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2010年     11月号
Essay……
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 11月 29日
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選ばれました!

【息子の初フライト】(特集)第2回□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【息子の初フライト】JAL搭乗機

●羽田へ向かう

 これから羽田に向かう。
新幹線に乗って、品川まで。
品川で一泊。
朝イチで、羽田へ。
903便。
午前8時10分離陸
息子の初飛行。
副機長になっての初飛行。
機種はB777−300。
500人乗り。

が、あいにくの悪天候。
目下、台風14号が、沖縄を直撃中。
言い忘れたが、初飛行は、羽田から那覇(沖縄)まで。
明日は「欠航」になるはず。
それでも私たちは、羽田に向かう。
ワイフが、こう言った。
「沖縄へ行けなくてもいいから……」と。
ワイフにはワイフの思いがある。
息子のにおいをかぎたいらしい。
「E(息子)に会えなくてもいいから……」とも。
私はすなおに、同意した。

・・・いつだったか、私は息子に約束した。
「初飛行のときは、飛行機に乗るよ」と。
その約束を、明日実行する。

●搭乗券

 息子が、JALの無料搭乗券を送ってきた。
が、その券では飛行機の予約はできない。
私とワイフは、割高の席を予約した。
往復で、14万円。
ファーストクラス。
(このLCCの時代に、14万円!)
LCC、つまりロー・コスト・キャリアー。
欧米では、ばあいによっては、300〜500円で飛行機に乗れるという。
そういう時代に、14万円!

 「高い」と思う前に、私のばあい、
「無事に帰ってこられたら、安い」と考える。
何を隠そう、私は飛行機恐怖症。
一度、飛行機事故に遭ってから、そうなってしまった。
今の今も、欠航になればよいと思う。
同時に、約束は守らねばならないという義務感。
その両者が、心の中で交互に現れては消える。

 本音を言えば、どちらでもよい。
飛行機は好きだが、今年(2010)になってからというもの、一度も空を
見あげていない。
いろいろあった。
加えて飛行機事故のニュースを聞くたびに、ヒャッとする。
そうした状態がこの先、一生、つづく。

もし欠航になったら、羽田見物をする。
羽田でも、国際線が発着するようになったという。
それを見て、明日は、そのまま帰ってくる。

●息子の初飛行

 2010年、10月xx日。
JALに入社した息子が、副機長として、初飛行をする。
羽田から那覇まで。
パイロットの世界では、「初〜〜」というのは、
そのつど特別な意味をもつ。

 先週、その知らせを受け取るとすぐ、飛行機の予約を入れた。
長い手紙と、10枚近い写真が、それに添えてあった。
訓練につづく訓練で、忙しかったらしい。

●初飛行

 先にも書いたが、2010年の正月以来、ほぼ11か月。
私とワイフは、一度も空を見上げたことがない。
飛行機の話もやめた。
それまでは毎日のように空を見上げていたが・・・。

 正月に事件があった。
どんな事件かは、ここには書きたくない。
一度ハガキを書いたが、返事はなかった。
無視された。
手紙ではなく、ハガキにしたのは、家族の間で秘密を作りたくなかったから。
ともかくも、その事件以来、私は苦しんだ。
ワイフも苦しんだ。

『許して忘れる』という言葉がある。
この言葉は自分以外の人には有効でも、自分に対しては、そうでない。
自分を許して、忘れることはできない。
自己嫌悪と絶望感。
……いろいろあった。

●ケリ

 そんな私がなぜ初飛行に?、と思う人がいるかもしれない。
それにはいろいろ理由がある。
ひとつには、自分の気持ちにケリをつけたかった。

息子が横浜国大を中退して、パイロットになりたいと言ったときのこと。
私は息子に夢を託した。
私も学生時代、パイロットにあこがれた。
仲がよかった先輩が、航空大学へ入学したこともある。

 が、息子が、航空大学に入学し、その夢がかなった。
息子が単独飛行で、浜松上空を横切ったときは、ワイフと二人で、
毛布を2枚つないだほどの大きな旗を作った。
黄色い旗だった。
それをワイフと2人で、空に向かって、振った。
JALに入社して、さらにその夢がかなった。
が、私の夢は、そこまで。

●私の夢

 私たちがその飛行機に乗ることは、昨日になってはじめて連絡した。
同じようにハガキで書いた。
たがいの連絡が途絶えて、10か月以上になる。
が、内緒で乗るというような、卑屈な気持ちはみじんもない。
私には私の夢があった。

息子の操縦する飛行機で、旅をする。
私の代理として、息子が操縦桿を握る。
その夢に終止符を打つために、飛行機に乗る。

私は私で夢をかなえ、あとは静かに、引き下がる。

●子離れ

 が、どうか誤解しないでほしい。
だからといって、息子との関係が壊れているとか、断絶しているとか、
そういうことではない。
(連絡は途絶えているが……。)
ワイフはいつも、こう言っている。
「自然体で考えましょう」と。

 その自然体で考えると、「どうでもよくなってしまった」。
「めんどう」という言い方のほうが、正しい。
親子の関係にも、燃え尽き症候群というのがあるのかもしれない。
その事件をきっかけに、私は燃え尽きてしまった。

 もちろん苦しんだ。
心臓に異変を感ずるほど、心を痛めた。
家にいる長男は、E(息子)を怒鳴りつけてやると暴れた。
私は私で、体中が熱くなり、眠られぬ夜が、何日もつづいた。
しかしそれも一巡すると、ここに書いたように、どうでもよくなってしまった。
もし修復するという気持ちが息子にあったとしたら、11か月というのは、
あまりにも長すぎた。
遅すぎた。

 これも子離れ。

●呪縛

 「今ね、息子や嫁さんに会っても、以前のようにすなおな気持ちで、
いらっしゃいとは言えないよ」と。
ワイフも同じような気持ちらしい。
仮に言えたとしても、そのときはそのときで、終わってしまうだろう。
長つづきしない。
やがて今のような状態に、もどる。

 悲しいというよりは、ワイフの言葉を借りるなら、「そのほうがいい」と。
「息子たちは息子たちで、私たちに構わず、幸福になればいいのよ」と。

 私は逆に、若いころから、濃密すぎるほどの親子関係、親戚関係で苦しんだ。
2年前、実兄と実母をつづいてなくし、やっとその呪縛から解放された。
そんな重圧感は、私たちの世代だけで、終わりにしたい。
もうたくさん。
こりごり。

●だれかがしなければならない仕事?

 息子から長い手紙がきたとき、チケットの予約はした。
メールはたびたび出したが、返事はなかった。
それで今回は、メールを出さなかった。
たぶん、アドレスを変えたせいではないか。
いろいろな文章が頭の中を横切ったが、手紙にはならなかった。
今さら、何をどう書けばよいのか。

 繰り返しになるが、今までもそうだったが、これからも飛行機事故の
ニュースを聞くたびに、心臓が縮むような思いをしなければならない。
危険な職業であることには、ちがいない。
が、私にこう言った人がいた。

「だれかがしなければならい仕事でしょ」と。

 そんな酷な言葉があるだろうか。
もし自分の息子だったら、そんな言葉は出てこないだろう。
たとえば自分の息子が戦場へ行ったとする。
そしてだれかに、「心配だ」と告げたとする。
で、そのだれかが、「だれかがしなければならない仕事でしょ」と。

●夢?

 夢をかなえた?

・・・今にして思えば、やはりあのとき、私は反対すべきだった。
学費の援助を止めるべきだった。
空を飛びたいという気持ちは、よくわかる。
しかし多かれ少なかれ、だれしも一度は、パイロットにあこがれる。
が、空の飛び方は、必ずしもひとつではない。
客となって、空を飛びまわるという方法もある。
またその夢がかなわなかったからといって、負け犬ということでもない。

 たとえばあの毛利氏(宇宙飛行士)は、浜松市で講演をしたとき、こう言った。
「みなさん、夢をもってください」「実現してください」と。
子ども相手の講演会だった。
「みなさん」というのは、子どもたちをさす。

 しかし自分の子どもを宇宙飛行士にしたいと願う親はいない。
もし、あなたの息子が「パイロットになりたい」と言ったら、あなたはどう思うだろうか。
「なりなさい」と言うだろうか。
「危険な仕事」というのは、それをいう。

 今回も、何人かの知人に、「息子が初飛行します」と告げた。
みな「おめでとう」とは言ってくれたが、そこまで。
それ以上のことは言わなかった。
みな、口を閉じてしまった。

●運命

 ともかくも今夜は、品川で一泊する。
早朝便で、羽田から那覇へ飛ぶ。
しかし台風。
台風14号。
このままでは明日、台風は沖縄を直撃する。
私の予想では、当時のフライトは、欠航になるはず。
大型台風のまっ只中へ、着陸を強行するパイロットは、いない。

 そう、何ごとも中途半端はいけない。
直撃なら、直撃でよい。
そのほうが、あきらめがつく。

 しかしこれも運命。
私たちはいつも無数の糸にからまれている。
今は「天候」という糸にからまれている。

●S氏

 ときどきふと、こう考える。
長生きするのも、考えもの、と。
数年前までよく仕事を手伝ってくれた、S氏という男性が亡くなった。
病院で腎透析を受けている最中に、眠るように亡くなったという。
私より、5歳も若かった。

 もし私も5年前に死んでいたら、私の周辺はもっと平和だったかもしれない。
息子たちにも、「いい親父だった」と言われているかもしれない。
それにこの先のことを考えると、私はみなに迷惑をかけることはあっても、
喜ばれることはない。
さみしい人生だが、これも運命。
無数の糸にからまれて作られた、運命。

●ケリ

 先ほど「ケリ」という言葉を使った。
この数年、私はこの言葉をよく使う。
ケリ。
いろいろなケリがある。
とくに人間関係。

 それまでモヤモヤしていたものを清算する。
きれいさっぱりにする。
それがケリ。

 最初にケリをつけたのは、山林。
30年ほど前、1人のオジが、私に山林を売りつけた。
「山師」というのは、イカサマ師の代名詞にもなっている。
オジはその山師だった。
当時としても、相場の6倍以上もの値段で売りつけた。
私はだまされているとはみじんも疑わず、その山林を買った。
間で母が仲介したこともある。

 その山林を昨年、買ったときの値段の10分の1程度で売却した。
株取引の世界でいう、「損切り」。
損をして、フンギリをつける。
いつまでも悶々としているのは、精神にも悪い。
そうでなくても、私の人生は1年ごとに短くなっていく。
 
●人間関係

 つぎに人間関係。
私はいくつかの人間関係にも、ケリをつけた。
まず「一生、つきあうことはない」という思いを、心の中で確認する。
そういう人たちから順に、ケリをつけていく。

 妥協しながら、適当につきあうという方法もないわけではない。
しかしそんな人間関係に、どれほどの意味があるというのか。
というか、私は自分の人生の中で、妥協ばかりして生きてきた。
言いたいことも言わず、したいこともしなかった。
みなによい顔だけを見せて生きてきた。
子どものころから、ずっとそうしてきた。
若いときは、働いてばかりいた。
そんな自分にケリをつける。
そのために人間関係にも、ケリをつける。

 この先、刻一刻と自分の人生は短くなっていく。
無駄にできる時間はない。
それでも私のことを悪く思うようなら、「林浩司(=私)は死んだ」と、
そう思いなおして、あきらめてほしい。

●選択
 
 もうひとつ、ここに書いておきたい。
それが「選択」。
何かの映画に出てきたセリフである。
「私の人生はいつも、選択だった」と。

 いくら私は私と叫んでも、毎日が、その選択。
「私」など、どこにもない。
Aの道へ行くにも、Bの道へ行くにも、選択。
選択を強いられる。
そこでその映画の主人公は、こう叫ぶ。
「もう選択するのは、いやだア!」と。

 この言葉を反対側から解釈すると、「私は私でいたい」という意味になる。
つまり先に書いた、「ケリ」と同じ。
私が言う「運命論」は、その「選択論」に通ずる。
私たちは大きな運命の中で、こまかい選択をしながら生きている。
その選択をするのも、疲れた。

●孤独

 たまたま今朝も書いたが、この先、独居老人ならぬ「無縁老人」が、どんどんと
ふえるという。
私もその1人。

 しかし誤解しないでほしい。
無縁は、たしかに孤独。
しかし「有縁」だからといって、孤独が癒されるということではない。
世界の賢者は、口をそろえてこう言う。
老齢期に入ったら、相手を選び、深く、濃密につきあえ、と。
あるいはこう教えてくれた友人(私と同年齢)もいた。

 「林さん(=私)、酒を飲むと孤独が癒されるといいますがね、あれはウソですよ。
そのときは孤独であることを忘れますがね、そのあと、ドカッとその数倍もの
孤独感が襲ってきますよ」と。

 人間関係も同じ。
心の通じない人と、無駄な交際をいくら重ねても、効果は一時的。
そのときは孤独であることを、忘れることはできる。
しかしそのあと、その数倍もの孤独感がまとめて襲ってくる。
私も、そういう経験を、すでに何度かしている。

●親子関係

 そこで問題。
よき親子関係には、孤独を癒す力があるか否か。
答は当然、「YES」ということになる。
人は、その親子関係を作るために、子育てをする。
が、このことには二面性がある。

 私は私の親に対して、よい息子(娘)であったかどうかという一面。
もうひとつは、私という親は、息子(娘)に対して、よい親であったかという一面。
私を中心に、前に親がいて、うしろに子どもがいる。
実際には、よき親子関係を築いている親子など、さがさなければならないほど、少ない。
が、今、子育てに夢中になっている親には、それがわからない。

 「私だけはだいじょうぶ」
「うちの子にかぎって……」と。
幻想に幻想を塗り重ねて、その幻想にしがみついて生きている。
が、子どもが思春期を迎えるあたりから、親子の間に亀裂が入るようになる。
それがそのまま、たいていのばあい、断絶へとつながっていく。

 それともあなたは自分の親とよい人間関係を築いているだろうか。
「私はそうだ」と思う人もいるかもしれない。
が、ひょっとしたら、そう思っているのは、あなただけかもしれない。

●品川のホテルで

 ホテルへ着くと、私はすぐ睡眠導入剤を口に入れた。
睡眠薬ともちがう。
ドクターは、「熟睡剤」と言う。
朝方に効く薬らしい。
早朝覚醒を防ぐ薬という。
それをのむと、明け方までぐっすりと眠られる。
が、午前5時前に目が覚めてしまった。

 ……このつづきは、またあとで。

●宿命的な欠陥

 話はそれる。

 これは現代社会が宿命的にもつ欠陥なのかもしれない。
私たちは古い着物を脱ぎ捨て、ジーンズをはくようになった。
便利で合理的な社会にはなったが、そのかわり、日本人が昔からもっていた温もりを
失ってしまった。

 こんな例が適切かどうかはわからない。
が、こんな例で考えてみる。

 私が子どものころは、町の祭りにしても、旅行会にしても、個々の商店主がそれを
主導した。
どこの町にも、そうした商店街が並んでいた。
近所どうしが、濃密なコミュニティーをつくり、助けあっていた。

 が、今は、大型ショッピングセンターができ、街の商店街を、駆逐してしまった。
こうこうと光り輝く、ショッピングセンター。
山のように積まれたモノ、モノ、モノ。
そこを歩く華やかな人々。
ファッショナブルな商品。 

 しかしそういう世界からは、温もりは生まれない。
わたしはそれを、現代社会が宿命的にもつ「欠陥」と考える。
当然のことながら、親子関係も、大きく変わった。

●私の時代

 何度も書くが、私は結婚する前から、収入の約半分を実家へ、送っていた。
ワイフと結婚するときも、それを条件とした。
当時の若者としては、けっして珍しいことではなかった。
集団就職という言葉も、まだ残っていた。

が、今の若い人たちに、こんな話をしても、だれも信じない。
私の息子たちですら、信じない。
そんなことを口にしようものなら、反対に、「パパは、ぼくたちにも同じことを
しろと言っているのか」と、やり返される。

 実際に、そんなことを言ったことはないが、返事は容易に想像できる。
だから言わない。
言っても、無駄。

 が、今はそれが逆転している。
親が子どものめんどうをみる時代になった。
なったというよりは、私たちが、そういう時代にしてしまった。
飽食と少子化。
ぜいたくと繁栄。
それが拍車をかけた。

●翌、10月29日

 チケットを購入し、今、11番ゲートの出発ロビーにいる。
昨夜のんだ、頭痛薬のせいと思う。
今朝から軽い吐き気。
私はミネラルウォーターを飲む。
ワイフは横でサンドイッチを食べている。

 どうやら飛行機は、定刻どおり離陸するらしい。
うしろ側にモニターがあって、飛行機の発着状況を知らせている。
今のところ「欠航」という文字は見えない。
だいじょうぶかな?
台風14号は、どうなっているのかな?

 B777は、大型飛行機。
その中でもB777−300。
日本では、最大級の飛行機。
ジャンボと呼ばれた747よりも、実際には大きいという。
風にも強いとか。

 しかしこわいものは、こわい。
この体のこわばりが、それを示している。
恐怖症による、こわばり。
体が固まっている!

●ラウンジで

 ワイフが席にもどってきた。
あれこれしゃべったあと、また席を立った。
もどると、私のシャツのシミを拭き始めた。
「白いシャツだと、目立つから……」と。

 「搭乗手続き中」の表示が出た。
那覇行き、903便。
だいじょうぶかなあ……?

●離陸

 飛行機がスポット(駐機場)を離れたとき、熱い涙が何度も、頬を流れた。
同時に息子の子ども時代の姿が、あれこれ脳裏をかすめた。
「走馬灯のように」という言い方もあるが、走馬灯とはちがう。
断片的な様子が、つぎつぎと現れては消えた。

 最初は、息子が私のひざに抱かれて笑っている姿。
生まれたときは、標準体重よりかなり小さな赤ん坊だった。
だから私は息子を、「チビ」とか、「チビ助」とか呼んでいた。
それがそのあと、「ミニ公」となり、「メミ公」というニックネームになった。

 つぎに大きなおむつをつけて、かがんでいる姿。
どこかの田舎のあぜ道で、道端を流れる水をながめている。
オタマジャクシか何かを見つけたのだろう。
息子はその中を、じっと見つめていた。

 そのメミ公が、私の身長を超えたのは、中学生になるころ。
今では180センチを超える大男になった。

 ……先ほど通路を通るとき、私たちを見つけたらしい。
左の席にいた機長が何度も、頭をさげてくれた。
私は思わず、親指を立て、OKサインを出した。

 私は、飛行機が空にあがると、息子が航空大学時代に送ってくれた学生帽を
かぶりなおした。
金糸で、それには「Hiroshi Hayashi」と縫いこんであった。

●白い雲海

 シートベルト着用のサインが消えた。
電子機器の使用が許可された。
私はパソコンを取り出した。
息子は今日から飛行時間を重ね、つぎは機長職をめざす。
いや、息子のことだから、それまでおとなしくしているとは思わない。
何かをするだろう。

 どうであれ、おそらく私はそれまでは生きていないかもしれない。
窓の外には白い雲海が広がっていた。
まぶしいほどの雲海。
台風14号の影響か、見渡す限り、雲海また雲海。
息子は毎日、こんな世界を見ながら仕事をするのだろうか。

●B777−300

 だれだったか、こう言った。
「これからは飛行機のパイロットも、バスの運転手も同じだよ」と。
しかしB777−300に乗ったら、そういう考えは吹き飛ぶ。
風格そのものがちがう。
飛行機は飛行機だが、B777−300は、さすがに大きい。
新幹線の1車両(普通車)は、90人(5人がけx18列)。
その約5〜6倍の大きさということになる。
それだけの大きさの飛行機が、機長と副機長という2人の技術だけで飛ぶ。

 国際線は何10回も利用させてもらったが、そんな目で見たことは、今回が
はじめて。
それに、ここまでくるのに、つまり航空大学校に入学してから、5年半。
ANAに入社した大学の同期は、すでに1〜2年前から、副機長として
飛んでいるという。

 パイロットという仕事は、そこまでの段階がたいへん。
またそのつど、感動がある。

 はじめてフライトしたとき。
はじめて単独飛行をしたとき。
はじめて双発機を飛ばしたとき。
はじめて計器飛行をしたとき。
はじめて夜間飛行をしたとき。
いつも「はじめて……」がつく。
今回は、副機長。
はじめての副機長。

●JAL

 飛行機に乗るなら、JALがよい。
けっしてひいきで書いているのではない。
訓練のきびしさそのものが、ちがう。
先ほど航空大学校の話を書いたが、卒業生でもJALに入社できたのは、3名だけ。
ANAも3名だけ。
そのあと、カルフォルニアのNAPA、下地島(しもじしま)での訓練とつづいた。

 外国のパイロットは、そこまでの訓練はしない。
退役した空軍パイロットが、そのまま民間航空機のパイロットになったりする。
会社自体は現在、ガタガタの状態。
しかしパイロットだけは、ちがう。
あるいはパイロットは全世界、同じと考えたら、大きなまちがい。
息子の訓練ぶりの話を聞きながら、私は幾度となく、そう確信した。

 みなさん、飛行機はJALにしなさい!
多少、料金が割高でも、JALにしなさい!
命は、料金で計算してはいけない。
たとえば中国の航空会社は、少しの悪天候でも、つぎつぎと欠航する。
夜間飛行(=計器飛行)もロクのできないようなパイロットが、国際線を
操縦している。
数年前、韓国の釜山で墜落した飛行機もそうだった。
パイロットには夜間飛行の経験がなかったという。
だからそうなる。

●アナウンス

 先ほど、息子がフライトの案内をした。
早口で、ややオーストラリア英語なまり(単語の末尾をカットするような英語)でも
話した。

 この原稿は息子にあとで送るため、気がついた点を書いてみたい。

(1)もう少し、低い声で、ゆっくりと話したらよい。
(2)「タービュランス(乱気流)」という単語が、聞きづらかった。
(3)こうした案内は、「Ladies & Gentlemen」ではじめ、必ず終わりに、「Thank you」
でしめくくる。

 早口だと、乗客が不安になる?
静かで落ち着いた口調だと、もっと安心する。
とくに今日は、台風14号の上空を飛ぶ。

●沖縄

 いつもそうだが、飛行機恐怖症といっても、飛行機に乗っている間は、だいじょうぶ。
離陸前、着陸時に緊張する。
それに先方の出先で不眠症になってしまう。
今回も、おとといの夜くらいから不眠症に悩まされた。

 今夜は沖縄でも、ハイクラスのホテルに泊まる。
ワイフが料金を心配していたが、私はこう言った。
「14万円もかけていくんだぞ。ビジネスホテルには泊まれない」と。

 1泊2日の旅行(?)だが、行きたいところは決まっている。
数か月前、沖縄に行ってきた義兄が、「こことここは行ってこい」と、あれこれ
教えてくれた。
そのひとつが、水族館。
ほかにショーを見せながら夕食を食べさせてくれるところがあるそうだ。
ワイフは、そこへ行きたいと言っている。

●オーストラリア

 飛行機に乗る前は、「家族もろとも、あの世行き」と考えていた。
しかしまだまだ死ねない。
やりたいことが山のようにある。
それにまだ若い。 
ハハハ。
まだ若い。

 ……今、ふと、オーストラリアに向かって旅だったときのことを思い出した。
離陸するとすぐ、BGMが流れ始めた。
その曲が、「♪アラウンド・ザ・ワールド」だった。
私はその曲を耳にしたとき、誇らしくて、胸が張り裂けそうになった。
1970年の3月。
大阪万博の始まる直前。
その日、私はオーストラリアのメルボルンへと旅立った。

 ……しかしどうしてそんなことを思い出したのだろう。
あのときもJALだった。
機種はDC−8。
香港、マニラと、2度も給油を重ねた。
つばさの赤い日の丸を見ながら、私は心底、日本人であることを誇らしく思った。

●台風

 再び息子が案内した。
「台風の上を通過するから、シートベルトを10分ほど着用するように」と。
とたん、飛行機が揺れ始めた。

 息子は英語で、「about ten minutes」と言ったが、こういうときオーストラリア
人なら、「approximately ten minutes言うのになあ」と思った。
どうでもよいことだが……。

息子はアデレードのフリンダース大学で、8か月を過ごしている。
オーストラリアなまりでは、「about」も、「アビャウツ」というような発音をする。
どうでもよいことだが、息子の英語は、どこか日本語英語臭い。
いつだったか、そんな英語で管制官に通ずるのかと聞いたことがある。
それに答えて、息子はこう言った。
「へたに外国なまりの英語を話すと、かえって通じないよ」と。

 そう言えば、こんな笑い話がある。

 たまたま息子が単独飛行を成功させたときのこと。
録音テープが送られてきた。
息子と管制官とのやり取りが録音されていた。
そのときたまたま二男の嫁(アメリカ人)と妹(アメリカ人)が私の家にいた。
そのテープを2人が何度も聴いてくれた。
が、そのあとこう言った。
「何を言っているか、まったくわからない」と。

 私には、よくわかる英語だったが……。

 息子も、こうした機内では、思い切って、オーストラリアなまりでもよいから、
外国調の英語を話したほうがよい。
そのほうが外人の乗客たちは安心する。

 ……こういう飛行機の中では、いろいろな思いがつぎからつぎへと出てきては消える。
やっと少し、気持ちが落ち着いてきた。
イヤフォンを取り出して、音楽を聴く。

●思い出

 あれから40年。
またそんなことを考え始めた。
羽田からシドニーまで。
往復の料金が、42、3万円の時代だった。
大卒の初任給がやっと5万円を超えた時代である。

 このところいつもそうだが、こうして過去のある時点を思い浮かべると、
その間の記憶がカットされてしまう。
あのときが「入り口」なら、今は「出口」。
部屋に入ったと思ったとたん、出口。
過去のできごとを思い出すたびに、そうなる。

 「これが私の人生だった」と、またまたジジ臭いことを考えてしまう。
白い雲海をながめていると、人生の終着点が近いことを知る。
ワイフには話さなかったが、今朝も、起きたとき足がもつれた。
自分の足なのに、その足に自信がもてなくなった。
40年前には、考えもしなかったことだ。

●機内で

 右横にワイフ。
いろいろあったが、機内で「死ぬときもいっしょだね」と言うと、うれしそうに、
「そうね」と言ってくれた。
がんこで、カタブツで、男勝りのワイフだが、はじめてそう言った。

 が、総合点をつけるなら、ほどほどの合格点。
何よりも健康で、ここまでやってこられた。
たいしたぜいたくはできなかったが、いくつかの夢は実現できた。
山荘をもったのも、そのひとつ。
やり残したことがあるとすれば、……というか、後悔しているのは、何人かの友と、
生き別れたこと。
とくにオーストラリア人のP君。
一度、謝罪の長い手紙を書いたが、返事はなかった。
そのままになってしまった。

 P君は生きているだろうか。
元気だろうか。

 ……どうして今、そんなことを考えるのだろう?
白い雲海が、どこまでもつづく白い雲海が、私をして天国にいるような気分にさせる。

●息子へ 
 
 私は約束を果たした。
同時に私のかわりに、私の夢をかなえてくれた、お前に感謝する。
長い年月だった。
あの山本さんと夢を語りあってから、43年。
山本さんは、JALの副機長として、ニューデリー沖の墜落事故で帰らぬ人となった。
いつか、お前も、インドへ飛ぶことがあるだろう。
そのときは、そこで最高の着陸をしてみてほしい。
最高の着陸だ。

 いつかお前が言ったように、そよ風に乗るように、着地音もなく静かに着陸。
逆噴射が止まったとき、飛行機は滑るようにランウェイを走り始める。
そんな着陸だ。
楽しみにしている。

●気流

 やはり気流がかなり悪いようだ。
下を向いてパソコンにキーボードを叩いていると、目が回るような感じになる。
飛行機はガタガタと小刻みに揺れている。
先ほどのアナウンスによれば、ちょうど今ごろ、台風の真上を通過中とのこと。
体では感じないが、かなり上下にも揺れているらしい。

 もうすぐ飛行機は那覇空港に到着。
電子機器の使用は禁止になった。
では、またあとで……。

●10月30日、那覇空港出発ロビー

 昨日は、那覇空港を出ると、そのまま沖縄観光に回った。
タクシーの運転手と、交渉。
貸し切りにして、1時間3000円見当という。
私は首里城。
ワイフはひめゆりの塔を希望した。

 ひめゆりの塔を先に回った。
それに気をよくしたのか、タクシーの運転手は、あちこちの戦争記念館を回り始めた。
旧海軍司令部壕、沖縄平和祈念資料館などなど。
かなりの反戦運動家とみた。
アメリカ軍の残虐行為、横暴さを、あれこれ話した。
「自粛なんてとんでもない。大規模なデモをしたりすると、その直後から、アメリカは
わざと大型の戦闘機を地上スレスレに飛ばすんだよ」と。

 沖縄の現状は、沖縄へ来てみないとわからない。
いかに沖縄が、日本人(ヤマトンチュー)の犠牲になっているか、それがよくわかる。
……というか、4時間近く運転手の話を聞いているうちに、私はすっかり洗脳されて
しまったようだ。

 「沖縄戦は悲惨なものだったかもしれませんが、問題は、ではなぜそこまで悲惨なもの
になったか、です。ぼくは、そこまでアメリカ軍を追い込んだ日本軍にも責任があると
思います」と。
運転手はさらに気をよくして、「そうだ、そうだ」と言った。
沖縄では、「反日」という言葉を使えない。
「反米」という。
しかしその実態は、「反日」と考えてよい。

 中国人や韓国人が内にかかえる、反日感情とどこか似ている。
「私たちは日本人」という意識が、本土の日本人より、はるかに希薄。
1人のタクシーの運転手だけの話で、そう決めてしまうのは危険なことかもしれない。
が、私は、そう感じた。


(次号へつづく)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●10月28日(Happy Birthday to Me!)

+++++++++++++++++++++

今日は、私の誕生日。
満63歳!
おめでたいというより、今まで健康で、生きて
こられたことに感謝。
入院日数はゼロ。
病院のベッドの上に寝たのは、子どものころ、
喉の手術のときと、数年前に点滴を受けたときだけ。
つまり2度だけ。
ありがたいことと思う。

が、この先のことはわからない。
現状維持に心がけ、前に向かって進みたい。

++++++++++++++++++++

●「はやし浩司」への風当たり

 このところ私への風当たりが強くなってきた。
BLOGなどへの辛辣なコメントが多くなった。
昨日もあった。
いわく、「ご立派なご宣託、ごちそう様。
あちこちのBLOGへ、同じ原稿を投稿するな。
わずらわしいだろ」と。

 が、これには理由がある。

 今でこそ、BLOGも選別され、優良なBLOGサービスのみが生き残るようになった。
しかし当初は、そうでなかった。
ある日突然、閉鎖されるBLOGも少なくなかった。
そのため、それまで書いた原稿が、みな消えてしまった。
「削除」ではなく、消えてしまった。
そんなことがよくあった。

電子マガジンにしても、安心できない。
大手電機会社の傘下にあったBマガジンも、去年、突然、閉鎖になってしまった。
私はそのBマガジンを、それまで5年近くも書きつづけてきた。

 閉鎖になると、ご存知のように跡かたもなく、文章が消えてしまう。
現在、存続しているBLOGにしても、B・Blogなどは、一度、それまでの原稿が
すべて削除されてしまうというアクシデントがあった(2008年)。

 さらにBLOGによっては、容量というのがあって、一定の容量を超えると削除されて
しまうところもある。
BLOGによって、いろいろな規約、制約がある。
性質もちがう。
G・Blogは、長い文章でも制約なく、載せてくれる。
しかし読みにくいし、読者もふえない。
R・Blogは、一回の転送量に制限がある。
長い文章は、いくつかに分断しなければならない。
が、読者は多い。
こうした性質は、それぞれ、みな、ちがう。

またBLOGによって、読者層もちがう。
若い人たちが好んで立ち寄るBLOGもあれば、若い母親たちが好んで立ち寄るBLOG
もある。
またアクセス数にしても、毎日2000件以上のものもあれば、50件どまりという
のもある。

 HPにしても、規約の変更は、日常茶飯事。
私が主に使っていたHPサービスは、今年になって、突然、HTMLを暗号化すると
言い出した。
が、私が使っているHPソフトは、それに対応していなかった。
私がいかに冷や汗をかいたかは、この世界を多少なりとも知っている人なら、よく
わかるはず。

 こういうニガ〜イ経験を重ねているから、私が書くような「原稿的」な記事は、
ひとつのBLOGだけにしぼるのは、心配。
心配というより、危険?
それがよくわかっている。
だから原稿を残すという意味で、複数のBLOGを発行し、同じものを載せる。
が、どうしてそれが、悪いことなのか?
わずらわしいことなのか?

 むしろこうしたコメントを書く人のほうが、私には理解できない。
読みたくなければ、読まなければよい。
「同じ原稿だな」で、すむ話である。
スパムメールのように、原稿の押し売りをしているわけではない。

●自己顕示

 それはそれとして、「はやし浩司は、自己顕示欲の旺盛な人だ」と思う人は、
多いかもしれない。
性格障害のひとつである、「自己愛者」(自己愛性人格障害)の特徴のひとつになっている。
そこで、自己分析。

+++++++++++++++++++++++

●自己愛性人格障害 (DSMの診断基準より)
Narcissistic personality

A 自己の重要さ又はユニークさをおおげさに感じること
(例:業績や才能の誇張、自己の問題の特殊性の強調)

B 再現のない成功、権力、才気、美貌、あるいは理想的なあいの空想に夢中になること

C 自己宣伝癖
(例:絶えず人の注意と称賛を求める)

D 批判、他者の無関心、あるいは挫折に際しての反応がそ知らぬふりであるか、憤激、
劣等感、羞恥心、屈辱感、または、空虚感といった目立った感情である

E 以下のうち少なくとも2項目が対人関係における障害の特徴である。

(1)権利の主張:それに見合っただけの責任を負わずに、特別の行為を期待すること、
(例:望むことを人がしてくれないと言って驚き、怒る)

(2)対人関係における利己性:

 ●自己の欲求にふけるため、又は自己の権力の拡大の為に他者を利用する。
 ●他者の自己保全や権利をないがしろにする。

(3)対人関係で、過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴を持つ。

(4)共感の欠如:他者がどう感じているかわからない。

(注:以上、人格障害 DSM-V(第3版)「精神障害診断基準」(DSM−V/1980年)
より)

+++++++++++++++++++++++

 ここに書いてあることが、どれも当てはまるから、恐ろしい。
自己中心性が極端にまで肥大化した人を、自己愛者という。
しかし私がそうであると判断するのは、待ってほしい。

 私はすでに捨て身。
こうしてものを書きながら、いつも捨て身。
あと何年、生きられるか?
あと何年、脳みそがもつか?
そんな不安感と闘いながら、こうして文章を叩いている。
自己を顕示しようという意識よりは、私を超えた「私」という人間が、この世に
生きてきたという記録を残したい。
言うなれば、私が書く文章は、1人の人間の墓石のようなもの。
どうせ死ねば、煙にもならない煙となって、私は消える。
ついでに言えば、あなたも消える。

 名誉など、どこにもない。
金銭的な利益を求めているわけでもない。
私は私に与えられた脳みそを、自分で使っているだけ。
それよりも恐ろしいことは、年々、脳みその働きが鈍ってきていること。
それが自分でもよくわかる。
5年前に書いた文章、10年前に書いた文章と比べても、それがよくわかる。
とくに集中力と気力。
それが衰えてきた。

 ものを書くというのは、そういう老化との闘いでもある。
が、希望がないわけではない。
恩師の田丸謙二先生は、50歳を過ぎて中国語を独学し、中国の科学院の総会で、
講演している。
もちろん中国語で、である。
80歳を過ぎて、本を翻訳、出版もしている。
脳みそは使えば、それなりに長持ちするらしい。

 ただ反省すべき点は、いくつかある。
たしかに私は、ときとして極論に走りやすい。
白か黒か、はっきりしないと気が済まない。
好き嫌いもはげしい。
言うなれば、まろやかさがない。
自己愛者といえば、自己愛者ということになる。

 ということで、今朝の私は、BLOGへのコメントを読みながら、おおいに反省した。
63歳という年齢を有意義に生きるためにも、こうしたコメントは大切にしたい。
誤解というよりは、意外と私の盲点をついている。
そんな感じがする。

 おはようございます。
はやし浩司 2010−10−28!
今日も、始まった!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●息子の初フライト(1)

今回から3回に分けて、「息子の初フライト」を送ります。

***************************************


【第1回】

【息子の初飛行】はやし浩司 2010−10−29

+++++++++++++++++++++

今回の息子の初飛行について書く前に、息子が
航空大学校の学生のときに私が書いた原稿を、
先に添付します。

+++++++++++++++++++++

【息子の初フライト】2007年

+++++++++++++++++

今日(29日)は、息子が、はじめて
名古屋空港(小牧)にやってくる日。
ワイフが、朝早く、小牧まで、でかけて
いった。

私は、ひとりで、留守番。

見たかった。私も、飛行機、大好き。
飛ぶのが、大好き。「飛ぶ」というより、
飛ぶものが、大好き。

小学生のころ、板で翼(つばさ)をつくり、
それを両腕に結んで、1階の屋根から
飛び降りたこともある。

+++++++++++++++++

 今日(1月29日)は、息子が、はじめて名古屋空港(小牧)にやってくる日。ワイフ
がそれを迎えるため、朝早く、小牧まででかけていった。

 が、私は、ひとりで留守番。見たかった。私も飛行機、大好き。飛ぶのが大好き。「飛ぶ」
というより、飛ぶものが大好き。ラジコンはもちろん、ロケット、紙飛行機にいたるまで、
ありとあらゆるものが、大好き。ついでに鳥も、大好き。

 こんな思い出がある。

 小学生のころ、板で翼(つばさ)をつくり、それを両腕に結んで、1階の屋根から飛び
降りたことがある。板には、大きな紙を張りつけた。私はそれで空を滑空するつもりだっ
た。

 結果は、みなさん、予想のとおり。ドスンと地面にたたきつけられて、それでおしまい。
体が軽かったこともあり、たいしたけがもしないですんだ。私が、小学3年生くらいのこ
とではなかったか。年齢はよく覚えていない。

 以来、私は、飛行機人間になった。パイロットになるのが、夢になった。が、中学生に
なると近眼が進んだ。当時は、近眼の人は、パイロットにはなれなかった。みなが、そう
言った。だからあきらめた。

 そこで今回は、息子のBLOG特集。今までに息子が書いた記事を集めてみる。

 言い忘れたが、今日は、仙台→名古屋→宮崎、明日(30日)は、宮崎→高知→仙台と
いうルートで飛ぶという。明日(30日)は、正午ごろ、浜松の自衛隊基地上空を通過す
るとのこと。
高度は、1500フィート、約4500メートル。

 双発のジェット小型機。もしその時刻に空を見あげることができる人がいたら、ぜひ、
見てほしい。「私」が飛んでいる!

++++++++++以下、2007年1月30日の原稿より+++++++++++

【黄色い旗】

++++++++++++++++++++

2007年1月30日。
息子のEが、自分で飛行機を操縦して、
はじめて、浜松市の上空を飛ぶ。

そこで、私は、2メートル四方の大きな
旗をつくった。テカテカと光る黄色い旗である。

それを地上から振り、息子に合図を送る。

++++++++++++++++++++

●電話

 高知県の高知空港から、連絡が入った。「これから高知空港を飛び立って、浜松に向う」
と。
私は、すかさず、「何時ごろ?」と聞く。

E「1時から、1時半ごろの間だよ」
私「わかった。ぼくとママは、自衛隊基地の南西の角地で、旗を振る。黄色い、大きな旗
だ」
E「見えるかなあ?」
私「南西の角地だ。わかったか。そこを見ろ」と。

 一度、電話を切ったものの、すぐまた電話。今度は、こちらからかけた。

私「そうそう、飛行機はどちらの方向から飛んでくるんだ」
E「真西から、真東に向う」
私「地図で見ると、南西の方角ではないのか?」
E「一度、名古屋の先まで向かい、そこから、東に向う」
私「わかった」と。

 私の声は、子どものようにはしゃいでいた。それが自分でもよくわかった。

 現在、息子は、航空航空大学にいる。2年間の全寮制の大学である。それがいよいよ終
了に近づいてきた。現在は、宮城県の仙台市にいて、最終的な訓練を受けている。練習機
も、単発機のボナンザから、双発ジェットのキングエアに変わった。正確には、ターボプ
ロップエンジンといって、ジェットエンジンでプロペラを回して飛ぶ飛行機である。

 巡航速度は、550〜600キロ(毎時)だそうだ。

●旗

 旗は、長い棒に、セロテープでとめた。テカテカと光る黄色い旗である。それに合わせ
て、ワイフも、私も、黄色いジャケットに着替えた。「これなら空から見えるかもしれない
ね」と。

 空を見あげると、ほんのりと白いモヤがかかっているものの、ほぼ快晴。ところどころ
に、白い雲がポツポツと見える。青い空が、目にしみる。

 「これなら、飛行機が見えるかもしれない」と、また私。

 私とワイフは、旗を車に載せると、航空自衛隊の基地のほうに向った。途中、コンビニ
よって、おにぎりを買うつもりだった。

ワ「私ね、あなたと結婚して、よかったと思うことが、ひとつ、あるわ」
私「なんだ?」
ワ「あなたといると、感動の連続で、退屈しない……」
私「なんだ、そんなことか」と。

●1万5000フィート

 自衛隊の基地へは、10分ほどで着いた。手前のコンビニで、おにぎりとお茶を買った。
1時までは、まだ時間がある。時計を見ると、12時45分。

 基地の南西の角にある空き地に車を止めた。止めるとすぐ、ワイフが、車の屋根に、黄
色いシートをかぶせた。私は、旗を出すと、それを振る練習をしてみた。通り過ぎる車の
中から、みな、人がこちらを見ていた。が、私は気にしなかった。

私「これなら、見えるよ、きっと」
ワ「でも、高いところを飛ぶのでしょ」
私「1万5000フィートだそうだ。約4500メートル」
ワ「富士山より高いのよ」
私「見える、見える、あいつは、視力がいい」と。

 私は何度も時刻を聞く。ワイフは、空をまげたまま、動かない。ときどき、大きなライ
ン機が、
空を飛びかう。白い雲が、今日は、いじらしい。

ワ「あの飛行機は、どれくらいの高さを飛んでいるのかしら?」
私「あれも、4500メートルくらいではないかな?」
ワ「あれくらいの高さだったら、見えるかもしれないね」と。

●1時15分

 そのとき、真西のほうから、飛行機が近づいてきた。ライトをつけている。それを見て、
ワイフが、「あれ、E君じゃ、ない?」と。

 私は「そうかもしれない」とは言ったものの、それにしては高度が低すぎる。「あんな低
くはないよ」とは言ったものの、期待はふくらんだ。「ひょっとしたら、Eかもしれない。
あいつ、基地に近づいたら、前輪灯をつけると言っていた」と。

 目をこらしていると、その飛行機は、基地をめざしてまっすぐに飛んできた。が、やが
てそれに爆音がまじるようになった。

ワ「ジェット機よ……。自衛隊の……」
私「そうだよな、あんな低いはずはないよな」と。

 ジリジリと時間が過ぎていく。1時は過ぎた。しかし、薄いモヤを通して飛行機をさが
すのは、容易なことではない。飛行機そのものが、空に溶け込んでしまっている。そんな
感じがした。

私「何時だ?」
ワ「1時10分よ」
……
私「何時だ?」
ワ「1時12分よ」と。

 そのとき、一機の飛行機が、2本の飛行機雲を残しながら、上空を横切っていった。

私「あれは、ちがうよね」
ワ「あれは、旅客機みたい。大きいわ。Eのは、小型機よ」
私「そうだね……」と。

 するとそのあとすぐ、それを追いかけるかのように、一機の飛行機が空を横切っていっ
た。後退翼の飛行機である。翼端の青い線が、何となく見えた気がした。その飛行機が、
丸い雲の間から出て、まっすぐと東に飛んでいった。

ワ「あれよ、きっと、あれよ」
私「あれかなあ? キングエアの翼は、まっすぐだよ。後退翼ではないはず……」と。

 しかし旗を振るヒマはなかった。目にもわかる速い速度で、その飛行機は、スーッと視
界から遠ざかり、再び、丸い雲の中に消えていった。

私「時刻は、何時?」
ワ「ちょうど、1時15分よ」
私「そうか。やっぱりあれが、Eの飛行機だ。あいつは、昔から時間に正確な子どもだっ
たから。1時から1時半の間と言えば、1時15分だ」
ワ「そうよ、きっと、あれよ。よかったわ。見ることができて」
私「うん」と。

●キングエア

 私たちは、すぐには帰らなかった。「ひょっとしたら、まちがっているかもしれない」と
いう思いで、そのまま、そこに立った。手には黄色い大きな旗をもったままだった。

 が、通るのは、明らかにライン機と思われる大型のものばかり。それから1時半まで、
小型の飛行機は通らなかった。

私「やっぱり、あれだった」
ワ「私も、そう思うわ。あれよ」
私「あとで、Eに聞いてみればわかる。あいつも浜松を通過した時刻を覚えているはずだ
から」
ワ「そうね」と。

 何となく、後ろ髪をひかれる思いで、私とワイフは、その場を離れた。時刻は、1時3
5分ごろだった。

 旗をしまい、つづいて、車の上のシートをしまった。ワイフは、何度も、「やっぱり、あ
の飛行機よ」と言った。

 Eが操縦していたキングエアは、翼に上反角がついている。だからうしろ下方から見る
と、後退翼の飛行機のように見える。はじめは、後退翼の飛行機だったから、キングエア
ではないと思った。しかしそのうち、それを頭の中で、打ち消した。「やっぱり、あの飛行
機だった」と。

●息子のE

 ふたたび、私たちは現実の世界にもどった。いつものように車を走らせ、信号で、止め
る。

 そのとき、ふと、私は、こう言った。「あいつは、本当にあっという間に、飛び去ってい
ったね」と。

 Eをひざの上に抱いたのが、つい、先日のように思い出された。生まれたときは、30
00グラムもない、小さな子どもだった。何もかも、小さな子どもだった。

 そのEが、今は、もうおとな。身長も180センチを超えた。本当に、あっという間に、
そうなってしまった。そして私たちのところから、飛び去ってしまった。

私「あの飛行機の中に、あいつがいたんだね」
ワ「そうね」
私「もう東京あたりまで、行っているかもしれないよ」
ワ「そんなに早く?」
私「そうだよ。時速600キロだもん。30分で東京へ着いてしまうよ」
ワ「飛行機って、速いのね」
私「うん……」と。

 うれしくも、さみしさの入り混じった感情。それが胸の中を熱くした。多分、ワイフも、
同じ気持ちだったのだろう。家に着くまで、ほとんど、何もしゃべらなかった。

 車をおりるとき、再び、ワイフが、こう言った。「本当に、あなたといると、退屈しない
わ」と。
 私は、それに答えて、「ウン」とだけ言った。
(2007年1月30日記)

【追記】

 やっぱり、あの飛行機が、キングエアでした。以下、EのBLOGから、日記をそのま
ま紹介します。

++++++++++++++++++++

 一泊航法、2日目。この上なくスッキリとした寝起き。僕たちの班は、高知経由で仙台
へ帰還する。高知〜仙台間が、僕の担当するレグだ。僕は浜松出身なので、どうしても浜
松上空を通って帰りたかった。名古屋のあたりから新潟へ抜け、そこから真東へ帰るルー
トが主流なのだが、僕は名古屋から浜松、大島を経由し館山、御宿、銚子と房総半島を沿
うように北上、仙台に至るルートを選択。教官すら飛んだことのないルートで、フライト
プランが受理されるかどうか心配だった。というのも、羽田や成田の周辺は、国内一、航
空交通量の多いところなので、C90のような遅いプロペラ機が訓練でフラフラ来られると
迷惑がかかるのでは、と思ったのだ。
実際、高度帯によっては迂回させられる場合もあるんだとか。今回は17,000ft、約5000
mを選択。空港に離着陸するライン機は、空港周辺ではこの高度よりも低いところを飛ん
でいるだろうと予想した結果だ。難なく許可されたので一安心。

 14,000ft以上の高度を航空業界では、『フライトレベル』と呼ぶ。フライトレベル1・7・
0(ワン・セブン・ゼロ)。そこから見た日本の姿は、本当に綺麗だった。
 

航空自衛隊・浜松基地。両親がこの南西端にいて旗を振っていたらしいが、インサイトで
きず。

アクト・シティ。デジカメの望遠でここまで見えた。

一生忘れられない景色を、今日はたくさん見た。

 この他、羽田空港や成田空港なども見ることができた。成田空港では、アプローチする
海外のエアラインが僕らのはるか下方を、列を作って飛んでいるのが見えた。見えたは2
〜3機だけだったが、等間隔のセパレーションを保って、はるかかなたの海から繋がる飛
行機の列は、まるでベルトコンベアーのようであった。高知離陸から仙台着陸まで2時間
45分。今日は仙台に来て初めて、ランウェイ09に着陸した。

 今回の旅で感じたことはたくさんあったが、まとめると、本当に楽しかった、という言
葉になるだろう。操縦技術やオペレーションの訓練はもちろん、日本の空、日本の地形と
いうものの全体的なイメージが掴めた気がする。そして、日本国内だけでなく、海外にだ
って行けそうな、そんな自信も手に入れた。本当に、すばらしい2日間であった。一泊航
法で得た経験を、見た景色を、初めて飛んだ地元の空を、誇りに思ってくれた両親を、宮
崎で再確認した初心を、僕は一生、忘れない。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。
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【不潔嫌悪症・子どもの潔癖症】はやし浩司 2010−10−28

●子どもの強迫症

++++++++++++++++

今朝は千葉県にお住まいの、Aさんと
いう母親から、こんな相談が届いていた。
この相談を読みながら、私は自分が子ども
だったころのことを思い浮かべた。
私自身にも、似たような経験がある。

子どもの潔癖症に併せて、子どもの不安
について考えてみたい。

++++++++++++++++++

【千葉県のAさんより】

5歳の息子の相談です。

以前から幼稚園には行きたがらない傾向にある子でしたが、最近は特に、いつ
もと違う行事ごとがあるたびに、不安になり余計に行きたくないとぐずります。

夏ころから爪かみが始まりました。10月の初めに、ムカデに触ってしまい、
お家に帰ってよく洗えば大丈夫だよと話した出来事を境に、ここを触ってしま
ったが大丈夫か? お父さんの肘とぶつかったが大丈夫か? と何かと聞い
てくるようになりました。外遊びで夢中になっているときにでも、不安になる
と遊びを中断し、聞きに来ます。

その後は、トイレでおしっこをする時には、おちんちんを触らずしたり、玄関
の取っ手を肘で開けたりするようになりました。会話は常に触ってしまったこ
との報告ばかりです。私は、大丈夫だよ、大丈夫だよ。と、いつも言っていま
す。私の手は握れます。どうしてこうなってしまったのでしょうか?

幼稚園の先生は気を引くためではないか? 気にすることはない。とおっしゃ
ってくださいますが、心配で、兄弟の中でも、ひときは気にかけ、スキンシッ
プをしているつもりです。今後はどのように接していけば良いでしょうか? 
治るのでしょうか? よろしくお願いします。

兄弟関係は、姉10歳 本人 弟8ヶ月です。

【はやし浩司より、Aさんへ】

●神経症

 神経症のひとつと考えてください。(「神経症」の定義もあいまいですが…
…。
そのため症状は千差万別です。)

私のHPの中に、ある小学校の先生方と協力して作成した、診断シートがあり
ます。
その中に神経症の項目を並べておきました。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html
どうか一度、目を通してみてください。

 なおこうした症状は単独で現われることは少なく、ほかに爪かみのほか、夜
尿症、チック、何かの強迫症なども現われることがあります。
シート(上記)で、一度、自己診断してみてください。

●愛情飢餓

 兄弟関係で見ると、下に8か月の弟がいるということになります。
愛情に不安を抱き、それが遠因となり、愛情飢餓状態から大きく不安を抱くよ
うになったとも考えられます。
下の子どもが生まれたことにより、赤ちゃん返り、分離不安などの症状を示す
子どもも多いです。

「兄弟の中でも、気にかけ……」ということですが、それまであった自分への
愛情が減らされたことが問題と考えてください。
親は、「平等に……」と思っているかもしれませんが、子どもにとっては、「落
差」が問題なのです。

 それについて書いた原稿を添付しておきます。

++++++++++++++

愛情は落差の問題。

++++++++++++++

●愛情は落差の問題

++++++++++++++

愛情の量は、落差の問題。

多い、少ないではなく、
ふえたか、減ったで、
考える。

よい例が、赤ちゃん返り。

++++++++++++++

 下の子どもが生まれたりすると、よく下の子どもが赤ちゃんがえりを起こし
たりする。(赤ちゃんがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、
下の子に乱暴するのをプラス型ということができる。)本能的な嫉妬心が原因
だが、本能の部分で行動するため、叱ったり説教しても意味がない。叱れば叱
るほど、子どもをますます悪い方向においやるので、注意する。

 こういうケースで、よく親は「上の子どもも、下の子どもも同じようにかわ
いがっています。どうして上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみ
れば、フィフティフィフティ(50%50%)だから文句はないということに
なるが、上の子どもにしてみれば、その「50%」というのが不満なのだ。つ
まり下の子どもが生まれるまでは、100%だった親の愛情が、五〇%に減っ
たことが問題なのだ。

もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」で
はなく「落差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくった
ことを考えてみればよい。あなたの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛
人も平等に愛している」とあなたに言ったとしたら、あなたはそれに納得する
だろうか。

 本来こういうことにならないために、下の子を妊娠したら、上の子どもを孤
立させないように、上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、
下の子どもが生まれてくるのを楽しみにさせるような雰囲気づくりをする。
「もうすぐあなたの弟(妹)が生まれてくるわね」「あなたの新しい友だちよ」
「いっしょに遊べるからいいね」と。まずいのはいきなり下の子どもが生まれ
たというような印象を、上の子どもに与えること。そういう状態になると、子
どもの心はゆがむ。ふつう、子ども(幼児)のばあい、嫉妬心と闘争心はいじ
らないほうがよい。

 で、こうした赤ちゃんがえりや下の子いじめを始めたら、(1)様子があま
りひどいようであれば、以前と同じように、もう一度100%近い愛情を与え
つつ、少しずつ、愛情を減らしていく。(2)症状がそれほどひどくないよな
ら、フィフティフィフティ(50%50%)を貫き、そのつど、上の子どもに
納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカルシウム、マグネシウムの多い
食生活にこころがける。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
はやし浩司 赤ちゃん返り 愛情問題 愛情 落差 落差の問題)

●100%の愛情

 精神的に心のより所を失い、たいへん不安定になっています。
子どもは、(おとなもそうですが)、環境の変化にはかなりの柔軟性を示しま
すが、とくに愛情の変化には、大きく反応し、もろいです。

 もし神経症がひどいようであれば、下の子には少しかわいそうですが、一度、
100%の愛情を注ぎなおしてみてください。
(当然、上の10歳の姉にも配慮しながら、です。
上の子は上の子で、嫉妬しやすくなります。)

●私自身のこと

 私も子どものころ、こんな経験があります。

 あるとき、針が足の裏に刺さったことがあります。
針はすぐ抜けたと思うのですが、近所のおじさんにそれを話すと、そのおじさ
んは、こう言いました。
「折れた針があるかもしれない。その針は、血管を通って心臓に行く。そうな
れば死ぬこともある」と。

 私はこの言葉におびえ、自分はもう死ぬのだと思いました。
年齢的には、6歳前後ではなかったかと思います。
はっきりと死の恐怖を覚えたのを、今でもよく覚えています。
おとなには笑い話でも、子どもにはそうでないということです。

 お子さんは、心底、それにおびえているのです。
ですから「何でもない」という言い方で突っぱねるのではなく、子どもの立場
になって、真剣に話を聞き、納得するまでていねいに不安を解いてあげること
です。

●不潔嫌悪症

 手洗い癖、潔癖症と並んで、子どもにはよく見られる神経症です。
幼稚園でも、休み時間ごとに、手を洗っている子どももいます。
「何でもない」と考えるのではなく、ほかの神経症の前兆、もしくは、たとえ
ば学校恐怖症(ジョンソン)の前兆もありえるという前提で、対処してくださ
い。
けっして安易に考えてはいけないということです。

 そのためにも愛情的に不安を抱かないように、つぎのことを守ってください。

(1)スキンシップなど、求めてきたら、すかさず応ずる、です。
一度、ぐいと抱きしめるだけで、効果があります。
「あとでね」とか、「今、忙しいのよ」は、禁句です。

(2)添い寝、手つなぎ、だっこなどは、機会があればそのつどこまめにして
あげます。

(3)不安症状が強いようであれば、Ca,Mg,Kの多い食生活、つまり海
産物の多い食生活に心がけます。
とくにカルシュウムは、子どもの心を安定させます。

●恐怖症

 恐怖症は、一度それを経験すると、姿、形を変えて、いろいろな場面で現わ
れます。
私も子どものころ、閉所恐怖症、高所恐怖症でした。
30歳になる少し前、飛行機事故を経験してからは、ちょっとしたことが原因
で、よく恐怖症になります。

 先日はワイフが自動車の後部を電柱にぶつけましたが、助手席にいた私は、
固まってしまいました。

 お子さんのケースは、恐怖症とはちがいますが、この先、折りにつけ、強迫
観念はもちやすくなるかもしれません。
「治そう」と考えるのではなく、「じょうずにつきあう」という考え方で、接
してあげるとよいでしょう。
どんな子どもにも、その程度の問題はあります。

 文面からすると、もっとも心配されるのは、学校恐怖症ということになりま
す。
それについて書いた原稿(簡単なもの)を、添付しておきます。
(別の角度から書いた原稿のため、余計な部分もありますが、お許しくださ
い。)
詳しくは、また機会があれば、「はやし浩司 学校恐怖症」で検索してみてく
ださい。
参考になると思います。

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学校恐怖症(ジョンソン)

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【集団に溶けこめない子ども】

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集団に溶けこめない……。そのため、
集団の中にいると、気疲れを起こしや
すくなる。

さらにそれが慢性化すると、不登校の
原因になったりすることもある。

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●集団の中では……

 小学校の低学年児で、集団に溶け込めない子どもというのは、10人のうち、
1〜2人はいる。主な症状としては、つぎのような点が、あげられる。

(1) 集団の中では、おとなしく、おだやか。遠慮深い。やさしい。静かで
目立たない。
(2) 自己主張が弱く、いつも、ほかの子どものうしろをついていくといっ
た感じ。
(3) 何か話しかけると、柔和な笑みで、答えたりするが、感情表現はいつ
も、控え目。
(4) 学習態度は比較的よく、そのため、成績も、それほど、悪くない。
(5) 外の世界(学校や塾)では、大声で笑ったり、声を出したりするとい
うことはない。

 これらの症状は、家の中での様子とは、正反対のことが多い。家の中では、
別人のように活発に行動する。かつ、親に対しては、言いたいことを言ったり、
したりする。そのため、こうした外での様子を指摘されたりすると、たいてい
の親は、それを否定する。「うちでは、ふつうです」と。

 しかしこのタイプの子どもは、その分だけ、ストレスを内へ内へとためやす
い。様子だけを見ると、仮面をかぶった子どもに似ている。俗にいう「ぶりっ
子」をいう。仮面をかぶった子どもは、いつもどこかで他人の目を気にしてい
る。どうすれば、自分が、いい子に見られるか、それだけを考えている。

 これに対して、集団に溶けこめない子どもは、集団そのものを恐れ、他人の
目から、逃れようとする。そのため、ひとり静かに行動し、できるだけ目立た
ないようにしていることが多い。

 このタイプの子どもは、教える側としては、教えやすい。従順で、すなお。
みなに迷惑をかけるということはない。しかしそれは子ども本来の姿ではない。
このタイプの子どもは、心を自由に、開けない。みなが大声で笑うようなとき
ども、そのリズムにのれない。そのため、いじけやすく、くじけやすい。心を
ゆがめやすい。

 そして長い時間をかけて、ストレスを蓄積し、そのストレスが、さまざまな
問題を、引き起こす。

 たとえばこのタイプの子どもは、集団の中では、神経疲労を起こしやすい。
そしてその結果として、神経症や、心身症による、さまざまな症状を起こす。
そしてその症状は、多岐にわたる。「何か、うちの子は、おかしい?」と感じ
たら、神経症、もしくは、心身症を疑ってみる。

●子どもの神経症について

心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症と
いう。子どもの神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考え
る。

(1)精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐
れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわ
がる)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱し
てわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発
的に叫んだり、暴れたりすることもある。

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態に
なる)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚
醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(そ
の意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身
体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警
戒する。

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症
状となって行動面に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その
前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒
食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出歩くなど、生活習慣がだ
らしなくなることもある。

 その中の一つが、学校恐怖症(後述、参照)ということになる。その学校恐
怖症については、すでにたびたび書いてきたので、ここでは省略する。

●対処のし方

 では、どうするか?

 このタイプの子どもは、心の開放を第一に考えて指導する。たとえば大声を
出させる、大声で笑わせる、など。しかしそれは簡単なことではない。友だち
どうしの間では、結構、心を開くことができても、集団の中へ入ったとたん、
かん黙してしまう子どももいる。教師を前にしただけで、緊張して、体をこわ
ばらせてしまう子どももいる。

 こうした症状を不適応症状というが、その症状して、よく見られるものを列
挙してみると、つぎのようなものがある。

(1) 対人恐怖症、集団恐怖症、回避性障害(他人との接触ができない)な
ど。
(2) 緊張性の頭痛、腹痛、下痢、嘔吐など。

 本来なら、一対一、もしくは、きわめて小人数(3〜4人程度)のようなて
いねいな指導が望ましいが、しかしそれにも程度の問題があって、小人数にし
たからといって、心を開くということはない。とくに小学校へ入学したあとで
は、指導による改善は、ほとんど望めない。おとなになってからも、そのまま
つづくというケースは、少なくない。

 もしどうしても……ということなら、まったく別の環境の中で、その子ども
が心を開けるような、ばしょをさがすしか、ない。スポーツやサークル活動な
ど。一度、その世界で、何らかのこだわりを作ってしまうと、そのこだわりを、
消すのは、むずかしい。

 J君(小5)の子どもがいた。彼は、集団の中では、ほとんど心を開くこと
はなかったが、サッカーをしているときだけは、黙々と、それに励むことがで
きた。

 一方、Cさん(小2)の子どもがいた。小1のはじめから、私の教室へ来た
が、小2の途中でやめるまで、一度とて、大声で歌を歌ったり、笑ったりする
ことはなかった。いりいろな方法で、手を変え、品を変え、私なりに努力はし
てみたが、結局は、Cさんの心を開くことはできなかった。

 このことからも、わかるように、集団に溶けこめない子どもの、「根」は、
深い。時期を言えば、0歳から、1、2歳前後までに、そういった方向性がで
きあがると考えてよい。そのため、たいていのばあい、まず母子関係の不全を
疑ってみる。

 このタイプの子どもは、母子の間の基本的信頼関係ができあがっていないこ
とが多い。何らかの理由で、絶対的な安心感を、母親に対していだくことがで
きなかった。「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味である。
つまり、それから生まれる、不信感が、子どもの心を閉じさせ、ついで、子ど
もの心を緊張させるようになると考える。

 しかもなお悪いことに、母親に、その自覚がないことが多い。そういう自分
の子どもを見て、むしろ、「できのいい子」と思ってしまうケースが目立つ。
そしてそのままの母子関係をつづけてしまう。

 で、問題が起きてはじめて、自分の子育てのどこにどういう問題があったか
を知る。(が、それでも気づかないケースも、少なくない。ここにあげたCさ
んのケースでは、Cさん自身は、私のところへは、彼女なりに楽しんできてい
た。しかし伸びやかさには、欠けた。母親はそういう姿を見て、「うちの子は、
この教室には合っていない」と判断したようだ。

 で、さらに、ここに書いた不適応症状がこじれて、学校恐怖症から、不登校
へと進むこともある。この段階でも、親は、自分を反省するということは、な
い。子どもの言い分だけを聞いて、「教師の指導が悪い」「いじめが原因だ」
と。

●まとめ

 本来なら、集団に溶けこめない子どもについては、それを「悪」と決めてか
かるのではなく、その子どもにあった、環境を用意してやるのがよい。苦手な
ものは、苦手。だれにも、そういう面の一つは二つは、ある。

 何でもかんでも、学校という集団教育の場で解決しようという発想そのもの
が、おかしい。そういう前提で考える。

 コツは、無理をしないこと。そしてこのタイプの子どもほど、家の中では、
態度が横柄になったり、乱暴になったりする。そういうときは、「ああ、うち
の子は、外の世界でがんばっているから、こうなのだ」というふうに考えて、
理解してやる。

 家の中でも、静かで、おとなしく……ということになると、子どもは、やが
て行き場をなくし、外の世界で、さまざまな問題を引き起こすようになる。し
かもたいてい、深刻な問題へと発展することが多い。
(はやし浩司 子供の心理 集団 集団に入れない子供 集団に溶け込めな
い子供 集団が苦手な子供 外で静かな子供 はやし浩司)

++++++++++++++++++

以前、書いた、「内弁慶、外幽霊」の
原稿を添付します。

++++++++++++++++++

●内弁慶、外幽霊

 家の中ではおお声を出していばっているものの、一歩家の外に出ると、借り
てきたネコの子のようにおとなしくなることを、「内弁慶、外幽霊」という。

といっても、それは二つに分けて考える。自意識によるものと、自意識によら
ないもの。緊張したり、恐怖感を感じて外幽霊になるのが、前者。情緒そのも
のに何かの問題があって、外幽霊になるのが、後者ということになる。たとえ
ばかん黙症などがあるが、それについてはまた別のところで考える。

 子どもというのは、緊張したり、恐怖感を覚えたりすると、外幽霊になるが、
それはごく自然な症状であって、問題はない。しかしその程度を超えて、子ど
も自身の意識では制御できなくなることがある。対人恐怖症、集団恐怖症など。
子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。その図式はつぎのよ
うに考えるとわかりやすい。

 もともと手厚い親の保護のもとで、ていねいにかつわがままに育てられる。
→そのため社会経験がじゅうぶん、身についていない。この時期、子どもは同
年齢の子どもととっくみあいのけんかをしながら成長する。→同年齢の子ども
たちの中に、いきなりほうりこまれる。→そういう変化に対処できず、恐怖症
になる。→おとなしくすることによって、自分を防御する。

 このタイプの子どもが問題なのは、外幽霊そのものではなく、外で幽霊のよ
うにふるまうことによって、その分、ストレスを自分の内側にためやすいとい
うこと。そしてそのストレスが、子どもの心に大きな影響を与える。家の中で
暴れたり、暴言をはくのをプラス型とするなら、ぐずったり、引きこもったり
するのはマイナス型ということになる。

こういう様子がみられたら、それをなおそうと考えるのではなく、家の中では
むしろ心をゆるめさせるようにする。リラックスさせ、心を開放させる。多少
の暴言などは、大目に見て許す。

とくに保育園や幼稚園、さらには小学校に入学したりすると、この緊張感は極
度に高くなるので注意する。仮に家でおさえつけるようなことがあると、子ど
もは行き場をなくし、さらに対処がむずかしくなる。

 本来そうしないために、子どもは乳幼児期から、適度な刺激を与え、社会性
を身につけさせる。親子だけのマンツーマンの子育ては、子どもにとっては、
決して好ましい環境とはいえない。
(はやし浩司 子供の心理 内弁慶 外幽霊 集団になじめない子供)

+++++++++++++++++++++

合わせて、学校恐怖症の原稿を
添付します。

原文(英文)は、私のHPのほうに
収録しておきました。

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子どもが学校恐怖症になるとき

●四つの段階論 

 同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。
私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り
返した。

が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に
近い不登校を「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、
症状と経過から、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的
時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少
しわかりやすくしたのが次である。 


(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、
疲れ、倦怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中
に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい
声で答えたりする。これを症状の日内変動という。学校へ行きたがらない理由
を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除すると、
今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)
が、そのつど移動するのが特徴。 


(2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとし
たりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう
今日は休んでもいい」などと言うと、一転、症状が消滅する。ある母親は、こ
う言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。
たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と
思うことが多い。


(3)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、
暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。た
だ心の緊張感は残り、どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な
言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある(感情障害)。こ
の段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感
をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、
ごくふつうの子どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子ども
をどうとらえたらよいのか、わからなくなってしまうことが多い。こうした状
態が、数か月から数年続く。 


(4)回復期……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を
始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなこ
とを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一〜二時
間、週に一日〜二日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間
が長くなる。

(注、この(4)の回復期は、ジョンソンの論文にはないものである。私が勝
手に加筆した。)

●前兆をいかにとらえるか 
 要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかという
こと。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけ
て、無理をする。この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。

この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくない
ときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含
めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。な
おそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)
遊び非行型、(3)無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否
型、(6)複合型に区分して考えられている。
 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学
業不振、部活動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、
(2)家庭生活起因型(生活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本
人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本教育新聞社」まとめ)。

しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者の目を通して、子どもを外の
世界から見た区分のし方でしかない。

(参考)

●学校恐怖症は対人障害の一つ 

 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満4〜5歳から表れる。乳幼児期は、
主に泣き叫ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれ
に対人障害による症状が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。
集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学
校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

●ジョンソンの「学校恐怖症」

「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロード
ウィンが、1932年に最初に使い、1941年にアメリカのA・M・ジョン
ソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。ジョンソンは、「学校恐怖
症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三期
に分けて、学校恐怖症を考えた。

【はやし浩司より、Aさんへ】

 以上ですが、参考意見として利用していただければ、うれしいです。
今日は、これで失礼します。

(はやし浩司 子どもの心理 学校恐怖症 対人障害 不登校 不登校児 
不潔嫌悪症 潔癖症 神経症 はやし浩司 学校恐怖症 ジョンソン)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子育て雑感集

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今朝、私のEマガ、10月27日号を読んだ。
1か月前に発行予約を入れたマガジンである。
内容も、1か月前のもの。
それを読みながら、・・・というのは、その
マガジンでは、「雑感集」というテーマで書いた
ので、今日は「子育て」についての雑感を
書いてみたい。

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●10月27日

 10月27日。
本当は、今日が、私の誕生日。
10月27日に生まれたのだが、父が役所へ出生届を出したとき、日にちをまちがえた。
父は、10月28日生まれとして、役所に届け出た。
それで私の誕生日は、10月28日になってしまった。
まちがいに気がついたのは、母の話では、私が小学校に入学するときだったという。
戸籍を調べたら、10月28日になっていた。

 10月27日でも、28日でも、どちらでもよい。
が、私は10月27日のほうが、好き。
子どものころは、ずっと10月27日が私の誕生日と思っていた。
そのときの思いが、今でも心のどこかに残っている。

その10月27日。
つまり、今日。
外では肌寒い風が吹いている。
庭の栗の木も、心なしか元気がない。
灰色の沈んだ空を背景に、葉をゆらゆらと揺らしている。

●Sさん

 先週、18年間私の教室に通ってくれたSさんの、大学合格祝いをした。
若いころは、18年間通ってくれた生徒も、少なくなかった。
が、今は、少ない。
中学生になるころ、あるいは高校生になるころ、進学塾へとみな、移っていく。

そのSさん。
大学が決まっても、まだ来年3月まで、通ってくれるという。
母親から電話があり、母親はこう言った。
「ずっと習慣になっていまして・・・3月まで、よろしくお願いします」と。

 18年というと、私の人生にとっても約3分の1。
(Sさんにしてみれば、全生涯!)
理知的な女の子で、ものごとを何度も頭の中でかみくだいて考える。
もの静かな女の子だが、振り返ってみると、私のそばにいつもいたような気がする。
私のそばにいて、ずっと私をうしろから見つめていた。
生徒というよりは、私の娘。
今にして思うと、そんな感じがする。

●よき親子関係

 「娘」と書いたが、もしSさんが私の娘なら、私はSさんはすばらしい親子関係
を築いたことになる。
Sさんは、何でも話してくれる。
私はSさんに、何でも話せる。
私はSさんの話を真剣に聞くし、Sさんもまた私の話を真剣に聞いてくれる。
それでいてたがいに礼儀をわきまえ、尊敬しあっている。

 一方、そこには、教師と生徒という関係もある。
私はSさんに命令したこともないし、Sさんを叱ったこともない。
何かを教えても、私はいつもそこでじっと待っていた。
Sさんもそれを知っているから、自分ができるまで、黙々と自分の勉強をこなした。

 ・・・そう言えば、Sさんが中学生のころは、そのクラスは生徒は2人だけだった。
経営的な意味では、採算が取れる教室ではなかった。
が、私は気にしなかった。
長く通ってきてくれる子どもについては、利益を考えことはない。
そのときすでにSさんは、8〜10年間、私の教室に通っていた。

●A君

 が、みながみな、円満な別れ方をするというわけではない。
けんか別れのような別れ方をする生徒も、いる。
理由というか、原因は、子ども自身にある。

 子どもというのは、教室をやめたくなったりすると、親に、教室の悪口を言い始める。
「先生がまじめに教えてくれない」「ふざけて遊んでばかりいる」と。
子どもの常とう手段と考えてよい。
つまりこうして子どもは、親をして、「そんな教室ならやめなさい」と思わせるようにする。

 一方、私には、こう言う。
こうしたウソには双方向性がある。
「ママが、BW(=私の教室)なんか、やめて、S進学塾へ行けと言っている」と。
印象に残っている子どもに、A君(小4)という子どもがいた。
4、5年も前の話だが、A君は、こう言った。
「BWは月謝ばかり高くて、中身がないとママが言っていた」と。

 そこで私が「君のお母さんが本当にそんなことを言っているかどうか、電話で確かめて
みる」と言うと、A君は、泣きながら「それだけはやめて!」と。

 A君の母親は、A君の話だけしか聞いていないから、それこそ蹴飛ばすようにして、
教室を去っていった。
その月の月謝も、未納のままだった。
 
●バツ

 今朝のニュースにこんなのがあった。
どこかの小学校で、先生がバツ・サイコロというのをしていたらしい。
(今でもバラエティ番組などの中で、ときどき登場する。)
何かのことで悪いことをして先生に注意されたら、そのサイコロを振るのだそうだ。
それによってバツを決める。

 鼻くそをどうのとか、お尻をどうのとか、そういう内容のバツである。
バツの内容が、よくなかった。
それがセクハラ行為にあたるとかで、問題になった。
しかしもし教師と生徒、教師と親の間に、信頼関係があれば、こんなことは何でもない。
「遊び」で終わる。

 私の教室でも、居眠りをしていたり、あくびをしていたりすると、私は布でできた
ボールを投げつけることにしている。
もちろん当たっても、痛くない。
が、それ以上に、自閉傾向のある子どもには、この指導法は、たいへん効果的である。
集中力の欠ける子どもにも、効果的である。
若いころ、オーストラリアの幼稚園で、先生がそういうふうにして指導しているのを見て、
私もまねをするようになった。

 そのオーストラリアの幼稚園では、先生と生徒がキャッチボールをしながら、
授業を進めていた。
が、見方によっては、この方法は「体罰」に当たる。
しかしこの方法が問題になったことはない。
私の教室にはいつも参観している親たちがいる。
その親たちが、笑って見ている。
ボールを投げつけられた子どもにしても、それが楽しいらしい。
ボールを拾って、すかさず、投げ返してくる。

 それに・・・。
それがいやだったら、いつでも教室をやめることができる。
親や生徒の意思で、先生を取りかえることができる。
私もいつも、生徒たちにこう言っている。
「いやになったら、いつでもやめていいよ」と。

●相反した目的

 教師はいつも2つの相反した問題で、悩む。
「どうすれば、子どもたちを楽しませることができるか」という問題。
「どうすれば、子どもたちに学ぶことに耐えてもらえるか」という問題。

 わかりにくい書き方をしてしまったので、もう一度、書く。

(楽しさ)と(苦痛)を、いかに両立させるか、と。

 楽しさを追求すれば、勉強がどうしてもおろそかになる。
一方、勉強ばかりさせると、子どもが逃げてしまう。

 もうひとつ多くの進学塾がしているように、成績で子どもを脅すという方法もある。
「こんな成績では、○×中学には入れないぞ!」と。
しかしこれは邪道。

 で、さらに問題はつづく。

 楽しませようとすると、必要以上に乗りまくってしまう子どもが出てくる。
このタイプの子どもは、「教室」の秩序を、メチャメチャにしてしまう。
授業そのものが、成り立たなくなってしまう。
昔、こんなことがあった。

 B君というやや多動性のある子どもがいた。
こういうときはB君を抑えながら、ほかの子どもたちを楽しませなければならない。
教える方も、たいへん神経をつかう。
が、そのとき異変が起きた。

 私は楽しませているはずなのに、ふとB君の両側の子ども(女児)を見ると、2人も
涙ぐんでいるではないか。
「どうしたの?」と聞くと、「先生が、こわい」と。

 B君には鋭い視線を投げかけていた。
B君をこまかく注意しながら、授業を進めていた。
それが両側にいた子どもに、影響を与えていた。

●親との問題

 学校の先生は、みな、こう言う。
「教育という職業は、すばらしいです。親が介在してこなければ、もっとすば
らしいです」と。

 親と言っても、いろいろな親がいる。
10人のうち、9人まではよくても、残りの1人に問題があると、教師はとことん
神経をすり減らす。
で、その鍵を握るのが、親と教師との間の信頼関係ということになる。
信頼関係があれば、よし。
そうでなければ、ささいなできごとが、そのまま大きな問題となってしまう。

 たとえば体罰にしても、体罰を問題にするのは、体罰を受けた子どもの親ではない。
その体罰を見ていた子どもの親である。
むしろ体罰を受けた子どもの親は、感謝するケースのほうが多い。
(だからといって、体罰を肯定しているわけではない。誤解のないように。)

 しかし今、教師がプリントを丸めて子どもの頭をたたいただけで、親たちは、
「そら、体罰だ」と言って騒ぐ。
それはそれで仕方のないことかもしれないが、こうした親たちの姿勢が、教師を
萎縮させる。
その結果、教育の内容そのものまで、萎縮してしまう。

 で、私の住む地域でも、万事、事なかれ主義が蔓延し始めている。
「やるべきことはやります。しかしそれ以上のことはしません」と。
たとえば小学2年生で、かけ算を学ぶことになっている。
昔は(20〜30年前は)、かけ算ができなかったりすると、教師は残り勉強をさせてでも、
子どもに九九を暗記させた。
子どもが泣いても、暗記させた。
かけ算でつまずくと、そのあと、いろいろな学習でつまずくようになる。

が、今は、それをしない。
通り一遍のことを教えて、それで終わってしまう。
またそういう指導の仕方は、自粛されている。
それがよいことなのか、悪いことなのかということになれば、悪いことに決まって
いる。

 結果、中学生でもかけ算のできない子どもが、続出している。
「七八(しちは)?」と聞かれても、即座に、「56」と答えられないなど。
「約20%の中学生がそうでないか」と言われている。

 教育力の低下がよく問題になる。
たしかに低下している。
しかしその原因の大半は、親にある。
どうして親たちは、もっと自由に、子どもの教育を学校の教師に任せないのか。
親が介在してくるから、話がおかしくなる。
それが「親が介在してこなければ、もっとすばらしいです」という言葉になって、
はね返ってくる。


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 11月 22日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●田丸謙二先生

 おととい田丸先生から、メールが届いた。
「末永く(みなさんに)私の原稿を読んでもらえるには、どうしたらよいか」
と。

 私もそれを心配していた。
現在先生は、N社を使ってメールのやり取りをしている。
そのサービスのひとつとして、HPを公開している。
N社との契約が切れれば、先生のHPも、そのまま削除されてしまう。
原稿も、そのまま消えてしまう。
この世界、『金の切れ目が、縁の切れ目』。
有料サービスは、広告や宣伝などが載らないという点では、便利(?)だが、
そういう欠点もある。

 むしろ無料HPサービスを利用したほうがよい。
広告や宣伝は載るが、ある程度アクセスがあれば、そのサービス会社が閉鎖に
ならないかぎり、HPが消えることはない。

 「では、どうすればいいか?」ということで、昨日は半日、田丸謙二先生の
HP作りに没頭した。

(1)田丸謙二先生のHPから、原稿を救出する。
(2)同時に掲載されている写真を救出する。

 それからHPづくり。
夕方作業が終わり、さっそく無料HPサービスに登録し、UPLOAD。
集中しすぎたせいか、夕食時には、頭痛が起きた。
心地よい頭痛だった。

そのHPは、以下のアドレスで読んでもらえる。
どうか、見てほしい。

http://ktamaru.ninja-web.net/

多くの人が見てくれれば見てくれるほど、検索したとき、田丸謙二先生のHP
が、検索上位に入る。
これからはこのHPを随時、更新していきたい。

 よろしくお願いします。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 田丸謙二 田丸謙二先生 Kenzi Tamaru
TAMARU, Kenzi Website http://ktamaru.ninja-web.net/ 鎌倉 田丸謙二 (1
923年11月2日誕生)

●付記

【田丸謙二】

 学歴: 
1946年9月 東京帝国大学・理学部・化学科卒業   
1950年10月 理学博士の学位取得(東京大学) 
職歴: 
1951年4月  横浜国立大学・工学部・助教授 
1953年10月〜1956年5月 Princeton大学(米
          国)ポスドクとして留学 
1959年4月  横浜国立大学・工学部・教授  
1963年10月 東京大学・理学部・化学科・教授
1973年10月〜1976年3月 東京大学・評議員
1976年4月〜1984年3月 理化学研究所・主任
          研究員(兼任)
1976年4月〜1979年3月 東京大学・理学部長
1981年4月〜1983年3月 東京大学・総長特別
          補佐(副学長)
1984年5月  東京大学名誉教授
1984年4月  東京理科大学・理学部・教授
1995年4月〜1999年3月 山口東京理科大学・
          基礎工学部・教授・学部長
1999年10月〜12月 国際高等研究所フェロウ

1979年12月〜1984年12月 日米教育委員会・
         委員
1981年3月〜1983年2月 日本化学会・化学
         教育部会・会長
1982年6月〜1991年6月 ユネスコ(国際化学
         連合)国内委員会・委員
1984年7月〜1988年7月 国際触媒学会・会長
1987年1月〜1987年12月 日本触媒学会・会長
1989年3月〜1990年2月  日本化学会・会長
1986年7月〜1989年7月  日本学術会議・
                    第4部長
1989年6月〜1995年6月  日本学術会議・
             化学研究連絡委員会・委員長
受賞 
1964年12月  松永章(松永科学振興財団) 
1974年4月   日本化学会賞  
1985年11月  紫綬褒章  
1994年4月   勲二等瑞宝章 
1999年7月   工業教育賞(工学教育協会)
2000年6月   日本学士院賞


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【偶像論】

●偶像を崇拝するな

+++++++++++++++++++++

「偶像」とは何か?
一般論として、偶像とは、「像」、つまりキリストや
釈迦に似せた「像」をいう。
人はそうした像を作り、手を合わせる。

が、そうした像は、いくらもっともらしい理由
づけをしたところで、像は、像。

キリストも釈迦も同じようなことを言っている。
つまり『偶像を崇拝するな』と。

が、一般の人たちは、そんな教えなど、
どこ吹く風。
信仰と言えば、対象物は「像」。
仏像を例にあげるまでもない。

+++++++++++++++++++++

●偶像

 「偶像」という言い方は、外来語と考えてよい。
絶対的な権威の象徴としての、「像」をいう。
しかし像などというものは、神や仏によって与えられたものでもなければ、
作られたものでもない。
人間が作ったもの。
そこで宗教団体や信仰者は、あれこれと理由をつけては、像の権威化をはかる。

 私も最近、こんな経験をしている。
たとえば仏壇を移動するとき、あるいは墓石に文字を刻むとき、そのつど
「精(しょう)抜き」「精入れ」という儀式を行うことになっている。
寺の住職に来てもらい、読経してもらう。

 そのときはあまり深く考えないで、風習に従った。
しかしどうして、精抜き?
精入れ?
日がたつにつれて、疑問ばかりが、大きく膨らんできた。
つまり精抜きをすることによって、一度、魂を仏壇や墓石から出す。
不浄な人間の手で汚(けが)されるのを防ぐためである。
そして何かの作業が終わったら、再び、精入れで、魂をこめる。
「そんなことに、何の意味があるのか?」と。

●否定はしない

 が、だからといって、私は「像」を否定する者ではない。
信仰の対象、つまり悲しみや苦しみを救済するために、その対象物としての
像は、必要かもしれない。
人間は、そういう意味では、弱い。
理性や合理だけでは、生きていけない。
そんな場面に、よく出会う。

ひとりで、何ものにも依存せず生きていかれる人は、いったい、どれだけいるのか。
ひとりで袋小路に入って苦しむより、何かにすがって朗らかに生きたほうが、楽。

 また偶像には、心をひとつにするという意味もある。
その「像」に向かって、一心を集中させることによって、もろもろの邪念を打ち払う
こともできる。
像を絶対的なものと思い込むことによって、迷いを消すこともできる。
精抜き、精入れという儀式も、そういうところ、つまり絶対的と思い込むところ
から生まれた。

●床屋の帰りに

 では「偶像」とは何か。
辞書などによれば、信仰の対象となる「像」を意味するとある。
しかし少し意味がちがうのではないか?
キリストや釈迦は、もっと別の意味で、「偶像」という言葉を使ったのではないか?
つまり「像」といっても、信仰の対象としての像を言ったのではなく、ひょっと
したら「虚像」一般を含むのではないか?

 元の原語がわからないので、今はここまでにしておくが、私は最近、こんな
経験をした。

 数日前、近くの床屋へ行った、その帰り道でのこと。
黒塗りの大型ベンツが、角の駐車場を横切って、反対側の道へ飛び出していった。
信号を待ちきれず、そうしたらしい。
信号待ちしていた私のほうが、道を空けた。
あぶなかった!
同時に、「心の余裕のない人だな」と思った。

 大型ベンツといっても、やや古いタイプ。
で、運転している男を見た。
年齢は50歳くらい。
見るからに、余裕なさそうな顔をしていた。
キョロキョロ……というか、ギョロギョロとした目つき。
せわしなさそうに顔を動かし、ハンドルを器用にさばいていた。

 そのとき私は「虚像」という言葉を思い浮かべた。
「あの男は、ベンツという車に乗って、自分の虚像に酔っている」と。

●虚栄

 何もベンツに乗っている人が、みな、そうだというわけではない。
ベンツはすばらしい車である。
ベンツに惚れて、ベンツに乗っている人は多い。
しかしその一方で、自己の虚栄を満足させるためにベンツに乗っている人も多い。
そのとき虚像と虚栄が、頭の中でつながった。

 偶像イコール、虚像と考えると、「偶像を崇拝するな」という意味が、無理なく
理解できる。
私たちはともすれば、虚栄の対象としての「像」で、身を飾ることがある。
身だけではない。
心さえも、飾ることがある。
それを虚栄という。

が、それを信じている人には、そのおかしさがわからない。
飾ることで、自分が偉くなったつもりになる人は、多い。
すばらしい人間になったと思いこむ人は、多い。
子どもなどは、ヒーローのコスチュームを身にまとっただけで、強くなったように
思いこむ。

 つまりそれが「偶像」ということになる。
私たちは虚像に、溺れてはいけない。
「偶像を崇拝するな」というのは、そういう意味ではないか。

●妄信

 そう考えていくと、この世は偶像だらけ。
いたるところに偶像がある。
が、ほとんどの人は、偶像を偶像とも意識せず、それを妄信している。
もっともわかりやすい例に、学歴信仰がある。
職業による、差別信仰もそれ。

 偶像を崇拝することによって、人は、中身を見なくなる。
中身を磨くことを忘れてしまう。
あとは悪循環。
(飾る)→(自分を見失う)→(ますます飾る)、と。

●儀式

 これはあくまでも私の解釈だが、「偶像」というときの偶像は、
「形」としての外見を意味すると考えると、納得がいく。
広く、地位や肩書きを含んでもよい。
「はやし流の仏教論」というふうに、考えてもらってよい。
つまりイワシの頭を本尊にするのも、自分の身や心を飾るのも、本質的には同じ。
中身のないものを、あるものと信じ、それに振り回される。

 一方、それがさらに進むと、同じ宗教でも儀式化する。
迷信化する。
それこそイワシの頭を前にして、「ナンマイダー・・・」とやりだす。
信仰というのは、「教え」に従ってするもの。
「教え」のない信仰は、宗教ではない。
「七七供養」にしても、「〜回忌」にしても、ただの儀式にすぎない。

●人それぞれ

 ただ誤解していけないのは、だからといって、そうした儀式や迷信が
まったく無意味かというと、そうでもないということ。
必要な人には、必要。
それによって悲しみや、孤独から救われる人もいる。
妥協すべきところは妥協しながら、生きていく。
それもやさしさのひとつということになる。

 が、反対に、そうでない人・・・つまり、儀式や迷信に背を向けている人もいる。
たとえば都会地域では、直葬(病院から火葬場へ直送。僧侶なしの家族葬)で
すませる人が、30%を超えている。
「自然葬」という葬儀の仕方もふえている。
そういう人たちに向かって、「まちがっている!」と言うのは、少し慎重になってほしい。
私は私。
あなたはあなた。
人それぞれ。

 私もどちらかというと、「まちがっている」と言われる側にいる。
しかし彼らが言うところの「罰(ばち)」が当たるのは、この私。
「どうぞ、ご心配なく」と言いたいが、そういう言い方そのものが、通じない。
理解されない。

●ありのまま

 話はそれたが、「偶像」は、何も仏像に代表される「像」にかぎらない。
先にも書いたように、「虚像」一般を含む。
その虚像の中には、見栄、メンツ、世間体が含まれる。
要するに「外見」を総称して、虚像といい、偶像という。
その偶像を崇拝するな、と。

 このことは同時に、私たちの生き様にも関係してくる。
「崇拝しない」ということは、私について言えば、「ありのままに生きる」
ということになる。
たとえば世間体を気にする人ほど、他人を世間体で判断する。
見栄を張る人ほど、他人を外見で判断する。
偶像を崇拝しないためには、自分の中から偶像、つまり虚像を取り除く。

●「自分で生きろ」

・・・というわけで、「偶像を崇拝しない」というのは、象徴的な言葉
ではないかということになる。
わかりやすく言えば、「自分で生きろ」と。

キリストや釈迦の立場になってみると、それがよくわかる。
たとえばあなたのところへ、あなたのファンが毎日のようにやってきて、
こう言ったとする。

 「神様(仏様でもよいが)、どうか私を○×大学へ入学させてください」と。
そういうとき、あなたはそういうファンに力を貸すだろうか。
私が神(仏でもよいが)なら、こう答えるだろう。
「そんなことは、自分の努力でしなさい」と。

 直接あなたのところへ来るならまだしも、あなたの偶像を作り、それに向かって
拝んだらどうだろう。
やはりあなたは、こう言うにちがいない。
「バカなことは、やめなさい」と。

 世俗的な成功など、(あるいは失敗でもよいが)、神や仏は関知しない。
また関知するようなら、その神や仏は、インチキと断言してよい。

罰(ばち)にしても、そうだ。
罰を与える神や仏がいたら、インチキと断言してよい。
無量無辺に心が広いから、神といい、仏という。
(それに甘えてもいけないが・・・。)
そんな神や仏が、個々の人間に、いちいち罰など与えない。

●私の勝手な解釈

 神や仏は、こう言った。
「偶像を崇拝するな」と。
それは私たちにこう言ったことになる。
「外見にだまされて、自分を見失うな」と。
「他人を見誤るな」でもよい。

 キリスト像(仏像でもよいが)という偶像は、その一部に過ぎない。
「その」というのは、「虚像の」ということになる。

 が、考えてみれば、私たちは虚像のかたまり。
私たちは自分で作りあげた虚像を、「私」と思い込んでいる。
ふと足もとを見れば、ガタガタ。
中身と言っても、たいしたものは、何もない。
私の中に「私」をもっている人など、そうはいない。
ほとんどの人は、虚像という衣服を、何枚も重ね着している。
重ね着していることを意識しないまま、重ね着している。
そして重ね着した自分を、「私」と思い込んでいる。

 それを総合して、キリストや釈迦は、強く戒めた。
「偶像を崇拝するな」と。

 つまり偶像とは、あなたや私自身を包む虚像ということになる。
あくまでもこれは、私の勝手な解釈によるものだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 偶像論 虚像論 虚栄論 身を飾る はやし浩司 2010−10−2
6)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【極楽論】

● 私は極楽行き? 

ときどきこんなことを考える。
私は死んだら、極楽へ行くのだろうか。
それとも地獄へ行くのだろうか、と。

仏教の教えによれば、それを最終的に判断(ジャッジ)するのは、
あの閻魔(えんま)大王だそうだ。
中国でできたニセ経の上に、さらに日本でニセ経を塗り重ね、そういう話がで
きた。
今では、子どもですら、そんな話は信じない。
幼稚というか、稚拙(ちせつ)。
しかし私は、最近、閻魔大王というのは、ワイフであり、3人の息子たちでは
ないかと
思うようになった。
それには、こんな話がある。

昨年(08年)、実兄と実母が、つづいて他界した。
そのときのこと。
私はこんなことを考えた。
「兄や母は、極楽へ行くのだろうか。それとも地獄へ行くのだろうか」と。
地獄と極楽しかないとなれば、二者択一、ということになる。
地獄と極楽の間には、中間の世界はない。
そこで兄や母のことを、あれこれと思い起こしてみる。

●善人vs悪人

1人の人間を、どう判断するか。
これはたいへん難しい問題である。
というのも、1人の人間には、いろいろな面がある。
相手によっても、印象がちがう。
年代によっても、変化する。
たとえばAさんは、若いころの母をよく知っていて、「勝気な人でした」とい
う。
Bさんは、晩年の母をよく知っていて、「やさしくて、穏やかな人でした」と
いう。
また他人から見た母と、私という子どもから見た母は、まったく違う。
それは善人vs悪人論とも似ている。
善人と悪人とは紙一重。
しかしまったくの善人がいないのと同じように、まったくの悪人もいない。
よく聞く話だが、死刑囚といわれる人の中には、仏様のようになる人もいると
いう。
さらに私という人間にしても、あるカルト教団の人たちからは、「魔王」と
呼ばれている。
その教団を攻撃する本を、何冊か書いたからである。
さらにあのK国が、日本を支配したら、この私はまっさきに処刑されるだろう。
いつもあの「将軍様」のことを、「金xx」と書いている。
拉致事件に抗議の念をこめて、そうしている。
どこをどのように見て、善人と判断し、悪人と判断するのか。
何しろ、中間がない。
「閻魔大王の仕事も、たいへんだなあ」と思う。

●私であって(私)でない部分

私は自分では、善人とは思っていない。
どちらかというと、悪人かもしれない。
少なくとも、3人の息子たちは、そう思っている。
「パパは仕事ばかりしていた」
「ママを奴隷のように使っていた」
「パパはワンマンで、ぼくたちの話を聞いてくれなかった」と。
ときどきそういう不満を、今になって私にぶつけることがある。
が、私はいつもそういうとき、こう思う。
「私は私で、懸命だったのだ」と。
息子たちに、私が生きた時代の説明をしても意味がない。
「日本は貧しかった」と言っても、その(貧しい時代)そのものを、知らない。
ボットン便所の話をしても、無駄。
息子たちにしてみれば、生まれながらにして、トイレは水洗トイレ。
それしか知らない。
ボットン便所から、水洗トイレになったときのうれしさを知らない。
だからこう言う。

「そんなのは、パパの時代の話で、ぼくたちには関係ない」と。

つまり私という人間にしても、(過去)の無数のしがらみを引きずっている。
私であって、(私)でない部分も多い。
たとえば道路にお金が落ちているのをみると、今でもさっと拾ってしまう……と思う。
(この20〜30年、そういう経験がないので、わからない。)
交番へ届けようなどいう気持ちは、まず起きないだろう。
起きないから、そのジレンマの中で、迷う。
「もらってしまうべきか、それとも交番へ届けるべきか」と。
が、これとてあの戦後の、ひもじい時代を生きたからこそ身についた錆(さび)

ようなもの。
私が悪いと思う前に、私はあの時代に、責任を求める。
あの時代が悪い。
あの戦争が悪い。
さらに私には、私の生い立ちもからんでくる。
いろいろあった。
その(あった)部分の中で、心もゆがんだ。
重罪といわれる罪を犯した犯罪者にしても、そうだ。
そういう人を、本当に悪人と言い切ってよいのか。
あるいはそう言い切れる人は、どれだけいるのか。

●息子たちが判断する

そこで私のこと。
自分で自分のことを判断するのは、難しい。
ワイフにしても、利害関係が一致しているから、難しい。
そこで、どうしても息子たち、ということになる。
私を判断するのは、息子たち。
息子たちは、(私)を、内側から見ている。
私が外の世界で隠している部分すらも、見ている。
それに人格の完成度も、今となっては、私より高い。
私が見た世界とは、比較にならないほど、広くて大きな世界も見ている。
私を、1人の親というよりは、1人の人間として見ている。
私にしても、閻魔大王などよりも、息子たちに判断(ジャッジ)されるほうが、
よほどよい。
安心できる。

仮に「地獄へ行け」と判断されても、それにすなおに従うことができる。
息子たちがそう言うなら、しかたない。
が、そこでもまた問題が起きる。
私が兄や母に地獄へ行けと言えないように、息子たちもまた、私に地獄へ行け
とは
言えないだろう。
たとえ悪人であっても、だ。
それにこんなケースもある。
ある女性の話だが、若いころは、たいへん優雅で気品のある人だったという。
その女性が今は、老人施設に入居して、毎日、毎晩、怒鳴り声をあげていると
いう。
「バカヤロー」「コノヤロー」と。
年齢は、現在、80歳を少し過ぎたところという。
こういうケースでは、どう判断したらよいのか。
その女性は、善人なのか、それとも悪人なのか。
悪人ではないとしても、そんな状態で、極楽へ入ったら、ほかの善人たちが迷
惑する
だろう。

●地獄も極楽もない

地獄も極楽もない。
あるはずもない。
だいたい釈迦自身、一言もそんなことを言っていない。
ウソと思うなら、自分で『法句経』を読んでみることだ。
「来世」「前世」にしても、そうだ。
だからそれをもとに、善人論、悪人論を、論じても意味はない。
ただ法体系が未完成だったころなら、地獄論で悪人を脅すこともできたかもし
れない。
「悪いことをすると、地獄へ落ちるぞ」と。
それでたいていの人は、黙った。
私が子どものころでさえ、そういう会話を、よく耳にした。
兄は兄として、他界した。
母は母として、他界した。
無数のドラマを残して、他界した。
よいドラマもあれば、悪いドラマもある。
今さら、そんなドラマを問題にしても意味はない。
同じように、今を生きる私たちも、できることと言えば、ただ懸命に生きるだ
け。
よいことをしていると思っていても、悪いことをしていることもある。
悪いことをしていると思っていても、よいことをしていることもある。
常に結果は、あとからついてくる。
放っておいても、あとからついてくる。
だからこう思う。
地獄でも極楽でも、どちらでもよい、と。
こんな無意味なことを考えるのは、今日で最後にしたい、と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
はやし浩司
地獄 極楽 地獄論 極楽論 善人 悪人)

Hiroshi Hayashi++++++JAN 09++++++++++はやし浩司

【浄土論】(極楽浄土vs無間地獄)(Heaven & Hell in our Society)

神や仏も教育者だと思うとき 

●仏壇でサンタクロースに……? 

 小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤い
ブルドーザーのおもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、
「サンタクロースに頼め」と。そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。
仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、私にはそれし
か思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。
年始の初詣は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、
それが一転するできごとがあった。ある英語塾で講師をしていたときのこと。
高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中にある、「原爆の子の像」
のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。

私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。
そのとき以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神
や仏の力を必要としている人がいる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った
人がいる」と。いや、何かの願い事をしようと思っても、そういう人たちに申
し訳なくて、できなくなってしまった。

●身勝手な祈り

 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわ
んや私のような人間に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそう
だ。「クジが当たりますように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。そ
んなふうに祈る人は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸す神や仏など、
いるはずがない。いたとしたらインチキだ。

一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の
運勢占いコーナーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報
道)。どうせその程度の人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、
それにしても一日一〇〇万件とは! あの『ドラえもん』の中には、「どこで
も電話」というのが登場する。今からたった二五年前には、「ありえない電話」
だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、よっぽどこちらの
ほうが奇跡だ。

その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 人間の理性と
いうのは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれたが、
こんな子ども(小五男児)がいた。窓の外をじっと見つめていたので、「何を
しているのだ」と聞くと、こう言った。「先生、ぼくは超能力がほしい。超能
力があれば、あのビルを吹っ飛ばすことができる!」と。

●難解な仏教論も教育者の目で見ると

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやす
くなることがある。たとえば親鸞の『回向論』。『(善人は浄土へ行ける。)
いわんや悪人をや』という、あの回向論である。

これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、
それは仏の命令によってしているにすぎない。だから信心しているものには、
真実はなく、悪や虚偽に包まれてはいても、仏から真実を与えられているから、
浄土へ行ける……」(大日本百科事典・石田瑞麿氏)となる。

しかしこれでは意味がわからない。こうした解釈を読んでいると、何がなんだ
かさっぱりわからなくなる。宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙
で包んでしまう。要するに親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行
けるのは当たり前のことではないか。悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の
意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ行ける」と。しかしそれでもまだ
よくわからない。

 そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもが、テストでよい点を
とるのは当たり前のことではないか。頭のよくない子どもが、よい点をとると
ころに意味がある。つまりそういう子どもこそ、ほめられるべきだ」と。もう
少し別のたとえで言えば、こうなる。

「問題のない子どもを教育するのは、簡単なことだ。そういうのは教育とは言
わない。問題のある子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。またそ
れを教育という」と。私にはこんな経験がある。

●バカげた地獄論

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に
書いた。その教団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。いわく、「こ
の宗教を否定する者は、無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体
障害者が多いのは、そのためだ」(N宗機関誌)と。こんな文章を、身体に障
害のある人が読んだら、どう思うだろうか。あるいはその教団には、身体に障
害のある人はいないとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふら
すようになった。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考
え方は、明らかにまちがっている。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が
地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、彼らが言うところの慈悲ではない
のか。

私だっていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判されている。中に
は「バカヤロー」と悪態をついて教室を出ていく子どももいる。しかしそうい
うときでも、私は「この子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦労すれば
いい」とは思わない。神や仏ではない私だって、それくらいのことは考える。
いわんや神や仏をや。

批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それ
はもう神や仏ではない。悪魔だ。だいたいにおいて、地獄とは何か? 子育て
で失敗したり、問題のある子どもをもつということが地獄なのか。しかしそれ
は地獄でも何でもない。教育者の目を通して見ると、そんなことまでわかる。

●キリストも釈迦も教育者?

 そこで私は、ときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教
師ではなかったか、と。ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、
経典を読んだりすると、意外とよく理解できる。

さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。たとえば「先生、
先生……」と、すり寄ってくる子どもがいる。しかしそういうとき私は、「自
分でしなさい」と突き放す。「何とかいい成績をとらせてください」と言って
きたときもそうだ。いちいち子どもの願いごとをかなえてやっていたら、その
子どもはドラ息子になるだけ。自分で努力することをやめてしまう。そうなれ
ばなったで、かえってその子どものためにならない。人間全体についても同じ。

スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人間は自ら努力する
ことをやめてしまう。医学も政治学もそこでストップしてしまう。それはまず
い。しかしそう考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤い
ブルドーザーではなく、赤い自動車だった。私は子どもながらに、「神様もい
いかげんだな」と思ったのを、今でもはっきりと覚えている。
(はやし浩司 2010−10−27 加筆)

(補記)

●無縁老人

 地獄と言えば、「無縁老人」という言葉がある。
最近(2010−10−27)、あちこちでその言葉を見たり、聞いたりする
ようになった。
「独居老人」など、「無縁老人」と比べれば、まだよいほう。
家族、親族、近所のつきあいを、すべて切ってしまった老人をいう。
そういう老人が、現在ふえつつあるという。
が、実態はまだ把握されていない。
都道府県単位で、やっと調査を始めたというのが現状らしい(NHK報道)。

 さらにそうした老人が、認知症になることもある。
認知症老人を相手にした詐欺商法も、横行している。
ただこのばあい、認知症になるから、「地獄」というふうには、考えないほう
がよい。
認知症は、あくまでも「病気」。
病気である以上、その老人個人には、責任はない。
むしろ頭のほうがしっかりしたまま、無縁老人になるほうが、こわい(?)。
毎日、毎晩、まさに無間の孤独地獄と闘わねばならない。

●娘が母親のタンス預金を……

 話は一足飛びに結論へ。

 しかしこういう社会を作ったのは、私たち自身。
私やあなたが無縁老人になったからといって、またなる可能性があるからとい
って、社会を恨んでもしかたない。
息子や娘たちを恨んでもしかたない。
それにこの問題だけは、10年単位、あるいは20年単位で、進行していく。
また解決するにしても、同じように10年単位、あるいは20年単位の時間が
かかる。

 国民の意識というより、私たち1人ひとりの意識の問題ということになる。
そこで一部の地域では、そうした老人を保護するために、周辺の住民が定期的
に見回ったり、訪問したりしているという。
しかしそれは一部。
が、近くに住む人だから安心というわけでもない。

 私の知り合いの老人(女性、当時85歳前後)は、晩年、軽い認知症になっ
てしまった。
娘が近くに住んでいて、毎週のようにその女性、つまり母親を訪問していた。
傍から見ると孝行娘ということになる。
しかしその老人が亡くなったとき、あるはずのタンス預金が、すっかり消えて
いたという。
額は定かではないが、数千万円程度の現金はもっていたはず。
その老人の弟氏はそう言っている。
 
 その老人のばあいも、娘だけを責めても意味はない。
そういう娘に育てたその老人にも、責任がある。
「責任」という言葉は、少しきついが、その老人の立場にすれば、恨んでも恨
みきれなかったことだろう。
(現在、その娘は、会う人ごとに、弟氏の悪口を言いふらしているが……。)

●風通しのよい社会

 話はそれたが、要するに、この先、私やあなたが、独居老人、さらには無縁
老人になる可能性は、ぐんと高くなるということ。
非公式の調査によるものだが、独居老人から孤独死をする人は、今後60%前
後になると言われている(某月刊誌)。
とくに団塊の世代以後の人たちが、あぶない。

 今はまだ元気だから、「私はだいじょうぶ」と思っている人も多い。
ある知人は、こう言った。
「いくつかのクラブに入って、友だちを作ることだよ」と。

 しかし高齢者になると、クラブに顔を出すこともできなくなる。
それに友だちといっても、自分が高齢になればなるほど、減っていく。
「友だちがいればいい」という問題でもない。

 そこでそれを解決するために、いろいろな方法が考えられている。

(1)地域社会の復活。
(2)住環境の整備など。

 こういう話になると、どうしても「昔はよかった」ということになる。
昔は、地域に温もりがあり、老人社会を包んでいた。
その温もりが、今、消えた。
親子関係、親類関係も希薄になった。
この傾向は、さらにつづく。

 またここでいう「住環境の整備」というのは、住まいそのものあり方を考え
なおそうというもの。
長屋形式の住宅を考えている建築家もいる(某月刊誌)。
隣どうしを、もっと風通しのよいものにする。

●解決策

 今、しみじみと感じているのは、これこそが、地域住民の問題ということ。
地域、地域で、その地域に住む人が、声をあげて立ち上がらなければならない。
「してもらう」という発想を捨て、「私たちがする」という発想に切り替える。
わかりやすく言えば、「私たちが後期高齢者になったとき、だれにめんどうを
みてもらうか」という考え方をしてはいけない。
「私たちが今、後期高齢者のめんどうをみる」という考え方に切り替える。
その積み重ねが、10年単位、20年単位でつづいたとき、独居老人、無縁老
人の問題は解決する。

 ……とまあ、こんなことを言い出した以上、この活動は、私がしなければな
らない。
何しろ私がこの町内に住み始めた第1号。
(もう1人、150メートルほど坂下のところに住んでいた人がいたが、その
人は、最近、亡くなってしまった。
家も売却され、現在は別の人が住んでいる。)

具体的にはいろいろ考えている。
ひとつには自治体に働きかけるという方法がある。
しかし20年前に私が書記をしていたころと比べただけでも、自治体はすっか
り様変わりしてしまった。
この1年間、みなが集まったというような会合はゼロ。
班長たちだけが集まって、そのつど何かを決めているらしいが、私たち住民の
ところにまでは、何も伝わってこない。

 が、これではいけない。
もうひとつの方法は、とりあえず、地域老人新聞を発行すること。
「老人新聞」というと、どこか暗いから、「地域新聞」でもよい。
すでにこの町内にも、多くの独居老人が住んでいる。
そういう人たちの実態把握から、まず始める。……などなど。

 今夜にでも、ワイフに相談してみよう。
ワイフはこのあたりでも、結構、顔役で、近所の人たちのことをよく知ってい
る。
先ほども、私が「ぼくは、無縁老人になりそう」と訴えたら、すかさず、こう
言い返した。
「私は、ならないわ」と。
(ワイフは、楽天的というか、ノー天気派。)

●結論

 極楽浄土にせよ、無間地獄にせよ、それらは結局は私たち自身が、身のまわ
りに自ら、作り出していくもの。
あの世にあるわけではない。
この世にある。

 政治に頼ったり、宗教に頼ったりするのは、その「後」ということになる。
(はやし浩司 2010−10−27)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 11月 19日
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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 2010−10−22)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【孤独論】
Jesus himself experienced this loneliness.(マザーテレサ)

●孤独

+++++++++++++++++

どこかの男性が、110番に繰り返し電話、
警察に逮捕されたという。
年齢は、62歳。
しかも、学校元教諭。
理由について、「さみしかったから」と。

+++++++++++++++++

●実兄

 この話を聞いて、私は真っ先に私の実兄のことを思い浮かべた。
兄は、ちょうど今の私の年齢のころから、夜になると、あちこちに電話を
かけた。
もちろん私のところにも、毎晩のようにかかってきた。
が、電話に出ると、何かをボソボソ言ったあと、そのまま電話を切ってしまった。

 兄もさみしかったのだろう。
毎日が孤独との闘いだった。
友もいなく、家族もいなく、話し相手もいなかった。
母と同居していたが、その母も、兄にはつらく当たっていた。
それを思うと、つまり今になってみると、もっと話を聞いてやればよかったと、
悔やまれる。

 孤独は恐ろしい。
本当に恐ろしい。
あのマザーテレサも、孤独の恐ろしさを説いている。
「キリストでさえも孤独だった」と説き、その苦しさを、『渇き』に
たとえている※。

●実兄

 その男性は62歳。
若い!
家族はいなかったのか。
あるいは認知症か何かになっていたのか。
私の兄のばあいは、うつ病と診断されていた。
しかし62歳というのは、若すぎる。
私と同じ年齢というだけで、そう判断するのは正しくない。
しかし私は、そう思う。

何があったのか。
新聞報道では、そこまで詳しくは書いてない。
しかしけっして他人ごとではない。
私も、日々に、心のどこかで孤独と闘っている。

●ひとりでは生きていけない

 人間は、ひとりでは生きていかれない。
「ひとり」というのは、だれにも愛されず、だれをも愛せずという意味。
だれにも相手にされず、だれをも相手にせずという意味。
死んでも悲しんでくれる人はいない。
死んでも悲しむ人もいない。

 一度そうなると、生きていること自体が、乾いた砂のようになる。
味気なく、つまらない。
すべてのものが色あせ、何をしても虚しい。

●孤独との闘い

 「生きていけない」ということは、つまるところ、そのまま「死」につながる。
死ぬことが、最後に残された希望ということになる。
「希望」というよりは、「最後の逃げ道」?

 希望には、それにつづく未来がある。
しかし死には、それがない。
そこですべてが終わる。

 だからだれしも、自らを孤独の世界に追い込まないようしている。
自分の置かれた環境を整えようとする。
意識的な行動というよりは、無意識的な行動ということになる。
心のどこかで孤独を感じながら、孤独にならないよう、自らを回避させる。
それが孤独との闘いということになる。
 
●だれが石もて打てる

 愛にせよ、幸福にせよ、そして孤独にせよ、どれも実感しにくい。
「形」がない。
が、賢明な人は失う前に、愛の価値を知り、幸福の価値を知る。
孤独になる前に、孤独の恐ろしさを知る。
しかしそうでない人は、失ってから、愛の価値を知り、幸福の価値を知る。
孤独になってはじめて、孤独の恐ろしさを知る。

 が、いくら賢明であっても、人生というのは、ときに空回りをする。
あれよあれよと思うまもなく、人生そのものが、自分の望む方向とは
逆の方向に進んでしまう。
その人の責任というよりは、その人の力では、どうにもならない。

 だから・・・というわけでもないが、冒頭の男性を、だれが笑うこと
ができるだろうか。
私には、できない。

 こんな人もいた。

●詰め所でひとり

 この浜松で、かなりの財を築きあげた男性がいた。
高度成長、それにつづくバブル経済をうまくくぐりぬけ、巨億の富を蓄えた。
が、その男性は数か月の入院生活のあと、亡くなってしまった。
その入院生活をしているときのこと。
その男性は、毎晩夜になると、看護士の詰め所の隅で、眠っていたという。
三角座りをしたまま眠っていたという。

 家族というか、娘は近くに1人いたが、断絶状態にあった。
看護士が娘にときどき電話をかけたが、死ぬまで一度も、面会に来なかったという。

●たった1人

 たった1人でも、本当に愛し、理解してくれる人がいたら、
その人のもとで、安らかに死ぬことができるだろう。
たった1人でよい。
心底許しあい、心底忘れあえる人が、1人、いればよい。

 その人が、いるかどうか。
あるいは一生かかって、そういう人を1人、もつことができるかどうか。
それが人生の最大の目標ということになる。
多くは、夫や妻が、その人ということになる。
親友かもしれない。
あるいは高徳な信仰者だったら、神や仏がその「人」かもしれない。

●許して忘れる

 愛の深さ(=「許して忘れる」の度量の広さ)が、孤独に強くするのか。
それとも孤独が、愛を深くするのか。
どちらであるにせよ、愛と孤独は、紙で言えば表と裏のようなもの。
愛を深めながら、人は孤独と闘い、孤独と闘いながら、愛を深める。
愛の価値を知る。

 たとえば『許して忘れる』。
それをしなければ、家族にせよ、友にせよ、みな、どんどんとあなたから離れていく。
だから『許して忘れる』。
これを繰り返していると、反対に、家族にせよ、友にせよ、再びあなたのもとに、
戻ってくる。

 ただ誤解していけないのは、孤独というのは、その状況にならないと「顔」を出さない
ということ。
それまでは心の奥に潜んでいて、あなたの心のスキをねらっている。
病気になったとき、だれかと離別したとき、事業に失敗したときなどなど。
そういうときに顔を出し、私やあなたを一気に孤独地獄へとたたき落とす。
それまで「オレはひとりでも生きていかれる」と豪語していたような人でも、その
とたんにガタガタになる。

●うつ病

 冒頭にあげた男性のばあい、何かの心の病気になっていた可能性もある。
認知症から、うつ病になる人がいる。
うつ病から、認知症になる人がいる。
どちらが先で、どちらがあとかということは、専門家でも判断がむずかしいという。

 私の知人に、現在、そういった人が3人いる。
みな、家の奥に引きこもってしまい、寝たきりの状態にある。
だれにも会わない。
一日中、暗い家の中でじっとしている。

 共通しているのは、たまたまその3人とも女性であること。
とくに不思議なのは、よい家族に恵まれていること。
「孤独」とは、とても言えない世界に住んでいる。
やさしくて、思いやりのある夫、それに息子や娘たちに囲まれている。
そういう人たちがみな、近くにいて、その人の世話をしている。
心配している。
が、それでもそうなる人は、なる。

 これについて私のワイフは、こう言った。
「いい家族に恵まれていると、かえって『がんばらなくちゃあ』という気持ちが
弱くなるのでは?」と。
しかしこれは俗説。
うつ病かどうかは別として、心の病気は、その向こうで起きる。
つまりその人の意思ではどうにもならない。
意思でコントロールできるようなものではない。

●昔の家族

 田舎の人たちの生活をみていると、そこにいつもだれかが出入りしているのが
わかる。
近所の人、親類の人などなど。
「プライバシーが守れない」と若い人たちはこぼすが、プライバシーという概念
そのものが通じない。
その家の家計の内容まで、たがいに知りつくしている。

 そういう生活にはデメリットもあるが、その反面、メリットもある。
いわゆる「温もり」というメリットである。

日本の社会は、つぎの社会への準備期間もないまま、現代という今の
社会に移行してしまった。
「核家族」という名のもと、親子関係だけは濃密になった。
が、「核家族」というときには、そこには両親の姿はない。
兄弟姉妹、親戚の人たちの姿もない。
あるのは、親と子、だけ。

そのためかえって、「家族」はバラバラになってしまった。
その結果が、今。
わかりやすく言えば、周囲の人たちとの(つながり)、つまり温もりが
消えてしまった。

●「さみしかったから」

 どんな気持ちだったか?
110番へ繰り返し電話をかけたとき、どんな気持ちだったか?
「さみしかったから」ということになるが、本人は逮捕覚悟の上での行為
だったという。
「逮捕されれば、話し相手ができる」と。
つまりその元教諭は、そこまで追い詰められていた。

もしほんの少しだけ勇気があったら、その元教諭は自ら命を絶っていたかもしれない。
この世の中、生きていくのもたいへんだが、死ぬのもたいへん。
簡単には、死ねない。
そういう人は、ただ生きていく。
それしかない。
昼はあてどもなく歩きつづけ、夜は夜で、夜の暗闇におびえる。
人に会っても、乾いたあいさつだけ。
心を開くこともない。
「さみしい」という言葉を使うなら、その男性は、さぞかしさみしかった
ことだろう。

●心の傷

 私は子どものときから、ずっと孤独だった。
昔の私を知る人は、私のことを、明るく朗らかだったという。
しかし私は孤独だった。
いつもさみしかった。
「家庭」といっても、家庭そのものがなかった。
「家族」といっても、みな、心はバラバラだった。

 当時としては、むしろ恵まれた家庭だったかもしれない。
が、私の居場所はなかった。
家の中では、どこにいても落ち着かなかった。

 その状態は、今も、変わらない。
60歳を過ぎた、今も、変わらない。
恐らく死ぬまで、変わらないだろう。
何度も努力はしてみたが、振り返ってみると、いつもあきらめるしかなかった。
だから今は、あまり考えないようにしている。
だれにもひとつやふたつ、弱点がある。
過去を消すことができないように、心の傷も消すことはできない。
過去を消しても、心の傷だけは残る。

●老後

 老後は、孤独との闘いといってもよい。
それについて義兄は、こう言った。
「どこかのクラブに入って、仲間をつくったらいい」と。

 それもひとつの方法かもしれない。
しかし長生きをすればするほど、皮肉なことに、そこに待っているのは、孤独。
だから私はワイフと、ときどきこんな会話をする。
「ぼくは、お前より、先に死ぬよ」と。
ワイフも私の弱点をよく知っているから、こう言う。
「そうね・・・。それがいいわねえ」と。

 その男性は、110番に繰り返し電話をして、逮捕された。
警察には警察の立場がある。
そういう形で、110番を利用されたら、困るだろう。
それはわかるが、しかしだれがそういう男性を、石もて打てるか。
まさに、明日はわが身。

 今回のこの事件ほど、身につまされたものは、なかった。
これ以上、言葉がつづかない。

(補記)●闇恐怖症

 昼間は何とか、ごまかせる。
こわいのは夜。
闇。
ひとりぽつんとしていると、ひしひしと孤独感が襲ってくる。

 こうした恐怖感は、そうでない人には、理解できない。
私のワイフもその1人。
結婚して37年になるが、いまだに、「気のせいよ」と言い、
話すら聞いてくれない。
のんきな性格で、本当にうらやましい。

昨夜もこたつの中でうとうとしていたら、「そんなところで寝ると
風邪をひくわよ」と。
私はワイフが寝るのを待っていたが、ワイフはそのまま寝室のドアを
閉めて、先に寝てしまった。
そういうとき、言いようのない孤独感が、襲ってくる。

 こういうのを「闇恐怖症」というのか。
あまり聞かないが、恐怖症には定型がない。
その人のもつトラウマに応じて、千差万別に姿を変える。
今の状態からして、ワイフにしても、それを理解するのは、不可能だろう。
私はそのままじっと、闇の恐怖に耐えながら、こたつの中で寝た。

(注※)マザーテレサ

●孤独は、無間の地獄

孤独とは、究極の地獄と考えてよい。

 イエス・キリスト自身も、その孤独に苦しんだ。マザーテレサは、つぎのように書いて
いる。この中でいう「空腹(ハンガー)」とは、孤独のことである。

When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the hunger for 
bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself experienced this 
loneliness. He came amongst his own and his own received him not, and it hurt him 
then and it has kept on hurting him. The same hunger, the same loneliness, the same 
having no one to be accepted by and to be loved and wanted by. Every human being in 
that case resembles Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real 
hunger.  キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼は
ただ食物としてのパンを求める空腹を意味したのではなかった。

彼は、愛されることの空腹を意味した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまりだ
れにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、であ
る。彼自身も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつけつづ
けた。どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、もっともきびしい、
つまりは、真の空腹ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 孤独論 マザーテレサ hunger 渇き イ
エスキリスト はやし浩司 2010−10−23)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【小児てんかん】

【オーストラリア在住のMAさん(母親)より】

【MAさんより、はやし浩司へ】

今年4月末、主人の転勤に伴いオーストラリア赴任しました。息子の事でご相
談に乗っていただきたくよろしくお願いいたします。

>> 主人と私は2度目の駐在(12年前にカナダ)ですが子供達にとってはは
じめての海外生活でまずは現地校に慣れるというのが第一目標として生活し
ておりました。

長男はてんかんをもっており小学1年生よりテグレトールを服用しておりまし
た。にも係らず何度か発作を起こしたため(発作自体は軽い)テグレトールを
彼にとって最大まで増やしその後マイスタンを追加し現在1日計7錠(テグレ
トール5錠、マイスタン2錠)を服薬しております。

お陰様で2008年12月に薬を増やしてから発作は止まり現在約2年間、発作な
く過ごしております。

>> 問題は彼の学習面なのですが日本で小児精神の方で診断を受けたところ学
習障害があることが分かりました。親からみても3年生になる頃から新しいこ
とを理解するのに時間が掛かる。今まで学校で習ったことはだいたい理解でき
たものが家に帰って復習すると分かっていない。漢字等の暗記に時間が掛かる。
等、気になったため病院で診断を仰ぎました。

>> そこで息子は学習に関して個人的なフォローが必要だとも言われました。
それから塾にも通っていましたが集団でレベルの違う子の中で続けるのも苦
痛に感じていたところ赴任も決まり、という事で家で私がフォローしてきまし
た。

>> このような経緯でオーストラリアまで参りましたが、今度はやはり日本語
補習校で「理解しているようで理解していない。」「授業中は至って真面目、
がんばっているのにテストができない。」とまさにその通りということを言わ
れました。

また現地校でもELLのクラスで、「文法を教えてもとても混乱しているよう、
理解できていない。」といわれました。双方に主人と共に面談し今後の息子の
対処法、目標達成のレベルを落としてもらうことをお願いしました。

>> 最近では本人も「やっているのにできない。」という事を認識し始めフラ
ストレーションの中で勉強しなくてはならないことに一緒に見ている私たち
もとてもかわいそうだと感じ、同時に疲れてしまいました。

>> 息子はとても活発、オーストラリアに来ても友達が沢山でき言葉もままな
らないのにきちんと遊ぶ約束もしてくる、また友達の家にも遊びに行ける、現
地校の先生からはとても礼儀正しく真面目に物事に取り組める、と言われます。

現地でフォットボールチームにも入り本当に楽しそうに練習しています。日本
人一人でも全く問題なく溶け込んでいることにとても頼もしく見えます。遊び
に関しては好奇心も旺盛です。

>> ただ新しいこと(学習について)を理解するまで時間が掛かるためどうし
てこんなことが分からないのだろう、と思ってしまうのです。これは学習障害
だから仕方がない、という事も最近は私も受け入れられるようになりましたが
ついつい私も主人もヒートアップしついには家族で喧嘩になります。そのたび
反省、先生のHPを拝見しこれではいけない、そして次はこうしよう、と心に
決め息子と共にまたやり直したい、と思う日々です。

主人はとても温厚で子煩悩、どうにか息子を助けたい一心でよく学習の面倒も
見てくれます。補習校の宿題も多くはじめは何とかこなしましたが今は量より
問題を理解させようと色々な手を使って説明したりしています。ただ息子自身
やる気をなくしているため殆ど効果がありません。そのとき理解したように見
えても次の日にはできません。みんな空回りしている感じです。


>> 今は現地校をメインに生活をしていくよう考えております。赴任は約4年
間の予定です。今後どのように息子を育て、教育していったらよいか何かアド
バイスいただけたら幸いです。次男とはとても仲がよく、同じレベルで遊んで
います。次男は普通に学習し、理解できるタイプです。

我々夫婦も長男は小学生に上がるまでこのようなタイプだと思って育ててき
ました。言葉も遅いことはなくむしろよく筋道たて話していました。それがて
んかんだと分かり、薬を服用するようになってから崖から転がるように分から
なくなってきたことに親の方が焦っているところがあります。今後薬をやめた
ら少しは聡明に物事を考えることができるようになるかと、そのときのために
少しでも今できることをやってあげたいと思っているのが私たちの気持ちで
すがこれが彼にとって重い負担にもなってることも分かっております。

>> 長文、失礼いたしました。どうにか息子を助ける手立てはないか、私たち
親として何をしてやったら将来のためになるのか、お力を貸していただきたく
存じます。
>> どうぞよろしくお願いいたします。

【はやし浩司より、MAさんへ】

 知人のRAさんが、同じような悩みをかかえ、それを克服しています。
RAさんに相談したら、以下のような手紙が届きました。
参考にしてください。




 以上ですが、何かの参考になれば、うれしいです。
ていねいな返事をくれた、RAさん、ありがとうございました。

はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 小児てんかん はやし浩司 2010−
10−24)

つづきは

はやし浩司のHP→子育てQ&A→「小児てんかん」へと、お進みください。

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 11月 17日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【長さを教える(幼児クラス)】【見取り図練習(小1&2)】

(1)幼児クラス・長さを教える

  長さの概念を教えてみました。
  長さを、「数字」で表現するところまで、指導してみました。
  10月から新しい生徒さんが2人、入会しました。
  そのため、テンポを遅くし、楽しい教室展開をしました。
  ぬいぐるみを紹介したのも、そのためです。


http://www.youtube.com/watch?v=dnbrA_g1UUA

http://www.youtube.com/watch?v=oXAyDW51U6E

http://www.youtube.com/watch?v=NVogHa6qhIw

http://www.youtube.com/watch?v=PEqvu75Qf0g


(2)小1、2クラス(どこまで描けるか、記録用)

  3Dの見取り図を描くのは、たいへんむずかしいことです。
  どこまでこの年齢の子どもが描けるか、それを実験してみました。

http://www.youtube.com/watch?v=Y1DK_GXT70s

http://www.youtube.com/watch?v=YhX_B2NDo4M


**********************
以下、HTML版

(年長児、長さの学習)


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value="http://www.youtube.com/v/dnbrA_g1UUA?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/dnbrA_g1UUA?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>



<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/oXAyDW51U6E?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/oXAyDW51U6E?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>



<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/NVogHa6qhIw?hl=ja&fs=1"></param><param 
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value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/NVogHa6qhIw?hl=ja&fs=1" 
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<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/PEqvu75Qf0g?hl=ja&fs=1"></param><param 
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value="always"></param><embed 
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(小1、2、見取り図練習)

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value="http://www.youtube.com/v/Y1DK_GXT70s?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
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src="http://www.youtube.com/v/Y1DK_GXT70s?hl=ja&fs=1" 
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allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>



<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/YhX_B2NDo4M?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/YhX_B2NDo4M?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日も終わった】(2010年10月19日)

+++++++++++++++++

午前中は、『ファミリス』(静岡県教育委員
会発行雑誌)の原稿書きに集中した。
短い原稿だったが、フルパワーで書いた。
真剣勝負で書いた。
「子育てQ&A」という、雑誌の中でも、
最末部の、目立たないところ。
12月号に、掲載されるという。
書き終えたとき、フーッと息が漏れた。

(どうか、「ファミリス」12月号を読んで
ほしい。)

+++++++++++++++++

●人間関係

 「悪妻をもてば、夫は哲学者になる」と、あのソクラテスは言った。
このことからもわかるように、ソクラテスの妻は、相当な悪妻だったらしい。

 同じように、「愚息をもてば、親父(おやじ)は教育者になる」でもよい。
「愚息をもてば、親父は勤勉になる」でもよい。
もう少し深刻な話になると、「問題児をかかえると、母親は崇高になる」でもよい。
が、反対にこうも言える。

 「ダメ親父をもつと、子どもは人格者になる」
「できのよい息子をもつと、親父は堕落する」
あるいは、「ダメ夫をもつと、妻は虚栄に生きるようになる」でもよい。

 いろいろな例をあげたが、実際にはいろいろなバリエーションがある。
悪妻をもった夫が、うつ病になるケースもある。
同じように悪夫になるケースもある。
ダメ夫をもって、その分だけ、妻が努力家になるケースもある。
化学反応のように、結果がいつも同じとはかぎらない。
しかしこれだけは共通している。

 その「人」は、周囲の人間関係の影響を受けて、大きく変化する。

●結婚37年目

 で、私たちはもうすぐ結婚37年目を迎える。
37周年と書くべきか。
その37年を振り返ってみると、こんなことがわかる。
私はワイフによって作られ、ワイフは私によって作られた、と。
たがいに大きく影響しあった。

 が、私は始終、悪夫であった。
自分でも、それがよくわかる。
欠点をあげたら、キリがない。
ワイフは、それによく耐えてくれた。
たいへんだっただろうと思う。
その結果、私より、はるかに人格者になった。
つまり「悪夫をもてば、妻は人格者になる」。

●満63歳までに・・・ 

 「63歳になったら、〜〜しよう」というのは、前向きな考え方とは
言わない。
「先送り主義」という。
できることは、今すぐ、する。
明日に回さない。
明日に残さない。
今の私について言えば、63歳までに、すべてをする。
その63歳まで、あと1週間!

(1)山荘の周囲の草を刈る。(除草剤もまく。)
(2)教室の看板を完成させる。 
(3)11月の旅行の予定を立てる。(昼神温泉へ行く。)
(4)友人が病気なので、見舞う。
(5)義兄に会いに行く。
(6)「ポケモン・カルト」を、HPに載せる。

●密度

 要するに生き方によっては、1週間を、1か月にして生きることもできる。
1年は無理としても、数か月分にして生きることはできるかもしれない。
まずいのは、その反対。
明日も今日と同じ・・・という生き方を始めると、あっという間に
1日が終わり、1週間が終わる。
1年が終わる。

たとえば私の母は、最期は、特別擁護老人ホームで1年を過ごした。
その母を振り返ってみると、あの1年は、何だったのかということになる。
思い出という思い出がない。
何もない。
あるとすれば、あの椅子に座って、ぼんやりとテレビをながめていた
あの母の姿だけ。

 時間の長さは、時計では決まらない。
密度。
密度によって、決まる。

●忙しい

 が、密度といっても、忙しいだけではだめ。
昨日もサイクリングの途中で、行きつけのソバ屋へ寄った。
味がよい。
安い。
その店に、小柄の若い女性がいる。
美しい顔立ちの女性で、たいへんよく働く。
昼時になると、体を始終動かしている。

その店へ行くたびに、私はこう思う。
「もし私が豊田佐吉なら、自動ソバ揚げ機というのを作るだろう」と。
ソバがベルトコンベアーの上に乗って、最後は自動的にどんぶりの中に
落とされる。
そこへダシ汁が流される・・・。

 つまり・・・その女性には悪いが、忙しいというだけでは、その時間を
長く生きたことにはならない。

●感動

長く生きるためには、感動が必要。
感動が、時間を長くする。
つまりそのつど感動を作る。
用意する。
わかりやすく言えば、ドラマ。
そのドラマこそが、人生を長く生きる秘訣ということになる。

 が、ここで問題が起きてくる。
老後になると、生き方そのものが保守的になる。
ドラマが少なくなる。
つまり時間が短くなるのではなく、自らドラマを避けるようになる。
それが密度を薄くする。
言い換えると、長く生きるためには、冒険心を忘れない。
失敗を恐れない。
さらに言えば、年齢は関係ない。
年齢を忘れて・・・といっても、それはかなり難しいが、やりたいことをやる。

●モノより思い出

 ところで私も、50歳を過ぎるころから、こんなことに気づいた。
それまでの私は、「モノ」を大切にした。
こだわった。
が、50歳を過ぎるころから、「モノより思い出」と。

 たとえばあまったお金が、5万円あったとする。
その5万円で何を買うかと選択を迫られたら、モノではなく、できるだけ
思い出に使う。
わかりやすい例として、旅行がある。
あるいは知人や友人に喜んでもらえるようにする。

 さらに付け加えるなら、思い出は、外見ではなく中身。
中身を重視する。
たとえば質素な服装でホテルへ入ったとする。
そういうときホテルの従業員によっては、客を服装で判断する人がいる。
露骨に態度を変える従業員もいる。
(東南アジアのホテルでは、どこも露骨に態度を変える。
これは余談。)

 最初は気になるが、中身に徹してくると、やがてそれがわからなくなる。
無視できるようになる。
こうして中身の追求をはじめる。

●残り火

 少し前までは、こう考えた。
モノを買うときも、「あと〜〜年、もてばいい」と。
その私が、今は、モノに対して、ほとんど興味を失ってしまった。
たとえば若いころは、骨董品を買い集めた。
浮世絵を買ったこともある。
置き物としての石を、何十個もまとめて買ったこともある。
しかし今は、そういうことに関心がなくなってしまった。
むしろ、虚しさを覚えるようになってしまった。

 で、今は、身のまわりのモノを、知りあいや生徒、生徒の親たちに、
惜しげもなく配っている。
先月は生徒たちに、金メッキだが、中身は純銀の杯(さかずき)を、12個
あげてしまった。

 「死」というものを考えると、モノに対する考え方は、確実に変わってくる。
モノだけではない。
名誉にしても、そうだ。

 若いころは、有名になりたいと思った。
しかし今は、ほとんど、ない。
少しはまだ残り火のように燃えているが、ほとんど、ない。

●お金

 ついでにお金の問題。

 私のばあい、もっとも稼いだのが、20代の後半から、30代。
それ以後は、ジリ貧というか、下り坂。
今では毎月のやりくりだけで、稼いだお金は消えてしまう。
しかし思い出の中身は、お金では決まらない。
もっともこんなことは常識。
あえて私が言うべきことではない。

 先日も、カツ丼屋へワイフと入った。
どうしてか理由はわからないが、かつ丼屋の料理は、どこも量が多い。
量の多さで、競いあっている(?)。

 で、私とワイフは恐る恐る、店員さんにこう聞いた。
「子どもランチでも構いませんか?」と。
すると店員さんはにこやかに笑いながら、応諾してくれた。
「いいですよ」と。

 私とワイフは、かつ丼と、「お子様ランチ」という名前の
子どもランチを分けあって食べた。
それが楽しかった。
店を出て、「お子様ランチを食べたのは、生まれてはじめて」と言って、
笑いあった。

●失敗

 ・・・それにおいしい料理を食べるだけが、思い出ではない。
まずい料理を食べるのも、これまた楽しい。
そのときはいやな思いをするが、あとになると楽しい。
笑い話となって、はね返ってくる。

 つまり人生もそれに似ている。
うまくいったときは、楽しい。
しかし同じように、失敗も、これまた楽しい。
最近した失敗の中で、これは・・・?、というと、ハハハ、どうしても
ウンチやオナラの話が多い。
いろいろあった。
ワイフに言わせると、私はミスター・ビーンそっくりだそうだ。
ヘマやドジばかり、している。

●これで死ねる

 そういう私だが、このところひとつ、心境に変化が現れ始めた。
「死」に対する考え方が、少しずつ変わってきた。

 先日も山荘の廊下を歩いているときのこと。
ふと振り向いたとき、ズキンと激しい痛みが後頭部を襲った。
一瞬、床に座り込むほどの痛さだった。
そのあたりにある神経が、まとめてひねられるため、そういう痛みに
なるらしい?
ともかくもその瞬間、私は、死ぬのがこわいと思うよりも先に、「ああ、
これで死ねるかもしれない」と、そんなふうに思ってしまった。

 どうしてだろう?
やりたいことは、まだ山のようにある。
やり残したことも多い。
その私が、「これで死ねる」とは?

 ひとつには、こうした負け戦に疲れを覚え始めていること。
消耗戦。
先の見えない袋小路。
ぶつかっても、ぶつかっても、開かないドア。
楽になりたいとは思わないが、どうせ楽にはなれない。
死ぬまで、こうして闘うしかない。
働くしかない。

●今日のできごと

 実は今日、こんなことがあった。
ここに書くのもつらい。
つまり1人の生徒を退塾させた。
内容については、書けない。
私はあやうく失明するところだった。
ふだんはすばらしい子どもなのだが、魔が差した?

 コンパスのゆるみをなおすために、細いドライバーをもってきた。
ゆるみをなおしてやった。
そのあとのこと。
……。
やはり今は、ここには書けない。

 似たような事件は、この30年間に、数度あった。
ひとつは、飲んでいるお茶に殺虫剤を入れられたこと。
私がトイレに行っている間のできごとだった。

トイレから戻ると、何人かの生徒(中学生)がニヤニヤと笑っていた。
「?」とは思ったが、そのあとそばにあったお茶を飲んだ。
そのときのこと。
J君という男子が、こう言った。
「へんな味がしなかったア?」と。

 ピンときた。
「お前ら、何をした!」と聞くと、悪びれた様子もなく、こう言った。
「殺虫剤を入れておいた」と。
私はその場でJ君を、退塾処分にした。

 もう一度は、M君というやはり中学生だった。
M君と対峙してすわり、M君の話を聞いていた。
M君は学校での話をしていたと思う。
私は目を閉じ、「そうか、そうか・・・」とうなずいていた。
その瞬間のこと。
何を思ったか、M君が、私の顔と机の間に、もっていたシャープペンシルを
立てた。
とたんシャープペンシルの端がメガネにガチンと当たり、眉毛の内側の
付け根に突き刺さった。
顔をあげると、噴水のように赤い血が飛び散った。
私はM君を怒鳴りつけると、そのまま退塾処分にした。

 子どもたちの間には、「椅子引き」という危険な遊びがある。
相手が椅子に座ろうとした瞬間、その椅子を引く。
それと似た悪ふざけということになる。
が、こういうケースのばあい、子どもというのは、どういうわけか、
相手の目をねらってくる。
しかも突発的というか、ゲーム感覚?

 ほかにもいくつか、ある。
「こんにちは!」と声をかけ、肩をたたいたとたん、私の腹に足蹴りを
してきた女児(小5)もいた。
「このヘンタイ野郎!」と。
数発、ドシッドシッと腹に当たった。
私は息ができなくなり、その場に倒れた。
その女児は、空手道場に通っていた。

●責任

 こういう子どもたちに出会うと、心底、自分のしている仕事が情けなくなる。
今日もそうだった。
ほんの一瞬、顔の動きを止めたからよかったようなもの、もしその
まま顔をその子どものほうに向けていたら・・・。
今ごろ私は、救急病院で目の手当てを受けていることだろう。

 で、そのことをワイフに話しながら、こう聞いた。
「そういうとき、親は責任を取ってくれるのだろうか」と。
それに答えて、ワイフは「それはあなたの専門でしょ」と。

私「しかしぼくだったからよかったけど、もし相手が別の子どもだったら、
ぼくの責任になるよ。管理者責任というのだ」
ワ「そうね・・・」
私「相手の子どもが失明したら、それこそたいへんなことになるよ」
ワ「そうね。相手の親は、あなたに責任を求めてくるでしょうね」
私「・・・そうなんだよ。だからこのタイプの子どもは、こわくて
指導できない。ぼくの仕事には、保険がきかない」と。

●退塾処分

 私はその子どもを、その場で退塾処分にした。
悲しい気持ちだった。
やりきれなかった。
親は、もっとつらがるだろう。
それはわかっているが、冗談ですますことができるような事件でもなかった。

 私はその子どもにこう言った。
「君は頭はよいかもしれないが、中身はバカだ。
本物のバカだ。
いいか、バカなことをする人をバカという。
頭じゃ、ない。
この言葉を一生、脳に刻んでおくといい。
二度と、こんなバカなことをしないためにね」と。

●気分転換

 夜、仕事が終わってから、その子どもの家に電話をかけた。
しかしだれも出なかった。
それを知って、電話を切った。

 が、気分はよくなかった。
だから時刻は10時を回っていたが、山荘へ向かうことにした。

親への一応の説明は、ワイフにさせた。
ワイフもその場に、助手として、いた。
一連のできごとを、横で見ていた。
迎えに来ていたその子どもの母親は、「家でもよく叱っておきます」と
言って去っていったという。

 生徒といっても、長く教えていると、自分の子どものようになる。
つまりそういう子どもにしたのは、私の責任でもある。
またそういう雰囲気にしたのも、私の責任。
ときとして私もハメをはずす。
それがときとして、子どもたちに誤解される。

 やりきれない気持ち。
しかし私にはそれしかほかに、選択の余地がなかった。
さようなら、M君!
君は本当は、心のやさしいすばらしい子どもだよ。
これからは気をつけようね!

●おやすみなさい!

・・・ということで、ともかくも私は生きてきたし、今も生きているし、
これからも生きていく。
小さなドラマも、いくつかあった。
が、「ここで終わります」と宣言するわけには、いかない。
もうすぐ満63歳。
勝負はこれから。
体力を維持し、自分の限界にいどむ。
寿命という限界に、いどむ。
そこにあるのは、エベレストよりも高い山。
その「山」にいどむ。

 ・・・とりとめもない話を書いてしまった。
63歳の決意というよりは、ダラダラの駄文。
とにかく明日もがんばろう。
ワイフは、すでに私の横でいびきをかいている。
あごの下のシワを数えたら、首の上から下までだけで、7本もあった。
すっかりバーさんになってしまった。
のんきな女性で、明日のことは何も心配していない。

 「いい性格だなあ」と思いながら、今日もこれでおしまい。
新しい発見は、今日はなし。
では、みなさん、おやすみなさい!

2010年10月19日、11:40PM

●追記

 小雨が降っていた。
時計を見ると、午前7時。
作業服の上に雨合羽を着た。
草刈機を用意すると、それにガソリンを入れた。

 道路に面した土手の雑草が、大きくなっている。
それが道路側にはみだしている。
それを道路側から、バリバリと切り倒していく。
その爽快感は、それをしたものでないとわからない。
が、雨がひどくなって、途中でギブ・アップ。
時間にすれば、30分ほど。

 あとは朝風呂に入って、恐る恐る体重計にのる。
62・8キロ。
ややオーバー。
「今日も減食(ダイエット)だな」と。

・・・あとはのんびりとした朝。
風もない。
風呂から出ると、雨もあがっていた。
たった今、カラスが谷の下を横切った。
遠くの山々は、白いモヤに包まれている。

 さあ、これから家に帰って、仕事。
ワイフが「外は寒いわね」と言って、窓を閉め始めた。
 
はやし浩司 2010−10−20

(補記)

 新発見!

 こうして「はやし浩司 2010−10−20」と書いておくと、
つぎから自分の日記を、ヤフーやグーグルを使って、日付で検索できるようになる。
これから自分の書いた原稿の末尾には、こうして名前と日付を入れることにした。
GOOD IDEA!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●はやし浩司 2010−10−21

●7500メートルの山

 昨夜、義兄と夜遅くまで、話す。
私にはよき友、よき師である。
某音楽学校の校長を務めたこともある。
その義兄に、「ぼくは、70歳まで
仕事をつづけます。
70歳というと、7000メートル級の
山に登るようなものです。
今から体力作りをしなければなりません」と
話すと、すかさず、こう言った。

「7000メートル? 7500メートルに
しなさい!」と。

7500メートル!
カラコルム山脈には、8611メートルのK2を
筆頭に、7000メートル級の山々が、60〜80
座もあるという。

どの山にしようか……。
その山の写真を飾っておくのも悪くない。
内心では、そう考えていた。
が、世界最高峰は、何といっても、エベレスト。
8844メートル。

88歳は、とても無理?
しかし90歳を過ぎても、矍鑠(かくしゃく)として
いる老人は、いくらでもいる。
となると、目標は、エベレスト。
8844メートル。

ついでに世界の山々を、高い順位から並べてみる。
(ウィキペディア百科事典より)

エベレスト (8,844 m)
K2 (8,611 m)
カンチェンジュンガ (8,586 m)
ローツェ (8,545 m)
マカルー (8,462 m)
チョ・オユー (8,201 m)
ダウラギリ (8,167 m)
マナスル (8,163 m)
ナンガ・パルバット (8,126 m)
アンナプルナ (8,091 m)
ガッシャーブルムI峰 (8,068 m)
ブロード・ピーク (8,047 m)
ガッシャーブルムII峰 (8,035 m)
シシャパンマ (8,027 m)

 さっそく今朝から、運動量をふやした。
昨日までは、朝起きたら、ウォーキングマシンの
上で20分と決めていた。
今朝から30分にした。


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

【日中経済戦争】(10―20)

++++++++++++++++++

中国は、2009年度だけでも、何と
総額130兆円もの投資資金を、市中に
ばらまいた。
(130兆円だぞ!)
リーマンショック以来、世界の投資環境が
縮小傾向にあるにもかかわらず、130兆円!

この額が何を意味するかというよりも、その
お金が、どこで何に使われたかということ。
それが問題。
もちろん「投資」ということになるが、
中国のばあい、「投資」ではなく「投機」に
回った。

一説によれば、半分以上。
あるいは45%前後。
(あの国の経済指標、統計は、まったくアテに
ならない。)
そのお金が、不動産市場へと流れた。
中国国家統計局の資料によれば、
2010年の4〜5月期に、住宅販売価格は
天井を打ったという。
しかしそれでも年率、10〜12%(2010年
7〜8月現在)という上昇率である。

中国の住宅販売価格が常軌を逸しているというのは、
すでに世界の常識。
メチャメチャ。
そういう中、前回も書いたように、ジニ係数が
ジリジリと上昇している。
つまり貧富の差がますます大きくなっている。
「人民」の不満は、すでに爆発寸前という状態から、
「爆発期」へと入りつつある。

その一つの表れが、極端な反日デモということになる。
中国では、おおっぴらにはデモができない。
中央政府に、不満をぶつけることもできない。
そこで「反日」に名を借りて、自分たちの不満を
爆発させる。
中国政府も、それを恐れている。

忘れてならないのは、あの国は、中国共産党という、
民主主義国家とはまったく異質の、独裁国家で
あるということ。
それともあなたは、あの国では、国家主席にせよ、
首相にせよ、どういう経路を経て「選任」されているか、
それを知っているか。

私、知らないアルヨ。
あなた、知らないアルヨ。

闇に包まれた政府。
それが中国共産党であり、中国ということになる。
だからやることも、メチャメチャ。
130兆円という投資資金も、そのひとつ。
あの国では日本では考えられないような経済政策が、
トップのツルの一声で決まる。

銀行に130兆円を渡し、「貸せ」「貸せ」と、
指示した。
しかし肝心の銀行は、それだけの金を
どこへ貸せばよいのか。
貸し先が見当たらない。

だいたい一般製造業にあたる企業ですら、
住宅投機に走っている。
そのほうが、利益率(?)が高い。
2010年の3〜4月期の13%からさがった
とはいえ、今でも10〜12%。

5000万円で住宅を購入しておけば、
翌年にはそれが5500万円で売れる!

++++++++++++++++++

●危険な中国

 だから中国の反日デモを静観してよいというのではない。
その逆。
だからこそ、反日デモが、本当に反日暴動につながってしまう。
そういう危険性がある。
中国政府も、自分たちに向けられた不満をかわすために、それに押されて、
反日的行動に出る可能性が高い。
独裁国家の常とう手段である。
国内が騒がしくなると、外に向かって敵を作る。
ガス抜きをする。

 日本はそういう動きに、乗ってはいけない。
現在、菅首相の「事なかれ主義」があちこちで批判されているが、ここは
事なかれ主義。
事なかれ主義が、ベスト。
尖閣諸島問題にしても、日米安保条約が有効である間は、中国は日本に対して
手も足も出せない。
(もっともアメリカのほうから、離脱するという動きもあるようだが・・・。)

●よい子、日本

 そういう中、ひとりよい子ぶっているのが、日本。
世界中が通貨安競争をしているのに、日本だけは、よい子。
約束を守る、優等生。

たとえば為替介入にしても、韓国は連日、随時、為替介入している。
中小国であることをよいことに、(こういうときだけ、自分たちは
中小国と言うが)、やりたい放題。

 で、日本が先週、「為替介入を控えてほしい」と申し出たら、とたん、
キバをむいた。
「日本だって、やったではないか!」(朝鮮N報)と。

 日本がやったのは、1度だけ。
その1度を理由に、自分たちはやりたい放題。
だったら、日本も、通貨安競争をすればよい。
よい子ぶっている間にも、ジリジリと円高は進む。
現在、1ドル=81円前後。

 日本よ、優等生ぶるのはやめよう。
そんなことをしていたら、日本は本当に沈没してしまうぞ!

●爆発期

 中国の話に戻る。

 どういうプロセスを経るかはわからないが、中国のバブル経済は、やがてすぐ
崩壊する。
中国経済がメチャメチャということは、だれの目にも明らか。
当の中国人民ですら、それを知っている。
が、中国人民も、以前のような無知な集団ではない。
とくに若者たち。
世界の情報に接している。

 大学へ進学できない。
卒業しても、就職先がない。
就職しても、一生、自分の家がもてない。
彼らの不平、不満は、先にも書いたようにすでに「爆発期」に突入している。
表面的には平静を装っているが、中国政府が感じている危機感には相当な
ものがある。
が、打つ手は少ない。

 仮にここで住宅価格の上昇を常識的な範囲に収めたとすれば、それだけで
地方政府は、マヒ状態に陥ってしまう。
地方政府ですら、そして末端の役人ですら、住宅投機に狂奔している。
もしそうなれば、暴動はただの暴動ですまなくなる。
中央政府の崩壊につながりかねない。

 現在の中国は、そういう状況とみてよい。

●では、日本はどうすればよいか

 中国のバブル経済崩壊に備えることはもちろん、暴動が日中間の
軍事衝突につながらないよう、細心の注意を払う。
残念ながら、今、中国と戦争しても、日本には勝ち目はない。
中国は日本各地をターゲットに、核兵器を、すでに実戦配備している。
「アメリカが守ってくれるはず」と考えている人も多いが、そんなことはありえない。
ありえないことは、ワシントンに視点を置いてみれば、だれにもわかるはず。

 どうしてアメリカが日本のために戦わねばならないのか。
アメリカ軍がどこへ移動しても、「反米」「反米」の大合唱。
沖縄には沖縄の事情がある。
それはわかるが、アメリカ人の心は、そこまでデリケートにできていない。
つまり沖縄の事情を理解し、ついで日本の事情を理解できるような国ではない。
沖縄で、「反米知事」が誕生すれば、それは即、日本の姿勢ととらえる。
現に今、日本は民主党政権下にあるが、アメリカはもとより、欧米では
「日本は左翼国家」と、とらえられている。

 アメリカは、すでに一歩、日本から離れ始めている。
今では、日本と韓国を並べて言うとき、つねに「Korea/Japan」
と韓国を先に言う習わしになっている。
「韓国こそ、真の同盟国」と。

 日米関係の修復を、一日も早く急がねばならない。
同時に、その裏であやしく動き回る韓国をけん制しなければならない。
端的に言えば、韓国経済を叩きつぶす。
電子産業、自動車産業、鉄鋼、造船などなど。
ひとつずつにターゲットをしぼり、国家戦略を打ち立てる。
そうした緊張感を日本ももつ。
(韓国は、日本経済を叩きつぶすことに躍起になっているぞ!)

 世界で今、いちばん緊張状態にあるのは、極東アジアと言われている
(アメリカ政府高官)。
が、肝心の日本人はどうか?
平和ボケの上に、繁栄ボケ。
いまだに日本は、アジアの先進国と思い込んでいる人が多いのには、
驚かされる。
そういう人は、今一度、足元をしっかりとながめなおしてみたらよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 2010−10−20)

【参考】尖閣諸島の現状(以下、時事通信より)

中国の漁業行政当局は20日、尖閣諸島(中国名・釣魚島)近海でのパトロールのため漁
業監視船「漁政118」が14日に出航したことを明らかにした。すでに周辺海域に到着し、
台風の影響を避けるため待機中という。「中国漁民の合法権益を守るのが目的だ」として
いる。

 中国は、同諸島沖で日本の海上保安庁巡視船と中国漁船が衝突した事件を受け、自国漁
船を保護するため同諸島周辺での監視活動を常態化する方針を表明。9月中旬から監視船

活動が確認されている。10月初めには農業省漁政局所属の監視船2隻が撤収しており、今
回は交代の監視船とみられる。

 日中関係は、ブリュッセルで行われた日中首相の非公式会談を機に、一部改善の兆しも
見えている。ただ、監視船の継続派遣は、「釣魚島の領有権を主張し、『領土問題は存在し
ない』という日本の立場に行動で訴えるもの」(日中関係筋)とみられている。 
(以上、時事通信より。)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.2010+++++++++はやし浩司

●はやし浩司 2010−10−21

●会食

 今朝は雨。
小寒い。
こういうとき、ウォーキングマシンは、ありがたい。
居眠りをしながらでも、運動ができる。
新聞を読みながらでも、できる。

 体重を何とか、あと1キロ、減らさねばならない。
しかし今夜は、会食。
どうしようか?

●家事を手伝う子

 ものを書くとき、いちばん大切なのは、書きたいことを書くこと。
「書きたい」という意欲がないと、気力がつづかない。
今も手元に、「国立青少年教育振興機構」がした調査結果がある。
ざっとながめたが、それについて書きたいという意欲がわいてこない。
中身は、「家事の手伝いをする子どもが、ふえている」という内容のもの。
1998年(1998年!)の調査と比べても、全体に、10〜13%前後
ふえている。

 そう10年前には、家事の手伝いをする子どもは、少なかった。
今は約半数以上(小中学生…52%がときどき、18%がいつも)が、家事の
手伝いをしているという。

(逆に読むと、30%前後の子どもたちは、何もしていないことになる!)

 念のため、資料として数字を、ここに保存していおく。

(1)買い物の手伝いをしている  いつも……18%(6%)
                 ときどき……52%(50%)
(2)手伝いとして決まったことをさせている ……63%(50%)
           (かっこ)内は、1998年
           2010年1〜4月期、小4〜6、中2、高2、約3万
           5000人について調査。

 いつもならここまで書くと、脳みそが回転し始めるが、今朝はそれがない。
どうしてだろう?
あくびばかりが、連続して出てくる。

●デジモノ

 こういうときは、デジモノをいじるのがよい。
しかし手元に、それがない。
今、ほしいのは、機能がメチャメチャたくさんついている腕時計。
説明書が分厚ければ分厚いほど、よい。
で、値段を調べたら、4〜5万円。
買っても、一時的に遊ぶだけ。
自分でもそれがよくわかっている。
ワイフに頼んでも、「NO!」と言うに決まっている。
だから買わない。

 しかしこれは私のビョーキ。
ドーパミンが、線条体をガンガンと刺激している。
買い物依存症の人は多い。
私もその1人?

●ホームベーカリー(「ワルツ」)

 そう言えば、昨日、満足できるパンを、はじめて焼くことができた。
キメもこまかく、味もよかった。
生徒の親が、「佐鳴台(さなるだい・町名)にいい店があるから、そこで買うといいですよ」
と教えてくれた。
決め手はやはり、材料だった。
ホームベーカリーの成否は、材料、つまり小麦粉の良し悪しで決まる。
プラスもろもろの材料。

 こうした材料は、やはり専門店でそろえるのがよい。
電気店やショッピングセンターにもあるが、イマイチ、質が悪い。

 店の名前は、「ワルツ」。
パンづくりのための、いろいろな材料がそろえてある。
ワクワクするほど、そろえてある。
店は、佐鳴台、遠鉄ストアの反対側にある。

●腐臭

 で、今、書きたいのは、あの鈴木M(前国会議員)と、小沢I(現国会議員)のこと。
週刊誌などによれば、仲がよいという。
ときどき会合を重ねているという。

 ああいう人たちから見ると、私たちは、河原の石ころのようなものらしい。
いつだったか、ある大会社の人事部の部長が、そう話してくれた。
「君たちは、数に入っていないよ」と。

 が、一方、私たちからみると、ああいう人たちは、権力の亡者にしか見えない。
「権力欲にとりつかれた亡者」と書く方が、正しいかもしれない。
「日本のため」を口にしながら、結局は自分の名聞利養のために、政治を利用して
いるだけ。
一見派手な世界に見えるが、中身は無間の孤独地獄?
まわりに群がる人たちにしても、『金の切れ目が縁の切れ目』。
それとも『権力の切れ目が縁の切れ目』。

 本当に日本のことを考えるなら、さっさと刑務所に入り、権力の座から下りること。
がんばればがんばるほど、腐臭が漂うようになる。
そういう国民的な嗅覚が、まったくわかっていない。

 が、こういう話は、ここまで。
書けば書くほど、今度は、私が嫌われる。
先日も、私のBLOGに、「どこのオッサンか知らないけど、あんたは何様のつもり?」
というような、書き込みがあった。

 そう、私はただの石ころ。
自分でも、それがよくわかっている。

●睡眠不足

 それにしても、今朝の私は、眠い。
慢性的な睡眠不足?
秋の気候になり、すっかり気が抜けてしまった。

 ……数日前、二男からメールが届いていた。
孫たち(誠司と芽依)も元気でいるらしい。
そろそろクリスマスプレゼントを送らなければならない。
遅くとも、今月(10月末)までに。
この時期、船便だと、1・5か月から2か月はかかる。

 また来月(11月)は、昼神温泉へ、紅葉を見に行くことにしている。
予約の手配は、すべてすんだ。
楽しみ。

 もうすぐワイフが、「朝食よ」と声をかけてくるはず。
パンの焼ける臭いが、書斎まで入ってきた。
こういう「幸福」を、今日1日も、大切にしたい。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【生きがいの追求】2010年10月18日

●プロッター

 昨日の朝、プロッターが届いた。
プロッターというのは、パソコンにつなげて、文字をカッティングする
機械のこと。
それで文字をカッティングして、アクリル板などに張りつける。
それで看板ができあがる。

 で、そのため昨日は、日曜日というのに、朝から忙しかった。
ショッピングセンターへ行き、材料を仕入れた。
そこにない材料は、画材屋まで行き、仕入れた。
家に帰ってからは、パンをかじりながら、早速、作業。
ドライバーをパソコンにインストール。
プロッターを準備。
何とか、1枚、2枚……と、看板ができた。
が、外を見ると、もう夕方!

 一日の終わるのが何と、早いことよ!

 その途中のこと。
つまりあちこち車で走り回っていたときのこと。
ショッピングセンターの近くに大きなパチンコ屋がある。
そのパチンコ屋に、車が出入りしていた。
それを見ながら、私はこう思った。
「もったいない!」と。
ついでに、「どうしてそんな時間があるのだろう?」とも。

 何もパチンコをするのが、時間の無駄と書いているのではない。
ただ私など、それをしたくても、(めったにしたいと思わないが)、
そんな時間がない。
時間が今の2倍あっても足りない。

●生きがい

 「もっと生きたい」と思いつつ、それができない人は多い。
そういう人たちがいる一方で、パチンコ屋で時間をつぶす人も多い。
そう、まさに「つぶす」。
パチンコを稼業にしているプロもいるそうだが、そういう人にしてみれば、
パチンコ屋は職場ということになる。
となると、今度は、「職場とは何か」という問題が起きてくる。

 職場とは何か?

 いつだったか田丸謙二先生が、「最高の仕事は、研究です」と話してくれた
ことがある。
そうかもしれない。
しかしみながみな、研究者として、生きていかれるわけではない。
能力の問題もある。
そこで人は、自分の能力と才能に応じて、稼業を選択する。
が、総じて言えば、職業の価値は、その人の(生きがい)によって決まる。
真・善・美の追求もあるだろう。
その一方で、金儲けの追求もあるだろう。
となると、またまた今度は、「生きがいとは何か」という問題が起きてくる。

 生きがいとは何か?
 
●生きるvs息(いき)る

 朝、起きたとき、やりたいことがある人。
そういう人は、本当に幸福な人だ。
そしてそれがそのままできる人は、本当に幸福な人だ。
さらに言えば、それをしたとき、充実感を覚える人は、本当に幸福な人だ。

 もちろんそうでない人もいる。
その人に責任があるというのではない。
やりたいことがあっても、空回りばかりする。
やろうと思っても、空回りばかりする。
あるいはやってもやっても、失敗また失敗。
もしくは裏目、裏目と出てくる。
それが毎回のようにつづくと、やがてやる気をなくす。
自信喪失、自己嫌悪、自己放棄、自暴自棄……。
何でもござれ!

 一度そうなると、今度は無力感との闘いということになる。
「生きる」と言っても、ただ息(いき)ているだけ。
そうなる人も多い。

●人それぞれ

 ……と考えていくと、「生きる」ということは、「生きがい」の問題
ということになる。
年齢に関係ない。
職業に関係ない。
平たく言えば、どこに価値観を定め、どうその価値観の追求をしていくか。
それで生きる意味が決まる。

 名誉や地位が大切と思う人は、それを追求する。
豪邸やぜいたくな生活が大切と思う人は、それを追求する。
家族の「和」が大切と思う人は、それを追求する。
もちろん真・善・美の追求もある。
金儲けの追求もある。
私の周辺には、子育てに生きがいを求めている人も多い。

 人それぞれ。
私は私。
あなたはあなた。

 価値観というのは、そういうもの。
正しいとか、正しくないとか、よいとか、悪いとか、そういう判断に
なじまない。

●統合性

 どうであるにせよ、これからは時間との闘いということになる。
刻一刻と、時間は短くなっていく。
人生は短くなっていく。
残り10年か?
それとも5年か?
今は健康だが、明日のことはわからない。

 そこで重要なこと。

(1)価値観の選択
(2)時間の無駄の排除
(3)あとは邁進(まいしん)あるのみ。

 ……というか、「やる気」などというものは、あとからついてくる。
努力という努力を意識しなくとも、楽しんでそれをすることができる。
(やりたいこと)がそこにあり、それができる(環境)がそこにあれば、
(やる気)は、自ずとわいてくる。
つまりそういう自分を、用意する。
そういう環境を、用意する。
それが結局は「統合性」へとつながっていく。
もし「努力」という要素があるとするなら、そういう自分を作りあげていく。
それが努力ということになる。

●もう一度生きる

 実のところ、私は過去、半年、かなりやる気をなくしていた。
いろいろあった。
とくに三男の問題があった。
相手が他人なら、足で蹴飛ばして、それでサヨウナラ。
が、自分の息子だと、そうはいかない。
かなり苦しんだ。

 で、私が選択した道は、(1)考えない、(2)忘れるだった。
『許して忘れる』は、子育ての神髄だが、それは相手に対しての言葉。
自分に対しては使えない。
自分を、どう許し、どう忘れるのか。

 が、それもやっと一巡した。
その先に、小さな光明だが、出口が見えてきた。
つまり私は私なりに、最後の人生をがんばるしかない。
それが今回の、看板作りにつながった。
「もう一度、がんばってみよう」と。

 が、看板作りは、思ったより手間取った。
切り抜いた文字を、板に張りつけるところが難しい。
画材屋で相談すると、一度透明のフィルムに張りつけてからするとよいと
教えてくれた。

 途中からワイフが手伝ってくれた。
長男も手伝ってくれた。
ああでもない、こうでもないと、それぞれが勝手なことを言い合った。
それが楽しかった。

●映画『エクスペンダブルズ』

 ……昨日という一日は、それで終わった。
いや、そのあと昨夜は、ワイフと深夜劇場へ行ってきた。
観た映画は、シルベスタ・スタローン主演の、『エクスペンダブルズ』。
いろいろな名優が名を連ねていたが、みな飾りというか、友情出演。
簡単なセリフだけ。
最初から最後まで、スタローンのひとり芝居。
内容は、『ランボー』の続作ということになるが、制作の荒っぽさばかり
が目立った。
前回、『ロッキー・ザ・ファイナル』が名作だっただけに、がっかり!
星は、2つか3つの、★★。
ただのアクション映画。

 もうすぐ『トロン』が公開される。
それに期待をかけよう。

 そうそうDVDだが、『テイキング・ライブズ(Taking Lives)』は
よかった。
こちらは、星が4つの、★★★★。

 では、今日も始まった。
がんばろう!
10月18日、2010年


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画「十三人の刺客」&日本の「権威主義」

+++++++++++++++++

先日、映画「十三人の刺客」を観てきた。
星は2つか3つの、★★。
部分的には迫力のある映画だったが、
バラバラ。
連続性がなかった。
日本映画独特の、あの「力み」は少なかったが、
その代わり、格好のつけ過ぎ。
全体として武士道なるものを、映画の背景に
まぶしたかったのだろう。
しかし欧米人には、武士道は理解できない。
同じアジア人にも理解できない。
もとから理解できるようなものでもない。
筋の通った、哲学があるわけではない。

こんな話を、昔、聞いた。
朝鮮半島が日本の植民地だったころのこと。
朝鮮の人たちはよく日本の兵隊にこう聞いたそうだ。
「武士道って何か?」と。
すると決まって日本の兵隊は、こう言って相手を、
怒鳴りつけたという。
「貴様らに、日本の武士道がわかってたまるかア!」と。

が、今日は、ここで武士道について書くつもりはない。
改めて、「十三人の刺客」の映画案内を読んで、驚いた。
そこにはこうあった。

「・・・ベネチア映画祭、コンペティション部、出品作品」と。
その両横を、黄金色のオリーブの葉で飾っていた。

+++++++++++++++++++

●権威主義

 「してやられた!」と、私は思った。
よく読んでほしい。
「出品作品」。
つまり出品しただけ。
賞は取っていない。
出品するだけなら、だれにだってできる。
私にもできる。
あなたにもできる。
(あの作品では、賞は無理。)

 しかしたしかテレビのモーニングショーでは、どこかの会場で俳優たちが
祭り騒ぎをしていた。
舞台の上で、あたかも賞を取ったように、俳優たちは喜びあっていた(?)。
それで「観る価値がある」と、私は思ってしまった。
が、それでも私は懐疑的でなかったわけではない。
あの映画祭では、私たちの日常的な常識を大きく離れた作品が賞を取る。
ビートT氏の作品が、その一例。
あの映画祭での賞は、あまりアテにならない。
が、まさか・・・?

 こういうのを権威主義という。
もしその映画祭でどんな賞でも賞を取っていたら、配給会社(映画会社)は、
大げさな宣伝をしただろう。
何かの賞、つまり肩書きをぶらさげて、相手を煙に巻く。
それを権威主義という。

●教育の世界でも・・・

 日本人独特の、お上への隷属意識。
それが転じて、権威主義に発展した。
遠い昔の話ではない。
たった30年前のこと。
私はある出版社で教材の原案を描く仕事をしていた。
そのときのこと。

 問題集はもちろんのこと、参考書、育児書、さらには専門書など
にしても、つぎのような手順を踏んで出版されていた。

(1)出版社が企画を立てる。
(2)その下でうごめく私のようなライター、あるいはプロダクション
に、そのほとんどを制作させる。
(3)出版社とライター、もしくはプロダクションの間で、やり取りを
かわす。
(4)その段階で、肩書きのある有名人をさがす。
(5)その有名人に、監修者となってもらったり、著者となってもらったり
する。
この世界には、自分の肩書きや地位を切り売りしても、みじんも
はじない博士や教授は、ゴマンといる。
欧米では、そうした行為は、「地位利用」ときびしく禁じられている。
が、この日本では、本の表紙に、肩書きを堂々と載せるのが慣わしになって
いた。
(最近は、そういった手法は少なくなり、出版社名だけで出版されることが
多くなったが・・・。)

●水戸黄門の世界

 しかし出版社を責めても意味はない。
日本人全体の意識が、それを下から支えていた。
同じような問題集が2冊並んでいたとする。
そういうとき親は、「飾り」の立派なほうの本を選ぶ。
「〜〜大学〜〜教授監修」とあれば、そちらのほうを選ぶ。
「BW教室、はやし浩司」の名前では、本は売れない。
しかし実際には、教授ともあろうお方が、子どもが使うワークブックなど
監修することなど、ありえない。
そんなヒマはない。
私が関係した問題集やワークブックにしても、たいてい電話一本で、
話がついた。

出版社「今度、幼児向けのおけいこブック、ひらがな編を出します。
また先生には、監修をお願いしたいのですが・・・」
どこかの教授「いいですよ」
出版社「ありがとうございます」と。

 つまりこれは日本人全体の(意識)の問題。
出版社にしても、またそれを買う親たちにしても、「権威」を意識した。
そこはまさに「水戸黄門」の世界。
三つ葉葵の紋章を見せ、「控えおろう」と一喝すると、みな、頭をさげた。
今の今でも、テレビの「水戸黄門」は、人気番組。
視聴率も20%前後もあるという。

●権威の象徴

 武士の世界は、まさにその「権威」で成り立っている。
権威をのぞいたら、何も残らない。
江戸時代は、徳川家がその権威の象徴。
徳川家を否定したら、武士の世界のみならず、江戸時代という時代
そのものが崩壊してしまう。
現在の天皇と官僚制度に、その名残を見る。
なぜ官僚が官僚なのかと言えば、そこに最高権威である「天皇」をいだく
からにほかならない。
日本は今でこそ、民主主義国家を標ぼうしているが、明治、大正、昭和と、
天皇を最高権威者に置くことで、自分たちの地位、立場を正当化した。
ついで政権の大義名分を正当化した。
その結果が、あの戦争である。

●侍

 「武士だって、ただの人間だ」と言うのは、簡単。
『十三人の侍』の中にも、「お前ら武士は、いつも威張りくさっている」
というようなセリフが出てくる(記憶)。

 その通り。
なぜ威張るか、また威張ることができるか。
それを支えるのが、「権威」ということになる。

 その権威を否定する。
いくら江戸末期の日本とはいえ、侍であるなら、それは不可能であった。
将軍の弟(映画の中)を暗殺するなどということは、自己否定そのもの。
一方で侍の権威を笠に着ながら、他方で権威を否定する。
もし否定するなら、侍であることをやめてから……、ということになる。

●由比正雪

 以前、由比正雪について書いた原稿がある(中日新聞掲載済み)。
その原稿をさがしてみる。
少し話題がそれるが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

++++++++++++++++++

前にも取りあげたが、あの信長ですら、
この日本では、英雄(?)になっている。
それについて書いたのが、つぎの原稿。
(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++++

●「偉い」を廃語にしよう

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。よく似たよ
うな言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。日本で「偉
い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人と
は言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。中学校で使う教科書にもこうある。「信長は
古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業がで
きるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始
者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民(とく
に農民)は極貧の生活を強いられた。

もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」
でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、
「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラ
ム)と書いている。家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、
彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、
あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。

そこで提言。「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人を
めざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだ
しも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。「私、日本で一番偉い人」
と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ついでに、「水戸黄門」について
書いた原稿を添付します。
(中日新聞発表済み)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●水戸黄門

 テレビドラマに「水戸黄門」というのがある。葵三つ葉の紋章を見せて、側近のものが、
「控え おろう!」と一喝するシーンは、あまりにも有名である。今でも、視聴率が20〜
25%もあるというから、驚きである。

 で、あの水戸黄門というのは、水戸藩二代藩主の徳川光圀(みつくに)と、家来の中山
市正と井上玄洞をモデルとした漫遊記と言われている。隠居した光圀は、水戸の郊外、西
山村に移り住み、百姓光右衛門と名乗り、そのとき、先の二人を連れて、関東を漫遊した
という。それが芝居、映画、テレビドラマになり、「水戸黄門」が生まれた。(芝居の中で
は、二人の家来は、佐々木助三郎(通称「助さん」)と、渥美格之進(通称「格さん」)に
なっている。)

 徳川光圀は実在した人物だが、ただ光圀自身は、関東地域からは一歩も出ていない。そ
れはさておき、水戸黄門は、全国各地を漫遊しながら、悪代官をこらしめたり、仇討ちの
助けをしたりして、大活躍をする。日本人にはたいへん痛快な物語だが、ではなぜ「痛快」
と思うかというところに、大きな問題が隠されている。

以前、オーストラリアの友人が私にこう聞いた。「ヒロシ、もし水戸黄門が悪いことをし
たら、日本人はどうするのか」と。そこで私が「水戸黄門は悪いことはしないよ」と言
うと、「それはおかしい」と。

 考えてみれば、水戸黄門がたまたま善人だったからよいようなものの、もし悪人だった
ら、その権威と権力を使って、したい放題のことができる。だれか文句を言う人がいたら、
それこそ「控えおろう!」と一喝すればすんでしまう。民衆の私たちは、水戸黄門の善行
のみをみて、それをたたえるが、権威や権力というのは、ひとつ使われ方がまちがうと、
とんでもないことになる。

だいたいにおいて水戸黄門は封建時代の柱である、身分制度という制度をフルに利用し
ている。身分制度を巨悪とするなら、代官の悪行など、かわいいものだ。善行も何も、
ない。「頂点にたつ権力者は悪いことをしない」という錯覚は、恐らく日本人だけがもつ
幻想ではないのか。

長くつづいた封建制度の中で、日本人は骨のズイまで魂を抜かれてしまった。もっと言え
ば、あの番組を痛快と思う人は、無意識のうちにも、封建時代を是認し、身分制度を是
認し、さらに権威主義を是認していることになるのでは……? あるいは権威や権力に、
あこがれをいだいている……?

 教育の世界には、まだ権威や権力がはびこっている。こうした権威や権力は、その世界
に住んでいる人には居心地のよいものらしいが、その外で、いかに多くの民衆が犠牲にな
っていることか。

むずかしいことはさておき、あのドラマを見るとき、一度でよいから、水戸黄門の目線で
はなく、その前で頭を地面にこすりつける庶民の目線で、あのドラマを見てほしい。あな
たもあのドラマを見る目が変わるはずである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●悪役

 『十三人の侍』は、民主主義のために闘ったのでもなければ、封建主義に
反対して闘ったのでもない。
狂った暴君を暗殺するために、闘った。
あえて言うなら、この部分が映画の前提として、弱い。
暴君ぶりを示すシーンはいくつかあったが、暴君独特のあの異常性を演ずるには
やや役不足。
演技力不足。
あれほどまでの暴君なら、たとえば『羊たちの沈黙』に出てくるような悪人に仕立てる。
そこまでしないと、観客は、映画の中に感情移入することができない。
その前で、立ち止まってしまう。

 その点、あの『七人の侍』は、わかりやすかった。
目の前で虐げられる農民たちを見、7人の侍が立ち上がった。
殺した相手も、悪党ばかり。
が、『十三人の侍』はちがう。
殺した相手は、言うなればサラリーマン侍。
みながみな、悪人というわけではない。
で、あとは意味のない、殺戮映画。

●出品作品?

 きびしい映画批評を書いてしまった。
しかし「ベネチア・コンベンション・出品作品」とは何か?
国内の選考委員会か何かがあって、そこを通過しているのだろうか。
あるいはただの飾り。
ハク付け?

 つまり私はこの飾りの中に、日本人独特のあの権威主義を見た。
よい映画だったら、賞はあとからついてくる。
観客も、そのあとからついてくる。
まず賞ありき。
そのための「出品作品」?

 とても残念だが、映画としては、星2つ。
さらに一言。

 13人の侍(実際には12人の侍)が、命を捨てて、暴君(将軍の
弟)の暗殺を企てる。
しかしそれは同時に、死を覚悟した暗殺劇を意味する。
江戸末期には、ここにも書いたように、武士もサラリーマン化していた。
そういう世の中で、命をかけてまで・・・という侍は、本当にいたのか?
その背景に、よほどの恨みでもないかぎり、そういった行動には出ない。
哲学でもよい。
とくに政治哲学。
封建主義という諸悪の根源と闘うというのなら、まだよい。
将軍の弟ではなく、将軍そのものを暗殺する。
が、それこそ革命。

●権威主義

 要するに、自分の主君から、「あいつ(=将軍の弟)は悪人だから、
暗殺せよ」という命令を受けて、その暗殺劇を実行しただけ。
「切って、切って、切りまくった」だけ。
そのシーンが映画としても、長すぎる。

 もし私が脚本家なら、もう一本、その間に複線を入れる。
暴君を替え玉にする。
埋蔵金をからませる。
家来の裏切りを挿入する。
あだ討ち劇を並行して進める、などなど。
ストーリーとしては、単純。
ハラハラ、ドキドキするシーンは、なかった。

 またまたきびしい批評を書いてしまった。
「もう二度と、この手の宣伝にはだまされないぞ」という思いで、
書いてしまった。
私はあの権威主義というのが、大嫌い。
侍というだけで、みなが頭をさげる。
そんな時代は、2度とごめん。

(補記)

●日本人のオメデタサ

 岐阜県の岐阜市へ行くと、『信長祭り』というのがある。
石川県の金沢市へ行くと、『百万石祭り』というのがある。
これは、藩祖前田利家公が天正11年(1583年)金沢城に入城したのを祝った祭りである。
もっとも祭りは祭り。
それほど重い意味はない。
中身は観光。
町おこし。

 が、私たちの先祖は、その95%以上が、武士とやらに虐げられた農民であったことを
忘れてはいけない。
血筋をたどっていけば、1人や2人、武家出身の人はいるかもしれないが、基本的には
「混血」はありえなかった。
その子孫である私たちが、どうして「信長祭り」をし、「百万石祭り」をするのか。

 オーストラリアで、「提督祭り(イギリス総督府の提督)」など企画しようものなら、
それだけで袋叩きにあうだろう。
韓国で、「植民地祭り」を企画しても、同じ。

 が、悲しいかな日本人は一度とて、あの封建時代を清算していない。
明治維新にしても、英語では「王政復古」と翻訳されている。
その結果が今。
過去の暴君を美化し、それを祭りにまで仕上げている。
まずもって私たち日本人は、そのおかしさに、自ら気がつくべきではないのか。
あるいは福沢諭吉らが合流した「明六社」の精神に、一度は、心を通してみるべきでは
ないのか。

 ウィキペディア百科事典から、そのまま拾ってみる。

++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より+++++++++++

1873年(明治6年)7月にアメリカから帰国した森有礼が、福澤諭吉・加藤弘之・
中村正直・西周(にしあまね)・西村茂樹・津田真道・箕作秋坪・杉亨二・
箕作麟祥らとともに同年秋に啓蒙活動を目的として結成。名称の由来は明治六年結成から
きている。会合は毎月1日と16日に開かれた。会員には旧幕府官僚で、開成所の関係者
と慶應義塾門下生の「官民調和」で構成された。また、学識者のみでなく旧大名、
浄土真宗本願寺派や
日本銀行、新聞社、勝海舟ら旧士族が入り乱れる日本の錚々たるメンバーが参加した。

1874年(明治7年)3月から機関誌『明六雑誌』(岩波文庫全3巻)を発行、開化期の
啓蒙に指導的役割を果たしたが、1875年(明治8年)、政府の讒謗律・新聞紙条例が施
行されたことで機関誌の発行は43号で中絶・廃刊に追い込まれ事実上解散となった。その
後、明六社は明六会となり、福澤諭吉を初代会長とする東京学士会院、帝国学士院を
経て、
日本学士院へと至る流れの先駆をなした。

++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より+++++++++++

 明六社にかぎらず、こうした(動き)は、つぎつぎと弾圧、閉鎖されていった。
その結果が、「今」ということになる。
日本人の意識はそのまま。
今でも、「尊敬する人物は織田信長」(小沢一郎氏)と公言してはばからない政治家が、
後を絶たない。
それもそのため。

 私たちは一度、あの封建時代を、清算しなければならない。
もちろん歴史は歴史だから、評価すべき点があれば、評価する。
しかしけっして、美化してはいけない。
礼賛してはいけない。

 方法は簡単。
おかしいものは、おかしいと、みなが、声をあげればよい。
みなが声をあげれば、そこで歴史が変わる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【虚栄論】(満63歳まで、あとxx日)

●見栄張(みえはる)君

+++++++++++++++++++

今日、車の中で、ワイフと「見栄」について
話しあった。
世間体、メンツ……総じて「虚栄」ともいう。
世の中には、見栄を張る人は多い。
「見栄張君」という。
「君」をつけるが、男性とはかぎらない。
女性にも多い。

+++++++++++++++++++

●グーグルアース 

 グーグルアースというサービスがある。
それを使うと、宇宙から見た地上の様子が、そのままわかる。
そんなことは、インターネットを楽しんでいる人には常識かもしれない。
しかし読者の中には、インターネットをしていない人もいる。
だからもう少し詳しく説明する。

 グーグルアースというサービスを立ち上げて、ボックスの中に住所を書き込む。
すると自動的にその住所の上空に、視点が移動する。
あとはマウスを使って写真を拡大する。
解像度によっては、数10メートル上空から地上を見ているような写真が浮かびあがって
くる。

 たとえば「浜松市西区入野町xxxx」と書き込む。
視点は私の家の上空に移動する。
私の家には、□のマークが表示される。
その状態で写真を拡大する。
私の家がそのまま見えてくる。
私の家の庭には、庭灯がある。
直径は20センチくらい。
そんなものまで、グーグルアースを使うと、識別できる。

●U氏

 たまたま今夜、夕食のあと、グーグルアースを立ち上げてみた。
アメリカに住む二男の家をさがしてみた。
が、そのあとのこと。
ふと、若いころからの知人のU氏のことを思い出した。
かなりの人物らしい。
U氏は、自分ではいつもそう言っている。

 「隣人は、医師とか弁護士ばかりでね。
高級外車がずらりと並んでいるよ」と。
「芦屋(あしや)でもx丁目といえば、そういうところで、よくテレビの取材
なんかも来るよ。うるさくて、たまらないよ」とも。

 関西でも芦屋と言えば、高級住宅地。
それは私もよく知っている。
その中でも一等地に住んでいるということだった。
で、私は彼の住所をボックスの中に、打ち込んでみた。
軽い好奇心だった。

●自己嫌悪

 私もときどき見栄を張る。
こうしてもっともらしいエッセーを書くのも、そのひとつ?
実力以上の自分を、演出する。
寛大なフリをしたり、金持ちのフリをしたりする。
大物ぶることもある。
時にウソを混ぜることもある。
しかしそこには一定の限度がある。
あとで自分を追い込むようなことはしたくない。
どうせバレるような見栄は、張らない。
また見栄を張るにも、相手を選ぶ。

 が、見栄を張るというのは、疲れる。
神経をすり減らす。
が、それ以上に、そのあとやってくる自己嫌悪感には、相当なものがある。
そのときの自分を消し去りたいような衝動にかられることもある。
だから……。
私は見栄を張らない。
努めて張らないようにしている。
ありのままをそのままさらけ出して生きる。
そのほうが、ずっと気が楽。

●路地

 知人の家は、すぐわかった。
その家をズームアップ。
その家を中心に、5、6軒の家が並んでいた。
が、私は住所をまちがえたのではないかと思った。
が、再三住所を確かめてみたが、まちがいなかった。
そこに見たのは、狭い路地。
道幅は、車一台分くらいしかない。
しかも畑につづく袋小路。
知人の家は、その袋小路の奥の家から、2軒目の家だった。

 私が頭の中に描いていたイメージとは、あまりにもちがった。
高級住宅地?
医師や弁護士の家?
高級外車?

 私はその映像をワイフに見せた。
ワイフも驚いた。
「この家が、あの人の家?」と。
「そう、これがあの人の家……」
「でもあの人、退職したら、市長になるって言っていたわよ」
「あのとき、お前もいたのか?」
「横で聞いていたわ」と。

●自我の同一性 

 人はなぜ見栄を張るか。
先に書いたことを、もう少し深く考えてみる。
が、これについては、ワイフが単純な答を用意した。
「自分がないからよ」と。

 自我の同一性といっても、若いころだけの問題ではない。
人は、老後を迎えるまで、自我の同一性をめざす。
もがく。
「こうでありたい」という自分と、現実の自分を、一致させようとする。
自分と闘う。

 しかしそれは簡単なことではない。
ありのままに生きるためには、自分をさらけ出さなければならない。
さらけ出すためには、さらけ出しても、それに耐えうる自分を用意しなければ
ならない。
「恥」という言葉は好きではないが、つまりは「さらけ出しても恥ずかしくない」
自分を用意しなければならない。

 その構築に失敗すると、人は自分を飾るようになる。
それがやがて見栄、世間体、メンツへとつながっていく。

●快感

 が、それだけではない。
人は見栄を張ることで、相手を自分の支配下に置こうとする。
支配欲のひとつと考えてよい。
「私はあなたより、すばらしい人間だ。私の言うことを聞け」と。

 といっても、実利がそれほどあるわけではない。
自己優越感を満足させるだけ。
あるいは自分の居場所の居心地をよくするだけ。

しかし見栄を張る人は、それだけではない。
そうすることによって、快感を覚える。
「快感」には、当然、中毒性がある。
見栄を張りながら、さらに見栄を張る。
それが加齢とともに、エスカレートする。

●Gさん(50歳)

 ワイフの知人に、Gさんという女性がいる。
今年、50歳になるという。
そのGさんが、見栄張君と、ワイフは言う。

 自分では「学習院大学卒」と言っているが、本当は名古屋市にある高校を
出ただけ。
「夫は、ソフト会社の社長」と言っているが、大型電気店の店員をしているだけ、
などなど。
何も高卒がどうとか、店員がどうとか書いているのではない。
高卒でもよいではないか。
店員でもよいではないか。
ついでにいえば、路地裏の家でも構わないではないか。
が、Gさんのばあいは、少しちがう。
わざと人前で、こう言うという。

「今度、学習院大学の同窓会がありましてね」とか、
「社長業も楽じゃありませんのよ。人づき合いがたいへんで」とか、など。
それとなく、自分の会話の中に、そうした言葉を混ぜる。
つまり相手をだます。

 が、その一方で、こうも言う。
「近所に、独居老人の人がいましてね。私、毎週、一度は訪問をし、声を
かけたり、食事を分けてあげたりしていますの」と。
 
●統合性

 さらに老齢期を迎えると、今度は統合性の問題が起きてくる。
知人のIK氏(藤沢市在住は)は、「還元」という言葉をよく使う。
自分の生きてきた人生を、つぎの世代の人たちに還元していくという意味で、
そう言う。
「統合性」とは、つまるところ、「還元」の問題ということになる。

 「人間として最後にやるべきことを求め、そこに自分を統合させていく」。
それが統合性ということになる。
が、その最大の障害物が、見栄ということになる。
つまり見栄を張るようになると、統合性の構築ができなくなる。
言うまでもなく、統合性は、無私、無欲でなければならない。
ほんのわずかでも、功利、打算が混入すれば、統合性の確立は霧散する。
それだけではない。

統合性の確立には、長い時間と、準備が必要。
「退職しました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」という
わけにはいかない。
またそんなことをしても、長つづきしない。

●ありのまま生きる

 先にも書いたように、私も見栄を張ることがある。
大物ぶってみせることがある。
そういう自分の弱さをよく知っている。
だからこそ、いつも、……ほとんどいつも、自分にこう言って聞かせている。
「ありのままをさらけ出そう」と。

 一方、自分の息子のことを書くのも気が引けるが、それを私は二男から学んだ。
現在、アメリカに住んでいる。
インディアナ大学で、コンピューター技師をしている。
CERN(スイス)のスパコンを通信衛星を介してつなぎ、それをさらに世界中の
コンピューターとつないでいる。
何でもCERNからあがってくるデータは、ぼう大なものらしい。
そこらのスパコン程度では、役に立たないという。
それで世界中の科学者のもつ中型コンピューターとつなぎ、データを解析している。
何やら、とんでもないことをしているらしい。

 その二男が、日本へ帰ってきたときのこと。
地元の中学校から、講演会の講師に招かれた。
そのときのこと。
二男は穴のあいたTシャツとジーパン姿で、講演会に出かけていった。
「もう少し、ましな服を着ていけ」と私が言うと、二男はこう言った。
「ぼくは、いつもこのままだよ」と。

 どうしてそういう生き様を身につけたのかは、私にはわからない。
しかし私はそういう二男に、畏敬の念すら、覚えた。

●あとxx日

 さて私のこと。
今日は日曜日。
いろいろある。
で、心に決めた。
「今日1日だけでも、ありのままをさらけ出して生きよう」と。
これが今日の目標。

2010年10月17日。
私の満63歳の誕生日まで、あとxx日。 
62歳をどう生きたか。
その日までに、結論を出さなければならない。


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 11月 12日
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浜松BW教室byはやし浩司
Hiroshi Hayashi Hamamatsu, Japan

(1)

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(2)

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(4)

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 幼児に負の数を教える 実験
教室 浜松幼児教室 BW幼児教室)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【三ケ日温泉・リステル浜名湖にて】

●山と海

 窓を大きく開けた。
海からのさわやかな風。
やさしく部屋の中に入る。
目をやると、眼下は青い海。
深い緑の木々が、不規則に水平線を飾り、
その上に水色の空。
淡い雲。

 波だけはきぜわしそうに、左から右へと、ざわざわと揺れている。
今日は三ケ日温泉・リステル浜名湖に一泊。
ここへは何度か来たことがある。
友人が宿泊したとき。
昼食をとりにきたとき。
今日は、「カニ食べ放題、バイキング」という宣伝につられてやってきた。

 長男に「カニを食べに行くか?」と聞いたら、すなおに、「行く!」と。
長男はカニが大好物。
子どものころから、カニを見せると、目の色を変えた。

●部屋

 リステル浜名湖は、古いホテルである。
25年以上になるのでは?
補修はしてあるが、あちこち老朽化していた(失礼!)。

友人がこのホテルに泊まったのも、そのころだった。
会員制のホテルで、オーナーになれば、出資金に応じて、年単位で宿泊券が手に入る。
友人は、その宿泊券をもらったとかで、ここに泊まった。

 で、部屋は細長いが、洋間半分、畳の間半分という、少し変わった間取りになっていた。
2人部屋にもなるし、畳の間にふとんを敷けば、3人部屋にもなる。
畳の間の向こうは、そのまま掃きだしの窓。
小さなベランダもある。

 時刻は午後3時30分。
夕食は午後6時から。
風呂に入るのも、まだ早い。
ワイフは、部屋のあちこちを動き回っている。
長男は寝転んで、雑誌を読んでいる。
私は……こうしてパソコンを叩いている。

 今日は、TOSHIBAのMXをもってきた。
8時間以上、バッテリーがもつというすぐれもの。
「本当かな?」と思いながら、バッテリーのメーターを開くと、「100%充電、
5時間31分」と表示された。

 使うソフトによっても、もち時間はちがう。
しかし「?」。
バッテリーも、長く使っていると、性能が劣化する。
それは知っているが、このパソコンは、めったに外出先では使わない。

●星は3つの★★★

 まだ料理を見ていないので、評価はできないが、今のところ、星は2つか3つ。
建物が古いので、マイナス1。
簡易ホテルといった感じだが、景色を考慮に入れるなら、プラス1。
これで食事がよければ、星は3つか4つ。

 言うまでもなく、星は料金と照らし合わせて決まる。
今日は何と、一泊9000円弱(1名分)。
安い!
この料金で、あれこれ文句を言う人はいない。
建物が新しければ、とてもこの料金では泊まれない。
料理のカニがカスカスでも、文句は言えない。

 ……たった今、昆布茶を飲んだところ。
塩辛い味がした。
が、おかしなことに、とたんに睡魔が襲ってきた。
ふだんなら昼寝を少しするが、今日はしていない。
早めに温泉に入り、そのあと一休みする。
今、そう決めた。

●鰯雲(いわしぐも)

 目の前が鏡台になっている。
大きな鏡である。
私の姿も含めて、部屋中がよく見渡せる。
で、その顔。
つまり私の顔。
私はめったに鏡を見ない。
年齢的には老いぼれた顔ということになるが、それほどジジ臭くない。
自分で、そう思った。

(たった今、温泉から戻る。)

 リステル浜名湖は、温泉がよい。
広くはないが、清潔な湯船。
隣接する露天風呂。
目の前は、視線の高さで広い海が広がっている。
ホテルには悪いが、私と長男のほかに、入浴客は1人だけ。
のんびりと入浴。
露天風呂からは、こまかいウロコの鰯雲(いわしぐも)が、見えた。
もう、秋の雲?
そう思いながら目を閉じる。

 今ごろの季節は、最高!
10月の中旬。
星をもう1つ追加。
星は4つの、★★★★。
あとは夕食で決まる!

●夫婦

 ベランダからワイフがこう言った。
「ここは朝陽が見えるのね」と。
「舘山寺(温泉)からは、夕陽が見えたわ」とも。
 
 それにしても私たちは、不思議な夫婦。
仲がよいのか、悪いのか、それがよくわからない。
そばにいなければ、さみしい。
そばにいれば、楽しい。
それでいて、よく言い争う。
口論するたびに、「離婚」を口にする。
しかしその翌日には、また同じふとんの中で寝る。
他人はそういう私たちを見て、「あなたがたは仲がいいですね」とよく言う。
が、そう言われた私は、「ヘエ〜」と思ったまま、口を閉じてしまう。

 私の中にも、そしてワイフの中にも、もう1人の「私」がいる。
それが交互に顔を出す。
夫婦というのは、そういうものか。
常にたがいに、何かに耐えている。
それが抑圧という形で、心の中に別室を作る。
別室の中に、不満や不平をためる。
ワイフはよくこう言う。
「もともと、他人なんだから」と。
つまりそうであっても、「仕方ない」と。

 大切なことは、適当にそれを発散させること。
私たちのばあいは、それが夫婦喧嘩ということになる。
あるいはこういう旅行かな?

●空腹

 それにしても、腹が減った。
こうして温泉に泊まるときは、朝食を簡単にし、昼飯を抜く。
そうでもしないと、あという間に、64キロに逆戻り。
だから今は、ペコペコ。

 脳の視床下部が、血糖値をモニターしている。
血糖値がさがると、視床下部の命令を受けて、ドーパミンという
ホルモンを分泌する。
欲望と快楽を司るホルモンである。
それが食欲中枢を刺激する。
空腹感は、その結果、起こる。
このとき胃袋が、収縮するという説もある。
腹がグーグーと鳴るのは、そのため。
(このあたりの話は専門外なので、いいかげん。
それにこの分野は、毎年のように説が変わる。)

●欲望

 空腹感に限らず、つまり食欲にかぎらず、もろもろの欲望は一元的に管理されている。
脳みそというのは、一見複雑だが、反応は単純。
たとえば「八つ当たり」。
ひとつのことで不愉快になると、別のことでも不愉快になる。

もちろん強弱は、ある。
そのひとつが、条件反射。
線条体に受容体が作られると、わずかな刺激でも、猛烈な欲望となってそれがその人を
刺激する。
これについては、以前、詳しく書いたので、復習の意味もこめて、あとで原稿を
添付しておく。
条件反射が起こると、欲望をコントロールするのが、とたんにむずかしくなる。
アルコール依存症やニコチン依存症の人を、例にあげるまでもない。

 しかしそうでない欲望は、かなりのレベルまでコントロールできる。
たとえば食欲。
腹は減っているが、がまんしようと思えば、できる。
それに空腹感というのは、いいかげんなもの。
いくらでもごまかしがきく。

(たった今、コーラを少し口にしてみた。
これで少し血糖値があがるはず。)

 総じてみれば、人間は欲望のかたまり。
生きていること自体が、「欲望」そのもの。
欲望を否定したのでは、生きていかれない。
欲望を「悪」と決めつけてはいけない。
大切なことは、欲望という暴れ馬と、どう向き合っていくかということ。

●ヤブ

 再び睡魔。
今、時刻は午後5時。
夕食まで、あと1時間。
ア〜ア!

 話題を変えよう。

 数日前、RMという整形外科医院へ行ってきた。
破傷風の2回目の予防接種を受けてきた。
そこでのこと。
私が「最近、体がよくこわばります」と言ったら、そのままレントゲン室に回された。

 看護婦のウムを言わせない態度。
事務的な説明。
言われるままにしていたら、5枚も、頭頚部のレントゲン写真を撮られた。

ヤブ医者め!

 私という患者の話をろくに聞いていない。
私は「こわばる」と言っただけ。
あとで、「どうしてレントゲンですか?」と聞いたら、「骨の変形を調べました」と。

 バカめ!

 そんなもの、あるはずがない。
変形しているかどうかは、触診しただけでもわかるはず。
そしてレントゲン写真を見ながら、「石灰が付着し始めています……年齢相応ですな」と。

 で、そのあと、「頭痛はありませんか?」ときた。
「偏頭痛ならときどき、あります」と私が答えると、我が意を得たりというような顔。
「頚から起きることがあります」と。

 再び、バカめ!

 偏頭痛が頚から起きるなどという話は、聞いたことがない。
頚椎のゆがみが、交感神経、副交感神経を圧迫して、もろもろの症状を引き起こす。
そういうことはよくある。
が、それと偏頭痛は、別。
偏頭痛は血管が拡張し、そのとき周囲の神経を圧迫して起こる。
今どき、そんなことは素人の私でも知っている。
で、こう思った。

 「この医者は、勉強不足」と。
前回、年齢を聞くと、67歳と言った。
無駄な検査を重ねて、金を稼ぐ。

 あのね、レントゲンで使うX線が、がんを引き起こしたら、どうするの?
看護婦にそれを言うと、看護婦は、こう言った。
「量が少ないから、問題はありません」と。

 バカ、バカ、バカめ!

 放射線の危険性は量では決まらない。
多量に放射されてもがんにならない人はいる。
が、少量でも、がんになる人はがんになる。
要するに、「運」の問題。
宝くじと同じ。

 そんな基本的な常識も知らないで、何が安全だ!

バカヤロー!

 ……ということで、あの整形外科医院とは、縁を切った。
二度と行かない。

●勉強

 「勉強」という言葉が出たので、その勉強について。

 こんなしがない私でも、毎日、勉強している。
が、この年齢になると、学んで頭に入る量よりも、脳みその底から外へこぼれ出ていく
量のほうが多くなる。
だから若い人たちより、何倍も努力して、勉強しなければならない。
現状を維持するだけでも、精一杯。
現状を維持できるだけでも、御の字。

 が、これもある年齢になると、その努力をしなくなる。
「私は完成された人間」と思い込む人も、少なくない。
が、そういう人にかぎって、がんこ。
融通がきかない。
はっきり言って、バカ。

 が、ここからがこわいところ。
脳のCPU(中央演算装置)が鈍ってくるから、バカになりながら、それを自分で
気がつくということがない。
客観的にそれを知る方法も、ない。

 さらにこわいことに、バカな人は、賢い人が理解できない。
(反対に賢い人からは、バカな人がよくわかる。)
理解できないから、自分を基準にして、相手を判断する。
先日も、私にこう言った女性(65歳)がいた。

 「あの人は、親の三回忌にも顔を出さなかった。人間のクズよ」と。

 本当のクズはどちらか?
三回忌に出る、出ないで、クズかどうかは決まらない。
だいたい「クズ」とは何か?
一刀両断に、バサリと相手を切り倒す。
その傲慢さ。
それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。
親子といっても、その関係は一様ではない。
それすらも、わからなくなる。

●海人間

 リステル浜名湖は、浜名湖のすぐ横に接している。
私が山育ちなら、ワイフは、海育ち。
子どものころは、休みごとに、浜名湖畔にある母の実家で過ごしたという。
そのこともあって、このリステル浜名湖が、たいへん気に入ったよう。

 さきほどまでベランダに座り、濃紺色になった海を、静かに見ていた。
「I村みたいだね」と私が言うと、うれしそうにほほえみ返した。
I村というのは、ワイフの母の実家のある村である。
来月、その村の小学校へ、講師として招かれている。
これも何かの縁かもしれない。

 一方、私は山育ち。
先週、湯谷温泉の泉山閣ホテルという、ホテルというよりは、老舗の旅館に泊まった。
目の前に川が流れていた。
対岸は深い森に包まれていた。
私はそこでたまらないほどの、懐かしさを覚えた。
が、今度は、ワイフがそれを覚えている。
私には、それがよくわかった。

(これから食事に行く……。)

●バイキング

 料理はよかった。
種類は少なかったが、カニが食べ放題。
うなぎも食べ放題。

 中国人の旅行者たちも席に並んだ。
その中国人たちは、みな、肉料理を山盛りにして食べていた。
「肉」に対して、特別の思いがあるらしい。
一方、私は、カニ。

 「食べたら損(そこ)ねる」と念じながら食べた。
が、結局は、腹いっぱい食べてしまった。
またまた明日から、ダイエット。
どうしてこうまで私は愚かなのだろう。

 で、食事をしながら、こんな話を思い出した。

●カニ

 私が中学1年生のときのことだった。
何人かの友だちと、岐阜市まで遊びに行った。
みなで、レストランに入った。

 そこでのこと。
みなの前に、おしぼりが並べられた。
フワフワしたタオルだった。
が、S君がそれを何かの食べ物と誤解した。
そばにあったソースをそれにかけた。
箸で、それを口に運んだ。 

 私たちはそれを見て、笑った。
が、メニューなるものを見て、驚いた。
小遣いで買えるようなものは、なかった。
そこで私はコカコーラを頼んだ。
そのとき生まれてはじめて、コカコーラなるものを口にした。
が、そのまずいことと言ったら、なかった。

 みなで回し飲みをした。
みなも、「まずい」とか、「ゲーッ」とか、言った。
で、Y君は、「ライス」だけを注文した。
白いライスだけ。
そのライスにソースをかけて、食べた。

 今の若い人たちには、想像もつかないような話かもしれない。
しかし当時は、まだそういう時代だった。
年代的には、1959〜60年ごろ。
古き良き時代というか、みなが、今よりずっとおおらかな気持ちで生きていた。

 ライスだけを注文しても、店の人は何も言わなかった。
ライスだけを食べさせてくれた。

 その私が今、腹いっぱい、カニを食べている。
カニだ。
カニだぞ。
子どものころ、カニなど、めったに食べられなかった。

●小沢一郎氏

 部屋に帰ると、ちょうど7時だった。
テレビにスイッチを入れると、NHKのニュースが始まっていた。

小沢一郎氏が、検察審議会の決議について、逆告訴した。
「事実誤認がある」と。
だったら、どうしてそれを裁判の席で争わないのか。
……というか、どうしてどこまで往生際が悪いのか。

 しかし小沢一郎氏には、小沢一郎氏独特の、一貫性がある。
民主党の幹事長に就任すると同時に、中国へ、350人近い国会議員を中心に、
総勢500人も600人ともいわれる、大名行列をしてみせた。
(今どき、こういうバカなことをする政治家がいること自体、信じられない。
それにノコノコとついていく子分がいることも、信じられない。)
そのときのこと。

K中国首相と並んで、1人ずつ記念撮影までさせたという。
もちろん小沢一郎氏自身も、である。
たいへんな撮影会であったにちがいない。
国会議員1人あたり5〜10秒ですんだとしても、20〜30分はかかる。
その間、K中国首相は立ったまま。
カメラに向かって、握手の連続。

 つまりそういう破廉恥なことを平気でできる。
国辱行為そのもの。
それが小沢一郎氏。
権力に溺れた権力者というのは、そこまでやる。
そういう意味で、小沢一郎氏には、一貫性がある。

●中国人

 最近はどこのホテルへ行っても、中国からの観光客がいる。
このリステル浜名湖にも、来ていた。
観光バスに乗って、あちこちを回っているらしい。

 エレベーターの中で「チョンゴレンマ(中国人か)?」と声をかけたが、
私の中国語は通じなかった。
英語でその人は、「チャイナ」と言った。
たぶん、北京から来た人ではなく、広東語(マンダリン)を話す人だった。
……と思いながら、自分をなぐさめた。

 その中国人。
夜、風呂に入るという習慣がない。
だからいくら中国からの観光客がいても、夕食前後の温泉は、がらがら。
その分、朝に入るかというと、それもない。
彼らはシャワーですます。

 が、中には温泉まで入ってくる中国人がいる。
先日は、ワイフの話だが、浴衣(ゆかた)を着たまま、温泉へ入ってきた女性客も
いたそうだ。
きっとあちこちで、珍道中を繰り返しているにちがいない。

●さて就寝

 ワイフが2度目の入浴から戻ってきた。
入浴客は、1〜3人程度だった、と。

 時刻は午後8時過ぎ。
静かな夜だ。
私は今、みやげもの屋で買ってきた菓子をほうばっている。
ワイフは、和室のほうで雑誌を読んでいる。
長男はすでにベッドの上で、横になっている。
そろそろ寝る時刻。

 今日もあっという間に終わった。
何かをしたわけでもない。
何もしなかったわけでもない。
こうして1日、1日と終わっていく。
では、みなさん、おやすみなさい。
2010年10月15日、夜。

●翌朝

 翌朝は、午前5時ごろ目を覚ました。
朝風呂は、5時半から。
しばらく、こうして原稿を書く。
先ほど窓の外を見たが、ほんの少しだけ空が白くなっていた。

 「家に帰ってから寝なおそう」と思った。

 やがてワイフが起き、長男が起きた。
私はそのつど、「起こしてごめんな」と声をかけた。
つまりこうして私の10月16日は、始まった。
今日は、ネットで注文しておいた、プロッターが届くはず。
それを使って、看板を作る。
教材を作る。
来週は、幼児に面積の概念を教えてみよう。
おもしろそう。
プラス、楽しみ。
乞う、ご期待!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1ドル=80円!

 世界中の国々が、今、我も、我もと、札の印刷機をフル回転させている。
こぞって自国の通貨を安くしようとしている。
日本も、中国を除くアジアも、EUも、南アメリカの国々も。
もちろんアメリカも。
しかしこの勝負、アメリカのひとり勝ち。
アメリカ・ドルは、世界の基軸通貨。
あの北朝鮮だって、ドルをほしがっている。
そのドルの印刷機は、アメリカ政府の意の思うがまま。
だれの許可もいらない。
だれにも遠慮はいらない。

●アメリカの陰謀

 アメリカは、ドル安に導き、巨額の貿易赤字を半減させようとしている。
同時に輸出産業にカツを入れようとしている。
一説によれば、アメリカは1ドル=55円(日本円)台にまで、ドル安に
しようと画策しているという(某経済誌)。

 こうなればドル資産をかかえた日本は、大損することになる。
外貨資産のほとんどを、ドルで蓄えてきた。
言うなれば、もっていた株券(=ドル紙幣)の価値が、120円から
55円になるようなもの。
約半額!

●それでも基軸通貨

 が、それでも基軸通貨。
ドルに代わる資産と言えば、金、プラチナしかない。
その金とプラチナだけは、ドル安と反比例の形で、ジワジワと
あがりつづけている。
連日、過去最高値を更新しつづけている。

 一方、それを迎え撃つ、世界の国々は必死。
日本も必死。
このままでは世界中が、ジャブジャブの札だらけになる。
平たく言えば、世界中が、ハイパーインフレに見舞われる。
可能性の問題ではない。
時間の問題でもない。
すでに既成の事実になりつつある。

●すでにインフレ状態

 先ほど金属相場を確認してみたが、ニッケル、銅、アルミなど、
すべてが、この3か月だけを見ても最高値を記録している(10月15日)。

 言い替えると、アメリカは、世界の宰主国としての地位をかなぐり捨てた。
自覚も責任もない。
「世界のことは、知ったことか!」と。

 が、それにひとり反発しているのが、中国。
中国だけが、がんとして、元高に向かうのを拒否している。
こうなってみると、あの中国が頼もしく見えるから、不思議。
ということで、今は、言うなれば、米中の経済戦争のまっただ中。

 アメリカが勝つか?
中国が勝つか?
土俵間際で、押せ押せのアメリカ。
土俵に足をかけ、「コノヤロー」と踏ん張っている中国。

●日本の立場

 が、日本も本当は、もっと札を印刷したい。
円安に誘導したい。
しかしアメリカの意向を無視することはできない。
したとたん、先月のように、大目玉!
それを見越して、マーケットからこぼれた資金が、円買いへと流れている。
今は、そういう状態。

 1ドルが80円!
この先、アメリカドルは、もっとさがる。
が、それがわかっていても、ドルに代わる基軸通貨は、ほかにない。
この悲しさ。
この無力感。
が、日本は、もっているドル資産を、売ることもできない。
売ったとたん、ますますドル安=円高になってしまう!
だまされても、だまされても、ニコニコ笑いながら、ここはアメリカに
追従していくしかない。

●アメリカのひとり勝ち

 つまりこうしてアメリカは、戦後最大のカケに出た。
成功すれば、アメリカは、再び世界の宰主国として返り咲く。
失敗すれば、以後アメリカは凋落の一途をたどる。

 しかし短期的に見れば、やはりアメリカのひとり勝ち。
世界中が大混乱しているのを横目で見ながら、ひとり高笑い。
……が、中期的に見れば、それは一過性の高笑いで終わる。

●中期的には

 いくらアメリカがドル安に誘導しても、中国のもつ生産力には
かなわない。
中国だけではないない。
そのうしろに、インドが控えている。
ブラジルも控えている。
アメリカの諸産業が、ドル安で息を吹き返すなどとは、だれも思っていない。
つまりは、最後の悪あがき。

●では、日本は……

TBS−iニュースは、つぎのように伝える。

『…… 円高ドル安の流れが止まりません。外国為替市場の円相場は14日、
一時、15年半ぶりとなる1ドル=80円台に突入しました。

 14日の外国為替市場は、アメリカで追加の金融緩和策が打ち出されるとの
見方が強まったことなどから、ドルがユーロや円、ポンドなど主要な通貨に対
して全面的に売られる展開となり、円相場は一時、1ドル=80円88銭と1
995年4月以来の円高水準となりました。

 その後、介入を警戒する動きなどからやや値を戻し、午前7時現在は1ドル
81円台半ばで取引されています。

 ただ、日本の単独介入は、ドル全面安の現在の相場の中では効果は限られる
との見方が市場関係者の間では支配的です。

 当面は円高ドル安の流れが続くとみられ、1ドル79円75銭の史上最高値
の更新も「時間の問題」との見方が広がっています』(15日07:10)と。

 どうせやるなら、つまりアメリカがその気なら、一気にドル安に追い込み、
円高を一時的なもので終わらせるのがよい。
今のように、ジリジリと真綿で首を絞めるような流れは、いちばん、まずい。
日本の耐久力は、もう限界。
それほど長くはもたない。

 ついでに読売新聞の記事を、ここに転載する。
『…… トヨタ自動車は14日、主力乗用車「カローラ」の日本からの輸出を
2013年ごろまでに停止し、輸出分の生産をすべて海外工場に移管する方針
を固めた。

 円高で日本からの輸出の採算が悪化しているためだ。国内で販売するカロー
ラは引き続き国内で生産する。

 トヨタは11年秋に稼働する米ミシシッピ州の工場に、北米向けカローラの
生産を国内から移管し、年間15万台生産する。欧州やアジア向けの生産もす
べて現地化する』(以上、読売新聞より)。

 すでに日本は、アメリカのよいように操られている。
わかるかな? 


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【子どものウソ】(ウソともまし)


●子ども・雑感


 今朝は、思いつくまま、いろいろ書いた。
それからちょうど12時間。
夕食を終え、今は自宅の居間の中。
先ほど、ウォーキングマシンで30分、歩いた。
寝る前に、もう1度、20分、歩く。


●おとなを操る子ども 


 子どもはウソをつかないというのは、ウソ。
概して言えば、子どもはよくウソをつく。
ウソをつくことで、おとなの優位性を破ろうとする。
おとなを操る。
年齢的には、2歳前後。
ウソ寝、ウソ泣きから始まる。
年齢と共に、巧妙になる。
たとえばこんなウソ。


子ども(小3男児)、私に向かって、「ママが、林先生(=私)は、教え方が
デタラメと言っていた」
私「・・・。それが本当なら、今すぐ君のお母さんに電話をかけて、確かめてみる」
子ども、血相を変えて、「ヤメテエ! それだけはヤメテエ!」と。


 反対のことを母親に言っているのだろう。
こうしたウソには、双方向性がある。
「君のお母さんは、威張っていると林先生が言っていた」とか、何とか。
つまり子どもは、私と母親の間に立ち、自分のつごうのよいように、
私と親の双方を操る。


●もまし屋


 2人の間に入って、それぞれに相手の告げ口をする。
そういう形で、双方を離反させる。
「もまし」という。


AさんにはBさんの告げ口をする。
「Bさんがね、あなたのことをインチキと言っていた」と。
BさんにはAさんの告げ口をする。
「Aさんがね、あなたのことをズルイ人と言っていた」と。


 実際には、もっと巧妙な告げ口をしかける。
ふつうの会話にワナをしかけながら、相手を怒らせる。
怒らせながら、仲たがいをさせる。


 言うなれば悪魔のような心をもった人ということになる。
そういう人は少なくない。


●原因


 が、ここでの問題は、そういう人が、なぜそうなるかということ。
そのひとつのヒントが、先にあげた子どもにある。
抑圧された状態が長くつづくと、子どもの心は悪魔的になる。
「悪魔的」といっても、定型はない。
さまざまな形で、悪魔的になる。
イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
要するに、「心がゆがんだ子ども」になる。


 先に書いた子どもは、もちろん架空の子どもである。
しかし例としては、少なくない。
10人もいれば、1人や2人はいる。
ひょっとしたら、あなたの子どももそうかもしれない。
このタイプの子どもほど、親の前ではいい子ぶる。


●もまし


 「もまし」と言う言葉を、しかし私は最近まで知らなかった。
若い人たちの間では、常識的な言葉という。
そして私自身が、その「もまし」で、ひどい経験をするまで、それを
(もまし)とは気づかなかった。


 悪魔的な心をもった人は、そうして互いを離反させながら、それを楽しむ。
ふつうなら、告げ口は卑怯な人が使う手口。
そう考える。
私も子どもたちがだれかのことで、告げ口をしそうになると、すかさず、
それを止める。
「聞きたくない」と。


 しかし相手がおとなだと、そうはいかない。
そのまま聞いてしまう。
そしてその人の意図とは別に、話の中に出てくる人を、悪い人と思ってしまう。
「林さん(=私)、あのXさんね、あなたが送った歳暮をね、ケチなものだった
と言って笑っていましたよ」とか、など。


 こういう話を聞いても、直接、相手に確かめることはできない。
しかしウソと決めつけ、それを無視することもできない。
不快感だけが、あとにズシリと残る。
これが(もまし)の手口である。


●相手にしない


 こうした子どものウソについても、(もまし)についても、相手にしない。
無視。
(もまし)をする人物とは、つきあわない。
つきあえばつきあうほど、相手の深みにはまってしまう。
また子どものウソについては、無視。
叱っても脅しても、意味はない。
親に話しても、無駄。


 が、そこまで子どものウソを深く考えることができる親は、まずいない。
以前、この種のウソを平気でつく子どもがいた。
そこである日、そのことを父親に告げると、父親は逆に私に食ってかかってきた。
「貴様は、自分の生徒を疑うのか!」と。
子どものウソのほうが、私より一枚、上手(うわて)だった。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 もまし もまし屋 子どものウソ おとなを操る子ども 告げ口 はやし浩司 つげ
口)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親子の逆転現象


 先日、ある父親がこう言った。
「うちの息子がね、結婚するとなったときのこと。
私に結婚式の費用を出してくれと言ったんですね。
それで私が、少しは出せるが、全額は無理だと答えると、息子のやつがね、
こう言いました。
『結婚式の費用くらい、親が出してくれてもいいじゃないか!』とね。
今は、そういう時代ですかね」と。


 たしかに今は、そういう時代。
たとえば親子の連絡がしばらく途絶えたとする。
それについて、怒るのは、息子や娘のほう。
「一度くらい、心配して、電話くらいくれてもいいじゃないか!」と。
親が息子や娘に対して、そう言うのではない。
息子や娘が、親に対して、そう言う。


 こういうのを本末転倒という。
親子について言えば、「親子転倒」、あるいは「子親転倒」。
私が若いころは、まったくの逆だった。
息子や娘のほうが心配して、親に電話をかけたりした。
盆や暮れには、親にあいさつに行った。


 が、今はちがう。
先にも書いたように、親子の関係が逆転した。
親が息子や娘のところに、あいさつに行く。
こうした逆転現象は、あちこちで見聞きする。


 若いAさん夫婦は、毎週土日を、近くの実家で過ごす。
親のめんどうをみるためではない。
食費を浮かすため。
子ども(孫)を親に預けて、遊びに出かけるため。
息子や娘が、親を温泉にでも招待するというのではない。
自分たちの時間を作るため、子どもを親に預ける。


 が、息子や娘たちには、「逆転している」という意識はまったくない。
それが「常識」と考えている。


●高度成長期の波の中で……


 私がこうした逆転現象を感じ始めたのは、すでに35年近くも前のこと。
時、折しも、この日本は稿で成長の波に乗り、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで世界の
富を集め始めていた。


 すべてが金(マネー)、金(マネー)の時代だった。


 そういう中、おかしなふうに考える親がふえ始めた。
「子どもを愛するということは、子どもに楽をさせること」
「子どもを大切にするということは、子どもに楽しい思いをさせること」と。


 だから長男、長女が生まれると、それこそ蝶よ花よと、手をかけた。
時間をかけた。
お金をかけた。
結果、ドラ息子、ドラ娘がどっと世に出てきた。
それまでは一部に過ぎなかった子どもが、この日本で主流を占める
ようになった。


 が、それから35年近く。
そのころの子どもが親になった。
つまりこの問題は、すでに2世代前の話。
根が深い。
ある母親は、こう言った。
「先生は、ドラ息子の話をしますが、私たち夫婦が、そのドラ息子、ドラ娘です。
どうしたらいいでしょうか」と。


 この話とて、もう15年も前のことである。


●考えなおそう!


 2世代かかって、日本はそうなった。
だから「正す」としても、この先、2世代はかかる。
たとえば内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも
親のめんどうをみる」と考えている日本の青年は、たったの28%


 イギリスの若者……66%
 アメリカの若者……64%、という数字と見比べてみてほしい。


 こうした現実を、いったいどれほどの日本人が気がついているのか。
さらに言えば、子どもが行方不明になれば、親は血眼になってさがし求める。
しかし今は、逆。
親が行方不明になっても、大半の子どもは知らぬ顔。
こういう逆転現象がよいとは、だれも思っていない。


●ある相談より(「ファミリス」掲載済み)


 話がぐんと現実的になるが、先日、こんな原稿を書いた。
ひとつの参考になればうれしい。
この原稿のしめくくりとしたい。


+++++++++++ある父親の相談に答えて++++++++++++++


相談:中学3年生の父から
 いよいよ長男が受験の年ということで、夫婦共々肩に力が入ってしまうのか、さ細なこ
とも受験に結びつけてしまい、あれこれと口を出してしまいます。
 自分が中3のときにどうだったか考えれば、そっと見守るのがいちばんだとはわかって
いるのですが……。受験期の親はどうあるべきか? アドバイスをください。


A:ある父親は事業に失敗。そこで高校生になった娘に、「大学進学はあきらめてくれ」と。
が、この言葉に娘は猛反発。「ちゃんと親としての責任を取れ!」と。


そこで私が割って入ると、その娘はこう言いました。「私は子どものときから勉強しろ、
勉強しろと、そんなことばかり言われてきた。それを今になって、あきらめてくれと、
どうしてそんなことが言えるの!」と。


 内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんどうをみ
る」と考えている日本の青年は、たったの28%(イギリス66%、アメリカ64%)。


 そこで本題。子育てが終わると同時にやってくるのが、老後。今のあなたは「下」ばか
り見ているから、自分の老後がわからない。長男の受験の心配より、自分の老後の心配を
しなさい。へたに「勉強しろ!」「塾へ行け」などと言おうものなら、あとあと責任を取ら
されますよ。


しかも一度大学生として都会へ出すと、まず地元には戻ってこない。中には「親のために
大学へ行ってやる」と豪語する高校生すらいます。感謝の「カ」の字もない。


あとは(独居老人)→(孤独死)。今のままでは、あなたもそうなります。そこで教訓。
長男が、「大学(高校)へ行かせてください」と3度頭をさげるまで、学費など出さない
こと。口も出さないこと。…というのは無理かもしれませんが、そうしたき然とした姿
勢が、かえって親子の絆を太くします。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の暖かい子供 心の温かい子供 冷たい子供 冷たい子ども)



Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●情報の洪水の中で……

【NIKKEI・生き生き健康より】

+++++++++++++++

今朝(10月13日)は、『NIKKEI・生き生き健康』から読み始めた。
http://health.nikkei.co.jp/hsn/hl.cfm?i=20101007hk000hk
タイトルだけ、並べさせてもらう。

+++++++++++以下、NIKKEI・いきいき健康++++++++++++

■認知症の早期発見は医師よりも身近な家族や友人のほうが優れる
■ティーンエイジャーはスポーツ飲料が健康的であると誤解
■遺伝子組み換えサケのラベル表示を消費者らが要求
■インフルエンザ予防接種で心臓発作リスクが軽減
■放射線被曝により2次癌(がん)リスクが増大
■女性アスリートの腱損傷にエストロゲン値が関連
■基礎体力テストで死亡リスクを予測
■若い親や子どもの誕生から1年以内の親はうつ病になりやすい
■骨粗鬆(しょう)症薬の長期使用が食道癌(がん)に関連
■減量薬で心臓発作リスクが増大
■癌(がん)予防にはサプリメントよりも健康的な食事を
■慢性疲労症候群にウイルスの関与を示す新たな証拠
■物資が乏しい国でも安全な手術が可能−国境なき医師団
■ノート型パソコンによる損傷に注意
■ストレスが妊娠を妨げる
■7〜8歳で思春期の始まる女児が増加
■地面を掘らずに死体を発見できるデバイスを開発
■音楽を聴きながらの勉強は学習効果を妨げる
■一般消費者向けの遺伝子検査の問題点
■カルシウムサプリメントにより心臓発作リスクが増大
■うつ状態の人は灰色の世界を見ている
■PTSDのピークは男女で異なる
■ヒトの精子遺伝子は6億年変化していない
■自殺未遂の手段がその後の自殺の予測因子に
■夏場のネコの細菌感染症はヒトへの感染の危険も
■レディー・ガガを真似たコンタクトレンズに米国眼科学会が警告
■円形脱毛症に遺伝子が関連−新しい治療法に道開く可能性
■公共交通機関の利用が体型維持に有効
■ペットも睡眠中に過去の出来事の夢を見る
■経験不足の女性アスリートは重大な健康リスクに要注意
■サッカーワールドカップの応援でメンタルヘルスが向上
■10代男子で血圧値が正常域でも早期に高血圧発症の危険性
■高齢の父親から生まれた子は非ホジキンリンパ腫のリスクが高い
■ストレス緩和プログラムが乳癌(がん)再発患者に有用
■米国少女のHPVワクチン接種率は3人に1人
■ネット販売されるED薬は危険
■土壌中の細菌が学習能力を向上させる
■合唱で過敏性腸症候群が軽減する可能性
■男性と女性の脂肪は遺伝的に異なる
■高齢者やうつ病患者は美容形成術の満足度が高い
■若い男性と結婚した女性は早く死亡する
■勃起不全(ED)治療薬が脳腫瘍治療を手助け
■配偶者がアルツハイマー病になると自身の発症リスクも高い
■40歳未満の若年女性ではマンモグラフィの有効性は高くない
■ゲノムスキャンで将来の健康リスクがわかる
■玄米や胚芽米は心臓の健康によい
■米北西部で発見された致死性の空中浮遊真菌が拡大の可能性
■女性の肺癌(がん)増加に遺伝子、エストロゲンが関連
■女性版バイアグラの研究が前進
■血糖インデックスの高い炭水化物の摂取は女性の心疾患リスクを増大させる
■3D映画に酔う人もいる
■果物、野菜を多く摂取しても癌(がん)リスクへの効果は小さい
■癌(がん)研究に参加する小児は十分な説明を受けていない
■自宅でできるSTD検査を女性は歓迎
■重度の月経痛を緩和する新薬が臨床試験中
■「最後の晩餐」に見る食事量の変遷
■リハビリプログラムにより腰痛患者の仕事復帰が早まる
■癌(がん)に関する記事はポジティブな成果に焦点を当てる傾向
■ジャンクフードの消費は価格に影響される
■適度な飲酒は女性の体型維持に有用
■腸内細菌が肥満を促進する
■緑内障の初期徴候は眼内ではなく脳に現れる
■膵癌(がん)治療の新しい標的が明らかに
■小児が窒息しやすい食品の形状見直しを小児科医らが要請
■アスピリンにより乳癌(がん)生存率が高まる
■医療ドラマの痙攣(けいれん)発作への対応には誤りが多い
■スエットロッジや蒸し風呂でデトックスはできない
■炭酸飲料を多く飲むと膵癌(がん)リスクが高まる
■ヒトのペースメーカーをイヌでも活用
■ナノファイバーゲルで軟骨の損傷を修復
■70歳以上で過体重の人は寿命が長い
■ランニングには裸足が最適?
■「プラズマジェット」で痛くない虫歯治療
■"リンゴを食べれば医者いらず"のことわざの理由が明らかに
■医薬品の通信販売が服薬遵守に有用
■嗅(きゅう)覚の低下はアルツハイマー病の早期徴候
■自分の食事の速さを知ることが肥満児の減量に有効
■昆虫細胞を利用したインフルエンザワクチンに有望性
■高齢者では腹部手術後のリスクが高い
■母親の職業と先天性欠損リスクの増大に関連性
■色の濃い酒ほどつらい二日酔いをもたらす
■見た目が若い人は長生きする
■モーツァルトの音楽が早産児の成長を速める
■尿検査で小児の睡眠時無呼吸を診断
■エラストグラフィで乳癌(がん)生検の必要性が減少
■若年成人期の運動は知能を向上させる
■職場での怒りをため込むと心臓発作リスクが倍増
■癌(がん)患者の多くが睡眠障害に悩む
■魚食の便益は調理法に左右される
■"女性用バイアグラ"の効果が示される
■癌(がん)が結婚生活を破綻へ追いやる
■近視レーザー手術は長期的にも安全
■うつ病患者は身体症状に関する記憶が不鮮明
■高塩分食、人工甘味料使用炭酸飲料が腎障害に関連
■週末に遅くまで寝ている小児は肥満になりにくい
■吸引した脂肪の乳房増大術への使用に問題なし
■コーヒーがC型肝炎の進行を遅らせる
■体外受精の成功率向上に胚の代謝評価が有用
■携帯電話と脳腫瘍の関連が示される
■禁煙ワクチンの研究が進行中
■体内時計が血糖コントロールに強く関連
■新型インフルエンザ−春に流行した都市では秋の流行が小さい
■先進国の赤ちゃんの半数は100歳まで生きる
■死亡前のマイケル・ジャクソンは健康だった
■季節性インフルエンザワクチンは成人では鼻腔スプレーよりも注射が有効
■"ファンシー"なコーヒー飲料のカロリーに注意
■飼い犬の分離不安
■米国で昨年830万人が自殺念慮を抱く
■アレルギー性鼻炎が性生活に悪影響を及ぼす
■セリ科のアギがインフルエンザ薬として有効
■口紅に含まれる鉛はこれまでの報告より多い
■助産師による自宅出産の安全性は病院と同等
■アスパラガスが二日酔いを軽減
■膵癌(がん)に血流代謝ミスマッチが認められる
■マイクロ針の皮膚パッチで痛みのない「注射」が可能に
■海の生物にヒントを得た新しい骨接着剤
■睡眠時間が少なくても大丈夫な人もいる
■腎提供者の性別がレシピエントの予後に影響
■A、B、AB型血液者は膵癌(がん)リスクが高い
■生体工学によりマウスで歯を再生
■クラミジア尿検査は男性でも有効
■日照時間が少ないとうつ病患者の認知力が低下
■幹細胞を利用した "生物学的ペースメーカー"
■ニューヨーク市のトランス脂肪酸対策は成功
■視力矯正の新たな選択肢
■幼児を車に残すのは常に危険
■肩関節置換術でスポーツへの完全復帰が可能に
■せん妄に対する新しい治療法の必要性が明らかに
■FDAが禁煙補助薬2剤に警告表示を要請
■患者自身の幹細胞を用いた心筋梗塞治療を初めて実施
■性的な健康問題を抱える米国女性は3分の2に上る
■長期記憶には睡眠中の記憶再生が不可欠
■腎移植待機中の60歳以上の約半数が移植前に死亡
■血圧カードの携帯が血圧管理に大きな効果
■赤ワインの健康効果の機序が明らかに
■非肥満者でも首回りのサイズが睡眠時無呼吸の重症度に影響
■Wiiのスポーツゲームはある程度の運動効果をもたらす
■新たな現代病「携帯電話ひじ」

+++++++++++以上、NIKKEI・いきいき健康++++++++++++

●情報の洪水

 こうまでズラリと情報が並ぶと、どれから読んでよいのかわからなくなる。
2つ、3つを選んで読んでみるが、脳の中で消化される前に、つぎの情報に関心が
移っていく。
が、これでは情報に振り回されるだけ。
2、3拾ってみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★若い親や子どもの誕生から1年以内の親はうつ病になりやすい

 子をもつ親の多くが、子どもが12歳になるまでにうつ病を経験しており、子どもが生ま
れてから1年間は特にそのリスクの高いことが、英国の研究で示された(一部抜粋)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★7〜8歳で思春期の始まる女児が増加

 米国では女児における思春期の始まる年齢低下が続いており、多くの女児に
おいて7〜8歳で乳房の発達がみられることが新しい研究で示され、医学誌
「Pediatrics(小児科学)」オンライン版に8月9日掲載された(一部抜粋)。

が、その中でも、とくに関心をひいたのが、つぎの記事。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★米北西部で発見された致死性の空中浮遊真菌が拡大の可能性

先ごろ米オレゴン州で発見された致死性の空中浮遊真菌株が、まもなくカリフ
ォルニア州にも拡大する可能性があると、科学者らが警告している。 

 オレゴン州では、この新しい遺伝子型(VGIIc型)のクリプトコッカス・ガ
ッティ(Cryptococcus gattii)の感染により数人が死亡している。太平洋岸
北西部で発生した21症例を研究者らが分析した結果、この真菌株による死亡
率は約25%であった。 

 「この新しい真菌が恐れられているのは、他に疾患のない健康な人にも脅威
となる可能性があるためである。通常、移植手術を受けた患者やHIV感染患者
にはこの真菌症がみられるが、現在発生している症例はこれに当てはまらな
い」と、著者である米デューク大学(ノースカロライナ州)メディカルセンタ
ーの大学院生Edmond Byrnes 3世氏は述べている。 

 このC. ガッティ株は極めて危険であるため、研究グループは注意と警戒を
強めるよう呼びかけている。症状は、曝露から2カ月〜数カ月後に現れること
もあり、数週間続く咳(せき)、鋭い胸痛、息切れ、髄膜炎による頭痛および
体重低下などがみられる。動物では鼻水、呼吸障害、神経系障害および皮下腫
瘤などの症状が認められている。治療は可能であるが、予防するワクチンはな
いという。この研究は、オンライン医学誌「PLoS Pathogens(病原体)」に4月
22日掲載された(以上、NIKKEI・生き生き健康より)。

●映画『バイオハザード』の世界

 やがて日本でも話題になるのだろう。
(すでにこうして話題になり始めているが……。)
が、「空中浮遊真菌株」とは何か。
「空中浮遊」というのは、わかる。
しかし「真菌株」とは何か。

●真菌株

 わかりやすく言えば、「カビ」のこと。
ナショナル・ジオグラフィック社のHPは、それについて詳しく記事を
書いている。
そのまま紹介させてもらう。

+++++以下、ナショナル・ジオグラフィック社HPより+++++

●真菌の恐怖

 記事をまとめさせてもらう。
これは情報の洪水の中で溺れないため。
要するに、強毒性のカビが現われ、それが全世界的に広がりつつあると
いうこと。

(1)猛毒の真菌、アメリカですでに6人死亡している。
(2)健康な人々を襲い、地理的に拡大しつつある。
(3)この真菌に感染すると、数カ月の潜伏期間を経て、主にひどい咳や息切
れなどの症状が起きる。
(4)ただ幸いなことに、ウイルス感染と異なり、真菌による感染症は人から
人に伝染しない。
(5)致死率は、25%
(6)人から人への感染はない。
(7)防ぐ方法はないが、治療法は一応、ある。

●どう対処すべきか

 問題は、真菌株のことではない。
問題は、情報の洪水に対して、どう対処すべきか。
強毒性の真菌株も恐ろしいが、いちいち気にしていたら、日常生活が
マヒしてしまう。
ま、そのときは、そのとき……と、ここは割り切るしかない。
幸い抗生物質による治療法もあるようだ。
(死亡率が25%というのも、気になるが……。)
ただそういう恐ろしい病気が、アメリカを中心に広がりつつあるということ。
日本へ上陸するのは、時間の問題ということらしい。
それを脳みその一部に、たたき込んでおく。
私たちが取れる対処法としては、それしかない。

 残りの情報については、タイトル(見出し)を読んだだけで、おおよその
内容が把握できる。
常識的な範囲で、注意すれば、それでよい。

 それにしても情報、また情報……。
情報が多いのはよいことだが、大切なのは、先にも書いたようにそれをどう
脳みその中で消化していくかということ。
つまり自分で考え、自分でどう判断をくだしていくかということ。
いちばんよいのは、それについて、自分の意見なり感想を書くことだが、
現代人には、その時間もない。
ネットであちこちをのぞくたびに、その情報が、倍、倍……とふえていく。

 よく誤解されるが、(情報量が多いこと)イコール、(賢い)ということ
ではない。
情報に振り回されるようになると、むしろ人間はかえってバカになっていく。
大切なのは静かに考える時間。
その時間を、どう自分の生活の中に作っていくかということ。
その習慣のある人を、「賢い人」という。

 今朝は、いちばんに、そんなことを考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 強毒性の真菌株 カビ かび 情報の洪
水 賢い人 習慣の問 はやし浩司 考える習慣づくり)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

【最高の着陸】(風に乗って、音もなく)

●ダニエルK

 しばらく前、オーストラリアの友人が、日本から帰った。
名前を、ダニエルKという。
学生時代からの友人で、長い間、モナーシュ大学の図書館の司書をしている。
日本で「司書」というと、図書館の係員のように思う人もいるかもしれない。
しかし実際には、教授扱い……というか、教授たちを指導する立場にいる。
その彼が、先月(2010年9月)、北京での学会のあと、日本へ立ち寄ってくれた。
私の家で、しばらく過ごしてくれた。

●ジョンL

 私には、もう1人、仲がよかった友人がいた。
名前を、ジョンLという。
どう仲がよかったかというよりも、いつも私はジョンLといっしょにいた。
ジョンLは、私をあちこちへ連れて歩いた。
オーストラリアでの学生生活は、ジョンLといつも一緒だった。
私はジョンLを通して、オーストラリアを知った。
オーストラリアの自由を知った。
私には、オーストラリアの学生生活、イコール、ジョンLと言っても過言ではない。

●What are you!(お前ら何だ!)」

 ダニエルKとの出会いは、衝撃的だった。
私がメルボルン大学のカフェテリア(食堂)で、食事をしているときのこと。
私はテーブルで、5、6人のオーストラリア人の学生たちに取り囲まれてしまった。
それぞれが、スプーンでテーブルを叩き、私に「あっちへ行け!」と合図した。

 まだアジア人への人種偏見のはげしい時代だった。
私は体を前に倒し、食事をつづけた。
テーブルを叩く音は、さらにはげしくなった。
そのときのこと。
私の横にダニエルK君が座った。
身長は1メートル90センチを超えた大男である。
体重も100キロはあった。
その彼が、こう一喝した。
「What are you!(お前ら何だ!)」と。
とたん、5、6人の学生たちは、席を離れて、どこかへ行った。
ダニエルK君と、ジョンL君は、同じオリエンタル・スタディズ(東洋学部)
に籍を置いていた。
それまで私はダニエルK君とは、話をしたことはない。
しかしダニエルK君は、遠くで私を見ていた。
私もダニエルK君のことは知っていた。

●オーストラリアの学生生活

 それをきっかけに、私はダニエルK君と、親しくなった。
間にジョンL君をはさんで、ともに行動したことも多い。
……というか、私は彼らの仲間に入った。

 グレゴリ−K、ジョナサンK、アランP……。
今でも彼らの名前をスラスラと言える。
同時に、彼らの顔が、そこにある写真のように、脳裏に浮かんでくる。
もう1人、ハリーHもいた。
みんな仲間だった。
どこかへ行くときは、ジョンLの古いホールデンの車か、ハリーの
ミニ・クーパだった。
ジョンLは、……そういうオーストラリア人には多かったが、車が好きだった。
自分でも「ぼくは、車のマニア」と言っていた。

●日本で

 それからもいろいろあった。
私には最高に楽しい日々だった。
ジョンLとの1日を、それまでの1年のように長く感じたこともある。
見るもの、聞くもの、すべてが珍しかった。
ジョンLにしても、そうして私を驚かすのが、楽しかったのかもしれない。

 そのジョンLは、私が日本へ戻ると、私を追いかけるようにして、日本へやってきた。
東京の渋谷に住んだ。
ジョンLは、どこかの英会話教室で、講師を始めた。
今とちがい、東京でも外人の講師は珍しかった。
月に100万円以上もの収入を稼いでいた。
大卒の初任給がやっと6万円(三井物産)を超えた時代である。

●ウソ

 それまでにも一度、ジョンLを怒らせたことがある。

 ある日のこと。
大学の通路で、ジョンLに声をかけられた。
「いっしょに食事をしないか?」と。
それはとっさの会話だった。
私は反射的に、「今、食べてきたところだ」と。

 これは和製英語だった。
私が生まれ育った郷里では、そういう言い方のあいさつをする。
深い意味があるわけではない。
とくに昼食は、軽くすませるという習慣がある。
「飛騨の昼茶漬け」という言葉すら残っている。
つまり会話として、「(うちで)飯を食べて行かないか?」と声をかける。
それに答えて、そう声をかけられたほうは、たとえ腹がへっていても、
「今、食べてきたところだ」と答える。
まちがっても、「じゃあ、いただきます」などとは、言わない。
言ってはいけない。

 同じ会話が、そのまま私の口から出てしまった。
「今、食べてきたところだ」と。
和製英語というのは、それをいう。

 が、その直後、私は別の友人たちと、カフェテリアで食事をしていた。
それを見て、ジョンLは、怒った。
ものすごく怒った。
「どうしてこんなことで怒るのだろう」と私が思うほど、怒った。
オーストラリアでは、つまりオーストラリア人の間では、ウソは許されない。
それを知ったのは、それからしばらくしてからのことだった。

●「ヒロシ、オーストラリアへ帰ろう」

 私は三井物産という会社をやめ、ジョンLの家に寝泊りするようになった。
居心地はよくなかった。
めんどうをみなければならない私のほうが、めんどうをみてもらっていた。
が、ジョンLは親切だった。
学生時代のままだった。
私が浜松に住むようになってからも、よく浜松へ来た。
私も東京へ行くたびに、ジョンLの家に泊まった。
彼はいつもこう言った。

 「ヒロシ、オーストラリアへ帰ろう」と。
「この国は、君には合わない」とも。

 が、そのころすでに私は浜松で仕事を始めていた。

●決別

 そのジョンLと決別する日がやってきた。
ジョンLがある日、私を東京へ呼びつけた。
「どうしても会いたいから、すぐ来てほしい」と。

 私が東京へ行くと、彼は自分の症状を訴えた。
私はすぐ彼を、泌尿器科のある医院へ連れて行った。
診断名は、梅毒(VD)だった。

 幸い1回の注射で症状は消え、2、3日もすると、ジョンLは
もとのように元気になった。
が、それからしばらくしてからのこと、ジョンLは、ものすごい剣幕で私に怒鳴った。
「どうして君は、ぼくがVDだったということを、人に話したのだ!」と。

 私には記憶はなかったが、どこかで「ジョンLはVDだ」と
言ってしまったのかもしれない。
それがジョンLの仲間の間で、またたく間に広がってしまった。
とくにジョンLと親しかった、ガールフレンドのサトミに与えたショックは
大きかった。
それが原因で、ジョンLとサトミは別れた。

●浜松で

 以来、ジョンLは、私のもとを去り、一切の音信が途絶えた。
私も浜松に居を構え、東京のジョンLのもとに行くことはなかった。
さみしかったが、それ以上に日々の生活に追われた。

 私はお金になることは、何でもした。
職業を聞かれたときほど、困ったことはない。
8時半から午後2時までは、幼稚園で講師として働いた。
が、それ以外は、真夜中まで働いた。
翻訳、通訳、代筆、テレビ(日テレの11PM、NETのモーニングショー)
の企画などなど。
貿易の顧問もしていた。
テレビ静岡というテレビ局で、英会話の講師もしていた。
ほかに進学塾の講師、家庭教師もしていた。
その間を縫って、毎週のように香港、台北、シンガポールへと飛んでいた。
ブラジルへ宝石の買出しに行ったこともある。
通訳として南米を回ったり、イタリアへ行ったこともある。
まだ20代のはじめのころで、海外旅行が珍しかった時代である。
日本はまだ貧しかった。

 ジョンLのことを、私は忘れた。

●消息

 そのジョンLの話になった。
私とジョンLの関係を、ダニエルKもよく知っていた。
だからたがいに口が重かった。
しかしのどに詰まった石を押し出すように、私は聞いた。
「ジョンLは、どうしている?」と。

 するとダニエルKは、こう言った。
「ヒロシ、ジョンLは、もう死んでいると思うよ」と。

 ときどきジョンLのHPをのぞいていた。
が、2003、4年ごろを境に、HPの更新が止まったままだった。
その最後のHPで、ジョンLが、イギリスまで行き、ロータスの
レーシングカーをまとめて10台買ったという話を書いていた。
1台が1億1000万円だったという。

 ジョンLは、その後、つまりオーストラリアへ戻ってから、
いろいろなビジネスを繰り返し、40歳のはじめころ、一度、全豪一の富豪に
選ばれている。
折からの日豪ブーム。
日本はバブル経済に踊った。
その2つの国の間を行き来しながら、宝石商として成功した。

私「死んだって?」
ダ「そう。彼は学生時代から、体が弱かった」
私「知らなかった……」
ダ「知らないだって? 君は彼の体を見たことがあるだろ?」
私「体って?」
ダ「彼の胸は、大きく内側にくぼんでいた」と。

 私はそれが白人の体型と思っていた。
似たような体型をした友人は、ほかにもいた。
が、ある種の奇形病だった。
そのため肺臓と心臓が、大きく圧迫を受ける。

ダ「それに彼は、たいへんなヘビースモーカーだった」と。

●三男のこと
 
 昨年(2009年)、三男は結婚した。
どこかあわただしい結婚だった。
それもあった。
「とりあえず籍だけは入れる」というような結婚だった。
私とワイフは、「あわてなくてもいいのに」と、何度も言い合った。

 横浜にある横浜国大を、センター試験2位の成績で入学した。
東大の医学部ですら入れた成績である。
「将来は、宇宙船の設計士になる」が、三男の夢だった。
「その講座のある、横浜国大に」と。
それで横浜国大にした。

 が、2年もすると今度は、大学を中退して、パイロットになると
言い出した。
「宮崎にある航空大学に入る」と。

 当時何かのトレンディドラマがあったらしい。
パイロットのドラマだった。
そのこともあって、競争倍率は60倍にはねあがっていた。
私は無理だろうと思っていた。
が、三男はそれに合格した。

●夢

 その三男の話をつづける前に、私は山本Yさんの話をしなければならない。
金沢大学の1年先輩で、同じ合唱団に属していた。
その山本Yさんは、2年が終わると、やはり宮崎の航空大学へ入学している。
そのあとを、私も追うつもりだった。
しかし身長が足りなかった。
眼鏡をかけているのも、まずかった。

 飛行機というのは、外人の身長を基準にして作られている。
身長が足りないと、天井のスイッチに手を触れることもできない。
「175センチ以上」という受験規定も、そのためにあった。

 私はときどき山本Yさんと、文通をした。
その山本Yさんは、航空大学を卒業すると、日本航空(JAL)へ入社した。
(途中で中退し、日本航空の専門課程に進んだのかもしれない。)
今とちがい、1、2年で副機長(コーパイ)に昇格できた。
が、ここで音信は途絶えた。

●山本Yさん

 三男の航空大学への入学が決まると、私は三男にすぐ、山本Yさんと
連絡を取るようにと指示した。
当時山本Yさんは、60歳前。
そのままなら、山本Yさんは、かなりの立場になっているはず。
それにだれよりも、私の息子の入学を喜んでくれるはず。
そう思った。

 しかし三男の返事はいつも同じだった。
「そんな人は、いないよ」
「卒業者名簿にもないよ」と。

 私は「そんなはずはない。さがして連絡を取れ」と何度も言った。

●結婚

 三男は、結局横浜国大に3年、籍を置いた。
3年のとき、オーストラリアのフリンダーズ大学に、1年間、転入。
そのあと日本に戻り、航空大学へ。
そこで2年間過ごしたあと、山本Yさんと同じ、JAL(日本航空)へ入社。
しばらくして、カルフォルニアのNAPAにある訓練学校へ。

 帰国してから、JALの再建騒動に巻き込まれ、パイロットとしての訓練は
中断。
無益に1年を過ごし、今年(2010)に入ってから、訓練再開。
三男は航空大学で事業者用のパイロット免許を取得していた。
そうでないパイロットの卵たちは、そのまま地上勤務、もしくは解雇されていった。
そんな最中、三男は結婚した。
私もワイフも、「早すぎる」と思った。
「給料も足りない状態で、どうやって生活するのだ」と。

●正月

 が、その三男は、最初の正月(2010)を、妻の実家で過ごした。
それはそれでよい。
私はそれを怒っているのでは、ない。
私が怒ったのは、三男がウソをついたこと。
三男は、こう言った。

「来年(2010)の正月には、帰れない。仕事が忙しいから」と。

 で、私は暮れの12月29日に、30日の午前中には届くようにと、牛肉を
送った。
浜松市内の宅配便会社の支社まで、車を走らせた。
「何とか、明日の午前中には届くようにしてほしい」と何度も念を押した。
三男は、「30日は、昼から仕事がある」と言っていた。
「KY子(三男の妻)も、仕事がある」と。

 が、これらはすべてウソだった。
30日から三男は妻の実家に入り、大掃除を手伝いながら、正月の
2日まで、そこで過ごした。
妻も休暇を取り、そこにいた。

 私はそのウソに激怒した。
心臓が痛むほど、激怒した。
が、それが一巡すると、親バカだった自分を恥じた。

●許して忘れる

 『許して忘れる』。
しかしこの言葉は他人に対しては有効でも、自分に対しては通用しない。
私は自分を許すことができなかった。
もがいた。
苦しんだ。

 が、それも一巡すると……、と言っても、それには6か月以上もかかったが、
三男のことは忘れることにした。
身のまわりから、三男を思い出させるものを消した。
少しずつだったが、1、2か月もすると、すべて消えた。
加えて言うなら、私もワイフも、正月以来、一度も空を見あげたことはない。
飛行機の話もしたことがない。

 それに不安との闘いもあった。
最後に、三男の妻の母親と電話で話したとき、母親はこう言った。
私が「パイロットは危険な仕事ですから」と言ったときのこと。
母親は平然と、こう言った。
「だれかがしなければならない仕事でしょう!」と。

 たしかにそうかもしれない。
しかしもしそれが自分の息子だったら、そんなことを言うだろうか。
戦場に向かった兵士の親なら、そんなことは言わない。

やがてわかったことだが、先に書いた山本Yさんは、日本航空へ入社した
あと、2年目に、ニューデリー沖の墜落事故で死亡している。
そのとき山本Yさんは、副機長だったという。

●心の傷

 どこかで飛行機事故のニュースが入るたびに、私はそのつど
ドキッとする。
先にも書いたように、戦場へ息子を送り込んだ、父親のようなもの。
どこもちがわない。
こういう状況のもとでは、……というか、私自身も直接航空機事故を経験している。
そのときのトラウマは今も残っている。
飛行機恐怖症というか、飛行機に乗ることはできるが、先方でひどい不眠症に
なってしまう。

 そういう私自身の心の傷とも闘わなければならない。

●自己嫌悪

 私はジョンLが私から去って以来、ウソをつくのをやめた。
ウソに対して、はげしい自己嫌悪を覚えるようになった。
他人のウソに対しても、そうだった。

性格的には、私は子どものころから、ウソつきだった。
その場をとりつくろうため、平気でウソをついた。
そういう「私」が、今となってみると、どっと私の心を重くふさぐ。

 だから三男がウソをついたのを知ったとき、よけいに三男を許せなかった。
自分が生来的にもつ醜さを、見せつけられた。
そんな思いもあった。
と、同時に、私は三男を心の中から消した。

●手紙

 その三男から昨日、手紙が届いた。
その数日前、副機長(コーパイ)昇格テストに合格したこと。
10月xx日に、羽田―那覇間で、初飛行をすること。
併せて、正月に実家へ行かなかったことを許してほしいなどというようなことが、
書いてあった。

 が、繰り返すが、私は、正月に来なかったことを怒っているのではない。
ウソをついたことを怒っている。
その結果、私は正月の3日間、心臓の鼓動がおかしくなるほど、胸を痛めた。
それについてのハガキを書いたが、返事はなかった。
以来、10か月。

●「知らせないでほしい」

 が、私は迷わず、その手紙を一気に読み終えると、航空券の予約をした。
10月xx日、羽田―那覇、10月xx日、那覇―羽田。

 それを横で見ながら、ワイフがこう言った。
「EI(三男)には知らせるの?」と。

 が、私はこう言った。
「知らせないでほしい」と。

 私がその飛行機に乗るのは、三男のためではない。
三男の初飛行を祝うためでもない。
若いころから追いかけてきた、私自身の夢を実現するため。
山本Yさんと、夜遅くまで話し込んだ、あのときの私の夢を実現するため。
三男のことは、もう忘れた。……忘れたい。

 飛行機の中で、三男に会えなくても、私は構わない。
たぶん、三男も忙しいだろう。
三男を許すか、許さないかということになれば、とっくの昔に許している。
惜しみなく学費を注ぎ込んだ。
三男のためというよりは、自分のためだったかもしれない。
自分の夢を果たすために、そうした。
今となってみると、それがよくわかる。
そういう親バカだった、自分が許せない。

 残っているのは仕事。
死ぬまで、仕事。

●秘密

 その夜、私は山荘へやってきた。
ワイフと会話をした。

私「あのなあ、お前にひとつだけ、話してないことがある」
ワ「何?」
私「実は、一生、だれにも話さないでおこうと思っていたことだ」
ワ「……?」と。

 私はジョンLの顔を思い浮かべていた。
長髪で、はにかんだ表情で、私のほうを見上げている顔だった。
いつも手製の紙巻タバコを吸っていた。

私「実は……ぼくね、ジョンLに長い手紙を書いたことがある。
もう20年以上も前のことだ。
ぼくが悪かったこと。
ぼくが友情を裏切ったこと。
日々につらい思いでいること。
そしてできるなら許してほしいということ。
そういったことを手紙に書いた」

ワ「……返事は来たの?」
私「……何もこなかった」
ワ「ジョンに届いたの?」
私「届いたはずだ。住所は知っていた」
ワ「ジョンは、あなたを許してくれなかったのね」
私「……うん」と。

●人来たりてまた去る

 かつてフランスの詩人、ジャン・ダルジーは、こう書いた。

『……人、来たりて、また去る。
人、来たりて、また去る。
かくして、私の、あなたの、彼の、彼女の、そして彼らの
人生が流れる。
あたかも何ごともなかったかのように……』と。

●息子のEIへ

 ぼくはもうお前のことは忘れた。
忘れたというより、怒っていない。
冷たい親と思うかもしれない。
しかしそうでもしなければ、この先、飛行機事故のニュースが飛び込んで
くるたびに、ハラハラしなければならない。

ぼくのことはともかくも、晃子(=ワイフ)の気持ちを少しは考えてやって
ほしかった。
どんなにさみしい思いをしていたことか。
向こうの母親と笑いながら並んで立っている写真を見て、喜ぶはずがないだろ。
晃子だって、ふつうの人間だよ。

 それにぼくには「だれかがしなければならない仕事」と割り切ることはできない。
加えてこの10か月は、あまりも長すぎた。
お前の気持ちもよくわかるが、もう以前のように、ぼくは心を溶かすことはできない。
もうしばらく、そっとしておいてほしい。

 しかし覚えているかな。
一度、お前にこう言ったことを。

 いつか、お前も国際線のパイロットになって、インドのニューデリーへ
飛ぶこともあるだろう。
そのとき、もしぼくの話を覚えていてくれるなら、その空港では、
最高の着陸をしてみてほしい。
最高の着陸だ。
お前がいつか言ったように、機体に風を感じながら、音もなく着陸する。
逆噴射の音が止まったとき、飛行機はそこに静かに停止する。

 あの事故では、副機長の山本Yさんが、操縦桿を握っていたという。
その無念さを思うにつけ、その仇(かたき)をお前に取ってほしい。
これがぼくの、お前に託した最後の夢ということになる。

 よろしくね。
元気でね。
ぼくの子どものころからの夢をかなえてくれてありがとう。
さようなら。

 パパ、浩司より。

(追記)なおこの手紙は、BLOGには載せるけど、お前には送らない。
いつか、(そんな日は来ないと思うけど)、どこかで目にとまれば、それでいい。
ではね!


Hiroshi Hayashi+++++++OCT. 2010++++++はやし浩司・林浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 11月 8日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page006.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幼児(5、6歳児)に「負」の数を教えることができるか?】Oct 2010

BW実験教室よりの報告byはやし浩司 Hiroshi Hayashi @ BW Children's Club 
Hamamatsu Japan


+++++++++++++++++++++

幼児に正負の数の概念を教えることができるか。
幼児は負の数の概念を理解できるか。
それを実験的に指導してみました。
で、結果は……
前回の「分数の指導」と同じく、大成功!、でした。

(「早取り教育では?」と疑われる方も多いかもしれません。
しかしけっして早取り教育ではありません。
ビデオを観ていただければ、それがわかるはずです。
むしろ逆で、現在の固定化した幼児教育観のほうが、
おかしいのではないでしょうか。
幼児のもつ可能性をつぶしてしまうことにもなりません。
そんなこともこのビデオを観て、わかっていただければ、
うれしいです。)

幼児は決して幼稚ではありません。
幼児だから、脳の構造も幼稚と考えるのはまちがっています。
大切なのは、どう教えるか、(能力を引き出すか)、ですね。
このビデオを(1)から(4)まで、順に観てください。
みなさんがもっている幼児に対する見方が、変わると確信しています。

なお時間の関係で、途中からやや荒っぽいレッスンになりました。
あと10〜20分、時間があれば、(−5)+(+3)の計算も
できるようになったはずです。

はやし浩司
BW教室、浜松

詳しくは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より(公開教室)→(2010度版)→(10月号)へとお進みください。
楽しいですよ!
子どもたちの生き生きとした学習風景を、お楽しみください。

【html版】

(1)
http://www.youtube.com/watch?v=ZcSkLPtYxQs
(2)
http://www.youtube.com/watch?v=cEJJly0siMQ
(3)
http://www.youtube.com/watch?v=BGMloiLGVz4
(4)
http://www.youtube.com/watch?v=SFXGUaKgDbg

++++++++++++++++++++++

【幼児に負の数を教える】

(1)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/ZcSkLPtYxQs?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/ZcSkLPtYxQs?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

(2)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/cEJJly0siMQ?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/cEJJly0siMQ?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

(3)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/BGMloiLGVz4?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/BGMloiLGVz4?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


(4)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/SFXGUaKgDbg?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/SFXGUaKgDbg?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児と負の数 正負の数の指導 幼児に負の数の概念が理解できるか 
負の数の概念 指導法 幼児教育 負の数の指導法)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日中経済戦争】(2010ー10−11)「顔のない国、日本!」

●武士道について

++++++++++++++++++++

中国側が、上海万博について日本側の訪問団の
受け入れを申し出てきたという。
TBSーiNEWSは、以下のように伝える。

++++++++++++++++以下、TBSーiNEWS++++++++++++++


 尖閣諸島沖の漁船衝突事件を受けて延期されていた日本の若者1000人による上海万
博の訪問が、今月27日から4日間の日程で行われることになりました。日中友好会館に
よりますと、中国政府から外務省に改めて招待の通知があったということです。

 この訪問団は、今年春に日本を訪れた温家宝首相の提案による交流事業の一環です。当
初は、先月21日から行われる予定でしたが、直前になって中国側の受け入れ団体が延期
を通告していました。(2010年10月11日02:42)

++++++++++++++++以上、TBSーiNEWS++++++++++++++


●私なら、行かない!

 相手側の傲慢な手法で、一度は取りやめになった旅行が、今度は一転、「OK」と。
それに対して日本側は、「月27日から4日間の日程で行われることになりました」と。

 個人の立場で考えてみよう。
もしあなたが相手先の都合で、このような形で振り回されたら、あなたはそれに応ずる
だろうか。
延期されたときも、何も抗議しない。
「おいで」とやさしく声をかけられたとたん、のこのこと(おめおめと)出かけていく。
このふがいなさ。
だらしなさ。
万事事なかれ主義。
尖閣諸島問題は、何も解決していない。
していないばかりか、中国国内では、「日本の巡視船が漁船に体当たりをしてきた」と、
さかんに宣伝されている。

++++++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++

 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、海上保安庁が撮影したビデオ映像の公開を日
本政府が先延ばし続けるなか、中国国営通信社や共産党系のインターネットサイトで、海
保の巡視船側が中国漁船に衝突したとする図などが掲載されている実態が10日、明らか
になった。日中首脳会談が4日に行われたにもかかわらず、中国当局も放任を続けており、
中国政府の一方的な主張が"既成事実化"する恐れも強まっている。(原川貴郎)

 中国共産党機関紙、人民日報傘下の国際情報紙「環球時報」は、衝突事件の"実態"に
ついて、日本の巡視船の方から中国漁船に衝突したとする説明図を掲載してきた。中国政
府の「日本の巡視船は中国の領海で中国漁船を囲み、追いかけ、行く手を遮り、衝突して
損傷させた」(姜瑜・中国外務省報道官)との主張に沿ったものだ。

+++++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++

 これに対して日本政府は、「これ以上日中関係を悪化させないため」という理由を
並べて、ビデオ映像の公開を中止した。
あえて「事実」を封印した。

 この正義の不在こそが、日本外交の特徴。
「自分」というものが、どこにもない。
経済第一主義というか、金(マネー)のためなら、平気で正義をかなぐり捨てる。
このふがいなさ。
だらしなさ。
万事、事なかれ主義。
だからこそ、世界中からバカにされる。
これでまた日本の外交能力は、一歩、退いた。
この先、日本がいくらもっともらしいことを主張したとしても、ますますだれにも相手に
されなくなるだろう。


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司・林 浩司

●「13人の刺客」(十三人の刺客)

++++++++++++++++

数日前、「13人の刺客」という邦画を観てきた。
星は2つの、★★と評価した。
前宣伝がすごかっただけに、かなり期待していたが、
がっかり。

それから数日。
いろいろ考える。

まず第一。
江戸時代の末期とはいえ、(末期であるからなおさらかも?)、命がけでクーデターを
しかける武士(役人)は、本当にいたのか?
もちろん「13人の刺客」は、フィクション。
原作は小説。
いくら相手が暴君でも、殿は殿。
命をかけるには、それ相当の背景と覚悟が必要。
その部分のプロセス描写が、甘い(?)。

たとえばドキッとするシーンは、いくつかあった。

(1)四肢を切り取られた若い女性が、突然、素っ裸で座敷に現われる。
(2)村の一部で、1人の少年が立ち小便をする。
(3)切り落とされた殿の頸が、ゴロゴロところがって、便座に横に並ぶ。
(4)若い山師が、4人、5人と村の女を抱く、など。

ほかにも1人の侍が、道場で太刀さばきをして見せる。
見事なシーンだったが、どこか取ってつけたようなシーン。
つまり全体として、どこかチグハグ。
役者の演技は、どれも見事だった。
チャンバラ映画については、ハリウッド映画でも太刀打ちできない。
(例外として、トム・クルーズが主演した、『SAMURAI』は、星5つ。)

改めて、武士道なるものについて、考える。

+++++++++++++++++++++

ちょうど1年前(2009)に書いた原稿を
ここに載せます。

+++++++++++++++++++++

●死の美学と隷属意識

 武士道の根幹は、死の美学と隷属意識。

++++++++++++++++++++

●武士道(1)

+++++++++++++++++++++++

けっして、死を美化してはいけない。
生を美化することはあっても、死を美化してはいけない。
私たちは、まず、生きることを考える。
生きて生きて、生き抜く。
死はその結果としてやってくるかもしれないが、
そのときは、そのとき。
死の向こうには、何もない。
そこは太虚の世界。
だから、死を美化してはいけない。

武士道を一言で言えば、その底流にあるのは、
死の美学ということになる。
武士の象徴が、「刀」にあるとするなら、その
刀は、人を殺すためのもの。
この原点を踏み外して、武士を論じてはならない。
武士道を論じてはならない。

新渡戸稲造は、「武士道」の中で、あの赤穂浪士を、
最大限の言葉を使って、称賛している(「武士道の世界」
イースト・プレス)。

「義士と呼ばれるこの正直な率直な男子たちの徳は、
宝石のように光り輝き、人々のもっとも高く、褒め
讃えたものだったのである」と。

+++++++++++++++++++++

●真の勇者(?)

 新渡戸稲造は、真の勇者について、こうも書いている。

「戦いに臨んで討ち死にすることは、難しいことではない。
それはどのような野人でもできることである。
しかし生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬることこそ、真の勇者なのである」(同
書、P18)と。

 私は一度は、新渡戸稲造の「武士道」を一度は読破しなければならないと、思ってきた。
しかしその機会はなかった。
(20年ほど前、一度、目を通した記憶はあるが……。)
断片的な知識はたくさんもっている。
しかしそれらは、断片的なものでしかない。

 で、今度、コンビニで、イースト・プレス発刊の「武士道の世界」という本を買ってみ
た。
サブタイトルに、「誇るべき日本の原点」とあることからもわかるように、この本は、武士
道を礼賛する内容の本である。

そういう本を使って、私なりに武士道のもつ矛盾を指摘するのは気が引ける。
しかし礼賛する本であるがゆえに、私の脳みそに与える刺激も大きい。
1ページ読むごとに、脳の中で、バチバチと神経細胞が火花を飛ばすのを感じた。
が、この本ほど、「死」「自害」「討ち死に」「戦」という言葉が並ぶのも、そうは多くない。

 「武士道の真髄」(P181)というところを紹介する。
「真髄」とあることからもわかるように、武士道の根幹を説明したものである。

+++++++++++++++++++

『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり(葉隠)。

 このあまりにも衝撃的で有名な言葉は、山本常朝が口述し、田代陣基が筆記、編纂した
『葉隠』の冒頭に記された、武士道の真髄を表すものだ。
 主君のためならいつでも自分の命を捧げることができるのが、本当の武士であるという
心得を説いている。

 「武士は生と死、どちらかを選ぶ場合、必ず死を選ばなければならない」のである。
 「生き恥をさらす」と言われるように、この時代の武士道精神においては、戦に勝てな
いときは、死ぬことで忠義を果たさなければならないと考えられていた。

 しかしこの言葉には、さらに深い意味がこめられている。
生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間に、自由な自然体に到達し、その武士は本分を全
うするために生き抜くことができるという、悟りの境地を示した教えだと言えるだろう』
と。

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●命を捧げる

 この部分を読んだとき、まっさきに頭に浮かんだのが、K国の金xx。
あの独裁者。
金xxが読んだら、涙を流して喜ぶにちがいない。
あの国では、幼稚園の子どもですら、「金xx将軍様を、命をかけて守ります」と連呼して
いる。
おとなたちは、「死守」という言葉を使っている。

 それはさておき、「主君のためならいつでも自分の命を捧げることができるのが、本当の
武士である」という部分だけでも、バカげている。
もしあなたがまともな思考力をもっている人なら、あなたもそう感ずるだろう。

 主義や理想、正義や真理のためなら、命をかけることはある。
しかし「命をかける」イコール、「命を捧げる」ではない。
いわんや、相手が、人間である、「主君」?
こういう思想を、私の世界では、「隷属思想」という。

●主君の主君は?

 学生のころ、友人と、こんな議論をしたことがある。
 「主君に主君がいたら、そのばあいは、どちらに命を捧げるのか」と。

 つまりあなたの仕える主君が、あなたの住む領地を治める領主だったとする。
当然、その領主には、彼が主君とあがめる、藩主がいる。
藩主の上には、将軍がいる。

 こういうばあい、あなたという家来は、藩主や将軍に命を捧げる必要はない。
何かを命じられても、それに従う必要もない。
あなたの主君は、あくまでも領主。
領主の命令だけを聞き、その領主のために、命を捧げる。

 もう少し話をわかりやすくするために、会社組織で考えてみよう。

 あなたが営業課の係長だったとする。
あなたの直接の上司は、営業課の課長。
そんなある日、営業課が入っている制作部の部長から、直接、あなたに命令が届いた。
つまり課長の頭を通り越して、あなたに命令が届いた。

 こういうケースのばあい、あなたはその部長の命令に従う義務があるのか。
それともないのか。

 会社によって組織の運営方法が異なるので、「従わなければならない」という会社もあれ
ば、「従わなくてもいい」という会社もある。
しかしこと武士の世界では、主君というのは、先のケースでは、あくまでも領主というこ
とになる。

藩主や、将軍の命令に従う必要はない。
命を捧げる必要もない。

 これが学生時代に、私たちが知った結論である。
そのヒントを与えてくれたのが、ヤクザの世界である。
当時、(今でもそうだが……)、ヤクザの世界には、武士道の精神が、そのまま残っていた。
ヤクザの世界では、直接上にいる兄貴分が、武士の世界でいう主君ということになる。

●主従関係

 もっとも、封建時代の昔ならいざ知らず、「主君に命を捧げる」という発想は、今は、な
い。
主従関係も、西洋の契約説によって決まる。
わかりやすく言えば、「金の切れ目が縁の切れ目」。
給料がもらえなくなったら、そこで主従関係は、消滅する。

 人それぞれだが、私なら、断る。
どう考えても、主君のために命を捧げるという発想そのものが、バカげている。
つまりこんなところにも、武士道が説く、(死の美学)が見え隠れする。

 繰り返すが、死を美化してはいけない。
その延長線上に、戦争がある。
その一歩手前に、特攻隊があり、自爆テロがある。
私たちは死ぬために生きているのではない。
生きるために生きている。

 この本の著者は、「生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間に、自由な自然体に到達し、
その武士は本分を全うするために生き抜くことができるという、悟りの境地を示した教え
だと言えるだろう」と書いている。

 それにしても、「生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間……悟りの境地に達する」と
は?
いつの間にか、仏教の教えが、そのまま武士道の精神にすり替えられてしまっている?

●武士の作法

 戦国時代はともかくも、以後、日本は300年という長い年月の間、太平天国の時代を
迎える。
その間に、武士道も、当初の戦闘を目的としたものから、権威づけのための作法の「道」
として変質する。
作法に始まって、作法に終わる。
それが武士道の柱と考えてよい。
いくつかを拾ってみる。

(1)鞘(さや)当て……武士の世界で、刀と刀の鞘が当たることは、何にもまして「無
礼極まりないこと」だったそうだ。
だから武士どうしは、廊下を歩くときも、左側通行が作法と決められていた。

(2)手はぶら下げて歩く……いつでも刀を抜けるように、手荷物も持たないし、傘もさ
さない。

(3)妻は後ろを歩かせる……妻と並んで歩くなど、軟弱者の証。
   襲撃から守るという意味もある。(以上、同書)。 

 こうした作法が、ズラズラと、それこそ無数にある。
武士の刀をまたいだだけで、切捨て御免になった人も多いという。
また女性は、武士の刀に、直接手を触れることさえできなかったという。
しかしなぜ、「刀」なのか?

●武士と刀

 武士の人口は、江戸時代においては、5%前後と言われている※。
しかしこの数字には、武士の家族も含まれているため、実際には、刀を差していた武士は、
全人口の1〜2%以下だったと推計される。
残りの95%のほとんどが、農民であった。
その1〜2%が、為政者として、好き勝手なことをした。
その好き勝手なことをする象徴として、「刀」があった。
武士が刀に執着する理由は、ここにある。

 私はこんな話を、直接、その女性から聞いている。

 私が住んでいる山荘のある村は、400年以上もの歴史のある、由緒ある村である。
その山荘の隣人に、10年ほど前、88歳で亡くなった女性がいる。
いわく、「明治時代に入ってからも、士族の人たちは、このあたりでは刀を差して歩いてい
た」と。

 「刀の鞘どうしがカチャカチャと当たる音が、遠くから聞こえてくると、みな、道路の
脇に寄って、正座し、頭をさげた」と。

 言うなれば、95%の日本人が、5%の武士を支えるために、犠牲になっていた。
そういう世界が、いかにおかしな世界であるかは、あなた自身を、その農民の立場に置い
てみればわかる※。
あなた自身の先祖も、その農民であったはず。
(私の先祖も、農民だった。)

 一生、土地にしばられ、職業選択の自由もなかった。
当時生きていた人たちもまた、私やあなたと同じ人間であった。
犬や猿とは、ちがう。

そういう人たちを原点に考えるなら、「何が武士道か?」ということになる。
さらに言えば、この武士道が、やがてあの戦陣訓へとつながっていく。
それについては、前にも書いた。

 もちろん歴史は歴史だから、それなりの評価は必要である。
しかしそれがもつ(ネガティブな側面)に目を閉じたまま、一方的に武士道なるものを礼
賛することは、危険なことでもある。
どうして武士道が、「誇るべき日本人の原点」(本のタイトル)なのか?

 今、武士道を、教育の柱にしようとする動きが活発になっている。
またその種の本が、100万部単位で売れている。
これを民主主義の後退と言わずして、何と言う?
忘れてならないのは、新渡戸稲造が活躍した時代と、同じ時期に、福沢諭吉がいたという
こと。
福沢諭吉らは、やがて明六社に合流し、日本の封建主義を清算しようとした。

 私は、福沢諭吉らのしたことのほうが、正道だと思のだが……。
それに「原点」とは何か?
何も原点にこだわる必要もない。
原点が正しいわけでもない。
大切なことは、おかしな復古主義にとらわれないこと。
私たちはいつも新しい原点を求めて、前に進む。

 ……と、少し頭が熱くなったので、この話は、ここまで。
なお本書(「武士道の世界」)は、つぎのように結んでいる。
 『おわりに……そんな現代であるからこそ、日本人としての精神的意識が必要なのであ
る。

不道徳な世相を嘆いていても何も始まらない。
世界に通じる精神体系・武士道を心に携え、今こそ日本人としてのアイデンティティを世
界に発信してほしい』と。

(※注1)明治6年1月調べ・・・旧武士数は平民の16分の1にして総数408,823戸、
1,852,445人であった。幕末においてもこの数字と大差なかったものと考えられる。人口構
成は概数的に6.25%である。(土屋喬雄「幕末武士の階級的本質」)
 どの藩も武士の数は軍事機密になっていた。したがって、今となってはその人口は、推
計する以外にない(筆者注)。

(※注2) 徒士といえども、家老に対しては下駄を脱がざるをえなかったのが実情で、
城下において百姓町人は、足軽以上に出会えばまず平伏・土下座など屈辱的敬礼を強いら
れた。どの階層に属するか、着衣や服装で判断できる社会の仕組みになっていた。(「社会
構造と現代社会HP」より)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 武士道 武士の作法 武士道精神 武士の数 葉隠 忠臣蔵 新渡戸
稲造の「武士道」)

●真の勇者

 繰り返す。
新渡戸稲造は、真の勇者について、こう書いている。

「戦いに臨んで討ち死にすることは、難しいことではない。
それはどのような野人でもできることである。
しかし生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬることこそ、真の勇者なのである」と。

 生きるべきときに生きるのは当然であるとしても、「死ぬべきときに死ぬ」とは?
この思想が、後の、『戦時訓』につながっていった。

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戦陣訓について書いた原稿です。
(2009年3月記)

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●文明の衝突(2)

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少し前、「文明の衝突」について、書いた。
それを読みなおす。
読みなおして、それをワイフに話す。
(090412)

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●日本vsアジア

「黄色い白人」と呼ばれて、一時、日本人が得意になったことがあった。
日本が高度成長の波に乗り、破竹の進撃をつづけていたときのことである。
事実、当時、日本で、「自分はアジア人」と思っている子どもはいなかった。
「ぼくはアジア人ではない。日本人だ」と。
それについては、先の原稿に書いたとおりである。

しかし私たちは今も昔も、立派なアジア人である。
容姿、顔つき、肌の色、すべてが、立派なアジア人である。
むしろ日本人のほうが、骨相学的には、貧相と言われている。
島国で、長い間、鎖国をつづけ、「血の交流」をしなかったためと考えてよい。

で、昔、こんなことがあった。
私がオーストラリアで学生生活を送っていたときのことである。
中国からの留学生が何人かいた席で、だれかが私にこう言った。
「ヒロシ、君たちは中国人に、どんなイメージをもっているか。
それを絵に描いてみてほしい」と。

で、私は、目が釣りあがり、歯が飛び出た中国人を描いてみせた。
当時、新聞など出てくる中国人は、みな、そのような顔をしていた。
が、それを見て、みなが、ドッと笑った。
「ヒロシ、それは日本人の顔だよ」と。

●異種文明

こうした文明のちがいを克服するためには、どうしたらよいのか。
あるいはどうして文明の対立が起きるのか。
異種文明にも距離感がある。

(1) 隣接文明(隣接している文明)
(2) 非隣接文明(隣接していない文明)

先の原稿の中で書いたように、ドイツ人のロシア嫌いには定評(?)がある。
「どうしてそんなにも嫌うのか?」と思うほど、嫌う。
同じように、中国人の日本嫌いにも、定評(?)がある。
「どうしてそんなにも嫌うのか?」と思うほど、嫌う。

それには先の侵略戦争が大きく影響している。
が、それだけではないようだ。
「文明の衝突論」を当てはめてみると、それがうまく説明できる。
中国は、儒教文明圏に属する。
一方、この日本は、儒教文明圏に身を置きながら、西洋文明圏に属する。
つまりそこで「文明の衝突」が起きている。

が、日本とロシア、さらに日本とイラク、イランとの対立は生まれない。
(一部、日本とロシアは、対立しているが……。)
ロシアは、スラブ文明圏に属する。
イラク、イランは、アラブ文明圏属する。
なぜか。
それが「文明の距離」ということになる。

わかりやす言えば、文明の衝突は、それぞれの文明が接したところで起こる。
離れたところでは起きない。
たとえば今度は、スラブ文明とアラブ文明については、それぞれが接している。
だからたがいに仲が悪い。
アラブ人のロシア嫌いにも、これまた定評(?)がある。

非隣接文明についていえば、それは(情報)でしかない。
たとえば私たちがアラブ文明に触れたとき、それは(もの珍しさ)でしかない。
そのため文明の衝突は起きない。

●融和

問題はどうやって、隣接文明と融和していくかということ。
国と国の対立は、それぞれの国同士という(単体)の話しあいで解決できる。
しかし文明の対立となると、そうはいかない。

たとえば日本は、自らを西欧文明の中に身を置き、儒教文明と鋭く対立している。
日本は、儒教文明圏に属しながら、その一方で、自らを西欧文明圏に置いている。
この対立構造が、日本を現在の今、孤立させている。

このことは、相手の立場で考えてみると、よくわかる。
一度、ペキン(北京)という、中国の首都に、視点を置いてみるとよい。
日本は、はるか東の海上。
中国から見れば、大陸の端にへばりついているように見える。
それはたとえて言うなら、東京から、佐渡島を見るようなものではないか。

その日本が、ひとり、「私たちは西洋人」と主張している。
それから生まれる違和感というか、(滑稽さ)には、相当なものがある。
中国人が、日本を受け入れない本当の理由は、そんなところにもある(?)。

では、どうするか?

●儒教文明

最初に書いておきたい。
「儒教文明の再構築」といっても、復古主義的なものであってはいけない。
それについては、あとで「情報革命」のところで書く。
私たちはアジア人であることを再確認する。
それが儒教文明の再構築ということになる。

現在の今、私たちがこうして漢字を使っていること自体、その証拠ということになる。
中に「平仮名やカタカナは、日本人すばらしい発明」と書いている人がいる。
しかしそれはどうか?
平仮名にせよ、カタカナにせよ、漢字の簡略版にすぎない。
略字にすぎない。
「発明」などという大げさなものではなく、一バリエーションに過ぎない。
漢字で、「波也此」と書くより、「はやし」と書いたほうが楽に決まっている。
当時の人たちなら、だれしもそう考えただろう。

つまりこと日本人に関して言えば、私たちは、中国文明圏に属している。
まずそれを率直に認めること。
(だからといって、中国に隷属せよと、そういうことを書いているのではない。
誤解のないように!)

●日本史論

ついでに日本史論。
これについては、すでにたびたび書いてきた。
つまり日本では、日本史を東洋史と切り離して教える。
「日本は日本、東洋とは一線を画す」という思想が、その底流にある。
しかしこれがいかに偏狭なものであるかは、アジアの諸国をながめてみれば、わかる。
韓国を例に出すまでもない。

ほかに若いころ、タイへ行ったときにも、それを感じた。
タイという国は、そういう意味では奇異な国と考えてよい。
私たち日本人から見ると、同じ東南アジア諸国の一員ということになる。
しかし彼らは、そうは思っていない。
タイの人たちは、自分たちの歴史を、東南アジア全体から切り離して考えている。

日本史を東洋史と切り離してしまったところに、日本の歴史の悲劇性が潜む。
少し前も、ニセ石器に踊らされ、歴史の本そのものを書き換えてしまったことがある。
そのとき韓国の人たちは、こう言って笑った。
「日本に、韓国(中国)より古い歴史があるわけがない」と。

しかし日本史を東洋史の中に置いてみると、歴史観が一変する。
あの縄文時代にしても、弥生時代にしても、中国からの渡来民が深く関係している。
戦乱を逃れて、多くの民が、中国大陸から流れてやってきた。
そういう人たちが、大陸の文化を、日本に伝えた。

さらに天皇家のルーツにしても、そうだ。
少なくとも隣の韓国では、天皇家の祖先は、朝鮮からの騎馬民族ということになっている。
日本の天皇ですら、「ゆかり」という言葉を使って、それを臭わせたこともある。
しかし日本史を東洋史と切り離している間は、日本はいつまでも日本のまま。
日本が東洋と融和することは、ありえない。

●情報革命

が、悲観的なことばかり言っていてはいけない。
ここで人類は、第二の産業革命とも言える「武器」を手にした。
「情報革命」という武器である。

以前、恩師の田丸先生がこう話してくれたことがある。
「情報革命が進めば、国はなくなりますよ」と。

具体的にはこうだ。
「年々、向こうの若者たちが日本の若者と区別できなくなってきた」と。
「姿、容姿、着ている服装など、「区別ができない」と。
つまりそういう形で、国と国は融合し、やがて文明の対立も解消される、と。
言い換えると、いかにこの情報革命を利用するかという問題に行き着く。

昔は、隣町どうしが、言い争った。
それが県どうしになった。
それが国
さらに文明。

情報革命は、その間を融和させる。
言葉の問題もあるにはある。
しかしたった10年前と比較しただけでも、その進歩にはめざましいものがある。
たとえば私が発行しているHPにしても、外国の人たちが読んでいる。
その中には「米軍」というのもある。
まだ10%程度だが、「10%にしても、すごい!」。

情報革命が進めば進むほど、国どうしの垣根も低くなる。
文明の衝突も、起きにくくなる。
その例が、あのEUである。
ほんの65年前にははげしい戦争を繰りかえしていた。
が、今は、ひとつの国になった!

●文明の衝突

私たちが警戒しなければならないのは、偏狂な民族主義。
その台頭。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき、日本人のアイデンテティ」と説く。
しかし今、どうしてこの日本で、武士道なのか?
仮にそれが「道」であったとしても、それは武士の世界での話。
しかも武士の本質は、軍人。
軍人で悪いなら、官僚。
あるいは警察、役人、特権階級。
何でもよいが、ともかくも支配階級。

私たちの先祖の94、5%は、農民であり、わずかな数の商人、工人であった。
それを忘れて、「武士道」とは?
あの江戸時代にしても、世界でも類を見ないほどの暗黒政治の時代であった。
さらに戦陣訓を例にあげるまでもなく、一方的に礼讃するのはどうか?
「生きて虜囚の……」とかいう、あの戦陣訓は、武士道の精神を拝借している。
そのため、どれだけ多くの日本人が犠牲になったことか!
「負の遺産」に目を当てることもなく、武士道を礼讃するのは、危険なことでもある。

つまり私たちが偏狭な民族主義にこだわればこだわるほど、互いの文明の溝を深くする。
あのアインシュタイン博士も、田丸先生への手紙の中で、「exaggerated nationalism」
という言葉を使って、強く戒めている。
「exaggerated nationalism」、つまり「誇張されたナショナリズム」=「偏狭な
民族主義」ということになる。

●過去から学ぶ

こう書いたからといって、どうか、誤解しないでほしい。
私は何も日本の歴史を否定しているのではない。
歴史は歴史として、当然、評価されなければならない。
しかしここにも書いたように、その「負の遺産」に目をくれることもなく、あの封建時代
を一方的に、美化してはいけない。

もっと言えば、悲しいかな、私たち日本人は、かつてただの一度も、あの封建時代を
清算していない。
たとえば「明治維新」にしても、英語では、「Meiji Restoration」と翻訳されている。
英語で、「レストレーション」というと、「王政復古」をいう。
革命でも、何でもない。
つまり「王政復古」である。
そういうものをもって、日本は近代化の道を歩み始めたとか、さらには江戸時代を清算
したなどとは、思ってはいけない。

清算していないばかりか、ここにも書いたように、むしろ、それを美化している。
この静岡県でも、徳川家康の出身地ということもあるが、徳川家康について悪く書くのは、
いわばタブー視されている。
この静岡県では、敬愛の念をこめて、「家康公」と呼ぶ。

が、こういう姿勢では、私たちは過去から何も学ぶことはできない。
できないばかりか、へたをすれば同じような歴史を繰り返すことになる。
今の今も、国盗り物語よろしく、政治を、己の出世欲を満たすための道具として
利用している人は、いくらでもいる。

●過渡期

話を戻す。
平等という言葉がある。
しかし「平等」というのは、たがいに高い次元で、認めあうことをいう。
民族の融和にしても、さらには文明の融和にしても、その平等感覚がなければならない。

「わが民族は優秀である」と思うのはその人の勝手だが、だからといって、相手に
向って、「あなたがた民族は劣っている」と思ってはいけない。
民族には上下はないし、今はもう民族をうんぬんする時代ではない。
むしろ問題なのは、その上の段階の「文明意識」ということになる。

もう一度、私が書いた、段階論を見てほしい。

家族意識(先祖意識)
    ↓
 同郷意識
    ↓
 同国意識
    ↓
 民族意識
    ↓
 文明意識(無意識)
    ↓
 人間意識(無意識)
    ↓
 生命意識(無意識)

つまり今は、(民族意識)から、(文明意識)への過渡期ということになる。
さらに進めば、(人間意識)→(生命意識)となるが、それはさておき、
この段階あたりで、ウロウロしている。
それがこの極東アジアでも、もろもろの紛争の火種となっている。

●では、どうするか?

言うまでもなく大切なことは、文明の融和である。
そのために第一に、情報の交換をする。

その国の内部の人たちは、外の世界を知る。
外の世界の人たちは、その国の内部を知る。
これを頻繁に、行う。

これができれば文明の融和はできる。
できなければ、できない。
ひとつの例として、あのK国を見ればよい。
今のこの時代にあって、情報を遮断している。
国外に向けてもすらも、ニセ情報を流す。
国内に向けてもすらも、ニセ情報を流す。
その結果、アインシュタインの言った、「exaggerated nationalism」だけが、
異常なまでに肥大化してしまった。

もうおわかりのことと思うが、私たちは、その逆のことをすればよい。
私たちは自分の考えていることを、外の世界に向って、どんどんと発信していく。
と、同時に、外の世界の情報を、どんどんと取り込んでいく。
その結果として、私たちは人間のレベルを、つぎのステージにもちあげることができる。

最後に、よく「インターネットは、第二の産業革命」と言われる。
それが最終的に評価されるのは、もう少し時代を経てからになるが、私はそう断言して
よいほど、インターネットには、秘められた力がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
民族意識 文明意識 民族主義からの脱却 インターネット 文明の衝突 誇張された
民族主義 はやし浩司 文明論 民族論)


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

●13人の刺客

 江戸時代の末期においてさえ、主君にたてつくには、それ相当のエネルギーが必要で
あったはず。
「13人の刺客」の中では、暴君が弓矢で、子どもも含めて、打ち殺すというシーンが
出てくる。
つまり(流れ)としては、昔のチャンパラ映画そのもの。

 悪役の殿を徹底的に「悪」に仕立て、それに抵抗する武士を美化する。
忠臣蔵でも、吉良上野介を徹底した「悪」に仕立てている。
そして最後は、善人対悪人の一騎打ち。
つまりその(流れ)があまりにもありきたりだったので、かえって興ざめしてしまった。

 もっとも映画の主題は、もっと別のところにあったよう。
「切って、切って、切りまくれ!」と。

 が、そのシーンが長すぎた。
13人に対して、相手は200人。
それはわかるが、切っても切っても、つぎつぎと新手の侍が現われる。
そのシーンがうんざりするほど、長くつづく。
あの映画を観て、スカッとしたという人は、まずいない。
泥まみれ、血まみれ……。
最後は糞まみれ(?)。

 ……昔の話をしてはいけない。
しかし三船俊郎の『七人の侍』はよかった。
市川雷蔵の『忍びの者』はよかった。
勝新太郎の『座頭市』はよかった。

 今回、『13人の刺客』を観て、日本のチャンパラ映画が、かえって後退してしまった
かのように感じた。
そういう点では、残念な映画だった。


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 11月 5日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【宇宙人の尻尾】
ピラミッドの体積比は、惑星の体積比と一致する?


++++++++++++++++++


もしこれが事実とするならば、かつ、
事実と証明できたならば、私は確実に、
宇宙人の尻尾(シッポ)をつかんだことに
なる。
しかも数学的に、動かぬ証拠として。


もし、これが事実と証明できたならば、
「宇宙人は存在する」と断言できることになる。


+++++++++++++++++++


●じれったい!


 今、私はこの原稿を、教室の中で書いている。
が、このパソコンは、インターネットとつながっていない。
つながっていないから、データを集めることができない。
つながっているなら、今すぐ、データを集めることができる。
データを集めて、計算に入ることができる。
しかしそれができない。
この歯がゆさ。
このじれったさ。


 ・・・ということで、今夜は徹夜になりそう。
家に帰ったら、徹底的に調べる。
たいした作業ではない。
データさえ集まれば、残るのは、簡単な計算だけ。
それで宇宙人の存在を、数学的に証明できる。


●謎のピラミッド


 エジプトには、多くのピラミッドが並んでいる。
大きさも高さも、まちまち。
位置については、いろいろな研究がなされている。
天空の星座の位置に合わせて、建造されたと言われている。


 だれが、どのようにして建造したかについては、いろいろな説がある。
しかしここでは、それは問題ではない。
問題は、その大きさ。
体積。
その体積が、太陽系の他の惑星の体積と比例するという。
それを書いた本が、今、手元にはないので、(家にはある)、ここではその
道筋だけを書く。
今夜の作業の「道筋」ということになる。


●ピラミッドと惑星


 その前に、まずピラミッドの体積を計算する。
ピラミッドは、四角錐の形をしている。
(底面積)x(高さ)÷3で、体積は計算できる。


たまたま手元に、クフ王のピラミッドのデータがある(教育出版「中学数学3」)。
それによれば、「底面の1辺の長さは、約230メートル、高さは約146
メートルとある。


 このデータをもとに計算すると、クフ王のピラミッドの体積は、
230x230x146÷3=257466立方メートル。
有効数字を、上3桁とすると、257000立方メートルということになる。
残念ながら、ほかのピラミッドについてのデータは、ここにはない。
ないので、ここにはこれ以上のことは、書けない。
しかしインターネットで調べれば、瞬時に検索できる


 一方、太陽系の惑星は、すでにその体積がわかっている。
体積がわからなくても、半径がわかれば、それを使って計算できる。
球体の体積は、つぎの計算式で求めることができる。


4x(Π)x(半径)(半径)(半径)÷3
(ワード文書として式を書くと、このようになる。)
あるいは半径がわかれば、その長さの比を3乗すれば、そのまま体積比になる。


●その前に


 今夜の作業の前に、ここで確認しておきたい。
つまりいくら古代エジプト人が、天文学にすぐれた知識をもっていたとしても、
惑星の大きさまでは、知るはずがない。
知る方法も、ない。
目で見る「見かけの大きさ(=体積)」ほど、あてにならない。
近距離にあるものほど、大きく見える。
遠距離にあるものほど、小さく見える。
第一、火星にせよ、木星にせよ、見かけの大きさすら、調べる方法はない。
小さく光っている光体の大きさを、どうやって調べるのか。
木星は火星と比べても、比較にならないほど大きい。
しかし地球で見るかぎり、同じ大きさに見える。


さらに軌道がわかったとしても、それで大きさが計算できるわけではない。
今度は密度の問題がからんでくる。


 が、もしそれぞれの惑星と、ピラミッドの体積の比が一致したとなると、
これはたいへんなことになる。
どの惑星とどのピラミッドを対比させるかという問題もあるが、おそらく
ピラミッドの並び方も、惑星と同じはず。
もし、ピラミッドの大きさを、惑星の体積の比に応じて決めたとしたら、
当然位置関係も、惑星と同じにしたはず。
そこまで知っていた古代エジプト人が、ピラミッドをバラバラに配置するはずがない。
何らかの関連性をもたせて、配置するはず。


 つまりまだこの段階では、ここに書いたことは仮説でしかない。
が、もしここに書いたことが事実と証明されたら、繰り返すが、これは
たいへんなことになる。
・・・想像するだけでも、ゾクゾクしてくる。
「鳥肌が立つ」というのは、今の私のような状態を言うのか。


 古代ピラミッドを建造した人類は、惑星の体積を知り尽くしただれか、
つまり宇宙人の指導のもとにそれらを建造した。
だれかというのは、今さら、言うまでもない。
私たちが「宇宙人」と呼ぶ、人類以外の知的生命体である。


 ただしこの仮説は、今夜粉々にされるかもしれない。
体積比の関係が、証明されなければ、万事休す。
つまり駄説として、意味を失う。


 どうであるにせよ、私は一度、自分の頭でそれを調べてみる。
自分で結論を出してみる。
その過程は、こういう形で、逐次ありのままをここに書く。


●家で……


 家に帰って、その本を開く。
そこには、こうあった。


『ギザの7つのピラミッドは、地球周辺の惑星であるという説がある。
……大ピラミッドの高さは、地球と太陽の距離を表し、基辺の長さは、
1年の長さ(365・242日)を意味するという。
さらにこのピラミッドの底辺は、正確に東西南北の方位に合わされ、
その誤差は、0・05度。
そして3大ピラミッドは、地球、金星、火星の体積比と、ほぼ一致する。
これ以外にも、ピラミッドには、天文学的に意味のある情報が、偶然とは
考えられないほど、ちりばめられているという」(「本当は怖い宇宙」
イースト・プレス・福江純監修・P171)と。


 コンビニで500円で買った本である。
監修者の福江氏は、大阪教育大学天文学教授。
が、この際、どんな本であろうが、またどこの大学の教授が監修した本であろうが、
関係ない。
事実は、自分で調べる。
ここが重要。


●整理


 もう一度、ここに書かれていることを、整理してみる。


(1)ギザの7つのピラミッドは、地球周辺の惑星であるという説がある。
(2)大ピラミッドの高さは、地球と太陽の距離を表す。
(3)基辺の長さは、1年の長さ(365・242日)を意味する。
(4)さらにこのピラミッドの底辺は、正確に東西南北の方位に合わされ、
その誤差は、0・05度。
(5)3大ピラミッドは、地球、金星、火星の体積比と、ほぼ一致する。
(6)これ以外にも、ピラミッドには、天文学的に意味のある情報が、偶然とは
考えられないほど、ちりばめられている。


 今回私が強く興味をもったのは、(1)と(5)。
とくに(5)。


●三大ピラミッド


 そこでここに書いてある3大ピラミッドについて、調べてみる(以下、ウィキペディア
百科事典より、底辺の長さについては、別の資料により補足)。


(1)クフ王のピラミッド


クフ王のピラミッドはエジプト最大のピラミッドであり、「大」を付けて呼ばれる。高さが
約138・8m(創建時の高さは146・6m)、底辺が約230mの正四角錐形。


(2)カフラー王のピラミッド


カフラー王のピラミッドは、高さが約136m(頂上部が崩れている)、底辺の一辺の長さ
が約214・5m、であり、完成当時の大ピラミッドと比較すれば、こちらのほうが、ほ
んの少し小さいことになる。
完成時の大きさは、不明。


(3)メンカウラー王のピラミッド


3大ピラミッドのひとつであるが、最も規模が小さい。高さは約65m、底辺の一辺の長さ
は約105mで、どちらも大ピラミッドの半分程度である。体積は大ピラミッドののおよ
そ8分の1となる。
完成時の大きさは不明。


 これら3つのピラミッドが、(1)クフ王のピラミッドの位置から、(2)南西の方角に、
カフラー王のピラミッド、(3)さらにその延長線上に、メンカウラー王のピラミッドと
並んでいる。


 ほかにもピラミッドはあるが、崩れて元の大きさがわからなかったり、建造途中のまま
放棄されたりしたものも多い。


●地球、金星、火星


 では、地球、金星、火星は、どうか(ウィキペディア百科事典より)。


(1)地球の半径……6380キロメートル
(2)金星の半径…… 6098キロメートル(地球の半径の95・7%)
(3)火星の半径……3397キロメートル


 ついでにほかの惑星の半径(以下は、赤道半径)も調べてみる。


(1)水星……2349
(2)金星……6052
(3)地球……6378
(4)火星……3397
(5)木星……71398
(6)土星……60000
(7)天王星……25400
(8)海王星……24300
(9)冥王星……2000?
(10)月……1738(キロメートル)(以上、赤道半径)
(「インターネットで見る宇宙」サイトより)


 なおウィキペディア百科事典では、地球の半径は、正確には、
6356・752キロメートルとなっている。
「半径」と「赤道半径」が異なるのは、惑星自体が自転しているため。
赤道付近では、回転による遠心力が働くため、半径が大きくなる。

 以上で、データが出そろった。


●補正


 底辺部はともかくも、創建時と現在とでは、高さがちがうらしい。
たとえばクフ王のピラミッドは、創建時の高さは約147m、現在は約139mとなって
いる。
これで計算すると、現在は、5〜6%低くなっていることになる。


 これで補正してみると、3大ピラミッドの創建時の高さは、つぎのようになる(5・5%
低くなっているとして計算)。


(1)クフ王のピラミッド


創建時の高さは147m(現在139m)、底辺が230mの正四角錐形。


(2)カフラー王のピラミッド


創建時の推定高さは、144m(現在約136m)、底辺が約214・5m。


(3)メンカウラー王のピラミッド


創建時の推定高さは、69m(現在65m)、底辺が約105m。


 これらの数字を使い、かつピラミッドが、正四角錐であるという前提で計算してみると、
体積はつぎのようになる(有効数字、上から4桁で計算)。


(1)クフ王のピラミッド……2592000
(2)カフラー王のピラミッド……2219000
(3)メンカウラー王のピラミッド……253600(単位は立方メートル)


●惑星の体積


 今度は、惑星の体積を計算してみる。
いよいよ核心部分に近づいてきた。
体積比は、長さ比の3乗に比例する。
それで地球を1・000として計算してみると、


(1)水星……2349……
(2)金星……6052……0・857375
(3)地球……6378……1・000
(4)火星……3397……0・151419
(5)木星……71398……
(6)土星……60000……
(7)天王星……25400……
(8)海王星……24300……
(9)冥王星……2000?


●すでに先人がいた!


 あちこちのサイトを調べていたら、私よりずっと先に、地球、金星、火星の体積比を
詳細に調べた人がいるのがわかった。
(残念!)
それをそのまま紹介させてもらう。


【体積比】地球:金星:火星=1.000:0.857:0.151
【質量比】地球:金星:火星=1.000:0.815:0.107
【密度比】地球:金星:火星=5.52:5.24:3.93
(数値は、「古代文明へようこそ」HPより)


ここで、私も自分で、3大ピラミッドの体積比を並べて比較してみる。
クフ王のピラミッドの体積を、「1・000」とすると、


(1)クフ王のピラミッド……1・000
(2)カフラー王のピラミッド……0・856
(3)メンカウラー王のピラミッド……0・098


ウーン、?
体積比は、地球:金星は、ピタリと一致する。
しかし地球:火星は一致しない。
が、質量比でみると、地球:火星はほぼ一致する。
が、ここであきらめてはいけない。


 もう一度、冒頭にあげた本の記述を見てみよう。
そこには、こうある。


『……3大ピラミッドは、地球、金星、火星の体積比と、ほぼ一致する』と。
「3大ピラミッドは……」と書いてあるだけで、「3大ピラミッドの体積は」とは
書いてない。
となると、地球:火星比は、質量比なのかもしれない。


●高さの比


 念のため、高さ比も求めてみる。


 3大ピラミッドの中のクフ王のピラミッドの高さを、1・000とすると、
カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドの高さとの比は、
147:144:69(m)=1・000:0・980:0・469


 やはり体積比ということになるのか。


●結論


 こうして私は自分で確かめてみた。
体積比に関するかぎり、たしかに地球:金星:火星の体積比は、ほぼ一致する。
(「ほぼ」というよりは、「完全に」と言ったほうがよいかもしれない。)
計算に疑問をもつ人は、大型の卓上計算機で自分で計算してみるとよい。


 ただご存知のように、エジプトのピラミッドは、長い年月の中で、その形が
かなり崩れている。
一度創建時の高さ、底辺の長さを計算しなおして、それらを補正する必要がある。
(ここでは簡単に補正してみたが……。)
その過程で、誤差が生ずることはじゅうぶん考えられる。


 そういうことも頭に入れて、もう一度、計算した数値を、ここに並べておく。


【3惑星の体積比】
地球:金星:火星=1・000:0・857:0・151


【3ピラミッドの体積比】
クフ王:カフラー王:メンカウラー王=1・000:0・856:0・098


●疑問


 私が計算したところでも、地球:金星の体積比は、クフ王:カフラー王のピラミッドの
体積比と、一致する。
(あまりにも一致しすぎている!)


メンカウラー王のピラミッドについては、写真で見てもわかるように、かなり崩れている。
つまり創建時より、かなり小さくなっている可能性がある。
もしピラミッドが、惑星の体積比に応じて建造されたとするなら、メンカウラー王の
ピラミッドは、創建時の約3分の2になっていることになる。


 となると、やはり……。


 最後に残る可能性は、「偶然の一致」。
しかしこうまで数値が一致していると、計算してみた私自身が、それを信じられない
でいる。
これはどうした心理的現象によるものなのか。
肯定したい気持ちよりも、否定したい気持ちのほうが先にきてしまう。
「まさか……!」が、「ありえない……!」となってしまう。


 仮にエジプトのピラミッドが、3惑星の体積比のまま建造されたとするなら、
それはもはや地球人(古代エジプト人)によるものとは、考えられない。
金星と火星を、それに地球を自由に行き来した知的生命体、つまり宇宙人の指導の
もとに建造されたということになる。
(なぜ、土星や木星ではなく、火星と金星であるかという疑問もないわけでは
ないが……。)


 冒頭で、「尻尾(シッポ)をつかんだ」と書いたのは、そういう意味だが、しかし
これだけで「尻尾をつかんだ」とは、言いがたい。
たとえばピラミッドは、クフ王(地球)→カフラー王(金星)→メンカウラー王
(火星)の順に並んでいる。
どうしてカフラー王(金星)→クフ王(地球)→メンカウラー王
(火星)の順にしなかったのか?
(あるいはその逆配列でもよい。)
そのほうが惑星の並び方としては、自然。
そういう疑問は残る。


が、それにしても不思議!
それが今の私の心境ということになる。


 なお、私がここに書いたことは、すでに多くの研究者たちによって調べられたこと
である。
私は私で、独自に自分でたしかめてみたにすぎない。
つまり追認してみただけ。
……ああ、楽しかった!
久しぶりに、頭の中がスッキリした!


みなさんも、秋の空をながめながら、宇宙の大ロマンを考えてみたらどうだろう。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ピラミッドの謎 ピラミッドの体積比 謎のピラミッド 地球 火星 
金星 ピラミッド宇宙人建造説)



Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司・林 浩司

●10月8日(ピラミッドの謎)(追記)+「13人の刺客」

++++++++++++++++++

昨夜遅く、ピラミッドの体積を計算してみた。
エジプトのギザには、3つの大きなピラミッド
がある。
その3つのピラミッドの体積比が、地球、金星、
火星の体積比が同じという。
そこで自分なりに計算してみた。
こういうことは、自分で計算してみないと、納得できない。

その結果、地球と金星の体積比は、2つのピラミッドの
体積比と、ピタリと一致した。
驚いた。
しかし予想していたほどは、驚きは大きくなかった。
冷静なままだった。
これはどうしたことか?

ただ火星については、3番目のピラミッドの崩壊が
はげしく、体積比を正確に求めることができなかった。
ウィキペディア百科事典には、こうある。

『この2つに隣接するメンカウラー王のピラミッドは何故か規模が縮小し、底辺108m、高
さ66.5mである。この王の威光が前二代の王と比してさほど劣るものではなかったと伝え
られることから、縮小の理由は謎とされている』と。

それらの数値については、もう一度、ここに
並べておく。

【3惑星の体積比】
地球:金星:火星=1・000:0・857:0・151

【3ピラミッドの体積比】
クフ王:カフラー王:メンカウラー王=1・000:0・856:0・098
(注:高さについては風化、破壊分を補正して処理。)

++++++++++++++++++

●宇宙人の介在

 「これで宇宙人の存在が証明できる」と意気込んで計算を始めたものの、
実際、数値がここまで一致するとは、思ってもみなかった。
かえって拍子抜けしてしまった。
反対に、それを否定しようとする心理が働いた。
これはどうしたことか?

 偶然の一致かもしれない?
計算のミスかもしれない?
ピラミッドは長い年月を経て、5〜6%分だけ、低くなっている。
となると、基底部はどうなのか?
砂に埋もれた部分もあるはず、などなど。
つぎつぎといろいろなことを考えた。

●否定

 それにもし「そうだ」とすると、今までの常識をひっくり返さなければ
ならない。
「ピラミッドは宇宙人の指導のもとで建造された」ということになる。
そんなことを、簡単に認めるわけにはいかない。
またそれだけではすまない。
宇宙人はピラミッドの建設だけを指導して、それでどこかへ帰ったわけではない。
人間の生活のあらゆる部分に影響を残して、帰っていったはず。
そういうのをすべて、ひとつずつ、拾いあげなければならない。
面倒というよりは、それを想像しただけで、気が遠くなってしまう。

●記念碑

 「どうしてピラミッドなの?」と、朝、ワイフが私に聞いた。
鋭い質問である。
仮に宇宙人がこの地球へやってきたとする。
そのとき何かの記念碑を残そうとしたとする。
しかしどうしてそのとき、それがピラミッドなのか、と。

 理由はいろいろ考えられる。
第一に、正四角錐ほど、人工性を表すものはない。
ほかの形なら、自然界で偶然できたということも考えられる。
しかし正四角錐なら、それはない。
仮に正四角錐であるとしても、1つなら、ひょっとしたら自然にできたものと
考える人もいるかもしれない。
しかし2つ、3つと並ぶと、そうはいかない。

 第二の理由は、正四角錐ほど、数学的なデータを埋め込める形は、ほかにない。
言うなれば、現代のQRコードのようなもの。
高さ、一辺の長さ、さらにそれをからみ合わせて、無数の情報をその中に詰め込む
ことができる。

大ピラミッドの高さは、地球と太陽の距離を表している。
底辺の長さは、1年の長さ(365・242日)を表している。
さらに7つのピラミッドそれぞれが、惑星を表している、など。

 ただ単なる墓とか、権力の象徴というのであれば、もっと別の建造物を考えたはず。
つまりピラミッドは、ただのピラミッドではない。
自分で計算してみて、改めて、それを確認した。

●0・857と0・856

 地球と金星の体積比は、1:0・857。
金星のほうが、地球よりやや小さい。
クフ王と、カフラー王のピラミッドの体積比は、1:0856。
カフラー王のピラミッドのほうが、クフ王のピラミッドより、やや小さい。
(詳しい計算式は、数日前に書いた原稿を読んでほしい。
そのとき私は、あえて先入観をもたず、現在公表されている数字だけをもとにして、
計算してみた。
その結果が、これである。)

 そこでもうひとつの事実(?)を検証してみたい。
大ピラミッドの底辺の長さは、1年の長さ(365・242日)を表しているという。
となると、カフラー王のピラミッドの長さは、金星の1年の長さを表していることに
なるかもしれない。

 そこでもう一度、データを拾い集めてみる。
(がぜん、おもしろくなってきた。
ここまで調べた人は、いまだ、いない。)

●金星の1年の長さ

クフ王のピラミッド(大ピラミッド)の底辺の長さを調べてみる。

++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より+++++++++++

世界一高いピラミッドは、スネフェルの次のクフ王によってギザに築かれた
ギザの大ピラミッドで、勾配は51度52分。底辺は各辺230m、高さ146mに達する。長
さ・高さの比は黄金比であり、またこれは14世紀にリンカン大聖堂の中央塔が建てられる
まで世界で最も高い建築物であった。第2位のカフラー王のピラミッドもこれに匹敵する、
底辺215m、高さ143.5mである。

++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より+++++++++++

 数字を整理してみよう。

クフ王のピラミッドの1辺……230m
カフラー王のピラミッドの1辺……215m
比の値は、0・9348

 そこで今度は、金星について調べてみる。
公転周期は、224・701日とわかっている。
比の値は、0・6152

 比の値は、かなりちがう。
もっともピラミッドは、(底辺の長さ):(高さ)は、黄金比によって建造されていると
言われている(勾配は51度52分)。
つまり写真で見てもわかるように、3大ピラミッドは、形としては、みな同じ。
カフラー王のピラミッドを、金星の公転周期に合わせて建造するということは、
考えなかったということになる。

●吉M作治氏

 ところでピラミッドについて調べているとき、こんな記述があることを見つけた。
(出典は、ウィキペディア百科事典)

「……している。吉M作治は、ピラミッド建造は定期的に発生したナイル川の氾濫によっ
て農業が出来ない国民に対して、雇用確保のために進められた公共工事的な国家事業であ
ったと主張している。(しかし、それに関する論文などは存在しない。)ピラミッドが国家
事業として作られたという説も、吉Mのオリジナルではなく、クルト・メンデルスゾーン
によって既出である。(邦訳:ピラミッドの謎/文化放送開発センター出版部) ただしメンデ
ルスゾーンは、ピラミッドを作る目的が公共工事だったとは言っておらず、事業形態が国
家事業であり、建設の目的自体は主に墓であっただろうと述べている」(ウィキペディア百
科事典より、そのまま)と。

 吉M作治氏と言えば、ピラミッド研究の第一人者(?)ということになっている。
マスコミにもよく出てきた。
が、4、5前だったか、インチキ大学のニセ博士号を取得していたことが発覚するという
事件があった。
私のところにもその大学(?)から、勧誘の書類が届いたことがある。
「学生の奨学金にあてたいから、80万円出してほしい。その代わりに、あなたに博士号
を授与します」と。

 そのときそのインチキ大学の案内書に、吉M作治氏の名前が連ねてあった。
いわゆる教育実態のない、インチキ大学である。
吉M作治氏の名前を信じ、ニセ博士号を購入した人も、この日本には多いはず。
マスコミで騒がれると、吉M作治氏は、論文集を机上に並べ、「私の博士号は正当に評価
されたもので、買ったものではない」というようなことを、テレビの取材で答えていた。

 その吉M作治氏である。
このウィキペディア百科事典に書かれている記述を、よく読んでみてほしい。
一事が万事というか、一脈通ずるものを、私は感じた。

●ロマン

 クフ王のピラミッドの基底部の1辺は、地球の1年の日数を表している。
しかしカフラー王のピラミッドの1辺は、残念ながら金星の1年(公転周期)とは、
関係ない。

 が、ここであきらめてはいけない。
何か、あるはずである。
……と考えていくのは、実に楽しい。
これが私がいつも言うところの「ロマン」である。
「頭の遊戯」と言ってもよい。
こうして空想をめぐらせて、自由に思索を楽しむ。
これがあるから、こうして書くことをやめられない。

10月9日、土曜日朝。

●補記

 実は昨夜、深夜劇場に足を運んだ。
見た映画は、『13人の刺客』。
「七人の侍」と、マカロニウェスタン映画を合体させたような映画。
それにわかったような、わからないような武士道の世界をまぶした映画。
俳優ひとりひとりの演技にはすばらしいものがあったが、要するに格好のつけすぎ。
『レッドクリフ(赤壁)』のようなスケール感もなく、また悪役の将軍の弟も、
役不足。
取ってつけたようなセリフというか、説明が多すぎた。
(どうして日本映画には、こういう無駄なセリフが多いのだろう?)
基本的には、子どものころ見た、チャンバラ映画を踏襲しただけ。

 最後に、生き残った2人がこんな会話を残す。
「これからメリケン(アメリカ)へでも行って、向こうの女を抱いてみるか」(記憶)と。
が、そう言いながら、自分を待つ芸者(?)のところへ帰っていく。

 武士道なるものを、無理にこじつけただけ?
であるなら、なおさら、「主君」暗殺など、ありえない話。
念のため、暴君とされた、「松平斉宣」について調べてみた。

++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より+++++++++++

映画『十三人の刺客』(1963年)には、暴君として「将軍の弟である明石藩主・松平斉韶」
が登場する。2010年のリメイク版も同様であるが、史実の斉韶とは関係がない。ただし、
将軍の弟という出自や、参勤交代中のトラブルといったエピソードは、後を継いだ
松平斉宣に見られる。2010年の映画化に伴って刊行された小説版(谺雄一郎作)では、暴
君の名を「斉宣」としている。

++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より+++++++++++

 ……ということで、星は残念ながら、2つか3つの★★。
「切って、切って、切りまくれ!」という映画だが、無駄な殺戮映画が、延々とつづく。
一方、相手方の侍たちは、みな丸い笠をかぶっていた。
スターウォーズに出てくる、ロボット兵のよう。
恐らく同じ俳優を何度も使うため、そうしてわざと顔を隠したのだろう。
そうした小細工を、私は随所に感じた。

 きびしい映画評論で申し訳ない。
年齢のせいか、それとも仕事の疲れのせいか、殺戮シーンでは眠気さえ覚えてしまった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 13人の刺客 ピラミッドの謎 謎のピラミッド クフ王 カフラー
王 地球 金星)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●10月10日(日曜日)(2010−10−10)

昨夜は稀に見る大雨。
叩きつけるような大雨。
山荘へ来る途中、滝のような雨を経験した。
山道のアスファルトの上を、川のように雨水が流れていた。
車のライトで雨がカーテンのようになり、1メートル先が見えなかった。
「こんなに降ったら、山崩れになるわ」と、ワイフは数回、言った。

●山荘にて
 
 今日の予定は、とくになし。
家に帰ったら、マガジンの発行予約とホームページの更新。
あとはもろもろ。
人に会う約束もなし。
思う存分、原稿が書ける。
楽しみ。

●損得

 朝早く、風呂に入る。
その風呂の中で、こんなことを考えた。
損得論。
「私は人生で、損をしたのか、それとも得をしたのか」と。
金銭的な損得論をいう。

 が、こと金銭的な損得論ということになれば、生涯、損ばかりしてきた。
他人から、お金を貰った(?)といえば、ワイフの実父が亡くなったときだけ。
義理の兄が亡父の通帳を解約し、それを7等分(兄弟姉妹分)し、私たち
に10万円を分けてくれた。
あとにも先にも、それだけ。

 一方、私は結婚する前から、収入の約半分を実家へ届けてきた。
経済的負担感というより、社会的負担感には、相当なものがある。
私はこの40年近く、それに苦しんだ。

 だから実家を法外な価格で売却したときも、「損をした」という
感覚はなかった。
「損をした」と言えば、長い間、社会的負担感に苦しんだこと。
時間を無駄にしたこと。
だから実家を売却したときも、「これで実家から解放される」という喜びが先に立った。
さらに言えば、息子たちがいる。

 私は「学費は惜しんではいけない」という、古風な哲学を信奉していた。
だから息子たちの学費については、惜しまなかった。
いつも息子たちに満額で送った。
親バカだった。
気がついてみたら、そこにあったのは、私たちの老後。
貯金は使い果たしていた。

 が、損得論も考え方。
つまり金銭的な損得論を考えれば、損に決まっている。
しかし私はその分だけ、人生を楽しんだ。
息子たちが楽しませてくれた。
それについては感謝している。

が、この先はまだ長い。
引退するわけにはいかない。
「死ぬまで仕事」。
「ピンポク」という言葉がある。
前日までピンピンしていて、翌朝、ポックリと死ぬ。
どうせ死ぬなら、そういう死に方をしたい。

 つまりそれが今の私を生かす原動力になっている。
お金がなかったら、働けばよい。
稼いだお金は、どんどんと使っていく。

●神経痛

 先週、山荘へ来たとき、こんなことがあった。
私は、不用意に頭をひねると、首のうしろ、頭寄りの神経が、
ギクリと痛むことがある。
瞬間のことで、そのまま痛みは消える。
それまでは床についてから、枕元で頭を浮かせた状態で首をひねると、
ときどきそうなる。

 この部分に大きな神経があり、それをぐいと引っ張ることによる
痛みということになる(素人判断)。

 それが先週、廊下を歩いているときに起きた。
歩きながら、風呂場のほうを振り向いたときに、ギクリ!、と。
今までに経験したことのないほど、強い痛みだった。
その瞬間、私はその場にうずくまってしまった。
そのときのこと。
おかしなことに、本当におかしなことに、私はこう思った。
「これで死ねる!」と。

●死の恐怖

 「死の恐怖」という言葉がある。
人間、生きていくのもたいへんだが、死ぬのもたいへん。
私の年齢になると、私も含めて、「どう生きるか」よりも、「どう死ぬか」
のほうを先に考える人が多い。
私もよく考える。

 が、その一方で死に対する不安や恐怖はある。
ないとは言わない。
死の恐怖を克服するのは、相当な宗教家でも、また哲学者でも、無理。
(こう決めつけて書くのも、失礼なことかもしれないが・・・。)

 しかしそのときたしかに、私は、こう思った。
「これで死ねる」と。

 幸いにも(?)、いつものように痛みはすぐ消えた。
つまり私はその瞬間になったら、「これで死ねる」と、意外とあっさりと、
死を受け入れることができるのではないか。
そんなふうに、今、考えている。

●無

 この大宇宙も、いつかは消滅してしまう。
すべての星々が燃え尽き、すべての大銀河も光を失う。
物質の原点である陽子さえ、半減期を繰り返し、やがて分解し、消える。
ブラックホールですら、最後は、蒸発して消える。
何10兆年も先の話らしい。
そのとき、この大宇宙は闇と冷気に包まれた、「無」の世界に返る。

 つまりこの大宇宙は、「絶対的無」の状態から、インフレーション
が起こり、つぎの瞬間に「ビッグバン」と呼ばれる大爆発を経て、生まれた。
再び、この大宇宙は、いつか「無・無・無……」の世界に戻る。

 が、何も何10兆年も待つ必要はない。
固体の死イコール、大宇宙の死と考えてよい。
私も死ねば、この大宇宙もろとも、消滅する。
チベット密教や和式仏教では、「生まれ変わる」と教えるが、根拠が
あるわけではない。
第一、釈迦自身そんなことは、一言も口にしていない。
ウソだと思うなら、一度、法句経を読んでみたらよい。
仏教徒を名乗るなら、また法事、法事と儀式に明け暮れるなら、一度は
自分で読んでみたらよい。

 頭が熱くなったが、もとからこの宇宙は「無」と考えれば、「損」など
何でもない。
とくに金銭的な損など、何でもない。

●お金(マネー)

 今、ここに生きている。
それにまさる価値は、ほかにない。
目が見える。
音が聞こえる。
歩いたり、話をしたりすることもできる。

 こんなことを書くと、そうでない人に対してたいへん失礼なことは、
よくわかっている。
しかし私は、今、健康だ。
疲れやすくなった。
気力も、集中力も弱くなった。
が、それをのぞけば、私は健康だ。

成人病とも無縁。
あと何年生きられるかはわからないが、ここ1、2年でどうかなるという
ことはない。・・・だろう。
だったら、今日も、10月10日という1日を、懸命に生きる。
損か得かということになれば、そういうかぎりある1日を、だらしなく
過ごすことほど、損なことはない。

 そういう意味では、私たちはこの資本主義社会の中で、お金(マネー)に
あまりにも毒されすぎている。
この日本においても、貨幣が一般社会に流通し始めたのは、江戸時代の中期。
貨幣は奈良時代の昔からあったが、貨幣の性格そのものがちがった。
そんなお金(マネー)に、どうしてこうまで毒されるようになってしまったのか。
余計なことだが、そんなことも考えた。

●生きる価値

 私たちは本来、価値あるものを、価値のないものと思い込む。
その一方で、価値のないものを、価値あるものと思い込む。
その基準となるのが、「損得論」ということになる。
言い換えると私たちは常に、損得論に振り回されながら、生きている。

 そこで大切なことは、「価値」とは何か。
もう一度、自分に問いただしてみること。
何が大切で、何が大切でないか、と。
一朝一夕には結論は出ないかもしれない。
それこそまさに哲学の分野ということになる。
しかしそう問いつづけることによって、その先に何かが見えてくる。
「価値」というのは、そういうもの。

●今日もがんばろう!

 風呂から出ると、昨夜の雨は消え、低い雲の向こうに高い雲が見え、
その先に水色の空が広がっていた。
・・・こうして今日も、始まった。

 10月10日、日曜日。
祭日。
今日も、がんばろう!
やるべきことを、しっかりとやろう!

 では、みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++Oct 2010++++++はやし浩司(林浩司)

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 11月 3日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある母親からの相談

【Y県SD市のDさん(母親)より、はやし浩司へ】(一部改変)

こんにちは、はじめましてSD市に住んでいます、Dといいます。
相談するのは、小学5年生の長男についてです。
下に小3の二男と、1歳の三男がいます。

ずっとその長男について、悩んでいました。
親や友人に相談もしていたのですが、良くなることがなくどうしたらいいのかわからなく
なってしまいました。

先生のこのページを見てまさしく、ドラ息子に当てはまります。

まず、(1)に今年の先生から授業中手いたずらが多い、忘れ物が多い、机の中が汚い、み
んなで音楽の授業をしていても歌わないと指摘されました。去年の運動会でみんなで踊る
のに踊っていませんでした。それまではやって見せてくれていたの、何があったのかどう
したのかわかりません。

(2)人の話が聞けない、自分の意見を上手く話せない。
(せっかちで人が話している間に割り込んでしまい最後まで聞けません。話すのも早口で
よく冗談でアナウンサーみたいと言うくらい、早口になってしまいます。)

(3)マジギャザに今はまっていて漫画もせりふなど覚えてしまうほど読んでいて、ゲー
ムもマジギャザ。ゲームやりたさに宿題は学校でやったと嘘をついていました。(もしかし
て嘘ついてるかなとは思っていましたが信じようと思ってほっといたんです。先日、先生
に言われ嘘とわかりました。)

(4)みんなといっしょのゲームができない。(負けず嫌いで負けると泣いたりやる気をな
くしたりする)良くないと思い、鍛えさせる様なつもりでボーリングに連れて行ったりす
るのですが、良い方法に向かっているのかわかりません。

(5)小さい頃から絵を描くのが好きなんですが、この2年くらい家では描かなくなりま
した。わけを聞くと弟が下手だとか言うから。二男はよく絵を描いています。二男だけ褒
めないように私も主人も心がけているのですが。逆にうちで書いていた頃はよく褒めてい
たくらいです。

(6)食事中、毎回お茶碗を持ってと言わないといけない。(小学校の2年生くらいから犬
食いになったり、持たなくなったりとして注意が始まりました。犬食いはなくなりました
が落ち着きがありません。)

周りに関心がありません。みんなと同じようにというのができないのです。食事のマナー
だったり学校での歌や練習です。友達に言われたりして恥ずかしいとかそのうち思う年頃
だと思うのですが、その気配がありません(鼻くそもほじります)幼いと主人や母が言い
ます。

食事のときくらいしか子供とゆっくり話ができないので、テレビはいつもつけていません。
学校など話をしようとしても気が付くと、兄弟でマジギャザの話になってしまいがちです。
主人は不規則な仕事をしているため、ほとんどが私と子供たちの生活です。休みで主人が
いるとあまりのできなさに、説教の一日になってしまうこともしばしばあります。

三男が生まれる前は仕事もしていたりして、子育てと家事と仕事でつねにイライラしてま
した。小さい頃からそんな私のイライラを子供たちにぶつけていた気がします。
長男は悪くないに私のせいで主人や学校の先生に責められています。どうしたらいいのか
分からなくなってしまいました。何からどうしたらいいのでしょうか? 教えてください。
よろしくお願い致します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Dさんへ】

 一読して、ウ〜ンと、うなってしまいました。
いくつかの問題が複合して重なり、それが長い時間をかけて、こじれてしまっている。
しかしもう小学5年生。
どこからどう話すべきか……。

(1)長男を、D君とします。 
あなたとD君のリズムは、D君を妊娠したときから、合っていない。
不安先行型、心配先行型、それに恐らく愛情問題(夫婦間の問題)などがあり、あなたは
D君をいつも否定的態度で育ててきました。
今もそれがつづいています。
あなたはD君を愛することができないでいる。
そういう自分をごまかすために、「問題はD君にある」と、問題の核心をすりかえてしまっ
ている。
が、私はあなた自身に、問題があると思います。

 結婚当初の夫との不和もあったかもしれません。
家庭問題もあったかもしれません。
全幅にD君を、愛情でくるんで迎えたというよりは、何かのわだかまりやこだわりをその
時点でもってしまった。
それが今につづいているということです。
あなたはD君の悪い面ばかりが目につき、またそれを問題にして勝手に騒いでいる。
「勝手に」です。

D君にとって、今の家庭はさぞかし、居心地の悪い家庭でしょうね。
気楽にハナクソもほれない、気楽に食事もできない、テレビを見ることも、ゲームをする
こともできない。
私がD君なら、「うるさい!」「バカヤロー!」と叫んで、家を出ていくでしょうね。
あるいはそうなる可能性が高い。

(2)D君には、あなたの知らない、何かの情緒的問題(発達障害)があったものと思わ
れます。
今は年齢的にそれが改善していると思われます。
本来なら、3〜5歳期に、発達相談センターのようなところで、相談すべきだったかもし
れません。
情報が不足していますから、ここではこれ以上のことは書けません。
しかし相談していれば、何かの診断名がくだされていたはずです。
つまり本人の意思では、コントロールできない問題を、D君はもっていたということです。
いわんや親が説教したり、叱ったりしたくらいでは、なおるはずもない。
むしろそんなことを繰り返せば、症状はこじれてしまいます。

 それに気づかないまま、あるいはあえて目をそむけたまま、無理に無理を重ねてきた。
症状をこじらせてしまった。
メールを読んで、そんな印象をもちました。

(3)あなた自身の生まれ育った環境にも、問題があります。
あなたは「男の子」というものが、どういうものか、まったくわかっていない。
小学5年生にもなって、学校であったことを親に話す子どもは、いません。
(あるいはD君は、あなたとは話をしたくない。)
過干渉と過関心。
それが混然となって、あなたは自分が理想とする子どもに、D君を作ろうとしています。
もしあなたに自然な親像、あるいは「男子観」があれば、もう少し自然な子育てができる
はずです。
つまりそれができないということは、あなた自身が生まれ育った環境に、問題があったと
いうことです。
たとえばあなたの父親が、権威主義的であったとか、あなたに男の兄弟がいなかったとか
……。(これは私の推測です。)

(4)D君は、その一方で、愛情飢餓状態にあります。
二男との年齢差が小さいので、逆算するとD君が2歳前後のとき、二男が生まれたことに
なります。
今の状態からすると、赤ちゃん返りもあったかもしれません。
あなたはD君の愛情飢餓に気づくこともないまま、「お兄ちゃんだから」と、上下意識でも
って、D君を抑え込んでしまった。
その可能性もあります。
だから今、思春期前夜の反抗期にかかり、無意識のうちにも、あなたの求める理想的な子
どもとは別の子どもを演じている。
「どうせ嫌われているのだから……」とです。
あなたにはD君のそんな悲しい声が聞こえないかもしれませんね。
おかしな親意識ばかりが強くて……。

 子どものウソを知ってどうなりますか。
どうしたいですか。
そんなウソが、どうして悪いのですか。
それともあなたは、そういうウソをついたことがないとでもいうのですか。
どうして笑ってすませないのですか。
言い替えると、自分の子育ての失敗を、子どもの責任にしてしまっている!

「子どもは家族の代表」と考えてください。
子どもに何か問題があったら、反省すべきは、まずあなた自身です。
自分のどこにどのような問題があったかを知る。
子どもというのは、あくまでも、「代表」、つまり「結果」です。

(5)問題はさらにこじれます。
今、あなたは「長男は最悪」と思っているかもしれません。
しかしこうした問題には、さらに二番底、三番底があります。
「まだ以前の状態のほうがよかった……」ということを、周期的に繰り返しながら、子ど
もは二番底、三番底に落ちていきます。

 だから「直そう」と思わないこと、
「今の状態をこれ以上悪くしないことだけ」を考えて対処します。
ボーリングへときどき連れていったくらいで、性格が直るはずもないでしょう。
5年生ですよ。
「鍛える」とか、「鍛えない」とか、そういう問題ではありません。
0〜2歳まで、さんざん、甘やかしておいて、その結果、今の状態になり、あわてて「鍛
える」?
はっきり言いますが、もう直りません。
あきらめなさい。
あきらめて、「うちの子は、こういう子」と居直りなさい。
そこを原点にして、D君をもう一度、見つめなおしてあげてください。
そしてあなたは、こう言うのです。

「あなたはよくがんばっているわね」と。

あとは『許して、忘れます』。
(「はやし浩司、許して 忘れる」で原稿を検索してみてください。)

 あなたが「何とかしよう」「何とかなってほしい」とがんばればがんばるほど、あなたに
安穏たる日々はやってこないでしょう。
あなたはそれでよいとしても、かわいそうなのは、D君です。
私はあなたより、D君のほうに同情してしまいます。
もしD君にその力があるなら、きっと逆に、私にこんな相談をしてくるでしょうね。

「ぼくのママは、うるさくてたまりません。
ゲームも自由にできません。
宿題をやったかと、毎日聞きます。
で、ウソを言いました。
が、それを先生から聞き、また説教です。
家に帰るたびに説教です。
おまけにいつもできのいい弟と比較され、『あんたはダメな子』と決めつけてきます。
やりたくもないボーリングをさせられ、何をしても、おもしろくありません。
歌も、踊りもへたです。
家族には、幼稚ぽいとよく言われます。
食事のときくらい、テレビを見たいです。
が、あれこれと勉強の話ばかり……。
ぼくはどうしたらいいでしょうか」と。

(6)あなたはイライラしていた……。
理由は何であれ、もしそこまで気がついているなら、「これが運命」と受け入れるしかない
ですよ。
人間には無数の糸がからんでいます。
その糸が、ときとして自分を思わぬ方向へと導いていってしまうことがあります。
その運命ですが、逆らえば、キバをむいてあなたに襲いかかってきます。
しかし受け入れてしまえば、向こうからシッポを巻いて逃げていきます。

 私が今、あなたにできるアドバイスは、こうです。
運命を受け入れなさい、です。
あなたの子どもは、今、そこにいる子どもです。
これ以上、どうにもなりません。
あなたがもっている理想像など、クソ食らえと、捨てなさい。
(あるいはどんな子になれば、あなたは満足するのですか?)

「私のできが悪いから、子どものできも悪い」と、認めればよいのです。
気が楽になりますよ。
そしてここが重要ですが、あなたの気が楽になれば、D君もまた気が楽になるということ
です。
そのときD君の顔にも、笑顔が戻ってくるでしょう。

 たとえばゲームについても、頭から「悪いこと」と決めつけないで、たまにはあなたも
いっしょにゲームをしてみたらよいのです。
攻略本がたくさん出ていますから、一冊くらい買ってきて、読みなさい。
子どもの世界に、あなたが入っていくのです。
そうすれば、子どものほうから心を開いてくれます。
よかったら、私の「BW公開教室」をのぞいてみてください。
(http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/より)

(7)D君が、幼児もしくは小学1〜2年生なら、別のアドバイスができたと思います。
しかし5年生です。
この時期はあっという間にすぎ、子どもはおとなになっていきます。
……というより、すでに半分、おとなです。
(おそらくあなたの異常な過関心と過干渉で、人格の核(コア)形成が遅れている可能性
もあります。幼稚ぽく見えるのは、そのためと考えてください。)

 あなたのできることは、もうほとんどないということです。
もしあるとすれば、先にも書いたように、D君をそういう子どもと認め(=人格を認め)、
そこを原点として再出発することくらいです。

 この先、とくに親子の絆づくりが大切なときがやってきます。
ここでキレツを入れると、そのまま「断絶」ということにもなりかねません。
もしそうなったら、それこそ家庭教育の大失敗ということになります。
それだけは避けてください。

 そのためにも、D君を信ずる。
信ずるということは、疑わないということです。
これはあなた自身との闘いです。
今のあなたにはたいへんむずかしいことかもしれませんが、……というのも、すでに10
年以上も確執がつづいていますから……、がんばってするしかないでしょう。

 よい面を見たら、ほめる。
よい面だけをさがして、それをほめる。
それを繰り返してください。
アラさがしは、タブーですよ!

歌や踊りのことは、先生に任せておけばよいでしょう。
あなたまでカリカリしてはいけません。
D君はますます行き場をなくし、やがて非行(二番底)へと進むかもしれません。

 ずいぶんときびしいことを書きましたが、参考にしてください。
今がまさに正念場です。


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司・林 浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【湯谷(ゆや)温泉・湯谷観光ホテル泉山閣(せんざんかく)に一泊】

+++++++++++++++++++

今日は、湯谷温泉に一泊。
浜松市内から、約45キロ。
車で1時間半と少し。
愛知県と静岡県の県境にある。

以前、電車で来たことがある。
そのときの印象があまりよくなかった。
そのこともあって、期待半分、
心配半分。

しかし来てみて、よかった!
すばらしかった!
泊まった旅館は、「湯谷観光ホテル泉山閣」。
建物は古いが、あちこちがしっかりと
補修してあった。

+++++++++++++++++++

●湯谷温泉(ゆやおんせん)

 自分に合った温泉をさがすのは、むずかしい。
自分に合った温泉に出会うのは、さらにむずかしい。
が、この温泉は、鍵と鍵穴がしっかりと合うように、私の心に合った。
うれしかった。
ホテルのロビーへ入ったとたん、ガチリと、それがわかった。

 私は長良川という川のほとりで、生まれ育った。
実家は田舎の街中にあったが、春夏秋冬、休みになると、母の郷里で過ごした。
現在は関市に編入されている。
岐阜県関市板取村である。
その実家の前を、日本一の清流と言われている板取川(長良川の支流)が流れている。
つまり私は生まれも、育ちも「川・人間」。
川のほとりにある旅館・・・ということで、私の心をしっかりと捉えた。

●板敷川(いたじきがわ)

 貸し切りの露天風呂が3つ。
24時間入れる中浴場(湯船が2つ)。
窓の外には、通称「板敷川(いたしきがわ)」という川が流れている。
まるで板のような、平らな岩盤が、連なって川底を作っている。

正式の名前は、「宇連川(うれがわ)」。
愛知県を流れる豊川(とよがわ)の支流である。
窓の外は全面、緑の山々。
手前に赤茶色の岩々にはさまれて、コバルトブルー色の川が流れている。
旅館に着くと、私とワイフは、すぐ貸し切りの露天風呂へと入った。
目の下すぐを、板式川が流れていた。
おまけに、カワセミ!
セキレイ!
オシドリ(?)らしき鳥。
カワセミを見るのは、40年ぶり。

 ワーッと声をあげたくなるほど、その景色が心になじんだ。
星はもちろん5つ星の、★★★★★。

(ただし、この評価は、きわめて個人的なもの。
客観的な評価とは言いがたい。
ワイフなどは、浜松生まれの浜松育ち。
「川」には縁のない世界で生きてきた。
だからワイフは、こう言った。
「私はあなたほどではないわ・・・」と。)

●泉山閣(せんざんかく)

 今年だけでも、いろいろな旅館やホテルに泊まった。
西浦温泉の銀波荘を皮切りに、三河湾沿いの温泉地に、4か所、泊まった。
その間に、伊良湖岬、浜名湖周辺の旅館やホテルにも泊まった。
伊豆の旅館にもいくつか泊まった。
熱川、伊東、下田……。

 どこもよかった。
しかしこの泉山閣は、格別。
先ほども書いたが、建物は、古い。
部屋も7〜8畳。
補修、改修のあとが、あちこちに残っている。
それが何とも言えない懐かしさというか、独特の風情をかもし出している。

子どものころ、泊まった母の実家。
学生のころ、寝泊りした金沢の下宿。

 旅館やホテルは、建物では決まらない。
サービスのよさでも決まらない。
料理も大切だが、それ以上に重要なのは、心が休まるかどうか。
ほっとするような温もりを覚えるかどうか。
それで決まる。

 私は久々に・・・というか、今年はじめて、この泉山閣に泊まって、
その温もりを覚えた。
(これも私という人間の、きわめて個人的な評価。)

●本気

 旅館やホテルを選ぶとき、最近の私たちはインターネットを使う。
そのこともあって、ハズレが、ほとんどない。
というのも、旅館やホテルのよさは、本気度で決まる。
つまりやる気プラス、活気。
本気度のある旅館やホテルは、泊まっても楽しい。

 で、インターネットに顔を出してくるような旅館やホテルは、それだけ
本気ということになる。
もともとやる気のない旅館やホテルは、世の中の流れに、疎(うと)い。
疎いから、あとは悪循環の中で、評判を落としていく。
一方、やる気のある旅館やホテルは、前向き。
それが両者の「差」を広げていく。

 ただ全国的に、日本の旅館やホテルは、元気がない。
若い人たちを中心に、余暇の過ごし方が大きく変化してきた。
加えて今では、日本のどこかに泊まるよりも、外国に泊まったほうが、
安くあがる。
時代が、変わった。

●ぜいたく

 ところで団塊の世代は、粗雑にできている。
たくましく、荒波にも強い。
そのせいか、「ぜいたく」という言葉に、ある種の抵抗感を覚える。
ぜいたくをするたびに、罪悪感を覚えることもある。
あるいはぜいたくをしている人を見ると、怒りを覚えることもある。
私の息子たちが、そうだった。

 いつだったか、息子たちがスキーに出かけたときのこと。
息子たちは手ぶらで出かけ、手ぶらで帰ってきた。
そこで私が「荷物は?」と聞くと、「宅配便で送った」と。

 これには驚いた。
とたん怒りが、充満した。
「何という、ぜいたくなことを!」と。

 もっともあとになって友人に聞くと、その友人は、こう言った。
「最近の若い人たちはみなそうだよ」と
それを聞き、半分、安心し、半分、あきれた。
私たちの年代の人間は、そういう人間である。

●夕食

 夕食は6時からだった。
会席料理。
石狩鍋に、鮎の塩焼き・・・などなど。
私はこういうところへ来ると、いつも食べ過ぎてしまう。
で、たぶん明日も、1〜2キロ、体重オーバー。

 自分でもバカだと思う。
「食べなければ損なのか、それとも食べたら損(そこ)ねるのか」と問いつつ、
結局は食べてしまう。
前頭連合野の理性の力が弱い。
誘惑に弱い。
欲望のまま生きている。
こういうところへ来ると、それがよくわかる。

●女 

 もうひとつこうした温泉へ来ると、変わった経験をする。
それはワイフが、「女」に見えること。
ふだんは空気のような存在で、まるで女を感じない。
が、こうした温泉では、ワイフが「女」に見える。
ときどき「お前も女だったんだな」と言うことがある。

 そういう意味でも、つまり夫婦円満のためにも、温泉に泊まることは
よいことだ。・・・と思う。

 私たち夫婦は、仲がよいのか、悪いのか、よくわからない。
周期的に喧嘩し、1、2日もすると、またもとに戻る。
たいていは私が家を飛び出す。
これを毎月のように繰り返している。

●団塊の世代

 つまり私たちの世代は、豪華すぎても落ち着かない。
しかし貧弱すぎてもいけない。
ほどほどというか、その許容範囲が割りと狭い。
だからといって仙山閣がどうこうと書いているのではない。
由緒ある旅館であることには、ちがいない。
館内のあちこちに、伝統の重みをズシリと感ずる。
また、チェックインすると同時に、女将自身が、緑茶を立ててくれた。
廊下の角には、生け花がしつらえてあった。
そういった小さな心づかいが、うれしい。

 だから・・・。
「川」に縁の深い人。
こぢんまりとした旅館で、のんびりしたい人。
おいしい料理を食べたい人。
貸し切りの露天風呂につかりたい人。
そして浜松市、豊橋市周辺の人。
プラス団塊の世代前後の人。

 こんな近くに、こんなすばらしい旅館があることを再認識してみたら、
どうだろうか。
私たちは夏も終わり、紅葉の季節にはまだという、言うなればシーズン
オフに、仙山閣に泊まった。
ぞれぞれの季節に泊まれば、もっとすばらしいかもしれない。

●尖閣諸島

 ところで今朝、私は「11次元」について書いた。
そのとき、別の心でこう思った。
まったく話が変わるが、許してほしい。
こうした旅行先では、脳みそがどうしてもハイになる。
そのためつぎからつぎへといろいろな思いが、脳みその表面に飛来しては消える。

 で、この宇宙には、中田島砂丘にある砂粒の数以上の、銀河がある。星ではない。
銀河である。
それぞれの銀河に、やはり中田島砂丘の砂粒以上の星がある。
地球は星ではない。
太陽くらいになって、はじめて「星」と呼ばれる。

 そうした星々が、大宇宙に散らばっている。
この地球は、その大宇宙の中では、チリにもならないチリ。
そのチリの一角で、これまたチリのような島の領有権を争って、
日本と中国が対立している。

 考えてみれば、これほど愚かな対立はない。
しかも、だ。
もし大きな彗星、もしくは隕石が地球に衝突したら、最後。
一瞬にして、人間どころか、あらゆる生物が蒸発する。
そういう可能性がないわけではない。
ないというより、いつそういう衝突が起きてもおかしくない。

 よく地球に向かってくる隕石を核兵器で爆破するというような映画がある。
しかし実際には、不可能。
隕石の大きさ、種類、速度にもよる。
とくに種類が問題。
ガスのような状態の隕石もあれば、鉄の塊(かたまり)のような隕石もある。
地球から遠くで捉えて、進む方向を変えるというのが、もっとも実現性
の高い方法ということになる。

 しかし中には自らガスを噴き出しながら、回転したり、方向を変えたり
するのもある。
つまり今、私たち人類が、かろうじて無事でいられるのは、偶然中の偶然に
過ぎない。
アインシュタインの言葉を借りるなら、奇跡中の奇跡。
どうしてそういう事実を前に、「尖閣諸島」?

●「11次元」(2)

 現在、超重力の世界も含めると、11次元の世界まで考えられるという。
そのうちのたまたま4つの次元が、現在私たちが住んでいる、この世界
ということになる。

 11次元(実際には、もっとあるかもしれない)のうち、別の次元で
構成された宇宙もあるかもしれない。
あるいは線だけの世界(2次元)、さらには時間が止まったままの世界
(3次元)なども考えられる。
さらに時間が逆行する世界も考えられる。
人間のような知的生物がすめる環境かどうかは別として、11次元すべてを
含む世界も考えられる。

 この宇宙も、実に多様性をもった世界ということになる。
しかも、だ。
そうした宇宙が、無限大のその無限大の数だけある(?)。
数に限りをつけるほうが、おかしい。
そうした宇宙が、あちこちで現れては消える。
あたかもバブルのように・・・。

 書き忘れたが、この大宇宙もやがて消滅する。
すべての星々は燃え尽き、素粒子さえも分解して消える。
「無」から生まれた大宇宙は、再び「無」に戻る。

●現実の世界

 その一方で、私たちは光と分子の織りなす世界で、それだけがすべてと
思い込んで生きている。
その姿は、水槽の中で生きている熱帯魚のようなもの。
熱帯魚が宇宙の存在を知ることがないように、人間もまた宇宙の存在を
知ることはない。
ごく一部の人たちを除いて・・・。

 で、問題は、どうすればそのごく一部の人たちの仲間になれるかということ。
せっかくこの世に生まれたのだから、それを知りたい。
知るだけでよい。
自分が科学者になりたいとか、そういうことではない。
その時間もないし、脳みその働きも、かなり鈍ってきた。
「今さら・・・」という気持ちのほうが、先に立ってしまう。
今さら、自分で新しいことを知るのは無理。

 ワイフと2人で、ロビーの外の景色を見ながら、そんなことを考えた。

●旅行

 旅行の話をつづける。

 実のところ、私は若いときは、ほとんど旅行などしなかった。
息子たちをゾロゾロと連れて歩くだけで、疲れてしまった。
それによく偏頭痛に悩まされた。
この病気は、「さあ、今日から休みだ」というその日の朝に、よく発病した。
やっかいで、うとましい病気だった。
が、今はすばらしい薬がある。
それに前兆現象をうまく捉えることができるようになった。
その段階で、薬を調整してのむ。

 で、今になってこう思う。
「もっと旅行をしておけばよかった」と。

 ただ外国旅行は苦手。
飛行機事故にあってからは、回数がぐんと減った。
それまでは毎週のように、世界中を飛び回っていた。
飛行機には乗れるが、行った先で不眠症になってしまう。
それがつらい。

●露天風呂

 夕食後、しばらくしてからまた露天風呂に入ってきた。
夜の川は幻想的。
川の中州が、旅館の光を反射して、白く光っていた。
石英か何か、そういった種類の石が多いのだろう。

 それをぼんやりと見ながら、再び、「ここはいいところだ」とワイフに言った。
川海苔の匂い。
冷気を含んだ、湿った風。
それに森の匂いがブレンドされ、湯から出た体を包む。
遠い昔、つまり子どものころ。
私は子どもながらに、川の中で温泉に入ることを想像した。
どこかにそういう温泉があると、たぶん、祖父か祖母から聞いた。
それでそう思った?

 その夢が、今日、実現した。

●おやすみ
 
 ワイフは今、寝支度をしている。
私も眠い。
今朝は、午前9時半に人と会う約束。
それはすぐ終わったが、そのあと日課プラス、仕事もろもろ。
いつもは午後の1時前後に昼寝をするが、それができなかった。

 そうそうGOOD NEWS!

 長男が断煙している。
今日でもう6日目になる。
長男がタバコを吸い始める前まで、私は禁煙運動を積極的にしていた。
が、長男がタバコを吸っていると知り、それをやめた。
以来、若い人たちがタバコを吸っているのを見かけると、個別に、説教を
繰り返してきた。

 10年ほど前、肺がんで友人が死んだ。
若いときからかなりのヘビースモーカーで、それが原因と言っても、だれも
疑わなかった。
その友人はまさに地獄の苦しみを味わった。
奥さんの話では、それが2年以上もつづいた。
肺を切ったときには、1リットル近い、タールのような血が出たという。
その話を、若い人たちにいつもする。

 もし長男がタバコをやめたら、こんなすばらしいNEWSはない。
久々に、胸の中がスカッとした。
また禁煙運動を再開できる。

 では、今日もおしまい。
忙しい一日だった。
明日もがんばろう。
なお大浴場は、24時間、入れるとか。
夜中に目が覚めたら、入ってみよう。
いや、その前に、(つまりこれから)、睡眠導入剤をのもう。
今夜はぐっすりと眠れそう。

 みなさん、おやすみ。

●鳶(とんび)の餌付け

 仙山閣の名物(?)は、「トンビの餌付け」。
毎朝、8時40分に、ホテルの従業員の人が、ベランダから空を舞うトンビに
餌をまく。
餌は、鳥の皮。
豊橋の養鶏場から冷凍で届けてもらった鳥の皮を、トンビにめがけて投げる。
それをトンビが競って食べる。

 なお、「鳶(とび)」と書くが、このあたりでも、「トンビ」という。
従業員の人が、「昔、三橋道也という歌手が、『♪・・・トンビがクルリと
輪を描いた・・・」と歌いましてね」と話してくれた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●携帯電話症候群

 短い言葉で、グサリと相手を突き刺す。
若い人たちの間で、そんな言い方がふえている。
たとえば私のBLOGや、YOUTUBEへのコメントでも、そうした言い方が目立つ。
今日も、あった。
「ケチとため込み屋」について書いたBLOGに、たった一言、こうあった。
「だれのこと?」と。

 いろいろなふうに解釈できる。
なぞかけ言葉のようですらある。
投稿者は、Jxxxx310とあった。
そこで「Jxxxx310」を、検索してみると、あるロックグループ
の1人ということがわかった。

(こういうところもインターネットのすごいところ。
本人は匿名を使い、自分がだれかわからないようにしているつもりらしい。
しかし同じ匿名をあちこちで使えば、どこかでその人物とつながっていく。
それをたどれば、その人物と特定できてしまう。)

 少し前は、こんなのもあった。
「人生」について書いた原稿に対して、「ごちそう様」と。

 ほかにもいろいろある。
しかし全体として、文章になっていない。
あるいはまともな文章が書けない?
時間がない?
めんどう?
それはわかるが、この先、こうした傾向は強くなることはあっても、弱くなることはない。
私はこうした現象を、「携帯電話症候群」と呼んでいる。
(携帯電話だけが原因とは特定できないが・・・。)
携帯電話でメールをやり取りするときは、できるだけ短文でそれをする。
言葉を縮めることもある。

が、相手と気心が通じているときは、それでよい。
そうでないときは、そうでない。
読んだほうはそのときの自分の気持ちで、それを読む。
たとえば「気取りバカ!」というコメントがあったとする。
相手がわかっていれば、まだよい。
それがわからないと、不気味ささえ覚える。

 さて冒頭に書いた「だれのこと?」。
「お前は自分のことをかいているんじゃないの?」とも解釈できる。
あるいは「勝手にオレのことを書きやがって!」とも解釈できる。
Jxxxx310という人は、自分のことを書かれたと思ったのかもしれない。
しかし私は、もちろんその人物とは一面識もない。
それを確認したあと、そのコメントは、削除した。
つまりその前の段階では、「ひょっとしたら知人のだれかを、傷つけてしまった
かもしれない」と思った。
もしそうなら、謝罪しなければならない。
(謝罪と言うより、弁解?)
「ここに書いた人は、あなたのことではありません。
誤解です」と。

・・・ということで、日本語が、ベーシックな部分で、大きく変化しつつある。
それがよいことかどうかという議論をしても、意味はない。
言葉というのは、その時代、時代の人たちが創りあげていく。
変化していく。
携帯電話症候群というのも、この先、いろいろな形で、日本の社会を変えていくだろう。
日本語の変化は、その一部にすぎない。

●温泉論

 このところ温泉に入る機会がふえた。
月に2、3回は、どこかの温泉に一泊するようにしている。
気分転換というより、ボケ防止策。
これも老人現象(老化現象ではなく、「老人現象」)。
若いころは、「温泉」と聞いただけで、どこかジジ臭く感じた。
が、今は、それが楽しみ。

 宿を選ぶ。
それが楽しい。
宿に向かう。
それも楽しい。
もちろん温泉につかるのも、楽しい。

 で、その温泉に行くたびにこう思う。
「もっと若い人たちが来られるようにするには、どうしたらいいか」と。
いらぬ節介だが、今は、どこへ行っても老人ばかり。
が、これでは温泉に明日はない。

 そこでワイフに相談すると、(相談するような話でもないが)、ワイフはこう言った。
「若い人たちは遊ぶのが目的だから、近くに遊ぶところがあればいいわね」と。
つまり旅館やホテルに泊まるのは、あくまでも手段であって、目的ではない、と。

 ナルホド!

 私にとっては、旅館は、泊まるのが目的。
ホテルであっても、あえて和室を求める。
たいていどこの旅館にも洋室と和室が用意してある。
和室のほうが割高になっている。
が、洋室では、どうも落ち着かない。
ゴロンと横になって・・・ということができない。
だから和室を選ぶ。

 となると、これからの旅館やホテルは、年配者を念頭において、経営を
考えたほうがよい。
(すでにそうしているのだろうが・・・。)
少し前、寸又峡(すまたきょう)にある、旅館に泊まった。
NHKのハイビジョン放送でも紹介されたことのある由緒ある旅館だった。
その旅館のばあい、一室が昭和20年代の博物館のようになっていた。
私はそれを見て、たまらないほどの懐かしさを覚えた。
そういった配慮は、これから先、もっと必要になるかもしれない。

・・・ということで、今日も始まった
10月6日、午前6時18分。
昨夜遅くこの山荘にやってきた。
中部電力の担当者と、会う約束になっている。
このところ電線がサルの遊び場になっている。
その対策を話し合う。

Hiroshi Hayashi++++++Oct 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【11次元の世界】

●超次元

++++++++++++++++++

昨夜、山荘へ来る前、コンビニで、
「本当は怖い宇宙」という本を買った
(イースト・プレス・堀江純監修)。
1時間ほどかけ、一気に読んだ。
おもしろかった。
その本を読み終えたとき、どういうわけか、
孫の誠司を思い出した。

+++++++++++++++++

●誠司

 私のHPや、BW教室のコマーシャルに、孫の誠司の写真を使っている。
HPを開いたころ、誠司が生まれた。
それまでも遊びであれこれしていたが、誠司の誕生がきっかけになった。
当初は、誠司の写真集(アルバム)のようなものにするつもりだった。

 その誠司の父親、つまり私の二男は、現在、インディアナ州にある、
インディアナ州立大学で、コンピューターの技師をしている。
何やらたいへんなことをしているらしい。

●CERN

 ヨーロッパ(スイス)に、欧州原子核研究所(CERN)というのがある。
2008年9月に運転を開始したCERNの、「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」
は、周囲が27キロにもなる世界最大の粒子加速器という。

 二男はそこから出てくるデータをコンピューターで処理している。
が、何しろその量が膨大らしい。
「大型スパコンでも、どうしようもない」(二男)と。
そこで二男は、何人かの技術者と協力し、全世界の数十万台にもおよぶ
中型コンピューターをつないで、その処理を行っている。
つまりそのソフト開発に携わっている。

 どうしてスイスのCERNのデータを、アメリカで?、と思う人も
多いかもしれない。
私もそう思った。
が、二男は、こう教えてくれた。
「今ではそうしたデータは、すべて通信衛星を介して、リアルタイムに、
インディアナ大学に届くようになっている」と。
仲間の技術者にしても、ニューヨークとラスベガスに住んでいる、とも。
「不便はないのか?」と聞くと、「テレビ電話で仕事をしているよ」と。

 インディアナ州立大学といっても、端から端まで車で2時間もかかるという。
日本人の私たちには、想像もつかない、広大なキャンパスを誇る。

●ブラックホール

 話は少し飛躍するが、CERNでは、ブラックホールを作り出すことも可能
という。
「きわめて小さなブラックホールだから、問題はない」ということらしいが、
「へたをすれば、そのままこの地球のみならず、太陽系がそのまま消滅して
しまうかもしれない」と、警告を発している科学者もいる。
瞬時にブラックホールに飲み込まれてしまうから、私たちがそれに気づくことはない。
パッと消える・・・というより、その「パッ」もわからないまま、地球もろとも
消滅する。
考えてみれば、これほど恐ろしい話はない。

●異次元の世界 

 私たちは、(縦)x(横)x(高さ)、それに(時間)を加えて4次元
の世界に住んでいる。
しかし科学の世界では、すでに10次元まで解明されている。
残りの6次元は、10の33乗分の1センチという小さな世界に閉じ込められて
いる。
現在では、それに「超重力」を加えて、11次元まで考えられているという。
が、ここからがおもしろいところ。

 たまたま私たちは4次元の世界に住んでいるが、どうしてこの4次元だけが
表に出てきたのか、本当のところは謎なのだそうだ(上述、同書)。
そこで素人ながら、いろいろ考えてみる。

●模擬・異次元の世界

 たとえば目を閉じてみよう。
すると前に見える景色は消え、光も消える。
(実際にはまぶたの裏の模様が見えているが・・・。)
とたん、3次元の世界(縦x横x高さ)は、手探りの世界ということになる。

 が、それに代わって脳みその世界が、そこに現れる。
この時点で、もし私たちが脳みその中にある記憶を自由に選択、見たり
聞いたりすることができたとする。
すると少なくとも私たちは時間の世界を、自由に遊飛することができることになる、

 未来へ行くことは無理かもしれないが、過去へは自由に行ける。
それに脳みその世界には、3次元は存在しない。
長さという概念そのものもない。
空間も無限に広い(?)。

 もちろんこれは私という素人が考えた、模擬的異次元の世界である。
が、目を開くと、再びそこに四次元の世界が広がっている。
当たり前に見える世界かもしれないが、けっして当たり前でない。
だから「謎」というになる。

●「本当は怖い宇宙」

 宇宙はいつごろ、どのようにして誕生したか?
「宇宙への旅」(同書)によれば、こういうことらしい。

「10の44乗分の1秒後〜10の34乗分の1秒後というごくわずかな
時間で、インフレーションと呼ばれる激しい膨張が発生した。
インフレーションにより、10の34乗分の1センチメートルという極小の
宇宙は、一気に10の100乗倍にふくらんだ」と。

 私たちがよく口にする「ビッグバン」は、そのあとに起こった。

「宇宙誕生から10の34乗分の1秒後にビッグバンが起こり、真空エネルギー
が熱エネルギーに変換された。
宇宙は超高温、超高密度の火の玉のような状態になった。
それがどんどんと膨張していき、それとともに密度が希薄になり、温度が
さがっていった。
そして現在のような状態になった」と。

 ではビッグバンを起こしたエネルギーはどこから来たのか?
それについては、こうある。

「当時の宇宙は、温相の真空と呼ばれる状態で、真空エネルギーに満ちていた。
それがインフレーションを発生させたと考えられている」と。
それが今から137億年前に起きた。

●素粒子

 物質を構成する最小の単位を、「素粒子」という。
現在素粒子は、数10種類が発見されている。
が、ここで素粒子を「大きさのない点」と考えると、矛盾が生じてくる。
大きさがないとなると、重量は無限大ということになってしまう。
コーヒーに入れる角砂糖を、無限に小さくしてみたばあいを考えて
みればよい。
無限に小さくすればするほど、反対に質量は無限に大きくなることになる。

 そこで考えられたのが、「ひも理論」。
素粒子にも大きさがあると考え、しかも「点」ではないと考えるようになった。
結果、素粒子はひものようなもの・・・ということになった。
「ひも理論」が生まれた。

 ただ素粒子の大きさは、10の33乗分の1センチ。
直接その形を見ることは不可能。

・・・というようなことを、CERNでは研究している。

●さらに・・・

 先ほど4次元の世界(私たちが現在住んでいる世界)について書いた。
が、科学の世界では、11次元の世界まで考えられている。

 そこでさらにこの考えを推し進めていくと、こうなるのだそうだ。

 つまり4次元の世界を、一枚の膜にたとえると、5次元以降の世界は
その膜の向こう(裏でもよいが)にあることになる。
これを「余剰次元」というのだそうだ。

 こうして考えていくと、こんどはさらに、その向こうに私たちが住む
世界と同じ、4次元の世界があるということになる。
私なりに頭の中を整理してみると、こうなる。

(4次元の世界)→(5次元以降の世界)→(4次元の世界)→・・・と。

 わかりやすく言うと、この世界だけがゆいいつの世界ではなく、別の世界が、
それこそ無限の数だけ、その向こうにあることになる。
そうした世界を、「パラレルワールド」という。

(いよいよおもしろくなってきた!)

 つまり私たちが現在目にしているこの世界(大宇宙でもよいが)は、
一枚の「膜」の上の世界にすぎない。
その膜の向こうに、目には見えないが、5次元以降の世界が隠されている。
さらにその向こうには、別の4次元の世界が隠されている。
それが延々と、無限につづいている。

 ハア〜〜?、と思ったのは、私だけではないと思う。
しかし今、どうやらそのあたりが、「科学的には常識的な世界」ということになる。
言い換えると、「無知」という点では、人間も、そこらにいるサルも、それほど
そんなにちがわないということ。

(このあたりには、サルの集団が群れを作って住んでいる!)

●終わりに・・・

 朝日が東の山から顔を出してきた。
ワイフは、まだ床の中。
私は、窓の外に見える山々の景色を見ている。

 いつか遠い未来ではなく、20年後とか30年後には、11次元の世界が
どんなものであるか、直接人類は体験することができるようになるかもしれない。
その研究は、着々と進んでいる。
恐らく二男は、私よりはるかにその世界に近いところにいて、日々に感動し
驚いているにちがいない。
ただ残念なのは、先日も二男がこう言ったことだ。

 私が「日本ではそういう研究はできないのか?」と聞いたときのこと。
二男はあっさりと、こう言った。
「東京に、ぼくの職場はない」と。

 現在、世界のコンピューターをつなぐ方式は、アメリカ方式とヨーロッパ
方式に分かれている。
それぞれ別の固有名詞で呼ばれている。
二男はその2つの方式をひとつにまとめるソフトを開発している。
「何やら、とんでもないことをしているらしい」(二男に会ってきた三男の話)。

 本来なら日本がその分野のリーダーとして君臨していても、おかしくない。
「遅れた」というより、日本はすでに世界から相手にされていない。
そういう印象を、私はもった。

●誠司

 誠司の写真は、私のHPのあちこちに飾ってある。
全体として、誠司のアルバムのようになっている。
今度誠司の写真を見たら、どうかその向こうに、CERNの技術者として
働いている二男の姿を想像してみてほしい。

 遠く離れて住んでいるので、私としてはさみしいが、そういう仕事をしているのなら、
あきらめもつく。
ここはただひたすらエールを送るしかない。
日本のためというより、人類全体のため。
がんばれ!
宗市!

(以上、参考文献:「本当は怖い宇宙」イースト・プレス(福江純監修)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 CERN 欧州原子核研究所(CERN) 大型ハドロン衝突型加速器
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□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 11月 1日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

11月1日  第1433号になりました!

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HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●言語能力

 ついでに、澤口俊之氏は、「言語能力こそが重要」と説く(「したたかな脳」日本文芸社)。

 私も、そう思う。

 言語能力のあるなしで、その人の知性を決める。「ヒトとサルの違いは、この言語能力の
あるなしである」(同書)という。

 私も、そう思う。

 つまりその言語能力を喪失したら、ヒトは、ヒトでなくなってしまう。ただのサルにな
ってしまう。

 が、最近、その言語能力のない人が、ふえてきた。いろいろな原因が考えられているが、
要するに、人間、なかんずく日本人が、それだけ「バカ」(養老孟子)になってきたという
ことか。

 先日も、コンビニで立ってレジがすむのを待っていたら、前に立っていた母親が、自分
の子どもに向かって、こう叫んでいたという。

 「テメエ、騒ぐと、ぶっ殺されるぞオ!」と。

 これは、ある小学校の校長先生が話してくれたエピソードである。服装や、かっこうは
ともかくも、その母親の頭の中は、サル同然ということになる。

 つまりは思考能力ということになるのだろうが、それを決定づけているのが、大脳の中
でも前頭連合野である。最近の研究によれば、この前頭連合野が、「人格、理性と深いかか
わりがあることがわかってきました」(同書、P34)という。

 その前頭連合野の発達のカギを握るのが、ここでいう言語能力である。しかもその発達
時期には、「適齢期」というものがある。言語能力は、ある時期に発達し始め、そしてある
時期がくると、発達を停止してしまう。「停止」という言い方には語弊があるが、ともかく
も、ある時期に、適切にその能力を伸ばさないと、それ以後、伸びるといことは、あまり
ない。

 それを「適齢期」という。

 私の経験では、子どもの、論理的な思考能力が急速に発達し始めるのは、満4・5歳か
ら5・5歳と、わかっている。この時期に、適切な指導をすれば、子どもは、論理的に考
えることができる子どもになるし、そうでなければ、そうでない。

 この時期を逸して、たとえば小学2年生や3年生になってから、それに気がついても、
もう遅い。遅いというより、その子どものものの考え方として、定着してしまう。一度、
定着した思考プロセスを修正、訂正するのは、容易なことではない。

 で、言語能力については、何歳から何歳までということは、私にはわからない。わから
ないが、その基礎は、言葉の発達とともに、小学生のころから、大学生のころまでに完成
されるのではないか。

 この時期までに、ものを考え、言語として、それを表現する。そういう能力を養ってお
く必要がある。

 澤口氏は、「日本人の脳の未熟化が進んでいる」(同書、P130)と、警告しているが、
このことは、決して笑いごとではすまされない。
(はやし浩司 言語能力 大脳 前頭連合野 適齢期 (はやし浩司 家庭教育 育児 
育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education 
essayist writer Japanese essayist メルツオフ メルツォフ 乳幼児の記憶 視床下部 
辺縁系 扁桃核 扁桃体 カテコールアミン はやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司・林 浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幼児に分数を教えてみる】BW実験教室(浜松)Hamamatsu Japan
(幼児に分数の概念は理解できるか? 幼児の能力と可能性についてbyはやし浩司)

●嫌われ代行業

「教育」とはいうものの、中身は、嫌われ代行業。
勉強が好きで学校や塾へ通う子どもは、まずいない。
イギリスでは、『学校監獄論』が、今でも根強く残っている。
『子どもは生まれながらにして、10年の懲役刑が科せられる』という格言もある。
勉強にはある種の苦痛がともなう。
その苦痛が、子どもをして、勉強から遠ざける。

そこでまだ判断力の乏しい幼児の段階から、「勉強とはしなければならないもの」という
意識を叩き込む。
またこの時期を逃すと、その(しつけ)はむずかしい。

中には、きれいごとを並べる人もいる。
そうでもしなければ、自己否定につながってしまう。
しかし本音を言えば、嫌われ代行業。
ついでに言えば、人間選別機関。
日本では、明治の昔には、「もの言わぬ従順な民づくり」が教育の柱になっていた。
「戦争に行け!」と言われれば、黙ってそれに従う。
それが「民」としてのあるべき姿と考えられていた。

かなり過激な、かつ否定的な教育観だが、もちろんそれだけではない。
一部だが、「学ぶことの楽しさ」もある。
「教えることの楽しさ」もある。

私はこの2つを、自分の教室を通して、追求してきた。
「幼児教室」というと、誤解と偏見に満ち溢れている。
数か月前だったが、AERAという雑誌が、「早期教育無用論」を載せた。
「幼児期に文字を覚えても、小学校ですぐ追いつかれる」と。
古典的というより、時代錯誤もよいところ。
引用した文献が、1970年以前のもの。
何も文字教育だけが、幼児教育ではない。

たとえば今週、私は幼児に「分数」を教えてみた。
「分数の概念」と書くほうが正しい。
幼児たちが、どこまで食いついてくるか、それを知りたかった。
その様子は、YOUTUBEのほうに収録しておいたので、興味のある人は、
(はやし浩司のHP)→(BW公開教室)へと進んでみてほしい。

とくにAERAの編集部の人たちには、見てもらいたい。
誤解と偏見を解いてもらいたい。
そのかわり、幼児たちの思考の柔軟性、可能性にもっと率直に驚いてほしい。
「幼児に分数?」と驚いているあなたたちのほうが、おかしい。
それをわかってほしい。

つまり私は嫌われ代行業。
親に嫌われ、子どもに嫌われ、社会に嫌われ……。
それを納得した上で、「そうであってはいけない」「そうでない教育もあるはず」と、
ずっと考えてきた。
今がその結果ということになる。

で、今日、分数(分数の概念)を教えてみた。
結果は、大成功。
子どもたちがずっと笑っていた。
その笑い声こそが、成果!
幼児でも、ちゃんと分数の概念を理解することができた!

なおこの時期に、分数の概念の「種」を蒔いておくと、(私はよく幼児教育は種蒔きと
思うことがある)、そのあと子どもたちは自分の力でその種を育ててくれる。
学校の勉強で役立つとか、立たないとか、そんなことは考えない。
考えても意味はない。

なぜなら学校のカリキュラムにしても、神様が決定したものではない。
DNAの中にそれが組み込まれているわけでもない。
AERAにしても、「へたに先取りしてできるようになると、学校の勉強が
つまらなく見えてくる」というようなことを書いていた。
一体、何十年前の話?

高校生の大半が授業中に居眠りをしているという現実を、AERAは、どの程度
知っているのか?

AERAばかりを攻撃したが、そのときの反論記事を末尾に再掲載しておく。

少し頭が熱くなったが、だからといって教育を否定しているのではない。
要するに、内容と教え方。
それを見失うと、「教育」ほど、つまらない仕事はないとなる。

今日、ひとつの実験教育として、幼児に分数を教えてみた。
改めて繰り返す。

幼児のもつ柔軟性、可能性をもう一度、YOUTUBEを見て、再確認してほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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幼児と分数 分数の学習 分数の勉強 BW子どもクラブ BW教室 AERA誌への疑
問と反論 AERAの偏見と誤解 時代錯誤 早期教育無用論に反論して はやし浩司)

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2010年 月に書いた原稿です。

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●早期教育効果は小学生で消える(?)「AERAの記事に、疑問あり!」(改訂版)

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こんな記事が、AERAという雑誌に載っていた。
いわく「早期教育効果は、小学生で消える」と。

つづいて、
「……小学校入学前に読み書きを習得する子どもは多い。その風潮に警鐘を
鳴らす研究が報告されている。本質的な学力を決めるのは親子関係だという」と。

しかしこの原稿には、いくつかの言葉のトリックがある。
その第一、「早期教育」を、「読み書き」にすり替えている。

たしかに「読み書き」については、その効果は「小学校で消える」。
たとえば計算力にしても、幼児期に速くできるようになったからといって、
それがそのまま「数の力」に結びつくとはかぎらない。

よい例が、幼稚園によっては、かけ算の九九を暗唱させているところがある。
が、九九が言えるようになったからといって、「算数の力」が身についた
ということには、ならない。

が、こんなことは常識。
その常識を、逆手に取って、「小学生で消える」とは?

さらに言えば、消えたところで、無駄とは言い切れない。
その上に、さらに新しい知識を組みあげていく子どももいる。
(そうでない子どもも、もちろんいるが……。)

あえて言えば、「早期教育」と言っても、「知識教育」から離れ、最近では「考える子ども」
にするのが、ひとつのテーマになってきている。
ごく最近では、「Active Learning」という言葉も使われるようになった。
「ものごとに積極的に取り組む子どもにするための指導」という意味である。

「文字の読み書き」ではない!

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●読み書き

 「読み書き」をもって、早期教育と位置づける。
「だから、早い時期から学んでも、意味がない」と。
この原稿の最大のミスは、ここにある。
つまりこの原稿を書いた人は、「幼児教育」というのが、何であるか、よくわかっていない。
「早期教育」、さらには「先取り教育」の意味もよくわかっていない。
さらに最近話題になっている、「臨界期」という言葉も、知らない?

 たとえば、こんなことも書いてある。

「また、別の研究でも、漢字の習得では、早期教育を受けなかった子どもとの差は小学校
2年生ごろに消滅し、むしろ国語嫌いは早期教育を受けた子に多かったということもわか
っている(黒田実郎、「保育研究」)」(AERA)と。

(しかしこの資料も、調べてみたところ、1969年「日本保育学会」「就学前の幼児の恐
怖」の中に収録されているものとわかった。
1969年といえば、40年以上も前!
大阪万博の前の年の資料!)

 それはさておき、それはその通り。
無理な文字指導が、子どもを文字嫌いにするという例は、多い。
その(文字嫌い)が悪循環となって、子どもを(国語)から、遠ざける。
たとえば年中児でも、「名前を書いてごらん」と声をかけただけで、体をこわばらせる子ど
もは、いくらでもいる。
中には涙ぐむ子どもさえいる。
文字に対して恐怖心をもっているためである。

 こんなことは、少し幼児に接してみれば、だれにでもわかること。
また幼児に接した経験のある人なら、だれでも知っている。
それを、ことさら学者名まで出して強調するところが、わざとらしい。

 逆に、世界広しといえども、幼児期の幼稚園教育で、文字の読み書きを教えないのは、
この日本だけ。
そういう事実をさておいて、あたかも「幼児期に、文字教育は必要なし」というような印
象を与えるのは、どうか。
誤解というより、偏見。

 そして「文字教育」を例にあげながら、「幼児期には何もしないほうがいい」というよう
な印象を読者に与える。

こうした論法には、「?」マークを10個くらい、並べたい。
大切なことは、「教える」ではなく、「文字の読み書きは楽しい」ということを教えること。
それが幼児教育。
またそれが重要!

●偏見

 さらに……。

「……早期教育熱はやがて中学受験熱に変わる。Aさんの長女は、過酷な競争を勝ち抜き
都内の難関の中高一貫進学校への入学を果たしたが、その後勉強熱が急速に冷めてしまっ
た。競争の激しい進学校で成績は伸びず、大学受験は苦労した。

 有名中学に合格し、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れてしまったかのように、そ
の後の成績が伸び悩む例は多い。子どものストレスは早期教育で終わらない。小学校に入
れば塾通い、中学受験、それが終わっても大学受験と、常に急き立てられていく」(AER
A)と。

 これを読んだときには、ア然とした。
このライターは、「燃え尽き症候群」「荷下ろし症候群」という言葉さえ、知らない?
そんな印象すらもった。

 たしかにこのタイプの子どもは、多い。
浜松市内の進学高校でも、高校入学と同時に、約20%の子どもが、燃え尽きる。
そのため無気力になったり、怠学に陥ったりする。
それはそれだが、だからといって、みながみな、そうなるわけではない。
何も受験競争の肩をもつわけではないが、「だから教育は無駄」式の論法には、首をかしげ
る。

 つまりここでも、「受験競争」と「早期教育」を、言葉のトリックを使ってすりかえ、読
者を煙に巻いている。

●親子のかかわり

 幼児教育の第一は、「親子のかかわり」で始まる。
またそれで終わる。
その重要性は、基本的信頼関係に始まって、心の育成などなど、今さらあえて説くまでも
ない。
が、ここでも、このライターは、言葉のトリックを使っている。
つぎの文章を、よく読んでほしい。

 「……長男は文字をほとんど書けないまま小学校に入学した。入学後、近所の5歳の女
の子が持っていた「お勉強ノート」を見て圧倒された。画数の多い小学校中学年向けの漢
字がびっしりとノートのマスを埋めていた。入学後も、わが子がカタカナに四苦八苦する
傍らで「5年生の漢字が書けるよ」「九九できるよ」と豪語する級友の存在を知り、長男が
勉強についていけるか心配になった。

 しかし、お茶の水女子大学の内田伸子教授(発達心理学)は、文字の読み書きなどの早
期教育に批判的だ。内田教授は昨年秋の東アジア学術交流会議で「幼児のリテラシー習得
に及ぼす社会文化的要因の影響」調査を発表した」(AERAより)と。

 ある親は、ほかの子どもが、スラスラと漢字を書いている子どもを見て、ショックを受
けたという。

(5〜6歳の子どもが、5年生の漢字を書く?
しかし私は幼児教育を40年もしているが、そんな子どもを見たことがない!
本をスラスラと読む子どもはいたが、漢字を書いた子どもは知らない。
もし本当にいるとするなら、心に何らかの障害をもった子どもということになる。
その子どもがそうというわけではないが、たとえば自閉症の子どもは、ある特定のことが
らに、ふつうでない(こだわり)を示すことがある。
全国の駅名を暗記する、どんな音楽でも一小節を聞いただけで、曲名を当てる、など。
5歳児が、5年生の漢字を書くというのは、おおげさというか、きわめてマレなケース。)

 つまりそういうトンデモナイ例を引きながら、その一方で自分の原稿に権威付けをする
ため、大学の教授名を並べる。
いわく、「……すでに内田教授は20年以上前に実施した調査で、3、4歳で文字を習得し
ている子と、習得していない子との差は、小学校入学後に急速に縮まり、1年生の9月に
は両者の差は消えてしまうということを指摘してきた」と。

 (この資料も、20年前の資料!)

●過熱する幼児教育?

 早期教育というと、文字教育と考える。
早計というか、無知。
無知というか、誤解。
あるいは偏見。
私も「文字」をテーマに、レッスンを進めることは多い。
しかし「文字を教えよう」という気持ちは、さらさらない。
先にも書いたように、「文字は楽しい」ということは、教える。
もっと言えば、子どもたちを、楽しませる。
「文字は楽しい」という思いが、良循環となって、その子どもを前向きに引っ張っていく。
それが幼児教育。
その重要性は、ここに改めて書くまでもない。

 それをさておいて、「子どもには、必要な栄養食品だけを与えておけばいい」
「料理は無駄」と。
さらに言えば、こんなことも言える。
「大学へ入っても、無駄。人生の結論は、死ぬときの死に際の様子で決まる」と。
どこかのカルト教団が、信者たちにさかんに説いている言葉である。
このライターの(おかしさ)は、その一点に集約される。

●不適切な指導

 このライターの意見によるまでもなく、不適切な指導で、伸びる芽すら摘まれていく子
どもは、多い。
たとえばここでは「読み書き」がひとつのテーマになっている。
実のところ私の二男もそうだった。

 私の二男は、生まれつき、左利き。
私たち夫婦は、自然の流れに任せた。
が、小学校へ入学して一変した。
学校の先生から、「文字は右手で書かせてください」と。
担任の先生が、書道の先生であったことも、災いした。

 毎晩、二男は泣きながらノートに漢字を書いていた。
鏡文字はもちろんのこと、書き順もめちゃめちゃ。
で、1年もたったころ、私は学校の先生に向かって、こう宣言した。
「息子は、左利きで通します。無理な指導は結構です」と。

 それに対して先生は、こう反論してきた。

「冷蔵庫でも、何でも、右利き用にできています。
不便を感ずるのは、あなたのお子さんですよ」と。

 が、さらに私は反論した。
「そんなことは、慣れれば何でもないことです!」と。

 そういう問題はある。
あるが、一方的に、「消滅するから無駄」という論法には、かなり強い違和感を覚える。

●針小棒大論

 受験塾の受験競争には、私も批判的。
擁護したことは、一度もない。
しかしそれは「学習」という面からではなく、「心の育成」という面から、問題にしてきた。
またそのような趣旨で、原稿を書いてきた。

 それをストレス説と結びつけて、「子どもの教育はストレスにつながる」と一方的に決め
つけている。
さらにいつの論文かは知らないが、「脳神経学的に胎児期や乳幼児期の早期教育の有効性を
正当化する科学的根拠はないとしている」(お茶の水女子大学の榊原洋一教授は、著書『子
どもの脳の発達臨界期・敏感期』)と。

 だったら、「野生児」の問題など、なかったはず!
ある時期、親子のふれあいのなかった子どもが、どうなるか?
野生児と呼ばれた子どもを知っていれば、こんな意見は出てこないはず。
「科学的根拠」というが、その研究は、今、始まったばかり。
「臨界期」という言葉が、再びクローズアップされてきたのは、ここ数年のこと。

 そこでこの本(『子どもの脳の発達臨界期・敏感期』)の発行年月日を調べてみたら、2
004年とわかった。
6年前!
現在は、廃刊になっている。
当時は「科学的に」は、無理だったかもしれない。
が、ここ数年の、脳科学の進歩には、著しいものがある。
脳の中の動きを、リアルタイムで観察することもできるようになった

 AERAという影響力の大きい雑誌だけに、こうした記事は、残念でならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 AERAへの異論、反論、オブジェクション)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【AERA記事への異論】

●反響(AERA・アエラの記事への反論)

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数日前、雑誌「AERA」の記事に対して、
反論原稿を書いた。
その原稿にたいする反響には、ものすごい
ものがある。
直接的な意見はまだ届いていないが、「アラーム」
という機能を使うと、反響の大きさが、数字でわかる。
私の原稿を取り上げたBLOGやHPの数が、
そのまま、数字として、表示されるしくみになっている。

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●「AERA」の記事

 「早期教育効果は小学生で消える」と題した、雑誌「AERA」の記事を要約すると、
こうなる。

 早期教育の一例として、「読み書き」をあげ、幼児期に読み書きを教えても、その効果は
小学校で消える。
そればかりか、無理な学習が、子どもを勉強嫌いにしてしまう。
「臨界期」というのは、科学的に証明されたものではない。
むしろ家で、先取り教育をすると、子どもは学校での勉強をつまらなく思ってしまうよう
になる……などなど。

 その一例として、5〜6歳児が、小学5年生で学ぶ漢字を書いた子どもの例、高校へ入
ったとたん、無気力になってしまった子どもの例などが、書いてあった。

 その底流に見え隠れするのは、「塾必要悪論」、もしくは、「家庭教育不要論」。
結論は、「あわてて教育しても、無駄」と。

私はその記事を一読して、「これはいつの原稿か?」と、ライターの常識というよりは、年
齢を疑った。
今から25年ほど前の原稿というのなら、まだ話もわかる。
しかし今、どうしてこの時代に?

●親子のふれあい

 たまたま先月、私は、「ママターナル・デプリベイション(Maternal Deprivation)(母
性愛欠乏)」についての原稿を書いた。

マターナル・デプリベイションというのは、「乳幼児期の母子関係の不全」をいう。
乳幼児期に、母子関係が不全だったりすると、それが後々、さまざまな症状の遠因となる
ことがある。
その一部を、転載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8〜10%はいる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。

その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。

さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。

もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デプリベイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●早期教育

 雑誌「AERA」では、「親子のふれあいこそ大切」と書いている。
しかしそんなことは、今では、常識。
常識中の常識。
が、それはここにも書いたように、「マターナル・デプリベイション」という分野で、考え
られるべき問題。

が、どうしてそれが、「早期教育」と結びつくのか?
「早期教育不要論」と結びつくのか?

 要するにAERAのライターは、「無理な早期教育の結果、親子のふれあいが犠牲になる」
と言いたいのだろう。
が、ここでライターは、巧みに言葉のトリックを使っている。
(あるいは、「早期教育」の意味さえ、知らないのでは?
「先取り教育」と「早期教育」を混同している?)
何も文字の「読み書き」だけが、早期教育ではない。
また早期教育をしたからといって、親子関係が破壊されるというものでもない。

 AERAでは、無理に進学塾へ通わされた子どもの例や、目的の学校へ入学したとたん、
無気力になってしまった子どもの例などをあげている。
そしてその上で、「臨界期なるものは、科学的に証明されたものではない」と。

 ?????

 ライターは、自説を補強するため、20年前、40年前の資料を、(〜〜教授)などと実
名を添えて、並べている。
こうした手法は、多くのライターが使う。
自説に不安を感じたとき、権威者の名を借りて、それを補強する。
それにしても古すぎる!

 が、「臨界期」はある。
また臨界期をはずすと、人間は人間でなくなってしまうこともある。
その一例が、「野生児」である。
インドで1920年代に見つかったオオカミ姉妹にしても、同じころフランスで見つかっ
た、ビクトールという少年にしても、それ以後、人間生活に復帰することはなかった。
言葉すら、覚えなかった。
人間らしい人間の心を取り戻すこともなかった。

 もっと簡単な例で言えば、小学校へ入学してから、音楽教育をほどこしても、そこそこ
の才能を見せるようになることはあっても、そこまで。
あえて言うなら、「読み書き」(=国語能力)について言えば、親子のふれあいというより
は、母親の言語能力が子どもに大きな影響を与える。
母親が、「ホラホラ、バスバス、ハンカチ、もった?」というような話し方を日常的にして
いて、どうして子どもに国語力がつくというのか。
こういうとき母親は、子どもには、こう言う。

「もうすぐ、お迎えのバスが来ます。あなたはハンカチをもっていますか」と。
つまりこれが、わかりやすく言えば、「早期教育」である。

 AERAは、5〜6歳の子どもが、小学5年生で習う漢字を書いている例をあげている。
が、私は、40年近く幼児と接しているが、そんな子どもを見たことがない!
もしいるとしたら、自閉症(アスペルガー)の子どもということになる。
このタイプの子どもは、ある特定のことがらに、ふつうでない(こだわり)をもつことが
ある。

●小学校で消失?

 「計算力」と「算数の力」は、別。
計算力は、訓練で身につく。
しかし算数の力は、簡単には身につかない。
生活環境やその子どもの知的能力が、大きく影響する。

 同じように、「読み書き」と「国語の力」は、別。
読み書きは、訓練で身につく。
しかし国語の力は、簡単には身につかない。
生活環境やその子どもの知的能力が、大きく影響する。
ともに「思考力」の問題ということになる。

 その「思考力」を養うのに、早すぎるということはない。
乳幼児期でも、早すぎるということはない。

 が、AERAは、(読み書き)を例にあげ、そうした力は、小学校で消失する、と。
だから「早期教育は不要」と。
バカバカしいというか(失礼!)、反論するのも、疲れる。


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司・林 浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●10月4日(2010)

今朝はパソコンの不調で始まった。
I.E.が、そのつどフリーズしてしまう。
症状としては、XPパソコンのときのメモリー不足の状態に似ている。
そのつど時間をかけて、ハードディスクとメモリーの間で、スワップしている感じ。

さっそくデータの保存をかける。
この先、何があるかわからない。

原因はたぶん、モデムの不調?
ほかの作業は、今のところ、サクサクとこなす。

(この間、10分前後)

Cディスクの重要ファイルは、Dディスクにコピーした。
さらに念には念を入れて、外付けハードディスクに、全上書きコピー。
目下その作業中。
20GB近くもある。

そのせいか、こうしてワードで文章を書いている最中も、断続的に作業が停止してしまう。
漢字変換が、思うようにできない。
ウィルスの侵入ということはないと思うが、あとでチェックするつもり。

●尖閣諸島問題

 尖閣諸島近辺で、アメリカ軍が自衛隊と、共同軍事演習をするという。
ついでに東シナ海でも。
空母、原子力潜水艦も参加するという。
しかしこんなことをしても、問題を先送りするだけ。
かえって中国人の反発を買うだけ。
禍根を後世の人たち、つまり現在の若い人たちに残すだけ。

 やり方が、ちがう!

 「力」を「力」で抑えてはいけない。
中国の偽装漁船が、尖閣諸島付近で、日本の巡視船に体当たりをしたとき、
東南アジア、ヨーロッパで猛烈な中国批判が巻き起こった。
それが「正義」の力。
どうしてその正義の力を、もっと大切に、かつ生かさないのか。

 韓国は対北朝鮮を念頭に置いて、米韓軍事演習を行った。
それに横やりを入れたのが、中国。
しかし今度は、対中国を念頭に置いた、日米軍事演習である。
性格も規模もまるでちがう。
つまり危険きわまりない。

 アメリカに後ろ盾になってもらうのは、現在の極東情勢の中では、有効かもしれない。
しかし「力」に訴えるのは、最後の最後。
少し稚拙すぎる!

 が、演習はすでに決定されたという。
ならばできるだけ小規模に。
中国を必要以上に刺激しないものであることを願う。

『真の平和は、相手国の平和を第一に考えてやったときに、やってくる』(ネール)。

●昨日(10月3日)

 昨日山荘から、歩いて帰った。
途中で、ワイフに見つかってしまった。
叱られた。
「どうして、あなたは無茶をするの!」と。

 あとは車で帰った。
27キロ前後なら、たいした距離ではない。
歩こうと思えば、歩ける。
が、私がこわいのは、距離よりも紫外線。
やや曇ってはいたが、強い日差しが時折、肌を照らした。
だから素直に、車に乗った。

 家に帰ってから、パンを焼いた。

●今日のレッスン

 今日のレッスンでは、幼児に分数を教えてみよう。
分数といっても、「分数の概念」。
昨日、その教材を作った。
今日、それを教室で実験してみる。
その様子は、ビデオに収める。
明日にはYOUTUBEで公開できるはず。
どうか、お楽しみに!

 幼児(年長児)に、分数だぞ!

●扁桃腺炎

 言い忘れたが、今朝早く、発熱。
のどが痛んだ。
すぐ起きて、うがい。
葛根湯をのんで、そのあと今度は、アスコルビン酸でうがい。
のどに、シワーッと痛みがしみこんだ。

 で、そのあと再びふとんの中に。
しかし頭が冴えてしまって、眠れなかった。
そのまま起きてしまった。

 こういうときパソコンが趣味というのは、ほんとうによい。
書斎に入って、メールを読んだり、原稿を書いたり。
暇(ひま)つぶしには、パソコンがいちばん。

 私は子どものころ、扁桃腺炎に苦しんだ。
何かあると、しょっちゅう、耳鼻科へ通った。
が、そのうち扁桃腺炎と仲よくつきあうようになった。
今では、扁桃腺炎のおかげで、ひどい風邪に進むことは、ほとんどなくなった。
変調はまず、扁桃腺に現われる。
その段階で風邪を治せる。

●貴金属

 先ほど金属市況をながめてみた。
レアメタルではないが、アルミ、銅、ニッケルなどの素材金属が、高騰し始めている。
それにつられて、(ドル安ということもあるが)、金(ゴールド)、プラチナの価格も、
この数年の範囲では最高値を更新しつづけている。

 一方、今朝は1ドルが83円前後。
またまた円高。
しかしドル以外に通貨に対しては、円安気味。
ということは、ドルと円は、同時進行の形で、安くなっている。
こういう中、ドル防衛のための為替介入は、バカげている。
が、円安を防止しようと、ドルを買い込めば買い込むほど、結果的にドル防衛に手を
貸すことになる。

 一説によると、アメリカはすでにドル安を意図的に誘導し始めているという。
であるなら、なおさら、ドル防衛はバカげている。
やがて1ドルが50円前後になると言われている。
つまりその分だけ貴金属は、値上がりをつづける。
が、買い時かどうかというと、それは疑問。
1か月前だったら、買い時だったかもしれない。
金(ゴールド)が、3500円前後。
プラチナが、4500円前後を、それぞれうろうろしていた。
それが今、この円高にもかかわらず、金が、4000円弱、プラチナが5000円弱
にもなっている。

 ふつうなら売って、利ざやを稼ぐ場面。
こういうときに買いにでるのは、危険。
ドサンと下がる可能性のあるときは、買わない。
これは貴金属売買の常識というより、私は、そうしている。

 なお貴金属売買は、ちゃんとした店で、(たとえば田中貴金属特約店など)、すること。
最近あちこちに見られる、「貴金属買います」という店で、売買してはいけない。
へたをすれば、手数料のほか、6%前後の鑑定料まで取られる。
それに価格も、まちまち。
どこで売買したらよいかは、田中貴金属店(あるいは徳力本店)へ直接電話をかけて、
確認するとよい。

 なおこうした貴金属類は、銀行の貸金庫に預けておくこと。
家庭の中に置いておくのは、あまりにも危険。
今、空き巣がものすごく、ふえている。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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