新規ページ014
はやし浩司のメインHP 電子マガジン総合INDEX
2010年     2月号
Essay……
BOX版(ネットストーレッジ)……


*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司     2月   26日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page027.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人生の正午
________________________________________

満40歳前後を、「人生の正午」と呼ぶ。このころから、人は、老後の準備を始める。つ
まり「死」という限界状況の中で、自分のすべきことを模索するようになる。(したいこ
と)ではない。(すべきこと)を、だ。その準備を怠ると、その人の老後は、あわれで、
みじめなものになる。孫の世話、庭木の手入れ、旅行ざんまいの生活が、けっしてあるべ
き(老後の生活)ではない。 

●「だから、それがどうしたの?」
________________________________________

(したいこと)と、(すべきこと)の間には、大きな距離がある。それがわからなければ、
自分にこう問うてみればよい。何か、おいしいものを食べた……だから、それがどうした
の?、と。あるいは何か、ぜいたくなものを買った……だから、それがどうしたの?、と。
(したいこと)をしても、その答は返ってこない。(すべきこと)をしたときのみ、その
答が返ってくる。 

●子育ては、子離れ
________________________________________

心のどこかで子育てを意識したら、すかさず、子離れを考える。もっと言えば、いかに子
どもの親離れをじょうずにさせるかを、考える。でないと、未熟な親のまま、いつまでも
子離れできなくなってしまう。そのよい例が、野口英世の母である。外国で懸命に研究生
活をしている自分の息子に向かって、「帰ってきておくれ」は、ない。言うとしたら、「私
のことは心配しなくていい」「研究が終わるまで、帰ってくるな」である。未熟な親を、
けっして美化してはいけない。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●「釣りバカ日誌」論
________________________________________

浜ちゃんとスーさんは、いつもいっしょに釣りに行く。しかし自分の妻は連れていかない。
日本人には何でもない光景だが、欧米では、考えられない。会社の同僚たちとの飲み食い
(=パーティ)するときでも、夫婦同伴が原則。もし欧米で、男どうしが、2人でいそい
そと旅行に行こうものなら、同性愛者とまちがえられる。見なれた光景だが、日本の常識
は、けっして世界の常識ではない。 

■子はかすがい論
________________________________________

たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよくある。夫婦のきずな
も、それで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならない。夫婦関係
がこわれかかっているか、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、子はまさ
に「足かせ」でしかない。日本には「子は三界の足かせ」という格言もある。 

■親のうしろ姿
________________________________________

生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では「子は親のうしろ
姿を見て育つ」というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がいる。「親の
うしろ姿は見せろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見
せたくなくても、子どもは見てしまうかもしれないが、それでもできるだけ見せてはいけ
ない。)恩着せがましい子育て、お涙ちょうだい式の子育てをする人ほど、このうしろ姿
を見せようとする。 

■親の威厳
________________________________________

「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場にいるものには、
居心地のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。その分だ
け上のものの前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというものは、
百害あって一利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の
権威」などというのは、封建時代の遺物と考えてよい。 

■育自論
________________________________________

よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちがっては
いないが、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、
谷を越えている間に、いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もち
ろん人間として、外の世界に大きく伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育
てとは関係のないこと。子育てにかこつける必要はない。 

■親孝行論
________________________________________

安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的な「孝行」を子
どもに求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも子ども
の問題。子どもの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。たが
いにやさしい、思いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲
になるのも、子どもが親のために犠牲になるのも、決して美徳ではない。親子は、あくま
でも「尊敬する」「尊敬される」という関係をめざす。 

■「産んでいただきました」論
________________________________________

● よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきました」「言葉を教えてい
ただきました」と言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そういうふうに思
わせてしまったその人の周囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして恩着せ
がましい子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもにそう思わせてしまう。いわゆる
依存型子育てというのが、それ。 

■水戸黄門論
________________________________________

日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといって
も、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=巨悪)にど
っぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわか
らないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひ
れ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪
いことをしようとしたら、どんなことでもできる。ご注意! 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

■「釣りバカ日誌」論
________________________________________

男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、
「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこ
れこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パ
ーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすと
いうことは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が
生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●三つの失敗

 子育てには失敗はつきものとは言うが、その中でもこんな失敗。

ある母親が娘(高校1年)にこう言ったときのこと。その娘はこのところ、何かにつけて
母親を無視するようになった。「あんたはだれのおかげでピアノがひけるようになったか、
それがわかっているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、ピアノ教室へ連れていっ
てあげたからでしょ。それがわかっているの!」と。それに答えてその娘はこう叫んだ。
「いつ、だれがあんたにそんなことをしてくれと頼んだ!」と。これが失敗、その1。

 父親がリストラで仕事をなくし、ついで始めた事業も失敗。そこで高校3年生になった
娘に、父親が大学への進学をあきらめてほしいと言ったときのこと。その娘はこう言った。
「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、私の学費を用意してよ! 
私を大学へやるのは、あんたの役目でしょ」と。

そこで私に相談があったので、その娘を私の家に呼んだ。呼んで、「お父さんのことをわ
かってあげようよ」と言うと、その娘はこう言った。「私は小さいときから、さんざん勉
強しろ、勉強しろと言われつづけてきた。中学生になったときも、行きたくもないのに、
進学塾へ入れさせられた。そして点数は何点だった、偏差値はどうだった、順位はどうだ
ったとそんなことばかり。この状態は高校へ入ってからも変わらなかった。その私に、『も
う勉強しなくていい』って、どういうこと。そんなことを言うの許されるの!」と。これ
が失敗、その2。

 Yさん(女性40歳)には夢があった。長い間看護婦をしていたこともあり、息子を医
者にするのが、夢であり、子育ての目標だった。そこで息子が小さいときから、しっかり
とした設計図をもち、子どもの勉強を考えてきた。が、決して楽な道ではなかった。Yさ
んにしてみれば、明けても暮れても息子の勉強のことばかり。ときには、「勉強しろ」「う
るさい」の取っ組みあいもしたという。

が、やがて親子の間には会話がなくなった。しかしそういう状態になりながらも、Yさん
は息子に勉強を強いた。あとになってYさんはこう言う。「息子に嫌われているという思
いはどこかにありましたが、無事、目標の高校へ入ってくれれば、それで息子も私を許し
てくれると思っていました」と。

で、何とか息子は目的の進学高校に入った。しかしそこでバーントアウト。燃え尽きてし
まった。何とか学校へは行くものの、毎日ただぼんやりとした様子で過ごすだけ。私に「家
庭教師でも何でもしてほしい。このままでは大学へ行けなくなってしまう」と母親は泣い
て頼んだが、程度ですめばまだよいほうだ。これが失敗、その3。

 こうした失敗は、失敗してみて、それが失敗だったと気づく。その前の段階で、その失
敗、あるいは自分が失敗しつつあると気づく親は、まずいない。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●断絶とは

 「形」としての断絶は、たとえば会話をしない、意思の疎通がない、わかりあえないな
どがある。「家族」が家族として機能していない状態と考えればよい。家族には助け合い、
わかりあい、教えあい、守りあい、支えあうという5つの機能があるが、断絶状態になる
と、家族がその機能を果たさなくなる。

親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即
発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親
で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか! そして一度、こうい
う状態になると、あとは底なしの悪循環。親が修復を試みようとすればするほど、子ども
はそれに反発し、子どもは親が望む方向とは別の方向に行ってしまう。

 しかし教育的に「断絶」というときは、もっと根源的には、親と子が、人間として認め
あわない状態をいう。たとえば今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は5
5%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青
少年白書』平成10年)。

もっともほんの少し前までは、この日本でも、親の権威は絶対で、子どもが親に反論した
り、逆らうなどということは論外だった。今でも子どもに向かって「出て行け!」と叫ぶ
親は少なくないが、「家から追い出される」ということは、子どもにとっては恐怖以外の
何ものでもなかった。江戸時代には、「家」に属さないものは無宿と呼ばれ、つかまれば
そのまま佐渡の金山に送り込まれたという。その名残がごく最近まで生きていた。いや、
今でも、親の権威にしがみついている人は少なくない。

 日本人は世間体を重んじるあまり、「中身」よりも「外見」を重んじる傾向がある。た
とえば子どもの学歴や出世(この言葉は本当に不愉快だが)を誇る親は多いが、「いい家
族」を誇る親は少ない。中には、「私は嫌われてもかわまない。息子さえいい大学へ入っ
てくれれば」と、子どもの受験競争に狂奔する親すらいる。

価値観の違いと言えばそれまでだが、本来なら、外見よりも中身こそ、大切にすべきでは
ないのか。そしてそういう視点で考えるなら、「断絶」という状態は、まさに家庭教育の
大失敗ととらえてよい。言いかえると、家族が助け合い、わかりあい、教えあい、守りあ
い、支えあうことこそが、家庭教育の大目標であり、それができれば、あとの問題はすべ
てマイナーな問題ということになる。そういう意味でも、「親子の断絶」を軽く考えては
いけない。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●親子の断絶の三要素、(1)リズムの乱れ

 親子を断絶させる三つの要素に、(1)リズムの乱れ、(2)価値観の衝突、それに(3)
相互不信がある。

 まず(1)リズムの乱れ。子育てにはリズムがある。そしてそのリズムは、恐らく母親
が子どもを妊娠したときから始まる。中には胎児が望む前から(望むわけがないが)、お
なかにカセットレコーダーを押しつけて、英語だのクラシック音楽を聞かせる母親がいる。
さらに子どもが生まれると、今度は子どもが「ほしい」と求める前に、時計を見ながら、
ミルク瓶を無理やり子どもの口に押し込む親がいる。「もうすぐ3時間50分……おかし
いわ。どうしてうちの子、泣かないのかしら……。もう4時間なのに……」と。

 そしてさらに子どもが大きくなると、子どもの気持ちを確かめることなく、「ほら、英
語教室」「ほら、算数の教室」とやりだす。このタイプの母親は、「子どものことは私が
一番よく知っている」とばかり、何でもかんでも、母親が決めてしまう。いわゆる『ハズ
論』で子どもの心を考える。「こうすれば子どもは喜ぶハズ」「こうすれば子どもは感謝
するハズ」と。

このタイプの母親は、外から見ると、それがよくわかる。子どものリズムで生活している
母親は、子どもの横か、うしろを歩く。しかしこのタイプの母親は、子どもの前に立ち、
子どもの手をぐいぐいと引きながら歩く。あるいはこんな会話をする。

 私、子どもに向かって、「この前の日曜日、どこかへ行ってきたの?」、それを聞いた
母親、会話の中に割り込んできて、「おじいちゃんの家に行ってきたわよね。そうでしょ。
だったらそう言いなさい」、そこで私、再び子どもに向かって、「楽しかった?」と聞く
と、母親、また割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、楽しかっ
たと言いなさい」と。

 いつも母親のほうがワンテンポ早い。このリズムの乱れが、親子の間にキレツを入れる。
そしてそのキレツが、やがて断絶へとつながっていく。あんたはだれのおかげでピアノが
ひけるようになったか、それがわかっているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、
ピアノ教室へ連れていってあげたからでしょ。それがわかっているの!」「いつ、だれが
あんたにそんなことをしてくれと頼んだ!」と。

つまりこのタイプの親は、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談
があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小3男児)は毎日、通信
講座のプリントを3枚学習することにしていますが、2枚までなら何とかやります。が、
3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょう
か」と。

こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを3枚するようになれば、親は、「四枚やらせたい」と
言うようになる。子どもは、それを知っている。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自分への怒り

++++++++++++++++++

少し前だが、学生時代の友人が、がんで
他界した。
その少し前のこと。
そのときすでに末期だったということになる。
街で偶然出会い、話しかけてみたが、会話が
まったくかみ合わなかった。
よそよそしいというか、上の空というか・・・。
「いっしょに店でも、回ってみるか?」と声も
かけた。
が、どこか迷惑そうな顔をしてみせた。

その様子からそのとき私は、「何かぼくは失礼な
ことでもしたのだろうか」と、何度も自問してみた。
が、思い当たることはなかった。

+++++++++++++++++

●自分への怒り

 何かの本で読んだことがある。
人は、自分の内部で勝手に増殖するがんのような病気にかかると、自分を怒る、と。
もちろん他人を責めても意味はない。
そこでその(怒り)は、自分自身へと向かう。

 が、そのときどういう心境になるかは、やはり、その人と同じ状況に立たされてみない
とわからない。
「やりきれないだろうな」というところまでなら、私にもわかる。
他人に蹴られたとか、殴られたのではない。
自分で、自分の中に、がん細胞を作る・・・。

●あるドラ娘

 あるところに、どうしようもないドラ娘がいた。
自分勝手でわがまま。
家事はいっさい、手伝わない。
ときどきボーフレンドを家に連れてきて、母親に食事の用意までさせていた。
その母親も、同じようなことを言っていた。

 「娘に対する怒りというより、そういう娘にしてしまった自分への怒りを覚えました」
と。

 さらに似たような話だが、ワイフの友人(女性、60歳くらい)が、ワイフにこう言っ
たという。
「ときどき息子が嫁さんを連れて、家に帰ってきますが、今どきの嫁さんは、家事をまっ
たく手伝ってくれません」と。
食事の世話から、寝支度の世話まで、すべてその友人がしているという。
「息子も、共働きなので、強くは言えないようです」と。
ワイフの友人も、自分に対する怒りを覚えていた。

●ニヒリズム

 他人を怒るのは、避けた方がよい。
避けられるものなら、避けた方がよい。
しかし自分に対して怒るのは、その人を強くする。
苦しい闘いだが、その(苦しさ)が、精神をたくましくする。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●無私の愛(Unconditional Love)

++++++++++++++++

無私の愛。
損得の勘定を捨てきった愛。
英語では、「unconditional love(無条件の愛)」という。
しかし無私の愛などというものは、それを求めようとして、
求められるものではない。
無私の愛などいうものは、裏切られ、さらに裏切られ、
その上さらに裏切られ、「どうにでもなれ」という状況
になってはじめて、それがそこにあることを知る。
あるいは苦しみや悲しみの果てでもよい。
苦しんで、苦しんで、悲しんで、悲しんで、
その果てに、それがそこにあることを知る。

が、あくまでも結果。
その結果として、「無私の愛」を知る。
「知る」というよりは、そういう状況に追い込まれる。
否応なしに、追い込まれる。
追い込まれたあと、「無私の愛」がそこにあることを知る。
そこに、最後の救いを見出す。
しがみつく。

+++++++++++++++++

●本能的な愛

 「私は子どもを愛しています」などと、平気で言う人がいる。
結構なことである。
すばらしいことである。
しかしその実、「愛」が何であるか、そういう人たちは、まったくわかっていない。
「愛」という言葉に酔っているだけ(失礼!)。

 というのも本能的な部分で、親は子どもを愛する(?)ようにできている。
一方、子どもは、本能的な部分で、親に愛されるようにできている。
最近の研究によれば、そうした心のメカニズムを、「mutual attachment(相互アタッチメ
ント)」という言葉を使って、説明する。
たとえばあの赤ん坊が、オギャーオギャーと泣いたとする。
が、そうして泣くのも、計算づく。
母性愛や父性愛をくすぐるために、赤ん坊は、自分の脳にインプットされた、プログラム
に従って泣く。
つまり赤ん坊が、親を操る。
親の心を操る。
それが別の形で現れるのが、「赤ちゃん返り」ということになる。

 下の子どもが生まれたりして、愛情飢餓の状態になると、子どもはもう一度、赤ちゃん
に戻り、親の関心を自分に引き寄せようとする。
おもらしをしたり、ネチネチした言い方をするなど。
本能的な部分で起こる現象のため、子どもを叱ったり、説教したりしても意味はない。
また、それでどうこうなるような問題ではない。

 こうした愛(?)を、私は、「本能的な愛」と呼んでいる。
もちろん先に書いた、「無私の愛」とは、まったく異質のものである。

●絶望感

 時として親は、子育てをしながら、はげしい絶望感を覚える。
挫折感、失望感・・・、何でもよい。
が、そこは自分の子ども。
自分の子どもから、逃れるわけにはいかない。
いかにはげしく葛藤しても、最終的には、受け入れるしかない。

 というのも人間の心というのは、不安定な状態には、たいへんもろい。
それから生まれる緊張感には、相当なものがある。
長くは持ちこたえられない。
そのため、一気に、どちらかの側にころぼうとする。
(拒絶)か、さもなければ(受容)か、と。
夫婦のばあいは、(拒絶)=(離婚)という方法もあるが、相手が自分の子どもでは、そう
はいかない。
親は、とことん、袋小路に追い詰められる。

 もっとも(拒絶)が、まったくないかというと、そうでもない。
本気で子どもを見捨ててしまう親も、少なくない。
家庭騒動、経済問題、夫婦不和などが、原因となることもある。
が、ごくふつうの家庭でも、(見た目には、まったくふつうの家庭でも)、(拒絶)が起こる
ことがある。

 援助交際を繰り返していた中学2年生の女子を、警察官が家の母親に電話をしたところ、
その母親は、こう言った。
「私には関係ないことですから、(娘を)勝手にしてください」と。
そして娘には、「2度と、家には帰ってこないでよ」(某テレビ局の突撃番組)と。
(中学2年生の娘に、だぞ!)
現実には、そういう家庭もある。

●受容

 が、一般的なケースでは、子どものできが悪ければ悪いほど、親は、自分を責める。
他人の子どもなら、「ハイ、さようなら!」と別れることもできる。
が、相手が自分の子どもでは、そうはいかない。
義務と責任、憎悪と愛情のはざまで、親は、もがく。
苦しむ。
が、それも頂点に達すると、親は究極の選択に迫られる。

「拒絶か、受容か」と。
その(受容)の先にあるのが、冒頭にあげた、「無私の愛」ということになる。
「もうどうにでもなれ!」と。

 しかしだからといって、子どもを捨てるわけではない。
あきらめるわけでもない。
子どもを自分の中に、完全に受け入れる。
それが「無私の愛」ということになる。 

 が、そこか実におおらかで、ゆったりとした世界。
何ものにも束縛されない、自由な世界。
しかしここで誤解してはいけないことがある。
だからといって、それで親子関係が正常になるとか、心豊かになるとか、そういうことで
はない。
親子関係は、そのまま。

もしあなたの子どもが、どうしようもないドラ息子や、ドラ娘であれば、そのまま。
無私の愛といっても、その中身は一方的なもの。
見返りさえ、ない。
つまりそのことまで、受け入れてしまう。
それが「無私の愛」ということになる。

●補足

 K国による拉致被害者にYTめぐみさんがいる。
その両親は、今の今も、めぐみさんの救済活動をつづけている。
その姿を、テレビなどでかいま見るたび、金xxへの怒りがこみあげてくる。
(拉致の首謀者は、まちがいなく、あの金xxだぞ!)
と、同時に、めぐみさんの両親には、神々しいほどまでの崇高さを感ずる。

それはもう「無私の愛」などという、生やさしいものではない。
私がここで説明した「無私の愛」などというものは、めぐみさんの両親には、ただの紙切
れのようなもの。
苦しんだり、悲しんだりするといっても、そこには限度というものがある。
めぐみさんの両親は、その限度を超えている。
K国に対する非難の攻撃を、けっしてゆるめてはいけない。
もうこれ以上、めぐみさんの両親を、苦しめてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 無私の愛 無条件の愛 親の愛)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親バカ論】

●就職率50%

 大不況。
目下、進行中。
大卒の就職率も、50〜60%とか。
事務所の隣人は、個人でリクルートの会社を経営している。
その隣人が、こう言った。
「実感としては、50%前後ではないですかね?」と。
つまり大卒のうち、2人に1人しか、就職できない。
きびしい!

 浜松市といえば、昔から工業都市として知られている。
HONDA、SUZUKI、YAMAHAなどの各社は、この浜松市で生まれた。
その浜松市でも、「50%」!

●親、貧乏盛り

 『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた諺(ことわざ)である。
それについては、何度も書いてきた。

 で、子どもを大学へ送ることは、得か損かという計算をしてみる。
・・・といっても、学部によって、大きく、異なる。
医学部のばあい、勤務医になれば、勤務後2〜3年目には、年収は2000万円を超える。
開業医になれば、月収は500万円を超える。
(月収だぞ!)

 一方、文科系の学部のばあい、学費も安いが、その分、学歴も、ティシュペーパーのよ
うに軽い。
英文学部にしても、高校の教科書より簡単なテキストで勉強しているところは、いくらで
もある。
そんな学部を出ても、実際には、何ら、役に立たない。

 全体としてみると、それなりの資格のともなった学歴であれば、得。
資格をともなわない、ただの学歴であれば、損。
その結果、就職率50%ということになれば、何のための苦労だったのかということにな
る。

●3人に1人が、高齢者

 3人に1人が、高齢者。
そんな時代が、すぐそこまでやってきている。
現在、40歳以上の人は、老後になっても、満足な介護は受けられないと知るべし。
実際には、不可能。

 となると、自分の老後は、自分でみるしかない。
つまりそれだけの蓄(たくわ)えを用意するしかない。
で、たいていの人は、「自分の子どもがめんどうをみてくれる」と考えている。
が、今、あなたが高齢になった親のめんどうをみていないように、あなたの子どもも、ま
たあなたのめんどうをみない。
60%近い若者たちは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
(この数字とて、ほぼ10年前の数字。)
実際には、みな、目一杯の生活をしている。
経済的に余裕のある人など、いない。
若い世代では、さらにいない。

●親バカ

 こうして順に考えていくと、子どもに学費をかけることが、いかに無駄かがわかってく
る。
あえて言うなら、子どもを遊ばせるために、その遊興費を提供するようなもの。
が、何よりも悲劇なのは、そのためにする親の苦労など、今時の大学生にじゃ通じない。
当たり前。
「電話をかけてくるのは、お金がほしいときだけ」というのは、親たちの共通した認識で
ある。
むしろ逆に、(してくれないこと)を、怒る。
「みなは、毎月20万円、送金してもらっている」
「どうして結婚の支度金を出してくれないのか」と。

保護、依存の関係も行き過ぎると、そうなる。
保護される側(子ども)は、保護されて当然と考える。
一方、保護するほうは、一度、そういう関係ができてしまうと、簡単には、それを崩すわ
けにはいかない。
罪の意識(?)が先に立ってしまう。

 どこか一方的な、つまり否定的な意見に聞こえるかもしれないが、こうして世の親たち
は、みな、つぎつぎと親バカになっていく。

●老後の用意

 しかし私たちの老後は、さみしい。
蓄(たくわ)えも乏しい。
社会保障制度も、立派なのは、一部の施設だけ。
3人のうちの1人が老人という世界で、手厚い介護など、期待する方がおかしい。
となると、自分の息子や娘たちに、となる。
しかし肝心の息子や娘たちには、その意識はまるでない。

 ある友人は、こう言った。
「うちの息子夫婦なんか、結婚して3年目になるが、嫁さんなど、来ても、家事はいっさ
い手伝わない。いつもお客様だよ」と。
別の友人もこう言った。
その友人の趣味は魚釣り。
そこで釣ってきた魚を、嫁に料理をさせようとしたら、こう言ったという。
「キモ〜イ、こんなこと、私にさせるのオ?」と。

 この話をワイフにすると、ワイフもこう言った。
「私の友だちのSさんなんかね、長男は、歩いて数分のところに住んでいるだけどね、毎
週、実家へ子どもたちを連れて夕食を食べに来るんだってエ」と。

 で、私が、「食費はだれが出すの?」と聞くと、「もちろん友だちのSさんよ。長男たち
は、それで食費を浮かせようとしているのね」と。
さらに「料理は、だれがするの?」と聞くと、「Sさんよ。嫁さんは、デンと座っているだ
けだそうよ。たまに食器は洗ってくれるそうよ。でもそれだけ」と。

 私が「ヘエ〜〜」と驚いていると、さらにワイフは、驚くべきことを口にした。
「それでいて、長男は、親のめんどうをみているのは自分と、思いこんでいるみたいね」
と。

私「親のめんどう・・・?」
ワ「そうよ。弟夫婦たちが実家へ来ると、兄貴風を吹かして、弟夫婦に、『お前たちも、と
きには、親のめんどうをみろ』って言ってるんだってエ」
私「あきれるね」
ワ「そうね。孫の顔を見せるだけでも、ありがたく思えというところかしら」と。

●何かおかしい?

 何か、おかしい。
何か、まちがっている。
しかし今は、そういう時代と思って、その上でものを考えるしかない。
子どもたちというより、その上の親たちが、そういう世代になっている。
その親たちに向かって、「子育てとは・・・」と説いても、意味はない。
言うなれば、ドラ息子、ドラ娘になりきった親たちに向かって、ドラ息子論、ドラ娘論を
説くようなもの。
意味はない。

 言い換えると、私たち自身が、「甘えの構造」から脱却するしかない。
「子どもたちに依存したい」「依存できるかもしれない」「子どもたちが世話をしてくれる
かもしれない」と。
そういう(甘え)から、脱却するしかない。
さらに言えば、「私たちの老後には、息子や娘はいない」。
そういう前提で、自分たちの老後を考える。

●私のケース

 私の息子たちが特殊というわけではない。
見た目には、ごく平均的な息子たちである。
中身も、ごく平均的な息子たちである。
だからこう書くといって、息子たちを責めているわけではない。
しかしときどき会話をしながら、その中に、「老後の親たちのめんどうをみる」という発想
が、まったくないのには、驚く。
まったく、ない。
むしろ逆。
こう言う。

「相手の親(=嫁の親)は、〜〜してくれた」「どうしてパパ(=私)は、してくれないの
か?」と。

 息子夫婦にしても、「家族」というのは、自分と自分たちの子どもを中心とした(親子関
係)をいう。
目が下ばかり向いている。
が、それはそれでしかたのないこと。
息子たちは息子たちで、自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
私たち夫婦だって、そうだった。
が、それでも、お・か・し・い。

●満62歳にして完成

 ・・・こうして親は、子離れを成しとげる。
(甘え)を、自分の心の中から、断ち切る。
そして一個の独立した人間として、自分の老後を考える。

 というのも、私たちの世代は、まさに「両取られの世代」。
親にむしり取られ、子どもたちにむしり取られる。
最近の若い人たちに、「ぼくたちは、収入の半分を実家に送っていた」と話しても、理解で
きないだろう。
それが当たり前だった時代に、私たちは、生まれ育った。

 が、今は、それが逆転した。
今では子どもの、その子ども(つまり孫)の養育費まで、親(つまり祖父母)が援助する。
それが親(つまり祖父母)ということになっている。

 が、そこまでしてはいけない。
このあたりでブレーキをかける。
かけなければ、この日本は、本当に狂ってしまう。
(すでに狂いぱなし、狂っているが・・・。)

 少し前も、私は「車がほしい」というから、息子に、現金を渡してしまった。
それで私たちは、H社のハイブリッドカーを買うつもりだった。
それについて、まずオーストラリアの友人が、「渡してはだめだ」と忠告してくれた。
義兄も、「ぜったいに、そんなことをしてはだめだ」と言った。
「息子のほうが、今までのお礼にと、新車を買ってくれるという話ならわかるが、逆だ」
と。

 私も親バカだった。
息子たちに怒れるというよりは、自分に怒れた。
心底、自分に怒れた。
何日か眠れない日がつづいた。
が、それが終わると、私の心はさっぱりとしていた。
息子たちの姿が、心の中から消えていた。
はやし浩司、満62歳にして、子離れ完成、と。

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言って笑った。
「あなたも、やっと気がついたのね」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子離れ 親離れ 依存性 甘えの構造 甘え 子どもへの依存性 老
後 はやし浩司 親バカ論)

●親バカにならないための10か条

(1)必要なことはしろ。しかしやり過ぎるな。
(2)求めてきたら、与えろ。先回りして与えるな。
(3)一度は、頭をさげさせろ。「お願いします」と言わせろ。
(4)子どもに期待するな。甘えるな。
(5)親は親で、自分の人生を生きろ。子どもに依存するな。
(6)社会人になったら、現金は、1円も渡すな。
(7)嫁や婿の機嫌を取るな。嫌われて当然と思え。
(8)自分の老後を冷静にみろ。無駄な出費をするな。
(9)遺産は残すな。自分たちで使ってしまえ。
(10)少なくとも子どもが高校生になるころには、子離れを完成させろ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================



















*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   24日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page026.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

■「かあさんの歌」論
________________________________________

K田聡氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)は、かっこ(「」)つき
になっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」「♪おとうは
土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙
ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋
を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳
句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪だ。 

■内助の功論
________________________________________

封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用いられた。しかしこの
言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるまでもない。
しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約二三%の女
性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。
※……全国家庭動向調査(厚生省九八)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべき
だ」という考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。

●同一性の危機
________________________________________

万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめ
を、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にして
いること)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。
子どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子ども
の自我の同一性は、危機に立たされる。 

●夢・希望・目的
________________________________________

夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のし
たいこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感が
あるとき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」
と。そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手に
なる」とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。

●子どもの忍耐力
________________________________________

同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)
を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。あ
るいは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、
忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。
この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。

●同一性の崩壊
________________________________________

同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をし
たいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私
は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。
それは「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言
うべきもの。当然、子どもは、目的を見失う。 

●顔のない自分
________________________________________

同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大き
く分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻
撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避
型)。ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケ
ースでは、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●校内暴力
________________________________________

暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭
(さと)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分
の顔)をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だから
みなが、恐れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃
型の子どもの心理的のメカニズムは、こうして説明される。 

●子どもの自殺
________________________________________

おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあ
いは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)
を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットする
ことで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪
(しょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。 

●自虐的攻撃性
________________________________________

攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に
向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」
「朝から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しん
でいるのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えると
わかりやすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。 

●自我の同一性
________________________________________

(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子
どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分
がしていること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者
が一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちつ
いていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。 

●心の抵抗力
________________________________________

「私は〜〜をしたい」「ぼくは〜〜する」と、目的と方向性をしっかりともっている子ど
もは、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学
年から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、
同一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘
いがあると、スーッとその世界に入ってしまう。 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●毅然とした授業

60歳を過ぎて、やっと、だ。
やっと毅然とした授業が
できるようになった。
年の功というのではない。
経験が豊かになったということでもない。

はっきり言えば、「どうでもよくなった」。
だから毅然とした授業ができるようになった。
それまでの私は、どこか、経営第一主義。
いつも親や生徒のご機嫌をうかがいながら、
授業をしていた。
それがどうしても、自分の教え方の中から抜けなかった。
親イコール、スポンサー。
生徒イコール、お客様。

しかし60歳を過ぎるころから、それが
どうでもよくなった。
「来たかったら、おいで」式の授業に変った。
「やめたければ、やめな」式の授業に変った。

親に媚(こび)を売ることも少なくなった。
なくなったわけではないが、少なくなった。
同時に親の視線を感ずることもなくなった。
「生徒がいなくなったら、おしまい」。
それでもよいと考えるようになった。

どうあがいたところで、こうした仕事ができるのも、
あと10年。
5年かもしれない。
だったら、もう他人に遠慮することはない。
私は私なりの教え方をすればよい。

もっとも仕事は仕事。
そこはギブ&テイクの世界。
生徒あっての教室。
普通人としての常識まで失ったわけではない。

が、同時に、こうも考えるようになった。
最近になって、学生時代の友人たちが、どんどんと
退職していく。
退職といっても、みな、本物の退職。
一度、リストラされたり、退職したあと、
第二、第三の就職先で働いていた。
そういう友人たちが、本当に退職していく。
つまりは、仕事から完全に離れていく。
年賀状にそう書いてきた人もいる。

そういう人たちが、それを喜んでいるのか、
それともさみしく思っているのか。
それは私にもわからない。
が、私のばあいは、年金といっても、国民年金だけ。
もらっても、月額、6万4000円前後。
しかも、もらえるとしても、まだ3年先。
隠居など、とても考えられない。

だからこう思う。
「1年でも長く働くことができたら、もうけもの」と。
つまり今年、満63歳になるから、私は、3年分、
もうけたことになる。
つまりそういう思いがあるから、「もう、いいや」
という気持ちも生まれてくる。
「仕事がなくなっても、いいや」
「3年、みなより長く働くことができただけでも
御の字」と。

が、だからといって、授業がいいかげんになった
というわけではない。
実際には、その逆。
1日、1日が、真剣勝負。
1日だって、いいかげんな授業はしたくない。
できない。
そのため、こうも考える。
「その価値がわからないような親の子どもは、教えない」と。
もっと言えば、「それでも生徒が去っていくというのなら、
それも結構」と。

こういうのを居直りというのか。

もちろんカラ元気ではいけない。
恐らく、家庭教育と呼ばれる世界で、私ほど
勉強した人間はいない。
経験も豊富。
少なくとも、「この人は、私よりすごい」と
思えるような人に、この10年以上、出会ったことがない。
が、これは私のうぬぼれか?

しかし何度心の中で反復しても、いつも結論は、同じ。
私は、うぬぼれてはいない。
だからこう思う。
「私の授業の価値がわからないような人は、いつでも
去ってもらって結構」と。

・・・ということで、この年齢になって、
はじめて毅然とした授業ができるようになった。
自分流の教え方を、押し通すことができるようになった。
やっとできるようになった。

で、今日も、こういうことがあった。

小学x年に、K君という男の子がいる。
最近、粗放な態度が目立ってきた。
反抗的というよりは、挑発的。
俗にいう、(ツッパリ症状)が出てきた。
すさんだ目つき。
ぞんざいな、ものの言い方・・・。

おとなを、なめきったような態度。
何かを指示しても、「ウッセーナー」
「ダマレヤー」と。
が、そのK君が、ルールを破った。
すかさず私は、3分の残り勉強を命じた。
「1回注意されたら、3分の残り勉強」と、
決めている。

が、みなが帰るとき、K君が、またまたルールを
破った。
私の指示を無視し、間を抜けて帰ろうとした。
私はK君をうしろから、抱きかかえるようにして、
つかまえた。
「君は、まだ帰れない」と。

するとK君は、またあの態度を、露骨に示した。
「帰らせろヤア、このバカヤロー」と。
私は、「60を3回、数えたら、放してやる」と、
それだけを繰り返した。
が、K君は、応じなかった。

ジリジリとした押し問答がつづいた。
「数えろ!」
「いやだ!」
「数えろ!」
「いやだ!」と。

と、そのときK君が、猛烈な勢いで、私の体を
蹴ってきた。
すかさず、私も、K君を抱いたまま、数倍の力で、
蹴り返した。
私という(おとな)の蹴りである。
衝撃は大きかった。
とたん、K君は、シュンとなった。
泣き声になった。
そして小さな声で、数を数え始めた。

このタイプの子どもには、一度は、おとなの
(こわさ)を示したほうがよい。
経営ということを考えるなら、そのまま
帰したほうがよい。
こういうトラブルがあると、子どもはたいてい、
塾をやめる。

もちろん体罰ということになるが、親が
それを騒ぐなら、さっさと私のところを
去ればよい。
それが塾である。
学校とは、ちがう。
学校は、去ることができない。

が、それ以上に、私は、そのときK君には、
体罰が必要と感じた。
そこは教師と生徒の関係ではない。
男と男、人間と人間の関係。
まともな指導をしていて、暴力を振るわれた、
必要なときは、やり返す。
だまって受け止めていたら、かえって
K君のためにならない。

つまりこうした指導ができるようになったのも、
「もう、いいや」という気持ちがあるからに
ほかならない。
「やめたければ、やめろ」と。

残された時間は、少ない。
だからもう妥協したくない。
私は私の教え方をする。
私は私の人生を生きる。
それで生徒がいなくなったら・・・。
そのときは、そのとき。
私も、本物の退職をする。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月19日

+++++++++++++++++

今日は火曜日。
とくに意味があるわけではない。
予定もない。
しかし今日は、忙しかった。
いくつか、心にひかかる仕事が残っていた。
それを一気に、片づけた。

そのため朝、4時に起きた。
(朝の4時だぞ!)

で、それを終えたのが、8時ごろ。
そのころワイフが床から起きてきた。
書斎へお茶を届けてくれた。
おかげで仕事は、すべて片づいた。
すっきりした。

++++++++++++++++

●ある養子縁組の悲劇

 昨日、こんな相談があった。
少し話がわかりにくい。
こういうこと。

 Aさん夫妻には、子どもがいなかった。
その地域では、昔からの土地持ちで、かなりの資産家だった。
そこでAさん夫婦は、両もらいの形で、養子縁組をした。
その地域では、「一組(いっそ)養子」という。
(以下、「養子夫婦」と書く。)

 夫になった男性は、妻の遠い親戚にあたる人だった。
妻になった女性は、夫の遠い親戚にあたる人だった。
しばらくは、うまくいった。
が、2、3年もすると、たがいの間に不協和音が流れはじめ、10年もしないうちに、養
子夫婦は、家を出てしまった。
以来、10年以上、別居状態がつづいている。
行き来はない。

 で、最近(2年ほど前)、Aさんの妻がなくなってしまった。
Aさんも、体調を崩し、現在は、有料の老人ホームと自宅を、行ったり来たりしている。
本来なら、養子縁組で入った夫婦が、(子)として、Aさんの世話をしなければならない。
が、その夫婦は、知らぬ顔。
そこでAさんが、キレた。
「養子縁組を解消する!」と。

●孫まで・・・

Aさんには、2人の弟と妹がいた。
その2人が、Aさんを支持した。
支持したというより、「自分たちは、家を出るとき、遺産相続をしてもらっていない」「養
子夫婦に遺産を相続するな」と、騒ぎ出した。
その2人の弟と妹には、それぞれ、3人と1人の子どもがいた。
これらの孫まで、その騒動に参加してきた。
「おやじの取り分をよこせ」
「おふくろの取り分をよこせ」と。

 が、一度組んだ養子縁組は、簡単には、解消できない。
法律的にも、むずかしい。
また養子夫婦にしても、Aさんが死ねば、莫大な資産が、自分たちのものになる。
おいそれと養子縁組に解消に、応ずるわけにはいかない。
そこで相談があった。
「どうすればいいか?」と。

●修羅場

 そこはまさに泥沼の世界。
修羅場。
この種の話は、こじれると、とことんこじれる。
Aさんの弟や妹にしても、Aさんの味方というわけではない。
ここにも書いたように、「遺産分けしてもらっていないから、遺産分けしろ」と、Aさんに
迫っている。
Aさんとしてはそうしたいが、しかしその前に、養子縁組を解消しなければならない。
が、その気力もない。
元気もない。
このままでは、莫大な資産は、そのまま養子夫婦のものとなる。
少しずつ土地を売却して、弟と妹に贈与するという方法もあるが、弟や妹は、それでは満
足しない。

 さあ、どうするか?

●バラバラ

 この種の家庭騒動は、多い。
多いというより、どこの家でも起こっている。
金額の大小は、ほとんど、関係ない。
億単位の財産を争っている家庭もあれば、わずか数百万円の財産で争っている家庭もある。
その結果、たいていのばあい、兄弟関係は、バラバラになる。
親戚がからんでくると、親戚関係も、バラバラになる。

・・・という話は、以前にも書いた。                                    
           

 そこでこう考える。
この種の問題は、「こじれたら、どうしよう」と考えるのではなく、「こじれるのが当たり
前」という前提で考える。
つまりあなたが親で、多少なりとも残せる財産があるなら、「こじれるのが当たり前」と考
える。
またそのための準備だけは、しっかりとしておく。
たとえばほとんどのケースでは、名義書き換えが必要な、土地、建物、債権類などが原因
で、騒動が起こる。
こうした資産は、できるだけ現金化するか、あるいは、遺言書でしっかりとその処分の仕
方を決めておく。

 さらに一歩進んだ考え方をするなら、こうなる。

『兄弟は、他人の始まり』と。

 そういう前提で、兄弟のあり方を考える。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●パソコンの自作

+++++++++++++++++

前から一度は、してみたいと思っていた。
それがこのところ、グググーッと、胸の
中でふくらんできた。

「PCfan」(最新号)という雑誌を買って
きたのが、きっかけだった。

それがパソコンの自作。

+++++++++++++++++

●守りから攻めに

 今まで、パソコンと言えば、(守りの一手)。
新しいのを買うとしても、完成品を選んで買っていた。
ときどき、ハードディスクを取り換えたり、CDトレイを丸ごと交換したりはしてきた。
メモリーを増設したり、USB端子を増設したこともある。
しかしその程度。

 言うなれば、与えられた餌だけを食べている、飼い犬のようなもの。

●TK−BS時代

 私がはじめてパソコンに出会ったのは、今からもう35年以上も前になる。
TOSHIBA製だったと思うが、「TK−BS」という、パソコンというよりは、モニタ
ーもない、ただの数字を示す機械が発売になった。
命令を8進数か何かで打ち込むと、何らかの答を出してくれた。
当時は、「マシン語」という言語を使って、プログラムを組んだ。

 今から思うと、本当にチャチな機械だった。

 で、そのあとすぐ、PETとか、APPLEとかいう、モニター付きのパソコンが売り
に出された。
ともに35万円前後もした。
 私は、PET2000という機種を、買った。

●機械の臭い

 今でもそうだが、パソコンという機械は、最初電源を入れると、プーンと、独特の臭い
が返ってくる。
電線が軽く焦げるような臭いである。
あの臭いをかぐと、条件反射的に、グググーッとくる。
脳の線条体に、そうした受容体ができているらしい。
つまり、あの臭いが、たまらない。
好き!

 同時に、マザーボードの基盤。
何がなんだか、さっぱり訳が分からないが、あれを見ていても、それを感ずる。
ぞくぞくとする。
TK−BS時代の名残りである。
TK−BSという機械は、基盤がそのまま外に、むき出しのままだった。

 ・・・というわけで、雑誌を読んでいたら、無性にパソコンを自作してみたくなった。
ひとつずつ、納得のいくパーツを集めて、それを組み立てる。

●能動的に・・・

 今までパソコンが不調になるたびに、あたふたするだけ。
で、メーカーに電話をかけたりして、解決していた。
あの屈辱感というか、敗北感は、それを感ずる人にだけにしかわからないだろう。
が、考えてみれば、それも私の姿勢に原因があった。
冒頭に書いたように、(守りの一手)。
つまり依存性がついてしまった。

 が、自作すれば、その依存性を自分から抜くことができる。
わかりやすく言えば、パソコンを自分の奴隷のように、支配することができる。
この先、新しいOSが発売になっても、そのつどマザーボードを取り換えたりして、それ
に対処することができる。
省資源にもなる。

 そう言えば、あのモニター一体型のパソコンだけは、買わないほうがよい。
パソコンを捨てるとき、同時にモニターも捨てることになる。
もったいない!
同じように、パソコンを自作できるほどの力が身につけば、新製品が出ても、パーツを取
り換える程度のことで対処できる。

 ・・・とまあ、勝手なことを考えている。
プラス、ボケ防止には、よい。

 そう言えば、昨日こんなことがあった。

●A3コピー

 我が家にもコピー機はあるが、B4まで。
A3コピ−となると、近くのコンビニまで行かねばならない。
そこでのこと。

 前の男性が、コピー機を前に、おろおろしていた。
年齢は私と同じくらい。
どうやら操作方法がわからないといった様子だった。

 で、私は声をかけてくれたら助けてやろうと、一歩、前に出た。
が、それを多分、その男性は誤解したらしい。
「早くやれ!」と、私が言っているように思ったらしい(?)。
照れくさそうに笑いながら、ぶつぶつ何かを言いながら、その場を去っていった。

 私の年代には、パソコン恐怖症の人は、多い。
スイッチ類が並んでいるのを見ただけで、逃げてしまう人もいる。
タッチパネルの操作すら、苦痛の人もいる。
実際には、キーボードを見ただけで、ぞっとするという人もいる。

 そういう人がどうこうというわけではないが、この私だって、1年もパソコンと遠ざか
っていたら、そうなるかもしれない。
勘が鈍ってしまう。

 だからあえて挑戦してみたい。
パソコンの自作。
ヤルゾー!


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

【雑感・あれこれ】(1月21日)

●民主党、小沢一郎幹事長

 民主党の小沢幹事長が、東京地検の事情聴取に応ずると言いだした。
しかし・・・「遅すぎた!」。

 すでに小沢疑獄は、底なしの様相を示し始めている。
疑惑の裏金は、4億円どころか、10億円〜とも言われ始めている。
小沢一郎は、裏金と銀行融資を巧みに組み合わせて、そのつどマネーロンダリングしてい
た。
最終的には、自分名義の土地を購入することによって、私腹を肥やしていた。
そのあくどさ。
醜さ。
今さら「事情聴取に応ずる」と言っても、だれも相手にしない。
すでに民意は、地滑り的に、民主党から離れ始めている。
この先、小沢幹事長が逮捕、起訴されるということにでもなれば、その流れはさらに加速
する。

 この虚脱感。
この敗北感。
そして怒り。

●イラン問題

 なりを潜めていたイスラエルが、動き出した。
裏舞台から、表舞台に出てきた。
イラン攻撃のための布石?
あるいはそのお膳立て?
どちらにせよ、イラン情勢が、急速に悪化している。
緊張感が高まっている。

 仮にイスラエルがイランを攻撃するようなことにでもなれば、一気に原油価格は高騰す
る。
が、それだけではすまない。
その波状的影響は、繰り返し、世界を襲う。
世界経済は、再び、奈落の底に。
おおかたの評論家は、リーマンショック程度ではすまないだろうと、予測している。

 ア〜ア!

●上海B株

 世界経済が上下運動を繰り返しながら低迷する中、上海B株だけは、不気味な上昇をつ
づけている。
明らかにバブル。
一般大衆を巻き込んでの、狂乱状態。
おそらく今ごろ中国人たちは、仕事そっちのけで、株価の動向に一喜一憂しているにちが
いない。
その不気味さ。

 「何とかして、元だけは取り返したい」と思っているのだろう。
数字の動きだけを見ていても、それがよくわかる。
つまり先のリーマンショック、ドバイショックで損した分だけは、取り返したい、と。

 しかしそれは無理。
絶対に無理。
その1、2歩手前で、中国経済は、崩壊する。
(その日)は、刻々と近づきつつある。

 みなさん、ご用心!

●心中事件

 1月の中ごろ、近くの住宅で、一家心中事件があった。
3人が亡くなり、1人が意識不明の重体。
不幸な事件である。
が、新聞記事を読んでも、家族構成が、どうしても理解できない。
新聞には、こうある。

 死亡したのは、X氏(62歳)と、その妻(62歳)。
私と同年齢なので、たいへん気になった。
もう一人死亡したのが、「養女」(59歳)。
さらに1人、意識不明の重体なのが、「孫の長女」(中学3年生)。
新聞には、「4人家族」とあった。
(「」内は、新聞記事のまま。)

 で、それを発見したのが、「長男」(39歳)とか。
「様子がおかしい?」ということで、実家へ来てみたのだろう。
そこで一家が心中しているのを、発見したらしい。

 何があったのか?
それはだれにもわからない。
どんな事情があったのか?
それもだれにもわからない。

 ただこの家族構成だけをみても、何か、複雑な事情があったことだけは、わかる。
「家庭」というのは、そういうもの。
100の家庭があれば、100のちがった問題をかかえている。
1つとて、同じ家庭はない。
つまりこのことには、重要な教訓が隠されている。

 その家庭のことは、その家庭の人たちにしか、わからない。
あなたがいくら頭がよく、また今までの知識や経験を総動員しても、その家庭のことを理
解するのは、不可能。
それぞれの家庭がかかえる問題は、その向こうにある。
だからそっとしておいてやることこそ、肝要。
あれこれ口を出すのは、タブー中のタブー。

 もちろん向こう側から相談があったときは、別。
そのときは、親身になって相談に乗ってやればよい。

●久々にATOK

 以前、「ATOK」という日本語入力システムを利用していた。
で、今回、WINDOW7マシンにしてから、再度、ATOKを使ってみることにした。
先ほど、再インストールを終了したところ。

 そのつど辞書表示があるのが、助かる。
漢字を確定する前に、「Ctrl+end」キーを押すと、ズラリと、意味や説明が並んだりする。
よくできたソフトである。
この文章は、そのATOKを使って、書いている。

 で、またまた脳みその問題。

 私は1年ほど前、CASIOの電子辞書を買った。
今も、パソコンの左側に置いてある。
ときどきそれで漢字の使い方を調べたりしている。

 ところがである。
ATOKにも、辞書が入っている。
しかも使い勝手もよい。
楽。
ここにも書いたように、「Ctrl+end」キーだけで、用例などが、ズラリと並ぶ。
たとえば「欄」
「欄」と書いて、「Ctrl+end」キーを押すと、こうなる。

『らん【欄】
?名?
(1)新聞・雑誌などで、決まった記事を掲載するための区切られた部分。「投書ー・テレ
ビー」
(2)印刷物などで、罫けいなどで区切られた部分。「解答ー」
(造)てすり。「ー干」「勾ーこうらん」 
明鏡国語辞典』と。

 こうしてそのままコピーすることもできる。
ATOKをもっていても、それを使わず、わざわざ電子辞書を購入する。
この愚かさ・・・。
つまり脳みそがそれだけ柔軟性を失ったことを意味する。
ATOKを再インストールして、そんなことを考えた。

 さあ、今日も始まった。
1月21日。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================
















*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   22日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page025.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●夢や希望を育てる
________________________________________

たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親
は、それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育てて
みましょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててや
ること。が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そし
てこう言う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。 

●子どもを伸ばす三種の神器
________________________________________

子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども
学会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それ
を伸ばすのは、親の義務と、心得る。

●役割混乱
________________________________________

子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時
に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの
間にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを
伸ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、
「役割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●思考プロセス(回路)
________________________________________

しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってが
んばっていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもし
れない。しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは
思考プロセスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、
そこへ入る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、
がんばり始める。 

●進学校と受験勉強
________________________________________

たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目
的になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会その
ものが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と
考えやすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、
(好きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子ども
の夢をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。 

●これからはプロの時代
________________________________________

これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでた
プロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君
は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生
きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これ
だけは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを
伸ばす

●大学生の問題
________________________________________

現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んで
いる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力
になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、
荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、
誘惑にも弱くなる。 

●自我の同一性と役割形成
________________________________________

子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在している
こと)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつ
まらない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、
子どもが、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言っ
てあげる。こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。 

●結果はあとからついてくるよ!
________________________________________

大切なことは、今できることを、懸命にすることだよ。結果は、あとからついてくる。ま
たその結果がたとえ悪くても、気にしてはいけないよ。ぼくたちの目的は、失敗にめげず、
前に進むことだよ。あの「宝島」を書いたスティーブンソンは、そう言っているよ。 

●子育ては工夫
________________________________________

 子育ては工夫に始まって、工夫に終わる。わかりやすく言えば、知恵比べ。この知恵比
べによって、子どもは、伸びる。が、それだけではない。何か問題が起きたときも、同じ。
家庭環境は千差万別。状態も状況も、みなちがう。子どもについて言うなら、性格も性質
も、みなちがう。能力もちがう。そんなわけで、「子育ては知恵くらべ」と心得る。この
知恵比べが、前向きにできる人を、賢い親という。 

●内政不干渉
________________________________________

たとえ親類でも、兄弟でも、内政については、干渉しない。相手が相談をもちかけてきた
ときは別として、こちらからあれこれアドバイスしたり、口を出したりしてはいけない。
相手を説教するなどということは、タブー中のタブー。ばあいによっては、それだけで、
人間関係は、破壊される。それぞれの家庭には、人には言うに言われぬ事情というものが
ある。その事情も知らないで、つまり自分の頭の中だけで考えてものを言うのは、たいへ
ん危険なことである。 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの問題

++++++++++++++++

子ども(小学生)に何か問題を発見したら、
つぎの3つの方面から、分析、観察する。

(1)生来的なものかどうか(遺伝的な要素、たとえば性質、性格など)
(2)環境的な問題に起因するものかどうか(育児環境、0歳〜2歳期の母子関係)
(3)機能的な障害によるものかどうか(何らかの情緒障害などが背景にないかどうか)

++++++++++++++++

●将来的な性質

 生来的なものとして、その子ども自身が親から引き継いだ性質、性格などがある。
過敏傾向が強い、鈍感傾向が強い(頭が「鈍感」という意味ではない)など。
繊細さや、鈍感さ(頭が「鈍感」という意味ではない)も、親の性質を引き継ぐことが多
い。
これらについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。

●環境の問題

 子どもの成育、知的発達、人格的発達、道徳的発達に、重大な影響を与えるのが、「環境」
ということになる。
その環境は、0歳〜2歳前後までの環境と、特定してよい。
そのころ子どもの方向性は決まる。
これには、2つの意味が含まれる。

(1)子どもの方向性が決まる。
(2)親の育児姿勢が決まる。

 その中でもとくに大きな影響を与えるのは、母親である。
この時期の母子関係の重大さは、それ以後の親子関係のそれとは、比較にならない。

・・・といっても、深刻に考えてはいけない。
子どもというのは、愛情豊かな家庭環境の中で、静かに、穏やかに育てればよい。
ごくふつうの家庭を想定し、自然体で子育てをする。
気負い、心配、不安、過保護、過干渉、過関心は、避ける。
とくに不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、注意する。
このタイプの親は、自然な形での(親像)が脳の中にインプットされていない。
そのため子育ての仕方が、どうしてもぎこちなくなる。
その(ぎこちなさ)が、子育てをゆがめる。

 たとえば最近の研究によれば、青年期になってからの、「うつ」「うつ病」の遠因は、こ
の時期に作られることがわかっている。

●機能的な問題

 脳の機質的な問題はともかくも、機能的な問題で、子どもの心がゆがむことは多い。
「情緒障害」といわれるのは、おおむね、脳の機能的な問題と考える。
もっとわかりやすく言えば、脳の機能的な変調が原因と考える。
子どもは、ささいなことで、その変調を起こしやすい。
そのため脳間伝達物資、ホルモンの分泌などに、変調がもたらされ、それが情緒障害へと
つながっていく。

(これに対して、脳の構造そのものに器質的問題があるばあいを、機質(器質)障害とい
う。
しかしこれは医学的な問題で、教育の問題ではない。)

●J君の例

 J君(小1)という子どもを仮想してみる。
J君は、静かで、ハキがない。
意見も発表しない。
いつもほかの子どものうしろを、ノロノロとついていく。
穏やかで、柔和な笑みを浮かべているが、何を考えているか、つかみにくい。
つまりその分だけ、不満や不平が、心のどこかに抑圧される。
家の中では、親に対して暴言を吐いたり、暴れたりする。

このタイプの子どもを、英語では、「SHY(シャイ)な子ども」と表現する。
アメリカでは、(シャイな子ども)は、問題児と位置づけられている。
アメリカの内科学会では、情緒障害児を診断するときの、重要な診断項目のひとつにして
いる。

●「生まれつきです」

 このタイプの子どもの母親に接すると、たいていの母親は、決まってこう言う。
「この子は、生まれつき、こうです」と。

しかしこれはウソ!

 生まれたばかりの子どもを見て、その子どもの性質、性格をつかめる親はいない。
ドクターでもいない。
専門家でもいない。
母親自身が、そういう目、つまり不安先行型、心配先行型の子育てを、(生まれながらに)
しているにほかならない。
つまり自分だけにしか通用しない、(色眼鏡)で、子どもを見ている。
言い換えると、責任逃れ!

●分析と観察

 が、すべて(環境)だけが原因とは、考えられない。
そこで冒頭にあげた、3つの方面から、J君を分析、観察する。

 J君は、繊細な感覚をもっている。
神経質で、デリケート。
これらは将来的な部分と考えてよいが、母親自身の性質、性格が移植されているケースも
少なくない。
こうした傾向は、遺伝というよりは、代々、世代連鎖しやすい。
とくに、うつ、もしくはうつ病の母親は、注意したほうがよい。

●親の障害 

 ここにも書いたように、親自身に何らかの障害があるときは、とくに警戒を要する。
一時的なマタニティー・ブルーであれば、おおげさに考える必要はない。
しかしそれがときとして、そのまま育児ノイローゼとなって、育児期間にまで残存するこ
とがある。
育児ノイローゼそのものは、うつ、もしくはうつ病と考えてよい。
けっして安易にとらえてはいけない。

 このタイプの母親は、一日中、子どものことばかり考える。
またそれが心から離れない。
ささいなことにこだわり、それをおおげさに考える。
取り越し苦労とヌカ喜び、その2つを繰り返す。
子どもに対しては、こまごまと注意したり、叱ったりする。
この心の余裕のなさが、子どもの心を萎縮させる。

●機能的な障害

 どんな子どもにも、情緒障害的な(芽)はあるという前提で考える。
個人差はあるだろうが、それはささいな(差)に過ぎない。
わかりやすく言えば、どんな子どもでも、不適切な家庭環境に置かれれば、情緒障害児に
なる可能性は、あるということ。
 
 簡単な例で言えば、夜尿症にしても、今では「癖」と考える学者はいない。
脳内ホルモンの変調が原因と考えられている。
睡眠中は、脳内ホルモンの働きによって、尿の生産が止められる。
その脳内ホルモンが、変調する。
睡眠中も、尿が生産されてしまう。
それが夜尿症へとつながっていく。

 もう少し心配なケースでは、かん黙症がある。
幼稚園へ保育園などに入園したようなときに、発症することが多い。
子どもは、かん黙することによって、自分の心を守ろうとする。
心理学の世界では、「防衛機制」という言葉を使って説明する。
家の中では、ふつう児のようによくしゃべる。
が、一歩、集団の世界に飛び込むと、貝殻を閉ざしたかのように、無言を守る。

 が、こうした機能的な障害についても、0〜2歳期の環境が大きく影響している。
つまりこの時期の不適切な育児姿勢、育児環境、子どもへの態度が、その(きっかけ)を
作る。

 ここでも重要な鍵を握るのが、母子関係ということになる。

●親の自覚

 だれしも、無知(?)の状態から、子育てを始める。
が、まったくの無知かというと、実はそうではない。
「子育ては、本能ではなく、学習である」というのは、そういう意味である。
つまり親は、無意識のうちにも、自分が受けた子育てを、自分の子どもに再現する。
育児姿勢だけではない。
育児哲学にしても、そうだ。
たとえば権威主義的な家庭環境(悪玉親意識が強い家庭環境など)に、育った親は、自信
も、権威主義的な子育てをしやすい。
これを心理学の世界では、「世代連鎖」とか、「世代伝播」とか、呼んでいる。

 そこで重要なことは、まず、自分の子育てに気づくということ。
そのためには、自分の(過去)、とくに0〜2歳期の自分が、どういう子育てを受けていた
かを、知る。

 といっても、そのころの記憶の残っている人はいない。
断片的な記憶はあるかもしれないが、連続性をもった記憶はない。
そこで客観的に、自分が生まれ育った環境を、推察してみる。

「私は、心豊かで、静かな環境で生まれ育ったか」
「私は、母親の愛情をたっぷりと受けて育ったか」
「家庭は円満だったか」

 その中でもとくに重要なのが、母子の間で形成される、基本的信頼関係である。
それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。

(興味のある人は、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索してみてほしい。)

 もしそういう環境で、あなた自身が生まれ育ったのなら、よし。
そうでなければ、あなたの子育てのどこかに、(ゆがみ)がないか、・・・というより、(ゆ
がみ)があるという前提で、自分が今している子育てを、反省する。

●引き金論

 平たく言えば、子どもの情緒問題、つまり機能的な情緒問題の引き金を引くのも、(環境)
ということになる。

 一部の情緒障害児団体では、「遺伝説」を前面に押し出し、「親には責任がない」という
ようなことを主張している。
「遺伝説」と唱えるなら、先にも書いたように、どんな子どもにも、その(芽)はある。
ない子どもはいない。
この問題は、「引き金を引く・引かない」の問題と考えてよい。

たとえば赤ちゃん返りがある。
重篤な子どもになると、嘔吐、発熱を繰り返すようになる。
しかしそういう子どもでも、(下の子ども)が生まれたからそうなったのであって、もし(下
の子ども)が生まれなかったら、赤ちゃん返りは起こさなかったはずである。
この場合も、不適切な、(上の子指導)が、赤ちゃん返りの引き金を引いたと考える。

●J君のケース

 日本でも、「シャイな子ども」については、(問題のある子ども)と位置づけるべきでは
ないのか。
またそういう前提で、子どもを観察する。
そういう点では、J君は、「問題児」ということになる。
けっして子どもの、本来、あるべき姿ではない。
またそういう子どもを、よい子と誤解してはいけない。
(今でも、そういう誤解が、この日本に蔓延しているのは、驚くべきことである。)

●では、どうすればよいか

 が、希望を捨ててはいけない。
こうした子どもの問題、さらには、自分自身が生まれ育った環境の問題については、それ
に気づくだけでよい。
気づけば、あとは時間が解決してくれる。
「すぐに・・・」というわけには、いかない。

 というのも、子育ては、リズム。
親のリズム。
そのリズムは、子どもを妊娠したときから始まっている。
そのリズムを変えるのは、容易なことではない。
そういう点でも、子どもの指導よりも、親の指導のほうが、むずかしい。
だから時間がかかる。

 それに理想的な環境の中で生まれ育った人など、いない。
私にしても、この文章を読んでいるあなたにしても、過去はボロボロ。
そこで重要なことは、そういう過去があったということではなく、そういう過去の上に(私)
が乗っていることに気づかず、その過去に振り回されること。
同じ失敗を繰り返すこと。

 繰り返すが、それに気づけば、5年とか10年とかいう年月を経て、この問題は解決す
る。
あとは時の流れに、静かに身を任せればよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 育児論 子どもを見る3つの側面 子どもの環境 子供の問題 はや
し浩司 過去)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●ドーピング

++++++++++++++++++++

「ドーピング」とは、何か?
JCCのHPには、こうある。

『ドーピングとは競技能力を増幅させる可能性がある手段(薬物あるいは方法)を不正に
使用することであり、スポーツの基本的理念であるフェアプレーに反する行為です』と。

++++++++++++++++++++

●受験ドーピング

 この原稿が読者の目の届くころには、入学試験も終盤。
だからよいというわけでもないが、受験競争にも「ドーピング」というのが、ある。

 今のところ合法(?)だから、つまり違法性はないので、ここに書いても問題はないと
思う。
つまり脳みそというのは、機能の集合体のような部位だから、『能力を増幅させる可能性が
ある手段』(JCC)が、ないとは言わない。
ある。
実際には、ある。

 たとえば薬局で売っている、カフェイン入りの眠気覚ましドリンク類。
あれを飲むと、思考力そのものが、ハイになる。
私も、ときどき世話になっている。
何かのことで頭がボーッとしていて、使い物にならないようなとき、ああいったドリンク
剤の世話になる。
とたん頭がスッキリして、思考力が明晰になる。
言葉もスラスラと出てくる。

 だから・・・、というのでもないが、受験生は、こうしたドリンク剤を、効果的に利用
したらよい。
ここにも書いたように、こうしたドリンク剤の使用には、今のところ、違法性はない。
かぎりなくドーピング行為に近いが、スポーツの世界でいうような、制約も制限もない。

 ただし飲み方に注意すること。
子どもによっては、量をまちがえると、精神的にハイになりすぎてしまう子どももいる。
受験中に、はしゃぎ回るようでは、困る。
当然のことながら、幼児や小学生には、避ける。
そういうことにならないよう、事前に一度のませてみて、様子をみるとよい。

●薬物でも・・・

 実はこの原稿を書くには、もうひとつの理由がある。

 現在私は、難聴治療のため、6種類の薬をのんでいる。
その中には、ホルモン剤としてよく知られている、ステロイド剤(副腎皮質ホルモン)も
ある。
「奇跡の薬」と言われているが、長くのんでいると、その分だけ副作用も、大きい。
服用をやめたあとの、反作用も、これまた大きい。

 そのほか、三半規管の働きをよくするために、
(1)MT剤・・・末梢神経障害を改善する薬。
(2)AD剤・・・心臓の働きを回復する薬、ほかを、のんでいる。

 で、この4日間、こういった薬をのんでいるが、明らかな変化が見られる。
動悸がはげしくなったこと。
耳の中を、川が流れるような音がすること。
脈拍数がふえたこと、など。
それに頭脳は、たしかに明晰になった。
テキパキと反応できる。
言葉も豊富。
かつパソコンのキーボードを叩く指が速くなった、など。

 どの薬がどのように作用しているのかは、わからない。
しかし薬効の説明書きを読むと、どうやらこういうことらしい。

「耳の聞こえをよくするため、心臓の働きをよくし、血流を増す。末梢神経の働きをよく
する。その結果として聴力を回復する」と。
あとの薬は、耳の中の炎症を抑えたり、鼻水や痰を排出するためのものらしい。

 で、こうした薬は、脳の神経細胞にも、同じように作用すると考えてよい。
神経細胞といえば、末梢神経のかたまりのようなもの。
(あくまでも素人判断だが・・・。)

 言い換えると、この世界にも、つまり受験競争の世界にも、ドーピングというのが、あ
るのではないかということ。
うまく薬を使えば、脳の神経細胞の働きを倍加できる。
ふだんなら思い出せないような、歴史の年号がスラスラと思い浮かんできたり、計算力が
速くなったりするなど。
もしそうだとするなら、

(1)この分野の研究を、早急に進める。
(2)この種のドーピング検査の態勢をできるだけ早く、整える。

 でないと、そういう薬の知識のある親の子どもは、受験競争に有利ということになる。
堂々とドーピングができる。
パーセントで表示するのは、適切ではないかもしれない。
しかし薬物の使用で、当日、10〜20%、神経細胞の活動が活発になれば、その分だけ、
試験ではよい点数を稼ぐことができる。

 が、これはフェアではない。
あるいは水面下では、すでに実行されているかもしれない。
先にも書いたように、市販のドリンク剤でも、かなりの効果がある。
今回、難聴治療のために6種類の薬をのんでみて、私はさらにそれを確信した。

ここに書いたことを、みなさんが、どう判断し、どう利用するかは、みなさんの自己責
任においてしてほしい。
私は責任を取らない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 受験競争 ドーピング問題 薬物使用)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親の人生vs子どもの人生

++++++++++++++++++++

原始社会では、基本的には、子どもは、「親の財産」と
考えられていた。
そう言い切るのは危険なことかもしれない。
だれも原始社会の人がどう考えていたかまでは、わからない。
わからないが、しかしこれは常識的な見方と考えてよい。

「財産」という言葉が悪いなら、「一家の働き手」という言い方でもよい。
その「働き手」が、順送りに伝わっていくから、親たちは安心して、
自分の老後を迎えることができた。
そんため、よほどのことがないかぎり、親のほうから子どもを
手放すというようなことはなかったはず。
「よほどのこと」というのは、親自身の生活が崩壊したようなばあいをいう。

で、「あなたの人生はあなたのもの。あなたの好きなように生きなさい」
と子どもに教えるようになったのは、ごく最近のことと考えてよい。
それだけではない。

社会保障制度のない国では、老後の親のめんどうをみるのは、
子どもの役目と考えられていた。
またそうでないと、「家族」としてのしくみを、
維持することができなかった。

+++++++++++++++++++++

●私たちの子ども時代

 私たちが子どものころには、こうした(原始性)は、まだ色濃く残っていた。
結婚のとき交わされる結納制度にしても、もとはと言えば、「人身売買」的な発想から生ま
れたもの。
アフリカのある部族は、娘と家畜を交換しているそうだ。

 一方、子どもは子どもで、老後の親のめんどうをみるのは、当然と考えていた。
「当然」というのは、「疑いもしない」という意味。
また外へ出た子どもたちは、毎月、もしくは毎年、ある程度の金銭的な仕送りをするのが、
常識だった。
私も22、3歳のころから、そうしていた。
もちろん親に対して、である。

●子どもに恩を着せない

 子どもに恩を着せない。
これは子育ての基本。
親の(意思)で子どもをつくる。
そこには子どもの(意思)はない。
つまり子どもを産んでしまった以上、その子どもを、よき家庭人として自立させるのは、
親の義務ということになる。

 が、今でも、恩着せがましい子育てをつづけている人は多い。
「産んでやった」「育ててやった」と。

●親と子

 しかし本当に、「子どもは子ども」と考えてよいのだろうか。
「子どもの人生は、子どもの人生」と、子どもの人生を切り離してしまってよいのだろう
か。

 最近、私は、聴力を完全に失うという病気になった。
幸い、1〜2日で、症状は改善したが、そのとき感じた孤立感には、相当なものがある。
「孤独感」ではない。
「孤立感」である。
「だれも助けてくれない」という孤立感。
そこには、もちろん子ども(=息子たち)の姿はない。
仮に生死の境をさまよっても、息子たちが、私のところへ駆けつけてくれるということは
ないだろう。
生活に行き詰ったときも、そうだろう。
そのときふと、子どもたちの視線をどこかに感じた。
冷たい視線だった。
これから先、こうした孤立感は、大きくなることはあっても、小さくなることはない。

●家族

 長男は独身貴族。
二男は、アメリカ在住。
三男は、養子に嫁いだような状態。

 残されたのはワイフだけ。
そのときワイフがいたからよいようなものの、もしワイフがいなければ、私はそのまま独
居老人。

 内閣府(当時)の10年ほど前の調査によっても、「将来、親のめんどうをみる」と答え
た若者は、20%前後しかいない。
たいはんの若者たちは、「経済的に余裕があれば、みる」と答えている。
しかし「経済的に余裕のある人」は、いない。
みな、目いっぱいの生活をしている。
しかもこの「20%」という数値は、どんどんと低下している。

●ふえつづける独居老人。

 実際、数字をあげるのもこわいほど、独居老人がふえている。
そのための施設もあるが、今でさえ、満杯。
従姉(いとこ)の母親も現在は寝たきり状態だが、いまだに施設に入れないでいる。
年齢は85歳。
「私はだいじょうぶ」と高をくくっている人も多いだろう。
が、一度でよいから、自分の足元を見てほしい。
ほんとうに、だいじょうぶか?

 今日もワイフが、どこかの有料老人ホームのパンフをもってきた。
それによれば、入居料だけで、1名、1300万円。
それに部屋代が、2人部屋で、毎月17万円、プラス食事代、1名、12万円。
合計30万円弱。
2人で、42万円弱。
ただし健康な老人のみ、とか。
そういうパンフを見ると、もう息子や孫たちにかまっている余裕はない。
1円でもあれば、自分たちの老後のために使いたい。
私たちは、やるべきことは、やった。
それ以上、私は、何をすべきなのか。

●2人ぼっち

 昨夜も仕事の帰りに、深夜劇場に足を運んだ。
観たのは、「怪獣たちのいるところ」という、三流映画。
星など、つけようもないほど、ひどい映画。
その帰り道、私はふと、こう漏らした。

「2人ぼっちだね」と。
それに答えて、ワイフも、「そう、2人ぼっちね」と。

 そう、2人ぼっち。
で、今、私はこう思う。
「これでよかったのか」と。
つまり私たちの子育ては、これでよかったのか、と。
わかりやすく言えば、夏服のまま、山登りにでかけたようなもの。
子育ての最中というのは、そういうもの。
自分がどんな服装をしているかも、わからない。
が、山頂では、冷たい雪が降り続いている。
「ある」と思っていた、山小屋は、そこにはない。
それが現実。

●親と子

 私は親と子の関係について、考え方を改めつつある。
親も人間だが、子も1人の人間という関係は、それなりの社会制度が整った国での話。
今のこの日本で、理想主義に走ることは、まだ時期尚早(?)。
たとえばオーストラリアでは、そうした老人たちが、年金だけで、施設で晩年を迎えるこ
とができる。
そういう制度が確立している。
が、日本では、無理。
毎月42万円も払える夫婦というのは、そうはいない。

 お金のない老人は、壊れかかった家で、あるいは小さなマンションの中で、ひっそりと
暮らすしかない。
が、そのときも、子どもたちは、ぜったいにと断言してよいほど、私やあなたを助けには
来ない。
私やあなたの子どもが、そうだというのではない。
「日本中の若者たちが、老人を助けには来ない」という意味で、そう書いている。

●「子どもはいらない」層

 最近「結婚しても、子どもはいらない」と考えている夫婦が多いとか。
それについては、先日、書いた。
が、ここにきて、私はこうも考えるようになった。
つまり現在の若い夫婦たちは、自分の心を、子どもたちに投影させているのではないか、
と。

 つまり「自分たちだって、親のめんどうをみるつもりはない」。
「だから自分の子どもたちだって、私のめんどうをみないだろう」
「だから子育てなんかしても、損」と。

 あるいは、こうでもよい。
「親たちは、自分たちを育てるのに苦労した」
「苦労といっても、ありがた迷惑なことばかり」
「自分という子どもは親に感謝していない」
「自分の子どもも、やがてそうなるだろう」
「だから私たちは、同じような無駄な苦労をしたくない」と。

 ひょっとしたらそういう(思い)も、「子どもはいらない」という考え方に、どこかでつ
ながっているのではないか。
一方的な見方かもしれないが、それほどまちがっていないと思う。

●ではどうするか・・・

 元凶は、「犠牲心」ということになる。
子育てをしても、犠牲心はもってはいけない。
犠牲心を感じたとたん、それはそのまま(恩着せ)につながる。
子どもにとっても苦痛だが、親も、キズつく。

 親は親だが、親も、1人の人間として、自分の人生を生きる。
とくに母親のばあい、結婚、出産とつづくうち、キャリアをあきらめなければならない。
そういうケースが多い。
そしてその分のエネルギーを、子どもや、子育てに向けてしまう。
当然、そこからは、犠牲心が生まれる。
「子どものために、自分の人生を犠牲にした」と。

が、ここにも書いたように、この(犠牲心)が、曲者(くせもの)。
子どもたちが巣立つころになると、母親たちはみな、決まって、こう言う。
「私の人生は、何だったの?」と。
あるいは、子どもに「この、クソババア!」と呼ばれてはじめて、はっと我に返る。

 だから結局は、あのバートランド・ラッセルの言葉に戻る。

 私たちは子どもに対して、必要なことはする。
しかし限度を超えてはいけない。
その限度をわきまえている親子のみが、真の家族の喜びを与えられる。

●受験シーズンの中で・・・
 
 私もいろいろな教育論を書いてきた。
子どもの受験にも、たずさわってきた。
しかし今、これだけは、みなさんに忠告できる。

 子どもの受験競争に狂奔している、お父さん、お母さんへ、
もうそういうバカなことは、やめよう。
子どものためにも、ならない。
子どものほうから、頭をさげて、「学費を出してください」と、一度は、頭をさげさせる。
そうでなければ、高い学費を出しても、無駄。
どうせ勉強など、しない。

子どもは、出してやっても、それを「当然」と考える。
もちろん、感謝の「か」の字もない。
逆に、「したくもない勉強をさせられた」と、親をうらむ。
中には、「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と豪語する子どもさえいる。

 基本的な部分で、日本の教育は、狂っている。
まちがっている。
「教育」というより、「家庭教育」が、狂っている。
まちがっている。

 ちなみに私の教室(BW教室)では、レッスンのあとに、必ず、子どもたちを親たちに
感謝するよう指導している。
親たちに頭をさげさせる。
「みなさんは、こうしてお父さんやお母さんが、この教室へ連れてきてくださるから、勉
強できるのですよ」
「ありがとうございました」と。
この40年間、ただの一度も、この儀式を欠かしたことはない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 本末転倒 親の心vs子の心 家庭教育論 家庭教育とは)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタ
イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>

●小沢疑獄vsユングの「シャドウ論」

++++++++++++++++++

大筋を言えば、こうだ。

(1)どこから出たお金か知らないが、小沢氏は、
4億円で、秘書に土地を買わせた。
(2)うち5000万円については、その2日前、
どこかの土建業者から、裏金(=ワイロ)として
小沢氏が受け取ったものらしい。(ここが重要。)
(3)その大金の出所を隠すため(?)、そのあと
小沢氏は、銀行から4億円を借りた。
(あくまでも、「そのあと」である。)
つまり銀行から小沢氏が個人名義で借りたお金で、
土地を買ったことにしようとした。
(4)秘書らは、あれこれ日付をごまかすための、
小細工を重ねた。
(5)陸山会は、4億円を小沢氏に返却し、結局、
小沢氏は4億円を取り戻した(?)。

これに対して小沢幹事長は、「検察と全面対決!」と、
息巻いている。
民主党議員たちは、「ウォー」と大声をあげて、
それに呼応している(某県・民主党大会にて)。

問題は、小沢氏がもっていた4億円。
そのお金は、どこから出てきたのか?
また銀行から借りた4億円は、どこへ消えたのか?

+++++++++++++++++++

●毎日新聞

 毎日新聞(1−17)は、つぎのように伝える。

『・・・これまでの特捜部の調べによると、陸山会の当時の事務担当者で小沢氏の私設秘
書だった石川議員は04年10月上旬、小沢氏から現金4億円を受領。東京都世田谷区の
土地を約3億5200万円で購入したが、同年の収支報告書に記載しなかった。当時の会
計責任者で小沢氏の公設第1秘書、大久保隆規容疑者(48)と、石川議員の後任の元私
設秘書、池田光智容疑者(32)は、07年4月に小沢氏に4億円を返却しながら記載し
なかったとされる。

 最初の4億円が渡された直後、陸山会は関係政治団体などから集めた4億円で定期預金
を組み、これを担保に小沢氏名義で金融機関から融資を受け、小沢氏からの借入金として
収支報告書に記載するなど複雑な会計処理を行っている。石川議員は「小沢氏の手持ち資
金を隠すためだった」などと供述。特捜部は複雑な会計処理や虚偽記載への認識について、
小沢氏に問いただしたい意向だ』と。

●「手持ち資金を隠すためだった」

 4億円という大金は、どこからどのようにして出てきたのか?
表向きは、「複雑な会計処理や虚偽記載への認識について、小沢氏に問いただしたい意向」
となっているが、検察側の目的は、ズバリ、収賄罪での立件。
またそこまで行かないと、国民も納得しないだろう。

 が、小沢氏があがけばあがくほど、小沢氏は墓穴を掘るだけ。
小沢氏の一連の行為、態度は見苦しいというより、醜悪ですらある。
すでに石川議員は、「小沢氏の手持ち資金を隠すためだった」などと供述している。
まともなお金だったら、隠す必要など、ない。

●消えた4億円

 で、もう一度、金の流れについて、おさらいをしておきたい。

 当初、陸山会は、小沢氏から渡された4億円(これを4億円Aとする)で、土地を買っ
た。
そのあと、小沢氏は、4億円(これを4億円Bとする)を銀行から融資を受けている。
陸山会は、「07年4月に、陸山会は、小澤氏に4億円(これを4億円Cとする)を返却し
ている」(毎日新聞)。

 小沢氏が自分の資金で、自分の土地を買ったというのであれば、何も問題はない。
が、陸山会は、小沢氏から4億円Aを渡され、それで土地を買った。
そのあと小沢氏は、小沢氏名義で、銀行から4億円Bを借りた。
で、最終的に、陸山会は、4億円Cを小沢氏に返却している。
小沢氏は、その4億円Cを、銀行に返す。
となると、銀行から借りた4億円Bは、どこに、どのように消えたのか、ということにな
る。

 ・・・とまあ、こんな回りくどい言い方は、やめよう。
4億円Bは、マネーロンダリンされた形で、小沢氏の懐(ふところ)に戻った。
今回の事件が発覚していなければ、何かのことで、「4億円はどこから?」と聞かれたら、
小沢氏は、あの笑みを浮かべながら、こう答えたであろう。
「銀行から借りたもの」と。
つまりこれが今回の、一連の小沢疑獄の構造ということになる。

●シャドウ論

 そこで登場するのが、「シャドウ論」(ユング)。
「なぜ、シャドウ論?」と驚く人も多いかと思う。
が、もし私がここで、「小沢疑獄の構造ということになる」というだけで、ペンをおいてし
まったら、ただの政治評論になってしまう。
が、これだけではおもしろくない。
別の角度から、つまり私の専門分野から、掘り下げて、この問題を考えてみたい。
それが、「シャドウ論」。

 が、この「シャドウ論」については、たびたび書いてきた。
つまり自民党政権というよりは、戦後の金権政治の中で、それを批判しつづけてきたはず
の現民主党政権ですら、そのシャドウ(影)を引き継いでしまった。

 「シャドウ論」について、以前書いた原稿を、添付する。
これを読めば、人間の心が本来的にもつ欠陥が、理解してもらえると思う。
内容的に、かなり遠回りになるが、そこは許してほしい。

++++++++++++++++

【シャドウ論】

++++++++++++++++

●仮面(ペルソナ)

++++++++++++++++++++

ペルソナ(仮面)そのものを、職業にしている人たちがいる。
いわゆる「俳優」という人たちが、それである。

で、あくまでも一説だが、あの渥美清という俳優は、本当は気難し屋で、
人と会うのをあまり好まなかったという(某週刊誌)。
自宅のある場所すら、人には教えなかったという(同誌)。
が、その渥美清が、あの『寅さん』を演じていた。
寅さんを演じていた渥美清は、ペルソナ(仮面)をかぶっていたことになる。

といっても、ペルソナ(仮面)が悪いというのではない。
私たちは、例外なく、みな、仮面をかぶって生きている。
私もそうだし、あなたもそうだ。

++++++++++++++++++++

●みな、かぶっている

たとえばショッピングセンターで、深々と頭をさげる女子店員を見て、
「人間的にすばらしい人」と思う人は、まずいない。
顔には美しい笑みを浮かべている。
何か苦情を言ったりしても、おだやかな口調で、「すみません。ただ今、
お調べいたします」などと答えたりする。
彼女たちは、営業用のペルソナ(仮面)をかぶって、それをしている。
同じように、教師だって、医師だって、みな、ペルソナ(仮面)を
かぶっている。

最近では、さらにそれが進化(?)した。
インターネットの登場である。

今、あなたは、私が書いたこの文章を読んでいる。
で、あなたはそれを読みながら、「はやし浩司」のイメージを頭の中で
作りあげている。
心理学の世界では、これを「結晶」と呼んでいる。
そのあなたが作りあげているイメージは、どんなものだろうか。

私にはわからない。
それに結晶といっても、その中身は、みなちがう。
ある人は、「林って、理屈っぽい、気難しい男だな」と思うかもしれない。
また別のある人は、「わかりやすい、単純な男だな」と思うかもしれない。
文章を読む人の、そのときの気分によっても、左右される。

映画なら、まだそこに「像」を見ながら、相手のイメージを頭の中で
作りあげることができる。
しかし文章だけだと、それがさらに極端化する。
それがこわい。

●相手の見えない世界

以前にも書いたが、たとえばメールで、「お前はバカだなあ」と書いたとする。
書いた人は、半ば冗談のつもりで、つまり軽い気持ちでそう書いた。
しかし受け取る側は、そうではない。
そのときの気分で、読む。
たとえば何かのことで、その人の心が緊張状態にあったとする。
だから、それを読んで激怒する。
「何だ、バカとは!」となる。

もっとも小説家といわれる人たちは、こうした結晶を逆手に利用しながら、
読者の心を誘導する。
よい例が、スリラー小説ということになる。
恋愛小説でもよい。

たとえば「A子は、みながうらやむほどの、色白の美人であった」と書いてあったとする。
それぞれの人は、それぞれの美人を空想する。
その美人の姿は、それぞれの人によって、みなちがう。

●現実

が、ここで重要なことは、ペルソナ(仮面)は、ペルソナ(仮面)として、
(現実)とは、しっかりと切り離すこと。

たとえば学生時代、私にとっては、「ベン・ハー」イコール、
「チャールトン・ヘストン」であり、「チャールトン・ヘストン」イコール、
「ベン・ハー」であった。
私には区別がつかなかった。

しかしこうした現象は、何も私だけに起きた特殊なものではない。
映画ドラマの中の主人公を、(現実の人)と思いこんでしまう現象は、
よく見られる。
しかも若い人たちだけではない。
40歳前後の女性ですら、それが区別できなくて、韓国の俳優を追いかけたり
する。

が、相手を見るときはもちろんのこと、自分自身に対してもである。
ペルソナ(仮面)と(現実)は切り離す。
とくに、自分がかぶっているペルソナ(仮面)には、警戒したほうがよい。
この操作を誤ると、自分で自分がわからなくなってしまう。
欧米では、牧師に、そのタイプの人が多いと言われている。
みなの前で、神の言葉を語っているうちに、自分自身が(現実)から遊離してしまい、
自分のことを(神)と思いこんでしまう。

が、それだけではすまない。

●シャドウ

このとき同時に、自分の中にある(邪悪な部分)を、心の中に別室に閉じこめて
しまう。
閉じこめながら、自分を善人と思いこんでしまう。
こうした現象を、あのユングは「シャドウ(影)」という言葉を使って説明した。
このシャドウが、別のところで、別人格となって、その人を裏から操る。
大教会の神々しいほどまでの牧師が、その裏で、少年や少女を相手に、性犯罪を
繰り返していたという例は、欧米では、たいへん多い。

が、さらに恐ろしいことが起きる。

このシャドウは、ときとして、そっくりそのまま子どもに伝わることがある。
心理学の教科書に出てくる例として、あの映画『復讐するは、我にあり』がある。
それについては以前にも書いたので、このあとに、そのとき書いた原稿を添付
しておく。

こういう例は極端な例であるとしても、親子の間でも、こうした現象はよく
観察される。

●シャドウを受けつぐ子ども

ある母親は、世間では「仏様」と呼ばれていた。
しかし2人の息子は、高校時代、ともに犯罪行為を犯し、退学。
周囲の人たちは、「どうしてあんないい母親なのに、息子さんたちは……?」と
言っていた。
が、こうした現象も、シャドウ論をあてはめてみると、説明がつく。
母親は、邪悪な部分、たとえば嫉妬、ねたみ、恨み、不満などを、心の中の別室に
閉じことによって、善人を演じていただけである。

そのシャドウを、いつも近くで見ていた息子たちが、受けついでしまった。

では、どうするか。

私たちはいつもペルソナ(仮面)をかぶっている。
それはそれでしかたのないこと。
ショッピングセンターの女子店員が、客に向って、「オイ、テメエ、そこの客、
泥靴なんかで、この店に来るなよ!」と叫べば、その女子店員は、そのまま解雇。
職を失うことになる。

この私だって、そうだ。

で、大切なことは、それをペルソナ(仮面)と、はっきりと自覚すること。
そして脱ぐときは、脱ぐ。
脱いで、自分に戻る。
ありのままの自分に戻る。
それをしないでいると、それこそ人格そのものが、バラバラになってしまう。
これはたいへん危険なことと考えてよい。

+++++++++++++++++

シャドウについて書いた原稿を
添付します。

+++++++++++++++++

【シャドウ論】

++++++++++++++++

仮面をかぶっても、仮面をぬぐことも
忘れないこと。

その仮面をぬぎ忘れると、たいへんな
ことになりますよ!

++++++++++++++++

●自分の中の、もう1人の自分

 もともと邪悪な人がいる。そういう人が仮面をかぶって、善人ぶって生きていたとする。
するとやがて、その人は、仮面をかぶっていることすら、忘れてしまうことがある。自分
で、自分は善人だと思いこんでしまう。

 このタイプの人は、どこか言動が不自然。そのため簡単に見分けることができる。さも
私は善人……というように、相手に同情して見せたり、妙に不自然な言い方をする。全体
に演技ぽい。ウソっぽい。大げさ。

 こういう話は、以前にも書いた。

 そこでこのタイプの人は、長い時間をかけて、自分の中に、もう1人の自分をつくる。
それがシャドウである。ユングが説いたシャドウとは、少し意味がちがうかもしれないが、
まあ、それに近い。

 このシャドウのこわいところは、シャドウそのものよりも、そのシャドウを、時に、身
近にいる人が、そっくりそのまま受けついでしまうこと。よくあるのは、子どもが、親の
醜いところをそっくりそのまま、受けついでしまうケース。

●仮面(ペルソナ)をかぶる女性

 ある母親は、近所の人たちの間では、親切でやさしい女性で通っていた。言い方も、お
だやかで、だれかに何かを頼まれると、それにていねいに応じていたりした。

 しかし素性は、それほど、よくなかった。嫉妬深く、計算高く、その心の奥底では、醜
い欲望が、いつもウズを巻いていた。そのため、他人の不幸話を聞くのが、何よりも、好
きだった。

 こうしてその女性には、その女性のシャドウができた。その女性は、自分の醜い部分を、
そのシャドウの中に、押しこめることによって、一応は、人前では、善人ぶることができ
た。

 が、問題は、やがて、その娘に現れた。……といっても、この話は、20年や30年単
位の話ではない。世代単位の話である。

 その母親は、10数年前に他界。その娘も、今年、70歳を超えた。

●子に世代連鎖するシャドウ

 その娘について、近所の人は、「あんな恐ろしい人はいない」と言う。一度その娘にねた
まれると、とことん、意地悪をされるという。人をだますのは、平気。親類の人たちのみ
ならず、自分の夫や、子どもまで、だますという。

 その娘について、その娘の弟(現在67歳)は、こう教えてくれた。

 「姉を見ていると、昔の母そっくりなので、驚きます」と。

 話を聞くと、こうだ。

 「私の母は、他人の前では、善人ぶっていましたが、母が善人でないことは、よく知っ
ていました。家へ帰ってくると、別人のように、大声をあげて、『あのヤロウ!』と、口汚
く、その人をののしっていたのを、よく見かけました。ほとんど、毎日が、そうではなか
ったかと思います。母には、そういう2面性がありました。私の姉は、その悪いほうの一
面を、そっくりそのまま受け継いでしまったのです」と。

 この弟氏の話してくれたことは、まさに、シャドウ論で説明がつく。つまり、これがシ
ャドウのもつ、本当のおそろしさである。

●こわい仮面

 そこで重要なことは、こうしたシャドウをつくらないこと。その前に、仮面をかぶらな
いこと。といっても、私たちは、いつも、その仮面をかぶって生きている。教師としての
仮面。店員としての仮面。営業マンとしての仮面。

 そういう仮面をかぶるならかぶるで、かぶっていることを忘れてはいけない。家に帰っ
て家族を前にしたら、そういう仮面は、はずす。はずして、もとの自分にもどる。

 仮面をとりはずすのを忘れると、自分がだれであるかがわからなくなってしまう。が、
それだけではない。こうしてできたシャドウは、そのままそっくり、あなたの子どもに受
けつがれてしまう。
(はやし浩司 仮面 ペルソナ シャドウ)

++++++++++++++++++

少し前に書いた、「シャドウ論」を、
もう一度、ここに添付しておきます。
内容を少し手なおしして、お届けします。

++++++++++++++++++

●仮面とシャドウ

 だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、
夫としての仮面など。もちろん、商売には、仮面はつきもの。商売では、いくら客に怒鳴
られても、にこやかな顔をして、頭をさげる。

 しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。
これを「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよ
い。ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、
ウズを巻く。

 世間をさわがすような大事件が起きる。陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事
件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べてみると、それほど、劣悪な環境ではないこ
とがわかる。むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。

●凶悪事件の裏に

 夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。都会の立派なマンシ
ョンに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。知的レベルも高い。子どもの教育に
も熱心。

 が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。

 実は、ここに(仮面とシャドウの問題)が隠されている。

 たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言った
とする。「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰
よ」と。

 そのとき、親は、仮面をかぶる。いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思
って、そう言うなら、まだ話がわかる。しかしたいていのばあい、そこには、シャドウが
つきまとう。

 親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断
している人ほど、そうだ。このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところ
がある。「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですって
ねえ」と。

 悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。身分制度が、その
まま学歴制度になり、さらにそれが、出身高校へと結びついていった(?)。街道筋の宿場
町であったがために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。その人を判断す
る基準が、出身高校へと結びついていった(?)。

 この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。

●ドロドロとした人間関係

 そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きつい
でしまう。実は、これがこわい。「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れよ
うとしている」と。そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる
基盤となってしまう。

 よくシャドウ論で話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』で
ある。佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みご
とな演技をしている。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさるこ
とながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、
榎津鎮雄との、葛藤(かっとう)である。榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれ
とるけん」と言う。そんなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た
人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印
象を与える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握ら
せる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャン。それを仮面とするなら、息子の嫁と不
倫関係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、
そっくりそのまま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげ
る原動力になった。

●いつのありのままの自分で

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。

 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、そ
の仮面を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。見抜くだけ
ならまだしも、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。

 だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言え
る。

 子どもの前では、仮面をかぶらない。ついでにシャドウもつくらない。いつもありのま
まの自分を見せる。シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、
まし。もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子
どもにとっては、好ましいということになる。

(はやし浩司 ペルソナ 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て は
やし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 結晶 はやし浩司 復讐するは我にあり シャド
ウ論 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる本」)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●最後に・・・

 民主主義が、もっともすぐれた政治制度であることは、疑いようがない。
ほかに代わる政治制度もない。
しかしその民主主義にも、欠陥がある。
欠陥だらけと言っても、過言ではない。

 大切なことは、その欠陥をていねいに、ひとつずつつぶしていくこと。
今回の小沢疑惑事件にしても、そうだ。
また欠陥を補うために、さらなる制度で保管していくこと。
たとえばそれを調べ上げる、検察側の公権力を強化する、など。
が、何よりも重要なのは、私たち自身が、賢くなること。

 「政治」といっても、民主主義が完成に近づけば近づくほど、結局はそれを支える「民」
の集合体でしかない。
愚劣な民からは、愚劣な民主主義しか、生まれない。
醜悪な民からは、醜悪な民主主義しか、生まれない。
シャドウはシャドウを生み、それがどんどんと引き継がれていく。
政治は、あくまでもその結果でしかない。

 小沢疑獄事件・・・この問題だけは、「私たちはバカだった」だけでは、ぜったいにすま
せてはならない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





















*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   19日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page024.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●受験家族は病人家族
________________________________________

 「受験家族は、病人家族」と心得るべし。受験生をもつ親に向かって、「どこを受験す
るの?」「合格したの?」と聞くことは、病人に向かって、「病名は何?」「寿命はどれ
くらい?」と聞くのと同じくらい、失礼なこと。相手のほうから話題にするばあいは、べ
つとして、そうでなければ、それについて触れるのは、タブー。出身校、学歴についても、
同じ

●乳幼児にも記憶がある
________________________________________

乳幼児にも記憶が残る! ワシントン大学のメルツオフは、それを証明した。しかもその
記憶は、おとなの私たちとは比較にならないほど、まさに怒涛のように脳の中に記憶され
る。まわりの空気、匂い、音、母親の肌のぬくもり、息づかいなどなど。そしてそれがや
がてその子供の心の基礎となる。目を閉じてやすらかに眠る乳児。けっして、軽く考えて
はいけない。 

■アインシュタイン
________________________________________

★The important thing is not to stop questioning. - Albert Einstein
「重要なことは、問いつづけることだ」(A・アインスタイン) 

■アリストテレス
________________________________________

★Those who educate children well are more to be honored than parents, for these gave 
only life, those the art of living well. - Aristotle 
「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。なぜなら、両親は、命を与える
だけだ
が、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与えるから」

■Ayn Rand
________________________________________

★「彼らは、物理学と哲学のふたつを専攻していた。その選択は、私をのぞいて、みなを
驚かせた。しかし近代の思想家は、現実を認知することを、不必要と考えた。そして近代
の物理学者は、思索することを、不必要と考えた。しかし私は、私を驚かせたことは、こ
れらの子どもたちも、それを知っていたということを、よりよく知っていた」 

■C・S・ルイス
________________________________________

★"Most of all, perhaps, we need an intimate knowledge of the past. Not that the past 
has 
anything magical about it, but we cannot study the future." - C.S. Lewis
「私たちのほとんどは、たぶん、過去をよくしる必要がある。それは、過去が何か神秘的
である
からということではなく、過去を知らなければ未来を学ぶことができないからである」
(C・S・ルイス) 

■C・サガン
________________________________________

★Frederick Douglass taught that literacy is the path from slavery to freedom. There 
are many kinds of slavery and many kinds of freedom. But reading is still the path. 
- Carl Sagan
「フレドリック・ダグラスは、読み書きの能力は、奴隷を解放する道だと教えた。いろい
ろな種類の奴隷制度があり、いろいろな種類の自由があるが、読書は、まさにその道であ
る」(C・サガン) 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

■孔子
________________________________________

★I hear and I forget. I see and I remember. I do and I understand. - Confucius
「私は聞いて、そして忘れる。私は見て、そして覚える。私は行動して、そして理解する」
(孔子) 

■E・A・ポー
________________________________________

★The true genius shudders at incompleteness - and usually prefers silence to saying 
something which is not everything it should be. - Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを
語るよりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー) 

■F・L・ライト
________________________________________

★To know what to leave out and what to put in; just where and just how, ah, THAT 
is to 
have been educated in the knowledge of simplicity. - Frank Lloyd Wright
「どこにどのように、何を捨て、何を取り入れるか……つまりそれが、単純な知識として、
教育されるべきことである」(F・L・ライト)

■G・ガリレイ
________________________________________

★You cannot teach a man anything; you can only help him find it within himself. Galileo 
Galilei
「あなたは人に教えることなどできない。あなたはただ、人が彼の中にそれを見つけるの
を、助けることができるだけである」(G・ガリレイ) 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●失聴

+++++++++++++++++

1月13日、朝。
目が覚めたら、音が聞こえなくなっていた。
もともと左耳は、32、3歳ごろ、聴力を
失っている。
そのときは焼けるようなはげしい痛みがあった。
たまたま年末で、すぐ行ける医院もなかった。
それで氷で患部を冷やしてすませた。
その痛みが取れたとき、聴力は消えていた。

が、今回は、右耳。
自分の声が小さく、海の底から聞こえてくるような
感じ。
キンキンと高い音だけが聞こえる。
まわりをすませても、いつもなら聞こえるはずの
風の音も聞こえない。
窓の外では、栗の木の葉が、はげしくゆれていた。

++++++++++++++++++++

●不安感

 起きるとすぐ、ワイフに話しかけた。
ワイフは、洗面所で化粧をしていた。
「耳が聞こえない」と言うと、何やら言った。
「よく聞こえない」と言うと、今度は大きな声で、「どうしたの?」と。

私「わからない。昨夜、1時ごろまでは何ともなかった」
ワ「どんなふうに聞こえないの?」
私「ほとんどだ・・・」と。

 「おかしい?」という思いが一巡すると、今度は不安感が私を襲った。

●失聴

 ワイフと話している間に、耳が聞こえなくなっているのを、確信した。
口は動くが、部分的な高い音以外は、聞こえない。
私はいつものように、ウォーキングマシンの上で、10分ほど運動をこなした。
いつものような足音も、モーターの音も、聞こえなかった。

 ときおりワイフが何やら話しかけてくるが、それも聞こえない。
耳の中が、ボンと詰まったような感じ。
朝起きたとき、軽いめまいがあったのも気になる。
三半規管がやられると、そうなる。
中耳なら、まだ治療法はある。
三半規管だと、深刻。

 ワイフは「耳鼻科へ行ったら」と声をかけてくれた。

●耳鼻科

 耳鼻科には、不信感が強い。
ちょうど30年前になるが、今でいう偏頭痛で、頭を割られそうになったことがある。
当時はまだ偏頭痛の診断法も、治療法も確立されていなかった。
それもあって、医師は、子どものころの慢性中耳炎だけをみて、悪性腫瘍と誤解したらし
い。
あとでわかったことだが、私の左耳の奥には、真珠腫と呼ばれるかたまりがあった。

 医師は、「左耳が聞こえなくなったのは、それが原因」と断定した。(・・・らしい。)

 が、そのつぎの日、別の病院で診断してもらうと、今度は反対に、「風邪でしょう」とい
うことになった。
たまたま近くで、大学の先輩が勤務医をしていた。
その人の紹介ということもあって、その病院では、3時間あまりかけて診察してくれた。
で、風邪薬をもらって飲むと、2日後には、頭痛も消えていた。
が、左耳の聴力は以後、もどっていない。
おそらくあのとき、耳と脳をつなぐ神経が焼き切れてしまったためではないか。

 しかしそれが今でもトラウマになっている。
耳鼻科に対する不信感も、そのとき生まれた。
もっとも今から30年近くも前のこと。
当時はまだ、医療水準も、その程度だったのかもしれない。

●W医院

 かかりつけの内科医院へ行くと、医師は話を聞くやいなや、「耳鼻咽喉科へ行きなさい」
と言った。
「突発性難聴だったら、早く治療を始めたほうがいい」と。

 私はそのまま、知り合いのW耳鼻咽喉科へ向かった。
私のHPでは、世話になっている。
W耳鼻咽喉科には、私のマガジンの申込用紙を置いてもらっている。
たがいに無料で、宣伝しあっている。

 しかしドクターとゆっくり話すのは、今回が、はじめて。
が、そんな心の余裕はなかった。

 ていねいに話を聞いてくれたあと、ドクターは、6種類の薬を処方してくれた。
「突発性難聴の薬も入っています」と。

●不安

 本当の不安が、私を襲ったのは、医院を出たあとのことだった。
「仕事はどうしよう」と考えたとたん、奈落の底にたたき落とされたようなショックを覚
えた。
「子どもたちの声が聞こえなければ、子どもの指導もできない」と。

 ワイフはそういう私の横にいて、「1週間、休みましょうか」とか、「補聴器をつければ
何とかなるわよ」とか、言った。
そのつど、「そんな簡単な問題でもないのだがなあ」と思ったが、それは言わなかった。
反論する気力もなかった。

●健康

 健康というのは、いつもそうだが、それを失ってみて、そのありがたさがわかる。
それまでは、わからない。
そこにあるのが、当たり前。
私もそのときまで、耳のことは考えていなかった。
左耳が聞こえないから・・・ということで、右耳は大切にしてきた。
しかし今度は、前兆症状は、まったくなかった。

 ドクターに、「突発性難聴には、前駆症状がありますか」と聞くと、ドクターは、「自覚
症状がないまま難聴になる人が多いです」と教えてくれた。
「左耳のときは、焼けるように痛かったです」と言うと、「そのときは風邪か何かで、そう
なったのでしょう」と。

●症状

 「75歳まで現役でがんばるぞ!」と宣言した矢先のこと。
出鼻をくじかれたような感じだった。
「こんな調子なら、65歳どころか、ぼくの仕事も今月まで」と。

 仕事の段取りが、クルクルと頭の中で回転した。
回転するだけで、まとまらない。
さみしかった。
つらかった。
家に帰って、横になった。
少し眠れば、症状もやわらぐと思った。
しかし朝のときと、それほど、変わらなかった。
耳鳴りだけが、ジンジンと響いた。
それ以外は、無音の世界だった。

●水がたまる

 「そう言えば・・・」ということで、一度、こんなことがあったのを思い出した。
20年近く前のこと。
そのときも何かしら、耳がふさがったような感じがした。
そこで佐鳴湖の近くの医院へ行くと、すぐ鼓膜切開をしてくれた。
中にたまった水を吸い出してくれた。
とたん、症状が軽くなった。

 「それかもしれない」と思った。
だから午後、再び医院へ向かった。
仕事はすべてキャンセルした。

 ドクターは、「そういう薬も入っていますから、まず炎症を抑えることです。水も少しは
あるかもしれませんが、炎症が収まれば、水もなくなります」と。

●8000種類以上

 病気というのは、ある日、突然、やってくる。
しかもまったく予期せぬところから、やってくる。
一度、家庭医学書を見て、驚いたことがある。
800ページ近い医学書だったが、病名だけで、その10倍以上。
簡単に計算しても、8000種類。
言うなれば、8000本のポールをよけながら、車を運転するようなもの。
毎日、ひとつずつ病気を経験しても、20年以上かかる。
「8000種類」というのは、そういう数字である。

 生きていることも奇跡だが、病気でないということも、これまた奇跡。
8001本の中から、1本だけの当たりくじを引くようなもの。

●加齢とともに

 もっとも加齢とともに、こうした病気は多くなっていく。
みなが、みな、ある日突然、ポックリと死ぬわけではない。
徐々に、徐々に、少しずつ、健康を害していく。
私もこの半年だけで、いろいろな病気を経験した。

 最近では、腰痛。
これは重い机を持ちあげたため。
原因はわかっていたが、そのつど、「このまま一生つづいたら、どうしよう」と心配した。
そのころ、同時に、EDになった。
「ぼくも、そろそろバイアグラの世話に・・・」と思った。
腰痛とEDは、どこかで関係しているらしい。
(これは私の素人判断。)
ほかに寝ていて頭を急に持ちあげたようなとき、後頭部の神経が束になって、ギクッと痛
いときがある、などなど。
そんなわけで今年の年賀状には、こう書いた。
「今のところ、かろうじて健康ですが・・・」と。

●不安の中身

 「仕事をどうするか」という不安。
が、仕事が、問題ではない。
仕事にまつわる(生きがい)。
その(生きがい)をどうするか。
もし今の私の前から、子どもたちの姿が消えたら、思考は停止状態になってしまう。
そういう点では、「教育」というのは、ほかの世界とは、ちがう。
そこに子どもがいての「教育」。
子どもがいての「教師」。
よい例が、退職した教師たち。

 ほとんどの教師たちは、退職すると同時に、みな、異口同音にこう言う。
「教育なんて、もうこりごり」と。
たいていの人は、そのまま、教育の世界から、遠ざかってしまう。

 実は私もその1人かもしれない。
今は現役で、何とか(子どもたちの世界)にしがみついている。
が、もし子どもたちの姿が私の前から消えたら、私もこう言い出すだろう。
「教育なんて、もうこりごり」と。
が、このあとが、問題。
「こりごり」と言って去るのは、簡単。
しかしそのまま心にポッカリと穴があいてしまう。
その穴が、こわい。

●不安の連鎖

 さらに若いときとちがって、絶壁に追いやられたような恐怖感も覚える。
後がない!
若いときなら、仮に数か月、病気で休んでも、取り返しがつく。
未来に、行き止まりはない。
しかし歳を取ると、そこにDNAの問題がからんでくる。
どんなにがんばっても、(老い)と闘うことはできない。
いつも一方的な、負け戦(いくさ)。
それから生まれる閉塞感は、何ともしがたい。

 それに私は今まで、「元気で働ける」ということを前提に、自分の老後を組み立ててきた。
こうした病気になるということは、その前提が崩れることを意味する。

●究極の選択?

 もし難聴から、・・・すでに難聴ぎみだが・・・、聾唖者になってしまったら・・・。
2年ほど前のことだが、過労から、緑内障を引き起こし、右目の視野を50〜60%、失
ってしまった友人がいた。
その友人に私の耳のことを話すと、友人は、こう言った。
「まだ目ならいいけど、耳だと、たいへんだなあ」と。
そのとき私はちょうど反対のことを考えていた。
「耳ならいいけど、目だと、たいへんだなあ」と。

 どちらがよいとか悪いとかいう問題ではない。
両方とも健康なのが、よいに決まっている。
しかしこれだけは言える。

 まだ半分だけも残っているなら、幸せ、と。
もし両目、あるいは両耳の機能を同時に失ってしまったら・・・。
そのときは、もう、目だとか、耳だとかは言っておられない。

●涙

 夕方、ひとりで布団の中で横になっていると、ポロリと涙がこぼれた。
幻想でも何でもよい。
それにしがみついて生きている間は、まだ幸福なほう。
その幻想さえもつぶされてしまったら、人は、どうやって生きていけばよいのか。

というのも、幻想であるかないかということは、あくまでもその人、個人の問題。
「金儲けこそが、私を幸福にする」というにであれば、その人は金儲けだけをすればよい。
他人がそれに対して、とやかく言う必要はない。

 同じように、私は「思考こそが、私を幸福にする」と考えている。
別の人は、そういう私を見て、笑うかもしれない。
「考えてばかりいると、気が変になりますよ」と忠告してくれる人は、多い。
しかし今の私には、それが楽しい。
生きがいにもなっている。

●変化

 夜になって少し変化が見られた。
「慣れたせいかもしれない」と思った。
自分の声が少しずつ、戻ってきた。
あの水面下でキンキンするような声は、消えていた。
が、聴力はそのままだった。

 その夜は、布団乾燥機をつけたまま、また枕元には、電気ストーブをつけたまま、眠っ
た。
睡眠導入剤をのんだこともあり、朝までぐっすりと眠った。

●朝

 目をあけると、カーテンの向こうから白い朝の日差しが見えた。
庭の木々がシルエットとなって、そこに映っていた。
耳をすました。
カサカサ、サーッ、と。
聞こえた。
つづいて自分で話してみた。
「テスティング、ワン、ツー、スリー」と。

 自分の声に戻っていた。
うれしかった。
ほっとした。
が、いつもなら聞こえるはずの、掛け時計のカチカチという音は聞こえない。
手に耳をあてて聞く。
かすかだが、聞こえた。

 昨日は、耳全体がポンとして感じだった。
が、今朝は、つばを飲み込むと、ゴクリと耳の奥で鳴った。

●今・・・

 今、ゴーンゴーンという、今までになかった耳鳴りを経験している。
おそらく耳の機能が、過剰に亢進しているせではないか。
現在、6種類の薬をのんでいるが、そのひとつに、「心臓の働きをよくして・・・」という
のも含まれている。

 これも今の病気が治れば、消えるだろう。
あとは安静にしていればよい。

 ・・・ということで、改めて健康の大切さ、健康であることのむずかしさを知った。
同時に、こうも思った。
万が一のときのための準備も、怠ってはいけない、と。

 何があるかわからない。
それが「健康」ということになる。

 W耳鼻咽喉科の先生、ありがとうございました。
また昨年(09年)末、退職したという、MTさん、ありがとうございました。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ある朝突然 難聴 耳が聞こえない 突発性難聴 健康論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●平均寿命まで、あと15年(少し暗い話)

+++++++++++++++++

今年、私は満63歳になる。
男性の平均寿命は、78歳前後ということだから、
その78歳まで、あと15年。

「平均寿命」という言葉に併せて、
最近では、「健康寿命」という言葉を使う。
「健康でいられる年齢」という意味である。
ふつう(平均寿命)−10年で、計算する。
それでいくと、健康寿命は、68歳。
そのばあい私の健康寿命は、あと5年。
78歳になったとたん、ポクリと死ねるという
わけではない。
68歳以後は、いろいろな病気との闘いという
ことになる。

ましてや80歳を過ぎて、健康でいられるなどとは、
考えていない。
どこかのホームで寝たきりという状態になるかもしれない。

+++++++++++++++++

●密度

 (時間)は同じとしても、与えられた時間をどう生きるか。
それで、時間の長さは変わる。
要は、密度の問題。
仮に平均的な人より、2倍の密度の人生を送れば、残りの15年を、30年にすることが
できる。
反対に、2分の1の人生を送れば、残りの15年は、7年半になってしまう。
が、実際には、加齢とともに、脳のCPU(中央演算装置)の働きは、鈍くなる。
どんなにがんばったところで、若いときのようなわけにはいかない。
20代のころの10年と、60代になってからの10年は、明らかにちがう。
中身がちがう。
密度がちがう。
脳にも周波数のようなものがある。
脳の中心部にある視床下部の先端から出る信号も、そのひとつ。
その周波数そのものが、少なくなる。

 このことは、幼児や子どもと接していると、わかる。
彼らのもつ周波数は、私たちの世代がもつ周波数とは、明らかにちがう。
テンポやリズムがちがう。

 つまり「長生きをする」というのは、時間の問題ではない。
密度の問題ということ。

●忘れて消える情報

 このところ少し心境に変化がみられるようになった。
たとえばDVDを観ていても、「つまらない」と感じたとたん、同時に「時間を無駄にした」
と思うようになった。
楽しむといっても、そのあと、「だから、それがどうしたの?」という部分がないときには、
それを楽しむことができない。
やはり「時間を無駄にした」と思ってしまう。

 たとえば今夜も、1時間ほど、BS放送を観た。
そこはまさに情報の世界。
洪水のように、ドドーッ、ドドーッと、情報が飛び込んでくる。
たまたまNHKでは、ニュージーランドの山脈を、紹介していた。
美しい山々だった。
しかしそのあと、すぐ私は、こう思ってしまった。
「だから、それがどうしたの?」と。

 むしろガイドへ払う、ガイド料が、日本円で1万5000円〜2万円というテロップに、
驚いた。
1名分の料金である。
10名も連れていけば、15万円〜20万円ということになる。

 明らかに円安である。
日本の(円)の価値が、さがりすぎている。
現在(1・13日)、1ニュージーランドドルは、68円前後。
「1ドルは、半分の34円でもいい」と。

 ・・・とまあ、そんな美しい景色を見ながら、そんなことを考えてしまった。

●還元

 再び、健康論。

 この健康論には、もうひとつ重大な問題が隠されている。
「だから、どうなの?」という問題である。
つまり健康というのは、いわば、(道具)のようなもの。
たとえて言うなら、パソコン。
いくら高性能のパソコンをもっていたとしても、使い方を知らないのであれば、宝の持ち
腐れ。

 恩師の池田英雄先生(鵠沼在住)は、いつもこう言っている。
「若い人たちに還元すること」と。
「老後の命や健康は、若い人たちに還元するために使うべき」と。
すばらしい言葉である。

 もし残された人生を、自分のためだけに使うのであれば、・・・これは私が今、実感しつつ
あることだが、空しいだけ。
この年齢になると、遊べば遊ぶほど、そのあとに空しさが襲ってくる。
その空しさを紛らわせるために、同じように空しさを味わっている人たちと、慰めあう。
酒を飲む。
うさ晴らしをする。
愚痴を言い合う。
そんな人生になってしまう。

●余談

 ところで今朝、起きたときに、こう考えた。
ここまで書いたことと、まったく関係ない。
ないが、一度は、書いておきたい。

 よく歳を取ると、もの忘れがひどくなる、という。
しかしこの考え方は、正しくない。

 (記憶)というのは、(記銘=脳に記憶を刻む)→(保持=脳の中に保つ)→(想起=思
い出す)という、3つのプロセスを経て、(記憶)となる。

 老人になると、第一に記銘力が弱くなる。
・・・というより、その努力をしなくなる。
ちょっとだけ聞いて、それで覚えたような気になる。
これがいけない。
本当に記銘したければ、何度も復唱する。
数分、あついは1、2時間たったあと、もう一度、復唱する。
自分の脳みそを過信してはいけない。

 保持力については、その脳細胞が死滅しないかぎり、若い人たちとは、それほど、変わ
らない。

 問題は想起力。

 記憶のメカニズムは複雑で、それぞれの記憶は、そのつど、てんでばらばらな部位に記
憶される。
言うなれば、本が散乱した書庫のようなもの。
歳を取ると、それがますますひどくなる。
けっして、想起力そのものが、弱くなるわけではない。

 たとえば1年前にどんな映画を観たかを忘れてしまっていても、同じ映画の一部を観た
だけで、その映画を思い出したりする。
何かのきっかけがあれば、思い出す。
つまり「想起力」というのは、「想起法」の問題ということになる。

 たとえば子どもの名前を覚えるときは、私は、その子どもの名前と、友人の名前と結び
つけたりする。
近所の知り合いの人の名前でもよい。
また忘れたときは、心の中で、「ア・・・、イ・・・、ウ・・・」と順に探していく。

 こうして考えていくと、「老人になると、もの忘れがひどくなる」と、記憶をひとまとめ
にして考えるのは、正しくないということになる。

 が、ひとつだけ、気になることがある。

 たとえばこうして書斎の中で、パソコンに向かって文字を叩いている。
叩いていると、居間でしなければならない仕事が、3つとか4つ、頭の中に浮かんでくる。
「あれと、あれは、しなければいけない」「あれは、カバンの中にあるから、あとで書斎に
もってこよう」とか、など。

 ところが実際、居間へおりていくと、1つや2つは、覚えているが、残りは忘れてしま
う。
そして再び、書斎に戻ったとき、「しまった、あれを忘れてた!」となる。

 こういう現象を、どう理解したらよいのか。
「拡散思考」という言葉があるのかどうかは、知らないが、その拡散思考力は、たしかに
低下する。
ひとつのことを考えていると、そのことだけで頭の中がいっぱいになってしまう。
そのため、ほかのことを忘れてしまう。

 このことも子どもたちと比較してみると、よくわかる。

 子どもたちは、何かひとつのことをしながらも、いつもそのつど、別のことを考えてい
る。
結局はそれが脳の柔軟性ということになる。
その柔軟性が、なくなる。

●寿命

 話を戻す。

 「がんで余命は、1年」と言われれば、ショック。
しかし「平均寿命まで、あと15年」と言われれば、そういったショックはない。
「ひょっとしたら、あと20年は生きられるかもしれない」という望みがある。

 が、まったくショックがないかと言われると、そうでもない。
このところ温泉につかっていても、その老人の年齢が、よく気になる。
「あの人は、何歳くらいだろうか」
「自分もやがて、ああなるのか」と。

 こればかりは、DNAの問題だから、どうしようもない。
仮に今、健康でも、私たちは確実に老人になる。
ヨボヨボになる。
避けようがない。

 で、私は最近、よくこう考える。
「これからの15年間が勝負だな」と。
つまり緊張感。
その緊張感が、日増しに強くなってきた。

 だからこう思う。
「しまった!」と。

 つまらないことで時間を無駄にしたようなとき、だ。
・・・話は、最初に戻ったので、このエッセーは、ここまで。
みなさん、おはようございます。

2010年1月15日(金曜日)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 老人の心理 記憶力 池田英雄 還元 平均寿命 
健康寿命)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●13時間!

+++++++++++++++++

今日は、土曜日。
パソコンと格闘して、13時間!
朝の6時から、夜の7時まで。
先ほど、やっと作業を終えた。

何をどうしたかについては、書いても意味はない。
いろいろあった。
で、やったことは、パソコンのCディスクを、
韓国製のものから、HITACHI製のものに交換しただけ。

もとからあったハードディスクが破損していて、
ハードディスクをそのままコピーできなかったこともある。
あれこれ確かめながら作業を進めた。
プラス、いろいろあった。
それで13時間。

ワイフが、「よくも、それだけの根気がつづくわね」と言って、笑った。
ホント!

が、楽しかった。
ハラハラ、ドキドキの13時間。
おかげでBIOS(バイオス)の設定のし方も、イチから理解できた。

・・・

夕方、暗くなってから、近くの回転寿司店で、回転寿司を食べた。
私が4皿、ワイフが4皿。
プラス、海草汁と茶碗蒸し。
ふと、うしろの席の人たちを見ると、父・母・子ども2人の計4人で、32皿も食べてい
た。
思わず皿の数を、数えてしまった。

返り際レジで、レジの女性に、「多い人は、どれくらい食べますか?」と聞くと、
「多い人で、この前、2人で、38皿、食べた人がいました」と。

38皿!

私の「17時間より、すごい」と、どういうわけか、思わずそんなことを考えてしまった。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●「花火議員」(浮動票層が動いた!)

++++++++++++++++

民主党の若手議員たちよ、
あなたたちは、所詮、花火議員でしかない。

++++++++++++++++

民主党の小沢幹事長、あなたは、我ら、浮動票層をとうとう怒らせた!
あなたが浮かべる不遜な笑みを見て、不愉快に思っていない人はいない。

問題は、どう金が使われたかではない。
その金が、どこから、どのような経路を経て、何のために出てきたか、だ。
小細工を重ねて、問題をすり替えないでほしい。

思い出してほしい。
我ら浮動票層は、民主党を支持したから、民主党に票を入れたのではない。
「麻生首相だけには勝たせたくない」という思いが、一丸となり、民主党に向かった。
ふつうなら、ここでブレーキが働いたはず。
一方の党だけをベタ勝ちにさせるのは、我ら浮動票層のやり方ではない。
そのブレーキが、そのため働かなかった。

が、選挙に勝った(?)とたん、あなたは「支持された」と、はしゃいだ。
奥から出てきて、傲慢になった。
鳩山総理大臣ですら、「支持されたから、その責任を果たす」などというようなことを言っ
ている。
それはどうか?

 いきなり対米追従外交反対を唱え、親中路線。
アメリカをはずして、東アジア何とかという、大風呂敷。
そのうしろで、小沢幹事長は、総勢300人もの国会議員などを従えて、中国へ大名旅行。

 我ら浮動票層は、息を潜めて、小沢幹事長の言動を見守ってきた。
しかし、もう、がまんならない。
醜悪というより、醜悪さという点では、麻生前首相よりひどい。
我々はとんでもない党に、一票を入れてしまった。
バカだった。
後悔しているが、ここからが浮動票層の根性。
ただの(怒り)では、すませない。
もちろんだからといって、自民党に、と考えているわけではない。
しかしそれも醜悪さの程度による。

 それだけではない。
それよりもソラ恐ろしいのは、民主党議員たちの隷属根性。
小沢幹事長は、民主党内では批判も許さない、独裁者?
日本という民主主義国家にありながら、また「民主党」という名前を標榜しながら、その
中身は、K国と、どこもちがわない。
若手の議員たちは、「議員にしてもらった」という(恩義)だけで、黙っている。
そこが恐ろしい。
なぜ今日に至るまで、「民主党に失望した」と言って、民主党を離れる議員がいないのか?
ダンマリを決め込んでいるのか?
それほどまでに、権力の果実は、おいしいのか?

 麻生前総理大臣が、「辞職しない」とがんばったとき、それをいちばん喜んだのは、民主
党だったはず。
しかし今度、小沢幹事長が「東京地検と全面対決」とがんばればがんばるほど、それをい
ちばん喜ぶのが、自民党。
そんなこともわからない政治家に、どうして我ら浮動票層は、国際政治を任すことができ
るか。
まさに音痴政治。
専制政治。
現在の民主党は、国民の総意から、完全にはずれてしまっている。
現在、民主党の支持率はおおむね、50%強。
鳩山内閣の支持率は、10%前後。
小沢幹事長ががんばればがんばるほど、民主党の支持率はさがる。

 小沢幹事長に国会議員にしてもらった、若手の議員のみなさん。
あなたがたにつける名称は、「一夜の夢で終わる、花火議員」。
今回、一期だけの「花火議員」。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 民主党 花火議員 小沢幹事長 汚職 浮動票層の動き)

【補記】

 現在の民主党議員たちを見ていると、江戸時代さながらの封建意識を感ずる。
「忠義」という言葉に代表される、封建意識である。

 西洋では、主従関係と言っても、「契約説」に基づく。
ギブ&テイクの関係である。
親分がまちがいを犯せば、子分たちは、さっさとその場を去っていく。
別の親分と契約を交わして、新しい主従関係を作っていく。

一方、この日本では、あのドロドロしい隷属意識が、いまだに生き残っている。
そこはまさに「忠臣蔵」の世界。
義理と人情の世界。

 親分がいくら狂っても、それにたてつくことすら、許されない。
親分に責任を問うこともない。
「忠臣蔵」でも、悪の張本人は、浅野内匠頭自身ではないのか。
松の廊下での軽率な行為で、家来たちの人生をみな、狂わせてしまった。
本来なら、小沢幹事長自身が、子分たちを追い詰めないよう、自ら身を引くべき。
しかし権力と金に狂った、あの親分に、それは期待できない。
どこまでも醜悪。
ゲボが出そうなほど、醜悪。
いちばんの犠牲者は、若手の議員たちということになる。
一夜の夢だけを見させてもらい、あとは、ポイ捨て!
(2010年1月17日記)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================


















*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   17日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page023.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

■H・Martineau
________________________________________

★What office is there which involves more responsibility, which requires more 
qualifications, 
and which ought, therefore, to be more honourable, than that of teaching? Harriet 
Martineau 
「教育の仕事以上に、責任があり、資格を必要とし、それゆえに、名誉ある仕事が、ほか
のどこにあるだろうか」(H・Martineau) 

■ユダヤの格言
________________________________________

★A child's wisdom is also wisdom Jewish Proverb
「子どもの智慧も、これまた智慧である」(ユダヤの格言) 

■K・ギブラン
________________________________________

★The teacher, if indeed wise, does not bid you to enter the house of their wisdom, 
but leads you to the threshold of your own mind. Kahlil Gibran
「本当に賢い教師というのは、あなたを決して彼らの智慧の家に入れとは命令しないもの。
しかし本当に賢い教師というのは、彼ら自身の心の入り口にあなたを導く」(K・ギブラ
ン) 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

■K・Vonnegut
________________________________________

★We have to continually be jumping off cliffs and developing our wings on the way 
down. Kurt Vonnegut
「私たちはいつも、崖(がけ)から飛び降りる。飛び降りながら、その途中で、翼を開発
する」
(K・Vonnegut) 

■L・ダビンチ
________________________________________

★Just as iron rusts from disuse, even so does inaction spoil the intellect. Leonardo 
Da Vinci
「鉄がさびて使い物にならなくなるように、何もしなければ、才能をつぶす」(L・ダビ
ンチ) 

■M・L'Engle
________________________________________

★Truth is eternal. Knowledge is changeable. It is disastrous to confuse them. 
Madeleine L'Engle
「真実は永遠である。知識は、変化しうるもの。それらを混同するのは、たいへん危険な
ことである」(M・L'Engle) 

■M・トウェイン
________________________________________

★Never let school interfere with your education. Mark Twain
「学校を、決して、あなたの教育に介在させてはならない」(M・トウェイン

■O・ワイルド
________________________________________

★Education is an admirable thing, but it is well to remember from time to time that 
nothing 
that is worth knowing can be taught. Oscar Wilde
「教育は、賞賛されるべきものだが、しかしときには、価値ある知識は教えられないとい
うこと
も、よく覚えておくべきである」(O・ワイルド) 

■プラト
________________________________________

★You must train the children to their studies in a playful manner, and without any 
air of constraint, with the further object of discerning more readily the natural 
bent of their respective characters. Plato
「あなたは子どもを、遊びを中心とした方法で指導しなければならない。強制的な雰囲気
ではな
く、彼らの好ましい性格の自然な適正を、さらに認める目的をもって、そうしなければな
らない」
(プラト) 

■R・W・エマーソン
________________________________________

★In every man there is something wherein I may learn of him, and in that I am his 
pupil. Ralph Waldo Emerson
「どんな人にも、彼らの中に、私が学ぶべき何かがある。そういう点では、私は生徒であ
る」
(R・W・エマーソン) 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

■R・W・エマーソン
________________________________________

「読書することによって、私たちは、ギリシア人にも、ローマ人にも、トルコ人にも、王
にも、殉教者にも、死刑執行人にも、なることができる。つまり読書によって、こうした
人たちのイメージを、私たちの密かな経験として、現実味をもたせることができる。読書
をしなけば、何も見ることはないだろうし、何も学ぶことはないだろうし、何も保持する
ことはないだろう」(R・W・エマーソン) 

■T・ブラシェ
________________________________________

★Education is a sexual disease, IT makes you unsuitable for a lot of jobs and then 
you have the urge to pass it on. Terry Pratchett
「教育は、性病だ。つまり教育によって、ジョークがわからなくなり、そのためそれをつ
ぎつぎと、人にうつしてしまう」(T・プラシェ) 

■V・V・ゴッフォ
________________________________________

★I am always doing what I cannot do yet, in order to learn how to do it Vincent Van 
Gogh 
「私はいつも、まだ私ができないことをする。それをいかにすべきかを学ぶために」(V・
V・ゴッフォ)
(030720) 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自由 

みんな、(私も)、いつも何かにじっと耐えている。
耐えながら、生きている。
家族、地域、組織、国、そして仕事。
それから生まれる(糸)で、私たちの体はがんじがらめにされている。
自由に動き回ることさえ、できない。

出世、名誉、地位、権力、財産・・・。
これら、世俗の泥沼の中で、自分を見失っている人も多い。
が、ここからが、今日のテーマ。

(1)自分がそうであると気がついている人は、少ない。
(2)真の自由人であるためには、どうすればよいのか。

 「人間は社会的動物」とは、よく言われる。
しかしこの場合、「社会」とは、「社会的束縛」を意味する。
その「束縛」には、2種類、ある。

 ひとつは、外的束縛。
法律、規則、資格、認可、許可などなど。
社会的常識というのも、その中に含まれる。
作法、礼儀、しきたり、因習、慣習などなど。
その人を、外部から、束縛する。

 もうひとつは、内的束縛。
たいていは自分の欲望と結びついている。
「名誉がほしい」「地位がほしい」「お金がほしい」と。
その人自らを、内部から、束縛する。

●自由 

 人は、自由を失って、それまでの自分が自由であったことを知る。
同じように、人は、自由を得て、それまでの自分が、自由でなかったことを知る。
それまでは、わからない。
自由な人も、自由でない人も、自由とは、そこにある空気のようなもの。
自由な人にとっても、そうでない人にとっても、「自由」が、そこにあることに気づくこと
はない。

 たとえば日本でいう「会社人間」。
会社という組織に入り、その組織の一員として、その会社のために働く。
その会社人間のばあい、会社の肩書きはもちろんのこと、会社名を出して、ものを書くこ
とは許されない。
名前を出すことさえ、むずかしい。
写真ならよいと考える人もいる。
しかし写真から、その会社とわかってしまうこともある。

 だから現実には、会社人間と呼ばれる人たちは、このネット時代にあっても、実名で、
自分のBLOGさえ立ち上げることさえ、むずかしい。
実際には、できない。

 が、中には、私のように、(ものを書くこと)に生きがいを感じている人もいるはず。
仮に私なら、・・・つまり、私が会社人間で、会社という組織から、ものを書いて発表する
ことを禁じられたら、私なら、どうするか。
仮に私なら、私はその会社をやめてしまうにちがいない。
「自由か、仕事か」ということになれば、私は「自由」を選ぶ。
仕事は、そのつぎ。
自由を確保した上で、その自由を侵害されない仕事をさがす。

●内的束縛

 外的束縛は、それによって防げる。
しかしもっと大きな問題は、内的束縛。
内的であるがゆえに、自発的、能動的にその人に作用していく。
そのためさらにそれに気がつくのが、むずかしい。
むずかしいばかりか、それがその人の、人生の目標、あるいは生きがいになっていること
が多い。

 ある男性は、今年75歳前後になるが、今でも、定年前の地位(キャリア)を自慢にし
ている。
何10年も前の学歴を自慢にして生きている人となると、ゴマンといる。
若いときならまだしも、定年退職を過ぎてから、内的束縛に気がつくのは、恐ろしい。
ばあいによってはそれはそのまま、自己否定へとつながっていく。
「オレの人生は、何だったのか!」と。
自己否定による絶望感を味わうくらいなら、過去の甘い幻想にしがみついたほうが、楽。
だからますます懸命にしがみつく。

●会社という組織

 ためしに銀行のフロアをのぞいてみればよい。
みな、会社という限られた組織の中で、束縛されていることにも気づかず、せっこらせっ
こらと働いている。
していることは、(お金の管理)。
真理の探究でもなければ、哲学の追求でもない。
ただの(お金の管理)。
男たちはそれでよいとしても、私はあるとき、そういった姿を見ながら、こう思った。
「幼稚園の先生たちのほうが、よっぽど生き生きしている」と。
建物や服装にだまされてはいけない。
大切なのは、中身。
中身の追求。
それが「自由」ということになる。

●平均寿命まで15年
 
 もちろんだからといって、銀行の仕事が無意味とか、つまらないとか、言っているので
はない。
人間が(社会)を形成する以上、それぞれの人がそれぞれの分野を負担する。
銀行でのお金の管理も、そのひとつ。
しかしそれがどんな仕事であれ、(心の自由)を見失ってはいけない。
あるいは私がここに書いたことを知っているだけでも、生き様は、変わってくるはず。
他人の評価の仕方も、変わってくるはず。
あるいはこのドロドロとした俗世間を、一歩、退いて見ることができるはず。

 ・・・かく言う私も、60歳を過ぎて、やっとそれに気づいた。
私自身も、外的束縛、内的束縛にがんじがらめになっていた。
つまらないものに対して、「つまらない」と反発する勇気さえなかった。
『長いものには巻かれろ』式に、いつも、どこかで、だれかに妥協しながら生きてきた。
それが今、深い悔恨の念となって、私を襲う・・・。

・・・が、まだ私の人生が、終わったわけではない。
平均寿命まで、まだ15年ある。
がんばろう!
がんばります!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 自由 自由論 真の自由 外的束縛 内的束縛)

+++++++++++++++++++++

ついでに世界の賢人たちが、「自由」について
どのように考えているか、それを拾ってみた。

+++++++++++++++++++++

The Shepherd drives the wolf from the sheep's throat, for which the sheep thanks the 
shephard as a liberator, while the wolf denounces him for the same act as a destroyer of 
liberty" 
Abraham Lincoln
羊飼いは、羊がオオカミに喉をかみ切られないように、オオカミを追い払う。それについ
て羊は、解放者として、羊飼いに感謝する。一方、オオカミは、その同じ行為を、自由(解
放)の破壊者として、羊飼いを非難する。(エイブラハム・リンカーン)


A society of sheep must in time beget a government of wolves. 
Bertrand de Jouvenel
民が羊になったそのとき、オオカミの政府が生まれる。(Bertrand de Jouvenel)


To educate a man is to unfit him to be a slave 
Fredrick Douglass
人を教育するということは、その人を奴隷にふさわしくない人にすることである。(フレド
リック・ダグラス)


If liberty means anything at all, it means the right to tell people what they do not want 
to hear 
- George Orwell
自由が何を意味するかと言えば、それはほかの人たちに、何を聞きたくないかを告げる権
利ということになる。


Freedom is just another word for nothing left to lose. 
Janis Joplin,"Me and Bobby McGee"
自由という言葉を言い換えると、失うものが何も残っていない状態、ということになる。(ジ
ャニス・ジョプリン)


Whoever controls the media, controls the mind. 
Jim Morrison
マスメディアを支配するものが、心を支配する。(ジム・モリソン)


Those who make peaceful revolution impossible will make violent revolution inevitable. 
John F. Kennedy
平和的な革命を不可能にする者は、暴力的な革命を避けられないものにする。(J・F・ケネ
ディ)


And this I believe: that the free, exploring mind of the individual human is the most 
valuable thing in all the world. And this I would fight for: the freedom of the mind to 
take any direction it wishes, undirected. And this I must fight against: any idea, religion, 
or government which limits or destroys the individual. 
John Steinbeck, "East of Eden"
私はつぎのことを信ずる。つまり、個々の人間の心を探究するという自由は、世界でもっ
とも尊いものである。だれにも干渉されない、自由な思索。その自由のために、私は闘う
だろう。私は個人を制限したり、破壊したりするどんな思想、宗教、政府とも戦わなけれ
ばならない。(ジョン・スタインベック)


Censorship is telling a man he can't have a steak just because a baby can't chew it. 
Mark Twain
検閲などというものは、赤ん坊がそれを飲み込むことができないからといって、人はステ
ーキを食べられないというようなものだ。(マーク・ツエイン)


Give me Liberty, or give me death. 
Patrick Henry
自由か、さもなければ、死を与えたまえ。(パトリック・ヘンリー)


Wherever a man comes, there comes revolution. The old is for slaves. 
Ralph Waldo Emerson
人が来て、革命が起きる。そのとき老人たちは、奴隷になる。(R・W・エマーソン)


Most people do not really want freedom, because freedom involves responsibility, and 
most people are frightened of responsibility. 
Sigmund Freud
ほとんどの人は、自由を望まない。なぜなら、自由は責任を伴う。そしてほとんどんの人
は、その責任をを恐れる。(Sigmund Freud)


Man is free at the moment he wishes to be. 
Voltaire
人は、そう願ったときだけ、自由である。(ボルテール)


Freedom is not worth having if it does not include the freedom to make mistakes. 
Mahatma Gandhi, In Struggle/Mistakes
自由といっても、それがまちがいを犯すという自由も含まないなら、自由としての価値は
ない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●パソコン恐怖

+++++++++++++++

昨夜遅く、こんなトラブルがあった。
そろそろ寝るか・・・と思いながら、
何気なくエクスプローラーを開いてみた。
ギョッ!
何と、私のパソコンが・・・!
どこかのだれかのパソコンと、
ネットワークで接続されているでは
ないか!

ギョギョギョッ!

しかもネットワークとCドライブの
内容が、ミラー(相互連動)になっている。
Cドライブの内容が、そっくりそのまま、
どこかのパソコンとつながっている(?)!

あわてて原因さがし。

ヒタヒタとした恐怖感。
ツンとした緊張感。
高まる動悸。
ドキドキ、ハラハラ・・・。

メーカーに相談しても、「OSの
故障ではないですか?」
「リカバリーしてみてください」と。

ゾーッ!

で、真夜中過ぎになって、やっと原因がわかった。

最近買ったプリンターである。
エプソンの902A。
最新型。
このプリンターが無線LANを通して、
勝手に、私のパソコンに接続していた。

・・・ということで、今は、パソコンも快調。
静か。
「もういじらないぞ!」と心に誓う。

そう、パソコンという機械は、それなりに
順調に動いているときは、へたにいじってはいけない。
素人の知ったかぶりが、いちばん、恐ろしい。
私のような素人がへたにいじると、たいていおかしくなる。

が、寝るとき、ワイフがこう言った。
「どうして、そんなことが楽しいの?」と。
で、私はこう答えた。

「サッカーの試合と同じだよ。
ハラハラするところが、楽しい」と。

+++++++++++++++++

●ご注意

 こんなメールが、届いた。
送信者として、「YOUTUBE」の名前。
件名には、「あなたが制作したxxxxの、広告料をお受け取りください」とある。

xxxxは、私が作ったビデオの中でも、アクセス数が15万件近くになっている。
ふと「15万件近くにもなると、広告料が入るのか?」と思った。
が、YOUTUBEが、広告料を支払ってくれるなどという話は、聞いたことがない。
(YOUTUBE社は現在、赤字だそうだ。
そのため2010年の3月ごろから、本格的に広告料収入を始めるという。
そういう話なら、雑誌で読んで知っていた。)
で、そのまま削除。

 インターネットをしていると、こうしたメールが、つぎつぎと飛び込んでくる。
言い換えると、それなりの知識がないと、この世界は、たいへん、危険!
おいしい話は、100%、疑ってかかるべし。

みなさんも、どうかくれごれもご注意ください。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●老後の不安

 おととい、「介護と若者たちの意識」というテーマで、原稿を書いた。
それについて、愛知県の読者の方より、「うちも同じような問題をかかえています」という
内容の、コメントが寄せられた。

『私も子離れできていないようです。
子供達は私からすっかり離れていると言うのに。
子供のためと言いながら、実は、私の見栄や、メンツ自己満足に過ぎないことを、私もた

家のローンもまだ残っており、この先二人分の学費を考えると、私たちの老後の資金など
あるはずがありません。

子供をあてにするわけにはいきませんので、老後を考えるとぞっとします。
今を生きるのに精一杯です。

私も同じ問題をかかえています。
が、先生の文を読み、気持ちも幾分軽くなり、併せて先生のアドバイスを参考に、私自身
の生き方について、老後も見据えながら、よく考えてみようと思っています。

今日は、中学校時代のクラス会があります。
以前、同じメンバーでクラス会があった時は、長女の高校受験の時で、「夕方から塾で、車
で送ってもらいたいから、5時までに帰ってきてね!」と、威圧的に長女に言われ、何十
年ぶりかで会った旧友と二次会にも行けず、急いで家に帰りました。それが当たり前かの
ような態度の娘に愕然としたのを覚えております。

そして、今回は長男の大学受験です。「私の夕飯はどうするの?!」と不機嫌な顔で聞いて
きます。普段なら「あるもので済ますからいいよ」と言う長男ですが、私が、昨日は職場
の新年会、今日はクラス会と出歩いているのが、気に入らない様子です。

とんだドラ娘、ドラ息子たちに育ててしまいました。
子供のためによかれと思い、不自由のないようにと育てたつもりですが、結果、子供のた
めにはなっていなかったようです。
やはり、私の自己満足に過ぎなかったのですね。

私も、ここまで来ないと気づかないおろかな母で、悲しいです。
それに気がつきました』と。

【はやし浩司より、読者の方へ】

 あなただけではない。
みな、そうです。
が、子育ての最中というのは、それがわからない。
「私だけは、だいじょうぶ」
「私だけは、ちがう」と。
中には、「私は、私の親とはちがう」
「私は私の親のような親にはならない」と思っている人もいます。
みな幻想をもち、その幻想にしがみついている。
で、結局は、同じ道を歩む・・・。

 おもしろいですね。
そしていつか、それが幻想だったことに気づく。
自分も同じ道を歩んでいることを知る。
子育てというのは、そういうものです。

 で、大切なことは、できるだけ早い時期に、それに気づくということです。
そして親は親で、ひとりの人間として、自分の生きる道をさがす。
生きがいを求める。

 率直に言います。
子育てなど、人生の目標にしてはだめですよ。
生きがいにしてもだめですよ。
そんなことをしても、子どもにはかえって負担になるだけです。
子どもに嫌われるだけです。

 だからやるべきことはやる。
親としての責任は、果たす。
しかしそこまで。
あとは、自分の人生を、人類みなのために、還元していく。
(この「還元」という言葉は、恩師のIK先生(藤沢市在住)が、よく使っている言葉で
す。)

 子どもに嫌われても、バカにされても、気にしない。
私たちは私たちで、自分の道を進めばよいのです。

 でも、あなたは今、それに気がついた。
よかったですね。
私もうれしいです。

 でもね、不思議なもので、その殻(から)を脱いだとき、つまりそれに気づいたとき、
それが(子育ての結論)ではないということです。
よく「失敗しました」と言う人がいます。
しかし子育てに失敗は、ありません。
そこがいつも、スタートラインです。
そこからいつも、新しい人間関係が始まります。
つまりあなたは失敗など、していない。
これから新しい世界が、始まるのです。
上下意識のある古い親子関係から、一対一の、対等の人間関係へ、とです。

 子どものほうから顔をそらし、あなたはあなたで、前に向かって進めばよいのです。
いっしょに、がんばりましょう!


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタ
イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>


【最後にババを引く人】

●不気味な上昇

 中国の経済指標は、上海B株をみて判断する。
その上海B株。
一本調子に上昇しつづけている。
すでに2年(2008)前のリーマンショック以前の水準に、戻りつつある。
今年(2010)、中国の経済成長率も、10%前後と予想されている。
バブルである。
完全なバブルである。

 つまりその分だけ、アメリカや日本から資金が逃避しつつある。
逃避したお金は、・・・というより危険を察知した投資家たちが、その矛先を「金」に向け
始めている。
そのため金価格が、ジワジワと上昇しつづけている。
現在、グラム3600円前後。

その様相は、リーマンショック以前の経済状況と、たいへんよく似ている。
あのときも、まず金価格が、じわじわと上昇し始めた。
半年くらいをかけて、グラム2000円前後から2600円前後にまで上昇した。
「アメリカがあぶない」と感じた投資家たちが、金を買い始めた。
またあのときはアメリカだったが、今度は、中国。
まるで洪水のように、世界中の資金が、中国市場になだれ込みつつある。

 中国経済があぶない・・・というよりは、中国のバブル経済がはじけたとき、世界は、
リーマンショックをはるかにしのぐ衝撃に襲われる。
ドバイショック(2009)の比ではない。
規模がちがう。
一説によれば、ドバイショックの1000倍の威力があるという(韓国経済誌)。

●同じ失敗

 リーマンショックで、財産を失った人は多い。
私の知人の中には、1億円あった資産(株)を、100万円にしてしまった人もいる。
100分の1である。

加えて円高。
とくに外国債券に手を出した人の被害が、大きかった。
平均して、30〜40%前後の損失を出したと言われている。
が、それからちょうど1年。
今度は、ドバイショック!
外国債券の損失額をみるかぎり、ドバイショックは、リーマンショックの10分の1程度
とみてよい。

 これらの数字を並べてみると、仮に今度、中国でバブル経済が崩壊すれば、リーマンシ
ョックの約100倍の衝撃が、世界中を襲うことになる。
(100倍だぞ!)
名づけて「上海ショック」。

 そのとき日本経済も崩壊する。
が、何よりも恐ろしいのは、こうしたバブル経済の崩壊というのは、まったく予告なく、
突然、始まるということ。
リーマンショックのときもそうだった、ドバイショックのときもそうだった。
日本のバブル経済崩壊のときも、そうだった。
「あぶないな?」と思っていた人は多かった。
しかしいつも突然だった。

●上海ショック

 リーマンショック、あるいはドバイショックで、財産を減らした人も多い。
しかしこの2〜3か月、再び世界の株価は上昇しつづけている。
外国債券価格も、持ちなおしてきている。
だから中には、「何とか、損した部分だけも、取り返したい」と考えている人も多いはず。
「あとxか月持ちこたえてくれれば、何とかなる・・・」と。

 しかし(そのとき)があぶない。
というのも、そのとき、世界中の人たちが、(投資家ではなく、一般庶民が)、いっせいに、外国
債券を売って、資金の回収に向かう。
そういう意味で、人間の心理には、共通性がある。
「同時行動性」といってもよい。
だから昔から、こう言う。
『そこらのオジちゃん、オバちゃんが、証券会社のロビーに並ぶようになったら、証券取
引から手を引け』と。

 今がそのときかもしれない。
私もそのオジちゃんの1人だが、私が動くとき、世界中のオジちゃん、オバちゃんも動く。
何しろ数が多い。
そういう人たちが、いっせいに動く。
それがこわい。
・・・といっても、その前に、プロの投資家たちは逃げるから、最後にババを引くのは、
結局は、オジちゃん、オバちゃんということになる。

●何が安全か?

 では、手持ちの資金は、どこへ逃避させたらよいのか?
もっとも好ましいのは、現物投資ということになる。
そのひとつが、金投資。
が、すでに金価格は上昇しきっている。
円安が進めば、グラム4000円台をねらうかもしれないが、そこまで円安に向かうかど
うか、わからない。
 
 つぎにタンス預金がある。
インフレ、円安になった分だけ、目減りするが、(現金)には、それなりの力がある。
大切なことは、最後に、ババだけは引かないこと。
その一歩手前で、損切りも覚悟して、売り逃げること。
「あと少し」「まだいける」と欲を出したとたん、プロの投資家たちの餌食(えじき)にな
る。

●その(時)

 2010年は、何とも不安定な状況から始まった。
明日、上海ショックが起きてもおかしくない。
あるいはドバイショックがそうだったように、まったく予想外のところから、火の手があ
がるかもしれない。
たとえば日本のJALの法的整理。
そういったものが上海ショックの引き金を引く。
ドカーンと爆発する。

 ・・・以上、はやし浩司というド素人の意見。
あまり本気にしないでほしい。
無責任に思う人もいるかもしれないが、そのときは、こう考えたらよい。

 まじめにコツコツと働く人よりも、マネーゲームをしている人のほうが、儲かるという
しくみそのものが、おかしい。
それが進んで、「まじめに働くのが、バカ臭い」と、みなが思うようになったら、おしまい。
そのとき、世界経済は、本当に崩壊する。
その(時)は、刻一刻と、しかし確実に近づきつつある。
(2010年1月11日夜記)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   15日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page022.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

■あなたが蒔いたように……
________________________________________

As you sow, so we shall you reap. 「あなたが種を蒔いたように、あなたはそれを刈ら
ねばならない」。イギリスの教育格言。つまり因果応報ということか。子育てについて言
えば、ほとんどの親は、子どもに何か問題が起きると、「子どもをなおそう」とする。し
かしなおすべきは、子どものほうではなく、親のほうである。そういう視点から、子ども
の問題を見つめなおしてみる。

■引いて、発(はな)たず
________________________________________

孟子(紀元前3世紀ごろの、中国の思想家。著書『孟子』は、儒学の経典のひとつとされ
る)が残した言葉である。子どもに矢の射り方を教えるときは、矢の引き方までは教える。
しかし、その矢を放つところまでは見せてはいけないという意味。教育といっても、やり
すぎはよくない。たとえば手取り、足取り教える教育法がある。一見、親切な指導法に見
えるかもしれないが、かえって子どものためにならない。 

■子どもは人の父
________________________________________

The Child is Father of the Man. 「子どもは人の父」、イギリスのワーズワースの詩の
一節である。子どもが成長し、やがておとなになっていくのを見ていると、この感を強く
する。つまり、子どもは、人の父、と。子育てというのは、子どもを育てることではない。
子どもに、子育ての仕方を見せておく。見本を見せておく。「あなたが親になったら、こ
ういうふうに、子どもを育てるのですよ」と。それが子育て。 

■食欲のないときに……
________________________________________

『食欲がないときに食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶
をそこない、また記憶されない』。Studying without an inquiring desire will be not 
retained in ones' memory. レオナルド・ダ・ビンチ(1452〜1519)の言葉であ
る。子どもの学習指導の常識と言ってもよい。日本では教育というと、「教え育てる」が
基本になっているが、それは昔の話。子どもから意欲を引き出し、それをじょうずに育て
る。あとは子ども自身がもつ「力」に任せればよい。

■忠告は密かに……
________________________________________

Give advice secretly, and praise children openly. 「忠告は密かに、賞賛はおおやけ
に」。古代ローマの劇作家、シルスの言葉である。子どもを叱ったり、子どもの名誉をキ
ズつけるような行為は、だれもいないところでせよ。しかし子どもをほめるときは、みな
の前でせよ、という意味である。子育ての行動規範のひとつとして覚えておくとよい。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

■教育の秘法
________________________________________

あのエマーソン(アメリカの詩人、思想家、1803〜1882)は、こう書いている。
『教育に秘法があるとするなら、それは生活を尊重することである』と。欧米では、「自
立したよき家庭人」を育てるのが、教育の柱になっている。とくにアメリカでは、デュー
イの時代から、より実用的なことを教えるのが、教育の柱になっている。生活に根ざさな
い教育は、そも役に立たない。生活を尊重してこそ、そこに真の教育があるというわけで
ある。 

■かわいくば……
________________________________________

『かわいくば、五つ数えて三つほめ、二つ叱って良き人となせ』(二宮尊徳、江戸時代後
期の農政家、1787〜1856)と。「子どもがかわいいと思ったら、叱るときでも、
一呼吸おいて、まずよいところを三つみつけて、それをほめる。そしてそのあと、二つく
らいの割合で、叱れ」という意味。子どもをほめる、子どもを叱る……。それは家庭教育
の要(かなめ)と言ってもよい。 

■最初に受けた印象が……
________________________________________

First impressions are most lasting. イギリスの教育格言。つまりものごとは、第一印
象が大切ということ。とくに子どもの教育では、そうである。その第一印象で、すべてが
決まるといっても、過言ではない。だから子育てをしていて、「はじめの一歩」を感じた
ときは、とくに慎重に! コツは、叱らない、おどさない。「小学校はきびしいのよ」「先
生はこわいわよ」と教えたため、学校へ行きたがらなくなる子どもは少なくない。 

■玉、磨かざれば……
________________________________________

『玉、磨かざれば、器(うつわ)ならず。人、学ばざれば、道知らず』(礼記、中国五経
の一つ)。脳の健康は、肉体の健康と似ている。究極の健康法などというものはない。同
じように、究極の思想などというものはない。運動を怠ったら、その日から、健康はくだ
り坂に向かう。同じように考えることを怠ったら、その日から、脳は老化する。人は、日々
に研鑽(けんさん)してこそ、人でありえる。学ばない人、考えない人は、それだけで、
大切な人生を無駄にしていると言える。

■馬を水場に……
________________________________________

A man may lead a horse to the water, but he cannot make it drink. 「馬を水場に連
れて行くことはできても、その馬に水を飲ませることはできない」。イギリスの教育格言
である。子どもを伸ばす最大の秘訣は、まず楽しませること。楽しむことによって、自発
的行動(オペラント)が生まれ、それが強化の原理となって、子どもを伸ばす(スキナー)。
しかし無理は禁物。無理をしても、意味がない。それがこの格言の意味ということになる。 

■ビロードのクッションより……
________________________________________

It is better to sit on a pumpkin in the field rather than to sit on the soft velvet 
cushion of the palace. 『ビロードのクッションより、カボチャの上に座っているほうがよい』(ソロ
ー、アメリカの随筆家、1812〜1862)。子どもにとって家庭とは、
すべからく、カボチャのようでなくてはならない。子どももある程度の年齢になったら、
家庭は、しつけの場から、心を癒す、憩いの場となる。またそうでなくては、いけない。 

■教育は母のひざに始まり……
________________________________________

●教育は、母のひざに始まり……

I・バロー(17世紀のイギリスの数学者)は、こう言っている。「Education starts in 
mother's lap and what children hear in those days will form their character.(教
育は母のひざに始まり、幼年時代に伝え聞くすべての言葉が、性格を形成する)」と。こ
の時期、母親の子どもへの影響は、絶対的なものであり、絶大である。母親が、子どもの
方向性のすべてを決定づけると言っても過言ではない。子どもの教育は、子どもをひざに
抱いたときから始まると、バローは言っている

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

※さがしものができない子ども
________________________________________

 さがしものができない子どもがいる。何かをさがさせると、すぐパニック状態になって
しまう。かんしゃく発作を引き起こすこともある。……というより、かんしゃく発作を引
き起こしやすい子どもは、さがしものが苦手。頭の中が混乱状態になったとたん、イライ
ラが増幅する。そんなわけで、静かにものをさがすことができない。

※整理ができない子ども
________________________________________

カバンなど、持ち物の中を見れば、わかる。いくら注意しても、カバンの中は、ゴチャゴ
チャ。大切なものの、そうでないものもない。古いテスト用紙の間に、学校からの連絡表
がはさまっていたりする。見た感じ、まるでゴミ箱のよう。ときどきいっしょにカバンの
中を整理するが、効果は一時的。 

※忘れ物が多い子ども
________________________________________

集中力、あるいは緊張感そのものが、抜けたように欠けている子どもがいる。学校への提
出物を忘れるなどということは、日常茶飯事。反対に、学校には、いつも忘れ物してくる。
その前日、筆箱を忘れて置いていったから、それを渡しながら、「筆箱をちゃんともって
帰ってよ」と声をかけると、そのときは、「うん、わかった」と返事をする。しかしその
とき今度は、ノートを忘れていく。親や教師がいくら注意しても、効果はその場だけ。 

※騒々しい子ども
________________________________________

 いつもガサガサしている。静かな落ち着きがなく、始終、何かをしゃべっている。「静
かにしなさい」と言っても、効果はその場だけ。数秒から10秒もすると、またしゃべり
始める。話している内容は浅く、テーマもクルクル、目まぐるしく変わる。アメリカでは
ADHD児と考えられている。女児に多い。 

※動作の鈍い子ども
________________________________________

臨機応変に機敏な行動ができない。何かを言いつけても、ノソノソといった感じになる。
緊急時とわかっていても、動作が、それについていかない。「緩慢行動」「緩慢動作」と
いって、神経症による症状のひとつに考えられている。 

※表情のない子ども
________________________________________

表情がなく、能面のような子どもをいう。喜怒哀楽の情をほとんど、示さない。無表情の
まま、涙だけをスーッと流したりする。全体的に静かで、大声を出して騒いだりするとい
うこともない。集団の中でも、いるかいないかわからないほど、存在感が薄い。 

※字の汚い子ども
________________________________________

 乱雑な文字で、しかもワクから平気で飛び出したような字を書く。「きれいに書こう」
と指示すると、そのときだけはきれいな文字を書くが、その分だけ、異常に時間がかかっ
てしまう。が、しばらくすると、またもとの文字に逆戻り。よく観察すると、手の動きが
ぎこちなく、なめらかな動作ができないのがわかる。細かい作業が苦手という症状をあわ
せもつことが多い。 

★幼児の計算力(2)
________________________________________


(2) 黙読化……年長児になったら、「頭の中で数えなさい」、あるいは「口を閉じて
数えなさい」と指示する。声を出させない、口をもぐもぐさせない。

(3) 10ずつまとめて数える……(1、2、3,4,5,6,7,8,9,10、
1,2,3,4,5,6,7,8,9,20、1,2,3,4,5,6,7,8,
9,30……)と、(10)(20)(30)と数えさせていく。

方法としては、

(1) 手をパンパンとたたいて、それがいくつかを当てさせる。
(2) 反対に、子どもに、できるだけ早く、10(あるいは30)を、たたかせる。
そのときも、声を出させない、口を閉じてさせる。

数の信号化ができ、それが早くできるようになれば、あとあと計算力のある子どもに
なる。

たとえば(2+3)は、「ピピと、ピピピで、5」と。

(BW方式 計算力) 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

★幼児の計算力(1)
________________________________________

(BW方式)(早数え)

+++++++++++++++++++++

幼児期においては、計算練習に先立って、早数えの練習をしておくとよい。
(ひとつ、ふたつ、みっつ……)ではなく、(イチ、ニ、サン……)と。
さらに慣れてくると、(イ、ニ、サ、シ……)となり、(ニ、シ、ロ、ハ……)となる。
ここでいくつかのコツがある。

(1) 数の信号化……(イチ、ニ、サン、シ……)ではなく、(ピ、ピ、ピ……)と
頭の中で信号化させる。 

●Absence makes the heart grow fonder.
________________________________________

●Absence makes the heart grow fonder.
そばにいない人への想いは強くなる。

総じて言うと、恋心というのは離れれば離れるほど燃えあがり、
そうでない関係は、疎くなるということか。
子どもが恋をしたら、そっとしておいてやるのが、最善。
無理に引き離そうとすればするほど、たがいに強く求めあうようになる。
が、それだけではすまない。

子どもの側からすると、「親を取るか、恋人を取るか」の択一に迫られる。
親を取ればそれでよし。
そうでなければ、その時点で、親子の関係は切れる。 

●Accidents will happen ...
________________________________________

●Accidents will happen in the best-regulated families.
事故というのは、もっとも管理された家庭で起こる。

子どもへの過干渉が悪いのは、子ども自身が自ら考える力を失ってしまうこと。
子どもを管理すればするほど、子どもは非常識になり、常識はずれの行動を
繰りかえすようになる。
家庭教育には、(いいかげんさ)が大切。
その(いいかげんさ)の中で、「子どもは自ら考え、自ら行動し、自ら責任をとる」
という自由の三原則を身につける。

●Actions speak louder than words.
________________________________________

●Actions speak louder than words.
行動は、言葉よりも、効果がある。

子どもは家庭の緊張感に巻きこまれながら、伸びる。
親が寝そべっていて、「新聞をとってきて!」は、ない。
親もキビキビと行動し、その中に子どもを巻きこんでいく。
「ぼくがそれをしなければ、みなが困るのだ」という雰囲気を、用意する。
そういう力で、子どもを動かす。
よく「しつけ」が話題になるが、しつけというのは、言葉でするものではない。
しつけというのは、行動でするものである。 

●Art is long, life is short
________________________________________

「Art is long, life is short」は、日本では、人生は短いが、芸術は死んだあとも、長
く残ると解釈されている。しかしこれはまちがい。もともとの意味は、ヒポクラテスが、
「医療の技術(art)を手にするには、人生(life)は短すぎる」と言ったことによる。それ
が誤訳されて、西洋に伝わった。 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●左右の感覚

++++++++++++++++

時事通信に、一枚の写真が載っていた。
興味ある写真だった。

時事通信の記事は、つぎのように伝える。

『・・・戦車が進む雪原の沿道に「中央高速道路、春川ー釜山、374キロ」と書かれた標識
のほか、韓国南部の都市「金海」の表示もあった。韓国の高速道路を進撃するのを想定し
ているとみられる』(以上、時事通信)と。

つまりあのK国が、軍事訓練をしたという。
そのときの写真が公表された。
写真には、どこか時代遅れの小型の戦車(TANK)
と同時に、「中央高速道路、春川ー釜山、374キロ」と
書かれた看板が載っていた。

それについて、時事通信は、「韓国の高速道路を進撃する
のを想定しているとみられる」とコメント書いている。

いつものことだから、記事自体には、興味はない。
興味をひいたのは、写真のほうだった。
戦車は、向かって左側から、右側に走っていた。
またそういう写真だった。
その写真に私はひきつけられた。

+++++++++++++++++

●常識?

 私はその写真を見たとき、一瞬、「あれっ!」と思った。
「向きが逆ではないか?」と。

 つまり報道された写真どおりとするなら、戦車は、北、つまり中国、もしくはロシア側
に向かって進んでいることになる。
そういう印象をもった。
K国が、韓国を「進撃する」というのなら、向きは、向かって右側から左側にしなければ
ならない。

 が、そのすぐあと、私は私のまちがいに気づいた。
日本から見れば、たしかにおかしい。
しかし一度、K国の首都のP市に視点を置いてみると、そうではない。
この(向き)でよいことがわかる。
P市に住む人たちなら、何もおかしく思わないだろう。

●進撃?

 こんなことはありえないが、そこで私は、こう考えた。
あくまでも想像上での話である。

 仮に私が住む遠州地方と、東北地方が、戦争状態になったとする。
そのとき私が、プロパガンダ(情宣)用の写真を撮ることになったとする。
そのとき私は、東北に向かう戦車を、どちらの向きにするだろうか、と。

 このばあい、私なら、戦車の向きを、向かって左側から右側に走っている写真を載せる。
(もちろんその写真を張る場所にもよるだろうが・・・。)
右側から左側に走っている写真だと、何だか退却しているような感じになる。

 もう少しわかりやすくするために、図示してみる。

(→■→)・・・東北地方に進撃(矢印は戦車が進む方向)
(←■←)・・・東北地方から退却

 こうした感覚には、個人差がある。
だから逆に考える人もいるかもしれない。
あるいは東北地方に住んでいる人なら、どちらの向きにするだろうか。

●老後の親

 こうして考えてみると、私たちがもっている常識的な感覚というのは、ずいぶんといい
かげんなもであることがわかる。
そのとき、自分がどういう立場にいるかだけで、それがいとも簡単に、ひっくり返ったり
する。
こういう例は、多い。

 たとえば親と子どもの関係。

 私たちの時代には、子どもが老後の親のめんどうをみるという意識は、当たり前のこと
だった。
常識以上の常識だった。
が、今は時代が変わった。
子どもたちの意識も変わった。
もう13年も前の調査だが、「老後の親のめんどうをみる」と答えた青年男女は、5人に1
人もいない(内閣府調査)。

それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%! 
この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。
さらに東南アジアの若者たちの、80〜90%という数字と比較してみるとわかる。
しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている(19
97年)。

●親子関係

 こう書くからといって、私の息子たちを責めているのではない。
批判しているのでもない。
私の息子たちも、今の若者たちの、ワン・オブ・ゼム。

 その息子たちと会話をしていても、老後の私たちのめんどうをみるという気持ちが、ま
ったくないことがわかる。
そういう雰囲気さえ、ない。
「家族を大切にする」とは言うが、今の若者たちにとっての「家族」というのは、自分と
配偶者、そして子どもたちでつくる家族をいう。
そこには親の姿は、どこにもない。
影もない。

 むしろ立場は逆で、子どものほうが、親に援助してもらうのが、当然と考えている?
わかりやすくするために、それを図示してみると、こうなる。

(親←子)・・・私たちの世代の考え方(矢印は援助の方向)
(親→子)・・・今の若者たちの考え方

●私たちの老後

 私たちは、私たちの老後を、そういう前提で考える。
幻想こそ、禁物。
もしあなたが、まだ幼い自分の子どもをみながら、「私はだいじょうぶ」「うちの子にかぎ
って・・・」と考えているとしたら、幻想以外の、何物でもない。

 実は、私もそう考えていた。
心のどこかでそれを信じていた。
だからこと学費について言えば、身銭を削って、息子たちに与えてきた。
どれだけ苦労しても、「苦労した」という泣き言を、息子たちに言ったことはない。
むしろ余裕があるような顔をして、息子たちには心配をかけないようにしてきた。
が、そんな親の気持ちなど、息子たちというより、今の若者たちには、通じない。  

 だから私はあえて言う。
『必要なことだけはしなさい。その限度をわきまえている親のみが、真の家族の喜びを与
えられる』(注)(バートランド・ラッセル)と。

(注:イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセ
ル(1872〜1970)は、こう書き残している。
『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれ
ど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを
与えられる』と。)

●ものの考え方

 遠州地方から東北地方を見る。
反対に東北地方から遠州地方を見る。
それだけで、戦車の向きが逆になる。

 同じように、若者たちの世界から老人を見る。
老人の世界から若者たちを見る。
それだけで、ものの考え方が、180度変わる。

 どちらが正しいとか、正しくないかということを論じても意味はない。
ただ言えることは、私たちも、かつては若者であったということ。
そして今の若者たちにしても、確実に、いつかは老人になるということ。

 が、今の若い人たちに、いくら警告しても意味はない。
若い父親や母親にしても、そうだ。
「それは幻想ですよ」といくら説いても、意味はない。
この問題だけは、自分が老人になってみないとわからない。
まず、苦労に苦労を重ねて、自分の子どもたちを育ててみる。
学費を払ってみる。
その結果として、それぞれが自ら発見していく。
今、言えることは、それだけということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 内閣府 親のめんどう バートランド・ラッセル)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2010年1月7日

+++++++++++++++++++

今日は、アメリカに住むデニースさん(嫁)の
誕生日。
時差が11時間ほどあるため、祝いの電話を
かけるタイミングがむずかしい。

Happy Birthday, Denise!
Hiroshi & Akiko Hayashi, Japan
Jan. 7th 2010

++++++++++++++++++++

●2050年には、2・6人に1人が、高齢者(満65歳以上)。

 今日の夕刊に、こんな記事が載っていた(中日新聞)。
それによれば、2050年には、なんと、2・6人に1人が、高齢者(満65歳以上)に
なるという。
比率でいえば、37・8%(2050年)。

2050年といえば、40年後。
現在、25歳前後の人が、満65歳になるころには、日本中は、老人だらけ・・・という
状態になる。
(今でも、老人だらけだが・・・。)

 こういう記事を読むと、がぜん、私は闘争心がわいてくる。
団塊の世代は、たくましい。
ちょっとやそっとのことでは、くたばらない。

●平均寿命は、男性79歳前後、女性86歳前後

 現在の統計によっても、男性の平均寿命は79歳前後、女性の平均寿命は86歳前後。
その一方で、「健康寿命」という言葉がある。
健康寿命というのは、「健康でいられる年齢」ということ。
平均して、(平均寿命)−(10年)が、健康寿命ということらしい。
それによれば、男性の健康寿命は、満69歳前後、女性の健康寿命は、満76歳前後。
残りの10年は、病気との闘いということになる。
そういう意味では、ポックリと死ねる人は、まだ幸福(?)ということになる。
私も、できれば、ある日、突然、ポックリと死にたい。

 しかしこの世の中、生きるのもむずかしいが、死ぬのもむずかしい。
生きたいと思いつつ、生きることのできない人も多い。
が、死にたいと思っていても、死ぬことができない人もいる。
ア〜ア。

●うつ状態

 正月明けから、調子が悪かった。
ずっと悪かった。
が、今日(7日)になって、やっと、調子が戻ってきた。
完全にうつ状態。
何を考えても、憂うつ。
何をしても、憂うつ。
気が晴れない。
そんな状態だった。

 が、今日は山荘へ行き、ワイフと日なたぼっこ。
縁側に椅子を出し、日光に当たりながら、ウトウトと眠った。
気持ちよかった。
それがよかった。
目が覚めたとき、周りの世界が一変しているのに、気がついた。
そして私は、こう宣言した。

「これからは、自分の人生を生きてやる!」と。

●子離れ段階論

 人は順に親離れし、子離れしながら、歳を取っていく。
しかし急に親離れし、子離れするのではない。
ちょうど階段を上り下りするように、何かのきっかけで、トントンと、親離れしたり、子
離れしたりする。
トントン・・・、とだ。

 で、最終的には、夫婦であれば、(2人ぼっち)、ひとりであれば、(独居老人)となる。
またそれを恐れる必要はない。
どうせそうなる。
みんなそうなる。
死後、白骨化した状態で、他人に発見されるかもしれない。
しかしそれも、それ。
それでもよい。

●意欲

 悔いのない人生を送る。
結局は、そこへ行き着く。
やりたいことをする。
思う存分、する。

 ・・・ということで、山荘からの帰り道、パソコンショップへ寄って、新しいハードデ
ィスクと、ハードディスクの交換ソフトを購入した。
64ビット・パソコンには、64ビット・パソコン対応用のソフトが必要。
つまり新しいパソコンには、新しいソフトが必要。
結構、出費が重なる。
が、そのとき、こう思った。
「こういった意欲も消えたら、おしまい」と。

 「〜〜したい」という意欲は、脳の中のドーパミンというホルモンで決まる。
フロイトは、それを「性的エネルギー」と呼んだ。
ユングは、「生的エネルギー」と呼んだ。
それが線条体の受容体に作用して、いろいろな条件反射反応を引き起こす。
それが「〜〜したい」という意欲につながる。

 が、もしそれもなくなったら・・・。
死んだも、同然。
墓場へ足を、半分、つっこんだも、同然。
だから意欲が消えないうちに、その意欲を満足させる。

 「もう遠慮しないぞ!」と、まあ、そんなふうに、自分で自分に言って聞かせる。

●団塊の世代へ

 だから生きてやる。
死ぬまで生きてやる。
いやなこともある。
つらいこともある。
くやしいこともある。
しかし生きていくしかない。
どうせ生きるなら、燃やして、燃やして、燃やし尽くす。
何が、高齢者だ!
何が、少子化だ!

 団塊の世代が、75歳までがんばれば、少子化の問題は解決する。
今、元気な人たちだけでよい。
そういう人たちが、75歳までがんばれば、まだこの日本は、何とかなる。
だからがんばろう!
みんなで力を合わせて、がんばろう!

 ・・・で、75歳になったら、どうする?
あとは、ポックリと死ねばよい。
どうせ病院も、本気で治療などしてくれない。
すでに今、そうなりつつある。
だから期待しないこと。
甘えないこと。
 
 ・・・とまあ、自分にそう言い聞かせながら、この文章を書いている。

●GOOD NEWS!

 悪いことばかりではない。
今朝、パソコンを開いてみたら、昨日のHPへのアクセス数が、軒並み、1000件を超
えていた。
私は全部で、20前後のHPを開いている。
単純に計算すれば、20x1000=2万件ということになる。

 たった1日で、2万件!

 中には、1人で何回もアクセスしてくれた人もいる。
だから実際には、2万件イコール2万人、ということではない。
が、同時に、HPのほかのページへ、ハイパージャンプして、アクセスしてきた人も多い
はず。
「ハイパージャンプ」というのは、HPのトップページを経由しないで、アクセスしてく
ることをいう。
ハイパージャンプのばあいは、HPへのアクセス数としてはカウントされない。
だから実際には、2万件どころか、その数倍は、ある。・・・とみる。
あるいはもっと多いかもしれない。

 それに加えて、BLOGへのアクセス数もある。
現在6誌ほど、発行している。
こちらも毎日、1誌につき、500〜1200件ほどのアクセスがある。
それを合計すると・・・。
これはたいへんな数になる。
つまりそれだけ多くの人たちが、私の書いた文章に、目を通してくれている。

 みなさん、ありがとう!
本当に、ありがとう!
みなさんが、私に生きがいをくれる。
私はみなさんに、情報を与える。
ギブ&テイク!

 これからも、がんばります。

 ただ電子マガジンだけは、低迷している。
読者がふえない。
電子マガジンの時代は、終わったのか?
そういう感じがしないでもないが、しかし私にとっては、電子マガジンに載せる原稿が、
最終原稿。
一度BLOGなどで発表したあと、推敲したりして、電子マガジンに載せている。
だからみなさん、どうか電子マガジンを購読してほしい。
今年も、よろしくお願いします。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●怒りについて

+++++++++++++++++

仏教では、人間の心は水のようなものと説く。
濁った水になることもあれば、色のついた
水になることもある。
火でわかせば、沸騰することもある。
しかし何よりも大切なのは、澄んだ、濁りのない水。
色のついた水では、真理は見えない。
沸騰した水では、正しく判断することはできない。

+++++++++++++++++

●清らかな心

 3大煩悩に、「貪、瞋、痴」がある。
はげしい怒りのことを、「瞋(しん、じん)」という。

『貪(どん)』というのは、「貪(むさぼ)ること」をいう。
『瞋(しん)』というのは、「激しく怒(いか)ること」をいう。
『痴(ち)』というのは、「無知なこと」をいう。

そのほかにもいろいろあるが、私たちの肉体は、これらの
煩悩に満ち溢れている。
これらの煩悩が、自分の内にある『菩提心』(すべての人々を愛すること)
が目覚めるのを邪魔する。
世親(300〜400年ごろの人、パキスタン、ペシャワール
あたりの人とされる※)が、そう説いている。

だから世親は、菩提心を呼び起こすためには、心(精神)を、
一度、肉体から切り離さなければならないと説いた(『浄土三部経』)。

 とくに気をつけたいのが、「貪、瞋、痴」の「瞋」。
「沸騰」というのは、その「怒り」を意味する。
心が煮えたぎったような状態をいう。

●怒り

 (怒り)といっても、(1)感情的な怒りと、(2)非感情的な怒りがある。
感情的な怒りというのは、どこかの暴力団員が、大声でわめき散らしている姿を想像すれ
ばよい。
「瞋」とは、それをいう。
それについては異論はない。

 それに対して、非感情的な怒りがある。
拉致被害者のYTさんを思い浮かべてみればよい。
娘のMGさんは、あの金xxの指令によって、K国に拉致されている。
そのため休むことなく、全国を回って、拉致被害者の救済活動をつづけている。
その姿がテレビで報道されるたびに、私たちは、やりようのない、つまりガラス板を爪の
先でこするような(怒り)を覚える。
これを「非感情的な怒り」と表現してよいかどうかは、知らない。
そう表現すること自体、YTさんに失礼なことかもしれない。

 が、そうした怒りがあるからこそ、私たちはこうして抗議の念をこめて、K国を糾弾す
る。
金xxを糾弾する。
(名前を「金xx」と表記しているのも、そのため。)

つまり怒りを忘れたら、私たちは、真・善・美の追求すら、ままならなくなる。
(怒り)が、すべて煩悩というわけではない。

●知らぬが仏

 話は変わるが、『知らぬが仏』という諺もある。
何ごとも、「我、関せず」と、距離を置けば、仏のように静かな境地でいられる。
しかし考えてみれば、これほど、無責任な生き方はない。
またそういった無責任な生き方をしている人を、「仏」とは言わない。

 ただしこれには重要な条件がある。
知るにしても、関するにしても、宇宙的、地球的、人間的、生物的・・・。
そういった規模で、知ったり、関したりする。

 身近な痴話話(ちわばなし)は、知らなくてもよい。
関しなくてもよい。
たとえば以前、こんなことを言った知人がいた。
「ぼくは、毎朝、新聞のお悔やみ欄には、かならず目を通している」と。

 私自身は、めったに見たことがない。
見るとしても、ワイフに誘われて、月に、1、2度程度。
どこでだれが死のうと、私には関係ない。
興味もない。
どうせ「つぎは、私」。

●道理

 もっとも感情的な(怒り)をコントロールするのは、むずかしい。
むずかしいというより、(怒り)は常に、何らかの感情的な反応をともなう。
(怒り)と感情は、表裏一体。

が、もしその間に一線を引くとしたら、(道理)ということになる。
(怒り)を覚えたら、どんどんと自分の中に、道理を掘り下げていく。
道理を掘り下げていくことで、(怒り)と感情を分離する。

 が、それで(怒り)が消えるわけではない。
中には、(許しがたい怒り)というのもある。
どう理性で割り切ろうとしても、割り切れない(怒り)というのもある。
自分の力では、乗り越えられない(怒り)というのもある。

が、その(怒り)すらも否定してしまうと、そのあとにやってくるのは、乾いた絶望感。
虚脱感。

●痴話話(ちわばなし)

  たとえば信頼していた人に裏切られたようなケースを、想像してみればよい。
夫(妻)でもよい。
親や兄弟でもよい。
息子や娘でもよい。

卑近な例として、夫(妻)に愛人ができ、その愛人と不倫関係をもったばあいを想像して
みればよい。
そこはまさに、世親が説く、「瞋」の世界。
そのとき冷静でいられる人は、いったい、どれだけいるだろうか。
道理の世界でもない。
また道理だけでは、乗り越えることはできない。
しかし、これこそが、私が言う「痴話話」ということになる。

●未来に向けた怒り

 そこで(怒り)をさらに掘り下げてみる。
するとその(怒り)にも、2種類あるのが、わかる。
(1)過去に向けた(怒り)と、(2)未来に向けた(怒り)。

 「今は、常に過去の結果」と考えると、(怒り)は、常に過去に向かう。
夫(妻)に愛人ができ、不倫しているのがわかったとき、妻(夫)がどのように反応する
か。
それが過去に向けた怒りということになる。
「私の人生は、何だったのよ!」「私の人生を返して!」と。
このばあいは、喪失感がからんでくるため、(怒り)は、どうしても感情的になりやすい。
どんなに悔やんでも過去を取り戻すことはできない。
だから感情的になる。・・・ならざるをえない。

 一方、未来に向かう(怒り)というのもある。
この地球が、やがて火星のようになった状態を想像してみればよい。
このばあいは、(怒り)は常に、道理をともなう。
道理として処理できるから、感情的になることはない。

 つまり(怒り)というのは、過去に向けたものであってはならないということ。
一方、それが、「瞋」であれ、未来に向けたものであれば、許される。
またその(怒り)こそが、私たちが今、なぜここにいて、生きているかという理由にもな
る。

●では、どうするか?

 「今が過去の結論」と考えてはいけない。
・・・とっぴもない結論に思う人もいるかもしれない。
しかし(怒り)を分析していくと、そうなる。

 つまりなぜ私たちが(怒り)を覚えたとき、感情的になるかといえば、(思うようになら
なかった過去)を引きずるからである。
が、「今」は、けっして過去の結論ではない。
「今」は、常に未来へのスタート点である。

 そういう視点で、身の回りを見ると、世界が一変する。
今、そこにあるものがなんであれ、それを受け入れてしまう。
そしてそこを原点に、未来に向かって、ものを考える。
とたん感情的な(怒り)、過去に向かった(怒り)が、消える。

 だから「今は過去の結論」と考えてはいけない、・・・ということになる。

●まとめ

 自分でもよくわからない。
わからないまま、この文章を書き始めてしまった。
そのためまとまりのない文章になってしまった。
が、こういうことは言える。

要するに「心」というのは、澄んだ、清らかなほうが、よいということ。
そのためにも、「貪、瞋、痴」は、心の大敵ということ。
それは世親が説いたとおり。

ただ(怒り)については、それを頭から否定してしまってはいけない。
ここにも書いたように、内容は、そのときどきによって、大きく変わる。
ときには、生きる原動力になることもある。

もちろん感情的な怒りや、過去に向かった怒りは、避ける。
心を腐らせる。
それを避けるためには、心は常に、未来に向かって大きく開く。
過去ではなく、未来に向かって、である。
(怒り)を覚えたときには、とくにそうである。
それこそ「私の知ったことか!」と叫んで、前に進めばよい。

 私がここで書きたかったことをまとめると、そういうことになる。
しばらく時期をおいて、再び、この問題につて考えなおしてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 世親 貪、瞋、痴 怒りについて、菩提心 心につ
いて)

+++++++++++++++++

(怒り)について考えているとき、
以前、尾崎豊の「卒業」について書いた
原稿を思い出しました。

それをそのまま転載します。
(中日新聞掲載済み)

+++++++++++++++++

【若者たちが社会に反抗するとき】

●尾崎豊の「卒業」論

学校以外に学校はなく、学校を離れて道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は、『卒業』の
中でこう歌った。「♪……チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべき
か考えていた」と。「人間は自由だ」と叫んでも、それは「♪しくまれた自由」にすぎない。
現実にはコースがあり、そのコースに逆らえば逆らったで、負け犬のレッテルを張られて
しまう。尾崎はそれを、「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。

宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢をもて」と。しか
し夢をもてばもったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことすら許
されない。ほんの一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけが、そこそ
この夢をかなえることができる。大半の子どもはその過程で、あがき、もがき、挫折する。
尾崎はこう続ける。「♪放課後街ふらつき、俺たちは風の中。孤独、瞳に浮かべ、寂しく歩
いた」と。

●若者たちの声なき反抗

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パ
ツ、腰パン姿の学生を、「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精一杯、自己主張
しているだけだ。それがだめだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというの
か。そういう弱者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よ
くまじめなんてできやしなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなとの
争い」でもあった。

実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が二億円もあるようなニュースキャスタ
ーが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につ
けているテレビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄金を訴える。こういう
のを見せつけられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。そこで尾崎は
そのホコ先を、学校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回った……」と。もちろん窓
ガラスを壊すという行為は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方法が思いつか
なかったのだろう。いや、その前にこういう若者の行為を、誰が「石もて、打てる」のか。

●CDとシングル盤だけで二〇〇万枚以上!

 この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、二〇〇万枚を超
えた(CBSソニー広報部、現在のソニーME)。「カセットになったのや、アルバムの中
に収録されたものも含めると、さらに多くなります」とのこと。この数字こそが、現代の
教育に対する、若者たちの、まさに声なき抗議とみるべきではないのか。

(付記)
●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、
中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず1人の
中学生(中2女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないの
か」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。

もう1人の中学生(中2男子)は、「それよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「で
は、今ここに1億円があったとする。それが君のお金になったらどうする?」と聞くと、
こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに5人の中学生がいたが、皆、
ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくな
っているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(20
01年)でもわかる。

 15〜17歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えた
のが、41・8%、「悪くなっている」と答えたのが、46・6%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリ
トルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(2
001年4月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話
しあって決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今
日は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれない
が、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦
しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そう
いう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●補足

 この中で私は、2人のタレントを批判した。
あの人とあの人である。
「・・・年俸が二億円もあるようなニュースキャスターが、『不況で生活がたいへんです』と
顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につけているテレビタレントが、別のとこ
ろで、涙ながらに難民への寄金を訴える」と。

 当時、こう書けば、みな、(あの人)が、だれであるかわかった。
で、この原稿を書いてから、10年。
彼らがいかに偽善者であったかは、この10年だけをみてもわかる。

たとえば難民救済活動をしていた、あの人。
その周辺部分、つまり連続性が、まるで浮かび上がってこない(?)。
その後、別の(あの人)に、活動をバトンタッチしてからは、いっさい、音沙汰なし!

 それほどまでに高徳なボランティア活動をしながら、したのは、(そのときだけ)。
最近でも、また別の(あの人)が同じようなことをしている。

 そこに至る過程の中で、たとえばホームレスの人たちのために、炊き出しをしたとか、
貧しい子どもたちを家で預かったとか、そういう経緯があればよい。
それをいきなり、アフリカの難民救済運動?
一度、ラオスで、そういった活動をしている人に会ったことがある。
当時、50歳くらいの女性だった。
もの静かな女性で、腕を白い包帯で巻いていた。
活動しているときに、けがをし、日本へ一時帰国していた。
もちろん無名の女性である。
そしてその女性がそういう活動をするようになった背景には、10年単位の歴史がある。

 が、これらの(あの人)には、周辺部分もなかれば、連続性もない。
積み重ねもない。
つまりインチキ。
偽善。
もっと言えば、難民の人に対する冒涜!
集められた寄金なるものは、どこにどう消えたことやら?

 つまりこれが私が言う(怒り)である。
この(怒り)を忘れたら、それこそ、この世界は、闇!
・・・と思いつつ、こうして文章を叩いている。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   12日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page021.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。よろしかったら、お願いします。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

特集【介護と子どもの意識】

●介護と子どもの意識

+++++++++++++++++

介護問題に隠れて、表に出てこないが、
その裏には、子どもたちの意識の変化
がある。
現在、ほとんどの子どもたちは、「経済的に
余裕があれば、親のめんどうをみる」と
考えている(日本)。
しかし経済的に余裕のある人は、いない。
みな、それぞれが精いっぱいの生活を
している。

つまりこの調査結果を裏から読むと、
「めんどうはみない」となる。
が、ことはさらに深刻である。

(めんどう)どころか、(老人への虐待)が、
深刻化している。

10年ほど前に書いた原稿をさがしてみる。
(10年前ですら、そうだったということを
わかってほしいから。)

++++++++++++++++++

●ジジ・ババ受難の時代

++++++++++++++

年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。

これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。

++++++++++++++

 私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、
ジジ・ババへの風当たりが強くなってきている。

 若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配
者をののしる表現が、最近、目につくようになってきた。ある交通事故の相談を専門に受
けつけるBLOGには、こんな書きこみすらあった。

 「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。おかげで、こちらは2週間も入院。
そのジジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。あんなジジイに、何度も
見舞いに来られて、うるさくてしかたねえ。こっちは、迷惑している」と。

 その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。

 つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。そんな感じがする。
老人医療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになって
きた。加えて、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。
若者たちは、程度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。

 これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。「現在の日本の繁栄を築き
あげたのは、私たちの世代だ」と。

 しかしこれは、ウソ。団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。

 たしかに結果的には、そうなった。つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、
身勝手な論理にすぎない。私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんば
ってきただろうか。私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってき
た。結果として日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。

 そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。

 しかしこれは深刻な問題でもある。

 これから先、高齢者はもっとふえる。やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以
上になるとも言われている。そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目
で見るだろうか。そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。

 ジジ・ババは、ゴミ。
 ジジ・ババは、臭い。
 ジジ・ババは、ムダな人間、と。

 そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この
日本は、たいへん住みにくい国ということになる。そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常
的に起こるようになるかもしれない。

 では、どうすればよいのか。

 ……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもと
いうことになる。が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊さ
れている。親たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」
などと言っているうちに、そうなる。

 中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマン
といる。反対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、
親思いになる。ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた
自身のことを考えてみればよい。

 「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。「親の恩も遺産次第」と考えて
いる若者は、もっと多い。たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみ
る」と答えている。つまり「余裕がなければ、みない」※と。数年置きに、総理府が調査
しているので、そのうち、これについての全国的な調査結果も出てくると思うが、これが
現状と考えてよい。

 私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。そこでは、30〜4
0人の老人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をしている。見
た目には、のどかで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわから
ない。

 すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。補助金
を削減し始めている。10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきび
しくなる。単純に計算しても、今は30〜40人だが、それが90〜120人になる。

 そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろう
か。またどのように考えるだろうか。

 老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。ケア・センターでは、老
人たちが、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりして
いる。ああいうのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。

 高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。そういう人たちが、手をたたいて、
カラオケで童謡を歌っている! つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言え
ない。また、そうであっては、いけない。

 わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。社
会とかかわりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。そういうか
かわりあいというか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それな
りにの(人間)として認められるようになる。

 「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄
できたか、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていは
いけない。

 私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に! 姿勢を低くして、
若者や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。その努力を今から、怠ってはい
けない。

++++++++++++++++

古い原稿を再掲載します。

++++++++++++++++

●本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。そ
こで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。そ
れにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。

そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。「それ
だけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。親の恩も遺産次第というわけだ
が、今、こういう若者がふえている。

 97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後のめ
んどうを、あなたはみるか」と。

それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%! こ
の数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。さらに東南アジア
の若者たちの、80〜90%という数字と比較してみるとわかる。しかもこの数字は、
その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。このことからもわかる
ように、若者たちのドラ息子化は、ますます進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになっ
た。金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、
平均27万円。この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。

だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。そ
れこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。が、肝心の大学生は、大学生とは名ば
かり。大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている! 先日も京都に住む自分の息子
の生活を、見て驚いた母親がいた。春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけ
っぱなし。毎月の電話代だけでも、数万円も使っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。
何をいまさら」ということになる。「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもす
らいる。今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではない
か。

大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。あるいは
ブランドだけで、大学を選ぶ。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業
できたという学生もいる(新聞の投書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。「先生、
私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。

私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。私があきれていると、その母親は、
さらにこう言った。「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものお
けいこ塾の費用だけでも、月に4万円もかかります」と。しかし……。今、こういう親
を、誰が笑うことができるだろうか。

(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。月平均になおすと、約26・6万
円。毎月の仕送り額が、平均約12万円。そのうち生活費が6万5000円。大学生をか
かえる親の平均年収は1005万円。自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均
借金額は、182万円。99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)

+++++++++++++++

つづいて03年(7年前)に書いた
原稿を添付します。

+++++++++++++++

●高齢者への虐待

+++++++++++++

やはり高齢者への虐待が
ふえているという。

これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。

+++++++++++++

 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の
介護サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったとい
う(03年11月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待
があったということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。

 虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。
夫が虐待するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。

 これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いとい
うことになる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。こうし
た虐待は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。最近の若者のう
ち、「将来親のめんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府
の調査)。

 しかし考えてみれば、おかしなことではないか。今の若者たちほど、恵まれた環境の中
で育っている世代はいない。飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。
本来なら、親に感謝して、何らおかしくない世代である。

 が、どこかでその歯車が、狂う。狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。

 私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。

 話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだっ
たの」「こんなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。

 しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。言葉の虐待である。

 親は、子どものためと思ってそう言う。(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそ
う言うのだが……。)子どもの側で考えてみれば、それがわかる。

 子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。しかしその家は、決して安住と、やすらぎ
の場ではない。心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。こ
れはもう、立派な虐待と考えてよい。

 しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信を
いだいている。それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。子どもの心は、その受験期をさ
かいに、急速に親から離れていく。しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。

 その結果だが……。

 あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。あなたの周辺には、心の暖か
い人もいれば、そうでない人もいる。概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でい
た人ほど、今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。

 一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。

 私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生
まで、連続して教えたことがある。そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心が
その受験期にまたがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。

 この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、
ドライで、合理的になる。はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」
というような考え方を、平気でするようになる。

 こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言
えない。つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。

 さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と
言うだろうか。……言うことができるだろうか。あなた自身の老後も念頭に置きながら、
もう少し長い目で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)

++++++++++++++++++++++

少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。

++++++++++++++++++++++

●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほ
ど、子どもの心にあてはまる諺はない。きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえ
た過負担が続くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小
4男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、い
つも他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、
ごくふつうの子どもだった。が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。

何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」
とか、「殺」とかいう文字もあった。しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこ
からは血がタラタラと流れていた。ほかに首のない死体や爆弾など。原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその
日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの
中から引きずり出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような
残虐事件は、現場ではいくらでもある。

その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。一人の子ども(小
二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというの
だ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大き
な問題になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学
生)もいた。牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もい
た。ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。ほかに、つ
かまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつ
けて、殺してしまった子ども(小3男児)もいた。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなく
し、いわゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。

そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担
や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。子どもは自分の中にたまった欲求不満を
何らかの形で発散させようとする。いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによっ
て説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく
知られている。合理的で打算的になる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなたの周囲には、心が温か
い人もいれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、
心が温かいということを、あなたは知っている。子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつける
のはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。そ
れを忘れてはならない。

【追記】

 受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。それは事実だが、破壊された子ども、あ
るいはそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。

 が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。本当の問題は、「では、なぜ、親
たちは、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。

 なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。

 日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。学歴のある人は、とことん得
をし、そうでない人は、とことん損をした。こうした不公平を、親たちは、自分たちの日
常生活を通して、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。

 「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。

 つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。

 しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。意識を変え、制
度を変え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。

 決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。おかしいことは、「お
かしい」と言う。そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日
本は、変る。

 少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。しかしこれだけは
言える。

 あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、
遅いということ。そのとき、気づいたのでは、遅いということ。今ここで、心豊かな親子
関係とは、どんな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●受験競争の弊害

++++++++++++++++

受験競争の弊害をあげたら、キリがない。

問題は、しかし、受験競争そのものではなく、
それがわかっていても、なお、親たちは
子どもの受験競争に狂奔するか、である。

そのあたりまでメスを入れないと、
この問題がもつ本質的な意味を
理解することはできない。

+++++++++++++++++

 精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場
で、他人の心情でものを考えられるかということ。つまり他人への、協調性、共鳴性、同
調性、調和性などによって決まる。

 言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。

 そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それ
だけ精神の完成度が、低いということになる。さらに言いかえると、このあたりを正確に
知ることにより、その人の精神の完成度を知ることができる。

 子どもも、同じに考えてよい。

 子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。しかしこ
れは遺伝子と、発育環境の問題。

 それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。
が、ここでいくつかの問題にぶつかる。

 一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばん
でしまう要因があること。

 二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面
化の自覚がないこと。

 内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。この受験競争は、どこまでも個人的
なものであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。子どもにかぎらず、利己的であ
ればあるほど、当然、「利他」から離れる。そしてその結果として、その子どもの内面化が
遅れる。ばあいによっては、「私」から「私」が離れてしまう、非個性化が始まることがあ
る。

 ……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そうい
う側面がある。ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受
験競争をする子どももいるのはいる。しかしそういう子どもは、例外。

(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれて
いる。『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を
導く』など。それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自
己正当化しているだけ。

 その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に
高邁な人たちかというと、それは疑わしい。疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知
っている。こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)

 実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。

(1)利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
(2)打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
(3)功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
(4)独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
(5)追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
(6)見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
(7)人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)

 こうして弊害をあげたら、キリがない。

 が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。
親自身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたた
きこまれている。それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方を
することができない。

 もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的。
迎合的。

 そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。
いや、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。
今でも、農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。

 一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、
どこか心が冷たい。いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうで
ないと、都会では、生きていかれない? 

これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。しかしこうした印象をもつ
のは、私だけではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。

 子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。避けてはとお
れないこと。それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊
してしまう。しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうで
ないとのとでは、大きな違いが出てくる。

 一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほ
しい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ある母親からの相談(2010年1月7日)

 たまたま今朝、こんな相談が届いていた。
埼玉県K市に住んでいる、MSさんという方からの
相談である。
一部を変えて、そのまま紹介させてもらう。

【MSさんからはやし浩司へ】

はじめまして。
毎日先生のブログを読んでいる者です。私の子供はもう19才と17才になり、子育てと
いう年齢ではなくなっていますが、それでも、何かと心に思うことがあり、子育てのブロ
グを読ませていただいております。

今回、長女の成人式の問題と次女の大学受験のことで、私の気持ちがいっぱいになってし
まい、自分を見失ってしまいそうなので、ご相談しました。
先ず、長女の成人式ですが、着物は娘の好みに合わせレンタルしました。今時のレンタル
は早めの申し込みで、記念写真の撮影は昨年3月に済ませており、夫と私の親にはすでに
アルバムを渡しております。この写真撮影の時、着物を着て帰りましたので、双方の祖父
母宅に寄り、振袖姿を披露しました。

ですが、もうすぐ成人式というのに、長女は成人式には出ないと言い出しました。その時
の私のショックは言葉に出来ません。長女は大学2年で、学費で精一杯の家計ですが、せ
っかくの成人式なので好きな着物を選ばせ、トータル20万円もしました。今、思い起こ
せば、着物を選ぶ時も、写真撮影の時も、娘はずっと不機嫌でした。私は娘の様子を見て
いるだけで吐き気がするほど、気分が悪くなってしまいました。

これも、私がそう育ててしまったのだから・・・ しっかりものの長女のこと、何か出席
したくないよっぽどの理由があるはず、もうすでに振袖姿は見たし、祖父母にも披露し、
アルバムも撮影済み。何が問題なのか? 長女の成人式だもの、本人の好きにすればい
い・・・ と自分に言い聞かせる毎日ですが、なかなか私の気持ちに折り合いが付きませ
ん。これも、許して忘れる・・・でいいのでしょうか?

加えて、次女の大学受験で彼女のストレスが私に向けられ、毎日眼が回りそうです。不安
で不安で仕方ないようです。
私が高卒で、ずっと学歴にコンプレックスを持ち、子供には大学に行ってもらいたいと、
小さい頃から学歴が大事と間違って育ててしまったのがいけないのでしょうね。
夫はいうと、我関せずとばかりに、遠巻きにしております。

こんなことで・・・と笑われてしまいそうですが、中学生の時に、長女、次女とも本当に
大変な時期があり、頭の固い私が変わらざるを得ない事態となりました。それから、子育
てに自身がなくなり、これは共依存なのか?、と思うようになりました。
何かにつけ、私のしていることに自信がないのです。 

何か良いアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。

【はやし浩司よりMSさんへ】

 まず先の「介護と子どもの意識」を読んでみてください。
今のあなたの考え方も、少しは変ると思います。

 簡単に言えば、親の私たちは、子どもに対して(幻想)をもちやすいということ。
その幻想を信じ、その幻想にしがみつく。
「私たち親子だけは、だいじょうぶ」と。

 しかし実際には、子どもたちの心は、親の私たちから、とっくの昔に離れてしまってい
るのですね。
親は子どもの将来を心配し、「何とか学歴だけは・・・」と思うかもしれない。
しかし当の本人たちにとっては、それが(ありがた迷惑)というわけです。
いまどき、親に感謝しながら大学へ通っている子どもなど、まずいないと考えてよいでし
ょう。
それよりも今、大切なのは、自分たちの老後の資金を切り崩さないこと。
あなたにかなりの余裕があれば、話は別ですが・・・。

 お嬢さんたちもその年齢ですから、今度は、あなた自身の年齢を振り返ってみてくださ
い。
そこにあるのは、(老後)ですよ。
今は、まだ(下)ばかり見ているから、まだ気がついていないかもしれませんが、あと5
〜10年もすると、あなたも老人の仲間入りです。

 では、どうするか。
つい先日、オーストラリアの友人が、メールでこう書いてきました。
「子どもたちには、やりすぎてはいけない。社会人になったら、お(現金)をぜったいに
渡してはいけない」と。

 同感です。
私もずいぶんとバカなことをしましたが、それで私の子どもたちが、私に感謝しているか
というと、まったくそういう(念)はないです。
息子たちを責めているのではありません。
現在、ほとんどの青年、若者たちは、同じような意識をもっています。

 だから私の結論は、こうです。

「よしなさい!」です。

 娘の晴れ着など、娘が着たくないと言ったら、「あら、そう」ですまし、そんなバカげた
儀式のために20万円も浪費しないこと。
親の見栄、メンツのために、20万円も浪費しないこと。
それよりもそのお金は、自分の老後のためにとっておきなさい。

 子どもというのはおかしな存在で、そうしてめんどう(?)をみればみるほど、子ども
の心は離れていきます。
それを当然と考えます。

 20年ほど前になるでしょうか。
ある父親が事業に失敗し、高校3年生の娘に、「大学への進学をあきらめてくれ」と頼んだ
ときのこと。
その娘は、父親にこう言ったそうです。

 「借金でも何でもよいからして、責任を取れ!」と。

 そこで私がその娘さんに直接話したところ、娘さんはこう言いました。
「今まで、さんざん勉強しろ、勉強しろと言っておきながら、今度は、あきらめろ、と。
私の親は、勝手すぎる」と。

 率直に言えば、これは「共依存」の問題ではありません。
あなたはまだ「子離れ」できていない。
つまりは精神的に未熟。
それが問題です。

 あなたは子離れし、自分は自分で、好きなことをしなさい。
自分で自分で、自分の人生を見つけるのです。
つまりあなたはあなたで前向きに生きていく・・・。

 その点、あなたを(遠巻きにして)見ている、あなたの夫のほうが、正解かもしれませ
ん。

 ずいぶんときびしいことを書きましたが、そのためにも、前段で書いた部分を、どうか
読んでみてください。
私たち自身の老後をどうするか?
お金の使い方も、そこから考えます。

 二女の方の学費にしても、子どものほうから頭をさげて頼みに来るまで、待ったらよい
でしょう・・・といっても、今さら、手遅れかもしれませんが。
本人に勉強する気がないなら、放っておきなさい。
今のあなたには、それこそ重大な決意を要することかもしれませんが、そこまで割り切ら
ないと、あなた自身が苦しむだけです。
どうせ大学へ入っても、勉強など、しませんよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●介護問題と子どもの意識

 介護保険は、すでにパン状態。
政府は税金をあげることだけを考えている。
しかしそれよりも重要なのは、子どもの・・・というよりは、日本人の意識を変えていくこと。
今のままでは、日本の介護制度は、その根底部分から崩れる。
「心」がない。
心がない介護制度など、またそれによってできる施設など、刑務所のようなもの。
「死の待合室」と表現した人もいる。
そんな施設に入れられて、だれがそれを「快適」と思うだろうか。

 どうして日本人の心は、こうまで冷たくなってしまったのか?
脳のCPUの問題だから、冷たくなったことにすら、気づいていない。
みな、自分は、(ふつう)と思い込んでいる。
またそれが(あるべき本来の姿)と思い込んでいる。

 このおかしさ。
この悲しさ。

 ここに転載させてもらった、MSさんのケースは、けっして他人ごとではない。
私たち自身、あなた自身の問題と考えてよい。

++++++++++++++++

最後にもう一作。
ある母親の嘆きを、掲載します。
10年ほど前、中日新聞に掲載してもらった
原稿です。

++++++++++++++++

●親が子育てで行きづまるとき

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。

『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、
大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼
育してきました。庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎
日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や料理
もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。なのにどうして子どもたちは自己中心
的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。

旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不
精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。二人とも『自然』になんて、ま
るで興味なし。しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの? 私はどうしたらいいの? 最近は互いのコミュニケー
ションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・五〇歳の女性)と。

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こん
な相談があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小三男児)は毎日、
通信講座のプリントを三枚学習することにしていますが、二枚までなら何とかやります。
が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでし
ょうか」と。もう少し深刻な例だと、こんなのがある。

これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だ
け授業を受けました。が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受
けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、
今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。仮に
これらの子どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚や
らせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。そしてその子どもがC
中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親の
エゴには際限がないということ。そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回
される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も
一瞬ドキッとした。しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエ
ゴ。もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。そのつど子どもの
意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。親の独善と独断だけが目立つ。

「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カ
メ、ザリガニを飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子
どもたちは地理が苦手。息子は出不精」と。この母親のしたことは、何とかプリントを三
枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。

この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」と
しての視点がどこにもない。とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」
というところ。この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」
の間には、大きなギャップを感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、
居心地のよい「我が家」であったのかどうか。あるいは子どもたちはそういう「我が家」
を望んでいたのかどうか。結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴ
に気づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみつ
いている! 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 介護問題 子どもの意識 子離れ 子離れできな
い親 私の子育ては何だったの 私の人生は何だったの 私の子育ては、何だったの 親
の悔悟 介護問題 はやし浩司 親のめんどう 親の介護 親の介護問題 内閣府調査)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親のニヒリズム

+++++++++++++++++++

「子どもなんか、産むもんじゃない」と言った人がいた。
実はそう言ったのは、私の母だった。
私が遠く(?)、郷里のM町を離れて住むようになったことについて、
そう言った。
「息子を、浜松の嫁に取られた」とも言った。

++++++++++++++++++

●ニヒリズム

 世の中には、いろいろな親がいる。
それぞれの親は、それぞれにいろいろな思いや考え方をもっている。
たとえば、「息子や息子には、(学)をつけさせない」とがんばっている親もいる。
「へたに(学)をつけさせると、遠くへ行ってしまうから」と。
だからその親は、自分の息子や娘には、勉強をさせない。
「学校は、地元の高校だけでじゅうぶん」と。

 この話は、本当の話。
本当に私が、その親から、そう聞いた。

 また「子どもに学費を出すのは、もったいない」と考えている親もいる。
「大学まで出してやるのは、長男だけ」と。
長男を家の跡取りと考えているから、そう言った。
だから私が、「二男はアメリカに住んでいます」などと言うと、こう言う。
「そんなもったいないこと、よくできますね」と。

●感謝

 私は息子たちを育てているときは、そういうことは、まったく考えていなかった。
息子たちを伸ばすことだけを、懸命に考えていた。
損得の計算をしたことがない。
こと学費については、惜しみなく提供してきた。
「惜しみなく」というのは、「何も言わないで」という意味。

 が、その息子たちが、そういった私に感謝しているかということになると、たいへん疑
わしい。
それがあまりにも当たり前の生活だったから、息子たちは、当たり前と考えている。
いつだったか、私が息子の1人に、こう愚痴を言ったことがある。

 「ぼくらが子どものころには、腹いっぱい、飯を食べることさえできなかった」と。
すると息子は、こう言った。
「そんなのは、バカな戦争をしたパパたちの責任」
「ぼくらには、関係ない」と。
つまり自業自得、と。

 大学へ通う学費にしても、そうだ。
へたに「学費を稼ぐのに、苦労した」などと言おうものなら、(言ったことはないが
・・・)、「頼んだ覚えはない」と言われそう。
反対にこう言われたこともある。
「パパは仕事ばかりしていて、ぼくたちのことをかまってくれなかった」と。

●父親という存在

 そういう自分を振り返りながら、「父親というのは、さみしい存在」と感ずる。
私のばあい、貧乏が何よりもこわかった。
だれからの援助も、受けることができなかった。
がむしゃらに働くしかなかった。
戦後のあの時代、それにつづく高度経済成長の時代というのは、そういう時代だった。
が、それについても、息子たちだけではない、今の若い人たちは、「自業自得」という言葉
を、平気で使う。

 そうそうこんなこともあった。

 息子の1人がアメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
それまでそんなことを考えたこともなかったが、こんな思いが、胸をついた。
「私の父は、台湾でアメリカ兵と接近戦になり、貫通銃創を受けている」と。
つまりアメリカという敵国の、その国の女性と結婚をする(?)。

 今の若い人たちに、こんな話をしても、理解されないだろう。
しかし私には、私なりの思いがあった。
が、息子にしても、そういった話を、「過去の話」と、簡単に片づけてしまう。
あまりにも、簡単に、だ。

 そういう若い人、つまり自分の息子たちを見ていると、あのニヒリズムがムラムラと沸
きあがってくる。
「私は何のために、苦労をしたのだ」と。

●今はわかる

 だから今は、わかる。
「子どもなんか、産むもんじゃない」「息子を、浜松の嫁に取られた」と言った、母の気持
ち。
「息子や息子には、(学)をつけさせない」「学校は、地元の高校だけでじゅうぶん」とい
った人の気持ち。
わかるが、そこまで。

 一方で、それを懸命に打ち消そうという心が働く。
「今まで、楽しかったではないか」と。
息子たちがいたからこそ、ここまでがんばることができた。
もしいなかったら、ここまではがんばらなかっただろう。
金銭的な意味で、損か得かということになれば、損に決まっている。
しかし「金銭的な価値」など、「生きることの価値」に比べたら、何でもない。
無価値とまでは言わないが、「生きる」ことを犠牲にするほどの価値はない。

 ニヒリズムと慰め。
この2つが交互に心の中に現れては消える。
これも私という親の、偽らざる心境ということになる。

(はやし浩司 育児 子育て 評論 育児論 子育て論 教育 教育論 教育評論 はや
し浩司 最前線の子育て論 子供 子ども 子どもへのニヒリズム ニヒリズム 子育て
損得論)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010++++++++はやし浩司

**************BW教室CM

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4249851567/" title="img002 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4054/4249851567_72c2dcf472_o.jpg" width="536" 
height="600" alt="img002" /></a>

はやし浩司***************

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   10日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page020.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●西浦温泉・銀波荘(ぎんぱそう)(2010年1月5日記)

+++++++++++++++++

正月の5日、西浦温泉にやってきた。
愛知県JR蒲郡(がまごうり)から名鉄電車に乗り換えて、10分。
そこから送迎バスで、10分。
家族とともにやってきた。
ワイフと長男、それに私。
泊まった旅館は、「銀波荘」。
「ぎんぱそう」と読む。

3人1部屋で、1人1泊、1万3000円弱。
料金の割には、ちゃんとした旅館。
「ちゃんとした」というのは、一流の旅館という意味。
部屋には、足袋(たび)まで用意してあった。
このあたりりでは、イチオシの旅館とか。
インターネットの某案内コーナーにも、そう書いてあった。
別注料理もあるらしいが、私たちにはどこも、量が多すぎる。
「食べたら損(そこ)ねる」を合言葉に、50〜70%程度食べて、
あとは残す。
だから定額料金のみでの宿泊。
それでじゅうぶん。

++++++++++++++++++

●気分転換

 旅に出ることは、とても大切。
一日中、家の中にこもっていると、ときとして、気がヘンになる。
妄想が妄想を呼び、収拾がつかなくなるときがある。
そういうときというのは、何を書いても、暗くなる。
憂うつになる。
パソコンだけを相手に、部屋に閉じこもっていると、ときどき、そうなる。

●窓の外

 窓の外には渥美半島が横たわっている。
風は強いが、波は静か。
部屋は4階の412号室。
時刻はちょうど夕暮れ時で、西の空に日が沈みかけている。
薄水色の空に、幾重にも重なった紫色の雲が見える。
その下に、低くてなだらかな山が、紺色の影となって連なっている。
長男が、海を行き交う船を見つけた。
「変わった形の船だ」と言った。

 仲居さんの話では、近くにTOYOTAの工場があるという。
その工場から車を運ぶ船らしい。

●展望風呂

 部屋の中は、暑いほど。
こういう日は、ありがたい。
外は身が縮むほど、寒い。
寒いというより、冷たい。
「温泉に入ってこようか」と声をかけると、ワイフが「うん」と言った。

 ・・・ということで、旅行記は、ここでいったん、中断。

(中略)

 たった今、3階にある展望風呂から帰ってきた。
4階の私たちの部屋からは、歩いて30秒もかからない。
和風の、すばらしい展望風呂だった。
(旅館の実名を出して書いているため、悪口は書けない。)
露天風呂も、サウナもあった。
正月ということで、多少混んでいたが、それでものんびりできた。

●サービス

 夕食は、午後6時15分に、お願いした。
この分なら、食事も悪くなさそう。
というのも、一事が万事。
というか、1か所だけ手を抜くということはできない。
雰囲気よし、風呂よし、(今のところ)、サービスよし。
風呂を出たところでは、茶のサービスもあった。
女性がそこに立っていて、「お茶はいかがですか?」と声をかけてくれた。
こういう心遣いがうれしい。

●「来てよかった」

 ワイフと長男は何やらボソボソと話しあいながら、真っ暗になった海を見ている。
遠くに、港の灯りが見える。
目をこらせば、船も見える。
静かな海だが、波の音が聞こえてくる。

「来てよかった」と思った。

 正月3日間は、最悪(?)だった。
原因は、三男。
しかしそれについては、ここには書けない。
書きたくもない。
考えたくもない。
私より長男のほうが、キレた。
「オレが電話で怒鳴りつけてやる!」と、何度も電話機に向かった。

が、ここへ来て、そのいやな気分が吹き飛んだ。
ワイフも、そういう私を見て、うれしそう。

●銀波荘

 手元にマッチがある。
それには、ローマ字で、「Hotel Ginpaso」とある。
反対側には、「三河湾国定公園西浦温泉」とある。
電話は、0533−57−3101。
もっとも今は、電話の時代ではない。
ネットで調べて、ネットで申し込む。
側面に、東京営業所と大阪営業所の電話番号が書いてある。
かなり本気で経営しているらしい。
その本気さが、客の私にも、そうわかる。
伝わってくる。

 正月3が日の間は、年越しそばの振る舞い、おとその振る舞い、奉納太鼓、餅つき、三
河万歳などの、1階ロビーで披露されるという。
(残念! ・・・今日は、1月5日!)

●うつ状態

 うつ状態になると、脳みその中で、いつもとはちがう、別の脳みそが機能し始める。

自分の中に、もう1人、別の自分がいるような感じになる。
それが本来の自分と、たがいに干渉しあうようになる。
本来の自分が、「早く気分をなおせ」と命令する。
が、もう1人の自分が、それに抵抗する。
そういう自分が、たがいに行ったり来たりする。
「悶々とした気分」というのは、そういった状態をいう。

 そしてここが重要だが、うつ状態になると、グーグルマップで、どんどんと地図を拡大
していくかのように、問題が大きく膨らんでくる。
ものごとを悪いほうへ、悪いほうへと考える。
ふだんなら笑ってすませるような話でも、「許せない!」となる。

 だからこうして今日、私たちは温泉はやってきた。

●現実的なものの考え方

 環境を変える・・・それだけのことで、気分は大きく変わる。
前からそういうことはわかっていたが、今回、改めて、それを確認した。
たしかに20年先を考えると、憂うつになる。
しかし20年なんて、遠い未来。
まずつぎの10年を、考える。
さらに今年1年を、考える。
現実を、考える。
ものの考え方を、現実的にする。
気分が変わると、そうなる。
つまりそういう考え方ができるようになる。

●喜び

 で、ものの考え方が現実的になると、今度は反対に、ささいなことの中に、喜びを感ず
るようになる。
たとえば今朝、私のメインHPのトップ・ページを少し変えた。
そのあとのこと。
今までだと、保存するだけで、2時間弱もかかった。
2、3年前に買った、ビスタ・マシンである。
当時としては、最先端のパソコンだった。
が、今回、WINDOW7(i7、64マシン)で保存してみたら、約半分の1時間で、
できた。
そんなことでも、うれしい。
今、それを思い出しながら、ワイフに、「今度のパソコンはすごいよ」と話しかける。

 で、さらに性能をよくするため、今度、高速のハードディスクに取り替えてみようと思
う。
もっと速くなるかもしれない・・・。
「現実的に生きる」というのは、そういうことをいう(?)。

●新しい挑戦

 さらに今日、電車に乗る前に、パソコン雑誌を買った。
それには、(1)ファイル転送サービス、(2)ウェブアルバム、(3)オンライン・ストー
レッジの記事が載っていた。
今では、無料で、高機能のサービスを利用することができるようになった。
何でもないことかもしれない。
とくにパソコンと縁のない人には、理由もわからないだろう。
しかしそういうことでも、喜びにつながる。
「家に帰ったら、さっそく試してみよう」と。

 たとえば現在、画像保存サービスとして、「FLickr」と、「フォト蔵」を使ってい
る。
ともに無料サービス。
それを使って、写真などを、そこへ保存している。
HP(ウェブサイト)などの直接写真を張り付けると、あっという間に、HPが重くなっ
てしまう。
そこでHPやBLOGなどでは、一度、こうしたサービスに、写真を保存しておき、そこ
から呼び出すようにする。
それぞれのサービスによって、内容が大きく異なる。

が、雑誌によれば、「Zooomr」(画像保存サービス)というのもあるらしい。
なかなかおもしろそう。

●夕食

 仲居さんが入ってきて、夕食の準備にかかり始めた。
私はパソコンをもって、縁側(?)のソファに移動した。
「縁側」?
「縁側」と言うのもおかしいから、仲居さんに、「こういう部屋を何と呼ぶのですか?」と
声をかけてみた。
「ベランダ?」「テラス?」。
仲居さんも、「エ〜と、何と呼ぶのでしょうね」と言って笑った。
だから私が勝手に、「縁側」とした。

 その縁側からは、遠くに、一直線になった橙色の灯りが見える。
それが波に揺れるかのように、チラチラと細かく揺れる。
目の前の長男は、じっと窓の外に目を凝らしている。
静かなとき。
穏やかなとき。
仲居さんが食器を並べる音、それに私のキーボードを叩く音。
それだけが、部屋の中を行ったり来たりする。

●決意

 2010年になって、ひとつ決意したことがある。
「虚勢を張らない」ということ。
ありのままをさらけ出す。
もちろんありのままを書く。
さみしい正月だったら、「さみしい正月」と書く。
飾ることはない。
偉ぶることもない。
どうであれ、私は私。
その正月。
さみしい正月だった。
だれも来てくれなかった。
電話もなかった。

 年賀状も、例年の3分の1以下。
昨年は喪中で、1枚も書かなかった。
そのこともあって、今年はぐんと減った。
が、年賀状をくれた人には、全員、返事を書いた。
「今年の友は、一生の友」。

●自己開示

 しかしこれは私にとっては、重大な問題。
自己開示の問題と、直接絡んでくる。
「どこまでありのままを書くべきか」と。

 読者というのは、この文章を読んでいる(あなた)を含めて、不特定多数。
大半の人は好意的に読んでくれていると思う。
しかし中には、そうでない人もいるはず。
そういう人に向かって、プライバシーをさらけ出すのは、危険なことでもある。
が、ウソは書きたくない。
自分を飾った文章は書きたくない。
そういう文章は、あとで読み返しても、不愉快。

 そんなわけで、こう決意した。
「すべてを書くわけではない。しかしウソは書かない」と。

●食事

 ・・・ということで、今日になってやっと調子が戻ってきた。
こうして文章が書けるようになった。
思ったことが、そのままパソコンの画面上で、文章になっていく。
よかった・・・。
プラス、それが楽しい。

 旅行記をもう少しつづける。

 夕食は、よかった。
おいしかった。
調理人が本気で作っている・・・。
というより、真剣?
そんな感じがした。

ふつう、寿司は玉子焼きで、会席料理はそば料理で、評価が決まる。
玉子焼きのおいしい寿司屋の寿司は、おいしい。
同じように、会席料理では、そば料理で決まる。

 寿司屋のばあい、調理人の「味」と「腕」が試されるのは、玉子焼き。
一方、会席料理では、一番手抜きになりやすいのが、そば料理。
そのそば(日本そば)が、おいしかった。

●2時間

 夕食に、2時間もかかった。
のんびりと食べた。
で、今は、ワイフと長男は、テーブルの反対側でDVDを観ている。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。
ときどきワイフと長男の笑い声が、フフフと聞こえてくる。
タイトルは、『人生は、奇跡の詩』。
イタリア映画らしい。

 ・・・というか、私は、かなり眠い。
食後はいつも眠くなる。
胃袋のほうに血が回ってしまう。
もともと低血圧ぎみ。
それで眠くなる。
しかしこうしてキーボードを叩いているほうが、私にとっては、楽しい。

●初夢

 ふと今、初夢のことを思い出した。

昔から、(もちろん迷信だが)、1月2日の朝に見る夢を、「初夢」という。
その夢が、その年の運勢を暗示するそうだ。

(しかしどうして1月2日なのだろう?)

で、私はすごい夢を見た。
今となっては、よく覚えていない。
が、すごい夢だったことは、たしか。
目を覚ましたとき、「すごい夢だった」と思った。
で、その直後は、内容を覚えていた。
が、どういうわけか、今は、覚えていない。
うっすらと覚えているのは、ハハハ・・・。
私がハリウッド映画に出てくるような、大富豪になった夢だったということ。

こういうありえない夢を見るから、人生もまた楽しい。
あるいは何かの映画のつづきだったかもしれない。
その映画の中に、私が俳優として、登場した(?)。
しかしどうしてそんな夢を見たのだろう。

●今年(2010年)の予想

 ついでに少し暗い話も。
今年の国際情勢を語るとき、不安な要素が、3つある。

(1)中国のバブルが、再びはじけるのではないかという不安。
(2)中東(イランvsイスラエル)が、火を噴(ふ)くのではないかという不安。
それにもうひとつ。
(3)アメリカの経済の底が抜けるのではないかという不安。

 中国のバブルがはじければ、日本の株価は、大暴落。
中東で戦争が始まっても、同じ。
中国のバブルが再びはじければ、(円)は一気に円高に向かう。
注目すべきは、上海B株。
この半年近く、上海B株は直線的に上昇しつづけている。
しかしこんな上昇がいつまでも、つづくわけがない。

 もうひとつ目が離せないのは、中東情勢。
イラン。
イスラエル、もしくはアメリカが、イランに対して軍事制裁、軍事行動に出たら最後。
原油価格は高騰し、米ドルは暴騰し、(円)は一気に円安に向かう。
こちらのほうは、「直撃」というよりは、ジワジワと日本経済に影響を与える。
「ジワジワ」といっても、1、2か月単位。

 さらにアメリカの経済の底が抜けたら、どうなる?
07年のあのリーマンショック、あるいはそれ以上の大波が、日本を直撃することになる。

 ・・・ということで、朝、パソコンを開いたら、私はまずこの3つの動きを、ニュース
で追いかける。
中国→イラン→アメリカ、と。

 現在の状況からすると、これら3つが、同時に起きる可能性すらある。
が、もしそうなったら、2年前のリーマンショックなど、そよ風のようなもの。
想像するのも、恐ろしい。
今は世界中が、薄い氷の上を、恐る恐る歩いているようなもの。

●隕石衝突

 ついでにもうひとつ。
 恐ろしいといえば、こんな恐ろしい話はない。
何と、巨大な隕石が地球をめざして、こちらに向かっているという。
直径は、350メートル前後とか?
地球に激突すれば、フランス1国分の土地が、焦土と化すという。
日本の内陸部に落ちれば、本州は2分、3分されるかもしれない。
そのまま日本全体が、日本海溝の底へと沈んでしまう可能性さえある。

 しかし心配無用。
我らには、ブルース・ウィリスという強い味方がいる。
映画『ハルマゲドン』で活躍したブルース・ウィリス。
彼が、何とかしてくれるはず。
・・・というのは、もちろん冗談。

●さびれた田舎町

 旅の話に戻る。

 今日は、先にも書いたように、蒲郡(がまごうり)で名鉄電車に乗り換えて、この西浦
までやってきた。
蒲郡もそうだったが、西浦も、さびれた田舎町(失礼!)。
活気がないというよりは、どの店もシャッターをおろしたまま。
西浦からの送迎バスの中から見たとき、こう思った。
「これはとんでもない所へ来てしまったぞ!」と。

 が、銀波荘へ一歩、足を踏み入れたとたん、様相は変わった。
ビンビンとした活気を感じた。
そこで一考。
どこの温泉街でも、メインの温泉旅館以外は、元気がない。
とくに周辺の商店街は、元気がない。
西浦温泉街のばあいも、ここに書いたように、ほとんどの店が、シャッターをおろしてい
る。
客がいないというよりは、客の趣向が変わった。
歩いて商店街を回る客は、いない。
みやげは、旅館やホテルの中で、買う。
旅館やホテルを抜け出て、遊びに行く人もいない。
まっすぐ目的の旅館やホテルへやってくる。
帰るときも、まっすぐそのまま帰る。

●批評

 しかしほめてばかりいては、いけない。
評論にならない。
いくつか注文というか、要望を書いてみる。

(1)無線LANを使えるようにしてほしい。
(2)持ち込みのDVDを、観られるようにしてほしい。
(3)和式部屋にも、ダブルサイズのふとんを用意してほしい。
 
 今どき、無線LANは常識。・・・と思う。
ちょっとぜいたくかな?

・・・ということで、西浦温泉旅行記はおしまい。 
やっと調子がもどってきた!

(補記)

 寝る前にもう一度、展望風呂に入ってきた。
体重計に乗ったら、何と2キロオーバーの、62・5キロ!
昨日の朝は、60・5キロだったはず。
ギョッ!

 明日の朝は、どうやら食事抜きになりそう。
今夜の食事は、たしかにおいしかった!

 また来ます、銀波荘さん!

(西浦温泉の写真、ビデオは、私のマガジンと、YOUTUBEのほうで紹介しておきま
す。)

(はやし浩司 育児 子育て 評論 育児論 子育て論 教育 教育論 教育評論 はや
し浩司 最前線の子育て論 子供 子ども 子どもの問題 育児評論 はやし浩司 旅行
記 西浦温泉)

(付記)
 本気かどうかということは、たとえば、(1)浴場の中で、小鳥のさえずるBGMが流れ
ていたとか、(2)頼んだ夕食や朝食の時間について、1分単位で正確だったことをいう。
その(本気さ)が、旅館のサービスの質を決める。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老後の喪失感】

●喪失感

 老後というのは、喪失感との闘いと言ってもよい。
(喪失すること)に敏感になる。
(喪失すること)を恐れる。
健康、時間、金銭など。
同時に人間関係も。
だから喪失感と闘う。

 その喪失感が、ときとして被害妄想につながる。
さらにひどくなると、精神そのものを病む。
これがこわい。
こういうとき人は、何か理由をこじつけて、他人に怒りをぶつけたりする。
「だれだれが、〜〜したから、こうなったア!」と。

 しかし本当の理由は、自分自身の中にある。
自分自身の遺伝子の中にある。
それを、自分以外の人にぶつける。
こういうのを心理学の世界でも、「転移」と呼んでいる。
わかりやすく言えば、「八つ当たり」。

●過去における喪失感

 この喪失感には、2種類、ある。
(1)未来に対する喪失感。
(2)過去に対する喪失感。

 わかりやすい例で、考えてみよう。

 「やがてぼくも、ヨボヨボになるのか」と心配するのが、未来に対する喪失感。
一方、「あのとき、あいつがああいうことをしたから、ぼくは、損をした」と考えるのが、
過去に対する喪失感。

 若いときには、いろいろな取引で、毎月のように、100万円単位で、損をしたり、得
をしたりしていた。
だから数百万円の損失など、何でもなかった。
が、今は、そうでない。
損をしたことに敏感になる。
そればかりか、それが心の中で、勝手に膨(ふく)らんでくる。
「あいつのおかげで、ぼくは、xxx万円も損した」と。

 もう少しわかりやすい例では、こんなことがある。 
ある女性は、あるとき夫にこう言って、泣き叫んだという。
「私の人生は何だったのよ!」「私の人生を返して!」と。
これもここでいう過去における喪失感ということになる。

●母のばあい

 さらに晩年の母は、温泉へ入るのをいやがったという。
姉からそういう話を聞いたことがある。
理由をたずねると、「自分の体(=肉体)が、みすぼらしいから(=恥ずかしいから)」と。

 また毎週のように、ひざの治療のため、病院に通っていた。
が、一向にひざは、よくならなかった。
それについて母は、「どうして治らない!」と、医者に向かって怒っていたという。

 これは当時80歳を過ぎていた、母の話である。
しかし私たちもすでに同じようなことを、し始めている。
それがここでいう喪失感との闘いということになる。

●敗北感

 この先、私たちは、どんどんと、失っていく。
いやおうなしに、失っていく。
どんどんと失って、最終的には、ゼロになる。
煙となって、この世から消える。
私の母にしても、あれほどまでに、モノとお金に執着した人だったが、死ぬときは、数枚
の浴衣と身の回りの道具しかなかった。
それがすべてだった。

 だれでもそうなる・・・というよりは、私たちはみな、その過程の中にいる。
が、それを認め、納得し、受け入れるのは、たいへんむずかしい。
「負け」を認めることに等しい。
あるいはときにそれは、そのまま自己否定につながる。
「いったい、私は何のために生きてきたのか?」と。
さらには、「私の人生は、無駄だったのか?」と。

●闘い

 だから闘う。
闘うしかない。
それは若い女性が、年齢を気にしながら、化粧に精を出す姿に似ている。
若さを保つとしても、本当のことを言えば、化粧して、ごまかしているだけ。
30歳の人は、25歳に見られることを喜ぶ。
が、同じ人でも、35歳になれば、30歳に見られることを喜ぶ。
「だったらはじめから、30歳らしく、あるいは35歳らしく生きればいい」と私は思う。
むなしい闘いだが、本人は、そうは思っていない。
懸命に(?)、年齢と闘っている。

 かく言う私だって、そうだ。

 もっとも私は、年齢は気にしない。
何歳に見られようが、どうということはない。
しかし健康、気力、脳みそ、などなど。
それは気になる。
が、今さら「増進」ということは無理。
それはよくわかっている。
だから「維持」ということになる。
「できるだけ、今の状態を保ちたい」。
そのための闘いということになる。

●郵便番号
 
 ところで今、恐ろしいこと(?)が起きた。
自宅のある入野町の郵便番号が、即座に頭の中に出てこなかった。
???。
ド忘れ?
それともボケの始まり?
一瞬、ゾーッとした。

 もっともここ数年、頭の中は数字だらけ。
パソコンを相手にしていると、パスワードに始まって、IDナンバーなどなど。
それが20ページもあるファイルに、ぎっしりと書き込まれている。
そこであれこれほかの数字を思い浮かべてみる。
携帯電話の番号、3本の電話番号などなど。
ついでに銀行の口座番号、証券会社のパスワードなどなど。
これらは覚えているが、郵便番号の432−806xの、「x」が、わからない。
「4」だったか?
「2」だったか?
「1」だったか?
これはどうしたことか?

 ・・・というような闘いを、日常的に繰り返すようになる。

●財産

 が、財産については、結論が出ている。
数年前から、ワイフとこう話しあっている。
「死ぬまでに、ぼくらの財産は、ぼくらで使い切ろう」と。

 たとえば土地と家は、それまでに売って、どこかの施設に入るときの資金にする、とか
とか。
考えてみれば、私の人生は、一方的に(取られるだけの人生)だった。
親に取られ、親類に取られ、そして息子たちに取られ・・・。

「息子に取られる」という言い方は、適切ではないかもしれない。
しかし私たちの時代に生きた者は、親に貢(みつ)ぐことを当然と考えていた。
が、今の若い人たちには、そういう発想は、みじんもない。
結婚式の費用はもちろん、そのあとの生活費まで、親に援助してもらっている。
中には、子どもの養育費まで、親(=祖父母)に援助してもらっている人さえいる。
だから、つまり一方的なままだから、「取られる」という発想につながる。

 もちろん私の息子たちにしても、そういう発想は、みじんもない。
「老後の親のめんどうをみる」という発想すら、ない。
たがいに会話をしていても、それがよくわかる。

 だからここは私たち自身が、クールになるしかない。
それが先に書いた、「使い切る」という結論に結びついていく。

●脳みその健康

 残るは健康ということになる。
ただ誤解しないでほしいのは、こう書くからといって、「長生きをしたい」ということでは
ない。
死ぬのはこわい。
が、だからといって長生きをしたいわけではない。
またそのために健康を維持するのでもない。

 『ただの人』(ハイデッガー)のまま、老後を生きながらえたとしても、それにどういう
意味があるというのか?
「生きる」ことは、「息(いき)る」ことではない。
息(いき)ているだけの人生なら、早く死んだほうが、まし。
となると、やはり、脳みそということになる。
脳みその健康ということになる。

 これについては何度も書いてきたが、2つの意味がある。
(1)思考力の維持。
(2)脳みその健康の維持。

 思考力の維持はわかりやすい。
つまり考える力のこと。
ボケるのは、いやだ。
が、本当にこわいのは、「脳みその健康」。

とくに私のばあい、うつ病の心配がある。
今のところまだ、医者の世話にこそなっていないが、それも時間の問題。
どうすれば脳みその健康を維持できるか。
晴れ晴れとした気分で、毎日を楽しく、愉快に過ごすことができるか。
「それが問題」(That is a question)。

●432−8061

 今、思い出した。
郵便番号は、「432−8061」だ。
が、どうして先ほど、その数字が、頭の中に出てこなかったのだろう?
???
その部分を格納していた神経細胞が、たまたま死滅したのかもしれない。
何しろ、毎日20万個前後の神経細胞が、死滅している。
あるいは微細脳梗塞が起きている可能性もある。
ときどき寝ていて、寝返りをうったようなとき、ギリギリとはげしい神経痛が走ることが
ある。
今朝も一度、あった。
そういうとき、同時に脳の中のこまかい血管が破れているのかもしれない。
(これは私の勝手な憶測。)

 あまりにも当たり前な数字だから、そのようにしか考えていなかった。
ワープロの中では、辞書として登録してある。
「じゅうしょ」と打ち込むと、自動的に、郵便番号+住所が表記される。
一方、携帯電話の番号は、ゴロ合わせを使って覚えている。
だから忘れない。

 しかしそれにしても、ゾッとした。

●認め、納得し、受け入れる

 この先、喪失感との闘いは、ますますはげしくなる。・・・なっていくだろう。
同時に、先にも書いたように、それを認め、納得し、受け入れていく。
そういう心理的操作も必要となってくる。

 当然、自分がキズつくことも多くなってくる。
だまされたり、裏切られたり・・・。
(そういう点では、私は、ボロボロ?)
が、キズつかないように生きる・・・つまりケチな生き方をするというのは、私流ではな
い。
大切なことは、キズに対して免疫性をもつこと。
もっとはっきり言えば、私のワイフがいつも言っているように、「相手に期待しないこと」。
へたに期待するから、キズつく。

 考えてみれば、老後を生きるということは、そういうことかもしれない。
つまり「認め、納得し、受け入れる」ということは、ボロボロになること。
ボロボロになることを、恐れないということ。

 それが老後の喪失感と闘う、ゆいいつの方法ということになる。

(はやし浩司 育児 子育て 評論 育児論 子育て論 教育 教育論 教育評論 はや
し浩司 最前線の子育て論 子供 子ども 老後の喪失感 はやし浩司 老後論 老後の
生き方 ボロボロの人生 西浦温泉 銀波荘にて)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●冬休み(報告)My Winter Holidays

++++++++++++++++

12月29日から、1月6日まで、
冬休みをもらった。
その間、いろいろなことがあった。
いろいろなことを考えた。

++++++++++++++++

●暇(ひま)

 学生のころ、こんなことがよくあった。
定期テスト期間中になると、いつも、こう考えた。
「定期テストが終わったら、映画を観に行こう」
「定期テストが終わったら、旅行に行こう」と。

 しかし実際、定期テストが終わってみると、そこにあるのは、疲労感。
それがそこにドカッと居座っている。
映画を観に行く気力もなければ、旅行に行く気力もない。
(もちろんそのお金もなかったが・・・。)

 同じように、冬休みになる前から、私はこう考えた。
「思う存分、文章を書いてやろう」
「新しいパソコンを使いこなしてやろう」
「映画をたくさん観てやろう」と。

 しかし実際、冬休みになると、心の中にポカリと穴があいてしまう。
何をしてよいか、わからなくなる。
しかしこの「穴」は、いったい、何なのか?

●自責

 私はワーカホリック(=働き中毒者、workaholic)。
そんな人間に、休みは、つらい。
休みになったとたん、どう自分を調整したらよいか、わからなくなる。
生活の中から緊張感が消える。
消えたとき、邪念、雑念、それに妄想がわいてくる。
「何をしてもいい」と考えれば考えるほど、ぼんやりとした時間だけが過ぎていく。
が、その一方で、「これではいけない」と、別の私がせきたてる。

 それが私をイライラさせる。
ささいなことで、ピリピリとする。
同時に、自分が用なしになってしまったかのような、さみしさを覚える。
だれにも相手にされない。
だれにも気にされない。
私は価値のない人間、と。

●12月31日

 今年の正月は、さみしい正月だった。
ワイフと長男と私だけ。
この3人だけで正月を迎えた。

 二男はアメリカ。
三男は嫁さんの家で年越し。
私の家に嫁さんがあいさつに来るのではなく、息子が嫁さんの家にあいさつ、だぞ!
(こういうことは私の常識では考えられない。)

 が、ワイフは、「あなたは古い」とか、「あなたは期待しすぎるのよ」とか言って、私を
責める。
私は古いのか?
私は期待しすぎるのか?
「みんな養子に行ったようなものだなあ」とこぼすと、それを聞いて、長男がキレた。
「俺が、E(三男)に、電話で怒鳴りつけてやる!」と。

 それを2度、3度、私が止めた。
「あんなヤツ、ほっとけ!」と。

 ・・・ということで、12月31日は、我が家は大揺れに揺れた。
その余波もあって、1月1日も、憂うつ。
午後になってやっと、行動する気力が生まれた。
・・・というか、午後まで、寝正月。

●重い天井

 用なしなら、用なしで、構わない。
それ以上にこわいのは、用なしを感じたとたん、その先に老後が見えてくること。
老後といっても、もちろん、ロマンチックな老後ではない。
特別養護老人ホームで過ごすような老後。
ひとり住まいで、ヨボヨボと生活するような老後。
そういう老後に、自分の未来像がダブる。

 暗くて重い天井が、上のほうからズシリとおりてくる。
いや〜な老後。
仕事をしているときは、そういう天井は感じない。
感じても、それを忘れることができる。
が、暇になったとたん、このザマ。

 そんな状態で、休暇を楽しめと言われても困る。
そういう私を横で見ながら、ワイフは何度も、こう言った。

「あなたはあなたで、息子たちのことは忘れて、やりたいことをやればいいのよ」と。

●パソコン

 そんなわけで、正月にしたことと言えば、パソコンをいじっただけ。
新型のパソコンも、順調に動き出した。
あとは、新型のプリンターを備え付けるだけ。
それはもうすぐ届くはず。

 肝心の原稿のほうは、ほとんど書いていない。
書いていないというか、書けなかった。
何かと気分が悪かった。
(今も、晴れ晴れとした気分ではないが・・・。)
そんなわけで、今年はまだ年始のあいさつに、どこへも行っていない。
・・・というか、心はかなり回避性障害に陥っている。
人に会うのがわずらわしい。
めんどう。
苦痛。

 ふだんならこういうときは、生徒たちの声を聞けば治る。
仕事をすれば治る。
が、その声がない。
だからよけいに気が滅入る。

●退職

 定年退職した人は、こういうときどうやって、自分をコントロールしているのだろう。
ふと、そんなことを考える。
冬休みどころか、そのまま死の待合室に入ってしまう。
精神も肉体も、それに脳みそも、不可逆的に悪くなる一方。
鍛えれば多少は改善するようだが、それとて、下り階段の踊り場で、足踏みをするような
もの。
よけいなことだが、退職した友人たちが気になる。
1人、「今年の3月で、仕事をやめる」と年賀状に書いてきた人がいた。
それだけしか書いてなかったから、気持ちはわからない。
彼はそれを喜んでいるのだろうか。
それともさみしく思っているのだろうか。

 どうであるにせよ、私はそれを読んで、こう思った。
「仕事をやめてはいけない!」と。
「仕事をやめたら、今の私のような状態になってしまう!」と。

 もっともそう書いてきた友人は、大手の機械会社に勤めていたから、年金もじゅうぶん
ある。
生活の不安は、ないらしい。
しかし・・・?

●お金の流れ

 私たちは、(私だけかもしれないが・・・)、仕事がなくなるのがこわいのではない。
(お金の流れ)が止まることがこわい。
額の問題ではない。
お金が動いている間は、そこから活力が生まれる。
仮に今月赤字になっても、「来月、がんばればいい」とか、「来月の支出を減らせばいい」
とか、そんなふうに考えることができる。

 言うなれば、川の水のようなもの。
仕事がなくなれば、川の水が止まる。
止まったとたん、そこでよどむ。
腐る。
それがこわい。

 だから毎月〜〜万円の年金があるから、それでよいという問題ではない。
私たちが望むのは、生きがい。
夢と希望。
それに目的。
 
 生きる目的を失ったら、・・・それこそ、そこは死の待合室!

●プリンター

 で、今日は1月の4日。
先に書いたように、もうすぐ新型のプリンターが届くことになっている。
パソコンとモニターを取り換えたので、ついでにプリンターも取り換えることにした。
エプソンのオート・フィーダー(自動原稿送り装置付き)のにした。
このプリンターを使えば、いままで1枚ずつスキャンしていた原稿を、まとめてスキャン
できるようになる。
作業が楽になる。

 私のばあい、プリンターとして使うことよりも、スキャナーとして使うことのほうが多
い。
だからそういう機能はありがたい。
本当はカラーのレザープリンターにしようかとも迷ったが、レザープリンターには、スキ
ャナー装置がついていない。
それで複合プリンターにした。

 またプリンターは、エプソンと決めている。
C社のも、何台か使ったことがあるが、当初、故障がつづいた。
それでいつの間にか、エプソンになった。
使い勝手も一貫性があって、使いやすい。

●温泉

 とにかくやるしかない。
生きていくしかない。
死ぬこともできない。
だから生きていくしかない。
がむしゃらに生きていくしかない。

 ああ、それにしても、休みはいやなもの。
気が滅入る。
調子が狂う。
何を考えても、憂うつになる。

 そう言えば、ワイフが昨夜、こう言った。
「X日に、近くの温泉へ行ってみない?」と。
以前行ったことのある、山の中の温泉である。
「今からでも、予約は取れるだろうか」と話すと、「仕事が始まれば、旅館もすいてくるわ
よ」と。

 あとで調べてみよう。

●ふまじめの勧め

 要するに、私はまじめすぎる。
それが自分でもよくわかっている。
まじめすぎるから、ものごとを、ガチガチに考えてしまう。
憂うつになる。
だからこう考えた。
決心した。

「もっと、ふまじめになってやろう」と。

 休暇というのは、ふまじめになること。
ふまじめにならなければ、休暇など、過ごせない。
休暇の意味や目的を考えても、どうしようもない。
やりたいことをそのつど見つけ、チャランポランに生きていく。
しかしそう気がつくころには、休暇は終わっている。

 何とまあ、皮肉なことよ!

・・・ということで、冬休みの報告、おしまい。
これから朝食をとり、プリンターが届くのを待つ。

 ところで疑問。
プリンターが3万4000円というのは、わかる。
しかしどうしてインクが6色セットで、6000円弱もするのか?
インクが高すぎる!
何とかならないものか!

(1月4日記)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●大脳新皮質でも、新たな神経細胞(09・12月)

+++++++++++++++++++++++

『高度な脳機能をつかさどる大脳新皮質で、
おとなになっても新たな神経細胞が生み出される
ことがわかった」(中日新聞)という。

発表したのは、藤田保健衛生大(愛知県豊明町)の
研究チーム。

こういう話を聞くと、それがどういうものであれ、
希望がわく。
神経細胞は、数が決まっていて、加齢とともにその
数が減少していくというのが、今までの定説だった。
またそうであるからこそ、私たちの人格、性格、性質は、
生まれてから死ぬまで、一貫性を保つことができる。
が、もし新たなる神経細胞が生み出されるということに
なると、今までの常識が、ここでひっくり返ることになる。

ウ〜〜ン!

+++++++++++++++++++++++

●少しは生まれる?

 新聞記事をそのまま紹介させてもらう。

『・・・脳はいったんできあがると、新たな神経細胞ができにくくなる。記憶の形成にかかわ
る海馬(かいば)では、おとなになっても、神経細胞がつくられることが知られているが、
意識や思考をつかさどる大脳新皮質で神経細胞がつくられているかどうかは、議論がつづ
いていた』と。

 が、今度の発見では、『神経細胞を生み出す神経前駆細胞が、大脳新皮質部にあることが』
見つかったという。
もっともこれだけで、「年をとっても、新たな神経細胞がどんどんと生まれる」ということ
にはならない。
「少しは生まれる」ということか。

●生まれればよいということでもない

 新しい神経細胞が生まれるということは、よいことばかりではない。
仮にどんどんと新しい神経細胞が生まれたとすると、しばらくするうちに、脳の中は満杯
になってしまう。
頭蓋骨の大きさには、限界がある。
ということは、古い神経細胞は、余儀なく、棄て去られるということになる。
もしそうなったら、新しい神経細胞に、新しい記憶や知識が詰め込まれるのはよいとして
も、古い神経細胞が蓄えていた、古い記憶や知識まで、どんどんと棄て去られることにな
ってしまう。

 そうなると、記憶や知識だけではなく、その人の人格、性格、性質まで、変化するとい
うこともありえる。
たとえばAという犯罪者がいたとする。
人を何人も殺した凶悪犯である。
が、そのAにしても、数年後に、脳みその中が入れ替わってしまったとしたら・・・。
はたして私たちは、そのAを法的に罰することができるだろうか・・・ということになる。

 が、新しい神経細胞は、生まれない。
だからこそ、20年前、30年前に知り合った人と話をするときも、昔のままの状態で、
話をすることができる。

●毎日、20万個!

 そこでこう考えたら、どうだろう。
神経細胞は、毎日20万個単位で減少しているという。

 『・・・人間の大脳皮質に含まれる神経細胞数は約140億個といわれています。それが、
20歳をすぎると毎日20万個ずつ壊れて、減少していくといわれています。

1年間で約7000万個、10年間で7億個、100年間70億個・・・すなわち、健康でも
120歳になると大脳の神経細胞数は半分の70億個になるわけです』(こころのクリニッ
ク・HPより)と。

だったら、新しい神経細胞で、それを補うことはできないか、と。
さらにアルツハイマー病の患者のように、神経細胞そのものが、極端に減っていくような
人の治療にも、応用できるかもしれない。

●使い方の問題

 ところが、である。
日常生活の中で、実際に使われている神経細胞というのは、少ない。
たとえば今、この文章を読んでいるあなたにしても、(また書いている私にしても)、実際、
使っている神経細胞は、何万分の1とか、何十万分の1でしかない。
残りの何十万倍もの神経細胞は、いわゆる休止状態にある。
(「休止」といっても、脳の裏方で活動しているので、まったくの休止状態というわけでは
ない。)

 つまり仮に神経細胞が半分になったとしても、残った神経細胞をうまく使えば、それま
でどおりの生活は、維持できるかもしれない。
このあたりのことを大脳生理学者たちは、どう考えているのか。
つまり「量」ではなく、「使い方」の問題。
興味がどんどんとふくらんでくる。 

●神経細胞の移植

 そこでまたまたふと、こんなことを考える。
もしX氏の神経細胞を、少し切り取って、Y氏に移植したら、どうなるか、と。
そのときX氏の神経細胞が、Y氏の他の神経細胞とうまく融合して、Y氏の神経細胞とし
て機能すればよし。
しかし理屈で考えるなら、そういうことはありえない。
Y氏の脳の中に入ったX氏の神経細胞は、X氏の記憶や知識、ついでに性格や性質をも保
持したままになるはず。
となると、Y氏は、自分の脳の中に、別の人格をもった別の人間といっしょに暮らすこと
になる。
移植した量が多ければ多いほど、そうなる。

 ・・・と考えていくと、やはり、神経細胞の移植は、ありえないということになる。
つまり新しい神経細胞を作り出すということには、そういう問題も含まれる。

 ボケたままでも、元の人間のほうがよい・・・ということになる。

 研究チームの大平耕司助教は、こう述べている。
『てんかんや統合失調症などの新治療法の確立にもつながる』と。
まずはそのあたりからスタートということになりそうである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 神経細胞 ニューロン 毎日20万個 大脳新皮
質 海馬 思考と意識)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================










*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   8日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page019.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

○兄弟は、名前で呼ぶ
________________________________________

 「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」ではなく、兄でも、姉でも、子ども自身の名前で、子ど
もを呼ぶ。たとえば子どもの名前が太郎だったら、「太郎」と呼ぶ。一般的に、たがいに
名前で呼びあう兄弟(姉妹)は、仲がよいと言われている。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

○兄弟は差別しない
________________________________________

 長男、長女は、下の子が生まれたときから、恒常的な愛情不足、欲求不満の状態に置か
れる。親は「平等」というが、長男、長女にしてみれば、平等ということが、不平等なの
である。そういう前提で、長男(長女)の心理を理解する。つまり長男(長女)のほうが、
不平等に対して、きわめて敏感に反応しやすい。

○兄弟の嫉妬はタブー
________________________________________

 兄弟(姉妹)の間で、嫉妬感情をもたせない。これは子育ての鉄則と考えてよい。嫉妬
は、確実に子どもの心をゆがめる。原始的な感情であるがゆえに、扱い方もむずかしい。
この嫉妬がゆがむと、相手を殺すところまでする。兄弟(姉妹)を別々に扱うときも、た
がいに嫉妬させないようにする。 

○たがいを喜ばせる
________________________________________

 兄弟を仲よくさせる方法として、「たがいを喜ばせる」がある。たとえばうち1人を買
い物に連れていったときでも、「これがあると○○君、喜ぶわね」「△△ちゃん、喜ぶわ
ね」というような買い与え方をする。いつも相手を喜ばすようにしむける。これはたがい
の思いやりの心を育てるためにも、重要である

○たがいを批判しない
________________________________________

 子どもどうしの悪口を、決して言わない。聞かない。聞いても、判断しない。たとえば
兄に何か問題があっても、それを絶対に(絶対に)、弟に告げ口してはいけない。告げ口
した段階で、あなたと兄の関係は、壊れる。反対に兄が弟のことで、何か告げ口をしても、
あなたは聞くだけ。決して相づちを打ったり、いっしょになって、兄を批判してはいけな
い。

○得意面をさらに伸ばす
________________________________________

子どもを伸ばすコツは、得意面をさらに伸ばし、不得意面については、目を閉じること。
たとえば受験生でも、得意な英語を伸ばしていると、不得意だった数学も、つられるよう
に伸び始めるということがよくある。「うちの子は、運動が苦手だから、体操教室へ……」
という発想は、そもそも、その原点からまちがっている。子どもは(いやがる)→(ます
ます不得意になる)の悪循環を繰りかえすようになる。 

○悪循環を感じたら、手を引く
________________________________________

子育てをしていて、どこかで悪循環を感じたら、すかさず、その問題から、手を引く。あ
きらめて、忘れる。あるいはほかの面に、関心を移す。「まだ、何とかなる」「そんなハ
ズはない」と親ががんばればがんばるほど、話が、おかしくなる。深みにはまる。が、そ
れだけではない。一度、この悪循環に入ると。それまで得意であった分野にまで、悪影響
をおよぼすようになる。自信喪失から、自己否定に走ることもある。

○子どもはほめて伸ばす
________________________________________

『叱るときは、陰で。ほめるときは、みなの前で』は、幼児教育の大鉄則。もっとはっき
り言えば、子どもは、ほめて伸ばす。仮にたどたどしい、読みにくい文字を書いたとして
も、「ほほう、字がじょうずになったね」と。こうした前向きの強化が、子どもを伸ばす。
この時期、子どもは、ややうぬぼれ気味のほうが、あとあと、よく伸びる。「ぼくはでき
る」「私はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす原動力になる。 

○孤立感と劣等感に注意
________________________________________

家族からの孤立、友だちからの孤立など。子どもが孤立する様子を見せたら、要注意。「ぼ
くはダメだ」式の劣等感を見せたときも、要注意。この二つがからむと、子どものものの
考え方は、急速に暗く、ゆがんでくる。外から見ると、「何を考えているかわからない」
というようになれば、子どもの心は、かなり危険な状態に入ったとみてよい。家庭教育の
あり方を、猛省する。

○すなおな子ども
________________________________________

従順で、親の言うことをハイハイと聞く子どもを、すなおな子どもというのではない。幼
児教育の世界で、「すなおな子ども」というときは、心(情意)と、表情が一致している
子どもをいう。感情表出がすなおにできる。うれしいときは、顔満面にその喜びをたたえ
るなど。反対にその子どもにやさしくしてあげると、そのやさしさが、スーッと子どもの
心の中に、しみこんでいく感じがする。そういう子どもを、すなおな子どもという。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

○自己意識を育てる
________________________________________

乳幼児期に、何らかの問題があったとする。しかしそうした問題に直面したとき、大切な
ことは、そうした問題にどう対処するかではなく、どうしたら、こじらせないか、である。
たとえばADHD児にしても、その症状が現れてくると、たいていの親は、混乱状態にな
る。しかし子どもの自己意識が育ってくると、子どもは、自らをコントロールするように
なる。そして見た目には、症状はわからなくなる。無理をすれば、症状はこじれる。そし
て一度、こじれると、その分だけ、立ちなおりが遅れる。 

○まず自分を疑う
________________________________________

子どもに問題があるとわかると、親は、子どもをなおそうとする。しかしそういう視点で
は、子どもは、なおらない。たとえばよくある例は、親の過干渉、過関心で、子どもが萎
縮してしまったようなばあい。親は「どうしてうちの子は、ハキハキしないのでしょう」
と言う。そして子どもに向かっては、「どうしてあなたは、大きな声で返事ができないの!」
と叱る。しかし原因は、親自身にある。それに気づかないかぎり、子どもは、なおらない。

○「やればできるはず」は、禁句
________________________________________

たいていの親は、「うちの子は、やればできるはず」と思う。しかしそう思ったら、すか
さず、「やってここまで」と思いなおす。何がそうかといって、親の過関心、過負担、過
剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。それだけではない。かえって子どもの伸びる
芽をつんでしまう。そこで子どもには、こう言う。「あなたは、よくがんばっているわよ。
TAKE IT EASY!(気を楽にしてね)」と。 

○子育ては本能ではなく学習
________________________________________

 だれしも、「頭の中では、わかっているのですが、ついその場になると……」と言いま
す。子育てというのは、もともと、そういうものです。そこでいつも同じようなパターン
で、同じような失敗をするときは、(1)あなた自身の過去を冷静に見つめてみる。(2)
何か(わだかまり)や(こだわり)があれば、まず、それに気づくことです。あとは時間
が解決してくれます。 

○子育ては世代連鎖する
________________________________________

 子育ては、世代を超えて、親から子へと、よいことも、悪いことも、そのまま連鎖しま
す。またそういう部分が、ほとんどだということです。そういう意味で、「子育ては本能
ではなく、学習によるもの」と考えます。つまり親は子育てをしながら、実は、自分が受
けた子育てを、無意識のうちに繰りかえしているだけだということです。そこで重要なこ
とは、悪い子育ては、つぎの世代に、残さないということ。 

○子育ては見本を見せる
________________________________________

 子育ての重要な点は、子どもを育てるのではなく、子育てのし方の見本を、子どもに見
せるということです。見せるだけでは、足りません。包みます。幸福な家庭というのは、
こういうものだ。夫婦というのは、こういうものだ。家族というのは、こういうものだ、
とです。そういう(学習)があって、子どもは、親になったとき、はじめて、自分で子育
てが自然な形でできるようになります。 

○子どもに優位性を見せつけない
________________________________________

 子どもに、勝とうと思わないこと。つまり親の優位性を見せつけないこと。どうせ相手
にしてもしかたないし、本気で相手にしてはいけません。ときに親は、わざと負けて見せ
たり、バカなフリをして、子どもに自信をもたせます。適当なところで、親のほうが、手
を引きます。「こんなバカな親など、アテにならないぞ」と子どもが思えば、しめたもの
です。

○子育ては重労働
________________________________________

 子育ては、もともと重労働です。そういう前提で、します。自分だけが苦しんでいると
か、おかしいとか、子どもに問題があるなどと、考えてはいけません。しかしここが重要
ですが、そういう(苦しみ)をとおして、親は、ただの親から、真の親へと成長するので
すよ。そのことは、子育てが終わってみると、よくわかります。子育ての苦労が、それま
で見えなかった、新しい世界を親に見せてくれます。どうか、お楽しみに! 

○子育ての前に生きザマを
________________________________________

 子育てをしながらも、親は、親で、自分の生きザマを確立します。「あなたはあなたで、
勝手に生きなさい。私は私で、勝手に生きます」と。そういう一歩退いた目が、ともすれ
ばギクシャクとしがちな、親子関係に、風を通します。子どもだけを見て、子どもだけが
視野にしか入らないというのは、それだけあなたの生きザマが、小さいということです。
あなたはあなたで、したいことを、すればいいのです。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

○問題のない子育てはない
________________________________________

子育てをしていると、子育てや子どもにまつわる問題は、つぎからつぎへと、起きてくる。
それは岸辺に打ち寄せる波のようなもの。問題のない子どもはいないし、したがって、問
題のない子育ては、ない。できのよい子ども(?)をもった親でも、その親なりに、いろ
いろな問題に、そのつど、直面する。できが悪ければ(?)、もっと直面する。子育てと
いうのは、もともとそういうものであるという前提で、子育てを考える。 

○解決プロセスを用意する
________________________________________

英文を読んでいて、意味のわからない単語にぶつかったら、辞書をひく。同じように、子
育てで何かの問題にぶつかったら、どのように解決するか、そのプロセスを、まず、つく
っておく。兄弟や親類に相談するのもよい。親に相談するのも、よい。何かのサークルに
属するのもよい。自分の身にまわりに、そういう相談相手を用意する。が、一番よいのは、
自分の子どもより、2、3歳年上の子どもをもつ、親と緊密になること。「うちもこうで
したよ」というアドバイスをもらって、たいていの問題は、その場で解決する。

○動揺しない
________________________________________

株取引のガイドブックを読んでいたら、こんなことが書いてあった。「プロとアマのちが
いは、プロは、株価の上下に動揺しないが、アマは、動揺する。だからそのたびに、アマ
は、大損をする」と。子育ても、それに似ている。子育てで失敗しやすい親というのは、
それだけ動揺しやすい。子どもを、月単位、半年単位で見ることができない。そのつど、
動揺し、あわてふためく。この親の動揺が、子どもの問題を、こじらせる。 

○自分なら……?
________________________________________

賢い親は、いつも子育てをしながら、「自分ならどうか?」と、自問する。そうでない親
は親意識だけが強く、「〜〜あるべき」「〜〜であるべきでない」という視点で、子ども
をみる。そして自分の理想や価値観を、子どもに押しつけよとする。そこで子どもに何か
問題が起きたら、「私ならどうするか?」「私はどうだったか?」という視点で考える。
たとえば子どもに向かって「ウソをついてはダメ」と言ったら、「私ならどうか?」と。 

○時間をおく
________________________________________

言葉というのは、耳に入ってから、脳に届くまで、かなりの時間がかかる。相手が子ども
なら、なおさらである。だから言うべきことは言いながらも、効果はすぐには、求めない。
また言ったからといって、それですぐ、問題が解決するわけでもない。コツは、言うべき
ことは、淡々と言いながらも、あとは、時間を待つ。短気な親ほど、ガンガンと子どもを
叱ったりするが、子どもはこわいから、おとなしくしているだけ。反省などしていない。 

○叱られじょうずにしない
________________________________________

親や先生に叱られると、頭をうなだれて、いかにも叱られていますといった、様子を見せ
る子どもがいる。一見、すなおに反省しているかのように見えるが、反省などしていない。
こわいからそうしているだけ。もっと言えば、「嵐が通りすぎるのを待っているだけ」。
中には、親に叱られながら、心の中で歌を歌っていた子どももいた。だから同じ失敗をま
た繰りかえす。

○人格攻撃はタブー
________________________________________

先生に叱られたりすると、パッとその場で、土下座をしてみせる子どもがいる。いわゆる
(叱られじょうずな子ども)とみる。しかしだからといって、反省など、していない。そ
ういう形で、自分に降りかかってくる、火の粉を最小限にしようとする。子どもを叱るこ
ともあるだろうが、しかしどんなばあいも、最後のところでは、子どもの人権だけは守る。
「あなたはダメな子」式の、人格の「核」攻撃は、してはいけない。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

○「核」攻撃は、タブー
________________________________________

子どもを叱っても、子どもの心の「核」にふれるようなことは、言ってはいけない。「や
っぱり、あなたはダメな子ね」「あんたなんか、生まれてこなければよかったのよ」など
というのが、それ。叱るときは、行為のどこがどのように悪かったかだけを、言う。具体
的に、こまかく言う。が、子どもの人格にかかわるようなことは言わない。

○子どもは、親のまねをする
________________________________________

たいへん口がうまく、うそばかり言っている子どもがいた。しかしやがてその理由がわか
った。母親自身もそうだった。教師の世界には、「口のうまい親ほど、要注意」という、
大鉄則がある。そういう親ほど、一度、敵(?)にまわると、今度は、その数百倍も、教
師の悪口を言い出す。子どもに誠実になってほしかったら、親自身が、誠実な様子を、日
常生活の中で見せておく。 

○一事が万事論
________________________________________

あなたは交通信号を、しっかりと守っているだろうか。もしそうなら、それでよし。しか
し赤信号でも、平気で、アクセルを踏むようなら、注意したほうがよい。あなたの子ども
も、あなたに劣らず、小ズルイ人間になるだけ。つまり親が、小ズルイことをしておきな
がら、子どもに向かって、「約束を守りなさい」は、ない。ウソはつかない。約束は守る。
ルールには従う。そういう親の姿勢を見ながら、子どもは、(まじめさ)を身につける。

○代償的過保護は、愛情にあらず
________________________________________

「子どもはかわいい」「私は子どもを愛している」と、豪語する親ほど、本当のところ、
愛が何であるか、わかっていない。子どもを愛するということは、それほどまでに、重く、
深いもの。中には、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと考えて
いる親もいる。これを代償的過保護という。一見、過保護に見えるが、その基盤に愛情が
ない。つまりは、愛もどきの愛を、愛と錯覚しているだけ。 

○子どもどうしのトラブルは、子どもに任す
________________________________________

子どもの世界で、子どもどうしのトラブルが起きたら、子どもに任す。親の介入は、最小
限に。そういうトラブルをとおして、子どもは、子どもなりの問題解決の技法を身につけ
ていく。親としてはつらいところだが、1にがまん、2にがまん。親が口を出すのは、そ
のあとでよい。もちろん子どものほうから、何かの助けを求めてきたら、そのときは、相
談にのってやる。ほどよい親であることが、よい親の条件。 

○許して忘れ、あとはあきらめる
________________________________________

子どもの問題は、許して、忘れる。そしてあとはあきらめる。「うちの子にかぎって……」
「そんなはずはない」「まだ何とかなる」と、親が考えている間は、親に安穏たる日々は
やってこない。そこで「あきらめる」。あきらめると、その先にトンネルの出口を見るこ
とができる。子どもの心にも風が通るようになる。しかしヘタにがんばればがんばるほど、
親は、袋小路に入る。子どもも苦しむ。 

●強化の原理
________________________________________

子どもが、何かの行動をしたとする。そのとき、その行動について、何か、よいことが起
きたとする。ほめられるとか、ほうびがもらえるとか。あるいは心地よい感覚に包まれる
とか。そういう何かよいことが起こるたびに、その行動は、ますます強化される。これを
「強化の原理」という。子どもの能力をのばすための大鉄則ということになる。 

●弱化の原理
________________________________________

強化の原理に対して、弱化の原理がある。何か、行動をしたとき、つまずいたり、失敗し
たり、叱られたりすると、子どもは、やる気をなくしたり、今度は、その行動を避けるよ
うになる。これを弱化の原理という。子どもにもよるし、ケースにもよるが、一度弱化の
原理が働くようになると、学習効果が、著しく落ちるようになる。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●内面化
________________________________________

子どもは成長とともに、身長がのび、体重が増加する。これを外面化というのに対して、
心の発達を、内面化という。その内面化は、(1)他者との共鳴性(自己中心性からの脱
却)、(2)自己管理能力、(3)良好な人間関係をみるとよい(EQ論)。ほかに道徳
規範や倫理観の発達、社会規範や、善悪の判断力などを、ふくめる。心理学の世界では、
こうした発達を総称して、「しつけ」という。 

●子どもの意欲
________________________________________

子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲
的な母親の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、
母親が意欲的過ぎるのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言わ
れる。とくに子どもに対しては、ほどよい親であることが望ましい。任すところは子ども
に任せ、一歩退きながら、暖かい無視を繰りかえす。それが子育てのコツということにな
る。 

●ほどよい目標
________________________________________

過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失か
ら、やる気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート
現象(燃え尽き症候群、荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なこ
とは、達成感。ある程度がんばったところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ば
す。子どもには、ほどよい目標をもたせるようにする。 

●子どもの恐怖症
________________________________________

恐怖症といっても、内容は、さまざま。対人恐怖症、赤面恐怖症、視線恐怖症、体臭恐怖
症、醜形恐怖症、吃音恐怖症、動物恐怖症、広場恐怖症、不潔恐怖症、高所恐怖症、暗所
恐怖症、閉所恐怖症、仮面恐怖症、先端恐怖症、水恐怖症、火恐怖症、被毒恐怖症、食事
恐怖症などがある。子どもの立場になって、子どもの視線で考えること。「気のせいだ」
式の強引な押しつけは、かえって症状を悪くするので注意。 

●子どもの肥満度
________________________________________

児童期の肥満度は、(実測体重Kg)÷(実測身長cmの3乗)×10の7乗で計算する。
この計算式で、値が160以上を、肥満児という(ローレル指数計算法)。もっと簡単に
見る方法としては、手の甲を上にして、指先を、ぐいと上にそらせてみる。そのとき、指
のつけねに腱が現れるが、この腱の部分にくぼみが現れるようになったら、肥満の初期症
状とみる。この方法は、満5歳児〜の肥満度をみるには、たいへん便利。

●チック
________________________________________

欲求不満など、慢性的にストレスが蓄積すると、子どもは、さまざまな神経症的症状を示
す。たとえば爪かみ、指しゃぶり、夜尿、潔癖症、手洗いグセなど。チックもその一つ。
こうした症状を総称して、神経性習癖という。このチックは、首から上に出ることが多く、
「おかしな行動をする」と感じたら、このチックをうたがってみる。原因の多くは、神経
質で、気が抜けない家庭環境にあるとみて、猛省する。 

●子どもの姿は正確に
________________________________________

あなたの子どもに、あなたはどのようなイメージをもっているだろうか。中には、問題が
あるのに、「問題はない」と思いこんでいる親がいる。反対に、問題がないのに、「問題
がある」と思いこんでいる親もいる。子どもの姿を正確にとらえるのは、たいへんむずか
しい。子どもの概念と、現実の子どもの間のギャップが大きければ大きいほど、親子の関
係はギクシャクしたものになりやすい。 

●聞きじょうずになる
________________________________________

子どもの姿を正確にとらえるためには、聞きじょうずになること。自分の子どもでも、他
人の子どもと思い、一歩退いて見るようにする。教師でも話しにくい親というのは、子ど
ものことになると、すぐカリカリするタイプ。何か言おうとすると、「うちでは問題はあ
りません」「塾では、しかkりとやっています」と反論する。しかしそう反論されると、
「どうぞ、ご勝手に」となる。 

●自己愛者は、注意
________________________________________

自己中心性が肥大化すると、自己愛者になる。完ぺき主義で、他人の批判を許さない。す
べてを自分(あるいは自分の子ども)中心に考えるようになる。こうなると、子育ては、
独善化する。他人の批評に耳を傾けなくなるからである。子育てじょうずな親というのは、
ものごとに謙虚である。その謙虚さが、心に風穴をあける。まずいのは、「自分は正しい」
と思いこんで、他人の意見を聞かないこと。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●非行を防ぐ鉄則
________________________________________

(したいこと)と(していること)が一致しているとき、子どもの心は、安定する。しか
し(したいこと)と(していること)が一致していないと、子どもの心は、急速に不安定
化する。非行の多くは、こうして始まる。そこで重要なことは、いつも、(子どものした
いこと)に静かに耳を傾けて、それを(していること)に結びつけていく。これを心理学
の世界でも、自我の同一性(アイデンテンティ)と呼ぶ。 

●善行は日常から
________________________________________

あなたの子どもを善人にしたいなら、日常的な、ごくささいなことから、約束やルールを
守る姿を、子どもに見せておく。そういう積み重ねが、あなたの子どもを善人にする。つ
まり日々の積み重ねが、月々の積み重ねとなり、それが年々、積もって、その人の人格と
なる。あなたが、平気で空き缶をポイ捨てしていおいて、あなたの子どもに「いい子にな
れ」は、ない。 

●シャドウをつくらない
________________________________________

あなたが仮面をかぶればかぶるほど、あなたの背後に、その正反対のシャドウ(影)がで
きる。子どもというのは、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。よく例に出される
のが、佐木隆三の『復讐するは、我にあり』である。敬虔な牧師の息子が、殺人鬼になる
という小説である。緒方拳の主演で、映画にもなった。父親は牧師をしながら、息子の嫁
と不倫関係になる。そうしたシャドウが、その息子を殺人鬼にしたとも考えられなくはな
い。 

●子どもには、ウソをつかない
________________________________________

子どもには、ウソをつかない。これは親子関係を守るための、最後の砦(とりで)と考え
てよい。もしウソをつきたくなかったら、だまっていればよい。飾ったり、見栄をはった
りしてもいけない。ありのままを、すなおに見せておく。あとの判断は、子どもに任せれ
ばよい。 

●ウソはていねいにつぶす
________________________________________

子どもは、よくウソをつく。いろいろなウソがあるが、その中でも、空想したことを、あ
たかも本当のことのように話す子どもがいる。空想的虚言(妄想的虚言)というのが、そ
れ。はげしい親の過干渉が日常化すると、子どもは、この空想的虚言を口にするようにな
る。そういうとき親は、子どもをはげしく叱ったりするが、反省すべきは、むしろ親のほ
うである。こうしたウソは、ていねいに、つぶす。言うべきことは言いながら、あとは時
間を待つ。 

○計算力と「数」の力
________________________________________

子どもにとって、計算力と、「数」の力は、別のものと考えてよい。たとえば(3+4=
7)は、計算力があればできる。しかし「7は、5と□」という問題は、計算力だけでは、
カバーできない。ほかに「3と□で、6」「□は、3と4」など。小学1年生の問題だが、
それができる子どもは、スラスラとできる。しかしできない子どもは、何度説明しても、
できない。それがここでいう「数」の力ということになる。 

○「遊び」を大切に
________________________________________

自動車のハンドルでも、「遊び」があるから、運転できる。その「遊び」がなく、ギスギ
スだったら、運転できない。子どもの勉強も、その運転に似ている。多くの親たちは、「勉
強」というと、机に向かって黙々とするものだという偏見と誤解をもっている。しかしそ
れは大学の研究者のような人がする勉強であって、少なくとも、子どもの勉強ではない。
小学校の低学年児だったら、30分机に向かって座って、10分、勉強らしきことをすれ
ば、よしとする。 

○リズムをつかむ
________________________________________

子ども自身がもつ、学習のリズムは、みな、ちがう。数分きざみに、騒いだり、しゃべっ
たりする子どももいれば、5分くらい静かに作業したあと、1〜2分、休んだりする。勉
強にとりかかるまでに、10分以上かかる子どももいれば、すぐ、勉強に入れる子どもい
る。大切なことは、それぞれのリズムに合わせて、指導するということ。とくに子どもが
小さいうちは、そうする。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

○ミスは、大目に
________________________________________

たとえば20問、計算問題をする。そのとき、1、2問くらいなら、まちがっていても、
何も言わない。「よくがんばったね」と、ねぎらう。そして大きな丸を描いてすます。と
くに子どもが、懸命にしたときは、そうする。正解よりも、この時期大切なのは、達成感。
その達成感が、子どもを伸ばす。こまごまとした神経質な指導は、一見、親切に見えるが、
かえって子どもの伸びる芽をつんでしまうこともあるので注意する。 

○テーマは、ひとつ
________________________________________

子どもに何かを教えようとするときは、いつも、テーマは、一つにする。あれこれ、同時
に指示を与えても、意味がないばかりか、かえって、「二兎を追うもの、一兎……」とい
うことになりかねない。たとえば作文練習のときは、作文の内容だけを見て、文字のまち
がいなどは、無視する。作文の内容だけを見て、判断する。 

○子どもを伸ばすのは、子ども
________________________________________

子どもを伸ばすのは、子ども。しかしその子どもをつぶすのも、これまた子ども。とても
残念なことだが、「質」のよい子どももいれば、そうでない子どももいる。質がよいとい
うのは、おだやかで、知性的。自己管理能力もしっかりしていて、もの静か。そういう子
どもは、そういう子どもどうし集まる傾向がある。で、もしあなたの子どもが、そういう
子どもであれば、努力して、そういう子どもどうしが集まれるような環境をつくってやる
とよい。あなたの子どもは、さらに伸びる。

○サエをのばす
________________________________________

子どもが、「アレッ」と思うようなヒラメキを示したときは、すかさず、それをほめて、
伸ばす。この時期、あとあと子どもほど、思考が柔軟で、臨機応変に、ものごとに対処で
きる。趣味も多く、多芸多才。興味の範囲は広く、何か新しいことを見せると、「やる!」
「やりたい!」と食いついてくる。この時期、することと言えば、テレビゲームだけ。友
だちも少ないというのは、子どもにとっては、望ましいことではない。 

○一歩手前で、やめる
________________________________________

子どもが30分ほど、勉強しそうだったら、20分くらいのところで、やめる。ワークを
10ページくらいしそうだったら、7〜8ページくらいのところで、やめる。子どもを伸
ばすコツは、無理をしない。強制をしない。もしあなたが、「子どもというのは、しぼれ
ばしぼるほど伸びる」とか、「子どもの勉強には、きびしさが必要」と考えているなら、
それは、とんでもない誤解。どこかの総本山での、小僧教育ならともかくも、今は、そう
いう時代ではない。 

○バカなフリをして伸ばす
________________________________________

おとなは、決して、おとなの優位性を子どもに、見せつけてはいけない。押しつけてはい
けない。子どもにとって、最大の喜びは、父親や、母親を、何かのことで、負かすことで
ある。親の立場でいえば、子どもに負けることを、恥じることはない。反対に、ときには、
バカな親のフリをして、子どもに自信をもたせる。「こんな親では、アテにできない」と
子どもが思うようになったら、しめたもの。 

○集中力も力のうち
________________________________________

よく、「うちの子は、集中力がありません。集中力をつけるには、どうしたらいいでしょ
うか」という質問をもらう。しかし集中力も、「力」のうち。頭をよくする方法が、そん
なにないように、集中力をつける方法というのも、それほど、ない。あれば、私が知りた
いくらいである。ただ指導のし方によって、子どもを、ぐいぐいとこちらのペースに引き
こんでいくことはできる。しかし集中力のある・なしは、子どもの問題ではなく、指導す
る側の問題ということになる。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

○一貫性
________________________________________

内容がどうであれ、よき親と、そうでない親のちがいといえば、一貫性のある、なしで、
決まる。権威主義的なら権威主義的でもかまわない。(本当は、そうでないほうがよいが
……。)親にその一貫性があれば、やがて子どものほうが、それに合わせる。私の叔父の
中には、権威主義のかたまりのような人がいた。しかし私は、その叔父は叔父として、認
めることで、良好な人間関係をつくることができた。それなりに尊敬もしている。子ども
の前では、いつも、同じ親であること。それが子どもの心に、大きな安定感を与える。 

☆上下意識は、親子にキレツを入れる
________________________________________

「親が上、子ガ下」という上下意識は、親子の間に、キレツを入れる。「上」の者にとっ
ては、居心地のよい世界かもしれないが、「下」の者にとっては、そうでない。言いたい
ことも言えない、したいこともできないというのは、親子の間では、あってはならないこ
と。親はいつも子どもの友として、横に立つ。そういう姿勢が、良好な親子関係を育てる。 

☆「ダカラ論」は、論理にあらず
________________________________________

「親だから……」「子だから……」「長男だから……」「夫だから……」というのを、『ダ
カラ論』という。このダカラ論は、論理ではない。えてして、問答無用式に相手をしばる
道具として、利用される。使い方をまちがえると、相手を苦しめる道具にもなりかねない。
先日もテレビを見ていたら、妻が、夫に、「あなたは一家の大黒柱なんだからね」と言っ
ているのを見かけた。それを見ていて、そういうふうに言われる夫は、つらいだろうなと、
私は、ふと、そう思った。

☆親の恩着せ、子どもの足かせ
________________________________________

「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と親が、子どもに恩を着せ
れば着せるほど、子どもの心は親から遠ざかる。そればかりか、子どもが伸びる芽を摘ん
でしまうこともある。たとえ親がそう思ったとしても、それを口にしたら、おしまい。親
に恩を押しつけられ、苦しんでいる子どもは、いくらでもいる。

☆家族主義は、親の手本から
________________________________________

まず子どもを幸福な家庭で包んでやる。「幸福な家庭というのは、こういうものですよ」
と。それが家族主義の原点。見せるだけでは足りない。子どもの体の中にしみこませてお
く。その(しみこみ)があってはじめて、子どもは、今度は、自分が親になったとき、自
然な形で、幸福な家庭を築くことができる。夫婦が助けあい、いたわりあい、励ましあう
姿は、遠慮なく、子どもに見せておく。

☆離婚は淡々と、さわやかに
________________________________________

親が離婚するとき、離婚そのものは、大きな問題ではない。離婚にいたる家庭内騒動が、
子どもの心に暗い影を落とす。ばあいによっては、それがトラウマになることもある。だ
から離婚するにしても、子どもの前では淡々と。子どものいない世界で、問題を解決する。
子どもを巻きこんでの離婚劇、それにいたる激しい夫婦げんかは、タブー中のタブー。夫
婦げんかは、子どもへの「間接虐待」と心得ること。 

☆よい聞き役が、子どもの思考力を育てる
________________________________________

親は、子どもの前では、よき聞き役であること。ある人は、『沈黙の価値を知るものだけ
が、しゃべれ』というが、この格言をもじると、『沈黙の価値を知る親だけが、しゃべれ』
となる。子どもの意見だから、不完全で未熟であるのは、当たり前。決して頭ごなしに、
「お前の考え方はおかしい」とか、「まちがっている」とかは、言ってはいけない。「そ
れはおもしろい考え方だ」と言って、いつも前向きに、子どもの意見を引き出す。そうい
う姿勢が、子どもの思考力を育てる。 

☆子どもの前では、いつも天下国家を論じる
________________________________________

子どもに話すテーマは、いつも大きいほうがよい。できれば、天下国家を論ずる。宇宙の
話でも、歴史の話でもよい。親が小さくなればなるほど、子どもは小さくなる。隣や近所
の人たちの悪口や批判は、タブー。見栄、体裁、世間体は、気にしない。こうした生き様
は、子どものものの考え方を卑屈にする。「日本はねえ……」「世界はねえ……」という
語りかけが、子どもを大きくする。 

☆仮面をはずし、子どもには本音で生きる
________________________________________

あなたが悪人なら、悪人でもかまわない。大切なことは、子どもの前では、仮面をはずし、
本音で生きること。あるがままのあなたを、正直にさらけ出しながら生きる。かっこつけ
たり、飾ったりする必要はない。そういうあなたの中に、子どもは、いつか(一人の人間)
を見る。ただし一言。子育てといっても、あなたはいつも一人の人間として、自分を伸ば
していかねばならない。それが結局は、真の子育て法ということになる。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

☆優越感の押しつけは、子どもをつぶす
________________________________________

おとなや親の優越性を、子どもに押しつけてはいけない。賢い親は、(教師もそうだが……)、
バカなフリをしながら、子どもに自信をもたせ、そして子どもを伸ばす。相手は子ども。
本気で相手にしてはいけない。ゲームをしても、運動をしても、ときにはわざと子どもに
負けてみる。子どもが、「うちの父(母)は、アテにならない」と思うようなったら、し
めたもの。勉強について言うなら、「こんな先生に習うくらいなら、自分でしたほうがマ
シ」と思うようになったら、しめたもの。

☆親の動揺、子どもを不安にする
________________________________________

たとえば子どもが不登校的な拒否症状を示すと、たいていの親は、狂乱状態になる。そし
て親が感ずる不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。が、この一撃が、さらに
子どもの心に、大きなキズをつける。数か月ですんだはずの不登校が、1年、2年とのび
てしまう。子どもの心の問題を感じたら、一喜一憂は、厳禁。半年単位でものを考える。
「半年前はどうだったか?」「1年前はどうだったか?」と。 

☆言うべきことは言っても、あとは時を待つ
________________________________________

親は言うべきことは言っても、そこで一歩引き下がる。すぐわからせようとか、実行させ
ようと考えてはいけない。子どもの耳は、そういう意味で長い。脳に届いてから、それを
理解するまでに、時間がかかる。実行するまでには、さらに時間がかかる。まずいのは、
その場で、とことん子どもを追いつめてしまうような行為。子どもはかえってそれに反発
し、その反対のことをするようになる。 

☆質素が子どもの心を豊かにする
________________________________________

子どもには、質素な生活は、どんどん見せる。しかしぜいたくは、するとしても、子ども
のいないところで、また子どもの見えないところでする。子どもというのは、一度、ぜい
たくを覚えると、あともどりできない。だから、子どもにはぜいたくを、経験させない。
なお質素とケチは、よく誤解される。質素であることイコール、貧乏ということでもない。
質素というのは、つつましく生活をすることをいう。身のまわりにあるものを大切に使い
ながら、ムダをできるだけはぶく。要するに、こまやかな心が通いあう生活を、質素な生
活という。

☆うしろ姿を押し売りは、子どもを卑屈にする
________________________________________

 生活のためや、子育てのために苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では、
うしろ姿を子どもに見せることを美徳のように考えている人がいるが、これは美徳でも何
でもない。子どもというのは、親が見せるつもりはなくても、親のうしろ姿を見てしまう
かもしれないが、しかしそれでも、親は親として、子どもの前では、毅然(きぜん)とし
て生きる。そういう前向きの姿が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。

☆生きる力は、死を厳粛に扱うことから
________________________________________

 死があるから、生の大切さがわかる。死の恐怖があるから、生きる喜びがわかる。人の
死の悲しみがあるから、人が生きていることを喜ぶ。どんな宗教でも、死を教えの柱にお
く。その反射的効果として、「生」を大切にするためである。子どもの教育においても、
またそうで、子どもに生きることの大切さを教えたかったら、それがたとえペットの死で
あっても、死は厳粛にあつかう。

☆度量の大きさは、立方体で計算する
________________________________________

子育ての度量の大きさは、(たて)X(横)X(高さ)で決まる。(たて)というのは、そ
の人の住む世界の大きさ。(横)というのは、人間的なハバ。(高さ)というのは、どこ
まで子どもを許し、忘れるかという、その深さのこと。もちろんだからといって、子ども
に好き勝手なことをさせろということではない。要するに、あるがままの子どもを、どこ
まで受け入れることができるかということ。 

☆「今」を大切に、「今」を懸命に生きる
________________________________________

 過去なんてものは、どこにもない。未来なんてものも、どこにもない。あるのは、「今」
という現実。だからいつまでも過去を引きずるのも、また未来のために、「今」を犠牲に
するのも、正しくない。「今」を大切に、「今」という時の中で、最大限、自分のできる
ことを、懸命にがんばる。明日は、その結果として、必ずやってくる。だからといって、
過去を否定するものではない。また何かの目標に向かって努力することを否定するもので
もない。しかし大切なのは、「今」という現実の中で、自分を光り輝かせて生きていくこ
と。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

☆『休息を求めて疲れる』は、愚かな生き方
________________________________________

 イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞のようにもなっている格言である。つま
り「いつか楽になろう、楽になろうとがんばっているうちに、疲れてしまい、結局は何も
できなくなる」ということ。しかしほんの少し考え方を変えれば、あなたの生活はみちが
えるほど、豊かになる。方法は簡単。あなたも1呼吸だけ、今までのリズムを遅くすれば
よい。

☆行きづまったら、生きる源流に視点を
________________________________________

 「子どもがここに生きている」という源流に視点をおくと、そのとたん、子育てにまつ
わるあらゆる問題は、解決する。「この子は生きているだけでいい」と思いなおすことで、
すべての問題は解決する。あなたももし、子育てをしていて、行きづまりを感じたら、こ
の源流から、子どもを見てみるとよい。それですべての問題は解決する。 

☆モノより思い出
________________________________________

 イギリスの格言に、『子どもには、釣りザオを買ってあげるより、いっしょに魚釣りに
行け』というのがある。子どもの心をつかみたかったら、そうする。親は、よく、「高価
なものを買い与えたから、子どもは感謝しているはず」とか、「子どもがほしいものを買
い与えたから、親子のパイプは太くなったはず」と考える。しかしこれはまったくの誤解。
あるいは逆効果。子どもは一時的には、親に感謝するかもしれないが、あくまでも一時的。
物欲をモノで満たすことになれた子どもは、さらにその物欲をエスカレートさせる。 

☆子育てじょうずは、よき先輩をもつことから
________________________________________

あなたの近くに、あなたの子どもより、1〜3歳年上の子どもをもつ人がいたら、多少、
無理をしてでも、その人と仲よくする。その人に相談することで、たいてい「うちも、こ
んなことがありましたよ」というような話で、あなたの悩みは、解消する。「無理をして
でも」というのは、「月謝を払うつもりで」ということ。相手にとっては、あまりメリッ
トはないのだから、これは当然といえば、当然。が、それだけではない。あなたの子ども
も、その人の子どもの影響を受けて、伸びる。

☆子どもの先生は、子ども
________________________________________

あなたの近くに、あなたの子どもより1〜3歳年上の子どもをもつ人がいたら、その人と
仲よくしたらよい。あなたの子どもは、その子どもと遊ぶことにより、すばらしく伸びる。
この世界には、『子どもの先生は、子ども』という、大鉄則がある。子ども自身も、同じ
仲間という意識で見るため、抵抗がない。また、こと「勉強」ということになると、1、
2年、先を見ながら、勉強するということは、それなりに重要である。 

☆指示は具体的に
________________________________________

子どもに与える指示は、具体的に。たとえば「あと片づけしなさい」と言っても、子ども
には、あまり意味がない。そういうときは、「おもちゃは、一つですよ」と言う。「友だ
ちと仲よくするのですよ」というのも、そうだ。そういうときは、「これを、○○君に渡
してね。きっと、○○君は喜ぶわよ」と言う。学校で先生の話をよく聞いてほしいときは、
「先生の話をよく聞くのですよ」ではなく、「学校から帰ってきたら、先生がどんな話を
したか、あとでママに話してね」と言う。

●汝自身を知れ
________________________________________

古代ギリシアの7賢人の1人のターレスは、『汝自身を知れ』という言葉を残した。その
言葉が、アポロン神殿の柱に書かれているのを見て、ソクラテスが、『無知の知』という
言葉を導いた。「私たちは、自分のことを知っているようで、実は何も知らない」と。こ
の言葉を子育てにあてはめてみると、こうなる。「自分の子どものことは、自分がいちば
んよく知っていると思いこんでいる親ほど、自分の子どものことがわかっていない」と。

●約束(ルール)を守る,
________________________________________

日々の積み重ねが月となり、その月が積み重なって、年となる。その年が、10年、20
年と積み重なって、その人の人格となる。その日々の積み重ねは、身の回りのほんのささ
いなことから始まる。子どもが見ているとか、見ていないとか、そういうことには関係な
く、約束(ルール)を守る。ウソをつかない。そういう親の姿を、子どもは、うしろから
見る。自分の人格とする。

●子どもは使う
________________________________________

子どもは使えば使うほど、よい子になる。忍耐力(=いやなことをする力)も、それで身
につく。社会性も身につく。が、それ以上に、他人の苦しみや悲しみを理解できるように
なる。言うまでもなく、子どもにかぎらず人は、自分で苦労をしてみてはじめて、他人の
苦労が理解できるようになる。その心のポケットができる。あなたが重い荷物をもって歩
いているとき、「もってあげる!」と子どもが助けてくれれば、それでよし。そうでなけ
れば、家庭教育のあり方を、猛省する。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●夢と希望、そして目的
________________________________________

目的(目標)をもった子どもは、強い。多少の誘惑くらいなら、自らはねのけてしまう。
心の抵抗力ができていると考える。その心の抵抗力をつける第一。それが夢と希望。その
先に目標(目的)ができる。そのため、子どもの夢や希望は、大切にする。親の価値観を、
けっして、押しつけてはいけない。子どもが「花屋さんになりたい」と言ったら、すかさ
ず、「そうね、それはすてきね」と言い返してやる。そういう親の姿勢が、子どもの夢や
希望を育てる。 

●子どもの横に立つ
________________________________________

子育てには、3つの役目がある。ガイドとして、子どもの前に立つ。保護者として、子ど
ものうしろに立つ。そして友として、子どもの横に立つ。日本人は、伝統的に、子どもの
前やうしろに立つのは得意だが、横に立つのが苦手。そのため多くのばあい、子どもが親
離れを始めるころから、親子の間にキレツが入るようになり、さらに多くのばあい、その
キレツは、断絶へとつながっていく。 

●忍耐力は、いやなことをする力
________________________________________

試しに、台所のシンクにたまった生ごみを、始末させてみればよい。あるいは風呂場の排
水口にたまった毛玉でもよい。そのとき、「ハ〜イ」と言って、あなたの子どもがそれを
始末したとしたら、あなたの子どもは、すばらしい子どもとみてよい。またこのタイプの
子どもは、学習面でも、伸びる。なぜなら、勉強というのは、もともと(イヤなもの)。
そのイヤなことを乗り切る力が、ここでいう忍耐力ということになる。その忍耐力を育て
るためには、子どもは、使う。 

●思考回路というレール
________________________________________

夢や希望をもち、さらには目標(目的)をもち、その目標に向かって努力する。その道筋
を、思考回路という。大切なのは、その思考回路。というのも、夢や希望というのは、そ
のつど変化する。変化して当然。幼児のころは、「お花屋さんになりたい」と言っていた
子どもでも、小学生になると、「パン屋さんになりたい」「ケーキ屋さんになりたい」と
言うかもしれない。中身は何であれ、思考回路にできている子どもは、その思考回路の上
に夢や希望を乗せて、前向きに進んでいくことができる。 ※

●子どもに育てられる
________________________________________

親は、子育てをしながら、子どもに否応(いやおう)なしに育てられる。はじめて子ども
を幼稚園へ連れてきたような母親は、たしかに若くて美しいが、中身がない。そんな母親
でも、子育てで苦労をするうち、やがて姿勢が低くなる。幼稚園を卒園するころになると、
みなに、深々と頭をさげるようになる。中身ができてくる。つまり親が子どもを育てるの
ではない。子どもが親を育てる。子どもに育てられることを、恐れてはいけない。

●熟成される「善」
________________________________________

西洋では、「善と悪は、神の左手と右手である」という。しかし善と悪は、決して、平等
ではない。善人ぶることは簡単なこと。しかし自分の体の中から、悪を抜くのは、容易な
ことではない。しかもその善と悪は、長い時間をかけて、心の中で熟成される。とくに善
は、10年とか、20年とか、長い年月を経て熟成される。いつか、あなたも、親ではな
く、1人の人間として、子どもに評価されるときがやってくる。その評価に耐えうる人間
になれるかどうか。それは子育てにおける、大きなテーマのひとつと考えてよい。 

●すなおな子ども
________________________________________

親や教師の言うことに従順で、それに静かに従う子どもを、すなおな子どもというのでは
ない。すなおな子どもというときは、(1)心の状態(=情意)が、そのまま表情となっ
て表れる子ども、(2)心のゆがみ(いじける、つっぱる、ひねくれるなど)のない子ど
もをいう。イヤだったら、「イヤ!」と言う。何でもないことかもしれないが、それが自
然な形でできる子どもを、すなおな子どもという。 

●至上の愛
________________________________________

ある母親は、自分の子どもが死ぬか、生きるかの大病を繰りかえしたとき、天に向かって、
こう言って祈ったという。「私の命は、どうなってもいい。私の命と交換してでもいいか
ら、子どもの命を救ってエ!」と。こうした(自分の命すら惜しくない)という、まさに
至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。子どもを、ただの子どもと思ってはい
けない。あなたの子どもは、あなたに何かを教えるために、そこにいる。 

●シャドウに警戒する
________________________________________

人は善人ぶることによって、自分の中に潜む(邪悪な部分)を、どこかへ押し込める。こ
れをユングという学者は、「シャドウ」と呼んだ。そのシャドウを、子どもはうしろから
見ていて、そっくりそのまま、引き継いでしまう。ときとして、牧師や僧侶など、聖職者
と呼ばれる人の子どもが、凶悪犯罪人になるプロセスは、こうして説明される。善人ぶる
としても、それを仮面(ペルソナ)として、意識すること。仮面を脱ぎ忘れてはいけない。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●自立したよき家庭人
________________________________________

アメリカでもオーストラリアでも、そしてドイツでもフランスでも、親や教師たちはみな、
こう言う。「子育ての目標は、よき家庭人として、子どもを自立させること」と。が、一
方、この日本では、いまだに、出世主義、名誉主義、さらには権威主義が、大手を振って、
まかり通っている。封建時代の亡霊たちが、いまだに、のさばっている。そしてそれが教
育について言えば、諸悪の根源になっている。 

●「偉い」という言葉を、廃語にしよう
________________________________________

日本では、地位や肩書のある人を、「偉い人」という。一方、英語には、「偉い人」にあ
たる言葉すらない。あえて言うなら、「respected man」ということになる。「尊敬される
人」という意味である。地位や肩書は、関係ない。だから子どもには、「偉い人になれ」
ではなく、「尊敬される人になれ」と言う。それが子どもの心をまっすぐ伸ばす。 

●「家族」という重圧
________________________________________

家族は、それ自体、美徳であり、個々の人の心をいやす、心のより所である。が、その家
族も、ひとたびリズムが狂うと、今度は、重圧感となって、その人を苦しめることもある。
事実、その重圧感(=家族自我群)の中で、もがき苦しんでいる人も多い。反対に、自分
の子どもを、安易な親意識で、縛りつける親も少なくない。「産んでやった」「育ててや
った」と。こうした言葉は、親子の間では、使うとしても、心して最小限にする。

●恩の押し売り
________________________________________

日本の親たちは、無意識のうちにも、子どもに対して、恩の押し売りをする。「産んでや
った」「育ててやった」と。その代表的なものが、窪田聡という人が作詞した、『かあさ
んの歌』。「♪せっせと手袋編んでやった」「♪おとうは土間で、藁打ち仕事」と。あれ
ほどまでに恩着せがましい歌はない。言うとしたら、「♪春になれば、温泉へ行ってくる
よ」「♪家のことは心配しなくていいからね」だ。 

●悪玉親意識
________________________________________

親意識にも、2種類ある。善玉親意識(=私は親としての責任を果たすという親意識)と、
悪玉親意識(=親風を吹かし、自分の子どもを自分の支配下に置こうとする親意識)。悪
玉親意識が強い親は、「産んでいやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と、
そのつど、親の恩を子どもに押しつける。そしてあげくの果てには、「大学まで出してや
ったのに、何だ、その態度は!」と言うようになる。悪玉親意識に、注意! 

●親の統合性
________________________________________

子どもは、自分のしたいこと(=自己概念)を、現実にすること(=現実自己)によって、
自分を確立することができる。これを「自己の同一性」という。一方、親は、それでは満
足できない。親は、自分がすべきことを、現実にすることによって、自分を確立する。こ
れを「自己の統合性」という。その(すべきこと)には、多くのばあい、苦労や苦痛がと
もなう。親は子育てをしながらも、自己の統合性をめざす。 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================








*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   5日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page018.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●エビでタイを釣る
________________________________________

「名前を書いてごらん」と声をかけると、体をこわばらせる子どもが、多い。年長児でも、
10人のうち、3、4人はいるのでは。中には、涙ぐんでしまう子どももいる。文字に対
して恐怖心をもっているからである。原因は、親の神経質で、強圧的な指導。この時期、
一度、文字嫌いにしてしまうと、あとがない。この時期は、子どもがどんな文字を書いて
も、それをほめる。読んであげる。そういう努力が、子どもを文字好きにする。まさに『エ
ビでタイを釣る』の要領である。

●子どもは、人の父
________________________________________

空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
私が子どものころも、そうだった。
人となった今も、そうだ。
願わくは、私は歳をとっても、
そうでありたい。
子どもは、人の父。
自然の恵みを受けて、
それぞれの日々が、そうであることを、
私は願う。

(ワーズワース・イギリスの詩人) 

●冷蔵庫をカラにする
________________________________________

子どもの小食で悩んだら、冷蔵庫をカラにする。ついでに食べ物の入った棚をカラにする。
そのとき、食べ物を、袋か何かに入れて、思い切って捨てるのがコツ。「もったいない」
と思ったら、なおさら、そうする。「もったいない」という思いが、つぎからの買い物グ
セをなおす。子どもの小食で悩んでいる家庭ほど、家の中に食べ物がゴロゴロしているも
の。そういう買い物グセが、習慣になっている。それを改める。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●正しい発音で
________________________________________

世界広しといえども、幼児期に、子どもに発音教育をしないのは、恐らく日本くらいなも
のではないか。日本人だから、ほうっておいても、日本語を話せるようになると考えるの
は、甘い。子どもには、正しい発音で、息をふきかけながら話すとよい。なお文字学習に
先立って、音の分離を教えておくとよい。たとえば、「昨日」は、「き・の・う」と。そ
のとき、手をパンパンと叩きながら、一音ずつ、子どもの前で、分離してやるとよい。

●よい先生は、1、2歳年上の子ども
________________________________________

子どもにとって、最高の先生は、1、2歳年上で、めんどうみがよく、やさしい子ども。
そういう子どもが、身近にいたら、無理をしてでも、そういう子どもと遊んでもらえるよ
うにするとよい。「無理をして」というのは、親どうしが友だちになるつもりで、という
意味。あなたの子どもは、その子どもの影響を受けて、すばらしく伸びる。 

●ぬり絵のすすめ
________________________________________

手の運筆能力は、丸を描かせてみるとわかる。運筆能力のある子どもは、スムーズで、き
れいな丸を描く。そうでない子どもは、ぎこちない、多角形に近い丸をかく。もしあなた
の子どもが、多角形に近い丸を描くようなら、文字学習の前に、塗り絵をしてくとよい。
小さなマスなどを、縦線、横線、曲線などをまぜて、たくみに塗れるようになればよし


●ガムをかませる
________________________________________

もう15年ほど前のことだが、アメリカの「サイエンス」と雑誌に、「ガムをかむと、頭
がよくなる」という研究論文が発表された。で、その話を、年中児をもっていた母親に話
すと、「では」と言って、自分の子どもにガムをかませるようになった。で、それから4、
5年後。その子どもは、本当に頭がよくなってしまった。それからも、私は、何度も、ガ
ムの効用を確認している。この方法は、どこかボーッとして、生彩のない子どもに、とく
に効果的である。 

●マンネリは、知能の大敵
________________________________________

変化は、子どもの知的能力を刺激する。その変化を用意するのは、親の役目。たとえばあ
る母親は、一日とて、同じ弁当をつくらなかった。その子どもは、やがて日本を代表する、
教育評論家になった。こわいのは、マンネリ化した生活。なお一般論として、よく「転勤
族の子どもは、頭がいい」という。それは転勤という変化が、子どもの知能によい刺激に
なっているからと考えられる。 

●本は、抱きながら読む
________________________________________

子どもに本を読んであげるときは、子どもを抱き、暖かい息をふきかけながら、読んであ
げるとよい。子どもは、そういうぬくもりを通して、本の意味や文字のすばらしさを学ぶ。
こうした積み重ねがあってはじめて、子どもは、本好きになる。なお、「読書」は、あら
ゆる学習の基本となる。アメリカには、「ライブラリー」という時間があって、読書指導
を、学校教育の基本にすえている。 

●何でも握らせる
________________________________________

子どもには、何でも握らせるとよい。手指の感覚は、そのまま、脳細胞に直結している。
その感触が、さらに子どもの知的能力を発達させる。今、ものを与えても、手に取らない
子どもがふえている。(あくまでも、私の印象だが……。)反面、好奇心が旺盛で、頭の
よい子どもほど、ものを手にとって調べる傾向が強い

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●才能は見つけるもの
________________________________________

子どもの才能は、つくるものではなく、見つけるもの。ある女の子は、2歳くらいのとき
には、風呂にもぐって遊んでいた。そこで母親が水泳教室に入れてみると、水を得た魚の
ように泳ぎ出した。そのあとその女の子は、高校生のときには、総体に出るまでに成長し
た。また別の男の子(年長児)は、スイッチに興味をもっていた。そこで父親がパソコン
を買ってあげると、小学3年生のときには、自分でプログラムを組んでゲームをつくるよ
うにまでなった。子どもの才能を見つけたら、時間とお金を惜しみなく注ぐのがコツ。

●してくれ言葉に注意
________________________________________

日本語の特徴かもしれない。しかし日本人は、何かを食べたいときも、「食べたい」とは
言わない。「おなかが、すいたア。(だから何とかしてくれ)」というような言い方をす
る。ほかに、「たいくつウ〜(だから何とかしてくれ)」「つまらないイ〜(だから何と
かしてくれ)」など。老人でも、若い人に向って、「私も歳をとったからねエ〜(だから
大切にしてほしい)」というような言い方をする。日本人が、依存性の強い民族だと言わ
れる理由の一つは、こんなところにもある。 

●人格の完成度は、共鳴性でみる
________________________________________

他人の立場で、その他人の心の中に入って、その人の悲しみや苦しみを共有できる人のこ
とを、人格の完成度の高い人という。それを共鳴性という(サロヴェイ・「EQ論」)。
その反対側にいる人を、ジコチューという。つまり自己中心的であればあるほど、その人
の人格の完成度は、低いとみる。ためしにあなたの子どもの前で、重い荷物をもって歩い
てみてほしい。そのときあなたの子どもが、さっと助けにくればよし。そうでなく、知ら
ぬフリをしているようなら、人格の完成度は、低いとみる。

●平等は、不平等
________________________________________

下の子が生まれると、そのときまで、100%あった、親の愛情が、半減する。親からみ
れば、「平等」ということになるが、上の子からみれば、50%になったことになる。上
の子は、欲求不満から、嫉妬したり、さらには、心をゆがめる。赤ちゃんがえりを起こす
こともある。それまでしなかった、おもらしをしたり、ネチネチ甘えたりするなど。下の
子に対して攻撃的になることもある。嫉妬がからんでいるだけに、下の子を殺す寸前まで
のことをする。平等は、不平等と覚えておくとよい。

●イライラゲームは、避ける
________________________________________

ゲームにもいろいろあるが、イライラが蓄積されるようなゲームは、幼児には、避ける。
動きが速いだけの、意味のないゲームも避ける。とくに、夕食後から、就眠するまでの間
は、禁物。以前だが、夜中に飛び起きてまで、ゲームをしていた子ども(小5)がいた。
そうなれば、すでに(ビョーキ)と言ってもよい。子どもには、さまざまな弊害が現れる。
「ゲーム機器は、パパのもの。パパの許可をもらってから遊ぶ」という前提をつくるのも
よい。遊ばせるにしても、時間と場所を、きちんと決める

●おもちゃは、一つ
________________________________________

あと片づけに悩んでいる親は、多い。そういうときは、『おもちゃは、一つ』と決めてお
くとよい。「つぎのおもちゃで遊びたかったら、前のおもちゃを片づける」という習慣を
大切にする。子どもは、つぎのおもちゃで遊びたいがため、前のおもちゃを片づけるよう
になる。

●何でも半分
________________________________________

子どもに自立を促すコツがこれ。『何でも半分』。たとえば靴下でも、片方だけをはかせ
て、もう片方は、子どもにはかせる。あるいは途中まではかせて、あとは、子どもにさせ
る。これは子どもを指導するときにも、応用できる。最後の完成は、子どもにさせ、「じ
ょうずにできるようになったわね」と言って、ほめてしあげる。手のかけすぎは、子ども
のためにならない。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●(核)攻撃はしない
________________________________________

子どもの人格そのものに触れるような、攻撃はしない。たとえば「あなたは、やっぱりダ
メ人間よ」「あんたなんか、人間のクズよ」「あんたさえいなければ」と言うなど。こう
した(核)攻撃が日常化すると、子どもの精神の発達に、さまざまな弊害が現われてくる。
子どもを責めるとしても、子ども自身が、自分の力で解決できる範囲にする。子ども自身
の力では、どうにもならないことで責めてはいけない。それが、ここでいう(核)攻撃と
いうことになる。 

●引き金は引かない
________________________________________

仮に心の問題の「根」が、生まれながらにあるとしても、その引き金を引くのは、親とい
うことになる。またその「根」というのは、だれにでもある。またそういう前提で、子ど
もを指導する。たとえば恐怖症にしても、心身症にしても、そういった状況におかれれば、
だれでも、そうなる。たった一度、はげしく母親に叱られたため、その日を境に、一人二
役の、ひとり言をいうようになってしまった女の子(2歳児)がいた。乳幼児の子どもほ
ど、穏やかで、心静かな環境を大切にする。 

●二番底、三番底に注意
________________________________________

子どもに何か問題が起きると、親は、そのときの状態を最悪と思い、子どもをなおそうと
する。しかしその下には、二番底、さらには三番底があることを忘れてはいけない。たと
えば門限を破った子どもを叱ったとする。しかしそのとき叱り方をまちがえると、外泊(二
番底)、さらには家出(三番底)へと進んでいく。さらに四番底もある。こうした問題が
起きたら、それ以上、状況を悪くしないことだけを考えて、半年、1年単位で様子をみる。 

●あきらめは、悟りの境地
________________________________________

押してもダメ、引いても、ダメ。そういうときは、思い切ってあきらめる。が、子どもと
いうのは、不思議なもの。あきらめたとたん、伸び始める。親が、「まだ何とかなる」「こ
んなはずはない」とがんばっている間は、伸びない。が、あきらめたとたん、伸び始める。
そこは、おおらかで、実にゆったりとした世界。子育てには、行きづまりは、つきもの。
そういうときは、思い切って、あきらめる。そのいさぎのよさが、子どもの心に風穴をあ
ける。

●許して、忘れる
________________________________________

英語では、『FOR・GIVE(許す)& FOR・GET(忘れる)』という。この単
語をよく見ると、(何かを与えるために、許し、何かを得るために、忘れる)とも読める。
何を、か? 言うまでもなく、「愛」である。親は子育てをしながら、幾多の山を越え、
谷を越える。それはまさしく、「許して忘れる」の連続。その度量の深さによって、親の
愛の深さが決まる。カベにぶつかったら、この言葉を思い出してみてほしい。あなたも、
その先に、一筋の光明を見るはずである。

●子育て、自由論
________________________________________

子育ての要(かなめ)は、「自由」。「自らに由らせる」。だから自由というのは、自分
で考えさせる。自分で行動させる。そして自分で責任を取らせることを意味する。好き勝
手なことを、子どもにさせることではない。親の過干渉は、子どもから考える力をうばう。
親の過保護は、子どもから、行動力をうばう。そして親のでき愛は、子どもから責任感を
うばう。子育ての目標は、子どもを自立させること。それを忘れてはいけない。

●旅は、歩く
________________________________________

便利であることが、よいわけではない。便利さに甘えてしまうと、それこそ生活が、地に
足がつかない状態になる。……というだけではないが、たとえば旅に出たら、歩くように
心がけるとよい。車の中から、流れるようにして見る景色よりも、一歩、一歩、歩きなが
ら、見る景色のほうが、印象に強く残る。しかし、これは人生そのものに通ずる、大鉄則
でもある。いかにして、そのときどきにおいて、地に足をつけて生きるか。そういうこと
も考えながら、旅に出たら、ゆっくりと歩いてみるとよい。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●指示は具体的に
________________________________________

「友だちと仲よくするのですよ」「先生の話をしっかりと聞くのですよ」と子どもに言っ
ても、ほとんど、意味がない。具体性がないからである。そういうときは、「これを○君
にもっていってあげてね。○君、きっと喜ぶわよ」「学校から帰ってきたら、先生がどん
な話をしたか、あとでママに話してね」と言う。子どもに与える指示には、具体性をもた
せるとよい。

●休息を求めて疲れる
________________________________________

イギリスの格言に、『休息を求めて疲れる』というのがある。愚かな生き方の代名詞にも
なっている格言である。幼稚園教育は小学校へ入学するため。小学校教育は、中学校へ入
学するため。中学校や高校教育は、大学へ入学するため……、というのが、その愚かな生
き方になる。やっと楽になったと思ったら、人生が終わっていたということにもなりかね
ない。

●子どもの横を歩く
________________________________________

親には、三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どもの
うしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。日本人は、概して言えば、ガイドと
保護者は得意。しかし友として、子どもの横を歩くのが苦手。もしあなたがいつも、子ど
もの手を引きながら、「早く」「早く」と言っているようなら、一度、子どもの歩調に合
わせて、ゆっくりと歩いてみるとよい。それまで見えなかった、子どもの心が、あなたに
も、見えてくるはず。

●先生の悪口は言わない
________________________________________

学校から帰ってきて子どもが先生の悪口を言ったり、批評したりしても、決して、相づち
を打ったり、同意したりしてはいけない。「あなたが悪いからでしょう」「あの先生は、
すばらしい人よ」と、それをはねかえす。親が先生の悪口を言ったりすると、子どもはそ
の先生に従わなくなる。これは学校教育という場では、決定的にまずい。もし先生に問題
があるなら、子どもは関係のない世界で、処理する。 

●子育ては、自分で楽しむ
________________________________________

子どもを伸ばすコツは、子どものことは、あまり意識せず、親が楽しむつもりで、楽しむ。
その楽しみの中に、子どもを巻き込むようにする。つまり自分が楽しめばよい。子どもの
機嫌をとったり、歓心を買うようなことは、しない。コビを売る必要もない。親が楽しむ。
私も幼児にものを教えるときは、自分がそれを楽しむようにしている。

●ウソは、ていねいにつぶす
________________________________________

子どもの虚言にも、いろいろある。頭の中で架空の世界をつくりあげてしまう空想的虚言、
ありもしないことを信じてしまう妄想など。イギリスの教育格言にも、『子どもが空中の
楼閣に住まわせてはならない』というのがある。過関心、過干渉などが原因で、子どもは、
こうした妄想をもちやすくなる。子どもがウソをついたら、叱っても意味はない。ますま
すウソがうまくなる。子どもがウソをついたら、あれこれ問いかけながら、静かに、てい
ねいに、それをつぶす。そして言うべきことは言っても、あとは、無視する

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●本物を与える
________________________________________

子どもに見せたり、聞かせたり、与えたりするものは、いつも、本物にこころがける。絵
でも、音楽でも、食べ物でも、である。今、絵といえば、たいはんの子どもたちは、アニ
メの主人公のキャラクターを描く。歌といっても、わざと、どこか音のずれた歌を歌う。
食べ物にしても、母親が作った料理より、ファミリーレストランの料理のほうが、おいし
いと言う。こういう環境で育つと、人間性まで、ニセモノになってしまう(?)。今、外
からの見栄えばかり気にする子どもがふえているので、ご注意!

●ほめるのは、努力とやさしさ
________________________________________

子どもは、ほめて伸ばす。それはそのとおりだが、ほめるのは、子どもが努力したときと、
子どもがやさしさを見せたとき。顔やスタイルは、ほめないほうがよい。幼いときから、
そればかりをほめると、関心が、そちらに向いてしまう。また「頭」については、慎重に。
「頭がいい」とほめすぎるのも、またまったくほめないのも、よくない。ときと場所をよ
く考えて、慎重に! 

●親が前向きに生きる
________________________________________

親自身に、生きる目的、方向性、夢、希望があれば、よし。そういう姿を見て、子どもも
また、前向きに伸びていく。親が、生きる目的もない。毎日、ただ何となく生きていると
いう状態では、子どももまた、その目標を見失う。それだけではない。進むべき目的をも
たない子どもは、悪の誘惑に対して抵抗力を失う。子育てをするということは、生きる見
本を、親が見せることをいう。生きザマの見本を、親が見せることをいう。 

●機嫌はとらない
________________________________________

子どもに嫌われるのを恐れる親は、多い。依存性の強い、つまりは精神的に未熟な親とみ
る。そして(子どもにいい思いをさせること)イコール、(子どもをかわいがること)と
誤解する。子どもがほしがりそうなものを買い与え、それで親子のキズナは太くなったは
ずと考えたりする。が、実際には、逆効果。親は親として……というより、一人の人間と
して、き然と生きる。子どもは、そういう親の姿を見て、親を尊敬する。親子のキズナも、
それで太くなる。 

●うしろ姿の押し売りはしない
________________________________________

生活で苦労している姿……それを日本では、「親のうしろ姿」という。そのうしろ姿を、
親は見せたくなくても、見せてしまうものだが、しかしそのうしろ姿を、子どもに押し売
りしてはいけない。つまり恩着せがましい子育てはしない。「産んでやった」「育ててや
った」「お前を大きくするために、私は犠牲になった」と。うしろ姿の押し売りは、やが
て親子関係を、破壊する。

●親孝行は美徳にあらず
________________________________________

日本では、親孝行を当然の美徳とするが、本当にそうか? 「お前の人生は、お前のもの。
私たちのことは心配しなくていいから、思う存分、この世界をはばたいてみろ」と、一度
は、子どもの背中をたたいてあげてこそ、親は、親としての責任を果たしたことになる。
もちろんそのあと、子どもが自分で考えて、親孝行するというのであれば、それはそれ。
しかし親孝行は美徳でも何でもない。子どもにそれを強要したり、求めたりしてはいけな


http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●「偉い」を廃語に!
________________________________________

「偉い」という言葉を、廃語にしよう。日本では、地位の高い人や、何かの賞をとった人
を、「偉い人」という。しかし英語国では、日本人が、「偉い人」と言いそうなとき、「リ
スペクティド・マン」という。「尊敬される人」という意味である。リスペクティド・マ
ンというときは、地位や、名誉には関係ない。その人自身の中身を見て、そう判断する。
あなたの子どもには、「偉い人になれ」と言うのではなく、「尊敬される人になれ」と言
おう。 

●家族を大切に
________________________________________

『オズの魔法使い』という、小説がある。あの中で、ドロシーという女の子は、幸福を求
めて、虹の向こうにあるというエメラルドタウンを冒険する。しかし何のことはない。や
がてドロシーは、真の幸福は、すぐそばの家庭の中にあることを知る。今、「家族が一番
大切」と考える人が、80〜90%になっている。99年の文部省の調査では、40%前
後でしかなかったから、これはまさにサイレント革命というにふさわしい。あなたも自信
をもって、子どもには、こう言おう。「この世界で、一番大切なものは、家族です」と。 

●迷信を否定しよう
________________________________________

子どもたちの世界では、今、占い、まじない、予言、超能力などが、大流行。努力して、
自ら立ちあがるという姿勢が、ますます薄らいできている。中には、その日の運勢に合わ
せて行動し、あとで、「運勢が当たった」と言う子どもさえいる。(自分で、そうしただ
けなのだが……。)子どもが迷信らしいことを口にしたら、すかさず、「そんなのはウソ」
と言ってやろう。迷信は、まさに合理の敵。迷信を信ずるようになればなるほど、子ども
は、ものごとを合理的に考える力を失う。 

●死は厳粛に
________________________________________

ペットでも何でも、死んだら、その死は厳粛にあつかう。そういう姿を見て、子どもは、
「死」を学び、ついで、「生」を学ぶ。まずいのは、紙か何かに包んで、ゴミ箱に捨てる
ような行為。決して遊んだり、茶化したりしてはいけない。子どもはやがて、生きること
そのものを、粗末にするようになるかもしれない。なぜ、ほとんどの宗教で、葬儀を重要
な儀式と位置づけているかと言えば、それは死を弔(とむら)うことで、生きることを大
切にするためである。生き物の死は、厳粛に。どこまでも厳粛に。 

●悪玉親意識
________________________________________

「私は親だ」というのが、親意識。この親意識にも、二種類をある。善玉親意識と、悪玉
親意識である。「私は親らしく、子どもの見本になろう」「子どもをしっかりと育てて、
親の責任をはたそう」というのが、善玉親意識。一方、「親に向かって何よ!」と、子ど
もに対して怒鳴り散らすのが、悪玉親意識。いわゆる『親風を吹かす』ことをいう。なお
親は絶対と考えるのを、「親・絶対教」という。

●達成感が子どもを伸ばす
________________________________________

「ヤッター!」という達成感が、子どもを伸ばす。そんなわけで子どもが幼児のうちは、
(できる・できない)という視点ではなく、(がんばってやった・やらない)という視点
で子どもを見る。たとえまちがっていても、あるいは不十分であっても、子どもががんば
ってしたようなら、「よくやったわね」とほめて終わる。こまごまとした神経質な指導は、
子どもをつぶす。 

●子どもは、下から見る
________________________________________

子育てで行きづまったら、子どもは、下から見る。「下を見ろ」ではない。「下から見る」。
今、ここに生きているという原点から見る。そうすると、すべての問題が解決する。昔の
人は、こう言った。『上見て、キリなし。下見て、キリなし』と。つまり上ばかり見てい
ると、人間の欲望には、際限がなく、いつまでたっても、安穏とした世界はやってこない。
しかし生きているという原点から見ると、とたんに、すべての世界が平和になる。子育て
も、また同じ

●失敗にめげず、前に進む
________________________________________

「宝島」という本を書いたのが、スティーブンソン。そのスティーブンソンがこんな言葉
を残している。『我らが目的は、成功することではない。我らが目的は、失敗にめげず、
前に進むことである』と。もしあなたの子どもが何かのことでつまずいて、苦しんでいた
ら、そっとそう言ってみてほしい。「あなたの目的は、成功することではない。失敗にめ
げず、前に進むことですよ」と。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●すばらしいと言え、親の仕事
________________________________________

親の仕事は、すばらしいと言う。それを口ぐせにする。どんな仕事でも、だ。仕事に上下
はない。あるはずもない。しかしこの日本には、封建時代の身分制度の名残というか、い
まだに、職業によって相手を判断するという風潮が、根強く残っている。が、それだけで
はない。生き生きと仕事をしている親の姿は、子どもに、大きな安心感を与える。その安
心感が、子どもの心を豊かに育てる。

●逃げ場を大切に
________________________________________

どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。その逃げ場に逃げこむことによって、身
の安全をはかり、心をいやす。子どもも、またしかり。子どもがその逃げ場へ入ったら、
親は、そこを神聖不可侵の場と心得て、そこを荒らすようなことをしてはいけない。たい
ていは子ども部屋ということになるが、その子ども部屋を踏み荒らすようなことをすると、
今度は、「家出」ということにもなりかねない

●代償的過保護に注意
________________________________________

過保護というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。しかし代償的過保護には、そ
れがない。子どもを親の支配下において、親の思いどおりにしたいというのを代償的過保
護という。いわば親自身の心のスキマを埋めるための、親の身勝手な過保護をいう。子ど
もの受験競争に狂奔している親が、それにあたる。「子どものため」と言いながら、子ど
ものことなど、まったく考えていない。ストーカーが、好きな相手を追いかけまわすよう
なもの。私は「ストーカー的愛」と呼んでいる。 

●同居は、出産前から
________________________________________

夫(妻)の両親との同居を考えるなら、子どもの出産前からするとよい。私の調査でも、
出産前からの同居は、たいていうまくいく(90%)。しかしある程度、子どもが大きく
なってからの同居は、たいてい失敗する。同居するとき、母親が苦情の一番にあげるのが、
「祖父母が、子どもの教育に介入する」。同居するにしても、祖父母は、孫の子育てにつ
いては、控えめに。それが同居を成功させる、秘訣のようである。

●無能な親ほど規則を好む
________________________________________

イギリスの教育格言に、『無能な教師ほど、規則を好む』というのがある。家庭でも、同
じ。『無能な親ほど、規則を好む』。ある程度の約束ごとは、必要かもしれない。しかし
最小限に。また規則というのは、破られるためにある。そのつど、臨機応変に考えるのが、
コツ。たとえば門限にしても、子どもが破ったら、そのつど、現状に合わせて調整してい
く。「規則を破ったから、お前はダメ人間だ」式の、人格攻撃をしてはいけない。

●プレゼントは、買ったものは、ダメ
________________________________________

できれば……、今さら、手遅れかもしれないが、誕生日にせよ、クリスマスにせよ、「家
族どうしのプレゼントは、買ったものはダメ」というハウス・ルールを作っておくとよい。
戦後の高度成長期の悪弊というか、この日本でも、より高価であればあるほど、いいプレ
ゼントということになっている。しかしそれは誤解。誤解というより、逆効果。家族のキ
ズナを深めたかったら、心のこもったプレゼントを交換する。そのためにも、「買ったも
のは、ダメ」と。 

●子育ては、質素に
________________________________________

子育ての基本は、「質素」。ときに親は、ぜいたくをすることがあるかもしれない。しか
し、そういうぜいたくは、子どもの見えない世界ですること。一度、ぜいたくになれてし
まうと、子どもは、あともどりができなくなってしまう。そのままの生活が、おとなにな
ってからも維持できればよし。そうでなければ、苦しむのは、結局は子ども自身というこ
とになる。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●ズル休みも、ゆとりのうち
________________________________________

子どもが不登校を起こしたりすると、たいていの親は、狂乱状態になる。そのときのため
というわけでもないが、自分の中に潜む、学歴信仰や学校神話とは、今から戦っていく。
その一つの方法が、「ズル休み」。ときには、園や学校をズル休みさせて、親子で、旅行
に行く。平日に行けば、動物園でも遊園地でも、ガラガラ。あなたは、言いようのない解
放感を味わうはず。「そんなことできない!」と思っている人ほど、一度、試してみると
よい。 

●ふつうこそ、最善
________________________________________

ふつうであることには、すばらしい価値がある。しかし、親たちには、それがわからない。
「もっと……」「もう少し……」と思っている間に、かえって子どもの伸びる芽をつんで
しまう。よい例が、過干渉であり、過関心である。さらに親の過剰期待や、子どもへの過
負担もある。賢い親は、そのふつうの価値に、それをなくす前に気づき、そうでない親は、
それをなくしてから気づく。

●限界を知る
________________________________________

子育てには、限界はつきもの。いつも、それとの戦いであると言ってもよい。子どもとい
うのは不思議なもので、親が、「まだ、何とかなる」「こんなはずではない」「うちの子
は、やればできるはず」と思っている間は、伸びない。しかし親が、「まあ、うちの子は、
こんなもの」「よくがんばっている」と、その限界を認めたとたん、伸び始める。皮肉な
ことに、親がそばにいるだけで、萎縮してしまう子どもも、少なくない。 

●ほどよい親
________________________________________

子どもには、いつも、ほどよい親であること。あるいは「求めてきたときが、与えどき」
と覚えておくとよい。とくに、子どもが何らかの(愛の確認行為)をしてきたときは、す
かさず、いとわず。ていねいに、それに応じてあげる。ベタベタの親子関係がよくないこ
とは、言うまでもない。 

●子どもの世界は、社会の縮図
________________________________________

子どもの世界だけを見て、子どもの世界だけを何とかしようと考えても、意味はない。子
どもの世界は、まさに社会の縮図。社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子ども
の世界にも、4割の善があり、4割の悪がある。つまり私たちは子育てをしながらも、同
時に、社会にも目を向けなければならない。子どもがはじめて覚えたカタカナが、「ホテ
ル」であったり、「セックス」であったりする。そういう社会をまず、改める。子どもの
教育は、そこから始まる。 

●よき家庭人
________________________________________

日本では、「立派な社会人」「社会に役立つ人」が、教育の柱になっていた。しかし欧米
では、伝統的に、「よき家庭人(Good family man )」を育てるのが、教育の柱になって
いる。そのため学習内容も、実用的なものが多い。たとえば中学校で、小切手の切り方(ア
メリカ)などを教える。ところで隣の中国では、「立派な国民」という言葉がもてはやさ
れている。どこか戦後直後の日本を思い出させる言葉である。

●読書が教育の要
________________________________________

アメリカには、「ライブラリー」という時間がある。週1回は、たいていどこの学校にも
ある。つまり、読書指導の時間である。ふつうの教科は、学士資格で教壇に立つことがで
きるが、ライブラリーの教師だけは、修士号以上の資格が必要である。ライブラリーの教
師は、毎週、その子どもにあった本を選び、指導する。日本でも、最近、読書の重要性が
見なおされてきている。読書は、教育の要である。 

●教師言葉に注意
________________________________________

教師というのは、子どもをほめるときは、本音でほめる。だから学校の先生に、ほめられ
たら、額面どおり受け取ってよい。しかしその反対に、何か問題のある子どもには、教師
言葉を使う。たとえば学習面で問題のある子どもに対しては、「運動面では問題ないです
が……」「私の指導力が足りないようです」「この子には、可能性があるのですが、今は、
まだその力を出し切っていませんね」というような言い方をする。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●先取り教育は、幼児教育にあらず
________________________________________

幼児教育というと、小学校でする勉強を先取りしてする教育だとか、あるいは小学校の入
学準備のための教育と考えている人は多い。そのため漢字を教えたり、掛け算の九九を教
えたりするのが、幼児教育と思っている人も多い。しかしこれは、まったくの誤解。幼児
期には幼児期で、しておくべきことが、山のようにある。子どもの方向性も、このころ決
まる。その方向性を決めるのが、幼児教育である。

●でき愛は愛にあらず
________________________________________

でき愛を、「愛」と誤解している人は多い。しかしでき愛は、愛ではない。親の心のスキ
マをうめるための、親の身勝手な愛。それをでき愛という。いわばストーカーがよく見せ
る「愛?」とよく似ている。たとえば子どもの受験勉強に狂奔している親も、それにあた
る。「子どものことを心配している」とは言うが、本当は、自分の不安や心配を解消する
ための道具として、子どもを利用しているだけ。そしてベタベタの親子関係をつづけなが
ら、かえって子どもの自立をzちゃましてしまう。

●悪玉家族意識
________________________________________

家族のもつの重要性は、いまさら説明するまでもない。しかしその家族が、反対に、独特
の束縛性(家族自我群)をもつことがある。そしてその家族に束縛されて、かえってその
家族が、自立できなくなってしまうことがある。あるいは反対に、「親を捨てた」という
自責の念から、自己否定してしまう人も少なくない。家族は大切なものだが、しかし安易
な論理で、子どもをしばってはいけない。

●伸びたバネは縮む
________________________________________

受験期にさしかかると、猛烈な受験勉強を強いる親がいる。塾に、家庭教師に、日曜特訓
など。毎週、近くの公園で、運動の特訓をしていた父親さえいた。しかしこうした(無理)
は、一事的な効果はあっても、そのあと、その反動で、かえって子どもの成績はさがる。
「伸びたバネはちぢむ」と覚えておくとよい。イギリスの教育格言にも、『馬を水場に連
れていくことはできても、水を飲ませることはできない』というのがある。その格言の意
味を、もう一度、考えてみてほしい。

●利他度でわかる人格の完成度
________________________________________

あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのとき、「マ
マ、もってあげる!」と走りよってくればよし。反対に、知らぬ顔をして、テレビゲーム
などに夢中になってれば、あなたの子どもは、かなりのどら息子と考えてよい。子どもの
人格(おとなも!)、いかに利他的であるかによって、知ることができる。つまりドラ息
子は、それだけ人格の完成度の低い子どもとみる。勉強のできるできないは、関係ない。

●見栄、体裁、世間体
________________________________________

私らしく生きるその生き方の反対にあるのが、世間体意識。この世間体に毒されると、子
どもの姿はもちろんのこと、自分の姿さえも、見失ってしまう。そしてその幸福感も、「と
なりの人より、いい生活をしているから、私は幸福」「となりの人より悪い生活をしてい
るから、私は不幸」と、総体的なものになりやすい。もちろん子育ても、大きな影響を受
ける。子どもの学歴について、ブランド志向の強い親は、ここで一度、反省してみてほし
い。あなたは自分の人生を、自分のものとして、生きているか、と。 

●私を知る
________________________________________

子育ては、本能ではなく、学習である。つまり今、あなたがしている子育ては、あなたが
親から学習したものである。だから、ほとんどの親は、こう言う。「頭の中ではわかって
いるんどえすが、ついその場になると、カッとして……」と。そこで大切なことは、あな
た自身の中の「私」を知ること。一見簡単そうだが、これがむずかしい。スパルタのキロ
ンもこう言っている。「汝自身を、知れ」と。哲学の究極の目標にも、なっている。

●知識はメッキ
________________________________________

知識と思考力は、はっきりと区別する。もの知りな子どもイコール、賢い子どもというこ
とではない。もちろん人格的に高邁(こうまい)ということにもならない。脳みその中で
も、使う部分そのものがちがう。大切なのは、思考力。自分で考える力である。それをみ
て、その子どもの能力を判断する。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●作文の前に速書きを
________________________________________

計算力は、算数の力の基礎である。計算力があるからといって、算数の力があるというこ
とにはならない。しかし計算力がないと、算数の力を下へ引っ張ってしまう。同じように、
速書きは、作文力(表現力)の基礎である。速く書くことができるからといって、作文力
があるということにはならない。しかし速く書くことができないと、作文力を発揮できな
い。小1〜2レベルで、15分間に、100〜150文字を筆写できるようにするのを目
標とする。 

●国語力が学力の基礎
________________________________________

理科は、理科的な国語、社会は、社会的な国語と考える。国語力(読解力、理解力、表現
力)のあるなしは、すべての科目に大きな影響を与える。「本を読む」、つまり読書の重
要性は、今さら説明するまでもない。方法としては、大きな図書館で、子どもを自由に遊
ばせてみるとよい。それを定期的な習慣にする。 

●会話は正しい日本語で
________________________________________

「ほら、バス、バス、バスよ」ではなく、「もうすぐ、バスが来ます。あなたは外に立っ
て、バスを待ちます」と言う。こうした正しい言い方が、子どもの国語力の基礎となる。
子どもの国語力は、親、とくに母親が決める。なおこうした語りかけは、生後直後から始
める。赤ちゃん言葉(ウマウマ、ブーブーなど)、幼稚語(ワンワン、ニャーゴなど)は、
避ける。 

●思考は作文力で
________________________________________

これだけ視覚情報(テレビやゲーム)が多い中、さらにその上、右脳教育をあえてする必
要はないのではないか。それよりも大切なのは、分析力、論理的な思考力。こうした能力
は左脳が司っていると言われている。その分析力、思考力は、左脳が司る。分析力、思考
力を養うには、作文が第一。作文に始まって、作文に終わる。ものを書くという習慣を大
切に。 

●思考と情報は分ける
________________________________________

もの知りだからといって、その子どもに思考力があるということにはならない。かけ算の
九九をペラペラと口にしたからといって、その子どもに算数の力があるということにはな
らない。思考と情報は、いつも分けて考える。思考力のある子どもの目つきは、いつも深
く、静かに落ち着いている。 

●「文化」は心の精神力
________________________________________

その人(子ども)の精神的な深みは、日ごろの文化性で決まる。何かの事件に遭遇したと
き、あわてふためいて、ボロを出す人もいれば、そうでない人もいる。そのためにも、子
どもには、日ごろから、本物を見せておく。絵画でも音楽でも、さらに子どもが読む絵本
にしても、本物を見せておく。そういう日ごろの姿勢が、子どもの中の文化性を高める。
それが精神的な深みとなって、その人(子ども)を側面から支える。

●反面教師のゴーストに注意
________________________________________

あなたの周囲にも、反面教師と呼んでよいような人がいるかもしれない。ひょっとしたら、
あなたの親が、そうであるかもしれない。人は(子どもも)、反面教師を教師として、自
分を高めることができるが、対処のし方を誤ると、あなた自身が、いつかその反面教師そ
っくりの人間になることもある。これを「ゴースト」という。反面教師がいても、批判の
ための批判だけに終わってはいけない。どこかでその人を乗り越える努力を忘れてはいけ
ない。

●子供の叱り方
________________________________________

日本人は、親子の密着度、とくに母子の密着度が、高い。そのため母親は、自分の子供を
客観的に見ることができない。できない分だけ、叱るとき、とまどう。つまり自分の子供
のできの悪いのは、自分のせいと考えてしまう。とくに他人に自分の子供の批判を許さな
い。自分自身がけなされたかのように思ってしまう。子供の叱り方で悩んだら、母子関係
の密着度が高すぎないかも反省してみる。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

○受験は、淡々と
________________________________________

子ども(幼児)の受験は、淡々と。合格することを考えて準備するのではなく、不合格に
なったときのことを考えて、準備する。この時期、一度、それをトラウマにすると、子ど
もは生涯にわたって、自ら「ダメ人間」のレッテルを張ってしまう。そうなれば、大失敗
というもの。だから受験は、不合格のときを考えながら、準備する。 

○比較は、要注意
________________________________________

情報交換はある程度までは必要だが、しかしそれ以上の、深い親どうしの交際は、避ける。
できれば、必要な情報だけを集めて、交際するとしても、子どもの受験とは関係ない人と
する。「受験」の魔力には、想像以上のものがある。一度、この魔力にとりつかれると、
かなり精神的にタフな人でも、自分を自分を見失ってしまう。気がついたときには、狂乱
状態に……ということにも、なりかねない。 

○すべる、落ちるは禁句
________________________________________

子どもの前では、「受験」「入試」「合格」「不合格」「落ちる」「すべる」などの用語
を口にするのは、タブーと思うこと。入試に向かうとしても、子どもに楽しませるような
お膳立ては、必要である。「今度、お母さんがお弁当つくってあげるから、いっしょに行
きましょうね」とか。またそういう雰囲気のほうが、子どもも伸び伸びとできる。また結
果も、よい。

○入試内容に迎合しない
________________________________________

たまに難しい問題が出ると、親は、それにすぐ迎合しようとする。たとえば前年度で、球
根の名前を聞かれるような問題が出たとする。するとすぐ、親は、「では……」と。しか
し大切なことは、物知りな子どもにすることではなく、深く考える子どもにすることであ
る。わからなかったら、すなおに「わかりません」と言えばよい。試験官にしても、そう
いうすなおさを、試しているのである。

○子どもらしい子どもに
________________________________________

子どもは子どもらしい子どもにする。すなおで、明るく、伸びやかで、好奇心が旺盛で、
生活力があって……。すなおというのは、心の状態と、表情が一致している子どもをいう。
ねたむ、いじける、すねる、ひねくれるなどの症状のない子どもをいう。そういう子ども
を目指し、それでダメだというのなら、そんな学校は、こちらから蹴とばせばよい。それ
くらいの気構えは、親には必要である。 

○デマにご用心
________________________________________

受験期になると、とんでもないデマが飛びかう。「今年は、受験者数が多い」「教員と親
しくなっておかねば不利」「裏金が必要」などなど。親たちの不安心理が、さらにそうし
たデマを増幅させる。さらに口から口へと伝わっていく間に、デマ自身も大きくなる。こ
ういうのを心理学の世界でも、「記憶錯誤」という。子どもよりも、おとなのほうが、し
かも不安状態であればあるほど、その錯誤が大きくなることが知られている。 

○成功率(達成率)は、50%
________________________________________

子どもが、2回トライして、1回は、うまくいくようにしむける。毎回、成功していたの
では、子どもも楽しくない。しかし毎回失敗していたのでは、やる気をなくす。だから、
その目安は、50%。その50%を、うまく用意しながら、子どもを誘導していく。そし
ていつも、何かのレッスンの終わりには、「ほら、ちゃんとできるじゃ、ない」「すばら
しい」と言って、ほめて仕あげる。

○無理、強制
________________________________________

無理(能力を超えた負担)や強制(強引な指導)は、一時的な効果はあっても、それ以上
の効果はない。そればかりか、そのあと、その反動として、子どもは、やる気をなくす。
ばあいによっては、燃え尽きてしまったり、無気力になったりすることもある。そんなわ
けで、『伸びたバネは、必ず縮む』と覚えておくとよい。無理をしても、全体としてみれ
ば、プラスマイナス・ゼロになるということ

○条件、比較
________________________________________

「100点取ったら、お小遣いをあげる」「1時間勉強したら、お菓子をあげる」という
のが条件。「A君は、もうカタカナが読めるのよ」「お兄ちゃんが、あんたのときは、学
校で一番だったのよ」というのが、比較ということになる。条件や比較は、子どもからや
る気を奪うだけではなく、子どもの心を卑屈にする。日常化すれば、「私は私」という生
き方すらできなくなってしまう。子どもの問題というよりは、親自身の問題として、考え
たらよい。(内発的動機づけ) 

○方向性は、図書館で
________________________________________

どんな子どもにも、方向性がある。その方向性を知りたかったら、子どもを図書館へ連れ
ていき、一日、そこで遊ばせてみるとよい。やがて子どもが好んで読む本が、わかってく
る。それがその子どもの方向性である。たとえばスポーツの本なら、その子どもは、スポ
ーツに強い関心をもっていることを示す。その方向性がわかったら、その方向性にそって、
子どもを指導し、伸ばす。(役割形成)

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

○神経症(心身症)に注意
________________________________________

心が変調してくると、子どもの行動や心に、その前兆症状として、変化が見られるように
なる。「何か、おかしい?」と感じたら、神経症もしくは、心身症を疑ってみる。よく知
られた例としては、チック、吃音(どもり)、指しゃぶり、爪かみ、ものいじり、夜尿な
どがある。日常的に、抑圧感や欲求不満を覚えると、子どもは、これらの症状を示す。こ
うした症状が見られたら、(親は、子どもをなおそうとするが)、まず親自身の育児姿勢
と、子育てのあり方を猛省する。

○負担は、少しずつ減らす
________________________________________

子どもが無気力症状を示すと、たいていの親は、あわてる。そしていきなり、負担を、す
べて取り払ってしまう。「おけいこごとは、すべてやめましょう」と。しかしこうした極
端な変化は、かえって症状を悪化させてしまう。負担は、少しずつ減らす。数週間から、
1、2か月をかけて減らすのがよい。そしてその間に、子どもの心のケアに務める。そう
することによって、あとあと、子どもの立ちなおりが、用意になる

○荷おろし症候群
________________________________________

何かの目標を達成したとたん、目標を喪失し、無気力状態になることを言う。有名高校や
大学に進学したあとになることが多い。燃え尽き症候群と症状は似ている。一日中、ボー
ッとしているだけ。感情的な反応も少なくなる。地元のS進学高校のばあい、1年生で、
10〜15%の子どもに、そういう症状が見られる(S高校教師談)とのこと。「友人が
少なく、人に言われていやいや勉強した子どもに多い」(渋谷昌三氏)

○回復は1年単位
________________________________________

一度、無気力状態に襲われると、回復には、1年単位の時間がかかる。(1年でも、短い
ほうだが……。)たいていのばあい、少し回復し始めると、その段階で、親は無理をする。
その無理が、かえって症状を悪化させる。だから、1年単位。「先月とくらべて、症状は
どうか?」「去年とくらべて、症状はどうか?」という視点でみる。日々の変化や、週単
位の変化に、決して、一喜一憂しないこと。心の病気というのは、そういうもの。

○前向きの暗示を大切に
________________________________________

子どもには、いつも前向きの暗示を加えていく。「あなたは、明日は、もっとすばらしく
なる」「来年は、もっとすばらしい年になる」と。こうした前向きな暗示が、子どものや
る気を引き起こす。ある家庭には、4人の子どもがいた。しかしどの子も、表情が明るい。
その秘訣は、母親にあった。母親はいつも、こうような言い方をしていた。「ほら、あん
たも、お兄ちゃんの服が着られるようになったわね」と。「明日は、もっといいことがあ
る」という思いが、子どもを前にひっぱっていく。

○未来をおどさない
________________________________________

今、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす子どもがふえている。おとなになること
に、ある種の恐怖感を覚えているためである。兄や姉のはげしい受験勉強を見て、恐怖感
を覚えることもある。幼児のときにもっていた、本や雑誌、おもちゃを取り出して、大切
そうにそれをもっているなど。話し方そのものが、幼稚ぽくなることもある。子どもの未
来を脅さない。 

○子どもを伸ばす、三種の神器
________________________________________

子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども
学会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それ
を伸ばすのは、親の義務と、心得る。

○上下意識は禁物
________________________________________

 兄(姉)が上で、弟(妹)が下という、上下意識をもたない。……といっても、日本人
からこの意識を抜くのは、容易なことではない。伝統的に、そういう意識をたたきこまれ
ている。今でも、長子相続を本気で考えている人は多い。もしあなたがどこか権威主義的
なものの考え方をしているようなら、まず、それを改める。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   3日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page017.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●友を責めるな、行為を責めよ
________________________________________

●あなたの子どもが、あなたからみて好ましくない友だちと交際を始めたら、鉄則はただ
一つ。

友を責めるな、行為を責めよ、です。

つまりその行為のどこがどう悪いかだけを責めても、決して、相手の子どもの名前を出し
てはいけません。

「あの子は、悪い子だから、つきあってはダメ」というのは、子どもに、友を取るか、親
を取るかの、択一を迫るようなもの。

子どもがあなたを取ればよし。そうでなければ、あなたとの間に、深刻なキレツを入れる
ことになります。 

●一芸は聖域
________________________________________

●子どもの一芸は、聖域と考えます。よくある失敗例は、「成績がさがったから、(好き
な)サッカーをやめなさい」と子どもに迫ること。

子どもから一芸をうばうと、子どもは、糸の切れた凧のようになってしまいます。

もちろん成績もさがります。

子ども一芸は、聖域と考えて、決して、侵してはいけません。 

________________________________________

●日本人は、あと片づけには、うるさいですね。しかしそれより大切なのは、あと始末で
す。

ジュースを飲んだら、そのコップを洗う。風呂から出るときは、アワを流すなど。

あと始末のしっかりできる子どもにするということは、責任感の強い子どもを育てること
を意味します。

ちなみに日本以外の国では、ものが散らかっていても、親は、子どもにほとんど、何も言
いません。
しかしあと始末には、うるさいです。
食後の皿洗いなど、家族全員でするのが彼らの習慣にもなっています。 

●親子の三角関係
________________________________________

心理学の世界にも、「三角関係」という言葉がある。父親が母親の悪口を言ったり、批判
したりすると、夫婦の間に、キレツが入る。そして父親と母親、母親と子ども、子どもと
父親の間に、三角関係ができる。子どもが幼いうちはまだしも、一度、この三角関係がで
きると、子どもは、親の指示に従わなくなる。つまりこの時点で、家庭教育は、崩壊する

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●逃げ場を大切に
________________________________________

どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。子どもも、またしかり。子どもは、その
逃げ場に逃げ込むことによって、身の安全をはかり、心をいやす。たいていは自分の部屋
ということになる。その逃げ場を荒らすようになると、子どもの心は、一挙に不安定にな
る。だから子どもが逃げ場に逃げたら、その逃げ場を荒らすようなことはしてはいけない。 

●心はぬいぐるみで
________________________________________

年長児にぬいぐるみを見せると、「かわいい」と言って、やさしそうな表情を見せる子ど
もが、約80%。しかし残りの20%は、ほとんど、反応を示さない。示さないばかりか、
中には、キックしてくる子どもがいる。小学校の高学年児でも、日常的にぬいぐるみをも
っている子どもは、約80%。男女の区別はない。子どもの中に、親像が育っているかど
うかは、ぬいぐるみを抱かせてみるとわかる。 

●国語教育は、言葉から
________________________________________

子どもの国語力は、母親の会話能力によって決まる。たとえば幼稚園バスがやってきたと
き、「ほらほら、バス。ハンカチは? 帽子は? 急いで」というような言い方を、母親
がしていて、どうして子どもの中に、国語力が育つというのか。そういうときは、めんど
うでも、「バスがきます。あなたは急いで、外に行きます。ハンカチをもっていますか。
帽子をかぶっていますか」と話す。そういう母親の会話力が、子どもの国語力の基本にな
る。 

●計算力は、早数えで
________________________________________

「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えられるようになったら、早数えの練習をする。「イ
チ、ニ、サン……」から、さらに、「イ、ニ、サ、シ、ゴ、ロ、シ、ハ、ク、ジュウ」と。
さらに手をパンパンとたたいてみせ、それを数えさせる。なれてくると、子どもは、数を
信号化する。たとえば「2足す3」も、「ピ、ピ、と、ピ、ピ、ピで、5」と。これを数
の信号化という。この力が、計算力の基礎となる。 

●使えば使うほど、いい子
________________________________________

使えば、使うほど、子どもは、いい子になる。生活力も身につくが、忍耐力も、そこから
生まれる。その忍耐力というのは、(いやなことをする能力)のことをいう。ためしに、
あなたの子どもに、台所のシンクにたまった生ゴミを始末させてみてほしい。「ハ〜イ」
と言って、喜んで片づけるようなら、あなたの子どもは、その忍耐力のある子どもという
ことになる。このタイプの子どもは、学習面でも伸びる。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●やさしさは苦労から
________________________________________

ためしにあなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうな表情をして歩いてみてほ
しい。そのとき、「ママ(パパ)、助けてあげる!」と言って走り寄ってくればよし。そ
うでなく、テレビやゲームに夢中になっているようなら、かなりのドラ息子(娘)とみて
よい。今は、(かわいい子)かもしれないが、やがて手に負えなくなる。子どもは(おと
なも)、自分で苦労をしてみてはじめて、他人の苦労がわかるようになる。やさしさも、
そこから生まれる。 

●釣りザオを買ってやるより……
________________________________________

イギリスの教育格言に、「釣りザオを買ってやるより、いっしょに、釣りに行け」という
のがある。子どもの心をつかみたかったら、そして親子のキズナを太くしたかったら、い
っしょに釣りに行け、と。多くの人は、子どものほしがるものを与えて、それで子どもは
喜んでいるはず。感謝しているはず。親子のキズナも、それで太くなったはずと考える。
しかしこれは幻想。むしろ逆効果。

●100倍論
________________________________________

子ども、とくに幼児に買い与えるものは、100倍して考える。たとえば100円のもの
でも、100倍して、1万円と考える。安易に、お金で、子どもの欲望を満足させてはい
けない。一度、お金で、満足させることを覚えてしまうと、年齢とともに、その額は、1
0倍、100倍とエスカレートしていく。高校生や大学生になるころには、1000円や
1万円では、満足しなくなる。子どもが幼児のときから、慎重に! 

●子どもは、信じて伸ばす
________________________________________

心理学の世界にも、「好意の返報性」という言葉がある。イギリスの格言にも、「相手は、
あなたが相手を思うように、あなたのことを思う」というのがある。あなたがその人を、
いい人だと思っていると、その相手も、あなたをいい人だと思っている。しかしそうでな
ければそうでない。子どものばあいは、さらにそれがはっきりと現れる。だから子どもを
伸ばしたいと思うなら、まず自分の子どもをいい子どもだと思うこと。子どもを伸ばす、
大鉄則である。 

●強化の原理
________________________________________

前向きに伸びているという実感が、子どもを伸ばす。そのため、「あなたはどんどんよく
なる」「すばらしくなる」という暗示を、そのつど、子どもにかけていく。まずいのは、
未来に不安をいだかせること。仮に子どもを叱っても、そのあと何らかの方法でそれをカ
バーして、「ほら、やっぱり、できるじゃない」と、ほめて仕上げる。 

●叱るときの原則
________________________________________

子どもを叱るときは、自分の姿勢を低く落とし、子どもの目線の高さに自分の目目線の高
さをあわせる。つぎに子どもの両肩を、やや力を入れて両手でつかみ、子どもの目をしっ
かりと見つめて叱る。大声を出して、威圧したり、怒鳴ってはいけない。恐怖心をもたせ
ても意味はない。中に叱られじょうずな子どもがいて、いかにも反省していますというよ
うな様子を見せる子どもがいる。しかしそういう姿に、だまされてはいけない。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●仮面に注意
________________________________________

絶対的なさらけ出しと、絶対的な受け入れ。この基盤の上に、親子の信頼関係が築かれる。
「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味。あなたの子どもが、あなたの
前で、そうであればよし。しかしあなたの前で、いい子ぶったり、仮面をかぶったりして
いるようであれば、親子の関係は、かなり危機的な状況にあると考えてよい。あなたから
見て、「何を考えているかわからない」というのであれば、さらに要注意。

●根性・がんこ・わがまま
________________________________________

子どもの根性、がんこ、わがままは、分けて考える。がんばって何か一つのことをやりと
げるというのは、根性。何かのことにこだわりをもち、それに固執することを、がんこ。
理由もなく、自分の望むように相手を誘導しようとするのが、わがままということになる。
その根性は、励まして伸ばす。がんこについては、子どもの世界では望ましいことではな
いので、その理由と原因をさぐる。わがままについては、一般的には、無視して対処する。 

●アルバムを大切に
________________________________________

おとなは過去をなつかしんで、アルバムを見る。しかし子どもは、自分の未来を見るため
に、アルバムを見る。が、それだけではない。アルバムには、心をいやす作用がある。そ
れもそのはず。悲しいときやつらいときを、写真にとって残す人は、少ない。つまりアル
バムには、楽しい思い出がぎっしり。そんなわけで、親子の絆(きずな)を太くするため
にも、アルバムを、部屋の中央に置いてみるとよい。

●名前を大切に
________________________________________

子どもの名前は大切にする。「あなたの名前は、すばらしい」「いい名前だ」とことある
ごとに言う。子どもは、自分の名前を大切にすることをとおして、自尊心を学ぶ。そして
その自尊心が、何かのことでつまずいたようなとき、子どもの進路を、自動修正する。た
とえば子どもの名前が、新聞や雑誌に載ったようなときは、それを切り抜いて、高いとこ
ろに張ったりする。そういう親の姿勢を見て、子どもは、名前のもつ意味を知る。

●子どもの体で考える
________________________________________

体重10キロの子どもに缶ジュースを一本与えるということは、体重50キロのおとなが、
5本、飲む量に等しい。そんな量を子どもに与えておきながら、「どうしてうちの子は、
小食なのかしら」は、ない。子どもに与える量は、子どもの体で考える。

●カルシウムは、紳士をつくる
________________________________________

イギリスでは、「カルシウムは、紳士をつくる」と言う。静かで落ちついた子どもにした
かったら、CA(カルシウム)、MG(マグネシウム)の多い食生活、つまり海産物を中
心とした献立にする。こわいのは、ジャンクフード。さらにリン酸添加物の多い、食べも
の。いわゆるレトルト食品、インスタント食品類である。リン酸は、CAの大敵。CAと
化合して、リン酸カルシウムとして、CAは、対外へ排出されてしまう。

●すばらしいと言え、親の仕事
________________________________________

親が生き生きと仕事をしている姿ほど、子どもに安心感を与えるものは、ない。が、それ
だけではない。中に、自分の子どもに、親の仕事を引き継がせたいと考えている人もいる
はず。そういうときは、常日ごろから、「仕事は楽しい」「おもしろい」を口ぐせにする。
あるいは「私の仕事はすばらしい」「お父さんの仕事は、すばらしい」を口ぐせにする。
まちがっても、暗い印象をもたせてはいけない。 

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●敏捷性は、はだしで
________________________________________

将来、運動能力のある子どもにしたかったら、子どもは、はだしにして育てる。子どもは、
足の裏からの刺激を受けて、敏捷性(びんしょうせい)のある子どもになる。この敏捷性
は、あらゆる運動能力の基本となる。分厚い靴下と、分厚い底の靴をはかせて、どうして
それで敏捷性のある子どもになるのか。今、坂や階段を、リズミカルにのぼりおりできな
い子どもがふえている。川原の石の上に立つと、「こわい」と言って動けなくなる子ども
も多い。どうか、ご注意! 

●ジコチューは、精神の未熟性の証拠
________________________________________

相手の心の中に、一度入って、相手の立場で考える。これを心理学の世界でも、「共鳴性」
(サロヴェイ「EQ論」)という。それができる人を、人格の完成度の高い人という。そ
うでない人を、低い人という。学歴や地位とは、関係ない。ないばかりか、かえってそう
いう人ほど、人格の完成度が低いことが多い。そのためにも、まず親のあなたが、自分の自己
中心性と戦い、子どもに、その見本を見せるようにする。

●役割形成を大切に
________________________________________

子どもが「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「すてきね」と言ってあげる。
「いっしょに、お花を育ててみましょうね」「今度、図書館で、お花なの図鑑をみましょ
うね」と言ってあげる。こうすることで、子どもは、自分の身のまわりに、自分らしさを
つくっていく。これを「個性化」という。この個性化が、やがて、子どもの役割となり、
夢、希望、そして生きる目的へとつながっていく

●暖かい無視を大切に
________________________________________

自然動物保護団体の人たちが使う言葉に、『暖かい無視』という言葉がある。親の過干渉、
過関心、過保護、でき愛ほど、子どもに悪影響を与えるものは、ない。もしそういう傾向
を感じたら、暖かい無視にこころがける。が、無視、冷淡、拒否がよいわけではない。同
時に『ほどよい親』にこころがける。「求めてきたときが、与えどき」と覚えておくとよ
い。とくに子どもがスキンシップを求めてきたときは、こまめにそれに応じてあげる。

●父親の二大役割
________________________________________

母子関係は重要であり、絶対的なものである。しかしその母子関係が濃密過ぎるのも、ま
た子どもが大きくなったとき、そのままの状態でも、よくない。その母子関係に、くさび
を打ち込み、是正していくのが、父親の役割ということになる。ほかに、社会性を教える
のも、重要な役割。昔で言えば、子どもを外の世界に連れ出し、狩の仕方を教えるのが、
父親の役割ということになる。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●欠点はほめる
________________________________________

子どもに何か、欠点を見つけたら、ほめる。たとえば参観授業で、ほとんど手をあげなか
ったとしても、「手をもっと、あげなさい」ではなく、「この前より、手がよくあがるよ
うになったわね」と言うなど。子どもが皆の前で発表したようなときも、そうだ。「大き
な声で言えるようになったわね」と。押してだめなら、思い切って引いてみる。子どもを
伸ばすときに、よく使う手である。 

●負けるが、勝ち
________________________________________

ほかの世界でのことは、別として、間に子どもをはさんでいるときは、『負けるが勝ち』。
これは父母どうしのつきあい、先生とのつきあいの、大鉄則である。悔しいこともあるだ
ろう。言いたいこともあるだろう。しかしそこはぐっとがまんして、「負ける」。大切な
ことは、子どもが、楽しく、園や学校へ行けること。あなたのほうから負けを認めれば、
そのときから人間関係は、スムーズに流れる。あなたががんばればがんばるほど、事態は
こじれる。 

●ベッドタイム・ゲームを大切に!
________________________________________

子どもは(おとなも)、寝る前には、ある決まった行動を繰りかえすことが知られている。
これをベッドタイム・ゲームという、日本語では、就眠儀式という。このしつけに失敗す
ると、子どもは眠ることに恐怖心をいだいたり、さらにそれが悪化すると、情緒が不安定
になったりする。いきなりふとんの中に子どもを押しこみ、電気を消すような乱暴なこと
をしてはいけない。子どもの側からみて、やすらかな眠りをもてるようにする。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●民主党・小沢一郎幹事長(陸山会は、マネーロンダリング・トンネル)(追記、改2)

++++++++++++++++++

それにしてもわかりにくいのが、金(=マネー)の流れ。
さらっと読んだだけでは、何がなんだか、よくわからない。
しかし「?」とは、思う。
思うが、そこまで。

私の脳みその活動が鈍ってきたためか?

++++++++++++++++++

●産経新聞

 産経新聞(09年1月1日)の記事をまず読んでみよう。
そのまま紹介させてもらう。

『・・・民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」が購入した土地をめぐる疑惑で、
陸山会会計事務担当だった民主党の石川知裕衆院議員(36)=北海道11区=が、独断
で資金移動できる状況になかったことが31日、関係者への取材で分かった。東京地検特
捜部は小沢氏が土地取引に絡む複雑な資金移動を認識していた疑いがあるとみて捜査。実
態解明のため、小沢氏本人に任意で事情聴取することを検討するもようだ。

 特捜部は石川氏を政治資金規正法違反容疑で立件する方針で、通常国会開会前の1月中
旬までに刑事処分を決めるとみられる。

 関係者によると、陸山会は平成16年10月、東京都世田谷区の土地を約3億4千万円
で購入。複数の関連政治団体を経由するなどして、その直前に約4億円が陸山会に入り、
直後に約1億8千万円が入金された。その直後には4億円の定期預金が組まれ、小沢氏名
義で4億円を借り入れた。石川氏は任意聴取に「運転資金が足りず、小沢氏の個人資金約
4億円を土地代金に充てた」と説明している。

 石川氏は陸山会や関連政治団体の資金管理担当だったが、小沢氏か、小沢氏の意向を受
けた元会計責任者で公設第1秘書の大久保隆規被告(48)=政治資金規正法違反罪で公
判中=の指示がないと資金を動かすことができず、こうした複雑な資金移動を独断ででき
る状況になかったという。

 特捜部は、(1)不記載とされる土地代金の原資は小沢氏の資金、(2)小沢氏名義で4
億円の融資を受けている、(3)19年に小沢氏本人に4億円が返済されているーことなど
から、小沢氏が資金移動を認識していた疑いもあるとみているもようだ』(以上、産経新聞)
と。

●整理

 この記事に出てくる(数字)を整理してみる。

(1)平成16年10月、陸山会は、世田谷区の土地を、3億4000万円で購入した。
(2)その直前に、複数の関連政治団体を経由して、約4億円が陸山会に入った。
(3)「直後に※」1億8000万円が、「入金された※」。
(4)「直後には※」4億円の定期預金が組まれた。
(5)小沢氏名義で、4億円を借り入れた。(=小沢氏が、4億円の融資を受けた。)
(6)その(?)4億円を、3億6000万円の土地代金にあてた。

 この記事でわかりにくいところは、上記(※)の部分。
「直後」といっても、どの行為に対しての直後なのか?
また「入金された」というのは、どこへ入金されたことをいうのか?

 また産経新聞によれば、平成19年に、小沢氏本人に、4億円が返済されているという。
ざっと読んだだけでは、どこに事件性があるのか、私には、よくわからない。
(やはり、ボケたのか?)

●12月30日の産経新聞

 そこでこの事件(?)を、もう少し深く掘り下げてみる。
その前日の12月30日付けの産経新聞には、つぎのようにある。

『・・・問題となっているのは、東京都世田谷区にある小沢氏の自宅から約700メートルの
土地476平方メートル。現在は小沢氏の秘書寮が2棟建つ。陸山会は16年10月5日、
都内の不動産会社と約3億4千万円で売買契約を締結。手付金1千万円を支払い、同月2
9日に残金を支払うことで合意した。

 残金は29日に支払われたが、登記は石川氏の要望で年明けの1月7日に行われた。こ
の支出を16年分の収支報告書に記載せず、17年分に記載したなどとして、石川氏らが
政治資金規正法違反罪で告発された。

 小沢氏は会見で「事務方の単純ミス。売買と登記の時間がずれることはある」と釈明し
たが、不動産関係者は「手続き上、所有権の移転登記が1日遅れることは多々ある。しか
し数カ月も遅れることはまれだ。特別な意図があるとしか考えられない」といぶかしむ』(以
上、産経新聞)。

●再び整理

 再び数字を整理してみる。

(1)平成16年10月5日、陸山会は、3億4000万円で土地売買の契約をする。
(2)同月(10月)29日に、残金を支払うことで合意。
(3)残金は約束どおり、29日に支払われたが、登記は、翌年の平成17年の1月7日
に行われた。
(4)この支出を、16年度分の収支報告書には記載せず、17年度分に記載した。
(5)このため、石川氏らが、政治資金規正法違反罪で、告発された。

●登記の遅れ

 産経新聞の記事によれば、実際の売買は、平成16年10月29日に完了していること
になる。
が、実際の登記は、約2か月と1週間後の、平成17年1月7日になされている。

 ふつう土地の売買をするときは、買い手の立場を保護するため、代金の支払いと同時に、
所有権移転の登記手続きを開始する。
悪意をもった所有者なら、二重売買、さらには三重売買をする可能性もある。
それを避けるために、売買手続きと同時に、即、登記手続きを開始する。

 が、なぜか、登記は、約2か月と1週間後の、平成17年1月7日になされている。
どうしてそういう操作が必要だったのか。
なぜ陸山会側は、平成16年ではなく、平成17年に、所有権の移転登記をしたのか。

●金の流れ

 ここまで読んで、先の疑問のいくつかは、解消した。

(1)「その直前」にというのは、土地代金を支払う、直前にという意味である。
(2)「直後に」というのは、4億円が陸山会に入金された直後にという意味である。

 ということは、小沢氏が土地を購入する直前には、陸山会には、4億円+1億8000
万円=計5億8000万円の資金が流入したことになる。

 その5億8000万円のうち、4億円で、定期預金が組まれた。
(だれの名義で組まれたかということは、書いてない。)
その定期預金を担保に、小沢氏は、小沢氏名義で、4億円を、銀行から借り入れた。
俗に言う、「預金担保」という方法である。

 たとえば1億円借りるとき、現金をもっている人は、まず1億円を銀行に預ける。
ふつう定期預金にする。
その1億円の定期預金を担保に、別枠で、1億円を借りる。
「銀行から借りた」という形をつくれば、原資の出所をあいまいにすることができる。
借り入れ利息も相殺され、より少額で済む。

●なぜ平成17年に?

 実際の売買は、平成16年になされた。
それが登記簿上では、平成17年に、移転登記がなされた。

 これには何か、特別な理由があるらしい。
単純に考えれば、「平成16年度の収支報告書には記載したくなかったから」ということら
しい。
では、なぜ、平成16年度の収支報告書に記載したら、まずかったのか?

 ここで注目すべき点は、「陸山会」という政治団体の資金を担保にして、小沢氏自身が4
億円を借り、それを土地購入の原資としたということ。
わかりやすく言えば、小沢氏が、土地を買い、小沢氏名義にしたということ。
「陸山会」という法人名義ではない。
「小沢」という個人名義である。

 簡単に言えば、小沢氏は、陸山会という組織の資金を流用して、自分名義の土地を買っ
た。
が、小沢氏にまつわる疑惑は、それだけではない。

●計10億円?

 産経新聞(12月30日)は、つぎのようにも伝えている。

 『民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐり、政治団体間の不可解な
資金移動や政治資金収支報告書の不記載の疑いが相次いで発覚している。告発されている
平成16年の土地取引だけでなく、19年にも小沢氏本人に4億円を支出しながら収支報
告書に記載していなかった疑惑も浮上。合わせて約10億円もの政治資金が不記載となっ
ている可能性がある。東京地検特捜部は年明けに、会計事務担当だった民主党の石川知裕
衆院議員(36)を政治資金規正法違反容疑で立件する方向で実態解明を進めている』(以
上、産経新聞)と。

 世田谷の土地購入だけではなく、平成19年にも、同じような手口で、小沢氏は、陸山
会から4億円を引き出し、それを自分のものにしているという。
使途については不明だが、それがどうであれ、陸山会の政治資金として使うなら、わざわ
ざこんな手の込んだ引き出し方をする必要はない。
陸山会から、直接、現金を持ち出せばよい。

 が、小沢氏は、そのつど、陸山会から金を引き出し、それを一度、(自分のもの)として、
使っている!
もっとも小沢氏に言わせれば、「民主党は、オレのもの」「陸山会の金は、オレのもの」と
いうことになる。
「だから陸山会の金を自由に、どう使おうと、オレの勝手」・・・とまで言っているかどうか
は、知らない。
しかしこれらの金の流れを順に追ってみると、小沢氏が、そう考えているとしか思えない。

●謎の平成17年

 が、最大の謎は、やはり平成17年1月7日である。
なぜ小沢氏は、実際の売買を、前年の10月29日にしておきながら、所有権の移転登記
を、平成17年1月7日にしたか?

 何かしらの理由があったとみるべきだが、残年ながら、私にはわからない。
単純に考えれば、平成16年の収支報告書に書くと、まずいことになると判断したためと
いうことになる。
が、こう考えたらどうだろうか。

平成16年に、5億8000万円の政治資金が陸山会に入った。
その年に、小沢氏がそれを担保に、4億円を借りた。
実際、その直前に、4億円の定期預金が組まれている。
その「陸山会の定期預金?」を担保に、小沢氏が、小沢氏名義で、4億円を借りている。
そしてその金で、小沢氏名義の土地を買った。

 やはり、これはまずい!

 そこで小沢氏は、知恵を働かせた。
登記を1年ずらせば、収支報告書は、別年度のものになる。
「隠す」ことはできないが、しかし「金の流れをわかりにくくする」ことはできる。
それで所有権の移転登記を、翌年の平成17年にずらした?

 こうした一連の金の流れは、小沢氏の視点で考えると理解できる。

●小沢氏の視点

 「民主党も陸山会も、オレのもの」
「だからそこへ入ってくる金は、オレのもの」
「オレがその金を自由に使って、何が悪い」と。
しかし法律がいろいろあって、自由に使うことはできない。
そこでどうするか?
・・・というより、あなたなら、どうするか?

 もっとも簡単な方法は、たとえば陸山会へ入ってくる政治資金を、銀行に預ける。
定期預金にしたあと、それを担保に、金を借りる。
ほかの役職の人間にはそれはできないが、幹事長になら、それができる。
その借りた金で、自分名義の土地を買う。
便宜上、つまり私利私欲のために土地を購入したと疑われないようにするため、その土地
の上には、秘書たちの寮を作る。
見かけ上は、民主党の土地、建物ということになる。

 こういうのを小細工という。
小沢氏は、その小細工を重ねた。

●東京地検特捜部

 正月早々、東京地検特捜部が動き出すという。
名目は、「複雑な資金の流れの究明」ということらしい。
しかしそれはあくまでも名目。
東京地検特捜部が、収支報告書の記載漏れ程度で動くはずがない。
言い換えると、私たちは、それだけでは納得しない。

 問題は、政治資金の流れそのもの。
「計5億8000万円(平成16年)という巨額の政治資金は、どこからどのようにして
入ってきたか」ということ。
つまり陸山会が、ひょっとしたら、闇献金(=ワイロ)のトンネルとして使われた可能性
がある。
またそう考えると、一連の金の流れにまつわる疑問が、氷解する。

 もしそうなら、小沢氏は、陸山会の資金を私的に流用したのではない。
もともと小沢氏は、陸山会に入ってくる金を、自分の金と認識していた。
つまり小沢氏は、自分のところに集まる闇献金を、一度陸山会にプールした。
政治資金と見せかけるために、である。
そのプールした金を、ほとぼりが冷めるのを待ちながら、少しずつ自分のために使った。
言うなれば、陸山会は、汚い金を洗う、マネーロンダリング機関として、利用された。
だから小沢氏は、平気で(?)、陸山会の金を、私的に利用することができた。

 ・・・というところまで、メスが入るか、どうか。
またそこまでメスが入らないと、私たちは納得しない。
正月早々、たいへん気になる!

(2010年1月1日記)

【付記】

 同じく産経新聞(12・28)には、つぎのようにある。

『・・・陸山会は2004年10月、東京世田谷区の土地を約3億4000万円で購入した。
だが、04年の収支報告書には記載せず、05年分に支出計上したとして、石川氏のほか、
陸山会の会計責任者だった公設秘書の大久保隆規被告=西松建設違法献金事件で公判中

らが、政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で刑事告発されている。

 小沢氏側は土地購入の原資について、「4億円の定期預金を担保に金融機関から借りた4
億円を充てた」と説明していたが、融資を受ける前に土地代金の支払いは済んでいたこと
が判明。陸山会の口座には土地購入の直前、収支報告書に記載されていない4億円以上の
資金が小沢氏関連の複数の政治団体から入金にされていたとされ、この簿外資金が土地代
金などに充てられていた可能性がある』(以上、産経新聞)と。

 この記事によれば、4億円の定期預金を担保に、金融機関から4億円を借りる前に、土
地代金の支払いは済んでいたことになる。

 産経新聞は、「収支報告書に記載されていない4億円以上の資金が小沢氏関連の複数の政
治団体から入金にされていたとされ、この簿外資金が土地代金などに充てられていた可能
性がある」と書いている。

 まともに記事を読めば、4億円を定期預金にしたのは、簿外資金を隠すためだったとい
うことになる。
つまり簿外資金で土地を買った。
しかしそれでは、簿外資金があったことが、バレてしまう。
そこであわてて、つまりそれをカモフラージュするために、新たに4億円を定期預金にし
て、それを担保にお金を借りる。
つまり土地は、簿外資金ではなく、担保で借りたお金で買ったことにする。

 もしそうだとするなら、小細工に小細工を重ねたことになる。
東京地検特捜部は、「こうした巨額の資金を自由に操作できたのは、ただ1人だけ」と読ん
でいる。
もちろん一介の事務担当者ができるようなワザではない。

【追記】(2)

●秘書が認める

 読売新聞(10・01・01)は、つぎのように伝える。
一部抜粋して、転載する。

『民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」が2004年に購入した土地の代金
を政治資金収支報告書に記載しなかった問題で、土地代金に充てられた現金4億円につい
て、同会の事務担当者だった石川知裕衆院議員(36)(民主)が東京地検特捜部の事情聴
取に、「小沢先生に資金繰りを相談し、現金で受け取った」と供述していることが、関係者
の話でわかった』と。

 このほかにも、石川議員が翌05年にも、別の現金4億円を同会の口座に入金しながら、
収支報告書への記載がないことも新たに判明している。特捜部は、この4億円も小沢氏か
ら受け取った可能性が高いとみて調べているという(同新聞)。

 土地取引を巡る資金移動で小沢氏本人の関与が明らかになるのは、今回が初めて。今後、
資金移動の経緯について、特捜部が小沢氏から任意で事情聴取するかどうかが焦点となり
そうだという(同新聞)。

 『同会は04年10月29日、東京都世田谷区深沢の476平方メートルの土地を約3
億4000万円で購入した際、現金で用意した簿外の資金4億円を同会の口座に入金し、
代金の支払いに充てたことが判明している。

 関係者によると、石川議員は特捜部の事情聴取に、「当時の陸山会には土地を購入する資
金がなく、小沢先生に相談し、4億円を受け取った」と供述。4億円は小沢氏の個人資産
で貸付金として出してもらったと説明しているが、小沢氏が05年4月に衆議院に提出し
た資産等補充報告書に、該当する貸付金の記載はない。

 石川議員が小沢氏から土地代金に充てる現金を受け取ったのは04年10月上旬とみら
れる。同月中旬以降、石川議員が同会の複数の口座に1000万〜5000万円程度に小
分けにして入金し、その後、同会の一つの口座に集めて、同月29日、土地の売り主の口
座に送金するなどした。

(中略)

 一方、石川議員は05年3月にも、04年分とは別の現金4億円を受け取り、陸山会や
小沢氏の関連政治団体などの口座に分散して入金していた。同議員はこの4億円をいった
ん陸山会の口座に集めた後、05年5月に一度に引き出していた。同会の05年分の収支
報告書には、この4億円の入出金に該当する記載はない。

 特捜部は、05年の4億円についても、小沢氏から受け取った資金だった可能性が高い
とみて、政治資金規正法違反(不記載)に当たらないか調べる。

 小沢氏はこれまでの記者会見で、04年の土地購入を巡る問題について、「資金のことは
聞いていない」などと述べていた』(以上、読売新聞)。

●問題は、金の出所

 まともな金なら、こんな複雑な経緯を経て、外に出るはずがない。
まず、そこに注目しなければならない。
まともな金でないから、こういう複雑な操作が必要となる。
「石川議員が同会の複数の口座に1000万〜5000万円程度に小分けにして入金し
た」という部分にも、それが表れている。

「4億円」という大金が、つぎつぎと登場し、闇から闇へと消えている。
いったい、これらの金は、どこからどのようにして、陸山会へ入ったのか?
一部は、小沢一郎名義の土地に化けたが、そのほかの金は、どこへ消えたのか?

 読売新聞は、最後の部分でこう書いている。

「小沢氏はこれまでの記者会見で、04年の土地購入を巡る問題について、『資金のことは
聞いていない』などと述べていた」と。
ここを読んで、がくりと肩を落としたのは、私だけではないだろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 小沢一郎 民主党 陸山会 4億円)

●私見

 「民主党だから、自民党とはちがう」とだれしも考えた。
私もそう考えた。
が、フタをあけてみたら、中身は同じ・・・。
こうした現象は、ユングの「シャドウ論」を使って説明できる。

 民主党は自民党を反面教師として、あるときは自民党を攻撃し、いろいろ学んできたは
ず。
ところが自分で政権を取ってみると、当初こそ、いろいろと(ちがい)を強調してみせた
が、時間がたつにつれて、同じになってきた。
それもそのはず。
民主党は、自民党しか知らない。
自民党という「教師」しか知らない。
あるいは日本の政治を覆う、巨大な暗雲は、民主党くらいでは、どうしようもないのかも
しれない。
むしろ自民党よりも、さらに邪悪な部分を引き継いでしまった。

 鳩山首相は、母親から、36億円という援助を受けながら、みじんも恥じていない。
ほかの人には何でもない話かもしれないが、私にとっては、そうでない。
私は結婚する前から、収入の約半分を、実家へ送り届けていた。
母親にだまされても、だまされても、送り届けていた。
その金銭的負担感というより、社会的負担感には、相当なものがあった。
40代のころには、経文を唱えないで、実家のあるM町には入ることができなかった。
それくらい、苦しんだ。
だからこそよけいに、鳩山首相の36億円が気になる。

 民主党は小沢氏が作りあげた政党かもしれない。
しかし今、その政党が、国盗物語よろしく、小沢一郎という個人の野心達成のために利用
されようとしている。

 今、問われているのは、民主党の政権能力そのものよりも、民主党そのものがもつ自浄
能力である。
自浄能力を失ったとき、その政党は早晩、崩壊する。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年   2月   1日号
 ================================  
2月1日……1312号になりました。
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●教師と女生徒

+++++++++++++++++

数日前、どこかの高校教師が教え子と
性的関係をもったとかで、逮捕された。
高校教師の年齢は、36歳。
たびたびホテルで密会を重ねていたという。
で、それについて当の高校教師は、「まじめな恋愛
だった」と主張(=弁解?)しているという。
つまり(遊び)ではなく、(真剣)だった、と。

その男性教師に妻子がいたかどうかは、報道の
記事だけではわからない。
勤め先の高校を懲戒免職になったということは、
書いてあった。
懲戒免職は当然としても、しかしひょっとしたら、
その高校教師が主張しているように、その関係は
真剣なものであったかもしれない。
「女生徒のほうから、抱きついてきたりした」と
いうようなことも、書いてあった。

+++++++++++++++++++

●(女の子)が、「女」になるとき

 私は若いころから、幼稚園の年中児から、高校3年生まで、一日というサイクルの中で
教えている。
最近は、生徒の数も減り、以前ほど密度は濃くはいが、それでも基本的には、今も同じ。
そういう教え方をしていると、子どもの変化が、やはり1日というサイクルの中で、わか
るようになる。

 そうしたサイクルの中で、それまで(女の子)だった子どもが、「女」になっていく様子
を、たびたび経験している。
何でもない女の子でも、性的な経験をしたとたん、「女」になる。
男の子については、わかりにくい。
しかし女の子は、それがよくわかる。
おもしろいほど(失礼!)、よくわかる。
艶(なまめ)かしくなるというか、強烈な(性)を外に向かって発するようになる。
「ウフ〜ン」とか言って、体をよじらせたりする。

●積極的な女の子

 早い子どもで、中学2、3年生ごろからではないか。
最近は、携帯電話を介しての男女交際も活発になってきた。
もう少し低年齢化している。

 で、私も、若いころは、それなりに「男」に見られた時期もある。
何かを教えている最中に、足先で私の足を、ものほしそうに、こすりつけてきた女の子(中
2)もいた。
電話で私を外へ呼び出した女の子(高2)も、いた。
いろいろあった。

 しかしいつもそれ以上に発展しなかったのは、相手の女の子のためというよりは、私自
身に原因があった。
私は学生のころから、女性に対して、まったくと言ってよいほど、自信がなかった。
失恋したのも、大きな痛手となった。
加えて、私の世界では、ほんの小さな(うわさ)ですら、命取りになる。
いつも気がつかないフリをして、その場をやり過ごしてきた。

●油断

 で、私は何とか無事(?)、40数年を過ごしてきた。
「何とか」と書いたのは、そういった誘惑(?)と闘うというのは、簡単なことではない。
人間がもつ欲望というのは、それほどまでに強力。
あとは油断の問題。

 ただひとつ、事件になった教師と私のちがいと言えば、学校の教師にとっては、生徒と
問うのは、向こうから来るもの。
私にとって生徒というのは、こちらから頭をさげて、来てもらうもの。
この(ちがい)が、そのまま(きびしさのちがい)となる。
それだけ。
だから今でも、「もしあのとき・・・」と考えるときがある。
言い換えると、私と先に書いた教師は、どこもちがわない。
この文章を読んでいるあなたとも、ちがわない。
あなたの夫とも、ちがわない。

 だからこういう記事を読んだりすると、その教師を責める前に、「自分でなくてよかった」
と、ほっと胸をなでおろす。

●理性の力

 ただ誤解しないでほしいのは、だからといって、そういう教師を擁護しているのではな
い。
逮捕され、懲戒免職になったところで、だれも同情しない。

が、その一方で、「だれがそういう教師を、石をもって打てるか」という問題もある。
マスコミは、鬼の首でも取ったかのように騒ぐが、ではそのマスコミに、それをする資格
があるかといえば、それは疑わしい。
彼らがそういう事件とは無関係でいられるのは、そういう立場にいないから。
政治家とワイロの関係を考えてみれば、それがわかる。

先にも書いたように、人間の欲望というのは、それほどまでに強力。
理性の力でコントロールできるような、代物ではない。
ましてや、「女性との方から抱きついてきたりした」という状態であれば、防ぎようがない。

 ……では、どうするか?

 何度も繰り返すが、(1)厳罰主義を貫く。
(2)教師と生徒の個人的な接触の場を、なくす。

 この2点を徹底するしかない。
こうした対処法は、すでに欧米では、常識化している。
日本も早急に、欧米を見習うべきではないのか。



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『ただの人』(ハイデッガー)

++++++++++++++++++

つい先日、12月になったと思っていたら、
もう今月もおしまい。
つい先日、2009年になったと思っていたら、
もう今年もおしまい。
つい先日、21世紀(2001年)になったと思っていたら、
もう2010年。

こうして日々は、容赦なく過ぎていく・・・。
過去へ過去へと、失われていく・・・。
・・・と、だれしも考える。
・・・と、だれしも考えやすい。

が、そういう考え方は、あまりにも通俗的。
長い歴史の中で、人は、そのように考えるように、
なってしまった。
つまり「数字」と「人生」を重ね合わせるようになってしまった。
が、そう考えてはいけない。
つまり「過ぎていく」と考えてはいけない。
「失っていく」と考えてはいけない。
何も過ぎていかない。
何も失っていかない。

そこにあるのは、今という「現実」。
現実があるだけ。
数字に惑わされてはいけない。
2009年だろうが、2010年だろうが、
そんなことは、私たちには関係ない。
私たちは、今という「現実」を懸命に生きる。
それだけを考えて生きる。

つまりこういうばあい、「数字」というのは、あくまでも
便宜上のものでしかない。

それがわからなければ、野に遊ぶ鳥や動物を見ればよい。
人間以外に、年や年齢を気にして生きている鳥や動物が
いるだろうか。
年齢にしても、そうだ。
気にならないと言えば、ウソになる。
しかし年や年齢という「数字」など気にしてはいけない。
気にする必要もない。
私たちは、今の今も、そこにある「現実」に向かって、
まっしぐらに進んでいく。
その上で、こう考えればよい。

「ああ、もうすぐ2010年なのか」と。

(2009年12月28日記)

++++++++++++++++++++

●年齢

 一度できあがってしまった(常識)を打ち破るのは、容易なことではない。
その地域全体の人が、同じように考えている。
そういうところでは、なおさら容易なことではない。

たとえばG県の田舎へ行くと、今でも年長風を吹かしている人は多い。
家父長風を吹かしている人も多い
たった数歳年上というだけで、威張っている。
父親というだけで、威張っている。

 こうした意識の根底にあるのが、「数字」。
年齢という数字。
言うなれば、「金持ちほど偉い」という、金権教の信者と同じ。
本来意味のないものにしがみつきながら、意味があるものと思い込んでいる。
それが意味がないものと、気がつくこともない。
またそれを認めることは、自己否定につながる。
そういう生き方そのものが、その人の哲学になっている。
だからよけいに、しがみつく。

●年齢という数字

 何歳であっても、私は私。
あなたはあなた。
今年が何年であっても、今年は今年。
今は今。
大切なのは、今、何歳かということではなく、今まで生きてきた蓄積が、私やあなたの中
に、どれだけあるかどうかということ。
それがあればよし。
が、それがないなら、あなたが何歳であっても、あなたは、「ただの人」(ハイデッガー)。
数字という年齢をとることだけなら、だれにだってできる。
つまり、繰り返しになるが、「数字」には、意味がない。
まったく意味がない。
まず、私たちは、それを知る。
しっかりと肝に刻み込む。

●幻想

 ・・・こう書くと、「老人の強がり」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分がこの年齢になってみて気がついたことがある。
老人ほど、人生の経験者」というのは、ウソ。
「人格者」というのは、さらにウソ。
まさに幻想。
地位や肩書きなどというのは、その人を飾るカラスの羽のようなもの。
イソップ物語に出てくる、あの話である。
一羽のカラスが、自分を美しく見せようと、自分の体を、いろいろな鳥の羽で飾ろうとす
る。
それと同じ。
自分では美しくなったつもりでいるかもしれないが、まわりの人たちは、それを見て、「バ
カ」と思う。
笑う。

 老人になればなるほど、愚劣になっていく人は、いくらでもいる。
またそういう人のほうが、多い。
だから私は、あえて言う。
「年齢」という「数字」には、意味はない、と。

●中身

 大切なのは、今という「現実」を、どう生きるているかということ。
今という「現実」の中で、自分がすべきことを、しっかりとしているかどうかということ。
そのために、今という「現実」を、しっかりと見据えているかどうかということ。
それには、若いも老いもない。
いくら若くても、死んだも同然。
そんな人は、いくらでもいる。
いくら年を取っていても、前向きに生きている人は、いくらでもいる。
大切なのは、中身。
中身で決まる。
その中身の追求こそが、「生きる」ということになる。

 ・・・とは言いつつ、「数字」はたしかに節目にはなる。
そのつど今の自分を、反省することはできる。
もし年数という「数字」、年齢という「数字」がなければ、生活に対する緊張感も半減する。
「数字」があるから、そこから緊張感が生まれてくる。
(もちろん何ら緊張感をもたないで生きている人も、多いが・・・。)
言うなれば、ウォーキング・マシンでいうタイマーのようなもの。
タイマーがあるから、「がんばろう」という気持ちがわいてくる。
「2010年も、がんばるぞ!」と。

●今という「現実」

 ともあれ、節目としての2009年は、もうすぐ終わる。
で、振り返ってみれば、あっという間に終わった。
・・・というより、「数字」がどうであれ、私は今までどおり、前に向かって懸命に生きて
いく。
今という「現実」は、(今まで生きてきたこと)の結果であり、同時に、(これから生きる
人生)の出発点でもある。
生物学的に言うなら、私たちは常に死に、常に生き返る。
だったら今そこにある「現実」に向かって、まっすぐに生きていく。
「過去」とか「未来」とかいう言葉に、惑わされてはいけない。
過去など、どこにも、ない。
未来など、さらにどこにも、ない。

 だから・・・。
今、できることは、今、する。
今、すべきことは、今、する。
懸命にする。

【補記】

 「数字」にこだわる人は多い。
先に書いたように、たった数歳年上というだけで、年長風を吹かしたりする。
このタイプの人は、当然のことながら、年号や年数にこだわる。
たとえばある宗教団体では、入信年月日によって、信者の上下関係が決まるという。
年齢ではない。
信仰していた年数で決まる。
だから、50歳、60歳の人が、30歳、40歳の人に、頭をさげたりする。
「信心歴が長ければ長いほど、その人は、上」というわけである。

 バカげた考え方だが、信仰の世界に入ってしまうと、それがわからない。
同じように、年長風を吹かす人もそうだ。
言うなれば、『年齢教』というカルトの信者。
「年上」というだけで、威張っている。
「年下」というだけで、「下」にみる。
偉そうに説教をしたりする。
それがおもしろいほど、極端なので、思わず笑ってしまう。
 
 このタイプの人は、当然のことながら、「長生きすればするほど、人生の勝利者」という
ふうに考える。
「数字」が、価値判断の基準となる。
だから幸福感も、「数字」による。
しかも相対的。
隣の人よりも、金持ちであれば、幸福。
隣の人よりも、貧乏であれば、不幸、と。
ふつうはケチで、小銭にうるさい。
そういう点では、一貫性(?)がある。

が、誤解してはいけない。 
長生きすることが無駄というのではない。
お金を稼ぐことが無駄というのではない。
しかしどちらであるにせよ、「数字」に毒されると、「人生」そのものを無駄にする。
それに気がつけば、まだよい。
ふつうはそれにすら気づかないまま、無駄にする。
そういう人は、どこまでもあわれで、かわいそうな人ということになる。
ハイデッガーの説いた、「ただの人」というのは、そういう人をいう。

+++++++++++++

「ただの人」については、
たびたび書いてきた。
つぎのは2008年4月に
書いたもの。

+++++++++++++

【ただの人(das Mann)】
Along with getting old, most people is to become just a "man", so-called "das Mann". But 
nobody agree that this is the goal of our lives. We have what we should have to do 
toward the of the lives. Then how can we find it?

●生きているだけもありがたい

若いときの20歳。
壮年期の終わりにやってくる60歳。
これら2つの年齢は、人生にとって、大きな節目となる年齢である。

20歳という年齢を、人生への入り口とするなら、
60歳という年齢は、人生からの出口ということになる。
民間企業では、50歳を過ぎるころからリストラが始まり、60歳になると、ほとんどの
人は退職、ということになる。
役所の人たちも、60歳を境に、それぞれの天下り先へと転職していく。

もっとも60歳まで、無事生きてこられたというだけでも、ありがたい。
御の字。
感謝しなければならない。
すでにこの世を去った人も多い。
ざっと見ても、約5%の人が、亡くなっているのではないか。
健康や精神を病み、生きていくだけで精一杯という人も多い。
経済的に行きづまった人となると、もっと多い。

さらにこの年齢になると、それまで隠しもってきた持病が、どんと前に出てくる。
持病だけではない。
人間性そのものも、そのまま前に出てくる。
わかりやすく言えば、化けの皮が、はがれる。

が、それだけではない。
そのころになると、それまでの人生観を変えることなど、夢のまた夢。
小ズルイ人は、死ぬまで小ズルイ。
守銭奴は、死ぬまで守銭奴。

●老後の人間性

よく誤解されるが、そしてほとんどの若い人たちは、そう思っているかもしれないが、歳
をとれば、人間性が豊かになるというのは、ウソ。
むしろ、人間性は、後退する。

その年齢になった私が言うのだから、まちがいない。
ただ人づきあいが、見た感じ、丸くなるということはある。
しかしそれとて、進歩してそうなるのではなく、生命力そのものが弱体化して、そうなる。
よい例が、老人ホームにいる老人たちである。
みな、穏やか過ぎるほど、穏やかな顔をしている。
だからといって、そういう老人たちが人格者などとは、だれも思わない。

が、それだけではない。
さらに恐ろしいことがある。

●老化する脳

そのころになると、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、知識がどんどんと消えて
行く。
年齢に比例して、その量は多くなる。
しかしそうなりながらも、その人自身は、それに気がつかない。
脳のCPU(中央演算装置)のクロック数そのものが低下するから、脳の働きが鈍くなっ
たことすらわからない。

先日も、どこか(?)な女性(65歳くらい)に会った。
話している内容に、一貫性がなかった。
そこで私が、「私はあなたが思っているほど、バカではないと思いますが……」と言ったと
きのこと。
その女性は、何を思ったか、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。

このように脳の機能全体が低下してくると、低下していること自体、わからなくなる。
そしてあとは加速度的に、老化だけが、どんどんと進んでいく。
脳の病気にかかれば、なおさらである。

が、それで終わるわけではない。
最後の最後に、とどめの一発がある。

生きがいの喪失である。

●統合性と生きがい

この日本では、「庭いじりと孫の世話をすること」を、理想の老後生活と考える人は多い。
そういう理想像(?)が、いつしかできあがってしまった。
しかしそれはとんでもない、まちがい!
少なくとも、世界の常識ではない。

では、どうあるべきか?

老後を迎えたら、(すべきこと)を見つけ、それに向かって、前に進む。
(したいこと)ではない。
(すべきこと)に向かって、前に進む。
それをエリクソンという学者は、「統合性の確立」と呼んだ。

この統合性の確立に失敗すると、老後は、あわれでみじめなものになる。
それこそ「死の待合室」に放り込まれたような状態になる。
もっとも、この段階で、それに気づく人は、まだよいほう。
救われる。
大半の人は、死の待合室にいることさえ気づかないまま、ささいな夢や希望に、自分をつ
なぐ。
自分をなぐさめる。
あきらめる。

つまらない人生を送りながら、それをつまらないとも思わない。
というのもこの問題は、あくまでも相対的なもの。

●統合性の内容

統合性といっても、程度の差がある。
それこそマザーテレサのように、崇高な統合性を確立した人もいる。
私のように、HPの更新程度のことに、生きがいを求める人もいる。

程度……、つまり統合性の次元は、より自分の次元が高くなってはじめて、より低い人の
次元がわかるようになる。
わかりやすく言えば、次元の高い人からは、低い人がよくわかる。
しかし次元の低い人からは、次元の高い人は、わからない。
恐らく、理解もできないのではないか?
中には、「そんなことは、むだ」と否定してしまう人もいる。
先日会った、O氏(65歳)もその1人。
O氏は、こう言った。

「あのね、林さん、総理大臣をやったような人でも、死ねばおしまいだよ。10年もすれ
ば、みなに忘れられてしまう。残るのは、印刷された名前だけだよ」と。

「だから、人生というのは、したいことをして楽しむにかぎる」と。

しかしO氏のような生き方では、さらに何も残らない。
「生きた」という実感すら、もてないのではないか?

真理の探求を例にあげてみる。

●感動のある人生

こんな私でも、ものを書いていて、何か新しいことを発見したときには、ゾクゾクするほ
ど、感動する。
その感動こそが、私の生きがい。
生きがいとなって、私を支えてくれる。
研究者や芸術家なら、なおさらであろう。

しかもそうすることによって、自分の(命)を、つぎの世代に伝えることができる。
わかりやすく言えば、自分を超えて、さらにつぎの世代の中で、生きることができる。
だから私は、O氏には悪いが、こう思った。

「かわいそうな人だ」「たったひとつしかない人生を、無駄にしている」と。

さて、60歳。
この年齢になると、闘わなければならないものが、いくつかある。

肉体の健康もそうだが、脳の健康も、維持しなければならない。
しかし何よりも大切なのは、統合性を確立し、その統合性に、自分を一致させていくこと。
その努力を怠ると、それこそ、そこらのオジチャン、オバチャン(失礼!)と同じ運命を
たどることになる。

繰りかえすが、ハイデガーは、軽蔑の念をこめて、そういう人たちを、「ただの人(das Mann)」
と呼んだ。

「ただの人」になることだけは、何としても避けなければならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ハイデッガー ただの人 das Mann 統合性)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●2009年12月31日夜(大晦日)

●ちょうど1年前、こんなことを書いていた。

+++++++++++++++++

Death is the great leveller.
(死ねば、みな、同じ。)

+++++++++++++++++

「leveller」というのは、(皆を平等にするもの)という意味。
「ジーニアス英和辞典」には、「だれにでも平等に影響するもの」とある。
つまりどんな人でも、死ねば同じ、イコール、平等、ということ。
わかりきったことだが、それを受け入れるのは難しい。
「私だけは……」と思いたい気持ちもわかるが、例外はない。

で、金持ちも貧乏人も、地位のある人もない人も、名誉のある人もない人も、死ねば同じ。
つまり「Death makes us all equal(死は皆を平等にする)」。

ところで最近、私はこんなことを強く思う。
「死んだ人の時計は止まる」と。

たとえば私の隣人にR氏という人がいた。
亡くなって、もう5年以上になるが、その間、R氏についての時計は止まったまま。
ときどき「もう5年になるのか」と驚くときがある。

そう、私の記憶の中にあるR氏は、5年前のまま。
R氏との思い出にしても、ガラスの箱の中に閉じ込められたようになっている。
外から見えるには見えるが、断片的にしか見えない。
そこでじっとしているだけ。
外には出てこない。
言い換えると、私が死んだら、そのとき、私についての時計は止まる。
あなたが死んだら、そのとき、あなたについての時計は止まる。

こうして人はどこからともなくやってきて、またどこかへと去っていく。
この不思議さ。
この切なさ。

しかし元気なときには、それがわからない。
あえて(死)に背を向けて生きる。
(死)を蹴飛ばしながら生きる。
「金持ちになりたい」「地位や名誉がほしい」と。

しかしその果てに(死)が待っているとしたら、人は何のために生きているのか。
・・・そんなことを考えるのも、年末だからかもしれない。

で、少し前、郵便局でこんな会話を耳にした。
どこかの女性(90歳くらい)が、年金をおろした。
手には100万円ほどの札束を握っていた。
それについて、局員の男性が、大きな声でこう言っていた。

「あのね、おばあちゃん、ここでは1000万円までしか貯金はできないの。
国債も、1000万円までしか、買えないの」と。

それを理解できたのかどうかは知らないが、その女性はお金を手さげに入れて、
郵便局を、ヨタヨタと歩きながら出て行った。
足は大きく外側へわん曲し、腰も曲がっていた。
歩くのもままならないといったふうだった。

それを見てワイフは、「だいじょうぶかしら?」と言った。
私は、「何のために?」と言った。

お金がないのも困るが、しかしお金というのは、元気なときに使ってこそ、生きる。
「どうせ皆、平等になる」というのなら、なおさらである。
地位や名誉にしてもそうだ。

私も最近、こんな経験をした。
私が発行しているメルマガ(電子マガジン)が、2008年度の「マガジン・オブ・
ザ・イヤー」に選ばれた。
6万3000誌もあるということだから、名誉なことにはちがいない。
しかしその喜びというのが、ほとんどといってよいほど、わいてこなかった。
10年前、あるいは20年前の私なら、飛び上がって喜んだことだろう。
あるいは出版の世界だったら、どさっと大金が舞い込んできたことだろう。
しかしそこはインターネットの世界。
何も変わらない。
何も起こらない。
もちろんお金は入ってこない。
「HPのどこかで、宣伝してみよう」とは考えたが、「家族で祝賀会」というところ
までは考えなかった。

(死)という限界をそこに感ずるようになると、そういうことはどうでもよくなる。
私は私。
書きたいから書いているだけ。
それを他人がどう評価しようが、私の知ったことではない。
言い換えると、人は死に近づくにつれて、一次曲線的に、平等になっていく。
死がやってきたからといって、そのときストンと、平等になるわけではない。
すでに今、この瞬間、少しずつ平等に向かって、進んでいく。

だからこの格言をもう少し正確に書き換えると、こうなる。

「加齢は、人をより平等にする」と。
英語になおすと、「Aging makes man more equal」。

そしてこうも言える。

「死は、時計を止める」と。
英語になおすと、「Death stops each man's clock」。

ホント!
死んだ人は、本当に静かだ。
何も語らない。
何も動かない。
私も、あなたも、やがてすぐそうなる。
これには、先に書いたように、例外はない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●反省

 昨年の終わりは、かなり沈んでいた。
それでこういう文章を書いた。
(私はここ数年、年末になると決まって、インフルエンザにかかる。
インフルエンザにかかると、ものの考え方が、どうしても悲観的になる。)

で、何のために生きているかって?
いろいろ考える。
しかしいつも答は堂々巡り。
で、結論は、同じ。
「たまたま生きているから、生きていくしかない」と。
簡単に言えば、そういうことになる。
生きている以上、前に向かって生きていくしかない。
その先のこと・・・?

どう考えたところで、なるようにしかならない。
だったら今、精一杯、前向きに生きていくしかない。

 悪いことばかりではない。
いや、ここに生きているということ自体が、奇跡。
あのアインシュタインも、そう言っている。
まず、それを喜ぶ。

ものが見える。
音が聞こえる。
歩くことができる。
話ができる。
だれに対してというわけではないが、生きていることを感謝する。

 そこでもう一度、『死ねば、みな、同じ』という言葉について、考えなおしてみる。
この言葉を反対側から読むと、『生きている人は、みな、ちがう』という意味になる。
つまり、こう考えてみたらどうだろうか。

 『死ねば、みな、同じ』。
それはそのとおり。
が、だからといって、「生きていることには意味はない」と、とらえてはいけない。
『生きている人は、みな、ちがう』というところが、大切。
そこに、生きる意味があると考える。
つまりその(ちがい)を作るところに、生きる意味がある。

 そう言えば、以前、私にこう言った友人がいた。
「林君、総理大臣だってね、10年もすれば、みなの記憶から消えていくよ。
20年もすれば、覚えている人もいない。
だからね、苦労して総理大臣になっても、意味はない。
人生はね、楽しむことだよ」と。

 もちろん私たちは、名誉や地位のために生きているのではない。
名誉や地位というものがあるにしても、それはあとからついてくるもの。
ついてこなくても、構わない。
しかしそこに至るプロセスが大切。
プロセスの中から、無数のドラマが生まれる。
そのドラマに、生きる価値がある。

 友人は、結論として、「楽しむこと」と言った。
それはそのとおりだが、では、どうやって、何を楽しむか。
さらに言えば、真の楽しみとは何か。
家の中でゴロゴロしながら、バラエティ番組を見ることが、その(楽しみ)とは、だれも
思わない。

 で、1年たった今、私はこう思う。

 『死ねば、みな、同じ』と言った人は、何もできなかった自分を正当化するために、そ
う言ったのではないか、と。
みなと同じように生きてきただけ。
だからそれを居直るために、『死ねば、みな、同じ』と。
つまりつまらない人生を送った自分を、そういう言葉で慰めているだけ。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●12月30日

+++++++++++++++++++++++

ここ数日間は、パソコンの引っ越しに時間を
取られた。
たいへんだった。
いちばん手間取ったのは、ハードディスクの
付け替え。
ついでにWINDOW7に、内臓ハードディスクを
取りつけようとした。
しかし肝心の端子が、巨大なグラフィックボードの
下に隠れて見えない。
手鏡とライトを使って、端子にコネクターを
取り付ける。
以前、ビスタ・マシーンで同じことをして、
端子を折ってしまった。
こういうばあい、マザーボード全体を交換する
しかないそうだ。
で、数万円の追加出費。

今回は慎重にした。
無事、すんだ。

・・・とまあ、いろいろある。
いろいろあって、2日もかかった。
この文章は、WINDOW7のワードで書いている。
今のところ快調!

で、その使い勝手。
文章を書くだけなら、ビスタもWINDOW7も、
それほど変わらない。
ホームページの編集に、ホームページを開いたり
保存したりするとき、「ウ〜ン、かなり速いな」という
印象をもつ。
しかしこれはOSによるのではない。
私のパソコンは、「i7の64ビットマシン」。
ハードディスクも、高速タイプに付け替えた。
それで速い。

明日から本格的に、WINDOW7に乗り換えるつもり。
あといくつか作業が残っている。

++++++++++++++++++++++++

●信頼感

 パソコンという道具は、完璧に作動しないと、どうも落ち着かない。
先ほども、WINDOW7(以下、W7)に、外付けハードディスクを付けてみた。
反応はあるが、エクスプローラーのほうで表示されない。
フォーマットもしてある。
ほかのパソコン(ビスタなど)では、ちゃんと表示される。

 そのときこんなことを考えた。
このところ(信頼性)を考えて、パソコンの周辺装置は、「日本製」を使っている。
C国製は、価格は安いが、どうも・・・?
外付けのハードディスクは、日立製の1テラバイト。
「日本製なら、だいじょうぶ」と。

 つまり日本製だと、「故障しているはずがない」という前提で、ものを考える。
あちこちをいじる。
が、これがC国製だったりすると、「ひょっとしたら、ハードディスクのほうが壊れている
のかな」と心配になる。
不安になる。
そういう点では、パソコンの世界でも、信頼関係が大切。

どこか教育の世界と同じだな、と。
パソコンの周辺機器は、多少価格が高くても、日本製にかぎる。

 で、ここからが私の性分。
今すぐ外付けハードディスクを使うわけではない。
ないが、完璧に作動しないと、どうも落ち着かない。
なぜか?

 ひとつには、パソコンという機械は、中身を見ても、何がなんだか、さっぱりわからな
いということがある。
何かの不調があったりすると、とたんに不安になるのは、そのため。
だからいろいろな機器を取り付けたり、はずしたりして、完璧さを確かめる。
パソコンの世界では、完璧であることが、何よりも大切。
ほかの機械のように、「一か所くらいなら、壊れていてもいいや」というわけにはいかない。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●心の温かさvs冷たさ

+++++++++++++++++

今日になって、どっと忙しくなった。
朝から、動きっぱなし。
で、やっと今、……時刻は午後4時37分、
一息ついた。
疲れた。

残るは部屋の掃除だけ。
それは明日にしよう(12月30日)。

+++++++++++++++++

●「心」をもたない生物

 かなりSF的な話になる。
あくまでも、SFとして読んでもらったほうがよい。
こんな話である。

 つまり、あの爬虫類には、「心」が、あるかないということ。
トカゲとか、ヘビを頭に思い浮かべてみればよい。

 たとえば鳥類のばあい、雛をほかの動物が襲ったりすると、親鳥はその敵に向かって、
猛然と立ち向かっていく。
哺乳類では、さらにはげしく立ち向かっていく。
つまり鳥類や哺乳類には、「心」がある。

 では、爬虫類はどうか。
たとえばトカゲの親の目の前から、トカゲの子どもをさらってみる。
そのときトカゲの親は、自分の子どもを守ろうと、何らかの行動に出るだろうか。
が、私が知るかぎり、トカゲが、そうした行動に出たるという話を聞いたことがない。
ヘビにしても、そうだ。

 では、魚はどうか?

 ウ〜ン!

 ……魚も、そうした行動に出るという話を聞いたことがない。
さらに昆虫類にいたっては、そうした行動に出るという話を聞いたことがない。
言い換えると、爬虫類や魚類、昆虫類には、悲しみを理解する「心」がないということに
なる。

 だからといって、感情がないと言っているのではない。
喜びや怒りについては、わからない。
餌を見つけたときの攻撃心、餌を取りあうときの闘争心、餌にありついたときの喜びや満
足感などは、あるかもしれない。

が、私たち人間がもっているような(感情)は、爬虫類や魚、虫にはないと考えてよいの
では?
あるとしても、きわめて原始的なもの。
人間がもっているような感情とは、異質のものと考えるのが正しい。

●心の冷たい人

 人格の完成度は、他者との共鳴性で決まる(EQ論)。
ほかにもあるが、共鳴性が、もっとも重要。
他人の苦しみや悲しみを、いかに共有できるか。
共有できる幅の広い人を、人格の完成度の高い人という。
そうでない人をそうでないという。

 そこでこれは極端なケースだが、自分の子どもが危機的な状況になったばあいを考えて
みよう。
どこかの国の独裁者に誘拐されたようなケースでもよい。
そのとき平然と構えていることができるとしたら、共鳴性は、かなり低いということにな
る。
(そんな人は、いないが・・・。)

 誘拐でなくても、他人の子どもが、目の前で危機的な状況になったばあいを考えてみよ
う。
そのとき平然と構えていることができるとしたら、共鳴性は、かなり低いということにな
る。

 トカゲやヘビを基準にするのも、おかしな話だが、そういう人の「心」は、トカゲやヘ
ビと同じ、ということになる。

●グレイ

 で、ここからが、SF的。
もし遺伝子操作か何かで、人間の知的能力をもったトカゲのような生物を作ったとしたら、
その生物は、どんな生物になるだろうか。
つまり知的能力は、人間並み。
「心」は、爬虫類並み。

 実は私はこのことを、映画『フォース・カインド』(The Fourth Kind)を観ているとき、
考えた。
あの映画の中では、「ふくろう」に似た宇宙人が、つぎつぎと人間をさらっていく。
そのやり方というか、やり口が、実に荒っぽい。
乱暴。
子どもだって、平気でさらっていく。
人間だって、ほかの動物を捕獲するときは、麻酔銃などを使ったりする。
しかしあの映画の中に出てくる宇宙人は、そういうことはしない。
泣き叫んで抵抗する人間を、平気で(?)、さらっていく。

 で、「ふくろう」に似た宇宙人といえば、グレイがいる。
目だけがやたらと大きく、体や、それにつづく腕や足は、異常に細い。
身長もそれほど大きくないとされる。
夜中にそこに、その生物(?)を見たら、ふつうの人だったら、ふくろうと思うかもしれ
ない。
一説によれば、あくまでも一説だが、そのグレイは、爬虫類を改造した生物ロボットと言
われている。
「信ずるか信じないかは、あなた次第」(「フォース・カインド」)ということになるが、も
しグレイが、爬虫類の「心」をもっているとするなら、ありえない話ではない。

 子どもをさらわれる親の気持ちなど、理解できない。

●扁桃核
 
 そこで私たち自身について、考えてみたい。
人間だから、平等に、人間らしい「心」をもっているというのは、ウソ。
・・・というより幻想と考えてよい。
心の温かい人もいれば、そうでない人もいる。
自分が温かいからといって、ほかの人もそうであると考えてはいけない。
自分が冷たいからといって、ほかの人もそうであると考えてはいけない。
そしてここが重要だが、一度壊れた心、つまり冷たくなった心は、簡単には元に戻らない。
「話せばわかる」式の発想で、説教したくらいで、冷たくなった心を溶かすことはできな
い。

 で、最近の研究によれば、その鍵を握るのが、辺縁系の中にある扁桃核(扁桃体)とい
言われている。
何かよいことをすると、大脳のほうから信号が送られ、扁桃核が、モルヒネに似たホルモ
ンを分泌する。
そのホルモンが、脳内を甘い陶酔感で満たす。
こうして人間は、(よいことをする)ことが、(気持ちのよいこと)と知る。

 が、この段階で、扁桃核が大脳からの刺激に反応しなくなったとしたら……。
仮によいことをしても、甘い陶酔感で満たされることはない。
感情的に、無反応の状態になる。
それだけではないだろうが、「心」というのは、脳の中で、複雑なメカニズムを通して作ら
れる。
「一度壊れた心は、簡単には元に戻らない」というのは、そういう意味である。

●心のすれちがい

 平たく言えば、人間には心の温かい人もいれば、そうでない人もいるということ。
心の温かい人からは、心の冷たい人がよくわかる。
しかし心の冷たい人からは、温かい人が理解できない。
親切にしてもらっても、相手の人が、「お人好し」か、「バカ」にしか見えない。

が、その一方で、心の温かい人にも、それがわからない。
「相手は喜んでいるはず」「うれしがっているはず」と考える。
が、実際には、そうでない。
そこで「?」となる。
心がすれちがう。

 ……といっても、心が温かい、冷たいといっても、相対的なもの。
より温かい人からみれば、あなただって、冷たい人になる。
心の温かい人は、どこまでも心が温かい。
冷たい人は、どこまでも冷たい。
それこそ道端で人が倒れていても、平気でそばを通り過ぎることだってできる。
さらに冷たくなれば……。
それこそトカゲやヘビのような心の持ち主に、なってしまうかもしれない。

●では、どうすればよいか

 ここから先は、教育の問題ということになる。
たとえば幼児でも、ぬいぐるみを見せたとき、うっとりするような目つきで見る子どもも
いる。
反対に、そうでない子どももいる。
大きなぬいぐるみを与えたりすると、「かわいい」と言って抱く子どももいれば、反対に足
で蹴る子どももいる。

 それだけで心の温かさを判断することはできないが、幼児ですら、心の温かさを感ずる
子どももいれば、そうでない子どももいる。

 結論から先に言えば、乳幼児期に、親の温かい愛情に恵まれた子どもは、心の温かい子
どもになる。
この時期に、育児拒否や親の冷淡、無視、さらには虐待を経験すれば、子どもは、心の冷
たい子どもになる。

 このことは育児の常識といってもよい。
で、問題は、そのつぎ……というか、私たち自身のこと。
まず私たちは、(1)どうすれば、自分の心の温かさを知ることができるかということ。
つぎに、(2)「冷たい人間」とわかったとき、どうすれば、それを克服することができる
かということ。

 順に考えてみたい。

(1)どうすれば、自分の心を知ることができるか。
(2)自分が心の冷たい人間と知ったとき、どうすればよいか。

●自分の心を知る

 自分の心を知るというのは、実は、たいへんむずかしい。
どんな人も、自分の心を基準にして、「心」を考える。
だからどんな人も、「私はふつう」と考える。
心の温かい人は、温かい人なりに、「私はふつう」と考える。
心の冷たい人は、冷たい人なりに、「私はふつう」と考える。
だから他人の心がわからない。
自分の心も、わからない。

 が、ときどき、ゾッとするほど心の冷たい人に出会うときがある。
そういう人を知って、自分の心の温かさを知る。
反対に心の温かい人に出会うときがある。
そういう人を知って、自分の心の冷たさを知る。

 ただおかしなことに、心の冷たい人ほど、それを隠すためか、それとも自己嫌悪のため
か、人前では、ことさら自分のやさしさを強調することが多い。
「私、近所の独居老人のために、ボランティア活動をしてますの」と。
どこかおかしい。
どこか不自然。

一方、本当に心の温かい人は、静か。
そうした演技そのものを、必要としない。
だから心の動きも、自然。
これもその人が、本当に心の温かい人かどうかを知るための、ひとつの基準になるかもしれな
い。

●克服

 方法としては、(1)文化性を高める。
(2)人間性を高める。
こうした努力を、日々の中で実践していくしかない。

 文化性を高めるというのは、日々に人の心のすばらしさに感動するということ。
そのために芸術がある。
絵画でも音楽でもよい。
文学や映画でもよい。
そういうものに接して、自分の文化性を高める。

 また人間性を高めるということは、ずばり言えば、苦労をすること。
私も母の介護・・・というよりは、(母の介護そのものは何でもなかったので)、兄弟や親類と
の確執を経験して、介護の苦しみを味わった。
その分だけ、それを理解するだけの心のポケットができた。
こうしたポケットを、できるだけ幅広く、かつ多く経験する。
経験するというより、乗り越える。

 そのときは苦しいかもしれない。
しかし乗り越えるたびに、自分がもつ人間性が、広く、かつ深くなっていくのを、実感と
して知ることができる。

 私自身は、もともと、心の冷たい人間だった。
今も、冷たい。
どうしてこうなったかということについては、いろいろ思い当るところがある。
が、それはそれとして、つまり過去を悔んでも、しかたない。
心の温かい人間をめざして、前向きにがんばるしかない。

 ただ、だからといって、私に聖人のような人間を求めてもらっても困る。
常に私は、(この程度の人間)でしかない。
だから私は、ひとつ心に決めていることがある。
簡単なことである。

(1)心の壊れた人とは、つきあわない。
(2)心の温かい人は、大切にする。

 私のように心の壊れた人間は、同じように壊れた人間と接すると、自分で自分がガタガ
タと崩れていくのがよくわかる。
それがこわい。
だから、つきあわない。

●心の壊れた独裁者

 ところで話は、ぐんと現実的になる。
つい先日、韓国系のアメリカ人が、あのK国へ単独で不法入国していったという。
どこかのキリスト教団体に属する信者だという。
気持ちはわかるが、どこか狂信的(?)。
あまりにも現実離れしすぎている。
活動の仕方はいろいろあるだろう。
しかし・・・?
朝鮮N報は、つぎのように伝える。

 『・・・パクさんがK国の弱点である人権問題を取り上げ、金xx総書記を批判する手紙を
所持していたという点から、容易に解放できないとの分析もある。韓国政府当局者は「現
在米朝関係が悪いわけではないため、円満に解決されることを期待する」と語った。
一方、ロバート・パクさんが代表として活動するK国人権団体「北の同胞のための自由と
生命2009」は30日、ソウル汝矣島にある文化放送前で集会を開き、パクさんがK国
に入境する前に作成したメッセージを発表する。これには金xx政権の糾弾、K国にある
政治犯収容所の閉鎖、K国人権問題に対する全世界人の関心呼びかけなどの内容が含まれ
ている』(朝鮮N報(12・29)より)。

 こんな方法で、あのK国のあの金xxが、心を開くはずはない。
ないことは、K国情勢が少しでも理解している人なら、わかるはず。
なぜなら、理由は、簡単。
あの独裁者の心は、すでに壊れている。
壊れた人間に(善)を説いても、通じない。

 たまたまこの原稿を書いているとき、そんなニュースが飛び込んできたので、ついでに
書いてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の温かさ 冷たさ 壊れた心)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                  
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






戻る
戻る