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2010年     10月号
Essay……
BOX版(ネットストーレッジ)……






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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   29日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前回のつづき】やる気論

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カテコールアミンについて書いた原稿を
添付します。

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【子どものやる気論】自発的行動(オペラント)

●ほめる



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子どもは、ほめて伸ばす。

これは家庭教育の大鉄則!



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●灯をともして引き出す



 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を
意味する(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」と
いう単語に由来する。



 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。
そのせいか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。参
観している私のほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。



 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、そ
れが強化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。



●脳内ホルモンが脳を活発化させる



 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。好きなことをしているときに
は、脳内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それが、ニューロンの活
動を活発化し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「したたかな脳」)。



 このとき大切なことは、得意分野をほめること。不得意分野や苦手な分野には、目をつ
ぶる。たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。すると脳
内ホルモンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、
伸び始める。これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よく
みられる現象である。が、それだけではない。



ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。こんなことが
あった。



●子どもをほめるときは本気で



 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。腕力もあった。友だちを殴る蹴
るは当たり前。先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出
されていた。



 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。夏休み
になる少し前のことだった。私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにし
た。



 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。
ウソや仮面ではいけない。本心だ。英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、
あなたを思う』というのがある。あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、
そのAさんも、あなたのことをいい人だと思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返
報性」という言葉がある。



 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。
相手の好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子
どもを伸ばす。



●「先生、肩もんでやるよ。」



 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。私は車の助
手席に、K君は、うしろの席にいた。私は、こう言った。



 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれま
せんが、今だけです。おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」
と。



 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。おとなのユーモアもよく理解
した。頭もよい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こ
んなことがあった。



 いつもより30〜40分も早く、K君が私のところへ来た。「どうした?」と聞くと、K
君は、少し恥ずかしそうにこう言った。



 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。



 私はだまって、K君の好意を受けた。

(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン 
子どものやる気 子供の集中力 思考力)
(以上、2006年5月記)


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もう一作、「やる気」について書いた
原稿を添付します。

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【子どもの中の子ども】

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子どもを見て、教育してはいけない。
教育するときは、子どもの中の子どもを見て、する。

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●乳幼児の記憶

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子どもの中の子どもとは、何か?
それについて話す前に、乳幼児の
記憶について書いた原稿を
読んでほしい。

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「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィ
ーク誌・2000年12月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えら
れていた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられてい
る」(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達
なため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長
期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しか
しメルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだ
けということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行っ
た場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよ
くある。これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起
きる現象と考えるとわかりやすい。

++++++++++++++++

わかりやすく言えば、あの乳幼児ですらも、
着々と記憶をたくわえ、「私」を作る
準備をしているということ。

やがてその「私」が、私の意思すらも、
ウラから操るようになる。

では、「私の意思」とは何か?

それについて書いた原稿が
つぎのもの。

++++++++++++++++

●意思

 最近の研究では、「自分の意思」ですらも、実は、脳の中で、作られるものだというこ
とがわかってきた(澤口俊之氏「したたかな脳」日本文芸社)。

 たとえばテーブルの上に、ミカンがあったとしよう。するとあなたは、そのミカンに手
をのばし、それを取って食べようとする。

 そのとき、あなたは、こう思う。「私は自分の意思で、ミカンを食べることを決めた」
と。

 が、実は、そうではなく、「ミカンを食べよう」という意思すらも、脳の中で、先に作
られ、あなたは、その命令に従って、行動しているだけ、という。詳しくは、「したたか
な脳」の中に書いてあるが、意思を決める前に、すでに脳の中では別の活動が始まってい
るというのだ。

たとえばある人が、何らかの意思決定をしようとする。すると、その意思決定がされる前
に、すでに脳の別のところから、「そういうふうに決定しないさい」という命令がくださ
れるという。

 (かなり大ざっぱな要約なので、不正確かもしれないが、簡単に言えば、そういうこと
になる。)

 そういう点でも、最近の脳科学の進歩は、ものすごい! 脳の中を走り回る、かすかな
電気信号や、化学物質の変化すらも、機能MRIや、PETなどによって、外から、計数
的にとらえてしまう。

 ……となると、「意思」とは何かということになってしまう。さらに「私」とは、何か
ということになってしまう。

 ……で、たった今、ワイフが、階下から、「あなた、食事にする?」と声をかけてくれ
た。私は、あいまいな返事で、「いいよ」と答えた。

 やがて私は、おもむろに立ちあがって、階下の食堂へおりていく。そのとき私は、こう
思うだろう。「これは私の意思だ。私の意思で、食堂へおりていくのだ」と。

 しかし実際には、(澤口氏の意見によれば)、そうではなくて、「下へおりていって、
食事をする」という命令が、すでに脳の別のところで作られていて、私は、それにただ従
っているだけということになる。

 ……と考えていくと、「私」が、ますますわからなくなる。そこで私は、あえて、その
「私」に、さからってみることにする。私の意思とは、反対の行動をしてみる。が、その
「反対の行動をしてみよう」という意識すら、私の意識ではなくなってしまう(?)。

 「私」とは何か?

 ここで思い当たるのが、「超自我」という言葉である。「自我」には、自我を超えた自
我がある。わかりやすく言えば、無意識の世界から、自分をコントロールする自分という
ことか。

 このことは、皮肉なことに、50歳を過ぎてみるとわかる。

 50歳を過ぎると、急速に、性欲の働きが鈍くなる。性欲のコントロールから解放され
るといってもよい。すると、若いころの「私」が、性欲にいかに支配されていたかが、よ
くわかるようになる。

 たとえば街を歩く若い女性が、精一杯の化粧をし、ファッショナブルな服装で身を包ん
でいたとする。その若い女性は、恐らく、「自分の意思でそうしている」と思っているに
ちがいない。

 しかし50歳を過ぎてくると、そういう若い女性でも、つまりは男性をひきつけるため
に、性欲の支配下でそうしているだけということがわかってくる。女性だけではない。男
性だって、そうだ。女性を抱きたい。セックスしたいという思いが、心のどこかにあって、
それがその男性を動かす原動力になることは多い。もちろん、無意識のうちに、である。

 「私」という人間は、いつも私を越えた私によって、行動のみならず、思考すらもコン
トロールされている。

 ……と考えていくと、今の私は何かということになる。少なくとも、私は、自分の意思
で、この原稿を書いていると思っている。だれかに命令されているわけでもない。澤口氏
の本は読んだが、参考にしただけ。大半の部分は、自分の意思で書いている(?)。

 が、その意思すらも、実は、脳の別の部分が、命令しているだけとしたら……。
 
 考えれば考えるほど、複雑怪奇な世界に入っていくのがわかる。「私の意識」すらも、
何かの命令によって決まっているとしたら、「私」とは、何か。それがわからなくなって
しまう。

++++++++++++++++

そこでひとつの例として、「子どもの
やる気」について考えてみたい。

子どものやる気は、どこから生まれるのか。
またそのやる気を引き出すためには、
どうしたらよいのか。

少し話が脱線するが、「私の中の私を知る」
ためにも、どうか、読んでみてほしい。

++++++++++++++++

●子どものやる気

+++++++++++++

子どもからやる気を引き出すには
そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

++++++++++++++

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳
の中の辺縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それ
が自分にとって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モ
ルヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包
まれる。それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではな
いようだ。こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除
してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているとい
うわけである。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなも
のを好きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が
勝手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一
度、そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反
応を示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教
室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をも
つようになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印
象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子
どもは、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、
ますますその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」
という言葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばして
いく。反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になっ
てしまい、努力の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質
が分泌される。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んで
みよう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類が
あるという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミン
にも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアド
レナリンを分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P5
9)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まる
ということ。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ
覚えたか)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、
(どれだけ楽しんだかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁
桃体が、いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると
考えてよい。「好きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、
その子どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、そ
の向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにして
いる。何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わ
せる。そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力
が芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすること
がある。多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児
教育と考えている。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせて
いるその物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずな
い。(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教
育のリズムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。
借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる
気を見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」
と、子どもを追いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのも
のがない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。
しかしこの日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、
たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早
い時期に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉
強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、
その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少し
でも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわない
ということ。

++++++++++++++++++++

では、「私」とは何か?
その中心核にあるのが、「性的エネルギー」(フロイト)
ということになる。
「生的エネルギー」(ユング)でもよい。

++++++++++++++++++++

● 生(なま)のエネルギー(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center 
of the brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. 
But it is not all. I understand the hypothalamus is the source of life itself.

++++++++++++++++++++

おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲を
コントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、
太ったり、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、
コントロールしていることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、
脳の各部に発しているのではないかと、私は考えている。
「生きろ!」「生きろ!」と。
これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、
「生的エネルギー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、
発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、
確認されている。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている
組織である。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、
わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「セックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、セックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、
それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、
それだけ性欲も強いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、
その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、
悪の道に走りやすいということになる。

もちろん(欲望)イコール、(性欲)ではない。
(あのフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使って、性欲を、心理学の中心に
置いたが……。)

ここにも書いたように、生の信号は、さまざまな姿に変える。
その過程で、さまざまなバリエーションをともなって、その人を動かす。

スポーツ選手がスポーツでがんばるのも、また研究者が、研究で
がんばるのも、そのバリエーションのひとつということになる。
さらに言えば、女性が化粧をしたり、身なりを気にしたり、美しい服を着たがるのも、
そのバリエーションのひとつということになる。

ほかにも清涼飲料会社のC社が、それまでのズン胴の形をした瓶から、
なまめかしい女性の形をした瓶に、形を変えただけで、
現在のC社のような大会社になったという話は、よく知られている。
あるいは映画にしても、ビデオにしても、現在のインターネットにしても、
それらが急速に普及した背景に、性的エネルギーがあったという説もある。

話がこみ入ってきたので、ここで私の仮説を、チャート化してみる。

(視床下部から発せられる、強力な生のシグナル)
      ↓
(一次的に辺縁系各部で、フィルターにかけられる)
      ↓
(二次的に大脳の前頭前野で、コントロールされる)

こう考えていくと、人間の行動の原理がどういうものであるか、それがよくわかる。
わかるだけではなく、ではどうすれば人間の行動をコントロールすることができるか、
それもよくわかる。

が、ここで、「それがわかったから、どうなの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分の心というのは、わかっているのと、わからないのでは、対処のし方が、
まるでちがう。

たとえば食欲を例にあげて、考えてみよう。

たとえば血中の血糖値がさがったとする。
(実際には、食物の分解物であるグルコースや、インスリンなどの消化器系ホルモン
などが、食欲中枢を刺激する。)
すると視床下部は、それを敏感に関知して、「ものを食べろ!」というシグナルを
発する。
食欲は、人間の生存そのものに関する欲望であるだけに、そのシグナルも強力である。

そのシグナルに応じて、脳全体が、さまざまな生理反応を起こす。
「今、運動をすると、エネルギー消費がはげしくなる。だから動くな」
「脂肪内のたくわえられたエネルギーを放出しろ」
「性欲など、当座の生命活動に必要ないものは、抑制しろ」と。

しかしレストラン街までの距離は、かなりある。
遠くても、そこへ行くしかない。
あなたは辺縁系の中にある帯状回の命ずるまま、前に向かって歩き出した。

そしてレストラン街まで、やってきた。
そこには何軒かの店があった。
1軒は、値段は安いが、衛生状態があまりよくなさそうな店。それに、まずそう?
もう1軒は。値段が高く、自分が食べたいものを並べている。

ここであなたは前頭前野を使って、あれこれ考える。

「安い店で、とにかく腹をいっぱいにしようか」
「それとも、お金を出して、おいしいものを食べようか」と。

つまりそのつど、「これは視床下部からの命令だ」「帯状回の命令だ」、さらには、
「今、前頭前野が、あれこれ判断をくだそうとしている」と、知ることができる。
それがわかれば、わかった分だけ、自分をコントロールしやすくなる。

もちろん性欲についても同じ。

……こうして、あなたは(私も)、自分の中にあって、自分でないものを、
適確により分けることができる、イコール、より自分が何であるかを知ることが、
できる。

まずいのは、視床下部の命ずるまま、それに振り回されること。
手鏡を使って、女性のスカートの下をのぞいてみたり、トイレにビデオカメラを
設置してみたりする。
当の本人は、「自分の意思で、したい」と思って、それをしているつもりなのかも
しれないが、実際には、自分であって、自分でないものに、振り回されているだけ。

それがわかれば、そういう自分を、理性の力で、よりコントロールしやすくなる。

以上、ここに書いたことは、あくまでも私のおおざっぱな仮説によるものである。
しかし自分をよりよく知るためには、たいへん役に立つと思う。

一度、この仮説を利用して、自分の心の中をのぞいてみてはどうだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 視床下部 辺縁系 や
る気)

++++++++++++++++

では、いよいよ核心?

「私」とは何か。
また教育の世界では、「私」をどう考えたら
よいのか。

私は、ひとつの仮説を考えた。

++++++++++++++++

●仮説(Hypothesis)
In the middle of the brain, there may be a center which gives orders to the whole 
brains. The limbic system filters these orders to the one, which may be understood 
by other brains. Then brains give orders to each part of the body. The orders are 
controlled by the frontal part of the brain. This is my hypothesis. …sorry about 
my improper use of words )

+++++++++++++++++

電車の中。
春うららかな、白い光。
その白い光の中で、1人の若い女性が
化粧を始めた。
小さな鏡をのぞきこみ、
口紅を塗っていた。

私はその光景を見ながら、
ふと、こう思った。

「彼女は、自分の意思で化粧をしているのか?」と。

私がその女性にそう聞けば、100%、その女性は、
こう答えるにちがいない。

「もちろん、そうです。私の意思で、化粧をしています」と。

しかしほんとうに、そうか?
そう言い切ってよいのか?

ひょっとしたら、その女性は、
「私でない、私」によって、操られているだけ。

+++++++++++++++

昨日、新しい仮説を組み立てた。
人間の生命と行動に関する仮説ということになる。
それについては、昨日、書いた。

仮説(1)

人間の脳みその奥深くに、(生命力)の中枢となるような部分がある。
最近の研究によれば、視床下部あたりにそれがあるらしいということが、わかってきた。
視床下部というは、脳みその、ちょうど中心部にある。

仮説(2)

その(生命力の根源)となるような部分から、脳みそ全体に、常に、
強力なシグナルが発せられている。
「生きろ!」「生きろ!」と。

生命維持に欠かせない、たとえば食欲、生存欲、性欲、支配欲、闘争欲などが、
そのシグナルに含まれる。

これらのシグナルは、きわめて漠然としたもので、私は、「生(なま)の
エネルギー」と呼んでいる。

仮説(3)

この生のエネルギーは、一次的には、辺縁系という組織で、フィルターに
かけられる。
つまり漠然としたエネルギーが、ある程度、形をともなったシグナルへと
変換される。

やる気を司る帯状回、善悪の判断を司る扁桃核、記憶を司る海馬などが、
辺縁系を構成する。

つまりこの辺縁系で一度フィルターにかけられた生のエネルギーは、志向性を
もったエネルギーへと、変換される。
このエネルギーを、私は、「志向性エネルギー」と呼んでいる。

仮説(4)

この志向性エネルギーは、大脳へと送信され、そこで人間の思考や行動を決定する。
ただそのままでは、人間は野獣的な行動を繰りかえすことになる。
そこで大脳の前頭前野が、志向性エネルギーをコントロールする。
この前頭前野は、人間の脳のばあい、全体の28%も占めるほど、大きな
ものである。

以上が、私の仮説である。

具体的に考えてみよう。

たとえばしばらく食べ物を口にしていないでいたとする。
が、そのままでは、エネルギー不足になってしまう。
自動車にたとえるなら、ガス欠状態になってしまう。

具体的には、血中の血糖値がさがる。
それを視床下部のセンサーが感知する。
「このままでは、ガス欠になってしまうぞ」
「死んでしまうぞ」と。

そこで視床下部は、さまざまな、生のシグナルを中心部から外に向かって発する。
そのシグナルを、一次的には、視床下部を包む辺縁系が、整理する。
(これはあくまでも、仮説。こうした機能を受けもつ器官は、ほかに
あるかもしれない。)

「食事行動を取れ」
「運動量を減らせ」
「脂肪細胞内の脂肪を放出せよ」と。

その命令に従って、脳みそは、具体的に何をするかを決定する。
その判断を具体的にするのが、前頭前野ということになる。
前頭前野は、脳みそからの命令を、分析、判断する。

「店から盗んで食べろ」「いや、それをしてはいけない」
「あのリンゴを食べろ」「いや、あのリンゴは腐っている」
「近くのレストランへ行こう」「それがいい」と。

そしてその分析と判断に応じて、人間は、つぎの行動を決める。

これは食欲についての仮説だが、性欲、さらには生存欲、支配欲、所有欲
についても、同じように考えることができる。

こうした仮説を立てるメリットは、いくつか、ある。

その(1)……「私」の中から、「私であって私である部分」と、
「私であって私でない部分」を、分けて考えることができるようになる。

たとえば性欲で考えてみよう。

男性のばあい、(女性も同じだろうと思うが)、射精(オルガスムス)の
前とあととでは、異性観が、まったくちがう。
180度変わることも珍しくない。

たとえば射精する前に、男性には、女性の肉体は、狂おしいほどまでに魅力的に見える。
女性の性器にしても、一晩中でもなめていたいような衝動にかられることもある。
しかしひとたび射精してしまうと、そこにあるのは、ただの肉体。
女性器を目の前にして、「どうしてこんなものを、なめたかったのだろう」とさえ思う。

つまり射精前、男性は、性欲というエネルギーに支配されるまま、「私で
あって私でない」部分に、操られていたことになる。

では、どこからどこまでが「私」であり、どこから先が、「私であって
私でない」部分かということになる。

私の仮説を応用することによって、それを区別し、知ることができるようになる。

こうして(2)「私であって私である」部分と、「私であって私でない」部分を
分けることによって、つぎに、「私」の追求が、より楽になる。
さらに踏み込んで考えてみよう。

たとえばここに1人の女性がいる。

朝、起きると、シャワーを浴びたあと、毎日1〜2時間ほどもかけて化粧をする。
その化粧が終わると、洋服ダンスから、何枚かの衣服を取りだし、そのときの自分に
合ったものを選ぶ。
装飾品を身につけ、香水を吹きかける……。

こうした一連の行為は、実のところ「私であって私でない」部分が、
その女性をウラから操っているために、なされるものと考えられる。

もちろんその女性には、その意識はない。化粧をしながらも、「化粧を
するのは、私の意思によるもの」と思っている。
いわんや本能によって操られているなどとは、けっして、思っていない。

しかしやはり、その女性は、女性内部の、「私であって私でない」部分に操られている。
それを意識することはないかもしれないが、操られるまま、化粧をしている。

++++++++++++++++++

こう考えていくと、「私」の中に、「私であって私」という部分は、
きわめて少ないということがわかってくる。

たいはんは、「私であって私でない」部分ということになる。
あえて言うなら、若い女性が口紅を塗りながら、「春らしいピンク色にしようか、
それとも若々しい赤色にしようか?」と悩む部分に、かろうじて「私」があることに
なる。

しかしその程度のことを、「私」とはたして言ってよいのだろうか?
「ピンク色にしようか、赤色にしようか」と悩む部分だけが、「私」というのも、
少しさみしい気がする。

さらにたとえばこの私を見てみたばあい、私という人間は、こうして
懸命にものを考え、文章を書いている。

この「私」とて、生存欲に支配されて、ものを書いているだけなのかもしれない。
つまり、私の脳みその中心部から発せられる、生のエネルギーに操られているだけ?
……と考えていくと、「私」というものが、ますますわからなくなってくる。

しかしこれが、「私」を知るための第一歩。
私はやっと、その(ふもと)にたどりついたような気がする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私論 私で会って私で
ない部分 視床下部 大脳前頭前野)

++++++++++++++++

教育の世界では、表面的な子どもだけを
見て、教育してはいけない。

教師のひとつひとつの行動、言動が、
どのように子どもの中に形成されていくか。
それを観察しながら、教育する。

あるいは反対に、その子どもが、その
子ども自身の中の、どのような「私」に
コントロールされているか、それを
的確に判断しながら、教育する。

それが教育の原点ということになる。

++++++++++++++++

【私とは?】(What is "Me"?)
At last I have come to an conclusion or I just feel it that I have come. Here is what 
I have found in these ten years. 

●いよいよ核心?

++++++++++++++++++

「私」の中には、(私であって、私でない部分)と、
(私であって、私である部分)がある。

大半の「私」は、(私であって、私でない部分)と
考えてよい。

食事をするのも、眠るのも、仕事をするのも、
また恋をして、結婚して、子どもをもうけるのも、
結局は、視床下部の奥深くから発せられる、強力な
シグナルによって、そう操作されているだけ。
それを「本能」と呼ぶなら、本能という名称でも、
構わない。

では、(私であって、私である部分)は、どこに
あるのか。

実は、こうしたシグナルに逆らうところに、
「私」がある。

こんな例で考えてみよう。

毎年、その時期になると、私の家の庭には、2羽の
ドバトがやってくる。
巣をつくり、雛(ひな)をかえす。

そのときのこと。
ドバトは、たいてい2羽の雛をかえす。
が、そのうち雛が大きくなると、
より強い雛が、より弱い雛を、巣から押し出して、
下へ落としてしまう。

つまり1羽だけが、生き残る。
(たまに2羽とも生き残ることがあるが……。)

雛は、雛なりに、生存をかけて、もう一羽の
雛を、巣から落とす。

が、それはその雛自身の意思というよりは、
雛自身の、生まれもった、本能によるものと
考えるのが正しい。

もしその雛が、人間と会話ができるなら、
きっとこんなふうに言うにちがいない。

私「君は、どうして、もう一羽の雛を、巣から
落としたのだ?」
雛「親が、エサをじゅうぶんにくれないからだ」
私「君の意思で、そうしたのか?」
雛「もちろん。やむをえず、私は、そうした」と。

が、雛は、自分の意思で、そうしたのではない。
もう少し正確には、これはあくまでも私の
仮説だが、こうなる。

「生きたい」という強力なシグナルが、雛の
視床下部から発せられる。
そのシグナルは、雛の辺縁系と呼ばれる部分で、
「形」のあるシグナルに変換される。
このばあい、「嫉妬」という感情に変換される。

つまりそこで2羽の雛は、たがいに嫉妬し、
巣の中で、闘争を開始する。
「出て行け!」「お前こそ、出て行け!」と。

結果的に、より力の強い雛が、弱い雛を、巣から
追い出して、落とす。
落とされた雛は、野犬などに襲われて、そのまま死ぬ。

わかりやすく言えば、雛は、こうした一連の行為を
しながら、(私であって、私でない部分)に操られた
だけということになる。

では、その雛が、(私であって私である部分)をつかむ
ためには、どうすればよいのか。

ここから先は、人間を例にあげて考えてみよう。

2人の人がいる。
砂漠かどこか、それに近いところを歩いていた。
2人も、もう数日間、何も食べていない。
空腹である。

で、2人が歩いていると、目の前に、パンが一個、
落ちていた。
1人分の空腹感を満たすにも足りない量である。

もしそのとき、2人が、一個のパンを取りあって、
喧嘩を始めれば、それはドバトの雛のした行為と
同じということになる。

基本的には、視床下部から発せられたシグナルに
操られただけ、ということになる。

が、2人の人は、こう話しあった。

「仲よく、分けて食べよう」
「いや、ぼくはいいから、君のほうが、食べろよ」
「そんなわけにはいかない。君のほうが、体も細いし、
元気がない……」と。

もう、おわかりのことと思う。
(私であって、私である部分)というのは、
(私であって、私でない部分)を、否定した
部分にあるということ。

もっとわかりやすく言えば、先に書いた、「本能」を
否定したところに、「私」がある。

さらに言えば、一度(私であって、私でない部分)から、
抜けでたところに、「私」がある。

その究極的なものは何かと問われれば、それが「愛」
であり、「慈悲」ということになる!

「愛」の深さは、「どこまで、相手を許し、忘れるか」、その
度量の深さで、決まる。

「慈悲」については、英語で、「as you like」と訳した
人がいる。
けだし名訳! 「あなたのいいように」という意味である。
つまり「慈悲」の深さは、どこまで相手の立場で、「相手に
いいようにしてやる」か、その度量の深さで、決まる。

たとえば殺したいほど、憎い相手が、そこにいる。
しかしそこで相手を殺してしまえば、あなたは、
視床下部から発せられるシグナルに操られただけ、
ということになる。

が、そこであなたは、あなた自身の(私であって、
私でない部分)と闘う。闘って、その相手を、
許して忘れたとする。
相手の安穏を第一に考えて、行動したとする。
つまりその相手を、愛や慈悲で包んだとする。

そのときあなたは、(私であって、私である部分)を、
手にしたことになる!

「私」とは何か?

つまるところ、(私であって、私でない部分)を否定し、
その反対のことをするのが、「私」ということになる。

もちろん、人間は生きていかねばならない。
視床下部から発せられるシグナルを、すべて否定したのでは
生きていかれない。

しかし、そのシグナルの奴隷になってはいけない。
シグナルの命ずるまま、行動してはいけない。
闘って、闘って、闘いぬく。
その闘うところに、「私」がある。
そのあとに残るのが、「私」ということになる。

繰りかえすが、その究極的なものが、「愛」であり、
「慈悲」ということになる!

さらに言えば、「私」とは、「愛」であり、「慈悲」
ということになる。

言いかえると、「愛」や「慈悲」の中に、(私であって、
私である部分)が存在する、ということになる!

+++++++++++++++++

【補記】

ここに書いたのは、私の仮説に基づいた、ひとつの意見のすぎない。
しかし、おぼろげならも、やっと私は、「私」にたどりついた。
「私」とは何か、その糸口をつかんだ。
長い道のりだった。
遠い道のりだった。
書いた原稿は、数万枚!

ここまでたどりつくために、ほぼ10年の月日を費やした。
(10年だぞ!)

先ほど、ドライブをしながら、ワイフにこの仮説について説明した。
ワイフは、そのつど、私の仮説に同意してくれた。

で、それを説明し終えたとき、私の口から、長い、ため息が出た。
ホ〜〜〜〜〜ッ、と。
うれしかった。
涙がこぼれた。

この先は、私の仮説を、もう少し、心理学、大脳生理学、教育論の
3つの分野から、同時に掘りさげ、補強してみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私とは 私論 愛 慈
悲 愛論 慈悲論 仮説 視床下部 辺縁系 はやし浩司の私論 教育の原点)


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司


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●「オレも年だから……」(老齢期のセルフ・ハンディ・キャッピング)

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同じ仲間でも、ことあるごとに、
「私も年だから……」と言う人がいる。
「この年になったから、もう1人前の
ことはできない」と。

こういうのを心理学では、「セルフ・
ハンディキャッピング」という。
自分からハンディがあることを先に言い、
できないことを前もって、自己弁護する。
人の同情を買うときも、同じように言う
ことがある。

もう何十年も前の話だが、私が電話する
たびに、1人の叔母はこう言った。
「オバチャンも、年だからねエ……」と。
「高齢者になったから、何とかしてほしい」と。

で、今でもその叔母は健在である。
年齢を逆算すると、その叔母は当時は50代。
私自身の50代を振り返っても、私は
そういうような言い方をしたことがない。
(同情を買いたくても、買う相手がいない
こともあるが……。)

で、ここでいう「セルフ・ハンディキャッピング」
というのは、あくまでも自己弁解、自己弁護の
ために使うことをいう。
先手を打って、自分にはハンディがあることを、
強調する。
たとえばテニスに試合前に、「いやあ、最近、
不眠症になってねエ」とか言うのが、それ。

試合に負けても、それは自分の実力のせいではない。
不眠症のせい、と。

これも老人心理のひとつかもしれない。
加齢とともに、こうした言い方が多くなる。
実のところ、この私もふと油断したようなとき、
似たようなことを言うようになった。
瞬間「まずい!」とは思うが、先に口から
出てしまう。

++++++++++++++++++

●生き様の後退性

 生き様が後退的になると、前を見ることよりも、うしろを見ることのほうが、
多くなる。
心理学の世界では、「回顧性」「展望性」という言葉を使って、それを説明する。
55歳前後で、回顧性と展望性が交差するとも言われている。
55歳を過ぎるころから、未来を見るよりも、過去を見ることのほうが多くなる。
冒険よりも保身を好み、革新よりも保守を求めるようになる。

 もちろん若々しく生きるためには、つねに前を見て生きた方がよい。
言い替えると、老後は、(この言葉が好きな人はいないと思うが……)、常に
後退性との闘いということになる。
いかに後退性と闘っていくか。
老後の生き様は、それで決まってくる。

●後退性

 後退性といっても、中身は様々。
先に書いたように、年齢を自己弁護、自己弁解のために使うのも、そのひとつ。
体力的にはそうであっても、ほかの面ではそうであってはいけない。
またそうである必要は、まったくない。
いわんやセルフ・ハンディキャッピングのために、年齢を口実にしてはいけない。

 実は数日前もこんなことがあった。
高校3年生のA子さんが、学校の宿題を出し、「先生、これね……」と言った。
数学の問題だった。
それを見てほぼ反射運動的に私は、こう言ってしまった。
「今朝、旅館の温泉に入ってね……」と。

 そのとき私はかなり体力を消耗したような状態になっていた。
その少し前から、ほどよい睡魔が繰り返し私を襲っていた。
つまり私はそう言うことによって、「その問題を解けないかもしれない」という布石を
したことになる。

●展望性

 そんなこともあって、私は来年度は挑戦的に生きることにした。
いくつかの目標を立てた。
何も「年だから……」という理由で、遠慮することはない。
遠慮してはいけない。
遠慮する必要もない。

 その計画は、今から立てなければならない。
(具体的な内容は、企業秘密!)
その準備にとりかかった。

 今も仕事はたいへんだが、20代のころよりは私を取り巻く環境は、ずっと
よくなっている。
あのころは未熟で未経験だった。
何を書いても、また何を訴えても、だれも相手にしてくれなかった。
が、今はちがう。
相手が親でも、平気で説教できるようになった。
親もまた、耳を傾けてくれる。
こんなチャンスはまたとない。

 が、「敵」は、私自身だけではない。

●郷里の身内

 数日前も、あるいとこから電話がかかってきた。
私が法事で手を抜いていることや、実家の近隣の人たちの葬儀に顔を出さないこと
について、身内の人たちが悪く言っている、と。

 弁解するつもりはないが、(というのもそれこそ生き様の問題だから)、そういうのを
回顧性という。
法事とか、葬儀とか……。
そういうことだけが、一生の一大事と思い込んでいる!
高校を卒業して以来、実家の近隣の人たちとの交際はない。
それに実家は、昨年売却した。

 また法事については、今はそんなことで心を煩わせたくない。
身内の人たちは、ことあるごとに、「実家」「本家」「林家」という言葉を使う。
墓参りのことをとやかく言う人もいる。
しかし墓参りをしないことで、バチが当たるのは、この私。
私のことは心配しないで、どうか放っておいてほしい!
……というのは言い過ぎ。
世間には世間のしきたりというものがある。
私は何も、そのしきたりまで否定しているわけではない。

 が、私は死ぬまで……ギリギリまで前だけを見て生きていく。
55歳前後で展望性と回顧性が交差するというが、それは死ぬ間際でよい。
死ぬ間際になったら、過去を振り返り、法事もし、墓参りもする。
寺にあとの始末を、きちんと頼む。

●賢者の言葉

 で、こういうふうに迷ったときは、いつも世界の賢者たちがどう考えているか、
それを知るとよい。
私はういつもそうしている。

What is life? We are born, we live a little and we die. 
EB White、"Charlotte's Web "
人生って何か? 私たちは生まれ、少しだけ生き、そして死ぬ。

To live is so startling it leaves little time for anything else. 
Emily Dickinson
生きることは、驚くべきことだ。それは生きること以外に、ほとんど時間を残さない。
(=生きることで精一杯)。

People's whole lives do pass in front of their eyes before they die. The process is called 
'living'. 
Terry Pratchett、 "The Last Continent"
人々の全人生は、彼らが死ぬ前に目の前を通り過ぎる。その「過程」を「生きている」と
いう。

Life is one big road with lots of signs. So when you riding through the ruts, don't 
complicate your mind. Flee from hate, mischief and jealousy. Don't bury your thoughts, 
put your vision to reality . Wake up and live! 
Bob Marley、 In Music、Bob Marley 
人生というのは、たくさんの看板の立った道のようなもの。そんなわけでわだち(車の跡)
を走っているときは、心をわずらわせないこと。憎しみ、悪戯や嫉妬から逃げろ。自分の
思想を埋めるな。計画を現実のものにせよ。目を覚まして、生きろ!

Life is very interesting, if you make mistakes. 
Georges Carpentier、 In Humanity 
人生というのは、まちがいを犯すからおもしろい。

Life is raw material. We are artisans. We can sculpt our existence into something 
beautiful, or debase it into ugliness. It's in our hands. 
Cathy Better, In Art/The Artist 
人生というのは、ナマの材料。私たちは芸術家。それを彫って美しいものにすることもで
きる。醜いものにすることもできる。それは私たちの手にかかっている。

Life is a mystery, not a problem to be solved 
Albert Einstein、In Mystery 
人生は神秘。解こうとして解けるような問題ではない。

●人生は60歳から

 ワイフはときどき、こう言う。
「私は50歳になって、はじめて人生が何であるかわかったような気がする」と。
で、私も最近、こう思う。
「人生は60歳から始まるのではないか」と。

 若い人たちにこういう話をしても信じないかもしれない。
しかし事実だから、話す。

 パソコン雑誌などにも、ときどき若い女性のヌード写真のようなものが載っている。
ああいうものを見て、「美しい」と思うのは、若い人たちだけ。
私はすぐそういった女性の顔を見る。
その奥にある知性をさがす。
が、どれもバカ面(ずら)、アホ面(ずら)、化粧バカ。
脳みそのひとかけらも感じない。
とたんそういった女性の肉体が、ただの脂肪の塊に見えてくる。

 同時にそういったまやかしの(美しさ)に踊らされ、惑わされた自分を思い出す。
が、60歳を過ぎた今はそれがない。
以前、「性欲からの解放」という原稿を書いたことがある。
人は性欲から解放されてはじめて、それまでの自分がいかに性欲の奴隷であったかを知る。
60歳になって、私たちは独立を勝ち取る。
だから「60歳」となる。
「人生は60歳から始まるのではないか」となる。

●人生の無駄

 だからこそ、ここは前向きに生きる。
やっと自分を取り戻した。
自分が自分らしくなった。
自分の「輪郭」が、はっきりしてきた。
どうしてそんなすばらしい人生を、過去のために振り向けなければならないのか。
が、それこそ時間の無駄。
人生の無駄。

 ……ということで、「年だから……」というセルフ・ハンディキャッピングは、
若い人こそ、それを自覚して使うべき。
「私はまだ若いですから……」と。
さらに言えば、若さこそ恥ずべきことであって、自慢すべきことではない。
若い人ほど、人生に謙虚になったらよい。
謙虚にならなければ、人生は、門を開かない。
少なくとも何も老人が使うべき言葉ではない。

 私たちは今まで、堂々と生きてきた。
これからも生きていく。
顔にシワがふえ、体はたるんできたが、それは私のせいではない。
DNAのせいである。
何も恥ずべきことではない。

 だから……今朝も自分の心に誓う。
「私は、『年だから……』という、情けない言葉は使わない」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ハンディキャッピング ハンディ・キャッピング 自己弁護 自己擁護 
自己弁解 回顧性と展望性 展望性と回顧性 老人の心理 老齢期の生き様論 はやし浩
司 セルフ・ハンディキャッピング)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司・林 浩司

●2010年、10月1日(金曜日)
満63歳まで、あと20数日弱

+++++++++++++++++++

今日から10月。
初日は、まあまあ。
平凡な滑り出し。
ただここ数日、朝起きがけに、
悪夢に悩まされる。
悪夢といっても、オカルト的な夢ではない。
飛行機に乗り遅れそうになる夢とか、
おかしな連中にからまれて、喧嘩ごしに
なるとか、
そういう夢。
たいていハラハラした状態で、目が覚める。

たぶん私も睡眠時無呼吸症候群とかいう病気に
かかっているのかもしれない。
ワイフがときどき、そう言う。
目が覚めたとたん、ハーハーと深呼吸を繰り返す。
つまりその瞬間、ハラハラドキドキしながら、呼吸を止めている。
そのとき悪夢を見る。
(これは私の素人判断。)
精神状態は、あまりよくないようだ。

+++++++++++++++++++

●山荘にて

 今夜は夜遅く、こうして山荘へやってきた。
ひとりでやってきた。
バスを乗り継いで、やってきた。

で、先ほど村祭りの祝い金を、班長に届けてきた。
10月の第一土曜日か第二土曜日か、いずれかの日に、祭りがある。
明日は第一土曜日。
あわてて祝い金を届けてきた。
が、班長が、「祭りは来週です」と言ってくれた。
ほっとした。

●ひとりぼっち

 美空ひばりの名曲に、「♪悲しい酒」がある。
その歌詞に、「ひとりぼっちが、好きだよと・・・」という箇所がある。
私もひとりぼっちが好きというわけではない。
しかしときに、こうしてひとりぼっちになる。
ひとりぼっちになって、自分の時間をつくる。

 時刻は10時20分になったところ。
軽い頭痛がする。
こういうときは、まず水で頭を冷やす。
ついで湿布薬を貼る。
そのあとまだ頭痛がするようであれば、何かを食べる。
そのあと、頭痛薬をのむ。
幸い、偏頭痛ではなさそうだ。
偏頭痛の痛さは、経験したものでないとわからない。

●孤独

 孤独にも、2種類ある。
肉体的、つまり物理的にひとりぼっちという意味。
これは耐えられる。
もうひとつは、信じられる者がいないという意味。
これは苦しい。
だれにも相手にされないというのも、それに含まれる。
だれにも愛されないというのも、それに含まれる。
つまり、「心の孤独」。

 ときどき私は生徒たちにこう聞く。
「先生(=私)が死んだら、悲しいか?」と。
すると生徒たちはみな、「うれしい」と答える。

それが本音だろう。
私はもともと嫌われ役。
嫌われ役を代行しながら、親たちからお金を受け取る。
だから(教えること)で、孤独がいやされるなどとは思っていない。
実際には、その反対。
生徒たちと面していると、ときどき、言いようのない孤独感に襲われる
ことがある。
生徒は生徒。
とくに私の生徒は年少者が多い。
人間関係を結んだり、育てたりするということができない。

●Sさん

 そう言えば、先週、Sさん(高3)が大学入試に合格した。
小さな声で、「合格が確定しました」と。
もの静かで、理知的な子である。
私の教室に、年中児のときから、14年間、通ってくれた。
Sさんにとってもそうだろうが、私にとってもSさんは、私の人生の一部。

 来週、食事会を開くつもり。
Sさん、おめでとう!
うれしかったよ!

●仕事

 2011年度の仕事を考え始めている。
来年(2011年)は、さらに仕事に没頭してみたい。
「してみたい」ではなく、「する」。

 同時に身のまわりの整理をする。
私は若いころ、骨董品だとか、置き物に凝った。
そういったものが、あちこちにゴロゴロしている。
売るといっても、売り方がむずかしい。
そのうちヒマ(閑)になったら、ネットオークションに、順に並べて
みる。
そういう手もある。

 が、いちばんよいのは、生徒にそのつどあげること。
もっていても、仕方ない。
どうせ死ぬときは、裸。
それも2年前に死んだ、母が教えてくれた。
あれほどモノにこだわった母だが、死ぬときはささいな身のまわりの
日常品だけ。
モノのもつむなしさを、いやというほど、母を通して知った。
・・・学んだ。
 
 で、仕事。
2011年は、自分を完全燃焼させてみたい。
今、いちばん力を入れているのが、幼児教室のビデオ撮影。
「こんな教え方もある」ということを、世界の人たちに見てもらいたい。
この世界には、誤解と偏見が満ち溢れている。
幼児教育というと、先取り教育か受験教育。
さもなければ、子どもをしごく、悪徳教育と考える人は多い。
その偏見と誤解を解いてほしい。

 幼児はたしかに未熟で未経験だが、それを除けば、立派な人間である。
それをわかってほしい。

 また私がこわいのは、(流れ)が止まること。
仕事がその柱というか、「川」になっている。
これが止まったら、私はそのまま腐ってしまう。
だからつづける。

●車の運転

 今、明日はどうしようかと考えた。
どうしようか?
たぶん朝早く山をおり、県道を走るバスに乗って、街まで行く。
私は車を運転しない。
だからいつもそうしてバスや電車を利用する。
あとはワイフに頼んで、あちこちへ連れていってもらう。

 が、実のところこのところワイフの運転が、こわくてならない。
2週間前には、バックをしているときコンビニのポールに激突。
今日、車がやっと修理されてきたと思ったら、さっそく駐車場で、壁に衝突。
勘が悪いというか、鈍ったというか・・・。
とくに右折がめちゃめちゃ。
すぐ前に対向車が迫っていても、その前を横切る形で、平気で右折する。
相手の運転手にクラクションを鳴らされたり、怒鳴られることも、しばしば。 

「お前には運転は無理だね」と言うと、すかさず、「相手が悪い」と
切り返す。
「向こうが止まればいいのよ」と。
ワイフは、他罰型。
他責型ともいう。
子どもにも多い。
机の上のお茶をこぼしたりすると、すかさず、こう言い返す。
「先生が、こんなところにお茶を置いておくから悪い!」と。
「ごめんなさい」という言葉が、口から出てこない。
脳が、そういう構造になっていない。
がんこで、融通がきかない。
だから車の運転が、下手!
(私はもっと下手。ハハハ。)

 だからあまりそのことを責めると、いつもこう言い返される。
「私はあなたの運転手じゃないのよ。自分で運転したら!」と。

●思慮深さ

 ワイフだけが一例というわけではない。
しかし総じてみると、脳の老化は、思慮深さの欠落から始まる。
そう考えてよい。

 たとえば先日も、車のドアが内部から開かなくなってしまった。
そこで私が「おい、車のドア、開かないぞ」と声をかけると、すかさず、・・・
つまり私の話もロクに聞こうとしないうちから、「あなたのやり方が
おかしいんじゃない?」と切り返す。

 もう何年も乗った車である。
ドアの開け方など、まちがえるはずがない。

 が、若いころのワイフはそうでなかった。
もう少し思慮深かった。
私の言ったことを聞いてから、おもむろに自分の意見をはさんだ。

 こうした現象は、50歳を超えると、たいていの人に見られるようになる。
中には自分がボケたのを隠すために、わざと利口ぶって見せる人がいる。
さらにアルツハイマー病か何かになると、とりつくろいや、つじつま合わせ、
言い訳、弁解が多くなる。
病気を隠そうとするためである。

 しかし思慮深さの欠落は、それとは趣(おもむき)を、やや異(こと)にする。
脳みそが薄っぺらくなったような感じになる。
もちろんワイフは、それに気づいていない。
脳のCPU(中央演算装置)に関する問題だけに、自分でそれを知るのはむずかしい。

 で、こうして文章にして書いておく。
ワイフのことだから、たぶん、これを読んでも、即座に否定するだろう。
自分では思慮深い人間と思い込んでいる。

 一般論として言えることは、要するに思慮深い人は、口が重い。
逆に言えば、思慮深くない人は、口が軽い。
思いついたことを、ペラペラと口にする。
つまりそうなったら、脳の老化が始まっているとみてよい。
よい例が、観光バスの中などで、間断なく、しゃべりつづけるオバちゃんたち。
一度、ああいう人たちの会話に耳を傾けてみるとよい。

●不眠症

 幸い頭痛が軽くなってきた。
眠いはずなのに、あまり眠くない。
昨日は、4〜5時間しか眠っていない。
悪夢のせい。
だから今朝は、4時ごろ目を覚まし、そのまま起きてしまった。

 「不眠症」という言葉がある。
私もその不眠症だが、ここ10年は、居直って生きている。
「無理に眠ることはない」と。
人間という動物は、2、3日なら、眠らなくても、どうということはない。
「不眠、不眠」と悩むと、かえってストレスがたまってしまう。 
万事、成り行き任せ。
眠くなかったら、起きていればよい。
眠くなったら、眠ればよい。

●独居老人

 ところで私の家の近くに、今年85歳くらいになる独居老人がいる。
男性である。
少し前まで、奥さんがいたが、奥さんは現在、特別養護老人ホームに。
ほとんど寝たきりと聞いている。

 その老人のことが、よく話題になる。
先日も、前自治会長と話をした。
道端での立ち話だった。
昔からの知り合いらしい。
その前自治会長も、「あの人ねえ・・・」と言って、苦笑いをした。
若いときから、みなに嫌われていたらしい。

その独居老人の心境を、今、私は模擬体験していることになる。
孤独と言えば、孤独。
さみしいと言えば、さみしい。
しかしそれを認めたら、おしまい。
だからこうして懸命に、何かにしがみつこうとする。
パソコンのキーボードを叩くのも、それ。
もし手の動きを止めたら、本当に孤独になってしまう。
だから眠くなり、どうしようもなくなるまで、文章を叩く。
(読んでくれている人には、申し訳ないが・・・。)

 独居老人と呼ばれる老人たちも、たぶん、毎日そうして生きているのだろう。
ある知人は、こう言った。
「林さん(=私)、人間というのは、何かをしていないと、生きていかれない
動物なんですよ」と。
その何かをしながら、心を紛らわす。
孤独と闘う。

●基本的不信関係

 孤独の話を書いたので、もう少し、それについて書いてみたい。
つまり私のような人間は、自ら孤独にならざるをえない運命にある。
性格がゆがんでいる。
心を開くことができない。
友だちも少ない。
人を信用しない。
私を知る人は、たぶん私のことを明るく、楽天的な人間と思っているに
ちがいない。
そういう面は、たしかにあるにはある。
笑わせ上手。
ジョークもうまい。
しかしそのくせ、全幅に相手に心を開くことができない。
基本的不信関係というか、基底不安というか、それが私の心の
ベースになっている。

原因は不幸な乳幼児期にあるが、今さらそれを恨んでも始まらない。
私はもうすぐ63歳。

●63歳

 63歳・・・平均余命(寿命)から計算すると、あと15年ほどの命。
健康寿命は、それから10年を引いた年齢だそうだ。
それで計算すると、こうして元気でいられるのも、あと5年。
そのあとは病気と闘いながら、徐々に、死んでいく。

 今、いちばん心配な病気は、脳腫瘍。
若いときから、頭痛もち。
何かあると、すぐ頭痛が始まる。
頭痛がない日のほうが、珍しいほど。
そんなときも、長くつづいた。

おかげで、私は頭痛の神様になった。
「神様」というのは、頭痛のことなら何でも知っているという意。
近くに「頭が痛い」という人がいると、とても他人ごととは思えない。
ついあれこれとアドバイスしてしまう。

 その脳腫瘍。
もともとはおとなしいがんだそうだ。
2倍の大きさになるのに、10年単位も時間がかかる。
だったら切らないほうがよい。
仮に今、私の頭の中に脳腫瘍が見つかっても、私は切らない。
あと10年くらいなら、何とか生きられそう。
もし耐えられないほど痛くなったら、そのときは安楽死。
オーストラリアで医師をしている友人に、そのときの薬を頼んである。
「パラダイスxxx」という名前の薬である。
「違法だが・・・」ということらしい。

 ただ長生きはしたい。
しかし問題は、どう生きるか。
母の介護をしているとき、私の脳みその中にトラウマができてしまった。
特別養護老人ホームに通ううちに、自分の未来に自信を失ってしまった。
「私も、ああなるのか」と。

 もしそうなら、長生きも考えもの。
みなに迷惑をかけるくらいなら、早めに死んだほうがよい。
・・・というより、みなに、迷惑をかけたくない。
たとえばこうしてものを書くことができなくなったら・・・。
書いていることが支離滅裂になり始めたら・・・。
そのときは、おしまい。
やがて確実に、そうなるが・・・。

●ホームベーカリー

 今、菓子パンをかじったところ。
とくに空腹というわけではないが、こういうときは何かを口に入れない
と落ち着かない。
だからすぐ太る(?)。
その菓子パンを見ながら、「じょうずにできているな」と。
「どうしたらこういう皮の薄いパンができるのだろう」と、
不思議でならない。

 この数週間、ホームベーカリーというのを買って、パンづくりに
挑戦している。
けっこう、うまくなった。
冷水の代わりに、牛乳を入れてみたり、バターのかわりの蜂蜜を入れたり。
そういう小技(こわざ)も、自由にこなせるようになった。
が、ここにある菓子パンのようなわけには、いかない。
値段も安い。

 まじまじと菓子パンをながめる。
キメもこまかい。
やわらかい。
それにおいしい。
口の中で溶かしながら、「バターを使っているな」「卵を使っているな」
とか、そんなことを考える。

●趣味

 こうして私の趣味は、周期的に変化する。
今は、ホームベーカリー。
一通り、それをマスターすると、つぎに急速に興味を失っていく。
しばらくあれこれと、さまよい歩いたあと、また別の趣味に乗り移っていく。
こんなことを、子どものときからずっと繰り返している。

 だからいろいろなことをしてきた。
していないことはないと言えるほど、いろいろなことをしてきた。
パソコンのソフトにしても、同じようなことがある。

 ひとつのソフトを使う。
それを一通りマスターすると、また別のソフトに手を出す。
だから私のパソコンは、しょっちゅう故障する。
OSをいじったり、レジストリーをいじったりする。
そのたびに故障する。

 だから教訓。
「それなりにサクサクとパソコンが作動するときは、冒険をするな」と。
いつも自分にそう言って聞かせている。

●結膜炎

 今、目の付け根を指でかいたところ。
夏場になると、私は結膜炎になりやすい。
理由はわからない。
で、そういうときは、エタノールを目の付け根にチョンとつけて、
しばらく静かに目を閉じている。
(ぜったいに、みなさんは、まねをしないように!)
たいていそれでかゆみは収まる。

今、それを洗面所でしてきたところ。

 目のかゆみは取れた。
先ほどまで眠かったが、眠気も消えた。
もう少し文章を書いてみよう。

●60%

 先ほど独居老人のことを書いた。
模擬体験をしているとも書いた。
で、統計的な予想によれば、私たち団塊の世代は、約60%が、
その独居老人になるそうだ。

よく「家族主義」という言葉を使う人がいる。
私もその1人だが、若い人たちが言う「家族主義」と、私たちがいう
「家族主義」とはちがう。
両者の間には、ひとつの大きなちがいがある。

 若い人たちがいう「家族主義」には、両親、つまり老人が含まれて
いない。
自分たちという夫婦と、自分たちの子どもだけの世界をいう。
昔は「核家族」と言った。
つまり「核家族主義」。

一方、私が説いてきた「家族主義」には、自分たちの親が含まれる。
親も含めて、家族主義という。
つまり「大家族主義」。

 そのことは今の若い人たちの生き方を見れば、わかる。
「将来、親のめんどうをみなければならない」と考えている若い人たちは、
ほとんどいない。
統計的にも、30%前後。
つまりその結果として、この先、独居老人は、ますますふえる。
あなたも私も、独居老人になる。 
「60%」という数字は、それを表す。

 だから中に、「ぼくは(私は)、家族を第一に考えています」という
若い夫婦がいても、私は「そうですか」と言って、口を閉じてしまう。
「結構なことですね」と言いたいが、それは言わない。

 若い人たちよ、横(夫や妻)や下(子ども)ばかり見ていないで、たまには
上(親)を見ろ。
君たちだって、やがてその上(親)になる。

●暗い話

 暗い話になってしまった。
明るい話をしたい。

 ・・・と書いたところで、指が止まってしまった。
「筆が止まった」と書くべきか。
ざっと見回しても、明るい話がない(?)。
これはどうしたことか?
「世の中、右を見ても、左を見ても、真っ暗闇」。
元気がない。
今年になって、サラリーマンの平均給与もさがったという。
つまり大不況の真っ最中。
おとといは、あの武富士も倒産した。
10年ほど前、あの山一證券が倒産したときも驚いたが、武富士にも
驚いた。
「そういうこともあるのかなあ?」と。

 で、この先どうなるのか?
今日も、TOSHIBAが、有機液晶テレビから撤退するというニュース
が伝わってきた。
「これからは小型の液晶テレビの生産に専念する」と。
「この先は、韓国のS社の独壇場になる」とも。
さらにあのモービル石油が、日本から撤退するというニュースも。
日本が今、どんどんと見捨てられつつある。
国際的に見れば、そういうこと。

 で、本来なら政府が予算をうまく配分して、工業を活性化しなければ
ならない。
(公共投資=道路工事だけが、投資ではないぞ!)
が、その余裕が、まったくない。
国の借金が、あまりにも大きすぎる。
1000兆円を超えている。
日本人1人あたり、1000万円!
そんな借金、返せるわけがない。

 言うなれば、息子や娘たちの事業に出資してやりたい。
しかし肝心の親が、借金だらけ。
だからみな、身動きが取れない。
穴にこもって、じっとしている。
今の日本をおおざっぱに表現すれば、そういうことになる。

●高コスト

 で、本来なら、行政改革(=官僚制度の是正)を、10年前、20年前に
すませておくべきだった。
しかし行政組織がここまで肥大化してしまうと、もう手遅れ。
どうしようもない。

「天下り先」という言葉がある。
しかし天下り先は、何も中央官僚だけの特権ではない。
全国津々浦々・・・小さな役所の役人にもある。

 先日も自衛隊員にも天下り先があると聞いて、驚いた。
公的機関のガードマンや、守衛などとなって、天下っていく。

また最近になってJALは、日本の公務員社会の縮図であると説く人がふえて
きた。
高コスト体質が理由で、JALは破綻をした。
二次破綻も時間の問題。

実は日本の公務員社会そのものが、全体として、高コスト体質になっている。
たとえば役所の役人たちは、どんなに役所にごみがたまっても、窓ガラスが
雲っても、自分たちでは掃除をしない。
若いころそれについて質問したことがある。
「どうして自分で掃除をしないのか」と。
すると役人をしていた友人が、こう話してくれた。
「そんなことをすれば、掃除婦のオバチャンたちの仕事を奪うことになる」と。

 そういった組織が、網の目のように入り組んで、今の公務員社会を作り
あげている。
だから役人の世界では、非効率が当たり前になっている。
つまりその分だけ、高コストになる。
JALが生き残るためには、この高コスト体質から抜け出るしかない。
しかしそれはかなりむずかしい。
世論のみならず、支援銀行までもが、背を向け始めた。

●1人8役

 一方、低コストといえば、私の職場。
私1人が、すべてをこなしている。
教材作りから、指導まで。
掃除はもちろん、宣伝、広告、それにHPづくり。
生徒の送り迎えまでしている。
1人8役くらい?
つまりそれくらいのことをしないと、やっていかれない。

 が、もし私が今、ここで、電話番を雇ったり、デザイナーを雇ったり
したらどうなるか。
見た目にはサービスの向上になるが、とたん、破綻。
1人の人間を雇うということは、たいへんなこと。
私1人が生きていくだけでも、たいへん。
そういう現実が、現場の役人たちは、まったくわかっていない(?)。

●官僚国家

 要するに、日本政府は、高度成長期に先取りする形で、公務員社会を
肥大化させてしまった。
経済がそのまま成長すれば問題はなかった。
しかしここ10年以上、成長は止まったまま。
それが今、裏目となって出てきた。

 山荘周辺の農家の人たちも、補助金が目的で農業をしているようなもの。
農協という組織が、そういった指導をしているのだから、話にならない。
「こういうふうにすれば、補助金が出ますよ」と。

 漁業も林業も、同じ。
実はコンピューター産業も、同じ。
浜松市市内の小さなソフト会社ですら、いかに多く公的機関の仕事を
受注するか。
それで経営の安定性が決まる。

 つまり社会そのものが、ガチガチに硬直してしまっている。
そんな日本に、未来などあるわけがない。
発展するわけがない。

 日本を活性化するためには、野趣味を取り戻すしかない。
わかりやすく言えば、荒っぽさ。
世界中が腰に銃をぶらさげて歩いているのに、日本だけが、オホホで、
通るわけがない。
が、現実には、すべてが逆行している。
規制、規制、また規制。
何をするにも、許可、資格、認可・・・。
その分だけ、さらに公務員社会は肥大化する。
人々は、自由を見失う。

 そう、大学生にしても、職業とは、資格を取って、もらうものと思っている。
ちがう!
職業というのは、自分で作るもの。
「自由」とは、もともとは、「自ラニ由ル」という意味。

●デフレ恐怖

 物価はさがる。
仕事が減る。
その分、収入も減り、経済が動かなくなる。
せっかく手にした現金にしても、多くはタンス預金となり、そのまま
死に金。
内需につながらない。
今は、この悪循環が、かぎりなく繰り返されている。
が、タンス預金をする人を責めることはできない。
将来に不安をいだくから、貯金をする。

 だからこの悪循環を断ち切るためには、人々が感じている不安を
一掃するしかない。
政治家ならそう考えるだろう。
が、具体的な方法となると、みな、頭をかかえてしまう。

あああ・・・。

●捨てる人vs捨てられる人

 世の中には、「捨てる人」と「捨てられる人」がいる。
「捨てる」ではなく、「棄てる」でもよい。
たいていは力のある人、上の立場にいる人が、「捨てる人」になる。
が、実際には、捨てる人は、人を切り捨てながら、自分が捨てられている。
それに気づいていない。

 たとえば、(あくまでも例えだが)、だれかがこう言ったとする。
「あの林(=私)は、偉そうなことを言うが、親の法事すら満足にして
いない。人間のクズだ」と。
ついでに「あんなヤツの書いた文章には、読む価値はない」と。

 そう言いながら、その人は、私を捨てていることになる。
ある種の優越感に浸っていることになる。
そして自分の意見に同調する人たちを周囲に集め、ガードを固くする。

 一方、捨てられた私は、その分だけ、たしかにさみしい思いをする。
しかし本当に捨てているのは、私のほう。
口に出して言わないだけ。
言ってもしかたない。
つまり相手にしない。
「かわいそうな人だ」と思って、それで終わる。

 これは私の持論。
「利口な人からは、馬鹿な人がよくわかる。
しかし馬鹿な人からは、利口な人がわからない」。
だから馬鹿な人は、利口な人が近くにいても、自分と同等と思う。
自分のレベルで相手を判断する。
が、このことは、もうひとつ重要な教訓を含んでいる。

 どんなことがあっても、相手を捨ててはいけないということ。
相手を捨てたとたん、自分が捨てられる。
JALの話を書いたので、ついでに一言。

 今度JALでは、強制解雇に踏み切るかもしれないという。
強制的に、社員のクビを切る。
ニュースとしては、ただのニュースかもしれないが、その内部では今、
想像を絶する地獄絵図が進行中。
私は以前、同じような状況を、ある出版社で直接見聞きしている。
ある社員はこう言った。
「いつ部長から呼び出しがあるかと、不安で不安で、仕事にならない」と。

 そこで社員は、実現性のないアドバルーンばかりをあげるようになる。
何とか目立った企画を立て、クビ切りを避けようとする。
「捨てる人」と「捨てられる人」の間で、壮絶な闘いが繰り広げられる。
が、それは地獄そのもの。

 が、それ以上に恐ろしいのは、一度、そういう人間関係になると、
それまでの関係も、すべて破壊されること。
いっしょにしてきた仕事まで、価値を失う。
他人以上の他人。
つまり憎しみ相手になる。
せっかく創りあげた人生に、大きな穴をあけることになる。
それが長い時間をかけて、ジワジワとその人の心を蝕(むしば)んでいく。

 余計なことだが、こうして山荘でひとりでいると、世の中を捨てて、
ここに来ているはずなのに、実際には反対に、捨てられている。
それが自分でもよくわかる。

●捨てられる前に・・・

 中国では『だまされる前に、相手をだませ』というそうだ。
「だまされたほうが悪い」と。
悪しき拝金主義の弊害ということになる。

 同じように、『捨てられる前に、捨てろ』という考え方もある。
自分が傷つく前に、先に相手を傷つけて、自分が傷つくのを防ぐ。
要するに、『殺される前に、殺せ』ということか。

 これに対する格言が、『負けるが勝ち』。
子育ての世界では、とくに有効な格言である。
子どもの問題、子どもの友人との問題、学校での問題、先生との問題
などなど。
そのつど、『負けるが勝ち』。
「すみません、うちの子のできが悪いものですから・・・」と。
先に負けてしまえば、それ以上、問題が大きくなることはない。
へたにがんばるから、問題が大きくなる。
大切なことは、子どもが気持ちよく学校へ通えること。

 それができる親を、賢い親という。
そうでない親を、愚かな親という。

 相手にまず自分を捨てさせる。
相手がよいように、させる。
そのあと、こちらはその人から去ればよい。
つまり人生というのは、その連続。
満身創痍(そうい)になってはじめて、人生の意味がわかる。
教育も、また同じ。

・・・ところで先ほどから、断続的に睡魔が襲うようになってきた。
ときどきふと目を閉じる。
その瞬間、強い眠気を感ずる。
もうそろそろ床に入る時間のようだ。

 このつづきは、明日の朝にでも考えてみたい。
では、みなさんおやすみ。
時刻はちょうど午前0時10分前。

●10月2日(土曜日)(翌朝)

 今朝は8時に起きた。
軽い吐き気がする。
ときどきゲップも出る。
逆流性食道炎になっているらしい。
寝る前に何かを食べると、ときどきそうなる。

 あとで何かを食べ、そのあと薬をのんでみる。
で、今朝も悪夢を見た。
たいした悪夢ではないが、やはり観光バスに乗り遅れそうになる夢。
もっとも今朝は、うまく観光バスに乗ることができたが・・・。
こういうのを「強迫観念」という。
いつも何かに追い立てられているような気分。
それが抜けきらない。
昔は、「貧乏性」と言った。
のんびりと休日を過ごすということができない。

 「乗り遅れる」というのは、記憶の中にはないが、幼いころ、そういう
経験をしたのかもしれない。
あるいは母子分離不安?
それがトラウマとなって残っている(?)。

●受容体

 先ほどから、朝日が窓越しに、力強く部屋の中を照らしている。
窓枠の影がはっきりと畳の上に映っている。
多分、今日はよい天気。
まだ外は見ていないが、それがよくわかる。

 で、このところまたまた私のビョーキが始まった。
今度は、「時計」。
このところ時計のカタログばかり、見ている。
とくに必要というわけではないが、機能がごちゃごちゃとついているのが、
ほしい。
気圧計、温度計、コンパス、月の満ち欠け、潮の干満表示などなど。
取り扱い説明書が、ズシンと重く、分厚いものほどよい。
カシオでそういう時計を出している。
が、値段が高い。
ネットでも、3〜4万円。

 脳の線条体に、「デジモノ」に対する受容体ができてしまっている。
つまり条件反射。
そのモノが欲しいというよりは、その受容体を満たすために、そのモノが欲しい。
アルコール中毒者やニコチン中毒者が見せる反応と同じ。

 だから手に入れてしまえば、満足する。
そのあと、それを使うということは、あまりない。

●北朝鮮

 さて一段落。
パンをかじって、薬をのむかどうか、迷っている。
逆流性食道炎かどうか、本当のところ、はっきりしていない。
痛みはほとんど、ない。
ゲップだけ。
もうしばらく様子をみてみよう。

 で、話をつづける。

 北朝鮮では、どうやら三代目独裁者が決まりつつある。
それについて、韓国や中国につづいて、アメリカまでもが、「おかしい」と
言い出している。
「世襲で指導者を決めるのは、おかしい」と。
(中国は「認める」というような発言を繰り返しているが・・・。)
が、この日本は、ただひたすら沈黙。
何しろこの日本には、天皇制という制度がある。
へたに「おかしい」と言おうものなら、世界中から、「じゃあ、お前の
ところは何だ!」とやり返される。
だから沈黙。
沈黙あるのみ。

 ただこういうことを書いても、この日本では公開処刑になることはない。
一応の言論の自由は、保障されている。
が、北朝鮮でこんなことを書けば、即、公開処刑。
しかしたった65年前には、そうでなかった。
天皇制を批判しただけで、即、投獄。
獄死する人も、少なくなかった。
ひょっとしたら、つぎの65年後には、またそうなるかもしれない。
それを忘れてはいけない。

●天皇制について

 もう少し、自分のことを書く。

 田舎の小さな自転車屋だったが、3代つづいた「本家」。
そのせいもあって、昔から、私の家は、「林家」と、「家(け)」がつけられていた。
大正時代の昔のことは知らない。
しかし私が中学生のころには、斜陽の一途。
家計はあってないようなもの。

 最近になって私の実家が、伝統的建造物に指定されたとか。
しかし何も好き好んで、伝統的建造物として残したわけではない。
改築したくても、その資金がなかった。

 が、その社会的負担感には、相当なものがある。
「お前は、林家の跡取りだから、しっかりと責任を果たせ」と。
だから結婚する前から、収入の約半分を、実家へ送り続けてきた。
当時はまだ、そういう時代だった。

 で、この話と天皇制とどう関係があるか?

 つまり天皇もたいへんだろうな、ということ。
まわりの人たちは、「天皇だから幸福なはず」という『ハズ論』だけで
片づけてしまう。
しかし当の天皇自身はどうなのか。
皇族の人たちは、どうなのか。
その社会的負担感には、相当なものがあるはず。
街の中を、ひとりで自由に歩くこともできない。

 「生まれながらにして天皇」というのは、かわいそうというより、酷。
自分の人生を自分の意思で生きることができない。
つまり私が書きたいのは、こういうこと。

一度は、天皇や皇族の人たちにこう問うてみる。
「たいへんな重責とは思いますが、引き受けていただけますか?」と。
そのとき天皇が、「いいですよ」と言えば、それでよし。
しかしそうでなければ、別の生き方をみなで、用意する。
私は何も、天皇制に反対しているわけではない。
天皇個人の人格と人権に、もっと配慮してもよいのではと考えている。

●新聞

 ここではインターネットは使えない。
だから今朝のニュースは、まったく入ってこない。
新聞もない。

 ところで最近は、テレビでニュースを見ることが、少なくなった。
ネットが浸透してくる前は、定時のニュースの時間になると、5分前には
テレビの前に座った。
が、今は、ニュースの時間さえ、気にしない。

 同じように新聞。
新聞に目を通しても、すでに読んだ記事ばかり。
若い人たちから、新聞離れが進んでいる。
すでに10年ほど前、「ぼくは新聞を取っていません」という若者がいた。
どこかのパソコンショップの店員だった。
それを聞いたとき、私は少なからず、驚いた。
「新聞を取っていないとは、どういうことだ!」と。
が、今ではそれが常識になりつつある。

 もっとも私個人は、新聞派。
いくらネットでニュースを読んでも、そのあと新聞で内容を確認しないと、
どうも落ち着かない。
電子の文字と印刷された文字。
安心感がちがう。
そのちがいは、大きい。

 何でもそうだが、私は「言葉」というのを信用しない。
「書かれた文字」を信用する。
これは元法科の学生だったという、その名残かもしれない。
だから生徒たちへの連絡事項も、すべて、一度文書にして渡すように
している。

●禁断症状

 ネット中毒という言葉がある。
私のその中毒者の1人だが、こういうとき軽い禁断症状に襲われる。
ニュースのみならず、ネットから遮断された世界。
そこにポツンとひとりでいると、不安でならない。

 携帯電話を片時も放さないで持ち歩く人の心理状態が、よくわかる。
ある人は、弁当を忘れても、携帯電話だけは忘れないと言っていた。
私もどこへ行くにも、パソコンだけは、忘れない。
それさえあれば、どこにいても、こうして時間をつぶすことができる。
が、ネットは、どうか?

 半日も放置しておくと、メールだけでも100通前後、入ってくる。
大半はSPAMメールだが、そのあとの処理も、めんどう。
丸1日も放っておいたら・・・、ゾーッ!

 それにニュースに触れられないのは、つらい。
今、世界で何が起きているのか。
それを知りたい。
このイライラ感。
この焦燥感。
それこそが、まさに禁断症状。

●パソコン

 で、今日のお供は、TOSHIBAのUX(11インチ)。
ミニ・ノートである。
が、キー幅は、19ミリの通常サイズ。
このところ、これが打ちやすい。
ほかに、同じくTOSHIBAのMX(12インチ)とTX(16インチ)。
もう一台、台湾製のパソコン。
そのつど状況に応じて、使い分けている。

 で、今、ほしいのは、同じくTOSHIBAのMX。
表面がザラザラしているのが、気に入った。
指先が受ける感触がよい。
しかし今は、がまんのとき。
私の予想では、1、2年後には、ノートパソコンはみなこうなる。

(1)キーボードは、セパレート式になる。(キーとキーの間に、
5ミリ前後の隙間がある。)
(2)表面がツルツルパソコンから、ザラザラパソコンになる。
(ツルツルパソコンは、どうも使い勝手が悪い。指先がすべって
しまう。初期のHPのミニノートがそうだった。)
(3)タッチパネル式のキーボードは、普及しない。
   iPadのキーボードがそうだ。
ペタペタと画面を押すような感触では、文章は打ちにくい。
   これも「慣れ」の問題かもしれないが、私のばあい、キーピッチは
   深いほど、打ちやすい。
   2ミリだと、打ちにくい。
   3ミリだと、打ちやすい。
   たった1ミリの差だが、その「差」は大きい。
   タッチパネル式では、0ミリになる。

 もちろんハードディスクは、消える。
すべてSD方式になる。
3Dは、それほど普及しないのでは?
その必要もないし、かえってわずらわしい。
映画にしても、そうだ。

●夫婦

 たった今、庭先で鳥が鳴いた。
ヒヨドリの声?
何か危険が迫ったときに出す声。
何があったのだろう?
少し心配。
光の影が、先ほどよりも弱くなっている。
どうやら雲ってきたらしい。
それに寒い。

 この山荘の電話線は、先日は解約した。
携帯電話もない。
もってくるのを忘れた。
今ごろワイフはワイフで、のんびりと土曜日の朝を過ごしているはず。
基本的には、ワイフは私がいないほうが、のんびりできる。
深層のその奥深い脳の部分では、私を嫌っている。・・・と思う。
昨夜も、「これから山(=山荘)へ行ってくるよ」と声をかけたら、
「どうぞ!」と。
ワイフはめったに、「私も行きたい」とか、「連れてって」とか言わない。
若いときから独立心が旺盛。
男まさり。
ふつうの女性のように(?)、男に甘えるということを知らない。・・・しない。
マリリンモンローのような女性を見るたびに、「バカみたい!」と言って、
吐き捨てる。
つまりかわいげがない。
だからこちらから連絡しなければ、迎えにくるということもない。
私も期待していない。

 考えてみれば、さみしい夫婦だが、夫婦に定型はない。
みな、それぞれ。
よい面もあれば、悪い面もある。
夫婦円満のコツは、要するに求めすぎないこと。

●山荘を売る
 
 先週、この山荘を手放すことにした。
今すぐというわけではないが、加齢とともに通うことが少なくなった。
息子は3人いるが、アメリカにいる息子をのぞいて、都会派。
田舎生活には、見向きもしない。
むしろ嫌っている。
同じように育てたつもりだが、志向性がまったくちがう。

 一方、私は子どものころから田舎派。
都会生活が肌に合わない。
人ごみの中を半日も歩くと、それだけで頭が痛くなる。

 ということで、売ることにした。
もちろん愛着はある。
さみしい。
土地づくりには、6年もかけた。
毎週、終末にはユンボを借りてきて、それで土地を平らにした。
そういう思い出が、ここにはぎっしりと詰まっている。
私の「命」の一部といってもよい。
若いからできた。
そう、あのころの私は若かった。

 いくらで売れるかはわからない。
この先、「ほしい」という人が現れたら、相談して決める。

●UFO

 昨夜は眠る前に、10〜15ページほど、UFOについての本を読んだ。
コンビニで買ってきた本である。
寝る前はいつもその種の本と、決めている。
地球を宇宙からながめているような気分になれる。
それがよい。

 学生時代には、たしか早川書房(今でもあるかな?)というところが
出していたSF小説を読みあさった。
当時は、ほかの惑星へ出かけていき、そこで宇宙人と戦うという、たわいも
ない内容のものが多かった。
それを一新させたのが、「2001年・宇宙の旅」。
これは映画だったが、私に与えた衝撃は大きかった。
それにテレビでは、「スタートレック」とか、「サンダーバード」など。

 言い忘れたが、地球を宇宙的な規模からながめなおすということは、
悪いことではない。
それを信ずるかどうかは別にして、視野が広くなる。
またUFOを信ずるかどうかは、私たち個々の問題。
信じたからといって、害はない。
カルト教団のように、組織があるわけではない。
あくまでもロマン。
空想ロマン。

 で、そのUFOだが、そうした本によれば、最近ではさまざまなタイプのもの
があるようだ。
私のいちばん興味をひいたのは、「異型UFOドローンズ」。
まるで針金細工か何かで作ったようなUFO。
YOUTUBEでも紹介されているが、そんなUFOが、スーッと
空を自由に飛びまわっているという。
「どんな原理で飛んでいるのだろう」と、そんなことを考えているうちに
いつも眠ってしまう。

●ダラダラ話

 意味のないダラダラ話がつづいた。
ここまで読んでくれた人に、申し訳ない。
少しまともな話をしてみたい。

先日、ローカル電車の中で、こんな広告を見た。
どこかの大学が出している広告である。
こうした広告がおかしいと言うには、それなりの覚悟が必要。
その大学を敵に回すことになる。
しかしおかしいものは、おかしい。
考えれば考えるほど、おかしい。
その広告は、「多元心理学を(私たちの大学で)
いっしょに学びましょう」という言葉で
結んでいた。
「多元心理学ねえ・・・?」。

●やる気

記憶によるものなので、内容は不正確。
あらかじめ、それを断わっておく。
しかし主旨は、できるだけ正確にここに書く。
わかりやすくするため、箇条書きにする。

(1)「勉強をさあ、やろう」と思っていた。
(2)ところが母親が、そのとき、「勉強しなさい」と言った。
(3)とたん、勉強をしようという意欲がそがれた。
(4)みなさんにも、そんな経験があるだろう。
(5)これは「Rxxxx」と呼ばれる心理現象である。
(6)勉強をすることで、「自由になりたい」と思っている。
(7)その意欲が、母親の言葉で、押しつぶされた。
(8)そこで猛烈な反発が働く。
(9)人間は自由を制限されると、自由を取り戻そうとする。
(10)が、それが思うようにできない。
(11)そのため、やる気を失う。
(12)だからそういうときは、「勉強しなさい」ではなく、「無理をしないでね」
    と言ったほうがよい。
(13)そういう勉強を、あなたもいっしょにしてみないか。
(14)KJ大学。

●やる気論

 「やる気論」については、たびたび書いてきた。
が、一般的には、やる気は、「オペラント(自発的行動)」という言葉を
使って説明する。

自分が好きなことを、自分の意思でしていると、脳内は、カテコールアミン※
というホルモンで満たされる。
そのホルモンが、脳内を陶酔感で満たす。
それが「やる気」につながっていく。

 が、今度は、その反対の場合を考えてみよう。
たとえばいやなことを無理強いされると、それがストレッサーとなる。
ストレッサーとなって、今度はサイトカインという脳内ホルモンを分泌する。
このサイトカインが、心身にもろもろの変調をもたらす。
頭痛、肩こり、吐き気などなど。
当然、やる気をなくす。

・・・おおざっぱに言えば、そういうことになる。

●疑問

 せっかくやる気になっていた。
ところがそのとき母親が、「勉強しなさい」と言った。
とたん、やる気をなくした。
私にもそういう経験がある。
あなたにもあるだろう。

 そういうことは、よくある。
が、ここで重大な事実の誤謬(ごびゅう=取り違い)がある。
前提として、「やる気が起きていた」ということになっている。
しかし勉強を例にあげるなら、勉強が好きな子どもは、まずいない。
勉強には常に、ある種の苦痛がともなう。
その苦痛を乗り越える力を、「忍耐力」という。
平たく言えば、「いやなことをする力」。

 この段階で、その子どもがもし勉強をすることが好きなら、母親に
そう言われたくらいでは、影響を受けない。
「はい、わかりました」で終わるはず。
が、母親に「勉強しなさい」と言われたとたん、やる気をなくした(?)。
つまりここがおかしい。
もともと「やる気」など、ないと考えるのが自然。
「いやな勉強だが、しかたないからやってやるか」と思っていた。
そのとき母親が、「勉強しなさい」と言った。
その言葉でやる気をなくしたというのなら、私も納得する。
しかしそれは、自由を求める意思とは、本質的に異質なものである。

●自由への葛藤

 人間というのは、身勝手な動物である。
自由であるときは、それが自由であると気がつかない。
またその自由を、使うわけでもない。
が、その自由が抑圧されたと感じたとたん、猛烈な反発心がわいてくる。
それはたしかに、ある。
たとえばこんなケースで考えてみよう。

 もしある日突然、政府がこんな命令を出したとする。
「旅行で隣の県へ行くのを禁止する」と。
とたん、だれしもそれに反発するだろう。
旅行をするつもりがなかった人でも反発する。
「どうしてだめなのか」と。

 それなりの合理的な理由、たとえば戦争が起きたとか、伝染性の病気
が発生したとか、そういう理由があればまだ納得できる。
しかしそういう理由もないまま禁止されると、簡単にはそれに従うこと
はできない。

●相手の問題

 が、そのことと「やる気」は、どこでどうつながるのか。
逆のケースだって、考えられる。
「ようし、がんばろう」と思っていたところ、恋人が、「勉強、がんばってね」と
言ったとする。
そういうときひょっとしたら、その子どもはますますやる気を出すかもしれない。
たまたま相手が母親だったのがまずかった。
となると、それは言葉の問題ではなく、相手の問題ということになる。
さらに言えば、相手との人間関係の問題ということになる。
「自由がどうのこうの」という問題とは、次元がちがう。

●抑圧

 さらに言えば、親子関係には、長い過去というものがある。
その過去の中で、よい関係を築いている親子もいれば、そうでない親子も
いる。
いつも「勉強しなさい」と追い立てられてばかりいた子どももいる。
そういう子どものばあい、親がそう言っただけで、それに猛烈に反発
するだろう。
しかしそれは心理学的には、「抑圧」という言葉を使って説明される。
それまで心の隅に抑圧していたうっ憤(不満や不平)が、そこで爆発する。
ドカーン、と。

●タイプ
 
 が、このとき子どもは、(おとなもそうだが)、2つのタイプに分かれる。
ひとつはそのまま抑えつけられてしまうタイプ。
もうひとつは、暴力的にそれに反発するタイプ。
もちろんその中間型もあるだろう。
ほかにも依存型、同情型、服従型もある。
しかしそのままやる気をなくしてしまうタイプは、あくまでもその中の
ひとつに過ぎない。

 「自由を抑圧されたから」「やる気をなくした」と結びつけるのは、短絡的。
無理がある。
先にも書いたように、某大学の大学案内に書かれた文章である。
当然その道のプロたちが、知恵をしぼり、かつ専門的な知識を総動員
して書いたにちがいない。
が、おかしいものは、おかしい。
またどうしてそれが「多元心理学」なのか?
「多元」というほど、大げさなものではない。

●「無理をしないでね」

 英語では、「がんばれ」に相当する言葉がない。
「Do your best(最善を尽くせ)」が近いが、実際には、
こういうケースのばあい、「Take it easy(気楽に構えよ)」
と言う。

 今、何かのことでがんばっている子どもがいたとする。
歯を食いしばってがんばっている。
しかし思うように成果が出ない。
苦しい。
そんなときだれかに、「がんばれ!」と言われることほど、つらいことはない。
「これ以上、何を、どうがんばればいいのだ!」と。

 そういうときは、たしかに反発する。
が、それとて「自由を求めて・・・」というのとは、異質のものである。

●オペラント

 「やる気論」については、すでにオペラント(自発的行動)論によって
常識的に定説化している。
たとえばここに漢字の得意な子ども(小4)がいる。
自分でも「漢字が得意」と自負している。
そんな子どもに、小6の漢字を10個、書かせてみる。
とたん、「知らない」「書けない」「わからない」といって、瞬間的に
パニック症状を示したあと、急速にやる気をなくす。
もちろんプライドにも、大きなヒビが入る。
中にはふてくされてしまい、不遜な態度を示す子どももいる。

 つまり「やる気論」は、むしろそちら側から攻めるべきであって、
自由論とは、本来、関係ないものと考えるのが正しい。

・・・ということで、この話は、おしまい。
ついでに今日の日誌も、これでおしまい。
これからもう一眠りするつもり。
頭は重くないが、耳鳴りがする。
風邪の前兆かもしれない。
これからうがいをし、葛根湯をのむ。

 2010年10月2日、朝。
午後から行動開始!
ではみなさん、今日もがんばろう!

●変更

 ここまで書いて、パソコンを閉じようとしたら、すでに31ページも
書いていることがわかった。
隙間だらけの31ページだから、本の1ページに換算するわけにはいかない。
しかし31ページ。
編集の仕方にもよるが、50〜60ページも書けば、薄い本になる。
がぜん、やる気が出てきた。
どうせここまで書いたのだから、あと少し、つづけて書いてみる。

●ものを書く

 ものを書くとき重要なことは、自分を偽らないこと。
飾らないこと。
ありのままを書く。

 もちろんだれかを傷つけるようなことは、書いてはいけない。
教育の世界では、とくにそうである。
その人個人と特定できるようなことは、書かない。
そこでいろいろな手法を用いる。

 他人の話を自分の話にしてみたり、その逆をしてみたり。
数人の話を1人にまとめてみたり、その逆をしてみたり。
けっしてウソを書いているのではない。

 が、やはりできるだけありのままを書く。

 自分を偽ったり、飾ったりした文章は、あとで読んでも後味が悪い。
しかしどんなへたくそな文章でも、そのときの自分がそのまま出ていれば、
読んでいても、懐かしさを覚える。
「あのときは、ああだったな」と。

 時間を無駄にしないためにも、ありのままの自分を書く。
これはものを書くときの、大鉄則と考えてよい。

●もうひとつ変更

 昼から家に帰るつもりだったが、やめた。
もう一晩、この山荘に泊まることにした。
電話なし、ネット接続なし。
まさに陸の孤島(大げさかな?)。
しかし問題は食事。

 昨夜コンビニで、一食分しか食物を用意しなかった。
それは先ほど、朝食として消えた。
お米が少し残っているはずだから、それを炊こう。
おかずは・・・。
何とか、なるだろう。

 で、こうして山の中にひとりでいると、そこにまた別の世界が
見えてくる。
第一に、私という人間が、いかにワイフに依存していたかがわかる。
2人で一人前?
一体性が強い分だけ、こうして離れてみると、禁断症状に似たものが
現れてくる。

 仏教の四苦八苦のひとつに、愛離別苦というのがある。
「愛する人と別れる苦しみには、相当なものがある」という意。
八苦のひとつ。

よく「妻に先立たれた夫は哀れ」という。
妻には生活力があるが、夫にはない。
あの長谷川一夫(往年の名優)にしても、妻が亡くなったあと、1か月あまりで
この世を去っている。
毎日毎晩、妻の仏壇の前に座っていたという。
何かの本で読んだ話なので、不正確。
しかし似たような話は、よく聞く。

 その愛離別苦。
私は今、それも模擬体験している。
が、問題がひとつある。
「私は本当に、ワイフを愛しているか」と。

 つまり「愛」という概念ほど、曖昧模糊(あいまい・もこ)とした概念はない。
喜怒哀楽のように「形」すらない。
キリスト教徒の人たちは、「愛はある」という前提で話を進める。
しかし愛とは何か。
どこに「ある」のか。

 それを埋める概念が、『許して忘れる』。
人は相手を、どこまで許し、忘れることができるか。
その度量の深さによって、「愛」の深さを知る。

 これは私の持論だが、愛というのはそういうもの。
その度量が、私にはない?
ワイフにもない?
考えてみれば、おかしな夫婦。
そんな夫婦生活を、40年以上もつづけてきた。
これからもつづけていくだろう。
しかしこうして離れてみると、けっこう、さみしい。
「今に迎えにくるかな?」という淡い期待感はあるが、こと私のワイフに
かぎっては、それはない。
言えば、きちんとそれをしてくれるが、それ以上のことは、ぜったいに
しない。
子どものころ、今で言うアスペルガー児ではなかったか?
その疑いはある。
どんなささいなことでも、一度批判したら最後、そのまま殻(ナッツ)に
こもってしまう。
その様子が、小娘みたいで、おもしろい。

 ふだんはやさしく、親切なワイフなのだが・・・。

●今を受け入れる

 こういう心理状態のときは、先のことは考えない。
「ヌカ喜び」と「取り越し苦労」。
これは躁鬱病の人によく見られる現象である。
「多幸感」(私は幸福という満足感)と「絶望感」。
この2つが交互にやってくる。

 だからここは「平穏を旨とすべし」(『黄帝内経』)。
つまり今は、今だけのことを考える。
こうして山の中にひとりでいると、不安感がヒシヒシと襲ってくる。
しかしこの近くの農家の人たちは、そういう生活を当たり前のものとして
生きている。
私にだって、できないはずはない。
それに妻を亡くし、ひとりさみしく生きている男性となると、ゴマンといる。
そういう人たちと比べたら、私が今感じている孤独感など、何でもない。

・・・くだらないことだが、この近くには、何10匹ものサルが住んでいる。
そういったサルにも、孤独感というのはあるのだろうか。
あったら、とてもこんな世界には住めない・・・だろう。

●住めば都

 その一方で、その農家の人たちだが、以前、その反対のことを言った。
隣人のUさん(当時50歳くらい)だが、こう話してくれた。

「私ら、町へ行っても、うるさくて眠れません」と。

 Uさんは結婚式か何かがあって、その夜は浜松市内のホテルに泊まった
そうだ。
その夜のこと。
「通りを歩いてみましたが、飲食店のにおいが臭くて、吐き気がしました」と。

 住めば都というが、山の中に住んでいる人たちは、逆に町の中では生活できない。
一方、ときどき山へやってくる私は、森のにおいに驚く。
湿気を帯びた冷たい風。
その中に樹木のにおいが、プンと香る。
夏場でも、夕日が山の端に隠れたとたん、谷底から冷たい風が、スーッと
かけあがってくる。
今年も35度を超える猛暑がつづいたが、山荘では扇風機だけでじゅうぶん。
この村にいる人たちも、こう言う。

「エアコンは、客用です。私らは、使わないよ」と。
山荘生活のすばらしさが、まだ私にはわかっていない。

●人生観

 当然のことながら、環境は人生観に大きな影響を与える。
ただとても残念なことに、田舎の人たちの人生観が、都会の人たちの人生観に
影響を与えるということは、まずない。
このマスコミ社会。
情報は常に、都会から田舎へと、一方的に垂れ流されるだけ。
テレビのバラエティ番組を例にあげるまでもない。
ああいう人たちは、田舎にはいない。
言うなれば、都会で作られた、人工のサル。

 実際には、日本は農村文化。
その文化が、今、つぎつぎと破壊されている。
私も、その「結果」。
こういうすばらしい環境にいながら、その(すばらしさ)を満喫できない
でいる。
「どうすればネットがつながるか」と。
そればかりを考えている。

●カンパン
 
 今、戸棚を調べたら、いくつかの食品が出てきた。
その1つが、カンパン。
お米はなかった。
災害時の非常食として買っておいたもの。
缶の上に、白い斑点状のサビが出ている。
品質保存期間を調べたら、「2001年8月」となっていた。
「2010年のまちがいではないか」と、もう一度確かめたが、「2001年」
だった。
封を開けて食べてみたが、どうやら問題はなさそうだ。

 あと干し海苔とマカロニ。
マカロニはゆでてみたが、どこかカビ臭くて、食べられなかった。
今日は何とか、これで生き延びる。

(この間、2時間ほど、昼寝。)

●山荘の夕方

 このところ急速に日が短くなっていくのを感ずる。
加えて山の一日は、短い。
昼寝から起きて、何かをしたわけでもないのに、外を見たら、もう夕暮れ時。

 早い。

 で、こういうところに住んでみると、改めて近隣の人たちとのつきあいの
大切さを知る。
たとえば私の母の実家のある村では、どの家でも、いつも人の出入りがある。
いつも何かの会合がある。
村全体が、ひとつの家族のように機能している。

 一方、都会では、隣にだれが住んでいても、気にしない。
行き来もしない。
しても回覧板を届ける程度。
それでは孤独死をしても、だれも気がつかない。
今の私の家庭がそうだ。
近隣の人たちとの行き来は、ほとんどない。
隣の人が死んでも、気がつかないだろう。

「それではいけない」と、今、つくづくそう思う。

●地域の人たちとのつきあい

 が、現実問題として、そういう(しくみ)そのものが育っていない。
またそういった(しくみ)は、何十年というより、何世代もかけてでき
あがるもの。

 この山荘のある村にしても、それぞれの家が、みな親戚のようなもの。
それぞれの家庭が、「血」でつながっている。
土地にしても、A氏の土地の中にB氏の土地があり、そのB氏の土地の
中にまたA氏の土地があったりする。

もちろんマイナス面もないわけではない。
それぞれの家庭の内情が、筒抜け。
隠しごとができない。
そのためこういうばあい、村の人たちとつきあうときは、最初からすべて
オープンにする。
どう抵抗したところで、勝ち目はない。
あるいは「よそ者」を自称し、距離を置く。

 私のばあい、後者を選んだが、本当は(?)、村の世界に入りたかった。
私は子どものころから、「村」の人たちがもつ暖かさを知っている。
が、いくらこちらがそれを望んでも、村の人たちには村の人たちの考え方
がある。
伝統もある。
ある人はこう言った。
「この400年で、あなたが外から来た最初の人だ。
村の人間と認められるまでには、3代はかかるだろうね」と。
それであきらめた。

●自由

 今、ここまで書いた文章を読みなおしてみた。
雑文もいいところ。
くだらない文章の羅列(られつ。)
たわいもない独り言。
一応、BLOGに載せるつもりで書いた。
しかし今、それを迷っている。
こんな文章を読んで、どうなるのだろう。
読んでくれる人に、申し訳ない。

 が、逆に言うと、こういうことにもなる。
私ほど、マスコミやそういった世界の外にいる人間も珍しい。
だからだれにも遠慮せず、書きたいことが書ける。
たとえば以前、ある宗教団体の機関誌の編集を手伝っていたことがある。
息苦しい世界だった。
言葉の一言一句に、神経を使った。
ちょっとしたミスで、その号すべてが、廃棄処分になったこともある。

 宗教団体だけではない。 
組織がからんでくると、書きたいことも書けなくなる。
たとえばこの日本では、NHKや大手雑誌社の批判は、タブー。
そのとたん、仕事が止まってしまう。
だからそれなりに、みな、シッポを振る。
が、今の私は、自由。
(もともとだれにも相手にされていないこともあるが・・・。ハハハ。)
その自由ぽさを、私の文章の中に感じてもらえば、うれしい。
さて、話を戻す。

●カンパン

 静かな一日だ。
雨戸は閉め切ったまま。
来客もない。
電話もない。
横には、カンパンとお茶の入ったボトルが一本。

 ところでそのカンパン。
こんなにおいしいものとは、知らなかった。
メーカーは、「三立製菓」とある。
本社は、この浜松。
賞味期限は2001年。
それを2010年の今、食べられる。
考えてみれば、これはすごいことだ。
これなら、火星往復旅行にだって、もって行かれる。

フ〜〜ンと感心しながら、またひとつ、口の中に入れる。
が、ほめてばかりいてはいけない。

カンパンは、缶詰になっている。
その缶の表面に絵が描いてある。
その絵が、バグパイプを吹いているスコットランド兵。
どうしてカンパンの缶に、(「乾燥したパン」という意味で、「カンパン」とした
のだろうが)、スコットランド兵なのだろう。
「1985年9月、世界食品ゴールドメダル受賞」という文字が光る。
私なら、そのメダルの写真と文字を、缶全面に表示する。

●歩く

 明日、帰るとき、ひとつやってみたいことがある。
山荘から東名西インターまで、12・5キロ。
そこから家まで、さらに20キロ。
家までは無理としても、12・5キロくらいなら、歩ける。
その距離を、歩いてみたい。
このところ運動不足ぎみ。
自分の体がモタモタしているのが、よくわかる。
体重も、62キロ。
あと1キロは、減らしたい。
やや寒いかなという気候だが、ウォーキングには最適。

 少し前まではサイクリングが、私の健康法のひとつだった。
20代のはじめから、通勤には自転車を使っていた。
そのおかげだと思うが、この年齢になっても、成人病とは無縁。
太もも(大腿筋)の太さも、ふつうの人の2倍はある。
腰もしっかりとしている。

 私の年齢になると腹筋も弱り、寝ている状態から上体を前に起こすことが
できなくなるそうだ。
私には当たり前のようにそれができる。
みなも、できるものとばかり思っていた。
だからある人の前で、それをして見せたら、その人はかなり驚いていた。
「どうして、林さん(=私)はできるのですか?」と聞くから、「たぶん
サイクリングのおかげと思います」と答えた。

 自転車をこぐとき、ハンドルを手前に引きながら、ぐいぐいと腹に力を入れる。
足の力だけでは、自転車は走らない。
そのとき知らず知らずのうちに、腹筋を鍛えていた。

 が、最近は歩くことが多くなった。
とくに私のばあい、何かいやなことがあると、すぐ歩き出す。
ボケ老人の徘徊のようなものではないか。
歩いていると、いやなことを忘れられる。
明日は、それをしてみたい。
つまり西インターまでの12・5キロを歩いてみたい。
時速5キロで歩くとして、2時間半の距離。
何とかなるだろう。

●テレビ

 先ほどテレビのスイッチを入れた。
アンテナが折られていることもあって、映りは悪い。
サルたちが、折った。

 時間帯は午後7時台。
あちこちでバラエティ番組をやっていた。
まさにバカ番組一色。
あるチャンネルでは、ドジな失敗ばかりを集めて放映していた。

雪でスリップした車のところへ、また別の車がスリップして激突。
羊が角を電線にひっかけて、宙に浮いていた。
強盗が偽FBIに化けて住宅に侵入しようとしたが、逆に発砲されて退散などなど。

内容からして、アメリカのテレビ局あたりから仕入れてきたものだろう。
それを12〜5人のタレントたちが、ギャーギャーと騒ぎながら見ている。

 それはそれとして結構おもしろかった。
しかし意味のない情報。
情報の洪水。
ハハハと笑って、それでおしまい。
数日もすれば、思い出すこともなく、そのまま忘れてしまう。
あとはその繰り返し。

 人間もサルと同じと言うべきか、それともサルも人間と同じと言うべきか。
人間は、言葉をもっている。
その言葉を使って、知識を豊富にもっている。
が、それをのぞけば、人間もサルも、それほどちがわない。
バラエティ番組を見ていると、それがよくわかる。

 ・・・話が愚痴ぽくなってきたので、やはり書くのは、ここまで。
これから風呂に入り、明日に備える。
その前に、もう一度、仮眠する。
少し眠い。
2010年10月2日記

(注※……カテコールアミン)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親の前で固まる子ども

今週は2つの経験をした。
その子どもに問題があるというのではない。
子どものプライバシーを暴露するというのでもない。
こういうことはよくある。
あるから、あえて公表する。
つまり親がそばにいると、固まってしまう子どもである。
そういう子どもが、実際にはいる。
10人に1人(幼児園児〜小学低学年児)はいる。
程度の差もあるが、症状が軽い子どもも含めると、もっと多い。
言い換えると、親をまったく気にしない子どものほうが少ないかもしれない。

【A子さん(年中児)のケース】

 母親が参観しているだけで、元気がない。
覇気もない。
暗く沈んだまま、憂うつそうな表情をしている。
みながはしゃぐときも、チラチラと視線を母親のほうに送る。
そのまま黙ってしまう。

 そういうA子さんを見て、母親はそれ以上に暗い表情をして見せる。
私も当初は、A子さんというのは、そういう子どもと思っていた。
が、ある日のこと。
何かの用事があって、母親がレッスンを参観できないと言った。
母親はどこか心配そうだった。
「ひとりでだいじょうぶでしょうか?」と。
私も自信がなかった。
「たぶん、だいじょうぶですよ」とだけ答えた。

 A子さんは下の子ども(妹)が生まれてから、軽い赤ちゃん返りに
よる症状も見られた。
親の姿が見えなくなるだけで、ギャーッと泣き叫んで、あとを
追いかける子どももいる。
その心配があった。

 が、その日のA子さんは、見違えるほど、明るかった。
表情も生き生きとしていた。
みなが笑うときも、いっしょになって、大声で笑った。
ゲラゲラと笑った。
私はほっとした。

【B君(小2)のケース】

 その日は休日レッスンだった。
いつもは母親が参観に来ていた。
が、その日は、父親が参観に来た。
母親は妹を連れて、外で待っていた。
そのときのこと。

 B君は、最初からコチンコチンに固まっていた。
緊張感に包まれているといったふうだった。
なめらかな動作も、いつもの笑顔もなかった。
レッスンを進めていった。
が、途中で何かのことで、B君がつまずいた。
私はいつものように、隣の子どもに順を回した。
とたん、B君が大粒の涙をこぼした。
声は出さなかった。
それを見て、助手役をしているワイフに視線を送ると、
ワイフがすぐB君の横に座った。
いろいろ慰めた。
が、それからもB君はかたまったままだった。

 あとで母親と話す機会があった。
母親はこう言った。
「きっと父親にいいところを見せようと、緊張したのね」と。

●視線

 視線には、人を刺す力がある。
今でこそ慣れたが、若いときは私もその視線に苦しんだ。
レッスンの間中、母親たちの視線が容赦なく、私の体を貫いた。
子どもたちを教えていて疲れるということはなかった。
親の視線に、疲れた。

 中には、ものすごい視線の母親もいた。
いくら笑顔を作っていても、視線は別。
それが映画『スターウォーズ』の中に出てくるような光線銃のように、
ズキ〜ン、ズキ〜ンと私の心を貫いた。

 教えにくかった。
それだけではない。
そういう母親が1人でもいると、クラスの雰囲気そのものが変わってしまう。
ほかの父母たちまで、(当時はほとんど、母親たちだったが)、緊張して
しまう。
さらに2〜3か月ならともかくも、それが半年もつづいたりすると、
その緊張感に耐え切れず、教室をやめていく母親もいた。

 私もそのクラスになるたびに、重い気持ちに包まれた。

●親子のリズム

 原因は親と子の不協和音ということになる。
親子のリズムが合っていない。
さらにその原因はというと、親の過干渉、過関心がある。
子どもへの不信感、子育てへの不安感が、形を変えて、過干渉や過関心へと
つながっていく。

 親を責めているのではない。
長男、長女というのは、そういうもの。
はじめての子どもということで、親も神経質になりやすい。
最初は小さな亀裂。
それが年を追うごとに、大きくなる。
親は子どもの一挙手一動が気になる。
子どもはそうした視線を、そのつど気にする。

●母因性萎縮児
 
 どこかの評論家が、先に「母原性」という言葉を使った。
だから私は「母因性」という。
意味は同じ。
つまり母親が原因で、(もちろん父親というケースもあるが)、子どもが
萎縮してしまうというケースは多い。
中には、まったく別人のように変化する子どももいる。

 以前にも書いたが、ある医院でこんな少年(中学生)に出会ったことがある。
その少年は毎週、何かの薬を取りにやってくる。
母親がいないときは、看護士さんと冗談を言い合うほど、快活な
少年である。
が、母親がそばにいるときは、まったくの別人。
毎回、薬の数を窓口で確認するのだが、母親がいると薬の数すら数えない。
もじもじいているだけ。
それを見て母親が、せかす。
「早くしなさい!」
「ちゃんと数えなさい!」と。

●あくまでも一面

 だから・・・というわけでもないが、子どもの姿を見たとしても、
それが子どものすべてと思ってはいけない。
ある一面にすぎない。
ここに書いたAさん、B君、それに病院で見かけた少年にしても、それぞれ
別の世界では別の顔をもっている。

 もちろんその反対のケースもある。
親の前ではおとなしく、従順。
プラス優等生。
しかし外の世界では、陰湿ないじめを繰り返したりする、など。
ある中学生(男子)は、祭のとき酒を飲んで、補導された。
親は「うちの子は、友だちにそそのかされただけ」と言い張っていたが、
あとで調べみたら、その子どもが主犯格だった・・・というようなケースも
多い。

●では、どうするか

 この世界には「好意の返報性」という言葉がある。
英語では、『相手はあなたが相手を思うように、あなたのことを思う』という。

子どもというのは、(おとなもそうだが)、自分を信じてくれる
人の前では、自分のよい面を見せようとする。
そういう性質を利用して、子どもを伸ばす。

 私もどんなにその子どもに問題があったとしても、初対面のときに、
それを打ち消すようにしている。
「この子はいい子」「すばらしい子」と、思いなおすようにしている。
そうすることで、まず自分の心をだます。
作り変える。

 こうすることによって、子どもの表情も明るくなるが、同時に教えるの
も楽しくなる。
子どもを教えるときの第一の鉄則。
それは教える側も、楽しむ。
その楽しさの中に、子どもを巻き込んでいく。

●終わりに・・・

 A子さんは、このあとしばらくして、私の教室を去っていった。
B君は、幸いにも母親がそれを理解してくれて、明るく笑い飛ばしてくれた。
病院で出会ったその少年については、こんなエピソードがある。

 たまたまワイフがその医院にいたときのこと。
少年の母親もそのとき、そこにいた。
その母親に向かって、医院の医師がこう言って怒鳴っていたという。

「お母さん、あなたが横でごちゃごちゃ言ったら、息子さんは何も
言えないでしょ。少し黙っていなさい!」と。

 その話を聞いて、私も「その通り」と思った。
またそういう言葉も、医師だからこそ言える。
立場が強い。
私の世界では、親がそれに自分で気づくまで、じっと待っているしかない。
いつか親のほうから質問があったとき、それとなくその話をする。

 もちろんこの原稿を読んでくれた、あなたは別。
一度、この原稿をヒントに、あなたの子どもはどうか反省してみてほしい。

●付記

 この世界では、「うちの子のことは、私がいちばんよく知っている」と豪語
する親ほど、自分の子どものことを知らない。
とくに過干渉ママと言われる親ほどそうで、子どもの心まで勝手に作って
しまう。

私、子どもに向かって、「夏休みにどこかへ行ってきた?」
母親、会話に割り込んできて、「・・・行ったでしょ。おじいちゃんの家に
行ったでしょ!」
私、再び子どもに向かって、「そう、それはよかったね。楽しかった?」
母親、再び会話に割り込んできて、「・・・楽しかったでしょ。だったら
どうして楽しかったと言わないの! ちゃんと言いなさい!」
私、「・・・」と。

 こういうケースは、多い。
日本人のばあい、とくに多い。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 親の前で固まる子ども 母因性萎縮児 母原性萎縮児 親の視線 過
干渉児 過関心児 親の過干渉)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心の豊かさについて】

 満60歳という年齢は、本当に不愉快な年齢である。いくら「私はそうでない!」とが
んばっても、周囲の人たちは、年齢で私を見る。知的能力や運動能力では、ない。年齢で
見る。健康度もそうだ。「60歳の人は、こうだから……」という見方でしか、見てくれな
い。

 しかし私は、ひとりそれに抵抗している。近くに、60歳以上は、〜〜円引という理髪
店がある。しかし私は、60歳になっても、ぜったいに、そういうサービスを利用しない。
今から心に決めている。

 「だれが、自分から、ジジイになってやるか!」と。

 その60歳になると、貧困感がどっと押し寄せてくる。先日、80歳をすぎた女性につ
いて書いた。その女性は、郵便局だけでも、1000万円の貯金と、1000万円の
国債をもっていた。さらに手にした年金の100万円をどうしようかと、困っていた。

 実のところ、そういう女性の気持ちを理解できないわけではない。その女性は、ひょっ
としたら、「信じられるのはお金だけ」と、考えているのかもしれない。必死になって、お
金にしがみついているのかもしれない。私とて、油断をすれば、いつそうなるかわからな
い。すでにその傾向が、見え始めている(?)。

 「心の豊かさとは何か」「知恵の豊かさとは何か」、今日はこれをテーマに、一日、考え
てみたい。

++++++++++++++++++

心の豊かさで、自分の原稿を検索
してみたら、いくつかをヒットしま
した。

それらを紹介します。

++++++++++++++++++

●心の豊かさvs心の貧しさ

 K府に住んでいる、Rさん(女性)から、こんなメールが、届いた。題して、「悲しき笑
い話」。

 「私の母は、今年、82歳になります。頭もしっかりしています。が、昔から、異常な
までに虚栄心が強く、見栄を張ります。

 収入は、わずかな年金だけ。あとは私の兄が、毎月、いくらかの小遣いを送ってくれる
ので、それで生活をしています。

 たとえばサイフの中には、いつも、10万円近いお金を入れて歩いています。スーパー
でお金を払うときも、わざとそのお金が、店員さんに見えるようにして払うのです。で、
私が「そんな人にまで、見栄を張ることはないでしょう」と言うのですが、私の言うこと
など、まったく聞いてくれません。

 が、ときどき、お金が少なくなるときもあるようです。そういうときは、一番上と、一
番下に、1万円札を置き、中に1000円札を、10枚くらいはさんで、あたかも、お金
があるように見せかけます。

 そういう母を見ていると、ときどき、『この人は、いったい、どういう人生を歩いてきた
んだろう』と、娘として、さみしくなります」(以上、要約)と。

 見栄を張る人は多い。しかもそれが人生観の基本になっているから、始末が悪い。また
人生の途中でそれに気がついて、改めるということもしない。だから80歳をすぎても、
そのまま。

 が、この年代の人には、こういったタイプの人が多い。見かけはともかくも、心は貧し
い。貧乏な人の家にやってきて、ことさら金持ちであることを、吹聴してみせる。そして
相手に対して、優越感を覚え、それを楽しむ。

 そう言えば、バブル経済のこと、東南アジアの貧しい国々へでかけていって、札や、コ
インをバラまいていた日本人がいた。やはり、心の貧しい人たちである。体中に、キンキ
ラキンの宝飾をぶらさげ、ブランド品で身を包んで、得意になっている人たちもそうだ。

 話はそれたが、それたついでに、もうひとつ。

 よく東南アジアやアフリカへでかけていって、その国や、その国の人々を紹介するテレ
ビ番組がある。そういう番組の中で、レポーターが、相手の国の貧しさや不便さに、こと
さら驚いてみせたりすることがある。場違いな服装に、派手な装飾品。いかにも、リッチ
な、日本からやってきましたというふうな様子をしてみせる。

 そのレポーターの心が貧しいというよりは、日本人全体の心が、まだそのレベルにある
と考えてよい。

 相手の人が貧しい生活をしていたら、その貧しさに、自分を合わせる。合わせた生活を
する。相手がどういう感情をもつかを、相手の立場で思いやる。相手が、あなたに対して、
羨望(せんぼう)を覚えたとしたら、それはあなたの責任。決して、自分たちの優越性を
見せつけてはいけない。それがその国の人たちに対する、礼儀と言うもの。

 さて、冒頭の女性の話にもどる。Rさんの母親は、たいへん心の貧しい人と考えてよい。
あるいは心の豊さというものがどういうものか、わかっていない。Rさん自身が言ってい
るように、『この人は、いったい、どういう人生を歩いてきたんだろう』ということになる。

 で、そうならないための、いくつかの教訓を考えてみた。

(5)あるがままの自分をさらけ出して、生きる。
(6)「私は私」をつらぬき、他人の目を気にしない。
(7)心の豊かさを追求し、世間体、見栄、体裁を気にしない。
(8)いつも、ともに(生きている)という原点において、自分を見つめる。

 が、油断すると、ふと見栄を張ることがある。自分が自分でなくなるときがある。自分
の中に潜むそういう邪悪性を知るための、一番、手っ取り早い方法としては、あなたの周
辺にいる人の中から、そういう人をさがすというのがある。その人の愚かさを、しっかり
と認識する。あなたのまわりにも、必ず、1人や2人はいるはず。

 そういう人を反面教師として、自分を高めるために、利用する。その人には悪いが、そ
の人の愚かさがわかったら、それを自分の生きザマの中に、生かしていく。

【補足】

 相手に羨望感をもたせて(=うらやましがらせて)、優越感にひたるというのは、愚劣な
人間だけがなしうる、軽率な行為である。

 金持ちであることを、見せびらかしたり、得意になったりする。昔、私の近所にも、そ
ういう男がいた。和服の呉服店を経営していて、ことあるごとに、「今日は、x10万円、
もうけたよ」「これで今月は、x100万円だ」と言っていた。

 「オレは、それだけ力のある男だ」と言いたかったのだろうが、私には、ただのノーブ
レイン(=おバカ)にしか見えなかった。

 玄関中に、高価な、鎧やトラの皮を飾っている人もいた。借金だらけなのに、外車を乗
り回している人もいた。根底に、何か、大きな劣等感がある人ほど、そういう行為に走り
やすい。つまりは、「私」がないから、そうする。

 20代や30代の若い人ならともかくも、50代、60代になっても、「私」がつかめき
れていない人というのは、それだけで、人生の敗北者(失礼!)と考えてよいのでは……? 
こう言いきるのは危険なことかもしれないが、今の私は、そう思う。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ケチな人

++++++++++++++++++

ケチと質素とは、ちがう。

ケチな人は、使うべきところでも、お金を
使わない。

質素な人は、無用、無駄な、お金は使わない。
それをよくわきまえている。

++++++++++++++++++

 世の中には、「ケチ」と呼ばれる人は、ゴマンといる。長男、長女に多いのは、それだけ
生活が防衛的であることによる。わかりやすくいえば、下の子が生まれたことにより、乳
幼児期の愛情飢餓が、嫉妬(しっと)へと変化し、その嫉妬が、防衛的な生活態度に結び
ついたと考えるとわかりやすい。

 長男、長女ほど、「ぼくのもの」「私のもの」という意識が、強い。つまりそれだけ、心
の許容範囲が狭いということになる。

 私の兄なども、(今は、ボケてしまって、どうしようもないが)、若いころでも、私が買
ってやったステレオセットにすら、私にさわらせなかった。私は、私が買ってやったのだ
から、「私のもの」と考えた。しかし兄には、そうではなかった。

 そのときは、そういう長男、長女のもつ心理を、理解することができなかった。(今は、
できるが……。)

 こういうのを、「ケチ」という。

 で、以前、コンドームを、洗って、再使用している夫婦のことを書いた。ふつう(?)、
コンドームというのは、再使用しない。「質素」というふうにも、考えられなくはないが、
しかしその夫婦のばあいは、ほかの面でも、異常なほど、ケチだった。

 たとえば夫婦の兄弟たちと飲み食いしたときでも、「私は兄だ」という、家父長意識ばか
りがやたらと強く、自分で、お金を出したことがないという。出しても、10円単位まで
の割り勘。弟のほうが見るにみかねて、「まあ、いいから……」と言って、全額払うことが
多かったという。

 ほかに、衣服でも、破れて使い物にならなくても、きちんとタンスに入れてしまってい
たとか、など。

 ケチと質素は、どこがどうちがうか。

ケチな人は、使うべきところでも、お金を使わない。質素な人は、無用、無駄なお金は使
わない。それをよくわきまえている。が、もう少し踏みこんで考えてみると、こうなる。

 物欲に毒され、お金やモノに執着する人を、「ケチ」という。物欲とは関係なく、心の豊
かさを優先して考える人を、「質素」という。

 このことは、金持ちでありながら、ケチな人と、金持ちでありながら、質素な人を見比
べてみると、よくわかる。

 まず、金持ちでありながら、ケチな人……妻や子どもの必要経費にすら、お金を出し渋
る。兄弟や姉妹、親類に対しはなおさらで、実際には、1円も払わない。毎日札束か預金
通帳をながめて暮らしている。

 金持ちでありながら、質素な人……人生を、余裕をもって楽しんでいる。以前、この
浜松市でも、1、2番の長者番付に入るような人の子ども(姉妹)を、2人、教えたこと
がある。で、私は、その子どもたちの持ち物を見て、驚いた。

 何と、子どもたちのもっている手提げバッグは、母親の手作りだった。しかも、バッグ
には、家からBW(私の教室)までの地図が縫いこんであった。そういうのを、「質素」と
いう。

 しかし長い人生を通してみると、ケチは、一生、ケチ。その結果、失うものも、多い。(本
人は、死ぬまで、それに気づかないだろうが……。)殺伐とした人間性は、それだけで人を
遠ざける。物欲に固執する姿は、だれが見ても、見苦しい。心に余裕がないから、つまり、
自分の利益になることしか考えていないから、話していても、つまらない。

 が、それ以上に、人生の(真理)そのものから、遠ざかる。言い換えると、人は損をす
ることで、大きくなれる。損をすることに寛大になることで、心を豊かにすることができ
る。よい例が、ボランティア活動である。

 あのボランティア活動を、進んでする人たちを見ればよい。みな、生き生きと、明るい。
あの明るさこそが、ここでいう心の豊かさということになる。

 ケチは、心の大敵と考えてよい。



+++++++++++++++++

もう1作、5年間に書いた原稿です。

+++++++++++++++++

●無用の長物

 今から二〇年ほど前のこと。一台の大型トラックが、わが家の前に止まった。何かと思
ってみると、「座卓はいらないか?」と。「四国から来た」という。

案内されるまま荷台を見ると、原木を切り出したままの座卓。その中でも、とくに目立っ
たのが、トチの木をそのまま削ったもの。トラの模様のようになっていて、それが両端を
飾っていた。厚さは一五センチもあった。「樹齢、五〇〇年です」と言った。

 値段を聞くと、「四〇万円でいい」と。「貯金しておくより、財産になる」とも。そこで
どういうわけか、その座卓を買ってしまった。が、それから二〇年。そのテーブルは、わ
が家の居間にデーンと居座ることになった。が、大きいだけで、使いものにならない。そ
れに重い。二〇〇キロ以上はあるのでは。三〇〇キロはあるかも?

 この間、「何とかしよう」「何とかしなければ」と、ずっと思ってきた。今も思っている。
しかし無用の長物とは、そういう座卓をいう。テーブルといいながら、実際には、物置台。
今はパソコンと、プリンターがその上にのっている。売るにしても、売り先がない。こう
いう時代だから、買ってくれる人もいないだろう。

 そこで考えた。その座卓は、たしかに無用の長物だが、わが家には、同じような無用の
長物が、ゴロゴロしている。一、二度使っただけで、あとは倉庫や物置にしまわれている
のだけでも、かなりある。たとえばテントやバーベーキューセットなど。

そう言えば、当時の私は、毎週のようにいろいろなモノを買いこんでいた。近くに大型の
雑貨点があったこともある。少し不便を感ずると、モノを買い足すという生活がつづいた。
そのテーブルもそんなときに買った。

 その反動というわけでもないが、私は山荘のほうでは、ほとんどモノを買っていない。
どの部屋もガランとしている。不便を感ずることも多いが、その不便さが、これまた楽し
い。いや、それ以上に、広々とした空間は、それだけで気持ちがよい。どういうわけだか、
解放感がある。どこかの旅館へ行ったような気分になる。

 そこで私はさらに考えた。モノというのは、人間の豊かさとは関係ないのでは、と。少
なくとも、心の豊かさとは関係がない? さらにモノがあれば、本当に生活は便利になる
のか、とも。もちろん生活に必要なモノは、多い。それはそれだが、それを離れたモノは、
どうなのか? 

たとえばざっと見回してみても、この部屋の中には、大きな食堂テーブルがある。イスは、
六脚もある。家族は五人なので、最大でも五脚でよいはず。しかもめったに六脚も使うこ
とはない。
それに冒頭で書いた、無用の長物。テレビのまわりには、大型スピーカーだけでも、四個
も並んでいる。……などなど。こうしたものがなければ、この部屋は、もっと広々と使え
るはず。全体で、一六畳の広さがある。

 もっともそれに気づいてからは、ほとんどモノを買っていない。とくにあの座卓を買っ
てからは、買っていない。そうして考えてみると、無用の長物と嫌っている座卓だが、ひ
とつだけ役にたっていることがわかった。それは、その座卓を買ったことを後悔したこと。
そしてその後悔が、その後、ムダなモノを買う、大きなブレーキになったこと。何かを買
おうとするたびに、私の頭に、その座卓が思い浮かんだ。そして、「ムダになるから買うの
をやめよう」と。

 ……とまあ、今は、そういうふうに自分をなぐさめながら、その座卓をとらえている。
(以上2002−12−28記)

●テーブルを買ってくれる人はいませんか? 大きな料亭でも使えるような立派なテーブ
ルです。ホント!
●欲望を限定することのほうが、それを満たすことよりも、はるかに誇りに足ることである。
(メレ「格言」)(メレ……1610−84、フランスのモラリスト)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日中経済戦争】(2)(2010−9−29)

+++++++++++++++++

尖閣諸島事件で、中国はかえって
自ら、醜態をさらけ出した。
それが国際世論の反応である。

とくにヨーロッパでの風当たりが強い。
イランの核開発問題に関しては、
中国はことごとく欧米に非協力的な
態度をとり続けてきた。
それがここにきて、急速に「中国は
まともでない」という認識に変わりつつある。

+++++++++++++++++

●住宅バブル

 もうだれの目にも疑いようがないほど、中国の住宅バブルはひどい。
メチャメチャというか、デタラメ。
どうひどいかは、連日報道されているとおり。

 で、問題は、その金(マネー)の出所。
直接的には個人投資家によるものとされる。
が、さらにその元をたどると、その裏に銀行がいる。
この春ごろから中央政府は銀行融資の規制を始めたが、焼け石に水。
というか、本気で規制をかけたら、たいへんなことになる。
地方財政そのものが、住宅投資で潤っている。

 で、さらに銀行融資の金は、どこから出ているか?
言うまでもなく、海外からの投資資金。
本来ならそうした投資資金は、設備投資などに向かわねばならない。
が、その資金が、住宅バブルへと回されている。
しかしそれだけでは中国の住宅バブルは説明できない。
「異常」というより、異常をはるかに、通り越している。
つまりここに中国のかかえる特殊性がある。

●拝金主義
 
 中国人のもつ拝金主義には、これまたものすごいものがある。
日本の金権教も、中国人の拝金主義と比べたら、足下にも及ばない。
「マネーがすべてあるよ」と。

 が、なぜこうまで中国人は、拝金主義に走るのか。
ほかに彼らが心のより所とすべき「主義」はないのか。
その謎を解く鍵が、実は「中国」という国そのものにある。
中国という国は、私たち日本人が考える「国」とは、中身がちがう。
そのため概念もちがう。
多民族国家というよりは、言うなれば中央政府が武力で抑え込んだ、寄せ集め国家。
チベットを見れば、それがわかる。
今回の尖閣諸島事件は、はからずもその一端を世界に露呈した。
つまり北京周辺の中国人は別として、一歩そこから離れた中国人には「国」意識はない。
中央政府による武力統制がゆるめば、そのままバラバラになってしまう。
だから、「信じられるのはマネーだけ」となる。

 言い替えると、「中国、恐れるに足りず」。

 ここで住宅バブルがはじければ……それは可能性の問題ではなく、すでに
時間の問題だが、中国経済は未曾有の混乱状態に陥る。
が、それだけではすまない。
拝金主義者たちがマネーを失ったら、どうなるか?
中国の至る所で、暴動を起こすだろう。
その矛先を中央政府に向けるだろう。
中国共産党という一党独裁体制に向かう。

 実は、これが中国政府がもっとも恐れているシナリオである。
だから中国政府は、打つ手なし。
住宅バブルを本気で抑え込むこともできない。
かといって、元高に誘導することもできない。
そんなことをしたら、とたん、外資が一斉に逃げてしまう。
で、せっかく元安を利用して外資(借金)を呼び込んでも、民衆レベルにマネーが
回ったとき、それがそのままタンス預金として眠ってしまう。

 現在中国人の貯蓄率は、40%弱と言われている。
これほどまでの経済成長(?)をつづけながら、中国人自身は、自国の経済発展を
信用していない。
本来なら好景気に踊って、市中で札束が乱舞してもよいような状況である。
それがタンス預金!
個人消費につながっていかない!

●高まる不平、不満

 数日前にも書いたが、中国のジニ係数は、すでに0・5を超えていると言われている。
また同じく書いたが、先進国における0・5と、中国のような国における0・5は、
同じ「0・5」でも意味がちがう。
(それについても、数日前に書いたとおり。)

 上位10%の人は、超リッチな生活を楽しむことができる一方、4分の3前後の
人は、家(マンション)をもつことはもちろん、その日の食費すらも、じゅうぶん
稼ぐことができないでいる。

 さらに悪いことに、先に書いた拝金主義が医療機関はもちろん、末端の政府機関に
まで、はびこり始めている。
マネーをもっている人は、治療を受けられる。
政府サービスを受けられる。
が、貧しい人たちは、そうした社会の外にはじき飛ばされる。
それが不平、不満となり、うねりとなり、中国社会を動かし始めている。

 上海万博で沸き立っている(?)中国だが、その中身はきわめて脆弱。
大都市には豪華なマンションのビルが立ち並ぶ。
しかしその大半は、空きや家。
投資のために建てられた空き家。
つまり中身は、からっぽ。

 今回の尖閣諸島事件は、そうした民衆の、(中国には「人民」はいても、「国民」は
いないとよく言われるので、ここでは「民衆」としておく)、不平、不満を外に
そらすために、中央政府が作りあげた事件とも言えなくもない。
そう、まさに、「今」というこのときに、今回の事件が起きた!

●レア・メタル(泥土)問題

 中国政府は、レア・メタルに関して対日輸出を停止した。
公式には「停止した」とは言っていない。
しかし事実上、停止した。
(公式にそれをしたとなると、国際的に袋だたきにあう。)

 が、恐れるに足りず。

 これだけ経済がグローバル化してくると、対一国だけに輸出規制をかけても、
意味はない。
たとえば昔、私がある商社にいたころ、こんなことがあった。

 日本からの洪水のように押し寄せる繊維製品に、アメリカが音を上げた。
そこでアメリカ政府は、日本からの輸入に規制をかけた。
が、日本の商社はそんな規制など、どこ吹く風。
そのころサンフランシスコに向かっていた輸送船を、太平洋上ですべてUターン。
そのままオランダのアムステルダムへ。

 その輸送船がアムステルダムへ着くころには、すでにオランダ・XX会社が
設立されている。
つまりオランダ・XXを一度経由することによって、今度は「オランダ製(ものは
日本製のまま)」として、ニューヨーク港で陸揚げ。
繊維規制など、日本の商社は、こうして無力化してしまった。

 ずるいと言えば、ずるい。
しかし朝飯前。
こんなことができないようであれば、「総合商社」の名が泣く。
もし私が今、商社マンなら、即座にフィリッピンにレアメタルの加工工場を開く。
その加工工場に、中国のレアメタル(泥土)を輸入させる。
相手がフィリッピンなら、中国も規制できない。
日本はゆっくりと、そのあとフィリッピン製のレアメタルを、フィリッピンから
輸入すればよい。

 相手は中国。
フェアプレイなど、通用しない。
フェアプレイなど、考えなくてもよい。

●墓穴

 尖閣諸島周辺が、がぜん緊張してきた。
日本の巡視船と中国の哨戒船が、一触即発の状態で向かい合っている。
しかしここは音無の構え。
けっして相手のワナにはまってはいけない。
じっとがまんのとき。
感情的になり、先に手を出した方が負け。

 日本はあとは粛々と事務的に、ことを運んでいけばよい。
なおこの話を昨日、ある中学生(2年男子)に話したら、彼はこう言った。
「アメリカが助けてくれるよ」と。

 しかしアメリカは、そんな甘い国ではない。
頼りにしたとたん、中国以上のキバをむいて、日本に襲いかかってくる。
(今のアメリカは、傷を負ったオオカミのような状態。気をつけるべし。)
だからここは冷静に。
ただひたすら冷静に。
中国が騒げば騒ぐほど、中国は自ら墓穴を掘る。
すでに東南アジア諸国が、日本と連携して、中国包囲網を敷くという構想も
生まれつつある。
孤立するのは中国。
損をするのは中国。
が、それだけではない。

 冒頭の話にもどる。
それが引き金となって、中国のバブル経済が崩壊するかもしれない。
日本ももちろん大きな影響を受ける。
それはそれとして覚悟しておかなければならない。
しかしこれはまさに「戦争」。
「経済戦争」という「戦争」。
勝つか負けるか。
無傷のまま戦争に勝つことはできない。
またそんなムシのよい話は、通用しない。

がんばれ、日本!
負けるな、日本!
ひるむな、管さん!
2010/09/29記

(注)時間の関係で、未推敲のままの荒っぽい文章で、ごめん!


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   22日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【特集】日中経済戦争

●10月28日、My Birthday!

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今日は9月26日。
来月(10月)28日に、私は満63歳になる。
(この原稿がマガジンに載るのは、10月
22日の予定。)

まだ1か月先の話だが、62歳という歳を、
今ここで、振り返ってみたい。
(9月26日記)

++++++++++++++++++++

●現状維持

 この一年間は、現状維持に心がけた。
仕事も生活も、そして体重も。

 体重は、61〜2キロ台をキープ。
ときどき64キロ近くになった。
私にとって適正体重は、61キロ前後?
少し太り気味。
60キロ台になると、「ルンルン」と言いたくなるほど、
身を軽く感ずる。
しかし61キロの壁を破るのは、容易なことではない。
(食べ過ぎ)→(あわててダイエット)。
これを、1、2週間ごとに繰り返した。

●運動

 定年退職すると、みな、判を押したように運動を始める。
運動のしかた、内容は、人それぞれだが、しかし3、4年もすると、それをやめてしまう。
病気や怪我をきっかけとして、やめることが多い。
そのときそれをどう乗り越えるか?
つまりそこでやめてはいけない。
それで老後の健康が決まる。

 私のばあい、自転車に乗る回数がぐんと減った。
そのかわり、ウォーキングマシンの上で歩くことが多くなった。
最近は、朝起きるとすぐ、30分は、歩くことにしている。
(以前は10分単位だった。)
「運動するという習慣」。
運動ではなく、習慣。
それが重要。

●旅行

 この1年間、よく旅行をした。
ワイフとあちこちへ行った。
8月をのぞいて、月に2〜3度は、一泊旅行に出かけた。
8月は、どこへ行っても、割高。
それに混雑している。

 ほかに週に1、2度は映画館へ足を運んだ。
これはボケ防止のため。
昨夜(9月25日)も、『プレシャス』という映画を観てきた。
星は、4つプラスの、★★★★+。
よかった。
感動した。
以前観た、『レスラー』を彷彿させる映画だった。

●収穫

 今年の収穫(?)は、デジタルカメラ1台(SonyのHX−5)、
パソコン1台(TOSHIBAのMX)、ビデオカメラ(Sony−170)など。
ほかに2月にデスクトップパソコンを、(MOUSEのMDV)に買い換えた。

iPodは、購入直前でやめた。
いろいろに使うとなると、月々の使用料金がどんどんと加算される。
それに私のばあい、文章を打つという点では、ふつうのノートパソコンのほうが、
使い勝手がよい。
iPodは、おとなのもちゃ。

 で、今は、TOSHIBAのMXノート(12インチサイズ)が、ほしくてたまらない。
表面のあのザラザラ感がよい。
キーボード周辺に、細かい彫り込みがしてあって、触っているだけでも気持ちがよい。
しかし今でさえ、ノートパソコンは4台もある。
(すべて現役で、稼働中!)
ワイフも「YES」とは、言わないだろう。
何とか誕生日までに……ということで、目下、ワイフと交渉中。

●原稿書き

 このところ原稿書きが低調になってきた。
自分でもそれがよくわかる。

量が減った。
内容が浅くなった。
思考力が鈍った。
気力がつづかない、など。

 が、自分としては、それを認めたくない。
だからがんばる。
自分の精神に、ムチを打つ。

 で、ひとつの打開策として、最近は雑誌や週刊誌を、よく買う。
週に5〜6冊、買っている。
情報を吸収するというよりは、ほかの人たちの書き方に関心がある。
的確でうまい文章に出会ったりすると、ホホーッと感心したりする。

 ただ私のばあい、雑誌や週刊誌といっても、育児とは関係のないものばかり。
他人の書いた育児書類は、ほとんど読まない。
影響を受けるのは、いや。
が、それ以上に、他人の書いた育児論は、目を通すだけで、不愉快になる。
まちがいだらけ!
たまに「そうだ!」と納得するのもあるが、たいていは、私の文章からのパクリ!
そう、最近は、本当に多くなった。
私が考えた造語をそのまま使って、本を書いている人もいる。
たとえば「代償的愛」「子育て二番底論」「悪玉親意識」などなど。
こうした言葉は、私が考えて使い始めた。

 ためしにあなたも一度、『友を責めるな、行為を責めろ』を、インターネットで
検索してみるとよい。
この格言は、オーストラリアの友人から私が学んだもの。
それを短くして、私が『友を責めるな、行為を責めろ』にした。
それがいたるところで、パクられている。
ついでにどんな人たちが、パクっているか、それも知ったらよい。

(愚痴ぽくなったので、この話はここまで。)

●さて63歳

 平均寿命まで、あと15年。
今のところ、健康。
成人病とは無縁。
つぎの1年間も、現状維持。
それに心がける。

 私が恐れるのは、(流れ)が止まること。
仕事の流れ、収入の流れ、生活の流れ……。
流れが止まったときの私が、こわい。
それ以外の生き方を私は知らない。
止まったとたん、大混乱を引き起こすにちがいない。
だから何としても、現状維持。

 あとは少しずつ、身辺の整理を始める。
山荘を売る。
敷地を半分売る。
小さな老後用の家を建てる。
置物などは、どんどんと生徒たちに分けてやる。

 何とかつぎの1年を無事過ごし、来年も今と
同じようなことを書きたい。
それがこの1年の目標ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 友を責めるな 行為を責めろ 責めよ 代償的愛 子育て二番底論 
悪玉親意識)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

【緊急提言】『尖閣諸島事件に関して』

+++++++++++++++++

日本よ、日本人よ、
覚悟しよう!

+++++++++++++++++

●尖閣諸島事件

++++++++++++++++++++

第一の誤算は、日本の巡視船に中国の漁船を
衝突させたこと。
第二の誤算は、中国人船長らを逮捕したこと。
第三の誤算は、中国側が強硬な姿勢を示した
とたん、船長を「処分保留のまま釈放」(Jcast
ニュース)したこと。
2010年9月24日。

++++++++++++++++++++

●偽装漁船

 2010年に入ってから、中国の偽装漁船が、東南アジアのあちこちで
トラブルを起こしている。
手口は今回の事件と同じ。
まず偽装漁船を相手の国の巡視船などに衝突させる。
相手の国が法的措置を取ったのを見届けて、今度は一転、攻撃的態度で、相手の
国を脅す。
軍事攻撃をちらつかせ、強圧的に相手の国を抑え込む。

もっとわかりやすい例に、『天安門事件』※がある。
天安門前に集まった群衆の中に、一台だけ装甲車を送り込む。
が、これはワナ。
オトリ。
それを群衆に攻撃させる。
それを口実に、一気に群衆を制圧する。

「漁船」といっても、中国政府の意に沿った、偽装漁船である。
中国政府は、今回、同じ手法をこの日本に対して用いた。

※天安門事件(六四天安門事件)
「六四天安門事件(ろくしてんあんもんじけん)とは、1989年(平成元年)6月4日に、
同年4月の胡耀邦の死をきっかけとして、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求め
て集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧し、
多数の死傷者を出した出来事である」(以上、ウィキペディア百科事典より。)

●正義と主権

 「日本は、お金(マネー)のためなら、平気で主義主張をねじ曲げる」。
それが世界の人たちの常識的な日本観と考えてよい。
とくに東南アジア(中国、韓国も含めて)の人たちの共通した日本観と考えてよい。
今回の尖閣諸島事件は、そうした認識を、さらに確固たるものにした。
が、それだけではない。
今回の事件は、日本の領土主権に関する問題でもある。

 中国は、尖閣諸島を突破口に、最終的には沖縄まで、領土主権を拡充する覚悟で
いる。
けっして憶測でも何でもない。
つい先月(2010年8月)に私が書いた原稿をもう一度、読んでみてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●とうとうでてきた、「沖縄領有権問題」

++++++++++++++++

私は10年ほど前から、こう書いてきた。
「中国はそのうち沖縄は中国の領土と
言い出すようになるだろう」と。

カイロ宣言(1943)のとき、中国の毛沢東は、
それを主張した。

で、今月、中国のGDPが日本のそれを
追い越した。
とたん、出てきた、「沖縄領有権問題」。

いわく

『(8月)18日付毎日新聞は、最近数年の間に沖縄が中国領だとして、返還を求める声が
中国で高まっていると報じた。

 報道によると、中国の一部学者は、沖縄がかつて琉球王国時代に中国との交易で栄え、
中国に従属する地位にあったと主張している。昨年12月に北京で中国人歴史研究者らに
よるシンポジウムが開かれ、「明治政府による琉球併合(1879年)も、戦後の沖縄返還
(1972年)も国際法上の根拠はない」との主張が繰り返されたという。

 同紙は中国でこうした主張が出る背景について、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)
の移設問題で日米同盟が揺らぎ、沖縄と日本政府の関係もぎくしゃくする中、中国では『沖
縄を返せ』の声が強まっている」と分析した』(朝鮮N報より)と。

 中国が国力をますにつれて、この問題は加速度的に大きくなる。
そのとき日本および、沖縄の命運は決まる。(2010年8月記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 今回の尖閣諸島事件は、その(流れ)の中にある。
つまり日本は、まんまとそのワナにはまってしまった!

●さらに強硬に!

 「船長を返したから、それで終わり」と、管首相は考えていたらしい。
が、先の(流れ)がわかれば、管首相がいかに外交音痴(BLIND)かがわかる。
民主党内部ですら、こう言っている。

「菅も仙谷も、外交なんて全くの門外漢だ。恫喝(どうかつ)され、慌てふためいて釈放した
だけ。中国は、日本は脅せば譲る、とまた自信を持って無理難題を言う。他のアジアの国々
もがっかりする」(Yahoo News Japan)と。

●事件の流れ

 読売新聞は、今回の尖閣諸島事件の(流れ)を詳しく報じている。
それを箇条書きにさせてもらう。

***********以下、読売新聞より************

(1)首相とその周辺が中国人船長の扱いをめぐる「落としどころ」を本気で探り始めた
のは、船長の拘置期限が延長された19日以降のこと。
(2)この日を境に中国政府は、日本人4人を拘束し、レアアース(希土類)の対日輸出
禁止の動きに出るなど、本格的な「報復カード」を相次いで切った。
(3)実際に「船長釈放」に動いたのは、仙谷官房長官と前原外相だったとされる。
(4)前原外相は9月23日朝、ニューヨーク。日中関係の行方を懸念するクリントン米
国務長官と向かい合った、こう自信ありげに伝えた。「まもなく解決しますから」と。
(5)那覇地検が船長を釈放すると発表したのは、その半日余り後の日本時間24日午後
2時半だった。東京・霞が関の海上保安庁に、寝耳に水の一報が入ったのは、そのわずか
10分ほど前。
(6)「戦争になるよりはいい。このまま行けば、駐日大使の引き揚げ、国交断絶もありえ
た」。首相に近い政府筋は24日夜、船長釈放に政治判断が動いたことを、周囲に苦しげに
認めた。
(7)仙谷官房長官は24日夕の記者会見で、ひたすら「地検の判断」を繰り返し、政治
の介入を否定した。
(8)柳田法相もこの後すぐ、法務省で記者団を前に「法相として検察庁法14条に基づ
く指揮権を行使した事実はない」とのコメントを読み上げた。質問は一切受けつけなかっ
た。
(9)首相がそれでも「政治決断」を選択したのは、中国の反発の強さが当初の予想を超
えていたためだ。
(10)19日の拘置延長決定後、中国は、20日に日本人4人を拘束、21日にはレア
アース(希土類)の対日禁輸に踏み切るなど、たたみかけるように「対抗措置」を取った。
(11)日本側はこれらを公表しなかった。
(12)ニューヨークにいた温家宝首相は21日夜(日本時間22日朝)、在米中国人約4
00人が出席する会合で、船長釈放を要求する異例の動きに出た。
(13)「あそこまで強硬にやるとは……。海上保安庁の船長逮捕の方針にゴーサインを出
した時、甘く見ていたかもしれない」。政府関係者は、そもそも「初動」に判断ミスがあっ
た、と苦々しげに振り返る。

***********以上、読売新聞より************

●初動ミス?

 先にも書いたように、今回の事件を暗示させるような動きは、すでに先月(8月)から
始まっていた。
情報の出所は日本ではなく、「朝鮮N報」である。
この私ですら、そうした(動き)をつかんでいた。
にもかかわらず、「初動の判断ミス?」(前述(13))?

 漁船が近づいてきても相手にせず、漁船をうまくかわすべきだった。
逮捕したらどういうことになるか?
つまりどんなやっかいなことになるか、ふつうの判断能力のある政治家ならわかるはず。
いわんや、「船長を返せば、それでおしまい」?
中国がそんな甘い国でないことくらいは、よくわかっているはず。
尖閣諸島事件は、この先もっと大きな問題、つまり沖縄領有権に関する、その小さな
突破口にすぎない。
「そんなバカな!」と思う人も多いかと思う。
しかし毛沢東はすでにカイロ宣言の過程で、それを公然と口にしている。

 それに関して書いた私の原稿を読んでほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

++++++++++++++++

2009年に書いた原稿を
そのまま再掲載します。

++++++++++++++++

●琉球独立党

 「沖縄が生き残る道は、日本(ヤマトンチュー)からの独立しかない」と。
そうして生まれたのが、琉球独立党。
党首は、YC氏(55歳)。

06年の沖縄県県知事選挙にも出馬している。
そのとき獲得した票数が、6220票。
その数を多いとみると、少ないとみるか……。
沖縄独立党は、それを「大勝利」と喜んでいる。
「我々を支持してくれる人が、6220人もいる」、あるいは「6220人にふえた」と。

 「独立党」という名称からもわかるとおり、沖縄独立党は、「日米の支配状態を脱せ」を、
旗印にかかげている。
ほかにも「琉球共和国」とか、「石油採掘権獲得」などという言葉も並ぶ。
興味深いのは、「独立したあかつきには……」「国際入札で、アメリカ軍はもちろん、
日本の自衛隊、あるいは中国やロシアの軍隊を、(有料で)、駐留させる」(「日本のタブー」・
ミリオン出版)という部分。
しかしそうはうまく、いくものか?
どこか現実離れしている?
あるいは排他的民族主義?

 中国は、台湾の独立を認めていない。
いずれは、台湾を自国の領土に編入しようとしている。
と、同時に、すでに、沖縄は、中国の領土であると主張し始めている。

 その前に、もう一度、日米関係について考えてみたい。
つぎの原稿は、2006年の1月に書いたものである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●対米追従外交?

++++++++++++++++

たしかに日本の外交は、戦後一貫して、
「対米追従外交」(経済評論家・T氏談)
である。

事実は、事実。それは、もうだれの目にも、
疑いようがない。

しかし一方で、国際外交は、どこまでも
現実的でなければならない。

現実を見失ったとき、国際外交は崩壊する。
同時に、その国は、進むべき道を、
見誤る。

++++++++++++++++

 対米追従外交を、批判する人は多い。経済評論家のTJ氏も、そのひとりである。三井
物産時代のかつての同僚ということで、肩をもちたい気持ちもないわけではないが、なら
ば聞く。今の日本にとって、どうして対米追従外交であってはいけないのか。

 「追従」「追従」というが、追従しなければならない「現実」がそこにある。

 あの中国は、ものの10分足らずで、(あるいは数分で)、日本中を廃墟と化すことがで
きる。それだけの核兵器を、すでに保有し、実践配備をすませている。

 忘れていけないのは、戦争というのは、兵器だけでするものではないということ。日本
にとって脅威なのは、兵器もさることながら、その兵器を底流で支える、士気である。反
日感情である。中国人がもっている、その反日感情には、ものすごいものがある。

 いったんどこかでそれに火がつけば、悲しいかな、今の日本に、それをくい止めるだけ
の武器もなければ、実力もない。もっとわかりやすく言えば、日本の平和がかろうじて守
られているのは、(中国側から見れば)、その背後に、アメリカという巨大な軍事国家がひ
かえているからにほかならない。

 また在日米軍を支えるための、多額の負担金を問題にする人もいる。たしかに日本は、
2006年度だけでも、「思いやり予算」(=在日米軍駐留経費)と称して、2326億円
もの負担金を支払っている。先に問題になった、沖縄からの基地移転費用についても、こ
れとは別に、「3500億円までなら支払ってもよい」と、日本側は、回答している。

 この額を多いとみるか、少ないとみるか?

 仮に日本有事ということにでもなれば、日米安保条約が発動されて、日本は、アメリカ
軍の庇護下に入る。が、そのときアメリカ側が負担する金額は、ぼう大なものになるはず。
あの韓国でさえ、こんな試算を出している。

「朝鮮半島有事の際には、韓国は、アメリカから1300兆ウォン(約158兆円)分の
軍事装備を、無償で借りることができる」(朝鮮日報・K論説委員)と。(158兆円だぞ!)

 現に今、となりのK国は、日本攻撃を目的として、核兵器を開発している。が、そのK
国に対して、この日本には、満足な交渉能力すら、もっていない。拉致問題ひとつ解決で
きない。そういう日本が、どうして核開発問題を解決できるというのか。

 韓国にしても、いまや日本の同盟国と考えている人は、ほとんど、いない。いつなんど
き、中国と手を組んで、日本に襲いかかってくるか、わかったものではない。K国とさえ、
手を組むかもしれない。少なくとも、現在のN大統領政権というのは、そういう政権であ
る。

 日本は、そういう立場である。つまりそういう立場であることを棚にあげて、「自主権」
なるものをいくら唱えても、意味はない。わかりやすく言えば、日本は、アメリカに追従
するしか、今のところ、生き残る道はない。「追従」という言葉に語弊(ごへい)があるな
ら、「密接な協調」でもよい。

 戦後、日本という国が、かろうじて平和を保つことができたのは、日本人が、平和を愛
したからではない。(こういうばあい、「愛する」という言葉は、腸から出るガスくらいの
意味しかないが……。)

 日本が平和を保つことができたのは、背後にアメリカ軍がいたからにほかならない。が、
もしアメリカ軍がいなければ、そのつど日本は、毛沢東・中国、スターリン・ソ連、金日
成・K国、さらに李承晩・韓国に攻撃されていただろう。これまた悲しいかな、日本はそ
ういうことをされても文句が言えないようなことを、先の戦争でしてしまった。

 日本は、アメリカに追従せざるをえなかったし、基本的には、今も、その状態はつづい
ている。それが「現実」である。

 もちろん私も、このままではよいとは思っていない。いつか日本も、アメリカから独立
し、日本は日本として、独自の道を歩まねばならない。しかしその前提として、この極東
アジア、東北アジアに、相互の信頼関係が築かれなければならない。それがないまま、「日
本は日本だ」「日本が国内で何をしようが、日本の勝手」と言い切ってしまうのは、今の日
本にとっては、きわめて危険なことである。

 その一例が、日本のK首相によるY神社参拝問題ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●沖縄の独立(?)
 
 琉球独立党のYC氏(党首)には悪いが、もし沖縄が独立すれば、沖縄はそのまま中国
の支配下に入る。
中国が、黙っていない。
また中国は、現状においては、そんな甘い国ではない。
ないことは、チベット問題ひとつみても、わかるはず。
尖閣諸島周辺には、天然ガスや石油など海洋資源が眠っている。
であるならなおさら、中国は、沖縄の独立を認めるわけがない。

 2005年に書いた原稿を、そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●台湾問題は、日本の問題

++++++++++++++++++++++

どうして、中国は、日本が主張する経済水域の中で、
ガス油田の開発および採掘を始めたのか。

どうして日本の抗議に対して、中国は耳を貸そうと
しないのか。

実は、この問題に裏には、台湾、さらには沖縄(琉球)
の領有権問題がからんでいる。

雑誌「諸君」(11月号)の中の記事を参考に、この
問題を考えてみたい。

+++++++++++++++++++++++

 中国と台湾。その中国は、台湾は、中国の領土と主張し、もし台湾が独立宣言をするよ
うなことがあれば、中国は武力介入も辞さないと、ことあるごとに宣言している。

 つまり台湾の独立は、許さない、というわけである。

 しかし、この問題は、そのまま日本の問題と考えてよい。中国に視点を置いてみれば、
それがわかる。中国の東には、台湾がある。しかしその台湾の向こうには、沖縄(琉球)
がある。もし台湾が独立してしまえば、沖縄(琉球)は、ますます、中国から遠ざかって
しまう。

 仮に台湾が、中国の領土の一部になれば、つぎに中国が領有権を主張してくるのは、実
は、沖縄(琉球)なのである。これは私の被害妄想でも、憶測でも、何でもない。

 連合国は、ポツダム宣言(1945)によって、日本の敗戦を明確に位置づけた。しか
しそのポツダム宣言の前に、ヤルタ協定(同、1945)、さらにその前に、エジプトのカ
イロでなされたカイロ宣言(1943)がある。

 そのカイロ宣言の中には、「日本は、中国から奪取したすべての領土を、中国に返還すべ
き」という一文があるが、中国は、その中には、台湾はもちろんのこと、沖縄(琉球)も
含まれると主張した。毛沢東が、その人である。毛沢東は、その著書、『中国革命と中国共
産党』の中で、「沖縄(琉球)は、日本が中国から奪った領土である」と書いている(中西
輝政氏、指摘・「諸君」11月号)。

 ……こう書くと、「沖縄が、中国の領土だって?」と思う人がいるかもしれない。しかし
ここは、明確に述べておかねばならない。

琉球王朝、つまり沖縄は、江戸時代においては、薩摩の「附庸国」であると同時に、明と
清との朝貢関係をもっていた。つまり沖縄(琉球)は、幕藩体制の中では、一応、日本の
「領分」としながらも、日本では異国として扱われていたのである。

 が、1871年、宮古・八重山島民が台湾に漂着し、54人が、台湾島民に殺害される
という事件が起きた。これに対して時の明治政府は、「日本国民を殺害した」として清国に
抗議、台湾へ出兵。そしてそのあと、日本は、北京条約で、清に沖縄(琉球)の日本への
帰属を認めさせる(参考、中島成久氏ゼミ資料)。

 こういう流れからみると、つまりどこか力ずくで、沖縄(琉球)を日本の領土としてき
たという流れからみると、「沖縄(琉球)は、中国の領土である」と、中国が主張しても、
どこもおかしくない。少なくとも、「沖縄は、日本の領土である」という主張には、歴史的
根拠があまりない。つまりここが、日本最大のアキレス腱ということになる。

 しかしその中国が、沖縄をあきらめたわけではない。かろうじて、本当にかろうじて、
今、中国がそれを主張しないのは、台湾問題があるからにほかならない。台湾が、中国の
コブなら、沖縄(琉球)は、そのコブの上のコブにすぎない。「沖縄(琉球)が、中国の領
土である」ということを主張するためには、まず台湾を、自分の領土に組みこまねばなら
ない。

 わかりやすく言えば、台湾が、大きな壁となって、中国と日本の間に、またがっている。
中国にしてみれば、まず、台湾問題なのである。

 つまりもうおわかりかと思うが、台湾問題が片づけば、つぎにやってくるのが、沖縄(琉
球)問題である。「台湾問題は、日本に関係ない」などと思っていたら、たいへんなまちが
いである。現に今、「沖縄は中国の領土である」と主張する知識人が、中国国内で、ふえ始
めている。

 一方、ここ1、2年、米中関係は、急速に悪化の一途をたどっている。新たな冷戦時代
の始まりと説明する人も多い。最近になってアメリカのライス国務次官も、中国を、「明ら
かな脅威」と位置づけ始めている(05年8月)。台湾や日本にとって、脅威という意味で
はない。アメリカ本土にとって、脅威という意味である。

 事実、それに呼応するかのように、中国の軍の近代化と拡充には、ものすごいものがあ
る。軍事費にしても、公表されている数字の3倍近くはあると言われている。あるいは、
それ以上かもしれない。

 そこで、その中国がなぜ、こうまで、軍事力の拡充に熱を入れるかといえば、すでに中
国は、台湾や日本を飛び越して、アメリカとの戦争を、念頭に置いているからに、ほかな
らない。その中国は、これまたことあるごとに、「もし中台戦争にアメリカが介入してくる
ようなことがあれば、アメリカとの対決も辞さない」と主張している。

 中西輝政氏は、つぎのような事実も指摘している。

 「この(05年)7月、中国国防大学のエリート、朱成虎少将が多くの欧米記者を前に、
『アメリカが中台の武力紛争に介入したときには、中国は、アメリカ本土に、戦略核ミサ
イルによる先制攻撃を加える』という警告を発した」(同、「諸君」11月号)と。

 そうなれば、沖縄はもちろん、日本の本土すらも、中国の核攻撃の対象となる。

 ……とまあ、こうした物騒な話はさておき、中国は、日本の主張する経済水域を、そも
そも認めていない。だから平気で、その中で、ガス油田の開発、採掘をすることができる。
だからいくら日本が抗議の、のろしをあげても、どこ吹く風。中国は、これから先も、ま
すます堂々と、日本の経済水域内に入ってきて、ガス油田の開発、採掘をするだろう。

ワイフ「そう言えば、沖縄って、日本とは、ちがうという感じがしていたわ」
私「あまり、そういうことは言わないほうがいい。もしそんなことを、日本人のお前が言
っていることを知ったら、中国人は、『そら、みろ!』と喜んで、飛びついてくるかもよ」
ワ「でも、事実は事実だから……」
私「日本としては、何としても、米中関係の悪化を、阻止しなければならない。これ以上、
悪化すれば、日本の平和どころの問題では、なくなってしまう」
ワ「K国の核開発問題も、どこかへ吹っ飛んでしまうわね」
私「そういうこと」と。

 こうした中国の野望を封じこめるための方法は、2つある。一つは、中国の民主化運動
を、側面から支援して、中国を民主化すること。ブッシュ大統領も、「世界を民主化するこ
とが、世界に平和をもたらす方法」というようなことを言っている。

 もう一つは、日本、東南アジアからインドにかけて、中国包囲網を構築すること。とく
に重要なカギを握るのが、すでに核保有国となったインドである。すでに、アメリカも日
本も、その方向で進んでいる。中国が、軍拡をつづけているかぎり、日本は、中国とはど
こかで一線を画す。でないと、それこそ敵に、塩を送るようなことになりかねない。

 ……とまあ、いっぱしの外交評論家のようなことを書いてしまったが、しかしこれらの
問題はそのまま、私たち自身の問題である。日本の平和と安全に、直接かかわってくる問
題である。これからも、これらの問題を追求していきたい。
(参考、「国家の覚悟が問われる秋」by中西輝政、「諸君」11月号)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 琉球 沖縄 沖縄の領有権 沖縄独立党 ポツダ
ム宣言 ヤルタ会談 ヤルタ協定 沖縄問題)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●国際政治は、現実的に!

 沖縄がかかえている問題は、よくわかる。
「(沖縄の)住民は、基地問題、低学歴、就職難で苦しめられている」(「日本のタブー」)。
そのとおりだと、私も思う。
YC氏は、同書のインタビューに答えて、こう述べている。

「沖縄独立なんていえば、妄想だの、荒唐無稽だのって、鼻で笑われたが、六千数百人の
有権者が、私の訴えに賛成したのも事実。
海や空の色とは裏腹に、基地の重圧、戦争の傷痕、財政難が住民の心を重くしている。
けれどこれはみんなヤマトンチューから押し付けられたもの。
だから私はこれをヤマトにお返しして、シマンチューのための琉球共和国を作ろうと言っ
ているのです」と。

が、その問題と、「独立」とは、まったく別の問題である。
ヤマトンチュー(日本)が気に入らないから、シマンチュー(沖縄)は独立すべきという
考え方は、沖縄の人たちにとっても、現実的ではない。
第一に、私たち本土の(?)人間にしても、「鼻で笑っている」わけではない。
また「押しつけている」わけでもない。
沖縄県の人たちに、「申し訳ない」と思っている人のほうが、多い。
それを一足飛びに飛び越えて、「独立」と言われると、私たちとて、どうしてよいのかわか
らなくなってしまう。

 むしろ私が心配するのは、「独立」の向うに見え隠れする、YC氏自身の排他的民族主義。
民族主義というのは、より狭小になればなるほど、また先鋭化すればするほど、戦争の火
種となってしまう。
それが排他的であればなおさら、そうである。
あのアインシュタインも、TK先生への手紙の中で、こう述べている。
「exaggerated nationalism(誇張されたナショナリズム=国粋主義)こそが、すべての戦
争の原因である」と。

 ともあれ、沖縄というより、沖縄県の問題は、日本全体の問題である。
そのことを気づかせてくれた、沖縄独立党の存在感は、大きい。
私たちは私たちで、「沖縄に独立されては困る」という発想からではなく、沖縄の人たちが
かかえる問題を、私たちの問題として考える必要がある。
たしかに私たちは、今まで、沖縄の人たちがかかええる問題について、あまりにも無関心
でありすぎた。

 一方、沖縄の人たちは沖縄の人たちで、もう少し現実的なものの考え方をしてほしい。
いろいろな問題があることは、みな知っている。
だからこそ、それらの問題をひとつずつ解決していく。
私はそのほうが現実的だと思うし、建設的だと思う。
そういう意味で、いきなり「離婚」を訴える沖縄独立党の考え方には、どうしてもついて
いけない。

 ……イマイチ歯切れの悪い結論で、ごめん!

Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●日本よ、覚悟しよう!

 この先、この問題は大きくなることはあっても、小さくなることはない。

今度は「謝罪と補償を要求する」と、さらにボルテージをあげている。

●結論

 日本はあえて火中の栗を拾ってしまった。
これも平和ボケ。
繁栄ボケ。

 いまだに「いざとなったら、アメリカが……」と考えている人は多い。
しかしそのアメリカはすでにこの日本を切り捨てている。
たとえばアメリカが極東アジアの国々を名指しで呼ぶとき、現在、アメリカは、
「Korea, Japan & China(韓日中)」、もしくは「Korea and Japan(韓日)」と呼んでいる。
少し前まで、「日本」が先頭だった。
が、今は、「韓国」。
これを韓国の外交的勝利と言わずして、何と言う?

 さらに今回、「小沢総理だったら、中国と渡り合えたはず」と主張する政治家が多い
には驚いた。
どうしてこうまで外交音痴なのか?

 小沢幹事長のもと、鳩山政権が誕生したとき、小沢幹事長は300人あまりの国会
議員団を従え、北京詣でをした。
ワシントン詣でではなく、北京詣で、である。
いくら「左翼政権」でも、これはやりすぎ。
アメリカが怒って、当然。
中国が日本をなめて、当然。
その結果が今である。
トヨタバッシングは、そのひとつの現われにすぎない。

 アメリカ追従外交反対論も結構だが、時期が早い。
沖縄米軍基地反対闘争にしても、そうだ。
今、ここで日本がアメリカという後ろ盾を失ったら、この日本はどうなる?
日本独自で……ということになるが、それこそ日本の思いあがり。
悲しいかな、日本には、お金(マネー)で相手の国をひっぱたくことはできても、
外交能力は、ゼロ。
こんなエピソードがある。

●インターナショナル・ハウス

 1970年当時、私はメルボルン大学の、IHカレッジにいた。
世界中から、各国の王子や皇太子たちが集まっていた。
そのこともあって、毎週金曜日とか土曜日の夜は、各国の大使や大臣、政治家を
招いて晩餐会が開かれた。

 日本からも合計で、3〜5人の大臣や政治家がやってきた。
しかしほかの国の大臣や政治家とちがって、晩餐会のあと、(晩餐会のあとゲストが
1時間あまりのスピーチをするのが習わしになっていたが)、スピーチをして
帰った日本の大臣や政治家はゼロ。
ただ食事だけして、それで「はい、さようなら」。

 当時から今に至るまで、こうした日本の姿勢は、変わっていない。
大会議を前にしても、ひとりポツンと座っているだけ。
意見を述べるにしても、原稿を読むだけ。
口角泡を飛ばして……などという姿を、私は見たことがない。
あなたも見たことがないはず。

 日本の外交能力は、つまりはその程度。
日本国内でいくら威勢のよいことを言っても、一歩外に出たら、借りてきた猫の子の
ようにおとなしい。

●では、どうするか?

 尖閣諸島ではもう、これ以上、妥協してはいけない。
その先に「沖縄」があることを念頭に置き、妥協してはいけない。
また中国は、「国として(レアメタルの)輸出規制をした覚えはない」と言い出している。
すでに責任逃れの煙幕を張り始めている。

 だったら日本は、粛々と、正義にのっとり、事務手続きだけを進めていけばよい。
時事通信は、こう報道している。

『菅直人首相は26日、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で中国側が日本に謝罪と賠償を求
めていることについて、「尖閣諸島はわが国固有の領土だ。謝罪、賠償は考えられない。全
く応じられない」と述べ、拒否する意向を示した。視察先の東京都青梅市内で記者団の質
問に答えた』(以上、「時事通信」と。

 けだし、当然のことである。 
2010/09/26記


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司 

【日中経済戦争】(1)

+++++++++++++++++

まず敵を知る。
敵の内情を知る。
それが戦争のイロハ。
情報なくして、戦争はできない。
そこで今、中国経済がどうなっているか。
それを知る。

+++++++++++++++++

●『VOICE』(以下V誌)

 V誌の「中国経済・墜落に備えよ」(10月号)は、読み応えがあった。
それを読むと、中国経済は、かなりあぶない。
「墜落」という言葉も、そこから生まれた。

 6人の識者が寄稿している。

(1)ビル・エモット氏……中国経済のキーポイントは、「インフレ」と説く。
(2)三橋貴明氏……異常な「投資依存経済」に、問題があると説く。
(3)岩本沙弓氏……バブル経済に問題があると説く。
(4)富坂聡氏……不動産バブルをどう始末するか、それで命運が決まると説く。
(5)片山修氏……中国の社会制度、商習慣に問題があると説く。
(6)何清連氏……上昇しつづける労務コストと、続発するストに問題があると説く。

 つい数日前、中国のジニ係数が、実際には5・0を超えているのでは……という記事を
どこかで読んだ。
ジニ係数……「ジニ指数」ともいう。
イタリアのコッラド・ジニによって考案された「所得分配の不公平さ」を測る指標。
これによって富の偏在性や、エネルギー消費における不平等さなどに応用される
(ウィキペディア百科事典)。

++++++++++++++++++

以前、ジニ係数について書いた
ことがある。
その原稿を掲載する。
日付は2008年となっている。
少し遠回りをするが、許してほしい。

++++++++++++++++++

【豊かさとは何か】

●相対的貧困層 

+++++++++++++

貧困かどうかということは、
相対的な満足度によって決まる。

家と車と家電製品をもっていても、
貧しい人は、貧しい。

その日、その日を生きていくだけで、
精一杯という人も、少なくない。

そこで最近では、国の豊かさを
測る尺度として、「相対的貧困率」
という言葉を使う。

+++++++++++++

 生活の豊かさは、「モノ」では決まらない。いくら家と車と家電製品をもっていても、貧
しい人は、貧しい。その日、その日を生きていくだけで、精一杯という人も少なくない。

 そこで最近では、国の豊かさを測る尺度として、「相対的貧困率」という言葉を使う。わ
かりやすく言えば、生活に対する満足度ということになる。

 それによれば、

 メキシコ  ……20・3
 アメリカ  ……17・1
 トルコ   ……15・9
 アイルランド……15・4
 【日本】  ……15・3
 ポルトガル ……13・7
    ……
    ……
スウェーデン…… 5・3
チェコ   …… 4・3
デンマーク …… 4・3、だ、そうだ。

(OECD24か国平均……10・4)(2005年)

 日本は相対的貧困率でみるかぎり、貧しい国としては、上位5位ということになる。実
際、「ワーキングプア」という言葉があることからもわかるように、この日本には、「働い
ても、働いても楽になれない」という人たちが、「全体の4分の1、400万世帯もある」
(朝日新聞「キーワード」)そうだ。

 これらの人たちは、最低賃金や、生活保護以下の収入しか得られない人たちという。つ
まりその分だけ、所得格差が進んでいる。ジニ係数(ジニ指数ともいう)でみても、日本
は、OECD25か国中、第10位ということになっている。ジニ係数は、所得のかたより
を測る指数と考えてよい。

 たとえば高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占め、残りの4分の3の人
たちが、残った4分の1の所得を分けあう状態で、ジニ係数は、0・5となる。日本は、
0・314(2005年)である。

 ……そういう意味では、この日本は、たしかに住みにくい国になりつつある。何をする
にも、お金がかかる。どこへ行っても、お金がついて回る。まさに、マネー、マネー、マ
ネーの国。お金がないと、それこそ、身動きができない。

 そこで知恵をしぼって、たとえば休日でも、できるだけお金を使わないですまそうとす
る。お弁当を用意して、無料の公園を散策したり、山歩きをしたりする。が、それでもお
金がかかる。どういうわけだか、かかる。そういうしくみが、できあがってしまっている。

 言いかえると、お金を使わないですまそうと思ったら、家の中で、ゴロゴロしているし
かない。しかしそういう生活を、だれも、豊かな生活とは言わない。つまり今、日本人の
多くが感じている貧困感は、そういうところから生まれている(?)。

 では、どうすれば、豊かに生きられるのか? 「豊か」というより、「心豊か」と言いか
えたほうがよい。

 私なりの実践法を並べてみる。

(1)家族が円満であること。これは心豊かに生きるための、第一条件。
(2)みなが、健康であること。これも心豊かに生きるための、第一条件。かりにだれか
が病気であっても、それを前向きに受け入れてしまう。
(3)収入の範囲で、ほどほどの生活をする。できれば、常に最低限の生活を心がける。
(4)価値観を、(お金)から、(心)と(知恵)に移す。心の豊かさ、知恵の豊かさをも
って、「豊か」と判断する。
(5)「私は私」という生き方を貫く。世間体、見栄、体裁は無視。冠婚葬祭を含めて、
儀礼を廃する。

 私はとくに(4)が大切だと思う。心や知恵は、みがけばみがくほど、そうでない人が、
そうでなく見えてくる。他人に対して優越感をもつことは、好ましいことではないが、し
かしそのうち、愚かな人たちを相手にしなくなる。「私は私」という生きざまを貫きやすく
なる。

 ……ともかくも、相対的貧困率が高いということは、けっして望ましいことではない。
社会がそれだけ不安定化することになる。また国の豊かさというのは、いかに弱者にやさ
しいかで決まる。弱者にきびしい国というのは、それだけ未熟な国ということになる。

【付記】

●拡大する貧富の差とこれからの受験勉強

 この日本の社会では、静かに、密かに、しかし確実に、ジワジワと、貧富の差が拡大し
つつある。

 このことは、工場労働者の構成を見ればわかる。

 近くのX自動車の下請けメーカーの中堅社員が、こんなことを話してくれた。

「社員といっても、何種類もいる。正社員のほか、パート社員、期間社員、アルバイト、
人材派遣会社からの派遣社員などなど。

 さらに最近では、一応社員なのだが、独立した仕事だけをして帰る社員もいる」と。

 「どういう仕事ですか?」と聞くと、「たとえば会社で出す、人材募集のチラシを作った
り、社内報を作ったりする社員です。しかしこの社員は、社員というよりは、独立したア
ルバイトといった感じです。社会保険にも入れず、もちろんいっさいの保証はありません」
と。

 手厚く保護される正社員。しかしその一方で、冷遇されるそれ以外の社員(?)たち。
年俸にしても、数百万円以上もの差がある。が、「安い」だけではない。労働条件は、かえ
ってきびしい。少しでもヘマをすると、即、クビという状態だそうだ。

 この日本では、今、確実に、貧富の差が、広がりつつある。やがてそのうち、
社会問題化するのも時間の問題といってよい。数字を見てみよう。

 厚生労働省が04年6月に発表した、ジニ指数(世帯ごとの所得格差を示す)は、調査
を始めた84年から、7年連続で、拡大をつづけている。

 昨年(04年)は、そのジニ指数が、0・498と、かぎりなく0・5に近づきつつあ
る。

 0・5という数字は、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占めることを
意味する。残りの4分の3の人たちは、残った4分の1の所得を分けあうことになる。

 しかしこの数字を、深刻に考えている政治家は、少ない。……いない。経済界にいたっ
ては、なおさらで、むしろ、こうした格差を歓迎しているふうですら、ある。理由がある。

 「こうした差こそが、やる気のある人にやる気を出させ、経済を活性化させる」と。

 つまり力があり、やる気のある人がいい生活をして、そうでない人が、そうでない生活
をするのは、当然ではないか、と。そういう冷徹な論理である。が、どうもそれだけでは
ないようだ。

 「この世の中では、支配階級と、だまってそれに従う階級がなければ、そもそもマネー
社会(=マネー資本主義)は成りたたない」という論理がある。みなが平等になり、
中産階級になってしまえば、社会の活力そのものが、停止してしまうという。例がないわ
けではない。

 かつて私が留学していたころのオーストラリアが、そうだった(1960〜70年代)。

 当時のオーストラリアでは、年俸が、確か2万2000ドル(この数字は正確ではない)
を超えると、とたんに、所得税率が極端にあがるしくみになっていた。だから、みな、2
万ドル分までは働くが、それ以上に働いても意味がないというように考えるようになった。

 こうして「レイジー・オージー(怠け者のオーストラリア人)」が生まれたわけだが、こ
の制度は、オーストラリアの活力そのものまで奪ってしまった。(もともと、土地を掘れば、
鉱物資源が無尽蔵に出てくるという、ラッキーな国であったことも事実である。)

 だから経済界あたりでは、むしろ、貧富の差を助長することこそ、重要であるというよ
うな考え方をする。はっきり言えば、マスター(ご主人様)がいて、それに従順に従う、
スレイブ(奴隷)がいたほうが、経済の活性化のためには、つごうがよいということにな
る。

 だから、官僚たちは、恥ずかしげもなく、こう言う。「林さん、労働者には、金(マネー)
をもたせてはいけないのですよ。金をもったとたん、働かなくなりますから。万博でも何
でもいい。そういうのを開いて、労働者に金を使わせる。貯金させてはいけないのですよ」
と。

 これはある官僚から、私が直接聞いた言葉である。だから万博に反対というわけではな
い。経済界の論理というのは、そういうもの。

 それを知ってか、知らずか、地方の貧しい人たちが、バスに乗って、万博を見にくる。
マンモスの像を見て、「マンモスだ」「マンモスだ」と、喜んでみせる。そこにある種の悲
しさを覚えるのは、はたして私だけであろうか。

 話がそれたが、この貧富の差が大きくなればなるほど、またまた受験競争が燃えあがる。
だれしも勝ち組に入りたいと願っている。「せめて、自分の子どもだけは……」と願ってい
る。それが子どもの受験競争に拍車をかける。

 1995年〜2000年にかけて下火になってきた、いわゆる受験産業が、このところ
また息を吹きかえしつつ。そんな事情の背景には、こんな事実が隠されている。

 悲しいかな、今、この日本で、「受験」に背を向けて生きられる人(子ども)は、ほとん
ど、いない。そしてその傾向は、これから10年、さらにはげしくなる。貧富の差がはげ
しくなればなるほど、なおさらである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ジニ指数 ジニ係数 貧富の差 受験競争 ジニ指数)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ジニ係数

 話を戻す。

 「係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど
格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」、つまり
皆同じ所得を得ている状態を示す」(ウィキペディア百科事典)と。

 ジニ係数の計算方法については、「日本共産党」のHPに載っていたので、そのまま転載
させてもらう。

**********以下、日本共産党のHPより***********

《ジニ係数の算出方法》

 ジニ係数の算出方法は、次の手順をふんで計算します。

 (1)対象となる集団に含まれるすべての数値間の差の絶対値を合計して、平均する(これ
を「平均差」という)。

 (2)全体の平均値を計算する。

 (3)平均差を全体の平均値の2倍で割る(2倍で割るのは、ジニ係数を0と1の間に収め
るため)。この結果がジニ係数です。

 たとえば(245万円、362万円、826万円)のジニ係数は次のようになります。
 (1)(―245−362―+―245−826―+―362−245―+―362−82
6―+―826−245―+―826−362―)/6
=2324/6=387.3(平均差)

 (2)(245+362+826)/3=1433/3=477.7(平均値)

 (3)387.3/(2×477.7)=0.4054

 よって、ジニ係数は、0.4054
 
(注・― ―は絶対値記号)

**********以上、日本共産党のHPより***********

●ジニ係数、0・5

 中国のジニ係数も、0・5を超えているのではないかと言われている。
先にも書いたように、0・5というのは、おおざっぱに言えば、高所得者の4分の1の世
帯が、全所得の4分の3を占めることを意味する。
残りの4分の3の人たちは、残った4分の1の所得を分けあうことになる。

 たとえば10世帯の人が、1億円を稼いだとする。
ジニ係数0・5の社会では、2・5人が、7500万円を自分のものにする。
平均所得は、3000万円となる。
残りの2500万円を、7・5人の人が分け合う。
平均所得は、333万円となる。
3000万円と333万円。
その格差は、約10倍となる。

 つまりジニ係数が0・5を超えるほどになると、不公平感が増大し、社会そのものが、
不安定化する。
今の日本もあぶないが、中国は、もっとあぶない。
つまりこのジニ係数には、ひとつの盲点がある。

●ジニ係数の盲点

 ウィキペディア百科事典は、こんな例をあげている。
そのまま紹介させてもらう。

『……例えば、ある高級住宅地に年収10億円の人が99人、年収1兆円の大富豪が1人
いるとする。そこでこの高級住宅地に住む100人を対象にジニ係数を計算すると約0.91
となり、非常に格差が大きいが、年収10億円でもかなりの高収入であり、この状態が悪
いとは一概に言えない』と。

 つまり日本でいう「0・5」と、中国でいう「0・5」には、本質的なちがいがある。
不平等は不平等だが、年収333万円でも、何とかそれなりの生活を維持することができ
る。
年収3000万円の人を、ときに「うらやましい」と思うことはあるが、「まあ、そんなも
のかな」と、たいていは黙って見過ごすことができる。

 しかし中国のような発展途上にある国では、そうでない。
1人当たりの国民所得が全体的に低い国では、不平等感は相乗的に大きくなる。
今日の食費もままならない家庭が大半を占める一方で、外国製の大型車を乗り回す家庭が、
その隣にある。

 中国政府がもっとも恐れている部分は、実はここにある。
アキレス腱といってもよい。
不公平感が、いつその矛先を中国共産党に向けてくるか。
ハラハラドキドキ!
あの天安門事件にしても、その不公平感が引き金となったことは、よく知られている。

●三橋貴明氏の卓見

 三橋貴明氏は、『異常な「投資依存経済」に、問題がある』と説く。
V誌の記事を読み比べたとき、氏の記事がいちばん核心をついている。
中国政府は、外国からの投資を呼び込むことで、自国の発展をつづけてきた。
(このこと自体は、すでに10年以上も前から常識だったが……。)

 一方外国は、日本のような国から金(マネー)を借り、それをいったん売り(=円安に
なる)、ドルに交換したあと(=ドル高になる)、中国に投資してきた。
現在、中国向けの最大投資国が、この日本であることも忘れてはいけない。

 三橋氏の意見を要約してみる。

(1)中国政府(共産党)は、「保八」(=経済成長率を8%に保つ)に固執している。
(2)が、世界経済は縮小傾向にある。
(3)そこで中国政府は、外資を呼び込むことで、8%成長率を維持しようとした。
(結果、2009年の中国のGDPにおける「投資(民間投資+公共投資)」が占める割合
は、45%以上になっている。)
(4)が、国内では、そうした外資を使うとことがない。
(5)そこで中国政府は、「融資指示」という形で、銀行に各方面に融資をすように指示し
た。
(6)が、それを受けた銀行は、設備投資ではなく、その半分近くを、株式と不動産市場
に流した。
(7)中国バブルは、こうして発生した。
(8)結果、人の住まない住宅やマンションが続出。今やその状態が、狂乱化している。
(9)が、本来ならその一方で、個人消費が伸びなければならない。
(10)しかし中国人は、本来、守銭奴(私の言葉)傾向が強い。拝金主義もその背景に
ある。対GDP比における個人消費率は、35・6%(09年)。欧米先進国は、約60%
前後。つまり得たお金を、消費に回さず、貯蓄に回している。


 以上の結果「……こうなると、またまた政府支出(公共投資)に頼り、中国共産党政府
はGDPの下支えをせざるをえなくなるだろう。
結局のところ、極端な投資(および輸出)依存で成長をつづけている中国は、先進諸国の
ような大衆消費社会を築くこともなく、成長の袋小路に突き当たる可能性がきわめて高い」
(三橋貴明氏)と。

●具体的に……

 こうした経済論は、一家の家計にたとえてみると、理解しやすい。
(私はいつもそうしているが……。)

 あなたはバリバリの亭主関白。
一家の独裁者。
見栄っ張りで虚栄心が強い。
だから近所でもいつも大物ぶっている。
が、それを支えているのは、金(マネー)。
収入。

 あなたはいつも豪語している。
「オレの家は、繁盛している。どうだい!」と。

 が、近所はみな、景気が悪い。
思うように仕事が入ってこない。
家には7人もの子どもがいる。
みな、腹をすかせている。
しかしここで弱みを見せるわけにはいかない。
そこであなたは、隣町(=外国)から借金を重ねる。
「私に金を貸せば、儲かるあるヨ」と。

 そこで金を借り、家族に渡すが、女房がこれまた稀に見る拝金主義者。
札束を仏壇にあげたまま、使おうともしない。
子どもたちが腹をすかせ、ギャーギャーと泣いていても、知らぬ顔。
あとは離れを増築したり、通路を大理石で覆ったり……。

 が、元高にすることもできない。
元高にしたとたん、売り上げが減ってしまう。
外資も引き上げてしまう。

 そこであなたは何とか、その不満を、外に向けさせなければならない。
そこであなたは近所の人たちに、いちゃもんをつけることにした。

 通りを歩いていたら、どこかのんきな日高さん(=日本)が歩いていた。
その日高さんにわざと自分から体当たりし、こう言って怒鳴る。
「よくもテメエ、オレにぶつかりやがったな! ただですまさないあるぞ!」と。

 それを家の中で見ていた7人の子どもたちが、手を叩いて喜ぶ。
「父ちゃん、かっこいいあるね!」と。

 ……とまあ、今回の一連の事件の流れを大きく見ると、そういうことになる。

●日中経済戦争

 かくして日中経済戦争は始まった。
ルールなし。
「ない」というより、相手にはルールは通用しない。
では、どうするか。

 中国の強引さには、目に余るものがある。
しかし中国のアキレス腱をうまくつつけば、中国は明日にでも崩壊する。
たとえば現在、円高ということもあって、中国は日本への借金返済に苦しんでいる。
へたをすれば、不渡りを出しかねない。
そうでなくてもバブル経済は崩壊中。
この6月(2010年)を頂点に、住宅販売価格も下落し始めた!
あぶないのは、日本ではない。
中国である。

その中身を、これからも検証していきたい。

 負けるな、日本!
がんばれ、日本!
ついでに一言。
がんばれ、管さん!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日中経済戦争 住宅販売価格の下落)

(注)推敲しないまま、BLOGに掲載。誤字、脱字を許してほしい。
2010/09/27記


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   20日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幼児期前期から幼児期後期の子どもたち】(自律期から自立期へ)

●幼児期

 幼児期は一般的に、2つの時期に分けて考える(エリクソン)。
前期(自律期)と後期(自立期)である。

 自律期にしっかりとしつけをすると、道理のしっかりした子どもになる。
善悪の判断感覚もしっかりとできるようになる。
(ビデオの中で、Sさんの言動に注意してほしい。
Sさんは、この年齢(年中児・5歳児)にしては、きわめて人格の完成度の高い
子どもである。注目してほしい。)

 自立期に入ると、たとえば口が悪くなったりする。
これを「優位性の打破」という。

●優位性

 一方、後期に入ると、子どもはおとなの優位性を打破しようとする。
つまり優位性を打破しながら、自立をめざす。
この時期、悪口、ウソ、盗みが多くなる。
そういう形で、自分を上から抑えつけているものを、打破する。
このビデオの中で、たとえば私を「ジジイ」と呼んでみたりするのがそれ。

が、そのとき大切なことは、(そういう言葉を助長せよということではなく)、
そういう言葉が言えないほどまで、子どもを抑え込んではいけないということ。
言いたいように言わせながら、本気で相手にしないこと。
(相手は幼児だぞ!)
とくに権威主義的なものの考え方をする親は、注意したらよい。
(「親に向かって、何よ!」というのが、権威主義。
私は「悪玉親意識」と呼んでいる。)

●成長過程

 このビデオをみてもらえば、この時期の子どもの成長過程がよく理解して
もらえる。
大切なのは、子どもが伸び伸びと自分の思ったことを言い、それを自由に表現
できるということ。
子どもというのは、抑えつけるのは簡単。
強圧を加えたり、叱ったりすればよい。
脅すのもよい。
しかしそれは幼児教育にあっては、邪道。
(日本では、その邪道が常識化している。
とても残念なことである。)

 花木と同じで、まず四方八方へ枝を伸ばさせてみる。
しっかりと土に根をおろしたら、そのあとゆっくりと剪定(せんてい)する。
よい枝を伸ばし、悪い枝を抑える。
その時期は、年長児の後期になってからでじゅうぶん。

●1人の人間

 併せて、子どもたちの会話の中から、この時期の子どもたちがものごとを
どうとらえ、どう考えるか、それがわかってもらえればうれしい。

 幼児は幼稚ではない。
1人の人間である。
未熟で未完成かもしれない。
知識や経験は乏しいかもしれない。
しかしその「心」は、おとなの私たちと、どこもちがわない。
そればかりか、子どもの心は純粋で汚れがない。
美しい。
私たちはおとなになるにつれて、その美しさを失っていく。

 子どもたちの明るい笑い声。
それを守り、育てていくのは、私たちおとなの責務である。
子どもたちの明るい笑い声を、どうか、あなたも一度童心に返って、楽しんで
みてほしい。

●実際の指導例より

年少児、年中児(4〜5歳児)のみなさん。

Sさん……たいへん知的な能力にも恵まれ、人格の完成度の高い子ども
     いつも興奮状態で、私のレッスンに食いついてくる。迫力がものすごい。
Tさん……静かな落ち着きのある、知的な子ども。道理がよくわかり、ものの考え方が
     明るく、前向き。幼稚園でも、最リーダー格。
Yくん……たいへん愛情豊かで恵まれた環境に育っている。子どもらしく、屈託がない。
     伸びやかな子どもというのは、Y君のような子どもをいう。
Tくん……自由奔放。思考がやわらかく、年長期に入ると、ぐんぐんと伸び出すタイプ
     の子ども。(お楽しみに!)明るく、すなお。たいへん伸びやか。
Hくん……3歳児。当初2か月ほどは、まったく声を出さなかった。まずまわりの様子を
     観察しながら、情報を吸収する。(これを観察学習という。)が、数か月くらい
     から声を出すようになり、みなといっしょにゲラゲラと笑うようになった。
     こうなったらしめたもの。やがてみなと同じように行動し始める。思考が
     やわらかく、興味の芽がどんどんとふくらんでいる。

 とにかく伸びやかな子どもたち。
まさに『楽しく学ぶ子は、よく学ぶ(Happy Learners learn Best!)」。
それをこのビデオを通して、見ていただければ、うれしい。
みんなすばらしい子どもになる。
私、はやし浩司が保証する。

2010年9月24日のレッスンより。

(今回から15分編集になります。)

【1】


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allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>



【2】


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/vcAF5_AkHME?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/vcAF5_AkHME?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【3】


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/vaTSEPvLnDM?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/vaTSEPvLnDM?hl=ja&fs=1" 
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【4】


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/RW7QQ861Igg?hl=ja&fs=1"></param><param 
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src="http://www.youtube.com/v/RW7QQ861Igg?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 3歳児の能力 4歳児の能力 自律期 自立期 伸びやかな子ども
 はやし浩司 伸び伸びした子ども 子どもを伸ばす 明るい子ども 伸びやかな子ども
とは)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老人たちよ、声をあげよう!

 老人たちよ、もっと声をあげよう。
自分の言いたいことを言おう。
主張したいことを、主張しよう。
でないと、私たち老人は、若い世代の人たちに、よいように料理されてしまう。

 現在、「75歳以上は、手術をしない」「80歳以上は検査はしても、
治療はしない」が、医師たちの間で暗黙の了解事項になっているという。
義兄(76歳)がそう言っていた。
義兄は前立腺がんになり、この4、5年、その病気と闘っている。
「75歳」という数字は、前立腺がんに関してだけのものかもしれない。
もともとおとなしいがんだから、75歳以上の人は、手術をせず、ホルモンに
よる温存療法をすることが多いという。
そういう意味で、医師はそう言ったのかもしれない。

しかし私の実兄(当時68歳)も、担当の医師にはっきりと、こう言われたことがある。
「私は治る見込みのある患者は治療しますが・・・」と。
「私の兄のように(当時)、治る見込みのない患者は治療しない」という意味に取れた。

また叔母(85歳)の1人は、最期の最期まで尿道炎で苦しんだ。
菌が耐性をもってしまったらしく、どんな薬も効かなくなってしまっていた。
で、従姉が「何とか治してやってほしい」と懇願したときのこと。
担当の医師は「歳が歳ですから・・・(あきらめてほしい)」と。

 この先、その年齢が引き下げられることはあっても、引き上げられることはない。
が、医師を責めてはいけない。
今でさえ医療制度は破綻状態。
私たちがへたに長生きすればするほど、その負担は、若い人たちにのしかかっていく。

●精進

 が、老人たちは早い時期に、自ら身を引いてしまう。
またそれが老人として、あるべき姿のように考えてしまう。
しかしわかりきったことだが、私たちは生きているかぎり、人間。
死ぬまで人間。
それまで人間として、主張すべきことは主張する。
そうした声が、老人の存在感を明確にする。

 ただ残念なことに、老人にも問題がないわけではない。
ある時期を過ぎると、自ら進歩するということをやめてしまう。
が、誤解してはいけない。
停滞イコール、現状維持ではない。
停滞したとたん、脳みその底に穴があいたような状態になる。
その穴から、知恵や知識、経験がどんどんと漏れ出ていく。

 50歳になるとそれが自分でもはっきりとわかるようになる。
60歳になると、さらにそれが加速する。
たった数か月前に覚えたことすら、忘れてしまう。
それと闘うためには、漏れ出ていく以上の分を、補充するしかない。
新しい分野に興味をもち、それにチャレンジしていく。
それが「精進(しょうじん)」ということになる。
和式仏教では別の意味で使っているが、それが「精進」である。

 人は最期の最期まで精進を繰り返す。
知力だけではない。
「心」についても、精進を繰り返す。

それはちょうど健康論に似ている。
究極の健康論がないのと同じように、究極の精神論というものもない。
1週間も運動をサボれば、その瞬間から、健康は下り坂に向かう。
東洋医学の世界では、『流水は腐らず』と教える。
が、それは肉体の健康というよりは、精神の健康をいったもの。
その精神が腐り始める。

 私は幸いなことに、毎日子どもたちと接することができる。
若いときはそれほど深くは考えなかった。
が、最近は、よくこう考える。
「子どもたちと接してきて、よかった」と。
1週間も休みがつづいたりすると、気分がどんどんと滅入っていく。
自分でもそれがよくわかる。
だから私はこう言う。
「職場が、ストレス発散の場です」と。

 これは誇張でも、ウソでもない。
子どもたちの顔を見たとたん、気分がパッと晴れる。
そういうことは、毎回のようにある。

●存在感

 話はそれたが、自分がその年齢になってみて気がついた。
つまり「私たち老人は、(まだ自分では「老人」とは思っていないが)、
おとなしすぎる」と。

 内々で威張っている老人は多い。
内々でそれらしいことを主張している老人は多い。
しかし「内々」。

 重要なことは、個々の老人ではなく、「老人」がもつ存在感を、
もっと訴えていくということ。
「老いては子に従え」というのではいけない。
私たちは人生の先輩として、若い人たちのリーダーになる素質を、
じゅうぶん備えている。
無駄に生きてきたのではない。
その知識と経験を、もっとアピールしていく。

 iPod?
アンドロノイド?
・・・「そんなもの、知らない!」ではなく、私たちはそれを知る。
買う。
買って、使う。
使って、若者たちの前で遊んで見せる。

またけっして自分を、完成された人間と思ってはいけない。
思ったとたん、社会からはじき飛ばされてしまう。
が、これだけは忘れてはいけない。

 今、若い人たちは別の目を使って、冷ややかに私たちを観察している。
そしてその目は、年を追うごとにきびしくなってきている。
以前は「粗大ゴミ」と言われた。
今では、幼稚園児ですら、私たち老人を見て、「クソジジー」とか、
「クソババー」とか、平気で言う。
親たちもそれを制しなくなってきている。

 私たちには、やるべきことがある。
そのやるべきことを追求する。
体が動かなくなり、頭が働かなくなるまで、追求する。
そういう姿を見て、若い人たちは、私たち老人を評価する。
「孫の世話と、庭いじり?」。
そんなものは、老人がすべきことではない。
あるいはあるべき理想の老後の姿ではない。

 で、最初の言葉。 

 老人たちよ、もっと声をあげよう。
自分の言いたいことを言おう。
主張したいことを、主張しよう、と。

今朝は起きて、すぐ、そんなことを考えた。
久しぶりの快晴。
土曜日。
山荘からは、遠く太平洋まで見渡すことができる。
さわやかな気候。
秋がやってきた。
気分は、最高。
今日もがんばる!

2010年9月25日、土曜日


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●山荘

 昨夜遅く、山荘へやってきた。
最近は山猿が出没するようになった。
10〜20匹の集団で行動している。
ときに群れどうしが、衝突することもある。

 が、昨夜山荘へ来てみると、敷地内のじゃりが、波を打ったように、
荒立っていた。
どうやらイノシシのしわざらしい。
イノシシは両手で手前に引きながら、地面に穴をあける。
そのため三角形様の穴があく。
(もっとも敷地内の下地は、コンクリートを敷いたように硬くなっている
ので、穴といってもたいした穴ではないが・・・。)

 イノシシは、こうして何かの根をさがして、夜中じゅう、歩き回る。

●どこかのサル

 どこかのサルは、たった一匹で、がんばっているという(?)。
あちこちに出没して、人間に危害を加えているという。
しかしサルというのは、追い回してはいけない。
追い回せば追い回すほど、凶暴になる。
(すでに凶暴化してしまったようだが・・・。)

 このあたりでもサルが多く出没するようになった。
第二東名の道路工事が始まって以来のこと。
山に住めなくなったサルたちが、追われてこのあたりまで
やってくるようになった。
最近では、谷下の部落の中にも出没するようになったという。

 そのためこのあたりの農家の人たちは、農作物を耕作するのを
あきらめてしまった。
どの家にも、果物の木があったが、それを切り倒してしまった。
私の家にも、栗の木、柿木、桃の木などがあった。
しかしこの春、切り倒してしまった。
梨の木もあったが、それも切り倒してしまった。
残っているのは、ビワの木。
それに背丈は低いが、キンカン。
これらもこの秋には切り倒すつもり。

 サルというのは、やっかいな動物で、高いところを伝って移動する。
たとえば私の家の東に、ビワの木がある。
西に栗の木がある。
そういうときサルは、ビワの木から電線を伝ってまず私の家の屋根に
やってくる。
屋根を横切って、そこから栗の木に飛びつくいていく。
そのとき、屋根の樋(とい)を破壊したり、テレビのアンテナを折ったり
する。

 で、来週は、中部電力の人に来てもらうことになっている。
電線に、トゲつきのカバーをかけてもらう。
本来は鳥よけのものだそうだが、それをサルよけに使ってみる。

 人間から見れば、「知恵比べ」ということになる。
しかしサルから見れば、生存をかけた「命がけ」ということになる。
冒頭で、「がんばっている」と書いたが、少し不謹慎。
それはよくわかっている。
しかしこのあたりには何10匹ものサルが出没し、被害は甚大。
が、ニュースにもならない。
「たった一匹程度で、何だ!」という気持ちで、そう書いた。


●日本、危うし(チャイナ・リスク)

 中国が、まともな国でないことは、今回の一連の事件でわかったはず。
昨日の報道によれば、「(中国は)領土問題では、一歩も譲歩しない」という
ようなことまで言い出した。

 最終的には、「沖縄も、中国の領土」と言い出すだろう。
すでに中国国内では、公然とそう主張する学者が出始めている。
考えてみれば、「日本」を、「NIPPON」と音読みにすること自体、
おかしなこと。
(どこの国が、外国語で自分の国を呼んでいるか?
「NIPPON」というのは、中国語だぞ!)
また「日本」というのは、「日(=太陽)が出る国」という意味だが、
「太陽が出るか出ないか」は、中国側から見てわかる話。
日本に住む日本人の発想ではない。
つまり「日本だって、もとは中国の領土」?

 ・・・ということはないにしても、日本の天皇のルーツは、韓国人。
そういう話は、韓国では常識。
「奈良(ナラ)」という名前にしても、「国」を意味する韓国語。
「奈落の果てにある国」という意味で、奈良は「奈良」になった。
その昔は、「奈落」と書いていたという(金素雲氏)。
しかし「奈落」では言葉が悪い。
そこで「奈良」にした。

 さらに天皇を取り囲んでいた、物部(もののべ)氏一族は、
「ものを述べる人イコール、通訳」だったという説もある。
「君(キミ)」「僕(ボク)」という言葉は、「金氏朝鮮」「朴氏朝鮮」に由来するという
説もある。

 だから若いころ私は金素雲氏に、「証拠がありますか」と問い詰めたことがある。
が、氏はこう言って笑った。
「仁徳天皇の陵墓を発掘すればわかることです」と。
金素雲氏というのは、当時の韓国を代表する歴史学者だった。

●チャイナ・リスク

 ・・・つまり私がここで書きたいのは、ことアジアに関して言えば、
国境など、あってないようなもの。
それぞれの民族がたがいに入り交ざりながら、現在に至っている。
あの朝鮮半島にしても、中国は、渤海国を口にしながら、「もとはと言えば
中国の領土」と言い出している。

 チャイナ・リスク・・・中国に偏りすぎると、その分だけ、経済的な
リスクが大きくなる。
現に今、中国は、レアメタルの対日輸出を全面的に停止している。
つまりこういうメチャメチャなことを平気でするのが、またできるのが、中国。
大国としての威厳など、どこにもない。
やっていることは、そこらのチンピラか、街の暴力団と同じ。
「チャイナ・リスク」の本当の恐ろしさは、ここにある。

 日本は、今、10年後、20年後を見据えて、対中国戦略を練り直す
必要がある。
中国なしでもやっていかれる国作り。
それを早急に推し進める必要がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本 金素雲 仁徳天皇陵墓 仁徳天皇陵 奈落 奈良 はやし浩司 
猿被害 サル被害)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●パソコン

「週刊アスキー」の今週号(10−26)の付録に、トランプカード
がついていた。
図柄に、歴代の・・・というか、1977年当時からのパソコンが
印刷されていた。
いちばん古いのが、1977年のAPPLE II。
この機種は、私がPET2001を買った直後に発売になったもので、
よく覚えている。
たしかモニターなしで、40万円前後ではなかったか。
(当時の価格で40万円だぞ!)
アップル社のあのカラフルなロゴが、ググーッと購買欲をそそった。

つづいて紹介されているのが、SharpのMZ-80K(1978)。
この機種も買わなかったが、よく覚えている。
浜松にさえパソコンショップが、まだ1〜2店しかない時代だった。
「ムーンベース」という店があって、そこでそれをよくいじらせてもらった。

 そのあと、NECのPC8000の時代へと突入する。
以後、私は毎年、2〜3台は新しいパソコンを購入した。
当時はパソコン1台が、40〜50万円もした。

懐かしいというより、そこに時代の流れを感ずる。
私はいつも新しいパソコンが発売になると、それを見に行った。
買いたくても買えなかったパソコン。
買っても、すぐあきてしまったパソコン。
中には使い物にならなかったのもある。
NECのUシリーズも、そのひとつ。
当時はやり始めた「パソコン通信」をやりたかったが、カタカナ表示のみ。
どうすれば漢字表示ができるか、あれこれ試してみたが、結局、できな
かった。
数か月使っただけで、お蔵入り!

●1977年 

 APPLEのAPPLEIIが、発売になったのは、1977年となっている。
しかしそんなはずはない?
その数年前には、TOSHIBAのTK-BSが発売になっている。
今でいう電卓を複雑したようなパソコンで、マシン語でカチカチと
命令を打ち込んでいく。
たとえば(A+B)xCという命令を先にプログラムする。
そのあとA、B、Cの値を入力すると、その答えが、表示された。

その直後、PET2001が、発売になっている。
APPLEIIが、発売になったのは、ほぼ同時期だった(?)。
私はその斬新なデザインに驚いた。
1977年より、少し前ではなかったか?
「1977年と言えば、私が満30歳になったとき」と。
今は、そんなことを思い出しながら、そのトランプカードを見つめている。

 ・・・といっても、現代のパソコンとは、大違い。
ベーシック言語でプログラムを組むと、二次曲線のグラフを、ポツポツと
点で描いてみせてくれた。
私はそれをジーッと見つめていた。
それが楽しかった。

●無念

 で、ここからがジジ臭い話になるが、ごめん。

こういう(流れ)を見ていると、その(流れ)を見届けられない(はがゆさ)と
いうか、無念さを覚える。
この先も、パソコンの世界はどんどんと進んでいくだろう。
10年後にはどんなパソコンが発売になるのだろう。
20年後には・・・。
そのころには、私は生きていないかもしれない。
生きていても、脳みそが使いものにならないだろう。
今でさえ、あぶない!

●骨董的価値

 で、最近は、こう考える。
「新しいパソコンを買うのは、未来への投資のようなもの」と。
できるだけ最新型を買う。
歴史を可能なかぎり、先取りする。

 また現在、骨董品が、ほとんど価値を失っている。
骨董品だけではない。
コインも切手も、価値を失っている。
たとえば東京オリンピックのとき、1000円銀貨が発売になった。
その銀貨にしても、現在、実勢の交換価格は、1100円程度。
切手については、いくら古くても、表示価格でしか売ることができない。
モノがあふれ、モノに対する感覚そのものが、変わった。
言い忘れたが、あのPET2001(当時、33万円前後)にしても、今、
オークションに出しても、2000円前後の価値しかないという。

 だったら、捨てるしかない。
とくにパソコンは、磨いて床の間に飾っておくようなものではない。
ボロボロになるまで、使って使って使いまくる。
そのあと捨てて、また新しいのを買う。
たった2〜3年前のパソコンでも、価値はゼロ。
処分するにも、引き取り料が取られる。

●ワープロ機として

 が、ゲーム機として使うパソコンは別として、私のようにワープロ
専用機として使う人には、それほど高性能のパソコンは必要ない。
5〜6年前の機種でも、何ら問題ない。
となると、ワープロ機としてパソコンは、どうあるべきか?
3つほど、希望を並べてみる。

(1)文章の安全性・・・書いた文章を、そのつど即座にSAVEする。
保存した文章は、そのつど別ドライブにも保存できるようにする。
WINDOW7でも、そのつど別ドライブに保存できるようになっているが、
イマイチ使い勝手が悪い・・・。
あっという間に、1テラバイトのハードディスクが満杯になってしまう!
 
(2)言葉の検索・・・ワードならワード文書全体から、つまりすべての
ファイルの中から、あいまい検索ができるようにする。
「〜〜年〜〜月ごろ書いた、〜〜についての原稿」というような検索が
できるようにする。

(3)性能の問題・・・現在、私の書いた原稿は3〜4万ページ近くに
なっている。
このファイルに、別の文章を追加すると、それだけでも10分ほど時間が
かかる。
最新のi-7、3GHz〜、64ビットのマシンを使っても、それくらい時間がかかる。
もっとすばやくできないものか?

●未来像

 なお、こんなソフトを作ってほしい。
称して「話し相手ソフト」。

 たとえば先にも書いたように、この10年間で書いた原稿が、3〜4万ページ
にもなる。
そういう原稿の中から、適当に検索をしながら、私の会話に、言葉として
応じてくれるソフトである。

「今日は、何日だった?」
「9月21日だよ」
「ピーターサロベイって、知っているか?」
「ああ、データがあるから、画面に表示しようか」
「頼むよ・・・」とか、など。

 想像するだけでも、楽しくなる。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●野生児(タマラとアマラ)

 ひとつの情報に出会い、つぎに同じような情報に出会うのは、
こちら側が求めてそうするばあいをのぞき、めったにない。
たとえば最近、私はタマラとアマラに関する文献を目にすることが
できた。
偶然だった。
もしその偶然がなかったら、私は自分がもつ知識を修正することは
なかっただろう。

俗に言う、『オオカミ少女』と呼ばれる2人の少女である。
そののち、心理学の本でもたびたび取りあげられている。
「野生児」という言葉も、そこから生まれた。

要点をまとめると、こうだ(「オオカミ少女はいなかった」鈴木光太郎
(新曜社))。

(1)オオカミの乳は、人間には飲めない。……だから少女たちがオオカミの
乳で育つはずがない。
(2)オオカミは、人間の子どもを連れ歩くのは不可能……オオカミはどうやって
赤子を運んだのか。
(3)ウィリアム・オグバーンというアメリカの社会学者が、
1951年に現地に入った。
が、オオカミ姉妹が発見されたという「ゴダムリ」という村は存在しなかった。
(4)現地に新聞が残っていて、「少女たちが見つかったのは、トラの
穴」と記述されていた。
(5)少女たちを発見したのは、シング牧師ではなく、サンタル族の住民
だった。
(6)写真を詳しく調べてみたが、推定年齢(カマラは8歳半、アマラは
1歳半)が合わない。

 私はたびたびオオカミ姉妹(少女)について書いてきた。
この本だけで、すべてを否定するものではないが、しかし大きな疑念が
生まれたのは事実。
さらにその本は、シング牧師夫妻が寄付金集めのためにしくんだ作り話の
可能性があると説く。
実際、現在の今でも、欧米ではこの手の詐欺が後を絶たない。
(ついでに書き添えると、欧米では、孤児院経営を看板に、この種の詐欺が
日常化している。
じゅうぶん、注意したらよい。)

 で、結論としては、「自閉症か何かの障害をもった姉妹が、親に捨てられた。
その姉妹が、何年かあとに見つかった。村人たちは世話に困り、シング牧師の
ところへ連れていった」ということらしい。

 ・・・となると、私が今まで引用してきた話は、すべて訂正しなければ
ならない。
野生児の話は、ウソだったのか?

が、ここで注意したいのは、だからといって子育て論の本筋、たとえば
人間性と臨界期の問題、言語発達と臨界期の問題まで否定されるというのでは
ない。
人間はそれぞれの成長期に、それぞれの適切な環境で、適切に育てられなけば
ならない。
人間性にしても、言葉にしても、さらにたとえば音感やもろもろの美的感覚
にしても、その時期を逃すと、その後、修復がたいへんむずかしくなる。
たとえオオカミ少女の話がウソであったとしても、その重要性は変わらない。
またまったくのデタラメだったとしたら、こうまで長く、多くの心理学者や
精神学者、さらには哲学者たちの支持は受けなかっただろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 オオカミ少女の謎 オオカミ姉妹の謎 野生児への疑問 オオカミ少
女は存在しなかった はやし浩司 タマラ アマラ シング牧師 疑惑 野生児疑惑 オ
オカミ少女疑惑 オオカミ姉妹疑惑)


●山荘を手放す

 今日、山荘から帰るとき、ワイフとこんなことを話しあった。
「あと、2、3年したら、山荘を売ろう」と。
さみしい決断だった。
このところ山荘を利用する回数が、ぐんと減った。
「利用する」というよりは、「利用しなければ」と、何かせかされている
ような気分になることが多くなった。

 それに率直に言えば、私もワイフも、同じように歳を取った。
車の運転も、これからはあぶなくなる。
つい先日も、ワイフは、車をバックさせているとき、車の後部を
電柱にぶつけてしまった。
注意力も散漫になってきている。

 が、そのとたん、よき友を失ったようなさみしさを覚えた。
息子たちが巣立っていったときのようなさみしさだった。
土地作りに6年もかかった。
家は、建築会社に建ててもらったが、そのあといろいろな工事は自分たちでした。
家の周囲に砂利を敷いたのも、私たちだった。
そんな無数の思い出が、どっと脳裏を満たした。

私「さみしいね」
ワ「そうね」と。

 しかしいつまでももっているわけにはいかない。
これから先、雑草の管理すら、ままならなくなる。

私「しかしどうせ譲るなら、大切にしてくれる人にしよう」
ワ「そうね」と。

 ・・・ということで、新しいHPを立ち上げることにした。
『山荘を譲ります』というタイトルのHPである。
まだUPLOADしていないが、ここ1〜2か月のうちには、
完成させたい。
私のメインのHPから、入れるようにする。
興味のある人は、見てほしい。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より。

今すぐ・・・ということは考えていない。
現在私は62歳。
もうすぐ63歳。
ワイフは60歳。
希望としては、65歳前後にだれかに譲渡できればと願っている。


●離婚

 結局、私たちは離婚するのをやめた。
喧嘩するたびに、「離婚だ」「離婚しましょう」となる。
が、今回も、またやめた。

 どうあがいても、私の人生も残り10年。
ワイフの人生も残り10年。
こういうとき人は1つの選択に迫られる。

「残り10年だから、今までの人生を完成させよう」、
あるいは、
「残り10年だから、やり直せるものなら、やり直そう」、と。

 つまり離婚しないで、残りの人生を共に力を合わせて生きるか、
それとも離婚して、人生をゼロからやり直すか、と。

 が、2人の間には、共通の思い出が山のようにある。
私の思い出イコール、ワイフの思い出。
ワイフの思い出イコール、私の思い出。
一体性が、あまりにも強すぎる。
平たく言えば、2人で1つの人生を生きてきた。
離婚などあえてしなくても、そのうち「死」が私たちを分かつ。

 では、私たちが定期的に繰り返す離婚騒動とは、いったい、何なのか。
祭り?
習慣?
あえて言えば、倦怠感を吹き飛ばすための定例儀式。
2、3日もすると、「やめよう」「やめましょう」と言う。
仲直りする。
そしていつもどおりの日々が、再び流れ始める。

 義兄に話すと、「だからこそ、夫婦でいられるのだよ」と。
つまり夫婦も会話が途切れたら、おしまい。
喧嘩もしなくなったら、おしまい。
言い争うから、夫婦。
・・・ということらしい。

 で、今は、今度2人で、昼神温泉へいっしょに行こうと話しあっている。
浜松から直通バスが出る。
往復6000円弱。

私「お前さあ、ぼくのことを本当は嫌っているんだよ」
ワ「そんなことないわよ。勝手に決めつけないでよ」
私「いいのか、ぼくで?」
ワ「あなたしかいないのよ。よくても悪くても・・・」
私「そうだよなあ。ぼくにも、おまえしかいないし・・・」と。

 かくして今は、平穏+平和な日々がつづいている。

(補記)

 同時に今、ワイフとの間で、こんな会話をよくする。
「2人でオーストラリアへ移住しよう」と。
このときも同じような選択に迫られる。
「残り少ない人生だから、好き勝手なことをしよう」、
「やり残した感じはあるが、無難な余生を送って過ごそう」と。

 こうした(やり残し感)は、どうやらだれにでもあるものらしい。
つまり人生は、そのつど選択の連続。
その選択をしながら、もう一方の選択肢に未練を残す。
こうして私たちはトボトボと、(トボトボと、だ)、自分の道を歩く。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●ソフリエ

++++++++++++++++

「ソフリエ」という言葉が、ある
雑誌に載っていた。
定年退職後の老人男性を指した言葉で、
育児のできる男性を意味する。
そのための育児講座があり、そこで認定
されると、「ソフリエ」の認定資格が
与えられるのだそうだ。

いわく「団塊世代をマンパワーとして
活用し、孫育てに生かすことで、生活の
充実と子ども世代の負担軽減を見込める」
(某雑誌)とか。
つまり「一石二鳥」とか。

+++++++++++++++++

●バカにするな!

 こういう発想ができるのは、そういう世代の若い人たち。
私たち団塊の世代を余剰人間としかみない、そういう連中どもである。
以前……といっても、10年ほど前にも、そうした動きが浜松市でもあった。
「これから先、団塊世代をどう使っていくか」と。
何かの会議で、討論の議題になったらしい。

 が、「団塊世代をマンパワーとして活用する」だと!?
バカも休み休み言え。
このドラ息子、ドラ娘ども!

 私たちがほしいのは、「仕事」。
経験や知識を生かした仕事。
たしかに体力は弱る。
気力も知力も弱る。
そのため、一人前の仕事は、無理。

だったら仕事を週3日制にするとか、労働時間も、午後からだけにするとか。
1人分の仕事を、2人で分けてするという発想で、(あるいは3人で分けるという
発想でもよいが)、私たちの「仕事」を考えてほしい。
ちゃんと給料がもらえる、「生きがい」を考えてほしい。
私たちが求めているのは、「暇つぶし」ではない。

……とまあ、できるだけ穏やかな口調で書いたが、やめた。
本音で書く。

何が、孫育てだ!
そんなことは、自分でやれ!
ジーちゃん、バーちゃんだから、孫の世話でもさせておけば、ハッピーなはず?
そういうありきたりの先入観だけで、私たちが置かれた現状をとらえるな。

誤解するな!
「孫の世話と庭いじり」……だれもそんな生活が理想の老後とは思っていないぞ。
そういうものを繰り返したところで、心の空白感を埋めることはできない。
もっとはっきり言えば、どうしてそれが生きがいにつながるのか?
子育ての失望感は、いやというほど、味わった。
(お前たち若造が、その結果だろ!)
ほとんどは、「もう子育てはこりごり」と考えている。
その上、どうして今、孫育てなのだ!

視点が反対だろ!
子どもや孫が、団塊の世話をする。
「ジーちゃん、バーちゃん、長い間、ありがとうございました。
これからは生きがいを求めて、がんばってください。
その応援をさせていただきます」と言うのなら、まだ話がわかる。
それを何が、「孫育て」だ!

●偏見と誤解

 ところでいつ見ても腹立たしいテレビ番組(NHK)がある。
「パソコン講座」とか何とかいう番組である。

 講師役は若い男女。
生徒役は、どこかノーブレインな(=脳みそがなさそうな)、中高年の男女。
(演技なのだろうが)、わざとバカ丸出しの様子で、講座を受ける。
「(グラフィックソフトで)、線が描けた!」
「(フォト・レタッチで)、写真が加工できた!」と、
たわいもないことで、そのつど歓声をあげて喜んでみせる。

 ああいう番組を見ていると、ディレクターの老人観がよくわかっておもしろい。
つまりわれわれ団塊の世代を、バカにしている。
バカにした上で、ああいう番組を作っている。

 パソコンというのは、若者の道具であるという偏見と誤解。
老人は、パソコンを使えないという偏見と誤解。
老人には、思考力がないという偏見と誤解。
さらに言えば、老人には、美的感覚や色彩感覚がまったくないという偏見と誤解。
そういった偏見と誤解に、あの番組は満ちあふれている。

 どうして反対に、パソコンに詳しい団塊の世代を講師に使わないのか?
携帯電話のキーを叩くことしか能がない若者を、生徒にしないのか。
つまり「ソフリエ」というのは、それと同じ発想でつながっている。
あるいはその延長線上にある。

そこらの若造に、戦後のあの60年を生きてきた人間の重みがわかってたまるか!
バカヤロー!

 その「パソコン講座」。
少し前に見た番組では、写真を切り抜いて、部分的に拡大する作業をしていた。
たしかどこかの橋の写真だった。
その写真の一部を切り抜いて、色彩明度を少し変える。
とたん写真の迫力が、変化する(?)。
それを見て、生徒役の中高年の男女が、お決まりのバカ丸出しの歓声!
「ワーッ、すごい!」「ウォー!」と。
私はそれを見ていて、こう思った。
生徒役の中高年の男女に対して、だ。

「お前らには、長い間生きてきたプライドというものがないのか!」と。
「逆に、若い人たちに自信をもって、教えてやることはないのか!」と。

 教えてもらうことは何も、恥ではない。
わからないことは教えてもらえばよい。
しかし自分がもつ人間性まで、落とすことはない。
堂々とした姿勢で、生徒役をすればよい。
ついでに言えば、こう。
「だからといって、それがどうしたの?」と。
「写真が加工できたからといって、それがどうしたの?」と。

●統合性の確立

 これについては、たびたび書いてきた。
10年も前から書いてきた。
大切なのは、統合性の確立。

 その統合性の確立がしやすい環境を、用意する。
また助ける。
励ます。
評価する。
そういう制度を確立する。

 いつかは、どんな若い人でも、老齢期を迎える。
この問題は、老人の問題としてではなく、自分の問題として考えたらよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 ソフリエ 老人パワー 団塊世代の生きがい 生きがいとは 老人の
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●幼児教室

 幼児教室というと、幼児を苦しめるための教室と考えている人は多い。
少し前、朝日新聞社系の「AERA」誌も、そんな論調で、「早期教育無用論」を
説いていた(2010)。
いわく「早期教育は無駄」と。
「幼児期に文字を覚えても、小学校ですぐ追いつかれる」と。

 で、その根拠となった論文を調べてみたら、大阪万博(1970)の前に書かれたもの。
そのころはそうだったかもしれない。
幼稚園でも、文字を教えることはタブー視されていた。

 が、(教える)といっても、何も形のあるものとはかぎらない。
たとえば「学ぶ楽しさ」には、形がない。
それを教えるのが幼児教育。

 昨日は、私の教室では、幼児の作文指導+言葉遊びをしてみた。
「作文指導」と構えたのは、はじめて。
できるかどうか、多少の不安はあった。
が、やってみて、よかった。
子どもたちはワイワイと言って、それを楽しんでくれた。

 AERAの編集部のみなさん。
一度は、私の教室ものぞいてみてほしい。
少しは偏見と誤解を解いてほしい。

もう一度、YOUTUBEにUPLOADしたビデオを、ここに載せておく。


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司


●テーマ:作文指導

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタ
イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>

年長児に作文指導をしてみました。
「文を書くことは楽しい」……そんな印象づくりを大切にしました。
子どもたちの笑い声をお楽しみください。
2010年9月20日
by
はやし浩司

BW教室(BW幼児教室)

もっと見てくださる方は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より
「BW公開教室」へと、お進みください。

*************************************

【1】導入


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/D5BJWVzYP9o?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
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allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【2】展開


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/JUmxV7-mKJI?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
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src="http://www.youtube.com/v/JUmxV7-mKJI?hl=ja&fs=1" 
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allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【3】展開


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/jMGaNvA38X0?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
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type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【4】展開


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/Xh6Flh5voAI?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
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type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【5】作文指導


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/lVFgkFUE4Jo?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/lVFgkFUE4Jo?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児の作文指導、楽しく学ぶ子どもたち Happy Learners learn Best)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●DNAと易経(3)(さらなる謎解き)

++++++++++++++++++

DNA DATA BANK of Japan
のHPで、アミノ酸のDNA配列を公表している。
それによれば、つぎのようである。
(86番目の塩基から、450番目の塩基について。)

++++++++++++++++++++++++

  86 atg gcg aag att aag atc ggg atc aat ggg ttc ggg agg atc ggg 
  aa: M A K I K I G I N G F G R I G   

  131 agg ctc gtg gcc agg gtg gcc ctg cag agc gac gac gtc gag ctc 
  aa: R L V A R V A L Q S D D V E L   
         
  176 gtc gcc gtc aac gac ccc ttc atc acc acc gac tac atg aca tac 
  aa: V A V N D P F I T T D Y M T Y   

  221 atg ttc aag tat gac act gtg cac ggc cag tgg aag cat cat gag 
  aa: M F K Y D T V H G Q W K H H E   
         
  266 gtt aag gtg aag gac tcc aag acc ctt ctc ttc ggt gag aag gag 
  aa: V K V K D S K T L L F G E K E   

  311 gtc acc gtg ttc ggc tgc agg aac cct aag gag atc cca tgg ggt 
  aa: V T V F G C R N P K E I P W G   
         
  356 gag act agc gct gag ttt gtt gtg gag tac act ggt gtt ttc act 
  aa: E T S A E F V V E Y T G V F T   
         
  401 gac aag gac aag gcc gtt gct caa ctt aag ggt ggt gct aag aag 
  aa: D K D K A V A Q L K G G A K K   
         
  446 gtc tg 
  aa: V ?

+++++++++++++++++++++++

 この配列表の中で、とくに注目してほしいのは、冒頭の「atg」。
「atg」は、「開始コドン」と呼ばれ、コンピューターのプログラム言語で言えば、
「スタート」を意味する。
「ここからプログラムが始まりますよ」という意味である。

 その「atg」は、中国の易経によれば、「土偏に欠」と書いて、「かん」、
十進数表示では、0から始まって、18番目に位置する。
二進数表示では、「01・00・10」となる。

 そこで無理に(?)、「atg」と「01・00・10」を組み合わせてみると、

(1)
a……01
t……00
g……10

あるいは、

(2)
a……10
t……00
g……01、となる。

 どちらが正しいかはわからない。
が、仮にここでは(1)が正しいとすると、塩基の並び方は、そのまま二進数で
表すことができる。
もちろん、ここにない「c」は、残りの「11」となる。
(塩基は、A、G、C、Tが基本になっている。)

 アミノ酸の最初から、5番目までを、二進数で表してみる(上記(1)が正しいと
仮定して……。)

atg……01・00・10
gcg……10・11・10
aag……01・01・10
att……01・00・00
aag……01・01・10

これらを十進数で表すと、つぎのようになる。

atg……18
gcg……46
aag……22
att……16
aag……22

これらの数字を、易経の漢字に当てはめてみると、つぎのようになる。

atg……(かん、土偏に欠)
gcg……革
aag……困
att……師
aag……困、となる。

 もちろん最初の仮定、つまり「a」が、「01」であるという仮定が崩れると、
ここに書いた表は、まったく意味をなさない。
DNAと漢字を無理に結びつけても意味はない。

 しかし4つの塩基というのは、それぞれ(00)(01)(10)(11)のどれかで
はないだろうか。
もう少しわかりやすく言えば、仮に(0)を(マイナス)、(1)を(プラス)とすれば、
(−−)(−+)(+−)(++)のどれかということになる。

 もちろんこの段階では、どれが「A(アデニン)」であり、どれが「G(グアニン)」
であるかまでは、特定できない。
ただ北周一郎氏は、『ニビルの謎』(学研)の中で、「こん(土偏に欠)」は、「開始」を
意味すると書いている。

もしそうであるとするなら、偶然の一致というには、あまりも偶然すぎる。
つまりこうしたことから、北氏は、「易経はDNAの配列を示したもである」と書いている。
が、もしそうなら、これは天地をひっくり返すほど、重大な事実ということになる。
5000年前の人が、DNAの配列を知っていた!

 考えれば考えるほど、謎が深まる。
プラス、おもしろい!
本当におもしろい!
その先は、底なしの謎に包まれている。

 このつづきは、また後日に書いてみたい。
ともかくも私はそのドアウェイ(玄関先)に立ったばかり。
DNAが何であるか、本当のところ、私はまったくわかっていない。
この先は、みなさんといっしょに、少しずつ勉強しながら、さらなる
謎解きに挑戦してみたい。

●参考資料

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4996382953/" title="img058 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4104/4996382953_f02920464f.jpg" width="353" 
height="500" alt="img058" /></a>


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

●塩基の謎と仮説的推論(4)2010年9月22日朝記

+++++++++++++++++++++

昨夜、寝る前に、「易経とDNA」について
書いた。
そのとき、アミノ酸のDNA配列について書いた。
その配列表を見ていて、ひとつの疑問が頭の
中を横切った。

もう一度、アミノ酸のDNA配列を、よく見て
ほしい。

+++++++++++++++++++++

【アミノ酸のDNA配列】

DNA DATA BANK of Japan
のHPで、アミノ酸のDNA配列を公表している。
それによれば、つぎのようである。
(86番目の塩基から、450番目の塩基について。)

++++++++++++++++++++++++

●アミノ酸のDNA配列
  86 atg gcg aag att aag atc ggg atc aat ggg ttc ggg agg atc ggg 
     
  131 agg ctc gtg gcc agg gtg gcc ctg cag agc gac gac gtc gag ctc 
     
  176 gtc gcc gtc aac gac ccc ttc atc acc acc gac tac atg aca tac 
    
  221 atg ttc aag tat gac act gtg cac ggc cag tgg aag cat cat gag 
              
  266 gtt aag gtg aag gac tcc aag acc ctt ctc ttc ggt gag aag gag 
     
  311 gtc acc gtg ttc ggc tgc agg aac cct aag gag atc cca tgg ggt 
    
  356 gag act agc gct gag ttt gtt gtg gag tac act ggt gtt ttc act 
              
  401 gac aag gac aag gcc gtt gct caa ctt aag ggt ggt gct aag aag 
    
       
  446 gtc tg 
   
(以上、DNA DATA BANK of JAPAN)

●4つの塩基

 基本的には、塩基には4種類あるとされている。
a(アデニン)、g(グアニン)、c(シトシン)、t(チミン)の4種類である。
この中の3つが組み合わさって、DNAの基本単語を構成する。
たとえば、アミノ酸のDNA配列を見れば、それがわかる。

86番目から、atg gcg aag att aag atc ggg……とつづく。

で、この配列表をよく見ると、ひとつの疑問が生まれてくる。
たとえば、(ggg)と(ccc)はあるが、(aaa)と(ttt)はない。

これに昨夜書いた、塩基の【+−(プラス・マイナス)説】を重ね合わせてみる。

●3種類の塩基

 仮説として、3つの塩基を考えてみる。(4つではなく、3つである。)

(++)、(−−)、(+−)の3つである。
三番目の(+−)は、ひっくり返せば、(−+)となる。
つまり(+−)と(−+)は、同じものと考える。
だから4種類ではなく、3種類ということになる。
ここでは先に、一応、そういうことにしておく。

●g(グアニン)とc(シトシン)

 なぜここで、g(グアニン)とc(シトシン)は、3個が連続して並ぶことができるか。
ここに3塩基説(+−説)を重ね合わせてみると、いとも簡単に謎が解ける。

どちらがどうであるかという疑問はさておき、
gを、(+−)と考えれば、(ggg)は、(+−)(+−)(+−)の順につながって
いることになる。
同じように、cを(−+)と考えれば、(ccc)は、(−+)(−+)(−+)
の順につながっていることになる。

ではなぜ、(aaa)と(ttt)は、見あたらないのか。
これについても、a(アデニン)を(++)、t(チミン)を(−−)、(もちろん
その逆でもよいが)、と考えると、納得がいく。
磁性から考えて、aとaが直接結合することは、ありえない。

そこでaとaは、間にgもしくはc(これら両者は、ひっくり返っただけで、
同じものと考えてよいが)を置くことによって、結合する。

たとえばataは、(++)(−−)(++)となる。

●3塩基説

 この仮説に従って、アミノ酸のDNA配列をながめてみよう。
64番目からの最初の1行だけを、とりあえず、考えてみる。

atg ……(++)(−−)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。
gcg ……このままでは(+−)(−+)(+−)となり、磁性的な矛盾が生ずる。
この矛盾を解くためには、cは、gと同じ(+−)でなければならない。(1)

つぎの3文字単語を見てみよう。
aag ……(++)(++)(+−)となり、これにも磁性的な矛盾が生ずる。
この矛盾を解消するためには、aagをagaと並びかえた上、
gを(−−)としなければならない。(2)
すると最初の「atg」は、gatと並びかえないと、矛盾が生ずる。
gatであれば、(ーー)(++)(−−)となり、矛盾なく並ぶ。

そこでここまでの考え方をもとに、つぎの3文字言語をみてみる。

att ……tatと並び替えると、(ーー)(++)(−−)となり、矛盾なく並ぶ。
aag ……agaと並び替えると、(++)(ーー)(++)となり、矛盾なく並ぶ。
atc ……(++)(ーー)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。
ggg ……gを(−−)とすると、(−−)(−−)(−−)となり、矛盾してしまう。
やはりgは、(+−)もしくは(−+)でなければならない。
となると、この説は、また振り出しに戻る。

ああああ。
では、つぎのatcはどうか。

atc ……(++)(ーー)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。
aat ……ataと並び替えると、(++)(−−)(++)となり、矛盾なく並ぶ。
ggg ……(+−)(+−)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。
ttc ……tctと並び替えると、(−−)(+−)(−−)となり、矛盾が生ずる。(3)
ggg ……(+−)(+−)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。
agg ……gagと並び替えると、(+−)(++)(+−)とまり、矛盾が生ずる。(4)
atc ……(++)(ーー)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。
ggg……(+−)(+−)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。

●問いつづける

 あのアインシュタインは、「問いつづけることが重要」と教えている。
で、これらの矛盾を解くためには、(矛盾しているからといって、あきらめてはいけない)、
(+−)と(−+)は、そのつど、自由にひっくり返ることができると考えればよい。
たとえば上記(4)の矛盾は、3番目のgを(ー+)とすれば、矛盾は解消する。

 では、(3)の矛盾は、どうなのか。
この矛盾を解消するためには、やはり第4番目の塩基を考えなければならない。
そのつど(−−)になったり、(++)になったりする塩基である。
結合する相手の磁性をみて、自由に自分の磁性を変えることができる塩基である。
たとえば(3)の矛盾の中で、cがそれであるとすると、cは(++)となり、
矛盾は解消する。

(1)の矛盾も、ggcと並び替え、cを(++)とすれば、矛盾は解消する。
(2)の矛盾も、gとcは、もともとおなじもので、(+)と(−)の配列が逆に
なったものと考えれば、矛盾は解消する。

●公式(仮説)

 こうして並べてみると、つぎのような公式が引き出される(仮説)。

(仮説A)**********************************

aは、(++)
gは、(+−)もしくは(−+)
cは、そのつど(++)にも、(−−)にも、相手の磁性に応じて変化することができる。
tは、(−−)、と。

***************************************

 この公式(仮説)に従って、つづく、2行目を検証してみる。

agg ……そのままでも、(++)(ー+)(−+)となり、矛盾なく並ぶ。
ctc ……(++)(−−)(++)となり、矛盾なく並ぶ。
gtg ……(ー+)(−−)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。
gcc ……そのままでも、(+−)(++)(−−)となり、矛盾なく並ぶ。
agg ……そのままでも、(++)(ー+)(−+)となり、矛盾なく並ぶ。
gtg ……(−+)(−−)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。
gcc ……そのままでも、(+−)(++)(−−)となり、矛盾なく並ぶ。
ctg ……(++)(ーー)(+−)となり、矛盾なく並ぶ。
cag ……(−−)(++)(ー+)となり、矛盾なく並ぶ。
agc ……(++)(ー+)(ーー)となり、矛盾なく並ぶ。
gac ……(+−)(++)(ーー)となり、矛盾なく並ぶ。
gac ……(+−)(++)(ーー)となり、矛盾なく並ぶ。
gtc ……(−+)(ーー)(++)となり、矛盾なく並ぶ。
gag ……(+−)(++)(−+)となり、矛盾なく並ぶ。
ctc ……(++)(−−)(++)となり、矛盾なく並ぶ。

●やはり塩基は4種類

 どれにどの名前を与えるかは、それは命名の問題にすぎない。
が、塩基には、上記、4種類ある(仮説A)。

(+++)の「a」、(−−−)の「t」。(あるいはこの磁性は逆かもしれない)。
その間にあって、遊飛的に変化結合する、「g」と「c」。

 が、この仮説を立てるのが、私の目的ではない。
この仮説に基づいた、二進数が、易経と関係があるかないかを調べるのが、私の目的。
2行目を二進数に置き換え、さらに易経でいう漢字をあてはめてみよう。
(ますますおもしろくなってきた!)

agg……(++)(ー+)(−+)は、110101。
ctc ……(++)(−−)(++)は、110011。
gtg ……(ー+)(−−)(+−)は、010010。
gcc ……(+−)(++)(−−)は、101100。
agg ……(++)(ー+)(−+)は、110101。
gtg ……(−+)(−−)(+−)は、010010。
gcc ……(+−)(++)(−−)は、101100。
ctg ……(++)(ーー)(+−)は、110010。
cag ……(−−)(++)(ー+)は、001101。
agc ……(++)(ー+)(ーー)は、110100。
gac ……(+−)(++)(ーー)は、101100。
gac ……(+−)(++)(ーー)は、101100。
gtc ……(−+)(ーー)(++)は、010011。
gag ……(+−)(++)(−+)は、101101。
ctc ……(++)(−−)(++)は、110011。

さらにこれらを十進数にあてはめ、易経でいう漢字を当てはめてみる。

agg……(++)(ー+)(−+)は、53。漢字は「目偏に、癸」
ctc ……(++)(−−)(++)は、51。漢字は「中フ?」
gtg ……(ー+)(−−)(+−)は、18。漢字は「土偏に欠」
gcc ……(+−)(++)(−−)は、44。漢字は「豊」
agg ……(++)(ー+)(−+)は、53。漢字は「目偏に、癸」
gtg ……(−+)(−−)(+−)は、18。漢字は「土偏に欠」
gcc ……(+−)(++)(−−)は、44。漢字は「豊」
ctg ……(++)(ーー)(+−)は、50。漢字は「節」
cag ……(−−)(++)(ー+)は、13。漢字は「旅」
agc ……(++)(ー+)(ーー)は、52。漢字は「帰妹」
gac ……(+−)(++)(ーー)は、44。漢字は「豊」
gac ……(+−)(++)(ーー)は、44。漢字は「豊」
gtc ……(−+)(ーー)(++)は、19。漢字は「?に、換の右半分」
gag ……(+−)(++)(−+)は、45。漢字は「離」
ctc ……(++)(−−)(++)は、51。漢字は「中フ?」

 漢字にはそれぞれ意味がある。
その意味と、DNAの3文字言語の意味は同じなのか、それともちがうのか。
仮にもし共通点が見つかったとしたら、前にも書いたように、天地をひっくり返すような
大発見となる。
何となれば、5000年以上も前の中国人は、DNAの配列のみならず、その意味する
ところまで知っていたことになる。

 以上、あくまでも仮説として、さらに言えば、知的遊戯のひとつとして、易経と
DNAの関係について考えてみた。

これははやし浩司という、この道のド素人の意見だから、あまり真に受けないでほしい。
ただ興味をもった人がいたら、あるいは私より詳しく調べた人がいたら、どうか教えて
ほしい。

 ますますこの世界が、おもしろくなってきた!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 易経とDNAの謎 易経の二進数 DNA言語 DNAの3文字言語)

●参考資料

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4996382953/" title="img058 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4104/4996382953_f02920464f.jpg" width="353" 
height="500" alt="img058" /></a>


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月21日

+++++++++++++++++++++

昨夜は遅くまで、雑誌『文藝春秋』と『VOICE』
を読んでいた。
少し眠くなってからは、ふとんの上で扇風機を
かけながら読んだ。
そのせいか、今朝はやや頭が重い。
しばらくこうしてキーボードを叩いていれば、治るだろう。
みなさん、おはようございます。

+++++++++++++++++++++

●不景気

 この浜松でも、景気はドン底。
実家の家業が自転車店だった。
そのこともあって、街を歩いていても、自転車店が気になる。
またその様子を見て、私なりに街の景況を判断する。

で、「よく店を開いているなあ?」というのが、私の感想。
店先に低価格の自転車を並べる。
通りを歩く人の目につくように、だ。
この商法は、40年前、50年前と同じ。

 価格は1万1000円〜3000円。
安い!
50年前でも、1万円台の自転車は、めったになかった。
ただ自転車は、ほかの商品と異なり、場所をとる。
かなり広い店でも、40〜50台を並べるのが、やっと。
そのため大型電気店のカメラコーナーに及ばない。
つまり、ひとつの棚に並んでいるカメラのほうが、自転車店に
並んでいる自転車よりも、合計すれば値段が高い。
そのため自転車のばあい、その分だけ、利益率を高くしなければ
ならない。
1万円前後の価格では、利益など出るはずもない。

 そこで自転車店は、ランプをつけたりカゴをつけたりして、利益を出す。
が、これにも限界がある。
今では安い東南アジア製が、どんどんと入ってきている。
客の方が、もとの値段を知っている。

 が、自転車そのものは、売れていないわけではない。
販売台数は、ふえている(経産省調べ)。
そこで……というより、たまたま昨日、公民館の前を歩いたとき、
みながどこで自転車を買っているかを調べてみた。
どこの自転車店も、自分の店で売った自転車には、小さなシールを貼る。
それを見れば、それがわかる。

 そこには30台前後の自転車が並んでいた。
が、個人の店の自転車はゼロだった。
まったくのゼロだった。
どれにも大型店、もしくはショッピングセンターのシール、もしくは
保証シールが貼ってあった。
ほんの10〜15年前には、そのほとんどが個人の自転車店のシール
だったが……。

 時代が変わったのか?
客の趣向が変わったのか?

 私が子どものころのこと。
私は学校から帰ってくると、いつも母にこう聞いたそうだ。
「今日、自転車、売れた?」と。
私自身は、それを覚えていない。
しかしその「心」は、今でも体のどこかにしみついている。
だからさみしい。
つらい。

 こと自転車店でみるかぎり、街の景況は最悪。
「がんばってくださいよ!」と言うのもつらいほど、最悪。
日本の政治が悪いのか。
それともこれも世の流れなのか。

 自転車店だけではない。
日本中が、今、不景気のドン底で、もがいている。


●日本の為替介入

 日本政府が日銀と組んで、為替介入をした。
2兆円規模の為替介入だった。
円高を是正するため、にである。

 そのせいか、ここ数日は、1ドルが86円弱で推移している。
しかしこれはまさに両刃の剣。
一時的に日本はそれでよいとしても、世界中が同じことをしたら、どうなる?
各国の中央銀行が、こぞって札を印刷し始めたら、どうなる?
やがてやってくるのは、ハイパーインフレ。
すでにその兆候は、金(ゴールド)、プラチナ価格の上昇となって現われている。

 『文藝春秋』の中に、「1ドル50円時代に備えよ」という記事があった。
私も実勢価値は、その程度と思う。
しかしいきなり50円になったら、世界経済はメチャメチャになってしまう。
世界恐慌を数回重ねて起こすようなもの。
そこで何とか……ということで、現在、軟着陸をめざして各国政府が
あれこれと方策を出し合っている。

 うまくいけば、よし。
そうでなければ、……?
その鍵を握るのが、やはり中国ということになる。
しばらくは中国の動向をながめながら、ハラハラする日がつづきそう。


●打たれ強くなる

 インターネットの世界では、他人の批評や批判など、気にしてはいけない。
中傷や悪口も、気にしてはいけない。
が、最初は気になる。
しかしそれも回数がふえ、時間がたつと、慣れてくる。
私も、最初のころは、ボロボロに叩かれた。
そのつど傷ついた。
が、今ではそれも少なくなった。
相手にしなければ、向こうのほうから去っていく。
それにそういった書き込みやコメントは、ゴミ。
タイトルを見ただけで、即、削除。

 大切なことは、「個人」が声をあげること。
その「声」が、日本を変えていく。
日本を住みやすい国に作りかえていく。

 今朝も、1つ、イヤ〜ミたっぷりのコメントが届いていた。
なかなかの名文(?)だったので、ここに紹介しようかと思った。
しかしやはり、ゴミはゴミ。
そのまま削除した。
ところでこのところそうして削除することに、快感を覚えるようになった。
「バ〜カ!」と。

 文句があるなら、実名を明かして、正々堂々と勝負しろ!
私は、そうしているぞ!


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

●世界景気 

+++++++++++++++++

日本政府はどうとらえているか、知らない。
しかし現実の景気は、最悪。
体感景気は、さらに最悪。
全国的にみて、浜松の景気はまだよいほうと
言われている。
大企業がひしめく(?)、工業都市。
その浜松でも、このところ、店という店が、
暗く沈んでいる。
通りを歩く人たちも、どこか元気がない。

いったいどうなってしまったのか。
この浜松!
この日本!

+++++++++++++++++

●経済成長率

 経済成長率という言葉がある。
が、成長しているから、どうやらそれでよいということでもなさそうだ。
たとえば、A、B、C、D、Jの5つの国があるとする。
5番目の「J」は、日本。

 その中のA、B、C、Dの4つの国の成長率が10%。
J、つまり日本の成長率が、1%。
こういうとき、「少なくとも日本は、貧乏にはなっていない」と考える。
「今年は去年より、1%だけだが、よくなっている」と。
 
 が、実際にはどうか?
こんなケースで考えてみよう。

Aさんは、毎月のように家を改築している。
今月は光ファイバーを導入した。
先月は、それまでの太陽熱温水器から、太陽光発電に取り替えた。
来月は、家中を無線LANでつなぎ、外出先からも、家の中を
モニターできるようにした。

成長率が10%という国は、そういう形で発展している。
 
一方、Jさんは、現状維持が精一杯。
電話機も10年前の固定電話機のまま。
駐車場の屋根に取り付けた太陽熱温水器も、このところ故障つづき。
床の間には、古い置物がいくつか並んでいる。
先祖から伝わっているものというが、骨董的価値はほとんどない。
Jさんは、いつもこう言っている。
「何とか、やっていければ、それでいいです」と。

●社会のダイナミズム 

 こうした状態が10年もつづけば、どうなるか。
「差」は、一目りょう然。
経済成長率という数字にだまされてはいけない。
大切なのは、「社会のダイナミズム」。
国全体がもっている前向きな緊張感。
こうした「差」は、個々の家でも感ずることができる。
組織ともなれば、さらにはっきりと感ずることができる。

 同じ寿司屋でも、威勢のよい掛け声が飛び交っている寿司屋がある。
その一方で、店の主人が奥のほうに座り、いつ来るともわからない客をぼんやりと
待っている寿司屋もある。
節約のためか、電気のいくつかは消したまま。

 ゼロ成長、さらにマイナス成長になればなおさら。
その国の社会から、ダイナミズムが消える。
つまりその分だけ、より経済成長率の高い国に、ダイナミズムが奪われていく。
あとは、相乗効果で、そうした国はますます伸びていく。
一方、経済成長率の低い国は、悪循環の中でますます伸び悩んでいく。
今の日本は、まさにそういう国ということになる。

 ものの考え方が後ろ向き。
内へ内へと、ものの考え方が保守的になる。

●超・管理国家

 オーストラリアの友人(大学教授)がこう言った。
「オーストラリアも、ビュオクラチック(官僚主義的)になりつつある」と。
しかし程度が知れている。
この日本は、世界に名だたる官僚主義国家。
超の上に、超がつく官僚主義国家。
何をするにも、管理、管理、また管理。

 たとえば仕事にしても、今、資格、認可、許可なしでできる仕事は、ほとんどない。
あるとすれば、政治家くらいなもの。
あるいはタレント業。
それを頂点で管理するのが、官僚ということになる。

 オーストラリアでは、(それが好ましいことかどうかは別として)、若者たちはみな、
高校を卒業すると、自動車1台、電話1本で仕事を始める。
町中を、車のボデーを看板にした車が、無数に走っている。
「清掃します」
「パイプの詰まりを直します」
「電気工事します」
「屋根修理専門」などなど。

 言うまでもなく、社会が管理されればされるほど、社会からダイナミズムが消える。
人々はおとなしく、丸くなる。
小さくなる。
そしてそれと反比例する形で、役所が肥大化する。

●落ち葉はゴミ?

 最近では、「落ち葉はゴミ」と考える人がふえている。
そのため街路樹が枯れ葉を落とすころになると、市の苦情係のデスクには、苦情の
電話が殺到するという。
「落ち葉を何とかしろ!」と。

 街路樹の世話が市の仕事とするなら、落ち葉の始末も市の責任というわけである。
しかしこの考え方は、基本的な部分でまちがっている。
まちがっていることは、私は山荘生活をしてみて、はじめて知った。

 山荘周辺では、道路管理、水管理、土手の雑草管理などなど、すべてそこに住む
人たちの仕事である。
とくに「水」は、500メートルほど離れた山中から、引いている。
そのため水源の清掃、管理は欠かせない。
蛇口をひねれば水が出る……という生活に慣れきってしまった人には、それがわからない。
つまり水のありがたさが、わからない。
こうした「甘え」が、官僚主義国家をますます肥大化させる。
遠まわしな言い方になったが、こうした超・管理国家にしたその責任の半分は、
私たち日本人にもある。
この意識を変えないかぎり、この先、さらに管理、管理の超・管理社会は進む。

●内向きな若者たち

 誤解しないでほしいのは、官僚主義イコール、悪ということではないということ。
それが効率よく、かつ機能的に作用しているときは、それなりにうまくいく。
戦争直後の日本がそうだった。
しかしそれが逆転したとき、(現在がそうだが……)、官僚主義は反対に社会の
ダイナミズムを奪う原因となってしまう。

 不完全でもよい、失敗してもよい、……だからとにかくやってみよう!
それがダイナミズムの原点である。
たとえば教育の世界でも、電子黒板の導入、iPod型の電子ブック(教科書)の
導入が本格的に検討され始めた。
しかしこのニュースに対するコメントには、(大半が若者たちのものだが)、驚いた。
そこには10件ほどのコメントが並んでいたが、どれも否定的なものばかり。
「教師に楽をさせるだけ」
「ノートをとるから、勉強になる」
「そんなことに金をかけるなら、〜〜に金をかけろ」
「毎日予備校の通信講座を流したらいい」とかなど。

 コンピューターのもつ無限の可能性すら、若者たち自身が否定する。
その先、何ができるようになるか、それすらわかっていない。

●不公平感

 あの北朝鮮では、優良な(?)市民だけが、首都P市に住めるという。
あとの国民は、国民にあらず(?)。
しかしそういう国を見て、だれが笑うことができるだろうか。
この日本だって、同じことをしている。
私も63歳になって、はじめて、それがよくわかった。

 国民年金組は、いまだに年金はゼロ。
一方、元役人組は、すでに優雅な隠居生活を始めている。
私の自宅の周辺には、満55歳で退職したあと、ほぼ30年間遊んで暮らして
いる人たちが、たくさんいる。
そのほとんどが、元役人、もしくは旧国鉄労働者。
どの人も、30〜40万円(月額)の年金を手にしている。
で、皮肉なことに、プライドが高いせいもあるが、地域の活動に参加している
人は、ほとんどいない。
中には朝から晩まで、庭の手入れと、小さな畑仕事だけで、毎日を過ごしている
人もいる。

 ごく一部の人たちが、(実際には、現職の公務員、準公務員とその家族だけでも、
この日本には600〜700万人もいるが)、こうした恵まれた環境にいる。
その一方で、明日の生活に不安を抱きながら、「とにかくがんばるしかない」と
考えている人も多い。
私もその1人。
この不公平感には相当なものがある。
そしてその不公平感は、加齢とともに増大することはあっても、縮小することはない。

●失敗を許す社会

 忘れてはいけない。
成功はいつも失敗を土台として生まれる。
失敗を恐れていたら、成功など、おぼつかない。
つまりその失敗を許す寛容さこそが、成功への土台となる。
わかりやすく言えば、社会の不完全さ。
それこそが社会のダイナミズムを生む、原動力となる。

 「不完全にせよ」というのではない。
不完全であることに寛容であれと言っている。
「何もかも完ぺきに……」と考えれば考えるほど、官僚世界を肥大化させる。
そしてその分だけ、社会のみならず、国家経済すらも硬直化させる。
ある経済学者の試算によれば、公務員の人件費(給料を含めた、総人件費)
だけでも、38兆円。
国家税収が40兆円前後だから、これはもうメチャメチャな額といってもよい。
そのため、赤字国債につづく赤字国債。
国の借金だけでも、軽く1000兆円を超えている!
(政府が発表している700兆円うんぬんという額は、ウソ!)

 行政改革(官僚制度の是正)が叫ばれるようになって、もう20年。
一向にその成果が現われないばかりか、かえってこの日本は後退している。
これでは社会のダイナミズムなど、求めようがない。
つまり日本の発展もここまで!
とても残念なことだが。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW幼児教室より】(BW子どもクラブの様子)****************

●テーマ:作文指導

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イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>

年長児に作文指導をしてみました。
「文を書くことは楽しい」……そんな印象づくりを大切にしました。
子どもたちの笑い声をお楽しみください。
2010年9月20日
by
はやし浩司

BW教室(BW幼児教室)

もっと見てくださる方は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より
「BW公開教室」へと、お進みください。

*************************************

【1】導入


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/D5BJWVzYP9o?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/D5BJWVzYP9o?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【2】展開


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/JUmxV7-mKJI?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/JUmxV7-mKJI?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【3】展開


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/jMGaNvA38X0?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/jMGaNvA38X0?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【4】展開


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/Xh6Flh5voAI?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/Xh6Flh5voAI?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【5】作文指導


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/lVFgkFUE4Jo?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/lVFgkFUE4Jo?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児の作文指導、楽しく学ぶ子どもたち Happy Learners learn Best)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●易経とDNA

++++++++++++++++++++

今日もしつこく調べる。
易経とDNAの関係。
あきらめない。
謎が解けるまで、私は
あきらめない。

いくつかのヒント(手がかり)を
手に入れた。

++++++++++++++++++++



 DNA言語は、前にも書いたが、A(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、
T(チミン)の4つの塩基が基本となって、構成される。
その4つの中から3つが取り出され、その組み合わせで、遺伝子情報が決定される。
その組み合わせの数は、64通り。

 で、この64通りと、二進数を組み合わせることはできないか?
それがまず謎の(1)。
なおこれから書くことは、はやし浩司という、この道のド素人の(遊戯)に過ぎないので、
その点を前もって了承しておいてほしい。
つまりは、頭のパズル。
ひまつぶし!



 手がかりは、64通りの組み合わせの中で、それぞれの塩基が3つ並ぶばあいが、ある。
たとえば、つぎのように並ぶ。

AAA
GGG
CCC
TTT、と。

たとえば(AAA)のとき、易経の対応表では、二進数では、(00・00・00)
であることがわかる。
同じように、(GGG)のときも、(00・00・00)。
(CCC)のときは、(11・11・11)。
(TTT)のときも、(11・11・11)。

(00・00・00)は、易経では、「」、(11・11・11)は、「乾」。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4996382953/" title="img058 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4104/4996382953_f02920464f.jpg" width="353" 
height="500" alt="img058" /></a>


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【一貫性と連続性】

+++++++++++++++++++

どんな人でも、その人の過去とつながりがある。
過去の上に、現在の「私」がある。
一方、どんな人にも、周囲とのつながりがある。
周囲の人たちとのつながりの中に、現在の「私」がある。
これを私は「一貫性」「連続性」と呼んでいる。
どちらがどちらでもよい。

しかしこれからの話をわかりやすくするために、
(過去とのつながり)を、「一貫性」といい、
(周囲とのつながり)を、「連続性」という。
(注:先にも書いたように、どちらがどちらでもよい。)

++++++++++++++++++++

●A・C疑惑

 先週、私はタレントのA・Cという人物について批評した。
「教育学博士」という肩書きをフルに使いながら、講演活動をしている。
が、その同じ人物が、他方で、霊感商法に手を染めていた。
それを指摘されると、それらの商品はHPから、さっと消えた。
どこか、おかしい?
チグハグ?
「博士」が、「霊感商法」?
・・・ということで、批判記事を書いた。
BLOGに載せた。

 反響は、ものすごかった。
多くは「ファン」と名乗る人たちからのものだが、「ファン」と
いうよりは、「信者」。
それを読んだとき、「さすが霊感商法」と、へんに感心した。

 が、私が本当に問題にしたのは、そのことではなかった。
一貫性の問題だった。
「教育学博士」というくらいなら、少なくともこの私よりはるかに
高い知性と理性をもった人ということになる。
私もそういう目で、よくA・Cのテレビ講演会などを聞いた。

A・Cは、ときにボランティア活動の大切さを説いた。
ときに「二匹のヤマアラシ」の話をした。
しかし私は、首をかしげるばかり。
どこがどうというのではない。
たわいもない話を、たわいもない言葉で話すだけ。
専門用語や専門知識は、ほとんど出てこなかった。

 こんな私でも、一般の人向けに話をするときは、専門用語を使うのを、極力控える。
が、それでもつい油断すると、口から出てきてしまう。

 そうした疑問を感じていたところに、今回、霊感商法疑惑が飛び出した。
A・Cが、自分のHPを使って、五色のブレスレットを売っていたという。
値段は一個、4〜5万円!

●一貫性

 人も50歳を過ぎると、一貫性が明確になってくる。
それまでの(積み重ね)があって、現在の(その人)になる。
こうして一貫性は生まれる。
が、もしその一貫性がないというのなら、まずその人の人間性を
疑ってみたらよい。
たとえば一方で教会の牧師をしながら、他方で子どもを性的に虐待しているとか。
こういうケースのばあい、(実際にはよくあることらしいが)、その
人の人間性を疑ってみる。
人格的に何かの障害者ということも考えられる。

 が、ふつうの人で、ふつうの人生を歩んできたなら、そこに一貫性が
生まれてくる。
「この人は、こういう人だ」という(つかみどろこ)と言ってもよい。
たとえば若いときから、ホームレスの人を助けてきたとか、あるいは
孤児の施設でボランティア活動をしてきたとか。
そういう過去が積み重なって、NPO法人を設立し、貧しい人たちの
救済活動をする。
そういう話なら、無理がない。
それが(その人らしさ)ということになる。

●連続性

 また連続性にしてもそうだ。
たとえば遠くアフリカの難民救済運動をしている人がいる。
それはそれで立派な活動だが、そういう人が、東京でたいへん
豪勢な邸宅に住み、リッチな生活をしている。
どこかへん。
どこかおかしい。
仮に何かのチャリティ・コンサートを開いたとしても、そこに別の意図を
感じてしまう。

 こういうケースのばあい、まず連続性を疑ってみる。
たとえばあのマザーテレサは、日本へ来たとき、弁当箱はもちろんのこと、
弁当箱についていた箸まで洗ってもって帰った。
それが「連続性」ということになる。
行動に矛盾がない。
もしその連続性がないとするなら、たとえば難民救済活動について言えば、
「偽善」を疑う。

●偽善

 この日本では、「偽善」に甘い。
本音と建前をうまく使い分ける。
『ウソも100ぺんつけば、本当になる』と教えている仏教教団もある。
偽善でも100回つづければ、本物になるということか?

 しかし欧米では、偽善にきびしい。
偽善者は、悪人以上の悪人と位置づけられている。
表向き、善人の顔をしているから、ふつうの悪人より性質(たち)が悪い。
しかも弱者を食い物にして、それを自己の名声、権力、財力へとつなげる。

私の恩師の故松下哲子先生(A幼稚園元園長)はいつもこう言っていた。
「林さん(=私)、悪人の餌(えさ)にだけはなってはいけませんよ」と。
このばあいの悪人というのは、「偽善者」をいう。
相手が見るからに悪人なら、だれも近寄らない。

 その連続性があるか、ないか。
一貫性と同じように、その人を判断するときの材料としてみる。

●三浦和義の自殺事件

 私たちの世代には、忘れられないひとつの事件がある。
『ロス疑惑事件』(1981年)というのが、それ。
その主人公が、三浦和義という男だった。
私と同じ、昭和22年生まれ。
段階の世代。
だからというわけでもないが、あの事件は、私たちに強烈な衝撃を
残した。

 で、その三浦和義が、(あえて呼び捨てにするのは、一美さん殴打事件では、
最高裁で懲役7年の実刑が確定しているから)、サイパンの拘置所で、自殺した。
が、この自殺に真っ先に疑問をもったのは、ほかならぬ妻のY氏だった。
「ぜったいに自殺のはずがない。殺された!」と。
長年、そばにいた人だから、そう確信したのだろう。

 実は私も、当時、半分だけそう思った。
「半分」というのは、「絶対に自殺のはずがない」と。
ただ「(拘置所のだれかに)殺された」ということは、考えなかった。
また状況からして、ありえない話だった。
というのも、あの『ロス疑惑事件』を知っている人ならだれでも、そう
思うだろうが、三浦和義は、自殺をするような人間ではない。
もし本当に自殺だったら、私が言う、三浦和義がもつ一貫性が崩れてしまう。

 三浦和義は、マスコミから総攻撃を受けても、かつ裁判所で裁判を
繰り返しながらも、一度もひるむことはなかった。
むしろ逆に、自分を疑ったマスコミを片っ端から名誉既存で告発し、
莫大な慰謝料と損害賠償金を手にしている。
「冤罪(えんざい)の会」(仮称)まで主宰している。
そんな男が、自殺?

 が、これについて、『文藝春秋』(2010年10月号)は、こんな興味
深い手記を載せている。
「自殺でも、他殺でもない。狂言自殺が失敗して、本当に死んでしまったのだ」
と。
安倍隆典氏が、こう書いている。

「ロス市警による他殺説はまったくのナンセンス」
「狂言自殺の失敗である」
「絶体絶命になったとき、自殺をちらつかせる。これは三浦氏の
行動パターンである」
「・・・ここから先は、読者の皆さんで考えていただきたい。
考えるヒントは、縊死による自殺未遂では、しばしば脳障害の後遺症
が残ることである。そして三浦氏が実にすばらしい演技能力を持って
いることは、皆さんがよくご存知のはず」(以上、原文のまま)と。

 冤罪なのか、冤罪でないのか。
今では事件のすべてが、三浦和義とともに、闇の世界に入ってしまった。
が、ここで私がいう「一貫性」をあてはめてみると、一本の筋道が見えてくる。
それを安倍氏は指摘した。

なお三浦和義は、「縊死による自殺」、つまり首吊り自殺といっても、
天井からそれをしたのではなく、もっと低い位置から、足が床についた状態
でそれをしたという。
私には、「本気性」が、どうしても感じられない。
本気で自殺を考えたら、そんな方法は考えない。
その本気性が感じられないという点でも、三浦和義には、一貫性がある。

●安倍氏の手記より

 『文藝春秋』の中で阿部氏は、こんな興味深い事実を指摘している。
三浦和義事件については、隅の隅まで知り尽くしたはずの私ですら、知らなかった。
阿部氏は、こう書いている。
そのまま転載させてもらう。
(以下、『文藝春秋』より転載。)

 「・・・『週刊文春』が発売されたころ、中年の女性の声で奇妙な電話が
編集部にかかってきた・・・。
「昨日、八重洲にあるブックセンターへ行ったら、三浦さんがいた。
サングラスをかけていたが、三浦さんとすぐにわかったので、後をつけて
いったら、『自殺』という本を買っていた・・・」

 翌日の午前、今度はやくざ風の男から電話がかかってきた。
「てめえ、このクソ野郎、おめえたちが、いい加減なことを書きやがるから、
和さんが自殺したじゃねえか」

 しかし、これはまったくのデマだった。
本の話が気になった私は、本当に『自殺』が売れたのか、問い合わせてみた。
答えは、「一冊も売れていません」。

 絶体絶命になったとき、危機から脱出するために、自殺をちらつかせる、
これは三浦氏の行動パターンである」(以上、『文藝春秋』P296より)。

 安倍氏の話には一貫性がある。
三浦和義の行動にも一貫性がある。

●化けの皮
 
 が、その一方で連続性があるからといって、そのまま信じてもいけない。
こんな話もある。

ある女性(当時60歳くらい)は、近所で、「仏様」とさえ呼ばれていた。
小さな村だったが、毎週、独居老人の家を回って、そうした老人の世話を
していた。
話術にたけた人で、自分でもそうした話を、みなに吹聴して回った。
「・・・私ね、見るに見かねてねエ・・・」と。
市の福祉協議会から感謝状を渡されたこともある。
が、それは仮面だった。

 実の父親の介護をすることになったときのこと。
実の父親である。
内々では虐待に近い行為を繰り返していた。
食事といっても3食とも、ごはんと味噌汁だけ。
部屋から部屋へ移動するときも、うしろ首をつかんで、床を引きずっていた。
が、他人の視線を少しでも感ずると、一転、できのよい娘を演じた。
かいがいしく介護してみせた。
その介護の仕方が過剰というか、実に演技ぽいものだった。

 この心理学の世界には『代理ミュンヒハウゼン症候群』という言葉がある。
一方で子どもを虐待しながら、一方でよき母親(父親)を演ずる。
精神障害のひとつに考えられている。
代理ミュンヒハウゼンというと、相手が子どものばあいをいうが、相手が親
というケースも、実際には同じくらい多い。

 さらに・・・。
父親は財産のほとんどを現金にし、タンスの奥に詰めていた。
父親が亡くなったときには、その現金もそのほとんどが消えていたという。

 この女性のばあい、父親を介護することになったとき、その一貫性が
崩れた。
「化けの皮がはがれた」という言葉のほうがふさわしいかもしれない。

●50歳という年齢

 50歳を過ぎたら、その人の一貫性と連続性をみる。
あなた自身の一貫性と連続性でもよい。
が、このことは、さらに重大な意味を含む。
『統合性の問題』である。
正確には「自我の統合性の確立」という言い方をする。

 老齢期にさしかかったら、(自分がすべきこと)を決定し、実際に
(それをする)。
これら両者を一致させることが、『統合性』ということになる。
が、この統合性は、一朝一夕には確立しない。・・・できない。
それまでの(積み重ね)が必要。
「定年退職をしました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木の苗を
植えてきます」というわけにはいかない。
そんな取ってつけたようなことをしても、長続きしない。
すぐボロがでる。

 言い換えると一貫性と連続性をもつということは、それだけたいへんという
ことになる。
(もちろん悪い意味での一貫性では、困るが・・・。)

エリクソンは、それを始めるのは、40歳くらいからと説いている。
「それ」というのは、統合性の確立のための準備をいう。
その下地をつくる。
そのための努力を重ねる。

 が、実際には40歳では遅すぎるのではないか。
早ければ早いほどよい。
30歳でも早すぎるということはない。
たとえばボランティア活動にしても、少しずつの積み重ねが、時間をかけ、
行動として熟成していく。
「一貫性」とは、それをいう。

●終わりに・・・

 あえて付け加えるなら、一貫性と連続性は、その人の人格の完成度を
計るバロメーターにもなる。
ピーター・サロベイも、人格の完成度のひとつに、「良好な人間関係」を
あげている。
一貫性と連続性がなければ、良好な人間関係を結ぶのもむずかしい。

また道徳の完成度においても、「公平性」が問題になる(コールバーグ)。
その公平性を決定するのも、一貫性と連続性ということになる。
相手に応じて善悪の価値基準を変えていたのでは、公平性は保てない。

 で、ここから先は、自分の問題。
さて私には、一貫性と連続性があるやなしや、と。
しかしそれを判断するのは、実際には私ではない。
私の近くにいる周囲の人たちである。

 が、こういうことなら言える。
「私は一貫性と連続性をもって生きてきたか」と。
それについては、残念ながら、答は「NO!」。
私は子どものころから、どこかいいかげんな人間だった。
今もそうだ。
つまりそれだけ人格の完成度も、道徳の完成度も低いということになる。

 ……ということで、今日もがんばろう。
9月20日。
祭日ということになっているが、今日の私にはフルタイムの職場が待っている。

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心が温かい子どもvs冷たい子ども

+++++++++++++++++++

その子どもの心が温かいか冷たいかは、
ほかの子どもたちと比較してみてわかる。
それもしばらくつきあってみて、わかる。
温かい子どもは、温かい。
冷たい子どもは、冷たい。
ぞっとするほど、冷たい。

++++++++++++++++++

●心の温かさ

 親のゆったりとした愛情に包まれ、穏やかな環境で育てられた子どもは、
心が温かくなる。
他人にやさしく、話していてもほっとするような親しみを覚える。
相手が3、4歳の幼児でも、それがわかる。
一方、そうでない子どもは、そうでない。
中には、ぞっとするほど、心の冷たい子どもがいる。

功利的で打算的。
自分勝手でわがまま。
心に余裕がなく、いつもピリピリしている。
「心」そのものが破壊されている。

ただ心の温かい子どもとちがって、幼児期にはそれはわからない。
「?」と思うことはあっても、確信はもてない。
が、小学校の3、4年生ごろになると、それがかなりはっきりしてくる。

 で、原因は親にある。
そう断言してよい。
親自身も、冷たい。
その冷たさが、子どもにそっくりそのまま伝わっている。
だからこの問題だけは、親に話しても、無駄。
親自身が、それで「ふつう」と思っている。
またそれで「よし」としてしまっている。

●自覚?

 受験期に子どもの心は大きく変化する。
それはよく知られた現象で、これは私の憶測でも何でもない。
が、その現象が、最近では小学校の高学年でも見られるようになった(静岡県地域)。
中高一貫校の入試が定着すると同時に、それが顕著に見られるようになった。
それ以前(2000年以前)には、めったに見られなかった。
つまり受験競争の低年齢化とともに、変化の時期も早まった。
早い子どもで、小学3〜4年生。
どこかの進学塾の夏休みの特訓教室に通っただけで、そうなる子どももいる。

 目つきそのものが鋭くなる。
そうした変化をとらえて、親は、「やっと自覚ができました」と喜ぶ。
しかし……?

●食い散らし

 これから思春期、あるいは思春期の入り口にも入っていない子どもが、こうした
変化を見せることは、悲劇的ですらある。
人間性の完成期というよりは、その方向性が、そこで決まってしまう。

 仮にここでX君を考えてみる。
小学4年生。
架空の小学生である。

 親からかなりきびしい勉強を強いられている。
そのため勉強は、好きではない。
「いやいや」というほどではないが、「何となく……」という程度には勉強している。
この時期の子どもは、まだ親に従順で、自分でその方向性を決定することができない。
つまり反抗するだけの「力」が、まだ育っていない。
だから進学塾にしても、親が決めたところへ通う。

 現在、かけもちで3つの進学塾と学習塾に通っている。
日によっては、それが重なることもある。
が、こうなると(食い散らし症状)が現われてくる。
高額な月謝を払いながら、ものを食い散らすように、いいかげんな学習態度になる。

●バリバリの受験生

 こうしたX君の親には、独特の教育観がある。
「うちの子は、やればできすはず」という価値観である。
あるいは「やらせれば、できるはず」でもよい。
そのため子どもの意思は無視。
人格も無視。
親が先導して、子どもの日常的な行動を決めてしまう。

 先にも書いたように、この手法は小学3〜4年生くらいまでなら、まだ通用する。
しかし中学生には通用しない。
もしそれが通用するというのであれば、子どもの発育程度に、かなりの問題があると
みてよい。
ふつうの子どもなら、(「ふつう」という言葉は、慎重に使いたいが……)、それに
抵抗する。
親子の関係は断絶し、子どもは非行に……というケースも少なくない。

 が、それでも何とか親の期待通りの子どもに育っていくケースもある。
つまりこうしてバリバリの受験生が育っていく。

●韓国の異常性

 頭の中は点数だらけ。
勉強のことしか、頭にない。
やることは、勉強だけ。
できることは、勉強だけ。
点数で他人を判断し、点数で自分を判断する。
何かにつけて、(数字)が優先する。

 こうした異常性は、その中に住んでいる人にはわからない。
たとえば隣の韓国。
国自体が、受験国家。
毎日の新聞(朝鮮N報、東亜N報)をみても、「順位」が並ばない日はない。
たまたま今朝(9月18日)も、朝鮮N報のトップ記事は、「先進化31位」。

『……まず、ソウル大学国際大学院の文輝昌(ムン・ヒチャン)教授が、「2010国家先進化
指数の研究結果」について発表した。これは、経済開発機構(OECD)加盟30カ国を含む
世界の主要40カ国・地域を対象に国家先進化指数を調べたもので、韓国は総合31位と中
下位圏にとどまった。アジアでは中国(39位)を上回ったが、香港(18位)や日本(21
位)、シンガポール(22位)、台湾(39位)に比べ低かった。韓国は2008年の同調査で30
位、09年には29位だった』(記事より一部、転載)と。

 つい先日は、『現代車が、アメリカでの評価順位で、ホンダを抜いた』とか何とか。
順位が気になって仕方ないらしい。

「国」といっても、「民」が作る。
現在のエリートたちは、これまたはげしい受験競争をくぐり抜けてきた世代。
そうした結果が、こうした(異常性)となって、現われている。
(もちろん韓国のエリートたちは、自分が異常とは、思っていないだろうが……。)

●脳のCPU

 「心」というのは、一度壊れると、修復がたいへんむずかしい。
一生、不可能とさえ、断言してもよい。
温かい人が何かのきっかけで冷たくなるということは、ある。
しかし冷たい人が、そのあと、温かくなるということは、まず、ない。
そのことは、ほんの少しだけ、あなたの周辺の人たちを観察してみればわかるはず。

 つまりあなたの周囲にもいろいろな人がいる。
が、概して、受験競争とは無縁だった人ほど、心が温かい。
人間的な温もりを残している。
が、はげしい受験競争を通り抜けた人ほど、心が冷たい。

 ただしこの問題だけは、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいるため、
本人がそれに気づくことは、まずない。
価値観、人間観、プラス心そものが、ずれている。
世渡りがうまく、要領もよい。
ずる賢く、ささいな理由を見つけては、自分を正当化する。
むしろ「私は義理堅い、人情味あふれる人間」と思っているケースが多い。

●孤独

 心が冷たい人間に与えられる「罰」は、「孤独」という罰である。
この孤独感が、いつもついて回る。
つまり(心の冷たさ)と(孤独)は、紙の表と裏ということになる。

……とまで断言するのは危険なことだが、(というのも「孤独論」は、それ
自体、別の次元のテーマであるので)、心の冷たい人は、いつも孤独と葛藤する。
心の隙間を埋めることができない。
名声とか、地位とか、経済力にだまされてはいけない。
人が周囲にたくさん集まっていたとしても、それがその人の人格によるものとは
かぎらない。
むしろ社会で「成功者」と呼ばれている人ほど、心は冷たい。
また冷たくないと、この世界では成功者になりにくい。

 「なぜ、私は孤独なのか?」と悩んでいる人は、一度、自分の心の中をのぞいて
みるとよい。
原因は、あなた自身の、あなた自身が気がつかない心の奥深くにある。
あなたを知る人は、あなたの冷たさを知り、そして去っていく。

●子どもたちへ(親たちへ)

 子どもを受験競争に追い立てるとしても、心までつぶしてしまってはいけない。
そんなことをすれば、一抹の「成功」(?)を手に入れることはできるかもしれないが、
それ以上にたいせつなものを、失う。

 先にあげたX君。
どこの学校の、どのクラスにも、2〜3人はいる。
実際には学年を追うごとに、もっと多くなる。
皮肉なことに、有名進学校と呼ばれる高校や中学ほど、多い。
その結果、どうなるか。

 先日、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)にこんな記事を書かせてもらった。
それをこの稿の結論としたい。

++++++++++++++

「ファミリス・Q&Aより」

++++++++++++++

相談:中学3年生の父から
 いよいよ長男が受験の年ということで、夫婦共々肩に力が入ってしまうのか、さ細なこ
とも受験に結びつけてしまい、あれこれと口を出してしまいます。
 自分が中3のときにどうだったか考えれば、そっと見守るのがいちばんだとはわかって
いるのですが……。受験期の親はどうあるべきか? アドバイスをください。

A:ある父親は事業に失敗。そこで高校生になった娘に、「大学進学はあきらめてくれ」と。
が、この言葉に娘は猛反発。「ちゃんと親としての責任を取れ!」と。

そこで私が割って入ると、その娘はこう言いました。「私は子どものときから勉強しろ、
勉強しろと、そんなことばかり言われてきた。それを今になって、あきらめてくれと、
どうしてそんなことが言えるの!」と。

 内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんどうをみ
る」と考えている日本の青年は、たったの28%(イギリス66%、アメリカ64%)。

 そこで本題。子育てが終わると同時にやってくるのが、老後。今のあなたは「下」ばか
り見ているから、自分の老後がわからない。長男の受験の心配より、自分の老後の心配を
しなさい。へたに「勉強しろ!」「塾へ行け」などと言おうものなら、あとあと責任を取ら
されますよ。

しかも一度大学生として都会へ出すと、まず地元には戻ってこない。中には「親のために
大学へ行ってやる」と豪語する高校生すらいます。感謝の「カ」の字もない。

あとは(独居老人)→(孤独死)。今のままでは、あなたもそうなります。そこで教訓。
長男が、「大学(高校)へ行かせてください」と3度頭をさげるまで、学費など出さない
こと。口も出さないこと。…というのは無理かもしれませんが、そうしたき然とした姿
勢が、かえって親子の絆を太くします。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の暖かい子供 心の温かい子供 冷たい子供 冷たい子ども)


************************************

【資料】毎日JP(2010年9月18日)より

******************(資料として保存させていただきます。)

●日本の教育費と対外比較

教育への公費、貧弱さ浮き彫り OECD国際比較…平均並みハードル高く

 経済協力開発機構(OECD)が「図表でみる教育10年版」を公表した。国際比較で
改めて浮き彫りになったのは、日本の教育環境の貧弱さだ。民主党はOECD平均並みに
教育への支出を増やす目標を掲げるが、ハードルは高い。

 ◆家計頼みの高等教育

 民主党は、国内総生産(GDP)に占める学校など教育機関への公的支出割合を、OE
CD平均以上に引き上げる目標を掲げている。公表されたデータによると、07年のOE
CD平均は4・8%。これに対し、日本のGDP比は3・3%で、比較可能な28カ国の
中では最下位だった。

 07年の日本の名目GDPは約515兆円。OECD平均との差の1・5%を埋めるに
は、新たに8兆円近い支出が必要になる計算だ。今回のデータは自民党政権時代のものだ
が、政権交代後に始まった高校無償化にしても事業費は3933億円。「OECD平均」の
達成は容易ではない。

 各国との格差がとりわけ大きいのが、大学などの高等教育段階だ。私費を含めた高等教
育機関に対する全支出に占める公費の割合はOECD平均が69・1%だったのに対し、
日本は32・5%にすぎない。授業料など家計からの支出が51・1%、大学への寄付な
ど企業や個人の支出が16・5%で、計67・5%が私費からの支出だ。08年の日本の
高等教育への進学率はOECD平均(72%)を上回る77%。アメリカのように公費が
少なくても企業からの寄付金や奨学金が充実している国と違い、日本や韓国などは、家計
負担に頼ることで高い進学率を可能にしている。

 文部科学省は来年度予算の概算要求に、04年度以降毎年削減してきた国立大学法人運
営費交付金の増額を盛り込み、国立大の授業料免除対象者を今年度(約3万7000人)
より約1万1000人増やすことを目指す。また、大学生らへの奨学金の貸与人数を無利
子、有利子合わせて12万4000人増やすための予算増も要求。このほか、低所得世帯
の高校生約66万人に対する返済不要の給付型奨学金新設に122億円を要求した。

 ◇まだ多い1学級の児童生徒数 編成基準引き下げで改善見込み

 日本は少人数教育の面においても、他のOECD諸国との差が歴然としている。08年
の1クラス当たりの児童生徒数は、小学校が28人で27カ国中3番目に多く、OECD
平均(21・6人)と6人以上、最少のルクセンブルク(15・6人)とは12人以上の
開きがある。中学校も33人と23カ国中2番目に多く、OECD平均(23・7人)と
9人以上、最少のスイス(18・9人)とは14人差だ。

 また、教員1人当たりの児童生徒数は、小学校が18・8人(OECD平均16・4人)、
中学校が14・7人(同13・7人)。いずれもOECD平均より多く、その分、子どもた
ち一人一人に目が行き届きにくいのが現状だ。

 ただ、この差は今後縮まる可能性が高い。文科省は来年度、学級編成基準を現行の上限
40人から30年ぶりに引き下げる計画を発表。18年度まで8年間かけて教員を徐々に
増やし、最終的に小学1、2年生は30人に、小学3年から中学までは35人とする考え
だ。計画通りならば、教員数は現在よりも約2万人増えることになる。一方で少子化も進
むことから、18年度段階の教員1人当たりの児童生徒数は小学校16・1人、中学校1
2・7人と、現在のOECD水準並みに改善する見込みとしている。

 ◇学校選択制 積極導入国、半数超える

 学校選択制についても、日本とOECD諸国との間に違いが見られた。学校選択制が一
般化しているのは、初等教育(小学校)ではイギリス、フィンランド、ドイツ、イタリア、
アメリカなど30カ国中17カ国。前期中等教育(中学校)では18カ国。日本は韓国や
ノルウェーなどと共に一般化していない国に分類された。

 OECDによると、積極的に導入している国は、(1)学校同士で競争し切磋琢磨(せっ
さたくま)する(2)(成育環境や学力が近い児童生徒が集まることで)幅広い生徒に対応
する必要がなくなり、教育サービスを効率的に行える(3)独創的・個性的な学校が生ま
れやすくなる−−などを理由に挙げている。

 日本でも97年の規制緩和で学校選択制を導入できるようになったが、文科省の06年
調査では、小学校で導入した市町村が14・2%、中学が13・9%。導入した自治体で
も、市町村内の学校を自由に選べる形態は少なく、従来の通学区を残して特定の地域に住
む児童生徒だけを対象にした形態が多い。近年は「地域との関係が希薄になる」「学校間の
序列や格差が生じる」「入学者数に偏りが出る」といったデメリットを指摘する声も多く、
前橋市が学校選択制を廃止するなど、見直しの動きも相次いでいる。

==============

 【公的支出の対GDP比】

 (1)アイスランド 7.0
 (2)デンマーク  6.6
 (3)スウェーデン 6.1
(26)チリ     3.7
(27)スロバキア  3.4
(28)日本     3.3

 (単位は%。OECD平均は4.8%)

(注意)以上「毎日JP」より、資料として転載***************

Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●仮面夫婦(60代の夫婦)

+++++++++++++++++++

夫婦の形に定型はない。
千差万別。
みな、ちがう。
幸福そうに見える夫婦でも、中身は問題だらけ。
不幸そうに見える夫婦でも、心は通い合っている。
「私たち夫婦がこうだから……」という『ダカラ論』ほど、
アテにならないものはない。
私は私、あなたはあなた。
私たち夫婦は、私たち。
あたなたち夫婦は、あなたたち。

もともとは他人。
生まれも生い立ちもちがう。
性質や性格もちがう。
ものの考え方もちがう。

だから……というわけでもないが、みな、仮面をかぶっている。
仮面をかぶっていない夫婦などいない。
つまり「夫婦という仮面」。
みな、かぶっている。

+++++++++++++++++++

●抑圧

 私たち夫婦も、この40年間を総括してみると、こうなる。
「つまり、よく今まで夫婦でいられたなア……」と。
いつ離婚してもおかしくない状態だった。
そんな状態のまま、40年。
もしふつうの夫婦(?)だったら、何10回も離婚していただろう。

 ワイフはそれを否定するが、ワイフは、深層心理の奥深くでは、私を嫌っている。
「毛嫌い」というか、生理的な嫌悪感?
何でもないようなときに、ふと肩などに触れたとすると、無意識のまま私の手を
払いのける。
パン、と。
が、本人には、その意識はない。
「今、お前は、ぼくの手を払いのけたよ」と言っても、「私は覚えていない」と。

 が、ふだんは、よいワイフ。
思いやりもあって、やさしい。
しかし私は私が感ずるさみしさを、どうすることもできない。
こればかりは、ワイフの心の奥の、そのまた奥の問題。
ワイフの力でも、どうにもならないだろう。

 心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。
慢性的な不満や怒りがつづくと、人は心の別室を作り、それをそこに閉じこめる。
そういうふうにして、自分の心を防衛する。
これを「防衛機制」という。
「機制」というと大げさな感じがするが、「メカニズム」の邦訳。

 抑圧された心は、そのつど、折りにつけ顔を出す。
それがパンと手で払うという行為になって現われる(?)。

●抑圧

 だからときどき申し訳なく思う。
「別れてあげようか?」と聞くこともある。
ワイフは、「このままでいい」と言うが、しかし私が感じているさみしさまでは理解
できない。
ワイフの心は、その奥の奥で、閉ざされたまま。
そう、ワイフは子どものころから、だれにも心を開かなかったという。
ワイフをよく知る義姉たちは、みな、こう言う。
「がまん強い子だった」と。

 つまりがまんすることで、自分の心を抑圧した。
それが思考回路となって、今でも残っている。
私との間でいやなことがあっても、めったにワイフはそれを口にしない。
不平や不満を口にしない。
そのまま心の奥にため込んでしまう。

 で、おかしなもので、その一方で、私にはそれができない。
何でもその場で、パッパッと発散してしまう。
またそれをしないと、気が済まない。
心の奥にためこむということができない。
だから子どものころは、喧嘩早かった。
ときには相手の家の奥まで追い詰めて、その相手を殴り飛ばしたこともある。
だから近所の子どもたちは、みな、こう言った。

「林の浩ちゃん(=私)と喧嘩すると、逃げ場がない」と。
私は親分肌だったが、同時に仲間の間では、こわい存在だった。

●空の巣症候群

 しかしその私ももうすぐ63歳。
ワイフは60歳。
子育てが終わって、……とくに三男が養子のような形で相手の女性の家にあがりこんで
しまったときには、夫婦の絆が切れてしまったように感じた。
「空の巣症候群」とは、少しちがう。
無力感というか、絶望感。
それに近い。

 で、よく『子はかすがい』と言う。
その(かすがい)が消えてしまった。
と、同時に、そこにいるのは、私のワイフという、1人の女性。
それまでは2人で、よく夢を見た。
「息子の操縦する飛行機で、オーストラリアへ行こう」など、と。
しかしこの9か月、空を見あげることもなくなった。
飛行機の話さえ、しない。

 おかしなもので、息子がいつなんどき飛行機事故で死んでもよいように、心の
準備だけは、いつも整えている。
またそうでもしないと、ときどき報道される飛行機事故のニュースに耐えられない。
そのつど、ハラハラするのは、つらい。
だから飛行機のことは、考えない。
息子の職業のことは、考えない。

 が、ワイフは平気。
ふつうの職業と考えている。
が、私はちがう。
29歳のときに、飛行機事故に遭遇している。
間一髪のところで、命拾いをした。
そういうトラウマがあるから、飛行機に対しては別の感じ方をする。

●あきらめ

 そういう形で、息子たちが去ったとき、残っているものは、何か?
とても残念なことに、私とワイフの間に、乾いたすきま風が吹き始めた。
(かすがい)が消えたあと、穴があいた。

 が、私たちは懸命に自分を立て直そうしている。
どうであれ、人生は短い。
健康年齢ということを考えるなら、すでに健康年齢は終わりつつある。
「これから何かを……」という年齢ではない。
言うなれば、落ち穂拾い。
ミレーの描いた、あの絵画のような「落ち穂拾い」。
目の前にあるのは、そんな世界。

100%、絆の太い夫婦など、いない。
みな、ボロボロ。
穴だらけ。
穴の大きさにちがいはあるだろう。
しかし懸命に支え合って生きていく。
あきらめと、さみしさ。
それを心のどこかで交互に感じながら、生きていく。
それしかない。

●さみしい話

 ところでこんなさみしい話がある。

 1週間ほど前、東京のT区に住んでいる女性から、講演に来てもらえないかという
メールを受け取った。
よほどのことがないかぎり、私は講演を断ったことはない。
で、条件は、「旅費込みで、2万5000円」。
集まる人は、10人〜前後。

 それでも私はその女性の好意がうれしかった。
「必要としてもらっている」という思いを、メールを通して感ずることができた。
だから即座に引き受けた。
が、返ってきた返事は、意外なものだった。

 「これから会のほうで、先生(=私)にするかどうか検討して、また返事します」と。
これから検討する……?
私はそれを読んでがく然とした。
新幹線で往復するだけでも、1万7000円弱。
残りは8000円。
私の中で、迷いが生じた。

 その迷いは、つづくメールでさらに大きくなった。
その女性から、こんなメールが届いた。
「本当にこの料金で講演をしてもらえるかどうか、確かめてほしいということになり、
確かめさせてください」と。

 率直に言おう。
8000円で講演をする人はいない。
東京へ行くということは、それだけでも1日仕事。
私の年齢では、重労働。
食事をしたら、ほとんど何も残らない。
一方、この浜松では、「東京から来た」というだけで、何でもかんでもありがたがる。
悲しき田舎根性。
少し名の通った講師だと、30〜50万円が相場。
あのA・チャン(女性)のばあい、100〜160万円(週刊誌)とか。
「東京で有名になって、地方で稼げ」が、タレントたちの合い言葉になっている。

 その女性の好意が、一転、非常識に思えてきた。
先日も郷里の僧侶に、供養のため浜松へ来てもらったが、法要料が5万円、プラス
交通費が3万円だった。
とたんやる気が失せた。
つづくメールでは、断った。
「申し訳ありませんが、今回はお引き受けできません」と。

 が、どういうわけか私はさみしかった。
怒りはまったく、なかった。
「私の時代は終わった」というさみしさ。
「私の力もこんなものか」というさみしさ。
それがジンと胸の中で響いた。

 つまりそのとき感じた(さみしさ)が、今、ワイフとの間で感じている(さみしさ)に
似ている。

●私たちの年代

 こうして私たちは、ひとり、ひとりと順に(この世)という舞台から消えていく。
……とういうか、追い出されていく。
夫婦にしてもそうだ。
そこに見えるのは、先細りの人生。
夢や希望など、とうの昔にあきらめた。
目標といっても、吹けば飛ぶような小さなもの。
今も、こうして自分のことを書いているが、だれに頼まれたわけでもない。
頼まれているわけでもない。
私が勝手に「目標」としているだけ。
今夜にでも書くのをやめてしまえば、それでおしまい。

 が、私はそれにしがみつくしかない。
もしここで今の目標を手放したら、それこそ、私は生きる屍(しかばね)。
夫婦にしてもそうだ。
「離婚しましょう」「離婚しよう」と互いに合意すれば、それでおしまい。
が、私はワイフにしがみつくしかない。

 俗な言い方をすれば、いくらシワクチャなバーさんになっても、私にとって女性は
ワイフしかいない。
それにもしここで今、ワイフと別れてしまえば、あとに何が残る。
どこかで新しい女性と……というロマンなど、ありえない。
まあ、あえて言うなら、私が先に死ぬなら、最期のめんどうだけはみてほしい。
ワイフが先に死ぬなら、最期のめんどうだけはみてやろう。

 それまでいくら乾いた風がたがいの間を吹き抜けようとも、それはそれ。
あとは仮面をかぶって、その場をごまかす。
ニコニコと笑って、その場をやり過ごす。

 だって……。
みんなそうだ。
私たちだけが例外というわけではない。
それぞれがみな、それぞれの問題をかかえて、懸命に生きている。
支え合っている。

 それが私たちの年代の夫婦ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 50代の夫婦論 夫婦とは 夫婦について はやし浩司 子はかすが
い 乾いたすきま風)

(補記)

 暗い話ばかりつづいた。
今日は日曜日というのに、気分が晴れない。
先ほど、ホームベーカリーのセットをした。
午後9時ごろ、パンができあがるはず。
楽しみ。

 ところでホームベーカリーの使い勝手だが、たいへんよい。
簡単にホカホカの食パンができる。
しかし正直に負けを認めるが、パン屋のパンのほうがおいしい。
自分で作ったパンを見ながら、どうすればもっとパン屋のパンのようなパンが
焼けるのかと考える。
キメも荒い。
味も雑。

 ゆいいつの勝ち点は、予定した時刻にパンが焼き上がること。
そのころまでにスープを作り、ジャムを並べる。
できたてのパンのにおいは、何とも言えないほど、香ばしい。
(においだけだが……。)

 それに値段も、パン屋のパンと、それほどちがわないのではないか?
1斤、約300〜400円のコストがかかる。
パン屋でもそれくらい。
しかし自分で作るから楽しい。
そう言って自分をなぐさめる。
明日もまた、パンづくりに挑戦してみる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●怒り、そして無力感

++++++++++++++++++

教育というのは、20年後、30年後の
日本を見据えて、する。
今、教育していることは、20年後、
30年後に、その結果となって現われてくる。

++++++++++++++++++

●40年前

 今から40年以上も前のこと。
「40年」といっても、けっして古い話ではない。
「今」の話である。

 私は当時、オーストラリアの大学にいた。
そのときのこと。
アジア各国から来た留学生たちと、こんな会話をした。
今とちがって、その国でもエリート中のエリートたちである。
日本は貧しかった。
アジアの国々は、もっと貧しかった。
が、みな、こう言った。
「日本へは留学しない」
「日本へ留学しても、むだ」と。

 理由は私もよく知っていた。
日本でいくら資格を取っても、そうした資格は日本以外の国では通用しない。
たとえば日本で医師免許を取っても、日本以外の国では通用しない。
当時の日本は、(今でもそうだが)、こと教育に関しては、鎖国主義を
貫いていた。
「外国の医師免許を認めない」と。
だから相互主義として、外国も日本の医師免許を認めない。

 私も一時期、オーストラリアでの就職を考えたことがある。
で、いくつかの会社をあたってみたが、私はオーストラリアでは、
「高卒扱い」だった。
「週給は、550ドル」と。
で、私がいくら、「私は日本の大学で学位を取っている」と主張しても、
受け入れられなかった。

●教育の鎖国主義

 医師免許だけではない。
ありとあらゆる免許、資格が、そうだった。
「日本はアジアでもナンバーワンの教育立国」という自負心が、かえって
災いした。
建築士、弁護士、看護士などなど。
日本は、外国のあらゆる免許を認めなかった。
今も認めていない。
ゆいいつの例外は、自動車免許。
しかしその免許も、1年ごとの更新制をとっていた。

 一方、オーストラリアの大学で学位を取ると、その学位は、ほぼ全世界
で通用した。
旧大英帝国圏はもちろん、アジア各国でも通用した。
学位どころか、単位の交換(単位の共通化)も進んでいた。
メルボルン大学で2年過ごしたあと、北京大学で1年を過ごす。
その北京大学で得た単位は、そのままオーストラリアでは、取得単位
として認められた。

 しかも欧米を中心に、大学の移籍は自由。
入学後の学部変更も自由。
学生たちは、自由に大学間を、渡り歩いていた。

 では、日本はどうだったか?
今さら、説明するまでもない。
その結果が今。
いまだに東南アジアからの看護士ですら、日本では自由に仕事ができない。
「言葉の問題」があるとか?

●シンガポール

 こうした日本の硬直性を横目で見ながら、たとえばシンガポールは、
教育と制度を開放した。
たとえばアメリカで医師免許を取った医師でも、シンガポールでは自由に
開業できる。  
医療ですらそうなのだから、あとは推して量るべし。

 その結果、日本に駐在員をおいていた各国の大企業は、そのほとんどが、
シンガポールへ移った。
今でも日本がアジアの中心と思っている人は、よほどのバカか、世間知らず。
アジアの経済ニュースは、一度すべてシンガポールに集められる。
そこから世界中に発信される。

●崩れた電子立国

 もう20年前になる。
近くの小学校で、実験的だが、コンピューター授業をしようとしたところ
がある。
時の通産省が音頭を取った。
が、それに「待った!」をかけたのが、ほかならぬ時の文部省だった。
「教員免許のない教師を、教壇に立たせるわけにはいかない」と。

 免許にこだわった。
カリキュラムにこだわった。

 しかしコンピューター(電子工学)の教員免許を認めるまでには、
何年かかる?
まず教育学部内に講座を用意する。
その前に教授を育てなければならない。
そんなことをしていたら、20年はかかる!

 だったら、工学部を卒業した学生を教壇に立たせればよい。
(中学、高校では、専門学部の学生でも、教育原論などの単位を取れば
教師になることはできた。)
だれしもそう考える。
しかしそれを認めたら、日本の官僚社会そのものが、総崩れになる。

●資格、許可

 もう10年も前の話。
私の山荘のあるI村の下を、単線の電車が走っている。
その電車に乗ると、季節の行楽シーズンには、女性のガイドが同乗して
くれた。
(最近は、その姿が消えたが・・・。)
そのガイドが、こんな話をしてくれた。
「こういう仕事にも、資格が必要なんです」と。

 バカげている、と私は思った。

 田舎の小さなローカル線。
どうしてそんなところで、ガイドとして働く人にも、資格が必要なのか。
つまりこれも官僚主義制度の弊害のひとつと考えてよい。

 ありとあらゆることを、許認可制にする。
免許、資格制にする。
そしてそのひとつずつに役所を置き、役人を置く。
その多くは、役人たちの天下り先として、そのまま利用できる。
が、この制度は、ミスを減らすかわりに、社会のダイナミズムを奪う。
今の日本を見れば、それがわかる。

●職業観

 日本というより、日本人は、ダイナミズムを失ってしまった。
こじんまりしているというか、おとなしい。
たとえば就職にしても、「就職」しか考えない。
どこかの組織に入ることだけが、就職と思い込んでいる。
が、「仕事」は、自分で作るもの。
原点は、そこにある。
その原点を見失ってしまった。

 たとえば私が浜松に住むようになったときのこと。
1971年の秋ごろだった。
商工会議所へ行くと、翻訳の仕事をすぐ回してくれた。
通訳の仕事も回してくれた。
当時はまだ登録制で、浜松には私を含めて、そうした仕事をしている人は、
私を含めて2人しかいなかった。

 また仕事は、工場通りの電柱に張り紙をして、取ってきた。
縦20センチ、横10センチほどの張り紙で、それに「翻訳します」と
書いた。
電話番号をその横に添えた。
それだけで翌日には、2つや3つの仕事が飛び込んできた。

 日本全体がまだ不完全というか、おおらかな時代だった。
私はそうした隙間を巧みに生き抜くことができた。

 が、やがて通訳も翻訳も、資格制になった。
そのための試験も始まった。
今では、そんな簡単な仕事ですら、一度は役所を通らないとできない。
つまりその分だけ、息苦しくなった。

●鎖国主義

 鎖国主義は、現在も進行中。
あの鳩山前総理大臣がアジアの何かの会議へ出かけていって、大学間の単位の交換を
しようと呼びかけた。
が、どこの国も反応しなかった。
それもそのはず。
そんなことは、すでに世界の常識。
それ以上に、日本はすでにアジアのリーダー国としての地位を失っていた。
今ではすでに逆転しているかもしれない。
日本人が、アジアの他の国々で、より高度な勉強する時代になりつつある。
「今はまだいい」と思っている人は多い。
私もその1人。
だが、やがて追い抜かれる。
すでに追い抜かれつつある。
前にも書いたように、教育というのは、20年とか30年先を見ながら
組み立てる。

言い換えると、日本は20年前、30年前にしておくべきことをしなかった。
・・・しておかなかった。
その結果は、やがて出てくる。

 たとえば英語教育にしても、20年は遅かった。
コンピューター教育にしてもそうだ。
あの韓国は、2011年の春から、教科書を電子ブック(iPad方式)に
切り替えるという。
紙製の教科書ではなく、電子教科書だ。
本来なら日本が、そういう改革を率先して進めてよいはず。
が、その日本がほかの国々の尻を追いかけている。

●武士道

 話は変わるが、いまだに「武士道だなんだ」と言っている人が多いのには、
驚かされる。
武士道などというものは、日本でしか通用しない。
私が韓国へ交換学生で行っていたときのこと。
こんな話を聞いた。

 植民地時代、日本の兵隊たちはことあるごとに武士道なるものを口に
したという。
そこで韓国人が、「武士道とは何か」と、よく聞いたそうだ。
それにたいして、日本の兵隊たちは問答無用式に、こう言って韓国人たちを
殴り飛ばしたという。
「貴様らに、日本の武士道がわかってたまるかア!」と。

 日本の力が残っている間は、まだよい。
日本が、力がある間は、まだよい。
しかしこの先、日本がやがてアジアの国々の中に埋没するようになったとき、
そのときでもはたして日本は、日本人は、武士道なるものを口にすることが
できるだろうか。
かえって奇異な目で見られるだけ。

 あの封建時代においてでさえ、武士階級はほんの5%前後(家族を含む)。
たいはんはその武士階級に虐げられた庶民ではなかったのか。
その虐げられた側にいた私たち庶民が、今になって武士道をたたえてどうする?
どうなる?
どうして武士道が、日本人の精神のバックボーンなのか?

●繁栄ボケ

 さて、20年後、30年後の日本は、どうなっているか。
それを考えると、そら恐ろしい思いすらする。
今の子どもたちは、平和ボケしている。
繁栄ボケしている。
「現実」を論ずることすらしない。
生き方そのものが、内向き。
ダイナミズムそのものもない。
学生たちの就職先人気ナンバーワンが、公務員となって、もう10年
以上になる。
その公務員だけが、今の今も数がふえつづけ、勢力を拡大しつつある。
公務員の人件費だけで、総額38兆円(日本の国家税収は40兆円前後)。
今では、旅館の温泉に入るだけでも、入浴税なるものが徴収される。
市の出先機関で、各種書類をプリントアウトしてもらうだけで、一枚(一通)、
500円。
紙一枚が、500円だぞ!
こんな商売が、ほかのどこにある?
そのほとんどを人件費に使っているから、こうバカげたことが起こる。

●教育の自由化

 「Independent Thinker(自分で考えられる子ども)」「Active Learner
(積極的な子ども)」……言葉は何でもよい。

 大切なのは、ダイナミズム。
自由なるダイナミズム。
そのためには、隙間を多くする。
たった10年前だが、私はアメリカで、こんな経験をした。

++++++++++++++

そのとき書いた原稿より

++++++++++++++

●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、
中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず一人の
中学生(中二女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないの
か」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。
もう一人の中学生(中二男子)は、「それよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「で
は、今ここに一億円があったとする。それが君のお金になったらどうする?」と聞くと、
こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに五人の中学生がいたが、皆、
ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくな
っているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(二〇
〇一年)でもわかる。

 一五〜一七歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えた
のが、四一・八%、「悪くなっている」と答えたのが、四六・六%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリ
トルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(二
〇〇一年四月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話
しあって決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今
日は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれない
が、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦
しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そう
いう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ではどうすればよいか……

 規制緩和は当然のこと。
構造改革(=官僚主義制度の打破)は当然のこと。
少なくとも外国並みに、緩和する。
またそうでないと、日本は世界の荒くれ男たちとは、戦えない。

 たとえばアメリカでは、学校の設立がほぼ自由化されている。
カナダでは、もっと自由化されている。
学校で使う言語すら自由!

 ……こう書くからといって、何も「学校教育」を否定しているわけではない。
方法はいくらでもある。
たとえばドイツ、フランス、イタリアのように、クラブ制の充実など。
子どもたち(たとえば中学生)は、午前中で学校での授業をすませ、午後はみな、
それぞれクラブへ通って、好き勝手なことをしている。
水泳が好きな子どもは、毎日水泳クラブに通っている。

 その費用は、チャイルドマネー(クーポン券、バウチャー券)として、国から
支給されている。

 が、この日本では、あえてそれに逆行するようなことばかりしている。
「学校教育をより充実させる?」という理由のもと、さらに教師を3万人もふやすとか
(2010年以後)。
しかしいくら教師をふやしても、授業中に居眠りする子どもは減らない。
そういう基本的なことが、まったくわかっていない!

 (教育の自由化については、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。
正直言って、疲れた!)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子どもたちによる平和宣言 子供による平和宣言 教育改革 ダイナ
ミズム 教育のダイナミズム 日本の将来)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

●9月16日(木曜日)

●20世紀フランス絵画の美」展

昨日(9月15日)は、午前中は美術館で「20世紀フランス絵画の美」という
展覧会を見てきた。
星は文句なしの5つ。
圧倒された。
すばらしかった。
展覧会を通して、なぜピカソがピカソなのか、はじめて理解できた。
シャガール、ビュッフェ、ミロ……など、巨匠と言われる画家たちの絵画と
比較してみると、それがよくわかる。(……わかった。)
徹底した技巧の放棄……それがピカソ。
ほかの画家たちは、(あくまでもピカソとの比較においてだが)、どこか技巧に
こだわっている。
媚を売っている。
が、ピカソにはそれはない。
ありのままを、そのままに描いている。
見る人を意識しないで描いている。
そのちがいが、ピカソということになる。
今回、それがわかっただけでも大収穫だった。

(補記)
幼児はときとして、ハッと驚くようなすばらしい絵を描く。
幼児もまた、見る人を意識していない。
媚を売らない。
それがそういうすばらしい絵につながる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●WTT演奏会

 夜は、WTT演奏会に行ってきた。
(演奏会というよりは、音楽会?)
U国(アフリカ)の子どもたちの「歌と踊りの演奏会」ということだった。
チケットは、前売り券で1500円。
当日券で2000円。
浜松のC会館(定員1200人)は、ほぼ満席だった。
(これだけで、実収入、200万円前後?)

 が、コンサートとしては、かなり期待はずれ。
楽器は太鼓だけ。
あとはマラカスとか小楽器。
その程度。
あらかじめ録音された伴奏と斉唱に合わせて、舞台上の子どもたちが歌を歌いながら
踊った。
それだけ。

ゴスペル(黒人霊歌・福音歌)のコンサートということは、わかっていた。
そのため、最初から最後まで、「神よ……」「神よ……」の一色。
キリスト教の信者の人たちには、それでもよかったのかもしれない。
が、私たちのように、一歩はずれてその外にいる者たちにとっては、耳障りでしか
なかった。
おまけに運悪く(?)、どこかの熱心な信者らしき人にはさまれてしまった。
その人たちは始終、涙をこぼしながら、狂ったように大きな手拍子を加えていた。
それが耐えられないほど、うるさかった。

 気になったのは、数曲ごとに、子どもたちが順にWTTのすばらしさを口上したこと。
が、これまたWTT賞賛一色。
「WTTのおかげで……」「WTTがなかったら……」「WTTに救われて……」と。

 子どもたちが自分の頭で、自分で考え、自分の言葉としてそれを言うのなら、よい。
しかしまさに(ヤラセ)。
WTTの趣旨の尊さは理解できる。
またそういう活動の崇高さも認める。
しかし貧しい子どもを利用してはいけない。

 よい例が毎年広島で開かれる、子どもによる平和宣言。
子どもたちの未来を守るのはおとなの責務。
それを子どもに「宣言」という形でさせる。
それについての原稿は以前にも書いたので、あとで添付しておく。

 で、最後に募金の勧誘。
募金袋は最初に配られていた。
驚いたのは、パンフレット(14〜6ページ前後の冊子)が、超豪華なオール
カラー版だったこと。
紙質もよく、分厚い印刷用紙を使っていた。
どこかチグハグ?
違和感を私は覚えた。

 で、私も募金をするつもりだったが、最後に、司会者がこう言ったとき、その気持ちは
失せた。

「これからこの子どもたちは東京へ向かいます。
新幹線に乗って行きます。
その旅費をどうか募金してください」(聞き覚えなので、内容は不正確)と。
(そんなはずはない!)

 全体としての私の印象は、こう。

 「アフリカの子どもたちは不幸」という前提で、私たちはものを考えやすい。
実際、WTTの演奏会では、繰り返し、それが語られた。
しかし本当に、そうか?
私たちがそう思うのは、私たち日本人のもつ幸福感を基準にしているから。
つまり私たちにも、ある種の思い上がりがある。
「子どもたちは、こうあるべき」という思い上がりである。

 たとえば教育にしても、日本式の教育法は貧しい国々では、ことごとく拒否されている。
理由は、その背景に受験につながる競争主義があるからにほかならない。
またそういう教育をもって、日本人は、最高の教育と思いこんでいる。
(それ以外の教育法を知らないのだから、当然と言えば、当然だが……。)

 同じようにエイズが蔓延し、戦争と飢餓で苦しんでいるU国。
それはわかるが、その問題と、子どものもつ幸福感とは別問題。
たとえば同じコンサートを通して、こんなことも言っていた。
「U国は、チャーチルにも『アフリカの真珠』と評されるほど、美しい国です」と。
ならば聞くが、都会のビルの隙間で、受験勉強をしている日本の子どもが幸福なのか
ということになる。
心はすでに氷のように冷たい。

 つまり私たちは先進国の人間がもつ(おごり)を、けっして貧しい国の人たちに、
押しつけてはいけない。
同時にそういう子どもたちを救済している団体にしても、自分たちの価値観を、
私たちに押しつけてはいけない。
「私たちは正しいことをしている」と思うのはその人たちの勝手。
しかしその返す刀で、「あなたたちは、救済すべきだ」というのは、ここでいう
(押しつけ)。

 とても残念だが、どこか押しつけがましい音楽会だった。

+++++++++++++++++++++

7年前に書いた原稿より

+++++++++++++++++++++ 

【子どもによる平和宣言】

あどけない小学生に、平和宣言など、させてはいけない。
平和を守るのは、私たちおとなの責務。
こういう場で子どもを利用するのは、どこかのテロ組織が、自爆攻撃用にと、
子どもを利用するのと同じ。
「平和目的ならいい」「戦争目的は、だめ」というのは、おとなの勝手な論理に
すぎない。
あるいはどこでどう、線を引くというのか?

++++++++++++++++++++

7年前に書いた原稿を、そのまま紹介します。

+++++++++++++++++++++++++++

●子どもによる平和宣言(Declaration for Peace by Children)

+++++++++++++++++++++++++++

今年も、広島、長崎で、子どもを使った
平和宣言がなされた。
それについて、私はかねてより、「子どもに
そんなことをさせてはいけない」と書いて
きた。
平和を守るのは、おとなである私たちの
責任。
子どもたちの未来を守るのも、おとなで
ある私たちの責任。
子どもを使うのは、卑怯だ!

+++++++++++++++++

8月8日、韓国で奇妙な事件が起きている。
どこかに立てこもった一群の中の子どもたちが、韓国の大統領である、イ大統領を
口汚く、ののしっているという。
文章を簡潔にして、紹介させてもらう。

+++++++++以下、朝鮮N報++++++++++++

「李明博(イ・ミョンバク)、なんでそんなやり方で国を治めるんだ」
「お前が死んだら僕は気持ちよく笑えるだろう。この××野郎よりダメなやつ!」
「お前がそんなことをするなら、僕はお前を殺してやる」 

 先月23日、体験学習のためソウルにやってきた地方の小学生たちが、曹渓寺(ソウル
市鍾路区)に立てこもっている、「狂牛病(BSE)の危険のある米国産牛肉の全面輸入に
反対する国民対策会議」(以下、対策会議)の芳名録に書いた、文や動画が公開され、
韓国社会は衝撃を受けた。

この小学生たちは10歳前後、小学3〜5年生の子どもたちだった。「立てこもっている人
たちがけしかけた」という学校側の主張と、「自発的に書いた」という対策会議側の主張は
食い違っている。
これについては警察の捜査で明らかになるだろう。

+++++++++以上、朝鮮N報++++++++++++

少しわかりにくい話なので、解説してみる。
現在、ソウルの曹渓寺というところに、アメリカ産の牛肉の輸入に反対する団体が、立て
こもって、それに反対しているという。
その寺の芳名録に、その小学校を訪れた子どもたちが、芳名録に書き込みをした。
それが冒頭にあげた、文章である。
「李明博(イ・ミョンバク)、なんでそんなやり方で国を治めるんだ」
「お前が死んだら僕は気持ちよく笑えるだろう。この××野郎よりダメなやつ!」
「お前がそんなことをするなら、僕はお前を殺してやる」と。

これについて、(1)立てこもっている人たちが、子どもたちにけしかけた。(2)子ども
たちが自主的に書いたと、意見が分かれているという。
が、どちらであるにせよ、つまりけしかけられたにせよ、自主的に書いたにせよ、その背
後には、(おとなたちの意思)が、感じられる。

少なくとも、こうした言葉は、子どもたちだけの発想では生まれない。
そこで日本の子どもたちによる、平和宣言。
私は、平和宣言がまちがっているというのではない。
それ自体は尊いものであり、世界に向かって宣言して、当然である。
しかし、子どもを使って、それをしてはいけない。
5年前(03年)に、こんな原稿を書いたことがある。

++++++++++++++++++

●子どもによる平和宣言

 よくどこかの会場で、小学生くらいの子どもが、平和宣言をすることがある。「私たちは、
平和を守り……。戦争に反対し……。核兵器を廃絶し……」とか。たいていは、……とい
うより、ほとんどは、おとなたちが用意した原稿を、子どもが読みあげているだけ。たま
たま、この原稿を書いている今日も、「地雷をなくそう、全国子どもサミット」(03年2
月8日)があった。疑問がないわけでもないが、しかしそういうのなら、私も、まだ理解
できる。

 しかし子どもを使って、平和宣言など、子どもに言わせてはいけない。子どもをそうい
うふうに利用してはいけない。それはあまりにも酷というもの。だいたいそんな子どもに、
戦争だとか、平和がわかるわけがない。だれだって、戦争より平和のほうがよいと思って
いるに決まっている。

しかし平和というのは、それを求めて積極的に戦ってこそ、得られるもの。皮肉なことに、
戦争のない平和はない。ただ「殺しあいは、いやだから」という理由だけで、逃げまわっ
ている人には、平和など、ぜったいにやってこない。世界は、そして人間が本来的にもつ
性(さが)は、そんな甘いものではない。

 たとえば戦後、つまりこの58年間、日本がかろうじて平和を保つことができたのは、
日本人がそれだけの努力をしてきたからではない。日本人が平和を愛したからでもない。
日本が、戦後、58年間という長きにわたって平和を保つことができたのは、アメリカと
いう強大な軍事力をもった国に、保護されていたからにほかならない。

もし日本がアメリカの保護下になかったら、60年代には、中国に。70年代には、
韓国や北朝鮮に、そのつど侵略されていただろう。台湾やマレーシアだって、だまってい
なかった。フィリッピンに袋叩きにされていたとしても、おかしくはない。日本は、そう
いうことをされても文句は言えないようなことを、ほかの国に対して、してしまった。
しかももっと悪いことに、いまだに、公式には、日本はその戦争責任を認めていない。中
には、今でも「あの侵略戦争は正しかった」と言う日本人すら、いる。今の北朝鮮を容認
するわけではないが、彼らが日本を憎む理由には、そういう時代的背景がある。

 わかりやすく言えば、子どもが平和宣言をして、それで平和な国がやってくるというの
は、まったくの幻想。平和というのは、それ自体は、薄いガラスでできた箱のように、も
ろく、こわれやすい。ときには、戦争そのもののように、毒々しく、醜い。仮に今、平和
であるとしても、その底流では、つぎの戦争を求めて、人間のどす黒い欲望が渦巻いてい
る。つまり、平和を口にするものは、一方で、そういうものと戦わねばならない。その戦
う意思、その戦う勇気のあるものだけが、平和を口にすることができる。

子どもを使って平和宣言をさせるというのは、子どもを使って宣戦布告するのと同じくら
い、バカげている。それがわからなければ、子どもに、援助交際反対宣言をさせてみれば
よい。子どもに、政治家の汚職追放宣言をさせてみればよい。あるいは覚せい剤禁止宣言
でもよい。環境保護宣言でもよい。

そういうものが何であるかもわからないまま、無知な子どもに、そういうことを言わせて
はいけない。そうそう、あのK国では、幼児までもが、「将軍様を、命がけで守ります」な
どと言っているという。幼児が自分の意思で、自分で考えてそう言うのなら話はわかるが、
そんなことはありえない。繰りかえすが、子どもを、そういうふうに利用してはいけない。
 そんなわけで、私は、小学生や中学生が、片手を空に向けて平和宣言をしている姿を見
ると、正直言って、ぞっとする。あるいはあなたは、アメリカやヨーロッパや、
オーストラリアの子どもたちが、そういうふうに宣言をしている姿を、どこかで見たこと
があるとでもいうのだろうか。残念ながら、私はないが、ああいうことを子どもに平気で
させる国というのは、全体主義国家か、あるいはその流れをくむ国と考えてよい。

 「地雷をなくそう、全国子どもサミット」では、ある子ども(滋賀の小学生)は、つぎ
のように話している。
「地雷でケガをした人を見るのは初めてで、結構びっくりしたからそんなにしゃべったり
できなかったけれど、何かちょっとずつだけど、声がかけられるようになったからよかっ
たと思っています」(TBS報道)と。私たちが聞きたいのは、子どもたちのそういう生の
声である。

子どもたちのために平和を守るのは、私たちおとなの義務なのだ。どこまでいっても、私
たちおとなの義務なのだ。それを忘れてはいけない。
(030209)

++++++++++++++++++

さらに進むと、自爆攻撃がある。
テロリストたちは、まだあどけない子どもを利用して、アメリカ軍などに対して、ゲリラ
攻撃をしかけている。

一度、その指導風景がテレビで紹介されていたが、指導者らしき男は、子どもたちに向か
ってこう説明していた。

「死んでも、この世とまったく同じ世が、向こうの世界にある。だから恐れるな」と。
もしそうなら、テロなどしても意味はないということになるのだが、それはともかくも、
子どもを使うということは、そういうことをいう。
平和宣言だからよい。
ゲリラ戦だからよくない。
そういうふうに線引きすること自体、まちがっている。
それこそ「平和のための戦争」ということになれば、どんな戦争だって、
肯定されてしまう。

どうであるにせよ、おとなたちは、自分が信ずる「正義」に従って、子どもを利用する。
それぞれのおとなたちは、それぞれの思惑をもって、子どもを利用する。
つまり「正義」ほど、いいかげんなものもない。
私はそれがおかしいと言う。
それがわからなければ、もう一度、最初に引用した、朝鮮N報の記事を読みなおしてみる
ことだ。

(子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子
供による平和宣言 子どもの平和宣言)


(補記)

++++++++++++++++++++

 この原稿を書いて、4か月になる(03年)。いろいろな原稿を書いているが、4か月前
に書いた原稿という気がしない。遠い昔に書いたような気がする。ただ子どもに平和宣言
させることに、全面的に反対というわけではない。子どもに戦争の悲惨さを教え、ついで
平和の尊さを確認させるという点では、意味がある。しかしそれでも、私は、「それでいい」
とは、どうしても思えない。

 いつだったか、どこかのカルト教団の取材に行ったときのこと。全国大会とかで、全国
から数万人の信者が集まっていた。その席でも、やはり小学生代表が、こう叫んでいた。
「私たちは、○○導師様の教えを守り、この信仰を、世界に広めていきます!」と。小学生
による平和宣言などというものは、私には、その延長線上にあるとしか思えない。

 繰りかえすが、平和を守り、子どもたちを守るのは、私たちおとなの義務である。しか
しその平和というのは、自ら戦って、勝ち得るもの。「殺しあいはいやだ」と逃げてまわっ
ていては、平和は絶対に守れない。

 同じく繰りかえすが、平和主義には、二つある。「殺されても、抵抗しません。文句を言
いません」という平和主義。もう一つは、「平和のためなら、命すらおしくない。いざとな
ったら、戦争も辞さない」という平和主義。ここにも書いたように、「殺しあいはいやだ」
と逃げてまわるのは、平和主義でも何でもない。ただの逃避主義でしかない。

 また先の原稿の中で書いたように、戦後の日本がかろうじて平和を保つことができたの
は、それだけ日本人が平和を守ったからではない。また日本人が平和を愛したからでもな
い。日本がかろうじて平和を保つことができたのは、たまたまアメリカという国に占領さ
れ、その保護下にあったからである。

 私は60年代に、交換留学生として、韓国に渡ったが、彼らがもつ反日感情というのは、
感情というレベルを超えた、「憎悪」そのものだった。今でも基本的には、その構図は、変
わっていない。仮に北朝鮮が日本にめがけて核ミサイルを撃ち込んだとしても、それを喜
ぶ韓国人はいても、悲しむ韓国人はいない。そういう現実を前にして、小学生を仕立てて
平和宣言をする。そのオメデタサは、いったいどこからくるのか。(だからといって、私が
戦争を求めているのではない。どうか誤解のないように!)

今朝の報道によれば、あの北朝鮮は、すでに核兵器を数個もち、さらに今後、半年の間に、
5〜6発の核兵器を製造する能力があるという。さらに今年の終わりには、核実験もする
かもしれないという(クリントン政権時代の北朝鮮担当官・ケネス・キノネス氏)。そうな
れば日本は、もうおしまい。金XXの影におびえながら、毎日ビクビクしながら、生活を
しなければならない。

 小学生による平和宣言の話を書いているうちに、またまた頭が熱くなってしまった。私
の悪いクセだ。しかし、これだけは言える。どんな形であるにせよ、おとなたちは自分た
ちの政治的エゴを追求するために、子どもを利用してはならない。子どもには、子どもの
人権がある。その人権だけは守らねばならないということ。決して、子どもたちを、
猿まわしのサルのように利用してはいけない。
(030628) 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
平和論 日本の平和 日本人 広島 原爆の日 はやし浩司 子どもによる平和宣言 子
供による平和宣言)

++++++++++++++++++++

併せて、もう1作、6年前に書いた原稿を
添付します。

【SKさんからの反論に答えて……】

++++++++++++++++++++

●平和教育について



【SKより、はやし先生へ……】



今日(8月6日は朝のサイレンがなり、それがきっかけで、

娘に「広島」について話をする

機会がありました。もう、来年で60周年。今の国際情勢を

考えると、広島の原爆も、昔話になってしまうのでしょうか。



さて、メルマガにあった文章で、気になったことについて

書き添えたいと思います。





<国旗、国歌について>



(国旗について……)「日本は、そもそも単一民族だから、国旗や国歌にこだわる必要はな

のではないか。国旗や国歌が必要なのは、多民族国家である。そういう国では、国をまと
めるために、国旗や国歌が必要である。しかし日本には、そもそも、その必要性がない。
なりゆき
に任せればいい」(53歳・男性)





この意見を読んで、日本人は、単一民族である、

という発想がまだまだ強いところがこわいなぁ、と

思いました。



国旗、国歌が必要になってくるのは、自分の国にいるときではなく、

「外国にでた」ときだと私は考えます。自分が「どこの」所属かを

相手に明確にするためのものですよね。



浜松で、浜松祭りで、どこの町の法被を着ているか、のように。



だからこそ、自分の国から一歩もでない、鎖国状態の人には

「必要が無い」で済むのかもしれません。



アメリカで、高校の英語の授業でも、歌舞伎や能を扱うことが

あります。イギリスの作家でも、能の影響を受けて劇を書いている

人もいますし。(アイルランドのイエイツ、ノーベル賞作歌もそのひとり)



授業で、「能について、知っていることを教えてください」と

問いかけを先生からされたときに、答えることができない日本人と

しての所在のなさ! 今でも忘れません。



日本に帰ってきてから、能について、勉強をしていないところに私の

怠慢がありますが……。



国旗を、国旗といえない国には、どうしても問題があると思うのです。

幼稚園でも小学校でも「ひのまるのうた」を歌ってきます。じゃ、

どうして「国旗」と言わずに、「ひのまる」というのでしょう。

国歌も、「きみがよ」という別名をもうけてあります。



主人が柔道を趣味でしているので、彼の恩師に警察大学校で教壇に

立っている方がいます。主人が会話の流れで「日の丸」と言ったときに、

先生は毅然と、「ひのまるではない! 国旗だ!」と言ったそうです。

会話の流れとはいえ、選ぶ言葉は「意識」の問題である、と。



国の、国民としての、自覚の問題ですね。考え方は十人十色かも

しれません。



国旗の扱いについても、日本人は自覚がなさすぎることはよく

指摘されていることです。主人の手伝いで、かれこれ10年ぐらい前に

千葉の幕張で行われた柔道世界選手権の舞台裏を覗いたことがあります。



国旗の扱いはどこまでも丁重に。日本人だと、たたむときに、床に

べろーーん、と広げてから畳んだりしてしまいます。もう、こんな

ことが相手国の人々の目にとまれば、大政治問題です。



降ろすときも、畳むときも、複数の人間が各角をもち、角をあわせて

畳みます。決して床にはついてはいけない。



国旗を重ねてしまう事があろうものなら、その順序(どちらが上、

どちらが下)も、神経質になります。あくまでアルファベット順に徹する

などの工夫が必要です。



しまうときも、「くっつかないように」ひとつひとつビニール袋に入れて

しまいます。国旗そのものが、お互いにくっつかないように。



レプリカをつくって、シャツのデザインにしたり、なんていうのは

「相手国に対する冒涜」なんです。こういう視点で国旗を考えた

ときに、小学校の運動会でかかっている「万国旗」には、つい、

意味を考えたくなってしまいます。



国旗、国歌の議論が必要がない、とおっしゃる方は、くれぐれも

渡航中にトラブルに巻き込まれないようにお気をつけいただきたい

ものです。



日本人、国旗、国歌。日本をでれば、みなが日本の代表ですので。



ふと、サッカーアジアカップの、日本・中国の決勝が頭をよぎります。

とても、とても、恐ろしい政治の問題です。





<平和宣言>



私が大学生のとき、大学生協の平和活動に参加をしていました。

全国津々浦々の大学生協から、学生達が集まって平和アピールを

するという主旨のものです。



東京だと、江戸川区にある、第五福竜丸のおいてあるところから

平和アピールが始まります。8月6日の、広島の式典にあわせて

行進をし、たすきをつないでいくというものです。ピースウォークという

名称のものでした。



それに参加するほど根性はなかった私は、6日に広島入りをしました。

で、大学生どうしで、ひたすら「平和ってなあに?」という話し合いを

して、「ほら、平和って大事だよね。」と言い合って終わるのです。



完全に、自己満足の世界です。「ふつうの大学生とちがって」、自分は

「平和のことを考えている」というのをお互いに認め合うための会合

です。それも、広島で、大集会と化して。大声で平和をイメージした

歌を歌ってみたりして。



大学生協だけでもかなりの規模ですし、各地生協、平和団体などなど

集まってきます。海外からも、水素爆弾禁止運動をしているフランス人

やら、いろんな人がいました。それはそれは、8月6日だけは、きっと

残り364日の広島の景色とは違ってしまうのでしょう。



朝の式典は、原爆の投下された時間の黙祷で始まります。そのために

平和公園に集まるために、寝ぼけ眼で、大学生達がタクシーに

乗って「すべりこみセーフ」で式典に、参加するのです。(と、集会の

人ごみにまぎれているだけなのですが。)



タクシーの運転手さんがつぶやいてました。「今日だけはね、どこも

かしこも、馬鹿騒ぎでね。ほんとに広島の人とか、戦争関係の

人なんていないだろうよ」って。広島に来た自分が、おろかだったなと、

痛感した瞬間でした。



8月6日の広島。それは、青空の広がる暑い夏だったはずです。

今年は、台風やらの影響での独特な湿気。こうやって感覚がずれて

いくのでしょうか。





<マガジンについて>



先生のマガジンを通して、日常の忙しさにかまけて、考えないような

話題がたくさん提示されています。ほんとに、たくさん。思うことが

あっても、返信できないほどです。



今年の暑さは、例年とは明らかに違います。どうぞ、お身体を第一に

なさってください。このうえで、楽しいマガジンの配信をお願します。





<読書感想文>



娘の宿題の読書感想文を眺めながら、ふと思ったことがあります。

そういえば、私がアメリカでいたときの5年間、読書感想文って

書いただろうか? 書いてない!(そうか、だから娘に指導できない

んだ!って開き直ったほどです。)



日本は識字率が高いので、こういう宿題が可能だと思いますが、

それだけが理由なのでしょうか。



私が過ごした5年間でこなした作文課題といえば…。

ショートストーリーを書く、詩を書く、俳句を書く、などでした。

いわゆる creative writingです。 

エッセーといっても、レポートと同じように「批評する」文章でした。



日本の、いわゆる読書感想文の、「○○に感動しました。☆☆が

面白かったです。私にもこういう経験があります。この本を読んで

とても心が打たれました」的なものではなかったです。



本について書く文書といえば、ブックレビューでした。これも、

本の批評です。critical writingといわれていました。それこそ、

作品の中の、フレーズや単語ひとつを、とことん批評するという

ような主旨のもの。または、作品の歴史背景等を鑑みた批評など。



アメリカの、私が住んでいた町だけ読書感想文の指導がなかった

のでしょうか。よその国でも、日本の読書感想文にあたるような

もの(原稿用紙3枚ぐらいの分量のもの)があるのでしょうか。



ふと、気になってしまいました。





とてもとても長くなりました。適当に読み流していただけると

幸いです。



SKでした。



【はやし浩司よりSKさんへ……】



 昨夜(8・7)は、アジアカップの決勝戦が、ペキンでありました。私の教室の父親が、
2人、出場しているということで、ふつうでない緊張感を覚えました。(いつもなら、菓子
をポリポリ食べながら、気楽に観戦していたと思いますが……。)



 中国の人たちのもつ、根深い反日感情を知るにつけ、改めて、「国とは何か」を、考えさ
せられました。選手の人たちは、若い人ばかりです。戦前の日本とは、関係のない人ばか
りです。



 それが、戦後60年近くもたった今、ペキンで、反日攻撃の矢面に立たされている!



 私も、1967年に、UNESCOの交換学生で、韓国に行きましたが、歓迎されたの
は、当初の1日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされました。戦後生
まれの、私が、です。



 国歌斉唱のとき、またまた大ブーイング。それを見ていたとき、何もしてこなかった私
たちの世代。それを知り、申し訳ない気持ちにかられました。多分、選手の奥さんたちや、
生徒たちも観客席にいるでしょう。何か、ものを投げつけられなければよいがと、どこか
ハラハラして見ていました。



 あんな気持ちで、サッカーの試合を観戦したのは、はじめてです。



 で、日本が優勝。何ごともなかったようです。(もし2対1なら、大抗議が起きていたか
もしれませんね。うち日本の1点は、どこかファウルゴールぽかったですから……。しか
し実際には、3対1で、勝った! これなら中国側も文句を言えない!)



 よかった! 



 広島の原爆について、「小学生に平和宣言などさせるものではない」と書いた私の意見に、
やはり反論してきた人がいました。



 わかります。



 私は平和宣言に反対しているのでは、ありません。「平和を、つぎの世代のための子ども
たちのために用意するのは、私たち、おとなの役目だ」と書いたのです。「そのために、子
どもを利用してはいけない」と。



 同じようなテーマに、環境問題があります。おとなの私たちが、さんざん、環境をよご
し放題よごしておいて、子どもたちに向かって、「環境を守れ」はないとと思います。



 それともSKさんは、アメリカで、子どもが、平和宣言しているような光景を見たこと
がありますか? 子どもが自分で考えて、そう言うならまだしも、子どもを操り人形のよ
うに、操ってはいけない。それが私の意見です。(何なら、幼児に平和宣言させてみればよ
いのです。どうしても、子どもにさせたいのなら……。)



 平和の問題は、高度に政治の問題であり、それゆえに、それは純粋に、おとなの問題な
のです。たとえば今、天然ガスの採掘をめぐって、日中関係がギクシャクしています。た
がいに、まさに(やられたら、やり返す)の応報を繰りかえしています。こうした応報が、
やがて戦争につながらないとは、いったい、だれに言えるでしょうか。



 「平和を守ります」と、子どもに宣言させて、それで平和を守ることにはならないので
す。



 私は、こうした、つまりおとなたちの責任をタナにあげ、子どもを利用する行為が、ど
うにもこうにも、許せないのです。プラス、どうにもこうにも、理解できないのです。



 そうそう、その「日本人には、国旗はいらない」と言ってきた人は、現在、インドネシ
ア在住の男性(50歳)です。前後を少し省略しましたが、彼が言うのは、こういう意見
です。



 「インドネシアは、いろいろな民族でなりたっている。そういう国を一つにまとめるに
は、国旗が必要だ。しかし日本は、そもそもそういふうに、一つにまとめる必要はない。
少なくとも、インドネシアのようにはない」と。



 それで冒頭のような意見を書いてくれました。少し、誤解があったかもしれません。



 「能」で思い出しましたが、私が学生時代、2年間だけですが、その能(私は声を出す、
謡)をしました。加賀宝生流です。京都の能舞台で、うなったこともありますよ。



 外国へ行くたびに、何かの場で、披露しています。ああいうのを、何か一つ、得意芸と
して、身につけておくと、よいですね。「これがジャパンだ」と、誇ることができます。



 またアメリカには、(ライブラリー)という授業があります。週1回程度、図書室で、指
導を受けるというものです。ご存知のように、アメリカでは、読書指導が、教育の柱にな
っています。



 驚いたのは、(ライブラリー)の指導だけは、修士号をもった教師でないと、できないと
いうことです。(ほかの教科は、学士号で、教壇に立つことができますが……。)



 「図書館の司書」というと、日本では、どうしても「下」に見られますが、欧米では逆
のようですね。オーストラリア人の友人も、オーストラリアのM大学の図書館で、司書を
していますが、教授と同じあつかいです。あらゆる教授の相談にのるという意味で、重要
な仕事と考えられているようです。



 SKさんのメールを読みながら、改めて、ナットクしたというわけです。ありがとうご
ざいました。



 言うまでもなく、(作文)が、文字、言葉教育の目標であり、要(かなめ)ですね。本を
読んで、作文を書く。これから日本でも、もっと重要になってくると思います。



 メール、ありがとうございました。またまたマガジンへの掲載を、許可していただけれ
ば、うれしいです。(すでに発行予約してしまいましたので、事後承諾になります。どうか、
お許しください。9月6日号に、掲載します。よろしかったでしょうか。)



 そうそう、きのう、「スパイダーマン」を見ました。ああいう映画は、肩がこらなくて、
よいですね。ハハハと笑って見ました。

(040808)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   8日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●欲望vs理性

++++++++++++++++++++

昨夜遅く、近くにオープンした靴屋へ行ってきた。
開店初日には、何百台という車が並んだ。
西日本第一の規模を誇るという。
超大型店。
……それから1週間。
やっと楽に入店できるようになった。

で、オープンセールということもあった。
ふつうなら8000〜1万円もするような靴が、
(本当のところ、私には靴の値段はわからないが)、
2500〜3000円で売られていた。

私が1足、ワイフが1足、買った。
2足で、4800円!

++++++++++++++++++++

●生きる原動力

 生きているだけでも、すばらしいこと。
ものが見える、ものが聞こえる、話ができる……。
そういう視点に立てば、あらゆる問題が解決する。

 が、ただ生きているだけでは、人間は満足できない。
視床下部から脳全体に、常にシグナルが送られる。
そのシグナルに応じて、もろもろのホルモンが分泌される。
そのひとつにドーパミンがある。
人間の快楽と欲望を司る脳内ホルモンである。
それが人間が生きる原動力となる。
それをフロイトは「性的エネルギー」と呼んだ。
ユングは「生的エネルギー」と呼んだ。
(これは私の勝手な解釈によるもの。)

●理性vs欲望

 しかし脳内ホルモンの命令するままに行動していたら、たいへんなことになる。
人間のもつ欲望には、際限がない。
しかもドロドロと薄汚い。
そこでそれをコントロールするのが、理性、つまり前頭連合野ということになる。

 もし善と悪を大脳生理学的に考えるなら、前頭連合野が司る理性が、善、
ドーパミンに支配される欲望の世界が、悪ということになる。
が、前頭連合野の力には限界がある。
欲望の力のほうがはるかに強力。
パワーフル。
大学の教授だって、手鏡で女性のスカートの下をのぞく。
それもそのはず。
欲望は、「生きる力」そのものと直結している。
食欲にしても性欲にしても、また物欲、権力欲にしても、「生きる力」を土台にして
生まれる。
善と悪は、そういう点でも平等ではない。

●メカニズム

 では、理性に勝ち目はないかというと、そうとも言い切れない。
ここに書いたようなメカニズム、(あくまでも私が考えたメカニズムだが)、それが
わかるだけでも、そこに「敵」が見えてくる。
まずいのは、欲望に操られるまま、操られていると気がつかないで、行動すること。
欲望の奴隷になること。

 が、こうしたメカニズムがわかってくると、自分自身を一歩退いたところから、
客観的に見つめることができるようになる。
たとえば食欲にしても、「食べなければ損なのか。食べたら損(そこ)ねるのか」と。
自分で自分の食欲をコントロールすることができるようになる。
食べ放題の店とか、ホテルのバイキング料理とかへ行くと、そういう経験をよくする。
そういうところで、欲望の命令するまま食物を口に入れていたら、あっという間に、
体をこわす。

 ……といっても、そんなことでも簡単なことではない。
私などどこかの旅館やホテルで一泊するたびに、2〜3キロも体重がふえてしまう。
で、そのあとあわててダイエット。
その繰り返し。

●靴屋で……

 同じような現象を、昨夜、靴屋でも経験した。
安い。
確かに安い。
値段を見ているうちに、「買わなければ損」という欲望が、猛烈にわいてきた。
実際、近くを見ると買い物かごに、3〜6足も靴を入れて歩いている人がいた。
子連れだったが、10足近く、まとめて買っている夫婦もいた。

 が、それにブレーキをかけたのは、ほかならぬ理性だった。
(持ちあわせが少なかったこともあるが……。ハハハ。)
「靴などというものは、1足を大切にはく。それがはけなくなったら、また買う」と。
たとえば6足を3年ではくとすると、1年に2足となる。
しかし1足を1年はけば、結局は、半額ということになる。
それがわかったとき、「オール20%引き」という文字が、かなり色あせて見えた。

 つまりこうして自分の欲望にそのつどブレーキをかけていく。
そういう習慣を身につける。
それが積み重なって、理性の力で欲望をコントロールすることができるようになる。
平たくいえば、欲望をコントロールできるかできないかは、能力の問題ではなく、
習慣の問題ということ。
習慣の中で、理性の力を養っていく。

 ……今朝は、そんなことを発見した。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 欲望 理性 生的エネルギー 欲望をコントロール)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●中国の二進数(古代中国の大ロマン)

+++++++++++++++++

今、端緒をつかんだばかり。
今までの不勉強が悔やまれる。
まだ不確実な段階だが、5000年以上も
さかのぼる太古の昔、中国に、何と
二進数があったらしい。
(こんなことも知らなかったのか、と
笑われそうだが……。)
もしこれが事実とするなら、私は、今までの
古代観を根底から、作りなおさなければ
ならない。

+++++++++++++++++

●二進数

 二進数では、(0)と(1)だけの
数字を使って数を表す。

だからたとえば、0、1、2、3、4、5、6……は、二進数では、
0、1、10、11、100、101、110……となる。
コンピューター言語の基本にもなっている。

 それを古代中国では、つぎのように表す。
ワード文書を使って表記するので、たいへんぎこちない書き方になるが、許してほしい。

+++++++++++++
0……  
     
     
+++++++++++++
1……  
     
     
+++++++++++++
2……
      
     
+++++++++++++
3……  
     
     
+++++++++++++
4……
     

+++++++++++++
5……
     
     
+++++++++++++
6……     
     
     
+++++++++++++

 つまり横線2本は、(0)を表す。
横線1本は、(1)を表す。
これを冒頭に書いた、二進数と見比べてみてほしい。
念のため、数字をその横に並べて、もう一度、ここに書いてみる。

+++++++++++++
0……  
     
     
000
+++++++++++++
1……  
     
     
001
+++++++++++++
2……
      
     
010
+++++++++++++
3……  
     
     
011
+++++++++++++
4……
     

100
+++++++++++++
5……
     
     
101
+++++++++++++
6……     
     
     
110
+++++++++++++

十進数の「5」は、二進数の「101」になるが、それを横にすれば、
ここに書いたようになる。
こうして6段の線を使えば、何と、0から63までの64個の数を、二進数で
表すことができる。
コンピューターの世界でいう、まさに64ビット!

●易(えき)

 漢字には(0)の概念がない。
たとえば、「120」は、「百二十」と表記する。
そういう中国で、どうしてこうした「0」の概念が生まれたか。
しかも二進数。
それだけでも不思議だが、それを知ったのは、つまり中国の二進数を知ったのは、
「易(えき)」。
昔から日本では、『当たるも八卦、当たらぬも八卦』という。
あの「易」。
「易占い」の「易」。

 EX-Word(シャープ)には、つぎのようにある。

「周易で、陰陽の(こう)を組み合わせた8つの形象。
自然界、人事界百般の現象を象徴する」(広辞苑)と。

 さらにマイペディアには、つぎのようにある。

「(はっか)とも読む。易(えき)による占いの基本となる図形。
乾(けん)、坤(こん)、震(しん)、巽(そん)、(かん・土へんに「欠」)、離、
(ごん)、兌(だ)の8種をいう。
これを組み合わせたのが64卦。
この形を得るために、算木を用意する。
八卦は伏義(ふくぎ)の創案と伝えられる。
易占の基本として、易占と同義にも用いられる」と。

 その易の起源については、「易経」の注釈には、つぎのようにある。

「……伏義が天下を支配していたとき、天と見、地を見、鳥獣を見、身近を見、
こうしてその中から伏義は八卦を考案した……」と。

●64ビット

 ここでひとつの疑問が生まれる。
「易」は、「占い」なのかという疑問である。
くどいようだが、もう一度、2つの八卦、つまり8x8=64(64卦)を、
今度は、点と線で表してみる。
(左上が、十進数で「0」、3段目、右端が、「14」。)

・・     ーー     ・・      ーー      ・・
・・     ・・     ーー      ーー      ・・
・・     ・・     ・・      ・・      ーー
・・     ・・     ・・      ・・      ・・
・・     ・・     ・・      ・・      ・・
・・     ・・     ・・      ・・      ・・



ーー     ・・     ーー      ・・      ーー
・・     ーー     ーー      ・・      ・・
ーー     ーー     ーー      ・・      ・・
・・     ・・     ・・      ーー      ーー
・・     ・・     ・・      ・・      ・・
・・     ・・     ・・      ・・      ・・



・・     ーー     ・・      ーー      ・・
ーー     ーー     ・・      ・・      ーー
・・     ・・     ーー      ーー      ーー
ーー     ーー     ーー      ーー      ーー
・・     ・・     ・・      ・・      ・・
・・     ・・     ・・      ・・      ・・



以下、こうして二進数で表現すると、
「63」は、

ーー
ーー
ーー
ーー
ーー
ーー
となる。

 コンピューターの64ビット言語と同じ!
プラス、驚き!

●黄帝内経(こうていだいけい)

 もっともこんなことは、八卦の世界では常識。
もちろん私が発見したことではない。
そこでさらに調べてみると、この64卦は、「4つの塩基から3つを選び出した
DNA言語の単語と一致する」(「ニビルの謎」北周一郎・学研)とか。

 ますますおもしろくなってきた。
私も若いこと、黄帝内経(こうていだいけい)という書物にたいへん興味をもった。
3冊も本を書いた。
うち1冊(「東洋医学・基礎編」学研)は、今でも全国の医学部や鍼灸学校で教科書
として使ってもらっている。

 あの黄帝内経は、歴史の中で書き換えられるうち、いつの間にか「医学書」として
の体裁を整えてしまった。
が、私はもともとは、天気の運行に関する科学書ではなかったかと考えている。
わかりやすく言えば、天文学に関する書物。
その片鱗は、黄帝内経(素問)の随所に残っている。
『五運行大論篇』もそのひとつ。

 それについてはたびたび書いてきたので、興味のある人は、そちらを読んでみて
ほしい。
http://shizuoka.cool.ne.jp/bwhayashi/page055.html

●大ロマン

 過去の歴史の中には、何やらとてつもない謎が隠されているらしい。
つまり(現在)は(過去)の上に積み重ねられてできたのではなく、遠い過去に、
すでに(現代)以上の(現代)があったことになる。
ロマンといっても、これ以上のロマンがあるだろうか。

 デニケンやシッチンの説に従えば、遠い昔、人類をはるかに超越した知的生物体
が、この地球にやってきた。
そして人類を見つけ、その中に自分たちにDNAを組み込んだ!
それをのちのちの人間に教え伝えるために、「易」を教えた。

……という説は、一見、荒唐無稽に思えるが、しかしありえない話ではない。
ないことは、この「易」をみてもわかる。

 この問題については、もう少し情報を集め、理解を深めてから書いてみたい。
2010/09/15

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 八卦 易 伏義 古代中国の二進数 2進数 64卦)

Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

【易経と64卦】

●易経の二進数(古代中国の大ロマン)

+++++++++++++++++

今、端緒をつかんだばかり。
今までの不勉強が悔やまれる。
まだ不確実な段階だが、5000年以上も
さかのぼる太古の昔、中国に、何と
二進数があったらしい。
(こんなことも知らなかったのか、と
笑われそうだが……。)
しかもその配列の仕方は、(漢字との意味の符合性において)、
DNAの配列と同じという。
もしこれが事実とするなら、私は、今までの
古代観を根底から、作りなおさなければ
ならない。

もちろんこの説を鵜呑みにするわけにはいかない。
それが正しいかどうか、自分で検証してみる
必要がある。
「根底から作りなおす」というからには、
それなりの確信が必要である。
本当に、「易」は、「DNA」の配列と関係が
あるのか?

+++++++++++++++++

●二進数(PART2)

 二進数では、(0)と(1)だけの
数字を使って数を表す。

だからたとえば、0、1、2、3、4、5、6……は、二進数では、
0、1、10、11、100、101、110……となる。
コンピューター言語の基本にもなっている。

 それを古代中国では、つぎのように表す。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4996382953/" title="img058 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4104/4996382953_f02920464f.jpg" width="353" 
height="500" alt="img058" /></a>

●まずはじめに……(国立がんセンターのHPより引用)

 『……遺伝子が設計図だとすると、どのような言葉(言語)で書かれているのでしょう
か。遺伝子は、物質としてはDNAと呼ばれる分子からできていますが、この DNAは「A、
G、C、T」という4つの「塩基」の並びでできています。

言語というのは英語であればアルファベット26文字、日本語であれば平仮名50音の組み
合わせでつくられますが、遺伝子の場合には、この4つの文字からなる遺伝子の言語で書
かれているということになります。人間ではこのA、G、C、T という文字が30億個並ん
で遺伝子全体をつくっています。

比喩的にいうと、4つの文字の配列によりつくられた、意味のあるひとつひとつの「文章」
がひとつひとつの「遺伝子」に相当し、ヒトの場合、そのような遺伝子が40,000個ぐらい
あるといわれています。

ある生物がもつすべての遺伝子、人間なら人間のすべての遺伝子を全部ひっくるめて「ゲ
ノム」といいます。遺伝子を句点「。」で区切られたひとつの文章だとすれば、文章が集ま
った一冊の本がゲノムであるといえます。遺伝子が一本の木だとすると、その木が集まっ
た森がゲノムにあたります』(以上、国立がんセンターHPより)。

●「易経」の二進数

 


●赤ワク

 この中で赤ワクで囲んだのは、上下3本ずつが、同じ配列になったものである。
そこでさらに、これら64のパターンを、8つのグループに分けてみる。
(0)と(1)の組み合わせは、8種類ある。

 こういうグループ分けに、とくに意味はない。

(A)上部3本が、(000)のグループ

(B)上部3本が、(001)のグループ

(C)上部3本が、(010)のグループ

(D)上部3本が、(011)のグループ

(E)上部3本が、(100)のグループ

(F)上部3本が、(101)のグループ

(G)上部3本が、(110)のグループ

(H)上部3本が、(111)のグループ

 8つのグループに、それぞれ8つの組み合わせがある。
合計すると、8x8で、64種類ということになる。

●DNA言語も64語

 ところでDNA言語は、A(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、
T(チミン)という4種類の塩基が基本になっている。
これらの塩基が鎖状に連なって、遺伝子情報を伝える。

 一見無秩序に見える塩基情報だが、実際には、A、G、C、Tの4つの塩基から、
3つを取り出し、その組み合わせによって、64種類の言葉が生まれることがわかって
いる。

AAA、AAG、AAC、AAT、AGA、AGG,AGC,AGT……TTT、と。

 『易経の謎』(光文社)、『ニビルの謎』(学研)によれば、こうした遺伝子言語は、
そのままDNA言語と一致するという。
並び方だけではない。
意味まで、一致するという(『ニビルの謎』)。

 たとえば「DNA言語の(ATG)は、「開始」を意味するが、これに対応する
八卦は、「かん(土偏に欠)」で、これも「開始」を表す。
DNA言語の(TAA)は、「停止」を意味するが、これに対応する八卦は、「ごん」で、
これも「停止」を表す」(『ニビルの謎』)と。

 上述、「易経の二進数」のうち、(18)(010010)が、「かん」、
(9)(001001)が、「ごん」にあたるという。

しかし自分で改めて検証してみると、つじつまが合わなくなる。

(1)と(0)の組み合わせは、
(00)(01)(10)(11)の4つである。
この4つを、どう「A」「G」「C]「T]と結びつければよいのか?

たとえば、
10……「A」
01……「G」
11……「C」
00……「T」とすると、

「ATG」は、「10・00・01」となる。
並び方を反対にすると、つまり「GTA」にすると、「01・00・10」となり、
たしかに「かん」となる。

が、同じように「TAA」は、「AAT」にすると、「10・10・00」となり、
「ごん」にならない。
「ごん」は、二進数では、「00・10・01」である。
(「00・10・10」なら、つじつまが合うのだが……。)
私の解釈の仕方がまちがっているのだろうか。
あるいはどこかまちがっているのだろうか。

これら2冊の本だけではよくわからない。

●4つの組み合わせx4通り

 わかりやすく言えば、「A」「G」「C」「T」と、(00)(01)(10)(11)を、
どう結びつけるかということ。
これがうまく結びつけば、中国の二進数は、まさにDNA言語そのものを表している
ことになる。

(00)は、「A」なのか。
「G」なのか。
「C」なのか。
それとも「T」なのか。……(1)

(01)は、「A」なのか。
「G」なのか。
「C」なのか。
それとも「T」なのか。……(2)

(10)は、「A」なのか。
「G」なのか。
「C」なのか。
それとも「T」なのか。……(3)

(11)は、「A」なのか。
「G」なのか。
「C」なのか。
それとも「T」なのか。……(4)

 そこでヒントとなるのが、DNAが複製されるときの性質、つまり「A」は「T]と
のみ結合し、「G」は「C」とのみ結合するという性質。
これを二進数と組み合わせてみると、興味深い事実が浮かびあがってくる。

(00)と(11)の関係。
(01)と(10)の関係。
これらは、数字の上では補完関係にあることがわかる。

仮に(00)を「A」とすると、(11)は「T」ということになる。
同じように(01)を「G」とすると、(10)は「C」ということになる。
この仮定の上で、もう一度、表を作り直してみる。
それがつぎの表ということになる。

00……「A」
01……「G」
10……「T」
11……「C」

仮にこの配列で、中国の二進数を並べ直してみると、つぎのようになる。

00……AAA(00・00・00だから、AAAとなる。)
01……AAG
02……AAT
03……AAC
04……ATA
05……AGG
06……AGT
07……AGC
08……ATA
09……ATG(00・10・01だから、ATGとなる。TAAにならない)(ごん)
10……ATT
11……ATC
12……ACA
13……ACG
14……ACT
15……ACC
16……GAA
17……GAG
18……GAT(01・00・10だから、GATとなる。ATGとならない)(かん)

 ????

別の組み合わせを考えてみる。
というより、上記(1)(2)(3)(4)の4つの組み合わせを、総当たり的に
確かめてみる。

「9」の「ごん」で、「TAA」に、「18」の「かん」で、「ATG]になればよい。
そういう組み合わせは、あるのか?

●矛盾

 もう一度、数字を並べてみる。

「9」(ごん)……(00・10・01)……「TAA」
「18」(かん)…(01・00・10)……「ATG」

 これらの数字(二進数)に、「A」「G」「C」「T」を当てはめてみる。
いわば暗号解きのパズルのようなものだが、一見して共通性がないのがわかる。
(01)が「A」で、(00)が「T」ということまでは、わかる。
が、そのほかは、矛盾する。

 で、ここに先にあげた、補完関係を応用してみる。
(「補完関係」といっても、私が勝手に仮説として考えたものにすぎないが……。)

(01)が「A」とすると、(10)が「T」ということになってしまう。
つまりまたまた矛盾してしまう。
(01)が「A」とすると、「T」は、(10)でなければならない。

アアアア!

●謎への再挑戦

 もう一度、『ニビルの謎』を読んでみる。
繰り返しになるが、許してほしい。
この壁を乗り越えないと、謎を解くことができない。

「……DNA言語の(ATG)は、「開始」を意味するが、これに対応する
八卦は、「かん(土偏に欠)」で、これも「開始」を表す。
DNA言語の(TAA)は、「停止」を意味するが、これに対応する八卦は、「ごん」で、
これも「停止」を表す」(『ニビルの謎』)と。

 そこにはたしかに(ATG)は、(かん)、(TAA)は(ごん)と書いてある。
(かん)は、二進数で、(01・00・10)。
(ごん)は、二進数で、(00・10・01)。

 この2つを並べてみると、(00)は、「T」ということになる。
両者が共通にもっている(10)、あるいは(01)は、「A」ということになる。
残ったのは、この両者にない、(11)。
この(11)は、「C」ということになるのか?
となると、「G」は、(10)と(01)のどちらなのか?
「A」が(10)なら、「G」は、(01)、
「A」が(01)なら、「G」は、(10)ということになる。

 一応、ここまでを、一覧表にしてみる。

10、あるいは01……「A」
01、あるいは10……「G」
11……「C」
00……「T」
 
 ほかに手がかりはないのか?
ということで、今、あちこちをネットでサーフィンしながら、調べてみた。
が、私が調べたところ、それに関する情報は手に入らなかった。

 「A」は、(10)なのか、(01)なのか?
それさえ決まれば、易経の二進数と、DNAの関係が、少しだけだが浮かびあがって
くる。

 ……が、ここでタイプアップ!
仕事の準備をする時間になった。
このつづきは、またの機会にしたい。

(2010年9月17日、午前10時)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 易経の謎 中国の二進数 2進数 DNAの謎 DNAと易経 ニビ
ルの謎)

【注】今回『ニビルの謎』(学研)という本を参考にさせてもらったが、私自身は、
「ニビル」なる惑星については、まだ半信半疑。
真夏の夜のロマンのひとつにしか考えていない。
興味をもったのは、その中に書かれていた「二進数」、つまり易経でいう「64卦」。
そこに「64卦は、DNA言語と関係がある」と書いてあったので、興味をもった。
どうか誤解のないように!


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司


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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本人の危機意識(日本人の繁栄ボケ)

++++++++++++++++

日本は中国に抜かれて、世界第三位の
経済国になった(GDP)。
しかし国民1人当たりの所得では、
すでにシンガポールに抜かれている。
2020年ごろには、韓国にも抜かれる
だろうと言われている。

恐ろしいのは、その予想時期が、徐々に
早まっていること。
日本が中国に抜かれるのは、2015年
ごろと言われていた。
ほんの1、2年前のことである。
それが今年、つまり2010年に抜かれた。

のんきなエッセイストたちは、「生活の
中身が大切」などと言っている。
中国に抜かれても、韓国に抜かれても、
「大切なのは、生活の質」と。

こういうことばかり言っているから、日本は
どんどんと抜かれていく。
抜かれていくだけではない。
やがて食料の輸入もままならなくなるだろう。

20〜30年ほど前には、「平和ボケ」という言葉を
よく耳にした。
が、今は、「繁栄ボケ」。
「経済ボケ」でもよい。

日本の学校では、いったい、何を教えているのか?
社会科の授業で、何を教えているのか?
日本人がこの「現代」という世界で生き抜くための、
その知識と経験を教えるのが社会科の授業ではないのか。
どうすればこの先、日本が生き延びていくことができるか、
それを教えるのが社会科の授業ではないのか。

つまり日本の教育では、この部分だけが、スッポリと
抜け落ちてしまっている。
つまり危機意識が、まったくない。
愚にもつかないような「知識」だけを、一生懸命、
子どもの頭の中に、詰め込んでいる!

その結果が、今。
今年は去年以上に、就職難という。
学生たちが就職先を求めて、右往左往している。
が、考えてみれば、こんなバカげた世界は、日本を
おいて、ほかにない。

就職先がなかったら、自分で仕事を作ればよい。
それこそリヤカーでも引いて、自分で稼げばよい。
私は、そうしたぞ!
リヤカーを引いて、ある画家の絵を売り歩いたぞ!
つまりそういうたくましさが、ない。
仕事はもらうものと思っている。
与えられるものと思っている。

加えて、「外国へ行きたくない」という若者が多いのには、
驚いた。
日本人全体が、ものの考え方が内向きになってしまった。
こういうときだからこそ、仕事を求めて、ブラジルや
インド、シンガポールへ飛び出して行けばよい。
中国でも韓国でもよい。

飽食とぜいたく。
それに少子化。
日本の若者たちが、キバを抜かれてしまった。
今では天下国家を論ずる若者は、ほとんどいない。
大学生でもいない。

その理由はといえば、すべて教育にある。
以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。

+++++++++++++++++

今からちょうど10年前、2000年ごろに
書いた原稿です。

この中で、1人の女子学生が、つぎのように
述べていることに注目してほしい。
人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。

「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。
私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」
(中日新聞投稿欄)と。

+++++++++++++++++

●日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強
で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさが
すヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答
えていた。また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは
言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘や
かすと、ここまで言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことが
ある。息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょ
うど四〇年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もが
ギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例
外ではない。タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金は
その場で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三
輪を買って、それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、そ
れでまたお金を稼ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれ
ていた。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近く
の小川へ行った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。
それが結構、小づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。が、
今の日本にはそれはない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私の
ところへやってきて、私とこんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、私「君は何ができる?」、学「翻訳ぐらいなら、何と
か」、私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか
書いてくれば、仕事が回ってくるかもしれない」、学「カッコ悪いからいやだ」、私「なぜ
カッコ悪い?」、学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。
結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることにな
った。もちろんその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若
者たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。
結論から先に言えば、お先まっ暗。このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごく
ふつうの国になってしまう。いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は
中国の経済圏にのみ込まれてしまうだろうと予想している。

事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今で
は日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも日本
語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。私た
ちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを払うの
は、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。私たち
が子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとして
いる。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏四カ国の中高生を対
象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになっ
た。現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで
生きること」。学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」
としたのは四か国で最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、
ニューヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。「二一世紀
は希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達し
たが、日本は三三・八%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では九割近くが
「満足」と答えたが、日本は二三・一%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも
日本が四カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、
フランスは弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は
「人生を楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、
フランスは「円満な家庭」(三二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だ
ったのに対し、米国は七八・八%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、
米国七六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類
全体の利益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精
神が希薄なことも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の
夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。一九八〇年代からの
傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●10年前

 10年前(2000年ごろ)に私が書いた原稿を、どうか読み直してみてほしい。
そしてそれから10年。
何が変わったか?
日本が、その結果、どうなったか?
そういう視点で、もう一度、読み直してみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本人の危機意識 社会の責任 繁栄ボケ 経済ボケ 危機感)
2010年9月13日

Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●9月14日(火曜日)(日本振興銀行の破綻、A・チャン疑惑)

●日本振興銀行の経営破たん

 9月10日、日本振興銀行が経営破たんした。
それはそれとして、その直前、日本振興銀行の社長の、江上剛(えがみ・ごう)氏が、
雑誌「VOICE」10月号に、寄稿している。
経営破たんはその段階で、だれの目にも明らかだった。
創業した木村剛氏は、検査忌避容疑で逮捕。
社長もあわせて逮捕。
そこでそれまで社外取締役をしていた江上剛氏が、「あえて火中の栗を拾う」と、社長に
就任。
「11万人の預金者、3万人の債務者、6000億円以上の預金、4000億円以上の
貸出金、500人以上の従業員、融資先も入れると数万人もの家族を、漂流させるわけ
にはいかない」(同雑誌)と。

かっこうよい言葉が並んだが、結局破綻。
内部では、猛烈な「とばし」がなされていたという。
つまり破綻を予想して、旧経営陣はやりたい放題。
で、私は江上剛氏がどんなことを書いているか、興味をもった。

●「火中のクリを拾う男」

 内容はありきたりの意味のないものだった。

(1)本来ならみな逃げるはずの、社外取締役は、だれひとり逃げることもなく、経営
再建にあたっている。
(2)がんばっているので、ぜひ応援してほしい。
(3)私は週3回、マラソンクラブに参加している。この困難を乗り切ったとき、それを
支えてくれたのは、マラソンクラブだったと言うことができる、と。

 が、結果として、「数万人もの家族が、漂流することになってしまった」。

●とばし(飛ばし)

 簡単に言えば簿外債務を、「とばし」という。
しかし実際には、もっと複雑。
不良債権を少なく見せかけるために、たとえば融資の担保に取っていた不動産などを、
実体のないペーパーカンパニーに買い取らせたりする。
が、それではすぐにバレてしまう。

 そこで最近では、とばしがさらに巧妙化している。
ペーパーカンパニーを、取り引き先の別会社に作らせたり、融資する現金を、いくつかの
銀行を経由させたりする。
さらにその不動産の管理を、別会社にさせる……。
つまり銀行本体は手を汚さず、クリーンさ(?)を保つ。
が、実態はもっとあくどい。

 経営破たんをあらかじめ予定し、どんどんととばしを繰り返す。
最終的には、不良債権として処理して、資金を自分のふところに入れる。
「自分」というのは、旧経営陣ということになる。
日本振興銀行がそれをしていたかどうかは、これからの捜査で明らかになるだろう。
しかし新聞報道によれば、「とばし」という文字が、あちこちに見える。
かなり巧妙なとばしをしていたようだ。

 で、江上剛氏だが、社外取締役として、それを知らなかったというのは、おかしい。
「社外取締役は、自分を含めて、1人も逃げなかった」ことを、「すばらしいこと」と
自画自賛している。
が、それは、どうか?
「VOICE」10月号を読んでも、危機感がまったく感じられない。
ないばかりか、ネットで配信されている動画を見ても、まるで他人事。
今回の経営破たん騒動が、何か、やらせのような疑問をもつのは、私だけではないはず。
ひょっとしたら、旧そごうの倒産劇のときのように、他銀行の不良債権をつけかえた
可能性もある。

この世界は、底なしに深く、その下では人間の欲望がドロドロに渦を巻いている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●A・チャン疑惑

 『週刊新潮・今週号』を立ち読みした。
『VOICE』を買ったので、週刊新潮は立ち読みですました(ごめん!)。

 その中でA・チャンの霊感商法疑惑について、当の本人、つまりA・
チャンは、「私にはまったく関係ない」という論陣を張っている。
周辺を取り囲むガードたちが、「私たちが勝手にやりました」というようなことを
述べている。
「教育学博士」という立場上、そういう論陣を張らざるをえない気持ちは、ヨ〜ク
わかる。
しかしこの手法は、悪徳政治家のそれと同じ。
「秘書が勝手にやったことです。私には関係ありません」と。
ズル賢い人間は、どこまでもズル賢い。
そういう意味では、一貫性がある。
(A・チャンがそうと書いているのではない。誤解のないように!)
しかしよくよく考えてみると、納得できないことは山のようにある。

(1)日本ユニセフと、国連の「ユニセフ」との関係
これら2つの組織は、「たがいに密接に連絡を取り合っています」(日本ユニセフ)
というが、まったくの別組織。
日本ユニセフのほうは財団法人格を取得しているが、わかりやすく言えば民間組織。
「ユニセフ」という名前を巧みに利用して、善意の人たちから、金を集めている(?)。
そんな疑惑も浮上してきた。

(2)連続性と一貫性
難民救済運動というのなら、そこに至るまでの連続性があるはず。
わかりやすく言えば、「積み重ね」。
たとえば若いときから、孤児の世話をしてきたとか、ホームレスの人たちの
ために炊き出しをしてきたとか。
さらにそこまで高邁な精神をもっている人なら、清貧を貫くとか、財産を
投げ出しているとか、そういった一貫性もあるはず。
が、そういったものが、A・チャンには、まるでない(?)。
何かしら私たち一般庶民だけが、もてあそばされている感じがする。
ある週刊誌は、「親善大使くらいは、辞退すべき」と書いていた。

(3)教育学博士
A・チャンは、小学生のころ香港から日本へやってきたという(伝聞)。
その直後から、歌手として活躍。
どこかの学校に籍を置いていたかもしれないが、当時のあの人気度からして、
とても勉強どころではなかったはず。

ただ英語だけはできただろうと思う。
当時の香港では、中学以上は、授業はすべて英語でなされていた。
が、そのA・チャンが、やがて上智大学の国際部を卒業する。
そしてそのあとしばらく日本から離れたあと、今度は「教育学博士」として帰国。
以後、ワンステージ、100〜160万円の講演活動をつづけている(同誌)。

日本では各大学の博士課程に籍を置いて、博士号を取得することになっている。
欧米の大学では、論文審査だけで、博士号を発行することは珍しくない。
私も、アメリカの各大学に直接問い合わせてみたが、A・チャンの経歴
に詐称はない。
ただ博士号取得の原因となった論文については、私の立場では入手できなかった。
「日米の子育て比較」に関する論文だったと記憶している。
私にとっても興味ある内容なので、一度精読してみたい。

(4)霊感商法(+霊芝販売)
今回問題になっているのが、霊感商法。
加えて霊芝販売(?)(記憶によるものなので、不正確)。
週刊新潮によれば、HP上の販売は停止されているということだが、薬局では、
いまだに自由に購入できるとか。

つまりここでA・チャンの一貫性が崩れる。
「教育学博士」という肩書と、「霊感商法」、さらには「霊芝販売」(?)。
チグハグ?
が、これではまずい。
そこでA・チャンは「私にはまったく関係ない」という論陣を張った(?)。
しかし団体名に「神農」という名前を使っているところからみても、「まったく関係
ない」と果たして言えるのか?
神農というのは、中国では薬草の神様。
別名を「炎帝」ともいう。
その炎帝を倒して位についたのが、黄帝(こうてい)と言われている(司馬遷)。

 おかしいものは、おかしい。

●一貫性と連続性(補記)

 一貫性と連続性については、たびたび書いてきた。
つまり人間というのは、器用なようで、そうでない。
とくに脳みそは、そうだ。
50歳を過ぎればなおさらで、ひとつの場面で善人になり、べつの場面で悪人になると
いうことができなくなる。
それを支える気力そのものが、弱くなる。
つまり個人が本来的にもつ「地」が、そのまま表に出てくる。
が、それでも仮面(ペルソナ)をかぶりつづける人はいるにはいる。
しかしそういう人は、それこそ人間性そのものが、バラバラになってしまう。
本人も、それに耐えられなくなる。

 私も50歳前後になったとき、それに気づいた。
いくら表では善人ぶっていても、ふと気を許したところで「地」が出てきてしまう。
私はもともと素性があまりよくない。
そこで私は2つの方法を考えた。

(1)ありのままをさらけ出す。
(2)ウソをつかない。ルールを守る。

 この2つを、ひたすら、守りつづけた。
今も守っている。
それで「地」が修正できるとは思わないが、だからといって放置しておくわけにもいか
ない。

 で、再び、A・チャン。
彼女には個人的な敵意や反感はまったくない。
ただ偽善者だけは、許せない。
ぜったいに許せない。
悪人以上の悪人。
善意の人たちから金を集めて、貧しい人たちをダシにして生きる。
それは許せない。

A・チャンがそうであると書いているのではない。
ただその疑いは、ある。
だから、ここは注視あるのみ!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●バイオハザード・IV(FOUR)

++++++++++++++++++

今日は日曜日。
夜になって、ワイフが映画に行こうと言った。
で、観てきたのが、『バイオハザード・IV(Four)』。
星は3つの、★★★。
あるいは3マイナス。
ただのバイオレンス・アクション映画。
それを除いたら、何も残らない。
そんな映画。

『バイオハザード』は、(1)(2)(3)と
観てきた。
今回が完結編と思っていた。
しかし「次回へつづく……」で終わってしまった。
たぶん「バイオハザード・V(Five)」は、
もう観ない。
あきた!

++++++++++++++++++

●書斎大掃除

 今度の水曜日に、パソコンが修理されて戻ってくる。
メーカーの話によれば、マザーボードの交換をしたとか。
つまり中身はピカピカの新品。
そんな状態で戻ってくる。
そのこともあって、今日は、書斎の大掃除。
ワイフに手伝ってもらった。
おかげで書斎は、見違えるほど、きれいになった。
仕事もしやすくなった。

 映画から帰ってきて、2時間余り、書斎にこもった。

●ホームベーカリー

 ところで今、自分でパンを焼いてみたいと思っている。
何と言っても、焼きたてのパンは、おいしい。
そこで早速、電気店へ。
ズラリと、20種類ほど、機種が並んでいた。
今、ホームベーカリーというパン製造機が、人気商品のひとつになっている。
機種によっては、お米でもパンが作れるようになっている。

メーカーはいろいろある。
で、家に帰って調べてみると、いちばん人気は、パナソニック製ということがわかった
(価格COM・人気投票調べ)。
値段はいろいろある。
機能が多いのほど高価だが、食パン程度のものが焼ければそれでよい。
どれにしようか、現在、思案中!

(夜中になって、パナソニック製のホームベーカリーにした。
近くの大型店で、1万6500円のものが、ネットで1万3000円で買うことができた。)

●回転寿司戦争

 実名を出して恐縮だが、私の家から半径1キロ前後の中に、現在、3つも回転寿司屋
がある。
東から、「かっぱ寿司」、「くら寿司」、「すしおんど」。

 最初に、「すしおんど」ができた。
オープンして、6、7年になる。
が、今年、「くら寿司」がオープン。
つづいて最近、「かっぱ寿司」がオープン。

 3店舗も並べば、過当競争(?)と思っていたが、どの店も、いつも満員。
で、いちばん老舗の「すしおんど」は、一時は閑古鳥が鳴いた。
客もまばらだった。
が、それがどっこい!
ここへきて客数が、どんどんとふえ始めている。
理由は、すぐわかった。

 3貫一皿の寿司が、品目数で、ふえた。
シャリ(米)の量が、見た目にもよくわかるほど、ふえた。
つまり寿司が大きくなった。
実感として、1・3倍〜1・5倍になったのでは?
さらに寿司ネタも倍近く、大きくなった。

 一方、一皿90円で勝負する、かっぱ寿司。
自然派で勝負する、くら寿司。
くら寿司のわさびは、天然わさび。

 個人的には、私はかっぱ寿司の寿司が好き。
口に合う。
くら寿司の寿司は、ややしょっぱいかな(?)。
が、回数的には、このところ、すしおんどに行くことが多い。
(他の2店舗は、いつも満員ということもあるが……。)

 つまり今、ものすごい競争が、私の近辺で起きている!
消費者の私たちとしては、ありがたいことだが、しかしこんなメチャメチャな競争が
いつまでもつづくはずがない。
この先、どうなるのか?
いつも心のどこかでそんな心配をしながら、(私が心配したところで、どうにもならないが)、
口の中に寿司を入れている。

 で、こういう店を利用するたびに、(何も寿司屋にかぎらないが)、個人の小売店の
ことが気になる。
おとといには、やはり近くに巨大な靴屋ができた。
その向こうには、やはり巨大なメガネ屋もある。
それ以前からあった旧街道沿いの靴屋やメガネ屋は、とっくの昔に姿を消した。
今はまだ何とか生きながらえている個人の自転車屋だが、つぶれるのも時間の問題。
すでにA店など、全国規模の自転車店が、この不況下、どんどんと店舗数をふやしている。
1店舗で、数100台規模の自転車を並べている。
個人の店には、勝ち目はない。
その悲しさというか、つらさを、私はいやというほど、経験している。

 私の家は、その自転車屋だった。
中学生のとき近くにショッピングセンターができ、そこでも自転車を売るようになった。
とたん、客足は、パッタリと止まってしまった。
父は毎日、火鉢に身を丸くして、来るはずもない客を黙ったまま待っていた。
弱肉強食とはいうが、その苛酷さは、経験したものでないと、わからない。

 がんばれ、自転車屋!
負けるな、自転車屋!

●反撃

 もっとも個人の自転車屋にも、問題がないわけではない。
15年近くも前のことだが、どこの自転車屋にも、こんな張り紙がしてあった(浜松市内)。
「よそで買った自転車は、修理しません」と。

 そのころすでにショッピングセンターでは、自転車を売り始めていた。
しかし問題は、修理。
自転車を修理するには、それなりの技術が必要。
消防法の適応もあり、油で汚れた店では、修理が許可されない。
それで苦肉の策。
個人の自転車屋は、先のような張り紙を張って、ショッピングセンターに対抗した。

 しかしそこは大型店。
規模がちがう。
やがてショッピングセンターでも技術者を置き、消防法に抵触しないような清潔な店
づくりを始めた。
とたん、個人の自転車屋は再び、窮地に立たされた。
と、同時に、今度は、こんな張り紙をするようになった。

「他店で買った自転車でも、修理します」と。

●イメージダウン

 「よそで買った自転車は、修理しません」と書くのも、「他店で買った自転車でも、
修理します」と書くのも、気持ちは理解できるが、自転車店の品格を落とすだけ。
それだけ自転車店が危機感をもったというふうにも解釈できるが、かえって加速度的に
客離れを誘発してしまった。

 客の立場で書くなら、そうした張り紙で、敷居が高くなってしまった。
気楽に店へ入れなくなってしまった。
こと自転車店について言うなら、気楽に入れること。
それが客を招く第一条件ということになる。

店へ入ったとたん、店員にぴったりとマークされるようでは、落ち着いて自転車も
選べない。
それに率直に言えば、いくらサービスを売ると言っても、大型店より2〜3割も値段が
違うようでは、勝ち目はない。

 さらに最近では、ネットでも自転車が買えるになった。
それがまた、びっくりするほど、安い!
となると、「修理はどうするか?」という問題もあるが、1台の自転車に乗る平均年数は、
長くて4〜5年前後ということがわかっている。
平均して、3〜4年。
そのあたりで、みな新しい自転車に乗り換えている。
つまり修理を繰り返して自転車に乗る人は、少なくない。
パンクにしても、今では、ほとんどパンクしない。

 わかりやすく言えば、自転車が「財産」というよりは、「消耗品」になってきた。
客の自転車を見る目そのものが、変わってきた。
もっと言えば、立派な店舗に、自転車を飾って売る時代は終わった。
そのあたりの切り替えがうまくできないと、個人の自転車店には、明日はない。

 ちなみに、ごく最近、高級住宅地の大通りに面したところにあった自転車店が店を
閉めた。
間口は、角地ということで、ぐるりと10間はあっただろうか。
繁盛しているときは、二階の陳列室にも、ぎっしりと自転車が並んでいた。
一時は高級自転車店をめざしたようだが、どうやらそれが裏目に出たらしい。
私も何台か自転車を買ったことがあったので、店が閉まったと聞いたときには、
少なからず、ショックを受けた。
私の実家の自転車店と比べたら、御殿のような自転車店だった。
その1週間前まで、店のおやじは景気のよい大声で、あれこれと私に話しかけて
くれていたのだが……。

 話を戻すが、小売店の第一は、「黙って静かに仕事をすること」。
「お客様は神様」。
それを忘れては、小売店は成り立たない。
「よそで買った自転車は、修理しません」と書いたとき、勝負はすでについていた。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

(小沢一郎、自転車店一考)2010−9−13

●Education on the front line at home

オーストラリア人のデニス君に、相談した。
「ぼくのHPのタイトルは、『最前線の子育て論byはやし浩司』だが、英語では
どう書けばいいか」と。

 現在、私は、『Home Education for Mothers & Fathers in Front-Line』と書いて
いる。
二男の嫁のデニースが、いろいろ知恵を貸してくれた。

それに対して、デニス君は、『Education on the front line at home』がいいのでは
ないかと提案してくれた。
が、これではどこか直訳的。
また前置詞を、inとするか、onとするかで、迷った。
デニス君も迷った。
結果、これからは、
『Home Education on the Front-Line』とすることに決定した。
『by Hiroshi Hayashi』を付け加えるときは、
『Home Education on the Front-Line by Hiroshi Hayashi』とする。

これで決まり!

 なおBLOGだけで、毎日数千件のアクセスがある。
内訳を見ると、日本国内からのアクセスが約50%。
外国からのアクセスが約50%。
まちがった英語は使えない。


●小沢一郎(Ichiro Ozawa)

 食事をしながらデニス君と、政治の話をする。
その中で、デニス君がこう言った。
「オザワ・イチローは、醜い顔をしている」と。

 デニス君は、小沢一郎がよくしてみせる、あの傲慢そうな顔をまねしてみせた。
ふんぞり返ってニヤつく、あの顔である。
「今度、ジュリアがオーストラリアの首相になったけど、ごくふつうの女性だよ」とも。

 自分では大物ぶっているつもりなのかもしれない。
収賄問題を問いかけられても、ニヤニヤと笑っている。
しかしどこかへん?
チグハグ?
腐ったような醜悪さだけが、プンプンとにおう。
民主党支持者も、少しは外国人に与える印象も考えて、党首選びをしたらよい。
小沢一郎は、そういう意味では、最悪。
ウソだと思うなら、一度、近くにいる外国人に、彼の印象をたずねてみたらよい。


●自転車店業界

 昨日、自転車店業界について書いた。
それに対して、どこかの自転車店の店主と思うが、こんなコメントを書いてくれた。
「大型店の自転車は、中国製で品質が悪い」「輸入自転車は、100%完成品で送って
くるが、調整しないと乗れない」と。

 しかしそれは一昔(=10年)も前の話。
それ以後は、日本のメーカーが現地で指導しながら、日本向けの自転車を製造している。
また自転車の調整(ブレーキのきき具合や、車輪のゆがみなど)は、当然のこと。
それをしないで売っている店は、ショッピングセンターでもない。

 また個人の自転車店へ行くと、どこの店主も、中国製自転車の悪口を並べる。
言うなればグチのようなもの。
グチを聞かされるほうは、たまったものではない。
それに今、スポークやチューブに至るまで、中国製でないものをさがすほうが、
むずかしい。
つまりこういう発想では、個人の自転車店に勝ち目はない。
では、どうしたらよいか?

 ひとつには、問屋からおろされてきた自転車をそのまま並べるのではなく、
2〜3台は、オリジナルで組み立てた自転車を並べてみる。
店先へ置いておくだけでも、客との会話がはずむ。

「このペダルは、私のマウンテンシューズに合わせて、特注で作らせたものです」
「このサドルのうしろの反射板は、うちで自作したものです」
「この自転車は、クラウン(TOYOTA車)のパールホワイトと同じ色です。
近くの自動車塗装屋さんに塗装してもらいました」とかなど。
40年前の自転車を、ピカピカに生き返らせ、並べておくのもよい。
そういうプロ意識が、客を安心させる。
わかりやすく言えば、「この店主は自転車が好きなんだな」と客に思わせる。
(まちがっても、「金儲けが好きなんだな」と客に思わせてはいけない。)
それが客に、安心感を与える。

 つまり知恵を使う。
「自転車が好き」という気持ちを、外に向かってアピールする。
やりようによっては、方法はいくらでもある。
ひとつのアイデアとして、書いてみた。


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よろしくお願いします。              はやし浩司
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   4日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●叱り方

★子どもに恐怖心を与えないこと。
そのためには、

子どもの視線の位置に体を落とす。(おとなの姿勢を低くする。)
大声でどならない。そのかわり、言うべきことを繰り返し、しつこく言う。
体をしっかりと抱きながら叱る。
視線をはずさない。にらむのはよい。
息をふきかけながら叱る。
体罰は与えるとしても、「お尻」と決める。
叱っても、子どもの脳に届くのは、数日後と思うこと。
他人の前では、決して、叱らない。(自尊心を守るため。)
興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。(叱ってもムダ。)

 

子どもを叱るときは、
@目線を子どもの高さにおく。
A子どもの体を、両手で固定する。
B子どもから視線をはずさない。
C繰り返し、言うべきことを言う。

@子どもが興奮したら、中止する。
A子どもを威圧して、恐怖心を与えてはいけない。
B体罰は、最小限に。できればやめる。
C子どもが逃げ場へ逃げたら、追いかけてはいけない。
D人の前、兄弟、家族がいるところでは、叱らない。
Eあとは、時間を待つ。
Fしばらくして、子どもが叱った内容を守ったら、
「ほら、できるわね」と、必ずほめてしあげる。

ほめ方

★人前でおおげさにほめること。

古代ローマの劇作家のシルスも、
「忠告は秘かに、賞賛は公(おおやけ)に」
と書いている。
頭をなでるなど、スキンシップを併用する。
繰り返しほめる。
ただしほめるのは、
努力とやさしさにとどめる。
顔、スタイルは、ほめないほうがよい。
「頭」については慎重に!

はやし浩司
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●叱り方・ほめ方

●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)

 子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」
と考える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省して
いるから、そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効
果は、ない。叱るときは、次のことを守る。

@がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、A大声で怒鳴らない。
そのかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳から遠い」
と考える。聞いた説教が、脳に届くには、時間がかかる。B相手が幼児のばあいは、
幼児の視線にまで、おとなの体を低くすること(威圧感を与えないため)。視線をは
ずさない(真剣であることを、子どもに伝えるため)。子どもの体を、しっかりと親
の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこと。

にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとし
ても、「お尻」と決めておく。実際、約五〇%の親が、何らかの形で、子どもに体罰
を与えている。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おお
やけ)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめ
ること。そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは
繰り返しほめる。特に子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタ
イルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見
てくれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかり
していた女子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないとき
があるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いく
らでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらに
はがんばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえ
って子どもからやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」
式の、脅しもタブー。

結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばっ
た」式の前向きの理解を示してあげる。

 叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。
*****************************************************************************

こんな怒り方は、がまんのし方は、
子どもを、ダメにする!
はやし浩司

「別冊PHP」(1997年・7月号より転載)

 子育ては、言わば、条件反射の集まりのようなものです。そのとき、その場で、いちい
ち考えて子どもを叱ったり、怒ったりする人はいません。たいていの人は、「頭の中では
わかっているのですが、その場になると、ついカーッとして……」と言います。

 ただ最近の傾向としては、小子化の流れの中で、子どもの機嫌をそこねまいと、叱る
べきときに叱らない親、怒るべきときに怒らない親がふえています。あるいは強く叱った
あとに、「さっきは、ごめんね。お母さんが悪かった」と、子どもに謝る親も珍しくありま

ん。こういう親の心のスキ間をねらって、子どもはドラ息子、ドラ娘化します。

 また子育てに不安を抱いていたり、子どもに何らかの不信感をもっている親は、どうし
ても子どもを必要以上に強く叱ったり、怒ったりします。「いったい、いつになったら、あ

たは私の言うことが聞けるの!」と、です。あとはこの悪循環の中で、子どもはますます
自分で考えたり判断したりすることができなくなり、親の叱り方はますますはげしくなる

いうわけです。

 が、何が悪いかといって、親の情緒不安ほど悪いものはありません。先週は子どもが
お茶をこぼしたときは何も言わなかった親が、今週は、子どもがお茶をこぼしたりする
と、子どもの顔が青ざめるほど子どもを怒鳴り散らすなど。こういう環境だと、子どもの

格は内閉し、さらに悪い場合には、精神そのものが萎縮してしまいます。

 園や学校などでも、皆が大声で笑うようなときでも、皆と一緒に笑えず、口もとをゆが
めてクックッと笑うなど。なお悪いことに、このタイプの親は、静かで従順な子どもほど、
「いい子」と誤解して、ますます子どもを悪い方向に追いやってしまう傾向があります。

 叱り方、がまんのし方は、子育ての中でも要(かなめ)と言えるほど、重要であり、ま

それだけに難しいことです。叱るときや、がまんするときは、「ここが教育」と心してあ
たるようにします。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子どものほめ方、叱り方 しかり方)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの発達段階テスト】byはやし浩司

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【子どもの心の発達・診断テスト】


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【子どもの社会適応性・EQ検査】(参考:P・サロヴェイ)


●社会適応性


 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。


(1)共感性


Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。


○いつも喜んでするようだ。
○ときとばあいによるようだ。
○いやがってしないことが多い。


(2)自己認知力


Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは
……


○雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)
○しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)
○聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)


(3)自己統制力


Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子
どもは
……。


○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)
○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)
○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)


(4)粘り強さ


Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。


○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)
○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)
○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)


(5)楽観性


Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子ど
もは…
…。


○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)
○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)
○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)
 

(6)柔軟性

Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……


○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)
○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)
○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)


***************************


(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。


 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。
(以上のテストは、いくつかの小中学校の協力を得て、表にしてある。集計結果などは、
HPのほうに収録。興味のある方は、そちらを見てほしい。当日、会場で、診断テスト実
施。)


***************************


●順に考えてみよう。


(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。


 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。


 その反対側に位置するのが、自己中心性である。


 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。


 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。


(2)自己認知力


 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」
「私は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。


 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。


反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っ
ていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示
すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。


(3)自己統制力


 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。


 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。


 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかか
わらず、お菓子をみな、食べてしまうなど。


 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。


 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の
統制力に分けて考える。


(4)粘り強さ


 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。


 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。


 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。


 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。


(1)楽観性


 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。


 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。


 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。


 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。


 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。


 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜
い」と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」
と。さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタし
ても、しかたないでしょう」と。


 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。


(2)柔軟性


 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。


 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。


 一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたく
なになる、かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何
らかの問題がある子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。


 朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをし
なかっ
た子どもがいた。


 いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚
園でも、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。


 何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまっ
てしまう子どもがいた。


 先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではな
い」と、最後までがんばった子どもがいた。


 症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができ
る。柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。
(はやし浩司 思考 ボケ 認知症 人格の後退 人格論 EQ論 サロベイ)


●終わりに……


 私は私と考えている人は多い。しかし本当のところ、その「私」は、ほとんどの部分で、
「私であって、私でない部分」によって、動かされている。


 その「私であって私でない部分」を、どうやって知り、どうやってコントロールしてい
くか。それができる人を、自己管理能力の高い人といい、人格の完成度の高い人という。
そうでない人をそうでないという。


 思春期は、それ自体、すばらしい季節である。しかしその思春期に溺れてしまってはい
けない。その思春期の中で、いかに「私」をつくりあげていくか。それも、思春期の大切
な柱である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
思春期 自我構造理論 中学生)


●おまけ


 当日の人格完成度テストで、満点もしくは、それに近い点数を取った子どもには、私の
本をプレゼントする予定。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 自己管理能力 学習指導困難児 フィードバック)


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感】(情報・偏頭痛・オーパーツ・墓参り)
  
●情報

 ときどきハードディスク内部の整理をする。
その中には、もろもろの情報が、たとえて言うなら、ゴチャゴチャになった書庫の
ようになっている。
もちろんゴミも、たまっている。
わかりやすい例で考えてみよう。

 たとえばインターネット・エクスプローラーには、「お気に入り」という欄がある。
ときどき登録するだけでも、あっという間に、それが何百になったりする。
が、削除するには、勇気がいる。
「いつか見るかもしれない」という思いが、どうしても残る。
ためらう。

 が、ある日、一念発起。
まずホルダーを作成する。
「毎日チェック」「ときどき閲覧」「情報源」「役立ち情報」「UPLOAD用」など、
それらしい仕分けをし、その中に片っ端から移動する。
その途中で、「削除」というホルダーも作成する。
あとでホルダーごと、まとめて削除する。

 こうして整理完了!

 で、そのあと不便なことがあるかというと、それがない。
本ではよくあることだが、捨ててしまったあと、「しまった!」と思うようなことはない。
つまりそれだけ情報量が、多いということ。
たとえて言うなら、情報が洪水のように毎日、押し寄せてくる。
それにインターネットのばあい、必要な情報は、そのつど簡単に呼び戻すことができる。

 ……ということで、今朝は、ハードディスク内部の整理から始まった。
1時間ほど、かかった。
とくに写真(PHOTO)の整理に、時間がかかった。
あちこちにバラバラになっている写真を、一か所に集めた。
同時に不要な写真は、心を鬼にして、削除した。

●データの保存

 パソコンという代物は、いつ何どき、壊れるかわかったものではない。
そういう前提で、つきあう。
そのとき管理の仕方がまずいと、大切なデータやファイルが、消えてしまう。
そういうこともある。

 そこで定番通り、私はそのつど、重要なデータやファイルは、外付けのハードディスク
に保存している。
が、それでも安心できない。
パソコン本体が動かなくなってしまうことがある。
そうなると、たとえばマガジンの発行予約や、BLOGの更新ができなくなる。
ホームページの更新もできなくなる。

 そこで私のばあい、メインのパソコンとは別に、つねに緊急用のパソコンをもう一台、
別に用意している。
メインのパソコン(WINDOW7)が万が一、不調になったら、緊急用のパソコンで
作業をつづける。
今が、そのとき。
メインのパソコンは、目下、修理中。
今は、緊急用のパソコン(ビスタ)で、作業をつづけている。
動作はかなりのろいが、しかたない。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●偏頭痛(私のばあい)

++++++++++++++++++

あなたは偏頭痛の痛さを知っているか。
ふつうの痛さではない。
頭の芯まで切り裂くような傷み。
それが容赦なく、ギリギリとつづく。
その痛みが、脳の中で脈動する。

++++++++++++++++++

 偏頭痛の発作が起きた。
深夜に、正確には今朝、明け方。
あれほどはげしい偏頭痛は、数年ぶり。
ふとんの上で転げまわった・・・と言っても、
最近は、よい薬がある。
「ZM」という薬。
それをのめば、20〜30分ほどで症状は一応、消える。
「一応」というのは、「何となくあやうい感じを残して」という意味。
症状が収まったあとも、不快感は残る。
あとは体を横たえて、静かにしていればよい。

 で、私のばあい、「ZM」と同時に、精神安定剤をのむ。
「SZ」という薬だが、女性用の軽い安定剤だそうだ。
それを半分に割ってのむ。
ふつうは一錠だが、半分で効く。

 原因はわかっている。
おとといG県までドライブした。
昨日、犬山に一泊したあと、帰ってきた。
いつもなら昼寝をするのだが、その時間がなかった。
そういう状態で、夕食後、かなりハードなDVDを観た。
タイトルは忘れたが、複雑な内容のSF映画だった。

 床についたのが、10時ごろ。
そのときすでに「?」と思っていたが、ひと晩眠れば、治るだろうと思っていた。
それほどまでに頭痛がひどくなるとは思っていなかった。
夜中になって、ズキンズキンと痛み始めた。
明け方、それが頂点に達した。

●メカニズム

 偏頭痛のメカニズムは、よくわかっている。
気分が和らいだようなとき、血管が拡張する。
拡張して血管を取り巻く神経を圧迫する。

 「ZM」という薬は、基本的には、血管を収縮させる薬である。
一錠500円(医院での処方価格)という高価な薬だが、その分だけよく効く。
水なしで、空腹時にものめる。
私にとっては、なくてはならない薬。
若いころは、その偏頭痛に苦しんだ。
因果な病気で、「今日から休み」という、その朝によく発作が起きた。

当時は偏頭痛というものが、どういうものか、まだよくわかっていなかった。
市販の頭痛薬をのむと、ゲーゲーと吐いた。
ちょうど30歳のときに病院へ行くと、脳腫瘍を疑われた。
頭のレントゲン写真を、何十枚も撮られた。

●そして朝

 ほかに・・・。
私のばあい、湿布薬は効かない。
また偏頭痛は湿布薬が効くような頭痛ではない。
冒頭にも書いたように、頭を割るような、そんな頭痛。
「頭を切り取ってくれ!」と叫んだことも、何度かある。

 だから頭から水をかける。
台所の蛇口の下に頭を置き、上から水をかける。
頭を冷やす。
血管を収縮させる。
「ZM」をのみながら、頭を冷やすと効果がある。
また精神安定剤を併用するのは、精神を安定させるため。
睡眠剤にもなる。

 ともかくも、昨夜は大騒動?
頭を水で冷やしたのはよかったが、パジャマがそれで濡れてしまった。
痛みが消えたら、今度は寒気。
パジャマと下着を着替えた。

 ・・・ということで、今朝は10時起き。
よく眠った。
偏頭痛は消えていた。
よかった!


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーパーツ

 コンビニで『驚愕のオーパーツ、超古代ミステリー99』(双葉社)という本を
買ってきた。
「オーパーツ」というのは、「場違いな人工物」という意味。
パソコン雑誌がほしかったが、よいのがなかった。
それでその本を買った。

 ウソかインチキか?
本当か事実か?

 ……そんなことを考えながら読んだ。
というか、私は、この種の本が好き。
ウソやインチキでも、おもしろい。
本当だったら、さらにおもしろい。

 秦の始皇帝陵で、クロムメッキを施した長剣が見つかった。
2万〜32万年前の洪積世時代の地層から、ミクロン単位(0・001ミリ)の金属片
が見つかった。
ふつうの金属片ではない。
コイルやネジ様のもの。
顕微鏡で拡大した写真も載っている。
さらに火星で、モノリスが見つかった。
高さは約130メートル、幅は約36メートル(NASA)、とか。

 表紙には、こうある。

『水晶ドクロ・古代CDロム・海底の神殿・火星のヒューマノイド・
古代インドの飛行艇・中国のピラミッド・三葉虫を踏みつぶしたサンダル・
謎の金属ヒヒイリカネ・宇宙人土偶』と。

 ただ気になるのは、どれも現代の地球人が知りえた範囲のものばかりであること。
つまり現在の人間の知識を超越したモノは、ないということ。
たとえば重力制御装置が見つかったとか、そういうことであれば、もっとおもしろい。
言い換えると、現代の人間の能力と知識を基準にしている。
またその範囲のものがほとんど。
考えてみれば、それはしかたないことかもしれない。
そこ不可思議なモノがあれば、人間はまず自分のもつ知識や経験で、それが何であるかを
判断しようとする。
ミクロン単位のネジやコイルにしてもそうだ。
どうして「ネジ」であり、「コイル」なのか?
ネジのような形をした微生物が、化石化したことだって、考えられる。
 
 それに「古代人にできるはずがない」という先入観はもたないほうがよい。
エジプトのピラミッドにしても、そうだ。
ナスカ平原の線画にしても、そうだ。
(あなた)という個人には不可能に思えても、数万人単位の人たちが集まれば
可能になることは、いくらでもある。

 ……とまあ、否定的なことばかりを書いていたのでは、おもしろくない。
ひょっとしたら、こうしたオーパーツには、宇宙人がからんでいるかもしれない。
そういう視点でオーパーツをながめていると、宇宙観がぐんと広がる。
(書き忘れたが、その本はオールカラーの写真つき。)
つまり地球に住む私たちが、かぎりなく小さく見えてくる。
日常的なささいなことが、かぎりなく小さく見えてくる。
それを信ずるかどうかは、別。
そういう意味では、こういう本は、おもしろい。
「ヘエ〜」と感心しながら読んでいるだけで、脳みそがガンガンと刺激される。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●墓参りという罪滅ぼし(?)

 こんな話を聞いた。
従兄弟の友人に、Mさんという女性がいる。
今年、65歳。
その女性が、これまた熱心な信者で、毎月、命日には墓参りを欠かさないという。
(毎月だぞ!)
5、6年前、両親が相次いで他界した。
たいへんな孝行娘ということになるが、話を聞くと、実際にはどうもその逆のようだ。
毎晩、ほとんど毎晩、両親の悪夢に悩まされているという。
「化けて出る」という言い方がある。
それに近いかもしれない。
枕元に立って、「ウラメシ〜〜」と。
Mさんは、それに耐え切れず、墓参りばかりしている(?)。

 何があったのか?
だれにもわからない。
Mさんも話さない。
両親との間に、確執以上の確執があったらしい。

 話は変わる。
これはMさんのことではない。
先日、こんなDVDを見た。

 2人の兄弟が、ひょんなことから殺人を請け負ってしまう。
そして2人で、1人の実業家を殺す。
借金に追われての犯行である。
が、ここから予想外の展開。

 弟のほうが、罪の意識に耐えかねて、「自首する」と言い出す。
それを止める兄。
言い争う兄と弟。
が、最後は、もみあっているうちに、事故で兄は死亡。
それを見て、弟は自殺。

 で、私もこう考える。
もし私が人を殺したら、その夜から、眠られなくなるだろうな、と。
霊とかそういうものをまったく信じない私だが、子どものころから幽霊は苦手。
いないとわかっていても、こわい。 
こわいものは、こわい。

 四谷怪談、牡丹灯籠、それに番町皿屋敷……。
そういった映画は、みな、観た。
猫化けの映画も観た。
こわいもの見たさ……というか、体をガタガタ震わせて観た。
そのときできた潜在意識が、脳の奥深くに、徹底的に刻み込まれている。

 が、なぜこわいか。
理性的に考えれば、幽霊など、いない。
いないのに、こわい。
悪夢に悩まされる。

ひとつには、夢というのは、理性とは別の世界で見る。
深い潜在意識の世界が浮かび上がってきて、それが夢となる。
「ウラメシ〜〜」と。

 そういう自分の弱さを知っているから、私には人を殺すなどということはできない。
そういう思考回路そのものがない。

 で、先に書いたMさんの話。
近所の人たちは、「孝行娘」と思っているらしい。
従兄弟もそう言った。
しかし……?
もうひとつおまけに、「?」。

 私が知るかぎり、墓参りを熱心にする人には、2つのタイプがある。
ひとつは、本当に信仰上の理由があって参るタイプ。
もうひとつは、罪滅ぼしのために参るタイプ。
(習慣的に、意味もなく参るタイプもあるが、それはここでは考えない。)
どちらであるにせよ、深い(思い)があって、それぞれの人は墓参りをする。

 では、私はどうか?

 実のところ、墓参りなるものは、ほとんどしたことがない。
若いときから、したことがない。
家に仏壇もあるが、ほとんど開いて手を合わせたことがない。
が、だからといって、生死を粗末に考えているということではない。
むしろ逆で、そういった儀式で、生死をあいまいにしてはいけないと考えている。
たとえば私の母は、60歳を過ぎるころから、仏壇の金具を磨いてばかりいた。
それが日課になっていた。

 しかし60歳といえば、今の私の年齢。
まだまだ前向きに生きなければならない。
生きて生きて、生き抜く。
そういう年齢である。
仏壇の金具を磨くのは、最期の最期でよい。

 同じように墓参りをしたり、仏壇を開いて手を合わせるのも、最期の最期でよい。
墓参りをしたからといって、また仏壇を開いて手を合わせたからといって、「ご先祖様」を
大切にしたことにはならない。
(しないからといって、粗末にしたことにもならない。)
私だって、やがてその「ご先祖様」になるわけだが、大切にしてくれるなら、「今」、
大切にしてほしい。
それをしないで、死んだあと、ひしゃくで頭から水をかけられ、「ムニャムニャ」と
言われても、私は喜ばない。

 ……とまあ、過激なことを書いてしまった。
ただ私のばあい、本当のところ、母が他界し、兄が他界し、実家を処分したことで、
ほっとしている。
(他界したことを喜んでいるのではない。誤解のないように!)
1日とて、気が晴れる日はなかった。
ときどきさみしく思うことはあるが、それ以上に、解放感があるのも、これまた事実。
「やっとあの家から逃れることができた」という解放感である。
私はその呪縛感に、60年近く、苦しんだ。
兄はもっと苦しんだ。

 が、私は一度とて、悪夢を見ていない。
実家を売却したその翌日の朝も、こんな夢を見た。

 私は兄と2人で腕を組みながら、坂下から実家へと歩いていた。
やがて実家の前に来たとき、私は兄にこう言った。
「やっと仇(かたき)を取ってやったよ」と。
そのとき兄を見ると、兄独特のジャスチャで体を丸めて、うれしそうに笑っていた。

 だから私はその従兄弟にこう言ってやった。

「そのMさんという女性というのは、よほど何かうしろめたいことをしたんだよ」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年   10月   1日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●感情のコントロール

+++++++++++++++++++++

感情のコントロールは、前頭の連合野が管理して
いる。
理性の府。
感情のコントロールができる人は、それだけ
人格の完成度が高いということになる。
が、この暑さ。
何かにつけ、イライラしやすい。
爆発しやすい。
つまりその分、セロトニン(脳間伝達物質)の
分泌が、旺盛になっている?
その前に暑さと、セロトニンの分泌とは、
関係があるのか。
たとえば暑いから、どうしてもアイスを食べたり、
甘味ジュースを飲んだりする。
それがインシュリンの分泌を促し、セロトニンの
分泌を促す。
結果として、キレやすくなる。

++++++++++++++++++++++

●葬儀で大泣きした女性

 先日、ある葬儀に出たら、いざ出棺となったとき、人目もはばからずギャーギャーと
大泣きをした女性がいた。
年齢は65歳くらいか。
その女性の兄の葬儀だった。
その泣き方が、ふつうでないというか、異常だった。
みながなだめたが、5分以上は泣きつづけていた。
静かな会場だったので、よけいに目立った。

 感情のコントロールができない人というのは、そういう人をいう。
つまりそれだけ大泣きしたのだから、さぞショックだったのだろうと思ったが、その
あとの三日目の食事会のときには、ケロッとしていた。
むしろ快活に、はしゃいでいるようにも見えた。
大声で笑い、冗談まで言い合っていた。

 このタイプの人は、思慮深さがなく、また言ってよいことと悪いことの判断ができない。
その場の感情に溺れて、感情のおもむくまま、思いついたことを口にする。
愚痴、批判、悪口、中傷……まさに、何でもござれ。

●感情のコントロール

 かく言う私とて、偉そうなことは書けない。
私自身も、感情のコントロールに苦労する。
他人に対しては、めったに取り乱すことはないが、ワイフに対しては、そうでない。
そのままの自分を、ぶつけてしまう。
だから夫婦喧嘩ばかり……。

 自分でもそれがよくわかっているから、まず食事面で気をつけるようにしている。

(1)カルシュウム、マグネシウム、カリウム(海産物)の多い食生活に心がける。
とくにカルシュウム。
ときに錠剤で補う。

(2)甘い食品を避ける。
一時的に甘い食品を多量に口にすると、インシュリンが分泌され、それが血糖値を
さげる。
さげたまま、さらにさげるから、結果的に低血糖状態になる。
低血糖状態になると、精神がきわめて不安定になりやすい。
イライラしたり、怒りっぽくなったりする。
集中力もなくなる。
とくに夏の暑いときは注意する。

 言い忘れたが、カルシュウム剤は、戦前までは精神安定剤として使われていた。
「どうもこのところ精神が不安定」と思っている人は、カルシュウム分の多い食生活
に心がけてみたらよい。
子どもについても、そうである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 感情のコントロール キレやすい キレやすい子
ども)

+++++++++++++++

以前書いた原稿を、添付します。

+++++++++++++++

●キレる子どもの相談

++++++++++++++++

数年前、キレる子どもについて、
ある母親から、こんな相談が届いて
いる。

そのとき書いた原稿をそのまま
ここに紹介する。

++++++++++++++++

●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重15キロの子どもが、缶ジュースを1本飲むということは、体重60キロのおとな
が、四本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを4本は飲めない。飲めば飲ん
だで、腹の中がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔
よりも大きなソフトクリームを1個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困
っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの
子どもでまず疑ってみるべきは、低血糖。

一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげよ
うとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残ったイン
スリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。

つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状
態になると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状
態になって大声をあげたり、暴れたりする。

このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切
るように、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」とし
て、20年ほど前に話題になったことがある。

日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほか)。そこでもしあなたの
子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくて、ダ
メもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。

  話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげし
い」「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約50%が、この問題で悩
んでいる。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、
思いきって捨てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。
そして子どもが食事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親とい
うのは、たいてい無意識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、
間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)

(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。

 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつう
の家庭よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康
なら、小食(?)でも問題はないとみる。

++++++++++++++++++++++++

以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。

++++++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。

娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は5歳半になる年中児で、下に3歳半の妹がいます。

小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く
子でした。

それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。

真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている
態度には見えません。

走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないよ
うです。

そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。

私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方につ
いては、それでは分からないという事を伝える様にしています。

できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。

そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っていま
す。

心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係がある
のでしょうか。

また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰
りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なので
しょうか。

泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしています
が、私が折れる事はありません。

その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブル
をゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な
動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中さ
せて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成
ります。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、
「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要
もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、
子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎ
の原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと
思います。

+++++++++++++++++
 
●汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・7賢人の1人)だが、自分を知ること
は難しい。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中2男児)がいた。どこがどう問題児だっ
たかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。

「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。
するとその子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のか
たきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまっ
た。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを
思い知らされたからだ。

ある日1人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好
きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小1男児)のように、
友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行
くから、一緒に行ってほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、
軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その
相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でな
い部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、
それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、も
っと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思
いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のこと
を、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねく
れる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこう
したゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくこと
なく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰
り返すことである。

+++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということに
なります。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさ
い」と言っても、子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようも
ないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜
在意識というのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる
意識のことです。いろいろな説がありますが、教育的には、小学3、4年生を境に、急速
にこの自意識が育ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時
に、その自分を、自分でコントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ど
も自らの意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自
意識を期待しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ど
も自身は、自分ではそれがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケ
ースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く
子でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている
態度には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないよ
うです。
●そのせいか、話し言葉も5歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満5歳の子どもに、理解できるはず
もありません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落
ち着いて会話しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言った
ところで、ムダというものです。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、
ホルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけ
でも、いろいろあります。

されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃんがえり、欲
求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメールによ
ると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、心配
先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数
かぎりなく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なお
そう」とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく
見られる一過性の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。

むしろ問題は、そのことではなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視す
ることによって、子どものほかのよい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」
「これがダメ」という指導が日常化しますと、子どもは、自信をなくしてしまいます。生
きザマそのものが、マイナス型になることもあります。

 私も幼児を35年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とか
なおしてやろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はな
いのですね。子どもというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然にな
おっていく。

UYさんのお子さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学3、4年生を境に、
症状は急速に収まってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロー
ルするようになるからです。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑
をかける」、あるいは「もっとかっこよくしたい」「みんなに認められたい」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしな
いことだけを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、U
Yさんができることを、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自
信をもってください。私のHPを読んでくださったということだけでも、UYさんは、す
ばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中にな
っているようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最
近書いた原稿(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過
関心ではないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもあ
りません。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほ
とんどの人は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、
過関心や過干渉を繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育
児ノイローゼ気味なのかもしれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを
分担してもらったほうがよいかもしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりし
てテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)よ
うな乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意
識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」とい
う部分についてですが、こう考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学1年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まっ
ていきます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますか
ら、見た目には、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよ
くわかりますが、一方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事
実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめま
す。コツは、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情
の糸を切らないというのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。

それを感じると、今度は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴
れたら……。私のばあいは、教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしまいま
す。叱ったり、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくまでも愛
情を基本に指導します。それだけを忘れなければ、あとは何をしてもよいのです。あまり
神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学3、4年生になるころには、消えてい
ます。ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてく
ださい。そして、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そ
のときわかってくださると確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろあるで
しょうが、そこは、クレヨンしんちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってくだ
さい。コミックにVOL1〜10くらいを一度、読まれるといいですよ。テレビのアニメ
は、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に
掲載しますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点
があれば、至急、お知らせください。
(030217)

※ ……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考え
る考え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物
的意識」というのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物
的意識がなくなった状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。
この自己意識は、四歳くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静
岡大学・郷式徹助教授「ファミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【YK様へ(2)】

 食生活がどうなっているのか、私にはわかりませんが、まず試してみるべきことは、(1)
食生活の改善、です。

 ここにも書いたように、MG、CA、Kの多い食生活(自然海産物中心の献立)に切り
かえてみてください。

 精製された白砂糖を多く含む食品は、避けます。(与えると意識しなくても、今では、あ
りとあらゆる食品に含まれています。幼児のばあい、2歳児でしたら、1日、10グラム
前後でじゅうぶんです。)

 感情の起伏がはげしく、手にあまるようなら、一度、小児科を訪れてみられてはいかが
でしょうか。以前とちがい、最近では、すぐれた薬も開発されています。(薬を使うときは、
慎重にしますが、そのあたりのことは、よくドクターと相談して決めてください。)

 食生活の改善……徹底してするのが、コツです。アイス、ソフト、乳酸飲料などは、避
けます。徹底してすれば、1、2週間ほどで、効果が現われてきます。

 同じようなケースを、もう一つ、思い出しました。その原稿を添付します。少し古い原
稿なので、先に書いたことと、内容が少し異なるかもしれませんが、異なっている部分に
ついては、先に書いたほうを、優先してください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・
小児栄養学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な
行動に出るタイプの子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの
殺傷事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげら
れたことがある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授
らが、この分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)
は私にこう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいで
しょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱し
ていて、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親
が注意すると、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動
き回るという多動性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくよ
うな金切り声をあげ、興奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態に
なると、手がつけられなくなった。私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断
した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを
診断したり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治
療や治療方法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。
仮にその子どもが過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、
親から質問されてもそれを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえ
ば自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止
める。この過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、
「あなたの子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。教師として
すべきことは、知っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始する
ことである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」
という。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが
徐々に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとる
と、多量の、つまり必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子ど
もを低血糖児の状態にしてしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)
疲れやすい、(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝
日新聞九八年2・12)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子ど
もにも共通してみられる症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院
に見舞ったとき、看護婦からそういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相
反する二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむと
き、「つかめ」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。し
かし低血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパ
とものを切るような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えると
いうよりは、手が勝手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻
害されると、感情のコントロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅
される。そして結果として、それがキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖
をとり過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体
内のブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性
化した血液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやす
い。

体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)
脳の発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をし
やすくまた回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)とい
う。わかりやすく言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、
また精神疲労を起こしやすいというのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシ
ウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達
物質であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。
アメリカの生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、
神経中枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マ
ザーリング」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざ
まな子どもによる問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、
食品に含まれている白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに
入ったジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということ
で、パンや紅茶など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進
言した。が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにし
ながら、「ビスケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻
薬患者の禁断症状のようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度
はH君が一転、無気力状態になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一
週間後のことだったが、H君はまるで別人のようになっていた。ボーッとして、反応がま
るでなかった。母親はそういうH君を横目で見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせまし
ょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、
イギリスでは、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをど
こかで感じたら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多
い食生活にこころがける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という
短期間で、ほとんどの子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを
投与するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくて
も、ダメもと。そうでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食
で困ります」は、ない。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるというこ
とは、体重60キロの人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジュースを四本は飲めな
いし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、
精製されていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合され
ていて、ここでいう弊害はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 過剰行動児 セロトニン悪玉説 キレる子供の原因 キレる子どもの原因 切れる子供
 原因 キレる子ども 原因 原因物質)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月5日(日曜日)

++++++++++++++++++

朝の涼しさを感じて、少しほっとした。
寝心地はよくなかったが、ぐっすりと眠ることが
できた。
今週1週間は、まだきびしい残暑がつづくという。
それを知って、「あと1週間……」と、自分に
言い聞かせる。

9月5日、日曜日。
これから友人をJR浜松駅まで迎えに行く。

++++++++++++++++++

●旅の終わりに

 人生を旅にたとえる人は、多い。
しかしそれは結果としてわかることであって、「今」が旅の途中とわかる人はいない。
それぞれがそれぞれの「今」を懸命に生きている。
まわりにあるはずの景色すら、目に入らない。

 が、古い友人に出会うと、それがよくわかる。
「あのときが、人生の出発点だった」と。
私はデニス君のビーチハウス(別荘)で、3か月を過ごした。
留学生活の終わりごろで、私はそこからメルボルンにある大学へ通った。
遠い昔のできごとであるにもかかわらず、思い出はまったく色あせていない。
静かに目を閉じれば、あの日のあの光景が、つい先頃のできごとのように目に
浮かんでくる。

●年年有魚(余)

 デニス君は、北京での学会のあと、日本へ立ち寄ってくれた。
そのこともあって、昨夜温泉へ行くとき、こんな話をした。
「ヒロシ、君は、『年年有魚』という言葉を知っているか?
『魚』と『余裕』の『余』は、同じ発音なんだ。
つまりね、年々、魚がふえる、つまり年々、余裕がふえるという意味なんだ」と。

 中国語には、ちがった文字を同じ発音で表わすことが多い。
これを「諧音語」という。
つまりありきたりの言葉の中に、別の意味を含ませて、縁起をかつぐ。

デ「ふつうは3匹の魚を丸で囲んで、それを表す」
私「3匹か?」
デ「3匹だ」
私「フーン、中国文化は、奥が深いからね」と。

●「諧音」

 私たち日本人にとっては、漢字は中国から来たものということになっている。
またその程度の敬意で、終わってしまう。
しかし当の中国人は、漢字はその向う……つまり超自然の世界から来たものと
思っている。
だから漢字に、超自然的な神秘性、つまり「縁起」をかつぐことが多い。
反対に言えば、縁起の悪い漢字を嫌う。

 日本でも正月に、「豆」を食べる習慣がある。
「豆(マメ)」には、「元気」という意味がある。
つまり「元気になるために、豆を食べる」。

で、中国では、たとえその漢字そのものの意味はよくても、「諧音語」で別の悪い意味
をもつ漢字とつながると、その漢字を避ける。
よく知られた例が、果物の「梨」と「離」。
梨と離は、「諧音語」。
だから「夫婦が2人で梨を分けて食べることは、縁起が悪い」とされる。

●縁起

 で、デニス君は、『年年有魚』を日本では、何というかと聞いた。
しかしいくら頭の中をさがしても、それに該当することわざが浮かんでこない。
あえて言うなら、「亀の甲より年の功(劫)かな」と。
「長年の経験には、それなりの価値がある」という意味である。
が、それともちがう。
言い忘れたが、『年年有魚(余)』というのは、毎年、魚がふえるように、生活に余裕が
生まれるという意味である。

 たいした意味ではないが、それが「縁起」ということになる。
中国人は、『年年有魚』と言いながら、縁起をかつぐ。

私「縁起というのは、日本では迷信ということになっている」
デ「……」
私「ただ中国人は、縁起をたいへん大切にする。漢字にこだわる」と。

●縁起

 先にも書いたように、漢字に対して、中国人は日本人とちがった感覚をもっている。
縁起のよい漢字を使えば、「福が来る」と信じている。
縁起の悪い漢字を使えば、「禍(災い)が来る」と信じている。
だから中国人とつきあうときは、漢字の使い方に注意しなければならない。
「ただの文字」と思ってはいけない。

 が、迷信は迷信。
「縁起」というのは、まさにそれに当たる。

デ「ヒロシは、迷信を信ずるか?」
私「まったく、信じない」
デ「……」
私「まったく信じないから、縁起というものを考えたことがない」と。

 もともと「縁起」というのは、仏教用語で、本来は「縁起生起」をいう。

「……一切の事物は固定的な実体をもたず、さまざまな原因や条件が寄り集まって
成立していること。仏教の根本思想。因縁、因果」
「社寺などの由来または霊験などの伝説。またそれを記したもの」
「吉凶の前兆(きざし)」(以上、Casio Ex-Word)とある。

 縁起イコール、迷信と考えて、頭から否定するのも、どうやらまちがっているようだ。

●会話

 学生のころは毎晩のようにデニスとこうして議論した。
彼は北京大学に留学したあと、中国人の女性(同じメルボルン大学の学生)と
結婚した。
以後、モナーシュ大学の図書館で司書をしながら、中国語の権威者としても知られている。
私とはまったくの畑違いの人物ということになるが、それだけに会話をしていても、
おもしろい。

 実のところ、『年年有魚』という言葉は、デニスに聞くまで、知らなかった。
よい勉強になった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 年年有魚 諧音 縁起 中国語)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●親友の接待

+++++++++++++++++++

理由は、よくわからない。
わからないが、このところ、「私」自身が、
大きく変化している。
そんな感じがする。

ほんの数年前までは、友人が、2か月とか
3か月、私の家にホームステイしても、
どうということはなかった。
毎日の生活を、いつもと同じように繰り返す
ことができた。

が、今回は、少し感じがちがう。
自分でもそれがよくわかる。
気疲れしやすいというか、重い負担感を覚える。
40年来の友人である。
気心も、よくわかっている。
その間に、たがいに何度も行き来している。
が、それでもいつもと感じがちがう。
今日は午後になって、偏頭痛まで起きた。
なぜだろう?

++++++++++++++++++++

●柔軟性(フレキシビリティ)

 ここ1、2年、急速に柔軟性が失われていくのを感ずる。
臨機応変にその場に対処できない。
ひとつの計画を立てると、それに固執するようになった。
つまり以前は、もう少しいいかげんな人間だった。
その場、その場で、平気で計画を変更した。
が、今は、それができない?
これも脳の老化現象のひとつ?

 友人は日本へ来てから、別棟の部屋に寝泊まりしている。
とくに世話がかかるわけではない。
もともと独立心の旺盛な友人で、ひとりであちこちに出かけたりする。
彼なりにここでの生活を楽しんでいる。
が、それでも気疲れを起こす。
「食事はどうしよう?」「どこへ連れていけばいいのか?」「洗濯はしているだろうか?」
などなど。
いつもそのことが頭から離れない。

●気疲れ
 
 今までとちがう点がひとつある。
それは今度の出会いが、最後になるかもしれないという閉そく感である。
手術はうまくいったとは言っているが、友人は今年、大病を患った。
だからよけいに私は、気を遣ってしまう。
今までのような気楽さが、ない。
それから生まれる気負いが、私を疲れさせる。

「おいしいものを食べさせてやろう」とか、「楽しい思いをさせてやろう」とか、
そんなことばかりを、考える。
友人は友人で、それが反対にわかるのか、どこか他人行儀な態度を見せる。
欧米人を家に迎えるときには、やりたいようにさせてやる。
それが最善の接待方法である。
よくわかっているが、今回は、どうしてもあれこれと干渉してしまう。

 それにもうひとつの理由は、この暑さ。
体の方がバテてしまっている。
ときどき軽いめまいがする。
何かにつけ、疲れやすい。
慢性的な睡眠不足症状もつづいている。
その友人がどうこうというのではなく、そういう状態のとき、人を接待するのも、
たいへん。
本来なら、仕事以外のときは、家の中でゴロゴロしている。
いや、今日は、仕事中に、ウトウトと眠ってしまった。
体力も、気力も、たしかに弱くなっている。

●接待の限界

 ワイフはこう言った。
「これからは無理かもね」と。
つまり会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
どこかのレストランか、ホテルで会う。
宿泊までしてもらうというのには、無理がある。

 このことは反対に、私たちがだれかの家を訪問するときも、そうだ。
会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
それ以上は、相手に大きな負担を与えるので、遠慮する。
若いときならともかくも、相手が60歳を過ぎていたら、遠慮する。
夫はともかくも、妻の方が、たいへん。
寝食の世話からすべて、いっさいがっさい、気を遣わなければならない。
相手が欧米人なら、まだよい。
あれこれ、家事を負担してくれる。
が、相手が日本人だと、そうはいかない。

●日本人

 「客人」とし来た日本人は、何もしない。
本当に何もしない。
つまり何も手伝ってくれない。
いつもどこかでデンと座っているだけ。
「上げ膳、据え膳」という言葉があるが、それだけではすまない。
風呂の世話から、寝具の世話などなど。
動き回るのは、私と妻。

 私も山荘をもったころは、毎週のようにいろいろな友人を呼んだ。
しかしそのうち、疲れるようになった。
せっかくの土日なのだが、それが終わるころには、ヘトヘトになってしまった。
ということで、今は、客人を、ほとんど招待しない。
……というか、体力的な限界もあって、招待できない。
内心では申し訳ないと思いつつ、駅前のレストランで会って、それで別れるように
している。

●やはり暑さのせい?

 これもひとつの変化かもしれない。
老後になればなるほど、交際の範囲が、狭く、淡白になっていく。
これは息子や娘たちとの交際についても、言える。
私のばあい、息子たちには、ほとんど気を遣わない。
しかし嫁となると、そうはいかない。
気を遣う。
孫がいれば、なおさら。

 最初から同居していれば、こういうこともないのだろう。
またこれは「慣れ」の問題。
毎週のように行き来していれば、それなりの対処もできる。
しかし私たちのようなばあい、やはり疲れる。
で、そのことをワイフに問うと、ワイフも同じようなことを言った。
「これからは、どこかのホテルに泊まってもらうようにしたら」と。

 実のところ、泊めてもらう側の私にしても、同じことが言える。
あれこれ気を遣うよりは、どこかのホテルに泊まったほうがよい。
好きな時刻に寝て、好きな時刻に起きる。
好きな料理を食べる。
どこか心さみしい感じがしないわけでもないが、つまりそれだけ心のほうが、
柔軟性(フレキシビリティ)を失っていることを意味する。

 ……いや、やはりこれは暑さのせいかもしれない。
もう少し気候のよいときだったら、こうも疲れないはず。
このところの暑さは異常!
本当に暑い!
心身が、二重、三重にバテてしまっている。
だからよけいに柔軟性を失ってしまった……ようだ。


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