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はやし浩司のメインHP 電子マガジン総合INDEX
2010年     7月号
Essay……
BOX版(ネットストーレッジ)……




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 7月 30日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●保護と依存(基本的依存関係)

+++++++++++++++++++++

「基本的信頼関係」という言葉がある。
これに対して、「基本的不信関係」という
言葉がある。
「基底不安」という言葉もある。
しかし「基本的依存関係」という言葉はない。
この言葉は、私が考えた。

+++++++++++++++++++++

●基本的依存関係

 一度、両者の間で、(保護)(依存)の関係ができると、それを是正する
のは、容易なことではない。
そのままの状態で、一生つづくことも、珍しくない。
保護する側は、常に保護する。
依存する側は、常に依存する。
母子の間では、とくにそうである。
それが基本となって、あらゆる人間関係に影響する。
だから「基本的依存関係」。

 そこで父親の役目。
父親は、母子の間に割って入り、保護と依存の関係を是正する。
イギリスでは、『子どもを産んで育てるのは母親の役目だが、狩の仕方を
教えるのは、父親の役目』と教える。
子どもを自立させ、たくましくするのは、父親の役目というわけである。

●母親の問題

 が、依存性の強い子どこというのは、いる。
その年齢にふさわしい核(コア)形成が遅れ、何かにつけ依存的で、
たくましさがない。
柔和で穏やか。
やさしくて、ひ弱。

 そういう子どもを見て、母親は、「どうすれば・・・?」と言う。
しかしそれは子どもの問題というよりは、家庭の問題。
家庭の問題と言うよりは、育児姿勢の問題。
なかんずく母親の問題。

 依存性の強い子どもは、たいてい依存性の強い母親のもとで育っている。
母親自身が自立できていない。
このため子どもの依存性に気づかない。
気づかないまま、子どもを、甘い環境で包んでしまう。
自分が甘いことにすら、気づかない。
その結果として、子どもは、依存性の強い子どもになる。

 してもらうのが、当然、と。

●D君のケース

 印象に残っている子どもに、D君(年長児)という子どもがいた。
そのD君、自分からは、何もしようとしない。
「鉛筆を出してね」と声をかけても、母親のほうを、じっと見ているだけ。
「プリントをしまって、帰るしたくをしようね」と声をかけても、
ただボーッと立っているだけ。

 で、そういうときは、その子どもが行動に移るまで、待つ。
根気よく待つ。
何度も同じことを繰り返して言う。
が、D君はそのうち、メソメソと泣き出してしまった。
たぶん家では、そうすれば、みなが飛んできて、D君のめんどうをみるの
だろう。
が、私は無視した。
が、これが参観していた母親を怒らせた。
突然、こう言って叫んだ。

「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。

●保護と依存

 子どもの世界だけではない。
おとなの世界でも、一度、(保護)と(依存)の関係ができると、それが
ひとつの人間関係として、固定化してしまう。
してもらうほうは、常にしてもらうことを、当然と考える。
してやるほうは、常にしてやることを、当然と考える。
が、それだけではない。

 依存性が強くなると、依存していることすら、忘れてしまう。
忘れた上で、今度は、それを請求してくるようになる。
「どうして助けてくれないのか?」と。

●意識の問題

 私も息子たちの関係において、それを経験している。
たとえば息子たちにかぎらず、今の若い人たちに、戦後の苦労話を
しても、意味はない。
たとえば私は、子どものころ、「貧乏」がこわかった。
貧乏の恐ろしさを、身をもって体験している。
近所でも、夜逃げした人は多い。
だから私は、社会へ出ると、懸命に働いた。
息子たちにだけは、貧乏を経験させたくなかった。
が、それについて、息子たちはこう言う。
「パパは、仕事ばかりしていて、ぼくたちのことを構ってくれなかった」と。

●自業自得?

 それだけではない。
20代、30代のころ、私には休日がなかった。
月に1日だけという月が、ずっとつづいた。
私は私なりに、がんばった。
しかしその(がんばった)という部分が、今の若い人たちには、理解できない。
・・・理解してもらえない。

 いつだったか、私が戦後の日本はそうだったと話したことがある。
それについて、息子の1人は、こう反論した。

「そんなのは、戦争を起こしたパパたちの責任だろ。自業自得」と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。

さらに言えば、今に見る飽食の時代にしても、日本は明治の昔から
そうだったと思い込んでいる。
で、息子たちに、「ぼくたちは、食べていくだけで精一杯だった」
と言っても、息子たちには、それが理解できない。

 保護と依存の問題は、意識の問題。
その意識そのものがズレると、こういう現象が起きる。

●裏目

 今、私たちがしてきた子育てが、裏目、裏目に出始めている。
たとえば私たちは、いつも腹をすかせていた。
よく覚えているのは、学校の給食が、ごちそうだったこと。
毎日、家では見たことがないような料理が並んだ。
クリームシチューにしても、スパゲッティにしても、さらにはハンバーグにしても、
珍しかった。
(牛肉のステーキなどというものは、めったに食べられなかったぞ!)

 だから息子たちとレストランへ入り、みなでステーキを食べるたびに、
こう思った。
「よかった」と。
が、そんな思いは、子どもたちには通じない。
通じないばかりか、それを口にしたとたん、「パパは昔の話ばかりする」と、
はねのけられてしまう。
私がどんな言い方をしても、息子たちには、グチに聞こえるらしい。
あるいは「恩着せ?」。

●がむしゃらに生きてきた
 
 しかしその一方で、バカらしさを覚えるのも、これまた如何(いかん)とも
しがたい。
「私たちは、何を求めて、何のためにがんばってきたのか」と。
知人の中には、会社人間として、会社のために家族を犠牲にした人も多い。
かつてそれを知ったオーストラリアの友人は、こう言った。
「家族をバラバラにされて、何が仕事か?」と。
彼は、単身赴任を批判して、そう言った。
私がオーストラリアへ渡った、40年前のことである。

 もっともその結果として、今の日本がある。
一時は、世界第二の経済大国として、世界に君臨した。
が、基本的依存関係というのは、恐ろしい。
依存する側は、それを「当たり前」という前提で、考える。
失うことの恐ろしさを知らない。
失ったあとの、貧しい世界を知らない。
そればかりか、今度は反対に、老人たちを、じゃま扱いするように
なってきている。
 
 私たちは、今のような日本をつくるためにがんばってきたのか?
・・・というのは、言いすぎ。
本当のところ、私たちは、ただひたすら、がむしゃらに生きてきただけ。
今の中国や韓国の人たちのように、がむしゃらに生きてきただけ。
今の日本は、あくまでもその結果でしかない。

●頭をさげさせる

 総じて言えば、日本人は、保護と依存の関係に、甘い。
親をさして、「保護者」と呼ぶところにも、それが表れている。
が、それを是正する時期は、近い。

 たまたまおとといも、ある幼稚園で講演をさせてもらった。
その席でも、私はこう言った。

「子どもに、勉強しろと言ってはいけませんよ。
言えば、その責任を取らされますよ」と。

 今、親に感謝しながら高校へ通っている子どもは、皆無。
大学生でも、いない。
「行くのが当然」「親が学費を出すのは当然」と考えている。
「責任を取らされる」というのは、そういうことを言う。
だから講演では、つづけてこう言った。

 「1度は、子どもに頭をさげさせること。
2度でも、3度でもいい。
『お父さん、お母さん、勉強したいから、大学へ行かせてください』と」と。
それがなかったら、学費は、自分自身の老後のために蓄えておいたほうがよい。

●ありがた迷惑

 こうした基本的依存関係は、代々、親から子へと伝えられる。
そして親は、子どもが生まれたときから、基本的依存関係を作ってしまう。
子どもが望みもしないうちから、「そら、ピアノ教室」「そら、水泳教室」と。
親によっては、子どもに楽をさせること。
楽しい思いをさせること。
それを親の務めと考えている。

 そうそうこんな会話を、数日前、電車の中で聞いた。
ある若い母親が、別の若い母親にこう言っていった。

「あのね、うちの親ったらね、毎週のように、いろいろなものを
送ってくれるのよ。
実家が寿司屋でしょ。
だから高級魚ばかり。
そのせいで、うちの子ったら、安い魚は食べないのよ」と。

 どこか、ありがた迷惑といった感じだった。
私はそれを横で聞きながら、自分の心を支えていたつっかい棒が、
ガクリとはずれるのを感じた。
実は私も、孫たちに対して、同じことをしている。

●では、どうするか?

 私たちは私たちで、生きる。
甘い幻想や期待は、もたない。
若い世代が、「自業自得」という言葉を使うなら、この先、日本が衰退
しても、それもまた自業自得。
今の日本は、私たちの世代が作った。
同じようにこれからの未来は、今の若い世代が作っていく。

 ・・・と考えるのは、あまりにもさみしい。
そこで私は、私たちの世代に向かって、こう提言したい。

もっと若い人たちの世界に、切り込んでいこうではないか、と。
もっと存在感をアピールしていこうではないか、と。
体力や気力を使う分野では勝ち目はない。
しかしそれ以外の分野なら、まだまだ負けない。
つまりは自立した老人として、若い人たちに向かって、果敢なく
挑戦していく。

 そう、今こそ、私たちは、保護・依存の関係をぶち壊し、自立した
老人として、前に向かって進む。
堂々と、独居老人になってやろうではないか。
堂々と、孤独死を、なしとげてやろうではないか。
つまりそういう形で、私たちの生き様を、若い人たちに見せつけて
やろうではないか。

●基本的依存関係

 「基本的依存関係」という言葉を先に考えた。
が、書いているうちに、老人論になってしまった。
読んでくれた人には、申し訳ない。
つまりは、土居健郎の「甘えの構造」の焼き直し版というところか。

 つまり私が書きたいのは、日本人というのは、総じてみれば、「依存型民族」である
ということ。
そしてその原因は、親から子へと代々とつながる、育児観にあるということ。
子どもを依存型に育てながら、依存型に育てているという意識そのものが薄い。
ここでいう「基本的依存関係」というのは、そういう言葉として、理解してもらえば、
うれしい。

 それについて書いた原稿をさがしてみる。

+++++++++++++++++

今から7年近くも前に書いた原稿である。

+++++++++++++++++

【日本人の依存性】

●孫から学んだこと(What I learnt from my G-son)

孫の誠司と接して、学んだことは多い。
たとえば、誠司は、こう言う。

(のどが渇いたとき)……「何か、飲み物をもっているか?」
(風呂に入るとき)……「足がやけどする」
(おなかがすいたとき)……「グレープフルーツを食べたい」と。

同じような場面のとき、日本の子どもなら、(だから、何とかしてくれ言葉)を使う。

たとえば、

(のどが渇いたとき)……「のどがかわいたア! (だから何とかしてくれ)」
(風呂に入るとき)……「熱い! (だから何とかしてくれ)」
(おなかがすいたとき)……「腹、減ったア! (だから何とかしてくれ)」と。

こうした日本人独特の依存性は、おとなになってからも、消えない。

私の叔母のひとりは、50代のころから、いつもこう言っていた。
電話で、話を始めるたびに、
「おばちゃん(=叔母自身)も、歳を取ったからねエ〜。(だから、何とかしてくれ)」と。

何も叔母を責めているのではない。
その地方では、そういう言い方が、ごくふつうの言い方となっている。
が、ときとして、イヤミに聞こえることもある。

たとえばしばらく実家に帰っていないでいたりすると、
「浩司君の家の横に、ゴミがたまっていたぞ。(だから何とかせよ)」、
「J君(=私の実兄)が、猛スピードで、坂を、自転車で走っていたぞ。(だから何とかせ
よ)」と。

「浩司君の夢を見たから」とか何とか、おかしな理由をつけて、電話をかけてくる。

一方、私が住んでいるこの浜松では、そうした言い方は、あまりしない。
とくにワイフの家族は、しない。
みな、独立心が旺盛で、それぞれが高次元な立場で、尊敬しあっている。

そんな私でも、誠司の言葉には、そのつど、驚く。
誠司は、日本語をほとんど話せない。
日本人というよりは、アメリカ人である。

いつもYES・NOをはっきりと言う。
会話は、そこから始まる。
だから何かほしいものがあったりすると、直接、「〜〜がほしい」などと言う。
わずか10日間ほどのつきあいだったが、そのつど、私は、こう思った。

「こんな5歳の子どもでも、日本人とは、ちがうなア〜」と。

その日本人の依存性については、たびたび書いてきた。
つぎの原稿は、5年前(03年)に書いた原稿である。

++++++++++++++

●拉致(らち)問題

 昨日の記者会見で、官房長官のF氏は、さかんにこう言っていた。「日本の立場は、アメ
リカも韓国も、よくわかっていてくれるはずです」「日本の立場は、じゅうぶん説明してあ
るので、わかってくれているはずです」と。

 まさに日本という国家そのものが、依存国家とみてよい。こういう会話は、依存性の強
い人ほど、好む。

 少し前だが、こんな子ども(小五女児)がいた。「明日の遠足を休む」と言うので、「担
任の先生に連絡したのか?」と聞くと、「先生は、わかっていてくれるはず」と。

 「どうして?」と私。
 「だって、今日、おなかが痛いと、言ったから」と、子ども。
 「しかし休むなら休むで、しっかりと先生に言ったほうがいいのでは?」
 「いいの。先生は、わかっていてくれるはずだから」と。

 日本語には、「だから、何とかしてくれ言葉」というのがある。たとえばのどがかわいて
も、「水がほしい」とは言わない。「のどがかわいたア〜」と言う。子どもだけではない。
ある女性(五〇歳)は、子どもや親類に電話をかけるたびに、「私も年をとったからネー」
を口ぐせにしていた。つまり、「だから、何とか、せよ」と。

 しかし国の「長」ともあろうF氏まで、そういう言い方をするとは! 「ハズ論」で動
かないのが、国際社会。少なくともアメリカ人には、通用しない。そう言えば、五、六年
前、ときの外務大臣のK氏が、あの北朝鮮に、百数十万トンもの米を援助したことがある。
そのときも、K氏は、そう言っていた。「日本も、これだけのことをしてあげたのだから、
北朝鮮も、何か答えてくれるはず」と。

 が、結果は、ゼロ。K氏は、「これで北朝鮮が何もしてくれないなら、私は責任をとる」
とまで言い切ったが、その責任をとった形跡は、どこにもない。

 こうした依存性は、親子の間にもある。

 「これだけのことをしてあげたのだから、うちの子どもは、私に感謝しているはず」「親
子の絆(パイプ)は、太くなったはず」と。つまり日本の親たちは、まず子どもに、いい
思いをさせる。ついで親としての優越性を、子どもに見せつける。「私に従えば、いいこと
がある」「私には、これだけの力がある」と。

 つまり外堀を埋めるような形で、子どもの周辺を、少しずつ、しばりあげていく。そし
て結果として、子どもに依存心をもたせ、ついで、自分も、子どもに依存していく。

 ついでに拉致問題について。

 本来なら、日本の軍隊が突入し、被害者を救出しても、おかしくない事件である。しか
しこの日本には、おかしな平和主義がはびこっている。「ことなかれ主義」を、平和主義と
誤解している人もいる。平和主義もよいが、相手が、日本を攻めてきたときには、どうす
るのか? あるいはそんなときでも、日本は、「アメリカが何とかしてくれるはず」「世界
が黙っていないはず」とでも、主張するつもりなのだろうか。

 日本政府の考え方は、甘い。本当に、甘い。「大国」としての誇りも、自覚もない。現に
今、北朝鮮のあの金XXは、核兵器の開発をしている。もちろんターゲットは、日本。韓
国やアメリカではない。この日本。本来なら、アメリカや韓国の先に立って、この問題を
解決しなければならない。しかし「ハズ論」だけで、みなのうしろをついていく?

 しかしそれにしても、北朝鮮の小さいこと、小さいこと。小細工ばかりしている。先週
も、拉致被害者の子どもたちに、手紙まで書かせている。そんな些細なことにまで、気を
配っている。あきれるより先に、ゾッとする。

私が金XXなら、拉致被害者の子どもたちを、すぐ日本へ返す。恥ずかしいか、恥ずか
しくないかということになれば、つぎからつぎへと脱北者が出ることのほうが、よほど、
恥ずかしい。金XXよ、恥を知れ!

 で、近く、六か国協議が始まる。しかしそれを望むわけではないが、この協議は、失敗
する。理由は簡単。北朝鮮は、核査察など、絶対にさせない。そんなことをすれば、金X
Xの悪行の数々が、白日のもとにさらされてしまう。一説によると、あの金XXは、すで
に数十万人以上の人を、殺害しているという。

 つぎにアメリカにしても、(安保理決議)→(経済制裁)→(金XX体制の崩壊)という
図式を、すでに描いている。中国やロシアを参加させるのは、「やれるだけのことはやって
みなさい。どうせダメだから」ということを、証明するためのものでしかない。

 日本にしても、あの金XX体制を経済援助するということは、隣の暴力団に、資金を手
渡すようなもの。そう簡単には、できない。してはならない。

 問題は中国とロシアだが、彼らにしても、日本のマネーがほしいだけ。日本に金を出さ
せ、その金で、中国やロシアのものを買わせる。あるいは今までの借金を、返済させる。
ただこの力が強ければ、皮肉なことに、六か国協議は、成功する可能性はある。しかしそ
のときは、日本は、屋台骨を数本、抜くぐらいの覚悟はしなければならない。「東京で、核
兵器が爆発するよりは、いいだろう」と。

 さらに中国人や韓国人の、反日感情には、ものすごいものがある。仲よくなりかけると、
アホな政治家が、S国神社を参拝したり、「南京虐殺はウソ」などと言っては、相手を怒ら
せている。S国神社を参拝するのに反対しているのではない。「何も、こういう時期に、あ
えてしなくてもいい」ということだ。

 どちらにせよ、今度の六か国協議は、日本にとっては、戦後、最大の山場になる。決裂
すれば、この秋には、米朝戦争が始まるかもしれない。もしそうなれば、日本も未曾有の
大惨事に巻き込まれる。日本だけが無事ということは、絶対にありえない。

 六か国協議で日本がどのような主張をするか。また世界は、どのような反応を示すか。
拉致問題もあって、目が離せない。
(030805)

+++++++++++++++++++

もう1作、同じような内容の原稿です。
これは4年前(04年)に書いたものです。

+++++++++++++++++++

●「年だから……」という言い方

7月のはじめ、豪雨が、新潟県から福井県を襲った。

今は、その雨もやっと一息つき、各地で復旧作業が始まった。連日、その模様を、テレ
ビが、ニュースとして伝えている。

 その模様を見ていたときのこと。一つ、気になったことがあった。

 何人かの老人が出てきたが、たまたまどの老人も、こう言った。

 「私ら、年ですから……」
 「年ですからね……」
 「私も、この年ですから……」と。

 つまり老齢だから、こうした復旧作業は、きびしい、と。

 実は、無意識だったが、私も、ときどき、同じ言葉を使うようになってしまった。ワイ
フに向って、「オレも、年だからなあ」とか、息子たちに向って、「パパも、年だからな」
とか。

 つまりは、私はそう言いながら、ワイフや息子たちに、依存しようとしている。甘えよ
うとしている。自分でそう言いながら、ハッと我にかえって、「いやな言い方だ」と思って
しまう。

 もちろん復旧作業にあたっている老人たちには、きびしい作業だろう。やりなれた仕事
ならまだしも、こうした仕事は、使う筋肉もちがう。何よりもたいへんなのは、「ゴロリと
横になって、体を休める場所がない」(ある老人の言葉)ということだそうだ。

 だからそういう老人たちが、つい、「年だから……」と言いたくなる気持は、よく理解で
きる。しかし……。

 この言葉は、どこか(だから何とかしてくれ言葉)に似ている?

 よく依存性の強い子どもは、「のどがかわいたア!」「おなかがすいたア!」「退屈ウ!」
と言う。その子どもは、そう言いながら、親に向って、「だから何とかしてほしい」と言っ
ている。

 同じように、「年だから……」という言葉の裏で、こうした老人たちは、「だから、何と
かしてほしい」と言っている? 私にはそう聞こえる。

 昔、私の伯母にも、そういう人がいた。電話をかけてくるたびに、「オバチャンも、年だ
からねエ……」と。

 今から逆算してみると、そのときその伯母は、まだ、50歳になったばかり。今の私の
年齢より、若い。

 そこで私は、気がついた。人はともかくも、私は、死ぬまで、その言葉を使わないぞ、
と。自信はないが、そう心に決めた。

 このマガジンを書くときも、ときどき、似たような弱音を吐くことがある。しかし弱音
は、弱音。「もう、使わないぞ」と。

 年なんか、関係ない。体が弱くなり、頭の活動はにぶるかもしれない。しかしそれは当
然のことではないか。年のせいにしてはいけない。人間には、年はない。そんな数字にふ
りまわされて、自分をごまかしては、いけない。他人をあざむいては、いけない。

 なまけた心、たるんだ体……、それは年のせいではない。

 ……ということで、今日の教訓。私の辞書から、「年だから……」という、あのどこかず
るい、どこか甘えた言い方を、消す。

 そう言えば、私のワイフなどは、そういう言葉を使ったことがない。どうしてだろう。
あとで、その理由を聞いてみよう。

【ワイフの言葉】

 「私やね、年だなんて、思っていない」と、一言。ワイフの言うことは、いつも、単純、
明快。

 今でも、20歳の娘のようなつもりでいる。……らしい。おもしろい心理だと思う。

 「それにもう一つは、だれかに何かしてほしいとか、してもらいたいとか、そういう気
持ちにはならない。自分のことは自分で何とかしようと、いつも、それしか考えていない
から」と。

 ナルホド!

 「お前はいいダンナをもったな」と私が言うと、ワイフはヘラヘラと笑った。

 「そうじゃないか。オレが、苦労を全部、引き受けているからな」と私。

 ああ、これも依存性の変形か? ともかくも、私は、「年だから……」という言葉を使わ
ないことを、心に決めた。自信はないが……。

【追記】

 山荘の近くに、Kさんという男性がいる。いわゆる老人である。老人と書くのは、失礼
な言い方だが、年齢からすれば、老人ということになる。そのKさん。今年は、78歳に
なるが、今でも、現役で、山の中で仕事をしている。

 畑もあちこちにもっている。会うたびに、ヒョイヒョイと、体を動かして、農作業をし
ている。

 一方、50歳になったばかりというのに、太った体をもてあまし、ハーハーと、息も苦
しそうに歩いている人もいる。Sさんという男性である。聞くと、毎日、1、2本のビー
ルを飲み、ヒマさえあれば、ソファの上で、ゴロ寝をしているという。

 趣味は、テレビでプロ野球をみることだそうだ。

 この二人を頭の中で、単純に比較しても、やはり人間には、年はないということ。たし
かにKさんは、この10年の間に、かなりの畑を減らした。ミカン栽培もやめた。しかし
いつも、できる範囲で、仕事をしているといった感じ。決して、「年だから……」という弱
音を吐かない。

 一方、Sさんは、いつも、「年には勝てないよ」とか、「オレも、年をとってしまったよ」
と言っている。どこか生きザマが、うしろ向き。しかしそういうSさんにしたのは、Sさ
ん自身ではないのか……と、考えて、この話はここまで。

 しばらくこのテーマについて、考えてみたい。
(040723)

+++++++++++++++++++++

こうした日本人の依存性を鋭く追及したのが、
土居健郎「甘えの構造」である。

5年前(03年)に、こんな原稿を書いた。

+++++++++++++++++++++

●依存心

 依存心の強い子どもは、独特の話し方をする。おなかがすいても、「○○を食べたい」と
は言わない。「おなかが、すいたア〜」と言う。言外に、(だから何とかしろ)と、相手に
要求する。

 おとなでも、依存心の強い人はいくらでもいる。ある女性(67歳)は、だれかに電話
をするたびに、「私も、年をとったからネエ〜」を口グセにしている。このばあいも、言外
に、(だから何とかしろ)と、相手に要求していることになる。

 依存性の強い人は、いつも心のどこかで、だれかに何かをしてもらうのを、待っている。
そういう生きざまが、すべての面に渡っているので、独特の考え方をするようになる。つ
い先日も、ある女性(60歳)と、北朝鮮について話しあったが、その女性は、こう言っ
た。「そのときになったら、アメリカが何とかしてくれますよ」と。

 自立した人間どうしが、助けあうのは、「助けあい」という。しかし依存心の強い人間ど
うしが、助けあうのは、「助けあい」とは言わない。「なぐさめあい」という。

一見、なごやかな世界に見えるかもしれないが、おたがいに心の弱さを、なぐさめあっ
ているだけ。

総じて言えば、日本人がもつ、独特の「邑(むら)意識」や「邑社会」というのは、そ
の依存性が結集したものとみてよい。「長いものには巻かれろ」「みんなで渡ればこわく
ない」「ほかの人と違ったことをしていると嫌われる」「世間体が悪い」「世間が笑う」な
ど。こうした世界では、好んで使われる言葉である。

 こうした依存性の強い人を見分けるのは、それほどむずかしいことではない。

●してもらうのが、当然……「してもらうのが当然」「助けてもらうのが当然」と考える。
あるいは相手を、そういう方向に誘導していく。よい人ぶったり、それを演じたり、あ
るいは同情を買ったりする。「〜〜してあげたから、〜〜してくれるハズ」「〜〜してあ
げたから、感謝しているハズ」と、「ハズ論」で行動することが多い。

●自分では何もしない……自分から、積極的に何かをしていくというよりは、相手が何か
をしてくれるのを、待つ。あるいは自分にとって、居心地のよい世界を好んで求める。
それ以外の世界には、同化できない。人間関係も、敵をつくらないことだけを考える。
ものごとを、ナーナーですまそうとする。

●子育てに反映される……依存性の強い人は、子どもが自分に対して依存性をもつことに、
どうしても甘くなる。そして依存性が強く、ベタベタと親に甘える子どもを、かわいい
子イコール、できのよい子と位置づける。

●親孝行を必要以上に美化する……このタイプの人は、自分の依存性(あるいはマザコン
性、ファザコン性)を正当化するため、必要以上に、親孝行を美化する。親に対して犠
牲的であればあるほど、美徳と考える。しかし脳のCPUがズレているため、自分でそ
れに気づくことは、まずない。だれかが親の批判でもしようものなら、猛烈にそれに反
発したりする。

依存性の強い社会は、ある意味で、温もりのある居心地のよい世界かもしれない。しか
し今、日本人に一番欠けている部分は何かと言われれば、「個の確立」。個人が個人とし
て確立していない。

あるいは個性的な生き方をすることを、許さない。いまだに戦前、あるいは封建時代の
全体主義的な要素を、あちこちで引きずっている。そしてこうした国民性が、外の世界
からみて、日本や日本人を、実にわかりにくいものにしている。つまりいつまでたって
も、日本人が国際人の仲間に入れない本当の理由は、ここにある。
(03−1−2)

●人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛る。義理人情が支配的なモラル
である日本の社会は、かくして甘えの弥慢化した世界であった。(土居健郎「甘えの構造」
の一節)

+++++著作権BYはやし浩司++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++ 
  
●日本人の依存性

 日本人が本来的にもつ依存心は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、日本人が
それに気づくには、自らを一度、日本の外に置かねばならない。それはちょうどキアヌ・
リーブズが主演した映画『マトリックス』の世界に似ている。

その世界にどっぷりと住んでいるから、自分が仮想現実の世界に住んでいることにすら
気づかない……。

 子どもでもおなかがすいて、何か食べたいときでも、「食べたい」とは言わない。「おな
かがすいたア、(だから何とかしてくれ)」と言う。子どもだけではない。私の叔母などは、
もう50歳代のときから私に、「おばちゃん(自分)も、歳をとったでナ。(だから何とか
してくれ)」と言っていた。

 こうした依存性は国民的なもので、この日本では、おとなも子どもも、男も女も、社会
も国民も、それぞれが相互に依存しあっている。

こうした構造的な国民性を、「甘えの構造」と呼んだ人もいる(土居健郎)。たとえば海
外へ移住した日本人は、すぐリトル東京をつくって、相互に依存しあう。そしてそこで
生まれた子ども(二世)や孫(三世)は、いつまでたっても、自らを「日系人」と呼ん
でいる。依存性が強い分だけ、新しい社会に同化できない。

 もちろん親子関係もそうだ。この日本では親にベタベタと甘える子どもイコール、かわ
いい子とし、そのかわいい子イコール、よい子とする。

反対に独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、親不孝者とか、鬼っ子と言って
嫌う。そしてそれと同時進行の形で、親は子どもに対して、「産んでやった」「育ててや
った」と依存し、子どもは子どもで「産んでもらった」「育ててもらった」と依存する。

こうした日本人独特の国民性が、いつどのようにしてできたかについては、また別のと
ころで話すとして、しかし今、その依存性が大きく音をたてて崩れ始めている。

イタリアにいる友人が、こんなメールを送ってくれた。いわく、「ローマにやってくる日
本人は、大きく二つに分けることができる。旗を先頭にゾロゾロとやってくる日本人。
年配の人が多い。もう一つは小さなグループで好き勝手に動き回る日本人。茶髪の若者
が多い」と。

 今、この日本は、旧態の価値観から、よりグローバル化した新しい価値観への移行期に
あるとみてよい。フランス革命のような派手な革命ではないが、しかし革命というにふさ
わしいほどの転換期とみてよい。それがよいのか悪いのか、あるいはどういう社会がつぎ
にやってくるのかは別にして、今という時代は、そういう視点でみないと理解できない時
代であることも事実のようだ。

あなたの親子関係を考える一つのヒントとして、この問題を考えてみてほしい。

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6月29日(2010)

++++++++++++++++++

昨日は、10キロを走った。
「走った」と言っても、断続的に駆け足を
したり、早足で歩いたりした。

ほかに夜、7キロを自転車で走った。
こちらは、本気で走った。

ほかにウォーキングマシンで、計40分。
プラス乗馬マシンで、計10分。

今朝も、起きるとすぐ、ウォーキングマシンの
上で、20分、歩いた。
が、気分は……、まだ眠い!

++++++++++++++++++

●睡眠時間

 最近は、早寝、遅起きに心がけている。
10時間前後の睡眠時間をとるように、心がけている。
が、どういうわけか、かえってそのほうが、眠気が残る。
今も、ときどき大きなあくびを繰り返す。
よく眠ったはずなのに……。
これはどういう理由によるものなのか?

●減量(ダイエット)

 4、5日前に体重計に乗ったら、64キロ台。
ゾーッ!
で、おとといから、ダイエット。
運動を重ねて、食事の量を減らした。
で、今朝、計ってみると、61キロ台。
よかった!

 明日は、どこかの旅館で会食。
あわび料理が出るとか。
またまた食欲との闘い。
今日は、それに備えて、食事の量を減らす。

●夢

 ところで私は、夢をよく見る。
とくに起きがけの夢は、楽しい。
何かの映画を観ているよう。
で、目が覚めたあと、よく夢の内容を、ワイフに話してやる。

 で、私の夢のおもしろいところは、奇想天外なところ。
ふだんなら、思いもつかないような内容の夢を見る。
めったに、同じ夢を見ない。
脳みその広さに、我ながら、感心する。

 今朝の夢は、太陽に、地球規模の惑星が衝突するというもの。
みなが、それぞれ飛行機を作り、地球の裏側(夜側)に逃げるという夢。
衝突によって起こる太陽風から、身を守るためである。

 ちょうど夕刻時で、太陽から猛烈なフレアが立ち上るのが見えた。
地球に到達するまでに、10分前後。
私は木製のグライダーのような飛行機に乗って、太陽とは反対側に旋回して
いくところだった。
見ると、大小さまざまな形の飛行機が、並んで飛んでいた。

 恐ろしい夢ということになるが、先にも書いたように、私にとっては、
映画のようなもの。
映画といっても、私自身が、その映画の中に入っている。

 ……やがてそんな映画ができるようになるかもしれない。
「そんな映画」というのは、映画の中で、実体験をするような映画をいう。
つまり自分自身が、主人公となって、映画の中で動き回る。

●総選挙

 総選挙が近づいてきた。
浮動票層(無党派層)の私としては、「もう一度、民主党に入れてみるか」という
気持ちになりつつある。
しかし小沢一郎が、カーテンの間から、あの不気味な顔を出すたびに、その気持ちが
引っ込んでしまう。

 「反小沢」の旗印は、ひょっとしたら、仮面?
選挙用のカモフラージュ?
どうも、よくわからない。
選挙に勝ったとたん、また小沢一郎が、したり顔で表に出てくる?
そんな心配があるから、ここは慎重にならざるをえない。

 ……数日前も駅前で、民主党の党員たちが、選挙運動をしていた。
1人の女性の応援をしていた。
で、私は運動員の1人に、「この方は、小沢派? それとも反小沢派?」と聞いた。
運動員は、「民主党には、そういう派閥はありません」と。

 その女性は、それで小沢派とわかった。
中央から、小沢一郎によって送り込まれた刺客(?)。
歩きながらワイフが、「あの人(候補者)は、小沢派よ。知らなかったの?」と。

●消費税vs公務員の給料

 このままでは日本経済は、確実に破綻する。
時間の問題。
そのために消費税のアップは避けられないものであるということは、よくわかる。
しかしそれには、条件がある。

 公務員の給料カットである。
現状では、20〜25%前後のカットは、やむをえない。
給料のカットそのものに抵抗があるというのなら、諸手当のカット。
諸手当の費用が、バカにならない。
「総人件費」の抑制に、まず手をつけるべき。
その上での、消費税アップ。
そうであるなら、私たちも納得する。
そうでなければ、納得しない!

●今夜はサッカー

 今夜はサッカー、W杯。
相手は、パラグアイ。
私は、超能力とは、無縁。
予言力はない。
だからどちらが勝か、わからない。
予想はできるが、あくまでも予想。
その予想によれば、日本は当初、パラグアイの野獣的な攻撃にたじろぐが、
やがて攻勢に出て、2−1で勝つ。

 しかし11時という時間帯に問題がある。
観るべきか、観ざるべきか。
今、迷っている。
(6−29記)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●五十肩

+++++++++++++++++

近くの友人が、五十肩になったという。
症状は、かなり重いという。
夜なども、痛くて寝返りが打てない、と。
そのため睡眠不足になり、日中も、
眠さが残る、と。

+++++++++++++++++

●義姉

 ワイフの話によれば、義姉(つまりワイフの姉)も、10年ほど前、五十肩に
なったという。
で、5〜6年ほど、それに苦しんだという。
が、治るときは、知らぬ間に、治ってしまうという。
それで「五十肩」という(?)。

 友人と私はそれほど年齢がちがわない。
「明日は我が身」と、そういう話を聞くたびに、気が重くなる。
若いときなら、「自分でなくてよかった」と思ったかもしれない。
が、今は、順番の問題。
五十肩でなくても、何があるかわからない。
「病気は背中から、ある日、突然、やってくる」(O氏の言葉)。

●6月30日

 昨夜は、サッカーW杯、日本対パラグアイ戦を、観た。
0−0の同点のまま、延長線。
さらにPK戦。
見終わってから、どういうわけか、涙が出てきた。
すばらしい試合だった。
感動した。
負けたのは残念だが、その残念感が、あまりない。
「よくやった!」と。

 床に就いたのは、午前2時過ぎ。
ふとんの中で、ワイフとしばらく音楽を聴いた。
聴いているうちに、眠ってしまった。

●新しいソフト

 パソコン用の新しいソフトがいくつか、手に入った。
非現実的な世界を創るソフトと、写真をキュービックに加工するソフト。
あとで試してみたい。

 そう言えば、数か月前、モーフィングを試してみた。
ひとつの顔から、別の顔に、少しずつ変化していくというもの。
しかしこれは失敗。
データが重すぎて、ホームページに載せられなかった。
ひとつのモーフィングをするのに、50〜100枚の写真を並べる。
写真のサイズにもよるが、1つだけで、30MBを超えてしまった。
だからあえなく、ボツ。

 そのあとマンガをいくつか作ってみた。
が、これは10作ほど作ったところで、あきてしまった。
(そう言えば、このところ、何かにつけて、あきっぽい。
これも脳の老化現象によるものか?)

●独居老人→孤独死

++++++++++++++++++++

この先、私たち老人は、60%が独居老人と
なり、孤独死を迎える。
発見までの平均日数は、7日とか。

これらの数字が仮に事実であるとしても、
こと私に関して言うなら、「私はそれでも構わない」。
今は、そういう心境になりつつある。

「独居」であるとしても、それを「不幸」と決めつけて
はいけない。
「孤独死」をしたからといって、それを「不幸」と
決めつけてはいけない。
大切なのは、それまでの人生。
人生の中身。

+++++++++++++++++++++

●反省

 私は「独居老人」や「孤独死」について、「あってはならないこと」と、
決めつけて考えていた。
そしてそこに「私」を置き、それを「不幸な末路」と、決めつけて
考えていた。

 しかしこの考え方は、まちがっていた。
「60%」(この数字は、何かの雑誌で知った数字だが)の老人が
そうなるというのなら、「それがふつうの死に方」ということになる。
またそういう前提で考えれば、老後の過ごし方も、ぐんと気が楽になる。

●孤独死イコール、不幸?

・・・となると、「独居老人」イコール、「孤独」と決めつけて考える
のは、まちがっている。
若い人でも、孤独な人は、いくらでもいる。
独りで住んでいる老人でも、心豊かな人は、いくらでもいる。

 さらに「孤独死」といっても、孤独な世界で煩悶(はんもん)しながら、
死ぬとはかぎらない。
「孤独」という言葉をつけるから、話がおかしくなる。
中には、独り静かに、眠るように、かつ満足しながら死ぬ人だっているはず。
また死後、すぐ発見されないからといって、嘆くことはない。
それが古今東西、ふつうの人の、ふつうの死に方だった。

●天下老人

 だから言葉を変えればよい。
「独居老人」を、「天下老人」。
「孤独死」を、「自然死」と。

 孤独か孤独でないかということになれば、死ぬときは、みな、孤独。
「家族に見守れて・・・」というのは、そのほうがベターというだけで、
そうでなければならないということではない。
またそうであったからといって、孤独が癒されるというものでもない。
こんな話がある。

 A氏(84歳)が、臨終を迎えた。
連絡を受けて、親戚中が集まった。
総勢、30人あまり。
が、その直後、A氏は、昏睡状態から覚め、再び元気になってしまった。
で、そのあとも、(臨終)→(回復)を、数度繰り返した。
そうなると、家人も、親戚に連絡するのも、おっくうになる。
親戚も、「またか・・・!」となる。

 で、結局、最後は、A氏は、真夜中にだれにも看取られないまま、独り静かに
他界した。
これは私のワイフの伯父の話である。

●孤独感

 老人の感ずる孤独は、「孤独死」とは、切り離して考える。
孤独イコール、孤独死、孤独死イコール、孤独と考えるから、
話がおかしくなる。

 もっと平たく言えば、「死ぬ」のは、一瞬のできごと。
が、孤独、それから生ずる孤独感は、老後になってから、綿々とつづく。
途切れることはない。
今、私たちが問題とすべきは、むしろそちらのほうということになる。
もっともこれについては、「バカになって、忘れる」という方法もないわけ
ではない。
趣味三昧、旅行三昧、ぜいたく三昧・・・。
しかしこの方法は、邪道。
かえって虚しさが、増すだけ。

●生きがい

 老後を考えるということは、どの方向から考えても、行き着く目的は
ただひとつ。
「生きがい」の問題ということになる。
どう生きがいを構築するか?
その是非によって、老後の姿そのものが、変わってくる。

 それについては、「統合性」という言葉がある。
(すべきこと)を、(現実にする)。
両者が一致した状態を、統合性が確立した状態という。

 が、それには条件がある。
無私、無欲。
打算、功利が入ったとたん、統合性は、霧散する。
それに「老後になりました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」
というわけにはいかない。
統合性を確立するためには、その基礎づくりが必要。
20年とか30年とかいう、時間をかけた基礎づくりが必要。
エリクソンは、人生の正午と呼ばれる40歳くらいから、始めろというようなことを
教えている。
しかし40歳でも、遅い。

●夢と希望、そして目的

 自分が老人の入り口に立ってみて、気づいたことがある。
つまり老後になっても、夢と希望を失ってはいけないということ。
夢と希望があれば、何とか、生きていかれる。
夢と希望があれば、その先に目標が生まれる。
その目標が、老後に、光を灯(とも)してくれる。

 言い替えると、いかにして夢と希望をもちつづけるか。
それが重要ということになる。
たとえば今度、(まだ本決まりではないが……)、中央の大きな会場で
講演をすることになった。
そういう目標が生まれると、体力作りに心がけるようになる。
もちろん脳みその健康にも、注意を払うようになる。

 今でも講演がある日には、その数日前から、運動量を、2〜3倍にふやす。
新しい情報を手に入れて、古い情報と置き換える。
そのために本を読む。
文章を書く。
こうして点つなぎのようにして、自分の人生を未来へとつないでいく。

 「そんなことをして、何になるのだろう」とか、そういう迷いはないとは言わない。
しかし迷っていても、しかたない。
ここは無私、無欲。
結果は、いつもあとからついてくる。
ついてこなくても、構わない。

 今は、そういう心境に変わりつつある。


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●今日で、6月は、おしまい

 2010年6月30日。
6月も、今日でおしまい。
が、過去を振り返っているヒマはない。
7月は、忙しい。
このままだと、バタバタと過ぎていくだろう。

 がんばるしかない。

 では、また


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【不安について】(What is the Anxiety?)

●不安の構造

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(こうしたい)(こうでありたい)という欲望や欲求。
その欲望や欲求に対して、障壁(障害)が現われたとき、
欲望や欲求は、不安へと変異する。
つまり障壁(障害)の一方にあるのが、欲望や欲求。
もう一方にあるのが、不安ということになる。
私たちは、日常的に、この不安にさらされている。
欲望や欲求が強ければ強いほど、不安は増大する。
そこで問題は、こうした不安を克服する方法は
あるかということ。
私のばあいを中心に、この問題について考えてみたい。

++++++++++++++++++++++++++

●不安の分析

 大村政男氏は、不安の(因子)を、つぎの24項目に分けている(心理学、ナツメ社)。
この表は、そのまま、自己診断のひとつの方法として、応用できる(P157)。

〔身体的症候群〕
(  )皮膚にできものができることが多い。
(  )しばしば尿意をもよおす。
(  )食欲不振なことが多い。
(  )緊張すると汗が出がちである。

〔集中力欠乏〕
(  )興味があれこれと変わりやすい。
(  )じっとしておられないほど、落ちつきを失うことがしばしばある。
(  )1つのことに気持ちを集中できないほうである。
(  )待たされるといらいらしてしまう。

〔自信欠乏〕
(  )一度決めたことでも、他人の意見ですぐ変わってしまう。
(  )人生にいつも重荷を感じている。
(  )自信がないために、ものをあきらめてしまうことがよくある。
(  )自分はまったく役に立たない人間と思うことが多い。

〔赤面恐怖〕
(  )なにかあると、顔がほてってくる。
(  )人に会うのがおっくうなほうである。
(  )大勢の人の前に立つと、赤面しがちである。
(  )恥ずかしがり屋である。

〔睡眠障害〕
(  )睡眠薬をのまないと、眠れないこともある。
(  )うなされて目を覚ますことが、ときどきある。
(  )よく寝言を言うと、言われる。
(  )眠りがいつも浅いうような感じがする。

〔取り越し苦労〕
(  )いつも緊張して生活している。
(  )なにかにつけて心配しがちである。
(  )他の人よりも神経過敏である。
(  )不幸なことが起こりはしないかとしばしば心配する。
(以上、大村政男氏による、診断項目。)

●自己診断 

 大村政男氏の因子論(前述)を使って、自己診断をしてみる。
で、これは私のばあいだが、自分では基底不安型の人間と思っていたが、意外と該当項目が
少ないのに、驚いた。

〔身体的症候群〕〔集中力欠乏〕〔自信欠乏〕〔赤面恐怖〕の4項目まで、該当なし。
〔睡眠障害〕については、慢性化しているというか、昼寝が習慣化しているため、さほど気に
ならない。

が、最後の〔取り越し苦労〕については、4項目中、ほぼ4項目とも、私に当てはまる。

 私は日常的に緊張している(?)。
それに心配性(しょう)。
神経過敏なところもあるし、将来についてよく心配する。
大村政男氏の診断方法によれば、典型的な〔取り越し苦労〕型タイプの人間ということになる。
実際、よく取り越し苦労をする。
ひとつのことを心配し始めると、それが勝手にどんどんとふくらんでいってしまう。
が、あとになって、それが取り越し苦労だったことを知る。
そういうことは、よくある。

●では、どうすればよいのか

 これは私のばあいだが、私はそういう弱点を、自分でもよく知っている。
そのためそういう状態になり始めたら、つぎのことに心がけるようにしている。
(1)重大な判断はくださない。
(2)ワイフに、自分の状態を聞く。
(3)ものを書いて、不安の中身を文章にして、たたき出す。
 もちろん気分転換も重要。

趣味に没頭する。
現在は、畑づくりと、ミニ・ヘリコプター、それに映画。
週に1度は、近くの温泉旅館で、温泉につかるようにしている。
しかし何よりも重要なことをは、「今の私は正常ではない」と、自分に言って聞かせること。
不安が勝手にふくらみ始めたら、「正常ではない」と、何度も心の中で繰り返す。
その場を静かにやり過ごす。

 というのも、脳のCPU(中央演算装置)がおかしくなってくるから、正常でないことに気
づくのは、たいへんむずかしい。
おかしくなりながら、「これが本当の私」と思ったり、「他人が不安でないほうがおかしい」と
思ったりする。

 ただ誤解しないでほしいことが、ひとつある。
私はいつもこうしてものを考え、パソコンを相手に文章を書いている。
それについて、「不安だから書いているのでは」と思う人がいるかもしれない。
が、これは楽しいから、そうしている。
不安だからしているのではない。
心の緊張感があるから、しているのでもない。
楽しい。
見知らぬ原野を散歩しているような楽しさである。

 そう言えば、ワイフもときどき、こう言う。
「よくもまあ、毎日ものを書いていて、タネ切れにならないわね」とか、「毎日考えてばかりいて、
頭がおかしくならない?」とか。

 タネ切れになることはない。
今でもそうだが、ひとつのことを書いていると、別のところからつぎつぎと、書きたいこと
がわいてくる。
それに「頭がおかしくならない?」については、たぶん、そうはならないと思う。
むしろ逆で、頭の中をモヤモヤした状態のままにしておくと、かえってイライラしてくる。
「便秘のときの腹のよう」と、私はワイフによく言うが、それに似たような状態になる。

 が、だからといって、私は不安に強いわけではない。
弱い。
だから若いころから、先手主義。
後手に回ったとたん、調子がおかしくなる。
その分だけ、よけいに不安になる。
つまり自分を、不安になるような状況に追い込まないようにしている。

 ……ということで、みなさんの参考になるかどうかはわからないが、私のことについて書
いてみた。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 不安の構造 不安の診断 不安神経症 強迫観念 不安とは)

++++++++++++++++

不安を考えるとき、同時に思いつくのが、
強迫神経症と不安神経症。
それについて書いた原稿をさがしてみる。

++++++++++++++++

●強迫性障害

 一つのことに執着すると、そのことばかりが気になって、悶々と悩む。悩むだけならまだ
しも、それが原因となって、日常生活に支障が出るようになることがある。これを
「強迫性障害」という。

 ある女性(36歳)は、マンションの上の階の足音が気になってしかたなかった。夫は、「聞こえな
い」「たいしたこない」と言ったが、その女性には、聞こえた(?)。たまたま上の階の部屋と
自分の部屋の間取りが同じということもあった。その女性には、音だけではなく、上の階の
住人の生活ぶりまでが、すべて手に取るようにわかった。

 が、そのうち、その女性は、「(上の階の人が使う)掃除機の出す音がうるさい」と言いだす
ようになった。「掃除といっても、1日、1回程度なら、がまんできる。しかし1日、5回は多すぎ
る、と。

 その女性は、毎日、上の階の人がどのような騒音(?)を出すか、その内容と回数をノートに
記入するようになった。が、それだけではない。自分が買い物などで、家をあけるときには、
小学2年生になった息子に、その回数を数えさせた。

 息子は、その女性(母親)が帰ってくると、「今夜は、掃除機が1回で、洗濯機が1回……」
というように、報告していたという。
 そしてある日、その女性はそれらの記録をもって、上の階の住人のところへ怒鳴りこんで
いった……。

 そのあとどうなったかは、容易に想像がつくことと思う。

●ある学校で

 実は、こうした強迫性障害は、教育の世界でも、よく経験する。数年前のことだが、ある小
学校へ講演に行ったら、その学校の教師が、こんな話をしてくれた。

 その学級で、「よい子は、みんな、仲よし。友だちも、多い」というような内容の、学級通信を
出した。

 が、1人の母親が、これに猛反発した。たまたまその母親の子ども(小2女児)が、学校でい
じめにあい、仲間はずれにされていた。そのことを、その母親は、悩んでいた。

 その母親は、校長に、「うちの子は、よい子ではないのか!」と。「よい子とは何だ!」「仲よ
しって何だ!」「どうしてそれが学級の方針なのか!」と、くいさがった。

 拡大解釈と被害妄想。一言で言えば、そういうことになるが、その母親の怒りは、それで収
まらなかった。「子どもの人権問題だ」「名誉毀損だ」と。さらには「校長不適格」などとも言い
出したという。つまりその母親は、その問題に固執するあまり、自分の姿を見失ってしまっ
た。

 こうした強迫性障害の延長に、買い物依存症(女性に多い)や、パチンコ依存症、賭博(とば
く)依存症(男性に多い)がある。これらの依存症の人も、一つのことにこだわり始めると、
それが頭から離れなくなる。

●満足感を満たすため

 たとえば買い物依存症の女性にしても、「それがほしい」と一度思いこむと、あとは、明け
ても暮れても、考えることは、そのことばかりという状態になる。そして一度、それを買う
と、
その満足感と同時に、解放感を味わう。あとは、この繰りかえし。

 が、こうした強迫性障害の人に、悩みや苦しみがないかといえば、そうではない。

 悶々と、そのことに執着している間は、ふつうの人以上に、悩んだり苦しんだりする。「気
になってしかたない」というのは、苦しみである。

 またその問題が解決したからといって、実は、その苦しみから解放されるというわけでは
ない。たとえば買い物依存症の女性にしても、そのあと、今度は、強い自責の念にかられる。
「どうして買ってしまったんだろう」と。

 さらに病的になると、借金をしてまで、自分のほしいものを手に入れるようになる。こう
なると、あとは、奈落の底! こうして破産していく人は、少なくない。

 先の「掃除機の音がうるさい」と怒鳴りこんでいった女性のケースでは、当然のことながら、
そのあと、上の階の住人とは、険悪な関係になってしまった。当然である。が、運の悪いこと
に、上の階の住人は、そのマンションの中でも、指導的な立場にあった。以後、その女性が、マンション

住民たちの間で、どのような扱いを受けたかについても、容易に想像がつくことと思う。

 で、そのあとのことだが、その女性と夫は、何度も、上の階の住人に謝罪に行ったが、受け
つけてもらえなかったという。

 ただ一度、こうした強迫性障害になった人は、そのつど、テーマを変えて、同じ障害になりや
すいと言われている。

 そのときは、上の階の住人の出す騒音であっても、それが解決すると、今度は、外を走る車
の騒音になったり、ここにあげた、学校通信の文面になったりする。さらにそれが子どもの
教育におよぶようになると、ことは、深刻になる。

 明けても暮れても、考えることは、子どもの成績ばかり……というようであれば、あなた
も、その強迫性障害を疑ってみたらよい。

(はやし浩司 強迫性障害 買い物依存症 依存症 育児ノイローゼ 強迫神経症 
強迫観念 強迫症)


【あなたの心診断―女性用】

 つぎの項目のうち、いくつか当てはまるようなら、強迫性障害を疑い、子育ての場で、子ど
もの心に影響を与えないように、注意する。
(  )かつて、買い物依存症など、何かの依存症になったことがある。
(  )ひとつのことが気になると、そのことばかり考えることがよくある。
(  )子どもに問題が起きると、先生や、子どもの友人に、原因を求める。
(  )かっとなると、見境なく行動してしまうことがあり、あとで後悔しやすい。
(  )被害妄想をもちやすく、ものごとを何でも悪いほうに解釈してしまう。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 不安の構造 強迫性障害 強迫性神経症 依存症 はやし浩司 被害
妄想 強迫観念 依存症)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前号からのつづきです】

●運と確率

 老後は、この孤独との闘いといっても過言ではない。
病気になれば、なおさら。

 今では通りを歩いていて、半身不随になった老人を見かけるのは、珍しくない。
「明日は我が身」。
そういう老人を見かけるたびに、胸がつまる。
「自分は歩けるから、よかった」などとは、思わない。
遅かれ早かれ、私もああなる。
あなたもああなる。
時間の問題。
運と確率の問題。

 健康であっても、孤独との闘いはつらい。
いわんや、病気になったら……。
孤独感は、倍加する。
で、自らに問う。
「私には、それと闘う力はあるか?」と。

 答は、「NO!」。

●先細り感

 で、老後の最大の「敵」は、「先細り感」ということになる。
よりどころのない、「孤独感」といってもよい。
たまたま先週、過労が重なって、私は一過性の(?)、難聴になってしまった。
右耳は、もとから聞こえない。
そのときは、左耳が、聞こえなくなった。
ほとんど聞こえなくなってしまった。

 そのとき私が感じた孤独感には、相当なものがある。
すぐ床に入ったが、胸騒ぎがはげしく、なかなか寝つかれなかった。
もちろん助けは、ない。
まただれかに助けてもらえるような話でもない。
ひとり、ただひとり、じっとそれに耐えるしかなかった。
ゆいいつ、ワイフの言葉だけが、私を救った。

「これからは私があなたの耳になってあげるから」と。
それを聞いて、私はワイフの胸の中で、涙を流した。
しかしこうした先細り感は、この先、ふえることはあっても、なくなることはない。
それが「老後」ということになる。
 
●気力

 よく誤解されるが、また「まったくの誤解」と断言してよいが、老人になれば、
「死」を受け入れるようになるというのは、ウソ!
まったくのウソ!
むしろ「死」が近い分だけ、「死」を恐れるようになる。

 また老人は、「生きたい」という気力が弱くなると考えている人もいる。
が、これもウソ。
最後の最後では、死を受容することになる。
そのときは、そうかもしれない。
しかしそれまでは、まさに気力との闘い。
その気力は、負の一次関数的に減少していくのではない。
私の想像では、(つまり今までに、いろいろな人の死を見てきた範囲では)、
気力は、ある日突然、ガクンと音をたてて消える。
つまりそれまでは、気力はある。
気力がある以上、「生きたい」という気持ちは消えない。
10代や20代の人が、「生きたい」と思う程度、あるいはそれ以上に、
「生きたい」と思う。

●喪失感

 冒頭で、喪失感について書いた。
しかし「喪失感」というのは、私はまだ経験していない。
何かにつけ、自信がなくなってきた部分はある。
電話番号にせよ、一度では覚えられないときがある。
また聞いても、不安になるから、ものに書き留める。
ミスも多くなった。
しかしそれは喪失感ではない。

 さらに肉体についてもそうだ。
温泉などに行って、自分の肉体を鏡に映してみる。
そういうとき、自分のジジイ体型に、ときとしてゾッとするときがある。
が、だからといって、若い人の体型に戻りたいとは思わない。
たいへんぜいたくな話に聞こえるかもしれないが、もし神様か何かが、
私にこう言ったとする。

「もう一度、若い時代に戻してやろうか?」と。

 たぶん、今の私なら、それを断わるだろう。
「人生は一度で、たくさん」と。
あるいは、また振り出しから、人生を歩めと言われても、それは私にはできない。
肉体というより、今、私がもっている(思想)を、そのまま若い時代に持ち込める
なら、若い時代に戻りたい。

 しかし未熟で未経験で、かつ無知であるなら、肉体だけ若くしてもらっても、
うれしくない。

 ただ誤解してほしくないのは、私たちは、一方的にものを失っていくのでは
ないということ。
得るものも、ある。
そのひとつが、生きていることのすばらしさ。
それがわかるようになる。

 目が見える。
音が聞こえる。
歩ける。
話ができる。
そういったささいなひとつずつのことが、そのまま喜びとなって返ってくる。

●死の受容段階論

 それよりも今は、「時間がない」という焦燥感のほうが、強い。
いつか書いたように、大病で、「余命は1年」と言われたような状態。
「1年」であろうが、「15年」であろうが、それほど、ちがわない。
(私はもうすぐ63歳だから、平均寿命まで、残り15年ということになる。)

 以前、キューブラー・ロスの『死の受容段階論』について書いた。
その段階論を老人論にからめて書いた。

++++++++++++++++++

その原稿をさがしてみる。
日付は20018年の10月になっている。
この原稿を書いたときは、まだ私は若かった。
今、読みなおしてみると、それがよくわかる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●キューブラー・ロスの『死の受容段階論』

 キューブラー・ロスの「死の受容段階論」は、
よく知られている。

「死」を受容する過程で、人はさまざまな反応を
示すが、それをキューブラー・ロスは段階論として
それを示した。

しかしこの「死の受容段階論」は、そのまま
「老人段階論」にあてはめることができる。

+++++++++++++++++++++

●キューブラー・ロスの「死の受容段階論」(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)

キューブラー・ロスの「死の受容段階論」について。
ロスは、死に至る過程について、つぎの5期に分けて考えた。

(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病
気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。

(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健
康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。

(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引
きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。

(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。

(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の
終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)

●私の母のばあい

私の母のばあい、ひざに故障が起きて、歩くのもままならなくなったとき、
ひどく医者をうらんだ時期があった。

「どうして治らない」「どうして治せない」と。

つぎに自分が老いていくことを許せなかった時期もあった。
たとえば温泉に行くことについても、「恥ずかしいからいやだ」と、かたくなに、
それを拒んだりした。

つぎに自分が動けなくなったことに腹をたて、私の兄に、八つ当りをしたこともある。
兄をののしり、兄を理由もなく、叱ったりした。

が、それも一巡すると、(あるいはその前後から)、ちぎり絵に没頭するようになった。
一日中、部屋にこもって、ちぎり絵をしていた。

さらにこれは、私にも信じられないことだったが、私の家に来てからは、まるで別人の
ように、静かで、おとなしくなった。

ざっと、母の様子を振り返ってみた。
が、それ以前の母はというと、ふつうの女性以上に、勝気で虚栄心が強く、わがまま
だった。

こうした母の変化を順に並べてみると、キューブラー・ロスの「死の受容段階論」に、
恐ろしいほどまでに、当てはまるのがわかる。

(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病
気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。
母は、毎日のように治療に専念するようになった。
病院通いのほか、知人、友人の勧めに応じて、いろいろな治療法を試みた。

(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健
康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。
が、治療の効果がないとわかると、一転、「どうして治らない!」と、周囲の人たちに当た
り散らすようになった。

(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引
きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。
もともと信心深い人だったが、ますます信仰にのめりこんでいった。

(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。
一日中、部屋にこもって、ちぎり絵に没頭するようになった。

(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の
終わりを静かに受け入れる。
私の家に来てからは、すべてを観念したかのように、静かに、おとなしくなった。
デイサービスなど、一度とて、それを拒否したことはない。
センター(特別養護老人ホーム)へ入居するときも、すなおに入居した。

母だけの例で、すべての老人もそうであると考えるのは、もちろん正しくない。
しかしほかの老人たちの話を聞いても、それほど、ちがっていない。
つまりキューブラー・ロスの「死の受容段階論」は、そのまま、これから先の私たち自身
の老後の姿と考えてよい。

(第1期) 否認……老人であることを否定する。「私は、まだ若い」と主張する。
(第2期) 怒り……老人扱いする周囲に怒りを覚える。「老人を大切にしない」と怒る。
(第3期) 取り引き……若い人に妥協したり、媚びを売ったりする。
(第4期) 抑うつ……身体的な症状が顕著になってくると、うつ状態になる。
(第5期) 受容……老人であることを受け入れ、死に対する心の準備を始める。

この段階論で、自己分析を試みると、私は、現在(第1期)〜(第2期)ということにな
る。
しかしこれも心の持ち方で、かなり変化する。
というのも、「老人というのは、自ら老人になるのではなく、周囲の人たちによって、老人
につくられていくから」である。
定年という制度も、そのひとつ。

同じ満60歳といっても、健康状態は、みなちがう。
肉体年齢や精神年齢にしても、そうだ。
そういう人たちを、ひとまとめにして、「定年」と決めるほうが、おかしい。
まちがっている。

55歳でヨボヨボの人もいれば、70歳でテニスのコーチをしている人もいる。
私も「あなたも定年の年齢になりましたね」と言われることくらい、不愉快なことはなか
った。
定年であるかどうか、もっと言えば、老人であるかどうかは、自分で決めること。
しかし世間全体が、大きな(波)の中で動いている。
私ひとりが、それに抵抗しても、その力は、弱い。
私もいつしか、……と書きたいが、実際には、このところ逆のパワーが強くなってきた。
「生きて、生きて、生き抜いてやる」というパワーが、大きく作用するようになった。
と、同時に、「私は老人である」という考えが、どんどんと薄れていった。

コツがある。

(1) 過去を振り返らない。
(2) 未来だけを見ていく。
(3) 他人に遠慮しない。

あえて(第1期)の否認や、(第2期)の怒りを、経験する必要はない。
身体的な不調がないわけではないが、それについては、運動で克服する。
これは私の経験だが、加齢とともに、運動量をふやすことは、とても重要なことである。
歳をとったから、運動量を減らすなどいうことをすれば、かえって老化を早めてしまう。

また「健康」といっても、3つある。

肉体の健康、精神の健康、それに脳みその健康である。

肉体の健康は、運動で。
精神の健康は、人と接することで。とくに子どもたちと接するのがよい。
また脳みその健康は、脳みそを刺激することで、それぞれ維持する。
具体的には、私夫婦は、つぎのように目標をかかげている。

(1) 1日、2単位の運動をする。
(2) 月に2回は、日帰りの旅行をする。
(3) 週に1度は、劇場で映画を見る。

「人(子ども)と接する」ことについては、私の仕事を利用させてもらっている。
最近は、ワイフも、いっしょに仕事をすることも多くなった。
さらに私のばあい、月に4〜5回の講演活動をしているが、これはたいへん脳みその刺激
によい。
会場で1〜2時間、大声でしゃべりつづけるだけでも、ボケ防止になるのでは(?)。

要するに、何もあわてて老人になることはない。
年齢という(数字)に影響を受ける必要もない。
またそんなものを気にしてはいけない。
「私は私」。
キューブラー・ロスの「死の受容段階論」は、あくまでも一般論。
何も、それに従う必要はない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi Hamamatsu 林浩司 林 浩司 教育評論家 キューブラー ロス 死
の受容段階論 死の受忍 死の受容 死を受け入れる 老後段階論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●終わりに

 つまり、今、私はそのキューブラー・ロスの段階論の過程の中にいる。
どの段階かということは言いにくい。
ばくぜんとしている。
あえて言うなら、(第1期)〜(第3期)を経て、(第4期)にさしかかっている
ということか。

 で、最後に一言。

 また私はこうして否定的なことばかり書いてきたが、実際には、闘志が消えた
わけではない。
「70歳まで現役」を心に決めた。
またそのために、「今」どうあるべきかを、考えている。

 健康、精神、そして経済。
この3つの柱をどう組み立てていくか。
それぞれが大きな課題だが、私には選択の余地はない。
闘うしかない。
闘って、闘い抜くしかない。
そのあとのことは、私にもわからない。
あるいはその過程で、何があるか、私にもわからない。
「老後を生きる」というのは、私にとっては、そういうことになる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 老後論 老後を生きる 老後の生き方)


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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老後論・前編】

【老人心理】(私流・老後の生き方)

++++++++++++++++++

「老人心理学」というのがある。
幼児には、「幼児心理学」がある。
青年には、「青年心理学」がある。
同じように、老人には、「老人心理学がある」。

しかし自分が、その戸口(doorway)に
立ってみて、ひとつ気がついたことがある。
こうした老人心理学は、若い心理学者たちに
よって書かれたものが、多いのではないかと
いうこと。
つまり老人の心理を、本当にわかっていない。
わかっていて、ものを書いているのではない。
老人の世界を、若い世代の視点から、
言うなれば、「勝手に想像して書いている」。

たとえば「喪失感」がある。
「老人心理」というと、「喪失感」が、ベースに
なっている。
たしかに喪失感は否定しがたい。
それはある。
健康にせよ、知力にせよ、人間関係にせよ、
すべてが不可逆的に、負の方向に向かい始める。
が、それがすべて「喪失感」につながるという
わけではない。

つまりどこか的をはずれている。
もっとストレートに言えば、老人の心理が、
よくわからないまま、「老人だから、喪失感が
あるだろう」という想像だけで、ものを
考えている。

そんな思いから、このエッセーを書き始めた。

+++++++++++++++++++++

●手持ちぶたさ
 
 「手持ちぶたさ」という言葉がある。
漢字では「手持無沙汰」と書く。
「なすべきこともなくて、退屈なこと。また手あきで、間(ま)の悪いこと」
(EX−Word)とある。

 「老人心理」と聞いて、私はまっさきに、この言葉を思い浮かべる。
老人になると、すべてが「手持ちぶたさ」になる。
現実にそうであるかないかということではない。
それから生まれる、「間の悪さ」。
それこそが、老人心理のベースになる。

●統合性の確立

 もちろん(なすべきこと)を確立し、その(なすべきこと)に向かって、
つき進んでいる老人もいる。
心理学的に言えば、「統合性を確立した老人」ということになる。
たとえば画家が、ライフワークとして、大作に取り組むなど。
が、そういう老人は、たいへん恵まれた老人ということになる。
むしろ例外。
現実は、きびしい。

 (なすべきこと)というのは、いわば、道楽のようなもの。
少なくとも、老後も働きつづけなければならない私には、そう見える。
年金など、もとからアテにしていない。
手にするとしても、2年後。
夫婦2人で、13万円程度。
こんな額で、何ができる?
道楽なんて、夢のまた夢。

●健康問題

 老人にとって、最大の問題は、健康問題ということになる。
その健康問題が、つぎからつぎへと起きてくる。
しかも歳を追うごとに、ピッチを速めてくる。
若いころは、年に1、2度だったものが、月に1、2度になったりする。
その上、今までに経験したことのないようなものばかり。

 で、当然のことながら、そのつど不安になる。
たとえば体に何か異変が起きたとき、まず最初に考えるのは、「以前にもあったかどうか」
ということ。
以前にも同じような症状を経験していれば、「だいじょうぶ」と自分に言って聞かせる。
が、それがないと、とたん、大きな不安感に襲われる。

●オロオロと狼狽する
 
 両親や兄弟、友の死については、それほど大きなショックはない。
「そういうもの」という覚悟ができている。
「つぎは、私」と。
その覚悟の中で、心を処理し、心を持ちなおすことができる。

 しかし自分自身の生活の変化については、そうでない。
たとえば夫や妻の死、さらには大病を患うことによる、自分自身の死の予感。
そうした「変化」については、無力でしかない。
どう立ち向かったらよいのか、その糸口すら、見つからない。

 「たぶん、オロオロと狼狽するだけだろうな」と。
そこまで考えたところで、あとは思考がそのまま停止してしまう。

●流れ

 これはあくまでも私のばあいだが、私は「流れ」が止まるのが、なによりも
怖い。
たとえば「仕事」。
仕事がほしいわけではない。
しかし仕事から得られる、「流れ」が止まるのが、怖い。
もちろん(お金の流れ)もある。
がそれ以上に重要なのは、それにまつわる(人間関係)。
さらに言えば、(緊張感)。
それが止まるのが、怖い。

●宣伝

 そんなこともあって、昨年、私ははじめて、教室の宣伝を、新聞に載せてもらった。
私は今の仕事を始めてからというもの、宣伝なるものをしたことがない。
口コミだけで、仕事を維持してきた。
それに教室経営だけが、私の仕事ではなかった。

 が、数年前から、先細り感を覚えるようになった。
少子化、不景気、競争の激化などなど。
加えて、私自身の体力的、気力的な限界も感ずるようになった。
若い母親にしても、ジーチャン先生よりは、若いハツラツとした先生のほうがよい。
生徒数の減少が始まった。

 が、これは簡単な一次関数で示される。
負の一次関数である。
「あと3、4年はよいとしても、5年は無理だろうな」と。
そこで昨年から、宣伝を始めた。

●「先」 

 一方、私は自分の仕事を限定するようになった。
若いころは、何でもした。
その(何でもする)という意欲が、今は、ほとんど、ない。
意味のある仕事と、そうでない仕事を峻別(しゅんべつ)するようになった。
たとえば今、仮にサラリーマン生活をせよと言われても、私にはできない。
その虚(むな)しさを、いやというほど、味わっている。
つまり、「先」がない。

 いまさら、どこかの会社の課長や、部長をめざして、何になる?
そういう思いが、自分の進む道をふさいでしまう。

●絶望感

 こう書くからといって、私の息子たちを責めるのではない。
私の息子たちは、ひょとしたら、平均的な若者よりも、ずっとやさしい心をもっている。
思いやりも深く、思慮も深い。
で、私は、そういう息子に、少なからず、淡い期待を抱いていた。
「いつか、私の友として、そばにいてくれるようになるだろう」と。

 そのために、たとえば学費や生活費は、惜しみなく、与えてきた。
息子たちが請求してくる金額を、減らしたとか、送金を遅らせたことは、一度もない。
が、やがて私は知った。
そんな息子たちでも、将来、私やワイフのめんどうをみる気は、まったくない、と。
それを知ったとき、私ははげしい絶望感を覚えた。
息子たちを責める前に、親バカだった、自分を責めた。
自分のお金は、自分の老後のために、残しておくべきだった!

●孝行論

 私たちの時代には、「孝行論」は、常識だった。
それを疑う者はいなかった。
たとえば私は、結婚する前から、収入の約半分は、実家へ仕送りしていた。
私はそれが当然と考えていた。
みな、同じようなことをしていた。

 が、その経済的負担感というよりは、社会的重圧感には相当なものがあった。
「子は〜〜すべき」という、『ベキ論』が、そのつど私を押しつぶした。
一方、親からは、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と、
それこそ耳にタコができるほど、聞かされつづけた。

 だから……その反動もあったと思うが、私は、自分の息子たちには、そういう
思いをさせたくなかった。
とくに社会的重圧感については、そうだった。
「お前たちの人生は、お前たちのもの」を、常に言ってきかせていた。
しかしこの考え方は、日本という国の現実からは、あまりにもかけ離れていた。

●日本の現状

 この先、日本人のうち3〜4人に1人が、後期高齢者になる。
1人の老人を、2〜3人の働き手(現役労働者)が支えることになる。
しかしそんなことは、実際には、不可能。
推計によれば、私たちの世代は、60%が独居老人となり、孤独死を
迎えることになる。
死後、発見されるまでの平均日数は、1週間。

 そこで今、声高に言われるようになったのは、若い世代との同居。
それも無理なら、「呼び寄せ老人は好ましい」と。
つまり何かあったら、息子や娘たちをすぐ呼び寄せられる距離に住む、と。

 つまり日本の現状と、私が説く理想論との間には、距離がある。
日本は、まだそこまで成熟していない。

●自己否定

 私はときどき、考える。
「私たちの世代は、いったい、何だったのか?」と。
親に取られ、子どもたちに取られ……。
で、感謝されているかといえば、それはない。
親にしても、子どもたちにしても、それは「当然」と考えている。
それ故に私たちの世代を称して、『両取られの世代』という。

 今では、子どもの学費どころか、社会へ出るときの支度金、結婚費用、
新居費用などなど、親が負担する。
孫の養育費を負担している親(祖父母)もいる。
さらに息子や娘が、孫を連れて盆暮れに帰ってくるとき、その旅費や費用を負担
している親(祖父母)さえいる。
そういう現実を見せつけられると、「では、いったい、私たちは何だったのか」と、
いうことになる。

 が、それを考えることは、恐ろしいことでもある。
そのまま自己否定につながってしまう。

●自己否定

 孝行論は、否定すべきもの。
また孝行論で、子どもを縛ってはいけない。
その考え方は、今でも、変わっていない。
しかし日本の現状を考えると、また若者たちの意識を考えると、それを言い切るのは
危険なことでもある。
皮肉なことに、「将来、親のめんどうをみる」と考えている日本人の若者は、アメリカ人
よりも少ない。

 それについても原稿を書いたことがある。

++++++++++++++++++++

【親バカ論】

●就職率50%

 大不況。
目下、進行中。
大卒の就職率も、50〜60%とか。
事務所の隣人は、個人でリクルートの会社を経営している。
その隣人が、こう言った。

「実感としては、50%前後ではないですかね?」と。
つまり大卒のうち、2人に1人しか、就職できない。
きびしい!

 浜松市といえば、昔から工業都市として知られている。
HONDA、SUZUKI、YAMAHAなどの各社は、この浜松市で生まれた。
その浜松市でも、「50%」!

●親、貧乏盛り

 『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた諺(ことわざ)である。
それについては、何度も書いてきた。

 で、子どもを大学へ送ることは、得か損かという計算をしてみる。
・・・といっても、学部によって、大きく、異なる。
医学部のばあい、勤務医になれば、勤務後2〜3年目には、年収は2000万円を超える。
開業医になれば、月収は500万円を超える。
(月収だぞ!)

 一方、文科系の学部のばあい、学費も安いが、その分、学歴も、ティシュペーパーのよ
うに軽い。
英文学部にしても、高校の教科書より簡単なテキストで勉強しているところは、いくらで
もある。
そんな学部を出ても、実際には、何ら、役に立たない。

 全体としてみると、それなりの資格のともなった学歴であれば、得。
資格をともなわない、ただの学歴であれば、損。
その結果、就職率50%ということになれば、何のための苦労だったのかということにな
る。

●3人に1人が、高齢者

 3人に1人が、高齢者。
そんな時代が、すぐそこまでやってきている。
現在、40歳以上の人は、老後になっても、満足な介護は受けられないと知るべし。
実際には、不可能。

 となると、自分の老後は、自分でみるしかない。
つまりそれだけの蓄(たくわ)えを用意するしかない。
で、たいていの人は、「自分の子どもがめんどうをみてくれる」と考えている。
が、今、あなたが高齢になった親のめんどうをみていないように、あなたの子どもも、ま
たあなたのめんどうをみない。

60%近い若者たちは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
(この数字とて、ほぼ10年前の数字。)
実際には、みな、目一杯の生活をしている。
経済的に余裕のある人など、いない。
若い世代では、さらにいない。

●親バカ

 こうして順に考えていくと、子どもに学費をかけることが、いかに無駄かがわかってく
る。
あえて言うなら、子どもを遊ばせるために、その遊興費を提供するようなもの。
が、何よりも悲劇なのは、そのためにする親の苦労など、今時の大学生にじゃ通じない。
当たり前。
「電話をかけてくるのは、お金がほしいときだけ」というのは、親たちの共通した認識で
ある。

むしろ逆に、(してくれないこと)を、怒る。
「みなは、毎月20万円、送金してもらっている」
「どうして結婚の支度金を出してくれないのか」と。
保護、依存の関係も行き過ぎると、そうなる。
保護される側(子ども)は、保護されて当然と考える。
一方、保護するほうは、一度、そういう関係ができてしまうと、簡単には、それを崩すわ
けにはいかない。
罪の意識(?)が先に立ってしまう。

 どこか一方的な、つまり否定的な意見に聞こえるかもしれないが、こうして世の親たち
は、みな、つぎつぎと親バカになっていく。

●老後の用意

 しかし私たちの老後は、さみしい。
蓄(たくわ)えも乏しい。
社会保障制度も、立派なのは、一部の施設だけ。
3人のうちの1人が老人という世界で、手厚い介護など、期待する方がおかしい。
となると、自分の息子や娘たちに、となる。
しかし肝心の息子や娘たちには、その意識はまるでない。

 ある友人は、こう言った。
「うちの息子夫婦なんか、結婚して3年目になるが、嫁さんなど、来ても、家事はいっさ
い手伝わない。いつもお客様だよ」と。
別の友人もこう言った。
その友人の趣味は魚釣り。
そこで釣ってきた魚を、嫁に料理をさせようとしたら、こう言ったという。
「キモ〜イ、こんなこと、私にさせるのオ?」と。

 この話をワイフにすると、ワイフもこう言った。
「私の友だちのSさんなんかね、長男は、歩いて数分のところに住んでいるだけどね、毎
週、実家へ子どもたちを連れて夕食を食べに来るんだってエ」と。

 で、私が、「食費はだれが出すの?」と聞くと、「もちろん友だちのSさんよ。長男たち
は、それで食費を浮かせようとしているのね」と。
さらに「料理は、だれがするの?」と聞くと、「Sさんよ。嫁さんは、デンと座っているだ
けだそうよ。たまに食器は洗ってくれるそうよ。でもそれだけ」と。

 私が「ヘエ〜〜」と驚いていると、さらにワイフは、驚くべきことを口にした。
「それでいて、長男は、親のめんどうをみているのは自分と、思いこんでいるみたいね」
と。

私「親のめんどう・・・?」
ワ「そうよ。弟夫婦たちが実家へ来ると、兄貴風を吹かして、弟夫婦に、『お前たちも、と
きには、親のめんどうをみろ』って言ってるんだってエ」
私「あきれるね」
ワ「そうね。孫の顔を見せるだけでも、ありがたく思えというところかしら」と。

●何かおかしい?

 何か、おかしい。
何か、まちがっている。
しかし今は、そういう時代と思って、その上でものを考えるしかない。
子どもたちというより、その上の親たちが、そういう世代になっている。
その親たちに向かって、「子育てとは・・・」と説いても、意味はない。
言うなれば、ドラ息子、ドラ娘になりきった親たちに向かって、ドラ息子論、ドラ娘論を
説くようなもの。
意味はない。

 言い換えると、私たち自身が、「甘えの構造」から脱却するしかない。
「子どもたちに依存したい」「依存できるかもしれない」「子どもたちが世話をしてくれる
かもしれない」と。
そういう(甘え)から、脱却するしかない。
さらに言えば、「私たちの老後には、息子や娘はいない」。
そういう前提で、自分たちの老後を考える。

●私のケース

 私の息子たちが特殊というわけではない。
見た目には、ごく平均的な息子たちである。
中身も、ごく平均的な息子たちである。
だからこう書くといって、息子たちを責めているわけではない。
しかしときどき会話をしながら、その中に、「老後の親たちのめんどうをみる」という発想
が、まったくないのには、驚く。
まったく、ない。
むしろ逆。
こう言う。

「相手の親(=嫁の親)は、〜〜してくれた」「どうしてパパ(=私)は、してくれないの
か?」と。
「パパは、仕事ばかりして、ぼくたちのことを構ってくれなかった」とも。

 息子夫婦にしても、「家族」というのは、自分と自分たちの子どもを中心とした(親子関
係)をいう。

目が下ばかり向いている。
が、それはそれでしかたのないこと。
息子たちは息子たちで、自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
私たち夫婦だって、そうだった。
が、それでも、お・か・し・い。

●満62歳にして完成

 ・・・こうして親は、子離れを成しとげる。
(甘え)を、自分の心の中から、断ち切る。
そして一個の独立した人間として、自分の老後を考える。

 というのも、私たちの世代は、まさに「両取られの世代」。
親にむしり取られ、子どもたちにむしり取られる。
最近の若い人たちに、「ぼくたちは、収入の半分を実家に送っていた」と話しても、理解で
きないだろう。
それが当たり前だった時代に、私たちは、生まれ育った。

 が、今は、それが逆転した。
今では子どもの、その子ども(つまり孫)の養育費まで、親(つまり祖父母)が援助する。
それが親(つまり祖父母)ということになっている。

 が、そこまでしてはいけない。
このあたりでブレーキをかける。
かけなければ、この日本は、本当に狂ってしまう。
(すでに狂いぱなし、狂っているが・・・。)

 少し前も、私は「車がほしい」というから、息子に、現金を渡してしまった。
それで私たちは、H社のハイブリッドカーを買うつもりだった。
それについて、まずオーストラリアの友人が、「渡してはだめだ」と忠告してくれた。
義兄も、「ぜったいに、そんなことをしてはだめだ」と言った。
「息子のほうが、今までのお礼にと、新車を買ってくれるという話ならわかるが、逆だ」
と。

 私も親バカだった。
息子たちに怒れるというよりは、自分に怒れた。
心底、自分に怒れた。
何日か眠れない日がつづいた。
が、それが終わると、私の心はさっぱりとしていた。
息子たちの姿が、心の中から消えていた。
はやし浩司、満62歳にして、子離れ完成、と。

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言って笑った。
「あなたも、やっと気がついたのね」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子離れ 親離れ 依存性 甘えの構造 甘え 子どもへの依存性 老
後 はやし浩司 親バカ論)

●親バカにならないための10か条

(1)必要なことはしろ。しかしやり過ぎるな。
(2)求めてきたら、与えろ。先回りして与えるな。
(3)一度は、頭をさげさせろ。「お願いします」と言わせろ。
(4)子どもに期待するな。甘えるな。
(5)親は親で、自分の人生を生きろ。子どもに依存するな。
(6)社会人になったら、現金は、1円も渡すな。
(7)嫁や婿の機嫌を取るな。嫌われて当然と思え。
(8)自分の老後を冷静にみろ。無駄な出費をするな。
(9)遺産は残すな。自分たちで使ってしまえ。
(10)少なくとも子どもが高校生になるころには、子離れを完成させろ。

++++++++++++++++++++

●現状

 現状をみるなら、都会の大学へ子どもを送り出すことは、できるならやめたほうがよい。
非公式な調査だが、地方の両親のもとに帰ってくる、あるいは「呼び寄せられる距離」に
戻ってくる若者は、まず、いない。

 また息子や娘が大学生になるころ、親は、まさに貧乏盛り。
それこそ爪に灯をともすようにして、学費を工面する。
が、やっと送金から解放されたと思ったら、そこに待っているのは、「老後」。
企業年金や共済年金のある人は、まだよい。
しかし私たちのように、国民年金しかない人間は、どうしたらよいのか。

 息子や娘たちには負担をかけたくない。
めんどうや迷惑をかけたくない。
その気持ちは、私にもある。
しかしこの(現実)を乗り越え、「死」を迎えるためには、どうしたらよいのか。
いや、お金だけの問題ではない。
老人には、もうひとつ、重大な問題がある。
それが「孤独」との闘いである。

●孤独

 孤独の恐ろしさは、あのイエス・キリストも経験している(マザー・テレサ)。
それについての原稿も書いたことがある。

+++++++++++++++++++++

●真理と孤独



 キリストや釈迦は、多くの人を救った。しかしキリストや釈迦自身は、どうだったか? 
救われたか? もっと言えば、孤独ではなかったか?※



 キリストにも釈迦にも、弟子はいた。しかし師と弟子の関係は、あくまでも師と弟子の
関係。
師は、あくまでも智慧(ちえ)を与える人。弟子は、あくまでもその智慧を受け取る人。
弟子たちはそれでよいとしても、師であるキリストや釈迦は、どうだったのか? それで
よかったのか?



 真理の荒野をひとりで歩くことは、それ自体は、スリリングで楽しい。しかし同時に、
それは孤独な世界でもある。(私が求めている真理など、真理ではないかもしれないが、そ
れでもそう感ずることがよくある。)とくに、現実の世界に引き戻されたとき、その孤独を
強く感ずる。「人生は……」などと考えていたところへ、幼児がやってきて、「先生、ママ
がいなア〜イ」と。



 そこで心の調整をしなければならないが、私のばあい、思索の世界から離れたときは、
その反動からか、今度は極端に、バカになる。バカになって、心の緊張感を解く。孤独か
ら離れる。もしあなたが、私の近くへやってきて、私を知ったら、私のことを、ひょうき
んで、おもしろい男だと思うだろう。私は子どものみならず、おとなに対しても、笑わせ
名人で、いつも周囲の人たちをゲラゲラ笑わせている。私のワイフですら、「あんたといる
と、退屈しない」と言っている。昨夜も寝るまで、ワイフを笑わせてやった。



 が、反対に、そういう外での私しか知らない人は、私の作品を読んだりすると、「これ、
本当にあなたの文ですか?」と聞いたりする。そこまではっきりと言わないまでも、驚く
人は多い。「あの『はやし浩司』って、あなたのことでしたか?」と言った人もいる。



 が、キリストや釈迦は、そうではない。あるいはひょっとしたら、ひょうきんで、おも
しろい人だったかもしれないが、そういう話は、伝わっていない。……となると、やはり、
キリストや釈迦は、どうやって、孤独と戦ったかということになる。ふつうなら……とい
う言い方はしてはいけないのだろうが、しかしふつうなら、何らかの形で自分の心をいや
さないと、とても孤独には、耐えられない。



 もっともキリストにせよ、釈迦にせよ、私たちをはるかに超越した世界に住んでいたの
だから、孤独ということはなかったかもしれない。……となると、また別の問題が生まれ
てくる。



 もし、仮に、だ。もし、あなたが、ある惑星に落とされたとする。そしてその惑星は、
サルの惑星で、サルたちが、サルのまま、野蛮な生活をしていたとする。一方、あなたに
は、知性がある。言葉もある。道徳も、倫理もある。もしあなたがそういう世界に落とさ
れたとしたら、あなたはどうなるだろうか。あなたは神や仏のように祭られるだろう。し
かしあなたはその世界がもつ、孤独に耐えられるだろうか。もう少しわかりやすい例で考
えてみよう。



 幼児教育をしていて、ゆいいつ、つまらないと思うのは、いくら幼児と接しても、私と
幼児の間には、人間関係が生まれないということ。この点、大学生や高校生を教える先生
は、うらやましい。教えながら、人間対人間の関係になる。そこから人間関係が生まれる。
が、幼児教育には、それがない。で、そういう幼児だけの世界にいると、ときどき、言い
ようのない孤独感に襲われるときがある。私が考えていることの、数千分の一も、子ども
たちには伝わらない。説明してあげようと思うときもあるが、あまりの「へだたり」に、
呆然(ぼうぜん)とする。



 つまり、人は、その世界を超越すればするほど、その分だけ、孤独になる? キリスト
や釈迦のような「人」であれば、なおさらだ。となると、話は、また振りだしに戻ってし
まう。「キリストや釈迦は、多くの人を救った。しかしキリストや釈迦自身は、どうだった
か? 救われたか? もっと言えば、孤独ではなかったか?」と。



 もちろんキリストや釈迦を、私たちと同列に置くことはできない。本当にそうであった
かどうかは、私にはわからないが、彼らは真理に到達した「人」たちである。もしそうな
ら、その時点で、孤独からは解放され、その時点で、さらに真の自由を手に入れていたこ
とになる。あるいは、キリストや釈迦は、私たちが考えもつかないような世界で、もっと
別の考え方をしていたのかもしれない。



 考えていくと、この問題は、結局は、私自身の問題ということになる。真理などという
のは、簡単に見つかるものではない。恐らく私が、何百年も生き、そして考えつづけたと
しても、見つからないだろう。もしそうであるとするなら、私はその真理に到達するまで、
つまり死ぬまで、その一方で、この孤独と戦わねばならない。



もちろん、キリストや釈迦のように、真理に到達すれば、あらゆる孤独から解放されるの
だろう。が、そうでないとしたら、一生、解放されることはない? しかも、だ。皮肉な
ことに、真理に近づけば近づくほど、ほかの人たちからの孤立感が大きくなり、そしてそ
の分だけ、孤独感はますます強くなる?



 そういう意味で、真理と孤独は、密接に関連している。紙にたとえて言うなら、表と裏
の関係といってもよい。世界の賢者たちも、この二つの問題で、頭を悩ました。いくつか
をひろってみよう。



●この世の中で、いちばん強い人間とは、孤独で、ただひとり立つ者なのだ。(イプセン「民
衆の敵」)

●われは孤独である。われは自由である。わらは、われ自らの王である。(カント「断片」)

●つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるる方なく、ただ一人(ひとり)あるのみ
こそよけれ。(吉田兼好「徒然草」)

●孤独はすぐれた精神の持ち主の運命である。(ショーペンハウエル「幸福のための警句」)

●人はひとりぼっちで死ぬ。だから、ひとりぼっちであるかのごとく行為すべき。(パスカ
ル「パンセ」)



 簡単に「孤独」と言うが、孤独がもつ問題は、そういう意味でも、かぎりなく大きい。
人生における最大のテーマと言ってもよい。そうそうあの佐藤春夫(一八九二〜一九六四、
詩人・作家)は、こう書いている。『神は人間に孤独を与へた。然も同時に人間に孤独では
ゐられない性質も与へた』と。この言葉のもつ意味は、重い。



※マザーテレサの言葉より……



●孤独論



 孤独は、あらゆる人が共通してもつ、人生、最大の問題といってよい。だからもしあな
たが今、孤独だからといって、それを恥じることはない。隠すこともない。大切なことは、
その孤独と、いかにうまく共存するかということ。さあ、あなたも声を出して叫んでみよ
う。「私はさみしい」と。マザーテレサは、つぎのように語っている。



 訳はかなりラフにつけたので、必要な方は、原文をもとに、自分で訳してほしい。



When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the hunger for 
bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself experienced this 
loneliness. He came amongst his own and his own received him not, and it hurt himthen 
and it has kept on hurting him. The same hunger, the same loneliness, the same having 
no one to be accepted by and to be loved and wanted by. Every human being in 
that case resembles Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real 
hunger. 



キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼は、ただ食物
としてのパンを求める空腹を意味したのではなかった。彼は、愛されることの空腹を意味
した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまりだれにも受け入れられず、だれにも
愛されず、だれにも求められないという、孤独を、である。彼自身も、孤独になった。そ
してそのことが彼をキズつけ、それからもキズつけつづけた。どんな人も孤独という点で
は、キリストに似ている。孤独は、もっともきびしい、つまりは、真の空腹ということに
なる。

+++++++++++++++++++++

つづきは次号へ!

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●病気は、うしろからやってくる

++++++++++++++++++

病気は、前からやってこない。
うしろからやってくる。
うしろから、ある日突然やってきて、
あなたの肩を叩く。

先日、Oさん(60歳、現在
血液のがんで闘病中)が、そう
教えてくれた。

++++++++++++++++++

●無理

 昨日は、忙しかった。
目が回るほど、忙しかった。
で、そのままの状態で、K町まで。
K町で講演をした。

調子はよくなかった。
ときどき自分で話していることが、宙を舞った。
口だけが勝手に動くという状態になった。

で、そのまま浜松へ戻ってきた。
2つの教室をこなした。
が、2つとも、親たちが参観に来ていた。

●参観

 慣れたとはいえ、参観レッスンは、疲れる。
親の視線を感ずるから、疲れるのではない。
子どもたちの、(でき・ふでき)を隠すために、神経をすり減らす。
小さな教室である。
子どもたちの、(でき・ふでき)が、そのまま親たちにわかってしまう。
つまりプライバシーが、筒抜けになってしまう。
それが神経をすり減らす。

 中には、参観レッスンがいやで、教室への入会を断わってきたり、
またやめていく親もいる。
ふつうは、こうした学習性の強い教室では、親の参観を許可していない。
とくに幼児教室はそうで、参観を許している教室は、私が知るかぎり、ない。
ここにも書いたように、子どものプライバシーが守れない。
親たちは、いつも他人の子どもと比較しながら、自分の子どもを見る。
「あの子はできる」「この子はできない」と。

●夕食

 遅い夕食を、ワイフと食べた。
レストランで食べた。
本来なら、そのころ、睡魔が襲ってくるはず。
事実、講演からの帰りの電車の中では、眠っていた。
が、そのレストランで、濃いお茶を、2杯飲んだのがよくなかった。
睡魔を押し殺し、脳みそが覚醒状態になってしまった。

 その状態は、夜10時ごろまでつづいた。
私は、日本対デンマーク戦の録画放送を観ていた。
W杯で、日本は、そのデンマーク戦に、3対1で勝った。
やや興奮した。

 で、そのとき古い印刷機が気になった。
重さが30〜40キロもある大型のものである。
その印刷機を現在、解体している。

●虚血性難聴

 ワイフに、「解体しようか?」と声をかけた。
ワイフは、さっそくドライバーをさがし始めた。
そのときのこと。
今の座卓から立ち上がったとたん、軽いめまいがした。
同時に、耳がポンと塞がったような感じになった。
自分でもそれがわかったとたん、耳が聞こえなくなった。

 ぞっとするような恐怖感と不安感。
その2つが同時に、私を襲った。
「耳が聞こえない……」と言うと、ワイフの顔からも血の気が引いていくのが、
わかった。
私は左耳の聴力を失っている。
突発性難聴というのになって、もう20年以上になる。
もし右耳が……。
その右耳が、聞こえなかった。

●薬

 印刷機の解体は、ネジを10本ほど抜いたところで、やめた。
やめて居間へ行き、耳鼻科で以前くれた薬をのんだ。
血流促進剤と神経増進剤。
風邪かもしれないということで、葛根湯とビタミンC(アスコルビン酸の粉末)も、
たてつづけにのんだ。

 そのまますぐ布団の中に。
扇風機の風が、かえって不愉快。
扇風機を止めた。
止めて、枕元にあった、精神安定剤と睡眠促進剤をのんだ。
不安感と動悸
眠れそうになかった。

 ワイフは、私をやさしく抱いてくれた。
こう言った。
「私があなたの代わりに耳になってあげるから……」と。
私はワイフの胸に顔を埋めた。
うれしかった。
涙が一筋、流れた。

●音

 このところ、講演つづきで、あちこちを回っている。
つづく翌日、つまり今日も、愛知県のC市で、講演をすることになっている。
朝、起きたとき、まず自分の声を出してみた。
つづいて掛け時計の音に、耳を澄ましてみた。

 聞こえた!
 うれしかった!

 そう言えば、義兄もこのところ、ときどき視野が消えてしまうことがあるという。
突然、目が見えなくなるという。
義兄は、今年77歳。
軽い脳梗塞も経験している。
「一過性……」とか、「虚血性……」とか言っていた。
目と耳のちがい。
症状からすると、よく似ている。
私のも、一過性の虚血性難聴だったかもしれない。
そんな病名があるのかあと考えているうちに、眠ってしまった。

 そう、昨日は、忙しかった。
忙しいだけならともかくも、神経をつかった。
ストレスも重なった。
それが災いした(?)。

●病気はうしろから

 「病気は、前からやってこない。
うしろからやってくる。
うしろからある日突然やってきて、あなたの肩を叩く」と。

先日、Oさん(60歳、現在血液のがんで闘病中)が、そう教えてくれた。
そう、まさにそのとおり。

 前からやってくれば、それを避けることもできる。
が、うしろから襲われたら、避けようがない。
つまりこの問題は、「油断」の問題。
これからは、その油断ができない。
無茶ができない。

 よい経験をしたとは思わない。
しかしこれからは、そういう「敵」にも、注意しなければならない。

 「こうして人は、少しずつ、死に向かって行くんだね」とワイフに話した。
ワイフは、黙ったまま、私を胸に抱いてくれた。
その温もりが、今も私の体を包んでいる。

 今日は、注意しよう。
無理をしないでおこう。

 ……これからC市まで行ってくる。
時刻は、朝、6時半。
幸い、冷気を感ずるほど、今朝は涼しい。
これなら何とか、今日は、やりこなせそう……。

 みなさん、おはようございます。
どうか、お体を大切に!

2010年6月26日

(父母の方へ)

 これからは、待合い的な参観は、できるだけ、お断りすることにしました。
お子さんに何か問題があって、その問題を解決するための参観は、よいのですが、
そうでない参観……つまりここでいう「待合い的な参観」については、お断り
することにしました。

 レッスンの様子は、YOUTUBEで公開しています。
どうかそちらのほうで、ご覧になってください。
とうとうというか、ついに、私も、無理ができない年齢になってしまいました。
よろしくご理解ください。

はやし浩司

Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●腐る心(Rotten Mind)

++++++++++++++

平凡は美徳だが、平凡が
よどむと、心が腐る。
腐って、平常心や常識を見失う。
偏(かたよ)った、ものの考え方を
するようになる。
ひどいばあいには、何かの
精神病を病むこともある。 

それを防ぐには、社会や人との
かかわりを切らないこと。
生活に緊張感をもちこみ、
適度なストレスを楽しむこと。

++++++++++++++

●環境と心

 若いころ、オーストラリアの大牧場に住んでいるような知人が、
うつ病になったと聞いた。
私はそれを知って、心底、驚いた。
「ああした大平原に住んでいるような人が、どうして?」と。

 最近でも、オーストラリアの友人がこう話してくれた。
「今、牧場主の自殺がふえている」と。
これについても、「どうして?」と考えたところで、思考が停止して
しまう。

 都会の雑踏の中に住んでいる人が、心を病んだり、自殺に追い込まれる
という話なら、まだ理解できる。
常識的に考えても、そのほうが、筋道が立つ。
しかし実際には、……というより、環境とその人の心の問題とは、
関係ない。

●内発的ストレス

 ストレスにも、2種類ある。
外圧的ストレスと、内発的ストレスである。
(ふつうは、善玉ストレスと、悪玉ストレスに分ける。
私は、外圧的ストレスと、内発的ストレスに分ける。)

 外圧的ストレスというのは、たとえば仕事などに追われる
ことによって、外の世界から自分に加えられるストレスをいう。
これに対して内発的ストレスというのは、心に何か問題があって、
心の内部から発せられるストレスをいう。
たとえば「こだわり」。

 こだわりが強くなると、ささいな問題を気にして、悶々とそれについて
悩んだりする。
それがストレッサーとなって、その人を内側から、苦しめる。
取り越し苦労や、ヌカ喜び。
それを繰り返しながら、徐々に、心が腐っていく。

要は心の持ち方しだいということになる。
が、それをうまく処理できれば、それでよし。
そうでなければ、いくらすばらしい環境に身を置いていても、うつ病に
なる。
なる人は、なる。

●老後

 たいへんよく誤解されるが、年金生活は、けっして理想の生活ではない。
「悠々自適の年金生活」という言葉も、よく聞く。
「老後は、孫のめんどうと、庭いじり」と。
しかし「遊べ」「遊べ」と言われても、そう遊べるものではない。
私の年齢になると、遊べば遊ぶほど、そのあとに空しさが残る。
「だからそれがどうしたの?」と。

 そこで適度な緊張感ということになる。
そういう意味では、善玉ストレスは、生活に緊張感を与える。
が、その緊張感こそが、重要。
人間の心は、ゴムのようなもの。
一度緩(ゆる)んでしまうと、元に戻すのは、たいへん難しい。
若いころなら、気力で、元に戻すことができるが、歳を取ると、
それがむずかしい。
元に戻そうとする気力そのものが、弱る。

 実際、定年退職後、ほんの半年〜1年、ブランクができただけで、
仕事に復帰できないまま、一生を終える少なくない。

●非常識

 で、心が腐ると、〜〜病という病名こそつかなくても、とんでもない
ことをし始める。
そういう人は、少なくない。
ある男性(75歳)くらいは、隣の家に放火するようなことまでしている。
もっとも本気で放火したというよりは、放火したところで、あわてて火を
消した。

 あるいはパチンコを買ってきて、近所の家の窓ガラスに穴をあけた
男性(80歳くらい)もいた。
で、その男性のばあい、自分が疑われるのを避けるため、自分の家の
窓ガラスにも、穴をあけた。

 さらに陰湿なことをする男性(75歳くらい)もいた。
その男性は、自宅の裏で、マムシを飼っていた。
古いバスタブをどこかでもらってきて、その中で飼っていた。
餌は生きたカエル。
そのため、その近所では、ときどきマムシが出る。
開けた団地で、水気のほとんどないところである。
その近所の人たちは、その男性がマムシをばらまいているらしいと
うわさしている。

 そういうことが平気でできる人のことを、「心の腐った人」という。

●粗大ゴミ

 退職というのは、読んで字のごとく、「仕事から退く」ことをいう。
が、仕事というより、中身。
つまり「生きがい」。
その「生きがい」から遠ざかる。

しかしその時点で、退職の仕方をまちがえると、そのまま心を腐らせて
しまう。
本人はそれでよいとしても、それによって、周囲の人たちが、迷惑する。
ある妻は、こう言った。

「夫が退職してからというもの、私は毎日、家を出ています」と。
夫とは、いっしょに暮らせないということらしい。
「夫は、毎日、家の中でゴロゴロしています。
そんな夫を見ていると、息が詰まります」と。

 粗大ごみとなるか。
粗大ごみとなって、家族に疎(うと)んじられるか。
それでもよければ、話は別。
しかしそれによって本当につらい思いをするのは、本人。

●私のばあい

 私のばあいも、正月など、10日間も休みがつづいたりすると、
心が腐っていくのが、自分でもよくわかる。
あるいは休みが終わって、仕事に復帰するとき、心を調整するのに、
かなり苦労する。
もちろん体も鈍(なま)る。
いつもなら自転車でスイスイと登れる坂も、登れなくなったりする。
文章にしても、1週間も書かないでいたりすると、勘が鈍ってしまう。
だからいつもこう思う。
「休みは、2日でじゅうぶん」と。

 それに一日中、ワイフと顔をつきあわせていると、ささいなことで
口論になったりする。
ワイフにしても、そういう私を、疎ましく思うかもしれない。

●流水は腐らず

 心は、言うなれば、流れる水のようなもの。
東洋医学でも、『流水は腐らず』という。
これは肉体の健康法を言ったものだが、心の健康法としても、正しい。
(東洋医学では、肉体の健康と心の健康を区別しない。
両者は一体したものと、とらえる。)

 そこで重要なことは、どう生活の中で、その「流水」を作るかという
こと。
それが冒頭に書いた、社会や人とのかかわりを切らないこと、
生活に緊張感をもちこみ、適度なストレスを楽しむことということになる。

●幼児との接触

 実は、心を腐らせないための、もうひとつの方法がある。
たぶんに手前味噌的で申し訳ないが、幼児と接すること。
幼児のもつ、あの純粋なエネルギーに接すること。
このことは、自分の心が腐り始めたとき、幼児に接してみると、
よくわかる。
幼児に接したとたん、不純物がそのままきれいに洗い流されてしまう。
私はそういう経験を、毎日のようにしている。
(だからといって、私が純粋というわけではないが……。)

 一方、おとなの世界にはおとなの世界独特の腐臭が漂っている。
その世界だけにいる人には、それがわからないかもしれない。
「腐臭」である。

 もう10年ほど前のことだが、山荘の隣に住んでいる女性(当時
50歳くらい)が、こう言った。
そのとき何かの用事で、浜松市内のホテルに泊まったらしい。
それについて、「臭くて、眠れませんでした」と。

 町には町の独特の「臭い」があるらしい。
それが臭くて、眠れなかった、と。
つまり私には、その「腐臭」がわかる。
が、わからない人には、それがわからない。

●今日も始まった(2010年6月27日)

 心も腐る。
野菜や果物のように、腐る。
腐って、腐臭を放つようになる。
心というのは、そういうもの。
またそういう前提で、心を考える。

 それを防ぐためには、キリスト教徒や仏教徒の人たちがしているように、
教会や勤行に通うという方法もある。
しかしそれ以上に大切なことは、やはり「日々の精進」あるのみ。
いつも前向きに、チャレンジしていく。
つまり自分自身を、「流れ」の中に置く。
健康法と同じで、立ち止まったとたん、そこを頂点に、あとは下り坂に向かう。

 ……ということで、今日も始まった。
で、とりあえず、すべきこと。

(1)マガジン7月号の発行(13回分)。
(2)総原稿集の編集。
(3)インターネットストーレッジへのUPLOAD。
(4)7月号のマガジンを、同じく、インターネットストーレッジにUPLOAD。

 午後からは、山荘周辺の草刈り。
が、これは天気しだい。

 みなさん、おはようございます。
昨夜は、午後8時ごろ就寝。
11時間、たっぷりと睡眠時間をとった。
おかげで、今朝は、気分爽快!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●明日もがんばろう!

●ウォーキング・マシン

 今朝は8時ごろまで眠った。
よく眠った。
夢を見ていたが、目を覚ますと同時に、忘れた。
どんな夢だったか?
……どうしても思い出せない……。

 で、このところ起き上がった直後、足がもたつくようになった。
自分の意思どおりに、動かない。
足腰が、しばらくかたまったような状態になる。
足の裏が痛いときもある。

 居間へ入ると、そのままウォーキング・マシンへ。
電源を入れて、マシンを回す。
血圧が低いこともあって、脳みそはまだ半分眠ったまま。
ハンドルを握りながら、モタモタと足を動かす。

●眠気

 今週は、雨つづき。
運動不足。
昨日、近くの温泉で体重を量ったら、63キロ。
2キロ、オーバー。
ウォーキング・マシンの上で歩く程度では、有酸素運動にはならない。
20分ほど歩いて、やっと眠気が取れるかなという程度。
その前に足の裏が熱くなる。
熱くなって、やめる。

 で、今朝も20分。
そのあと今度は、乗馬マシン。
その上でユラユラと揺られていると、また眠気が襲ってくる。
よく眠った朝ほど、眠気が残る。
これはどうしたことか。

●ホームページ 

 先週は、突然、HPのアップロードができなくなってしまった。
少なからず、あわてた。
サーバーが、突然、「これからはFTP送信を暗号化する」と言い出した。
が、その方法がわからない。
「ディレクトリーの作成」とか、「キューの処理」とか、意味不明の言葉が並ぶ。
「html」と「htm」のちがいすら、私にはわからない。
わからないまま、悪戦苦闘。

現在、ガンブラーという名前のコンピューター・ウィルスが、猛威を振るっている。
このウィルスは、他人のHPの中に侵入し、そのHPを見ただけで、
見た人のパソコンの中に侵入する。
見た人のパソコンの中から、パスワードや個人情報を盗む。
きわめて悪質なウィルスである。

●ウィルス対策

 ……ということで、現在、1つずつ、サーバーを乗り換えている。
新しいサーバーをさがし、そこへ移動している。
この作業は今のところ順調に進んでいる。

 つまりこういうこともあるという前提で、パソコンとはつきあう。
ウィルスだけではない。
HPサービスはもちろん、BLOGにしても、いつなんどき、閉鎖される
か、わからない。
電子マガジンにしても、そうだ。
ある日突然、「つごうにより……」という理由だけで、閉鎖される。
で、私のばあい、つぎのように対処している。

(1)ウィルス対策は当然だが、パソコンそのものを使い分けている。
HP用のパソコン、メール用のパソコン、と。
とくにHP用のパソコンは、3重、4重のガードを施している。
もちろんあやしげなHPは、のぞかない。
だからといって、「私のHPは、だいじょうぶ」とは、断言できない。
断言できないが、この10年間、事故は一度も起きていない。

(2)HPはもちろん、BLOGや電子マガジンにしても、単数ではなく、
いつも複数か所から発行している。
「閉鎖します」という連絡が入ったら、即、別のBLOGや電子マガジンに
切り替える。
そういう準備だけは、いつもしておく。

●印刷機

 今度、教室用の印刷機を買い換えることにした。
今までは、R社の輪転機型の印刷機を使っていた。
この印刷機は、大量印刷には向いているが、10〜30枚程度の印刷には
向いていない。
かえってコスト高になってしまう。
それに印刷機そのものの価格が高い。
1台、60〜80万円もする。

 その印刷機について、R社の社員がこう言った。
「もう6年も使っていますね。もうすぐ部品の製造がなくなります。
買い換えませんか?」と。

 それでR社の印刷機とは、決別することにした。
R社は、いつもこうしてユーザーを脅し、買い替えを求めてくる。
が、今回は、やめた。
今では、カラーのレザープリンターでさえ、6〜8万円も出せば買える。
印刷速度も、格段に速くなった。

 「あと何年もできる仕事ではないから、古い機械を使えばいい」という
思いもないわけではない。
しかしそれは、私の生き方ではない。

●生きがい

 仕事が大切か、収入が大切か。
今、そう問われたら、私は、迷わず、「仕事」と答える。
つまり赤字になっても、仕事はつづける。
赤字になれば、貯金を取り崩せばよい。
しかし仕事がなくなったら、私の人生そのものが、終わる。
そうなれば、お金など、いくらあっても、しかたない。
(お金がないのも、困るが……。)

 亡くなる1年前、私の母は、こう言った。
「お金では、命は買えん(=買えない)」と。
私が、「今でも、お金がほしいか?」と聞いたときのことだった。
あれほどまでお金に執着していた母でさえ、晩年は、そう言うようになった。
今の私の心境は、それに近い。
「お金で、生きがいは買えない」。

 だから新しい印刷機を買う。
あと何年できるかわからない仕事だが、最後の最後まで、現役のまま、仕事を
つづける。
HPにしても、そうだ。
今、ここであきらめるわけにはいかない。
「更新ができなくなりました。だからHPを閉鎖します」というわけには
いかない。
負けを認めるのは、死ぬときだけでよい。

●不景気

 ここまで書いて思い出したが、今、旅館業はどこも青息吐息。
不景気にあわせて、旅行する人の数そのものが、減っている。
そのためかバブル経済のころ(20年近くも前)には、1泊4〜5万円
もしたような旅館が、今は、1万2000〜5000円前後で泊まれる。
ばあいによっては、税サ込みで、1万円以下というところも珍しくない。

 私たち利用者にはありがたいが、しかしその料金で泊まると、
どうも居心地がよくない。
泊まっていても、申し訳ない気持ちになる。

 その旅館業と、私の心境は、よく似ている。
従業員を遊ばせておくよりは、利益がなくても、客を入れたほうがよい。
旅館にとって何よりも大切なのは、「活気」。
活気が呼び水となって、ほかの客もつられて泊まるようになる。
反対に、そうでなければ、そうでない。

●不景気

 不景気といえば、自転車屋。
「自転車業界」と「自転車屋業界」は、別。
エコブームの中で、自転車全体の販売数はふえている。
電動アシスト車の販売も好調。
が、全体としての売上高は、それほど、ふえていない。
自転車の価格が、さがりつづけている(自転車産業振興協会調べ)。

 そういう中で、自転車屋、とくに街の自転車屋も、これまた青息吐息。
日々のパンク修理だけで、食いつないでいる店も少なくない。
業況DI((景気が好転すると回答した販売店)ー(景気が後退すると回答した
販売店の%))も、ここ1、2年、マイナス30%前後を推移している(同協会)。

数日前も、S町にあった自転車店が、1店、閉店した。
間口が、8〜10間もある大きな自転車店だった。
2階も、全面ガラスで、以前はぎっしりと自転車が並べられていた。
が、今は、ガラスウィンドウの前に、どこかの不動産屋の看板がかけてある。
そういうのを見ると、ギューッと胸がしめつけられる。
私が生まれ育った実家は、その自転車店だった。

 最近では、大型ショッピングセンターでも、自転車を売る。
修理もする。
年中無休で、夜も9時前後まで、営業している。
個人の自転車屋に、勝ち目はない。

●緊張感
 
 客は来なくても、また赤字でも、店を閉めるわけにはいかない。
旅館も、自転車屋も、そしてこの私も、心境は同じ。
大切なのは、「生きがい」。
「日々の緊張感」。
この緊張感がなくなったら、どうやって生きていけばよいのか。
よく「悠々自適の年金生活」という言葉を使う人がいる。
しかしそんな生活をつづけても、心の隙間は、かえって大きくなるだけ。
空しくなるだけ。
心だって、腐る。

 「今日中に、これをしなくては……」「来週中に、あれをしなくては……」
という思いが、自分を奮い立たせる。

●どう死ぬか?
 
 少し暗い話になる。
「老後」について、誤解を招くかもしれないが、しかしこれは本音だから、
そのまま書く。

 若いころは、みな、「どう生きるか」を考える。
しかし老後になると、みな、「どう死ぬか」を考えるようになる。
今、病気と闘っている人には、たいへん失礼な言い方になるかもしれない。
しかし本音を言えば、「生きるのもたいへん。しかし死ぬのも、これまた
たいへん」。

 私のばあい、今日でも明日でもよいが、ポックリと死ねるなら、
それはそれでよいことではないかと、思い始めている。
だからその準備だけは、しておく。
つまりいつ死んでもよいように、その準備だけは、しっかりとしておく。
それが私流の「死に方」ということになる。

 だから……というわけでもないが、結論は、ひとつ。

「仕事が大切か、収入が大切か。
今、そう問われたら、私は、迷わず、『仕事』と答える」と。

●体力

 この週末には、2か所で講演をすることになっている。
愛知県のC市と、静岡県のK市。
だらけた体では、講演はできない。
眠った脳みそでは、講演はできない。
それにヨタヨタと壇上にあがるのは、つらい。
スタスタと歩き、テキパキと話をしたい。

明日は、朝、ランニングをする。
天気もよさそう。
4キロは走ってみたい。

 がんばろう。
とにかく、がんばろう。
がんばるしかない。
どこまでできるかはわからないが、その私ももうすぐ63歳。
(6月23日夜、記)

(付記)
 昨夜心に決めたように、今朝は、約50分、距離にすれば、8〜9キロ
を走った。
途中でワイフに車で拾ってもらったときには、全身、汗でびっしょり。
午後にもう一度、サイクリングを、もう1単位(=40分)するつもり。
(6月24日朝、記)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 21日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親のウソvs子のウソ(反動形成について)

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昔から、こう言う。
「No news is a good news.」と。
つまり「便りのないのは、よい知らせ」と。
が、この格言を裏から読むと、その反対に、
「便りがあるのは、悪い知らせ」とも、解釈できる。
たとえば結婚した息子や娘から、
「仲よくやっています」という便りが
届いたとする。
友人のA氏のもとに、昨年結婚した娘夫婦から、
そんな便りが届いたという。

そういうとき親は安心(?)する。
「仲よくやっていれば、いいこと」と。
A氏も、「何とかうまくやっているようです」と
喜んでいた。

しかし本当に安心してよいものか?
そういう言葉を、そのまま信じてよいものか?

人は、時として、自分の弱点(=ウソ)を隠すため、
またそれを気にするあまり、その反対の
自分を演ずることがある。

心理学でいう「反動形成」のひとつ。
たとえばよくある例として、こんなのがある。

「私は放任主義で、子どもを育ててきました」
「私は、子どもの進学校はどこでもかまいません。
子どもの能力に任せています」
「子どもは伸びやかなのが、いちばんいいです。
家では子どもの好きにさせています」と。

こうした言葉は、そのほとんどがウソと考えてよい。
・・・というより、ウソ。

そうことを言う親にかぎって、子どもに対して、過干渉、
過関心を繰り返している。
子どもの進学にかかりっきりになっている。
あるいは、子どもへの威圧が日常化しているため、
それを「威圧」とも思っていない。

つまりそういう自分を隠すため、その反対の
ことを口にする。

++++++++++++++++++++

●恋人たちの会話

 もっとわかりやすい例が、若い恋人たちの会話。
たとえば1人の女性が、1人の男性に向かって、こう言ったとする。
「私を信じて!」と。
あるいは「あなたを信じているわ!」でもよい。

 こういうケースのばあい、相手の男性を疑っているから、そういう言葉を
口にする。
つまり「私を信じて」というのは、相手に「ぼくを信じてほしい」と
言ってもらいため。
つまり不安だから。
また「あなたと信じているわ」というのは、相手を疑っているから。
本当に信じていたら、そういう言葉そのものが、口から出てこない。
わかりやすく言えば、自分がもっている心配や不安を打ち消すために、その
反対のことを言う。

 冒頭にあげた「仲よくやっています」というのも、それ。
だれも「仲よくやっていない」と、思っていない。
息子にせよ、娘にせよ、新婚早々であれば、仲がよいのが当たり前。
ラブラブ、アツアツ・・・。
親の方から、「仲よくやっているか?」という手紙でも書いて、その
返事でそう書くなら、わかる。
しかし親の方から何も聞いていないうちに、「仲よくやっています」は、ない。
つまり仲よくやっていない・・・?

●反動形成

 反動形成は、いろいろな場面で経験する。
よく知られた例として、長男、長女が見せる反動形成がある。
長男や長女は、下の子(弟や妹)に嫉妬しやすい。
親は、「兄も弟も、平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子ども(長男や長女)にしてみれば、その「平等」であることが不満。
それまで100%自分のものだった親の愛情が、半分に減った。

 そこで上の子どもは、赤ちゃんぽい自分を演出して、もう一度親の愛情を、100%、
自分のものとして取り返そうとする。
「赤ちゃん返り」というのは、そうして起こる。
本能的な部分で起こるので、叱ってなおるような問題ではない。
またそれが高じて、反対に、ときとして下の子どもに、攻撃的になることもある。
嫉妬がからんでいるだけに、陰湿かつ動物的。
下の子どもを、「殺す」ということもしかねない。

 が、それでは自分の立場がなくなる。
「あなたはお兄ちゃんでしょ(お姉ちゃんでしょ)!」と言われる。
そういう言葉で、抑圧される。
あるいは自らを抑圧する。
そこで上の子どもは、よい兄やよい姉を演ずるようになる。
「ぼくは弟(妹)が好き」などと、平然と言ったりする。
本当は弟(妹)が憎くてならないのだが、やさしくめんどうをみのよい兄(姉)を
演ずるようになる。
先にも書いたように、本能的な部分に根ざしているため、親はそれが仮面であることに気
づくことはない。
外面だけを見て、こう判断する。
「うちの子は、いい子」と。
これが「反動形成」である。

 ほかに聖職者(牧師や僧侶、教師)と呼ばれる人たちの反動形成も
よく知られている。
みなにあがめられている間に、そういう人間を、自ら作っていってしまう。
たとえばだれかが、性的な話や卑猥な話をしたりすると、ことさらそれを嫌って
見せたりする、など。
これが「反動形成」である。

 それはそれだが、そういった状態が長く続くと、仮面をかぶるようになる。
高徳者を演じているあまり、本当の自分を見失ってしまう。
が、本当の自分が消えるわけではない。
本当の自分は、心の奥に抑圧され、押し込まれる。・・・あるいは、自分を
押し込む。

本当に自分が、別のところで、別の人格となって現れることもある。
欧米では、聖職者による少年や少女に対する暴行や虐待が、問題になら
ない日がないほど、多い。
そういう形で、つまり別の形で、抑圧された自分が外に出てくる。
「反動形成」のこわいところは、ここにある。

●心を隠す

 では、本当にうまくいっている夫婦のばあいは、どうか。
どういう手紙を書くか。
そういう夫婦のばあいは、心に余裕が生まれるため、相手をねぎらうようになる。
冒頭に書いた夫婦のばあいだと、「仲よくやっています(から、心配しないでくれ)
ではなく、「お父さん、お母さん、お元気ですか?」となる。
余裕がないから、自分たちの状態を見透かれないように、先手を打つ。
それが「ぼくたちは、仲よくやっています」という言葉になって、表れる。

 さらに中には、こちらが聞きもしないうちから、「私の夫(妻)は、すばらしい」
とほめちぎる人がいる。
「私は夫(妻)を愛しています」と、平然と言う人がいる。
それも日ごろの、夫(妻)への不満が、裏返して出てきたものと考えてよい。
本当に自分の夫(妻)がすばらしいと思っている人は、そういうことは言わない。
自分の夫(妻)を本当に愛している人も、そうだ。
そんなことは当たり前のことであり、またあまりにも当たり前のことだから、言わない。

 先に書いた、「私を信じて」「あなたを信じているわ」という言葉にしても、そうだ。
本当に自分が信じられるに値する人間なら、そういうことは言わない。
相手を信じているなら、言わない。
疑っているから、言う。

●詐欺

 私も長い人生の中で、いろいろな経験をした。
詐欺にあったこともある。
ひどい男だった。
人をだますという意識もないまま、人をだます。
そのときも、私がその相手を疑い始めると、その相手から、年賀状が届いた。
それには、こうあった。
「私を信じろ」「他人を信じるな」と。

 この男性のばあいも、先に書いた恋人同士の心理状態と同じと考えてよい。
自分が信じられるに値する人間でないことを、彼自身がいちばんよく知っている。
「私を信じろ」というのは、「私を詐欺罪で訴えるな」という意味。
「他人を信じるな」というのは、「お前を信じていない」という意味。
つまり自分がかかえる心配や不安を隠すために、その反対の言葉を口にする。

 そうそうその詐欺をした男だが、こんなエピソードもある。
私にお金を仮に来たのだが、そのときも、見たこともないような立派な(?)
借用書を前もって用意してきた。
それには返済期日と、返済額が、ズラリと表になっていた。
ずるい男は、そういうことが、平気でできる。

●結論

 で、このエッセーの結論。

二男は、先日、日本へ帰国したとき、私にこう言った。
「ぼくたち(夫婦)は、いつも喧嘩ばかりしているよ」と。
そこで嫁(アメリカ人)に、別のところで、「そうなのか?」と、聞くと、
あっさりと、「Yes!」と言って笑った。
が、私はそれを聞いて、むしろ安心した。
というのも、実は、私たち夫婦も、そうだからである。
私も他人に話すときは、「ぼくたちは毎月のように離婚話をしている」と言う。
あるいは、「夫婦の愛なんて、とっくの昔に消えてしまったよ」とも言う。

 「信じろ」「信じているわ」などという言葉は、この30年間、使ったことが
ない。
で、もし今、私の親が健在で、手紙を書くとしたら、きっとこう書くだろう。

「いつか離婚してやろうと考えながら、40年近くいっしょに暮らしましたが、
その勇気も度胸もなく、離婚もできませんでした。
あとは死ぬまで、このまま惰性で生きていきます」と。

 自分を飾るのも疲れた。
偽るのは、いや。
だからありのままの自分で生きたい。
残りの人生も、短いことだし・・・。

最後に私のワイフも、こう言った。
「Aさんとこの、娘夫婦は、うまくいってないのよ」と。
「そうだろうね」と、私は答えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 反動形成 うそ 虚言 抑圧)

++++++++++++++++++++

反動形成について書いた原稿を
添付します。
(09年6月6日の原稿より)

++++++++++++++++++++

●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)

 自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するた
めに、人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。

 その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、セックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人
がいる。

 特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「セックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、
叫んでみせたりする。

 これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとし
て起きる現象である。

 ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)
がいる。本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。

 そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。本人に、そ
の自覚はない。

 さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自
分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとでは、他人には、それを見抜くことがで
きない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。

 反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せ
るかどうかで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。ときにサービス過剰になっ
たりする。

 本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくして
みせる、など。

 こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくあ
る。

 たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。

 ほかにもいろいろな反動形成がある。

 本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
 心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
 自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
 もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。

(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。

 この表をわかりやすく説明すると、こうなる。
たとえば嫉妬深く、ねたみやすい人は、反対にその反動として、人前では見えすいた親切
心を発揮したり、妙に他人にやさしくしてみせたりする、など。

 わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。中には、夫を
心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずることもある
そうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)

 あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、ま
た別の自分を発見することにつながるのではないかと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ)

(補足)

 たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い
方で、「嫌いだヨ〜」と叫んだ。

 これも反動形成の一つと考えてよい。このころになると、子どもは「恥ずかしい」とい
う言葉の意味がわかるようになる。たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいこ
とと考える。だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえて
おおげさに否定してみせたりする。

 しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしな
めると、小声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるに
はいる。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●野球賭博(ギャンブル)(Gambling)

++++++++++++++++++

相撲界が揺れた。
野球賭博が蔓延していて、そのため何人かの
力士が逮捕された。
その中には親方と呼ばれる人もいた。
しかし……。

++++++++++++++++++

●野球賭博

 野球賭博は、昔からあった。
私がそれをはじめて知ったのは、3、4歳くらいのときのこと。
そのころ、私はいくつかの会社の社内報を書いていた。
そのひとつの会社が、会社ぐるみで、野球賭博をしていた。
従業員が30人ほどの会社だった。
その会社の社長が、大の野球好きだった。
社長自身が、野球賭博を主宰していた。

 こういうケースは例外としても、仲間同士の野球賭博となると、していない人はいない。
そう断言してよいほど、多い?
小さなスナックや酒場でもしている。
仲間内でも、している。
大学の学生たちだってしている。

が、野球賭博が「悪」と決めつけてはいけない。
サッカーにしても、あの文科省が堂々とサッカー賭博を主宰しているではないか。
「宝くじ」にしても、立派な賭博。
オートレースもボートレースも、立派な賭博。
私は知らないが、相撲賭博というのも、あるのでは?
それでも「ダメ」というのなら、サッカーと同じように、野球にも公的な賭博組織を作れ
ばよい。
が、なぜか野球賭博だけが、問題になる。
なぜか?

 もし賭博が道徳的に不健全というのなら、サッカー賭博はどうなのか。
つまりこの問題は、「道徳」の問題ではない。
あえて言うなら、暴力団の資金源になっているからということか。
しかしそれこそ、一部。
本音を言えば、財務省としては、動きの把握できないマネーが右から左へ、動くのがおも
しろくないということらしい。
マネーの管理ができないから、「悪」?
これについて、「それは考えすぎ」と思う人もいるかもしれない。
しかしそう思うのは、少し待ってほしい。

●FX取引

 賭博といえば、FX取引(外国為替証拠金取引)というのがある。
1998年の外為法(がいためほう)の改正により、個人でも自由に為替の売買ができる
ようになった。
この取り引きのことを、FX取引という。

 方法は2つある。

(買いから入る方法)

 1ドルが90円のとき、1万ドルを買う。
そのドルが、円安になり、1ドルが100円になったら売る。
1ドルにつき、10円の儲けだから、10万円、儲かったことになる。

(売りから入る方法)

 1ドルが100円のとき、1万ドルを売る。
そのドルが、円高になり、1ドルが90円になったら買う。
1ドルにつき、10円の儲けだから、10万円、儲かったことになる。

●レバレッジ

 レバレッジというのは、もともとは「てこの原理」という意味。
「投資などの際、手持ち資金よりも多くの資金を動かして、利益率を高めること。
またはその税率を高めること」(時事用語)。

 株の売買でも、「信用取引」というのが、ある。
それと同じに考えてよい。
このレバレッジを使えば、100万円の資金で、1000万円分の取り引きをすることも
できる。
このとき、「レバレッジ倍率は、10倍」という言い方をする。

 思惑通り為替が動けば、利益は10倍になる。
しかしそうでなければ、損も10倍になる。
ふつうはマイナス100万円になったところで、証拠金は、没収される。
賭博と言えば、これほど恐ろしい賭博はない。
しかもケタがちがう。

 こうした賭博が、なぜ堂々となされているのか。
一介の主婦で、数年間に、1億円とか10億円とか儲けた人もいる。
反対に、私の身近には、退職金をすべて失ってしまった人もいる。
道徳性(=射倖心、つまりギャンブル性)を問題にするなら、FX取り引きほど、半道徳
的なものはない。
しかしFX取引は、OK!
なぜか?
財務省の管理下にあるからと考えてよい。
つまり税金源になっている。

●中毒性

 賭博が賭博として、本当にこわいのは、中毒性があるから。
脳の線条体に受容体ができると、あとは条件反射的に、賭博にのめりこんでいく。
アルコール中毒、ニコチン中毒と、メカニズム的には同じ。
こうした中毒性を、法律の世界では、「射倖心」という。
「射倖心をあおるから、賭博は悪」と。

 しかしここにも書いたように、何も野球賭博だけが、賭博ではない。
サッカー賭博や宝くじ、さらにはFX取引にのめりこんでいる人となると、ゴマンといる。
だからといって、野球賭博をしてよいとか、野放しにしておいてよいというのではない。
今のサッカー賭博が話題になったころ、私は、連日、それに対して反対の原稿を書いた。
しかもそれを、時の文部省が主宰するという。
「スポーツ振興の財源にする」とか、何とか、言っていた。
しかしこんなのは、ただの口実。
言い訳。
だからといって、文部省(当時)が、賭博に手を貸すことはない。

 ……いろいろ書きたいことはある。
見方を変えると、現在の相撲界も、その程度(?)。
日本の国技を守っているという自負心など、どこにもない。
「土俵の中には、金(マネー)が埋まっている」と公言した、親方すらいた。
つまりそのレベル。
今回の騒動で、問題なのは、むしろそちらのほうではないのか。
今の相撲界は、あまりにもマネーに毒されすぎている。
そのひとつが、野球賭博と考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 相撲賭博 ギャンプル 射倖心 賭博の中毒性)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●映画『ザ・ウォーカー』(The Book of Eli)

+++++++++++++++++

昨夜、映画『ザ・ウォーカー』を見てきた。
デンゼル・ワシントン主演。
荒廃したアメリカの大地を、1人の男が
一冊の本をもって、西へ、西へと歩く……。

映画は、星3つの、★★★。

デンゼル・ワシントンもこの映画の中で、55歳に
なったという。
私は彼の出る映画は、すべて観ている。
55歳を感じさせないアクションに、感動した。

が、予告編で、何度か見るうちに、「その本」と
いうのは、「聖書」であるということが、わかって
しまった。
見終わってから、ワイフに、「なっ、聖書
だったろ?」と言うと、「私もそう思ってた」と。

なお英語のほうでは何度か、「キング・ジェイムズ
版の聖書」という言葉が出てきた。
字幕の方では、ただ「聖書」と訳していた。
私は「キング・ジェイムズ版」という言葉を
聞くたびに、私がもっているキング・ジェイムズ
版の聖書のことを頭に思い浮かべた。
読みにくい聖書だった。
そこでそのことを二男の嫁に話すと、すぐ、別の
聖書を送ってきてくれた。
Ryrie版の聖書だった。
それは平易な英語で書かれていた。
また金文字で、「Hiroshi Hayashi]
と印字してあった。
私の名前である。

「うちへ帰ったら、久しぶりに読んでみる」と言うと、
ワイフもうれしそうに笑った。

で、映画そのものよりも、いくつかのセリフが気になった。
悪党の1人が、こう言う。

「聖書があれば、それを利用して、この世界を
支配できる」(記憶による)と。
つまり神の言葉を語れば、人心を思うがまま、
操ることができる、と。

遠い昔、日本に仏教が入ってきたのも、
そういう理由による。
ときの為政者たちは、仏教という宗教の力を
借りて、人心をひとつにまとめようとした。
つまり宗教には、そういう力がある。
が、これはもちろん両刃の剣。

善人に利用されるのはよいとしても、
悪人に利用されたら、たいへんなことになる。
映画を観ながら、私は別の心で、そんなことを
考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 King James Ryrie 聖書 キングジェイムズ版 キング・ジェイムズ
版)

+++++++++++++++++++++

●聖書

1 THE CREATION OF THE WORLD
世界の創造

A The begining of Creation
創造の始まり

In the begining God created the heavens and the earth.
最初に神は、天と地を創造した。

Now the earth was formless and empty, darkness was over the surface of the deep, and 
the Spirit of God was hovering over the water.
そのとき大地は、形がなく、空だった。
暗闇が深淵の表面をおおい、神の霊が、水の上をただよっていた。

B The Days of Creation
創造の日々

And God said, "Let there be light", and there was light.
そして神はこう言った。「光よ、あれ」と。すると光が現われた。

God saw that the light was good, and he separated the light from the darkness.
神は光がよいことを知った。そこで神は、光を暗闇から分けた。

God called the light "day", and the darkness he called "night".
神は光を、「昼」と呼び、暗闇を「夜」と呼んだ。

And there was evening, and there was morning-the first day.
そして夕方と朝があった。それが第1日目だった。

●Ryrie版聖書

 映画の最後のシーンで、デンゼル・ワシントンが、これらの言葉を、口述する。
が、たったこれだけでも、1ページの10分の1以下。
Ryrie版の聖書は、このあと2200ページ(MOODY出版)もつづく。

 ……このあと神は、地上のもろもろのものを創造し、第6日目に、「自分に似せて、人間
を創造する」(So God created man in his own image, in the image of God he created him; 
male and female he created them.)

 独特のリズム、独特の言葉、それに加えて、平易な英語。
読んでいて、心地よい。
乾いた大地に水がしみこんでいくように、聖書の言葉が、頭の中に入ってくる。
学生時代、友人のだれかがこう言った。
「ヒロシ、この世界で、もっともすばらしい本は、聖書だよ」と。
「聖書の中には、すべてが書かれている」とも。

 60歳を過ぎて、やっと彼の言った言葉の意味がわかるようになった。
当時の私は、「キリスト教を信仰している人は、そういうふうに思うだろうな」程度にしか、
考えていなかった。

 どうであれ、一度は読んでみる。
最初から最後まで読んでみる。
その結果、私がどう判断するか。
どうなるか。
それは私にもわからない。
しかし一度は、読んでみる。
今、そう心に決めた。

 もしどこかで『ザ・ウォーカー』という映画を観たら、「はやし浩司は、そんなことを考
えたのだなあ」と思ってほしい。
そういう形で、「心」を共有できたら、すばらしいことだと思う。
2010/06/21


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある母親からの相談】(先生の誤解で、自分の子どもが叱られた)

++++++++++++++++++

息子が先生に叱られた。
それに納得できないという、母親からの
相談が届いた。

そのまま紹介させてもらう(一部、変更)。

【Aさんよりはやし浩司へ】(掲示板より)

[投稿者] 小6の母  

こんばんは。先生のご意見が聞きたくてメールしました。
先ほど息子が2泊3日の修学旅行から帰ってきました。
さぞ楽しんできたのだろうとバスの到着を待っていると何とも不機嫌そうにバスから息子
が下りてきました。
解散の合図が出ないうちにさっさと帰ろうとしたので私は息子に勝手なことをしたらいけ
ないと注意をしました。その時の息子の目つきが鋭く、私を不安にさせました。
車に乗り込み2人になってから「修学旅行楽しかった?」と声をかけました。
ムッスとした声で「別に」・・・「叱られた」と答えました。
少しずつ重い口が開いてきました。

2日目の旅館で大浴場で入浴をしたそうです。
15人の生徒に男の先生が1人で一緒に入りました。
お風呂からあがるとその後夕食になり、大広間に集まったとき
息子ともう1人の生徒Aくんがみんなの前で呼ばれ、「入浴はルールを守りなさい」と注意
されました。息子はなぜ自分が注意されているのかわからず「なんのことですか?」「僕で
はない」とみんなの前で言ったそうです。ルールとは洗いおけで水の掛け合いをしたとい
うのです。
でも先生たちには信じてもらえず「自分がしてしまったことをどうして認めないのか?」
と逆にまた叱られたのだそうです。素直ではないように見えたのだと思います。A君はす
みませんと謝りました。

いやな気分のまま翌日を迎え帰りのバスの中で、今度は担任の女教師が近づいてきて「自
分のしたことを反省して、これからリベンジしなさい」と話しました。
息子はカチンと来たまま帰ってきたからあんな態度をしたのだと思いました。
息子を信じてあげたいけれど一緒に入浴していた先生がおっしゃるのだから、なにかしら
ない間に友達に水をかけてしまったのではないのか?と息子に聞きました。
本当にやっていないならどうして最後まで「自分ではない」と言い張らなかったの?とも言
いました。

というと余計に息子は無口になり、「誰も信じてくれない」「どうして」・・・
それから一言も話さなくなりました。
私はA君のお母さんに電話をして聞いてみました。
A君はすぐに電話口で答えてくれました。

「水の掛け合いはしたけれど相手はB君だよ。」と。
A君のお母さんはA君に対して「どうして●●君が一緒に叱られたときに人違いだと言って
あげられなかったの?」と話してくれました。
息子もA君も同じことを言うのですが「とてもそんな雰囲気ではなかった」というのです。
口を挿むすきがなかったというのです。
息子にとってみんなの前で叱られたこと、旅館の人たちもみんな見ていたと話します。
旅館のおばさんたちはそんな事何とも思っていないよ。と言って聞かせましたがて聞かせ
ましたが本人にとってはすごく恥ずかしかったのだそうです・
まるで口答えをしたように息子は見られたのでしょう。

私は月曜日に学校に行ってこようかと今思っています。でも心の片隅でこんなことで親が
出ていくことだはないだろうとも思います。息子が納得できる解決法ってあるのでしょう
か?
このまま修学旅行が嫌な思い出になってしまわないようにできる方法ってあるのでしょう
か。
私が学校に行って話をすることは間違っていますか?

【はやし浩司より、Aさんへ】

 この種のトラブルは、日常茶飯事。
よくあることです。
お子さんの気持ちもよくわかりますが、どうか、ここはがまんしてください。
つまり子どもは、こうした経験を通して、たくましくなっていきます。
社会のありかたや、その中での生き方を学んでいきます。

お母さんとしては、つらいでしょうが、『負けるが勝ち』。
もしどうしても納得できないなら、子ども自身が、先生に抗議する形で、自分でするよう、
しむけます。
一度子ども自身と話し合ってみてはどうですか。
「私が先生のところへ行こうか?」とです。
おそらく子どもは、「放っておいてほしい」と言うはずです。
つまりこんな程度の問題で、親は出ない!
小学6年生という年齢からして、親が出なければならないような問題ではありません。

 修学旅行に行って、その先の風呂で、お湯をかけあってふざけた。
それを先生が叱った。
そのとき、まちがえて、自分の子どもが叱られた……。
それだけのことではありませんか。
私なら、笑ってすませます。

 で、あなたは……

(1)不機嫌そうな顔を見て、親のほうから、理由を問いただした。
(2)仲間の親に電話をかけて、内容を確かめた。
(3)あたかも自分が恥をかかされたかのように、それを問題視する。
(4)先生に抗議しようと考える。

 こうした一連の行為から想像できるあなたの育児姿勢は、やりすぎ。
過干渉、過関心+溺愛ということになります。
あるいは心配先行型の過保護?

 先生に抗議して、得られるものは何ですか?
むしろやり方をまちがえると、先生との信頼関係を破壊することにも、なりかねません。
信頼関係が破壊されれば、教育そのものが成り立たなくなります。

 少し先生の立場で、ものを考えてみましょう。

 もしあなたが30人近い子どもを連れて、修学旅行に行ったとします。
家族旅行でもよいでしょう。
(2人や3人ではない。30人ですよ!)
おそらく目が回るほど、あなた(=先生)は、忙しいはずです。
児童たちが床に就いたあとは、反省会。
翌日の予定の確認などなど。

それがいかに重労働であるかは、経験した人なら、みな、知っています。
そういう中で、人まちがいで、あなたの子どもが叱られた。

……といっても、先生は、本気で叱ったわけではないと思いますよ。
(本気で叱るような話でもありませんし……。)
修学旅行先で、子どもがハメをはずした。
それを叱った。
いちいちそんなことで、本気で叱っていたら、先生だって、神経がもちません。
先生にしても、つぎつぎと類似の問題が起きたはずですから、もう覚えては
いないでしょう。
あるいは仮に問題であったとしても、時間が解決してくれます。

 それよりも疑問なのは、(1)あなたの子どもが、なぜ自分で、そのとき、「ぼくでは
ない!」と言えなかったのか、ということ。
(2)風呂場でのトラブルが、どうして家に帰ってくるまで、尾を引いたかということ。

 このあたりに、もっと別の基本的な問題があるように思います。
もともとそれほど、おおげさな問題ではないのですから……。

 で、それはそれとして、結論は、同じ。

「この程度の問題で、親はカリカリしない」です。
繰り返しになりますが、「うちの息子が、人まちがいで叱られた。水をかけあって
遊んでいたのは、うちの子どもではない」と主張して、その結果、何が、どうなる
というのでしょうか。

 次回、どこかで先生に会ったようなとき、「修学旅行ではすみませんでした。
いろいろあったようですね。ハハハ」と、笑えばよいのです。
またそれですませます。

 こんなこまかいことで、それをおおげさにとらえて、(名誉)だの(誤解)だの、
さらには(信ずる・信じない)だのと、言っていたら、この先、あなた自身の神経が
参ってしまいますよ。
(私は、先生のほうにむしろ同情してしまいます。ごめん!)

子どもはすでに親離れを完成させています。
(年齢的にはそうです。
もし親離れしていないとするなら、やはりあなたの育児姿勢のほうに問題がある
ということになります。)

で、今は、あなた自身が、子離れをするときです。
あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。
子育てから離れて、あなたは1人の人間として、別の生き様を確立する。

子どもの方から、相談でもあれば、話は別ですが、そうでなければ、静かに、暖かく
無視します。
「暖かく無視する
」です。

子どもというのは、最後の最後で、1人でも、自分を信じてくれる人がいれば、それで
安心します。
その重役を担うのは、(あなた)です。
その(あなた)が、この程度の問題で、動揺してはいけません。
「お母さんは、あなたを信じているからね」と言えば、それでよいのです。

またあなたの子どもは、すでに思春期前夜から思春期に入っています。
すでにあなたの手の届かないところに、入りつつあるということです。

なお「リベンジ」というのは、「復讐」という意味です。
何かのまちがいかと思います。

+++++++++++++++++

『負けるが勝ち』
これは子育ての鉄則です。

以前書いた原稿をさがしてみます。
(あなた)や(あなたの子ども)が
そうだと言うのではありません。
あくまでも参考のため、です。

大切なことは、子どもが楽しく
学校へ通うことです。
そのために、負けるところは
負け、引き下がります。

もちろん重大な問題のときは
そうでありません。
子どもの方から、相談でもあれば、
話は別です。
しかしたかが(失礼!)、風呂場の
水のかけあいではないですか。
そんなことで、親は出ない。

私も中学生のとき、旅館で
枕のぶつけあいをして、先生に叱られ
ました。
小学生のときは、廊下で騒いでいて
叱られました。

その程度のことは、みな、しています。

+++++++++++++++++

●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、
まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。
さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1
人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをい
う。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことにな
る。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ
は、子どものところに集まる。

しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから
……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、
あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。

それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということ
は、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつ
きあいの大鉄則と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【親の欲目】

●親の欲目

 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。

親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして
子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。

●やってここまで

 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、
A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児にな
ってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でも
いじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正し
くとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。

 たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよ
くわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(や
る・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子
どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。

●子どもを受け入れる

 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ
る。早ければ早いほどよい。

そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成
績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめ
ると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう
「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Aさんへ】

 かなりきびしい意見を書きましたが、この問題は、もう忘れなさい!
おいしいものでも食べて……。
あとは時間が解決してくれますよ。 

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 先生の誤解 負けるが勝ち 濡れ衣 子どもの名誉)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある悲喜劇

+++++++++++++++

これを悲喜劇、つまり知っては
苦笑し、知っては、哀れむ……。
悲喜劇と言わずして、何という。

+++++++++++++++

●鍋工場

 数年前、首都P市で、日本でいう「産業展示会」のようなものがあった。
産業展示会なら産業展示会でよい。
本当の名称は知らない。
各地域にある工場が、それぞれ自慢の品をもちよって、自慢しあう会のようなもの。
その産業展示会に、ある地方の、ある工場が、中国から輸入した鍋を、「我が工場の製品」
と偽って、それを出展した。
あの国では、よくあることである。
(ついでに、中国にしても、よくあることである。)

 それを見て、独裁者である金xxは、たいへん喜んだ。
「我が国でも、こんな製品ができるようになった!」と。

●視察!

 ここまではよくある話で、その工場長にしても、大満足だった。
たぶん、日本でいう「金賞」でも受賞したのだろう。
が、ここからが、悲喜劇。
それを聞いて、当の工場長は、真っ青になったにちがいない。
あろうことか、何と、金xxが、その工場を視察すると言いだしたのだ。

 これに驚いたのが、当の工場長。
その工場で作っている鍋など、どこをさがしてもない。
ウソがバレれば、公開処刑(?)。
そこでその工場長は、当日の視察には、中国から大量に仕入れた鍋類の製品を、工場内に
並べた。
そしてにわか仕立ての従業員を並べ、あたかも鍋を製造しているかのようにしてみせた。

 当日の工場長のあわてぶりが目に浮かんでくるが、似たような話は、相変わらずつづい
ているらしい。
今朝の中央N報に、こんなニュースが載っていた。

+++++++++++++以下、中央N報(一部)+++++++++++++++
 
   ……K国の後継構築作業が本格化する中、金xx国防委員長(68)の権力掌握力が大
きく低下していると、政府消息筋が6月18日明らかにした。特に経済の実情について虚
偽報告が増え、金正日が実態を正しく把握できない現象も生じている。

  消息筋は「08年夏に脳卒中で倒れて後遺症が残る金xxの健康に配慮するという口実で、
権力層が好ましい内容だけを選別して報告している」とし「後継者に内定したキム・ジョ
ンウン(27)が自分が掌握する軍や、保衛部など公安機関の報告を先に受けた後、金x
xに伝える内容を指定したりもする」と伝えた。

  側近からこうした問題点の報告を受けた金xxは最近、報告体系を書記室(秘書室)に一
元化することを指示したという。消息筋によると、金正日が最近、経済成果を強調してい
るため、問責を恐れた一線の幹部が生産実績を誇張しているという。

  3月初めに金xxが群衆大会に出席して生産を促した咸興(ハムフン)2・8ビナロン連
合企業所は竣工式を前後して半月ほど稼働し、現在、操業を中断していることが確認され
た。1月末の金正日の平壌(ピョンヤン)小麦粉工場訪問当時は、視察時間が予想より長
くなり、準備された材料がすべてなくなると、幹部らがこっそりと完成品をまた生産ライ
ンに投じたりもした。

  また金正日が平安北道(ピョンアンブクド)鶏工場を訪問した昨年10月、平安北道(ピ
ョンアンブクド)党の指示で周辺地域の鶏をすべて集め、住民に鶏肉を正常供給している
ように金xxを欺いたりもした。三日浦(サムイルポ)特産物工場を訪問した昨年4月、
金正日が道別に特産物工場を建設するよう指示すると、すでに建設された工場の設備を取
り壊し、特産物工場を設立したりもしたと、消息筋は紹介した。

  政府当局者は「最近、労働新聞が金xxの経済現場訪問写真を大量に掲載し、経済成果を
宣伝しているが、実情は違うようだ」と話した。(以上、中央N報)

+++++++++++++以上、中央N報(一部)+++++++++++++++

●ステルス携帯電話?

 さらに今日、こんなニュースも配信されている(朝鮮N報)。
この記事を読んで、驚かない人はいない。
何でも金xxが、ステルス携帯電話を使って、南アフリカにいるW杯監督に、直接指示を
出しているというのだ。

+++++++++++++以下、朝鮮N報(一部)+++++++++++++++

 「金xx指導者が、肉眼では見えないステルス携帯電話で作戦を指示している」。

 サッカー・ワールドカップ(W杯)に出場している北朝鮮代表を率いるキム・ジョンフ
ン監督について、スポーツ専門チャネルのESPNが「金総書記から直接、チームの作戦に
関するアドバイスを受けている」と報じた。

 キム監督は試合のたびに、通常は「目に見えない」携帯電話で金総書記から直接アドバ
イスを受けているとのことだ。ESPNが17日報じたところによると、キム監督はこの新型
ステルス電話について、「金総書記が直接開発した」と発言しているという。
(以上朝鮮N報)

+++++++++++++以下、朝鮮N報(一部)+++++++++++++++

 もし本当にこんな携帯電話があれば、世界中で話題になるだろう。
「肉眼では見えない、ステルス携帯電話」?
が、あの国の中では、それが信じられてしまう。
私たちがもっている常識とは、別の常識が働く。
はっきり言えば、ふつうの常識が、通用しない。
言い替えると、そういうことも知った上で、あの国を理解し、あの国の行動を予想しなけ
ればならない。
外交問題を考えなければならない。

 たとえばこんなこともあった。

(1)今年(2010年)のはじめごろだったと思う。
金xxが、あるホテルに泊まった。
が、そのホテルには暖房がなく、たいへん寒かった。
それを知った金xxが、激怒。
ホテルや住民に、電気を回すように指示した。
が、とたん、周辺の工場の操業が停止してしまった。

(2)また別の工場では、衣服を縫製していた。
それを見て、金xxが、500ウォンで住民に配給するように指示した。
しかし原材料費は、800ウォン。
つまり800ウォンで布を仕入れ、工賃を払って縫製し、500ウォンで売る(?)
採算があうわけがない。
ないが、そういう非常識がそのままあの国では通ってしまう。

(上記、(1)と(2)の話は、私の記憶によるものなので、内容は、不正確。)

 先の中央N報が配信したニュースの中に出てくる「ビナロン」は、よく知られた話であ
る。
「画期的な新繊維」ということだそうだ。
もともとは日本で開発された繊維だが、電力をたいへんたくさん使う。
それでビナロンは、金日成時代に、生産中止となってしまった。
それを今回、金xxは、再生産を命じたということになる。
が、肝心の電力がない!
……ということで、「……半月ほど稼働し、現在、操業を中断していることが確認された」
(中央N報)ということらしい。

(が、その前に私が聞いた話では、当のビナロン工場は、機械類はとっくの昔に、従業員
たちによって持ち出され、闇市で、鉄くずとして売られてしまったという。)

●余談

 冒頭に書いた、中国製の鍋を並べた工場長について、こんな余談も伝わってきている。

 先にも書いたように、工場長は、あわてて中国から鍋を大量に仕入れた。
それを工場の中に、並べて見せた。
で、何とかその視察をやりすごしたわけだが、その鍋類は、金xxに同行してやってきた
軍人たちが、みな、持ち去ってしまったという。

 その後、その工場長がどんな気持ちだったかは、容易に察しがつく。

 繰り返す。
これを悲喜劇と言わずして、何と言う?


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●ワールドカップ(サッカーW杯)

●勝てば官軍?

「勝てば官軍」。
「負ければボロクソ」。
サッカーほど、それがはげしいスポーツもない?
数日前、日本は、対カメルーン戦で勝った。
それに対して、日本中が狂喜した。
それは、わかる。
わかるが、スポーツはスポーツ。
どこかで一線を引かないと、スポーツがスポーツでなくなってしまう。
反対に負けたばあいのことを、想像してみればよい。
そういうことは、過去にも、何度もあった。
逆に、ボロクソに叩かれる。

●狂喜とボロクソ

つまり「狂喜する」のも、「ボロクソに叩く」のも、同じではないかということ。
サポーターやファンはそれでよいとしても、監督や選手にとっては、そうでない。
勝っている間は、サポーターやファンは、心強い味方。
しかし負ければ、こわい。
敵になる。
つまりサポーターやファンの身勝手に振り回されてしまう。
いつだったか、日本代表が負け戦を重ねて帰国したとき、空港には、だれも出迎えなかっ
た。
が、本来、そういうことは、あってはいけない。

●心の一線

同じように、仮に勝ったとしても、それはそれ。
どこかで一線を引く。
我を忘れるほどまで、狂喜してはいけない?

仮に負けても、よい試合であったら、監督や選手たちをほめる。
ねぎらう。
(もちろん勝てば、称えるが……。)

そういう冷静さを失ってはいけない。
つまり今のサッカーには、(日本だけではないが)、そういう冷静さが欠けている。
こんなことを書くと、ファンの人たちに袋叩きにあう。
それはよく知っている。
しかしたかが「ボールの奪い合い」(ごめん!)。
その試合のときは狂喜したり、激怒したりするのは、かまわない。
当然のこと。
しかしそれはそれ。

●子どもの受験

子どもの受験でも、同じようなことが言える。
親たちは、自分の子どもが合格することだけを考える。
そのための準備をする。
しかしそれ以上に大切なことは、不合格になったときの準備も、しっかりとしておくとい
うこと。
不合格になっても、動揺しない。
子どもの健闘を称える。
そのためにも、「受験」くらいのことで、おおげさに一喜一憂しない。
それが結局は、子どもの心を守ることにつながる。

●監督の気持ち

同じように、サッカーにしても、勝つ、負けるは、時の運。
みなは、勝つことしか考えていない。
しかしそれ以上に大切なことは、負けたとき、それをどう受け入れるか。
その心の準備ををしておくこと。
それが結局は、監督や選手の心を守ることになる。
それがわからなければ、あなたも一度、監督や選手の気持ちになって、ものを考えてみた
らよい。

勝てば狂喜してくれるサポーターやファン。
だが、それと同じエネルギーで、負ければ、今度は何をされるかわからない。
ばあいによっては、殺されるかもしれない。
(実際、殺された選手もいる!)
その(こわさ)を、監督や選手は、よく知っている。
が、そんな気持ちでは、よい試合などできるはずがない。

●結局は、自分のため

子どもだって、そうだ。
自分が合格すれば、親は狂喜する。
それがわかっていると、落ち着いて勉強できない。
不合格になったら、親は、今度は同じエネルギーを、逆に向ける。
そのエネルギーが、どんな形で現われてくるか、わかったものではない。
子どもにしてみれば、それがこわい。
不安になる。

それでも勉強するとしたら、もう自分のためでしかない。
自分のために、勉強する。

そう「自分のためにする」。
だれのためでもない、自分のためにする。

●プレッシャー

……ということで、現在の監督や選手の気持ちは、これに近いものではないか。
少なくともサポーターやファンが大騒ぎするほど、監督や選手は、私たちのことなど眼中
にない。
相手にしていない。
その孤独感というか、孤立感には、相当なものがある、……はず。
ワールドカップという、世界最大のスポーツの「場」であるだけに、私たちの想像もつか
ないようなプレッシャーもある。
監督や選手は、そのプレッシャーとも闘わねばならない。
私たちが見るべきものがあるとすれば、むしろそちらのほうではないか。

●独特の風格

 名前を出して恐縮だが、私の教室に、かつて藤田選手(元ワールドカップ正規選手)や、
鈴木選手(同じく前ワールドカップ正規選手)の子どもたちが、生徒として、通ってくれ
た。
どちらも、2〜3年、通ってくれた。
そのこともあって、こうした選手たちと、個人的に何度か話す機会がった。
が、そういう世界で活躍した選手には、独特の風格というか、すごみがある。

「背中の向こうには、日本がある」。
そんな(風格)である。
話していても、こちらのほうがどんどんと小さくなっていくのがわかる。
そういう(すごみ)である。
 
つまりそういう経験をした人は、私たち凡人を、はるかに超越している。

●今夜は、対オランダ戦

今夜は、日本の第二戦。
相手は、オランダ。
ここ40〜50回、対外試合で負けたことがないという。
すべて勝つか、引き分け。
そんなオランダを相手にして、日本は戦う。

もちろん私は応援する。
ぜったいに応援する。
が、これだけは心に決めている。
我を忘れて応援するのは、試合中だけ。
勝ったからといって、狂喜するようなことはしない。
負けたからといって、ボロクソに叩くようなことはしない。
どちらであるにせよ、試合のあとは、静かな気持ちで、彼らの健闘ぶりを称えたい。

がんばれ、日本!
力を出し切れ、日本!
試合まで、あと4時間!

(追記)

結果は、0−1で、オランダに負けた。
とても惜しい試合だった。

しかし日本は、よく戦った。
すばらしかった。
感動した。
まだどこか消沈した気分だが、一言。
よくやった!
ありがとう!


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●敗北感

敗北感。
なんとも言えない、敗北感。
それがぼんやりと、心の中で漂っている。
今は、そんな感じ。

少し前、私が2年近く使っていた、HPのサーバーが、
全面的に暗号化ソフトを導入すると言い出した。
この16日から、それが実行された。

悪質なウィルスが、蔓延している。
その対策措置として、その会社は、そうした。
つまりこれからは、編集したHPは、そのつど暗号化した上で、
FTP送信をかけなければならない。

そこまでは、私にもできた。
つまり「FTP送信」までは、私にもできた。
しかしいくら「送信済み」の表示が出ても、
肝心の画面に、変化、なし。
悪戦苦闘の結果、つぎのことがわかった。

サーバーのほうに、「html」のデータ(キャッシュ)が
残っているため、いくら上書きしても、
その残っている方が、優先して表示されてしまう、と。

そこで悪戦苦闘。
冷や汗をタラタラと流しながら、徹夜で作業をつづけた。
で、やっとたどりついた結論がこれ。

一度、サーバーの「html」のデータを削除し、
改めて「htm」データをUPLOADする、と。
そこまではわかったが、ではどうやってそれをすればよいか。
どうやれば、「html」のデータが削除できるのか!
その方法がわからない。

で、サーバーに問い合わせると、つぎのような
返事(回答)が届いた。

「使っているホームページ作成ソフトによって、
方法は、みなちがう。
ソフトの販売会社のほうへ問い合わせてみてほしい」と。

しかし私が現在使っているソフト会社は、とっくの
昔に、どこかの会社に吸収され、今は、ない。
つまり、お手上げ!

もう一度、最初からweb言語を勉強しなおすことも考えた。
とりあえず「html」と「htm」のちがいくらいは、知りたい。
が、今の私には、そんな時間は、ない。
余裕もない。
そんなこともあって、昨日は、この2年間で、BLOGの更新をはじめてサボった。
時間がなかった。

では、どうするか?

方法はひとつ。
現在、15前後のサービスを利用している。
それをひとつずつ、こまめに別のサーバーに乗り換えていくしかない。
めんどうな作業がつづくが、しかたない。

それにしても、いやな敗北感。
パソコンに、負けた。
若い人たちに、負けた。
新しい技術に負けた。
……このまま私は、インターネットの世界から、はじき飛ばされていくのか?


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 16日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親子の確執】

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母が死んで、もうすぐ2年目になる。
2年前に書いた原稿を読み直しながら、
今、こうして母を偲ぶ。

++++++++++++++++++++

(2008年3月の原稿より)

●今朝・あれこれ(3月3日)(March 3rd)

My mother was carried to a hospital by ambulance car, since she lost consciousness in 
that morning. She received some medical checks but she recovered her consciousness 
around that time. And in the next day I sent her back to the Center. In the car with my 
mother, I thought a lot of things. My mother is me myself of 20 0r 30 years later. 

+++++++++++++++

このところ母の容体が、よくない。
今年に入ってから、これで2回、
救急車で、病院へ運ばれた。
今朝は、朝食後、意識がなくなって
しまったという。

あわててかけつけると、母は、酸素
吸入器を口につけ、ハーハーと
あえいでいた。血圧は、90弱〜70
前後。

母にしては、異常な低さである。
大声で声をかけると、意識はもどった。
つきそいの看護士の方が、「一時的
だといいですね」と言った。
母を見ていると胸が詰まった。

姉だけには連絡を……と思って
電話をかけたが、つぎの言葉が出て
こなかった。
「今朝まで、ちゃんと朝食をとって
いました」とのこと。
午後からはワイフに任せた。
私は自宅にもどった。

……この静けさは何か?
この穏やかで、やわらいだ気分は何か?
カーテンを見ると、白い光が、
木々の小枝の影を、くっきりと
映し出している。
その向こうで、隣の屋根瓦が、キラキラと
光っている。
風もない。
寒さも、やわらいだ。
ワイフからの連絡を待つ。
今の私には、それしか、することがない。
静かに、静かに、どこまでも、静かに。

+++++++++++++++

(3月5日)

幸い、母は、たいしたこともなく、
「様子見入院」だけですんだ。
で、病院に1泊して、翌日(=昨日)、センターに戻った。
帰りは、タクシー会社の、寝台つきバンだった。
そのバンの中で、いろいろ考えた。
センターでは、母は、(お荷物)に
なり始めているらしい。
今年に入って、寝たきりの状態がつづいている。
だからといって、センターの人を責めているのではない。
センターとしても、できることには限界がある。
それはわかる。
一方、病院側には、病院側の論理がある。
治療が目的。
「治る見込みのある患者を治すのが、病院の役目」。
どこかの医師も、そう言っていた。老人を預かる施設ではない。
とくに母のように、とくにどこかが悪いという
わけでもない老人は、患者ではない。
医師もこう言った。「何かあっても、延命措置は
取りません」「寿命ですから」と。
その日の午後には、心電図検査を予定して
いたが、私がキャンセルした。
私が「しても意味はないですね」と言うと、
医師も、すんなりと、「そうですね」と。
……私たちも、いつかは、母のようになる。
母のようになるのが、どうこうというのではない。
現在の母が置かれているのと、同じような、立場に置かれる。
そのとき、医師も含めて、周囲の人たちは、
私たちを、どう扱うか。
「いつ死んでも仕方ない」という扱い方をするだろう。
治療といっても、治療の方法すらない。
一方、たとえば病院に、1週間も入院していると、
センターのほうでは、母の居場所が末梢されてしまう。
そうでなくても、入居を待っている人は多い。
医師もこう言った。
「そうなったら、どこかのセンターに再入居する
しかないですね」と。
しかし今度は、そうは簡単にいかない。
再入居するのに、数か月待ちということになったら、
その間、母は、どこにいればよいのか。
「やはりセンターに戻してもらったほうがいい」という
ことで、母は、センターに戻してもらった。
老人介護、老人医療には、いろいろ問題があるようだ。
そんなことを帰りのバンの中で、考えた。
見た目には、スヤスヤと眠っている母を見ながら……。

+++++++++++++++

介護のコツは、介護のことを考えているときと、
そうでないときで、頭の切り替えを、しっかりと
すること。
仕事にもどったり、家庭にもどったりしたら、
介護のことは忘れる。母のことは、忘れる。
「死んだら、死んだとき」と。
なかなかむずかしいことかもしれないが、
そこまで割り切らないと、気苦労だけが倍加してしまう。
ものごとは、なるようにしかならない。
「なるようにしかならない」と自分に言い聞かせて、
心の中を、サッと洗う。
ところで、こんな話を聞いた。
参観に来ていた母親に、「親の介護もたいへんですよ」と、
私がふと漏らすと、その母親は、こう言った。
「私の夫なんかは、母(=夫の実の母親)を見舞ったことは、
めったにありませんよ」と。
その母(=夫の実の母親)というのは、入院して、2年になるという。
事故で頭をけがしてからというもの、認知症に
なってしまったという。
年齢を聞くと、その母(=夫の実の母親)は、まだ60歳とか。
私「若いのに……。60歳で、寝たきりですか……」
母「そうですね」
私「でも、また、どうして? どうして、2年も……?」
母「いろいろありましたから」と。
親子の間で、私には想像もつかないような確執があったらしい。
私「親子関係といっても、さまざまですからね」
母「そうですね」
私「……」と。

+++++++++++++++++++

それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。
外からでは、ぜったいにわからない。
だからあなたがもっている(常識)だけで、
その家庭を判断してはいけない。
一方的な話だけを聞いて、判断するのも正しくない。
仏教の世界にも、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という
言葉がある。
「憎い相手と会う苦しみ」という意味だが、
親子であっても、どこかで歯車が狂うと、そうなる。
親子であるがゆえに、その苦しみも大きい。
さらに兄弟、姉妹となると、憎しみ合っている人は、
ゴマンといる。
遺産問題、金銭問題がからんでくると、兄弟、姉妹でも、
それこそ、血みどろの争いになる。
そういう例も、これまたゴマンとある。
そういう相手と会う……それはまさに、「怨憎会苦」。
「四苦八苦」のひとつにもなっている。
では、どうするか?
そうしたトラブルから、いかにして自分を救出するか?
つまりは、相手が、サルかイヌに見えるまで、
自分を高めるしかない。
(言葉はキツイが、それくらいに思わないと、この問題は
解決しないので、そう書く。)
が、「サルだと思え」「イヌだと思え」と言っても、
それはむずかしい。
だから自分を高める。
芸術に親しみ、本を読み、教養のある人と話をする。
その結果として、相手が、サルかイヌに見えるまで、
自分を高める。
私のばあいも、同じような立場に立たされたことが、
何度か、ある。
そういうときは、心の中で、歌を歌っていた。
(一度は、思わず、口が動いてしまい、相手に
バレそうになってしまったこともあるが……。)
言いたい人には言わせておけばよい。
思いたい人には、思わせておけばよい。
相手は、サルはサル。イヌはイヌ。どうせその程度の人間。
人間と言うよりは、サルかイヌ。
あなたが相手にしなければならないような人ではない。
また「わからせよう」と思っても、ムダ。
それだけの知恵もない。頭もない。
あとは無視。適当につきあって、それですます。

++++++++++++++++++

こんな例を、ワイフが話してくれた。
「2年どころか、10年間、一度も、実の母親を
見舞っていない人もいるわよ」と。
その人を、Z氏(50歳、男性)としておく。
実の母親というのは、10年前に認知症になり、
今年85歳になるという。
「どうして、そうなったの?」と聞くと、ワイフが、
こう話してくれた。
ワ「もとはと言えば、Z氏が、今の奥さんと結婚するため、
家を出たのが始まりみたい。
1人息子だったのね。
そこでZ氏の母親が、猛反対。『結婚して家を出るなら、
今までお前にかけた、養育費を全部、返せ!』という
ことになったのね。
一時は、裁判沙汰にまでなったそうよ。
で、親子の関係は、それで切れてしまったというわけ」
私「養育費を返せというのも、ふつうではないね」
ワ「でも、そういう親も、多いわよ。私の知っている
別の人(=男性)なんか、いまだに実の親に、『お前にかけた、
学費を全部、返せ」と言われているそうよ。額は、
3000万円だってエ!」
私「でも、そんなことを親のほうが言えば、親子関係は、
おしまいだよ」
ワ「そうね。親もそのつもりではないかしら。Z氏の
母親にしてもそうよ。つまり親のほうから、先に縁を
切ってきたというわけ。だから、それでおしまい」
私「Z氏が家を出たというのも、わかるような気がする。
そういう親だから、家にはいたくなかったんだろうね。
つまりそういうことをしそうな親だということが、Z氏には
わかっていたんだよ」
ワ「そう、Z氏が家を出たから、親子関係が切れたのではなく、
すでに、Z氏が家にいるころから、切れていたのね。
それにZ氏の母親は、気づかなかっただけなのね」と。
表面的な部分だけを見れば、Z氏は、「子らしからぬ子」と
いうことになる。
事実、ごく最近まで、Z氏は、母親の兄(伯父)に、「お前は
親不孝者」と、ののしられていたそうだ。
Z氏の苦しみも、また大きい。……大きかった。
ワ「だから、今でも、Z氏は、実家の近くにさえ近寄らない
そうよ」
私「わかるね、その気持ち。とても、よくわかる」
ワ「Z氏にしてみれば、子どものときからの積み重ねも
あるから……。私の友だち(女性)にも、結婚して以来、
一度も実家に帰っていない人がいるわよ」
私「何年くらい?」
ワ「私より10歳くらい若いから、ざっと計算しても、
20年近くじゃ、ないかしら……」
私「20年ネエ〜。よほどのことがあったんだろうね」
ワ「そうね……。よほどのことがあったんでしょうね」と。
そんなわけで、もし今、あなたが、どこかのだれかに、
その家の家庭問題であれこれ言っているようなら、
すぐやめたほうがよい。
あなたは気がついていないかもしれないが、
言われた人は、死ぬほど苦しい思いをしているはず。
あなたは親切心のつもりで言っているかもしれない。
もしそうなら、おカネを出してやったらよい。
それができないなら、だまっていること。
口を出すことくらいなら、だれにだって、できる!
ともかくも、これから母を見舞いに行ってくる。

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親捨てる子ども(Son and daughters who abandon their parents)
 今でもある地方へ行くと、「親捨て」という言葉が残っている。「親のめんどうを見ない、親
不孝者」の人のことを、そう呼ぶのだそうだ。
 ただ単なる言葉だけの問題ではない。その地方では、一度、親捨てと呼ばれたら、親戚づき
あいができなくなるのは、もとより、近所の人たちからさえも、白い目で見られるという。現
実には、「郷里へ帰ることさえできなくなる」(ある男性からのメール)とのこと。
 その地方では、そういう形で、むしろ子どもを積極的に、自我群のもつ束縛の中に、組みこ
もうとする。それは自分自身の老後のためかもしれない。親を捨てた子どもをきびしく排斥
することによって、その一方で、自分の息子や娘に対して、「親を捨てると、たいへんなこと
になるぞ」と、警告することができる。
 が、それだけではない。
 「親捨て」のレッテルを一度張られた子どもは、その重圧感に、一生、悩み、苦しむことになる。 
 こんなメールが、Nさんという方から、届いた。

++++++++++++++++

●Y市のNさんよりメール
 
 Y市に住んでいる、Nさんより、母親(実母)についての相談があった。
 Nさんは、現在、31歳。2児の母親。
 Nさんの母親(実母)は、プライドの高い人で、人から、何か指摘されたりすると、カッとなり
やすい人のようである。そしていつも、夫(Nさんの実父)の顔色をうかがって、生活してい
るようなところがあるという。
 Nさんにとって、Nさんの生まれ育った家庭は、とても「暖かい家庭」とは言えなかったよ
うである。一度、Nさんが家出をしたとき、こんなことがあったという。Nさんが、高校生のと
きのことである。
 Nさんの母親は、Nさんを迎えにきたとき、Nさんに、「私がかわりに家出をするから、あな
たはもどってきなさい」と言ったという。その一件で、Nさんは、母親との信頼関係が、崩れた
ように感じたという。
 「私は恵まれた家庭に育っていない。しかし自分の子どもたちには、家族の温もりを教え
てあげたい」「幸福な気持ちで、生きてほしい」「どうしたらいいか」「また、両親に、もっと自
分たちのことを気づいてほしい。どうしたらいいか」と。

【Nさんへ……】

 エッセー形式で、返事を書いてごめんなさい。Nさんのかかえておられる問題は、広く、つまり
あちこちの家庭で起きている問題です。そういう意味で、エッセー形式にしました。どうか、ご理
解ください。

【家族自我群からの解放】

 「家族意識」には、善玉意識と悪玉意識がある。これについては、すでにたびたび書いてき
た。
 「家族だから、みんなで助けあって生きていこう」というのが、善玉家族意識。「家族とし
て、
お前には勝手な行動は許さない」と、家族同士をしばりあげるのを、悪玉家族意識という。
 この悪玉家族意識には、二面性がある。(ほかの家族をしばる意識)と、(自分自身がしば
られる意識)である。
 「お前は、長男だから、家を守るべき」「お前は、息子なのだから、親のめんどうをみるべき」
と、子どもをしばりあげていく。これが(ほかの家族をしばる意識)ということになる。
 一方、子どもは子どもで、「私は長男だから、家をまもらなければならない」「息子だから、
親のめんどうをみなければならない」と、自分自身をしばりあげていく。これが、(自分自身
がしばられる意識)である。
 問題は、後者である。
 それなりに良好な親子関係ができていれば、自分で自分をしばりあげていく意識も、それ
なりに、良好な親子関係をつくる上においては、プラス面に作用する。しかしひとたび、その親
子関係がくずれたとき、今度は、その意識が、その人を、大きな足かせとなって、苦しめる。
 ばあいによっては、自己否定にまで進む。
 ある男性は、実母の葬儀に出なかった。いろいろ事情はあったのだが、そのため、それ以
後、
自らに、ダメ人間のレッテルを張ってしまった。
 「私は親を捨てた、失格者だ」と。
 その男性の住む地方では、そういう人のことを、「親捨て」と呼ぶ。そして一度、「親捨て」の
レッテルを張られると、親戚はもちろんのこと、近所の人からも、白い目で見られるようになる
という。
 こうした束縛性を、心理学の世界でも、「家族自我群」と呼ぶ。そうでない人、つまり良好な
親子関係にある人には、なかなか理解しにくい意識かもしれない。しかしその意識は、まさ
にカルト。家族自我群に背を向けた人は、ちょうど、それまで熱心な信者だった人が、その信仰
に背を向けたときのような心理状態になる。
 ふつうの不安状態ではない。ばあいによっては、狂乱状態になる。
 家族としての束縛性は、それほどまでに濃厚なものだということ。絶対的なものだという
こと。親自身も、そして子ども自身も、代々、生まれながらにして、徹底的に、脳ミソの中枢部に
たたきこまれる。
 こうした意識を総称して、私は「親・絶対教」と呼んでいる。日本人のほとんどが、多かれ少
なかれ、この親・絶対教の信者と考えてよい。そのため、親自身が、「私は親だから、子どもた
ちに大切にされるべき」と考えることもある。子どもが何かを、口答えしただけで、「何だ、親
に向かって!」と、子どもに怒鳴り散らす親もいる。
 私がいう、悪玉親意識というのが、それである。
 ずいぶんと、回り道をしたが、Nさんの両親は、こうした悪玉家族意識、そして悪玉親意識
をもっているのではないかと、思われる。わかりやすく言えば、依存型人間。精神的に未熟な
まま、おとなになった親ということになるのかもしれない。Nさん自身も、メールの中で、こう書
いている。
 「(母も)、そろそろ自分の人生を生きることを選んで欲しいと、心から願っています」と。
 Nさんの母親は、いまだに子離れができず、悶々としている。そしてそれが、かえってNさ
んへの心理的負担となっているらしい。
 実際、親離れできない子どもをかかえるのも、たいへんだが、子離れできない親をかかえ
るのも、たいへんである。「もう、私のことをかまわず、親は親で、自分の道を見つけて、自分
で生きてほしい」と願っている、子どもは、いくらでもいる。

【親であるという幻想】

 どこかのカルト教団では、教祖の髪の毛を煎じて飲んでいるという。その教祖のもつ霊力を、
自分のものにするためだそうだ。
 しかし、そういう例は、少なくない。考えてみれば、おかしなことだが、実は、親・絶対教に
も、似たようなところがある。
 ……という話はさておき、(というのも、すでに何度も触れてきたので)、私も、すでに56
歳。その年齢になった人間の一人として、こんなことが言える。
 「親という言葉のもつ、幻惑から、自分を解放しなさい」と。
 子どもから見ると、親は絶対的な存在かもしれない。が、その親自身は、たいしたことがな
いということ。そのことは、自分がその年齢の親になってみて、よくわかる。
 多分、20代、30代の人から見ると、56歳の私は、年配者で、それなりの経験者で、かつそれ
なりの人格者だと思うかもしれない。しかしそれは、幻想。ウソ。
 ざっと私のまわりを見ても、50歳をすぎて、40代のときより、進歩した人など、一人もいな
い。人間というのは、むしろある時期を境に、退化するものらしい。惰性で生きるうち、その
範囲の生活的な技術は身につけるかもしれない。が、知性にせよ、理性にせよ、そして道徳観
にせよ、倫理観にせよ、むしろ自ら、退化させてしまう。
 わかりやすく言えば、歳をとればとるほど、くだらない人間になる人のほうが、多いとい
うこと。それはまさに健康や体力と似ている。よほどの訓練をしないと、現状維持すら、むず
かしい。
 これは現実である。まちがいのない現実である。
 しかし親に対する幻想をもつ人は、その幻想に、幻惑される。「そんなはずはない」「親だか
ら……」と。
 Nさんも、どうやら、そうした幻惑に苦しんでいるようである。
 だから、私は、こう言いたい。「Nさん、あなたの母親は、くだらない人です。冷静にそれを見
抜きなさい。親だからといって、遠慮することは、ない」と。
 ただ誤解しないでほしいのは、だからといって、Nさんの母親をどうこうと言っているの
ではない。親・絶対教の人にこう書くと、かえって猛烈に反発する。以前、同じようなことを
書いたとき、こう言ってきた人がいた。
 「いくら何でも、他人のあなたに私の母のことを、そこまで悪く言われる筋あいはない」
と。
 私が言いたいのは、親といっても、その前に一人の人間であるということ。そういう視点
から、親を見て、自分を見たらよいということ。親であるという幻惑から、まず、自分を解放
する。
 この問題を解決するためには、それが第一歩となるということ。

【親のことは、親に任せる】

 Nさんのかかえるような問題では、子どもとしてできることには、かぎりがある。私の経験
では、親自身に、特別な学習能力があるなら話は別だが、それがないなら、いくら説得して
も、
ムダだということ。
 そもそも、それを理解できるだけの、能力的なキャパシティ(容量)がない。おまけに脳細胞そ
のものが、サビついてしまっている。ボケの始まった人も、少なくない。
 さらにたいていの親(親というより、親の世代の年配者)は、毎日を惰性で生きている。進
歩などというのは、望みようもない。
 そういう親に向かって、「あなたの人生観はまちがっている」と告げても意味はないし、仮
にそれを親が理解したとしたら、今度は、親自身が、自己否定という地獄の苦しみを味わう
ことになる。
 つまり、そっとしておいてあげることこそ、重要。カルトを信仰している、信者だと思えばよ
い。その人が、その人なりに、ハッピーなら、それはそれでよい。私たちがあえて、その家の中に、
あがりこみ、「あなたの信仰はまちがっている」などと言う必要はない。また言ってはならな
い。
 この世界では、そうした無配慮な行為を、「はしごをはずす行為」という。「あなたはまちが
っている」と言うなら、それにかわる、(心のよりどころ)を用意してあげねばならない。そ
のよりどころを用意しないまま、はしごをはずしてはいけない。
 
 要するに、Nさん自身が、親自身に幻想をいだき、その幻惑の中で、もがいている。家族自我
群という束縛から、解放されたいと願いつつ、その束縛というクサリで体をしめつけ、苦しんで
いる。
 だから、Nさん自身が、まず、その幻想を捨てること。「どうせ、くだらない人間よ」「私が本
気で相手にしなければならない人間ではない」と。
 「親だから、こんなはずはない」と思えば思うほど、Nさん自身が、そのクサリにからまれてし
まう。私は、それを心配する。
 ある男性(50歳くらい)は、私にこう言った。
 「私の父親は、権威主義で、いつもいばっていました。『自分は、すばらしい人間だ』『私は、
みなから、尊敬されるべきだ』とです。しかし過去をあれこれさぐってみても、父が、他人の
ために何かをしたということは何もないのですね。それこそ近所の草刈り一つ、したことが
ない。それを知ったとき、父に対する、幻想が消えました」と。
 あえて言うなら、Nさんの母親は、どこか自己愛的な女性ということになる。かわいいのは
自分だけ。そういう自分だけの世界で、生きている。批判されるのを嫌う人というのは、たい
てい自己愛者とみてよい。自己愛者の特徴の一つにもなっている。
 幼児的な自己中心性が肥大化すると、人は、自己愛の世界に溺れるようになる。Nさんのメー
ルを読んでいたとき、そんな感じがした。

【お子さんたちのこと】

 Nさんは、子どもへの影響を心配している。「子どもたちに、幸福な家庭を見せてあげたい」
と。
 心配は無用。
 Nさんの子どもたちは、Nさんの子どもたちへの愛情の中から、自分たちの進むべき道を
見つけていく。つまりそうして子どもたちの将来を心配するNさんの愛情こそが、大切とい
うこと。
 たしかに子どもというのは、自分の置かれた環境を再現する形で、おとなになってから、
子育てをする。しかしそれは、決して、物理的な環境だけではない。
 もちろん問題がないわけではない。しかしどれも克服できる問題ばかり。現に今、Nさん
は、私にメールをくれることで、真剣に子どもたちのことを考えている。
 こういう姿勢があるかぎり、子どもたちは、必ず、自分の進むべき道を自分で見つける。
 大切なのは、「形」ではなく、「自分で納得できる人生」である。
 だから子どもたちに対する愛情だけは、見失わないように。

【改めてNさんへ……】

 以上、大急ぎで返事を書きました。あちこち何かしら言い足りないところもありますが、
参考にしていただければ、うれしいです。
 Nさんの問題をテーマにしてしまいましたが、どうか、ご了解の上、お許しください。x月x日
号を今夜配信しなければならないのですが、この数日、ほとんど原稿を書いていません。
 それでx月x日号の原稿とかねて、返事を書かせてもらいました。お許しください。
 では、今夜は、これで失礼します。未推敲のまま原稿を送ります。よろしくお願いします。

H


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【伊良湖岬にて】

●伊良湖(いらご)

 浜松から豊橋へ。
豊橋から、渥美半島先端にある、伊良湖岬へ。
「いらごみさき」と読む。
が、どうして「湖?」。
たぶん、その岬を境に、名古屋港方面へ、大きな湖のように
なっているからではないか。
このあたりの人たちは、伊良湖岬より太平洋側を、「外浦」、
名古屋港寄りを、「内浦」と呼んでいる。
(まちがっていたら、ごめん!)

 浜松から豊橋まで、電車で40分。
豊橋から伊良湖まで、送迎バスで、70分。
今夜は、伊良湖ビューホテルで一泊。
同行者は、ワイフと長男。
3人で、1部屋。

 2010年に入ってから、何かにつけ、このところよくホテルに泊まる。
私という人間は、若いころからそうだ。
ひとつのことを始めると、連続して、同じことばかりをする。
こうして私の趣味や興味は、ある周期性をもって、つぎつぎと変化する。
木工にこり始めたら、木工ばかりをする。
模型にこり始めたら、模型づくりばかりをする。

で、今は、温泉旅行?
そんな感じ。

●北朝鮮vsブラジル

 浜松駅までは、車で来た。
車の中で、昨夜のワールドカップの試合が話題になった。
日本は、カメルーンを、1−0で、下した。
よかった。

 で、今夜は、何と北朝鮮とブラジルが対戦するという。
その北朝鮮。
何でも公設のトレーニング・ジムで、試合前の調整をしているという。
サッカー場を借りる費用がないためらしい。
しかしかえってそのことが、地元の人たちの同情を買った。
北朝鮮ファンがふえているとか。

 今夜の試合は、ホテルで見る。
もちろんブラジルを応援する。

●天安艦

 韓国の天安艦が、北朝鮮の魚雷によって爆破、沈没した。
最初から、どこのだれの仕業か、わかっていた。
わかりすぎるほど、わかっていた。
韓国政府も、それを感じたのだろう。
わざわざ多国籍の調査団を、組んだ。
調査の信頼性を高めるためである。

 で、予想通りというか当然というか、現場から、北朝鮮製の魚雷の本体が
見つかった。
モーター部とスクリュのー部が、一体となって回収された。
それが、輸出用に出していた北朝鮮の魚雷の設計図と、ピタリと一致した。
この時点で、だれしも北朝鮮の仕業と、100%、確信した。
が、ここからが、話がおかしくなる。
そこが北朝鮮。

●ウソも堂々と言われると・・・

 これまた予想どおり、北朝鮮は、シラを切った。
「北朝鮮とは関係ない!」と。
その上で、天安艦爆破は、アメリカと韓国による共同謀議によるものと
言い出した。
つまりアメリカと韓国が、北朝鮮を貶(おとし)めるためにしくんだ、
陰謀である、と。

 そして今回、国連での非難決議の動きが出てくると、すかさず北朝鮮は、
「韓国を火の海にする」とか、「我々の武器(=核兵器)は、飾りでは
ない」とか言って、韓国を脅した。
そればかりではない。
「自分たちは被害者だ」「調査させろ」と騒いだ。

●占星術

 何も韓国の肩をもつわけではないが、北朝鮮の言いがかりは、
常識の範囲を超えている。
バカげているというか、コメントするのも、疲れる。
本音の本音を言えば、アメリカにせよ、韓国にせよ、そしてこの日本にせよ、
北朝鮮など、相手にしたくない。
相手にもならない。
できれば、私たちに構わず、静かにしていてほしい。

が、そんなバカげた話でも、確信的に言われると、ときとして自分の判断が
狂うときがある。
よい例が、「占星術?」。

 どこかのオバちゃんがテレビに出てくる。
どこか意味ありげな雰囲気を漂わせている。
そのオバちゃんが、向かい合って座ったタレントの女性に、こう言う。
「あなたの背中には、ヘビがとりついている。
朝晩、背中を3回ずつ、シャワーで、しっかりと洗いなさい。
でないと、とんでもない災難がふりかかる」と。

 言われたタレントは、涙まで流して、震え上がる。
「ありがとうございます」と何度も言って、頭をさげる。

●宗教性

 私たちは北朝鮮の非常識な行為を笑う。
陰謀だかなんだか知らないが、「動機」そのものがない。
が、笑ってばかりはおれない。
それ以上に非常識なことを、日本人の私たちもしている。
テレビという天下の公器を使って、堂々とそれをしている!

共通性があるとするなら、「宗教性」。
宗教性にともなう妄信性。
妄信性が混ざりこむと、人は、いとも簡単に、白を黒と思い込み、黒を白と思い込む。
思い込んだまま、確信的に白を黒と言い、黒を白と言いだす。
言うほうはそれでよいよしても、聞くほうはたまらない。
あまりにも確信的に言われると、ときに聞いているほうは、訳がわからなくなる。
さらにそれが、公の場で堂々と主張されると、さらに訳がわからなくなる。

 天安艦は爆破された。
46名の水兵が死んだ。
こうした事実までも、「本当だったのか?」と、疑うようになってしまう。
その心理状態は、「背中にへびがとりついている」と言われた女性のそれと、
それほどちがわない。

●バスの中で

 豊橋から伊良湖岬までは、ホテルの送迎バスに乗った。
たまたま土砂降りの午後で、客は少なかった。
が、それでもバスに乗ったとたん、またまたあのおしゃべり。
今回の女性は、その中でも、横綱級の女性だった。

 年齢は67〜8歳か?
よくしゃべるだけではない。
大声で、ときおり、(ゲラゲラ)というよりは、(ガラガラ)と、相手を
叩み込むように笑う。
片道70分の道のりだったが、その70分間、しゃべりつづけた。

●女性の脳みそ

 実に物知りの女性だった。
不動産の移転登記についての話をしていた。
その手続きについての話を、間断なくつづける。
となりの女性が、反論ぽいことを一言でも口にすると、語気を強め、
その数倍は話しつづける。

 自分ではかなり頭のよい女性と思っているらしい。
しかしよく聞いていると、自分の得意分野を話しているだけ。
相手の女性が別の話題に切り替えようとすると、すかさずそれを制する。
口を封ずる。
自分の話したいことだけを、一方的に話す。
が、誤解していることが、ひとつある。

 (情報の量)と(思考力)は、まったく別のもの。
その女性は、ある分野については、かなりの情報量をもっている。
それはよくわかる。
しかし思考力は、ゼロ!
が、そんな女性でも、会話の中では、こう言う。
「・・・私ね、よく考えるんだけど・・・」と。
何も考えていない。
そんな女性が、「考えるんだけど」と。

 そしてまたペラペラと話しつづける。

 私は何度かその女性の顔をのぞきこんだ。
が、目つきはまるで何かに取りつかれたかのよう。
うつろだった。
「死んだ魚の目」という言葉があるが、そんな目つきだった。

 ワイフは小声で、「疲れないのかしら?」と言った。
「ああいう人は、口先だけを使って話すから、疲れないよ」と。

 やがてバスは、小高い丘の上にあるホテルに向かって、ゆるい坂を
登り始めた。

●旅行記 

 旅行記なのだから、もっと旅行記らしい文章を書きたい。
これではぜんぜん、旅行記らしくない。
つい先日、志賀直哉の『城の崎にて』について書いた。
どうせ書くなら、志賀直哉が書いたような紀行文を書いてみたい。

 ……ここは渥美半島の先端。
伊良湖岬。
この岬を境に、外側は太平洋。
内側は、名古屋港へつづく内海。
が、今日はホテルは、深い霧に包まれていた。
眼下にかすかに湾の入り江が見える程度。
カメラのシャッターを何度も切る。
が、音だけがむなしく、室内で響く。
せっかく買った新しいカメラも、これではどうしようもない。

●3階のロビーにて

 夕食後、猛烈な睡魔に襲われた。
ベッドに横になっていたが、目を閉じたとたん、スーッと眠りの世界へ。
あわてて目を開け、歯磨き。
そして再びベッドへ。
時刻は午後9時ごろだった。

 目を覚ますと、真夜中。
午前0時を過ぎていた。
しばらくワールドカップ関連の番組を見ていた。
隣で眠っている、ワイフや長男が気になった。
私はパソコンを片手に、3階のロビーまでおりていった。
(この文章は、そのロビーで書いている。)

 が、どこにも電源コンセントがない!
しかたないので、ロビー脇にある、「スマイル・デスク」なるものを
借りることにした。
昼間はここで若い女性が、周囲の観光案内をする。
そのデスクの下に、電源コンセントがあった。

 で、そのデスクの上の観光MAPを見ながら、訂正。

 私が泊まっている、伊良湖ビューホテルは、伊良湖岬にあるのではない。
その手前、地図で見ると、1〜2キロ?
またこの岬を境に、内側、つまり名古屋港よりの内海は、「三河湾」という。
知っていたが、忘れていた。

●田原市

 ついでに田原市について。
渥美半島を訪れるのは、15年ぶり(?)。
立派なバイパスもでき、通りからながめる家々も、「豪邸」が多い。
ワイフはバスの窓から、「このあたりは、お金持ちの人が多いのね」と言った。
私は、その変りように驚いた。
昔、息子たちと車でこのあたりまで来たときには、ずっと、田舎道といった
風景がつづいた。
が、観光MAPを見て、理由がすぐわかった。

 渥美半島は、「トヨタ自動車の工場」と化していた。
・・・と書くのは、おおげさかもしれないが、渥美半島から東へ、
そのまま進むと、隣接して、静岡県の湖西市につながっている。
その湖西市には、豊田佐吉の記念館がある。
このあたり一帯は、TOYOTAだけではなく、SUZUKIの
工場や下請け工場が、群をなして並ぶ。

 納得!

●『♪椰子(やし)の実』

 よく知られた歌に、『♪椰子の実』というのがある。
「♪名も知らぬ、遠き島より・・・」という歌詞の、あの歌である。
あの歌に出てくる「椰子の実」というのは、このあたりで見つかった
椰子の実のことだそうだ。

 目の前に張ってある観光INFOMATIONには、その詩碑があるらしい。
無料のシャトルバス乗ると、そこまで案内してくれるという。
このホテルから25分間の周遊シャトルバスで回れる距離というから、
それほど遠くはない。
出発時刻は、8時45分と、10時30分になっている。
「行くか、どうか?」。
少し迷う。

●真夜中のロビーで
 
 たった今、夜警の男性が1人、うしろを通り過ぎていった。
「こんばんは!」と声をかけると、「こんばんは!」と答えて、そのまま
反対方向へ、去っていった。

 クーラーがよくきいていて、心地よい風が、ロビーを吹き抜ける。
デスクの左前には、このあたりではよく知られている、手筒花火の手筒が置いてある。
竹を縄で巻き、その中に火薬を入れて、花火にする。
浜名湖周辺の村々では、どこでも祭りには、手筒花火をして見せる。
ときどき失敗したかのように、大音響とともに、ドスン!と、爆発
させてみることもある。
しかしあれは、ヤラセ。
わざとそうなるように、しかけてある。
観客は、その音を聞いて、そのつど、オーと歓声をあげる。

●伊良湖ビューホテル

 部屋の窓からは、伊良湖岬に至る半島が、そのまま見える。
高台のホテル。
ワイフが「晴れていたら、きっと海がよく見えるはずよ」と何度も言った。
霧の中でも、そのすばらしさは、容易に想像がつく。

 が、ホテル自体は、やや古いかな(?)といった印象をもった。
床のジュータンは、かなり疲れていた。
ヨレヨレといった感じで、表面はすり切れ、波を打っていた。
また部屋の中へ入ると、潮のにおいというよりは、どこかカビ臭いにおいが、
プ〜ンとした。
部屋の中にあるバスタブは、ビジネスホテルのそれとはちがい、ふつうサイズ。
おとなでも、ゆったりと横になれる。
が、茶色いシミが浮き出て、やや不潔ぽい。
ロビーも含めて、天井も全体に低い。
建物としては、星は2つか、3つ。
しかし景色のよさが、それをじゅうぶん、カバーする。
景色のよさは、文句なしの、星5つ。
総合点としては、大浴場のよさを加え、星は4つプラスの、★★★★+。

 そう、大浴場がすばらしかった。
ただし外来の客も来ているらしい。
時間帯をうまくねらわないと、のんびり・・・というわけにはいかない。
またたまたま今日だけがそうだったのかどうかは知らないが、韓国人の
観光客が大挙、宿泊していた。
このあたりでも人気ホテルなのだろう。
夕食時も、2交代制で、ほぼ満席だった。

●『触らぬ神にたたりなし』

 今ごろ、北朝鮮vsブラジルの試合が行われているはず。
しかし私が先ほど見たところ、どこのチャンネルも、中継していなかった。
北朝鮮は、どこかで電波を盗んで、それを自国で流しているという。
が、もし日本も韓国も、北朝鮮の試合を中継しなかったら、どうなるか?
北朝鮮は、自国の試合すら、国内で流すことすらできなくなる。

 貧しいということは、そういうことか。
この5月に入って、餓死者が続出しているという(朝鮮N報)。
そしてつい数日前には、とうとう食料の配給も、止まったという。
「ついに・・・」と書くべきか。
それとも「とうとう・・・」と書くべきか。
(どちらでも、同じだが……。)

北朝鮮は、最後の悪あがきを繰り返している。
大切なことは、その悪あがきに巻き込まれてはいけないということ。
日本も、韓国も、ここは冷静に!
あんな国と心中するようなことはしてはいけない。
また『触らぬ神にたたりなし』。
北朝鮮の挑発に乗ってはいけない。

 古今東西、北朝鮮のような独裁国家は、最期は自己崩壊するか、
さもなければ、外に向かって戦争に打って出る。

●合宿

 若いころは、夏になるといつも生徒を連れて、合宿に行った。
それが楽しみのひとつだった。
が、友人が事故を起こした。
どこかの山の中でキャンプをしていたら、そこへ落石。
1人の女生徒(中学生)が、それで死亡した。
全国紙に載るほどの、何とも痛ましい事故だったが、そのためその友人は、
私塾を閉鎖することになった。
請求された賠償金が、3000万円!
30年ほど前のこと。
30年前の3000万円!

 その友人は私にこう言った。
「いくらボランティアでも、事故となれば、賠償責任を負いますよ」と。
法律でもそうなっている。

 たとえば隣に住んでいる女性が、その女性の子どもを預かってくれと
頼んだとする。
1時間でも、2時間でもよい。
その間にその子どもがけがでもしたら、その責任は、すべてその預かった
人が負う。
言い逃れはできない。
つまり他人の子どもを預かるというのは、そういうこと。
だから安易に、となりの子どもでも預かってはいけない。
合宿など、してはいけない。
するならするで、万全の準備をし、短期日の旅行保険にしっかりと
加入してから行く。

・・・ということで、私はその友人のアドバイスに従って、合宿はやめた。
以後、一度もしていない。
が、こういうホテルに泊まるたびに、「みなで合宿をしたら、楽しいだろうな」
と思う。

●篠島(しのしま)

 渥美半島の先端からは、篠島(しのしま)までのフェリーボートが出ている。
息子たちが子どものころ、一度、その篠島へ渡ったことがある。
夏の暑い日で、私たちはどこかの旅館に泊まった。
もう、35年近くも前のこと。
記憶の中の息子たちは、まだ幼児とか、小学生だった。

 その息子たちも、今は、遠くに住んでいる。
4月に入って、長男(別棟で同居中)とワイフの誕生日がつづいた。
しかし今では、簡単なメールだけ。
数日前は、三男の誕生日。
私たちは手製のカードを送った。
それについても、簡単なメールだけ。

「そういうものかなあ?」と思ってみたり、「そういうものだろうな?」と
思ってみたりする。
疑問とあきらめが、交互に胸をふさぐ。
プラス、何とも言えないさみしさ……。

 二男はインディアナ大学で、スパコンの技術者をしている。
スイスにあるCERN(量子加速器)の研究所から送られてくる情報を、そこで分析
している。
三男は、JAL(B777)のパイロットをしている。
みな、それぞれに忙しい。
『老兵は、静かに去るのみ(マッカーサー司令官)』か。

●電話が鳴った・・・

 たった今、フロントのベルが鳴った。
男性が、「はい・・・」「はい・・・」と、何やら答えている。
何かトラブルが起きたらしい。

 こういうときは、部屋に戻ったほうが、よさそう。
そのうち注意されるかもしれない。
北朝鮮vsブラジル戦の結果も、出ているはず。
時刻は、午前1時30分。
明日は晴れるとよい。
きっとすばらしい景色が、眼下に広がるはず。

 そうそう長男は、最近、旅行に行くたびに画材道具をもってくる。
窓の外の景色を、部屋から描いている。
自分なりの旅の楽しみ方を、身につけたようだ。

 ・・・しばらくすると、あたりがあわただしくなってきた。
まず酔っ払っているのか、呂律(ろれつ)の回らない男性が、、
大きな声でワーワーと騒ぎながら、ロビーの中へ入ってきた。
その男性の前後を、ホテルの従業員が2人、同行していった。
ていねいに応対する従業員。
怒鳴り散らす客。
こういう風景は、見ていても、不愉快。
ここで一旦、部屋に戻ることにする。

●再び、部屋へ

 部屋へ戻ると、ワイフと長男は、熟睡していた。
私はバッグから、睡眠剤と精神安定薬を取り出した。
それらを何等分かして、舌の上でかんで溶かした。
こうして薬をのむと、効き目が早い。
量も、少なくてすむ。

 やがて再び睡魔が襲ってきた。
脳みそが勝手に乱舞し始めた。
おやすみ!

(翌日は、前日とはうって変わって、すばらしい晴天!
太平洋と三河湾が、眼下に一望できた。
その様子は、新しいカメラに収めた。
無料マガジンの7月号のはじめで、このとき撮った写真を紹介する。)

2010年6月16日記


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 伊良湖 渥美半島 伊良湖ビューホテル)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 14日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ハレンチ事件

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数日前、またどこかの教師が、18歳未満の
女性とS交渉をもって、逮捕された。
その教師は、出会い系サイトで、女性と
知り合ったという。
逮捕されたとき、その教師はこう言った
という。
「こんなに簡単にできるとは思っていなかった」と。

「簡単」ということは、「簡単」ということ。
そういったシステムが、アンダーワールドの
世界では、すでに完成している。

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●悪者?

 こういう事件を見聞きすると、私たちはすかさず、教師を悪者として見る。
たしかに悪者だが、しかし「悪者」と断言することもできない。
正常な(?)男性なら、若い女性に興味をもつのは、当然のこと。
またそうした本能をコントロールするのは、容易なことではない。
実際には、不可能。
こうした本能は、理性の外にある。

だからといって、その教師を擁護するわけではない。
私が言いたいのは、「誰が、その男性を、石をもって打てるか?」ということ。
最近、ときどき、こんなことを考える。

 つまり男性は、若い女性と遊びたがる。
しかし実際には、若い女性に遊ばされているのは、男性のほうではないのか、と。
たとえばえばタバコがある。
喫煙者は、タバコを吸う。
そのとき喫煙者は、「自分の意思でタバコを吸っている」と思うかもしれない。
しかし実際には、「タバコにタバコを吸わされている」。

 酒にしても、そうだ。
一日の仕事を終え、家に帰って一杯のビールを飲む。
うまい!
暑い日には、なおさらうまい!

 そういうとき、私たちは、「自分の意思でビールを飲んでいる」と思うかもしれない。
しかし実際には、「ビールにビールを飲まされている」。

●ナンパ・ビデオ

 どこかあやしげなビデオショップへ行くと、その種のビデオがズラリと並んでいる。
私も若いころは、そういうビデオをよく見た。
「よく見た」といっても、「ふつう程度に」という意味。
当時はやったビデオに、『洗濯屋のケンちゃん』というビデオもあった。
私たちの世代には、衝撃的なビデオだった。

 そんなある日、ちょうど1年ほど前のこと。
いつも通うビデオショップの裏口に、そういったビデオだけを並べているコーナーがある
のを知った。
それまで10年近くその店に通っていたが、そんなコーナーがあることさえ気がつかなか
った。
私は入ったついでに、「ナンパもの」と呼ばれるビデオを1本、借りた。

●ナンパもの

 「ナンパもの」というのは、街角で男たちが若い女性に声をかけ、その女性と最終的に
は、Sxxするというもの。
「モデルになってください」とか、「水着を試着してくれませんか」とか、そんなことを言
って、女性に近づく。
このとき理性というブレーキが働くなら、女性たちは男たちの申し出を断るはず。
しかし女性たちは、男たちについていく。
いとも簡単についていく。
部屋の中に入っていく。
はじめは抵抗するそぶりを見せるが、はじめだけ。
やがてすぐ、本気になっていく。
で、ある一線を越えたとき、女性は、今度は、むしろ積極的に男たちの体を求め始める。

 こうした「ナンパもの」で驚くことは、今では、「中出し」が当たり前ということ。
男たちは、女性の体の中で、射Sする。
もしこのときも、女性たちに一片の理性でも残っていれば、それがどういうことかわから
ないはずはない。
が、その時点になると、女性たちには、その理性はない。
無我夢中。
されるがままというより、むしろ自らそれを求めて、それに応ずる。

 そういうのを見ていると、先にも書いたように、「男たちが、女性を誘惑している」とい
うよりは、「男たちが、女性に女性を誘惑するよう仕向けられている?」と。
ストレートな言い方をすると、「男たちが、女性を誘惑しているのではない」。
「男たちが、女性に、もてあそばれている」と。
そんなふうに考えてしまう。

●食欲

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。
たとえば食欲。

 最近ではどこの旅館でもホテルでも、バイキング料理が多くなった。
そのほうが、人件費が安くすむ。
そこでのこと。
おいしそうな料理がズラリと並んでいる。
そういうのを見ると、「食べなければ損」という、あの卑しい根性がわいてくる。
が、実際には、「食べなければ損」ではなく、「食べたら損(そこ)ねる」。
理性で考えたら、「食べたら損」。
が、そういうとき、食欲と闘うのは、容易なことではない。
いつもなら食べないデザートまで、しっかりと食べてしまう。
2つ、3つと、余計に食べてしまう。

 が、部屋にもどったとたん、後悔の念。
「しまった!」と思う。
「食べたのではなく、食べさせられた!」と。

●一片の理性

 じゅうぶん分別もある男性の教師が、18歳未満の若い女性に手を出す。
もしそのとき、その男性の教師に一片の理性でも残っていれば、そういった女性には手を
出さないはず。
が、現実には多くの教師たちが、そういった事件を引き起こし、警察沙汰になり、職場を
追われていく。
それまでの名誉も地位も、すべて失っていく。

が、「一片の理性もない」という点では、会ったばかりの男に、体内での射Sを許す女性も
同じ。
が、だからといって、そうした教師や女性を責めるのもどうか?
(もちろん擁護もしないが……。)
ともに、その人たちの責任というよりは、その人たちの中に潜む、もっと大きな力によっ
て、操られているだけ。
当人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、「私」など、どこにもない。
そういうふうに考えないと、この問題は理解できない。
 
●自分の意思

 で、こうした人間の一連の行動を見ていると、こういうことが言える。
私たちはなにごとにつけ、自分の意思でしているかのように思っている。
が、実際には、そうするように、仕向けられている、と。
もっと平たく言えば、「操られている」。

 とくに本能と呼ばれる部分についてはそうで、それゆえに理性の力でコントロールする
ことは、たいへんむずかしい。
不可能ではないが、それをしようとがんばると、心の状態そのものがおかしくなることも
ある。

たとえば私のばあいは、「モノ」。
ある特定のモノがほしくなると、終日、そのモノのことばかり考えるようになる。
デジカメならデジカメでもよい。
そうした状態が1、2週間もつづいたりすると、神経そのものが、苛立ってくる。
自分でもその変化が、よくわかる。
が、買ってしまえば、落ち着く。
そのモノを、手の中でいじって遊ぶ。

●生かされている

 私たちは「している」のではない。
「させられている」。
あらゆることがそうだ。
たとえば「生きる」こともそうだ。

今、私はこうして生きている。
一見すると、自分の意思で生きているようにも感ずる。
が、実際には、「生かされている」。
脳の視床下部あたりから、「生きろ!」「生きろ!」という強力な信号が出ている。
その結果として、「生かされている」。

 話をもとに戻すと、冒頭に書いた男性の教師にしても、自分の意思でそういう行為をし
たというよりは、「若い女性によって、仕向けられた」と考えられなくもない。
繰り返しになるが、男も女も、それぞれにもっている本能によって、操られる。
たとえば若い女性が、化粧をしたり、ファッションに気をつかうのも、結局は「男の目」
を気にしているからではないのか。
もちろん当の本人は、それを否定するだろう。
「私は男性を誘惑するために、化粧をしたり、ファッションに気をつかっているのではな
い」と。

●「私」

 こうして考えていくと、私たちはいったい、どこからどこまで生かされ、どこから先で
生きているのか、わからなくなる。
もっとわかりやすく言えば、どこまでが「私」で、どこから先が「私でない」のか、わか
らなくなる。
先に書いたように、「生きている」ことにしても、そうだ。
本当に私たちは、自分の意思で生きているのか?
あるいは、ひょっとしたら、生かされているだけではないのか?

 そういうふうに考えていくと、「私」と言える部分は、ほとんどないのではないかという
ことになる。
話を戻す。

 冒頭で書いた男性の教師にしても、結局は「私でない」部分に操られてしまった。
相手の女性にしても、それは同じだろう。
現在の社会通念からすれば、男性の教師は「悪人」ということになる。
18歳未満だったその女性は、「被害者」ということになる。
しかし私には、「悪人」「被害者」と、決めつけることが、どうしてもできない。

 では、どうするか?

●結局は厳罰主義

 この問題だけは、結局は厳罰主義で臨むしかない。
18歳未満の女性に声をかけられただけで、震えあがる。
そういう法的な環境を用意する。

 オーストラリアでは、そうした関係を見聞きしただけで、罪に問われる。
見聞きした人には、警察への通報義務が生まれる。
通報義務を怠ったばあい、警察に逮捕されることもある。

日本も、とくに教職にある者であれば、問答無用式に2年の懲役刑とすればよい。
見聞きして、通報義務を怠った人も、同罪。
そういう形で、理性の欠陥を、補う。
つまり理性によるコントロールには、限界がある。
その限界を認め、それを厳罰主義で補う。
それしか方法はない。

 が、現実には、「教職を追われるなど、すでに社会的制裁を受けている」とか何とか、
理由にもならない理由で、たいていは執行猶予刑になる。
(教職を追われることは、当然のことではないか。)
こうした(甘さ)が、こうした犯罪を野放しにする。
いつまでたっても、跡を絶たない
繰り返し、繰り返し、新聞で報道される。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 厳罰主義 本能と理性)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●年金問題(「時事用語・2010」(成美堂出版)

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年金について、勉強してみる。
「時事用語・2010」(成美堂出版)を開く。
「2010」となっているが、実際の発行日は、「2009年1月10日」となっている。
すでに1年以上も前に発刊された本ということになる。

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●年金

 年金は、つぎの3つに分けられる。

(1)自営業者などの「第一号被保険者」……【国民年金】
(2)会社員などの「第二号被保険者」…… 【国民年金】+【厚生年金】+【企業年金】
(3)公務員などの「第二号被保険者」…… 【国民年金】+【共済年金】+【職域加算】
(4)専業主婦(夫)の「第三号保険者」……【国民年金】

●問題点

 「時事用語」によれば、「ここの5年以上、国民年金の未納率は、3割を超えており……」
とある。
理由の第一は、「将来、年金を受け取れないのではないかという、年金制度への強い不信感
が、若者の間で広がっていることが指摘されている」と。

 しかし、本当に、そうか?

「受け取れない」のではなく、「不公平感があるから」ではないのか?

●40年前の1万円、今の6万円

 大卒の初任給が6万円前後になったとき、(手取額は5万円と少し)、私とワイフは結婚
した。
そのときですら、2人で、月額計2万円弱、国民年金を納付していた。
6万円を分母にすれば、33%!
私はワイフと何度か、言い争いをしたことがある。
「もったいないから、払うのをやめよう」
「払わなければ、ならないのよ」と。

●得なのか、損なのか

 以来、40年近く、国民年金を納付してきた。
が、当初の約束とは異なり、満55歳から支給が、60歳になり、今は65歳になった。
しかも支給額は、月額計13万円弱。
額こそ、10倍近くになった。
しかし平均寿命を基準にして計算すると、支給されるとしても、その後15年前後。
得なのか、損なのか、それがよくわからない。
もちろん40年前の1万円と、現在の1万円とでは、価値もちがう。

●「宙に浮いた年金記録」

 「時事用語2010」を読んで、改めて怒りがわいてくる。
「宙に浮いた年金記録」が、5000万件以上もあったという。
いわく「納付された国民年金や厚生年金の中に、だれのものか特定できない記録が、50
00万件以上も発覚」(同書)と。

 5000万件=5000万人と考えると、成人した国民の約半数ということになる。

 2007年度だけでも、つぎのような数字が並ぶ(同書より)。

 60歳以上……約3850万件
 60歳以下……約2215万件
 生年月日不詳……約30万件
 (合計……5095万件)

 このほかにも、コンピューターに未登録の年金記録が、1466万件!

●年金の一元化 

 社会保険庁は解体され(?)、新たに「日本年金機構」が生まれた。
また「年金の一元化」が叫ばれるようになり、当時の自民党は、「2010年までに、共済
年金を廃止し、厚生年金に一元化する」方針を打ち出した。

 しかしみなさんご存知のように、官僚のはげしい抵抗にあい、その法律は、現在の今で
も成立していない。

 で、改めて計算しなおしてみる。

 私のばあい、満20歳から国民年金を納付してきたから、
1・4万x40年=672万円。
満65歳から、79歳(平均寿命)まで支給されるとして、
6・4万x15年=1536万円。

 「国民年金に納付してきて得だったかな」と思いたいが、たとえば私の隣人のばあいは、
満55歳で旧国鉄を退職。
以来、毎月33万円の年金を、以後、30年近く、支給された。
(数年前に、その隣人は亡くなったが……。)
それで計算すると、計1億1880万円ということになる。
現在の今も、奥さんは元気で、転籍特権というので、年金の7割前後が支給されている。
(「7割」という数字は、伝聞なので、不正確。)
旧国鉄で幹部職に就いていた、もう1人の隣人は、月額37万円前後の年金を受け取って
いる。

 こういう数字を並べてみると、不公平感が、否応なしに増大する。

●年金問題

 日本という国が破産するのは、「時間の問題」(経済各誌)。
破産するかしないかではない。
「いつ破産するか」である。
その理由のひとつが、年金問題と考えてよい。
この先、3人の労働者が、1人の老人を支えることになる。
しかしそんなことは、税収面から考えただけでも、不可能。

 某経済雑誌によれば、「へたをすれば、来年度の予算は、成立しなくなるかもしれない」
とのこと。
赤字国債(=国の借金)の発行にも、限界がある。
国民が日本の財政に不信感をもったら、最後。
終わりの始まり。
日本人はこぞって、(円)を外貨、もしくは外債に置き換える。
とたん、(円)は大暴落→ハイパーインフレとつづく。

 で、率直な私の感想。
この問題は、一度、日本という国を破産させないかぎり、解決しないだろうな……という
こと。
先のJALの破産に、その一例をみる。
あのときもJAL・OBたちは、最後の最後まで、企業年金の減額に抵抗した。
で、結局、破産!
企業年金は、半ば強制的に減額された。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 年金問題 国民年金 厚生年金 共済年金)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●スランプ

 今日になって、やっとスランプから抜け出た。
調子が戻った。
3時間あまり、集中して、原稿を書くことができた。
考えたことが、そのまま文字になって、パソコンの画面に現れるようになった。
よかった!
「このままボケてしまうのか」と、思った。
「認知症が始まったのか」とも思った。
その心配が、吹き飛んだ。

●運動不足

 そのかわり、運動不足。
体重もふえた。
歩いていても、自分の重さを感ずる。
そういえば、おとといこんなことがあった。

 距離にすれば、100メートル足らずの距離だった。
その距離を、全速力で走ってみた。
街の裏通りだった。
夕暮れ時だった。
そのときのこと。
自分の足が、体よりも遅れて前に出るような感じがした。
足がもつれるような感じだった。
生まれてはじめての経験だった。
足の運動を伝える交感神経の働きが悪くなったため(?)。

 それに走っているとき、右足のひざを傷(いた)めたらしい。
その日は、そのときから、ふつうには歩けなくなった。
ひざは痛くなかったが、足の裏が痛かった。
床に触れただけで、ギリッと足全体に、痛みが走った。

 幸い、症状は、つぎの朝には消えていた。
寝る前に、ワイフが湿布薬を何枚も張ってくれた。
それが効いたらしい。

 朝になってワイフが、こう言った。
「年も年なんだから、もうメチャしちゃあ、だめよ」と。

●快挙!

 明日(6月13日)、日本の小惑星探査機、「はやぶさ」が、地球に戻ってくる。
予定では、日本上空を飛び越えたあと、オーストラリアの砂漠に墜落するという。
考えてみれば、これはすごいことではないか。
今まであまり目立たなかったが、アポロ11号による月面着陸に匹敵するほどの快挙。
少なくとも、日本人の私たちにとっては、そうだ。
そういうロケットを7年前に打ち上げたというところが、すごい。
たまたま昨日、韓国のロケット発射実験があった。
が、こちらは失敗。
発射後2分前後で、爆発したという。
が、現場の科学者たちは、それを30分近くも、隠していたという。
実に韓国らしい。

 韓国の人たちは、「われわれは北朝鮮とはちがう」と思っているだろう。
しかし一歩離れた、この日本から見ていると、韓国の人も、北朝鮮の人も同じ。
思考回路が、たいへんよく似ている。
メンツと世間体ばかり、気にしている!

 先の哨戒艦爆破事件のときも、当初、現場から、「魚雷によるもの」という報告があった
という。
それを聞いた上官が、自分への責任を恐れて、別の原因に書き換えて報告した。
また同時刻に、別の船が、北朝鮮のものと思われる半潜水艦を発見し、射撃を加えている。
それについても、「あれは鳥の群れだった」と。
こうして軍の中枢部に、哨戒艦爆破の報告が届いたのは、約1時間後だったという。

 その哨戒艦爆破について、北朝鮮は、「アメリカ軍の仕業」と、逆に国連に、いうなれば
被害届のようなものを提出した。
そしてここからが、北朝鮮のいつもの常套手段。
『小悪を暴露して、大悪を隠す』。

 中国の密輸船を攻撃。
それについては、「謝罪し、関係者を処罰する」と。
妙に正直者ぶっている。
どうして北朝鮮は、こうまで小細工に小細工を重ねるのか?
今日のニュースによれば、ワールドカップの様子ですら、無断で国内で放映しているとい
う。
一事が万事!
万事が一事!

 で、韓国だが、DMZ(非武装地帯)に、北朝鮮向けに拡声器を設置し終えたという。
が、その拡声器を見て、驚いた。
日本でも市販されているような拡声器を、縦横に、何十も並べたもの。
「遅れている」というよりは、もう少し、策はないものか?

 たとえば指向性のある拡声器を設置する。
無数の太陽電池で作動するラジオをばらまく。
音源がわからないような拡声器を用意する。
電離層に反射させて音を伝える装置を開発する、などなど。
いかにも「拡声器」というところが、韓国らしい。
韓国のもつ技術力を応用すれば、ほかにも方法があるはず。

 北朝鮮は、それに対して、今日も、拡声器を攻撃破壊すると声明を発表している。


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●テレビvsインターネット(テレビ局の、「はやぶさ」無・報道に抗議して……)
(Why not was the news about "Hayabusa" reported on TV last night in Japan?)

++++++++++++++++++

昨夜、映画『アイアンマン2』を観てきた。
いつもはもっと遅い時間帯に、深夜映画を観る。
しかし昨夜は、早めに帰ってきた。
小惑星探査機「はやぶさ」の帰還を、テレビで
観るためである。

……ところが、である!
どこのテレビ局も、中継どころか、話題にも
していなかった!
NHKも定時のニュースで、そのときの様子を
流しただけ。
BS1も、BS2も、地上デジタルも、どこも
中継していなかった!
中継どころか、報道もしていなかった!

そのころ(午後10時過ぎ)には、サッカーの
実況中継も終わっていた。
例によって、どこのテレビ局も、緊急性のない番組ばかり。
私たちはすぐパソコンを開き、JAXAのHPを開いた。
そこからU・STREAMへアクセスした。
そこではやぶさが、無事地球に帰還する様子を見た。

日本経済新聞社は、つぎのように伝える。

+++++++++++以下、日本経済新聞社+++++++++++++

小惑星探査機「はやぶさ」が約60億キロメートル、7年間に及ぶ宇宙の旅を終えて日本時
間の13日午後11時ごろ地球に帰還した。本体から切り離されたカプセルからの電波を受
信、上空から目視でも着地を確認した。はやぶさは地球から約3億キロメートル離れた小
惑星「イトカワ」に着陸、その際に舞い上がった砂ぼこりなどがカプセルに入っていると
期待されている。月以外の天体に着陸した探査機が地球に戻るのは、世界初の快挙になる。

+++++++++++以上、日本経済新聞社+++++++++++++

●繁栄ボケ

 「平和ボケ」という言葉がある。
この言葉を借りるなら、今のこの日本は、明らかに「繁栄ボケ」している。
たまたまどこかのテレビ局では、同じ時刻に、韓国経済について論じていた。
1人の女性の経済学者が、こう言っていた。

「日本は、戦後、アメリカから技術をもらい、今の日本を築いた。
同じように韓国は、今、(日本から、技術をもらい)、それをしている。
韓国を責めても意味はない。
技術の移転は、しかたのないもの」(記憶によるものなので、内容は不正確)と。

 こういう経済学者がいるから、日本の経済は、衰退する。

(経済学というのは、未来を見越したものでなければならない。
その経済学者が、過去において、技術移転(=略奪)に警告を鳴らしていたというのなら、
話もわかるが……。)

●日韓経済戦争

 日本はアメリカから技術移転を受ける前から、アメリカと同等、もしくはそれ以上の技
術力、それに組織力をもっていた。
航空機産業にせよ、造船業にせよ、アメリカに見劣りするものは、何もなかった。
加えて、戦後、たしかに日本は、「廃墟の中から立ち上がった」(同、評論家)。
が、アメリカから「もらった」ものは、何もない!
アメリカはそんな甘い国ではない!

 一方、韓国は、日本全国に産業スパイをはびこらせた。
日本全国、津々浦々に、だ。
そして「これは!」という技術を見つけると、つぎつぎとそれを盗んでいった。
「盗む」という言い方に語弊があるなら、「買収して」いった。
また、あのノ前大統領は、毎朝、(毎朝だぞ!)、日本追い落としのための経済閣議を開き、
その前日の成果(?)を報告させていた。
その結果が、「今」である。

 日本の先端技術は、韓国につぎつぎと奪われていった!
今、韓国の基幹産業といえば、どれも、もとはと言えば、日本の基幹産業だった。
それを「日本もしたではないか……」とは!

●日本の国益

 なぜ、この日本で、こんな愚かなことが起きるのか?
起きたのか?
その理由の第一として、私は「繁栄ボケ」をあげる。
そしてその一例として、今回の「はやぶさ報道」をあげる。

 本来なら、こうした快挙をとらえて、日本は世界中に、このニュースを発信すべきであ
る。
が、肝心の日本が騒がない。
盛り上がらない。
が、どこのチャンネルも、ワールドカップ一色!
肝心の日本が騒がないから、世界も、騒がない。
ワールドカップも重要だが、今の日本にとっては、それ以上に重要。
少なくともその時間帯には、先にも書いたように、現地での試合は、すべて終わっていた。

日本の未来、将来、さらに国益を考えるなら、はやぶさ帰還を、もっと報道すべきだった。
オーストラリアからNHKが実況中継しても、何ら、おかしくなかった。
またその価値は、じゅうぶん、あった。
で、先の韓国だが、いまだにロケット一基、打ち上げられないでいる。

 つまりこんなことばかりしているから、足下から技術が盗まれいく。
盗まれても、気づかない。
ノー天気というか、問題意識もなければ、喪失感もない。
あげくのはてには、「技術移転は仕方ないこと」と、バカげたことを平然と言ってのける。
やがてロケット技術、宇宙工学のノウハウも、すべて韓国に盗まれていくだろう。
そうした危機感が、この日本には、まったくない!

●情報の能動性

 U・STREAMでは、視聴者がチャット形式で、つぎつぎと書き込みができるように
なっている。
その中では、テレビ局を批判するコメントがつづいた。
「どうしてテレビ局は、実況中継をしないのか?」と。
それに答えて、「テレビ局とインターネットは仲が悪いから」というのも、あった。

 どうして?

 インターネットのもつ、双方向性、さらに情報の多様性、即時性、能動性については、
テレビには、勝ち目はない。
「情報の多様性」というのは、ジャンルの広さをいう。
テレビのばあい、いくらがんばっても、チャンネル数は、せいぜい10〜20局。
一方、インターネットのほうは、ほぼ無限!

昨夜も、「志賀直哉 城の崎にて」を、私は検索してみた。
たまたま志賀直哉のことを思いだし、「城の崎にて」を読んでみたくなった。
私は高校生のとき、志賀直哉に傾注した。
これを「情報の能動性」という。
私はそのときの私の意思に従って、情報を得ることができる。

 が、テレビでは、こうした芸当はできない。
志賀直哉の番組を待っていたら、数年はかかるかもしれない。
つまりテレビでは、情報は、つねに一方的に、たれ流されるだけ。
番組を選ぶことはできるが、それでもある「範囲」に限られる。
言うなれば、「しくまれた自由」(尾崎豊・「卒業」)。
それにすぎない。

●テレビ局の偏見性

 テレビ局にせよ、新聞社にせよ、インターネットで流れる情報の価値を、認めていない。
認めたとたん、自分で自分のクビを絞めることになる。
それはわかるが、それ以上に、インターネットを枠外へ追い出そうとしている(?)。

 もしテレビ局が、「今、ネットではやぶさの大気圏突入が、中継されています。興味のあ
る人は、そちらを観てください」とか言うようになれば、話もわかる。
あるいは新聞社が、新聞に、「興味のある人は、以下のHPを開いてください」とか書くよ
うになれば、話もわかる。
しかしあえて、それをしない(?)。
あえてインターネットを無視する(?)。
私はここに情報の閉鎖性というか、人種偏見に似た、あの狭小性を覚える。

●影響力は……

 しかし忘れてはいけない。
現実には、テレビや新聞よりも、インターネットのほうが、この世界を動かし始めている。

 たとえば私のBLOGについても、Goo−Blogだけでも、昨日は、計3500件
ものアクセスがあった(6月14日)。
ほかに「はてなーBlog」「Blogger−Blog」「楽天ーBlog」へのアクセ
スも含めると、軽く1万件を超えた。
これにHPへのアクセスを加えると、1万5000件以上になる。
(1万5000件だぞ!)
ほかに電子マガジンの読者、計4000人など。

 しかしこうした数字を、テレビ局や新聞社は、認めない。
認めようともしない。
が、実際、この世界を動かしているのは、インターネット。
私が書いているこの記事にしても、明日までに、数万人の人たちが読む。
が、それを「価値がない!」と。
私はそれを「偏見」という。

●はやぶさ

 日本経済の衰退を導いたのは、「テレビ」と断言してもよい。
さらに言えば、「テレビ」を支える、「テレビ局の人間」と言ってもよい。
問題意識もなければ、危機感もない。
日本人を、「一億総ハクチ化」(大宅壮一)しながら、その意識もない。
さらに恐ろしいことに、「テレビ」のもつ、影響力そのものを、悪用している。
バラエティ番組にみられるように、日本人を愚民化している(?)。

 こうした弊害をさけるためには、たとえばアメリカのように、テレビ局を細分化し、「多
様性」をもたせるという方法がある。
スポーツ番組だけを流すテレビ局、宗教番組だけを流すテレビ局、映画だけを流すテレビ
局などなど。
アメリカには、そうしたチャンネルが、60〜100局ほど、ある。
視聴者は、自分で選んで、自分の観たい番組を観ている。

現在のように、「総合雑誌的なテレビ局」は、雑誌の世界で、すでに先行証明されているよ
うに、早晩、衰退する。
衰退すると言うよりは、見向きされなくなる。

 ともあれ、今回の「はやぶさ報道」は、ひとつの象徴的なできごととして、しっかりと
記憶にとどめておきたい。

●ウーメラ砂漠(蛇足)

 サッカー選手にインタビューを求める前に、(あるいは同時に)、どうしてはやぶさを帰
還させた科学者に、インタビューを求めなかったのか。
南アフリカから実況中継する前に、(あるいは同時に)、どうしてオーストラリアから、実
況中継しなかったのか。
はやぶさが帰還した「ウーメラ砂漠」と言えば、私の親友のボブ君の農場があったところ
である。

ボブ君の実家は、その一角のナンタワラ(Nantawarra)というところにあった。
休暇ごとに、私は、そのナンタワラで、1〜2週間を過ごした。
遠くに、フリンダース連峰を眺め、当時は、緩やかな傾斜のつづく農地だった。
(現在は、砂漠化が広がり、だれも住んでいないが……。)
それだけに、つまりそういう個人的な思いもあったから、今回の、テレビ局による「はや
ぶさ無・報道」は、残念でならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 小惑星探査機 はやぶさ 報道の偏向 イトカワ 日本経済衰退論 
繁栄ボケ)

(警告)
★私が韓国の大統領なら、日本の技術者を、超高給で引き抜く。
あるいは韓国へ超高額で、講師として招き、技術指導を受ける。
ロケットを作っている日本企業を買収する。

★私が日本の総理大臣なら、技術移転には、しっかりとした制限を設ける。
技術者の引き抜きには、制限を設ける。
企業買収を不許可とする。

★私が日本の科学者なら、日本に見切りをつけ、さっさと韓国企業へ移籍する。
(これは冗談!)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●下楠昌哉著『妖精のアイルランド』(平凡社新書)

++++++++++++++++++++++

一度、読んだ。
それから数年。
再び、今日、読んだ。
下楠昌哉著、『妖精のアイルランド』(平凡社新書)。
といっても、下楠昌哉氏のその本は、新書版ながら、
1日や2日で読みきれるものではない。
密度が濃いというか、アイルランド文学に造詣(ぞうけい)
の深い人でないと、垣間見る文学史に振り回されてしまう。
しかし読みこなすほどに、おもしろさが伝わってくる。
不謹慎なたとえかもしれないが、おいしいスルメを
かんでいるような心地。
そんな感じになる。

+++++++++++++++++++++++

●日本とアイルランド

 日本とアイルランドは、地勢的に、正反対の位置にある。
日本があるあたりを、「極東」と呼ぶ。
同じように考えると、アイルランドのあるあたりは、「極西」ということになる。
極東と極西。

 しかし下楠昌哉(以下、下楠氏と略)のこの本を読む限り、「極東」というときの辺鄙(へ
んぴ)さを、アイルランドについて感じないのは、なぜか。
たとえば私が若いころ、この日本は、「奇異なる国」と呼ばれていた。
もちろん西洋的視点から見た印象だが、その「奇異さ」は、日本から一歩外に出てみると、
よくわかった。
が、アイルランドを、「奇異なる国」と呼ぶ人はいない。

●アイルランド人

 一方、私たち日本人の視点から見ると、イギリス(ブリィテン)も、アイルランドも同
じ・・・に見える。
しかし実際には、イギリスとアイルランドは、言葉も文化もちがう。
風俗、習慣もちがう。
家の構え方もちがう。

アイルランドの流れを汲む民族的一派(ケルト人)は、フランスを含めて、大西洋の西岸
で、独特の文化圏を作り上げている。
今でもそれぞれの地で、その国の言語(ゲール語)を話している。

 私の印象では、イギリス人とアイルランド人は、日本人と朝鮮人ほど、あるいはそれ以
上にちがう。
アメリカでもオーストラリアでも、アイルランド人というよりは、アイルランド系の人は、
簡単に見分けられる。
(もちろん混血の人も多いが、それでもアイルランド系の人たちは、アイルランド系の人
たちどうしで、集まる傾向が強い。)

●アイルランド人

 オーストラリアへ渡ったとき、最初にできた友人は、ドイツ系の学生だった。
「ベア君(Beare)」という名字で、それがわかった。
つぎに仲良くなったのは、「キシア君(Kishere)」だった。
彼はイギリスでも名門の出で、イギリスで発行されている名士辞典には、彼の祖先の名前
が載っている。
が、だれよりも私に大きな影響を与えたのは、ガールフレンドの、Jだった。
その彼女が、アイルランド出身だった。
独特の、あの訛(なま)りのある英語を話した。

●ドリンキング・ソング

 アイルランドには、民謡として、「ドリンキング・ソング」というのがある。
酒場などで、酒を飲んだようなときに歌う、あの歌である。
めちゃめちゃ陽気な歌である。
オーストラリアのフォークソングは、そのドリンキング・ソングの影響を強く受けている。
明らかに替え歌というのも、多い。
が、ここで誤解してはいけないことがある。
こうしたドリンキング・ソングにせよ、フォークソングにせよ、底なしに明るいからとい
って、彼らの性格もそのまま明るいということにはならない。
むしろ事実は逆。
うつ病タイプの人が、ときとして陽気にはしゃぐのに似ている。
悲しみやさみしさ、つらさを吹き飛ばすために、彼らはドリンキング・ソングを歌う。
・・・歌った。

私は、そのドリンキング・ソングが大好き。
今でも、そのいくつかを、正確なアイルランド訛りで、歌うことができる。
Jがよく歌って、教えてくれた。

●妖精

 下楠氏の『妖精のアイルランド』を読んで、興味深いのが、「妖精」のイメージ。
日本で「妖精」というと、かわいい女の子、あるいはどこかいたずらっぽい女の子を連想
する。
ピーターパンに出てくる、ティンカーベルも、その1人。
しかし実際には、恐ろしい。
アイルランドの妖精は、恐ろしい。
日本的に言えば、「怨念をもった幽霊」に近い。
「妖精信仰」という言葉もある。
下楠氏は、ラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)の次のような言葉を引用している。

「妖精信仰は、実に恐ろしげで陰鬱なものである。
そこにはユーモアなどない。
極度の恐怖が主題なのである」と。

 ここまで読んで、鋭い読者の方なら、もうお気づきのことと思う。
ラフカディオ・ハーンはやがて日本の地を踏み、そののち、あの『怪談』を著す。
あの『怪談』に出てくる陰鬱さこそが、実は、アイルランドの妖精信仰とその底流でつな
がっているもの。
ハーンの父親は、そのアイルランド人だった。
・・・というより、下楠氏の『妖精のアイルランド』によれば、「その血筋の一端を、アイ
ルランドに有しているのである」ということである。
ラフカディオ・ハーンは、かなり複雑な幼少期を過ごしている。

●下楠氏

 下楠氏の本を読みながら、実は、私はまったく別のことを考えていた。
実は、下楠氏と私は、2人の娘さんを通して、知己(ちき)の間柄だった。
私は2人の娘さんを、4〜5年、教えさせてもらった。
たいへんというか、きわめて知的レベルの高い子どもたちで、その後、京都でも有数の進
学校に入学したと聞いている。
昨年の夏に、突然、私の教室を訪問してくれた。

 下楠氏とは、そのたびに、私の教室で顔を合わせている。
当時、下楠氏は、静岡文化芸術大学助教授の地位にあった。
『妖精のアイルランド』の奥付の著者欄には、「上智大学大学院博士後期課程終了。文学博
士」とある。

 その下楠氏と別れて、もう数年がたつ。
「早いものだ」と思ってみたり、「二度と会うことはないだろう」と思ってみたりする。
遠い人になってしまったが、本を手にとったとたん、そこに下楠氏がいるような気がした。
人の出会い、別れ、そしてその人への(思い)というのは、そういうものか。
改めて、『アイルランドの妖精』のもつ重みを、ズシリと感ずる。

1968年生まれというから、下楠氏が生まれたのは、私がUNESCOの交換学生とし
て、韓国に渡った年である。
年齢的には、私より21歳若いということになる。
(私は1947年生まれ。)
が、私には、逆立ちしても、こんなすばらしい本は書けない。
1ページ読むごとに、そう感じた。
それだから・・・というわけでもないが、下楠氏には、ある種の罪悪感すら覚える。
これといって失礼なことをした覚えはないのだが、ともに人生の一部を共有しながら、そ
の(共有)を、私は生かすことができなかった。
そのときは、「さようなら。お元気」だけで終わってしまった。
「もっといろいろなことを教えてもらえばよかった」という後悔の念がそれを包む。

 先に書いた、ガールフレンドだったJは、その後白血病になり、兄の住むドイツに渡っ
た。
そこでギリシャ人と出会い、結婚。
最後の手紙は、ギリシャの小さな町からのもので、そこで音信は途絶えた。
あのJも、アイルランドの妖精だったかもしれない。
下楠氏の本を読みながら、そんなことも考えた。

 Jのことは、『世にも不思議な留学記』の中に書いた。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html

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BW はやし浩司 下楠昌哉 下楠昌哉著、『妖精のアイルランド』(平凡社新書)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 12日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【H幼稚園のみなさんからの、質問に答えて】

++++++++++++++++++++++++

H幼稚園での講演に先立ち、父母のみなさんから、
質問をいただきました。

それについて、考えてみます。

++++++++++++++++++++++++

【1】講演会の中で説明があると思いますが、なぜ法学科を卒業し、その道に進まず
 幼児教育評論家になったのか。肩書きが非常に多いのですが、それぞれへの道を
 たどっていったきっかけをお聞きしたいです。

【2】男の子3人兄弟の三男ですが、気に入らないことがあるとたたいてきます。
 たたくことは良くない事だよと言い聞かせても、私(母)が大げさに「痛いよ〜。」 
と泣きまねをしても、たたくことをやめません。どのように対応したらよいですか? 

【3】兄弟の子育てについて。

【4】習い事(ピアノや水泳など)は本人の意思で始めた方が良いでしょうか?

【5】主人が育児に協力してくれません。食事も共にすることがほとんどありません。
 父親が子育てに関心を持つのは、どんな時ですか?

【6】子育てで、一番大事だと思われることをずばり一言で教えて下さい。

+++++++++++++++++++++++

【1】講演会の中で説明があると思いますが、なぜ法学科を卒業し、その道に進まず
 幼児教育評論家になったのか。肩書きが非常に多いのですが、それぞれへの道を
 たどっていったきっかけをお聞きしたいです。

++++++++++++++++++

【はやし浩司より】

 これについては、今回の講演の中で、じっくりと話させていただきます。

【2】男の子3人兄弟の三男ですが、気に入らないことがあるとたたいてきます。
 たたくことは良くない事だよと言い聞かせても、私(母)が大げさに「痛いよ〜。」 
と泣きまねをしても、たたくことをやめません。どのように対応したらよいですか? 

++++++++++++++++++

●子どもの欲求不満

 欲求不満に対する、子どもの反応は、一般的には次の三つに分けて考える。

 (1)攻撃、暴力タイプ……欲求不満やストレスが日常的にたまると、子どもは攻撃的
になる。突発的にカッとなることが多く、弟を逆さづりにして、頭から落とした子ども(年
長男児)がいた。そしてその攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する。乱暴になる)と、裏
に隠れるタイプ(いじめ、動物への虐待)に分けて考える。

 (2)退行、依存タイプ……理由もなく、ぐずったり、赤ちゃんぽくなる(退行)。ある
いはネチネチと甘える(依存性)。優柔不断になることもある。このタイプの子どもは、い
わゆる「ぐずな子ども」という印象を与える。

 (3)固着、執着タイプ……いつまでも同じことにこだわったり、あるいは特定のもの
(毛布の切れ端、ボタン、古い雑誌、おもちゃ)に執着する。情緒的な不安定さを解消す
るための、代償的行為(心を償うためにする代わりの行為)と理解するとわかりやすい。
オナニー、髪いじり、指しゃぶり、爪かみも同じように考える。

 子どもがこうした症状を見せたら、まず愛情問題を疑ってみる。親や家族への絶対的な
安心感がゆらいでいないか。親の愛に疑問を抱いていないか。あるいは下の子どもが生ま
れたことなどで、その子どもへの愛が減っていないか、など。ここで「絶対的」というの
は、「疑いを抱かない」という意味。はげしい家庭内騒動、夫婦不仲、日常的な不安感、無
理な学習、きびしいしつけなどが原因となることもある。

よく誤解されるが、子どもにとって愛情というのは、落差の問題。たとえば下の子ども
が生まれると、上の子どもが赤ちゃんがえりを起こすことがある。そういうとき親は、「上
の子も下の子も、平等にかわいがっています」と言うが、上の子にしてみれば、今まで
一〇〇の愛情を受けていたのが、五〇に減ったことが、不満なのだ。特に嫉妬に関する
問題は、慎重に扱うこと。これは幼児指導の大原則。

 こうした欲求不満が原因で、情緒が不安定になったら、スキンシップをふやし、子ども
の心を安心させることに心がける。叱ったり説教しても意味がない。脳の機能そのものが、
変調しているとみる。また似たような症状に、「かんしゃく発作」がある。乳幼児の抵抗的
な行動(突発的なはげしい怒り)をいう。

たいていはささいな刺激が引き金となって、爆発的に起きる。デパートなどで、ギャー
ギャーと泣き叫ぶのが一例。原因の第一は、家庭教育の失敗とみる。ただし年齢によっ
て、症状が違う。一歳前後は、ダダをこねる、ぐずる、手足をバタバタさせるなど。一
歳半を過ぎると、大声で泣き叫び、その時間が長くなる。満二歳前後では、言葉による
抵抗、拒絶が目立つようになる。自分の体をわざと傷つけることもある。こうしたかん
しゃく発作が見られたら、家庭教育のあり方そのものを反省する。権威主義的(押しつ
け)な子育てや、強圧的(ガミガミ)な子育てになっていないかなど。「わがまま」と決
めつけて、叱っても意味がない。あるいは叱れば叱るほど、逆効果。あとは欲求不満に
準じて、対処する。
 
【はやし浩司より】

 根底に欲求不満があるのでは? そのあたりから疑って考えてみてはどうでしょうか。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【3】兄弟の子育てについて。

++++++++++++++++++

【はやし浩司より】

 テーマが、ばくぜんとしすぎていて、お答えできません。ごめんなさい。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【4】習い事(ピアノや水泳など)は本人の意思で始めた方が良いでしょうか?

++++++++++++++++++

●子どもの一芸論

 Sさん(中一)もT君(小三)も、勉強はまったくダメだったが、Sさんは、手芸で、
T君は、スケートで、それぞれ、自分を光らせていた。中に「勉強、一本!」という子ど
ももいるが、このタイプの子どもは、一度勉強でつまずくと、あとは坂をころげ落ちるよ
うに、成績がさがる。そういうときのため、……というだけではないが、子どもには一芸
をもたせる。この一芸が、子どもを側面から支える。あるいはその一芸が、その子どもの
身を立てることもある。

 M君は高校へ入るころから、不登校を繰り返し、やがて学校へはほとんど行かなくなっ
てしまった。そしてその間、時間をつぶすため、近くの公園でゴルフばかりしていた。が、
一〇年後。ひょっこり私の家にやってきて、こう言って私を驚かせた。「先生、ぼくのほう
が先生より、お金を稼いでいるよね」と。彼はゴルフのプロコーチになっていた。

 この一芸は作るものではなく、見つけるもの。親が無理に作ろうとしても、たいてい失
敗する。Eさん(二歳児)は、風呂に入っても、平気でお湯の中にもぐって遊んでいた。
そこで母親が、「水泳の才能があるのでは」と思い、水泳教室へ入れてみた。案の定、Eさ
んは水泳ですぐれた才能を見せ、中学二年のときには、全国大会に出場するまでに成長し
た。S君(年長児)もそうだ。

父親が新車を買ったときのこと。S君は車のスイッチに興味をもち、「これは何だ、これ
は何だ」と。そこで母親から私に相談があったので、私はS君にパソコンを買ってあげ
ることを勧めた。パソコンはスイッチのかたまりのようなものだ。その後S君は、小学
三年生のころには、ベーシック言語を、中学一年生のころには、C言語をマスターする
までになった。

 この一芸。親は聖域と考えること。よく「成績がさがったから、(好きな)サッカーをや
めさせる」と言う親がいる。しかし実際には、サッカーをやめさせればやめさせたで、成
績は、もっとさがる。一芸というのは、そういうもの。

ただし、テレビゲームがうまいとか、カードをたくさん集めているというのは、一芸で
はない。ここでいう一芸というのは、集団の中で光り、かつ未来に向かって創造的なも
のをいう。「創造的なもの」というのは、努力によって、技や内容が磨かれるものという
意味である。そしてここが大切だが、子どもの中に一芸を見つけたら、時間とお金をた
っぷりとかける。そういう思いっきりのよさが、子どもの一芸を伸ばす。「誰が見ても、
この分野に関しては、あいつしかいない」という状態にする。子どもの立場で言うなら、
「これだけは絶対に人に負けない」という状態にする。

 一芸、つまり才能と言いかえてもいいが、その一芸を見つけるのは、乳幼児期から四、
五歳ごろまでが勝負。この時期、子どもがどんなことに興味をもち、どんなことをするか
を静かに観察する。一見、くだらないことのように見えることでも、その中に、すばらし
い才能が隠されていることもある。それを判断するのも、家庭教育の大切な役目の一つで
ある。  


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より】

 これからはプロが生き残る時代です。そういうことを考えて、オールマイティな人間で
はなく、一芸に秀でた子どもをめざすとよいですよ。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【5】主人が育児に協力してくれません。食事も共にすることがほとんどありません。
 父親が子育てに関心を持つのは、どんな時ですか?

++++++++++++++++++

【父親論】

 父親の役割は、二つ、ある。(1)母子関係の是正と、(2)行動の限界設定である。こ
れは私の意見というより、子育ての常識。

●母子関係の是正

 母親と子どもの関係は、絶対的なものである。それについては、何度も書いてきた。

 しかし父親と子どもの関係は、「精液一しずくの関係」にすぎない。もともと母子関係と、
父子関係は平等ではない。

 その子ども(人間)のもつ、「基本的信頼関係」は、母子の間で、はぐくまれる。父子の
間ではない。そういう意味で、子育ての初期の段階では、子どもにとっては、母親の存在
は絶対的なものである。この時期、母親が何らかの理由で不在状態になると、子どもには、
決定的とも言えるほど、重大な影響を与える。情緒、精神面のみならず、子どもの生命に
も影響を与えることさえある。

 内乱や戦争などで、乳児院に預けられた赤ちゃんの死亡率が、きわめて高いということ
は、以前から指摘されている。

 では、父親の役割は、何か。

 父親の役割は、実は、こうした母子関係を調整することにある。母子関係は、ここにも
書いたように、絶対的なものである。しかしその「絶対性」に溺れてしまうと、今度は、
逆に、子どもにさまざまな弊害が生まれてくる。マザーコンプレックスが、その一つであ
る。

 一般論から言うと、父親不在の家庭で育った子どもほど、母親を絶対視するあまり、マ
ザーコンプレックス、俗にいう、マザコンになりやすい。40歳を過ぎても、50歳をす
ぎても、「ママ」「ママ」と言う。

 ある男性は、会社などで昇進や昇給があると、妻に話す前に、母親に電話をして、それ
を報告していたという。また別の男性(50歳)は、せとものの卸し業を営んでいたが、
収入は一度、妻ではなく、すべて母親(80歳)に手渡していたという。

 また、ある男性(53歳)は、「母の手一つで育てられました」と、いつも人に話してい
る。一度講演会で、涙声で、母に対する恩を語っているのを聞いたことがある。

 その男性は、その母と、自分の妻が家庭内で対立したとき、離婚という形で、妻を追い
だしたと聞いている。しかし自分の中の、マザコン性には、気づいていないようだ。

 常識で考えれば、おかしな関係だが、マザコンタイプの人には、それがわからない。そ
うすることが、子どもの務めと考えている。

 そしてマザコンタイプの子どもの特徴は、自分のマザコン性を正当化するために、母親
をことさら、美化すること。「私の母は偉大でした」と。そしてあげくの果てには、「産ん
でいただきました」「育てていただきました」「女手一つで、育てていただきました」と言
いだす。

 マザコンタイプの男性は、(圧倒的に男性が多いが、女性でも、少なくない)、親の悪口
や、批判を許さない。少し批判しただけで、猛烈に反発する。依存性が強い分だけ、どこ
かのカルト教団の信者のような反応を示す。(もともとカルト教団の信者の心理状態は、マ
ザコンタイプの子どもの心理と、共通している。徹底した隷属性と、徹底した偶像化。妄
信的に、その価値を信じこむ。)

 そこで父親の登場!

 こうした母子関係を、父親は、調整する。もっとわかりやすく言えば、母子関係の絶対
性に、クサビを入れていく。

 ここに母子関係と、父子関係の基本的なちがいが、ある。つまり母子関係は、子どもの
成長とともに、解消されねばならない。一方、父子関係は、子どもの成長とともに、つく
りあげていかねばならない。つまり、それが父親の役割ということになる。

 ……という話は、子育ての世界では、常識なのだが、しかし問題は、父親自身が、マザ
コンタイプであるとき。

 こういうケースでは、父親自身が、父親の役割を、見失ってしまう。いつまでも母親に
ベタベタと甘える自分の子どもをみながら、それをよしとしてしまう。そしてなお悪いこ
とに、それを代々と繰りかえしてしまう。

 問題は、そうした異常性に、母親や父親が、いつ、どのような形で、気づくかというこ
と。

 しかしこの問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題であるだけに、特別な事情がな
いかぎり、それに気づく母親や父親は、まずいない。(この原稿を読んだ方は、気づくと思
うが……。)

 そこで一つの方法として、私がここに書いたことを念頭に入れて、あなたの周囲の人た
ちを、見回してみてほしい。よく知っている親類の人とか、友人がよい。このタイプの人
が、何人かは、必ずいるはずである。(あるいは、ひょっとしたら、あなたや、あなたの夫
がそうであるかもしれない。)

 そういう人たちを比較しながら、自分の姿をさぐってみる。たとえば父親不在の家庭で
育った子どもほど、マザコン性をもちやすい。そういうことを手がかりに、自分の姿をさ
ぐってみる。
 
●行動の限界設定

 もう一つ、父親の大きな役割は、子どもの行動に、限界を設定すること。わかりやすく
言えば、行動規範を示し、いかに生きるべきか、その道徳的、倫理的規範を示すこと。さ
らにわかりやすく言えば、「しつけ」をすること。

 しかし、これはむずかしいことではない。

 こうした基本的なしつけは、ごく日常的な、ごく基本的なことから始まる。そして、こ
こが重要だが、すべてはそれで始まり、それで終わる。

 ウソをつかない。
 人と誠実に接する。
 約束やルールは守る。
 自分に正直に生きる。

 さらに一歩進んで……

 家族は大切にする。
 家族は守りあう。
 家族は教えあう。
 家族はいたわり、励ましあう。

 さらに一歩進んで……

 自分の生きザマをつらぬく。
 
 こうした生きザマを、ごくふつうの家庭人として、ごくふつうの生活の中で、見せてい
く。見せるだけでは足りない。しみこませておく。そしてそれに子どもが反したような行
動をしたとき、父親は、それに制限を加えていく。

 こうした日々の生きザマが、週となり、月となり、そして年となったとき、その子ども
の人格となる。

 その基礎をつくっていくのが、父親の役目ということになる。

 一見簡単そうに見えるが、簡単でないことは、父親ならだれしも知っている。こうした
父親像というのは、代々、受けつがれるもの。その父親が作るものではないからである。

 そういう意味で父親から受ける影響は、無視できない。たとえばこんなことがある。

 私には、三人の息子がいる。年齢は、それぞれ、ちょうど三年ずつ、離れている。

 そういう三人の息子を比較すると、それぞれが、私のある時期の「私」を、忠実に受け
ついでいるのがわかる。(もちろん息子たち自身は、そうは思っていないが……。)

 一番特徴的なのは、それぞれの息子たちが、年長児から小学二、三年生にかけて私が熱
中した趣味を、受け継いでいるということ。

 長男がそのころには、私は、模型飛行機やエアーガン、その種のものばかりで遊んでい
た。だから、長男は、こまかいものを、コツコツと作るのが趣味になってしまった。

 二男のときは、パソコン。三男のときは、山荘作り。今、それぞれが、その流れをくむ
趣味をもっている。父親が子どもに与える影響というのは、そういうものと考えてよい。
みながみな、そうということでもないだろうが、大きな影響を与えるのは、事実のようだ。

 まあ、もしあなたがあなたの子どもを、よい人間に育てたいと思っているなら、(当然だ
が……)、まず、自分の身のまわりの、ごく簡単なことから、身を律したらよい。「あとで
……」とか、「明日から……」というのではない。今、この瞬間から、すぐに、である。

 この瞬間からすぐに、

 ウソをつかない。
 人と誠実に接する。
 約束やルールは守る。
 自分に正直に生きる。

 たったこれだけのことだが、何年かたって、あるいは何十年かたって、今のこの時を振
りかえってみると、この時が、子育ての大きな転機になっていたことを知るはず。

 ただし……。私は生まれが生まれだから、こういうことは、あえて努力しないと、でき
ない。ふと油断すると、ウソをついたり、自分を偽ったりする。へつらったり、相手の機
嫌をとったりする。そういう自分から早く決別したいと思うが、それが、なかなかむずか
しい。

 がんばろう! がんばりましょう! 父親の役割というのは、そういうもの。

【はやし浩司より】

 ここにあげた文章を読んでいただければ、(お父さんに、です)、少しは考え方を改めて
もらえるのではないかと思います。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【6】子育てで、一番大事だと思われることをずばり一言で教えて下さい。

++++++++++++++++++

●子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言って
くれ。私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの
本を、何冊も読む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うこと
です。使って使って、使いまくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身に
つける。自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。
この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●一〇〇%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、
スポイルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。

そこで私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼
は、こう教えてくれた。「ときどきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器
を洗わない。片づけない。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、
ベッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休
みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。「向こう
では、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手
伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自
分を喜ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりす
る。自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを
許さない。いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、
目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放
棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだ
らしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費
的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、
自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従
って行動することができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しか
し一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方その
ものに原因があるからである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあ
り方を反省する前に、叱って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉
しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、
家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親
の愛だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこ
からくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞
くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。

あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんが
いるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だ
ちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「ト
イレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもに
しないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝
負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉
強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは
言わない。好きなことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことを
する力」のことをいう。たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板
を届けることができる。風呂場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことがで
きる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。
そのおばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どもの
お母さんは、こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオル
で、口をぬぐってくれるのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをする
にしても、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛
を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)
→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。
話を聞くと、「掃除は、掃除機でものの一〇分もあればすんでしまう。買物といっても、食
材は、食材屋さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチン
の周囲でうろうろされると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレ
ビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビ
キビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。
 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなた
の子どもが見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、そ
れでよし。しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあ
り方をかなり反省したほうがよい。

やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わったら、
食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。
さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
たとえば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話
に出る。庭の草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そう
いう雰囲気で包むことをいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそう
いう子どもにすること。それが、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。(1)
生活感のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労
がともなうことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族
のみんなが困るのだ」という意識をもたせる。(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生
活を改める。(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。(4)生活のルールを
守らせる。(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが
重要だが、(6)バランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した
生活をいう。ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまう
ような甘い生活。あるいは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの
接し方でチグハグになっている生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言え
ない。チグハグになればなるほど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかた
よったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。
それを忘れてはならない。

+++++++++++++++++++++

【はやし浩司より】

 以前、同じような質問をもらったときに書いた原稿です。参考にしていただければ、う
れしいです。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●頭のよい子ども

 現在、BW教室に、NG君という子どもがいる。まだ小学1年生である。

 私は今までに、数多くの、いわゆる「頭のよい子ども」を見てきた。小学4、5年生時
に、中学3年生の勉強を終えてしまった子どもなど。しかしNG君は、その中でも、とく
に秀でている。

 現在は、小学3年生のクラスで教えているが、実際には、小学4、5年生のクラスに入
れてもよいと考えている。ただ、まだ小学1年生である。高学年のクラスは、夜になるの
で、体力に無理。……ということで、小学3年生のクラスで教えている。

 たとえばあなたなら、つぎの問題を、何分くらいで解けるだろうか。ちょっと、あなた
自身の(算数力)を試してみてほしい。

+++++++++++++++++++++++

【問題】

 ABCAB x 9 = DDDDDD

 A、B、C、Dはすべて異なる数字である。A、B、C、Dは、それぞれ、いくつか?

+++++++++++++++++++++++

 問題の出典は、「頭がよくなる数学パズル」(逢沢明著、PHP文庫)。(類題、KY学院
中等部)とある。つまりKY学院中等部の入試問題として、出された問題である。

 この程度の問題なら、NG君は、10分程度(あるいはそれ以下)で解いてしまう。彼
が解いた、その解答用紙を、コピーして、ここに添付しておく。

 念のため申し添えるなら、私は、いっさいのヒントを与えていない。「やってみたら?」
と声をかけたら、「やってみる」と言って、解き始めた。「まさか?」と思っていたが、「で
きたよ」と言ってもってきたので、見た。驚いた。

 現実にこういう子どもがいる。しかし今の日本の教育制度では、こういう子どもをさら
に伸ばすシステムそのものがない。それを、「日本の損失」と言わずして、何という。

 YG君の解いた解答用紙は、
 http://bwhayashi.fc2web.com/page043.html#
頭のよい子ども
 に収録しておいた。
(05年10月14日記)
(はやし浩司 頭のよい子ども 頭のよい子供 天才 天才児 英才 英才教育)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今、反米は、まずい!

++++++++++++++++++

管総理大臣になって、少しほっとした。
つまり民主党(小沢政権)は、あまりにも
反米的だった。
「脱・アメリカ追従外交」を、前面に押し出し、
その一方で、親中国寄りの政策を重ねた。

たしかに日本は、アメリカに依存しすぎている。
それはわかる。
しかし今、ここで、反米は、ま・ず・い。
時期尚早。

8年前……2002年ごろ、私はこんな原稿を
書いていた。
今、読み返すと、「これを書いたころと比べると、
やや穏健派になったかな?」と思う。
しかし基本的には、あまり変わっていない。
日本を取り巻く国際情勢も、あまり変わっていない。

++++++++++以下、2002年10月に書いた原稿より+++++++++++

【国際情報誌・雑誌「S」】

 毎月2回発売の、情報誌「S」(10月26日号)を買う。どこか右翼的、かつ過激なと
ころが、おもしろい。ときどき、買う。値段は、420円。

 今月号は、題して、「アメリカの凋落(ちょうらく)」。表紙に、デカデカと、そう書いて
ある。副題は、「化けの皮がはがれた」と。

 順にみてみよう。

(1)「世界初! 男性器移植手術に成功」

 中国の人気番組の報道に、雑誌「S」は、「?」をつける。「怪しい」と。中国で、世界
初の、男性器移植手術が成功したという。それについて、「日本のヤラセ番組はひどいが、
中国のは、もっとひどい」と。

(2)アメリカの凋落

 「治安も防災も経済も! 小泉ニッポンが頼る唯一の超大国のもう一つの真実を暴く」
と、そこにはある。ハーバード大学のJ・フランケルの論文が、冒頭を飾る。

 要は、「ブッシュの失政が、ドルの大暴落につながる可能性がある」という内容のもの。
これはまあまあ、読める、まともなコラム。

 が、つづく、日本人ジャーナリスト、YB氏のエッセーには、驚いた。そこには、こう
ある。

(3)アホでマヌケなアメリカ白人

 「巨根、巨乳に憧れる、アホでマヌケな、これが平均的アメリカ白人の実像だ」と。

 わざわざ、「アメリカ白人」と断っているところが、憎い。アメリカ在住の、日本人やア
ジア人は、そうでないと言いたいらしい。しかしそれにしても、「アホでマヌケな……」と
は!

 あとは、これでもか、これでもか……と、アメリカの悪口がつづく。これを書いた、Y
B氏は、自分のことを、こう書いている。「初めての渡米以来、私は30年以上アメリカと
つき合ってきたが……」(冒頭)と。

 YB氏は、アメリカとどうつき合ってきたのだろうか。「アメリカ人とつき合ってきた」
というのなら、話はわかる。それにもし、つき合ってきたアメリカ人たちが、このYB氏
のエッセーを読んだら、どう思うだろうか。(きっと、怒るぞ!)

 ところで、アメリカでは、肥満について、公の場所で、意見を述べるのは、タブー視さ
れている。(アメリカと30年以上もつきあってきたのなら、こんなことを、知らないはず
はないのだが……。)「肥満」を口にしただけで、彼らは、それを「差別」ととらえる。そ
れを、YB氏は、堂々と、太ったアメリカ人を酷評したのち、「ここまでくると、悲劇であ
ると同時に喜劇であり、思考も行動も破綻していると言わざるをえない」と書いている。

 もしこんなことをアメリカで、英文で書けば、その人は、ピストルで射殺されるかもし
れない。書いたのが、日本人とわかれば、日本人排斥運動につながるかもしれない。

 ……ということを感じたのが、雑誌「S」は、つぎにアメリカ人自身が書いた本を、紹
介している。

(4)『デブの帝国』

 書いたのは、G・C氏。アメリカ人。タイトルは、『デブの帝国』。

 そこで私は、「デブ」の英語は何になっているか、原題を本誌の中でさがしてみたが、欄
外に、さがさなければ見えないほど小さな文字で、それはあった。原題は、「Fat La
nd」である。

「デブ」という言葉は、少なくとも教育の世界では、使用禁止用語になっている。つま
り「デブ」というのは、それを日本語に訳した、日本人がつけた言葉である。

 そこで原書を検索して、調べてみた。

 案の定、訳者は、かなり偏見をもって、「デブの帝国」と訳していることがわかった。原
題は、『Fat Land』(ISBN: 0618380604)。しかも1冊3ドル16セントの、ペーパ
ーバック本。この本は、「米国糖尿病協会から、絶賛された」と紹介してあるが、ホントか
な?

 どうして「Fat Land」が、日本では、「デブの帝国」なのか? しかもちゃんと
した本ではなく、1冊、400円弱のペーパーバック。「Fat Land」は、「太った
国」程度の意味しか、ない。そんな本をネタに、インタビュー・構成とかで、雑誌「S」
は、3ページもさいている。どこかに、編集長の悪意を感ずる……。

(5)学校崩壊

 さらにアメリカたたきの記事はつづく。19ページからは、「生徒にお金を払って学校に
来てもらう、ハイスクール・メルトダウンの、とてもヤバイ話」と。

 ●年間31件の校内殺人事件が発生、●高校男子32%女子25%が麻薬入手の経験あ
り、●貧富の差が生み出す教育格差、●落ちこぼれ救済法でも進まない教育改革……と。

 アメリカの教育を批判する人が、必ずとりあげるテーマが、これらの問題である。しか
しアメリカへ行ってみるとわかるが、アメリカには、アメリカ人というアメリカ人は、い
ない。

 もともと移民国家。白人もいれば、黒人もいる。ヒスパニックもいれば、アジア人もい
る。そういう意味では、アメリカは、世界の縮図。どこか単一民族国家の日本とは、基本
的な部分で、大きくちがう。その(ちがい)を忘れて、アメリカの教育を論ずることはで
きない。

 大都会の、公立高校だけを見て、それがアメリカの高校と考えるのは、それは少し危険
すぎるのではないのか。アメリカといっても、アジア全土を含めるほどの広さがある。私
は幸か不幸か、田舎の州の、田舎の学校しか知らない。が、私が見たところ、みな、よい
教育を実践している。

(6)中東民主化ドミノ構想の幻想

 「アラブの現実を知れば、ブッシュ政権の民主化構想の粗末さがわかる」と、そこには
ある。

 この記事については、いろいろ書きたいことがあるので、また別の機会に考えることに
して、ここまで「アメリカたたき」がつづくと、読んでいるほうも、ウンザリする。まる
でK国の雑誌社が発行している雑誌のようでもある。(K国には、こうした雑誌を発行する
だけの言論の自由さえないが……。)

 結局は、この雑誌「S」は、何が言いたいのだろう……とまで、私は考えてしまった。
もとから反米色の濃い雑誌であることは知っていた。つづく(7)には、「ついにニューヨ
ーク・タイムズまで書き出した、ドル暴落Xデー。これだけの真実味」とある。

 「アメリカは、あれこれも、悪い。内部はメチャメチャだ」と、まるで、そうなること
をおもしろおかしく、楽しみにしているような雰囲気さえある。もしドルが大暴落したら、
そのまま日本の円も大暴落する。アメリカは風邪程度ですむかもしれないが、日本は、そ
のまま肺炎になってしまう。

 そこで(8)(9)と、「そうしたアメリカに追従する日本の愚かさ」を指摘している。「海
外から、下流をまねする(日本の)若者たち」というのも、その一つ。

 ホントにそうだろうか? たしかにそういう誤解を招きやすい若者がいるかもしれない
が、それは見た目だけの話。私も、いくつかのBLOGを使って、そういう若者と意見を
かわしているが、みな、それぞれ、真剣に自分のことを考えている。

(9)では、あのK・S氏までが、「9・11と、ハリケーン直撃で、アメリカが直面す
る自我崩壊の危機」というコラムを書いている。「いよいよアメリカは正義の国であると
いう自己欺瞞によって維持されてきた自我が崩壊する危険性がある」と。

 アメリカがどういう国であれ、戦後の日本の平和と安定を守ったのは、アメリカ軍であ
る。日本は、カイロ宣言、ヤルタ協定、そしてポツダム宣言を経て、敗戦へと導かれた。
が、その間、日本周辺の国々は、静かにその日を待っていたわけではない。

 中国は、「沖縄(琉球)は、カイロ宣言をもとに、中国に返還されるべきである」と説き、
そのあと、毛沢東(中国)、金日成(K国)、ホーチミン(ベトナム)の、いわゆる三大共
産主義指導者たちは、一室に集まり、日本攻略の策を、着々と練りつつあった。ソ連のス
ターリンにしても、そうである。

 もし戦後、アメリカ軍が日本に進駐していなかったら、日本は、これらの国々の攻撃を、
繰りかえし受けていたであろう。つまり日本は、戦前から敗戦にかけて、そういうことを
されてもしかたないようなことを、日本の外でしてしまった。

 これに対して、日本をボロボロにしてしまったのは、アメリカ自身ではないかと主張す
る人たちがいる。

 「日本がアメリカによって、ボロボロにされなければ、中国、K国、ベトナムなど、も
のの数ではない」と。

 しかしアメリカはあれだけの物量作戦を展開しながらも、ベトナムには負けた。K国で
も、3万6000人近い、アメリカ兵を失った。日本が中国と戦争をあのまましつづけて
いたら、それこそ、今ごろ、日本は、どうなっていたことやら。考えるだけで、ぞっとす
る。

 「負けてよかった」と言っているのではない。あの戦争は、もともと無理な戦争であっ
た。無理というより、メチャな戦争であった。ほんの一部の、軍事独裁者たちのおかげで、
300万人もの、日本人が犠牲になってしまった。同時に、300万人もの、外国人も犠
牲にしてしまった。

 いまだに、反日感情が、日本の周辺で燃えさかっているのは、そのせいではないのか。

 そういう日本を相手にして、今まさに、K国は、着々と、核兵器を生産している。何度
も繰りかえすが、K国は、「核兵器は、日本向けのもの」と、公言してはばからない。

 そういう脅威を目の前にして、今ここで、同盟国アメリカをこきおろして、それにどう
いう意味があるというのか。もっとも雑誌「S」の論調は、もっとすさまじい。

 「アメリカは、経済的利益を獲得するために、日本人の精神を侵略してくる」(K・Y氏・
同誌)と。

 あのね、アメリカは、日本など、相手にしていませんよ。

私はこういう意見を読むたびに、こういうことを言う人たちは、アメリカのどこを見て
そう言うのか、それを知りたい。それはちょうど、K国のあの独裁者が、「日本は、K国
侵略を、虎視眈々(こしたんたん)とねらっている」と言うのを思い出す。

 日本は、K国など、相手にしていない。相手にしたくもない。

 被害妄想もよいところ。そんなことは、ほんの少しだけ、アメリカに視点を置いてみれ
ばわかるはず。少し前、……といっても、20年ほど前だが、台湾や香港のジャーナリス
トたちは、さかんに、「日本文化の侵略論」を説いていた。しかし当時、そして今でも、そ
んなことを考えながら行動していた日本人は、どこにいたのか?

 あえて言うなら、現在の、「韓流ブーム」「台流ブーム」こそ、逆侵略ではないのか……
ということになる。

 さらに「アメリカは、日本を、第51番目の州にしようとしている」と説く人も多い。
私がアメリカ人なら、日本に求められても、断るだろう。いわんや、「アホでマヌケなアメ
リカ人」(「S誌」)に、そんな高尚な政治的戦略など、あるはずもないのでは(?)。

 以上、雑誌「S」の「アメリカの凋落」を読んで、思いついたまま、書いてみた。

 最後に一言。

 今、日本のそこにある脅威は、K国の核兵器である。まともな国ではないだけに、ああ
いう国が、核兵器をちらつかせるようになったら、どうなるか? 勇ましい民族主義的国
家論も結構だが、拉致問題ひとつ解決できない日本が、どうしてK国の核兵器問題を解決
できるというのか。

 真正面から戦争でもするつもりなら、話はわかるが、日本は、あんな国など相手にして
はいけない。その価値もない。

 悲しいかな、経済的には大国でも、日本は、政治的には、小国。発展途上国である。そ
の事実を忘れて、いくら偉そうなことを言っても、はじまらない。が、それでもわからな
ければ、あなた自身の子どもが、戦争に行く姿を、今、ここで思い浮かべてみることだ。

 そこを原点にものを考えてみれば、今の日本がどうあるべきか、それがわかるはず。

+++++++++++++++++++++

アメリカをこきおろすばかりではいけない。
学ぶべき点も多いはず。
それについて書いたのが、つぎの原稿です。

ハリウッド映画だけを見て、アメリカを判断
しないでほしいと言ったのは、私の友人の
B君です。

+++++++++++++++++++++

+++++++++++++++++++++++++++++

ついでに、アメリカの大学についても、レポートしてみた。世界の教育がどういう方向
に向かっているかがわかれば、少しは考え方も変わるかもしれない。

 なおこの記事そのものは、数年前に書いたものです。ここに書いた「ところ天方式人事」
は、外部から教授を招くという方式で、改善されつつある。が、「じゅうぶんではない」(田
丸先生)とのこと。

+++++++++++++++++++++++++++++

●アメリカの大学生

 たいていの日本人は、日本の大学生も、アメリカの大学生も、それほど違わないと思っ
ている。また教育のレベルも、それほど違わないと思っている。しかしそれはウソ。恩師
の田丸先生(東大元教授)も、つぎのように書いている。

「アメリカで教授の部屋の前に質問、討論する為に並んで待っている学生達を見ると、質
問がほとんどないわが国の大学生と比較して、これは単に風土の違いで済む話ではないと、
愕然(がくぜん)とする」と。

 こうした違いをふまえて、さらに「ノーベル化学賞を受けられた野依良治教授が言われ
ている。『日米の学位取得者のレベルの違いは相撲で言えば、三役と十両の違いである』と」
とも(〇二年八月)。もちろん日本の学生が十両、アメリカの学生が三役ということになる。

 私の二男も〇一年の五月に、アメリカの州立大学で学位を取って卒業したが、その二男
がその少し前、日本に帰国してこう言った。

「日本の大学生はアルバイトばかりしているが、アメリカでは考えられない」と。アメ
リカの州立大学では、どこでも、毎週週末に、その週に学んだことの試験がある。そし
てそれが集合されてそのままその学生の成績となる。そういうしくみが確立されている。
そのため教える側の教官も必死なら、学ぶ側の学生も必死。学科どころか、学部のスク
ラップアンドビュルド(廃止と創設)は、日常茶飯事。教官にしても、へたな教え方を
していれば、即、クビということになる。

 ここまで日本の大学教育がだらしなくなった原因については、田丸先生は、「教授の怠慢」
を第一にあげる。それについては私は門外漢なので、コメントできないが、結果としてみ
ると、驚きを超えて、あきれてしまう。

私の三男にしても、国立大学の工学部に進学したが、こう言っている。「勉強しているの
は、理科系の学部の学生だけ。文科系の学部の連中は、勉強のベの字もしていない。と
くにひどいのが、教育学部と経済学部」と。理由を聞くと、こう言った。「理科系の学部
は、多くても三〇〜四〇人が一クラスになっているが、文科系の学部では、三〇〇〜四
〇〇人が一クラスがふつう。ていねいな教育など、もとから期待するほうがおかしい」
と。

 日本の教育は、文部省(現在の文部科学省)による中央管制のもと、権利の王国の中で、
安閑としすぎた。競争原理はともかくも、まったく危機感のない状態で、言葉は悪いが、
のんべんだらりと生きのびてきた。とくに大学教育では、教官たちは、「そこに人がいるか
ら人事」(田丸先生)の中で、まさにトコロ天方式で、人事を順送りにしてきた。何年かす
れば、助手は講師になり、講師は助教授になり、そして教授へ、と。それはちょうど、水
槽の中にかわれた熱帯魚のような世界と言ってもよい。温度は調整され、酸素もエサも自
動的に与えられてきた。田丸先生は、さらにこう書いている。

 「私の友人のノーベル賞候補者は、活発な研究の傍(かたわ)ら、講義前には三回はく
り返し練習をするそうである」と。

 日本に、そういう教授はいるだろうか。

 グチばかり言っていてはいけないが、いまだに文部科学省が、自分の権限と管轄にしが
みつき、その範囲で教育改革をしようといている。もうそろそろ日本人も、そのおかしさ
に気づくべきときにきているのではないのか。明治の昔から、日本人は、そういうのが教
育と思い込んでいる。あるいは思い込まされている。その結果、日本は、日本の教育はど
うなった? いまだに大本営発表しか聞かされていないから、欧米の現状をほとんど知ら
ないでいる。中には、いまだに日本の教育は、世界でも最高水準にあると思い込んでいる
人も多い。

 日本の教育は、今からでも遅くないから、自由化すべきである。具体的に、アメリカの
常識をここに書いておく。

アメリカの大学には、入学金だの、施設費だの、寄付金はいっさいない。
アメリカの大学生は、入学後、学科、学部の変更は自由である。
アメリカの大学生は、より高度な教育を求めて、大学間の移動を自由にしている。つまり
大学の転籍は自由である。
奨学金制度、借金制度が確立していて、アメリカの大学生は、自分で稼いで、自分で勉強
するという意識が徹底している。
毎週週末に試験があり、それが集合されて、その学生の成績となる。
魅力のない学科、学部はどんどん廃止され、そのためクビになる教官も多い。教える教官
も必死である。教官の身分や地位は、保証されていない。
成績が悪ければ、学生はどんどん落第させられる。

 日本もそういう大学を、三〇年前にはめざすべきだった。私もオーストラリアの大学で
それを知ったとき、(まだ当時は日本は高度成長期のまっただ中にいたから、だれも関心を
払わなかったが)、たいへんなショックを受けた。ここに「今からでも遅くない」と一応、
書いたが、正直に言えば、「遅すぎた」。今から改革しても、その成果が出るのは、二〇年
後? あるいは三〇年後? そのころ日本はアジアの中でも、マイナーな国の一つとして、
完全に埋もれてしまっていることだろう。

田丸先生は、ロンドン大学の名誉教授の森嶋通夫氏のつぎのような言葉を引用している。

「人生で一番大切な人間のキャラクターと思想を形成するハイテイーンエイジを入試の
ための勉強に使い果たす教育は人間を創る教育ではない。今の日本の教育に一番欠けて
いるのは議論から学ぶ教育である。日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。自
分で考え自分で判断するという訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでな
い自己判断のできる人間を育てる教育をしなければ、二〇五〇年の日本は本当にだめに
なる」と。 

問題は、そのあと日本は再生するかどうかだが、私はそれも無理だと思う。悲観的なこ
とばかり書いたが、日本人は、そういう現状認識すらしていない。とても残念なことだ
が……。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日は、勉強!

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ワイフが言うには、最近、私が書く原稿は、おもしろくない、と。
「いつも書くことが決まっている」と。

つまりそれだけジャンルが、決まってきたということ。
「ジャンル」というのは、フランス語で、「部門」「種類」「種別」という意味。
学者がよく使う言葉である。

そこで今日は、勉強。
新しい情報を、吸収する。
まずは手元にある、『2010年版・時事用語・最重要キーワード』(成美堂出版)。
これに目をつけた。

「勉強」という以上、自分でジャンルを選んではいけない。
最初のページから、読みこなす。

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●(政治1)麻生新内閣

「2008年9月、麻生太郎氏が92代目の総理大臣に選ばれた。
内閣発足直後に中山国交省が失言を理由に辞任。
また深刻な国際金融危機への対応を迫られるなど、前途多難な船出となった」(本文P6)。

 このとき麻生内閣は、「暫定内閣」とか、「選挙までの臨時内閣」とか、言われた。
しかしご存知の通り、麻生総理大臣は、やめなかった。
支持率が10%台になっても、任期一杯、ギリギリまでがんばった。
その結果、自民党は、大敗北。
「麻生だけには勝たせたくない」という無党派層、つまり浮動票層の票が、どっと民主党
に流れた。
その結果が、「今」。

 が、政治とは皮肉なもの。
今度は、民主党の小沢幹事長が、がんばった。
政党支持率が10%台になっても、「私は国民を信ずる」とかなんとか、トンチンカンなこ
とを言って、がんばった。

 日本人は、いつの間にか、デモをするという「牙(きば)」を抜かれてしまった。
外国なら、デモどころか、暴動すら起きても、おかしくない。
で、その代わりというわけでもないが、「支持率」が、私たちの声を反映する。

支持率30%……危険水域(内閣は、解散もしくは、総辞職を考慮する。)
支持率20%……崩壊水域(内閣は、解散もしくは、総辞職する。)
支持率10%……暴動水域(内閣は、国民の袋叩きにあっても、おかしくない。)

 ところでこの「牙(きば)」について。
つまり「日本人は、おとなしくなった」。
デモの仕方すら、忘れてしまった(?)。
これについては、今から11年前に、こんな原稿を書いたことがある。
当時の中日新聞に載せてもらった。

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●教育と政治(Political Apathy itself is to be ashamed.)

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教育と政治は分離する。
当然のことである。
私も、子どもたち(生徒たち)と
接するときは、政治の話は、
いっさい、しない。
してはならない。

しかし教師であるなら、当然、
政治に関心をもつべきである。
それが教育の場でないなら、
政治の話をして、当然。
意見を述べて、当然。

子どもの未来を考えていくと、
その向こうに(政治)がある。
政治抜きに、子どもの未来を
語ることはできない。

が、この日本には、おかしな
偏見が蔓延している。
高校生あたりに「6か国協議を
どう思う?」と問いかけても、
即座に、「ダサイ!」とはねのけられて
しまう。

あるいは政治的に無関心である
ことが、(常識的な人間の条件?)と
思われている。

しかしこんなバカげた民主主義国家
が、どこにある?
税金の使われ方すら知らない国民が、
どこにいる?

私が10年間に書いた原稿を、
もう一度読んでみてほしい。

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●無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Political Apathy)」というのは、それだけ
で軽蔑の対象になる。非難されることも多い。だから「あなたは無関心な人だ」と言われ
たりすると、その人はそれをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それ
に猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)と
いうことになっている。だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さ
ない。関心もない。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。

ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。ほとんどの子どもは、「セ
イジ……」と言いかけただけで、「ダサ〜イ」とはねのけてしまう。(実際、どの部分がど
のようにダサイのか、私にはよく理解できないが……。「ダサイ」という意味すら、よく理
解できない。)

● 政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
● 社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
● あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。今のこの日本が、
その結果であるといってもよい。これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。

● 文部省からの三通の通達

日本の教育の流れを変えたのが、三通の文部省通達である(たった三通!)。文部省が19
60年に出した「文部次官通達」(六月二一日)、「高校指導要領改定」(一〇月一五日)、そ
れに「初等中等局長通達」(一二月二四日)。

 この三通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活
動から、政治色は一掃された。さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、
禁止された。当時は、安保闘争の真っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなり
の理由があったが、それから40年。日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」
に改造された。その結果が、「ダサイ?」ということになる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。どんな生活であるにせよ、一度その生活に
入ると、どんな人でも保守層に回る。そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、そ
れである。構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう10年以上になるが、結局は、
ほとんど何も改革されていない。このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きく
なる。いや、すでに、日本は、現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれて
いる。あとはいつ爆発し、崩壊するかという状態である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった三通の、次官、局長クラスの通達で、
日本の教育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。そしてその恐ろしさを、ど
うか理解してほしい。日本の教育は、(日本人の心も)、こういう形で、中央官僚の思うが
ままにあやつられている。

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もちろん、極右であることも、極左であることも、
望ましいことではない。(否定はしないが……。)

ものごとは、常識を基点にして考える。
あるいは常識の上に常識を重ねながら、考える。
私たちが何よりも警戒しなければならないのは、
「極端化」である。
「先鋭化」ともいう。
とくに政治の世界では、警戒した方がよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●教育の結果

 つまり私たち日本人が、こうまでおとなしくなってしまったのは、「教育」が原因という
こと。
ここに「教育」のもつ、「力」というか、「恐ろしさ」がある。
今のあなた自身を振り返ってみればよい。
あなたはなぜに、そうまで従順なのか。
従順であるのが悪いというのではない。
しかし「牙(きば)」を抜かれてしまった。
あなた自身がつまり、「教育」の結果ということ。

 もっとも今は、デモをして声を張り上げるような時代ではない。
(ときとばあいによっては、大切だが……。)
今は、こうしてネットを通して、意見を発表する。
世論を動かしていく。
ツイッター(Twitter)で、国が動く時代である。

『時事用語』(成美堂)の第1ページを読んで、そんなことを考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 文部省通達 たった3通の通達 牙を抜かれた日本人 デモ禁止 教
育と政治)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●(政治2)北海道洞爺湖サミット

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『時事用語』(成美道)は、北海道洞爺湖サミットを、2番目に取りあげている。
いわく「主要国の首脳が集まるサミットが、2008年7月に北海道の洞爺湖で行われた。
最大のテーマは、環境問題で、温暖化ガス排出量削減をめぐって、先進国と新興国の思惑
の違いが、浮き彫りになった」(P8)と。

 この洞爺湖サミットは、計22か国とEUが参加する、過去最大規模のサミットとなっ
た。
が、ここで注意!
「最大」イコール、ベストではない。
数が多ければ、それでよいということではない。
たとえば日本には、「審議会」という、あやしげな会がある。
官僚たちが、自分たちの意見を通すために、利用する会である。

(1)まず、イエス・マンを集める。
各界の著名人から選ぶ。
(2)座長には、官僚の息のかかった人を選ぶ。
審議会そのものを、官僚サイドで用意する。
(3)議題、議論項目などは、あらかじめ官僚側で用意する。
当日、その場で、印刷物として配布されることが多い。
(4)それによって審議会を開き、最終的に「答申」という形で、結論を出させる。
この文書も、官僚側で用意することが多い。
(5)「答申」は、できるだけ抽象的、あいまいなものほど、よい。
数字や具体的な内容は、ほとんど書かないことになっている。
(6)官僚たちは、それをお墨付きにして、あとは好き勝手なことをする。
「審議会で決まった。控えおろう!」と。

 この審議会について、審議会のメンバーですら、「どうして私が選ばれたのかわからない」
と疑問にもつことがある。
どこかでその審議会について書いたことがある。
その原稿をあとで、さがしてみる。

 で、その前に一言。
参加国が多いと言うことは、「お祭りにはなる」。
しかし議論らしい議論は、無理。
審議会でも、メンバーが多ければ多いほど、発言時間は少なくなる。
仮に20人とすると、1人、5分ずつ発言して、それだけで、100分。
審議会は、それでおしまい。
つまり官僚たちは、自分たちにとって都合の悪い審議会ほど、メンバーを多くする。
メンバーを多くして、発言を封ずる。

 「洞爺湖サミット」という名前すら、もう記憶から消えかかっている。
覚えている人も少ないのでは……?
その参加国が、22か国+EU!
当時の日本の福田首相としては大成功のつもりだったかもしれない。
しかし結果は、「成果ゼロ」。
「サミット最終日に開かれたG8とEUおよび新興8か国からなる、主要経済国会合(M
EM)では、……具体的な数値目標を定めるまでには至らなかった」(同書)とある。

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(以下、2007年10月に書いた原稿より)

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●バウチャー制度

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まず6年前に書いた、新聞記事
をそのまま紹介する。

この中で、私はアメリカのバウチャー
制度について、少し触れた。

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●教育の自由化

アメリカでもオーストラリアでも、そしてカナダでも、学校を訪れてまず驚くのが、その
「楽しさ」。
まるでおもちゃ箱の中にでも入ったかのような錯覚を覚える。

写真は、アメリカ中南部にある公立の小学校(アーカンソー州アーカデルフィア、ルイザ・
E・ペリット小学校。生徒数三百七十名)。教室の中に、動物の飼育小屋があったり、遊具
があったりする。

 アメリカでは、教育の自由化が、予想以上に進んでいる。まずカリキュラムだが、州政
府のガイダンスに従って、学校独自が、親と相談して決めることができる。オクイン校長
に「ガイダンスはきびしいものですか」と聞くと「たいへんゆるやかなものです」と笑っ
た。

もちろん日本でいう教科書はない。検定制度もない。

たとえばこの小学校は、年長児と小学一年生だけを教える。そのほか、プレ・キンダガー
テンというクラスがある。四歳児(年中児)を教えるクラスである。費用は朝食代と昼食
代などで、週六十ドルかかるが、その分、学校券(バウチャ)などによって、親は補助さ
れている。驚いたのは四歳児から、コンピューターの授業をしていること。また欧米では、
図書館での教育を重要視している。この学校でも、図書館には専門の司書を置いて、子供
の読書指導にあたっていた。

 授業は一クラス十六名前後。教師のほか、当番制で学校へやってくる母親、それに大学
から派遣されたインターンの学生の三人で当たっている。アメリカというと、とかく荒れ
た学校だけが日本で報道されがちだが、そういうのは、大都会の一部の学校とみてよい。
周辺の学校もいくつか回ってみたが、どの学校も、実にきめのこまかい、ていねいな指導
をしていた。

 教育の自由化は、世界の流れとみてよい。たとえば欧米の先進国の中で、いまだに教科
書の検定制度をもうけているのは、日本だけ。オーストラリアにも検定制度はあるが、そ
れは民間組織によるもの。しかも検定するのは、過激な暴力的表現と性描写のみ。「歴史的
事実については検定してはならない」(南豪州)ということになっている。

アメリカには、家庭で教えるホームスクール、親たちが教師を雇って開くチャータースク
ール、さらには学校券で運営するバウチャースクールなどがある。行き過ぎた自由化が、
問題になっている部分もあるが、こうした「自由さ」が、アメリカの教育をダイナミック
なものにしている。

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バウチャー券というのは、学校
教育に対してだけしか利用できない、
クーポン券のことと思えばよい。
「商品券」でもよい。

たとえば年間、10万円のバウチャー
券を支給されれば、親は、それを
「学費」として使用することが
できる。

わかりやすく言えば、それにより、
親が国から直接、援助を受ける
ことになる。

「では現金でそれをすればよい」
というふうに考える人もいるかもしれ
ない。

しかし現金だと、それが何に使われるか
わからない。親によっては、遊興費に
流用してしまうかもしれない。

そこでバウチャー券ということに
なる。少し前までは、「クーポン券」
(東京都など)と呼ぶ政治家もいた。

(バウチャー=voucher……
証票、証明書、引換書、商品券のこと
(IMIDAS))

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 日経ニュースサイトは、つぎのように伝える。

 『政府の教育再生会議(N座長)が検討している「教育バウチャー(利用券)」制度の素
案が、10月27日、明らかになった。保護者が利用券で子供の通う学校を選ぶ仕組みを
まず特区を使って地域限定で導入。小中学校だけでなく高校、幼稚園にも拡大する。公立、
私立から幅広く学校を選択したり、低所得者世帯の私学就学を援助したりする案も検討す
る。

 同会議は教育バウチャー制度について年末にまとめる第3次報告に盛り込む方針。政府
は早ければ来年度にも導入したい考えだが、詰めるべき点も多く想定通り実現するかどう
かは微妙だ』と。

 このバウチャー制度は、日本の教育にとって、画期的な制度となる。この制度により、
従来の国や自治体による補助金制度が、根本的な部分で、ひっくり返ることになる。

 従来の補助金制度では、(国や自治体)は、(学校や幼稚園などの学校法人)という(法
人組織)に、補助金を交付してきた。けっしてハンパな額ではない。だから学校や幼稚園
は、上から落ちてくる補助金だけを見ていればよかった。

 それがバウチャー制度により、国や自治体の補助金が、一度(子どもをもつ父母)を経
由することになる。そのバウチャー券を手にした父母は、学校や幼稚園に対して、バウチ
ャー券という商品券で、学費を支払うことになる。

 つまり親のほうが、学校法人を選択、管理するようになる。当然のことながら、今まで
は、(上)だけを見ていればよかった学校や幼稚園は、バウチャー制度によって、今度は(下)
も見なければならなくなる。それだけきびしい環境に置かれることになる。

 だいたいにおいて、今までの補助金制度そのものが、おかしい。国や自治体は、(法人)
は助けるが、(個人)は助けない。これは欧米の常識とは、逆。欧米では、(個人)は助け
るが、(法人)は助けない。

 バウチャー制度は、そうした日本的な常識を、打ち壊す威力をもっている。あるいはそ
の第一歩となるかもしれない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
バウチャー バウチャー券 boucher)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●小・中9年制

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欧米では、教育の自由化は、予想
以上に進んでいる。

学校で教えるカリキュラムすら、
それぞれの学校が独自で決めている。

アメリカでは、公立学校であっても、
入学年度を、自由に決めている。

PTAの権限も、日本のそれとは比較に
ならないほど強い。教師の任命権
すら、もっている。つまりPTAが、
「あの教師は不適格」と判断すれば、
その教師はクビになる。

大学教育にしても、単位の共通化は、
今では、常識。EU(ヨーロッパ)
では、完全に共通化されている。

つまりどこの大学で、どのように勉強
しようが、単位さえ集めれば、それで
大学の卒業資格が与えられる。

こうした流れをみると、日本の教育
改革は、50年は遅れた。

けっして大げさなことを言っている
のではない。

私が学生だった1970年のオーストラリア
においてですら、単位の共通化は、
常識だった。

たとえば、メルボルン大学で、1年、2年を
過ごし、そのあと北京大学で1年勉強すれば、
帰国後は、4年生になれた。

アメリカでは、公立、私立を問わず、
転籍、転学は自由。日本でたとえれば、
1年と2年は早稲田大学で過ごし、3年目
からは静岡大学へ転籍できる。そういうことが
平気でできる。

もちろん学部の変更も自由。法学部で入学
し、そのあと、工学部へ転学するというよう
なこともできる。

教育再生会議は、今度、「小・中9年制」
の検討を答申したが、「今ごろねえ……」という
のが、私の実感。

こうした諮問会議で注意しなければならないのは、
たいてい座長と呼ばれる人は、それなりの権威者。

つづくメンバーは、「どうしてそういう人が
選ばれたかもわからない」(T教授)という、
文科省寄りのYESマンばかり。

議案も進行も、すべて役人のお膳立てによって
進められる。

諮問機関そのものが、お役人の(お墨付き機関)
として機能することが多い。

お役人は諮問機関で出された答申をもとに、
あとは「控えおろう」「下に……!」と、
あとは自分たちのしたい放題。

教育再生会議がそうだとは思わないが、そういう
疑いの目は、じゅうぶんもって見たほうがよい。

そういう中で生まれた、「小・中9年制」である。

つまり「地域の実情に応じて、4・3・2などと、
学年のまとまりを設ける」(日経)と。

この「地域の実情」という部分が、クセモノ。
おかしい。何かヘン。何かを隠している?

それについてはまた別の機会に考えるとして、
数字的な制度だけをいじっても、意味はない。

ほんとうに日本の教育を再生させようとするなら、
たとえばPTAの権限を強化するとか、そういう
内部部分の改革を目指さなければならない。
教師の任命権、解雇権まで踏み込む。

それに日本のような(格差社会)で、いくら
教育改革を唱えても、無駄。親たちは日常的な
生活を通して、その(格差)をいやというほど、
思い知らされている。

この(格差)があるかぎり、たとえば進学競争
はなくならないだろう。つまり、教育改革を
いくら唱えても、親たちは、進学率だけを見て、
学校の優劣を決めてしまう。また進学率が
あがるような制度を求めてしまう。

現に今、中高一貫校は、そういう流れの中で
動いている。

福田首相は会議の冒頭、「注目を集める会議と認識している。
国民全員が関心を持っている話題であり、
建設的な議論をしていただきたい」と求めたという(同)。

ほんとうかな?

子どもをもつ親たちが注目しているのは、
どうすれば自分の子どもが、進学競争に
有利になるかということ。

ついでに、教育再生会議では、大学への
飛び級入学についても議論されているという。

これについても、一言。

たとえばアメリカでは、原則として、
小中学校でも、無学年制。どこの学校へ
行っても、学年という「数字」はない。

教室の前にあるのは、そのクラスの責任者
である、教師の名前だけ。

飛び級を自由化するためには、同時に、
「落第」に対する意識を変えなければならない。

アメリカでは、先生が、「お宅の子を、
もう一度、ヒロシ教室で教えます(=落第
させます)」と言うと、親たちは、喜んで
それに従う。

落第ということが、日常茶飯事になされている。
飛び級というのは、その反射的効果として
浮かび上がってくるもの。

「飛び級」という片輪だけを論じても意味は
ない。

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以前、書いた私の原稿(中日新聞
発表済み)を載せる。

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家族の心が犠牲になるとき 

●子どもの心を忘れる親

 アメリカでは、学校の先生が、親に「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言う
と、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。ウソでも誇張でもない。あるいは自分の子ども
の学力が落ちているとわかると、親のほうから学校へ落第を頼みに行くというケースも多
い。

アメリカの親たちは、「そのほうが子どものためになる」と考える。が、この日本ではそう
はいかない。子どもが軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。先日
もある母親から電話でこんな相談があった。

何でも学校の先生から、その母親の娘(小二)が、養護学級をすすめられているというの
だ。その母親は電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れていたが、なぜか? なぜ日本で
はそうなのか? 

●明治以来の出世主義

 日本では「立派な社会人」「社会で役立つ人」が、教育の柱になっている。一方、アメリ
カでは、「よき家庭人」あるいは「よき市民」が、教育の柱になっている。オーストラリア
でもそうだ。カナダやフランスでもそうだ。

が、日本では明治以来、出世主義がもてはやされ、その一方で、家族がないがしろにされ
てきた。今でも男たちは「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも「勉
強する」「宿題がある」と言えば、すべてが免除される。

●家事をしない夫たち

 二〇〇〇年に内閣府が調査したところによると、炊事、洗濯、掃除などの家事は、九割
近くを妻が担当していることがわかった。家族全体で担当しているのは一〇%程度。夫が
担当しているケースは、わずか一%でしかなかったという。

子どものしつけや親の世話でも、六割が妻の仕事で、夫が担当しているケースは、三%(た

たの三%!)前後にとどまった。その一方で七割以上の人が、「男性の家庭、地域参加をも
っと求める必要がある」と考えていることもわかったという。

内閣総理府の担当官は、次のようにコメントを述べている。「今の二〇代の男性は比較的家
事に参加しているようだが、四〇代、五〇代には、リンゴの皮すらむいたことがない人が
いる。男
性の意識改革をしないと、社会は変わらない。男性が老後に困らないためにも、積極的に
(意識改革の)運動を進めていきたい」(毎日新聞)と(※1)。

 仕事第一主義が悪いわけではないが、その背景には、日本独特の出世主義社会があり、
それを支える身分意識がある。そのため日本人はコースからはずれることを、何よりも恐
れる。それが冒頭にあげた、アメリカと日本の違いというわけである。言いかえると、こ
の日本では、家族を中心にものを考えるという姿勢が、ほとんど育っていない。たいてい
の日本人は家族を平気で犠牲にしながら、それにすら気づかないでいる……。

●家族主義

 かたい話になってしまったが、ボームという人が書いた童話に、『オズの魔法使い』とい
うのがある。カンザスの田舎に住むドロシーという女の子が、犬のトトとともに、虹の向
こうにあるという「幸福」を求めて冒険するという物話である。あの物語を通して、ドロ
シーは、幸福というのは、結局は自分の家庭の中にあることを知る。アメリカを代表する
物語だが、しかしそれがそのまま欧米人の幸福観の基本になっている。

たとえば少し前、メル・ギブソンが主演する『パトリオット』という映画があった。あの
映画では家族のために戦う一人の父親がテーマになっていた。(日本では「パトリオット」
を「愛国者」と訳すが、もともと「パトリオット」というのは、ラテン語の「パトリオー
タ」つまり、「父なる大地を愛する」
という意味の単語に由来する。)「家族のためなら、命がけで戦う」というのが、欧米人の
共通の理念にもなっている。家族を大切にするということには、そういう意味も含まれる。
そしてそれが回りまわって、彼らのいう愛国心(※2)になっている。

●変わる日本人の価値観

 それはさておき、そろそろ私たち日本人も、旧態の価値観を変えるべき時期にきている
のではないのか。今のままだと、いつまでたっても「日本異質論」は消えない。が、悲観
すべきことばかりではない。

九九年の春、文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、四〇%の日本
人が、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、それが四五%にな
った。
たった一年足らずの間に、五ポイントもふえたことになる。これはまさに、日本人にとっ
ては革命とも言えるべき大変化である。

そこであなたもどうだろう、今日から子どもにはこう言ってみたら。「家族を大切にしよう」
「家族は助けあい、理解しあい、励ましあい、教えあい、守りあおう」と。この一言が、
あなたの子育てを変え、日本を変え、日本の教育を変える。

※1……これを受けて、文部科学省が中心になって、全国六か所程度で、都道府県県教育
委員会を通して、男性の意識改革のモデル事業を委託。成果を全国的に普及させる予定だ
という(二〇〇一年一一月)。

※2……英語で愛国心は、「patriotism」という。しかしこの単語は、もともと「愛郷心」
という意味である。しかし日本では、「国(体制)」を愛することを愛国心という。つまり
日本人が考える愛国心と、欧米人が考える愛国心は、その基本において、まったく異質な
ものであることに注意してほしい。


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(資料)(日経ニュースより)

●教育再生会議が福田政権で初会合、「小・中9年制」検討で一致

 教育再生会議(野依良治座長)は10月23日、首相官邸で福田政権発足後初めての総
会を開き、論議を再開した。柔軟な教育カリキュラムを編成できるようにするため、現行
の小中学校の「6・3」制を見直し、9年制の義務教育学校の創設などを検討することで
一致した。

 教育再生は安倍晋三前首相が憲法改正などと並んで掲げた重要政策の一つ。安倍氏の辞
任で論議が中断していたが、福田首相は冒頭「注目を集める会議と認識している。国民全
員が関心を持っている話題であり、建設的な議論をしていただきたい」と求めた。

 学校制度の見直しは小中一貫の9年制学校をつくり、地域の実情に応じて「4・3・2」
などの学年のまとまりを設ける案を軸に検討する方向。大学への飛び級入学を促進するた
め一段の要件緩和を進める必要があるとの意見も相次いだ。

一方、年末を予定していた三次報告のとりまとめ時期を巡っては「もっと時間をかけるべ
きだ」との異論も出た。

以上、Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●ゆとり教育

+++++++++++++

ときとして外国から日本を
ながめたほうが、日本のことが
よくわかる。

日本の(ゆとり教育)が始まった
とき、それをまっさきに喜んだ
のが、隣の韓国。

そして今回、その(ゆとり教育)が
見直されることになった。

それにもっとも危機感を抱いて
いるのも、隣の韓国という
ことになる。

++++++++++++++

●東亜N報の記事より

 まず、韓国の東亜N報が、書いている記事をそのまま紹介する。日本の実情を、かなり
客観的にながめている。興味深い。参考になる。

+++++東亜N報(10・29日より)++++++++

日本の中央教育審議会(中教審)は、中間報告書で、ゆとり教育が難関にぶつかった原因
を分析し、「授業時間を大幅に削減したため、基礎知識を十分に習得できなくなり、思考力
と表現力も育てることができなかった」などの反省項目を列挙する予定だ。 

中教審は96年から、思考力や表現力、思いやりなど、「生きていく力」を育成することを
公教育の目標として提唱してきた。 

02年から施行された現行の学習指導要領は、詰め込み主義教育を改善するという名分に
よって、小中学校の学習内容を以前より約30%削減し、授業時間も約10%減らした。 

中間報告書の反省項目には、授業時間の削減のほかにも、△「生きていく力」の概念と必
要性を教師と父兄に十分に説明できなかった、△子どもの自主性を尊重したことで、学生
指導をためらう教師が増えた、△家庭と地域の教育能力が低下している事実を十分に把握
できていなかったという内容などが含まれるもようだ。 

中教審は、ゆとり教育が難関にぶつかった原因の一つとして、「ゆとり」を強調しすぎたた
め、教師が、基礎知識を教えることまで詰め込み主義教育と誤って理解した点を挙げた。 

文科省が提出し、中教審が現在審議中の学習指導要領改正案は、英語、国語、数学などの
主要科目の授業時間を10%増やし、選択科目を大幅に縮小する内容を盛り込んでいる。 

文科省は、このように事実上ゆとり教育を廃棄する方向に政策を旋回しながらも、公式的
には「ゆとり教育の理念は間違っておらず、運用上の問題にすぎない」と主張している。 

にもかかわらず、諮問機構である中教審が「反省文」を発表するのは、誤った点を具体的
に説明しなければ、一線の学校が教育政策を転換する理由を十分に理解できないと判断し
たためだ。

+++++++++以上、東亜N報記事より+++++++++++

 ゆとり教育が始まったとき、おおむね、教科内容は、1年レベルがさがった(小学校)。
楽といえば、楽。教えるのが、ほんとうに楽になった。

 しかしそれも、2年はつづかなかった。3年目に入ると、それが(当たり前)になり、
教える側からすると、その(楽)が消えた。

 が、私の教室では、今でも、ゆとり教育の始まる前のカリキュラムで教えている。たと
えばかけ算にしても、小2の夏休み前から、教えている。が、ゆとり教育では、10月か
ら教えることになっている。小2の算数だけを見ても、3〜4か月、後回しになったとい
うことになる。

 で、その(ゆとり教育)が見直されることになった。当然である。日本を包む国際環境
がきびしさをます中、それに逆行する形での(ゆとり教育)である。当時の韓国は、「これ
で日本を追い抜かせる」と喜んでいた。

 が、それでほんとうに子どもたちに(ゆとり)ができたかというと、それは疑わしい。
たとえば私立中・高学校では、文科省の示すカリキュラムを無視した授業が始まるように
なった。

 現にこのあたりの私立中学校では、英語にしても、公立中学校よりも、6か月から1年、
先取りの教育を展開している。数学にしても、そうだ。(中学1年生で、関係代名詞の勉強
をしているところもあるぞ!)

 それまではというと、私立中・高校は、公立中・高校の受け皿的な存在だった。が、今
は、完全に逆転している。公立中・高校が、私立中・高校の受け皿的な存在になってしま
った。つまりその分、受験競争がはげしくなった。子どもたちは、小学4、5年制から、
進学受験予備校に通うようになった。

 文科省のおかしな制度いじりが、(東京という中央では、それなりにうまく機能していた
のだろうが)、地方の教育を、今、こうして混乱させている。まずもって、文科省は、それ
に気づくべき。反省すべき。

 さらに学校の教師にしても、忙しさのあまり、悲鳴をあげている。それについて書いた
原稿が、つぎのもの。

++++++++++++++

●忙しくなる、教師の世界

 私たちが中学生や高校生のころには、先生には、「空き時間」というものがあった。たい
てい、1時間教えると、つぎの1時間は、その空き時間だった。

 その空き時間の間に、先生たちは、休息したり、本を読んだり、生徒の作品を評価した
り、教材を用意したりしていた。

 しかし今は、それが、すっかり、様(さま)変わりした。

 このあたりの小学校でも、その「空き時間」が、平均して、1週間に、1〜2時間にな
ってしまったという(某、小学校校長談)。

 だから今では、平日、学校の職員室を訪れても、ガランとしている。先生の姿を見るこ
とは、めったにない、

 「いわゆる企業や工場の経営論理が、学校現場にも及んでいるのですね。少人数による、
習熟度別指導をする。2クラスを3人の先生で教える(2C3T方式)、さらには1クラス
を、2人の先生で教える(TT方式)が、一般化し、先生が、それだけ足りなくなったた
めです」と。

 この結果、再び、詰めこみ教育が復活してきた。先生たちは、プロセスよりも、結果だ
けを追い求めるようになってきた。が、問題は、それだけではない。

 余裕がなくなった職場からは、先生どうしの交流も消え、そのため、「精神を病む教師が
続出している」(同)という。とくに忙しいのは、教頭で、朝7時前からの出勤はあたりま
え。さらにこのところの市町村合併のあおりを受けて、制度や、組織、組織の定款改革な
どで、自宅へ帰るのは、毎晩、7時、8時だという。

 何でもかんでも、学校で……という、親の安易な姿勢が、今、学校の先生たちを、ここ
まで追いこんでいるとみてよい。教育はもちろん、しつけから、家庭指導まで……。たっ
た1〜2人の自分の子どもでさえ、もてあましている親が、20〜30人も、1人の先生
に押しつけて、「何とかしろ!」はない。

 さらに一言。

 1995年前後を底に、学習塾数、塾講師数ともに減少しつづけてきたが、それがここ
2000年を境に、再び、上昇する傾向を見せ始めている(通産省・農林通産省調べ)。進
学競争が、激化する様相さえ見せ始めている。

 私の周辺でも、子どもの進学問題が、数年前より、騒がしくなってきたように感ずる。
さて、みなさんの周辺では、どうであろうか?
(はやし浩司 空き時間 2C3T 習熟度別指導 TT 指導システム 激化する進学
熱 進学指導 詰め込み教育)

++++++++++++++++

 バネというのは、ゆるめるのは簡単。しかし一度ゆるんだバネは、もとには戻らない。
あるいは戻すのに、何倍もの時間と努力が必要。「主要科目の授業時間を10%増やし、選
択科目を大幅に縮小する内容を盛り込んでいる」というが、そうは、うまくいくものか?

 教育というのは、20年先、30年先を見ながら組み立てる。今、改革しても、その効
果が現れるのは、20年後、30年後。

 文科省の改革(?)は、どれも後手後手という感じがしないでもないのだが、そう思う
のは、はたして私だけだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 審議会 バウチャー制度 教育の自由化)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画

++++++++++++++++

毎週、1、2本の映画を観ている。
最近見たのでよかったのは、
『プリンス・オブ・ペルシャ』。
『アバター』に並ぶ、大作。
『アバター』よりも先に発表されていたら、
それなりの賞を受賞していたかもしれない。

が、始まって、10分足らずで出てきて
しまった映画もある。
邦画の『BOX』。
『BUTTON』(洋画)とまちがえた。
結構、観客は入っていたが、ああいう映画は、
私の肌に合わない。
だから出てきてしまった。

++++++++++++++++

●カイル

 「ボケ防止」のためということで、私たちは週1、2回、映画を観ることにしている。
が、今月は、講演旅行やワイフの誕生日会を兼ねて、あちこちの旅館に泊まった。
そのため映画館へ足を運ぶ回数が、少なくなった。
その代わりというわけでもないが、家でビデオを観ることが多くなった。
で、ワイフが今、夢中になっているのは、『カイル』。
連作モノ。

 昨夜第一巻を観た。
今夜、第二巻と、第三巻を観るという。
私も昨夜、横で観ていたが、(というのも、私は新しく買ったカメラをいじって遊んでいた
ので)、結構、おもしろかった。

 カイルとは、どういう人間なのか?
神か?
それとも宇宙人?
……というところが、おもしろい。
今夜が楽しみ。

●ドラマは芸術

 映画は、芸術である。
欧米では、(オーストラリアでも)、「ドラマ」という科目は、独立したひとつの科目になっ
ている。
それだけではない。
ドラマ(演技)を通して、その人物になりきることができる。
他人の心をのぞいたり、他者との共鳴性を養ったりすることができる。

 もちろんそうでない映画もある。
たとえばB・T氏の主演監督の『アウトレイジ』などは、予告編だけで、たくさん!
この2、3か月、毎回見せつけられた。
セリフまで暗記してしまった。
映画評論雑誌などでは、高く(?)評価されているようだ。
悪口を書けないから、高く(?)評価する(?)。

 確かに人間は、クソもするし、オナラもする。
しかしそういうものを赤裸々に表現したからといって、「人間性の表現」にはならない。
もしそれがわからなければ、一度、『レスラー(The Wrestler)』を観てみたらよい。
表現方法は、たぶん、どこか似ていると思うが、その(ちがい)がわかるはず。
その『レスラー』は、ベネチア映画祭で、金獅子賞を受賞している。
私も納得できる。


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●電気ショックを与えると、キノコがふえる?

+++++++++++++++++++

岩手大学の研究チームが、
シイタケなどのキノコを、
電気ショックで増やす方法を
編み出したという。

日本経済新聞社のHPに、
こんなおもしろい記事が載っていた。

いわく『岩手大学の高木浩一准教授らは、持ち運びできる小型の高電圧発生装置を開発し
た。これを農場に持って行って、ほだ木の両端に電極を付け、5万〜12万5千ボルトの高
電圧の電流をほんの一瞬(1千万分の1秒)だけ、かけた。

 すると、電気ショックを与えたほだ木からは、何もしないほだ木に比べて、平均して約
2倍のシイタケが収穫できた』と。(2010年6月12日)

+++++++++++++++++++++

●人間も同じ  

その理由について、

『……次の世代を早く残そうとする生存戦略ではないかとみる研究者はいる。傘状の子実
体は、植物で言えば花に相当する。子実体には、胞子をつくって生命を次世代につなぐ働
きがある。電気ショックなどで生存が脅かされたと感じる結果、子孫をつくろうという遺
伝子のスイッチが入るのかもしれない』と。

 ところで人間(男性)にも、同じような現象が見られることがあるという。
たとえば男性のばあい、(死の恐怖)を強く感ずると、脳下垂体の生殖本能が勝手に機能し、
勃KI→射S(BLOGでの禁止用語になるため、伏せ字。KI=起、S=精)すること
があるという。
ある人が、こう教えてくれた。
「昔、戦場で死んだ兵士を見たとき、中に、勃KIしたまま死んでいた人がいた」と。
シイタケなどのキノコと、どこか相通ずるようで、興味深い。
つまり私たちは、(死の恐怖)を覚えると、思わぬ力を発揮することもあるということらし
い。

●死の恐怖

 少し話は脱線するが、私は現在、「BW公開教室」と称して、教室の様子をビデオに収め、
それをYOUTUBEで公開している。

 これについては、こんな思いがある。

 「私が死んだら、今までしてきたことが、すべてそのまま消えてしまう。だからビデオ
に収め、残しておこう」と。
(残すほどの価値はないと思うが、それでも残しておきたい。)
もし今、ここに(死の恐怖)がなかったら、おそらくビデオに収めて残そうという気持ち
も、生まれなかっただろう。
平均寿命まで、あと16年。
健康寿命(つまり病気との闘いが始まる年齢)まで、あと6年。

 シイタケなどのキノコは、『電気ショックなどで、生存が脅かされたと感じる結果、子孫
をつくろうという遺伝子のスイッチが入るのかもしれない』という。
人間も、『死の恐怖などで、生存が脅かされると感じる結果、つぎの世代に何かを残そうと
いう遺伝子のスイッチが入るのかも知れない』。

 ダラダラと生きるのも、6年。
がんばって生きるのも、6年。
同じ6年なら、悔いの残らないように、生きたい!

 ……というようなことを考えながら、この記事を読んだ。
おもしろかった!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 キノコに電気ショック 電気ショックで2倍)

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    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 7日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW幼児教室byはやし浩司】

●今回は、「地図」をテーマに幼児を指導しました。


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type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


もっと見てくださる方は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より
「BW公開教室」→「2010年」へ、おいでください。


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタ
イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【コンデジ考察】(SONYのDSC−HX5V)

++++++++++++++++

迷いに迷って、とうとう買った。
SONYの、コンデジ。
「コンパクト・デジタル・カメラ」。
DSC−HX5V。
(以下、HX5。)

価格は、ネットで、2万9000円。
送料、大引き手数料込みで、3万0025円。

++++++++++++++++

●ビデオカメラvsコンデジ

 この1年間、教室の様子を、ビデオカメラに収めた。
YOUTUBEで公開した。
それがいつの間にか、日課になってしまった。
毎日仕事から帰ってくると、簡単な編集を加え、YOUTUBEにUPLOADする。
編集とレンダリング(数値データを映像化すること)には、さほど時間はかからない。
(私のパソコンは、最高速マシン!)
が、YOUTUBEのUPLOADには、結構、時間がかかる。
その間、メールに返事を書いたり、原稿を書いたりする。
時間を過ごす。

で、この1年間、使ったビデオカメラは、ビクターのEverio(GZ)。
よくぞ私の酷使に耐えた。
あちこちキズまるけ。

が、そのカメラに物足りなさを覚え始めた。
理由はとくにないが、ブレ防止が甘い。
それにハイビジョン映像を撮影できない、など。
レッスン(BW公開教室)の様子を、もっと高画質の画像にしたいという思いもあった。
それで買い替え……ということになった。

 最初にねらったビデオカメラは、SONYのHDR−CX170。
手のひらの中に、すっぽりと入る。
それでいてフル・ハイビジョン映像を撮ることができる。
見たとたん、私の中で物欲が、ググーッとわいてきた。

●ビョーキ

 私はモノが好き。
とくにメカ満載の、デジモノが好き。
手の中でいじっているだけで、無上の喜びを覚える。
これは私のビョーキ。
マニュアルにしても、分厚ければ分厚いほどよい。
あの独特のインクの臭い。
それをかいだだけで、頭の中は、興奮状態になる。

 そんなわけで、電子機器は、いつも最新型を求める。
最新型でないと、気がすまない。
が、今回は、迷った。
理由は、明白。
今、新しいのを買う必要がない。

 ビデオカメラにしても、日常的に使うなら、Everioでじゅうぶん。
コンデジにしても、現在、3台使っている。
パナソニックのLumix(TZ−3)が2台、(TZ−7)が1台。
ほかにときどき使うのが、カシオの(EX−S10)。
(EX−S10)は、やや古いカメラだが、それ以後、これより薄型のカメラはどこから
も発売されていない。
ポケットに入れていても、それを忘れてしまうほど、薄い。

 買うとしたら、ビデオカメラ。
・・・ということで、いつものショップ巡りが始まった。

●ネット販売

 大型電気店には申し訳ないが、大型電気店は、言うなれば「見本展示場」。
今では、よほどのことがないかぎり、大型電気店で、モノを買うことはない。
大型電気店で品定めをし、カタログを集め、仕様を比べる。
それをネットで購入する。
私のばあい、数万円以上のものは、価格ドット・コムで購入することにしている。
ほとんどのものが、電気店で買うよりも、20〜30%は、安い。
メーカー保証の問題もあるが、最近は、その保証制度も充実してきた。
どこの販売店も、電話一本で、ていねいに応対してくれる。

 ・・・が、ここでハタと考える。
いくらなんでも、これでは大型電気店に申し訳ない。
そこで私なりに、こう決めている。
価格差が、ある程度の範囲内なら、できるだけ大型電気店で買う。
何か不都合なことがあれば、即、相談に乗ってもらえる。
「ある程度の範囲」というのは、5〜10%程度?

●カメラのビデオ化

 ところが、今回、おもしろいことに気がついた。
ビデオカメラで、静止画が撮れる。
かぎりなくコンデジに近い、静止画が撮れる。
つまりビデオカメラが、コンデジ化している。

一方、コンデジで、動画が撮れる。
かぎりなく……どころか、ハイビンジョン映像が撮れる。
つまりコンデジが、ビデオカメラ化している。
もちろんそれぞれに長所、短所はある。
あるが、その境界が、あいまいになってきた。

 たとえばビデオカメラでは、芸術的な(?)な静止画は撮影できない。
一方、コンデジでは、長時間の動画が撮れない。
そういう(ちがい)はあるが、あいまいになってきた。

 そこで私は迷った。
ビデオ機能のすぐれたコンデジを買うか、静止画機能のすぐれたビデオカメラを買うか。
冒頭で、「迷いに迷った」というのは、そういう理由による。
が、第一印象というのは、こわい。
最初に、私はSONYのHDR−CX170を、と思ってしまった。
その呪縛を解くのは容易なことではない。
私は、とことん、CX−170にこだわった。

 私は毎日、仕事から帰ってくると、価格ドット・コムのサイトをチェックした。

●価格

 大型電気店では、4万8000円前後で販売されていた。
ネットでは、3万8000円前後で販売されていた。
「買うか、買わないか・・・?」。
数日あいだ迷っている間に、値段が、4万3000円前後になってしまった。
ネットショップでは、価格は毎日のように変動する。

 で、私は、再び価格が、3万8000円前後まで戻るのを待った。
その間、約1週間。
価格はさがるどころか、徐々にあがりはじめた。
CX−170は、ビデオカメラの中では、人気商品ナンバー1に、ランクされている。
最初にも書いたように、手のひらに入るサイズが受けたらしい。
パナソニックやビクターでも、同じようなサイズのカメラを出している。
わずかな差だが、実際、手にとってみると、その差を大きく感ずる。

●飛躍的な進歩

 最近のカメラには、ビデオカメラ、コンデジにかぎらず、「裏面照射型CMOS」という
センサーが使用されている。
雑誌などによると、この世界では、画期的な発明だそうだ。
これによってセンサーの感度が、2倍近くに向上したという。
SONYが開発した。
発明されて3年になるが、他社もSONYからこの技術の提供を受けて、新製品を続々と
発売している。
その結果、従来の撮影素子ではできなかったようなことが、できるようになった。

 たとえば1ルックス程度の光さえあれば、撮影が可能になった。
(1ルックスというのは、直径2センチのローソクから、1メートル離れたところの明る
さをいう。)
ふつうなら暗くて、本を読むのもたいへん。
が、この「裏面照射型CMOS」によって、たとえばHX5でも、秒10コマの連写、さ
らにフラッシュなしでも、夜景が撮れるという。

●ドーパミン効果

 迷っている間というのは、イライラが蓄積する。
脳内にドーパミンが分泌されたままの状態になる。
わかりやすく言えば、欲求不満状態になる。
この状態が病的にまでなったのが、たとえば「買い物依存症」ということになる。

 このタイプの人は、そのものがほしいから、買うのではない。
「ほしい」という欲望を満たすために、それを買う。
いうなれば条件反射のようなもの。
だから同じモノをいくつも買ったりする。

ヘビースモーカーが、タバコの臭いをかいだとき、同じような反応が起きる。
あるいは、アルコール中毒者が、酒の臭いをかいだとき、同じような反応が起きる。
若い男が、裸の女性を見たときの反応と同じと言ってもよい。
それが満たされないから、イライラする。

●写真
 
 が、私を惹きつけたのは、何枚かの写真だった。
SONYのカタログに、それが載っていた。
1枚は、夕焼けの海。
もう一枚は、スキンダイビングをしている人の写真。
その写真が、すごい!
夕焼けの海の写真では、小さな波ひとつずつが、まるで銅画のように表現されていた。
またスキンダイビングしている人の写真では、海面から海の底まで、連続したパノラマ写
真になっていた。
それを見た瞬間、「私も、こんな写真を撮ってみたい!」と思った。
とたん、ビデオカメラよりも、「このカメラだ!」と思うようになった。

●パノラマ写真

 カタログを見て、さらに驚いた。
シャッターを押して、カメラを上下、もしくは左右に動かすと、そのまま長大なパノラマ
写真が撮れるという。
さらにGPS・コンパス機能までついているという。
これによって、撮った写真を、グーグル・アース上に、ピンポイントで示せる。

 ここ数年、デジタルカメラについては、ほとんど知らなかった。
が、ここまで進歩しているとは、想像もしていなかった。
ほかにも、こんな機能がある。

 たとえば逆光状態で、人物の写真を撮ったとする。
ふつうなら、フラッシュを使わないかぎり、人物の顔は、真っ黒になる。
人物の顔を明るく写そうと露出を開放すれば、今度は写真そのものが、真っ白になってし
まう。
そこで、このカメラでは、同時に2枚の写真を撮り、それを瞬時に合成することによって、
ちょうどよい写真にするという。

 感心するというよりは、驚いた!

●DSC−HX5

 HX5は、注文した翌日、つまり昨日(6月11日)、届いた。
カタログなどで、機能については、ほとんど知っていた。
が、ここでトラブル発生!
静止画を撮影していると、ときどき、「SDカードを入れ直してください」という表示が出
る。
さっそくSONYの相談窓口に電話。
電話は、1〜2分前後でつながった。

 しかしこういうサービスが重要。
メーカーによっては、電話がほとんどつながらないところがある。
その点SONYの相談窓口は、「優良」+「親切」。

 あれこれ相談しているうちに、「SDカードに問題あるらしい?」ということがわかった。
一応「クラス4」の高速SDカードということになっているが、裏をよく見ると、「C国製」
となっていた。
どうもあの国の電子製品は、信用できない。
本当にクラス4?
電話に出てくれた女性は、「一度、こちらの修理センターに送ってください」と言った。
私は、それに答えて、「しばらく使って、様子をみてみます」と言った。

●撮影開始

 フルハイビジョンの映像は、たしかにすばらしい。
庭の様子を撮影し、それをテレビ画面に映してみたが、「美しい!」。
まさに感動モノ。
ワイフもそれを見て、「進歩したわねエ〜」と。

 たまたま来週は、講演旅行もかねて、知多半島のほうへ行くことになっている。
そのときからの写真は、HX5で撮った写真ということになる。
電子マガジンのほうでは、7月号の初旬からということになる。
すばらしい写真を撮るつもり。
請う、ご期待!

(注)
 ただし教室の様子を撮ったビデオは、従来通りのまま。
ハイクオリテイでレンダリングしても、YOUTUBEにUPLOADする段階で、画質
が落ちてしまう。
YOUTUBEでは、画質をワンランクあげるだけで、UPLOADする時間が、10倍
近くにもなってしまう。
(UPLOADする時間は、画像のメガ数によって決まる。)
やがてすぐ、YOUTUBEでも、ハイビジョン映像が楽しめるようになるだろう。
しかしその前に、UPLOADする時間の問題が解決されなければならない。
ハイビジョン映像は、それだけデータが大きくなる。
時期的には、まだ5〜6年先ということになるのでは?

 ……ということで、おはようございます。
今日は、6月12日、土曜日。

以下に、昨日の年少児・年中児クラスのレッスン風景を載せておきます。
「楽天」の読者の方は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」へお回りください。
画像をそのまま、埋め込むことができません。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【BW公開教室】(年少児・年中児クラス)
テーマ:地図(おうちのまわり)

この時期、子どもの空間図形弁別能力は飛躍的に発達します。
それに合わせて、空間感覚、つまり自分の家を、空の上から客観的に見た様子を、想像で
きるようになります。
(最近は、車のナビの発達で、子どもたちも、その影響を強く受けているように思います。
以前よりも、地図らしい地図を描ける子どもがふえてきました。)
ちょっとした「種まき(=刺激の糸口)」をしておくだけで、あとは子ども自身の力で、子
どもは伸びてくれます。


(1)
<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/du3rHDw7ESM&hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/du3rHDw7ESM&hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

(2)
<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/Z15bOa_9jPU&hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/Z15bOa_9jPU&hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

(3)
<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/QPBp5z3VPEw&hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/QPBp5z3VPEw&hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

(4)
<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/FrA41p1bKFg&hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/FrA41p1bKFg&hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

(5)
<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/MSB90lhth8o&hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/MSB90lhth8o&hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 BW公開教室 BW子どもクラブ BW教室 幼児教室 幼児の空間感
覚)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 5日
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(ファミリス・原稿・過去版より)

以下は、ファミリス(静岡県教育委員会発行雑誌)に掲載された
Q&A(過去版2010年度)です。(掲載済み)

つづきは、「ファミリス」8月号で!


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7月号相談(Q&A)

相談(1)小学4年生の母から
 最近わが子の親に対する話し方が気になります。たとえば、私が何か「こうしなさい」
と注意すると、「そんな法律がどこにあるの?」などと言ってくるので、ついつい怒ってし
まうこともしばしば……。
 これは反抗期なのでしょうか?

A:思春期最大のテーマは、「同一性の確立」(エリクソン)です。(私はこうでありたい)
という理想の自己像と、(現実の私)、つまり現実自己を、一致させようとします。一致し
た状態を「自我の同一性」と言います。その第一歩が、おとなの優位性の打破です。それ
が「思春期の反抗」と考えてください。
 (悪態)もそのひとつ。「そんな法律がどこにあるの?」と。それを許せということでは
ありません。それができないほどまでに、子どもを抑えてはいけないということです。カ
リカリするのはしかたないとしても、「ああ、うちの子は、今、児童期から青年期へと、脱
皮を始めているのだ」と、一歩退いて子どもを見ます。
 この時期、親意識(とくに「親に向かって何よ!」式の悪玉親意識)が強すぎると、子
どもは親の前では仮面をかぶるようになります。自我の確立に失敗し、非行に走ったり、
親子の間にキレツが入り、親子が断絶するケースも目立ちます。最悪のばあいには、自我
の崩壊……。ナヨナヨとした軟弱な人間になることもあります。
 親には3つの役目があります。@ガイドとして子どもの前に立つ。A保護者として子ど
ものうしろに立つ。そして3番目が重要ですが、B友として子どもの横に立つ、です。
 悪玉親意識を捨て、子どもの友になるつもりで、子どもの横に立ってみてください。と
たん、肩の荷が軽くなりますよ。
 
(20字x30行)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学4年生と小学1年生の母から

 長男への接し方で悩んでいます。長男にはどうしても小言を言う機会が多く、下の子は
女の子で要領がよく、注意された長男をからかって、長男を怒らせます。それを見て私が
怒る……の悪循環で、ときどきそんな雰囲気で日々を過ごしている長男がかわいそうにな
ります。
 長男への接し方を変えるアドバイスはないでしょうか。

A:長男、長女に対しては、どうしても不安先行型の子育てになりがちです。「何をしても、
不安」と。それが過干渉になったり、過関心に転じたりします。度を越すと、子どもの心
が萎縮したり、反対に粗放化することもあります。
 あなただけではありません。ほとんどの親がそうです。が、そのリズムは、妊娠したと
きから始まっています。つまり「根」が深いということ。そういう思考回路が、あなたの
脳の中にできあがってしまっています。そのためそのリズムを変えるのは、ほぼ不可能と
考えてください。では、どうするか?
 @そういう自分であると知って、仲よくつきあうこと。A「あなたはいい子」を口癖に
し、あなた自身の心を作り変えること。
 長男の顔や姿を見たら、本人にはもちろん、父親や長女の前で、題目のようにその言葉
を繰り返してみてください。3〜4か月もすると、(それでも早いほうですが……)、あな
たは自然な口調で、それが言えるようになります。そのとき、あなたが今、心配している
問題は解決します。
 大切なことは、「子どもを直そう」と思わないこと。「今より状態を悪くしないこと」。そ
れだけを考えて対処します。この種の問題には、二番底、三番底があります。親は、自分
の子どもがより悪くなって、それ以前の状態が、まだよかったことを知ります。それが「悪
循環」と言われるものです。
 
(20字x30行)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

5・6月号相談事例

相談(1)小学3年生の母から

 小学3年生になると、友達関係でいろいろあるとは先生から聞いていたのですが、早速
わが子のカラーペンが一式なくなってしまい、とても心配しました。
 悪意からではなく、いたずらかもしれませんが、こういうときは、ただ見守るしかない
のでしょうか? それとも、担任の先生に相談した方がいいのでしょうか?
(焼津市・A)

A:鉄則はただひとつ。『友を責めるな、行為を責めよ』(イギリスの教育格言)です。担任
の先生にこうした事案は、遠慮なく報告したらよいでしょう。しかしそのとき、事実だけ
を客観的に話し、特定の子どもの名前を出したり、批判したりしてはいけません。自分の
判断を加えていけません。「事実」だけを話します。あとの判断、対処の仕方はプロの先生
に任せます。
 もし相手の子どもの名前がわかっていたら、逆にその子どもをほめてみます。「あの子は
いい子ね」と。あなたの家に招待するのもよいでしょう。あなたがその子どもと友だちに
なるつもりで、間に入ります。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい
子を演じようとします。逆にそうした性質を利用して、その子どもを、よい友だちに作り
変えてしまいます。
 日本でも昔から『魚心あれば、水心』といいますね。英語にも、『相手は、あなたの思う
ように、あなたのことを思う』というのがあります。心理学の世界では、これを「好意の
返報性」といいます。あなたがその子どもをよい子と思っていると、そうした心は、あな
たの子どもを介してかならず、相手の子どもに伝わります。
 大切なことは、あなたの子どもが気持ちよく、楽しく通学することです。負けるところ
は負け、妥協するところは妥協します。けっしてカリカリしてはいけません。


(20x30行)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学5年生の母から

 わが子のクラスで「いじめがある」とか「騒ぐ子がいて担任の先生が困っている」など
という話を子どもから聞き、親として心配がふくらんでいます。子どもの話だけで判断す
るよりは、懇談会などで直接聞く方がいいと思うのですが、聞き方が難しそうです。
親の心配を伝え、なおかつ先生批判にとられない聞き方は、どうすればいいでしょうか?
(藤枝市・Y)


A:この程度の問題で、動揺しないこと。いじめのない学級はありません。困っていない
先生など、い・ま・せ・ん。もし心配なら、1、2年、年上の子どもをもつ父母に相談し
てみることです。できれば、別の学校の父母に、相談します。たいてい「うちもそうでし
たよ」というような回答をもらって、その場で問題は解決するはずです。
 が、鉄則があります。どんなばあいも、子どもの前で、学校や先生の批判をしたり、悪
口を言ってはいけません。子どもの前では、「あなたの学校はすばらしい」「あの先生は、
最高!」と言います。
 もしあなたが学校や先生を批判したり、さらに悪口を言ったりすると、あなたの子ども
は先生の指示に従わなくなります。これを心理学の世界では、「三角関係」といいます。わ
かりやすく言えば、子どもが「二重拘束」の状態に置かれるということです。子ども自身
が、糸の切れた凧のようになってしまいます。
 教育で何が大切かといって、先生との信頼関係ほど、大切なものはありません。信頼関
係がなければ、教育そのものが、崩壊します。その信頼関係は、向こうからやってくるも
のではありません。親であるあなた自身が、努力で作るものです。
 なお相談といっても、同じクラスの父母に相談するのは、避けてください。あなたの話
しが曲解され、たまにおおげさになることがあります。



(20x30行)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(3)小学4年生と小学1年生の母から

 長男への接し方で悩んでいます。長男にはどうしても小言を言う機会が多く、下の子は
女の子で要領がよく、注意された長男をからかって長男を怒らせます。それを見て私が怒
る……の悪循環で、ときどきそんな雰囲気で日々を過ごしている長男がかわいそうになり
ます。
長男への接し方を変えるアドバイスはないでしょうか?
(静岡市・K)


A:心配先行型、不信先行型の子育てがリズムになっています。何をしても、否定的にと
らえてしまう。それに(下の子)との比較も、日常化しているようですね。これは、ま・
ず・い!
 子育てをしていて、「悪循環」を感じたら、思い切って、引きます。つまりあきらめます。
子育ての世界では、『あきらめは、悟りの境地』といいます。(私が考えた格言ですが…。)
「どうにでもなれ!」と、一歩退きますが、だからといって、無視したり、冷淡になれと
いうことではありません。
 愛情でくるんだ、「暖かい無視」です。で、ここが重要ですが、「求めてきたときが与え
どき」と心がけます。長男が助けを求めてきたときは、すかさず、(すかさずです)、それ
に応じてあげます。そしてあとは、最初はうそでもいいですから、「あなたはいい子」を口
ぐせにします。
 何か月も言いつづけていると、やがてあなたの子どもは、あなたの口ぐせどおりの子ど
もになります。つまりこうしてあなた自身の子育てのリズムを作りかえます。
 また(条件)(比較)(無理)は、子育ての3悪です。「勉強したら、〜〜を買ってあげる」
(条件)、「妹は〜〜なのに…」(比較)、それに能力を超えた期待をかける(無理)は、タ
ブーです。
 長男は長男、妹は妹。ともに長所だけを見て、それですませます。


(20x30行)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

【仲間に入れない子ども】(ある母親からの相談より)

●スランプ

++++++++++++++++++

学生時代、「スランプ」という言葉を
よく使った。
要するに心身の調子が悪く、思うように
勉強や活動ができない状態をいった。

今が、そのとき。
しかし「スランプ」というのは、どういう
意味なのか。

英語では「slump」と書く。
(1)暴落する。
(2)ドスンと落ち込む
(3)うなだれる
(4)不振、不調
(5)運動選手のスランプ(以上、ジーニアス英和辞典)とある。

 が、私のばあい、一度こういう精神状態になると、何かにつけて、グチぽくなる。
(アメリカの精神医学によれば、「愚痴(Complainment)」は、精神病の診断項目のひとつ
になっている。要注意!)

++++++++++++++++++

●発端

 ことの発端は、ある読者からの相談だった。
メールで、それが届いた。
こうあった。

『はじめまして、こんにちは、今はじめてホームページを拝見し相談させていただきます
6歳の長男にていて相談なのですが、年少の秋から幼稚園に入り今年長になりますが、年
中、年長と上がるたび、お友達の輪に入られなくなり、お友達が出来ないようです。
個人ではしゃべれるのですが、二人以上になると入っていけず、一人でいることが多いよ
うです。
先生にもしゃべることができません。
近所で遊ぶお友達とは自分を出せよくしゃべります。また年長になって指しゃぶりや爪噛
みが多くなり、はじめは不安なときだけだったのが、暇なときは常に指が口に入ります。
小さい頃から大人しく、私も主人も同じく輪に入られなかったので、遺伝なのでしょうか。
切迫早産にもなり下の子が出来たときは長く実家に預けたこともあり、赤ちゃん帰りも酷
かったのですが、上の子は何でも一番に優先させ甘えさせてきたつもりですが、育て方が
悪かったのでしょうか。

たまに感情的に怒ったり、神経質になりすぎるのが良くないのでしょうか』(愛知県にお住
まいのKさんより)。

●スランプ状態

 この相談に返事を書こうとしたが、一向に筆が進まない。
それぞれの母親にしてみれば、はじめての子育て。
何かと戸惑うことも、多いだろう。
しかし相談を受ける方は、そうでない。
毎年、毎月、同じ相談を受ける。
そのたびに同じことを書く。
それがめんどうというか、とても苦痛に感ずるようになった。
で、心理的には、過大な宿題を背負ったような状態になった。
「返事を書かねば」という思いと、「書きたくない」という思いのはざまで、心が行き来し
た。
その結果、「スランプ状態」になってしまった。

●一方的な見方

 この母親は、自分の子どもが「友だちの輪に入れない」という。
「(自分の子どもに)友だちができない」という。
たぶん母親の目から見ると、その子どもは集団の中で、孤立しているのだろう。
みながワイワイと何か作業をしているようなときでも、少し離れたところに立って、それ
を見ている……。
そういう子どもは多い。
7〜8人に1人はいる。
それがその母親には、気になったらしい。

 理由はいろいろ考えられる。
第一に思いつくのは、「社会性の欠落」。
乳幼児期から、(ものわかりのいい環境)の中だけで、育てられると、子どもはそうなる。
俗にこう言う。
『温室育ち、すぐ風邪をひく』と。

 それが高じて、対人恐怖症、回避性障害、さらには場面かん黙症を引き起こしたのかも
しれない。
あるいは親の過関心、過干渉、神経質な育児姿勢が、子どもを萎縮させているのかもしれ
ない。
親の強圧的、あるいは威圧的な育児姿勢が日常的につづいても、そうなる。

つまり子どもは、家族の「代表」にすぎない。
この母親は、自分の子どもだけを見ている。
自分見ていない。
ふつうこういうケースでは、(相談のKさんがそうというのではない。誤解のないように!)、
疑ってみるべきは、母親の育児姿勢。
そういった視点が、どこにもない。
一読して、それが気になった。

●限界

 Kさんも含めて、親たちは、自分の子どもがどうであると満足するのか。
優等生で、問題がなく、何でもテキパキとやりこなし、性格も明るい……。
さらに言えば、クラスの中でも、人気者。
「〜〜障害」と診断名がつくようなケースは別として、親たちは、子どものささいな弱点
を目ざとく見つけては、それを問題にする。

 「友だちができない」?
「友だちの輪に入れない」?
しかしそれがどうしたと言うのか?
6歳ともなれば、幼児期後期。
児童期への移行期に入る。
この時期、すでに人格の「核(コア)」は、完成している。
あれこれと「核」をいじれば、子どもはかえって自身を喪失し、混乱する。
自己評価力も低下する。

 私にしても、うわべの友だちなら、いくらでもいる。
適当に会って、適当に話す。
そういう友だちなら、いくらでもいる。
はじめて行ったような店の店員とでも、友だちになれる。
しかし本当の友だちは、数えるほどしかいない。

 Kさんの心配も理解できないわけではない。
しかし私がKさんなら、「あなたは、それでいいのよ」と、子どもに言う。
あるいは友だちを家に呼んで、パーティでも開いてやる。
ほかの母親たちと、交流を多くし、その中に子どもを巻き込んでいく。
が、それでKさんの子どもが、Kさんの望み通りの子どもになるとは、かぎらない。
親のできることには、いつも限界がある。

●遠い距離

 さらに症状がつづく。
一読すれば、下の子が生まれたことによる、赤ちゃん返りが起きていることがわかる。
愛情飢餓、あるいは嫉妬が、その原因と考える。
メールには、「長く実家に預けたこともあり……」とある。
子どもにとって、それがいかに辛(つら)いことであったことか……。
たった半日、遊園地で迷子になっただけで、赤ちゃん返りを起こした子どもだっている。

 子どもの心をあまりにも安易に考えすぎている。
とくに赤ちゃん返りを、軽く考えてはいけない。
ばあいによっては、精神障害も引き起こす。
その結果、「どうしたらいいか?」と。
さらに言えば、「……私も主人も同じく輪に入られなかったので、遺伝なのでしょうか」と。

 この問題を説明するためには、母親自身の基本的信頼関係の問題にまで、踏み込まねば
ならない。
わかりやすく言えば、Kさん自身が、心の開けない人である可能性が高い。
親が心を開けないのに、どうして子どもが心を開けるか?
その前に、「心を開く」の意味がわかっていない(?)。
そういう疑問も残る。

 説明してやりたいのだが、Kさんとの間に、遠い距離を覚える。
たとえて言うなら、(Kさんにはたいへん失礼な言い方になるかもしれないが)、パソコン
をはじめて買ってきたような人と、接しているような感じがする。
そういう人に、BIOS(バイオス)の設定の仕方を話しても、はたして理解できるだろ
うか?

 ついでに言うなら、「遺伝」ということなら、「障害」の問題を考えなければならない。
しかし「世代連鎖」ということなら、基本的不信関係は、世代連鎖しやすい。
このばあいも、ただすべきは、子どものほうではなく、親のほうということになる。

●親の身勝手

 が、スランプに陥ったのは、それが理由ではない。
私自身も、仮面をかぶって、聖職者ぶることに、疲れを覚え始めている。
本来なら、「たいへんですね。でも、何も問題はありませんよ。自信をもって、がんばって
ください」式のことを書くべきなのかもしれない。

 しかし本音を言えば、そうでない。
「親なら親として、少しは勉強しろ!」と言いたい。
「子どもを産むことと、育てることは、別!」と言いたい。
「子どもの問題を考える前に、自分の問題を解決してみろ!」と言いたい。
(今のKさんには、きびしい言葉かもしれないが、ここを第一歩として、「育児」の世界に
飛び込んでみてほしい。
そこはあなたが考えているよりは、はるかに深く、広い世界。
いつかあなたもその深遠さに、驚き、おののくはず。)

 でないと、この種の問題には、際限がない。
ことあるごとに親は、子どもの中に、つぎつぎとささいな問題を見つけては、それをおお
げさに騒ぐ。
それが解決すると、さらに「もっと……」「もっと……」と言い出す。
Kさんがそうというわけではないが、親の身勝手さには、もううんざり!

「……たまに感情的に怒ったり、神経質になりすぎるのが良くないのでしょうか」とか?
そんなことは、わかりきったことではないか!

●子育ての深遠さ

 心配なのは、わかる。
不安なのも、わかる。
が、その心配や不安を、子どもにぶつけてはいけない。
この連鎖を、いつかどこかで断ち切らないと、心配や不安は、いつまでもつづく。
おそらくKさんが、老齢者になってもつづく。
が、その「連鎖」を断ち切るのは、容易なことではない。
私がここでこう書いたからといって、「はい、そうします」というわけにはいかない。
「根」は深い。

 おそらく妊娠したときから、あるいは結婚当初から、さらには、Kさん自身が子どもの
ときから、すでに始まっている。
だから「根」が深い。
そんな深刻な問題を、「どうしたらいいですか?」と聞かれても、私は困る。
というのも、この私だって、この年齢になっても、まだその問題で悩んでいる。

 子育てというのは、ただ子どもを大きくすればよいという問題ではない。
そこには、その人の哲学や人生観、さらには死生観が凝縮される。
またそれがないと、子育てなど、できない!
若い女性が、ペットショップでペットを買ってきて、「かわいい」「かわいい」と頬ずりを
する。
それとは、訳がちがう。

 ……とまあ、グチはここまで。

【はやし浩司よりKさんへ】

 きびしい話は別として、また私の今のスランプ状態を抜け出すためにも、Kさんの問題
を、いっしょに考えてみます。

(1)「友だちの輪」に入れない

 子どもに何かの問題点を見つけたら、反対にほめてみます。
「あなたは、今日、友だちと仲よくできたわね」と。
「あなたはダメな子」的な言い方が日常化すると、かえって逆効果になります。
そして先にも書いたように、あなた自身が、相手の子どもたちと仲間になるつもりで、「輪」
の中に入っていきます。
あなた自身の問題と考え、その「輪」の中に飛び込んでいきます。

 すでに子どもは、6歳です。
人格の「核(コア)」は完成しているとみます。
今のあなたがあなたであるように、すでにあなたの子どもは、1人の人間なのです。
あるがままを認め、「うちの子は、まあ、こんなもの」と、割り切ること。
あきらめるべきところは、あきらめる。
集団活動は苦手になるかもしれませんが、だれにでも、そうした弱点はあります。
私にも、ある。
あなたにも、ある。
だったら、あとは居直るしかないのです。

 ただしそれが「発達障害」によるもの(?)と心配なら、専門機関で、育児相談を受け
てみてみてください。
症状の程度が、メールだけかからはわかりません。
「先生とも話せない」ということですから……。

(2)赤ちゃん返り

 赤ちゃん返りについては、たびたび書いてきました。
一度、検索エンジンを使って、「はやし浩司 赤ちゃん返り」を検索してみてください。
私のHP(http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)の「子育て・あいうえお」の中にも、いく
つか収録してあります。

 先にも書きましたが、赤ちゃん返りは、けっして安易に考えてはいけません。


(3)基本的信頼関係

 これについては、たびたび書いてきましたので、その中からひとつを選んで、ここに再
収録します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【基本的信頼関係】


信頼関係は、母子の間で、はぐくまれる。


絶対的な(さらけ出し)と、絶対的な(受け入れ)。「絶対的」というのは、「疑いをいだかな
い」という意味である。こうした相互の関係が、その子ども(人)の、信頼関係の基本となる。


 つまり子ども(人)は、母親との間でつくりあげた信頼関係を基本に、その関係を、先生、
友人、さらには夫(妻)、子どもへと応用していくことができる。だから母親との間で構築さ
れる信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。


 が、母子との間で、信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、その反対に、「基本的不信関
係」に陥(おちい)る。いわゆる「不安」を基底とした、生きザマになる。そしてこうして生まれ
た不安を、「基底不安」という。


 こういう状態になると、その子ども(人)は、何をしても不安だという状態になる。遊んで
いても、仕事をしていても、その不安感から逃れることができない。その不安感は、生活のあ
らゆる部分に、およぶ。おとなになり、結婚してからも、消えることはない。夫婦関係はもち
ろんのこと、親子関係においても、である。


 こうして、たとえば母親について言うなら、いわゆる不安先行型、心配先行型の子育てを
しやすくなる。


●基底不安


 親が子育てをしてい不安になるのは、親の勝手だが、ほとんどのばあい、親は、その不安や
心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。


 しかし問題は、そのぶつけることというより、親にその自覚がないことである。ほとんど
の親は、不安であることや、心配していることを、「ふつうのこと」と思い、そして不安や心配
になっても、「それは子どものため」と思いこむ。


 が、本当の問題は、そのつぎに起こる。


 こうした母子との間で、基本的信頼関係の構築に失敗した子どももまた、不安を基底とし
た生きザマをするようになるということ。


 こうして親から子どもへと、生きざまが連鎖するが、こうした連鎖を、「世代連鎖」、あるい
は「世代伝播(でんぱ)」という。


 ある中学生(女子)は、夏休み前に、夏休み後の、実力テストの心配をしていた。私は、「そんな
先のことは心配しなくていい」と言ったが、もちろんそう言ったところで、その中学生には、
説得力はない。その中学生にしてみれば、そうして心配するのは、ごく自然なことなのであ
る。

(はやし浩司 基本的信頼関係 基底不安)


●人間関係を結べない子ども(人)


人間関係をうまく結ぶことができない子どもは、自分の孤独を解消し、自分にとって居心地
のよい世界をつくろうとする。その結果、大きく分けて、つぎの四つのタイプに分かれる。


(1)攻撃型……威圧や暴力によって、相手を威嚇(いかく)したりして、自分にとって、居
心地のよい環境をつくろうとする。

(2)依存型……ベタベタと甘えることによって、自分にとって居心地のよい環境をつくろ
うとする。

(3)服従型……だれかに徹底的に服従することによって、自分にとって居心地のよい環境
をつくろうとする。

(4)同情型……か弱い自分を演ずることにより、みなから「どうしたの?」「だいじょう
ぶ?」と同情してもらうことにより、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。


それぞれに(プラス型)と、(マイナス型)がある。たとえば攻撃型の子どもも、プラス型(他人に対
して攻撃的になる)と、マイナス型(自虐的に勉強したり、運動をしたりするなど、自分に対して
攻撃的になる)に分けられる。


 スポーツ選手の中にも、子どものころ、自虐的な練習をして、有名になった人は多い。このタイ
プの人は、「スポーツを楽しむ」というより、メチャメチャな練習をすることで、自分にとって、居心地
のよい世界をつくろうとしたと考えられる。


●子どもの仮面


 人間関係をうまく結べない子ども(人)は、(孤立)と、(密着)を繰りかえすようにな
る。


 孤独だから、集団の中に入っていく。しかしその集団の中では、キズつきやすく、また相手
をキズつけるのではないかと、不安になる。自分をさらけ出すことが、できない。できないか
ら、相手が、自分をさらけ出してくると、それを受入れることができない。


 たとえば自分にとって、いやなことがあっても、はっきりと、「イヤ!」と言うことができな
い。一方、だれかが冗談で、その子ども(人)に、「バカ!」と言ったとする。しかしそういう言
葉を、冗談と、割り切ることができない。


 そこでこのタイプの子どもは、集団の中で、仮面をかぶるようになる。いわゆる、いい子ぶる
ようになる。これを心理学では、「防衛機制」という。自分の心がキズつくのを防衛するため
に、
独特の心理状態になったり、独特の行動を繰りかえすことをいう。


 子ども(人)は、一度、こういう仮面をかぶるようになると、「何を考えているかわからな
い子ども」という印象を与えるようになる。さらに進行すると、心の状態と、表情が、遊離す
るようになる。うれしいはずなのに、むずかしい顔をしてみせたり、悲しいはずなのに、ニンマリ
と笑ってみせるなど。


 この状態になると、一人の子ども(人)の中に、二重人格性が見られるようになることも
ある。さらに何か、大きなショックが加わると、人格障害に進むこともある。


●すなおな子ども論


 従順で、おとなしく、親や先生の言うことを、ハイハイと聞く子どものことを、「すなおな子ど
も」とは、言わない。すなおな子どもというときには、二つの意味がある。


一つは情意(心)と表情が一致しているということ。うれしいときには、うれしそうな顔を
する。いやなときはいやな顔をする。


たとえば先生が、プリントを一枚渡したとする。そのとき、「またプリント! いやだな」と言う子
どもがいる。一見教えにくい子どもに見えるかもしれないが、このタイプの子どものほうが
「裏」がなく、実際には教えやすい。


いやなのに、ニッコリ笑って、黙って従う子どもは、その分、どこかで心をゆがめやすく、またそ
の分、心がつかみにくい。つまり教えにくい。


 もう一つの意味は、「ゆがみ」がないということ。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、す
さむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。


ゆがみというのは、その子どもであって、その子どもでない部分をいう。たとえば分離不安
の子どもがいる。親の姿が見えるときには、静かに落ちついているが、親の姿が見えなくな
ったとたん、ギャーとものすごい声をはりあげて、親のあとを追いかけたりする。その追いか
けている様子を観察すると、その子どもは子ども自身の意思というよりは、もっと別の作用
によって動かされているのがわかる。それがここでいう「その子どもであって、その子ども
でない部分」ということになる。


 仮面をかぶる子どもは、ここでいうすなおな子どもの、反対側の位置にいる子どもと考え
るとわかりやすい。


●仮面をかぶる子どもたち


 たとえばここでいう服従型の子どもは、相手に取り入ることで、自分にとって、居心地の
よい世界をつくろうとする。


 先生が、「スリッパを並べてください」と声をかけると、静かにそれに従ったりする。
あるいは、いつも、どうすれば、自分がいい子に見られるかを、気にする。行動も、また先生と
の受け答えのしかたも、優等生的、あるいは模範的であることが多い。


先生「道路に、サイフが落ちていました。どうしますか?」

子ども「警察に届けます」

先生「ブランコを取りあって、二人の子どもがけんかをしています。どうしますか?」

子ども「そういうことをしては、ダメと言ってあげます」と。


 こうした仮面は、服従型のみならず、攻撃型の子どもにも見られる。


先生「君、今度のスポーツ大会に選手で、出てみないか?」

子ども「うっセーナア。オレは、そんなのに、興味ネーヨ」

先生「しかし、君は、そのスポーツが得意なんだろ?」

子ども「やったこと、ネーヨ」と。


 こうした仮面性は、依存型、同情型にも見られる。


●心の葛藤


 基本的信頼関係の構築に失敗した子ども(人)は、集団の中で、(孤立)と(密着)を繰
りかえすようになる。


 それをうまく説明したのが、「二匹のヤマアラシ」(ショーペンハウエル)である。


 「寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつ
きすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、体が温まらな
い。そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体
を温めあった」と。


 しかし孤立するにせよ、密着するにせよ、それから発生するストレス(生理的ひずみ)は、相当
なものである。それ自体が、子ども(人)の心を、ゆがめることがある。


一時的には、多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になることが多い。たとえば急激に緊張
すると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓がドキドキし、さらにその結果、
脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動が活発になる。


が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振や性機能
の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」(新井康允氏)
という。


こうしたストレスが日常的に重なると、脳の機能そのものが変調するというのだ。たとえば子ど
ものおねしょがある。このおねしょについても、最近では、大脳生理学の分野で、脳の機能変
調説が常識になっている。つまり子どもの意思ではどうにもならない問題という前提で考
える。


 こうした一連の心理的、身体的反応を、神経症と呼ぶ。慢性的なストレス状態は、さまざまな神
経症による症状を、引き起こす。


●神経症から、心の問題


ここにも書いたように、心理的反応が、心身の状態に影響し、それが身体的な反応として現
れた状態を、「神経症」という。



子どもの神経症、つまり、心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)
は、まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑ってみる。


(1)精神面の神経症…恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できな
いものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)など。 

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿
症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、
喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経
症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえ
て警戒する。 

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行
動面に現れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠
学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。 

●たとえば不登校


こうした子どもの心理的過反応の中で、とくに問題となっているのが、不登校の問題である。


しかし同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男は
ひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。


が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を

「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階
に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに
回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが、つぎである。 

(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感、吐き
気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、
夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の日内変
動という。

学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を
排除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、そ
のつど移動するのが特徴。 

(3)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂っ
たように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと
言うと、一転、症状が消滅する。


ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。
たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と思うことが多
い。 


(4)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの攻撃的
態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこかピリ
ピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりする
ことはある(感情障害)。


この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。お
ののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子どもといっ
た感じがするため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、わからなく
なってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。 


(4)回復期(この回復期は、筆者が加筆した)……外の世界と接触をもつようになり、少し
ずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというよ
うなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一〜二時間、週に
一日〜二日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。


●前兆をいかにとらえるか 


 この不登校について言えば、要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置を
とるかということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と
片づけて、無理をする。この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。


この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわ
よ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、
今の状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこ
じれる。悪化する。 


Hiroshi Hayashi++++++++はやし浩司

●終わりに

 どこかに書きましたが、これをきっかけに、『育児は哲学』と考え、Kさんも、どんどん
と勉強してみてください。
そしてKさんはKさんで、母親ではなく、妻でもなく、女でもない。
1人の人間として、自分の哲学を追求します。
生き様を模索します。
その結果として、あなたの子どもは、あなたを「親」とみるようになります。
1人の人間として、いつか評価するようになります。

 親になること程度なら、子どもを産めばできます(失礼!)。
しかし真の親になるのは、まだまだこの先、遠い道のりがあります。
さらにきびしい山を越え、谷を越えなければなりません。
現在、あなたが悩んだりしていることなど、何でもありません。

 忘れていけないことは、親が子どもを育てるのではないということ。
子どもが親を育てます。
あなたがあなたの子どもに育てられるのです。
また育てられることを、恐れてはいけません。
親の方が一歩、退き、謙虚になるのです。
子育てというのは、そういうものです。

 幸いにも、あなたはその第一歩を踏み出した。
わかりますか?
第一歩を踏み出したのです。
どうか恐れず、また第二の人生を子どもといっしょに歩むつもりで、前に進んでみてくだ
さい。

 最後になりますが、あとは、「心を開く」、です。
「心を開け、体はあとからついてくる」(アメリカの格言)です。
言いたいことを言い、したいことをする。
いやだったら、「いや!」と言う。
あなたはあなたらしく、「私」をしっかりともって生きる。
あなたが心を開かないで、どうしてあなたの子どもが心を開けるでしょうか。

 以上ですが、メール、ありがとうございました。
私は冒頭に書いたように、まだスランプ状態ですが、何とかなるでしょう。
今は、休養のときかもしれません。

 では、失礼します。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 基本的信頼関係 信頼関係 心を開く 輪に入れない子ども 仲間
に入れない子供 仲間に入れない はやし浩司 赤ちゃん返り 緘黙 かん黙 回避性障
害 対人恐怖症 恐怖症 不信関係 基底不安)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 2日
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7月2日  第1388号になりました!

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『レスラー』(The Wrestler)
2008年映画

++++++++++++++++++

昨夜、DVDで、映画『レスラー』を観た。
星は4つか5つの、★★★★。
よかった……というより、観終わったあと、
考えさせられた。
しばらく口も聞けないほど、考えさせられた。
よい映画というのは、『レスラー』のような
映画をいう。
中身が底なしに深く、私の人生観を、根底から
ひっくり返した。
それくらいの迫力は、じゅうぶん、あった。

++++++++++++++++++

●意識のズレ

 たがいの意識が一致するということは、まずない。
夫婦でも親子でも、まずない。
「意識」というのは、そういうもの。
ズレて、当たり前。
またそういう前提で、この問題は考える。
つまり自分の意識を過信してはいけない。
自分の意識を、絶対と思ってはいけない。
自分の意識を、相手に押しつけてはいけない。
親子とて、例外ではない。

親としてはつらいところだが、いまだかって、世代間闘争をして、親が勝ったためしがな
い。
親は加齢とともに、体力も、気力も弱くなる。
常に先に去るのは、親のほう。

●保護と依存

 ひとつの例が、保護と依存の関係。
保護する側は、「保護してやった」と思う。
それを自分の内部で、肥大化する。
その返す刀で、「相手は、私に感謝しているはず」と思う。
しかし実際には、相手は感謝など、していない。
一度、保護・依存の関係ができると、依存する側は、「依存して当然」と考える。

 親子の関係も、まさにそれ。
親はどこまでも子どもを保護する。
子どもは、どこまでも親に保護されて当然と考える。
意識のズレは、そういうところから始まる。

●韓国の例

 意識のズレ。
それが極端な形で現われたのが、今度の韓国の首長選挙(2010年6月)。
おおかたの予想に反して、親北派とみられる、野党民主党が、大躍進した。
哨戒艦爆破事件のあとである。
与党ハンナラ党としては、挙国一致態勢で、対北強硬政策を遂行しようと考えていた。
が、その出鼻を、くじかれた。
で、これに喜んだのが、北朝鮮。
(喜ぶというのも、おかしな話だが……。)
韓国の対北強硬政策は、見直しを迫られることになった。

●民主党の大躍進

 韓国各紙の論評によれば、戦争への危機感を覚えた若者を中心に、票が民主党に回った
という。
北朝鮮の「超強攻策?」に、おじけづいた?
が、ことはそんな単純ではない。

 今の今でさえ、「アメリカとソ連の代理戦争をさせられた」と考える韓国人は、多い。
つい先日も、「日本は朝鮮動乱を利用して、戦後の復興を成し遂げた」という社説をかかげ
た新聞社がある(2010年6月)。
「朝鮮半島を二分したのは、アメリカであり、ソ連(当時)だ」と。
「我々は代理戦争をさせられただけ。被害者にすぎない」と。
それがまた民主党を支持する人たちの、理論的基盤になっている。

●ちょっとした方向づけ

 この日本でも、あの戦争を評価して、右翼と左翼が、まっぷたつに意識が分かれる。
「300万人もの英霊が命を落とした。その死を無駄にしてはいけない」という右翼系の
人たち。
「300万人もの命が奪われた。二度と戦争を起こしてはいけない」という左翼系の人た
ち。

 意識というものは、そういうもの。
大きくちがようで、たがいにそれほど、ちがわない。
少なくとも原点は同じ。
が、ほんのちょっとしたきっかけと、方向付けで、ものの考え方が、180度変わる。
右翼的思考と、左翼的思考に分かれる。
分かれたまま、極端化する。

●親子

 話を戻す。
親子にしても、そうだ。
子どもを批判する親は、多い。
同じように親を批判する子どもも、多い。
「あれほど面倒をみてやったのに、何とも思っていない」と、怒る親。
「親は自分勝手で、私たちのことをほったらかしにしておいた」と、怒る子ども。
DVD『レスラー』の中にも、娘が親(=主人公のレスラー)を、そう言って批判するシ
ーンがある。

 「パパは、私の誕生日すら忘れて、何もしてくれなかった」と。

 (「誕生日くらい何だ!」と私は言いたいが、それは私の意識。
子どもたちは子どもたちの意識を基盤にして、ものを考える。)

●世代のミゾ

 一方、私たちと、若い世代の人たちの間にも、大きなミゾがある。
仕事人間となり、がむしゃらに働いてきた人は多い。
私もその1人だが、そうした生き方をしたといっても、若い人たちは、それを評価しない。
こんなエピソードがある。

 私がメルボルン大学で学生生活を送っていたときのこと。
マツダが、サバンナという車を発売した。
ダッシュボードが大きく外側に曲がり込んだ、斬新なデザインの車だった。
それを見て、マレーシアの友人が、私の部屋に飛び込んできて、こう叫んだ。

「ヒロシ(=私)、見に来い! 白人が、アジア人の作った車に乗っている!」と。
こんな話を、今の若い人たちに話しても、理解されないだろう。
私たちはそういう意識をもっていたし、それが私たちの時代の常識だった。

 この私も息子の1人に、こう言われたことがある。
「パパは、仕事ばかりしていて、ぼくたちのことを構ってくれなかった」と。
私には私なりの、そうせざるをえない背景というものがあった。
しかし私は、ただひたすら、そうした自分を、わびるしかなかった。

●親子の意識

 親子関係にしても、そうだ。
何も私の息子たちだけが、そうというわけではない。
多かれ少なかれ、みなそうだ。
しかし今、大学へ通っている学生で、親に感謝している子どもとなると、さがさなければ
いないほど、少ない。
が、それで勉強しているかというと、そうでもないようだ。

 「東大グループ全国教員」(2010年6月)の調査によれば、「学生の勉強時間は、不
十分」と考えている教員は、72%(うち14%が、「きわめて不十分」)もいるという。
わかりやすく言えば、学生たちは、「就職活動」と「アルバイト」で忙しく、「勉強どころ
ではない」(同調査)ということらしい。
(調査は、2010年の2月、全国の国公私立大で、授業を担当している教員、約1万7
000人を抽出、質問票を郵送して実施された。)

●親捨て

 最近の若い人たちは、平気で、「親を捨てる」。
「親を捨てる」という意識もないまま、捨てる。
また「親」に対する意識、そのものが、私たちの世代のそれとは、ちがう。
が、こればかりは、どうしようもない。
脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、たがいにそのミゾを埋めることはできない。
そのCPUに従って、それぞれの世代が、自分の人生観を組み立てる。

 「私たちは私たちで勝手に生きる。親は親たちで勝手に生きればいい」と。
それが現代流の「平等意識」ということらしい。

●そこにある(現実)

 しかしそこにある(現実)はきびしい。
欧米化も結構。
西洋化も結構。
しかし日本の社会制度は、そこまで成熟していない。
していないまま、意識だけが、大きく変わってしまった。

 おおざっぱな計算によるものだが、約60%の老人は、独居老人となり、やがて孤独死
を迎えるという。
死後発見されるまでの平均日数は、約1週間。
つまり死後1週間後に、だれかによって、発見される。

 知人の伯母は、孤独死をしたあと、3か月後に発見されたという。
死体は、半ばミイラ化していたという。

●幻想

 ……そこで主人公のレスラーは、すべてを失ったと自覚したあと、あえて「死の道」を
選ぶ。
自分の名前が連呼されるのを聞きながら、リングの上から飛び降りる……。

 そこで映画は終わるが、この問題だけは、自分自身がその年齢になり、その境遇に立た
されないと、理解できない。
「その年齢」というのは、体力的な限界を感ずる年齢をいう。
「その境遇」というのは、そういった境遇。
若い人はだれしも、「私だけはだいじょうぶ」と思っている。
しかしそれが幻想であることは、やがてみな、思い知らされる。

●世代間闘争

 老人と若い人たちの意識を、どうつなげていくか。
共有し、わかりあっていくか。
が、この問題だけは、今さら、どうにかなるものではない。
若い人たちは、私たちの世代を拒絶し始めている。
私たちもまた、若い人たちに失望し始めている。

映画『レスラー』は、そのあたりの深いミゾを、みごとなまでに表現して見せた。
言うなれば、1シーンごとに、ハンマーで頭を叩かれるような衝撃を、私は受けた。
つまり、私たちは、独居老人、孤独死を覚悟で、これからの人生を生きていくしかない。

●自業自得

 グチを言いたくない。
言ってもしかたない。
そういう子どもたちにしたのは、私たちの責任。
へたに今の若い人たちに、私たちが感じているさみしさを訴えれば、彼らは、こう言い返
すにちがいない。
「自業自得!」と。

 そう、まさに自業自得。
だからたいていの親たちは、子どもを責めない。
自分を責める。
親バカだった、自分を責める。

 老後の資金?
そんなものどこにある?
子どもたちの学費で、使ってしまった。
そういう自分を責める。

●親孝行

 今年に入ってから、私の育児観は大きく変わった。
「子どもは子どもで、自分の人生を歩めばいい」と、あちこちで説いてきた。
「そういう子どもの人生を認める。またそれが親としての義務」と。

 しかしこの考え方は、そこにある(現実)とは、あまりにもかけ離れていた。
またそれ以上に、若い人たちの意識は、私たちのそれとズレてしまった。
私たちの世代は、「子どもに負担をかけては、申し訳ない。だから親孝行など考えなくても
いい」と、私は教えた。
それを基本に、自分の考えを説いた。
しかし若い人たちの意識は、それを通り越して、さらに遠くへ行ってしまった。

 総理府(現在の内閣府)の調査によっても、「将来、親の老後のめんどうをみる」と答え
ている若者は、20%(注※)もいない。
その数値は、調査をするたびに、減っている。

●孤独

 やがて人口の3分の1が、後期高齢者(75歳以上)になるという。
「めんどうをみてもらえる」と考える方が、無理。
つまり生きるのも、私たちだけなら、死ぬのも、私たちだけ。
そう考えて、老後の準備に入る。
それを覚悟する。

 が、それはまさに孤独との闘い。
壮絶なまでに苦しい、孤独との闘い。
それがどんなものかわからなければ、映画『レスラー』を観たらよい。
あの映画の中に出てくる主人公のレスラーは、15年後、20年後の、私たちの姿そのも
の。
私やあなたも含めて、大半が、そうなる。

●つぎの世代も

 が、私たちの世代だけで、この話が終わるわけではない。
念のために警告しておく。

 こうした意識の変化は、世代連鎖して、今の若い人たちの、そのまた子どもへと伝わっ
ていく。
「私はだいじょうぶ」「私の家族にかぎって、そういうことはない」と、高をくくっている
人ほど、あぶない。
「あぶない」という言い方には、語弊があるかもしれない。
が、今の若い人たちは、さらにきびしい老後を迎えることになる。
もしそれがわからなければ、自分の年齢を基準に、簡単な足し算をしてみることだ。
それで自分の未来が見えてくる。

●やはり星は4つ

 ……というわけで、昨夜は、寝つきが悪かった。
ふだんならたがいに映画の批評をしあうのだが、昨夜は、私の方が押し黙ったまま。
で、今の私の心境は、こうだ。

 「教育のあり方を、基本的な部分から考えなおさないと、日本は、この先、さらにたい
へんなことになる」と。

 だから星は4つ。
荒っぽい作りの映画だったが、星は4つ。
本当に考えさせられた。
よい映画だった。

 「The Wrestler」の公式サイトは、
http://www.wrestler.jp/
より。
ヴェネチア国際映画祭、金獅子賞受賞、ほか。
ミッキー・ローク自身のセミ・ドキュメンタリー映画。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 『レスラー』 The Wrestler 老後の孤独 孤独論)

(注※:参考)

古い資料で申しわけない。

●親のめんどうをみる……19%

総理府の調査によれば、20歳の若者は……

「親のめんどうをみる」と答えた若者……23%(平成6年度)
                   19%(平成9年度)
ちなみに世界の若者たちは……
アメリカ……63%
スェーデン……37%
フィリッピン……81%
韓国……67%
タイ……59%(以上、平成6年度)

日本の若者の66%が、「生活力に余裕があればみる」と答えている。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●浜名湖かんざんじ荘にて
(浜松市西区呉松町1681、電話05−487−0330)

+++++++++++++++++++++

今日は、浜名湖かんざんじ荘に一泊することにした。
明日は、ワイフの誕生日。
そのお祝い会も兼ねた。

おとな、2食付で、1名7500円。
浜松市内でも、最高の景勝地にある。
何をもって景勝地と言うかは、泊まってみれば、わかる。
とくに夕日を見ながらの、展望風呂がすばらしい。
そのすばらしさは、この地域の人なら、みな、知っている。
小さいが、清潔。
全面窓ガラスになっていて、展望風呂からは、眼下に浜名湖、
舘山寺温泉街を望むことができる。

部屋はやや狭いかな(?)、という感じだが、
料金が料金だから、不満はない。
・・・というか、大満足。

++++++++++++++++++++

●浜名湖かんざんじ荘

 私たちが泊まった部屋は、3階の306号室。
ちょうど真下に、東名高速道路の三ヶ日インターチェンジから、手前の浜松市内につづく
大橋が見える。
名古屋方面から東名高速道路を車で来る人は、まずこの大草山(おおくさやま)を見る。
その大草山を見て、浜松へやってきたことを知る。
私もそうだ。
大草山が見えてくると、「浜松だ!」と叫ぶ。
そのクセは、今でも変わらない。
浜名湖かんざんじ荘は、その大草山の頂上にある。

 もともとは国民宿舎として建設されたホテルである。
それを地元のバス会社が引き継ぎ、現在、営業している。
サービスはよい。
料理もおいしい。
うなぎの柳川鍋に惹(ひ)かれて、3杯もご飯を食べてしまった。
星は料金も勘案して、5つの★★★★★。

 ちょうど夕日時で、山の端に、オレンジ色の太陽が沈んでいった。
その下を、1本のまっすぐな航跡を残して、釣り船が横切っていった。
深い緑の島々。
それに囲まれた入り江。
風はなく、湖面はいくつかのまだら模様を作りながら、鏡のように輝いていた。

●浜名湖

 浜名湖の思い出は多い。
息子たちが子どものころは、夏場になると、毎週のように浜名湖へやってきた。
同じように、この浜名湖かんざんじ荘へも、よくやってきた。
昔は、「国民宿舎・舘山寺荘」と呼んだ。
気軽に食事をしたり、泊まったりすることができた。
また遠方から友だちが来たりすると、ここへ案内した。
みな、満足して帰っていった。

 その浜名湖。
浜松市から西へ、車で30分。
目の前にするたびに、「ここはいいところだ」と思う。
「ここ」というのは、浜松市。
湖があり、周囲をそれほど高くない山々に囲まれている。
もちろん海もある。
昔からの工業都市で、ほどよい活気もある。
気候は、本州の中でも鹿児島と並んで、温暖。
その浜松市で、私は40年近く過ごした。
「住めば都」とは言うが、私はそれ以上に、この町が好き。
この町で人生の大半を過ごせたことを、本当によかったと思う。

●メルボルン市

 人は、よりよい土地に住んで、それまでの土地が、そうでなかったことを知る。
人は、より広い土地に住んで、それまでの土地が、そうでなかったことを知る。
私は、学生時代をオーストラリアで過ごせたことを、本当に幸運だったと思う。
今では、オーストラリアなど、高校生の修学旅行でも行くようになった。
しかし私の時代には、少なかった。
あの人口300万人(当時)のメルボルン市にも、日本人の留学生は、私1人だけだった。
帰国するころ、モナーシュ大学に、もう1人、日本人の留学生がやってきたという話は耳
にした。
当時は、そういう時代だった。

 だから60代の人で、私がしたような経験をした人は、少ない。
が、ただ経験したというだけではない。
当時の日本には、バンドエイドも綿棒もなかった。
大学の寮(カレッジ)には、乾燥ルームまでついていた。
日本人の私には、見るもの、聞くもの、すべてが珍しかった。
1日を、それまでの1年に感じたこともある。
ウソではない。
本当に、そう感じた。

●優越感

 その一方で、今、ときどき郷里へ帰ったときなど、何とも言えない優越感を覚えること
がある。
若い人たちはともかくも、同年齢の人たちに会うと、それを覚える。
「私は、あなたたちの知らない世界を知っている」と。
「その知らない世界を原点に、今、私がいる」と。

 ……だから同年齢の人たちが、保守的というか、古くさい考え方をしているのを知ると、
こう思う。
「この人たちは、かわいそうだな。このまま人生を終わるんだろうな」と。
先日も、ある法事に出たら、そこでこんな話をしている人がいた。

「長老の言うことを、最近の若い人たちは、聞かない……」
「昔は、長老が、こうだと言えば、みな、従ったものだが……」と。

 私はその話を横で聞きながら、「かわいそうな人たちだな」と思った。
広い世界を知らない。
まったく知らない。
「知らないから、そういう話をする」と。

●浜松市

 もちろん浜松市にも、保守的な考え方をする人は多い。
しかし全体としてみると、郷里の人たちよりは、住んでいる世界そのものが広い。
私のような人間でも、受け入れる。
いろいろあったが、それでも何とか、この40年近くを過ごすことができた。
これが郷里の、あのM町だったら、そうはいかなかったと思う。
はじき飛ばされてしまうか、私自身が、押しつぶされてしまっていただろう。
現在の今ですら、私を理解できる人は少ない。
同年齢の人では、さらに少ない。
みな、異口同音にこう言う。

「林(=私)は、変わっていたが、今でも変わっている」と。

 そう言えば、先日(2010年2月)に大学の同窓会に出たときも、そう言われた。
たまたま撮っていたビデオに、そういう言葉が残っていた。

 ……そんなことを考えながら、展望風呂には、3度も入った。
気持ちよかった。
本当に気持ちよかった。

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 晃子へ、

 誕生日、おめでとう。
すっかりさみしい誕生会になってしまったが、ごめん!

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直接は……

http://www.youtube.com/watch?v=jsX4X6B_yMc

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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