新規ページ013
はやし浩司のメインHP 電子マガジン総合INDEX
2010年     1月号
Essay……
BOX版(ネットストーレッジ)……








☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 29日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page014.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●認知症と激怒(認知症の前駆的初期症状)

+++++++++++++++++++++++++

認知症になりかけた人は、どうして怒るのか?
まちがいを指摘したりすると、パニック状態になる。
ささいなことで、激怒する。
まちがえたら、まちがえましたですむ話。
しかし認知症になりかけた人は、それができない。
心の余裕を失う。
認知症を意識するあまり、それが激怒に変わる。
あるいは自分がそういう状態になっていることを、
人に知られるのを、たいへん恐れる(?)。

+++++++++++++++++++++++++

●認知症

 「もしかしたら……」と思うことは、恐怖以外の何ものでもない。
たしかに恐怖。
私も、最近、よくその恐怖を味わう。
もの忘れというのは、若いときからよくした。
今も、若いときとそれほど状態は変わってしない。
しかし若いときは、「忘れた」ですむ。
が、私の年齢になると、それが「もしかしたら……」となる。
あるいは「もしかしたら……」に、結びつけてしまう。

 たとえば同時に、2つ、3つの用事を予定したとする。
デジカメに充電し、めがねを取り出し、戸棚に本をしまう……と。
そこへ電話がかかってきたりすると、電話で話している間に、用事を忘れてしまう。
そのまま書斎に入ってしまったりする。
そこでどっかりと腰をすえたとき、「あっ、忘れた!」となる。

 注意力は、確かに散漫になってきた。
それは認める。
それに若いときは、触角が四方八方に向いている。
が、今は、その範囲が狭くなった。
ひとつの用事をこなしていると、ほかの用事を忘れてしまう。

●脳の乱舞

 が、まだ(恐怖)という段階ではない。
しかしそれがある一定限度を超えると、自分自身が信じられなくなる。
私も一度、チョコレートを食べ過ぎて、幻覚(?)を見たことがある。
幻覚というよりは、脳みそが勝手に乱舞してしまった。
あのとき覚えた恐怖感は、今でも忘れない。

 認知症になりかけのころは、こうした恐怖感が、日常的にその人を襲う(?)。
これはあくまでも私の想像だが、その恐怖感が緊張感となり、そこへ心配や不安が
入り込むと、一気に情緒が不安定になる。
それが多くのばあい、(怒り)に変わる。

●T氏(75歳)のケース

 T氏に会ったのは、10年ぶりだった。
私とワイフが山荘を造成しているころには、ときどきやってきて、私たちを手伝ってくれ
た。
T氏は、山荘の近くで、製剤工場を経営していた。

 そのT氏は、私たちのことを忘れていた?
「お世話になりました。あのときの林(=私)です」と、あいさつしたのだが、覚えてい
ないといったふうだった。

 T氏は、そのつど、いろいろな材木を届けてくれた。
その材木を使って、私は、テラスを作ったり、椅子やテーブルを作ったりした。
で、今回は、座卓の柱を切ってもらうことにした。
長さを、何ども「36センチ」と念を押したのに、家に帰って寸法を測ってみると、30
センチしかなかった。
ワイフも、「あれだけ言ったのに……」と、残念そうだった。
夜になっていたこともあり、その日はそのままにした。

 で、翌朝、電話をした。
が、私がミスを指摘したとたん、Tさんの様子が急変した。
私はていねいな言い方をしたつもりだったが、Tさんは、怒ったような雰囲気だった。

「紙に書いてくれればよかった」と、私をなじった。
そうかもしれない。
そのときも、心のどこかで「あぶないな」と感じた。
だからこそ、何度も念を押した。
「36センチですよ」と。

●恥

 Tさんは、こう言った。

「私のミスだから、作り直す」
「作り直して、お宅まで、届ける」
「会社のほうへ、取りに来てくれるな」
「家族には、ミスしたことを話さないでくれ」
「私の恥だ!」と。

 私が「作り直しておいてくれれば、受け取りに行く」と言ったのだが、そのあたりから、
声の調子が大きく変わった。
Tさんは、「恥」という言葉を使った。

 ふつうなら、こういうとき、「ハハハ、こちらのミスです。作り直します」という程度の
会話で終わる。
が、Tさんは、そうではなかった。
ミスをした自分が許せないといったふうだった。
そういう自分に怒っている。
私はそう感じた。

 その話をすると、ワイフは、こう言った。

「きっと、家の中でもいろいろミスをしているのよ。
それでそれをみんなに知られるのを、恐れているのよ」と。

 Tさんが認知症になっているかどうかは、わからない。
年齢的には、認知症になっていても、おかしくない。
が、認知症の初期の人が、怒りっぽくなるという話はよく聞く。
先にも書いたように、心の余裕を失う。
そのためささいなことで、激怒する。

●段階論

 私なりに、認知症の初期症状を段階論的にまとめてみる。

(1)疑惑期……「ひょっとしたら……」と、不安、心配になる。
(2)確認期……「たしかにおかしい?」と、自分でもそれがわかるようになる。
(3)隠蔽期……おかしくなりつつある自分を隠そうとする。
(4)否認期……とりつくろい、つじつま合わせがうまくなる。
(5)混乱期……だれかにミスを指摘されたりすると、激怒したりする。
(6)拒絶期……まわりの人たちが、診断を勧めたりすると、それをはげしく拒否する。
(7)治療期……認知症と診断され、治療期へと入っていく。

 上記、混乱期の特徴は、ささいなことで、パニック状態になること。
いわゆるヒステリー症状を示す。
ギャーギャーと泣きわめきながら抵抗したり、反論したりする。
まわりの人が、「わかった、わかった」となだめても、効果はない。
手がつけられないといった状態になる。

 Tさんについて言えば、あくまでもこれは私の印象だが、(3)の隠蔽期から(4)の否
認期に向かいつつあるのではないか。
心の緊張状態がつづき、やがて心の余裕を失っていく。

 先にも書いたが、75歳という年齢からして、今、そういう状態にあってもおかしくな
いし、またそういう状態にあることは、じゅうぶん、疑われる。
今回会ったときも、Tさんは、メモ帳を片時も離さないでもっていた。
TさんはTさんなりのやり方で、自分の年齢と懸命に闘っているようにも見えた。

以上、あくまでも私の勝手な判断によるものだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 認知症の初期症状 痴呆症の初期症状 初期の初
期 認知症段階論)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●「濃い男」

++++++++++++++++++

「濃い男」「薄い男」という言い方は、
私が考えた。
もう20年以上も前のことである。
そのころ書いた本の中で、この言葉を
使った。

濃い男というのは、性的な意味で、
女性にしか興味を示さない男性をいう。
女性の肉体には強い関心をもつが、反対に
男性には手を触れられただけで、ぞっとする
ような嫌悪感を覚える。
つまり性的な意味で、男性にはまったく
興味を示さない男性をいう。

一方、薄い男というのは、性的な意味で、「女性
でもいいが、男性もいい」と考える男性をいう。
同性愛者は、そういう意味では、たいへん「薄い男性」
ということになる。

+++++++++++++++++

●文化

 先日、テレビを見ていたら、この言葉を使った人がいた。
「ぼくは、濃い男ですから……」と。
驚いた。
もっともその人は、最近流行している、「草食系男性」「肉食系男性」という
意味にからめて、そう言った。
要するに性的な意味において、つまり女性に対して、より能動的、かつ攻撃的な
男性という意味で、そう言った。

 で、しばらくして、こう考えた。

 こうして断片的ではあるにせよ、無数の人たちの文化が、無数にまざりあって、
つぎの世代の文化を創りあげていく、と。
私も、その一部でしかない。

「草食系」「肉食系」という言葉にしても、今ではだれが使い始めたかさえわからない。
しかし言葉として、私たちの文化の中に、定着している。
私自身も、だれが使い始めた言葉かを知らないまま、その言葉を使っている。
同じように、「濃い男」「薄い男」という言葉にしても、今、ここで私が、「もともとは
私が使い始めた言葉だ」と叫んでも意味はない。
すでにこの言葉は、ひとり歩きしている。
しかも意味が、私が考えた意味とは、少しちがう意味で使われている。

●オリジナル

 こうして私がオリジナルで考え、そののち、広く一般に使われているのが、
たくさんある。

 時計のお絵かき歌というのもある。
「♪丸描いて、チョン、上、下、横、横……」という歌である。
その歌が、ある幼児教育雑誌に、紹介されていた。
楽譜も載っていたが、「似ている」という程度だった。
もともとの私の歌い方とはちがう。
が、その歌詞について、何と、「作者不詳」となっていたのには、やはり驚いた。

 ほかにも、「道づくりゲーム」がある。
正方形のカードに、(直線道路)(三叉路)(十字路)(曲がった道)が描いてあり、
それをつなげて遊ぶというものである。
このゲームは、私は20代のころ、学研の「幼児の学習」という雑誌で発表した。
たいへん好評で、その1、2年後、同じ付録が、復刻版で出た。
たしか当時、学研で、実用新案として申請、登録されたと思う。
(発案者には、権利はない。
申請者に、権利が残る。
発案者は、「はやし浩司」、申請者は、「学研」だったと思う。)

 そのあと、そのゲームは、「ヘビ・ゲーム」とか、「水道管ゲーム」に変形され、
市販化された。
が、今では、このゲームは、あちこちで無断で(?)、使われている。

 ほかにもある。

 東京の私立小学校で使われている入試問題の何割かが、私が考えたものである。
ウソだと思う人がいたら、「主婦と生活」(1975年11月号の巻末付録)を見て
ほしい。
ちょうど35年前である。
それを見た人は、こう思うだろう。
「私立小学校の入試問題と同じ」と。
(そのときの私のHPに、収録しておく。)
 
 それ以前に、どこかの小学校の入試に、似たような問題が使われていたとしたら、
私がまねて、雑誌に発表したことになる。
が、そういうことは、ない。

 ……ということで、いろいろ書きたいことはあるが、ここまで。
書けば、どうしてもグチになる。

●文化

 私だけではない。
いろいろな人が、いろいろな立場で、無数の文化を創りあげている。
それが積み重なって、また別の文化を創りあげている。
そのときには、もう「私」はいない。

 あのお絵描き歌にしても、「道作りゲーム」にしても、入試問題にしても、
はやし浩司の痕跡は、どこにもない。
考えてみれば、さみしく思わないわけではないが、その一方で、私は無数の人たちの、
これまた無数の文化を継承している。
「団塊の世代」という言葉にしても、もとは、ある評論家の考え出した言葉である。
そういう言葉を使いながら、それがだれの考えた言葉かは、いちいち考えない。
それが「文化」ということになる。
  
 大切なのは、そのときは意識しないかもしれないが、常に前向きに創りあげていく
ということ。
どんなことでもよい。
何でもよい。
その積極性が、人間の文化を前へ前へと、進歩させる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 文化 文化論 道作りゲーム 道づくりゲーム 時計のお絵描き
歌 はやし浩司 濃い男 薄い男)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心の壊れた人たち

++++++++++++++++++

他人の不幸を、楽しんでいる人がいる。
さも同情しているかのような顔をして聞き、
内心では笑う。
心が壊れた人というのは、そういう人をいう。

自己中心性が肥大化すると、自己愛につながる。
自己愛に陥った人を、「自己愛者」という。
「自分を大切にする人」という意味ではない。
「自分のことしか考えない、愚かで、あわれな人」
という意味である。

このタイプの人のやっかいな点は、演技がうまいこと。
さも同情したフリをして、他人の不幸話を聞き出す。
誘導の仕方が、うまい!
聞き出し、それを酒の肴(さかな)にして、楽しむ。
うわさ話をしながら、「あいつはダメだ」とか、「こいつは
バカだ」とか言って、笑う。

あるいは自分は人格者であるかのように振る舞う
こともある。
むしろほかの人よりも、高邁で立派な人に見える。
が、年季が入っているから、ちょっとやそっとでは
見抜けない。
10年くらいつきあって、「?」と思う。
20年くらいつきあって、やっと、そういう人とわかる。

そんなわけで、価値観、幸福感も相対的。
他人が自分より不幸であれば、「私は幸福」と
喜ぶ。
笑う。
他人が自分より幸福であれば、「私は不幸」と
嘆く。
ねたむ。

++++++++++++++++++

●「私はふつう」

 一度壊れた心は、生涯、なおらない。
そう思って、ほぼまちがいない。
心というのは、そういうもの。
作るのは、むずかしい。
壊すのは簡単。
ほんの1、2年、はげしい受験勉強を経験させるだけで、壊れる。
あるいは、不幸にして不幸な家庭に育った子どもも、そうだ。
愛情飢餓、虐待、無視、冷淡、さらに嫉妬や日常的な欲求不満を経験すると、子どもの心
は壊れる。

 が、ここから先が、心の恐ろしいところ。
壊れた心をもちながら、壊れていることに気づく人は、まず、いない。
自分では、「ふつう」と思い込んでいる。
あるいは「他人も、自分と同じ」と思い込んでいる。
その一方で、心の暖かい人が理解できない。
そういう人が近くにいても、その人を信ずることができない。
何かのことで親切にされても、それを素直に、受け入れることができない。
どこまでも心のさみしい、かわいそうな人ということになる。
が、それも、このタイプの人には、わからない。

●不信

 こういう心の状態を、心理学では、「基本的不信関係」という言葉を使って説明する。
多くは、乳児期の母子関係の不全によって、そうなる。
わかりやすく言えば、相手に対して、心を開けない。
心を許さない。
疑い深く、嫉妬深い。
心のクッションが薄いから、ささいなことで激怒したり、相手を必要以上に嫌ったり、避
けたりする。

 が、「不信」である分だけ、「孤独」。
だから勢い、たとえば、「信じられるのは、お金だけ」となる。
名誉や財産、地位や学歴にしがみつく。
ときに孤独に耐えかねて、集団の中に入る。
大判振る舞いをする。
しかし気が抜けない。
疲れる。
そういう生きざまになる。
言い換えると、そういう生きざまの人は、すでに何らかの形で、心が壊れている人と考え
てよい。

●受験競争

 ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなた自身も、その(心の壊れた人)かもしれ
ない。
程度の差はあるだろうが、私たちの生活は、何らかの形で、お金に毒されている。
「私は、そんなまちがったことできません」などと言おうものなら、社会そのものからは
じき飛ばされてしまう。
子どもの受験勉強にしても、そうだ。
あんな子どもが、点数だの、成績だの、順位だので追いまくられて、まともに育つはずが
ない。
ないことは、子どもを年中児から高校3年生まで教えてみるとわかる。

 子どもによっては、夏休みの間、どこかの受験塾が主催する夏期講習に入っただけで、
激変する。
親は、そういう子どもを見て、「やっとうちの子も、(受験を)自覚できるようになりまし
た」と喜んでいるが、とんでもない誤解。
あるいは親自身も、心が壊れているから、それに気づかない。
心の壊れた親が、自ら、自分の子どもの心を壊している。
受験塾の講師にしても、そうだ。
ああいった指導(教育ではないぞ!)が、平気でできる人というのは、そのレベルの人と
考えてよい。
まともな心の持ち主なら、ぜったいにできない。

 人間が人間に点数をつけ、順位をつけ、進学指導の指導(?)をする。
もちろん金儲けのため。
しかもそんな汚い仕事を、20代とか30代の、人生が何であるかもわからないような若
い講師がする。
まずもって、その異常さに、みなが気がついたらよい。

 まわりくどい言い方をしたが、受験競争の弊害を、心という面から、考えてなおしてみ
た。
さらに一言付記するなら、そうした受験競争をうまくくぐり抜けた人ほど、社会のリーダ
ーとなっていくのは、まさに悲劇としか、言いようがない。
現在のこの日本が、まさにそうであると断言してよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 受験競争の弊害)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

【Boys, be ambitious】

●大卒の就職内定率

+++++++++++++++++

大卒の就職内定率が、60%前後という。
浜松市内で、リクルートの会社を経営している
N氏は、こう言った。
「現状(09年12月現在)は、50%前後では
ないでしょうか」と。

わかりやすく言えば、大卒のうち、2人に1人しか
就職が決まっていないということ。

+++++++++++++++++

●仕事は自分で作るもの

 「就職」という考え方にこだわるかぎり、「50%」というのは、深刻な数字ということ
になる。
18年間も勉強してきた……というよりは、親の立場で言うなら、18年間も、学費を負
担してきた。
その結果として、息子や娘たちの就職さえも、ままならない。
見返りを求めるわけではないが、こうなってみると、何のための学費だったかということ
になる。

 が、ここで早合点してはいけない。
就職できないことイコール、(失敗)ではない。
またそんなことで、へこたれてはいけない。
日本人は、江戸時代の昔から、「仕事は与えられるものという意識」を強くもっている。
「会社に仕えるものという意識」という意識と、言い換えてもよい。
しかし(仕事)は、もらうものではない。
与えられるものでもない。
自分で作るもの。
仕事がなければ、自分で作ればよい。
それこそ「リヤカーを引いて」でも、自分で作ればよい。

 こんなことを書くと、「何をバカなことを!」と思う人も多いかもしれない。
しかし私は、若いころ、そう考えたし、そうしてきた。
浜松に住み始めたころのこと。
画家の男と手を組み、その画家の父親の絵をリヤカーに積み、住宅街を売って回ったこと
もある。

 そういう(たくましさ)を、今の若い人は失ってしまった。
失ったというより、知らない。
また皮肉なことに、そういう(たくましさ)のある大学生ほど、就職内定率50%といい
ながら、就職できる。

●日本人の集団性

 日本人の集団性は、外国へ出てみると、よくわかる。
集団の中の一員としては、行動できる。
1人になると、何もできない。
……というのは、言い過ぎかもしれない。
中には、1人で、がんばっている人もいる。
しかし全体としてみると、きわめて少ない。

 一方、オーストラリア人などは、独立心が旺盛で、かえってそれが弊害となって現れて
いる。
オーストラリアの友人はこう言った。
「オーストラリアでは、大企業が育たない」と。
彼らは、高校や大学を卒業すると、車1台と電話1本で、開業する。
集団性がない分だけ、組織が育たない。
大企業が育たない。
あるといっても、鉱山会社のような大企業だけ。
友人は、それを言った。

 で、ここでふと考えてみる。
「どうして日本人は、こうまで就職を深刻に考えるのか」と。
言い換えると、どこかの組織に属していると、本人も安心する。
まわりの人たちも、安心する。
そうでないとそうでない。
銀行ですら、相手にしてくれない。

 江戸時代の昔から、(組織)あっての(個人)。
組織から離れて生きることさえ、難しかった。
実際には、「無頼(ぶらい)」とか、「無宿者」とか呼ばれて、見つかればそのまま佐渡の金
山などへ送られた。

 あの武士道にしても、徹底した主従関係で成り立っている。
保護と依存、命令と服従の関係。
「主君に仕える」が、のちの「会社一社懸命」(友人のM君)という、あの精神につながっ
た。
で、この精神は明治政府へとそのまま引き継がれ、一般民衆は、「もの言わぬ従順な民」へ
と育てられていった。
そういう民衆を作りあげたのは、言うまでもなく、(教育)である。
学校神話や学歴信仰、さらには「まともな仕事論」などは、そうした(流れ)の中ででき
た、副産物ということになる。

●まともな仕事論

 この世界に入ってから、「まともな仕事論」というので、私はどれほど痛めつけられたか
わからない。
私の母ですら、M物産という商社をやめて、幼稚園の講師になったときのこと。
「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と、電話口の向こうで泣き崩れてしまった。
あるいは私に面と向かって、こう言った男(当時、50歳くらい)がいた。

 「お前は学生運動か何かをしていて、ロクな就職ができなかったのだろう」と。

 こうした常識というか、偏見は、かなり若い時期にできるものらしい。
アインシュタインは、「18歳前後」にそれができるというようなことを書き残している。
が、日本人のばあい、江戸時代の昔から骨のズイまで、そうした偏見が叩き込まれている。
身分意識という偏見である。
その常識を打ち破るのは、簡単なことではない。
またその常識と闘いながら生きるのは、簡単なことではない。

 ある新聞社で記者をしていた人が、ある日、私にこう言った。

「林さん(=私)、あなたのような生き方をしている人が、成功すると、私たちは困るので
す。
あなたのような人が成功すると、では私たちのようなサラリーマンが、いったい何なのか
ということになってしまいますから」と。

 が、実際には、20代のころ、私と同じような立場にいた人は、まわりに10人ほどい
た。
しかしうち生き残ったのは、私1人だけ。
どこかへ消えてしまった人もいるが、大半は、再びサラリーマンの世界へと戻っていった。

●少年よ……

 あのクラーク博士は、札幌の農学校去るとき、『少年よ、大志を抱け!』と言ったとか。
しかしこれはおかしい。
「Boys, be ambitious」と言ったのを、当時の貧弱な英語力で翻訳したから、そういう訳が
生まれた。
クラーク博士は、「あのなあ、お前たち、チマチマした生き方をしないで、もっと野心的に
生きろ!」と言った。
そのことは、アメリカ人の視点に、当時の日本の大学生を置いてみればわかる。
最近の大学生でもよい。
私に言わせれば、「就職、就職って、バカみたい」(失礼!)ということになる。
繰り返すが、「仕事というのは、もらうもの」という発想が基本にあるから、「就職、就職」
と騒ぐ。

「少年よ、大志を抱け」については、以前、こんな原稿を書いたことがある。
日付は2003年になっている。
青年というよりは、私たち老人に向けて書いた原稿である。
 
+++++++++++++++++++

●Ambitious Japan

●『ただの人(Das Mann)』 

+++++++++++++++++++++++++

「(ハイデッガーは)、自分の未来に不安をもたず、
自己を見失って、だらだらと生きる堕落人間を、
ひと(das Mann)と呼びました」(「哲学」宇都宮輝夫・
PHP)と。

+++++++++++++++++++++++++

●堕落人間

 堕落人間(ハイデッガー)は、いくらでもいる。
ここにも、そこにも、あそこにも……。
年齢が若いならともかくも、60歳代ともなると、言い訳は通用しない。
いまだに「老後は孫の世話と、庭いじり」と言っている人が多いのには、驚かされる。
「晴耕雨読」というのも、そうだ。
そういうバカげた老人像を、いつ、だれが作り上げた?

 私の知人に、公的機関の副長職を、満55歳で定年退職したあと、以後、30年近く、
庭いじりだけをして過ごしている人がいる。
30年だぞ!
年金だけで、毎月30数万円。
妻も公的な機関で働いていたから、2人の年金を合わせると、相当な額になる。

 ここで「庭いじりだけ」と書いたが、本当に庭いじりだけ。
子どもはいない。
孫もいない。
近所づきあいもしない。
まったく、しない。
もともと農家出身だったらしく、裏には、100坪前後の畑ももっている。
そのくせ周囲の家にはうるさく、隣の家にある木の葉が落ちてきただけで、樋(とい)が
つまると、その家に苦情の電話を入れたりする。

 最近、私はそういう老人がいるのを知ると、腹の底から怒りがこみあげてくるように
なった。
加齢とともに、その怒りは、ますます大きくなってきた。
ねたみとか、ひがみとか、そういう低次元な怒りではない。
人気として許せないというか、そういう次元の怒りである。
が、そういう私の気持ちを、あのハイデッガーは、みごとに一言で表現してくれた。
『ただの人(das Mann)』と。

●生きがい

 世の中には、恵まれない老人はいる。
が、その一方で、恵まれすぎている老人もいる。
その知人にしても、介護保険制度が始まって以来、週に2回、在宅介護を受けている。
……といっても、どこか具合が悪いということでもない。
ときどき見かけるが、夫婦で庭の中を、歩き回っている。
元役人ということで、そういう制度の使い方は、よく心得ているらしい。

 その知人をよく知る、同年齢のX氏は、こう皮肉る。
「あれじゃあ、まるで、毎月30数万円の税金を投入して、庭の管理をしてもらって
いるようなものですナ」と。

 が、うらやましがるのは、ちょっと待ってほしい。
いくら年金がそれだけあるといっても、また庭いじりができるといっても、私なら、
そんな生活など、数か月も耐えられないだろう。
何が「晴耕雨読」だ。
自分がその年齢になってみてはじめてわかったことがある。
それがこれ。
「老人をバカにするにも、ほどがある!」と。

 私たち老人が求めるものは、「生きがい」。
わかりやすく言えば、「自分を燃焼させることができる仕事」。
晴れの日に、畑を耕して、それがどうだというのか?
雨の日に、本を読んで、それがどうだというのか?
「だから、それがどうしたの?」という質問に、答のない生活など、いくらつづけても
意味はない。
ムダ。
そういう生活をさして、「自己を見失って、だらだらと生きる」という。

 私はその知人に、こう言いたい。
「お前らのような老人がいるから、ぼくたちは肩身の狭い思いをしているのだ」と。
若い人たちは、そういう老人を見て、老人像を作ってしまう。
誤解とまでは言えないが、しかし懸命に生きている老人まで、同じ目で見てしまう。
だから腹が立つ。

 いいか、老人たちよ、よく聞け。
あのクラーク博士はこう言った。
『少年よ、野心的であれ!』と。
本当は少しちがった意味で、「Boys, be ambitious」と言ったのだが、同じ言葉を、
私はそうした老人たちに言いたい。

『老人よ、野心的であれ!』と。
この意見は、少し過激すぎるだろうか?

(付記)

「少年よ、大志を抱け」で検索してみたら、6年前に書いた原稿が見つかった。
そのまま掲載する。

+++++++++++++++++++++

●納得道(なっとくどう)と地図

●納得道

 人生には、王道もなければ、正道もない。大切なのは、その人自身が、その人生に納得
しているかどうか、だ。あえて言うなら、納得道。納得道というのなら、ある。

 納得していれば、失敗も、また楽しい。それを乗り越えて、前に進むことができる。そ
うでなければ、そうでない。仮にうまく(?)いっているように見えても、悶々とした気
分の中で、「何かをし残した」と思いながら生きていくことぐらい、みじめなことはない。
だから、人は、いつも自分のしたいことをすればよい。ただし、それには条件がある。

 こんなテレビ番組があった。親の要請を受けて、息子や娘の説得にあたるという番組で
ある。もともと興味本位の番組だから、それほど期待していなかったが、それでも結構、
おもしろかった。私が見たのは、こんな内容だった(〇二年末)。

 一人の女性(二〇歳)が、アダルトビデオに出演したいというのだ。そこで母親が反対。
その番組に相談した。その女性の説得に当たったのは、俳優のT氏だった。

 「あなたが思っているような世界ではない」「体を売るということが、どういうことかわ
かっているの?」「ほかにしたいことがないの?」「そんなにセックスがしたいの?」と。

 結論は、結局は、説得に失敗。その女性は、こう言った。「私はアダルトビデオに出る。
失敗してもともと。出ないで、後悔するよりも、出てみて、失敗したほうがいい」と。

 この若い女性の理屈には、一理ある。しかし私は一人の視聴者として、その番組を見な
がら、「この女性は何と狭い世界に住んでいることよ」と驚いた。情報源も、情報も、す
べて、だれにでも手に入るような身のまわりにあるものに過ぎない。あえて言うなら、あ
まりにも通俗的。「したいことをしないで、あとで後悔したくない」というセリフにしても、
どこか受け売り的。そのとき私は、ふと、「この女性には、地図がない」と感じた。

 納得道を歩むには、地図が必要。地図がないと、かえって道に迷ってしまう。しなくて
もよいような経験をしながら、それが大切な経験だと、思いこんでしまう。私がここで「条
件がある」というには、それ。納得道を歩むなら歩むで、地図をもたなければならない。
これには若いも、老いもない。地図がないまま好き勝手なことをすれば、かえって泥沼に
落ちてしまう。

●地図 

 人生の地図は、三次元で、できている。(たて)は、その人の住んでいる世界の広さ。(横)
は、その人の人間的なハバ。(深さ)は、その人の考える力。この三つが、あいまって、人
生の地図ができる。

 (たて)、つまり住んでいる世界の広さは、視点の高さで決まる。自分の姿を、できるだ
け高い視点から見ればみるほど、まわりの世界がよく見えてくる。そしてそこには、知性
の世界もあれば、理性の世界もある。それをいかに広く見るかで、(たて)の長さが決まる。

(横)、つまり人間的なハバは、無数の経験と苦労で決まる。いろいろな経験をし、その中
で苦労をすればするほど、この人間的なハバは広くなる。そういう意味で、人間は、子ど
ものときから、もっと言えば、幼児のときから、いろいろな経験をしたほうがよい。

 が、だからといって、人生の地図ができるわけではない。三つ目に、(深さ)、つまりそ
の人の考える力が必要である。考える力が弱いと、ここにあげた女性のように、結局は、
低俗な情報に振りまわされるだけということになりかねない。

 で、もう一度、その女性について、考えてみる。「アダルトビデオに出演する」というこ
とがどういうことであるかは別にして、……というのも、それが悪いことだと決めてかか
ることもできない。あるいはあなたなら、「どうしてそれが悪いことなのか」と聞かれたら、
何と答えるだろうか。この問題は、また別のところで考えるとして、まず(たて)が、あ
まりにも狭い。おそらくその女性は、子どもときから低俗文化の世界しか知らなかったの
だろう。テレビを通してみる、あのバラエティ番組の世界だ。

 つぎのこの女性は、典型的なドラ娘。親の庇護(ひご)のもと、それこそ好き勝手なこ
とをしてきた。ここでいう(横の世界)を、ほとんど経験していない。そう決めてかかる
のは失礼なことかもしれないが、テレビに映し出された表情からは、そう見えた。ケバケ
バしい化粧に、ふてぶてしい態度。俳優のT氏が何を言っても、聞く耳すらもっていなか
った。

 三つ目に、(深さ)については、もう言うまでもない。その女性は、脳の表層部分に飛来
する情報を、そのまま口にしているといったふう。ペラペラとよくしゃべるが、何も考え
ていない? 考えるということがどういうことなのかさえ、わかっていないといった様子
だった。いっぱしのことは言うが、中身がない。

 これでは、その女性が、道に迷って、当たり前。その女性が言うところの「納得」とい
うのは、「狭い世界で、享楽的に、したいことだけをしているだけ」ということになる。

●苦労

 納得道を歩むのは、実のところ、たいへんな道でもある。決して楽な道ではない。楽し
いことよりも、苦労のほうが多い。いくら納得したからといって、また前に別の道が見え
てくると、そこで悩んだり、迷ったり、ときにはあと戻りすることもある。あえていうな
ら、この日本では、コースというものがあるから、そのコースに乗って、言われるまま、
おとなしくそのコースを進んだほうが得。楽。無難。安心。納得道を行くということは、
そのコースに背を向けるということにもなる。

 それに成功するか、失敗するかということになると、納得道を行く人のほうが、失敗す
る確率のほうが、はるかに高い。危険か危険でないかということになれば、納得道のほう
が、はるかに危険。だから私は、人には、納得道を勧めない。その人はその人の道を行け
ばよい。私のようなものが、あえて干渉すること自体、おかしい。

 が、若い人はどうなのか。私はこうした納得道を歩むというのは、若い人の特権だと思
う。健康だし、気力も勇気もある。それに自由だ。結婚には結婚のすばらしさがあるが、
しかし結婚には、大きな束縛と責任がともなう。結婚してから、納得道を歩むというのは、
実際問題として、無理。だから納得道を歩むのは、若いときしかない。その若いときに、
徹底して、人生の地図を広げ、自分の行きたい道を進む。昔、クラーク博士という人が、
北海道を去るとき、教え子たちに、『少年よ、野心的であれ(Boys, be ambitious!)』と言
ったというが、それはそういう意味である。

 私も若いときには、それなりに納得道を歩んだ。しかしそのあとの私は、まさにその燃
えカスをひとつずつ、拾い集めながら生きているようなもの。それを思うと、私はよけい
に、子どもたちにこう言いたくなる。「人生は、一度しかないのだよ。思う存分、羽をのば
して、この広い世界を、羽ばたいてみろ」と。つまるところ、結論は、いつもここにもど
る。

 この「納得道」という言い方は、私のオリジナルの考え方だが、もう少し別の機会に、
掘りさげて考えてみたい。今日は、ここまでしか頭が働かない。
(03ー1ー10)

+++++++++++++++++++

●氷河期とは言うが……

 今さら野心的に生きろと言っても、今の若い人たちには、無理。
社会制度そのものが、資格と法律で、がんじがらめになっている。
今では、地方の田舎町でガイドをすることにさえ、資格がいる。
野心的になりたくても、なりようがない。

 ……と言っても、若い人たちには、理解できないかもしれない。
が、現実に、私は、浜松へ来たころ、ワイフと2人で、電柱に張り紙をして歩いた。
「翻訳します」と。

 当時は資格など、必要なかった。
浜松市の商工会議所に、翻訳家として登録していたのは、私を含めて2人だけ。
仕事はいくらでもあった。
お金にもなった。

 仕事がなかったら、リヤカーを引けばよい。
電柱に張り紙をすればよい。
(そう言えば、今では電柱に張り紙をすることさえ禁止になっている。
リヤカーなど、どこにも売っていない。)

 ……という原点に、私たちは一度、戻ってみる必要がある。
つまりその(たくましさ)がないと、この先この日本は、このアジアの中でさえ、生きて
いくのさえ難しい。
理由は簡単。
中国人にせよ、インド人にせよ、かつての日本人のように、たくましい。
中国人やインド人を猛獣にたとえるなら、現在の日本人は、ニワトリのようなもの。
まともに戦ったら、勝ち目は、ない。
ぜったいに、ない。

●補記

 10年ほど前、「フリーター撲滅論」を展開した、どこかの高校の校長がいた。
「撲滅」というのは、「棒か何かで、叩きつぶす」という意味である。
ほかのだれかが言ったのなら、まだ許せる。
校長だから、許せない。
しかも自分は、権利の王国に住みながら、そういうことを言うから、許せない。
何が、撲滅だ!

 言い換えると、日本人が、こうまでキバを抜かれてしまったのは、現在の教育制度に問
題があるというよりは、教師自身の生き様に原因がある。
よほどのヘマをしないかぎり、クビになることはない。
生活に困ることもない。
そのため教師自身から(たくましさ)が消えた。
その結果として、子どもたちから、(たくましさ)が消えた。

 では、どうするか?

 ひとつには、この(完成されすぎた社会のしくみ)を、ゆるめる。
わかりやすく言えば、行過ぎた官僚制度を、一度、解体する。
「制度」というより、そうした制度の中で、がんじがらめになった「心」を解体する。
若い人たちは、「これが社会」と思っているかもしれないが、それこそ、世界の非常識。
がんじがらめにされていることにさえ、気がついていない。

 だからこそ、クラーク博士は、こう言ったのだ。
「Boys, be ambitious!」と。
「大志」ではないぞ。
どこか出世主義の臭いがする、「大志」という意味ではないぞ。
「野心的」だぞ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 boys be ambitious 野心的であれ 大志)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

☆●移りゆくネットの世界


++++++++++++++++++++


来年(2010年)早々、BIGLOBEの電子マガジンサービスが、
廃止されることになった。


理由は、「スパムメールと誤解され、また各プロバイダー(サーバー)の
ほうで、スパムメールとして処理されることが多くなったため」とか。


電子マガジンを利用して、スパムメールを流している人も多い。
勝手にアドレスを代理登録して、1日に、何十通も流すというやり方である。
そういうトラブルが跡を絶たない。


この世界は、変化がはげしい。
新しいサービスがつぎつぎと生まれ、古いサービスがつぎつぎと姿を消していく。
私のように(?)、まじめに電子マガジンサービスを利用している人も多いはず。
そういう人たちが、そうでない人たちの心ない利用の仕方によって、影響を受ける。
とても残念。


その代わり、今は、BLOGが全盛期。
BLOGだけでも、毎日、3000〜4000件のアクセスがある。
ほんの一部だけを読んで、「バ〜〜イ」という人も含まれるので、3000〜4000件、
イコール、読者数ということではない。
それはよくわかっている。


さらに今では、TWITTERや、FACEBOOKというサービスも生まれた。
急速に利用者がふえている。
また個人のHPよりは、ポータルサイトのほうが、勢力を伸ばしつつある。
どうであれ、この世界は、今、どんどんと変化しつつある。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●私は私

++++++++++++++++++++++++++++

Aさんは、Xさんを、「すばらしい人」と評価する。
しかし同じXさんを、Bさんは、「下衆(げす)」と評価する。
こうした場面には、よく出会う。

++++++++++++++++++++++++++++

●印象の種

 人の印象は、第一印象で、そのほとんどが決まる。
一度できた印象は、そのあと、よほどのことがないかぎり、変わらない。
で、最初の印象を「種」とするなら、人はその種を育てるようにして、その人の
人物像をつくりあげていく。
よい点だけを見て、ますますその人をよい人と思うようになる。

 が、最初の第一印象が悪かったら、どうなるか。
今度は逆の現象が起きる。
悪い点ばかりが気になり、ますますその人を悪い人と思うようになる。

●鬼みたいな人

 もう7、8年前になるが、近所の女性が亡くなった。
そのとき88歳くらいではなかったか。
穏やかでやさしい人だった。
いつも歩行器を押しながらやってきて、ちょうど私の家の前で反転し、
自分の家に戻っていった。

 で、亡くなってからしばらくしたときのこと。
その女性の隣に住む男性と、立ち話になった。
私が「あの方は、仏様のような方でしたね」と言ったら、その男性は、顔色を変えて
こう言った。
掃き捨てるような言い方だった。

「とんでもない! あの人は、若いころは、鬼みたいな人でした!」と。

私はその落差というか、印象のあまりのちがいに驚いた。

●長電話

 実は、昨夜、長電話の最長記録を作った。
ある従姉(いとこ)と、1時間55分も、話した。
従姉だから、伯父、伯母の話になった。
私には母方だけで、13人の伯父、伯母がいた。
そのうちの10人は亡くなったが、現在、3人の伯父、伯母がまだ生きている。
いとこにしても、母方だけで、正確に数えたことはないが、40人以上もいる。
父方も含めると、63、4人になる。
話の種は尽きない。

 長電話の中で、伯父や伯母、いとこたちに対する印象が、ときどき、まったく正反対
なのを知って驚いた。
その人がよい人と言うときも、そうでないと言うときも、電話の向こうの従姉は、そのつど理由を
言った。
一方、私はいちこたちとの交際が希薄なこともあって、驚くばかり。
「浩司君(=私)、知らなかったの?」と言うから、そのつど「ヘエ〜、知りませんでした」
と答えるだけ。

●決め手

 話の内容は、ここでは重要ではない。
またそんなことを書いても、意味はない。
私はいとこの話を聞きながら、同じ人なのに、どうしてたがいがもつ印象がこうまで
ちがうのか、それが不思議でならなかった。

 あえてその理由を並べてみる。

(1)金銭問題が、ひとつの決め手になる。
(2)たがいの連絡の親密度が、ひとつの決め手になる。
(3)が、何よりも重要なのは、第一印象、と。

 私も従姉も、金銭問題で悪い経験をもった人には、悪い印象をもった。
疎遠になればなるほど、よい印象でも悪い印象でも、熟成される。
よい印象をもった人は、さらにその人に対して、よい印象をもつようになる。
そうでなければ、そうでない。
そうした印象の基盤は、第一印象で決まる、と。

 が、その人の印象というのは、離れて住んでみないとわからない。
さらに(時の流れ)の中に置いてみないと、わからない。
その上で、「あの人は、すばらしい人」ということになる。
「あの人は、悪い人」ということになる。

●みなによい顔はできない

 私のばあい、いとこたちの間で、どう思われているか、知らない。
知りたくもない。
私は私だし、それがよいものであっても、悪いものであっても、私の知ったことではない。
見方によって、私は善人にもなるし、悪人にもなる。
相手の見方しだい。
それを知っているから、「どうでもいい」となる。

 同じように、私がだれか1人の人を、「いい人」と思ったところで、それは私だけの
印象。
その印象を、他人に植えつけようとは思わない。
反対にばあいも、そうだ。
私は私、人は人。

●決め手は親密度

 ……ということで、1時間55分になった。
で、その結論。

 誠実な人は、よい印象をもたれる。
不誠実な人は、悪い印象をもたれる。
長い時間をかけて、そうなる。

 ……とは言っても、他人の目など気にしてはいけない。
その必要もない。
どんなに誠実に生きても、みなによい顔はできない。
とくに親戚関係というのは、一方的な意見だけを聞いて、その人の人物像を作りあげる。
そういうことが多い。
その点、密度、つまり親密度がものを言う。
悪人どうしが近くでワーワーと騒げば、どんな誠実な人でも、悪人に仕立てられる。
(だからといって、親類に悪人がいるということではない。誤解のないように!)

 仮に悪く言われていても、遠くに住んでいると、反論することもできない。
だから「私は私、人は人」となる。

 1時間55分の長電話で、私は、それを学んだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec.09+++++++++はやし浩司

●山のあなた

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
ああ、われひとと尋めゆきて
涙さしぐみ、かへりきぬ
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。

あなた=かなた
尋(と)めゆきて=たずねて行って
涙さしぐみ=涙ぐんで

(カール・ブッセ)(上田敏訳)

+++++++++++++++

 小学5年生が使うワークブックに、カール・ブッセの詩が載っていた。
何度か読んでいるうちに、切なくなってきた。
意味はよくわからないが、切なくなってきた。
解釈の仕方はいろいろある。
読む人によって、思いもちがう。
ただ「幸せ」というのは、そういうものかもしれない。
ここでいう「幸せ」というのは、「亡くなった人」とも解釈できる。
「あなた」が、「遠くに」と、「あなた」の掛詞(かけことば)になっているようにも
思う。
愛する人が亡くなった。
そのさみしさに耐えかね、幸せを求め、遠くまでやってきた。
しかし幸せは、さらに遠くにあって、手が届かなかった。
私には、そんな情景が浮かんでくる。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●正常と異常

++++++++++++++++

何をもって「正常」といい、何をもって
「異常」というか?
実のところ、正常には基準はない。
異常にも、基準はない。
たとえば精神医学の世界では、「正常」という
概念はない。
わかりやすく言えば、この世界には、
「正常な人」というのは、いない。

また「異常気象」とはいうが、気象学の
世界では、「異常」という概念はない。
その定義すら、ない。

その気象。
09年を振り返ってみて、特異だったのは、
長梅雨。
そのため日本各地で、記録的な日照不足が
起きた。
正確には、「観測史上初の短さ」ということに
なる。
が、だからといって、「異常」とは言わない。

+++++++++++++++++

●異常気象

 いくら「おかしい」と思っても、そこには原因がある。
原因がある以上、いきなり「異常」という言葉で片づけることはできない。

たとえば09年の日照不足にしても、その原因は、長梅雨。
さらに長梅雨の原因はといえば、「エルニーニョ現象」。
太平洋東部(南米沖)の海水温があがると、相対的に、日本の南の海水温がさがる。
簡単に言えば、太平洋という海をはさんで、東部と西部が、シーソーをしているようなも
の。
太平洋東部の海水温があがれば、「エルニーニョ現象」。
太平洋西部(日本の南部)の海水温があがれば、「ラニャーナ現象」。
09年は、エルニーニョ現象のため、相対的に、西部の海水温がさがった。
そのため日本に張り出す太平洋高気圧が弱くなり、夏らしい夏がこなかった。
そのため長梅雨になり、日照不足が各地で観測された。

 こうした現象を、「異常」とは言わない。
しかし「異常気象」という言葉だけが、今、ひとり歩きしている。
言うなれば、「異常」という言葉を使うことによって、思考することをやめてしまっている。

●子どもの世界

 子どもの世界でも、(もちろん)、「正常」「異常」という言葉は、存在しない。
その概念もなければ、定義もない。
あるはずもないし、またあってはならない。

 「問題のある子ども」というのはいるが、しかし仮にそうであるとしても、そこには原
因がある。
理由もある。
ほとんどは子ども自身の問題というよりは、子ども自身には責任のない問題である。
また「問題」といっても、それは固定された視点から見て、「そうだ」と言うにすぎない。
別の視点から見れば、問題が問題でなくなってしまう。
言い換えると、「問題」というのは、その子どもを見る「視点の問題」ということになる。
さらに言えば、「問題のある子ども」というのは、存在しない。

 たとえば不登校にせよ、学習障害児にせよ、AD・HD児にせよ、「学校教育」という枠
(わく)の中で、「問題のある子ども」と言うにすぎない。
学校教育という枠をはずれれば、何でもない。
むしろ別のすばらしい才能を発揮することもある。

 言い換えると、「正常」「異常」、さらには、「問題」にせよ、これらはすべて人間が勝手
に作りだした言葉にすぎないということ。

●まず、認める

 そこで重要なことは、たとえば現在の気象状態を見ながら、「異常」「異常」と騒ぐこと
ではなく、冷静に原因と理由を見つめていくということ。
この世界では、思考力のない人ほど、「異常」「異常」と騒ぎやすい。
またそういう言葉を使うことによって、自らの思考力を停止してしまう。

 子どもの世界も、またしかり。
そこにそういう子どもがいるなら、そういう子どもと認めた上で、その子どもに合った指
導をする。
すべてはそこから始まり、そこで終わる。
とくに教育者は、ドクターとは立場が異なる。
診断名をつけて、治療するなどということは、ドクターに任せておけばよい。
もちろんその知識をもつことは重要なことだが、だからといって、私たちには、どうする
こともできない。
その子どもを、そこを原点として、前向きに伸ばしていく。

 実際、私の経験からしても、問題のない子どもはいない。
どんな子どもにも、それぞれ何かの問題がある。
だから「問題がある」という前提で子どもを見るのではなく、「その子はそういう子どもで
ある」と認める。
へたに「なおしてやろう」と考えると、教えるのもたいへんだが、子どもも疲れる。
指導法をまちがえると、子どもをかえって悪い方向に、追いやってしまう。
だから、「あるがまま」。

●一言

 これは、私たち自身の問題と直結している。
つまり私たちは、常に自分に問いかける。
「私は正常」と思い込んでいる人ほど、あぶない。
「私はだいじょうぶ」と思い込んでいる人も、あぶない。
たいへん興味深いことは、認知症の初期段階では、「自分はおかしい?」と思うこともある
らしいが、さらに進んでくると、それもわからなくなるらしい。
(認知症の種類にもよるが……。)

 私もこんな経験をしたことがある。
どこか認知症ぽい女性(当時、63歳くらい)に、こう言ったときのこと。
その女性のまわりくどい言い方に閉口していた。
「私は、そんなバカではないと思いますが……」と。

 するとその女性は、何をどう誤解したのかはわからないが、「私だって、そんなバカでは
ない!」と言って、叫んだ。
私はそのとき、「この女性は、本物のバカだ」(失礼!)と思った。……思ってしまった。

 「私」を知るためには、常に私を疑う。
こと「私」について言えば、「私はおかしい」という前提で考えるのがよい。
「私はまちがっている」でもよい。
ばあいによっては、「私は異常かもしれない」でもよい。
つまりそうした謙虚な姿勢が、「私」の発見につながっていく。

 「正常」「異常」という言葉が、あまりにも安易に使われているような気がしたので、(私
自身も、使っているが……)、ここでそれについて考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 正常 異常 正常論 異常論 異常気象論 異常気象)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●i7、64ビット・パソコン

++++++++++++++++++

昨日、待望の(i7、64ビット)パソコンが
届いた。
注文してから、2週間も待たされた。
もちろんOSは、WINDOW7・プロフェッショナル。

すごい!
パフォーマンス評価をしてみたら、ハードディスクの
転送速度以外は、何とスコアは、7・5〜7・7!
(7・9が満点とか。)
今までのビスタパソコンは、5・5〜5・9だった。
ワクワク、ドキドキ・・・。
そんなわけで、今朝は午前5時に起き。
6時間かけて、設定をすませた。
6時間だぞ!

「プロフェッショナル」にしたのには、理由がある。

WINDOW7・プロフェッショナルでは、
仮想(バーチャル)XPというのが使える。
それを使えば、ビスタで使えなくなったソフトを、
再び生き返らせることができる。
今までビスタ上で、だましだまし使っていたソフトを、
WINDOW7上で、堂々と使える。

が、ひとつ大きな問題が発生した。
Adobe(アドビ)が、64ビットパソコンに
対応していない。
そのため、YOUTUBEなどの動画が、見られない。
FLASH画像も(×)が出て、表示されない。
そこでAdobeベータ版(試作版)をダウンロード。
が、それでも動画を見ることができない。

?????の連続。

あれこれ原因をさぐったり、いじったり……。
削除したり、再インストールしたり……。
1時間ほど、回り道をした。
それが楽しかった。

【解決法:表示されない画面の状態で、
(スタート)→(すべてのプログラム)→
(Internet Explorerを右クリック)→
(管理者として実行)を順にクリック。】

終わったときには、むずかしい数学の問題を解いたような
満足感を覚えた。
ほっとした。
気持ちよかった。
そのあと少し横になったが、頭が冴えて、眠れなかった。

あとは時間をみて、ファイルを、古いパソコンから
新しいパソコンへ、ゆっくりと移すだけ。

(実際には、Dディスクにコピーして、ディスクごと、
新しいパソコンに移動する。
作業は、簡単。
それはこの正月の楽しみ。)

この原稿は、そのパソコンを使って書いた、はじめての原稿。
記念すべき原稿。

時は2009年12月23日。

晃子へ、

こんな道楽を、好き勝手にやらせてくれて、ありがとう!
プラス、パソコンの世界は、それを専門にしている人は
別として、私たちには、少し荷が重すぎる。
どんどん進歩していく。
変化していく。
ついていくだけで、たいへん。

++++++++++++++++++++

●うれしいメール

 幼児クラスで教えたことのある、Dさん(小3・女児)が、数か月前、私の教室に戻っ
てきた。
お母さんの話では、いろいろあった。
それについてはここに書けないが、ともかくも、いろいろあって、Dさんは、元気をなく
してしまった。
そこで私のところに相談があった。
お母さんが、「娘が、BWのHPを、なつかしそうに見ていました」「それで、BWへもう
一度、通ってみる?、と声をかけたら、そのとき、はじめてニコリと笑いました」と。
BWというのは、私の教室をいう。

 私はDさんを迎えるため、1か月かけて準備をした。
とくに心の暖かい子どもだけを3〜4人集め、お母さんの仕事時間に合わせて、新しいク
ラスを作った。
『子どもの先生は、子ども』。
子どもは子どもの影響を受けて、変わる。
それに、私の教室で幼児期を過ごした子どもは、(心の基礎)が、しっかりとできている。
ちょっとやそっとでは、崩れない。
私はそれを信じている。

 で、Dさんは、やってきた。
ほかの生徒たちには、それとなくDさんのことを話しておいた。
みな、快く協力を申し出てくれた。
「私が抱っこして教えてあげる」と言ってくれた中学生もいた。

 ……それからちょうど3か月。
Dさんのお母さんからメールが届いた。
それを読んで、思わず涙が出た。
うれしかった。
そのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

>『はやし先生へ
>
> こんばんは。いつもDがお世話になっております。
>
> 林先生に再びお世話になるようになってから、Dの様子が変わって来ました。
>
> あれだけ無表情でやる気の無かったDが、このところテストで90点や100点を取っ
て来るようになり、話しかけても返事もしなかったのに、この頃は呼ぶと「ハイ!!」と
大きな声で返事をし、にこにこと元気があふれる表情に変って来ました。
>
> しかも、ビックリしたのが、「負けるのが嫌だからスポーツはやらない。」と言っていた
のに、自分から「バスケットボールやりたい。」と言い出し、半信半疑で体験させたところ、
「楽しい!頑張る!」と言い、練習日には自分で仕度をして元気に出かけて行きます。
>
> 今日、持久走大会があり、48人中17位になったと嬉しそうに報告してくれました。 

>
> 以前のDに戻ってくれたと、私は感激で胸がいっぱいになりました。
>
> やっぱり、はやし先生にお願いして良かったと心から感謝しています。あまりの変わり
ように、魔法にかかったような信じられない気持です。
>
> どうしても、先生にお礼と報告がしたくて、メールさせていただきました。
> ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。
>
> 急に寒くなりました。お体に気をつけてください。
>
> (Dの母より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 どうかBW教室の宣伝と、とらえないでほしい。
私には、もうそういう気持ちはない。
ただ、うれしかった。
それだけ。

 そうそう、昨日、先日講演をした、秋田県の横田市のみなさんから、講演の感想が届い
ていた。
みなさん、ほんとうに暖かく、迎えてくれた。
それが私は、うれしかった。
片道7時間前後の長旅だったが、疲れはまったく感じなかった。
その感想の一部を、ここに抜きださせてもらう。
(原稿は、EXCEL版なので、そのまま転載できないので……。)

SKさん、ありがとうございました!!!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●とてもすばらしいお話でした。自分自身を見つめ直す機会にもなりました。ありがとう
ございました。

●非常に良い講演でした。今日は、参加できなかった妻にも聞かせたかった。

●分かりやすく明快な講演でした。来年も是非企画してください。

●友達に誘われてきましたが、来て良かったと思います。子育てに対する情熱を感じまし
た。また子育てという視点だけでなく、自分自身を見つめる機会になりました。一番最後
の「私の○○、私の××、というものがあるから死に対して臆病になる。だったらそれを
捨てればいい」という部分が印象的でした。なかなか自分のしがらみというか、防御する
心は捨てられないし、舞い戻ってしまうけれど、「やっていこう!」と行動をおこすことが大切だ
と思いました。HPを見てみたいと思います。

●とてもいい講演でした。手帳にたくさんメモしました。最後のお子さんの話には、とて
も感動しました。いつか将来私の心にも子育てをやりとげたとおいう風が吹く日が来たら
幸せだろうなあと思いました。

●普段の自分の子どもへの接し方を改めて考えさせられました。親も余裕をもって接した
いなあと思いました。ありがとうございました。

●色々な深い話を聞けて大変参考になりました。遠くからどうもありがとうございました。

●とても心にしみるお話でした。子育てはもちろん、いろいろ考えさせられ、とてもよい
お話でした。ぜひHPも見たいと思います。

●とてもいいお話を聞きました。HP絶対見ます。ありがとうございました。働いている
と情報が遠いような気がします。こういった会の開催など、簡単に確実に情報を得たい。

●とても充実した時間を過ごすことができました。

●お話がおもしろくて楽しかった。子育てにはユーモアが大切なのだな〜と実感しました。
あ〜でも私は、子供をあたたかく見守ることができるのかな〜なんて思ってしまいました。

●大変すばらしい講演会でした。ありがとうございます。

●参加して大変よかったです。先生の体験談、特に息子さんのお話に深く感銘し感動しま
した。悩みながらの子育て中ですが、参加したことが、私にとって大きな改心の第一歩に
なると思います。素晴らしいお話をありがとうございました。

●今日のお話の中にあった「東洋医学的な抵抗力を育てる」ことが、実は秋田県や横手市
の子育て支援にも大切なことだと思った。子育て中のお母さんたちを本当の意味で支援す
ること、お母さんたちの自立を促すような内容をみんなで考えていけたらいいですね。講
師の先生、すばらしかったです。実行委員の皆様お疲れ様でした。

●HPも見ておりましたが、実際に聞いて、とても感動しました。これからの子育て孫育
てに役立てたいと思います。

●自分は64歳ですが、先生のお話に大いに共感いたしました。ありがとうございました。

○チラシをコンビニなど手に取りやすい所に置いてほしい。
○資料の隅でもいいので、メモが少しあったら嬉しかったです。
○講演の内容はすばらしく、聞きやすかったです。
○講演内容からすれば、より来場者があってもいいはずで、PRの方法を、様々な団体検証し
た方がいいと思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【横手市のみなさんへ】

 またいつか、おうかがいしますよ!
ワイフも、たいへん喜んでいました。
SKさんにいただいた、ぜんまい、たいへん、おいしかったです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================


















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 27日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page013.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【常識の壁】

●思考のパターン化(思考回路の形成)

+++++++++++++++++++++++

同じことを繰り返す。
繰り返していると、やがて脳みそは、やがてそれを
パターン化する。
パターン化して、そのまま脳の中に叩きこむ。
これを「自動化」という。

たとえばコップを手に取り、お茶を飲む。
そのとき、手でどのようにコップを握るか、
それをいちいち考えてする人はいない。
手は自動的に動き、コップを手にし、それを
口に運ぶ。
これが自動化である。

もう少し複雑な自動化としては、タイピングがある。
パソコンに向かって、キーボードを打つときを、思い浮かべて
みればよい。

私もこうして文字をパソコンに向かって、キーボードを
打つとき、どこにどのキーがあるか、いちいち考えて打たない。
短い言葉なら、指がまとめて動く。
「まとめて」というのは、たとえば「言葉」と打つとき、
何も考えなくても、「KOTOBA」と、一気に指が動く。
「K」「O」「T」……というように、ひとつずつの
キーを意識して打つわけではない。

だからふつう、口で話すよりも速く、文字を打つことができる。
この自動化のおかげで、私は、能率よく、かつ無駄なく、自分の
仕事をこなすことができる。

++++++++++++++++++++

●思考回路

 ある作業を繰り返していると、脳はそのパターンを認識し、それを記憶する。
脳の中に、一定の回路をつくる。 
そうした回路のうち、作業に関する回路は、手続きが記憶されるという意味で、「手続き記
憶」とも呼ばれている。
わかりやすく言えば、頭が覚えるのではなく、体が覚える。
(本当は、頭が覚えるのだが……。)

 たとえばここに書いたタイピングにしても、最初は、一本の指だけでパチン、パチンと
打つ。
が、慣れてくると、カチカチと打てるようになる。
さらに練習を重ねていくと、キーボードを見なくても、文字が打てるようになる。

同じような現象が、「思考」についても、起きる。

 たとえば何かの問題にぶつかったとしよう。
そのとき私たちは自分のもつ思考回路に沿って、ものを考え、問題を解決しようとする。
たとえば暴力団の人は、(暴力)という手段を念頭に置いて、問題を解決しようとする。(多
分?)
お金や権力のある人は、お金や権力という手段を念頭に置いて、問題を解決しようとする。
(多分?)
私のばあいは、ものを書くのが好きだし、「ペン」の力を信じている。
だからものを書くという手段を念頭に置いて、問題を解決しようとする。

 人それぞれだが、さらに中身をみていくと、興味深い事実に気がつく。

●常識(?)

 それぞれの人には、それぞれの(糸)が無数にからんでいる。
過去の糸、生い立ちの糸、環境の糸、教育の糸、人間関係という糸、などなど。
そういう無数の糸にからまれながら、その人のものの考え方、つまり常識ができあがって
いく。

 アインシュタインは、「その人の常識は、18歳くらいまでに完成される」というような
ことを書き残している。
「18歳」という年齢にこだわる必要はないが、かなり早い時期に完成されることは事実
である。
そしてその常識は、一度形成されると、よほどのことがないかぎり、生涯に渡ってそのま
ま、その人のものの考え方の基本となる。

 たとえばY氏(67歳)は、ことあるごとに、「お前は、男だろが!」「お前は、長男だ
ろが!」「何と言っても、親は親だからな!」とか言う。
そういう言葉をよく使う。
何か問題が起こるたびに、そう言う。
それがY氏の常識ということになる。
そうした常識は、ルーツをたどっていくと、かなり若いころまで、さかのぼることができ
る。
Y氏は、若いころ、「親絶対教」として知られる、M倫理団体の青年部員として活躍してい
た。

●思考回路への挑戦

 私が自分のもつ思考回路を疑い始めたのは、オーストラリアに留学していたときだった。
もちろんそのときは、「思考回路」という言葉すら、知らなかった。
そのことを書いたのが、つぎの記事である(「世にも不思議な留学記」(中日新聞発表済み))。

 この中で、私は、私たちがもっている職業観ですら、環境の中で作られていくものだと
いうことを書きたかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。
許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「お
めでとう」と言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕
事だ。アメリカやイギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。

彼は「ブタ」という言葉を使った。あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識
そのものが、日本人のそれとはまったくちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オー
ストラリア国内で、と考えていたようだ。

また別の日、フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊
に入るのか」と。「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本
五十六)の、伝統ある軍隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、
マルコス政権下。軍人になることイコール、出世を意味していた。マニラ郊外にマカティ
と呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進するだけで、家つき、運
転手つきの車があてがわれた。

またイソロクは、「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間
では英雄だった。これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各
国の植民地になったという暗い歴史がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそ
んなこと言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあ
るごとに、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言ってい
た。ほかに自慢するものがなかった。

が、国変われば、当然、価値観もちがう。私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえ
ば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を選んだ。それが学生として、最良の道だと信じて
いた。しかしそういう価値観とて、国策の中でつくられたものだった。私は、それを思い
知らされた。時まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 で、帰国後、私は大阪に本社を置く、M物産(当時は、東京と大阪の2本社制を敷いて
いた)に勤めるようになった。
そこで私は、ある日、こんな実験をした。
今にして思えば、それが、私が意識的にした最初の、思考回路への挑戦だったと思う。
私は自分の思考回路を、変えてみたかった。

 それについて書いた原稿が、つぎのもの。
少し余計なことも書いているが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私の過去(心の実験)

 私はときどき心の実験をする。わざと、ふつうでないことをして、自分の心がどう変化
するのを、観察する。若いときは、そんなことばかりしていた。私の趣味のようなものだ
った。

たとえば東京の山手線に乗ったとき、東京から新橋へ行くのに、わざと反対回りに乗るな
ど。あるいは渋谷へいくとき、山手線を三周くらい回ってから行ったこともある。

一周回るごとに、自分の心がどう変化するかを知りたかった。しかし私の考え方を大きく
変えたのは、つぎのような実験をしたときのことだ。

 私はそのとき大阪の商社に勤めていた。帰るときは、いつも阪急電車を利用していた。
そのときのこと。あの阪急電車の梅田駅は、長い通路になっていた。その通路を歩いてい
ると、たいていいつも、電車の発車ベルが鳴った。するとみな、一斉に走り出した。私も
最初のころはみなと一緒に走り、長い階段をかけのぼって、電車に飛び乗った。

しかしある夜のこと、ふと「急いで帰って、それがどうなのか」と思った。寮は伊丹(い
たみ)にあったが、私を待つ人はだれもいなかった。そこで私は心の実験をした。

 ベルが鳴っても、わざとゆっくりと歩いた。それだけではない。プラットホームについ
てからも、横のほうに並べてあるイスに座って、一電車、二電車と、乗り過ごしてみた。

それはおもしろい実験だった。しばらくその実験をしていると、走って電車に飛び乗る人
が、どの人もバカ(失礼!)に見えてきた。当時はまだコンピュータはなかったが、乗車
率が、130〜150%くらいになると電車を発車させるようにダイヤが組んであった。
そのため急いで飛び乗ったようなときには、イスにすわれないしくみになっていた。

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。「早く楽になろうと思ってがんばっ
ているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、愚かな生き方の代
名詞にもなっている格言である。

その電車に飛び乗る人がそうだった。みなは、早く楽になりたいと思って電車に飛び乗る。
が、しかし、そのためにかえって、よけいに疲れてしまう。

 ……それから35年あまり。私たちの世代は企業戦士とか何とかおだてられて、あの高
度成長期をがむしゃらに生きてきた。人生そのものが、毎日、発車ベルに追いたてられる
ような人生だった。どの人も、いつか楽になろうと思ってがんばってきた。

しかし今、多くの仲間や知人は、リストラの嵐の中で、つぎつぎと会社を追われている。
やっとヒマになったと思ったら、人生そのものが終わっていた……。そんな状態になって
いる。

私とて、そういう部分がないわけではない。こう書きながらも、休息を求めて疲れるよう
なことは、しばしばしてきた。しかしあのとき、あの心の実験をしなかったら、今ごろは
もっと後悔しているかもしれない。

そのあと間もなく、私は商社をやめた。今から思うと、あのときの心の実験が、商社をや
めるきっかけのひとつになったことは、まちがいない。

【補記2】

 やはり、「♪のんびり行こうよ……」は、いい歌です。私は何度も、この歌と歌詞に救わ
れました。小林亜星さん、そしてそのコマーシャルを流してくれたM石油さん、ありがと
う。

 そうそうそのM石油。一度、入社試験を受けたことがあるんですよ。学生時代の話です
が……。そのあとM物産に入社が内定したので、そのままになってしまいましたが……。
ごめん!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 話は前後するが、私はこんな経験もした。
私の思考回路に、強烈な刺激を与えた事件だった。
同じく『世にも不思議な留学記』の中で、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●たった一匹のネズミを求めて(そのネズミになる)

●牧場を襲った無数のネズミ

 私は休暇になると、決まって、アデレード市の近くにある友人の牧場へ行って、そこで
いつも一、二週間を過ごした。「近く」といっても、数百キロは、離れている。広大な牧場
で、彼の牧場だけでも浜松市の市街地より広い。その牧場でのこと。

ある朝起きてみると、牧場全体が、さざ波がさざめくように、波うっていた! 見ると、
おびただしい数のネズミ、またネズミ。……と言っても、畳一枚ぐらいの広さに、一匹い
るかいないかという程度。しかも、それぞれのネズミに個性があった。農機具の間で遊ん
でいるのもいたし、干し草の間を出入りしているのもいた。

あのパイドパイパーの物語に出てくるネズミは、一列に並んで、皆、一方向を向いている
が、そういうことはなかった。

 が、友人も彼の両親も、平然としたもの。私が「農薬で駆除したら」と提案すると、「そ
んなことをすれば、自然のライフサイクルをこわすことになるから……」と。農薬は羊の
健康にも悪い影響を与える。こういうときのために、オーストラリアでは州による手厚い
保障制度が発達している。

そこで私たちはネズミ退治をすることにした。方法は、こうだ。まずドラム缶の中に水を
入れ、その上に板切れを渡す。次に中央に腐ったチーズを置いておく。こうすると両側か
ら無数のネズミがやってきて、中央でぶつかり、そのままポトンポトンと、水の中に落ち
た。が、何と言っても数が多い。私と友人は、そのネズミの死骸をスコップで、それこそ
絶え間なく、すくい出さねばならなかった。

 が、三日目の朝。起きてみると、今度は、ネズミたちはすっかり姿を消していた。友人
に理由を聞くと、「土の中で眠っている間に伝染病で死んだか、あるいは集団で海へ向かっ
たかのどちらかだ」と。伝染病で死んだというのはわかるが、集団で移動したという話は、
即座には信じられなかった。移動したといっても、いつ誰が、そう命令したのか。ネズミ
には、どれも個性があった。

そこで私はスコップを取り出し、穴という穴を、次々と掘り返してみた。が、ネズミはお
ろか、その死骸もなかった。一匹ぐらい、いてもよさそうなものだと、あちこちをさがし
たが、一匹もいなかった。ネズミたちは、ある「力」によって、集団で移動していった。

●人間にも脳の同調作用?

 私の研究テーマの一つは、『戦前の日本人の法意識』。なぜに日本人は一億一丸となって、
戦争に向かったか。また向かってしまったのかというテーマだった。が、たまたまその研
究がデッドロックに乗りあげていた時期でもあった。あの全体主義は、心理学や社会学で
は説明できなかった。

そんな中、このネズミの事件は、私に大きな衝撃を与えた。そこで私は、人間にも、ネズ
ミに作用したような「力」が作用するのではないかと考えるようになった。わかりやすく
言えば、脳の同調作用のようなものだ。最近でもクローン技術で生まれた二頭の牛が、壁
で隔てられた別々の部屋で、同じような行動をすることが知られている。そういう「力」
があると考えると、戦前の日本人の、あの集団性が理解できる。……できた。

 この研究論文をまとめたとき、私の頭にもう一つの、考えが浮かんだ。それは私自身の
ことだが、「一匹のネズミになってやろう」という考えだった。「一匹ぐらい、まったくち
がった生き方をする人間がいてもよいではないか。皆が集団移動をしても、私だけ別の方
角に歩いてみる。私は、あえて、それになってやろう」と。

日本ではちょうどそのころ、三島由紀夫が割腹自殺をしていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思考回路 

 何度も書くが、思考回路そのものは、「悪」ではない。
思考回路があるからこそ、私たちは日常の生活の中で、ものごとをスムーズに作業し、も
のごとをスムーズに考えることができる。
手続き記憶を考えてみれば、それがわかる。

 しかしこの思考回路は、ときとして、新しいものの考え方に対して、壁となって立ちは
だかることがある。
新しいものの考え方を取り入れるのを、じゃまする。
それだけではない。
その返す刀で、新しいものの考え方を、「まちがっている」と排斥してしまうことがある。
ときにはそれがその人の全人格的な思考回路になっていることがある。
たとえば「義理・人情」とかいう言葉をよく使う人がいる。
そういう人は、何かにつけて、この言葉に固執する。

 そういう人がそれまでの思考回路を変更するということは、その人自身が自分の過去、
つまりそれまで生きてきた人生そのものを否定することに等しい。
その分だけ、衝撃が大きい。
だからよけいにはげしく、抵抗する。
「オレは、義理・人情に命をかける」と。

 ……というような経験は、日常生活の中でもよくする。

 そこで2つのことを提案したい。

(1)常に新しい思考回路が組み込めるように、心の中に余裕(ROOM)を作っておくこ
と。
(2)常に新しい思考回路をもった人と接する機会を、大切にすること。

 つまり自分がもつ常識は、絶対的なものでないと、いつもどこかでそれを疑う。
一度思考回路ができてしまうと、『類は友を呼ぶ』のことわざ通り、人は居心地のよい世界
を求めて、集まる傾向がある。
暴力団の人は、暴力団の人どうし。
ドクターの人は、ドクターの人どうし。
さらには老人の人は、老人の人どうし、と。
が、これは思考回路を固定化するという面で、危険なことでもある。

 私は個人的には、子どもと接するのがよいと思うが、みながみな、そういう機会がある
というわけではない。
子どもたちの思考回路は、いわば白紙の状態。
その(白紙)を見ながら、私たちは自分の思考回路に(色)がついていたり、あるいは(汚
れていることを知ったりする。

 ……ということで、思考回路について、考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 思考回路 手続き記憶 手続き的知識 常識の破壊 常識への挑戦)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●新しい日本の流れ(再考版)


++++++++++++++++++


古い原稿を、読み直している。
日付は、2007年となっているが、
実際には、もっと古いと思う。
記事の内容からして、2000〜2001年
ごろ書いたものではないかと思う。


こうして古い原稿を読みなおしてみると、
古い原稿そのものが、私の一部になっているのが
わかる。


私は(過去)の上に立っている。
と、同時に、2つのことに気づく。


ひとつは、「その通りだ」と思う部分。
もうひとつは、「少し、おかしいぞ?」と
思う部分。
この10年の間に、世間の事情も大きく
変化した。
私自身も、変化した。


が、基本的には、私は(過去)の上に
立っている。


つっこみの甘いエッセーだが、「10年前に
は、こんなことを考えていたのか」と
思いながら、読んだ。
現状に合わない意見もあるが、それはそれとして
許してほしい。


が、その一方で、今、教育の世界が、私が予想
した通りに動きつつあるのを知るのは、
楽しい。


たとえば「学力」の見直しも進んでいる(09年)。
入試制度も、この10年のうちに、大きく
変わりつつある。


そんなことも考えながら、以下の原稿を読んで
いただければ、うれしい。


+++++++++++++++++

 
 日本の教育は、今、知識偏重の詰めこみ教育から、議論をしながら考える教育へと、そ
の転換期にある。
多くの学校で、今まで私たちが知らなかった試みが、なされている。


 今までは、知識詰め込み式の教育でよかったが、これからは、もう、そういう教育は、
通用しない。それはもう、だれの目にも、明らかである。
(しかしその亡霊は、社会や化学など、いたるところに残ってはいるが……。)


 と書いても、私に、何か、具体的な方法論があるわけではない。私は、こういうとき、
つまり、自分がどこか袋小路に入ったのを感じたようなときは、ネットサーフィンをしな
がら、あちこちで世界の賢者たちの言葉を読むことにしている。


 世界の賢者たちの言葉を、あちこちから拾って、訳をつけてみた。


+++++++++++++


★The important thing is not to stop questioning. ー Albert Einstein
「重要なことは、問いつづけることだ」(A・アインシュタイン)


★Those who educate children well are more to be honored than parents, for these gave 
only life, those the art of living well. ー Aristotle 
「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。なぜなら、両親は、命を与える
だけだが、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与えるから」(アリストテレス)


★They were majoring in two subjects: physics and philosophy. Their choice amazed 
everybody but me: modern thinkers considered it unnecessary to perceive reality, and 
modern physicists considered it unnecessary to think. I knew better; what amazed me 
was that these children knew it, too. ー Ayn Rand
「彼らは、物理学と哲学のふたつを専攻していた。その選択は、私をのぞいて、みなを驚
かせた。しかし近代の思想家は、現実を認知することを、不必要と考えた。そして近代の
物理学者は、思索することを、不必要と考えた。しかし私は、私を驚かせたことは、これ
らの子どもたちも、それを知っていたということを、よりよく知っていた」(A・ランド)


★"Most of all, perhaps, we need an intimate knowledge of the past. Not that the past 
has anything magical about it, but we cannot study the future." ー C.S. Lewis
「私たちのほとんどは、たぶん、過去をよくしる必要がある。それは、過去が何か神秘的
であるからということではなく、過去を知らなければ未来を学ぶことができないからであ
る」(C・S・ルイス)


★Frederick Douglass taught that literacy is the path from slavery to freedom. There 
are many kinds of slavery and many kinds of freedom. But reading is still the path. ー 
Carl Sagan
「フレドリック・ダグラスは、読み書きの能力は、奴隷を解放する道だと教えた。いろい
ろな種類の奴隷制度があり、いろいろな種類の自由があるが、読書は、まさにその道であ
る」(C・サガン)


★I hear and I forget. I see and I remember. I do and I understand. ー Confucius
「私は聞いて、そして忘れる。私は見て、そして覚える。私は行動して、そして理解する」
(孔子)


★The true genius shudders at incompleteness ー and usually prefers silence to saying 
something which is not everything it should be. ー Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを
語るよりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー)


★To know what to leave out and what to put in; just where and just how, ah, THAT is to 
have been educated in the knowledge of simplicity. ー Frank Lloyd Wright
「どこにどのように、何を捨て、何を取り入れるか……つまりそれが、単純な知識として、
教育されるべきことである」(F・L・ライト)


★You cannot teach a man anything; you can only help him find it within himself. ー 
Galileo Galilei
「あなたは人に教えることなどできない。あなたはただ、人が彼の中にそれを見つけるの
を、助けることができるだけである」(G・ガリレイ)


★What office is there which involves more responsibility, which requires more 
qualifications, and which ought, therefore, to be more honourable, than that of 
teaching? ー Harriet Martineau 
「教育の仕事以上に、責任があり、資格を必要とし、それゆえに、名誉ある仕事が、ほか
のどこにあるだろうか」(H・Martineau)


★A child's wisdom is also wisdom ー Jewish Proverb
「子どもの智慧も、これまた智慧である」(ユダヤの格言)


★The teacher, if indeed wise, does not bid you to enter the house of their wisdom, but 
leads you to the threshold of your own mind. ー Kahlil Gibran
「本当に賢い教師というのは、あなたを決して彼らの智慧の家に入れとは命令しないもの。
しかし本当に賢い教師というのは、彼ら自身の心の入り口にあなたを導く」(K・ギブラン)


★We have to continually be jumping off cliffs and developing our wings on the way 
down. ー Kurt Vonnegut
「私たちはいつも、崖(がけ)から飛び降りる。飛び降りながら、その途中で、翼を開発
する」(K・Vonnegut)


★Just as iron rusts from disuse, even so does inaction spoil the intellect. ー Leonardo Da 
Vinci
「鉄がさびて使い物にならなくなるように、何もしなければ、才能をつぶす」(L・ダビン
チ)


★Truth is eternal. Knowledge is changeable. It is disastrous to confuse them. ー Madeleine L'
Engle
「真実は永遠である。知識は、変化しうるもの。それらを混同するのは、たいへん危険な
ことである」(M・L'Engle)


★Never let school interfere with your education. ー Mark Twain
「学校を、決して、あなたの教育に介在させてはならない」(M・トウェイン)


★Education is an admirable thing, but it is well to remember from time to time that 
nothing that is worth knowing can be taught. ー Oscar Wilde
「教育は、賞賛されるべきものだが、しかしときには、価値ある知識は教えられないとい
うことも、よく覚えておくべきである」(O・ワイルド)


★You must train the children to their studies in a playful manner, and without any air 
of constraint, with the further object of discerning more readily the natural bent of their 
respective characters. ー Plato「あなたは子どもを、遊びを中心とした方法で指導しなけれ
ばならない。強制的な雰囲気ではなく、彼らの好ましい性格の自然な適正を、さらに認め
る目的をもって、そうしなければならない」(プラト)


★In every man there is something wherein I may learn of him, and in that I am his 
pupil. ー Ralph Waldo Emerson
「どんな人にも、彼らの中に、私が学ぶべき何かがある。そういう点では、私は生徒であ
る」(R・W・エマーソン)


★We, as we read, must become Greeks, Romans, Turks, priest and king, martyr and 
executioner, that is, must fasten these images to some reality in our secret experience, 
or we shall see nothing, learn nothing, keep nothing. ー Ralph Waldo Emerson
「読書することによって、私たちは、ギリシア人にも、ローマ人にも、トルコ人にも、王
にも、殉教者にも、死刑執行人にも、なることができる。つまり読書によって、こうした
人たちのイメージを、私たちの密かな経験として、現実味をもたせることができる。読書
をしなけば、何も見ることはないだろうし、何も学ぶことはないだろうし、何も保持する
ことはないだろう」(R・W・エマーソン)


★Education is a sexual disease, IT makes you unsuitable for a lot of jobs and then you 
have the urge to pass it on. ー Terry Pratchett
「教育は、性病だ。つまり教育によって、ジョークがわからなくなり、そのためそれをつ
ぎつぎと、人にうつしてしまう」(T・プラシェ)


★I am always doing what I cannot do yet, in order to learn how to do it ー Vincent Van 
Gogh 
「私はいつも、まだ私ができないことをする。それをいかにすべきかを学ぶために」(V・
V・ゴッフォ)



【考察】


●これらの教育格言の中で、とくにハッと思ったのが、エドガー・アラン・ポーの「真の天
才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るより
も、沈黙をふつう、好む」という言葉である。


 わかりやすく言えば、「ものごとを知り尽くした天才は、自分の未熟さや、未完成さを熟
知している。だから未熟なことや、未完成なことを人に語るよりも、沈黙を守るほうを選
ぶ」と。私は天才ではないが、こうした経験は、日常的によくする。


 私のばあい、親と私の間に、どうしようもない「隔たり」を感じたときには、もう何も
言わない。たとえば先日も、こんなことを言ってきた母親がいた。


 「先祖を粗末にする親からは、立派な子どもは生まれません。教育者としても失格です」
と。


 30歳そこそこの若い母親が、こういう言葉を口にするから、恐ろしい。何をどこから
説明したらよいかと思い悩んでいると、そのうち私の脳の回路がショートしてしまった。
火花がバチバチと飛んでいるのがわかった。だから私は、「ハア〜?」と言ったまま、おし
黙ってしまった。


 私自身は、先祖を否定したようなことは、一度もないのだが……。(念のため。)


●つぎに「私たちはいつも、崖(がけ)から飛び降りる。飛び降りながら、その途中で、翼
を開発する」と言った、K・Vonnegut。英語では、何と読むのだろうか。それは
ともかくも、これは私の持論でもある。以前私は、「人間の創意工夫は、絶壁に立たされて、
はじめて生まれる」と書いた。


 少し前だが、ある教育審議会のメンバーをしたこともあるF氏から、相談を受けた。「学
校教育に蔓延(まんえん)している沈滞感は、どうしたら克服できるか」と。


 それに対して私は、「教師を絶壁に立たせないと、ダメです」と。


 こう書くと学校の先生は、不愉快に思うかもしれないが、ここは怒らないで聞いてほし
い。


 学校の先生たちは、たしかに忙しい。同じ公務員でも、給料が20%増しという理由も、
そこにある。納得できる。しかしそれでも、一般世間の、つまりは民間企業に働く労働者
とは、待遇や職場環境が、基本的に違う。


 たとえば私立幼稚園にしても、今、少子化の波をもろにかぶり、どこも四苦八苦してい
る。経営のボーダーラインといわれている、200人(園児数)を割っている幼稚園は、
いくらでもある。
もっとも経営者自身は、それほど深刻ではない。すでにじゅうぶんすぎるほどの財力を蓄
えている。悲惨なのは、そこで働く保育士の先生たちである。安い給料の上、いつリスト
ラされるかと、ビクビクしている。中には、園児獲得のノルマを、先生たちに課している
幼稚園もある。(ほとんどの幼稚園が、そうではないか?)


 だから毎年、10月前後になると、先生たちは、案内書や簡単なみやげをもって、幼児
のいる家を、1軒ずつ回っている。「教える」だけではなく、生徒集めにまで、神経をつか
っている。しかも、その先は、まさに絶壁!


 こうした危機感があるから、当然のことながら、教えることについても、ある種の緊張
感が生まれる。その緊張感が、教育の質を高める。もし本当に、教育の質を高めようと思
うなら、こうした緊張感を、人為的につくるしかない。


 残念ながら、それから先の方法については、私もわからない。しかしこれだけは言える。
学校の先生たちも、勇気を出して、崖から飛び降りてみてほしい。翼、つまり創意工夫は、
飛び降りている間に生まれる。


●三つ目に、アリストテレスの、「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。
なぜなら、両親は、命を与えるだけだが、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与
えるから」という言葉。


この訳は正確ではないと思う。思うのは、冒頭の「Those」を、「親」と訳すべきか、
「教師」と訳すべきかで、意味がまるで変わってくる。


「親」とみると、「だれでも子どもを産めば親になるが、生きる技術を与えて、親は、真の
親となる」と解釈できる。


 一方「教師」とみると、「生きる技術を与える教師は、親よりすばらしい」と訳せる。ど
ちらが正しいかわからないという意味で、「この訳は正確ではないと思う」と書いた。


 一般論として、欧米の教育の「柱」は、ここにある。どの人に会っても、彼らは、「教育
の目標は、「子どもに生きる技術を与えること」と言う。オーストラリアの友人(M大教授)
も、かつてこう教えてくれた。


 「教育の目標は、私たちのもつ知恵や経験を、子どもたちがつぎの世代を、よりよく生
きていくことができるように、それを教え伝えることだ」と。


 つまり「実用的なのが教育」ということになっている。しかしこの日本には、むしろ実
用的であってはならないという風潮すらある。日本の教育は、将来学者になるためには、
すぐれた体系をもっている。しかし、だ。みながみな、学者になるわけではない。あるい
は将来、学者になる子どもは、いったい何%、いるというのか。


 英語にしても、数学にしても、将来、英語の文法学者や、数学者になるには、すぐれた
体系をもっている。しかしそのため、おもしろくない。役にたたない。しかしこんなこと
は、30年前に、すでにわかっていたことではないか。最近になって、やっと「役にたつ」
という言葉が聞かれるようになったが、それにしても、30年とは!


 要するに、子どもを産むだけでは、親ではないということ(失礼!)。自分の生きザマを、
子どもに示してこそ、親は、親になる。そしてそれが親の役目ということになる。



+++++++++++++++++++

【新しい教育】


 教育を考えるときは、当然のことながら、年齢別、学年別に考えなければならないこと
は、言うまでもない。


 その中でも、とくに幼児教育の重要性については、私は、たびたび書いてきた。


 それはともかくも、今度は、子ども自身がもつ、方向性にあわせた教育を考えなければ
ならない。


 将来、すぐれた研究者になるための教育もあれば、その研究を利用した分野で活躍する
人材を育てるための教育もある。どちらが正しいとか、有用とかいうのではない。どちら
かの立場で、一方的に、相手に押しつけるのは、正しくないということ。


 そこで登場するのが、「教育の多様性の問題」である。アメリカの小学校を例にあげて考
えてみよう。



●アメリカの小学校


 アメリカでもオーストラリアでも、そしてカナダでも、学校を訪れてまず驚くのが、そ
の「楽しさ」。まるでおもちゃ箱の中にでも入ったかのような、錯覚を覚える。


たとえば、アメリカ中南部にある公立の小学校(アーカンソー州アーカデルフィア、ルイ
ザ・E・ペリット小学校。児童数370名)。教室の中に、動物の飼育小屋があったり、遊
具があったりする。


 アメリカでは、教育の自由化が、予想以上に進んでいる。


まずカリキュラムだが、州政府のガイダンスに従って、学校が独自で、親と相談して決め
ることができる。オクイン校長に、「ガイダンスはきびしいものですか」と聞くと、「たい
へんゆるやかなものです」と言って笑った。


もちろん日本でいう教科書はない。検定制度もない。たとえばこの小学校は、年長児と小
学一年生だけを教える。そのほか、プレ・キンダガーテンというクラスがある。四歳児(年
中児)を教えるクラスである。費用は朝食代と昼食代などで、週六〇ドルかかるが、その
分、学校券(バウチャ)などによって、親は補助されている。


驚いたのは4歳児から、コンピュータの授業をしていること。また欧米では、図書室での
教育を重要視している。この学校でも、図書室には専門の司書を置いて、子どもの読書指
導にあたっていた。


 授業は、1クラス16名前後。教師のほか、当番制で学校へやってくる母親、それに大
学から派遣されたインターンの学生の3人であたっている。アメリカというと、とかく荒
れた学校だけが日本で報道されがちだが、そういうのは、大都会の一部の学校とみてよい。
周辺の学校もいくつか回ってみたが、どの学校も、実にきめのこまかい、ていねいな指導
をしていた。


 教育の自由化は、世界の流れとみてよい。たとえば欧米の先進国の中で、いまだに教科
書の検定制度をもうけているのは、日本だけ。オーストラリアにも検定制度はあるが、そ
れは民間組織によるもの。しかも検定するのは、過激な暴力的表現と性描写のみ。「歴史的
事実については検定してはならない」(南豪州)ということになっている。


アメリカには、家庭で教えるホームスクール、親たちが教師を雇って開くチャータースク
ール、さらには学校券で運営するバウチャースクールなどもある。行き過ぎた自由化が、
問題になっている部分もあるが、こうした「自由さ」が、アメリカの教育をダイナミック
なものにしている。


 ドイツでは、中学生にしても、たいていは午前中だけで授業を終え、そのまま、それぞ
れのクラブに通っている。


 運動クラブだけではない。科学クラブもあれば、それぞれの趣味に合わせたクラブもあ
る。そしてそうした費用は、「チャイルドマネー」と呼ばれている補助金によって、まかな
われている。


【後書き】


内閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇
〇〇年)。九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。


 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。日本の教育改革は、三〇年は遅
れた。しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。そのころ世
界はどこまで進んでいることやら! 


日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低くは
ない」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。今では分数の足
し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。


「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西
村和雄氏)(※2)だそうだ。


 あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL
(国際英語検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジア
で日本より成績が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)
だそうだ。


オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しか
し日本には数えるほどしかいない。あの天下の東大でも、たったの二人。ちなみにアメリ
カだけでも、二五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏
指摘)。


 「構造改革(官僚主導型の政治手法からの脱却)」という言葉がよく聞かれる。しかし今、
この日本でもっとも構造改革が遅れ、もっとも構造改革が求められているのが、文部行政
である。私はその改革について、つぎのように提案する。


(1)中学校、高校では、無学年制の単位履修制度にする。(アメリカ)
(2)中学校、高校では、授業は原則として午前中で終了する。(ドイツ、イタリアなど)
(3)有料だが、低価格の、各種無数のクラブをたちあげる。(ドイツ、カナダ)
(4)クラブ費用の補助。(ドイツ……チャイルドマネー、アメリカ……バウチャ券)
(5)大学入学後の学部変更、学科変更、転籍を自由化する。(欧米各国)
(6)教科書の検定制度の廃止。(各国共通)
(7)官僚主導型の教育体制を是正し、権限を大幅に市町村レベルに委譲する。
(8)学校法人の設立を、許認可制度から、届け出制度にし、自由化をはかる。


 が、何よりも先決させるべき重大な課題は、日本の社会のすみずみにまではびこる、不
公平である。


この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は、まったくといってよ
いほど、受けない。わかりやすく言えば、官僚社会の是正。官僚社会そのものが、不公平
社会の温床になっている。この問題を放置すれば、これらの改革は、すべて水泡に帰す。
今の状態で教育を自由化すれば、一部の受験産業だけがその恩恵をこうむり、またぞろ復
活することになる。


 ざっと思いついたまま書いたので、細部では議論もあるかと思うが、ここまでしてはじ
めて「改革」と言うにふさわしい。



(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・99年)の調査によると、日本の中
学生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以
下、オーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、
台湾、シンガポールに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメ
リカ、マレーシア、と。


この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメント
を寄せている。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッ
セージを与えるのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。


ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」
と答えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉
強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレ
ビやビデオを見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。


で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公
表している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だ
そうだ。


この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小
学六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・
五%に低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混
合計算は、三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に
低下している(同じ問題で調査)、と。


 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判
した意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑
いようがない。


同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、
二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答え
た子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいない。原因はいろいろあるの
だろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。


少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言える」とい
うのは、もはや幻想でしかない。


+++++++++++++++++++++


(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであった
という。


調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを
研究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点
で平均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学
部一年生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●The important thing is not to stop questioning. ー Albert Einstein
「重要なことは、問いつづけることをやめないことだ」(A・アインシュタイン)


 「考える教育」が、重要なことは言うまでもない。しかし「考える」という概念ほど、
これまた抽象的で、わかりにくい概念もない。


 そこでアインシュタインの言葉。


The important thing is not to stop questioning. 


 アインシュタインは、こう言っている。「重要なことは、問うことをやめないことである」
と。


 つまり子どもに向かって、「考えなさい」と言っても、あまり意味はない。しかし子ども
が何かのことで問うことにたいして、その問うことを、励まし、伸ばすことはできる。「ほ
ほう、それはおもしろい質問だね」「なかなか鋭いね」と。

 たったそれだけのことで、子どもを、より深く、考える子どもに誘導することができる。
つまり「より考える子どもにしたい」と考えたら、「より質問を繰りかえす子どもにするこ
と」を考えればよい。


 むずかしいことではない。


 子どもは、満4・5歳から5・5歳にかけて、「なぜ?」「どうして?」を繰りかえす時
期にさしかかる。乳幼児の思考的特徴(自己中心性、物活論、人工論など)からの脱却を、
はかる。そしてその結果として、子どもは、より分析的なものの考え方や、より論理的な
ものの考え方をすることができるようになる。


 この時期というのは、乳幼児から、少年、少女期への移行期にもあたる。


 この時期をうまくとらえれば、その「問う」という行為を、じょうずに引き出すことが
できる。が、そうでなければ、そうでない。


 私としては、その重要性というか、幼児教育の重要性が理解してもらえなくて、歯がゆ
くてならない。はっきり言えば、そのあとの、小中高、それに大学教育など、そのころで
きた方向性の、燃えカスのようなもの。……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、
しかし、一度、この時期にできた方向性が、その子どもの将来を、決定づける。またこの
時期にできた方向性は、一度できると、それ以後、なかなか変えることはできない。


 昨今、小学校教育の場でも、「より考える深く子ども」が、大きなテーマになっている。
「総合的な学習」というのも、そういう視点から、取り入れられたものである。それはそ
れとして評価されなければならないが、もっと大切なことは、その(方向性づくり)であ
る。


 そのために、(問う)という姿勢を伸ばす。テーマは何でもよい。どんなささいなことで
もよい。


 日本では、「わかったか? では、つぎ」が、教育の基本になっている。しかしアメリカ
では、「君は、どう思う?」「それはすばらしい」が基本になっている(T先生、指摘)。そ
ういう部分から、つまりもっとベーシックな部分から、教育というより、子育てのあり方
そのものを考えなおす。


 それが結局は、日本の教育を変えていく、原動力になる。



【付録】


●ついでに、A・アインシュタインの語録を、集めてみた。(イギリス「Quote Ca
che」より)


It's not that I'm so smart, it's just that I stay with problems longer. 
(私は頭がきれるのではない。私はただ、その問題に、より長くかかわっているだけだ。) 


The physicist's greatest tool is his wastebasket. 
(物理学者のもっともすばらしい道具は、ごみ箱である。)


There are only two ways to live your life. One is as though nothing is a miracle. The 
other is as though everything is a miracle. 
(人生を生きるためには、たった二つの方法しかない。一つは、奇跡など、どこにもない
と思う生き方。もう一つは、すべては奇跡だと思う生き方。)


It was, of course, a lie what you read about my religious convictions, a lie which is being 
systematically repeated. I do not believe in a personal God and I have never denied this 
but have expressed it clearly. If something is in me which can be called religious then it 
is the unbounded admiration for the structure of the world so far as our science can 
reveal it. 
(私の宗教的な確信について、あなたが読んだことは、ウソである。つまり、意図的に繰
り返されてきたウソである。私は、個人的な神の存在を信じていないし、このことを否定
したことは一度もない。それについては、ここではっきりしておきたい。もし私の中に、
宗教的なものがあるとするなら、それは、科学が明らかにした部分について、世界の構造
について、無限の崇拝の念でしかない。


We should take care not to make the intellect our god. It has, of course, powerful 
muscles, but no personality. 
知性的な人を神にしないよう、注意しなければいけない。もちろん知性的な人には、筋肉
はあるが、人間性はない。


Fantasie ist wichtiger als Wissen. 


If my theory of relativity is proven succesful, Germany will claim me as German and 
France will declare that I am a citizen of the world. If my theory should prove to be 
untrue, then France will say that I am a German, and Germany will say that I am a 
Jew. 
もし私の相対性理論が正しいと証明されるなら、ドイツ人とフランス人たちは、私が世界
市民であると宣言することについて、文句を言うだろう。もし私の理論がまちがっている
と証明されるなら、フランスは私をドイツ人と呼び、ドイツは、私をユダヤ人と呼ぶだろ
う。


Any fool can make things bigger, more complex, and more violent. It takes a touch of 
geniusー
"and a lot of courageーーto move in the opposite direction. 
バカが、ものごとを、誇大し、複雑にし、暴力的にする。その反対方向にものごとを進め
るためには、転載的なひらめきと、勇気が必要である。


Great spirits have always encountered violent opposition from mediocre minds. 
偉大な精神というのは、いつも二流の精神からの猛烈な抵抗に出会うもの。


The human mind is not capable of grasping the Universe. We are like a little child 
entereing a huge library. The walls are covered to the ceilings with books in many 
different tongues. The child knows that someone must have written these books. It does 
not know who or how. It does not understand the languages in which they are written. 
But the child notes a definite plan in the arrangement of booksーーa mysterious order 
which it does not comprehend, but only dimly suspects. 
人間というのは、宇宙の構造を把握することはできない。それは小さな子どもが、巨大な
図書館に入ったようなもの。壁には、床から天井まで、異なった言語で書かれた本でおお
われている。子どもは、だれかがこれらの本を書いたことはわかる。しかしだれが、どう
やって書いたかまでは、わからない。それらが書かれた言語も理解できない。しかし子ど
もは、本の並び方の中に、一定の秩序があることに気がつく。つまり、神秘的な秩序だ。
はっきりとわかるわけではないが、おぼろげながら、疑うことはできる。


The important thing is not to stop questioning. 
重要なことは、問うことをやめないことだ。


Few are those who can see with their own eyes and hear with their own hearts. 
ほとんどの人は、自分の心で見て、聞くことができない。


The pioneers of a warless world are the youth that refuse military service. 
戦争のない世界をつくるパイオニアたちは、軍務を拒否する若者たちだ。


Reality is merely an illusion, albeit a very persistant one 
現実は、ただの幻想でしかない。が、研究は、とても忍耐を必要とするものだ。


It is not enough for a handful of experts to attempt the solution of a problem, to solve it 
and then to apply it. The restriction of knowledge to an elite group destroys the spirit of 
society and leads to its intellectual impoverishment. 
一つの問題を解決し、それを応用するためには、一握りのエキスパートだけでは、じゅう
ぶんではない。一つのエリート集団に、知識を制限することは、社会の精神を破壊し、社
会を、知的な貧困へと導くことになる。


A country cannot simultaneously prepare and prevent war. 
一つの国というのは、戦争を同時に、準備し、避けることはできない。


I am enough of an artist to draw freely upon my imagination. Imagination is more 
important than knowledge. Knowledge is limited. Imagination encircles the world. 
私はイマジネーションによって、自由に絵を描く画家と言ってもよい。イマジネーション
は、知識よりも重要である。知識には、限界がある。イマジネーションは、世界をかけ回
る。


True art is characterized by an irresistible urge in the creative artist. 
真の芸術は、想像的な芸術家による、抵抗しがたい欲求によって、特徴づけられるもので
ある。


The most beautiful thing we can experience is the mysterious. It is the source of all true 
art and science. 
私たちが経験できるもっとも美しいものは、神秘である。それはすべての芸術と化学の源
泉である。


I do not believe in the immortality of the individual, and I consider ethics to be an 
exclusively human concern without any superhuman authority behind it. 
私は人間の不死を信じない。そして私は、その背後に超人的な権威のない、倫理こそが、
人間唯一の関心ごとであると考える。


Only two things are infinite, the universe and human stupidity, and I'm not sure about 
the former. 
たった二つのものだけが、永遠である。この宇宙と、人間の愚かさである。そして私は、
その前者である宇宙については、あまりよく知らない。


Life is a mystery, not a problem to be solved 
人生(生命)は、神秘である。それは解かれねばならない問題ではない。


Nothing will benefit human health and increase the chances for survival of life on Earth 
as much as the evolution to a vegetarian diet. 
菜食主義ほど、人間の健康に恩恵をもたらし、命の存続をふやすものはない。


Creativity is contagious. Pass it on. 
創造力は、伝染しやすい。ままにさせておけ。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●Sさんの死


 いろいろ世話になった、土建業者のSさん(男性)が、おととい亡くなった。
ここ数年、人工透析を受けていたというから、そのつど心配はしていたが、まさかこんな
に早く亡くなるとは思っていなかった。
年齢は確かではないが、いつだったか、私より、5〜6歳若いということを知った。
それによれば、享年、52〜3歳ということになる。


 暴飲暴食、それにヘビースモーカー。
最後に世話になったとき、Sさんは、緑内障か何かで、左目が見えなかったのではないか。
小路から大通りに右折して出るとき、左側から来た車と、あやうく衝突にしそうになった
ことがある。
以来、あれこれ理由をこじつけ、Sさんの運転する車には、乗らないようにしていた。
が、亡くなってみると、それもよい思い出。


私の代わりに、息子に、今日は葬儀に行ってもらった。


●アルツハイマー病の、初期の初期症状


 アルツハイマー病の初期の、そのまた初期症状があるという話は、よく聞く。
医学書にも、そういう症状が載っている。
そのひとつが、心の余裕がなくなってくること。


 ふつうなら笑ってすますようなころでも、このタイプの人にはそれができない。
こんなことがあった。


 ワイフがXさん(当時64歳、女性)に、何かのことで、3桁の番号を話したときのこ
と。
ワイフは、「347」と言った。
そのときXさんは、「347……ね」と言いながら、自分の手帳にメモを取った。
が、ワイフが見ると、それに、「473……」と書こうとしていた。
そこでワイフが、Xさんに、「473ではないですよ。347……」と言いかけたところで、
Xさんは、激怒。
血相を変えて、こう怒鳴ったという。


「わかっています。今、3と書こうとしていたところです!」と。


 アルツハイマー病の初期の人が、取り繕(つくろ)いや、つじつま合わせがうまくなる
というのは、よく知られている。
しかしその前の段階として、怒りっぽくなるということは、あまり知られていない。
怒りっぽくなるというよりは、心の余裕がなくなり、ささいなミスを指摘されただけで、
おおげさに激怒したりする。


 ふつうなら、(「ふつう」という言葉は適切ではないかもしれないが)、笑ってすます。
「ハハハ、3でしたね。ハハハ」と。


 この「ハハハ」と笑ってすます部分が少なくなってくる。
言い換えると、心の余裕をもつということによって、認知症になるのを防げるのではない
か。
たとえばジョーク。
ジョークの通ずる人は、それだけ心が広い人ということになる。
同時に、少なくとも、アルツハイマー病の心配はない人ということになる。


 今日、車の中で、ワイフとそんな会話をした。


●気候


 冬になるたびに、こう思う。
「浜松に住むようになって、よかった」と。


 浜松、とくに浜名湖周辺は、日本でも鹿児島県につぐ、気候の温暖な地域として知られ
ている。
真冬でも、緑の木々が美しい。
種類も豊富。


 が、その一方で、地球温暖化(Global Warming)が、問題になっている。
この浜松も、温暖な気候が、ますます温暖化している。
ときどき喜んでいていいのかなあと、迷う。


 しかしここは楽天的にとらえるしかない。
心配しても、しかたない。
暖かい冬、おおいに結構、と。
(無責任な発言で、ごめん!)。


 そんなこともあって、今日、ワイフと西区引佐町にある、城山公園に登ってみた。
12月16日。
今ごろ、この浜松では、紅葉が、もっとも美しくなる。
全国的にみれば、もっとも遅い秋。
マガジンに載せる写真を、30枚近く撮った。


●どこかのバカ


 どこかのバカ知事が、こう言ったそうだ。
「(現在の)福祉制度は、障害者を生き延びさせるだけだ」と。


 こういうバカがいるから、日本はよくならない。
またこういうバカを選ぶ選挙民がいるから、日本はよくならない。
この発言を裏から読むと、「障害者は、早く死ね」という意味になる。
小学生だって、わかる。
小学生だって、こんなバカなことは言わない。


 が、当の知事は、「辞任しない」と、がんばっているという。


●天皇の政治利用


 一方、中央では、天皇の政治利用が問題になっている。
民主党のOZ氏の要請で、天皇が急きょ、中国の副首相と会うことになった。
それについて、宮内庁の長官が、苦言を呈した。
これにOZ氏が反発。
右翼も、反対の立場で、反発。
自民党も反発。
何だか、三つ巴(どもえ)、四つ巴の混乱を呈してきた。


 しかし肝心の天皇の意思が見えてこない。
つまりこのあたりに、日本の天皇制度の最大の問題が隠されている。


 私たちは一度だって、天皇の意思を確かめたことがない。
本当の気持ちを聞いたことがない。
「天皇という、日本国にあって最高の要職を務めていただけますか?」と。
そういうことを一度もしないでおいて、「天皇は幸福なはずだ」と決めつけてかかるのも、
どうか?


 「政治的利用」とは言うが、天皇だって1人の人間。
いろいろな思いもあるだろう。
意見もあるだろう。
政治的な意見も、当然、それに含まれる。


 言論の自由とはいうが、天皇には、言論の自由すらない。
それがいかに窮屈なものであるかは、私にはわかる。
わかるから、もし私なら、「天皇か、それとも自由か」と問われれば、迷わず、「自由」を
選ぶ。
そのことは、以前、『世にも不思議な留学記』の中でも書いた。


 会いたければ会えばよい。
会いたくなければ、会わなくてもよい。
「1時間くらいなら、何とか……」ということになるかもしれない。
「このところ、体の調子がよくありませんから……」ということになるかもしれない。
天皇がどういう判断をしても、私たちは天皇を支持する。

 それが民主主義の精神ではないのか。


++++++++++++++++++


『世にも不思議な留学記』より


++++++++++++++++++


王子、皇太子の中で【27】


●VIPとして


 夏休みが近づくと、王子や皇太子たちは、つぎつぎと母国へ帰っていった。もともと彼
らは、勉強に来たのではない。研究に来たのでもない。目的はよくわからないが、いわゆ
るハクづけ。


 ある国の王子の履歴書(公式の紹介パンフ)を見せてもらったことがある。当時は、海
外へ旅行するだけでも、その国では重大事であったらしい。それには旅行の内容まで書い
てあった。「○○年X月、イギリスを親善訪問」とか。


 一方、オーストラリア政府は、こうしたVIPを手厚く接待することにより、親豪派の
人間にしようとしていた。そういうおもわくは、随所に見えた。いわば、先行投資のよう
なもの。一〇年先、二〇年先には、大きな利益となって帰ってくる。


 私のばあいも、ライオンズクラブのメンバーが二人つき、そのつど交互にあちこちを案
内してくれたり、食事に誘ってくれたりした。おかげで生まれてはじめて、競馬なるもの
も見た。生まれてはじめて、ゴルフコースにも立った。生まれてはじめて、フランス料理
も食べた。


●帝王学の違い?


 私たち日本人は、王子だ、皇太子だというと、特別の目で見る。そういうふうに洗脳さ
れている。しかしオーストラリア人は、違う。イギリスにも王室はあるが、それでも違う。
少なくとも「おそれ多い」という見方はしない。


 このことは反対に、イスラム教国からやってきた留学生を見ればわかる。王子や皇太子
を前にすると、「おそれ多い」というよりは、まさに王と奴隷の関係になる。頭をさげたま
ま、視線すら合わせようとしない。その極端さが、ときには、こっけいに見えるときもあ
る(失礼!)。


 で、こうした王子や皇太子には、二つのタイプがある。いつかオーストラリア人のR君
がそう言っていた。ひとつは、そういう立場を嫌い、フレンドリーになるタイプ。もうひ
とつは、オーストラリア人にも頭をさげるように迫るタイプ。アジア系は概して前者。ア
ラブ系は概して後者、と。


 しかしこれは民族の違いというよりは、それまでにどんな教育を受けたかの違いによる
ものではないか。いわゆる帝王学というのである。たとえば同じ王子でも、M国のD君は、
ハウスの外ではまったく目立たない、ふつうのズボンをはいて歩いていた。かたやS国の
M君は、必ずスリーピースのスーツを身につけ、いつも取り巻きを数人連れて歩いていた。
(あとでその国の護衛官だったと知ったが、当時は、友人だと思っていた。)


●王族たちの苦しみ


 私は複雑な心境にあった。「皇室は絶対」という意識。「身分差別はくだらない」という
意識。この二つがそのつど同時に現れては消え、私を迷わせた。


 私も子どものとき、「天皇」と言っただけで、父親に殴られたことがある。「陛下と言え!」
と。だから今でも、つまり五六歳になった今でも、こうして皇室について書くときは、ツ
ンとした緊張感が走る。が、それと同時に、なぜ王子や皇太子が存在するのかという疑問
もないわけではない。ただこういうことは言える。


 どんな帝王学を身につけたかの違いにもよるが、「王子や皇太子がそれを望んでいるか」
という問題である。私たち庶民は、ワーワーとたたえれば、王子や皇太子は喜ぶハズとい
う「ハズ論」でものを考える。しかしそのハズ論が、かえって王子や皇太子を苦しめるこ
ともある。


 それは想像を絶する苦痛と言ってもよい。言いたいことも言えない。したいこともでき
ない。一瞬一秒ですら、人の目から逃れることができない……。本人だけではない。まわ
りの人も、決して本心を見せない。そこはまさに仮面と虚偽の世界。私はいつしかこう思
うようになった。


 「王子や皇太子にならなくて、よかった」と。これは負け惜しみでも何でもない。一人
の人間がもつ「自由」には、あらゆる身分や立場を超え、それでもあまりあるほどの価値
がある。「王子か、自由か」と問われれば、私は迷わず自由をとる。

 私はガランとしたハウスの食堂で、ひとりで食事をしながら、そんなことを考えていた。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●『THE FOURTH KIND』(映画)

+++++++++++++++++++

今日は北区の劇場まで行って、『フォース・カインド』という
映画を観てきた。
久々のUFO映画。
「信ずるか信じないかは、あなた次第」という映画。
だから・・・というわけでもないが、映画は訳のわからないまま始まり、
訳がわからないまま終わってしまった。
「何とも中途半端な映画」というのが、私の感想。
星は2つか3つの、★★。

UFOファン(?)には、星4つかな。

+++++++++++++++++++

●シュメール文明

 「シュメール」については、若いころから興味があった。
東洋医学の本を書いているころからだった。
そのいきさつについては、『目で見る漢方診断』(飛鳥新社・はやし浩司著)にも書いた。
映画『フォース・カインド』の中で、そのシュメールの古代シュメール語(?)が出てく
る。
シュメール語自体は楔形文字だが、ロゼッタ石の発見で、発音とか意味が、解読されてい
る。
シュメール文明というのは、不思議な文明で、周囲の文明とはかけ離れて高度な文明を築
いていた。
一説によれば、乾電池やメッキ技術ももっていたという。
中国の黄河文明が生まれるのと同時期、紀元前3500年ごろ。
今から5500年前のことである。
そのころ、伝説どおりとするなら、東洋医学のバイブルとも言われる『黄帝内経(こうて
いだいけい)素問(そもん)』が、生まれた。
「黄帝」というのは、司馬遷の『史記』の大1頁目を飾る帝王である。

●シュメール語?

 『フォース・カイド』の中に出てくる宇宙人(?)は、そのシュメール語を話す。

古代メソポタミア文明を築いたという、あのシュメール人のシュメール語。
もう少し補足すると。紀元前3500年ごろ、今から5500年前ごろに栄えた文明であ
る。
テープレコーダーの中に、それがたまたま録音されていた。
しかしここが、おかしい。
シュメール語は、かなりの部分まで、発音、意味が解読されている。
たとえば「神」は、「dingir」と発音する。
「ディンギル」と発音する。

(詳しくは、はやし浩司著『漢方のロマン』へ。
http://shizuoka.cool.ne.jp/bwhayashi/page055.html)

しかし実際の発音は、それに近いというだけで、5500年も経た現在、正しく発音でき
る人はいない。
また正しい発音を聞いたとき、発音だけで、それがシュメール語とわかる人はいない。

 たとえば私も学生時代、アメリカ人が、「golf」と言ったのを、聞き取れなかった。
「グォールフ」と発音したからだ。
つまりいくら「ゴルフ」と口で発音していても、実際の英語の発音は、まったくちがう。
日本語で「ゴルフ」と言うのと、英語で「golf」と言うのとは、まったくちがう。
反対に、アメリカ人に、日本語で「ゴルフ」と言ってみたらよい。
彼らは、ぜったいに、それがわからない。

 だから……。
宇宙人らしき生物が、シュメール語(映画の中では、「古代シュメール語」と言っていた)
を話したというのは、ウソと考えてよい。

●宇宙人「グレイ」

 ただ「フクロウ」というのは、気になる。
被害者たち(?)は、みな、一様に、「窓の外にフクロウを見た」と証言している。
小型のグレイ型宇宙人なら、目も大きく、見方によっては、フクロウに見えるかもしれな
い。
「グレイ」というのは、アーモンド型の大きな目をした、灰色(グレイ)の宇宙人である。
そのグレイ型宇宙人が、窓の外から見ていた……。

 ただこの事件、つまりアラスカのノームで起きた一連の事件については、UFO研究家
の間で、以前から議論されている。
否定的な意見としては、あの地方には大酒飲みが多く、酒による幻覚を見たのではないか
というのがある。
そのあたりのことは、あちこちのサイトに書いてあるので、興味のある人は、そちらを読
んだらよい。
私はその映画を見ながら、映画『ロズウェル』を思い浮かべていた。
実によくできた映画で、最初に観たときには、実録なのか、映画なのか、観終わったあと
でも判断できなかった。
結果的に、映画だったということはわかったが……。

 それと比べると、今度の『フォース・カインド』は、さらに本物ぽい?
宇宙人による(?)拉致の仕方も、あちこちで報告されている方法と同じ。
退行催眠によって、その「時」になると、被験者がパニック状態になる話も、よく聞く。
となると、またここで疑問。

 どうして宇宙人は、麻酔薬を使わないのか?
人間が野生動物をつかまえるときは、麻酔銃などを使ったりする。
映画のとおりだとするなら、宇宙人は強烈な恐怖心を与えながら、人間を拉致しているこ
とになる。
私なら、人間を眠らせた状態で、何かの手を加える。
それが何であれ、それくらいの思いやりはある。
が、宇宙人には、それがない(?)。

 よく言われるが、グレイというのは、爬虫類を遺伝子操作によって、ロボットに仕立て
た生物と言われている。
つまり感情がない。
冷酷。
残忍。
だからそういうことが、平気でできる(?)。

 ワイフは、久々にUFO映画を観ることができたと喜んでいた。


Hiroshi Hayashi+++++林 浩司+++++はやし浩司

●映画『アバター(AVATAR・3D)』

++++++++++++++++++

昨夜、仕事の帰りに、『アバター』を観てきた。
文句なしの、星は5つ。
★★★★★+。
今年観た映画の中で、最高の映画。

++++++++++++++++++

●ジェームズ・キャメロン

 観終わってからわかった。
あの映画の中には、強烈な反戦メッセージが隠されている。
ジェームズ・キャメロンのメッセージである。

利権を確保するために、強力な機械軍団を送り込む、地球軍。
それと戦う、原住民。
その原住民の中に、遺伝子操作でできた、アバター数体が送り込まれる。
言うなれば、スパイ。
工作活動部員。
物語は、ここから始まる……。

 あとは映画を観てからのお楽しみ。
また観るなら、劇場の3D画面で観たほうがよい。
迫力がちがう。
(我が家にも、42インチのフルHDテレビはあるが……。)

 何というか、その映画を観て、2つのことを感じた。
「とうとう映画も、ここまで来たか!」という驚き。
もうひとつは、「これでまた日本映画は、さらに後れた!」という悔しさ。
マラソンにたとえるなら、ダントツのトップを走るアメリカ映画。
この映画で、アメリカはさらに数百メートル、先にぬき出た。
そのトップをはるか前方に見ながら、あえぎながら走る2番集団。
そのあとにつづく3番集団。
その3番集団から日本映画は、さらに後れて、4番集団に入った。

 「まあ、すごい!」の一言。
どうすごいかは、『アバター』を観ればわかる。
娯楽映画のもつすべてを盛り込んだような超大作。
3時間という上映時間は、あっという間に過ぎた。
 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ        
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 25日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page012.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●クリスマス+正月

 最近、いろいろな従兄弟(いとこ)たちと、電話でよく話す。
「いろいろ」というのは、私には、60数人もの従兄弟がいる。
みんな、それぞれに年を取った。
話しながら、しみじみとそれを感ずる。
みんあ、がんばっているなあ、と。

 そういう従兄弟たちを思いやりながら、また1歳、年を取るのかと、ため息をつく。
新しい年を迎えるたびに、「1年、無事に生きられてよかった」という思い。
「また、1年、過ぎてしまった」という思い。
新年を迎えるたびに、いつもこの2つが、複雑に心の中で交錯する。
私としては、「今年は、さらに充実した年にしたい」と思いたいが、自信が半分。
不安が半分。

 で、今日は12月24日。
クリスマス・イブ。
ワイフはケーキを作るとはりきっている。
私は朝から、新パソコンの設定にかかりっきり。
のどかな朝。
庭では、スズメたちが餌をついばんでいる。

 ワイフへのプレゼントは何にしよう……?
まだ考えてなかった。

 ……私もがんばろう。
どこまでできるか、わからないが、やるしかない。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●頭のキレる子ども(Smart Kids)

+++++++++++++++++++++++

頭のキレる子どもと、そうでない子どもがいる。
どこがどうちがうか。
ひとつには、頭のキレる子どもは、スパスパと、
まるでかみそりで、ものを切るかのように、
ものを考える。
考えるというよりは、何かテーマを与えると、それに
食いついてくる。
切り込んでくる。

反応も早いが、反応の仕方も、的確。
無駄がない。

一方、そうでない子どもは、反応が鈍い。
頭の中で、思考が回り道をしているような感じになる。
モタモタしている。
テーマを与えても、「どうでもいい」といったふうに、
逃げてしまう。
先天的なちがい、つまり遺伝子のちがいによる部分もないとは
言わない。
それはある。
しかし結果としてみると、頭のキレる子どもは、
良循環の中で、ますます頭がキレるようになる。
そうでない子どもは、悪循環の中で、ますますそうでなくなる。

+++++++++++++++++++++++

●特徴

 頭のキレる子どもの特徴を並べてみる。
たまたま私の目の前に、何人かの恵まれた子どもたち(小学生)がいる。
今日は、ワークブックの日。
月に1回は、ワークブックの日と定めて、学校の教科書に沿った勉強をしている。
しかしどの子どもも、1〜2年分、飛び級をして、勉強している。

 まず気がつくことは、(1)目つきが鋭いということ。
眼球は、その子どもの脳の中をのぞく、窓と考えてよい。
眼球の中をのぞけば、その子どもが頭のキレる子どもかどうかが、わかる。
動きに無駄がない。
時折、視線がキラッキラッと動くことがあるが、そのつどちゃんとした目的がある。

 一方、そうでない子どもは、目つきそのものが、どんよりとした感じになる。
無目的に視線を動かす。
フワフワしている。

 つぎに気がつくことは、(2)的確性。
頭のキレる子どもは、目的に向かって、まっすぐと切り込んでくる。
言い換えると、「集中力」ということになる。
その集中力がある。
同じ(10)の力をもっていても、(10)の力すべてを、一点に集中させる。
そうでない子どもは、力を拡散させてしまう。
つまり頭がキレるかどうかは、集中力で決まる。
さらに鋭い子どもになると、スキがない。
ツンとした緊張感に包まれる。

 が、何よりも重要なのは、(3)切り込みということになる。
だから「キレる」という言葉を使うようになったのかどうかは知らないが、あたまのよい
子どもは、どんどんと切り込んでくる。
「AだからB……BだからC……CだからD……」と。
ちょうどドミノ倒しのドミノのように、ちょっとしたきっかけを与えるだけで、「ハイハイ、
わかりました!」と言って、自分で理解してしまう。

 たとえばたまたま今、目の前の子ども(小3)が、こんな問題を解いている。

「体□、□草の□に入る漢字を書け」(小5国語ワークブック)と。

 答は、「質」。
だから「体(質)、(質)草」。

 しかし小学生が、「質草」という言葉を知っているわけがない。
で、私が「質だよ」と教えると、「質草って何?」と聞き返してくる。
そこで「お金を借りるとき、時計とかカメラを相手に渡すときがある。
それを質草というんだよ」と教えると、すかさず、「お金が返せなかったら、
取られてしまうの?」と。 

私「お金が返せなかったら、時計とかカメラは、取られてしまうよ」
子「だったら、損だ。だれかにカメラを売ったほうがいい」
私「でも、お金を返せば、カメラは戻ってくる」
子「古いカメラでもいいの?」
私「もちろん価値のあるカメラでないといけないよ。
相手の人は、お金を返してもらえないときは、そのカメラをだれかに売って、お金を取り
戻すよ」
子「高く売れたら、残りは、返してもらえるの?」
私「それはない」
子「だったら、やっぱり、損だ」と。

 こういう会話が、ポンポンとつづく。

●習慣の問題

 先にも書いたように、(遺伝子のちがい)は、否定できない。
「頭のよい親の子どもは、頭がよい」。
しかしそれとて、こうも考えられなくもない。
つまり子どもは、日常的に頭のよい親に接している。
親の影響を受ける。
そのため思考するという習慣を、自然と身につける。

 たとえばこんなことがある。

 私は小学生の高学年になると、中学生のクラスなどにその子どもを置いて指導する。
上級生の(勉強ぐせ)を、もらうためである。
この方法は、きわめて効果的である。
イギリスでも、カレッジ制度の中で、それが応用されている。
……というより、イギリスのカレッジ制度を、私は、まねさせてもらっている。

 とくに頭のキレる中学生の間に置いたりすると、効果的である。
半年もすると、その上級生の勉強ぐせのみならず、思考力というか、思考回路そのものを
身につけてしまう。
つまり頭がキレるようになる。

 このばあい、脳の神経細胞(シナプス)が発達したというよりは、頭の中に新しい回路
(ニューロン)ができたと考えるほうが、自然である。
つまり神経細胞は、生まれながらにして数が決まっているが、回路(ニューロン)は、環
境によって、できる。
環境の中で、子どもは自ら、それを脳の中に作っていく。

 私の書きたいことが、もうわかってもらえたと思う。
頭のよい子どもは、環境の中で、そうなっていく。
それが(考えるという習慣)につながり、さらにそれが良循環となって、頭のキレる子ど
もになっていく。

 たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、親がボケーッとした生活を、日常的にし
ていて、どうして子どもが頭のキレる子どもになるというのか。
子どもは日ごろの、何でもないような会話を通してでも、自らの思考回路を作っていく。
その逆の、極端な例が、野生児ということになる。
オオカミに育てられれば、オオカミ程度の思考力しかない子どもになる。
(野生児については、何度も書いてきたので、ここでは省略する。)

 簡単に言えば、子どもは、頭のキレる人に接すれば、頭のキレる子どもになる。
そうでなければ、そうでない。
その責任の第一は、親ということになる。
が、親だけではない。
もちろん教師も、その中に含まれる。
頭のキレる教師に接すれば、子どもは、頭のキレる子どもになる。
そうでなければ、そうでない。
(教師だからといって、みながみな、頭のキレる人ばかりではないぞ!)

 そういう意味では、「教育」というのは、ものを教えるだけが教育ではないということ。
むしろ(教えずして教える部分)のほうが、重要。
またそれから受ける影響力のほうが、子どもにとっては、大きい。
アインシュタインもこう書いている。

 『教育とは、学校で習ったことをすべて忘れてしまったあとに、残っているもの』と。

 ……ということで、頭のキレる子どもについて、書いてみた。
が、誤解しないでほしい。
教える立場のものが、いつも教えるのではない。
その点、年齢は、あまり関係ない。
私のばあい、頭のキレる子どもに接すると、反対に、私のほうが大きな刺激を受けること
がある。
相手は子どもだから、知識や経験こそ少ないが、こと頭のキレについては、上下はない。
実のところ、私自身は、頭のキレる子どもと接しているのが、楽しい。
教えていても、おもしろい。
ときに教える立場であることを忘れて、子どもとのやりとりに夢中になることがある。

 ついでに……。
だからといって、私がどうと言うのではない。
しかしこういうことも言える。
「頭のキレる人には、頭のキレる人がわかる。
しかしそうでない人には、そうでない」と。
もっとわかりやすく言えば、「頭のよい人には、頭のよい人がわかる。
しかしそうでない人には、それがわからない」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 頭のよい子ども 頭のよい子供 頭のキレる子供 
鋭い子供 子供の集中力)

【補記】

『バカな人には、利口な人がわからない。利口な人からは、バカな人がよくわかる』
『愚かな人には、賢い人がわからない。賢い人からは、愚かな人がよくわかる』
さらに、
『自分がより利口になってはじめて、それまでの自分がバカだったことを知る』
『自分がより賢くなってはじめて、それまでの自分が愚かだったことを知る』
また、逆にこうも言える。
『バカな人は、自分がバカということがわからない。利口な人は、自分がバカということ
がわかる』
『愚かな人は、自分が愚かということがわからない。賢い人は、自分が愚かということが
わかる』

 こうして考えていくと、いかに自分のことを知るのがむずかしいかがわかる。
私はこのことを、どこか認知症ぽい女性(60歳くらい)と話していて気がついた。
バカでもわかるようなくだらない話を(失礼!)、その女性は、私にくどくどと説明した。
そこで私が、「私は、そんなバカではないと思いますが……」と言うと、突然、大声で私に
こう言った。
「私だって、バカじゃ、ありません!」と。

 私は、「あなたが思っているようなバカではない」と言ったつもりだった。
またその女性を、バカと言ったわけではない。
が、その女性は「バカ」という言葉に、過剰に反応した。
自分がバカと言われたと、勘違いした。

 私も、母を見舞うついでに、老人ホームにいる老人たちを観察させてもらったことがあ
る。
そのとき気がついたが、ああいった施設にいる老人で、自分をバカと思っている老人はい
ないということ。
一日中、「飯はまだかア!」と、叫んでいる女性(90歳くらい)もいた。
食事がすんだ直後でも、そう言って叫んでいた。

 そういう女性を、バカというのも、失礼なこと。
それは、よくわかっている。
しかしその女性は、私自身の近未来像。
私もやがて、その女性と同じようなバカになる。
まちがいなく、そうなる。

だから最後に、こうも言える。

『自分がバカになりつつあるときは、だれもそれに気がつかない』
『自分が愚かになりつつあるときは、だれもそれに気がつかない』と。

老後の恐ろしさは、まさに、ここにある。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●12月16日(水曜日)

今朝は、ふとんに入りこむ冷気で目が覚めた。
あわててワイフにしがみつく。
が、時計を見ると、6時。
自分に号令をかけて、ふとんから出る。

トイレから出ると、すぐウォーキング・マシーンに。
10分も歩くと、体がポカポカしてきた。
そのまま服に着替えて、書斎へ。

あとはいつものルーティーン。
自分で書いた『老後論』(12月16日マガジン)を
読んで、「そうだ」「そうだ」と、何度も納得する。
当然のことながら、自分で書いた原稿を読むのは
気持ちがよい。
スーッと頭の中に、思想がしみ込んでいく。
(当然のことだが……。)
さあ、今日も始まった。

●暖気

あまり寒いのもよくないが、暖かいのもよくない。
ものを書くには、ある程度の(きびしさ)が必要。
その(きびしさ)がないと、脳みそそのものが、眠ってしまう。
だらけた体では、仕事はできない。
同じように、なまけた頭では、文章は書けない。

が、今朝の寒さは、格別。
足の先、手の先が、ツンと冷える。

ところでおとといの夜、映画『パブリック・エネミー』という映画を観てきた。
あんな凶悪犯人でも、仕立て方によって、ヒーローになってしまう。
昔観た、『ゴッド・ファーザー』もそうだった。
よくできた映画だった。
星は4つの、★★★★。
少し採点が甘いかな?

ガタガタ……。
先ほどワイフが、朝のお茶を届けてくれた。
「ヒーターをつけたら?」と言ってくれた。
しかしヒーターをつけたとたん、眠くなってしまう。
「あとで居間へ行くよ」と言った。

それにしても今朝は、寒い。
今、動画のアプロードをしている。
それがすんだら、居間へ行くつもり。
おなかもすいた。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●内面対話法(内的対話法)(自分を知るために)


++++++++++++++++++++


自分を知る……つまり「私」の中の深層部(=深層心理)を
知るためのひとつの方法として、「内面対話法」というのがある。
(この名称と方法は、私が考えた。)


簡単に言えば、頭の中に、別のだれか(=自分)を思い浮かべ、
その人と対話をすることによって、自分の心の
奥深くに潜む「私」を知るという方法である。


++++++++++++++++++++


【方法】


 静かな場所を選ぶ。
周囲は、暗いか、薄暗いところがよい。
目は閉じる。


 閉じると、あたりはぼんやりとした暗闇に包まれる。
その闇の向こうに、問いかける相手を想像する。
ぼんやりとした輪郭(りんかく)程度でよい。
その相手というのは、あなた自身でもよいし、別のだれかでもよい。
その相手に向かって、いろいろ、問いかけてみる。
問いかけながら、その答の中から、自分で気がつかなかったものを見つけていく。


●対話


 問いかける内容は、何でもよい。
何か、あなたが今、悩んだり、苦しんだりしていることがあれば、それについて問いかけ
るのがよい。


問:あなたはだれか?
問:あなたは何をしているか?
問:あなたは何をしたいか?
問:あなたの心をふさいでいるものは、何か?
問:どうして悩んでいるか?
問:どうすればよいと思っているか?
問:何かよい方法を、あなたは知っているか?
問:あなたはどこに原因があると思うか?


 頭の中で、その相手がどう答えるかについては、何も考えてはいけない。
相手がだまっていたら、そのままにしておく。


 こうして自分に問いかけながら、その中から自分を発見していく。


●私のばあい


 いきなりやっても、ザワザワとした感じになってしまう。
就寝前、あるいは寝起き後がよい。
で、私は、この方法を、いろいろな場所で試している。
「私の中の私」に、いろいろ質問している。
いつの間にか、そういう習慣が、身についてしまった。


「そこにいる君は、だれか?」……(ぼんやりとした黒い影、無言)
「君は、なぜ、そこにいるのか?」……(無言)
「気分は、どうだ?」(何度も問う)……「ぼくは何ともない。お前はどうだ?」
「君は、暗いな」……「見た感じで、決めつけるな」
「何か、しゃべれ」……(無言)
「会話は嫌いか?」……「わずらわしい」と。


●本当の私


 子どものころから、私は快活な子ということになっていた。
しかし本当の私は、混雑した場所が嫌い。
集団の中に入ると、すぐ神経疲れを起こす。
旅行でも、集団で行くよりは、少人数、
あるいはひとり旅のほうを、好む。


 そういう(私)が、こうした内面対話法の中でも、顔を出す。
私は、自分では騒々しい人間だと思うが、しかし騒々しいところが嫌い。
とくにあの女性たちがする、おしゃべりが、苦手。
これには私の母や姉が、たいへんなおしゃべりで、口うるさかったことが関係している。


●自己暗示


 内面対話法は、自己暗示法としても、応用できる。
暗闇の中の自分に語りかけることによって、深い、無意識の世界にいる自分を、作り変え
ることもできる(?)。
そういう論文は見たことはないが、理論的には、可能なはず。


「お前なア、取り越し苦労ばかりしているが、もう少し、他人を信用しろ」……(無言)
「このところ運動量が減っている。もっと運動しろ」……「そうだな」
「どういう運動が必要と考えているんだ?」……「上半身の運動かな」
「グチを言うなよ。見苦しいぞ」……「うん」
「何でも、先手、先手で、やるんだ」……(無言)
「Aさんには、親切にしてやれ。さみしがっているぞ」……(わかった)と。


 応用の仕方は、いろいろある。


 ほかにいくつか気がついた点をメモしておく。


●もう1人の私


意識している私を、「私A」とする。
内面対話法による私を、「私B」とする。
この私Aと、私Bは、明らかに価値観がちがう。
性質も性格も、ちがう。


 私Aは、ひょうきんで、冗談が好き。
おしゃべりで、社交的。
正義感が強く、議論好き。


一方、私Bは、あまり冗談を言わない。
カタブツで、まじめ。
冷静で、それでいて、面倒くさがり屋。


 恐らく人によって、私Aと私Bは、ちがう。
で、これはあくまでも私のばあいだが、私は基本的には、私Bのほうが、本当の私ではな
いかと思う。
しかし長い人生の間に、生きる技術として、私Aを身につけてきた。
またそういう環境で、生まれ育ってきた。


 ともあれ、だからといって、深刻に考える必要はない。
内面対話法といっても、心の遊びのようなもの。
適当にやって、適当に楽しめばよい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 内面対話法 内的対話法 心の対話法 はやし浩司 深層心理 
私の中の私 内面会話法 内的会話法)


●(補記)信仰的連帯性


+++++++++++++++++++


この内面対話法というのは、信仰者と
言われる人たちは、日常的に経験している。
とくに仏教では、「心仏」という言葉を使う。
「仏は心の中にいる」と説く。


(本当は「いる」のではなく、「いると思っている」だけ
なのだが……。)


あるいはキリスト教徒も、同じようなことを言う。
ともに内面対話法を使い、自分の心の中の、仏や神と対話する。


+++++++++++++++++++++


 仏教の世界には、「異体同心」という言葉がある。
「体は別々でも、心はひとつ」という意味である。
何かの対象物に向かって祈ったり、唱題していると、あたかもみなの心が、仏(神)の小
心と融合し、一体化したかのように感ずることがある。
信仰の世界だけではない。
スポーツの世界でも、音楽の世界でもよい。
みなでひとつのチームを応援したり、コンサートで熱狂しているようなときを想像してみ
ればよい。


こうして信仰者たちは、連帯性を感ずる。
が、この連帯性こそが、こうした信仰の最大の魅力ということになる。
こうした連帯性があるからこそ、信者どうしは、ときには親子以上、兄弟以上の関係を結
ぶことができる。
連帯性を感じたとたん、孤独が癒される。
この魅力は、何ものにも代えがたい。


一方、教団側は、それを熟知しているから、それを利用して信者を教団に縛る。
「この教団から離れたら、地獄へ落ちますよ」と。
(実際、教団から離れた直後というのは、地獄へ落ちたかのような孤独を覚えることが多
いが……。)


●宗教戦争


 ここにも書いたように、信仰的連帯性は、きわめて強固なものである。
その世界を知らない人には、想像もつかないような世界と言ってもよい。
古今東西、「宗教戦争」と言われるものが、どういうものであったかを知れば、それがわか
るはず。
信者たちは、命をかける。
現在のイラク、アフガニスタンを例にあげるまでもない。
とても残念なことだが、アメリカ軍には、それがわかっていない。
つまりどれほど長く戦ったところで、アメリカ軍に勝ち目はない。
信仰的連帯性というのは、そういうもの。


●問題点


 思想は大脳の皮質部(連合野)を支配する。
しかし信仰は、その何10万倍もあるとされる、深層心理部を支配する。
信仰は理屈ではない。
信仰を理屈で考えても、意味はない。
そこで内面対話法ということになるが、信仰者のばあい、内在する(相手)というのは、
彼らが信仰する神(仏)ということになる。


 ある男性(40歳くらい、当時)は、こう言った。
「古い寺で、徹夜で読経していたときのこと。
自分の周りで、何10人もの人たち(=死者たち)がいっしょに唱和してくれた」と。


 また別の女性(40歳くらい、当時)は、こう言った。
「私は目を閉じれば、そこにいつも神の存在を感じます」と。


 それぞれの人は、それぞれの思いをもって信仰の世界に入る。
両親の死や病気、家族や経済的な問題など。
だからそういう信仰を否定してはいけない。
そっとしておいてやることこそ、大切。


 問題という問題ではないかもしれないが、しかしときとして、人はそれを神や仏と錯覚
することもある。
内面対話法には、そんな問題も隠されている。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 内面対話法 内面的対話法 私の中の私 私論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●表の顔vs裏の顔

++++++++++++++++++

タイガーウッズ選手が不倫した。
アメリカ社会に大きな衝撃を与えた。
見本となるべき人物が、複数の愛人と、
交際をしていたという。
それはわかる
わかるというより、よくある話。
あったところで、驚かない、
しかし……。

だれにも、「表の顔」と「裏の顔」がある。
私にもあるし、あなたにもある。
ふだんは表の顔で仕事をし、家庭の奥では
裏の顔に戻る。
「戻る」と書くのは、それが「本来の姿」だから。
裏の顔があるのが、悪いというのではない。

タイガーウッズ選手にしても、裏の顔がある。
裏の顔で、金と名声を利用して、不倫を重ねていた。
しかし、それがどうして悪いことなのか。
金もある。
名声もある。
それに群がる「女」たちもいる。
妻の信頼を裏切ったとはいうが、それはあくまでも、
タイガーウッズ選手と妻の問題。
個人的な問題。
妻が怒るのはわかるが、何も、社会までいっしょになって、
タイガーウッズ選手を責めるような話ではない。
念のために申し添えるなら、不倫は、犯罪ではない。

タイガーウッズ選手は、いくつかのコマーシャルからはずされた。
名誉職からもはずされた。
本人も、「ツアーを、無期中止」と。

が、それもおかしい。

もともとタイガーウッズ選手の名声にぶらさがったのは、
(相手)のほうではないのか。
聞くところによると、妻への慰謝料だけでも、9億円を払ったという。
離婚ということになれば、慰謝料は「愛人3人分で、17億x3=51億円」
(某雑誌)になるとか。

ゴルフ?

たかが棒でボールを叩くゲームではないか(失礼!)。
そんな選手に、これだけの財産があること自体、信じられない。
異常。
私などは、タイガーウッズ選手の不倫問題より、むしろ
そちらのほうに驚いた。

話を戻す。
つまり表では、「名選手」。
裏では「大金持ち」。
やりたい放題のことをしている。
それだけのこと。

『声明で、ウッズ選手は、「家族のプライバシーを尊重してほしい」と訴えた上で、「より
良い夫、父親、そして人間であろうと努力する必要がある」との理由を明らかにしました』
(TBS・Newsーiより)

+++++++++++++++++++

●裏の顔

 表の顔と裏の顔があるとしても、この両者は、近ければ近いほどよい。
「あるがままに生きる」というのは、そういう生き方をいう。
が、この両者は、離れていればいるほど、人格そのものが、バラバラになってしまう。
さらにひどくなると、表の顔だけが遊離してしまう。
心理学の世界でも、そういう顔を、ペルソナ(仮面)という。
そのときでも、ペルソナをかぶっていることに気づいていればよい。
そしてその場を離れたら、ペルソナを脱ぐ。

が、中には、表の顔だけが自分の顔と思い込んでしまう人もいる。
外国では、聖職者や教職者に、そういう人が多いと言われている。。

●不倫の相手に、不倫話

 こんな話を聞いた。
不倫の話というのは、当然のことながら、妻や夫には、言わない。
言えば、騒動になってしまう。
トップ・シークレット。

それはそうだが、不倫相手には、別の不倫話は、するそうだ。
「お前は、ぼくの4人目の不倫相手だよ。今も、もう1人、別の女とつきあって
いる」とか、など。
女性のばあいは、夫にも話したことのないような、初体験の話をすることもあるそうだ。
「私は、中学2年生のとき、初体験をすませたわ。夫は、結婚のときまで、私の
ことを処女だったと思っていたけどね」と。

●罪の共有

どこまで自己開示をするか。
その度合いによって、親密度が決まる。
あたりさわりのない世間話をするレベルから、自分の過去や犯罪歴を告白するレベル
まである。

(「はやし浩司 自己開示」で検索してみてほしい。)

言い換えると、相手がどの程度までの話をするかによって、その相手が、どの程度の
新密度を自分に抱いているかがわかる。
あるいはどこまで親密になりたがっているかが、わかる。

が、この現象が、逆に進むことがある。
これを「罪の共有」という。
わかりやすく言えば、「罪」を共有することで、互いの親密度が急速に進むことがある。
それが先に書いたような、さらに深い自己開示へと進む。

「こんな話は、妻には言えないが、お前の体のほうが、すてきだよ」と。
あるいは女のほうは、こう言うかもしれない。
「夫は、私のタイプじゃないわ。もうここ1年、本気で感じたことはないわ」と。
不倫という(罪の意識)を共有しているから、一気に自己開示が進む。
 
●自己開示

 夫婦でも罪の共有をすることはある。
夫婦で銀行強盗をするとか、保険金詐欺を企てるとか。
そういう話は、よく映画にもなる。
私はそういう映画を観るたびに、別の心で、「いい夫婦だなあ」と思ってしまう。
行為そのものは犯罪であり、許されない。
しかし夫婦が2人で、ヒソヒソと何やら相談している光景を思い浮かべてみればよい。
これにまさる(?)、自己開示はない。

●タイガーウッズ選手のばあい

 タイガーウッズ選手は、どうして自分の不倫の話を、妻に話さなかったか?
……という質問ほど、ヤボなものはない。

 自分の不倫の話を妻に話すバカはいない(失礼!)。
しかしともかくも、結果として、それが妻にバレてしまった。
が、週刊誌などの記事によると、妻側には離婚の意思はどうもないようだ。
となると今ごろ、タイガーウッズ選手は妻に許しを乞いながら、過去の不倫を洗いざらい
話しているかもしれない。

 しかしそれこそ自己開示。
すばらしい(?)、自己開示。
妻が、自分への裏切りをどう消化するかにもよるが、もし2人でこの問題を克服できれば、
タイガーウッズ夫婦は、親密度という点では、つぎのステージへ上ることができる。

 もっともこうした不倫は、脳の線条体がからんでいるだけに、常習化しやすい。
美しい女性を見たとたん、ドーパミンが分泌され、条件反射反応を起こす。
タイガーウッズ選手が、それで不倫をやめるようになるとは、私は思っていない。
ヘビースモーカーがタバコをやめたり、アルコール中毒の人が、酒をやめるのと
同じくらい、むずかしい。
これは余計なことだが……。

●踊らされる民衆

 マスコミの世界では、こうした痴話話も、かえってハク付けになる。
やがてしばらくすると、不倫話も消え、タイガーウッズ選手は、再びマスコミの表世界で
活躍するようになる。
クリントン元大統領の、女子学生との不倫話を例にあげるまでもない。

 つまりこうして私たち一般民衆だけが、踊らされる。
タイガーウッズ選手が飲む飲料水を飲み、タイガーウッズ選手が着るシャツを着る。
それが回りまわって、莫大な利益が、タイガーウッズ選手に入ってくる。
それが「慰謝料だけでも9億円!」となる。
 
●ひがみ?

 こういうエッセーを書くこと自体、私の(ひがみ)に誤解されるようで、おもしろく
ない。
ひがみかもしれない。
ひがみでないかもしれない。
持てる人は、何もかも持つ。
持てない人は、何も持たない。
やっぱり、ひがみ?

しかしこのところそういう(ひがみ)からも、私は急速に卒業しつつある。
どうでもよくなってしまった。
ゴルフ・ファンの方たちには、たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、
ゴルフはゴルフ。
所詮、ゴルフ。
楽しむなら、その範囲で楽しめばよい。
私は、そうしている。
タイガーウッズ選手は、すばらしい選手だが、それは表の顔。
だったら、私たちは表の顔だけを見て、それで終わればよい。
それで忘れればよい。

 不倫しようが、しまいが、それは裏の顔。
だれにだって裏の顔はある。
それがどんなものであれ、その人はその人。
そっとしておいてやることこそ、大切。
繰り返すが、不倫は、犯罪ではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 表の顔 裏の顔 自己開示 タイガーウッズ ゴルフ)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●天才たちの病跡学(パトグラフィー)

++++++++++++++++++

世に知られた天才たちには、それぞれ
独特の病跡がある。
その研究をするのが、病跡学(パトグラフィー)。

たとえば、ニュートンやアインシュタインは、
「分裂病圏の学者」、
ダーウィンやボーアは、「躁鬱病圏の学者」、
あのフロイトは、「神経症圏の学者」と
言われている(「心理学とは何だろうか」より・
無藤隆・新曜社)。

++++++++++++++++++

●ニュートンとアインシュタイン

 「心理学とは何だろうか」によれば、ニュートンやアインシュタインの仕事には、つぎ
のような特徴があったという。

「経験的、感覚的、伝統的思考的、斬新的」(同書)。

そして彼らには一定の危機的環境があったという。

「思春期における性的同一性や、青年期における社会的同一性の動揺を契機とすることが
多い。
その後も対人的距離の喪失、たとえば批判にさらされることや、有名になることが危機を
招く」(同書)と。

 そういった危機的環境の中で、ニュートンやアインシュタインは、今に見る業績を残す。

「創造性は自己や世界の危機に触発されるが、仕事の完成には、適当な対人的距離、現実
との介在者、保護者が必要」(同書、飯田・中井・1972)と。

●インチキ番組

 すこしわかりにくい話がつづいたので、簡単に説明する。

つまりそれぞれの学者には、それぞれの個人的背景があったということ。
そしてそれぞれの学者は、その背景の中で作られた問題をかかえていたということ。

 が、ここで注意しなければならないことがひとつある。

 先日(09年12月)も東京のXテレビ局から、こんな依頼があった。
何でも東大生を調べたら、約80%の学生が子どものころ、水泳とピアノをしていたとい
う。
そこで「林先生(=私)に、それを裏付けるような発言をしてほしい」と。
つまり私に、「水泳やピアノは天才児をつくると、テレビの中で、発言してほしい」と。

 どう話せばよいかを聞くと、「指先の刺激は、脳によい刺激を与える。それが結果として、頭
のいい子どもを育てる」と。

 しかし……。
この話は、おかしい。
完全に、おかしい。
「非行に走る子どもを調べたら、50%が女子だった。
だから女子は非行に走りやすい」と言うのと同じ。
(子どもの50%は、女子だぞ!)

 この浜松市あたりでも、幼児期に、80%以上の子どもたちが、水泳やピアノをしてい
る。
もっと多いかもしれない。
つまりXテレビ局の説は、まったくのナンセンス。

 私がそれを指摘すると、それきり連絡は途絶えた。
ついでながら、どうして私に、そういう依頼が来たか?
恐らく、こういう事情ではないか。

 Xテレビ局は、そういう珍説を組み立てて番組を作った。
しかしそんな珍説、まともな学者なら、だれも相手にしない。
が、地方に住む、彼らにすれば、私のようなザコ評論家なら、それに応じてくれるのでは
ないか、と。
そう考えて、私に連絡してきた。

 つまり私が言いたいのは、ニュートンやアインシュタインの過去がどうであれ、またど
ういう心の病気をかかえたにせよ、では同じような環境にあれば、みな、同じような天才
になるとはかぎらないということ。

●ダーウィンやボーア

 しかし、それでも興味深い。
「病跡学」というのは、そういう学問をいう。

 ほかにも、ダーウィンやボーアについては、こうある。
危機的状況として、「住みなれた空間の喪失、たとえば故郷・友人からの別離、権威的人間
の圧迫、板挟み状況」(同書)と。

 その結果として、「創造性は社会的自立を契機として解放されるが、仕事の完成には、庇
護的な空間、仕事を是認し、価値づけてくれる人、苦手な面を引き受けてくれる人の存在
が必要」(同書)と。

 ここまで読んだとき、ダーウィンやボーアの境遇が、私のそれと、たいへんよく似てい
ることに気がついた。
とくに「住みなれた空間の喪失、たとえば故郷・友人からの別離、権威的人間の圧迫、板
挟み状況」という部分。

多少ちがうといえば、「喪失」したというよりは、私のばあい、「逃避」した、
故郷の友人たちと、別離したわけではないという点。
「権威主義的人間の圧迫」「板挟み状況」という2つの点については、酷似している。
言い換えると、それがどういうものであるか、私には、たいへんよく理解できる。

 私の生まれ育った地方では、みな、たいへん権威主義的なものの考え方をする。
たった数歳年上というだけで、どの人も、兄貴風、親分風を吹かす。
年長の叔父、叔母となると、さらにそうで、自分では介護の「か」の字もしたことがない
ような叔父が、こう言ったりする。
「悔いのないように、親の介護しろよ」と。

 もちろん何かにつけて、『ダカラ論』が、ハバをきかす。
「親だから……」「子だから……」と。

●ソクラテス

 「私は私」と思っている人でも、その「私」は、まさに環境の産物。
よく知られた言葉に、こんなのもある。

『悪妻をもてば、夫は哲学者になる』と。

 ソクラテスの残した言葉と言われている。
悪妻との葛藤がつづくと、それから生まれる悩みや苦しみを、夫は、哲学に昇華するとい
う意味に、解釈されている。
つまりソクラテスの妻は、よほどの悪妻だったらしい。
……という話は別として、イギリスには、こういう格言もある。

『空の飛び方は、崖から飛び降りてから学べ』と。

 要するに人は、どういう形であれ、追いつめられないと、真の力を発揮できないという
こと。
「危機的状況」というのは、それをいう。

私も親や兄の介護問題で、さまざまな面で、板挟み状態になったことがある。
悶々とした気分が毎日のようにつづいた。
が、そういう危機的状況があったからこそ、当時の私は、猛烈な勢いで文章を書いた。

 同じく、「心理学とは何だろうか」の中に、フロイトやウィーナーについては、こう書い
てある。

「学問を自己抑圧の手段として出発することが多いが、重大な葛藤状況を契機に、学問が自
己解放の手段に転化し、そこで真の自己の主題を発見することが多い」(同書)と。

 「悪妻をもつ」ということは、まさに「重大な葛藤状況」ということになる。
そこでソクラテスは、追いつめられ、自己解放の手段として哲学者になっていった(?)。
そういうふうにも考えられる。

●職歴学

 病跡学というのがあるなら、「職跡学」というのがあっても、おかしくない。
「学歴学」でもよいし、「環境学」でもよい。
親子関係もその人の人格形成に大きな影響を与える。
そうなると「家族学」でもよい。
つまりその人の生まれ育った環境は、その人の考え方や思想のみならず、性格や性質にま
で大きな影響を与える。
言い換えると、「私は私」と思っている部分についても、本当は「私」と言える部分は少な
く、大半は、「私であって私でない部分」ということになる。

 そういう「私であって私でない部分」に操られていくうちに、ときとして、自分の望む
のとは別の方向へ進んでしまう。
気がついてみたら、そうなっていた……ということは多い。
私は、それを「運命」と呼んでいる。

 もちろんオカルト的、つまり神秘主義に基づく運命を言うのではない。

●強迫神経症

 たとえば私には、強迫神経症的な部分がある。
若いときから、いつも何かに追い立てられているような気分が抜けない。
乳幼児期の不幸な母子関係が、私をして、そういう私にした。
基本的信頼関係の構築に失敗した。
だから基本的に、人間不信の状態にある。
つまり他人との信頼関係の構築が苦手。

 しかしこれは私の責任というよりは、私の母や家族の責任である。
私はそういう母をもち、そういう家庭で生まれ育った。
だから今でも、いつも何かをしていないと、落ち着かない。
こうした特異性は、オーストラリアの友人たちと比較してみると、よくわかる。
彼らはときどき日本へやってきて、1〜2か月のバカンスを、のんびりと過ごす。
旅行先で気に入った旅館や温泉を見つけると、同じところに何泊もして、過ごす。
私というより、日本人には考えられない休暇の過ごし方である。

 逆に、オーストラリアの友人たちには、私の休暇の過ごし方が理解できない。
4泊5日くらいでオーストラリアへ行ったりすると、いつもこう言う。
「ヒロシは、どうしてそんなに忙しいのか?」と。

 忙しくはないが、オーストラリア流のバカンスの過ごし方が、身についていない。
何もしないで、ボケーッとして過ごすことができない。
その(できない)理由が、実は、私自身の中にある。
「ある」というよりは、作られた。
それが先に書いた、強迫神経症ということになる。

●作られた私
 
 で、私はいつも何かの仕事をしている。
仕事をしていないと落ち着かないし、くだらないことで時間を無駄にしたりすると、「しま
った!」と思う。
が、よくよくみなの話を聞いてみると、そういうふうになる人は、私だけではないようだ。
私の世代、つまり団塊の世代には、私のようなタイプの人が多い。
ワーカホリック、つまり働き中毒の人間である。

 で、そういう自分を客観的にながめてみると、「私であって、私でない部分」がたくさん
あるのがわかる。
私は、私を離れたところにある、もっと別の私に操られている。
そしてその(別の私)というのは、「私」というよりは、(作られた私)ということがわか
る。
仮に私が後世に残るような業績を成し遂げたとしても、(そういうことはありえないが…
…)、それは(操られた結果)としてそうなっただけということになる。

●不幸な過去

 では、ニュートンやアインシュタインは、どうだったのか?
病跡学によれば、不幸な過去が、こうした偉人たちの業績に、大きな影響を与えたのがわ
かる。
もしこれらの人が、平和でのどかな時代に生まれ、家族の愛に包まれて育ったなら、ニュ
ートンやアインシュタインは、今で言う、ニュートンやアインシュタインにはならなかっ
たかもしれない。
そこそこの人物にはなったかもしれないが、毎年、数か月単位で、どこかの保養地でのん
びりと休暇を過ごしていたかもしれない。

●やはり、私は私 

 しかしやはり、「私は私」。
言うなれば、歩きつづける旅人。
そうでない人たちから見れば、「かわいそうな男」ということになる。
しかし私自身は、歩きつづけていることが、楽しい。
追い立てられているというよりは、その先に何があるか、それを知りたい。
また知るのが、楽しい。

 (歩きつづける部分)が、強迫神経症によるものだとしても、(楽しいと思う部分)は、
「私」である。
(あるいは楽しいと思う部分まで、作られた私なのだろうか……?)

 今の今も、来週あたり届けられる高性能のパソコンで、頭の中はいっぱい。
どうやってファイルを移動させるか、……これが大問題だが、そんなことなかりを考えて
いる。
プリンターも新調するつもり。
MSのパブリシャーなども使っているが、WINDOW7で、はたしてそのまま使えるだ
ろうか。
使えないときは、どうしたらよいだろうか。
「XP」も使えるようにと、OSは、WINDOW7の、プロフェッショナル版にした。
プロフェッショナル版なら、仮想XPを、WINDOW7上で、動かすことができる。
……つまりこうして考えているのが、正しい。

●性質

 要するに、「偉人」と呼ばれる人には、それぞれふつうでない過去があったということか。
あるいはふつうでない特殊な環境に生まれ育った。
それがバネとなって、ニュートンをニュートンにし、アインシュタインをアインシュタイ
ンにした。

 が、ここでひとつ重要な要素を忘れているのに、気づく。
ニュートンもそうでなかったかと言われているが、アインシュタインについては、子ども
のころ、今で言うAD・HD児だったと言われている。
モーツアルトもそうだったし、チャーチルもそうだった。
エジソンも、そうだったと言われている。

 こうした生来の性質は、どう計算の中に組み込んだらよいのか。
AD・HD児特有の無鉄砲さが、加齢とともに、よい方向に向くということはよくある。
もともと行動力があり、好奇心も旺盛である。
それがある年齢を超えると、その人を前向きにぐんぐんと引っ張り始める。

●運命論

 病跡学は、そういう意味では、運命論と似ている。
科学的な運命論ということになる。
それぞれの人には、無数の(糸)がからんでいる。
その糸が、ときとして、その人の進むべき道を決めてしまう。
そのときどきは、自分の意思でそうしていると思っていても、結果として、その糸に操ら
れてしまう。

 で、その運命と闘う方法もある。
その第一が、自分を知るということ。
そのためには、病跡学というのは、たいへん興味深い。
自分を知れば知るほど、運命をコントロールできる。
そう考えてもよい。

 同書には、つぎのようにある。

『病跡学(パトグラフィー)……文学研究・歴史研究と精神病理学・臨床心理学の境界領
域の学問である。著名な人物、とくに「天才」の精神病理を分析し、その人間の創造的な
行動や業績・作品の、より深い理解に役立てる。
伝記的事実や作品を資料として、その人間の精神病理を描き出す』(同書、P149)と。

 「ああ、だからあの人は、ああなったのだ」と考えることによって、その先に、「ああ、
だから私は、こうなったのだ」とわかってくる。
それが病跡学ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 運命 運命論 病跡学 パトグラフィー はやし浩司 アインシュタ
イン ニュートン)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================


















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 22日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page011.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの盗癖】

●反動形成

++++++++++++++++

人は自分の邪悪な部分を隠すため、
その正反対の自分を演ずることがある。
演じると意識しないまま、演ずることがある。
それを「反動形成」という。
無意識下の行為であるため、それを自覚する
ことはいない。

こんなことがあった。

++++++++++++++++

●盗み

 ウソ、悪口、盗みは、子どもにとっては、三種の神器。
この3つを巧みに操作しながら、子どもは親の世界を操る。
おとなの優位性を破る。

 が、病的なほどまでに、盗みを繰り返す子どもがいる。
D君(小4・男児)も、そんな子どもだった。
何かほしいものがあると、それとなく近づいてきて、じっと、そこにいる。
(盗む)というよりは、(人の目を盗む)。
私がほんの瞬間、目をそらしたとたん、それを手でつかみ、さっとポケットに入れる。
それが神業のように、うまい。
速い。
しかも、遠慮がないというか、ありったけのものを盗んでいく。
こんなことがあった。

 ほかの親が「差し入れ」と置いておいた、チョコボールが、40〜50個、山に
なってテーブルの上にあった。
「危ないな……」と思っていると、案の定、気がつくと、それがごっそりと減っていた。
D君の仕業ということはすぐわかった。

●特徴

 このタイプの子どもは、2つの方面から、特徴的な行動を示す。

(1)欲望にブレーキがかけられない。
(2)理性の力によるブレーキが働かない。

 「ほしい」と感じたら、その瞬間から、脳のある部分のスイッチがONになる。
なったとたん、それが猛烈な欲望となって、脳を満たす。
つまり「必要だから盗む」のではない。
脳の中の欲求願望を満たすために、盗む。
よい例が、買い物依存症。

たとえばバッグばかり買う女性がいる。
そういう女性は、同じバッグをもっていても、また買う。
そのバッグが必要だから買うのではない。
買いたいという欲望を満たすために買う。
だからしばらくすると、また同じバッグがほしくなる。
そのメカニズムは、喫煙者がタバコを求めるのと同じ。

で、もうひとつ特徴的なのは、このタイプの子どもは、全体に知恵の発達に
遅れが見られることが、多いということ。
その分だけ、前頭連合野の働きも弱い(?)。
そのため理性の力によるブレーキがききにくい(?)。

 こうしてD君は、常習的に盗みを繰り返していた。

●正義の使者?

 が、ここまでのことについては、何度も書いてきた。
反動形成にしても、盗みにしても、発達心理学の世界では、すでに議論がされ尽くして
いる。
ただこの段階で、多くの人は、「反動形成と盗みはどう関係があるのか」と思うにちがい
ない。
短気を起こさないで、今、しばらく待ってほしい。

 で、ここでは、もう一歩、話を進める。
そのきっかけを作ってくれたのが、同じ、D君だった。

 あるときのこと。
10人くらいの小グループで、ゲームを始めた。
ハンカチ落としのようなゲームを想像してもらえばよい。
そのときのこと。
そのD君が、目ざとくルール違反を見つけ、そのつど私に言いつけた。
「A君がズルした」「Bさんが、こんなことした」「C君が……」と。

 私はそのD君を見て、ヘエ〜と、驚いてしまった。
D君にそれほどまでの正義感があったとは、そのときまで気がつかなかった。
私が抱いていたイメージとは、あまりにもかけ離れていた。

 私がい抱いていたイメージは、「D君は、ずるい」というもの。
しかしみなでゲームをし始めたとたん、今度は、正義のリーダー?
そのD君を観察しながら、私は別の男性(70歳くらい)を思い浮かべていた。
その男性を、M氏としておく。

●泥棒の家

 昔から『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。
M氏は泥棒ではなかったが、それに近かった。
M氏の隣に住む人が、いろいろ話してくれた。

 「この30年間、M氏には、いろいろといやがらせをされました。
自転車のタイヤに穴をあけられたり、窓ガラスを割られたり……。
隣の枯れ草に火をつけられり、買ったばかりの新車に、傷をつけられたことも
あります。
 最初はだれの仕業かわかりませんでしたが、そのうち、隣のM氏によるものと
わかりました。
私の家に向かって、パチンコを使って石を飛ばしているところを、たまたま通りがかった
人が見たからです」と。

 で、そのM氏はどうかというと、「戸締りが厳重」。
おとなの背丈を越える塀で家を囲み、駐車場には、電動で動くシャッターが取りつけた。
 自分が乗る自転車にしても、いつも奥の納屋にしまっていた。
が、何よりも驚いたのは、そのM氏が、公安関係の役所の、元副長であったこと。
言うなれば、犯罪を取り締まる側の人である。

●3つの話

 これら3つの話は、どこでどうつながるか?

(1)盗みを繰り返していた、D君の話。
(2)反動形成の話。
(3)そして隣人にいやがらせを繰り返していた、M氏の話。

 ところで反動形成としてよく知られているのが、長男、長女である。
下の子が生まれると、たいていの長男、長女は、愛情の落差から、愛情飢餓の状態に
陥る。
はげしい嫉妬が、心をゆがめることも多い。
親にすれば、「平等」ということになるが、上の子どもにしてみれば、それまで
100であった愛情が、半分に減ったことが許せない。
ある日突然、ダンナが愛人を家庭へ連れ込んだようなもの。

 そのとき上の子どもは、さまざまな反応を示す。
赤ちゃん返りもそのひとつ。
反対に下の子に対して、攻撃的になることもある。
嫉妬がからんでいるから、ときに下の子に、はげしい殺意を覚えることもある。
(嫉妬はこわいぞ!)
が、そんな態度を見せれば、自分の「兄」「姉」としての立場がなくなる。
そこでその反動として、上の子が、一見、ものわかりがよく、やさしい兄や姉を
演じてみせるようになる。
意識的な行為というよりは、無意識下の行為と考えたほうがよい。

 これが「反動形成」である。

●連続性

 こう考えたら、どうだろうか。
人は、子どもにかぎらず、自分の中にある邪悪な部分を、無意識のうちにも、隠そう
とする。
そして自分が邪悪であるがゆえに、他人の中に同じような部分を見つけると、それに
敏感に反応するようになる、と。

 こう考えると、3つの話は、1つの話として、つながる。
『泥棒の家は、戸締りが厳重』という諺とも、つながる。

 D君のばあいは、いつもずるいことばかりしている。
だからほかの子どもが、ずるいことをすると、それに対して敏感に反応する。

 しかしそういう邪悪な面は、できるだけ隠そうとする。
隠そうとして、仮面をかぶる。
いい子ぶる。
これが「反動形成」。

 で、自分が邪悪な人ほど、他人に対しては疑い深くなる。
「疑う」というよりは、他人も自分と同じ思考回路をもっていると錯覚する。
他人も自分と同じように、邪悪な人と思う。
だから『戸締りが厳重になる』。

 言い換えると、無防備、無警戒の人というのは、それだけ心がきれいな人と言っても
よい。
それともバカ?
お人よし?
私のワイフが、そうである。
これは余談だが、一理ある。

●思考回路

 それぞれの人には、それぞれの人の思考回路というのがある。
たとえば私は文を書くのが、好き。
何か問題が起きると、まず文章を書いて解決しようとする。
これが思考回路。
つまり線路。
その上を貨車が走る。
その貨車に乗るものは、何かわからない。
そのつど、変化する。

 で、その思考回路。
少し前だが、私は、こんな経験をした。

 私は生涯において、2度、他人に対して、(殺意)を覚えたことがある。
はげしい怒りや憎しみが、そのとき殺意に変化した。
もちろんそれを感じただけで、それ以上のことはなかった。
なかったが、もしそのとき、私が本当にその人をあがめていたら、私は殺人者という
ことになる。

 が、本当の恐ろしさは、そのあとに始まる。
こうして一度、(殺人)という思考回路ができてしまうと、つぎからは、何か問題が
起きるたびに、その思考回路に従ってものを考えるようになる。
「いやなヤツは、殺せばいい」と。
恐らく回を重ねれば重ねるほど、思考回路はさらにしっかりとしたものになる。

 ……という話は、極端な話で、私たちの日常的な生活とは無縁の話である。
が、子どもについて言うなら、こうした思考回路は、作らないほうがよい。
作るとしても、よい思考回路。
それを作る。

 そこで教訓。

 子どもが乳幼児期のときほど、注意する。
よい思考回路を作ることは重要なことだが、悪い思考回路を作らせてはいけない。
冒頭にあげたD君にしても、どこかでそういう思考回路を作ってしまった。
つまり「自分の欲望を満たすために、手っ取り早く、盗んで手に入れる」という
思考回路である。

 で、こうした思考回路は一度できあがると、それを修正するのは、たいへんむずかしい。
不可能と考えてよい。
喫煙や飲酒は、外から見てわかる。
しかしD君のような(盗癖)については、外からはわからない。
わからないから、「不可能」ということになる。

●余談

 このD君については、こんな余談がある。
つまりこうした問題が起きたとき、D君を指導する者としては、悩む。
「親に話すべきか、どうか」で、悩む。

 親にそれだけの知識と思慮深さがあればよい。
が、それが期待できないとなると、どうしても口が重くなる。
また親に話したところで、どうにもならない。
説教して、直るような問題ではない。
根は深い。
こういった話をすると、たいていの親は、はげしく叱ることで、子どもを直そうとする。
しかし、叱って直るような問題でもない。

(実際、D君は、日常的に母親に叱られていたようである。
叱られ上手というか、私が何かを叱りそうになると、先に涙を流して、「ごめんなさい」と
しおらしく謝ったりした。)

 では、D君のような子どもは、どうなるか?

 おとなになっても、小ずるい人になるだろう。
それは確かであるとしても、ある一定の枠(わく)の中で、そうなるだけ。
子どもにとっての(盗み)というのは、そういうもの。
もともと気が小さいから(=臆病だから)、盗みをする。
だから、たいそれたことは、できない。

 小ずるいことを重ねながら、他人との衝突を繰り返す。
そういう中で、自分で自分を軌道修正していく。
(中には、無意識のまま、つまりずるいことをしているという自覚がないまま、
ずるいことをするようになる人もいるが……。)
しかしそれも人生。
今、ここで私が騒いだところで、どうにもならない。
……ということで、私のできる範囲の中で、D君に対して、あれこれと説教するしか
なかった。

 ついでながら実のところ、私も子どものころ、小ずるい人間だった。
すべてをあの時代のせいにすることもできないが、当時は、そういう時代だった。
戦後の、まさにドサクサ期。
だから私は私なりに、そのあと、苦労した。
人に嫌われたこともある。
人を傷つけたこともある。
よい友を失ったこともある。

が、それも人生。
D君はD君なりに、つらい思いや、さみしい思いをするだろう。
私もした。
しかしそれもD君の人生。
私の人生。
そう割り切って、やり過ごすしかない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 反動形成 はやし浩司 盗み 子供の盗み 子どもの盗み 仮面 
泥棒の家 はやし浩司 子どもの盗癖 子供の盗癖 思考回路 はやし浩司 反動形成 
条件反射 条件反射反応)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日米関係(091211)

+++++++++++++++++

日米関係が、急速に悪化している。
日本側が申し入れていた日米首脳会談についても、
アメリカ側が、それを拒否してきた。
ここにきて、あの古典的とも言える、『ジャパン・
バッシング(日本叩き)』が、再び始まった(?)。
私には、そんな感じがする。

+++++++++++++++++

●小細工

 日本の外交の歴史は、「小細工の歴史」と言い換えてもよい。
日本は、世界を欺くため、小細工に小細工を重ねてきた。
これは日本人自身が生来的にもつ民族性のようなもの。
古い話で恐縮だが、「軍隊」を、「自衛隊」と表現したときも、そうだった。
当初、私がそれをオーストラリアの友人たちに話すと、みな、こう言った(1969年当
時)。

「セルフ・デフェンス・フォース? ヒロシ、一体、それは何だ?」と。

 そう言われてはじめて、私は、「自衛隊」という言葉のもつ欺瞞性に、気がついた。
「専守防衛」を目的とした軍隊だから、日本政府は、「自衛隊」とした。
しかし古今東西、そんなことは世界の常識。
自国を守らない軍隊が、どこにある!
それを日本政府が、「自衛隊は軍隊ではありません。セルフ・デフェンス・フォースです」
と説明したから、話がおかしくなった。

 これはほんの一例だが、こうした言葉のごまかしは、世界では通用しない。
とくにアメリカには通用しない。

●安保ただ乗り論

 アメリカの財政事情も、きびしさを増している。
こうした動きに連動して、これまた再び、日米貿易摩擦が再燃しつつある。
その顕著な例として、現在、アメリカでは、「TOYOTA・バッシング」が始まっている。
理由にもならない理由をこじつけて、TOYOTAの車が、ねらいうちにされている。
「アメリカの自動車産業が打撃を受けたのは、日本車のせい」と。

 そういう中、これまた再び、『安保ただ乗り論』が、浮上してきた。
「日本が安い防衛費で、平和でいることができているのは、アメリカのおかげ」と。
若い大統領ということもある。
オバマ大統領は、こうした一連の日米関係を、振り出しから、リピートし始めている。

(日本異質論・1970年代)→(安保ただ乗り論・1970年代)→(日米経済摩擦・
1990年代)→(ジャパン・バッシング・1990年代)と。

 で、現在は、北朝鮮問題、中国の軍事的脅威にからんで、再び、『安保ただ乗り論』とい
うわけである。

●アメリカの言う「ただ」
 
 アメリカが言う「ただ」というのは、「お金」のことではない。
「人命」のことをいう。
そこを誤解してはいけない。
イラク戦争だけをみても、実際のところ正確な数字は公表されていないが、アメリカ兵の
死者は、5269人(05年1月まで)とも言われている(イラク・レジスタンス・レポ
ート)。

 が、そういう現実を日本は見て見ぬふりをしながら、「思いやり予算」とか、「インド洋
での給油活動」とか、アメリカ側から見れば、小細工に小細工を重ねて、「ただ乗り」をつ
づけてきた。
これが鳩山政権になって、一気に問題化した。

 だからといって、自衛隊員に死んでこいと書いているのではない。
もしそれがだめというなら、日米関係は、終焉させるしかない。
つまりこの問題は、それほどまでに深刻な問題であり、日本側にも大きな覚悟が必要とい
うこと。
が、とても残念なことに、母親から小遣いをもらっているような鳩山首相には、荷が重す
ぎる。
きびしさそのものが、ちがう。

●今、アジアは……

 アメリカは、(冷戦)→(ベトナム戦争の敗退)→(それにつづくスタグフレーション)
→(湾岸戦争)を経験している。
その間に、世界の勢力地図も、大きく変わった。
当然、アメリカの軍事戦略も、大きく変わった。
同時に、日本の地位、沖縄の戦略的立場も、大きく変わった。

 が、日本だけは、いまだに井の中の蛙(かまず)というか、井戸の中からときどき、外
の世界を垣間見ている程度。
世界の動きを、つかみきれていない。
そのひとつが、あの『東アジア・サミット』。

 ASEAN10か国に、日本、中国、韓国を加えたのが、「ASEAN+3」。
そのASEAN+3に、さらに、オーストラリア、ニュージーランド、インドを加えたの
が、鳩山首相が説く、「東アジア・サミット」。

 当初この東アジア・サミットに、アメリカを加えなかったから、さあ、たいへん!
アメリカの日本不信に、鳩山首相は、火をつけてしまった。
アメリカには、APEC構想というものがある。
東アジア・サミットは、それに対抗する構想として、理解(あるいは誤解?)されてしま
った。
鳩山首相は、あわてて「東アジア・サミット構想には、アメリカも含む」と訂正したが、
これはあとの祭り。

●「アメリカと社民党と、どちらが大切なのか」

 鳩山首相というより、それを裏で操る小沢政権は、早々と、「脱・アメリカ構想」を決め
込んでしまった。(……ようだ。)
今の今、小沢氏は、総勢600人もの随行者を伴って、中国を訪問している。
アメリカやオーストラリアで、鳩山民主党政権の誕生を、「社会主義国の台頭」と報じてい
るのは、そのため。

 が、これは現在の日本にとっては、たいへん危険なことでもある。
「なぜ今なのか?」という理由も明確でないまま、ここで脱・アメリカを事実上宣言する
のは、この日本にとっては自殺行為に等しい。
北朝鮮問題ひとつ取りあげても、それがわかるはず。

 日本には、まともな外交能力はない。
北朝鮮がすでに実戦配備しているノドンミサイルや、化学・生物兵器に対しても、まった
く無力。
中国を信用するには、まだ時期が早すぎる。
ジョン・ルース駐日アメリカ大使が、鳩山首相に向かって、「アメリカと社民党と、どちら
が大切なのか」と息巻いた背景には、そんな(現実)がある。

●では、どうするか?

 民主党は先の衆議院議員選挙で、大勝利を収めた。
が、それは反自民というよりは、反麻生でかたまった浮動票層が動いたからである。
しかしだからといって、一気に反米へ進めということではない。
まただれも、そこまでは予想していなかった。

 鳩山首相は、もう少し時間をかけるべき。
どうしてこうも急いでいるのか、私にはその理由がわからない。
とくに国際外交、なかんずく日米関係については、そうである。
戦後60数年の歴史を、わずか1年足らずで、ひっくり返してしまうような政策が、はた
して智策と言えるのか。

 それをいきなり社民党にすり寄って、沖縄問題についての日米合意を白紙に戻すとは!
そんなことは、国際常識からしても、ありえない。
またそんなことは、してはいけない。

 その選挙で民主党に一票を入れた人たちは、今、大きな失望感を覚えつつある。
「私たちが選んだ首相だから、しかたない」と、自分で自分を慰めている。
しかしそんな(慰め)は、いつまでもつづかない。
自民党もだめだが、民主党もだめということになったら、この日本は、いったい、どこに
向かって進めばよいのかということになる。
その責任は、重い。
そんなことも考えながら、ここは慎重に!
自民党政権のそれというよりは、戦後の日本の歴史の中で、踏襲すべきものは踏襲しなが
ら、時間をかけて軌道修正していく。

 私は、切にそれを望む!

(09年12月11日朝、記)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

【沈黙の価値】

●おしゃべり

 どこの世界に行っても、おしゃべりの人はいる。
おしゃべりが悪いというのではない。
が、人に迷惑をかけるようなおしゃべりは、どうか。

 飛行機の中、バスの中、そして電車の中。

 昔から「日本人は騒音には、無頓着」とは、よく言われる。
たしかにそうだったし、今も、そうだ。
今、この文章を、東京から浜松へ向かう新幹線の中で書いている。
その新幹線の中でも、おしゃべり、またおしゃべり。
あちこちで、おしゃべり。
あたりかまわず、大声で話しているグループもいる。

 2〜3列、席を飛び越えて話が聞こえてくる。
かなりプライベートな内容である。
会社の上司の悪口、批判、仕事への不満など。

 当然、そういった話は、私のような人間にも聞かれている。
そういうことを承知の上で、話している。
……ということは、私たちは、ただの石ころ。
川原の石ころ。
そういったおしゃべりをしている人は、私たちの存在を完全に無視している。

●意地悪

 こうした都会的ニヒリズムは、都会人独特のもの。
先日も何かの雑誌で読んだが、道端で倒れている人を見ても、都会人ほど、無視する
傾向が強いそうだ。
またそういうニヒリズムを身につけていないと、都会では生きていけない。
それこそ掃いて捨てるほど、人がいる。
いちいち気にしていたら、何もできない。
何も話せない。
それがこうしたおしゃべりの中にも見られる。

 ふつうならそんな話は、他人の前ではしない。
常識のある人なら、そんな話はしない。

そこでふと意地悪な気持ちが顔を出す。
そうした声を一度、何かに録音する。
その声を、その人たちの会社か、上司に聞かせる。
話の内容を組み立てれば、どこの会社か、特定できる。

 ……ということもありえるから、私なら、そういう話は、電車の中ではしない。

●マナー

 結局は、マナーの問題ということになる。
時刻は午後6時を回ったころ。
帰宅中のサラリーマンも多い。
居眠りしている人もいる。
そういうとき耳元で、ペチャペチャとやられたら、たまらない。
が、日本人というのは、忍耐強い。
しゃべるのも国民性なら、それに耐えるのも国民性。

 うるさいと言えば、観光バスのバスガイド。
客も、うるさい。
たいてい2〜3組のおしゃべりグループが乗っていて、大声でペチャペチャとしゃべり
あっている。
オバチャンのほうが多いが、オジチャンもいる。

 08年ごろまでは、月に2〜3回は、地元の観光バスを利用して旅を楽しんでいた。
しかし09年に入ってからは、数えるほどしかしていない。
最後に、ほかの客とトラブルになり、それがトラウマになってしまった。
それについては以前、別の原稿に書いたことがある。

 で、観光バスを利用した旅行は、やめた!

●スズメ

 まずもって、おしゃべりほど、無駄なものはないと心得る。
しゃべるほうも、無駄。
聞くほうも、無駄。
情報の交換ということになるが、価値そのものがない。
言うなれば、スズメのおしゃべりと同じ。
話した瞬間から、話を忘れ、聞いた瞬間から、話を忘れる。
記憶に残るとしても、数日。
長くて数週間。

 ただ、そのときの感情は残る。
たとえばだれかの悪口を話したとする。
悪口を聞いたときでもよい。
そういうときというのは、話した話の内容よりも、後味の悪さだけが残る。

 もともとおしゃべりというのは、そういうもの。
人間もスズメも、基本的には、同じ。

●沈黙の価値

 ……と書くだけなら、だれにでもできる。
そこで考える。
ではどうすれば、価値あるおしゃべりができるか、と。
情報の価値を高めるためには、どうすればいいか、と。

 そこで出てくるのが、(考える力)ということになる。
聞いて考え、考えてしゃべる。
が、それだけでは足りない。
それよりも大切なことは、沈黙を守ること。
考えては黙り、また考えては黙る。
英語国では、『沈黙の価値のわからぬ者は、しゃべるな』という。

 言葉を口にするのは、そのあとでよい。

●沈黙は文化

 私はさらに一歩進んで、「沈黙は文化」と考えている。
そのことは、ここ半世紀の変化を見ただけでもわかる。

 私が20代のころには、観光バスというと、カラオケが定番だった。
自己紹介も定番だった。
おしゃべりどころではない。
ワイワイ・ガヤガヤ……。
それが定番だった。
で、やっと静かになったと思ったら、こんどはビデオ。

 で、子どもたち(中学生)とこんな会話をした。
私が「ぼくたちが子どものころは、観光バスの中でも、みなで歌を歌っていたよ」と
話すと、「ホント?」と言って、子どもたちは驚いた。
一方、オーストラリアにも観光バスに似たようなバスサービスはあるそうだ。
が、ガイドはいない。
運転手がときどき、そのあたりの名所を説明することはあるそうだが、その程度。
で、オーストラリアの友人に聞いた。
そのときオーストラリアの友人と、バスで長野県のほうに旅行をしていた。
彼はこう言った。

「オーストラリアで、ああいうガイドを見つけたら、みな、『黙って座れ』と言う
だろうね」と。

 陽気な人たちだが、一方的な話には、寛大ではない。

 文化と騒音。
これは反比例の関係にある。
文化が高ければ高いほど、騒音は少ない。
結果として少なくなる。
というのも、文化の程度は、その国の国民が、いかに深く考えることができるかで決まる。
……と書くのは、言い過ぎ。
しかしこれだけは言える。

 静かに考えながら旅を楽しむ人も多い。
だから乗り物の中でのおしゃべりは、するとしても、まわりの人たちに迷惑を
かけないように、してほしい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【秋田】09年12月12日

●秋田へ向かう

 浜松から東京へ。
ワイフと2人旅。
東京から仙台、盛岡を経て、秋田へ。
窓の外は、大地まで足を伸ばした雨雲が、低く垂れている。
それが電車の窓より低いところにある。
幾重にも重なった、暗い雲。
灰色の雲。
その向こうには、白い雲が、細く尾を引くように流れている。

寒々とした景色が、心を重くする。
電車は、もうすぐ盛岡に着くはず。
そんなことを考えながら、窓に手を当てる。

思ったより暖かい。
東京も、そうだった。
仙台も、そうだった。
20〜30年前なら、このあたりは一面、雪景色。
盛岡を出たあたりから、小雨が降り始めた。
車窓から見る道路は、黒く、雨で光っていた。

●東北

 日本に62年も住みながら、秋田県へ行くのは、これがはじめて。
楽しみ。
プラス、少し不安。

学生時代の友人に、A君という人がいた。
親友の親友だったが、私とは、ほとんど縁がなかった。
そのAZ君は、秋田県出身で、秋田県庁に勤めていた。
僧籍をもっていた人だから、今ごろはどこかの寺で、僧侶でもしているかもしれない。
背の高い、かっこいい人だった。

 それよりも「秋田」と聞くと、どういうわけか、別の男を思い出す。
金沢大学を受験するとき、たまたま同じ旅館に泊まった。
たしかその旅館には、3泊した。
その間に、親しくなった。
その男が、秋田県の秋田高校から来ていた。

 自分が大学に入学したあと、その男をさがした。
が、その男は見つからなかった。
その当時は、名前も顔もよく覚えていた。
「合格したら、会おう」と何度も約束した。
が、今では名前も顔も浮かんでこない。

●田沢湖へ

 東北は、やはり米どころ。
窓の外は、田んぼにつづく、田んぼ。
乗った電車も、「こまち」。
「こまち17号」。
停車駅が少ないのには、驚いた。
東京のつぎが上野、大宮。
つぎが仙台。
仙台のつぎが田沢湖。
私たちは大曲(おおまがり)で降りることになっている。

 冬景色ということもあるのかもしれない。
時折見られる農家も、どこか……というか、まったく元気がない。
トタン屋根の、質素な作りの家が並ぶ。
浜松の家々より、全体に、平屋が多い。
3〜4割の家が平屋といったふう。
このあたりは日本でも有数の豪雪地帯。

 ……と書いていたら、列車はいつの間にか、雪の中を走っていた。
山を越えているのか、速度も、70〜80キロ?
私はカメラを取り出すと、何枚か、写真を撮った。

 しばらく走ると、今度はトンネルにつづくトンネル。
それを抜けるたびに、外の景色が暗くなっていくように感ずる。
と、同時に窓の下に見える川の流れが、逆になった。
峠を越えたらしい。
時計を見ると、まだ午後2時50分。

●学生時代

 田沢湖を出ると、つぎは……。
先ほど社内アナウンスがあったが、忘れた。
大曲には、15時22分着ということになっている。
新幹線というよりは、ローカル特急といったふう。
動きが止まったような景色が、ゆるやかにつづく。

 私は、こういう冬景色が苦手。
見ているだけで、憂うつになる。
ワイフが横にいるからよいようなものの、これがひとり旅だったら……。
何度も学生時代を思い出す。
列車に乗って、米原を過ぎて、北陸線に入ったとたん、雪景色。
そのたびに、憂うつな気分になった。

 何回か、ワイフの手を握る。
そのたびに子どもでもあやすかのように、ワイフは、私の手をパタパタと叩いた。

「旅館では、秋田名物のきりたんぽが出るそうだ」
「楽しみね」と。
実のところ「きりたんぽ」という名前は知っていたが、それがどんなものか、私は
まったく知らなかった。

●秋田美人

 横手市に着いて、最初にしたこと。
それは「秋田美人」をさがすこと。

 ところが、である。
若い女性たちが、美しい。
本当に美しい。
それには、驚いた。
みな色白で、スラッとして、おまけに彫りが深い。

 一方、30、40代過ぎの女性たちは、みなごくふつうの女性。
「????」。
理由はわからないが、若いときは秋田美人。
しかし歳を取ると、大和民族?

 これは新発見!
ダーウィンの進化論をくつがえすほどの新発見。
つまり胎児は、母親の胎内で、進化の過程を一度、すべて繰り返す。
同じように、秋田の女性は、生まれたあと、進化の過程を、同じように繰り返す(?)。
そういう論文は、ないのか?
(これはジョーク。)

しかし美しい人が多いのには、本当に驚いた。
電車の中でも、駅の売店でも、そして泊まることになった旅館のフロントでも……。

●YP旅館

 私たちは横手駅前の、YP旅館に泊まった。
ネットで予約したこともあり、ちょっと選択ミスをしたかな(?)という旅館だった。
残念!
(悪口を書くので、YP旅館と伏字にする。)

 露天風呂があるということだったが、外来の客たちと重なり、混んでいた。
湯も汚かった。
地元の銭湯としても使われているらしい。
そんな感じだった、

おまけにトイレも汚かった。
トイレのフタに、薄茶色の汚れが、模様のようについていた。
ゾーッ!

部屋だけは、14畳あり、まずまず。
あとは料理だが、私たちは、小食派。
たいした料理は、いらない。
ぜいたくばかり言っていてはいけない。
グチは言いたくない。
だからこの話は、ここまで。

 ……たった今、フロントに電話をした。
ていねいに、穏やかに……。
しかし、こうお願いした。
言い方をまちがえると、清掃係の人が、クビになってしまう。
それはかわいそう。

「トイレのフタに便の汚れがついていますが……。
生理的に、どうも気分が悪いので、消毒薬か何かをかけて、拭いてもらえませんか」と。
フロントの女性は、「すみません。ただ今……」と言った。

●トイレの汚れ

 旅館のサービスの第一は、清潔感。
つぎに料理。
そのほかのことは、客の責任。
(自分で選んで、自分で予約するのだから……。)

 ……とまあ、生意気なことを言って、ごめん。
みんな一生懸命、やっている。
トイレの掃除まで、手が回らないのかもしれない。

 ……たった今、1人の女性が清掃に来てくれた。
ほっとした。
ていねいに礼を言った。
で、これから食事。

 明日はここから車で20分ほどのところで、講師をすることになっている。
同じ横田市だが、HK地区というところ。

このあたりでは、当然のことながら、私の知名度はゼロ。
だから聞きに来てくれる人も少ないだろう。
わかっている。

 ……が、私は、手を抜かない。
聴衆が100人でも、500人でも、同じ。
来てくれた人が、「来てよかった」と喜んでくれるような話を、しっかりとしたい。

(2009年12月12日節句)

(後記)

 12月13日。
13時03分発の電車で、横田市を立つ。
大曲からは秋田新幹線に。
その新幹線に乗ると、猛烈な睡魔が私を襲った。
……というわけで、田沢湖から仙台に着くころまで、ぐっすりと眠った。
昨夜はじゅうぶん眠ったはずなのに……。

 久々に気持ちのよい講演をさせてもらった。
話しやすかった。
男の人も何人かいたが、話すたびに、「そうだ」「そうだ」と首を縦に振ってくれた。

主催者の方たちや、聴衆の方たちの、暖かい温もりを直接肌で感ずることができた。
会場によっては、高い山の上から天に向かってしゃべるような感じになることがある。
しかし今日は、ちがった。
それに……。
地元で講演するときとちがって、「もう2度と会うことはないだろうな」という思いが、
話している最中に、ときどき頭の中に、浮かんでは消えた。
会場を主催者の方の車で帰るとき、さみしかった。
こんな気分になったのは、今日がはじめて。

 ……そのとき、仙台の町が、ぼんやりと見えてきた。
大きな町だ。
私は雑誌を開いて、それを読み始めた。

HK地区のみなさん、ありがとうございました!
「秋田こまち(米)」を食べるたびに、これからは、みなさんのことを思い出します。

(091213記)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec.09+++++++++はやし浩司

●破綻する日本経済

 2009年度の日本の国家税収が、大幅に減った。
ひところは44〜5兆円と言われていたが、2009年度は、38兆円。
「38兆円」といえば、「公務員の人件費の総額」に等しい。
「土木建設費の総額」に等しい。

 つまり公務員の人件費と土木建設費だけで、計76兆円。
わかりやすく言うと、月収38万円の人が、自分の家で働いている従業員に、38万円の
給料を払い、毎月38万円をかけて、家の増改築をしているようなもの。
あとは国債という「借金」。

 こんなバカげた経済運営をしている国が、どこにある?

 この静岡県だけを見ても、立派なのは、道路と公共施設だけ。
Eサッカー場にしても、S空港にしても、目の玉が飛び出るほど立派。
が、問題は、それにつづく維持費。
この先、毎年、何10億円、何100億円という維持費を、私たち県民が負担
しなければならない。

 こうした施設は、建てたときは、それなりに潤う。
(潤うといっても、大半は都会のゼネコン。
地元の中小の建設会社は、そのおこぼれをもらうだけ。)

が、それが終わると、今度は、その維持費がズシンと、のしかかってくる。

●唯一の救い

 唯一救われるのは、日本という国は、外国には借金をしていないということ。
国債にしても、外人の持ち比率は、4〜5%前後と言われている。
言うなれば、身内の借金。
一家のおやじが、家族に借金している。
わかりやすく言えば、そういうこと。
おやじの借金を取り立てる息子は、いない。

 その身内の資産が、1500兆円ほどある。
だからだいじょうぶ……と言いたいが、ここへきて、借金の総額がその
1500兆円を超え始めた。

 これはたいへんなことになったと言ってよい。
1500兆円を超えれば、つぎに日本政府は、外国から、お金を借りなければならない。
しかし今の金利では、だれも貸してくれない。
(つまり国債を引き受けてくれない。)
となると、金利をあげるしかない。

 が、金利をあげたとたん、日本経済は、大爆発を起こす。
ドカーン!、と。
それでおしまい。
終わり。
破綻。

●バカげた経済構造

 しかしそれにしても、バカげた経済構造を作ってしまったものだ。
今さら「公共事業を減らします」とは、とても言えない。
公共事業にぶらさがって生きている人が、あまりにも多すぎる。
またそういう人たちは、ほかに働く場所がない。
ほかの仕事ができない。
「道路工事の仕事がなくなりましたから、明日からコンピュータの技師をします」
というわけにはいかない。
土木作業というのは、そういうもの。

 本来なら、労働者の質を高め、先端工業の分野で、人を生かし、育てるしくみを
作らねばならなかった。
が、日本政府は、そういう努力を怠った。
そのかわり、必要もないような橋を作ったり、道路を作ったり、大型施設を作ったり、
そんなことばかりしていた。

 その結果が今である。

●個人の問題

 こうなったら、それぞれの日本人が、個人的に、自分の資産を守るしかない。
わかりきったことだが、お金という「札」は、急速に価値をなくす。
今の円高が終わるころ、つぎにやってくるのは、ハイパーインフレ。
ラーメンいっぱいが、2000円とか3000円とかになる。
あるいは5000円になるかもしれない。
1万円になっても、私は驚かない。

 物価が10倍になるということは、私たちのもっている(札)の価値が、10分の1
になることを意味する。
残りの10分の9は、政府に奪われるのと同じ。

どうやって資産を守るかということについては、私の立場では書けない。
方法はいろいろあるが、確実なものはない。
(札)のもつ価値を、別のものに移し換えていく。
それが何であるかは、私にもわからない。

ともかくも、それは時間の問題。
ひょっとしたら、2010年の間くらいは、だいじょうぶかもしれない。
しかし2015年まで、今の状態をもちこたえるとは、だれも思っていない。

 ただここで言えることは、早ければ早いほど、よいということ。
あとになればなるほど、破綻したあとの傷口が深くなる。

●消費税

 私が若いころは、「日本は、間接税の国」と知らされていた。
「だから消費税は、ない」と。
しかし今は、「間接税+直接税」の国になってしまった。
つまり両取られ!

 ……というわけで、今すぐというわけにはいかないだろう。
しかしこの先、少しずつ、軌道修正していく。
たとえば「景気が悪くなったから、即、公共事業」という発想はやめる。
ブレーキをかける。
それにもう一言。

 これだけ社会福祉にお金を注ぎながら、実際には、多くの老人たちは、
介護施設にさえ入れないでいる。
浜松でも、「150人待ち」「2年待ち」というのが当たり前。
なぜか?

施設は立派だが、絶対数が足りない。
先日、オーストラリアへ行ってきたが、オーストラリアでは、古いビルや事務所を
改造して、介護施設にあてている。
日本では、どうしてそういうことをしないのか?

 「あとは消費税をあげるだけ」という発想が、ひとり歩きし始めている。
今の今ですら、あげざるをえない状況にある。
しかし同時に、今、やるべきことは山のようにある。
「予算が足りないから、消費税」という発想では、早晩、再び日本の国家経済は
立ち行かなくなる。
「構造」を変えないかぎり、そうなる。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 20日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page010.html

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「子どもは必要ない」(追記)

++++++++++++++++++++

先日、「子どもは必要ない」と考えている若い人たちへの
意見を書いた。
今では、50〜60%の若い人たちが、20〜30代の
人たちを中心に、「子どもは必要ない」と考えているという(内閣府)。

いろいろな意味に解釈できる。
「結婚しても、子どもは必要ない」と考えている。
「結婚そのものも、しない」と考えている。

後者の中には、「結婚しなくても、子どもだけほしい」という人も含まれる。
そうして生まれた子どもを「婚外子」というのに対して、「嫡出子」という。

ともかくも、私は、「子どもは必要ない」と考えるのは、おかしいと自分のBLOGに
書いた。
が、それに対して、いろいろな書き込みがあった。

「生き方の問題ではなく、現実に、結婚したい相手が見つからない」
「地球温暖化など、子どもの将来に不安を感ずるから」
「出産と同時に、70%の女性が職場を余儀なく、離れさせられている」など。
つまり私が考えているほど、単純な問題ではない、と。

「年収が200万円以下の男性は、結婚する率が、極端に低くなる」という
説もある。

+++++++++++++++++++++

●山鳩の世界

 今年の春から、一羽の山鳩が、私の家の庭に住みついた。
たぶん雄だと思う。
ときどきやってくる別の山鳩に、ちょっかいを出すのだが、相手にされなかった。
理由はわからない。
山鳩には、山鳩なりの見方、考え方があるらしい。

で、その山鳩は、ずっとチョンガ(=独身)だった。
ときどき2羽でやってくる山鳩がいた。
その奥さんのほうに手を出そうとしたこともある。
しかしやはり相手にされなかった。
(山鳩というのは、想像以上に夫婦の絆が強い。)

その山鳩は、12月に入った今も、チョンガ。
そういう世界を見ていると、山鳩の世界も、人間の世界と同じだなあと思う。
あるいは、その反対でもよい。

●現実論

 つまり結婚したくても、相手がいなければ、どうしようもない。
子どもを作るとなると、なおさらである。
そういう相手が見つからない人たちが、「子どもは必要ない」と考えるようになったところ
で、何もおかしくない。

 生き方の多様性の問題というよりは、「現実論」の問題ということになる。
つまり現実を冷静にみていくと、必然的結果として、(結婚できない)。
そのため(子どもをつくることができない)。
それを合理化するために、「子どもは必要ない」と考える。

 またこうした傾向は、何も日本だけにあるわけではない。
世界的にみても、(1)晩婚化、(2)女性の社会への進出、(3)婚外子の増加は進んでい
る。

 そこでここでは話を一歩進めてみる。
というのも、この問題は、多くの人たちがすでに論じているし、雑誌などでもたびたび取
り上げられている。
何を書いても、私のばあい、二番煎じになってしまう。

●「孫は必要ない」

 「子どもは必要ない」の先にあるのが、「孫は必要ない」である。
これについてなら、私にも書ける。
二番煎じでもない。

 で、祖父母の立場で言うなら、ほとんどの人は、「子育ては一度で、こりごり」と考えて
いる。
祖父母の世界には、『来て、うれし。帰って、うれし』という格言すら、ある。
「孫が来てくれると、うれしいが、そこまで。
帰ってくれると、ほっとして、それもうれしい」と。

中には、孫を目の中に入れても痛くないという人もいるが、これは当初から同居している
ばあい。
しかしそうでなければ、そうでない。
つまりこれが祖父母の本音ではないか。

 子育てというのはぞれ自体、重労働である。
で、やっとその重労働から解放されたと思ったら、そこに孫がいる。
若い人たちは、「ジーチャン、バーチャンは、孫をかわいいはず」と思い込んでいる。
私もそうだった。
しかし孫といえども、人間関係。
ある日いきなり孫を押しつけられ、「かわいいだろ」と言われても困る。
私のばあいが、そうだった。

 私が自分の孫を「かわいい」と感じたのは、孫に会ってから、1週間目のことだった。
それまでは、「どうしてこんな孫がかわいいのか?」と、何度も自問した。

●「孫は必要かどうか」

 そこでこんなふうに考えてみる。
「孫は必要かどうか」と。

 私のばあい、たぶん不幸なことに、最初の2人の孫は、現在、アメリカに住んでいる。
会えるといっても、1〜2年に1回。
息子のBLOGには、こうあった。
「高い旅費を払ってまで、日本へ帰る必要はあるのか?」と。
それを読んだとき、正直言って、私はがく然とした。
それを読んで以来、私は「日本へおいで」とは、言えなくなってしまった。

 もちろん孫たちに会いたいという気持ちは、強い。
しかしその気持ちを支えるの、これまたたいへん。
いろいろ努力はしているが、『去るもの、日々に疎(うと)し』という格言もある。
孫への気持ちが、年々、薄らいでいくのが、自分でもよくわかる。
恐らくあと数年もすれば、上の孫にしても、親離れを始めるだろう。
そうなれば、当然、私の姿も、孫の中から消える。

●私のばあい

 そのかわり……というと語弊があるかもしれない。
しかし私のばあい、そのかわり、生徒たちがいる。
年齢的には、4歳前後から高校生まで。
最近は、そうした子どもで、孫への思いを代償的に消化している。
たまらないほどの、「いとおしさ」を感ずることもある。

 これは若いころ経験しなかった感情である。
だからもし、私が今の仕事から、身を引いてしまったら、仕事から去るという(さみしさ)
のほかに、それこそ身を引きちぎられるような(さみしさ)も覚えるにちがいない。

 一方、孫たちのほうは、どうか。

 少し前だが、こんな調査をしてみたことがある。

 私の教室に通っている、幼児、小学生の子どもたちに、こう聞いてみた。
「おじいちゃん、おばあちゃんが死んで、悲しく思った人はいるか?」と。
すると、ほぼ全員、こう答えた。
「何ともなかった」と。
1人だけ、「悲しかった」と答えた子どもがいたが、彼は(おじいちゃん子)で、しかも小
学6年生だった。

 子どもたちは、老人の私たちを、「死にゆく者」と考えている。
「死んで当然」とまではいかないにしても、それに近い。
そういうふうに考えている。

●問題は別のところに

 こう考えていくと、「子どもは必要ない」と考える若い人たちを、一概に、まちがってい
るとも言えなくなる。
つまりその結果、子育てのもつすばらしさがわからなくても、また最終的に人類が滅亡す
ることになっても、それはそれ。
しかたのないこと。
それについて、とやかく言う方が、おかしい(?)。
それぞれの人は、それぞれの考えに基づいて、人生を選択している。
言うなれば、あとは多数決の問題ということになる。

 ただ、これだけはまちがえないでほしい。

 だからといって、この日本や社会がかかえる問題を、放置しておいてよいということで
はない。
この日本では、子育てが、ますますしにくくなってきている。
少子化の問題も、その(結果)でしかない。
そういった問題については、積極的に考えていかなければならない。
それはそれ。

 ……ということで、この問題は、またの機会に、もう少し頭を冷やしてから考えてみた
い。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 少子化 婚外子 嫡出子 子どもは必要ない 内閣府)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【統領様が、やって来た!】

●とある工場で……

 第一報が入ったのは、その3日前のことだった。
その工場長の工場に、何と、あの統領様が視察にやってくるという。
どういうわけか、そういうことになった。
軍の地方幹部からその第一報が届いたとき、工場長は気を失った。
椅子からころげ落ちた。
何しろ、この数日間、食べたものと言えば、トウモロコシの入ったお粥だけ。
それも全部で、4杯。

 工場長はそれでも気を取り直すと、工員たちに総動員をかけた。
工場長といっても、名ばかり。
「工場」というのも、これまた、名ばかり。
手で運べるような工具や工作機械は、とっくの昔に消えてなくなっていた。
残った工員にしても、ほかに何もできないから、そこにいるだけ。
つまりどうしようもない工員たち。
そういう工員が数人。
それなりに力のある工員たちは、みな、闇市での商売や行商に精を出していた。

●製品?

 工場長は、その少し前、「工場の自社製品」と偽って、ピルピル市(首都のある町)へ、ステン
レス製の鍋や食器を送っていた。
隣の中京国から仕入れたものだった。
何も出すものがなかったから、そうした。
軍の幹部から、「100日闘争の成果を見せろ」と迫られたから、そうした。
で、そのときはそれで、何とか、その場をやり過ごした。
しかし先にも書いたように、工場とは名ばかり。
残ったのは作業台と、それを取り囲むようにして残った、大型機械だけ。
もともとは、プレス加工の工場。
軍用トラックのボンネットなどを作っていた。

 が、それでも「統領様が来る」というニュースに驚いたのか、その日の午後までには、
工員たちがほぼ全員、集まった。
サボタージュしているとわかったら、それこそ家族もろとも、公開処刑。
命がけ。

●体裁

 工場長は、それらしい体裁だけは整えようと、みなに提案した。
異議を唱えるものは、いなかった。
その日のうちに、新たにいくつかの台が並べられた。
それらしい部品もいくつか、並べられた。
つかなくなった電球は、別の工場からもってきたものと取り替えられた。
が、肝心の製品がない。

 そこで工場長はありったけの金を集めると、工員の2人に、中京国国境まで行って、か
ってくるように命じた。
工場には、古いトラックが1台あった。
が、このところ仕事もなく、死んだ人を運ぶ霊柩車として使っていた。
葬式だけは、派手にやる国である。

 幸い中京国国境までは、トラックで、2時間あまり。
朝早く出発すれば、午前の検問時刻には間に合う。
その時間帯をのがすと、つぎの検問時刻は、昼からになる。
ということで、みなの期待を一身に背負いながら、運転手は、トラックを国境に向けて走
らせた。

●水洗トイレ

 問題はトイレ。
工場には、2つのトイレがあった。
が、2つとも汚れて、使い物にならなかった。
そのあたりでは、ボットン便所が当たり前。
座式の水洗トイレは、隣町の駅の中にしかない。
しかもそのトイレというのは、政府高官用。

 工場長は何とか頼み込んで、そのトイレを1日だけ、借りることに成功した。
そして工場長の隣にある、小さな物置部屋を、トイレに改装することにした。
工員たちは汗を流しながら、その日だけは、懸命に仕事をした。

壁に板を打ち付ける者。
床に、タイルを敷く者。
壊れた窓枠を、直す者、などなど。

便器は台の支柱ごと、土の中に埋められた。
そのまわりを、大きな石で囲んだ。
最後に床の上に板を敷き、ジュータンでそれを隠した。
また道路から玄関先までは、木が植えられた。

 人手だけは、たくさんある。
困らない。
工場内は、足の踏み場もないほど、人でごったがえした。

 さらにあちこちの家を回って、家具をもってきた。
それを工場の中に並べた。
町にひとつしかない電話機も、並べられた。
が、そのとき1人の工員が、工場長にこう言った。
「水はどうしますか?」と。

 水洗トイレである以上、水が流れなければ意味がない。
が、そこで議論が始まった。
「統領様は、トイレを使わない」
「いや、使うかもしれない」
「見るだけだ」
「いや、大便だったら、どうする?」と。

●問題は水

 つぎの日の午後、隣町の駅から、便座式のトイレが届いた。
工員の妻たちが、それをていねいに手で洗った。
その一方で、男たちは穴を掘り、排水用の土管を通した。
土管を通しただけで、その先は、ボットン。
みな、穴掘りだけは、得意だった。

 が、やはり問題は、水だった。
以前、製品を洗浄するための水道管をとりつけたが、それは15センチもある大口径のも
の。
しかし迷っている暇はない。
その水道管をトイレに取り付けた。
そのころ、中京国国境から、トラックが戻ってきた。

●メイド・イン・チュウキョー

 工場長は玄関先の陳列ケースに、(これは近くの中学校から持ち出したものだが)、それ
に食器を10点ほど、並べた。
「Made in Chukyo」と刻印が押してあるところには、紙テープを張った。
あの中京国という国は、それこそ箸一本にも、「Made in Chukyo」と書く。
工場長は、それをうらめしく思った。

 が、予算が足りなくて、鍋は、60個あまり、食器は大小さまざまなものが、100個
あまりしか買えなかった。
「とりあえず」ということで、工場長は、それらの製品を台の上に並べた。
いくつかは茶色い紙でくるんだあと、小さな箱の中につめた。
ほかにも箱だけはたくさんあったが、もちろん中はカラ。

●再びトイレ

 再び問題は、トイレということになった。
もし統領様がトイレを使い、コックをひねったら、どうするか。
そこで工場長は、一案を思いついた。
コックの軸の先を壁の外に出す。
外でそのコックが動くのをみたら、別の工員が、水道管のコックをゆるめて水を流す。
しばらく流したあと、またコックを閉じればよい。

 そのために1人の若い男が、トイレの水係りとして選ばれた。

で、何とか夜中までには、リハーサルまでできるようになった。
徴兵前の、まだ17歳の若い工員だった。
 工場長が「大」のほうへコックをひねると、それを見て、外の若い工員が、水道管のコ
ックをひねって、水を送る。
そして元に戻す。
「小」のほうへコックをひねると、やや少なめに、水を送る。
若い工員は、その手順を懸命に頭の中に、叩き込んだ。

 が、工場長は、その夜は一睡もできなかった。

●緊張感

 統領様の到着時刻は、その前日の夜にならないとわからない。
遠くの通りを見ると、兵隊たちが忙しそうに動き回っているのが見えた。
ときどき怒号と悲鳴も聞こえる、何とも訳の分からない声も聞こえた。
殺気立った兵隊たちが、住民に命令して、徹夜で道路の清掃作業をさせていた。

統領様がいるところから、半径1キロ以内にある銃器からは、すべて弾を抜かれる。
半径2キロ以内にある大口径の銃器は、銃口が反対側に向けられ、鉄線ですべて固定され
る。
町中が、その町はじまって以来の、大騒動となった。

工場長はそれを見ながら、ピルピル市に、鍋や食器を送ったことを、後悔した。
心底、後悔した。
「家族もろとも銃殺刑!」。
そんな言葉が、聞こえてきそうだった。

●やって来た!

 その日はやってきた。
到着の前日の午後に、連絡が入った。
そしてその朝。
兵隊たちが、線路脇に、ズラリと並んだ。
時刻は午前7時。
ふつうの人には、早朝だが、統領様にとっては、就寝前。
生活時間がちょうど10時間ほど、ずれていた。

で、統領様は、専用列車でやってきた。
豪華な専用列車だった。
町中が緊張感で包まれた。
住民たちは一着しかない民族服を着て、懸命に旗を振った。
その笑顔で忠誠度が調べられる。
笑顔を作るのも必死。
旗を振るのも、これまた必死。
保安員ににらまれたら最後。
そのまま収容所送り。

 統領様は駅で車に乗り換えると、そのまま工場のほうに向かってやってきた。
その様子は、通りに立っていてもよくわかった。
駅のほうから歓声があがった。
その歓声がだんだんと、工場のほうに近づいてきた。
工場長は、生きた心地がしなかった。

●世界の水準

 幸い(?)、統領様は、立っても20メートルほどしか、歩けなかった。
持病の糖尿病が悪化し、足の末端部は、紫色に腫れ上がっていた。
車から出るところから、統領様は大きな車輪付きの椅子に座った。
「車椅子」ではない。
彫刻をほどこした、金ピカの木製の椅子である。
それに4個の車輪がくっつけてあった。
それを3人の女官が動かしていた。

 統領様が立つのは、写真撮影のときだけ。
それ以外のときは、その椅子に座ったまま。
で、玄関のところで統領様はこう言った。

 「この工場の製品は、世界の水準に達している」と。

 それを聞いて、工場長は、あふれんばかりの涙を流した。
もちろん喜びの涙ではない。
恐怖の涙である。

●視察

 視察は、数分ほどで終わった。
終わったというより、終わらざるをえない状況になった。

その間、駆り出された工員たちは、統領様の前で、忙しそうに動き回って見せた。
鍋を磨きながら箱につめる工員。
その裏で、箱から鍋を取り出し、また作業台に並べる工員。
裏のほうから、食器を運んでくる工員。
その食器を再び、裏へ運んでいく工員。
食器だけが、ぐるぐると工場の中を回っていた。

 工場長は、統領様の気を引こうと、わざと大泣きをしてみせたり、反対に統領様の一言
一句に、大笑いをしてみせたりした。
が、つぎの一言で、工場長は、あやうく気を失うところだった。

「トイレを使いたい」と。

●大洪水

 外で待機していた若い工員に、即座に、合図でそれが伝えられた。
若い工員は、トイレの外で待機していた。
その国の冬は早い。
若い工員は、カチカチになった手で、水道管のコックを握った。
「大」のほうにコックが回れば、水道管を大きく開いて、パッと水を止める。
「小」のほうにコックが回れば、それよりは、小さく開いて、パッと水を止める。

 電気もガスもない国だが、水だけは、豊富にある。
豊富にあるといっても、冬場だけだが……。

 若い工員はその瞬間を待った。
1秒、2秒、3秒……、と。
それが若い工員には、気が遠くなるほど、長い時間に思えた。
「まだか……」「まだか……」と。
若い工員は、コックが回るのを待った。
じっとそこを見つめた。
まばたきもしないで、そこを見つめた。

 が、その瞬間は、意外と早く来た。
コックが、一度、大きく「大」のほうへ振れた。
若い工員は、水道管のコックを大きく開いたあと、すぐさまコックを閉めた。
壁の向こうで、ザーッと、勢いよく水が流れる音がした。
「ホーッ」と息をついだつぎの瞬間、今度は、コックが左右に、カチャカチャと動いた。
「大なのか、小なのか……?」と。
何しろその若い工員は、生まれてこの方、水洗トイレというのを使ったことがない。
見たこともない。
「大なのか、小なのか……?」と。

 若い工員はあわてた。
コックは左右にまた揺れた。
中で統領様がコックを、カチャカチャと動かしている……。
そこで若い工員は、思いっきり水道管のコックを大きく開けた。
とたん、中から、ワーッという悲鳴が聞こえた。

 そのときトイレの中では、便器から洪水のように水が溢れ出し、大便もろとも、統領様
の下半身全体をドドーッと濡らしていた。

●土下座

 みな、公開処刑を覚悟した。
その町でも、1〜2か月ごとに、墓場の横にある空き地で、公開処刑がなされていた。
相手が統領様では、弁解の余地はない。
みな、その場で土下座した。
額を地面にこすりつけた。

 が、同時に統領様は気分屋としても、よく知られている。
そのときの気分で、判断が、180度変わることも、珍しくなかった。

あいさつの仕方をまちがえて、処刑になった兵士もいる。
しかしまちがえたあと、統領様の靴に、顔をすりつけて泣いた兵士もいた。
その兵士のばあいは、そのあと反対に、昇進している。

トイレから出てくるときには、付き添いの女官たちが、すでに統領様の衣服を取り替え、
もとどおりのピカピカの防寒服になっていた。
そしてガタガタと震えながら土下座している工場長を見ると、こう言った。

「気にしなくてもよい。
トイレの故障は、今度来るときまでに、直しておくように」と。

また別れ際、こうも言った。
「お前の工場の製品は、ピンピン市でも、特設売り場を作って売るようにしてやる」と。

●みやげ

 こうして統領様の視察は終わった。
トイレでのハプニングのおかげで、視察も、最初の数分足らずで終わった。
鍋や食器などの製品については、地方軍部も事情をよく知っていた。
だから、お咎(とが)めなし。

 で、今でも、その工場は、開店休業状態。
工場長と数人の、どうしようもない工員たちが、ひまそうにタバコを吸っている。

 で、あの鍋や食器は、どうなったかって?

 鍋や食器は、みんな、軍の幹部たちが、みやげものとして、持ち帰っていった。
そのあとに残ったのは、「Made in Chukyo」と書かれた、カラ箱だけ。
それを横目で見ながら工場長は、何度も何度も、あくびを繰り返していた。

(以上の話は、すべてフィクションです。)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今、K国では……】

●餓死者

 K国では餓死者が出始めているという。
餓死者だぞ!
が、それはまさに氷山の一角。
その直前で、がんばっている人も多い。
その数10倍の人、あるいはそれ以上が、餓死寸前の状態にあるとみてよい。
あのピョンヤンの小学校でも、1クラス40人のうち、10人前後が、「欠食」で学校を休
んでいるという(韓国紙)。

「欠食」?

「欠食」という言葉は、はじめて知った。
つまり食事をとっていないから、登校できないということらしい。

●そこは地獄

 世界でも1、2を争う最貧国。
それがK国。
で、そういう国がどういう状況になっているかは、同じく1、2を争っているアフリカの
国々を見ればわかる。
表向きはどうであれ、その内部では、私たちの想像を絶するような地獄絵図が繰り広げら
れているにちがいない。
漏れ伝わってきた情報によると、「旧紙幣で払う」「受け取らない」で、殴り合いの喧嘩に
なり、死んだ人もいるとか。
さらに「もう生活できない」と言って、自殺していく人も多いという報道もある。
少し前に読んだ記事には、人肉まで、売買されているというのもあった。

 人肉だぞ!

 暴力、略奪、窃盗、強盗、殺人……。
「悪」として思いつくことすべてが、あの国の闇の部分で繰り広げられている。

●後遺症

 しかし本当にこわいのは、人心の荒廃。
一度壊れた心は、元には戻らない。
幼児期、少年少女期の子どもほどそうで、後遺症は世代連鎖を経て、そのあと何世代にも
渡ってつづく。
そうした禍根を作りつつある現政権、つまり金xxの罪は重い。

 が、これはK国だけの問題ではない。
金xx政権はやがて崩壊するとしても、私たち日本人は、そのあと何10年も、そういう
人たちと、付きあっていかねばならない。
現在の日本と韓国、あるいは日本と中国の関係を見れば、おおかたの予想はできる。
教育によって徹底的に植え込まれた反日意識、反日感情というのは、それこそこの先、何
10年もつづく。

●戦後補償

 で、この時点で、改めて念を押しておきたいことがある。

 日本は戦後、中国、韓国をはじめとして、東南アジアの国々に、莫大な戦後補償を払っ
てきた。
とくに韓国には、日本の屋台骨を何本も抜くほどの補償をしてきた。
しかしお金では、心は買えない。
買えないばかりか、札束で相手の頬を払うようなことをすれば、さらに深い反感を買って
しまう。
戦後補償をするとしても、一般民衆にわかる形で、かつ一般民衆に感謝される形でしなけ
ればならない。

 さらに一度、(保護)(依存)の関係ができてしまうと、依存する側は、「助けてもらって
当然」というような考え方をするようになる。
そうなると、いくら援助しても、それこそ乾いた砂漠に、水をまくようなことになってし
まう。

 私が韓国にいたときも、日本は、日本のお金でどこかにダムを建設した(1967)。
そのときもダムの前に、「このダムは日本の援助で建設されました」というようなプレート
を立てる約束だった。
にもかかわらず、韓国政府は、それ立てなかった。
たまたまその式典から帰ってきた日本政府の高官が、その話をしながら、かなり怒ってい
た。

 この先、そういう話は、山のようにつづく。
今から覚悟して、対処する。

●人間性

 『衣食足りて、礼節を知る』※という。
それは事実だが、一時的なものであってはいけない。
また一時的なもので、礼節は身につかない。
現在私たちが人間性、文化性と呼んでいるものはそうで、それを培(つちか)うには、何
世代にも渡る(努力)と(時間)が必要である。

 一度壊れた心を元に戻すには、さらに長い(努力)と(時間)が必要となる。
そのことは、戦後生まれの私たちの世代なら、みな、知っている。
私たちはあのドサクサの中で、まさにその人心の荒廃を、身をもって体験している。
ただ幸いなことに、その期間が短かった。
5年とか10年。
その間に日本は経済を立て直し、今に見る繁栄を築きあげた。

 もしあんな状態が、半世紀もつづいていたら……。
日本も恐らく、現在のK国のようになっていたにちがいない。

(注※)原文……『倉廩(そうりん)実ちて 則(すなわ)ち礼節を知り、衣食足りて則ち 
栄辱(えいじょく)を知る』(管仲著「管子」)。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 18日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page009.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑談】

●WINDOW7

 居間のコタツの上には、2台のパソコンが置いてある。
16インチのノートパソコンと、10インチのミニパソコン。
ともにTOSHIBA製。
その16インチのノートパソコンを、今、ビスタから、WINDOW7に、アップグレイドし
ている。
その間に、10インチのミニパソコンを使って、この文章を書いている。
すでに1時間ほど、たった。
けっこう、時間がかかる……。

 現在は、「Window ファイルのコピー中」と表示され、(43%)終了という数字が見え
る。
もっと簡単にできると思っていた。
が、雑誌などを読むと、全体で、3〜4時間もかかるそうだ。
(これはビスタをアップグレイドしたばあい。
新規にインストールしたばあいは、もっと速くできるとのこと。
そのばあいは、ビスタに残っていたデータが、すべて削除されてしまうとのこと。)

 今、やっと(69%)になった。

 アップグレード・キットは、1か月ほど前に手に入れた。
が、そのままにしておいた。
どうも自信がもてなかった。
それでこの1か月の間、何冊か雑誌を買ってきて、先にそれを読んだ。
勉強した。
前知識もなく、あわてて作業をすると、たいてい失敗する。
で、どうして今日になったか?
どうして今日、アップグレイドする気になったか?

 ハハハ。

 高性能のデスクトップパソコンが、12月22日に届く。
(i7)の64ビットマシンと言えば、わかる人にはわかる。
メモリーは、8GB。
今日は、その前哨戦。
まずこのノートパソコンで、使い勝手を試してみる。

 ……今、「ファイルのコピー」が終わり、今は、「プログラムの収集中」となった。
このあと、まだ「Windows ファイルの展開」「更新プリグラムのインストール」「プログ
ラムの転送」とつづく。

 私は、ただ画面を見ているだけ。
が、それが結構、楽しい。

●パソコンのない世界

 今では、逆に(パソコンのない世界)が想像できない。
パソコンがなかったら、私という個人だけをみても、仕事が止まってしまう。
それに今では、2〜3万円を超える買い物は、たいていネットを使って、している。
息子たちのやり取りも、パソコン。
株や債権の売買も、パソコン。
それだけではない。
(ものを書く)という仕事も、パソコンでしている。
お金儲けが目的ではないから、「仕事」と書くのも、へんだが……。

 だから同年齢の人で、「私はパソコンをしていません」などと言う人に出会ったりすると、
「ハア……?」と思ってしまう。
「この人は、どうやって生活しているのだろう」と、思うこともある。

 つまりこうして、(パソコンをしている人)と、(パソコンをしていない人)の間に格差
が生まれる。
「情報格差」という格差である。
が、そういう人にかぎって、こう言う。
「あんなもの(=パソコン)なくても、一向に困りませんよ」と。

●庭の雛

 そのパソコンのすばらしさをあげたら、キリがない。
が、何がすばらしいかといって、世界中の最先端の情報を、地方の、しかも家庭の中で手
に入れることができるようになったこと。
それにまさるすばらしさは、ない。
画面の向こうは、巨大な図書館。
若いころはと言えば、何かの情報を手に入れるためには、図書館へ行かねばならなかった。
静岡市にある県立図書館へ通ったこともある。

 このことは、逆に、私が書く情報については、即、そのまま世界に向けて発信できるこ
とを意味する。
つまり情報に、(地方性)がなくなった。
私について言えば、(地方コンプレックス)がなくなった。
東京の第一線級の評論家が手に入れるものと同じ情報を、私も手に入れることができる。
(個人的なコネを経て得る情報は別だが……。)

 ……たった今、山鳩の雛を、庭の端に埋めてきた。
先ほどから何かあると思っていたが、よく見たら、山鳩の雛の死骸だった。
おとなの握りこぶしほどの大きさに成長していた。
たぶん栗の木から落ちてきたのだろう。
くちばしのところから、うっすらと赤い血が流れていた。
元気で育てば、大空を飛ぶことができたのに……。

 WINDOW7のアップグレイドは、まだつづいている。

●時間がもったいない

 現在は、「ファイルの展開中」(21%)。
その(21%)で、動きが止まったような状態になっている。
その右に、小さなドットが現れては消えたりしている。
動いていることは動いている。
こういうときは、ただひたすら、じっと待つ。

……静かな朝だ。
庭の木の葉も、動きを止めている。

見ると犬のハナは、先ほどまで山鳩の雛が死んでいたあたりを、懸命に鼻でかいでいる。
ものわかりのよい犬で、「鳩は友だちだ」と数回教えたら、それからは、鳩には近づかなく
なった。
鳩が庭で餌を食べていたりすると、わざわざ遠回りをして、鳩を避ける。

 まだ(21%)……。

 こんなことをしていたら、時間がもったいない。
ここで書くのを一休止して、午後からの仕事の準備に取りかかる。
時刻は、午前10時20分。
薄曇りの、のどかな朝。

●WINDOWメール

 昼少し前、ワイフが、テニスクラブから帰ってきた。
その少し前、私は、庭の枯れ木を集め、それを燃やした。
「まだしているの?」とワイフが聞いた。
「まだ……。あと少しかな」と、私。

 パソコンは、最後の仕上げをしているといった感じだった。
「WINDOW7にすると、速くなるの?」
「速くはならないが、軽快になるそうだ」
「フ〜ン」と。

 ワイフはそのままキッチンに向かった。
向かったまま、「何を食べる?」と聞いた。
「何でもいい」と答えた。

 説明書が写真入りで、ていねいだったこともある。
アップロードは、無事済んだ。
あとは「WINDOWメール」を、ダウンロードすればよい。
WINDOW7には、Outlook Express(メールソフト)が、入っていない。
そのかわり、WINDOWメールというのを、自分でダウンロードして使うようになる。
その作業が少し、めんどう。

「どうして最初から、入ってないのかしら?」
「そうだな……。いろいろなメールソフトが出回っているからかな」
「でも、パソコンに触れるのがはじめてという人には、そんな作業は無理よね」
「そうだな……」と。
 
●アップグレイド、完了!

 こうして今日、ビスタからWINDOW7へのアップグレイドは、無事終了した。
かかった時間は、WINDOWメールの設定も含めて、ちょうど3時間。
パソコンを立ち上げると、琴の音で、コココ〜ン、と。
それが私には、「ごくろうさん」と言っているように聞こえた。

 「これならWINDOW7とも、親しくなれそう」と感じた。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【時間】

●動物的な勘(かん)

 今朝は、午前5時に起きた。
昨夜、床に就く前から、「明日は、5時に起きる」と心に決めていた。
どうしてもやりたいことが、あった。

 私のばあい、目覚まし時計は、不要。
その時刻になると、目が覚める。
うつ病の人も、そういうことが、できるという。
半眠半覚の状態だから、そういうことができるらしい。

が、私のばあいは、私の特殊能力。
(自分で、そう思っているだけだが……。)
眠っても、脳みその中の時計は、しっかりと働いている。
ほかに、方向感覚。
はじめて行ったような場所でも、道に迷うことは、めったにない。
つまりそれだけ、動物的な勘が優れているということ。
(自分で、そう思っているだけだが……。)

 そんなわけで、旅先でホテルや旅館に泊まっても、モーニングコールに
起こされたことは、一度もない。
モーニングコールが鳴る前に、目を覚まして、それを待つ。
方向感覚にしても、反対に、方向音痴の人が、私には理解できない。
私のワイフもその1人だが、今では私にすっかり頼りきっている。

●48枚、55分

 話がそれたが、起きるとすぐ、ウォーキングマシーンの上で、運動。
10分もすると、ジワーッと汗が出てくる。
今朝のように寒い朝は、この運動が、いちばん。
健康にもよい。
で、それが終わって、書斎へ入ったのが、5時20分ごろ。
正確には、5時23分。

 予定では、9時ごろまでに、若いころ指導・制作した教材を
UPLOADするつもりでいた。
全部で、48枚x4=192枚。

(1)一度、スキャナーで1枚ずつ、パソコンに取り込む。
(2)48枚ずつまとめて、FrikrにUPLOADする。
(3)それから今度は、1枚ずつHTMLを拾い出し、HPに張りつける。

 で、最初の48枚分の作業が終わるのに、ちょうど50分かかった。
スキャナーの性能があまりよくない。
加えて「My Picture」のそのFOLDERには、すでに2000枚近い
写真や本のページが、取り込んである。
多ければ多いほど、読み込みに時間がかかる。

 それで55分!

●5時間半

 昨夜、くだらないDVDを見てしまった。
途中で何度もやめようとしたが、ズルズルと見てしまった。
そのあと、「時間を無駄にした」と、後悔した。
3時間もあれば、若いころ、指導・制作した教材をUPLOADできる。
そう考えた。
だらしなく過ごすのも、3時間。
意味のあることをして過ごすのも、3時間。
 
 それでそのとき、「明日は、5時に起きる」と心に誓った。

 で、48枚x3=144枚までは、順調に作業が終わった。
が、残りの48枚というところで、ドジ!
同じ教材を、ダブッて、スキャンしてしまった。
そしてそれをそのまま、FrickrにUploadしてしまった。
枚数を数えながら作業をしなかった、私が悪かった。

 こうなると、HPに載せるとき、1枚ずつ、ほかのとダブっていないかを
確かめなければならない。
ダブっているのを、1枚ずつ削除する。
それはまるで何かのゲームをしているかのような感覚だった。
「まちがいさがし」でもしているような気分だった。
96枚の絵の中から、ダブッた48枚をさがして、削除しなければならない。

……というような愚かな作業を繰り返して、結局、すべての作業が終わったのが、
午前11時。
かかった時間は、5時間半!
(途中で、30〜40分ほど、朝食をはさんだが……。)
 やり終えたとき、甘い陶酔感をともなった、心地よい満足感を覚えた。

 で、その作業の途中、私は何度も、こう考えた。
「時間が、ほしい」と。
というのも、私は、こうした繰り返しがつづく、単純作業が苦手。
探しものも、苦手。
ついでに言うと、魚釣りも苦手。
水の中に潜っていって、モリで突くのは好きだが、魚釣りは苦手。
性に合わない。

●どう生きるか
 
 同じ時間でも、使い方によっては、長くもなる。
短くもなる。
言い換えると、時間の使い方によって、人生は長くもなるし、短くもなる。
昨夜の私のように、「くだらない」と思いつつ、くだらないDVDを見つづけるのも
人生。
このばあいは、時間を無駄にしたことになる。

が、同じ時間を有効に使えば、人生の密度を、ぐんと濃くすることもできる。
そうでなければ、そうでない。
今朝の私は、有効に使ったとは言いがたいが、それでも満足感を覚えることができた。
昨夜の後悔を、(敵)ととらえるなら、その仇討ちをしたような気分。

 で、改めて私はこう思う。
「生きるというのは、時間の使い方の問題」と。 
長い、短いというのは、結果論。
大切なのは、中身。
どう生きるか、それが大切、と。

 あえて批判したくはないが、先の作業をつづけているとき、ふと、こうも思った。
「今ごろ、パチンコ屋でパチンコをしている人もいるだろう。
自分では楽しんでいるつもりなのかもしれないが、その一方で、時間をドブへ捨てて
いるようなもの」と。

 こう書くのは、たいへん失礼なことというのは、重々、承知している。
パチンコすることによって、気分転換を図っている人も多い。
夕食後、一家団欒で、テレビのバラエティ番組を見ている人もそうだ。
しかし(時間)というのは、金の砂時計のようなもの。
若いときは、私もそれほど強く意識しなかったが、しかしこの年齢になると、それが
よくわかる。
金の砂時計。
お金にたとえるのも、どうかと思うが、1グラム3400円(09年12月)の、金の
砂時計。
(時間)には、それ以上の価値がある。
その価値に気づいたら、時間の過ごし方、人生のとらえ方も、少しは変わってくるはず。

 ともかくも、与えられた……というより、残された時間は、あまりにも短い。
明日、死の宣告がなされても、うろたえないように、今日までの分を、完全に燃焼させて
おく。

 ……とは言っても、それができたと思ったことは、一度もない。
毎朝、「今日こそは!」と思って、その日を始める。
しかし寝るときになると、「やっぱりだめだった」となる。
が、今朝は、少し違った。
完全燃焼とまではいかなかったが、軽い達成感を覚えた。
そのせいか、午後は、ずっと気分がよかった。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec.09+++++++++はやし浩司

●12月9日(映画『イングロリアス・バスターズ』)(Inglourious Basterds)

 昨夜は仕事が終わってから、ワイフと、ブラッド・ピット主演の『イングロリアス・バスターズ』と
いう映画を観てきた。
意味のない、ただの殺戮(さつりく)映画。
このところブラッド・ピット主演の映画には、がっかりさせられることが多い。
星は、2つか3つの、★★。

 スポーツ感覚で人を殺すのも、どうかと思う。
やり方も残忍。
殺した相手の、頭の皮をはぐというのも、どうかと思う。
つまりその程度の映画。
殺す側の主人公のほうよりも、殺される側のドイツ兵のほうに、同情してしまった。
つまり映画としては、駄作。
観終わったあとの気分も悪かった。

 で、今朝は、映画館で食べたポップコーンや、スルメが、まだ胃の中に残っていて、ど
うも気分がよくない。
軽い頭痛もある。
やはり深夜劇場というのは、体にあまりよくない。

 ……と、まあ、この程度の批評なら、だれにでもできる。
そこでもう一歩、話を進めてみる。

●パラドックス

 最後のところで、映画館ごと、ヒットラー以下、ナチスの幹部たちを、まとめて焼き殺
すというシーンが出てくる。
その劇場でヒットラーが観ていた映画は、戦争映画。
ひとりの勇敢なドイツ兵が、つぎつぎとアメリカ兵を撃ち殺すという映画。
わかるかな、このパラドックス?
戦争映画を笑って観ている人を、笑いながら殺す。
そういう戦争映画を、私たちは笑いながら観ている。

 つまりアメリカ兵をつぎつぎと撃ち殺す映画を、笑いながら観ているヒットラー以下、
ナチスの幹部たち。
が、その映画館は放火され、爆破される。
ドアにはすべて施錠してある。
逃げ場はない。
まさに大量虐殺。
それを笑いながら観ている、私たち観客。

 つまりヒットラーと私たち観客は、どこもちがわない!
まったく相対立する立場にいるようには見えるが、中身は同じ。
考えてみれば、もともと戦争というのは、そういうもの。
アフガン戦争を例にあげるまでもない。

●正義

 アルカイダはアルカイダの論理で、自分たちの正義のために戦っている。
アメリカはアメリカの論理で、自分たちの正義のために戦っている。
もともと「正義」というのは、そういうもの。
立場が変われば、正義は不正義になり、不正義は正義になる。
自分たちの都合で、いかようにも変化する。

ついでに言えば、正義と不正義がごちゃ混ぜになったとき、戦争は、泥沼化する。
(あるいはその逆でも、よいが……。
泥沼化すればするほど、正義と不正義は、ごちゃ混ぜになる。)

つまり戦争には、加害者も被害者もない。
戦争にかかわりあった人すべてが、加害者であり、同時に、被害者。
「戦争」がもつ愚劣さは、この一点に集約される。

 で、ナチスにはげしい敵意を抱くユダヤの人たちには、おもしろい映画かもしれない。
笑って観る人も多いかと思う。
しかし私たち日本人にも、その(おもしろさ)をわかれと迫られても、それは困る。
ドイツ人に対して、あそこまでの敵意はない。
映画を観ていて気分が悪くなったのは、そのため。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 正義 不正義 戦争論)

【ボケ防止論】

●映画

 その映画(『イングロリアス・バスターズ』)を観ながら、こんなことを考えた。

 「今、観ている映画にしても、いつまで記憶に残るだろうか」と。

現在、月に4〜5本は、劇場で映画を観ている。
「ボケ防止にはよいのではないか」と、勝手にそう考え、そうしている。
(実際にボケ防止としての効果があるかどうかということについては、わからない。)

 先週は、『カールじいさんと空飛ぶ家』というのを観た。
が、その前に観た映画については、題名どころか、内容すら思い出せない。

 「……何だったかなア……?」と。

 ……今、やっと思い出したが、その前に観た映画は、『2012』だった。
つまりこうして記憶というのは、つぎつぎと頭の中に入ると同時に、同じくつぎつぎと頭
の中から消えていく。
が、映画だから、まだよい。
毎回、ストーリーが、大きく違う。
あとになって、「2012はどんな映画だった?」と聞かれたら、ある程度は、その内容に
ついての話をすることができる。

 が、これがたとえば野球中継のようなテレビ番組だったら、どうだろうか。
サッカーの試合でもよい。

●脳みその穴

 「変化」といっても、ある一定の枠(わく)の中に、閉じ込められてしまう。
とくに印象に残っている試合は別として、日々の食事のように、記憶にさえ残らない。
観て楽しんで、それでおしまい。
覚えて忘れて、それでおしまい。
それを繰り返す。

ボケがひどくなると、食べたことすら、忘れてしまうという。
同じように、野球中継を観たことすら、忘れてしまう?

 若いころは小さな穴かもしれない。
しかし加齢とともに、その穴は、どんどんと大きくなっていく。
「穴」というのは、脳みその底の穴をいう。
その穴から、知識や知恵、経験や手続きが、どんどんと下へこぼれ落ちていく。

 毎週のように劇場へ足を運んで映画を観ていると、そのことが、実感としてよくわかる。
先にあげた『2012』にしても、かなり印象に強く残った映画である。
そんな映画でも、つぎに『カールじいさんと空飛ぶ家』を観、そのあと『イングロリアス・
バスターズ』を観るころには、忘れてしまう。

 考えてみれば、これは恐ろしいことである。
というのも、忘れたということに気づかないまま、忘れていく。
気がついたときには、ボケは、再起不能の状態のところまで進んでいる!

 だからというわけでもないが、「ボケ防止」といっても、映画程度では、ボケ防止になら
ないのではないか。
どこかの音楽会へ行くとか、演劇を観賞するとか。
美術館へ足を運ぶのもよい。
もちろん旅行でもよい。
つまり努力して、その(変化)の枠を大きくしないかぎり、何をしても、ボケ防止として
の効果はない(?)。

 繰り返しになったとたん、枠の中に閉じ込められてしまう(?)。

 いわんや、毎週野球中継を観る程度の変化では、効果はない(?)。
昨年、他界した私の実兄ですら、死ぬ1、2年前、こう言っていた。
「野球なんて、どれも同じ」と。
実兄は、うつ(鬱)から認知症に似た症状を、そのとき発症していた。

●みな、同じ

 要するに私たちの脳みそは、日々に、どんどんとボケているということ。
しかもタチの悪いことに、それに気づかないまま、ボケているということ。
「私はまとも」と思っている間にも、どんどんとボケていく。
脳のCPU(中央演算装置)からボケていくから、理屈の上では、それに気づくことはな
い。

 その点、肉体のばあいは、自分の顔や体を鏡に映すことによって、老化の度合いを知る
ことができる。
たるんだ胸や腹、それに尻。
それを見ながら、「ああ、私も年を取ったなア」と。

 しかし脳みそのばあいは、それがわからない。
聞くところによると、あの特別養護老人ホームにいる老人たちにしても、自分で自分のボ
ケを自覚している人は、まずいないという。
みんな自分では、「私は若いころと同じように、利口」と思っているらしい。

 このことは、子ども(幼児)についても言える。

 先日も、「3+4」の問題を、私が計算機を使って計算してみせたら、(もちろん演技で、
そうしたのだが)、真顔で私にこう言った子ども(年長・女児)がいた。

「先生、そんな問題もできないの!」と。

 特別養護老人ホームの老人たちを、笑ってはいけない。
子どもたちを、笑ってはいけない。
私たちと彼らは、どこも違わない。
まったく、同じ。

●では、どうするか?

 ボケについては、まず、自分を知る。
すべては、そこから始まる。
幸いにも私のばあいは、中学生や高校生にものを教えるという立場で、ある程度、自分を
知ることができる。

 昨日は、高校生にベクトルを教えた。
ある高校生が、いきなりこんな問題をもってきた。

「a(→)=(1、2)、b(→)=(1、ー1)、c(→)=(5、4)のとき、sa(→)+tb(→)=c(→)となった。
sとtの値を求めろ」と。

 きわめて初歩的な問題だが、実のところ、高校生にベクトルを教えるのは、10年〜ぶ
り。
英語なら、予習なしでも、高校3年生まで教えられる。
が、数学は、そこまで得意ではない。

で、こういうとき私は、まず、「こんな簡単な問題は、私にできないはずはない!」と言
い聞かせながら、教え始める。
とたんカーッと、頭に血が上っていくのがわかる。
つまりそれが大切。
言うなれば、サビついた脳細胞を、そのつど血で洗う。

 が、もしこの段階で、「私にはできない」と逃げてしまったら、どうか?
頭は冷えたまま。
頭に血が上ることはない。
そのままベクトルを忘れてしまう。
が、これではいけない。

つまりそうした場を、日常的に、身のまわりに作りあげていく。
「頭に血が、カーッと登るような場」を、である。
それがボケ防止ということになる。

 けっして、同じことを繰り返すようになってはいけない。
それには映画も、野球中継もない。
繰り返すようになったとたん、ボケ防止としての意味を失う。

 常に新しいことに挑戦し、脳細胞に刺激を与えていく。
枠を広げる。
それが結局は、ボケ防止になる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ボケ ボケ防止 ボケ防止論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●官民人材交流センター

+++++++++++++++++

官僚の天下りを規制しようという目的で誕生したのが、
「官民人材交流センター」。
これが官僚自身の手によって、骨抜きにされた上、
今、現在(09年12月)は、停止中。
鳩山政権は、センターの廃止の方針をすでに決めている。

なぜか?

+++++++++++++++++

●流れ

 当初、官民人材交流センターの発足に対して、官僚たちは、猛反発した。
が、どういうわけか、麻生政権になると、一転、実現に向けて積極的に動き出した。
妙に協力的になり、懇談会を立てつづけに開いた。
なぜか?

 人材センターを職員10人規模の、「形だけの」組織にすることにより、センターその
ものを形骸化するためである。
つまりセンターを、各省庁からあがってきた、書類を「ホッチキスで留めだけの機関」
にする。
そうすれば、官僚たちは、今まで通り、自由に天下りできる。
しかも「官民人材交流センター」という公的機関のお墨付き。
堂々と天下りできる。

●限度額の引き上げ

 そこでセンターを立ち上げる際の懇談会では、こう決まった。
「官僚の年収に見あう、年間1400~1600万円以上の事業を、国から随意契約で
請け負っている法人には、官僚を天下りさせない」と。
実際には、「1000万円程度なら、人件費をカバーできない」との意見が出された。

 こうすれば、天下り先の企業は、官僚を迎え入れるだけの(うまみ)を、なくす。
企業が、なぜ官僚たちを迎え入れるかといえば、持参金としてもってくる随意契約が、
ほしいから。
その随意契約が年収程度ということになれば、受け入れるだけの(うまみ)がなくなる。

 ところが、である。

 官民人材センターが、実際に発足してみると、その限度額が、官僚たちによって、
勝手に、1億円に引き上げられていた(中日新聞)。

●「懇談会」「会議」というインチキ

 官僚たちは、つぎのような手法を使って、自分たちに都合のよいように、利益を誘導
する。
この方法は、日常茶飯事的に、中央省庁のみならず、地方の県単位、市町村単位でも
使われている。
私たち庶民は、こうしたインチキには、じゅうぶん、注意したらよい。

(1)まず適当に、イエス・マンを中心とした、メンバーを選定する。
(2)選定には、基準はない。自分たちにとって都合のよい人間を選ぶ。
(3)「〜〜懇談会」「〜〜会議」もしくは、それに類する名称をつけて、会議を開く。
(4)会議の議題、目録、内容は、あらかじめ、役人側の方で用意する。
(5)議長には、それなりの有力者、実力者が選ばれる。会議の冒頭で、多数決という形
で選ばれる。
(6)世間で騒がれている問題についての会議ほど、メンバーを多くする。つまりこうす
ることによって、それぞれのメンバーの発言時間を少なくする。
(7)会議は、1回につき、2〜3時間程度。必要な資料は、役人側の方で用意する。
(8)つまり会議は、あくまでも形式的。結論として出される答申の雛型まで、役人側
で用意することが多い。役人側で用意した答申の雛型(役人側は、「書記が会議の内
容をまとめた」と言うことが多い)を、修正、訂正、加筆しながら、会議のメンバ
ーは、答申として提出する。
(9)その答申をもとに、役人たちは、あとは、やりたい放題。

 そのため答申として提出される文書の内容は、総括的、かつあいまいなものほど、よい。
今回の「官民人材センター」にしても、そうである。

●「役人のいつものやり方」

 懇談会は、「天下り官僚の人件費を出すため、省庁が随意契約で事業を発注している」
との議論の中で、随意契約限度額を、報告書(答申)の中に盛り込んだ。
が、決まったのは、「限度額」という言葉だけ。

 しかし麻生政権下の08年12月にセンターが設立された際の「センター長決定」では、
その限度額が、「1億円」になっていた!
つまり答申の趣旨を無視して、官僚たちが、勝手に1億円に引き上げたことになる。

 関係者は、「同センター設置の根拠となる政令をつくる段階の、各省庁の折衝で、骨を
抜かれたようだ」(中日新聞)と述べている。

 こうしたやり方は、まさに官僚の手法。
小ずるさを通り越して、あくどさすら覚える。
はっきり言えば、インチキ!
つまりこうなると、何のためのセンターかということになる。
あるいは、何のための懇談会だったのかということになる。

 座長を務めた田中一昭拓殖大名誉教授ですら、こう述べている。
「変更したことだけを、あとで、知らされた。
答申や法律を細部で変えるのは、役人のいつものやり方」(中日新聞)と。

●日本の政治

 どういう理由で、またどういう思惑があって、鳩山政権は、センターの廃止の方針を
決めたのかは、知らない。

無意味だから、廃止するのか?
それとも官僚に都合が悪いから、廃止するのか?

 どうであるにせよ、一事が万事。
日本の政治は、こういう官僚たちによってゆがめられていく。
が、気がついたときには、もう遅い。
そこにあるのは、鉄壁の要塞。
政権が変わったくらいでは、ビクともしない。

天下りにしても、これほど騒がれているにもかかわらず、何一つ、解決されていない。
解決されていないばかりか、官僚の天下りは、今の今も、かえって堂々となされ
つづけている。

 話はぐんと国際的になるが、あのK国では首都ピョンヤンに住めるだけでも、特権階級
だそうだ。
ピョンヤンの住民たちだけが優遇されている。
食料でも電力でも、ピョンヤン市民に優先的に配分されている。
あとは野となれ、山となれ。
餓死者が出たところで、知ったことか!、と。

そうした事実を見せつけられると、私たちは、「K国は、何とひどい国なのか」と思う。
しかしどっこい。
私たちの住む、この日本だって、それほど、変わらない。
懇談会では、「……官僚の年収に見あう、年間1400~1600万円以上……」という
数字が出てきた。
この数字に驚いたのは、私だけだろうか。

 詳細はよくわからないが、天下り先の年収というふうにも解釈できる。
「ヘエ〜〜」と思っただけで、そのあとの言葉がつづかない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 官民人材センター 天下り規制 官民人材交流セ
ンター)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

To; Mr. Steven Bosworth,

Do you repeat the same failures as Mr. C. Hill did in the past?
North Korea has no idea to make a "Big Deal" with you.
Why can't you understand this simplest political sense in Asia, or soーcalled 
spiritualism we have.
Their nuclear bombs are not for the "Big Deal", but they are the symbols of Power as 
well as Dignity of KimーJongーIl, the tyrant of North Korea.
If he loses them he is nothing but just a tiny man, about which he is afraid of the most.  
Please wake up and see the Asia as it is.
We are afraid that your westernーstyle logical sense does not work here in Asia as you 
expect.

+++++++++++++++++++++++++++

●S・ボズワースよ、目を覚ませ!

S・ボズワースよ、あなたはC・ヒルが犯したのと同じ失敗を繰り返そうとしている。
彼らは、アメリカと、「ビッグ・ディール(大きな取り引き)」をするために、核兵器の開
発をしているのではない。
あなたはアジア人のもつ、精神主義というものが、まったくわかっていない。
核兵器は、独裁者、金xxの権威の象徴であると同時に、力の象徴でもある。
核兵器そのものが、精神的な「本尊」になっている。
もし金xxが核兵器を失ったら、彼はただの人。
金xxは、そうなることを、もっとも恐れている。

北朝鮮のねらいは、あるとすれば、ズバリ、Japan Money。
アメリカと相互友好条約を結んだあと、この日本をゆっくりと料理する。
そのための核兵器。
彼らのねらいは、アメリカや韓国が提供するような、ハシタ金ではない。
総額100兆円(中国を通して打診)とも言われる、日本からの戦後賠償金。

そんなこともわからないで、何が、米朝交渉か?
6か国協議か?

アジア人にはアジア人独特の、精神主義というものがある。
その精神主義を無視して、いくら交渉を重ねても、イン・ベイン(in vain)。
つまり無駄に終わる。

++++++++++++++++++

●K国の目的

 ロイターは、つぎのように伝える。

『米国のボズワース北朝鮮担当特別代表は、北朝鮮に6カ国協議復帰を促すため北朝鮮に
出発した。米高官によると、ボズワース氏は、北朝鮮の6カ国協議復帰の意向を確認する
方針。

……米高官によると、今回の訪朝では米国からの新たな提案はない見通し。ただ、6カ国
協議に復帰すれば、2005年に合意した枠組みに基づく、経済援助が受けられることに
なり、北朝鮮にとっては大きなメリットがある』と。
 経済援助をちらつかせながら、米朝交渉に臨もうとするアメリカ。
「K国は、経済的に困っているはずだから、交渉に応じてくるはず」と、S・ボズワースは考え
ている。
しかしこの視点そのものが、完全に的外れ。
仮に交渉に応じてくるような姿勢を見せたとしても、(1)アメリカの意図を裏から読んでいる
からにほかならない。
もうひとつねらいは、(2)とりあえずの援助を取りつけ、時間稼ぎをすること。
「あいつら、俺たちが援助をほしがっていると思っているぞ。
だったら、それを臭わせながら、協議をこっちのペースに引き込め」と。

●アメリカの意図

 アメリカの意図については、韓国の中央N報が、詳しく書いている。
北朝鮮外交界に人脈が広いトニー・南宮(ナムグン)博士(リチャードソン米ニューメキ
シコ州知事顧問)は、「ボズワース特別代表の訪朝が朝米関係の行方を決める分水界になる
という見方を示した」あと、つぎのように述べている。

  「北朝鮮に核をあきらめる意向があるとみられるか」という質問に対して、「疑いの余地
がない。北朝鮮が核開発を進めた目的は米国に渡すためだ。その代わり、朝米国交正常化
と平和協定、大規模な経済支援と交換するのだ。60年代初めの開発段階では米国に対抗
するためだったが、90年代にはその目的が『米国とのビッグディールのため』に変わっ
た」と。

 どうしてこんなオメデタイ人が、博士であり、(北朝鮮外交界に人脈が広いトニー・南宮
(ナムグン)博士(リチャードソン米ニューメキシコ州知事顧問))なのだろうか。

●精神主義

 もし(ビッグ・ディール)のためなら、もうとっくの昔に、K国は、それをしているは
ず。
もしここで金xxが、核兵器、あるいは核兵器開発を断念すれば、金xxは、「本尊」を失
うことになる。

 本尊である。
武士道における、「刀」でもよい。

 その本尊がどういうものであるかは、仏教で少しは信仰をしたことがある人なら、わか
るはず。
それをアジアでは、「精神主義」という。
理屈ではない。
理屈では、理解できない。

 が、アメリカ人は、自分たちのアメリカ流合理主義だけで、ものごとを考えようとする。
そしてそれを、私たちアジア人に、押しつけてくる。
その政治姿勢そのものが、アジア人のそれとズレている。

●アメリカ流合理主義

 たとえばこの日本でも、合理的に生きるのが、たいへんむずかしい。
とくに宗教がらみの問題については、そうである。
合理的に考えることすら、許されない。
つまりそれだけ民族性というか、土着性が、色濃く残っている。

 ある宗教団体では、壁にかけられた本尊に、息がかかってはだめという理由だけで、口
に何かの葉をかみながら、本尊に手をかける。
もちろん素手ではだめ。
みな、白い手袋をはめて、それをする。

 「刀」についても、そうだ。
江戸時代には、相手の刀をまたいだだけで、その場で切り捨てられた。
あるいは歩いていて、鞘(さや)どうしが触れただけで、切り合いになった。

 K国で合理が通ずるなら、あんな国は、とっくの昔に崩壊している。

●自然崩壊こそ、ベスト

 K国は、自然崩壊させる。
……と書くと、過激な意見に聞こえるかもしれない。
が、「制裁」イコール、「自然崩壊」と考えれば、何でもない。
あの国は、自然崩壊させるしかない。
とくに国際政治は、きれいごとだけでは動かない。

 拉致問題にしても、金xx体制がつづくかぎり、解決しない。
金xx自身が拉致の指揮者だったことを考えるなら、当然のことである。
この問題だけは、よい子ぶっていたら、何も解決しない。

 だからこそ今、K国を自然崩壊にもちこむ。
本来なら武力を使ってでも……ということになるが、あんな国をまともに相手にしてはい
けない。
その価値もない。

 今こそ、国連で決められた制裁措置に従って、粛々と、かつ厳格に、制裁のヒモを強く
引き締める。
時折りしも、今、K国は、デノミ騒動で、大混乱!
暴動を取り締まるため、軍隊まで出動しているという。
K国はまさに、大ピンチ!

 だから、S・ボスワースには、こう言いたい。
「けっして援助の手を差し伸べるな!」と。
C・ヒルの犯した愚策だけは、繰り返してはいけない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 15日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page008.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ネット通販

+++++++++++++++++

先日、小学3年生の子どもたちに、
こう話した。
「ネットで新しいパソコン、買ったよ」と。
そのときのこと。
すかさず子どもたちがこう聞いた。

「価格ドットコム?」「ヤフー・ショッピング?」と。

これには驚いた。
最近の子どもたちですら、その名前を
知っている。
価格ドットコム!
ヤフー・ショッピング!

一方、ネットを通しての販売高は、
デパートやショッピングセンターでの
販売高を超えた。
それも数年前の話。

+++++++++++++++++

●価格比較

 今朝、新聞に折り込み広告が入っていた。
近くの「K」電気店と、駅前の「B」電気店のものである。
ともに全国的なチェーン店を展開している。

朝食後、少し時間があったので、価格を比較してみた。
(こういうヒマなことをするのが、趣味。)
以下、「B」電気店の目玉商品。
(カッコ)内は、価格ドットコムでの、12月25日現在の価格。

emachine-eMD525-W25(ノートパソコン)・・・5万4800円→(4万8000円)
Sony-VGN-NW51FBH(ノートパソコン)・・・11万9800円→(9万0000円)
NEC−PCLL700VG(ノートパソコン・赤)・・・13万4800円→(10万2835円)

 もちろん価格だけで比較するのは、正しくない。
「B」店のばあい、チラシには、「最大で20%のポイント還元」とある。
また店が近いと、故障したときなど、店員に直接相談にのってもらえる。
不良品であれば、すぐ取り替えてもらえる。
しかし全体としてみると、小売店に、勝ち目はない。

たとえば私が今、ねらっているのが、ToshibaのMX/33KWH。
11・6インチのネットブック(白)。
これなどは、近くの「K」店では、現在、7万5000円前後で売っている。
が、価格ドットコムのほうでは、5万0442円。
ちがいは2万5000円。
この差は、大きい。
しかも「K」店には、ポイント制はない。

となると、買うとしたら、価格ドットコムのほうで、となる。

●弱肉強食 

 今、世の中は、大きく変わりつつある。
急速というより、恐ろしく大きく変わりつつある。
販売流通網にしてもズタズタに分断され、弱小の小売店は、街中から、どんどんと姿を消
しつつある。
(……すでに消してしまったところも、多い。)

 それがよいことなのか、悪いことなのか、考えたところで意味はない。
なるようにしか、ならない。
弱肉強食の世界。
食うか、食われるか……。
つまり弱小の小売店は中規模の販売店に、中規模の販売店は大規模の販売店に、さらに大
規模の販売店はその上をいく、全国規模の販売店に、つぎつぎと駆逐(くちく)されてい
く。

 追い払う方は楽しいかもしれない。
しかし追い払われるほうは、そうでない。
日々に、悶々と、重苦しい空気に包まれる。
けっして晴れることのない曇天。
だらだらと、それが何年も、何年もつづく。

●自転車店業界

 私の親の稼業は自転車店だった。
その自転車店で、その苦しみを、私は直接経験している。
今では、自転車店にしても、全国規模の販売店がいくつもある。
価格面においても、サービス面においても、小売店には勝ち目はない。
大規模店は、夜9時〜10時まで営業している。
加えて年中無休。

 これに対して、卸しや(自転車店業界では、問屋のことを、「卸しや」と呼ぶ)単位で、
連合して対抗しようという動きもあるには、あった。
専門職化したり、特製の自転車を並べたりした。
外国の自転車の特約店を、チェーン店化したりもした。
「高級自転車は、自転車店で」という、ブランド化の動きもあった。
が、ここへきての不況。
プラス店主の高齢化。
「弱り目にたたり目」とは、こういう状態をいう。
今では、自転車店業界は、「斜陽」というより、「衰退」産業に位置づけられている。

 が、大型店が安泰かというと、そうでもない。
それがネット通販。
何と、自転車業界にまで、触手を伸ばしつつある。
価格ドットコムでも、楽天ショップでも、自転車を取りあつかい始めている。
今はまだ値段のはっきりしているメーカー品にかぎられているが、(というのも、自転車ほ
ど、値段のわからない商品はないので)、それも時間の問題。
やがて原産地表示、品質表示、材質表示などが、詳しく表示されるようになるだろう。
むしろ小売店のほうが、値段をごまかして売っているケースのほうが多い。
「ごまかす」という言い方がまずいことは、よく知っている。
しかし自転車ほど、卸値(おろしね)のわからない商品はない。

 で、あとは修理の問題ということになる。
アフターサービス。
が、現実には、自転車も消耗品の世界に入りつつある。
大手のAショップ(全国展開の自転車大型店)では、「2年半」と読んでいる。
つまり自転車の寿命は、2年半。
パンク程度の修理は残るかもしれないが、平均的な人は、2年半で、自転車を乗り換えて
いるという。
昔のように何度も修理しながら、乗りつづけるという時代は、終わった(?)。

●政治の問題 
 つまりここまでくると、個人の問題というよりは、政治の問題。
街の文化は、街の商店主たちが支えてきた。
その文化が、今、こうしてつぎつぎと灯を消そうとしている。
しかも一度消えたら最後、再生は、ほとんど不可能。
その一例として、自転車店業界をあげた。

 そこで街の文化。
「どうやったら、街の商店を守れるか」という発想ではなく、「どうやったら、街の文化を
残すことができるか」という発想で、この問題を考える。
個人の問題ではない。
地域の問題。
みんなの問題。
となると、もう政治しかない。   

 ……とは言いつつ、私も今年(09)から、ネット通販を通してものを買うことが多く
なった。
価格が4〜5万円を超えるようなものは、まず近くの店で、現物と価格を調べる。
つぎに家に帰って、ネットで価格を調べる。
差額がそれほど大きくなければ、店で買う。
その差額がじゅうぶん魅力的なものであれば、ネット通販で買う。
心理的には、10〜15%前後か。
それ以上の差額であれば、ネット通販で買う。

たいていその翌日には、玄関先前まで届けてくれる。
が、「どうすればいいだろう……」と思ったところで、思考停止。
どうしようもない。
今さら、この(流れ)を止めることは、だれにもできない。

 ……街を歩くたび、そしてさびれた商店を見るたび、私にはその店のおやじたちの悲鳴
が聞こえてくる。
そのおやじの悲鳴を聞きながら、暗くて重い気持ちで、悶々としている家族の気持ちが伝
わってくる。

 やはりこの問題は、なるようにしか、ならないのか。
私たちは今、その時代の流れの、まっただ中にいる。

 子どもたちとの会話はつづいた。

私「価格ドットコムって、何?」
子「価格ドットコムも、知らないの? ……後れてるウ」
私「だって、君は、インターネットをしていないのだろ?」
子「ママがしているよ」
私「ハア、ママがしているのかア……?」
子「そうだよ」と。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「子どもをもつ必要はない」!?

+++++++++++++++++

「子どもをもつ必要はない」と考えて
いる人が、半数以上もいる。

このほど内閣府が発表した調査結果に
よれば、20代、30代の若い人を
中心に、「子どもをもつ必要はない」と
考えている人が、それぞれ63%(20代)、
59%(30代)もいることがわかった。

ならばそう考えている人に聞く。
あなたがたの老後のめんどうは、
いったい、だれがみるのか?
次世代のこの日本は、だれが担(にな)うのか?

……というヤボな質問はさておき、
子育ては、人間が本来的にもつ、権利である。
種族保存ということを考えるなら、
私たち1人ひとりが真剣に考えなければ
ならない、義務である。

が、それだけではない。
子育てをすることによって、人は、生きる目的、
意義、さらには喜びを、知る。

世の中には、子どもがほしくても、それが
できなくて、悲しい思いをしている人も多い。
そういう人たちの心も、少しは考えるなら、
安易に、「子どもをもつ必要はない」などとは、
考えないでほしい。

仮にそう考えたとしても、そういう(考え)とは、
自分の中で戦ってほしい。
いろいろと事情のある人もいるだろう。
それぞれの人には、それぞれの思いもあるだろう。
が、それはそれ。
まず、それと戦う。
戦った上で、「子どもはもつ必要はない」と
答えてほしい。

内閣府は、「生き方の多様化が進んでいる」と
コメントを寄せている。
とんでもない!
これは「多様化」の問題ではない。
「子どもをもたない」ことは、生き方の選択肢の
ひとつではない。
また選択肢のひとつと考えてはいけない。

そんなことはないと思うが、もし、あなたが、
「子育てをするのは、わずらわしい」とか、
「子育てをすれば、自分たちが楽しめる時間が減る」とか、
そんなふうに考えているとしたら、それは、まちがっている!

子育ては、たいへん!
つらい!
それはその通り!
しかしそれを乗り越えるところから、生きる喜びが
生まれる。
人生の深みも、そこから生まれる。

私たちは何のために生きているか。
何のために、ここにいるのか。
ものごとは、そこから考え直してみてほしい。

++++++++++++++++++

 2009年12月5日の時事通信は、つぎのような記事を配信している。

++++++++++以下、時事通信より++++++++++++

内閣府は5日、男女共同参画に関する世論調査の結果を発表した。それによると、結婚
しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人は、2年前の前回調査に比べ6.0ポ
イント増の42.8%となり、1992年の調査開始以来最高となった。持つ必要があると
する人は同6.5ポイント減の52.9%だった。少子化の背景に、国民の家庭に対する意
識変化があることを示した結果と言え、内閣府の担当者は「生き方の多様化が進んでい
る」としている。

 調査は、10月1日から18日にかけて、全国の成人男女5000人を対象に個別面接
方式で実施。有効回収率は64.8%だった。

 子どもを持つ必要はないとした人は、男性が38.7%、女性が46.4%だった。年齢別で
は、20歳代が63.0%、30歳代が59.0%と高く、若い世代ほど、子どもを持つことに
こだわらない傾向が浮き彫りになった

++++++++++以上、時事通信より++++++++++++

●子どもに育てられる

 親が子どもを育てるのではない。
子どもが親を育てる。

 ……というような話は、講演会の場で、私が毎回話していることである。

私の本からの一作を、転載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもへの愛を深める法(子どもは下から見ろ!)

親が子どもを許して忘れるとき

●苦労のない子育てはない

 子育てには苦労はつきもの。苦労を恐れてはいけない。その苦労が親を育てる。親が子
どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。よく「育自」という言葉を使って、「子育
てとは自分を育てること」と言う人がいる。まちがってはいないが、しかし子育てはそん
な甘いものではない。

親は子育てをしながら、それこそ幾多の山や谷を越え、「子どもを産んだ親」から、「真の
親」へと、いやおうなしに育てられる。たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてくるよ
うな親は、確かに若くてきれいだが、どこかツンツンとしている。どこか軽い(失礼!)。
バスの運転手さんや炊事室のおばさんにだと、あいさつすらしない。しかしそんな親でも、
子どもが幼稚園を卒園するころには、ちょうど稲穂が実って頭をさげるように、姿勢が低
くなる。人間味ができてくる。

●子どもは下からみる

 賢明な人は、ふつうの価値を、それをなくす前に気づく。そうでない人は、それをなく
してから気づく。健康しかり、生活しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私には三人の息子がいるが、そのうちの二人を、あやうく海でなくすところだった。と
くに二男は、助かったのはまさに奇跡中の奇跡。あの浜名湖という広い海のまん中で、し
かもほとんど人のいない海のまん中で、一人だけ魚を釣っている人がいた。あとで話を聞
くと、国体の元水泳選手だったという。

私たちはそのとき、湖上に舟を浮かべて、昼寝をしていた。子どもたちは近くの浅瀬で遊
んでいるものとばかり思っていた。が、三歳になったばかりの三男が、「お兄ちゃんがいな
い!」と叫んだとき、見ると上の二人の息子たちが流れにのまれるところだった。私は海
に飛び込み、何とか長男は助けたが、二男はもう海の中に沈むところだった。

私は舟にもどり、懸命にいかりをたぐろうとしたが、ロープが長くのびてしまっていて、
それもできなかった。そのときだった。「もうダメだア」と思って振り返ると、その元水泳
選手という人が、海から二男を助け出すところだった。

●「こいつは生きているだけでいい」

 以後、二男については、問題が起きるたびに、「こいつは生きているだけでいい」と思い
なおすことで、私はその問題を乗り越えることができた。花粉症がひどくて、不登校を繰
り返したときも、受験勉強そっちのけで作曲ばかりしていたときも、それぞれ、「生きてい
るだけでいい」と思いなおすことで、乗り越えることができた。

私の母はいつも、こう言っていた。『上見てキリなし。下見てキリなし』と。人というのは、
上ばかりみていると、いつまでたっても安穏とした生活はやってこないということだが、
子育てで行きづまったら、「下」から見る。「下」を見ろというのではない。下から見る。「生
きている」という原点から子どもを見る。そうするとあらゆる問題が解決するから不思議
である。

●子育ては許して忘れる 

 子育てはまさに「許して忘れる」の連続。昔、学生時代、私が人間関係のことで悩んで
いると、オーストラリアの友人がいつもこう言った。「ヒロシ、許して忘れろ」(※)と。

英語では「Forgive and Forget」という。この「フォ・ギブ(許す)」という単語は、「与え
るため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。
しかし何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか。私は心のどこかで、この言葉
の意味をずっと考えていたように思う。が、ある日。その意味がわかった。

 私が自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。そのときだ。この言葉が頭を横切
った。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子どもはお前の子ども
ではないか。許して忘れてしまえ」と。つまり「許して忘れる」ということは、「子どもに
愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れろ」ということになる。

そしてその深さ、つまりどこまで子どもを許し、忘れるかで、親の愛の深さが決まる。も
ちろん許して忘れるということは、子どもに好き勝手なことをさせろということではない。
子どもの言いなりになるということでもない。

許して忘れるということは、子どもを受け入れ、子どもをあるがままに認めるということ。
子どもの苦しみや悲しみを自分のものとして受け入れ、仮に問題があったとしても、その
問題を自分のものとして認めるということをいう。

 難しい話はさておき、もし子育てをしていて、行きづまりを感じたら、子どもは「生き
ている」という原点から見る。が、それでも袋小路に入ってしまったら、この言葉を思い
出してみてほしい。許して忘れる。それだけであなたの心は、ずっと軽くなるはずである。

※……聖書の中の言葉だというが、私は確認していない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もう1作、中日新聞の載せてもらった
原稿を掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子育てには四つの方向性

 その(1)。子どもに子ども(あなたからみれば孫)の育て方を教えるのが、子育て。「あ
なたが親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふうに子どもを
叱(しか)るのですよ」と。

もっと言えば、子育ての見本を見せるのが子育て。「親子というのはこういうものですよ」
「幸せな家庭というのはこういうものですよ」と。あなたの子どもは親になったとき、あ
なたがした子育てを繰り返す。それを想像しながら、子育てをする。

 その(2)。あなたは今、自分が受けた子育てを繰り返しているにすぎない。そこであな
たの過去をさぐってみる。あなたは心豊かで、愛情深い家庭環境で育っただろうか。もし
そうならそれでよし。が、そうでなければ、あなたの子育ては、どこかがゆがんでいると
みる。その「ゆがみ」に気づくこと。あなたはひょっとしたら、そのゆがみに気づかない
まま、今の子育てをしているかもしれない。そしてさらに、そのゆがみを、あなたから、
今度はあなたの子どもへ伝えているかもしれない。…と、言ってもむずかしいことではな
い。この問題だけは、気づくだけでよい。それでなおる。

 その(3)。子育ては「上」から見る。自分の子育てを、他人のと比較する。兄弟や友人、
さらには近所の人たちのと比較する。もしできれば、世界の子育てと比較してみるのもよ
い。子育てでこわいのは、独善と独断。「子どものことは私が一番よく知っている」「私が
正しい」と豪語する親ほど、子育てで失敗しやすい。要は風通しをよくするということ。
そのために視野を高くもつ。

 最後に(4)。子育てはただの子育てではない。よく「育自」という言葉を使って、「子
育てとは自分を育てることだ」と言う人がいる。まちがってはいないが、しかし子育ては、
そんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、谷を越え、いやお
うなしに育てられる。

はじめて幼稚園へ子どもを連れてくるような親は、たしかに若くてきれいだが、底が浅い。
しかしそんな親でも、子育てで苦労するうちに、やがて姿勢が低くなり、人間的な深みが
できてくる。親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。子どもが親に、人間
がどういうものかを教える。

 以上、子育てに、未来、過去、外、内の四つの方向性があることを、私は「子育て四次
元論」と呼んでいる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 この2作だけではわかってもらえないかもしれないが、子育てには、(子どもを育てるこ
と)以上に、大きな意味がある。
その意味を知るか知らないかは、あなたの自由かもしれない。
しかしその意味を教えてくれる子育てを、自ら放棄してしまうというのは、どうか?
はたして正しい選択と言えるのか?
選択の問題と、片づけてよいのか?

 今、あなたはそこにいる。
そこに存在する。
それはたいへん重い意味をもっている。
が、その存在と同じくらい重い意味が、子育ての中にある。
(生きる)ということは、(あなた)が生きることを意味する。
あなたが生きる。
が、あなただけが生きるのではない。
あなたの中のあなたが生きる。
子育てというのは、その一部。

 それがわからなければ、一度、自分の手をしっかりと見つめてみることだ。
そこに見える、手や指、爪は、あなたのものであって、けっしてあなたのものではない。
数十万年という長い年月を経て、進化の過程で、そういう手や指、爪になった。
そこに尊さや気高さを少しでも感じたら、あなたがつぎに考えることは、それをつぎの世
代に伝えること。

子育てをしないというのであれば、あなたは(生きる)ことそのものを、放棄したと考
えてよい。
でないというのなら、あなたはいったい、何のために、生きているのか。
あなたの中に生きているあなたを、あなただけのものとして、終わらせてよいのか。
が、そんな権利は、あなたにも、ないはず。

仮に百歩譲って、もしそうであるとするなら、「何のために必要でないのか」、その質問
には、きちんと答えてほしい。
子育てをすること以上に、ほかに崇高な目的があるなら、それもよいだろう。
しかし残念ながら、子育てをすること以上に、崇高な目的など、存在しない。
そんなことは、ほかの生物を見れば、すぐわかること。
ありとあらゆる生物は、自分の命を、つぎの世代に伝えるために、生きている!

 また先にも書いたように、何らかの事情があって、子育てをしたくても、できない人も
いる。
たいへんつらい思いをしている人もいる。
そういう人たちの気持ちが、千分の1でもわかるなら、「子どもをもつ必要はない」とは、
安易に考えてほしくない。

 「政府など必要ない」と考えたら、それは、無政府主義。
同じように、「子どもをもつ必要はない」と考えたら、それは、非人間主義。
非生物主義でもよい。

 もちろんそう考えるようになるには、それなりの理由があることと思う。
子育てには、金がかかる。
子育てには、時間も取られる。
この日本では、子どもをもつことにより、幸福感を味わうよりも、そうでないときのほう
が多いかもしれない。

 この日本では、子どもというより、子育てを、あまりにもないがしろにし過ぎた。
「子供というのは、放っておいても生まれるもの」という政策が基本になっている。
国の予算にしても、国家税収の78%が土木建設費にかけられる一方、教育費は、対GD
P費でみても、たったの4〜5%(注:国家税収を40兆円、03年度の土木建設費を、
31兆円で計算)。
こんなバカげた国は、そうはない。

しかしだからといって、短絡的に、そのことを結論と結びつけてはいけない。
世の中には、私のように微力ながら、そうした社会と戦っている人間もいる。
大切なことは、「だからダメだ」式に逃げるのではなく、「みんなでよくしよう」と戦うこ
と。

 どうであるにせよ、今回の内閣府のした調査結果には、ほんとうに驚いた。
絶望感すら、覚えた。
はっきり言えば、今の若い人たちに、失望した。
「日本も、とうとうこなってしまったのか!」と。

 最後にもう一度、繰り返す。

 自分のことしか考えない人間を、ジコチューという。
同じように、自分の世代のことしか考えない人間も、ジコチューという。
日本の若い人たちが、ジコチューな人間になりつつあるとは、以前から感じていた。
が、ここまでジコチューになっているとは、知らなかった!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子どもをもつ喜び 育児の喜び 内閣府 調査 子どもをもつ必要は
ない 子供をもつ必要はない)

+++++++++++++++

(参考)(「税金知郎の日本解体新書」HPより)

●日本の公共事業費は巨額

1.日本の公共事業費は巨額! GDPの3.92%が行政の土木建設費
2.国と地方の公共事業費の純計は、31兆5,941億円(2003年度)!

●就学前教育の公的負担割合も低い!

1.生徒一人当りの就学前教育費の家計負担額は、OECD加盟国中3番目に高い!
2.生徒一人当りの就学前教育の家計負担割合は、OECD加盟国中2番目に高い!
3.大卒までの生徒一人当りの教育費の家計負担額は、OECD加盟国中2番目に高い!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●前向きに生きる

 数日前も、義兄と語り明かす。
話が尽きない。
生き様が前向きなのが、よい。
話を聞いていても、あきない。
楽しい。

 義兄がほかの老人たちと異なる点は、過去の話、つまり回顧的な話をしないこと。
「昔はよかった」式の話は、しない。
そのかわり、「先週は長野までドライブした」とか、「バイクで、磐田市まで行ってきた」
とか、そういう話をする。
言い忘れたが、義兄は、今年、75歳。
後期高齢者ということになる。
また75歳くらいから、人は、自分が老人であることを自覚するようになるという。

 が、義姉のほうは、義兄の心配ばかり。
義兄は、脳梗塞の経験もある。
自分では、「前科者」と言っている。
その長野へドライブへ行った際にも、突然、左目が見えなくなってしまったという。
で、その日は予約していた旅館には泊まらず、そのまま浜松まで帰ってきてしまった。
時間にすれば、3〜4時間の距離である。
「虚血性の何とかだったよ」と、義兄はその話をしながら、カラカラと笑った。
義姉は、「無茶ばかりする……」と。

●後ろ向きな女性

 一方、歳は同じくらいなのだが、こんな女性もいる。
部屋中にお札様を張り、サイフの中には、ヘビの皮を入れているという。
そうすれば、お金が入ってくるという。

 話すことと言えば、先祖の自慢話か、あの世の話。
「私も、もうすぐお迎えが来ますから……」と。
今にも死にそうな、か細い声で、そう言う。
そう言いながら、他人の同情を買う。
が、私は同じ言葉を、もう20年前から聞いている。

 そういう老人の話は、おもしろくない。
聞いていても、つまらない。
要するに、その女性の言っているのは、グチ(愚痴)。
グチは、その人を小さく、見苦しくする。

●良循環vs悪循環

 2人の老人を頭に浮かべながら、どこがどう違うかを、考える。
簡単に言えば、「前向き」と「後ろ向き」。
子どもでも、新しいことに、つぎつぎと挑戦する子どもがいる一方で、何かにつけ、
逃げ腰の子どももいる。
どちらの子どもが伸びるかということになれば、今さら言うまでもない。

 同じように、老人でも、外向きな人もいれば、内向きな人もいる。
義兄は、その外向きな人ということになる。
例にあげた女性は、内向きな人ということになる。

 どちらであるにせよ、他人の目など気にすることはない。
しかし前向きに生きている人のところには、みなが集まっていく。
後ろ向きに生きている人からは、みなが遠ざかっていく。
それがともに、良循環、悪循環となって、その人の周りの世界を作っていく。
どちらが好ましいかということになれば、これも、今さら言うまでもない。

●回顧性

 「今を生きる」という言葉には、いろいろな意味が含まれる。
「今を懸命に生きる」という意味のほか、「今を大切にする」「今がすべて」などなど。
もうひとつ、「過去に縛られない」という意味も含まれる。

 心理学でいう「回顧性」というのは、「過去にしばられること」をいう。
が、誤解しないでほしい。
過去を懐かしんだり、思い出したりするのは、何も悪いことではない。
それはそれ。
しかしその過去にしばられてはいけない。
が、それには2つの意味がある。

 ひとつは、過去のいやな思い出を引きずること。
もうひとつは、過去の栄華や名誉を引きずること。
先日も、こう言った女性がいた。

 「私の父は、(父の)実家を出るとき、実家から財産分けをしてもらっていない」と。
70歳近い女性が、いまだにそういう話をする。
しかも70年とか、80年も前の話である。

あるいはこのタイプの人は男性に多いが、退職前の肩書きを引きずっている人もいる。
先日も、小さなレストランで、若い店員に向かって、怒鳴り散らしていた男性がいた。
「ライスは、大盛りと言っただろがア!」と。

 その威張り方が、時代劇に出てくる侍のようで、あきれるというよりは、おもしろ
かった。
ワイフはその男性を見ながら、こう言った。
「きっとあの人は、退職前は、役人か何かで、威張っていたのよ」と。 

 どうであるにせよ、過去にしばられるのは、よくない。

●映画『カールじいさん、空を飛ぶ』

 ……ということで、昨夜は、映画『カールじいさん、空を飛ぶ』という映画を
見てきた。
カールじいさん、イコール、前向きな老人(?)。
星は5つの、★★★★★。
つまり前向きに生きるエネルギーを分けてもらうために、その映画を見てきた。
昨夜(12月5日)封切りの、ピカピカの新品映画。

 おまけに1か月有効のフリーパスが手に入ったから、映画は見放題。
ハハハ。
映画を見ながら、「人生、こうでなくちゃア」と、カールじいさんに、乾杯!
時間さえ許せば、毎日でも劇場に足を運んでやる!
カールじいさんに負けないぞ!

 とういうことで、迷っていたが、それに今夜、いよいよ最先端の「i7/64ビット」
パソコンを注文をする。
納期は、2週間先の、12月22日とか。

●パソコン

 で、そのパソコンの話。

 釣り師が、よい釣り竿を求めるように、
ゴルファーが、よいクラブを求めるように、
私は、よいパソコンを求める。

 が、ひとつ、ほかの趣味とは大きく異なる点が、ある。
釣り竿は、魚を釣るため。
クラブは、飛距離を伸ばすため。
正確さも、重要なポイントとなる。

 が、パソコンには、そういった目的がない。
たとえば私は、パソコンを、もっぱら文章を書くために使う。
しかしパソコンがあるから、文章が書けるわけではない。
いくらよいパソコンがあっても、よい文章が書けるとはかぎらない。
パソコンを打つ練習をしたからといって、よい文章が書けるようになるわけではない。

おかしなもので、パソコンに向かった瞬間というのは、頭の中は真っ白。
パソコンに向かったからといって、書きたいことが浮かんでくるわけではない。

 そういう意味では、パソコンは、昔の作家たちが使ったペン、もしくは
筆のようなもの(?)。
わかりやすく言えば、「道具」。
が、それでも、私はよいパソコンを求める。
いくつか、ポイントがある。

(1)性能がよいこと
(2)キーの感触がよいこと、などなど。

 何よりも大切なのは、相性。
「これはいい」と思ったパソコンが、よい。
その相性が合わなければ、それまで。
手で触れるのも、おっくう。
文章そのものが、頭の中に浮かんでこない。

 が、ここでいつも問題が起こる。
以下は、ノートパソコンの話。

「いいパソコン」と思って使い始めても、使いにくくて、あきてしまうことがある。
たとえば私のばあい、ENTER・キーが小さいと打ちづらい。
ENTER・キーの右横にキーがあると、使いづらい。
最近では、タッチパッドの感度がよすぎて、指を近づけただけで、勝手に
反応してしまうものがあった(M社のミニノート)。
ほかのは、感度を調整したりできるのだが、それはできなかった。
だからそのまま、生徒の1人にあげた。

 最近では、キーの感触のみならず、表面加工の仕様にも気を使っている。
ツルツル・テカテカしているのは、指先がすべり、何かにつけて使いにくい。
これには、人それぞれに好みがあるようだが……。

 ……とまあ、こんなふうにして文章を叩いていると、やがて頭の中の、作文モードに、
スイッチが入る。
とたん、書きたいことが、ドドーッと出てくる。
あとは、それを文章に仕上げていく。

 私にとって、パソコンというのは、そういう道具をいう。

●親が原因

 話がぐんと、生臭くなるが、子育ての話。

 親自身が、子どもの成長を台無しにするという例は、多い。
その子どもには、能力もある。
力もある。
せっかくそういう能力に恵まれながら、親自身が、子どもの方向性をつぶしてしまう。
そういう例は、多い。

 印象に残っている子どもに、R君(小学生)という子どもがいた。

 頭もよかった。
性格もよかった。
好奇心も旺盛で、放っておいても、学校でもトップクラスを走るような子どもだった。
しかし母親が悪かった。
完ぺき主義で、神経質だった。
学校でするテストにしても、満点(すべて正解)でないと、許さなかった。
毎日子どもにノルマを課し、そのノルマを果たしていないと、夜中でも、子どもを
ベッドから引きずり出して、それをさせていた。

 小学3、4年生ごろまでは、それでも何とか(いい子?)で過ごした。
が、そのころを過ぎると、母親を避け始めた。
会話も途絶えがちになった。
しかし母親は、それを許さなかった。
学校へ行き、担任の前で、さめざめと泣いて見せた。
「息子が、学校であったことを話してくれなくなったア」と。

 こうしてR君は、混乱し始めた。
もし母親に、「自我の同一性」についての片鱗でも、知識の中にあったら、子どもの
接し方も大きく違っただろう。
が、母親は無知、それに無学だった。

 小学6年生のときには、地域のサッカークラブに属していたが、母親の命令で、
それをやめさせられてしまった。
毎週日曜日は、叔父と海釣りに行っていたが、それもやめさせられてしまった。
「受験勉強に専念するため」と。

 が、異変はすぐ起きた。
R君は、母親の前では、相変わらず従順な息子を装っていた。
しかし勉強といっても、フリ勉。
時間がかかるだけで、勉強は、ほとんどはかどらなかった。
それでも持ち前の知的能力とまじめさで、そこそこの成績をあげていた。
が、このあたりでもいちばんという、進学校には力が足りなかった。
そのため母親は、R君を毎日のように、叱りつづけた。

R君のケースは、しかし、けっして特異な例ではない。
親が、子どもの伸びる芽を自ら摘んでしまうというケースは、多い。
その上、タチの悪いことに、親にその自覚がない。
ないから、反省するということもない。
無理に無理を重ねながら、悪循環を繰り返す。

 やっと頭が動き始めた。
今日も、こうして始まった。
2009年12月6日、日曜日。
今日の予定はとくにない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 カールじいさん カール爺さん UP カールじいさんの空飛ぶ家)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm           
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ        
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 13日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page007.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心のクッション】

●人はなぜ怒るか

++++++++++++++++++++

(怒り)にもいろいろある。
その中でも、ちょっと変わった怒りもある。
「変わった」というよりは、「極端な」といったほうが、
正しいかもしれない。
実際の例をいくつかあげながら
怒りについて、考えてみたい。

++++++++++++++++++++

(例1)

 Hさんは、その少し前から認知症の疑いがあった。
今年65歳、女性。
もの忘れがひどくなりつつあった。
そんなある日、クラブのメンバー(友)と、電話でこんなやり取りをしたという。

H「今度の会合は、AA台にあるBBというレストランでしましょう」
友「わかりました、AA台のBBですね」と。

 で、しばらくほかの話をしたあと、終わり際に、友人が
「じゃあ、AA台のBBで……」と言ったときのこと。
突然、Hさんは、パニック状態になってしまった。

「私、BBなんて言っていません。CCです!」

友「だって、あなた先ほど、BBって、言いましたよ」
H「言っていません。どうしてそんなウソをつくのですかア!」と。

 ふつうの激怒ではない。
ギャーギャーと泣き叫ぶようにして、そう言ったという。

【例2】

 同じく、そのHさんのこと。
親類(Hさんの従兄)の1人も、そうした異変に、薄々気がつき始めた。
それでその親類が、Hさんの夫に、それとなくそれを伝えようとしたときのこと。
親類は、Hさんのことを心配して、それを伝えようとした。
こうした病気は、早期に発見し、治療を始めれば、進行を遅らせることができる。
が、Hさんの夫は、逆に怒ってしまったという。

「Hは、思い込みがはげしいところはあるが、頭は何ともない!
頭はいい!」と。

 あまりの剣幕に、従兄のほうが、たじたじになってしまったという。

【例3】

 内容は同じような話だが、Xさん(45歳、女性)も、このところ様子が
おかしい。
ガスコンロの火を消し忘れたり、風呂の湯を止め忘れたりする、など。
あるいは3〜4日も、気分が悪いといっては、床に伏したままになることもあった。
そこで夫が、Xさんを、心療内科へ連れていこうとした。

 が、これにXさんが、猛反発。
逆上というか、まるで狂人のようになって暴れて、抵抗したという。

【例4】

 つぎの話は、以上の話を、私の友人に話したとき、その友人から聞いた話である。

 その家には、90歳を過ぎた母親がいた。
そのときすでに、要介護度3前後の認定を受けていた(旧認定基準)。
そこでその友人が、いろいろ考えた末、特別養護老人ホームへ入居の手続きを
しようとした。
それを聞いた、友人の妹たち2人が、友人の家にやってきて、これまた大激怒!
「親を、施設に入れるな!」と。

●怒り

 これらの怒りに共通するのは、「心のクッション」がないこと。
心に余裕がない。
心は緊張状態にあり、そこへ何らかの刺激が加わると、一気にそれを
解消しようとして、精神状態が不安定になる。

 ふつうなら、こういうとき、理性が感情の暴走にブレーキをかける。
が、そのブレーキが働かない。
このことから、こういうケースのばあい、(怒り)は、つぎの二段階を経て、
(怒り)になることがわかる。

(1)心が緊張状態にあって、不安や心配が入り込むと、それを一気に解消
しようとして、不安定になる。
(2)感情が暴走し、理性によるブレーキが働かなくなる。

●では、どうするか

 (怒り)は、(心のクッション)と、大きく関係している。
(心のクッション)が、大きい人は、相手の心を、暖かく包み込むことができる。
そうでない人は、そうでない。
そのまま相手の心を、冷たくはね返してしまう。

 私の印象では、(あくまでもそう思うだけだが)、認知症か何かになると、この
心のクッションが、たいへん薄っぺらくなる。
心の余裕そのものがなくなり、ささいなことで、激怒しやすくなる。
 
 お金にたとえるのも不謹慎なことかもしれない。
しかしたとえば懐(ふところ)に、何百万円ももっている人は、寿司屋でも、好きな
寿司を注文することができる。
しかし小銭しかないと、ハラハラしながら食べなければならない。

 同じように、心の中に(大きなもの)をもっている人は、ささいなことでは、動じない。
そうでない人はそうでない。

 たとえばそれが(思い込み)であるにせよ、何かの信仰をもっている人は、外部の人に
対して、おおらか。
いつも満足そうな笑顔を浮かべている。
科学者にしても、思想家にしてもそうだ。
「宇宙だ」「哲学だ」「真理だ」と言っている人は、それだけ、ささいなことでは、動じな
い。

 言い換えると、このタイプの(怒り)と闘うためには、(怒り)そのものと闘うというよ
りは、それによって動じない(大きなもの)を、もつこと、ということになる。
大きければ大きいほど、よい。
それがそのまま(心のクッション)となる。

 先にあげた4つの例では、つまりは加齢や認知症の進行とともに、(大きなもの)が心から消
えたことが理由と考えてよい。
思考能力そのものが低下するから、自分の住む世界そのものが、小さくなってしまう。

 「AA台のBB」であろうが、「AA台のCC」であろうが、心に余裕のある人だったら、
「あら、まちがえました。ごめんなさい、ホホホ」で済んだ話である。
つまりこれが結論ということになる。

(1)常に、大きな世界で生きよう。
(2)常に、大きなテーマをもち、それについて考えよう。
(3)常に、新しいことに興味をもち、それにチャレンジしよう。
(4)常に、自分の文化性(絵画、音楽などの芸術性)を高めよう。
(5)常に、生きることを原点に、真・善・美の追求をしよう。

 その結果として、私たちは、自分の(心のクッション)を大きくすることができる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心のクッション 怒り 怒りの対処法 心の余裕)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●意欲

++++++++++++++++

このところ、ときどき、スーッと
意欲そのものが減退していくのを
感ずることがある。
「やりたい」と思う意識そのものが、
薄れる。

恐らく視床下部あたりから出る信号が
弱くなり、その瞬間、ドーパミンの
分泌が減少するためではないか。

+++++++++++++++++++

●マイナスの一次直線

 何ごとも、「やりたい」と思ったときにする。
それが老後を、前向きに生きるコツ。
最近、それを強く思うようになった。

 そのことは、反対に、意欲を喪失した老人たちを見ると、わかる。
何もしないで、ただボーッと、テレビの前に座っているだけ。
もちろんテレビなど、見ていない。
何も考えていない。
画面に映る光の信号を、目で追っているだけ。

 だれしも、ある日、突然、ああなるわけではない。
マイナスの一次直線的に、長い時間をかけて、ああなっていく。
であるとするなら、すでに今、私たちは、そのマイナスの一次直線に乗っている
と考えたほうがよい。

 その第一が、意欲の減退ということになる。

●「今度は、海のそばに建てる!」

 私は40代のはじめ、山荘造りに執念を燃やした。
小さな山を買い、毎週、ワイフと2人で、ユンボを操り、土地を造成した。
石を組み、ダンプで砂利を運んだ。
土地づくりだけで、6年もかかった。
そのころの私を思い出しながら、今、自分でも、「よくやったなあ」と思う。
で、そのあと1年で、山荘を建築した。
山荘本体だけは、地元の建築会社に建ててもらった。
で、その直後のこと。
私は、ワイフにこう宣言した。
「今度は、海のそばに建てる!」と。

 もちろん今は、もうそんな元気はない。
意欲もない。
むしろ今は、山荘をどうやって売るか、そればかりを考えている。

●意欲

 意欲は、それがあるうちに、生かす。
なくなったら、最後。
そのままどこかへ消えてしまう。
だから、今、したいことがあったら、する。
しなければならない。
「また、今度」とか、「気が向いたらしよう」などと考えていたら、そのうち
何もしなくなる。

 好奇心にしても、そうだ。
このところときどき、ものを書いているときも、そのことがどうでもよくなって
しまうことがある。
今朝も久しぶりに経済問題について、自分の考えを書いていた。
が、そのときも、「こんなことを書いて、何になるのだろう」と思ってしまった。

 おまけに正義感も薄れてきた。
ズルイ人を見かけても、「まあ、いいじゃないの」と思うことが多くなった。
その分、人間が丸くなったというか、自分自身が、ズルくなったというか。
よくわからないが、その一方で、「これではいけない」と、自分で自分に
言って聞かせる。

●体力と気力

 気力も体力と同じ。
あるいはたがいに連動している。
東洋医学では、気力も体力も、同じものと考える。
区別しない。

 だから加齢とともに、体力が衰えるように、気力も、衰える。
これはしかたのないことかもしれないが、だからといって、何もしないでよい
ということでもない。

 体力を鍛えるように、気力も鍛える。
東洋医学的な発想によれば、体力を維持することによって、気力も維持することが
できる。
言い換えると、体力を鍛える。
その結果として、気力も増進する(?)。

●確実性の問題

 そこでワイフに、先ほど、こう言った。
「ぼくは、今、新しいパソコンがほしい。
が、そういう意欲も消えたら、ぼくもおしまいだね」と。

 それを聞いて、ワイフは、ややきびしい表情をしてこう言った。
「そうね、だったら、今、買えばいいのよ」と。

 あと10年もすると、新製品にすら、興味を示さなくなるかもしれない。
「新しいパソコンがほしい」という気持ちも、なくなるかもしれない。
これは可能性の問題ではなく、確実性の問題である。
だれだって、そうなる。
私だって、あなただって、例外はない。

私だって、あなただって、最後は、ああなる。
それだって、運がよければ……という話だが……。

が、そうなったら、私も、おしまい。
だから今日も、何冊か、新しい本を買ってきた。
手当たりしだいというか、私の知らない世界について書いてある本を選んだ。
とにかく、新しい世界に挑戦していくしかない。
つまりそういう形で、自分の意欲を、奮(ふるい)い立たせる。

●生きがい

 で、こうした意欲を支えるのが、(生きがい)ということになる。
それについては何度も書いてきた。
生きがいさえあれば、……といっても、その生きがいをもつのはたいへんな
ことだが、何とか、老後を前向きに生きていくことができる。
生きる意欲も、そこから生まれる。

 そこで私は気がついた。
最近、私の生活から、緊張感が薄れてきた。
ときどき意欲の減退を感ずるのは、そのためではないか。
日々は平和で、平穏。
それに平凡。
今のところ、大きな問題はない。
それが心のどこかで、意欲の減退とつながっている(?)。

 では、どうするか?

 2010年から、新しい企画として、たとえば、映画評論もしてみたい。
旅行記も別コーナーで、立ち上げてみたい。
それとこの浜松市の紹介を、1住民の立場で取り上げてみたい。
……などなど。

 この1年間、「BW公開教室」に力を入れてきた。
収録したYOUTUBEは、現在、1400本になりつつある。
(1400本だぞ!)
1本が、平均9分として、9x1400÷60で、210時間ということになる。
何度か迷ったことはあるが、とにかく、やり遂げた。
2010年も、何か目標を決めて、それをやり遂げたい。

 批判したい人がいれば、すればよい。
笑いたい人がいれば、笑えばよい。
私はだれもしなかったことを、した。
そこに私がしたことの意味がある。
(自画自賛!、それとも慰め?)

●あとは健康論

 意欲の減退は、要するに脳間伝達物質によるところが大きい。
だから栄養面、精神面、生活面、プラス、運動面でのケアを大切にする。
ひとつずつクリアしていくしかない。
その努力を怠ったとたん、あの暗くてジメジメした、死の待合室に向かって、
まっしぐら!

 ところで最近、たいへん気になっていることがある。
余計なことで、不愉快に思う人もいるかもしれないが、こういうこと。

 定年退職と同時に、家の中でブラブラし始める人がいる。
そういう人が、多い。
私の周辺でも、7人のうち、5人が、そういう生活をしている。
それを理想の老後生活と考えている人も多いようだが、本当にそう考えてよいのか。
話をよく聞くと、「仕事は、もうこりごり」と言う人が多い。
しかし一度、なまった体は、もとには戻らない。
若いときならまだしも、60歳を過ぎたら、そうである。
「2、3年、休養でもして、65歳くらいになったら、また仕事をしよう」などと
考えていたら、それはまちがい。

 そのときは、働きたいという意欲そのものが消える。
働いても、長つづきしない。
体がそれについてこない。

 さらに言えば、脳みそそのものが、柔軟性を失う。
新しい仕事を覚えられなくなる。
新しい環境に適応できなくなる。

こればかりは、自分の意思ではどうにもならない。

だから……。
これは余計なことかもしれないが、仮に退職しても、何らかの形で、(仕事)を
つづけたほうがよい。
エンジンでいえば、軽くかけたままの状態にしておく。
いきなりスイッチを切るようなことをすると、エンジンはそのまま冷えて使いものに
ならなくなってしまう。

 似たようなことは子どもの世界でも、よく起こる。
たとえば燃え尽き症候群などになり、やる気をなくしてしまう子どもがいる。
親は、オール・オア・ナシング(All or Nothing)とばかり、すべての塾やおけいこごとを
やめたりする。
が、そんな極端なことをすれば、今度は、立ちあがりに苦労する。
少しでもよいから、子どもの好きなことを残し、それをさせておく。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 意欲 意欲減退 やる気 子どものやる気 老後
のやる気 老後の過ごし方)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●遊戯王(カード・ゲーム)

+++++++++++++++++

昨日、生徒を連れて、近くのビルの
地下にある、お化け屋敷へ連れていった。
小学4年生の子どもたちである。

2人だけが、「入る」と言った。
S君(男児)と、Sさん(女児)である。

が、入ったとたん、私の体に
しがみついてきた。
あとはキャーッ、ギャーッの連続。
要所ごとに、「もうリタイアする」と。

それでも子どもバージョン。
以前、聞いた話によると、台の上に
封筒を置いたとき、死人の手がその
台の向うから出てきて、置いた人の
手をつかむということだった。

が、それはなかった。
そんなことをすれば、子どもたちは、
気を失ってしまったかもしれない。

++++++++++++++++

 そのお化け屋敷の隣が、カード・ゲーム・コーナーになっていた。
遊戯王とか、ポケモンのカードを使って、若い人たちが、ゲームに夢中になっていた。
年齢は、20〜30歳前後か。
ときどき、「ターン・エンド」とか、「ドロー」とか、小さな声を出してする人もいたが、
みな、黙々と、それをしていた。

 おもしろそうだった。
そこでそこにいたF君に、「遊び方を知っているか?」と聞くと、「ぼくは2位に入賞した
ことがある」と。
どこかで、そういう試合(?)に出たことがあるらしい。

 そこで教室に返って、20分ほど、遊戯王の遊び方の講義を受けた。
実のところ、それほど長い時間、受けるつもりはなかった。
私だって、ある程度の遊び方は知っていた。
が、F君の得意そうな顔を見て、そのままつづけてもらった。
私という「先生」に、ものを教えるのが、うれしくてたまらないといったふうだった。

 その興奮状態は、帰るときまでつづいた。
「今度、カードをもってきてあげる」
「先生にも、カードを分けてあげる」
「最強カードは、(神)だよ」と。

で、その(神)のカードは、3種類あるのだそうだ。
値段は、3000円とか。

「神様が3人もいたら、喧嘩になってしまうぞ」と言ったが、F君には理解できなかった
らしい。
しかし久しぶりに、楽しいときを過ごした。

遊戯王……それぞれのカードに、攻撃力と防御力が、数字で表示してある。
そのカードを交互に出しあって、相手を倒したり、相手に倒されたりする。
持ち点(4000点)が、ゼロになったら、その人の負け。
これが遊び方の基本だが、その間に、カードの攻撃力を2倍にしたりする隠し技など
がある。
カードとカードが合体すると、(これを「融合」というが)、攻撃力がさらに強く
なったりする。

 どこか麻雀の遊び方に似ている。
カードゲームというのは、そういう遊びをいう。


●金(ゴールド)の暴騰

 金価格が、暴騰している。
明らかに、バブル。
金そのものの需要は減っている。
にもかかわらず、暴騰している。
昨日は、1グラムあたり、3600円前後で取り引きされている。
わかりやすく言えば、行き場を失った投資資金が、金に向かっているということ。
さらに不気味なのは、同時に、ドルの価値が下がっていること。

 簡単に言えば、ドル・キャリー・トレードであぶれた資金が、金というバクチの
世界に流れこんでいる。
しかしこれは「投資」という「投資」ではない。
何も産み出さない。
不毛の投資。
簡単に言えば、バクチ。
ドルをもっている人が、ドルをもっていても、目減りするから……という理由だけで、
金を買っている。

 2012年ごろまで、アメリカは現在の金利政策をつづけるということだから、
当分は、金価格の暴騰はつづくかもしれない。
……と、だれしも考える。
経済雑誌も、おおむね、そのような筋書きで、金の価格を予想している。
が、国際経済というのは、その裏をかいて、突然ひっくり返る。
そういうことがあるから、この先のことは、だれにも予想できない。
つまり最後に、だれがババを引くか。
そこへ行き着く。
ババを引いた人が、大きく損をする。

 昨年、プラチナは、1グラム7000円前後まで暴騰したあと、一気に、3000円台
まで急降下した。
そういうこともある。
売り逃げた人は、儲けた。
しかしそれができた人は、プロ中のプロだけ。

 そこらのオバチャンまで、「金だ」「金だ」と騒ぐようになったら、金取り引きからは、
手を引いたほうがよい※。
街中でも、「金を、高価買い取り」という看板が目につくようになった。
今が、そのとき?

 ところで私は知らなかったが、投資信託で損を出した人は、多いという。
某経済雑誌によると、総じて約20%分の資産が、投資家から消えたという。
銀行や郵便局の窓口で、簡単に申し込めるのも、わざわいした。
そのため高齢者に被害者が多いとか(週刊B春誌)。

 お金(マネー)というのは、汗水流して、稼ぐもの。
バクチをするとしても、その基本だけは、忘れてはいけない。
数字だけを見て、それに踊らされるようになったら、子どものするカードゲームと同じ。
その先に待っているのは、破産。

(注※)「そこらのオバチャン」説
 つまりそこらのオバチャンまで騒ぐようになったら、(オジチャンでもよいが)、
すでに過熱状態にあるということ。
車にたとえて言うなら、ボンネットの上から、蒸気が出ているようなもの。
いつエンジンが爆発してもおかしくない状態とみてよい。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●琉球独立党

 「沖縄が生き残る道は、日本(ヤマトンチュー)からの独立しかない」と。
そうして生まれたのが、琉球独立党。
党首は、YC氏(55歳)。

06年の沖縄県県知事選挙にも出馬している。
そのとき獲得した票数が、6220票。
その数を多いとみると、少ないとみるか……。
沖縄独立党は、それを「大勝利」と喜んでいる。
「我々を支持してくれる人が、6220人もいる」、あるいは「6220人にふえた」と。

 「独立党」という名称からもわかるとおり、沖縄独立党は、「日米の支配状態を脱せ」を、
旗印にかかげている。
ほかにも「琉球共和国」とか、「石油採掘権獲得」などという言葉も並ぶ。
興味深いのは、「独立したあかつきには……」「国際入札で、アメリカ軍はもちろん、
日本の自衛隊、あるいは中国やロシアの軍隊を、(有料で)、駐留させる」(「日本のタブー」・
ミリオン出版)という部分。
しかしそうはうまく、いくものか?
どこか現実離れしている?
あるいは排他的民族主義?

 中国は、台湾の独立を認めていない。
いずれは、台湾を自国の領土に編入しようとしている。
と、同時に、すでに、沖縄は、中国の領土であると主張し始めている。

 その前に、もう一度、日米関係について考えてみたい。
つぎの原稿は、2006年の1月に書いたものである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●対米追従外交?

++++++++++++++++

たしかに日本の外交は、戦後一貫して、
「対米追従外交」(経済評論家・T氏談)
である。

事実は、事実。それは、もうだれの目にも、
疑いようがない。

しかし一方で、国際外交は、どこまでも
現実的でなければならない。

現実を見失ったとき、国際外交は崩壊する。
同時に、その国は、進むべき道を、
見誤る。

++++++++++++++++

 対米追従外交を、批判する人は多い。経済評論家のTJ氏も、そのひとりである。三井
物産時代のかつての同僚ということで、肩をもちたい気持ちもないわけではないが、なら
ば聞く。今の日本にとって、どうして対米追従外交であってはいけないのか。

 「追従」「追従」というが、追従しなければならない「現実」がそこにある。

 あの中国は、ものの10分足らずで、(あるいは数分で)、日本中を廃墟と化すことがで
きる。それだけの核兵器を、すでに保有し、実践配備をすませている。

 忘れていけないのは、戦争というのは、兵器だけでするものではないということ。日本
にとって脅威なのは、兵器もさることながら、その兵器を底流で支える、士気である。反
日感情である。中国人がもっている、その反日感情には、ものすごいものがある。

 いったんどこかでそれに火がつけば、悲しいかな、今の日本に、それをくい止めるだけ
の武器もなければ、実力もない。もっとわかりやすく言えば、日本の平和がかろうじて守
られているのは、(中国側から見れば)、その背後に、アメリカという巨大な軍事国家がひ
かえているからにほかならない。

 また在日米軍を支えるための、多額の負担金を問題にする人もいる。たしかに日本は、
2006年度だけでも、「思いやり予算」(=在日米軍駐留経費)と称して、2326億円
もの負担金を支払っている。先に問題になった、沖縄からの基地移転費用についても、こ
れとは別に、「3500億円までなら支払ってもよい」と、日本側は、回答している。

 この額を多いとみるか、少ないとみるか?

 仮に日本有事ということにでもなれば、日米安保条約が発動されて、日本は、アメリカ
軍の庇護下に入る。が、そのときアメリカ側が負担する金額は、ぼう大なものになるはず。
あの韓国でさえ、こんな試算を出している。

「朝鮮半島有事の際には、韓国は、アメリカから1300兆ウォン(約158兆円)分
の軍事装備を、無償で借りることができる」(朝鮮日報・K論説委員)と。(158兆円
だぞ!)

 現に今、となりのK国は、日本攻撃を目的として、核兵器を開発している。が、そのK
国に対して、この日本には、満足な交渉能力すら、もっていない。拉致問題ひとつ解決で
きない。そういう日本が、どうして核開発問題を解決できるというのか。

 韓国にしても、いまや日本の同盟国と考えている人は、ほとんど、いない。いつなんど
き、中国と手を組んで、日本に襲いかかってくるか、わかったものではない。K国とさえ、
手を組むかもしれない。少なくとも、現在のN大統領政権というのは、そういう政権であ
る。

 日本は、そういう立場である。つまりそういう立場であることを棚にあげて、「自主権」
なるものをいくら唱えても、意味はない。わかりやすく言えば、日本は、アメリカに追従
するしか、今のところ、生き残る道はない。「追従」という言葉に語弊(ごへい)があるな
ら、「密接な協調」でもよい。

 戦後、日本という国が、かろうじて平和を保つことができたのは、日本人が、平和を愛
したからではない。(こういうばあい、「愛する」という言葉は、腸から出るガスくらいの
意味しかないが……。)

 日本が平和を保つことができたのは、背後にアメリカ軍がいたからにほかならない。が、
もしアメリカ軍がいなければ、そのつど日本は、毛沢東・中国、スターリン・ソ連、金日
成・K国、さらに李承晩・韓国に攻撃されていただろう。これまた悲しいかな、日本はそ
ういうことをされても文句が言えないようなことを、先の戦争でしてしまった。

 日本は、アメリカに追従せざるをえなかったし、基本的には、今も、その状態はつづい
ている。それが「現実」である。

 もちろん私も、このままではよいとは思っていない。いつか日本も、アメリカから独立
し、日本は日本として、独自の道を歩まねばならない。しかしその前提として、この極東
アジア、東北アジアに、相互の信頼関係が築かれなければならない。それがないまま、「日
本は日本だ」「日本が国内で何をしようが、日本の勝手」と言い切ってしまうのは、今の日
本にとっては、きわめて危険なことである。

 その一例が、日本のK首相によるY神社参拝問題ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●沖縄の独立(?)
 
 琉球独立党のYC氏(党首)には悪いが、もし沖縄が独立すれば、沖縄はそのまま中国
の支配下に入る。
中国が、黙っていない。
また中国は、現状においては、そんな甘い国ではない。
ないことは、チベット問題ひとつみても、わかるはず。
尖閣諸島周辺には、天然ガスや石油など海洋資源が眠っている。
であるならなおさら、中国は、沖縄の独立を認めるわけがない。

 2005年に書いた原稿を、そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●台湾問題は、日本の問題

++++++++++++++++++++++

どうして、中国は、日本が主張する経済水域の中で、
ガス油田の開発および採掘を始めたのか。

どうして日本の抗議に対して、中国は耳を貸そうと
しないのか。

実は、この問題に裏には、台湾、さらには沖縄(琉球)
の領有権問題がからんでいる。

雑誌「諸君」(11月号)の中の記事を参考に、この
問題を考えてみたい。

+++++++++++++++++++++++

 中国と台湾。その中国は、台湾は、中国の領土と主張し、もし台湾が独立宣言をするよ
うなことがあれば、中国は武力介入も辞さないと、ことあるごとに宣言している。

 つまり台湾の独立は、許さない、というわけである。

 しかし、この問題は、そのまま日本の問題と考えてよい。中国に視点を置いてみれば、
それがわかる。中国の東には、台湾がある。しかしその台湾の向こうには、沖縄(琉球)
がある。もし台湾が独立してしまえば、沖縄(琉球)は、ますます、中国から遠ざかって
しまう。

 仮に台湾が、中国の領土の一部になれば、つぎに中国が領有権を主張してくるのは、実
は、沖縄(琉球)なのである。これは私の被害妄想でも、憶測でも、何でもない。

 連合国は、ポツダム宣言(1945)によって、日本の敗戦を明確に位置づけた。しか
しそのポツダム宣言の前に、ヤルタ協定(同、1945)、さらにその前に、エジプトのカ
イロでなされたカイロ宣言(1943)がある。

 そのカイロ宣言の中には、「日本は、中国から奪取したすべての領土を、中国に返還すべ
き」という一文があるが、中国は、その中には、台湾はもちろんのこと、沖縄(琉球)も
含まれると主張した。毛沢東が、その人である。毛沢東は、その著書、『中国革命と中国共
産党』の中で、「沖縄(琉球)は、日本が中国から奪った領土である」と書いている(中西
輝政氏、指摘・「諸君」11月号)。

 ……こう書くと、「沖縄が、中国の領土だって?」と思う人がいるかもしれない。しかし
ここは、明確に述べておかねばならない。

琉球王朝、つまり沖縄は、江戸時代においては、薩摩の「附庸国」であると同時に、明
と清との朝貢関係をもっていた。つまり沖縄(琉球)は、幕藩体制の中では、一応、日
本の「領分」としながらも、日本では異国として扱われていたのである。

 が、1871年、宮古・八重山島民が台湾に漂着し、54人が、台湾島民に殺害される
という事件が起きた。これに対して時の明治政府は、「日本国民を殺害した」として清国に
抗議、台湾へ出兵。そしてそのあと、日本は、北京条約で、清に沖縄(琉球)の日本への
帰属を認めさせる(参考、中島成久氏ゼミ資料)。

 こういう流れからみると、つまりどこか力ずくで、沖縄(琉球)を日本の領土としてき
たという流れからみると、「沖縄(琉球)は、中国の領土である」と、中国が主張しても、
どこもおかしくない。少なくとも、「沖縄は、日本の領土である」という主張には、歴史的
根拠があまりない。つまりここが、日本最大のアキレス腱ということになる。

 しかしその中国が、沖縄をあきらめたわけではない。かろうじて、本当にかろうじて、
今、中国がそれを主張しないのは、台湾問題があるからにほかならない。台湾が、中国の
コブなら、沖縄(琉球)は、そのコブの上のコブにすぎない。「沖縄(琉球)が、中国の領
土である」ということを主張するためには、まず台湾を、自分の領土に組みこまねばなら
ない。

 わかりやすく言えば、台湾が、大きな壁となって、中国と日本の間に、またがっている。
中国にしてみれば、まず、台湾問題なのである。

 つまりもうおわかりかと思うが、台湾問題が片づけば、つぎにやってくるのが、沖縄(琉
球)問題である。「台湾問題は、日本に関係ない」などと思っていたら、たいへんなまちが
いである。現に今、「沖縄は中国の領土である」と主張する知識人が、中国国内で、ふえ始
めている。

 一方、ここ1、2年、米中関係は、急速に悪化の一途をたどっている。新たな冷戦時代
の始まりと説明する人も多い。最近になってアメリカのライス国務次官も、中国を、「明ら
かな脅威」と位置づけ始めている(05年8月)。台湾や日本にとって、脅威という意味で
はない。アメリカ本土にとって、脅威という意味である。

 事実、それに呼応するかのように、中国の軍の近代化と拡充には、ものすごいものがあ
る。軍事費にしても、公表されている数字の3倍近くはあると言われている。あるいは、
それ以上かもしれない。

 そこで、その中国がなぜ、こうまで、軍事力の拡充に熱を入れるかといえば、すでに中
国は、台湾や日本を飛び越して、アメリカとの戦争を、念頭に置いているからに、ほかな
らない。その中国は、これまたことあるごとに、「もし中台戦争にアメリカが介入してくる
ようなことがあれば、アメリカとの対決も辞さない」と主張している。

 中西輝政氏は、つぎのような事実も指摘している。

 「この(05年)7月、中国国防大学のエリート、朱成虎少将が多くの欧米記者を前に、
『アメリカが中台の武力紛争に介入したときには、中国は、アメリカ本土に、戦略核ミサ
イルによる先制攻撃を加える』という警告を発した」(同、「諸君」11月号)と。

 そうなれば、沖縄はもちろん、日本の本土すらも、中国の核攻撃の対象となる。

 ……とまあ、こうした物騒な話はさておき、中国は、日本の主張する経済水域を、そも
そも認めていない。だから平気で、その中で、ガス油田の開発、採掘をすることができる。
だからいくら日本が抗議の、のろしをあげても、どこ吹く風。中国は、これから先も、ま
すます堂々と、日本の経済水域内に入ってきて、ガス油田の開発、採掘をするだろう。

ワイフ「そう言えば、沖縄って、日本とは、ちがうという感じがしていたわ」
私「あまり、そういうことは言わないほうがいい。もしそんなことを、日本人のお前が言
っていることを知ったら、中国人は、『そら、みろ!』と喜んで、飛びついてくるかもよ」
ワ「でも、事実は事実だから……」
私「日本としては、何としても、米中関係の悪化を、阻止しなければならない。これ以上、
悪化すれば、日本の平和どころの問題では、なくなってしまう」
ワ「K国の核開発問題も、どこかへ吹っ飛んでしまうわね」
私「そういうこと」と。

 こうした中国の野望を封じこめるための方法は、2つある。一つは、中国の民主化運動
を、側面から支援して、中国を民主化すること。ブッシュ大統領も、「世界を民主化するこ
とが、世界に平和をもたらす方法」というようなことを言っている。

 もう一つは、日本、東南アジアからインドにかけて、中国包囲網を構築すること。とく
に重要なカギを握るのが、すでに核保有国となったインドである。すでに、アメリカも日
本も、その方向で進んでいる。中国が、軍拡をつづけているかぎり、日本は、中国とはど
こかで一線を画す。でないと、それこそ敵に、塩を送るようなことになりかねない。

 ……とまあ、いっぱしの外交評論家のようなことを書いてしまったが、しかしこれらの
問題はそのまま、私たち自身の問題である。日本の平和と安全に、直接かかわってくる問
題である。これからも、これらの問題を追求していきたい。
(参考、「国家の覚悟が問われる秋」by中西輝政、「諸君」11月号)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 琉球 沖縄 沖縄の領有権 沖縄独立党 ポツダ
ム宣言 ヤルタ会談 ヤルタ協定 沖縄問題)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●国際政治は、現実的に!

 沖縄がかかえている問題は、よくわかる。
「(沖縄の)住民は、基地問題、低学歴、就職難で苦しめられている」(「日本のタブー」)。
そのとおりだと、私も思う。
YC氏は、同書のインタビューに答えて、こう述べている。

「沖縄独立なんていえば、妄想だの、荒唐無稽だのって、鼻で笑われたが、六千数百人
の有権者が、私の訴えに賛成したのも事実。
海や空の色とは裏腹に、基地の重圧、戦争の傷痕、財政難が住民の心を重くしている。
けれどこれはみんなヤマトンチューから押し付けられたもの。
だから私はこれをヤマトにお返しして、シマンチューのための琉球共和国を作ろうと言っ
ているのです」と。

が、その問題と、「独立」とは、まったく別の問題である。
ヤマトンチュー(日本)が気に入らないから、シマンチュー(沖縄)は独立すべきという
考え方は、沖縄の人たちにとっても、現実的ではない。
第一に、私たち本土の(?)人間にしても、「鼻で笑っている」わけではない。
また「押しつけている」わけでもない。
沖縄県の人たちに、「申し訳ない」と思っている人のほうが、多い。
それを一足飛びに飛び越えて、「独立」と言われると、私たちとて、どうしてよいのかわか
らなくなってしまう。

 むしろ私が心配するのは、「独立」の向うに見え隠れする、YC氏自身の排他的民族主義。
民族主義というのは、より狭小になればなるほど、また先鋭化すればするほど、戦争の火
種となってしまう。
それが排他的であればなおさら、そうである。
あのアインシュタインも、TK先生への手紙の中で、こう述べている。
「exaggerated nationalism(誇張されたナショナリズム=国粋主義)こそが、すべての戦
争の原因である」と。

 ともあれ、沖縄というより、沖縄県の問題は、日本全体の問題である。
そのことを気づかせてくれた、沖縄独立党の存在感は、大きい。
私たちは私たちで、「沖縄に独立されては困る」という発想からではなく、沖縄の人たちが
かかえる問題を、私たちの問題として考える必要がある。
たしかに私たちは、今まで、沖縄の人たちがかかええる問題について、あまりにも無関心
でありすぎた。

 一方、沖縄の人たちは沖縄の人たちで、もう少し現実的なものの考え方をしてほしい。
いろいろな問題があることは、みな知っている。
だからこそ、それらの問題をひとつずつ解決していく。
私はそのほうが現実的だと思うし、建設的だと思う。
そういう意味で、いきなり「離婚」を訴える沖縄独立党の考え方には、どうしてもついて
いけない。

 ……イマイチ歯切れの悪い結論で、ごめん!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================
























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 11日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page006.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●緩慢行動

+++++++++++++++++

愛知県にお住まいの、NSさんという
方より、子どもの緩慢行動についての
相談がありました。

それについて考えてみます。

+++++++++++++++++

【NSさんより、はやし浩司へ】

以前、息子の手洗い癖について相談させていただきました者です。その節は本当にお世話
になりました。

あれから1年以上たちますが、お陰様で息子は問題なく、楽しく過ごせているようです。
今日は長女の事なのですが、何かアドバイスをいただけましたらと思いメールをさせてい
ただきました。

小学2年生です。家ではまったくこのような状態ではないのですが、学校に行くと人より
テンポが少し遅くなるようで、何をやるのにも少し人とズレます。

行動を起こす時も、他の子より遅く始めたり、人の後から行動したりしています。その割
に目立つのは好きなのか、授業中も発言をよくするのは良いのですが、

時々、その話はもう終わったよというような内容の発言をすること事もあります。いつも
ではないのですが・・・。友達の輪にも入りにくいようで、先生にペアを組むように言わ
れるとあぶれることも多く、オロオロとしていることもあります。

そこそこ仲の良い子もいるようなのですが、その友達にとって、一番に仲が良いわけでは
ないようで、遊びに誘おうと思って行動するときには、もう他の子と遊ばれていることが
多いようです。一緒に混ぜてもらったら?と言うと、あの子たちとは仲良くないもんとか、
あたしはあまり好かれてないもんなどと言い、尻込みをします。

何か言われた事あるの?と言うとそうじゃないけど・・と曖昧な返事がかえってきます。
友達がなかなか出来にくい事を本人も気にしているようで時々私に相談してくる事もある
のですが、基本的に連れて女の子達が行くトイレを嫌がったり、誘われても今行きたくな
いから・・・と断ったりしているようです。たまには付き合いだと思って行ってみたらと
言うとそういう妥協はしたくないらしく曖昧な返事がかえってきます。

ただでさえテンポが遅く、人の中で浮きやすいのに、へんなところで真面目なので、何か
悪い事をしている人を見つけたり、本人が納得できない事があるとお構いなく、キツイ言
い方をする事がしばしばあるので、よけいに引かれてしまうようです。家ではお手伝いを
してくれたり、通信教育の勉強をバリバリこなしたり、外で遊ぶ時も元気で、とてもやる
気がないとか無気力なようには見受けられないのですが、学校では場合によってはやる気
が見受けられないらしく、担任の先生から注意を受けた事もあり、通信簿の生活面の評価
はとてもひくいです。

最後までやりきるとか、皆で協力してやり遂げるなど全然できていないようです。勉強面
での評価はそこそこ良いのですが、生活面の評価はひどいです。昨年の評価は、お友だち
の輪にはなかなか入り難いようですが、頑張りやで、一つのことを責任を持ってやりとげ
ますと先生に言われたのが、嘘のようです。

上手く説明をすることが出来なくすみません。息子の時と違って、はっきりここが変だと
いうような表現ができないものですから、ダラダラと長くなりすみません。何かアドバイ
スがありましたらお願いいたします。

【はやし浩司より、NSさんへ】

全体に、マイナス思考である点が、気になります。
お子さんの悪い面ばかりを見ている。
気にしている。
悪い面ばかりに気がつき、それだけを問題にしている……?
私があなたのお嬢さん(小2)なら、あなたのそばにいるだけで、窮屈に感ずるかもしれ
ません。

まずお嬢さんを信ずる。
つぎに学校の先生を信ずる。
もうひとつ、あなた自身を信ずる。
子ども不信型の子育て、つまり過干渉、過関心が日常化しているように感じます。
小学2年生というと、そろそろ親離れを始める時期です。
反抗もはげしくなってきます。
だいたい小学3年生前後で、親離れし、思春期前夜に入ると考えてください。

が、あなたのほうには、それがわかっていない。
あなたはまだ自分の子どもが、幼児のままと思っている。
仮にあなたがここに書いたとおりであるとしても、小学2年生では、もう手遅れです。
はっきり言って、直・り・ま・せ・ん。
つまり直そうと思わないこと。
あなたが直そうと思えば思うほど、逆効果。
お嬢さんは、自信をなくして、今の時期につづくつぎの思春期では、自我の同一性の確立
さえおぼつかなくなります。
それこそこの先、「私は何だ?」と悩みつづけるでしょう。
あるいはスーッと非行の道に入ってしまうかもしれません。

今、そこにいるお嬢さんを認め、そのお嬢さんを信ずることです。
それともあなたは、いったい、自分の子どもが、どんな子どもになるのを、望んでいるの
ですか?
もっと言えば、あなたはどうでしょうか?
あなたは自分の子どもの前で、胸を張って、「私はすばらしい人間」と言えるでしょうか。
社交性もあり、皆に親しまれ、リーダー格で、勉強もよくできる、と。

あなた自身、恵まれない家庭で、両親の愛情と理解を受けないで、さみしい思いをしたの
ではありませんか。
それが現在の、あなたの子育ての基本になってしまっています。

お嬢さんの友だちの問題にまで、介入してはいけません。
家では、いろいろと仕事をしてくれるということですから、すばらしい子どもですよ。
学校では、緩慢行動が目立つということですが、そういうときは、逆にほめてみるのです。
あなたは1年生のときより、すばらしくなったわ、とです。
どのみち、あなたが説教したところで、直りません。
方法もありません。
(学校の先生に相談するのは構いませんが、学校の先生にしても、直す方法はありません。
あるとすれば、何かの機会をとらえて、みなの前でほめることです。
「今日のNさんは、すばらしかった!」とです。
が、それができるのは、学校の先生だけです。)

「ここがヘン」という言葉は、使ってはいけません。
今では、子どもは家族の「代表」という考え方をします。
子どもに何か問題があったら、それは、家族の問題と考えます。
はっきり言えば、あなた自身の問題ということです。
もっとはっきり言えば、あなたにだけ、そう見えるということです。
「子どもがヘン」と感じたら、「私の子育てがヘン」と思うことです。

これから思春期に入り、子どもは大きく変化していきます。
子ども自身の力で、変わっていきます。
そんな子どもを、頭から、ハンマーで叩くようなことはしてはいけません。

心配先行型、不安先行型の育児観を、改めてください。
そして「私の子どもはすばらしい子ども」と自分で自分に言って聞かせるのです。
あなた自身の心を作り変えるのです。
そのあと、問題は、自然に解決していきます。

ある男が医者の所に来て、こう言いました。
「ドクター、私は、指で足を押さえると、足が痛い。
腹を押さえると、腹が痛い。
頭を押さえると、頭が痛い。
私は、いったい、どこが悪いのでしょうか」と。

それに答えて、その医師は、こう言いました。

「あなたはどこも悪くありません。
あなたの手の指の骨が折れているだけです」と。

子どもというのは、親や教師が見方を変えるだけで、変わってしまいます。
「好意の返報性」という言葉もあります。
日本では、「魚心あれば、水心」と言いますね。
あなたが「心配だ」「心配だ」と思っていると、そのとおりの子どもになってしまいます。
だからこそ、まずあなたの心を作り変えるのです。
それともあなたは、あなたが経験したような、さみしい少女時代を、あなたのお嬢さんに
繰り返してほしいですか?

小学2年生ですよ!
私は幼児を指導していますが、小学2年生というと、完成された幼児です。
あと1、2年で、親離れしていきます。
親としてできることは、ほとんどないということです。

あきらめて、あるがままを受け入れなさい!
「あきらめは、悟りの境地」ですよ。
おおらかで、満ち足りた世界です。
あなたも一度、そういう世界に、入ってみるとよいですよ。
あなたのお嬢さんも、それで見違えるほど明るくなるはずです。

とは言っても、緩慢行動(神経症)について問題にしておられますので、このあと、いく
つかの原稿を添付しておきます。

メール、ありがとうございました。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己効力感(Self Achievement)

 「自分でできた」「自分でやった」という達成感が、子どもを伸ばす。これを自己効力感
という。

 子どもを伸ばすコツは、この自己効力感をうまく利用すること。

 反対に、この自己効力感を、阻害(じゃま)するようなことがあると、子どもは(1)
それに大きく反発するようになり、(2)ついで、心が極度の緊張状態におかれるようにな
ることが知られている。

 それを阻害するものに対して、反抗するようになる。

 が、それだけではない。子どもは、ますます、そのものに固執するようになる。こんな
ことがある。

 A君(小4)は、サッカークラブで、やっとレギュラー選手になることができた。A君
はA君なりに、努力をした。

 が、小5になるとき、母親は、A君を、進学塾へ入れた。そしてそれまで週3回だった
サッカーの練習を、週2回に減らすように言った。当然、そうなると、A君は、レギュラ
ー選手からはずされる。

 A君は、猛烈にそれに反発した。が、やがてその反発は、母親への反抗となって現れた。
すさんだ目つき、母親への突発的な暴力行為など。

 もうそうなると、進学塾どころではなくなってしまう。あわてた母親は、進学塾をやめ、
再び、サッカークラブにA君をもどした。が、今度は、A君は、そのサッカーにすら、興
味を示さなくなってしまった。母親はこう言う。

 「あれほど、毎晩、サッカーをさせろと暴れていたのに、サッカークラブへ再び入った
とたん、サッカーへの興味をなくすなんて……」と。

 子どもの心理というのは、そういうもの。A君の母親は、それを知らなかっただけであ
る。A君が母親に反抗したのは、サッカーをしたいからではなかった。自分の自己効力感
(達成感)を、阻害されたからである。そのことに対して、A君は、反抗したのである。

 少し話がちがうかもしれないが、こんな例もある。

 若い男女が、恋愛をした。しかし周囲のものが、猛反対。そこでその男女は、お決まり
の駆けおち。そして子どもをもうけた。

 やがて周囲のものが、あきらめ、それを受け入れた。とたん、たがいの恋愛感情が消え
てしまった。

 この例でも、若い男女が駆けおちしたのは、それだけたがいの恋愛感情が強かったから
ではない。周囲のものに反対されることによって、より結婚に固執したからである。だか
ら、結婚を認められたとたん、恋愛感情が消えてしまった。

【教訓】

 子どもの得意芸、生きがいは、聖域と考えて、決して、土足で踏み荒らすようなことは
してはいけない。へたに阻害したりすると、かえって子どもは、それに固執するようにな
る。最悪のばあいには、親子関係も、それで破壊される。
(はやし浩司 自己効力感 自己達成感 一芸論)


●高度な欲求不満

 欲求不満といっても、決して一様ではない。心理学の世界には、欲求不満段階説(マズ
ローほか)さえある。このことは、子どもの発達過程を観察していると、わかる。

【原始的欲求不満】

 愛情飢餓、愛情不足など。飢餓感や不足感が、欲求不満につながる。この欲求不満感が、
子どもの心をゆがめる。よく知られているのは、赤ちゃんがえり。下の子どもが生まれた
ことなどにより、飢餓感をもち、それが上の子どもの心をゆがめる。

 生命におよぶ危機感、安心感の欠如から生まれる欲求不満も、これに含まれる。

【人間的欲求不満】

 人に認められたい、人より優位に立ちたい、目立ちたいという欲求が、満たされないと
き、それがそのまま欲求不満へとつながる。「自尊の欲求」(マズロー)ともいう。この人
間的欲求は、自分がよりすぐれた人間であろうとする欲求であると同時に、それ自体が、
社会全体を、前向きに引っ張っていく原動力になることがある。

 が、子どもの世界では、こうした人間的欲求は、変質しやすい。

 ある子ども(中2男子)は、私にある日、こう言った。「ぼくは、スーパーマンになれる
なら、30歳で死んでもいい。世の中の悪人をすべて退治してから死ぬ」と。

 こうした人間的欲求は、幼児にも見られる。みなの前でその子どもをほめたりすると、
その子どもは、さも誇らしそうな顔をして、母親のほうを見たりする。

 子どもの中に、そうした人間的欲求を感じたら、静かにそれをはぐくむようにする。こ
れは子育ての大鉄則の一つと考えてよい。

(はやし浩司 マズロー 自尊欲求 自尊の欲求 人間的欲求 はやし浩司 家庭教育
 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi 
education essayist writer Japanese essayist 自己効力感 欲求不満 子供を伸ばす 伸
ばし方 子供の伸ばし方)


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

●幼児の緩慢行動(Dull Movement of Children)

 心理的抑圧状態(欲求不満を含む)が、日常的につづくと、子どもはさまざまな、心身
症による症状を示すことがある。が、その症状は、子どもによって、千差万別。定型がな
い。

 「どうもうちの子、おかしい?」と感じたら、その心身症を疑ってみる。

 その中のいくつかが、緩慢行動(動作)であったり、吃音(どもり)であったりする。
神奈川県に住む、Uさん(母親)から、多分、緩慢行動ではないか(?)と思われる相談
をもらった。

 ここでは、それについて、考えてみたい。

+++++++++++++++++++++

【Uさんより、はやし浩司へ】

私には、4歳(年少)の娘、M子(姉)と、1歳8ヶ月の息子S夫(弟)がいます。
先日、娘の幼稚園の個人懇談がありました。

そこで、先生に言われたのが

「M子(姉)ちゃんはいつもマイペースで、マイペースすぎてもうちょっとスピードアッ
プして欲しいんですけどね」でした。

「急がないと行けない時にもマイペースでね、今(年少)はあまりする事も少なくて、他
の子と差は出てこないと思いますけど、これから先、年中、年長となるにつれてその差は
広がっていきますからね」

「急がないといけない時に、急げるようなボタンがあればいいんですけどねー(笑)。そこ
を押せば、急いでくれるっていう風に・・・・(笑)」と冗談まじりではあったのですが、
最後に夏休み中にお母さんから、M子ちゃんに急ぐって事を教えてあげておいてください
と言われました。

「急ぐという事を教えるといわれても・・・・先生どうしたらいいんでしょう?」って聞
いたのですが、イマイチよく分かる回答がなかったような気がします。

怒って「急いで!急いで!急いで!」とまくし立てるのも良くないと思いますし、言った
所で出来るわけでもないですし。

普段、出来るだけ怒らないように大声をあげないように、出来たら大げさに誉めてあげて、
を心がけているのですが今の私のやり方では、夏休みあけても同じだろうし・・・・どう
したらいいのだろう?、と考えこんでしまいます。

何がどうマイペースか具体的に言うと、給食の時間になって先生が、「後に給食の袋を取り
にいって準備して下さい」って言っても、上の方を見てボーッと椅子に座っていることが
時々あって、「M子ちゃん、準備よー急いでー!」って言っても、とりわけ急ぐ様子もなく
ゆっくりらしいです。

又、今メロディオンの練習をしているようなのですが、M子(姉)は指でドレミファソを
弾く事は出来るみたいなのですが、ホースを口にあてて息を吹く事が分からなかったみた
いで、一人だけ音が出なかったみたいです。

先生が側で、「M子ちゃん吹くんですよー」って言っても分からなくて、挙句の果てには、
ホースに口をあててホースに向かって、ドレミファソを言いながら、けん盤を弾いていた
ようです。

先生も??、だったみたいで、「違うよM子ちゃん! 吹くのよ!!」って言うと今度は、
何でそんなに先生は私に怒ってるの?、っていう反応だったようです。

あと、空想にふけっていたりするみたいです。

他にも日々の行動で色々あるようです。

M子(姉)は私に似ているのか、よく言えばおっとりで悪く言えば、どこかのろい所があ
って入園の際、私もそれが少し気にはなっていました。

のびのび保育の幼稚園を選べば、そんな事を考えなくて良かったのかもしれませんが、私
的には、小学校でお勉強を始めるより、幼稚園で少しでも触れていれば気遅れなく、M子
(姉)もやっていけるのではと考えたのですが、やはりその分要求される事も多いんです
ね・・・。

今は、本人は幼稚園が大好きでお歌の時間もプリントの時間も体操の時間も楽しいとは話
しています。

楽しく通ってくれれば、私はそれで大満足なのですが年中、年長になった時、まわりの早
さについて行けなくなって幼稚園が楽しくなくなったら、やはり園を変えた方がいいんで
しょうか?

また、もっとスピードアップさせるにはどうしたらいいのでしょうか?

また、M子(姉)には、時々どもりがあります。ほとんど指摘しないように聞きながして
いるのですが、ちょっと気になっています。

はっきりとした原因は分かりませんが、下の子を出産する際引き裂かれるように、私と離
れ離れになってしまって、10日間ほど離れて暮らしていたのが悪かったのかな?、と反省
しています。

長々と下手な文章で好きな事を綴ってしまいましたが、アドバイス頂けますようお願い申
し上げます。

これからもまぐまぐプレミアをずっと購読していこと思っています。毎日暑いですが、ど
うぞお体にお気をつけ下さい。


【はやし浩司より、Uさんへ】

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。感謝しています。

 ご相談の件ですが、最初に疑ってみるべきは、緩慢行動(動作)です。原因の多くは、
親の過干渉、過関心です。子どもの側から見て、過負担。それが重なって、子どもは、気
うつ症的な症状を見せるようになり、緩慢行動を引き起こします。

 ほかに日常的な欲求不満が、脳の活動に変調をきたすことがあります。私は、下の子ど
もが生まれたことによる、赤ちゃんがえり(欲求不満)の変形したものではないかと思っ
ています。

 逆算すると、M子さんが、2歳4か月のときに、下のS夫君が生まれたことになります。
年齢的には、赤ちゃんがえりが起きても、まったく、おかしくない時期です。とくに「下
の子を出産する際引き裂かれるように、私と離れ離れになってしまって、10日間ほど離
れて暮らしていたのが悪かったのかな?」と書いているところが気になります。

 たった数日で、別人のようにおかしくなってしまう子どもすらいます。たった一度、母
親に強く叱られたことが原因で、自閉傾向(一人二役のひとり言)を示すようになってし
まった子ども(2歳・女児)もいます。決して、安易に考えてはいけません。

 で、その緩慢行動ですが、4歳児でも、ときどき見られます。症状の軽重もありますが、
10〜20人に1人くらいには、その傾向がみられます。どこか動作がノロノロし、緊急
な場面で、とっさの行動ができないのが、特徴です。

 こうした症状が見られたら、(1)まず家庭環境を猛省する、です。

 幸いなことに、Uさんの子育てには、問題はないように思います。そこで一般の赤ちゃ
んがえりの症状に準じて、濃密な愛情表現を、もう一度、M子さんにしてみてください。

 手つなぎ、抱っこ、添い寝、いっしょの入浴など。少し下のS夫君には、がまんしても
らいます。

 つぎに(2)こうした症状で重要なことは、「今の症状を、今以上に悪化させないことだ
けを考えながら、半年単位で様子をみる」です。

 あせってなおそう(?)とすればするほど、逆効果で、かえって深みにはまってしまい
ます。子どもの心というのは、そういうものです。

 とくに気をつけなければいけないのは、子どもに対する否定的育児姿勢が、子どもの自
信をうばってしまうことです。何がなんだかわけがわからないまま、いつも、「遅い」「早
く」と叱れていると、子どもは、自分の行動に自信がもてなくなってしまいます。

 自信喪失から、自己否定。さらには役割混乱を起こす子どももいます。そうなると、子
どもの心はいつも緊張状態におかれ、情緒も、きわめて不安定になります。そのまま無気
力になっていく子どももいます。

 「私はダメ人間だ」という、レッテルを、自ら張るようになってしまいます。もしそう
なれば、それこそ、教育の大失敗というものです。

 そこで(3)子どもの自己意識が育つのを静かに見守りながら、前向きの暗示をかけて
いきます。

 「遅い」ではなく、「あら、あなた、この前より早くなったわね」「じょうずにできるよ
うになったわね」と。最初は、ウソでよいですから、それだけを繰りかえします。

 「先生もほめていたよ」「お母さん、うれしいわよ」と言うのも、よいでしょう。

 ここでいう「自己意識」というのは、自分で自分を客観的にみつめ、自分の置かれた立
場を、第三者の目で判断する意識というふうに考えてください。

 しかし4歳児では、無理です。こうした意識が育ってくるのは、小学2、3年生以後。
ですから、それまでに、今以上に、症状をこじらせないことだけを考えてください。

 とても残念なことですが、幼稚園の先生は、せっかちですね。その子どものリズムに合
わせて、子どもをみるという、保育者に一番大切な教育姿勢をもっていないような気がし
ます。

 おまけに、「年長になったら……」と、親をおどしている? ある一定の理想的(?)な
子ども像を頭の中に描き、それにあわせて子どもをつくるという、教育観をもっているよ
うです。旧来型の保育者が、そういうものの考え方を、よくします。(今は、もうそういう
時代ではないのですが……。)

 M子さんに、ほかに心身症による症状(「はやし浩司 神経症」で、グーグルで検索して
みてください。ヒットするはずです。
あるいは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html)が出てくれば、この時期
は、がまんしてその幼稚園にいる必要は、まったくありません。

 子どもの心に与える重大性を考えるなら、転園も、解決策の一つとして、考えてくださ
い。

 そして(4)「うちの子を守るのは、私しかいない」と、あなたが子どもの盾(たて)に
なります。先生から苦情があれば、「すみません」と一応は謙虚に出ながらも、子どもに向
かっては、「あなたはよくがんばっているのよ」「すばらしい子なのよ」と言います。そう
いう形で子どもの心を守ります。

 まちがっても、そこらの保育者(失礼!)がもっている理想像(?)に合わせた子ども
づくりを、してはいけません。

 子育てもいつか終わりになるときがやってきます。そういうとき、あなたの子育ての思
い出を、光り輝かせるものは、「私は、子どもを守りきった」「私は、子どもを信じきった」
という、親としての達成感です。

 今が、そのときです。その第一歩です。

 最後に(5)M子さんに合わせた、行動形態にすることです。「のろい」と感ずるなら、
あなたも、もう一歩、自分の歩く早さを、のろくすればよいのです。どこかに子育てリズ
ム論を書いておきましたので、また参考にしてください。

 とても幸いなことに、Uさんは、たいへん愛情豊かな方だと思います。それに自分の子
育てを客観的にみつめておられる。とてもすばらしいことです。(プラス、私のマガジンを
読んでいる!)

 子どもといっしょに、子どもの友として、子どもの横を歩いてみてください。楽しいで
すよ。セカセカと歩いていたときには気づかなかったものが、たくさん見えてきますよ。

 そうそう、最後に一言。

 こうした緩慢行動(動作)は、子どもの自己意識が育ってくると、自然に消えていくも
のです。子どもが自分で判断して、自分で行動をコントロールするようになるからです。
どうか、安心してください。

 私の経験でも、乳幼児期の緩慢行動(動作)が、そのまま、小学5、6年生まで残った
というケースを知りません。小学3、4年生ごろには消えます。(ただしこじらせると、回
復が遅れますが、そのときは、もっと別の、ある意味で深刻な、心身症、神経症による症
状が出てきます。

 また親は「のろい」「のろい」と心配しますが、第三者から見ると、そうでないというケ
ースも、たいへん多いです。これは親子のリズムがあっていないだけと考えます。)

 吃音(どもり)については、ここ1〜3年は、症状が残るかもしれません。環境が大き
く変わっても、クセとして定着することもあるからです。吃音については、あきらめて、
濃密な愛情をそそいであげてください。これも時期がくれば、症状は消えます。

 どんな子どもでも、一つや二つ、三つや四つ、そうした問題をかかえています。全体と
してみれば、マイナーな、何でもない問題です。

 あまり深刻にならず、ここは、おおらかに! なお先取り教育は、失敗しますので、注
意してください。それについては、またマガジンのほうで取りあげてみます。

 なおこの原稿は、(いただいたメールの転載も含めて)、8月13日号で掲載する予定で
す。どうか転載のご承諾をお願いします。不都合な点があれば、書き改めます。至急、お
知らせください。

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

                                  はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子供の緩慢行動 緩慢動作 
のろい子供 のろい動作 のろい子ども


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【北朝鮮の崩壊】(Let's North Korea Collapse as It Is Now!)

2009年12月2日現在、北朝鮮は、大混乱に陥っている。
すでに、870万人が、飢餓に直面しているという。

国連の潘基文事務総長は去る9月4日、「国際支援の拒否などにより食糧不足も深刻さを増
しており、約870万人が飢餓に直面している」と発表している(産経新聞)。

そんな中、世界の歴史の中でも類を見ないような、めちゃめちゃな経済改革(?)が、こ
のたび、北朝鮮で強行された。

デノミである。
交換額制限付きのデノミである。
その模様を、韓国の各紙は、つぎのように伝えている。

★「北朝鮮が12月1日、これまでの貨幣100ウォンを新貨幣の1ウォンと交換するデ
ノミネーション(デノミ、通貨呼称単位の変更)を行った。1992年に新旧の貨幣を1
対1の比率で交換する貨幣改革を行って以来、17年ぶりのことだ。今回の措置で、住民
たちは北朝鮮貨幣をドルや中国人民元に交換しようと闇市に殺到するなど、大騒ぎになっ
たという」(朝鮮N報)。

★「北朝鮮当局は当初、旧貨幣を世帯当り10万ウォンまで交換しようとしたが、住民の
強い反発を受け、交換限度を15万ウォンへ拡大したという。新貨幣と交換できない旧貨
幣はそのまま紙くずになるため、住民の反発が大きいのは必至だ。北朝鮮専門のインター
ネット新聞「デイリーNK」は、北朝鮮の内部情報筋の話として、昨日、貨幣交換が始ま
ると、突然財産を失うようになった住民の動揺が大きく後遺症が深刻だと伝えた」(東亜日
報)。

★「聯合ニュースによると、旧通貨と新通貨の交換比率は100対1。11月30日午後
から交換が行われ、平壌市民は突然のデノミに驚き、自宅の現金を両替しようと闇市に殺
到。ドルや人民元が暴騰するなど混乱したという。

 北朝鮮のデノミについて、韓国統一省は「現在確認中」としているが、確認されれば今
回で5回目の実施となる。統一省によると、北朝鮮の新通貨発行は1992年以来。ただ
当時は交換比率が1対1で、新しい貨幣に換えられる上限が決まっていたため超過した分
は事実上、国に没収された。

 90年代後半に数百万人が餓死したとの情報がある北朝鮮は2002年7月、「経済管理
改善措置」を発令。滞りがちになっていた配給制を取りやめ、公定価格や給料を引き上げ
るなど、経済の活性化を図った。そのため急激なインフレも起きた。現在、北朝鮮の一般
の労働者の給料は月額3000ウォン前後とされるがこれはトウモロコシ2キロの値段に
すぎず、それほどインフレが深刻ということだ」(韓国、産経新聞)。

●日本は日本の国益を第一に考える

 日本の国益とは何か?
それは北朝鮮を、自然死にもちこむこと。
自己崩壊させること。

 現在、北朝鮮は、アメリカとの間で、「米朝友好条約」なるものの締結をもくろんでいる。
しかしこれほどまでに日本にとって、危険な条約はない。
仮に米朝友好条約なるものが締結されたら、それ以後、北朝鮮は日本に対してしたい放題
のことができるようになる。

 これは憶測でも杞憂でもない。
現実である。
その時点から、日米安保条約は死文化し、北朝鮮は、アメリカ本土にさえ手を出さなけれ
ば、日本に対して軍事行動すら可能になる。
仮に核兵器はなくても、日本は北朝鮮の化学兵器、生物兵器にビクビクしながら生きてい
かねばならなくなる。
現に250〜500発のノドン型ミサイルが、実戦配備についている。
「友好」という名前にだまされてはいけない。

 日本にとって、ベストのシナリオは、北朝鮮を自己崩壊させること。
それで拉致問題も、解決する。
今こそ、兵糧攻めの手を緩めてはいけない。
中国、韓国は国境を接しているため、困るだろう。
日本にとっても、朝鮮半島の混乱は、好ましくない。
しかし10年後、20年後の日本のことを考えるなら、ああした国を、生かしておいては
いけない。

 もちろん日本が手をくだすことはできない。
軍事力の行使も許されない。
だからこそ、「自然死」ということになる。
それがまた、北朝鮮の人たちにとっても、ベストのシナリオということになる。
世界でも最悪の恐怖政治から、北朝鮮の人たちも、解放される。

 今こそ、チャンス。

 ちょうど10年ほど前にも同じことが起きたが、そのときは、日本が最大の援助国とな
って、北朝鮮を助けた。
当時のK外務大臣は、あろうことか、白米120万トンと北朝鮮に届けた。
そのとき金xxは、中国北部への亡命まで画策していた。
そんな愚かな外交を繰り返してはいけない。

 それともあなたは、あのミサイル発射実験のとき感じた恐怖を忘れたとでも言うのか。
今、あの国を自然崩壊させないと、二度と、そのチャンスはやってこない。
「核兵器の標的は日本」
「日本は存在してはならない国」などなど。

そのつど私たちは北朝鮮の脅迫にさらされてきた。
国際政治は、どこまでも現実的に。
現実だけをみて、対処する。
(いい子)ぶって、よいことは何もない!
(09年12月2日記)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……  
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ    
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒     
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 8日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2010年】

謹賀新年

明けまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

・・・と書きましたが、実は、この原稿を書いている今日は、12月1日です。
ちょうど1か月前です。

(マガジンの原稿は、だいたい1か月ほど前に書いています。
原稿の枚数が、20〜30枚(1枚=40字x36行)になったところで、
配信予約を入れるようにしています。)

ですから今は本当のところ、「今年も、あと1か月」と思いながら、この文章を
書いています。
「あと、1か月」です。

で、この1か月でしたいことが、あります。
新しいパソコンを買うこと。
正月休みは、それをいじって遊ぶ。
「何だ、そんなことか?」と思う人も、いるかもしれません。
しかしそれがけっこう、たいへんな作業なのです。

セキュリィテイの設定や、Raidの設定などなど。
ホームページだけでも、現在、20本ほど、使っています。
それらすべてのIDおよび、パスワードの再設定をしなければなりません。
ほかにも、いろいろあります。
無線LANの設定とか、各種サービスの設定とか、全部で、200〜300くらいは、
あります。
考えただけで、気が遠くなります。

今、使っているパソコンで、何も問題はないのですが、それはそれ。
ときどきこう思うことがあります。
「できるだけ長生きして、どんなパソコンが生まれるか、それを見届けたい」と。

私がパソコンにはじめて出会ったのは、私が26、7歳くらいのときです。
コモドール社(アメリカ)から、PET2000というパソコンが発売になりました。
それを手に入れました。
当時の値段で、32万円もしました。
あとで知ったのですが、同じころ、あのビル・ゲーツ氏も、同じパソコンで遊んで
いたのだそうです。

今から思うと、想像もできないほど、のんびりとしたパソコンでした。
「Y=XxX」というような公式を、ベーシック言語で打ち込むと、ポツポツと、
小さな画面に、曲線を描いてくれました。
ポツポツ、とです。
それがうれしくて、プラス楽しくて、私はあごを両手で支えながら、その点に見とれて
いました。

 それ以後は、パソコンについては、とっかえ、ひっかえ・・・。
35年という年月が過ぎました。
2009年だけでも、4、5台、ノートパソコンやミニパソコンを買い替えました。
で、今度は、いよいよ本丸。
最先端のデスクトップをねらっています。
もちろん周辺機器も!

 この原稿がみなさんの目にとまるころには、私は最先端のパソコンを前に、1月号の
原稿を書いていることと思います。
どうか、ご期待ください!
(見た目には、何も変わりませんが……。)

 で、2010年も、そこにある(真理)を求めて、さまよいつづけます。
そこにある(真理)です。
そこにあるのですが、どうしてもつかみきれない。
が、そのはがゆさが楽しい。
本当に楽しい。
私にとっては、それが生きがいになっています。

 もちろん、みなさんという読者あっての、文章。
みなさんが、こうして読んでくださるのが、何よりも励みになります。
今年も、よろしくお願いします。
私はできるかぎりの力を尽くして、情報を提供します。
みなさんは、私に、(励み)をくださる。
この1年間、どうかよろしくお願いします。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間関係

++++++++++++++++

良好な人間関係を結べない人は多い。
初対面では、よい人という印象を受ける。
愛想もよいし、人当たりもよい。
が、しばらくつきあっていると、
様子がおかしくなる。
言うことがコロコロと変わる。
雰囲気そのものも変わる。
気分屋で、ときどきカッとなる。
カッとなると、別人のように攻撃的になったりする。
そのため結果的に、みな、その人から遠ざかっていく。

そういう人は、長い目で見て、何らかの
障害をもっている人と見てよい。
「長い目」というのは、瞬間的に会って
話してみる程度では、わからないということ。
たがいに、ときどきあいさつする程度でも、
わからない。
が、1年単位、2年単位でみると、
どうも様子がおかしい……ということが
わかってくる。

++++++++++++++++

●xx障害者

 どんな人にも、性格や性質というものがある。
私にもあるし、あなたにもある。
そういう性格や性質が、ある一定の枠(わく)の中にある間は、問題ない。
しかしその枠を超えて、それが原因で、良好な対人関係が築けないというのであれば、
その人自身に、何か深刻な精神的欠陥があるとみてよい。

●Nさんのケース

 Nさんという女性(40歳くらい、架空の人物、マンション住まい)がいる。
人当たりは悪くない。
とくに初対面のときは、悪くない。
何かを頼むと、しすぎるほど、いろいろなことをしてくれる。

 が、どうも様子がおかしい。
落ち着かない。
ときに善意の押し売りをされているような気分になる。

●気分屋

 が、やがて本性が現れてくる。
ささいなことで気分を損ねたりすると、今度は手のひらを返したように、
攻撃的な態度となって、はね返ってくる。

 たとえばこんなことがあった。

 Nさんの隣の部屋に、新しい人が引っ越してきた。
Nさんは、その人を、手厚く(?)歓迎した。
あれこれと世話をした。
引っ越してきた夜には、わざわざ夕食まで届けてくれたという。

 で、しばらくは、穏やかな日がつづいた。
隣人は、Nさんに感謝した。
Nさんのことを、心のおおらかな、やさしい人と思っていた。
が、ある日のこと。
Nさんが、その隣人の家に、怒鳴り込んできた。
まだ夜も明けきらない、寒い冬の朝のことだった。
ものすごい剣幕だった。
「どうして、通路に、生ゴミを置いておくのだア!」と。

 あわてて通路に出てみると、生ゴミが散乱していた。
隣人が生ゴミを、うっかり通路に置き忘れたのが悪かった。
それをカラスが食い散らしたらしい。

 あまりの剣幕に、Nさんの足は震えたという。
で、その日以来、隣人はNさんとは、一線を引くようにした。
が、これがそれにつづく、地獄の始まりだった……。

●『二匹のヤマアラシ論』

 ……というようなケースは、話としてよく聞く。
またNさんのような人は、珍しくない。
ショーペンハウエルの『二匹のヤマアラシ論』※を、改めて取り上げるまでもない。

 孤独だから、他人に接しようとする。
しかし他人に接したとたん、たがいに傷つけあってしまう。
だから離れる。
離れたとたん、また孤独になる。
Nさんは、それをいつも繰り返していた。

●精神的欠陥

 こういうケースのばあい、Nさんが、いつどこで自分の精神的欠陥に気づくかが、
問題となる。
夫は何度も、Nさんを心療内科へ連れていこうとした。
が、Nさんは、それを強く拒否。
「私は何でもない!」と。
もちろん夫婦喧嘩も絶えなかった。
ふつうの夫婦喧嘩ではない。
「フライパンが宙を飛び交うような喧嘩だった」(隣人談)そうだ。

●他山の石

 こういうケースを見聞きしたら、それを他山の石として、自己診断するしかない。
つまり自分で自分を知る。

 実のところ、私もNさんに似ているから、偉そうなことは言えない。
Nさんの話を聞いたとき、「私のことだ」と思ってしまった。
私のように、乳幼児期に、母子との間において、基本的信頼関係の構築に失敗した
人は、多い。
そういう人は、多かれ少なかれ、Nさんのような人になりやすい。
他人に対して、心を開くことができない。
だから孤独。
孤独だから他人との接触を試みる。
しかし接触したとたん、神経疲れを起こす。
神経疲れを起こすから、カラにこもる。
孤独になる。
あとはこれを繰り返す。

●自己診断

 このタイプの人を、「xx障害者」と呼ぶ。
「xx」としたが、病名など、何でもよい。
しかしつぎのような症状に当てはまるようであれば、その「xx障害者」という
ことになる。

( )行き来する友人の数が、極端に少ない。
( )つきあった人とは、たいてい1〜2年以内に、喧嘩別れとなる。(相手が避ける)
( )孤独と、他人との衝突を繰り返す。
( )初対面の人などには、たいへん親切。
( )気分屋で、気分に応じて行動しやすい。
( )他人とのつきあいは、表面的かつ、形だけ。
( )カッとなると、人間関係を破滅的に導いてしまう。

●加齢とともに

 しかしNさんの姿は、けっして他人ごとではない。
もうお気づきの人もいるかもしれないが、あるタイプの認知症になると、似たような
症状を示すことがある。
たとえばアルツハイマー病もあるし、それに似た、ピック病というのもある。
そうでなくても、頭がボケてくると、がんこになり、心の余裕を失う。
今、「私はだいじょうぶ」と思っている人でも、老後のことはわからない。
Nさんのようになる可能性は、ないとは言えない。

●では、どうすればよいか

 まず、自分に気がつくこと。
自分がそういう人間であるということに、気がつくこと。
こうした心の問題は、気がつくだけで、そのほとんどが解決したとみる。
時間はかかるが、やがて症状も収まってくる。
そうでなければ、そうでない。
いつまでも同じパターンで、同じ問題を引き起こす。
それを繰り返す。

 ただこの段階で、たいへん興味深いことは、ほとんどの人は、最初、そうであることを
かたくななまでに否定するということ。
Nさんのケースでも、Nさんの異変に、Nさんの夫は結婚当初から気づいていた。
そのため何度も、Nさんを専門医に診察してもらおうとした。
そのことについては、先に書いたとおりである。

 自分がそうであることを認めるのがこわいのか?
それとも、自分で何とかしようとする気持ちが強いのか?
さらには、自分ではどうにもできないと、あきらめているのか?
あるいは、薄々ながら、自分がふつうでないことに、気がついているのかもしれない。

Nさんの夫の話によれば、「病院」とか「病院へ行こう」と言っただけで、Nさんは、
狂乱状態になってしまうという。
さらに最近では、Nさんはことあるごとに、夫にこう言うという。
「あんたは、私を気チxxと言った」「精神病院へ入れようとした」と。
そしてそれがきっかけで、夫婦喧嘩になることも多い、と。

 簡単なことのようだが、他人と良好な人間関係を築くのは、むずかしい。
それができる人には、簡単にできる。
が、できない人には、むずかしい。
Nさんのケースは、けっして他人ごとではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 良好な人間関係)

(注※)『二匹のヤマアラシ』……寒い夜、二匹のヤマアラシが、身を寄せ合って眠ろうと
した。しかし近づけば、たがいの針で、体が痛い。そこで離れる。しかし離れると、今度
は寒い。こうして二匹のヤマアラシは、一晩中、体を近づけたり、離したりを繰り返した。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ウィルス対策

ヤフーの検索エンジンを使って、「はやし浩司」を検索してみる。
するとあちこちのページが、一覧表となって示される。
私は最近まで、そういうページをほとんど、のぞいたことがない。
気にはなっていたが、見れば、さらに気になる。
が、この数週間、ときどきランダムに選んでは、読ませてもらっている。

が、その中で、「?」と思うページも、いくつかある。
「はやし浩司」を取り上げてはいるが、まったく意味のないページである。
おかしな言葉が、無数に並んでいる。
それだけ。
ちゃんとした文章に、なっていない。
が、タイトルだけは、しっかりしている。
そのため思わず、そのページをのぞいてしまう。

今朝も、床の中で目を覚ましたあと、そうしたページのことを考えていた。
「あれは、いったい、何なんだろう?」と。

そこで思いついたのが、K国による、サイバーテロ。
私はあの国をよく批判する。
そのせいか、数年前までは、ハングル文字の意味不明のメールが、よく届いた。
「ひょっとしたら、新手のサイバーテロかもしれない」と。
(現在は、フィルターをかけて、特定の国からのメールしか受け取らないようにしている。)

つまりこうして「はやし浩司」の検索を通して、私のパソコンに入り込む。
何かしらの悪さをする。
私自身が、検索を通して、そのページを読むことを見越した上で、である。

けっしてありえない話ではない。
今ではホームページ(ウェブサイト)を開いただけで、感染するウィルスもある。
その目的で、私をそのページに誘導する(?)。

以上は、あくまでも、私の推理。
(邪推?)
……ともあれ、今朝は、朝一番に、ウィルス・チェック。
それと今日から、すべてのパソコンを、無線LANでつなぐことにした。
詳しくはわからないが、無線LANにすると、それ自体が、ウィルス対策になるとか。
こうして二重、三重の防御態勢をとる。

あのK国のしわざとは断定できないが、しかし用心だけはしたほうがよい。
何しろ国をあげて、サイバーテロを繰り返している国である。

(補記)
居間でよく使っているパソコンについて、先ほど、ウィルス・チェックと、
ボット・チェックをしてみた。
ともにシロだった。
ほっとした。


Hiroshi Hayashi+++++林 浩司+++++はやし浩司

●損得論

+++++++++++++++++

損得論は、意外と奥が深い。
こんな話もある。

ある父親が東京に住む娘に、みかんを
送った。
その返事が、父親の方ではなく、母親のほうに、
メールで届いた。
「お母さん、ありがとう」と。

父親は、こうぼやいた。
「みかんを送ったのは、私なんだけどな」と。

また、別の話。

息子が横浜に住む女性と結婚した。
それについて、息子の母親が、こう言った。
「悔しい。
手塩をかけて育てた息子を、横浜の嫁に
取られた」と。

+++++++++++++++++

●ケチの一貫性

 損得論といっても、お金(マネー)だけの問題ではない。
心の問題もある。
しかし人間という動物は、それほど器用にできていない。
お金にケチな人は、心もケチ。
心がケチな人は、お金にもケチ。
そういう意味では、一貫性がある。

 つまり損得論は、その人の人生観、さらには哲学と深く結びついている。
たとえば自分の時間の使い方にしても、ケチな人と、そうでない人がいる。
愛情の示し方にしても、ケチな人と、そうでない人がいる。

 嫉妬深いというのは、そういう意味で、ケチの一様態と考えてよい。
「みかんを送ったのは、私なんだけどな」と言った父親。
「手塩をかけて育てた息子を、横浜の嫁に取られた」と言った母親。
ともにケチな人ということになる。

●ケチを決める人間性

 要するに、損得論というのは、欲望と深く結びついている。
その欲望をコントロールするのが、理性や知性ということになると、ケチ論の先に
見えてくるのは、その人の人間性ということになる。

 いろいろな意味でケチな人というのは、それだけ人間性が薄っぺらいということ。
薄っぺらい人を、ケチな人という。
温もりや、やさしさがない。
言うなれば、心のクッションがない。
いつもどこかで、計算している。
心の余裕がない。
ピリピリしていて、緊張感が取れない。

 そういう人をケチな人という。

●心のクッション

 「心のクッション」という言葉を使ったので、補足しておきたい。

 一般論として、……というより、心理学のテキストなどによれば、自己愛者と
呼ばれる人は、だれか批判されるのを許さない。
自己中心的な人は多いが、その自己中心性が肥大化した人のことを、自己愛者という。
完ぺき主義で、同時に、自分は完成された人間と思い込む。

 このタイプの人は、心にクッションがない。
そこでクッションのある人と、ない人を、対比させてみる。

(穏やか)ー(ピリピリしている)
(共鳴性がある)ー(他人の心に鈍感)
(よき聞き役)ー(一方的に自分の意見を言う)
(自責型タイプ)ー(他責型タイプ)
(控えめ)ー(目立ちたがり屋)

 が、何よりも特徴的なのは、クッションのある人は、「損」に対して、寛大。
おおらか。
クッションのない人は、わずかな「損」に対しても過剰に反応し、おおげさに
騒ぐ。

●2つのタイプ

 ところがたいへん興味深いことに、何かのことで大損をした人は、そのあと、
つぎの2つのタイプに分かれる。
ひとつは、極端なケチになるタイプ。
もうひとつは、損に対して、おおらかになるタイプ。

 私のことを書いてもあまり意味はないが、損か得かということになれば、私は
自分の人生の中で、損ばかりしてきた。
いまだかって、(もらったお金)と言えば、ワイフの実父が亡くなったとき、義兄から
受け取った10万円だけ。
あとはすべて出超。

 お金だけではない。
いろいろなチャンスがありながら、そのチャンスを生かすことさえできなかった。
いつもあと一歩というところで、身を引いてしまった。
だからときどき、こう考える。
「今さら、何が損か」と。

 おおらかになったわけではないが、損得勘定に、鈍感になってしまった。
で、その一方で、たぶんに言い訳がましいが、こう言って自分をなぐさめる。
「健康で、家族がいるではないか」と。
「たいした人生ではなかったが、思う存分、自分の生きたいように生きることが
できたではないか」と。

●莫大な財産

 損か、得か。
最後に、最近、聞いた話。

 ある妻は、自分の生涯を、夫に捧げた。
夫を愛していたからではない。
家族を大切に考えていたからでもない。
子どもが2人いたが、その子どもたちのためでもない。

 夫の両親がもっていた、莫大な遺産があったからである。
夫婦関係についていえば、子どもたちがまだ小学生のころ、完全に
冷えていた。

 夫の両親は、その妻が、50歳になる少し前に、相次いで他界した。
が、だからといって、夫の両親の財産が、妻のものになったわけではない。
夫の両親の財産は、夫と、夫の弟で、2分した。

 が、夫は、自分が相続した財産を、妻には渡さなかった。
妻が財産目当てに、自分との婚姻関係をつづけてきたことを知っていた。
以来、毎日のように言い争いがつづいた。

 で、そうこうしているうちに、15年が過ぎた。
妻は、現在、65歳前後。
2人の子どもたちはそれぞれが独立し、ほとんど行き来はない。
莫大な財産は、手を伸ばせばすぐそこにあるが、しかしだからといって、それが
どうなのか。
妻は、去年、若年性アルツハイマー病になってしまった。
夫も、軽い脳こうそくを起こし、歩くのもやっとという状態になってしまった。

 損と言えば、これほど損な話はない。
自分の人生そのものを、棒に振ってしまった。
 
●損得論

 資本主義社会になって、損得論が変質してしまった。
金銭的な損得論だけが、ひとり歩きをするようになってしまった。
しかし(生きること)には、もっと別の価値がある。
しかもその価値というのは、金銭的な尺度では、計算できない。
わかりきったことだが、そのわかりきったことが、わかりにくくなってしまった。

 で、最近観た映画に、『クリスマス・キャロル』がある。
自由貿易体制の宗主であるアメリカで、ああした映画が作られるというのも、おもしろい。
あの『クリスマス・キャロル』は、そのわかりにくくなった部分を、鋭くえぐり
出している。

 私たちにとって、何が本当に大切なのか。
生きるとは、本来どういうことなのか。
それを考えていくと、そこに壁のように立ちはだかるのが、損得論ということになる。
言い換えると、その損得論を乗り越えないかぎり、私たちは、その先へ進むことは
できない。

 冒頭で、「損得論は、意外と奥が深い」と書いた意味が、これでわかってもらえた
だろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 損得論 ケチ論)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec.09+++++++++はやし浩司

●相続制度の崩壊

+++++++++++++++++++

本来相続権のない、息子や娘が
親に代わって、相続財産の分与を求め、
裁判を起こす。
そんな例がふえているという。

F県で司法書士をしている学生時代の
友人が、そんな話をしてくれた。

もう少し、詳しく説明する。

親が死ねば、その財産は、配偶者と
子どもに、分配される。
これらの人たちを、相続権者という。

が、その子どもの子ども、つまり孫が、
親をたきつけて、相続財産を争う。
もちろん孫には、相続権はない。
ないにもかかわらず、親をたきつけて、
裁判を起こす。
「親の取り分をよこせ!」と。

ある女性(40歳くらい)は、こう言った。
「私の父は、父が実家を出るとき、1円も財産を
分けてもらわなかった。
不公平だ。
だから父の実家に、財産分与を請求して、
どうして悪いですか」と。

+++++++++++++++++++

●孫が親の実家を訴える?

 こうした裁判は、私が若いころには、想像もできなかった。
長子相続制度、家(家督)制度というのは、そのとき廃止されていたが、その意識はまだ
残っていた。
それが社会の常識として定着していた。

「長子相続制度」というのは、長男、もしくは男子が、「家」を継ぐという制度。
女子は、長子相続制度からは、はずされることが多かった。

また「家制度」というのは、「家督制度」とも呼ばれた。
家族(親族)を、「戸主」と「家族」に分け、戸主に統率権限を与えていた制度をいう。
「家」あっての家族ということになる。
同時に、その「家」では、戸主が絶対的な権限を握っていた。

 これら2つの制度は、1947年の民法の大改革によって、廃止されている。
子どもは、みな、平等となった。
つまりそれまでは、「家」を出た者は、当然のこととして、遺産相続権を放棄したものと、
みなされた。
「家族より、家の方が大切」と考えていた。
財産分与を請求すれば、「家」が弱体化する。
そのため財産分与の請求など、常識として、ありえなかった。
むしろ家を出た者は、「本家」を守るため、毎年何かしらの貢ぎ物(=マネー)を
渡すのが習慣になっていた。
私の母ですら、あるとき私にこう言った。
「親が、先祖を守るために、息子の財産を使って、何が悪い!」と。

 そうした意識の片鱗は、実は私の中にも、残っている。
孫の立場の子どもが、親をたきつけて、親の実家に向かって、財産分与を請求する
ということそのものが、理解できない。
が、実際には、先にも書いたように、そういう事例が、ふえている、・・・という。

●農村社会の連続性

 江戸時代は、きびしい身分制度が敷かれていた。
農民は、生まれながらに農民。
それ以外には、なりえなかった。
が、それだけではない。

人口の90%以上が、農民であった。
そういう社会では、世代の連続性が重要視された。
親が死んだ、だから農業を廃業しますというわけにはいかない。
また代々、親が死ぬたびに、農地を分割していたら、3代、4代もすれば、農地が
こまごまになってしまう。
それでは農業そのものが、成り立たなくなってしまう。
そこで(連続性)を維持するために、長子相続制度や家制度が生まれた。

 本家は、一族を代表して、祭祀を執り行った。
一方、本家を出た者たちは、絶対的な服従を強いられた。

 が、時代が変わった。
子どもたちの権利意識も変わった。
農業といっても、今では専業で農業を営んでいる人は少ない。
しかも都会地域の農地は、宅地に転用したとたん、巨億の財産に変身する。
が、何よりも変わったのは、長子相続制度が廃止され、家制度が廃止されたこと。
長男も二男も、男も女も、平等になった。

●遺産相続の手続き

 が、私は、どうしても納得できない。
子どもが、自分の親の死にあたって、遺産相続権を行使するのは、わかる。
が、孫にあたる子どもが、自分の親をたきつけて、親の実家を相手に、遺産相続を
請求するというのは、私の理解の範囲を超える。

 もう一度、冒頭に書いた女性の言葉を思い出してみてほしい。
その女性は、こう言った。

「私の父は、父が実家を出るとき、1円も財産を分けてもらわなかった。
不公平だ。
だから父の実家に、財産分与を請求して、どうして悪いですか」と。

 あなたはこの意見を読んで、「当然のことだ」と考えるだろうか。
それとも、「おかしい」と考えるだろうか。

 さらにこんな例もある。

●複雑な家族関係

(家族関係を説明するときは、言葉の使い方がむずかしい。
書き方をまちがえると、何がなんだか、わけがわからなくなる。)

 そこであらかじめ、家族関係を説明しておく。

(父親と母親・・・X)には、3人の(子ども・・・Y)がいた。
3人の子どもを、A、B、Cとする。
A、B、C、それぞれの子どもには、2人ずつの子どもがいた。
これらの子ども、つまり孫を、(A1)(A2)(B1)(B2)(C1)(C2)とする。

 こういうケースのばあい、(父親と母親・・・X)が死亡すれば、その財産は、A、B、C
の3人の子どものものになる。

 が、Aという子どもが、親より先に死ねば、Aがもっていた遺産相続権は、(A1)(A
2)が引き継ぐことになる。
配偶者がいれば、配偶者も、引き継ぐことになる。

仮にそのとき(A1)が死亡していて、(A1)に、3人の子どもがいたとすると、
すると遺産相続権は、さらにその3人の子ども(Xからすれば、ひ孫)が、引き継ぐこと
になる。
こうして権利関係は、恐ろしく複雑になる。

 だから法律をよく知っている人は、みな、こう言う。
「遺産相続の手続きだけは、親が死んだら、すぐしろ」と。

 今では農地でも、50年も放っておいたら、だれのものか、わからなくなってしまう。
相続手続きをしようにも、しようがない。
そんな状態になってしまう。
それこそ「日本中をかけずり回って、何十人もの人たちから、印鑑を集めてこなければな
らなくなる」(友人談)。

●平等意識

 が、みなが、みな、すんなりと相続放棄の書類に判を押してくれるわけではない。
当然何らかの分け前を求めてくる。
「分け前をくれなければ、判は押さない」と。

 つまり孫、あるいはひ孫にあたる人たちが、遺産相続を請求するようになる。
こういう世相を、はたして正常と言ってよいのか、どうか?
法律的には、ほかに妙案がないのだから、現行法を支持するしかない。
が、それもだめというのなら、たとえば死んだら、私有財産は、一度すべて国のものにす
るとか、そういう方法を考えるしかない。
しかしそれをするには、民法どころか、国民の意識、さらには資本主義制度そのものまで、
大改革しなければならない。

●矛盾

 端的に言えば、財産は、自分で作るもの。
死ぬまでに、自分で使いきればよい。
自分が死んだら、息のかかったものどうしで、分ければよい。
だから私は、その女性(40歳くらい)に、こう言いたかった。

 「祖父母の財産を請求するくらいなら、親の財産を請求しなさい」と。

 もちろんそんなことは言わなかったが、ほとんど世話をしたこともない祖父母の財産を
請求するほうが、おかしい。
(祖父母のほうは、あれこれと、孫であるその女性のめんどうをみてくれたかもしれない
が・・・。)
おかしいが、やはりそれ以外に方法がないのだから、今の遺産相続制度を支持するしかな
い。

私「では、親は、何と言っているのですか?」
友「親自身は、遺産なんてどうでもいいと言っているんですがね、その子どもたちが、そ
れではいけないと、親をたきつけているんですね」
私「平等意識というのですかね」
友「結局、そういうことになりますね」と。

 世の中も、変わってきた。
今は、その過渡期イコール、混乱期ということになる。
それがこのエッセーの結論ということになる。

(参考:ウィキペディア百科事典より)

●長子相続(ちょうしそうぞく)とは、最初に生まれた子供(長子)が家産を相続する制
度である。ここでいう長子は、長男のみを指し、「長女」が外されることが多く、「男女を
問わず、最初に生まれた子供が相続する」という真の意味の「長子」相続とは言えない例
が多い。相続する家産は、財産のみならず家督や地位をも含んでいた。

●日本国憲法が施行された1947年には、民法が大規模に改正され、家督相続が廃止され
た。
この時の改正では、長男相続制も廃止されて、配偶者にもいかなる子供にも平等に相続権
を持つことが規定された。

●家制度(いえせいど)とは、1898年に制定された民法(以降、旧民法という)において
規定された家族制度であり、親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を、戸主と家族
として一つの家に属させ、戸主に家の統率権限を与えていた制度である。江戸時代に発達
した、武士階級の家父長制的な家族制度を基にしている。

(以上、ウィキペディア百科事典より)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 6日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page004.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●キレる子供

【特集・キレる子ども】(1)


【キレる子ども】(再録)

+++++++++++++

夏場になると、キレる子どもが
多くなる。

暑いせいか?

しかしそれだけとは言えない。

以前書いた原稿を、手なおして
して、ここに掲載する。

+++++++++++++

●暴れまわる子ども(キレる子ども)

++++++++++++++++++

アメリカのBLOGサイトに、こんな
相談があった。

預かっている子どもについての相談だが、
暴れまわって、困るという内容のもの。

Bulletin Board for EDSPC 753より転載。

+++++++++++++++++++

We have had custody of my 6 year old stepson for 9 months now, and I am truly worn out 
and need help ASAP. I went to the school today to pick him up for a doctor appointment 
(for his behavior & yes he is on medications for this)and upon seeing me in the hallway 
he became hysterical and ran in the oposite direction screaming. The principal and I 
caught up with him and he began punching, kicking, slapping, biting, and pulling 
several handfulls of my hair out of my head before the principal could restrain him. 
When he seemed calmed a bit i tried to calmly let him know that I was just picking him 
up for his doctor's appointment, at that point he kicked me in the face and continued to 
scream as loud as he could, disrupting several classrooms. The principal tried to carry 
him out to my vehicle, but once in he began kicking the daylights out of my car, he then 
got out and threw himself on the ground screaming. Please tell me what in the world to 
do and how should this be handled if it should occur at school again. The only facts we 
know about his life with his real mother is that she admitted in court to having heavily 
used methamphetamines daily throughout the pregnancy. I am not a teacher, but I fell 
terrible that the staff at his school had to go through this. He had an episode eight 
weeks ago where he did the same thing to his teacher that he did to me, I am in fearthat 
his abuse will only escalate. He is scheduled for a psych evaluation in Tacoma in 2 
weeks, please give me advice for the mean time, we have 5 other well behaved children 
in our home, how do I keep them safe?

6歳の子どもを預かるようになって、9か月になる。私は本当に疲れた。今日も、ドクタ
ーの診察を受けるため、学校へ子どもを迎えに行った。

玄関で私を見るやいなや、子どもはヒステリックになり、反対方向へ走って逃げていった。
校長と2人で、追いついたものの、殴ったり、蹴ったり、ひっぱたいたり、髪の毛を引っ
ぱったりした。少し落ち着いたところで、今日は、病院へ行くだけだと話して聞かせた。

そのときも、私の顔を蹴り、大声で泣き叫び、いくつかの教室の授業を混乱させてしまっ
た。どうしたらよいのか、どうか、教えてほしい。また学校で同じようなことが起きたら、
どうすればよいのか。8週間ほど前も同じようなことをしたとき、このままエスカレート
したら、どうしようかと悩んだ。

彼は、タコマで、心理教育を受けることになっている。この間、どうすればよいのか、教
えてほしい。私のところには、ほかにも5人の子どもを預かっているが、みな、行儀がよ
い。

++++++++++++++++++++

ある教育者からの返事

++++++++++++++++++++

It sounds like you are dealing with an extremely difficult situation. So far the other 
suggestions posted by Dina and Bear should be helpful. I have two more techniques that 
may be helpful for your stepson. One technique that you might want to try is creating a 
behavior contract with your stepson. First, you can figure out what behaviors you would 
like to see him exhibit in school and at home. Some suggestions would be he needs to 
draw when he is feeling angry or he needs to follow directions the first time that they 
are given. Set a time frame for each time you or the teacher will be evaluating his 
behavior. Start small to encourage his success with the technique. You might want to 
say, if you can do this for 30 minutes you will receive a reward. And, keep track of 
whether or not he is exhibiting this behavior every 30 minutes. You will talk to him 
about what kinds of rewards he is willing to work for. If he loves to play with his toy 
trucks maybe you can use extra play time as a reward or getting to watch a favorite 
movie. It is important to figure out what rewards matter to him. You can find more 
information on using behavior contracting on this website. Go to the main 
behavioradvisor.com screen and you will find the link for contracts. 

たいへん困難な状況にあると思う。先にコメントを書いた、DさんやBさんの意見も、役
に立つでしょう。で、私は、役にたつであろう2つの技術をもっている。

1つは、まず試してみるべきことは、その子どもとの、(行動契約)を結ぶこと。まず、学
校や家で、彼がどうあるべきかを、あなたがそれを具体的に頭の中で描いてみる。彼が怒
っているときや、最初に指示に従う必要にあるとき、どうするかを決めるのもよい。それ
ぞれのときに、時間のワクをつくれば、先生が、子どもの行動を(客観的に)評価するだ
ろう。

もし30分以内にできれば、ほうびを与えるなどとする。30分ごとに、その契約が守れ
るかどうかを、観察する。またその子どもがどのようなほうびを求めているかを、子ども
と話しあう。たとえばおもちゃのトラックと遊びたいとか、好きな映画を見たいというの
であれば、それらをほうびとする。その子どもが何をしたがっているかを知ることが、重
要。

このサイトで、(行動契約)についてのさらなる情報を、手に入れることができる。そちら
を訪問してみたらよい。

The second technique that you might want to try is having your stepson self monitor his 
own behavior. You will start out when he is calm to identify a behavior that you would 
like to encourage. Be confident in his ability to master this technique. It may sound 
unlike you, but give him excessive amounts of your confidence that he can master this 
behavior. Many children take their cues from the adults in their lives. Once you have 
figured out what behavior you will be working on, create a sheet with smily faces and 
frowning faces. At designated times, ask him to circle the smiling face if he is exhibiting 
this behavior or the frowning face if he is not. This will build his own motivation to 
exhibit appropriate behaviors. 
And, celebrate when he is improving!!! I know this can be difficult to do, as some of the 
improvements will seem small in relation to the problems; however, it is good for you 
and him to recognize when changes are occuring. It seems like you are really commited 
to helping this child and he is lucky to have such a 
stable adult in his life. Good luck with this situation. 

Keely

2番目の技術は、子ども自身の行動について、自己監視させること。子どもがあなたから
見て、落ち着いていて、好ましい状態にあるときから、始める。この技術をマスターする
ための能力が子どもにあると、自信をもつこと。

子どもが自分で自分を管理できると、あなたが、(今のあなたには、そうではなくても)、
自身をもっていることを、子どもに強く印象づける。多くの子どもたちは、彼らの生活に
おいて、おとなたちから、その手がかりを得る。どんな様子が望ましいかがわかったら、(ニ
コニコマーク)と(しかめっつらマーク)を描いたシートを用意する。

このことで、子どもに自覚を促す。そしてうまくいったときは、その子どもをほめたたえ
る。このことはむずかしいことは、わかっている。この問題に関しては、進歩は、少ない
だろう。しかしあなたとその子どもにとって、変化が起きつつあることを気がつくために
は、よい。その子どもにとって、あなたのような安定したおとなをもっているということ
は、すばらしいことだ。

++++++++++++++++++

●子どもの過剰行動性について

 子どもの突発的な過剰行動性、いわゆるキレる子どもについては、いろいろな分野から
考察が繰りかえされている。

 大脳の微細障害説、環境ホルモン説、食生活説など。それらについて、数年前に書いた
原稿を、ここに添付する。

++++++++++++++++++

【子どもがキレるとき】

●ふえるキレる子ども

 2000年、全国の教育委員会から報告された校内での暴力行為は、前年度より11.
4%ふえて、34595件に達したことがわかった(文部科学省)。「対外的に問題の見ら
れなかった子どもが、突発的に暴力をふるうケースが目立つ」と指摘。同省・児童生徒課
は、キレる子どもへの対応の必要性を強調した(中日新聞)。

 暴力行為が報告された学校の割合は、小学校が全体の2・2%だったが、中学校が35・
8%、高校が47・3%にのぼった。また学校外の暴力行為は、小中高校で、計5779
件だった。私が住む静岡県でも、前年度より210件ふえて、1132件だった。マスコ
ミで騒がれることは少なくなったが、この問題は、まだ未解決のままと考えてよい。

 こうしたキレる子どもの原因について、各方面からさまざまな角度から議論されている。
教育的な分野からの考察については言うまでもないが、それ以外の分野として、たとえば
(1)精神医学、(2)栄養学の分野がある。さらに最近では(3)環境ホルモンの分野か
らも問題が提起されている。これは、内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)が、
子どもの脳に影響を与え、それが子どもがキレる原因の一つになっているという説
である。以下、これらの問題点について、考えてみる。

(1)精神医学の分野からの考察

●躁状態における錯乱状態 

 キレる状態は、心理学の世界では、「躁(そう)状態における精神錯乱」と位置づけられ
ている。躁うつ病を定型化したのはクレペリン(ドイツの医学者・1856〜1926)
だが、一般的には躁状態とうつ状態はペアで考えられている。周期性をもって交互に、あ
るいはケースによっては、重複して起こることが多いからである。それはそれとして、こ
のキレた状態になると、子どもは突発的に攻撃的になったり、大声でわめいたりする。

(これに対して若い人の間では、ただ単に、激怒した状態、あるいは怒りをコントロール
できなくなった状態を、「キレる」と言うことが多い。ここでは区別して考える。)私にも
こんな経験がある。

●恐ろしく冷たい目

 子どもたち(小3児)を並べて、順に答案に丸をつけていたときのこと。それまでF君
は、まったく目立たないほど、静かだった。が、あと一人でF君というそのとき、F君が
突然、暴れ出した。突然というより、激変に近いものだった。ギャーという声を出したか
と思うと、周囲にあった机とイスを足げりにしてひっくり返した。瞬間私は彼の目を見た
が、その目は恐ろしいほど冷たく、すごんでいた……。

●心の緊張状態が原因

 よく子どもの情緒が不安定になると、その不安定な状態そのものを問題にする人がいる。
しかしそれはあくまでも表面的な症状に過ぎない。情緒が不安定な子どもは、その根底に
心の緊張状態があるとみる。その緊張状態の中に不安が入りこむと、その不安を解消しよ
うと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。先のF君のばあいも、「問題が解けな
かった」という思いが、彼を緊張させた。そういう緊張状態のところに、「先生に何かを言
われるのではないか」という不安が入りこんで、一挙に情緒が不安定になった。

言いかえると、このタイプの子どもは、いつも心が緊張状態にある。気を抜かない。気を
許さない。
周囲に気をつかうなど。表情にだまされてはいけない。柔和でおだやかな表情をしながら、
その裏で心をゆがめる子どもは少なくない。

これを心理学の世界では、「遊離」という。「遊離現象」というときもある。心(情意)と
表情がミスマッチを起こした状態をいう。一度こういう状態になると、教える側からする
と、「何を考えているかわからない子ども」といった感じになる。

 その引き金となる原因はいくつかあるが、その第一に考えるのが、欲求不満である。欲
求不満が日常的に続くと、それがストレッサー(ストレスの原因)となり、心をふさぐ。
その閉塞感が、子どもの心を緊張させる。子どもの心について、こんな調査結果がある(9
8年・文部省調査)。

 「いらいら、むしゃくしゃすることがあるか」という質問に対して、小学6年生の18.
6%が、「日常的によくある」と答え、59.8%が、「ときどきある」と答えている。そ
の理由としては、

(1)友だちとの人間関係がうまくいかないとき……51.8%
(2)人に叱られたとき……45.7%
(3)家族関係がうまくいかないとき……35.5%
(4)授業がわからないとき……34.1%
(5)意味もなくむしゃくしゃするときがある……18.5%

また「不安を感ずることがあるか」という質問に対しては、やはり小学六年生の7.8%
が、「日常的によくある」と答え、47.7%が、「ときどきある」と答えている。その理
由としては、

(1)友だちとの関係がうまくいかないとき……51.0%
(2)授業がわからないとき……47.7%
(3)時間的なゆとりがないとき……29.3%
(4)落ち着ける居場所がないとき……22.4%
(5)進路、進学について……20.4%
 
 この調査結果から、現代の子どもたちは、およそ20人に一人が日常的に、いらいらし
たり、むしゃくしゃし、10人に一人が日常的にある種の不安を感じていることがわかる。

●子どもの欲求不満

 子どもの欲求不満については、その原因となるストレスの大小はもちろんのこと、それ
を受け取る子ども側の、リセプターとしての問題もある。同じストレスを与えても、それ
をストレスと感じない子どももいれば、それに敏感に反応する子どももいる。そんなわけ
で、子どものストレスを考えるときは、対個人ではどうなのかというレベルで考える必要
がある。それはさておき、子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満になる。この
欲求不満に対する反応は、ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状
態あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。母親が、「ピアノのレッス
ンをしようね」と話しかけただけで、包丁を投げつけた女の子(年長児)がいた。

私が「今日は元気?」と声をかけて、肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足
げりにした女の子(小5)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力
を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)
に分けて考えることができる。

(2)退行・依存タイプ

 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったりする(退行性)。あるいは誰かに依存しようとする(依
存性)。このタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを
叱れば叱るほど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが
多い。

(3)固執・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったりする(固執性)。あるいはささいなことを気にして、悶々
と悩んだりする(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩
いていた。最近多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえり
ならぬ、幼児がえりを起こす。ある男の子(小5)は、幼児期に読んでいたマンガの本を
ボロボロになっても、まだ大切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」
と声をかけると、その子どもはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。
読んでは、ダメだというんでチョ」と。

 ものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすための代償行為と考えるとわ
かりやすい。よく知られているのに、指しゃぶりや、爪かみ、髪いじりなどがある。別の
ところで指の快感を覚えることで、自分の欲求不満を解消しようとする。

 キレる子どもは、このうち、(1)攻撃・暴力タイプということになるが、しかし同時に
退行性や依存性、さらには固着性や執着性をみせることが多い。 

●すなおな子ども論

 補足だが、従順で、おとなしい子どもを、すなおな子どもと考えている人は多い。しか
しそれは誤解。教育、なかんずく幼児教育の世界では、心(情意)と表情が一致している
子どもを、すなおな子どもという。うれしいときにはうれしそうな表情をする。悲しいと
きには悲しそうな表情をする。しかし心と表情が遊離すると、ここに書いたようにそれが
チグハグになる。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑ってみせたり、いやなことがあ
っても、黙ってそれに従ったりするなど。

中に従順な子どもを、「よくできた子ども」と考える人もいるが、それも誤解。この時期、
よくできた子どもというのは、いない。つまり「いい子」ぶっているだけ。このタイプの
子どもは大きなストレスを心の中でため、そのためた分だけ、別のところで「心のひずみ」
となって現われる。よく知られた例として、家庭内暴力を起こす子どもがいる。このタイ
プの子どもは、外の世界では借りてきたネコのようにおとなしい。

●おだやかな生活を旨とする

 キレるタイプの子どもは、不安状態の中に子どもを追いこまないように、穏やかな生活
を何よりも大切にする。乱暴な指導になじまない。あとは情緒が不安定な子どもに準じて、
(1)濃厚なスキンシップをふやし、(2)食生活の面で、子どもの心を落ち着かせる。カ
ルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがけ、リン酸食品をひかえる。リ
ン酸は、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出して
しまう。もちろんストレスの原因(ストレッサー)があれば、それを除去し、心の
負担を軽くすることも忘れてはならない。

●子どもの感情障害

 ほかに自閉症やかん黙児、さらには小児うつ病など、脳に機能的な障害をもつ子ども、
さらに近年問題になっている集中力欠如型多動性児(ADHD)は、感情のコントロール
ができないことがよく知られている。これらのタイプの子どもは、ささいなことがきっか
けで、突発的に(1)激怒する、(2)興奮、混乱状態になる、(3)暴言を吐いたり、暴
力行為に及ぶ。攻撃的に外に向って暴力行為を及ぶタイプを、プラス型、内にこもり混乱
状態になるのをマイナス型と私はわけている。どちらにせよその行動は予想がつきにくく、
たいていは子どもの「ギャーッ」という動物的な叫び声でそれに気づくことが多い。こち
らが「どうしたの?」と声をかけるときには、すでに手がつけられない状態になっている。

(2)栄養学の分野からの考察

●過剰行動性のある子ども

 もう20年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・
小児栄養学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な
行動に出るタイプの子どもである。日本では、このタイプの子どもはほとんど話題になら
なかったが、中学生によるナイフの殺傷事件が続いたとき、その原因の一つとして、マス
コミでこの過剰行動性が取りあげられたことがある(98年)。

日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授らが、この分野の研究者
として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)
は私にこう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいで
しょうか」と。話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場も
ないほど散乱していて、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだし
も、それを母親が注意すると、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、
こきざみに動き回るという多動性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳
をつんざくような金切り声をあげ、興奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そ
ういう状態になると、手がつけられなくなった。私はその異常な興奮性から、H君は過剰
行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを
診断したり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治
療や治療方法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。

仮にその子どもが過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、
親から質問されてもそれを口にすることは許されない。診断については、診断基準や治療
方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえば自閉症児やかん黙児)では、専
門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止める。この過剰行動児についても
そうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、「あなたの子どもは過剰行動児で
す」と告げることは、実際にはありえない。教師としてすべきことは、知っていても知ら
ぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始することである。
 
●原因は食生活?

 ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安に
なり、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」
という。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてイン
スリンが徐々に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとる
と、多量の、つまり必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子ど
もを低血糖児の状態にしてしまうという(大沢)。そして(1)イライラする。機嫌がいい
かと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)疲れやすい、(4)(体が)震える、(5)
頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝日新聞98年2・12)。これらの症状
は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子どもにも共通してみられる症状でもある。
私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそういう報
告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相
反する二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむと
き、「つかめ」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。この二つの
命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低血糖
になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切
るような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、
手が勝手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻害されると、
感情のコントロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そし
て結果として、それがキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖
をとり過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体
内のブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性
化した血液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやす
い。体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)
脳の発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をし
やすくまた回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)とい
う。わかりやすく言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、
また精神疲労を起こしやすいというのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシ
ウム不足を引き起こす。

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達
物質であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。
アメリカの生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、
神経中枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マ
ザーリング」81年7号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな
子どもによる問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食
品に含まれている白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに
入ったジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということ
で、パンや紅茶など、あらゆるものにつけて食べています」と。私はH君の食生活が、か
なりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。が、異変はその
直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビスケットがほ
しい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状のよ
うで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度はH君が一転、無気力
状態になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一週間後のことだったが、
H君はまるで別人のようになっていた。ボーッとして、反応がまるでなかった。母親はそ
ういうH君を横目で見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせましょうか」と言ったが、私
はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、
イギリスでは、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをど
こかで感じたら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多
い食生活にこころがける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という
短期間で、ほとんどの子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。川島四郎氏(桜
美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与するだけで
なおる」(「マザーリング」81年7号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そう
でなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食で困ります」は、な
い。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるということは、体重60キロ
の人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジュースを4本は飲めないし、飲めば飲んだ
で、腹の中がガボガボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、
精製されていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合され
ていて、ここでいう弊害はない。
 
●多動児(ADHD児)との違い

 この過剰行動性のある子どもと症状が似ている子どもに。多動児と呼ばれる子どもがい
る。前もって注意しなければならないのは、多動児(集中力欠如型多動性児、ADHD児)
の診断基準は、2001年の春、厚生労働省の研究班が国立精神神経センター上林靖子氏
ら委託して、そのひな型が作成されたばかりで、いまだこの日本では、多動児の診断基準
はないというのが正しい。つまり正確には、この日本には多動児という子どもは存在しな
いということになる。一般に多動児というときは、落ち着きなく動き回るという多動性の
ある子どもをいうことになる。そういう意味では、活発型の自閉症児なども多動児という
ことになるが、ここでは区別して考える。

 ちなみに厚生労働省がまとめた診断基準(親と教師向けの「子どもの行動チェックリス
ト」)は、次のようになっている。

(チェック項目)
1行動が幼い
2注意が続かない
3落ち着きがない
4混乱する
5考えにふける
6衝動的
7神経質
8体がひきつる
9成績が悪い
10不器用
11一点をみつめる

たいへんまたはよくあてはまる……2点、
ややまたは時々あてはまる……1点、
当てはまらない……0点として、
男子で4〜15歳児のばあい、
12点以上は障害があることを意味する「臨床域」、
9〜11点が「境界域」、
8点以下なら「正常」

この診断基準で一番気になるところは、「抑え」について触れられていない点である。多動
児が多動児なのは、抑え、つまり指導による制止がきかない点である。教師による抑えが
きけば、多動児は多動児でないということになる。一方、過剰行動児は行動が突発的に過
剰になるというだけで、抑えがきく。その抑えがきくという点で、多動児と区別される。
また活発型の自閉症児について言えば、多動性はあくまでも随伴的な症状であって、主症
状ではないという点で、この多動児とは区別される。またチェック項目の中の(1)行動
が幼い(退行性)は、過保護児、溺愛児にも共通して見られる症状であり、(7)神経質は、
敏感児、過敏児にも共通して見られる症状である。さらに(9)成績が悪い、および(1
0)不器用については、多動児の症状というよりは、それから派生する随伴症状であって、
多動児の症状とするには、常識的に考えてもおかしい。

ついでに私は私の経験から、次のような診断基準をつくってみた。

(チェック項目)
1抑えがきかない
2言動に秩序感がない
3他人に無遠慮、無頓着
4雑然とした騒々しさがある
5注意力が散漫
6行動が突発的で衝動的
7視線が定まらない
8情報の吸収性がない
9鋭いひらめきと愚鈍性の同居
10論理的な思考ができない 
11思考力が弱い

 このADHD児については、脳の機能障害説が有力で、そのために指導にも限界がある
……という前提で、それぞれの市町村レベルの教育委員会が対処している。たとえば静岡
県のK市では、指導補助員を配置して、ADHD児の指導に当っている。ただしこの場合
でも、あくまでも「現場教師を補助する」(K市)という名目で配置されている。

(3)環境ホルモンの分野からの考察

●シシリー宣言

1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった一八名の学者が、緊急宣言
を行った。これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・J
APAN)なものであった。

いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけでは
なく、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力および社会
的適応性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。

つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。が、これで驚いて
いてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモンは、脳の発達を阻害
する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙な行動を引き起
こす。多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低
下した。人類の生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性
の低下」というのは、具体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」
(「シシリー宣言」・グリーンピース・JAPAN)のだそうだ。

 この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、
環境ホルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、
胎児の脳に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発
達を損傷する」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

(4)教育の分野からの考察

 前後が逆になったが、当然、教育の分野からも「キルる子ども」の考察がなされている。
しかしながら教育の分野では、キレる子どもの定義すらなされていない。なされないまま
キレる子どもの議論だけが先行している。ただその原因としては、(1)親の過剰期待、そ
してそれに呼応する子どもの過負担。(2)学歴社会、そしてそれに呼応する受験競争から
生まれる子ども側の過負担などが、考えられる。こうした過負担がストレッサーとなって、
子どもの心を圧迫する。ただこの段階で問題になるのが、子ども側の耐性である。最近の
子どもは、飽食とぜいたくの中で、この耐性を急速に喪失しつつあると言える。わずかな
負担だけで、それを過負担と感じ、そしてそれに耐えることがないまま、怒りを爆発させ
てしまう。親の期待にせよ、学歴社会にせよ、それは子どもを取り巻く環境の中では、あ
る程度は容認されるべきものであり、こうした環境を子どもの世界から完全に取り除くこ
とはできない。これらを整理すると、次のようになる。

(1)環境の問題
(2)子どもの耐性の問題。

 この二つについて、次に考える。

●環境の問題
●子どもの耐性の問題

終わりに……

以上のように、「キレる子ども」と言っても、その内容や原因はさまざまであり、その分野
に応じて考える必要がある。またこうした考察をしてのみ、キレる子どもの問題を正面か
らとらえることができる。一番危険なのは、キレる子どもを、ただばくぜんと、もっと言
えば感傷的にとらえ、それを論ずることである。こうした問題のとらえ方は、問題の本質
を見誤るばかりか、かえって教育現場を混乱させることになりかねない。

(はやし浩司 キレる子ども 過剰行動性 突発的に暴れる子供 暴れる子ども 心の別
室 抑圧)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●「抑圧」の恐ろしさ(Another Room in the Mind)
(キレる子どもの補足)

++++++++++++++++++++


よく兵士、あるいは元兵士の残忍行為が問題になる。
最近でも、アメリカの収容所で、アメリカ兵が
イラク軍捕虜に対して暴力、暴行を繰り返したという事件が
問題になった。


こう書くからといって、アメリカ兵を擁護するわけではない。
が、こうした問題は、常に戦争について回る。
戦時中には、日本軍もした。
ドイツ軍もした。


その多くはPTSDに苦しみ、さらには心そのものを
病んでしまう兵士も珍しくない。
昨年見た映画の、『アナザー・カントリー』も、そうした兵士を
題材にした映画だった。
が、こうした問題も、心理学でいう「抑圧」を当てはめてみると、
理解できる。


++++++++++++++++++++


●抑圧


 自分にとって都合が悪い記憶があると、人はそれは心の別室を用意し、そこへそれを
押し込めてしまう。
そうすることで、自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。
こうした現象を、心理学の世界では、「抑圧」という。


「隠ぺい記憶」と言う人もいる。
 もともとは乳幼児期の不快な思い出や記憶について起こる現象を説明したものだが、
もちろんおとなになってからも、ある。
何かのことで失敗したり、いやなことがあったりすると、それをできるだけ早く
忘れようと、心の別室を用意し、その中に押し込んでしまう。


●上書きされない


 ふつう記憶というのは、どんどんと上書きされていく。
たとえば不愉快なことがあっても、そのあと楽しいことがつづくと、過去の記憶を
忘れてしまう。
 が、心の別室に入った記憶には、その(上書き)という操作が働かない。
別室に入ったまま閉じ込められているから、修正されるということもない。
だから何かの拍子に表に出てくる。
たとえば高校生になった子どもが、5年前、あるいは10年前にあったことを持ち出し、
「あのとき、テメエは!」と言って、親に対してどなり散らすことがある。


 また最近聞いた話では、ともに70歳前後の夫婦なのだが、喧嘩するたびに、30年前、
40年前の話を持ち出して、たがいに責めあうという。
それを横で聞いていた娘(50歳くらい)は、こう言った。
「どうしてそんな昔の話をして、喧嘩するのでしょう。
頭がボケてきたのでしょうか」と。


 もちろん頭はボケていない。
(あるいはボケとは関係ない。)
抑圧された記憶というのは、そういうもの。


●子どもの世界でも


 「いい子ほど心配」とは、教育の世界では、よく言う。
先生や親の言うことに従順で、すなお。
ハイハイと指示や命令に従う……。
しかしこのタイプの子どもほど、あとあと心をゆがめやすい。
(あるいはその過程で、すでに心をゆがめている。)
思春期前夜、あるいは思春期になると、突然変化することも珍しくない。
はげしい家庭内暴力や、引きこもりにつながることもある。
何かのことで突発的に爆発して、こう叫んだりする。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。


 心の別室には、キャパシティ(容量)というものがある。
そのキャパシティを超えると、隠ぺいされた記憶が、そこから突然、飛び出す。
本人ですらも、コントロールできなくなる。


 そんなわけで、子どもを指導するとき大切なことは、子どもに、
心の別室を作らせないこと。
まず言いたいことを言わせる。
したいことをさせる。
常に心を開放させる。
それが子どもの心をゆがめないコツということになる。


●兵士のばあい


 話を戻す。
もちろん私には戦争の経験はない。
ないが、おおよその見当はつく。
つまり兵士たちは、戦場では、慢性的に恐怖感にさらされる。
そのとき兵士は、その恐怖感を、心に別室を作り、そこへ押し込めようとする。
その上で、勇敢な兵士を演じたりする。


 が、これが心をゆがめる。


何かのきっかけ、たとえば相手が捕虜であっても、敵の顔を見たとたん、隠ぺい
された記憶が暴走し始める。
それは「記憶の暴走」と言うような、簡単なものではないかもしれない。
暴走させることによって、心の別室にたまった、恐怖感を解消しようとするの
かもしれない。
それが捕虜への、暴力や暴行へとつながっていく。


●教授の殺害事件


 今年(09)に入ってから、ある大学で、ある大学の教授が、元学生に殺害
されるという事件が起きた。
動機はまだはっきりしていないが、その学生は教授に対して、かなりの恨みを
もっていたらしい。


 この事件も、「抑圧」という言葉を当てはめてみると、説明できる。
というのも、その元学生のばあいも、元学生とはいっても、大学を卒業してから、
すでに10年近くもたっている。
ふつうなら、いろいろな思い出が上書きされ、過去の思い出は消えていてもおかしく
ない。


が、先にも書いたように、一度心の別室に入った記憶は、上書きされるということは
ない。
いつまでも、そのまま心の中に残る。
そこで時間を止める。


●心の別室


 ところで「心の別室」という言葉は、私が考えた。
心理学の正式な用語ではない。
しかし「抑圧」を考えるときは、「心の別室」という概念を頭に描かないと、どうも
それをうまく説明できない。
さらに「心の別室」という概念を頭に描くことによって、たとえば多重人格性などの
現象もそれで説明ができるようになる。


 人は何らかの強烈なショックを受けると、そのショックを自分の力では処理することが
できず、心の別室を用意して、そこへ自分を押し込めようとする。
「いやなことは早く忘れよう」とする。
しかし実際には、「忘れる」のではない。
(その記憶が衝撃的なものであればあるほど、忘れることはできない。)
だから心の中に、別室を作る。
そこへその記憶を閉じ込める。

●では、どうするか


 すでに心の別室を作ってしまった人は、多いと思う。
程度の差の問題で、ほとんどの人に、心の別室はある。
暗くてジメジメした大倉庫のような別室をもっている人もいる。
あるいは物置小屋のような、小さな別室程度の人もいる。


 別室が悪いと決めつけてはいけない。
私たちは心の別室を用意することによって、先にも書いたように、
自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。


 が、その別室の中の自分が、外へ飛び出し、勝手に暴れるのは、よくない。
その瞬間、私は「私」でなくなってしまう。


ふつう心の別室に住んでいる「私」は陰湿で、邪悪な「私」である。
ユングが説いた「シャドウ」も、同じように考えてよい。
あるいはトラウマ(心的外傷)も、同じように考えてよい。
そこで大切なことは、まず自分自身の中にある、心の別室に気がつくこと。
そしてその中に、どんな「私」がいるかに気がつくこと。


 シャドウにしても、トラウマにしても、一生、その人の心の中に残る。
消そうとして消えるものではない。
だったら、あとは、それとうまく付きあう。
うまく付きあうしかない。
まずいのは、そういう自分に気がつかないまま、つまり心の別室にきがつかない
まま、さらにはその中にどんな「私」がいるかに気がつかないまま、その「私」に
振り回されること。
同じ失敗を、何度も繰り返すこと。


 たとえば夫婦喧嘩にしてもそうだ。
(私たち夫婦も、そうだが……。)
もうとっくの昔に忘れてしまってよいはずの昔の(こだわり)を持ち出して、
周期的に、同じような喧嘩を繰り返す。
「あのときお前は!」「あなただってエ!」と。


 もしそうなら、それこそ「愚か」というもの。
が、もし心の別室に気がつき、その中にどんな「私」がいるかを知れば、あとは
時間が解決してくれる。
5年とか、10年はかかるかもしれないが、(あるいは程度の問題もあるが)、
時間が解決してくれる。


 あとは心の別室を静かに閉じておく。
その問題には触れないようにする。
心の別室のドアは、開かないようにする。
対処の仕方は、シャドウ、もしくはトラウマに対するものと同じように考えてよい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW BWきょうしつ 心の別室 はやし浩司 抑圧 抑圧と
心の別室 シャドウ はやし浩司 トラウマ)


(付記)
 心の別室といっても、けっしてひとつではない。


そのつど人は、様々な大きさの別室を、作る。
作って、自分の心を救済しようとする。
 ……と考えていくと、心の別室というのは、脳の問題というよりは、習慣の問題
ということになる。
心の別室を作りやすい人と、そうでない人がいるということ。
何かあるたびに、心の別室を作り、そこへ自分を閉じ込めようとする人もいれば、
そのつど自分を発散させ、心の別室を作らない人もいる。
だから「習慣の問題」ということになる。


 もちろんできれば、心の別室など、作らないほうがよい。
そのつど自分を発散させたほうがよい。


(追記)


 同じような原稿を、この3月にも書いた。
あわせて読んでほしい。


●「抑圧」(pressure)


+++++++++++++


昨日、「抑圧」について書いた。
強烈な欲求不満がつづくと、人(子ども)は、
その欲求不満を、心の中の別室に押し込んで、
それから逃れようとする。


が、それでその欲求不満が解消されるわけではない。
10年とか、20年とか、さらには40年とか、
50年たっても、それが何らかのきっかけで、
爆発することがある。
「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。


++++++++++++++++++


が、こうした「抑圧」は、形こそちがえ、また
大小のちがいもあるが、だれにでもある。
あなたにもある。
私にもある。
だから、何かのことで不満を感じたら、そのつど、
外に向かって吐き出すのがよい。
けっして、心の中にためこまない。


徒然草の中にも、『もの言わぬは、腹ふくるるわざなれ』※
とある。
「言いたいことも言わないでいると、腹の中がふくれてくる」
という意味である。
が、その程度ですめばよい。


ひどいばあいには、心に別室ができてしまう。
本来なら楽しい思い出が上書きされ、不愉快な思い出は消える。
しかし別室に入っているため、上書きされるということがない。
そのまま、それこそ一生、そこに残る。
そして折につけ、爆発する。


「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。
そして10年前、20年前の話を持ち出して、相手を責める。
こうした抑圧された感情を解消するためには、2つの
方法がある。


ひとつは、一度、大爆発をして、すべて吐き出す。
もうひとつは、原因となった、相手が消える。
私のばあいも、親に対していろいろな抑圧があるにはあった。
しかし父は、私が30代のはじめに。
母は、昨年、他界した。


とたん、父や母へのこだわりが消えた。
同時に、私は抑圧から解放された。
親が死んだことを喜んでいるのではない。
しかしほっとしたのは、事実。
それまでに、いろいろあった。
ありすぎてここには書ききれないが、それから解放された。


母は母で、私たちに心配をかけまいとしていたのかもしれない。
しかしどんな生き方をしたところで、私たちは、それですまなかった。
「では、お母さんは、お母さんで、勝手に生きてください。
死んでください」とは、とても言えなかった。


人によっては、「朝、見に行ったら死んでいたという状態でも
しかたないのでは」と言った。


が、それは他人のことだから、そう言える。
自分の親のこととなると、そうは言えない。
いくらいろいろあったにせよ、家族は家族。
いっしょに生きてきたという(部分)まで、消すことはできない。
話が脱線したが、抑圧は、その人の心までゆがめる。
そういう例は、ゴマンとある。


大切なことは、心の別室を作るほどまで、抑圧をためこまないこと。
言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、
すでにそのとき、その人との人間関係は終わっていると考えてよい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の別室 隠ぺい記憶 隠蔽記憶 トラウマ 抑圧 はやし浩司 抑
圧心理 思春期の爆発 キレる)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心のメカニズム

*****************

少し不謹慎な話で恐縮だが、セックス
をすると、言いようのない快感が、脳
全体をおおうのがわかる。これはセッ
クスという行為によって刺激され、脳
にモルヒネ様の物質が放出されるため
である。しかしこういう快感があるか
ら人は、セックスをする。つまり、種
族を私たちは維持できる。同じように、
よいことをしても、脳の中で、同様の
変化が起きる? それについて考えて
みた。

*****************

 まず、数か月前に私はこんなエッセーを書いた。その中で、私は「気持ちよさ」とか、「こ
こちよさ」という言葉を使って、「正直に生きることの大切さ」について書いてみた。

●常識の心地よさ 

 常識をみがくことは、身のまわりの、ほんのささいなことから始まる。花が美しいと思
えば、美しいと思えばよい。青い空が気持ちよいと思えば、気持ちよいと思えばよい。そ
ういう自分に静かに耳を傾けていくと、何が自分にとってここちよく、また何が自分にと
って不愉快かがわかるようになる。

無理をすることは、ない。道ばたに散ったゴミやポリ袋を美しいと思う人はいない。排気
ガスで汚れた空を気持ちよいと思う人はいない。あなたはすでにそれを知っている。それ
が「常識」だ。

 ためしに他人に親切にしてみるとよい。やさしくしてあげるのもよい。あるいは正直に
なってみるのもよい。先日、あるレストランへ入ったら、店員が計算をまちがえた。まち
がえて50円、余計に私につり銭をくれた。道路へ出てからまたレストランへもどり、私
がその50円を返すと、店員さんはうれしそうに笑った。まわりにいた客も、うれしそう
に笑った。そのここちよさは、みんなが知っている。

 反対に、相手を裏切ったり、相手にウソを言ったりするのは、不愉快だ。そのときはそ
うでなくても、しばらく時間がたつと、人生をムダにしたような嫌悪感に襲われる。実の
ところ、私は若いとき、そして今でも、平気で人を裏切ったり、ウソをついている。自分
では「いけないことだ」と思いつつ、どうしてもそういう自分にブレーキをかけることが
できない。

私の中には、私であって私でない部分が、無数にある。ひねくれたり、いじけたり、つっ
ぱったり……。先日も女房と口論をして、家を飛び出した。で、私はそのあと、電車に飛
び乗った。「家になんか帰るものか」とそのときはそう思った。で、その夜は隣町のT市の
ホテルに泊まるつもりでいた。が、そのとき、私はふと自分の心に耳を傾けてみた。「私は
本当に、ホテルに泊まりたいのか」と。答は「ノー」だった。私は自分の家で、自分のふ
とんの中で、女房の横で寝たかった。だから私は、最終列車で家に帰ってきた。

 今から思うと、家を飛び出し、「女房にさみしい思いをさせてやる」と思ったのは、私で
あって、私でない部分だ。私には自分にすなおになれない、そういういじけた部分がある。
いつ、なぜそういう部分ができたかということは別にしても、私とて、ときおり、そうい
う私であって私でない部分に振りまわされる。しかしそういう自分とは戦わねばならない。

 あとはこの繰りかえし。ここちよいことをして、「善」を知り、不愉快なことをして、「悪」
を知る。いや、知るだけでは足りない。「善」を追求するにも、「悪」を排斥するにも、そ
れなりに戦わねばならない。それは決して楽なことではないが、その戦いこそが、「常識」
をみがくこと、そのものと言ってもよい。

●なぜ気持ちよいのか

 少し話が専門的になるが、大脳の中心部(大脳半球の内側面)に、辺縁系(大脳辺縁系)
と呼ばれる組織がある。「辺縁系」というのは、このあたりが、間脳や脳梁(のうりょう)
を、ちょうど包むようにフチどっていることから、そう名づけられた。

 その辺縁系の中には、認知記憶をつかさどる海馬(かいば)や、動機づけをする帯状回
(たいじょうかい)、さらに価値判断をする扁桃体(へんとうたい・扁桃核ともいう)があ
る。

その扁桃体が、どうやら、人間の善悪の感覚をつかさどっているらしいことが、最近の研
究でわかってきた。もう少しわかりやすく言うと、大脳(新皮質部)でのさまざまな活動
が、扁桃体に信号を送り、それを受けて、扁桃体が、麻薬様の物質を放出する。その結果、
脳全体が快感に包まれるというのだ。

ここに書いたケースで言えば、私が店員さんに50円のお金を渡したことが、扁桃体に信
号を送り、その扁桃体が、私の脳の中で、麻薬様の物質を放出したことになる。

 もっとも脳の中でも麻薬様の物質が作られているということは、前から知られていた。
そのひとつに、たとえばハリ麻酔がある。体のある特定の部位に刺激を与えると、その刺
激が神経を経て、脳に伝えられる。すると脳の中で、その麻薬様物質が放出され、痛みが
緩和される。私は23、4歳のころからこのハリ麻酔に興味をもち、一時は、ある研究所
(社団法人)から、「教授」という肩書きをもらったこともある。

 それはそれとして、麻薬様物質としては、現在数10種類ほど発見されている。その麻
薬様物質は、大きく分けて、エンドルフィン類と、エンケファリン類の二つに分類される。
これらの物質は、いわば脳の中で生産される自家製のモルヒネと思えばよい。こうした物
質が放出されることで、その人はここちよい陶酔感を覚えることができる。

 つまりよいことをすると、ここちよい感じがするのは、大脳(新皮質部)が、思考とし
てそう感ずるのではなく、辺縁系の中にある扁桃体が、大脳からの信号を得て、麻薬様の
物質を放出するためと考えられる。少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、心の働き
というのも、こうして、ある程度は、大脳生理学の分野で説明できるようになった。

 で、その辺縁系は、もともとは動物が生きていくための機能をもった原始的な脳と考え
られていた。私が学生時代には、だれかからは忘れたが、この部分は意味のない脳だと教
えられたこともある。

しかしその後の研究で、この辺縁系は、ここにも書いたように、生命維持と種族維持だけ
ではなく、もろもろの心の活動とも、深いかかわりをもっていることがわかってきた。そ
うなると人間は、「心」を、かなりはやい段階、たとえばきわめて原始的な生物のときから
もっていたということになる。ということは、同属である、犬やネコにも「心」があると
考えてよい。実際、こんなことがある。

 私は飼い犬のポインター犬を連れて、よく散歩に行く。あの犬というのは、知的なレベ
ルは別としても、情動活動(心の働き)は、人間に劣らずともあると言ってよい。喜怒哀
楽の情はもちろんのこと、嫉妬もするし、それにどうやら自尊心もあるらしい。

たとえば散歩をしていても、どこかの飼い犬がそれを見つけて、ワンワンとほえたりする
と、突然、背筋をピンとのばしたりする。人間風に言えば、「かっこづける」ということに
なる。そして何か、よいことをしたようなとき、頭をなでてやり、それをほめたりすると、
実にうれしそうに、そして誇らしそうな様子を見せる。恐らく、……というより、ほぼま
ちがいなく、犬の脳の中でも、人間の脳の中の活動と同じことが起きていると考えてよい。
つまり大脳(新皮質部)から送られた信号が、辺縁系の扁桃体に送られ、そこで麻薬様の
物質が放出されている!

●心の反応を決めるもの

 こう考えていくと、善悪の判断にも、扁桃体が深くかかわっているのではないかという
ことになる。それを裏づける、こんなおもしろい実験がある。

 アメリカのある科学者(ラリー・カーヒル)は、扁桃体を何らかの事情で失ってしまっ
た男性に、つぎのようなナレーションつきのスライドを見せた。そのスライドというのは、
ある少年が母親といっしょに歩いているとき、その少年が交通事故にあい、重症を負って、
もがき苦しむという内容のものであった。

 そしてラリー・カーヒルは、そのスライドを見せたあと、ちょうど一週間後に再び、そ
の人に病院へ来てもらい、どんなことを覚えているかを質問してみた。

 ふつう健康な人は、それがショッキングであればあるほど、その内容をよく覚えている
もの。が、その扁桃体を失ってしまった男性は、スライドを見た直後は、そのショッキン
グな内容をふつうの人のように覚えていたが、一週間後には、そのショッキングな部分に
ついて、ふつうの人のように、とくに覚えているということはなかったというのだ。

 これらの実験から、山元大輔氏は『脳と記憶の謎』(講談社現代新書)の中でつぎのよう
に書いている。

(1)(扁桃体のない男性でも)できごとの記憶、陳述記憶はちゃんと保たれている。
(2)扁桃体がなくても、情動反応はまだ起こる。これはたぶん、大脳皮質がある程度、
その働きを、「代行」するためではないか。
(3)しかし情動記憶の保持は、致命的なほど、失われてしまう。

 わかりやすく言えば、ショッキングな場面を見て、ショックを受けるという、私たちが
「心の反応」と呼んでいる部分は、扁桃体がつかさどっているということになる。

●心の反応を阻害(そがい)するもの

 こうした事実を、子育ての場で考えると、つぎのように応用できる。つまり子どもの「心」
というのも、大脳生理学の分野で説明できるし、それが説明できるということは、「心」は、
教育によって、はぐくむことができるということになる。

 そこで少し話がそれるが、こうした脳の機能を阻害するものに、「ストレス」がある。た
とえばニューロンの死を引き起こす最大の原因は、アルツハイマー型などの病気は別とし
て、ストレスだと言われている。

何かの精神的圧迫感が加わると、副腎皮質から、グルココルチコイドという物質が分泌さ
れる。そしてその物質が、ストレッサーから身を守るため、さまざまな反応を体の中で引
き起こすことが知られている。

 このストレスが、一時的なものなら問題はないが、それが、長期間にわたって持続的に
つづくと、グルココルチコイドの濃度があがりっぱなしになって、ニューロンに致命的な
ダメージを与える。そしてその影響をもっとも強く受けるのが、辺縁系の中の海馬だとい
う(山元大輔氏)。

 もちろんこれだけで、ストレスが、子どもの心をむしばむ結論づけることはできない。
あくまでも「それた話」ということになる。しかし子育ての現場では、経験的に、長期間
何らかのストレスにさらされた子どもが、心の冷たい子どもになることはよく知られてい
る。

イギリスにも、『抑圧は悪魔を生む』という格言がある。この先は、もう一度、いつか機会
があれば煮つめてみるが、そういう意味でも、子どもは、心豊かな、かつ穏やかな環境で
育てるのがよい。そしてそれが、子どもの心を育てる、「王道」ということになる。

 ついでに、昨年書いたエッセーを、ここに転載しておく。ここまでに書いたことと、少
し内容が重複するが、許してほしい。

●子どもの心が破壊されるとき

 A小学校のA先生(小1担当女性)が、こんな話をしてくれた。「1年生のT君が、トカ
ゲをつかまえてきた。そしてビンの中で飼っていた。そこへH君が、生きているバッタを
つかまえてきて、トカゲにエサとして与えた。私はそれを見て、ぞっとした」と。

 A先生が、なぜぞっとしたか、あなたはわかるだろうか。それを説明する前に、私にも
こんな経験がある。もう20年ほど前のことだが、1人の子ども(年長男児)の上着のポ
ケットを見ると、きれいに玉が並んでいた。私はてっきりビーズ玉か何かと思った。が、
その直後、背筋が凍りつくのを覚えた。

よく見ると、それは虫の頭だった。その子どもは虫をつかまえると、まず虫にポケットの
フチを口でかませる。かんだところで、体をひねって頭をちぎる。ビーズ玉だと思ったの
は、その虫の頭だった。

また別の日。小さなトカゲを草の中に見つけた子ども(年長男児)がいた。まだ子どもの
小さなトカゲだった。「あっ、トカゲ!」と叫んだところまではよかったが、その直後、そ
の子どもはトカゲを足で踏んで、そのままつぶしてしまった!

 原因はいろいろある。貧困(それにともなう家庭騒動)、家庭崩壊(それにともなう愛情
不足)、過干渉(子どもの意思を無視して、何でも親が決めてしまう)、過関心(子どもの
側からみて息が抜けない家庭環境)など。威圧的(ガミガミと頭ごなしに言う)な家庭環
境や、権威主義的(「私は親だから」「あなたは子どもだから」式の問答無用の押しつけ)
な子育てが、原因となることもある。要するに、子どもの側から見て、「安らぎを得られな
い家庭環境」が、その背景にあるとみる。さらに不平や不満、それに心配や不安が日常的
に続くと、それが子どもの心を破壊することもある。

イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。抑圧的な環境が長く続くと、
ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、このタイプの子どもは、心のバラン
ス感覚をなくすのが知られている。

「バランス感覚」というのは、してよいことと悪いことを、静かに判断する能力のことを
いう。これがないと、ものの考え方が先鋭化したり、かたよったりするようになる。昔、
こう言った高校生がいた。「地球には人間が多すぎる。核兵器か何かで、人口を半分に減ら
せばいい。そうすれば、ずっと住みやすくなる」と。そういうようなものの考え方をする
が、言いかえると、愛情豊かな家庭環境で、心静かに育った子どもは、ほっとするような
温もりのある子どもになる。心もやさしくなる。

 さて冒頭のA先生は、トカゲに驚いたのではない。トカゲを飼っていることに驚いたの
でもない。A先生は、生きているバッタをエサとして与えたことに驚いた。A先生はこう
言った。「そういう残酷なことが平気でできるということが、信じられませんでした」と。

 このタイプの子どもは、総じて他人に無関心(自分のことにしか興味をもたない)で、
無感動(他人の苦しみや悲しみに鈍感)、感情の動き(喜怒哀楽の情)も平坦になる。よく
誤解されるが、このタイプの子どもが非行に走りやすいのは、そもそもそういう「芽」が
あるからではない。
非行に対する抵抗力がないからである。悪友に誘われたりすると、そのままスーッと仲間
に入ってしまう。ぞっとするようなことをしながら、それにブレーキをかけることができ
ない。だから結果的に、「悪」に染まってしまう。

 そこで一度、あなたの子どもが、どんなものに興味をもち、関心を示すか、観察してみ
てほしい。子どもらしい動物や乗り物、食べ物や飾りであればよし。しかしそれが、残酷
なゲームや、銃や戦争、さらに日常的に乱暴な言葉や行動が目立つというのであれば、家
庭教育のあり方をかなり反省したらよい。

子どものばあい、「好きな絵をかいてごらん」と言って紙とクレヨンを渡すと、心の中が読
める。子どもらしい楽しい絵がかければ、それでよし。しかし心が壊れている子どもは、
おとなが見ても、ぞっとするような絵をかく。

 ただし、小学校に入学してからだと、子どもの心を修復するのはたいへん難しい。修復
するとしても、四、五歳くらいまで。穏やかで、静かな生活を大切にする。
(02ー11ー23)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
心をゆがめる子供 扁桃体 ストレスと子供 子供とストレス)


+++++++++++++++++++++++

ここまでの原稿に関連して、
以前にマガジンで配送した原稿を、送ります。
前に読んでくださった方は、とばしてください。

+++++++++++++++++++++++

●性善説と性悪説

 胎児は母親の胎内で、過去数10万年の進化の過程を、そのまま繰り返す。ある時期は、
魚そっくりのときもあるそうだ。

 同じように、生まれてから、知能の発達とは別に、人間は、「心の進化」を、そのまま繰
り返す。……というのは、私の説だが、乳幼児を観察していると、そういうことを思わせ
る場面に、よく出会う。

たとえば生後まもなくの新生児には、喜怒哀楽の情はない。しかし成長するにつれて、さ
まざまな感情をもつようになる。よく知られた現象に、「天使の微笑み」というのがある。
眠っている赤子が、何を思うのか、ニコニコと笑うことがある。こうした「心」の発達を
段階的に繰り返しながら、子どもは成長する。

 最近の研究では、こうした心の情動をコントロールしているのが、大脳の辺縁系の中の、
扁桃体(へんとうたい)であるということがわかってきた。

たしかに知的活動(大脳連合野の新新皮質部)と、情動活動は、違う。たとえば1人の幼
児を、皆の前でほめたとする。するとその幼児は、こぼれんばかりの笑顔を、顔中に浮か
べる。その表情を観察してみると、それは知的な判断がそうさせているというよりは、も
っと根源的な、つまり本能的な部分によってそうしていることがわかる。が、それだけで
はない。

 幼児、なかんずく4^6歳児を観察してみると、人間は、生まれながらにして善人であ
ることがわかる。中に、いろいろ問題のある子どもはいるが、しかしそういう子どもでも、
生まれながらにそうであったというよりは、その後の、育て方に問題があってそうなった
と考えるのが正しい。

子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、絶対に悪い子どもには
ならない。(こう断言するのは、勇気がいることだが、あえてそう断言する。)

 こうした幼児の特質を、先の「心の進化」論にあてはめてみると、さらにその特質がよ
くわかる。

 仮に人間が、生まれながらにして悪人なら……と仮定してみよう。たとえば仲間を殺し
ても、それを快感に覚えるとか。人に意地悪をしたり、人をいじめても、それを快感に覚
えるとか。新生児についていうなら、生まれながらにして、親に向かって、「ババア、早く
ミルクをよこしやがれ。よこさないとぶっ殺すぞ」と言ったとする。もしそうなら、人間
はとっくの昔に、絶滅していたはずである。

つまり今、私たちがここに存在するということは、とりもなおさず、私たちが善人である
という証拠ということになる。私はこのことを、アリの動きを観察していて発見した。

 ある夏の暑い日のことだった。私は軒先にできた蜂の巣を落とした。私もワイフも、こ
の1、2年で一度ハチに刺されている。今度ハチに刺されたら、アレルギー反応が起きて、
場合によっては、命取りになるかもしれない。それで落とした。殺虫剤をかけて、その巣
の中の幼虫を地面に放り出した。そのときのこと。時間にすれば10分もたたないうちに、
無数の小さなアリが集まってきて、その幼虫を自分たちの巣に運び始めた。

 最初はアリたちはまわりを取り囲んでいただけだが、やがてどこでどういう号令がかか
っているのか、アリたちは、一方向に動き出した。するとあの自分の体の数百倍以上はあ
るハチの幼虫が、動き出したのである!

 私はその光景を見ながら、最初は、アリたちにはそういう行動本能があり、それに従っ
ているだけだと思った。しかしそのうち、自分という人間にあてはめてみたとき、どうも
それだけではないように感じた。

たとえば私たちは夫婦でセックスをする。そのとき本能のままだったら、それは単なる排
泄行為に過ぎない。しかし私たちはセックスをしながら、相手を楽しませようと考える。
そして相手が楽しんだことを確認しながら、自分も満足する。同じように、私はアリたち
にも、同じような作用が働いているのではないかと思った。つまりアリたちは、ただ単に
行動本能に従っているだけではなく、「皆と力を合わせて行動する喜び」を感じているので
はないか、と。またその喜びがあるからこそ、そういった重労働をすることができる、と。

 この段階で、もし、アリたちがたがいに敵対し、憎みあっていたら、アリはとっくの昔
に絶滅していたはずである。言いかえると、アリはアリで、たがいに助けあう楽しみや喜
びを感じているに違いない。またそういう感情(?)があるから、そうした単純な、しか
も過酷な肉体労働をすることができるのだ、と。

 もう結論は出たようなものだ。人間の性質について、もともと善なのか(性善説)、それ
とも悪なのか(性悪説)という議論がよくなされる。しかし人間は、もともと「善なる存
在」なのである。私たちが今、ここに存在するということが、何よりも、その動かぬ証拠
である。繰り返すが、もし私たち人間が生まれながらにして悪なら、私たちはとっくの昔
に、恐らくアメーバのような生物にもなれない前に、絶滅していたはずである。

 私たち人間は、そういう意味でも、もっと自分を信じてよい。自分の中の自分を信じて
よい。自分と戦う必要はない。自分の中の自分に静かに耳を傾けて、その声を聞き、それ
に従って行動すればよい。もともと人間は、つまりあらゆる人々は、善人なのである。
(02ー8ー3)

参考文献……『脳と記憶の謎』山元大輔(講談社現代新書)
      『脳のしくみ』新井康允(日本実業出版社)ほか

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
性善説 ストレスとは ストレス学説)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm           
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 4日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

3月2日  第1168号になりました!

★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page003.html

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【キレる子ども】

+++++++++++++++++

こんな記事が、読売新聞に載っていた。
そのまま紹介させてもらう。

キレる子どもの背景には、「抑圧」がある。
その抑圧の恐ろしさを、改めてこの記事を
読んで知った。

つまり日ごろ、(いい子)でいる子どもほど、
心に別室を作り、その中に不平、不満を
押し込める。
それがときとばあいに応じて、突然、爆発する。

(心の別室)には、いわゆる(心の上書き)が
働かない。
ふつう心というのは、何かいやなことがあっても、
そのあと楽しいことがあると、上書きされ、
いやなことを忘れる。
しかし心の別室に入った思い出には、その
上書きが働かない。

だから何年も、あるいは何十年もたっている
にもかかわらず、それが爆発する。

「いい子ほど心配」という意味が、わかって
もらえれば、うれしい。

+++++++++++++++++

++++++++++以下、読売新聞より++++++++++++

●無抵抗の教師殴るける、子供の暴力エスカレート

12月1日9時13分配信 読売新聞

 子供の暴力の4件に1件は、相手を負傷させるほどエスカレートしていた。文部科学省
が30日公表した問題行動に関する調査は、暴力行為が過去最多を記録。内容も悪質化し
ていた。

 今年9月、栃木県日光市の市立中学校。放課後の教室で、3年男子が女性教諭の顔など
を殴り全治1週間のけがを負わせた。市教委によると、宿題の作文を書いておらず、その
場で書くよう指導されただけで突然キレたといい、無抵抗の教諭を殴ったりけったりした。

 「意思疎通が下手で、言葉にする前に手が出る子供はますます増えている」。神奈川県の
中学校の女性スクールカウンセラー(45)は話す。今回の調査で、同県は暴力行為の件
数が9232件と全国最多だった。カウンセラーは、家庭の経済的な困窮を背景に、スト
レスをため込んでいる子供が増えたと指摘。「ささいなことで感情を爆発させる子にそうし
た子供が多い」と話した。

 一方、学校がいじめを把握した件数は大幅に減ったが、山形県高畠町の会社員渋谷登喜
男さん(57)は「いじめを把握できないのは、子供が本音を明かさないためです」と語
る。

 高校2年だった長女の美穂さん(当時16歳)は2006年11月、校内で飛び降り自
殺した。死後、美穂さんの携帯電話から、いじめを受け自殺を決意したことをうかがわせ
る本人の書き込みが見つかったが、県教委は「いじめは確認できない」とした。

 今回の調査で「いじめゼロ」だった学校は、個別面談や家庭訪問の実施率が低い傾向が
あった。学校側の責任を問い、県と裁判で争っている渋谷さんは、「教師が忙し過ぎて子供
と向き合えていない。学校現場で心や命の問題がおろそかになっている」と訴えている

++++++++++++++++以上、読売新聞より++++++++++++++

【子どもとストレス】

●キレる子ども 

++++++++++++++++++

キレる子どもについては、たびたび、
取りあげてきた。

その「キレる」という行為だが、通常の
「激怒」とは、いくつかの点で、異なる。

++++++++++++++++++

 子どもでも怒る。激怒することはある。しかし「キレる」という行為とは、明確に、区
別される。「キレる」という行為には、つぎのような特徴がある。

(1)突発的に錯乱状態になる。
(2)暴力行為に、見境がなくなる。
(3)脳の抑制命令が、欠落する。
(4)瞬間、別人のような鋭い目つきになる。
(5)キレる理由そのものが、明確ではない。

 順に考えてみる。

(1)突発的に錯乱状態になる。

 キレる子どもの特徴は、突発的に錯乱状態になること。その少し前から、ピリピリとし
た緊張状態がつづくことがあるが、暴れ出すときは、突発的である。瞬間、人格の変化を
感じたと思ったとたん、「コノヤロー」と金切り声をあげて、相手に飛びかかっていったり
する。

(2)暴力行為に、見境がなくなる。

 キレる子どものする暴力には、見境がない。ふつうの暴力には、(手かげん)というもの
がある。しかしキレる子どものする暴力には、その(手かげん)がない。全力をこめて、
相手を殴ったり、蹴ったりする。

(3)脳の抑制命令が、欠落する。

 言動が、まるでカミソリでものをスパスパと切ったようになる。動きが直線的になり、
なめらかさが消える。脳の抑制命令が欠落したような状態になる。当然、言葉もはげしい
ものになる。

(4)瞬間、別人のような鋭い目つきになる。

 その瞬間、子どもの顔を観察すると、顔色は青ざめ、目つきが別人のように鋭く、冷め
たものになっているのがわかる。憎しみや怒りを表現しながら相手に殴りかかるというよ
りは、無表情のまま。ときに、そのあまりにもすごんだ顔を見て、ゾッとすることさえあ
る。

(5)キレる理由そのものが、明確ではない。

 キレるとき、その理由が、よくわからない。A君(小3男児)は、順番を待って並んで
いるとき、突然、キレて暴れ出した。近くにあった机や椅子を、ギャーッという叫び声と
ともに、手当たり次第、足で蹴って倒した。

 B子さん(小5女児)は、私が「こんにちは」と声をかけて肩をたたいたその瞬間、突
然、キレた。私に向かって、「このヘンタイ野郎!」と言って、私の腹に足蹴りを入れてき
た。ものすごい足蹴りである。私は、その場で、息もできなくなり、しばらくうずくまっ
てしまった。

 C君(小4男児)は、問題を解いているとき、私がそれを手助けしてやろうと声をかけ
たとたん、キレた。「テメエ、ウッセー!」と叫んで、そばにあったワークブックで、私の
頭を、つづけざまに、狂ったように叩きつづけた。

 こういうケースのばあい、私ができることと言えば、男児のばあいは、抱きかかえ、子
どもを抑えることでしかない。しかし相手が女児のばあいだと、それもできない。両手で
まるく、自分の頭をおおうことでしかない。子どもの世界では、おとなの私のほうが、や
り返すなどというのは、タブー。(当然だが……。)

 こうした子どもを観察してみると、先にも書いたように、脳の抑制命令そのものが、欠
落したような状態になっていることがわかる。脳の機能そのものが、異常に亢進し、狂っ
たような状態になる。

 原因のほとんどは、慢性的なストレス、日常的な緊張感、抑圧感の蓄積と考えてよい。
それが脳間伝達物質の過剰分泌を促し、瞬間的に脳の機能が異常に亢進するためと考えら
れる。

 さらにその原因はといえば、脳の微細障害説などもあるが、家庭環境も、大きく作用し
ていることは否定できない。

 子どもがこういう症状を示したら、親は、家庭環境を猛省しなければならない。が、こ
ういう子どもにかぎって、親の前では、むしろ静かでいい子ぶっていることが多い。つま
りそのはけ口を、弱い人や、やさしい人に向ける。

 だからたいていのばあい、私がそれを指摘しても、親は、その深刻さを理解しようとす
る前に、子どもを叱ったり、さらに子どもを抑えつけようとしたりする。これがますます
症状をこじらせる。あとは、この悪循環。最後は、行き着くところまで行く。それまで気
がつかない。

 対処法としては、過剰行動児に準ずる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前書いた原稿より……

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ストレス学説

+++++++++++++++++

適度なストレスは、生活のスパイス。
それは常識だが、では「適度なストレス」
とは、どの程度のストレスのことを
いうのか。

称して、「はやし浩司のストレス学説」

+++++++++++++++++

 適度なストレスは、生活のスパイス。それが、生活に、ある種の緊張感をもたらす。そ
れは常識だが、では「適度なストレス」とは、どの程度のストレスのことをいうのか。そ
れがわからない。

●正のストレス、負のストレス

 ストレス(生理的ひずみ)にも、2種類ある。たまたま、私は、それを同時に経験しつ
つある。

 来月(10月)から、数年ぶりに、言葉クラブをもつ。生徒も、5、6人、集まった。
で、これが今、ある種の緊張感となって、私の心を包んでいる。これが正のストレス。

 一方、この先ずっと、私は、グループ・ホームへ入った兄のめんどうをみなければなら
ない。ひょっとしたら、兄のほうが、私より長生きをするかもしれない。途中、いろいろ
な医療費も負担することになるだろう。それを考えると、気が重くなる。これが負のスト
レス。

 つまり前向きに、自分を発展させていくストレスが、正のストレスということになる。
一方、袋小路に入ったように、先が見えないストレスが、負のストレスということになる。

 適度なストレスとはいうものの、正のストレスなら、まだ何とかなる。ここでいう、生
活のスパイスになる。

 しかし負のストレスは、そうではない。それがいくら軽いものであっても、(重いものな
ら、当然だが)、心の内側にペタッと入りついて、その心を、重く苦しいものにする。

●住んでいる世界で異なるストレス

 心の広さというのは、千差万別。人によって、みな、異なる。

 井戸のような世界に住んでいる人は、小さな石ころが落ちただけで、それを大きなスト
レス(ストレッサー)にしてしまう。

 一方、大きな海のような世界に住んでいる人は、渦巻く台風のような風が起きても、平
気。

 つまりは住んでいる世界、あるいはその人の心の広さによって、同じストレスでも、感
じ方まで、異なってくる。

 それが正のストレスであれ、負のストレスであれ、事情は同じ。

 では、私たちは、ストレスに対して、どのように考え、どのように対処すればよいのか。

●ストレス学説 

 ストレスというのは、もともとは「圧力」を意味する(セリエ)。その圧力が、心理的負
担になり、心理的反応を示した状態を、「ストレス」という。「生理的ひずみ」と考えると、
わかりやすい。

 しかしそのストレスの受け方には、ここにも書いたように、個人差がある。たとえば同
じストレス(圧力)でも、人によって、それを重圧に思う人もいれば、そうでない人もい
る。そこで今では、ストレスに個人差、つまり個人変数を加えて考えるのが常識になって
いる(ラザラスとフォルクスマン)。

 同じストレスであるにもかかわらず、人によって個人差が出るのは、それぞれの人がも
つ認知プロセスがちがうからと考えられている。わかりにくい言葉だが、要するに、その
人が置かれた環境、心理状態、精神状態、経験などにより、その処理方法が異なるという
こと。

 たとえばある男性(40歳)は、こう言った。「オレは、借金がないと仕事をする気が起
きない」と。

 また別の男性(40歳)は、こう言った。「オレは、借金に追われるようになると、仕事
が手につかなくなる」と。

 同じ(借金)でも、それを受け取る側の認知プロセスによって、ストレスにするかしな
いかが決まってくる。こうしたストレスへの対処方法を総称して、「コーピング(copi
ng)」と呼ぶ学者もいる。

●では、どうするか?

 ストレスと戦うためには、2つの方法が考えられる。ひとつは、そのストレスそのもの
と戦うという方法。もう1つは、自分の住む世界を、より広く、大きくすることによって
対処するという方法である。
 
つまり心理的圧力となるような原因を取り除くのが、前者。広い海のような心をもち、
小石が落ちたくらいでは、ビクともしない。そういう状態にもっていくのが、後者とい
うことになる。

 で、私のばあいは、ストレスの原因となるようなストレッサー、とくに冒頭にあげた負
のストレスを、心のどこかで感じたばあいには、できるだけ早い段階で、それを解消する
ように努めている。もともとあまりストレスに強い精神構造にはできていない。

 つぎに、できるだけ広い心を用意する。具体的には、さまざまな経験をすることによっ
て、広い心をもつようにする。そのためには、情報が重要な役割をになうことが多い。そ
ういう意味では、無知、無学は、ストレスの大敵と考えてよい。

 ほかに、たとえば、心の防衛機制に準じて、(1)合理化、(2)反動形成、(3)同一視、
(4)代償行動、(5)逃避、(6)退行、(7)補償、(8)投影、(9)抑圧、(10)置
換、(11)否認、(12)知性化という方法などがある。

どう反応するかは、もちろんそれぞれの人によって異なる。が、人というのは、それをス
トレスと感じたときから、それに長く耐える力は、あまりない。これは幼児のばあいだが、
日中、ほんの5〜10分間程度ストレスを感じただけで、精神疲労症状を起こす子どもは、
少なくない。

 子どもによっては、頭痛、腹痛を訴えることもある。吐く息が臭くなったり、下痢症状
を示すこともある。それが周期的に長くつづいたりすると、心をゆがめることも少なくな
い。神経症を発症したり、さらに情緒障害、精神障害に発展することも珍しくない。

 話が脱線したが、今、あなたが何かのストレスを感じているなら、まずその中身を知る。
敵を知る。それがストレスと立ち向かう、第1歩ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ストレ
ス、ストレッサー ストレス学説 正のストレス、負のストレス)

++++++++++++++++

ストレスについて、以前書いた原稿の
中から、いくつかを集めてみました。

++++++++++++++++

子どもが自慰をするとき

●ある母親からの質問

 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。
6歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが
固くなっているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライ
ドをキズつけるように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。

こういうとき、どう対処したらいいのでしょうか」(32歳母親)と。

●罪悪感をもたせないように

 フロイトは幼児の性欲について、次の3段階に分けている。(1)口唇期……口の中にい
ろいろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなっ
て肛門に興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期……満4歳くらいから、性
器に特別の関心をもつようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中の
ストレス(生理的ひずみ)を疑ってみる。

子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為をする。これを代償行為とい
う。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自慰もその一つと考え
る。

つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレスの原因(ストレ
ッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふさ
ぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)を
ともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって
症状を悪化させることもあるので注意する。

●スキンシップは大切に

 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることによ
り、自分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安
定になり、情緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、
訳のわからないことを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみ
るとよい。最初は抵抗するそぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。

 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、
サラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとど
うしても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめ
ることがある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の性教育 性教育 子供の性 性 自慰 子供の自慰 自慰行為)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どものおねしょとストレス

 いわゆる生理的ひずみをストレスという。多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になる
ことが多い。

たとえば急激に緊張すると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓が
ドキドキし、さらにその結果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動が活
発になる。

が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振や
性機能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」(新
井康允氏)という。こうした現象はごく日常的に、子どもの世界でも見られる。

 何かのことで緊張したりすると、子どもは汗をかいたり、トイレが近くなったりする。
さらにその緊張感が長くつづくと、脳の機能そのものが乱れ、いわゆる神経症を発症する。

ただ子どものばあい、この神経症による症状は、まさに千差万別で、定型がない。「尿」に
ついても、夜尿(おねしょ)、頻尿(たびたびトイレに行く)、遺尿(尿意がないまま漏ら
す)など。

私がそれを指摘すると、「うちの子はのんびりしています」と言う親がいるが、日中、明る
く伸びやかな子どもでも、夜尿症の子どもはいくらでもいる。(尿をコントロールしている
のが、自律神経。その自律神経が何らかの原因で変調したと考えるとわかりやすい。)同じ
ストレッサー(ストレスの原因)を受けても、子どもによっては受け止め方が違うという
こともある。

つまり子どもによって、それぞれ認知プロセス(=ストレスに対する耐性)は異なる。

 しかし考えるべきことは、ストレスではない。そしてそれから受ける生理的変調でもな
い。(ほとんどのドクターは、そういう視点で問題を解決しようとするが……。)

大切なことは、仮にそういうストレスがあったとしても、そのストレスでキズついた心を
いやす場所があれば、それで問題のほとんどは解決するということ。ストレスのない世界
はないし、またストレスと無縁であるからといって、それでよいというのでもない。

ある意味で、人は、そして子どもも、そのストレスの中でもまれながら成長する。で、そ
の結果、言うまでもなく、そのキズついた心をいやす場所が、「家庭」ということになる。

 子どもがここでいうような、「変調」を見せたら、いわば心の黄信号ととらえ、家庭のあ
り方を反省する。手綱(たづな)にたとえて言うなら、思い切って、手綱をゆるめる。一
番よいのは、子どもの側から見て、親の視線や存在をまったく意識しなくてすむような家
庭環境を用意する。

たいていのばあい、親があれこれ心配するのは、かえって逆効果。子ども自身がだれの目
を感ずることもなく、ひとりでのんびりとくつろげるような家庭環境を用意する。子ども
のおねしょについても、そのおねしょをなおそうと考えるのではなく、家庭のあり方その
ものを考えなおす。

そしてあとは、「あきらめて、時がくるのを待つ」。それがおねしょに対する、対処法とい
うことになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 子供の夜尿症 おねしょ 頻尿 子どものおねしょ おねしょう)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私のストレス発散法

 ストレス(生理的なひずみ、あるいは「気」のうっ積)で苦しんでいる人は、多い。実
のところ、私は30歳〜35歳のころ、偏頭痛で苦しんだ。年に数回、あるいはもっと多
い頻度で、偏頭痛の発作が起きた。それこそ四転八転の苦しみを味わった。「頭を切ってく
れ!」と叫んで、ふとんの中でもがいたことも多い。その苦しみは、偏頭痛を味わったも
のでないとわかるまい。

 もっとも当時は、偏頭痛に対する理解も治療法もなく、(あったかもしれないが、私が相
談した医師は、別の診断名をくだしていた。ある大病院では、脳腫瘍と診断し、開頭手術
まで予定した)、市販の薬をのんでは、ゲーゲーとそれを吐き出していた。そういう意味で
は、まさに毎日がストレスとの戦いでもあった。

 そんな中、やがて自分なりの対処法を身につけるようになった。

 まず第一に自分はストレスに弱いことを自覚した。そのため、ストレッサー(ストレス
の原因)となりやすいものは、できるだけ避けるようにした。たとえば人と会う約束も、
1日1回にするとか、など。あるいはスケジュールには、余裕をもたせるなど。

 つぎに、当然のことながら、治療法をさがした。たまたま東洋医学の勉強もしていたの
で、あらゆる漢方薬を試してみた。しかし結局は、そのうち、たいへんよく効く西洋薬が
開発されて、それでなおるようになった。ただその薬は、のむと胃を荒らすので、できる
だけのまないようにしている。

 が、最善の治療法は、汗をかくこと。ただし、偏頭痛がひどくなってからでは、汗をか
くと、かえって……というより、運動することそのものができない。軽い段階で、思い切
って汗をかく。

運動がよいことは言うまでもないが、その中でも、私のばあい、エンジン付の草刈り機で、
バンバンと草を刈るのが効果的。一汗かくと、偏頭痛そのものが消える。だから「おかし
い」と感じたら、あたりかまわず草を刈ることにしている。理由はよくわからないが、下
半身は毎日、自転車できたえているため、走ったり、自転車にのっても、あまり汗をかか
ない。しかし反対に、上半身は、ほとんど鍛えていないので、草を刈るとその上半身を使
うため、汗をかくのではないか……と、勝手にそう解釈している。

 今でも、少し油断すると、頭重が起きる。しかしそれは同時に、私の健康のバロメータ
ーでもある。持病もうまくつきあうと、それを反対に利用することができる。「少し頭が重
くなったから、仕事を減らせ」とか。そういうふうに、利用できる。

 この話は、子育てとは関係ないが、育児疲れや育児ノイローゼで、偏頭痛になる人も多
いので、参考のために書いた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●わずらわしい世界

 情報の時代というが、本当に、この世界、わずらわしい。昨夜も、居間でお茶を飲んで
いたら、若い女性から電話がかかってきて、息子の電話番号を教えろ、と。私が断ると、「何
を偉そうに!」と。勝手に他人の家に電話をかけてきて、「何を偉そうに!」は、ない。

 ひとり静かに生きることは、一見、楽なようにみえて、楽ではない。「一日」という時間
帯をみても、ひとり静かでのんびりできる時間のほうが、少ない。つぎからつぎへと、い
ろいろな事件が起きる。そのほとんどは、向こうからやってくる。

できるなら、そういうわずらわしさから、解放されたい。しかし、それは死ぬまで、不可
能だろう。ただ私のばあい、朝、5時ごろ目が覚めて、それから7時、8時まで、こうし
て原稿を書いているが、その時間ほど、「ひとり」でいられる時間はない。貴重な時間だ。
しかし、それでわずらわしさが消えるわけではない。

 こうしたわずらわしさがあれば、それと戦うしかない。受け身になったとき、そのわず
らわしさは、ストレッサーとなる。問題は戦い方だ。しかしひとたび情緒が不安定になる
と、それも簡単ではない。

子どものばあい、大きく分けて、三つのタイプに分かれる。(1)攻撃型、激情型、暴力型、
(2)内閉型、オドオド型、萎縮型、(3)執着型、こだわり型、依存型。

思いついたまま書いたので、正しくないかもしれないが、要するに、大声を出して暴れる
タイプと、グズグズして引きこもるタイプ、それにモノにこだわって、それを異常にこだ
わるタイプがある。

 おとなもそうで、私のばあいは、(1)の攻撃型と、(2)内閉型の間をいったりきたり
する。精神状態がフワフワし、自分でもつかみどころがなくなってしまう。爆発しそうな
自分を必死でこらえたり、反対に、電話に出るのも、おっくうになったりする。

あるいはときどき、(3)のモノにこだわるときもある。そういうときは、それまでほしか
った高価なものを、パッと買ったりする。それで気分が晴れることもある。あとはカルシ
ウム剤をたっぷりと飲んで、風呂に入って、よく眠る。「明日は明日の風が吹く」と、そう
思いながら、床につく。

 昨日も一日、何かとわずらわしいことがつづいた。そのため朝なのに、少し頭が痛い。
しかし考えても始まらない。「何とかなるだろう」と、自分をなぐさめながら、前に進むし
かない。がんばりましょう。がんばります。では、みなさん、おはようございます。
(02ー11ー16)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●英語の言葉(メタ認知能力)

++++++++++++++++++

精神医学には精神医学特有の言葉がある。
もとはと言えば、外国からきたもの。
で、英語の文献を読む機会が多くなった。
そのこともあって、ここで英語の単語を
整理してみる。

こうして並べて書き出してみると、受験生に
なったような気分である。

+++++++++++++++++

Mental retardation (精神遅滞)
Learning disability (学習障害)
Autism (自閉症)
Dementia (痴呆)
Histeria (ヒステリー)
Anxiety neurosis (不安神経症)
Hypochondoria (心気症)
Phobia (恐怖症)
Obsessive compulsive neurosis (強迫神経症)
Seclusive neurosis (内閉神経症)
Tic (チック)
Selective mutism (場面かん黙)
Enuresis (遺尿)
Encopresis (遺糞)
Anorexia nervosa (神経性無食欲症)
Psychosomatic disease (心身症)
Drug dependence (薬物依存症)
Borderline personality disorder (境界性人格障害)
Antisocial personality disorder (反社会性人格障害)
(以上、日本語名は、無藤隆著「心理学とは何だろうか」新曜社より)

+++++++++++++++

●暗記法

 どれも聞きなれた言葉だが、今、単語のテストをされたら何点を取れるだろうか。
本当のところ、自信がない。
英語の意味はわかるが、日本語を英語に訳せと言われると困る。
高校生になったつもりで、暗記してみる。

で、こういうときは、まずいちばん難解な単語に目をつける。
この中で言えば、Obsessive compulsive neurosis (強迫神経症)と、Anorexia nervosa 
(神経性無食欲症)。
最初に、この2つを徹底的に暗記する。
学生時代からの、私の英単語攻略法である。

そのとき重要なのは、単語という無機質な文字の上に、具体的に人の顔をダブらせるとよ
いということ。
たとえば「bicycle」と書いて、「自転車」と、直接、日本語に置き換えて覚えるのではなく、
自転車の形を思い浮かべる。
自転車が走っている様子でもよい。

ここでは「Obsessive compulsive neurosis(強迫神経症)」のばあいは、今まで出会った人
の中で、そのタイプの人を、少しデフォルメして覚える。
「Anorexia nervosa(神経性無食欲症)」も、そうである。
私たちが「摂食障害」と呼んでいる人を、想像すればよい。

 その「Obsessive compulsive neurosis(強迫神経症)」で思い出すのが、私の実兄。
夜寝るときになると、一度、1センチ単位でふとんのズレを直さないと、床に入ることが
できなかった。
「こうでなくてはならない」という思いだけが、勝手にどんどんとふくらんでしまい、そ
れが強迫観念となる。
だから兄の顔を思い浮かべながら、「Obsessive compulsive neurosis」という単語を覚える。

(で、10分ほど、時間が過ぎた。
昨日撮ったビデオを、YOUTUBEにアプロードした。)

 で、2つの単語を思い出してみる。
ハハハ。
何を隠そう、2つとも忘れた。
「神経性無食欲症」のほうが、まったく、思い出せない。
学生時代なら、10回ほど復唱すれば、すぐ覚えられたのに……。
明らかに記銘力が低下している。
こうなったら、しかたない。
「あのオ〜歴史や、なんぼさ?(=アノレキシア・ナーボーサ=Anorexia nervosa)」で覚
えるしかない。
奥の手である。

●老化と闘う

 加齢とともに、新しいことが覚えられなくなる。
これは事実である。
若い人は、「そんなはずはない」と思うかもしれないが、(私も若いとき、そう思っていた)、
これは事実である。

 単語だけではない。
歌も、歌詞も、である。
先週は、『スノーマン』に出てくる、『♪We're waliking in the air』に挑戦してみた。
結構苦労した。
で、今は、やっと半分程度、歌えるようになった。

 言い換えると、脳の老化はやむをえないものかもしれないが、老化に任せて、そのまま
にしておいてはいけない。
闘って闘って、闘いぬく。
そうでなくても、バケツに穴があいたような状態になる。
知恵や知識や経験が、どんどんと下へ、こぼれ落ちて行く。
たった今覚えた2つの言葉にしても、「エ〜ト、何だったかな?」となる。

 こわいのは、そうした老化に気づかないまま、老いていくこと。
心理学の世界には、「メタ認知能力」という言葉がある。

 たとえば勉強が苦手な子どもでも、どこがどうして苦手か、わかっている子どもは、指
導しやすい。
が、中には、どこがどうして苦手なのか、それすらわかっていない子どももいる。
子ども自身が闇の中に入ってしまったような状態になる。
そういう子どもは、指導しにくい。
つまり自分の姿を、自分を超えた視点から認知する能力。
それが「メタ認知能力」ということになる。

 加齢とともに、そのメタ認知能力も、衰えてくる。
やがて自分で自分がわからなくなってくる。
そうなると、あとはボケに向かって、まっしぐら!
以前、こんな女性に出会ったことがある。

●メタ認知能力

 何かのことで電話をしていたときのこと。
こまごまと、どうでもよいようなことで私に説教した。
で、私は、こう言った。
「私は……あなたが思っているほど、バカじゃ、ないと思います」と。
すると何を勘違いしたのか、その女性は金切声をあげて、こう言って叫んだ。
「私だって、バカじゃ、ありません!」と。

 その女性は、そのあとしばらくしてから、認知症か何かの相談で、夫とともに、病院を
訪れている。
つまり頭がボケてくると、自分がボケていることさえ、わからなくなる(失礼!)。
メタ認知能力そのものを、失う。
けっして他人ごとではない。
これは私やあなたの、近未来像そのものと考えてよい。

●単語のテスト 

 さて、単語のテスト。
受験生よろしく、英語のほうを隠して、自分で単語を書いてみる。
ハハハ……。
笑ってごまかす。

 実のところ、上記19問中、x点しか、取れなかった。
ハハハ……。
英語を日本語に訳すのは楽だが、その反対ができない。
「まっ、いいか。外国の病院で働くことは、ないから……」と言って、自分で自分をなぐ
さめる。

 が、ここで重要なことは、先にも書いたように、バケツの底の穴を、自分でしっかりと
自覚すること。
それができなくなったら、つまりメタ認知能力がなくなったら、私もおしまい。
そういう意味でも、こうして英語の単語を書き出してみたのは、役に立った(?)。

 今日1日、コピーを片手にがんばってみる。
がんばって、暗記してみる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 メタ認知能力 記銘力 強迫神経症 Anorexia nervosa)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●義兄

 昨夜(091128)は、義兄の家で、ちょうど真夜中の12時まで、話し込んだ。
ときどき世話になる。
行くたびに、いろいろな話を聞き、それが、私の脳みそを、バチバチと刺激する。
義兄は私の知らない世界の話を、山のように知っている。
「もう帰ります」と言って、中腰になったのが、11時ごろ。
その中腰のまま、30分ほど話す。
さらに玄関先で、30分ほど話す。
こうして夜中の12時……。

 今朝は、日曜日ということもあって、朝、8時ごろまで寝ていた。
ワイフは、9時ごろまで寝ていた。


●猟師

 同じく昨日(091128)、山荘の近くの店で、猟師の男と出会った。
意気投合して、1時間ほど、いろいろな話を聞いた。
おもしろかった。
とくに猿の話は、興味深かった。
このあたりでは、一匹殺すと、1万円の報奨金が出るのだそうだ。
「かわいそうだな」と思いつつ、しかし猿害も、深刻になってきている。
山荘の近くでは、農作物を作っている人は、もういない。
イノシシとハクビシン、それに猿。
何を作っても、これらの動物に食べられてしまう。
しかし猿が出没するようになったのは、ここ3、4年のこと。
奥の山では、第二東名の工事が、急ピッチで進んでいる。

その猿害。
家も、被害を受ける。
テレビのアンテナは、ボキボキ。
雨どいも、あちこちで折られる、など。
私の家も、猿の餌になるような実のできる木は、すべて切った。
栗の木、梨の木、みかんの木など。
それからは猿も来なくなったが……。

 「猿はね、いちばん高い所に陣取って、威張っているやつから、撃ち殺すんだよ。
そうすると、あとは統制を失って、バラバラになって逃げるから」と。

 ナルホド!


●散歩

 今日は、3キロほど先にある、ビデオショップまで歩いた。
途中、佐鳴湖で、写真を撮った。
水面は、鏡のように静かだった。
「今年は、紅葉を撮り損ねた」と言うと、ワイフが、「今年はおかしな季節だったわ」と。
暖かい日と、寒い日が、交互につづき、いつの間にか、冬になってしまった。
気がついたときには、紅葉の季節は終わっていた。

 ビデオショップといっても、1階が書店。
軽食も食べられる。
立ち読みどころか、椅子に座って、軽食をとりながら、新刊本を読み放題。
2階が、ビデオショップとゲームソフトコーナー。
アメリカに住む孫の誠司と芽衣に、ニンテンドーのDS用ソフトを1枚、買う。

 その息子夫婦から、ワイフのところに、写真が届いていた。
10日ほど前に送った、日本のせんべいを食べている写真だった。
みんな元気でやっているようだ。

 帰りはバス。
家に着いたら、厚い曇り空ということもあって、とっぷりと日が暮れていた。


●ドバイショック

 ドバイが、こけた。
それがドバイショックとなって、世界を駆け巡った。
つぎは、メキシコ。
メキシコもあぶない。
ドバイで多額の損出を被った、イギリスもあぶない。

 日本も無事ではすまない。
急激な円高で、輸出企業は、思考停止状態。
こんな状態が1か月もつづけば、2010年早々、株価は暴落する。

 ひとり元気なのは、金相場。
世界中が、我も我もと、札の印刷機を回している。
そのマネーが、金に向かっている。
しかしバブルは、バブル。
金相場がはじけたとき、世界は、例外なく、ハイパーインフレに見舞われる。

 2010年というより、明日からの経済から目が離せない。
この12月の動向を見ていれば、2010年の経済がどうなるか、その方向性が
見えてくるはず。

 それにしても、あんなバカな国に投資をしつづけた、イギリス、ドイツ、フランス、
それに日本は、アホ!
金持ちの遊び場を作るために、湯水のようにマネーを使った。
人工島にしても、ヤシの形をしているそうだ。

 ところで韓国の各紙を読んでいて、笑ってしまった。
「円高の津波……恐慌に陥った日本の輸出メーカー」(東亜日報・11・27)などと、
日本の困窮を、おもしろおかしく、はやしたてている。

韓国は、相対的に、ウォン安。
自動車産業を中心とする輸出企業が、ホクホクとか。
しかしそれはどうか?
今回の急激な円高で、韓国の銀行のかかえる借金は、雪だるま式にふえる。
円キャリートレードの恐ろしさは、このあとにつづく。
私のような素人にも、その程度のことはわかる。
韓国の各紙の経済記者は、私以上に、ド素人ということ。

 日本あっての、韓国。
そういうことが、まるでわかっていない。

 フンと笑って、この話は、おしまい。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●今朝は風邪

++++++++++++++++++

朝、頭痛で目が覚めた。
時計を見ると、午前6時。

しばらく目を閉じていたが、
思い切って起き上った。

台所へ行き、コーンスープを温める。
それをザーッと飲んだあと、
鎮痛剤と、ビタミンC(アスコルビン酸)を
のむ。
ふとんに入ってから、睡眠導入剤と、
精神安定剤。
それと葛根湯。
ついでに頭に湿布薬を張る。

幸い、風邪のようだ。
昨夜風呂から出て、1時間半あまり、
こたつに入っていたのが、まずかった。

つぎに目を覚ましたのが、午前10時過ぎ。
頭痛が消えていた。
悪寒も消えていた。

で、今のところ風邪の症状はなし。
インフルエンザでなくて、よかった!
というのも、インフルエンザだったら、
こんなに簡単には、治らない。

+++++++++++++++++

●満62歳

満62歳。
私の年齢。
その年齢で、隠居生活に入った人が多いのには、驚いた。
ワイフが属するクラブ仲間(全員女性)には、現在、満62歳の夫をもつ人が、
4人いる。
それに私の近辺にいる満62歳の知人(やはり満62歳の男性)を含めると、計6人。
その中で、現在、仕事をしている人は、たったの1人!
私を含めると、7人中、たったの2人!

残りの5人は、「オサンドン」とか。
「おさんどん」というのは、昔の言葉で、「女中」「下女」をいう。
それが転じて、「台所仕事」という意味になった(以上、広辞苑)。
「お三どん」と書く人もいる。
「みんな、何してるの?」と聞くと、「みんな、家でブラブラしているだけみたいよ」と。
しかし、待ったア!

62歳という年齢は、まだ隠居する年齢ではない。
隠居してはいけない。
隠居したとたん、脳も体もサビつく。
使い物にならなくなる。
私の年齢になると、「1年くらい休んで、来年からまた仕事」ということができなくなる。
理由がある。

50歳を過ぎると、適応能力が、極端に低下する。
新しい環境に適応できなくなる。
新し仕事を始めても、ストレスばかりを感じて、それに適応できなくなる。
慣れ親しんだ仕事ならともかくも、そうでないなら、手続きを記憶するだけでも、
たいへん。
それ以上に、バケツの底に穴があいたような状態になる。
自分では気がつかない間に、知識や知恵、経験が、容赦なく、下へ流れ落ちて行く。

東洋医学では、『流水は腐らず』という。
健康法を説いたものだが、精神面でも、同じことが言える。
隠居したとたん、心がよどむ。
腐る。
そういう人も少なくない。

健康に問題があるならともかくも、そうでないなら、仕事を分担する。
働く。
私たち団塊の世代が、満75歳まで働けば、日本の少子化問題は解決できる。
が、それは同時に、私たちのためでもある。
寿命まで20年あるとする。
20年と言えば、赤ん坊が成人するまでの年数ということになる。
その気になれば、何かができる。

こんな状態では、私たち団塊の世代は、やがて若い人たちから、粗大ゴミと
言われるようになる。
すでに「老害」という言葉が、あちこちでささやかれ始めるようになてきた。
そうなったら、私たちの居場所そのものが、なくなる。

現に、医療の世界では、「75歳」に、一本の線を引きつつある。
「75歳以上は、がん治療でも、手術はしない」と。
暗黙の了解のようなものだが、それがやがて70歳に引き下げられても、私たちは、
文句を言えない。
生きていても、どうせ何の役にも立たない老人なのだから!

……という状態にしてはいけない。

7人のうち、5人が働いているというのはわかる。
しかし7人のうち、5人が、「オサンドン」というのは、尋常ではない!
個人的には、「遊んでいるのは、私だけ」と思っているかもしれないが、そういう世界から
一歩外に出て、私たち団塊の世代を、今一度、客観的に見てほしい。

けっして穴の中に身を潜め、小さな世界に閉じこもってはいけない。

あなたにも、(私にも)、何かやるべきことがあるはず。
この世に生を受けた以上、やるべきことがあるはず。
そのやるべきことをやりながら、自分の(命)を、若い人たちに還元していく。
「還元」という言葉は、F市に住む、I先生が教えてくれた言葉だが、
その一言に、私たちの世代の生きざまが、集約されている。
つまり自分の命を、若い人たちに、感謝の念をこめて、返していく。
けっして自分だけで、食いつぶしてはいけない!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




戻る
戻る