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日のニュースから】

●プリチャード氏の二枚舌(more and more Japanese are becoming anti-USA now)

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どちらが本当のなのだろう?
プリチャード氏は、韓国と日本で、
まったくちがうことを発言している。

+++++++++++++++++++++++

アメリカのジャック・プリチャード元韓半島(朝鮮半島)和平担当特使は、
韓国の中央N報の取材に応じ、「6か国協議は終わった」と明言したあと、
つぎのように答えている。

「6カ国協議が再開されるのは難しいと思うか」という質問に対して、

 「6カ国協議はすでに役目を終えたと思われる。今の状況で6カ国協議が再開されると
いう兆候はどこにも見られない。クリントン国務長官も、議会での聴聞会で6カ国協議に
ついて明言していない」』(中央N報・5月7日)と。

そのあとプリチャード氏は日本へ立ち寄り、まったく逆のことを述べている。

「米朝の2国間協議は、あくまでも6か国協議の枠内でする」(NHK定時ニュース・
5月11日)と。

クリントン国務長官は、基本的には、日本を完全に切り捨てている。
こうしたクリントン国務長官の外交姿勢を、プリチャード氏の発言に重ね合わせてみると、
アメリカがこの先、この極東アジア情勢をどうコントロールしようとしているかが、よく
わかる。

この先、反米感情が高まることはあっても、低くなることはないだろう。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●M党OZ氏の辞任(Mr . Ozawa resigned his post. Taking the blame against him, but it 
is too late!)

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見苦しいぞ、OZ氏。
この場に及んでも、「議員辞職はしない」
「離党はしない」は、ない。

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スポーツ報日は、つぎのように伝えている。

『民主党の小沢一郎代表(66)が、11日、民主党本部で会見し、代表を辞任する意向
を表明した。自身の公設第1秘書が起訴された西松建設の巨額献金事件後も、一貫して「国
民に理解を得られる」と強気に続投を表明していた姿勢から一変。総選挙に向け、党内の
結束のために辞任するとした。ただし、求められ続けていた、事件についてのさらなる説
明責任は果たさないまま。"辞任するのはメディアのせい"との主張も展開。議員辞職や離
党は否定した。民主党幹部は16日か17日に後継を決める代表選を行う意向を明らかに
した』(5月12日)と。

整理してみる。

(1)OZ氏は代表を辞任する(当然である。しかし遅すぎた!)。
(2)巨額献金事件についての説明はじゅうぶんではない(みな、そう思っている)。
(3)「辞任するのはメディアのせい」は、おかしい(責任回避?)。
(4)議員辞職や離党は否定した(形だけの「辞任」か?)。

OZ氏が、「続投」を表明したとき、M党による政権交代は、ツユと消えた。
で、今回の辞任劇。
OZは、「議員辞職や離党は否定した」という。
であるなら、さらに政権交代は絶望的!

OZ氏ただひとりが、M党のイメージを悪くしている。
どうしてOZ氏は、それに気がつかないのだろう。
「自己愛者」というのは、OZ氏のような人のことをいう。
自己中心性だけが、極端に肥大化している。
もっとわかりやすく言えば、まさに権力の亡者。
あの顔を見ていると、不快感を通り越して、吐き気すら覚える。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●韓国の情報操作

++++++++++++++++++++++++++++

韓国中央N報は、 『現代(ヒョンデ)・起亜(キア)自動車が、
第1四半期に乗用車を約90万台販売し世界6位となった。
5位のフォードとは7万台差まで追い詰めた』(5月11日)
と報道している。

本当に、そうか?

++++++++++++++++++++++++++++

私にはどういう売り方をしたのかわからないが、昨年後半、現代自動車は
山のような在庫車をかかえていたはず。
そうでなくても、韓国車のダンピング販売には、すさまじいものがある。
同一車でも、海外販売車は、国内販売車よりも、20〜30%は安い。
「国内販売で儲けて、海外では、損をしてでも売る」と。

国策企業だから、こういう芸当ができるのだろう。
しかし実際には、どうか?
これから先が、韓国の常とう手段。

つごうのよいときは、ウォン建てで計算し、つごうの悪いときは、ドル建てで
計算する。

中央N報の記事をよく読んでみてほしい。

『同研究院は経済専門紙フォーブスが選んだ主要2000社を対象に分析を行った。自国
通貨ベースで韓国企業の前年比の増収率は、2007年の13.2%から08年は24.3%へと
上昇した。これに対し、円高のあおりを受けた日本企業の増収率は6.9%から0.5%に低下
した。米国企業の増収率は8.5%から7.8%に、欧州企業の増収率は7.3%から5.4%にそれ
ぞれ鈍化した」と。

つまりこの記事だけを読むと、韓国だけが、ひとり勝ちしているような印象を受ける。
が、同じ数字を、今度は、ドル建てで計算すると、内容は一変する。

『しかし、為替要因を除いたドルベースでは状況が一変する。韓国企業の増収率は16.4%
から5.1%に大きく低下したのに対し、日本企業は5.6%から14.4%へと上昇。欧州企業は
17.0%から13.1%に鈍化したものの、韓国企業よりは好業績だった』と。

わかるかな?

今回は、中央N報も、さすがに気がひけたのだろう。
ドル建てでの報告も併記している。
それによっても、『韓国企業の増収率は16.4%から5.1%に大きく低下した』という。
こうした情報操作は、韓国政府というより、韓国のお家芸。
そのつど、自分たちのつごうのよい尺度を使って、世界を煙に巻く。

ふつう、韓国のようなマイナー国は、貿易収支は、ドル建てで計算する。
対外的には、とくにそうである。
その国の通貨で、「〜〜ウォン、儲かりました」と言われても、世界の人にはわからない。
国内だましとしては通用しても、世界には通用しない。

それにしてもあの(山のような在庫)は、どうなったのだろう?
現代車が、生産調整に入ったというニュースはあまり伝わってこない。
利益を度外視し、販売実績だけを伸ばす、つまり、メチャメチャな
ダンピング販売を重ねているようにしか、私には、思えないのだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●K国問題(North Korea)

+++++++++++++++++++++

K国は、対米批判のボルテージをますますあげている。
まさに言いたい放題!
それに対して、アメリカ政府は、ダンマリ、無視。

何もアメリカに追従しろというわけではないが、
日本も、ここはダンマリ、無視するのがよい。

やりたいようにやらせ、自ら、墓穴を掘らせる。
6か国協議といっても、中国やロシアがK国の
肩をもつようでは、意味がない。
K国と中国をまず、離反させなければならない。
そのためにも、ダンマリ、無視。

核実験でも何でも、やりたければ、やればよい。
が、やったら最後。
またまた国連を舞台に、ガンガンとK国を攻撃すれば
よい。
ついでにK国を支える、中国やロシアを攻撃すればよい。

K国をかばえばかばうほど、中国やロシアは孤立する。
つまりそのとき、6か国協議は、再び動き出す。

ただし日本としては、米朝直接会談には警戒した方がよい。
仮に米朝間で、米朝友好条約、あるいは相互不可侵条約
のようなものが結ばれたら、そのときこそ、日本は万事休す。

その条約を基に、K国は日本に対して、したい放題のことを
してくるだろう。
「1000兆円の戦後補償」を求めてくる可能性も
ないとは言えない。
「1000兆円払え、さもなくば戦争!」と。

K国の最大のねらいは、日本からアメリカを取り除くこと。
日米安保条約を死文化すること。
その動きもないわけではないので、ここは警戒した方がよい。

++++++++++++++++++++++++

以上、5月12日朝のニュースより。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●5月11日

+++++++++++++++++++++

昨日、群馬県のある町では、気温が33・5度
になったという(5月11日)。
真夏日である。
「5月に33・5度とはねエ」と。
何度も同じ言葉を、ワイフと繰り返す。

この浜松市でも、けっこうな暑さだった。
昼ごろ散歩から帰ってきたが、2人もげんなり。
そのまま倒れるようにして、昼寝をしてしまった。

原因は、「太平洋上の高気圧が……」(NHK)という。
が、そんなことはどうでもよい。
地球が温暖化しているのはだれの目にも明らか。
それを疑う人は、もうだれもいない。
しかし……。
どうして「地球温暖化のため」とは言わないのだろう?
言うと、何かまずいことでもあるのだろうか。

私たちが子どものころには、気温が30度を超えるのは、
梅雨が明けた7月中旬以後のことだった(岐阜県)。
そのころから夏休みが始まった。
それが今では、5月!

++++++++++++++++++++++

●二男の仕事

先日三男がアメリカから帰ってきた。
アメリカでは、二男の家に世話になった。
その二男の話をした。
「あいつはどんな仕事をしているんだ」と聞くと、三男は、目を輝かせてこう言った。
「S君(=二男)は、すごい仕事をしているんだよ、パパ」と。

二男の嫁は、現在、インディアナ大学のロースクールに通っている。
昨年、日本でいう司法試験に合格した。
夫の二男は、同じ大学で、コンピュータ技師をしている。
自宅から、ロースークールまでは近いらしいが、そのロースクールから
二男の職場までは、車で2時間ほどもかかるという。

2時間!
大学の中を、車で2時間!

私が驚いていると、「町全体が大学のようになっている」と、二男が教えてくれた。
日本人の私たちには想像もつかない広さである。
「車で、2時間ねエ〜?」と。

「現在、S君(=二男)は、2つの仕事をしているんだよ。
ひとつは、全世界のスーパーコンピュータをネットでつなぐという仕事。
もうひとつは、今度EUが開発した量子加速器のデータを、衛星通信で得て、解析する
という仕事」
「あいつは学生時代、10台くらいのパソコンをつないで、超高速パソコンを作って
遊んでいたからな。
それが役立っているのかな?」と話をつなげると、「S君は、簡単な仕事だと言っている
けど……」と。

三男は二男のことを、いつも、「S君」と、尊敬の念をこめて、「君」づけで呼んでいる。
子どものころから、三男にとっては、二男はよき兄だった。

で、勤務は、週1回。
残りの仕事は、家でしている、と。

「それで給料が出るのか?」と聞くと、「出るみたいだよ」と。
「週に一度くらい会議があってね、そこで仕事をいろいろと指示されるみたい。
大学へ行くと、交通費が5000円、支給されるそうだよ」とも。

話を聞けば聞くほど、脳みその中で、火花が飛ぶ。
私の常識では、理解できない。

大学構内を車で、2時間?
週1回の勤務?
あとは家で仕事?
それでちゃんと給料が出る?
量子加速器のデータを分析?
世界中のスーパーコンピュータをネットでつなぐ?

「全世界のスーパーコンピュータをつなぐっていうけど、多くは国家機密に
なっていると思うよ。
S(=二男)のような外国人に、そんな重要な仕事を任せて、アメリカ政府は
平気なのかな」と聞くと、「平気みたいだよ」と。

こういう時勢である。
仕事があるというだけでも、御の字。
感謝しなければならない。
今、現在、仕事がなくて困っている人には申し訳ないが、とりあえず、我が家は平和。
3人息子たちは、それぞれにがんばっている。

その三男も、今月の中旬からいよいよB777の操縦訓練に入る。
日本ではB747と並ぶ、大型最新鋭機。
言い忘れたが、長男も、社長の片腕として、中堅だが、製造会社で自分の地位を確保
しつつある。

で、残ったのは、私たち夫婦。
現状維持が精一杯。
健康を大切にし、息子たちには心配をかけないよう、何とか今のこの不況を自力で、
乗り切りたい。

(付記)

二男を通して、アメリカの教育制度を知るたびに、驚く。
自由というより、実にフレキシブル。
その分だけ競争もはげしいのだろうが、(力)さえあれば、まわりがそれを認め、
どんどんとその人を起用していく。
このダイナミズムこそが、アメリカの底力ということになる。
改めて……、「アメリカって、すごい国だなあ」と感心する。

●二男の経歴

小学3年生のときに、BASIC言語をマスター。自分でゲームを作って遊んでいた。
市販のゲームソフトを、自分で改造して遊んでいた。
中学生になるころには、C++言語をマスター。当時、中学校でもやっとパソコンが
並び始めたころで、二男は、学校の先生たちにパソコンの使い方を教えていた。
ヘンダーソン州立大学を学位卒。
州内のコンピュータソフト会社に入社。
大学の教授の推薦文には、「この男はNASAでも通用する」とあった。
現在、インディアナ大学、コンピュータ技師。

私は二男には、惜しみなく、そのつど、最高性能のパソコンを買い与えた。
しかしもし二男が日本へ戻っていたら、日本では、パソコンショップの店員程度の
就職先しか見つからなかっただろう。
(だからといって、パソコンショップの店員の仕事が上とか、下とか、そういうことを
言っているのではない。
パソコンショップの店員の中には、大学の教授よりも、すぐれた能力をもっている
人も多いはず。
一方、大学は大学で、学閥と学歴で、たがいに自分たちの職場を守りあっている。
つまりそういうすぐれた能力を個人がもっていても、日本の社会は、それを見出し、
伸ばすことができない。
私はそういう日本の社会のしくみそのものが、おかしいと言っている。
どうか誤解のないように!)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●何でも否定する子ども(拒否児)

++++++++++++++++++++++

私の近くに、何でも否定する子ども(小5女児)がいる。

「これはいい本だよ」と声をかけると、「そんな本、おもしろくない」と。
「今日はいい天気だね」と声をかけると、「寒いから、いい天気ではない」と。
「こんにちは!」と言って、肩でもポンと叩こうものなら、「このヘンタイ!」と叫んで、
足蹴りを入れてくる。

私が何をしても、おもしろくないらしい。
そこで私が、「そんなに何でも拒否しなくてもいいじゃないか」と声をかけると、
「私は何も拒否していない」「本当のことを言っているだけ」と言い返してくる。

私「逆らうな!」
女「逆らっていない!」
私「逆らっていないって言いながら、逆らっている」
女「じゃあ、どう言えばいいのヨ」と。

このタイプの子どもに一度からまれると、こちらのほうが気がへんになる。
が、当人には、その自覚はない。

類型的には、他責型人間ということになる。
心の奥深いところに、欲求不満が、海の底にたまったヘドロのように、
たまっている。

特徴としては、

(1)感情の発露が見られない。何を考えているかわからない。
教える側からすると、心が読めない。
(2)がまん強く、表面的には、おだやかな性格に見える。
いやなことがあっても、内へ内へとためこんでいく。
(3)表情と心の状態が一致していないことが多い。
うれしいはずなのに、笑みが浮かばない、など。
(4)自分の失敗でも、すかさず他人の責任にする。
自分でお茶をこぼしても、「あなたがそこへ置いておくから悪い」とやり返す。
(5)あとから理由(=こじつけ)が、うまい。
「先生が、いつも急げというから、お茶をこぼした」などと行為を正当化する。
(6)心が冷たい。豊かな感情表現が苦手。
みなが涙をポロポロ流すような映画を見ても、平然としている、など。

俗にいう、「ヒネクレ症状」が見られる。
あるいは、他人からは、「ヘソ曲り」と呼ばれる。
では、どうするか?

●自分に気づかせる

何よりも大切なのは、子ども自身に自分に気づかせること。
静かなカウンセリングが効果的だが、やり方をまちがえると、かえってかたくなになり、
自分の殻(カラ)に閉じこもってしまう。
つまりますますがんこになる。

原因は乳幼児期の不適切な育児姿勢、愛情飢餓、経済的貧困などがある。
そのため、「根」は深い。
叱ったりすれば逆効果。
また説得しても、効果は一時的。
意識的な行動というよりは、無意識下で起こる反応とみる。
よく観察すると、融通がきかず、臨機応変に行動ができないなどの特徴も見られる。
が、最大の問題は、心を開かないこと。
発達心理学的には、『基本的不信関係』ということになる。
先にも書いたように、乳幼児期における母子関係の不全が原因と考えてよい。

●印象

私はそういう子どもを見ると、同情のほうが、先にきてしまう。
「かわいそうな子どもだな」と思うと同時に、「これから先、たいへんだろうな」と。
思春期前夜の反抗期の反抗とちがうのは、反抗の向こうに、ポリシーを感じないこと。

思春期前夜の反抗には、そこに子どもらしいポリシー、つまり理由を感ずる。
「私はこうしたい」「ぼくはこうありたい」という目的性を感ずる。
しかしこのタイプの子どもには、それがない。
何もかもが、おもしろくない。
おもしろくないから、反抗するというよりは、あらゆるものを拒否する。

現実問題としては、一度、こうした否定的態度が身についてしまうと、よほどのことが
ないかぎり、そうした態度は一生、つづく。
「よほどのこと」というのは、結婚、出産、育児……などのような、一大事をいう。
しかしそれでも、「直る」ということは、まず、ないと考えてよい。
が、方法はないわけではない。

もしあなたが今、ここに私が書いているような、「拒否児」、あるいはその延長線上に
いると感ずるなら、静かに自分を反省してみること。
まず、自分に気づく。
すべてはそこから始まる。
あとは時間が解決してくれる。
10年単位の時間がかかるかもしれないが、時間に任す。

まずいのは、そういう自分であることに気づかず、いつまでも同じ失敗を繰り返すこと。
他人と衝突しやすい、夫婦げんかが絶えない、親子関係がしっくりしない、あるいは
反対に、他人と接すると疲れやすい、家庭でも落ち着かない、他人を信じられないなど。
そういう失敗を繰り返すこと。

「拒否児」の問題は、そういう問題である。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
拒否児 拒否的態度 拒否的姿勢 ひねくれ ひねくれた子ども へそ曲がり ヒネクレ
ヒネクレ症状 はやし浩司 基本的不信関係 他責型人間)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【人の心】

●お金(マネー)では、人の心は買えない

+++++++++++++++++++++++++

まずお金の限界を知ること。
それが賢いお金の使い方ということになる。
その原則、第一。

お金をばらまいて、けっして、いいかっこうをしてはいけない。
お金で人の心を買うことはできない。
これには国も、政府も、個人もない。
ねたみを買うことはできても、感謝を買うことはできない。
だからいくらあなたが金持ちでも、けっしてお金を見せびらかせては
いけない。
いわんや、そのお金で、安易に、人を助けてはいけない。

+++++++++++++++++++++++++

●欲望

お金イコール、欲望。
現代社会では、欲望イコール、お金。
欲望を満たす快感は、アルコール中毒者が、アルコールを
口にしたときを想像すれば理解できる。
ニコチン中毒者が、タバコを吸ったときでもよい。
脳内の視床下部の命令によって、ドーパミンが放出される。
それが線条体にある受容体を刺激する。
とたん、猛烈な欲望となって、その人を襲う。
それが欲望の根源と考えてよい。

アルコール中毒者に酒を渡したところで、感謝されるのは一時的。
ニコチン中毒者にタバコを渡したところで、感謝されるのは一時的。
相手の欲望を満たしてあげたからといって、それで相手の心をとらえた
と考えるのは、あまりにも短絡的。
論理的に考えても、ありえない。
一方、「感謝」などという高度な知的な反応は、大脳の連合野が担当する。
その反応が辺縁系あたりに伝えられ、そこで感謝の念となる。
脳のどこかに、記憶として、深く刻まれる。

むしろ欲望を満たすことによって、(与えられるほう)には、依存性が
生まれる。
アルコール依存、ニコチン依存を例にあげるまでもない。
そして一度、この依存性ができてしまうと、お金に関していえば、(援助する側)と、
(援助される側)は、つねに一方的な関係になる。

●依存される者

R夫婦は、夫婦で、医院を開業していた。
夫が外科医で、妻が内科医をしていた。
そのため、かなりの収入があった。

で、そのR夫婦に、親類一同が群がった。
まさに「群がった」というにふさわしい。
出は東北地方の某都市だったが、兄弟姉妹はもとより、叔父、叔母まで、この
H市に移り住んできた。
R夫婦は、気の優しい人たちだった。
いつしか兄弟姉妹はもちろん、甥や姪の学費から、生活費までめんどうをみる
ようになった。

が、感謝されたのは、最初だけ。
半年もすると、それが当たり前になり、さらに1年もすると、相手のほうから生活費を
請求するようになってきたという。
そのつど、「お金がないと、一家心中しなければならない」「息子の学費を出して
やらないと、息子の将来がなくなる」「暴力団に借金の返済を迫られている」と。

R夫婦は、そうした言葉に脅されて、費用を負担つづけた。
そうして20年が過ぎ、30年が過ぎ、40年が過ぎた。
が、である。
数年前、R夫婦の、夫のほうが他界した。
突然の死だった。
享年87歳。

私もその葬儀に直接出ているので、そのときの様子は、よく知っている。
R氏の妻は、私にこう言った。
「甥や姪はもちろんのこと、東北の親類から来た人は、だれもいません」と。

恐らく甥や姪は、生活費や学費が、R夫婦から出ていると聞かされていなかったのでは?
こうした話は、親は、自分の息子や娘たちには話さない。
「貯金があった」「仕事で得たお金」と言っていたにちがいない。
R夫婦の妻にしてみれば、納得のいかない葬儀だった……らしい。
「あれだけお金を出してやったのだから、葬式くらい、顔を出すべき」と。
R氏の妻は、私にそう言った。

●あなたが金持ちなら……

もしあなたが幸運なことに、お金持ちなら、これだけは覚えておくとよい。

(1)ぜったいに、札束を見せびらかすようなことをしてはいけない。
(2)ぜったいに、札束で相手の頬を切るようなことをしてはいけない。
(3)ぜったいに、安易に金銭を与えたり、負担してはいけない。
(4)ぜったいに、いいかっこうをしてはいけない。
(5)ぜったいに、お金を安易に渡してはいけない。

依存性ができたとたん、「感謝」の念など、どこかへ吹き飛んでしまう。
アルコール中毒者に酒を、ニコチン中毒者にたばこを与えるようなもの。
それで終わるということは、ぜったいに、ない。
しばらくすると、今度は相手のほうから求めてくる。

●ねたみ

(ねたみ)ほど、その人の心を狂わすものはない。
それがわからなければ、逆の立場で、ものを考えてみたらよい。

あなたはその日の生活費にすら、困っている。
子どもの学費にも、困っている。
が、あなたの近くに、たいへんな金持ちがいて、好き勝手なことをしている。
その人の一日の遊興費だけで、あなたは一か月分の生活に相当する。

そういうとき、その金持ちが、かなりまとまったお金をくれたとする。
そういうとき、あなたはどう感ずるだろうか。
一応、その金持ちに感謝の念を示しながらも、あなたはその一方で、
相手をねたむはず。
「お前らのおかげで、私たちはこんなに貧乏なのだ」と思うかもしれない。
先にも書いたように、(ねたみの感情)と、(感謝の念)は、脳の中でも、まったく
別の部分が担当する。
とくに(ねたみ)、つまり嫉妬は、原始的な感情であるだけに、扱い方がむずかしい。
感謝の念でねたみを打ち消すことは、不可能と考えてよい。

だからお金で、人の心をもてあそぶようなことはしてはいけない。
かえって反感を買うだけ。
もしもあなたが金持ちなら、じゅうぶん、注意したらよい。

(付記)

現在、日本のAS首相は、狂ったように世界中に、お金(マネー)をばらまいている。
まず手持ちの印刷機で、円札をどんどんと印刷する。
仮にその額を10兆円としよう。
その10兆円で、外貨として蓄えたドル紙幣と交換する。
外貨は、日銀の金庫に山積みになっている。
10兆円は、1000億ドルに相当する。
そのドルを世界中にばらまく。
一方、日銀の金庫の中に入った円は、国内銀行を通して、日本中にばらまく。

こうして日本は外国ではドルをばらまき、国内では円をばらまく。
一見、一石二鳥のようにも見える政策だが、そのあとに待っているのは、
インフレ。
ハイパーインフレ。
今に、ラーメン一杯が、2000円になるぞ!
3000円になるかもしれない。

AS首相としては、そういう方法でも、人の心をつかみたいのかもしれない。
が、そんな方法では、人の心はつかめない。
繰りかえすが、相手の欲望を満たしてやったからといって、相手に感謝される
ということは、論理的に考えても、ありえない。
感謝されるとしても、一時的。
わかりやすく言えば、お金では人の心は買えない。
かえって反発を買うだけ。


Hiroshi Hayashi++++++++May・09++++++++++++はやし浩司

●認知的不協和から合理化へ(「私は夫を愛しています」)
Rationalization of the Mind

++++++++++++++++++++

会って話をするたびに、「私の夫はすばらしい人です」
「私は夫を愛しています」「今の夫と結婚できて幸福です」
などと、ことさら自慢げに口にする人がいる。

そういう話を聞くと、だれしも、そういう夫婦について、
「さぞかしすばらしい夫婦なんだなあ」と思うかもしれない。
うらやましいと思うかもしれない。

事実、私など、そういうことを言葉として、他人に言った
ことはない。
私のワイフについては、さらにない。

が、待ったア!
この話は、おかしい!

実際には、このタイプの夫婦ほど、実はあぶない。
自分の中の心の矛盾(=認知的不協和)を合理化する
ために、そう言う。
そういうケースのほうが、多い。
もっとわかりやすく言えば、日頃から、「いやだ、いやだ」と
思っているから、そういう言葉を口にする。
することによって、自分の心をごまかす。

++++++++++++++++++++

●反動形成

先日、1年ぶりに、Mさん(65歳)に会った。
見た目には、明るく朗らかな人である。
ケラケラとよくしゃべり、話題も豊富。
が、どこか不自然。
演技ぽい。
身についていない。

「無理をしているな」と、私は感じた。
私はその女性が、うつ病の薬を常用しているのを、
ワイフから聞いて知っていたこともある。

このタイプの人は、外の世界では、本来の自分とは正反対の
自分を演ずることが多い。
こういうのを、「反動形成」という。
子どもの世界でも、よく観察される。
たとえば弟や妹が憎くてたまらないはずなのに、親の前では、
よくできた、ものわかりのよい兄や姉を演ずる、など。

それがおとな、さらには老人期に入ると、反動形成そのものが、
その人の(人格?)として定着する。
古いキズの上にできたカサブタが、無数に固まり、分厚い皮となる。
つまりちょっとやそっとでは、ボロを出さない。
Mさんは、だれからも、明るく、朗らかな人と見られていた。

●認知的不協和

こんなことがあった。

よいと思って買ったパソコンだったが、使ってみると、あれこれと
不便なことが生じてきた。
実は最近買った、ミニパソコンのMがそうだ。

タッチパッドの感度がよすぎて、指を近づけただけで、勝手に反応
してしまう。
そのため、ワープロとして使っていると、突然、カーソルの位置が、
とんでもないところにジャンプしてしまう。
使いにくい。
それが頻繁につづくと、イライラする。

そこでショップの人に相談すると、タッチパッドに紙を張って使いなさい
とのこと。
しかしそれも不便……。

こういうとき、心の中で、認知的不協和という特殊な反応が起きる。
もっとわかりやすい例では、こんな例もある。

「すてきな女性」と思って結婚してみたが、結婚生活が始まると、あれこれ
不満だらけ……。
「こんなはずではなかった」というのが、それ。
私もミニパソコンのMを買って、「こんなはずではなかった」と思った。

●合理化

しかし人間の心は、こうした矛盾には、それほど耐えられない。
矛盾を感ずると、心は葛藤状態になり、つづいて緊張状態を強いられる。
この緊張状態に弱い。

そこで心は、自分を防衛するために、さまざまな反応を示す。
その一つが、合理化。
何かの理由をこじつけて、今のその状態を合理化する。
たとえば釣りをしていて、魚を取り逃がしたとする。
そういうとき、「どうせあの魚は、病気だった」とか、自分に言い聞かせることで、
取り逃がしたという悔しさを、解消しようとする。

こうした一連の心理的操作、つまり(認知的不協和)から(合理化)という
操作は、日常的に、私たち自身が、よく経験する。
冒頭にあげたMさんも、その1人。

Mさんにしてみれば、望まない結婚だった。
夫に対する不満もつづいた。
しかし世間体もあり、離婚することもできなかった。
そういう生活が、40年間もつづいた。
その結果が(今)ということになる。
Mさんは、ことあるごとに、こう言う。

「私は今の夫と結婚できたことを、喜んでいます」と。
しかしこうした言葉は、そのまま受け取ってはいけない。
裏から読む。
「今の結婚は、不満です」と。

しかしそれを認めることは、そのまま自己否定につながる。
人生も晩年になって、何がこわいかといって、「自分の人生は
まちがっていたかも?」という疑問をもつことほど、こわいものはない。
その自己否定がこわいから、ほとんどの人は、合理化することによって、
自分の心を防衛する。
「防衛すること」から、こうした心理操作を、心理学の世界では、「防衛機制」という。

●退職者の悲哀

こうした現象は、何も妻だけの問題ではない。
定年退職した男たちが、みな共通にもつ問題と言ってもよい。
とくに私たちの世代は、現役時代には、「企業戦士」と言っておだてられ、
一社懸命、一所懸命と、身を粉にして会社という企業のために尽くしてきた。

本当は自分のためにそうしたのだが、結果として、自分の夢や希望を犠牲にした。
家族を犠牲にした。

が、結末はあわれ。
本当にあわれ。
民間企業でそれなりの地位についた人も、50歳を回るころにはリストラされ、
関連会社や子会社へ。
あるいはリストラ→求職活動→再就職、と。

こうした人たちの落胆感には、ものすごいものがある。
しかしそれを認めることは、先に書いた「自己否定」につながる。
そこでこのタイプの人たちは、過去の経歴にしがみつく。
あるいはそれ以前の学歴にしがみつく。

言うなれば、これも「合理化」の変形ということになる。

●再び、Mさん

Mさんは、先にも書いたように、見た目には、明るく朗らかな人である。
私たちと話すときも、何かとよく気がつき、あれこれと仕事をしてくれる。
だから私たちも、その範囲で、Mさんと交際している。
問題はない。
一応、よき人間関係ということになる。

しかしどこかで違和感を覚えるのも、これまた事実。

私「お前さア、他人に、『浩司さんと結婚できて幸福』って、言ったことあるか?」
ワ「ないわねエ〜」
私「だろ……。本当に幸福なら、そんな言葉など使わないぞ」
ワ「そうねエ。夫婦なんて、空気のようなものだから……」

私「でも、Mさんは、ぼくにも、そう言った。お前にも、そう言った」
ワ「どうしてそんなことを言うのかしら?」
私「つまり、それだけ今の夫に不満があるからだよ。自分の心をごまかすために、
そう言う」
ワ「そうねエ……」と。

何も私たち夫婦が仲がよいというわけではない。
ないが、他人に夫婦の間のことを話すことは、めったにない。
話しても意味がない。
無駄。
言うとしても悪口のほうが、多い。
「ぼくのワイフは、頑固」「融通がきかない」「まじめすぎる」と。
いわんや、他人に、「ぼくはワイフを愛しています」などとは、言ったことがない。
最近の若い人たちのことは知らないが、私たちの世代には、「愛」という言葉には、
ある種の照れくささを覚える。

●晩年

しかし人生も晩年に近づくと、この合理化がふえてくる。
「ぼくの人生はこんなものだ」という、あきらめとも、居直りともわからない
複雑な気分が、身を包む。
それが合理化に拍車をかける。

私の人生を振り返っても、釣った魚よりも、釣り逃した魚の方が、はるかに多い。
「あのときの魚は、こうだった」「ああだった」と、自分をなぐさめる。
結婚生活にしても、また私のワイフにしても、そういう思いがどこかにないとは
言わない。
しかしそれこそ、(お互い様)。

私だって、欠陥だらけの人間。
とても人に誇れるような人間ではない。
そんな私に、40年も付き添ってくれた。
私がワイフなら、私のような男とは、とっくの昔に離婚していただろう。
それが自分でもよくわかっているから、偉そうなことは言えない。

ただ幸いなことに、自己否定に陥ることは、死ぬまでないだろうということ。
私は、ささやかだが、自分なりに、自分の人生を歩むことができた。
どこの世界で、どのようにがんばったところで、私は今程度の人間でしか
なかっただろう。
やり残したと思うようなことも、ほとんどない。
だからあとは、このまま死ぬまで、突っ走るだけ。

そんな私だが、ワイフに、「愛している」と言われることくらい、うれしいことはない。
めったに言わないが……。

さて、この文章を読んでいるあなたは、どうか?
余計なお節介かもしれないが……。(失礼!)


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
認知的不協和 防衛機制 合理化 自己正当化)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●嫉妬(ねたみ)(Jealousy)

+++++++++++++++++

嫉妬深い人には、ひとつの特徴がある。
嫉妬深い人は、当然のことながら、他人の幸福や成功を喜ばない。
喜ばない分だけ、その反射的反応として、人の悪口や中傷を好む。

言いかえると、日常の会話の中に、人の悪口や中傷が多い人は、
それだけ嫉妬深い人とみてよい。

+++++++++++++++++

概して人は、つぎの2つのタイプに分けられる。

(1)他人のよいところだけを見ながら、それを前向きに評価していくタイプ。
(2)他人の欠点だけを問題にし、それを批判したり、悪口や中傷につなげていくタイプ。

後者のタイプの人は、それだけ嫉妬深い人ということになる。
つまりそれだけ心の部屋が、狭い。
見かけの様子にだまされてはいけない。
多くの人は、自分の欠点に気づくと、その反対側の自分を演ずることがある。
明るく、朗らかな人が、実はその裏で、うつ病で、通院治療を受けていたりするなど。
そういうケースは、たいへん多い。

嫉妬深い人もそうで、表面的には、寛大な様子を、ことさら演じてみたりすることが多い。
「私は世界中の人がみな、幸福になればいいと思っています、ハハハ」と。
表面的な様子だけでは、判断できない。
だからこれは他人の問題というよりは、私やあなたの問題ということになる。

あなたはだれかと会話をするとき、上の(1)のタイプだろうか。
もし、そうなら、それでよし。
もし(2)のようなら、あなたは、心のかなりゆがんだ人とみてよい(失礼!)。
原因や理由はいろいろ考えられるが、嫉妬深い人は、それだけ自らの人生を
重く、暗いものにする。
長い時間をかけて、そうなる。

とくに(2)のタイプの人は、教師には向かない。
そういう教師に当たったら、生徒がかわいそう!
……と考えて、一度、自分を深〜〜ク、反省してみる必要がある。

嫉妬は、原始的な感情の一つであるだけに、扱い方もむずかしい。
扱い方をまちがえると、それこそ、相手を殺す……というところまでしてしまう。
つまり嫉妬がからむと、人間が人間でなくなってしまう。
行動そのものが、動物的になる。

嫉妬を感じたら、じゅうぶん、注意したらよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
嫉妬 ねたみ 嫉妬論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●運動(Exercise)

+++++++++++++++++++++

昨夜は、オーストラリアの友人への誕生日プレゼントを
送るため、片道約5キロを歩いた。
西郵便局まで、歩いた。
今日も、近くのショッピングセンターまで、約6キロを
歩いた。
そのため、私もワイフも、疲れた〜〜〜ア。

帰ってきて、そのまま昼寝。
目をさましたのが、午後4時ごろ。
2人も、2時間近くも眠ったことになる。

が、起きてみて、ビックリ。
居間から寝室まで、漢方薬の焦げた臭い。
ワイフが、ヨクイニン湯をつくりかけて、火を消すのを
忘れてしまったためらしい。

ヨクイニン湯……肌をなめらかにする。
イボの特効薬でもある。
私たちは、ヨクイニンに、甘草(カンゾウ)を、4対1の割合で
煎じて飲んでいる。
甘草を混ぜるのは、薬効をおだやかにするため。
それにのみやすくなる。
それにセンナの葉を、5〜6枚入れると、便秘薬にもなる。

+++++++++++++++++++++

このところ「運動」といっても、どこかに悲壮感が漂うようになった。
「楽しむ」というよりは、何かに追い立てられているといった感じ。
とくに土日にしっかりと運動をしておかないと、つづく月曜日からの
仕事にさしさわりが出る。

が、そこは私。
それなりに楽しむ工夫はしている。
その一。
いつもデジタルカメラをもち歩く。
最近はビデオカメラを持ち歩くことも多い。
そのつど美しい花を見かけたりすると、それを写真に収める。
今日も、ショッピングセンターまで歩くとき、30枚ほど、写真に撮った。

あとはただひたすら、おしゃべり。
ワイフとペチャペチャとしゃべりながら、歩く。
これが結構楽しい。

●墓穴

アメリカにも、「墓穴」という言葉があるらしい。
クリントン国務長官が、「K国は、ますます墓穴を掘っている」というような表現で、
K国を非難した。

(「墓穴」……?
英語で、何と言うのだろう。
suicidal=自殺行為、disastrous=破滅的、という単語は、よく使うが、grave=墓穴
とういのはどうか?)

ともかくも、K国は墓穴を掘りつづけている。
だいたい言うこと、なすこと、すべてがメチャメチャ。
先の国連安保理の決定を撤回しろとか、謝罪しろとか、さもなければ、ICBMの
実験をするとか、核実験をするとか……。

それに対してアメリカは、『無視と圧迫』作戦を展開中。
K国が何を言っても、無視。
K国への援助予算も全額カット。
議会への報告書からも、K国という文言を消した。

要するに、「ご勝手にどうぞ」と。

が、日本として、もっとも警戒しなければならないのは、あのB氏。
電撃的な米朝会談。
前例がないわけではない。
先のC・ヒルには、日本は、さんざん煮え湯を飲まされた。
また今回K国の特命大使に任命された、B氏は、大の韓国びいきときている。
「日本はずし」も、ありえないわけではない。
もしそんなことにでもなったら、一大事。
日本は国運を賭けてでも、それに抵抗しなければならない。

警戒すべきは、B氏。
このB氏の動きと言動を、注意深く見守っていこう!


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●5月10日(人生は選択の問題)

++++++++++++++++++++++++

このところフルハイビジョンテレビの迫力に
押されて、映画館へは足を運んでいない。
(見たい映画がないということもあるが……。)
そのかわり、家でビデオを見ることが多くなった。
で、昨夜は、スティーブン・スピルバーグ監督の
『アメージング・ストーリー』。
たいへん古い映画である。
雰囲気からして、20〜30年くらい前の映画ではないか。
私はその映画が好きで、ビデオで公開されるたびに、
それを借りてきた。
全部、見た……はず。

+++++++++++++++++++++++

●記憶

DVDは2本、借りてきた。

短編が3作ずつ収録されているから、計6作ということになる。
が、うち4作ほどは、おぼろげながらも、内容を覚えていた。
しかし残り2作は、はじめて見たと言ってよいほど、内容を覚えていなかった。
どういうことだろう?
見ていなかったのか?
それとも忘れてしまったのか?

DVDを見ながら、自信がゆらいできた。
単純に計算すると、こうなる。

仮に私がその映画を、40歳のときに見たとしよう。
この計算によれば、その時代の6分の2、つまり3分の1は、記憶から完全に
消えてしまったことになる。
あの時代の1年のうち、約4か月は、完全に記憶から消えてしまったことになる(?)。
(こんなふうに、単純に計算することは、正しくないことは、よく知っているが……。)

40歳のころ、私はたしかに生きた。
しかしそのうちの3分の1の時間は、「生きた」という実感もないまま、どこかへ
消えてしまった?
……というふうにも、理解できる。
さらに言えば、その時間の中の私は、私は死んだも同然ということにもなる。
(少し、大げさかな?)

●無益に100年生きるよりも……

が、人生というのは、おおむね、そんなもの。
「今」という時にしても、10年後に残る時間など、3分の1もない。
(3分の1も残れば、御の字かも。)
実際には、加齢とともに、人生の密度は薄くなるから、5分の1とか、10分の1
とかになる。

言い換えると、人生というのは、過ごし方の問題。
過ごし方によって、2倍にも、3倍にもすることができる。
反対に過ごし方をまちがえると、(死んだも同然)となる。
そこで結論。

大切なことは、長生きをすることではない。
今のこの時を、2倍、3倍にして生きる。
そうすれば同じ10年でも、それを20年、30年にして生きることができる。
『人生は長さではなく、密度の問題』。

さらに言えば、『無益に100年生きるよりも、有益に1年を生きたほうがよい』と
いうことになる。
『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり(子曰、朝聞道、夕死可矣)』というのも、
同じ意味である。
論語の中の一節である。
つまり「その日の朝に真実を知れば、それ以上長生きしたところで意味はない。
夕方に死ぬことになっても後悔はしない」と。

●日々を選ぶ

このことは私たちに重要な教訓を残している。
つまり与えられた時間は同じでも、使い方によって、それを2倍にすることもできるが、
反対に半分にしてしまうこともあるということ。
人生というのは、「使い方」というよりは、「選択の問題」ということになる。

たとえば同じDVDを見るにしても、印象に残らないような、くだらないのを見ても、
意味はないということ。
時間の無駄。
人生の無駄。
時間つぶしにもならない。
自分を殺しながら、殺しているという事実にすら、気がつかない。

よい例が、あのバラエティ番組。
見るからにその程度の人たちが、意味のないことを言いあいながら、ゲラゲラ、
ギャーギャーと騒いでいる。
そのときはそれなりに結構楽しいが、そういうのを見ている時間というのは、
結局は、(死んだも同然)ということになる。

そこでどうせ見るなら、10年後、20年後に、しっかりと記憶に残るものがよい。
それが時間を有効に使うということになるし、人生を長く生きるということになる。
つまり「選択の問題」ということになる。

DVDやテレビにかぎらない。
仕事にしても、人と会うにしても、また交際するにしても、そのつど「選ぶ」。
その選び方を誤ると、10年後には、何も残らない人生を送ってしまうことになる。

要するに日々の選択にこそ、人生をどう生きるかの知恵が隠されている。

●再び、選択

同じ映画でも、強烈な印象を受けた映画は、よく覚えている。
たった1度しか見ていない映画でも、よく覚えている。
そうでない映画は、そうでない。

が、ここでまた別の問題にぶつかる。
映画にせよ、人生にせよ、どう選ぶかという問題である。
中には、「娯楽なのだから、楽しめばいい」と考える人もいるかもしれない。
「見て、すぐ忘れたからといって、無駄になったということではない」と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。

若いときのように、死がはるか遠くにあって、それを気にしないというのであればよい。
しかし50歳、60歳となると、死をすぐ近くに感ずるようになる。
親しかった人も、つぎつぎと死んでいく。
そうなると、「楽しめばいい」という考え方は、どこかへ吹き飛んでしまう。

そこで大切なことは、やはり、「選択」ということになる。
言い換えると、これから先は、「どう生きるか」ではなく、「どう選択するか」ということ。

人を選ぶ。
仕事を選ぶ。
行動を選ぶ。
常に選びながら、生きる。

年数は正確には計算できないが、スティーブン・スピルバーグの『アメージング・
ストーリー』を見ながら、そんなことを考えた。

(付記)

実のところ、この1週間、原稿をほとんど書いていない。
……書けなかった。
スランプ状態になってしまった。
第一の原因は、電子マガジンの読者が、この数か月以上、ほとんどふえなかった。
毎日が、苦しかった。
「しばらく休刊にしよう」と、何度も考えた。
ワイフもそう言った。
「そんなに苦しいのなら、休刊にしたら」と。

もちろん中には、毎回読んでくれている読者もいる。
ときどきだが、そういうメールをもらう。
しかし90%以上の読者は、(あるいは99%以上の読者は)、軽く目を通して、
そのまま削除。
私自身も、他人のマガジンをそのようにして読んでいるので、その気持ちがよくわかる。
読者の方を責める気持ちは、まったくない。
しょせん電子マガジンというのは、そういうもの。

「何かしら、壮大な無駄をしているのでは?」という、疑問がムラムラと胸をふさいだ。
とたん書く気が半減、喪失した。
「こんなことをしていて、何になるのだろう?」と。

さらに一言、付け加えるなら、私の読者は、そのほとんどが女性。
母親。
よけいに、むずかしい。

女性というのは、情報を得ても、それを自分だけの世界に閉じ込めてしまう。
けっして、外の世界に広めてくれない。
何かよい情報を手に入れたりしても、こっそりと自分のものにして、それでおしまい。
男性のように、他人に向かって、「これはおもしろいから、お前も読んでみろ」という
ようなことをしてくれない。
(もちろんそうでない女性もいるが、しかし私が知るかぎり、そういう女性は少数派。)

ほかにもたとえば子育て相談などにのってやっても、女性のばあいは、たいてい、
「はい、ありがとう」だけですんでしまう。
男性のばあいは、そのあと、何らかのアクションが、かならずといってよいほど、ある。

女性、つまり母親たちとは、もう何十年もつきあってきたから、そういう女性特有の
心理がよくわかっている。
女性を責めているわけではない。
ただ、こういうことは言える。

女性も、そのあたりから自分を基本的に見直さないと、真の意味での男女同権を
達成することはできないのではないか、と。
というのも、こうした女性独特の心理の奥底には、ぬぐいがたい(女性特有の依存性)の
問題が潜んでいる。
どこか男性社会に甘えて生きている。
その(甘え)がなくならないかぎり、真の意味での男女同権はない。

ともかくも、1週間の空白期間を通り抜けて、今、また原稿を書き始めている。
こういうとき私は、自分にこう言って聞かせる。

「こうしてものを書くのは、だれのためでもない。自分のため」と。
言うなれば、肉体を鍛えるジョギングのようなもの。
自分の健康のため。
脳みその健康のため。

もう女性にも、また母親と呼ばれる人たちにも、期待はしない。


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【1】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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今回は、趣向を変え、you tube特集とします。

現在、『BW公開教室』に力を入れています。
文章ではなく、生の声で、子育てのコツなどを、公開しています。
また毎月の子どもたちの様子、成長ぶりを、そのまま見たり、聞いたりしていただけます。
どうか、ご覧になってください。

なお、「カラー版」(上記アドレス)では、そのまま動画をご覧いただけるよう、
編集しました。
お子さんとご一緒に楽しめる編集になっています。
ご家庭での指導にご利用くだされば、また楽しい話題になるのではないかと、確信して
います。

はやし浩司

●BW公開教室へは……

http://bwhayashi.ninja-web.net/

から、どうぞ!
それぞれのテーマに応じて、レッスン内容を選んでいただけるようにしました。

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【BW公開教室】(特集)

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子どもたちのそのままの様子を、紹介しています。
YOUTUBEのビデオと合わせて、お読みいただくと
よいかと思います。

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●頭のよい子(恵まれた子どもたち)

子どもの頭のよさは、(1)集中力と、(2)思考の柔軟さで決まりますが、
それ以上に重要なのが、(3)思考回路ということになります。

与えられた命題を分析し、頭の中でそれを論理化していく。
その思考回路がしっかりしている子どもは、頭のよい子どもということに
なります。
頭のよい子どもは、そのように考えるか。
それをビデオに収めてみました。
英語で言えば、「gifted children(恵まれた子ども)」ということになります。
このタイプの子どもは、生涯にわたって、日本の(世界の)リーダーとして
活躍していくことになるでしょう。

(1)小3のN君が、勝手に小5の教科書を取り出して、分数の学習を始めました。
そこから始まって、「4時から5時までの間で、長い針と短い針がまっすぐ並ぶ
のは、何時何分か」という問題を出してみました。

BW教室では、学校の進度を無視して、そのつど分数の話をしたりしていますが、
N君の(力)には、驚きました。
チョンチョンとそのつど教えたことを、そのまま身につけてしまっていました。
頭のよい子どもというのは、そういう子どもをいいます。
子どもが、どのように考え、答えを出していくか、その過程を見てください。

http://www.youtube.com/watch?v=vmEASfW42Ko
http://www.youtube.com/watch?v=koccVzx1GU8
http://www.youtube.com/watch?v=sfOHC5cjVAc

(2)同じく、小3のM君に、立体図形の開いた図(展開図)を描いてもらいました。

http://www.youtube.com/watch?v=LfgnYdAu8Dc

M君も、そのつど雑談的に話したことを、そのまま身につけてしまっていました。
「学ぶことは楽しい」という無意識下の意識をもっている子どもは、自ら、こうして
伸びていきます。


●伸びやかな子ども(すばらしい子どもたち)

「すなおな子ども」というときには、2つの意味があります。
(1)心の状態(=情意)と、表情が一致している。
(2)いじける、ひがむ、こだわる、すねるなどの(心のゆがみ)がないこと。

ここに紹介する子どもたちは、たいへん伸びやかな子どもということになります。
ビデオの中で、子どもたちが、(1)言いたいことを言い、(2)したいことをしている
ことに注目してください。

「理想的な子どもとは、どんな子どもか」と聞かれたら、私は迷わず、このタイプの
子どもをあげます。
なお誤解がないように言っておきますが、子どもというのは、抑えるのは簡単です。
しかし伸ばすのは難しい。
一見生意気に見える子どもたちですが、人格の「核」がしっかりしている分だけ、
聞きわけもよく、抑えるのは簡単です。
幼児期は、「伸ばす」ことだけを考え、抑えるのは、最小限にしたいですね。

このビデオの中で、子どもたちがさかんに自己主張している部分に注目してください。
こういう子どもを「すなおで、伸びやかな子ども」と言います。

http://www.youtube.com/watch?v=IXYpvCtCIu0


●子どもを伸ばすコツ

子どもを伸ばそうと考えたら、まず、あなた自身が、それを楽しむことです。
(教える側が楽しくなくて、どうして子どもが楽しむことができるでしょうか?)

私の教室では、レッスンに先立って、5〜10分ほど、(遊び)を取り入れています。
1〜2週間ごとに、遊びの内容を変えていきます。
こうすることによって、子どもの脳内に、カテコールアミン(脳内ホルモン)を
充満させることができます。
あとはその状態で、そのまま学習へと移行していきます。
脳内にカテコールアミンが充満していますから、学習も、前向きにしてくれます。
(脳内ホルモンは、すぐにはフィードバック※されませんので……。)

そんな遊びを紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=gAu3lim2n-Q
http://www.youtube.com/watch?v=DIgoYwsCwrI&feature=channel_page
http://www.youtube.com/watch?v=LTK9D8m3VlE&feature=channel_page

私自身は、無数の市販教材(全国販売用)の教材を制作、指導してきた経験が
あります。
しかし子どもの心をつかむには、手製の教材がいちばん、ですね。
そんなわけで、教室では、手製の教材で、指導しています。
その様子は、以下のHPでご覧いただけます。

http://bwhayashi.ninja-web.net/


●刺激教育

「毎回、いろいろな角度から、子どもの脳を刺激する」。
それが私のやり方です。

(できる・できない)ではなく、子どもが楽しんだかどうかを大切にします。
とくに(笑い)を、私は大切にしています。
『笑えば子どもは伸びる』というのが、私の40年来の教え方の基本になっています。

ゲラゲラと腹をかかえて笑わせる……こういう言い方は、教育の世界ではタブー視されて
いますが、たとえば何かの情緒障害がある子どもでも、笑わせることによって
なおって(=治って?、直って?)しまいます。
(もちろん親たちに、そういう障害があることを指摘することはありません。
病名を出すこともありません。
それがわかるのは、この私だけということになります。)

ともかくも、いろいろな角度から、子どもの脳を刺激していきます。
こうすることで、子どもの脳を柔軟(=しなやか)にすることができます。

一例を示します。
粘土で、四角を作る指導をしてみました。
この中で、私はわざと失敗してみせますが、大切なことは、おとなの優位性を押しつけ
ないこと。
「ぼくのほうが先生より、うまくできる」と思わせるようにします。
子どもたちの声の様子から、子どもたちが楽しんでいる様子をわかっていただければ、
うれしいです。

http://www.youtube.com/watch?v=AHpNQnsMswc


以上、ほんの一部ですが、BWの指導風景を紹介してみました。
ご家庭でも、そのままお子さんの指導に利用していただけるようにしてあります。
どうか、ご利用ください。

(注※)フィードバック……ある種の脳内ホルモンが分泌されると、それを打ち消す
ために、その反対の作用のある脳内ホルモンが分泌されることをいう。
このためある程度の時間がたつと、先に分泌された脳内ホルモンが、無力化する。)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●英語の発音

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日本人の話す英語は、ソフトすぎて、聞きづらい
と、よく外国の人は言う。
子音の使い方が違うことによる。
日本語では、子音をほとんど使わない。
使わなくても、音がわかる。
言うなれば、日本語の子音は、おかずのようなもの。
一方英語の子音は、それ自体が、「音」になっている。
たとえば、「バス」にしても、英語では、「バS」になる。
「S」の発音も、その前の「バ」ほど強く発音しなければ
ならない。
このちがいを教えるのは、むずかしい。

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昨日、小学生(小4、3人)に、「子音」を教えてみた。
YOUTUBEに、その様子をUPLOADしてみたので、興味のある人は、
見てほしい。

少しはげしいレッスンだが、ひとつの参考にはなると思う。

http://www.youtube.com/watch?v=vJr5jl9MCJc

http://www.youtube.com/watch?v=NEU9ha5MWss

http://www.youtube.com/watch?v=dx1trqugs3s

もっと見てくださる方は……

http://bwhayashi.ninja-web.net/index.html


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
英語教育 英語の発音教育 発音教育)


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よろしくお願いします。              はやし浩司
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年   6月   1日号
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6月1日……1207号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●家族を迎える

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三男が、嫁さん(「嫁さん」という言い方には、どうも抵抗を感ずるが……)、
その嫁さんを連れて、今、帰郷している。
明るい性格のさっぱりした女性だが、どこかで無理をしていないか、少し心配。
私が嫁さんの立場なら、半日で、激しい片頭痛に襲われるだろう。
どうか気を遣わないで、我が家では気楽に過ごしてほしい。
言いかえると、私たちも気を遣わない。
ありのまま。
言いたいことを言い、したいことをしている。
それが最善の迎え方(?)。

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●家の女?

私たちはともかくも、相手の親は、さぞかしさみしい思いをしていることと思う。
ワイフから聞いた話しでは、嫁さんの実姉も、結婚が決まったとか。
つまり2人つづけて、結婚する。

今どき「家を出る」とか、「嫁ぐ」とか、そういう言い方をするのは好きではない。
同じように「嫁さん」という言い方にも、どこか抵抗を覚える。
「嫁」とは、「家の女」という意味。
私は、そういう発想そのものに、生理的な抵抗感を覚える。
どうして1人の人間が、「家の女」?

ほかに呼び方はないのだろうか。
二男の妻?
二男の奥さん?
二男の連れ添い?
二男のワイフ?

どれもどこかに封建主義的な臭いを感ずる。
「〜〜の」という言い方そのものが、おかしい。
嫁さんは、「モノ」ではない。
で、あえて言えば、(英語式に)「二男のワイフ」がいちばん私は好きだが、
しかしそういう言い方をする人は、この日本では少ない。

●今は静観

二男が結婚し、今度、三男が結婚した。
私にとっては、2人目ということで、どこかサバサバしている。
「サバサバ」というのは、どこか事務的?
だからといって、「どうでもいい」ということではない。
これは子どもの入学と似ている。

最初の子どものときは、あれこれと気を使うものだが、2人目となると、心に余裕が
できる。
その余裕が、サバサバした感じを作る。
つまり大切なのは、「結婚」というその(時点)ではなく、この先のプロセス。
わかりやすく言えば、結婚するのは簡単。
「好きだ」「好きよ」で、結婚できる。
しかしこれから先が、たいへん。
その(たいへんさ)を知っているから、その心配の方が先に来てしまう。
「何とか、うまくやってほしい」と願うだけ。
つまり親が介入できることは、そこまで。
あとは本人たちの問題。

もちろん何か問題が起きれば、私もワイフも、身を投げ打ってでも助ける。
(少しおおげさかな?)
しかし今は静観するしかない。
「ま、どうぞ、ご勝手に」と。

●さみしさ

こうして息子たちは、巣だっていく。
「いつかは……」と覚悟はしていたが、これほどまでにさみしいものとは思っていな
かった。
息子たちが去っていくのが、さみしいのではない。
いや、それもあるが、私自身が、用なしになっていくのが、さみしい。
この先、私たちを待っているのは、老後。
ちょうどベンチの席をつぎの人に明け渡すように、私たちは席を譲らねばならない。
この地球に住める人間の数にも限界がある。

やがて三男夫婦も、子どもをもうけるだろう。
そのとき私たちがこの世界にのさばっていたら、子どもたち、つまり孫たちの座る
席がなくなってしまう。

私たちのほうが先に腰をあげ、「さあ、どうぞ!」と言ってあげねばならない。
が、その先、私たちの座る場所がない。
それがツンとしたさみしさとなって、心を包む。

●気楽に

三男夫婦を見ながら、「では、私たちができることは何だろう」と、しばしば考える。
第一にしてあげられることは、私の家を、「羽を休める場所として提供する」こと。
この先、いろいろなことがあるだろう。
そのとき三男夫婦も、疲れ、ときには羽を休めたくなるだろう。
そういうときは、我が家へ帰ってきて羽を休めればよい。

しかし……。

我が家は、それにふさわしい家なのだろうか。
三男夫婦は、私の家にやってきて、羽を休めることができるのだろうか。

実のところ、自信がない。
三男夫婦は、ある種の義務感を覚えて、私の家に帰郷した。
何もない家だから、楽しいはずはない。
私もワイフも、あまり楽しい人間ではない。

ま、オーストラリア流でいけば、何もしないことこそ、よいのかもしれない。
三男夫婦が、したいことができるようにしてやる。
何も考えず、ただひたすら気楽に!

●まねごと

ひとつだけ三男夫婦を見ていて学んだことがある。
仲のよいカップルを見ていると、こちらまで照れくさくなる。
三男は、嫁さんにラブラブ。
嫁さんも、三男を、好きで好きでたまらないといったふう。
並んで座っていても、たがいに体が自然に傾いていく。
いつの間にか、寄り添っている。

そういう姿を見ていると、私の方まで気が若くなる。
思わずワイフの手を握ったりする。
「お前ら、若いものに負けてたまるか!」という競争心からかもしれない。
あるいは「私たちも私たちなりに、人生を楽しもう」という思いがあるからかも
しれない。

どうであるにせよ、何もラブラブは、若い人たちだけの特権ではない。
私たちは私たち。
ハハハ。
どうせ勝ち目のない戦いだが、せめてまねごとだけはしてみたい。
ハハハ。

●だいじょうぶかな?

しかしおかしなもので、三男は三男。
幼いころのあの三男。
「あいつが、本当に結婚するのだろうか」と、いまだに信じられない。
そんな思いが残っているから、どこか不安。
どこか心配。

で、そのつど三男の心を確かめるのだが、私の若いころより、ずっとしっかりしている。
それをやはりそのつど確かめながら、自分を納得させる。
「だいじょうぶかな?」「これならだいじょうぶ」と。
そんな会話を、心の中でザワザワと繰り返す。

●親は脇役

しかしそれは私たちの気持ち。
相手の両親は、もっとさみしい思いをしているはず。
それを思うと、なんとかしなければと思う。
なにかよい方法はないものか……。

しかしその一方で、私たち夫婦にしても、できることはほとんどない。
結婚は、あくまでも当事者の問題。
三男夫婦の考えに従うしかない。
三男夫婦が、「こうしてくれ」と言えば、それに従う。
「ああしてくれ」と言えば、それに従う。

これは私たち夫婦もそうだったが、夫婦の絆のほうが、親子の絆より、はるかに
太く、しっかりとしたものになる。
親というのは、いつも脇役でしかない。
また脇役で甘んじるしかない。

繰り返しになるが、私たちは(去りゆく者)。

●プロセス

結婚は、プロセス。
これから先、ゆっくりと時間をかけて、少しずつ、人間関係を作っていけばよい。
ワーワー騒いで、急速に接近したところで、それほど意味はない。
嫁さんにしても、少しずつ時間をかけて、人間関係を作ればよい。
1年とか、2年とか……。
その時点、時点で、静かに過去を振り返りながら、地盤を固めていく。

その結果として、10年後がやってくる。
20年後がやってくる。

そのときは、私たち夫婦も、ボケてしまって、何もわからなくなるかもしれないが、
そのときはそのとき。
私たちの時代は終わった。
生まれてくる孫にしても、それほど長く、顔を見ることはできないだろう。
せいぜい、孫が、中学生か高校生になるころまで。
いや、そのころまで生きていられれば、御の字。

この先、この世界を生きていくのは、三男たち。
三男の家族たち。
今の私たち夫婦を見れば、それがわかる。
今では、家族と言っても、私とワイフだけ。

●結婚式

ふつう息子が結婚したというと、何かの達成感があるものではないかと思っていた。
しかしそんな達成感など、どこにもない。
「子どもを育て上げた」という充実感もない。

先にも書いたように、結婚は、プロセス。
どこかの標識を過ぎたからといって、それで旅が終わるわけではない。
簡単に言えば、結婚式をすませたからといって、それで終わるわけではない。

……しかし、三男夫婦は、結婚式をどう考えているのだろう。
いろいろと考えているようだが、イマイチ、「?」。
まあ、そのうち何かの連絡があるだろう。
私の方から、あれこれと言うのは、私のやり方ではない。
三男が責任をもって、自分たちのしたいようにすればよい。
私たち夫婦は、それに従うだけ。

やりたければやればよい。
やりたくなければ、やらなくてもよい。

私は前から、「相手の両親の意向だけを大切にしろ」と、三男には教えてきた。
私たちのほうは、どうでもよい。
だいたい、偉そうなことは、言えない。

私たち夫婦は、お金がなくて、結婚式すら、していない。
10万円の貯金がやっとできたときで、今のワイフに、「このお金で結婚式をするか、
それとも香港へいっしょに旅行するか」と聞いたときのこと。

ワイフは「香港へ行きたい」と。
それで2人で、香港へ行った。
それでおしまい。

そんな私がどうして三男に、「立派な結婚式をしろ」と言うことができるのか。

●金食い虫

どうであるにせよ、この先、三男夫婦が、幸福な家庭を築くことこそ、大切。
形ではない、中身。
中身だけを考えて、一歩、一歩、前に進めばよい。
結果はあとからついてくる。
あせらなくても、ついてくる。

最後まで見届けることは、私たち夫婦には、もうできない。

そうそう、三男について心配なこと。

昔から私は、「口臭男」と呼んでいた。
歯を磨かない。
そのためいつも口臭がしていた。
それを指摘すると、いつも三男は怒った。
口臭だけは、自分で気がつかない。
(そう言えば、おとといも、歯垢の臭いがプンとしたぞ!)

それに金遣いが荒い。
私とワイフは、内々では、三男を、「あの金食い虫」と呼んでいた。
交際費、つまり友人のためなら、惜しみなく(多分?)、金を」使う。
だから嫁さんには、こう言った。

「給料は、あなたがしっかりと管理するんですよ」と。
そうすれば三男も、少しは、おとなしくなるだろう。

●負けないぞ!

浜松には3泊して、明日、千葉へ帰るという。
また長い空白期間が生まれる。
しかしそんなことは気にしない。
私は私で、明日からまた私の生活を始める。

映画も見るぞ!
運動もするぞ!
仕事もするぞ!
原稿も書くぞ!
講演もするぞ!

だれにも遠慮しない。
ジジ臭い生き方など、まっぴらごめん。
一応70歳まで働くと心に決めているが、そこで仕事をやめるわけではない。
余力があれば、80歳までだって、現役で仕事をしてやる!

……そのとき、三男は47歳。
嫁さんは、45歳。
そのころ、三男夫婦は、幸福になっていればよい。
それを見届けられたら、御の字。
あとに思い残すことは、何もない。

そんなわけで、幸福宣言!

お前も幸福になれ!
私たちも、負けずに幸福になる!

負けないぞ!
……とまあ、力んでみたところで、今日はここまで。
ま、いつでも、戻っておいで、
待っているよ。
(2009年5月6日)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本に希望はあるのか?(Can we share hopes in Japan?)
(超管理社会)

++++++++++++++++++++

資格と規則で、がんじがらめ。
何をするにも、許可だの認可だのが必要。
地方の小さな町で、観光ガイドをするにも必要。
祭りにさえ、自由に出られない。
服装から持ち物まで決められ、許可証まで必要。
こんな国で生きていこうと思ったら、
小さく、狭い世界で、閉じこもるしかない。

ここまで書いて、以前、こんなことを
書いたことがある。

++++++++++++++++++++

●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、中学
生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず一人の中学生(中
2女子)がこう言った。「ない」と。

「おとなになってからしたいことはないのか」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞
くと、「どうせ実現しないから」と。もう1人の中学生(中2男子)は、「それよりもお金がほし
い」と言った。そこで私が、「では、今ここに1億円があったとする。それが君のお金になった
らどうする?」と聞くと、こう言った。

「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに5人の中学生がいたが、皆、ほぼ同じ意見だ
った。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくなっているとみてよい。
このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(2001年)でもわかる。

 15〜17歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えたのが、
41・8%、「悪くなっている」と答えたのが、46・6%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリトルロ
ック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(01年4月)。
タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話しあって決める。しか
も運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今日は妻は、ほかの予約

来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれないが、

方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦しいだけなら
まだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そういう超管理社会に対
する、若者の抗議の歌と考えてよい。

(参考)

●新聞の投書より

 ただ一般世間の人の、生徒の服装に対する目には、まだまだきびしいものがある。中日新
聞が、
「生徒の服装の乱れ」についてどう思うかという投書コーナーをもうけたところ、一一人の人か
らいろいろな投書が寄せられていた(2001年8月静岡県版)。それをまとめると、次のよう
であった。

女子学生の服装の乱れに猛反発     ……8人
やや理解を示しつつも大反発      ……3人
こうした女子高校生に理解を示した人  ……0人

投書の内容は次のようなものであった。

☆「短いスカート、何か対処法を」……学校の校則はどうなっている? きびしく取り締まって
ほしい。(65歳主婦)
☆「学校の現状に歯がゆい」……人に迷惑をかけなければ何をしてもよいのか。誠意と愛情を

って、周囲の者が注意すべき。(40歳女性)
☆「同じ立場でもあきれる」……恥ずかしくないかっこうをしなさい。あきれるばかり。(16
歳女子高校生)
☆「過激なミニは、健康面でも問題」……思春期の女性に、ふさわしくない。(61歳女性)

●学校教育法の改正

 校内暴力に関して、学校教育法が2001年、次のように改定された(第26条)。
 次のような性行不良行為が繰り返しあり、他の児童の教育に妨げがあると認められるとき
は、
その児童に出席停止を命ずることができる。

一、 他の児童に傷害、心身の苦痛または財産上の損失を与える行為。
二、 職員に傷害または心身の苦痛を与える行為。
三、 施設または設備を損壊する行為。
四、 授業その他の教育活動の実施を妨げる行為、と。

文部科学省による学校管理は、ますますきびしくなりつつある。

++++++++++++++++++

 新聞社への投書の中で、16歳の少女が、「同じ立場でもあきれる。恥ずかしくないかっこう
をしなさい。あきれるばかり」と書いている点が、気になる。が、私に言わせれば、こういう優
等生のほうに、あきれる。「恥ずかしくないかっこうって何か」と。「まただれに対して、恥ずか
しくあってはいけないのか」と。

 顔のある子どもは、その顔を大切にすればよい。幸せな子どもだ。しかし顔のない子どもは、
どうやって生きていけばよいのか。

 あえて告白しよう。最近、……といっても、この5、6年のことだが、私はあのホームレスの
人たちを見ると、言いようのない親近感を覚える。ときどき話しかけて、冗談を言いあうことも
ある。そのホームレスの人たちというのは、その少女の感覚からすれば、「恥ずかしい部類の

間」ということになる。

 しかしどうしてそういう人たちが、恥ずかしいのか。多分、その投書を書いた少女は、そうい
うホームレスの人たちを見ると、あきれるのだろう。もしそうなら、どうして、その少女は、あ
きれるのか。私には、よく理解できない。

 そう、私は、子どもたちを教えながらも、その優等生が、嫌い。ぞっとするほど、大嫌い。以
前、こんな原稿も書いたことがある。それを掲載しておく。少し話が脱線するが、許してほしい。

+++++++++++++++++++

【世間体】

●世間体で生きる人たち

 世間体を、おかしいほど、気にする人たちがいる。何かにつけて、「世間が……」「世間が…
…」
という。

 子どもの成長過程でも、ある時期、子どもは、家族という束縛、さらには社会という束縛から
離れて、自立を求めるようになる。これを「個人化」という。

 世間体を気にする人は、何らかの理由で、その個人化の遅れた人とみてよい。あるいは個
人化
そのものを、確立することができなかった人とみてよい。

 心理学の世界にも、「コア(核)・アイデンティティ」という言葉がある。わかりやすく言えば、
自分らしさ(アイデンティティ)の核(コア)をいう。このコア・アイデンティティをいかに確
立するかも、子育ての場では、大きなテーマである。

 個人化イコール、コア・アイデンティティの確立とみてよい。

 その世間体を気にする人は、常に、自分が他人にどう見られているか、どう思われているか

気にする。あるいはどうすれば、他人によい人に見られるか、よい人に思われるかを気にす
る。

 子どもで言えば、仮面をかぶる。あるいは俗にいう、『ぶりっ子』と呼ばれる子どもが、この
タイプの子どもである。他人の視線を気にしたとたん、別人のように行動し始める。

 少し前、ある中学生とこんな議論をしたことがある。私が、「道路を歩いていたら、サイフが
落ちているのがわかった。あなたはどうするか?」という質問をしたときのこと。その中学生
は、
臆面もなく、こう言った。

 「交番へ届けます!」と。

 そこですかさず、私は、その中学生にこう言った。

 「君は、そういうふうに言えば、先生がほめるとでも思ったのか」「先生が喜ぶとでも思った
のか」と。

 そしてつづいて、こう叱った。「サイフを拾ったら、うれしいと思わないのか。そのサイフを
ほしいと思わないのか」と。

 するとその中学生は、またこう言った。「そんなことをすれば、サイフを落した人が困ります」
と。

私「では聞くが、君は、サイフを落して、困ったことがあるのか?」
中学生「ないです」
私「落したこともない君が、どうしてサイフを落して困っている人の気持ちがわかるのか」
中「じゃあ、先生は、そのサイフをどうしろと言うのですか?」
私「ぼくは、そういうふうに、自分を偽って、きれいごとを言うのが、嫌いだ。ほしかったら、
ほしいと言えばよい。サイフを、もらってしまうなら、『もらうよ』と言えばよい。その上で、
そのサイフをどうすればいいかを、考えればいい。議論も、そこから始まる」と。

 (仮に、その子どもが、「ぼく、もらっちゃうよ」とでも言ってくれれば、そこから議論が始
まるということ。「それはいけないよ」とか。私は、それを言った。決して、「もらってしまえ」
と言っているのではない。誤解のないように!)

 こうして子どもは、人は、自分を偽ることを覚える。そしてそれがどこかで、他人の目を気に
した生きザマをつくる。言うまでもなく、他人の目を気にすればするほど、個人化が遅れる。「私
は私」という生き方が、できなくなる。
 
 いろいろな母親がいた。

 「うちは本家です。ですから息子には、それなりの大学へ入ってもらわねば、なりません」

 「近所の人に、『うちの娘は、国立大学へ入ります』と言ってしまった。だからうちの娘には、
国立大学へ入ってもらわねば困ります」ほか。

 しかしこれは子どもの問題というより、私たち自身の問題である。

●他人の視線

 だれもいない、山の中で、ゴミを拾って歩いてみよう。私も、ときどきそうしている。

 大きな袋と、カニばさみをもって歩く。そしてゴミ(空き缶や、農薬の入っていたビニール袋
など)を拾って、袋に入れる。

 そのとき、遠くから、一台の車がやってきたとする。地元の農家の人が運転する、軽トラック
だ。

 そのときのこと。私の心の中で、複雑な心理的変化が起きるのがわかる。

 「私は、いいことをしている。ゴミを拾っている私を見て、農家の人は、私に対して、いい印
象をもつにちがいない」と、瞬間だが、まず、そう考える。

 しかしそのあとすぐに、「何も、私は、そのために、ゴミを拾っているのではない。かえって
わざとらしく思われるのもいやだ」とか、「せっかく、純粋なボランティア精神で、ゴミを集め
ているのに、何だかじゃまされるみたいでいやだ」とか、これまた瞬間だが、思いなおす。

 そして最後に、「だれの目も気にしないで、私は私がすべきことをすればいい」というふうに
考えて、自分を納得させる。

 こうした現象は、日常的に経験する。こんなこともあった。

 Nさん(40歳、母親)は、自分の息子(小5)を、虐待していた。そのことを私は、その周
囲の人たちから聞いて、知っていた。

 が、ある日のこと。Nさんの息子が、足を骨折して入院した。原因は、どうやら母親の虐待ら
しい。……ということで、病院へ見舞いに行ってみると、ベッドの横に、その母親が座っていた。

 私は、しばらくNさんと話をしたが、Nさんは、始終、柔和な笑みを欠かさなかった。それば
かりか、時折、体を起こして座っている息子の背中を、わざとらしく撫でてみせたり、骨折して
いない別の足のほうを、マッサージしてみせたりしていた。
代理ミュンヒハウゼン症候群によるものとまでは断言できないが、それに近かった。

 息子のほうは、それをとくに喜ぶといったふうでもなく、無視したように、無表情のままだっ
た。

 Nさんは、明らかに、私の視線を気にして、そうしていたようである。
 
 ……というような例は、多い。このNさんのような話は別にして、だれしも、ある程度は、他
人の視線を気にする。気にするのはしかたないことかもしれない。気にしながら、自分であって
自分でない行動を、する。

 それが悪いというのではない。他人の視線を感じながら、自分の行動を律するということは、
よくある。が、程度というものがある。つまりその程度を超えて、私を見失ってしまってはいけ
ない。

 私も、少し前まで、家の近くのゴミ集めをするとき、いつもどこかで他人の目を気にしていた
ように思う。しかし今は、できるだけだれもいない日を選んで、ゴミ集めをするようにしている。
他人の視線が、わずらわしいからだ。

 たとえばゴミ集めをしていて、だれかが通りかかったりすると、わざと、それをやめてしまう。
他人の視線が、やはり、わずらわしいからだ。

 ……と考えてみると、私自身も、結構、他人の視線を気にしている、つまり、世間体を気にし
ている人間ということがわかる。

●世間体を気にする人たち
 
 世間体を気にする人には、一定の特徴がある。

その中でも、第一の特徴といえば、相対的な幸福観、相対的な価値観である。

 このタイプの人は、「となりの人より、いい生活をしているから、自分は幸福」「となりの人よ
り悪い生活をしているから、自分は不幸」というような考え方をする。

 そのため、他人の幸福をことさらねたんでみたり、反対に、他人の不幸を、ことさら喜んでみ
せたりする。

 20年ほど前だが、こんなことがあった。

 Gさん(女性、母親)が、私のところにやってきて、こう言った。「Xさんは、かわいそうで
すね。本当にかわいそうですね。いえね、あのXさんの息子さん(中2)が、今度、万引きをし
て、補導されてしまったようですよ。私、Xさんが、かわいそうでなりません」と。

 Gさんは、一見、Xさんに同情しながら、その実、何も、同情などしていない。同情したフリ
をしながら、Xさんの息子が万引きしたのを、みなに、言いふらしていた!

 GさんとXさんは、ライバル関係にあった。が、Gさんは、別れぎわ、私にこう言った。

 「先生、この話は、どうか、内緒にしておいてくださいよ。Xさんが、かわいそうですから。
Gさんは、ひとり息子に、すべてをかけているような人ですから……」と。

●作られる世間体

 こうした世間体は、いつごろ、どういう形で作られるのか? それを教えてくれた事件にこう
いうことがあった。

 ある日のこと。教え子だった、S君(高校3年生)が、私の家に遊びにきて、こう言った。(今
まで、この話を何度か書いたことがある。そのときは、アルファベットで、「M大学」「H大学」
と、伏せ字にしたが、今回は、あえて実名を書く。)

 S君は、しばらくすると、私にこう聞いた。

 「先生、明治大学と、法政大学、どっちがかっこいいですかね?」と。

私「かっこいいって?」
S「どっちの大学の名前のほうが、かっこいいですかね?」
私「有名……ということか?」
S「そう。結婚式の披露宴でのこともありますからね」と。

 まだ恋人もいないような高校生が、結婚式での見てくれを気にしていた!

私「あのね、そういうふうにして、大学を選ぶのはよくないよ」
S「どうしてですか?」
私「かっこいいとか、よくないとか、そういう問題ではない」
S「でもね、披露宴で、『明治大学を卒業した』というのと、『法政大学を卒業した』というのは、
ちがうような気がします。先生なら、どちらが、バリューがあると思いますか」
私「……」と。

 このS君だけではないが、私は、結論として、こうした生きザマは、親から受ける影響が大き
いのではないかと思う。

 親、とくに母親が、世間体を気にした生きザマをもっていると、その子どもも、やはり世間体
を気にした生きザマを求めるようになる。(あるいはその反動から、かえって世間体を否定する
ようになるかもしれないが……。)

 生きザマというのは、そういうもので、無意識のまま、親から子へと、代々と引き継がれる。
S君の母親は、まさに世間体だけで生きているような人だった。

++++++++++++++++++++

 これからますます、「顔」が問題になってくる。それともほとんどの人たちは、老齢になると
ともに、その顔を、放棄してしまうのか。これから先、私自身がどう変化していくか、それを静
かに観察してみたい。
(はやし浩司 個人化 アイデンティティ コアアイデンティティ コア・アイデンティティ 
顔 顔のない子供 ペルソナ 仮面 はやし浩司 代理ミュンヒハウゼン 超管理社会 
はやし浩司 タクシー 白タク)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●5月6日

+++++++++++++++++++++

この数日間、軽い虚脱感に襲われている。
日々の生活が、それほど変化したというわけではない。
何か大きな問題があるというわけでもない。
しかしどこか虚しい。
けだるい。
「これでいいのか?」という思い。
「こんなことをしていていいのか?」という思い。
それがよどんだ池に浮かぶ、メタンガスのように、
ポカン、ポカンと、水面に浮かびあがってくる。

5月に入ってから、そんなわけで原稿をあまり
書いていない。
本来なら、今ごろは、6月5日号の電子マガジンの編集を
していなければならない。
(マガジンは、いつも1か月先の分を、配信予約をしている。)
しかしまだ6月号には、手をつけていない。
(そんなわけで、この原稿は、6月1日号用
ということになる。)

マガジンの読者がふえなくなって、もう数か月になる。
私のワイフですら、このところ、私のマガジンを
あまり読んでいない。

BLOGのほうの原稿も書いているが、こちらも、
原稿をアプロードしなくなったとたん、ガクンと
読者数が減る。
ここ数日は、合計でも1日あたり、1000件程度。
アクセス数が低迷している。
(それ以前は、多いときは、合計で、5000件〜。)
アクセス数がふえるのはうれしい。
が、毎日、何かに追い立てられているような感じ。
気が抜けない。
それが少し、負担になってきた?
……というより、少し疲れを覚えるようになってきた。

なぜだろう……?、と考えながら、こうした
心の状況を記録しておくことは、将来の自分の
ためにも、また同じような状態にある人たちの
ためにも役に立つのではないか。

こうした虚脱感は、多かれ少なかれ、だれしも、
そのつど日常的に経験するもの。
けっして私だけに起きていることではない。

++++++++++++++++++++++

●原因

原因のひとつとして、手を広げ過ぎた?
あれこれやりすぎた?
2月に入ってから、「BW公開教室」を手がけるようになった。
毎日、教室の様子をビデオの収め、それをYOU・TUBEにUPLOADする。
教室での作業は、ビデオカメラのスイッチを入れたり切ったりするだけ。
編集にも、それほど時間はかからない。
YOU・TUBEにUPLOADするときに、時間がかかるが、ただぼんやりと
待っているわけではない。
ほかのパソコンを使って、別の作業をする。
だから時間的ロスは、それほどないはず。

どうしてだろう?

あるいは仕事が忙しくなりすぎた?
昨年度より、量的には、1・x〜x倍になった。
しかしこれとて、若いときの量にくらべたら、何でもない。
その分だけ、体力と気力が低下した?

こういう世相だから、仕事があるだけでも、御の字。
こういう年齢だから、仕事ができるだけも、御の字。
健康で仕事ができるだけでも、御の字。
家族がいるだけでも、御の字。

が、何よりも大きな理由は、このところ目標がはっきりしないからではないか。
「何のために」という部分がない。
さらに言えば、「だからそれがどうしたの?」という質問に対して、答えがない。
いくら書いても、孤独感が癒されるわけではない。
もちろん収入につながるわけでもない。
何かしら、壮大な(お人好し)をしている感じ。
バカなことをしている感じ。
その(感じ)から、自分を解き放つことができない。

いや、ボランティアならボランティアでもよい。
しかし私がしているボランティア活動には、ギャラリーがいない。
他人の視線を感ずることもなければ、拍手を受けることもない。
あるとすれば、日々のアクセス数だけ。
数字だけ。
それにだからといって、みながみな、好意的に読んでくれているというわけではない。
中には、私のアイディアをどんどんと盗んでいる人もいる。
盗んで本にしている人もいる。
一般の人にはわからないかもしれないが、私にはそれがわかる。

というのも、育児書というのは、ひとつの哲学書でもある。
その哲学、もっと言えば、育児哲学というのは、そうは一致しない。
書いた人によって、大きな違いが出てくる。
出てきて、当然。
が、その育児哲学が一致している本が、別のところで数百万部も売れていたりする。
おかしなことだが、相手も、利口な人だと思う。
それなりの肩書もある。
しっぽをつかまれるようなことはしないだろう。

あるいは別のライターが書いて、その人の名前で出しているのかもしれない。
この世界では、よくある話である。
そういうのを知るたびに、ガクン、ガクンと、やる気がうせる。

今がそのときかもしれない。

ときどき「一気に、すべてのHPを閉鎖しようか」とも考える。
「とりあえず、電子マガジンを休刊にしようか」とも。
こんなお人好しをつづけていて、何になるのか。
だれが評価してくれるのか。

孤独……。
本当に孤独……。

……しかしここはがんばるしかない。
読者のため……などという、きれいごとは言わない。
私は、私自身のために書く。
だれのためではない。
私自身のため、である。

『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』(スティーブンソン)と。

●気分転換

こういうときは何かの気分転換をするのがよい。
自分でも、それがよくわかっている。
そのこともあって、ここ数日は、私が料理をしている。
コツは、ぐんと腹が減った状態で、料理をすること。
たまたま三男夫婦が遊びに来ているので、それなりに結構、楽しかった。

で、今日の目標。
(1)朝風呂に入る。
(2)床屋へ行く。
(3)三男と嫁の両親のために、なにかみやげを用意する。
(4)ワイフと1万歩を目標に、散歩する。
(5)昨夜の夕食の様子を、YOU・TUBEにUPLOADする。
そして
(6)何とか、今日中に、電子マガジン6月1日号の配信予約を入れる。

虚脱感というのは、吹き寄せる風のようなもの。
こちらがふんばれば、何とかもちこたえることができる。
こちらが弱気になれば、そのまま体ごと吹き飛ばされる。
あとは気力の問題。

がんばるしかない!
とにかく、がんばるしかない!

大切なことは、人に期待をしないこと。
甘い幻想を抱かないこと。
期待を抱けば、裏切られる。

「だれかが何かをしてくれるだろう」という甘い期待をもたないこと。
私は私。
それを貫く。
とくにこういう状態のときは、前に向って、一歩、足を踏み出す。

……ということで、5月6日が始まった。
みなさん、おはようございます。
(5月6日、午前6時10分記)


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