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2010年     8月号
Essay……
BOX版(ネットストーレッジ)……





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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   30日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【金権教からの脱出】(Is Money Everything?)

++++++++++++++++

教育と営利行為は共存しうるか。
医療と営利行為は共存しうるか。
芸術と営利行為は共存しうるか。
宗教と営利行為は共存しうるか。

答は、どれも「NO!」のはず。
強欲さの追求と、「心」の追求は
両立しえない。
営利行為を捨て去ったところに、
教育、医療、宗教は存在する。
が、現代社会では、それが奇妙に
共存している。
つまり矛盾が矛盾とわからないまま、
共存している。

営利行為でなくてもよい。
名声、名誉、地位、肩書き……。
本来、共存しえないものが、共存
している。

まずそのおかしさに気づく。
それが私やあなたの「心」を守る、
第一歩!
「心の豊かさ」を守る、第一歩。

++++++++++++++++

●つぶれる心

受験競争を経験させると、子どもの心は確実につぶれる。
ものの考え方が、功利的、打算的になり、ドライになる。
心の余裕をなくす。
もっと平たく言えば、人間が本来もっている温もりをなくす。
割り切り方がすばやくなり、一度割り切ると、そのまま心は、氷のように冷たくなる。

理由は簡単。

 子どもは親の「心」を、そのまま受け継ぐ。
親自身が、受験競争というものはそういうものと、考えている。
その底流では、ドロドロとした醜い欲得が、渦を巻いている。
それがそのまま親の心となり、子どもの心となる。
つまり親が子どもの心をつぶす。
つぶしながら、つぶしているという意識さえない。
ほとんどの親は、「子どものため」と考えている。
一方、子どもは、やりたくもない受験競争を強いられる。
被害者意識をもつ。

 受験競争でうまくいく子どもは、全体の何割もいない。
大半は、その過程で傷つき、脱落していく。

●親の不安や心配につけこんだ、金儲け

だからいくら親ががんばっても、子どもは、感謝などしない。
ぜったいにしない。
仮に目的の(?)学校へ進学できたとしても、感謝などしない。
「お父さん、お母さんが励ましてくれたから、合格できた」などとは、ぜったいに
思わない。
親にもしないが、ついでに、進学塾にもしない。
進学塾の講師にもしない。
当然と言えば、当然。

 「教育」とは名ばかり。
親の不安や心配につけこんだ、金儲け。
それが進学塾の実態。
そんなことは、小学生にだってわかる。

●「二度としたくない」

ある進学塾の講師は、こう言った。
その道、35年のベテランである。
「私など、ただの一度も元生徒の結婚式に呼ばれたことはありません」と。
苦笑いしながら、「苦労に苦労を重ねた生徒ですら、去るときは、ハイ、サヨナラです」と。

また別の男性は、45歳くらいまで予備校の講師をしていた。
45歳のとき、ベンチャー企業を興し、その経営者になった。
その男性も、その直後、こう言っていた。
「予備校の講師など、二度としたくないね」と。
道に唾(つば)を吐きかけんばかりの言い方だった。

で、私の話になる。

●進学塾の講師

私も予備校や補習塾で、講師をした経験がある。
20代から30代のはじめにかけてのころのことである。
幼稚園での仕事が終わると、夜遅くまで、講師として働いた。

ひとつの予備校の経営者は、いつもこう言っていた。
「親を信じてはいけない」と。
つまり割り切って仕事をしろ、と。
それが口癖だった。

そのときはその意味が、よくわからなかった。
が、今は、よくわかる。
この世界、お人好しは、通用しない。
善意も通用しない。
ただいつも一方的に裏切られるだけ。
たとえばX補習塾で働いていたころ、こんなことがあった。

●A子さん(中2)の例

 その補習塾では、とくにがんばった子どもや、経済的な理由のある子どものばあい、
月謝を、程度に応じて免除していた。
(当時は、月謝という形で、毎月現金で受領していた。)

 A子さん(中2女子)も、そんな生徒の1人だった。
塾長のはからいで、その生徒の月謝は、4分の1になっていた。
そのA子さんが、ある日、どこかの進学塾の宿題をもってきた。
私が「それは何?」と聞くと、「Y塾の宿題!」と。

 私は驚いた。
A子さんの親には、とてもそんな余裕はないはず。
そこで少し遠回りな言い方で、話を聞いてみた。
A子さんは、こう言った。
「ここでの月謝が浮いた分で、Y塾にも通えるようになった」と。

●塾経営

 塾が自動販売機にたとえられる時代があった。
今は、ファースト・フード店にたとえられる。
大規模になり、チェーン化した。
送迎時のあいさつの仕方、三者面談の内容、仕方、
話の進め方など、すべてがマニュアル化されている。
「塾は掃除!」と説く塾長もいる。
「塾は清潔で明るくしろ」と。

 外観が美しい分だけ、中身は醜いということか。
それとも中身の醜さをごまかすため、外観を美しくするのか。
どうであれこんな世界で、思春期前夜、思春期を過ごす子どもたちこそ、あわれ。
悲劇。
プラス残酷!

受験競争を通して、人生の骨格を組みあげてしまう。
冒頭に書いたように心をつぶされながらも、それを意識することもない。 
たとえばこの時期、親の希望には際限がない。
よい例が不登校。

●際限のない親の希望

 子どもがやっとのことで、午前中だけ学校に通えるようになったとする。
しかもほんの1、2時間。
しかしそこまで子どもをもってくるのが、たいへん。
長い時間がかかる。
が、すぐ親は、こう言い出す。
「何とか給食だけでも・・・」と。
あるいは「午後の勉強も・・・」と。

 進学校にしてもそうだ。
何とかC中学に入れそうになると、親は、「せめてB中学に・・・」と言い出す。
そのB中学が射程圏に入ってくると、今度は「何とかA中学に・・・」となる。

 それに塾教師が振り回される。
が、ひとつだけ忘れてはいけない。
「子どもこそ、被害者」と。
それに振り回される子どもこそ、被害者。

 子どもの心は無視。
子どもの希望も無視。
親はそれを正しいことと信じて、子どもに押しつける。
「学歴信仰」というのは、立派なカルト。
学校神話に基づく、立派なカルト。
子どもは子どもで、それを客観的に判断する経験もない。
抵抗する力もない。
だまって親に従う。
従いながら、心をつぶす。

●心と近代化

 「人の心」と「近代化」は、反比例の関係にある。
それとも人の心が、そこまで金(マネー)に毒されてしまったと考えるべきなのか。
さらに言えば、経済は発展した。
経済学も発展した。
しかし経済と「人の心」の関係について、それを論じた人はいない。
(私は論じているぞ!)
いないばかりか、経済を論ずる人ですら、毒されてしまっている。
脳のCPU(中央演算装置)の問題。

・・・話が大きく脱線した。
しかしこうした変化は、子どもたちを成長段階を追いながら観察してみるとよくわかる。
小学校の低学年のときは、心のやさしかった子どもでも、受験競争を経験したとたん、
人が変わる。
夏休みの間の特訓教室のようなものに通っただけで、大きく変化する子どももいる。
親は「やっと自覚ができたようです」と喜ぶ。
しかしその一方で、もっと大切なものを子どもは失う。
親は、それに気づかない。
それもそのはず。
親自身も、子どものころ、その大切なものを失っている。

●日本のビジネスマン

もう少しわかりやすい例をあげよう。
こんなことがあった。

 オーストラリアで学生だったときのこと。
私はことあるごとに、日本へ帰ったら商社マンとして働くことを自慢していた。
それしか自慢するものがなかった。
が、ある日のこと。
仲がよくなり始めていたオーストラリア人の友人が、私にこう言った。
「ヒロシ、そんなこと、自慢するのをよせ」と。
理由を聞くと、「君は知らないかもしれないが、日本の商社マン(ビジネスマン)は、
オーストラリアでは軽蔑されている」と。

 はっきりと「despised(軽蔑されている)」という言葉を使った。
この言葉は、かなりきつい響きをもつ。
で、理由を聞くと、こう話してくれた。

●何でも「金(マネー)」

 ある日、日本の商社マンがその友人の家に招かれて、やってきたときのこと。
オーストラリアでは少し親しくなると、たがいに食事に招待しあうという習慣がある。
(欧米では、どこでもそうだが……。)
その食事が終わったとき。
商社マンはおもむろにカバンの中から、何かを取り出して、「これを買わないか?」と、
言い出した。
そのものは忘れたが、繊維製品か何かだった。
が、その友人の父親はそれには興味を示さなかった。
そこで「NO!」と答えると、商社マンは今度はべつのものを取り出したという。
今度はカメラか何かだった。
が、それが何であるかどうかは、この際、どうでもよい。
それを買わないかと、言い出したという。

 友人の父親はすっかり不愉快になった。
ひとつのものをいらないと言うと、別のものを出す。
それもいらないと言うと、さらに別のものを出す。
そういう日本の商社マンの態度が許せなかった。

 が、私はこの話を聞いたとき、「どうして?」と思ってしまった。
日本の商社マンとして、その商社マンは当然のことをしただけ。
日本からわざわざ50万円近い旅費をかけて、やってきた。
当時の水準からすると、大卒の初任給の10か月分の給料である。
「ごちそうさま」で帰るわけにはいかない。

 私がその商社マンだったら、同じことをしただろう。
だから「どうして?」と。
そのときは、ごく自然に、私はそう考えた。

●それから30年後

 それから30年あまり。
今度は私が逆の体験をすることになった。

 ある日のこと。
高校時代の友人から、突然、電話がかかってきた。
「ぜひ、一度、会いたい」と。
高校時代には、それほど親しくはなかった。
しかし私には高校時代の友人に、「友人」と呼べるような友人は、ほかにいない。
そのこともあって、ていねいにその友人を招いた。

 が、1夜、私の家に泊まった朝のこと。
居間にいるとその友人は、かばんから、10個くらいの瓶を取り出した。
サプリメント商品、つまり健康食品の入った瓶だった。
「これを買わないか?」「仲間に入らないか?」と。
話を聞くと、ネズミ講方式で利益がふえるという。
私はそれを聞いて、心底がっかりした。
がっかりして、「君は、最初からこれが目的で、ぼくに近づいてきたのか」と聞いた。
彼は強くそれを否定した。
しかし彼の意図は見え見えだった。

●無数の意識

 私はそのとき、オーストラリアの友人の父親の気持ちが、はじめて理解できた。
なぜあのとき、友人の父親は不愉快になったか。
それが理解できた。
つまりそれが「意識の差」ということになる。

 お金に毒されているときは、脳そのものが毒されているから、それに気づくことはない。
しかし一歩退いて、別の世界からそれをのぞいてみると、それに気づくことができる。

 これはほんの一例だが、こうした無数のこまかい「意識」が集合して、「毒される」
という状態になる。
が、何度も書くが、毒された人は、それに気づくことはない。
脳のCPU(中央演算装置)そのものが毒されている。

 よい例が、C国製品。

●目覚まし時計

 ところで私は最近、小型ビデオカメラ付きの目覚まし時計を買った。
あのC国製。
パソコン雑誌に紹介されていたので、信用して買った。
しかしこれがとんでもない粗悪品。

SDカードを挿入することになっているが、それがうまく入らない。
セットがむずかしい。
うまくいかない。
電源を入れなおすたびに、時刻が初期設定に戻ってしまう。
おまけに説明書の日本語が、めちゃめちゃ。

 が、外から見た「形」だけは、それらしくできている。
どこかの国でできた目覚まし時計のデザインを、そのまま使っている?
私はその目覚まし時計を見ながら、こう考えた。
「C国の人たちは、こんな製品を輸出して、自分たちに恥じないのだろうか」と。
もっとも国全体がそうなっているから、それに気づくことはない。
もちろん恥じることもない。
「無数のこまかい意識が集合されている」というのは、そういうことをいう。
 
●日本の俳優

 もうひとつ話が少し脱線する。

 私とワイフはよく映画を観に行く。
「東宝シネマ」という映画館で、洋画と邦画を、半々くらいの割合で上映している。
邦画はほとんど見ないが、予告編はよく見る。
その邦画。
ひとつの特徴がある。

 邦画に出てくる若い俳優たちが、どの人も、頭はキレるが、人間的な深みがない。
またそういう演技をするのが、「映画」とでも思っているかのようでもある。
自然ぽさがないのはしかたないとしても、日本の俳優たちがもつあの独特の(冷たさ)は、
いったい、どこから来るのか?

 もちろん『送り人』のような、すばらしい映画もある。
が、その『送り人』にしても、私はどこかにあの独特の(冷たさ)を感ずる。
田舎の人たちの温もりを描いているはずなのに、スクリーンのすぐ向こうに、受験生的な、
あの独特の(冷たさ)を感ずる。

 おそらく俳優自身はそれに気づいていないだろう。
ここでいう「受験生的」というのは、「他人をかき分けて競争に勝ち抜いた」という意味。そう解
釈してもらってよい。

●子どもの世界でも

 子どもの世界では、それがもっとはっきりと表われる。

 同じ小学6年生でも、心の温かさを感ずる子どももいれば、そうでない子どももいる。
冷たい子どもは、どこまでも冷たい。
ぞっとするほど、冷たい。
頭の中は受験勉強だけ。
あるいは何かの検定試験のことだけ。
バッグの中は、その種の参考書と問題集だけ。
余計なことは、いっさいしない。
もちろんそれなりに勉強はできるが、その先がない。

 簡単に説明すれば、親の温かい愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、心が温かく
なる。
そうでない子どもは、そうでない。
つまり子どもの心の温もりは、親の育て方……というよりは、世代連鎖。
親から子へと伝えられる。
それによって決まる。
ふつう心の冷たい子どもの親は、心が冷たい。
心の温かい子どもの親は、心が温かい。

 だから心の冷たい子どもを見つけ、その親に向かって、「あなたの子どもは心が冷たい
ですよ」と忠告しても意味はない。
親自身が、それを理解できない。
また言ったところで、どうにもならない。
思春期を過ぎて、心の冷たい人間がその後、温かくなるということは、ありえない。
さらに言えば、一度つぶれた心は、元には戻らない。

●幻想

 この日本では、親たちは、「勉強しろ」「勉強しろ」と子どもを追い立てる。
それはそれでしかたのないことかもしれない。
日本人には日本人独特の身分意識がある。
現在は、それが学歴意識に置き換わった。

 が、これだけはよく覚えておくとよい。
それを言えば言うほど、今度は、親がその責任を取らされる。
子どもたちは「高校へ行くのは当たり前」「大学へ行くのは当たり前」と考えるようになる。
中には、「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいる。
(これは本当の話だぞ!)

 その結果どうなるか?
親は親で、淡い期待をもつかもしれない。
「いつか親に感謝し、よい親子関係を築くことができるはず」と。
中には「老後のめんどうをみてもらえるかもしれない」と思う人だっているかもしれない。
しかしそれはまったくの幻想。

●月謝袋を詰め先で……

 あえて統計をとるまでもない。
この世界の常識として、「一度、都会の大学を出た子どもは、親のところには戻らない」。
戻らないばかりか、その多くは子どものほうから、親子の絆を断ち切ってしまう。
それもそのはず。
親は子どものためと思って、(本当は自分の不安や心配を子どもにぶつけているだけなの
だが)、「勉強しろ」と言う。
が、言われたほうの子どもは、それによって追いつめられる。
少なくとも「親は自分のことを心配して、そう言ってくれる」などとは、思わない。
進学塾の講師にしても、そうだ。

 へたに「君の将来のためだ」と言っても、子どもは、その先を読んでしまう。
「金儲けのためだろ?」と。
私も実際、そう言われたことがある。
月謝袋を爪先でポンとはじき、「あんたのほしいのは、これだろ!」と私に言った、高校生
がいた。

 皮肉なことに、心のつぶれた学生ほど、成績がよい。
そのままよい(?)大学に進学していく。
社会のリーダーとなっていく。
そして一方で、ドロドロしたおとなの世界の裏を、そのまま見抜く。

●幼児から高校3年生まで

 ずいぶんと否定的なことばかり書いてきた。
読者の方にインパクトを与えるため、やや過激な言い方で書いてきた。
しかし私はこの原稿を、警告の念をこめて書いた。
というのも私は、幼児(年少児)から高校3年生までの子どもを、1日というサイクル
の中で教えている。
40年来、そうしている。
幼児から高校3年生といえば、15年間である。

 そういうサイクルの中で、子どもたちの心の変化を、毎日のように見ている。
が、その「変化」というのは、心理学でいうところの変化とは、少し違ったものである。
たとえばここに書いた(冷たさ)というのは、思春期の反抗期とは異質のものである。
「心がつぶれる」と言っても、その診断方法もなければ、基準もない。
もちろん病名もない。

また心が冷たいからといって、それが何かの障害につながるということでもない。
むしろこの世界は、そういう心が冷たい人たちにとって、住みやすい世界になっている。
そういう人たちほど、社会のリーダーとなり、裕福な生活を送っている。

●最後に……

 最後になるが、今、私はこんなふうに考える。
近代社会は、はたして人間の心を豊かにしたか、と。
「近代社会」というのは言い過ぎかもしれない。
私が書いているのは、受験競争の弊害のひとつにすぎないのかもしれない。
さらに「競争」は不可欠というのなら、方法論の問題ということになる。
つまり子どもの教育法がおかしい。
あるいは日本人がもつ意識が、おかしい。

 どうであれ、このままではこの日本はますます狂っていく。
言うまでなくその国や社会の熟成度は、いかに弱者にやさしいかで決まる。
が、この日本は、それに逆行しているばかりか、さらに「格差」を広げつつある。
入り口で受験競争に勝ち抜いた子どもは、その後、安泰した裕福な生活を送ることが
できる。
そうでない子どもは、そうでない。

 心のつぶれた、冷たい子どもたちが、社会のリーダーとなっていく。
そんな社会を、私たちはけっして目指してはいけない。

 ……ということで、あなたも一度でよいから、自分の身の回りを見渡してみてほしい。
経済的に豊かな人も、またそうでない人も。
そして一度でよいから、こう考えてみてほしい。
「これでいいのか?」と。
たったそれだけのことだが、それが種となって、いつかやがてあなたの心にも、(人間
らしい心)が戻ってくる。
子どもの見方も変わってくる。
けっして貪欲さの奴隷になっていはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心のつぶれた子 金権教 つぶれる心 冷たい心 心の冷たい子ども 
受験競争の弊害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2008年の3月に書いた原稿を
添付します。
これもかなり過激な原稿です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「金権教」というカルト(Money is Everything.)

++++++++++++++++++++++

Most of us believe that money is everything, some consciously and some unconsciously. 
But it is a kind of cult (or sect), or we would know it when we are involved in it. So I ca
ll It "Money-ism", or "Money Cult".

++++++++++++++++++++++

●カルト

私はカルト(狂信的な信仰)とは無縁と
思っている人でも、ちょっと、待ってほしい。
そういう人でも、無数のカルトを信仰している。

学歴信仰に始まって、親絶対教、学校神話、男尊女卑思想、
家父長意識、民族主義に国粋主義などなど。

人は、ひとつのことを信仰することによって、思考を放棄することができる。
それは同時に、たいへん甘美な世界でもある。

思考、つまり(考えること)には、いつもある種の苦痛がともなう。
難解な数学の問題を前にしたときのことを、思い浮かべてみればよい。
カルトを信仰することによって、その苦痛から、自らを解放することができる。
過去や世俗的習慣を踏襲するのも、そのひとつ。
「昔はこうだった」「みなは、こうしている」と。

●金権教

金権教について、考えてみたい。
……といっても、どんなカルトでもそうだが、
その中にいる人には、自分のおかしさがわからない。

そのおかしさを知るためには、一度、そのカルトの外に出てみなければならない。
あるいは、やめてみる。
長い間、カルト信仰をしてきたある女性(当時、45歳くらい)は、こう言った。

「退会してみて、はじめて、おかしさがわかった」と。

金権教もそうである。

●中国では

たまたま現在、隣の中国が、20年前、30年前の日本を再現している。
何もかも、マネー、マネー、一色。
少し前だが、こんな話を、何かの雑誌で読んだことがある。

あるところで、1人の少年が川に落ちて、溺れた。
少年の母親は、まわりの人に、助けを求めた。
狂乱状態だったという。
それを見ていた一人の男性が、こう言ったという。
「〜〜元、出せ。そしたら助けてやる」と。
金額は、忘れた。

戦後の日本も、ひどかった。
が、しかしそこまでは、ひどくなかった。
(……と信じたい。似たような話はあるが……。)
それにしても、溺れる子どもを横目に、金額交渉とは!

心もマネーに毒されると、人は、そこまで言うようになる。
そのおかしさは、日本人の私たちには、よくわかる。
しかし当の中国の人たちには、わからない。

●信者たち

こうした「金と権力がすべて」という世界を、金権教という。
かなり宗教的な色彩が濃いから、「金権教」と呼ぶ。

その金権教の信者は、少なくない。

医師、弁護士に始まって、教師、役人、職人、はては牧師に僧侶にいたるまで。
職種に、関係ない。

しかし自分が金権教の信者であることに気づいている人は、少ない。
が、それを知る方法が、ないわけではない。

(1)金銭的な利益のある仕事だけをする。利益第一主義。
(2)金銭的に損な仕事はしない。ボランティア活動をしない。
(3)貧しい人を、いつも(下)に見る。人の価値を財産で決める。
(4)損得勘定に敏感である。計算高い。
(5)とくに損をしたとき、過剰なまでに反応する。落胆する。
(6)「信じられるのは、金だけ」を、よく口にする。
(7)仕事(=金儲け)中心主義で、家族、家庭を犠牲にしても平気。
(8)周囲の人間を、平気で利用する。その分だけ、いつも孤独。

これらの項目のうち、ほぼすべてが当てはまれば、金権教の信者と考えてよい。
もちろん程度の差もあるが……。

が、その金権教も、やがていつか、行きづまる。
短期的には、事業が失敗したとき。
長期的には、加齢による事業の縮小など。
そういったとき、マネーという本尊が、(イワシの頭)だったことを、思い知らされる。

●ここが始まり

カルトがこわいのは、ここから。
それを信じている間は、カルトは、その人を側面から支える。
生きる目標になることもある。
しかしそれを疑ったとたん、その人は、その内部から崩壊する。
「自己否定」という言葉があるが、それに近い状態になる。
「私は、何だったのか」と。
それまでの人生が無意味だったことを、思い知らされる。
とたん、大混乱に陥る。

こういうケースのばあい、つぎの2つから、進むべき道を選ぶ。

(1)そのまま金権教に固執する。
(2)新たな価値観を模索する。

このどちらでもないとなると、そこで待っているのは、「破滅」。
自殺という手段を取る人もいるが、それは論外。

こういうケースがある。

●のめり込む信者

あるところに、手かざしで、病気を治すと教えている教団があった。
「手かざし」というのは、患部に手をかざして、病気を治すことをいう。
N氏夫婦は、その教団の熱心な信者だった。
で、あるとき、N氏の長男が、腹痛を訴えた。
(あとで盲腸炎だったということがわかったが……。)
N氏は、長男を病院へ連れていかなかった。
手かざしで治してみせると、がんばった。
しかし長男は、そのまま死んでしまった。
いや、最後の最後のところで、病院へ運ばれたが、そのときは手遅れだった。

こういうケースのばあい、「私たちの信仰はまちがっていました」と認めることは、
自分の子どもを、自分たちで殺してしまったことを認めることに等しい。

実際、N氏夫婦は、そのあと、ますますその信仰にのめりこんでいった。
またそれしか進むべき道がなかった。

……金権教にも、似たようなケースがある。
これは金権教で破滅した、ある男性の話である。

●K氏のケース

K氏は、昔からの資産家の二男だった。
長男の兄と2人で、事業を起こした。
建売を専門とする、建築会社だった。
高度成長期の、あの波に乗り、事業はトントン拍子で拡大した。
K氏は、有頂天になった。
毎晩、札束を切りながら、豪遊に豪遊を重ねた。

が、そのころから兄(=長男)との折りあいが悪くなった。
利益の配分をめぐっての、争いがつづいた。

そこで会社を2分することにした。
建設部門を兄が、不動産部門を二男のK氏が引き継いだ。

が、とたん、あのバブル経済がはじけた。
K氏は破産。
無一文になった。

その後、1年ほどの期間があったが、私が再びK氏の消息を聞いたときには、
K氏は、精神病院に長期入院しているということだった。
その1年間に、何があったか、それを想像するのは難しくない。
妻とは離婚。2人の娘がいたが、2人とも兄の家に引き取られていた。
人伝えに聞くところによると、「想像を絶する、家庭内騒動がつづいた」とのこと。

金権教の信者の末路(失礼!)は、あわれ。
マネーの切れ目が、人生の終わり。
そうなる。

●意識の問題

が、これは、何も特別な人たちだけの問題ではない。
先にも書いたように、「程度の差」こそあれ、みなの問題と考えてよい。
ほとんどの人が、それを信じている。
「信じている」という意識がないまま、信じている。

私自身もそうだったし、今もそうかもしれない。
いつも心のどこかで、それと戦っている。

しかし金権教は、カルト。
宗教で教えるような教義など、どこにもない。
つまりは、人間が本能的にもつ(欲望)と深く、からみあっている。
欲望そのものかもしれない。
だから余計に、タチが悪い。

しかし、これだけは言える。
マネーで幸福は買えない。
しかしマネーがないと、人は、不幸になる。
それはわかる。
が、その一方で、マネーに毒されると、人生そのものを棒に振る。
仮に金持ちのまま終わったとしても、だ。

一度、勇気を出して、自分の心の中をのぞいてみるとよい。

+++++++++++++++++

以前書いた原稿を、1作、掲載します。
日付は、06年4月になっています。
ちょうど2年前に書いた原稿ということになります。

+++++++++++++++++

【金銭的価値観】

●損の哲学

++++++++++++++++++

私の大嫌いなテレビ番組に、
「○○お宝XX鑑定団」というのがある。

私は、あれほど、人間の心をもてあそび、
そしてゆがめる番組はないと思う。

が、この日本では、その番組が、
人気番組になっている。

つまり、日本人の、そして人間の心は、
そこまで、狂っている!

+++++++++++++++++++

●失った鑑賞能力

 ものの価値を、金銭的尺度でしかみないというのは、人間にとって、たいへん悲しむべ
きことである。ものならまだしも、それが芸術的作品や、さらには人間の心にまでおよん
だら、さらに悲しむべきことである。

 テレビの人気番組の中に、「○○お宝XX鑑定団」というのがある。いろいろな人たちが、
それぞれの家庭に眠る「お宝?」なるものを持ちだし、その金銭的価値を判断するという
番組である。

 ご存知の方が多いと思うが、その「もの」は、実に多岐にわたる。芸術家による芸術作
品から、著名人の遺品まで。はては骨董品から、手紙、おもちゃまで。まさに何でもござ
れ! が、私には、苦い経験がある。

●絵画の価値

 私は子どものころから絵が好きだった。高校生になるころまで、絵を描くのが得意だっ
た。そのころまでは、賞という賞を、ひとり占めにしていた。だからというわけでもない
が、おとなになると、つまり金銭的な余裕ができると、いろいろな絵画を買い集めるよう
になった。それはある意味で、私にとっては、自然な成り行きだった。

 最初は、シャガール(フランスの画家)から始まった。つぎにビュフェ、そしてミロ、
カトラン、ピカソ……とつづいた。

 が、そのうち、自分が、絵画の価値を、金銭的な尺度でしか見ていないのに気がついた。
このリトグラフは、XX万円。サインがあるからYY万円。そして高価な絵画(リトグラ
フ)ほど、よい絵であり、価値があると思いこむようになった。

 しかしこれはとんでもないまちがいだった。

●画商

 だいたいそういった値段といったものは、間に入る画商やプロモーターの手腕によって
決まる。中身ではない。で、さらにそのうち、日本では有名でも、現地のフランスでは、
ほとんど知られていない画家もいることがわかった。つまり、日本でいう絵画の価値は、
この日本でのみ通用する、作られた価値であることを知った。

 つまり画商たちは、フランスでそこそこの絵を描く画家の絵を買い集め、それを日本で、
うまく宣伝に乗せて、高く売る。「フランスで有名な画家だ」「○○賞をとった画家だ」と
か、何とか宣伝して、高く売る。そういうことが、この世界では、当時も、そして今も、
ごく当たり前のようになされている。

 が、同時にバブル経済がはじけ、私は、大損をするハメに!

 そういううらみがある。そのうらみは、大きい。

 その絵画の価値は、その人自身の感性が決めること。しかし一度、毒気にさらされた心
というのは、そうは簡単に、もどらない。私は今でも、ふと油断をすると、絵画の価値を、
値段を見て決めてしまう。さらに反対に、内心では、「すばらしい」と思っても、その値段
が安かったりすると、その絵画から目をそらしてしまう。

 私は、こうして絵画に対する、鑑賞能力を失ってしまった。

●損をすることの重要さ 

 お金がなければ、人は、不幸になる。貧困になると、心がゆがむこともある。しかしお
金では、決して、幸福は買えない。豊かな心は、買えない。

 それにいくらがんばっても、人生には、限りがある。限界がある。終着点がある。

 そういう限界状況の中で、私たちが、いかに幸福に、かつ心豊かに生きるかということ
は、それ自体が、人生、最大の命題といってもよい。

 そのお金だが、お金というのは、損をして、はじめて、お金のもつ無価値性がわかる。
もちろん損をした直後というのは、それなりに腹立たしい気分になる。しかし損に損を重
ねていくと、やがて、お金では、幸福は買えないということを、実感として理解できるよ
うになる。ときに、その人の心を豊かにする。よい例が、ボランティア活動である。

 損か得かという判断をするなら、あのボランティア活動ほど、損なものはない。しかし
そのボランティア活動をつづけることで、自分の心の中に豊かさが生まれる。

 反対に、損をしない人たちを見ればよい。いつも金銭的価値に左右され、「お金……」「お
金……」と生きている人たちである。

 そういう人たちは、どこかギスギスしている。どこか浅い。どこかつまらない。

●お金に毒された社会

 話をもとに戻すが、では(豊かさ)と何かというと、それが今、わかりにくくなってし
まっている。とくに戦後の高度成長期に入って、それがさらにわかりにくくなってしまっ
た。

 その第一の原因は、言うまでもなく、(お金)にある。つまり人間は、とくに日本人は、
ものにおよばず、心の価値まで、金銭的尺度で判断するようになってしまった。そしてそ
の幸福感も、相対的なもので、「隣人より、よい生活をしているから幸福」「隣人より、小
さな車に乗っているから、貧乏」というような考え方を、日常的に、ごくふつうにするよ
うになってしまった。

 それはちょうど、高価な絵画を見ながら、「これはすごい絵だ」と思うのに、似ている。
反対に、安い絵画を見ながら、「これはつまらない絵だ」と思うのに、似ている。人がもつ
幸福感まで、金銭的な尺度で判断してしまう。

 そのひとつの現れが、あのテレビ番組である。もちろんそのテレビ番組に責任があるわ
けではない。が、それを支える人たち、イコール、視聴者がいるから、それは人気番組と
なる。

 が、相乗効果というのも否定できない。日本人がもつ貪欲さというものが、テレビ番組
によって、さらに相乗的に倍化するということも、ありえなことではない。つまりこうし
て日本人の心は、ますます毒されていく。

司会者「では、ハウ・マッチ?」
電光板xxxxxxx
司会者「340万円!」と。

 ああいう番組を、何ら疑問ももたないまま、毎週、見つづけていたら、その人の心はど
うなるか? それをほんの少しでも想像してみればよい。つまり、それが私が、あのテレ
ビ番組が嫌いな理由でもある。

●昔は……

 今のように、この日本で、貨幣が流通するようになったのは、江戸時代の中期ごろと言
われている。が、それは実に素朴な貨幣経済社会だったと言える。戦後のことだが、その
ときでさえも、田舎へ行くと、まだ、盆暮れ払いというのが、ごくふつうに行われていた。

 それが今のような、お金万能主義というか、絶対主義の日本になってしまった。そして
何ら恥じることなく、ああした番組が、堂々と、この日本で大手を振って歩くようになっ
てしまった。意識というのはそういうものかもしれないが、全体が毒され、自分が毒され
ると、自分がもっている意識がどのようなものであるかさえわからなくなってしまう。そ
して本来、価値のないものを価値あるものと思いこみ、価値のないものを、価値あるもの
と思いこむ。そして結局は、自分の感性のみならず、限られた人生そのものを、無駄にす
る。

 だから、とてもおかしなことだが、本当におかしなことだが、この日本では、そしてこ
の世界では、損をすることによって、人は、人間は、心豊かな人間になることができる。

 損をする人は、幸いなるかな、である。
(はやし浩司 損の哲学 ボランティア精神 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 
幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 金権教 お金万能主義
子どもと心 受験競争の弊害 受験競争 意識 はやし浩司 受験カルト はやし浩司 
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ト)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間の脳みそ

+++++++++++++++

「エンケファリン」「エンドロフィン」で、
私が書いた原稿を検索してみました。

同じく2007年に書いた原稿を
掲載します。

+++++++++++++++

●3層構造

 人間の脳みそは、大きく、外から3層に分かれている(P・D・マクリーン※)。

(1)最表層部……新ほ乳類脳(新皮質部)
(2)中層部  ……旧ほ乳類脳(大脳辺縁系)
(3)中心部  ……は虫類類脳(脊髄や中脳) 

 このうちの(1)新ほ乳類脳というのは、「感覚情報の処理、精密な運動制御、創造的活
動、遺伝的制約を超えた自由な活動」(同)を司る。

 つぎの(2)旧ほ乳類脳というのは、「喜怒哀楽と記憶、定型的なは虫類的働きを柔軟に
する」(同)を司る。

 一番中心部にある(3)は虫類脳というのは、「呼吸や生殖、闘争や支配など、個体と種
の保存に関わる機能」(同)を司る。

 P・D・マクリーンの説によれば、人間の脳みそは、(は虫類脳)の上に、(旧ほ類脳)
→(新ほ乳類脳)が重なるようにして、進化してきたということになる。

 この説は、たいへんおもしろい。この説を逆にとらえると、太古の人間(人間というよ
り、は虫類のような生物)には、喜怒哀楽の情や記憶がなかったということになる。喜怒
哀楽の情や記憶は、旧ほ乳類脳が司る。

 さらに人間は頭がよいとされるが、そのことと、私たちがいうところの(人間性)とは、
別の問題であるということになる。人間の知的活動は、新ほ乳類脳が司る。

 さらに私たちが「本能的」と呼んでいる活動のほとんどは、人間の脳みその中心部にあ
る、は虫類脳が司っていることがわかる。考えてみれば、これは当然である。あらゆる生
物は、その起源において、個体と種の保存を最優先にした。もしそうでなければ、その生
物は一代で、絶滅していたということになる。

 P・D・マクリーンは、そのは虫類脳の機能に、「闘争や支配」を加えた。言いかえると、闘争
心や支配心の強い人は、それだけ原始的な人ということになる(?)。

 そこで最近、にわかに注目され始めたのが、(2)の旧ほ乳類脳と呼ばれる「大脳辺縁系」。
たとえば喜怒哀楽の情は扁桃核(扁桃体)、記憶は海馬、やる気などは帯状回が司るという
ところまで、最近の研究でわかってきた。

 たとえば何かよいことをすると、大脳の新皮質部から信号が送られ、扁桃核は、その内
部で、エンドロフィンやエンケファリンなどのモルヒネ様の物質を分泌する。これが脳内
に放出され、脳を心地よい陶酔感を生む。これが「善なる感情」の基本になる。

 が、ここでひとつの問題が起きる。「心地よい陶酔感」イコール、「善」ではないという
こと。

 たとえば1人の銀行強盗がいたとする。その強盗が、数千万円もの大金を、手に入れた
とする。

 そうした情報も扁桃核に送られ、そこで心地よい陶酔感を生むということも考えられる。
強盗に問題があるとするなら、馬券を当てた人でもよい。その心地よい陶酔感は、たとえ
ばサッカー選手が、みごとなゴールを決めたときと同じと考えてよい。つまり「心地よい
陶酔感」イコール、「善」ということにはならない。

 さらにP・D・マクリーンの説によれば、(頭のよさ)と(人間的な感情)、さらに(動
物的な本能)とは、別物ということになる。

 このことも、現実に起きていることを例にあげると、「なるほど」と合点がいく。たとえ
ば少し前、テレビで経済解説をするようなどこかの教授が、手鏡で、女性のスカートの中
をのぞいて逮捕されるという事件があった。

 その教授のばあい、新ほ乳脳の発達もすぐれていたが、同時に、は虫類脳の働きも活発だ
ったということになる。

 さらに……。どちらがどちらを支配しているかという問題もある。

 P・D・マクリーンの説に従えば、(は虫類脳)→(旧ほ乳脳)→(新ほ乳脳)の順に、
は虫類脳は旧ほ乳脳を支配し、旧ほ乳脳は新ほ乳脳を支配しているということになる。こ
れも臨床的に(?)考えると、納得がいく。

 たとえば性欲(=は虫類脳)にしても、理性(=新ほ乳脳)で支配するのは、不可能と
考えてよい。ある程度のコントロールはできるかもしれないが、それには限界がある。言
いかえると、生殖、つまり個体と種の保存にかかわる本能は、それほどまでに強力である
ということ。

 だから教師によるハレンチ事件にしても、あとを絶たない。

 しかし「不可能」と言い切ってこのエッセーを結んだのでは、エッセーとしての意味を
失う。そこで私なりにどうすればよいかということを考えてみる。方法がないわけではな
い。

 ひとつは、生殖、ならびに個体と種の保存についての本能は、そのまま自然な形で、表
に出していくという方法。食事をするとき、それを隠す人はいない。それに罪悪感を覚え
る人もいない。生殖も同じように考えていく。深い意味を、考えない。もっと言えば、生
殖イコール、排泄と考えていく。

 もうひとつは、自分の中の(本能)に気づく。そのメカニズムがわかれば、それを自分
でコントロールすることができるようになる。メカニズムがわからないから、本能に振り
回される。

 は虫類脳は頭の中にあるわけだから、それを消すことはできない。できないというより、
このは虫類脳があるからこそ、人間の世界では、さまざまなドラマが生まれる。そのドラ
マが、人間の世界を楽しいものにする。

 前にも書いたが、あの映画『タイタニック』にしても、ジャックとローズがいなければ、
ただの船の沈没映画で終わってしまっていただろう。

 さいごに、こういうことも言える。人間を、どの部分の脳みその働きが強いかによって、
大きく3つのタイプに分類することができるのでは……?

(1)新ほ乳脳型人間
(2)旧ほ乳脳型人間
(3)は虫類脳人間、と。

 どのタイプがどうかということについては、今さら、ここに書くまでもない。大切なこ
とは、この3つの脳が、それぞれバランスを保ちながら、ほどよく協調しあうということ。
またそういう人を、より人間的な人という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
新ほ乳脳 新哺乳脳 旧哺乳脳 爬虫類脳 P・D・マクリーン 大脳新皮質部 辺縁系
 脳幹 脊髄 中脳)

※P・D・マクリーン……アメリカの脳生理学者(「発達心理学」、ナツメ社)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●知識と思考

+++++++++++

知識と思考は、まったく
異質のものである。

そのことは、一匹の
ハチを見ればわかる。

ハチにはハチの知識がある。
特異ですぐれた知識である。

がそれがあるからといって、
ハチに思考力があるという
ことにはならない。

+++++++++++

 知識は、記憶の量によって決まる。その記憶は、大脳生理学の分野では、長期記憶と短
期記憶、さらにそのタイプによって、認知記憶と手続記憶に分類される。

認知記憶というのは、過去に見た景色や本の内容を記憶することをいい、手続記憶という
のは、ピアノをうまく弾くなどの、いわゆる体が覚えた記憶をいう。条件反射もこれに含まれる。

で、それぞれの記憶は、脳の中でも、それぞれの部分が分担している。たとえば長期記憶
は大脳連合野(連合野といっても、たいへん広い)、短期記憶は海馬、さらに手続記憶は
「体の運動」として小脳を中心とした神経回路で形成される(以上、「脳のしくみ」(日本
実業出版社)参考、新井康允氏)。

 でそれぞれの記憶が有機的につながり、それが知識となる。もっとも記憶された情報だ
けでは、価値がない。その情報をいかに臨機応変に、かつ必要に応じて取り出すかが問題
によって、その価値が決まる。

たとえばAさんが、あなたにボールを投げつけたとする。そのときAさんがAさんである
と認識するのは、側頭連合野。ボールを認識するのも、側頭連合野。しかしボールが近づ
いてくるのを判断するのは、頭頂葉連合野ということになる。

これらが瞬時に相互に機能しあって、「Aさんがボールを投げた。このままでは顔に当た
る。
あぶないから手で受け止めろ」ということになって、人は手でそれを受け止める。しかし
この段階で、手で受け止めることができない人は、危険を感じ、体をよける。

この危険を察知するのは、前頭葉と大脳辺縁系。体を条件反射的に動かすのは、小脳とい
うことになる。人は行動をしながら、そのつど、「Aさん」「ボール」「危険」などという記
憶を呼び起こしながら、それを脳の中で有機的に結びつける。

 こうしたメカニズムは、比較的わかりやすい。しかし問題は、「思考」である。一般論と
して、思考は大脳連合野でなされるというが、脳の中でも連合野は大部分を占める。

で、最近の研究では、その連合野の中でも、「新・新皮質部」で思考がなされるということ
がわかってきた(伊藤正男氏)。伊藤氏の「思考システム」によれば、大脳新皮質部の「新・
新皮質」というところで思考がなされるが、それには、帯状回(動機づけ)、海馬(記憶)、
扁桃体(価値判断)なども総合的に作用するという。

 少し回りくどい言い方になったが、要するに大脳生理学の分野でも、「知識」と「思考」
は別のものであるということ。まったく別とはいえないが、少なくとも、知識の量が多い
から思考能力が高いとか、反対に思考能力が高いから、知識の量が多いということにはな
らない。

もっと言えば、たとえば一人の園児が掛け算の九九をペラペラと言ったとしても、算数が
できる子どもということにはならないということ。いわんや頭がよいとか、賢い子どもと
いうことにはならない。そのことを説明したくて、あえて大脳生理学の本をここでひも解
いてみた。(2007年9月記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
思考知識 思考力)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●本音(被害意識と妄想性)

+++++++++++++++++++++++++++++

韓国の政府高官がこう発言した。
「(そんなに北朝鮮がいいのなら)、以北(北朝鮮)に行って暮らせ」と。
「政府高官」とあるが、中央N報は名前を明かしていない。
またこうした発言を、「卑劣な発言」と位置づけている。
誤解があるといけないので、記事をそのまま紹介させてもらう。

+++++++++++++以下、中央N報より++++++++++++++

  政府高位当局者が「(進歩性向の)若者たちが軍部独裁と争って民主主義を支持し、独裁
政権を崩すことはほめたたえながら、北朝鮮独裁に対しては(なぜ)一言も言わないのか」
と発言した。

この高位当局者は先週、ベトナム・ハノイ出張中、北朝鮮の追加挑発可能性に対する記者
たちの質問を受け「ずっと北朝鮮に攻撃されながらも、どうか大目に見てくれと北朝鮮に
言わなければならないのか」と問い返した後、「若者らが"戦争なのか平和なのか"につい
て"ハンナラ党を取れば戦争、民主党を取れば平和"と言うようなそんな精神状態で国は
維持できない」とこのように言った。 

  また「(進歩性向の)若者たちが(北朝鮮が)そんなにいいなら金正日のもとへ行って"首
領"と暮らさなくてはならないわけで、民主主義の良いことはすべて享受しながら北朝鮮
を擁護するのか」と述べた。 

  また「国としてのメンツがあって、威信があって、品格がなければならないのに、どう
して民主主義の良いことはすべて享受しながら北朝鮮の擁護をするのか。以北に行って暮
らせ」と発言した。

+++++++++++++以上、中央N報より++++++++++++++

●天安艦事件は、韓国とアメリカのでっちあげ?

 現在の現在も、先の「天安艦爆破事件は、韓国政府とアメリカが共謀ででっちあげた
事件である」と考えている若い人が多いのには、驚かされる。
日本での話ではない。
韓国国内での話である。
さらにそういう人たちの論理によれば、「仮に北朝鮮がしたにしても、北朝鮮はそう
せざるをえない状況に追い込まれただけ」と。
つまり北朝鮮は、やむにやまれず、ああした行為に出た、と。

 仮にそうであるにしても、つまり「やむにやまれず」であったとしても、それで死んだ
60数名弱の兵士はどうなるのか。
そうした兵士の命をどう考えているのか。

●屈折した心 

 韓国の人たちの屈折した心は、私も経験している。
UNESCOの交換学生として韓国へ渡ったときのこと。
私たちは連日、韓国の学生たちの攻撃の矢面に立たされた。

 そんなある日のこと。
テグ大学の屋上で、私はひとり体を休めていた。
屋上からは、テグの町が一望できた。
が、そこへ向こうから1人の学生が私に向かって歩いてきた。
私は「こんなところでも議論か!」と身を構えた。
その学生は、ついその寸前まで、私にはげしい罵声を浴びせかけていた学生だった。
が、その学生はこう言った。

「ぼくは日本へ留学したいが、君はその方法を知らないか?」と。

 日本や日本人への嫌悪と好感、排斥とあこがれ、拒否と受諾……。
そうした屈折した心理が、その1人の学生の中だけでも渦を巻いていた。
それが今でも、つづいている?
私はこの記事を読んだとき、それを感じた。

●本音
 
 中央N報は、一方の読者に気兼ねして(?)、「卑劣な発言」という見出しを
かかげている。
あるいは中央N報は、左寄り?
たとえて言うなら、この日本で、「拉致問題は、日本政府のでっちあげ」と主張する
ようなもの。
かつての朝日新聞は、ことあるごとにそう主張していたが、それくらい私にはバカげて
見える。

 しかし本音を言えば、その政府高官どおりということになる。
被害意識も妄想性をもつと、とんでもない意見に変身する。
その政府高官は、こう述べている。

(1)「(進歩性向の)若者たちが軍部独裁と争って民主主義を支持し、独裁政権を崩すこ
とはほめたたえながら、北朝鮮独裁に対しては(なぜ)一言も言わないのか」

(2)「ずっと北朝鮮に攻撃されながらも、どうか大目に見てくれと北朝鮮に言わなければ
ならないのか」

(3)「(進歩性向の)若者たちが(北朝鮮が)そんなにいいなら金正日のもとへ行って"首
領"と暮らさなくてはならないわけで、民主主義の良いことはすべて享受しながら北朝鮮
を擁護するのか」と。
 
 その上で、「(そんなに北朝鮮がいいのなら)、以北(北朝鮮)に行って暮らせ」と。

●この日本でも……

 この日本でもときどき似たような論理に出会うときがある。
(あるいは子育ての場でも、経験するときがある。)

 私も自分の息子につぎのように言われたときには、心底、がっかりした。
私が「ぼくたちは子どものころ、毎日腹をすかせていた。戦後の混乱期で、食べるものさ
え満足になかった」と。

 息子の1人はこう言った。
「そんなのはパパらの責任だろ。戦争を勝手に起こしたのだから、自業自得」と。

 「自業自得」という言葉を使った。
が、だからといって、息子を責めているのではない。
私も若いころ、自分の父親や祖父に対して、同じように考えていた。
戦時中の苦労話を聞かされるたびに、そう思った。

 以来、そのつど、そしていつも、この問題を考えている。
「本当にそうだろうか?」と。
息子たちは息子たちで、私という父親の苦労の上で生きてきた。
「貧乏が何よりもこわかった」。
が、息子たちはみな、こう言う。
「パパは、仕事ばかりしていて、家族を大切にしてくれなかった」と。

●「卑劣な発言」

 「卑劣な発言」とまでは言い切れないのではないか?
韓国国内で自由主義貿易体制の恩恵を思う存分受けながら、一方で、その体制を自ら
否定する。
否定するだけならまだしも、自分たちに攻撃をしかけてくる北朝鮮を擁護する。

 この論理は、「家族のために」とがんばって仕事をする私に向かって、「家族を大切に
しない」と迫る息子たちの論理と、どこか似ている。
先日も長男が似たような論理をふりかざしたので、私はキレた。
「そんなにぼくのことが嫌いなら、この家を出て行けばいい」と。

 こういう発言が、果たして「卑劣な発言」ということになるのか。
つまり韓国が内発的にもつ(おかしさ)は、この1点に集約される。

 (自国の軍艦が攻撃された)→(60名近い兵士が死んだ)→(北朝鮮の魚雷に
よるものという判断を政府がくだした)。

 それについて「北朝鮮がしたという証拠はない」とか、「そこまで追い込んだ韓国政府
が悪い」とか、など。

 この点、私たちは日本政府を信用しているから、たとえば横田Mさんの遺骨が偽物と
判定されたときも、それを疑う人はだれもいなかった。
が、韓国の人たちの中には、それを疑う人がいる。
いるだけではない。
多い。
次期政権は、そうした勢力が韓国を担うかもしれない。

 つまりここに韓国のもつ本当の(恐ろしさ)がある。
もっと言えば、韓国の人たちがもつ(屈折したものの考え方)の(恐ろしさ)がある。
もしこんな論理がこの極東アジアで振り回されたら、それこそ日本はそのまま韓国と
戦争状態になる。

●終わりに……

 この先のことをここに書くのは、差し控えたい。
その政府高官は、本音を言った。
それが若者たちを怒らせている。
ここまでで、この原稿を書くのを止めておきたい。
暴論は暴論。
それはたしかなのだから……。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【思いつくまま】

●顔

 顔の形はその民族が生まれ育った環境によって、決まるそうだ。
たとえば寒い地方に住む民族は、長い進化の過程を経て、凹凸の少ない
顔になったという。
それによって熱の発散を少なくする。

 一方、熱帯地方に住む民族は、熱の発散を多くするため、凹凸のはげしい
顔になったという。
また鼻の形、鼻の穴にしても、寒い地方に住む民族は、鼻が長く(高く)なり、
鼻の穴も小さくなったという。
冷たい空気を長くて細い鼻の中を通すことによって、暖めるためだそうだ。
一方、熱帯地方に住む民族は、反対に鼻が短く(低く)なったという。

 さらに鼻の穴の向きにしても、寒い地方に住む民族は、下向きになり、
熱帯地方に住む民族は、上向きになったという。

 さらに肌の色。
寒い地方に住んでいるから白くなったのではなく、白い肌になり、それによって
紫外線の吸収をよくするためだったそうだ。
一方、熱帯地方に住む民族は、メラニン色素が発達し、黒くなった。
当然のことながら、寒い地方に住む民族は、毛深い。
熱帯地方に住む民族は、毛が薄い。
同じアジア人でも、漢民族は、ほとんど体毛がないことでよく知られている。
わかりやすく言えば、腕や足は、ツルツル。

 ・・・ところで私の顔は凹凸が少なく、鼻の穴が大きい。
それに鼻が低い。
鼻の穴は上を向いている。
肌色はふつう。
体毛は薄いがある。
ということは、私の先祖は、やはり南方系ということになる。
遠い昔、南方の熱帯地方からやってきた。
「そうかなあ」と思ったところで、この話はおしまい。
「顔」の話をするのは、教育の世界では、タブー。
子どもの前で、顔の話をするのは、さらにタブー。

●最近のUFO

 最近のUFOは、雲の形をしていることが多いという。
あるいは雲にまぎれて、地球へやってくるとか。
そんな話を知っていたので、今日、巨大な入道雲を見たときには、驚いた。
上部先端部が、きれいな真円形を保っていた。
「UFOかも?」とじっと見つめたが、やはりただの雲だった。
透明感があって、その向こうに薄い青空が見えた。

 UFOについては、その存在をまったく信じていない人も多い。
超常現象といって、霊(スピリット)と同列に置いている。
(とても残念なことだが……。)
しかし私は信じている。
私とワイフは、巨大なUFOを目撃している。
(私ひとりだけが見たのなら、私はずっと黙っていただろう。)
「く」の字型のUFOだった。
死ぬまでに、あの正体を知りたい。
あれは何だったのか?
 
●反面教師

 ところでそのUFO。
私とワイフは、その話を二男に何度かしたことがある。
しかし二男は、そのつど、私たちの話をまったく信じなかった。
「何かの見まちがい」とか、「UFOは存在しない」とか言った。
「言った」というよりは、吐き捨てた。

ふつうなら、(「ふつうなら」という言い方は慎重に使いたいが)、
両親が「見た」と言ったら、その息子である二男は多少なりとも、
私たちの話を信じてくれてもよさそうなもの。
しかし二男は、最後の最後まで鼻先で笑うだけで、まったく信じようとも
しなかった。

 で、そのことから私は、私たちと二男の間には、埋めがたい距離があること
を知った。
思想的、さらに哲学的なことになれば、さらに二男は私たちから一歩退いて
見ているにちがいない。
何を言っても否定的。
つまりたとえば今、私がこうしてものを書いていることについても、二男は、
まったく相手にしないだろう。
将来にわたって、私の文章を読むこともないだろう。
「聞く耳をもたない」というのは、二男のような人間をいう。

が、だからといって、それが悪いというのではない。
たとえば戦後の民主化運動の中で、婦人参政権と地位向上のために闘った
人にFという女性がいる。
実名を書けば、その名を知らない人はいない。
そのFの息子氏も、日本を代表する教育者だが、彼は母親とは正反対の
思想を展開している。
(「正反対」というのは、私の主観的な判断にすぎないが・・・。)
武士道を信奉し、英語教育不要論を主張している。
いわく「恥を教えれば、学校からいじめはなくなる」と。

 親子でも正反対の思想をもつようになることは、けっして珍しくない。
それが問題というのではない。
親はつねに教師であり、同時に反面教師である。
親は親。
息子は息子。

私の二男にしても、私たち夫婦は、その反面教師ということになる。
(とくに私は反面教師ということになる。)
親としてはさみしいところだが、約60%の中学生や高校生は、「親のように
はなりたくない」と答えている。
「親と同じように考えろ」「親の意見に合わせろ」というほうが、無理。
今は、そういう時代ではない。

●地球温暖化(Global Warming)

 地球規模の気候異変がつづいている。
岐阜県の多治見市では、連日39度前後の気温がつづいている。
それについては今朝(7月26日)も書いた。
このアジアでも中国南部の大雨、北朝鮮の大雨などが報告されている。
地球温暖化という言葉が声高に叫ばれるようになって、もう10年以上になる。
今ではそれを疑う人は、いない。
地球温暖化は、確実に、かつ急速に進んでいる。
私はしかし「温暖化」という言葉は好きではない。
子どもたちにこの言葉を使うと、子どもたちはそれをよいことのように思ってしまう。
「温暖化になるなら、いい」とか、「冬も暖かくなるならいい」とか、とんでもないことを
言い出す。

 だから私は「地球火星化」という言葉を使う。
そのほうがわかりやすいし、具体性がある。
インパクトも強い。

 そう、地球は現在、火星化しつつある。
やがてこの地球はどうなるか。
それは現在の火星を見ればわかる。
つまりああなる。

●自業自得

 が、私は地球が火星化するのは、しかたのないことだと思う。
それこそまさに自業自得。
しかし本当の問題はそのことではなく、その過程で、人間は自ら地獄を
経験するということ。
滅亡するとしても、静かには滅亡しない。
ありとあらゆる地獄を経験する。
それが人間。

 つまり生きることには常に(傲慢さ)が伴う。
生きていること自体が、傲慢と言い切ってもよい。
その傲慢さが、人間・・・というより、その惑星で栄えた知的生物を自ら滅ぼす。
火星が現在のような火星になったのは、かつてそこに住んでいた知的生物に
よるものという説すらある。
現在の私たちと同じように環境を破壊した。
その結果として、火星は、現在のような火星になった。
ただ不幸なことに、大気の層が地球より、ずっと薄かった。
そのため温暖化が、現在の地球よりはるかに早く進んでしまった。

●断念

 もっと身近な話をしよう。
今年の3月、私とワイフはオーストラリアへ行くつもりだった。
が、いろいろあって、断念。
それについて、オーストラリアの友人から、こんなメールが届いた。
「君が来るのを待っていたら、日本とオーストラリアに、橋が先にできて
しまう」と。

 申し訳ない気持ちになった。
しかし今の私には、2〜3週間の休暇など、夢のまた夢。
忙しいからではない。
体質的にできない。
それについて友人に、つぎのような返事を書いた。

Dear Bob,

Thank you very much for your mail and I feel really sorry that
I have disappointed you since I broke the promise to visit you this
March. 
I, however, think I'd better write a little bit about myself.

I don't think that you may understand me if I write like this;

I was born in 1947 just after the war. 
It is very hard, I suppose, for you to imagine how it was like in Japan, in those days.
In a word we were very poor and most of the families had no time and money to look 
after their children enough.
I was one of them and moreover I had been raised up in a very poor families.
"Poor" is here, I mean that, my father and mother had no love to each other and always 
argued with violence.
My father was a sick in mind since he was shot in the war in Taiwan and he had a deep 
trauma.
He drank strong Sake almost every few days and broke things and hit my mother.

Then I became very nervous and I became afraid of poorness more than anything.
It may seems to be strange to you if I say I feel more nervous when I am not working.
But this is true.
I work hard not because I want to get more money but to ease my mind.
So I have had worked and worked.
And I had had no holidays longer than 10 days in the past.
When I was young (abt. In thirties), I had only one day-off per month.
You may think I am sick.
I think I am sick in mind.
Then I say it is very difficult for me to have a long holiday to visit your country as you 
offered.

Anyway, mate, thank you very much for your kind offer to invite me to your home.
I shall try again to make a plan to do so before you construct a long bridge between
two countries.
Thanks again!

Hiroshi

 要するに、私は貧乏性。
貧乏に対して、強迫観念をもっている。
その原因は、戦後のあの貧しい時代にある。
私は子どものころ、貧乏が何よりもこわかった。
それが大きなトラウマになった。

 だから私は社会に出ると、バカみたいに働いた。
30代のころは、休みは月に1日だけということもつづいた。
もちろんそのため、私は家族を犠牲にした。
そのつもりはなかったが、というのも私自身は、家族のためにそうしている
と信じていたので、結果的にみると、そうなっていた。
今になって息子たちは、そういう私を責める。
しかしほかに方法はなかった。
あるいは私は当時、どうすればよかったのか。
「貧乏でもいい。家族がみな楽しければ・・・」と考えて、働くのをやめればよかったの
か。

 しかし同時に私に言わせれば、今の若い人たちは、貧乏というものを知らない。
貧乏の本当の恐ろしさを知らない。
「ひもじい」という言葉の意味すら知らない。
今に見る日本の繁栄ぶりを見て、日本は戦前から、そして戦時中も戦後もそうだったと思
っている。
が、そう思うのは、まちがっている。
日本は本当に焼け野原になった。
どう焼け野原になったかは、ほんの少しだけ謙虚な気持ちで当時の記録映画などを観てみ
ればわかるはず。

 私たちが生まれ育った時代というのは、そういう時代だった。

●繁栄

 だからときどきこう思う。
こんなことがあってよいとは思わないが、もう一度日本もどん底へ叩き落とされてみれば
よい、と。
そうすれば今の若い人たちも、少しは目が覚めるのではないか。
私たちの時代がどういう時代であったかを、理解できるのではないか。
今の若い人たちは、あまりにも(傲慢)すぎる。
・・・と書くのは、書きすぎ。
それはわかっているが、一方で日本の繁栄を謳歌しながら、その繁栄の意味すら理解して
いない。
平和にしても、繁栄にしても、そこにある空気と同じように考えている。

●自業自得

 やはりまた愚痴ぽくなってしまった。
どうしてもこういう話題になると、愚痴ぽくなってしまう。
言うなれば、年寄りの愚痴。
かく言う私だって、戦争を直接経験しているわけではない。
あの戦争の犠牲者と言いながら、本当に犠牲になった人たちの上で、のうのうと
生きている。
「私にもトラウマがある」とは言っても、父が台湾で受けた貫通銃創によるものと
比べたら、何でもない。
ひょっとしたら父だって、私の兄や姉のことだけを考えて戦場で戦ったのかもしれない。
その父が、日本へ帰ってきたら、日本は焼け野原。
そういう父に向かって、「自業自得」などという残酷な言葉を、だれが使えるだろうか。

 つまりかく言う私だって、父の気持ちを本当に理解していたかどうかとなると、
疑わしい。
実のところ理解していない。
あるいは父だって、こう言いたかったのかもしれない。
「オレたちは、お前たちのために戦ったのだ!」と。
「負けたからといって、どうしてそれを無駄だったと言うのか!」と。

「戦後」だって、その父たちの犠牲の上に成り立っている。

●犠牲心

 親はだれだって、いつもある程度の犠牲心をもって、子育てをしている。
犠牲心のない人はいない。
程度の差はあるが、ない人はいない。
「無私の愛」は理想かもしれないが、そこまで自分を昇華できる親は少ない。
また期待してはいけない。

 一方で子どもが私たち親に生きがいを与えてくれるのも、事実。
子どものできがよくても、また悪くても、親はそれを心のバネとして生きる。
もし子どもがいなければ、私たち親は、こうまではがんばらなかっただろう。
子どもがいたからこそ、歯をくしばりがんばることができる。
適当なところで自分にブレーキをかけ、そこで心を休めてしまったはず。

 つまり私たちは、(犠牲心)と(生きがい)という絶妙なバランスの中で、日々の
子育てを繰り返す。
だからこういうことは言える。

「私は子育てで自分の人生を犠牲にしてしまいました」と言う人に出会うと、私は
すかさずこう思う。
「本当にそうだったのか?」と。

一方、「子育てが生きがい」と言う人に出会うと、私はすかさずこう思う。
「それはおやめなさい!」と。

 大切なことは、私たちは私たちとして、自分の人生を生きる。
子育ては生活の重要な一部かもしれないが、けっして、すべてではない。
また(すべて)にしてはいけない。

 犠牲心をもてばもつほど、子どもにとっては、それはいつか(負担)に変化する。
親がもつ(生きがい)にしても、そうだ。
それによって一方的にキズつくのは、親の側ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●悲しい相談

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ある雑誌に、こんな相談が載っていた。
(私のところに届いた相談ではない。念のため。)

いわく、「私には義理の兄が1人いる。
未婚で独身。
生まれつき体が弱い。
現在は、義理の父親(=夫の父親)と同居している。
その義理の父親が、先日、会ったら私にこう言った。

『私(=義理の父親)が死んだら、息子(=義理の兄)
のめんどうをみてほしい』と。

が、私だって2人の子どもの世話だけで、精一杯。
経済的余裕もない。
義理の兄の世話や、介護をする余裕など、どこにもない。
どうしたらいいか」と。

++++++++++++++++++

●「余裕がない」?

 2人の子どもが中学生というから、まだ若い母親にちがいない。
年齢は40歳くらいか?
そんな若い母親が、「どうしたらいいか?」と。

 私はその相談を読んだとき、「これが現実なのだろうな」と思った。
同時に、そのとき感じた心のさみしさを、どうすることもできなかった。
私のばあい、ものごとをどうしても、その父親の立場で考えてしまう。
書き忘れたが、父親は70歳で、大病を患い、手術。
現在療養中。
そんな父親が息子の行く末を案じて、もう1人の息子のあとの世話を、嫁に頼んだ。
父親としても、さぞかしつらかったことだろう。
こういう言葉は、追い詰められなければ、口から出てこない。
が、それに対して、その女性は、「余裕がない」と。

●私のばあい

 実のところ私のワイフも兄(=私の実兄)の介護を、いやがった。
が、それには理由がある。

兄にはおかしな性癖があって、私の目を盗んでは、ワイフの下着をいじったり、あるいは
ワイフに抱きついたりした。
ワイフが入浴しているときには、「部屋をまちがえた」と言っては、風呂場へ入ったりした。
いつしかワイフは兄におびえるようになった。

 だから兄は3か月私の家にいたが、私は兄とワイフをぜったいに2人きりにはしなかっ
た。
そういう苦労はあったが、「余裕がない」という理由は、考えたことはない。
「私たちが面倒をみるしかない」と、私もワイフも割り切っていた。

●「ハイ、さようなら!」

 それにしても……?
最近の若い母親たちは、少しおかしい?
毎週のように夫の実家に出かけていき、夫の実母(85歳くらい)から、小遣いを
もらっている母親すらいる。
(母親に小遣いをあげるのではない。年老いた母親から嫁が小遣いをもらっている!)

 つまり私たちの世代がもっている(常識)では考えられないようなことを、平気で
する。
みながみなそうではないが、しかしそういう母親がふえている。
「結婚」というものを、「家族の輪」の中で考えない。
「自分たちだけの世界」ことしか考えない。

 もちろんそこには親の姿はない。
兄弟の姿はない。
どこまでもセルフィッシュ(身勝手)。
「姿」という言葉が理解できないなら、「苦労」という言葉に置き換えてもよい。
多くの親たちは、それこそ爪に火を灯すように学費を送る。
食べるものを食べないで、学費を送る。
しかし肝心の子どもは、親の苦労など、どこ吹く風。
専門書の1冊も買わない。
買うのはマンガ本ばかり。

 その結果、就職、結婚。
そのとたん、「ハイ、さようなら!」。

●さみしい心

 私は冒頭にあげた相談を読んだとき、改めて意識の変化を感じた。
それがよいとか悪いとか言う前に、日本人の意識そのものが変わってしまった。
言うなれば「心」を見失ってしまった。
それが「どうしたらいいか」という言葉に集約されている。
つまりその母親は、義兄のめんどうをみたくない。
そのためには、どうしたらいいか、と。
それだけの内容である。

 もし私がこんな相談を受けたら、言い方も変えるだろう。
別の言い方をするだろう。
しかし私は、こう書きたい。

 「あなたの夫への愛情があるなら、あなたの義兄をその延長線上に置きなさい。
その絆(きずな)さえしっかりしていれば、あとは自然と、なるようになっていきます。
水が低いところを求めて流れていくように、時間が解決してくれます。
先のことは、クヨクヨ考えないこと。
みなが助けてくれますよ」と。

 しかしこんな回答など、その母親には、何ら役にもたたないだろう。
心はすでに乾ききっている。
湿らす力もない。
だからこそ、私はワイフにこう言った。
「何とも悲しい相談だね」と。
 

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【外国から観た日本】

++++++++++++++++++

イギリスの「Quote Site」(World of Quotes)
では、世界中の格言を紹介している。
もちろんその中には日本のものもあり、105編
近くが載っている。
それらを読んでみて、「こんな格言、あったかなあ?」と
思わないものもないわけではない。
(これはたぶんに私の知識不足によるものかも
しれないが……。)

もちろん、「ああ、あれだな」と、わかるのもある。
たとえば『あばたもえくぼ』は、つぎのように訳されて
いる。

「A man in love mistakes a pimple for a dimple.」

全部は紹介しきれないので、アルファベット順に最初の部分
をいくつか紹介する。

+++++++++++++++++++++++

●日本語の格言に学ぶ、私、日本人(欧米人から見た日本人像)

A fog cannot be dispelled by a fan. 
Source: (Japanese)  
『霧は、うちわでは追い払えない』。

……どういう意味なのか?
元となった格言は、何なのか?
そこで英語サイト調べてみる。

「Answer Com(疑問に答えるサイト)」には、つぎのようにある。

「Short answer: fog is just a cloud that has lost altitude. Long answer: Because the 
humidity has reached more than 100% and the water starts to appear as vapour. You 
will also find that every outdoor……」と。
つまり「霧というのは、高いところを見えなくする雲のようなもの。
つまり湿度も100%に達すると、水も水蒸気になる。
つまり……」と。

外国人は、このばあいの「Fog(霧)」を、「湿気」と解釈しているようである。
が、そんなことなら日本人は、わざわざ格言にはしない。
あえて日本流に解釈すれば、『うわさは、うちはでは追い払えない』とか、『人の心は
うちわでは消せない』とか、そういうことになる。

日本語で「霧」というときは、「疑い」「黒いうわさ」「心のモヤモヤ」などを意味する。

さらに今風に言えば、いくら小沢さん(民主党前幹事長)が、「私は関係ありません」と
言っても、国民はだれもそう思っていない。
「小沢さん、うちわ(=権勢)でいくら払っても、霧は消えませんよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good husband is healthy and absent. 
Source: (Japanese)  
『よい夫というのは、健康で、そばにいない夫』。

この格言はどこかで聞いたことがある。
『亭主……』とか、言う。
何だったか?
『亭主健康で、留守がいい』だったか?

要するに、家事にはあれこれ口を出さない夫ほど、よい夫という意味。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good Jack makes a good Jill. 
Source: (Japanese)  
『よい夫はよい妻を作る』。

つまり妻は、夫しだい?
もちろんその逆もある。
若いときは、それがわからない。
しかし夫婦生活を何十年もつづけていると、それがわかるようになる。
夫は妻に作られ、妻は夫に作られる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good sword is the one left in its scabbard. 
Source: (Japanese)  
『よい剣はさやに納められた剣』。

剣などというものは、できるなら使わないほうがよい。
使わないまま、しまっておいたほうがよい。
剣というのは、そういうもの。
だから『さやに納められた剣ほど、よい剣』となる。

聖書(マタイ伝)の中にも、こうある。

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。 わたしが父にお願いできないと
でも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。 
しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」(マタ
イ26:52〜54)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A man in love mistakes a pimple for a dimple. 
Source: (Japanese)  
『あばたもえくぼ』。

これについては、今さら説明するまでもない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A mended lid to a cracked pan. 
Source: (Japanese)  
『割れたなべに、修理された蓋(ふた)』。

『割れ鍋に綴じ蓋』のことか?
「江戸のいろはカルタのひとつ」(語源由来辞典サイト)とある。
つまり夫婦というのは、長年いっしょに暮らしていると、たがいに似てくるという意味。
あるいはたがいに補完しあうという意味か?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ほかにもいろいろあるが、ここでは紹介だけにとどめておく。
ただひとつだけ気になるのは、いちばん末尾にある、「Knowledge without wisdom is a load 
of books on the back of an ass.」 という格言。
直訳すると『知恵のない知識は、ケツの穴に積まれた本』となる。

元の日本語は、何か?
要するに、知識というのは知恵(知性、智慧)によって使われてはじめて意味をもつ。
「もの知り」と「賢い人」は、基本的な部分で、一線を画す。
これを読んだとき、「日本人もよくわかっているではないか」と、半分感心し、半分、
うれしくなった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(以下、格言をそのまま。)

A pig used to dirt turns its nose up at rice. 
Source: (Japanese)  
『ほこりに慣れたブタは、鼻を米に向ける』

A round egg can be made square according to how you cut it; words would be harsh 
according to how you speak them. 
Source: (Japanese)  
『丸い卵も切り方によって四角くなる。言葉も話かたによって、きつくなる』

A single arrow is easily broken, but not ten in a bundle. 
Source: (Japanese)  
『1本の矢は折れやすい。10本束ねれば、折れにくい』

Adversity is the foundation of virtue. 
Source: (Japanese)  
『難儀は美徳の源泉』

Afraid of his own shadow. 
Source: (Japanese)  
『自分の影を恐れる』

After victory, tighten your helmet chord. 
Source: (Japanese)  
『勝って兜の緒を締めろ』

All married women are not wives. 
Source: (Japanese)  
『結婚しているからといって、その女性が妻とはかぎらない』

An excess of courtesy is discourtesy. 
Source: (Japanese)  
『過ぎたる親切は、かえって失礼』

An eye for an eye, and a tooth for a tooth. 
Source: (Japanese)  
『目には目を、歯には歯を』

Bad and good are intertwined like rope. 
Source: (Japanese)  
『よいも悪いも、縄のように編み合わさっているもの』

Beat your wife on the wedding day, and your married life will be happy. 
Source: (Japanese)  
『結婚式に、妻を叩け。そうすればあなたの結婚生活は幸福なものになるだろう』

Better go without medicine than call in an unskilled physician. 
Source: (Japanese)  
『ヤブ医者を呼ぶくらいなら、薬なしですませ』

Darkness reigns at the foot of the lighthouse. 
Source: (Japanese)  
『灯台、元暗し』
(注:このばあいの灯台は、ローソクを灯す灯台のこと。
岬に立つ灯台ではない。)

Deceive the rich and powerful if you will, but don't insult them. 
Source: (Japanese)  
『したいなら金持ちで力のあるものをだませ。しかし彼らを侮辱してはいけない』

Deceiving a deceiver is no knavery. 
Source: (Japanese)  
『詐欺師をだますのは、詐欺ではない』

Don't stay long when the husband is not at home. 
Source: (Japanese)  
『夫が家にいないなら、長居はするな』

Even a sheet of paper has two sides. 
Source: (Japanese)  
『一枚の紙にすら、両面がある』

Even a thief takes ten years to learn his trade. 
Source: (Japanese) 
『こそ泥でも、修行に10年かかる』
 
Fall seven times, stand up eight. 
Source: (Japanese)  
『七転び、八起き』

Fast Ripe, Fast Rotten. 
Source: (Japanese)  
『早く熟して、早く腐る』

First the man takes a drink, then the drink takes a drink, then the drink takes the man. 
Source: (Japanese)  
『最初は(酒を)飲む。つづいて飲み続ける。そのあとは、(酒に)飲まされる』

Forgiving the unrepentant is like drawing pictures on water. 
Source: (Japanese)  
『後悔していない人間を許すのは、水の上に絵を描くようなもの』

Getting money is like digging with a needle. Spending it is like water soaking into the 
sand. 
Source: (Japanese)  
『金を儲けるのは、針で穴を掘るようなもの。しかしそれを使うのは、砂にしみこんでい
く水のようなもの』

If a man be great, even his dog will wear a proud look. 
Source: (Japanese)  
『その人が立派なら、彼の犬もまた威厳をもつ』

If a man deceive me once, shame on him; if he deceive me twice, shame on me. 
Source: (Japanese)  
『もし人が私を1度だましたのなら、彼を軽蔑せよ。しかし2度だましたのなら、
自分に恥じろ』

If man has no tea in him, he is incapable of understanding truth and beauty. 
Source: (Japanese)  
『茶の心がないなら、彼は、真理と美のわからない人だ』

If money be not thy servant, it will be thy master. 
Source: (Japanese)  
『お金があなたの奴隷でないなら、それはあなたの主人だ』

If one man praises you, a thousand will repeat the praise. 
Source: (Japanese)  
『1人があなたをほめるなら、1000人がその賞賛を繰り返すだろう』

If the father is a frog, the son will be a frog. 
Source: (Japanese)  
『カエルの子は、カエル』

If you believe everything you read, better not read. 
Source: (Japanese)  
『読んだことを何でも信じてしまうなら、読まないほうがよい』

If you understand everything, you must be misinformed. 
Source: (Japanese)  
『もしあなたがすべてを理解するなら、あなたはまちがって教えられている』

If you want a thing done well, do it yourself. 
Source: (Japanese)  
『ものごとをうまくしてほしいと願うなら、自分でせよ』

It is a beggar's pride that he is not a thief. 
Source: (Japanese)  
『乞食でも、自分はこそ泥ではないというプライドをもっている』

Knowledge without wisdom is a load of books on the back of an ass. 
Source: (Japanese)  
『知恵のない知識は、ケツの穴に積まれた本』

●終わりに……

 こうして並べて読んでみると、その向こうに、欧米人の目を通して見た日本人の「像」
が浮びあがってくる。
たいへん興味深い。
2010/07/24


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月26日(プリウス効果)

++++++++++++++++++

このところ暑い。
猛暑。
岐阜県の多治見市では、連日39度前後の気温がつづいている。
今日あたり、どこかで40度を超えるのでは……。
40度?
私たちが子どものころには、考えられなかった気温である。

そう言えば、昨日も、一日中救急車サイレンの音がどこかで鳴っていた。
暑くなると、老人の死亡者が急にふえる。
火葬場も、3〜5日待ちになる。

で、私たちは山荘へ。
避難?
疎開?
標高150〜160メートル。
たったそれだけの高度だが、ゴロンと横になり、扇風機の風をあてているるだけで、
結構、涼しい。
それに昨日は、今年はじめて、水風呂に入った。
昔は「行水」と言った。
気持ちよかった。

が、見ると背丈ほどまでに大きくなったアジサイが、葉をみな、垂らしていた。
この暑さで、枯れ始めた?
あわてて水をまく。

土手の草を刈るつもりだったが、中止。
10年ほど前だが、一度、同じことをして日射病になったことがある。
直後はげしいめまいと、吐き気。
そのときは私はすぐ頭から水をかけ、車の中に入り、冷房をガンガンとかけた。
幸いにも半時間ほどで症状は消えた。
が、油断は禁物。
この10年間で、体力もかなり弱っているはず。

で、山荘で一眠りしたあと、帰宅。
帰るころには、アジサイの葉がピンと伸びていた。
よかった!

夜は、ワイフとハヤシライスを半分ずつ食べた。

++++++++++++++++

●プリウス効果?

 おとといまで、TOYOTAのビッツ(小型車)に乗っていた。
そのおととい、車をプリウスに替えた。
とたんいくつかの変化が起きた。

 ビッツに乗っていたころは……。

 信号待ちで、少しモタモタしていると、うしろからすぐクラクションを鳴らされた。
追い越し禁止車線でも、平気で追い越された。
制限速度などというものは、ただの数字?
その速度で走っていると、車をぴったりとうしろにつけられ、よくいやがらせをされた。
夜などはライトを遠目(アップ)にされるといういやがらせも、よくあった。
おまけに横道から平気で私たちの車の前に割り込んでくる……。

 ところがプリウスに替えたとたん、それがなくなった。
信号待ちでモタモタしていても、うしろからクラクションを鳴らされることもない。
制限速度でゆっくり走っていても、みな、うしろを静かについてくる。
今のところ、横道から割り込んできた車は、ない。

●ハロー効果

 人は、相手を見かけで判断する。
心理学の世界でもすでに証明された事実だが、こういうのを「ハロー効果」という。

 以前、こんな原稿を書いた。
麻生首相が誕生するころのことだから、つまり2007年に書いた原稿ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ハロー効果

++++++++++++

心理学の世界には、「ハロー効果」
という言葉がある。

要するに、美人、美男子は、得、
ということ。もっとはっきり言えば、
人も、外見で、その中身の価値が
判断されるということ。

外見のよい人は、聡明で、精神力も
強じんで、なおかつ性格もよいと判断
されやすい。人格者と見られることも
多い。

一方、そうでない人は、そうでない。

++++++++++++

●A首相誕生

 昔、「男は、一にマスク、二にマスク、三に親の財産」と言った、女子高校生がいた。そ
こで私が、「心はどうするの?」「心が大切だよ」と言うと、そこに居合わせた女子高校生
が、みな、こう言った。

 「マスクのいい男は、心もいいに決まっているじゃん」と。

 マスク……つまり、顔のこと。

 昨日(9月12日)、安倍首相が、突然辞任を申し出た。健康問題も含めて、いろいろあ
ったらしい。政界の内情をよく知る人は、「クーデターだ」などとも言っている。

 で、つぎの総理大臣は、あのA氏になりそうである。もしそうなら、クーデターの仕掛
け人は、A氏自身ということになる。

 心理学の世界には、「ハロー効果」という言葉がある。「ハロー」というのは、「後光」の
こと。「光背効果」と呼ぶ人もいる。つまり外見のよい人は、それだけ中身もよいと判断さ
れやすいということ。そうでない人は、そうでない。

 その第一が、マスク(顔)であり、身長であるという。それはたしかにそうで、安倍首
相(まだ首相なので……)と、A幹事長(まだ幹事長なので)を、比較してみれば、それ
がわかる。

 いかにも育ちのよさを感じさせる安倍首相。一方、いつもにがり虫をかみつぶしたよう
な顔をしているA氏。2人の人物が私たちに与える印象は、まるでちがう。

 が、これが偏見かというと、どうもそうとも言い切れないらしい。

 渋谷昌三氏の「心理学」(西東社)によれば、「美人は子どものころからまわりの人にか
わいがられ、素直な性格に育つ」とある。

 さらに「(教授に)魅力的であると評価された学生ほど、学業の成績がよいということも
わかっている」とか。また「大統領の候補者のばあい、背が高い候補者ほど有利」「背が高
い社員のほうが、1割程度、給料が高い」というデータもあるとか。

 この「ハロー効果」を、まったく無視することもできないようだ。私のワイフも、「あの
A氏が、次期総理だってエ」と、どこかがっかりしたような言い方で、そう言った。これ
はあくまでも見た感じだが、そのA氏を見ていると、「美人は子どものころからまわりの人
にかわいがられ、素直な性格に育つ」の、ちょうど反対のことが起きているのではないか
とさえ、思われる。

 マスクは、お世辞にも、よいとは言えない。背も低い。つまりそれが積み重なって、あ
の独特の「にがり虫をかみつぶしたような顔」になったのではないか。もしそうだとする
なら、性格も、かなりゆがんでいる? 実際、A氏の発言は、どこかおかしい。

 Y神社問題についても、「天皇が行けばよい」とか、あるいは、憲法改正についても、「天
皇を元首に」とか述べている。イラクのアメリカ軍を揶揄(やゆ)して、「ドンパチ」と表
現したこともある。最近でも、公の場で、「ロシア」と「ソ連」を言いまちがえている。右
寄りというよりは、極右的。

 だいじょうぶか、日本?、と書いたところで、この話は、おしまい。日本という国が、
どんどんとおかしな方向に進んでいるような気がしてならない。自衛隊のインド洋上での
燃料補給についても、民主党は、「反対」「中止」で勢いづいている。

 しかし前回の参議院議員選挙で、民主党が大勝したのは、民主党の政策に賛同したから
ではない。自民党への批判票が、民主党に回っただけにすぎない。一番、大きな問題は、
社保庁の年金問題、それに各閣僚の不適切発言。インド洋上での燃料補給は、争点にもな
っていなかった。

 それを、つまり大勝したことをよいことに、突然、奥の院から、O代表が顔を出してき
て、言いたい放題のことを言っている。言い忘れたが、A氏の印象もよくないが、O代表
の印象も、さらによくない。

 民主党が今、総力をあげてすべきことは、年金改革問題ではないのか。それもしないで
おいて、どうして今、燃料補給問題なのか。

 ハロー効果……おそらく、世界の人たちも、(無意識ではあるにせよ)、そういう効果を
感じながら、この日本を見ているにちがいない。

 だいじょうぶか、日本?、と、書いたところで、この話は、ほんとうに、おしまい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●幸福感

 どうであるにせよ、私たちは気にしない。
ビッツであっても、プリウスであっても、私たちは私たち。
他人は他人。
他人の目は気にしない。
他人の変化など、私たちには興味はない。
つまり私たちの中身まで変わったわけではない。

 ただこういうことは言える。
昨日も音楽をかけながら、あちこちをドライブした。
そのとき覚えた満足感は、どこかで幸福感につながっている。
ゆったりとした気分。
やわらいだ雰囲気。
静かな心。
瞬間的だが、何かをやり遂げたような達成感すら覚えた。
とくにワイフのどこか得意げな様子を見たときに、それを強く感じた。

 たぶん脳内では、エンケファリン系、もしくはエンドロフィン系のホルモンが
分泌されていたのだろう。
心地よい倦怠感も覚えた。

 性能のよい新車に乗るというのは、悪いことではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ハロー効果 後光効果 見かけ 人は見かけで決まる 見かけ論)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●7月25日(プリウス・悲しい相談+日本の格言)

++++++++++++++++++++

昨日、TOYOTAのプリウスが届いた。
注文してから、3〜4か月。
純白(パールホワイト)のプリウス。
ワイフは朝から、ウキウキ。
私もそれにつられて、何となく、ウキウキ。

++++++++++++++++++++

●プリウス

 私は車には、ほとんど興味がない。
あまり知らない。
……というか、まったく知らない。
しかし2年ほど前、こんな雑誌を読んだ。
「TOYOTAのプリウスvs.HONDAのインサイト」とかいうようなタイトルの
雑誌だった。
性能や価格を、ことこまかく比較していた。

 それを読み終えたとき、「次はプリウス」と心に決めた。
その雑誌でも、「プリウスの完勝!」「インサイトの完敗!」というような結論を下して
いた。

●初乗り感想

 約8年間、TOYOTAのビッツ(水色)に乗っていた。
それで不便はなかった。
が、買い換えどき。
それでプリウス。
加えてワイフの趣味は、ドライブ。

しかし今度のプリウスは、すごい!
その一言。
公称では、リッター38キロも走ることになっている。
「実際には25キロくらいですよ」と、店の若い男性は話してくれた。
25キロでも、すごい!
が、実際に走ってみると、5分間隔の瞬間燃費計算だが、それでも30キロ前後は走る。
下り坂がつづいたかなと思われる道路では、何と40キロ!

 エンジン音も静かで、まるで夢の中を走っているよう。
そんなわけで昨夜は、息子も乗せて、浜名湖を一周した。
途中で食事をしたこともあり、帰ってきたのは、午後9時ごろ。
昨日は、1日、プリウスでつぶれた。

 この8年間で、車も、すっかり様変わりした。
言い忘れたが、内装もよい。

●ナビゲーター

 車もさることながら、ナビゲーターの進歩にも、驚いた。
私としては、むしろそちらのほうに興味があった。
何といっても、それだけで超高性能のデスクトップ型パソコンが一台買える。

 最初は道路標示程度しか期待していなかった。
が、これがとんでもないまちがい。
ワンセグは常識。
DVDも観られる。
ブルーレイを使って、電話もかけられる。
もちろん目的地を入力すれば、道順まで教えてくれる。
さらに……。
30分間隔で、道路の渋滞情報まで表示してくれる。
「ヘ〜エ!」と驚くこと、しきり。

 ナビゲーターと遊んでいるだけで、結構、楽しい。……楽しかった。

●ドライブ

 そんなわけで今日(25日)は、ワイフとドライブに行くことになっている。
目的地は決めない。
ワイフの体調次第。
あまり遠出はできない。
しかしそれなりのところへは、行きたい。

 それもあって、起きたとき、運動量をいつもの2倍にふやした。

(1)ルームウォーカーで、まず20分。
(2)乗馬マシンで、10分。
(3)マッサージチェアで、15分。

 1、2か月前、ルームウォーカーの上で、ジョギングをした。
ひざを高くあげて、はげしく台を叩くようにして走った。
が、それがよくなかった。

 右足の裏が、以来、歩いているときなど、時折ヒリヒリと痛むようになった。
微小骨折(?)。
5、6年前に、左足で経験している。
以来、ルームウォーカーの上では、静かに歩くようにしている。
気をつけよう!

 あとでもう一度、朝食前に、10分ほど、歩くつもり。
このところ体重がオーバー気味。

●世界の格言

 昨日、「世界の格言」についての原稿を書いた。
推敲をしないまま、BLOGにUPLOADしてしまった。
そのため、あちこち、まちがいだらけ。
先ほど読み返してみたが、どうも気分がすっきりしない。
「後味が悪い」という表現は正しくないが、それに近い。
私にとって、原稿というのは、そういうもの。

 だれに対して、というのではない。
自分に対して、後味が悪い。
電子マガジン上で発表する原稿は、いつも一度推敲したものにしている。
そんなわけで、もし読んでもらえるなら、どうか電子マガジンのほうを読んでほしい。
電子マガジンのほうでは、一度熟成させたものだけを配信するようにしている。
(「熟成」というのは、1、2日、日をおき、読みなおしてからという意味。)

 ……ということで、今朝(2010/07/25)も始まった。

(1)土手の草刈りをする。
(2)電子マガジンの発行予約を入れる。
(3)ワイフとドライブをする。

 とりあえず、これが今日の目標。

+++++++++++++++++

以下、昨日書いた原稿を直した部分。

+++++++++++++++++

【外国から観た日本】

++++++++++++++++++

イギリスの「Quote Site」(World of Quotes)
では、世界中の格言を紹介している。
もちろんその中には日本のものもあり、105編
近くが載っている。
それらを読んでみて、「こんな格言、あったかなあ?」と
思わないものもないわけではない。
(これはたぶんに私の知識不足によるものかも
しれないが……。)

もちろん、「ああ、あれだな」と、わかるのもある。
たとえば『あばたもえくぼ』は、つぎのように訳されて
いる。

「A man in love mistakes a pimple for a dimple.」

全部は紹介しきれないので、アルファベット順に最初の部分
をいくつか紹介する。

+++++++++++++++++++++++

●日本語の格言に学ぶ、私、日本人(欧米人から見た日本人像)

A fog cannot be dispelled by a fan. 
Source: (Japanese)  
『霧は、うちわでは追い払えない』。

……どういう意味なのか?
元となった格言は、何なのか?
そこで英語サイト調べてみる。

「Answer Com(疑問に答えるサイト)」には、つぎのようにある。

「Short answer: fog is just a cloud that has lost altitude. Long answer: Because the 
humidity has reached more than 100% and the water starts to appear as vapour. You 
will also find that every outdoor……」と。
つまり「霧というのは、高いところを見えなくする雲のようなもの。
つまり湿度も100%に達すると、水も水蒸気になる。
つまり……」と。

外国人は、このばあいの「Fog(霧)」を、「湿気」と解釈しているようである。
が、そんな程度のことなら日本人は、わざわざ格言にはしない。
あえて日本流に解釈すれば、『うわさは、うちはでは追い払えない』とか、『人の心は
うちわでは消せない』とか、そういうことになる。
『悪評は、うちはでは払えない』でもよい。

日本語で「霧」というときは、「疑い」「黒いうわさ」「心のモヤモヤ」などを意味する。

さらに今風に言えば、いくら小沢さん(民主党前幹事長)が、「私は関係ありません」と
言っても、国民はだれもそう思っていない。
「小沢さん、うちわ(=権勢)でいくら払っても、霧は消えませんよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good husband is healthy and absent. 
Source: (Japanese)  
『よい夫というのは、健康で、そばにいない夫』。

この格言はどこかで聞いたことがある。
『亭主……』とか、言う。
何だったか?
『亭主健康で、留守がいい』だったか?

要するに、家事にはあれこれ口を出さない夫ほど、よい夫という意味。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good Jack makes a good Jill. 
Source: (Japanese)  
『よい夫はよい妻を作る』。

つまり妻は、夫しだい?
もちろんその逆もある。
若いときは、それがわからない。
しかし夫婦生活を何十年もつづけていると、それがわかるようになる。
夫は妻に作られ、妻は夫に作られる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good sword is the one left in its scabbard. 
Source: (Japanese)  
『よい剣はさやに納められた剣』。

剣などというものは、できるなら使わないほうがよい。
使わないまま、しまっておいたほうがよい。
剣というのは、そういうもの。
だから『さやに納められた剣ほど、よい剣』となる。

聖書(マタイ伝)の中にも、こうある。

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。 わたしが父にお願いできないと
でも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。 
しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」(マタ
イ26:52〜54)


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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨む(憎む)というのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』(H・フォ
スディック)

+++++++++++++++++++++

人を恨んではいけない。
憎んではいけない
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

解釈の仕方はいろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、
(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげているという意味。

+++++++++++++++++++++++++

●ある女性(67歳)

 東洋医学(黄帝内経)でも、「恨みの気持ち」をきびしく戒めている(上古天真論編)。

『(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とす
る』『八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、
恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みず
からの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもな
く、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする』と。

 恨みは、健康の大敵というわけである。
しかし恨みから逃れるのは、(あるいは晴らすのは)、容易なことではない。
妄想と重なりやすい。
「あいつのせいで、こうなった」と。

 ものの考え方も、後ろ向きになる。
ある女性(68歳)は、ことあるごとに弟氏の悪口を言いふらしていた。
口のうまい人で、悪口の言い方も、これまたうまかった。
たいていはまず自分の苦労話を並べ、そのあと弟氏が何もしてくれなかった
という話につなげる。
同情を買いながら、相手が悪いという話につなげる。
自分がしたこと、あるいは自分がしなかったことをすべて棚にあげ、ことさら自分を飾る。

 まわりの人に理由を聞くと、こう話してくれた。
「親が死んだとき、遺産の分け前をもらえなかったから」と。
が、いくら悪口を言っても、何も解決しない。
ただの腹いせ。
愚痴。
聞くほうも、疲れる。

●復讐

 恨みといえば、「四谷怪談」がある。
近くテレビでも映画が紹介されるという。
恐ろしいと言えば、あれほど恐ろしい話はない。
「四谷怪談」と聞いただけで、私は今でも背筋がぞっとする。
「四谷怪談」にまつわる思い出は多い。
子どものころ、怪談と言えば、「四谷怪談」だった。
(はかに「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」というのもあった。
若い人たちは知らないかもしれない。)

 「四谷怪談」のばあいは、男のエゴに振り回されたあげく、1人の女性が
毒殺される。
その女性が復讐のため、幽霊となって男を繰り返し襲う。
そのものすごさ。
執念深さ。

 子どものころ映画館に入ると、通路の脇にローソクと線香が立てられていた。
それだけで私たち子どもは、震えあがった。
そのこともあって、「恨み」イコール「復讐」というイメージが、私のばあい、
どうしても強い。
そういうイメージが焼きついてしまった。
 
 先に書いた「恨みを晴らす」というのは、「復讐して、相手をこらしめる」
という意味である。

●詐欺

 自分の人生を振り返ってみる。
こまかいことも含めると、人を恨んだことは、山のようにある。
反対に自分では気がつかなかったが、恨まれたこともたくさんあるはず。
恨んだり、恨まれたり・・・。

 しかし結論から言うと、生きていく以上、トラブルはつきもの。
恨みも生まれる。
しかし恨むなら、さっさと事務的に復讐して終わる。
「事務的に」だ。
そのために法律というものがある。
それができないなら、これまたさっさと忘れて、その問題から遠ざかる。
ぐずぐずすればするほど、その深みにはまってしまう。
身動きが取れなくなってしまう。

 こんな人がいた。

 当初、500万円くらいの私財をその不動産会社に投資した。
ついで役職を買う形で、さらに1000万円を投資した。
時は折りしも、土地バブル経済時代。
1か月で、1億円の収益をあげたこともある。
で、親から譲り受けた土地を、会社にころがしたところで、バブル経済が崩壊。
結局、元も子も失ってしまった。

 ふつうならそこで損切をした上で、会社をやめる。
が、その男性はそのあと、8年もその会社にしがみついた。
「しがみついた」というより、恨みを晴らそうとした。
土地の価格が再び暴騰するのを待った。

 で、現在はどうかというと、家も借家もすべて失い、息子氏の家に居候(いそうろう)
をしている。
今にして思うと、その男性は、(恨み)の呪縛から身をはずすことができなかった。
そういうことになる。

●心的エネルギー

 (恨み)の基底には、欲得がからんでいる。
満たされなかった欲望、中途半端に終わった欲望、裏切られた欲望など。
「四谷怪談」のお岩さんには、金銭的な欲得はなかったが、たいていは
金銭的な欲得がからんでいる。
しかし人を恨むのも、疲れる。

 私も若いころ信じていた伯父に、二束三文の荒地を、600万円という高額
で買わされたことがある。
これは事実。
そのあとも10年近くに渡って、「管理費」と称して、毎年8〜10万円の
現金を支払っていた。
これも事実。
(その伯父はことあるごとに、私のほうを、「たわけ坊主(=郷里の言葉で、バカ坊主)」
と呼んでいる。)

 が、それから35年。
つまり数年前、その土地が、70万円で売れた。
値段にすれば10分の1ということになる。
が、おかげで私は自分の中に巣食っていた(恨み)と決別することができた。
それを思えば、530万円の損失など、何でもない。
・・・というほど、(恨み)というのは、精神を腐らす。
心の壁にぺったりと張りついて、いつ晴れるともなく、悶々とした気分にする。

●『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』

 私はこの言葉を知ったとき、「そうだった!」と確信した。 
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
心を腐らすくらいなら、損は損として早くその損とは決別する。
決別して忘れる。
忘れて、一歩前に進む。
でないと、それこそ「家に火をつける」ようなことになってしまう。
つまり人生そのものを、無駄にしてしまう。
人生も無限なら、それもよいだろう。
しかし人生には限りがある。
その人生は、お金では買えない。

 実のところ私も、この7か月間、大きな恨みを覚えていた。
理由はともあれ、先にも書いたように、人を恨むのも疲れる。
甚大なエネルギーを消耗する。
だから自ら、恨むのをやめようと努力した。
が、そうは簡単に消えない。
時折、心をふさいだ。
不愉快な気分になった。

 しかし「家に火をつけるようなもの」とはっきり言われて、自分の心に
けじめをつけることができた。
とたん心が軽くなった。
恨みが消えたわけではないが、消える方向に向かって、心がまっすぐ動き出した。
それが実感として、自分でもよくわかる。

 最後にこの言葉を書き残したHenry Fosdickという人は、どんな人なのか。
たいへん興味をもったので、調べてみた。

●Henry Fosdick

英米では、その名前を知らない人がないほど、著名な作家だった。
こんな言葉も残している。

The tragedy of war is that it uses man's best to do man's worst.
(戦争の悲劇は、人間がもつ最善のものを、最悪のために使うところにある。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 恨み 恨み論 人を恨む ネズミを追い出す 家に火をつける)


Hiroshi Hayashi++++++July 2010++++++はやし浩司

●老後の健康論

●慣れないことはするな

 老後が近づいてくると、みな、それぞれの健康法を考える。たいていはそれまでの健康
法を延長する。が、中には、新しい方法を試みる人がいる。私もそうだった。とたん私の
ばあい、足の指先を痛めた。夜中にジョギングをしたときのことだった。一方、サイクリ
ングには自信がある。今でも高校生たちと競争したりする。20代のときからつづけてい
るため、そのためにどうこうなることはない。要するに、慣れないことはするな。


●体重は平均体重x0・8

 平均体重というのは、若い人を基準にしている。老人は無視。そこで老人の平均体重は、
若い人の平均体重x0・8くらいが、よい。「0・8」という数字はあいまいなものだが、
経験的には正しい。70歳を過ぎても、スタスタと歩いている人に、太っている人はいな
い。みな、細身。見たところ、平均体重の「0・8」程度。だから「0・8」。


●腰とひざ

 老化は腰とひざから始まる。腰を痛める・・・。ひざを痛める・・・。それがそのまま
持病となって定着する。定着したまま、じわじわと健康を蝕(むしば)んでいく。そのた
めにも、自分の歩き方を一度、客観的に見てみるとよい。鏡に映してみるという方法もあ
る。私のばあいは、ビデオカメラに映してみて、歩き方のおかしさを知った。ひざを痛め
るのは、時間の問題?


●昼寝(朝寝坊)

 昼寝は健康にもよいそうだが、最近の研究によれば、ボケ防止にもなるという。ただし
長く眠るのはよくないそうだ。時間にすれば、15〜30分程度とか。また私たち夫婦の
ばあい、朝は起きたいときに起きる。目覚まし時計とは無縁。ずいぶんとだらしない生活
に思う人もいるかもしれないが、結婚したときから、そういう生活をしている。


●「食べたら損ねる」を口ぐせに

 食物を前にしたら、「食べたら損ねる」を心の中で念ずる。「食べなければ損」と思った
ら、それこそ悪魔のささやき。食べすぎてよいことは、何もない。料理でも「味」が大切。
味だけ味わって、そこでやめる。とくに戦後生まれの私たちは、食べ物にこだわる。・・・
こだわりやすい。だからこそ「食べたら損ねる」を口ぐせに。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●釈迦が説いた自由論

++++++++++++++++

釈迦はクシナガラの郊外、シャーラ
(沙羅)樹の林の中で、最後の教え
を説いたという(仏教聖典)。

弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、
自らを灯火(ともしび)とし、
自らをよりどころとせよ、
他を頼りとしてはいけない。

この"法"を灯火とし、よりどころと
せよ。他の教えをよりどころとしては
いけない。

++++++++++++++++

●自由

 「自由」という言葉がある。この言葉は、もともとは、「自(みずか)ラニ由(よ)ル」、
あるいは「自ラニ由ラセル」という意味である。

 つまり、(自分で考え)、(自分で行動し)、(自分で責任を取る)ことを、「自由」という。

 釈迦は、仏教聖典(仏教伝道協会発行)によれば、最後に、まさにその「自由」につい
て説いたことになる。

 ついでながら、私が知るかぎり、釈迦が、「前世」とか「来世」とか、そんなことを説い
た形跡は、どこにもない。あるとすれば、釈迦滅後、数百年を経て書かれた経典の中だけ
である。そうした経典は、ヒンズー教の影響を、モロに受けている。

 それはともかくも、釈迦は、つぎのようにつづける。

『わが身をみては、その汚れを思って、
貪(むさぼ)らず、苦しみも楽しみも、
ともに苦しみの因(もと)であると思って、
ふけらず、わが心を観(み)ては、その
中に「我」はないと思い、それらに
迷ってはならない。そうすれば、すべての
苦しみを断つことができる。
わたしがこの世を去った後も、このように
教えを守るならば、これこそわたしの
まことの弟子である』と。

●煩悩(ぼんのう)

 釈迦によれば、私たちの心というのは、基本的には、「汚れている」ということになる。
だから、その汚れた心のまま、「貪ってはならない」と。つまり貪欲になってはいけない、
と。もっとわかりやすく言えば、情欲の命ずるまま、貪欲になってはいけない、と。

 そしてそれを受けて、『苦しみも楽しみも、ともに苦しみの因であると思って、それにふ
けってはいけない』と。

 同じようなことが、東洋医学のバイブルとも言われる、(黄帝内経・素問・上古天真論篇)
の中にも書いてある。「(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足
を事とする」と。

 つまり「楽しいから」といって、享楽的に、それにふけってはいけないということ。そ
れはそのとおりで、1人の人の(楽しみ)は、どこか別のところで、別の人の(苦しみ)
の上に成り立っていることが多い。あるいは享楽的に生きれば生きるほど、その反動は、
かならず、自分自身にやってくる。

またつぎの『わが心を観(み)ては、その中に「我」はないと思い、それらに迷ってはな
らない』の部分は、フロイトのリピドー論を重ねてみると、意味がよくわかる。

 私たちを根源的な部分で動かしているのは、リピドー、つまり性的エネルギーである。
さらにつっこんで言えば、「子孫存続本能」ということになる。もちろん私たちはそれだけ
で生きているわけではないが、しかし私たちの日常的な行動すべては、どこかでその本能
と結びついている。

 それがわからなければ、ほかの動物や植物をみればよい。私たち人間も、その一部でし
かない。

●どこまでが「私」?

 釈迦は、「私たちの中には、『私』という部分は、本当はないのだ」と説いている。つま
り「私は私」と思っている部分にしても、そう思っているだけで、実際には、私ではない、
と。

 たとえば若い女性が、化粧をする。その女性は、「私は自分の意思で化粧をしている」と
思っているかもしれないが、その意思とて、作られたものにすぎない。結婚前の女性であ
れば、まさに「子孫存続」のための、その準備行動をしているにすぎない。

 実際、私の中の「私」をみつめてみると、どこからどこまでが、「私」で、どこからどこ
までが「私」でないか、それがよくわからないときがある。たとえばもうすぐ60歳とい
う、この年齢になっても、性欲は残っている。ときどきエロビデオを見たいという欲求も
わいてくる。

 しかしそう思うのは、ここでいう(私であって私でない部分)ということになる。だか
らつづく行動、たとえばエロビデオ店へ行って、見たいエロビデオを選んだり、買ったり
するのも、(私であ
って私でない部分)ということになる。

 しかしこんなことをおおっぴらに言えば、(すでにおおっぴらに言っているが)、「教育評
論家と呼ばれている男が、何を言うか!」と、非難される。だから私は、こういうことは
隠そうとする。「私は、そういうエロビデオは見ていません」というフリをする。

 「私」がかろうじてあるとすれば、その(隠そうという)部分、もしくは(フリをして
いる)部分にでしかない。

●苦しみは煩悩から

要するに、私たちが日常生活でいうところの(苦しみ)などというものは、総じてみれば、
(私であって私でない部分)から生じている。だから釈迦はこう言う。『私の中に、「我」
はないと思い、それらに迷ってはならない。そうすれば、すべての苦しみを断つことがで
きる』と。

 もう一歩先を言えば、「私は私」と思うから、そこから苦しみが生まれる。「私の財産」「私
の名誉」「私の地位」と。ならば、最初から、運命を受け入れ、それに従えばよい。へたに
「私」にこだわるから、人は苦しむ。悩む。釈迦もこう言っている。

 『……いたずらに悲しむことはやめて、
 この無常の道理に気がつき、人の世の
 真実のすがたに眼をさまさなければ
 ならない。

 変わるものを変わらせまいとするのは、
 無理な願いである。

 煩悩(ぼんのう)の賊(ぞく)は、
 常におまえたちのすきをうかがって、
 倒そうとしている。

 もしおまえたちの部屋に毒蛇が住んで
 いるのなら、その毒蛇を追い出さない
 かぎり、落ちついてその部屋で、
 眠ることはできないであろう。

 煩悩の賊は追わなければならない。
 煩悩の蛇(へび)は、出さなければ
 ならない。

 おまえたちは慎(つつし)んで、
その心を守るのがよい』(同書)

 あとは、その瞬間、瞬間を、懸命に生きること。ただひたすら懸命に生きること。それ
がどんな結果で終ろうとも、それも運命。そのときはそのときで、その運命を、静かに受
け入れれば、それでよい。

 釈迦が説いた「自由」とは、まさに「私」を求める戦いであったということになる。わ
かりやすく言えば、「私」を、「私の中の私でない部分から解放させる」。それが真の自由に
つながる、と。釈迦は、それを説いた。

++++++++++++++++

黄帝内経・素問・上古天真論篇
について書いた原稿を、添付
します。(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++

●子育ては自然体で

 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわか
らない。
そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、こうある。
これは健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。

いわく、「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応さ
せ、恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、
みずからの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ること
もなく、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古天真論篇)と。
難解な文章だが、これを読みかえると、こうなる。

 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、極端主義、
スパルタ主義、完ぺき主義がある。極端主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底
的にさせ、「やめる」と決めたら、パッとやめさせるようなことをいう。

よくあるのは、「成績がさがったから、ゲームは禁止」などと言って、子どもの趣味を奪っ
てしまうこと。親子の間に大きなミゾをつくることになる。スパルタ主義というのは、暴
力や威圧を日常的に繰り返すことをいう。このスパルタ主義は、子どもの心を深くキズつ
ける。また完ぺき主義というのは、何でもかんでも子どもに完ぺきさを求める育て方をい
う。子どもの側からみて窮屈な家庭環境が、子どもの心をつぶす。

 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は
私」「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。

あなたの子どものできがよくても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそ
のつど、見え、メンツ、世間体。これに振り回される。そして混乱する。言いかえると、
この三つから解放されれば、子育てにまつわるほとんどの悩みは解消する。

要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜びも取り越し苦労もいけな
い。
「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。足りなくてもいけな
い。必要なことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」と。実際どん
な子どもにも、自ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き出す。
子育てを一言で言えば、そういうことになる。

さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の大原理に順応して生活すれば生存可能であり、そ
れに背馳すれば死に、順応すれば太平である」(四気調神大論篇)と。おどろおどろしい文
章だが、簡単に言えば、「自然体で子育てをすれば、子育てはうまくいくが、そうでなけれ
ば、そうでない」ということになる。

子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の昔から、その目的
として、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、健康は害せ
られる。精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せられる。
栄養過多もいけないが、栄養不足もいけない。

子どもを愛することは大切なことだが、溺愛はいけない、など。少しこじつけの感じがし
ないでもないが、健康論にからめて、教育論を考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 釈迦論 釈迦の自由論 釈迦の実存主義 現実主義)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月22日・エアベンダー&インセプション(Inception)

+++++++++++++++++

●エアベンダー

おとといの夜、『エアーベンダー』という
映画を観てきた。
言うなればアメリカ版、『ドラゴンンボール』。
途中であくびが出るほど、つまらない映画だった。
(実際、眠りそうになった。)

おかしな屁理屈。
その連続。
かっこつけの演技。
その連続。
矛盾だらけの論理。
その連続。
CG技術はすごかったが、それだけ。
星は1つの、★。
続作があるようだが、私は観ない。

「あんな子ども(=子どもぽい論理)に世界が牛耳られたら、
それこそ世界はメチャメチャになってしまう」と、
別の心で、私はそんなことを考えた。

で、それよりも気になったのが、先週観た、
『インセプション』。
ワイフは、「もう一度、観たい」と言っている。
私もそう思っている。

●解けない謎

あの映画の中で、冒頭と最後の部分で、
ディァプリオが海(川?)の中から、はいあがってくる
シーンが出てくる。
……ということは、ディカプリオはまだ夢の世界に
いることになる。
つまり(第3の夢の世界)(第2の夢の世界)から、
(第1の夢の世界)までは戻ることができたが、
ディカプリオは、(現実世界)にはもどっていない?

(第1の夢の世界)でディカプリオたちは、
車ごと橋から落下する。
そのときディカプリオはシートベルトをしたままだった。
ほかの連中は車の中から外へ逃げたが、ディカプリオは目を
閉じていた。

あのシーンがどうも気になる。
映画の中では、それぞれの夢の世界で死ぬことによって、
その前の夢の世界に戻ることができることになっている。
(第1の夢の世界)で助かったということは、ディカプリオは
(現実世界)には戻っていないということになる。

ディカプリオは現実の世界に戻ったのか?
それとも夢の世界に残ったのか?

その謎を解く鍵が、最後のシーンに出てくるコマという
ことになる。
ディカプリオはコマを回したまま、家の外に出る……。
が、そのシーンは、残念ながら途中で切れる。

近く劇場で再公開されるということだから、もう一度、
観てくる。

+++++++++++++++++++++

●ボケ検査

 60歳以上の人は、一度、映画『インセプション』を観てみるとよい。
その理解度によって、自分のボケ度を知ることができる。

(健常者)映画の内容がスラスラと理解できる。主人公のコブ(ディカプリオ)が最後は、
どの世界にいるかが理解できる。

(ボケ度1)夢の世界から、さらに深い夢の世界に入っていく……という程度には理解で
きるが、そのつながりまでは理解できない。

(ボケ度2)何がなんだか、訳がわからない。頭の中が混乱して、映画を理解できない。最後に
コブがどの世界にいるかもわからない。

●映画『インセプション』

 念のため、先週書いた原稿の一部を転載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 映画『インセプション』は、つぎの段階を経て、夢の中の夢の世界、さらにはそのまた
夢の世界へと入っていく。

(1)現実の世界(飛行機747の世界)
その世界から、つぎの第1の夢の世界に入る。
これを第1夢の世界という。
壮絶なカーチェイスを繰り返す。

(2)その第1夢の世界から、つぎの第2の夢の世界に入る。
これを第2夢の世界という。
どこかのホテルで、これまた壮絶な戦闘行為を繰り返す。

(3)さらにそこでの窮地を逃れるため、ディカプリオたちは、第3の夢の世界に入る。
これを第3夢の世界という。
どこかの雪原に建つ要塞で、さらに壮絶な戦闘行為を繰り返す。

 映画『インセプション』の中では、そこまで断言していないが、私流に勝手に解釈する
と、第1夢の世界は、「前意識」の世界。
第2夢の世界は、「無意識」の世界。
第3夢の世界は、「深層無意識」の世界ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 この中で、「前意識」「無意識」「深層無意識」という言葉を使ったが、これは私が勝手に
付け足したもの。
映画の中では、そういう言葉は出てこなかった。
ディカプリオたちが車ごと橋から落下するのは、この中でいう「第1の夢の世界」という
ことになる。

 ……となると、もうひとつ謎が出てくる。
海(川)から救い出されたディカプリオは、助けられて大きな和風の家に連れていかれる。
が、そこには、年老いた日本人のサイトー(渡辺謙)がいる。
なぜか?

 これらの夢の世界では、それぞれ(時間)の長さがちがう。
記憶によるものなので、数字は正確ではないが、こういうこと。

 (現実の世界)での1日は、(第1の夢の世界)では、1年。
(第1の夢の世界)での1日は、(第2の夢の世界)では、1年。
(第2の夢の世界)での1日は、(第3の夢の世界)では、1年。

 これによって計算すると、(現実の世界)で1日が過ぎると、(第3の夢の世界)では、
365x365x365=約5000万日=13万年が過ぎることになる。
論理的に(?)考えると、ディカプリオは(第2の夢の世界)でモタモタしている間に、
(第1の夢の世界)にいたサイトー(渡辺謙)は、すっかり老いぼれてしまったことにな
る。

 つまりコブ(ディカプリオ)も、サイトー(渡辺謙)も、(第1の夢の世界)に残った
ことになる。

 ……それとも私は、どこかで重要なシーンを見落としたのかもしれない。
サイトー(渡辺謙)に会ったとき、コブ(ディカプリオ)は死んだのか?
もしそうなら、コブ(ディカプリオ)は、(現実の世界)に戻ったことになる?

 よくわからない。
つまり私のボケ度は、(ボケ度1)に近い(ボケ度0・5)ということになる。
(ワイフは、どうやらボケ度2というところか?)

 ともかくも、映画『インセプション』は、最近観た映画の中では、『シクスセンス』『M
ATRIX』『ミラーズ』に並ぶ、おもしろい映画だった。
もう一度観て、しっかりと謎を解いてみたい!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 インセプション INCEPTION 謎 謎解き)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司 

*The Independent Newspaer misuunderstands the Japanese heart
(インデペンデント紙は、日本人の心を誤解している。)

+++++++++++++++++++++

イギリスの「インデペンデント紙」は、
「犯罪者が国賓扱いを受けている」と、
日本を揶揄(やゆ)している。
しかしこれは誤解である。

+++++++++++++++++++++

●サーチナの記事より

+++++++++++++以下、サーチナの記事より++++++++++++

 1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)北朝鮮元工作員(48)
が20日未明に初来日した。今回の来日は日本政府の招聘(しょうへい)によるもので、事
件以来初の海外渡航となる。23日までの滞在中、横田めぐみさんの両親ら拉致被害者家族
と面会する。

(中略)

 このニュースは英国でも報じられている。英インディペンデント紙は「ジェット機爆破
事件の北朝鮮元工作員が日本で歓迎される」と題し、もっともありえないスパイ物語と報
じた。また、日本国籍の偽造パスポートで大韓航空機爆破を試み、一度死刑を宣告された
金元工作員は、東京の羽田空港で逮捕されなければならない。にもかかわらず、彼女の地
位は犯罪者どころか、まるで要人扱いだ、と金元工作員の待遇を疑問視している。

 英ガーディアン紙は、今回の金元工作員の訪問は、日本政府がこれまでの拉致問題に対
する怠慢からわざと注意をそらすために仕組んだパフォーマンスだと批評家が非難してい
ると報じた。金元工作員はこれまでにも被害者の家族と何度か会見しており、新しい情報
が提供されることは期待できないとみられている。

+++++++++++++以上、サーチナの記事より++++++++++++

(以下、「The Independent」紙より

Former North Korean spy who bombed jet welcomed by Japan
By David McNeill in Tokyo
Wednesday, 21 July 2010

Left, Koichi Iizuka, the son of Yaeko Taguchi, with Kim Hyon-hui in Seoul last year. 
Sakie Yokota, right, with a picture of her daughter, Megumi
Bespoke Savings & Investment advicefor Expats.Qualify for Free Report.

It has all the ingredients of the most far-fetched spy story: a beautiful North Korean 
woman destined to become an actress opts instead for a career in espionage. Brainwashed 
to despise the North's southern neighbour, she bombs a Korean Air jet in 1987 
reportedly on the direct orders of the North Korean leader Kim Jong-il, killing 115 
people. When captured, she attempts to kill herself by biting into a cyanide pill 
but is stopped by a guard. Her accomplice dies from the same method.

●ジェット機爆破の犯人が、日本で歓迎されている

(写真は)キムヒョンヒと一緒に写っているイイヅカ・コーイチ、メグミの両親のヨコタ
である。

キムヒョンヒは、金xxに洗脳され、直接の命令を受け、1987年航空機を爆破し、1
15人の人を殺している。
自分自身も自殺を試みている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●イギリス人の目

 日本人は何も、「welcome」(歓迎)しているわけではない。
同情はしているが、歓迎はしていない。
キムヒョンヒ自身も、犠牲者にすぎない。
また私たち日本人がいちばん知りたいのは、拉致被害者についての情報である。
その情報を知る人物として、キムヒョンヒを日本に迎えた。
ほかに私たちは、拉致被害者の動向を知る手だてをもっていない。

 が、こうした日本の動きが、イギリス人には奇異に見えるらしい。
「どうして犯罪者を歓迎するのか?」と。

刑事訴訟法の世界にも、『罪を憎んで、人を憎まず』という格言がある。
そこまで割り切っているわけではないが、日本人の心情としては、キムヨンヒに対する
憎悪の念はゼロと断言してもよい。
むしろ日本へ来てくれたことを、感謝している。
たいへん勇気のいる決断だった。
仏教の世界には、『怨憎会苦』という言葉がある。
キムヨンヒの立場で日本へ向かうということは、そこで針のムシロに座らされることを
意味する。
苦しかっただろう。

 つまり私たちの怒りは、横田めぐみさんを拉致した、K国のトップに向かっている。
横田めぐみさんと同じレベルで、その反対側の立場にいるキムヨンヒもまた、あの狂った
独裁者の被害者にすぎない。
それがよくわかるから、キムヨンヒには怒りを覚えない。

 むしろ「日本は、あなたが思っていた国とはちがいますよ。
戦時中はともかくも、戦後の日本は変わりました」と。
それを私たちはキムヨンヒを通して、K国の人たちに伝えたい。
そういう願いがあるから、キムヨンヒを暖かく迎えている。

 以上の日本語を、一度英文に翻訳(グーグル)し、The Independentに
送付してみる。

To: the Editor of the "Independent" Newspaer

Japanese does not, "welcome" Kim Hyon-hui . We, the Japanese understand that Kim 
Hyon-hui herself is aslo only a victim. Also we Japanese are most interested in the 
information about abducted people. As a person who knows that information Kim 
Hyon-hui was invited to Japan. Another reason why is that we have no information 
sources about the abducted people by North Korea.

However, it seems to look strange to the British . "Why welcome to criminals?". 
According to the criminal procedural law we say, "We hate the sin, but the people".
And we declare feelings of Hatred against her is almost zero. Or rather we feel grateful 
to her that she managed to come to Japan. We are sure she needed a great decision to 
come to Japan. For her Japan is the last country that she does wants to come and visit.

This means our anger heads toward the leader of North Korea, Kim Il-Jong not to her. 
Yokota Megumi as well as Kim Hyon-hui are the victims of the leader.

Rather we would like to let her know that "Japan is different now from the one you knew. 
This is also what we would like to let North Korean people, who even now suffer from the 
oppression of Kim il-Jong.

Hiroshi Hayashi, a Japanese reader
Hamamatsu-city, Japan

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 The Independent )


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室より】

++++++++++++++++++

小学6年クラスで、こんな話になった。
「この世でいちばん、まずい食べ物は何か?」と。
子どもたちは、それぞれ勝手なことを言い始めた。
そこで私は、「味が正反対のものを混ぜると、まずくなるよ」と
教えてやった。

たとえば(苦いもの)と(甘いもの)を混ぜるなど。

で、早速実験ということになった。

自動販売機でコーヒーとコーラを買ってきた。
それを約半分ずつ混ぜ、それにたまたまそこにあった
野菜ジュースを混ぜた。
それを子どもたちに飲ませた。

+++++++++++++++++++

●意識の変化

 それにしても意識の変化には驚かされる。
みなが、「こんなまずいものは飲めない」と、約3分の1ほどまで飲んだところで
ギブアップ。
そのとき1人だけ、何とか飲んでしまった子どもがいた。
「ぼくの教室で、それを飲めた子どもは、君1人だけだ」とほめると、「もっと
まずいものがある」と。

 ……もっとまずいもの?

 その子どもはこう言った。

「先生、トイレの便器を使って、流しソーメンをしない?」と。
つまりトイレの便器の中にソーメンを流す。
それをみなで、箸ですくって食べる……と。

 冗談かと思ったが、その子どもは真顔だった。

私「あのなあ、いくらなんでもそれは食べられないよ」
子「よく(便器を)洗えば、だいじょうぶ」
私「洗っても、食べられないよ」
子「洗えば、同じだよ。茶碗と同じだよ」
私「だってまわりには、ウンチの茶色いシミがついているよ」
子「洗えば、落ちる」
私「落ちない」
子「落ちる」と。

 私の教室のトイレの便器は、スリッパ型。
やろうと思えばできる。
しかしトイレにまつわるイメージは、ボットン便所のころから身についている。
心にしみついている。
今さらそれを変えろと言われても、できるものではない。
が、最近の子どもには、それがない。
便器を食器と同じに考える?

 生まれたときから、便器は清潔できれい。
においもしない。
「意識もここまで変わったのか」と、むしろそちらのほうに驚いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【言葉の勉強】(幼児教室より)

 ついでに昨日の幼児教室の様子を、紹介します。
今回は「言葉」について、学習しました。

つづきは
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」へどうぞ。

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value="http://www.youtube.com/v/Tf4_aEMjhYY&hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/Tf4_aEMjhYY&hl=ja&fs=1" type="application/xー
shockwaveーflash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" 
height="344"></embed></object>


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【人生・いろいろ、子育て・いろいろ】2010/07/20

●幸福論

+++++++++++++++++

人生、いろいろ。
人、さまざま。
100人の人がいれば、100通りの
生き方がある。
生き方は、みな、ちがう。

問題のない人は、いない。
みな、それぞれに問題をかかえ、
懸命に生きている。
どこかの哲学者は、こう言った。
『幸福な家庭はみな似ている。
が、不幸な家庭は、みなちがう』と。

子育ても、またしかり。
問題のない子どもは、いない。
外から見ると、みなうまくいっているように
見える。
が、うまくいっている家庭など、それこそ100に
1つもない。
1000に1つもない。

だからこれだけは言える。
多くの親たちは子どもの問題をかかえると、
真っ先にこう悩む。
「どうしてうちの子だけが……」と。

しかしそう思ってはいけない。
問題のある子どもをかかえているのは、
けっしてあなただけではない。

+++++++++++++++++

●原点

 こんなことは、めったにあってはいけない。
しかしある母親は、自分の子ども(2歳児)が死ぬか、生きるかの死線をさまよったとき、
病院の廊下で天に向かって、こう祈ったという。
「私の命はどうなってもいい。私の命と交換してでもいいから、あの子の命を救って!」
と。

 それを子育ての原点とするなら、子育てにまつわる問題は、すべて解決する。
「成績がなんだ!」「いじめがなんだ!」「学校がなんだ!」となる。

●家庭騒動

 「盗み」にしても、そうだ。
その親には2人の娘がいた。
下の娘は、6年ほど前に結婚した。
が、上の娘は、仕事もせず、家の中でブラブラしていた。
かなり裕福な家庭ということもあった。
上の娘は、父親の金庫から現金を盗み、それでブランド品を買いあさっていた。
ハンパな額ではない。
一度に、100万円単位で盗んでいた。
買い物依存症である。
同じものでも、それがほしくなると、それにブレーキをかけられなくなる。
そのため娘の部屋には、その種のブランド品が、山のようになっていた。

 が、父親も母親も、娘を叱ることができなかった。
何回か注意しようとしたことがあるが、そのつど上の娘は、逆にキレた。
台所から包丁をもってきて、自分の首を切ろうとしたこともある。
父親の腹に包丁を向けたこともある。

 が、やがて父親は悟った。
「殺されてもいい」と。

●上の娘

 「どうせ私が死ねば、財産はすべて娘たちのものになるではないか」と。
そう割り切ったとき、父親の目の前には一本の道が開けた。
「娘は、私たち以上に苦しんでいるのだ」と。

 27、8歳ごろまでは、男とつきあっているという話もあったが、30歳を
過ぎると、それも消えた。
男のほうが、みな、去っていった。
35歳を過ぎると、娘は化粧もせず、過食と拒食を繰り返すようになった。
私がここに書いた話を聞いたときには、上の娘は相撲の関取のように太っていた。

 父親は金庫を数度、替えた。
が、そのつど上の娘は狂ったように鍵をさがした。
ときどき父親と母親は、1、2泊の旅行に出かけることもあった。
そういうとき上の娘は、一睡もせず鍵をさがしたという。
が、それでもないとわかると、近所の鍵屋を呼んで、金庫を開けさせた。
そういう娘を知りながら、父親も母親も何も言わなかった。
ただ金庫の中には、いつも小さなメモを書いて入れておいたという。

「○○へ、もう、こういうことはやめようね」と。
が、効果はなかった。

●買い物依存症

 買い物依存症は、メカニズム的にはアルコール中毒やニコチン中毒と同じ。
脳の中枢部(視床下部)から発せられた信号によって、ドーパミンが分泌される。
それが線条体に作用して、そこで猛烈な条件反射反応が起きる。
ふつうの理性でコントロールできるようなものではない。
一度この反応が起きると、そのものが猛烈にほしくなる。
ほしくなって、自分が自分でなくなってしまう。

 そのものが必要だから、ほしいのではない。
「ほしい」という欲望を制御できなくなる。
だから買う。
買って自分の欲望を満足させる。
平たく言えば、心の病気。

●共感

 父親の職業を言い忘れたが、父親は、少し離れた通りで、公認会計士の事務所を
開いていた。
1人の税理士も、いっしょに仕事をしていた。
年齢は55歳。
そのころその男性はテニスで腰を痛め、同時に五十肩に苦しんでいた。
そこへ緑内障が追い打ちをかけた。
パソコンを相手に仕事をするのが、むずかしくなった。

 引退も考えたが、それを思いとどまらせたのが、上の娘だった。
上の娘のことを考えると、「引退どころではない」となった。
「がんばれるだけ、がんばるしかない」となった。

 そこで父親と母親は、スポーツジムに通うようになった。
週に1度だが、プールで泳ぐようにもなった。
そしてこう宣言した。
「70歳まで現役で働く」と。

 私も同じことを書いていたので、ともに共感を覚えた。
「共に70歳まで、がんばりましょう!」と。

●バネ

 私にもいろいろあった。
今も、いろいろある。
さみしいことやつらいことのほうが、多い。
それを忘れるために、映画を観たり、旅行に出かけたりする。
それでそこにある問題が解決するわけではないが、一時的であるにせよ、それを
忘れることができる。
心の中にたまったゴミを掃除することができる。

 言い替えると、問題があるから悪いのではなく、それを受け入れてしまえば、
それがプラスの方向に作用するということ。
その男性もこう言っていた。

「金庫からごっそりと札束が消えていたときのこと。
私は、こう思いました。
『もって行きたければもっていけ。その分だけ、私は仕事をするだけだ』と」と。

 つまり発想をほんの少し変えるだけで、不幸(?)を自分のバネとすることができる。

●運命

 私たちの体には、無数の糸がからんでいる。
その「糸」がときとして、私たちの進むべき道を決めてしまう。
「私はこっちへ行きたい」と願っていても、その糸が別の方向に引っ張ってしまう。
それを「運命」というのなら、だれにでも運命はある。

 その運命は、逆らえば、キバをむいて襲いかかってくる。
が、受け入れてしまえば、向こうからシッポを巻いて逃げていく。

●腐る体と心
 
 私たちはたしかに、今ここで、生きている。
しかし本当のところ、生きているのではなく、生かされている。
たとえば昨日も、こう思った。

 私とワイフは昼食後、いつも30〜40分ほど昼寝をする。
それが日課になってしまった。
そのときのこと。
起きるのはつらい。
「もっと寝ていたい」と思う。
しかしそういう体と心にムチを打って、体を起こす。
仕事に向かう。
自転車にまたがる。
だからこそ、かろうじてだが、こうして健康を維持することができる。
が、もしその緊張感がなかったら……。

 私は悠々自適な老後生活が、けっしてあるべき理想の老後生活とは思わない。
またそうだからといって、幸福とは思わない。
もしそんなだらしない生活を半年もつづけたら、体も心も腐ってしまうだろう。
つまりそこに問題があるから問題なのではなく、大切なのはその問題を
どう生かして生きていくかということ。

●今が原点

 子育ても、またしかり。
先にも書いたが、問題のない子どもはいない。
したがって問題のない家庭はない。
それぞれがそれぞれの問題、つまり悩みや苦しみ、悲しみを背負って懸命に生きている。
が、それを「問題」と思ってしまうから、それが重荷になる。
十字架になる。
だから、こう考えたらどうだろう。
「それが当たり前」と。

 居直り?
あきらめ?
受け入れ?
言葉は、何でもよい。
大切なことは、そこを原点としてものごとは、前向きに考える。
過去を悔やむ必要はない。
のろう必要は、さらにない。
今、私たちはここに生きている。
そこを原点としてものごとは、前向きに考える。

●失う

 とくに50歳を過ぎると、失うものばかり。
60歳を過ぎると、さらに失うものばかり。
「失う」ことを前提として、生きる。
また失うことを、恐れてはいけない。
どうせそれで失うものは、その程度のもの。
もともと価値のないもの。
あるいは価値あるものと、思いこまされていたもの。

 が、もし体と心を腐らせたら、おしまい。
本当におしまい。
それだけは最後の最後まで守る。
またそれだけは、その気になれば、最後の最後まで守ることができる。
失うことはない。

●許して、忘れる(For・give & For・get)
 
 親が子どもを育てるというのは、ウソ。
子どもが親を育てる。
しかも皮肉なことに、できの悪い子どもをもてばもつほど、親は子どもに育てられる。
が、それにはひとつ、重大な条件がある。
それが「愛」ということになる。

 親は子どもにどれほど叩かれ、罵倒されても、あるいはつらい思いをさせられても、
「愛」だけは見失ってはいけない。
方法は簡単。
『許して忘れる』。
それだけを念じて、その場を去る。

 仲直りするとか、関係を修復するとか、そういうことは考えなくてよい。
子どもの機嫌を取る必要もない。
嫌われることを恐れてはいけない。
去っていくことを、悲しんではいけない。
子どもたちにしても、1人の人間。
つまり、人、それぞれ。
あとは忘れて、自分の人生を歩む。

●「70歳までがんばろう」

 その男性はこう言った。
「林さん(=私)、70歳までがんばりましょう」と。
私はそれに答えて、こう言った。
「70歳? 私なんか今のままだと、75歳までがんばらなくてはならないかもしれ
ません」と。

 「今」はそのためにある。
まず、体を鍛える。
心を腐らせない。
今日1日がんばれば、明日がある。
今週1週間がんばれば、来週がある。
今月1か月がんばれば、来月がある。
だから今年1年がんばれば、たぶん来年もあるだろう。
あとはそれを繰り返す。
繰り返して、75歳までがんばる。
つまりそのあとのことは考えない。
運がよければ、ポックリと死ねるだろう。

 だからともかく、今日は今日で懸命に生きる。
今夜死ぬことになってもよいように、懸命に生きる。
……というのが、この原稿の結論ということになる?

 2010年7月20日、今日も始まった!
扇風機の風が、心地よい。
何でもこい!
やってこい!
私は負けない!


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幸福論】(2)

●最近の女子高校生は…?

●失敗作と笑えるか

市立図書館で、女子高校生六人に聞いてみた。「君たちは将来、何をしたいか」と。私は
当然、キャリアウーマン的な人生観をもっているものとばかり思っていた。が、五人ま
でがこう答えた。

「結婚して、はやく家庭に入りタ〜イ」「家庭でダンナの帰りを待ちながら、料理しタ〜
イ」と。

私が「家庭の主婦になるということか」と聞くと、「そうだヨ〜」と。そこでさらに、「仕
事はしないのか?」と聞くと、「したくないヨ〜。ダンナの給料だけでやっていきたいヨ
〜」と。

 見た感じ、ごくふつうの高校生である。ちょうどテスト週間で、図書館に来ていた。私
は質問を変えて、「では、どんな男と結婚したいか」と聞いた。すると一人が、「一にマス
ク、二に経済力…。『これオヤジのマンション』と言うような金持ちの息子がいい」と言っ
た。私が「心はどうする。結婚するというのは、心の問題だよ」と言うと、「マスクのいい
人は、心もいいに決まってル〜」と。

あれこれ話したが、政治の話をもちだすと、「ダサ〜イ」とはねのけられてしまった。私
「国の借金が七〇〇兆円もあるんだよ。一人六〇〇万円だよ。君たちの借金なんだよ。
それはどうするの?」高「私ら、そんな話、関係ないもんネ〜」「そうよネ〜」と。

 言いたいことは山ほどある。あるが、こういう現実を見せつけられると、自分をのろい
たくなる。五十歳をすぎても、日本の将来を心配している自分が、なさけなくなる。少し
飛躍した感想かもしれないが、なぜあの三島由紀夫が腹を切ったか、その心情がよくわか
る。私たちはこういう高校生をつくるために、がんばってきたのか、と。

 少し前だが、こんなこともあった。あるキャンプ場で国旗の掲揚をしたときのこと。何
人かの高校生が、「スター・スパングルド・バナー(星条旗)」を口ずさんでいるのを聞い
た。アメリカの国歌である。日本の国歌にも言いたいことはいろいろあるが、しかし今、
日本の若者たちがここまで脱線しているかと思うと、ゾッとする。

そう、何かがおかしい。何かが狂っている。しかし相手は子どもだ。日本の将来をにな
う子どもだ。そういう子どもをさして、「失敗作」と、どうして言えるだろうか。子ども
を笑うということは、即、自分を笑うということになる。そんなことは、私にはとても
できない。

 ……何ともやりようのない空しさを感じながら、私は図書館を出た。

(2)今日の特集  **************************

●離婚のあとに…… 
 
 Aさん(38歳、秋田県H市在住)。5年前、二人の子どもを夫に預けて、離婚。原因は、
Aさんの不倫。そのAさんは、現在、そのときの不倫相手と再婚。「今は、最高に幸福な生
活を送っている」(Aさんのメール)とのこと。

 が、その一方で、Aさんは、二人の子どもに対する、恋慕に苦しんでいる。二人の子ど
もは、上の子どもが、11歳(兄)、8歳(妹)。「会いたいが、会うべきではない」「もし
子どもたちが、自分を求めていたら、どうしたらいいのか」「この5年間、まったく連絡を
とっていない」と。

 前夫が再婚しているかどうかも、知らないという。現在、前夫の住んでいるところとは、
70キロくらい離れているとのこと。(以上、Aさんからのメールを要約。)

++++++++++++++++++

 メールの内容によれば、離婚相談のとき、Aさんは、「自分のわがままで離婚するのだか
ら、二人の子どもは、前夫に渡した」とのこと。しかしその文面からは、引き裂かれた母
子の苦しみが、にじみ出ていた。それで私に、「アドバイスしてほしい」と。

 しかし私は、こういう事例については、まったく無力でしかない。とても残念だが、私
の心には、Aさんを理解するだけの「心のポケット」がない。つまり人というのは、同じ
ような苦しみや悲しみを経験して、はじめて他人の苦しみや悲しみを理解できるようにな
る。それを昔、学生時代の私の恩師は、「心のポケット」と呼んだ。

 ただ、想像できなくはない。そしてそれほどまでの事例ではなくても、子どもと別れた
母親の事例は、いくつか経験している。ひとつずつ、順に、心の紐(ひも)をほどいてみ
よう。

 Aさんは、不倫をした。しかしそれは決して、「浮気」と言えるような、浅いものではな
かった。その証拠に、Aさんは、二人の子どもと別れて、その不倫相手の男性と再婚して
いる。

 そういうAさんを、だれが責めることができるだろうか。Aさんは、真剣だった。まじ
めだった。そして自分の心の、「強烈な命令」に従って、前夫と離婚した。その強烈な命令
は、Aさん自身の心の迷いという範囲を超えた、まさに「人間として、その根底から、わ
き起こる命令」だったにちがいない。

 Aさんは、何も、まちがったことはしていない。もしAさんの行為がまちがっていると
いうのなら、人間そのものがまちがっていることになる。

 Aさんは、結婚していた。二人の子どももいた。しかし電撃に打たれるような恋をした。
そしてそれに打ちのめされるようにして、離婚した。そこらの浮ついた男女が、遊びです
る浮気とは、中身も深みも、ちがっていた。

 で、その結果として、二人の子どもを、夫のもとに置いて、離婚した。そのときの判断
が正しかったかどうかは別として、Aさんにしてみれば、Aさんが感ずる「罪」に対する、
せめてもの「つぐない」だったかもしれない。Aさんは、こう言う。「前夫にすべてを捨て
ろというのは、できなかった」と。

 不幸か不幸でないかといえば、こうした結末は、二人の子どもにとっては、不幸に決ま
っている。とくに今の状態では、二人の子どもは、「母は、私たちを捨てた」と思っている。
またそう思って、当然である。

 いくらAさんが、「そうでない」と思っていても、それはAさんの身勝手。事実として、
Aさんは、二人の子どもを捨てた。この親としての「罪」は、決してつぐなえるようなも
のではない。夫に子どもたちを渡すことで、Aさんは、夫に対しては、つぐなったつもり
でいるが、それは夫に対して、だけ。

 そこでAさんは、子どもへの思いが断ちきりがたく、思い悩んでいる。「どうしたら
いいか」と。

 Aさんは、不倫相手と再婚はしたものの、一日とて、心の晴れる日はなかったはず。「今
は最高に幸福です」とは書いているが、それは精一杯の虚勢であるにちがいない。朝起き
れば、子どものこと。昼の時報を聞けば、子どものこと。夜、床に入れば、子どものこと。
近所の同年齢の子どもを見ては、自分の子どものこと。それを思いやりながら、「今ごろは、
9歳になったはず」「今ごろは、10歳になったはず」と。一日とて、いや一分とて、子ど
ものことを忘れたことはないはず。

 それはものすごい閉塞(へいそく)感である。おまけに、Aさんを見る、世間の目は冷
たい。恐らく、親戚中から、白い目で見られている。「ひどい女だ」「子どもを捨てた、悪
女だ」と。

 世間的な常識を言えば、そういうことになる。これに対して、Aさんが、抵抗したり、
否定したりしたところで、意味はない。先に書いた、「強烈な命令」の前には、世間的な常
識など、道端のスミにたまったホコリのようなもの。この強烈な命令が、いかに強烈であ
るかは、あの川端靖成をみればわかる。ノーベル文学賞までとった文学の大家でも、晩年、
10代の女性と、恋をしている!

 しかしこうした閉塞感は、何もAさんだけが経験しているものではない。Aさんは、子
どもと生き別れたが、死に別れた人だって多い。さらに子どもではなく、親や兄弟と、生
き別れたり、死に別れたひともいる。夫や妻と、生き別れたり、死に別れた人だっている。
恋人と生き別れたり、死に別れた人となると、五万といる。あるいはもっと多い。

 それぞれが、それぞれに重い十字架を背負っている。こんな例もある。

 B氏(50歳)は、そのとき、母親と決別状態にあった。だから母危篤(きとく)の報
を受けたときも、母親のもとには走らなかった。やがてすぐ母親はなくなったが、葬儀に
も出なかった。B氏が、45歳のときのことだった。

 そのB氏には、一人の妹がいた。身体に障害があり、介護がないと、満足にトイレへも
行けない状態だった。しかしB氏は、その妹を、叔母に預けた。(本当は、見るに見かねて、
叔母が、その妹のめんどうをみることになった。決して、叔母のほうから、引きとったわ
けではなかった。)

 このケースでも、B氏は、世間からは白い目で見られた。親戚からも、「ひどい息子」と
ののしられた。しかしそのB氏が、実は、父親の子どもではなく、祖父と母親との間にで
きた子どもだった。それにいろいろと複雑な家庭の事情がからんだ。B氏は、母親を、心
底、うらんでいた。

 が、それから5年。

 B氏の心が晴れることは、一日もなかった。B氏は、母親の死に目にもあわなかったこ
とを悔やんだ。葬儀に出なかったことも悔やんだ。そのときは「正しい決断」と思ってい
たが、時がたつにつれて、心が変化するということは、よくある。

 毎日が、その「悔やみ」との戦いでもあった。今になってB氏は、こう言う。「どうして
私は、もっと早く母を許せなかったのか」と。

 こうした事例は、形こそちがえ、いくらでもある。幸福な家庭は、どれもよく似ている
が、不幸な家庭は、みなちがう。顔もちがう。しかしつきつめれば、「不幸な思い」は、ど
の人も共通している。

 だからAさんについても、「あなただけではないですよ」と言いつつも、しかし今、Aさ
んが感じているであろう閉塞感は、B氏とは比較にならないほど、重いものであるにちが
いない。私やあなたが安易に、アドバイスできるような内容のものではない。メールには、
「私は幸福です」とはあるが、幸福になれるはずはない。

 これから先、Aさんがすべきことは、(今は、まだ子どもたちが小さいから、しないほう
がよい)、いつか、二人の子どもたちの前で、両手をついてあやまることである。しかしそ
のときでも、二人の子どもが許してくれるとはかぎらない。しかしそれでも、Aさんは、
あやまるべきである。

 そういう日は、必ず、やってくる。でないと、この種の閉塞感は、日増し、年ごとに大
きくなり、ますますAさんを苦しめる。「忘れよう」「忘れよう」と、もがけばもがくほど、
クモの巣のからんだ、あり地獄の中に落ちていく。はっきり言えば、今、Aさんが感じて
いる「幸福感」などというものは、紙のように薄いガラスでできた、箱のようなもの。

 つまりAさんは、こうした現実を、はっきりと認識しなければならない。逃げてはいけ
ない。認識する。それは同時に、とても苦しいことだが、それは自分がかかえた大病と、
真正面から向きあうのに、似ている。心の中の(わだかまり)を理解しないかぎり、その
人は、そのわだかまりと、戦うことすら、できない。

 本来なら、メールをくれたAさんに対して、「こうしたらいいですよ」というような返事
を書かねばならない。しかし職業柄、どうしても、私の視点は、捨てられた二人の子ども
のほうに、向かってしまう。「どれほど、さみしい思いをしただろうか」「つらい思いをし
ただろう」と。恐らく今の今も、二人の子どもは、Aさんを慕いながら、その一方で、そ
れ以上に、Aさんをうらんでいる。

 不倫がすべて悪というわけではない。

 真剣であるなら、不倫も許される。ある女性(35歳)は、一人の男性(43歳)と、
一年にわたって不倫をつづけた。週一回ほど会っては、濃厚なセックスを繰りかえした。
しかしその女性は、結局は、その男性と別れた。

 その女性は、別のところで、こんなことを言っている。「私は不倫をしました。あの世で
は、まちがいなく地獄に落ちます。その覚悟はできています。ただ不倫をした分だけ、私
は今の夫に尽くしています。ですから不倫をしたおかげで、おかしなことですが、夫婦の
仲もよくなりました」と。

 いろいろな不倫があるが、そういう不倫もある。今さら過去を取り消すことはできない
が、Aさんも、まだその段階であれば、いろいろ打つ手はあったのだろう。しかしその前
に、その不倫は、前夫の知るところとなってしまった。
 
【Aさんへ】 

 メール、ありがとうございました。

 多分、私に相談してくださっても、問題の根本が、解決しないかぎり、あなたの心が整
理されることはないと思います。お力になりたいのですが、私は、あまりにも無力です。
ゆいいつあなたができることと言えば、二人のお子さんの幸福を願うことだけですが、し
かしそれとて、もう、あなたとは、関係のない世界のことです。

 あなたは「ひょっとしたら、二人の子どもが、今でも私を求めているかもしれない」「私
はそれに答えてあげたい」というようなことを書いておられますが、それは、その通りで
あると同時に、まったく、その通りではありません。

 自分たちを捨てた(この表現は適切ではないかもしれませんが、お子さんたちは、そう
思っています)母親を、二人の子どもたちも、まさに毎日、恋焦がれています。それは当
たり前のことではないですか! しかし同時に、内心の奥深くではそうであるとしても、
それと同じくらい、あなたという母親をうらんでいます。それも当たり前のことではない
ですか!

 5年という歳月は、あまりにも長すぎます。母への恋慕が、うらみに変るのは、一日で
じゅうぶんです。もちろんあなたには、あなたの言い分があります。夫のもとに子どもを
置いていったのは、夫への罪滅ぼしということですね。それはわかりますが、言いかえる
と、あなたは自分の子どもを、取り引きの材料にしてしまったのです。

 多分、あなたは親意識の強い女性なのでしょう。子どもの心を確かめることもなく、ま
た聞くこともなく、一方的に、そうしてしまった? いただいたメールでも、子どもたち
自身の心が、まったく見えてきません。

 では、どうするか?

 答は簡単です。

 あなたは重い十字架を、死ぬまで背負います。重い、重い、十字架です。この十字架か
らのがれる方法は、残念ながら、ありません。いくら弁解しても、いくら自己正当化して
も、この十字架からのがれることは、できません。

 あなたの二人の子どもが幸福になっても、仮に不幸になれば、なおさら、あなたの心が
晴れることはありません。そういう現実を、しっかりと見つめ、あなたはあなたで、懸命
に今を生きていくしかないでしょう。

 だからといって、私はあなたを責めているのではありません。あなた自身ですら、「あな
たがあなたである前」の、「人間」という、まさにその人間から発する「強烈な命令」によ
って、自分の行動を決めたのです。

 ゆいいつの望みは、そういう「強烈な命令」を、いつか、あなたの二人の子どもも、理
解する日が、やってくるかもしれないということ。まさにあなたは、(命がけの恋)をした
わけです。しかしその命がけの恋は、二人の子どもの心に、ナイフを突き刺してしまった!
そのキズを、だれが、どうやっていやすことができるというのでしょうか。

 私は、不可能だと思います。

 しかしね、Aさん。

 これが人生なのですね。今はまだおわかりにならないかもしれませんが、そういった自
分も含めて、「人間って、そういうもの」と、わかるときがやってきます。40代とか、5
0代になると、です。

 いろいろなドラマを繰りかえしながら、同時に、無数のドラマを、人間は、あとに残し
ていく……。つまり「私」という人間を、「人間」という視点から、見ることができるよう
になります。そして、ですね、そこが不思議なところですが、そういう人間に、「美しさ」
を見ることができるようになります。

 あなたも、いつか、そうして悩み、苦しみながらも、そういう自分の中に、「美しさ」を
見ることができるようになります。ですから、今は、懸命に生き、懸命に幸福を求め、そ
して同時に、懸命に悩み、苦しんだらよいのです。

 逃げてはだめです。真正面から、ぶつかっていきます。そういう中から、あなたは、別
のあなたを見出していく。そしていつか、気がついたとき、あなたはふつうの人をはるか
に超えた、すばらしい人になっています。

 いいですか? だれしも、一つや二つ、そういう十字架を背負って生きています。この
一年間だけでも、こんな事例があります。

 一人息子(19歳)を、自殺に追いこんでしまった両親。同じく妻を、自殺に追いこん
でしまった夫。少し前には、自宅に放火して、娘を殺してしまった母親など。一見、極端
な例に見えるかもしれませんが、そういう人たちが背負った十字架とくらべると、あなた
の背負った十字架など、軽いものです。軽い、軽い、本当に、軽い!

 だからあなたはあなたで、前向きに生きていきなさい。

 あなたはあなたというより、人間が本性としてもつ「強烈な命令」に従った。それはま
ちがっていない。以前、こんな原稿(この返事のあとに添付)を書きましたので、送りま
す。中日新聞に掲載してもらったものです。何かの参考になると思います。

 そしてあなたは今の苦しみや悲しみを、つぎの段階にまで昇華させます。そうそう、先
に書いた、B氏ですが、今は、ボランティアで、老人福祉をしています。もう少し具体的
には、自分にも別の仕事があるので、妻に、その仕事をしてもらっています。その妻の仕
事を、応援しています。

 なぜB氏が、そうなのか? そうしているのか? あなたなら、その理由がわかるはず
です。

 たしかにあなたの二人の子どもは、あなたに捨てられた。これは事実です。心に大きな
キズを負った。これも事実です。

 しかし二人の子どもは、必ず、それを乗りこえます。すでに乗りこえているかもしれま
せん。子どもの側からしても、その程度の問題をかかえている子どもは、いくらでもいま
す。今どき、離婚など、珍しくも何ともないです。アメリカでも30%の夫婦が、離婚し
ています。意外と意外、この日本でも、離婚率は、ヨーロッパ各国より、高くなりつつあ
ります。

 ですから離婚の数だけ、あなたの二人の子どものような子どもも、いるわけです。(だか
らといって、あなたが背負った十字架を軽く感じてもらっては困りますよ。)

 私があなたなら、その分だけ、あなたの今の夫に、尽くします。尽くして、尽くして、
徹底的に尽くします。あなた自身の幸福というよりは、あなたの夫の幸福を、最優先しま
す。そしてできれば、あなたの周囲に、あなたの助けを必要としている子どもたちのため
に、尽くします。

 ある女性(現在45歳くらい)は、今の夫と結婚する少し前、別の男性と遊んで、妊娠
してしまいました。それで中絶したのですが、そのときつけた子宮のキズが原因で、妊娠
できない体になってしまいました。

 それでその女性は、それ以後、今に至るまで、何かの団体で、不幸な子どもたちの福祉
活動を繰りかえしています。つまりあなた自身も、何らかの形で、今の苦しみや悲しみを、
昇華させることができるはずということです。

 が、だからといって、あなたの心が晴れることにはならないでしょう。死ぬまで、晴れ
ることはないでしょう。あなたがまじめで、そして懸命に戦えば戦うほど、そうです。し
かし人生というのは、もともと、そういうものなのですね。そうでない人生を、さがすほ
うが、むずかしいくらいです。

 とにかく前向きに生きていきましょう。もう、どうにもならないことは、どうにもなら
ないのです。大切なことは、今日できることを、懸命にすること。明日は、その結果とし
て、必ず、やってきます。そして明日のことは、明日に任せればよいのです。

 そしていつか、あなたの二人の子どもは、あなたを求めてやってきます。そのとき、あ
なたはもうこの世の人ではないかもしれない。(もちろんその前に求めてきたら、あなたは
全幅に心を開いて、子どもたちを受け入れます。)

 そんなときでも、あなたはあなたの二人の子どもが、部屋の中に入ってくることができ
るように、しっかりと窓だけはあけておいてあげてください。「私の母は、すばらしい母だ
った」と思うような、そんな人をめざしてください。それが今できる、あなたの子どもた
ちへの、せめてもの罪滅ぼしではないでしょうか。

 長い返事で、参考になったかどうかはわかりませんが、どうかどうか、前向きに生きて
ください。

++++++++++++++++++++

母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに
幸せのハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではない
が、その充実感がない……。

今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。結婚したのは二四歳のとき。
どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ電撃に打たれるような恋を
したが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の夫と何となく交際
を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋

 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある
田舎道の土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)
と。

主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れて
いた生命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。つまりフラン
チェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻に閉じ
こもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。

彼女もまた、「(戦後の)あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」とい
う状況の中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のよう
な状態をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。H
さんはそうした不満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何
が不満だ」「お前は幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるスト
レスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、
こんな話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わ
ってしまった。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買い
に行く」と。

「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということ
だった。晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だ
った。私は今氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そうい
うものか。その人の人生の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がい
たが、下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手
伝ううち、医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさ
んは、ヘルパーの資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、
あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のよ
うなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。

子育ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、そ
れが終着点と思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、
アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それでま
た風は吹き始める。人生は動き始める。
(040312)

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●幸福論

 幸福とは何か。イギリスの教育格言に、『子どもを幸福で包んであげるのが、最高の教育』
というのがある。それはわかる。そのとおりだと思う。しかし問題は、その中身である。
イギリスの「自由投稿サイト、The Quote Cache Daily Random Quote List」に載っている
格言から、いくつかを選んで、訳してみた。(訳がおかしいと思うときは、原文を読んでほ
しい。)

 まず登場するのが、アンディ・ルーニィ。

★For most of life, nothing wonderful happens. If you don't enjoy getting up and 
working and finishing your work and sitting down to a meal with family or friends, 
then the chances are that you're not going to be very happy. If someone bases his 
happiness or unhappiness on major events like a great new job, huge amounts of money, 
a flawlessly happy marriage or a trip to Paris, that person isn't going to be happy 
much of the time. If, on the other hand, happiness depends on a good breakfast, flowers 
in the yard, a drink or a nap, then we are more likely to live with quite a bit of 
happiness.ー Andy Rooney
人生では、すばらしいことなど、めったにない。朝起きて、仕事をして、それを終えて、
家族や友といっしょに食事することを楽しみなさい。そうすれば、それぞれのときに、あ
なたは幸福になる。もし人が、幸福の基盤を、新しい仕事や、莫大なお金や、完ぺきな結
婚生活や、パリへの旅行など、そういった大きなできごとに置くなら、ほとんどの時間で、
その人は、幸福ではないということになる。しかし一方、幸福を、おいしい朝食や、庭の
花や、飲んだり、昼寝したりすることに求めるなら、あなたはすばらしい幸福とともに、
人生を過ごすことができる。

★Think of all the beauty that's still left in and around you and be happy! ー Anne 
Frank
あなたのまわりにまだ残っているすべての美しいものを、思い浮かべなさい。そして幸福
になりなさい。(アンネ・フランク)

★We all live with the objective of being happy; our lives are all different and yet 
the same. ー Anne Frank
私たちはみな、幸福になりたいと思って生きている。つまり人生はみな、異なっていても、
目的は同じ。(アンネ・フランク)

★Happiness is a warm puppy. ー Charles Schulz
幸福は、暖かいぬいぐるみ。(チャールズ・シュルツ)

★When I meet people from other cultures I know that they too want happiness and do 
not want suffering, this allows me to see them as brothers and sisters. ー Dalai Lama, 
Tenzin Gyatso
他の文化をもっている人に会ったとき、彼らもまた幸福を求め、苦しみを望んでいない。
それがわかるから、私は彼らをみな、私の兄弟だと思う。(ダライ・ラマ)

★There is a very fine line between "hobby" and "mental illness." ー Dave Barry
「趣味」と、「心の病気」の間には、明確な一線がある。(D・バリー)

★You get more joy out of the giving to others, and should put a good deal of thought 
into the happiness you are able to give. ー Eleanor Roosevelt
他人に分け与えることで、あなたはもっと大きな喜びを得る。それはそうだが、しかしそ
れを与えるとき、幸福とは何か、それをよく考えて、すべきである。(E・ルーズベルト)

★We tend to forget that happiness doesn't come as a result of getting something we 
don't have, but rather of recognizing and appreciating what we do have. ー Frederick 
Koenig
もっていないものを手にしたとき、その結果として幸福がやってくるのではないというこ
とを、私たちは忘れてはいけない。そうではなく、幸福というのは、今、私たちがもって
いるものに気づき、それを評価することの結果として、やってくる。(F・コーニグ)

★There is work that is work and there is play that is play; there is play that is 
work and work that is play. And in only one of these lies happiness. ー Gelett Burgess
仕事の仕事がある。遊びの遊びがある。仕事の遊びもあるし、遊びの仕事もある。しかし
これらの一つだけに、幸福がある。(G・バーゲス)

★If you have nothing else to do, look about you and see if there isn't something 
close at hand that you can improve! It may make you wealthy, though it is more likely 
that it will make you happy. ー George Matthew Adams
ほかに何もすることがなかったら、あなたの近くで、あなたができることがないかを、見
てみたらよい。そうすれば、あなたは幸福になるだろうし、お金持ちになれる。(G・M・
アダムズ)

★Shall a man go and hang himself because he belongs to the race of pygmies, and not 
be the biggest pygmie that he can? Let everyone mind his own business, and endeavor 
to be what he was made. ー Henry David Thoreau, "Walden"
彼がピグミー(中央アフリカの小人の黒人)だからといって、自殺する人はいるだろうか。
あるいは彼が、最大のピグミーでないからとって、自殺する人はいるだろうか。他人のこ
とは、ほっておけ。そして自分のおかれた境遇で、努力せよ。(H・D・ソロー)

★For every moment of triumph, for every instance of beauty, many souls must be 
trampeled. ー Hunter S. Thompson
すべての成功の瞬間に、そしてすべての美の瞬間に、多くの魂が、踏みにじられる。(H・S・ト
ンプソン)

★The fact is always obvious much too late, but the most singular difference between 
happiness and joy is that happiness is a solid and joy a liquid. ー J.D. Salinger
事実は、いつも明らかに、あとになってわかる。「幸福」と「喜び」の、もっとも大きな違
いは、幸福というのは、固体だが、喜びは、液体であること。(J・D・サリンジャー)

★Three grand essentials to happiness in this life are something to do, something 
to love and something to hope for. ー Joseph Addison
幸福の三つの大きな要素は、すべきことがあること。愛すべきものがあること。そして希
望とすべきものがあることである。(J・アジソン)

★One of the first conditions of happiness is that the link between Man and Nature 
shall not be broken. ー Leo Tolstoy
幸福の最初の条件は、人間と、自然のつながりを、壊してはいけないということである。
(L・トルストイ)

★Happiness lies only in that which excites, and the only thing that excites is crime. 
ー Marquis de Sade
幸福というのは、エキサイトするものに存在し、エキサイトする唯一のものというのは、
犯罪である。(M・Sade)

★I've learned from experience that the greater part of our happiness or misery depends 
on our dispositions and not on our circumstances. ー Martha Washington
私は、つぎのことを学んだ。つまり幸福にせよ、悲惨にせよ、その大部分は、私たちのお
かれた環境ではなく、私たちの気質によるものだということを。(M・ワシントン)

★Everything exists in limited quantity ー especially happiness. ー Picasso
すべてのものには、かぎられた量しかない。とくに幸福は!(ピカソ)

★Sooner or later in life everyone discovers that perfect happiness is unrealizable, 
but there are few who pause to consider the antithesis: that perfect unhappiness is 
equally unattainable. ー Primo Levi
遅かれ早かれ、だれもが、完ぺきな幸福というのは、自分ではわからないものだというこ
とを発見する。しかしほとんどの人は、その正反対については、考えない。つまり完ぺき
な不幸というのは、同じように、達成しがたいものであることを。(P・レビ)

★It's a funny thing about life; if you refuse to accept anything but the best , you 
very often get it. ー Somerset Maugham
もしあなたがいつも最高のもの以外は受け取らないとするなら、あなたはそれをしばしば
手に入れることができるというのは、人生でも、おかしなことだ。(S・モーガム)

★The supreme happiness in life is the conviction that we are loved ーー loved for 
ourselves, or rather, loved in spite of ourselves. ー Victor Hugo
人生で最高の幸福というのは、私たちが愛されているという確信である。つまり、私たち
自身のために愛されているか、もしくは、むしろ、私たち自身のかわりに愛されていると
いう確信である。(V・ユーゴ)

★The essentials to happiness are something to love, something to do, and something 
to hope for. ー William Blake
幸福の重要な部分は、愛すべき何か、すべき何か、そして希望とすべき何かをいう。(W・
ブレイク)

●改めて幸福論

世界の賢人たちは、身近な、ごく平凡な、かつ、ごく日常的な生活の中に、「幸福」を見い
だしているのがわかる。つまりこのあたりに、幸福の原点があるのでは。ここまで書いて、
私は、ボームという人が書いた、「オズの魔法使い」を思い出した。それについて書いたの
が、つぎの原稿である。「家族主義」について書いた原稿である。(私の本から、転載。)

++++++++++++++++++++++++

家族主義と幸福論

●幸福の原点は家庭にある

ボームが書いた物語に「オズの魔法使い」がある。カンザスの田舎に住む、ドロシーとい
う女の子と、犬のトトが虹のかなたにある幸せを求めて、冒険するという物語である。こ
んなことがあった。

 オーストラリアにいたころ、仲間に「君たちはこの国(カントリー)が、インドネシア
軍に襲われたらどうするか」と聞いたときのこと。皆はこう答えた。「逃げる」と。「おや
じの故郷のスコットランドへ帰る」と言ったのもいた。何という愛国心! 私があきれて
いると、一人の学生がこう言った。「ヒロシ、オーストラリア人が手をつないで一列に並ん
でもすきまができるんだよ。どうしてこの国を守れるか」と。

 英語でカントリーというときは、「国」というよりは、「土地」を意味する。そこで質問
を変えて、「では、君たちの家族がインドネシア軍に襲われたらどうするか」と聞くと、皆
血相を変えてこう言った。「そのときは、命がけで戦う」と。これだけではないが、私はい
つしか欧米人の考え方の基本に、「家族」があることを知った。愛国心もそこから生まれる。

たとえばメル・ギブソンの映画に『パトリオット』というのがあった。日本語に訳する「愛
国者」ということになるが、もともとパトリオットという語は、ラテン語のパトリス、つ
まり「父なる大地」という語に由来する。つまり欧米で、「ペイトリアチズム(愛国心)」
というときは、「父なる土地を愛する」あるいは、「同胞を愛する」を意味する。その映画
の中でも、国というよりは家族のために戦う一人の父親が、テーマになっていた。

 家族主義というと、よく小市民的な生き方を想像する人がいる。しかしそれは誤解。冒
頭にあげたオズの魔法使いの中でも、人間が求めている幸福は、そんな遠くにあるのでは
ない。あなたのすぐそばで、あなたに見つけてもらうのを、息を潜めて待っている…。ド
ロシーは長い冒険の末、それを教えられる。

 明治の昔から、日本人は「出世」という言葉をもてはやした。結果として、仕事第一主
義が生まれ、その陰で家族が犠牲になるのは当然と考えられていた。発展途上の国として
やむをえなかったのかもしれないが、しかし今、多くの人がそうした生き方に疑問をもち
始めている。九九年の終わりに中日新聞社がした調査でも、四五%の日本人が「もっとも
大切にすべきもの」として「家族」をあげた。日本人は今、確実に変わりつつある。

++++++++++++++++++++++

こうした賢人の中で、私の心をとらえたのは、F・コーニグの、つぎの言葉だ。いわく…
…。

「もっていないものを手にしたとき、その結果として幸福がやってくるのではないという
ことを、私たちは忘れてはいけない。そうではなく、幸福というのは、今、私たちがもっ
ているものに気づき、それを評価することの結果として、やってくる」と。

 同じようなことだが、アンディ・ルーニィ※も、こう言っている。
 
「人生では、すばらしいことなど、めったにない。朝起きて、仕事をして、それを終えて、
家族や友といっしょに食事することを楽しみなさい。そうすれば、それぞれのときに、あ
なたは幸福になる。もし人が、幸福の基盤を、新しい仕事や、莫大なお金や、完ぺきな結
婚生活や、パリへの旅行など、そういった大きなできごとに置くなら、ほとんどの時間で、
その人は、幸福ではないということになる。しかし一方、幸福を、おいしい朝食や、庭の
花や、飲んだり、昼寝したりすることに求めるなら、あなたはすばらしい幸福とともに、
人生を過ごすことができる」と。

 それはそのとおりで、もし名誉や地位、肩書きや権威、権力が、幸福の条件とするなら、
人間は、数十万年のうちの、(数十万年、引く、二〇〇〇年)の間は、不幸だったというこ
とになる。
なぜなら、こうした亡霊が人間社会を支配するようになったのは、せいぜい、この二〇〇
〇年にすぎないからである。……とまあ、こんなこと改めて、書くまでもない。

 しかし現実には、こうした亡霊にとりつかれている人は、多い。あなたのまわりにも、
いる。私の知人の中にも、いる。定年退職をしてからも、過去の栄光(?)にしがみつき、
それをふりかざして、いまだに威張りちらしている。もっともそれで本人がそれなりにハ
ッピーなら、それでよいのだが、実際には、(多分?)、日々を悶々とした気分で過ごして
いる。そういう人にとっては、過去の栄光を否定されることは、自分の人生を否定される
ことに等しい。だから、猛烈に反発する。

 これは本当の話だから、正直に書く。ウソの話ではない。

その人は、長い間、ある研究所の研究員をしていた。そして四〇歳くらいのとき、H大学
の助教授になり、つづいて五〇歳少し前に、教授になった。現役時代には、ある研究団体
の会長にもなっている。その彼と議論しているとき、ふとしたことから、喧嘩になってし
まった。彼は、メールで、私にこう言ってきた。

 「君だって、文部省あたりから仕事が回ってくれば、シッポを振る口ではないのかね」「君
だから、正直に言ってやるが、君が称している研究など、この世界では、価値がない。い
いかね、研究というのは、公的な機関で認められてはじめて、意味をもつんだよ」「田舎の
おばちゃんたちを相手に、偉そうな文章を書いても、意味はないよ」「君の書いている本な
どというのは、資源のムダづかい。君が一冊、本を出すたびに、インドネシアの森林が、
数十本、犠牲になるんだよ」「偉く国際人ぶっているが、君が本当に知っている外国は、オ
ーストラリアという田舎だけではないのかね」と。最後には、こう言った。「君は、知識を
ひけらかしている、ただのバカだ」と。

 しかし私とて、負けていない。

 「公的機関で、税金で研究している男が、何を偉そうなことを言うか」「あなたのまわり
の人間は、自分もその恩恵にあやかりたいから、あなたにペコペコしているだけだ」「文句
があるなら、裸で私と勝負してみろ」「こちらは生きる糧(かて)を稼ぎながら、そのあい
た時間で、ものを書いている。あんたとは、立場が基本的に違う」「文部省から仕事がくれ
ば、ありがたいことだ。いくらでもシッポを振ってやる。そのかわり、ちゃんと、お金を
もらう」「文化というのは、大衆がつくる。あんたが言うところの、田舎のおばちゃんたち
がつくる。あんたのような雲の上の、偉い人ではない。文句あるか!」と。

 そうそう、こんなことも言った。「君は、教育で金もうけする。私は、教育そのものに生
きる」と。そこで私はこう反論した。「あなたは、上ばかり見て、教育論を書く。私は、下
の人のために、教育論を書く」と。

 実のところ、こうした不毛の議論が、三か月ほど、つづいた。で、私のほうがあるとき
から返事を書かなくなり、それでその人との交際は、終わった。今も、まったく音信はな
い。私も若かった。しかしその心意気だけは、今も変わらない。

 ずいぶんと熱い話になってしまったが、この事件が、私の考え方に大きな影響を与えた
ことは言うまでもない。以後、私は、権威や権力を振りかざす人には、生理的な嫌悪感を
覚えるようになった。

ところで、この話には、余談がある。一つは、その人からメールが入るたびに、はげしい
動悸と、不快感が私を襲ったということ。不愉快だった。それにもう一つは、それまでそ
れほど好きではなかった、尾崎豊の『卒業』が好きになったこと。ある時期は、毎日、そ
の曲を聞きながら、うさ晴らしをした。(これは本当に、ホント!)

 さてさて、幸福というのは、私たちの身のまわりにある。そして今の今も、私たちに見
つけてもらうのを、じっと、静かに待っている。賢明な人は、それをなくす前に気づき、
そうでない人は、なくしてから気づく。もう一言、つけ加えるなら、賢明な人は、若いう
ちにそれに気づき、そうでない人は、死んでも気づかない。
 
M・ワシントンが言っているように、幸福とは、心のもち方で決まる。いわく、「私は、つ
ぎのことを学んだ。つまり幸福にせよ、悲惨にせよ、その大部分は、私たちのおかれた環
境ではなく、私たちの気質によるものだということを」と。この言葉は、おおいに参考に
なる。
(030722)

※アンディ・ルーニィ……1919生まれ、アメリカの著名

++++++++++++++++++++++++

ついでに「恨み」について

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恨(うら)み

 恨みは、人間を小さくする。腐らす。そしてその恨みが多ければ多いほど、深ければ深
いほど、その人の人生を、見苦しくする。

 いろいろな賢者が、その「恨み」について、語っている。

 
Hatred comes from the heart; contempt from the head; & neither feeling is quite within 
our control. ー Arthur Schoperhauer
恨みは、心から生ずる。侮蔑は頭から生まれる。ともに、我々の意思ではコントロールで
きない。(A・ショーペンハウエル)

I will permit no man to narrow and degrade my soul by making me hate him ー Booker 
T. 
Washington
だれも、私をしてその人を恨ませるようなことで、私の魂を小さく、低めることはできな
い。(B・T・ワシントン)

Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ。(H・フォスディッ
ク)

Nothing Brings People together more, then mutual hatred ー Henry Rollins
互いに恨みあうことほど、互いを近づけるものはない。(H・ロリングズ)

If you hate a person, you hate something in him that is part of yourself. What isn't part 
of ourselves doesn't disturb us. ー Hermann Hesse
あなたがだれかを恨むなら、あなた自身の中の何かを恨むということ。私たち自身の中に
ないものであれば、それで心がわずらわせられるということはない。

Don't hate, it's too big a burden to bear. ー Martin Luther King, Sr.
人を恨むな。それは耐え難いほどの重荷になる。(M・L・キング・SR)

Hate and bitterness are the only weapons wielded by the blade. ー Thomas Gregory
恨みと辛苦は、剣をもって戦う、唯一の武器である。(T・グレゴリー)


 こうして並べてみると、自然と、その答が、出てくる。人を恨むということは、短い人
生の、その貴重な「時」を、ムダにするということか。では、どうするか。オーストラリ
アの格言に、「もうすべては終わった。さあ、前に向って、笑って進もう」というのがある。
どうにもならない問題に、いつまでも引き回されていると、やがてその泥沼に引きずりこ
まれてしまう。

 そして、H・フォスディックが言っているように、「人を恨むというのは、ネズミを殺す
ために(=つまらない人間にかかわっていることは)、家(=人生)を燃やす(=ムダにす
る)ようなものだ」ということになる。「恨み」は、「ネズミ」ということか。

 人間の心には、無数のゴミがある。そのゴミがあることは、しかたないことだが、でき
るだけ、そのゴミは、少ないほうがよい。ゴミが多ければ多いほど、その人の生活態度は、
醜悪なものになる。顔も醜悪になる。よい例が、J党の中枢部でがんばっている政治家た
ちである。見るからに醜悪な顔をしている。ああなる。

 そのゴミになるものとして、邪悪な心、横しまな心、嫉妬、ねたみ、策謀、インチキな
どがある。ここでいう恨みも、その一つ。

 だから、あなたも、もうすべては終わった。さあ、前に向って、笑って進もう! それ
ですべては、解決する。
(030817)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本の教育】

●学校に通う意味・青年の意識調査より

●内閣府(2009年)の調査結果より

なぜ、あなたは学校に通うか?
その答がつぎ。

++++++++++++++++++

●日本は「友達との友情をはぐくむ」、韓国は「学歴や資格を得る」、アメリカ、イギリス、
フランスは「一般的・基礎的知識を身に付ける」がもっとも高い。

●「友達との友情をはぐくむ」:
日本(65.7%)、
韓国(41.2%)、
イギリス(40.2%)、
アメリカ(39.2%)、
フランス(16.3%)

●「自由な時間を楽しむ」:
日本(32.5%)、
アメリカ(26.8%)、
イギリス(22.7%)、
韓国(14.7%)、
フランス(11.2%)

●「職業的技能を身に付ける」:
イギリス(44.6%)、
フランス(43.5%)、
アメリカ(42.8%)、
韓国(37.0%)、
日本(30.6%)

●「一般的・基礎的知識を身に付ける」:
アメリカ(79.1%)、
フランス(66.9%)、
イギリス(63.0%)、
日本(55.9%)、
韓国(44.9%)

詳しくは……
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/worldyouth8/pdf/gaiyou.pdf

++++++++++++++++++

●意識のちがい

 高等教育に対する意識のちがい。
それが内閣府の調査結果によく表われている。
平たく言えば、日本の青年は、「遊ぶため」。
欧米の青年は、「社会へ出てから、生きていかれる人間になるため」。
「職業的技能を身につけるため」という意識が強い。

 役にたつかたたないかということになれば、日本の教育は役にたたない。
かなり改善されたとはいえ、英語教育がそうだった。(……今も、そうだ。)
つまり日本の教育は、英語にかぎらず、社会にしても、国語にしても、数学にしても、
理科にしても、将来、その道の学者になるためには、たいへん機能的にできている。
が、将来、学者になる子どもは、いったい、何%いるのか?
「基礎学力」という名前に隠れて、その一方で、「教育とは役にたつものではない」という、
反実用主義が常識化している。

●役にたつ教育へ

 アメリカの中学では、たとえば数学にしても、「中古車の買い方」というテーマで
学習に入る。
その過程で、小数計算の仕方や、金利の損得の判断などを順に教えていく。
が、この日本では、一次方程式だの、一次関数だの、はたまた合同だの相似だの……。
私など高校を出てから、方程式なるものを、日常生活の場で使ったことなど、ただの
一度もない。
サインやコサイン(私たちの時代には、中学2年で、サイン、コサインを勉強した)
にしても、さらに、ない。

 が、これは教育の問題ではない。
それを学ぶ子どもたちの意識の問題ということになる。
子どもたちを育てる親の意識の問題ということになる。
「なぜ、子どもを大学へやるか?」と聞かれたら、親は何と答えるだろうか?
今でも、大半の親は、こう答えるにちがいない。

「学歴を身につけるため」と。

●身分制度の名残(なごり)

 江戸時代から明治時代へ。
今は、坂本龍馬に踊らされているから、わからないかもしれない。
なにやら坂本龍馬が、革命の旗手であったかのようにとらえられている。
しかし明治維新は、「革命」でも何でもない。
英語では、「Restoration」と訳されている。
つまり「王政復古」。
坂本龍馬は、民衆のために戦った人ではない。
民主主義を求めて戦った人でもない。
「王政復古」、つまり「天皇の復権」のために戦った人に過ぎない。

 そういう歴史的背景も学ばず、「龍馬ブーム」!
もし徳川時代がまちがっているというのなら、一度、封建時代を精算したらよい。
が、それもしない。

 わかりやすく言えば、明治維新は、徳川家から天皇家への、首のすえかえに
過ぎなかった。
その一例が、現在の学歴制度に残っている。
つまり身分制度。
当時の為政者たちがもっとも腐心したのは、江戸時代の身分制度をいかにして、
明治政府にバトンタッチするか、であった。
が、方法がなかったわけではない。

 明治時代が11年も過ぎたころでさえ、東京大学の学生の75%以上が、華族、氏族
の師弟で固められた。
たいはんの庶民は、尋常小学校どまり。
それ以上となると、父親の1か月の給料をもってしても、教科書すら買うことができな
かった。

 また県知事(県令)は、当時の自治省から派遣されるしくみになっていた。
選挙など、形だけ。
(現在でも、大きくみれば、その流れの中にある。)

++++++++++++++++++

以前、書いた話と同じになりますので、
以前書いた原稿を、転載します。
一部重複しますが、許してください。

++++++++++++++++++

【学歴制度】

● 5か条の御誓文

+++++++++++++++++++
1868年、明治維新で生まれた新政府は、
明治天皇の名前で、『5か条の御誓文』、つまり
政治の方針を定めた。

5か条の御誓文というのは、つぎのような
ものであった。

一、 政治のことは、会議を開き、みんなの意見を聞いて決めよう。
一、 みんなが心を合わせ、国の政策を行おう。
一、 みんなの志が、かなえられwるようにしよう。
一、 これまでのよくないしきたりを改めよう。
一、 新しい知識を世界に学び、国を栄えさせよう

+++++++++++++++++++++

明治維新の中でもっとも大切なのは、『四民平等』ではなかったか。
天皇一族は「皇族」、公家や大名は「華族」、武士は「士族」、そのほかは「平民」となった。
それぞれの割合は、

人口3313万人のうち、
華族、神宮、僧……0・9%
士族     ……5・5%
平民    ……93・6%

この数字を見て、9年前に書いた原稿を思い出した。
日本人が平等になったというのは、ウソと考えてよい。
そのかわり明治政府は今に残る学歴制度を作りあげた。

++++++++++++++++++++++++++

●子どもの希望

 98年から99年にかけて、日本青年研究所が、興味ある調査をしている。「将来、就(つ)
きたい職業」についてだが、国によって、かなり、ちがうようだ。

★日本の中学生
    公務員
    アルバイト(フリーター)
    スポーツ選手
    芸能人(タレント)

★日本の高校生
    公務員
    専門技術者  
    (以前は人気のあった、医師、弁護士、教授などは、1割以下)

★アメリカの中高校生
    スポーツ選手
    医師
    商店などの経営者 
    会社の管理者
    芸術家
    弁護士などの法律家

★中国の中学生
    弁護士や裁判官
    マスコミ人
    先端的技術者
    医師
    学者

★中国の高校生
    会社経営者
    会社管理者
    弁護士

★韓国の中学生
    教師
    芸能人
    芸術家

★韓国の高校生
    先端的技術者
    教師
    マスコミ 

 調査をした、日本青少年研究所は、「全般的に見ると、日本は、人並みの平凡な仕事を選
びたい傾向が強く、中国は経営者、管理者、専門技術者になりたいという、ホワイトカラ
ー志向が強い。韓国は特技系の仕事に関心がある。米国では特技や専門技術系の職業に人
気があり、普通のサラリーマンになる願望が最も弱い」と、コメントをつけている。

この不況もあって、この日本では、公務員志望の若者がふえている。しかも今、どんな公
務員試験でも、競争率が、10倍とか、20倍とかいうのは、ザラ。さらに公務員試験を
受けるための予備校まである。そういう予備校へ、現役の大学生や、卒業生が通っている。

 今では、地方の公務員ですら、民間の大企業の社員並みの給料を手にしている。もちろ
ん退職金も、年金も、満額支給される。さらに退職後の天下り先も、ほぼ100%、確保
されている。

 知人の一人は満55歳で、自衛隊を退職したあと、民間の警備会社に天下り。そこに5
年間勤めたあと、さらにその下請け会社の保安管理会社に天下りをしている。ごくふつう
の自衛官ですら、今、日本の社会の中では、そこまで保護されている。(だからといって、
その人個人を責めているのではない。誤解のないように!)
 
もちろん、仕事は楽。H市の市役所で働いている友人(○○課課長)は、こう言った。「市
役所の職員など、今の半分でもいいよ。三分の一でも、いいかなあ」と。

 これが今の公務員たちの、偽らざる実感ではないのか。

 こういう現実を見せつけられると、つい私も、自分の息子たちに言いたくなる。「お前も、
公務員の道をめざせ」と。

 本来なら、公務員の数を減らして、身軽な行政をめざさねばならない。しかしこの日本
では、今の今ですら、公務員、準公務員の数は、ふえつづけている。数がふえるだけなら
まだしも、公務員の数がふえるということは、それだけ日本人が、公務員たちによって管
理されることを意味する。自由が奪われることを意味する。

 恐らく、国民が、公務員たちによって、ここまで管理されている国は、この日本をおい
て、ほかにないだろう。ほとんどの日本人は、日本は民主主義国家だと思っている。しか
し本当に、そうか。あるいは、今のままで、本当によいのか。日本は、だいじょうぶなの
か。

あなたが公務員であっても、あるいは公務員でなくても、そういうことには関係なく、今
一度、「本当に、これでいいのか」と、改めて考えなおしてみてほしい。

(040302)(はやし浩司 将来の職業 職業意識 アメリカの高校生 公務員志望)

【付記】

ついでに同じく、その調査結果によれば、「アメリカと中国の、中高校生の、ほぼ全員の子
どもが、将来の目標を『すでにはっきり決めている』、あるいは『考えたことがある』と答
えた。日本と韓国では2割が『考えたことがない』と答えている」という。

 アメリカや中国の子どもは、目的をもって勉強している。しかし日本や韓国の子どもに
は、それがないということ。

 日本では、大半の子どもたちは今、大学へ進学するについても、「入れる大学の、入れる
学部」という視点で、大学を選択している。いくら親や教師が、「目標をもて」と、ハッパ
をかけても、子どもたちは、こう言う。「どうせ、なれないから……」と。

 学校以外に道はなく、学校を離れて道はない……という現状のほうが、おかしいのであ
る。

 人生には、無数の道がある。幸福になるにも、無数の道がある。子どもの世界も、同じ。
そういう道を用意するのも、私たち、おとなの役目ではないだろうか。

 現在の日本の学校教育制度は、子どもを管理し、単一化した子どもを育てるには、たい
へん便利で、能率よくできている。しかし今、それはあちこちで、金属疲労を起こし始め
ている。現状にそぐわなくなってきている。明治や大正時代、さらには軍国主義時代なら、
いざ知らず、今は、もうそういう時代ではない。

 それにもう一つ重要なことは、何も、勉強というテーマは、子ども時代だけのものでは
ないということ。仮に学生時代、勉強しなくても、おとなになってから、あるいは晩年に
なってから勉強するということも、重要なことである。

 私たちはともすれば、「子どもは勉強」、あるいは「勉強するのは子ども」と片づけるこ
とによって、心のどこかで「おとなは、しなくてもいい」と思ってしまう。

 たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい!」と怒鳴る親は多いが、自分に向って、「勉
強しなさい!」と怒鳴る親は少ない。こうした身勝手さが生まれるのも、日本の教育制度
の欠陥である。

 つまりこの日本では、もともと、「学歴」が、それまでの身分制度の代用品として使われ
るようになった。「勉強して知性」をみがくという、本来の目的が、「勉強して、いい身分
を手に入れる」という目的にすりかわってしまった。

 だから親たちは、こう言う。「私は、もう終わりましたから」と。私が、「お母さん、あ
なたたちも勉強しないといけませんよ」と言ったときのことである。

 さあ、あなたも、勉強しよう。

 勉強するのは、私たちの特権なのだ。新しい世界を知ることは、私たちの特権なのだ。
なのに、どうして今、あなたは、それをためらっているのか?

【付記2】

 江戸時代から明治時代にかわった。そのとき、時の為政者たちは、「維新」という言葉を
使った。「革命」という意味だが、しかし実際には、「頭」のすげかえにすぎなかった。

 幕府から朝廷(天皇)への、「頭」のすげかえである。

 こうして日本に、再び、奈良時代からつづいた官僚政治が、復活した。

 で、最大の問題は、江戸時代の身分制度を、どうやって、合法的かつ合理的に、明治時
代に温存するかであった。ときの明治政府としては、こうした構造的混乱は、極力避けた
かったにちがいない。

 そこで「学歴によって、差別する」という方式をもちだした。

 当時の大卒者は、「学校出」と呼ばれ、特別扱いされた。しかし一般庶民にとっては、教
科書や本すら、満足に購入することができなかった。だから結局、大学まで出られるのは、
士族や華族、一部の豪族にかぎられた。明治時代の終わりでさえ、東京帝国大学の学生の
うち、約75〜80%が、士族、華族の師弟であったという記録が残っている。

 で、こうした「学校出」が、たとえば自治省へ入省し、やがて、全国の知事となって、
派遣されていった。選挙らしいものはあったが、それは飾りにすぎなかった。

 今の今でも、こうした「流れ」は、何も変わっていない。変っていないことは、実は、
あなた自身が、一番、よく知っている。たとえばこの静岡県では、知事も、副知事も、浜
松市の市長も、そして国会議員の大半も、みな、元中央官僚である。(だから、それがまち
がっていると言っているのではない。誤解のないように!)

 ただ、日本が本当に民主主義国家かというと、そうではないということ。あるいは大半
の日本人は、民主主義というものが、本当のところ、どういうものかさえ知らないのでは
ないかと思う。

 つまり「意識」が、そこまで高まっていない? 私もこの国に住んで、56年になるが、
つくづくと、そう思う。

++++++++++++++++++++++
つぎの原稿は、1997年に、私が中日新聞に
発表した原稿です。
大きな反響を呼んだ原稿の一つです。

若いころ(?)書いた原稿なので、かなり過激
ですが、しかし本質は、今も変わっていないと
思います。
++++++++++++++++++++++

●日本の学歴制度

インドのカースト制度を笑う人も、日本の学歴制度は、笑わない。どこかの国のカルト信
仰を笑う人も、自分たちの学校神話は、笑わない。その中にどっぷりとつかっていると、
自分の姿が見えない。

 少しかたい話になるが、明治政府は、それまでの士農工商の身分制度にかえて、学歴制
度をおいた。

 最初からその意図があったかどうかは知らないが、結果としてそうなった。

 明治11年の東京帝国大学の学生の75%が、士族出身だったという事実からも、それ
がわかる。そして明治政府は、いわゆる「学校出」と、そうでない人を、徹底的に差別し
た。

 当時、代用教員の給料が、4円(明治39年)。学校出の教師の給料が、15〜30円、
県令(今の県知事)の給料が250円(明治10年)。

 1円50銭もあれば、一世帯が、まあまあの生活ができたという。そして今に見る、学
歴制度ができたわけだが、その中心にあったのが、官僚たちによる、官僚政治である。

 たとえて言うなら、文部省が総本山。各県にある教育委員会が、支部本山。そして学校
が、末寺ということになる。

 こうした一方的な見方が、決して正しいとは思わない。教育はだれの目にも必要だった
し、学校がそれを支えてきた。

 しかし妄信するのはいけない。どんな制度でも、行き過ぎたとき、そこで弊害を生む。
日本の学歴制度は、明らかに行き過ぎている。

 学歴のある人は、たっぷりとその恩恵にあずかることができる。そうでない人は、何か
につけて、損をする。

 この日本には、学歴がないと就けない仕事が、あまりにも多い。多すぎる。親たちは日
常の生活の中で、それをいやというほど、肌で感じている。だから子どもに勉強を強いる。

 もし文部省が、本気で、学歴社会の打破を考えているなら、まず文部省が、学歴に関係
なく、職員を採用してみることだ。

 過激なことを書いてしまったが、もう小手先の改革では、日本の教育は、にっちもさっ
ちもいかないところまで、きている。

 東京都では、公立高校廃止論、あるいは午前中だけで、授業を終了しようという、午後
閉鎖論まで、公然と議論されるようになっている。それだけ公教育の荒廃が進んでいると
いうことになる。

 しかし問題は、このことでもない。

 学歴信仰にせよ、学校神話にせよ、犠牲者は、いつも子どもたちだということ。今の、
この時点においてすら、受験という、人間選別の(ふるい)の中で、どれほど多くの子ど
もたちが、苦しみ、そして傷ついていることか。そしてそのとき受けた傷を、どれだけ多
くのおとなたちが、今も、ひきずっていることか。それを忘れてはいけない。

 ある中学生は、こう言った。

 「学校なんか、爆弾か何かで、こっぱみじんに、壊れてしまえばいい」と。

 これがほとんどの子どもの、偽らざる本音ではないだろうか。ウソだと思うなら、あな
たの、あるいはあなたの近所の子どもたちに、聞いてみることだ。

 子どもたちの心は、そこまで病んでいる。
(はやし浩司 華族 士族 東京帝国大学 自治省)

++++++++++++++++++++++++

●教えずして教える

 教育には教えようとして教える部分と、教えずして教える部分の二つがある。

たとえばアメリカ人の子どもでも、日本の幼稚園へ通うようになると、「私」と言うとき、
自分の鼻先を指さす。(ふつうアメリカ人は親指で、自分の胸をさす。)

そこで調べてみると、小学生の全員は、自分の鼻先をさす。年長児の大半も、自分の鼻先
をさす。しかし年中児になると、それが乱れる。つまりこの部分については、子どもは年
中児から年長児にかけて、いつの間にか、教えられなくても教えられてしまうことになる。

 これが教えずして教える部分の一つの例だが、こうした部分は無数にある。よく誤解さ
れるが、教えようとして教える部分より、実は、教えずして教える部分のほうが、はるか
に多い。どれくらいの割合かと言われれば、一対一〇〇、あるいは一対一〇〇〇、さらに
はもっと多いかしれない。

私たちは子どもの教育を考えるとき、教えようとして教える部分に夢中になり、この教え
ずして教えてしまう部分、あまりにも無関心すぎるのではないのか。あるいは子どもとい
うのは、「教えることで、どうにでもなる」と、錯覚しているのではないのか。しかしむし
ろ子どもの教育にとって重要なのは、この「教えずして教える」部分である。

 たとえばこの日本で教育を受けていると、ひとにぎりのエリートを生み出す一方で、大
半の子どもたちは、いわゆる「もの言わぬ従順な民」へと育てあげられる。だれが育てる
というのでもない。受験競争という人間選別を経る過程で、勝ち残った子どもは、必要以
上にエリート意識をもち、そうでない子どもは、自らに「ダメ人間」のレッテルをはって
いく。

先日も中学生たちに、「君たちも、Mさん(宇宙飛行士)が言っているように、宇宙飛行士
になるという夢をもったらどうか」と言ったときのこと。全員(一〇人)がこう言った。「ど
うせ、なれないもんね」と。「夢をもて」と教えても、他方で子どもたちは別のところで、
別のことを学んでしまう。

 さてあなたは今、子どもに何を教えているだろうか。あるいは何を教えていないだろう
か。そして子どもは、あなたから何を教えられて学び、教えられなくても何を学んでいる
だろうか。それを少しだけここで考えてみてほしい。

(はやし浩司 もの言わぬ 従順な民 はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評
論 幼児教育 子育て はやし浩司 学歴制度 学歴社会 はやし浩司 県令 自治省
 坂本龍馬)

●最後に……

 日本の教育は、基本的な部分で、おかしい。
その(おかしさ)は、ここに書いたとおりである。
だから青年たちは、「遊ぶ」。
もとから学ぶという意識もないまま、遊ぶ。
その結果が、内閣府の調査結果ということになる。

 もう一度、冒頭の数字を、じっくりとながめてみてほしい。
あなたにも、そのおかしさが、わかるはず。
2010/07/19記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月18日

+++++++++++++++++++

今日は日曜日。
Good News、Bad News,
さまざまあった1日だった。

夕方になって、ほたるの写真が、無性に
撮りたくなった。
山荘の裏山に、ほたるが出る。
その写真が、撮りたくなった。

カメラは、ソニーのサイバーショット、
HX−5V。
知る人ぞ知る、ソニーの最新型。
1ルックスの明かりがあれば、ふつうの
写真が撮れる。

(1ルックスというのは、直径2センチ
のローソクをともしたとき、1メートル
離れたところの明るさをいう。)

その性能に加えて、夜間撮影機能を使えば、
ほたるの光でも、とらえることができるはず。

(夜間撮影のときは、連続して5枚の
写真を撮り、それをコンピューター処理
して、1枚の写真に仕上げる。
そういう機能も備えている。
すごい!)

++++++++++++++++++

●「かつさと」

 山荘へ行く途中、東名西インター手前にある、「かつさと」という店に寄った。
カツ丼専門店。
私は味噌カツ。
ワイフはカツ丼。
おいしかった!
久々に、おいしい味噌カツを食べた。
値段も、500円。
安い!
それに活気があった。
厨房には、私たちが食事をしたときには、6人のコックと、2人の男子店員+
2人の女子店員がいた。
それぞれが声をかけあいながら、仕事をしていた。
その活気がよい。

 流行(はや)る店は、雰囲気ですぐわかる。
それを食べながら、以前、郷里のM町で食べたカツ丼の話になった。
いろいろまずいものを食べたことはあるが、あのときあそこで食べたカツ丼は、最低、
最悪。
生臭くて、それに肉がかたく、パサパサしていた。
「あのカツ丼はまずかったね」と私。
それに値段も、何と1200円!
それを言うと、ワイフが、ヘヘヘ……と笑った。
「ひどすぎて、話にならない」という意味である。

 が、「かつさと」の味噌カツは、最高!
味噌の味もよい。
「また来ようね」と言うと、ワイフは、あっさりと同意してくれた。

 最近はこうした中規模のチェーン店ががんばっている。
味も研究している。
高級専門店に負けない味を出している。

 「かつさと」さん、また寄ります。
おいしかった!
味は、(まだ味噌カツしか食べていないが)、5つ星の★★★★★。
ただ、ごはんの量が少し少ないかな……という印象をもった。
しかし500円という料金を考えるなら、文句は言えない。

●午後7時45分

 山荘へは午後7時半ごろ着いた。
今、時計は7時50分。
最後まで残っていた青白い光が、空から消えた。
真っ白な月が顔を出した。
夜空の写真を撮った。

 「今夜も出るだろうか?」と私。
「出なければ、奥の水のみ場へ行きましょう」とワイフ。
少し山を登ると、清水が湧き出ているところがある。
このあたりの人たちが、そこへ水を取りに来る。
7、8年ほど前だが、そこで数匹のほたるが飛んでいるのを見た。

●上弦の月

 あたりはすっかり暗くなった。
谷間の民家の街路灯だけが、小さな点をつくって並んでいるのが見える。
今夜の月は、右弦の月。
右半分だけ。
この先、満月に向かって大きくなっていく。
上り坂。
だから「上弦の月」という。

 三脚は長男のものを借りた。
飛んでいる蛍は撮れないかもしれない。
しかしじっとしている幼虫なら、撮れる。
期待と不安が、交互にやってきては消える。

●感動

 この山荘に住むようになってからのこと。
そのつど感動したことは、山のようにある。
まず空を飛ぶ鳶(とび)の背中を見ることができたこと。
(背中だぞ!)
鳶は谷間の中、私たちの眼下を飛んでいた。

 キジの夫婦にも出会ったことがある。
反対側の山の斜面を、2羽であちこちを歩き回っていた。
それにホトトギス、ヒグラシにウグイスなどなど。
コジュケイもいる。
この時期、朝方、どれも騒々しいほどに鳴く。

 5月の野生のジャスミン。
ビワ、野いちごなどなど。
ここへ来るたびに、そしてそのつど、新鮮な感動を覚えた。
で、今は、ほたる。
ほたるを見たい!

●幼虫

 ほたるは幼虫のときから、あやしげな光を放つ。
不気味な形をしている。
一度だけだが、つかまえたことがある。
しかしそのときはほたるの幼虫とは、知らなかった。
「宇宙から飛来した、宇宙生物」と、私は思った。
光る虫を、ほたる以外に、私は知らなかった。

 で、おとといの夜、その幼虫を見た。
夜中に、淡い光を放っていた。
ホワ〜ンと光っては、ホワ〜ンと消える。
やさしい光だった。

 最初は1、2個が目についた。
が、やがてすぐ、それが20〜30個もあることを知った。
うれしかった。
……というより感動した。

●探索

 今夜はそれを見る。
見るために、やってきた。

(この間、外に出る。
草むらに目を凝らす。)

 いた!
やはり、いた!
おとといの夜と同じように、草むらで淡い光を放っていた。
最初に、ワイフが一匹、見つけた。
つづいて、2匹、3匹……と。
数分後には、それが10匹前後になっていた。

 草の奥のほうで光る。
私はカメラをいろいろな角度から、向けなおしてみた。
が、月の光が街路灯のように明るい。
「これではだめだ!」と何度も思った。
だいたいどこから光りだすか、それすらわからない。
カメラの焦点を合わせることもできない。

 私は、一匹をつかまえてみることにした。

●死んだフリ

 ほたるの光っている位置を正確に、頭にたたきこむ。
そしてそこを懐中電灯で照らす。
やはり幼虫だった。
大きさは、1センチもない。
それを葉っぱごと、つかまえる。
手でつかまえられるような大きさではない。

 ワイフがコップをもってきた。
その中に幼虫を入れた。
うまくいけば、コップの中で光ってくれるかもしれない。

 私は幼虫の入ったコップを、居間のテーブルの上に置いた。
葉っぱも入れた。
が、まったく動かない。
「死んだフリだな」と思った。
そのままテーブルの上に置いてみた。
が、動かない。

 DVDカメラの用意をして、幼虫をとらえた。
1分、2分……。
少し動いた。
が、それだけ。
死んだフリ?
力は加えていない。

 尾の先あたりがやや白っぽくなっている。
その部分が光るのだろう。

●撮影

 ワイフは庭先へ出て、光をさがしている。
遠くで、花火があがる音。
近くの村で、花火大会をしているらしい。
虫の声も、静かになった。
月はやや赤みを帯びてきた。

 「ギブアップだな」と思った。
テーブルの上で光るなどということは、ないだろう。
虫だって、それなりの意味があるときに光る。

 ときどき活発に動き出す。
尺取虫のような動き方をする。
結構、逃げ足は速い。
その様子は、ビデオに収めることができた。

 ほたるは、やはり飛んでいるところがよい。

(これから水のみ場へ行ってみる。
そこではほたるが飛んでいるかもしれない。)

●帰宅
 
 夜はそのまま帰った。
帰り道に水飲み場へ寄ってみたが、ほたるはまだいなかった。
もう1〜2週間もすると、そのあたりを飛び交うはず。
で、帰り道、こんな話になった。

「同じ虫なのに、ゴキブリは嫌われる。
でも、ほたるは、好かれる。
そのちがいは何だろう?」と。

 で、ワイフの説によれば、ほたるは光るからだそうだ。
が、もしゴキブリが光ったら、どうなのか?
かえって不気味かも?

 私もやはり、あのやさしい光にあると思う。
その光が、私たちの心のようでもある。
夏の夜、やさしい光を灯しながら、フワフワと飛び交う。
そこに私たちは自分の心を乗せる。

 子どものころは、そういう光をよく追いかけた。
不思議な光。
淡い光。
そういう思い出も重なる。

 残念ながら、今夜は幼虫の写真しか撮ることができなかった。
つぎの機会を待とう。
(2010年7月19日)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ほたる(Firefly)(7月17日)

+++++++++++++++++

夜中にふと、窓の外を見た。
時刻は午前2時ごろ。
ワイフがトイレに起きた、そのあとのことだった。

網戸と窓が見えた。
が、その向こうに、なにやら光るもの。
ぼんやりと、やさしく光っては、
おなじようにやさしく消える。

私は思わず、声をあげた。
「ほたる!」と。

その声に驚いて、ワイフが寄ってきた。
「あら……」と。
網戸を開けた。
窓の外を見た。

1つや2つではなかった。
20……、
30……。

それぞれが深い草の中で光っていた。
うれしかった。
どういうわけか、うれしかった。

「ほたるだよ」
「本当ね、ほたるだわ」
「こんなところに出るなんて!」
「こんなところに出るなんて!」と。

窓からは数メートルも離れていない。
裏手が低い土手になっている。
そこにほたるはいた。

飛んでいなかった。
枝につかまって、じっとしていた。
そんな様子だった。
私とワイフは、時間を忘れて、
その光に見とれた。

……子どものころが思い浮かんできた。
私はかごにつめたほたるを、一晩中ながめていた。
独特のにおい。
そしてあの光。
そんな自分が、たまらなく懐かしい。

「まだ幼虫なのかしら」とワイフが言った。
「そうかもね……」と。

私は懐中電灯を手にすると、庭に出た。
土手に向かった。
ほたるは、まだそこにいた。
私に警戒するふうでもなく、やさしい光を
放っていた。

ホワ〜ンと光り、またホワ〜ンと消える。
それを静かに繰り返していた。

が、懐中電灯でそのあたりを照らすたびに、
写真のネガとポジが入れ替わるように、
景色が一変する。
遠近感が狂う。
光る方向をしっかりと定めながら、
懐中電灯をつける。
数回、それを繰り返す。

「いた!」

細い枝に、5ミリ〜1センチくらいのホタル。
まだ色は茶色い。
幼虫のようだ。

枝ごと折る。
ワイフに見せたかった。
が、折ったとたん、どこかへ消えた。

「ま、いいか」と思って、その場を去る。

再び、うれしさがこみあげてきた。
裏庭で、ほたるを見た。
自分の家の裏庭で、ほたるを見た。
それがどういうわけか、うれしかった。

家に入り、再び寝室へ。
が、ワイフは、もういびきをかいて眠っていた。
のんきな女性だ。
私は静かにふとんをかぶると、電灯を消した。

「どうすれば写真に撮れるだろう……」と、
そんなことを、私は懸命に考えていた。
「今度買ったソニーのコンデジではだめだろうか?」と。

この夏に、もう一度、チャレンジしてみる。
ほたるの写真を撮ってみる。

+++++++++++++++++++++

2010/07/17朝


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【映画『インセプション』を10倍、楽しむ法】

++++++++++++++++++

昨夜遅く、映画『インセプション』を観てきた。
土曜日の夜ということで、かなり混雑していた。

『インセプション』……渡辺謙とレオナルド・
ディカプリオ主演。
『ダークナイト』のクリストファー・ノーラン監督作品。
原題は、『Inception』。
「発端」という意味だが、その中身は、心理学用語を
借りるなら、「無意識的動機」ということになる。

相手(ターゲット)の深層心理の奥の奥まで入り込み、その人の
深層心理を操作する。
それがこの映画の柱になっている。

ただし字幕の翻訳が、荒いというか、省略が多すぎて、
字幕だけを読んでいたのでは、映画の意味はわからない。
私も久しぶりに、字幕のほうを参考程度に抑え、
英語を懸命に聞きながら、映画を観た。

星はもちろん5つ星の、★★★★★。
映画『マトリックス』に匹敵するほど、おもしろかった。
楽しんだ。
同時に、強烈なインパクトを私に与えた。

++++++++++++++++++

●深層心理

 フロイトは人間の心理を、
(1)意識
(2)前意識
(3)無意識の3つに分けた。

 映画『インセプション』を観るときは、無意識を2つに分けて考えるとよい。
(3)の無意識と、(4)深層無意識である。

 仏教でも、意識を(1)末那識(まなしき)と、(2)阿頼那識(あらやしき)の
2つにわける。
末那識というのは、意識の総称。
阿頼那識というのは、現代心理学でいう、「無意識」、あるいはさらにその奥深くに
ある、深層無意識ということになる。

 この中の(3)前意識というのは、「ぼんやりしているときや、夢を見ているとき」に
働いている部分(「心理学のすべて」深堀元文)をいう。
意識を氷山の一角とするなら、その下には膨大な大きさの前意識や無意識、さらには、
深層無意識の世界が広がっている。

●夢の中でまた夢を見る……

 映画『インセプション』は、つぎの段階を経て、夢の中の夢の世界、さらにはそのまた
夢の世界へと入っていく。

(1)現実の世界(飛行機747の世界)
その世界から、つぎの第1の夢の世界に入る。
これを第1夢の世界という。
壮絶なカーチェイスを繰り返す。

(2)その第1夢の世界から、つぎの第2の夢の世界に入る。
これを第2夢の世界という。
どこかのホテルで、これまた壮絶な戦闘行為を繰り返す。

(3)さらにそこでの窮地を逃れるため、ディカプリオたちは、第3の夢の世界に入る。
これを第3夢の世界という。
どこかの雪原に建つ要塞で、さらに壮絶な戦闘行為を繰り返す。

 映画『インセプション』の中では、そこまで断言していないが、私流に勝手に解釈する
と、第1夢の世界は、「前意識」の世界。
第2夢の世界は、「無意識」の世界。
第3夢の世界は、「深層無意識」の世界ということになる。

●字幕

 夢を多人数で共有しながら、特定の人物(ターゲット)の深層無意識の世界まで
入り込み、そこで無意識的動機を作りあげる。
つまりその人物(ターゲット)の意識を作りかえ、自分たちにとって都合のよい人間
に作り変える。

 それがこの映画の「柱(目的)」になっている。
……もっとも、ここまで書いたら、映画のおもしろさが半減すると考える人もいるかも
しれない。
しかしあの映画は、字幕だけを読んでいたら、何がなんだか訳がわからなくなる。
そのためにも、こうした解説は必要かと思う。

映画会社には申し訳ないが、これはほとんど毎週、映画を観ている私の率直な感想。
字幕翻訳した人も、映画の内容を理解しきった上で、翻訳したのだろうか?
そんな疑問もないわけではない(失礼!)。

●伏線

 で、この映画には、重大な伏線がある。
マリオン・コティヤールが演ずる、「コブ(ディカプリオ)」の妻、モルである。
妻、モルは、コブと夢の世界で50年近くの年月を過ごす。
(夢の世界で50年を過ごしても、現実の世界では、その数百分の1の時間しか、
過ぎていない。
だから夢の世界で、老人になっていた2人も、現実の世界では元の若い夫婦にもどる。)

そのためモルは、夢と現実の世界の区別がつかなくなってしまう。
夢の世界のほうを、現実の世界と思いこんでしまう。
現実の世界のほうを、夢の世界と思いこんでしまう。
そのため、現実の世界へ戻ってきたあとも、モルは、そこを現実の世界とわからなく
なってしまう。
モルは、自殺を試み、本当に死んでしまう。
映画の中では、「死ねば、元の世界に戻れる」というルールになっている。

 で、コブ(ディカプリオ)に、殺人の容疑がかけられてしまう。
モルは、夫であるコブにも死んでもらいため、ウソの遺書を残す。
「私は夫に殺されそうです」と。
コブ(ディカプリオ)は、そのためアメリカを出て、世界中を逃げ回る……。

 そのことがトラウマとなって、コブ(ディカプリオ)の見る夢の中には、しばしば
モル(マリオン・コティヤール)が出没する。
コブ(ディカプリオ)の仕事をじゃまする。
映画の中では、「投影」という言葉が出てきた。

●「投影」

 映画の中ではときどき、「投影(reflection)」という言葉が出てきた。
しかし正確には、「投射」のことではないのか?
投射というのは、防衛機制(メカニズム)の一つで、「失敗の原因が自分のほうにあるのに、
他に責任があるように強調すること」
「試験に失敗すると、『教え方や採点法が悪い』と教師を攻撃するのが例」(「臨床心理学・
松原達哉)とある。

 つまりコブ(ディカプリオ)の夢の中に出てくるモル(マリオン・コティヤール)は、
コブの別の心が投射されたシャドウ(影)というわけである。

 犯罪を犯すコブ。
それをよしとしないコブの良心が、コブの仕事をじゃまする。
心理学の世界でも、抑圧され、心の別室に封印された自己を、「シャドウ」(ユング)と
いう。
そのシャドウが、もろもろの場面で、コブの障害となって立ちはだかる……。

 この映画を書いた脚本家は、そういう点でも、かなり心理学に詳しい人物と言ってよい。

●サイトー

 映画といっても、SF映画。
あとはSF映画風に、随所にアレンジが加えられている。
たとえば夢の世界で死ねば、元の世界に戻れるとか。
そのあたりは、あまり深刻に考えないで、映画を楽しめばよい。

 また夢の世界の設計者というのもいる。
多人数が共通した夢を見るため、いわゆる舞台が同じでなければならない。
その「舞台」を設計するのが、その人物である。
それを演じたのが、エレン・ペイジ。
映画の中でも、「設計士」という名前で登場する。
で、目的は何か。
つまりコブが、ターゲットの夢の、そのまた夢の、さらにそのまた夢の中にまで
入って、ターゲットの「無意識的動機」を作る目的は何か。

 そこで登場するのが、渡辺謙。
「サイトー」という名前で登場する。
大企業の会長である。
彼はコブ(ディカプリオ)の犯罪のもみ消しを条件に、コブにターゲットの会社を
解体するように依頼する。
つまりターゲット(ロバート、ライバル企業の跡取り息子)の夢の中に入り込み、
無意識的動機をつくる。
「会社を解体する」という無意識的動機である。
その成功報酬として、コブは、サイトーに妻殺しをもみ消してもらう……。

●エンディングの謎

 最後にみな、(第3夢の世界)→(第2夢の世界)→(第1夢の世界)という段階
を経て、順に死に、最終的には、間一髪のところで(現実の世界)に戻ってくる。

 ターゲットの深層心理の中には、「会社を解体する」という深層心理がしっかりと形成
される。
作戦は成功ということになる。
映画も、ここでハッピーエンドとなる。
コブ(ディカプリオ)は、晴れてふつうの市民として、アメリカ本土に入国する。
……できる。
2人の自分の子どもに出会う。
抱き上げる……。

 が、ここで新たな謎?
テーブルの上のコマは回ったまま……。
その状態で映画は終わる。
そのコマが何を意味するかは、映画を観てからのお楽しみ!

 で、私にも、理解しがたい部分が残った。
それがつぎの部分。

 冒頭と最後のシーンで、コブ(ディカプリオ)は、サイトー(渡辺謙)に会う。
そのときコブは、若い男のまま。
サイトーは、老人になっている。
ということは、そのシーンそのものが、夢の中ということになる。
言うなれば、こういうこと。

 最後の最後で、映画『インセプション』は、私たち観客を再び底なしの謎の世界に、
もう一度、突き落とした。
私たちの脳みそをひっくり返した。
もちろん衝撃と、新たな話題を作るため。

 私はそのトリックにひかかり、今、こうして映画『インセプション』について書いて
いる。
「あのシーンは何だったのか?」と懸命に考えている。

 なおワイフは、こう言っている。
「今度、もう一度、DVDを借りてきて観る」と。
内容的には、つまりそれくらい複雑な映画……というより、字幕の翻訳が悪い。
……悪かった。

 なお類似した映画に、『シャッターアイランド』(同、ディカプリオ主演・前作)が
ある。
こちらは、最初から「そうではないかなあ」と思った、その通りの映画だった。
手品で言えば、トリックがすぐわかった。
が、今回の『インセプション』は、予想できなかった。
それだけにおもしろかった。
一見の価値あり。
どうせ観るなら、ここに書いたことを参考に、劇場で観るとよい。
迫力がちがう!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 インセプション デイカプリオ)

++++++++++++++++++

以前、書いた原稿を添付します。

++++++++++++++++++

●投射

++++++++++++++++++++++

昔から、『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。
自分が泥棒だから、ほかの泥棒が気になる。

わかる、わかる、その気持ち!

人の物を盗んでいるから、盗まれることを心配する。
自分の心の中に邪悪な心があるから、ほかの人にもあると
思い込む。
それで気になる。
戸締りに厳重になる。

同じように、若い女性を相手に、したい放題のことを
している人がいる。
浮気、不倫、援助交際。
中身は何でもよい。
そういう人ほど、自分の娘の交際にきびしい。
娘の帰宅時刻が少し遅れただけで、大騒ぎする。
「男と遊んでいたのだろ!」と、娘を叱ったりする。

人はだれしも、欠点や弱点をもっている。
その欠点や弱点を気にしているから、他人の
中に同じものを見ると、それが気になる。
あるいは、それに気づきやすい。

こんなことがあった。

20年ほど前のこと。
たいへん勉強の苦手な子ども(中1男子)がいた。
いろいろあった。
私も苦労した。
見た目には、おとなしく、静かな子どもだった。

が、ある日のこと。
その子ども(中学生)を、小学生のクラスで
教えていた。
ふと見ると、その子どもが、
数歳も年下の子どもを、こう言って、いじめていた。

「バカだなあ、お前。こんな問題もできないのか!」と。
言い方が、陰湿だった。
ぞっとするほど陰湿だった。

その子ども(中1男子)のばあい、「抑圧」という
言葉を使って、心の状態を説明できる。
勉強ができないということで、日ごろからそれを
負担に感じていた。
それから生ずる不満を、心の中に別室を作り、
そこへ閉じ込めていた。
それがそのとき爆発した。

が、そのきっかけとなった力が、「投射」という
ことになる。
勉強ができない小学生を見たとき、その小学生の中に
自分の姿を見た。
そこで(勉強ができない)という自分のいやな部分を、
その小学生にぶつけて、その小学生をいじめた。

もうひとつ、こんな例がある。

私の知り合いの中に、病的なほどウソを
つく人がいる。
ウソをウソと思っていない。
その場しのぎのいいかげんなことばかり言う。
そのあとケロッと自分の言ったことを
忘れてしまう。

ある日、その人と話していたときのこと。
私が「先日、あなたはこう言いましたよ」
と指摘すると、突然取り乱して、こう叫んだ。

「どうしたあなたは、そういうウソを
つくのですかア! ウソつき!」と。

この言葉には、呆(あき)れた。
自分ではさんざんウソばかり言っておきながら、
私に向かって、「ウソつき!」は、ない。
『ウソつきほど、他人のウソにきびしい』。
そういうことなら、私にも話がわかる。

これも投射のひとつということになる。

+++++++++++++++++++++

●投射

 難しい言葉はさておき、自分に似た人を見ると、ほっとするときがある。
反対に、ぞっとするときもある。
そのちがいはと言えば、自分と同じようなよい面をもっている人には、ほっとした安堵感
を覚える。
反対に、自分と同じような邪悪な面をもっている人には、イヤ〜な嫌悪感を覚える。

 たとえば自分がケチだったとする。
が、そういう人にかぎって、外の世界では、おおらかなフリをする。
ことさら、自分は、ケチでないことを強調する。

 あるいは子どもの世界では、子どもに神経質な親ほど、「私は、子どもにはしたいように
させています」などと言ったりする。
あるいは家の中で、「勉強しなさい」とガミガミ言う親ほど、「私は子どもに、勉強しなさ
いと言ったことはありません」などと言ったりする。

 自分の欠点、弱点をよく知っている人ほど、そういう形で、他人の目をごまかす。
そして、同じような欠点、弱点をもっている人を見ると、自分の欠点や弱点を、その人に
投げつけて、その人を攻撃する。

「あの人は、ケチ」とか、「あの人は、子どもに神経質すぎる。子どもがかわいそう」とか、
など。

 一見複雑に見える人間の心だが、こうして類型化していくと、理解しやすい。
そのために心理学というのがある。
相手が人間だけに、おもしろい。
その一例として、「投射」をあげてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 防衛機制 投射 投影 心の別室 抑圧)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【シャドウ論】

●仮面(ペルソナ)

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ペルソナ(仮面)そのものを、職業にしている人たちがいる。
いわゆる「俳優」という人たちが、それである。

で、あくまでも一説だが、あの渥美清という俳優は、本当は気難し屋で、
人と会うのをあまり好まなかったという(某週刊誌)。
自宅のある場所すら、人には教えなかったという(同誌)。
が、その渥美清が、あの『寅さん』を演じていた。
寅さんを演じていた渥美清は、ペルソナ(仮面)をかぶっていたことになる。

といっても、ペルソナ(仮面)が悪いというのではない。
私たちは、例外なく、みな、仮面をかぶって生きている。
私もそうだし、あなたもそうだ。

++++++++++++++++++++

●みな、かぶっている

たとえばショッピングセンターで、深々と頭をさげる女子店員を見て、
「人間的にすばらしい人」と思う人は、まずいない。
顔には美しい笑みを浮かべている。
何か苦情を言ったりしても、おだやかな口調で、「すみません。ただ今、
お調べいたします」などと答えたりする。
彼女たちは、営業用のペルソナ(仮面)をかぶって、それをしている。
同じように、教師だって、医師だって、みな、ペルソナ(仮面)を
かぶっている。

最近では、さらにそれが進化(?)した。
インターネットの登場である。

今、あなたは、私が書いたこの文章を読んでいる。
で、あなたはそれを読みながら、「はやし浩司」のイメージを頭の中で
作りあげている。
心理学の世界では、これを「結晶」と呼んでいる。
そのあなたが作りあげているイメージは、どんなものだろうか。

私にはわからない。
それに結晶といっても、その中身は、みなちがう。
ある人は、「林って、理屈っぽい、気難しい男だな」と思うかもしれない。
また別のある人は、「わかりやすい、単純な男だな」と思うかもしれない。
文章を読む人の、そのときの気分によっても、左右される。

映画なら、まだそこに「像」を見ながら、相手のイメージを頭の中で
作りあげることができる。
しかし文章だけだと、それがさらに極端化する。
それがこわい。

●相手の見えない世界

以前にも書いたが、たとえばメールで、「お前はバカだなあ」と書いたとする。
書いた人は、半ば冗談のつもりで、つまり軽い気持ちでそう書いた。
しかし受け取る側は、そうではない。
そのときの気分で、読む。
たとえば何かのことで、その人の心が緊張状態にあったとする。
だから、それを読んで激怒する。
「何だ、バカとは!」となる。

もっとも小説家といわれる人たちは、こうした結晶を逆手に利用しながら、
読者の心を誘導する。
よい例が、スリラー小説ということになる。
恋愛小説でもよい。

たとえば「A子は、みながうらやむほどの、色白の美人であった」と書いてあったとする。
それぞれの人は、それぞれの美人を空想する。
その美人の姿は、それぞれの人によって、みなちがう。

●現実

が、ここで重要なことは、ペルソナ(仮面)は、ペルソナ(仮面)として、
(現実)とは、しっかりと切り離すこと。

たとえば学生時代、私にとっては、「ベン・ハー」イコール、
「チャールトン・ヘストン」であり、「チャールトン・ヘストン」イコール、
「ベン・ハー」であった。
私には区別がつかなかった。

しかしこうした現象は、何も私だけに起きた特殊なものではない。
映画ドラマの中の主人公を、(現実の人)と思いこんでしまう現象は、
よく見られる。
しかも若い人たちだけではない。
40歳前後の女性ですら、それが区別できなくて、韓国の俳優を追いかけたり
する。

が、相手を見るときはもちろんのこと、自分自身に対してもである。
ペルソナ(仮面)と(現実)は切り離す。
とくに、自分がかぶっているペルソナ(仮面)には、警戒したほうがよい。
この操作を誤ると、自分で自分がわからなくなってしまう。
欧米では、牧師に、そのタイプの人が多いと言われている。
みなの前で、神の言葉を語っているうちに、自分自身が(現実)から遊離してしまい、
自分のことを(神)と思いこんでしまう。

が、それだけではすまない。

●シャドウ

このとき同時に、自分の中にある(邪悪な部分)を、心の中に別室に閉じこめて
しまう。
閉じこめながら、自分を善人と思いこんでしまう。
こうした現象を、あのユングは「シャドウ(影)」という言葉を使って説明した。
このシャドウが、別のところで、別人格となって、その人を裏から操る。
大教会の神々しいほどまでの牧師が、その裏で、少年や少女を相手に、性犯罪を
繰り返していたという例は、欧米では、たいへん多い。

が、さらに恐ろしいことが起きる。

このシャドウは、ときとして、そっくりそのまま子どもに伝わることがある。
心理学の教科書に出てくる例として、あの映画『復讐するは、我にあり』がある。
それについては以前にも書いたので、このあとに、そのとき書いた原稿を添付
しておく。

こういう例は極端な例であるとしても、親子の間でも、こうした現象はよく
観察される。

●シャドウを受けつぐ子ども

ある母親は、世間では「仏様」と呼ばれていた。
しかし2人の息子は、高校時代、ともに犯罪行為を犯し、退学。
周囲の人たちは、「どうしてあんないい母親なのに、息子さんたちは……?」と
言っていた。
が、こうした現象も、シャドウ論をあてはめてみると、説明がつく。
母親は、邪悪な部分、たとえば嫉妬、ねたみ、恨み、不満などを、心の中の別室に
閉じことによって、善人を演じていただけである。

そのシャドウを、いつも近くで見ていた息子たちが、受けついでしまった。

では、どうするか。

私たちはいつもペルソナ(仮面)をかぶっている。
それはそれでしかたのないこと。
ショッピングセンターの女子店員が、客に向って、「オイ、テメエ、そこの客、
泥靴なんかで、この店に来るなよ!」と叫べば、その女子店員は、そのまま解雇。
職を失うことになる。

この私だって、そうだ。

で、大切なことは、それをペルソナ(仮面)と、はっきりと自覚すること。
そして脱ぐときは、脱ぐ。
脱いで、自分に戻る。
ありのままの自分に戻る。
それをしないでいると、それこそ人格そのものが、バラバラになってしまう。
これはたいへん危険なことと考えてよい。

+++++++++++++++++

シャドウについて書いた原稿を
添付します。

+++++++++++++++++

【シャドウ論】

++++++++++++++++

仮面をかぶっても、仮面をぬぐことも
忘れないこと。

その仮面をぬぎ忘れると、たいへんな
ことになりますよ!

++++++++++++++++

●自分の中の、もう1人の自分

 もともと邪悪な人がいる。そういう人が仮面をかぶって、善人ぶって生きていたとする。
するとやがて、その人は、仮面をかぶっていることすら、忘れてしまうことがある。自分
で、自分は善人だと思いこんでしまう。

 このタイプの人は、どこか言動が不自然。そのため簡単に見分けることができる。さも
私は善人……というように、相手に同情して見せたり、妙に不自然な言い方をする。全体
に演技ぽい。ウソっぽい。大げさ。

 こういう話は、以前にも書いた。

 そこでこのタイプの人は、長い時間をかけて、自分の中に、もう1人の自分をつくる。
それがシャドウである。ユングが説いたシャドウとは、少し意味がちがうかもしれないが、
まあ、それに近い。

 このシャドウのこわいところは、シャドウそのものよりも、そのシャドウを、時に、身
近にいる人が、そっくりそのまま受けついでしまうこと。よくあるのは、子どもが、親の
醜いところをそっくりそのまま、受けついでしまうケース。

●仮面(ペルソナ)をかぶる女性

 ある母親は、近所の人たちの間では、親切でやさしい女性で通っていた。言い方も、お
だやかで、だれかに何かを頼まれると、それにていねいに応じていたりした。

 しかし素性は、それほど、よくなかった。嫉妬深く、計算高く、その心の奥底では、醜
い欲望が、いつもウズを巻いていた。そのため、他人の不幸話を聞くのが、何よりも、好
きだった。

 こうしてその女性には、その女性のシャドウができた。その女性は、自分の醜い部分を、
そのシャドウの中に、押しこめることによって、一応は、人前では、善人ぶることができ
た。

 が、問題は、やがて、その娘に現れた。……といっても、この話は、20年や30年単
位の話ではない。世代単位の話である。

 その母親は、10数年前に他界。その娘も、今年、70歳を超えた。

●子に世代連鎖するシャドウ

 その娘について、近所の人は、「あんな恐ろしい人はいない」と言う。一度その娘にねた
まれると、とことん、意地悪をされるという。人をだますのは、平気。親類の人たちのみ
ならず、自分の夫や、子どもまで、だますという。

 その娘について、その娘の弟(現在67歳)は、こう教えてくれた。

 「姉を見ていると、昔の母そっくりなので、驚きます」と。

 話を聞くと、こうだ。

 「私の母は、他人の前では、善人ぶっていましたが、母が善人でないことは、よく知っ
ていました。家へ帰ってくると、別人のように、大声をあげて、『あのヤロウ!』と、口汚
く、その人をののしっていたのを、よく見かけました。ほとんど、毎日が、そうではなか
ったかと思います。母には、そういう2面性がありました。私の姉は、その悪いほうの一
面を、そっくりそのまま受け継いでしまったのです」と。

 この弟氏の話してくれたことは、まさに、シャドウ論で説明がつく。つまり、これがシ
ャドウのもつ、本当のおそろしさである。

●こわい仮面

 そこで重要なことは、こうしたシャドウをつくらないこと。その前に、仮面をかぶらな
いこと。といっても、私たちは、いつも、その仮面をかぶって生きている。教師としての
仮面。店員としての仮面。営業マンとしての仮面。

 そういう仮面をかぶるならかぶるで、かぶっていることを忘れてはいけない。家に帰っ
て家族を前にしたら、そういう仮面は、はずす。はずして、もとの自分にもどる。

 仮面をとりはずすのを忘れると、自分がだれであるかがわからなくなってしまう。が、
それだけではない。こうしてできたシャドウは、そのままそっくり、あなたの子どもに受
けつがれてしまう。
(はやし浩司 仮面 ペルソナ シャドウ)

++++++++++++++++++

少し前に書いた、「シャドウ論」を、
もう一度、ここに添付しておきます。
内容を少し手なおしして、お届けします。

++++++++++++++++++

●仮面とシャドウ

 だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、
夫としての仮面など。もちろん、商売には、仮面はつきもの。商売では、いくら客に怒鳴
られても、にこやかな顔をして、頭をさげる。

 しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。
これを「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよ
い。ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、
ウズを巻く。

 世間をさわがすような大事件が起きる。陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事
件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べてみると、それほど、劣悪な環境ではないこ
とがわかる。むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。

●凶悪事件の裏に

 夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。都会の立派なマンシ
ョンに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。知的レベルも高い。子どもの教育に
も熱心。

 が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。

 実は、ここに(仮面とシャドウの問題)が隠されている。

 たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言った
とする。「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰
よ」と。

 そのとき、親は、仮面をかぶる。いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思
って、そう言うなら、まだ話がわかる。しかしたいていのばあい、そこには、シャドウが
つきまとう。

 親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断
している人ほど、そうだ。このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところ
がある。「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですって
ねえ」と。

 悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。身分制度が、その
まま学歴制度になり、さらにそれが、出身高校へと結びついていった(?)。街道筋の宿場
町であったがために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。その人を判断す
る基準が、出身高校へと結びついていった(?)。

 この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。

●ドロドロとした人間関係

 そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きつい
でしまう。実は、これがこわい。「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れよ
うとしている」と。そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる
基盤となってしまう。

 よくシャドウ論で話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』で
ある。佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みご
とな演技をしている。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさるこ
とながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、
榎津鎮雄との、葛藤(かっとう)である。榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれ
とるけん」と言う。そんなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た
人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印
象を与える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握ら
せる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャン。それを仮面とするなら、息子の嫁と不
倫関係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、
そっくりそのまま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげ
る原動力になった。

●いつのありのままの自分で

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。

 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、そ
の仮面を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。見抜くだけ
ならまだしも、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。

 だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言え
る。

 子どもの前では、仮面をかぶらない。ついでにシャドウもつくらない。いつもありのま
まの自分を見せる。シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、
まし。もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子
どもにとっては、好ましいということになる。

(はやし浩司 ペルソナ 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て は
やし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 結晶 はやし浩司 復讐するは我にあり シャド
ウ論 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる本」)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司※

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

相談(1)小学2年生の父から
 小学2年生の息子に「目標に向かってがんばれる力をつけたい」という思いから、小3
の誕生日までにクリアできそうな課題を設けてがんばらせようかと思っています。課題を
クリアできれば、ごほうびは何でも欲しい物を買ってあげるつもりです。
 でも妻から、「ごほうびがないとやる気が出ない子にならない?」と言われて、止めた
方がいいかと迷っています。こういうやり方は、いけないのでしょうか?


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

A:完全に的はずれです(失礼!)。動機付けの三悪に、無理、比較、条件があります。
「課題をクリアできれば…」は、この中の条件ということになります。よくあるのは、「1
00点を取ったら、小遣いをあげる」というもの。
 条件のこわいところは、年齢とともにエスカレートしやすいこと。小学生のときは、1
000円のほうびでも、高校生になると、10万円になります。
 さらに進むと、条件なしでは、何もしなくなります。物欲と結びつくと、さらにやっか
いなことになります。それが必要だから、それを求めるのではなく、物欲を満足させるた
めに、それを求めるようになります。脳の中で、ニコチン中毒と同じようなメカニズムが
働くようになります。
で、問題は「課題」の中身ということになります。もしそれが個人的なものであれば、「自
分のためにする」を徹します。勉強であれば、なおさらです。「勉強は自分のために、自
分でするもの」と。 
 大切なのは、達成感です。「できた!」という実感が、子どもを前向きに引っ張ってい
きます。
「何でも欲しい物を買ってあげる」? 愚かな育児観は捨てなさい(失礼!)。あのバー
トランド・ラッセルは、こう書いています。『限度をわきまえた親のみが、真の家族の喜
びを与えられる』と。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

相談(2)小学4年生の父から
 小学4年生の長男のことで相談します。
 私の仕事が忙しく、なかなか相手をしてやれないまま過ごしてしまったのがいけなかっ
たのか、遊びといえばひとりでゲームばかり、友達と遊んだり外に遊びに行ったりしませ
ん。
 先日、「外で遊ばないの?」と聞いたところ、「外で何して遊べばいいの?」と返され
て、がく然としました。このまま、集団で遊ぶ経験もなく成長すると、どんな子になって
しまうか不安です。今からできることは、何かないでしょうか?


A:(相手をしてやらなかった)から(ゲームばかりする)と、短絡的に結びつけて考え
る必要はありません。あなたは父親として、じゅうぶん、その責任を果たしています。た
しかに最近の子どもは、集団で遊ぶということをしません。が、こうした傾向はすでに2
0年以上も前から始まっていることです。
 で、どんな子どもになるかですが、すでにあなたの子どもは大きな流れの中にいます。
その流れの中で、子どもたちはつぎの世界を創りあげていきます。その流れに対しては、
私もあなたも、無力でしかありません。あえて言うなら、つぎの格言が役に立つでしょう。
『子どもを産み育てるのは母親の役目。狩の仕方を教えるのは父親の役目』(イギリスの
教育格言)と。
 つまり社会性の養成と、母子関係の是正。この2つがこの時期の父親に与えられた重要
な使命と考えてください。
 なおゲームについてですが、韓国や中国では、ゲーム中毒が問題にならない日がありま
せん。そのための矯正プログラムや矯正施設もできています。が、この日本では、野放し。
ゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされます。私自身も経験しています。
 ゲームを許すにしても、ある程度の自制は必要です。時間を決めてさせるとか、ゲーム
の内容を決めるとかなど。


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よろしくお願いします。              はやし浩司
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   13日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます!

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●高機能広汎性発達障害(アスペルガー障害児)

【Nさん(東京都在住)からの相談】

++++++++++++++++

東京都に住んでいる、Nさん(母親)から、
こんな相談が届いている。

「カウンセリングの先生に"高機能広汎性発達障害"
かもしれないといわれてしまいました」という内容
のもの。

++++++++++++++++

【Nさんより、はやし浩司へ】

はじめまして。

数年前から子育てに関して悩むたびに先生のHPを拝見しております。
息子は現在5歳、公立幼稚園の年長さんです。

2歳頃から数字が大好きで、すべてを数字に関連付けるとあっという間にひらがな、カタカ
ナ、漢字と書けるようになり、現在では小学校2年生レベルの学力を持っているように感
じます。

そんな長所とは裏腹に、3歳頃から嫌なことや困ったことがあっても口で言うのではなく、
手がでたり、泣いてしまったりで手を焼いていました。親にしてみれば、3歳で足し算引き
算を理解できる能力があるのにどうして人の気持ちを察することが出来ないのか自分の気
持ちを言葉にすることができないのかとアンバランスさに悩まされていました。


そんな折、市の発育相談でお話させていただいたことがきっかけで現在幼稚園でも年に1
回程度の相談を受けさせてもらっています。親にも落ち度があることかと思い、軽い気持
ちで相談させてもらっていました。

ところが最近、園で同級生の子供達に暑い、眠たい、お腹すいたなどの理由(本人がそう
いいます)から意味もなく物を蹴飛ばしたり、友達に当たったりしているそうです。他に
も、昨年はなかなかなかの良いお友達を見つけることができなかったのですが、新学期か
らいつも一緒に遊びたいと思うお友達も出来、幼稚園が楽しい様子なのですが、その子が"
遊べない"と誘いを断るとたたいたり、つねったりと相手に手をあげているようです。最近
ではその子の母親から先生に対して、どうしてもっと注意しないのか、親はどうしている
のか、と相談が寄せられているそうです。

そんな折、先日恒例の発達相談を受け、カウンセリングの先生に"高機能広汎性発達障害"
かもしれないといわれてしまいました。そして、他の生徒の親御さんから誤解のないよう
に皆に説明をしてみるのはどうか…と提案されました。

もちろん、専門医の診察は受けていません。この言葉を主人やお姑さんに伝えたところ、
二人とも口をそろえて"人の息子を勝手に障害者扱いしやがって""公立に入れたのが失敗
や、
先生のレベルが低すぎる"と怒ります。確かに自宅での息子は自分の興味あるものへの執
着、
またそれ以外のものへの無頓着さというのはありますが、やさしい子ですし、問題があっ
てもどこに家庭にでもあるようなことです。

先生方というのは、自分のクラスで手に余る子供に対して何らかの診断をつける事によっ
て責任回避をできることもあるのでは、と思う節もないわけではありません。カウンセリ
ングの先生の見立てに関しては、その可能性を踏まえたうえで(長い目で)親として出来
ることをやっていこうと思っています。ただ、専門医に診てもらうというのはどうでしょ
うか?

公立幼稚園、私立幼稚園で先生に違いはあるのでしょうか?そして上記のような反応を返
す家族にたいして私はどのように説明、対処していったらよいのでしょうか?
もっともっと息子の状況をお伝えしたいのですが、どんなことをお伝えしたら先生の判断
にお役にたてるのか…。

先生、もしもお時間が許すのであれば是非アドバイスをお願いします。

【はやし浩司よりNさんへ】

 11年ほど前から、「アスペルガー」(高機能広汎性発達障害)という言葉が、よく
聞かれるようになりました(1999年ごろ)。
その当時はともかくも、こと「アスペルガー」については、診断方法も確立し、教育、
医療の世界でも一般化し、今では見立てを誤るということは、まずありません。
ですからカウンセラーの先生が、「アスペルガーではないか?」と言ったということ
ですから、その見立てには、ほぼまちがいないものと思われます。
(今ではたいへんわかりやすい障害のひとつです。)

 ただ「広汎性」という言葉からもわかるように、症状の内容、軽重は様々で、最近
では、「幅が広い」という意味で、「自閉症スペクトラム」という言葉を使います。
一様ではないということです。
いただいたメールを読む範囲でも、それが疑われます。
たとえば「数字」に、ふつうでない(こだわり)を見せる部分など。

 それについて書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++++

●自閉症スペクトラムの子どもたち

+++++++++++++++++++++

「自閉症」と言うと、ほとんどの親たちは、
(無口で、内気。殻(から)に閉じこもった
子ども)を想像する。
しかしこれは誤解。

そこで最近では、自閉症という言葉はあまり
使わない。
「広汎性発達障害」という言葉を使うことが
多い。
(以前は、多動性、多弁性のある自閉症児を、
「活発型自閉症児」と呼びことが多かった。)

また症状や程度は、千差万別。
ふつうの子ども、(この言葉には、少なからず
抵抗を覚えるが)、そのふつうの子どもと
ほとんど違わないレベルから、顕著な症状の
現れる子どももいる。
そのため患者数も、36万人〜120万人
(日本自閉症協会)と、大きな幅がある。

そのこともあって、最近では、「スペクトラム」
という言葉を使うことが多い。
「自閉症スペクトラム」というような言い方を
する。

たとえば現在、自閉症といっても、高機能自閉症
(アスペルガー症候群含む)は、区別して考える。
症状としては、AD・HD児や、LD児のそれを
併せもつケースも多い。
もちろん知的障害をもった子どもも多い。
が、先にも書いたように、その境界が、よくわからない。
わからないという意味で、「スペクトラム」という
言葉を使う。

「スペクトラム」というのは、光の分光器で光を
分解したときのように、それぞれの症状が、多岐、
複雑に分かれ、かつ連続性をもつことをいう。

+++++++++++++++++++++
 
●自閉症スペクトラム

 診断については、DSMによる診断基準が、広く、一般的に使われている。
ウィキペディア百科事典に出ている、「DSMによる診断基準」を、そのまま紹介
させてもらう。

+++++以下、ウィキペディア百科事典「自閉症」より転載+++++

DSMの診断基準 

DSMの診断基準に挙げられている症状は次の通り。

●コミュニケーションにおける質的な障害 
○視線の相対・顔の表情・体の姿勢・身振り等、非言語行動がうまく使えない。 
○(例)会話をしていても目線が合わない。叱られているのに、笑っ
ている。 
○発達の水準にふさわしい仲間関係が作れない。 
○興味のあるものを見せたり指さしたりする等、楽しみ・興味・成果を他人と
自発的に共有しようとしない。 
○対人的または情緒的な相互性に欠ける。 
●(例)初対面の人に対する無関心。 

●意思伝達の質的な障害 
○話し言葉の発達に遅れがある。または全く話し言葉がない。 
(例)クレーン現象
○言語能力があっても、他人と会話をし続けることが難しい。 
(例)一問一答の会話になってしまう。長文で会話ができない。 
○同じ言葉をいつも繰り返し発したり、独特な言葉を発する。 
(例)人と会話をする際に同じ返事や会話を何度もする。 
○発達の水準にふさわしい、変化に富んだ『ごっこ遊び』や社会性を持った
『物まね遊び』ができない。 

●限定され、いつも同じような形で繰り返される行動・興味・活動(いわゆる「こ
だわり」) 
○非常に強く、常に繰り返される決められた形の一つ(もしくはいくつか)の
興味にだけ熱中する。 
○(例)特定の物、行動などに対する強い執着心。 
○特定の機能的でない習慣・儀式にかたくなにこだわる。 
(例)物を規則正しく並べる行動。 
(例)水道の蛇口を何度も開け閉めする行動。 
○常同的で反復的な衒奇(げんき)的運動物体の一部に持続的に熱中する。 
(例)おもちゃや本物の自動車の車輪・理髪店の回転塔・換気扇な
ど、回転するものへの強い興味。 
(例)手をヒラヒラさせて凝視する。 

+++++以下、ウィキペディア百科事典「自閉症」より転載+++++

●軽重の判断を正確に

 この診断基準を読んでもわかるように、自閉症のもっとも顕著な特徴は、他者との
良好な人間関係(コミュニケーション)をとれないところにある。
 もちろんその程度も、子どもによってちがう。
一日中、小刻みな運動を繰り返し、ほとんどコミュニケーションがとれないタイプの
子どももいれば、ふとしたきっかけで、親や兄弟たちと、いっしょになって行動する
というタイプの子どももいる。

 そこで自閉症が疑われたら、まずどの程度の症状かを、正確に把握する必要がある。
症状が軽いばあいには、自閉症であることをあまり意識せず、(ふつうの子ども)として、
ふつうの環境で育てるのがよい。
私の経験でも、自己管理能力が育つ、小学3〜4年生を境にして、症状は急速に収まって
くる。
大切なことは、それまでに症状をこじらせないこと。
多くのばあい、その症状の特異性から、親が乳幼児期に、はげしく叱ったり、ときに
暴力を加えたりしやすい。
こうした一連の不適切な対処の仕方が、子どもの症状をこじらせる。

●原因

 こと教育の場では、(原因さがし)というのは、しない。
しても意味はない。
「そこにそういう子どもがいる」という立場で、指導を開始する。
ただ親には、ある程度のことは話す必要がある。

 というのも、自閉症が疑われると、ほとんどの親は、その瞬間から、はげしい
絶望感を覚える。
が、こと自閉症に関していえば、「脳の機能障害」であり、さらにわかりやすく
言えば、一時的であるにせよ、あるいは長期的にあるにせよ、機能が不全の状態
であるにすぎない。
(詳しくは、ウィキペディア百科事典を参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E9%96%89%E7%97%87)

 たとえば私のばあい、軽度自閉症であれ、アスペルガー症候群であれ、高機能
自閉症であれ、その子どもが一定のワクの中に入れば、そうした「障害」は無視し
て指導を開始する。
(ここでいう「高機能」というのは、「知的な障害が見られない」という意味で、
そう言う。)

 つまり診断名を親に告げる必要はないし、(また「診断名」を告げることは、
タブー中のタブー)、原因や、将来の予想を告げる必要もない。
重要なことは、「先月よりも、今月はよくなった」「半年前より、症状が軽くなった」
という状況を作ることである。
 またそういう状況になるように、指導に専念する。

●親の無理解

 症状が重く、医師による診断がくだされているケースは、別として、先にも
書いたように、症状があいまいな子どもも少なくない。

(ただし医師の診断が、いつも正しいとはかぎらない。
私も医師によって「自閉症」と診断された子どもを、何十例と指導してきた経験
があるが、そのうち3〜4割については、「?」と感じている。)

 たいていは2〜3歳ごろになって、「どうもうちの子は、おかしい」「言葉の
発達が遅れている」「落ち着きがなく、突発的に錯乱状態になる」などの症状が
現れて、ふつうではないことに気づく。
多動性、衝動性が見られることも多く、そのため先にも書いたように、はげしく
叱ったり、ときに暴力を加えたりしやすい。
それが症状をこじらせるだけではなく、指導するばあいも、親の協力が得られず、
苦労する。

やっとの思いで、(ふつうの子ども?)になっても、「この教室は効果がなかった」
という判断をくだして、そのまま去って行く親も少なくない。
(というより、そういうケースが、ほとんどと考えてよい。)
そういうばあい、私(=指導者)が受ける落胆感というか、絶望感には相当な
ものがある。
自閉症にかぎらず、親の無知、無理解が原因で、そうした絶望感を味わうことは
じばしばある。
が、いまだに、その絶望感だけは、どうしようもない。

 つまりこういうことが重なるため、指導する側(幼稚園や保育園を含む)は、
どうしても指導に消極的になる。……ならざるをえない。
目に余るほど症状が顕著なばあいには、入園そのものを断るケースが多い。

●希望

 最近では、自閉症児に対する理解も進み、またその周囲環境も整えられてきて
いる。
いろいろな団体や組織が、治療プログラムを用意し、好成績を収めている。
またあくまでも機能障害であり、(機能の改善)をめざした医学的治療法も、
現在急速に進歩しつづけている。
原因についても、大脳生理学の分野で、かなり精密に解明されつつある。

 また(流れ)の中でみると、自閉症児にかぎらず、AD・HD児、かん黙児
にしても、小学3〜4年生を境に、急速に症状が緩和されてくる。
とくに脳内ホルモンのバランスが調整されてくる思春期前夜ごろになると、
子ども自身がもつ、自己治癒機能が働くようになる。
専門家が見れば、そうとわかるが、そうでなければ、外目にはわからなくなる。
つまりその程度までに、改善する。

 そのため仮に、専門機関で自閉症と診断されても、(親が受けるショックは
大きいが)、それを「終わり」と考えてはいけない。
そのためにも、つぎのことに注意する。

(1)専門機関で診断名をつけてもらい、自閉症に対する知識をしっかりともつ。
(2)愛情の糸だけは大切にし、どんなばあいも、子どもを「許して忘れる」。
(3)乳幼児期には、「症状を悪化させないこと」だけを考える。
(症状をこじらせれば、いろいろな合併症を併発する。
また立ち直りも、その分だけ遅れる。)
(4)治療のターゲットを、小学3〜4年生(9〜10歳)ごろに設定する。
それまではジタバタしない。
「ようし、十字架のひとつやふたつ、背負ってやる」という前向きな、
暖かい愛情が、何よりも重要と心がける。
(5)幼稚園以後の教育法などについては、各地域にある、「発達障害相談窓口」
(多くは保健所、保険センター)に相談するとよい。
現在、この浜松市でも、10年前とは比較にならないほど、そうした障害
をもつ子どもに対する支援プログラム、支援組織、支援団体が組織化されている。
けっして「私、1人」と、自分を追い込んではいけない。

(2009年7月22日記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 自閉症 自閉症スペクトラム)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●かんしゃく発作

 Nさんのお子さんについて言えば、「暴力的行為」の部分について言えば、同時に
かんしゃく発作も疑われます。
つまり「自閉症スペクトラム」と、「かんしゃく発作」が同居しているというふうに、
私は判断します。
(もちろん私はドクターではありませんので、カウンセラーの先生の指示に従って
ください。
あくまでも参考的意見です。)

 「かんしゃく発作」については、一般的には「家庭教育の失敗」とみます。
とくにこのタイプの子どもは、根気ある指導、深い親の理解と愛情が必要です。
が、どこかで短絡的に叱ったり、突き放したりしてしまった。
親子関係がわかりませんが、下の子がいれば、愛情飢餓、愛情不足も疑われます。
「自閉症スペクトラム」イコール、「暴力的行為」ということではありません。
よく見られる症状は、

(1)キレるとき、カラにこもってしまい、異常にがんこになる。
(2)まちがいを指摘したり、注意したりすると、異常にがんこになる。
ときに体を震わせて、それに抗議する、など。

 能力的には、問題がないばかりか、ある特異なことに強い関心と理解を示します。
たとえば数学的な部分については、天才的な能力を発揮するなど。
そのあたりをよく観察して、ご自身で判断するのがいちばんよいかと思います。

 これも以前書いた原稿ですが、参考のために、再録しておきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【アスペルガー障害】

++++++++++++++++++++

症状から、明らかに「アスペルガー障害」と
思われる子どもについての相談があった。

++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、GN先生へ】

GN先生へ

拝復

 お手紙、ありがとうございました。相談のあった子どもを、以下、T君(男児)として
おきます。

 私はドクターではありませんので、子どもを診断することはできませんが、症状からす
ると、T君は、アスペルガー障害(アスペルガー症候群)と、活発型自閉症の複合したタ
イプと考えてよいのではないでしょうか。それが基本にあって、不適切な家庭環境と指導
で、症状がこじれてしまっている。私は、そう判断しました。

 以下、アスペルガーついて、いくつかの文献から、資料をあげてみます。



+++++++++++++

●文献より

【臨床心理学・稲富正治・日本文芸社】

 自閉性障害の中でも、言葉や、記憶の発達に遅れがないケースを、「アスペルガー障害」
と呼ぶ。

 対人関係の障害と興味や活動が限定されているという点が、特徴である。

 高機能自閉症とともに、高機能広汎性発達障害に含まれる。

 圧倒的に男児に多く、知能は平均以上であるものの、コミュニケーションがうまく取れ
なかったり、不器用であるため、孤立しやすくなる。

 計算や文字、地図など限定されたものに対して、異常なほどの関心を示し、その中で独
創性を発揮する人もいる。が、自分が守っている範囲に、他人が侵入してきたり、乱され
たりすることに対して、著しく、攻撃的になる。

 原因は、中枢神経の障害であると言われているが、まだ解明されたわけではない。遺伝
の要素も強く、パーソナリティ障害や情緒障害と診断されるケースもあるため、診断には
最新の注意が必要。

 最近では、対人関係のトラブルをどのように解決するかを意識的にトレーニングする、
行動療法などの治療法がある。



【発達心理学・山下富美代・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、言語発達に遅れがみられないほか、知能も高い水準を維持してい
るといわれる。しかし自閉症と同様に、相互的な対人関係の障害がみられること、ある特
定のものに対する関心の程度が高すぎることなどが特徴である。

 また自閉症とともに、男の子に多い障害でもあり、医学的な治癒は難しいとされている。

 特徴としては、(1)正常な対人関係をもつことは困難、(2)特定のものに対する、こ
だわり、興味の偏(かたよ)りがみられる。(3)言語障害はみられない。



【心理学用語・渋谷昌三・かんき出版】

 ……ウィングは、自閉症には、3つの特徴があると説明している。

(1)社会性の問題

 自分の体験と他人の体験が重なりあわない。(他人がさっと顔色を変え、怒った表情をす
れば、自分が悪いことをその人に言ったのではないかと思うが、自閉症の人は、こうした
他人の感情を推し量るのが、非常に苦手。)

(2)コミュニケーションの問題

 言葉の遅れから、双方のコミュニケーションが、うまくとれない。(声の大きさや、イン
トネーションの調整が苦手、自分の意見を言うとき、どのように言うべきかを迷う。)

(3)想像力の遅れ

 1つの対象に、異常なほど興味を示す。特定の儀式にこだわる。

 これらの特徴のうち、コミュニケーションの障害が、非常に軽いものを、「アスペルガー
症候群」と呼ぶ。軽い遅れというのは、冗談が通じにくい、比喩を使った表現が理解しに
くいことをいう。

 すなわち、アスペルガー症候群は、言語発達の遅れが目立たず、知的には正常だが、生
まれつき社会性の障害と、こだわり行動をもっている自閉症を指す。



【臨床心理学・松原達哉・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、乳児期後半から特徴が出始め、6〜7歳に顕著になる。ほとんど
男児のみにみられる障害である。

 言語的な発達には遅滞はないが、言葉は単調で、抑揚がないという特徴がある。言語や
容貌に子どもらしさがなく、コミュニケーションがとれず、集団の中では孤立することが
多い。

 特定の対象、数字・文字・地図・貨幣などに興味を示し、独創性もあり、知能は平均以
上と推定される。しかし自己の領域を侵されると、パニックを起こし、攻撃的になる。ま
た、多くの全体的な知能は正常だが、著しく、不器用であることが多い。

 青年期から成人期へ、症状が持続する傾向が強いが、統合失調症(精神分裂病)の診断
基準は満たさないので、成人後も、精神分裂病にはならないといわれている。

 治療法は、その子どもの特性を理解し、それに合った、治療・教育をすれば、じゅうぶ
ん社会に適応できるようになる。大切なことは、病態に対する周辺の理解であり、治療に
おいても、社会福祉的な領域が重要になる。

 ……アスペルガー症状は、自閉症と類似しており、自閉症の軽度の例にもみえるため、
それぞれの診断は困難である。

症状の例として、本人のやっていることを中断させると、突然、怒り出すなどがある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アスペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガー症)

++++++++++++++++ 

●親自身の問題

 こうした事例で、まず注意しなくてはいけないのは、親自身が、すべてを話しているか
どうかということです。つまりほとんどの親は、自分に都合の悪いこと、たとえば不適切
な対処法で、子どもの症状を、かえってこじらせてしまったようなことについては、話し
ません。

 無意識のうちに、こじらせてしまうというケースもありますが……。

 T君について言えば、乳幼児期から多動性があったということですが、この段階で、母
親が、かなりきびしく叱ったり、怒ったり、あるいは体罰としての暴力を振るったことも、
じゅうぶん、考えられます。

 T君にみられる、一連の不安症状、さらには、基本的な不信関係は、そういうところか
ら発生したと考えられます。母親からの報告内容にしても、まるで他人ごとのような観察
記録といった感じで、私はそれを読ませてもらったとき、「?」と思いました。あたかも、
「うちの子は、生まれつきそうで、それは、私の責任ではない」と言わんばかりの内容で
すね。

 で、私の経験を話します。

●私の経験より

【U君(小3児)のケース】

 U君を最初に預かったのは、まだ、「アスペルガー症候群」という言葉が、ほとんど知ら
れていないころでした。1990年代の中ごろです。(1944年に、オーストリアの
小児科医のアスペルガーが、その名前の由来とされていますが、日本でこの名称が使われ
始めたのは、90年代に入ってからです。)

 最初、自閉症かなと思いましたが、知的能力の遅れはなく、言語障害も、みられません
でした。が、いくつかのきわだった特徴がみられました。

(1)ほかの子どもと仲間になれない

 そのあと、U君が小学校を卒業するまで、私が週2回指導しましたが、最後の最後まで、
結局は、友だちができませんでした。いつも集団から1歩、退いているといった感じで、
軽い回避性障害もありました。集団の中へ入ると、心身が緊張状態になってしまうからで
す。

(2)ずば抜けた算数の力

 計算力はもちろん、算数全般について、ずば抜けた能力を示しました。知的能力は、平
均児より高かったのですが、最後まで、乱筆には、悩まされました。文字を書かせても、
メチャメチャでした。こうした不器用さは、アスペルガー障害の子どもに、共通していま
す。こまかい作業が苦手で、それをさせると、混乱状態から、突然、キレた状態になるこ
ともあります。

(3)極端な自己閉鎖性

 U君のばあいは、まちがいを指摘しただけで、突然、キレて、激怒することもありまし
た。(軽いばあいは、顔をひきつらせて、大粒の涙だけを流す、など。)たとえば計算問題
などで、まちがいを見つけ、「やりなおしなさい」と指示しただけで、キレてしまう、など。

(キレないときもありましたが、あとでノートを見ると、エンピツで、きわめて乱暴に、
それを塗りつぶしてあったりしました。)

 こうした特徴を総合すると、U君には、心の持続的な緊張感、特別なものへのこだわり、
自己閉鎖性があったことになります。

 幸いなことに、U君のケースでは、母親が、たいへん穏やかで、心のやさしい人でした。
ですからそれ以上、心がゆがむということは、U君のばあいは、ありませんでした。私は、
当時は、「U君は、ほかの子どもとはちがう」と判断し、U君はU君として、指導しました。

●治療は考えない

 こういうケースで重要なのは、アスペルガー症候群にかぎらず、子どもの心の問題に関
することは、「治そう」とか、「直そう」と思わないことです。

 「あるがままを認め」、「現在の状態を、今より悪くしないことだけを考えながら」、「半
年、あるいは1年単位で、様子をみる」です。

 で、相談をいただきましたT君にケースですが、全体に、周囲の人たちが、「治そう」と
か、「直そう」とか、そういう視点でしかT君をみていないのが、気になります。「少しよ
くなれば、すぐ無理をする」。その結果、症状を再発させたり、悪化させたりしている。あ
とは、その繰りかえし。そんな感じがします。

 U君のケースのほか、兄と弟でアスペルガー障害のケースなど、「アスペルガー」という
言葉がポピュラーになってから、(2000年以後ですが……)、私は、4例ほど、子ども
を指導してきました。

 (最近は、体力の限界を感ずることが多く、指導を断るケースが、多くなりました。)

 その結果ですが、アスペルガー障害そのものの(治癒)は、たいへんむずかしいという
ことです。そのかわり、小学3、4年生ごろから、自己意識が急速に育ってきますから、
それを利用し、子ども自らに自己管理させることで、見た目には、症状を落ち着かせると
いうことはできま
す。

 子ども自身が、自分で自分を管理できるように、指導していくわけです。

 しかしこれも、1年単位の根気と、努力が必要です。とくに指導する側は、その生意気
な態度のため、カッとなることもあります。たとえばU君のばあいでも、私がまちがいを
指摘しただけで、私に向かってものを投げつけてきたことがあります。あるいは、ぞんざ
いな態度で、「ウルセー」と、言い返してきたこともあります。

 そういうとき、ふと、その子どもが、アスペルガー障害であることを忘れ、「何だ、その
態度は!」と叱ってしまうこともありました。「根気が必要だ」というのは、そういう意味
です。

 先生からいただいた報告の中に、担任の教師が、かなり乱暴な指導をしたという記録が
書いてありますが、それもその一例と考えてよいのではないでしょうか。記録だけを読む
と、担任の教師が悪いように思われますが、このタイプの子どもの指導のむずかしさは、
ここにあります。

子どもがキレた状態になったとき、きわめて生意気な様子をしてみせるからです。ふつう
の態度ではありません。おとなを、なめ切ったような態度です。

●親側の問題

 で、先にも書きましたが、現在、T君と母親の関係についても、考えなければなりませ
ん。親というのは、こういうケースでは、自分に都合の悪いことは、話しません。そうい
う母親がよく使う言葉が、先にも書きましたが、「生まれつき」という言葉です。

 「うちの子は、生まれつき、こうです」と。

 子どもの症状を悪化させながら、その意識も、自覚もない。もっとも、だからといって、
親を責めてもいけません。親は親で、そのときどきにおいて、懸命に子育てをしているか
らです。懸命にしている中で、客観的に自分を見る目を失ってしまう。よい例が、
不登校児です。

 子どもが「学校へ行きたくない」などとでも言おうなら、その時点で、たいていの親は
パニック状態になり、子どもを、はげしく叱ったり、暴力的に学校へ行かせようとします。
この無理が、症状を悪化させてしまいます。

 たった一度の一撃でも、子どもの心が大きくゆがむということは、珍しくありません。

 で、その時点で、親が冷静になり、「そうね。どうして行きたくないのかな? 気分が悪
ければ、無理をしなくていいのよ」と親が言ってやれば、不登校は不登校でも、それほど
長期化しなくてすんだかもしれません。そういうケースも、私は、やはり何十例と経験し
てきました。

●年単位の観察を

 先生からいただいた報告書を読むかぎり、親も、担任の教師も、みな、少しせっかちす
ぎるのではないかと思います。先にも書きましたが、この問題だけは、1年単位、2年単
位で、症状の推移をみていかなければなりません。

 「先月より今月はよくなった」ということは、本来、ありえないのです。ですから週単
位、月単位の変化を記録しても、意味はありません。またそうした変化に一喜一憂したと
ころで、これまた意味がありません。もう少し、長いスパンで、ものを考える必要があり
ます。

 簡単に言えば、現在のT君を、あるがままに認め、そういう子どもであるということに
納得し、(もっとわかりやすく言えば、あきらめて)、対処するしかありません。T君は、
給食におおきなわだかまりをもっているようですが、そういう子どもと、先に認めてしま
うのです。

 それを何とか、食べさせようと、みなが無理をする。それが症状をして、一進一退の状
態にしてしまう。あるいはときに、もとの木阿弥にしてしまう。

 ……といっても、年齢的に、小4ということですから、症状は、すでにこじれにこじれ
てしまっていると考えられます。本来なら、乳幼児期にそれに気づき、その時点で、親が
それに納得し、指導を開始するのが望ましいのですが、報告書を読むかぎり、そういった
記録がありません。

 ご指摘のように、T君の親は、学校側の指導法ばかりを問題にしているようですね。し
かし、これでは、いけない。本来なら、専門のドクターに、しっかりとした診断名をくだ
してもらい、そうであると親自身が納得しなければなりません。

 で、指導する側の私たちとしては、「知って、知らぬフリ」をして指導するわけです。私
が指導してきた子どもたちにしても、現在、指導している子どもたちにしても、私は、「知
らぬフリ」をして、指導してきました。今もそうしています。もちろん私のほうから、診
断名をくだすということは、絶対に、ありえません。またしてはなりません。

 が、親のほうから、たとえば「アスペルガー」という言葉が出てきたときは、話は別で
す。そのときはそのときで、「アスペルガー」という言葉を前面に出し、指導します。しか
しそれまでは、知らぬフリ、です。

 ただ「そうでない」という判断はくだすことがあります。自閉症の子どもではないかと
心配してきた親に対して、「自閉症ではないと思います」というように、です。そういうこ
とは、しばしばあります。

●親の無知

 で、やはり、ここは親に、それをわかってもらうという方法をとるしかありません。し
かしこれも、むずかしいですね。

 最近でも、明らかにADHD児の子ども(小5)がいました。で、それとなく親に聞い
てみたのですが、親は、まったく自分の子どもがそうであることさえ疑っていないのを知
り、がく然としたことがあります。「うちの子は、活発な面はあるが、ふつうだ」と。

 つまり親の無知、無理解をどう克服するかという問題も、生まれてきます。
アスペルガー障害であれば、なおさらでしょう。幼児教育の世界でも、この言葉がポピュ
ラーになったのは、ここ5、6年のことですから……。

 以上、私の独断で、T君を判断してしまいましたが、まちがっていることもじゅうぶん、
考えられます。一番よいのは、私自身が、T君を直接観察してみることです。また機会が
あれば、そっと遠くから観察してみてもよいです。ご一考ください。

 あまりよい返事になっていませんが、さらに最近の研究では、環境ホルモンによる脳の
微細障害説を唱える学者もいます。アスペルガー障害にかぎらず、このところ、どこか「?」
な子どもがふえているのは、そのためだ、と。

 あくまでも、参考的意見として、お読みいただければうれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。

 長々とすみませでした。相談いただいたことをたいへん光栄に思い、感謝しています。
ありがとうございました。



敬具



                                はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Nさんへ】

●こじらせない

 この10年間だけでも、10人以上の子どもについて、3〜8年間指導してきた経験
があります。
もちろん診断名を口にすることはありませんでした。
親の方も、口にすることはありませんでした。
たがいに暗黙の了解(?)というような状態でした。

 で、結論から言うと、簡単には治らない。
その中でもK君(幼児〜小5まで指導)は、毎週名古屋にある、そういった子どもを専門
に指導する会に通っていました。
効果があったというよりは、「どの部分が効果なのか」、私にはよくわかりませんでした。

 言い替えると、もしそうであっても、診断名は忘れて、「うちの子は、そういう子」と、
割り切って対処するのがいちばんよいかと思います。
ちょっとむずかしい性格と考えて、割り切ります。

ドクターはすぐ薬物投与を考えますが、私は慎重に考えたほうがよいと思います。
というのも、小学3、4年生を境に、自己管理能力が育ち、子ども自身の力で、自分を
コントロールするようになるからです。
そのあとは、急速に、症状はわかりにくくなります。

 大切なことは、無理な指導で、症状をこじらせないこと、です。
(もちろん症状の軽重にもよりますが……。)

 先生や友だちの親には、「すみません。ああいう子ですから」と、先に頭をさげてすませ
ます。
もちろん診断名を告げる必要はありません。
相手の親たちは、もっと無知(素人)なのですから。

 そうしたこともふまえた上で、一度専門医に相談してみることは、必要かもしれません。
対処の仕方も見えてきます。
また誤解により、子どもを叱りつけるなどという行為にも、自制が働くようになります。

さらに言えば、「障害」という言葉に、あまり神経質になってはいけません。
英語では、「disorder」という名前をつけています。
「脳の機能の変調」という程度に考えてください。
(「障害」という言葉は、いやですね。私は言い方を変えろと、もう10年以上も前から
主張しているのですが……。)
親戚の方がショックを受けるのは、当然のことですが、ここは冷静に。
やがてすばらしい能力を発揮するようになります。
そのときまで、今は、がまんしてください。
「高機能広汎性発達障害」というのは、そういう「障害」です。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 高機能広汎性発達障害 自閉症 自閉症スペクトラム アスペルガー 
はやし浩司 アスペルガー児 アスぺルガー障害児)
2010/07/16記


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●吉良温泉、「きらかん」(吉良観光ホテル)

【吉良上野介(きたこうずのすけ)】

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●YOUTUBEへは

http://www.youtube.com/watch?v=Q3Utf1s_9Ho

+++++++++++++++++

今日は、愛知県吉良吉田町にある温泉に一泊。
ホテルの名前は、『吉良観光ホテル』。
「きらかん」というのが、正式のホテル名らしい。
このあたりでは老舗(しにせ)旅館。
部屋は10畳から12畳。
間取りは広い。
何といっても特徴は、あのケーブルカー。
山の上の露天風呂までは、ケーブルカーであがる。
その風情というか、遊び心が楽しい。

旅館のエレベーターの中に、こんな文字が見えた。
「吉良上野介うんぬん」と。
「まさか!」と思ってフロントに電話をかけ確かめる。
「ここに吉良上野介の菩提寺があります」と。
ギョッ!
知らなかった!

吉良上野介の領地はあちこちにあった。
その中でも当領地が一番大きかったということで、
菩提寺は、ここに定められたとのこと。
吉良家とは、何やら深い縁がありそう(?)。

が、窓の外は、あいにくの雨。
対岸の知多半島は霧で煙っていた。
雨が嫌いというわけではない。
晴天も悪くないが、雨模様のほうが、旅をする者
にとっては、心が休まる。
落ち着く。

露天風呂の湯は少し熱かった。
その熱気が、小雨の粒で調和され、心地よかった。
シーズンオフということもあって、入浴客は
私と長男だけ。
近くの木々や湯を打つ雨の音が、心をなごませる。

「きらかん」……吉良観光ホテルは、料理よし、
風呂よし、サービスよし、星は4つの★★★★。
交通の便はあまりよくないが、それがかえって
この温泉郷を、穴場に仕立てている。
(アクセスは、名鉄電車で吉良吉田下車。
送迎サービスがあり。)

眼下には、海水浴場も見える。
夏場は、にぎわうはず。

雲間に飛びかうトンビを、のんびりとながめる。
過ぎ行く時間を、しばし忘れる。

「きらかん」(吉良観光ホテル)……三河湾国定公園、吉良温泉内。
電話……0563−32−1181

++++++++++++++++++++

●午後7時

 午後7時というのに、外はまだ明るい。
雨もあがり、遠くに細く長く、知多半島が見える。
先月はその先端にある、伊良湖ビューホテルに泊まった。
それを思い出しながら、伊良湖岬の先端をさがす。

 ところで夕食のとき、右足のひざの下あたりに、1円玉大の赤い斑点を見つけた。
中央がやや盛り上がっていた。
何かの虫に刺されたらしい。
周辺部がやや黒ずんでいるところをみると、刺されてからかなり時間がたっているらしい。
気がつかなかった。
ダニでもない。
蚊でもない。
が、ハチだったら、こんな大きさではすまない。
痛くもかゆくもない。
なんだろう?

 ふと「がんだったら……」と思った。
皮膚がんについての知識を、懸命に頭の中からさがす。

 形が不定形。
出血がある。
乳首のようにでこぼこしている、など。
皮膚がんにもいろいろある。
そんなことを考えながら、「これからは何があってもおかしくないな」と思う。
が、不思議なことに、恐怖感はあまりない。
「あと10年、体がもてばいい」とか、そんなふうに考える。
そのころ私の健康寿命は終わり、そのあとは、死に向かって病気を繰り返す。

●体調

 実のところ、この数日間、体調は最悪だった。
自分を支えるのもつらいほど、体をだるく感じた。
原因も理由もわからなかった。
ほかに症状もなかった。
たぶんに季節的なものとは思うが、今までにないだるさだった。

 時間があればふとんの上で体を横たえた。
が、それで疲れが取れたわけではない。
そのままいつまでも眠っていたい……そのつどそう思った。

その私が今日は、吉良温泉へ。
が、人間の体というのは不思議なものだ。
動き出せば動き出すもの。
「ええい、ままよ!」と動き出したとたん、疲れを忘れてしまった。
足(大腿部)が痛いのも、足の裏がだるいのも、みな、忘れてしまった。
旅行にはいつも小型のバッグをもって歩くが、その重さも忘れてしまった。
「気力」というのは、そういうもの。
もう少し正確には、自律神経というのは、そういうもの。

 夕食を食べるころには、体のだるさも取れ、頭の中もすっきりとしてきた。
熱い風呂にがまんして入ったのが、よかったかも?

●ためしてガッテン

 夕食後、また露天風呂に入ってきた。
客は、4人組みの女性客と、私たち3人だけらしい。
ホテルには申し訳ないが、私たちは貸し切り気分を楽しんだ。

 今、時刻は午後9時になるところ。
テレビではローカルニュースを放送している。
少し前、「ためしてガッテン」(NHK)という番組を見ていた。
登山と下山の仕方を話していた。
私はいつも下山するとき、足を痛める。
その番組を見て、その理由が、はじめてわかった。

 結論から先に言えば、下山するときは、大またで歩かないこと。
小またで歩くこと。
心拍数があがらないため、どうしても大またで歩いてしまう。
そのため大腿筋がズタズタに切れてしまう。

 この世の中には、私が知らないことがまだ、山のようにある。
山どころではない。
私が知っているのは、山の一部の、そのまた一部に過ぎない。
その番組を見ながら、そんなことを考えた。

●風呂

 露天風呂には、不思議な魅力がある。
たとえば私は、結婚して以来このかた、ワイフといつもいっしょに入浴している。
そのため今では、ワイフを「女」と見ることは、まず、ない。
ワイフも私の前では、平気。
私を「男」と意識することはない。

 しかし露天風呂の中のワイフは、まるで別人のよう。
別人のように色っぽく見える。
美しく見える。
これはどうした心理的作用によるものなのか。
(ただしワイフは、私に対して特別な変化を感ずることはないようだ……。)

 つまり「男」には、それぞれ特有の性癖のようなものがある。
女性の下着に興味をもつ人もいれば、スカートの下に興味をもつ人もいる。
太った女性がよいという人もいれば、汗臭い女性がよいという人もいる。
私のばあいは、入浴中、あるいは入浴後の女性に、色気を覚える。
若いころは、風呂あがりの、あの独特の石鹸ににおいをかいだだけで、ムラムラと
した。

 こうした性癖は、いつどのようにして作られるのか。
私が正常というわけではない。
私以外の人がそうでないというわけでもない。
人、それぞれ。
が、正直に、本当に正直に書くが、私にはマゾ趣味、サド趣味はない。
男としても「濃い男」で、同性愛には、まったく関心がない。
スカートの下など、頼まれても、のぞきたくない。
「便臭」などは、その臭いがしただけで、性欲が消えてしまう。
が、入浴中の女性にはぞっとするような美しさを感ずる。
エドガー・ドガの描いた絵に、『浴盤(たらいで湯浴みする女)』
というのがある。
あの絵などは、私が大好きな絵の一枚である。

 幼いころ、そういう受容体が、心のどこかにできたせいだろう。
思い当たるのは、銭湯で女湯を垣間見るのが好きだったこと。
番台に料金を払うときに、横目でチラリと女湯のほうをのぞく。
それが楽しみで、銭湯に通った。

●正常vs異常

 となると、正常、異常とは何かということになる。
あるいはそういうことを論ずること自体、無駄ということになる。
こと「性」に関して言うなら、正常もなければ、異常もない。
どんな行為も、一定のワクの中に収まる。
ワクの中に収まる以上、どんな行為も正常ということになる。

 ただこの問題は、(相手)をともなう。
相手が納得するなら、それでよし。
どんな行為も、そのワクの中でなら許される。
そうでないなら、そうでない。
「スカートの下をのぞきたい」と思うのは、その人の勝手。
しかしのぞかれた人が不愉快に思うなら、それは反社会的行為となる。
つまり「犯罪」。

●ドーパミン

 肉体は刺激を受けると、その信号は、脳の中の「脳幹」に伝わる。
その脳幹は刺激を受けて、ドーパミンを分泌するよう指令を出す。
ドーパミンは、欲望と快楽を司る脳内ホルモンの一種である。
覚せい剤と分子構造がたいへんよく似ている。

 そのドーパミンが、大脳辺縁系を興奮させる。
甘い陶酔感で満たす。
これが性的な快感へとつながっていく。

 で、問題は、その「刺激」。
男性と女性とでは、メカニズムがかなりちがう。……らしい。
男性は視覚的な刺激を受けて、脳幹はドーパミンを分泌するよう刺激を出す。
一方、女性は、全身が性感帯。
その分だけ刺激も強烈。
それを証明するのが、シータ波という脳波である。
女性のばあいも、オルガスムスを感じたときシータ波が出現するが、その強さは、
男性のそれの10倍前後と言われている。
(10倍だぞ!)
しかも時間が長い。

 よけいなことを書いてしまったが、先に書いた「ワクの範囲」というのは、それをいう。
つまり私たちが正常、異常と言っているものは、その「ワクの範囲」の中の反応でしか
ないということ。
もっと言えば、私やあなたを超えたところにある、「脳みその問題」ということ。

●午前4時40分

 長男がトイレに起きたのをきっかけに、目が覚めてしまった。
時計を見ると、午前4時40分。
昨夜は冷房がききすぎていたせいか、よく眠られなかった。
朝、起きたら、ワイフにしがみついて寝ていた。
私は血圧が低い。
それもあって、寒さには弱い。
とくに足の先が冷えると、目を覚ましてしまう。

 窓の外は、ぼんやりと明るかった。
ぼんやりと橙色の雲も見える。
昨夜、仲居さんが、朝日は山に隠れて見えませんと言った。
しかし……?
何とか、期待できそう。

●キラカン
 
 この部屋は12畳もある。
303号室。
玄関をあがると、1間半くらいの廊下がつづき、その先に部屋がある。
廊下の材木は、無垢(むく)のケヤキ。
老舗の旅館ということが、そういうところからもわかる。
空調の音も、ほとんど聞こえない。

 こうした旅行では、私たちはいつも早朝に食事をすませ、そのまま帰宅する。
早く帰れば、朝の日課に間に合う。
……といっても、私の仕事は、いつも午後から。
原稿を書いたり、ネットにそれをUPLOADするのが、私の日課。
お金にはならないが、だからこそ、楽しい。
お金に追われて仕事をするのは、それだけでストレスがたまる。

●雨雲

 雨は降っていない。
が、雨雲が低く、遠くの山々すれすれのところにまでおりている。
トンビの鳴く声。
カラスの鳴く声。
耳を澄ませば、波の音も聞こえる。

 そう言えば、数日前、知人の1人が狭心痛の発作(?)で、市内の病院に入院した。
一度、同じような症状が出て、そのときは簡単な手術で退院した。
「夜中に、自分で車で連れていきました」と、息子氏は言っていた。
年齢は78歳。
大柄の太った人だった。
「……だった」と書くと、もう亡くなってしまったかのように思う人がいるかもしれない。
ここ10〜15年ほど、会っていない。
それで「……だった」と書いた。

 心筋梗塞と脳梗塞は、ペアで襲ってくる。
ともに血栓性の病気。
無事であればよいが……。

●童心

 外はかなり明るくなってきた。
鉛色の空、鉛色の海、その間にあって白くかすんだ島々。
近くには小さな島も見える。
深い緑に包まれ、じっとそこにたたずんでいる。
その右端には、船の航路灯があって、時折赤い光を点滅している。

 6時になったら、もう一度、露天風呂に入ってみるつもり。
あのケーブルカーが気に入った。
ケーブルカーに乗って、山の上の露天風呂に行く。
「キラカン」だけの特別サービスである。
乗ったとたん、私は童心に返った。

 そのあとの食事は、7時半からとか。
窓の外を見ると、さらにいっそう、景色が明るくなっていた。
その景色を、黒いカラスが、鳴きながら真一文字に横切っていった。

●デジャブ

 思考力が低下した?
ほんの少し前までは、こうしてものを書いていると、つぎからつぎへと、
いろいろなことが頭の中に浮かんでは消えた。
が、今は、それはない。
ぼんやりとカーテンがゆらめくのを見たり、ベランダに散った私物をながめたりする。

 ……子どものころ、町内の遠足で、この蒲郡(がまごおり)には、ときどき来た。
海水浴のためである。
だからというわけでもないが、この景色には、どこか見覚えがある。
来たことはないはずなのに、どこか見覚えがある。
こういうのを「デジャブ」、つまり「既視感」と言う。
わかりやすく言えば、「偽記憶」。

 「デジャブ」というのは、はじめて来た場所なのに、以前に一度来たような錯覚に
とらわれることをいう。
どこか霊的なパワーのなせるワザのように思う人もいるが、偽記憶は偽記憶。
記憶というのは、底なしに広い。
その中の一部が、目の前の景色とダブる。
改めて「吉良吉田へは、今日、はじめて来た」と、自分に言って聞かせる。

●記憶

 デジャブと逆の現象は、夢の中で経験する。
来たことがある場所なのに、それがどこかを思い出せない。
私のばあい、まったく見たこともない家なのに、自分の家と思い込むこともある。
記憶というのは、いいかげんなもの。

一説によると、たとえばどこかの旅館に泊まったとする。
そのとき、旅館の名前、場所、雰囲気、料理、風呂などの記憶は、脳の別々のところに
格納されるそうだ。
どこかにまとまって格納されれば、もう少し記憶を取り出しやすくなるかもしれない。
バラバラの格納されるから、思い出すときに苦労する。
コンピューターでいうような、「最適化」はできないものか。
 
 だから前回泊まったような旅館のようなばあい、とくに関連性のあることについては、
覚えている。
旅館とその風呂とか、旅館とその料理とか……。
しかしそれ以外の付随したことについては、どこの旅館のことだったのか、それがよく
思い出せない。
「あのみやげを買ったのは、どの旅館だったかな?」と。

●同窓会

 話がバラバラになってきた。
昨夜は、性欲について書いた。
今朝は、記憶について書いている。
が、これでは旅行記にならない。

 そう言えば、今度金沢で大学の同窓会がある。
数日前、連絡の手紙が届いた。
どこかの旅館を借りて、するという。
一泊、1名、2万5000円。
夫婦2名で、5万円。
かなりの大名旅行ということになる。
というのも、往復の旅費を入れると、10万円を超える。
この2月に同窓会があったばかりだから、今回は失礼するつもり。
……というより、同窓会に出てこられる人は、健康的にも恵まれた人たちばかり。
金沢周辺に住んでいる人も多いが、半数以上は石川県外に住んでいる。
今、ふと「脳梗塞にでもなったら、どうするんだろう?」と思った。
「車椅子に乗っていくしかないな」とも思った。

 やはり健康が許すなら、同窓会には出るべきなのか。
出られるうちは、出るべきなのか。
そのうち出たくても、出られなくなるかもしれない。
「失礼するつもり」と書いたが、迷いが生じてきた。
健康であることを喜びあう同窓会なら、10万円など、安いもの。
金額で考えるほうが、おかしい。

●再び……

 水平線はさらに明るくなったが、視界はかえって悪くなった。
見えるはずの対岸の渥美半島の島々が見えない。
空はすっかり雨模様。
で、時刻はもうすぐ6時。

 これから露天風呂へ。
楽しみ!

●やる気と性欲

 やる気と性欲は密接に関連しあっている。
やる気を司る中枢も、性欲中枢も、視床下部にある。
視床下部からの信号を得て、やる気(生的エネルギー)が生まれる。
性欲中枢、それに食欲中枢も、その視床下部にある。
一説によると、男性の性欲中枢を司る中枢部は、女性のそれの2倍ほどの大きさが
あるという。
(だから男性は、その分だけ、攻撃的ということになるのだそうだ。)
また女性の性欲中枢は、食欲中枢と隣接しているという。
そのため女性のばあい、食欲が満たされると、性欲が増大するという説もある。
(反対に男性のばあいは、飢餓状態になると、かえって性欲が増大するという。)

 ともあれ、やる気と性欲は、密接に関連しあっている。
あれほどやる気に苦しんでいた私が、こうして旅行に来て、温泉につかっただけで、
気分が変わった。
ただの肉塊にしか思っていなかった(ごめん!)ワイフが、色っぽく見えた。
性欲を感じた。
とたん、やる気が出てきた。
頭の中もすっきりしてきた。

 ……何度も、「これは私の思い過ごしか?」と自問してみたが、どうも、そうではない
らしい。
たしかに浜松を出るときと今とでは、気分がちがう。
やはり転地療法というのは、してみるものだ。

●記憶

 もうひとつのテーマ。
記憶。
 
 こうしてときどき旅行する。
しかし1、2か月もすると、旅行の記憶は、たいはんが消えてなくなる。
そこで私のばあい、できるだけ写真を撮ったり、ビデオに動画を収めたりするようにして
いる。
だれのためでもない。
私のため。

 若いときは未来に向かって、思い出を残した。
今はちがう。
今を忘れないために、思い出を残す。
さらに言えば、それは私自身との闘いでもある。
すでに私の脳みその底には、穴があいている。
その穴から、知識や経験、それに思い出がどんどんと流れ落ちていく。
そういう自分との闘いでもある。

 ……少し大げさかな?
旅行なんだから、もう少し気楽に考えればよい。
忘れたら忘れたとき。
そのときはまた別の旅行を楽しめばよい。

●帰りの電車の中で……

 今、この文章を、帰りの電車の中で書いている。
窓の外には、三河湾が断続的に見える。
たった今停まった駅が「子どもの国」。
駅の名前が「子どもの国」。
あたりを見回してみたが、それらしい建物は見えない。
深々とした緑のヤブと、古い寺。
しばらく行くと砂浜が見え、その向こうに小さな半島が見える。
あとは日本なら、どこにでも見られるような、雑然とした民家。

 「子どもの国」というくらいなら、ディズニーランドのような入り口でもあれば
よい。
つぎの駅に着いたときには、そう考えていた。

 ……こうして私の旅行記は終わる。
2010年7月15日。
愛知県、蒲郡にて。
楽しかった!

来月は、ちょっとリッチに、藤枝にある超有名な旅館に泊まる。
お楽しみに!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 きらかん 吉良観光ホテル 吉良温泉 愛知県吉良温泉)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掲示板投稿より(AD・HD児、場面かん黙児)

++++++++++++++++++

最近、掲示板へ、2件の投稿があった。
1件は、AD・HD児についてのもの。
もう1件は、場面かん黙児についてのもの。
2件とも、そうした子どもをもつ親からの
相談だった。

この2件で特徴的なことは、親たちが、
それぞれの子どもについて、正式な診断名を
掲示板の中で、明記していること。
つまり医師の診断を受けていること。
そういう相談であれば、それについて書く私と
しても、返事を書きやすい。
言い替えると、この段階まで親が、自分の
子どもを理解するのは、容易なことではない。
そこに至るまでには、長い道のりと、迷い、
心配、不安がある。
病院へ連れていくについても、相当な覚悟と
決断が必要である。
その上での診断名である。

が、それまでの苦しみが長ければ長いほど、
自分の子どもがどういう状態であるかを
知ることにより、かえってほっとするのも事実。
「ああ、そうだったのか」と。

もちろんそれで問題が解決するわけではない。
解決するわけではないが、そこをスタートラインに
して、前に向かって歩み出すことができる。

それに今は、子どもに問題があったからといって、
(個人)の責任にする時代ではない。
みなが、将来の日本、あるいは将来の世界を
支える子どもとして、暖かく見守る時代である。
この浜松市でも、そうした子どもたちを重点的に
集め、指導、教育している学校がふえている。
「拠点校」と呼んでいる。

そうした拠点校へ、むしろ親の方が望んで
子どもを通学させる時代になってきている。
S小学校(拠点校)の校長は、こう話してくれた。

「昔は、『お宅のお子さんには、問題がありますよ』
と言っただけで、親たちは、半狂乱になったものです。
が、今は、ちがいます。
親たちの方から、『お願いします』といって、子ども
たちを連れてきます。
みなさんの表情が、たいへん明るくなったのには、
驚かされます」と。

この問題は、そういう問題。
深刻に考える必要はない。
また深刻に考えたところで、どうにもならない。
大切なことは、繰り返しになるが、「今」を
スタートラインにして、前向きに考えること。
大切なことは、どんな子どもであれ、前向きに、
伸び伸びと、生きていくこと。
その道筋を用意してあげること。

今時、AD・HD児にしても、場面かん黙児にしても、
「問題」と考える人はいない。
モーツアルトも、チャーチルも、エジソンも、みな、
AD・HD児だった。
最近の研究によれば、あのアインシュタインも、
AD・HD児だったと言われている。

また場面かん黙児にしても、その年齢がくれば、
自己管理能力が発達してくる。
小学3〜4年生前後を境に、急速に「角」が
取れてくる。
症状が残ることは多いが、だからといって、それが
どうしたというのか。

私自身は、ペチャペチャと調子よくしゃべる子ども
より、静かで、沈思黙考型の子どもの方に、
より人間的な深みを覚える。
どうしてそれがいけないことなのか?

2つの記事を、並べて掲載する。

++++++++++++++++++++

(1)【Mさんより、はやし浩司へ】

2年に渡って勝手なことを書いているバカな母親です。

これまで13年間毎日怒り続けてきた私は何だったのだろうと思う
出来事がありました。

これまでも教育センターの教育相談なるものを
受けたことも数回ありましたが、わからなかったこと。

そう、春休みに思い立って児童精神科に受診しました。

医者の最初のひとこと
「ADHDのお母さんはどこの家でも毎日起こっています。
 白黒はっきりさせましょう。」
でした。

なるほどと思うありがたいお言葉!

予約や諸般の事情で3ヶ月間かかってわかったこと。
うちの息子はADHDでした。不注意優位型。中程度。IQは100。
先生は「息子さんはこれまでよくがんばっていましたよ」と
とてもほめてくださいました。

いつものように私の勝手な満足ですが、
ADHDと診断されてよかった。
それなら、個性を生かして行く道があるからです。

薬の治療を始めました。
コンサータは集中度が上がったのが本人にもわかるようです。
ただし、あまりに気持ちが悪くなるようなので、
ストラテラに変更中です。

薬が良いとは思いませんが、黒板を写すような作業が苦手なことも判明。
授業などに集中できるためには、必要な手段かと思っております。

兄弟関係も30%はADHDとのことで、妹もこれから検査を受ける予定です。

私はといえば、丁度去年の今頃からこの1年間、これからは、独身のときの
ように仕事をがんばる!という方向で残業の毎日です。
子供たちには少し不自由もあるかもしれませんが、
今仕事をしなくていつ働く!、
なぜダンナばかりが何の不自由もなく働く!そして
私に自慢する!です。
毎日、不満だらけなのは言うまでもありませんでした。
ただ、今の私はとにかくお金のために働く。それだけです。
でもこれからは、死ぬときは、いい人生だったと思えるような
生き方をしたいと(またまた自己満足ですが)、心がけていこうと思っています。

ところで、話しは戻りますが、ADHDは、私の中では
花粉症くらいに考えることにしています。
いろいろあって、たまたま検査でわかったことなので、
知らなければ知らないで、私がいつも怒っているキチガイだった、
で終わったことかもしれません。
ただし、わかった以上本人の特性を見つける、
もしくは、本人の一生に関わることなので、どうアドアイスすればよいのか?
または、何もしなくてよいのか?
そのあたりを教えていただけないでしょうか?

よろしくお願いいたします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(2)【Kさんよりはやし浩司へ】

はじめまして。
小学3年の息子の事でご相談させて頂きたく書き込み致しました。

先日ネットで検索して初めて知った
場面緘黙症に息子の状態が当てはまります。
ただ症状はとても軽い方だとは思います。
youtubeで先生の動画も拝見いたしました。

このまま放って置いて、自然治癒しそうな感じではありますが
大人になっても
同じ状態であったり更に酷くなると困ると思い
数日前、心療内科を受診し、
心理テストや診断の予約を1ヵ月後にとりましたが
症状が軽い場合、子供にとって
はっきりと病名等を診断された方が良いのか
それとも逆効果になってしまわないか、と悩んでいます。


息子は4人兄弟姉妹の末っ子で
生まれた時から一番おとなしく人見知りが激しい子供で
あまり外に出ず、家の中でよく遊ぶ子供でした。
3歳児健診の時にも
本人は分かっている筈なのに図形や絵柄を答えられず
保健士さんから何度か様子を尋ねる電話を頂きました。
その後、幼稚園、小学校へとすすみますが
毎年かわる担任の先生にはなかなか慣れず
授業中の本読みでもほとんど声が聞こえないような状態です。
懇談ではいつも
先生が話しかけても恥ずかしそうにしていたり
目玉をきょろきょろさせているが
ちょこちょこ悪い事もしているし友達とも遊んでいるので
心配無いですよ。と、どの先生にも言われていました。

先日、3年になって初めての懇談では
先生が話を聞きたいと思って息子に何か尋ねても
全く答えないし、しびれを切らせてイエスかノーで答えられる質問に変えたら
声はでないけど首を振って答える。
何を考えているのかわからないので指導がしにくい、
先生に慣れるのに1年もかかる様では・・・と言われました。
その夜、私が息子に
『どうして先生と話さないの?』と尋ねると
『こころの中で先生に返事したいと思っているのに声が出ない』と言いました。
それでネット検索していると場面緘黙にたどり着きました。

自宅でも私や兄が強く怒ると
言葉が全く出てこなくなり、スネると机の隅っこにまるまって入ったりしますし
近所の大人には挨拶もできないので
先生と話せない様子は目に浮かびます。
かと言って、おもちゃ屋のおじさんとは親しくも無いのに会話したり
一人でお使いや歯医者に通ったりは出来ています。
はじめて逢ったお友達とも遊んだりできますが
自分から遊ぼうと誘いに行くことはほとんど無いようです。

心療内科を受診した日の夜、
『頑張って話すようになるわ』と突然私に言ってきたので
『別に頑張らなくてもいいよ』と、言っておきましたが、
次の学校での本読みは大きな声では無いけれど
いつもより声がでていたそうです。
(担任には経過報告しましたが心療内科を受診した事に
相当驚かれていました)

ここまでの息子の状況だけですと、
私もそう気にする事も無かったと思うのですが
気がかりなのが父親との関係(遺伝)です。
20年間一緒に暮していても気づかなかった
多重債務と嘘が原因で2〜3年の別居後、
カウンセラーとも相談し昨年協議離婚したのですが
父親も場面緘黙だったのだろうと思い当たる節がたくさんあります。
質問しても返事を待つのに長い長い時間がかかったり
親しい方からお祝いを頂いてもお礼が言えなかったり(頭だけ下げる)
無口で義母の友達でさえ声を聞いたことが無いと言っていました。

父親の話は息子にしていませんが
父親と同じようになって欲しくない。という強い願いが私にあります。
それが根本にあるので、
本当なら息子は通わなくても良い程度なのに
心療内科に向かわせているのかもしれない・・・・
と、その判断ができずに悩んでいます。

普段はなるべく明るい雰囲気で毎日暮せる様
冗談や馬鹿な事を言ったり、
母親というより友達の様な感覚で暮しています。

長々とまとまりの無い文章で申し訳ございません。
何かアドバイス頂けると嬉しいです。
宜しくお願いいたします。

(以上、2編、原文のまま)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Mさん、Kさんへ】

●AD・HD児

 ADHD児については、小学3、4年生を境に、症状は急速に改善してきます。
子ども自身の自己管理能力が発達してくるためです。
中学生になるころには、どこか騒々しさは残りますが、その子どもの過去を知らない
人には、ほかの子どもたちと区別すらできなくなります。

それに反比例して、もともとの(良さ)が前面に出てきます。
能力的にも恵まれた子どもであることが多く、ものおじないしない態度、積極性、
行動力がよいほうに作用します。

 大切なことは、それまでに症状をこじらせないこと。
指導する先生にとってはたいへんでしょうが、私自身は、薬物の投与には、あまり
賛成ではありません。
以前は、リタリンを投与していました。
2000年前後のことです。
当時すでに本場のアメリカでは、リタリンの副作用が問題になり、投与を控える動きが
ありました。
私はいち早くその文献を手に入れ、それを翻訳してHP上で発表したことがあります。

 で、今は、リタリンについては、現在、原則として、どこの治療機関も投与を
控えています。
つまり、「安全性」という点から、こうした精神薬には疑問をもっています。
専門のドクターとよく相談して、投与するにしても慎重に決定してください。
(コンサータについては、投与する医療機関を限ることで、制限を加えています。)

●場面かん黙児

 また場面かん黙児については、自分の子どもがそうであることに気づくだけでも、
たいへんな進歩です。
「進歩」という言い方は失礼かもしれません。

 実のところ、そうであるかないかは、この私でも、会った瞬間に判断できます。
しかし教育の世界では、診断名を口にするのは、タブー中のタブーです。
ですから知らないフリをして、指導を始めますが、多くの親はそれでは納得しません。
子どもをはげしく叱ったり、あるいは私の指導の仕方がおかしいとか言って、教室
から去っていきます。
教える側が、はげしい虚脱感というか、虚しさを覚えるのはそういうときです。

 が、診断名をつけてもらえば、また親もそれを納得すれば、指導ができます。
そこがスタートラインになります。
いろいろな文献を資料として与えたり、またそういう子どもを専門に指導している
施設を紹介したりもできます。
「心の問題」ですから、解決方法は、いくらでもあります。

(ただ場面かん黙児については、解決しようと子どもを追い込んではいけません。
そういう子どもであると認めた上で、5年単位の根気のつづく指導が必要です。
あるいはそういう子どもであることを忘れて指導すること。
『暖かい無視』というのは、そういう子どものためにある言葉と考えてください。)

●Mあん、Kさんへ

 ともあれ私は2つの投稿記事を読んで、久々に心が軽くなるのを感じました。
「そうなんすよ」と、そういう言葉が、自然と私の口から漏れました。
言い替えると、「日本も、ここまで進歩した」ということです。
ほんの10年前、15年前には、考えられなかったことです。
子どもたちや、子どものかかえる問題を見る目が、大きく変わってきたということです。
たとえば以前は、幼児教育といえば、お遊戯にお絵かき、あとは季節ごとの行事を
追いかけるだけのものでした。
またそれをもって、幼児教育と誤解している人が多かったです。

 が、今は、心理学や大脳生理学、さらには教育学の3つが、三位一体となって、
子どもの世界をながめるようになってきています。
「治療」という言葉はあまり好きではありませんが、それぞれの問題について、
さらに科学的な原因追及も進んでいます。
当然のことながら、教師のレベルも高くなり、専門性も要求されるようになって
きています。
あと10年もすれば、簡単な診断名をつけるくらいは、現場の教師にも許される
ようになるかもしれません。
(医療機関は反対するでしょうが……。)

 ともあれ、この2人の親には、「それでよかったのですよ」と。
そう言いたいです。
あとはここをスタートラインにして、前に向かって進んでいく。

 最後に、Kさん(場面かん黙児)についてですが、(1)早急な解決は、
あきらめなさい。
(2)それがその子どもの性格として、受け入れなさい、です。
本人は、もうじゅうぶん、がんばっています。
ここであれこれ言うと、かえって子どもが自信をなくしたり、神経症を発症したり、
症状をこじらせてしまいます。
そのかわり、ほんの少しでも改善が見られたら、おおげさにそれをいっしょに
喜んでみせてあげてください。
「よかったわ」「すばらしかったわ」「うれしかったわ」とです。
(3)あとは5年単位の時間をみてください。
「5年前とくらべて、どうか」とです。
1〜2単位の変化で、一喜一憂しないこと。
またこの問題は、(何も問題ではありませんが)、そういう問題です。

 ただ周囲の先生や子どもたちには、誤解を招きやすいので、それとなく、
率直に子どもの診断名や症状名を話しておくことも大切です。
私のところでも、ときどきこのタイプの子どもが、いじめの対象になることがあり
ます。
そういうときは、相手の親(いじめをする子どもの親)に、手紙を書いたり、
会って話をしたりして、理解を求めるようにしています。

 ともかくも、掲示板への投稿、ありがとうございました。
あとは、ヤフーの検索エンジンなどを使って、「はやし浩司 ADHD」、
あるいは「はやし浩司 場面かん黙」などを検索してみてください。
具体的な指導法は、あちこちに書いてきました。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ADHD児 AD・HD児 場面かん黙児 緘黙児 はやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●信念と態度

+++++++++++++++++++++++

私は子どものころから、信念に乏しい人間だった。
今も、その傾向がつづいている。
付和雷同型というか、よい意味では、和合型人間。
悪い意味では、優柔不断型人間。
それには私の生い立ちが、深く関与している。

では、私の「信念」とは何か。
たとえば社会心理学の世界には、「態度」という言葉がある。
その「態度」というのは、ズバリ「信念」をいう。
ものごとに対して、どのような信念をもっているか。
それを「態度」という。

俗世間でいう、「表面的な様子」のことではない。

+++++++++++++++++++++++

●信念

 信念にも2種類、ある。

(1)注入された信念。
(2)自己創造した信念。

 注入された信念というのは、カルト教団の信者たちが共通してもっているような
信念をいう。
(自分で考えた信念)ではない。
(与えられた信念)をいう。
特徴の第一は、みな、言うことが同じ。
テープレコーダーを回したような意見を口にする。

 これに対して(自己創造した信念)は、自分で作り上げた信念をいう。
特徴としては、そこに至るまでの長い道のりがある。
それに常に柔軟性を保留している。
進歩もするし、ばあいによっては、後退もする。
「ひょっとしたら、どこかに穴(まちがい)があるかもしれない」という迷いもある。

 もちろんその中間型というのもある。
ある程度の指導を受けながら、その上に自分の信念を作り上げていく。
あるいは似たような信念をもつものどうしが集まって、信念を一定の形に仕上げていく。

●カルト

 カルトの特徴には、いろいろある。
ざっと思いつくまま並べてみる。

(1)排他性(ほかの思想を否定する。)
(2)独善性(自分たちだけが正しいと思い込む。)
(3)隔離性(他者との交わりを制限する。)
(4)絶対性(教祖、教団を絶対視する。)
(5)催眠性(指導の一部に、催眠的方法を取り入れる。)
(6)集団性(つねに集団行動をし、個人的行動を制限する。)
(7)誇大性(ささいな事実を、誇大視する。)
(8)神秘性(神秘的な要素を重要視する。)
(9)権威性(釈迦、キリストなど、最高権威をもちだす。)
 
 幼児期から少年少女期にかけての教育(?)ほど、効果的とされる。
そのため、フランスやベルギーなどでは、カルト教団への入信年齢を逆にきびしく
制限している。
(日本では野放し。)
さらにその危険性から、国よって、(1)政治活動を禁止したり、(2)営利活動
を禁止したりしている。
(日本では事実上、野放し。)

●「柱」

 一般的に原始的な信念は、わかりやすく、人に受け入れやすい。
観念的、抽象的であればあるほど、人に受け入れやすい。
たとえば日本の武士道など。
(だからといって、武士道がまちがっていると書いているのではない。誤解の
ないように。)

 一方、哲学的思想をもった信念は、わかりにくく、人に理解されにくい。
事実や解釈に基づいた思想性があればあるほど、人に理解されにくい。
たとえば平和運動や人権運動など。

 どうであれ人は信念という「柱」をもつことによって、自分の生き様を補強する
ことができる。
思考プロセスとして機能するため、それぞれのばあいに信念に応じて、ものを考え、
結論をくだすことができる。
わかりやすく言えば、信念は、「生きていくための便利な道具」ということになる。
が、もちろんそれだけには、終わらない。

●「態度」

 信念には、それを支えるに足りる、強い意志がなければならない。
意志がなければ、ただの思想。
で、その意志がどういう状況で、どう作られるかが問題。
それにはその人の人生観、哲学観、過去の経験が集約される。
が、それは簡単なことではない。

たとえば真・善・美に追求にしても、一朝一夕にできることではない。
そこに至る過程には、長い道のりと時間、忍耐と苦痛、努力と精進が必要。
その結果として、意志が総合されて、「信念」へと固まる。
社会心理学で言う「態度」は、そうして生まれる。

●坂本龍馬

 で、最近は、坂本龍馬ブーム。
書店へ行っても、「坂本龍馬」の文字が、あちこちから飛び込んでくる。
私と縁がないわけではない。

 私がオーストラリアへ渡ったとき、私の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏。
美智子皇后陛下の父親である。
その正田氏のもとで、事務手続きをしてくれたのが、坂本二郎氏(東京商工会議所
所属)。
坂本龍馬の直径のひ孫氏。
その坂本龍馬は、自分の信念に命をかける。
どういうプロセスを経て、そのような強固な信念をもつようになったかは知らない。
当時の殺伐とした社会状況が、大きく影響していたのかもしれない。
が、「命をかける」だけなら、イラクで自爆テロを繰り返す若い女性にだってできる。
大切なのは、やはりそれを支える「強固な思想」ということになる。
坂本龍馬には、それだけの思想性はあったのか?

 ……という話は、また別のところで考えたい。
私が書きたいのは、坂本龍馬にせよ、それと対峙した新撰組にせよ、どこかに
狂信性もあったのではなかったかということ。
思想性を裏付ける文書が、あまり残っていないことにもよる。

●信念の人

 私も自分の人生の中で、「これは信念の人」と思えるような人には、あまり出会って
いない。
命をかけて、正義と闘ったような人をいう。
ただ誤解がないように言っておきたいのは、欲得の追求のために闘志を燃やすというのは、
「信念」ではない。
わかりやすい例としては、「金儲け」がある。
さらに最近の例としては、日本の相撲界がある。
「国技」とは名ばかり。
国技意識など、どこにもない。
おそらく「国技」の意味もわかっていないのでは?

 一方、K国による拉致問題に取り組んでいる人たちがいる。
横田めぐみさんの両親が、そうである。
ああいう人たちを見ていると、本当に頭がさがる。
神々しい尊ささえ感ずる。
「信念」、つまり「自己創造した信念」には、そういう力がある。

●信念

 人生も、カウントダウンの段階に入った。
平均寿命まで残り16年。
この段階で、「信念」と言えるものをもっている人は、幸福な人だ。
信念に燃え、そこに命をかけている人は、幸福な人だ。

 が、私には、それがない。
闘うといっても、不毛の荒野の中で右往左往しているだけ。
泡ぶくの波の上で、見栄や体裁に踊らされているだけ。
自分が何を求め、どこへ進んでいるかさえ、わかっていない。
信念など、自分に求めようもない。
これでよいとは思っていないが、しかしだからといって、どうしようもない。
そういう状況で、今日も始まった。
2010年7月11日。

 ところで昨夜は、ワイフと、映画『プレデターズ』を観てきた。
途中であくびが出るほどのダ作。
意味のない戦闘映画。
制作費も、ほとんどかかっていない。
星は1つか2つの、★。
ついでに一言。
信念のない映画というのは、ああいうのをいう。
ボケ防止には役に立つかもしれないが、観るだけ時間の無駄。
お金の無駄。

 ということで、みなさん、おはようございます!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 信念と態度 社会心理学 態度 心理学でいう「態度」 信念の人)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【7月12日】(2010)

●新しい動画

新しい動画にチャレンジしてみた。
ファイルの変換ができなかったので、再生したものを、一度ビデオカメラに
収めた上で、YOUTUBE上に公開してみた。

+++++++++++++++++++++

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/Imh1Q0HHFQg&hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/Imh1Q0HHFQg&hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

+++++++++++++++++++++

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●タコのパウル

水槽の中に飼われたタコが、試合の勝敗を予想する?
そんな愉快な映像が、テレビに流れた。

2組の国旗を入れた箱にエサを入れておく。
タコがそのうちのどちらかを選んで、フタを開けて中に入る。
そのチームが、試合に勝つ。
タコの名前は、パウル。

サッカーのW杯について、そのタコのパウルが、
全8試合すべての試合予想を、的中させたという。
サンケイ新聞は、つぎのように伝える。

『……神託タコとして有名になった「パウル君」の"予言"どおり、11日に行われたワ
ールドカップ南アフリカ大会の決勝戦を制したのは、延長戦の末にオランダを破ったスペ
インだった。

 これでパウル君は、先に的中していたドイツ戦7試合と合わせて、『全試合的中』という
偉業を成し遂げた……』(2010年7月12日)と。

8試合というと、2の8乗分の1の確率。
2x2x2x2x2x2x2x2=256、つまり256分の1の確率。
もしこれが本当なら、「ありえない確率」ということになる。

ありえない!

 タコの頭のよさは、いろいろな面で証明されている。
たとえばフタつきのビンの中にエサを入れておくと、タコは、自分でそれを開けてしまう
など。
しかもたった一度、ビンの開け方を教えただけで、つまり1回の学習だけで、開け方を
覚えてしまうという。
が、予想は、別。

 何かのトリックがあったのでは?


●民主党敗北

 今回の参議院議員選挙で、民主党が敗北した。
敗因は、消費税問題というが、それはおかしい。
敗因は、小沢一郎氏である。
あの人がギリギリまでがんばりすぎた。
浮動票層(無党派層)の人心が離れすぎたところで、やっと辞任。
鳩山前内閣の支持率も、10%にまでさがっていた。
もし小沢一郎氏が幹事長のままで選挙に臨んでいたら、先の麻生元内閣の二の舞を
演じていたはず。

 消費税については、もうだれの目からみても、増税はやむをえない。
日本経済は、そこまで病んでいる。
ただしそれには条件がある。
行政サービスを落としてでもよいから、公務員の人員と給料を削減すること。
道路がガタガタになってもよいから、無駄な公共事業を削減すること。

 数日前も私は印鑑証明を取るために、近くの市の出先機関に足を運んだ。
2枚の印鑑証明を取るだけで、900円。
1枚、450円。
それを手にしたとき、「こんな紙切れ1枚が、450円!」と思った。

 それで事務員たちは、自分の給料を得ているわけではない。
給料は、もちろん設備機器一式も、すべて別枠の税金で支払われている。
つまりこうしたサービスは、それこそ紙代+印刷代程度ですむはず。
それを450円とは!

 民衆から、しぼり取れるものは、すべてしぼり取ってやれ……という姿勢が、
こんなところでも、かいま見ることができる。
それこそどこかの政党が言っていたように、もう「鼻血も出ない」。
それをまず是正すること。
その姿勢を示すこと。
消費税アップは、そのあとの問題。


●ヨーロッパの飛行機

 EU(フランス)では、飛行機がバス化している。
チケットは、インターネットで買うことができる。
それをプリントアウトして、飛行機に乗る。

 席は決まっていない。
早い者勝ち。
つまり私たちが電車やバスに乗るような感覚で、飛行機に乗る。
値段は、安い。
空席があれば、800円(日本円)とか、1000円で乗れる。
ばあいによっては、300円でも乗れるという。

 今や世界の航空業界は、そこまできている。
が、ひとり立ち遅れているのが、日本。
欧米から日本へ来るときは、たとえばフランスから日本へ来るときは、大韓航空で
ソウルまで来る。
ソウルで、日本の飛行機に乗り換えて、日本の各地へ来る。
そのほうが料金が、安いという。
しかもだ、フランス→ソウルの料金のほうが、ソウル→名古屋の料金より安いときも
あるという。

 先週、フランスから遊びに来てくれた、サラーンさんが、そう教えてくれた。

 また驚くほど高額なのが、日本の鉄道料金。
日本へ来た外人が、みな、そう言う。
(もっとも彼らは、JRが発行するフリーパス券を買うことが多いが……。
それだと安く列車に乗ることができる。
ただし日本人は、買うことができない。)

 そう言えば、先日幼稚園児と話していたときのこと。
「新幹線に乗ったことがない」と言った子どもが多いのには、驚いた。
3〜4割の子どもが、そうではないか。
みな、車で移動するのだそうだ。
たとえば家族で浜松ー東京を往復すると、新幹線だと、5万円前後(大人2人、子ども
2人)もかかる。
車で走れば、高速料金を含めても、1万円前後ですむ。

 「公共性の強いものほど、高額」。
それが今、日本の常識になりつつある。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●「みんなに嫌われている」

++++++++++++++++

ときとして、本音がボロリと出ることがある。
心理学の世界でも、それを説明する専門の
言葉がある。

たとえば目の前に背の低い男性がいたとする。
そういうときだれしも身長の話は、避けようとする。
が、そういうときにかぎって、話題が身長のほうに、
向いてしまう。
「私なんか、足が短いから、ズボンをさがすのに
苦労します」とか、など。

言い終わったあと、「しまった!」と後悔する。

++++++++++++++++

●嫌いな相手

 そこに嫌いな相手がいたとする。
しかし「嫌い」とは、言えない。
で、そういうときは、こう言ってしまう。

「あなたはみんなに、嫌われている」と。

 「みんな」という言葉の中に、自分を押し込めて、そう言う。
つまりそういう言葉のほうが、「あなたのこと、嫌い」と言われるより、強烈。
強烈な打撃を相手に与える。……与えてしまう。
つまり言われた人は、かなり深刻にその言葉をとらえてよい。

 こういうケースのばあい、表面的な様子にだまされてはいけない。
よくあるのが、夫婦のばあい。
見た目には仲がよい。
しかし夫婦の(見た目)ほど、アテにならないものはない。
たがいに(そうでなければ不幸)という思いから、仲がよい夫婦を演ずることが多い。
これを反動形成という。

●反動形成

 仲が悪くなれば、最終的には離婚。
それを避けるために、本来の自分を押し殺して、別の自分(人格)を演ずる。
仲がよいフリをして見せたり、言わなくてもよいのに、「好きよ」とか、「愛している」
とか言ってみせたりする。

 つまりそういう形で自分の心を偽る。
偽りながら、本来の自分とは正反対の(自分)を形成する。
教科書にも出てくるのが、長男、長女のケース。

 下の子どもが生まれると、上の子どもは嫉妬が原因で心をゆがめることが多い。
親の愛に不安をいだいている子どもほど、嫉妬しやすい。
で、上の子どもは下の子どもを憎んだり、嫌ったりするようになる。
が、それを表現することは、まずい。
自分の兄(姉)としての立場を、失ってしまう。
そこで上の子どもは、(よくできた兄、あるいは姉)を演ずるようになる。

 意識的な演技というよりは、無意識的な演技。
これが「反動形成」である。

 夫婦のばあい、夫婦相互で、それぞれが反動形成を演ずることがある。
俗に言う「仮面夫婦」というのが、それ。

●仮面

 しかし仮面は仮面。
ときとして、本音が吐露(とろ)することがある。
「心情的吐露」という。
それが冒頭にあげた、「あなたはみなに、嫌われている」という言葉ということになる。

 「私が嫌っている」とは言えない。
そこで自分を不特定多数の中に押し隠しながら、「みんなが……」と言う。
夫婦の間だと、妻が夫に、こう言ったりする。

「あなたは家族みんなに嫌われているのよ」「家族だけではないわ。親戚の人たちにも
嫌われている」と。
つまり、もしあなたがあなたの妻にそう言われたら、あなたは妻に、かなり嫌われて
いると判断してよい。
「かなり」というより、「生理的レベルで嫌われている」と判断してよい。
つまり修復は、不可能。……というか、かなりむずかしい。

 が、かえってそういう妻ほど、献身的で、マドンナ的な妻を演ずる。
演ずるという意識もないまま、演ずる。
それが反動形成ということになる。
そういう形でも取り繕わないと、自分の立場がなくなってしまう。
家族が崩壊してしまう。

 そういう意味では、夫婦というのは、10年、20年単位で「形」をつくる。
外見からだけでは、簡単に見抜くことはできない。
というひとつの例として、「みんなに嫌われている」という言葉を考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 吐露 心情的な吐露 心情的吐露 本音 思わず本音 反動形成 偽
りの心 仮面夫婦)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの「盗み」vs.親心(Regarding: Children's Stealing)

++++++++++++++++++++++

子どもの自立。
その三種の神器。
それが、ウソ、悪口(悪態)、それに盗み。
奨励せよというのではない。
そういうことがまったくできないほどまで、
子どもを押さえつけてはいけないということ。

子どもは、ウソをついたり、悪口を言ったり、
あるいは盗みをしたりして、おとなの優位性を
打破しようとする。
わかりやすく言えば、自立の第一歩。
その第一歩として、ウソを言ったり、悪口を
言ったり、あるいは盗みをしたりする。

たとえばウソ寝、ウソ泣きがある。
満2歳ごろから始まる。

その「盗み」について、一考。

+++++++++++++++++++++

●はげしい相続財産争い

 M氏(65歳)は、母親(93歳)がなくなったあと、兄弟姉妹との間で、相続に
からんで、はげしい遺産争奪戦を繰り返した。
毎週のように玄関先で、大声で怒鳴りあったという。
たまたま母親が残した農地が、大規模土地開発の一角に組み込まれ、数億単位の宅地に
変身した。

で、結局、その農地は転売され、4人の兄弟姉妹で均等に分けることになった。
が、それ以後、兄弟姉妹の行き来は、完全に途絶えた。

 こうした話を聞くと、ではいったい、遺産とは何か、そこまで考えてしまう。

●子どもの盗み

 先にも書いたように、子どもは、ものをよく盗む。
親のサイフからお金を盗むことにはじまって、中には金庫や、親のカードを使って、
お金を盗む子どももいる。
そういうとき親は、全人格を否定されたかのように、子どもを叱る。
たいてい、狂ったように、子どもを叱る。
少なくとも、盗みを黙認する親はいない。
が、そこでちょっと、待ったア!

 若い親と年配の親とでは、基本的な部分で考え方が大きく異なる。
私も若いころは、息子たちがそういう行為をすると、かなりはげしく叱った。
しかし歳を取ると、少しずつだが、自分の中に変化が生じてくるのを知った。

若いころは、「しつけ」という点で、はげしく叱った。
が、歳を取るにつれて、少し変わってきた。
「どうせ息子たちの財産ではないか」と考えるようになった。
さらに歳を取ってくると、「相続争いをするよりはよい」と考えるようになった。

●M氏の母親の立場

 冒頭にあげたM氏の話を、もう一度、考えてみよう。
M氏の立場で、ではなく、M氏の母親の立場で、である。
もしあなたがM氏の母親なら、自分の息子や娘たちの相続争いを、どのように考える
だろうか。
どのように見るだろうか。
あるいは、「バカな争いをしているな」と、笑ってすますことができるだろうか。
あなた自身のこととして、一度、考えてみてほしい。

が、私なら、息子たちにこう言うだろう。
「やめろ!」と。
「見苦しい喧嘩は、やめろ!」と。
そして財産を残したことを、心底、後悔するにちがいない。

 つまりそういうこともわかるようになってくるから、歳を取ると、「盗み」に
ついての考え方も、当然変わってくる。

●金銭的な損得論

 損か得か。
金銭的価値に置き換えるなら、子育てほど、損な作業はない。
学費にしても、子どもによっては、1千万円単位の金(マネー)がかかる。
で、それだけの学費をかければ、子どもはそれなりの知的財産を身につけることになる。
医師や弁護士になれば、それなりの高額の報酬を手に入れる。
が、こと親に関して言えば、それだけの見返りは、まずない。
とくにこの日本ではそうで、時代も変わった。
私たちが20代、30代のころ、「仕送り息子」は、どこにでもいた。
私自身もそうだった。
毎月、収入の何割かは、実家へ仕送った。
が、今は、いない。
さがしてもいない。
今では、息子や娘の婚姻費用、新生活の支度金まで、親が出す。
そういう時代になった。

 そういうことが現実に繰り返されるようになると、「何が盗みか」ということになる。
もう少しわかりやすく説明してみよう。

●無駄?

 金銭的な意味では、子育ては「損」。
「損」の連続。
その「損」を重ねるうちに、損が何であるか、それさえわからなくなる。
たとえば私の息子たちにしても、途中で何度か進路を変更している。
そのつど、それまでの学費が無駄になったりした。
また二男にしても、三男にしても、昔でいう養子以上の養子になり、先方の土地に
住みついてしまった。
私が住む地元に戻ってくるなどという意思は、みじんもない。
ワイフの話によれば、私たちの葬式にさえ来ないだろう、と。
そうなってくると、金銭への執着心にも変化が見られるようになる。
どこか、投げやりに近い気分になる。
「どうでもなれ!」と。

●団塊世代の悲哀

 たまたま今夜も、タクシーの運転手とそういう話になった。
年齢を聞くと、58歳と言った。
その運転手も、こう言った。
「今の若い人たちには、私たちの生きた時代がどういうものであったか、それを
理解するのは不可能でしょうね」と。

 運転手は、こう言った。
「私は深夜営業でしてね、ときに11時間、つづけて働くこともありますよ。
これは内緒ですよ。
で、午前4時ごろ家に帰り、それから犬と散歩します。
妻や息子、嫁が起きてくるのは、その後です。
だれも私に感謝の念などもっていませんよ。
むしろ給料の少ないことで、不満ばかり言っています。
それを知っているから、こうして運転しながら、「なんで私は、こんな苦労をしている
のかと思うことがしばしばあります」と。

●人生が盗まれる

 だから最近は、親たちから子どもの「盗み」についての相談を受けるたびに、
こう思う。
「何だ、そんなことか」と。
あるいは「盗みくらいが、何だ」とも。
「どうせそのうち、あなたの人生すべてが盗まれる」と。

 もっともそんなことを口にしたらおしまい。
一応の指導とアドバイスはする。
しかしへたに財産を残せば、兄弟姉妹が骨肉の争いを繰り返すことになる。
……とまあ、そう決めつけてしまうのも危険だが、その可能性は、たいへん高くなる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見てみればよい。
親の死後、兄弟姉妹が仲よく財産を分け合ったという例は、ほとんどない。

●損の美学
 
 一方、「損の美学」というのもある。
最近、ある経済誌を読んでいたら、その中にこんな言葉を見つけた。
『頭とシッポは、くれてやれ!』と。
ものの売買の極意だそうだ。
へたにケチになるから、大損をする。
だから損を覚悟で、適当なところで売り、適当なところで買う。
『頭とシッポは、くれてやれ!』と。
が、損の美学は、それだけではない。

 損を重ねれば重ねるほど、実はその分だけ、お金(マネー)は戻ってくる。
それがバネとなって、さらにその人ががんばる。
だからこの世の中で、「金持ち」と言われる人たちは、特殊な資格で保護されて
いる人は別として、みな、他方で損に損を重ねている。
同時に、その分だけ、人間的にも深みがあり、スケールも大きい。
精神的にも、たくましくなる。

●損をしない人

 子育てにも似たようなところがある。
さらに言えば、人生にも、似たようなところがある。
「盗み」だけではない。
子どもの成績がほんの少しさがっただけで、おおげさに騒ぎ、またほんの少し
あがっただけで、これまたおおげさに喜ぶ。

 中にはこんな女性(40歳くらい)もいる。
わざと近所の人たちに聞こえるような大きな声で、庭にいる夫にこう言う。
「あなたア!、学習院大学の同窓会名簿が届いているわよ!」と。

 つまりそういう形で、夫の出身大学を近所の人たちに知らせていた。
が、実際には、その夫というのは、高卒後、専門学校しか出ていなかった!
つまり見栄や虚栄も、「損の美学」のひとつとして、考えられる。
ケチな人は、どこまでもケチ。
心に余裕がない。
スケールも小さい。
ささいな利益にこだわって、自分を見失う。

●私たち……

 私の息子たちは、二男をのぞいて、私からよく金(マネー)を借りる。
「貸してくれ」というから、私は貸す。
しかしいまだかって、返してもらったことは、一度もない。
しばらくすると、返そうという意思そのものが、消えてしまうようだ。
(二男は、子どものころから、意地っ張りで、人にものをねだらない。
性格は私によく似ている。)

 で、そういうとき私たち夫婦は、あきらめて、忘れる。
「どうせ、そのうち、私たちは死ぬのだ」と。
死ねば、そのまま借金も、遺産ということになる。
ご破算になる。
が、これは世界の常識ではない。

 欧米では、家でも親子の間で売買している。
もちろん金(マネー)の貸し借りもするが、他人との貸し借りと、どこもちがわない。
国によって多少のちがいはあるが、夫婦の間でも、こと金の貸し借りとなると、
みな、シビア。
とくに中国本土の人たちは、シビア。
夫婦でも、財産は別々に形成する。

 どちらがよいとか、悪いとか、今ここで結論を出すことはできない。
日本には日本のよさがある。
欧米には欧米のよさがある。
(中国は、その点、シビアすぎるが……?)

 だから今、「盗む」という話になると、どうでもよくなってしまう。
もっともその分だけ、私たちは人生を楽しませてもらった。
それでじゅうぶん。
それ以上、何を望むか。
あとは残された人生を、できるだけ楽しく、有意義に過ごすだけ。
息子たちに関係なく……。
もちろん財産は、一円も残さない。
現金は使い切る。
財産は売り切る。
残った不動産は、地域の人たちに寄付する。

 ……ということも参考に、あなたも一度、子どもの「盗み」について考えて
みるとよい。
見方が変わってくるはず。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子どもの盗み 盗みについて 窃盗 子供の窃盗 親の対処法)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●いじめ(bullyings)

+++++++++++++++++++

「いじめ」、つまり子どもの「攻撃性」に
ついて調べていたら、興味深い文献に出会った。
堀井俊章著『心理学』(PHP)である。
そのP95に、「8つの攻撃タイプ」という
タイトルで、アメリカの社会心理学者の
ヴァーコビッツの『攻撃手がかり仮説』を
紹介していた。

それをそのまま引用させてもらう。
つまり人間がもつ攻撃性は、8つのタイプに
分類できるという。

+++++++++++++++++

【ヴァーコビッツの攻撃手がかり仮説】(堀井俊章著「心理学」より)

(1)身体的・能動的・直接的(突く、なぐる、発砲する。)

(2)身体的・能動的・間接的(落とし穴をしかける、暗殺者に敵を
               殺させる。)
 
(3)身体的・受動的・直接的(他者の行動を物理的に妨害する。
               座り込み、バリケードストライキなど)

(4)身体的・受動的・間接的(すべきことを拒否する。
               単なるストライキ。)

(5)言語的・能動的・直接的(侮辱、非難)

(6)言語的・能動的・間接的(悪いウワサやゴシップを流す。)

(7)言語的・受動的・直接的(話しかけられても、無視する。)

(8)言語的・受動的・間接的(他者が不当に非難されているとき、
               あえてその人を守るため、口を出さない。)
             
+++++++++以上、堀井俊章「心理学」より++++++++++

●いじめ、8つのタイプ

 ヴァーコビッツの『攻撃の手がかり仮説』を、子どもたちの世界における
(いじめ)に当てはめて考えてみる。

(1)身体的・能動的・直接的(殴る、蹴る)

(2)身体的・能動的・間接的(子分を使って、殴る、蹴る。)
 
(3)身体的・受動的・直接的(運動着や教科書を隠す。)

(4)身体的・受動的・間接(ボイコット、非協力的態度。)

(5)言語的・能動的・直接的(言葉による暴力。)

(6)言語的・能動的・間接的(悪口を言いふらす。)

(7)言語的・受動的・直接的(無視、シカト、無口、無返事)

(8)言語的・受動的・間接的(中傷、悪口を、無言で支持する。)
             
●そのほかにも・・・

 ここまで書いて、それで終われば、堀井俊章著「心理学」の受け売りに
すぎない。
が、いじめには、こんな方法もある。
俗にいう「モマシ」という方法である。

 たとえばその人が激怒するような情報を、そっと耳打ちするような行為を
いう。
「あの人が、あなたのことを、こう言っていたよ・・・」と。

 これは、上記8つのタイプのどれに当てはまるのか?
言語的である。
能動的である。
間接的である。

 これらの3点から、上記、(6)言語的・能動的・間接的(悪口を言いふらす。)
に相当することになる。
しかし悪口を言いふらしているわけではない。
「モマシ」は、どれに該当するのか。

 少し気になったので、「モマシ」について、考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ヴァーコビッツの攻撃手がかり仮説 堀井俊章著「心理学」)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「私」の中の私(私論)「私とは何か?」
What is "Me", myself?

++++++++++++++++++++

「私」というのは、言うなれば、タマネギの
ようなもの。
無数の皮を巻いた、タマネギのようなもの。
みなは、その「皮」を、「私」と思い込んでいる。
「これが私」と。
しかし皮は皮。
ただの「皮」。
名誉、地位、財産、世間体、さらに性格、人格、
性質、すべてが「皮」。
その皮をめくっていたら、最後には、何も残らない。
わかりやすく言えば、「私」と言えるものは、
それくらい小さく、少ない。

++++++++++++++++++++++

●操られる「私」

 最近の大脳生理学によれば、こうらしい。
つまり生命の根源と言われるものは、どうやら脳の中心部にある視床下部あたりから、
パルス信号のようにして、発せられているらしい。
そのパルス信号が、脳全体を機能させる。
が、もしその信号が弱ければ、生命力そのものが弱くなる。
強ければ、強くなる。

 フロイトが説いた「性的エネルギー」も、ユングが説いた「生的エネルギー」も、
こうして一連のつながりをもって説明できる。
で、その生命力をコントロールするのが、「理性」ということになる。
が、それを司っているのが、前頭連合野ということになる。
細部はともかくも、大筋ではまちがっていない。

●前意識の世界

 さらに……。
私たちが「私の意思」と思っている部分についても、最近の研究によれば、
実は脳の別の部分で、前もって作られているということまでわかってきた。
(意識)の下に(前意識)がある。
つまり私たちが意識できない部分で、前もって「意識の意識」が作られる。
その「意識の意識」が意識できる部分にまであがってきて、そこで「意識」として
意識される。

 たとえばあなたが台所へ行って、水を飲みたいと思ったとする。
あなたは自分の意思でそう考えて、行動していると思っているかもしれない。
しかし実際には、(のどが渇いた)→(水を飲んで来い)という意識は、それよりも
先に、無意識の世界で作られる。
それ以前に、のどの渇きを視床下部のセンサーが感知する。
空腹感でもよい。
それがある一定の限度を超えたとき、無意識の世界で、「意識」が作られる。
「水が飲みたい」と。
そしてそれがその人のつぎの行動を、決定する。
 
 わかりやすく言えば、私たちが「私の意思」と思っている意識にしても、
そのほとんどが、脳の内部で、勝手に作られているだけ。
「勝手に」だ!
そう考えて、ほぼまちがいない。

●生的エネルギー

 もっともわかりやすい意識に、たとえば「性欲」がある。
わかりやすいから、あえて説明するまでもない。
つまりそれがあるから、人間は種族を後世に残すことができる。

 「性的エネルギー」イコール、「生的エネルギー」。
「生的エネルギー」イコール、「性的エネルギー」。
人間にかぎらず、あらゆる生物について、なぜここに生きているかといえば、
種族を後世に残ることに集約される。

 もろもろの人間が見せる行為は、すべてそのバリエーションに過ぎない。
女性が化粧やファッションに夢中になるのも、男性がスポーツに夢中になるのも、
すべてそのバリエーションに過ぎない。
私たちはそのバリエーションの中で、操られているだけ。
……というのは、言い過ぎかもしれない。
しかしそう考えると、私たちは自分の「意思」の実態を正確にとらえることができる。

●理性の力 

 もし「私」があるとするなら、「私」の中から、私を操るエネルギーを取り除いたもの
ということになる。
そのひとつのヒントが、「人格」ということになる。
(心理学的というよりは、たぶんに文学的なとらえかただが……。)

 人格……つまりその人の人格は、人格論(EQ論)によって説明される。
いかに利他的であるか、いかに共鳴性があるか(サロベイ)、など。
それには当然、性格的な一貫性、情緒の安定性なども含まれる。
さらに道徳論の立場から、視野の広さ、公平性なども含まれる(マズロー)。

 つまりこれがタマネギの「芯」の部分ということになる。
そしてそれこそが、まさに「私」ということになる。

●真・善・美

 が、「私」の追求はむずかしい。
それ自体を追求しようとしても、第一、得体がつかめない。
もともと得体の知れないものだから、当然、そうなる。
そこで古今の哲学者たちは、こぞって、「真・善・美」の追求をあげた。
その結果として、もっと正確には、副次的に、「私」を追求する。

 偉大な科学者、偉大な宗教家、あるいは偉大な芸術家には、神々しいほどまでの
「人格」を感ずる。
その人格が、その人の「私」ということになる。
(ただしスポーツマンには、私は最近疑問を感ずるようになってきた。
日本の相撲界が、その一例ということになる。)

 つまり「私」を知るということは、それほどまでにむずかしいということ。
その前の段階として、「私」を創りあげるのは、それほどまでにむずかしいということ。
私(はやし浩司)も含めて、「これが私」と思っている部分は、タマネギの皮の、
その表面的な部分に過ぎない。

だから北海道の「私」も、沖縄の「私」も、みな、同じ。
同じようなことをしている。
日本の「私」も、アメリカの「私」も、みな、同じ。
同じようなことをしている。
スズメはスズメ、カラスはカラス。
それぞれちがった行動をしているが、全体としてみると、ある一定のワクの中で、
蠢(うごめ)いているだけ。

 それを抜け出たところに、「私」がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 私論 私とは タマネギの皮 「私」論)

(参考)

ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説くEQ論では、
主に、つぎの3点を重視する。

(1)自己管理能力
(2)良好な対人関係
(3)他者との良好な共感性

 一般的には、(1)自己管理能力が低く、(2)他者との良好な人間関係が築けず、(3)
他者との共感性が低い人のことを、「自己中心的な人」という。

 わかりやすく言えば、より自己中心的な人を、人格の完成度の低い人という。
反対に、より利他的な人を、人格の完成度の高い人という。
自己中心性が肥大化した人のことを、「自己愛者」という。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●擬似ボケ体験(認知症体験)

+++++++++++++++++++

今日、2つの擬似ボケ体験をした。

+++++++++++++++++++

●小学生でもボケ症状?

 A子さん(6年生)は、たいへん聡明な女児である。
機転も利くし、反応も速い。
……というより、抜群に頭がよい。
もちろん学校での成績もよい。
そのA子さんと、2週間前に、こんな会話をした。

 私が「夏休みにどこかへ合宿に行こうか?」と声をかけると、すかさずこう言った。
「先生、そんなこと言って、本当は女湯をのぞきに来るんでしょ!」と。

 今どきの子どもたちは、とんでもないことを考える。
「バカめ。お前の何を見るんだ! それにもちろん父母、同伴だ」と言い返すと、
「じゃあ、お母さんの裸をのぞくんでしょ」と。

 で、この話はそのまま終わった。
近くでワイフがこの会話を聞いていた。
いっしょに笑った。

●2週間後

 それからちょうど2週間後。
今日。
またA子さんと会話した。

私「あのね、君ね、この前合宿で、ぼくが女湯をのぞくという話をしたよね」
A「・・・しないわよ。そんな話・・・」
私「ぼくが合宿しようかと言ったときのことだよ。君は、ぼくが女湯をのぞくと
言ったよ」
A「先生、どうかしたんじゃない? 私、そんな話、してないよオ」
私「したって・・・。ぼくは聞いたよ」
A「してないよ。ねえ、B君」と。

 となりにいたB君も、私たちの会話を聞いていたはず。
それで今度はB君に、「聞いただろ?」と声をかけると、B君まで、「知らない」と。

 子どもでも、ボケることがあるんだろうかと、私は考えた。
が、A子さんもB君も、学校でも1、2を争うほど頭がよい。
何度もやりあっているうちに、私のほうが自信がなくなってきた。

A「先生、私、そんな話、してないわよ。先生、頭がボケたんじゃない?」
私「そうかなあ・・・」
A「そうよ、きっとボケたのよ」
私「……?」と。

私はそのまま押し黙ってしまった。
ボケを疑似体験した。
そんな気分になった。

●「オイスノカドッチョ」

 同じ日、幼児教室で、1人の子ども(年中児、4歳)が、こう言った。
私が、「君たちは、赤ちゃんのとき、ママのおっぱいを飲んでいたのを、覚えている?」と
聞いたときのこと。
「ぼくは、オイスノカドッチョを飲んでいた」と。

私「何、そのオイスノ・・・」
子「オイスノカドッチョだよ・・・」
私「ママのおっぱいを飲んでいたんだろ?」
子「ううん、オイスノカドッチョだよ」
私「・・・だから、そのう、オイスノカドッチョって何?」と。

 私は何かの聞き間違いかと思った。
「お牛のオカド」とも聞こえた。
新発売になった飲み物かもしれない。
あるいは乳幼児専用の飲み物かもしれない。
そこで、隣の席に座っていた女の子(年長児5歳)に聞いてみた。

私「あなた、そのオイスノカドッチョって知っている?」
女「うん、知っているよ」
私「何、それ?」
女「オイスノカドッチョだよ」
私「だから……、それって、おいしいの?」
女「おいしいよ」
 
 それを聞いて、ほかの子どもたちまでみな、「おいしいよ」「おいしいよ」と。
私はますますわけがわからなくなってしまった。
私だけが、ひとり取り残されたかのような疎外感を覚えた。
それだけではない。
自分の脳みそを、反対に疑いだしてしまった。
「私の脳みそは、どうかなってしまった」と。

●謎解き

 先の話は、たまたまワイフが横で聞いていた。
A子さんは、たしかに「のぞき」の話をした。
ワイフがあとで、「私も聞いた」と言ってくれた。
が、もしワイフがその会話を聞いていなかったら、私はむしろ自分の脳みそのほうを
疑っていただろう。

 また「オイスノカドッチョ」というのは、「椅子の角」ということがわかった。
レッスンが終わったあと、迎えに来た母親に聞いた。
「お子さんが、『ぼくは、オイスノカドッチョを飲んでいた』と言いましたが、その「オイ
スノカドッチョ」というのは何ですか?」と。

 すると母親は笑いながら、こう教えてくれた。

 「ああ、それですか。それはソファの角のことです。妹におっぱいをくれてやっている
とき、C男(=その子ども)はいつも、ソファの角をチューチューと吸っていました。
その角のことを、『お椅子の角』と言っていたのです」と。

 となると、あのとき「うん、知っているよ」と言ったあの女の子は、何だったのか。
ほかの子どもたちもみな、「おいしい」と言ったはず。
私がからかわれたのか。
いや、そんなことはない。
みな、真顔だった。

 「たぶん、子どもたちはそれぞれに別のものを想像し、勝手に、『おいしい』と
言ったのだろう」……というのが、ワイフと私の結論ということになった。

 ボケの疑似体験・・・つまりこのところ、自分の脳みそを疑うようなことがよく起こる。
若いころなら、こういう迷いはなかったはず。
が、今は、むしろ自分の脳みそのほうを疑ってしまう。
それだけ自信がなくなってきたということか。

 やがてこういう体験がつづくようになり、本当にボケてしまうのかもしれない。
ゾーッ!

(付記)
 「オイスノカドッチョ」の話をした様子は、YOUTUBEに、動画として
そのまま録画してあります。
興味のある人は、「はやし浩司のHP」→「BW公開教室」→「2010年7月9日」
へと進んでみてほしい。
子どもたちとの会話を楽しんでいただけます。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●内罰型(内責型)vs外罰型(外責型)

++++++++++++++++++

あなたは内罰型か、それとも外罰型か。

それによって、あなたの性格は、おおきく
ちがってくる。

++++++++++++++++++

●絶妙なバランス

 子育ては絶妙なバランスの上に成り立っている。
ほんの少しそのバランスがずれただけで、子どもはちがった性質を示す。
そのことは、双子の子どもをみると、わかる。

 両親の接し方は、ほぼ同じ。
育児姿勢も、ほぼ同じ。
環境は、もちろん同じ。

 が、それを受け止める子どもは、それぞれ。
もちろん子どもどうしの影響もある。
しかしときとして、正反対の性質をもつことがある。
ほんのわずかな(差)。
それを「絶妙なバランス」という。

●M君とHさん

 M君とHさん。
ともに小学5年生。
双子。
母親が私の教え子だったということで、この2人については、話しやすい。
母親は、天才的な頭脳の持ち主で、地元の進学校から国立大学の医学部へ推薦で、
入学している。

 中には遺伝的影響を否定する人もいる。
多分に「悪い要素は遺伝しない」という意味で、そう言う。
しかし頭のよい親の子どもは、頭がよい。
そうでない親の子どもは、そうでない。
M君とHさんは、学校でも、めったに100点以外は取らない。
勉強癖がしっかりしていることはある。
かと言って、ガリ勉タイプではない。

●内罰型vs外罰型

 が、M君とHさんは、性格が正反対。
どう性格をみるかにもよるが、M君は内罰型。
内責型ともいう。
一方、Hさんは外罰型。
外責型ともいう。

 簡単なテストをしてみよう。

 あなたが子どもだったころを、思い出してみてほしい。
そのあなたが、不注意でテーブルの上のお茶をこぼしたとする。
そのとき母親の鋭い視線が飛び込んできた。
そういうとき、すかさず「ごめんなさい。私が不注意だった」と、自分に責任を
求めるだろうか。
そういうタイプを、内罰型(内責型)という。
反対にすかさず、「こんなところにお茶を置いておいた、お母さんが悪い!」と、
責任を他人に転嫁するだろうか。
そういうタイプを、外罰型(外責型)という。

 内罰型であるか、外罰型であるか。
この両者は、おもしろいほど2つのタイプに、明確に分かれる。
中間型の人というのは、ほとんどいない。
一度あなた自身のこことして、確かめてみるとよい。
(ちなみに、私はこうして評論ばかりしているが、内罰型。
どうでもよいことだが……。)

●微妙な差

 もし環境や親の育児姿勢が、子どもの性格を決定するというのなら、M君と
Hさんは、同じような性格になったはず。
あるいはたがいの微妙な(差)が、それ以後の成長過程で、極端化したのかも
しれない。
能でいう、ワキとツレ?
どちらか一方が凸になり、どちらか一方が凹になる?
たがいに役割分担をし、補完し合うようになる?

 ただ興味深いのは、見た目にはM君は行動的で積極的。
とても内罰型には見えない。
一方Hさんはもの静かで、沈思黙考型。
とても外罰型には見えない。
わかりやすく言えば、M君は、「やんちゃ坊主風」。
Hさんは、「姉さん女房型」。
見た目と正反対。

 2人は心底信頼しあっている夫婦のように、仲がよい。
たがいにたがいを、よく助け合う。
たとえばM君が、おもちゃのバットを見つけたとする。
そのM君が喜ぶように、Hさんは、ボールを投げてみせたりする。

●母親

 母親については、私の教え子だったこともある。
まれに見る聡明な女性だったこともある。
印象も強く残っている。

 行動的でもちろん、頭のキレもよい。
ただ内罰型だったのか、外罰型だったのかは、わからない。
当時の私には、そういう知識はなかった。
私が推理するところ、Hさんと同じ、外罰型ではなかったか。
こういうケースのばあい、女性である母親は、男である息子の教育にとまどう。
その(とまどい)が、支配的になることが多い。

 半面、女である娘は、女性である母親の理解を得て、力を得やすい。
より自由な雰囲気で、成長する。
母親の気楽さが、娘によいほうに作用する。

●子どもの性質

 話がまとまらなくなってきた。

 つまり私が書きたいことは、内罰型であれ外罰型であれ、それは微妙な(差)で決まる
ということ。
最初は、ほんの小さな分かれ道だったかもしれない。
その分かれ道が、時間の経緯とともに、どんどんと広がり、固定化する。
その(差)が、子どもの性質に大きな影響を与える。

 ここに書いた内罰型の人は、あらゆる面で内罰型になり、生活面においても、大きな
影響を与える。
外罰型の人にしても、そうだ。
 
 ただし一言。
この問題は、どちらがよいかということには、つながらない。
ただ一般的に言われていることは、外罰型の人は、うつ病にはなりにくいということ。
反対に内罰型の人は、うつ病になりやすいということ。
何か問題が起こるたびに、自分を責める。
それが心の中にうっ積して、うつ病を引き起こす(?)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 内罰 外罰 内責 外責 内罰型 内罰型人間 外責型 外責型人間)

++++++++++++++

2007年11月に書いた
原稿を添付します。
この中に出てくる双子の兄弟というのは、
先に書いた双子の兄弟と同じ兄弟です。

++++++++++++++

●他責型人間vs自責型人間

+++++++++++++++++

何か問題が起きると、すぐ「あいつが
悪い」「こいつが悪い」と訴える人がいる。

このタイプの人を、他責型人間という。

一方、何か問題が起きると、すかさず、
「ごめんなさい」「すみません」と、
謝る人がいる。

このタイプの人を、自責型人間という。

「他責型人間」「自責型人間」というのは、
私がつけた名前である。

+++++++++++++++++

 先日、「PーFスタディと呼ばれるテスト法」について、原稿を書いた。投影法の一種で、
心の中の欲求不満がどこにあるかを調べるための、テスト法である。

 私の教室でも、30〜40人の子どもについて、それを調べてみた。結果、おもしろい
ことがわかった。

【テスト法】

 「昨日はキミが遊びに来たから、今日のテストはできなかった」と友だちが言ったこと
に対して、あなたなら何と答えるかを質問。回答を、口頭で言わせたり、作文させたりす
る。

 このテストで、

(1)他責型人間は、どこまでも相手が悪いと主張し、自分への責任を回避する。
(2)自責型人間は、自分の非をすなおに認めて、自分に責任があるとして謝罪する。

 その間にあって、だれの責任でもないとあいまいにしてすませてしまうタイプを、無責
任型人間というが、ここでは考えない。

 このテストは、別名「絵画欲求不満テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著)とも呼ばれて
いる。
つまり心の奥底に潜む、欲求不満の原因が、どこにあるかを、このテストを通して、知る
ことができる。

 たとえば悶々と、いつ晴れるともわからない気分でいたとする。何かわからないが、モ
ヤモヤしている。不平、不満も多い。すっきりしない。そういうとき、このテストをして
みるとよい。その原因がどこにあるかを知ることができる。

 欲求不満の原因が他人にあるときは、他人に向かって責任を求める。たとえばこのテス
トでは、こう書く。

 「あなたが遊びに来いと言ったから、来た。それをどうして私のせいにするの。そんな
のはあなたの勝手よ」と。

 一方、欲求不満の原因が自分にあるときは、自分に向かって責任を求める。たとえばこ
のテストでは、こう書く。

 「ごめんなさい。テストがあるって、私は知らなかった。言ってくれれば、じゃましな
かった。気がつかなくて、ごめん」と。

 このテストをしてみて、とくに私の注意をひいたのは、双子の兄弟(男児と女児、小3)
である。見た感じででは、性格は対照的なほど、大きくちがう。

 男児をA君とする。女児をBさんとする。

 A君は活発で、行動派。わんぱく盛りといった子どもである。自己主張もはげしく、ど
こかわがまま。いつもどこか、ガサガサしているといったふう。

 それに対してBさんは、慎重派。理知的で、繊細な感覚をもっている。人格の完成度も
高い。聡明。いつも静かに落ち着いている。

 A君は、このテストでは、あきらかに自責型人間と出た。一方、Bさんは、そのB君と
は対照的に、あきらかに他責型人間と出た。私は当初、この結果にとまどった。しかしや
がてすぐ、その背景が理解できた。

 当然のことながら、A君とBさんは、いつも行動をともにしている。通っている学校も
同じ。クラスも同じ。きわめて接近した関係にある。

 そういう関係の中で、何かにつけて、A君はBさんに、やりこめられている。勉強とい
う面では、いつも負けている。

 一方、Bさんは、A君という兄弟をもちながら、いつも手を焼いている。内心では、「あ
まり自慢できない弟(兄)」と思っているのかもしれない。A君を、やんちゃな弟とするな
ら、Bさんは、できのよい姉ということになる。(実際には、双子だが……。)

 こういう関係の中で、A君は、自分に対する評価(=自己評価)をさげていった。一方、
Bさんは、自分に対する評価をあげていった。結果、A君は、自責型人間になり、Bさん
は、他責型人間になった。

 わかりやすく言えば、2人の間で何か問題が起きるたびに、A君は、「どうせ、ぼくが悪
い」「ぼくの責任」と思うようになった。一方Bさんは、「何でも、あなたが悪い」「あなた
の責任」と思うようになった。そのちがいが、このテストで、顕著に現れた。

 が、問題がないわけではない。

 他責型人間は、欲求不満の原因を、いつも他人のせいにする。それゆえに、自分の非を
認めない。タイプとしては、姉御(あねご)タイプ。あるいは親分タイプということにな
る。

 一方自責型人間は、欲求不満の原因を、いつも自分のせいにする。それゆえに、ときと
して自分を必要以上に、過小評価してしまう。子分タイプ。あるいは隷属タイプというこ
とになる。

 どちらがよいとか、悪いとかいうことではない。このテストは、あくまでも、心の奥底
をのぞくためのもの。だからといって、A君に、こうしなさいとか、Bさんに、こうしな
さいとかいう類(たぐい)のものではない。

 しかしこのテストを通して、私は、たいへん興味深いことを発見した。見かけでは、A
君は他責型人間、Bさんは、自責型人間に思っていたからである。つまり心の奥底という
のは、その見かけでは、わからないということ。

 あなたも一度、このテストをして、自分の心の奥底をのぞいてみたらよい。

 ところで、私は自責型人間。私のワイフは他責型人間である。先のA君とBさんの関係
と、たいへんよく似ている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●外責型人間VS内責型人間

+++++++++++++++++

何かのことで、責任を問われたりすると、
「お母さんが悪い」「友だちが悪い」と、
その責任を、他人に転嫁するタイプの子どもがいる。
このタイプの子どもを、(おとなもそうだが〜)、
外責型人間という。

心理学の世界には、「帰属理論」という言葉も
ある。責任をだれに帰属させるかという点で、
同じように、外的帰属型、内的帰属型に分けて
考える。

用語はちがうが、中身は、同じ。

外責型人間=外的帰属型、内責型人間=
内的帰属型ということになる。

このほかに、その中間にあって、責任を
問われても、へらへらと茶化してしまう、
無罰型というのもある。

たとえば子どもがお茶をこぼしたばあいを
考えてみよう。

子どもが部屋を走っていて、たまたまそこに
客に来ていた人の、お茶をこぼしてしまった
とする。

そのとき、「お母さんが、そんなところに
お茶を置くから悪いのよ」と、即座に、
他人のせいにするのを、外責型人間(外的
帰属型)という。

一方、すかさず、「ごめん。私が走っていたから
悪かった」とあやまるのを、内責型人間(内的
帰属型)という。

その中間にあって、ヘラヘラと笑いながら、
「お茶がこぼれちゃった。ぞうきん、ぞうきん!」と、
その場をやりすごしてしまうタイプを、無罰型と
いう。

外責型人間は、それだけ無責任で、責任を
いつも他人に向けるので、ストレスを内に
ためない。

内責型人間は、それだけ責任感が強く、ストレス
を内にためやすい。「まじめ」という評価を受けるが、
社会生活がその分だけ、ぎくしゃくしやすい。

+++++++++++++++++

 これは私たち夫婦のことだが、私のワイフは、完全に、外責型人間。一方、私は、完全
に、内責型人間。まったくタイプのちがう人間が、今、(夫婦)をしている。(あるいは長
い時間をかけて、たがいに分業するようになったのかもしれない。)

 つい先日も、2人で、コンサートに行くことになっていた。しかし会場に行ってみると、
コンサートはすでに終わっていた。

 「16:00会場、16:30開演」を、ワイフは、「6時会場、6時半開演」と読みま
ちがえた。それを指摘すると、ワイフはすかさず、こう言った。

ワ「あら、このチケット、時間がちがっている」
私「ちがっていない」
ワ「だって、6時なのに、16:00と書いてあるわ」
私「ちがう。お前が読みまちがえた」
ワ「まぎらわしいわね。ちゃんと、午後4時からと書いてくれればいいのに」と。

 私ならこういうケースでは、即座に、あやまる。「ああ、ごめん。まちがえた。16:0
0会場を、午後6時会場と思いこんでしまった」と。

 が、ワイフは、その段階でも、まだ自分の非を認めない。私が、「お前は、16:00と
午後6時のちがいもわからないのか」となじると、「だれだって、まちがえること、あるで
しょ」「あなただって、この前、講演時間をまちがえたじゃない」と。

 すなおに、「ごめん、まちがえた」と言ってくれれば、私も救われる。が、ワイフはちが
う。つまりワイフのようなタイプの人間を、外責型人間、あるいは外的帰属型という。

 外責型人間は、言い訳がうまく、自分への圧力を、外の世界にかわす。だから
ストレスをためない。うつ状態になることも少ない。

 一方、内責型人間は、自分の中にストレスをためるので、先にも書いたように、責任感
が強い分だけ、うつ状態になることも多い。

 そこであたた自身は、どうかということ。少し前に書いた原稿を、そのままここに転載
する。

********絵画欲求不満テストより***********

【友だちに、あなたはこう言われた。「昨日は君が遊びに来たから、ぼくは(私は)今日の
テストができなかった」と。そのとき、あなたはどう言い返すだろうか?】(「絵画欲求不満
テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著より)

******************************

★A(小3・男児)「ごめんね。キミとあそびたかったもんで、あそびにいきたかったんだ。
ほんとうに ごめんね」(自責・固執型)

☆B(小3・女児)「しょうがないじゃん。キミがあそびに きてっていったから、いったんだよ。ボ
クのせいじゃ、ないよ。それにボクと いっしょに やらないから わるいじ
ゃん。それに、キミ めんどくさいって いったじゃんか」(他責・固執型)

★(小2・男児)「キミがあそびにくるっていったからだよ」(他責・固執型)

★(小2・男児)「ごめんね。ぼくのせいでテストができなくて、ごめんね。でもぼくだっ
て、あそびたかった。けれど、きみだって、テストがあるって、言ってくれればよかった」
(自責・逡巡型)

☆(小3・女児)「ごめん。きのうあそびにいったから、きみがきょう、テストができなか
ったんでしょ。本当にごめん」(自責・固執型)

★(小3・男児)「なぜ、ぼくのせいにするの」(他責)

★(小3・男児)「そんなこというなよ。いやだな。ぼくそういうこと言われると、気ぶん
がわるくなるんだけど」(他責・逡巡型)

★(小5・男児)「なんで? そんなの ぼくがなんで おこられるの。ぼくが帰ってから 
べんきょうすればよかったじゃん。これからは ぼくにもんくを つけないで」(他責・固
執型)

★(小5・男児)「なんで ぼくが わるいんだよ。遊びにきたからじゃ ないよ」(他責・
固執型)

★(小6・男児)「人のせいに するなよ。なら、約束しないか、早めに帰らせれば、よか
ったじゃないか」(他責・固執型)

++++++++++++++++

 ざっと読んだところ、子どもの世界では、「多責・固執型」が目立つ。他人のせいにして、
どこまでも自分には責任がないとがんばるタイプである。

 この中で「オヤッ」と思ったのは、最初のA君と、Bさんの回答である。双子の兄弟だ
が、A君は、やんちゃな、わんぱく少年といった感じ。そのA君とは対照的に、Bさんは、
思慮深く、静かな落ち着きのある優等生といった感じ。精神の完成度も高い。

 そのA君が「ごめんね」とあやまる、(自責・固執型)であるのに対して、Bさんが、相
手を責めまくる、(他責・固執型)であるということ。常識で考えれば、それぞれが反対の
回答を書いたとしても、おかしくない。

 A君のもっている深層心理と、Bさんがもっている深層心理に迫ったのではないかとい
う点で、たいへん興味深かった。

 なおこの(PーFスタディ)では、

(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。

 さらにそれぞれの内容を、

(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の3つに分け
て考える(同書)。

 計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える。

 さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおも
しろい。

 なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのもので
ある。

 欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。

(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。

 前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 P−F
スタディ PFスタディ 絵画欲求不満テスト はやし浩司 外責型人間 内責型人間 
帰属理論 外的帰属型 内的帰属型 「絵画欲求不満テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著) 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間の性格

++++++++++++++++++++++

PーFスタディでは、

(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。

 さらにそれぞれの内容を、

(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の3つに分け
て考える。

 計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える(以上、「絵画欲求不満テスト」
(「臨床心理学」・稲富正治著より)。

 さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおも
しろい。

 なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのもので
ある。

 欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。

(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。

 前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。

+++++++++++++++++++++++

●なぜ、こうした性格に分かれるか

 PーFスタディで興味深いのは、またそこまでPーFスタディでは
踏み込んでいないが、なぜ、こうした性格に分かれるかということ。
遺伝説、環境説の2つが考えられるが、(性質)そのものは、遺伝的要素による
影響を無視することはできない。

 たとえば幼児のばあい、敏感性、鈍感性(知的能力をさすのではない)などの「質」は、
遺伝的要素によって大きく影響を受ける。

 が、外罰型(外責型)、内罰型(内責型)については、生後の家庭環境が大きく
影響していると考えてよい。
そのことは、今まで書いてきた、双子の兄弟(兄、妹)の例をみればわかる。

 もしこうした性格のちがいが、環境によるものならば、つぎにどのような環境で、
子どもたちがどのような性格をもっていくようになるか。
それがわかれば、「私」を知る手がかりを得ることにもなる。

 「私」は、いつ、どのようにして「私」になったのか?

●自責型の逡巡型

 稲富正治著「臨床心理学」の分類法によれば、私(=はやし浩司)は……

(1)自責型の(2)逡巡型ということになる。

 自分を責めながらも、同時にそのつど迷う。
おそらく自責型になったのは、乳幼児期前後にその方向性が決められたせいではないか。
私は子どものころ、そして大学生のころまでは、自責型だった。

 その私に変化が見られるようになったのは、「私」が何であるかわかり始めた、大学生
以後のことではないだろうか。
それまでの私は、批判力も弱く、だれにでもシッポを振るようなタイプの人間だった。
宗教団体からの誘いがあれば、そうした会合にも出た。
学生運動への誘いがあれば、そうした運動にも参加した。
一時は、ヤクザの世界にも、あこがれた。
深い考えがあって、そうしたのではない。
付和雷同、まさにそのものだった。

 が、「それではいけない」と、(しかしそのように意識した記憶はないが……)、現在の
逡巡型になっていった。
つまり乳幼児期に形成された「内罰型(内責型)」を基本に、その後の環境の中で、逡巡型
へとなっていった。
もちろん逡巡型になるについては、私の不幸な家庭環境が大きく影響している。
(それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。)

●「私」とは?

 こうしてながめていくと、その向こうにおぼろげながら、「私」が見えてくる。
つまり「私」の中には、(私であって私でない部分)がたくさんある。
大部分が、そうではないか。
その(私であって私でない部分)を、「私」から引いていく。
残った部分が「私」ということになる。

 ……といっても、その正体をつかむのは、むずかしい。
入り込めば入り込むほど、その先が混沌としてくる。
原型のようなものが、見えなくはないが、しかし「形」があるわけではない。
心理学の教科書のように、分類できるものでもない。
暗闇に包まれている。

 いったい、それは何なのか……。
というところで、この稿をいったん、停止する。
このつづきは、場所を変え、気分を変えて、考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 PーFスタディ 私とは 「私」論)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【老齢期論】(さわやかに老齢期を生きるための鉄則論)

●居直って生きる

 クヨクヨ悩まない。孤独、喪失、不安……。老齢期では、避けようもない。
避ける方法もない。だったら、仲よく生きる。居直って生きる。孤独、当たり前。
喪失、当たり前。不安、当たり前、と。そこに運命を感じたら、受け入れる。
とたん、目の前に道が見えてくる。


●のたれ死に

 道路でのたれ死ぬことを恐れない。心配しない。またそれでもって、人生の
敗残者と思うことはない。動物はもちろん、古今東西、ほとんどの人は、そういう
死に方をしている。またそれがふつう。大切なのは、どう死ぬかではなく、それまでに、
どう生きるか。


●運命

 人にはそれぞれ無数の「糸」がからんでいる。社会の糸、家族の糸、過去の糸などなど。
そうした「糸」が、ときとしてあなたの進むべき道を決める。それを「運命」という。
その運命を感じたら、逆らわない。受け入れる。逆らえば逆らうほど、運命はキバを
むいてあなたの襲いかかってくる。


●脳みその穴に注意

 老齢期に入ると、脳みその底に、穴があいたような状態になる。そこから知恵や知識が
容赦なく、こぼれ落ちていく。10年一律のごとく、同じような話や会話をするように
なったら、要注意。話題の幅が狭くなったら、要注意。話の内容が浅くなったら、要注意。
ユーモアのセンスがなくなったら、要注意。


●愚痴(ぐち)を言わない

 愚痴を言わない。イヤミを言わない。不平不満を口にしない。
同時に愚痴を聞かない。イヤミに同意しない。不平不満は、聞き流す。
愚痴(Complainment)は、それ自体が精神疾患の主症状(アメリカ)になっている。
愚痴をこぼす人は、それだけで精神が腐っている。そう判断して、相手にしない。


●人を選ぶ

 老齢期に入ったら、つきあう人を選ぶ。つねに邁進し、愚劣な人は避ける。
切り捨てる。人間関係をさわやかにする。
老齢期になると、その人の人生観が集大成される。生き様が確立される。
それを適確に判断して、少人数の人と、深く静かに交わる。


●過去を悔やまない

 過去の「損」にこだわらない。今、ここに生きている価値を認める。
息ができる。ものが聞こえる、見える。歩くことができる。話せる。
その価値を認め、そこに生きる原点を置く。「損」という言葉は使わない。
「損をした」という話は、それ自体が人生の敗北を認めることになる。


●運動するという習慣

 大切なのは「運動」ではなく、「運動するという習慣」。
その習慣があれば、よし。そうでなければ、10年単位で、作る。
とくに重要なのが、腰と膝(ひざ)。腰と膝が、老後の健康を決める。
取って付けたような運動は、かえって健康を損ねる。


●今日があって明日がある

 今日がんばれば、明日がある。今週がんばれば、来週がある。
今月がんばれば、来月がある。今年がんばれば、来年がある。
それを心に刻みながら、「今」がんばる。とくに健康については、そうで、
けっして「今」をさぼらない。


●ボケ防止

 もっとも有効なボケ防止策は、(それでもボケる人はボケるが)、「障子を
開けて、外に出る」(豊田左吉、改)。音楽を聴き、絵画を楽しみ、旅行をする。
努めて、つまり無理をしてでも、外に出る。人と交わる。新しい情報を
手に入れる。それを日常生活の中で、習慣化する。


●前向きに生きる

 老後の先細り感は、どうしようもない。解決のしようもない。
すべてが、先細り。健康も、仕事も、人間関係も、そして名誉、地位も。
つまりクヨクヨ悩んでも、しかたない。あきらめ、受け入れる。
そこを原点に、今、そこにあるものに向かって、前向きに生きる。


●流水は腐らず

 人、とくに若い人たちとの接点を失わない。仕事ができれば、喜び、感謝する。
老後の仕事は、金儲けのためではない。金を払ってでも、仕事をつづける。
水がよどめば、そこで水は腐る。同じように、生活から(流れ)が消えると、
そこで精神が腐る。


●「頭とシッポはくれてやれ」(某経済誌)

 老後は、ケチケチしない。「頭とシッポはくれてやれ」(某経済誌)。
その気前のよさが、人間関係をさわやかにする。わかりやすくする。
老人のケチほど、見苦しいものはない。友を遠ざける。万事、質素に。
それ以上のものは、人に「くれてやれ」。


●ウソをつかない、ルールを守る

 老齢期になったら、ウソをつかない。ルールを守る。この2大鉄則を守る。
(今回の選挙で、どこかの政党がこの言葉を使っている。私は10年以上も
前から、本に書いている。)
ウソをつきたくなったら、黙っていればよい。ルールを破りたくなったら、
静かに立ち止まっていればよい。


●食べたら損(そこ)ねる

 食物を前にしたら、常に、「食べたら損(そこ)ねる」を、心の中で念ずる。
少食を旨とし、決してむさぼらない。体重も、平均体重x0・8程度を基準とする。
(若い人の平均体重を基準にしてはいけない。)太りすぎは、万病のもと。
レストラン食は、残して、捨てる。


●依存心と闘う

 だれかが何とかしてくれる……という依存性は、捨てる。闘って、捨てる。
『老いては子に従え』ではなく、『老いては、子をアテにするな』。
子に媚を売るな。孫に媚を売るな。自分の生き様こそ、最高の遺産と知る。
だれのためでもない。自分の遺産と知る。


●やるべきこと

 朝、起きてそこに(やるべきこと)がある人は、幸福と知るべし。
朝、起きてそこに(話し相手)がいる人は、幸福と知るべし。
朝、起きてそこに「病」を感じなければ、幸福と知るべし。
最高の名誉、地位をもった人より、幸福と知るべし。


●老人臭くなるな

 口臭、体臭、加齢臭に注意せよ。ジジ臭い格好、ババ臭い格好をするな。
目の前の老人を手本とするな。見本とするな。まねをするな。
人は老人になるのではない。老人に作られていく。それに警戒せよ。
あなたはあなたを貫け。


●その日を覚悟せよ

 その日はかならずやってくる。「うしろから突然、やってくる」(O氏談)。
それを覚悟して、「今」できることを、後に回すな。明日に回すな。
「今」を燃焼させろ。完全に燃焼させろ。常にその日を覚悟せよ。
覚悟して、油断するな。


●孤独には、居直れ

 老齢には、孤独はつきもの。避けようがない。だったら、仲よくつきあう。
「孤独、当然」と、居直る。居直って、孤独であることを、受け入れる。楽しむ。
独居老人、おおいに結構。孤独死、おおいに結構。それを不幸と結びつけるな。
人生の結論と結びつけるな。


●不安は友だち

 不安でない老齢者はいない。ぜったいにいない。つまり不安なのは、あなただけ
ではない。だったら、不安とは、仲よくつきあう。孤独にせよ、不安にせよ、
それから逃げようともがけばもがくほど、キバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
が、受け入れてしまえば、向こうからシッポを巻いて、逃げていく。


●なるように、なる

 どんな高齢者も、かならず、なるようになる。あなたも、私も、やがてなるように
なる。勝手に未来像を作り、そこに自分を当てはめてはいけない。自分を束縛
してはいけない。またそうならないからといって、嘆いたり、もがいたりしてはいけない。
老後というのは、万事、そういうもの。


●介護と遺産

 「親の介護が3年つづけば、兄弟姉妹はバラバラ」(某看護士談)。親の介護が
原因で、兄弟姉妹が縁を切る例は、多い。ほとんどがそうなる。またわずか
10万円の遺産が原因で、兄弟姉妹が縁を切った例もある。自分の介護と遺産には、
じゅうぶん注意して、後に残せ。


●つねに精進

 体力が落ちてくると、持病がどっと表に出てくる。
同じように気力が弱くなると、それまで(気力で)隠していた人間性が、
モロに外に出てくる。老齢期になればなるほど、ごまかしがきかなくなる。
老齢期になったら、精進あるのみ。日々の研鑽のみが、あなたの人間性を維持する。


●喪失には慣れろ

 喪失することを恐れない。老後に喪失はつきもの。最終的には、すべてを失い、
この世を去る。財産価値の乏しいモノは、どんどんと人にくれてやれ。身軽にしながら、
喪失することに慣れろ。モノにこだわるな。「どうせ死ぬときは裸」と考えるのも、よい。
要するに老齢期に入ったら、モノに執着しないこと。


●無私・無欲

 無私・無欲をめざせ。体にしみついた、貪欲さと闘え。ほんの少しでも、
自分の中に無私・無欲を感じたら、それにしがみつけ。大切にして、守れ。
無私・無欲の中にこそ、あなたが今、なぜここに生きているかを教えるヒントが
隠されている。


●世間体・見栄・体裁

 世間体・見栄・体裁に毒されない。人の目を気にしない。評判を気にしない。
「私は私」を貫く。同時に、「あなたはあなた」を貫く。自分を相手に押しつけない。
そこに相手がいるなら、認め、受け入れる。相手を世間体・見栄・体裁で判断
してはいけない。


●回顧と展望

 退職したら、過去の名誉、地位、肩書きを捨てる。しがみつくな。バカになって、
ゼロから始める。「私は偉い」と主張すればするほど、あなたのまわりから人は、逃げる。
回顧(過去を振り返る)と展望(未来をめざす)は、老後の両輪。つねに展望を回顧に
優先させろ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 老齢期100の箴言 老齢期教訓 老人の生き方 老齢訓 生き様論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   4日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【韓国から見た、7・11選挙】(民主党の小沢一郎氏に関して)

++++++++++++++++++

時として、日本の姿は、外国から見た方が
よくわかる。
またそのほうが、正確(?)。

韓国の東亜N報は、つぎのように伝える。

「……9月の党代表選挙で菅首相を失脚させたい小沢氏が、執行部叩きに本格的に乗り出
したのではないか、という分析も出ている。小沢氏が参議院選挙の敗北を望んでいるよう
だという観測もある」と。

つまり小沢一郎氏が、(1)管首相の失脚を
望んでいる(?)。
(2)執行部叩きを本格化させている(?)。
(3)小沢一郎氏が、参議院選挙の敗北を
望んでいる(?)。

あの小沢一郎氏なら、やりかねない……というのが、
私たち日本人の共通した認識ではないだろうか。
ともあれ、この記事を読むと、韓国の人たちが、日本の現状を、
どのように見ているか、それがわかって興味深い。

+++++++++以下、韓国東亜N報(7月3日付)+++++++++++

日本の民主党政権の前権力と現権力間の対立が、佳境に入っている。参議院選挙を目前に
控え、ライバルの自民党を攻撃するよりも、内部の主導権争いが激しくなる様相だ。 

争いは、小沢一郎前幹事長が先に仕掛けた。小沢氏は先月28日、地方選挙の遊説で、昨
年の総選挙の代表的な公約だった子ども手当ての満額支給を見送った菅直人内閣に対し、
「政権を握ると金がなく、約束を守れないというのは、国民に対して嘘をつくことだ。約
束してきたことは、きちんと実行しないと駄目だ」と批判した。小沢氏は、菅首相の消費
税10%検討の発言に対しても、「任期中に最善を尽くし、予算の無駄づかいの要因を減ら
す努力をし、それでも到底だめなら、消費税引き上げを検討することができるだろうが、
昨年の総選挙で引き上げをしないと約束した以上、守らなければならない。約束を守らな
ければ、社会がうまく回らない」と強調した。 

これに対し、現権力が反論した。小沢氏の後任者の枝野幸男幹事長は翌日の29日、「(子
ども手当ての満額支給の見送りは)税収が落ち込み、やむを得ず国民の理解を求めたもの
だ。経済状況が変わったのにも関わらず、硬直的な考えで公約を無条件に守らなければな
らないということこそ、無責任な大衆迎合であり、結果的に国民に迷惑をかける」と反撃
した。枝野幹事長は小沢氏に、「菅首相が、しばらく静かにしていただいた方がいいと言わ
なかったか」と非難した。 

これに対し、小沢氏は先月30日、街頭演説で、「党指導部は私に静かにしろと言うが、正しい
ことを言うことが政治家の責務だ。約束を守らなければならない」と再反論した。 

選挙政局で突然、政権内部の対立が激しくなると、政界とメディアでは、9月の党代表選
挙で菅首相を失脚させたい小沢氏が、執行部叩きに本格的に乗り出したのではないか、と
いう分析も出ている。小沢氏が参議院選挙の敗北を望んでいるようだという観測もある。

+++++++++以上、韓国東亜N報(7月3日付)+++++++++++

●静岡県のばあい

 静岡県(2人区)でも、民主党から2人が立候補している。
そのうち1人は、小沢一郎氏が「チルドレン」として(?)、中央から送りこんできた
候補者。
小沢一郎氏と上下、仲よく並んで写っているポスターが、あちこちに張ってある。

 が、民主党2人の当選はむずかしいのでは?
ほかに、自民党、幸福党、みんなの党、共産党から1名ずつ、計6人が立候補している。
私の予想では、民主党1人、みんなの党1人が、当選というところか。
あるいは民主党1人、自民党1人(?)。
どうであれ中央の政治家が、自分の権勢を拡大するために、地方に立候補者を送り込んで
くる。
こうした前近代的な政治手法は、地方をあまりにもバカにしているという点で、許せない。
そこに至る地道な努力なり、道筋があったのならまだしも、ある日突然、中央からやって
きて、「当選させてください」は、ない。

 今回の選挙の勝敗は、私たち浮動票層(無党派層)が決める。
今は、じっくりとその思案の時。
今日も6枚のポスターをながめながら、ワイフとあれこれ言い合った。
(7月3日記)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●7月4日

+++++++++++++++++++

昨夜(7月3日)遅く、映画『????』を観てきた。
題名は、「〜〜〜とファラオの秘薬」?
そこまでは、思い出せたが、忘れた。
フランス映画だった。
これもボケの始まりか?

で、こういうときすぐインターネットに
頼るクセが、身についてしまった。
何かわからないことがあると、迷わず検索をかけて
しまう。
が、これではいけない。
記銘力がますます弱ってしまう。
もっともヒマつぶしに観に行った映画だから、
題名を忘れたところで、しかたない。
(これは言い訳。)

何か、思い出す方法は、ないものか。
「何とかとファラオの秘薬……」
何だったかな……?

いちばん簡単な方法は、映画館の上映情報を
見ること。
やはり調べてみよう。

……今、調べた。
題名は、「アデル/ファラオ復活の秘薬」だった。

まじめな映画なのか、ふまじめな映画なのか、
それがよくわからない。
みながおおまじめで、ふまじめな演技をしていた。
フランス流ユーモアたっぷりの映画だった。
おもしろかった。
じゅうぶん、楽しめた。
星は3つから4つの、★★★。

帰り道、ワイフにこう言った。
「フランスもすごい映画を作るようになったね」と。

書き忘れたが、先週は、『アイアンマン2』を観てきた。
『アイアンマン」(前作)が、けっこうおもしろかった。
その(つづき)ということで、観てきた。

しかしこうした映画は、続作が出るたびに、より技巧的に
なってしまう。
そのためかえって、おもしろさが半減する。
『アイアンマン2』もそうだった。
こちらは星は2つか3つの、★★。

で、7月中旬から、新作が続々と公開される。
楽しみ!

++++++++++++++++++

●バカ話

 昨日ワイフが、「浣腸のことを英語で何て言うの?」と聞いた。
「ichizikuじゃ、なかったかな?」と答えると、「イチジクは、
会社の名前じゃないの」と。

 浣腸がイチジクの形をしているから、「イチジク浣腸」と言うらしい。
完全な日本語!
ということは、外国には浣腸はないことになる(?)。

私「外人は、そういうとき何を使っているんだろう?」
ワ「腸内洗浄という方法もあるそうよ」
私「ぼくなんか、シャワートイレで、いつも腸内洗浄をしているよ」
ワ「だいじょうぶかしら、そんなことして?」
私「まあねエ……」と。

 和英辞書で「浣腸」を調べてみたら、「浣腸器」とか「浣腸薬」というのはあった。
浣腸器も浣腸薬も、「enema」。
ということは、やはりイチジク浣腸というのは、外国にはないということになる。

私「英語人だったら、『ピン・浣腸』っていう名前をつけるかもよ」
ワ「何よ、そのピン・浣腸って?」
私「ほら、ボーリングのピンに似ているだろ。だからピン・浣腸」
ワ「外国にも、イチジクの木はあるはずよ」
私「fig treeだったかな?」
ワ「だったら、『Fig 浣腸』にすれば?」と。

 夫婦生活も40年になると、たがいにこういう話が平気でできるようになる。


●TOYOTAのプリウス

 今月の中旬に、TOYOTAのプリウスが届く。
昨日、その手続きに、販売会社へ行ってきた。
リッター38キロというから、すごい!
2リットル入りのペットボトル1本分で、76キロ!
76キロも走る。
目の前にあるペットボトルをながめながら、「これで38キロねえ……」と、
思わずため息を漏らす。

 で、韓国でもハイブリッドカーの研究が進んでいる。
数年後に完成するというが、それでもリッター19キロ前後。
それをみても、「38キロ」という数字が、いかにすごいかが、わかる。
アメリカが嫉妬する理由も、よくわかる。


●ゲーム脳

 韓国や中国では、若者たちのゲーム中毒が問題になっている。
問題にならない日がない。
そのための矯正施設や、矯正プログラムさえ用意されている。
が、この日本では、「ゲーム」を批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされる。
「ゲーム脳」という言葉を使ったM教授自身も、それを経験している。
日本人だけ、脳みその構造がちがうのだろうか?

 今朝も東亜N報(韓国)にこんな記事が載っていた。

++++++++++++以下、東亜N報より+++++++++++++

【母親殺しに、懲役20年】

 ……議政府地裁刑事11部(イム・ドンギュ裁判長)は2日、オンラインゲームに没頭し
ているのを叱った母親を殺害したとして起訴されたO被告(22)に対し、懲役20年の判
決を言い渡した。

 地裁は判決理由について、「被告人は説明のしようがないほど反道徳的な行為をした。無
期懲役以上の刑に処するべきところだが、心神耗弱(こうじゃく)状態にあることを考慮
し、刑を減軽した」と説明した。

 O被告は今年2月7日午後1時ごろ、京畿道楊州市の自宅で、マスクや帽子を着用し、
昼寝していた母親(53)を鈍器で数回殴打し、殺害したとして逮捕・起訴された。

 O被告は、オンラインゲームに没頭しているのを叱る母親に対し、不満を抱いて殺害を
決意したという。さらに犯行後、母親のクレジットカードでゲーム機を購入し、インター
ネットカフェでゲームに興じていたことも分かった。起訴された後、2カ月にわたって精神
科の治療を受けたが、検察はO被告に対し死刑を求刑していた。

++++++++++++以上、東亜N報より+++++++++++++

●ゲーム脳

 ゲーム、つまりバーチャルな世界にハマることにより、社会との接触が遮断される。
そのため社会性が喪失する。
他者との良好な関わりができなくなる。
その結果として、ものの考え方が極端化する。
同じ仲間同士が集まれば、そこでカルト化することもある。

 が、当の本人たちは、それがわからない。
脳のCPU(中央演算装置)が狂うため、自分を客観的に見ることができなくなる。
現実検証能力が衰退する。
自分が何をしているかが、わからなくなる。

 「やっつけろ!」「殺せ!」と声を張り上げてゲームをしている子どもは、まだよい。
症状も軽い。
重くなると、無表情のまま、手先だけを動かしてゲームをするようになる。
不気味なほど、無表情のまま、だ。
感情の発露そのものが封殺される。

 この先3Dゲームがさらに一般化し、さらにそれが進んで、ゲーマーがゲームの世界
そのものの中に入りこむような機器も開発されるようになる。
視覚器官、聴覚器官を通さず、情報が直接脳に信号として伝達される。
そうなれば、(現実)と(バーチャルな世界)の区別そのものが、できなくなる。
つまりそういう時代は、すぐそこまできている。

 ゲーム中毒も、メカニズム的には、ニコチン中毒やアルコール中毒と同じに考えてよい。
もう少しわかりやすい例としては、買い物依存症、パチンコ依存症などがある。

が、この日本では、その一方で、「ゲームは無害です」「ゲーム脳などというものは、
ありません」などということを主張する学者もいたりして、訳がわからない。
またそういう学者ほど、この世界では「神様」のように、あがめられている。
本来なら、心理学者と呼ばれている人が、この問題に真正面からぶつからねばならない。
が、そういう人たちも、その筋の若者たちからの反撃を恐れて、この問題には触れた
がらないようにも見える。
私にはそう見える。

 改めて、「このままでいいのか?」という疑問だけを繰り返す。
「このままでいいのか?」。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ゲーム脳 ゲーム中毒 ゲーム依存症)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●盗作・盗用

+++++++++++++++++++++

昨夜は、午前0時ごろまで、眠られなかった。
怒りで、体がほてった。
一度、精神安定剤をいつもの2倍、のんだ。
そのあと、睡眠導入剤を、やはりいつもの2倍、のんだ。

今朝は、そのせいか、午前8時過ぎまで、眠った。
が、目を覚ますと同時に、また体がほてり始めた。

++++++++++++++++++++++

●自分の原稿

 自分の書いた文章かどうかは、一読すれば、わかる。
何千枚書いていようが、何万枚書いていようが、すぐわかる。
原稿というのはそういうもの。
盗作する側は、「そんなにたくさん書いているなら、わからないだろう」と
思うかもしれない。
しかしそれは誤解。
一読すれば、すぐわかる。

●盗作の証明

 しかしそれを盗作と証明するのは、たいへんむずかしい。
むずかしいというより、めんどう。
まずその元原稿を、さがさなければならない。
書庫をひっくり返すような、大作業。
が、元原稿が見つけるだけでは、すまない。
書いた日付のはっきりしたものでなければならない。
相手が、「私のほうが先に書いた」と主張すれば、こちらとしては
打つ手がない。
しかもその相手というのが、巨大な組織であればなおさら。
日付がはっきりしなければ、盗作疑惑が、逆に私のほうに向けられる。

●証拠能力

 今回、元原稿をさがすにあたって、ひとつのことに気づいた。
ネットで発表した原稿には、証拠能力がないということ。
日付の特定が、むずかしい。
特定するのは、不可能ではないが、たいへんむずかしい。
仮に見つかったとしても、日付など簡単に上書きができる。
元原稿の証拠とするには、さらにいくつものステップを踏まなければ
ならない。

 ただ電子マガジンのばあいは、削除はできるが、改作できないものが
多い。
が、それでも日時が特定されたことには、ならない。
電子化された文字の弱みは、ここにある。

 が、さらに問題はつづく。

●盗作

 たとえば10年前に『許して、忘れる』というテーマについて書いたとする。
新聞にも発表し、そのあと本にもした。
が、そこでそれについての原稿が完成したわけでない。
そのあと、同じテーマで何度も書いたとする。
当然、内容も、そのつど少しずつ変化する。

 で、そういう「変化した」原稿がそのまま盗作されたとする。
こういうとき、証拠として出した元原稿と、内容が大きくとは言わないが、
同じであっても、「同じ」とは言いにくい。

 相手が、「同じではない」と主張すれば、どうやってそれに反論すれば
よいのか。

●不快感

 盗作されるのは、不愉快。
本当に不愉快。
どう不愉快かは、盗作されたものでないとわからないだろう。
何も悪いことをしたのではないのだが、神経をすり減らす。
昨夜は、客人が3人来た。
いっしょに食事をした。
が、私は、ほとんど何も食べられなかった。

 一方、盗作する側はどうなのか。
最初電話に出た担当者(N県警察本部の役人)は、かなり高姿勢だった。
「証拠が明確でない」
「原稿を書いたライターの責任」というようなことを言った。

 しかしこういう言い方は、私を怒らせる。
だから私は、2つの原稿を、電話口で読み合わせてやった。
「こちらが、あなたがたのHPに載っている原稿です」
「これから読むのが、私が本に書いた原稿です」と。

 こうしたやりとりが、1時間近くもつづいた。

●弁護士

 弁護士をしている友人のK君に、連絡を取った。
すぐ会ってくれた。
で、こう言った。
「弁護士を入れるかどうか、50、50だな」と言った。
「相手が高飛車なら、入れろ。徹底的に闘え。しかし穏便に話し合いが
つくようなら、必要ないな」と。

 まずは、様子見というところか。
弁護士が入れば、当然費用という点で、慰謝料の請求、損害賠償の請求とつづく。
弁護士も、ただでは仕事をしない。

 が、私とて、こうしたトラブルは、避けたい。
その一方で、盗作、盗用が、あまりにも多い。
「個人」の世界では、日常茶飯事と言ってもよい。
ネットの世界では、とくにそうだ。
(コピー)(張り付け)が簡単にできる。
その分だけ、罪の意識が薄い。

●著作権

が、このままでよいとは、だれも思っていない。
だれかが、どこかで歯止めをかけなければならない。
盗作は、窃盗である。
立派な窃盗である。
つまり、ドロボー。
「すみません」ですむような話ではない。
またそれですませてはいけない。

●正義感

 正義感とは、何か。
その前に「正義」とは何か。

 たまたま今回は、元原稿がしっかりしていた。
新聞で発表済みの原稿や、本に書いた原稿が多かった。
(そうでないものも、あったが・・・。)

 もしそうでないなら・・・。
つまり私がただの物書きだったら、どうか?
証拠となるような、元原稿さえないような人間だったら、どうか?
相手は証拠がそろわないことをよいことに、「盗作はしていない」と
言い張るかもしれない。
いろいろ考えているうちに、不快感だけが、頭の中で増幅する。

 正義を貫こうとする私。
「どうでもいいや」と投げやりになる私。
その2人の「私」が、頭の中で交互に現れては消える。
やはり弁護士のK君が言うように、「相手の出方しだい」というところか。

●悪質性
 
 こんどの盗作は、ふつうの盗作ではない。
悪質。
文章を切り張りしながら、前後を入れ替えている。
あちこちから私の原稿を寄せ集めている。
会話文を、わざと関西弁に書きなおしている。
部分によっては、私の原稿を、句読点まで含めて、そっくりそのまま
というところもある。

 それでいて、文末には、「Copyright All Reserved」と。
「すべての著作権は、当HP(警察本部)にある」という意味である。
で、今朝の電話では、当該HPは、すでに10年の歴史があるという。
「10年以上、盗作されたままだった」と考えられなくもない。
その多くは、私が10年ほど前に書いた原稿である。

●空しさ

 私は2000年を過ぎるころから、無料で原稿を公表してきた。
「無私、無欲」。
それが私のモットーだった。
私の生きがいにもなっていた。

 だからそういう公的な機関からの依頼があれば、むしろ積極的に
原稿を提供してきたであろう。
(もちろん「はやし浩司」のクレジットは守ってもらう。
原稿の改変は許さない。)

 そういう私であることをよいことに(?)、私の原稿を盗作する。
そのせいだろうか。
私は今、心から力が抜けてしまったかのような空しさを覚える。

●法の番人

しかも相手は、法を守るべき、その番人。
その番人が、法を破って、弱者である私の原稿を盗作する。
はがゆいのは(?)、私は警察に対して、敵意がないこと。
私は日本の警察を信頼してきたし、今までも、たいへん協力的だった。

 怒りがあるはずなのに、その(怒り)が、警察に向かったとたん、
途中で消えてしまう。
(怒り)がつづかない。
怒っているはずなのに、(怒り)がつづかない。
私の警察への信頼感というより、親しみは、今回の盗作だけでは、
消えない。

●好意

 しかしなぜそうまで露骨な盗作をしたのか?
それを考えているうちに、やがてその向こうに、「好意」のようなものを
私は感ずるようになった。

 ライターは、私の文章が気に入った。
だから、盗作した。
悪意からというよりは、私の文章に惚れてくれた。
言い換えれば、私のファンということになる。

望ましくない人だが、悪人ではない。
それにそのHPは、公的機関が発行する、公的なもの。
どこかのインチキ医師が、ライターを雇って本を書かせるのとは、
基本的な点で、姿勢がちがう。
(そういう医師がいるぞ!)

●さて、どうするか。

 ワイフの結論は、「弁護士を通しましょう」ということらしい。
私は、迷っている。
わずらわしいことは、できるだけ避けたい。
若いときならまだしも、そういう点では、盗作するひとたちの罪は重い。
被害者のほうが、かえって不愉快な思いを強いられる。
で、私は、こう考える。

 もし立場が逆だったら、どうだろうか、と。
相手は許してくれるだろうか、と。
「法の番人」である以上、それはないだろう。
ショッピングセンターの店長が、万引きを見逃すのとは、わけがちがう。

・・・などなど。

●結論

 7月6日。
担当者から、朝、2度も電話がかかってきた。
1度目は無視した。
2度目は出た。
誠意が感じられた。
私の決意はぐらついた。
弁護士との約束の時刻が近づいていた。

 どうしようか?

 何度も私は「まだ覚悟が決まっていませんから」と言った。
そのころになると、(怒り)は消えていた。
相手が警察では、先にも書いたように(怒り)もつづかない。
どこかのカルト教団とか、あのK国とかなら、猛烈な(怒り)を覚えた
だろう。
1時間近くも話しているうちに、相手の誠意に包まれてしまった。
何かのミスでそうなってしまった。
それがよくわかった。
刑法でいう、「犯意の認定」ができない。

 横でワイフが、「(弁護士との)約束の時間よ」とサインを送ってきた。
とたん、「やめた!」となった。

●平穏な生活
 
 こうして私の生活は、再び平穏になった。
ざわついた騒音が消えた。
心のどこかで、「これでいいのかなあ」という思いは残った。
正義を握りつぶしたような不快感は残った。
しかしそれもすぐ消えた。

 やはり心穏やかな生活のほうこそ、重要。
ストレスは体に悪い。
・・・というより、あれほどダイエットに苦労していたが、この
2日で、2キロも体重が減った。
ワイフは、「怪我の巧名ね」と言って、笑った。
「そうだな」と言って、私も笑った。

●盗作する人へ 

 盗作は立派な犯罪。
窃盗罪。
そういう認識を、しっかりともってほしい。
引用するならするで、しっかりと引用先を明記する。
出典先を明記する。
これはものを書くときの常識。

 実のところ、私の原稿も、あちこちで盗作、盗用されている。
巧みに盗用され、本になっているのもある。
10数万部以上も売れているのもある。
しかし優秀な(?)ライターほど、尻尾をつかまれるような文章を書かない。
いろいろな手法を使う。

いちばん簡単な方法は、盗んできた原稿に、さらに専門用語を付け足して、
元の原稿をカモフラージュするというもの。
瓶詰めのワサビダコを、九谷焼の小物に入れて、その上に珍しいトッピング
をかける。
それを会席料理として出す。
そういう手法を使う。

 しかし見抜ける人には、見抜ける。
私にも見抜ける。
一般の人にはわからないかもしれないが、文章というのはそういうもの。

 台所の椅子に座っていたら、心地よい睡魔が襲ってきた。
どこかで空腹感を覚えながら、私はそのままうたた寝をしてしまった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 盗作 盗作劇 ある盗作 原稿の盗用)

(補記)

●TWという作家

少し前、TWという作家が死んだ。
私と同年齢だった。
彼はマスコミに発覚しただけでも、2度も、盗作事件を引き起こしている。
2度目のときは、「執筆者に(示談で)許してもらえました」と、テレビ
カメラに向かって、泣きじゃくっていた。

 私の経験からしても、盗作ができる人というのは、相当の悪人と考えて
よい。
とくに(もの書き)と呼ばれる人なら、なおさら。
(もの書き)は、自分の魂を文に織り込む。
盗作するということは、自分の魂を捨てることを意味する。
自己否定そのものと言ってもよい。
それが平気でできる。
魂が腐っている。
つまり他人を裏切るのも、平気。

 また2度も発覚したということは、盗作の常連者と考えてよい。
それがものを書くときの手法として、定着している(?)。
そう疑われてもしかたない。

 この私は・・・と書くのも、はばかれるが、それほどの善人ではない。
しかしこと文章に関しては、そこに魂をこめる。
それゆえに、「盗んだら、おしまい」。
いつも自分にそう言って聞かせている。

 だからもしみなさんが、どこかで私の書いた文章と似たような文章、
あるいは私の哲学と似たような哲学をもった文章に出会ったら、まず、
相手のほうを疑ってほしい。
(同時に、私に知らせてほしい。)
私は無名の、しがない(もの書き)だが、心意気だけは、人一倍高い!
 

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●怒り(1)

++++++++++++++++++++++++++

ものを盗めば、窃盗罪!
原稿を盗めば、これまた窃盗罪!

++++++++++++++++++++++++++

2つの原稿を、読み比べてみてほしい。

【X】は、某防犯協議会のHPに掲載されている、原稿である。
(当該HPに記載されている電話番号に、電話をしたら、
X県の警察本部の担当官が、電話口に出て、応対した。)

【はやし浩司の原稿】は、私がすでに雑誌や新聞、HPなどで
発表した原稿である。

なお、当該HPに対しては、つぎのような質問状を送付した。

++++++++++++++++++++++++++

●2010年7月5日午前9時発信のメールより

「●貴殿のHP(親の役割中の)掲載の原稿について、
 
(1)「許して忘れる」
(2)「友を責めるな、行為を責めろ」
(3)「子どもの叱り方」
(4)「子育ては本能ではなく、学習である」
(5)「子どもの社会適応性」ほか
 
などの原稿は、小生がすでに書籍、新聞、自己のHPで紹介した記事に、
内容、文章が、きわめて酷似しています。
まったくそのままという文章、前後を入れ替えた文章、ならびに
簡略化した文章、さらには、わざわざ会話文を、「関西弁」に改変した
文章が見られます。
 
(1)いかなる経緯で、また(2)だれの許可を得て、このような文章が、
貴殿のHPに掲載されるようになったかについて、
至急、返事と、回答をお願いします。
 
 
(貴殿のHPに掲載された文章)と、(私が過去に発表した文章=書籍、
新聞など)は、当方のBLOGに並べて掲載しておきます。
 
ここに私が書いたことに疑いをもたれるなら、そちらを読み比べていただき、
ご自身で、判断してください。
 
 
なおBLOGは、これからUPOLOADしますので、
しばらく後に、再度、貴殿宛に送信します。
 
 
はやし浩司」
 
++++++++++++++++++++++++++

【X掲載の原稿】

和解により削除

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●怒り(2)

++++++++++++++++++++++++++

2つの原稿を、読み比べてみてほしい。

【X】は、某防犯協議会のHPに掲載されている、原稿である。
(当該HPに記載されている電話番号に、電話をしたら、
X県の警察本部の担当官が、電話口に出て、応対した。)

【はやし浩司の原稿】は、私がすでに雑誌や新聞、HPなどで
発表した原稿である。

なお、当該HPに対しては、つぎのような質問状を送付した。

++++++++++++++++++++++++++

●2010年7月5日午前9時発信のメールより

「●貴殿のHP(親の役割中の)掲載の原稿について、
 
(1)「許して忘れる」
(2)「友を責めるな、行為を責めろ」
(3)「子どもの叱り方」
(4)「子育ては本能ではなく、学習である」
(5)「子どもの社会適応性」ほか
 
などの原稿は、小生がすでに書籍、新聞、自己のHPで紹介した記事に、
内容、文章が、きわめて酷似しています。
まったくそのままという文章、前後を入れ替えた文章、ならびに
簡略化した文章、さらには、わざわざ会話文を、「関西弁」に改変した
文章が見られます。
 
(1)いかなる経緯で、また(2)だれの許可を得て、このような文章が、
貴殿のHPに掲載されるようになったかについて、
至急、返事と、回答をお願いします。
 
 
(貴殿のHPに掲載された文章)と、(私が過去に発表した文章=書籍、
新聞など)は、当方のBLOGに並べて掲載しておきます。
 
ここに私が書いたことに疑いをもたれるなら、そちらを読み比べていただき、
ご自身で、判断してください。
 
 
なおBLOGは、これからUPOLOADしますので、
しばらく後に、再度、貴殿宛に送信します。
 
 
はやし浩司」
 
++++++++++++++++++++++++++

【X掲載の原稿】

和解により、削除


(この原稿中に出てくる「代償的愛」という言葉は、私(はやし浩司)自身による造語で
す。)


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 8月 2日号
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8月2日……1394号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【居直りの論理】

●独居老人→孤独死

++++++++++++++++++++

この先、私たち老人は、60%が独居老人と
なり、孤独死を迎える。
発見までの平均日数は、7日とか。

これらの数字が仮に事実であるとしても、
こと私に関して言うなら、「私はそれでも構わない」。
「独居」であるとしても、それを「不幸」と決めつけて
はいけない。
「孤独死」をしたからといって、それを「不幸」と
決めつけてはいけない。
大切なのは、それまでの人生。
人生の中身。

こういうのを、「居直り」という。
もうここまできたら、居直るしかない。

+++++++++++++++++++++

●反省

 私は「独居老人」や「孤独死」を、「あってはならないこと」と、
決めつけて考えていた。
そしてそこに「私」を置き、それを「不幸な末路」と、決めつけて
考えていた。

 しかしこの考え方は、まちがっていた。
「60%」(この数字も、あまりアテにならないが・・・)の老人が
そうなるというのなら、「それがふつうの死に方」ということになる。
またそういう前提で考えれば、老後の過ごし方も、ぐんと気が楽になる。

●孤独死イコール、不幸?

・・・となると、「独居老人」イコール、「孤独」と決めつけて考える
のは、まちがっている。
若い人でも、孤独な人は、いくらでもいる。
独りで住んでいる老人でも、心豊かな人は、いくらでもいる。

 さらに「孤独死」といっても、孤独な世界で煩悶(はんもん)しながら、
死ぬとはかぎらない。
「孤独」という言葉をつけるから、話がおかしくなる。
中には、独り静かに、眠るように、かつ満足しながら死ぬ人だっているはず。
また死後、すぐ発見されないからといって、嘆くことはない。
それが古今東西、ふつうの人の、ふつうの死に方だった。

●天下老人

 だから言葉を変えればよい。
「独居老人」を、「天下老人」。
「孤独死」を、「自然死」と。

 孤独か孤独でないかということになれば、死ぬときは、みな、孤独。
「家族に見守れて・・・」というのは、そのほうがベターというだけで、
そうでなければならないということではない。
またそうであったからといって、孤独が癒されるというものでもない。
死の恐怖から、逃れられるものでもない。
こんな話がある。

 A氏(84歳)が、臨終を迎えた。
連絡を受けて、親戚中が集まった。
総勢、30人あまり。
が、その直後、A氏は、昏睡状態から覚め、再び元気になってしまった。
で、そのあとも、(臨終)→(回復)を、数度繰り返した。
こうなると、家人も、親戚に連絡するのも、おっくうになる。
親戚も、「またか・・・!」となる。

 で、結局、最後は、A氏は、真夜中にだれにも看取られないまま、
他界した。
これは私のワイフの伯父の話である。

●孤独感

 老人の感ずる孤独は、「孤独死」とは、切り離して考える。
孤独イコール、孤独死、孤独死イコール、孤独と考えるから、
話がおかしくなる。

 もっと平たく言えば、「死ぬ」のは、一瞬のできごと。
が、孤独、それから生ずる孤独感は、老後になってから、綿々とつづく。
途切れることはない。
今、私たちが問題とするなら、むしろそちらのほうということになる。
もっともこれについては、「バカになって、忘れる」という方法もないわけ
ではない。
趣味三昧、旅行三昧、ぜいたく三昧・・・。
しかしこの方法は、邪道。

●生きがい

 老後を考えるということは、どの方向から考えても、行き着く目的は
ただひとつ。
「生きがい」の問題ということになる。
どう生きがいを構築するか?
その是非によって、老後の姿そのものが、変わってくる。
もしそこに(生きがい)があるなら、ぜったいに、その(生きがい)を
手放してはいけない。
しっかりと手で握って、放してはいけない。
それを放したら、おしまい。
あとはそのままズルズルと、孤独の無間地獄へ……。

 散文詩を考えた。

(生きがい)

朝起きて、やるべきことがある人は、幸福なるかな。
朝起きて、やるべきことができる人は、幸福なるかな。
損とか、得とか、そういうことは考えない。
ただ夢中になって、それをする。
朝起きて、それができる人は、幸福なるかな。

一日を終えて、やるべきことができた人は、幸福なるかな。
一日を終えて、やりおえた充実感を覚える人は、幸福なるかな。
損をしたとか、得をしたとか、そういうことは考えない。
ただ夢中になって、それができた。
床に就く前、それを実感できる人は、幸福なるかな。

結果は、あとからついてくる。
あるいはついてこなくても、構わない。
私は私。
あなたはあなた。
人は、ただひたすら、その幸福を求めて、前に進む。
ただひたすら、何も考えずに……。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【子育てブルース】

++++++++++++++++++

子育ての世界にも、人には言えない、
悲しい物語が、山のようにある。
それを口にしたら、おしまい……という
ような話もある。

今朝は、そんな物語について、書いてみたい。

ただしここに書く子どもの例は、架空の
話と考えてほしい。
何人かの子どもを、1人の子どもに仕立てて
書いてみた。

++++++++++++++++++

●問題児?

 その子ども(小2女児)には、まったく、問題はない。
むしろ聡明で、思考力も深い。
性格もおだやか。
とくに数に鋭い反応を示す。

 が、母親(Mさん)は、会うたびに、その子どもについて、不平、不満を並べる。
そのたびに、私は、それを否定する。
が、母親は信じない。
信じようともしない。
何か言えば、すかさず、それについて反論する。
「あそこが、悪い。ここが悪い」と

 この世界には、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉もある。
自分の子どもをわざと病人にしたて、その子どもを、かいがいしく世話をしてみせる。
よくできた母親を演じてみせる。
「私は子どもを愛しています」と、口ではよく言う。
しかしその実、何も愛していない。
自分の心の隙間を埋めるために、子どもを利用しているだけ。
(「代理ミュンヒハウゼン症候群」については、「はやし浩司 代理ミュンヒハウゼン」
で、検索をかけてみてほしい。)

 が、それに似た事件となると、……というより、それを薄めたような事件となると、
程度の差もあるが、ゴマンとある。
それについて、ある精神科医のドクターは、こう教えてくれた。
「そのタイプの親は、(母親であることが多いが……)、見るからに様子がちがいますから、
わかります」と。

 「見るからに」という言葉を使えるのは、それなりに多くの例を見てきたから言える。
ふつうの人には、わからない。
が、たしかに様子が、ちがう。
へん?
おかしい?

 どこか挙動が不自然で、母親らしい(なめらかさ)がない。
いつもピリピリしていて、心に余裕が感じられない。

●Mさん(37歳)のケース

 ここに書いたMさんは、毎日のように娘(小2)の心配ばかりしている。
「学校の参観日で見たが、手をあげなかった」
「声が小さかった」
「せっかく先生にさされたのに、隣の子に、先に答を言われてしまった」
「忘れ物をした」
「宿題をやらない」と。

 少しでも顔色が悪いと、すぐ病院へ連れていく。
花粉症だったのだが、「レーザーで焼いてもらう」とか、「扁桃腺を切ってもらう」とか、
そんな話ばかり。

 その女の子で特徴的だったのは、母親が近くにいるときと、いないときとでは、様子が
まるで別人のようにちがったこと。
母親がいるときは、静かでおとなしかった。
表情も暗かった。
が、母親がいないところでは、明るく快活で、いつもニコニコ笑っていた。

 母親は、「子育てでたいへんです」と言いながら、Mさんが学校から帰ってくると、
一瞬たりとも、M子さんのそばから離れなかった。

●バカなフリ

 一方、大きな問題をかかえているにもかかわらず、それにまったく気づいていない親も
多い。
気づかないまま、子どもを叱ったり、説教したりする。
あるいは幼稚園の先生に、「どうしてでしょう?」を繰り返す。
が、幼稚園の先生に、診断権はない。
またそれが判断できるようになるまでには、10年単位の経験が必要。

 病名を出すのは、はばかれるが、しかしわかるものはわかる。
わかるのであって、どうしようもない。
「〜〜障害」と言われる子どもたちである。
AD・HD児にしても、自閉症児にしても、私のばあい、会った瞬間にわかる。
が、もちろん病名を口にするのは、タブー。
タブー中のタブー。
わかっていても、わらないフリをして、……つまり無知なフリ、もっと言えば、
バカなフリをして、相談に乗る。
しかし、ここで問題が起きる。

●たとえばLD児

 LD児、つまり学習障害と言われる子どもたちがいる。
症状は、みな、ちがう。
ちがうが、ある一定のワクの中で、定型化される。
読み書きのできない子ども、算数がとくに苦手な子ども、集中力に欠ける子どもなど。
が、平たく言えば、学習面において、著しい「遅れ」を示す。

 最近の定説に従えば、脳の機能的な問題がからんでいるため、教育の世界で
改善を求めるのは、容易なことではない。
たとえば識字障害児と呼ばれる子どもがいる(注※)。
難読症、失読症が含まれる。
出現率は、10%前後と言われている。
10人に1人。

 このタイプの子どもは、文字そのものを読み取ることができない。
そのためその影響は、あらゆる面に現れる。
が、親にはそれがわからない。
「算数の文章題を、読みまちがえてばかりいます」
「本を読みません」など。

 そういう子どもをもつ親から、「どうしたら国語ができるようになりますか」という
相談をもらう。
指導の方法がないわけではない。
が、簡単には、できるようにならない。
そこであれこれ方法を教える。
が、1、2週間もすると、(たったの1、2週間!)またやってきて、こう言う。
「先生、効果、ありませんでした」と。

●X君
 
 もう1人、記憶によく残っている子ども(中学・男児)に、X君がいた。
学校でも、評判の(?)子どもだった。
で、その子どもを含めて、自宅で、4〜5人だけのクラスをもったことがある。
しかし半年もしないうちに、X君だけをのぞいて、みな、やめてしまった。

 「あんなX君といっしょでは、いやだ」と。

 小さな地域である。
小学生活6年間をともに過ごしている。
みな、それぞれ、それぞれの子どもの能力をよく知っている。

 で、そのあとX君は、3年間、私の家に通ってくれた。
いつもひとりだった。
で、何とか、それなりの高校に進学していったが、それでX君が私に感謝したかというと、
それはない。
もともと勉強が嫌いだった。
やっと少し追いついたかと思っても、学校の勉強は、さらに先へと進んでいた。
つまり「親が行け」というから、私の教室に通ってきただけ。
毎週、毎週、重い足を引きずりながら、私のところへ来ていた。
それが私にも、よくわかった。
そういうケースもある。

●私の経験

 私もいろいろな「波」を経験した。
ある時期は、市内でもゆいいつと言われる進学校の子どもたちばかりになったこともある。
また別のある時期は、いわゆる問題をかかえた子どもたちばかりになったこともある。
英才教育を試みたこともある。
2〜3歳児の教育を試みたこともある。

 30〜40代のころは、幼稚園の年中児(4〜5歳)から、高校3年生まで教えていた。
そういう「波」を無数に経験して、現在は、「なるようになれ」が、教育の基本になって
いる。
深く考えない。
子どものことだけを考えて、教える。
教えるというより、接する。
親の要求には、際限がない。
それに振り回されていたのでは、教育そのものが成り立たない。

 が、このところ体力的な限界を感ずることが多くなった。
よく誤解されるが、教育は重労働である。
どう重労働であるかは、実は、あなた自身が、いちばんよく知っているはず。
たった1人や2人の子どもですら、たいへん。
それを30人とか40人とか、教える。
まともに接したら、目が回る。
その中に問題のある子どもが含まれていたら、なおさら。
さらに問題のある親が介入してきたら、……!

●親の欲望

 ここで「親の欲望には際限がない」と書いた。
が、これは事実。

 進学校にしても、自分の子どもがB中学へ入れるとわかってくると、親は、今度は
「何とかA中学へ」と言い出す。
A中学へ入れそうになると、今度は、「S中学へ」と言い出す。
 また不登校児にしても、やっとのことで、午前中登校ができるようになると、
「せめて給食まで」となる。
給食を食べるようになると、「午後の授業も」と言い出す。

 それに振り回される学校の教師こそ、えらい迷惑。
(「迷惑」という言葉には、語弊があるが……。)

 私の教室で言えば、実のところ、問題をもった子どもほど、苦労する。
マンツーマンどころか、ワイフにも手伝ってもらって、2対1で教える。
が、そういう子どもがいると、ほかの子どもたちが、やめていく。
それでいて、その子どもが感謝するかといえば、そういうことは、絶対にない。
むしろいやなことをさせられたという、被害者意識をもってしまう。
こういう子どもは、「経営」ということを考えるなら、とても割に合わない。

(これ以上、これについて書くと、グチになるので、この話はここまで。)

●「お前を訴えてやる!」

 親の無知と無理解。
独断と偏見。
傲慢とわがまま。

 今では幼稚園でも、「入れていただけますか?」と聞いてやってくる親は、ほとんど
いない。
おけいこ塾なら、なおさらそうで、へたに「うちではお引き受けできません」などと
言おうものなら、親は、店で販売拒否にでもあったかのように怒り出す。
「どうしてうちの子は、入れてもらえないのですかア!」と。

 私の教室のばあい、過去40年近く、入会を断わったことはほとんどない。
子どもに問題があるときは、その子どもに合わせて、2〜3人のクラスを編成して、
指導する。
が、それでもこのところ疲れを覚えるようになった。
子どもの「質」が変わったというより、親たちの「質」が変わった。
子どもというより、親を見て判断する。
「この親の子どもは、教えられない」と判断したときは、入会を断わるようにしている。
子どもの問題点を、それなりに理解しているならまだしも、それがないと指導ができない。
10年ほど前だが、場面かん黙症の子ども(幼稚園女児)がいた。
このタイプの子どもは、集団の中では、貝殻を閉ざしたかのようにかん黙してしまう。

 で、ある日、父親が参観にやってきた。
自分の娘の様子を見た。
ショックを受けた。
そのあとのこと。
その父親は電話口で、こう言った怒鳴った。
「貴様は、うちの娘を萎縮させてしまった。
訴えてやる。責任を取ってもらう!」と。

●教育ブルース

 ……こうして今日も、全国のあちこちから、子育てブルースが聞こえてくる。
どこか毒々しくて、それでいて、どこかもの悲しい。
みんな一生懸命しているはずなのに、どこかで歯車が狂う。
狂って、人の心をさみしくする。

 できるならニヒリズムは、もちたくない。
しかしニヒリズムをもたずして、教育はできない。
親にしても、自分で失敗してみるまでは、それがわからない。
あるいは今の状態より、より悪くなって、それまでの状態がまだよかったことを知る。

 最初は、ほんの小さな狂い。
それが加速度的に大きくなり、悪循環に悪循環が重なる。
気がついたときには、にっちもさっちもいかなくなっている……。

 ではどうするか?

 この問題だけは、親自身が、自ら気がつくしかない。
そのために自分で賢くなるしかない。
が、それを恐れてはいけない。
子育てには、その人の人生観、哲学、生き様すべてが集約される。
子育てを追求することは、その人の人生観を追求することにもなる。
奥は深い。
生涯のテーマとして、なんら遜色はない。
……とまあ、大上段に書いて、この稿はおしまい。
どうかみなさん、失敗にめげず、がんばってください!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子育てブルース)

(注※)難読症、失読症の症状

【幼児期】

Delays in speech 
言葉の発達の遅れ。
Learns new words slowly 
新しい言葉を学ぶのが遅い。
Has difficulty rhyming words, as in nursery rhymes 
話す言葉がどこかぎこちない。ぎこちなさを感ずる。
Low letter knowledge 
文字について能力が遅れる。
Letter reversal, ex: e b f p (normal)
鏡文字を書く。

【学童期】
Early primary school-age children(小学低学年児)

Difficulty learning the alphabet or in order 
アルファベットを学ぶのが困難。
Difficulty with associating sounds with the letters that represent them 
(sound-symbol correspondence) 
その音を示す、文字と音を組み合わせるのが困難。
Difficulty identifying or generating rhyming words, or counting syllables in 
words (phonological awareness) 
文字を認識し、なめらかに文字を読むのが困難、あるいは単語の中の音節を数える
のが困難。
Difficulty segmenting words into individual sounds, or blending sounds to make 
words (phonemic awareness) 
単語をそれぞれの音に分離するのが困難。あるいは単語を作るため、音を混ぜるが
困難。
Difficulty with word retrieval or naming problems 
言葉の訂正が困難、あるいはものと名前の結びつけるのが困難。
Difficulty learning to decode written words 
表記文字を理解するのが困難。
Difficulty distinguishing between similar sounds in words; mixing up sounds in 
multisyllable words (auditory discrimination) (for example, "aminal" for animal, 
"bisghetti" for spaghetti)
単語の中の同じような音を区別するのが困難;たとえば「動物(どうぶつ)」を、「ど
うふづ」、「スパゲッティ」を「ビスゲッティ」と読むように、音節の多い単語の音
を混ぜてしまう。

【後期学童期】(小学、高学年児)
Older primary school children

Slow or inaccurate reading, although these individuals can read to an extent. 
ある程度は読むことができるが、読むのが遅く、不正確。
Very poor spelling 
綴りが苦手。
Difficulty reading out loud, reads word in the wrong order, skips words and 
sometimes says a word similar to another word (auditory processing disorder) 
大きな声で読むのが困難。前後の単語を入れ替えて読む、単語を飛ばす、あるいは
ほかの似たような単語に置き換えて文章を読む。
Difficulty associating individual words with their correct meanings 
それぞれの単語を、正しい意味と結びつけるのが困難。
Difficulty with time keeping and concept of time, when doing a certain task 
何かの作業をしているとき、時間を守るのが困難。時間の概念がない。
Difficulty with organization skills (working memory) 
系統立てて作業するのが困難。
Children with dyslexia may fail to see (and occasionally to hear) similarities and 
differences in letters and words, may not recognize the spacing that organizes 
letters into separate words, and may be unable to sound out the pronunciation of 
an unfamiliar word. (auditory processing disorder)
難読症の子どもは、文や単語の中の類似性や相違性を判断することができない。文
章の中の単語がスペース(空白)で区切られていることを認識することができない。
新しく出会った単語のようなばあい、それを発音することができない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 失読症 難読症 識字障害 文字表出能力障害 Dyslexia  Alexia 
ディスレクシア アレクシア)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司


【BW子どもクラブ】

今日は、英語のレッスンをしました。
子どもたちの活気を、どうか、お楽しみください。
私の教室(=生徒さん)のすばらしいとことは、活気があるところです。
イヤイヤ、タラタラ勉強している子どもは、い・ま・せ・ん!
みな、大声を張り上げて、勉強しています。
そんな雰囲気をお伝えできれば、うれしいです。

(1)

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(2)

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(3)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
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(4)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
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(5)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
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allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

【そのほかは、

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」→「2010年」へおいでください。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【浜名湖・開華亭にて】

++++++++++++++++++++

ふと思い立って、浜名湖・舘山寺温泉街にある
開華亭という旅館へやってきた。
「行こうか?」と声をかけると、ワイフも
長男も、「うん」と。
それでやってきた。

風呂のすばらしさは、うわさに聞いている。
一度、入ってみたかった。

++++++++++++++++++++

●午前4時16分

 時計がない。
時刻がわからない。
バッグの中から、デジタルカメラを取り出す。
一枚の写真を撮ってみる。

ほんのりと青白い空。
暗く沈んだ山。
鉛色の海。
かすかにさざなみを打っているのは、小雨のせい?
部屋のクーラー音が、雨の音を消している?

 画像を再生してみる。
それを見て、時刻がわかった。
4:16AM。
午前4時16分。

●開華亭

 風呂へは、5時から入れる。
昨夜、仲居さんが、そう言っていた。
舘山寺の温泉街にある、開華亭は、7つの風呂が自慢とか。
その通りの風呂だった。
どれも広くて、清潔。
もちろん露天風呂もあった。

 やや古い旅館だが、老舗らしく、部屋も広い。
洗面所も、トイレも、それぞれがゆったりと大きさを保って作ってある。
真新しい新建材を多く使った旅館とちがう。
静かな落ち着きを、漂わせている。

「5時まで、40分か……」と、今、考えた。

●温泉めぐり

 こうしてときどき温泉に泊まるようになって、1年半になる。
今は、その温泉めぐりが、楽しい。
このあたりの旅館には、たいてい泊まった。
昨夜ワイフと散歩しながら、「しめくくりは、九重(ここのえ)だね」と
言った。
このあたりでは最高級旅館。
おいそれとは、泊まれない。
いつか、もう一度だけ、「九重」に泊まってみたい。

 今は、あちこちへ講演に招かれるたびに、そこで一泊するように
している。
今週は、牧の原、来週は飯田(長野県)、御前崎……とつづく。
それ以後は、夏休みシーズンに入る。
料金も割高になる。
混雑してくる。

 そういうときは、家の中で静かにしている。

●舘山寺

 昨夜、ワイフがこんなことを言った。
「私は子どものころから、舘山寺(温泉)へは、よく来たけど、
こんないいところとは、思っていなかった」と。

 いろいろな旅館街がある。
それぞれに工夫をこらしている。
しかし舘山寺は、浜名湖に面し、私は若いころから好きだった。
弁天(浜名湖の出口)でボートを借りると、よくこのあたりまで来た。
そんな思い出が、岸のひとつひとつに、しみついている。

●夕食

 私が起きたせいか、長男が起きてきた。
つづいてワイフが、起きてきた。
昨夜は、みな、9時ごろ、就寝した。

 料理は、おいしかった。
あわびのバター焼きというのを食べた。
「明日から、またダイエットだ」と言って、私は食べた。
少し前、逆流性胃炎というのを経験した。
そのせいか、今朝は、何となく、胃のほうが熱っぽい。
コップに水を注ぎ、少しずつそれを味わいながら、飲む。

●お勧め観光地

 窓の外を見ると、ぐんと明るくなっていた。
目の前には、大草山が見える。
その大草山の木々が、ボコボコと輪郭を現してきた。
それを見てワイフが、「あら、雨は降ってなかったの?」と。

 クーラーの音が、雨の音に聞こえた。
「本当だ、雨は降っていなかったのか」と私。
もう一度、湖面を、よく見る。
近くの屋根や道路を、よく見る。
雨は降っていなかった。
数日前の予報では、今日は雨ということになっていた。

 そうそう舘山寺温泉に泊まるなら、水曜日の夜がよい。
静かな休日を過ごすのなら、そのほうがよい。
温泉街にある遊園地が、休園日になる。

反対に子どもといっしょに来るなら、水曜日ははずしたほうがよい。
近くに、動物園やフラワーパークもある。
少し離れたところには、ガーデンパークもある。
これほど楽しめる温泉街は、そうはない。

●生徒

 昔、この近くの温泉旅館の息子が、私の教室に通ってくれた。
いつも祖母といっしょに、やってきた。
その旅館の前が、映画『男はつらいよ』のロケ地にもなった。
それからもう25年近くになる。
「今ごろ、どうしているのだろう?」と、ふと、今、そんなことを考える。
30歳を超えているはず。

 「あの子、覚えている?」とワイフに聞く。
「そう言えば、そういう子がいたわね」と、ワイフ。

 思い出が静かに、脳裏の中を流れていく。
外の景色は、すっかり白くなっていた。
曇り空だが、よく見ると、薄い絵の具をまぶしたように、
水色の空も見える。

 昨日は暑かった。
このあたりでも、32,3度を超えた。
今日も暑くなりそう……。

(朝風呂に入る。戻ってくる。)

●露天風呂

 森のにおいと、水気のにおい。
それが入り混じって、独特のにおいをつくる。
マイナスイオンのにおい?
オゾンのにおい?
露天風呂に近づいたとたん、そのにおいが、全身を包む。

 子どものころ、母の郷里でかいだ、あのにおい。
なつかしさが、どっとこみあげてくる。
川で泳いだ。
魚を取った。
あおのときのにおい、そのまま。

 露天風呂は、朝の香りがまだ残る、早朝がいちばん。
心が休まる。
あとで時計を見たら、1時間近くも、入っていた。
ワイフが「長く入っていたわね」と言って、驚いた。
ワイフも、露天風呂に入ったはず。
しかしあの(におい)は、経験した者でないとわからないだろう。

●掛ける(料金)

 これは当然のことかもしれない。
大切なことは、どんな旅館に泊まっても、不平、不満は言わない。
その前に、そういうことは、考えない。
何も考えないで、体と心を休める。
料金を考えるなら、なおさら。
(今そこにある)現実を、すなおに受け入れる。
受け入れて、楽しむ。

(だからといって、開華亭がどうのと書いているのではない。
言い忘れたが、星は4つの、★★★★。
どこにも段差があり、足腰の悪い人には向かないが、それをのぞけば、
このあたりでも高級旅館。)

 それが旅の楽しみ方の、第一。
仮に、「最悪」であっても、あとになれば笑い話になる。
「あの旅館の夕食は、最悪だったね」と。

 一度だけだったが、そういう旅館があった。
最悪!
東北のほうへ旅したときのことだった。
料理の品数は多かった。
しかしどれも、作り置きしたものばかり。
寿司も並んでいたが、乾いて、ひからびていた。

が、おかしなもので、そういう旅館ほど、印象に強く残る。
今でもときどきその旅館を思い出し、ワイフと笑いあう。
「あそこは、ひどかったね」「ひどかったわね」「ハハハ」と。

言うまでもなく、旅館の良し悪しは、料金を掛け算して、決まる。
部屋の広さ、清潔感の評価も、それで決まる。
が、何より大切なのは、やはり風呂。
ここ、開華亭の風呂は、4つから5つ星。
よかった!

●ダイエット

 時刻は、6時14分。
朝食まで、まだ1時間あまりも、ある。
朝食は、7時半〜から。
先ほど、体重計に乗ってみたら、やはり63キロ。
おととい、61キロ台になったと喜んでいたばかり。
今日からまた、ダイエット開始!

 自分でもどうしてこうまでバカなのかと思う。
「食べたら損(そこ)ねる」とわかっていながら、食べてしまう。
それだけ理性による自制力が弱いということ。
とりあえず、今朝はここで朝食を食べ、昼は抜く。
夕食は、麺類。
あとは運動あるのみ。

●露天風呂の中で

 最近、A県に住む友人の健康が、おもわしくないという。
見舞いに行くべきかどうかで、迷っている。
こういうケースのばあい、まず奥さんの意向を確かめなければならない。

そのことは、自分のこととして考えてみると、わかる。
元気なときならまだしも、病気で半身不随になったら、どうか?
私なら、だれにも会いたくない。
その前に、だれにも知られたくない。
それにこの7、8年、一度も会っていない。

 ……死ぬときも、そうだ。
私は死ぬときは、ひとり静かに死にたい。
派手な葬儀など、望むべくもないが、そんなものに、意味はない。
けっして負け惜しみではない。 
あとで「ああ、あのはやし(=私)は死んでいたのか」で、よい。
またそういう死に方をしたい。
だから、他人の病気や死も、同じように考える。

●恩と義理?

 一方、この日本では、「恩」とか「義」とかいう言葉をよく使う。
とくに葬儀には、とくべつの意味を付け加える。
葬儀に出なかったりすると、「義理を欠いた」という言葉を使って、
その人を排撃する。

 しかしこんなバカげた風習は、私たちの代だけで、やめにしたい。
私が悪者になってもよいから、やめにしたい。
「別れ」の意味を、儀式でごまかしてはいけない。
またそんなもので、ごまかせるようなものではない。
ものごとは、原点の返って考えてみたらよい。

 ワイフが死んだら、私はいっしょにそのまま、静かに数日を過ごす。
人の出入りは、避けてほしい。
だれも来なくても、私は構わない。
たぶん、私が死んでも、ワイフは、そう思うだろう。
だから、私は、そうしたい。
そうしてほしい。

 もっとも中には、儀礼だけの葬儀をする人もいないわけではない。
儀礼だけの葬儀をして、人間関係をとりつくろう人もいる。
そういう葬儀に出たりすると、それこそヘドが出そうになる。

●見舞い

 やはり見舞いに行くのはやめよう。
そのかわり、何かを送ってやろう。
食べ物なら、みなが喜んでくれる。

……露天風呂の中だから、もう少し風流な話をと思った。
このところ、何かにつけて、ものの考え方が暗い。
うしろ向き。
 
 そうそう露天風呂に入っていたら、長男が心配して、風呂場まで、のぞきに来てくれた。
ワイフに見てくるように言われたのだろう。
思わぬ長湯で、心配をかけてしまったらしい。

 実のところ、今日は忙しい。
昼に仮眠をしたあと、9時間の仕事が待っている。
その前にいくつかの雑用。
昨日、7月分の電子マガジンの発行予約をし終えたとき、仕事が終わったと
錯覚してしまった。
そのまま温泉へ来てしまった。

●サラーンさん

 今日、フランスから友人が日本へ着く。
昨日、出発する前に、メールが入っていた。
「また会いましょう!」と返事を書くと、「うれしい!」と書いてきた。

 2人の子どもがいる。
2人とも、孫の誠司によく似ている。
父親は、フランス人。
今度はいっしょに、食事をするつもり。
しかしフランス人は、何を食べるのか?

 ちょっと心配になってきた……。

 また8月には、オーストラリアの友人がやってくる。
中国での見本市の帰り道、日本へ立ち寄るという。
ちょうど私の休暇と重なるので、いっしょに、あちこちを旅をしよう。

●今日から7月

 朝食まで、まだ30分ほどある。
あと片づけをして、帰り支度をしよう。
今日から7月。
2010年、7月1日。
今月も、忙しくなりそう。
……というより、気の抜けない月になりそう。

 体調はどうかな?
ちょっと自信がないが、これなら7月も、何とかがんばれそう。

(アドバイス)

 みなさんも、どうか舘山寺温泉へ、おいでください。
浜松は、すばらしいところですよ!!


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

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