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2010年     12月号
Essay……
BOX版(ネットストーレッジ)……




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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   29日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『ファミリス』(子育てQ&A)静岡県教育委員会発行雑誌(全教育機関配布)

 静岡県教育委員会の発行している雑誌に、『ファミリス』という雑誌がある。
各県で、それぞれの雑誌を発行しているが、その中でもこの雑誌は、群を抜いて
充実している。
編集者の意気込みというか、本気度が、1ページごとにぎっしりと詰まっている。

 大手の出版社は、つぎつぎとこの分野からの撤退をしている。
「教育の総合雑誌は売れない」が、定説になって久しい。
それだけに『ファミリス』の存在は、光る。

 その『ファミリス』と私のつきあいは、もう10年以上になる。
ときどき原稿を書かせてもらっている。
今は、巻末の『子育てQ&A』。
雑誌の世界のことはよく知らないが、HPでは、Q&Aコーナーへのアクセスが
いちばん多い。

 そのQ&Aの原稿を、おととい書きあげた。
2011年1月号用の原稿である。
短い原稿だが、私にとっては、真剣勝負。
まさに真剣勝負。

 静岡県では学校配布となっている。
職員室もしくはそういった場所に、置いてある。
ぜひ、一度、手にとって読んでみてほしい。

++++++++++++++++++++++++++

 以下、今までに書いた原稿を、掲載します。
私の真剣みを感じていただければ、うれしいです。
『ファミリス』の購読申し込みは、各学校の
担任の先生に。

++++++++++++++++++++++++++

●1月号事例

相談(1)小学2年生の母から

 子どもがまだ幼児のころに離婚したのですが、離婚したことを子どもに話すタイミング
はいつがいいのか悩んでいます。
「離婚は、あなたが原因ではないよ」ということを伝えたくて、それとなく話すこともあ
るのですが、具体的なことを話すのは、子どもがはっきり聞いてくるまで待つのがいいか、
早い時期に話しておく方がいいのか、どちらがいいのでしょう。


A:今どき「離婚」など、珍しくも何ともありません。くだらない罪悪感など、捨てなさ
い。バカげています。子どもにいちいち理由など、話す必要もありません。いわんや子ど
もに、「原因はあなたではないよ」とは! あなたはあなたで、前向きに、明るくさわやか
に生きていけばよいのです。
 ただし聞かれたときは、ありのままを正直に話します。事実だけを話し、それですませ
ます。父親の悪口、愚痴、自分の正当化は、タブー。あとの判断は、子どもに任せます。
 それよりも大切なことは、父性欠如による、子どもの心のゆがみを、どう防止するか、
です。『母親は子どもを産み育てるが、狩りの仕方を教えるのは父親』(イギリスの教育格
言)です。(1)母子関係の是正と、(2)行動の限界設定を、だれにどのような形で負担
してもらうか、です。子どもの近くに、「父親」と見立てられるような男性を置くのがよい
でしょう。先生やおじ、近所の男性など。子どもはそういう男性を通して、「父親像」を身
につけていきます。けっして、ベタベタの母子関係に溺れてしまってはいけません。
 繰り返しになりますが、あなたが罪悪感をもてばもつほど、子どもの心に暗い影を落と
すことになります。あなたは何も悪いことをしていません。今のあなたにとって大切なこ
とは、『我らが目的は成功することではない。失敗にめげず、前に進むこと』(スティーブ
ンソン・「宝島」の著者)です。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学3年生の父から

 うちの長男は、体重が増えることをすごく気にします。身長はあるのですが、体の線が
細いので、運動もやっているから、もっと食べるようにと言うと、「太るから……」と言っ
たりします。
 また参観会や運動会などでは、たいてい女の子グループに男の子1人だったり、男の子
グループから外れて、女の子グループの方に座っています。太ることを気にするのは、女
の子と仲がいいから? それとも……? 心配です。


A:かなり回りくどい質問ですね。要するに、末尾の「それとも……?」が心配なわけで
すね。そういうあなたにアドバイスできることは、ただひとつ。『許して、忘れる』です。
英語では、「For・give & For・get」と言います。
 この英語をよく見てください。「与えるため&得るため」とも読めます。つまり「子ども
に愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」という意味です。つまりど
うであれ、またどういう方向に進もうとも、子どもは子ども。あなたの子ども。許して忘
れる。その度量の深さこそが、愛の深さということになります。
 あとは自然の流れに任せます。水にせよ、雲にせよ、流れていくところに流れていきま
す。親のあなたでも、できることには限界があるということです。もちろんだからといっ
て、あなたの子どもが、「それとも……?」に向かっているということではありません。こ
の時期、ホルモン分泌においては、男女、ほとんど差異がありません。私も小学3年生の
とき、人形を抱いて寝ていました。思春期になると、また大きく変化してきます。今しば
らく、様子を見られたらどうでしょうか。
 で、「それとも……?」という状態になったら、この言葉を思い出してください。『許し
て、忘れる』です。人は子どもをもつことで親になりますが、「真の親」になるのはたいへ
んなことです。その道は険しく、苦しい。あなたはその第一歩を踏み出したというわけで
す。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●12月号事例

相談(1)小学3年生の父から

 長男は小学3年生で9歳、二男は保育園の年中で5歳です。
このごろ、寄ると触るとけんかになり、「お兄ちゃんがたたいた!」「○○先にけるからじ
ゃーん!」となります。だいたいは長男の方をいさめて、「弟をたたいちゃだめ」としかる
のですが、これでいいのでしょうか? 上手な対応のしかたを教えてください。


A:『けんかする兄弟ほど、仲がいい』といいます。兄弟げんかも、ある一定のワクの中、
たとえば親の前で、祭りのようにするのであれば、親はよき聞き役に徹します。判断をく
だしたり、罰を与えたりしてはいけません。ただひたすら、聞き役に徹します。
 つまるところ子育ては、「自分探し」です。わかりやすく言えば、あなたは、あなた自身
が受けた子育てを繰り返しているだけです。「私は私の親とはちがう」と思っているかもし
れませんが、中身は同じです。これを心理学の世界では、「世代連鎖」と言います。
 常にあなた自身は、子どものころどうであったかを問いかけてみてください。あなたも
子どものころ、つらい思いや悲しい思いをしたことがあったはず。そういうときあなたは、
あなたの親にどうあってほしかったでしょうか。どう接してほしかったでしょうか。それ
をさぐっていけば、あなたの子どもへの接し方が、自然と定まっていきます。
 いつか私は『兄弟げんかは親の前』という格言を考えました。言い換えると親の前でし
ているようなら、心配しなくてよいということです。無視して、したいようにさせておき
なさい。
 ただし一言。「お兄ちゃんだから・・・」という『ダカラ論』には、注意。問答無用式に相
手を押さえつけるときに、よく使われます。上下意識が強く、権威主義的なものの考え方
をする人ほど、この言葉をよく口にします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)中学2年生の父から

 勉強もせず部活も熱心にやっているわけではない二男が、「料理人になりたいから、高校
へは行かない」と言い出しました。
 それ以来、夕食の手伝いや自分で料理をしてみたりしていますが、いつまで続くやら・・・。
「バカ言っていないで高校へ行け!」と頭ごなしに反対した方がいいか、「やってみな」と
後押しした方がいいか、どっちでしょうか?


A:親の思うようにならないのが、子育て。私の二男も中学2年生のとき、勉強を放棄。
以来パソコンと遊んでばかりいました。三男は横浜国大をセンター試験2位の成績で入学
はしたものの、3年になるとき中退。 
 私も三井物産という会社をやめ、幼稚園の講師になると言ったとき、母は電話口の向こ
うで泣き崩れてしまいました。「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と。
 以来、私は、外の世界では自分の職業を隠し、内の世界では、自分のキャリアを隠しま
した。が、もしあのとき、母だけでも私を支えてくれていたら、その後の私の人生は大き
く変わっただろうと思います。
 今のあなたにとって大切なことは、子どもを信ずること。子どもがどんな選択をしても、
子どもを支えること。「パパは、お前を信じている。お前の行くべき道を進め。どんなこと
があっても、応援する」と。
 中学2年生と言えば、自我の同一性を確立する重要な時期です。今、あなたが頭ごなし
に反対すれば、あなたの息子の自我はバラバラになってしまうでしょう。それはたいへん
危険なことです。注意してください。
 なお私の二男は現在、インディアナ州立大学に籍を置き、CERN(スイス量子加速研
究所)のスパコン技術官をしています。三男はJALで副機長(B777)をしています。
 子どもを信ずることは、たいへん苦しいことです。その苦しさは、私も経験しました。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●11月号相談事例

相談(1)小学2年生の母から

 三女が生まれたばかりで手がかかり、上の子にかける時間が減ったためか、長女と二女
のけんかが増えているような気がします。そんなときは、つい長女をしかってしまいます。
 長女は物わかりもよく、親としても頼りにしている面があり、長女ばかりしかってしま
うことが申し訳ない気がします。やはり気持ちを切り替えて、しからないほうがいいので
しょうか?


A:長女はいい子ぶっているだけ。本当は下の妹たちが憎くてならないのですが、それを
表に出すと、自分の立場がなくなってしまう。だから仮面(ペルソナ)をかぶる。こうい
うのを心理学の世界では、「反動形成」といいます。たいへんよくあるケースです。「物わ
かりもよく…」などと思っていると、ますます長女を追い込んでしまうことになりかねま
せん。一度、イプセンの『人形の家』を読んでみたらよいでしょう。
 結論から先に言えば、長女と二女は、慢性的な愛情飢餓状態にあると考えてください。
あなたという親から見れば、3人を平等に育てているつもりかもしれませんが、長女にし
てみれば、3分の1に減らされてしまった。そういう状態です。
 で、こういうケースのばあい、『ダカラ論』を振り回してはいけません。「あなたは長女
だから…」と。あなた自身も親意識(=上下意識)が強く、子どもを上下に分けて考える
傾向があります。つまり長女をしかりやすいというのは、あくまでもその結果と考えてく
ださい。
 これは一般論ですが、兄弟姉妹がたがいに名前で呼び合う兄弟姉妹は仲がよく、「お兄ち
ゃん」「お姉ちゃん」と上下意識をもって呼び合う兄弟姉妹は、仲が悪くなる傾向がありま
す。そういうことも考えながら、まずあなたの心の中に潜む上下意識を消すこと。しかる・
しからないは、そのあとの問題です。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)中学3年生の父から

 いよいよ長男が受験の年ということで、夫婦共々肩に力が入ってしまうのか、さ細なこ
とも受験に結びつけてしまい、あれこれと口を出してしまいます。
 自分が中3のときにどうだったか考えれば、そっと見守るのがいちばんだとはわかって
いるのですが……。受験期の親はどうあるべきか? アドバイスをください。


A:ある父親は事業に失敗。そこで高校生になった娘に、「大学進学はあきらめてくれ」と。
が、この言葉に娘は猛反発。「ちゃんと親としての責任を取れ!」と。
そこで私が割って入ると、その娘はこう言いました。「私は子どものときから勉強しろ、
勉強しろと、そんなことばかり言われてきた。それを今になって、あきらめてくれと、
どうしてそんなことが言えるの!」と。
 内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんどうをみ
る」と考えている日本の青年は、たったの28%(イギリス66%、アメリカ64%)。
 そこで本題。子育てが終わると同時にやってくるのが、老後。今のあなたは「下」ばか
り見ているから、自分の老後がわからない。長男の受験の心配より、自分の老後の心配を
しなさい。へたに「勉強しろ!」「塾へ行け」などと言おうものなら、あとあと責任を取ら
されますよ。しかも一度大学生として都会へ出すと、まず地元には戻ってこない。中には
「親のために大学へ行ってやる」と豪語する高校生すらいます。感謝の「カ」の字もない。
あとは(独居老人)→(孤独死)。今のままでは、あなたもそうなります。そこで教訓。
長男が、「大学(高校)へ行かせてください」と3度頭をさげるまで、学費など出さない
こと。口も出さないこと。…というのは無理かもしれませんが、そうしたき然とした姿
勢が、かえって親子の絆を太くします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●10月号相談事例

相談(1)中学1年生の母から

 中学で初めてのテストで思うような結果が出ず、すっかりやる気を失った息子に、「目標
があったからがっかりするんだよ。目標に近づけるようにがんばろう!」と話したところ、
「直前に詰め込むのでなく、毎日がんばるぞ!」と言ってくれたのもつかの間、次の日に
はやっぱりお楽しみが先になって、お勉強は忘れられ……。子どものやる気を長続きさせ
るよい方法は、何かないでしょうか。
(静岡市・HA)


A:『親は海。子どもは船』。こういうときの鉄則は、動揺しないこと。親が動揺すればす
るほど、子どもは不安定になり、落ち着いて勉強に集中できなくなります。目標といって
もこのケースのばあい、それは親の目標であって、子どもの目標ではないということ。親
の目標を子どもに押しつけてはいけません。「目標」という言葉を使って、あなたは子ども
を自分が望む方向に誘導しているだけ。
 中1といえば、すでに思春期。『自我の同一性』の構築を始める大変重要な時期です。子
どもがどういう未来像を描いているか(=自己概念)を知り、それを側面から応援してい
きます。が、たいていのばあい子どもの描く未来像は、親の希望とはちがったものです。
そのためこの先、親子の間で長くて苦しい葛藤がつづきます。つまり子どもは親の夢や希
望をひとつずつ潰しながら、成長していきます。それともあなた自身は、親の希望通りの
「娘」になりましたか。
で、第二の鉄則は、『最後まで子どもを信ずる』です。子どもがどんな道を選ぼうとも、
あなたは子どもを信じます。そして子どもにはこう言います。「お母さんは、あなたがど
んな道を選んでも、あなたを信じていますからね」と。
 子どもはこうして現実の自分を作り上げていく。つまり自我の同一性を確立していきま
す。やる気(自発的行動)はあくまでもその結果として生まれるものです。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
相談(2)小学2年生の母から

 毎日、学校から帰ってすぐ遊びに来る子に悩んでいます。遊ぶなら宿題を終えてからに
させたいので、その子と宿題を一緒にさせたり、遊びに来るなら一時間くらい後に来てほ
しいとその子に伝えたこともありますが、わかってくれていないようです。
 親御さんは仕事で遅いらしく、なかなか連絡がしにくいです。いい方法はないでしょう
か。
(浜松市・MH)


A:夜、寝る前になってあなたの子どもが、宿題をやっていないと言ったら、あなたはど
うしますか。(1)いっしょに宿題を片づけてやる。(2)「明日、学校で先生に叱られてき
なさい」と言って、寝させる。
 「自由」とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味です。子育てについて言えば、
「由らせる」。「自分で考えさせ」「自分で行動させ」「自分で責任をとらせる」です。その
自由が子どもを自立させます。
こういうケースのばあい、言うべきことは言い、あとの判断は子どもに任せます。小2
といえば、その自覚のある子どもは、どんなに忙しくても時間を見つけ、宿題(勉強)
をします。そうでない子どもは、いくら親がお膳立てをしても、つまり時間を作ってあ
げても、宿題をしません。仮に相手の子どもが1時間あとに遊びに来るようになっても、
宿題はしないでしょう。相手の子どもの親に相談しても、無駄です。そういう点では、
あなたの家庭教育はすでに失敗しています(失礼!)。自分の子どもが宿題(勉強)をし
ないことを、相手の子どものせいにしてはいけません。
 過保護ママと依存性ベタベタの子ども。この相談の向こうに見えるのは、そんな母子関
係です。それを是正するためには、心を鬼にして、先の(2)のような親をめざしてくだ
さい。子どもは小3前後を境に、急速に親離れを始めます。今のあなたにとって大切なこ
とは、「いかにうまく子離れするか」です。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●9月号相談事例

相談(1)小学2年生の父から
 小学2年生の息子に「目標に向かってがんばれる力をつけたい」という思いから、小
3の誕生日までにクリアできそうな課題を設けてがんばらせようかと思っています。課
題をクリアできれば、ごほうびは何でも欲しい物を買ってあげるつもりです。
 でも妻から、「ごほうびがないとやる気が出ない子にならない?」と言われて、止め
た方がいいかと迷っています。こういうやり方は、いけないのでしょうか?


A:完全に的はずれです(失礼!)。動機付けの三悪に、無理、比較、条件があります。
「課題をクリアできれば…」は、この中の条件ということになります。よくあるのは、
「100点を取ったら、小遣いをあげる」というもの。
 条件のこわいところは、年齢とともにエスカレートしやすいこと。小学生のときは、
1000円のほうびでも、高校生になると、10万円になります。
 さらに進むと、条件なしでは、何もしなくなります。物欲と結びつくと、さらにやっ
かいなことになります。それが必要だから、それを求めるのではなく、物欲を満足させ
るために、それを求めるようになります。脳の中で、ニコチン中毒と同じようなメカニ
ズムが働くようになります。
で、問題は「課題」の中身ということになります。もしそれが個人的なものであれば、
「自分のためにする」を徹します。勉強であれば、なおさらです。「勉強は自分のた
めに、自分でするもの」と。 
 大切なのは、達成感です。「できた!」という実感が、子どもを前向きに引っ張って
いきます。
「何でも欲しい物を買ってあげる」? 愚かな育児観は捨てなさい(失礼!)。あの
バートランド・ラッセルは、こう書いています。『限度をわきまえた親のみが、真の
家族の喜びを与えられる』と。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学4年生の父から

 小学4年生の長男のことで相談します。
 私の仕事が忙しく、なかなか相手をしてやれないまま過ごしてしまったのがいけなか
ったのか、遊びといえばひとりでゲームばかり、友達と遊んだり外に遊びに行ったりし
ません。
 先日、「外で遊ばないの?」と聞いたところ、「外で何して遊べばいいの?」と返され
て、がく然としました。このまま、集団で遊ぶ経験もなく成長すると、どんな子になっ
てしまうか不安です。今からできることは、何かないでしょうか?


A:(相手をしてやらなかった)から(ゲームばかりする)と、短絡的に結びつけて考
える必要はありません。あなたは父親として、じゅうぶん、その責任を果たしています。
たしかに最近の子どもは、集団で遊ぶということをしません。が、こうした傾向はすで
に20年以上も前から始まっていることです。
 で、どんな子どもになるかですが、すでにあなたの子どもは大きな流れの中にいます。
その流れの中で、子どもたちはつぎの世界を創りあげていきます。その流れに対しては、
私もあなたも、無力でしかありません。あえて言うなら、つぎの格言が役に立つでしょ
う。『子どもを産み育てるのは母親の役目。狩の仕方を教えるのは父親の役目』(イギリ
スの教育格言)と。
 つまり社会性の養成と、母子関係の是正。この2つがこの時期の父親に与えられた重
要な使命と考えてください。
 なおゲームについてですが、韓国や中国では、ゲーム中毒が問題にならない日があり
ません。そのための矯正プログラムや矯正施設もできています。が、この日本では、野
放し。ゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされます。私自身も経験してい
ます。
 ゲームを許すにしても、ある程度の自制は必要です。時間を決めてさせるとか、ゲー
ムの内容を決めるとかなど。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●8月号相談事例

相談(1)小学2年生の母から

 小学2年生の三男は、1年生ときから、「最後までやり遂げようという意志は認めますが、
行動がほかの子に遅れがち」と、担任の先生に面談で言われます。では、実際にどうした
ら早く行動できるようになるのか知りたいです。
 3人兄弟の末っ子で、とてもマイペースな子になってしまったようで、親としてもどう
していいのかわかりません。


A:『欠点を見つけたら、ほめる』です。子どもには、こう言います。「最近、あなたは早
くできるようになったわね。先生も、ほめてくれたわよ」と。欠点を責めれば責めるほど、
子どもは自信をなくします。それが悪循環となって、子どもはますますあなたの望むのと
は、別の方向に進んでしまいます。
 また子どもに何か問題を見つけたら、『子どもは家族の代表』と考えます。子どもの問題
は、家族の問題ということです。先生はたぶん、子どもの緩慢行動を言ったのだと思いま
す。が、こういうケースのばあい、まず疑ってみるべきは、あなた、つまり母親の育児姿
勢です。子どもが生まれたときから、何かにつけ、母親がせっかちで、こまごまとうるさ
いことを言い過ぎた? 「早く、早く」を言い過ぎた? 「根」が深い分だけ、簡単には
なおらない。…と考えて、「うちの子は、まあ、こんなもの」と、子どもの特性を認め、あ
とはあきらめます。『あきらめは悟りの境地』です。子どもというのは、親がカリカリして
いるときは、伸びません。が、親があきらめたとたん、伸び始めます。子ども自身の心が
軽くなるからです。
 どうにもならない問題は、どうにもならない。今は、先生とのリズムが合っていない程
度に考え、あまり深刻に悩まないこと。小学3年生以上になり、自己管理能力が発達して
くると、この種の問題は、自然と解消していきます。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学6年生の母から

 小学6年生になった息子は、自己主張が強くなり、親としてうれしい半面、自分が興味
をもてないこと、(たとえば苦手な教科の復習など)は、頑としてやりません。
「本人の好きなこと、得意なところを伸ばしてやるとよい」とよくアドバイスされますが、
6年生の今からこんなことでは、この先どうなるのだろうと悩みます。


A:「この先どうなるだろう」ということですが、何も変わりません。5年後も、10年後
も、今のままです。あるいはあなたはいったい、あなたの子どもを、どうしたいのですか。
相談を一読して、そこに子離れできない母親の姿を想像してしまいました(失礼!)。
 『本人の好きなこと、得意なところを伸ばして…』は、家庭教育の大原則です。ひとつ
が伸びると、その相乗効果で、ほかの部分(科目)も伸びてきます。大切なことは、子ど
もに一芸をもたせること。「これだけは人には負けない」というのが、一芸です。その一芸
が子どもの心を支え、守ります。将来の職業につながることもあります。
 また6年生という年齢からして、いよいよ自我の同一性の確立の時期に入ったと考えて
ください。「自分はこうあるべきだ」という自己概念と、現実の自分を一致させる時期です。
その構築に失敗すると、心は無防備状態になり、精神的に軟弱な子どもになってしまいま
す。非行にも走りやすくなります。
 また「苦手な科目」というのは、「点数が低い科目」ということでしょうか。もしそうな
ら、その判断は、子どもに任せなさい。親があれこれ言っても、かえって逆効果です。
 子どもというのは、親の夢を一つ一つつぶしながら、成長していくものです。それがわ
かなければ、あなた自身を振り返ってみることです。あなた自身は、優等生だったでしょ
うか。答は、「NO!」のはずです。
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●7月号相談(Q&A)

相談(1)小学4年生の母から

 最近わが子の親に対する話し方が気になります。たとえば、私が何か「こうしなさい」
と注意すると、「そんな法律がどこにあるの?」などと言ってくるので、ついつい怒ってし
まうこともしばしば……。
 これは反抗期なのでしょうか?


A:思春期最大のテーマは、「同一性の確立」(エリクソン)です。(私はこうでありたい)
という理想の自己像と、(現実の私)、つまり現実自己を、一致させようとします。一致し
た状態を「自我の同一性」と言います。その第一歩が、おとなの優位性の打破です。それ
が「思春期の反抗」と考えてください。
 (悪態)もそのひとつ。「そんな法律がどこにあるの?」と。それを許せということでは
ありません。それができないほどまでに、子どもを抑えてはいけないということです。カ
リカリするのはしかたないとしても、「ああ、うちの子は、今、児童期から青年期へと、脱
皮を始めているのだ」と、一歩退いて子どもを見ます。
 この時期、親意識(とくに「親に向かって何よ!」式の悪玉親意識)が強すぎると、子
どもは親の前では仮面をかぶるようになります。自我の確立に失敗し、非行に走ったり、
親子の間にキレツが入り、親子が断絶するケースも目立ちます。最悪のばあいには、自我
の崩壊……。ナヨナヨとした軟弱な人間になることもあります。
 親には3つの役目があります。(1)ガイドとして子どもの前に立つ。(2)保護者とし
て子どものうしろに立つ。そして3番目が重要ですが、(3)友として子どもの横に立つ、
です。
 悪玉親意識を捨て、子どもの友になるつもりで、子どもの横に立ってみてください。と
たん、肩の荷が軽くなりますよ。
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学4年生と小学1年生の母から

 長男への接し方で悩んでいます。長男にはどうしても小言を言う機会が多く、下の子は
女の子で要領がよく、注意された長男をからかって、長男を怒らせます。それを見て私が
怒る……の悪循環で、ときどきそんな雰囲気で日々を過ごしている長男がかわいそうにな
ります。
 長男への接し方を変えるアドバイスはないでしょうか。


A:長男、長女に対しては、どうしても不安先行型の子育てになりがちです。「何をしても、
不安」と。それが過干渉になったり、過関心に転じたりします。度を越すと、子どもの心
が萎縮したり、反対に粗放化することもあります。
 あなただけではありません。ほとんどの親がそうです。が、そのリズムは、妊娠したと
きから始まっています。つまり「根」が深いということ。そういう思考回路が、あなたの
脳の中にできあがってしまっています。そのためそのリズムを変えるのは、ほぼ不可能と
考えてください。では、どうするか?
 (1)そういう自分であると知って、仲よくつきあうこと。(2)「あなたはいい子」を
口癖にし、あなた自身の心を作り変えること。
 長男の顔や姿を見たら、本人にはもちろん、父親や長女の前で、題目のようにその言葉
を繰り返してみてください。3〜4か月もすると、(それでも早いほうですが……)、あな
たは自然な口調で、それが言えるようになります。そのとき、あなたが今、心配している
問題は解決します。
 大切なことは、「子どもを直そう」と思わないこと。「今より状態を悪くしないこと」。そ
れだけを考えて対処します。この種の問題には、二番底、三番底があります。親は、自分
の子どもがより悪くなって、それ以前の状態が、まだよかったことを知ります。それが「悪
循環」と言われるものです。
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●5・6月号相談事例

相談(1)小学3年生の母から

 小学3年生になると、友達関係でいろいろあるとは先生から聞いていたのですが、早速
わが子のカラーペンが一式なくなってしまい、とても心配しました。
 悪意からではなく、いたずらかもしれませんが、こういうときは、ただ見守るしかない
のでしょうか? それとも、担任の先生に相談した方がいいのでしょうか?
(焼津市・A)


A:鉄則はただひとつ。『友を責めるな、行為を責めよ』(イギリスの教育格言)です。担任
の先生にこうした事案は、遠慮なく報告したらよいでしょう。しかしそのとき、事実だけ
を客観的に話し、特定の子どもの名前を出したり、批判したりしてはいけません。自分の
判断を加えていけません。「事実」だけを話します。あとの判断、対処の仕方はプロの先生
に任せます。
 もし相手の子どもの名前がわかっていたら、逆にその子どもをほめてみます。「あの子は
いい子ね」と。あなたの家に招待するのもよいでしょう。あなたがその子どもと友だちに
なるつもりで、間に入ります。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい
子を演じようとします。逆にそうした性質を利用して、その子どもを、よい友だちに作り
変えてしまいます。
 日本でも昔から『魚心あれば、水心』といいますね。英語にも、『相手は、あなたの思う
ように、あなたのことを思う』というのがあります。心理学の世界では、これを「好意の
返報性」といいます。あなたがその子どもをよい子と思っていると、そうした心は、あな
たの子どもを介してかならず、相手の子どもに伝わります。
 大切なことは、あなたの子どもが気持ちよく、楽しく通学することです。負けるところ
は負け、妥協するところは妥協します。けっしてカリカリしてはいけません。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学5年生の母から

 わが子のクラスで「いじめがある」とか「騒ぐ子がいて担任の先生が困っている」など
という話を子どもから聞き、親として心配がふくらんでいます。子どもの話だけで判断す
るよりは、懇談会などで直接聞く方がいいと思うのですが、聞き方が難しそうです。
親の心配を伝え、なおかつ先生批判にとられない聞き方は、どうすればいいでしょうか?
(藤枝市・Y)


A:この程度の問題で、動揺しないこと。いじめのない学級はありません。困っていない
先生など、い・ま・せ・ん。もし心配なら、1、2年、年上の子どもをもつ父母に相談し
てみることです。できれば、別の学校の父母に、相談します。たいてい「うちもそうでし
たよ」というような回答をもらって、その場で問題は解決するはずです。
 が、鉄則があります。どんなばあいも、子どもの前で、学校や先生の批判をしたり、悪
口を言ってはいけません。子どもの前では、「あなたの学校はすばらしい」「あの先生は、
最高!」と言います。
 もしあなたが学校や先生を批判したり、さらに悪口を言ったりすると、あなたの子ども
は先生の指示に従わなくなります。これを心理学の世界では、「三角関係」といいます。わ
かりやすく言えば、子どもが「二重拘束」の状態に置かれるということです。子ども自身
が、糸の切れた凧のようになってしまいます。
 教育で何が大切かといって、先生との信頼関係ほど、大切なものはありません。信頼関
係がなければ、教育そのものが、崩壊します。その信頼関係は、向こうからやってくるも
のではありません。親であるあなた自身が、努力で作るものです。
 なお相談といっても、同じクラスの父母に相談するのは、避けてください。あなたの話
しが曲解され、たまにおおげさになることがあります。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(3)小学4年生と小学1年生の母から

 長男への接し方で悩んでいます。長男にはどうしても小言を言う機会が多く、下の子は
女の子で要領がよく、注意された長男をからかって長男を怒らせます。それを見て私が怒
る……の悪循環で、ときどきそんな雰囲気で日々を過ごしている長男がかわいそうになり
ます。
長男への接し方を変えるアドバイスはないでしょうか?
(静岡市・K)


A:心配先行型、不信先行型の子育てがリズムになっています。何をしても、否定的にと
らえてしまう。それに(下の子)との比較も、日常化しているようですね。これは、ま・
ず・い!
 子育てをしていて、「悪循環」を感じたら、思い切って、引きます。つまりあきらめます。
子育ての世界では、『あきらめは、悟りの境地』といいます。(私が考えた格言ですが…。)
「どうにでもなれ!」と、一歩退きますが、だからといって、無視したり、冷淡になれと
いうことではありません。
 愛情でくるんだ、「暖かい無視」です。で、ここが重要ですが、「求めてきたときが与え
どき」と心がけます。長男が助けを求めてきたときは、すかさず、(すかさずです)、それ
に応じてあげます。そしてあとは、最初はうそでもいいですから、「あなたはいい子」を口
ぐせにします。
 何か月も言いつづけていると、やがてあなたの子どもは、あなたの口ぐせどおりの子ど
もになります。つまりこうしてあなた自身の子育てのリズムを作りかえます。
 また(条件)(比較)(無理)は、子育ての3悪です。「勉強したら、〜〜を買ってあげる」
(条件)、「妹は〜〜なのに…」(比較)、それに能力を超えた期待をかける(無理)は、タ
ブーです。
 長男は長男、妹は妹。ともに長所だけを見て、それですませます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 離婚 離婚問題 母親の離婚 子どもへの対処法 はやし浩司 我ら
が目的は 成功することではなく 失敗にめげず前に進むこと 許して忘れる はやし浩
司 forgive and forget forgive& forget for・give & for・get はやし浩司 兄弟げんか 子
どもの喧嘩 子どもの進路 長男 長女 接し方 はやし浩司 思春期の子ども 子供 
ゲームづけの子供 父親の役割 母子関係の是正 子供は家族の代表 子どもは家族の代
表 ファミリス Q&A 静岡県教育委員会発行雑誌 はやし浩司 子どもの苦手な科目
 苦手な勉強 いじめ はやし浩司 いじめの対処 あきらめは悟りの境地)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●はやし浩司 2010−11−19

●静かな朝

 今朝はかなり早い時刻に、目が覚めた。
何か夢を見ていたようだが、思い出せない。
顔に冷気を感じながら、暗闇の中で、あたりを見回す。
朝日はまだのよう。
「何時だろう?」
そんなことを考えながら、あれこれ考える。

●運動

 最初に迷ったのは、運動。
起きて、ルームウォーカーで運動すべきかどうか。
寝ているのも1時間。
運動するのも1時間。
寒い朝でも、20〜30分もすれば、汗をかくほど体が暖まる。
それはよくわかっている。
しかしその踏(ふ)ん切りがつかない。
「何時だろう?」
また、そんなことを考えた。
「もう少しで明るくなるはず。そしたら起きよう」と。

 昨夜は、いつもより早く床についた。
10時ごろだったかな……?

●生かされている

 最近、私は、「生きている」のではなく、「生かされている」と思うことが多くなった。
その第一。
今、ここで死ぬわけにはいかない。
病気になることも許されない。
がんばるしかない。
がんばって、仕事をつづけるしかない。
今日、明日と講演がつづく。
怠(なま)けた体では、講演はできない。

 それに私がいちばん恐れるのは、この(流れ)が止ること。
漢方の世界では、『流水は腐らず』という。
これは健康論について言ったものだが、漢方では肉体と精神の健康を区別しない。
肉体と精神の健康は、密接不可分のものと考える。
今の私に必要なのは、「流水」、つまり「日々の緊張感」。
これが止ったら、……というか、そのあと私はどう生きていけばよいのか。
その先が見えない。
まったく見えない。
肉体だけではない。
精神そのものも、ボロボロになってしまう。

 だから生きていくしかない。
仕事をやめるわけにはいかない。
書くのをやめるわけにはいかない。
それが「生かされている」という思いにつながっている。

●二男

 ふと、二男はどうしているだろうと思う。
息子は3人いるが、私がいちばん気にかけたのは、二男だった。
好きだった。
私なりに愛情を、いちばんかけた。
そのこともあるのだろう。
以前、近くのパソコンショップに、MKさんという店員がいた。
歩き方、話し方が、二男にそっくりだった。
もちろん顔つきまで、そっくりだった。
そのこともあって、私とワイフは、いつもその店に行くのが楽しみだった。
MKさんい会うたびに、「よく似ている」と笑いあった。
もちろんそのことは、その店員には言わなかった。

 かわりに、多少値段が高くても、パソコンや関連商品は、その店で買った。
すべてMKさんを通して買った。
MKさんも、私たちによくしてくれた。

 が、MKさんは、そのうち別の店に転勤になってしまった。
そのつど、「今、MKさんは、どちらに?」が、その店でのあいさつ言葉になってしまった。
さみしかった。
わざわざ会いに行こうかと考えたこともある。

 ・・・と、まあ、そんな話を、食事のときワイフとした。
「MKさんは、どの店にいるのかなあ」
「一度、聞いてみたら・・・」と。

 そのときふと、あの正田氏のことを思い出した。
現在の美智子皇后陛下の故父君である。
あるときその正田氏に、食事をしながら、こう聞いたことがある。

「正田さんは、どうしてぼくを(留学生に)選んでくれたのですか?」と。
正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。
「浩司の『浩(ひろ)』が同じだろ」と。

 私はそのときは、「ナーンダ、そんなことで」と思った。
が、今になってみると、そのときの正田氏の気持ちがよくわかる。

そしてしばらく間をおいて、正田氏はこう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。

 それについて書いた原稿がある(中日新聞掲載済み)。
正田氏が亡くなる前に書いた原稿である。

++++++++++++++++

「最高の教育」について書いた
原稿です。

++++++++++++++++

最高の教育とは【15】

●私はとんでもない世界に!

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。現在の皇后陛下の父君。
このことは前にも書いた。そしてその正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本
Y氏だった。坂本竜馬の直系のひ孫氏と聞いていた。

 私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏はその委
員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに行くたび
に、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。そんなある日、私は正田氏に、「ど
うして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。

 正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩(ひろ)』
が同じだろ」と。そしてしばらく間をおいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」
と。

 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。このことも前に書いたこと
だが、私が寝泊まりをすることになったメルボルン大学のインターナショナルハウスは、
各国の王族や皇族の子弟ばかり。

 私の隣人は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵
大臣の息子などなど。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってき
て、夕食を共にした。

 首相や元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。と
きどき各国からノーベル賞級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿泊することもあった。
東京大学から来ていた田丸先生(二〇〇〇年度日本学士院賞受賞)もいたし、井口領事が、
よど号ハイジャック事件(七〇年三月)で北朝鮮へ人質となって行った山村運輸政務次官
を連れてきたこともある。山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンへ来てい
た。

 が、「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活を
していることすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活
をしていると思ったことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教育だと思
ったこともない。が、一度だけ、私は自分が最高の教育を受けていると実感したことがあ
る。

●落ちていた五〇セント硬貨 

 ハウスの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあっ
た。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。だれ
かが落としたものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。

 当時の五〇セントは、今の貨幣価値で八〇〇円くらい。もって行こうと思えば、だれに
でもできた。しかしそのコインは、次の日も、また次の日も、そこにあった。四日後も、
五日後もそこにあった。私はそのコインがそこにあるのを見るたびに、誇らしさで胸がは
りさけそうだった。そのときのことだ。私は「最高の教育を受けている」と実感した。

 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数か月東京にいたあと、この
浜松市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園
で働いているという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなとき
でも私を支え、救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。

 私は、情緒もそれほど安定していない。精神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だ
ったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさないですんだのは、あの五〇セント硬貨
のおかげだった。私はあの五〇セント硬貨を思い出すことで、いつでも、どこでも、気高
く生きることができた。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 最高の教育 最高の教育とは 正田英三郎)


 Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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※2010年のマガジンはこれでおしまいです。
 また2011年にお会いしましょう!

          HAPPY NEW YEAR!

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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┃はやし浩司  ┃
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   27日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ネット中毒(TBS・News−i)」より

+++++++++++++++++

韓国内のネット中毒患者は、190万人。
悲惨な事件も、毎日のように起きている。
こうしたネット中毒患者のために、救済
施設まである。

かたや、この日本はどうか?
人口比からして、その約3倍の中毒患者
がいてもおかしくない。
約600万人?
そういった隠れ患者は、どこに消えてい
るのか。

まず、TBS−iの報道を紹介する・

+++++++++++++++++

**********以下、TBS−iより(2010−11−18)*******

いわゆる「インターネット中毒」が社会問題化している韓国で、ネットゲームをめぐって
14歳の少年が母親を殺害し、自らも命を絶つ事件が起きました。

 韓国警察によりますと、プサン市内のマンションの一室で16日、この部屋に住む女性
(43)が首を絞められて殺害されているのが見つかりました。

 女性の長男で中学3年生の少年(14)がベランダで首を吊って自殺していて、祖母に
宛てた遺書には「お母さんとケンカをして許されないことをした」などと書かれていまし
た。

 少年は学校を遅刻・欠席しがちなほどネットの戦闘ゲームにのめり込んでいて、事件の
前日にはそのことで母親と口論になっていたということです。

 韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦
そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社
会問題化しています。

 さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大するこ
とが決まっています。

**********以上、TBS−iより(2010−11−18)*******

●猛烈な攻撃

 この日本では、テレビ・ゲーム、あるいはネットゲームを批判しただけで、
猛烈な抗議の嵐にさらされる。
ボロクソに叩かれる。

私も11年前に『ポケモン・カルト』という本を書いた。
が、いまだに、それがつづいている。
興味のある人は、ためしに、「はやし浩司 ポケモンカルト」で検索をかけてみる
とよい。
いつも「トンデモ本」のトップにあげられている。
はげしい攻撃の文句もさることながら、どういう人たちが、私を攻撃しているか、
どうかそれも知ってほしい。

 が、問題は、このことだけではない。
「190万人」という数字である。
人口比からすれば、この日本では、600万人となる。
(日本の人口は、韓国の約3倍。)
そういう人たちは、今、どこで何をしているのか。
何を考えているのか。

 日本人だけが特別ということもないだろうし、韓国人だけが特別ということも
ないはず。
あの事件、つまり光性てんかん事件が起きたとき、全国で数百人の子どもたちが
倒れた。
テレビアニメの『ポケモン』を見ていた子どもたちである。

 あの事件で不思議なのは、(「謎」と言ってもよいが)、そのあとだれひとり、
当該テレビ局に対して、損害賠償、医療費を公(おおやけ)で請求した人が
いなかったこと。
裁判にもならなかった。
倒れた子どもたちは闇から闇へと、葬られた。
ついで、あの事件そのものも、闇から闇へと、葬られた。
いったいあの事件は、だれが、どのような形で幕を引いたのか?

 実は、今の今もそうである。

 数か月前、ある教材社から仕事の依頼があった。
私は引き受けるつもりで、用意していた。
が、そのちょうど1週間後、今度は断ってきた。
いわく「うちもS社(出版社)と取り引きがありまして……」と。
「S社を敵に回したら、仕事もできなくなります」とも。
つまり私が書いた『ポケモン・カルト』が、問題というわけである。

 ポケモンは、現在も全盛期。
それはそれで結構なこと。
それが問題というのではない。
私はこの世界は、何かがおかしいと書いている。
それがわからなければ、もう一度、冒頭のあげた記事を読みなおしてみてほしい。
日本の600万人は、どこに隠れているのか?
何をしているのか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ポケモンカルト ポケモン・カルト 三一書房 ゲーム中毒 韓国)

(付記)

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいる。
それだけに、やっかい。
やっかいというのは、中毒患者が自ら、それに気づくということは、まずありえない。
「私は正常」と思い込んでいる。
しかし正常ではない。
正常でないことは、彼らが書く(文章)を読んでみればわかる。
支離滅裂というか、感情をそのまま叩きつけている。
文章というよりも、「文」そのものになっていない。

 たとえば……

「お前の子ども……MMMM……ゲームと現実の区別、
ちゃんと、つくのかよ〜〜〜〜」(某サイト)と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2010年の4月に書いた原稿を
添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ゲーム脳(ゲーム中毒)

+++++++++++++++++++

この日本では、どうして「ゲーム脳」が
問題にならないのか。
「ゲーム脳」という言葉が悪いなら、
「ゲーム中毒」でもよい。

隣の韓国では、すでに10年以上も前から、
また最近では中国でも、「ゲーム中毒」の
若者たちが、問題になりつつある。
ゲーム中毒の子ども(若者も)を集めた
更正施設や、更正プログラムまで、用意
されている※。

が、この日本では、問題にならない。
「ゲーム脳」という言葉を使って、エッセーを
書いただけで、猛烈な抗議に嵐にさらされる。
ゲームの世界そのものが、カルト化している。
ゲームに日夜夢中になっている子ども(若者)は、
まさにその信者ということになる。

(ためしに、「はやし浩司」で検索してみるとよい。
私を、口汚く中傷しているサイトやBLOGがある。
そのほとんどが、ここでいう「信者」たちである。
私が書いた『ポケモンカルト』(三一書房)などは、
出版してから11年になるが、いまだに叩かれつづ
けている!)

が、日本人だけが特別ということは、ありえない。
日本人の脳みそだけが、韓国人や中国人と、構造が
ちがうということは、ありえない。
今の今も、この日本には、ゲーム中毒の子ども(若者)は、
いる。
日に、何時間も何時間も、ゲームに夢中になっている。
真夜中でも、ゲームに夢中になっている。
が、日本では、そういう子ども(若者)が、どういうわけか、
問題にならない。
考えてみれば、これほどおかしな話はない。

ここでは、別の角度から、「ゲーム脳」について
考えてみたい。

+++++++++++++++++++++++++

●まねる(観察学習)

 発達心理学の世界には、「観察学習」という言葉がある。
子どもは、教えられて学ぶことよりも、まわりを観察しながら、自ら学ぶことの
ほうが多い。
量的に、はるかに多い。
「学習効果」ということを考えるなら、またそのほうがはるかに効果的。

 たとえば以前、何かにつけ、ツッパリ始めた子ども(小5男児)がいた。
言動が粗野になり、独特の目つきで、独特の話し方で話すようになった。
「ウッセー」「コノヤロー」と。
紫の地に、金色の刺繍をほどこしたコートを着てきたこともあった。

 で、その子どもを、高校生の受験クラスに入れてみた。
高校生の間に座らせて、好きな勉強をさせてみた。
最初は、体をかたくしていたが、週を追うごとに、ぐんぐんと変化していった。
あとで聞いたら、高校生の中の1人を、自分の理想像のように思いようになったらしい。
その高校生は、野球部の部員だった。

その子どもは、日曜日など、こっそりとその試合の応援に出かけたりしていた。
家に帰っても、その高校生の話ばかりするようになった。

 これは観察学習というわけではないが、その子どもは、まわりの様子から、
多くのものを学んだことになる。
それは「学ぶ」という行為というよりは、「まねる」に近い。
その「まねる」という行為を、「モデリング」という。

●自己認識能力

 ものごとは常識で考えよう。
まだ判断力や自己管理能力がじゅうぶん育っていない子どもが、ゲームを相手に、
「殺せ!」「やっつけろ!」と叫んで、心によい影響を与えるはずがない。
こんな実験が知られている。

 ある一定時間、暴力映画を見せた子どもは、その直後、行動が暴力的になるという
(バンデュラ、ほか)。
多くの研究者が、同じような実験結果を報告しているので、今さら改めて説明する
までもない。
つまり子どもというのは、そのつど環境の中で、自分を作っていく。
作られていく。
それもそのはず。

 子どもが現実検証能力、つまり自分、あるいは自分と他者との関係、さらには自分の
置かれた立場を、客観的に判断できるようになるのは、小学3年生(9歳)以上。
それ以前の子どもには、その能力はない。
たとえば病院や図書館で騒いでいる幼児がいる。
そういう幼児に向かって、「静かにしなさい!」と叱っても、意味はない。
「騒いでいる」「迷惑をかけている」という意識そのものがない。
そういう行為がどういうものかさえ、わかっていない。
叱られたあと静かになるのは、こわいからそうしているだけ。

 つまり小学3年生(9歳)以前の子どもに、その判断能力はない。
判断能力がないというよりは、思考力が未熟。
だからこの時期の子どもは、理性や知性を使って「学ぶ」ことよりも、周囲を
観察し、それを「まねる」ことによって、自分の思考パターンや行動パターンを
形成していく。
それがモデリングということになる。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、『疑わしきは罰せず』という。
が、教育の世界では、『疑わしきは罰する』という。
なんでもあやしいものは、先手先手で、子どもの世界から遠ざける。
安全性が確認されるまで待っていたら、それこそ手遅れになってしまう。

 ゲームにしても、しかり。
もちろん中には、良質なソフトもある。
そういうものまで、ひとまとめにして、「反対!」と、私は言っているわけではない。
しかし良質なソフトにまぎれて、悪質なソフトがあるのも事実。
そういう悪質なソフトまで野放しにしては、いけない。
有害とは証明できないかもしれない。
しかし少なくとも、安全と証明されたわけでもない。
だったら、遠ざける。
それくらいの配慮というか、子どもの世界に対する思いやりは、あって当然の
ことではないか。

……と私は書いている。

●付記

 あるBLOGには、こうあった。
「(右脳教育を創始者の)SDも、(ゲームを批判する)はやし浩司も、
同じようなもの。
一度、この2人を、バトルさせてみたい」と。

 SD氏(2009年死去)は、ゲームは、右脳の刺激になると説いていた。
そのSD氏と私も、同じ、と。
しかし(右脳教育)と(ゲーム脳)とは、どこでどう結びつくのか。
その右脳教育にしても、安全が確認されたわけではない。
むしろ幼児期においては、左脳教育(論理と分析)こそ、重要。
そうでなくても、映像文化に発達とともに、あえて右脳を刺激しなくても、
子どもたちは、じゅうぶん過ぎるほどの刺激を受けている。
反対に、今、静かにものを考える子どもが少なくなった。

頭に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
子どもたちの世界が、バラエティ番組化している。
「これでいいのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。

【補記】

 私は、右脳教育には、懐疑的である。
10年以上も前から、そういう趣旨で、原稿を書いてきた。
その気持ちは、いささかもゆらいでいない。
「まちがっている」と言っているのではない。
「あえて必要ない」と言っている。
フォト化とか、直観像とか、いろいろ言われているが、安全が確認された
わけではない。
ある幼児教室の案内書には、こうあった。

「これからは、右脳教育を受けた子どもたちが、ゾロゾロと(東大の)
赤門をくぐることになるでしょう」と。

それから10年。
そろそろその結果が出ているはず。
もしSD氏とバトルするようなことがあれば、(天国なら天国でもよいが)、まず
そのあたりの資料を出してもらうところから始めたい。

(注※)

●ゲーム脳

+++++++++++++++++

「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。

結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++

【産経新聞・10−02−08】

『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、240
0万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。
中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。 

 中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6〜29歳の
青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は200
7年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは40
0万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒
者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。

 中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしている
か?」との問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽の
ダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引
き離した。

 中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基
準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたし
た状態」と定義付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他
人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。

 国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネ
ット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といっ
た精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。

+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ゲーム脳 中国の現状 ゲーム中毒 ネット中毒者 障害 中国のネ
ット中毒者 ゲーム 疑わしきは罰する)


Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●昼神温泉で……(昼神温泉記補足)

+++++++++++++++++

昼神温泉で、ひとりの老人(男性)と
知りあいになった。
時間的に、たまたま温泉内には、私たち
2人だけだった。
湯船につかりながら、いろいろな話をした。

+++++++++++++++++

●男性

 昨日書いた、「昼神温泉記」には、その男性は、「松本から来た」と書いたが、
実際には、「松本」ではなく、「塩尻(長野県)」だった。
記録として残すときは、できるだけ地名や職業は隠すことにしている。
もちろん実名は書かない。
しかしその男性は、塩尻から来ていた。
昼神温泉で一度温泉で体を休め、そのまま豊橋にいる弟の家に行くということだった。

「塩尻から昼神までは、3時間。昼神から豊橋までは、3時間」と。
その男性は、そう言った。
年齢は81歳と言った。

(この年齢も、先の「昼神温泉記」の中では、別の年齢を書いた。)
元国家公務員とか。
風格があるというか、深い知性を感ずる人だった。

●会話

 長野県といえば、……というか、そういう先入観だけで見てはいけない。
が、ほかよりは、古き良き日本をそのまま残した地方ということになる。
その長野県でも、「近所づきあいがなくなりました」と。

男「私が住んでいるあたりでも、独居老人がふえましたね」
私「長野でも、ですか?」
男「昔とちがって、近所づきあいが、なくなりました」
私「若い人たちは、どうしているのですか」
男「携帯とか、インターネットとか、そういうことばかりしていますね。それに若い人
たちは、今、どんどんと都会へ出て行きます」

私「独居老人ではなく、今では、無縁老人といいます」
男「そうですね。私も同年代の人たちとつきあっていますが、毎年、仲間が少なくなって
いきます」
私「お子さんは……?」
男「娘が1人、息子が1人です。娘は、Y原温泉の旅館に嫁いでいきました。息子は東京
へ出たきり、帰ってきません」
私「それじゃあ、温泉三昧ではないですか。うらやましい」
男「それがそうではないのです。娘の嫁ぎ先の親とは、結婚式の話しあいをして以来、
一度も会っていません」

私「一度も会っていない……?」
男「いろいろありましてね……」
私「……旅館経営の最大の問題点は、何ですか?」
男「人ですよ、人。人が集まりません。きつい仕事だし……。ほとんどが人材派遣会社
からの派遣社員です。しかしね、やっと仕事を覚えたと思ったら、またどこかへ行って
しまう……。この繰り返しで、旅館業も、今、たいへんですよ」

私「長野県というから、親戚づきあいも濃厚で、その分、人間関係も濃密かと思って
いました」
男「変わりましたね。時代が変わったのです。狂ったと言ったほうがいいかもしれません」
私「狂った? 同感ですね……」
男「原因は、私は年金制度にあると思うのです。年金制度」
私「はあ、年金制度、ですか?」
男「年金制度ができたおかげで、いい面もあるのですが、親子の関係が切れてしまいま
したね。親のめんどうをみるという若者が、いなくなりました。それで平気で都会へ
出て行くのです」

私「……しかし長野県も、驚くほど、さびれましたね。先日、飯田市に立ち寄ったの
ですが、ゴーストタウン化していたのには驚きました。町の中央を横切る、りんご並木
にしても、荒れ放題といった感じでした」
男「そうですね。仕事がありませんから……」
私「不景気なんですかね」
男「仕事がないのですよ、仕事が……。若い人たちを吸収する職場がない……」
私「そう言えば、この温泉街も立派な温泉が並んでいますが、観光客が少ないですね」
男「観光バスでやってきて、そのまままた、観光バスで帰っていく。こういう季節と
いうのに、外を散策する人がいない……」

私「浜松でも、郊外の村や小さな町では、寺がどんどんと無住の寺になっています。
檀家が少なくなって、住職さえ町へ出て行くのですね」
男「長野県でも、無縁仏がふえていますよ。それでね、大きな墓碑を建て、そこに
無縁仏をまつる寺がふえてきました」
私「須坂市では、布施も戒名料も、すべて一律に定額にしているという話を聞きましたが」
男「……フーン。それはたぶん、市営墓地か何かの話ではないですか。塩尻ではそういう
話は聞きません」

私「浜松でも、初盆をしない家がふえてきました。漁村でも、初盆をする家は、40%
くらいなか」
男「長野でも、葬儀を家でひっそりとする家がふえてきましたね。僧侶を呼び、読経だけ
してもらい、それで終わります」
私「東京あたりでは、直葬といって、病院からすぐ火葬場へ回し、遺灰にして家に帰す
という方式がふえているそうです。数年前の統計ですが、すでに30%を超えたとか」
男「自然葬ですね」
私「そうです。自然葬です。私たち夫婦も、そうなりそうです。それを望んでいるわけで
はありませんが、そうなりそうです」

男「原因は、何ですか」
私「私は、あの受験競争にあると確信しています。受験競争を経験すると、子どもたちが、
突然冷たくなります。人が変わるというか、数字だけでものを考えるようになります」
男「親はよかれと思って、子どもを受験競争に駆り立てるわけですが、逆効果ですな」
私「まったく、その通りです。子どもはそれによって、学費を出してもらうのは、当然と
考えるようになります」
男「親は、爪に灯をともしながら、学費を送るのですがね……」
私「親に感謝しながら、大学へ通っている子どもは、いませんね。出たら、ハイ、さよ
うなら、ですよ」

男「……たしかに狂っている」
私「たしかに、おかしいです。こんな社会ですから、老人はますます生きにくくなって
きました」
男「そう言えば、うちの息子もそうですが、彼らが言う『家族』には、親は含まれて
いませんね」
私「ははは、そうです。それこそまさに私の持論です。若い人たちが言う『家族』は、
自分たち夫婦と、子どもだけです。親は入っていません」
男「やはり、年金が悪いのですよ。年金制度が……」
私「ははは、そうは言っても、私の年金は、月額6万4000円程度です」
男「国民保険だけでは、きびしいね」と。

 たがいに愚痴を言いあった。
愚痴を言いあいながら、笑った。

●親子

 このところ「親子とは何か」、それをよく考える。
親子とは、何か?
つでに家族とは、何か?

 昔風に言えば、濃密な血縁でつながれた一体性のある人間関係ということになる。
しかし今、その一体性を、子どもの方から拒絶し始めている。
その傾向が始まったのは、尾崎豊や長渕剛らが活躍したころといってよい。
私たち、団塊の世代は、権力との闘いが精神的方向性だった。
が、つづくつぎの世代では、それが世代との闘いに置き換わった。

 「私は私」というのは構わない。
私自身も、その言葉をよく使う。
しかし子ども(息子や娘)が、その言葉を使うときは、縦や横の人間関係を、切り離した
状態を意味する。
とくに縦の関係、つまり親と子の関係を切り離す。

 が、ここで2つの悲劇が始まる。

 ひとつは、親の側は、過去の幻想にしがみつきやすいという悲劇。
年老いた親ほど、そうだ。
中には「親子の縁は絶対的なもの」と信じて疑わない人も多い。
そのため時代の流れを理解できず、幻想と現実のちがいの中で、もがく。
苦しむ。
「私の子育ては、何だったのか」と。

 もうひとつは、自分自身も親でありながら、「自分たちだけは特別」と、やはり同じよう
な幻想にとりつかれる。
若い夫婦に多い。
もう少しわかりやすく説明しよう。

 たとえば子どもをもつ。
その子どもと、楽しい時間を共有する。
旅行する。
スポーツをする。
そのとき若い夫婦は、こう思う。
「私たち親子の絆(きずな)は、太い。家族というのは、こういうもの。私たちは、
私たちの親がしたような失敗は繰り返さない。私は家族を大切にしている」と。

 こうして若い夫婦は、一方で、その幻想に酔いしれる。
が、幻想は、幻想。
彼らもまた、私たちがたどったのと同じ道をたどる。
同じ失敗を繰り返す。

 これら2つを悲劇と言わずして、何という。

●教育観 

 この1年で、私の教育観は、大きく変わった。
それまでは家族主義を唱えながらも、家族がもつ呪縛感と闘ってきた。
実母や実兄の介護問題も、からんでいた。
養護問題もからんでいた。
私が生まれ育った地方(G県のM町周辺)は、(あるいは私の親類だけがそうだった
のかもしれないが)、濃密すぎるほどの親戚関係が生活の基本になっている。

 その親戚関係から受ける呪縛感には、相当なものがある。
心理学の世界では、「家族自我群」とか、「幻惑」とかいう言葉を使って、それを説明する。
私はその呪縛感に苦しんだ。
そしてこう考えた。

 「こういう苦しみは、私たちだけの世代で終わりにしたい。つぎの世代の人たちは、
そういう呪縛感とは無縁の世界で生きていけばいい」と。

しかし時代は、私が知らないうちに、私の知っている時代を通り越し、さらにその先へ
行っていた。
「日本は飽食だ、飽食だ」と思って、飽食による弊害を説いていたら、いつの間にか日本
は日々の食糧にも事欠くような貧乏国になっていた。
今は、そんな感じがする。

 で、この先のことは、よくわからない。
私自身も、模索期に入った。
が、このままでよいとは、考えていない。
あの男性は「狂った」という言葉を使った。
そう、たしかに狂った。
新しい世界を追い求めつづけていたら、古き良きものまで、粉々に破壊されてしまった。
そのためこの日本が、今、混乱状態にある。
私も模索状態にある。

 ……ということで、今日はここまで。
この話のつづきは、これから先、時間をかけてゆっくりと考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 昼神温泉補足 世代間闘争 模索期 家族主義 幻想と混乱)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●63歳の誕生日

 63歳になりきれないでいる。
理由はわかっている。
今年の誕生日には、プレゼントをもらっていない。
例年だと、何かプレゼントをもらっている。
が、今年は、もらっていない。
それをワイフに言うと、「そんなはずはない!」と。

 私がほしいもの。

(1)TOSHIBAのMXパソコン。
(2)SONYのアルファ(α)カメラ。
(3)機能がめちゃめちゃ複雑な、腕時計。
(4)パナソニックの「旅ナビ」カメラ。

 あえて順位をつけてみた。
しかしパソコンは、今でも5〜6台が稼動中。
カメラも、3〜4台が稼動中。
腕時計は、どうせすぐあきてしまう。
「旅ナビ」は、口コミ評判(ネット)が、あまりよくない。
やはりTOSHIBAのMXか?
キーボードが独立していて、打ちやすい。
それに表面のザラザラ感が気に入った。
難点を言えば、今使っているMXより、バッテリーのもちがやや短いこと。
しかし同じ仲間だから、バッテリーを共有できるという利点もある。
どうしよう?

●2011年

 私の仕事では、毎年今ごろになると、翌年の様子がわかってくる。
40年近くも、同じ仕事をしている。
ある程度の予想ができるようになった。
で、それによれば、2011年は、私にとっては忙しい年になりそう(?)。

 たとえば幼児教室にしても、現在の年中児クラスが、そのまま年長児
クラスになる。
不景気な年だと(?)、生徒数が3〜4人にまでさがる。
今も基本的には不景気だが、このところ教室への問い合わせが多くなった。
そういう(動き)が、翌年への予想へとつながっていく。
 
 ワイフに「来年もがんばるよ」と声をかけると、ワイフはうれしそうに笑った。

●仕事は自分で作る

 私の世界では、「仕事は作るもの」。
「もらうもの」ではない。
魚取りにたとえるなら、水の中に自らもぐり、モリでつく。
釣竿をもって、釣れるまで待つのは、私のやり方ではない。

 で、最近の若い人たちを見ていて、たいへん気になることがある。
そのひとつが、ガッツ魂。
ガッツ魂がない。
生き様が受け身。
仕事に対する考え方にしても、そうだ。
仕事はもらうものと考えている。
就職活動というのが、それ。
どうして自分で作らない。
自分で社会に切り込んでいかない。
私には、どうしてもそれが理解できない。

●外国

 同じように、「外国へ出ていこう」という若者が少ないのに、驚く。
「外国へ出て働け」というのではない。
外国で、1、2年、暮らしてみる。
「世界を見る」という言い方でもよい。

 たとえば『沈まぬ太陽』という映画があった。
その中で映画の主人公が、懲罰左遷とかで、アフリカや中近東へ転勤になる。
そんな場面が出てきた。
が、どうしてそれが懲罰左遷なのか?

 当時の世相は、逆だった。
私も商社マンだったからよく知っているが、「外国へ出る」というのは、
それ自体がステータスだった。

私は三井物産という会社にいた。
社員は7000人あまりだった(当時)。
しかしその三井物産にあっても、海外勤務ができる人は、全体の30%。
残りの70%は、国内勤務だった(当時)。

 商社マンは、外国で活躍してこそ、商社マン。
当時の私だったら、アフリカだろうが、中近東だろうが、転勤を命じられたら、
喜んでそれに従ったであろう。
日本航空(当時)の社員にしても、そうだ。
山崎豊子氏(原作者)には悪いが、山崎豊子氏はそういう当時の常識すら、
知らなかったのでは?

それに当時は、短期出張と言えば2年が常識だった。
が、その2年で帰ってくる人は、少なかった。
短期出張のハシゴというのもあった。
派遣先から、さらに別の派遣先へ転勤を命じられる人が多かった。
日本は、まだ貧しかった。
1970年当時、羽田―シドニー間の往復航空運賃が42、3万円。
大卒の初任給がやっと5万円を超えた時代である。
今のように、自由に飛行機に乗ることさえむずかしかった。

●留学

 私は留学生試験を受けた。
結果、インドとオーストラリアの両方に合格した。
オーストラリアのほうを選んだ。
(もしインドのほうを選んでいたら、今ごろは死んでいただろう。
当時はまだ風土病についての理解も乏しかった。
肝炎もそのひとつ。
コップ一杯の水を飲んだだけで、急性肝炎になり、命を落とした人は多い。)

 が、もし留学生試験に落ちたら、私は船員になってでも、アメリカへ
渡るつもりだった。
船員として働き、アメリカへ渡る。
向こうへ着いたら、そこで働く。
真剣に、それを考えていた。

●日本の若者たち

 日本の若者たちが、どうしてこうまで受け身になってしまったのか。
もちろん中には、外国へ出かけていき、そこで働いている日本の若者も多い。
しかしそういう若者は、マイナー。
多くは「外国で苦労するなら、日本で暮らしたほうがいい」と考えている。

 たまたま先ほど、高校生のクラスで、みなに聞いてみた。
「君たちの中で、卒業後、留学するとか、外国へ行きたいとか、そういう
ふうに言っている友だちはいるか」と。
が、その答に、私は心底、失望した。
「・・・だれもいない・・・よなあ・・・」と。

私「いないのか?」
高「いないよなあ・・・」
私「外国へ出て、外国を知ってみるというのは、どうか?」
高「先生、そんなのは、旅行で行けばいいんじゃない」
私「旅行で行っても、表面的なことしかわからないよ」
高「そんなことないよ。わかるよ」
私「わからない」
高「わかる」
私「わからない」
高「・・・わかったところで、先生、それがどうなの?」と。

●飼い慣らされてしまった?

 どうして日本人は、こうまで飼い慣らされてしまったのか・・・と
聞くだけ、ヤボ。
日本の教育のシステムそのものが、そうなっている。
子どもたちを指導する教師たちが、組織の中で飼いならされてしまっている。
もう10年になるだろうか。
ある高校の校長が、「フリーター撲滅運動」なるものを始めた※。
「撲滅」(=たたきつぶす)だぞ!
「私の高校は、100%就職をめざす」と。

 この日本では自由に生きていくことすら、むずかしい。
「自由」とは、「自らに由りながら」という意味である。
このことと直接関係があるとは言えないが、おととい、こんな話を聞いた。

 岐阜県の高校では、自転車にも「車検」に似たような制度があるという。
たとえばタイヤの溝にしても、何ミリ以下になると、タイヤそのものを
交換しなければならない。
で、ある母親(岐阜県在住)は、電話でこう言った。

「自転車は安物です。ショッピングセンターで1万円で買ったものです。
そのタイヤ交換に、1万円もかかったんですよ」と。

私「車検みたいですね」
母「そうなんです。自転車屋さんの証明書がないと、その自転車には乗れない
のです」
私「それは暴力団のやり方ですね」
母「そうなんです。だから値段が高くても、ほかの人たちは自転車屋さんで
自転車を買うしかないのです。中には、ほかの店で買った自転車は、修理しません
と断わる店もあります」と。

 人間管理、ここに極まれり!

 人間は管理されればされるほど、体制に依存性をもつようになる。
依存性をもてばもつほど、生き様が受け身になる。
現在の若者たちは、その結果ということになる。

 自転車がパンクすれば、そこから先は、引いて歩けばよい。
チェーンがはずれたら、自分で直せばよい。
ブレーキがきかなくなったら、自転車を倒して止めればよい。
どうしてそういう野生臭を、もっと大切にしないのか?
今、そういう野生臭が、日本の若い人たちから、消えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 若者の野生臭 たくましさ たくましさとは 日本の若者論)

(注※)「フリーター撲滅運動」(2007−12月記)

●働けど、働けど……(Working Poor)

One third of the Japanese belongs to so-called "Working Poor", who works less than 1.9 
~5.4 million yen per year. As to the young me aged from 15~24 years old), abt. 50% of 
them are not-employed workers. The number of not-employed workers has increased 
abt. 4.9 million in these ten years. Not-employed workers work with less payment 
without any sufficient insurance. This means that Japanese traditional working system 
has collapsed where workers could work in their whole lives in one single company. To 
solve this problem, I insist, deregulation of the society is more and more important. 
Otherwise there would be more and more working-poor people, especially working-poor 
young men.

+++++++++++++++++

働けど、働けど……、一向に、生活が楽にならない。
そんな人がふえている。

G市に住む従兄弟(いとこ)と、電話で話す。
夫は、運送会社に勤め、妻は、銀行でコンピュータ管理の仕事をしている。
3人の子どもがいる。

夫は正規社員だが、妻は、非正規社員。
妻の身分は、10年以上、そのままだという。

従兄弟のケースは、まだ恵まれているほうだが、それでも、生活は、毎月ギリギリだとい
う。
夫も妻も、朝から、夜遅くまで働いている。

総務省統計局の調査によれば、この97年から02年までに、いわゆるワーキングプア世
帯(非勤労世帯を含む全世帯)は、16・3から22・3%に、ふえたという。

ワーキングプア世帯というのは、「働く貧困層」をいう。

ここでいう「貧困基準」というのは、

1人世帯……年収190万円以下
2人世帯……年収300万円以下
3人世帯……年収394万円以下
4人世帯……年収463万円以下
5人世帯……年収548万円以下(2002年度)の人たちをいう。

現在、日本では、約3分の1の世帯が、そのワーキングプア層に該当するという。

が、ここで注意しなければならないことは、たとえば妻が専業主婦で、子どもが2人いる
ばあい、4人世帯となるということ。
年収が、463万円以下だと、ワーキングプア層に入ってしまう。
つまり、子どもが多ければ多いほど、生活が苦しくなる。

しかし実際、1人の男性(夫)が、500万円の年収をあげることは、容易なことではな
い。
正規社員はともかくも、非正規社員だと、なおさらである。年収で、約30%〜前後の開
きがあると聞いている(浜松地域)。

その正規社員は減り、非正規社員はふえている。同じく総務省統計局の調査によれば、こ
の10年間で、正規社員は約450万人減り、非正規社員は約490万人ふえているとい
う(IMIDAS)。

わかりやすく言えば、企業は、正規社員を減らし、その穴埋めを、給料が安くてすむ非正
規社員で補っているということ。

しかしこんなことをつづけていれば、勝ち組と負け組の2極化がますます進む。
が、それだけではすまない。
社会そのものが、不安定化する。
子どもの世界について言うなら、ますます受験競争がはげしくなる。
ついでに言えば、それがストレスとなって、子どもたちの世界を、ますますゆがめる。

いじめもふえるだろう。
子どもの自殺もふえるだろう。
不登校児もふえるだろう。

中に、「能力のある人がいい生活をして、そうでない人が、いい生活ができないのは、しか
たのないこと」と説く人がいる。

しかしそれには、大前提がある。

雇用の機会が、だれにも、平等に、かつ均等に与えられなければならない。
しかしこの日本では、人生の入り口で、運よくその世界へ入った人は、生涯にわたって、
安楽な生活をすることができる。
またそういう人たちが、自分が得た権益を、手放そうとしない。
公務員の天下りに、その例を見るまでもない。

何か、おかしい?
何か、へん?

総務省統計局の調査を見ると、1996年から99年あたりから、この日本は、大きく変
化し始めた。
この時期というのは、ちょうど団塊の世代以下が、リストラにつぐリストラで、職場を追
われ始めた時期にあたる。

では、どうするか?
どう考えたらよいか?
私たちの世代は、それでしかたないとして、これからこの日本を支える、これからの若者
たちのためには、どうしたらよいか?

今のように、若者(15〜24歳)の非正規雇用が、50%前後(男子44%、女子52%、
06年)にもなったら、雇用社会そのものが崩壊したと考えたほうがよいのではないか。
わかりやすく言えば、フリーターであることのほうが、今では、当たり前。

であるなら、若者たちがフリーターとして生きていくために、生きやすい環境を、用意す
る。
つまりそのためには、規制緩和、あるのみ。ただひたすら、規制緩和あるのみ。

たとえばオーストラリアでは、電話1本と、車1台があれば、若者たちは、それで仕事が
始められる。
日本で言うような、資格だの、許可だの、認可だの、そういったものは、ほとんど必要な
い。

日本は世界的に見ても、管理の上に、「超」が、10個ぐらいつく、超管理国家である。
官僚主義国家の弊害と言えば、それまでだが、一方でこうして若者たちの世界を、がんじ
がらめに縛りつけている。

簡単に言えば、一方でフリーターをつくりながら、他方で、フリーターには、生きにくい
社会にしている。(そう言えば、数年前、『フリーター撲滅論』を唱えた、どこかのバカ校
長がいた。「撲滅」だと!)

これを矛盾と言わずして、何と言う。

私はそのフリーターを、40年近くしてきた。
浜松に来たころには、市の商工会議所に登録している翻訳家は1人しかいなくて、私が2
人目だった。
私は工業団地の電柱に張り紙をして、仕事を取ってきた。
資格も認可も、いらなかった。

今、そういう「自由」がどこにある?
またそういう自由があるからこそ、社会に、ダイナミズムが生まれ、そのダイナミズムが、
社会を発展させる。

働けど……、働けど……。
そんなわけで結局は、働くしかない。

ということで、言いたいこと、書きたいことは、山ほどある。あるが、ここは、「バカヤロ
ー」と叫んだところで、おしまい。バカヤロー!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ワーキングプア ワーキン
グ・プア working poor working-poor)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【長野県・昼神温泉】(「昼神温泉郷・湯元ホテル阿智川」にて)

●直行バス

 浜松から長野県・昼神温泉行きのバスに乗る。
直行バスである。
「昼神温泉」というのは、飯田市の近くにある昔からの温泉という。
数か月前、その温泉の観光協会の人たちと知り合いになった。
町の中で、特産品を売っていた。
安くしてもらった。
そのとき「行きますからね」と約束した。
その約束を、今日、果たす。

 バスは東名西インターにある遠鉄バスターミナルから、出発する。
私たちはその駐車場に車を止め、歩いてバスまで。
すでにバスは来ていた。
女性がドアのところに立っていて、「林さんですか?」と声をかけてくれた。
瞬間、ほかに客がいないことを知った。
昼神温泉の方には申し訳ないが、客は少なければ少ないほどよい。
が、貸し切りバスというのも困る。
居心地があまりよくない。

 ……と思っていたら、出発直前になって、ほかに5人ほどが乗り込んできた。
日帰りで昼神温泉へ行く人たちという。
ホッ!
が、それでも、車内はガラガラ。
バスの後半部はラウンジ風になっていた。
中央にテーブルが置いてある。
私たちはそのラウンジを、私とワイフの2人で、占有した。

●退職

 今朝、出がけにパソコンを立ち上げると、オーストラリアの友人から
メールが入っていた。
大学の職員を退職することになったが、これからどうしたらいいかという
相談だった。
さらに1年間は、今の身分で仕事がつづけられるという。
が、自分としては、退職し、老後は好きなことをして暮らしたい、と。

 先日のメールでは現在の家(メルボルン市内)を売り、海の見える家へ移る
というようなことが書いてあった。
それについて、「ぼくはやはり町の人間かも」と。
どこか弱気な内容だった。
返事を書こうとしたが、時間がなかったので、簡単な詫(わ)びの言葉だけで
すました。

●カメラ

 その友人が最近、デジカメを買った。
その直前、「C社のxxはどうか?」と聞いてきた。
私はSONYのNEXを勧めた。
が、つぎのメールでは、それで撮ったビデオが添付されていた。
それについて、今朝のメールでは、「SONYのNEXにすればよかった」と。
「そら、見ろ」と思ったが、それは書かなかった。

 私が今、いちばんほしいのは、SONYのα(アルファ)、NEX−3。
NEX−5もあるが、レンズがほんの少し本体から飛び出しているのが気に入らない。
設計ミス?
そんな感じがする。
だからやや小ぶりのNEX−3。
ちがいは、NEXー3は、プラスティック製。
NEX−5は、マグネシウム製。

●パソコン

 バスは東名高速道路を走っている。
今日のお供は、TOSHIBAのdynabook―MX。
バッテリーのもちがよい。
最長10時間以上。
しかし失敗!

 このパソコンには衝撃感知機能がついている。
軽い衝撃を受けるたびに、それが働き、ハードディスクが停止する。
つまりガタガタとバスが揺れるたびに、ワープロの動きが鈍くなる。
TOSHIBAのUXをもってくればよかった……と、今、思い始めている。

●小さな夢
 
 昨日、私が22年前に書いた本が、7000円前後で売買されているのを知った。
AMAZON COM.で、である。
表紙カバーもない、ボロボロの本が、7000円!
『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)。
この本については、こんなエピソードがある。

 私は22歳のころから、漢方、つまり東洋医学の世界に、のめりこんだ。
それにはある経緯(いきさつ)があるが、それはまた別の機会に書くことにする。
ともかくも、「のめりこんだ」。

 で、1冊の本を書いた。
『東洋医学・基礎編』(学研)という本である。
この本は、今でも全国の大学の医学部や鍼灸学校で、教科書として使ってもらっている。
一応、YD氏、ST氏が書いたことになっているが、両氏が書いたのは、前書きと、
本文1ページのみ。
「君の名前では本は売れないから」ということで、学研の編集長が、2人の著名な学者を
連れてきた。

 そのあと、『東洋医学・経穴編』(学研)という本を書き始めた。
これには7年という歳月を要した。
『目で見る漢方診断』という本を書いたのは、それから。
私はこの本に賭けた。
「この本が売れなかったら、漢方の世界から足を洗おう」と。

 当初、飛鳥新社のD社長は、著者を別の専門家にすると主張した。
私はそれに抵抗した。
私の本だから、私の名前で出したいとがんばった。
内容には自信があった。
私という素人が書く以上、一文一文に、すべて、出典を明記した。
漢方の古典に忠実に従った。

 が、結果的に売れなかった。
それでフンギリがついた。
絶版になるという連絡を受けたあと、身のまわりを整理した。
書庫から数冊の本をのぞいて、資料も含めて、すべて処分した。
が、今、その本が何と、7000円前後で売買されている。
ボロボロの中古本が、である。

 私はそれを知ったとき、熱いものが胸の底からこみあげてくるのを感じた。
うれしかった。
あの時代が、まだ生きている。
無駄にならなかった。

(昨日、6900円で売られていた本が、今朝は消えていた。
だれかが6900円で買ったらしい。)(AMAZON COM)

買ってくれた方へ、

 ありがとうございます。

●秋景色

 バスは東名高速道路を西へと走らせている。
途中で、東海環状自動車道へ入り、さらに中央自動車道へ入る。
昼神温泉へは、11時ごろ着くという。
窓の外は、すっかり秋景色。
ここから見ただけでも、紅葉はすでにじゅうぶんすぎるほど、美しい。

 ワイフは横から、「あなた、ほら!」と、そのつど話しかけてくる。
(うるさい! 私はパソコンと遊んでいるのだ!)

 昼神温泉へ着いたら、写真を撮る。
12月のマガジン用の写真である。

 ……しかし考えてみれば、命は短い。
ほぼ1か月で、そうして撮った写真でも、使命を終える。
終えたあとは、ネットから消える。

(電子マガジンでは、特別のばあいをのぞき、私は自分で撮った写真だけを
載せている。)

●中津川SA

 途中、一度、中津川SAで停車。
トイレから出たあと、写真を1枚撮る。
あいにくの曇り空。
重量感のある低い雲が、動きもなく空を覆っていた。

 写真を撮るなら、日光が必要。
紅葉は、光の中で輝く。
「明日に期待しよう」と、私。
天気予報によれば、今日は午後から雨。
明日は快晴。

 ガイドも、運転手もいないバスの中。
他の女性客たちは、カラカラ、キャッキャッと騒いでいる。
そういえば、このバスはどこかタバコ臭い。
それとも湿った酒のにおい。
雰囲気としては、古いバーのよう。
もっとも私はこの30年以上、バーとかキャバレーとか、そういった場所へ
入ったことがない。
ホステスのいないクラブのようなところへは、仕事の打ち合わせでよく入ったが、
その程度。
私はああいう雰囲気が、どうも肌に合わない。
落ち着かない。
それに酒の臭いが嫌い。

●見ごろ

 窓の外には、のどかな田園風景がつづく。
家の集落が森と森の間に見え隠れする。
このあたりでは、紅葉の見ごろは、11月の中旬とか。
つまり「今」。
今日は11月15日、月曜日。
仕事は休み。
バンザーイ!

 私たちは今日、中部地方という場所で、最高の紅葉を楽しむ。
写真に収める。
マガジンの読者のみなさん、どうかお楽しみに!

●集落

 その集落を見ながら、ふとこんなことを考える。
「こんなところにも、懸命に生きている人がいるんだなア」と。
それぞれの家には、それぞれのドラマがある。
その家の中には、もちろん、人が住んでいる。
それぞれの思いをもって、生きている。

 そう、あそこにも、ここにも、「私」がいる。
「私」がいて、「私」が生きている。
その家々の手前を、時折、黄金色のカーテンが、左から右へ流れる。
実のところ、こうしたラウンジ風のバスに乗ったのは、今回がはじめて。
「コ」の字型にシートが並べられている。
私たちは左側のシートに座り、窓の外の景色をながめている。

 新しい集落が現れ、そしてまた右へと消えていく。
つぎにまた、新しい集落が現れ、そしてまた右へと消えて行く。
それをながめる。
ぼんやりと、ただひたすら、ぼんやりと……。

●午後1時40分

 バスは予定より、ずっと早く着いた。
……着いてしまった。
途中、渋滞もなかった。
予定では11時15分ごろ到着となっていたが、10時半前。
ホテルに入ったが、「チェックインは3時からです」と。
わかってはいてが、しかたないので、また逆戻り。
バス停あたりまで来て、昼食。
私は「十割そば」、ワイフは「かけそば」を食べた。
おいしかった。

 友人たちにみやげを買い、配送してもらう。
ついでに、まんじゅうを2個買う。
それを川沿いのベンチに座ってたべようとしたが、突然、
山の冷気が身にしみた。
コートのチャックをあげ、そのままホテルへ。
こまかい霧のような雨が降り始めた

 今、時刻は午後1時40分。

●ホテルのロビーで

 パソコンのコードを忘れた。
ドキッ!
何度もバッグの中をさがした。
なかった。
私にとっては致命的な忘れ物。
ア〜ア!

 バッテリーの残量を見ると、74%、
約5時間と表示されていた。
使い方によっては、もっと長持ちするはず。
が、5時間では足りない。
どうしよう?

 急いで書きたいことを書くことにした。
心の中にたまっているモヤモヤを吐き出すことにした。
無駄なことは書きたくない。

●熊谷元一記念館

 先ほど「熊谷元一写真動画館」というところを見てきた。
たまたまこの11月はじめに亡くなったとかで、「追悼無料公開日」に
なっていた。

 昭和28、9年ごろの写真がたくさん飾られていた。
私たち団塊の世代には、たまらないほど懐かしい写真である。
見ているうちに、写真の中に自分が吸い込まれていくような錯覚を覚えた。

 つぎはぎだらけの古い学生服。
ズボンの形をしたズボン。
丸坊主頭にゴム靴。
板間の廊下と、黒くくすんだ壁。
どれも「私」だった。
子ども時代の「私」だった。
気がつくと、目が涙でうるんでいた。

 「写真動画館」は、もうすぐ「記念館」と書き改めらるかも。
もしあなたが団塊の世代で、この昼神温泉へ来るようなことがあれば、
ぜひこの写真動画館へ立ち寄ってみたらよい。
場所は、バス停のそば、みやげもの屋の裏手にある。

●悪夢

 実は、今朝も悪夢を見た。
内容はいつも決まっている。
が、今日は、逆。
乗り遅れるのではなく、降り遅れる。
そんな夢。

 どこかの講演会場へ向かっている。
駅に着く。
同行していた係の人が先に降りる。
が、私は手荷物をいっぱいもっている。
あたふたとしているうちに、電車のドアがしまり、動き出してしまった。
「つぎの駅でおりて、タクシーに乗ればいい」と。
自分にそう言い聞かせているとき、目が覚めた。

 どうして私はいつもこんな夢ばかり見るのだろう。
いつも何かに追い立てられている。
幼いころの不安感が、いまでもつづいている。
おそらく死ぬまで、こうした夢から解放されることはない。
トラウマ(心の傷)というのは、そういうもの。

 いつだったか、だれかが私に聞いた。
「トラウマというのは、消えますか?」と。
それに答えて私は、こう言った。
「消えませんよ。消えるもんですか。心の傷というのは、そういうものですよ」と。

●湯元ホテル・阿智川

 今夜の宿泊は、「湯元ホテル阿智川」。
昼神温泉郷の中でも、一番奥にある。
バス停から1400メートルとか。
洞窟風呂があるということで、それでこのホテルを選んだ。
今のところ、サービスよし。
フロントにあるパンフレットには、「四季山水に遊ぶ宿」とある。
雰囲気よし。

 どんな商売でもそうだが、よし悪しは、「本気度」で決まる。
本気でやっているかどうかで、評価が決まる。
客の入りも決まる。
 
 幼稚園もそうだ。
幼稚園を選ぶときは、本気かどうかで選ぶとよい。
本気で幼児教育に取り組んでいる幼稚園には、それなりの活気がある。
先生たちも、生き生きとしている。
園児の顔も明るい。

 そうでない幼稚園は、そうでない。
どこか沈んでいる。
暗い。
そういう幼稚園にかぎって、行事だけは派手。
みかけの「よさ」ばかりを、アピールする。
そういう幼稚園へは、子どもをやってはいけない。

 ホテルや旅館も、同じ。

(実名を出したので、悪口は書けない。
以下、そのことを頭のどこかに置いて、この旅行記を読んでほしい。
電話は、0265−43−2800。)

●昼神温泉郷
 
 残念ながら、温泉郷そのものは、活気がない。
元気がない。
川沿いに歩いてみたが、結構大きな旅館が、いくつかすでに閉鎖されていた。
規模そのものは、浜松市郊外の舘山寺温泉街、あるいは岐阜県の下呂温泉にも、
引けを取らない。
それぞれの旅館やホテルは、大きく立派。
が、秋のかき入れどきというのに、川沿いを散策する温泉客は、私たち2人だけ。
もっとも今日は月曜日。
私たちはそういう日を選んで、ここへやってきた。

 が、どうしてだろう。
これだけの温泉郷である。
もっと客がいてもおかしくない。
またそうでないと、経営はむずかしい。

 前にも書いたが、若い人たちを中心に、旅行の趣向が変わってきている。
旅館に泊まり、料理を食べて、温泉に入る……。
が、それだけでは、若い人たちを引きつけることはできない。
もし若い人たちを呼び込もうとするなら、一度滋賀県の長浜の町を歩いてみたらよい。
沖縄の国際通りでもよいし、鎌倉の路地でもよい。

 ……といっても、私たちには、こういう旅館のほうがありがたい。
つまりそれだけ、ジジババになったということ。

●チェックイン

 フロントからたった今、男性がやってきて、「チェックインできます」と告げてくれた。
ワイフがフロントへ行った。
しかし私はパソコンのバッテリーが心配。
こうなったら、書きまくるしかない。

 私の脳みそがカラになるか、バッテリーがカラになるか。
どちらが早いか。
ハハハ。
これはまさに真剣勝負。

●星は5つの、★★★★★

 驚いた!
本当に驚いた!

 世に温泉数々あれど、このホテル阿智川の温泉は、群を抜いている。
清潔で、新しい。
それに広い。
露天風呂もあり、足湯の通路があって、それを歩いていくと、その奥は洞窟風呂。

 ほかに客は1人。
すぐ仲良しになり、情報交換。
あちこちの旅館やホテルの話になった。

客「ここほどの温泉は、長野県にも、そうはありませんよ」と。
私「……はあ、私も仕事で、月に2、3度、あちこちの旅館に泊まりますが、同感です」
客「私はね、松本から来ました」
私「あちらにも、いい温泉があるでしょ」
客「ここほどいいところはありません。だからここで連泊することにしました」と。

 部屋も広い。
和室。
内風呂はないが、大満足。

「昼神温泉の中でも、この旅館がいちばんということです」と。
その客は言った。

ビンゴー!

 前回は、沖縄のロアジール・ホテルに泊まった。
ホテルでも、あれほどのホテルはそうはない。
那覇市でも最高級のホテルという。

同じように、今回のホテル阿智川(旅館)も、そうはない。
あとは料理ということになるが、料理がふつうでも、私は大満足。
今の段階で、すでに星は文句なしの5つ星の、★★★★★。

(ただしこの昼神温泉郷には、さらなる高級旅館がないわけではない。
もちろん料金は高い。)

●客と

 私はこうした温泉では、ほかの客によく話しかける。
たいてい「どこから?」で始まる。
今日もそうだった。

 その客は、こう言った。
「松本から来て、明日は、豊橋に向かいます」と。
それで話がはずんだ。

私「豊橋へは、どうして?」
客「弟が住んでいます」
私「はあ、それで……」
客「娘は上山田の旅館に嫁ぎましてね」
私「それはいいですね。女将(おかみ)さんですね。いつでもタダで泊まれますね」
客「それがそうではないのです。夫の両親とは、結婚式の前、一度しか会っていません」
私「一度だけ?」
客「相手の父親が変人でね……」と。

 ふとさみしそうな顔をしてみせた。
いろいろあったらしい。

客「長男も、東京へ出たきり、帰ってきません」
私「浜松でも、そうですよ」
客「浜松でも、ですか?」
私「みんな、そうですよ」
客「よかれと思って、学資を出してやったのですが、それがよかったのか、悪かったのか」
私「今は、そういう時代です。何かがおかしい。狂った」
客「私は今、主に同年齢の人たちとつきあっていますが、毎年、1人、2人と
亡くなっていきます。私もやがて、無縁老人です」
私「私もそうなりそうです。長生きするのも、考えものですね」と。

 長野県でも、ここ20年、近所づきあいが極端に少なくなったという。
「長野県でもですか!」と驚いていると、「そうです」と。

 その客は、79歳といった。
別れるとき、「こんなに時代が急に変化するとは、思ってもいませんでした」と。

●旅館探し

 今ではどこへ行くにも、まずネットで旅館やホテルを探す。
ゆこゆこ、楽天、じゃらん……。
それぞれが旅館やホテルを紹介している。
そのとき参考になるのは、「口コミ」。

 今回も、その口コミを利用させてもらった。
その口コミをもとに、満足度などを、点数評価しているサービスもある。
それを読めば、たいていよい旅館やホテルに巡りあえる。

 ただアテにならないのは、都会のビジネスホテル。
組織的にインチキをしているところが多い。
たとえば今年のはじめ、K市で泊まったXXホテルは最悪。
もとは雑居ビルだったとか。
タクシーの運転手が、そう話してくれた。
化粧に化粧を重ねて、見た目には立派なホテルに仕立ててあった。
が、中身はボロボロ。
隣の部屋とは、ベニア板で仕切ってあった?
隣の音が、丸聞こえ。
しかし口コミは、すべて「よかった」「すばらしかった」「大満足」と。

 サクラが泊まって、サクラが書いた?
私はそう思った。

●雨

 風呂から出ると、雨が降っていた。
予報どおりだった。
だとすると、明日の朝は快晴。
すばらしい写真が撮れそう。
楽しみ。

●2010年

 今年も、残りあと1か月と半分。
いろいろあった。
が、全体としてみると、さみしい1年だった。
満足感は、ほとんど、ない。
何かをやり残したような感じ。
不完全燃焼症候群というのか。

 雨に光る旅館の屋根をながめていると、さみしさがひときわ胸にしみる。

 フ〜ン。

 こういうとき島崎藤村のような詩人なら、自分の心をどう表現するのだろう。
長野といえば、島崎藤村。

 秋の日暮れしころの昼神温泉は、
 小雨に濡れて、静かに光っている。
 時の流れは、今、静かに息を止め、
 森の向こうから、やさしく私たちを
 見つめている。
 
 ハハハ。
 へたくそな詩。
生徒が書いた詩なら、0点をつけてやる。

●母の三回忌

 9月に母の三回忌をすませた。
ワイフと私の2人だけで、すませた。
10月13日が命日だったが、「誕生日のほうがいいだろう」ということで、
9月にすませた。
あとで聞いたら、姉は姉で、三回忌をしたという。
まあ、いろいろあって、私と姉の関係は、そういう間柄。
子どものころから、いっしょに遊んだという経験も、ほとんどない。

 『兄弟は他人の始まり』という。
珍しいことではない。
しかし親子だって、他人以上の他人になることがある。
とくに親が嫌われるケースが多い。
その中でも、父親。
映画『送り人』の中でも、父親が嫌われていた。
言い換えると父親というのは、そういうもの。
そういう前提で考えれば、気も楽になる。
子どもに好かれようとへたに機嫌を取るから、かえって嫌われる。

 私も長男に嫌われ、二男に嫌われ、ついで三男にも嫌われている。
ひょっとしたら、ワイフにも嫌われている。
生徒たちにしても、みな、こう言う。
「先生なんか、大嫌い!」と。
生徒は生徒だが、フロイトも「血統空想」という言葉を使って、父親の立場を
説明している。

 子どもから見ると、母親は「絶対的な存在」だが、父親は、「一しずくの関係」。
父親はどんなにがんばっても、父親。
立場には限界がある。
子どもは、自分の父親を見ながら、「この人は私の父親ではない。私の父親は
もっと高貴ですばらしい人だ」と空想する。
その空想を、「血統空想」という。

で、私も子どものころ、父が嫌いだった。
酒を飲んで、暴れてばかりいた。
が、ずっと嫌いだったわけではない。
自分が父親になって、父の気持ちが理解できるようになった。
そのことをとくに意識したわけではないが、息子たちの名前には、みな、
「市」をつけた。
周市、宗市、英市、と。
私の父の名前は、「良市」だった。

●父、良市

 ついでにどうして「市」をつけたか?

 私の父は、悲運な人だった。
商売は下手で、何をやっても失敗。
家族の愛情にも恵まれなかった。
今で言う、できちゃった婚で、結婚した。
そうして生まれたのが、父、良市。

祖父には別に、婚約者がいた。
父が生まれたあとも、祖父は、その元婚約者と関係をつづけていた。
つまり生まれたときから、家庭はめちゃめちゃだった。

 母と結婚したが、二度目の見合いで、結婚ということになってしまったという。
たがいの愛情を確かめる間もなく、父はそのまま出征。
台湾で貫通銃創を受け、傷痍軍人として帰国。
継ぎたくもない家業を継がされ、自転車屋の主人として押し込められてしまった。
酒に溺れるようになったのは、それからのことだった。

 だから私は長男が生まれるとすぐ、「周市」とした。
迷いはなかった。
父が覚えたであろう無念さを、私が晴らしてやる。
そう思った。
その父は、享年64歳だった。
今の私の年齢である。

●誠司
 
 それと同じかどうかは知らない。
しかし二男が子どもをもったとき、名前を「誠司」としてくれた。
私が名づけたのではない。
二男が、「これでいいか?」と聞いてきた。
それを知ったとき、私はうれしかった。
私の名前は「浩司」。
同じ「司」。

 二男が学生のころは、喧嘩ばかりしていた。
そんな二男が、「誠司」という名前をつけてくれた。
その誠司が今、私のHPのモデルとして、HPを飾ってくれている。
内々では、まったく私に似ていないという意味で、「エイリアン」とか、
「エイリアン・ボーイ」とか、呼んでいる。
しかし何といっても初孫。
かわいさがちがう。
かわいい。

●11名!

 ところでまたまた暗い話で恐縮だが、先日、同窓会名簿が送られてきた。
大学の名簿である。
法科の学生は、100人と少しだったが、すでにうち11人が他界している。
私はまだ数名と思っていた。
だから余計にショックだった。

すぐその名簿を見ながら、あちこちに電話をかけた。
消息を確かめた。
親しかった友人たちは、みな、元気だった。
それにしても、11人とは!
団塊の世代と言われ、戦後の高度経済成長を、懸命に支えてきた。
定年を迎え、やっと激務から解放されたとたん、他界!
こんなむごい話があるか?

 A君は電話でこう言った。
「みんな、がんだよ。若いうちは、進行も早くて」と。

 みんな、どうして死ぬんだ!
死んじゃ、だめだ!
ぼくたちは、まだまだ若いんだ!

●部屋で

 ワイフは今、せんべいを食べている。
旅館が用意しておいてくれたもの。
蒸きんつばというのも、横に添えてある。
夕食まで、まだ1時間半もある。
もつかなあ……?
パソコンのバッテリーがもつかなあ……?

 バッテリーが切れるのがこわいのではない。
パソコンが打てなくなるのが、こわい。
とたんに頭の中がモヤモヤとしてくる。
それが不愉快。
私はキーボードを叩きながら、モヤモヤを吐き出す。
(「叩き出す」と書くべきか?)

 もし今夜、パソコンが打てなくなったら、何らかの禁断症状
が出てくるかもしれない。
イライラするとか……。
それに明日もある。
どこかでパソコンを貸してくれないかな……?
電源アダプターでもよい。
一応、聞いてみるだけ、聞いてみよう。
19ボルトの3・42アンペア。

(たった今、フロントに問い合わせてみた。
結果、貸しパソコンなし。
貸し電源もなし。
ついでに無線LANサービスもなし。
残るは電気屋を探して、電源アダプターを買うこと。)

 フロントにたずねたら、「電気屋はいちばん近いところで、
車で10〜15分」と。
「……しかしその容量のものが置いてあるとはかぎりません」とも。

 たった今残量を調べたら、「40%で3時間40分」と表示。
私は今、寿命の模擬体験をしているのかもしれない。
残りの命をどう使うべきか。

選択1:今のうちに書けるだけ書いておく。
選択2:明日までバッテリーを残しておく。

 問題は残りの40%を、どう使うか?
とりあえず、夕食まで約1時間。
夕食後は、読書に切り替え、バッテリーを温存する。
明日は、頭の中のモヤモヤをじゅうぶんためきったところで
電源を入れる。
一気にモヤモヤを吐き出す(=叩き出す)。

 どこか映画『アポロ13号』のような雰囲気になってきた。
あの映画の中でも、クルーは燃料の節約を始める。
その緊張感が、たまらない。

 ……たった今、コントロールパネルから、電源オプションを開き、
画面プランを「最低」に設定した。
とたん画面は暗くなった。
しかたない!

●模擬体験

 あなたならどうするだろうか。
あと3か月の命と宣告されたら……。
病院のベッドで静かにしていれば、3か月。
しかし無理をすれば、1か月。

 「命」をこうして茶化すのはよくない。
「死」を茶化すのは、さらによくない。
しかし多くの賢人は、異口同音にみな、こう言う。
「無益に100年生きるよりも、有益に1年を生きたほうがよい」と。

 その視点に立つなら、たとえ寿命が短くなっても、無理をして
生きたほうがよい。
「無理」というのは、やるべきことをやるという意味。
人には、寿命を縮めても、やるべきことがある。
長生きすれば、それでよいというものでもない。
人生の価値は、時計では計れない。

 ……というのは考えすぎか。
それにしても、この緊張感が楽しい(?)。
今朝見た、あの悪夢にどこか似ている。
心のどこかでハラハラしている。
しかしこんな気分では、よい文章など書けない。
が、これも実験。
心の実験。
はたして私は、どんな文章を書くのだろう。

●ハラハラドキドキ

 考えてみれば、私がもっているトラウマ、つまり強迫観念は、
今の心の状態に似ている。
どんどん減っていくバッテリー。
ハラハラドキドキ。
電車に乗り遅れるとき、降り遅れるとき、そんなときも、
ハラハラドキドキ。

 こうなったら、自分の強迫観念を解剖してみてやる。
私はなぜ、毎朝、悪夢に悩まされるのか。

●強迫観念

 具体的な記憶としては残っていない。
しかし私が強迫観念をもつようになったのには、母の育児方法に
原因があった。
それを10年ほど前に知った。

 晩年、母は手乗り文鳥を飼っていた。
そのときのこと。
母は手乗り文鳥を手なづけるために、わざと文鳥に不安にしていた。
「ホラホラ、行っちゃうよ」と。
そう言いながら母は、戸の向こうに隠れる。

 そのとき文鳥は、悲しそうな声で、ピーッ、ピーッと鳴く。
それを聞き届けて、母はおもむろに戸の陰から顔を出す。
「ホラホラ……」と。
文鳥はうれしそうに、母のほうに向かって飛んでいく……。

 それを見たとき、私は遠い記憶の中で、いつも、つまり日常的に
母にそうされていたのを思い出した。
「ホラホラ……」という言葉が、鮮明に記憶の中に残っている。
つまり母は、そういう形で、一度私を不安にさせ、手なづけていた。

 幼児教育ではぜったいにしてはならない手法である。
こんなことを繰り返していたら、親子の信頼関係は、粉々に崩れる。
そればかりか、私のような強迫観念をもつようになる。

 そう言えば、どこかのバカ教授が、こんなことを書いていた。
「親子の絆(きずな)を深めるためには、遊園地などで、子どもを
わざと迷子にさせてみるとよい」と。

 この話は本当の話である。
100万部を超えるベストセラーを書いた、TKという教授である。
私はその幼児教育論を読んだとき、体中がカッと熱くなるのを覚えた。

●仲よくつきあう

 こうした強迫観念は、一度もつと、それから解放されるということは、
まずない。
今の私が、そのサンプルということになる。
私はいつも、何かに追い立てられている。
そんな観念から抜けきることができない。
だから休みが1週間もつづいたりすると、かえって気が変になってしまう。

 そういう私をワイフは、「貧乏性」という。
しかし何もお金(マネー)だけの問題ではない。
今は、「時間」。
時間がほしい。
時間が足りない。
そして今は、バッテリーが足りない。

 だから今は、あきらめ、仲よくつきあうことにしている。
強迫観念にせよ、貧乏性にせよ、なおそうと思う必要はない。
仲よくつきあう。
それが「私」と居直って生きる。

 が、今朝もワイフにこう言った。
「一度くらい、安らかに目を覚ましてみたい」と。

●バッテリー

 夕食まで、あと30分。
バッテリーは、省電力設定にしたこともあり、残り3時間15分。
夕食後は、読書。
残りの2時間45分は、明日のために残しておく。
(実際にはバッテリーの残量が10%以下になると、パソコンは勝手に
シャットダウンしてしまう。)

●夕食

 夕食は可もなく不可もなく……といったもの。
ほどよい食材で、ほどよく仕上げたという印象をもった。
(私は料理には詳しくない。
それなりにおいしければ、満足する。)
星は3つの、★★★。
あとは予算。
つまり料金で決まる。
私たちは1泊、1万5000円のコースを選んだ。

 それを食べながら、ワイフがはじめて、こう言った。
「こういう料理を食べられるなんて、感謝しているわ」と。

私「お前がそんなことを言うとは。はじめて聞いた」
ワ「そんなことないわよ。いつも感謝しているわ」
私「酔っぱらったからではないのか」
ワ「酔っぱらってないわよ」と。

 が、私はうれしかった。
最後に、梨のジュースで作ったアイスクリームを食べて、おしまい。
おいしかった。

●UFO

 どこかのバラエティ番組で、UFOの目撃番組を流していた。
中国や日本で、最近、目撃情報が相次いでいる。
その中のいくつかを紹介していた(テレビ信州「不可思議探偵団」)。

 誤解してはいけない。
UFOは現象ではなく、科学である。
霊とか魂とか、そういう類のものではなく、もっと科学的な見地から
まじめに検証すべきテーマである。
今夜紹介されたUFOは、どれも信憑(しんぴょう)性の高いものばかり。
「そういうものは存在しない」という前提ではなく、まず虚心坦懐に心を
開き、こうしたビデオの分析をしてほしい。

 私とワイフも、ある夜、巨大なUFOを目撃している。
あれを飛行機というのなら、私は自分の文筆生命をかけて、その言葉と闘う。
あれはぜったいに、飛行機ではなかった。

 ……できれば死ぬまでに、あれは何だったのか、本当のことを知りたい。

●静かな夜
  
 各部屋が広いせいか、この旅館は静か。
エアコンのかすかな風音をのぞけば、物音ひとつしない。
ワイフは、すでに横になって目を閉じている。
私は電気を消し、床の間の明かりで、パソコンを叩いている。

 満腹になったせいか、脳みその働きが鈍くなった。
そんな感じがする。
いつもならつぎつぎと書きたいテーマが浮かんでくる。
が、今はそれがない。
ぼんやりと床の間に目をやる。
銅の置物と、和紙を使ったランタンが目にとまる。
それなりに価値のあるものらしい。
気温は25度。
エアコンの設定温度である。

 ふと、明日のことを考える。
朝市は朝6時から、とか。
風呂は24時間入れる、とか。
朝食は、朝8時に設定してもらった、などなど。

 たった今、精神安定剤のSを半分に割ってのんだところ。
睡眠薬がわりにのんでいる。
そのうち眠くなるだろう。

●感謝

 こういう旅館に泊まれる。
おいしい料理が食べられる。
考えてみれば、こんな幸運なことはない。
そんな私が、不平不満ばかり、口にしている。
どうしてだろう。

 振り返っても、私は幸運だった。
健康にも恵まれた。
仕事も順調だった。
いつだったか田丸謙二先生が、こう言った。
「日本はいい国じゃ、ありませんか」と。
この年齢になって、はじめて、その意味がわかった。
日本はよい国だった。
今もよい国だ。
私は戦争を経験することもなく、今まで生きてこられた。
たいしたぜいたくはできなかったが、お金に困ったこともなかった。
私のような人間が感謝しなくて、だれが感謝する。

 「感謝」というのは、充足感をかみしめ、それに満足すること。
が、それだけでは足りない。
その満足感を、別のだれかに還元していく。
その気持ちをもって、はじめて「感謝」となる。

●就寝

 さて眠る時刻になった。
午後9時10分。
二男はアメリカで元気にやっているだろうか。
三男は東京で元気にやっているだろうか。
年々、疎遠になっていくばかり。
つまり私たちは、こうしてあの世へ行く準備を重ねる。
いつ死んでも、息子たちを悲しませることがないよう、息子たちの
脳の中から、私の記憶を消していく。
それが「準備」。
「パパは死んだよ」「ああ、そう」と。
それでよい。

 何となくセンチメンタルな話になってしまった。
こういう文章は、私らしくない。
これもこうした旅館に泊まっているせいかもしれない。
静かな夜は、心も静かになる。
同時に見えないものまで、見えてくる。

 穏やかな心。
やすらいだ心。
ザワザワとした雑音も消え、そこはまさに静寂の世界。
昔なら、山奥の、そのまた山奥の温泉卿。
その温泉のひとつで、私は今日という一日を過ごした。

 みなさん、ありがとう。
そしておやすみ。
(はやし浩司 2010−11−15)

●午前2時46分

 昨夜遅く、ワイフが食べたものを吐いてしまった。
「ビールを飲みすぎた」と。
若いころは、私よりずっと酒に強かった。
そのワイフが吐いてしまった。

 しばらくトイレの中で、うずくまっていた。
が、出てくると、「もうだいじょうぶ」と。
そう言いながら、気がつくと、もうふとんをかぶって眠っていた。
ワイフがものを吐いたのは、何年ぶりのことか。
たった今、ワイフが体を動かしたので、声をかけた。
やはり「もう、だいじょうぶ」と言った。

 時計を見ると、午前2時46分だった。

●18%

 1秒も休んでおられない。
バッテリーは、18%、1時間8分を切った。
このTOSHIBAのMXは、バッテリーを満タンにすれば、
10時間以上はもつ。
おかげで何とか今まで、こうして文章を書くことができた。
しかしもう長くは、もたない。
あと1時間。
その1時間で、何を書くか。
無駄なことは書きたくない。

●寿命

 もしあなたの命は、あと1時間しかないと言われたら、あなたは
何を書くだろうか。
あと1時間で、船が沈む。
あるいは宇宙船が爆発する。
そんなとき、何を書くだろうか。

 内容はどうしても遺書めいたものになるだろう。
みんな、ありがとうとか、さようならとか。
しかし何を書き残すかととなると、話は別。
頭の中が混乱していて、どうも考えがまとまらない。

 が、何も今の状況で、うしろ向きになることはない。
前向きに考えればよい。
これからの抱負でもよい。
そう、抱負がよい。

 夢や希望がないわけではない。
たとえば昨日、ヤフーで、「"はやし浩司"」を検索してみた。
「"」「"」ではさむと、「はやし浩司」のみを検索できる。
はさまないと、「はやし」でも、「浩司」でも、さらに「浩」
だけでも検索されてしまう。

 で、「"はやし浩司"」で検索してみたら、20万件を超えていた。
(「はやし浩司」だけで検索すると、50万件近くもあった。)
つまりそれだけ多くの人たちが、何らかの形で、私の文章に
興味をもってくれているということ。
もちろんみながみな、好意的な人とはかぎらない。
中には、興味本位、あるいは悪印象をもっている人も多いはず。
このところ辛辣(しんらつ)な批評も、届くようになった。

 そう、私はあえて肩書きを捨てて生きてきた。
ネットの世界では、肩書きをもっていると、検索数が多くなる。
しかし私は丸裸。
あえて丸裸。
若いころから、肩書きには背を向けて生きてきた。
今は、さらに興味がない。

 肩書きを取り去ったとき、その人はその人になる。

 先日もワイフがこう言った。
「あなたは人生のはじめに、それを知ったから、損をしたのよ」と。

●田丸謙二先生

 田丸謙二先生に学生時代に会うことができたのは、私は生涯の幸運と確信して
いる。
その田丸謙二先生はすでにそのとき、いくつかの肩書き(地位、名誉)をもって
いた。
それを知ったとき、「この先生には、かなわない」「だったら、ぼくは一生、肩書き
なしで生きてやろう」と。
そう自分に誓った。
その結果が今。

「むしろ自ら、たいへんな道を選んでしまったのよ」と、ワイフはよく言う。
そうかもしれない。
しかし今にしてみると、丸裸でよかった。
私を飾るものは、何もない。
私を飾るのは、どこまでいっても、私のみ。

 地位や名誉などといったものは、順送りにバトンタッチされる。
あなたがいなければ、べつのだれかが「あなた」になる。
肩書きについては、さらにそうだ。
私は私の人生を生きることができた。
言い換えると、私に命令できる人は、だれもいない。
たとえば今の仕事(?)にしても、私を解雇できる人は、だれもいない。
不安定で、おぼつかない人生だったが、航海にたとえるなら、大海原を
小さなヨットで横切ったようなもの。

 航跡は細くて小さいが、それはまぎれもなく私の航跡ということになる。
それに今さらそうした人生を変えることはできない。
このまま、私は死ぬまで、生きていく。
結果は気にしない。
おそらく死ぬと同時に、私はこの世界から消える。
今、こうして書いている文章にしても、死後1年はもたないだろう。
この世界は、「金の切れ目は縁の切れ目」。
プロバイダーへの送金が止まれば、HPも廃止される。
無料のHPサービスにしても、「3か月以上〜〜」という条件を
つけているところが多い。
電子マガジンにしても、「3か月以上発行していないときは、廃刊する」と
ある(規約)。

 が、だからといって、「本」という書籍がよいというのではない。
これからは電子書籍の時代。
何らかの形で、死後も文章として生き残る方法はないものか。

●墓石

 ひとつの希望は、二男にその一部を依頼すること。
二男はコンピューター・プログラマーをしている。
コンピューターのプロ。
現在はアメリカのIU(インディアナ大学)で、コンピューター
技師をしている。
自分で個人のプロバイダーを運営していたこともある。
二男に頼めば、道が開けるかもしれない。
あとでこの原稿を送ってみる。

 つまりそれが私の墓石ということになる。
死んだあと、息子たちに残す、墓石ということになる。

●13%、59分

 バッテリーがいよいよ13%を切った。
人生をこのパソコンにたとえるなら、平均寿命を80歳として、
63歳という年齢は、63÷80で、約0・8=80%ということになる。
つまり私はすでに80%の人生を終えた。
残り20%。

 が、実際には最後の10%は、病魔との闘い。
だから13%というのは、私の残りの健康寿命と同じ。
ハラハラドキドキ。
そのうちこのパソコンはこう表示するはず。
「バッテリーの残量が10%を切りました。
ファイルを保存して、シャットアウトしてください」と。

 年齢にたとえると、72歳くらいか。
「人生の総まとめをして、死への準備をしてください」と。
「13%」という数字は、そういう数字。

 が、意外と同年齢の友人たちは、のんびりと構えている。
そういう切迫性を感じさせない。
「バッテリーが13%を切った」と聞けば、だれだってあせる。
が、「人生が13%を切った」と聞いて、あせる人はいない。
どうしてだろう?

●あの世

 何度も書くが、あの世などというものは、存在しない。
釈迦だって、一言もそんなことを言っていない(法句経)。
それを言い出したのは、つまり当時それを主張していたのは、
バラモン教の連中。
仏教はやがてヒンズー教の中に組み入れられていく。
輪廻転生思想は、まさにヒンズー教のそれ。

 その上さらに、中国、日本へと伝わるうちに、偽経典が積み重ねられた。
盆供養にしても、もとはと言えば、アフガニスタンの「ウラバン」という
祭りに由来する。
それが中国に入り、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」となった。

 日本でも偽経典が作られた。
私たちが現在、「法事」と呼んでいるものは、そのほとんどが
偽経をもとに作られた。
もちろん寺の経営的な収入をふやすために、である。
(とうとう今、表示された。「残り10%」と。)

 話はそれたが、あの世はない。
あるとも、ないとも断言できないが、少なくとも私は「ない」という
前提で生きている。
死んでみて、あればもうけもの。
宝くじと同じ。
当たるかもしれない。
しかし当たらない確立のほうが、はるかに高い。
その宝くじが当たるのを前提に、土地を買ったり、家を
建てたりする人はいない。

 同じようにあるかないかわからないものをアテにして、今を
生きる人はいない。
それにもしあの世があるなら、この世で生きている意味を失う。
だから私はよく生徒たちに冗談ぽく、こう言う。

 「あの世があるなら、ぼくは早く行きたいよ。
あの世では働かなくてもいいし、それに食事もしなくていい。
空を自由に舞うことだってできる」と。

●「もうこりごり」

 そんなわけで、人生は一回ぽっきりの、一回勝負。
二度目はない。
この先、どうなるかわからない。
しかし一回で、じゅうぶん。
一回で、たくさん。
「こりごり」とまでは言わないが、それに近い。
「同じ人生を2度生きろ」と言われても、私にはできない。

 たとえば定年退職をした人に、こう聞いてみるとよい。
「あなたはもう一度、会社に入って、出世してみたいと思いますか」と。
ほとんどの人は、「NO!」と答えるはず。
あるいは、「会社人間はもうこりごり」と言うかもしれない。

●別れ

 たださみしいのは、今のワイフと別れること。
息子たちと別れること。
友人たちと別れること。
ひとりぼっちになること。
 
 そのうち足腰も弱り、満足に歩けなくなるかもしれない。
そうなったら、私はどう生きていけばよいのか。
それを支えるだけの気力は、たぶん、私にはない。
だったら今、生きて生きて、生き抜く。
今の私には、それしかない。

 さあ、もうすぐこのパソコンの寿命は切れる。
何度もコントロールキーと「S」キーを押す。
文章を保存する。
いよいよ晩年になったら、私は同じようなことをするだろう。
ていねいに保存を繰り返しながら、やがて「死」を迎える。

(今、電源メーターをのぞいたら、「8%、45分」と表示された。)

 あと45分!

●シャットダウン

 楽しい(?)旅行記を書くつもりだった。
が、電源コードを忘れてしまった。
今までの旅行の中でも、最高のドジ。
またまたウィンドウが現れ、「もうすぐシャットダウンします」と
表示された。

 死を迎えるときも、こんな気分か。
数分後か。
40分も、ほんとうにもつのか。
何もわからないまま、生きている。

 もっとも、電源が切れたら、朝風呂に入ってくる。
この温泉は、24時間営業。
言うなれば、そこが私の極楽浄土。

 私は善人ではない。
しかし悪人でもない。
死んだら、地獄へ行くことはないだろう。
だったら、極楽?

 親戚の連中の中には、私が三回忌をきちんとしていないから、
「浩司は地獄へ落ちる」と騒いでいるのがいる。
しかし本当のバカはどちらか。
仏教徒のくせに、経典を読んだことすらない。
儀式だけしていれば、それでよいと考えている。
少しは自分の脳みそで、ものを考えろ!

 どちらにせよ、電源が切れたら、私は温泉につかってくる。
そのあと、8時まで再び眠る。
朝市もあるということだが、今の体調では無理。
なお朝食は、いちばん遅い、8時からにしてもらった。
これは正解だった。
またチェックアウトは、10時。
バスの発車時刻は、午後2時30分。
浜松まで直行する。

 ……これで書きたいことはすべて書いた。
あとはバッテリーが切れるのを待つだけ。
寿命が尽きるのを待つだけ。

 ここの旅館は、ほんとうによい旅館だ。
料金にもよるが、この昼神温泉では、イチオシ。
なお「昼神」というのは、もともと「ヒル(虫のヒル)に
かまれた場所」ということで、「ヒル・カミ」となったそうだ。
が、それでは、どうもネーミングが悪い。
それで「昼神」になったとか。
部屋にある由来書には、そう書いてある。

 「ヒルにかまれたから、ヒル・ガミ」。
だったら、思い切って、「死神」にしてはどうか。
そのほうが今の若い人たちには受けるかもしれない。
が、これは冗談。

 まだ天気の様子はわからないが、今日は、すばらしい紅葉を
見られるはず。
カメラの用意はできている。
電子マガジンの読者のみなさんは、どうかお楽しみに。
(すでにこのことは、前にも書いた。)

●まだ……?

 どこまで書けるか。
こうなると、最後の闘い。
どこまで生き延びることができるか。
ベッドの上で、点滴を受けながら、死を待つ心境。
(おおげさかな?)

 もうすぐ電源が切れるはず。
一文書いては、保存をかける。
一文書いては、保存をかける。
この繰り返し。
何だか、悪夢を見ているような感じ。
またあのいやな気分がもどってきた。
ハラハラドキドキ。
悪夢を見ているような気分。

 考えてみれば、私の人生は、そのハラハラドキドキの連続だった。
その象徴が、今朝の今の気分。
ワイフは、「あなたは平均的な人の何倍も生きたわ」と言う。
もちろん私にはその実感はない。
あるわけがない。
私の人生は、私の人生。
そうではなく、反対に、時間が足りない。
時間がほしい。

 しかし今、ここで電源アダプターが手にはいったら、どうなる。
この緊張感が

●後記(家に帰ってから)

 先のところで画面が消えた。
今、そのつづきを、家で書く。

 ……この緊張感が、人生を濃密にする。
あの世があるということになると、その緊張感が消える。
つまり「死という限界」があるから、私たちはがんばる。

 ……ということを書きたかった。

 ほかにもいろいろ書きたいことがあるが、それはまたの機会に!
みなさん、おやすみなさい。
今日は疲れました。

 11月16日、夜、8時ごろ、長野県昼神温泉郷から帰る。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 長野県 中信 昼神温泉郷 阿智川ホテル 湯本ホテル阿智川にて
はやし浩司 2010−11ー16 日誌)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心のゆがみ

++++++++++++++++++

老後を迎えるようになると、
たしかに心がゆがんでくる。
それを私は、現実の問題として、
経験しつつある。

目標の喪失。
生きがいの喪失。
おまけに体調不良、
将来への不安、などなど。
「正常」(?)を支えるだけで、精一杯。

昔、私の住んでいる近所に、隣家に牛乳瓶を
投げつけていた老人がいた。
当時70歳くらいではなかったか。
何が気にくわなかったのかは、わからない。
理由もわからない。

当時の私たちはそういう老人を知り、
「何て、愚かな人間なんだ」と思った。
しかし今、そういう気持ちは薄れた。
「そういう気持ち」というのは、「愚かと
非難する気持ち」をいう。

私だって、そのうち隣家に牛乳瓶を
投げつけるようになるかもしれない。
若い人たちから見れば、とんでもないことを
するようになるかもしれない。
今の今でさえ、自分の人格を支えるだけで、
精一杯。
この先、それを支える気力が弱ったら……。
それを考えると、恐ろしい。
恐ろしいというより、不安でならない。

+++++++++++++++++

●小さな希望

 こうした老後を救うのは、小さな希望。
それに夢。
たいしたものでなくてもよい。
それにしがみつく。
しがみついて生きていく。

たとえば今朝も、こんなことがあった。

 ネットであちこちを見ていたら、私の書いた本がオークションにかけられているのを
知った。
『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)という本である。

 即決価格は、3500円。
あと1週間も残っているというのに、3500円で買いを出してくれている人がいる
のを知った。

見ると、カバーはなく、ボロボロ。
ふつうなら、200円とか、300円で売買されるような本である。
それが3500円!

 当時の定価は、2300円。
1988年刊行とある。
それを見たとき、胸の中がポーッと温まるのを知った。
ここでいう小さな希望というのは、それをいう。
またそれがあるから、私は明日に向かって生きていくことができる。

 書き忘れたが、私はあの本を最後に、漢方(東洋医学)の世界から、足を洗った。
それまで書庫を埋めていた参考書や資料を、すべて処分した。
1988年というから、22年前のことである。

 が、その本は当初1〜2週間をのぞき、まったく売れなくなってしまった。
で、そのまま絶版。
今は、私のHPのほうで、無料で紹介しているのみ。
手元にも、数冊しか残っていない。
それが3500円!

うれしかった。
オークションで買いを入れてくれた方へ、
本当にありがとうございます。

 ……ついでに、AMAZON CO.JPで調べてみたら、6965円(送料別)前後で売買
されているのを知った。

どうして……?
どうして、今になって……?

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/5173573713/" title="img115 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4010/5173573713_81ced4f5fa.jpg" width="442" 
height="500" alt="img115" /></a>

 少し前、ある大学の教授(鍼灸学)がこう言った。
「あの本は、東洋医学の世界では、3大名著のひとつになっています」と。
そのときは、「?」と思ったまま、終わってしまった。
たぶん私が死んでも、あの本は、もう少し長生きするかもしれない。
小さな小さな希望だが、それがあるから生きていかれる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 目で見る漢方診断 飛鳥新社 東洋医学)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【山荘にて】

●置き物

 昨夜遅く、山荘にやってきた。
「近く、山荘を売る」と言い出してから、逆に、山荘へ来る回数がふえた。
そういうものか。
ワイフもどこかさみしそう。

 いろいろな飾り物や置き物は、それぞれ理由をつけて、生徒にあげている。
今にこの山荘も、からっぽになるだろう。
床の間には、掛け軸が3本かかっている。
うち1本は、土佐左近将(温?)光作。(「|口皿」とある)
かなりの値打ちモノらしい。
昔、母がそう言っていた。
これは3月に、Dさんにあげるつもり。
私の教室に14年間も通ってくれた。
「3月に、山荘へ招待するよ」と言ったら、うれしそうに、ウンと言ってくれた。
そのとき、あげるつもり。
(興味をもたないかな?)

 ほかにも石の置き物などが20個あまりあったが、今は数個を残すのみ。
飛行機の模型は、今年になってから、ほとんどを生徒にあげた。
残っているのは、50機あまり。
ミニコプター(トイヘリ)ついては、すでに予約済み。
5年生のA君が、かなり以前から、「ほしい」と言っている。

・・・ということで、実は、この山荘も、村の人たちに寄付しようかと、
ときどき思う。
ワイフは反対しているが、村の人たちに、集会所のような所として
使ってもらうのが、私はいちばんよいと考えている。
そのほうが大切に使ってもらえる。
一度、不動産屋を通して売りに出し、それで売れなければ、(どうせ高い価格では、
売れないだろうし……)、そうする。

●11月12日

 今朝は、7時に起きた。
つづいてワイフも起きた。
今は、時刻は午前8時。
さて、これから作業、開始。
自宅に帰る途中で、DIYショップに寄り、材料を買い集める。
それにどこか途中で、朝食。

 今日も始まった。
今日こそは、「充実した1日だった」と言えるような日にしたい。
がんばろう。

はやし浩司 2010―11−12 土曜日


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【幼児期前期(自律期)〜幼児期後期(自立期)の幼児】

●Happy Learners learn Best! (楽しく学ぶ子は、伸びる)

BW幼児教育実践教室byはやし浩司

今週は、新しい生徒さんを迎え、ややハメをはずしたレッスンになりました。
自立期〜自立期の子どもたちの様子を、ビデオに収めました。
お子さんといっしょにお楽しみください。

なお先週から高画質版にしましたが、15分モノで、UPLOADに30分も
かかってしまいます。
今後もできるだけ高画質版でお届けしたいですが……。
30分は、きびしいですね。

●この時期の子ども

心(情意)と表情の一致を大切にします。
「何を考えているかわからない」というのは、幼児の、(おとなでもそうですが)、
あるべき姿ではありません。

まず思ったことを口に出して言わせる。
それがこの時期の子どもの指導の要(かなめ)です。
このビデオを通して、3〜5歳児の伸びやかな姿を見ていただければうれしいです。

(子どもの顔は、おうちの方の許可のあったときのみ、収録しています。
BWの方で、「記念にうちの子のビデオを撮ってほしい」という方は、はやし浩司
まで遠慮なく、お申し付けください。
別カメラで収録、YOUTUBEにUPLOADします。
よい思い出になると思います。)

●灯をともして、引き出す

「勉強は楽しい」という印象作りを大切にします。
そうした基礎が、やがて子どもを前向きに引っ張っていきます。
「教えてやろう」という意識は抑え気味に。
それよりも大切なことは、教える私が楽しむこと。
参観している親たちが楽しむこと。
その(楽しさ)の中に、子どもを巻き込んでいきます。
それが子どもを伸ばすコツです。

子どもには生まれながらに、すでに自ら伸びる芽があります。
それを引き出す。
それが教育ということになります。

そういう意味で、BW子どもクラブ(実験教室)は、皆さんに満足いただける
成果を出しています。

***********************

以下、11月12日(2010)のレッスンより


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/f-RT1gkpU00?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/f-RT1gkpU00?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/reGZqY3wltM?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/reGZqY3wltM?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/1fxt3nrY580?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/1fxt3nrY580?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/9n2AxtqLSSg?hl=ja&fs=1"></param><param
 name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/9n2AxtqLSSg?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


+++++++++++++++++++++++++++++

●YOUTUBE埋め込み版(↑)がご覧なれない方は、

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」→2010年度版→11月号へとお進みください。

●あるいは、

http://www.youtube.com/watch?v=f-RT1gkpU00

http://www.youtube.com/watch?v=reGZqY3wltM

http://www.youtube.com/watch?v=1fxt3nrY580

http://www.youtube.com/watch?v=9n2AxtqLSSg


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 幼児期前期から幼児期後期の幼児たち 自律期から自立期へ)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●11月14日(日曜日)

++++++++++++++++++++

昨夜は、深夜劇場に足を運んだ。
観た映画は、『マチェーテ』。
マカロニ・ギャング映画。
悪人役を、ロバート・デニーロが演じ、
善人役を、ロバート・ロドリゲスが演じた。
悪人役と善人役が反転したような映画。

星は1つか2つの、★。
有名スターが2人も並んでいた。
(ロバート・デニーロ、スティーブン・セガールほか。)
かなり期待していたが、星はやはり1つか2つ。
2つは無理。
映画から帰ってから、幼児教室の様子をYOUTUBEにアップ。
床についたときには、深夜0時を過ぎていた。

残酷、残忍な殺人シーンがつぎつぎとつづいた。
そのせいか、今朝は、何となく気分が重い。

なお「マチェーテ」というのは、主人公の
名前だそうだ。

++++++++++++++++++++

●経済がおかしい?

 またまたEU発の暗雲が世界を覆い始めている。
経済不安という暗雲。
アイルランドがあぶない。
ギリシャ、ポルトガルがそれにつづく。

またおとといは、アメリカ経済の後退が報じられたとたん、金(ゴールド)などの
貴金属が暴落した。
来週あたりから、じわじわと、その影響が日本にも及んでくるはず。
(あるいは突然?)
2010/11/14朝記

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●弱い自分vs強い自分(心の卑屈なゆがみについて)2010/11/14

 よい人間関係を結べない人は、攻撃的になったり、依存的になったり、服従的に
なったりする。
もうひとつ同情的になったりするというのもある。
これは心理学の世界では、常識。

「同情的」というのは、「同情を買う」という意味。
わざと弱々しい自分を演じ、他人の同情を買いながら、自分の立場を作る。
老人に多いが、早い人で、50代からそれを演ずる人がいる。
電話などで、今にも死にそうな声で話したりする。

「オバチャンも年をとりましたア〜」と。

 するとその周辺に、(それに同情するグループ)が形成される。
たいていは家族ということになる。
近隣の人や親類の人も含まれることがある。
その関係は、保護と依存の関係に似ている。
しかし意図的にその関係を築くという点で、保護と依存の関係とは、一線を引く。
つまりその人は、同情するグループに囲まれて、自分にとって居心地のよい世界を作る。

 たいした病気でもないのに、大げさに騒いでみたり、「命は長くない」と、周囲の人
たちに思わせたりする。

●駅の構内をスタスタ

 ここまで書いて、以前発表した原稿を思い出した。
それをそのまま収録する。
日付は2006年の4月(マガジン版)となっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもや孫とのつきあい

+++++++++++++++++

孫と同居したがる日本人。

が、それは決して、世界の常識ではない。

+++++++++++++++++

 老後になったら、子どもや孫と、どのようにつきあえばよいのか?

 内閣府が、平成12年に調査した、「高齢化問題基礎調査」によれば、子どもや孫とのつ
きあいについて、日本人は、つぎのように考えていることがわかった。

(1)子どもや孫とは、いつもいっしょに、生活ができるほうがよい。

      日本人   …… 43・5%
      アメリカ人 ……  8・7%
      スウェーデン人…… 5・0%

(2)子どもや孫とは、ときどき会って、食事や会話をするのがよい。

日本人   …… 41・8%
      アメリカ人 …… 66・2%
      スウェーデン人……64・6%

 日本人は、欧米人よりも、はるかに「子どもや孫との同居を望んでいる」。それがこの調
査結果からもわかる。一方、欧米人は、老後は老後として、(1)子どもたちの世話にはな
らず、(2)かつ自分たちの生活は生活として、楽しみたいと考えている。

 こんなところにも、日本人の依存性の問題が隠されている。長い歴史の中で、そうなっ
たとも考えられる。

 「老後は、子どもや孫に囲まれて、安楽に暮らしたい」と。

 そうそう、こんな話もある。

 このところ、その女性(48歳)の母親(79歳)の足が、急に弱くなったという。先
日も、実家へ帰って、母親といっしょに、レストランへ行ったのだが、そこでも、その母
親は、みなに抱きかかえられるようにして歩いたという。

 「10メートル足らずの距離を歩くのに、数分もかかったような感じでした」と。

 しかし、である。その娘の女性が、あることで、急用があって、実家に帰ることになっ
た。母親に連絡してから行こうと思ったが、あいにくと、連絡をとる間もなかった。

 で、電車で、駅をおりて、ビックリ!

 何とその母親が、母親の友人2人と、駅の構内をスタスタと歩いていたというのだ! 
「まるで別人かと思うような歩き方でした」と。

 が、驚いたのは、母親のほうだったかもしれない。娘のその女性がそこにいると知ると、
「しまった!」というような顔をして、突然、また、弱々しい歩き方で歩き始めたという。

 その母親は、娘のその女性の同情をかうために、その女性の前では、わざと、病弱で、
あわれな母親を演じていたというわけである。

 こういう例は、多い。本当に、多い。依存性の強い人ほど、そうで、同情をかうために、
半ば無意識のうちにも、そうする。

 しかし、みながみなではない。

 反対に、子どもの前では、虚勢を張る親も、いる。「子どもには心配をかけたくない」と
いう思いから、そうする。

 どこでそう、そうなるのか? どこでどう、そう分かれるのか?

 私などは、いくら疲れていても、ワイフや息子たちの前では、虚勢を張ってみせるほう
だから、反対に、同情をかう親の心が、理解できない。気持ちはわかるが、しかしそれで
よいとは思わない。

 ひょっとしたら、この問題も、冒頭にあげた調査結果で、説明できるのではないか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●わざところぶ

 こうした心理を、どう表現したらよいのか。
演技性人格障害とまでは言えない。
自分を弱者(多くは病人)に仕立て、同情を買うという点では、「代理ミュンヒハウゼン
症候群」にも似ている。
が、もちろんそれともちがう。

 たとえば私の実兄のばあいには、わざと人前でころんでみせるという習癖があった。
みなが心配して、「どうしたの?」と声をかけてもらうのが、目的だった。
だからころんでも、それなりに安全なところを選んでいた。
たとえば走っている車の前では、ころばなかった。
また人の気配のないところでは、ころばなかった。
瞬間的に人の気配を感ずると、けがをしない程度にころんでみせた。

 自虐的依存性人格障害。
あるいはその反対の、依存的自虐性人格障害でもよい。
しかしこうした傾向は、高齢になればなるほど、より顕著に現れてくる。
つまり多かれ少なかれ、高齢者共通の現象と考えてよい。
わかりやすく言えば、「甘え」。

 2006年に書いた原稿(前述)の女性のばあいは、娘にわざと心配させることに
よって、自分の立場をつくっていた。
……というか、正直に告白するが、これは私の実母の話である。
それを他人の母親のようにして、書いた。
私の実母と実兄は、同居していた。
そのため実兄は、実母の影響をそのまま受けていた。

●老齢期を迎えて

 老齢期をそこに迎えて、いろいろ心理的な変化が自分の中で始まっているのを
感ずる。
この「同情を買う」というのも、そのひとつ。
ふと油断すると、私自身も同じようなことをしているのを知る。
そういう点では、私はあの実母の息子。

 たとえば風邪をひいたとする。
たいした風邪でもないのに、ひどく熱が出ているようなフリをする。
それを見て、ワイフが「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と。
が、その瞬間、人の前でころんでみせた、実兄を思い出す。
正気に返る。

 この「同情」のこわいところは、一度、そういう関係、つまり「保護と依存の
関係」ができると、それを打ち破るのが容易ではないということ。
たいていはそのまま、人間関係として定着してしまう。
保護される側は、いつも保護されるべきと考える。
それに応じて、保護する側は、いつもその義務感に追い立てられる。

 が、こうした関係は、実は子どもの世界でもときどき、見られる。
以前書いた原稿を、さらにさがしてみる。
つぎの原稿は、「反抗期の子ども」について書いた原稿である。
少し内容が脱線するが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【反抗期の子ども】

●思春期前夜

++++++++++++++++++

目の前に、2人の小学生がいる。
2人とも、小学4年生。
伸びやかに育っている。
言いたい放題のことを言い、
したい放題のことをしている。
恵まれた子どもたちである。
頭はよい。
作業も早い。

子どもは、小学3年生ごろを境にして、
思春期前夜へと入る。

今日はワークブックの日。
2人も、黙々と、自分のワークブックに
取り組んでいる。
私はこうしてパソコンを相手に、パチパチと
文章を書いている。

このところ新型インフルエンザの流行で、
ほかの子どもたちは、外出禁止。
そのため、今日の生徒は2人だけ。

が、この時期の子どもは、どこかピリピリして
いる。
それだけ精神が緊張していることを示す。

(緊張)と(弛緩)。
それがこの時期の子どもの、精神状態の特徴
ということになる。

++++++++++++++++++

●揺り戻し

この時期の子どもは、あるときは(おとな)に
なり、また別のときは(幼児)になる。
精神的に不安定になる。
私はこの幼児ぽくなる現象を、勝手に、「揺り戻し現象」
とか、「揺り戻し」とか、呼んでいる。

(先日、書店で、ある「子育て本」を読んでいたら、
同じことが書いてあったのには、驚いた。
こうした揺り戻しについて書いたのは、私が最初で、
また私以外に、それについて書いた人を、私は知らない。
著者はどこかのドクターだったが、そのドクターは、
どこでそういう情報を手に入れたのだろう?
余計なことだが……。)

この時期にさしかかるころ、その揺り戻しの振幅が大きくなる。
たとえば、幼児的な扱いをすると不機嫌になる。
が、そうかと思っていると、反対に、自から幼稚ぽくなったりする、など。
が、幼児でもない。
ふとしたきっかけで、生意気な態度をとったりする。
ふてくされたり、キレたりする。
あるときは、幼児に、またあるときはおとなに……。
その振幅の幅が、大きくなる。

が、年齢とともに、やがて振幅は小さくなる。
幼児ぽくなることが少なくなり、やがて思春期へと入っていく。
(独特のあのピリピリとした緊張感は、そのまま残るが……。)

親の側からすると、幼児に扱ってよいのか、
あるいはおとなとして接したらよいのか、わかりにくくなる。
それがこの時期の子どもの特徴ということになる。

●幼児とおとなのはざまで……

 2人の小学生には、その揺り戻しが顕著に現れている。
「典型的な症状だ」と、先ほども、ふと思った。
その特徴を箇条書きにしてみる。

(幼児の部分)(緊張感が弛緩しているとき)
○ プロレスごっこや鬼ごっこをしてやると、ネコの子のようにじゃれたり、
笑って喜んだりする。
○ 機嫌がいいときには、幼稚っぽいしぐさとともに、おとなに甘えたり、
体をすり寄せてきたりする。

(おとなの部分)(心が緊張状態にあるとき)
○ 何かのことで注意したり、まちがいを指摘したりすると、露骨にそれを
嫌い、不機嫌な態度に変わる。
○ おとなとして扱うことを求め、(子どもぽい)遊びなどをすることについて、
敏感に反応し、拒絶したりする。

 が、全体としてみると、1時間の間だけでも、つねに(緊張)と(弛緩)を
繰り返しているのがわかる。

●情緒不安

 よく誤解されるが、情緒が不安定になるから、「情緒不安」というのではない。
精神の緊張状態がとれないから、「情緒不安」という。
精神が緊張している状態へ、不安感や心配ごとが入ると、それを解消
しようとして、精神状態は、一気に、不安定になる。
不機嫌になったり、反対に、カッと怒り出したりする。

つまり「情緒不安」というのは、あくまでもその結果でしかない。
また緊張した状態が、「ピリピリした状態」ということになる。

 そのことは、それだけ触覚が、四方八方に伸びていることを示す。
何を見ても気になる。
こまかいところを見る。
ささいなことを気にする。
そのため、それまで気がつかなかったことについても、気がつくようになる。
そのターゲットになるのが、父親であり、母親ということになる。
学校では、教師ということになる。

●血統空想

 ところであのフロイトは、「血統空想」という言葉を使った。
自分の母親を疑う子どもはいないが、父親を疑う子どもは多い。
「ぼくの(私の)本当の父親は、別にいるはず」と。

 それまでは絶対と思っていた父親や母親が、絶対でないことに気づく。
完ぺきでないことに気づく。
幼児のある時期には、子どもは、「この世のすべてのものは、親によって
作られたもの」と思い込む。
それが思春期前夜に入ると、その幻想が、急速に崩れ始める。

 そこで子どもは、自分がもっている父親像は母親像の修正にとりかかる。

●無謬性

 「親だから、こうであるべき」「こうあってほしい」という(期待)。
つまり親に無謬性(むびゅうせい:一点のミスも欠点もないこと)を求める。
が、その一方で、親が本来的にもつ欠陥にも、気づき始める。
それはそのまま、(怒り)となって子どもを襲う。

子どもは、(期待)と(怒り)の間で、混乱する。

 ある女性(60歳)は、自分の母親(90歳)が、車の中で小便を漏らした
だけで、混乱状態になってしまったという。
それでその母を、強く叱ったという。
その女性にしてみれば、「母親というのは、そういうことをしないもの」と
思い込んでいたようだ。
つまり(小便を漏らす)という行為そのものが、自分が抱く母親像と矛盾して
しまった。
それが(混乱)という精神状態につながった。

 このタイプの女性はかなりマザコンタイプの人の話と考えてよい。
自分の中の混乱を、怒りとして、母親にぶつけていただけということになる。
つまり似たような現象が、思春期前夜の子どもに起こる。

●血統空想

 フロイトが説いた「血統空想」も、似たような現象と考えてよい。
子どもは、完ぺきな父親を期待する。
しかし現実の父親は、その完ぺきさとは、ほど遠い。
頼りがいがなく、だらしない。
不完全さばかりが、気になる。

 そこで子どもは葛藤する。
「父親というのは、完ぺきであるべき」という思いと、現実の父親の受容との
はざまで、もがく。
それがときとして、「ひょっとしたら、あの父親は、ぼくの(私の)本当の
父親ではないかもしれない」という思いにつながる。
それが「血統空想」ということになる。

 このことは生徒としての子どもを見ていても、わかる。
「教えてやろうか」と声をかけると、「いらない!」と言って、それに反発する。
が、その一方で、親には、「あの林(=私)は、教え方がへた」とか言って、
不満を述べたりする。
簡単な問題だから、私が「自分で考えてごらん」と言っても、怒り出す。
ふてくされる。
が、教えてやろうと身を乗り出すと、「ウッセー!」と言って、怒り出す。
目の前の2人の子どもたちも、そうだ。

 私の中に完ぺきさを求めつつ、完ぺきでない私を知ることで、混乱する。
それに反発する。
「反抗期」というのは、それをいう。

そうした子どもの心理が、手に取るように私にはよくわかる。

●親を拒否する子どもたち
 
 言うなればこの時期は、つづく思春期と合わせて、嵐のようなもの。
子どもの立場で考えてみよう。

それまでは親の言うことに従っていれば、それですんだ。
親が、自分の進むべき道を示してくれた。

 が、その親がアテにならなくなる。
親の職業を、客観的に評価するようになる。
そのため、ますます親がアテにならなくなる。

 幼児のころは、「おとなになったら、パパ(ママ)のような人になりたい」
と思っていた子どもでも、この時期になると、「いやだ」と言い出す。
中学生でも、「将来、父親(母親)のようになりたくない」と考えている子どもは、
60%〜80%はいる※1。
いろいろな調査結果でも、同じような数字が並ぶ。

●自己の同一性

 この思春期前夜の「混乱」を通して、子どもは、自分のあるべき(顔)を模索する。
そしてそれがやがて、自己の同一性の確立へと、つながっていく。
「私はこうあるべきだ」というのが、(自己概念)。
が、現実の自分がそこにいる。
その現実の自分を、(現実自己)という。

 これら両者が一致した状態を、「自己の同一性」(アイデンティティ)という。
子どもというより、思春期における青少年にとって、最大の関門といえば、
自己の同一性の確立ということになる※2。

 それが確立できれば、それでよし。
そうでなければ、混乱した状態は長くつづく。
30歳を過ぎても、「私さがし」をしている青年は、いくらでもいる。

●動じない

 話を戻す。

 2人の子どもは、相変わらず、黙々と自分に与えられた作業をこなしている。
どこかピリピリしている。
が、そこは暖かい無視。
私の度量を試すような行動も、みられる。
わざと怒らせようとする。
しかし私は動じない。

 生意気な態度。
ぞんざいな言葉。
投げやりな姿勢。
ふてくされた顔。
しかしその間に見せる、あどけない表情。
それがこの時期の子どもの特徴ということになる。

 重要なことは、けっして子どものパースに巻き込まれてはいけないということ。
この時期の子どもは、ギリギリのところまでする。
ギリギリのところまでしながら、その一線を越えることはない。
叱ったり、怒ったりしたら、こちらの負け。
言うべきことは言いながら、あとは暖かい無視で子どもを包む。
 
 嵐はいつまでもつづくわけではない。
やがて収まる。
そのころには、この子どもたちも、立派な青年になっているはず。
2人の子どもの横顔を見ながら、そんなことを考えた。

●補記

 反抗期に反抗期特有の症状を示さないまま、思春期を過ぎた子どもほど、
あとあといろいろな心の問題を起こすことがわかっている。
とくに親が権威主義的で、威圧的だと、子どもは反抗らしい反抗もしないまま、
思春期を過ぎる。
それから生まれる不平、不満、不完全燃焼感は、心の別室に抑圧され、時期をみて、
爆発する。
「こんなオレにしたのは、テメエだろオ!」と。

 「抑圧感」が大きければ大きいほど、爆発力も大きくなる。
(あるいはそのまま一生、爆発することもなく、なよなよした人生を送る子どもも
少なくない。)

 ちょうど昆虫がそのつど殻を脱皮して、成長するように、人間の子どももまた、
そのつど成長の殻を脱皮しながら、成長する。
殻を脱ぐときには脱ぐ。
脱がせるときは、脱がせる。

 そういうことも頭に入れて、子どもは、一歩退いたところから見守る。
それが「暖かい無視」ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 思春期前夜 はやし浩司 思春期 思春期の子供 思春期前夜の
子供 揺り戻し 揺り戻し現象 揺りもどし ゆり戻し ゆりもどし)

(注※1)子どもたちの父親像

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は、55%もいる。
「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は、79%もいる
(「青少年白書」平成10年)。

(注※2)エリクソンの心理発達段階論

エリクソンは、心理社会発達段階について、幼児期から少年期までを、つぎのように
区分した。

(1) 乳児期(信頼関係の構築)
(2) 幼児期前期(自律性の構築)
(3) 幼児期後期(自主性の構築)
(4) 児童期(勤勉性の構築)
(5) 青年期(同一性の確立)
(参考:大村政男「心理学」ナツメ社)

+++++++++++++++++

以下、09年4月に書いた原稿より……

+++++++++++++++++

●子どもの心理発達段階

それぞれの時期に、それぞれの心理社会の構築に失敗すると、
たとえば子どもは、信頼関係の構築に失敗したり(乳児期)、
善悪の判断にうとくなったりする(幼児期前期)。
さらに自主性の構築に失敗すれば、服従的になったり、依存的に
なったりする(幼児期後期)。

実際、これらの心理的発達は4歳前後までに完成されていて、
逆に言うと、4歳前後までの育児が、いかに重要なものであるかが、
これによってわかる。

たとえば「信頼関係」にしても、この時期に構築された信頼関係が
「基本的信頼関係」となって、その後の子ども(=人間)の生き様、
考え方に、大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係の構築がしっかりできた子ども
(=人間)は、だれに対しても心の開ける子ども(=人間)になり、
そうでなければそうでない。
しかも一度、この時期に信頼関係の構築に失敗すると、その後の修復が、
たいへん難しい。
実際には、不可能と言ってもよい。

自律性や自主性についても、同じようなことが言える。

●無知

しかし世の中には、無知な人も多い。
私が「人間の心の大半は、乳幼児期に形成されます」と言ったときのこと。
その男性(40歳くらい)は、はき捨てるように、こう反論した。
「そんなバカなことがありますか。人間はおとなになってから成長するものです」と。

ほとんどの人は、そう考えている。
それが世間の常識にもなっている。
しかしその男性は、近所でも評判のケチだった。
それに「ためこみ屋」で、部屋という部屋には、モノがぎっしりと詰まっていた。
フロイト説に従えば、2〜4歳期の「肛門期」に、何らかの問題があったとみる。

が、恐らくその男性は、「私は私」「自分で考えてそのように行動している」と
思い込んでいるのだろう。
が、実際には、乳幼児期の亡霊に振り回されているにすぎない。
つまりそれに気づくかどうかは、「知識」による。
その知識のない人は、「そんなバカなことがありますか」と言ってはき捨てる。

●心の開けない子ども

さらにこんな例もある。

ある男性は、子どものころから、「愛想のいい子ども」と評されていた。
「明るく、朗らかな子ども」と。
しかしそれは仮面。
その男性は、集団の中にいると、それだけで息が詰まってしまった。
で、家に帰ると、その反動から、疲労感がどっと襲った。

こういうタイプの人は、多い。
集団の中に入ると、かぶらなくてもよい仮面をかぶってしまい、別の
人間を演じてしまう。
自分自身を、すなおな形でさらけ出すことができない。
さらけ出すことに、恐怖感すら覚える。
(実際には、さらけ出さないから、恐怖感を覚えることはないが……。)
いわゆる基本的信頼関係の構築に失敗した人は、そうなる。
心の開けない人になる。

が、その原因はといえば、乳児期における母子関係の不全にある。
信頼関係は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)の上に、
成り立つ。
「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味。
「私は何をしても許される」という安心感。
親の側からすれば、「子どもが何をしても許す」という包容力。
この両者があいまって、その間に信頼関係が構築される。

●自律性と自主性

子どもの自律性や自主性をはばむ最大の要因はといえば、親の過干渉と過関心が
あげられる。
「自律」というのは、「自らを律する」という意味である。
たとえば、この自律性の構築に失敗すると、子どもは、いわゆる常識はずれな
言動をしやすくなる。

言ってよいことと悪いことに判断ができない。
してよいことと、悪いことの判断ができない、など。

近所の男性(おとな)に向かって、「おじちゃんの鼻の穴は大きいね」と
言った年長児(男児)がいた。
友だちの誕生日に、バッタの死骸を詰めた箱を送った小学生(小3・男児)が
いた。
そういう言動をしながらも、それを「おもしろいこと」という範囲で片づけて
しまう。

また、自主性の構築に失敗すると、服従的になったり、依存的になったりする。
ひとりで遊ぶことができない。
あるいはひとりにしておくと、「退屈」「つまらない」という言葉を連発する。
これに対して、自主性のある子どもは、ひとりで遊ばせても、身の回りから
つぎつぎと新しい遊びを発見したり、発明したりする。

●児童期と青年期

 児童期には、勤勉性の確立、さらに青年期には、同一性の確立へと進んでいく
(エリクソン)。

 勤勉性と同一性の確立については、エリクソンは、別個のものと考えているようだが、
実際には、両者の間には、連続性がある。
子どもは自分のしたいことを発見し、それを夢中になって繰り返す。
それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)を一致させながら、
自我の同一性を確立する。

 自我の同一性の確立している子どもは、強い。
どっしりとした落ち着きがある。
誘惑に対しても、強い抵抗力を示す。
が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりん」の状態になる。
心理的にも、たいへん不安定となる。
その結果として、つまりその代償的行動として、さまざまな特異な行動をとる
ことが知られている。

 たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい
自分を演じて、みなの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型
(集団の中で子分として地位を確立する、非行補助)など。
もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。
「タバコを吸ってみないか?」と声をかけられると、「うん」と言って、それに従って
しまう。
断ることによって仲間はずれにされるよりは、そのほうがよいと考えてしまう。

 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正された
りということは、まず、ない。
その知識がないなら、なおさらで、その状態は、それこそ死ぬまでつづく。

●幼児と老人

私は母の介護をするようになってはじめて、老人の世界を知った。
が、それまでまったくの無知というわけではなかった。
私自身も祖父母と同居家庭で、生まれ育っている。
しかし老人を、「老人」としてまとめて見ることができるようになったのは、
やはり母の介護をするようになってからである。

センターへ見舞いに行くたびに、あの特殊な世界を、別の目で冷静に観察
することができた。
これは私にとって、大きな収穫だった。
つまりそれまでは、幼児の世界をいつも、過ぎ去りし昔の一部として、
「上」から見ていた。
また私にとっての「幼児」は、青年期を迎えると同時に、終わった。

しかし今度は、「老人」を「下」から見るようになった。
そして自分というものを、その老人につなげることによって、そこに自分の
未来像を見ることができるようになった。
と、同時に、「幼児」から「老人」まで、一本の線でつなぐことができるようになった。

その結果だが、結局は、老人といっても、幼児期の延長線上にある。
さらに言えば、まさに『三つ子の魂、百まで』。
それを知ることができた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結論

 平たく言えば、こうした同情を買うという一連の行為は、精神的未熟性による
ものと考えてよい。
情緒的欠陥が原因になることもある。
どうであれ、けっして好ましいパーソナリティではないことだけは、確か。
自分の中にそういう「卑屈なゆがみ」を感じたら、それと闘う。
これもまた老後を心豊かに生きるためのコツということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 エリクソンの心理発達段階論 (1) 乳児期(信頼関係の構築)
(2) 幼児期前期(自律性の構築) (3) 幼児期後期(自主性の構築) (4) 児童
期(勤勉性の構築)(5) 青年期(同一性の確立) (はやし浩司 家庭教育 育児 教
育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 反抗期の子ど
も 反抗期の子供) 同情を買う)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【息子たちへ】(11−12日記)

Merry Christmas!
コミュニケーションを図るため、これから先
できるだけ日記を送ることにしました。
どうかうるさがらずに、読んでみてください。

パパより

++++++++++++++++++++++++++++

●過去に戻る

+++++++++++++++++

このところ、パソコンのハードディスクの
動きが、おかしくなってきた。
私がメインパソコンとして使っている
パソコンである。
ファイルチェックすると、「bad clusters」の
表示が並ぶ。
ハードディスクに物理的な故障が起き始めて
いるらしい。
こうなると、ハードディスクの寿命は短い。

こういうとき、とりあえず応急的にすべき
ことは、ただひとつ。
ファイルのコピー。
Dディスクや、外付けディスクにコピーする。
DVDに焼くという方法もある。
が、もっとも確実な方法は、Cディスクを、
そのまま別のハードディスクに丸ごとコピーして、
ハードディスクを交換するというもの。
私はパソコンの不調には、いつもこの
方法で対処している。

++++++++++++++++++

●丸ごとコピー

 Cディスクを丸ごとコピーして、ハードディスクを交換する。
そのためのソフトは、いろいろある。
私は、コピーコマンダーというのを使っている。
一応「WINDOW7対応版」ということになっているが、どうも使い勝手が悪い。
「bad clusters」が残っていると、うまくコピーできない。
作業が中断してしまう。

 そこで再度、挑戦。
コピー先のハードディスクを初期化、つまりフォーマットをかける。
ハードディスクをまっさらにした上で、丸ごとコピーをすればよい。
(これは私という人間の、素人考え。)
が、いくらフォーマットをかけても、どういうわけか、まっさらにはならない。
「システムファイル」の部分だけ、残ってしまう。
残ってしまうから、つぎに丸ごとコピーしようとしても、コピーコマンダーのほうが、
受け付けてくれない。
つまりこの時点で、そのハードディスクは使い物にならなくなる。
外付けハードディスクとしても、使えなくなる。

 しかたないので、「ハードディスク、丸ごと消去」というソフトを買ってきた。
これならば、ハードディスクをまっさらにすることができるはずと考えた。
……というのは、素人の考えだった。
が、やはりシステムファイルだけは、残ってしまう。

 あああ〜。

 ……ということで、いつの間にか、私の書斎には、こうして使われなくなったハード
ディスクが、15個くらいになった。
中には750GBとか500GBのものもある。
どこかで手順をまちがえているのかもしれない。
しかし私の能力では、ここまで。

 で、またまた今回の不調。
原因を調べてみたら、つまりどうしてこうまで早くハードディスクがおかしくなる原因を
調べてみたら、「驚速XXXXX」というソフトらしいということがわかってきた。
このソフトは、常時パソコンの中で動作している。
つまりいつもハードディスク上で作業している。
雑誌にもそう書いてあった。
パソコンショップの店員もそう言った。
「あのソフトだけは、ハードディスクの寿命を縮めるから、使わないほうがいい」と。

 ともかくも、こうしてまたまた新しいハードディスクを購入するハメに。
500GBのを買ってきた。
おととい買ってきた。
1TBのものにしようかと迷ったが、丸ごとコピーに失敗する可能性もある。
もったいない。
……ということで、値段の安い500GBのものにした。

 まわりくどい書き方をしたが、その作業をしながら、私はこんなことを考えた。

●復元

 WINDOWSパソコンには、「復元」という機能がある。
みなさんよくご存知の機能である。
この機能を使えば、システムが不調になったら、過去のある時点にまで戻り、
パソコンの調子を復元させることができる。

 それとは少し意味がちがうが、もしこんなことが可能だったら、私はどう判断する
だろうか、と。

 たとえば今、脳みその調子が悪くなったとする。
CPU(中央演算装置)が鈍くなり、回転が悪くなったとする。
そのときタイムマシーンか何かに乗って、過去のある時点に戻ることができたとする。
5年前なら5年前でもよい。
私はその5年前に戻るだろうか、と。

 肉体が5年前に戻るのは、よい。
思考力や知識、経験も、今のままの状態で5年前に戻るのは、よい。
しかしたとえばパソコンの世界でのように、この5年間に書いた原稿などが、
すべて消去された状態で、5年前に戻るなら、……たぶん私は「NO!」と言うだろう。
私は5年前にさかのぼり、また同じことをしなければならない。
イチから原稿を書きなおさなければならない。

 「5年前」という大げさなものでなくてもよい。

 たとえば2〜3時間、原稿を書いたとする。
この原稿なら、この原稿でもよい。
この原稿が、何らかのアクシデントで、突然、消えてしまったとする。
そういうことが、以前は、よくあった。

 そういうときというのは、本当にやる気を失う。
また同じ原稿を書こうとしても、その気力を奮(ふるい)い立たせるだけでもたいへん。
たいていは、その原稿のことはあきらめ、別のテーマで書き始める。
それにおかしなもので、そうして消去された原稿ほど、あとあとよい原稿に思えてくる。
『釣り逃がした魚ほど、大きく見える』という現象か?

 たった1本の原稿ですら、そうである。
それを5年前にまでさかのぼって繰り返せと言われたら、あなたはどうするだろうか?

 実際には、ファイルをどこかに残しておくという方法がある。
5年分の原稿が、すべて消えてしまうということはない。
ここに書いたのは、あくまでも「5年分の原稿が消え、5年前に戻る」という前提での
話である。

 もしそうなら、私なら5年前に戻ることを、拒否するだろう。
「NO!」と。
つまりこれは人生全体に通ずる、論理でもある。

●人生は一度

 人生は、一度でたくさん。
こりごり。
「死」はこわいが、同じ人生を、また繰り返せと言われても、私にはできない。
反対にたとえばこんなケースはどうだろう。

 たとえば神様かだれかがいて、こう言ったとする。
「君をベートベンにしてあげよう。ベートベンの時代に戻って、ベートベンの楽譜を
全部、書き写す。その楽譜を、君の名前、つまりベートベンの名前で発表する。
どうだ?」と。

 しかしそんなインチキなことをしても、意味はない。
いくら後世に残る有名人になったとしても、意味はない。
だいたい私はピアノを弾けない。
たとえヘタクソでも、私は私の音楽を書く。
どうしても書けと言われたら、そうする。

 同じように今、だれかの文章を盗んで書けと言われても、私にはできない。
そのだれかは、すでに死んでいて、盗作が発覚する心配はない。
が、それでも、私にはできない。
そんな必要もない。
しても意味はない。
そんなことをすれば、それこそ時間の無駄。
人生の無駄。
5年前にさかのぼって、同じ原稿を書く方が、まだ気が楽。
楽しい。

 ……ということで、人生は一回限りの一番勝負。
復元は、なし。
復元しても、意味はない。
パソコンの修理をしながら、そんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある幼稚園のXX周年で……(代筆業とは)

少し前、ある幼稚園のXX周年記念パーティに招かれた。
そこでのこと。

別の、ある団体の理事長が、一冊の本を取り出した。
緑色の布張りの本である。
「どこかで見たような本だな?」と、そのときふと、そう思った。

その理事長は、思いで話として、その本を読み始めた。

「今は亡き、○○先生は、生前、こんな文章を書き残しておられます。
それをここで朗読させていただきます」と。

○○先生というのは、XX周年記念パーティを主催した幼稚園の元園長である。
が、それを耳にして、驚いた。

私の文章、私の言葉、私の思想……。
頭の中で、文章がスラスラと溶けていく。
その瞬間、思い出した。
私は忘れていたが、私はその元園長のために、代筆してやったことがある。
「本を出したい」という依頼をもらった。
それで私が代筆した。
つまり原稿は、100%、私が書いた。
もう30年近くも前のことである。
それがその本だった。

ハハ〜と息が漏れたあと、「それは私の書いた文章です」と叫びたくなった。
が、それはやめた。
だまって聞いていたが、あのとき感じた、
あの奇妙な気分は何だったのか。

朗読していたその理事長は、涙までこぼしていた。
ついでに言うと、(これは本当の話だから、あえて披露するが)、その理事長は、
こう言った。
「これほどまでに教育の心をつかんだ、みごとで
美しい文章はほかにありません」と。

うれしいような、くすぐったいような……。
実に奇妙な気分だった。

しかしそこは代筆業。
ゴーストライター。
陰の仕事。
私があるドクターのために代筆した本は、数10万冊も売れた。
かなり有名な賞まで取っている。
新聞にも載った。
が、そういうばあいでも、ぜったいに名乗り出てはいけない。
「私が書いた本です」とは、口が裂けても言ってはいけない。
それは信義則。
代筆業をする者の、掟(おきて)。
代筆業をする者は、お金をもらって、魂を売る。
当時の私は、そうした代筆業で、生計を立てていた。

しかし一言。

その人の文章かどうかは、少し読み慣れればわかる。
今、私が書いている文章は、私の文章である。
調子、文体、漢字の使い方、思想……。
それは20年、30年を経ても、そう変わるものではない。

ひとつの例として、私がほぼ37年前に、あるドクターのために
書いた文章を、ここに転載する。
(37年前だぞ!)
そのドクターは、30年前に他界している。
本も絶版になって、同じくらいになる。
「文章」というのものは、そういうものということをわかってもらいため、
ここにあえて転載する。

今、ここに書いている私の文章と読み比べてもらえば、
「ああ、これは、はやし浩司の文章」と、わかってもらえるはず。

●「XX先生の性教育・高校生の部」(T書店)(昭和48年12月刊行)の前書きより

●(ここをクリック↓)
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みなさんは、どう判断されたでしょうか?


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 代筆業)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【教室で】

●ワイフ(晃子)

ワイフが直接、私の教室を手伝ってくれるようになって、もう5年になる。
当初は、交通整理程度の手伝いだった。
それでもありがたがった。
が、最近は、私の苦手な子ども(?)を、指導するようになってくれた。
私は、ワイフと比べても、短気。
はるかに短気。
子どもによっては、何かのことで気分を損ねると、30分でも40分でも、
いじけたり、ぐずったりする。
そういうとき私はすぐ怒ってしまう。
「うるさい!」と。

が、一方、ワイフは気が長い。
そういう子どもを相手に、30分でも40分でも、こんこんと説得しながら、
指導する。
私にはとうていまねできない芸当である。
昨日も、そうだった。

 2人の子ども(小4児)が電気ストーブを取り合って、喧嘩した。
私は頭から、「そのストーブは、A子さんのものだから!」と言って、
B君の主張を退けてしまった。
それから30〜40分ほど、B君はうつむいたまま、勉強をしなくなってしまった。
そのB君の横に座り、ワイフは静かに、ただひたすら静かに、B君をなだめていた。

●孫の芽衣

 ということもあって、このところ生徒のことが話題になることが多い。
ドライブをしながら、それぞれの子どもについて、よく質問をする。
私も相手がワイフだから、遠慮しない。

「あの子は、自閉症スペクトラムだよ」
「あの子は、場面かん黙児だよ」
「あの子は,ADHD児だよ」と。

 そういう話を聞きながら、ワイフはワイフなりに、知識と理解を深めている。

私「X君は、一時、あぶないときがあった」
ワ「いつごろ?」
私「3年くらい前かな? 親の離婚騒動に巻き込まれて、グレかかった」
ワ「今は、そんなふうに見えないわ」
私「いや、今でも、ときどきそういう様子をしてみせるよ」
ワ「・・・そう言えば、ものの考え方が直情的ね」と。

 教育というより、子育ての奥は深い。
加えてこんなことも。

 ときどき孫そっくりの子どもに出会うときがある。
現在、教室に通っている、Sさん。
孫の芽衣によく似ている。
よく似ているというより、ウリ二つ。
年齢も同じ。
Y君の妹も、そっくり。
ワイフは毎回会うたびに、「芽衣に似ている」と言う。
そういうときのワイフはうれしそう。
自分の孫のように、ときどき、抱かせてもらったりしている。

●ワイフの誕生日

 嫌われ役の私。
その反動か、最近は、ワイフは人気者。
今年も、一言、「6月xx日は、晃子先生の誕生日だよ」ともらしただけだが、
その日は、生徒たちがプレゼントをもって、集まってくれた。
みなで、ワイフの誕生日パーティを祝ってくれた。

 ワイフがあれほどまでにうれしそうな顔をしたのは、見たことがない。
こぼれんばかりの笑顔を浮かべていた。

・・・ということで、最近は、ワイフのほうが積極的に、教室を
手伝ってくれるようになった。
それぞれのクラスで、担当する子どもを決めて、その子どもを集中的
に指導してくれる。
「今日は、ぼくひとりで、やるよ」と声をかけても、「今日はC君が
来る日だから・・・」と言って、勝手に出かける用意をする。
私は助かる。
その分のエネルギーを、別のところで使うことができる。


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【講演旅行】

 ここ数年、私の講演を利用して、あちこちを旅行することにしている。
講演先で旅館やホテルを見つけ、そこに泊まるようにしている。
それが楽しみで(?)、ワイフがついてきてくれる。
ワイフは若いころから、旅行が趣味。

 で、11月は講演のシーズン。
あちこちで講演をさせてもらっている。
同時に私たちにとっては、旅行のシーズン。
日帰りの距離でも、近くの旅館やホテルに泊まるようにしている。
浜松市内の講演でも、そうしている。

 そんなわけで、11月は忙しい。
温泉の朝風呂に入り、その気分が抜けないまま、教壇に立つことも多い。
そんなわけで・・・。
このところ体重は、64キロ台をキープしたまま。
目標値を3〜4キロもオーバーしている!
で、自分なりに運動をしたり、ダイエットしたりしているが、効果なし。

 旅館やホテルでは、どうしても食べ過ぎてしまう。
「食べたら損(そこ)ねる」と自分に言い聞かせながら食べる。
が、それでも食べ過ぎてしまう。


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【看板作り】

 今日は土曜日。
午前中にやらなければならない仕事がある。
看板作り。
教室の看板作り。
こういう仕事は、長男が得意で、ときどき手伝ってくれる。
が、今日の作業は、少し重労働。
業者に頼めば20万円という仕事を、私とワイフの2人でする。
予算は1万円。

・・・だからといって、制作費をケチっているわけではない。
私は若いころから、そういう作業が好き。
それにそこらの業者より、器用。
山荘をもったときも、家以外の造作は、すべて自分たちでした。
水道工事、排水工事、石垣工事、街灯工事などなど。
土地を平らにする工事も、自分たちでした。

 機材や道具は、ほとんど、そろっている。
あとはパネルなどの材料を買ってくるだけ。
それをデザインして、鉄ワクにはめこむ。

 今度BW教室の前を通ったら、角地の看板を見てほしい。
その看板は、私たちが立てたもの。
ハハハ。
(笑われないうちに、先に笑っておく)


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【ウソの構造(ウソの4要素)】(はやし浩司説)

+++++++++++++++++

ウソが本当になるためには、つぎの
4つの要素が必要である。

(1)近親性
(2)権威性
(3)集団性
(4)反復性

これをウソの4要素(はやし浩司)という。

順に考えてみよう。

+++++++++++++++++

●ウソの4要素

(1)近親性

 ウソを言う相手が近親の者であればあるほど、ウソは真実性をもつ。
相手をだますことができる。

(2)権威性

 より権威のある人のウソほど、信じられやすい。最高の権威者といえば、
神や仏ということになる。

(3)集団性

 ウソをつくとき、その人を取り囲む。人数は多ければ多いほど、よい。
取り囲んで、みなが同じウソを言う。

(4)反復性

 繰り返し同じウソをいう。「ウソも100ぺんつけば、本当になる」と
言った人もいた。

 この手法は、カルト教団と呼ばれる宗教団体でよく使われる。
1人の人間を入信させるとき、その人に一番近い人(家族、友人、親類など)
を前に置き、ほかの信者たちが、ぐるりと取り囲む。
そして繰り返し、同じことを言う。
「X導師様は釈迦の生まれ変わりです」と。

 最初は抵抗していた人でも、やがて疲れてくる。
気力が途切れる。
その瞬間、「そうだ」と思ってしまう。
思ったまま、「X導師様は、釈迦だ」と。

一度、心の隙間を埋められたら最後、あとはお決まりのカルト教信者!
人間には、そういう心のエアーポケットがある。
「盲点」と書くべきか。
ごくふつうの、しかも良識や常識があると思われるような人でも、ある日
とつぜん、何らかのきっかけでカルト教の信者になる。

●CPU(中央演算装置)

カルトの恐ろしいところは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うこと。
自分を客観的に評価する能力、現実を正確に検証する能力、それに理性や
知性が、機能しなくなる。
そのためとんでもないことをしながら、それがとんでもないこととわからなくなる。

 たとえば死んだ人を前に、まだ死んでないとがんばってみたり、反対にイワシの
頭を信仰の対象にしたりする。
が、ここで誤解してはいけないことがある。
私たちはいろいろな形で、何かを信仰しているということ。
たとえば学校神話もそのひとつ。
「お金こそすべて」と考えるのも、それ。
(だからといって、それらがまちがっているというのではない。
それも誤解がないように!)
そうした信仰が、常識をはずれ、指導者の金儲けの道具になったとき、
それをカルト」という。

 カルトの定義は難しいが、要するに妄信や迷信が集団化したものと考えると
わかりやすい。
そのカルトが、いろいろな場面で、急速に勢力を伸ばしている。
数もふえている。

 みなさん、どうか注意してほしい。
警戒レベルでいうなら、黄信号を越えて、赤信号に入った。
馬鹿げた占いや、まじないが、若い人たち中心に流行(はや)っている。

冒頭に書いた、ウソの4要素を知っているだけでも、カルトから身を
守ることができるはず。


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【アクセス数】

 昨年の5月、BLOGやHPへのアクセス数を調べたら、月間30万件
を超えているのがわかった。
現在メインのHPから、それぞれのHPへ、ハイパージャンプさせている。
枝分かれしたHPだけでも、30くらいある。
(HPの一部に、別のHPから直接アクセスすることを、ハイパージャンプ
という。
以前はそれを禁止しているHPサービスが多かった。)
この方法を使うと、それぞれのページの更新が楽。
つまりひとつのHPにすべてを放り込むよりも、枝分かれさせ、それぞれを
別のHPとして独立させる。

 が、もうひとつ、利点がある。
アクセス数が、それぞれのHPごとに集計される。
アクセス数が、すぐわかる。
その結果、「30万件」という数字が出てきた。

 もちろん30万件イコール、30万人ということではない。
また本とちがい、30万冊ということでもない。
多くは、チラッと立ち寄って、そのまま去っていく。
そういう人も含めて、30万件ということになる。
が、実際には、もっと多いはず(?)。

 というのも、30万件という数字は、それぞれのHPのトップページ
を訪れた人の数。
中には、ハイパージャンプで、カウントされないページへジャンプして
くる人もいる。
たとえばYOUTUBEにしても、私のHPを介して閲覧したばあいは、アクセス
数は、カウントされない。
ためしに私のHPから同じ動画に何度もアクセスしてみてほしい。
アクセス数は変わらない。

 で、昨夜ワイフとドライブをしながら、その話になった。
「これはすごいことだね」と。

私「今では、BLOGだけでも、1日、5000件はあるよ」
ワ「そんなにあるの?」
私「昨日は、G・Blogだけで、3000件を超えた」と。

 私は現在、毎日6〜7か所からBLOGを発行している。
コピーして貼りつけるだけだから、作業は、楽。
10分程度ですむ。

 が、これについて先日、横槍(やり)を入れてきた人がいた。
「多くの人に読んでもらい気持ちはわかるが、同じ原稿を、複数の
BLOGで流すな! わずらわしいから、ヤメロ」と。

 しかしこれにはきっちりと反論しておきたい。

(1)それぞれのBLOGには、それぞれの性格があり、別の読者
がついている。
(2)最近でこそ少なくなったが、BLOGも、雨後の竹の子のように
生まれ、また消えていく。
そのとき同時に、それまでの原稿がすべて消されてしまう。
そういう苦い経験を、私は何度かしている。
(3)BLOGによって、保存期間、保存容量がまちまち。
規約は、いつも変動する。

 自分の原稿をできるだけ長く残したいと願うなら、ひとつの原稿を
できるだけ分散して保存して残しておいたほうがよい。
それで私は同じ原稿を、複数のBLOGに載せている。

 もし困ることがあるとするなら、検索をかけたとき、同じ原稿がズラリと並ぶこと。
しかしこれについては、こう反論したい。

 「無料で読むのだから、文句を言うな!」と。

 ともかくもこんな数字は、本の世界では考えられないこと。
30万部も売れたら、そのままベストセラー。
それが毎月、つづく。
1年にすれば、360万部!
それだけに影響力も大きい(?)。

 が、同時に辛らつな批評やコメントも多くなった。
とくに私が書いた『ポケモン・カルト』(三一書房)については多い。
熱心な(?)ゲーマーたちの逆鱗に触れたらしい。
しかしこれも慣れ。
当初は頭にカチンと来たが、今はちがう。
ていねいな礼状を書くようにしている。

「きびしいご意見、ありがとうございました。
いただきましたコメントについては、おおいに参考にさせて
いただきます。
誤解されている面もあるようですから、それについては私の
HPのほうで、今後、ゆっくりと説明させていただきます」とか、何とか。

 今では、それを書いた直後に、忘れることができるようになった。
で、先の「多くの人に読んでもらい気持ちはわかるが、同じ原稿を、複数の
BLOGで流すな!」という意見について。

 その翌日、私はさらにひとつ、BLOGをふやした。
同じ原稿を貼り付けて発行した。
ハハハ。
それが私のやり方。
私はそんなヤワな男ではない。
叩かれれば叩かれるほど、強くなる。
昔から、そうだった。

 そうそう、書き忘れるところだった。
これは昨日までの推計だが、このところ毎月のアクセス数は、40万件を
超え、50万件に達しているのではないか。
BLOG、HP、YOUTUBE、それにマガジンへのアクセス数を計算すると、
そうなる。

 この原稿を読んでくれたみなさんへ、

 ありがとうございます!


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【山荘にて】

●置き物

 昨夜遅く、山荘にやってきた。
「近く、山荘を売る」と言い出してから、逆に、山荘へ来る回数がふえた。
そういうものか。
ワイフもどこかさみしそう。

 いろいろな飾り物や置き物は、それぞれ理由をつけて、生徒にあげている。
今にこの山荘も、からっぽになるだろう。
床の間には、掛け軸が3本かかっている。
うち1本は、土佐左近将(温?)光作。(「|口皿」とある)
かなりの値打ちモノらしい。
昔、母がそう言っていた。
これは3月に、Dさんにあげるつもり。
私の教室に14年間も通ってくれた。
「3月に、山荘へ招待するよ」と言ったら、うれしそうに、ウンと言ってくれた。
そのとき、あげるつもり。
(興味をもたないかな?)

 ほかにも石の置き物などが20個あまりあったが、今は数個を残すのみ。
飛行機の模型は、今年になってから、ほとんどを生徒にあげた。
残っているのは、50機あまり。
ミニコプター(トイヘリ)ついては、すでに予約済み。
5年生のA君が、かなり以前から、「ほしい」と言っている。

・・・ということで、実は、この山荘も、村の人たちに寄付しようかと、
ときどき思う。
ワイフは反対しているが、村の人たちに、集会所のような所として
使ってもらうのが、私はいちばんよいと考えている。
そのほうが大切に使ってもらえる。
一度、不動産屋を通して売りに出し、それで売れなければ、(どうせ高い価格では、
売れないだろうし……)、そうする。

●11月12日

 今朝は、7時に起きた。
つづいてワイフも起きた。
今は、時刻は午前8時。
さて、これから作業、開始。
自宅に帰る途中で、DIYショップに寄り、材料を買い集める。
それにどこか途中で、朝食。

 今日も始まった。
今日こそは、「充実した1日だった」と言えるような日にしたい。
がんばろう。

はやし浩司 2010―11−12 土曜日


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   17日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●他人の不幸をのぞく人

+++++++++++++++++

現実には、いる。
いるから、書く。
他人の不幸をのぞいては、それを楽しむ。
酒の肴(さかな)にして、楽しむ。
みなに話す。
「あいつは、かわいそうな人だよ。
息子が2人いるんだが、2人とも離婚していてね」と。
そんな人たちがいる。

同情しているわけではない。
相手の悲しみや苦しみを、共有しているわけではない。
一応顔をしかめ、悲しそうな声で、そう話す。
が、演技は演技。
その実、それをみなに伝えて、おもしろがる。

+++++++++++++++++++

●BLOGへのコメント

 少し前、「他人の不幸をのぞく人」というテーマで、原稿を書いた。
つい数日前は、「下劣な人」というテーマで、別の原稿を書いた。
それについて、BLOGのほうに、いくつか書き込みがあった。
その中のひとつ。
「私の姉がそうです」と。

 用もないのに、不幸な人の家に出かけていく。
相談に乗るフリをして、その人の話を聞く。
あるいは「見舞い」と称して、不幸な人の家に出かけて行く。
行って、話を聞く。
さらにこんなこともするという。

 その家の人に何か不幸があったと聞くと、すかさず「見舞い」と
称して、菓子などを送る。
500円とか1000円とかの安い菓子である。
送られたほうは、戸惑いながらも、礼の電話をする。
そのときあれこれと相手の状態を聞きだす。

 私も若いころ、似たようなことをされたことがある。
のぞくほうは楽しいかもしれない。
しかしのぞかれたほうは、そうでない。
身を切られるような、つらい思いをする。
悲しい思いをする。
そのつらさは、言葉では言い表しがたい。

●最低限のマナー

 どんな家庭にも、それぞれ事情というのがある。
その事情は、千差万別・・・というか、複雑。
1日や2日、説明したところで、説明しきれるものではない。
そうした複雑な事情を知らず、そこに自分の判断を加える。
「かわいそうな人だ」と。

 しかし先に書いた「離婚」にしても、今どき、離婚など珍しくも
何ともない。
たまたま2人の息子が離婚したとしても、それはそれ。
人生の失敗者でもなければ、敗残者でもない。
ひとつの結果に過ぎない。

 その人自身から相談でもあれば、話は別。
そのときは、そのとき。
そうでなければ、そっとしておいてやることこそ、肝要。
知っていても知らぬフリをする。
説教など、もってのほか。
たとえ相手が年下でも、だ。
これは人間が守るべき、最低限のマナーと考えてよい。

●私の経験

 私もいろいろな経験をした。
その中でも、G県のNさんから届いたメールには、驚いた。
私がした経験と、あまりにもよく似ていた。
転載は不許可とあったので、私自身の体験も織り交ぜて、こちらで文章を書き
なおさせてもらう。

+++++以下、N氏からのメールより(要約)++++++++++++++++

【N氏(55歳)のメールより】

 私の実兄が入院したときのことです。
その3日前と2日前に、私はつづけて実兄を病院へ見舞いました。
そのときのことです。
いとこの1人から、電話がかかってきました。
いわく、「Jちゃんが、入院したぞ」「入院したぞ」と。
いやみを感ずる、不愉快な言い方でした。

 そこで私が、「おとといも見舞いに行ってきましたから、知っています」と。

 そう言い終わらないうちに、そのいとこは、「アッ、そう、ハハハ」「アハハハ」と。
気まずそうな笑い方でした。
もちろんそれを機会に、私はそのいとことは、縁を切りました。

念のため申し添えるなら、そのいとこは、口は出すことはあっても、
金銭的な援助など、そうした援助などはいっさいしてくれたことはありません。
家父長意識だけはやたらと強い。
年長風を吹かして、威張っています。
縁を切りましたから、事実だけをここに書きます。
低劣な人間というのは、そういう人間をいうのですね。

+++++以上、N氏からのメールより(要約)+++++++++++

●魔力

 低劣な人間とは、つきあわない。
つきあっても意味がないばかりか、低劣な人間には、恐ろしい魔力がある。
あなた自身を、低劣な世界へと、引きずり込んでしまう。
そして気がついてみると、あなた自身も、同じようなことを言ったり、するようになる。
夏目漱石も、同じような問題をかかえて悩んだことがある(『こころ』)。

 低劣な世界では、あなたが学んできた深い人間性や、道徳、哲学、それに
人生論が、粉々に引き飛んでしまう。
もしあなたが高邁(こうまい)であればあるほど、ばあいによっては、
魂そのものが、引きちぎられてしまう。
夏目漱石も、そうだった。
N氏がいとこと縁を切った(=いっさいの交際を打ち切った)というのは、やむを
えない判断ということになる。

 言い換えると、人間には、本来的にそうした低劣さが心のどこかに潜んでいる。
嫉妬にからんだ欲望、羨望、恨み、それらが心の底流でウズを巻いている。
さらに言えば、そうした人たちは、いつも相対的な幸福観の世界で生きている。
他人より幸福であれば(?)、幸福。
そうでなければ、そうでない(?)。
それが世間体、見栄、体裁へと進み、ここでいう「相対的な幸福感」へとつながって
いく。

●防衛機制

 防衛機制には、いくつかある。
心というのは、外敵に遭遇すると、自ら心を守ろうとさまざまな反応を示す。
それを「防衛機制」という。
「置き換え」「補償」「合理化」「投影」などなど。

 それにもうひとつ、私は、「自己慰労」を考える。
「慰労」でもよい。
「自分より劣った人、あるいは不幸な人をみつけて、自らの劣等性や
不幸を慰める」。
心が疲労したとき、自己慰労によって、それを解消しようとする。
それを「自己慰労」という(私の造語)。
(天下の「防衛機制」論の不備を突くようで、申し訳ないが・・・。)

 たとえばあのバラエティ番組。
バカ丸出しのような人がいて、これまたバカ丸出しの行為をする。
聴衆を笑わせる。
以前見た番組の中に、1人の男性に多量の下剤をのませて、苦しませる
というのがあった。
その男性はたまたまバスに乗っていて、「降ろしてくれ!」「がまんできない!」
と言って、涙声で叫んでいた。

 それを観て、徴収は笑いこげる。
喜ぶ。
自分より劣った人間がいることを知るのは、それ自体、快感(?)。
楽しい(?)。
またそれがああした番組の視聴率が高いという理由でもある。
それがここでいう「自己慰労」ということになる。

●自己慰労

 この自己慰労を、防衛機制に含めると、冒頭に書いたような事例が、ひとつの
心理反応として、うまく説明できる。
他人の不幸をのぞいて、それを酒の肴にする人は、まさにその自己慰労をしている
ことになる。

また自分自身がその不幸(?)の最中にいる人ほど、自己慰労しやすい。
自分より不幸な人を見つけては、自分で自分を慰(なぐさ)める。
そのために他人の不幸を利用する。

●紙一重

 他人の不幸を笑ってはいけない。
(のぞくなどというのも、もってのほか。)
笑えば笑った分だけ、今度は自分が追いつめられ、苦しむ。
「ああ、自分でなくてよかった」と、思ってもいけない。
幸福にせよ、不幸にせよ、紙一重。
今、幸福だからといって、慢心してはいけない。
今、不幸だからといって、それがいつまでもつづくと考えてはいけない。
いわんや自分の価値観を、他人に押しつけてはいけない。
幸福にせよ、不幸にせよ、それは順繰りにやってくるもの。

 ある男性は、ダウン症の子どもをもった両親を、「不幸だ」と決めつけていた。
(自分自身も、重度の自閉症児をかかえていた。)
しかし当の両親は、ダウン症のことなど、どこ吹く風。
いつもみなで連れだって、レストランで食事をしたりしていた。
休みには、みなで旅行をしていた。
私たちはむしろそちらの行為のほうに、すがすがしさを覚える。
親の深い愛情を感ずる。
人間的な深みを感ずる。

(どうして自分の子どもに障害があるからといって、それを「隠さねばならない
こと」と、とらえるのか。
こうした発想は、発想そのものが、バカげている。
が、低劣な人には、それがわからない。)

●加齢とともに

 何度も書くが、加齢とともに、人格が完成するというのは、ウソ。
むしろ低劣な人は、ますます低劣になっていく。
低劣になって、やがてすぐ、「メシ(飯)はまだかア!」と叫ぶようになる。
そういう女性(年齢は90歳くらい)が、近くの特養にいた。
美しい顔立ちの人だったが、繰り返し、一日中、そう叫んでいた。

 つまり人は、ある日突然、低劣になるのではない。
負の一次曲線的に、徐々に低劣になっていく。
しかもさらに悪いことに、加齢とともに、自分を支える気力が弱くなる。
それまで内に隠していた人間性が、表に出てくる。
60歳を過ぎて、加速度的に低劣になっていく人は、多い。
これがこわい。

 ……そういう点では、すでに私たちは、その過程にいるのかもしれない。
日々に、低劣になっていく・・・。

●低劣性

 数日前、「低俗性と低劣性」について書いた。
低俗的であることは、何も恥ずべきことではない。
俗世間とのかかわりを失ったら、そのとたんにその人は、人間的なハバを
失う。
たまには、(ときどきは)、ハメをはずしてバカになる。
バカなことをする。

しかし低劣性は、別。
低劣性は、人間性の否定と考えてよい。
いくら人間らしい顔をしていても、中身は動物以下。
動物でも、そこまで落ちない。
言い換えると、私たちは常に、その低劣性と闘う。
方法は簡単。

 低劣な人と、低劣な話をしない。
常に高邁さを求めて、前に向かって進む。
その一語に尽きる。

(1)愚痴は言わない、聞かない。
(2)悪口は言わない、聞かない。

 陰口、不平、不満は言わない、聞かない。
近親者のゴシップ、詮索は、タブー。
それを繰り返していると、その人の人間性は、どんどんと腐っていく。

 ついでに一言。

 50歳を過ぎると、その人のもつ人間性が、明確な方向性を示すようになる。
低劣な人かどうか、方向性がはっきりとしてくる。
つまりそれまでの生き様が、そこで集約される。
大切なことは、それまでに、いかに自分の生き様の基盤を作っていくかということ。
だれのためでもない。
自分のため。

(補記)

 この1年以上、地元の観光バス会社が運営する観光旅行には、参加していない。
たいてい何組かのおしゃべりオバサンがいて、(オジサンも多いが)、一日中、大声で
しゃべっている。
そのうるさいことと言ったら、ない。
しかも話の内容が低劣。

「親の三回忌に来ないような息子は、人間のクズ」
「あゆを送ってやったが、礼は電話だけ。あの人は一流大学を出ているかもしれないが、
人間のクズ」
「病気の母を見舞ったが、ふとんの下に浴衣が丸く、ぺっしゃんこになっていた」
「弟は借家の家賃をネコババし、税金は私に払わせている」と。

 それに答えて横にいた女性が、「そうよ、そうよ、そういう人は地獄に堕ちるわよ」と。

 話の内容もコロコロと変化する。
脳に飛来した情報を、音声を換えているだけ。

 で、私が「少し静かにしていていただけませんか?」と声をかけると、こう言った。
「私ら、おしゃべりが楽しみで、旅行に来ているのよねエ」と。

 旅行が終わってそのバスを出るときも、こう言った。
「さようなら。おかげで楽しかったです」と。
以来、その観光バスを利用するのを、や・め・た!


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【R天へのコメントより】

●隠れマザコン(=女性のマザコン)

++++++++++++++++++

マザコンというと、男性だけの問題と
考える人は多い。
しかし女性にも、同じくらい、あるいは
それ以上に多い。
称して「隠れマザコン」(=はやし浩司の造語)。

R天BLOGにこんなコメントが寄せられて
いた。

いわく、

『……ここしばらく「親離れ子離れ」ということについてチト頭をとられています。

カミサンとカミサンの母親がその関係で、どうもこの先よからぬ・・・ と杞憂しており
ます。

カミサンはそのあたりを少しわかってきたのか上手に離れるようにしているので、まぁこ
ちらは時間をかければうまくいきそう。 ・・だといいな。

が、カミサンの母親がいけない。
40年近くも娘を手元に置いていたから完全に頼り切ってしまっている。
実家に遊びにいくと分かるのだが、手より口が動くタイプなんですな。
カミサンの身の回りトラブルで話し合いにいくと毎回娘(カミサン)をかばうことばかり
なんで、こりゃマズイなぁ〜と思っておりました。

もっともこんなハナシはアダムとイヴのころからあるでしょうから別にワタクシだけって
ことでもないかと思います。

問題は「親離れ子離れ」の先にある子供を育てていくということを気にしています。

「子供の手本をみせられない」
「叱ることのできない」

等々、親として「それはどうよっ」と思うのです。
もっともなるようにしかならないんでしょうが』と。

●隠れマザコン

 隠れマザコン(マザコン女性)については、たびたび書いてきた。
いくつか原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【マザーコンプレックス】

●依存と愛情(Mother Complex)

+++++++++++++++++

「マザコン」というと、男性だけにある
特異な現象と思っている人は多い。

しかし女性にも、マザコンの人は
いくらでもいる。
同性というだけで、目立たない。

これについては、何度も書いてきた。
ここでは、さらにもう一歩、話を進めて
みたい。

これには男性も女性も関係ないが、
母親にベタベタと甘えているからといって、
それだけ、母親への愛情が深いかという
と、そういうことはない。

マザコン性というのは、母親への依存性を
いう。
依存性イコール、愛情の深さではない。

よくあるケースは、それまではマザコンで
あった女性が、母親が認知症になったとたん、
母親への虐待し始めるというもの。

依存できなくなったときが、縁の切れ目(?)
ということか。

もちろん、中には、そのままの状態で、見た目には
良好な(?)人間関係をつづける親子もいる。
しかしそういうケースは、少ない。

つまりマザコンタイプの人は、常に「理想の
女性像(マドンナ)」を、母親に求める。
母親は、常に、その理想の女性でなければ
ならない。

が、母親がその期待(?)に応えられなく
なったとき、マザコンタイプの人は、それを
すなおに受け入れることができない。
あるいはそれを許すことができない。

たいてい、その段階で、はげしく葛藤する。

ある女性(60歳くらい)は、自分の母親が
認知症になりつつある段階で、そのつど、
パニック状態になってしまった。

母親が、就寝中に尿を漏らしただけで、親戚中に
電話をかけたりした。

「お母さんが、オシッコを漏らしたア〜!」と。

が、先にも書いたように、依存性イコール、愛情の
深さではない。

たとえば夫婦についても、そうで、配偶者に
強い依存性があるからといって、つまり見た目には
ベタベタに仲のよい夫婦に見えたとしても、
たがいに深い愛情があるとはかぎらない。

言うまでもなく、「愛」というのは、どこまで
相手を「許して忘れるか」、その度量の深さで決まる。
つまりその分だけ、愛には、常に孤独と苦しみが
ともなう。

さらに言えば、愛には熟成期間が必要。
たがいに困苦を乗り越え、その結果として、
人は「愛」を自覚することができるようになる。

一方、依存性は、その人自身の情緒的欠陥、精神的
未熟性に起因する。
情緒的欠陥、精神的未熟性をカバーするために、
相手、つまり母親(父親、配偶者)に依存する。

「母親に依存する」ということと、「母親を愛する」
ということは、まったく異質なものである。

このことは子どもの世界を見れば、よくわかる。

親に依存している子どもは多いが、親を愛している
子どもというのは、皆無とみてよい。
あっても、「思いやり」程度。
たとえば病気になった親を、看病するとか、など。
年少の子どもであれば、なおさらである。

子どもが「愛」を自覚するのは、思春期前夜から
思春期にかけてである。

また話は少しそれるが、よく「マザコン男性ほど、
離婚率が高い」と、言われる。
それもそのはずで、つまりその分だけ、マザコン男性は、
配偶者に、理想の女性(マドンナ)像を求めすぎる。
あるいは押しつけすぎる。
それが夫婦の間に、キレツを入れる。

さらにマザコンタイプの人ほど、自分がマザコン的で
あることを正当化したり、ごまかすため、
母親を、ことさら美化する傾向が強い。

(ファザコンも同じように考えてよい。)

「私の親を批判したり、悪口言ったりするヤツは、
たとえ女房、子どもでも許せない」と息巻くのは、
たいていこのタイプの男性と考えてよい。
(男性にかぎらない。女性でもよい。)

話をもどす。

人間関係、とくに親子関係、夫婦関係を見るときは、
この(依存)と(愛情)に焦点をあてて考えて
みるとよい。

また別の人間関係が見えてくるはず。

+++++++++++++++++++

以前書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++

●マザコンの果てにあるもの

++++++++++++++++

マザコンについて、補記します。

++++++++++++++++

 子どもをでき愛する親は、少なくない。しかしでき愛は、(愛)ではない。自分の心のす
き間を埋めるために、親は、子どもをでき愛する。自分の情緒的不安定さや、精神的欠陥
を補うために、子どもを利用する。つまりは、でき愛の愛は、愛もどきの、愛。代償的愛
ともいう。

 これについては、何度も書いてきたので、ここでは、省略する。

 でき愛する親というのは、そもそも、依存性の強い親とみる。つまりそれだけ自立心が
弱い。で、その結果として、自分の子どもがもつ依存性に、どうしても、甘くなる。この
タイプの親は、自分にベタベタ甘えてくれる子どもイコール、かわいい子イコール、いい
子と考えやすい。

 そのため自分にベタベタ甘えるように、子どもを、しむける。無意識のまま、そうする。
こうしてたがいに、ベタベタの人間関係をつくる。

 いわゆるマザコンと呼ばれる人は、こういう親子関係の中で生まれる。いくつかの特徴
がある。

 子どもをでき愛する親というのは、でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。でき
愛ぶりを、堂々と、人の前で、誇示する親さえいる。

 つぎにでき愛する親というのは、親子の間に、カベがない。ベタベタというか、ドロド
ロしている。自分イコール、子ども、子どもイコール、自分という、強い意識をもつ。あ
る母親は、私にこう言った。

 「息子(年中児)が、友だちとけんかをしていると、その中に割りこんでいって、相手
の子どもをなぐりつけたくなります。その衝動をおさえるのに、苦労します」と。

 本来なら、こうした母子間のでき愛を防ぐのは、父親の役目ということになる。しかし
概して言えば、でき愛する母親の家庭では、その父親の存在感が薄い。父親がいるかいな
いかわからないといった、状態。

 で、さらに、マザコンというと、母親と息子の関係を想像しがちだが、実は、娘でも、
マザコンになるケースは少なくない。むしろ、息子より多いと考えてよい。しかも、息子
がマザコンになるよりも、さらに深刻なマザコンになるケースが多い。

 ただ、目だたないだけである。たとえば40歳の息子が、実家へ帰って、70歳の母親
といっしょに、風呂に入ったりすると、それだけで大事件(?)になる。が、それが40
歳の娘であったりすると、むしろほほえましい光景と、とらえられる。こうした誤解と偏
見が、娘のマザコン性を見逃してしまう。

 ……というようなことも、何度も書いてきたので、ここでは、もう少し、先まで考えて
みたい。

 冒頭にも書いたように、でき愛は(愛)ではない。したがって、それから生まれるマザ
コン性もまた、愛ではない。

 子どもをでき愛する親というのは、無私の愛で子どもを愛するのではない。いつも、心
のどこかで、その見返りを求める。

 ある母親は、自分の息子が、結婚して横浜に住むようになったことについて、「嫁に息子
を取られた」と、みなに訴えた。そしてあちこちへ電話をかけて、「悔しい、悔しい」と、
泣きながら、自分の胸の内を訴えた。

 で、今度は、その反対。

 親にでき愛された子どもは、息子にせよ、娘にせよ、親に対して、ベタベタの依存性を
もつ。その依存性が、その子どもの自立をはばむ。

 よく誤解されるが、一人前の生活をしているから、自立心があるということにはならな
い。マザコンであるかどうかというのは、もっと言えば、親に依存性がもっているかどう
かというのは、心の奥の内側の問題である。外からは、わからない。

 一流会社のバリバリ社員でも、またいかめしい顔をした暴力団の親分でも、マザコンの
人はいくらでもいる。

 で、このマザコン性は、いわば脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、本人自身が、
それに気づくことは少ない。……というより、まず、ない。だれかが、その人のマザコン
性を指摘したりすると、こう答えたりする。

 「私の母は、それほどまでにすばらしい人だからです」「私の母は、世の人のためのカサ
になれと教えてくれました」と。

 つまりマザコンの人は、息子であるにせよ、娘であるにせよ、親に幻想をいだき、親を
絶対視しやすい。美化する。親絶対教の信者になることも少なくない。つまり、自分のマ
ザコン性を、正当化するために、そうする。

 で、その分だけ、親を愛しているかというと、そうでもない。でき愛で愛された子ども
もまた、同じような代償的愛をもって、それを(親への深い愛)と、誤解しやすい。

 本来なら、子どもは、小学3、4年生ごろ(満10歳前後)で、親離れをする。また親
は親で、子どもが中学生くらいになったら、子離れをする。こうしてともに、自立の道を
歩み始める。

 が、何らかの理由や原因で、(多くは、親側の情緒的、精神的問題)、その分離がままな
らなくなることがある。そのため、ここでいうベタベタの人間関係を、そのまま、つづけ
てしまう。

 で、たいていは、その結末は、悲劇的なものとなりやすい。

 80歳をすぎて、やや頭のボケた母親に向って、「しっかりしろ」と、怒りつづけていた
息子(50歳くらい)がいた。

 マザコンの息子や娘にしてみれば、母親は絶対的な存在である。宗教にたとえるなら、
本尊のようなもの。その本尊に疑いをいだくということは、それまでの自分の生きザマを
否定することに等しい。

 だからマザコンであった人ほど、母親が晩年を迎えるころになると、はげしく葛藤する。
マザコンの息子にせよ、娘にせよ、親は、ボケてはならないのである。親は、悪人であっ
てはならないのである。また自分の母親が見苦しい姿をさらけ出すことを、マザコンタイ
プの人は、許すことができない。

 そして母親が死んだとする。依存性が強ければ強いほど、その衝撃もまた、大きい。そ
れこそ、毎晩、空をみあげながら、「おふくろさんよ、おふくろさ〜ん」と、泣き叫ぶよう
になる。

 さらにマザコンタイプの男性ほど、結婚相手として、自分の母親の代用としての妻を求
めるようになる。そのため、離婚率も高くなる。浮気率も高くなるという調査結果もある。
ある男性(映画監督)は、雑誌の中で、臆面もなく、こう書いている。

 「私は、永遠のマドンナを求めて、女性から女性へと、渡り歩いています」「男というの
は、そういうものです」と。(自分がそうだからといって、そう、勝手に決めてもらっては、
困るが……。)自ら、「私は、マザコンです」ということを、告白しているようなものであ
る。

 子育ての目的は、子どもをよき家庭人として自立させること。子どもをマザコンにして、
よいことは、何もない。

(はやし浩司 マザコン 息子のマザコン 娘のマザコン 代償的愛 親の美化 偶像
化)

【補記】

【マザコンの問題点】

(親側の問題)

(1)情緒的未熟性、精神的欠陥があることが多い。
(2)その時期に、子離れができず、子どもへの依存性を強める。
(3)生活の困苦、夫婦関係の崩壊などが引き金となり、でき愛に走りやすい。
(4)子どもを、自分の心のすき間を埋めるための所有物のように考える。
(5)親自身が自立できない。子育てをしながら、つねに、その見返りを求める。
(6)父親不在家庭。父親がいても、父親の影が薄い。
(7)でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。
(8)親子の間にカベがない。子どもがバカにされたりすると、自分がバカにされたかの
ように、それに猛烈に反発したり、怒ったりする。
(9)息子の嫁との間が、険悪になりやすい。このタイプの親にとっては、嫁は、息子を
奪った極悪人ということになる。

(息子側の問題)

(1)親に強度の依存性をもつ。50歳をすぎても、「母ちゃん、母ちゃん」と親中心の生
活環境をつくる。
(2)親絶対教の信者となり、親を絶対視する。親を美化し、親に幻想をもちやすい。
(3)結婚しても、妻よりも、母親を優先する。妻に、「私とお母さんと、どちらが大切な
のよ」と聞かれると、「母親だ」と答えたりする。
(4)妻に、いつも、母親代わりとしての、偶像(マドンナ性)を求める。
(5)そのため、マザコン男性は離婚しやすく、浮気しやすい。
(6)妻と結婚するに際して、「親孝行」を条件にすることが多い。つまり妻ですらも、親
のめんどうをみる、家政婦のように考える傾向が強い。

(娘側の問題)

(1)異常なマザコン性があっても、周囲のものでさえ、それに気づくことが少ない。
(2)母親を絶対視し、母親への批判、中傷などを許さない。
(3)親絶対教の信者であり、とくに、母親を、仏様か、神様のように、崇拝する。
(4)母親への犠牲心を、いとわない。夫よりも、自分の生活よりも、母親の生活を大切
にする。
(5)母親のまちがった行為を、許さない。人間的な寛容度が低い。母親を自分と同じ人
間(女性)と見ることができない。
(6)全体として、ブレーキが働かないため、マザコンになる息子より、症状が、深刻で
重い。

(はやし浩司 マザコン マザコンの問題点 娘のマザコン マザコン息子 マザコン娘
   はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW はやし浩司 隠れマザコン 女性のマザコン)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●コメント

 冒頭にあげた男性は、妻のマザコン、子離れできない妻の母親を問題にしている。
が、この問題だけは、相互の「依存性」がからんでいるだけに、解決は容易ではない。
つまり「精神の未熟性」がからんでいるだけに、解決は容易ではない。
まず本人がそれに気づくことが重要だが、実際には、そういう関係であることを、
「いい関係」と誤解しているケースが多い。
「親孝行の子」「子を思う親の深い愛」と。

 コメントを書いた男性は、こう言っている。

『……カミサンはそのあたりを少しわかってきたのか上手に離れるようにしているので、
まぁこちらは時間をかければうまくいきそう。 ・・だといいな』と。

 つまり時間をかけて、少しずつ、親に子離れを促していく。
どうやらそれしか方法は、ないようだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 子離れできない親 子離れできない母親)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW公開教室】

●今回は、実験的に、BW幼児教室の様子を、
 ハイブリッド画像で、YOUTUBEにアップしてみた。
 うまくできたかどうか?
 これがテスト版ということになる。

 どうかな?

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value="http://www.youtube.com/v/mhAiEhHCGTA?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
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Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●11月10日(隠れマザコン、マザコン女性と、子離れできない母親の問題)

●iPad

 昨日、ワイフと2人で駅前のBカメラへ行ってきた。
iPadが置いてあった。
手にとってながめていると、店員が寄ってきて、あれこれ説明してくれた。

 iPad……わかりやすく言えば、キーボードがないミニパソコン。
画面がタッチパネルになっている。
画面にタッチして、操作する。
もちろんワープロにもなる。
で、デザインの斬新さに、改めて驚く。
バッテリーも10時間近くもつという。
値段は、5万円弱。
「ほしいなあ〜」と思ったが、そこまで。
オプションとして、携帯用のキーボードが付けられるという。
それを知ってワイフが、「だったら、ミニパソコンを買えばいい」と。

 同感!
とたんに頭の中から、「欲しい」という思いが、スーッと萎(な)えていった。

●iPhone

 似たような製品に、iPhoneがある。
こちらはiPadを、小型化したもの。
携帯電話としても使える。

 しかし……。
今まで、私は何度新製品に飛びついてきたことか。
が、そのつど、数週間もすると、飽きてしまったことか。
ここでiPhoneに飛びついたら、同じ愚を犯すことになる。

 ここはグイとがまんのとき。
iPadにせよ、iPhoneにせよ、すぐまた飽きるに決まっている。

 で、今度、M社から、新しいデスクトップパソコンが発売になった。
OSは、SDカードに格納。
そのほかはハードディスクに格納。
それによってパソコンの起動が格段に速くなる、とか。

 で、いろいろなオプションをつけて概算を出してもらったら、21万円弱。
買うなら、こちら。
来年の夏までには、新型パソコンに乗り換えたい。

●帰り道

 Bカメラからの帰り道。
ワイフと、こんな会話をした。

ワ「でも、iPadってかっこいいわね」
私「そうなんだよな。60歳を過ぎたジーさんが、バッグからiPadを取り出して、
おもむろにネットに接続する。……なっ、想像するだけもかっこいいだろ?」
ワ「そうよ、何も若い人たちに遠慮することは、ないわよ」と。

 若い人たちは、老人というのは、そういうものと思い込んでいる。
つまり「老人にiPadは、似合わない」と。

 一方、老人は、自分でそういうものと思い込んでいる。
つまり「iPadのようなものは、若い人たちのもの」と。

 しかしこれはとんでもない、誤解。
まちがい。
日本人は、古来、「型」が好き。
何でも型に押し込めたがる。
またその型に入ることによって、安心感を覚える。
若い人には若い人の「型」があり、老人には老人の「型」がある、と。
しかし人間には、「型」はない。
老いも若きもない。

 むしろ逆。
老人になればなるほど、新しいものに興味をもち、自分のものにしていく。
そういう「力」で若い人たちを、圧倒していく。
言い替えると、老人の存在感を、もっと高める。

 ……と、少し力(りき)んで書いてみた。
偉そうなことを書いたが、私は結局は、iPadを買わなかった。
雑誌などによると、当初のiPad人気は、現在急速に色あせてきているという。
在庫もかなりたまっているらしい。
「おとなのおもちゃに過ぎない」と書いた記事を、どこかで読んだこともある。
「そういうものだろうな」と思ったところで、この話は、おしまい。

 その夜は、枕元にミニパソコンを2台、並べて寝た。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【沖縄から帰って……】(記憶的沖縄論)

●記憶(はやし浩司 2010−11−08)

 朝起きると、すぐルームウォーカーで、30分。
そのあと乗馬マシンで10分。
寒い朝は、それで体が暖まる。

 が、実際には、その20〜30分前から、頭の中はフル回転。
ふとんの中から顔を半分出して、今日の計画をあれこれと立てる。
書いてみたいテーマも、そのとき浮かんでくる。

 たとえば「記憶」。
沖縄旅行から帰ってきてからというもの、日増しに沖縄の印象が悪くなっているのに
気づく。
台風一過。
天気にも恵まれた。
明るい陽光が、さんさんと輝いていた。
が、印象がどうもよくない。
どうしてだろう?

●記憶

 最近、記憶ほど、いいかげんなものはないと思い始めている。
たとえば少し前、私とワイフは、沖縄へ行ってきた。
そのときのことを思い出しても、記憶に強く残っている部分と、すでに記憶から消え
かかっている部分があることを知る。
そのとき撮った写真を見て、「ああ、こんなところもあった!」と。

 こうした現象を、心理学の世界では、「長期記憶」「短期記憶」という言葉を使って
説明する。
短期記憶といっても、注意を向けるかどうかで、保持の長さが決まる。
当然のことながら注意を向けた記憶は、脳の中に長くとどまる。
そうでない記憶は、瞬時に忘れる。
時間にすれば、1秒の数分の1程度ではないかと言われている。

 そこで自分の頭の中をさぐってみる。
たとえば「旧海軍司令部壕」。
丘の上に入り口があり、その地下には縦横無尽に「壕」が掘られていた。
たしか司令官室とか作戦室とか、そんなような部屋があったように記憶している。
が、どういうわけか私の記憶の中では、戦艦大和の油絵だけが強く印象に残っている。
模型も展示されていた。

 どうしてだろう?

 展示室の中には1人の女性が立っていて、ほかの観光客に向かって、あれこれ何やら
説明していた。
断片的な言葉は覚えているが、何を話したかまでは覚えていない。
恐らくその記憶も、あと1〜2か月もすれば、脳の中から消えてしまうだろう。

 あとはあのトンネル。
私は子どものころから、閉所恐怖症。
地下へとおりる階段をくだりながら、早く外へ出たいと、そればかりを願っていた。
だからあのトンネルだけは、よく覚えている。
スコップだけで掘られたような粗末なトンネル。
狭くて息苦しい。
壁にどんな写真や、説明文が掲げられていたかは、ほとんど記憶していない。
そのつど歩くのを止めて、読んだはずなのだが……。

●「二度と行きたくない」

 沖縄へは旅行で行った。
気楽な旅行になるはずだった。
が、振り返ってみると、沖縄のイメージがどうも暗い。
そのあとも、いくつかの戦争祈念館(沖縄では「祈念館」という)を回った。
タクシーの運転手が、反戦運動家(?)だったということもある。
4〜5時間の間に、私たちはすっかり洗脳されてしまった?

 今にして思うと、楽しかったという思い出よりも、「暗いイメージ」ばかりが、
残っている。
そして今、「沖縄」というと、「戦争の激戦地」というイメージしか残っていない。
(激戦地だったというのは、事実だが……。)
つまり楽しかったというよりは、重苦しい社会科の学習に出かけたような印象しか
ない。
またそういう印象だけが、頭の中でどんどんとふくらんでいく。
そのせいか、ワイフまでも、「二度と沖縄には行きたくない」と。
楽しかったこともたくさんあったはず。
しかしそういう記憶は、脇へ追いやられてしまっている。

●自伝的記憶

 たとえば似たような現象を説明するのに、「自伝的記憶」という言葉がある。
いろいろな記憶があったとしても、時間がたつにつれて、自分にとってつごうのよい
記憶だけが増幅され、一方、自分にとってつごうの悪い記憶は縮小されていく。

 たとえば「私の子ども時代は、楽しかった」と思うと、楽しかった思い出だけが
大きくふくらみ、そうでなかった思い出は、やがて消えていく。
その結果として、ますます「私の子ども時代は、楽しかった」となる。

 もちろんその逆のこともある。
「自伝的記憶」というほどおおげさなものではないが、(というのも、自伝的記憶という
のは、もっと長い時間的経緯の中で起こる現象をさすので)、今回の沖縄旅行では、私は
似たような経験をした。
日増しに暗いイメージばかりが、ふくらんでいく。
たとえばあの国際通り。
そこで出会った沖縄の人たち。
みな、朗らかで明るかったはず。
が、今、思い出してみると、どの人もその向こうに暗い影を背負っている。
「抜けるような明るさ」とは、とても言いがたい。

 こういうのも「記憶錯誤」と言ってよいのか?
つまり記憶が脳の中で、勝手に歪曲されていく……。

●記憶錯誤

 「記憶錯誤」という言葉が出たので、少しこれについても説明しておきたい。
記憶というのは、周囲の状況や、言葉によって影響を受ける。
そして記憶そのものが、変質することがある。
見たはずはないのに、「見た」とか、聞いたはずはないにの、「聞いた」とか。
自分の頭の中で、別の記憶を勝手に作りあげてしまう。
それを「記憶錯誤」という。
たとえば最近、私はこんな経験をしている。

 私には、60数名の「いとこ」がいる。
60数名といっても、親しくつきあっているのは、そのうちの10数名程度。
残りの人たちについては、消息すら知らない。

 そうしたいとこたちとは、楽しい思い出がたくさんある。
だから今でも、「いとこ」という言葉を聞いただけで、心がウキウキしてくる。
わたしにとって、いとこというのは、そういう人たちをいう。

 が、その中の1人が、さかんに私の悪口を言っているという。
以前、その人の宗教を批判したのが、どうやら原因らしい。
それはそれとして、つまり私は何もその人個人を批判したわけではないのだが、以後、
その人との楽しかった思い出がどんどんと消えていくのを感じた。
それから数年。

 で、最近はどうかというと、それが不思議なことに、その人との悪い思い出しか
残っていない。
子どものころ、意地悪された話とか、喧嘩した話とか、など。
そういうものだけが、勝手にふくらんでいく。
そればかりか、断片的な記憶をつなぎあわせて、「あの人は、ああ思っていたはず」とか、
「私をこう恨んでいたはず」とか、想像の世界で別の記憶を作りあげてしまう。

 結果として、今、私はそのいとこについては、悪い印象しかもっていない。
つまりそういう印象が、作りあげられてしまった。

●子どもの世界でも

 子どもの世界でも……とここで書くと、あまりにも意図が見え見え。
しかし親の立場で書くなら、子育てをしながら、子どもの脳の中に、どういう記憶が
残っていくかを、そのつどていねいに見なければならない。
それがよいものであれば、それでよし。
そうでなければ、そうでない。
先に書いた「自伝的記憶」の恐ろしさは、ここにある。
悪い印象を与えると、よい印象まで、かき消されてしまう。

 今度は子どもを教える教師の立場で書くなら、教えながら、子どもの脳の中に、
どういう記憶が残っていくかを、そのつどていねいに見なければならない。
それがよいものであれば、それでよし。
そうでなければ、そうでない。

 大切なことは、「楽しかった」「おもしろかった」という印象作りを大切にする。
そうした前向きな「思い」が、やがて子ども自身の力で、子どもを前向きに
引っ張っていく。

 繰り返すが、私は、率直に言えば、二度と沖縄には行きたくないと思っている。
ワイフも、そう思っている。
タクシーの運転手は、こうも言った。
「これからの沖縄は、観光で食べていくしかない」と。
であるならなおさら、ここに書いた「記憶」をテーマに、観光のあり方そのものを
考えたほうがよい。
観光地というのは、「人を楽しませる場所」。
沖縄の人たちの気持ちもよくわかる。
が、しかし半日、むごたらしい写真ばかり見せつけられたら、だれも沖縄に行きた
がらなくなるだろう。

 これは沖縄の人たちにとっても、まずいのではないか?

 今朝は起きる前、ふとんの中で、そんなことを考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 記憶錯誤 自伝的記憶 観光 沖縄論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●11月8日

 こんどの正月に、ワイフの兄弟姉妹たちが集まる。
みんなで7人兄弟姉妹だが、仲がよい。
この40年間、傍から観察してきたが、本当に仲がよい。
みながみな、力を合わせ、協力し合っている。

 そんな兄弟姉妹を、ワイフ自身は、「当たり前」と思っている。
しかし実際には、仲がよい兄弟姉妹は、少ない。
『兄弟は他人の始まり』ともいう。
兄弟姉妹でも、他人以上の他人の関係にある人は多い。
親族であるだけに、確執も深い。
大きい。

 で、私が「どうしてそんなに仲がいいのか」と聞くと、ワイフはこう言った。
「母を早く亡くしたでしょ。それでみなが、助け合って生きてきたのよ」と。
うらやましい!
本当にうらやましい!

●M君

 朝、M君から突然、電話。
「今、バイクで静岡まで来た」と。

私「バイクで?」
M「そうだ」
私「横浜から、か?」
M「そうだ。これから名古屋に向かう。浜松を通るから、昼飯でも食わないか?」と。

 横浜から名古屋まで、バイク!
話を聞くと、50ccの三輪バイクという。

 M君にはM君の思いというものがあるのだろう。
それはわかるが、かなり無謀。
私もときどきバイクで、20〜30キロ先まで行くことがある。
しかしバイクは危険。
ハンドルの遊びがない分だけ、ほんの少し油断すると、道の中央へ出てしまう。
そこで後続の車と接触しそうになる。

 残念ながら、月曜日は忙しい。
午前中は教材作り。
正午ごろには、昼寝をしなければならない。
今朝は5時に起きてしまった。
仕事は、午後9時まで。
次回、また会うことにした。

 「ぼくもいつか、一度はしてみたいと思っている」と。
最後にそう言ったが、たぶん、それはもうないだろう。
その自信はない。


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【今朝、あれこれ】はやし浩司 2010−11−09

●疲れ

 旅の疲れか?
不眠のせいか?
今朝から気分が重い。
年を取ると、疲れがあとになって、出てくる。
疲れが、なかなか取れない。
長くつづく。

 食欲がないのは、風邪を引いたから?
今朝は起きるときから、寒気がした。
昨夜から急速に気温が変化した。
小雨が降って、朝方から、台風のような風が
吹いている。

葛根湯をつづけて2袋のむ。
そのあとふとん乾燥機でふとんを暖めて、再び眠りなおし。
目を覚ましたのが、午前11時!

 11月は講演会の季節。
今日中にレジュメを2本、完成させる。
催促の電話が、留守番電話に入っていた。
やるしかない!

●電話取材

 先週、某雑誌社の記者の女性と、1時間半、話した。
先方が、私の話したことを記事にしてくれる。
このところ、そうした仕事がふえてきた。
楽な仕事だが、私は本来、そういうやり方が、あまり好きではない。
たとえば「子ども」と書くときも、私は「子供」と書くより、「子ども」と
書くほうが好き。
ほかにも漢字の使い方には、あれこれと神経をつかう。

 一方、雑誌社は雑誌社で、文体や、文調、漢字の使い方などを統一している。
ある雑誌社では、たとえば「七転び八起き」でも、「7転び8起き」と書く。
さらにクセの強い雑誌社だと、「一方」を、「1方」と書いたりする。

 ライターが女性だと、(たいていは女性だが)、できあがってくる文章は
どうしても女性的になる。
私の書く文章は、よく辛口と言われる。
それが女性的になる?
「はやし浩司」の文章が、骨抜きにされてしまう?

●妥協
 
 そうしたやり取りの中で・・・。
読者対象は、小学生をもつ母親という。
が、私たちの世界から見ると、小学生というのは、すでに「完成品」。
たとえば「やる気のない子どもは、どうすればいいか」と聞かれると、
即座に、「手遅れです」と言いたくなってしまう。
しかしそれでは原稿にならない。

 ぐいと妥協して、それなりの方法をいくつか話す。
話しながら、誤解を招かないよう、細心の注意を払う。
結構、この仕事も、神経をつかう。
受話器をもとにもどしたとき、手はジワーッと汗で濡れていた。

●エクスペンダブルズ

 この1、2週間、映画館に足を運んでいない。
「これは!」という映画が、ない。
いちばん最近見たのは、スタローン主役の「エクスペンダブルズ」。
ランボーのリメイク版といった感じの映画。
作り方の荒っぽさだけが目だった。

 ときどき劇場案内に目を通すが、邦画ばかり。
同じ日本人だが、邦画は見るに耐えない。・・・ものばかり。
「今度こそ・・・」と思って足を運ぶが、そのつど期待を裏切られる。
最後に観た、「十三人の刺客」にしても、そうだ。
200人の侍を相手に、「切って切って、切りまくる」。
が、侍といっても、ふつうのサラリーマン。
200人の侍のほうに、むしろ同情してしまった。
親分が悪いからといって、どうして殺されなければならないのか。
「忠義」といっても、中身は「飼い犬根性」。
本来なら13人の刺客のほうに感情移入して楽しむべき映画だったが、
その感情移入ができなかった。

 意味のない殺戮映画。
それが「これでもか」「これでもか」とつづく。
途中で眠くなってしまった。

●自分の意見

 悪口ばかり書いていてはいけない。
読む人だって、不愉快になる。
昔、ある雑誌社に・・・名前を出しても差し支えないだろう。
主婦と生活社に、井上清という編集長いた。
その編集長がこう教えてくれた。

 「ものを書くときはね、あなたはすばらしい、いい人だという
文章を書く。こうして相手を気分よくしたあと、少しだけ、『だけど
こうすればもっとよくなりますよ』とつづける。5%だけでも自分の意見が
書ければそれでよしとする」と。

 雑誌の世界では、そうかもしれない。
「あなたはバカだ、アホだ」と買いたのでは、雑誌は売れない。
相手をもちあげる。
相手をいい気分にさせる。
あるいは相手が欲しい情報を書く。
「あなたはすばらしい人だ。
しかしこうすれば、もっとすばらしい人になる」と。
他人に読んでもらうためには、そうでなくてはならないかもしれない。

 が、当時、こんな言葉がはやり出した。
「バカママ」という言葉である。
新米の主婦たちの、ドジな話が特集記事で載っていた。
ひとつの例として、「魚を三枚におろす」というレシピを読んで、魚を
3等分した女性の話が載っていた。

それについて私が、「そんなタイトルの記事を書いたら、雑誌が売れなく
なるのではないですか」と聞くと、井上氏は、こう言った。

 「あのね、そこが人間の特殊ところなんだよな(失礼!)。
だれも自分のこととは、思わない。
自分が同じようなことをしていても、自分とは思わない。
自分よりバカな人間がいることを知って、いい気分になる」と。

 ところでなぜあのバライティ番組が、人気があるか?
バカ丸出しの出演者たち。
視聴者はそれを観て、つまり自分よりバカな人間がいることを知って、安心する。
その安心感が、ストレス解消にもなる。
・・・というのは、私の意見ではない。
ずいぶんと前のことだが、そういう内容のエッセーを書いた評論家がいた。

●正直

 が、私はもうひとつ、心がけていることがある。
それはありのままを書くということ。
それについては、すでに何度も書いてきた。
ウソを書いたり、自分を飾ったりした文章を書くと、後味が悪い。
反対に、文章はへたでも、そのときの気持ちを正直に書いたものは、
後で読んだとき、懐かしさを覚える。

 これは人生論に通ずる。

 ありのままに、正直に生きる。
それがどんな結果になろうとも、それはそれ。
失敗談や、ドジな話にしても、私というより「私」を超えた私、つまり
1人の人間のすること。
何も、まただれに対しても、恥じることはない。

●恥

 「恥」という言葉が出たので、一言。

 「恥こそ、日本人の精神文化の原点」と説く人がいる。
たとえば学校でのいじめについても、「子どもたちに恥を教えれば、いじめは
なくなる」と。

 一見、わかりやすい。
「人をいじめることは、恥ずかしいことだ」と。
しかしそんなことで、いじめはなくならない。
いじめの構造は、もっと複雑。
人間の心が複雑にからんでいる。
さらに言えば、人間に恥など、ない。
だいたい何に対して、だれに恥じるのか?
「恥じる」というのは、たとえて言うなら、まちがえたところを
消しゴムで消すような行為をいう。
私は意地っ張りだから、たとえ結果としてまちがっていたとしても、恥じない。

 いじめは悪である。
悪いことをしたら、責められる。
罰を受ける。
それだけのこと。
ロジカルに考えれば、そうなる。

●最大の恥

 恥について、もう少し切り込んでみたい。

 恥じるということは、あえて自らを否定すること。
内面的な自己否定を、「恥」という。
この論理で考えるなら、最大の恥とは、すなわち「死」を意味する。
わかりやすく言えば、恥が極限に達したとき、そこにあるのは「死」という
ことになる。
その状態で生きていくことは、たいへんむずかしい。
私たちの世界、つまり実存の世界では、自己否定はつねに絶望感をともなう。
ハムレットの中でシェークスピアが書いたように、「絶望か、さもなくば
死か(despair or die)」となる。

 私たちは常に前に向かって生きる。
「前」というのは、「生」を意味する。

●友人のカメラ

 オーストラリアの友人が、少し前から、カメラのことをあれこれと聞いてきた。
「キャノンのG12を買おうと思うが、いいカメラか?」と。

 私はデジタルカメラは、パナソニック製か、ソニー製と決めている。
キャノン製については、詳しく知らない。
で、何度か近くの大型電気店に足を運ぶ。
カタログに目を通す。

 で、こういうとき私は、それを調べているうちに、私もそれがほしくなる。
「いいカメラだなあ」「おもしろそうだなあ」と。
で、数日前、「買ったか?」と聞くと、「忙しくて、まだ買ってない」と。
が、突然、昨日、メールが届いた。
それにはYOUTUBEにアップした画像が添付してあった。

 孫のジェット君の動画が載っていた。

 動き回る孫を追いかけながら、撮る。
ピントがブレない。
露出も安定している。
G12は、やはりすぐれたカメラだ。

 が、これまた不思議な現象で、友人がそれを手に入れたとわかったとたん、
そのカメラへの興味を失った。
「やはり、ぼくのほしいのは、ソニーのα(アルファ)」と。

●日米vs中国の、通貨安競争
 
 日本とアメリカの札・印刷機が、フルパワーで回り始めた。
「為替操作」は、一応、暗黙の了解で、禁止されている。
そこで日本とアメリカが取った手段は、中央銀行による「国債の買い入れ」。
政府発行の国債を買い入れた形にして、マネー(現金)を市中にばらまく。
つまり意図的に、円とドルの価値をさげる。
円安、ドル安に誘導する。

 原因は、中国。

 アメリカやEUが、いくら元安是正を求めても、中国は無視。
我知らぬ顔。
「ならば……」ということで、アメリカが通貨安政策に乗り出した。
日本も同乗した。
(もっともアメリカと日本とでは、規模がちがうが……。
アメリカは100兆円以上、日本は今のところ、数兆円規模。)

 わかりやすく言えば、ドルと円が、世界のマーケットにどっと流れ始めた。
が、そこは世界の基軸通貨。
自国の通貨より、ドルや円は人気がある。
そういう国は多い。
要するに通貨の信用度の問題ということになる。

 で、困るのが、中進国と呼ばれる国々。
相対的に自国の通貨が、通貨高に向かう。
輸出が不利になる。
それだけではない。
せっかくため込んだドルの価値が下落する。
100万円の価値があると思って買った絵画が、50万円になるようなもの。
が、さらに……。
海外へ出たドル(円)は、投機という形で、それぞれの国に入り込む。
(「投資」ならよいが、「投機」資金となる。)
とたんそれぞれの国々で、ハイパーインフレを引き起こす。

 たとえば韓国が怒りまくっているのは、そのため。
「大国は勝手すぎる」と。
(韓国も勝手な国だが……。
中小国であることをよいことに、韓国は、毎日のように為替介入を繰り返している。)

 しかしアメリカにせよ、日本にせよ、それで無事すむとは、私も思っていない。
こうした通貨安競争は、基本的には輸出を伸ばすため。
国内の輸出企業を生き返らせるため。
その輸出産業が息を吹き返さなければ、ばらまいた通貨が、いつかすぐ、アメリカ国内、
日本国内へと、逆流し始める。
つまり「ドルも円も、価値がない」と世界が判断する。
そのときが、こわい。
こわいというより、恐ろしい。

 アメリカも日本も、プライドをかなぐり捨てて、自国の経済保護に走り始めた。
原因は先にも書いたように、中国。
元安の是正をいくら要求しても、一向に動く気配なし。
元安をよいことに、安価な製品を世界中に売りまくっている。
日本でもアメリカでも、売りまくっている。

 つまりこれにアメリカや日本は、音(ね)をあげた。
「このままでは自国の製造業が、メチャメチャになってしまう!」と。

 しかしこの方法は、その奥に大きな毒牙をもっている。
先にも書いたように、ばらまかれたドルや円が、正常な(?)投資資金として回ればよい。
しかし投機資金へと回ったら……?
株投機や、土地、家屋の投機資金へと回ったら……?
今すぐというわけではないが、中国も含めて、中進国の政情が不安定化する。
へたをすれば、(その可能性はきわめて大きいが)、中国のバブル経済崩壊の引き金を
引くことにもなりかねない。

 さあて、どうなることやら?

 ドル、円ともに、そのほかの欧米通貨に対して下落し始めている。
同時に、金、プラチナの現物価格が、急上昇し始めている。
それぞれの国々で、土地や家屋の価格が上昇し始めている。
このまま進めば、世界経済は大混乱。
国際政治も大混乱。

 今回の日米の通貨安政策には、そういう危険な側面がある。

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●恵まれた子どもたち(自律期の幼児)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタ
イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>


【自律期から自立期へ】(4〜5歳児の心の発達と、自己主張)

「動物」をテーマに学習を進めました。
しかしこのビデオでは、子ども(年中児+年少児)の会話に注目してください。
エリクソンが解く、「自律期」「自立期」が、どういうものか、理解していただける
と思います。

子どもはこうして自己主張を繰り返しながら、自立していきます。

一見、扱いにくく見える子どもたちですが、こうした(伸びやかさ)を通して、子どもは
人格の核(コア)を形成していきます。
この核形成に失敗すると、以後、ナヨナヨした人格(?)の子どもになってしまいます。
たいへん重要な時期です。
と、同時に、ここに紹介する子どもたちは、環境的にも、また性格的、精神的にも、
たいへん恵まれた子どもたち(Gifted Children)です。

(1)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/Kk_rma_PTHg?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
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allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


(2)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/dnOZFpUhgK0?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/dnOZFpUhgK0?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


(3)

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/bd-QaPGdAA8?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/bd-QaPGdAA8?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


(4)

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 恵まれた子ども gifted children 幼児の自己主張 自己主張する幼児
幼児の自立期 幼児の自律期 エリクソン 自律 自立 はやし浩司 
2010−11−05)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【GI様へ】(自己愛性人格障害について)

 長い電話で、すみませんでした。
美里様(以下、M様)についてですが、かねてより、ある種の人格障害をもった人ではな
いかと判断しています。
「ある種」というのは、「自己愛性人格障害」という意味です。
簡単には、「自己愛者」といういいます。

(ただし「障害」というときは、「他者との良好な人間関係が結べない」という意味で、
使います。
他者と良好な人間関係が結べれば、「障害」ではないということです。)

 要するに自己中心性が、極端な段階にまで、肥大化した人をさします。
決して好ましい人格とは言えません。
自分勝手でわがまま、好き嫌いが極端にはげしく、批判されると異常なまでに反発します。
またどんな場でも、自分がその中心にいないと気がすみません。
このことは、すでにGI様が、お気づきの上、かつご指摘になったとおりです。

 念のため、DSMの診断基準をここに載せておきます。

++++++++++++++++++++

●自己愛性人格障害 (DSMの診断基準より)
Narcissistic personality

A 自己の重要さ又はユニークさをおおげさに感じること
(例:業績や才能の誇張、自己の問題の特殊性の強調)

B 再現のない成功、権力、才気、美貌、あるいは理想的なあいの空想に夢中になること

C 自己宣伝癖
(例:絶えず人の注意と称賛を求める)

D 批判、他者の無関心、あるいは挫折に際しての反応がそ知らぬふりであるか、憤激、
劣等感、羞恥心、屈辱感、または、空虚感といった目立った感情である

E 以下のうち少なくとも2項目が対人関係における障害の特徴である。

(1)権利の主張:それに見合っただけの責任を負わずに、特別の行為を期待すること、
(例:望むことを人がしてくれないと言って驚き、怒る)

(2)対人関係における利己性:

 ●自己の欲求にふけるため、又は自己の権力の拡大の為に他者を利用する。
 ●他者の自己保全や権利をないがしろにする。

(3)対人関係で、過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴を持つ。

(4)共感の欠如:他者がどう感じているかわからない。

(注:以上、人格障害 DSMー3(第3版)「精神障害診断基準」(DSM−3/1980年)
より)

++++++++++++++++++++++

●GI様へ

 これを読んでも、M様が、すべて診断基準通りと言うことに、お気づきかと思います。
またM様だけではなく、G様(あなた様のお姉様)も、すべて診断基準通りということに、
お気づきかと思います。

 加えて加齢による、記憶力の低下、融通性の欠如などが現われ、さらにここにあげた
ような性格が、極端化してきているように判断しています。

 前回も指摘しましたが、M様については、文字を読めない(簡単な手紙のようなものは
読める)という点から察しても、別の障害が疑われます。
M様の周辺には、本らしい本が1冊もないことに、ご注目ください。
それはそういう障害によるものです。
私もM様が、若いころから本を、まったく読めない……あるいは読まないということを、
聞いています

たとえば重要な法律書類を、「私はこんなもの読んでも、しかたない!」と言って、手で
払いのけられたような行為が、その一例とということになります。
本当に理解できないから、そういう行動に出るのです。
またそれを悟られるのを、極度に警戒します。
で、もしそうなら、識字障害者ということになります。

 本来なら正式な診断機関で診断してもらうのがよいのですが、このタイプの女性に
かぎって、それをはげしく拒絶します。
自己愛者の特徴のひとつです。

 自分を過大に自己評価する一方、他人にそれを否定されると、狂ったように反発します。
診断機関で診断を受けるなどということは、考えられないことです。
だから結局は、その周囲の人たちが、苦労するということになります。

●相手にしないこと

 そこで重要なことは、M様にせよ、お姉様にせよ、そういう人たちに、引き回されない
ようにするということです。
わかりやすく言えば、心に大きなキズをもった人たちであることを理解し、その上で、
交際していくということです。
いちいち相手にしていると、今度はGI様自身が、相手のペースに取り入れられてしまい
ます。
ですから鉄則は、相手にしないこと。
できれば遠ざかること。
この一言に尽きます。

いろいろ不愉快に思っておられる気持ちは、よく理解できます。
私も別の世界で、似たような経験をしています。

 参考までに、私が今まで書いてきた原稿を添付します。
どうか心安らかに。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己愛者( Narcissism person)
The more he or she is a self-centerness person, the lower his or her mental IQ is.

+++++++++++++++++++

自己中心性が極端なまでに肥大化した
状態の人を、自己愛者という。

+++++++++++++++++++

●ジコチュー

自己中心性(ジコチュー性)が、極端なまでに
肥大化した人を、「自己愛者」という。
自己中心性が強い分だけ、人格の完成度は、低い。
ほかに、たとえば異常なまでの完ぺき主義、
他人の批判を許さないなどの特徴がある。
その自己愛者については、たびたび書いてきたので、
ここでは、その先を書く。

私は、現在、こんな経験をしている。
私の身近にいる知人だが、このところ、認知症と
思われる症状が、急速に進んでいる。
アルツハイマー病の初期症状かもしれない。
ときどき、記憶の一部が、脳みそから欠けるように消えてしまう。
前の晩に何を食べたかを忘れるのは、よくあること。
が、その人のばあい、前の晩に食事をしたことそのものを、
忘れてしまう。

電話で話していても、一方的に、しゃべるだけ。
しゃべるだけならまだしも、しばらくすると、
また同じ話を繰りかえす。
そして私が何か、その人について批判めいたことを
口にすると、その瞬間、狂乱状態になってしまう。
「以前、その話はもう聞きました」と言っただけで、
ギャーッとなってしまう。
「私は、言っていない!」「どうして、そういうウソを言うの!」と。
言い忘れが、その知人というのは、今年、59歳になる。
女性である。

ワイフの長い友人で、いつしか家族ぐるみでつきあうようになった。
が、このところ、ワイフが言うには、「つきあいにくくなってきた」
「10年前には、ああではなかった」とのこと。
つまり、回りくどい言い方になってしまったが、認知症のはじまりには、
ものの考え方が、自己中心的になり、自己愛的な症状が出てくる。
言いかえると、自己中心性が出てきたら、あぶないということ。

(その人が、認知症というわけではない。あくまでも私が、
そう疑っているだけ。念のため。)

認知症になることによって、人格そのものが、崩壊してしまう人がいる。
そう考えれば、認知症の初期症状のひとつとして、ものの考え方が
自己中心的になったところで、何ら、おかしくはない。

+++++++++++++++

もう一作……。

+++++++++++++++

●自己概念

 「自分は、人にどう思われているか」「他人から見たら、自分は、どう見えるか」「どん
な人間に思われているか」。そういった自分自身の輪郭(りんかく)が、自己概念というこ
とになる。

 この自己概念は、正確であればあるほどよい。
 しかし人間というのは、身勝手なもの。自分では、自分のよい面しか、見ようとしない。
悪い面については、目を閉じる。あるいは人のせいにする。

 一方、他人というのは、その人の悪い面を見ながら、その人を判断する。そのため(自
分がそうであると思っている)姿と、(他人がそうであると思っている)姿とは、大きくズ
レる。

 こんなことがあった。
 ワイフの父親(私の義父)の法事でのこと。ワイフの兄弟たちが、私にこう言った。
 「浩司(私)さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が務まったのよ」と。

 つまり私のワイフのような、辛抱(しんぼう)強い女性だったから、私のような短気な
夫の妻として、いることができた。ほかの女性だったら、とっくの昔に離婚していた、と。
 事実、その通りだから、反論のしようがない。
 で、そのあとのこと。私はすかさず、こう言った。「どんな女性でも、ぼくの妻になれば、
すばらしい女性になりますよ」と。

 ここで自己概念という言葉が、出てくる。
 私は、私のことを「すばらしい男性」と思っている。(当然だ!)
だから「私のそばにいれば、どんな女性でも、すばらしい女性になる」と。
そういう思いで、そう言った。

 しかしワイフの兄弟たちは、そうではなかった。私のそばで苦労をしているワイフの姿
しか、知らない。だから「苦労をさせられたから、すばらしい女性になった」と。だから、
笑った。そしてその意識の違いがわかったから、私も笑った。

 みんないい人たちだ。だからみんな、大声で、笑った。

●自分を知る

 ……という話からもわかるように、自己概念ほど、いいかげんなものはない。そこで、
私たちはいつも、その自己概念を、他人の目の中で、修正しなければならない。「他人の目
を気にせよ」というのではない。「他人から見たら、自分はどう見えるか」、それをいつも
正確にとらえていく必要があるということ。

 その自己概念が、狂えば狂うほど、その人は、他人の世界から、遊離してしまう。
 その遊離する原因としては、つぎのようなものがある。

(1) 自己過大評価……だれかに親切にしてやったとすると、それを過大に評価する。

(2) 責任転嫁……失敗したりすると、自分の責任というよりは、他人のせいにする。

(3) 自己盲目化……自分の欠点には、目を閉じる。自分のよい面だけを見ようとする。

(4) 自己孤立化……居心地のよい世界だけで住もうとする。そのため孤立化しやすい。

(5) 脳の老化……他者に対する関心度や繊細度が弱くなってくる。ボケも含まれる。

 しかしこの自己概念を正確にもつ方法がある。それは他人の心の中に一度、自分を置き、
その他人の目を通して、自分の姿を見るという方法である。

 たとえばある人と対峙してすわったようなとき、その人の心の中に一度、自分を置いて
みる。そして「今、どんなふうに見えるだろうか」と、頭の中で想像してみる。意外と簡
単なので、少し訓練すれば、だれにでもできるようになる。

 もちろん家庭という場でも、この自己概念は、たいへん重要である。
 あなたは夫(妻)から見て、どんな妻(夫)だろうか。さらに、あなたは、子どもから
見て、どんな母親(父親)だろうか。それを正確に知るのは、夫婦断絶、親子断絶を防ぐ
ためにも、重要なことである。

 ひょっとしたら、あなたは「よき妻(夫)であり、よき母親(父親)である」と、思い
こんでいるだけかもしれない。どうか、ご注意!


(はやし浩司 自己概念 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教
育 子育て はやし浩司 自己概念 現実自己 アイデンティティ)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●愛他的自己愛者(偽善者)

+++++++++++++++++

私の知人に、こんな女性(当時55歳くらい)がいた。
その女性は、何でも、ボランティア活動として、近所の
独居老人の世話をして回っているという。
そういう話を、その女性から直接、聞いた。

「どんなことをしているのですか?」と聞くと、
その女性は、ことこまかに、あれこれと説明してくれた。
で、あるとき、こんな会話をしたのを覚えている。

私がその話に少なからず感動し、「すばらしいことです」と
言ったときのこと。
その女性は、さらにこう言った。
「いえいえ、私なんか、何でもありません。
私の友人のHさんなんかは、独居老人の入浴を手伝っていますよ。
でね、入浴中に、老人が、便をもらすこともあるそうです。
が、Hさんは、そうした便を、手ですくって、外へ捨てていますよ」と。

さらに驚いたことに、話を聞くと、そのHさんというのは、まだ
20代の後半の男性と言った!

私は当時、この話を聞いて、心底、感動し、エッセーも書き残した。

しかし、である。
どうも、この話は、おかしい。
どこか、へん。

+++++++++++++++++++

●周囲文化

その人が善行をなすには、その人自身を支える、(周囲文化)というものが必要である。
たとえば自動車産業というものを考えてみよう。
自動車産業が生まれるためには、それを支える周辺の技術、研究、環境が必要である。
人材ももちろん、育成しなければならない。
そういった(周囲)もないまま、自動車産業だけが、忽然(こつぜん)と、
姿を現すということはありえない。

そこで私は、その女性の周辺に興味をもつようになった。
どういう生い立ちで、どういう人生を送ってきたか、などなど。
またその女性を支えている哲学は何か、とも。

しかし、である。
それから5、6年になるが、どこをどうつついても、その(周囲文化)というものが、
浮かび上がってこない。
それなりの基礎があったとか、経験があったとかいうなら、まだ話がわかる。
また会話をしていて、それなりの(深み)を感ずるというのなら、まだ話がわかる。
しかしそういうものが、まったく、ない。
だいたい、本を読んだことさえないという。
音楽も絵画もたしなまない。

そのうち私は、「どうしてそんな女性が、ボランティア活動?」と、疑問に思うように
なった。
が、やがていろいろな情報が入ってくるようになった。

●情報

その女性は、ケチの上に、「超」が三つも四つも重なるような女性である。
子どもの教育費すら、惜しんで出さなかったという。
2人の娘がいたが、「大学を出すと、遠くの男と結婚するから」という理由で、
娘たちには、大学へは行かせなかった。
が、世間体だけは人一倍気にしていた。
見栄っぱりで、虚栄心が強かった。
が、決定的だったのは、その女性が、一方でボランティア活動を他人に吹聴しながら、
その前後から始まった実父の介護では、虐待に近いことをしていたということ。

この話を、私はあるケアマネ(ケア・マネージャー)をしている人から聞いた。
そのときには、「ヘエ〜、あの女性がですか……」と言ったきり、言葉が詰まってしまった。

つまりその女性は、ボランティア活動を、自分を飾るための道具として利用していただけ。
口もうまい。
言葉も巧み。
それとなく会話の中に、自分の善行を織り交ぜながら、相手を煙に巻く。
結果として、他人に、自分はすばらしい人間と思わせる。

「明日、町内の会合があるそうですが、私は行けません。
主人に代わりに行ってもらいます。
私には、一人、近所で、気になっている老人がいますので、その人を見回って
あげなければなりません。
かわいそうな人でね。
子どもは1人いるのですが、数年に1、2度、やってくるかどうかという人です。
あわれなもんです。
先日も、何かの書類が必要だというので、その老人のために、私は半日かけて
書類を集めてやりました」とか、何とか。

つまり一貫性がない。

そこまで親身になって独居老人の世話をしているというのなら、それなりの一貫性が
なければならない。
その一貫性が、こちら側に伝わってこなければならない。
さらに言えば、そこに至るまでのプロセスに、(自然さ)がなければならない。

たとえば以前、ある大学の教授の家を訪問したときのこと。
たまたまそこに、カンボジアの難民キャンプから帰ってきたばかりという女性がいた。
その女性は、左手を怪(けが)したとかで、まだ大きな包帯を幾重にも巻いていた。
「暴動に巻きこまれて、怪我をしました」「それで休暇をもらって、日本へ帰ってきて
います」ということだった。

そういう女性と話していると、(自然さ)を感ずる。
深い人間愛というか、人間味を感ずる。
哲学や人生観を感ずる。
どこにもスキがない。
私がここでいう(一貫性)というのは、それをいう。

で、私たちの世界では、先に書いたような女性のことを、「愛他的自己愛者」、つまり、
「偽善者」という。
もっとも軽蔑すべき人間ということになる。
なるが、先に書いたケアマネの人は、こう言って教えてくれた。

「そういう女性だとわかっていますが、そういう人でも、何かと助かっています」と。
偽善がときには、真善になるということもあるということか。
私には、とてもマネできないことだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 偽善 偽善者 自己愛 愛他的自己愛 自己愛者 自己愛性人格障害)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【世代性】(2010−11−07加筆)

●低俗性と低劣性

 低俗性であることは、必ずしも悪いことではない。
俗世間とかかわりをもつ。
その中で豊かな人間関係を築いていく。
それがその人の人間的な幅を広くする。
たとえば回転寿司屋で寿司を食べたからといって、その人の人間性がさがるという
ことではない。
破れたジーパンで、山の中を歩いたからといって、その人の人間性がさがるということ
ではない。

 が、低劣性は、別。
人の不幸話に聞き耳を立て、聞いた話をおもしろおかしく、別の人に伝えていく。
それだけではない。
この世界には「もまし」という言葉がある。
AさんとBさんを離反させるために、それぞれに告げ口を繰り返す。
若い人たちの話ではない。
50歳とか60歳、さらには70歳とかを過ぎた人が、それをする。
つまり他人のもめごとを作って、それを外から聞いて、楽しむ。
もめごとを作るから、「もまし」という。

●加齢とともに

 とても残念なことだが、加齢イコール、人格の完成期というわけではない。
加齢とともに、むしろ低劣になっていく人は多い。
あるいは化けの皮がはがれていく?
若いころは、それなりの仮面をかぶる。
気力がそれを支える。

 しかし加齢とともに、気力が弱くなり、ついで仮面がはがれていく。
言い替えると、若い人でも低劣な人は、いくらでもいる。
……というか、幼児でも低劣な幼児と、そうでない幼児がいる。
「そんな?」と驚く人もいると思う。
しかし事実は、事実。

 ものの道理をしっかりとわきまえ、善悪を正しく判断できる幼児もいれば、
そうでない幼児もいる。
私が「理」からはずれたことをすると、すかさず、「先生、おかしい!」と言ったり
する。
そのちがいはといえば、自律性と自立性ということになる。

●世代性

 今朝は、数年前に書いた「世代性」についての原稿を読みなおしてみた。
私たちはある年齢を超えたら、私たちが得た知識や経験、知恵をつぎの世代に伝えていく。
それを「世代性」という。
言い替えると、世代性の追求こそが、老後のあるべき姿ということになる。
知人のI氏(藤沢市在住)は、「還元」という言葉を使って、それを主張する。
「今まで生きてきた命を、若い人たちに還元していく」と。
「世代性」と同じ意味と考えてよい。

++++++++++++++++++

世代性について書いた原稿を、
加筆、訂正してみます。

++++++++++++++++++

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自我の統合性と世代性(我々は、どう生きるべきか?)

(Do we have what we should do?  If you have something that you should do, your life 

after you retire from your job, would be fruitful. If not, you will despair in a miserable

age.)



+++++++++++++++++



乳児期における信頼関係の構築を、人生の

入り口とするなら、老年期の自我の

統合性は、その出口ということになる。



人は、この入り口から、人生に入り、

そしてやがて、人生の出口にたどりつく。



が、誤解してはいけない。

出口イコール、「死」ではない。

出口から出て、今度は、自分の(命)を、

つぎの世代に還元しようとする。



こうした一連の心理作用を、エリクソンという

学者は、「世代性」と呼んだ。



+++++++++++++++++



我々は何をなすべきか。

「何をしたいか」ではない。

「何をなすべきか」。



その(なすべきこと)の先に見えてくるのが、エリクソンが説いた、「世代性」である。

我々は、誕生と同時に、「生」を受ける。

が、その「生」には、限界がある。

その限界状況の中で、自分の晩年はどうあるべきかを考える。



その(どうあるべきか)という部分で、我々は、自分たちのもっている経験、知識、哲学、

倫理、道徳を、つぎの世代に伝えようとする。

つぎの世代が、よりよい人生を享受できるように努める。



それが世代性ということになる。



その条件として、私は、つぎの5つを考える。



(1)普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)

(2)没利己性(=利己主義であってはいけない。)

(3)無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)

(4)高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)

(5)還元性(=教育を通して、後世に伝える。)



この世代性の構築に失敗すると、その人の晩年は、あわれでみじめなものになる。

エリクソンは、「絶望」という言葉すら使っている(エリクソン「心理社会的発達理論」)。



何がこわいかといって、老年期の絶望ほど、こわいものはない。

言葉はきついが、それこそまさに、「地獄」。

「無間地獄」。



つまり自我の統合性に失敗すれば、その先で待っているものは、地獄ということになる。

来る日も、来る日も、ただ死を待つだけの人生ということになる。

健康であるとか、ないとかいうことは、問題ではない。



大切なことは、(やるべきこと)と、(現実にしていること)を一致させること。



が、その統合性は、何度も書くが、一朝一夕に確立できるものではない。

それこそ10年単位の熟成期間、あるいは準備期間が必要である。



「定年で退職しました。明日から、ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわ

けにはいかない。

またそうした行動には、意味はない。



さらに言えば、功利、打算が入ったとたん、ここでいう統合性は、そのまま霧散する。

私は、条件のひとつとして、「無私、無欲性」をあげたが、無私、無欲をクリアしないかぎ

り、統合性の確立は不可能と言ってよい。



我々は、何のために生きているのか。

どう生きるべきなのか。

その結論を出すのが、成人後期から晩年期ということになる。



(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 

Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人生の統合性 世代性 統

合性の確立)



(追記)



(やるべきこと)の基礎をつくる時期は、「人生の正午」(エリクソン)と言われる40歳

前後である。もちろんこの年齢にこだわる必要はない。早ければ早いほど、よい。



その時期から、先にあげた5つの条件を常に念頭に置きながら、行動を開始する。



この問題だけは、そのときになってあわてて始めても、意味はない。

たとえばボランティア活動があるが、そういう活動をしたこともない人が、いきなりボラ

ンティア活動をしたところで、意味はない。身につかない。



……ではどうするか?、ということになるが、しかしこれは「ではどうするか?」という

問題ではない。

もしそれがわからなければ、あなたの周囲にいる老人たちを静かに観察してみればよい。



孫の世話に庭いじりをしている老人は、まだよいほうかもしれない。

中には、小銭にこだわり、守銭奴になっている人もいる。

来世に望みを託したり、宗教に走る老人もいる。

利己主義で自分勝手な老人となると、それこそゴマンといる。



しかしそういう方法では、この絶望感から逃れることはできない。

忘れることはできるかもしれないが、それで絶望感が消えるわけではない。



もしゆいいつ、この絶望感から逃れる方法があるとするなら、人間であることをやめるこ

と。

認知症か何かになって、何も考えない人間になること。

もし、それでもよいというのなら、それでもかまわない。

しかし、だれがそんな人間を、あるべき私たちの老後の姿と考えるだろうか。



(付記)



統合性を確立するためのひとつの方法として、常に、自分に、「だからどうなの?」と自問

してみるという方法がある。



「おいしいものを食べた」……だから、それがどうしたの?、と。

「高級外車を買った」……だから、それがどうしたの?、と。



ところがときどき、「だからどうなの?」と自問してみたとき、ぐぐっと、跳ね返ってくる

ものを感ずるときがある。

真・善・美のどれかに接したときほど、そうかもしれない。



それがあなたが探し求めている、「使命」ということになる。



なおこの使命というのは、みな、ちがう。

人それぞれ。

その人が置かれた境遇、境涯によって、みな、ちがう。



大切なことは、自分なりの使命を見出し、それに向かって進むということ。

50歳を過ぎると、その熱意は急速に冷えてくる。

持病も出てくるし、頭の活動も鈍くなる。



60歳をすぎれば、さらにそうである。



我々に残された時間は、あまりにも少ない。

私の実感としては、40歳から始めても、遅すぎるのではないかと思う。

早ければ早いほど、よい。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●高邁(こうまい)性

 私はこの中で、つぎの5つの項目を並べた。

(1)普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)
(2)没利己性(=利己主義であってはいけない。)
(3)無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)
(4)高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)
(5)還元性(=教育を通して、後世に伝える。)

 今、ここで問題になるのは、(4)の高邁性ということになる。
いかに高邁性を追求するか。
またそのためには、どうすればよいか。

 それを決めるのが、思考力ということになる。
ものを考える力。
もう少し言葉の定義を狭くするなら、「思索力」ということになる。
思索力のある人を、思慮深い人という。
その思慮深さが、その人の高邁性を決める。
長い時間をかけて、高邁性を決める。

●低劣さvs高邁性

 私はよくこう言う。
「バカな人からは、利口な人がわからない。
しかし利口な人からは、バカな人がよくわかる」と。

 低劣さと高邁性を対比させるなら、低劣な人からは高邁な人がわからない。
高邁な人からは、低劣な人がよくわかる。
それはちょうど山登りに似ている。

 下から見ると低い山に見える山で、登ってみると、意外と視野が広いのがわかる。
たとえば浜名湖(浜松市の西)の北端に、大草山という山がある。
標高150メートルくらいか?
山の下は湾になっていて、舘山寺温泉街が並んでいる。
そんな山でも、登れば、遠く、浜松市が一望できるから不思議である。

 が、もちろん上には上がある。
つまり低劣さにせよ、高邁性にせよ、相対的なものに過ぎない。
いくら自分が高邁と思っていても、より高邁な人から見れば、低劣ということになる。
言うなれば、「上」には、際限がない。
(もちろん「下」にも、際限がないが……。)

●では、どうするか?

 老後は、脳みその下に開いた穴との闘いである。
その穴から、知識や経験、さらに知恵までもが、容赦なく、こぼれ落ちていく。
そうでなくても、こぼれ落ちていく。
さらに加齢とともに、加速度的にこぼれ落ちていく。

 ……となると、私たちはそれ以上の知識や経験、さらには知恵を補充していかねば
ならない。
「若いときだけで、勉強は終わった」などというのは、とんでもない話。
中には70歳を超えても、一流大学卒という学歴をぶらさげて歩いている人もいる。
もちろん中身はゼロ。
冒頭に書いた、(もまし)を生きがいにして、生きている?
「他人の不幸話ほど、おもしろいものはない」と。

 ……ということで、私たちは常に「上」をめざす。
あくことのない探求心と努力。
その2つを武器に、「上」をめざす。
それでも高邁性は得られないかもしれない。
しかしあきらめたとたん、低劣の世界へと、落ちていく。
つまらない世間話やゴシップで、時間を無駄にする。
人生を無駄にする。
命を無駄にする。

 さあ、今日も始まった。
がんばろう!
2010年11月7日朝記。
(はやし浩司 2010−11−07)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 低劣性と低俗性 世代性と還元 老後の統合性の確立 自我の統合性)

(補記)

 1か月ほど前、ある知人(62歳)と電話で話した。
知人には、1人の妹(55歳くらい)がいる。
その妹が、ときどき介護するフリをして実家へ行き、母親の隠し持っている現金を
盗んでくるという。
現在、母親は独り暮らし。
やや認知症(?)。
「どうしたらいいのかねえ?」という相談である。

 こういうケースのばあい、回答はただひとつ。
「相手にしてはいけない」である。

 そういう低劣な人間(妹)を相手にしていると、自分までその低劣な人間になって
しまう。
つきあえばつきあうほど、深みにはまってしまう。
「あきらめて縁を切ることですよ」と、私はアドバイスした。

 私も親族の間で、似たような経験をしている。
低劣な人には、恐ろしいほどの魔力がある。
あの夏目漱石も、同じような問題をかかえ、悩んだ(『心』)。
高邁な精神世界と、低劣な親族間の問題で、自分の魂がバラバラになっていくのを
感じた、と。

 人間も、60歳を過ぎたら、自分に正直に生きたらよい。
無理をして、つまりつまり自分の理性や知性をねじまげてまでも、つきあいたくない
人間とつきあうことはない。
したくもない(つきあい)をする必要もない。
どこまでも自分に正直に生きる。
それが重要。

 私はそう考えて、その知人にはこう言った。

「頭とシッポ(=つまらない部分)は、妹さんにくれてやればいい。
私たちは中身(=大切な部分)を取ればいいのです」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 頭とシッポ 頭と尻尾 はやし浩司 2010−11−07)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

やすみます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「私」はどうか?

 こうした問題を考えていると、いつも「では、私はどうなのか?」という問
題がついて回る。
 「マターナル・デプリベイションという問題があるのは、わかった。では、
私はどうなのか?」と。

 この文章を読んでいる人の中にも、心の温かい人もいる。
一方、心の冷たい人もいる。
が、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分でそれを自
覚するのは難しい。
心のやさしい人は、みなもそうだと思いやすい。
反対に心の冷たい人は、みなもそうだと思いやすい。
人は、いつも(自分の心)を基準として、他人をみる。

 言い換えると、とくに心の冷たい人は、自分の心の冷たさに気づくことはな
い。
うすうす感ずることはあっても、いつもどこかでブレーキが働いてしまう。
あるいは上辺だけは、心の温かい人を演ずることもある。
だれかの不幸話を聞いたようなとき、さも同情したかのようなフリをしてみせ
る。
しかしそれ以上に、相手の心の中に踏み込んでいくことができない……。

 そこで「私」を知る。
つまり「私自身は、どうなのか?」と。
私という人間は、心の温かい人間なのか。
それとも心の冷たい人間なのか、と。

 そのひとつの基準が、(いじめ)ということになる。
今、善人ぶっているあなただって、ひょっとしたら学生時代、いじめを繰り返
していたかもしれない。
そこにいじめられている人がいても、見て見ぬフリをして、通り過ぎてきたか
もしれない。
あるいは、あなたが自身が先頭に立って、いじめを繰り返していたかもしれな
い。

 そういうあなたは、じつはあなたの意思というよりは、あなたの育てられ方
に原因があって、そうしていただけにすぎないということになる。

 ……と、短絡的に結びつけて考えることはできないが、その可能性も高いと
いう意味で、この「マターナル・デプリベイション」の問題を考えてみたらよ
い。

 そこでもう一度、あなた自身に問いただしてみる。

「あなたという人間は、子どものころいつも、(いじめ)とは無縁の世界にい
ただろうか」、
それとも「いつも(いじめ)の中心にいただろうか」と。

 もし(いじめ)の中心にいたとするなら、あなたはかなり心の冷たい人間で
ある可能性が高い。
さらに言えば、乳幼児期に、不幸にして不幸な家庭環境に育った可能性が高い。
で、その(冷たさ)ゆえに、失っているものも多いはず。
孤独で、みじめで、さみしい毎日を送っているはず。
損か得かということになれば、損に決まっている。

●では、どうするか

 心の冷たい人が、温かい人になるということは、ありえるのだろうか。
乳幼児期にできあがった(心)を、おとなになってから、作り替えることは可
能なのだろうか。

私は、それはたいへんむずかしいと思う。
人格の核(コア)というのは、そういうもの。
本能に近い部分にまで刻み込まれるため、それを訂正したり、修正したりする
のは、容易なことではない。
そうした変化を自分のものにする前に、人生そのものが先に終わってしまって
しまうということもある。
自分を作り変えるとしても、時間がかかる。
10年単位、20年単位の時間がかかる。
が、何よりも難しいのは、そうした自分に気がつくこと。

 この問題は、先にも書いたように、脳のCPUの問題がからんでいる。
さらに加齢とともに、(心)は、あなた自身の性格や性質として、定着してし
まう。
これを「性格の固定化」と、私は呼んでいる。
そうなると、自分を変えるのは、ますます難しくなる。

 では、どうすればよいか。
ひとつの方法として、これは前にも書いたが、「感動する」という方法がある。
「感動する」ことによって、「他者との共鳴性」を育てる。
わかりやすく言えば、相手の心と波長を合わせる。
絵画、音楽、文学、演劇、映画、ドラマ・・・。
何でもよい。
そこに感動するものがあれば、それに感動する。
そういう場を自ら、求めていく。
つまり感動しながら、自分の心のワクを広げていく。

 さらに最近の大脳生理学によれば、脳の中の辺縁系にある扁桃核(扁桃体)
が、心の温もりに関しているという説もある。
心のやさしい人は、大脳皮質部からの信号を受けると、扁桃核が、モルヒネ様
のホルモン(エンドロフィン、エンケファリン系)の分泌を促す。
それが心地よい陶酔感を引き起こす。
心の冷たい人は、そういう脳内のメカニズムそのものが、機能しないのかもし
れない。
(これは私の推察。)

●まず「私」を知る

 が、それとて、まずその前に「私」を知らなければならない。
「私は冷たい人間」ということを、自覚しなければならない。
繰り返すが、この問題は脳のCPUの問題だから、自分でそれに気づくだけで
もたいへん。
特別な経験をしないかぎり、不可能とさえ言える。
そのひとつの基準として、先に、(いじめ)を取り上げてみた。
ほかにも、いろいろある。

 たとえばホームレスの人が路上で寝ていたする。
冷たい冬の風が、吹き荒れている。
そういう人を見て、心を痛める人がいる。
反対に街のゴミのように思う人もいる。

 たとえば近親の中で、事業に失敗した人がいたとする。
そういうとき、何とか援助する方法はないものかと、あれこれ気をもむ人もい
る。
反対に、「ザマーミロ」と笑ってすます人もいる。

 いろいろな場面を通して、「私」を評価してみたらよい。
「私という人間は、どういう人間なのか」と。
それが好ましい人間性であれば、それでよし。
もしそうでなければ、つぎに「どうしてそういう私になったか」を、考えてみ
ればよい。

 「マターナル・デプリベイション」というと、子どもの問題と考えがちであ
る。
しかしこの問題は、その子どもがおとなになってからも、つづく。
つまり(あなた)自身の問題ということになる。
(あなた)も、かつてはその(子ども)だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日付は、2008年7月となっています。
古い原稿ですが、そのまま掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考原稿)【自立と自律】

●自立と依存

++++++++++++++++

自立と依存は、相克(そうこく)関係にある。
「相克」というのは、「相対立した」という意味。
自立性の強い子どもは、依存性が弱い。
自立性の弱い子どもは、依存性が強い。

一方依存性には、相互作用がある。
たとえば子どもの依存性と、親の依存性の間には、
相互作用がある。

一方的に子どもが依存性をもつようになるわけではない。
子どもの依存性に甘い環境が、子どもの依存性を強くする。
わかりやすく言えば、子どもの依存性は、親で決まるということ。

たとえばよく「うちの子は、甘えん坊で……」とこぼす親がいる。
が、実は、そういうふうに甘えさせているのは、親自身ということになる。
たいていのばあい、親自身も、依存性が強い。

++++++++++++++++

たとえばM氏夫婦を見てみよう。
M氏が、ある日、こんな話をしてくれた。

「私の妻は、病気になったりすると、自分でさっさと病院へ行き、診察を受け
たりしています。
私に病気のことを、相談することは、めったにありません。
しかし私は、病院が好きではありません。
かなり症状が悪くならないと、病院へは行きません。
だから病気へ行くときは、妻にせかされて行きます。
そんなわけで、たいていいつも妻がついてきてくれます」と。

ひとりで病院へ行く、M氏の妻。
たいへん自立心の強い女性ということになる。
一方、ひとりでは病院へ行けない夫。
たいへん自立心が弱い男性ということになる。

M氏は、こうも言った。
「妻は、6人兄弟の真ん中くらいでした。
子どものころから、何でも自分でしていたのですね。
が、私はひとり息子。
祖父母、両親に溺愛されて育ちました」と。

が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、M氏が依存性の強い男
性と考えてはいけない。
(えてして、「自立心が弱い」というと、どこかナヨナヨして、ハキのない人
を想像しがちだが……。)
M氏は、現在、小さいながらも、コンピュータを使ったデザイン事務所を経営
している。

これは夫婦のばあいだが、親子となると、少し事情が変わってくる。

親子のばあい、依存性というのは相互的なもので、親の依存性が強いと、子ど
ももまた依存性が強くなる。
たとえば「うちの子は、甘えん坊で困ります」とこぼす母親がいる。
しかしそういうふうに甘えん坊にしているのは、実は、母親自身ということに
なる。
母親自身も、依存性が強く、その分だけ、どうしても子どもの依存性に甘くな
る。

「うちの子は、甘えん坊で困ります」と一方でこぼしながら、実は、子どもが
「ママ、ママ」と自分に甘えてくるのを、その母親は喜んでいる。

あるいは(家庭の基準)そのものが、ちがうときがある。

ある家庭では、子ども(幼稚園児)に、生活のほとんどを任せている。
そればかりか、父親がサラリーマン、母親が商店を経営しているため、スーパ
ーでの買い物など、雑務のほとんどは、その子どもの仕事ということになって
いる。
が、母親はいつも、こうこぼしている。
「うちの子は、何もしてくれないのですよ」と。

一方、ベタベタの親子関係を作りながら、それが「ふつう」と思っている親も
いる。
T君は、現在小学6年生だが、母親といっしょに床で寝ている。
一度父親のほうから、「(そういう関係は)おかしいから、先生のほうから何
とか言ってください」という相談を受けたことがある。
が、母親は、そういう関係を、(理想的な親子関係)と思っている。

だから子どもの自立を考えるときは、その基準がどこにあるかを、まず知らな
ければならない。
さらに言えば、こと依存性の強い子どものばあい、子どもだけを問題にしても、
意味はない。
ほとんどのばあい、親自身も、依存性が強い。

そんなわけで、子どもの自立を考えたら、まず、親自身がその手本を見せると
いう意味で、親自身が自立する。
その結果として、子どもは、自立心の旺盛な子どもになる。

さらに言えば、この自立と依存性の問題には、民族性がからんでくることがあ
る。
一般的には、日本人のように農耕文化圏の民族は相互依存性が強く、欧米人の
ように牧畜文化圏の民族は、自立心が旺盛と考えてよい。

ただ誤解していけないのは、自立心は旺盛であればあるほどよいかというと、
そうでもないようだ。

オーストラリアの友人(M大教授)が、こんな話をしてくれた。

「オーストラリアの学校では、子どもの自立を第一に考えて教育する。
それはそれでよいのかもしれないが、それがオーストラリアでは、大企業が育
たない理由のひとつになっている」と。

●自立と自律

自立は常に、依存性と対比して考えられるのに対して、自律は、あくまでもそ
の人個人の、セルフ・コントロールの問題ということになる。

さらに自律心は、人格の完成度(ピーター・サロベイ、「EQ論」)を知るた
めの、ひとつの大切なバロメーターにもなっている。

自律心の強い子どもは、それだけ人格の完成度が高いということになる。
そうでない子どもは、それだけ人格の完成度が低いということになる。
ものの考え方が、享楽的で、刹那的。
誘惑にも弱い。

その自律をコントロールするのが、脳の中でも、前頭前野ということが、最近
の研究でわかってきた。
自分の思考や行動を律するための、高度な知的判断は、この前頭前野でなされ
る。
(反対に、この部分が、何らかの損傷を受けたりすると、人は自分を律するこ
とができなくなると言われている。)

さらに言えば、この自律心は、0歳から始まる乳児期に決定されると考えてよ
い。
私はこのことを、2匹の犬を飼ってみて、知った。

++++++++++++++++

それについて書いた原稿が
ありますので、紹介します。
2002年11月に書いた原稿です。

++++++++++++++++

●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。
たとえば、私の家には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される
寸前のものをもらってきた。これをA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、
ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからもらってきた。これをB犬
とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の
家に来て、一二年にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところで
は、餌を食べない。愛想はいいが、決して心を許さない。その上、ずる賢く、
庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしまう。そして腹が減るま
で、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入って
きても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフ
リをして、そのまま寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、
悪さばかりしている。おかげで植木鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそ
ぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠実で、門をあけておいて
も、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたたましく
吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間
と同じと言ったらよいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもに
も言える。いろいろ誤解を生ずるので、ここでは詳しく書けないが、性格とい
うのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わらないということ。A犬
は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に大き
なキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人
間に心を許すことを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそう
な様子でそうする。つまり人間を信頼している。幸福か不幸かということにな
れば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間の子どもにも同じような
ことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預け
られた子どもをいう。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を
示すことが知られている。感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達
が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい(長畑正道氏)など。

が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手にへつらう、
相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一
見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、
心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そのた
め精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよ
く言われるが、どうもそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうま
い。相手が喜ぶように、自分をごまかす。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそ
うになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、
そうだったと言えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の
「キ」の字もない時代だった。……と書いて、ここに教育のおもしろさがある。
他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見えてくる。「私」という人間が、
いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私であって、
私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身
の問題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家
庭崩壊、家庭不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離
別など。しかしそれが問題ではない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、
自分自身の心のキズに気づかないことだ。たいていの人はそれに気づかないま
ま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そして同じ失敗を繰り
返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへと
伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播し
やすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のば
あいも、ゆがんだ自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコ
ントロールすることができるようになった。「ああ、これは本当の自分ではな
いぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶっているぞ」「もっと相手
に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、
結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度
自分の心の中を旅してみるとよい。
(02−11−7)

● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇
気を出して、自分の過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそ
ういう過去があるということではなく、そういう過去があることに気づかない
まま、それに引き回されることである。またこの問題は、それに気づくだけで
も、問題のほとんどは解決したとみる。あとは時間の問題。

++++++++++++++++

心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。

心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、
強いということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 
自立 自律 子どもの自立 子供の自律 (はやし浩司 家庭教育 育児 教
育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 マタ
ーナルデプリベイション マターナル・デプリベイション 母子関係 母性愛
の欠落 ホスピタリズム 長畑 施設病 人間性の欠落 臨界期 敏感期 
刷り込み 保護と依存 子どもの依存性 幼児期前期 自律期 幼児期後期 
自立期Maternal Deprivation 母性欠落 母性欠損)


Hiroshi Hayashi+++++Nov.2010+++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●11月5日(はやし浩司 2010−11−05)

+++++++++++++++++++++

おととい、私のメインパソコンが突然、フリーズ。
ワードで作業中でのこと。
肝を冷やした。

真夜中だったが、すぐM社に電話。
サプリメント・ディスクから、各種ドライバーを、
更新(=再)インストール。
そのおかげか、今のところ快調。

改めてファイルのバックアップ、それにウィルス
対策の重要性を認識する。
昨日は、外付けHDにデータを保存。
今朝からは、ウィルス・チェックとボット・チェック。
何かと忙しい。

++++++++++++++++++++++

●冬到来

 午前中にインフルエンザの予防注射に行く予定。
しかしこの冷気。
できるなら家の中で、静かにしていたい。
ワイフは、こう言った。
「秋がないまま、冬になってしまった」と。

 同感!

 が、運動はさぼれない。
昨夜はサイクリングを1単位(=40分)、
今朝は起きるとすぐ、ウォーキングマシンで30分、それぞれこなした。

●花粉症

 今年の猛暑。
その影響で、来年(2011)の花粉の飛来は、今年の7倍近くになるとか(報道)。
早くも花粉症関連企業の株価が、上昇し始めている。
何となくユーウツ!

 私のばあい、この15年ほど、症状は収まっている。
が、その季節になると最初の1週間ほどは、花粉症に苦しむ。
医院で注射を打ったり、シソエキスを飲んだり……。
いろいろと苦労する。

●子ども園構想
 
 平たく言えば、国には、金がナ〜イ!
……ということで、子ども園(正式には「こども園」だが)。
収入が減ると心配する幼稚園。
経営がおびやかされると心配する保育園。
受益者負担の名のもと、経済的負担がふえるのではないかと心配する親たち。
「待機児童うんぬん」は、口実に過ぎない?

 すでに認定子ども園は、あちこちにある。
園舎の半分は幼稚園(文科省管轄+学校法人)。
残りの半分は保育園(厚労省管轄+社会福祉法人)。
しかし給食など、2つに分けるのは、現実には不可能。
会計士ですら、「運営は不可能」と断言している。

 子ども園は、今の構想によれば、自治体が指定した事業所が経営することになる。
一度、幼稚園、保育園を解体したあと、将来的には「子ども家庭省」なるものが、所管
するという。
スウェーデンをモデルにしているということのようだが、どうかな?
うまくいくかな?

 それよりも大切なことは、親の意識を変えること。
子育ては義務ではなく、権利である。
その権利を自ら放棄するようなことを、親たちは平気でしている。
さらに言えば、子育ては本能ではなく、学習によって身につく。
0歳から施設で育てられた子どもが、おとなになって、「よい親」になるとは、
とても考えにくい。
すでに今が、その結果かもしれない。
心の冷たい、功利、打算的な日本人がふえている。

 幼稚園にせよ、保育園にせよ、週2〜3日も行けば、じゅうぶん。
行きたい時間に行き、帰りたい時間に帰る。
現にカナダでは、そうしている。
そういう「自由」を、なぜもっと認めない?

 何でもかんでも自分の管理下に置きたがる、国。
「教育は国が……」と考える、親たち。
日本の教育制度そのものが、すでに制度疲労を起こしている。
それがわからなければ、ドイツやイタリアを見ろ!
EUを見ろ!

 子どもたち(中学生)は、たいてい午前中だけで授業をすませ、あとは好きな
クラブに通っている。
大学の単位は共通化され、学生たちは自由に大学間を渡り歩いている。
小中学校にしても、もちろん教科書など、ない!

 昨日もある雑誌社の人から電話があり、こう聞かれた。
「はやし先生(=私)は、幼保一元化に賛成ですか、反対ですか」と。

 賛成も反対も、ない。
日本の教育システムは世界の常識から、完全にはずれている。
これだけ情報が自由に手に入るようになった現在、どうしてそんなことがわからないのか。
なぜ親たちにせよ、子どもたちにせよ、もっと「自由」を追求しないのか。
それがわからなければ、もう一度、尾崎豊の「♪卒業」を聞いてみたらよい。

 ……少し過激な意見で、ごめん。
「こども園構想」は、私にはただの茶番劇にしか思えない。


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【基本的信頼関係】(前回よりのつづきです)

+++++++++++++++++

以前書いた原稿を、1作、
添付します。
内容がダブりますが、お許しください。

+++++++++++++++++

【基本的信頼関係】



信頼関係は、母子の間で、はぐくまれる。



絶対的な(さらけ出し)と、絶対的な(受け入れ)。「絶対的」というのは、
「疑いをいだかない」という意味である。こうした相互の関係が、その子ども
(人)の、信頼関係の基本となる。



 つまり子ども(人)は、母親との間でつくりあげた信頼関係を基本に、その
関係を、先生、友人、さらには夫(妻)、子どもへと応用していくことができ
る。だから母親との間で構築される信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。



 が、母子との間で、信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、その反対に、
「基本的不信関係」に陥(おちい)る。いわゆる「不安」を基底とした、生き
ザマになる。そしてこうして生まれた不安を、「基底不安」という。



 こういう状態になると、その子ども(人)は、何をしても不安だという状態
になる。遊んでいても、仕事をしていても、その不安感から逃れることができ
ない。その不安感は、生活のあらゆる部分に、およぶ。おとなになり、結婚し
てからも、消えることはない。夫婦関係はもちろんのこと、親子関係において
も、である。



 こうして、たとえば母親について言うなら、いわゆる不安先行型、心配先行
型の子育てをしやすくなる。



●基底不安



 親が子育てをしてい不安になるのは、親の勝手だが、ほとんどのばあい、親
は、その不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。



 しかし問題は、そのぶつけることというより、親にその自覚がないことであ
る。ほとんどの親は、不安であることや、心配していることを、「ふつうのこ
と」と思い、そして不安や心配になっても、「それは子どものため」と思いこ
む。



 が、本当の問題は、そのつぎに起こる。



 こうした母子との間で、基本的信頼関係の構築に失敗した子どももまた、不
安を基底とした生きザマをするようになるということ。



 こうして親から子どもへと、生きザマが連鎖するが、こうした連鎖を、「世
代連鎖」、あるいは「世代伝播(でんぱ)」という。



 ある中学生(女子)は、夏休み前に、夏休み後の、実力テストの心配をして
いた。私は、「そんな先のことは心配しなくていい」と言ったが、もちろんそ
う言ったところで、その中学生には、説得力はない。その中学生にしてみれば、
そうして心配するのは、ごく自然なことなのである。

(はやし浩司 基本的信頼関係 基底不安)





●人間関係を結べない子ども(人)



人間関係をうまく結ぶことができない子どもは、自分の孤独を解消し、自分に
とって居心地のよい世界をつくろうとする。その結果、大きく分けて、つぎの
四つのタイプに分かれる。



(1)攻撃型……威圧や暴力によって、相手を威嚇(いかく)したりして、自
分にとって、居心地のよい環境をつくろうとする。

(2)依存型……ベタベタと甘えることによって、自分にとって居心地のよい
環境をつくろうとする。

(3)服従型……だれかに徹底的に服従することによって、自分にとって居心
地のよい環境をつくろうとする。

(4)同情型……か弱い自分を演ずることにより、みなから「どうしたの?」
「だいじょうぶ?」と同情してもらうことにより、自分にとって、居心地のよ
い世界をつくろうとする。



それぞれに(プラス型)と、(マイナス型)がある。たとえば攻撃型の子ども
も、プラス型(他人に対して攻撃的になる)と、マイナス型(自虐的に勉強し
たり、運動をしたりするなど、自分に対して攻撃的になる)に分けられる。



 スポーツ選手の中にも、子どものころ、自虐的な練習をして、有名になった
人は多い。このタイプの人は、「スポーツを楽しむ」というより、メチャメチ
ャな練習をすることで、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとしたと
考えられる。



●子どもの仮面



 人間関係をうまく結べない子ども(人)は、(孤立)と、(密着)を繰りか
えすようになる。



 孤独だから、集団の中に入っていく。しかしその集団の中では、キズつきや
すく、また相手をキズつけるのではないかと、不安になる。自分をさらけ出す
ことが、できない。できないから、相手が、自分をさらけ出してくると、それ
を受入れることができない。



 たとえば自分にとって、いやなことがあっても、はっきりと、「イヤ!」と
言うことができない。一方、だれかが冗談で、その子ども(人)に、「バカ!」
と言ったとする。しかしそういう言葉を、冗談と、割り切ることができない。



 そこでこのタイプの子どもは、集団の中で、仮面をかぶるようになる。いわ
ゆる、いい子ぶるようになる。これを心理学では、「防衛機制」という。自分
の心がキズつくのを防衛するために、独特の心理状態になったり、独特の行動
を繰りかえすことをいう。



 子ども(人)は、一度、こういう仮面をかぶるようになると、「何を考えて
いるかわからない子ども」という印象を与えるようになる。さらに進行すると、
心の状態と、表情が、遊離するようになる。うれしいはずなのに、むずかしい
顔をしてみせたり、悲しいはずなのに、ニンマリと笑ってみせるなど。



 この状態になると、一人の子ども(人)の中に、二重人格性が見られるよう
になることもある。さらに何か、大きなショックが加わると、人格障害に進む
こともある。



●すなおな子ども論



 従順で、おとなしく、親や先生の言うことを、ハイハイと聞く子どものこと
を、「すなおな子ども」とは、言わない。すなおな子どもというときには、二
つの意味がある。



一つは情意(心)と表情が一致しているということ。うれしいときには、うれ
しそうな顔をする。いやなときはいやな顔をする。



たとえば先生が、プリントを一枚渡したとする。そのとき、「またプリント!
いやだな」と言う子どもがいる。一見教えにくい子どもに見えるかもしれない
が、このタイプの子どものほうが「裏」がなく、実際には教えやすい。



いやなのに、ニッコリ笑って、黙って従う子どもは、その分、どこかで心をゆ
がめやすく、またその分、心がつかみにくい。つまり教えにくい。



 もう一つの意味は、「ゆがみ」がないということ。ひがむ、いじける、ひね
くれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。



ゆがみというのは、その子どもであって、その子どもでない部分をいう。たと
えば分離不安の子どもがいる。親の姿が見えるときには、静かに落ちついてい
るが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーとものすごい声をはりあげて、
親のあとを追いかけたりする。その追いかけている様子を観察すると、その子
どもは子ども自身の意思というよりは、もっと別の作用によって動かされてい
るのがわかる。それがここでいう「その子どもであって、その子どもでない部
分」ということになる。



 仮面をかぶる子どもは、ここでいうすなおな子どもの、反対側の位置にいる
子どもと考えるとわかりやすい。



●仮面をかぶる子どもたち



 たとえばここでいう服従型の子どもは、相手に取り入ることで、自分にとっ
て、居心地のよい世界をつくろうとする。



 先生が、「スリッパを並べてください」と声をかけると、静かにそれに従っ
たりする。あるいは、いつも、どうすれば、自分がいい子に見られるかを、気
にする。行動も、また先生との受け答えのしかたも、優等生的、あるいは模範
的であることが多い。



先生「道路に、サイフが落ちていました。どうしますか?」

子ども「警察に届けます」

先生「ブランコを取りあって、二人の子どもがけんかをしています。どうしま
すか?」

子ども「そういうことをしては、ダメと言ってあげます」と。



 こうした仮面は、服従型のみならず、攻撃型の子どもにも見られる。



先生「君、今度のスポーツ大会に選手で、出てみないか?」

子ども「うっセーナア。オレは、そんなのに、興味ネーヨ」

先生「しかし、君は、そのスポーツが得意なんだろ?」

子ども「やったこと、ネーヨ」と。



 こうした仮面性は、依存型、同情型にも見られる。



●心の葛藤



 基本的信頼関係の構築に失敗した子ども(人)は、集団の中で、(孤立)と
(密着)を繰りかえすようになる。



 それをうまく説明したのが、「二匹のヤマアラシ」(ショーペンハウエル)
である。



 「寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めよう
とした。しかしくっつきすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。
しかし離れすぎると、体が温まらない。そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、
つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体を温めあった」と。



 しかし孤立するにせよ、密着するにせよ、それから発生するストレス(生理
的ひずみ)は、相当なものである。それ自体が、子ども(人)の心を、ゆがめ
ることがある。



一時的には、多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になることが多い。たとえ
ば急激に緊張すると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心
臓がドキドキし、さらにその結果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や
筋肉の活動が活発になる。



が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、
「食欲不振や性機能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反
応が引き起こされる」(新井康允氏)という。



こうしたストレスが日常的に重なると、脳の機能そのものが変調するというの
だ。たとえば子どものおねしょがある。このおねしょについても、最近では、
大脳生理学の分野で、脳の機能変調説が常識になっている。つまり子どもの意
思ではどうにもならない問題という前提で考える。



 こうした一連の心理的、身体的反応を、神経症と呼ぶ。慢性的なストレス状
態は、さまざまな神経症による症状を、引き起こす。



●神経症から、心の問題



ここにも書いたように、心理的反応が、心身の状態に影響し、それが身体的な
反応として現れた状態を、「神経症」という。



子どもの神経症、つまり、心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こ
る機能的障害)は、まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神
経症を疑ってみる。



(1)精神面の神経症…恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者に
は理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく
悩む)など。 

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態に
なる)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚
醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(そ
の意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身
体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警
戒する。 

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症
状となって行動面に現れてくる。不登校もその一つということになるが、その
前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒
食などが断続的に起こるようになる。 

●たとえば不登校



こうした子どもの心理的過反応の中で、とくに問題となっているのが、不登校
の問題である。



しかし同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。
私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り
返した。



が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に
近い不登校を
「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過か
ら、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時
パニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少しわかりやす
くしたのが、つぎである。 

(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、
疲れ、倦怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中
に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい
声で答えたりする。これを症状の日内変動という。
学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。
そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理
由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。 

(3)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとし
たりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう
今日は休んでもいい」などと言うと、一転、症状が消滅する。



ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌って
いました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同
じ子どもか」と思うことが多い。 

(4)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、
暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。た
だ心の緊張感は残り、どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な
言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある(感情障害)。



この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安
感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、
ごくふつうの子どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子ども
をどうとらえたらよいのか、わからなくなってしまうことが多い。こうした状
態が、数か月から数年続く。 

(4)回復期(この回復期は、筆者が加筆した)……外の世界と接触をもつよ
うになり、少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数
日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登
校できるようになる。日に一〜二時間、週に一日〜二日、月に一週〜二週登校
できるようになり、序々にその期間が長くなる。



●前兆をいかにとらえるか 

 この不登校について言えば、要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階
で適切な措置をとるかということ。たいていの親はひととおり病院通いをした
あと、「気のせい」と片づけて、無理をする。この無理が症状を悪化させ、(2)
のパニック期を招く。



この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくない
ときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含
めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。な
おそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。 


Hiroshi Hayashi++++++March.2010+++++++++はやし浩司

(※4)ホスピタリズム

 子どもの依存と、愛着は分けて考える。中には、この2つを混同している人
がいる。つまりベタベタと親に甘えることを、依存。全幅に親を信頼し、心を
開くのを、愛着という。子どもが依存をもつのは問題だが、愛着をもつのは、
大切なこと。

 今、親にさえ心を開かない、あるいは開けない子どもがふえている。簡単な
診断方法としては、抱いてみればよい。心を開いている子どもは、親に抱かれ
たとき、完全に力を抜いて、体そのものをべったりと、すりよせてくる。心を
開いていない子どもや、開けない子どもは、親に抱かれたとき、体をこわばら
せてしまう。抱く側の印象としては、何かしら丸太を抱いているような感じに
なる。

 その抱かれない子どもが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)
の実態調査によると、4分の1もいるという。原因はいろいろ考えられるが、
報告によれば、「抱っこバンドだ」という。

「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じ
なかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、4分の1に及ぶ
ことが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明し
た」(中日新聞)と。

報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体
に回さない」が33%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落
ちつかない」などの反応が2割前後見られ、調査した六項目の平均で25%に
達したという。また保育士らの実感として、「体が固い」「抱いてもフィット
しない」などの違和感も、平均で20%の赤ちゃんから報告されたという。さ
らにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、
「育児から解放されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」など
の意識が強いことがわかったという。また抱かれない子どもを調べたところ、
その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を使っているケースが、
東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれ
ない子どもが)2〜3割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえ
たのは)、新生児のスキンシップ不足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバン
ドを使うことに原因があるのでは」と話している。

 子どもは、生後7、8か月ころから、人見知りする時期に入る。一種の恐怖
反応といわれているが、この時期を通して、親への愛着を深める。が、この時
期、親から子への愛着が不足すると、以後、子どもの情緒はきわめて不安定に
なる。ホスピタリズムという現象を指摘する学者もいる。いわゆる親の愛情が
不足していることが原因で、独得の症状を示すことをいう。だれにも愛想がよ
くなる、表情が乏しくなる、知恵の発達が遅れ気味になる、など。貧乏ゆすり
などの、独得の症状を示すこともあるという。

 一方、冒頭にも書いたように、依存は、この愛着とは区別して考える。依存
性があるから、愛着性があるということにはならない。愛着性があるから、依
存性があるということにはならない。が、この二つは、よく混同される。そし
て混同したまま、「子どもが親に依存するのは、大切なことだ」と言う人がい
る。

 しかし子どもが親に依存性をもつことは、好ましいことではない。依存性が
強ければ強いほど、自我の発達が遅れる。人格の「核」形成も遅れる。幼児性
(年齢に比して、幼い感じがする)、退行性(目標や規則、約束が守れない)
などの症状が出てくる。もともと日本人は、親子でも、たがいの依存性がきわ
めて強い民族である。依存しあうことが、理想の親子と考えている人もいる。
たとえば昔から、日本では、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子
イコール、よい子と考える。そして独立心が旺盛で、何でも自立して行動する
子どもを、かわいげのない「鬼ッ子」として嫌う。

 こうしたどこかゆがんだ子育て観が、日本独特の子育ての柱になっている。
言いかえると、よく「日本人は依存型民族だ」と言われるが、そういう民族性
の原因は、こうした独特の子育て観にあるとみてよい。もちろんそれがすべて
悪いと言うのではない。依存型社会は、ある意味で温もりのある社会である。
「もちつもたれつの社会」であり、「互いになれあいの社会」でもある。しか
しそれは同時に、世界の常識ではないことも事実で、この日本を一歩外へ出る
と。こうした依存性は、まったく通用しない。それこそ生き馬の目を抜くよう
な世界が待っている。そういうことも心のどこかで考えながら、日本人も自分
たちの子育てを組み立てる必要があるのではないか。あくまでも一つの意見に
すぎないが……。

(はやし浩司 愛着 依存 抱かれない子供 抱かれない子ども ホスピタリ
ズム 抱っこバンド 子どもの依存性 子供の依存性 はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(※5)子どもを愛せない母親

●マターナル・デプリベイション(Maternal Deprivation)(母性愛欠乏)

+++++++++++++++++++

乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係の欠如を、「マターナル・デプリベイション」
という。

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8〜10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。

その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。

さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。

もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デプリベイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。

++++++++++++++++++

●心の葛藤

 母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてになら
ないものはない。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。

++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++

●症状(1)

【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。 
漠然と怖い。 
超泣く。所構わず突発的に。 
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める) 
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中) 

【その他質問、追加事項】 

抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。 
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続
けた。 

反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。 
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われ、 
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)
ようになり 年末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カ
ウンセラーの言葉)自分の存在が0になったと思い全く身動きが取れなくなりました。

●症状(2)

【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安等を感
じます。電話に出たり一人で外出できません。 

母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立
ち直れません。フラッシュバックがよく起きます。 

常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋
り続ける妙な癖のようなものがある。 

「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解
放されると信じていたりして自分でもマズイと思ってます。 

普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。 
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたり
ヒスっぽい奇声を発することもあります。これはごく稀です。

++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++

●母子関係の重要性

 乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。

 基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対
して、心が開くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)

 が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、タマラ、アマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)

 さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と
思いこむ習性がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。

 が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗す
る。

●ホスピタリズム(施設病)

 生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、
独特の症状が現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」という。

(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではな
い。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わっ
てきた。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになっ
ている。)

 ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知
育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。
ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示
す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、
それを末尾に添付しておく。
 
 マターナル・デプリベイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物
を、虐待したりするようになる。

 さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわか
ってきた。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこ
されたが、最後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという。
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。

●いじめの問題

 このマターナル・デプリベイションとは、直接関係ないかもしれないが、(いじめ)に
ついて、少し書いてみる。

 先に、「年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動
物を、虐待したりするようになる」と書いた。
このことは、たとえば年中児〜年長児(4〜6歳児)に、ぬいぐるみを見せてみるとわか
る。
心の温もりがじゅうぶん育っている子どもは、そうしたぬいぐるみを見せると、どこかうっとりとし
た表情を示す。
全体の7〜8割が、そうである。
が、その一方で、ぬいぐるみを見せても反応しないか、反対にキックを入れたりする子ど
ももいる。
(キックするからといって、心の冷たい子どもということには、ならない。誤解のないよ
うに!)
しかしこの時期までに、基本的な母性愛、父性愛の基本形は決まると考えてよい。
この時期に、おだやかでやさしい心をもった子どもは、その後も、そうした温もりを維持
することができる。

 もちろんこれだけで、(いじめの問題)がすべて説明できるわけではない。
またこの問題を解決すれば、(いじめの問題)がなくなるわけではない。
しかし(いじめの問題)を考えるときには、こうした問題もあるということを、頭に入れ
ておく必要がある。
その子どもにすべての責任をかぶせるのは、かえって危険なことでもある。

 反対に、たとえば極端なケースかもしれないが、溺愛児とか過保護児と呼ばれている子
どもがいる。
このタイプの子どもは、よい意味において、母親の愛情をたっぷりと受けているから、い
つも満足げでおっとりした様子を示す。
人格の核(コア)形成が遅れるというマイナス面はあるが、こと(いじめ)ということに
関していえば、いじめの対象になることはあっても、いじめる側に回ることはまず、ない。

【次回へつづきます】

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   6日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前回からのつづき】

++++++++++++++

(※1)(※2)(※3)(※4)
(※5)について、原稿を添付します。

++++++++++++++

(※1)

●親が子育てできなくなるとき 

●親像のない親たち

 「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた
父親がいた。「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、そ
れがわからない」と訴えた父親もいた。

あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力その
ものがない母親すらいた。また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。こ
のタイプの人は、不幸にして不幸な家庭を経験し、「子育て」というものがど
ういうものかわかっていない。つまりいわゆる「親像」のない人とみる。

●チンパンジーのアイ

 ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前
のたいへん頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっと
も会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだが、その
チンパンジーが九八年の夏、一度妊娠したことがある。が、そのとき研究員の
人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたしてアイに、子育てができる
かどうか」(新聞報道)だった。

人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのよ
うな、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回るのも
いるという。いわんや、人間をや。

●子育ては学習によってできる

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てら
れた」という体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。し
かしその「体験」が、何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない
親」になる危険性がある。……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、
この日本ではタブー。いろいろな団体から、猛烈な抗議が殺到する。

先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような記事を
書いただけでその翌日、一〇本以上の電話が届いた。「離婚についての偏見を
助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸せな結
婚はできないのか」など。「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのも
あった。私は何も離婚が悪いとか、離婚家庭の子どもが不幸になると書いたの
ではない。離婚が離婚として問題になるのは、それにともなう家庭騒動である。
この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのことを主に書いた。たいへ
んデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実として、冷静に
見なければならない。

●原因に気づくだけでよい

 これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上
は解決したとみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づく
だけでも、問題の半分は解決したとみる。それに人間は、チンパンジーとも違
う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家族を見ながら、自分
の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親をなくしたが、叔
父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の人は、あ
る作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。

●幸福な家庭を築くために

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。すると
こうなる。もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築い
てほしいと願っているなら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭が
どういうものであるかを、見せておかねばならない。いや、見せるだけではた
りない。しっかりと体にしみこませておく。そういう体験があってはじめて、
あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育てができるようになる。
と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかって
いても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする上での、
一つの努力目標と考えてほしい。

(付記)

●なぜアイは子育てができるか

 一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育て
の「情報」そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本
文の中に書いたが、そのアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをし
ているという(二〇〇一年春)。これについて、つまりアイが子育てができる
理由について、アイは妊娠したときから、ビデオを見せられたり、ぬいぐるみ
のチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習をしたからだと説明されて
いる(報道)。しかしどうもそうではないようだ。

アイは確かに人工飼育されたチンパンジーだが、人工飼育といっても、アイは
人間によって、まさに人間の子どもとして育てられている。アイは人工飼育と
いうワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。それが今、
アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。

(参考)

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五
人に一人は、「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の
面で夫に不満を感じている母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、
三倍になっていることがわかった(有効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、
虐待の度合を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れ
たり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、
「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……二点」
の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有
効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であった。こ
の結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは
虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そして
その大半が何らかの形で虐待していることもわかったという(同、
総合研究所調査)。「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、
虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一
九九八年までの八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二
〇〇〇年度には、一万七七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七
三件(五三%)でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九
件(三〇・四%)、差別的、攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。
虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。
また虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前ま
でが、一八六七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(※2)ミューチュアル・アタッチメント

【新生児の謎】

●人間の脳の大きさは、母体の産道(骨盤)の大きさに比例する

+++++++++++++++++

進化の過程で、人間の脳は、より
大きくなってきた。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクゥス) ……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容量……約350〜400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

+++++++++++++++++

胎児は母体の産道(骨盤の間)をくぐり抜けて、生まれる。
そのときもし胎児の頭の大きさが、産道よりも大きければ、胎児は、母胎の産
道をくぐり抜けることができない。

だから『人間の脳の大きさは、母体の産道の大きさに比例する』。

胎児の頭が大きくなればなるほど、母体の産道の直径は大きくなければならな
い。
もし胎児が産道をくぐり抜けることができなければ、胎児が死ぬか、反対に母
親が死ぬかのどちらかになる。
が、反対に、母体の産道が大きくなればなるほど、胎児の頭も大きくなるかと
いえば、それは言えない。

たとえば人間以外のほかの動物のばあい、頭よりも体のほうが大きい。
またその多くは、2体以上の子どもを出産する。
頭の大きさが問題になることは、ない。
つまりほかの動物のばあい、母体の産道の大きさは、頭というより、体の大き
さによって決まる。(その反対でもよいが……)。

が、人間だけは、いびつなまでに、頭だけが大きい。
なぜか?

●頭を大きくするために

人間の脳を、今以上に大きくするためには、母体の産道を大きくするか、胎児
そのものを、人工胎盤で育てるしかない。
よくSF映画の中にも、そういうシーンが出てくる。
大きな水槽の中で、胎児が人工飼育(?)されているシーンである。

水槽の中に胎児が浮かび、へその緒は、水槽外の栄養補給装置とつながってい
る。

この方法であれば、胎児は何の制約も受けず、自分の頭、つまり脳を大きくす
ることができる。いくら大きくなっても、出産時の問題は起きない。

「あれはSF映画の中の話」と思う人もいるかもしれないが、現在の科学技術
だけをもってしても、けっして、不可能ではない。
現在でも、一度体外に取り出した女性の卵子に、人工授精させ、再び母体に戻
すという方法は、ごくふつうのこととしてなされている。
あと50〜100年もすれば、こうした方法、つまり人工胎盤を用いた育児法
が、ごくふつうのこととしてなされるようになるかもしれない。

●2つの問題

が、ここで2つの問題が起きる。
厳密には、3つの問題ということになるが、3つ目は、このつぎに書く。

ひとつは、こうして生まれた子どもは、頭が大きくなった分だけ、つぎの代か
らは、自然分娩による出産がむずかしくなるだろうということ。
代を重ねれば重ねるほど、むずかしくなるかもしれない。

「ぼくは人工胎盤で生まれたから、ぼくの子どもも、人工胎盤で育てる」と。
そう主張する子どもがふえることも考えられる。

もうひとつの問題は、『頭が大きくなればなるほど、脳の活動は鈍くなる』と
いうこと。

脳というのは、コンピュータの構造に似ている。
とはいうものの、シナプス間の信号伝達は、電気的信号ではなく、化学反応に
よってなされる。
この(化学反応)という部分で、脳は大きくなればなるほど、信号伝達の速度
が遅くなる。
言いかえると、脳は小さければ小さいほど、信号伝達の速度が速い。
このことは昆虫などの小動物を見ればわかる。
こうした小動物は、知的活動は別として、人間には考えられないような速い動
きをしてみせる。

つまり頭を大きくすることによって、より高度な知的活動ができるようになる
反面、たとえば運動能力をともなう作業的な活動になると、かえって遅くなっ
てしまう可能性がある。
歩くときも、ノソノソとした動きになるかしれない。
ひょっとしたら、頭の反応も鈍くなるかもしれない。

これら2つの問題は、克服できない問題ではない。
が、もうひとつ、深刻な問題がある。

●豊かな感情は人間の財産

人工胎盤で育てられた子どもは、はたして人間的な感情をもつだろうか?

豊かな感情は、安定した母子関係の中ではぐくまれる……というのが、現在の
常識である。
とくに生後直後から、満2歳前後までに、その子どもの感情、つまり情緒的発
達は完成される。

しかし胎児のばあいは、どうだろうか。
胎児は母親の母体内にいる間、母親の愛情を感ずることはないのだろうか。

が、これについては、「感じている」と考えるのが、自然である。
最近の研究によれば、誕生直後の新生児ですら、実は母親に向かって(働きか
け)を行っていることがわかってきた。
たとえば新生児は新生児で、本能的な部分で、自らの(かわいさ)を演出する
ことによって、親の愛情を自分に引きつけようとする。
つまり新生児の側からも、働きかけがあるということになる。
それまでは、たとえば愛情表現にしても、母親から新生児への一方的なものと
考えられてきた。
「母親から新生児への働きかけはあっても、新生児からの働きかけはない」と。

母親から新生児へ、新生児から母親へ。
こうした相互の(働きかけ)を、「ミューチュアル・アタッチメント(Mutual 
Attachment)」という。

が、その「ミューチュアル・アタッチメント」が、誕生直後から始まると考え
るのには、無理がある。
あらゆる生物は、もちろん人間もだが、その成長過程において、連続性を維持
しながら成長する。
誕生と同時に、突然、「ミューチュアル・アタッチメント」が始まるというわ
けではない。
胎児は胎児であるときから、「ミューチュアル・アタッチメント」は始めてい
ると考えるのが、自然である。

となると、人工胎盤のばあい、胎児は、その「ミューチュアル・アタッチメン
ト」が、できないということになる。
人工胎盤の中の胎児は、暗くて冷たい、孤独な世界でもがき、苦しむというこ
とになる。
いくら働きかけをしても、それに応えてくれる母親は、そこにいない!

仮に100歩譲って、何とか情緒面の問題を克服して誕生したとしても、今度
は、そういう子どもに対して、卵子の提供者でしかない母親が、母親としての
じゅうぶんな愛情を感ずることができるかどうかという問題もある。

母親は10か月という長い期間、自分の胎内で子どもを育てるうちに、母親と
しての愛情を自覚する。
あるいは出産の苦しみをとおして、その愛情を倍加させる。
もちろん夫の役割も無視できない。
妻の出産を喜ぶ夫。
そういう姿を見て、母親である妻は、さらに子どもへの愛情を倍加させる。

こうしたプロセスを省略した子どもが、はたして、感情豊かな子どもに成長す
るかどうかということになると、あ・や・し・い。

●人間の脳

ところで進化の過程で、人間の脳は、より大きくなってきたと言われている。

ちなみに、猿人、原人、旧人、新人、現代人の脳容積はつぎのようになってい
る。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクトゥス)……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容積……約350〜400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

ここで私は、「進化」という言葉を使ったが、実のところ現代人の祖先という
のは、定かではない。
ただ言えることは、人間(ヒト)は、猿(サル)から進化したのではないとい
うこと。
反対に、たとえばチンパンジーにしても、やがて人間のように進化するという
ことは、ありえない。
人間は、人間。
猿は、猿。
それぞれが、完成された個体である。

もちろん人間がここまで進化する過程の中では、猿人→原人→旧人→新人のそ
れぞれの段階で、無数の新種が生まれ、そして絶滅していった。
たとえばよく知られた例として、ネアンデルタール人がいる。
ネアンデルタール人は、人間の祖先であるホモサピエンスとそれほど能力的に
は差がなかったものの、今から1万数千年前に、絶滅している。

●未熟化する新生児

仮に産道の大きさはそのままで、胎児の頭だけが大きくなったら、どうなるか。
先にも書いたように、胎児は、母親の産道をくぐり抜けることができなくなる。
そうなれば母体である母親が死ぬか、胎児が死ぬかの、どちらかしかない。

が、ほかに方法がないわけではない。

胎児の頭がまだ、産道をくぐり抜けることができる大きさの段階で、出産する
という方法である。
つまり新生児としては未熟だが、その段階で母体から離され、そのあと、母体
の外で育てる。
現に新生児の体重は、3200グラム弱(平均)とされているが、(平均体重
は、この10年、年々減少傾向にあるが……)、その1か月後には、体重は、
約1・5倍に増加する。
2か月で2倍になる新生児も少なくない。

つまり人間の子どもの出産は、きわめて微妙な時期を選んでなされることが、
これでわかる。
もし出産時が、1か月早ければ、新生児は、特別な介護なくしては生きていく
ことすらむずかしい。
一方、もし1か月遅ければ、体重が増加し、ついで頭も大きくなり、出産その
ものがむずかしくなる。

ちょうどよいころに、ちょうどよい、……というギリギリのところで母親は子
どもを出産する。子どもは、うまく産道をくぐり抜ける。

が、疑問は、残る。

なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか、という疑問
である。
新生児のばあい、少なくとも生後6か月まで、保護者による手厚い保護がない
かぎり、自分で生きていくことはおろか、動き回ることすら、できない。

●進化論への疑問

ここにも書いたように、人間は人間として、今に見る人間に進化した。
「今の今も進化しつづけている」と説く人もいるが、反対に、「同時に退化し
つづけている」と説く人もいる。

突然変異というのは、まさに両刃の剣。
突然変異によって進化することもあるが、それまでの重要な遺伝子を喪失する
こともある。
つまり進化と退化は、相互に関連し合いながら、同時進行的に進むと考えてよ
い。

が、それはさておき、人間が今に見る人間になるについて、「ダーウィン的な
進化論では説明できない進化」と説く学者も少なくない。

進化論の世界では、「10万年に1回の、ささいな変化」でも、「突然変異」
とみるのだそうだ。
が、こと人間に関していえば、ほぼ20万年単位で「大・突然変異」を繰りか
えし、今に見る人間になった。

たとえば「人類の祖先は、420万年前からずっと二足歩行していたにもかか
わらず、350万年前の猿人の脳容量は、ほとんどチンパンジーと変わってい
ない」(「るい・NETWORK・生物史」)そうだ。

「二足歩行するようになったから、脳容積が大きくなった」という従来の常識
にも、よくよく考えてみればおかしいということになる。

そこで現われたのが、「作為説」。
「つまり人間は、その進化の過程で、何ものかによって、作為的に改良された」
という説である。

この説を説く学者も少なくない。

『……スミソニアン協会の著名な生物学者オースチン・H・クラーク氏は、進
化論についてこう述べています。

「人間が下等な生命形態から、段階的に発達してきたという証拠はない。いか
なる形においても人間をサルに関連づけるものは何もない。人間は突然に、今
日と同じ形で出現した」』(指摘:「宇宙GOGO」HPより)と。

「なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか」という疑
問についても、未熟なまま生まれるというように、だれかによって操作された
とも、考えられなくはない。

そのだれかとは、だれか?

このあたりから、話が、SF的になる。
あるいはどこか宗教的になる。
実際、こうした説に基づいて活動しているカルト教団もある。
だから私の話は、ここまで。

この先のことは、皆さんの判断に任せるが、UFOが存在し、当然、宇宙人が
存在するというこになれば、私たち人間が、その宇宙人によって何らかの(作
為的な改良)を受けたことがあるのではないかと考えても、おかしくない。

とくに(脳)については、そうである。
なぜ私たちの脳は、こうまで飛躍的に進化してしまったのか?
わずか5500年以前には、私たちは火の使い方すら知らない新石器人間であ
ったことを考えるなら、この疑いは大きくなることはあっても、小さくなるこ
とはない。

(注)自分で読み返しても、稚拙な内容の文章だと思う。
文章もへたくそだし、つっこみも甘い。
が、私はここを出発点として、さらにこの問題について、考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 
産道 胎児の大きさ 胎児の頭 人間の脳)

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(※3)基本的信頼関係

【基本的不信関係】

+++++++++++++++++++++++

私は子どものころから、心の開けない人間だった。
今も、そうだ。

+++++++++++++++++++++++

●基本的信頼関係

 0歳期に、母親との信頼関係の構築に失敗すると、
子どもは、いわゆる(心の開けない子ども)になる。
こうした状態を、「基本的不信関係」と呼ぶ。
が、基本的不信関係の恐ろしさは、これにとどまらない。
一度、基本的信頼関係の構築に失敗すると、その後遺症は、
一生にわたってつづく。
修復するのは不可能とまでは言い切れないが、自然の状態で、
修復されることは、まずない。

●絶対的なさらけ出し

 (絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)。
この2つの上に、基本的信頼関係は、構築される。
「絶対的」というのは、「疑うこともない」という意味。

 「私は親の前で、どんなことでもできる」というのが、
絶対的なさらけ出し。
「子どもがどんなことをしても許す」というのが、
絶対的な受け入れ。
それは、親側に子どもを全幅に包み込む愛情があって、
はじめて可能。

●不幸にして・・・

 が、不幸にして、不幸な家庭に育った子どもは、
少なくない。
家庭不和、育児拒否、家庭騒動、経済問題、無視、冷淡など。
親にしても、「子育てどころではない」となる。
こういう環境で育つと、子どもは、基本的信頼関係の
構築をすることができなくなる。
一見、愛想はよくなるが、それは子ども本来の姿ではない。
中に、「うちの子は、人見知りも、後追いもしませんでした」と
言う親がいる。
どこか自慢げに言う人もいるが、それは自慢すべきような
話ではない。

 良好な家庭環境で育てば、子どもは1歳7か月前後まで、
他人には警戒し、自分の親が見えなくなると、後を追いかけたり
する。

●孤独という無間地獄

 「人を信じられない」というのは、たいへん不幸なことである。
「信じられない」だけでは、すまない。
それと引き換えに、「孤独」を背負う。
その孤独が、こわい。
どうこわいかは、仏教でも、「無間の孤独地獄」と表現している
ことからも、わかる。
キリスト教でも、「愛」を横軸とするなら、「魂の解放」、つまり、
「渇き(=孤独)」からの解放を縦軸としている。
(これは私の勝手な解釈によるものだから、まちがっていたら、
ごめん。)

 実のところ、この私がそうである。

●父と母

 私は不幸にして、不幸な家庭に育った。
家庭教育の「か」の字もないような、家庭だった。
戦後直後のドサクサ期ということもあった。
父は、傷痍軍人として帰国。
やがて酒に溺れるようになった。
母は、虚栄心が強く、わがままで自分勝手だった。
その上、みな、食べていくだけで、精一杯という
時代だった。

 基本的信頼関係など、もとから望むべくもない。
私が生来的にもつ不安感、焦燥感は、すでにそのころから
始まっていたとみるべき。

●シッポ

 子どものころの私を知る人たちは、みな、こう言う。
「浩司は、明るくて、朗らかな子だった」と。
しかしそう言われるたびに、私は大きな違和感を覚える。
私はだれにでもシッポを振るような子どもだった。
相手に合わせて、おじょうずを言ったり、うまく取り入ったり
した。

 が、けっして相手を信用しなかった。
いつも私の心の中には、別の目があって、その目で相手を
ながめていた。
「この人の目的は何か」
「この人は、私をどう利用しようとしているのか」
「私は、この人をどう利用したらいいのか」
「あるいは、利用価値はあるのか」と。

●4つのパターン
 
 基本的信頼関係の構築に失敗すると、ふつう、つぎの
4つのタイプの子ども(人間)になると言われている。

(1) 攻撃型(ツッパル)
(2) 服従型(親分肌の子どもに徹底的に服従する)
(3) 依存型(ベタベタと甘える)
(4) 同情型(わざと弱々しさを演じて同情を集める)

 が、何も子どもにかぎらない。
一度、こうした傾向が子ども時代(思春期前夜から思春期)に
現れると、その症状は、一生、つづく。
それがその人の、性格的ベースになる。

●不安と焦燥感

 私が基本的に、淋しがり屋なのは、基本的不信関係に起因
している。
が、それだけではない。
先にも書いたように、常に襲いくる不安と焦燥感。
この2つの間で、いまだに苦しんでいる。

 わかっていても、どうすることもできない。
「だれかを信じたい」という思いは強いが、信ずるほど、
心を開くことができない。
いつも一歩、その手前で、相手を疑ってしまう。
そして裏切られることを恐れ、裏切られる前に、相手を
裏切ってしまう。
裏切ることはないにしても、裏切られることに、強い
警戒心をいだく。

●シッポを振る

 そのため、基本的不信関係の人は、心がもろく、傷つき
やすい。
「私は私」と、デンと構えることができない。
わかりやすく言えば、ガタガタ。
「シッポを振る」というのは、そういうことをいう。

 孤独でさみしいから、人の中に入っていく。
しかし自分をさらけ出すことができない。
だから疲れる。
精神疲労を、起こしやすい。
で、家に帰ってきて、「もう、いやだ〜ア」と、声をはりあげる。

 ショーペンハウエルという学者は、それを『2匹のヤマアラシ』
という言葉を使って説明した。

●2匹のヤマアラシ

 ある寒い夜のこと。
2匹のヤマアラシが、たがいによりそって、暖をとることにした。
しかし近づきすぎると、たがいの針が痛い。
離れると、寒い。
そこで2匹のヤマアラシは、一晩中、近づいたり、離れたりを
繰り返していた。

 基本的不信関係にある人の、心理状態を、たくみに説明している。
このタイプの人は、(孤独)と(精神疲労)の間を、行ったり、
来たりする。
が、それだけではない。

●孤独の世界

 「人を信じたい」と思う。
しかし信じられない。
信じられそうになると、それがこわくて、自ら逃げてしまう。
自分のほうから、ぶち壊してしまうこともある。
「本当の私を知ったら、みんな逃げていく」と。

 愛についてもそうだ。
「人を愛したい」と思う。
しかし愛せない。
愛されそうになると、それがこわくて、自ら逃げてしまう。
自分のほうから、ぶち壊してしまうこともある。
「本当の私を知ったら、みんな逃げていく」と。

 こうして自らを、ますます孤独の世界へと追いやっていく。

●基底不安

 もうひとつの特徴は、いつ果てるともなくつづく、悶々と
した不安感。
「基底不安」ともいう。

 もっともその不安感を強く覚えたのは、子どものころ。
おとなになるにつれて、原発的な不安感は消え、姿を
変えた。

 たとえば長い休暇を手にしたとする。
長いといっても、1〜2週間である。
そういうとき私は、遊ぶことに対して、おかしな罪悪感を
覚える。
「遊んでいてはいけないのだ」という罪悪感である。
人は、そういう私を批評して、「貧乏性」という。

 だから私のばあい、利益があるとかないとか、
そういうことには関係なく、働いていたほうが、気が楽。
何かをしていないと、落ち着かない。

●悪夢

 もうひとつは、悪夢。
悪夢といっても、怪獣が出てくるとか、悪魔が出てくる
とかいうものではない。
何かに乗り遅れるという夢である。

 たとえばどこかの旅行地に行っている。
飛行機に乗る時刻が迫っている。
空港まで行くリムジンは、ホテルの前で待っている。
しかし部屋の中は、散らかったまま……。
急いで片付けているのだが、すでにバスはそこにいない。

 内容はさまざまだが、基本的な部分は同じ。
こうした夢を、ほとんど毎朝のように見る。

●世代連鎖

 話を戻す。 
さらに言えば、その人が基本的不信関係の人であっても、
それはその人の範囲での問題ということになる。
不幸な過去について、その人に責任があるわけではない。
しかしあくまでも、その人、個人の問題。

 それに私の世代でいうなら、みな、そうだった。
「戦争」というのは、そういうもの。
人心そのものを荒廃させる。
あの時代、まともな家庭環境で育った人のほうが、少ない。

 が、この基本的不信関係は、きわめて世代連鎖しやすい。
親から子へと伝わりやすい。
親が心を閉じていて、どうして子が、心を開ける子どもに
なるだろうか。
夫婦関係についても、同じ。
夫が心を閉じていて、どうして妻が、心を開ける妻に
なるだろうか。
友人関係や、近隣関係、さらには親類関係にしても同じ。
この問題には、そういう深刻な側面が含まれる。

●私たちの子育て

 私のばあいも、結婚はしたものの、妻にさえ、心を
開くことができなかった。
妻も、4歳くらいのときに、母親をなくしている。
ともにいびつな家庭環境で、生まれ育った。

 だから今にして思えば、私たちのした子育ては、どこか
いびつだった。
子育ての情報そのものが、脳の中に、インプットされて
いなかった。
おまけに、私たちを指導してくれる人さえ、近くにいなかった。
暗闇の中を、手探りで、子育てをしているようなものだった。

 私は(仕事の虫)となって、夢中で仕事をした。
家庭を顧みなかった。
ワイフのほうはどうかは知らないが、全体としてもみても、
平均的な母親よりは、愛情が希薄だったと思う。
3人の子どもたちは、日常的に愛情飢餓の状態に置かれた。

●母自身も犠牲者(?)

 先ほど、世代連鎖のことを書いた。
実のところ、私が基本的不信関係に陥ったのは、私の母との
関係だけ、というふうに考えるには、無理がある。

 このことは最近になって、いとこたちと話すことで知った。
当人たちは、それに気づいているかどうかは知らないが、いとこの
中には、私と同じような症状で苦しんでいる人が多い。
つまり私の母自身も、心の開けない人だった。
虚栄心が強かったのも、そのひとつということになる。

 同じように、いとこたちの中にも、心の開けない人がいる。
そういう人を知ることによって、私の母自身も、その前の
世代から、世代連鎖を経て、あのような母になったことがわかる。
こんなことがあった。

●ある知人

 あるいとこと、いっしょに食事をしたときのこと。
当時私は、入眠導入剤というのを、のんでいた。
いわゆる「眠り薬」である。
ときどき眠り損ねると、夜中の2時、3時まで、眠られない
ことがある。
それでそういう薬を、医師に処方してもらった。

 で、その話をして、ふと薬を見せると、そのいとこは、
その薬名を、さっとメモに書き写していた。
イヤ〜ナ気分だった。
何かを調べられているような気分だった。

 実のところ、そのいとこも、愛想はよいが、だれにも
心を許さないタイプの男だった。
ただ私とのちがいは、私にはそれがわかったが、その
知人には、それがわからなかったということ。
もちろん「基本的不信関係」という言葉すら、知らないだろう。

●オーストラリア

 私が「心を開く」ということを知ったのは、オーストラリアへ
渡ってからのこと。
オーストラリア人というのは、総じて、心がオープン。
戦勝国として、戦後、きわめて恵まれた国で、みな生まれ育った。
当時は、世界でも1、2を争うほど、豊かな国だった。

 たとえば映画館などでも、静かに映画を観ているような客は
いない。
画面に反応して、声を張り上げたり、手を叩いたりして観ていた。
海辺へ行けば、みな、素っ裸で、泳いだ。
男も、女もない。
そういうオーストラリア人と接するうちに、私は、心を開くことが
どういうことかを知った。
そのせいか、今でも、個人的な悩みや苦しみは、相手がオーストラリア
人だと、話せる。
日本人だと、話せない。

 あるいは今でも、相手がオーストラリア人とわかったとたん、
10年来、20年来の友人のように、話しかけていくことが
できる。

●私の教室では・・・

 今、多くの幼児を教えさせてもらっている。
で、あのピアジェも、人間は、2度、作りかえるチャンスが
あるというようなことを説いている。
一回目は、1・5歳〜2歳前後※。
しかしこれは私の専門外。

 もう1度は、4〜5歳※にかけての時期。
(※年齢は、記憶によるものなので、不正確。)
これについては、私も納得する。

この時期に適切な指導をすれば、心の開けない子どもでも、心を
開くことができるようになる。
子ども自身が、大きく変化する。

 もちろんそんなことは親には言わない。
言っても理解されないだろう。
しかし私はそういう子どもを知ると、猛烈な指導意欲が
わいてくる。
それは自分自身との闘いのようなもの。
そしてこう思う。
「ぼくが直して(治して)やろう!」と。

 不幸にして不幸な家庭に生まれ育ち、(けっして
見た目の裕福さにだまされてはいけない)、心が
開けなくなった子どもは、多い。
そういう子どもを見かけると、とても他人ごとのように
思えなくなる。

●知っているのは、私だけ

 もちろん子ども自身も、それに気がつくことはない。
仮に開けるようになったとしても、私のおかげで
そうなったとは、思わない。
ただ自分が味わった不幸、現在進行形でつづいている
不幸だけは、経験させたくない。
そういう思いが、強く働く。

 方法は、簡単。
大声でゲラゲラと笑わせる。
言いたいことを言わせる。
心の状態と表情を一致させる。

 が、この時期を逃したら・・・。
この問題にも臨界期のようなものがあって、それ以後、
心を開くようになるのは、たいへんむずかしい。

●終わりに・・・

 ほとんどの人は、「私は私」と思っている。
しかしその「私」は、けっして私ではない。
繰り返しになるが、私のばあいも、日々に襲いくる不安感と
焦燥感。
いまだにそれに苦しんでいる。
人を信じられない孤独感を、どうしようもないでいる。

 が、それが本当の「私」かというと、そうは思いたくない。
そういう「私」は、環境の中で、作られた「私」でしかない。
私は、作られた「私」にあやつられているだけ。

 ……ということで、ここでの結論。

●結論

 まず、そういう「私」であることを知ること。
そういう「私」で知った上で、そういう「私」と、うまくつきあうこと。
直そうとおもって、直るものではない。
直そうともがけばもがくほど、深みにはまってしまう。

この問題は、本能に近い部分にまで、刻み込まれている。
また前頭連合野の理性で、コントロールできるような問題もない。
だから、あとは、うまくつきあっていくしかない。
つまり居直る。
「私は、こういう私」と居直る。

 だれしもこの程度の十字架の、1本や2本を背負っている。
十字架を背負っていない人はいない。
まずいのは、そういう「私」がいることに気づかず、それに振り回される
こと。
同じ失敗を繰り返すこと。

このエッセーが、あなたの中の「私」を発見するための手がかりになれば、
うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 基本的信頼関係 基本的不信関係 ショ
ーペンハウエル 2匹のヤマアラシ 私探し はやし浩司 私とは 心を開
く 幼児教育 解放 心の解放 はやし浩司)

【次回へつづく】(次回は基本的信頼関係について)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2011年、あいさつ】

+++++++++++++++

少し早いですが、HP用に、
2011年のあいさつを書きます。

+++++++++++++++

●完全燃焼を目指して……

 2010年(昨年)は、現状維持に心がけました。
健康、仕事、人間関係など。
が、2011年は、もう一度、がんばってみようと
考えています。
つまりこれからの数年をかけて、自分を燃やし尽く
そう、と。

何も年齢に遠慮する必要はありません。
老後などというものは、先の先の話。
考えようによっては、20代、30代のころよりは、
ずっと仕事がしやすいはず。

●7500メートルの山

 人生を山登りにたとえる人は多いですね。
山登りを、人生にたとえる人も多いですが……。
「70歳まで働く」ということは、「7000メート
ルの山に登るようなもの」。
……というような話を義兄に話しましたら、義兄は
すかさず、こう言いました。
「7500メートルにしなさい!」と。

高い山に登るためには、それなりの準備が必要です。
今年1年をかけて、私はその準備に取りかかります。
7500メートルの山に登るのです。
そこに何があるか、私にはわかりません。
しかし登ってみます。
それがこれからの私の目標ということになります。

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●今日から11月(2010−11−01)

●読者のみなさん、ありがとう!

BLOGを丸2日、さぼった。
沖縄へ行ってきた。
ホテルでもネットは使えたが、天気予報を見たり、メールを読んだだけ。
で、帰ってきて、昨日の朝、BLOG再開。
それを見て、胸が熱くなった。
つまりBLOGへのアクセス数を見て、胸が熱くなった。

アクセス数が、ほとんど減っていなかった!

これは私の勝手な解釈かもしれない。
しかし読者のみなさんが、毎日、習慣的に私のBLOGへアクセスしてくれて
いる。
私はそう思った。

ありがとう!

・・・ということで、旅の疲れもなんのその。
今朝から再びBLOG再開!

Hiroshi Hayashi+++++Nov.2010+++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幼保一元化・メリット・デメリット(走り書きメモ)】

●流れ

 今までの流れとしては、こうだ。

 少子化が進むにつれて、園児が減り、私立幼稚園の経営がきびしくなってきた。
(2009年度、3〜5歳児の定員充足率は、69%。)
このあたり(静岡県西部)でも、園児募集の解禁日は、例年11月1日と
なっていた。
また内部では、そう定められている。
が、ここ10年、その解禁日を守る私立幼稚園は、ない。
早いところでは、「夏祭り」などの名目で、7〜8月頃から、園児集めの活動を
始める。

 同時に、不況、それにともなう共働き夫婦がふえ、午後2時で終了する幼稚園が
敬遠されるようになった。
そこで内々には、私立幼稚園では、「預かり保育」と称して、午後5時前後まで
園児を預かるようになった。
(こうしたやり方は、すでに40年前からあった。)
「預かり保育」といっても、認可された保育ではない。
あくまでも、「内々」。
特別の費用は徴収していない。

●保育時間の延長

 そこで15年ほど前(1995年ごろ、筆者の記憶による)から、保育時間の延長を、
(私立)幼稚園協会は当時の文部省に対して、たびたび申し入れを行った(記憶)。
つまり幼保一元化の問題は、このあたりから生まれたと考えてよい。

 一方、保育園(正式には保育所)は、ただ単に幼児を預かる施設から脱皮し、
幼稚園教育にまさるとも劣らないカリキュラムを用意して、「教育」に積極的に
かかわるようになってきた。
20年ほど前から、文字・数を教える保育園が急増した。
毎週、ワークブックを指導する保育園や、さらに何と、かけ算の九九まで暗記させる
保育園も出てきた。
つまり幼稚園と保育園が、競合するようになった。
(2010年4月現在、保育園に入園できない待機児童は、全国で2万6000人
あまりいる。)

 が、0歳児から、しかも平均して午前7時から午後7時まで預かる保育園と、
原則として午後2時で終了する幼稚園とでは、勝負にならない。
もう一度、保育所と幼稚園のちがいと、幼保一元化の問題点を、おおざっぱにまとめ
てみる。

(1)幼稚園vs保育園
   幼稚園は月謝制(保育園より月謝が一般的には、高額)。
   保育園は、親の所得に応じて、納入額が変わる。
   幼保が一元化すれば、月謝(納入額)をどうするか。
   とくに所得の少ない家庭はどうするかという問題が起きてくる。
   さらに今まで月謝制を取っていた幼稚園側にも不安感は強い。
   補助金の減額は、当然のことながら、収入や施設の補修費の減少につながる。
   
(2)経営
   幼稚園の経営ボーダーラインは、150〜200人と言われている(某私立
   幼稚園園長談)。
   それ以下の児童数になると、経営はたいへんむずかしくなる。
   園児は多ければ多いほど、経営は安定する。

   一方保育園の適正人数は、60〜90人と言われている。
   あるいは180人以上(某保育園園長談)。
  (保育園のばあい、園児を見送るのは、たとえば最低でも2人の保育士と定め
   られている。
   ほとんどが人件費だが、それらから計算すると、上記のような数字が出てくる。)

(3)管轄(所管)
   幼稚園は文科省の管轄(所管)、保育園は厚労省の管轄(所管)。
   そのため社会保障制度、共済組合制度、給与体系が異なる。
  (幼稚園は学校法人、保育園は社会福祉法人である。)
   幼保一元化といっても、実際の運営上、これらの問題を、どう克服していくか。
   またその財源は、どうするか。

   国は地方裁量型の解決策を考えているが、自治体の首長の理解のあるなしで、
   補助金を一般財源にどれほど組み込むかが決まる。
   現在、幼稚園の補助金は、一般財源に組み込まれているが、保育園のほうは、
   組み込まれていないところが多い。
   全体として、幼稚園教諭(幼稚園)の給料は、比較的に、保育園の保育士より
   も高い。
   幼保一元化というのは、(流れ)からして、幼稚園側の経営上の問題が発端と考え
   てよい。
   つまり保育園側は、このあたりを、かなり心配し、不安に思っている。

(4)園児不足と待機児童の増加
   原則として、専業主婦の子どもは、保育園には入園できない。
   その一方で、子どもをなぜ保育園へ入れるかという質問に対して、「楽をしたい」と
   答える母親は多い。
  (実際には、そう願っている母親がほとんどと考えてよい。)

   産休があっても、保育園へ子どもを預けたがる親も現実には、多い。
   つまり母親の育児負担を軽減するために、保育園があると考えてよい。
  (産休、育児休暇が定着すればするほど、皮肉なことに待機児童がふえたという
   事実も指摘されている。)

   また現実問題として、都会のマンションに住んでいるような家族のばあい、子ども
   をできるだけ早くから保育園へ預けたがる傾向がある。
   マンションの一室だけで、子どもを育てることへの不安感は強い。

(5)幼稚園と保育園の両立
   そこで同じ園舎を2つに分け、一方を幼稚園、一方を保育園とする「園」が、各地
   に現われた。
   それを認可したのが、「認可子ども園」(正式には「認定こども園」という)
   ということになる。

   中身は、幼保一元化というのでなく、幼稚園と保育園を同居させたもの。
   園舎の半分を幼稚園、残り半分を保育園とする、など。
   しかし認可子ども園が、問題の解決策かというと、そうでもない。
   たとえば給食ひとつ取りあげても、そのつど幼稚園児の分、保育園児の分と、分け
   なければならない。
   会計上の経理問題がたいへん複雑で、ある会計士などは、「運営は不可能」とさえ、
   断言している。
   わかりやすく言えば、認定子ども園は、経営が苦しくなった幼稚園を救済する目的
   で生まれたと考えてよい。

(6)介護制度をまねる
   そこで今、考えられているのは、必要性を「度数」で評価し、その度数で、保育料
   を決めようという方法。
   保育料は同じでも、利用度に応じて、保育料、補助金を調整しようというもの。
   しかしこの制度は、そうでなくても煩雑な幼稚園経営、保育園経営をかえって、
   圧迫する可能性がある。

(7)メリット
   幼保一元化でメリットがあるとすれば、近くに幼稚園がない地域に住む人たち
   くらいではないか。
   近くに保育園があっても入れない人は多い。
   たとえば裕福な専業主婦など。
  (原則として、共働きでないと、保育園へは入れない。)
   そういう人は、遠方の幼稚園へ通わねばならない。

(8)保育園側の不安
   保育園側の不安感は強い。
   幼保一元化によって、補助金がふえるのか、それとも減るのか。
   国は地方裁量型を考えているが、そうなると首長の判断、理解度によって、
   補助金の増減が決まってしまう。
   当然、経営、保育士の給料にも大きく影響してくる。

●子ども園

 待機児童問題を解決するために、「子ども園(こども園)」構想が生まれた。
子ども園について言えば、政府は、事業所と自治体が認めたばあい、自動的に
認定されることになる。
(現在保育園は、国による認可制で、基準はかなりきびしい。)
つまり「民間企業」の参入が可能になる。
自由競争が可能になるが、保育料は、現在より高額になると考えられる。
 
 これについて政府は、「幼稚園と保育園を廃止しつつ、現存の幼稚園と保育園を
子ども園として再生させる」という考え方を取りつつある。
つまり幼稚園と保育園を足して2で割ったのが、「子ども園」と。

●幼稚園の不安

 幼稚園側にも不安がある。
教育力の低下を心配する園長も多い。
今の今ですら、幼稚園の教師たちは、多忙で悲鳴をあげている。
子どもを預かるというのは、それ自体、重労働である。
たった1人や2人の子どもをもてあましている母親は多い。
それを20〜25人もまとめてめんどうをみる。
いかにたいへんな仕事であるかは、経験したものでないとわからない。

 しかも休息時間は、ほとんどない。
加えて相手が幼児のばあい、目が離せない。
気が抜けない。
預かり保育を担任している教師は、(幼稚園のばあい、平均して午後5時まで
だが)、傍で見ていても気の毒になるほど、体力と神経をすり減らしている。

 そのため現実問題として、いくら園児が不足していても、問題のある子ども(たとえば
多動性児、集中力欠如型児、自閉症児)は、入園を断られることが多い。
(最近では、入園に際して、面接をする幼稚園がふえているのは、そのため。
ある園長は、「面接はそのためにする」と教えてくれた。

 「教育力の低下」は、そういうところから心配されている。
つまり教師に言わせると、「教育どころではない」となる。

●子ども園(幼保一元化の結果としての子ども園)のメリット・デメリット

 子ども園のメリット・デメリットには、2面性がある。
現存の幼稚園、保育園の経営者側からみた、メリット・デメリット。
子どもをもつ親側からみた、メリット・デメリット。
ここでは親側から見た、メリット・デメリットを考えてみる。

【メリット】

●育児負担の軽減

 子ども園構想は、待機児童の解消策として考えられている。
つまり子ども園がニーズに応じて、ふえればふえるほど、待機児童は減る。

 ここで注意しなければならないのは、幼稚園にせよ、保育園にせよ、子どものため
にあるというよりは、親、とくに母親の育児負担の軽減のためにあるということ。
母親は、子どもを子ども園に預けることにより、育児負担を軽減することができる。
またそのために現在の保育園や幼稚園があると考える。

 従って、専業主婦、共働き主婦という区別の仕方は、すでに現実性を失っている。
(専業主婦だって、息抜きしたいと願っている。)
母親たちは子どもを子ども園に預けることによって、育児負担を減らすことができる。

●選択肢の多様化(=教育の活性化)

 現在、とくに田舎の過疎地に住んでいるばあい、保育園へ入れたくても入れられない
ケースが目立つ。
とくに専業主婦のばあい、入園がむずかしい。
が、保育園が子ども園になれば、垣根がはずれ、自分の子どもを預けることができる。

 また民間企業、あるいはNPO団体が事業所として参入することにより、より自由で
柔軟性をもった「保育システム」が可能となる。
(政府の構想では、最低限必要な基本基準さえ守れば、それ以外は自由ということらしい。)

 いうなれば、温室の中で今まで無風状態だった幼稚園、保育園が、それだけ自由競争
の荒波の中に、放り込まれることになる。
(現実に、補助金だけを目当てに、従来通りの、お決まり的な教育しかしていない幼稚園
は多い。)

●女性の社会進出

 その分だけ、女性が社会進出がしやすくなる。
妊娠、出産、育児を契機として、それまでのキャリアをあきらめなければならない女性は
多い。
慢性的な欲求不満状態になっている母親も多い。
そうした女性が、職場での活躍を維持できるようになる。

【デメリット】

●保育料の増額

 介護制度に似た、度数制も考えられているが、最大のデメリットは、受益者負担の名の
もと、親の負担がふえることが考えられる。
(幼稚園側にしてみれば、補助金の削減につながる。
一方保育園側にしても、地方自治体の裁量によって、財源が減らされることも考えられる。)

 とくに事業体が介入してくると、利潤の追求が目的となる。
受験塾どうしでするような競争が激化する心配もある。

●所得の少ない家庭

 とくに所得の少ない家庭は、どうするか。
あるいはどう援助していくか。
そのための「度数制」ということになるが、介護制度をみてもわかるように、手続きが
煩雑になる。
家庭そのものが崩壊しているケースも多い。
そういう家庭の親たちを、どう指導していくか。
筆者も介護制度を利用させてもらったことがあるが、「たいへん」の一言に尽きる。
(その点、現行の幼稚園でしているような月謝制は、わかりやすい。)

●解決策

 子ども園の保育料の上限を定めるという方法もある。
その一方で、政府内部では、「利用料の上乗せを容認する」(日本経済新聞社NEWS)
ということも検討されている(11ー3)。
つまるところ、お金(マネー)の問題ということになる。
親にしてみれば、できるだけ安い利用料で、質の高い教育を望む。
幼稚園から子ども園に移行したような幼稚園にしてみれば、従来の収入は確保したい。
その一方で、政府としては、財政難からできるだけ財政的負担を軽減したい。
そのはざまにあって、保育園関係者は、保育園への補助金がどう削られていくのかと、
戦々恐々としている……。

 結局は受益者負担ということで、子どもをもつ親に、負担が押しつけられていくこと
になる。
幼稚園関係者の間では、こんな声も聞かれる。
「おけいこ塾に、毎月4〜6万円も使っている親も多い。
おけいこ塾でするような教育を幼稚園内部ですれば、月謝をあげても問題はないのでは
ないか」と。
そういうのを「質の高い教育」と言ってよいのかどうかは、わからない。
しかし方向としては、そういう方向に進むと考えてよい。

●付記

 子どもの教育は、直接的には、親がする。
それが基本である。
また育児は、親の義務ではなく、権利である。
が、そうした意識が、年々、希薄になってきている。
子育てそのものを、めんどうと考える親もふえている。
待機児童がふえていることの背景には、入園を必要としない親までが、入園を希望してい
るという事実もある。

 それがよいことなのか、悪いことなのかという議論はさておき、(またどうしたらよいか
という議論もさておき)、そういう「現実」があるという前提の上で、この問題を考える。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼保一元化 幼保一元化と子ども園 認定こども園 こども園構想 こ
ども園のメリット、デメリット はやし浩司 2010−11−03)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(特集)
【子ども園(こども園)、もうひとつの深刻な問題】2010/11/04

●子育ては本能ではなく、学習である

 子育ては本能でなく、学習である。
つまり人は、自分が親に育てられたという経験があってはじめて、
今度は自分が親になったとき、自然な形で子育てができる。
そうでなければ、そうでない。

 つまり「子育て本能」というのは、高度に知的な動物であれば
あるほど、「ない」。
たとえば人工飼育された動物は、自分では子育てができない。
とくに人間においては、そうである(※1)。

そればかりではない。
乳幼児期は、心の育成という意味では、たいへん重要な時期である。
2000年に入ってから、「ミューチュアル・アタッチメント
(mutual attachment)」という言葉が聞かれるようになった。
母子関係というと、母親側からの乳幼児への一方的な働きかけのみと
考えられている。
しかし実際には、乳幼児側からも、母親に対して働きかけがあることが
最近の研究でわかってきた(※2)。

 この時期に母親の濃密な愛情を経験していない子どもは、そののち、
さまざまな問題を引き起こすことがわかっている。
「基本的不信関係」(※3)もそのひとつ。

 つまり子どもというのは、(あなた自身もそうであったが)、絶対的な
さらけ出しと、絶対的な受け入れ、この2つを基盤として、その上に、
基本的信頼関係を構築する。
「絶対的なさらけ出し」というのは、「どんなことをしても、自分は
許される」という、子ども側の安心感をいう。
「絶対的な受け入れ」というのは、「乳幼児がどんなことをしても、
子どもを受け入れる」という、親側の包容力をいう。

 この基本的信頼関係の構築の失敗すると、基本的不信関係、さらには、
心の開けない子ども、さらには、将来的に親像のない親になる危険性が
高くなる。

人格的にもさまざまな問題を引き起こすことが、わかっている。
ホスピタリズム(※4)も、その一つ。
「施設病」と訳されている。
が、「施設児」、あるいは「施設障害児」と訳すべきか。
わかりやすく言えば、人間的な温もりを喪失した子ども(おとな)になる。
表情の貧弱な子どもになることも、指摘されている。
が、問題は、ここで止まらない。

 先にも書いたように、子ども(人)は、自分が親によって育てられた
という経験(=学習)が体にしみこんでいてはじめて、自分が親になった
とき、自然な形で、子育てができる。

ただ「育てられた」というだけでは、足りない。
濃密な親子関係、とくに濃密な母子関係が重要である。

「子育ては本能ではなく、学習」というのは、そういう意味。
わかりやすく言えば、(しみこみ)。
その(しみこみ)がなければ、自分が親になったとき、自分で子育てが
できなくなる。

 振り返ってみると、現在の親たちが乳幼児のころというのは、日本は
高度成長の真っ最中。
多くの親たちは仕事に忙しく、子どもにじゅうぶんな、つまり濃密な
愛情を注ぐだけの余裕がなかった。
0歳から保育園へ預ける親も少なくなかった。

 そうした子どもが現在、親になり、子育て(?)をしている。
しかしその内容は、かなりいびつなものと考えてよい。
端的に言えば、自分で子育てができない親がふえている。
その結果として、0歳から、保育園は入園させ、子どもを施設に預けて
しまう……。
みながみな、そうというわけではないかもしれない。
共働きをしなければ、生活できないという家庭も多い。
しかし「自分で子育てができない親がふえている」のも、事実。

 さらに一歩踏み込んで、自分の子どもを愛せないと悩んでいる母親も
多い。
8〜10%の母親がそうである。
マターナル・デプリベイション(Maternal Deprivation)(母性愛欠乏)
(※5)という言葉も生まれた。

 そこで、子ども園。

 待機児童の多さばかりが問題になる。
しかし実際には、母親の育児負担の軽減としての子ども園。
さらには育児ができない母親たちの、救援施設としての子ども園。
そういう性格も併せもっている。

 私たち日本人は、この繁栄の中で、得たものも多いが、しかし失った
ものも多い。
そのひとつが「家族の絆」ということになる。
「親子関係の濃密さ」と言い替えてもよい。
たとえば欧米では、(今でも)、子育ては権利であると考える親は多い。
義務ではなく、権利である。
その権利が奪われそうになると、彼らはそれに対して、きわめて鋭敏に
反応する。

 が、この日本では、どうか?

 子ども園構想も大切だが、しかし日本の将来を考えるなら、子育ては、
親自身がする。
それが基本である。
その上で、補助的機関として、子ども園を利用する。
その姿勢を忘れてはならない。
もしこんなことを繰り返していたら、日本の乳幼児はやがて、施設のみで
人工飼育されるようになる。
そこで飼育された子どもが、親になり、さらに自分の子どもを施設のみで
人工飼育するようになる。

 その結果、この日本はどうなるか。
それを少しでも頭の中で想像してみたらよい。
そこにあるのは、心の冷たい人間だけが住む、乾いた砂漠のような世界。
そのうしろで寒々とした風が、枯れ葉を舞いあげている……。

 目の前に見える、立派なビルや道路、家や車を見ながら、それでもあなたは、
「この日本は豊かになった」と思うだろうか。……思えるだろうか。

【次回へつづきます】


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日韓経済戦争】作られる反日感情(はやし浩司 2010−11−01)

++++++++++++++++++++

今度日本が、ベトナムの原子力発電所建設
プロジェクト(第2期事業)で、その
パートナーに内定した。

そのニュースもさることながら、韓国の中央
N報(11月1日)は、つぎのように国内で
報道している。

 『…… 日本メディアは「新興国の原発建設に
政府と民間が合同で全力を傾けている韓国に
対応するため、日本が構成した'官民合同体'
が成し遂げた初めての快挙」と一斉に報じ
た』(中央N報、11月1日、原文のまま)と。

この中で、「韓国に対応するため」という文言に
注目してほしい。
そこで日本では、どのように報道されているか、
調べてみた。
本当に「韓国」を名指しで、「快挙」と報道して
いる報道機関があったのか。
私もこのニュースは、新聞、ネットで知っていた。
韓国の連合体と競っているいる話は聞いていた。
しかし……?

ともあれ、あちこちのサイトで、このニュース
を調べてみたが、「韓国に対応するため」と書いた
報道機関は、見あたらなかった。

以下、事実だけを並べてみる。
誤解、偏見をなくすため、削除することなく、
全文を転載、並べて比較してみる。

++++++++++++++++++++++

●韓国中央N報はつぎのように伝えた(11月1日)

*************以下、韓国・中央Nより***************

韓国・フランス・日本が競合するベトナムの原子力発電所建設プロジェクト第2期事業で、
日本がパートナーに内定した。 

  ベトナムのグエン・タン・ズン首相と日本の菅直人首相は31日、ベトナム・ハノイで
首脳会談を開き、このように明らかにしたと、日本経済新聞が報じた。同紙は「これは日
本が新興国の原発建設を受注した事実上初めてのケースであり、規模は1兆円にのぼる」
と伝えた。 

  ベトナムは2020年代初期までに4基の原発建設を終える予定で、4基の原発のうち
第1期事業の2基はすでに年初にロシアが受注している。今回の第2期事業の2基はベト
競合していた。 

  日本は原発建設を受注する代わりにベトナム側の港などのインフラ建設に790億円の
借款を供与し、原発関連技術の移転を提供することにした。また両国首脳は戦略物資であ
るレアアース(希土類)の研究および開発も共同で協力することにした。 

  菅首相は「原発とレアアースの二つの問題について両国がパートナーになったのは真の
パートナーシップが始まったという象徴的な意味を持つ」と強調した。 

  今回のベトナム原発建設プロジェクト第2期事業は、先月22日に官民合同出資で発足
した「日本国際原子力開発」を中心に進行された。東芝・三菱重工業・日立製作所が参加
している。 

  日本メディアは「新興国の原発建設に政府と民間が合同で全力を傾けている韓国に対応
するため、日本が構成した'官民合同体'が成し遂げた初めての快挙」と一斉に報じた。

*************以上、韓国・中央Nより***************

***************以下、J−Castより*************

●J−Cast(11−2)

 菅直人首相は2010年10月31日、ベトナム・ハノイ市内でグエン・ダン・ズン首相と会
談、原子力発電所2基の建設を日本側が受注することが決まった。

ベトナム北西部にあるレアアース(希土類)の開発を共同で進めることにも合意した。菅
首相は、港湾建設などに総額790億円の円借款を新たに供与する意向を表明した。

*************以上、J−Castより***************

*************以下、読売新聞より*****************

●読売新聞(10−31)

【ハノイ=宮井寿光、永田毅】菅首相は31日、ベトナムのグエン・タン・ズン首相とハ
ノイ市内の首相府で会談し、両国関係に関する共同声明に署名した。

 ベトナム政府が予定している原子力発電所建設計画について、日本を「協力パートナー」
とすることで合意し、日本勢の受注が事実上決まった。日本が新興国で原発建設を受注す
るのは初めて。

 日本はこれまで、新興国で激化する原発建設の受注競争で相次いで敗北してきたが、今
回は官民一体で集中的に受注活動を展開したことが奏功した。

 対象となるのは、南部のニントゥアン省に予定されている第2期工事の原発2基分。ベ
トナム側は条件として、低金利での優遇貸し付け、最先端技術の利用、廃棄物処理協力な
どを示し、日本側も応じた。ズン首相は会談で、日本の受注について「政治的、戦略的決
断だ」と語った。

 両首相は省エネ家電などの部品に不可欠なレアアース(希土類)についても共同開発で
合意した。レアアースの生産量は中国が世界の9割以上を占めるが、輸出制限が世界的に
問題となっており、「中国依存」からの脱却を図る狙いがある。

*************以上、読売新聞より*****************

*************以下、NHKサイトより***************

●NHKニュース(10月31日)

ハノイを訪れている菅総理大臣は、31日にベトナムのズン首相と会談し、現地で計画さ
れている原子力発電所の建設を日本の企業に受注させるよう求めるのに対し、ズン首相は
日本側の要請に応じることを表明する方向で調整を進めています。

ASEAN=東南アジア諸国連合などとの一連の首脳会議に出席するため、ハノイを訪れ
ている菅総理大臣は、ベトナム訪問の最終日の31日、ズン首相と会談する予定です。こ
の中で菅総理大臣は、ベトナムで計画されている原子力発電所2基の建設事業で、日本企
業に受注させるよう要請する方針です。

ベトナムの電力公社は、高い技術力などを評価して日本に発注する方針を固めていました
が、関係者によりますと、ズン首相は菅総理大臣に対し、ベトナム政府として日本側の要
請に応じることを表明する方向で調整を進めているということです。

日本政府は、アジアでのインフラビジネスを成長戦略に掲げており、外国企業との競争が
激しい原発事業で、今回ベトナムから受注を得る方向となったことで、今後の海外展開の
弾みとしたい考えです。

また、菅総理大臣は希少資源の「レアアース」について、中国への過度な依存から脱却す
るため、日本企業と現地企業が合弁で手がけることが決まっているベトナム北部の鉱山開
発について、できるだけ早く生産が始められるよう、協力を求めることにしています。

*************以上、NHKサイトより***************

*************以下、朝日新聞サイトより***************

 【ハノイ=高野弦】ベトナムの最高意思決定機関である共産党の指導部は、同国南東部
に建設を予定している原子力発電所について、日本企業に発注する方針を決めた。複数の
関係者が明らかにした。正式決定すれば、原発を新たに設置する新興国で、日本が受注す
る初のケースとなる。 

 31日の日越首脳会談で、ズン首相から菅直人首相に発注の意向が伝えられる見通し。 
 日本企業への発注方針を決めたのは、南東部ニントアン省の原発2基(出力計200万
キロワット)で、2021年の運転開始を目指している。 

 ベトナムは2030年までに14基の原発の建設・稼働を計画。このうち具体化してい
るのはニントアン省の4基で、最初の2基は昨年12月にロシアが受注した。 

 インフラ輸出を成長戦略の軸にすえる日本は、残る2基の受注を目指し、今年に入って
受注活動を展開。経済産業相らが8月、経済界とともにベトナム入りし、人材育成や資金
援助などを提案していた。また、10月には新興国での受注を目指した官民共同出資の「国
際原子力開発」を立ち上げていた。 

*************以上、朝日新聞サイトより***************

●一事が万事

 中央N報を読んだ韓国の人たちは、どう思うだろうか。
日本があたかも韓国を叩くために、ベトナムでの原子力発電所建設工事を受注したと
解釈するだろう。
「快挙」、つまり「日本人は、韓国に勝ったと喜んでいる」と。

 受注競争の過程では、たびたび韓国の名前が出てきたのは事実。
中央N報にもあるように、韓国は政府と民間が一丸となって受注合戦を繰り広げていた。
で、日本もそれに対抗して、(あくまでも対抗して)、政府が受注合戦に乗り出した。
その結果、日本が受注に成功した。

 が、成功したあとは、どの報道機関も、「韓国」の「カ」の字も書いていない。
が、韓国では、『新興国の原発建設に政府と民間が合同で全力を傾けている韓国に対応する
ため、日本が構成した'官民合同体'が成し遂げた初めての快挙」と一斉に報じた』と。

 こうした報道操作は、日常茶飯事。
ことあるごとに国内の反日感情をかきたてている。
しかしこれは天下の報道機関として、あるべき報道姿勢ではない。
中央N報は、日本の報道機関のどれをさして、「一斉に報じた」としているのか。

 一事が万事というか、韓国の新聞を読んでいると、この種の情報操作があまりにも多い。
少し前は、自前で気象衛星をあげたことについて、「これで日本の世話にならなくてすむ」
と。

 今までさんざん日本の世話になっておきながら、この言いぐさはない。
せめて「今まで、ありがとう」の一言くらいは、あって当たり前。

それではいけないということで、あえて今回のニュースを取りあげてみた。

●追記

 対する日本は、どうか?

たまたま同日(11−2)TBS−iニュースは、こんなニュースを報道している。
こちらは、重要なニュースではないので、一部、省略させてもらう。

***********以下、TBSーiニュースより*************

●第二次韓流ブーム

 最近、日本で新たな「韓流ブーム」が社会現象になりつつあります。次々とデビューし
てチャート入りを果たす韓国のガールズ・グループ。その背景には、ブームを作り出す、
ある壮大な「戦略」がありました。

(中略)
 
 4か国語が飛び交う会見場。1日、韓国・ソウルの外国特派員協会に姿を現したのは、
人気ガールズ・グループ「少女時代」です。19歳から21歳までの9人からなる「少女
時代」。3年前にデビューし、韓国でトップに登りつめた後、台湾やタイなどのヒットチャ
ートでも1位を獲得。中国でもツアーを行うなど、アジア全域で活躍中です。そして9月、
満を持して日本デビュー。第2弾シングルが先週、日本を除くアジアの女性グループとし
て史上初のチャート1位を記録しました。

 日本の韓流ブームといえば、これまで比較的高い年齢層の女性たちに支えられてきまし
た。この新たな韓流ブームの特徴は、日本の若い女性の心を捉えていることです。美脚が
売りの少女時代だけでなく、大人の魅力を強調するグループ「BROWN EYED GI
RLS」、ヒップダンスを得意とするグループ「KARA」などが、今年に入って次々と日
本デビューを果たしています。

 1日の会見のテーマは彼女たちの世界戦略でした。

(中略)

 周到な準備の下、続々と上陸する韓国のガールズ・グループ。しかしその目は、すでに
日本のはるか先を見据えているのかもしれません。(01日22:48)

***********以上、TBSーiニュースより*************

 日本人のノー天気ぶりには、あきれるばかり。
緊張感がまるでない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 韓国の報道機関による情報操作 反日感情 作られる反日感情)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【沖縄旅行】B777−300にて(後編、前回のつづき)

●夕食

 夕食は、息子を交えて、3人でとった。
国際通りの一角にある平和通り。
さらにそこから入ったところに、公設市場がある。
魚介類が生きたまま並べてある。
そこから自分の食べたい魚や貝、カニやエビを選ぶ。
それをその上の階の食堂で、料理してもらい、食べる。

 台湾や香港で、そういう店によく入ったことがある。
というか、売り場の女性をのぞいて、従業員は日本語が通じない人たちばかりだった。
私は店の女性と交渉して、3人前で6000円になるようにしてもらった。

 で、話を聞くと息子はこう言った。
「何も届いていない」と。

 私が書いたはがきも、メールも、何も届いていない、と。
???
息子は「住所がちがっていたのでは?」と数回、言った。

息子が、私のはがきやメールを無視したのではなかった。
音信が途絶えたのではなかった。
何かの理由で、行き違いになったらしい。
それを聞いて、半分、ほっとした。
心の中の塊が、スーッと消えていった。

●ロアジール・スパ・ホテル

 泊まったのは、ロアジール・スパ・ホテル。
沖縄でも最高級のホテルという。
知らなかった!
新館は2009年にオープン。
その新館。
あちこちのホテルや旅館に泊まり歩いてきたが、まあ、これほどまでに豪華な
ホテルを、私は知らない。

 昔はヒルトンホテルとか、帝国ホテルとか言った。
東京では、いつも、ホテル・ニュー・オータニに泊まった。
あのときはあのときで、すごいホテルと思った。
しかし今ではその程度のホテルなら、どこにでもある。
が、ロア・ジール・スパ・ホテルは、さらに格がちがった。
驚いた!

 チェックインも、ふつうのホテルとは、ちがった。
ロビーのソファに座りながらすます。
飲み物を口にしていると、若い女性が横にひざまづいて、横に座った。
そこで宿泊カードに記入。
それがチェックイン。

部屋に入ったとたん、ワイフはこう言った。
「こんなホテルなら、一週間でもいたい」と。

 人件費が安いのか、いたるところに職員を配置している。
そのこともあって、サービスは至れり尽くせり。
なお「ロア・ジール」というのは、フランス語で、「レジャー」という意味だそうだ。
温泉の入り口にいた、受付の女性が、そう教えてくれた。

●沖縄

 沖縄を直接目で見て、「ここが昔から日本」と思う人は、ぜったいに、いない。
首里城を見るまでもなく、沖縄はどこからどう見ても沖縄。
沖縄というより、台湾。
台湾の文化圏に入る。
もう少しワクを広げれば、中国の文化圏。
どうしてその沖縄が、日本なのか?
ふと油断すると、「ここは台湾か?」と思ってしまう。

 平たい屋根の家々。
平均月収は東京都の2分の1という。
町並みも、どこか貧しそう。

 現代の今ですら、そうなのだから、江戸時代にはもっと異国であったはず。
沖縄弁にしても、言葉はたしかに日本語だが、発音は中国語か韓国語に近い。
それについての研究は、すでにし尽くされているはず。
素人の私が言うのもおこがましいが、もちろん九州弁ともちがう。

●沖縄戦

 沖縄戦の悲惨さは、改めて書くまでもない。
つまり先の戦争では、沖縄が日本本土の防波堤として、日本の犠牲になった。
その思いが、先に書いた「反日」の底流になっている。
「ひめゆりの塔」が、その象徴ということになる。

 が、実際には、沖縄がアメリカ軍によって南北に二分されたとき、北側方面に
逃げた人たちは、ほとんどが助かったという。
南側方面に逃げた人たちは、ほとんどが犠牲になったという。
その原因の第一が、あの戦陣訓。
「生きて虜囚の……」という、アレである。
「恥の文化」を美化する人も多いが、何をもって恥というか。
まっとうな生き方をしている人に、「恥」はない。

で、有名な「バンザーイ・クリフ(バンザーイ崖)」というところも通った。
アメリカ軍に追いつめられた住民が、つぎつぎとその崖から海に身を投げた。
が、今は、木々が生い茂り、記録映画などの出てくる風景とはかなりちがう。
それをタクシーの運転手に言うと、運転手はこう教えてくれた。

「それ以前は緑豊かな土地でした。雨あられのような砲弾攻撃を受けて、このあたりは、
まったくの焼け野原になってしまったのです」と。

 戦争記念館には、不発弾の様子がそのまま展示してあった。
畳10畳ほどの範囲だけにも、不発弾が4〜5発もあった。
うち一発は、250キログラム爆弾。

 不発弾というのは、そうそうあるものではない。
つまりそれだけ爆撃が激しかったことを意味する。
あるところには、こう書いてあった。

 爆破された塹壕をのぞいてみると、兵隊や女子学生のちぎれた肉体が、
岩の壁に紙のようになって張りついていた、と。

●国際通り

 国際通りを歩いて、驚いた。
店員という店員が、みな、若い。
20代前後。
活気があるといえば、それまでだが、同時にそれは若者たちの職場がないことを
意味する。
職場があれば、こんな街頭には立たない。
日本よ、日本企業よ、外国投資もよいが、少しでも愛国心が残っているなら、
沖縄に投資しろ!

 その国際通り。
そこには、本土では見たこともないような商品が、ズラズラと並んでいた。
ワイフは「外国みたい」と、子どものようにはしゃいでいた。
 
●ホテルへ

 息子とは国際通りで別れた。
私とワイフはそこからタクシーに乗り、ホテルに戻った。

 温泉に入り、息抜き。
そのころから私に異変が置き始めた。
飛行機恐怖症という異変である。
体が固まり始めた。
ザワザワとした緊張感。
同時に孤独感と、虚無感。

 外国ではよく経験する。
しかしここは「日本」。
「心配ない」と、何度も自分に言い聞かせる。

●孤独

 不安と孤独は、いつもペアでやってくる。
こういう離れた土地へやってくると、私はいつも、そうなる。
不安感が孤独を呼ぶのか。
孤独が不安を呼ぶのか。
横にワイフがいるはずなのに、心の中をスースーと隙間風が吹く。
なぜだろう?
どうしてだろう?
老齢のせいだけではない。
私は若いころから、そうだった。

 横を見ると、ワイフは寝息を立てて、もう眠っていた。

●10月30日

 午前中、再び国際通りを歩いてみた。
昨夜、カメラをもってくるのを忘れた。
それで再び、国際通りへ。

 「やはり夜景のほうがよかった」と私。
昼間の国際通りも悪くはないが、異国風という点では、夜景のほうがよい。
私は国際通りを歩きながら、片っ端からデジタルカメラで写真を撮った。

●虹の川

 沖縄へ向かうときも恐ろしかった。
しかし帰るときは、もっと恐ろしかった。
ちょうどその時刻。
台風14号は、羽田にもっと接近していた。

 飛行機は大きく揺れた。
が、息子のアナウンスが、私たちを安心させた。

「落ち着いた声で、ゆっくりと話せ」と、昨夜、父親らしく(?)、指導した。
「あのな、ぼくのように飛行機恐怖症の人も多いはず。そういう人たちに安心感を
与えるような言い方をしなければいけない。若造の声で、ぺらぺらとしゃべられると、
かえって不安になる」と。

その効はあったよう。
息子は、昨日より、ずっとじょうずにアナウンスした。
静かで、落ち着いた声だった。

 ……帰る途中、私たちはこんな景色を見た。
雲海が鏡のように平らになったところへやってきた。
静かな海のようにも見えた。
そのときのこと。
その中央に、縦に虹の川が現われた。
虹の川だ。
7色の帯になった川だ。
それはこの世のものとは思われぬ光彩を放っていた。
「ほら!」と声をかけると、ワイフがワーッと歓声をあげた。
あげたまま黙ってしまった。
時間にすれば10分ほどだっただろうか。
私たちはそれが消えるまで、窓に顔をつけてそれを見守った。

 「きっと天国というのは、あんなところにちがいない」と、何度もそう思った。
「あるいは墜落する前に、神様が天国を見せてくれたのかもしれない」とも。
私は夢中で、デジタルカメラのシャッターを切った……。
(写真は、この原稿をマガジンで発表するとき、添付します。)
 
 飛行機は何度か大きく揺れたが、無事、羽田空港に着陸した。
さすがB777−300。
安定感がちがう。
それ以上に、操縦がうまかった。

●品川から浜松へ
 
 品川から京急線で、18分。
羽田がぐんと便利になった。
しかしこんなことは、40年前にしておくべきだった。
おかしなところに国際空港を作ったから、日本の航空会社は、世界の航空会社に
遅れをとってしまった。
アジアで今、ハブ空港といえば、韓国の仁川か、シンガポールのチャンギ。

 成田空港がいかに不便なところにあるかは、外国から成田空港に降り立ってみると
よくわかる。
がんばれ、羽田!
往年の栄華は無理としても、少しは取り返せるはず。

●帰宅

 無事、帰宅。
あまり楽しい旅行ではなかった。
息子に会ったときも、さみしかった。
別れたときは、もっとさみしかった。

 ワイフに、「これからは2人ぼっちだね」と言うと、「うん」と言って笑った。

「健康だ、仕事がある、家族がいるといくら自分に言って聞かせても、健康も
このところあやしくなってきた。仕事も年々、低下傾向。今では家族もバラバラ」と。
電車の中でそんな話をすると、ワイフは、こう言った。

 「だからね、あなた、私たちはね、これからは自分のしたいことをするのよ」と。

 ワイフのよい点。
いつも楽天的。
ノー天気。
ものごとを深く考えない。
「この人はいいなあ」と、すっかりバーさん顔になったワイフを横から見ながら、
そう思った。

 以上、沖縄旅行記。
おしまい。

はやし浩司 2010−10ー31記

(補記)

【息子のBLOGより】2006−10ー27

●三男のBLOGより

++++++++++++++++++

三男が、仙台の分校に移った。
パイロットとしての、最終訓練に移った。

操縦しているのは、あのキングエアー。

MSのフライト・シミュレーターにも、
その飛行機が収録されている。

文の末尾に、キングエアーの機長席に座る
友人を紹介しながら、
「このコクピットに、ようやくたどり着きました」と
ある。

++++++++++++++++++

【仙台フライト課程】

 1年と半年前、パイロットのパの字も知らなかった僕が、宮崎に来
て、最初に出会った先輩が、まさにその時、宮崎フライト課程を修了
し、仙台へ旅立とうとしていたところだった。その口から発せられる
意味不明な単語の羅列。本気で同じ国の人とは思えなかった。中には
僕よりも年下の先輩もいたが、その背中はとてつもなく大きく、遠い
ものに感じられた。そこまでたどり着く道のりが、果てしなく長く、
険しいものに感じられた。

 あれから、色んなことがあった。毎日が、これでもかと言わんばか
りに充実していた。すごい勢いで押し寄せては過ぎ去っていく知識と
経験の波にもまれ、その一つ一つを逃さぬように両手を一杯に広げ、
倒されぬよう走り続けて来た。

初めて飛んだ帯広の空。細かい修正に苦労した宮崎の空。教官に叱咤
激励され、同期と切磋琢磨し、涙を流したことも数知れず。楽しかっ
たが、決して楽な道のりではなかった。その間に垣間見た、キングエ
アと仙台の空の夢。フライトを知れば知るほど、遠くなって行くよう
な気がしていた。途方に暮れてうつむくと、そこには誰かの足跡が。
そう、あの時見た先輩たちの足跡だ。大きく見えた先輩たちも、この
細く曲がりくねった道を一歩ずつ這い上がって来たのだ。

 そして今日、僕は、空の王様、キングエアと共に再び空へ飛び上が
った。ずっと想像していただけの景色が、現実にそこに広がっていた
。コクピットに座り、シートベルトを締め操縦桿を握ると、ハンガー
の向こう側から1年前の僕が見ている気がした。あの頃の僕の憧れに
、ようやくたどり着いたのだ。先輩たちが踏み固めてくれたあの道は
、確かに、この空に続いていたのだ。

人は成長する。それを強く実感した一日だった。毎日、少しずつでも
いい。前進し続けること。小さな成長を実感し続けること。時々、何
も変わっていないじゃないかと失望することがあるかもしれない。そ
れでも、諦めないこと。そうすることで人は、自分よりも何百倍も大
きかった夢を、いつの間にか叶えることが出来る。そういう風に、出
来ているのだ。努力は必ず報われる。

 最高の教育と、経験と、思い出を、僕は今ここで得ている。一つも
取りこぼしたくない、宝石のような毎日だ。

このコクピットに、ようやくたどり着きました。

(以上、原文のまま。興味のある方は、ぜひ、息子のBLOGを訪れ
てやってみてください。私のHPのトップ画面より、E・Hayas
hiのWebsiteへ。)

Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

********************

【ようこそハナブサ航大日記へ】

 航空大学校は、国が設置した唯一の民間パイロットの養成学校で、宮崎に本校が置かれ
ています。入学するとまずこの宮崎本校で半年間座学を行い、その後帯広分校に移って初
めて自分の手で飛行機を操縦します。

半年後、自家用レベルまで成長した訓練生たちは再び宮崎に戻り、宮崎フライト過程へと
進みます。ここでは事業用レベル、つまりプロになるための訓練を行います。半年後、宮
崎を卒業し、最終過程が行われる仙台分校へ移動、より大きな飛行機への移行訓練、及び
計器飛行証明という資格を取るための訓練に入ります。

同時にエアラインへの就職活動も始まり、卒業後はJAL,ANA,ANK,JTAなどの会社へパイ
ロットとして就職します。仙台過程も半年間行われます。

 在学期間は計2ヵ年。その間、航大生(航空大学校生)は校舎に併設された寮で、同期
や先輩・後輩たちと過ごします。部屋はすべて2人部屋。宮崎過程では先輩、後輩の組み
合わせで、それ以外は同期同士の組み合わせで寝食を共にします。校舎は空港に隣接され
ており、宮崎、帯広、仙台とも、滑走路から「航空大学校」と書かれた倉庫が見えるはず
です。同期は18人。毎年72人の募集があり、4期に分かれて4月、7月、10月、1
月にそれぞれ入学します。

 ハナブサ航大日記では、ここ航大での生活を写真を通して紹介しています。僕にとって
は初めての寮生活、同期や先輩・後輩や教官のこと、訓練の様子、空からの眺め、フライ
ト中に思ったこと、などなど。訓練は厳しく、付いていくのがやっとですが、同期と助け
合い、試験に見事合格したときの喜びは何にも替えがたいものがあります。

またどんなに訓練が大変でも、それを忘れさせてくれる美しさが空の上にはあります。そ
れを伝えたい。また、何でもない一人の人間がどのようにして一人前のパイロットになっ
ていくのか、何を考え、どう変わっていくのか。その過程を楽しんでいただければ幸いで
す。ときどき関係のないことも書きますが、ご容赦ください。どうぞ、楽しんでいってく
ださい。

 ちなみに自分は1981年生まれの今年25歳。航大へは去年の4月に入学し、現在仙
台フライト過程です。卒業まで、あと少し!


++++++++++++++++++++++++

●2005年3月・入学

 航大に入学して今日で3日目。同期は口をそろえ、まだ3日しかいないのに、もう何週
間もここにいる気がすると言う。自分もそう感じる。ここ航空大学校は、本当に厳しく、
本当にすごいところだ。

 入寮した日、先輩方から手厚い歓迎を受けた。その歓迎方法は、残念ながらある理由に
よりここで書くことはできないが、「けじめ」と「親しみ」を同時にしっかり学ぶことがで
きる、伝統的な
すばらしい儀式だった。同期たちとは時間が進むにつれ、どんどん深くなって行っている。
こんなに人と深くなれるのは、後にも先にもこれだけだと思う。みんなほんとにいい人た
ちばかりで、今までの自分、人間関係っていったい何だったんだと疑問に思うくらいだ。

 はっきり言って感動しているのだろうか。今のこの心境を語るには、もう少し時間が必
要だ。明日から授業が始まるので、今夜はもう寝よう。

+++++++++++++++++++++++

●2005年4月

 制服も来たので、同期全員でハンガーに行って写真を撮ろうということになった。ホー
ムページ用のプロフィール写真もそろそろ撮り始めたかったので、個人撮影も兼ねて一同
ばっちり決めていった。初めてのハンガー&エプロンは、まじやばくて、みんな大興奮。
やっぱみんな飛行機好きなんだね。滑走路がもう目と鼻の先で、MDやB3の離陸、着陸
にみんな釘付けになっていた。近くで見るボナンザは思った以上に大きくて、そして美し
くかっこいい。乗れるのはまだまだ先だけど、今は座学を一生懸命頑張って、「生きた知識」
をたくさん帯広に持っていこう。

++++++++++++++++++++

●2005年6月

航空機システムの時間に、聞きなれない飛行機の音。休み時間に外に出てみると、宮崎空
港に航空局のYS−11が来ていた。かっこいい。既に先輩が退寮されていたので、教官
にお願いして滑走路が見える側の教室に移動して授業をやってもらった。99.999%
授業に集中して、残りの0.001%でYS−11を横目でちらちら。プロペラが回り始
め、地上滑走、そして離陸・・・。ロールスロイスの音は気品があって、何かいい。

++++++++++++++++++++

●2005年7月

 本日昼頃、宮崎空港に政府専用機が来た。政府専用機といえば、アメリカで言ったらエ
アフォース・ワン。政府要人を乗せるための専用機なのだが、今回は首相などは乗ってい
ない。訓練のため、宮崎空港でタッチアンドゴーをし、フルストップし、そして帰ってい
った。B4のタッチアンドゴーなんて、なかなか見られるものではない。

訓練とはいえ、あの飛行機のコクピットには、日本一のパイロットが乗っていたに違いな
い。自分たちはあの飛行機を運転する機会はないだろうが(絶対とは言い切れないが)、民
間機パイロットとして、政府専用機のパイロットと同じくらい「すごい」パイロットには
なれるはず。頑張ろう!

 ちなみにコールサインは、シグナス(?)・ワンだった。中はいったいどうなっているの
だろうか。

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●2005年7月

最近、毎週のようにテストがあって、なかなかやりたいことができない。今やりたいこと
(1)ラジコンを飛ばしたい、(2)カラオケに行きたい、(3)映画を見たい(見たい映
画が5個くらいある)、(4)山に登りたい、(5)一日中同期とHALOやりたい、(6)
本を読みたい、など。HALOというのは、ネット対戦型ゲームで、広めてから3ヶ月く
らい経つが、未だに健在。熱しやすく冷めやすい1-4にしては珍しいことだ。

 いよいよ一週間を切った事業用の試験の勉強もままならず、ATCの試験やら、実験の
レポートやらが山積み。ワッペンやTシャツのデザインも考えなくちゃ。お盆休みに帰る
用の航空券も、帰りの便がまだ取れていないし、事業用が終わってもレポート、試験が3
つくらい、そして何より、プロシージャーという恐ろしい課題が首を長くして待っている。
いったい、我々に休みというものは存在するのだろうか。

・・・いや、何を甘ったれたことを言っている。同年代の人たちはもう社会に出て働いて
いるというのに、まだ社会の「しゃ」の字も知らないものが「辛い」などという言葉を口
にするなんて、おこがましい。

 クーラーのあたりすぎか、今日は一日風邪っぽかった。鼻水が止まらない。休憩時間に
寮にもどって仮眠してたら、授業に遅刻してしまった。そういえば関東には台風が来てい
るらしい。こないだ大きな地震もあったし、心配だ。

 夏休みに入って、宮崎空港には777が来るようになった。11時15分くらいに来て、
12時過ぎに飛び立っていく。こないだは777に代わって-400が来ていた。空港に不
釣合いなほどでかかった。エンジンが滑走路からはみ出ていて、普段はジェットの後流を
受けないところの地面の噴煙を巻き上げながら離陸していく姿は圧巻だった。改めて、「ジ
ャンボ」というものはすごいと感じた。

 こないだの週末にはCップの彼女さんが宮崎に遊びに来ていた。日曜の夜にみんなで飲
んで、花火をやった。

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●2005年7月

 2003年7月11日、航空大学校のビーチクラフトA36(JA4133)が、エン
ジントラブルで宮崎市内の水田に墜落した。

 搭乗していた4名は3名死亡、1名重症の事故となった。

 今日は、校内の慰霊碑「飛翔魂」に前で、慰霊祭が執り行われた。学生は全員参列し、
事故が発生した午後4時2分、1分間の黙祷を捧げたのち、献花した。

 エンジンが停止してから、墜落までの5分間、機内は壮絶としていたそうだ。眼下に猛
烈な勢いでせまってくる地面を、どんな思いで見ていたんだろう。今日の天気は曇り、風
はやや強く、蒸し暑い日だった。いろんなことを考えたが、思いを言葉にするよりも、今
日のこの空気の感じ、風の匂いを忘れないようにしようと思った。

 亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

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●2005年12月

目安の高度よりも若干低めでファイナルターンを開始する。滑走路と計器を交互にクロス
チェックしながら、パスが高いか低いか判断する。高度が低かったせいで、旋回開始前か
らPAPIは2RED。スロットルをちょっと足して、ピッチを指一本分くらい上げる。滑走
路が目の前に来て、ロールアウト。気温が低く、エンジン出力が増加するため、目安の出
力ではスピードが出すぎてしまう。90ノットを維持できずに、速度計は95ノット近辺
をフラフラ。気をとられてるうちに、エイミングがずれる。

 「エイミング!」

 右席から激が飛ぶ。あわててピッチとパワーを修正する。

 「何か忘れてるものはないか!?」

 ラダーだ。教官がこういう言い方をするのは、ラダーのことを言うときだ。僕はいつも
ラダーを忘れてしまう。ボールを見ると、大きく右に飛んでいる。右足にほんの少し力を
入れて、機軸をまっすぐに直す・・・。

 教官と、最後の着陸。いつもとなんら変わりのない着陸。最後だから、今までで一番う
まい着陸を見せたかった。でもやっぱりいつもと同じことを言われてしまう。そんな自分
が歯がゆくて、悔しくて、情けなくて、でもそういう感情を押し殺して、冷静に、「落ち着
け」と何度も唱えながら、僕は教官を滑走路まで連れて行く。スレショールドまで、あと
900m。

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●2005年12月

 今週は午後フライト。乗るはずだったJA4215が突然スタンバイに。原因は一本のボ
ールペン。午前にこの機体で訓練していた学生が、ボールペンを機内に落として紛失した。
そのペンが見つかるまで、僕たちはこの機体を使うことはできない。JAMCO(整備)さん
がいくら探しても見つからないので、結局飛行機の床を剥がすことに。最終的に見つかっ
たのかどうかはさだかではないが、とりあえず4216が空いていたので、訓練はそっち
で行った。 

 なぜたかがボールペン一本にここまで執着するのだろうか。それにはちゃんと理由があ
る。
もしそのボールペンがラダーペダルの隙間にはまり込んでいたらどうなるか。ラダーが利
かなくなる。それ以外にも、思わぬところに入り込んで安全運航に支障をきたしかねない。
ボールペン一本くらいいいや、という甘えが、命取りになりかねないのだ。ちなみに、何
かがはまりこんでラダーが利かなくなった事件は、実際航大の訓練機で過去に起こってい
る。

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●2006年2月

 Y教官が班会を開いてくれた。Y教官は帯広分校の中で、1,2を争う厳しい教官だ。で
もその厳しさの裏側には、愛がある。当たり前のことかもしれないが、そのことを強く再
確認できた、すばらしい班会であった。

Y教官は防衛庁出身で、当時の訓練の話などをたくさん聞くことができた。教官の時代から
航空界は大きく変わってきたが、その中でも変わらないものを教官の中に見つけることが
できた。パイロットの世界を言葉で表現するにはまだ経験が浅く難しいが、独特の世界感
が確かに存在する。職人の世界であり、それでいてチームワークの世界でもあり・・・。
教官は3人の娘さんがいるが息子さんはいない。だから僕たちのことを息子のようだ、と
言ってくれた。僕もこのパイロットの世界の一員なんだなぁと実感し、嬉しくなった。

 町のK居酒屋はパイロットがよく集まるお店だ。航大の教官もよく訪れると言う。実は
この店の主人も飛行機好きで、仕事の傍ら、近くの飛行場で免許のいらないウルトラライ
トプレーンという種類の飛行機を飛ばしているんだそうだ。Y教官もよく乗りに行って、そ
の主人に「フレアが足りない」などと指導されてしまうんだそうだ(Y教官の飛行時間は1
万時間を超えている)。

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●2006年2月

 空を飛ばない人にとって、飛行機は「ただの騒音」以外何物でもない。周辺の人が一人
も不満を持っていない空港なんて、世の中にはない。飛行機が大好きな僕たちでさえ、と
きどき五月蝿く感じることがあるのだから、地上で静かな生活を送りたいと思っている人
たちにとっては、大変な被害となっているに違いない。ハエのように、手で払いのけたり、
殺虫剤を使うわけにもいかない。ストレスも溜まるだろう。

 地上の人が知っているかどうか知らないが(気づかれないようにする配慮なので、知ら
ないはずか)、僕たちはできるだけ地上の人に迷惑がかからないような飛び方に心がけてい
る。プロペラ機は回転数を落とすと音が静かになるので、対地1500ft以下ではプロ
ップをしぼる。その分、当然出力は落ちる。また、低空飛行訓練は人家のほとんどないエ
リアを選んで、そこから出ないようにしながら行っているし、もっとも、町の上は飛ばな
いようにしている。十勝管内には既に騒音注意地域が数箇所あり、その上空は通過しない
ようにしている。機長は、乗っている人のことだけを考えればいいというわけではないの
だ。

 それでも、苦情は届けられる。航法を行うためのスタート地点によく指定される町があ
って、そこの上空でぶんぶん発動(スタート)しまくっていたら、付近の牧場から牛に悪
影響が出たと苦情が入った。急遽、その町上空の低高度通過などが禁止された。

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●2006年4月

 何にもない帯広にいた頃のほうが、毎週末何か見つけて出かけていたような気がする。
帯広に比べたら何でもあるこっち(宮崎)では、金曜の夜はそれなりにでかけるものの、
土日は部屋でだらだらして、夕方くらいに後悔が始まって、焦ってイオンに行ったりする。
何かないかなぁ。暇・・・。

 宮崎はほんと天気が悪くって、先週は5日間あるうちの1日しか飛べなかった。海に近
いせいか、風の強い日が多い。おとといは45kt(時速83km以上)の風が吹き荒れ
ていた。風に向かって対気速度一定で飛んでいくと、対地速度は風の分だけ遅くなる(飛
行機は対気速度が重要)。だから、風の強い日のライン機の離陸はおもしろい。でっかい鉄
の塊が、びっくりするくらいゆっくりゆっくり上昇していく。

 飛行機の操縦を何かにたとえるとすると、何になるのだろうか。車で高速道路を一定の
速さで走りながら、誰かと重要な話を電話でしつつ、クロスワードパズルを順番に解いて
いくようなものだろうか。僕たちが上空でしていることを列挙していくと、まず諸元の維
持(スピード、高度、進路、姿勢を変わらないように止めておくこと;上昇や降下、増速・
減速のときは別)、ATC(管制機関との交信)、機位(現在地)の確認、見張り・周りの状
況把握(他の飛行機はどこを
飛んでいるのかとか、空港は今どんな状況なのかとか)、運航(経済性、効率性、安全性、
快適性、定時性)、乗客への配慮、あとは教官に怒られること、など。もちろん、これらを
同時にこなすことなんて不可能だから、優先順位をつけて、一つずつ消化していく。何か、
パズルみたいでしょ。

 こんなことを考えている間に、外はもう日が傾き始めてる。やばい、イオンにでも行か
なくちゃ!写真はFTD(シミュレーター:通称ゲーセン)。前方のスクリーンに景色が映し
出され、様々な状況(エンジンが止まったとか、ギアが出ないとか)を模擬的に作り出し
て体験することができる。

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●2006年7月

 6月が終わる。今月の飛行回数、わずか5回。時間にすると6時間ジャスト。梅雨だけ
のせいではない。

 6月最後の今日の天気は曇り。梅雨前線は北上し、九州の北半分は朝から絶望的。午後
には南側にも前線の影響が出始めるという予報だったが、今日は何が何でも飛ぶ!とSぺ
ーと固く誓い合い、種子島へのログ(飛行計画)を組む。午前10時。

 午前11時30分。ブリーフィングの準備開始。種子島空港に電話して、スポット(駐
機場)の予約を入れる。何でも、自衛隊が14時20分までスポットを占有しているらし
く、それ以降でないと駐機できないとのこと。しかたなく14時40分からスポットを予
約。出発を遅らせるしかない。こっちが到着するころに、自衛隊機が一斉に飛び立ってい
くのが見られるかもしれない。

 正午過ぎ、整備のJAMCOさんがシップの尾翼のあたりを脚立を使ってなにやら調べ
ているのが気になる。ブリーフィングの準備は整い、教官が来るまでのわずかな間に、も
う一度イメージトレーニング。ランウェイは09。高度は8500ft。あの雲を超えら
れるかな・・・観天望気のため外に出て、空を見上げる。行けそうだ。行こう。飛ぼう。

 午後12時半、帯広で尾翼のVORアンテナが脱落したという報告が入る。宮崎のシッ
プもチェックしてみたら、アンテナにひびが入っていたものが3機ほど見つかる。他のシ
ップにもチェックが入るため、僕らのシップは試験を目前に控えた先輩に回されてしまう。

 完璧に準備されたブリーフィング卓の前で呆然とする3人。教官が入ってきて、「何かシ
ップないみたいよ〜」と。拍子抜け。5〜6分、立ちブリーフィング。あまり飛びたくな
いときに飛ばされて、ほんとうに飛びたいときに飛べない。その気持ちの切り替えが、パ
イロットに課せられた課題の一つなのだ。こういうこともある・・・。

 先週は別の故障でシップが2〜3機足りず、キャンセルになっていたこともあった。シ
リンダーにクラックが見つかったとか、バードストライク(鳥と衝突)したとか。どうな
るんだろう、この学校・・・。でも、もうすぐ死ぬほど飛べる日々がやって来るんだろな。
地上気温、30度。8500ft上空、気温13度。とりあえずプール行こう。

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●2006年9月

前段。それは飛行機を、最初に空へ上げる人。誰よりも早く飛行機に乗り込む人。

 透き通った青い空のもとに置かれたピカピカの飛行機へ足早に向かう。目に映るのはボ
ナンザと、その向こうに広がる誘導路と滑走路、そしてそこを疾走してゆく大型旅客機だ
け。心地よい向かい風を肩で感じながら、次第に時間がゆっくりになっていくのを確かめ
る。一瞬一瞬が輝き始める。集中力が僕に呼びかける。そうだ、今日も飛ぶんだよ、と。

 どこから見ても本当に美しい機体。その表面を撫でて何かを確かめる。包み込まれるよ
うに優しく乗り込んで操縦桿を握ると、僕が飛行機の一部なのか、飛行機が僕の一部なの
かわからなくなる。そこから見える景色は、いつもと同じ景色でもあり、まったく違う景
色でもある。これは現実なのか、夢なのか。考えている間に手がひとりでに動き出す。流
れるようなプロシージャー。それはまさに音楽。飛行機が生まれ変わってゆく。

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●2006年9月

C'Kの1週間くらい前から、左目の目じりがずっと痙攣している。C'Kが終わった今でも、
それは続いていて、秋雨前線の雲に覆われたこのところの空のように、気分はどうもすっ
きりしない。

 C'K当日の朝も、空ははっきりしない雲に覆われていた。C'Kを実施するにはあまり好ま
しくない天気だが、とにかくこの日にC'Kを終わらせたかったので、最後の最後まで悩ん
だ挙句、行く決断をした。試験官との相性というものがあって、自分はI教官にぜひ見ても
らいたかった。この日以降、I教官は休みに入ってしまう予定だった。

 出題されたコースは、南回りで鹿児島。鹿児島は苦手意識が強く、できれば行きたくな
かった空港だ。C'Kの神様は本当によく見ている。大島、枕崎、鹿児島city、鹿児島空港、
坊ノ岬、都井岬、白浜。

 上がってみると、案の定コース上は雲だらけ。計画をどんどん変更し、上がっては下が
り、右に避けては左に戻り、視程の悪い中、必死に目標を探す。岬だの、駅だの、石油コ
ンビナートだの。鹿屋空港上空を通過後、エンジンフェイル(シミュレート)。『鹿屋空港
に緊急着陸します!』でケースクローズ(課題終了)。枕崎変針後、雲は一段と低く、多く
なってきて、鹿児島cityまでに2000ft、スパイラルで降下(螺旋降下)。鹿児島離陸
後は雲の袋小路に入り込み、管制圏すれすれを迷走。帰りの鹿屋上空で大雨。もうめちゃ
くちゃだった。泣きそうだった。何度ももう止めたいと思った。

 でも、頑張った。

 天気の悪い日は出来る限り飛ばないほうがいい。でも、得るものが多いのも、自信がつ
くのも、天気の悪い日だ。最後のVFRナビゲーションで今までで1、2を争う天気の悪さ
の中を飛んで、無事合格して、大きな大きな自信が身についた気がする。できればもう一
度、飛びたいと思った。

 学歴は大学中退、これといった資格のなかった僕が、事業用操縦士になった。つまり、
飛行機を操縦することによりお金を稼ぐことができるようになったということだ。総飛行
時間145時間、総着陸回数324回。短いようで、長い長い1年間だった。

 今の僕は、JISマーク付きのイスみたいなものだ。一定の安全基準を上回っただけの操縦
士。ちょっと行儀の悪い子供が座ったり、ゴツゴツしたところに設置されたりすると、ボ
キっといってしまう、まだひ弱なイスだ。『ミニマムのプロ』。I教官の講評。そう。ここが、
新しいスタートだ。

 協力してくれた同期のみんな、応援してくれたみんな、どうもありがとう。Finalも頑張
ります。

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●2006年11月

 仙台課程では、取得しなければならない資格が2つあり、それに加えエアラインへの就
職活動も並行して行われる。これが、仙台課程が大変だといわれる所以である。

 航大生だからといって、卒業後、自動的に各エアラインに就職できるわけではない。航
大のためだけの特別なスケジュールは確保されるものの、他の一般就活者と同じように、
まず4社に履歴書を送り、会社説明会に参加し、SPIや心理適性検査、そして身体検査
を受け、一般面接、役員面接を経て、ようやく内定という手はずを踏まなくてはいけない
のだ。第一志望の会社に受かる者もいれば、当然、どの会社にも縁をいただけない者もい
る。後者は、卒業後、他の航空会社に独自にアプローチをかけていかねばならない。

 つい先日、僕らの一つ上の先輩の一次内定者の発表があった。いくらパイロットの大量
退職という追い風があったとしても、やはりまだまだ思うようにいかないのが現実である
ようだ。それにしても、エアラインがいったいどういう人材を欲しているのか、いまいち
掴みにくいのが僕らの悩みどころである。

 航大の場合、最終内定前に就職がうまくいっていることを確認できる段階が、3つほど
ある。

 就職活動はまず履歴書を書くことから始まる。その後身体検査と面接が行われ、しばら
くすると何人かに再検査の通知が来る。身体検査にはお金がかかるので、再検査が来ると
いうことは、面接では合格したものと見込んでいいのだそうだ。

もちろん、身体にまったく異常がなければ、来ない場合あるが。とにかく、これが第一段
階。第二段階は、オブザーブだ。オブザーブというのは、会社が学生を何人か指名し、そ
の学生のフライトを、その会社の機長が後席から観察するというもの。当然、会社が見た
いと思う学生はほしいと思っている学生なので、オブザーブが来るということは期待して
いい証拠なのだそうだ。しかし、これはかなり緊張するらしい。

 第三段階は一次発表。これはほぼ内定と見込んでもいいらしい。その後大手2社以外の
身体検査、及び役員面接を経て、最終内定の発表となる。

 先輩を見ていて、少しずつ希望が輝いていく人と、翳っていく人がいる。その表情の違
いに、果たして3ヵ月後、自分はこのプレッシャーに耐えられるだろうかという緊張感を
覚える。夢が現実になる瞬間が近づいている。

 僕らはというと、既に履歴書は提出済み。来週はいよいよ、一週間かけての会社訪問&
身体検査に臨む。大鳥居のホテルに8連泊。航大至上初の、一人部屋である。身体検査に
向け、各自様々な取り組みをしているようだが、僕も仙台に来て約2ヶ月間、ずっと運動
を続け、結果減量に成功した。目標まで、あと少し!

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●2007年1月

 再検査、と聞くと、何だかあまりいい印象を受けないと思うが、ここ航大の就職活動に
おいては、比較的縁起のいいものとして扱われている。なぜなら、見込みのない学生に、
お金のかかる再検査をわざわざやらないだろう、というのが定説だからだ。身体検査→面
接→再検査という順番を考えれば、再検査が来たということは、少なくとも面接ではOK
だったんだなと思っても、大きな間違いではないだろう。

もちろん、身体検査が一発で受かっていれば、そもそも再検査など来ないのだけれども。
幸い、と言うべきか、僕はJ社、A社の両方から再検査の通知が来た。

 J社では心エコー検査というものを受けた。心臓にエコー(音波)を照射して、反射して
きたものを映像化する装置で、いろんな角度からぐりぐり見られた。自分の心臓を見たの
は生まれて初めてだったので、興味津々で画面を見つめていた。どこかで勉強した通り、
心室や心房、またその間の弁まではっきり見えて、僕も同じ人間なんだなぁと当たり前の
ことをしみじみ感じていた。

しばらく無言で作業を続けるドクター。心配したが、最後に『うん、いい心臓だ』と言っ
てくれたので安心した。『まぁ大丈夫でしょう』と。って、そんなこと言っていいんですか
先生。身体検査は通常、結果は本人に知らされない決まりになっている。

 それ以外にも、J社では検尿、A社では腹部エコーと採血の検査があり、これらについて
は結果は知らされなかったので、どうなっているか不安だ。でも今は、そんなことを心配
するよりもフライトに集中しなくては。2日間で両社回ったのだが、滞在時間はそれぞれ
15分くらい。それ以外はほぼホテルでくねくねしていただけなので、ゆっくり休むこと
ができた。今週末も金曜・土曜と連続ALL DAY。頑張るぞ!

+++++++++++++++++++++++++

興味のある方は、どうか、息子のBLOGをつづけて読んでください。

http://xxxxx

です。

では、よろしくお願いします。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●航空大学校

++++++++++++++++++

日本には、ひとつだけだが、国立の航空大学校が
ある。今は、独立行政法人になっているが……。

テレビのトレンディドラマの影響もあって、
入試倍率は、毎年、60倍前後。

これに合格すると、2年間の合宿生活を通して、
パイロットとしての訓練を受ける。衣食住を
ともにするわけである。

が、訓練のきびしさは、ふつうではない。

そのつど技能試験、ペーパーテストがあって、
それに不合格になると、そのまま退学。留年と
いうのはない。

パイロットといっても、単発機の免許、
双発機の免許、計器飛行の免許、事業用の
免許などなどほか、飛行機ごとに免許の種類が
ちがう。

ライン機ともなると、飛行機ごとに免許の
種類がちがう。もっとも、JALやANAの
ようなライン機のパイロットになれるのは、
その中でも、10〜15人に、1人とか。

健康診断でも、脳みその奥の奥まで、徹底的に
チェックされる。

で、あるとき「きびしい大学だな」と私が
言うと、息子は、こう言って笑った。

「燃料費だけでも、30分あたり、
5万円もかかるから、しかたないよ」と。
10時間も飛べば、それだけで100万円!
 
チェック試験に合格できず、退学になった
仲間もいたそうだ。ほんの少し、飛行機の
中でふざけただけで、それで退学になった仲間も
いたそうだ。

無数のドラマを残して、息子が、もうすぐ
その大学を卒業する。今は、就職試験のときだ
そうだが、どうなることやら?

結果はともあれ、息子よ、よくがんばった。
よくやった。
空が好きで好きで、たまらないらしい。


Hiroshi Hayashi++++++++以上、JAN.07++++++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 沖縄旅行記 息子の初フライト 黄色い旗 はやし浩司 黄色い旗 
浜松上空 はやし浩司 2010−10ー31 林英市 林 英市)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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